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shokobekki · 24 minutes
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【開催中日記】
安曇野と、会場風景から 展示レイアウト by 雨の樹(ほんの少し私も)
——————————————————— 戸次祥子展「葉影の虹」 4/12〜22(水曜休) 11:00~17:00 於:雨の樹 長野県安曇野市穂高有明9929 (google map あり) tel. 0263-31-6678 mail [email protected] インスタグラム @amenoki_azumino ———————————————————
在廊日、来たものの、個人的には時の過ぎた作品の表現を、どう伝えて良いのか、正直しばらく悩んだ。でも、みる人にはそんなことは関係なく、目の前の作品が発する小さな声を、熱心に聞き取ろうとしてくださる方がいる。ならば私も改めて自作に向き合い、すこし雑音を帯びつつも聞こえてくる過去からの信号に、耳を澄ませてみた。
押し葉を切ったモチーフを、 計画的に、かつ、即興的に組んでいく。 欠かせないのはリズム。 流れているように。 落ち着くように。
音や言葉が粒になって響く、 ひとときの空間のようなものを、 表現したかったのかもしれない。 やがて消えていく残響、遠ざかる風… そして、 目に見えない、 大切な何かが残る場所を。
20年前、旅先の安曇野で惹かれて、何気なく拾った落ち葉をきっかけに、コラージュ作品が生まれた。それから約10年、毎年晩秋になると、"画材"を仕入れに安曇野を訪れ、制作を続けていた。なので、作品に使われている葉の9��以上は安曇野産だ。北アルプスの山並み、静かな森の香り、広々と見渡せる高原、水の流れ… 自然の風土と、そこに腰を落ち着けて暮らすクリエイティブな人々の独特の気風とが、当時の私の心境を刺激したのかもしれない。最初はただハガキに貼っただけの遊び。それが、続けるうちに、少しずつ高じていった。   コラージュ制作も約10年を過ぎた頃転機があり、森歩きは登山に変わった。視点は、葉から、石へ。コラージュから、版画へ。テーマも… 。手法に変化はあれど、何を美しいとするか、表現しながらずっと、探ってきた。だけかもしれない。今も、これからもきっと。  
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shokobekki · 9 days
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【山日記】
ミツマタ キランソウ ミツバツツジ タムシバ ヤブツバキ サクラ そして春の水
めまぐるしく、山の中も花の季節。 毎年巡ってくると分かっていても、 その瞬間は二度と訪れないから。
県民の森の事務所で買ったお土産は、楢木の朝採り原木しいたけ。こんなレジ袋なら貰ってもいいな。それから植物の本。もちろんISBNコードなどない。この山域、元々向かいの鳳来寺山の寺領だったこと、かつては赤松と欅の森だったこと、1920年代に起きた大規模な山火事と、その後の杉檜の植林で、植生が変わったことを知る。
近所の謎の小山も、桜の丘になった。
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shokobekki · 11 days
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【展覧会のお知らせ】
4/12金〜4/22月(水休)の期間 安曇野の「雨の樹」 というギャラリーで作品が展示されます。 2010年代前半のコラージュ作品が多くゆきます。 (コーディネートby Gallery SINCERITE)
新作は出ませんが 展覧会タイトル、つけました。 あと、13土、行きます。 作品に関するご質問など、お受けします。
コラージュの作品が出来たきっかけは実は安曇野でした。その後、山に登るようになったきっかけも、間接的には安曇野でした。なので安曇野は、個人的には大切な地点です。
(写真2) ギャラリー雨の樹 JR大糸線穂高駅から、北アルプスの見えるほう ”山麓線"(県道25号線)へ向かう緩やかな登り斜面のなかほどにあります。駅からは、車なら5分、自転車なら15分、徒歩なら30分。
