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#手向山八幡宮
brownie-pics · 3 months
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'24.1.21 二月堂付近、手向山八幡宮、水谷神社、春日大社境内、中の禰宜道にて
少し前の雨降りの日。カメラにタオル被せて軒下伝いに移動しつつ撮り歩き。
明後日の日曜は雪予報・・ほんとに降るのかなぁ・・。
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foucault · 4 months
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かすが野にふれるしらゆきあすのごと けぬべくわれはいにしへおもほゆ 秋艸道人
今年最後の出張は奈良と伊賀でした。撮った写真を数葉載せます。手向山八幡宮で見た、遅い落葉は杉謙太郎さんの花を思い起こさせるものでした。
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2023年もお客さま、作り手・配り手の皆さんのご協力を得てなんとか一年を過ごすことが叶いました。ありがとうございます。
店の仕事としては、今年は「風の会」「LICHT LICHT 金澤さんのサンダルと靴」「小島優さんの椅子」「オホーツクの木工」といった新しい試み、また久しぶりだった大隈美佳さんの会、二年ぶりの出西窯青年展なども行いました。新しい会をやろう、やりたい、やるぞ!と思って準備を始めるわけですが、いざ告知も済ませ、品も届き、展示替えをしている時には、これ、僕らはすごく好きな仕事、そして好きな作り手なんだけど、みなさんにこの気持ちが伝わるかなあ、伝わって欲しいなあ、と不安になります。振り返ってみれば、それぞれにお客さまに楽しんでいただけたようで、ほっとします。
また、今年からは術後の経過もある程度落ち着き、執筆仕事はもちろんのこと、あらためて出張や講座が増え、各地でたくさんの方にお世話になりました。みなさんからご教示いただいたこと、来年以降の仕事に結実すべく、準備を進めます。
ほか、民藝関係の仕事としては、五月に福岡民藝協会長を引き継ぎ、六月に日本民藝協会の役員改選があり、常任理事及び民藝誌編集長の続投が決まりました。これに合わせて編集委員会の改組を行い、これまで以上に多様なメンバーに参加いただくようにしました。民藝というキーワードを固定した記号としてとらえず、今の暮らしのなかから生まれる言葉によって、様々な方の口から語っていただけたら、と願っています。そして、九月号から民藝誌の電子版を発行したことも、一つの転機かと思います。1926年の「民藝」提唱からあと2年で100年。その年に向けた準備も進めます。
いずれにしましても、来年は店も20年、僕も50歳。五十而知天命、といくかどうかはわかりませんが、しなくていいことがはっきりしてきた、とは思います。まあ、ずっと以前から年末に記す「来年の方針」は「したくないことは、しない」なので、変わらないと言えば変わらないのですが。
2024年もよろしくお願いいたします。
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tokyomariegold · 4 months
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2023/9/29〜
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9月29日 朝の通勤で、隣の席の方が、明日からの大阪旅行の時刻を調べてメモしているのをぼーっと眺めていた。朝6時台の電車で玉川上水(!)から東京駅まで出て、そこから新幹線で新大阪へ。目的地は芦屋だった。
いま私が計画している大阪旅行の目的地と同じだったり、わりと実家近くの駅から出発する旅行に、少し親近感。
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今日は午前中出勤するけれど、大好きな服を着て、つらくなること(現場に出たりすること)はしないぞ!デスクワークだけする心意気で出勤すると、廊下から水が流れる音がしていて、?と給湯コーナーを見るとポットに水を溜めるために水栓が開けっぱなしになっていた。 もうすっかりポットから水が溢れて時間が経っていた様で、床が海。 でも今日の私はとても吸水作業ができる仕様ではなかったので、水を止めて、近くを通りかかった上司たちを引き止める様にして、みなさんに雑巾やモップで片づけをさせてしまった。 人力でこの海を処理するのは難しいのでは…と思っていたけれど、みなさんが雑巾で水を吸っては絞るのを繰り返してくれて、あっという間に片付いた。 私はあわあわと見ているだけだった。
午前中だけの業務時間だと、いつもの3倍速のスピード感で仕事をしようとしてしまう。
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午後のチャイムが鳴って走って退勤して、上野へ向かった。 国立科学博物館の企画展“海”を鑑賞。 一期下の方がいただいた招待チケットに便乗させてもらって、海にまつわる展示を見てきた。 平日だけれどひとがとてもおおかった。 子供より大人が多くて、展示の内容も、宇宙から縄文遺跡まで海というか地球と宇宙にまつわるあらゆることが網羅されている展示で色んなことを知れて賢くなった気分。
前回、恐竜展に一緒に行った友人が科博の出口で「鯨好きなんだよね〜」と言っていたのを思い出して撮った展示の鯨の標本(本物って書いてあったから剥製?)の写真を後で送りたい。
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展示を見ながら、そこから思い出されたエピソードをしたり、油壺マリンパークに行ったことがあった話や冬に広島と下関に行く話を聞かせてもらった。 下関はかつて毎年言っていた場所なのでなぜか嬉しくなってしまった。
展示を観て、かっぱ橋方面まで歩いて、いつも帰り一緒にお話ししているけれど、それでも今日もお付き合いしてもらえて嬉しいし助かってしまう。
来週までが締め切りの個人調書に異動希望を示そうかどうか悩んでいる。
今日は中秋の名月。月みてね。
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9月30日 昨日は月がずっと雲に隠れていた気がする。 六本木と表参道へ遊びに出て、帰る電車に乗る時はまだ外が明るかったのにずっと地下鉄を走る電車に乗っていて、地上に出たら真っ暗でしばらくまだ地下なのかと思っていた。
今日も暑かったけれど、日がどんどん短くなって秋になっている。
ネイルをとってもらい、また新しく施してもらってしまった。一回やってもらうと嬉しいけれど、生活の不都合の方が優ってしまったり、一週間くらいで飽きてしまったりするので、帰りの電車でオフだけの予約をした。
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六本木のギャラリーは13時オープンで、着いた時はまだ閉まっていて入り口の扉の前に宅配便が置き配されていた。 残念だな〜と、表参道まで歩く途中、昔好きだった人がとつめていると言っていた出版社の建物の前を通って、そういえば乃木坂で勤めていて青山霊園とか散歩するのが良いです、みたいなことを言っていた。
さらに少し歩いたら、カメヤマキャンドルのお店を見つけ、ふらっと入ってみる。 インターネット見たことがあるワンカップ大関やココアシガレットの面白キャンドルの実物を見て、思わずあずきバーキャンドルを買ってしまった。 あとパチパチ音が鳴るキャンドルも買えた! ネイリストさんに、帰り際にあずきバーキャンドルを見せたら失笑されてしまい少し戸惑っていた気もしたので「なんか最後にごめんなさい」と気づいたら誤っていた。
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友人と待ち合わせして岡本太郎記念館へ。 先週鎌倉で「岡本太郎好きですか?」と誘ってもらっていた。(私はその時、片岡八幡宮や鎌倉の古美術店を眺めながらその質問を聞いていたので、勝手に片岡鶴太郎に変換していた。)
岡本太郎のアトリエ兼住宅を美術館にした建物。 食虫植物や南国系の草が生えるお庭に、所狭しと作品がざわざわと展示されていておどろおどろしかった。 太陽の塔の中はかなり良いらしい。マンスーンさんも楽しいって言ってたね。
最近の写真の活動の報告をしながら表参道をふらふらしていたら、先日写真展にも来てくださった先輩とぱったりすれ違う。カメラ好きでとてもおしゃれ(世の中のおしゃれ軸では計れない感じ)。 今日はF値のTシャツを着ていた。
先週カメラのファインダーがとてつもなく汚い(私の手ではどうにもできない範囲)ことを指摘されたこと、忘れていたけれど、今日も改めて友人から言われてちゃんとショックになり、そうだカメラを買おうかなと思っている。
良いフィルムカメラを探す、というタスク(?)に少しわくわくする。
ありがたいことに1冊写真集を買ってくださった方がいたので、梱包材や納品書の準備をしなくては!で、少し忙しい気持ち(写真がガビガビでごめんなさい!)。
現像したかったフィルムを持ってくるのを忘れてしまったので、明日は、何としてでも、現像出したい。気をつけたい。
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kennak · 2 years
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長くなります。よかったら読んでください。 まず、私から提案したいと思います。 私の家に遊びに来ませんか。鹿児島県のとある田舎町で農業を営んでいます。新規就農してからまだ半年余りなので、アルバイトをしながら何とかやっている状態ですが。 独り者です。バツイチです。質問者の方が男性でしたら、何日か泊まっていただいても構いません。 柴犬と猫とヤギ、ニワトリがいます。 以下、陰鬱な内容を含みます。耐性の無い方は読まれない事をオススメします。 私もうつ病でした。 それも重度のうつ病でした。主治医には、最終的には脳に電極をつけて電気ショックを施すことを勧められたぐらいです。 入院治療も2度行いました。 最初の入院は、自殺未遂をしてから運ばれました。施錠された病室に隔離されました。常にモニターで監視されていて、トイレなどハナから丸見えです。 1週間の後、一般病棟に移りました。 職場には、主治医からうつ病の為3か月の休職が伝えられました。 2週間後くらいから、躁状態に入りました。 室内では腹筋、腕立てを繰り返し、外出許可をもらってはランニングに勤しみました。 自分自身が何故うつ病になってしまったのか自省し、退院してから復職する迄のやるべき事リストを作り上げました。 前向きな���子を見て、主治医も退院時期を前倒しにしました。 一月後、退院しました。 退院してから、先ずは主夫業に精を出しました。 過剰なまでの不安と心配を与えてしまった妻の為、早起きして犬と散歩に行き、朝ごはんを作り、掃除、洗濯を済ませ、夕ごはんの買い出しに行き、夕ごはんを作って妻の帰りを待ちました。 週に2回の通院は、あえて15キロの道のりを自転車で通いました。散歩にも出かけ、野の花や小鳥なんかをスケッチしたりもしました。 全てはうつ病を克服するためだけに、日々を過ごしました。認知療法、行動療法、薬物療法すべて行いました。 1か月後、再発しました。 休職期間も残り1か月ともなると、緊張と不安が絶え間なく襲ってきます。また寝れない日々が続きます。食欲もなくなり、何をするのも億劫です。 復職1週間前ともなるとある思いが心を支配します。 (死にたい…) とにかく私は死にたかったのです。 いわゆる、希死念慮です。 