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#早稲田大学創立記念日
herbiemikeadamski · 2 years
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. (^o^)/おはよー(^▽^)ゴザイマース(^_-)-☆. . . 10月21日(金) #仏滅(丁未) 旧暦 9/26 月齢 25.2 年始から294日目(閏年では295日目)にあたり、年末まであと71日です。 . . 朝は希望に起き⤴️昼は努力に生き💪 夜を感謝に眠ろう😪💤夜が来ない 朝はありませんし、朝が来ない夜 はない💦睡眠は明日を迎える為の ☀️未来へのスタートです🏃‍♂💦 でお馴染みのRascalでございます😅. . 43/53週目のラストスパート金曜日になり ました😅💦今週は、ってか今週も💦 「光陰矢の如し」アットウマでしたね😅💦 毎日毎日、急かされてるから🤣😆🤣 昨日は、スリーセクションも片付けました💦 . 今朝は洗濯は勿論ですが、アイロンかけ をしたり毛玉とりをやってたら手間 喰っちゃい、時間ギリギリ。。。_| ̄|○ ところが、お迎えが10分遅れそうと 連絡がありホッとして朝飯喰えましたw . いやしかし、毎朝の洗濯って大変💦 独りでこれだから、大人数の家族の 奥様は大変ですよね✋全自動洗濯機 だから、まだ良いけど😅💦昔の様に 二層式洗濯機とか脱水機がないのも . 大変でしたでしょうね✋昔なんか 脱水機の代わりに洗濯機の横に ローラーが付いた絞り機みたいなのが ありましたよ😅💦それ以前は洗濯 たらいに洗濯板ですもんね🤣😆🤣 . 今日一日どなた様も💁‍♂お体ご自愛 なさって❤️お過ごし下さいませ🙋‍♂ モウ!頑張るしか✋はない! ガンバリマショウ\(^O^)/ ワーイ! ✨本日もご安全に参りましょう✌️ . . ■今日は何の日■. #関ヶ原の戦い(セキガハラノタタカイ). 1600(安土桃山時代/慶長5年9月15日)年10月21日(土)大安.に、美濃国不破郡関ヶ原を主戦場として行われた野戦である。  徳川家康の率いる「東軍」と石田三成の率いる「西軍」が美濃関ヶ原で行った合戦で全国のほとんどの大名がまき込まれた。  緒戦で優勢に戦いを進めていた「西軍」でしたが、形勢が「東軍」に有利と見た武将の小早川秀秋が「西軍への裏切り」が  あったのもあり「東軍」が「西軍」を下し、家康は事実上全国の支配者となり、さらに3年後に征夷大将軍となったのでした。  「天下分け目の戦」と云われている。 . #仏滅(ブツメツ).  六曜における大凶日。  「何事も遠慮する日、病めば長引く、仏事はよろしい」ともいわれる。  また『物滅』として「物が一旦滅び、新たに物事が始まる」とされ、「大安」よりも物事を始めるには良い日との解釈もある。 . #大明日(ダイミョウニチ). 民間暦でいう吉日の一つ。  この日は、建築・旅行・婚姻・移転などすべてのことに大吉であって、他の凶日と重なっても忌む必要がないともいう。 . #神吉日(カミヨシニチ). 「かみよしび」ともいい、神社への参拝や、祭礼、先祖を祀るなどの祭事にいいとされています。 この日は神社への参拝や、お墓まいりに行くといい日です。 . #あかりの日. . #神風特別攻撃隊初出撃(ジンプウトクベツコウゲキタイハツシュツゲキ). . #禅寺丸柿の日. . #早稲田大学創立記念日. . #センチュリー21の日. . #国際反戦デー. . #ゼクシオの日(XXIOの日). . . ●バック・トゥ・ザ・リサイクルの日.  リサイクルなんて大嘘です。  今すぐ止めましょうψ(`∇´)ψケッ! . . #マリルージュの日(毎月21日). #MyDIYの日(お部屋カスタマイズの日)(毎月21日). #木挽BLUEの日(毎月21日). . . ■本日の語句■. #今日考えて明日語れ(キョウカンガエテアシタカタレ). 【解説】 軽々しく話して後悔しないよう、よくよく考えてからしゃべるようにするのがよいという教訓。 . . 1947(昭和22)年10月21日(火)仏滅. #蛭子能収 (#えびすよしかず) 【漫画家、タレント、エッセイスト】 〔熊本県天草市〕. . . (Saburou, Kumamoto-shi) https://www.instagram.com/p/Cj82EEDBZxG5_mGdK6qvMII9iHpTjLwRScbNU80/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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team-ginga · 1 month
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映画『青春かけおち篇』とドラマ『かけおち'83』
 演劇ユニット・チーム銀河は今年創立10周年を迎えます。
 それを記念して2014年の旗揚げ公演で上演した3人芝居『マイ・スウィート・スウィート・ホーム』という芝居を、5月18日(土曜)に京都・東一条の関西日仏学館・稲畑ホールで、5月24日(金曜)〜26日(日曜)に大阪・新町のいつもの劇場Regalo Gallery & Theatreで上演いたします。
 作は私、東浦弘樹、演出は増田雄さん、出演が『メフィスト』でも共演した私の憧れの女優さん白樫由紀子さんと、なにわニコルソンズの立山誉(ホマティ)さん、もちろん私も出演します。
 昨日3月21日はその初稽古でした。
 帰りにいろいろ話しているうちに私が大好きだったドラマ『かけおち'83』の話になりました。タイトルが示すように1983年(古い!)にNHKの銀河ドラマ枠で4日連続だが5日連続だかで放映されたドラマで、つかこうへい作、大竹しのぶ主演です。
 ホマティさんにこのドラマを薦めて、白樫さんに「このドラマのDVDは前に(『メフィスト』で共演した時に)貸したよね」と言ったら、白樫さんはドラマもDVDで見たけれど、映画の方も見たと言いました。
 家に帰ってU-Nextで調べると、『青春かけおち篇』という1987年の映画がヒットしたので、早速見てみました。
 でも……うーん、これじゃあダメです。台無しもいいところ。
 原作・脚本つかこうへいとあるので、つかの原作を誰かがメチャクチャに脚色した訳ではないはずですが……つかは本当にこんなものを書きたかったんでしょうか。それとも一応脚本はつかになっているけれど、どこからか圧力がかかって書きたいものが書けなかったのでしょうか。
 ドラマ『かけおち'83』は、数年前からのんべんだらりと生き、のんべんだらりと同棲してきた節子(大竹しのぶ)と康夫(長谷川康夫)の物語です(長谷川康夫は当時はつかこうへい事務所の役者でした。その後、役者は辞めて演出をしているようです)。
 二人は節子の実家で節子の両親(北村和夫と松下沙稚子)と一緒に暮らしています。あるとき、節子の父親の取引先から節子にお見合いの話が舞い込みます。
 節子には当然康夫という恋人がいます(康夫は長男ですが、弟が家業を継いでいるので養子に来ることができます。一人娘の節子やその両親にとっては非常に都合のいい存在なのです)。でも、「見合いの一つくらいしておかないと」という理由で(この辺りがいかにもつかですね)見合いに行くことになります。
 見合いの相手は年商80億の会社を裸一貫から立ち上げた萩原(沖雅也、「親父涅槃で待つ」と自殺する直前の出演です)ーー彼は節子が好きで高校生の時からずっと見守ってきたと言います。
 萩原の迫力に押され、節子はそのままデートを重ねます。しかし、萩原が結婚の申し込みに節子の家を訪れたとき、節子の母は「会社を捨てて家の仕事を継ぐのでなければ節子との結婚は許さない」と言います(節子の家は東京の一等地でレストランを3軒経営しています)。
 激しい雨の降るなか、節子の家の玄関先で萩原が言う……というより叫ぶセリフは実に魅力的です。彼は節子に言いますーー「でも私は諦めません。私はきっとあなたを奪ってみせます。そうでなければ、私はこの10年間一体何のために働いてきたんだ。好きな女ひとり奪うことができなくて、私は一体何のために働いてきたんだ。節子さん、私はきっとあなたを奪ってみせますから」。
 いいセリフですね。
 萩原は節子に相応しい男になるために必死になって働き、年商80億の会社を作り上げたわけで、これまた私が大好きな『グレート・ギャツビー』のギャツビーを思わせます。
 康夫は節子のすることに干渉しないという態度を貫いてきましたが、やはり気が気ではありません。そんな康夫に節子は、こうなったらもう二人でかけおちするしかないと言います。
 ここも実につからしい展開ですね。普通に考えれば……というかどう考えても訳がわかりません。でも、説明はつきます。
 節子はこれまでのんべんだらりと楽な方へ楽な方へと流れる生き方をしてきました。だから彼女の人生には何ら劇的な要素はありません。そこへ突然、萩原という大きな情熱を持った男、この上なく劇的な人物が闖入してきた。節子だって心が動いたはずです。
 そんな節子が康夫との生活を続けていこうと思ったら、萩原というこの上なく劇的な要素に匹敵するだけの劇的な何かがなければならない。それがかけおちです。
 二人が夜行列車に乗って京都(かけおちと言えば行き先は京都でしょう!)へ行くシークエンスは素晴らしいのひとこと!
