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#屋久島の絶景
yakushima-asobi · 1 year
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【秘境ツアー】 屋久島10回目以上のゲスト(京都府在住)を秘境ツアーにご案内♪ 屋久島10回目以上にして、「島あそび」ツアーを選んでいただいて本当にありがとうございました〜😆✌️ 体力、お金、時間があれば一か月毎日違うスポットに案内可能ですよ〜🤣 まっ、なかなかそんな人居ないかww #知られざる屋久島の世界へ #屋久島 #屋久島ガイド #屋久島ガイド島あそび #屋久島ツアーガイド #屋久島観光 #屋久島旅行 #屋久島旅 #yakushima #yakushimaisland #屋久島の絶景 #屋久島写真 #屋久島登山 #屋久島中毒 #屋久杉 #屋久島トレッキング #名瀑 #巨岩 #実は里から海までも最高の島です。 (Yakushima, 屋久島) https://www.instagram.com/p/CqDBZJzSZEX/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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longgoodbye1992 · 1 year
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久々の旅 最終日
最終日も朝は早く7時前にホテルを出た。
近くにあったデニーズで朝食を食べる。
母は柄にもなくパンケーキとサラダを食べ、パンケーキを半分俺に渡した。
食べ終わって向かったのは磐梯吾妻スカイライン。
一度は走りたい道として雑誌にも載る絶景が広がる道である。
過去に二回通ったことがあるが、いずれも十年以上前。
久々に走りたいと俺が言って通ることにした。
つづら折りを上っていくと福島市街地が見える。
更に上がれば浄土平。
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運転していたのでこれくらいしか撮影できなかったが、実際はもっと圧巻の景色が広がり、異国感というか浄土感とも言える感覚が楽しい道だ。
スカイラインを下りてコンビニでコーヒーを買い、道の駅でお土産のままどおるを買って猪苗代湖畔へと。
大きいスワンボートがある桟橋や野口英世記念館を超えて会津若松市へ。
俺にTumblrを教えてくれた子は確か会津の出身だった。この街で彼女は育ったんだなと思いながら先を急ぐ。
新潟方面へ車を走らせながら、寝不足の俺は母が運転する横でかなり眠ってしまった。
麒麟山温泉を過ぎたあたりで昼前。
昼ごはんにラーメンを食べたくなった母と俺はラーメン屋を調べ、通り沿いにある満月という店に入った。
辛味噌ラーメンが売りの新潟の名店らしいが、あっさりしたラーメンが食べたかったので中華そばを食べた。写真は失念したがあっさりしながらコクのあるラーメンでとても美味だった。
ここからは日本海を北上する。
海沿いを走りながら母が昔研修で働いたホテルがある瀬波温泉を通った。
そのホテルはもうないのだが、面影が残る通りを見て懐かしそうにしていた。
次にたどり着いたのは笹川流れ。
奇岩があるが波の落ち着いている海岸線。
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海の向こうに見えるのは粟島。
ここでソフトクリームを食べようと列に並ぼうとしたときに、地震警報の音がけたたましく鳴り響いた。震源は石川県と表示されていた。
目と鼻の先には海。
一瞬脳裏に死が過った。
すぐに外へ出ようとしたが、周りの人々は逃げようとしない。その様子が今の人々の危機感の薄さのような気がして少し呆れたが、落ち着いてニュースを見ると津波の心配は無いとの事。
揺れはもうおさまっていたらしく、特に気が付かずに終わった。
一安心したが、大きな被害があったことは帰ってからのニュースで知った。
気を取り直して北上する。
鶴岡の由良海岸を眺めたりしながら帰路へつく。
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帰りはステーキ店に入って母はビールを俺はノンアルコールビールを飲んだ。
また旅をしようと約束して家路へ。
東北をU字型にまわった旅は終わった。
次の旅はそう遠くないはずだ。
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4komasusume · 8 months
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高校生活のための自転車 ――東屋めめ『しまなみぽたぽた 瀬戸内チャリ散歩』
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(1巻P64)
 車とか自転車に慣れると、歩くの嫌になるよね……
 東屋めめ『しまなみぽたぽた 瀬戸内チャリ散歩』は、愛媛県今治市を舞台に、自転車と共にある学園生活を描く作品です。自転車を題材にした創作物はたくさんあると思いますが、本作はあくまで「学園生活」が主眼で、そこに付属物として自転車がある、という格好です。
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(1巻P7)
 今治市といえばなかなかの田舎。そこで高校生が生活するためには、自転車に乗ることが必須なのです。自転車に乗りたいから乗るのではなく、自転車に乗らなければ生活できないから乗っているのですね。そこに本作のユニークな視点があります。
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(1巻P10)
 サイクリングではなく、ポタリング。ロードバイクではなく、ママチャリ。実に女子高生らしいではないですか。
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(1巻P65)
 これは通称「うさぎ島」と呼ばれる大久野島でのワンシーン。島自体にはフェリーで行きますし、小さい島だから自転車に乗る必要もないといえばないのですが、それでも自転車に乗る理由が、「いい景色! 自転車もってきて正解だった」という台詞に詰まっています。絶景を横目に風を浴び走る心地良さは、自転車でなければ得られないものです。とはいえ、自転車に乗ること自体は目的ではなく、あくまで目的は「うさぎ島でうさぎと戯れること」なのです。
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(1巻P66)
 ですから、本作は自転車漫画である前に青春コメディなのです。都会から今治に越してきた一人の女子高生が、クラスメイトに案内され、待ちを散策する。そして仲を深め、新たな経験をし、成長のようなものを見せていく。第一にそういう漫画なのであって、自転車は二次的な要素になっています。それなのにたまに自転車が前面に出すぎてしまうこともあるのが楽しいですね。
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(1巻P28)
 自転車は、ただペダルをこいでいるうちに、自分でも驚くくらいの距離を走っていることがあります。都会っ子だった主人公は、それを初めて体験して「自転車って気持ちいい」と思うわけですが、その感情と同じレベルで「お昼食べに来たんでしょ~」という台詞が別のキャラから発せられるゆるさ、生活感は、やはり本作ならではのものだと思うのです。
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(1巻P92)
 女子高生たちの何気ない日常を「自転車」という側面から切り取った本作。王道でありながらも独自性のある読み心地をおすすめしたいところです。
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しまなみぽたぽた 瀬戸内チャリ散歩 (1) (バンブーコミックス WINセレクション)
posted with AmaQuick
東屋めめ(著)
Amazon.co.jpで詳細を見る
(水池亘)
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lupinnewseason · 1 year
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【ルパン三世フェスティバル in 浜中町】浜中町ルパン三世バーチャルツアー&フェスレポート
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漫画「ルパン三世」原作者であるモンキー・パンチ先生のふるさと北海道・浜中町で、3年ぶりに『ルパン三世フェスティバル』(2022年10月29日・30日)がリアル開催されました。フェスティバル会場の模様と、浜中町中や観光スポットで見つけることのできるルパン三世たちを【浜中町ルパン三世バーチャルツアー】としてご紹介します。
◎浜中町ルパン三世バーチャルツアーMAP
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①ルパン三世通り(霧多布市街地)
ツアーは、浜中町役場がある霧多布(きりたっぷ)よりスタート。霧多布市街地の『ルパン三世通り』にはルパン・次元・五ェ門・不二子・銭形たちが描かれたフラッグや看板が掲げられています。
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各キャラクターが描かれたマンホールのふたは、浜中町オリジナルのお土産としてキーホルダーも販売されています。 浜中町商工会:https://hamanaka-shoko.jp/pg937.html
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通りにある仮想店舗「JIGEN’S BAR」「PUB FUJKO」は、ファンが必ず訪れる人気のフォトスポットです。
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仮想映画館「霧多布座」は老朽化により2022年6月に取り壊しとなりましたが、復元ARとして現地で写真撮影ができます。
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※ARサービスの提供は2022年11月30日まで
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②霧多布市街地 店舗
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霧多布市街のお店「鎌沢ドラッグ」さんにお邪魔しました。こちらは店内を飾るモンキー・パンチ先生のサインやルパン三世グッズ、ジオラマなど圧巻のコレクションで、現地を訪れるファンのサロン的存在のお店とのこと。この取材の際も、コスプレ姿のファンが見学をしていました。
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市街には他にも店頭にルパン三世やモンキー・パンチ先生のサインが飾られているお店があります!
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③浜中町役場 新庁舎
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津波対策として高台に建てられている浜中町役場の新庁舎。役場までの案内板には、町の基幹産業である農・漁業ルックのルパン三世一味&銭形警部の姿が描かれています。
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通常は平日のみ見学可能な庁舎内ですが、今回はルパンフェスのため特別に見学することができました。
▼1階:吹き抜けの入り口から見える各階案内板にはルパンたちが。
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▼2階:モンキー・パンチ先生のルパン三世イラストを大きく使用した壁画。
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▼3階:展望台は霧多布市街地を見渡せる絶景ポイント。
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ちなみに新庁舎の外では、ルパン三世通りと同じ5種類のマンホールを見つけることができます!
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④「妖精花伝説」イラスト
浜中町内の牧場にはモンキー・パンチ先生が描かれた妖精のイラストが看板となっている牧場も。
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妖精は何種類かいるそうなので、現地に来た際はぜひ探してみて下さい。 今回は浜中町役場ちかくの小松牧場さんにお邪魔しました。 ※牧場では牛舎や牧草地など立ち入り禁止の場所にご注意ください
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⑤霧多布湿原センター
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霧多布市街からJR花咲線・茶内(ちゃない)駅へ向かう一帯は約3000平方メートル(東京ドーム600個分以上)の広さをもつ霧多布湿原です。浜中町の自然を楽しみたい方は「霧多布湿原センター」で専門ガイド付きのエコツアーも開催しています。また、センターでは物産品と合わせ、浜中町オリジナルのルパン三世グッズも販売しています。
霧多布湿原センター:https://www.kiritappu.or.jp/center/
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⑥JR花咲線 茶内(ちゃない)駅
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JR花咲線(JR根室本線、一部区間の愛称)の浜中町内にある<茶内駅>。 駅の入り口ではルパン三世の等身パネルが出迎えてくれます。そしてホームにはルパンを追ってきた(?)銭形警部の姿も。 フェス中はJR茶内駅から会場までの町営バス(予約制)も運行しています。
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⑦仮想店舗「居酒屋五ェ門」
茶内にあるフォトスポット・仮想店舗「居酒屋 五ェ門」は、駅入り口を背に200メートルほど歩いた場所に建っています。(実際の営業はしていません)
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⑧浜中町ウェルカム看板
茶内駅をはなれ、釧路市~根室市を結ぶ国道44号線に向かうと見えてくるのは、表はルパン、裏は不二子のイラストが描かれた大きな案内板です。
車での観光の際はこの看板が浜中町の目印となります!