簡単に言うと自殺願望なのでしょうが、色んな自殺の方法を探りました。 結局は首を吊る事に落ち着きました。 妻の居ない日中に、何度も何度もタオルなどで首を吊りました。でも死に切れませんでした。 勇気を振り絞って復職しました。 3か月ほど働いたでしょうか。職場での日々は、私にとって正に地獄でした。常に緊張していました。頭が上手く回転しません。真っ直ぐ歩くことさえままならず、何故か柱や机の角にぶつかりました。トイレに用がなくても頻繁に入り、周りの好奇な目から逃げました。その度にトイレの窓から飛び降りたい気持ちになりました。自殺を試みた人間に対して、同僚は腫れ物に触るように対応します。 毎週末、今日こそはと思い、首つりを繰り返しました。しかし、最後まで出来ません。 私は思い込みの世界で生き、想像の世界で苦しんでいました。 自殺未遂をしてから、うつ病と告知されてから、いやもっとずっと前から私は、私自身の妄想に自縄自縛の状態でした。 あいつは仕事が出来ない。 あいつのせいでみんな迷惑している。 自殺未遂するぐらいなら仕事を辞めればいいのに。 それでも上司は私を励まします。 君なら出来る。死んだ気になってがんばりなさい。みんな君の事を心配しているんだ。恩返ししないとね。 妻も私を励ましてくれました。 折角、頑張って公務員になったのに、今辞めたらもったいないよ。家のローンはどうするの。その年から転職なんて出来ないよ。あなたの大好きな柴犬も手放して、動物も飼えないようなアパートに移る事になるよ。今が頑張りどきよ。 私はもう限界でした。いや、もうとっくに限界だったのでしょう。主治医からは兎に角強い睡眠剤と抗うつ剤を処方してもらいました。 起きていても何時もボーッとしていました。 漢字もどう書くのかよく分からなくなりました。 ひらがなさえ、「あ」と「お」の違いさえよく分からなくなり、度々授業中の計算ミスを子どもに指摘されました。 ある日、子どもに問いかけられました。 「先生、なんで死のうと思ったの?前の先生が、H先生はぼくたちのことが嫌いで死のうとしたって言ってたけど、本当?」 「そんなことないよ。死のうとなんかしてないよ。」 咄嗟に取り繕いました。 代行の先生が、断片的で恣意的な情報を子どもたちに伝えていたようでした。 再休職することになりました。 うつ病の原因は今だからよく分かります。 新しい学校に移動したものの、子どもたちと以前のような信頼関係を築けないことからの自己嫌悪。 同僚とも良好な関係を持てないことからの苛立ち、不安、不満。 それらから派生するように、仕事への自信喪失。 40過ぎても子どもを持てないことへの落胆。 35年住宅ローンの重圧。 自分の故郷が地震と津波で壊滅的な状況なのに、何も出来なかったことへの後悔。 妻とも友人とも、会話が噛み合わないことからの孤独感。 当時の私は客観的に見ても、八方塞がりでした。 でも多くの方たちも、多かれ少なかれ40も過ぎれば仕事や家庭で問題を抱えています。しかし、うつ病にはならないでしょう。だからこそ私は私自身に失望しました。失望感は再休職したことからさらに募り、積み重なった失望感は、絶望感へと集約されました。 再休職して、私はまさに生きるしかばねの様でした。 以前の休職期間のように、前向きにうつ病治療をすることも有りません。ただ、ただ死なないように生きているだけです。 誰かの歌詞にあったように、 私は小さく死にました。 当時の私は死にたいと云うよりも、「楽になりたかった」のです。 40も過ぎて再休職し、再び同僚や子どもたちに迷惑をかけ、上司の配慮や期待にも応えることが出来ず、その上、妻への罪悪感は筆舌に尽くし���いものがありました。 いつ自殺が成功しても大丈夫なように、定期的に遺書を書きました。妻への謝罪、同僚たちへの謝罪、両親兄姉への謝罪、毎日毎日こんな自分が生きていることが申し訳ありませんでした。 妻は週末になると、神社へとわたしを連れ出しました。近所の神社、箱根神社、鶴岡八幡宮、春日大社にも行きました。 2時間で2万円もするカウンセリングも受けました。 主治医から処方される薬は、5種類まで増えました。病院でのカウンセリング担当医は、大学を卒業したばかりのような若い女性です。彼女なりに真摯に私と向き合ってくれましたが、私は彼女から助けてもらえるとはとても思えませんでした。主治医で院長でもあった先生は、薬を処方するだけです。もしうつ病が治らず、教員を退職する事になったら精神障害者として生活保護を受けるしかないと言われました。 一向に良くならない私の状況に、妻は失望し、疲弊しました。あとで知った事ですが、リストカットなどの自傷行為をしていたようです。 毎晩、妻から叱責をされるようになりました。 このままだとどうなるか分かる?あなたがうつ病を治さないとどうなるか分かる?いい加減、治してよ!どれだけあなたが沢山の人たちに迷惑を掛けているのか分かる?だから早く治して! 時には包丁を持ち出され、一緒に死のうと懇願されました。 一度、人は道を踏み外すととことんまで堕ちるのだと思いました。しかも、底がありません。どこまでも堕ちるのです。 生き地獄でした。 翌年の4月、私は別の学校に移動し復職することになりました。 私は私を偽りました。うつ病は治っていません。しかし、治った事にしないと妻がもちません。 治ったと偽り、主治医にも復職を許されました。 復職して、3週間後の朝、自宅の梁に電気コードを括り付け、椅子を倒し首吊り自殺しました。 死んでいませんでした。 気づくと愛犬の柴犬が必死に私を舐めていました。 何も見えません。呼吸が止まっていたのでしょうか。私は必死に呼吸をしました。呼吸を繰り返し繰り返し行うと暗闇に光が差し込んできました。 何故かコードは解けていました。今際の際で、コードを解いていたようです。しかし自分が何をしたのか暫く理解できませんでした。失禁していることに気づきました。脱糞までしていました。眼球は出血し、白目部分は真っ赤に染まっていました。左半身が上手く動きませんでした。 その日、再入院することになりました。 主治医から、電気ショック治療を勧められました。一定の効果は期待できるが、全身に激しい電気ショックが流れるので多少の骨折や記憶の欠落などのリスクは覚悟してくれと言われました。妻の反対で行いませんでした。 もはや、自分が何をしたいのか、生きたいのか死にたいのか全く分かりません。ただただ矮小で卑屈で社会のゴミのような存在だと思いました。 生きている意味などあろうはずもありません。 でも私は生きていました。あの日以来首を吊るのも止めました。何も考えず何もせず、出されたものを食し排泄し、夜になれば睡眠剤でぐっすり寝て朝になれば看護師に起こされ、何もない1日が始まります。 2か月後退院しました。暫くして、教員を辞めました。無職になりました。新築の家も売りに出しました。妻には当然ですが、見放され東北の実家に帰ることになりました。実家にはまだ思春期の姪たちがいたので、兄がアパートを探してくれそこに1人で暮らす事になりました。 私は何も考えなくていいように、中古のゲーム機を買って一日中ゲームをしていました。たまにスーパーに食料を買いに行きますが、誰かに見られるのが恥ずかしくて、短時間で目につくものをそそくさと買ってアパートに戻ります。何も考えません。感情も有りません。風呂にも入りません。歯も磨きません。ある時、履けるパンツが無く、Tシャツを逆さにして履きました。チンチンが寒かったです。 以前の主治医から実家近くの病院を紹介され、紹介状も持たされていましたが、そこの病院に行く事は有りませんでした。もう精神科医も抗うつ剤も睡眠薬も私には必要ありませんでした。 なぜなら私は人の形をした、ただの醜いぬけがらでしたから。 時間も季節も、世間も仕事も、私には何の意味も有りません。物欲、金欲、食欲といった欲求もありません。ただ日々死なないように生き、金を食いつぶし、秋が来て、冬が来て、春が来ました。 定期的に父から電話がありました。その日は今までにない雰囲気で、もうアパートを引き払えと言ってきました。 実家で両親と兄家族と暮らす事になりました。 父は頻繁に私を外に連れ出しました。80も近い父の運転で、被災地の風景を見たり、故郷の野山を見たり、桜を見たりしました。 5月過ぎ、父が帯状疱疹になりました。 6月になると、胃腸に何らかの不調を訴えるようになりました。 7月、近隣の中核病院に入院することになりました。 最初は泌尿器系の病気が疑われ、手術を受けましたがあまり体調が改善されません。その後、ガンが疑われましたが、その部位が分からないと言われました。原発不明ガンと診断されましたが、本人には告知していませんでした。 父が体調を崩してから、病院の送り迎え、入院の準備や手続き、お医者さんの対応など、私が行いました。初めは嫌々でしたが、結局手が空いているのは私しかおりませんから、仕方なく対処していました。 原発不明のガンなので、具体的な治療方針が決まりません。何故か、一時退院が許されました。 退院してから、定期的に通院する事になりました。その日は泌尿器科の受診の日でした。泌尿器の主治医がお休みで代理の先生に診てもらいましたが、受診後父の様子が変で、帰り道に尋ねるとガンだと告知されたと言います。 何年ぶりでしょうか。私の中に忘れていた感情が芽生えました。 怒りです。 その日告知してきた先生は、あくまで泌尿器科の主治医の代理で、しかもガンの部位はおそらく消化器系だろうと言うことで告知する時期は消化器科の主治医と治療方針と共にこれから考えていきましょうという段取りになっていたのです。 父の落胆は見るからに明らかでした。父はタバコも吸いません。深酒もしません。健康番組が大好きで、健康に人一倍気を使っていました。 食事の世話も私が行っていましたが、食欲もめっきり無くなりました。歩くのも酷く疲れるようになりました。 私は消化器科の主治医とアポを取り、抗議の為病院に赴きました。何の相談もなく、科も違う代替先生が告知をしてしまった事に、平謝りでした。 それから私は、ガンについてできうる限り勉強しました。通院の際は、ノートを持ち込んで先生の所見を事細かくメモしました。 PET検査なるものでガンの所在が分かるかもしれないと聞き、検査機のある病院まで連れて行きました。 しかしながら、ガンの所在、及び部位は特定できませんでした。 8月になり、いつも以上に辛そうな父を見て再入院させる事にしました。病院に着くともう自力では歩くことが出来ず、車椅子に乗せて診察室まで連れて行きました。 父は気丈で弱音を吐くことを聞いた事がありません。 私が小学生の頃、車のドアで親指を挟み、骨が見えていても自分で運転し整形外科に行き、夕方には仕事をしていました。 私が中学生の時には、母が粉砕機で薬指を切り落としてしまいました。側にいた父は、すぐさま薬指を拾い、氷袋に入れて母を病院まで連れて行きました。指はくっつきませんでしたが。 そんな父が、自ら車椅子に乗っている姿に愕然としました。 主治医からは、胸水が溜まっているのでお辛いのでしょうと言われました。とりあえず、入院治療することになりました。 胸水を抜いてもらい、多少楽になったのか父に少しだけ笑顔が戻ってきました。後から来た母とも談笑していました。 数日後、父は永眠しました。 死因は、原発不明ガンとのことですが直接的な死因は、窒息死です。深夜になって吐いたものが気管に詰まり、自力では解消されず看護師が気づいた時には亡くなっていたのです。 解剖はしませんでした。 母の取り乱しようは筆舌に尽くし難く、身内一同呆然としました。 それでも、お通夜や葬儀は粛々と進められます。 葬儀が終わり、明日早朝に火葬を残すのみという晩の頃、私は葬儀会場で棺の中にいる父と2人きりになりました。 止め処無く涙が溢れてきました。あんなに泣く事はもはやないだろうと思います。 おそらく1時間ほど泣き続けたでしょうか。その間、私は心の中で同じ言葉を繰り返していました。 (ごめんなさい。ごめんなさい。) (もう大丈夫だから。) ほぼ平均寿命とは言え、父は80手前で亡くなるような人ではありません。ましてや、ヘビースモーカーで高血圧の祖父より早死にするような人ではないのです。 では何故、こうも早逝してしまったのか。 