 二人が夜行に乗っていると、まず東京ヴォードヴィルショーの花王おさむが「歌う車掌」として登場。マイクを持って乗客たちと松村和子の「帰ってこいよ」を熱唱します。
 続いて節子と康夫が座っている座席の後ろから突然、小林克也演じるDJ男が現れ、二人に話しかけます。二人はかけおち中のいとはんと板前になり、大阪弁で話始めます。小林克也はDJ口調で1977年のヒット曲(ジョン・レノンやポール・マッカートニーやオリヴィア・ニュートンジョン)の紹介をして、二人にマイクを渡して「歌いますか?」と尋ねます。「Sure !」とマイクを取り、二人が歌うのは……「昭和枯れすすき」(「貧しさに負けた/いいえ世間に負けた」というアレです)。
 痺れませんか。でもすごいのはここからです。
 節子は康夫とかけおちをしたものの萩原のことが忘れられません。大垣の駅で乗り換える際、節子は康夫に「牛乳買ってきて」と言います。「じゃあ買ってくるよ」と走り出した康夫を呼び止め、節子は指でピストルを作って「バン」と撃ちます。撃たれた康夫(といってももちろん本当に撃たれた訳ではないのですが)は胸を押さえてよろめきます。
 BGMに森山良子の「今日の日はさようなら」がかかり、それに合わせて節子も歌います。朝焼けのホームで二人のシルエットが映ります。
 すごくないですか。私は魅せられました。
 このシーンに何の意味があるのか私に問わないでください。もちろん節子の心象風景ですし、言おうと言えばなんとでも言えます。でも、これは言葉にすると野暮になるというやつですね(私は言葉を使った仕事をしていますし、言葉の力を信じています。だから、言葉にならないとか、言葉にすると野暮になるということは原則として言わないのですが、これは例外的なケースです)。
 康夫はやがてホームに仰向けに倒れてしまいますが、やがて何事もなかったかのように立ち上がり牛乳を買いに行きます。節子はその間に電話をかけます(当時はまだ携帯電話なんてありません。公衆電話です)。かけた先は……萩原のところです。
 節子は一言も喋りませんが、萩原は節子からの電話だとわかったのでしょう。近々バンクーバーに発つので一緒に来て欲しいと言います。節子は何も言わぬまま電話を切ります。
 二人は京都に到着、古風な旅館に逗留することにします。ここでもいろいろあって面白いのですが、それを書いているとあまりに長くなるので端折ります。
 圧巻はラスト近くの節子と康夫それぞれの長セリフです。私はこれほど素晴らしいセリフを聞いたことがありません。
 長くなりますがます節子のセリフを書き起こしします。
 うちは欲しい。愛は欲しい。無理な話だよね。私もいい加減な女だよ。  考えてみれば、あの萩原さんだっていい加減な人だよね。愛してます、愛してますって、口ばっかりでさ。何にも行動に移さないもんね。何にもしないもんね。  無骨も最初は魅力だったよ。映画館に入ってさ、ちょっと手が触っただけでさ、「失礼! 自分はそんな男ではありません」。「自分」だって? 自衛隊じゃないってんだよ。  レストランに入ってさ、「節子さん、フォークどれ使えばいいんですか?」、「それよ」、「節子さんって物知りなんだな」、みんな知ってるよ。  「節子さん、フォークの背中にご飯乗っけて食べなきゃいけませんか? 僕、お箸使っちゃいけませんか?」、みんな我慢して食ってんだよ。マナーは我慢よ!  「節子さん、お料理なさいますか?」、「ええ、一応は」、みれみれこの口、女の口からは嘘しか出ねえってことが、あいつにはわかんねえのかよ。情けなくて涙が出るよ。  「萩原さんって、背が高いのね」、そういった途端、背伸びしてやがんの。ばか、高すぎるって言ってんだよ。  考えてみれば最初からおかしかったよ。最初からおかしかったよ。  「その持ち物、それはあなたが高校3年の時、書道展の時にもってらしたものですね。そのかんざし、それはあなたが大学4年の時、卒業パーティーでつけていらしたものですね。」たまんないよ。私だって忘れてるんだもん。そんなこと言われたら、誰だって好きになっちゃうよ。誰だって胸締め付けられちゃうよ。  「あなたの思い出の一つ一つが僕の人生の生き甲斐でした。僕の命でした。「純潔」と大きくしたためたあれからあなたは変わっていませんね。」、目ん玉キラキラさせて言うんだもん。「あなたはあれから変わっていませんね。」、「はい!」、言うしかないじゃん。  10年だぜ、10年。女の10年は、おのれの100年じゃあ。  「僕は10年間あなたを思って生きてきました。好きな女ひとり自分のものにできないで、僕の人生は一体何だったんだ。」  何だったんだって、何だったんだよ。  「節子さん、僕はあなたを奪っていきます。僕はあなたを連れて逃げます。」、「萩原さん、私あなたについていきます。あなたとなら幸せになれそうです。こんな女でもいいのですか」、「節子さん、雨の日も風の日も雪の日も、二人でどこまでも歩いていきましょう」、「あ、雨が。雪が。あ、鼻緒が切れてしまったわ」、「さあ節子さん、僕の膝に捕まって」……
 すごくないですか。これを当時25歳(かな)の大竹しのぶが言うんですよ。私は心を鷲掴みにされましたし、今見ても(書き起こすために見直している今この時も)涙なしに見ることができません。
 セリフの中の「みれみれ」は「みろみろ」の言い間違えかなと思いますし、途中画像がぼやけるところもありますが、おそらくこのシーンは一発撮り直しなしで撮ったのではないか、少なくともセリフの正確さや画質より演技を優先したのではないかという気がします。
 「僕の膝に捕まって」と言ってふと節子が顔を上げると、そこには康夫がいます。康夫は節子の独り言を聞いていた訳です。
 以下、康夫の長台詞を書き起こします。
 寂しかったな。  寂しかったよな。  大丈夫だよ。萩原さん、来てくれるよ。萩原さん、いい人だもん。  いや、俺は平気だって。俺、SLあるしさ(康夫はSLを撮影するのが好きなのです)。俺だって10年間そうやってダラダラ生きてきたんだもん。俺は全然平気だよ。  (電話が鳴る。)  電話だよ。萩原さんからだよ。出てあげなよ。  (節子は電話をとります。萩原は「節子さん、明日です。成田発20時30分。一緒に行ってくれますね。一緒に行ってくれますね」と言いますが、節子はそのまま電話を切ります。)  なんだって?  (節子は「明日8時30分成田発だって」と答える。)  (間)  あなたの思い出の一つ一つが僕にとってのかけがえのないものでした。あなたのその思い出の一つ一つが僕の命でした。僕はあなたをきっと奪ってみせます。あなたのその瞳も、その口元も、その手も、全てを僕のものにしてみせます。好きな女ひとり自分のものにできないで、俺の人生は一体何だったんだ。俺のこの10年間は一体何だったんだ。  俺、こういうこと言えなかったもんな。こういうこと言ってあげることできなかったもんね。  だってさ、俺、めちゃくちゃな男だもん。ひどい男なんだよ。もうとんでもない性格してるんだよ。やなやつなんだよ俺。嫌われてばっか。  (電話をとりダイヤルを回す。)  どこに電話してると思う? お前のお母さんに電話してんだ。  (電話口で)ああ、お母さん、あの、あのね、前にあの話してくれたことあるでしょ。節子がさ、萩原さんと結婚したら僕にお嫁さんとってうち継がしてくれるって、あれほんとですよね、あれ。お母さん、ちょっと、返事してくださいよ。あれほんとですよね。  ははは……また切られちゃった。お母さんにまで嫌われちゃったよ。だってさ、俺、生まれてからさ、人に好かれたことなんてないんだぜ。俺、みんなから嫌われてたんだよ。  (電話が鳴る。萩原の運転手・松田(平田満)からの電話。松田は康夫が節子の恋人だと知って康夫を詰り電話を切ろうとする。)  松田さん! 松田さん、聞こえる? あのさ、萩原さん連れてさ、すぐこっち来てくれないかな。すぐ萩原さん連れてきてよ。それじゃないと節子死ぬよ。ほんと死ぬんだから。ちょっと待ってよ。(部屋のガス栓を開ける。)ほら、この音聞こえるでしょ。ガスが出てんだよ。シューシュシュシュって聞こえるでしょ? ガス出してんだよ。節子はさ、萩原さんのことが愛おしくて、萩原さん来てくれないと死ぬって言ってんだよ。  俺? 俺、関係ないって。俺、関係ない男だって。絶対来てよ。ほんと絶対だよ。絶対来てよ。  (電話を切る。)  来てくれるってすぐ。飛んできてくれるってさ。大丈夫だって。萩原さん、俺のこと全然知らないもん。全然気にしてないさ。  節子、お前幸せになれよ。絶対幸せになれよ。あのさ、萩原さんと一緒になったらさ、ほらドライブとか連れてってくれよな。一緒に遊んでくれよ。俺、だから、そういうのできるからさ。お前、ほら、料理とか作ったらさ、ごちそうしてくれよ。俺のためにさ。萩原さんと3人でさ。俺、そういうの全然平気だもん。  全くシューシューシューシュー音ばっかりでたよんないガスだな。大丈夫だよ。俺たち気合い入ってるから、このくらいのガスで死にやしないよ、全くよ。どんどんどんどん来いっていうんだ。全くよ、関西のガスは効かねえよ。  俺よ、ちょっと足りないものがあるから下行って借りてくるわ。
 康夫はそう言って部屋を出ます。
 見苦しいですね。みっともないですね。どうしてここまで卑屈にならなきゃならないんだと思う人もいるでしょう。
 でも……それが素晴らしい。本気になった人間、必死になった人間は見苦しくもみっともなく、そして美しいーー私が好きなパターンですが、それを感じさせてくれるセリフです。
 ドラマはまだ続きますが、ちょっと書き疲れました。  続きは次回にします。
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kachoushi · 4 months
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虚子自選揮毫『虚子百句』を読む Ⅰ
花鳥誌2024年1月号より転載