元築70年の古民家。今年プレオープン期間を経てopenされたばかりのお店です。11時~17時。水曜休。Googleマップあり。 instagramあり。@amenoki_azumino (インスタ、私もアカウント作りましたが、ごめんなさい結局ほとんど使ってません)
(写真3) 2023年サンセリテでのコラージュ展示風景
今回は、うってかわって漆喰壁の空間。 どれがどんなふうに並ぶのかお任せしました。 ありがとうございます。楽しみです。
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shokobekki · 14 days
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【日記】
車窓から不二見。久々。 やや日が過ぎたけども先週末、神奈川県立近代美術館の水沢勉館長が退任されると知り、最終講義を聴きに行った。気になっていた企画展「芥川龍之介と美の世界」(〜4/7)に併せて。ご在職46年中、私が交流いただいたのは最後のほんの数年。でも、作品に真剣に向き合ってくださり、時にさりげなく楔のような言葉を頂き、とてもお世話に(は変だな)励みに、刺激になったから。やや急で、とんぼ返りしかできないけども、Tさんが、快く車を出してくれた。よき一日だった。
講演テーマは「三角世界へのいざない」 漱石の『草枕』の一節 “してみると四角な世界から常識と名のつく、一角を磨滅して、三角のうちに住むのを芸術家と呼んでよかろう”(英題 The three-cornered worldの元となった文)に拠る。 美術館の歩み、お仕事のエピソード、美術人達との熱い交流が、(多分ほんのピックアップで)語られ、最後は、同館の旧鎌倉館で大きな個展が開催された、木口木版画家柄澤齊さんの小説作品『ロンド』のこと。締めに、その作中音楽に絡めて、グールドの弾くバッハのピアコンから一曲流した。目の醒めるような、イ長調アレグロのメロディを、目をつぶって聴く。途中ちょっと薄目を開けたら、少し下を向いて瞑想するような表情の水沢さんが見えた。同時代の、また時代を超えた、音楽家たちや美術人たちの交歓が、伝わってくるような4分間。曲が終わると自然と拍手が起こり、その中を笑顔で退場された。
イサム・ノグチのこけしと、石人のいる中庭には旧知の方々や、美術館ゆかりの方々が続々集まってきていた。それぞれに、三角な世界をもつ人たちが、引き寄せられるように。そこに立つ自分も、いつしか、一角を磨滅させつつあるんだろうか。どこか惰性で四角に戻ろうとする力と、日々葛藤しながらも。水沢さんにせめて対面でご挨拶し、退散する。ここにいた人たちにはきっとまた会えると思った。三角のうちに住めたなら。
Tさんの車に足早に乗り込み、Youtubeで拾ったグールドをかけて、無駄なことをゆるゆる喋りながら帰った。 「めちゃくちゃ天気良かったし」「混んでたね美術館も」「情報量多すぎたけど面白かった」「漱石は字より絵がうまい」「芥川のは友達の字に似てた」「"歯車"タイトル変えすぎ」「河童グッズ貰えるやつやるの忘れた」「ともかく猫がかわいい」「凹んでもまだ死にたいとは思わない」「いい雰囲気だったー穏やかで」「こんな公立美術館ほかにあるのかな」... 不二山が見え始めてからは、無言で帰った。
思えば、神奈川には縁が浅くはない。親しい友人が何人か住んでいたり、初めて木口木版とビュランに触れたのが藤沢のリン版画工房さんだったり、私自身、幼少期(小学校入学以前)は横浜に住んでいた。緑区(いまは青葉区らしい)の父の社宅。私の関西弁が薄いのは、一つにはそのためだ。でも、それ抜きにしても、改めて、たいせつな場所ができた感じがして嬉しい。(画像の冊子とプリントは、当日資料ではありません。)
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shokobekki · 19 days
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【日記】
束の間の晴れ間。何もかも雨で洗われて、空も空気もきれい。ちょっとまわり道して帰る。あるあるな影写真を撮ってみる。草木も、何かのつがいも楽しげだ。うちに10年かけてあるコラージュも経過観察良好。暖かくなってきたので、昼の定番トマト・キュウリサンド登場。皿のサイズが合ってないが…。
今日はまた雨風が戻る。ちょうど一年前の今日は、たしか個展の在廊日で、快晴の暖かい日だった。遠方からも友人知人や家族が来てくれて、穏やかな良い一日だったけど、その後見たニュースはショックだったな。作業中BGMにしてみた。けど、寂しい感じ。