原因は、私です。 私の存在がストレスとなり、私のうつ病が治らないこともストレスとなり、40過ぎの息子が無職になって帰ってきて引きこもりになっている現実がこの上なく父に負担を掛けたのは間違いありません。帯状疱疹になったのも、胃腸に不調をきたしたのも、がんと診断されて1か月余りで亡くなったのも、私のせいです。身内は誰も口には出しませんが、みんなそう思っている事でしょう。 それなのに私は、父の棺の前で1時間ほど泣いて泣いて泣き疲れた後、気づいたのです。 うつ病が治ったと…。 皮肉なものです。父の病と死が、私のうつ病を寛解に導いたのです。 半年前まで、私は私の抜け殻でした。 何もせず、何も考えず、ただ無意味に時間とお金を浪費する肉の塊に過ぎませんでした。他人と会話する事は勿論のこと、身内ですら顔を見て話すことも出来ませんでした。 それが3か月前から止むを得ず、父の世話をするようになってお医者さんと交渉したり、看護師と話したり、父の様子を親戚に伝えたりするうちに何となく、うつ病は回復の兆しを見せ始め、最終的にに父の死によって寛解に至ったのです。 父は全く意図していなかったでしょうが、結果的に父の病と死が、私を深い深い谷底から救ってくれたのです。 結局のところ、私のうつ病を治したものは医者でも無く、カウンセリングでもなく、ましてや薬でもありません。タイミングときっかけ、そして行動です。 以下は私の経験則からの私見です。異論がある方もいらっしゃると思いますが、ご容赦ください。 うつ病は、薬で治る病気ではありません。 一般的な解釈としては、うつ病は過剰なストレスなどにより、セロトニン、ドーパミン、ノルアドレナリンといった神経伝達物質が上手く働かなくなり、シナプス間における電気信号が不調となる為、活動性が低下し、感情が失われていくとされています。 抗うつ剤などの薬は、上記の神経伝達物質を良好に分泌させる為のものですが、あくまで一時的なものです。言わば、身体が疲れた時のユンケルみたいなものです。ユンケルのような滋養強壮剤の効果は、有って小一時間ぐらいらしいです。医者に聞きました。寧ろ(俺はりぽDを飲んだから元気だ!)といった暗示の副作用の方が大きいといいます。抗うつ剤も同じです。気休め程度にしかなりません。しかも抗うつ剤を服用し続ける事は何の根本的な解決にはなりません。また様々な種類があり、強いものを飲み続けると廃人になるようなものも有ります。ハイリスクローリターンです。 私が知っている精神科医で、うつ病を本気で治せると思っている人はおりません。彼らは、薬を処方し点数を稼ぎ、報酬を得ているに過ぎません。私が暫く通院していた病院は、正にそうでした。2年ほど通いましたが、沢山の精神病患者で寛解に至った方を私は知りません。私の主治医だった精神科医は、患者を1時間待たせ5分の問診で処方箋を書き、効率よく病院に富を蓄積させます。おそらくそれが出世の処方箋なのでしょう。 先日、NHKドラマで阪神淡路大地震を体験した精神科医の話がありました。患者の話を30分でも1時間でも真摯に聞く先生でした。私もそういう精神科医に出会ったら違っていたのでしょうが。 現実は違います。それでも精神科医に診てもらいたければ、開業医をお勧めします。少なくとも組織の中にいる精神科医はダメです。 カウンセリングもお金と時間がかかるばかりで、効果のほどは期待できないと思います。 中には、行動療法や認知療法で寛解する方もいらっしゃるとは思いますが、私は懐疑的です。 そもそもうつ病の根幹的な治療は何か? まず、うつ病に至ったストレスを無くすことです。私は公務員という立場や家のローン、世間体などから仕事を辞めるという選択肢を選ぶのか遅すぎました。 そして、死なないように生き、どこかのタイミングで行動を起こすことです。具体性に欠けますが、深い深い闇の中にいて、抗うつ剤や他人の空虚な言葉が一筋の光になる…なんて事は現実的ではありません。 最初はどんな行動でも構いません。ポイントは、うつ病を患ってからした事がない行動です。 よくうつ病を患った人に、「神様から休みなさいって言われているんだよ。」という方がいますが、うつ病患者は休んでいるわけではありません。深く傷つき、深い闇の中でいつ終わるとも分からない嵐が過ぎ去るのを息を殺し、感情を捨て、ただただ耐えているのです。 話が逸れました。 質問者の方は、生きている意味があるかと問いかけられていますね。 私の答えは、「ない」です。 そもそもが、生きているだけで意味がある人間なんてどれほどいるのでしょうか?人間は人間を特別視し過ぎです。過去には、人間ひとりの命は地球よりも重いと言った政治家が居ました。馬鹿げています。 この地球には、既知の部分だけでも175万種の生命体がいるそうです。未知を含めたら500万とも800万とも言われています。その多種多様な生き物が懸命に命を繋いでいます。その中で、何故人間の命だけが尊いと言えるのでしょうか。 周りを見渡せば、ニュースを見れば犬、猫より価値の無い生き方をしている人が沢山います。蜂や蟻よりも生産性の無い生き方をしている人間がありふれています。 人間の命、そのものには意味がないのです。 あるとすれば、意味ではなく「時間」だと思います。 そして時間があるからこそ、「行動」ができるのです。 重度のうつ病患者は、行動が出来ません。 行動が出来ないということは、時間が止まっているのです。 故に今のあなたが、生きている事の意味を問いかけるのははっきりいって無意味です。 それはあなた自身が本当は理解されているはずです。 けれども今あなたがその漆黒の闇を抜け出せるその日が来た時、あなたの(生)に価値が生まれます。あなたが自分の足で、自分の意思で前に進み始めた時、時間が再び動き出します。 生きている限り、意味はなくてもあなたには「時間」がある。時間があるという事は、あなたの人生は何度でもやり直せるのです。 更にあなたが価値ある、より良い行動をとることで、あなたの(人生)に意味が生まれると思うのです。 人の(生)に意味があるとすれば、価値ある行動を実践した時、初めて生まれると思うのです。 人の人生の評価は何で決まるのでしょうか? 財産、出世、肩書き…人それぞれでしょうが、私は行動だと思います。どれだけ価値ある行動を人生で出来たか、だと思うのです。 だからまずあなたがするべき事は、死なないように生きることです。そして、私のようにきっかけを待つか、自らきっかけを作り行動することです。 正直言って、私のようなきっかけを待つことはお勧めできません。 だからこそ、私のところに遊びに来ませんか? もしかしたら、何かのきっかけになるかも知れません。仮にならなくても、きっかけのきっかけぐらいにはなるかも知れません。 私は今、農業に従事しています。何故、東北から南九州に来て、農業をしているかの経緯は割愛しますが、私はうつ病が寛解してから2年ほどの、50手前のおじさんです。 うつ病が治り、取り敢えず3つの事を目標に掲げました。 ①飼っている柴犬を、日本一幸せな柴犬にする事。 ②最低限、父の年齢まで生きる事。 ③世界の真理を一つでも多く学ぶ事。 です。 農業では、無農薬、無化学肥料での、循環農法を実践しています。なるべく、F1の種に頼らず固定種の種から作付けして、この土地に合った野菜を育て、種取りをして、安全、安心な、究極的には硝酸態窒素を過剰に含まない、ガンにならない野菜作りを目指しています。 知らない土地に来てからの挑戦なので、苦労もありますがやり甲斐も有りますし、生き甲斐も感じています。 何よりも、何度となく死んでしまってもおかしくない我が身がこうしてお天道様の光を浴びて働けることが、嬉しくて嬉しくて仕方が有りません。 昔、ドイツの哲学者が言っていました。 (自らを否定して否定し尽くした時、あなたは超人となるだろう。) 私のうつ病期は、自己否定の繰り返しでした。 もちろん、私は超人には成れておりません。 ただ、周りの人達よりちょっとだけ物事の本質を理解出来るようになったかなと思います。 一昨日、東日本大震災から9年経ちました。 2万人以上の方が亡くなられました。 彼らにはもう時間が有りません。行動を起こすことも出来ません。 だからこそ我々生きている人間は、然るべき行動により、震災を語り継ぎ、亡くなった方たちを忘れずに生きねばなりません。 あなたは生きている。 あなたには時間がある。 あなたは行動を起こせる。 大丈夫。時は必ず訪れます。 最後にアメリカの詩人の言葉をご紹介します。 (寒さに震えた者ほど 太陽の暖かさを感じる 人生の悩みをくぐった者ほど 生命の尊さを知る これから私は幸福を求めない 私自身が幸福だ) 長文につき、乱筆、乱文ご容赦ください。
私はうつ病です。昔の事も思い出せず、感動せず、感情もわからず、物を覚えられず、体を動かすのもつらく、毎日ただひたすら苦しく、生きているだけでお金がかかるのに生きてる意味ってありますか? - Quora
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poddyshobbies · 1 year
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糸島・長嶽山古墳群~2号墳(石室)
神社を中心に14基の古墳が点在しています。
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関連投稿 > 1号墳 ・ 2号墳
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長嶽山古墳群を探訪しました。スタート地点は宇美八幡宮の境内です。
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6号墳から若い番号は社殿に向かって左手、6号墳の横から注連縄を潜って山道を進みます。7号墳からは本殿裏を右へ。建機が通る道の東側に、社殿に近い順に14,7,8,9と並びます。ただし、8号と9号の間を建機道が通ってます。建機道を挟んで反対側の斜面に12,10,9号、そして少し離れた下方に11号があります。位置が特定しにくい古墳には目印の杭が打ってありますが、4,5,13号の杭は見つけられませんでした。
↓ 奥が1号墳、手前右手が2号墳
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石室内から(盗掘坑)
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扉石で塞がれた玄門側
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扉石に向かって左手(盗掘坑側)
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右手 ~ 一つだけ大きな石
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玄門の向かい側
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奥を向いて右手(盗掘坑側)
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左手(盗掘坑から前に見える麺)
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↓ 側壁の上に置かれた天井石
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盗掘坑
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2023.3.20(おわり)
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fuuuuareyou · 9 days
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4.17(水) kamakura.