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日本文学研究者
井上 泰至
 「恋の季題」は材料も尽きてお開きとしたが、書き物は続けてほしいとのお話だったので、『虚子百句』を私なりに読んでいくことにしたい。
 まず、本書の成り立ちや、おおよその性格を説いて、なぜこの書物を丁寧に読んでいくことにしたのか、その理由をあらあら述べておきたい。
 本書は昭和三三年、すなわち虚子の亡くなる前年の自選句集である。京都の便利堂からの依頼を受けたもので、短時日の間に選んだものであるから、本書の価値は、ある程度割り引いて考える必要はある。が、ともかくも虚子が、自分の代表作と認めた百句だったことは間違いない。
 選句の基準については、追々検討を加えていくが、まず揮毫しやすく、たびたび揮毫してきた句であったことは、序で虚子自身が明らかにしている。本書は、虚子の揮毫を写真で掲載し、五十句ずつを高濱年尾と星野立子が分担して、簡単な句の評釈をつけるという趣向のものだった。年尾の跋文によれば、虚子も事前に二人の文章を検したという。
 本書の企画を持ち込んだ便利堂は、明治二十年創業の書店兼出版社である。コロタイプ印刷機を早くに導入し、美術書の出版で信頼を得た。岡倉天心が創始し、今日でも美術史学の権威的雑誌の位置を保っている「國華」は、便利堂の図版印刷の高度な技術が遺憾なく発揮されたものである。
 四代目店主中村竹四郎は、国宝級の貴重書の複製印刷をも数々手がけ、『虚子百句』刊行の翌年には文化功労者として表彰されている。虚子の字は、それ自体が俳句文化の遺産としての価値を持つ、と認識されていたわけである。
 つまり、主役は百句のみならず、その揮毫でもあったわけで、この点には留意しなければならない。書は、運筆から句の呼吸や中心点を確認できる。同じ字であっても、楷書か行書かといった書き分けがあれば、それは句の眼目ともなる。
 一例を挙げよう。小諸市立虚子記念館に残る十二ヶ月十二句の揮毫を屏風に仕立てたものは、展示の目玉だが、「心」を詠んだ句が三句ある。
  鶯や文字も知らずに歌心 虚子
  二三子や時雨るる心親しめり 同
  我が心ある時軽し罌粟の花 同
 このうち三句目のみ「心」はきちんと楷書で書かれ、他の二句はや���リラックスした崩し字となっている。三句目は愛児六を失った悲嘆の中で詠まれた句だからである。書道家に聞くと、「心」の字のバランスは、筆をとる者の「心」を反映するのだと言う。
 こうした鑑賞の醍醐味も『虚子百句』にはあることが、当然予想される。年尾の跋文によれば、この頃の虚子は眼が弱って、それが字に出てしまっている、という。確かに、青年期・壮年期のそれから比べ、運筆の力や字配りを焦点化する眼の力の衰えは隠せない。それでも、修練とは凄いもので、序文の虚子自身の言によれば、百句の大方は一、二時間で揮毫してしまったというから驚きである。字の味わいも、私の能力の範囲で解説を試みたい。
 本書の構成は、春夏秋冬・新年の部に分かれ、各部の句の配列は、成立順となっている。従って明治・大正・昭和と万遍なく句が拾われている。『百人一首』が古典和歌そのものの粋であり、歴史でもあるように、『虚子百句』も虚子の句業の入門書にして到達点でもある。これが本書を読む何よりの理由である。
 本書の装幀を担当した福田平八郎(一八九二〜一九七四)についても、簡単に触れておこう。虚子との縁は、『虚子京遊録』(昭和二三年)『喜寿艶』(昭和二五年)に続き、これが三度目である。  大分出身で、上村松園や竹内栖鳳も出た京都市立絵画専門学校を卒業。京都日本画画壇で重きをなす。トリミングやデザイン感覚に秀で、書物の装幀も得意とした。『虚子句集』の竹の絵は、自家薬籠中の画題であったと考えられる。
 本書は二〇一〇年、岩波書店から復刊された。解説は東京大学教授であった、日本近代文学専攻の野山嘉正が担当した。
 最後に一言。平成期、伝統派で、虚子句の解説つき選集といえば、稲畑汀子氏の『虚子百句』が定番だった。虚子自身の選句とは違ったところに新味を出した素晴らしい本だが、時に稲畑氏らしからぬ、非常に硬い内容と文章の評釈があるのは惜しい。この連載は、あくまで虚子の自選に立ち戻り、虚子句の成立事情と、選句の背景を平易に語ることに徹したい。ただし、この自選句集の性格上、私の虚子観・俳句観が問われることは言うまでもない。
1 美しき人や蚕飼の玉襷
 初出は明治三十四年四月三十日の新聞『日本』。季語は「蚕飼」。蚕はふつう四月に孵化して繭籠る。
 初出では「蚕」の題で内藤鳴雪・坂本四方太・河東碧梧桐・佐藤紅録らの各三句も載る、題詠句である。虚子の他二句は〈蝋燭の灯影に白き蚕かな〉〈蚕飼ふや年々ふやす桑畠〉。『新歳時記』にはこの句を採用せず、写生句らしい〈逡巡として繭ごもらざる蚕かな〉を載せたか。
 蚕は食欲旺盛だ。食べ残した桑やフンは蚕網(さんもう)を使って取り除く。蚕は眠る。睡眠と脱皮を四回ほど繰り返して成長すると、絲を吐き始める。ここで蔟(まぶし)という仕切りのある箱に移す。繭籠らせるのである。絹糸を吐き、繭を成す様は、実に神秘的だ。春の陽が漏れてくる中、吐き出されたばかりの絹糸は光そのものである。この過程に、ひと月ほどはかかる。
 蚕網をかけ、桑を与えると、蚕は網目を通り上にあがる。蚕網の下は蚕のフンと桑の食べ残しが残る。網を上げると、蚕とフン、食べ残した桑の分離ができる。蚕の成長に合わせて網目の大きなものへ変えながら使用する、といった具合である。丁寧さと経験が要求される女性の仕事である。
 養蚕は、明治期日本の主要産業だった。欧州では産地の南仏で病害が発生し、需要が高まったのである。巨利を成した者も多い。出荷は横浜が多かった。
 女性は襷掛けで、髪も縛る。明治期の浮世絵等を見ると、襷の色は赤が代表的である。かの富岡製糸工場では、技術のある女工は赤襷をして周囲から尊敬されたという。
 国を挙げての養蚕業振興を宮中も率先して奨励し、皇后美子が手ずから養蚕を行い、浮世絵などで宮中養蚕が喧伝された。皆赤襷で、髪はおすべらかし、すなわち、後ろでまとめた髪に「長かもじ」を継ぎ、水引や絵元結などを掛けて、長く垂らしたのである。
 結髪の問題にこだわったのも、襷掛けの女性は、皆髪を結ったり、挙げたりして、うなじがあらわになる点が一句の焦点だと考えるからである。つまり、「美しき人」の美しさの拠って立つところは、「襷」に暗示される、黒髪と白いうなじだったのだ。
 「玉襷」という言葉は、『万葉集』以来ある言葉で、これ自体一種の神々しさを醸し出す。『虚子百句』の評釈で、年尾が宮中養蚕を詠んだと解したのも一理ある。しかし、もっと重要なのは、「玉襷」は「うなじ」の連想から、大和の畝傍山を呼び出す決まり文句だったことの方である。謡曲の「恋重荷」に用例がある。虚子がこれを知らないはずはない。
 蚕と繭の「白」と、後れ毛を残したうなじの「白」の連想が、この女性の「美し」さを支えるものだったと考えたい。虚子は、和装の女性の髪にはかなり執心した。
 「まあ旦那でいらしつたんですか。どなたかと思ひましてね。お断り申しましたですけれど何だか気になりまして、一寸御挨拶だけに。どうも姉さん有難う。姉さん有難う」と二人に挨拶して末座に坐つたまゝ一寸こぼれた鬢を掻き上げる。
 小光は総髪の銀杏返しに結つてゐるのが仇つぽくて、薄つすらと白いものゝついてゐる額の広々としてゐるのも美しい。 (『俳諧師』)  小光のモデルは、女義太夫の竹本小土佐で、虚子は彼女の語りがかかる東京中の演芸場へ出かけ、追い回したのであった。虚子の眼裏に焼きつけられた美しさは、挙げた髪やこぼれた鬢にあった。
 谷崎潤一郎も言っている。女性美の焦点は首だと(『陰翳礼賛』)。和服で身体が露出するのは、首・手先・襟足だ。首は細く長くなければいけない。「猪首」という言葉を想起すればよい。肌は白くなければいけない。そこにうなじの後れ毛が色気を呼ぶ。
 「玉襷」はその呼び出しであり、それは説明しないことが肝要だから、「美しき」とだけ冒頭に置いて謎を掛けた。だから、『喜寿艶』でも、この句については、木で鼻をくくったような説明しかしていない。
 完全な主観句で、実際にそういう女を見たのか、絵の中の女か、記憶の中の女か、そんなことはどうでもいい。小説家志望で主観派が本質だった虚子らしい、冒頭の一句なのである。『虚子百句』は『新歳時記』のような教育的意義を取り払った、「作家」虚子の選集だった。
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井上 泰至(いのうえ・やすし)   1961年京都市生まれ 日本伝統俳句協会常務理事・防衛大学校教授。 専攻、江戸文学・近代俳句
著書に 『子規の内なる江戸』(角川学芸出版) 『近代俳句の誕生』 (日本伝統俳句協会) 『改訂雨月物語』 (角川ソフィア文庫) 『恋愛小説の誕生』 (笠間書院)など 多数
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straycatboogie · 7 months
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2023/10/15
BGM: Ryuichi Sakamoto - Undercooled
今日は休みだった。そして、毎月1度行っている「発達障害を考える会」のミーティングの日で、皆でZOOMで集ってそれぞれ思うところをシェアし合った。ぼくは前々から書いてきた、姫野桂『ルポ 高学歴発達障害』について話をした。骨子としてぼくが話したのはこんなことだ。ぼくたちは「高学歴」というキーワードからついつい「賢い」「何でも卒なくできる」というイメージを抱いてしまう。でも、姫野桂のこの本を読めば登場する高学歴発達障害者たちが皆押しなべて「学校でも生きづらく、その後就職した会社でもケアレスミスや意思疎通の困難さのためにつまづいた」という体験をしていることに気づかされる。周囲の「早稲田を出てるのだから、あなたは発達障害ではない」とかいった形で無理解ややっかみに触れざるをえず、そして当事者たち自身も(これは「すべての当事者」に当てはまる話ではないとはいえ)「自分はこんなはずじゃない」「自分はできるんだ」といったプライドが生きることを逆に邪魔してしまう。その苦悩もまた、「発達障害を考える」上で大事なことなのではないか、というようなことを話させてもらった。時にたどたどしくなりつつも、ぼくとしては語り切ることができた。