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※自動車での観光は、交通ルールを守って安全運転を心がけましょう。
 
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⑨ルパン三世 デーリィロードマップ看板
そのまま国道44号線を北上すると見えてくる茶内酪農展望台。 そのパーキングエリアにある酪農地域全体の案内板にもルパン三世が。
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この他にも、浜中町内の酪農地域ごとに「ルパン三世」キャラクターと「妖精花伝説」のイラストが描かれた案内板があるようです。
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⑩JR花咲線 浜中駅
国道44号線から再びJR花咲線に戻って<浜中駅>へ。 こちらの入口では誰かと待ち合わせ���ているような次元と五ェ門、そして駅舎内の切符売り場とホームには不二子とルパンの姿を見ることができます。
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駅舎以外でもJR花咲線では大自然の中をルパン三世のラッピングトレインが運行しています。霧多布のラッピングタクシーなど、各種交通機関を合わせての観光もオススメです。
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▼JR北海道 ルパン三世ラッピングトレイン運行表 ⇒ https://www.jrhokkaido.co.jp/travel/lupin/
浜中町の観光スポットではARを使ってルパンたちと写真が撮れるサービスを実施し、フェス期間中に訪れたファンの皆さんにも好評でした。
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※ARサービスの提供は2022年11月30日まで
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⑪ルパン三世フェスティバル会場(浜中町総合文化センター)
霧多布市街地へ戻り、フェス会場の浜中町総合文化センターにやって来ました。 駐車場ではラッピングトレーラーの展示や地元グルメ屋台の出店で賑わっています。
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総合文化センター1階ロビーにあるルパン三世の愛車の展示コーナーでは、フェス中は特別に車のそばまで近づくことができたため、コスプレをしたファンなどたくさんの方が記念写真を撮りに集まっていました。
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2階ではフェスティバルに合わせ TVアニメ「ルパン三世 PART6」ビジュアル展を開催。 ルパン三世グッズ販売や浜中町内で使えるルパン三世payの発行コーナーも設置されていました。
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◎モンキー・パンチ・コレクション
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文化センター2階にある常設施設「モンキー・パンチ・コレクション」にもフェス中たくさんの人が訪れていました。この中ではモンキー・パンチ先生の漫画原稿やイラストが多数展示されているほか、先生の書斎を再現したスポットなど創作の原点を垣間見ることができ、浜中町を訪れるファンが必ず立ち寄る名所となっています。
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◎「スペシャルトーク」ステージ
フェス2日目のラストには、声優陣と制作スタッフによる「スペシャルトーク」ステージが文化センター大ホールにて開催されました。
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<「スペシャルトーク」登壇者> (ステージ左より)MC小新井涼さん/ルパン三世・栗田貫一さん/石川五ェ門・浪川大輔さん/トムス・エンタテインメント 野﨑プロデューサー/東北新社 清水音響監督/日本テレビ放送網 中谷敏夫さん
まず栗田さん、浪川さんが久しぶりとなった浜中町ステージでの挨拶、そして今回がフェス初参加の音響監督・清水さんも浜中町の印象を語り、和やかにトークがスタートしました。
今年8月に亡くなられた次元大介の声優 小林清志さんの話題では、栗田さんはアフレコ現場での小林さんとの最後の会話、浪川さんからは小林さんとの印象的なエピソードが語られました。 そして、今回のステージではサプライズとして次元大介の声優を引き継がれた大塚明夫さんからのビデオメッセージが紹介され、ステージでは「PART6」アフレコ時の様子など制作時のエピソードも飛び出しました。
続く浜中町ステージでのお楽しみ・生アフレコのコーナーでは、栗田さんと浪川さん、そして観客席から元気に手をあげた銭形警部姿のファンも参加し、音響監督の生指導の下で「PART6」第一話ラストシーンのアフレコを再現。見事にリリー役を演じた参加者に、栗田さんと浪川さんからは驚きと称賛の声があがり、会場からも大きな拍手が送られました。
最後のあいさつでは新しいメンバーも加わったルパン三世チームでまた浜中町を訪れたいと栗田さんが語り、温かな雰囲気の中ステージは幕を閉じ、「ルパン三世フェスティバル」の全日程が終了しました。
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浜中町とルパン三世スポットについて詳しくは下記WEBサイトでもご案内をしています! ⇒ 浜中町観光協会:http://www.kiritappu.jp/ ⇒ ルパン三世宝島プラン:https://www.hamanaka-lupin.com/
フェスにご参加いただいたファンの皆様、ありがとうございました!
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memory-of-hiroshima · 2 years
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77回目の8月6日が来ました。 あの日、そしてその後の“ヒロシマ”を知ってもらうことが、核兵器廃絶への道につながることを信じたいのです。 2年前に書いた文章ですが、読んでいただければ嬉しいです。
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胎内被爆者の綴り方
<はじめに>  長い間、私は不特定多数の人に被爆体験を語ることにとまどいを覚えておりました。胎内被曝のため、実際に被爆の被害・惨状を見たわけでもなく、肉親を失ったわけでもなく、私自身もこの年齢まで生きてこれた幸運もあり、大きな嘆きの人々に比べれば語る資格がないと思っていました。  しかし、ここ数年、特に日本政府は広島・長崎の被害の事実をなかったものかのように動き始め、核兵器禁止条約に対しても、日本の代表とは思えぬ動きで、私は不安でたまりません。  今まで、生協の平和行進や集会、そして募金に参加したことがあるくらいで、平和や反核に対する運動をほとんどしていません。平和公園での座り込み運動にも、心をよせてはいても、ただの傍観者でした。私が育った戦後、ついこの間までは多くの活動をする人がいて、私も黙っていてもよかったのです。ただ被爆者の会も高齢化で消滅解散する中で、何かしなければならないのではと思い始めていました。  そんな時、オーラルヒストリーを研究しておられる元TBSアナウンサーの久保田智子さんの講演を聞く機会がありました。私が記憶を語るとしたら客観的事実ではないかもという懸念をもっていたのですが、久保田さんは「その人が感じ考え思ったことをいっしょに述べること、主観的事実でいい」と言われました。「複雑でいい、矛盾していい、個人的なものを社会的なものに関連づけて解釈するのだ」と。これは私を勇気づけました。  また、ピラミッドの一番上に直接被爆者がいて、その下にいろいろな人が階層的に存在し、それぞれに思うこと感じ考えることがある、それも大切だと。「ああ私の位置はヒエラルキーの二番目だ、それでも語っていいのだ」と強く励まされました。  それから1ヵ月後、ニューヨークの2020年NPT(核兵器不拡散条約)会議に広島生協の代表として行くことになった友人が、胎内被爆者の会が証言集を出す予定であることを教えてくれました。思い迷った末に、証言集に応募するしないにかかわらず、記憶がうすれる前に一度整理してみようかなとの思いに至りました。
<8月6日>  1946年1月24日生まれの私は、1945年8月6日原爆の炸裂したあの日、母の胎内にいました。予定より早く生まれたと聞いていますから、妊娠4ヵ月位ではなかったでしょうか。悪阻が激しく空襲警報がなっても「このまま死んでもいいから」と逃げるのが億劫だと言っていた母は、朝の洗たくものを干すため両手をあげた時、原爆の光を浴びたといいます。あっと思った時は、胸と腕に火傷をしたようですが、幸いにも「天ぷら油をぬったらいい」と教えてもらい、ケロイドにならずにすみました。借家だった家の前はごぼう畑が広がり、己斐駅がすぐ目の前に見渡せました。光線をさえぎるものは何もありません。爆心地から2.5kmとS42年(1967年)2月18日取得の被爆者手帳にはしるされています。  その時父は観音町の三菱重工の工場、爆心地から4kmの所で被爆。父がどのルートでどのように己斐まで帰ってきたのか全く知りません。9月に4才になる姉は、家の中の布団で寝ており、布団ごと部屋の端から端まで飛ばされていました。壁が少し崩れたくらいで、家は倒れずにすみ、姉も無事でした。  これらの話を父や母から直接聞いたという記憶はなく、どこでどのように知ったのでしょう。母が黒い雨にうたれ、髪の毛が抜け寝こんだこともどうして知ったのでしょう。それには一つの類推があります。
<近所の人々との思い出>  私が小学校低学年の頃住んでいた家はやはり己斐ですが、被爆した時とは違う近くの家です。家の前にも横にも40cm位の側溝に水が流れ、夏には青い露草の花が咲き蛍もとんでいました。暑い暑い8月6日の前後には、近所の人々が涼を求めて集まり、石垣に座って思い思いに語ります。クーラーも無い時代、手にはうちわがあります。冷蔵庫も氷で冷やす木の冷蔵庫です。家には西瓜が待っており、私たち子供は浴衣を着て、大人のまわりをうろちょろしています。そんな時大人の話が聞こえるともなく聞こえるのです。 「ようけえ逃げてきたのお」「おう、水あげりゃあえかったのう、どうせ死ぬんじゃったらのお」「Tさんの家は壊れたらしいのぉ」「下敷きになって男ん子が死んだんよ」「Nさんの奥さんは今年も日傘さして行きよっちゃったよ」「式典なんじゃろう。姉妹や親はえっとこ亡くなったって」  話が聞こえてくるうちにだんだん恐くなります。帰ってトイレに行くのも、夜寝るのも恐くなります。こんな会話の中で私の母の話も語られ、私が覚えたのだという気がします。  Nさんとは、私を実の娘と同じようにかわいがって、お風呂に入れて身体をごしごし洗ってくれたり、焼きリンゴを作ってごちそうしてくれたおばちゃんです。あの優しいおばちゃんが大きな悲しみを抱えておられたのに深く気づくのはずっと後です。このおばちゃんは小学生の女の子2人を残して腎臓病で、身体をパンパンにむくませて亡くなられました。きっと被爆の影響だったと今なら思いますが、当時小学生だった私は、おばちゃんの変わり様に恐ろしかっただけです。  あの夏の日々は、あらためて語り部と言わなくても、みんな思い思いに自然に語って、私たちに伝承されていたのだなあと改めて思います。