予報ではあんまり天気良くなかったのに、暑いぐらいに天気良くて。目覚めて、自分のベッドに居るのに隣には大吾が居てさ。同棲したらこんな感じなのかな?なんて少し胸躍らせてた。寝るの遅いのに早く起きる大吾くん。俺より先に絶対起きてんのよ。それに合わせて俺も早起きしちゃったりして。この日もイチャイチャスタートでした。
「 何時に出る?」 なんて会話をしながら準備を進めるのに、結局予定時間を過ぎるマイペースな俺ら。さすがっすね(笑)大吾がずっと行きたいと行ってた鎌倉に向けて高速乗って、途中にサービスエリアに寄った。飲み物と大吾のお仕事関係の方へのお土産、俺らで食べる用のお土産を買って再び出発。
目的地付近のパーキングに停めていざ観光!まずは鶴岡八幡宮。葉桜に囲まれた道を手繋ぎながら歩く。こんな何気無い時間が幸せだね。ここでも俺はカメラマン。被写体が良過ぎて風景と共に写真に納めていく。俺の携帯ちゃんも世界一幸せやん。つって。2人で参拝して、俺は早く終わったんだけど大吾はめっちゃ長くて。そしたら「 ちゃんと自己紹介と住所言わなきゃいけないんやで!」 なんて言うから、ガチやん。ってツッコミを心の中で言いつつ嬉しそうに微笑む姿に釣られて笑う俺。てかそんなの知らねえし。初耳なんだけどそうなの?(笑)
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八幡宮を後に、大吾念願の小町通りへ。食べ歩きする!って事前から色々調べてたぐらいだもんね。目がキラキラしてたよ。可愛い。通る店通る店「 美味しそう!」 って。そりゃそうよ。昼過ぎて俺ら何も食ってないんだもん。
まず最初に食べたのがチーズたっぷりのカレーパン。ちょっと人が居ないところでがっつく俺ら。…いや、チーズ伸び過ぎ!でもマジ美味かった。また食いたいねあれ。
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その後、大吾は団子を頬張ってた。食べにくいよねー、串系って。口にアンコくっ付けちゃって可愛いねえ。あ、心の声が出ちゃった。ごめぇんね。
カレーパンで喉乾いちゃったから飲み物探してフラフラ。ブルーハワイフロートゲット。暑かったし丁度良き。
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あとあれ、大仏焼き?中にたっぷりアンコの入った人形焼。紫餡が美味すぎた。温かいうちに食べるって最高。
葉山牛入りコロッケも。お店のおっちゃんゴミ捨ててくれてあざした。クレープはさすがに食えないから持ち帰って食べた。美味。(この2点は以前、俺らグループが5人で食べたお店でしたー。)
でっかいソーセージを楽しみにしてた大吾は、満面の笑みで頬張ってました。(さすがの俺はもう何も入らなかった…。)わらび餅もお持ち帰り。これはまたリベンジしよ。
お腹も満腹になったところで、また車に乗りこみ大仏を見に。あんだけ食べれば眠くなるよね。隣でウトウトしながら必死に起きてましたよ。寝てていいのに。優しいね。
近くの駐車場に停めてちょっと熱いキスなんてしちゃって。(あ、これ怒られるやつ?)行くとこ行くとこ外国人観光客が多かったなぁ。中入って見えて来た大仏にまたも大興奮。俺も見たのはガキの頃が最後だったから、こんなだったっけってなりながら写真を撮って。2人の外国人観光客の人から写真お願いされつつ、俺ら協力し合いながら撮ったよね。かわちい。ほんの出来心で大仏様にエフェクト掛けて爆笑したなんて……。秘密。な?大吾くん。大仏の中に入ったり、お土産観たりして4時過ぎとかだったかな。帰ろうってなり、地元まで向かい約束してたお揃いのイヤホン見る為に電気屋。なんかさー、声がクリアに聞こえるやつが欲しくて。イヤホンあるあるじゃない?音楽とかは綺麗に聞こえるけど、通話の音質クソ悪いって。店員さんに聞きながら無事、オソロゲット。遠距離だからこそ、電話って大事だし相手の声ちゃんと聞きたいじゃんね。今まで音がこもってて聞き取りにくく、俺が何度も聞き返すってのを繰り返してたから少しでも解消されますように、なんて願いも込めつつ購入。
帰って来て、風呂入って、まったりして。さすがに食い過ぎて夕飯なんて要らない俺らは早めに布団に入って眠り一日を終えました。
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bearbench-tokaido · 1 month
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五篇 上 その二
富田の町の一軒の茶屋で、二人はお茶をしている。 囲炉裏の中にはまぐりを並べ焼いている女中に弥次郎兵衛が、 「女中さん。酒がほしいんだが、いいのはあるかい。」 と、声を掛けた。 すると、女中は、奥に声をかけている。 その女中に弥次郎兵衛は、 「それにしても江戸にいる頃から、旨い物ばかり食ってきたからこの道中のものは、まずくて食べられたためしがない。」 「・・・」 「その上、馬に乗れば危ないし、かごは頭がつかえるし、自分の店で使っているものたちが自宅のかごを使えばいいのではと言ってたが、今にして思えばそうするんだと後悔しているよ。」 「・・・」 「まあ、いやいやながらもかごに乗ろうと思えば乗れるのだが、道中かごには飽きてしまったしな。」 女中がつれないので、弥次郎兵衛は、北八に、 「そうだ北八、ここからは歩いていこう。 いいぞうりがあれば、買って来てくれ。 履き慣れないぞうりで、これ、見てくれ。足中が豆だらけになった。」 と言う。
北八は、弥次郎兵衛の足を見てびっくりした様子で、 「本当でございます。今日初めてわらじをお履きなさったのに、わらじのせいできた古いあかぎれが再発したようでございます。」 と、約束通り家来風に答えると、弥次郎兵衛はあかぎれをもみながら、 「な、なにをいう。これはあんまり足が繊細だから、わらじの紐が食い込んだのだ。ところで、はまぐりはどうだ。」 と、囲炉裏の中を覗きこむ。 女中は、 「はい、只今あげます。」 と、大きな皿に焼はまぐりを盛って差し出すと、別に台所から飯を二膳盛ってくる。
北八は、自分の茶碗を取り上げながら、 「ほれ、弥次さん。見てみろ。 これだから色男は困る。 さっきの女中が、お前の飯はちょっとだけ盛って、俺のは山盛りだ。 まるで、一里ごとに土を盛っている一里塚みたいだ。ああ、うめえうめえ。」 弥次郎兵衛は、すました顔で、 「へへへ、間抜けな男だ。あの娘が、上手に飯を盛っただけじゃねえか。 それを、惚れただと浮かれていやがる。 そりゃ、お前を家来だと思っている証拠だ。」 北八は、飯をほおばりながら、 「どうしてだ。」 「すべてこの街道では、日雇いの人足や供のものへは、飯を山もりにして出すとういことだ。 と、言うことは、誰がみても俺が旦那お前がお供に見るということだ。」 北八は、口いっぱいにほおばりながら、 「はあ、そういうことか。いまいましい。」 「ははは。それ、女中さん、はまぐりのおかわりを、お願いします。」 弥次郎兵衛は、笑いながら、皿を女中の方にさしだす。 女中は、 「はいはい。」 と、焼きたてのはまぐりを皿に盛って渡す。
弥次郎兵衛は、その焼はまぐりを取り上げ、それと女中を見比べながら、 「これが、お前さんなら、なおのこと美味いだろうな。」 と、パクリとはまぐりを食べ女中の尻をちょっとなでる。 女中は、上手にあしらう。 「おほほほ。旦那様、おふざけはよしてください。」 それを見ていた北八が、 「俺も、ホタテだ。」 と、同じようにお尻を触ると、女中はすごい顔で、 「やめてよ。この変態。」 と、にらみつける。 この様子に、北八、 「どうでも、俺を安く見ているようだ。まったく、不愉快で腹が立つ。」 と、ぶつぶつ小言を言う。
すると、近くの寺の鐘の音が、聞こえてきた。 「ご~ん。」 北八は、 「女中さん。あれは、なん時の鐘だね。」 女中は、ちょっと首をかしげて、 「もう、午後の四時でございましょう。」 と、言う。 北八は、ポンと膝を叩くと、 「しめたしめた。約束のとおり、これから俺が、旦那さまだ。」 と、弥次郎兵衛を見ながら、 「こりゃこりゃ、弥次郎兵衛。俺はもう馬にもかごにも乗りあきた。 これから、そろそろと歩いていきましょう。 いいぞうりを買ってきてくれ。 履きなれぬわらじのおかげでこれ見てみろ。豆じゅうが足だらけだ。」 弥次郎兵衛は、苦い顔で、 「ばかなことをいう。なるほど、お前は足だらけだ。 ひとつの足があかぎれで、いくつにも割れているからな。」 北八は、高飛車に、 「いや、旦那にむかってお前とは、何のことだ。 ほれ、この荷物もそっちへやろう。」
弥次郎兵衛は、あきれている。 「おやおや、事情が変ると態度をこっろとかえるな。 まあいいじゃねえか。そっちに置いておけ。」 北八も譲らない。 「いや、それでは、約束が違う。」 と、荷物を弥次郎兵衛のほうに突きつけると、そのはずみで、はまぐりが盛られている皿をひっくり返してしまった。 その勢いで、焼はまぐりが弥次郎兵衛のふところへヒョッコリと入ってしまう。 弥次郎兵衛は、懐に手を入れながら、 「アツツツ、はまぐりのつゆがこぼれてる。アツツツ。」 と、手探りしている。 慌てふためく様子に北八が、 「どれどれ。」 と、弥次郎兵衛のふところへ手を入れて、はまぐりを捕まえるが、 「アツツツ。」 と、あまりに手が熱ったので、取り落としてしまう。 はまぐりは、そのまま弥次郎兵衛のへその下の方に落ちる。 北八はうろたえて、弥次郎兵衛のももひきの上からはまぐりをつかもうとして金玉もつかんでしまう。 弥次郎兵衛は、飛び上がらんばかりに、 「アツツツ。おい、何をするんだ。金玉が焼けてしまう。」 と、言いながらやっとのことで、ももひきの前の合わせ目からはまぐりをとりだした。