そのぼくの発表を聞いて、他の方から「よかったです」「NHKの解説みたいだった」というコメントをいただいた。「話す練習をされたんですか」と言われて……これに関してはぼくはとりたてて「話し方教室」に通ったわけでもなくて、ただ40の歳に断酒してから断酒会に通い始めたりあとはこの「発達障害を考える会」のミーティングに出たり、英会話教室に通ったりして自分なりに文字通り「口を動かして」話すことを始めたからそれがいい特訓になったのかもしれないと思った。その意味ではこのミーティングを含めて「実地で」「リアルに」ぶつかることは大事ということになろう。他の方の話も実に参考になった。アドラーの『嫌われる勇気』のこと、訪問看護ステーションの実態、就労のリアル……実を言うとここでは書けないことあり、昨日書いたように「ぼくも自分の人生を自分なりに真剣に生きて、何か人に還元できたら」「何かを残せたら」と思っていたのでそこからあらためて、人生のさまざまな事態・局面において「先を/前を行く」人たちからヒントを得たように思った。その後、お米を炊く。食費の節約の試みとして炊くことを考えたのだけど、やってみたらおいしかったので「おかわり」してしまいそうになった……。
図書館が1週間休館期間を迎えるということで、なのでいまのうちに借りに行けたらと思って赴く。そこで、黒川創『鶴見俊輔伝』や前に書いたカレン・チャン『わたしの香港』、坂本龍一『坂本図書』、平出隆『鳥を探しに』などを借りる(読めるわけなんてないのに!)。今日知ったネットの記事では、いまの若い人は紙の本も電子書籍も読まないとのこと。彼らの現状認識のあり方や価値観の実態を知らないので何とも言えないが、ぼくとしてはこれを「ただちに」嘆くのも現実的ではないと思う。娯楽はたくさんある。いまはYouTubeやさまざまなソーシャルメディア、ゲームや映画・ドラマや音楽といったエンターテイメントが花盛りだ。ぼく自身は「慣れ親しんだ」から、そうした百花繚乱の状況においても本を読むことをついつい選んでしまう……問題はそうしたエンターテイメントの触れ方から「話が通じなくなりうる」ことではないかとも思った。いや、新しい指摘・懸念というわけでもないのだろうけれどたとえば「村上春樹を紙の本で読んだ」人と「YouTuberの解説で触れた」人との間には見過ごせない「ずれ」「齟齬」が生じうるのではないかなとも思ったのだ。こんな時代において「教養」を身につけるのが難しくなってきている、という……そんな見立てをしてしまった。
夜、グループホームでくつろぐ。その後早尾貴紀『希望のディアスポラ』を読む。この本を手に取ろうと思ったのは昨今のイスラエルとパレスチナの情勢を見てのことだ。「ディアスポラ」「ポストコロニアリズム」といった言葉に、過去にぼくもこの日本で生きづらさを感じていた時に「日本という国を『棄てたい』」とか「国を持たない『ディアスポラ』こそ希望だ」ととんでもない誤解をしていたからだ。早尾貴紀氏のこの本を虚心に読み、そうした「国を持たない」「移民・難民」が見舞われている厳しい現実についてあらためて教わる。この「日本国民であるぼく」からできることは何かないだろうか……そんなことをいま一度思った。余談になるけれど、それこそ過去のぼくは「ナショナリズムなんて妄想だ」とか「国に囚われないノマドな生き方こそ理想だ」といった「風来坊/ノマド」をこそ生き方の理想と考えていた。そんな自分を恥じ、こんな時代においてこそなお国家の建設や安寧を目指す人びとのことを学びたいとも思っている……といった理解も「頭でっかち」だろうか。何はともあれ、「いま・ここ」でできることを堅実に、ていねいに行いたいとあらためて思った。ぼくが「生きて、語り継ぐ」こと。ぼく自身が幸せになること。それが人にとっても幸せになりうると信じる。
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ari0921 · 10 months
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和五年(2023)7月5日(水曜日)弐
   通巻第7819号
「中国軍は台湾を侵略する陣容を整えたとは言えない」
 玉沢徳一郎(元防衛庁長官)が台湾で講演
************************
 2023年7月3日、前原誠司議員が野党議員団十名を率いて台湾を訪問し、蔡英文総統と面会した。
 その前日、玉沢徳一郎元防衛庁長官(防衛大臣)は台湾「日台交流協会」(事実上の日本大使館)で講演し「中国軍は台湾を侵略できない。理由は戦力不足である」として、次のよう述べた。
「中国が台湾に侵攻するには少なくとも130万人から160万人の兵力が必要、その兵員を輸送する能力がない(強襲艦は8隻)」。
また中国は「食糧安全保障の問題」に直面しており、台湾侵攻には総合的な兵站を含む能力を欠いている。
玉沢氏は続けてこう述べた。
「中国は以前、輸入穀物の多くをロシアとウクライナから得ていた。こうした食料輸入もロシアのウクライナ侵攻によって脅かされた。中国の人口の60%が豚肉を食べているが、豚肉1kgの生産には30kgの穀物が必要である。戦争のイロハとして、豊富な食糧が必要である。もし中国が戦争を始めれば、直ちに食糧不足に直面するだろう。『腹が減っては戦はできぬ』」。
 中国政府は侵略が失敗することを認識しているため、台湾に対して攻撃的な認知戦争の戦術を採用していると付け加えた。 
 ちなみに玉沢氏は早稲田大学雄弁会出身で、海部、森、小渕ら歴代首相と親しかった。大学院時代の論文は「中ソ対立」で、当時、一枚岩と考えられていたソ連と中国が抜き差しならない対立にあることを玉沢氏は早くから掌握していた。
中国人の癖は演出、芝居好き、嘘つきである。異常なほど声高に何かを吠えるときは、舞台裏では異なった��動をとっていることが多い。
たしかに玉沢氏の指摘するように、戦争は勝利だけを目的とはせず、戦闘準備で国内を統一する統治の効果的方法でもある。侵略直前に異変が起きて、戦争どころではなくなる例も世界史には多い。
 いや、日本とて聖徳太子は300隻の船団と2・7万の兵士を用意していたが。出陣直前に指揮官の弟君が急逝して中止に追い込まれたし、藤原仲麻呂は新羅攻撃のため、400隻3万を出航直前に疫病が蔓延し沙汰止みとなった。
政治は、一寸先は闇である。
 ▼「グローバリズムは死んだ」
 7月5日、日本の議員団や大臣経験者とは対比的に米国議員団の発言はエスカレートした。米下院議員のケビン・ハーン(共和党、オクラホマ。共和党研究委員会委員長)が台湾を訪問し総統府で蔡英文総統と面談、そのときは「何時の日か台湾が独立することを希望する」と述べた。7月4日は米国の建国記念日だった。
 共和党研究委員会の台湾訪問団はハーン委員長以下、バージェス・オーウェンズ、マイク・フラッド、マイク・コリンズ、ラッセル・フライ、ケイス・セルフら六名の下院議員。この共和党研究委員会は1973年設立で。現下院に175議席を擁し、共和党にとって下院で二番目に重要な議員団体である。
 同日、TSMC創設者の張忠謀(モリスチ・ャンン、94歳)が台湾工商会で講演し、「グローバリズムは死んだ」と発言していることは注目に値する。
「嘗てグローバリゼーションは数十億人を貧困から救い出し、多くの国で生活水準を向上させたが、他方で富の不均衡な分配を悪化させるなどのマイナスの影響もあった。しかし近年、グローバリゼーションによって雇用が失われ、多くの国の中産階級が弱体化した。米国の鉄鋼、自動車、衣料品メーカーは製造施設を海外に移転し、メリットを共有できなくなった。これは『トゥキディデスの罠』、つまり新興国が地域または国際的な覇権者として既存の大国に取って代わる脅威を感じたとき、戦争への流れを形成する。まさに中国と米国である。米国は軍事的
、経済的リーダーシップを確保するために中国に対して貿易制限を導入しライバル国の競争力を弱めようとしている」
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ignitiongallery · 1 year
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カナイフユキ『ゼペット』刊行記念原画展
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レベッカ・ブラウン作、カナイフユキ絵、柴田元幸訳『ゼペット』(twililight)の刊行を記念して、カナイフユキの原画展をtwililightで開催します。
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会期:2023年2月2日(木)〜2月27日(月) 会場:twililight(世田谷区太子堂4-28-10鈴木ビル3F&屋上/三軒茶屋駅徒歩5分) 営業時間:12:00〜21:00  定休日:火曜日・第3水曜日
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「ゼペット」は、『体の贈り物』『若かった日々』『家庭の医学』などで知られるアメリカの作家、レベッカ・ブラウンの掌篇です。 人間になんかなりたくない、命なんかほしくないと言い続けるピノキオを抱えた老人のお話で、その悲しみと優しさに、カナイフユキの色彩が寄り添います。 不器用で、弱く、失敗して負けていく人、周縁化されていく人のために、そういう人たちが孤独ではないんだと思えるように描いているカナイフユキと、レベッカ・ブラウンによる、「祈り」にも似た絵本が誕生しました。