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shokobekki · 23 days
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【日記】
切手を買う時は、なるべく、期間限定のふみの日切手や記念切手を選ぶようにしていたけれど、最近のはシールタイプでゴミも出るし、デジタルイラストの薄っぺらなデザインばかり。定番の63円切手が意外と良いことに気付く。特に今の季節。最初からこれ買えばよかった。封書にしたければ、鹿と前島密を加えたらトーンがいい。
来月は安曇野でコラージュ作品が展示されるので、ギャラリーサンセリテさんに追加作品をいくつかお預けした。写真3は、要補修のため出せなかった昔の作品。もう少し手を入れて、これは、あの子に贈ろうかな...。
小澤征爾に加えてポリーニも逝ってしまった。彼岸に、クラシック音楽のパラレルワールドが出来ていそうだ。
くだらない話だけども髪を切った。 しばらくセルフカットだったけど、6,7年ぶりに(もっとかなあ)プロの手で。美容室でなく理髪店で、刈り上げツーブロックにして貰う。まだ首筋寒いけれど、楽で、じき山で汗かく季節なので、とても気に入っています。スタイリング頑張り次第では、韓国アイドル(男)や、少年漫画の人気キャラ リヴァイ、尾形百之助風にもなれるようです。あと少し剃り込みを入れれば「ふてほど」のキヨシ風にもなれます笑。 ここではあげないけども、親しい友人に画像を見てもらったら、「アンドロジナス」と言ってくれた。そんな言葉があるんだ。
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shokobekki · 1 month
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【山日記】
少し思い切って、久々の伊那谷。 いろんな形と硬さの雪上を行った。 登山靴を雪で洗って 心に雪玉をぶつけて冬に一区切り。 できたかな?
降ってくる樹氷やつらら パキパキと。 氷の彫刻多数。 吹き荒ぶ風のあと。 修験者の足跡も。
中央アルプスと南アルプスに挟まれた、天竜川沿い、中央構造線に並行する大きな谷。麓は南から、飯田市、駒ヶ根市、伊那市と続き(周りの小さな村々がまたいい)、北は諏訪湖に近づく。そこを東寄りに過ぎれば八ヶ岳や蓼科。西寄りに過ぎれば北アルプスと安曇野。
南アよりの1,300m峰から中アを望む。主峰の木曽駒ヶ岳・宝剣岳、空木岳はもちろん、昨年春先に登った経ケ岳もくっきり在った。
麓の直売で買ったふきのとうをふき味噌に。 春の苦味で目を覚ませ。
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shokobekki · 1 month
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【日記】
「春眠 その三」 暁を覚えずどころか、このところ、うなされたり、連日謎のトランペットに起こされたり、眠りが浅い。昨日は怖い夢を見てハッと目が覚めた。午前3時半。もう憶えていないけど、天涯孤独でしかも呼吸ができないような感じの夢。結局そのまま眠れず。薄暗くあれこれ考えごとをしながら夜明けまで過ごす。どうしたら良いんだろう?あのままで大丈夫だろうか?こうすればああなる。始まりの予感もないままに、色々なことが終わっていくんだな。 5時半の南東の空。欠けていく月。でも、新月からまたちゃんと日は当たり始める。
【山日記】
先月続きの記録。 渓流N川が流れ込むT川沿いへ。雨も多く水はたっぷり。明るい空を映して青く、でもまだ冷たく流れている。ここは中世の城下町と近世の宿場町(三河〜信州の物流と信仰の道)の名残がある土地。今でこそ観光地でも、かつてはただ、必要な道だった。寒々とした川沿いの桜はまだ堅い蕾。対岸のK山へ入った。珍しい、青い竹林から始まる山道。ほどなく、巨石がちな雑木林急登。整備された山頂は、城址。不思議な巨岩が二つ。またも、妖精のような小柄なご老人が一人。雪の御嶽山、中央アルプス、恵那山、濃尾平野から伊勢の方までも見渡せた。
春の匂いはするけども まだ冬をさまよっている。 早く三椏の群生に飛び込んで、 一区切りつけたい。
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shokobekki · 1 month