北八が、 「ははは。これは、御安産ですね。おめでたい。」 と、言うと、 「ふざけるな。とんだ目にあった。」 と、弥次郎兵衛が、股をさすっている。 それを見ていた女中が、 「お怪我はございませんか。」 と、笑いながら問いかける。 弥次郎兵衛が、 「怪我はないが、まだ、腹の中がぴりぴりする。」 と答えると、北八は、 「ははは。」 と、腹をかかえて笑っている。
膏薬は まだ入れねども はまぐりの やけどにつけて よむは狂歌 (膏薬は、昔、はまぐりに入れて売っていた。その膏薬はやけどにつける薬だが、その薬の入っていないはまぐりでやけどした)
それよりここを旅立つと、羽津村、八幡村を通り過ぎて、七つ家阿倉川についた頃、四日市の宿の宿引きが出向いてきていて、 「これは、お早ようございます。私のところのお宿にお泊まりください。」 と、しつこく言い寄ってきた。 弥次郎兵衛が、 「俺は、帯屋がいいな。」 と、言うと、宿引は、しめたとばかりに、 「いや今晩は、お大名さまがお泊りでございますから、無理でございましょう。私どもにお泊りください。」 と、言う。
実はこれは嘘で、身分のあまり高くない大名がわずかの共のものといっしょに泊まっているだけだ。 宿引きも商売だから、それを少々大きく表現して自分の旅館に泊めようとしている。 それを聞いて、二人は、すっかり騙された。 弥次郎兵衛は、しかたがないかというふうで、 「それなら、貴様のところは、いくらで泊める。」 と、聞いている。 宿引は、ニコニコしながら、 「はい、それは、いくらでも。」 と、もみ手をしている。
弥次郎兵衛は、 「昨日は、宮の斧屋にとまったがとんでもない迷惑にあった。 百五十でろうそくを立てる台までつけて、夕食が済んだら酒や菓子を出してきた。 これでは、気持ちが落ち着かないので、お茶代として別に二百やろうと思ったが、いざ、金を払う段階で惜しくなった。 結局、やらなかったのでえらく安上がりだった。 貴様のところも、そのぐらいしてくんな。」 宿引きは、 「はい、かしこまりました。」 と、大仰にお辞儀して、そのまま話しながら歩いていく。 四日市の町に入ると、宿引きは、自分の旅館の方に駆け出して、 「さあ、ここで、ござります。」 と、二人に、呼びかけた後、 「これ、お泊まりじゃ。」 と、旅館の奥のほうに声をかける。 この旅館の女房が出てきて、 「お早ようお着きなさいました。」 と、挨拶する。
つづく。
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sadaki-ino · 9 months
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【浄妙山】【八幡山】四条河原町交差点
山鉾巡行 祇園祭の後祭 2023年7月24日(月)
祇園祭 後祭の山鉾巡行の3番目と4番目
【浄妙山】
『平家物語の宇治川の合戦から取材、治承4年(1180)宇治川の合戦に三井寺の僧兵筒井浄妙が橋桁を渡り一番乗りをしようとすると、一来法師がその頭上を飛び越え、「悪しゅう候、御免あれ」と前に進み出て先陣をとってしまったという。御神体(人形)は一来法師が浄妙の頭上を飛び越える一瞬をとらえ木片の楔で一来法師の人形を支えている。黒漆塗の橋桁にも数本の矢がささり戦さのすごさを示している。かつては「悪しゅう候山」とも呼ばれていた。』
頭に手をおいて飛び越えというアクロバティックな人形の姿がなかなか面白いですね。
【八幡山】
「町内に祀られている八幡宮を山の上に勧進した山。山の上の祠は総金箔の美麗なもの。」
鳥居の笠木の上には、向かい合って八幡神のシンボル・鳩が2羽飾られるが、これは左甚五郎の作とか。
https://youtu.be/3UbRgV0SOMA
#祇園祭 #後祭 #山鉾巡行 #浄妙山 #八幡山 #京都
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brownie-pics · 4 months
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校倉造り
’23.12.17 手向山八幡宮宝庫、三月堂経庫
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shokobekki · 1 year
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【日記】
「東京湘南行」
やや久々に東へ。まとまりのない長い日記を書いてみる。
例によって版木・材料の調達を済ませると国立へ向かった。どこか少しぎこちなく、でもきらきらした新入生達で賑わう、大学通りの新緑を仰ぎ見ながら、夏個展でお世話になるギャラリーに顔を出す(→*)。少しばかり搬入作品を持って。 なぜか朝からスマホバッテリーが急減し、着くや否やギャラリーのコンセントをお借りするというぶざまなことになった(ごめんなさい)。山へ行くとき用のモバイルバッテリーを大抵携行しているのだけど、この日は油断していた。 幸い、いま個展中の作家さんが在廊されていて、タイトルの秘密、制作過程の秘密、短いながらお話しできた。近頃頭と神経ばかり使っていたので、何か大切なことを思い出す(写真1)。
鎌倉へ移動する。 ごったがえす観光道をどうにか抜けて、ようやく静かになった八幡宮裏で、初燕を見た。絶対に観たかった展覧会に、終盤きわきわようやく来れた(→*)。 落ち着いた空間で、決して豪華ではない美しい本と版画を巡りながら、漠然としたことを思う。 音楽なり美術なり文芸なり…芸術(何か偏りがあってあまり好きではない言葉だけれど)の作品には、たぶん理屈では説明のつかない領域があって、誰かの作品が心に響く時というのは(頭で納得するではなく)、きっと、その解明できない領域に共鳴しているのだと思う。ある文学者も書いていたように、それが、"同じときを生きる"ということなんだろうか。この"とき"は、おそらく科学的な時空ではない。一対一の間でしか成立せず、急に立ち現れたり、ふっと消えてしまうこともある。だからこそ、力になり、救いになり、大切なのだ。人間が生きる上で、欠かせないものなんじゃないか? そういう領域の存在を、守らなくちゃ、と思う。大きくなくていいし、豪華でなくていい。一対一で、親密に向き合える形で。(写真2,3)。
見終わって鎌倉別館を出たところで、ちょっとしたキッドナップツアー?に遭った。曇り空の似合う三浦半島の道や町を、なだらかにアップダウンしながら突如ポトリと落とされた場所は、背後に小さな森のある風変わりな美術館だった(→*)。唯一無二の場所に、唯一無二の人形たち。エゴン・シーレの生きた時代の匂い。不思議と現代にも通じる何らかの匂い。ここにも予期せず、個展中の作家さんが居られて、お話しを伺いながら観ることができた。あと一時間くらい欲しかった(写真4,5)。
美術館を出て程なく、スマホバッテリーは完全に落ちた。 知らない町にポツネン。館で貰った手書きの地図を頼りに、夕闇せまる町を、駅に向かってとぼとぼ歩く。地元の高校生で溢れる電車に揺られ、サラリーマンと旅行者の雑踏で地鳴りのする駅で乗り換え、ようやく新幹線に乗って帰る。最寄り駅からは、少し雨に濡れながら自転車で帰宅。真っ暗。もうみんな寝ていた。なんとも濃密で、不思議で、刺激的な一日だった(写真6,7)。
今日は一日雨。静かな、良い匂いのする雨だった。湿度が心地よい春の日。 ひとまず今晩は筍ごはんだ。 肉と野菜のせいろ蒸しもしよう。 まあもう、食べ終わりましたけど(写真8,9)。
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tokyomariegold · 2 years
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2022/9/23〜
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9月23日 今日はとにかくいろんなものを見過ぎて、 いろんな表情をつくり過ぎて、 いろんなことを喋り過ぎて、相槌を打ち過ぎて、 目と顔の筋肉と喉が痛い。
初めての逗子の町の、観光地と絶えないほどの、リゾートまで華やかではないけれど、海の町特有の小さいお店がある感じの町のつくりを中途半端に体験して、浜辺で波を見ても全然怖くなくて、気がついたら鎌倉で八幡宮のお参りをしれっとしてしていて、ばちが当たりそう。 人とお話して時間を過ごすことと、自分が街やその空間を楽しむことを両立できる日はくるのかしら。
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アレック・ソスの展示は、思っていたのと違ったけれど楽しめた。 フライヤーの写真とデザインが、あまり今回の作品展と合っていない気がして、予告編だけ好きな映画ってあるかも、と思った。 山間部にハンガーかけやミラーボールをセットして生活している人のインタビュー記事の写真シリーズが好きだった。
とにかく長い時間だった気がする。 我に帰ったのは、行きも帰りも、日暮里駅の2階のサイゼリアの窓際のボックス席を車窓から見た時で「こんな時間(と、いうほどおかしな時間ではない)にサイゼリア…」と、思った時だった。 昔、雷雨で中断した花火大会の帰りに、びしょ濡れで入ったファミレスは、このサイゼリアな気がする!