今回の展示では、「ゼペット」の原画にくわえて、レベッカ・ブラウン作品からインスピレーションを受けたカナイフユキの描き下ろし作品も展示・販売いたします。ぜひ実際にご覧ください。
初日、2月2日(木)にはオープニングイベントとして、訳者・柴田元幸による「朗読&トーク」を開催いたします。
2月11日(土)にはカナイフユキ+きくちゆみこ「シナモンロール・ホームパーティー」を開催いたします。
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翻訳家・柴田元幸『ゼペット』刊行記念朗読&トーク 日程:2023年2月2日(木) 開場:19時 開演:19時30分 終演:21時 会場:twililight(世田谷区太子堂4-28-10鈴木ビル3F&屋上/三軒茶屋駅徒歩5分) 料金:2000円 ゲスト:カナイフユキ 定員:16名さま
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レベッカ・ブラウンの「ゼペット」(“Geppetto”)は、2018年に刊行されたNot Heaven, Somewhere Else: A Cycle of Stories(『天国ではなく、どこか別の場所 物語集』、Tarpaulin Sky Press刊、邦訳なし)に収められている。この物語集には、「三匹の子ぶた」を踏まえた“Pigs”、「赤ずきんちゃん」を踏まえた“To Grandmother’s House”をはじめ、ヘンゼルとグレーテル、ハンプティ・ダンプティなど、さまざまな伝統的物語やキャラクターがレベッカ流に語りなおされた物語が並んでいる。語り直しの切り口は作品によってさまざまで、単一のメッセージに還元できない、豊かな「サイクル」が出来上がっている。100ページに満たない小著だが、怒りと希望をシンプルな文章で発信しつづけるレズビアン作家レベッカ・ブラウンの神髄が伝わってくる。
「ゼペット」は厳しさと優しさが並存していて、中でもとりわけ味わい深い。
柴田元幸 —
朗読会では、「ゼペット」をはじめとしたレベッカ・ブラウン作品はもちろん、他の作家の訳したて作品も朗読予定です。 その日その場所だけの朗読を、ぜひご体験ください。
また、カナイフユキとの「ゼペット」やレベッカ・ブラウンにまつわるトークも行います。
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件名を「翻訳家・柴田元幸『ゼペット』刊行記念朗読会&トーク」として、お名前(ふりがな)・ご予約人数・当日のご連絡先を明記の上、メールをお送りください。
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カナイフユキ+きくちゆみこ『シナモンロール・ホームパーティー』 日程:2023年2月11日(土) 開場:18時 開演:18時30分 終演:20時 会場:twililight(世田谷区太子堂4-28-10鈴木ビル3F&屋上/三軒茶屋駅徒歩5分) 料金:2800円(シナモンロールと1ドリンク付き) 定員:12名さま
個人的な体験と政治的な問題を交差させ、あらゆるクィアネスを少しずつでも掬い上げ提示できる表現をモットーとしているカナイフユキさん。
パーソナルな語りとフィクションによる救いをテーマにしたZINEを定期的に発行しつつ、言葉を使った作品制作や展示も行うきくちゆみこさん。
皮膚や身体の描写、記憶のねつ造や再生、家族との思い出。クィアという立場から怒りと希望を書き続けるレベッカ・ブラウン。
レベッカ・ブラウン「汗の贈り物」に出てくるシナモンロールを食べながら、カナイさんときくちさんと来てくださった皆さんで、打ち明け話をするホームパーティー。
自分の中にある語られなかった言葉、存在を、そっと打ち明けることで、孤独ではないと感じられる「ホーム」が生まれたら。
ぜひご参加ください。
件名を「シナモンロール・ホームパーティー」として、お名前(ふりがな)・ご予約人数・当日のご連絡先を明記の上、メールをお送りください。
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◆プロフィール
カナイフユキ
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長野県生まれ。イラストレーター、コミック作家​
個人的な体験と政治的な問題を交差させ、あらゆるクィアネスを少しずつでも掬い上げ提示できる表現をすることをモットーに、イラストレーター、コミック作家として活動しつつ、エッセイなどのテキスト作品や、それらをまとめたジン(zine,個人出版物)の創作を行う。
写真 ©︎平松市聖
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柴田元幸
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1954年、東京生まれ。米文学者、翻訳家。『生半可な學者』で講談社エッセイ賞、『アメリカン・ナルシス』(東京大学出版会)でサントリー学芸賞、『メイスン&ディクスン(上・下)』(トマス・ピンチョン著、新潮社)で日本翻訳文化賞、2017年には早稲田大学坪内逍遙大賞を受賞。文芸誌『MONKEY』の責任編集も務める。
イラスト©️島袋里美
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herbiemikeadamski · 3 years
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. (^o^)/おはよー(^▽^)ゴザイマース(^_-)-☆. . . 10月21日(木) #赤口(壬寅) 旧暦 9/16 月齢 14.7 年始から294日目(閏年では295日目)にあたり、年末まであと71日です。 . . 朝は希望に起き⤴️昼は努力に生き💪 夜を感謝に眠ろう😪💤夜が来ない 朝はありませんし、朝が来ない夜 はない💦睡眠は明日を迎える為の ☀️未来へのスタートです🏃‍♂💦 でお馴染みのRascalでございます😅. . 「もう木曜日かヨ?」😅💦早すw 本当に、しつこくて申し訳ない⤵️ どうしても諦めきれないので📞シタw Appleのサポートセンターなんですけどね✋ ケースは不良品だって事を🤣😆🤣 昼休みに「ダメモト」で、チョックラって 思ったら酷いもんで4時間ぐらい その対応で費やしてしまった😅💦 結論として、商品交換ではなく 返品対応で「一件落着」でした◎ 仕事中だったけど皆さん黙ってて 頂いて「スミマセンデシタ」m(__)m🙏 . 今日一日どなた様も💁‍♂お体ご自愛 なさって❤️お過ごし下さいませ🙋‍ モウ!頑張るしか✋はない! ガンバリマショウ\(^O^)/ ワーイ! ✨本日もご安全に参りましょう✌️ . . ■今日は何の日■. #神風特別攻撃隊初出撃(ジンプウトクベツコウゲキタイハツシュツゲキ).  1944(昭和19)年10月21日、大東亜戦争(太平洋戦争)も末期になると大日本帝国軍も連合軍に対し戦果を  上げようと自爆攻撃が目的の「神風特別攻撃隊」を組織し第一陣が初めて出撃しました。  神風特別攻撃隊の初出撃は、マバラカットからが敷島隊4機と朝日隊3機と護衛戦闘機隊が出撃することとなった。  この日が初ですべての自爆攻撃の特攻した3,300機のうち、敵艦に到達したのは僅か1割だったという。 .  現在では、神風の事を(カミカゼ)と云うのが一般に広まっているが、本来は神の風と云う意味なんだろうか?  帝国軍は神風(シンプウ)と称したらしいが、当時のニュース記者がカミカゼと誤って読んだのとアメリカ軍も同じ間違い  をしたのが、戦時中、戦後も語り継がれて来たそうです✋神風特別攻撃隊(ジンプウトクベツコウゲキタイ)の方が  確かに神ががった感じですし、もし戦争に勝って居たなら神風(シンプウ)だったでしょう💦新風ですよ✋新鮮w  神の国、日本(ニッポン)らしいです。因みに私の母方の長男で笑一(ショウイチ)さんが特攻で享年19歳でした。 . #赤口(シャッコウ・シャック). 「火の元や刃物に注意すべき日」と言われており、凶や死のイメージが付きまとうため、お祝いごとでは次で紹介する「仏滅」より避けられることが多いです。  この日は午の刻(午前11時ごろから午後1時頃まで)のみ吉で、それ以外は1日大凶となります。 . #大明日(ダイミョウニチ). 民間暦でいう吉日の一つ。  通例、甲辰・甲申・乙未・乙丑・丙辰・丙午・丁卯・丁未・戊辰・己卯・己酉・庚戌・辛未・辛酉・辛亥・壬午・壬申・癸巳・癸酉の一九日とされるが、異説もある。  この日は、建築・旅行・婚姻・移転などすべてのことに大吉であって、他の凶日と重なっても忌む必要がないともいう。 . #あかりの日.  エジソンの「3大発明」は電球・蓄音機・映写機です。  そのひとつ、白熱電球が完成したのが1879(明治12)年のこの日です。  エジソンは京都産の竹を炭にしてフィラ��ントを作りました。  現在は、タングステン線がフィラメントの主流です。  日本電気協会が1981年(昭和56年)に制定したもの。 . #禅寺丸柿の日.  神奈川県川崎市麻生区の麻生(あさお)観光協会が制定。 . #早稲田大学創立記念日.  1882年10月21日に大隈重信が早稲田大学の前身である東京専門学校を創立。 . #センチュリー21の日. . #国際反戦デー. . #ゼクシオの日(XXIOの日). . ●バック・トゥ・ザ・リサイクルの日.  リサイクルなんて大嘘です。  今すぐ止めましょうψ(`∇´)ψケッ! . #森のたまごの日. コクとうまみ、鮮度と栄養価で人気の鶏卵「森のたまご」を製造販売するイセ食品株式会社が11月18日と毎月第3木曜日に制定。 . #マリルージュの日(毎月21日). #MyDIYの日(お部屋カスタマイズの日)(毎月21日). #木挽BLUEの日(毎月21日). . . ■今日のつぶやき■. #千兵は得やすく、一将は求め難し(センヘイハエヤスク、イチショウハモトメガタシ) 【解説】 たくさんの兵は集めやすいが、優れた将軍は、求めてもなかなか見つからないと云う意。 現在に置き換えてかんがえるのであれば「優れたリーダー」ですかね✋ . . 1956(昭和31)年10月21日 #永島敏行 (#ながしまとしゆき) 【俳優、実業家】 〔千葉県千葉市中央区〕 . . (牧野記念庭園) https://www.instagram.com/p/CVQ7d7eBlY1pIi0pMwcpRpBkMDNlrjM6mMIwbU0/?utm_medium=tumblr