<己斐小学校でのこと>  伝承というと小学校の担任を1年から6年まで受け持ってもらったY先生のことが思われます。8月6日宝町の自宅から己斐小学校へ通勤した日のできごと。爆心地近くから相生橋、本川を通ってひたすら己斐へ歩く途中に見た被災の光景。川の中に浮かぶたくさんの人々、横たわる死者たち。その話を聞いた記憶がしっかり残っています。教壇に立って語る先生の息づかい。並ぶ生徒たちの机。写真のようにまぶたに残っています。先生はその日どのように自宅へ帰られたのでしょうか。全く知りません。Y先生はその後私たちが4年か5年生の頃、だから戦後10年くらいでしょうか、肝臓を悪くされ長く入院されたことがありました。きっとこれも原爆と関係があるに違いないと今は思います。  私の小学校は己斐小学校ですが、己斐はたくさんの被災者が流れ込んできて、小学校の校庭ではたくさん人を焼いたと言います。春秋に運動会があったのですが、グランド整理で土をならすと骨が出るというのをよく聞きました。私は直接拾ったことはないのですが恐くてたまりませんでした。それに春は校庭の桜が葉桜になる頃の運動会でしたから、毛虫がぞろぞろはい回ります。私は大の虫嫌い。二重に恐くて――。今と違って素足でかけっこですものね。
<ABCCの記憶>  私が唯一当事者として語れるのはABCC(現・放射線影響研究所)のことかもしれません。小学校低学年の時だったと思います。母と、あるいは近所の友と、そして級友と何回かABCCが近所まで迎えに来て出かけました。学校まで迎えに来たこともあります。黒塗りの大きなハイヤーが来るのですが、私はすぐ酔うので苦手です。行くと、全てがすんだあとクッキーやサンドイッチ、紅茶などをご馳走してくれるのです。異文化への興味や憧れのようなものがありました。けれども何しろアンパンやジャムパン育ちで偏食も多かった私は、なれないものを何とか口にし、帰りの車でまた気分が悪くなるのでした。  さて、ABCCの記憶で長く私が語れなかったことが一つ。検査に行くとズロース(パンツ)の上に白いスモックのようなものを1枚かぶるのですが、それを着てある部屋に一人連れて行かれます。大きな机、私には3m×4mぐらいにも思われましたが、その端に足をぶらんと下ろして、入口のドアに向かって不安そうに座っている自画像が脳裏に残って消えません。そして、立つように促されたのでしょうか。服を脱いでズロース1枚でテーブルに立ったと思うまもなく、大きな180cm位の白人男性がこれまた大きなカメラを抱えて10人近くどたどたと入って、テーブルの回りから、四方八方カメラのフラッシュをたきました。驚きと恥ずかしさと何があったかわからないのとで呆然としていたのでした。一番大きかったのはたぶん恥。何かいけないことのように思ったのでしょう。この話は帰りの母にも友にも誰にも話しませんでした。話せば自分一人の体験ではなかったことがわかったかもしれません。後に語れるようになり、友人夫妻にこの体験を話した時「つらい話をさせてしまった」と言われ、ああそうだったのかと納得したものです。映画のワンシーンのようなこの記憶は今後も決して消えることはないと思います。
<病気に思うこと>  私が生まれたのは、母の母・未亡人だった祖母のいた広島県北部の旧・山縣郡千代田町壬生です。大雪で2階の窓から出入りするような日だったということです。戦後の広島を避けてお産をしたのでしょう。私は乳を飲んでもすぐ吐き、胃の入口の調子が悪くて薬を飲んで治したといいますが、詳しいことはわかりません。その後10カ月位の時には百日咳の激しいのにかかり骨と皮になりました。母は父の実家の香川県高松市鬼無町にひきあげました。そこで祖父から「こんな子を連れて帰って」と非難されたことを相当うらめしく思ったようで、時々同じ話をしてくれました。父の家の事情もあり、結局両親と私たちはまた己斐に戻りました。  そこで成長して22才の大学卒業まで暮らすのですが、父も母も被爆者でしたが、特に母の身体が弱かった気がします。家事だけの人でしたが、一日中かかって掃除・洗たく・食事の支度をし、少し動くと休みながらという具合です。おまけに度の過ぎた清潔好きで、洗たくもハンカチを洗って次は上のもの、下着はその次、そのあとパンツ…といったくらいに丁寧でした。今思えば、それもこれも細菌におびえていた事情もあったかもしれません。私は母の身体の弱いのは偏食のせいと思っていましたが、ひょっとすると被爆の影響があったかもしれません。父は61才、母は57才で亡くなりました。二人とも脳内出血ですが、母は一度肺ガンということで、広島市のM病院で放射線治療を��けたこともあります。  私はよく熱を出し、決して強いとは言えず、身体も細く背も前から一・二・三を争うくらいのチビでした。それでも高校時代は皆勤賞をもらいました(授業中寝てばかりの子でしたが)。  それが結婚して1ヵ月ちょっとだったでしょうか。盲腸になり、夫も手術をしたこともあり夫の家族の中では名医と呼ばれていたN外科で手術をしました。なぜか2、3日眼が覚めず熱も出て、私が被爆者手帳で受診したからでしょうか、先生は慎重になられ結局1ヵ月入院しました。  また、二人目の子のお産の時、妊娠5ヵ月くらいから妊娠中毒症になりとうとう7ヵ月ころ入院。そして子供が9ヵ月に入った時母体がもたないということで早く生みました。お産がすめば蛋白尿がよくなるということでしたが、数値は4本プラスが2本プラスになっただけで入院がその後も続きました。家族を心配して泣き、食事もとれなくなり、そんな私を心配した先生が退院させてくれました。1年位かけて漢方薬をせんじて飲みながら治ることができました。この2回のトラブルで、人がスムーズにできることが上手にできないのは被爆と関係があるのかなあと思ったりしました。これが被爆者共通の心理かもしれません。
<家族の中で>  私が被爆者であるということを夫に初めて言ったのがいつかは覚えていません。当時は手帳取得が結婚にさわるという風評もあり、姉などは「いらない」とすぐにはとらなかったような気がします。私はそんな思いもなく所持していたのですが、夫が戦争の責任とか社会のものの見方などで、私よりはるかに反戦の意識が強かったので何も心配ありませんでした。広島・長崎の式典中継でも私より深く正座してみるような人で、これは幸いでした。  家庭の中で被爆体験を話せたこと。それを淡々と聞いてくれる家族がいたことはうれしいことです。  初孫が5才のころでしょうか。我が家には「原爆の図」「ひろしまのピカ」「ピカドン」(いずれも丸木位里・俊作)や原爆ドームの本など夫が集めた本がたくさんあります。それらを持って帰るほど興味をもち、「原爆ドームに行きたい」と親にねだるほどの孫娘。ホロコースト記念館にも何回か行き、私たち夫婦にもアンネの部屋を丁寧に教えてくれ、「ああこの子は平和の担い手に」と期待をこめて見守っていました。なにしろ8月15日生まれですから。そしてその孫に、佐々木禎子さんについてまとめたダイジェスト版の本を夫は作りました。それを読んだ孫は「禎子さんちは散髪屋さんだったんだね」と。夫はその一言に苦笑していました。2、3年もすると興味を失った孫娘が、いつの日かまた興味と関心を持ってくれれば幸いです。  孫娘が小学校1年生くらいの夏に遊びに来て、寝物語に被爆体験の話をしたところ「おばあちゃん(生きてて)よかったね」と言われ、私ははっとしたのを覚えています。「生きてて申しわけない」という被爆者のことばがよく言われます。私に明確にあるのではありませんが、いくらか私にも長生きへの申しわけなさみたいなものがあります。でも「よかったね」というのはありがたくかみしめたいと今では思っています。
<最後に>  たまたま2020年3月15日付の中国新聞に、「被爆オリンピアン肉声現存・広島市出身36年出場故高田静雄氏」という見出しを見ました。その人は小学校時代の級友の父親です。また、米兵たちの被爆をほりおこし追悼してオバマ大統領にハグされた森重昭さんも級友のお兄さんです。佐々木禎子さんが白血病で亡くなられたころ入院した級友もいます。でも、私たちは戦後60年、還暦を迎えた同窓会でほんの少し被爆のことを話したことがあるくらいで、級友でも詳しいことはほとんど知りません。日々衰えていく記憶と、語りあう機会も減っていく中で、今回書き残してみたのはよかったように思います。記憶とは不思議なもので、自分流にゆがめているかもしれません。この主観的な記録がどのように伝えられていくのか少し楽しみです。長生きすれば「最後の被爆者」となる可能性もある人間の記録ですから。そのためにも両親からもっともっと話を聞いておきたかったです。
<さらに>  この原稿のパソコン入力を娘がひきうけてくれました。彼女は幼い頃、原爆資料館のろう人形母子を見ておびえましたが、私と平和行進に参加したことや、大会で「青い空は青いままで子どもらに伝えたい。燃える八月の朝…」と歌ったことは覚えています。8月6日の式典で峠三吉の詩を子供代表が語ったのに感動して、東京から電話をかけてきたこともあります。彼女には彼女のヒロシマとの歴史が作られているのですね。いろいろな形でヒロシマが伝承され続け、子や孫・その先まで、この愚かなことがくり返されぬように祈ります。私の胸を今でもゆさぶる歌「原爆許すまじ」を心に銘じて。
(2020年4月記/上村洋子)
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keredomo · 2 years
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失意に根を張る一本の樹
 一本の大樹になりたいと、死を意識するようになった二十代の前半頃からずっと願っていたが、あれから十年の月日をへて、失意の底に這いつくばったあげくに「一本の樹」である状態になった。実際にそれになってみて、ようやくその寂しさを思い知らされた。屋久杉のような大樹になりおおせることができれば、悠然と、孤独をはじめとするありとあらゆる生の苦悩から脱却し、ただ無心に天の選ぶ豪雨や豪風、雷、曇りと晴れ、灼熱の陽光や雨の続く寒さを受け入れられるだろうと漫然と考えてきた。
 飢え、渇き、暑さ寒さ、孤独の苦しみ、理解の喜び、このからだを抱きとめるあたたかい肌、やさしさ、求め、求めに応じるための無私、伸ばした手をとる者のない喘ぎ、見て見ぬふり、理想に手が届かないことの苛烈な痛み、修練の苦痛、形而上の苦悩、ひとりぼっちの夜道を歩くハイヒールの痛み、鏡を見た時の己の醜さへの吐き気、人と接する恐怖、評価、良し悪し、判断、選択、自己責任――そういったすべてのおそろしいことから逃れうるユートピアとして、植物の生を希求してきた。
 それは幼い来世信仰であった。樹になることは、現世の苦しみをすべて取り払えることだと信じて疑わなかった。それほどに、樹は悠然と、静かに、堂々と、人間の生を生きる私の前に立っていた。苦痛をものともせずに、土と大気の原理のみで生きているように見えた。
 死んではいない。まだ生きている。けれど、すべての対話を拒絶すると、私は自分を樹であるように感じた。  失意の底にあり、誰とも本質的な話をしたくなかった。  すると樹になった。人の訪れないひなびた海辺の灰色の砂丘に一本だけ立つ、無骨な松になった。
 失意に根を張る一本の樹。もう何千年もここにいたような気がする。何千年もここにいて、波の満ち引きを、風で舞う白砂を、静かに湿って重苦しい色を帯びていくこの土地の土砂を、立ち込める暗雲を、苦し紛れのように吹き荒ぶ豪風を、土砂降りの雨を、雪を、丸く削がれた色のない石たちが打ち上げられるのを、その景色に一羽の鳥さえいないのを、ずっと見てきたような気がする。  誰にも寄り添えないところに、松は立っていた。
 シーンを断片的に思い出すことしかできない。あれはアンゲロプロスの映画だったと思う。  海辺の松林を駆け抜ける、白いヴェールを被った花嫁。駆け抜けた先に用意された結婚式。曇天のなかにテーブルが設置され、ギリシア人の親族が集い、婚礼のための豪華な食事が用意され、誰もがワインを傾けているのに、風の音だけがごうごうと鳴り響く、静かな静かな結婚式。  祝祭が祝祭として機能しなければ、生は誰しもにとってただ虚しく、薄暗く曇っているばかりなのだった。
 すべてを諦めることで、つまりすべての愛すべきものを愛することをやめることで、愛を失うことで、愛から疎外されることで――それは私の生身が望んでいた凪の安寧ではあるが、私の燃えさかる魂が望んでいたことではない。けれど結局はどんなに力を尽くそうとも私の魂はこの世界から疎外され、生きてゆけるだけの愛を獲得しなかった――、私は松としての生を手に入れた。
 あらゆる涙は生理現象にすぎない。すべての言葉も生理現象にすぎない。何もかもが波の音に連れ去られる。
 失意が根を張る。お前はもうここから動けないと、砂が言う。絡め取られたこの場所で、朽ち果てるまで生きるしかないのだと。侘しい松は海を眺める。満ちて、引いて、それだけなのだと。私も同じくそれだけなのだと。情動は、引き潮が海のかなたに散らしてしまった。愛とは何であったか、苦悩とは何であったか、遠くに見えるあの小島はそれを知っているのかもしれないが、私にはもう、思い出せない。