一緒に展示を見た友人は、子供の話と動物の話をいつもしていて、今日も友達が子供を産んだ話をしたので、彼女自身がそろそろ子供を持つのかな〜、と思っていた。それと、動物が可愛いうんぬん、と言っていて、犬でも飼うんだろうか〜、とも思った(今日は子豚の話をしていたけれど)。
私は出産がどんなものなのか経験してみたいけれど、子育てはしたくないので、他人の子を産めば良いのかな、と考えて、でも倫理的にアウト?
帰り、旦那さんと合流して帰る友人と横浜駅で別れる。いつも私と遊ぶ時、私たちが遊んでいる場所の近くまで旦那さんが来ていたり、待ち合わせのラインを仕切りにしていたり、常に影が見え隠れする感じで、彼女との時間を過ごしている。私はいつ���、彼女と2人で遊ぶ待ち合わせの場に、しれっと旦那さんもいて、今日は3人で……みたいなことになったりしないかドキドキしている。
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9月24日 人付き合いがだめなターンなので、1時間くらいキュッとおしゃべりするだけでよかった。 今日��、クラシカルなメイド喫茶で本格紅茶を飲んで、人の物件探しに付き添った。
メイド喫茶は、電子ケトルで沸かしたお湯を、高い位置からティーポットへ注いでいて、やかんでなくてケトルで可愛い。
物件探しは、楽しそうなので付き添っちゃお!と思っていたのに、結果、不動産屋ってこの世の嫌い空間わりと上位に入るのでは!と気が付いたのと、人の生活に関わっている暇はない!と、自分の生活のタスクをいろいろ思い出して、先に帰ってきてしまった。
駅の広場でちいかわとサンリオのコラボグッズが売られていた。たくさんの女の子達が本当にちいかわを愛でている!と驚き、友人に報告のメッセージを送る。
メイド喫茶から不動産屋までの移動中、マンスーンさんとすれ違ったのかもしれない…でも人違いかもしれない…ちいかわグッズを見にきていたのかもしれない…テンションが上がっている、と久しぶりに実感した。
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9月25日 このところの人間関係の悪態を反省して一日を過ごした。 昨日の雨で、川の水が増大していて、いつも野球やサッカーをしているところまで川が拡幅していた。ボートで何かを捜索している様子もあり、土手からたくさんの人が見ていた。
昨日投稿した日記を読み返すと、毎度のことながら誤字だらけ!最近はiPhoneで文字起こしをしているのだけれど、変換の精度が高すぎる(?)。 「うそみたい」→「朝みたい」、「かるいんで」→「辛いんで」、「ぶしょ」→「場所」、「きえないと」→「変えないと」。 読みと異なる変換を一番上に持ってくるのをやめてほしい。でもこれがiPhone的正解ワード。 30歳で変えないと!
9月26日 「落とし物が届いています」と、朝一で内線に電話が届く。ありがとうございます。まるっと落としたパスケース全部が手元に戻ってきた。
文化庁メディア芸術祭の展覧会が今日までだった!毎年、情報収集のために会場へ行っていたけれど、今年はネットで眺めよう、と、マンガ部門の大賞を確認する。北極百貨店?という素敵なタイトルの漫画をKindleでダウンロードしてみた。
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9月27日 2日分の洗濯物を溜めて洗濯機を回してみた…!ドキドキ。確かにこちらの方が回し甲斐がありそう。
隣の席の上司から、アメリカのチョコレートをもらう。お姉さんが、アメリカ在住とのことで、日本に一時帰国されているらしい。最近のアメリカは、グルテンフリー 、パレオ、ケト、と健康志向の食事がブーム。マックにはあまり行かない(そもそもマックの値段が高い。ハッピーセットで1000円弱するとか。)とのこと。コーラもみんな飲んでないんだって! プレッツェルのお菓子のパッケージには“BIG TIME FLAVOR”とあり、大きい時間風味…? 大味ってこと?となった。
日本で言う、ハワイアンとかミラノ風とか清涼感とか、味覚以外で食べ物を感じる感覚の表現なのかな。
明日は出張(研修)で、乗ったことのない電車に乗って、行ったことのないところへ行くのでへとへとになってしまうと思う。
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9月28日 研修のため、いつもより2時間遅い出勤。 朝にいろいろお掃除ができて精神衛生も良くなる。 空港へつながる路線、違う駅名だけど乗り換えできる駅間の30秒くらい歩く町、目印のデイリーヤマザキ、4匹の猫の親子、多分もう全部見ることはないんだと思うものばかりを通過して研修先へ行く。 (帰りに、オンライン研修でしか顔を合わせたことのなかった同期にこのことを話したら、めっちゃわかる、と言ってた。)
幼稚園や小学校の施設のにおいが苦手なので、気持ち悪くなりながら2時間歩き回った。 黒板に、前の授業の板書が残されていて“ゆでる→ものをやわらかくする。ゆで汁は捨てる。 煮る→味をしみこませる”とあり、思わずメモに書き写す。研修の報告レポートには使えない。
“BIG TIME”とは“すげーまじうまい!”的な意味らしい。
乗車駅でメロンくらいの巨大梨が売られていた。下車駅では行方不明の女の子を探すチラシを配っている人がいた。
9月29日 エドワード・レルフの場所性の本を冒頭から読み直し中。目次を見て、興味のある章から読んでいたけれど、ばかみたいに頭から読むと、ちゃんと点と点が繋がるように理解できるところが増えた。 ①物理的なもの②人々の動き③感覚 が、場所を構成していた、①と②は定量的なもので捉えやすいが、③は一概に言えるものがなく捉えにくい。そもそも①②③の相関関係を探ることが重要。 自分を中心とした同心円を描きながら人は移動をし、そ���円の内にいれるものに人は愛着を持つ。愛着の持てる場所には配慮があり“つつましさ”が、ある。……などなど。
研修のレポートを3枚提出した。 1から自分で文章を作り上げるのは、始めるまで気力がかかるけれど、始まってしまえば添削までずっと楽しいし、良い疲れかたができる。
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9月30日 研修のレポートを上司に褒めてもらう。 内容というより、レポートの構成や読みやすさ、伝わりやすさ、独自の視点の効果的な入れどころなど。こういう場の書き物には正解がある気がしていて、それを叩き出してしまった複雑な気持ち。でも褒められるのは嬉しい。
一期下の方とロッカールーム前でおしゃべりした花金の終業後。やっぱり私はこの方がすごく好きなのだと思う。写真を撮りたい!とも思えて、その発見に嬉しくなり帰り道はなんだか明るい気分。
社会の人をみんな嫌いなわけではなくて、その人個人をみてしまって、それでもっと関わりたい!と思ってしまうこともある。
そして、昔からの友人達を撮りたいと思わなくなったのは、新鮮さがなくなってしまったこともあると思う。 たぶん、今日ラインを交換して、「一緒に遊びましょう!」と言い合った時が、一番楽しい時だったかもしれない。 人と関わるときの新鮮さが好きなので、なるべく頻度や距離を、高めず詰め過ぎずにしたい。
やっと粗大ゴミセンターに電話を繋げ予約をした!えらい!