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1003books · 3 years
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11/13  女の子とコミュニティ――ジン・カルチャーの視点から見る神戸文化 『ガールズ・メディア・スタディーズ』刊行記念トーク
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メディアのなかに描かれる女性たち、そしてメディア文化を積極的に創り出す女性たち���ついてひも解いた『ガールズ・メディア・スタディーズ』(北樹出版)の刊行を記念し、1003にてトークイベントを開催します。
ーーーーーー
神戸と女の子、といえば、華やかなファッション、おしゃれなカフェや雑貨屋さん、というイメージが浮かぶかもしれません。でも実は、そこからちょっと離れた世界にも、女の子たちの文化は根強く存在しています。たとえば古本や映画といった、年長男性中心とされる世界にも。いっときのブームやムーヴメントといった次元ではなく、10年・20年かけて醸成されていく人のつながりと、街の空間・文化。ここ神戸のなかの一角に注目してみるだけでも、そうした様相が少しずつ浮かび上がってきます。そこにはどんなコミュニティがあって、どんなつながりがあって、どんなおもしろさがあるのでしょうか。
『ガールズ・メディア・スタディーズ』のテーマの一つであるジン[Zine]・カルチャーのような、フェミニズムの側面を強くもつDIY文化を足がかりにしながら、広く「女の子のコミュニティ」がもつ魅力と可能性について考えてみたいと思います。
登壇者:田中 東子(大妻女子大学 教授)× 村上 潔(立命館大学 客員研究員)
開催日:11月13日(土)18:15開場、18:30開始      ※イベント開催に伴い、当日の店舗営業は17:00まで
参加費:学生500円、一般1,500円
定 員:15名
申込方法:1003店頭・メール([email protected])・電話(050-3692-1329)まで
件名「ガールズ・メディアトーク」としてお名前・人数・電話番号・メールアドレス・学生/一般いずれか、をお知らせください。折り返し、当店からの返信を以って受付完了といたします。
*新型コロナウイルスの感染状況により延期・中止の可能性があります。
《企画に関する資料ページ》
企画趣旨や参考文献・関連資料などを今回のトークに関するあらゆることを登壇者のお一人、村上潔さんがまとめてくださってます。
http://www.arsvi.com/2020/20211113mk.htm
【登壇者プロフィール】
田中 東子(たなか とうこ)
大妻女子大学文学部教授。博士(政治学)。専門分野はメディア文化論、ジェンダー研究、カルチュラル・スタディーズ。第三波フェミニズムやポピュラー・フェミニズムの観点から、メディア文化における女性たちの実践について調査と研究を進めている。著書に『メディア文化とジェンダーの政治学-第三波フェミニズムの視点から』(世界思想社、2012年)、『出来事から学ぶカルチュラル・スタディーズ』(共編著、ナカニシヤ出版、2017年)『私たちの「戦う姫、働く少女」』(共著、堀之内出版、2019年)、その他『現代思想』や『早稲田文学』などに第三波フェミニズムやポピュラー・フェミニズムに関する論稿を掲載している。
村上 潔(むらかみ きよし)
立命館大学大学院先端総合学術研究科一貫制博士課程修了。現在、立命館大学生存学研究所客員研究員。神戸市外国語大学では2014年度より「ジェンダー論入門」を担当。専門は、現代女性思想・運動史。著書に『主婦と労働のもつれ――その争点と運動』(洛北出版、2012年)など。論文に、「アナーカ・フェミニズムにおけるジン――ジンが教育/スペースであること」(『現代思想』48-4《総特集:フェミニズムの現在》、2020年)、「地域のウーマンリブ運動資料のアーカイヴィング実践がもつ可能性――2000年代京都市における活動経験とその先にある地平」(大野光明・小杉亮子・松井隆志編『[社会運動史研究 3]メディアがひらく運動史』新曜社、2021年)など。現在の主たる研究テーマは、フェミニスト・ジン、アナーカ・フェミニズム、ジェントリフィケーションに対抗するフェミニスト・アクティヴィズム、など。
主催:1003(センサン)
〒650-0023 兵庫県神戸市中央区栄町通1-1-9 東方ビル504号室 tel           050-3692-1329 mail         [email protected] website    https://1003books.tumblr.com twitter       https://twitter.com/1003books Instagram https://www.instagram.com/1003books/
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chinanago · 3 years
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2/22~2/28
月曜日
「82年生まれ、キム・ジヨン」と「はちどり」の二本立てが観たくて、早稲田松竹に行った。10時からの回を目指して行ったが、道を間違えて到着が10時を少し過ぎてしまった。着くと、まだ外にはたくさんの人が並んでいて、次の回ももう入れないとのことだった。平日なら余裕だろうと思っていたので、韓国映画への注目度にあらためて驚かされた。次の次の回は15時過ぎで、さすがにそれまで高田馬場周辺で時間をつぶすのは無理かもしれないと思い、なんとなく新宿へ向かった。
ランチにコチンニヴァースでエッグキーマを食べ、このあとどうしようかなと考えながら歩く。何か映画を観たい気分だったので、TOHOシネマズで「花束みたいな恋をした」を観ることにした。
上映まで時間があったので、紀伊國屋書店で「新潮」の“創る人52人の「2020コロナ禍」日記リレー”特集号を買う。それを珈琲西武でアイスコーヒーを飲みながら読んだ。途中、Twitterを眺めていたら、新宿を舞台にした、橋本愛のインタビュー記事が流れてきたので読んだ。
ずっと目先の夢ばっかりを追っていたけど、今は絶対に叶えられない夢を持てば、生きられるなと思って。それが結構、大きいかもしれないですね。 ――その夢というのは口に出していい夢ですか。それとも、胸の内にしまっておくもの? いや、世界平和です。なんの仕事においても、夢は世界平和で良くない?って思ってて。昔は無理だと思ってたんですよね。神の采配というか、宇宙の法則的に無理じゃんって。だから、やらないって思ってたけど、やれないと分かっててやる、というか。私が死ぬまでに世界平和が整うわけはないけど、そのために生きるっていうのが……なんか、死ねないな、これと思って。その上で、文化や芸術や表現がものすごい役に立つじゃないですか。
(https://tst-ent.co.jp/mashup/magazine/pickup-026/)
あまりにも壮大で叶いっこないと思って無意識のうちに頭から追い出してしまっていたけど、わたしも「夢は世界平和だ」って堂々と言っていきたかったんだったと思い出した。きれいごとだとか真面目すぎだとか思われようが、望むのは自由だ。「やれないとわかっててやる」という彼女の言葉に胸を打たれた。
「花束みたいな恋をした」はいろいろな理由で苦しくなってたくさん泣いた。知っている固有名詞が多く登場して、自分と近い暮らしをしている2人だが、恋愛をしているという点でわたしとは決定的に違っていた。恋愛はいいものだ、人生に必要な要素だ、と言われているような気に勝手になって、良い映画には違いないのにモヤモヤした。
火曜日
この日は天皇誕生日で祝日。ずっと家にいた。何をしていたのかさっぱり思い出せない。
水曜日
早稲田松竹リベンジを敢行。朝9時半ごろに着いて、無事にチケットを買えた。上映開始まで時間があったので外に出ようかと思ったが、 すごく寒かったので席についてぬくぬくした。
「82年生まれ、キム・ジヨン」は頭が痛くなるくらい泣いた。彼女の周囲の状況や投げかけられる言葉がわかりすぎてつらい。ラストは、地道に闘っていこうと思える前向きな終わり方で、そこは少し希望が見出せたが。
間の休憩時間に向かいにある喫茶エスペラントでえびピラフを食べた。泣きはらした怖い顔だったと思うが、店員さんたちがスマートで、ごはんも美味しくてよかった。
「はちどり」は138分と聞いて長めだと思ったけど、実際に観ているとどのシーンも欠かせなくて、長いとは感じなかった。何かが爆発してしまいそうな危ういバランスを保った日常や人間関係や個人の心情を描いた静謐さのある映画が好きだ。