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af3ura · 2 years
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2022.9.1-9.15
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↑これはロンドンで現像した赤羽の写真。 以下ほぼ写真日記。備忘録。
2022.9.1
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Darhamの宿を出発。朝のパブ。
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スーツケースで朝ごはん。
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なんかヨーグルトに入れるオーツみたいなのの中にスプーン雑に入ってた。日本だったら絶対にスプーンでもう1包装あると思う。私は雑に入ってるのが好き。
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今度こそ窓側取れた。 雲が低くて空がものすごく青い。丘が綺麗。 だけどやっぱり後ろ向きに進む。 座席の方向転換が出来ない仕様なのであれば、日本ならきっと上りの方向が前になると思う。しかしこちらはいずれもロンドン方面(進行方向)が背面だった。不思議だけど、まあそういうもんか、と順応し始める。
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途中で原子力発電所みたいなのが見えたけどどこかはわからなかった。 シンプソンズで見たことある形。
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ロンドンついたけど人多いのとスーツケース重くて疲れすぎてスーパーの寿司の写真しかない。
ゲストハウスに宿泊。 同室に日本人の名前を見つけたけど帰ってくる前に寝落ちした。 英語版『日常』5巻を読み始めた。
2022.9.2
エジンバラで撮ったフィルムが終わったので写真屋さんで現像に出す。 Googleマップを見ると近くに大英博物館があるようだったので、散策しながら向かった。
日本��絶滅したAeroを途中で見つけたのだけど、散策してる最中に全部溶けた。
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めちゃいいつま先
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モアイの体 cute
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日本ブース(?)に三島由紀夫いた。
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広すぎてまたしても諦めた。 朝から来れる日にまた来ます。
スーパーで夜ご飯を買って帰る。 生ハムが食べたかったけど、どれが生で食べられるのかわからなくてやめた。前日に見た寿司を買ってみた。Mini Tokyo salmon Set
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部屋に戻ろうと思ったらベッドに鍵置きっぱなしだった。 「鍵を部屋に忘れました」の英語を覚えた。
明日、ロンドンに住んでる大学院の頃の同期の卒業公演を見に行くことになった。
2022.9.3
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本当に家にする才能がある。
同期の卒業公演のプレビューを見せてもらった。 観客と俳優が交流をするタイプの上演形態で、ああ日本でしばらく見てない光景だ、とおそらく私1人だけ違うベクトルで胸がいっぱいになっていた。 上演作品自体もすごくよかった。”私たちにしか出来ない演劇”というものに立ち会うために非常に有効な劇場と人数だったと思う。
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入り口のセキュリティーにビビりながら入ったお店で食べたアーリオオーリオ。パスタの種類わからなすぎて普通の頼んだつもりがきしめんだった。これがロンドンの普通麺なのか? おいしかったけど脂っこすぎておしまいになった。
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帰宅してから共同スペースで作業してたらパーティが始まって困惑した。 金曜日の夜。
完全に残り体力が減っている。
2022.9.4
パッキングがクソ大変だった。朝から汗だく。 もう既にキャリーに入りきらなかったんだけどまじでなんでなの?エジンバラでバグパイプ買ったから?
チェックアウトして TATE Britain に向かう。宿から徒歩圏内だということに前日に気がついた。
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Cornelia Parkerの展示が良すぎて、朝のパッキングで既に溢れてたのに作品集を買ってしまった。
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常設展示の方は一本道ではなく一部屋に4つ通路があって、ゼルダの伝説 時オカ版の迷いの森かと思った。サリアの歌が大きくなる通路がなかったので迷いました。
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私が唯一自信を持ってできるモノマネ、ジャコメッティの彫刻があった。 めちゃいい。
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ずっと実物を見たかった”Hope”。 想像以上に大きかった。 とてもいい場所に堂々と展示されていた。
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描いた絵が展示になる部屋。迫り来る猫を描いた。
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またマフィン食べた。
いよいよホームステイ先に移動。 緊張しながらバスに乗ろうとしたら、乗りたかったのがバス停に止まらない。イギリスでは手を上げないとバスは止まらないらしい。学んだ。 荷物も重すぎるしこれは楽しろということだな、と思い近くの駅からタクシーで向かう。
ホストファミリーがものすごく暖かく迎え入れてくれた。 大きい黒のラブラドールレトリバーもフガフガ私の匂いを嗅いでいた。 人生で good boy をリアルに言う日が来るとは思わなかった。
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私の部屋は屋根裏部屋だった。憧れの天窓!
夕ご飯をホストファミリーとルームメイトと一緒に食べる。 ルームメイトのNarrimanはブラジル出身で、私の一つ下だった。「明日一緒に学校に行くから安心してね」「困ったことあったらなんでも聞いてね」とにこにこ優しくしてくれた。ありがたすぎる。
まじで不安だ…と思いながらみりんの安否を確認して就寝。
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2022.9.5
初日。 ガイダンスを受けて午後から授業に参加。 チャイム鳴っても誰も来ない。何のチャイム?
学校終わり、ルームメイトがpubに誘ってくれた。 イギリス初飲酒はguinnessでした。
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2022.9.6
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Good boy の Billy どうして階段のすぐ下にベッドがあるんだ…?これは土足で跨いでいいのか…?と思いながら毎回通ってる。
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キットカットがめちゃくちゃでかいし、チョコの味が全然違う。 果物が安い。
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相変わらずチャイム鳴っても誰もこない。何のチャイムなの本当に誰か教えて。
放課後、Narriと近所のpubへ。 夕飯前にでかいハンバーガー食べながら2時間恋バナした。
あとリアルのBless youを初めて聞いた。
2022.9.7
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クラスメートがジャム挟んだクラッカーくれた。
ドイツ語とスペイン語の「さようなら」を覚えた。
放課後はMAMMA MIA!を見にロンドン市街地へ。 時間までNariとBig Ben周辺を散策。
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ピーターパンだーーーー
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ロンドンの空、ターナーが描く空に本当にそっくりでいちいち感動する。 彼はこの空を描いてたのか。
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城?
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城じゃん。 石造の建物はいいな。 歴史ある建築でここに来ること自体でテンションが上がる。
MAMMA MIA! は最高すぎて一場から爆泣きした。 カーテンコールでも爆泣きしてたらクラスメート達に抱きしめられた。 お芝居がよかったのは当然だけど、お客さんの観劇姿勢に感無量だった。客席の反応がすごく大きくて、舞台上と客席との交歓を感じて胸がいっぱいになってしま��た。演劇を見ている!という感じがしたし、演劇のこういうところが好きだった、と思い出した。
2022.9.8
疲れすぎて何も写真がない。 普通に授業を受けて速攻帰宅して夕ご飯まで寝た。
夜中に現像した写真のデータが届いた。 色味が途中から変だった。 おそらく、日本から持ってきたので、空港のX線の影響だと思う。すごく綺麗だったエジンバラの空がうまく残せなかったのは残念だけど、これもその時を残してるのは一緒か、と思うことにした。
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エリザベス女王が亡くなった。 「黒い服を着た方がいいですか?」と英語で聞くことになると思わなかった。これから10日間イギリスは喪に服すらしい。
2022.9.9
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観劇しに市街地へ。 地下鉄や街中のモニター、お店の看板など、変えられるところはみなエリザベス女王に代わっていた。 けれど、それ以外は普通だった。喪に服すって、交通が止まったりお店が閉まったりするのかなと想像していたけれど、そうかあ、社会はそのまま回し続けるしかないよな、と思った。
観劇前に以前から気になっていたUZUMAKIというラーメン屋に寄ってみた。
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どちらかというと全体的にAKATSUKIだった。 ラーメンは普通に美味しかった。 著作権どうなってる?と思う箇所が多々あったけど、これって著作権どうなってる?
見たのは”The Seagull” in ハロルドピンター劇場 客席の反応が日本と違いすぎて(再び)びっくりした。かなり終盤までみんな笑っていて、まじで…⁉︎という感じだった。私としては、マーシャとか可哀想すぎて全然笑えないのだけど、喜劇と悲劇は紙一重を真に感じた観劇体験だった。 ラストシーンが邪悪すぎて最高に素晴らしかった。
一体私は人生であと何回『かもめ』を見るんだろうか…。
2022.9.10
この日も観劇しに市街地へ。
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バイオハザードの地下鉄?