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【日記】
もう三月か… 速いな。 近くにある謎の小山(写真5)。朧げな夕方。円墳のようにも見えるけど、なんの痕跡も情報もない。地元の方が時々手入れをされているようで、じき桜が咲けば、きっとお花見山になる。
「春眠 その一」 わけあって数日間、作業部屋に寝起きした。昼間にはない静寂のなかで、気づいたことが二つ。
未明に、パーンと一音、トランペットが聞こえる。
この部屋にはヒグラシが居る。
はて? もう5年ほど前に水源の川で拾った石がようやく動き始めた(写真1)。家族(猫も)でさえ入らないこの部屋には、いつしか、時空の歪みでもあるのかもしれない。
「春眠 その二」 このところ毎晩、鮮明で変な夢ばかり見る。ただ記憶は一日しかもたない。昨日はこんな夢。大きな顕微鏡のような形のコンピュータのある研究所のようなところに勤めていて、教授のような人から、使えるか?と聞かれ、実務経験はないけど一通り学んだと答え、ならよろしく、ととりあえず任された。気づけばもう一人若い同僚のような子がいて、教授が、今日は出勤者はふたりだけだからと、美味しそうなクッキーのような菓子を置いて行った。それをその同僚と二人でジップロックに詰められるだけ詰める。という夢。なんだこれ? 私の夢にはいつも、知らない顔ばかり出てくる。これから出会う人なのか、どこかですれ違った人なのか? とりあえず、明日には忘れているだろうから書き残してみた。
「春菜」 先日山帰りに野菜直売でみつけた"のらぼう菜" 。なるほど、ほうれん草と小松菜のあいだのような感じでくせがない。おひたしにしたり、炒めたりして頂いた(写真4)。そろそろ、山菜も出てくる頃かな。楽しみ。
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shokobekki · 2 months
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【山日記】
霞たなびく。 水は環境次第でこうも姿を変えるものか... 今しばらく、パラレルワールドに居ります。
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shokobekki · 2 months
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【日記】
今年安曇野に新しくできた「雨の樹」というギャラリー(カフェ付き)。良い名前ですね。 4月に、2015年頃までのコラージュ作品中心に展示される予定です。
隣市(山の向こう)に工房を構える井崎正治さんという木工作家さんが、立ち上げから施工まで関わられたご縁で、ギャラリーサンセリテさんが展示作品をコーディネートくださることになりました。3月は鈴木敦子さんの版画作品も行くそうです。雨の樹店主の岡本由紀子さんにも、先日お目にかかれました。まだ黎明?(プレオープン)段階とのことですが、遠くからもお越しいただけるギャラリーにして行かれたいとのこと。
今やすっかり木口木版に移行し、コラージュは、個人的には過去の、もはや他人の作品のようになりつつありましたが、一歩引いて改めて見ると、なかなか良いですね(笑)。上の作品(F6キャンバス410×318mm)は私物ですが、こんなタイプの作品が行きます。キャンバスを張る時、見える釘は全側面3つずつ(強度上足りなければ背面)。底面はブルーグレー。というのが、密やかなこだわりでした。初期のものはその限りではありませんが。
安曇野は、今から20年ほど前、コラージュ作品のできるきっかけになった土地なので、そこで作品が展示されるのは、ちょっと特別な感じもします。人里は変化もあるのでしょうが、山はきっと変わらない(はず)。会期中は私も、久々に、訪れたいなと思っています。松本から大糸線→穂高駅で自転車を借りて。 詳細はまた、日が近づいたらお知らせします。ちなみに昨年アカウントを作ったインスタグラム、たまに見ますが、結局ほとんど使ってません。。
余談ですが、猫の日。 ふたり合わせて12キロ。12歳。 すっかり大猫ですが、元気です。 スーパーピアノエンターティナーかてぃん君の 「Big Cat Waltz」でも聴くか→♪
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shokobekki · 2 months