観終わった後、せっかく早稲田に来たのだからと、本屋NENOiをはじめて訪れた。手前にあった古本屋でまず2冊買い、NENOiでは藤岡拓太郎さんの作品集『大丈夫マン』を買った。店主の方は小さい店だと謙遜されているようだったけれど、充実した素敵なお店だった。それを携えて、cafe GOTOへ。シナモンミルクティーを飲みながら『大丈夫マン』を読み始めたが、これは外で読むもんじゃないと気づいて、ベル・フックス『フェミニズムはみんなのもの』に持ち替えた。『大丈夫マン』のほうは帰宅してから笑いながら一気に読んで、たっぷり書かれたあとがきで泣きそうになった。あんなに笑わせておいて…。
木曜日
一日中家にいた。Twitterで期間限定で配信されていると知った「アザー・ミュージック」というドキュメンタリー映画を観た。多くの人に知られていない音楽がこの世界にはまだまだたくさんあるということにわくわくして胸が熱くなる。観賞後、紹介されていたアーティストの作品をapple musicで探している自分がいて、こういうスタイルが定着してしまったせいでOther Musicは閉店に追い込まれたんだよなぁ、と寂しい気持ちになった。
金曜日
恵比寿ガーデンシネマが今月末で休館することを知り、休館前最後の上映作品に選ばれた「わたしの叔父さん」を観に行った。観ながら、アキ・カウリスマキ監督の「希望のかなた」に似ているところがあると感じた。あとからビラを見たら、これを撮ったフラレ・ピーダセン監督も、アキ・カウリスマキ同様、小津安二郎の作品をこよなく愛していると書かれていて、納得がいった。彼らのふつうの暮らしが静謐さとちょっぴりのユーモアとともに映像におさめられているところと、エンドロールが無音だったところが好き。
土曜日
昨日、急においしいうどんが食べたくなり、母と一緒に神保町の丸香へ。着いたのは1時すぎだったのに、長い列ができていて人気ぶりがうかがえた。わたしはかけうどんにかしわ天トッピング、母はわかめうどんを注文。かしわ天はげんこつ程の大きさのがドドンと2つだし、わかめは麺より多いのでは?というくらいのボリュームだったので、2人で互いの具をシェアして食べた。麵はこしがしっかりあってめちゃくちゃ美味しいのはもちろんのこと、かしわ天は鶏肉がジューシーで、コショウも効いていて、わかめは水で戻すタイプなんかとは全然違う「ほんもの」という感じの格を感じる旨さで、本当に大満足だった。
その後、母とは別れて、Gallery αMに永田康祐さんの展示「イート」を観に行った。学術研究とアート作品の間という感じがして、興味深く観た。今回の展示のメインは “Purée” のほうだったけれど、 Digest版の“Translation Zone” がわたしの関心ドンピシャで面白かった。「翻訳地帯」という概念をまず知らなかったので、早速図書館で本を予約した。展示されていた参考図書もいずれは全部読みたい。
さらに田原町へ移動して、ずっと行きたかった本屋、Readin’ Writin’ へ。欲しい本だらけだったが、欲しい本リストにはなかった茨木のり子『ハングルへの旅』を買った。ハングルを読めるようになりたいなと思っていたから、これをお供に勉強を進めていこうかと思う。上野の喫茶王城で一服して本日の長旅は終了。
日曜日
ずっと家にいた。昨日観に行った展示が面白くて、記録したりネットの記事を調べたりしたくなり、第二のTwitterアカウントを作るという謎の行動に出てしまった。今度は匿名で、リアルの友達にまだ知らせていないし、フォローもしていない。Twitterの使い方、迷走中。
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straycatboogie · 10 months
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2023/06/26
BGM: RHYMESTER - 東京、東京
今日は昼にコーヒーを飲みすぎたせいか、夜に仕事をしていて気分が悪くなった。それもあってか「疲れた」「もう帰らせてもらおう」とまで思いつめたのだけれど、上司に何と言っていいかわからなかったので(きみは上司に「コーヒーを飲みすぎて死にそうなので帰ります」と言えるかい?)「だましだまし」で仕事をした……ぼくはけっして強い人間ではない。過去にずっと希死念慮、つまり「死にたい」という気持ちと戦い続けてきたこともあってか(そして実際に、ぼくは死のうとしたこともあった)、今でも「もうあきらめよう」という気持ちを感じることがある。だけど、ぼくは仕事をする上で「なにはともあれ、やれるだけのことをやる」「やるべきことをやる」という精神を学んできたと思う。やる気がないならなくていい。ただ、淡々と与えられた場所で与えられた機会に与えられた仕事をこなす。そうしていると、その仕事が自分を上向けてくれる。やる気はやっているうちに自ずと自分の内から湧き出る……コーヒーが身体から抜けてくれたのか、最後の方は気分もよくなっていつものように仕事をこなすことができたと思った。ああ、自画自賛。
毎週木曜日にぼくが楽しませてもらっているミーティングで、ぼくがプレゼンをする番が近づいてきた。これまでいろんなことを話してきた。ぼく自身の発達障害のことやアルコール依存症、村上春樹やアフォリズム、はたまた敬愛するブルース・スプリングスティーンの曲「ボーン・イン・ザ・USA」について……さすがにぼ��の中の持ちネタも尽きたのだけれど、次の機会はぼく自身の東京に関する思い出話を語れたらいいかなと思い始めた。10代の頃、この宍粟市で密かに渋谷系の音楽を聴いたり創刊されたばかりの『クイック・ジャパン』を買い求めたりして東京生活に憧れを抱いたこと。そしてその後、気まぐれに受けた早稲田大学になぜか受かってしまったことからその東京生活をエンジョイする夢は実現したのだった。だけどその東京生活は(まだその当時はぼく自身の発達障害のことをわかっていなかったこともあって)決してバラ色ではなかったのだった……ガールフレンドもできなかったしバイトも見つけられなかったし、おかげでずいぶん鬱と無気力に苦しむ毎日を送ったりした。そんなことをライムスターを聴きながら回想したりした(ここのところこんなふうに過去を思い返すことが増えてきたなと思う)。
そんなふうに東京生活を素直にエンジョイできなかったのは、1つにはぼくが心の奥深くで「自分はしょせん田舎者だ」「ダサい人間だ」と根深い劣等感を抱いていたからというのもあったろう……もっと言えばぼくは十代はずっと「非モテ」で「オタク」で「ネクラ」な人間だったので、教室という狭いソサエティ/コミュニティの片隅で死んだふりをして本を読んで、目立つことなく過ごしていた。それを思えば今は(毎度のことながら書いてしまうが)いい時代になったと言えるかもしれない。今は趣味を同じくする人間と気軽に出会える。ぼくが宍粟市で高校生活を過ごしていた頃、周囲にはフリッパーズ・ギターや村上春樹を通して話を弾ませられる人なんていなかった。そんなこともあって、ぼくは当時闇雲に自分の関心をオタッキーに掘り下げてセンスを磨いていた(我ながらほんとうにスノッブだったなあ、とあきれてしまう)。だけど今はぼくはDiscordなどで話を合わせられる人を見つけられる。ああ、こんなふうにして時代というものは変わるのだなと思った。時代が変われば社会も変わる。世界そのものも変わる。価値観だって変わる……諸行無常。エナジーフロー。
そしてその木曜日のミーティングで、別の方がミーティングのトピックとして「コロナが収束して360度変わったこととは?」というお題を提示しておられた(この「360度」にニヤリとしてしまった)。コロナは収束したのか……いったい何だったのか、あの日々は。今ではすっかりZOOMを使ったオンラインミーティングの参加にも慣れてしまった(でも、今でも同じ画面をじっと見つめ続けるのは集中力が持たなくて疲れてしまう)。あとはぼくはコロナ禍が始まった頃に英語であれこれメモを書くようになって、それが今でも続いている。この日記だってコロナ禍の最中に始めて今に至る……これらに共通点があるとすれば、それはリアルで満足に人と会って話したいニーズを満たせられなかったから、それで余計にあれこれ試行錯誤して人とコンタクトを取って日本語や英語でコミュニケーションをしようと試みてきたということになるだろう。ぼくが今のようにDiscordに深入りして、自分のサーバまで立てて活動するようになったのもコロナ禍と決して無関係ではないと思う。確かにその意味では「360度」ぼくの信条は変わったのかもしれないと思った。
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ari0921 · 4 years
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櫻井よしこさんの論考をシェアさせていただきます。
100%賛同します。
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「学術会議」にモノ申した菅首相の英断」
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アカデミズムの権威の衣をまとった日本学術会議に菅義偉首相が物言いをつけた。菅首相の決定は英断であり、高く評価する。評価の理由は後述するが、まず、日本学術会議という組織を見てみよう。
同会議は、日本が米軍の占領統治下にあった昭和24年に設立された。戦時中、日本の学者、研究者、とりわけ科学者が「戦争に協力させられた」として、同会議は政府から独立して政策提言を行う専門家組織と位置づけられた。GHQのお墨つきを得て、東大法学部憲法講座に君臨した宮澤俊義教授以下、今日まで続く東大憲法学者集団と通底する学者集団が創られたと見てよい。