帰り道の遠くの茂みと、私が立っている道の間で、猫が何かを捕食していた。
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tagchan · 1 year
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「ととと便り」 『先日の盛岡の朝を歩ぐ部』 今回の歩ぐ部はインターナショナル。 日本、台湾、アメリカからのゲストさんが参加してくれました。 いつも日本語で説明していることを英語で説明するのは難しい。 特に昔のことが。 「Edo Period」と言ったってわからない人の方が多い。 200年前、300年前、のように言った方が伝わる。 これも回数をこなしていけばだんだん慣れて、伝わる言い方を覚えていくのかな。 歩きながら、今回の旅のこれまでの話。 アメリカ人ゲストさんが 盛岡の前はさっぽろ雪まつりを見てきたと言うと 日本人ゲストさんが一番大きい雪像作成に参加してたと教えてくれました。 1ヶ月かかったそうです。 そんなに時間をかけた雪像、見てみたいですね。 ホットライン肴町では、奥に盛岡八幡宮の赤い鳥居が見えるお気に入りの景色を紹介。 歩ぐ部は歩きながらボクの好きな盛岡を紹介できるのが嬉しい。 櫻山神社の前を通ると、今年もジョジョ鬼が。 海外ゲストさんにも「JOJO」と言っただけで通じました。さすが。 ちなみに、「ジョジョの奇妙な冒険」は英語で「JOJO'S BIZARRE ADVENTURE」 これで、"bizarre"って単語は忘れませんね。 そしてこれ、ジョジョ鬼で間違いないですよね。 ボク、ジョジョをあまり読み込んでないので全然キャラクターを知らないのです。 誰か教えて。 今回はリーベが営業しててくれました。 席に着くとリーベママから「今年初だよね?」と。 月曜日には来るものだと思われているのは嬉しいです。 モーニングを食べ���がら、盛岡に来た理由の話に。 台湾人ゲストさんはボルダリング好きで 盛岡のボルダリングジム THE STONE SESSION でボルダリングすることや街歩きが目的。 POPYEやてくりといった雑誌で盛岡を知って興味を持って来てくれたそうです。 盛岡はクライミングがけっこう盛んで 世界で活躍する盛岡出身の伊藤ふたば選手もいますし、 昨年はクライミングワールドカップも開催されました。 伊藤ふたば選手はTHE STONE SESSIONでずっと練習してたんですよ。 https://www.thestonesession.com/ NHK「スポーツ×ヒューマン」でも帰盛した時の練習の様子が放送されてました。 結局、1時間くらいリーベでおしゃべりして帰りました。 お一人はリーベを出たところで別れて手づくり村へと向かいました。 最近、海外の方でクラフト好きな方が続けて来てて、 手づくり村に行く方が増えてきました。 手仕事が好きな方はぜひ行ってみてくださいね。 「盛岡の朝を歩ぐ部」は来週も開催予定ですが、 リーベは20日(月)21日(火)お休みなので朝食は別のお店になります。 それでは、来週の参加をお待ちしています! #ととと #ととと盛岡 #ととと便り #盛岡の朝を歩ぐ部 #盛岡散歩 #盛岡朝散歩 #盛岡 #岩手 #morioka #iwate #もりおか #岩手においでよ #盛岡のととと #盛岡ゲストハウス #岩手ゲストハウス ------------------------------------------------------- ととと -盛岡の泊まれるたまり場- 住所:岩手県盛岡市鉈屋町1-2 [宿泊] チェックイン 17:00-20:30頃到着まで ※泊まったのことのある方は21時到着まで 宿泊料金 1名1泊3,850円(税込)~ [たまり場利用] たまり場営業時間 17:00-23:30 ※最終入館 初めての方は21時まで 利用料 1時間まで:600円 / 1時間以上:1,000円 ※学生料金あり とととのたまり場(リビング&キッチン)は泊まらなくても利用できます。 宿泊ゲストの皆さんとの交流をぜひお楽しみください。 飲食物持込自由。キッチンで自炊可能。 ※来館前にあらかじめ連絡をください。10分前でもかまいません。 ※宿泊がない場合は休館の場合もあります。 ※現在、夜以外の時間のたまり場営業を検討中。曜日、時間帯などご希望があれば教えてください。 ※営業時間内の見学無料。お気軽にお越しください。 ご予約、詳細な情報はHPから! https://bokunohosomichi.fun/ ------------------------------------------------------- (Morioka, Iwate) https://www.instagram.com/p/CopDe-jBttj/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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poddyshobbies · 1 year
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長嶽山(ながたけやま)古墳群 ~ 1号墳(上宮・奥の院古墳)
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糸島の宇美八幡宮、その上宮が墳頂に祀られてます。
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本宮の境内の左手に古墳群の説明板があります。その背後が6号墳の墳丘です。
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左(南側)の小道を進み6号墳の裏手へ入っていきます。
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5号墳の真上を上宮への山道が貫くようです。(↓ 写真の位置かは不明)
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1号墳(上宮)まで数分です。
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説明板があるのは手前の2号墳(円墳)と1号墳の後円部の間です。(図と実際の逆方向)
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墳頂に上宮の祠が見えます。
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祠の手前側 ~ 葺石(?)
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墳頂から歩いてきた山道・2号墳方向
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反対側(南側)が前方部 ~ 前方部が小さめの形状の帆立貝形古墳
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↑ 樹木が生えてない辺りが前方部ですがはっきりしません。
↓ 前方部から墳頂方向
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南西側から
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↑ 墳頂方向 ↓ 前方部方向
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つづく(2023.2.23)
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sorasorami · 1 year
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2022/12/01
若草山
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二月堂
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手向山八幡宮
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東大寺猫段
昔からの謂れで ここで転ぶと猫になるらしい・・・
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bearbench-tokaido · 2 months
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三篇 下 その一
まだ、日も明けやらぬ薄暗いころから、宿場では、往来が激しく、馬方たちが引き連れる、馬のいななきに、旅で疲れた目をこすりながら、弥次郎兵衛と北八は、寝床から起き出して、出立のしたくをしだした。 タベ、しくじった相宿の巫子の婆が、ふくれっ面でいるのを見て、二人とも、おかしく思いながら、宿を旅立った。
古びたお宮の誉日八幡宮を通り過ぎると、右の方に姑の畑が見えてきた。 続いて、嫁が田と言うところが見えてきたので、弥次郎兵衛は、一首詠む。
干からびし 姑の畑に ひきかえて 水沢山の 嫁が田ぞよき
それより、塩井川という所に着いたのだが、昨日の大雨のせいで橋が落ちたのか、行きかう人々はみな下のほうを脱いで、裾をまくり上げて川を渡っている。 弥次郎兵衛と北八も、仕方がないので、連れ立って渡ろうとしていたら、京の都に行くのか目の悪い座頭の二人づれが、この川は歩いて渡るのだと喋っている周りの声を聞きつけたらしく、そばにいる北八に聞いてきた。
「もしもし、川の深さは膝くらいありますかな。」 北八は、川を見ながら、 「そうだな、そんなところだろうか。でも、水が速いから、目が悪いんならあぶない。 用心して渡りなせえ。」 「ははあ、なるほど、水の音がよっぽど早い。」 と、いいながら、石をいくつか拾って川の中に投げ込んで、音を聞いて考え、 「いや、ここらが、どうやら浅いようだ。 こりゃ、猿市よ、二人ながら脚絆を取るのも面倒だ。 おぬし、俺より若いのだし、俺をおぶって渡れ。」 と、座頭の一方の犬市がもう一人に声をかける。
猿市は、 「ハハハ。ずるいことを言う。ジャンケンしよう。 で、負けた者が、勝った方をおぶって渡るんだ。いいか。」 犬市はこれをうけて、 「こりゃ、面白い。さあ、こい。ジャン、ケン、ポン。」 と、やりだした。 この様子を弥次郎兵衛と北八は、だまって、見ている。 「さあ、勝ったぞ、勝ったぞ。」 どうやら、勝ったのは、犬市のほうらしい。 猿市は、自分の荷物を犬市に渡しながら、 「ええい、いまいましい。そんならこの風呂敷包を、貴様、一緒に背負ってくれ。 いいか、それ、こい、こい。」 と、支度して背中を向ける。
これを見ていた、弥次郎兵衛は、これはありがたいと、猿市におぶされば、猿市はてっきり連れの犬市と勘違いして、すぐにさっさと川へ入り、難なく向こう岸に渡ってしまった。
こちらの岸に取り残された犬市、 「やい、猿よ、どこだ。早く川を渡さぬか。」 と、怒鳴りたてる。 猿市は向こう岸でこれを聞いて、腹を立てて、 「こりゃ、ふざけるな。たった今おぶって渡したのにまたそっちへ行って、俺を、からかうな。」 犬市は、 「馬鹿言え、おのればかり渡って、太いやつだ。」 「いいや、太いとはそっちのことだ。」 よ、猿市と、塩井川の両岸で、やりあう。
「こりゃ、貴様、兄弟子にむかって言語道断な。早く来て渡さぬか。」 と、犬市は、白い目をむきだして腹を立てているので、猿市も仕方なく、またこちら岸に渡って帰り、 「さあ、そんなら、おぶりなされ。」 と、背中を向ける。 北八はしめたとばかりに、手をかけておぶされば、猿市はまたさっさと川へはいる。 残された犬市は大いにせき込んで、一向に担ごうとしない犬市に、 「これ、猿市。」 と怒鳴る。川の中の猿市は、これは変だと気がついて 、 「いや、こいつは誰だ。」 と、背中の北八を川の中へどんぶりと落とした。 北八は、大慌てで、 「やあやあ、助けてくれ、助けてくれ。」 と、手足をもがき、叫びながら、深みの方へ流されていった。 弥次郎兵衛は、急いで飛び込んで、もがく北八を引き上げれば、両人は頭から骨まで腐るほどずぶ濡れになってしまった。
北八が、 「ええい、座頭めが、とんだ目に遇わせやがた。」 と、毒ずくと、弥次郎兵衛は、自分たちの様子を見ながら、 「ハハハ。まず着物を脱げや。しぼってやろう。」 と、自分から服を脱ぎ出す。 「だいたい。弥次さんが悪い。 あそこで、おぶさらずともいいことに、お前がお手本を出したから、つい、俺も。」 と、北八が、愚痴るのに、 「川へはまったか。気の毒な。ハハハ。それで、一首思いついた。」
はまりけり 目が悪いのと あなどりし むくいは早き 川の流れに
北八は、 「ええい、聞きたくもねえ、よしてくんな。ああ、寒い、寒い。」 と、裸になって、がたがた震えながら着物を絞る。 この間に座頭は川を渡って行ってしまったようだ。