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【日記】
雨水。 物質感あって好きな二十四節気の一つ。 青くさい菜の花が美味しい。 先日奥三河で見た某不動滝も、 今頃幅広の滝になっているかもしれない。
月の初めに、メジャーな話題作をもう一つ観たので備忘録。
『perfect days』
(少々ネタバレあり)役所広司扮する平山は清掃員だ。でも、彼が日々掃除する、東京のデザイナーズ公衆トイレの清潔さと無臭の映像空間はどこか非現実的で、平山は、まるで都市に生きる妖精のように思える。一見、余裕なき底辺の生活者であるかのようで、求道者にも道楽者にも見えるし、削ぎ落とされたライフスタイルはこだわりの塊にも見える。 でも、直接はっきりとは描かれない平山の過去の人生や出来事が、画面に映る室内の物や仕草や、誰かの一言に、さりげなく投影されていて、それを読むのは楽しい。また、若い同僚のタカシがさらっと、"10分の2" とか"10分の9"とか言うように、変化する人との接近度は、太陽を受け、風にそよぐ木の梢の濃淡のようにも思えてくる。 妖精は、見えにくいレイヤーにいるけれど、全く別世界のものではないと思う。ふとした折に、10分の9,10と接近し(レイヤーが重なって)、出会うことがある。都市でも、山でも…。 誰もが行き交う大都市の、ささいな一エリアを舞台に、世界の仕組みを一つ、見せられた感じがした。
平山が日々仕事に行く車で、カセットテープで聴く音楽が印象的で、特に私より少し上世代の人たちには話題のようだ。1970年代アメリカのフォークとかロックとか。私は初めて聴く曲ばかりだったけど、唯一日本人ヴォーカルのこの曲が好きだった→♪
50年も前の歌らしいけど、全然古い感じがしない。
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shokobekki · 2 months
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【日記】
ここしばらく付き合っている石達。曇天の日、自然光でスケッチした。小さな礫でも、見ていると、民俗的なむかし語りから、さらに、シームレスな、地質の時空へと誘ってくれる。写真に撮って画面上で反転させてみたり、拡大して細部を見ながら版を彫ることもたまにはあるけど、見え過ぎないほうが良いこともある。身体感覚を失わないように...(写真1~3)。
つい先日のこと。日頃、しばしば通る公園沿いの道で、ハッとして、自転車をキキッと止めた。初めて見たこんなもの。のぼり立て?(写真4,5) 今は住宅地の中の、わりと広々した児童遊園だけど、元々神社でもあったのかな? こんど機会あれば古地図を見てみよう。山中で見かける三角点や道標でも、こうした町中の石柱でも、ひっそり残された明治期の標石というものには(勿論もっと古いものでも)、何か心惹かれるものがある。人の手で、丁寧に文字が彫られて、わけあってそこに設置され、百年の風化を経て、時代の空気を、もの語っているからかな…。遠い時空への標石も、いつも出会えるとは限らない。アンテナを張っていたい。
最近実写映画にもなった好きな漫画「ゴールデンカムイ」(写真7~9)。勿論エンターテインメントだけど、予想を大幅に超えとても良い。映像ならではの迫力と、何より原作愛。どんなに原作が素晴らしくても、ともすれば、派手に伝わる映像の影になりやすい原作者が孤立しないよう、考えながら上映されている感じもした。原画の出番も設けたり↑。視覚効果は上回っても、映像何編重ねたところであの豊かな世界を描ききるのは難しいだろうな。原作の”樺太編”にも登場する、日本がただ一度きり設置したという国境標石も、いつか北海道に在るのだけでも見てみたい。写真6は、ロケ地の一つ「北海道開拓の村」にある橇屋。2022年旅中。
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shokobekki · 2 months
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【山日記】
東風解凍。パラレルワールドに行ってきた。
その昔、三河〜信州の物流の道、また、長野善光寺、鳳来寺山、秋葉山への、信仰の道の要所となった街道の地区。それ以前は、金鉱の村、さらに遡れば縄文遺跡も残る、水と陽当たりの良い土地だ。
明る過ぎる空の下、人っこ一人会わず。その昔を、駆け抜けてきたのかもしれない。遠い時空への入り口は、ときおり不意に開かれる。
ちゃんと帰ってこれたかな?