日本学術会議の会員は210人、任期は6年で1期のみ、3年ごとに半数を入れ替える。新会員の候補者は日本学術会議が推薦し、政府が追認する歴史が長く続いた。今回推薦されたのは105人、内、菅首相が任命しなかったのは6名だ。
半数の入れ替えで学問、研究の新気風が巻き起こるかといえばそうではない。推薦者は往々、自分の弟子筋、或いは同系統の学者を推すからだ。真の意味での新しい人材を招き入れる結果には到底ならない。
日本学術会議が政府政策に批判的立場を取ることが少なくないのは、その成り立ちからも自然であろうか。但し、強調したいのは、学界が自由に発想し、研究し、政府に注文をつけるのは大事だということだ。研究者の批判に政府は一定の敬意を払うべきだと私は考える。
しかし、批判が常軌を逸する場合、或いはどう見ても日本国民と日本国の為にならない場合、修正を求めるのは当然だ。日本学術会議には年間10億円の政府予算が注入されており、修正努力は政府の責任でもあろう。政府による修正には幾つかの方法がある。第一は国民の税金から拠出する日本学術会議関連予算の削減、第二は人事である。
政府は今回の任命拒否の理由を明らかにしていない。そのため推測するしかないが、任命されなかった6人の候補者の行動を見ればある程度、理由は推測できるのではないか。
笑止千万
東京慈恵会医科大学教授(憲法学)の小澤隆一氏と早稲田大学法学学術院教授(行政法学)の岡田正則氏は、日本共産党の研究を専門とする雑誌に1999年9月段階で名前が登場する共産党系の学者である。小澤氏は当時静岡大学助教授、岡田氏は金沢大学助教授だった。
両氏の政治活動の実態は華々しい。以下小澤氏の主たる活動歴だ。
◎2002年5月、「有事関連三法案に反対する学者・研究者共同アピール」に賛同。◎04年6月、「憲法改正阻止・9条の会」に賛同署名。◎15年9月、「安保法制の廃止・反対」に署名。◎16年8月、「全国市民アクション9条改憲NO!」に賛同。◎17年7月、「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」に賛同。◎19年6月、「安倍9条改憲NO!6月10日全国市民アクション」の会に参加。
小澤氏の極めて活発な政治行動は「赤旗」でも報道されている。氏に加えて今回任命されなかったのは前述の岡田氏ら6名である。全員が15年の「安保法制廃止・反対」の署名者で、彼らの姿勢は憲法9条擁護という宮澤憲法学の根幹に行きつく。
憲法についてどう考えようと、個々人の自由ではある。だからこそ、個々人の思想を問題視したかのような任命拒否は学問・研究の自由を阻害するものだと、当の学者らが言い、日本共産党も立憲民主党も非難するのであろう。立憲民主党の安住淳国対委員長は「(日本学術会議は)『学問の世界の国会』と言われている」と語り、志位和夫日本共産党委員長は「学術会議は、日本の科学者を内外で代表する機関だ」と言う。
笑止千万である。東京大学大学院理学系研究科(天文学)教授の戸谷友則氏は今月2日、「学術会議が『学者の国会』とか『87万人の学者の代表』という言い方はやめて欲しい。学術会議の新会員は学術会議の中だけで決めていて、会員でない大多数の学者は全く関与できないし、選挙権もない」とツイートした。
北海道大学名誉教授の奈良林直氏は「日本学術会議が内外で日本の科学者を代表するというのは虚構にすぎない。彼らの考えに反対する学者は多い」と反論した。
匿名で東京大学理系教授も語る。
「日本学術会議は特定の学者たちが内輪で人事を回しているにすぎない。それなりの力を持ち、学問研究の世界を動かしているが、特定の集団にすぎない彼らにそんな権利はないはずだ」
日本では許されない研究
17年3月24日、日本学術会議は、大学等の研究機関における軍事的安全保障研究は認められないとの声明を出した。軍事研究を禁ずること自体学問・研究の自由の阻害である。さらに声明は日本学術会議のダブルスタンダードを示している。彼らは国内では軍事研究を禁止するが、会員が中国の理系大学や研究所で研究することは何ら禁止しない。
中国は「軍民融合」の国だ。民生用技術も軍事に役立てば全て軍事転用する。民間企業に介入できない民主主義国の日本とは異なるのだ。従って中国での理系研究はどんな名目であろうと、およそ全て軍事研究につながると考えるべきだ。にも拘わらず、日本学術会議は会員が中国の大学や研究機関で中国の研究に貢献することに歯止めをかけていない。
一例が11年に日本学術会議会員になった名城大学教授の福田敏男氏である。福田氏は12年に中国の「外専千人計画」の一員に選ばれた。千人計画とは中国が海外の理系研究者を高い報酬等で広く集めて科学研究に寄与させる遠大な計画である。
福田氏は13年、軍事研究においても優れた成果を出している北京理工大学の専任教授になった。氏について北京理工大ホームページは「マイクロ・ナノロボットや生物模倣ロボットの分野で卓越した人物」、「00年から北京理工大の黄強教授と協力して研究した」と紹介し、「08年から北京理工大学『特殊機動プラットホーム設計製造科学与技術学科創新引智基地』の海外学術講師、10年には『生物模倣ロボット・システム』教育部重点実験室の学術委員会委員に就任、13年に北京理工大学の専任となった」と明記している。
福田氏がこの間、日本学術会議の会員になったことは前述した。軍民融合の中国において、福田氏の研究が中国の軍事につながる可能性は否定できない。氏以外にも中国の理系大学・研究機関で、日本では許されない研究に従事している研究者は少なくない。このことに日本学術会議はなぜ警告を発しないのか。
日中の科学者の交流、中国の千人計画などの間には深い闇があるので���ないか。首相判断の是非はこうした懸念を念頭に置いて考えるべきだ。
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dainanagekijo · 3 years
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oboro
作:穴迫信一(ブルーエゴナク)
出演:諏訪七海、増田知就 演出:鳴海康平
目の前のあのひとは現実か、それとも私の夢か。今この時間は現実か、私の夢か、それとも誰かの夢か——。コンビニで働く東と七月、そして七月の恋人の三郷が生きる「いくつかの」日常。いつも何度も覚め続けるそれは、誰かの夢のようで、私の夢のようで、いつもいつのまにか重みを失う。私も、あなたも、この貼り紙に写るあのひとと同じように、存在することも、存在していたことも曖昧になっていく。
北九州を拠点に活動するブルーエゴナクの劇作家・穴迫信一の書き下ろし新作短編を、第七劇場・鳴海康平の演出で上演(初演)。
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▋初演 2021年6月19・20日
※上演時間:約40分(予定)
会場
Théâtre de Belleville 三重県津市美里町三郷2104 theatre-de-belleville.tumblr.com
▋今後の上演
2022年3月5・6日 白子ノ劇場(藤枝丿演劇祭プログラム)
2022年3月13日 名古屋芸術大学 東キャンパス3号館ホール (名古屋芸術大学 舞台芸術領域開設記念事業)
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top photo ©松原豊
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穴迫信一
1990年生。2012年に福岡県北九州市でブルーエゴナクを旗揚げ。以降、全作品の作・演出を務める。地域を拠点に国内外に通用する新たな演劇の創造と上演を趣旨として活動。リリック(叙情詩)を組み込んだ戯曲と、発語や構成に渡り音楽的要素を用いた演出手法を元に、〈個人のささやかさ〉に焦点を当てながら世界の在り方を見いだそうとする作風が特徴。これまでに市場や都市モノレールでのレパートリー作品を製作するなど、地域との共同製作も多数。また2012年より連年京都にて滞在制作を行っており、京都と北九州の複数拠点を目指している。2018年度ロームシアター京都×京都芸術センターU35創造支援プログラム “KIPPU” 選出。2020-2021年度セゾン文化財団セゾン・フェローΙ。
ブルーエゴナク website  http://buru-egonaku.com
photo ©岩原俊一
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鳴海康平
第七劇場、代表・演出家。Théâtre de Belleville、芸術監督。1979年北海道紋別市生まれ。三重県津市在住。
早稲田大学在籍中の1999年に劇団を設立。主に既成戯曲を「風景」による劇空間作品として構成。国境を越えることができるプロダクションをポリシーに作品を製作。これまで国内25都市、海外5ヶ国11都市(フランス・ドイツ・ポーランド・韓国・台湾)で作品を上演。2012~2013年、ポーラ美術振興財団在外研修員(フランス)としてパリを中心に活動。2013年、日仏協働作品『三人姉妹』を新国立劇場にて上演したのち、2014年、三重県津市美里町に拠点を移設。民間劇場 Théâtre de Belleville を開設。2015年より愛知県芸術劇場主催 AAF戯曲賞審査員。2021年より名古屋芸術大学 舞台芸術領域准教授。
第七劇場 website  https://dainanagekijo.org
photo ©松原豊
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初演時の舞台写真 ©松原豊
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