弥次郎兵衛は、 「ここで着物を干してもいられねえし、着替えを出して行って、どこかで火を焚いてもらって、あぶるとしよう。」 「まったく、いまいましい。風邪をひいたみたいだ。ハックション。」 と、ぶつぶつ小言をいいながら、着替えると、濡れ腐った着物は水を絞ってから、ぶらさげて歩き出した。
ほどなく掛川の宿場に着いた。 掛川の宿場の入り口で、宿の客引き女が、 「お飯を、あがりまし。鯵と蒟蒻、干大根のお吸物もおざります。 蛸のせんば煮もおざります。」 と、声高に、客に呼びかけている。
長持人足の唄も聞こえてきた。
  吹けば~な、吹くほどな~んあえ~。   持つもな軽いな~んあえ~。   綿をさ、入れた 入れたやな~。   長持に綿を~んよお~。   しったかどうだか、どうだか。
それに答えるように、馬のいななきが、 「ヒインヒィン。」 弥次郎兵衛は、そんな様子を見ていると、先ほどの座頭が、茶屋で休んでいる。
弥次郎兵衛は、 「おや、北八、見てみろ。さっきの座頭らが、あそこで呑んでいやがる。」 北八も、弥次郎兵衛のさすほうをみて、座頭を見つけると、何か考えついたようだ。 「こいつはいいことがある。おいらを川へはめた仕返しをしてやろう。」 と、座頭らがいる茶屋に向かって歩きだした。 それから、作り声で、 「ご免なせえ。」 と、言いながら、茶屋に入る。 「おいでなさいまし。」 と、女中が茶をくんでくる。北八は、かの座頭のわきへ腰をかける。 女中は、北八らに向かって、 「お食事にでもなさいますか。」 と、聞くと、弥次郎兵衛も、変な声で、 「まだまだ腹が、ボンポゴだな。」 と、いうと、茶屋の女は、『ボンポゴ…』と、首をかしげる。
先ほどの座頭二人は、この茶屋に休んで酒を飲んでいたが、かの二人とは気がつかず、話をしている。 「ぜんぜん、酒が足らんようだ。もう二合ほど、飲もう。」 と、犬市、 「そうだな、御亭主、御亭主、もうちっと頼みます。」 と、猿市が、答えて言う。
「ところで、さっきの川へはまった、ふざけた野郎どもはどうしたろう。」 と、犬市、 「それよ。ハハハ。おっと、きたきた。まず、かわり目の酒を一杯やろう。」 と、猿市は、猪口に一杯注いで一口飲み、盃を下に置いた。 隣に座っている北八は、そっと手を出して、猪口の酒を飲んでしまい、ちゃんともとの所に置く。 猿市らは、まったく気がつかないで、 「いや、太い奴らだったな。ちゃんと俺におぶさりやがって、でも、その代わり、水の中に落ちた時には『助けてくれ』と、悲しい声を出しやがった。 なんでも人の上前をはねることばかり考えるような奴らだから、大方、あいつらは、護摩の灰(泥棒の事)だろうよ。」 犬市が��� 「そうさな。どうせろくなもんじゃない。 ああいう奴は、こんなところへ来ても、えてして、食い逃げをして、ぶちのめされるもんだ。いや、時に盃はどうした。」 と聞かれて、猿市は、 「ああそうだ、忘れてた。」 と、猪口を取り上げて飲もうとしたところが、酒は一滴もない。 猿市は、おおかた、その辺にこぼしたかと、 「おや、こぼしてしまたようだ。」 と、そこらが、ぬれてないかと探りまわして、 「はて、不思議だ。まあ、いい。あらためて差そう。」 と、また一杯注ぎ、一口飲んで下に置くと、北八またそっと引き寄せて飲んでしまう。
犬市が、 「こうしているところへ、さっきの奴らが来たらおかしかろうな。」 こたえて、猿市。 「なあに、あいつらは大方、着物を絞ったり干したりして、まだあの辺りをうろうろしているだろう。知恵のないやつは、しょうがない。」 と、いいながら盃を取り上げたところが、また酒は一滴もない。 猿市は、不思議そうにまた、辺りを探ってみたが、 「これはどうだ。」 「またこぽしたか。おかしなやつだ。」 と、犬市がいう。 「いや、こぼしては、いないはずなんだが、はて、奇妙なことだ。」 と、首をかしげている。 犬市が、 「いやいや、お前。そんなことばかり言って、独りで飲むきだな。」 と、この間に北八、座頭たちの銚子を取り、自分が飲んだ茶飲み茶碗二つに、酒をみんなあけて、銚子をまたそっと元の所に置く。
つづく。
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tsuntsun1221ts · 1 year
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2022.10 岩手山
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岩手県最高峰の山、岩手県のシンボル岩手山
前日は栗駒山に登ったが、せっかく岩手県まできたのだから可能な限り他の山も登る。栗駒山に登った後はくりこま高原駅で新幹線に乗り盛岡駅へ、そこでホテルに宿泊した。朝4時くらいに起床し、いわて銀河鉄道線に乗車して滝沢駅まで(15分くらい)。滝沢駅からはタクシーを手配し岩手山の馬返し登山口へ向かう(片道15分、3600円くらい)。自分は滝沢交通というタクシー会社を使用させてもらったが、ネットの検索で上の方に出てくるので登山者にはよく呼ばれるらしい。
登山口の駐車場に着くとすでに8-9割くらいは駐車されている。この日は昨日に引き続き天気が良い日曜日だったからか、結構入山者多いみたい。
【コースタイム】馬返し登山口(0630)→旧道2合5勺分岐(0715)→七合目(0830)→八合目避難小屋(0840)→岩手山(0920-0945)→岩手山神社奥宮(1000)→八合目避難小屋(1050-1100)→七合目(1105)→旧道2合5勺(1200)→馬返し登山口(1235)
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登山口にはトイレあり(赤い屋根の小屋)
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はじめは土の道だが
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2か3合目くらいから8合目まではずっとこんな感じで、傾斜がかなり強い岩の道(前方に先行者)。かなり体力を要し明らかに中級の山である。樹林帯は風が通らず、麓で25℃くらいあるかなり暑い日だった。なおタクシーの運転手曰く、今年は休みの日はずっと雨が続き土日でここまで良くなったのは珍しく、気温も普段と比べだいぶ高いとのこと。
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視界が開ける4合目以降からは風が通り涼しく感じ、また景色もかなり良い。4合目以降は岩屑なだれの跡のようなや樹林帯を交互に進む。登山口の標高は600mくらい、4枚目は7合目付近?この時点で標高1700mくらいで、登山口から標高1000mも上げた。どうりで景色がいいわけだ。
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ここでようやくゴールが見えてきた。山頂はまだ向こう側にありここからは見えていない。
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登山口から約2時間で八合目避難小屋に到着
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こんな火山の上の方でも湧き水豊富、しかもかなり上手い!名水かなにか!?利尻島の甘露泉水のように、舌の上で転がすと甘みを感じる・・・ような気がする。
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避難小屋の中を見せてもらったが非常に広い。単なる避難小屋というよりかは火山活動を意識したような感じである。岩手山は今も低調な噴気活動状態が継続しているらしい。
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避難小屋からしばらくはハイキングコースのように緩やかな平の道。その先の登りは二手に分かれているが、お鉢を右回りするか左回りするかの違いでどっちでも山頂は踏める。左に行ったほうが山頂には近いが、登りで左に進むのはオススメできない。
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というのも左の方は角度のあるかなりザレた坂で、踏み込むと足が沈んでなかなかうまく前に進めない。下り時に使用した方がよい。
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お鉢の外周まで登れば地面がしっかりしているので歩きやすさは戻る。右上が山頂、ここまで登ってきて初めて目にすることができる。
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山頂までズラーっと並んでいるのは地蔵
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お鉢全景。左が山頂、中央が火口丘。火口丘の麓に岩手山神社の奥宮がある(後述)。
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登山口から約3時間で山頂に到着。山岳信仰の山としても有名で、祠に手を合わせている登山者も多かった。
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2000mある独立峰のため、山頂からの景色は360度全周見渡せる。中央が火口丘、下界に盛岡市が広がる。最奥に見えているのはたぶん早池峰山(百名山)。
東北の秋の独立峰といえど、今日は風も穏やかで暖かすぎてぽかぽか陽気。山頂で30分くらい景色を眺めていた。
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岩手山は富士山のようにお鉢回りできるため、時計回りで一周してから下山することに。
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山頂
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火口丘(左)と山頂(右)
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途中でお鉢の中に入れるルートがあったので行ってみた。
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進んでみると岩手山神社奥宮がある。ここまで訪れた人たちがその証を置いていくが、最も古いプレートで明治のものを見つけた。100年近くもずっと残っているだなんて置いていった人たちも思わなかっただろう。自分もなにか置いていったとして、令和の年号だー!と注目されるのは100年後か。
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お鉢一周してこれから下山。下に見えるのは不動平で、八合目避難小屋は左に見切れてしまっているところにある。
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さっき登ってくるときと違って下りに通った道は地面が締まっていて断然歩きやすい。こっちから登ってお鉢を反時計回りしたほうがよかった。
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避難小屋でお昼休憩。なんと81歳で登頂した人がいた。かなりキツイ山だと思うが健脚だなあ。
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お昼休憩を終え避難小屋からも離れる。最後に山頂を振り返る。紅葉が綺麗とかではなかったけど、とても良かった。
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八合目より下は下山時かなり慎重を要する。登りではほとんど気にならなかったが、細かいザレが足を滑らせ何度も転びそうになった。
たまにガラガラと音が聞こえてくる。始めは落石かと思ったがあまりにも多いもので、近くの自衛隊演習場から発せられる音だろうか?
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山頂から3時間で下山。休憩含めているのもあるけど、もっと早く着くかと思っていた。岩場が滑って危なくてスピード出なかったからかな?
行きと同じく帰りも滝沢駅まではタクシー利用。
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盛岡に戻り、さっき登っていた岩木山が綺麗に見える。ずっとキツイ道が続き、初心者は体力的に厳しい中級者くらいの山だった。天気がよければ山頂からの全周が素晴らしいし、山岳信仰の山でもあり火山でもあり、個性が強い山だった。
明日は山最終日で八幡平へ。
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