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この日は”FROZEN” めっちゃ真横の席だったし見切れてたけどとてもよかった。 小さいエルサがたくさんいて可愛かった。心なしか客席も全体的に水色だった気がするし、私も水色のニットを着てた。
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古そうな天井に穴開けて吊ってる
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ピンスポ
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オケピ
こういうとこばかり見てしまう…。
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休憩中、客席でアイスを売っていた。 飛ぶように売れていたしすぐ隣で売っていたので思わず買ってしまった写真。ブレすぎ。 ロンドンの大きな劇場の多くにBARが入っていて、お客さんはワイン瓶とグラスを片手に鑑賞している。歌舞伎スタイル。 観劇体験としてはめちゃくちゃ最高なのだけど、終演後の客席は映画館でも見たことないくらい食べ飲みのゴミが散らばっていてかなりの衝撃を受けている。この掃除だけでどのくらい手間と時間がかかるのか…と想像して怯える。 ドバイ→エジンバラの飛行機を降りる時も田舎のお祭りかと思うくらい荒れてて笑ったのを思い出した。
観劇後、ネガを受け取りにカメラ屋さんへ。 新しいフィル��を買いたかったのだけど、「今品薄で売ってなくて、来る前に電話してもらった方がいいかも。」と言われた。電話のハードルよ…。
夜は大学院の同期とご飯。 久々に対面で日本語を喋った。 タイ料理屋さんと日本食屋さんに行った。
2022.9.11
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月曜日。 2人ともギリギリに起きてパンを食べながら登校。
放課後は、今週のお弁当の具材を買うために、普段行かない大きなスーパーに行った。
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白いままのフィギュアがついていて、自分で着色するタイプの付録。
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行ってみたスーパーに写真屋さんが入っていて、普通にフィルムを売っていた。
2022.9.12
何の写真もなかった。
サラミとほうれん草みたいな草とチーズをオリーブオイルと塩だけで食べるお弁当を編み出した。うまい。
2022.9.13
何の写真もなかった。2
Narriのカバンから無限に物が出てきたので、ドラえもんの「あれでもないこれでもない…」を見せた。私だー!と言っていた。 DORAEMONっていうのは未来から来た猫型ロボットで…という説明で既に面白そうなのすごすぎる。
2022.9.14
「劇場で出来ないことは何ですか?」と聞かれたのだけど、劇場で出来ないことなんてないのでは…?と宇宙猫になった末に出��た苦肉の答え→「ペットの販売」 もしかしたら何かの基準をクリアしたら出来るのかもしれない。わからない。
フランス語ネイティブのChocolatを聞いてテンション上がる。
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日本の夜ご飯タコス(?)とイギリスの昼ごはんin庭
放課後はライオンキングを見に行く予定だったので、再びNariと市街地の観光。 ロンドン塔を見て、Five guys へ。
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新しい街と300年前の建物が共存している。 石造の建物と地震がない国、本当に素晴らしいな。
ロンドン市街地は、エリザベス女王の棺が到着したようで、物々しい警戒体制だった。大きい銃を持っている警官、やっぱりびっくりする。韓国の空港で見た時もカルチャーショックだった。
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飛行機雲がいつもよりたくさん出ていた気がするけど、中継などで多く飛んでたのだろうか。
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ライオンキングの最寄りの地下鉄、ホームまで階段で降りたら200段くらい永遠に螺旋階段で目が回った。 写真は疲れてる私を尻目に元気よく降りていくNariman
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家に帰ったら、シーツを変えてくれたホストファミリーの手によって身代わり人形が堂々としてた。
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2022.9.15
フランス語ネイティブのChamps-Élyséesを聞いてテンション上がる。
サラミとほうれん草みたいな草とチーズで作ったサラダ、毎日液漏れしてる。 タッパーとジッパーをくぐり抜けて必ず液漏れしてくる。 液体強すぎる。
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ガムを捨てるために破ったノートの余りをファイルに入れたらONE PIECEのビブルカードみたいになった。
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おわり
また気が向いたら書く
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oniwastagram · 2 years
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📸マナーハウス島津重富荘(旧重富島津家別邸)庭園 / Shimazu Shigetomi-so Garden, Kagoshima 鹿児島の『マナーハウス島津重富荘(旧重富島津家別邸)』の庭園が素敵…! 島津久光を輩出した薩摩藩主の分家“重富島津家”…明治維新後に建築され久光や島津⻫彬の子が過ごした国登録有形文化財のお屋敷は現在ブライダルの場やレストランとして運営中。その庭園からの桜島/錦江湾の眺めが絶景…!⛰ . 島津重富荘(旧重富島津家別邸)庭園の紹介は☟ https://oniwa.garden/shimazu-shigetomiso-kagoshima/ ...... 「マナーハウス島津重富荘」は薩摩藩主・島津家の分家で藩主に次ぐ地位にあった島津御一門家の筆頭格“重富島津家”が築いた別邸。 「旧重富島津家別邸」として主屋・石塀・米蔵(潮音館)が国登録有形文化財で、現在は結婚式場💒/鹿児島出身のフレンチの巨匠・坂井宏行さん監修のフレンチ・レストラン“オトヌ”🍽/カフェ☕️として活用されています。 . これまで『仙巌園』や『旧島津氏玉里邸庭園』といった薩摩藩主・島津家ゆかりの庭園に訪れたけど、こちらも鹿児島市内の島津家ゆかりの庭園。 ちょっと敷居高そうだな…と思ってたけど、2022年1月に『カフェ ド マリーエ』を利用した後に庭園を歩かせていただきました。 . 戦国時代〜江戸時代の長い年月、南九州で一大勢力をほこった大名・島津氏…ですが、その歴史を遡ると鎌倉時代には北陸地方の守護もつとめた“越前島津氏”(後に拠点は播磨へ)、“若狭島津氏”という支族も。 . 江戸時代中期、四代目薩摩藩主・島津吉貴の子・島津忠紀が断絶していた“越前島津家”を復興させつつ、“重富家”を創設。 幕末の薩摩藩で西郷隆盛・大久保利通・小松帯刀らを登用し、公武合体や倒幕⚔️を目指した島津久光は重富島津家の当主でもありました。 . 桜島と錦江湾を目の前に眺める高台に建つ島津重富荘🏡 かつては篤姫の生家、今和泉島津家の別邸跡地であり、現在残る明治時代後期〜大正時代の主屋/石塀/米蔵は島津久光の四男・島津珍彦と島津⻫彬四⼥・島津典子(典姫)夫妻の本宅として建築されたもの。 . そこから100年以上の時を経て、平成年代の2006年に『マナーハウス島津重富荘』が開業しました。 なお昭和年代にはジェームズ・ボンドの『007は二度死ぬ』(You Only Live Twice)のロケ地にも🎬 . 今回利用したカフェ・ド・マリーエは新しい別の建物なのでお屋敷の内部は見ていないのですが…外観だけでも「大大名・島津家の御殿」としての格式が伝わってくる!(なおカフェ ド マリーエも外観は現代的ながら内装は梁があったりと山荘風の和モダンでとてもオシャレ!) . そのお屋敷の前には仙巌園や『都城島津邸』と同じように地形の起伏を生かした芝生が主体の池泉回遊式庭園が広がります。 四季折々の植栽に斜面に植わったソテツ群🌴、一風変わった琉球や奄美風の?石灯籠…見所は色々あるのだけれど、なんと言っても高台からの桜島・錦江湾の眺めが絶景! . 今回訪れたのが冬&曇りになってしまったので彩りに欠ける写真になってしまったのが心苦しいのだけど、春〜秋かつ晴れた日の風景はきっと最高。 続く。 ーーーーーーーー #japanesegarden #japanesegardens #kyotogarden #beautifulkyushu #beautifuljapan #japanesearchitecture #japanarchitecture #japandesign #japanart #jardinjaponais #bonsai #landscapedesign #landscape #kagoshimacafe #kagoshimarestaurant #建築デザイン #ランドスケープ #鹿児島カフェ #九州カフェ #庭園 #日本庭園 #庭院 #庭园 #近代和風建築 #鹿児島旅行 #九州旅行 #kyushutrip #文化財 #鹿児島 #おにわさん (マナーハウス島津重富荘) https://www.instagram.com/p/Ch6FHDcv4je/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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shintani24 · 2 months
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2024年3月1日
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能登地震の倒壊家屋、元日のまま 「一歩一歩進むしかない」(共同通信 3月1日)
石川県輪島市の「輪島朝市」周辺に残る焼け焦げた車両=1日午前
発生から2カ月となる1日になっても、多くの家は倒壊したままで元日と変わらぬ光景が広がる。能登半島地震で大きな被害を受けた石川県ではいまだに1万人以上が避難所にいて、自宅に戻った人も断水などで不自由な生活を強いられている。「大変だけど一歩一歩進むしかない」。輪島朝市の焼け跡に早朝から手を合わせる人の姿も見られた。
朝市近くに住む主婦(77)は倒れかけた家屋を指さし「早くつぶしてくれないと危なくて」とつぶやく。道路には屋根瓦やくぎが散乱したままで「ちょっと歩くだけでも危険を感じる」。
珠洲市飯田町の浜田博司さん(80)は応急危険度判定で「危険」とされた自宅の再建をあきらめ、金沢市の賃貸住宅に家族4人で移る。「未練もあるが2カ月の避難所生活の大変さは体験しないと分からない」と話した。
津波の被害が大きかった珠洲市三崎町では地面が隆起した波打ち際に船や家電、布団などが残されたまま。川端国夫さん(73)は「崩れた建物も撤去してもらわないといけないが、いつになったら業者が来るのか」と力なく話した。
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石川6市町から1400人超転出 地震2カ月、人口流出に拍車の懸念(朝日新聞 3月1日)