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shokobekki · 2 months
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【日記】
暑さにはわりと強いほうなのだけど、寒いと鬱々としやすく、何かにつけ、瞬発力もパフォーマンスも鈍る。寒さのせいにしちゃいけないな…。山とも言えない近くの小高い丘に初めて登って、少し、視点を変えてみた。向こうには、馴染みの山も見えているけど、知らない町を見た気分(写真1,2)。  この機に補修を一つ。展示に出してすぐ、まだ数部しか刷らないうちに、版木に亀裂が入ってしまった作品があって、気がかりだった。可能な限り手を入れ直し、一から刷り直す。前より少し重くなった。…ような気がする(写真3)。  これからの出展の予定、制作の予定が少しずつ入り���めた。半年後一年後でも、会期や〆切はいつも不思議なほどすぐやってくるから、ぼんやりはしていられないぞ。
年末大掃除で取り出した、久石譲の昔のCDを、ものすごく久々にかけてみる(写真4)。高校生の頃に買ったもので、もう傷だらけすぎて、いつぞやの引越し時に古本屋で買い取ってもらえず、長いことしまってあった。でも今改めて聴くと新鮮。郷愁は誘うけど中毒性はほとんどない。でもやっぱり、力のある音楽だなぁと思う。 《ピアノストーリーズ》(1988)は少し不穏な世界観だけど、確かジャケ買いだった。《ピアノストーリーズII》(1996)は耳馴染みの良い、すっかり落ち着いた曲の数々。個人的には早春の音楽。 《マイロストシティ》(1992)は1920sアメリカ(文学)の空気にインスパイアされたとかいう、作者40代の頃のアルバム。当時私は10代。そんな詳細はどうでもよくて、とりあえず「Two of Us」目当てに買ったのだったと思う。大林宣彦監督『ふたり』(原作 赤川次郎)の劇中歌"草の想い"の原曲だった。 2020年代の今、日本もまたある意味、さらに、失われた時代なのかもしれない。
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shokobekki · 3 months
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【山日記】
少し前に登った県境の里山が気になって、また来た。同じ山でもルートや時期が違えば違う山になる。南北朝時代からの城址のある、日当たりの良い斜面からとりつく。麓の個人が色々な桜の木を植えたそうで、春には爛漫の丘になるもよう。いまはまだ、山麓の平野から南信の雪山まで見通せる。
風の音と鳥の声しかしない。  樹林帯に入ると、獣道らしい踏み跡や溜め糞を時々見かける。山頂から、遠く眩しい浜名湖を見ていたら三方向から人が来た。ランニング中らしいがっちりした中年男性、仙人みたいな長い白眉の小柄なご老人、明るい声で挨拶をくれる初老の女性。ほぼ同時に、示し合わせたみたいに。狭いので、挨拶してそそくさと帰路に発つ。下りながら、さっきの人たちが、狸の姿に戻ってお喋りしているのを想像する。 "あーあ、からかってやろうと思ったのに…"
林道を抜けて、広々した田んぼの間の小径に出る。誰もいない。現実味がないほどの快晴。右手に小さな石段を見つけて降りてみる。石段はさらに続き、木のトンネルの下をきれいな沢が流れている所に来た。この山の石の色を含んだみたいな、碧い澄んだ水。見ていると、なんだかこのまま行方不明になりそうな気がして、慌てて引き返す。 歩いていると、後ろから自転車が下って来た。思えばさっき林道入口で、木陰に留めてあった、オリーブグリーンのままちゃり。白いヘルメットがカゴに放り込んであった。中高生かな? 小さく頷いてゆっくり追い越していく。前カゴには小さなザック。ヘルメットの下から一瞬、仙人みたいな白い眉毛が見えた。
静かすぎて、明るすぎる日の山は、すれ違うものみな、ちょっぴり妖気を帯びる。草木も、石も、水も、人も。
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shokobekki · 3 months
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【日記】
私が作った作品なのに、私のものでないかのような、意図に反した見せ方をされたり、必死に作ってきた作品が、ほんの一部でも雑に扱われたりした時の、苦しさ、深い落ち込みは、形容しがたいものだ。存在自体を蔑まれたような… いや、もっと複雑だ。 経験浅な私でも、たぶん、少しは知ってる。
ある事件のニュースを受けて。 人の生み出したアイデアや作品を転用することで利を得るならば、何よりも原作にリスペクトを持って臨むのは大前提だろう。原作の世界観や哲学、それがスタートラインだ。プロのクリエイティブ人がそこをぞんざいにするとは思えないし、思いたくない。一方で、作者の側は勇気を出して、伝えるべき要望やゆずれない点は伝えていかなくちゃならない。 ただ、ここからは、しがない一作り手目線の偏った物言いになるけども...、どの時点でどこまで伝えるかは、正直迷う面もある。作品を扱っていただく人々にも(にこそ)、まずは取説ぬきに、作品と存分に向き合って欲しいから。作者が口にせずとも、大切なことは作品の中にちゃんと隠れていたりする。それが作品というものだから。それを引き出して欲しい。解釈は人によって異なるし、完全に理解されることが難しいのは承知でも、選んでくれた以上、そこは最大限読み込んでくれるものと信じて、活かしてくれることを期待して、作者は仕事を受け、任せる。でもいざ仕事が始まって、やりながら、本当に分かってくれているんだろうか?こちらの力量不足(伝わらなかった)かな?大切に扱われていないな、と、疑念の生じる場面にぶち当たることはありうる。状況次第では修正が効かないことも…。 この漫画家にはたびたびあったのかもしれない。 そこからの葛藤は、おそらく、壮絶に孤独なものだ。
話は飛躍するけど、 作りたい、どうしようもなく作ってしまう人間がいる。そういう人は、頼まれなくても作ってしまうし、報酬にかかわらず、作り始めたら完成させずにはおれない。誰がどう言おうと、その人にとっては必要で、大事なことだから。仕上がりには妥協できない点があるから、雑に扱われるのは耐えがたい。納得のいく作品が完成するのが喜びなのであって、仕事は決して楽ではない。そして、そんな作品が出来て初めて、ほかの誰かに喜んで頂くことが(その手ごたえを得ることも)できるのだ。人や仕事内容にもよるだろうけど、つくる人の仕事にはそういう一面もあると思う。  そんな、人間ならではの、心の泉から発した作品を、ウケや利益の尺度ばかりで利用したり、或いは、好きでやってんだから、使ってもらえるだけで幸せだろうなどと、一方的な価値観を押し付けて軽んじるような風潮が、なんとなく許されて社会にはびこる。作者の言い分は、はたから見れば個人的な、言葉にしにくい面もあり、共有されづらい。原作者ひとりが足並みを乱しているかのような立場に追い込まれたり...。そうなると、作品もつくる人も活かされない。
 流行りのメディアミックス展開の裏側で、視聴者や消費者は、面白ければいい、安ければいい、手軽に手に入り、痛みもないから言いたい放題(これには自戒もある)。そんな陰で、忘れられ、時に冒涜され、適正な対価(ちゃんと届いたという手ごたえも含む)も受けていない原作者が、世には沢山いるのかもしれない。どんなにメディアが進歩しても、コンピュータやAIが、安価にそこそこのものを作ってくれるようになっても、大元を作る人の存在は重要だ。"水源"が涸れてしまったら、川も涸れ、やがて世の中、何の楽しみも、良いものもなくなってしまう。どんな分野でも…。
ああ、昨日は山日記を書こうとしていたのに… 真相や経緯の本当のところは分からない。けど、どこか他人事とは思えない部分があり、色々書いてしまった(ここまで読んでくださる方がいかほどいるのか?苦笑)。 ふう… 明日は山日記書こう。 涸らさないようにしよう。
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