6市町の転出者数
能登半島地震で特に大きな被害を受けた石川県内の6市町で、発災から2カ月で1400人超が別の自治体に転出していたことがわかった。転出には至っていないものの他の自治体に避難している被災者も多く、今回の地震をきっかけに人口流出に拍車がかかることが懸念されている。
1日時点で6市町に出された転出届の集計(速報値含む)によると、1月と2月の転出者数は計1449人。昨年同期の計602人に比べて2・4倍となった。地震が起きた元日時点の6市町の人口(11万9650人)の約1・2%にあたる。
1~2月の転出者は多い順に輪島市417人(前年同期196人)、七尾市405人(同200人)、珠洲市240人(同45人)、能登町163人(同57人)、志賀町129人(同82人)、穴水町95人(同22人)だった。
また、石川県は1日、2月1日時点の県内の人口は110万6278人で、地震発生の元日時点から1570人減になったと発表。内訳は死亡が出生を上回る自然減が1030人、転出が転入を上回る社会減が540人で、1971年4月の調査開始以来、自然減は過去最大、社会減は1月の数値としては過去最大だったという。
大森凡世(かずよ)能登町長は朝日新聞の取材に「ショックだ。生活の場を少しでも早く提供しない限りはこの状況は変わらない」と危機感をあらわにする。
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衆院予算委に臨む岸田文雄首相=2024年3月1日午後5時36分、岩下毅撮影
予算成立にこだわる岸田首相、弱体化を懸念か(朝日新聞 テーマ特集:岸田政権)2024年3月1日
新年度政府予算案をめぐる1日の審議は深夜に及んだ。年度内成立が確定する2日までに衆院を通過させようと自民が強行し、野党が抵抗したためだ。誰よりも2日の通過にこだわったのは岸田文雄首相本人だった。
1日の衆院本会議は、拍手とヤジ、双方が飛び交う騒然とした雰囲気となった。
「予算審議は円満にやってきたのに、強行するなんてありえない」
立憲民主党の山井和則氏の衆院本会議での「演説」は、記録が残る1972年以降最長の2時間54分間にわたった。小野寺五典・予算委員長(自民)の解任決議案を説明する場だが、国会混乱の発端は裏金問題にあるとして、裏金作りに関わった自民議員を一人ずつ読み上げて指弾した。
自民の強行に対し、野党はそろって批判した。日本維新の会の馬場伸幸代表は「原因は与党にある」と指摘。国民民主党の玉木雄一郎代表も「上半身は謝っているけれど、下半身は蹴飛ばしているような対応だ」と首相の姿勢を批判した。
ただ、この日深夜、立憲は態度を軟化させ、2日の採決に応じた。
強行は首相の強い意向とされる。年度内の自然成立のめどが立たないまま衆院を通過すれば、その後の参院審議でも野党の攻勢にさらされる可能性がある。自民幹部は「何か一つでも問題が起きて審議が止まれば、とたんに見通せなくなる」。野党側は、二階俊博元幹事長や萩生田光一前政調会長らの参考人招致を求めており、こうした要求にも応じざるをえない可能性が出る。
首相自ら衆院政治倫理審査会(政倫審)に出席したり、政倫審と同時並行で予算委を開催したりするなど異例の対応が続いたことも、予算案の年度内成立を確定させたいとの強い思いの表れだ。
そこまでして自然成立にこだわるのはなぜか。首相周辺は「年度内成立ができなければ、政権の統治能力が問われ、内閣支持率がさらに下がりかねない」と危機感を漏らす。参院中堅が「ここまで自然成立にこだわるのは、政権の弱り具合を首相自らが認識しているからだ」と指摘するように、自然成立が確定できなければ政権の弱体化に拍車がかかる。
とはいえ、こうした事態を招いたのも首相自身だ。強行姿勢を続ける首相に対し、自民重鎮はこう指摘した。「判断が遅すぎる。派閥解散にしてもそう。旧統一教会(世界平和統一家庭連合)もそう。対応がすべて後手に回っている」(三輪さち子)
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繰り返す「在日特権」論は100年前のドイツと同じ 社会保障の行き詰まりを「あいつらのせい」に転嫁(東京新聞)2024年3月1日
根強く繰り返される「在日特権」という言説。だが、税制面での特権について国税庁は2月28日、国会で「ない」と明言した。昨年11月には自民党の杉田水脈衆院議員が「実際には存在します」とX(旧ツイッター)に投稿するなど、保守系国会議員やネット右翼らの「ある」という主張はやまないが、政府が公式に否定した格好だ。杉田氏を含む裏金議員の問題が問われた政治倫理審査会開催の日に、本当の特権は誰にあるか考えてみた。(岸本拓也、西田直晃)
◆国税庁が国会できっぱり否定
「国税当局が、対象者の国籍や特定の団体に所属していることをもって特別な扱いをすることはない」
「在日特権」について「ない」と答弁した国税庁の田原課税部長=衆議院インターネット審議中継の動画から
在日コリアンらへの憎悪をあおる悪質なデマとして知られる「在日特権」について議論された28日の衆院予算委員会分科会。高橋英明氏(日本維新の会)が、税制面の優遇などがあるのかとただすと、国税庁の田原芳幸・課税部長はきっぱりと否定した。
高橋氏が「朝鮮総連(在日本朝鮮人総連合会)とか、それに関わる法人個人にも一切の優遇措置はないのか」と重ねて問うと、田原氏は「繰り返すが、特定の団体なり、その会員に対して、特別な取り扱いをすることはない」と明言した。
在日特権は、在日コリアンが、日本社会で優越的な「隠れた特権」を持っているとする言説で、「在日特権を許さない市民の会」(在特会)などが主張してきた。内容はデマにあふれ、ネットの検索動向を示すグーグルトレンドによると、14年をピークに世間の関心は薄れていった。
◆杉田水脈氏の「存在する」発言で再燃
しかし、特定民族などへの数々の差別発言で知られる自民党の杉田水脈衆院議員が昨年11月、X(旧ツイッター)で在日特権は「実際には存在します」などと投稿して批判を受けると、その言葉がにわかに注目された。
ただ、これまでも特権の存在は、ことごとく否定されてきた。在特会がやり玉に挙げてきた在日コリアンらに認められている「特別永住資格」もその一つ。1991年の出入国管理特例法で定められ、一般の永住者と違い、入国審査時の顔写真の撮影や指紋採取などが免除される。
韓流ショップや韓国料理店が並ぶ新大久保で、旭日旗などを掲げてデモ行進する在日特権を許さない市民の会(在特会)=2013年3月17日、新宿区で
これらは特権なのか。特別永住者について議論された2014年10月の参院内閣委員会で、山谷えり子・国家公安委員長(当時)は「特別永住資格は特権ではなく、法律や通達に基づくもの」と答弁。当時、在特会関係者と一緒に写真撮影したことが問題視された山谷氏でさえ、特権とは言わなかった。
◆特別永住資格には「歴史的な背景がある」
改めて出入国在留管理庁に聞くと、担当者は「歴史的な背景がある話で、優遇や特権と呼ばれるものとは性質が異なる」と話した。
日本は1910年に日韓併合で朝鮮人を「日本国民」にして、労働力として日本で炭鉱労働などに従事させた。しかし、終戦後の52年にサンフランシスコ平和条約が発効されると、在日コリアンらの日本国籍は剝奪された。
すでに日本に生活基盤のある在日コリアンらが引き続き暮らせるよう韓国政府と議論。その子孫を含め、安定的な生活が送れるように整備されたのが特別永住資格だった。先の担当者は「日本への定住性が強いことや、日本国籍を失わせてしまったことへの配慮は必要で、結果的に一般の永住者と違いが生じた」と説明した。
生活保護を巡っても在日コリアンが「優遇」されているとの主張もあった。改めて、厚生労働省保護課に尋ねると、担当者は「特別永住者だからゲタを履かせることはない。日本人と同じように、支給要件に合致すれば出すし、しなければ出さない」と否定した。
◆「荒唐無稽なデマ、口にする国会議員がいることに驚き」
在日特権は存在しない。政府があらためて示す見解に対し、ジャーナリストの安田浩一氏は「そもそも、この文言をまだ持ち出す人がいることに驚き。荒唐無稽なデマに過ぎないのに。ましてや国会議員が口にするのは異常としか言いようがない」と絶句する。
その上で、在日コリアンの置かれた現状について、「現実には多くの在日コリアンが日本国籍を取得している。優遇措置が存在するなら、わざわざ日本国籍を取得する必要はない。むしろ、日本人と同様に税金を払いながらも、外国人参政権がなく、政治参画の機会すら持てない。そちらのほうが問題だ」と指摘。「マイノリティーがこうした差別を訴えると、『不当な利益を求めるな』という主張が横行しがち。現代における差別扇動の典型的な表現だ」
◆差別のために妄想とデマを寄せ集める、レイシストの作法
ネット右翼の中には、過去に一部の自治体が行っていた在日コリアンへの税の減免措置を「特権だ」と決め付ける言説もある。安田氏は「植民地時代に国籍を一斉に剝奪され、終戦直後には社会保障から排除された無権利状態だった。行政による必要な措置であり、それは特権でも何でもない。在日コリアンを差別したいがために、あらゆる妄想の産物やネット上のデマを寄せ集め、形式的な理由をつくり、武装して差別の正当化を図る。それがレイシストの作法だ」。
今回も、国税庁が在日特権を公式に否定したにもかかわらず、いぜんネット上には、「実質的に特権まみれ」「通名悪用すればいくらでも悪さできる」「ナマポ(生活保護)在日に優先してんじゃん」といった書き込みがあふれる。こうした排外主義的な動きの源泉に何があるのか。
「ヘイトは愛国心の発露ではなく、『政府は私を大事にしてくれるのか』という不安感の裏返しでは」と語るのは、駒沢大の山崎望教授(政治理論)。「社会保障や安全保障の行き詰まりを考えたとき、国に見捨てられる恐れが潜在意識の中にある。その点が日本人と関係のない人々の排除に向かっていく」
東京造形大の前田朗名誉教授(人権論)は「『日本人が損している』『本来得られるはずの利益が得られていない』といった思い込みが背景にある。下に見ている旧植民地出身者に目を付け、そのいびつな感情を『あいつらのせいだ』と転嫁している。100年前のドイツでも、ユダヤ人に対して同じ見方をしていた。世界中どこでも起きうる現象形態だ」と話す。
◆「特権があって当然」という思いがあるからでは
本来なら、政治家はこうしたヘイトやレイシズムに歯止めをかける立場だ。だが、岸田文雄首相が22年に杉田氏を総務政務官に起用するなど、自民党内には、歯止めをかけるどころかヘイトを容認したり、拍車をかけるよう動きや発言が後を絶たない。
前田氏は「一部の地方議員にも排外的な言説をあおる動きがあるが、『差別するつもりはない』という言い訳がまかり通っている。歴史認識の違いで済まされてしまい、議論が成立しないまま、差別と迫害につながっていく」と危ぶむ。
2月29日から岸田首相らが出席して始まった政倫審では、「政治資金は非課税」といった政治家への税制上の優遇措置も問われている。安倍派から寄付された計1564万円が政治資金収支報告書に不記載だった杉田氏、同氏を重用した安倍晋三元首相の名を冠した安倍派の幹部らは裏金疑惑にまみれている。存在しない特権を唱えたり黙認したりしてきた側が、「政治家特権」を享受してきた。
山崎氏は言う。「政治家には『特権があって当然』という思いが多かれ少なかれあるのでは。特権を持っていい人、よくない人という線引き、奇妙なおごりや選民意識が見え隠れする。非常にゆがんだ意識だ」
◆デスクメモ 「在日特権」などのヘイト言説は、旧ツイッターなどで根強く使われる。根拠を示さず短く攻撃的に言い切ってしまう危うさ。旧ツイッターより8字少ない132字制限のこのメモを5年9カ月書いてきて、痛感している。自分はきょうで最後。今まで本当にありがとうございました。(歩)
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caramelholicxx · 3 months
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1月第4週
今週もおつかれさまでした。
今週はインドアなわたしには珍しく旅行記!
1/26-27で金沢旅行に行ってきました。
地震もあり行くかどうか直前まで迷ったけど、金沢は一部を除きほぼ通常通り&観光客が激減していると聞き、また車ではなく新幹線だったこともあり行くことを決めた。
初めての北陸新幹線・初めての金沢、ぼんちゃん(재민번)とともに。
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着いて即フォーラスのもりもり寿司へ。
この日までありあまる寿司欲を必死に抑えていたので欲望のままに食べまくった。
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写真の枚数制限すべては載せられないけど、旬の寒鰤や生のずわい蟹やのどぐろ、白海老、牡丹海老などとにかく全部がおいしかった!
食後はバスに乗って兼六園。
雪が積もっていて風情があった(地元のみなさんは大変でしょうが…)広々としたお庭を見て清々しい気持ちになったな。
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ぼんちゃんも気持ちよさそう。
兼六園周辺を散策したあとは近江町市場に行ったんだけど、閉じてるお店が多かった。
今回の旅行ではひとつ九谷焼の作家さんの器がほしくて、いろいろ見て結局近江町市場エムザ口にある「うつわ かきいろ」さんで櫻井千絵さんのお椀を買った。
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ポップな柄と色合いがすごくかわいい!軽くて使いやすいのもいい!
「うつわ かきいろ」さん、若手作家さんのかわいい作品がたくさんあるしカフェ利用もできるみたいなのでおすすめ。
そのまま歩いて尾山神社。金沢は名所が比較的固まっているから回りやすい。
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神門、和漢洋折衷で素敵だった…食事をした後にまた前を通りかかったんだけど夜はライトアップされてた。
すこし休憩したあと夜は「金澤 せつ理」さんへ。
今回はここでの食事を目的にきたと言っても過言じゃないので、心から楽しみにしてた!
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これも枚数制限で写真をすべて載せることが出来なくて悔しい!
茶碗蒸しに蟹味噌のシャーベットを載せたものとなまこのみぞれ和えの前菜にはじまり、白海老のもみじ粉(明太子)和え、鰆の燻製とバイ貝のお刺身、加賀蓮根の雲丹饅頭あんかけ梅肉添え(これおいしすぎて泣きそうになった)、数の子の烏賊巻きソイとずわい蟹のお刺身、のどぐろと海老芋に白子のソーストリュフ添え、寒鰤のしゃぶしゃぶ、赤蕪ズッキーニパプリカ林檎の糠漬け、蟹と舞茸ご飯(おかわりしました)、菜の花のお味噌汁、バナナの酢橘和えやよいひめデコポンのフルーツグラタンと品数も多くてぜーんぶおいしかった!今まで生きてきた中でいちばんおいしかった食事かも!久々にお酒も飲みまくりました。
お料理はもちろんご主人の河田さんと女将さんの人柄が良くていい思い出になったなー。本当に何もかもがおいしかったです。遠いから頻繁には来られないけど、また金沢に行く機会があったら絶対訪れたい!
1日目はそんな感じで終わり、2日目はひがし茶屋街からスタート。
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いつもならきっと人でごった返してるんだろうけど、切なくなるくらいすかすかだった。
朝はひがし茶屋街で軽く済ませようと思っていたので、きんつばで有名な中田屋さんの2階にある「甘味処 和味」さんへ。
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上生とお抹茶をいただき、まったりしました。
ふらふらひがし茶屋街周辺を散策して、お店を覗いたりしたあとは歩いてそのまま尾張町に向かい、お昼に予約していた「日々魚数寄 東木」さんに行った。
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ここもすごくおいしかったなー。特に鰤大根がとってもおいしかった!載せきれなかったけど(3回目)お造りも出てます。
昼食後は駅に向かい、のんびりお土産を買って新幹線に乗って帰宅。
1泊2日だったけど割とうまく回れて、行きたいところは行けた気がする。とにかく好きなものを食べた2日間だった!
冒頭でも言ったけど、直前まで迷ったけど行って本当によかった!人も優しく、ごはんもおいしく、景色もよく大変良いところでした。
まだまだ余震が心配ではあるけど、能登や輪島など地震による被害が甚大な地域が一刻もはやく復興し、また観光客がはやく戻ることを願います。
今年は無理のない範囲でインドアから脱却することを目標にしているから、仕事が落ち着いたタイミングでほかの県にも行きたいな。
旅行から帰ってきて引き現実に戻されてるけど、楽しいことを楽しめるように今週からの繁忙期もがんばって乗り切ります。
最後に今週よく聴いてた曲
Silk Sonic - Smokin Out The Window
また来週!
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yakushima-asobi · 1 year
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屋久島は、森の世界観がハンパなく凄いですよ〜😁✌️ 巨木の森にいると、自分が小人になった気分になります♪ #屋久島 #屋久島ガイド #屋久島ガイド島あそび #屋久島ツアーガイド #一泊二日縄文杉ツアー #縄文杉キャンプ #縄文杉  #秘境ツアー #穴場スポット #屋久島観光 #屋久島旅行 #屋久島旅 #yakushima #yakushimaisland #屋久島の絶景 #屋久島写真 #屋久島登山 #屋久島中毒 #屋久杉 #屋久島トレッキング #巨木 (Yakushima, 屋久島) https://www.instagram.com/p/CqK4giTyaiS/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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endekashi · 3 months
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志賀漂流記
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本日は当ブログでお馴染みの孤高のチェアスキーヤー黄門様のツアー。標高低い場所は雨予報なので、一路、天界の志賀高原に凸ってみました。
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という訳で久々の黄門様。白馬からの二時間強のドライブも茅葺トークに花が咲き(彼は茅葺職人でもあります)、あっつー間に到着。
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ちょっと車椅子のタイヤ変えるから待ってて〜。手慣れた動作でサラッとスリックタイヤを雪道などのオフロード用のタイヤに変えてました。
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さてさてオレも全然わかんない志賀高原。黄門様は何度か来てるけどまだまだわからないところだらけだそう。
いいすね、ワクワクしますね!
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朝方はまだ天気もよく日差しの入る時間帯も。
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リフトから見下ろす善光寺平の絶景。見て見て!黄門様!綺麗だよ!!後ろ向けないっちゅーねん!💢
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リフトから降りてようやく眺める景色。ほんまやな、綺麗やな。
ほんじゃ、志賀漂流記始めましょうか。
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初っ端、昨日のほうてい祭りの後に突っ込むも、久々のアルペンボードの操作に慣れておらず、コケまくる。
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なんせ普段乗ってる普通のスキーの倍くらいの太さですから、操作性は全然違うでしょうね。
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しかし、その太さのお陰でこうした端っこの残パウを楽しめるのです!!
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ヒュ〜〜〜。極楽じゃ〜。
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しかし、林道との合流地点の段差にやられる。人生楽ありゃ苦もあるさ。
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だいぶ板の扱いにも慣れてきた様です。
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焼額の方へも行って見ましょう!
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綺麗な圧雪で滑りやすいです。
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チェアスキーって実は普通のリフトは簡単に乗れるけど、ゴンドラは板を脱いだりしないといけないのでチェアスキーヤーにとっては実は利用しづらいそうです。なのでゴンドラを使ってしか遊べない焼額の奥の方へは今まで来た事なかったそうです。今日はせっかく俺がいるんで突っ込んで見ましょう!
係の方も快く手助けしてくださりサクッと乗れました。
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てな訳で2000mで記念撮影。
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なんてキャッキャッしてると小布施のスキーヤーの友達のカズシゲに遭遇。外国人のゲレンデクルーズガイドのお仕事中でした。彼の実家、小布施のジェラート屋、エルバート、美味いから要チェックやで。
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ほんじゃ焼額山頂からの滑降を楽しみましょう。
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ロングランで楽しいです。標高下がると雨っぽい雪に変わって来ました。
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一ノ瀬に来ると数多くの修学旅行生達が。あかん、こんなところで滑ったら、絶対通学中の子供達の列に突っ込むトラックみたいになっちまう。
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という訳で人の少ない寺子屋へ来てみました。
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上の方はいい雪が降っていました。視界は暗いけど雪はいい。
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帰りは林道で。ここがまたバンクドスラロームみたいでなかなか面白い!!
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楽しかったけど、いつの間にか車のある高天原ゲレンデと全然違うゲレンデに降りてきてしまっている様です。
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そしていつの間にかゴンドラの駅に迷い込んでしまいました。
また、さっきみたいにゴンドラ乗れないかな〜とあわよくば思っていましたがここは、ゴンドラに乗るまでの道のりが長い上に、ゴンドラが狭くて入れないとのこと。
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こりゃだめだ。戻りましょう。
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標高下げると雨模様。でストップスノー。いや〜やめて〜。
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なんとかリフトを乗り継ぎ高天原へ帰って参りました。黄門様、もうくたくたなご様子。朝からみっちりやりましたからね。
お陰で志賀高原ってとこがなんとなくわかりました。
お疲れ山です!
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帰りは美谷島の豪ちゃんおすすめの中華料理店にピットイン。
美味しいラーメン食っときました!
本日もお疲れ山でした!&おしょっ様でした!!
黄門様とは明日も引き続きツアーします!
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curry-cook · 3 months
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1日数食日記
1/14(日)
10時前に家を出て、伊勢原に用事があるという義理の母を駅前まで送り、その足で妻と義理の父と3人で城ヶ島へ。久しぶりの城ヶ島公園は富士山がはっきり大きく見えて絶景ポイントばかりで感動した。昼食は「濱田屋」。少々並んで待ったあと、自分は城ヶ島ラーメン、二人は盛り合わせ定食を食べた。ラーメンはサザエの切り身が2、3枚乗っていたが、予想通り普通の塩っぱめ醤油ラーメンだった。盛り合わせ定食は逆詐欺のないようで、明らかに写真よりゴージャス���お値段以上の逸品(自分は食べてないから味は分からないが)。そのあと城ヶ島灯台の方まで歩いたあと、油壺温泉へ移動。前回来たときは代車を駐車場前の発券機のところでぶつけたり、客が多すぎて入れなかったりして散々だったが(レストランの食事は美味しかった)、今回はスムーズに入れて良かった。それほど大規模な風呂ではないが、露天風呂はオーシャンビューで、半身浴しながら30分以上海を眺めていた。戸塚駅で父を下ろし、帰宅。『とんかつ一代』を途中から観直し、ネフリで妻が観たいというバカリズム脚本の『侵入者の晩餐』、そして『光る君へ』第二話を立て続けに観る?そのあとまだ観ようということで、先週の川喜田映画記念館の余韻覚めやらぬということで、二人とも観ていなかった『歩いても歩いても』を鑑賞。お菓子をたくさん食べたうえ、晩ごはんとしてナポリタンを食べたので、珍しく1日2食の日となった。
映画
1. 喜劇 とんかつ一代 / 川島雄三 ★★
名曲「とんかつの唄」(ソギー・チェリオス版で知ったが、森繁のオリジナルには敵わない)の録音版ではなく映画版を聴きたくてアマプラレンタルで再鑑賞したが、ファーストシーンの豚供養からずっと(断続的でなく)ピンと張った布のように皺も緩みもない面白さで、喜劇と完璧主義はやはり相性が良い、川島雄三版『江分利満氏の優雅な生活』も観てみたかった、と改めて思った。
2. 歩いても 歩いても / 是枝裕和 ★★
思いが溢れすぎて息苦しいほど。
家族が集まる時に否応なしに漂う居心地の悪さが、美しく甘美的とも言える映像と両立してしまう矛盾に驚かされるが、それこそがノスタルジーの仕組みそのものなのかもしれない。
是枝作品の私的ベストが久しぶりに更新された。15年前の作品だけども。
音楽
1. If You Ask Me To : Victor Axelrod Covers for Daptone Records / Victor Axelrod
その他
1. 侵入者の晩餐 (日テレ→Netflix)
2. 光る君へ (NHK)
3. ア・ストーリー・オン・ザ・ショア〜是枝裕和 ある夏、海街で〜 (U-NEXT)
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playmountain-tokyo · 4 months
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壷田和宏・亜矢 展のおしらせ
この度の、令和6年能登半島地震により、お亡くなりになられた方々のご冥福を心よりお祈り申しあげますとともに、被害にあわれた皆さま、ご家族の方々にお見舞い申しあげます。 被災地の方々は不安な日々をお過ごしのことと存じます。被災された地域の皆さまの安全と、一日も早い復旧を祈念いたします。
本年はじめの企画として、宮崎県高千穂町を拠点に活動を行う陶芸家 壷田和宏・亜矢さんの展覧会を開催します。 これまで土鍋やテーブルウェアを中心に取り扱いさせていただいていましたが、展覧会としては初めての取り組みです。
SNSを通じて垣間見える彼らの暮らしぶりに興味があり、コンタクトをとったのが約2年前。
昨年2月に念願叶ってはじめて高千穂を訪れ、その後、12月にも再訪し彼らの暮らしぶりに触れてきました。
ここでは、そのときの話を紹介しようと思います。
壷田さんの住まいまでは熊本空港から車で約1.5時間。
ワクワクしながら指定の住所に向けて車を走らせました。
あえて阿蘇山を通る遠回りなルートを選択。
冬の阿蘇は黄褐色が一面に広がり、その景色はまるでカリフォルニアの砂漠地帯とも重なるような、日本じゃないような不思議な感覚がありました。
そうこうしているうちに、到着。
セルフビルドしたであろう、雰囲気の良い家屋と、山の斜面にはポツポツと見えるいくつかの小屋。
まわりは山に囲まれていて、どこからどこまでが壷田家の敷地なのかわかりませんが、山羊や鶏たちも自由に生活しています。
そしてもちろん奥のほうには窯が。
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出迎えてくれた和宏さんが「お昼にしましょう。」と食卓へ案内いただき、地元の食材をふんだんに使ったなんとも贅沢な最高の手料理を振る舞ってくれました。
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壷田さんたちの暮らしの環境を目の前にした際に、アーティストである坂口恭平さんが自身の著書の中で“家”について言及した一節が、ものすごくリアリティを纏って脳裏を巡りました。
〈住人自ら作った家というのは、絶えず運動と変化を繰り返し、秩序とずれが同居している。輪郭は常にゆらゆらと揺れ、しかもそれが調和をうみだしている。その姿は建築物という3次元の世界を軽く飛び越えてゆく。〉
余談ですが坂口恭平さんも壷田ファンとのことです。
食事をしていても会話をしていてもやはり気になるのが、どこに視線を置いても目にはいる作品の数々。
家の中や工房内はもちろん、彼らの広い敷地内のどこを見渡しても至る所に作品が点在しています。
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片っ端から手に取りたいほどですが、もちろんそれをしていると時間がいくらあっても足りないので断念。
彼らの生活の中心に創作活動があることは、この環境を見れば明らかでした。
点在する作品は彼らの日々の軌跡といえるでしょう。
その後、展覧会にむけた内容をぼんやりと考える中で、個人的に初めて手にして愛用しているシンプルな白磁の器を紹介したいと感じるようになりました。
今回の展覧会は白磁の作品を中心にリクエストしています。
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それとは別に、普段とは違うモノづくりの提案もしてみました。
彼らの自由な発想と技術、加えて暮らしを楽しむ好奇心のカタチは食卓のツールだけにはとどまらないはず と考えたためです。
そんなある意味無茶な投げかけに応じていただき見せていただいた作品が、案内状にも起用したバードハウス(鳥の巣)。
野生のシジュウカラが好む巣穴のサイズを再現するあたりに、壷田さんの好奇心が伺えます。
昨年12月の再訪では、展覧会にむけた制作の過程を拝見しました。(またまた最高の食事を用意していただきました、、!)
まだ私たちも全ての作品を見たわけではないですが、本当にたのしみな内容です。
会期の初日に当たる1月20日(土)は亜矢さんが在店します。
ぜひお出かけください。
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壷田和宏・亜矢  会期: 2024年1月20(土)-2月4日(日) 会場: Playmountain
宮崎県高千穂町を拠点に活動を行う陶芸家 壷田和宏・亜矢さんの展覧会を開催します���
標高1000m近くに位置する山間部を自ら拓き、暮らす。
風土に根付いた彼らの営みの中心にはいつも創作があります。
その手から自由に生まれるかたちは、空にぽかりと浮かぶ雲を眺めているようです。
炎と土、自然に委ねる要素と、壷田さん夫妻が営みを続ける中で得た知恵と技術が交わった作品はまさに〈Man Made Objects〉と言えるでしょう。
今回の展覧会では普遍的な食卓ツールとしての白磁の作品群を主に、彼らが暮らしの中で得た抽象的造形への興味と発展を表現する品々が並びます。
プレイマウンテンでは久しぶりの焼き物の展覧会。
壷田和宏・亜矢さんのありのままの表現をどうぞお楽しみください。
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all-saturday · 4 months
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2023 Second half
2023年の下半期を振り返ってみる。
7月
巨大な鏡を買う。
SONY a7iiiを買う。
8月
東京でのデザインイベントに参加して、広がり続けるデザインの定義を自分なりに解釈しつつ踠いている人々ばかりだということを知る。みんな同じことに悩んでるじゃーん!
世界暑すぎる。
9月
プライベートと仕事の予定が重なりに重なり、週末ほぼ熊本不在になる。ほぼ毎週空港に通う。私は飛行機の離着陸の瞬間が死ぬほど好きで、感動で涙するほどだったけど、さすがに涙も出なくなる。
初の鹿児島旅行。これで九州制覇!霧島アートの森は想像以上に面白かったし、近くにあったら通っちゃう。霧島観光ホテルの比較的新しいお部屋?もすごく綺麗で最高だった!
チームメンバーの結婚式で横浜へ。横浜の35階からの景色が美しすぎて、2階からみる田園風景を見慣れている私はここで天竜人の気分を味わう。
10月
地元の友達が遊びにきてくれて九州旅行。久しぶりの長崎!
阿蘇の砂千里で撮影。初めて火口も行ったけど本当に日本とは思えない風景。
11月
誕生日!私は今32歳だと思って生きてきたのに実は31歳だった。ちょっと得した気分。
東京のカメラマンチームと合同でススキ全開の草千里で撮影。すごく素敵な会だった!
タイ旅行に行く。とっっても久しぶりの海外旅行…少し昔の日本を覗き見しているような感覚。なんとなく空気の色が懐かしい感じがする。旅行前に「バンコクなんて汚いよ、ゴミゴミしてるよ」みたいな話を散々聞かされあまり期待もしていなかったのに、想像以上の楽しさと色鮮やかさ。そして人のあたたかさ。バンコクが大好きになっちゃった。タイについてはまた改めて書きたいな〜
母と姉が熊本に遊びに来る。なんだかんだ見慣れつつある阿蘇の風景に大変感動しており、そういえば最初私もこんな感じだったなあと懐かしくなる。
12月
自分へのクリスマスプレゼントにjunaidaさんのIMAGINARIUMという作品集を買う。2024年に関西方面への個展も計画しているらしく、どうせなら個展のショップで買いたいと思っていたけど我慢できなくて買っちゃった…。絶対個展は行きたい!HUGとUNDARKNESSのシリーズが大好き。
年末、同棲解消のため住んでいる家から車で10分の近郊に引っ越すことを決意し60万を溶かす。食・住・お金の感覚が真逆の人と一緒に住むのは無理ということを痛感する。
久しぶりに実際に手を動かす仕事が与えられて、忙しくも楽しい日々。やっぱり作るほうが楽しいよね。
1週間って怒涛のように過ぎ去っていて、毎週木曜日あたりで「まだなんもできてないけど!!」って絶望するけど、こうやって振り返るといろいろやることはやっている。
2024年上半期に向けて
自分の意思を持って仕事をする。最近なんだか甘えてた。
顔をすっきりさせる。肌を綺麗にする。
カメラを持って出かける。
撮って出しで好きな写真を撮る。
指針となる人を見つける。
料理にもっと興味を持つ。
語彙力、というか即座に話す力をつける。
快適な部屋作りをする。
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traveler62 · 5 months
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昼過ぎに屋久島空港に到着。安房より原付バイクをレンタルし淀川登山口から淀川小屋に前泊。花之江河、投石平を経由して宮之浦岳に登頂。スタートした登山口まで帰るルートをのんびりと楽しんできました。海洋のアルプスと言われるだけあって、見る景色が素晴らしかったです。メインルートはよく整備されてとても歩きやすく、長い年月をかけて成長した森や綺麗な苔、山に見える絶妙のバランスの巨岩など、飽きるこがなく楽しませてくれました。
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