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#古坂禄子
takeuchiyoshihiro · 5 months
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12月20日に開催(水)本年最後 オンラインおはなし会 10時から(ZOOM)vol,174
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tanakaeri · 8 months
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奈良県生駒支部カウンセラーの「よしこさん」
くれたけ#210語ります お題は「古坂禄子カウンセラーってどんな人?」 くれたけ心理相談室では、カウンセラーの雰囲気や特徴など、多くの方に知っていただける機会を発信しております。9月は奈良県生駒支部のカウンセラーの「よしこさん」シリーズです。 初めてお会いしたのはオンラインお話会であった記憶です。くれたけ心理相談室のカウンセラーに入られる前に、ご一緒させていただいたことを思い出します。印象は、聡明で優しい雰囲気、そして何より探求心という姿勢で様々な質問やお話をされていました。 その後、くれたけ心理相談室カウンセラーとしてのご活動をされていかれる中での「よしこさん」は、山登りやアクティブなカウンセラーであるということがブログから伝わってきました。 カウンセラー「よしこさん」のブログは、身近な言葉で元気づけてもらえているのだと感じられます。こころの変化についても、分かりやすい文章で…
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hachikenyakaiwai · 9 months
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【かいわいの時】元禄六年(1693)八月十日:井原西鶴没 (大阪市史編纂所「今日は何の日」)
西鶴は元禄6年(1693)に亡くなったが、その墓は長い間不明であった。明治20年を前後するころ誓願寺境内で発見され再興されたという。発見者についてはいくつか説があり、幸田露伴であるとも、朝日新聞記者の木崎好尚であるともいう。
(1693年)下山鶴平・北條団水、西鶴の墓を建立 墓石は位牌型の砂岩製のもので、「仙皓西鶴 元禄六癸酉年 八月十日 下山鶴平 北條団水 建」と刻まれている。この墓碑を建立した下山鶴平については、西鶴の版元ではないかといわれている。北條団水は京都生まれの文人で、橘堂、滑稽堂と号した。西鶴を慕って来阪し、西鶴の死後7年の間、鑓屋町の庵を守ったことで知られている(大阪市指定文化財)。
(1801年)太田南畝(蜀山人)、書肆山口屋の案内で西鶴の墓に参る 寺町をすぎ 誓願寺に入る、甃庵中井先生の墓あり《略》 此寺に西鶴か墓ありと書肆山口屋かいへるによりて墓はらふ下部にとふに志らず、つらつら墟墓の間を見るに一ツの石あり、仙皓西鶴とゑれり。右のかたに元禄六癸酉年八月十日としるし左の方に下山鶴平北条団水建と有り。也有翁の鶉衣にも、作文に名を得し難波の西鶴は、五十二にして世を去給ひ「秋風を見過ごしにけり末二年」といふ句を残せりとかけり。げに八月に終りぬるには折からの句成へし(太田南畝)。『葦の若葉』四月廿一日条より。句読点後付け。ママ。
(1802年)滝沢馬琴、太田南畝に紹介された田宮盧橘の案内で西鶴の墓に参る 西鶴が墓は、大坂八町目寺町誓願寺本堂西のうら手南向にあり。〈三側目中程〉七月晦日蘆橘と同道にて古墓をたづぬ。はからず西鶴が墓に謁す。寺僧もこれをしらざりし様子なり。花筒に花あり。寺の男に何ものが手向たると問ふに、無縁の墓へは寺より折/\花をたつるといふ。
棹石高サ二尺余ヨコ一尺 台石高七八寸 大字 総高サ二尺八九寸
元禄六 癸酉年八月十日 仙皓西鶴 右ノワキ 下山鶴平 北条団水 建
團水は西鶴が信友なり。西鶴没して後、團水京より來り、七年その舊廬を守れり。そのこと西鶴名殘の友といふ草紙の序に見へたり。追考 難波鶴に云。西鶴は井原氏、庵は鑓屋町にあり(滝沢馬琴)。『羇旅漫録』より。句読点後付け。(写真参照)
(1889年1月)幸田露伴、誓願寺無縁墓にある西鶴の墓を探し当て、卒塔婆を立てる 露伴は住職に供物を出して、 お墓をちゃんとしてほしいと言い、香を焚き、水を手向け、卒塔婆を立てて去るわけです。それが、明治22(1889)年の1月のこと。その卒塔婆には、「元禄の奇才子を弔ふて 九天の霞を洩れてつるの聲」と書いた(肥田晧三)。「上町台地から本をめぐる時空の旅へ」『上町台地フォーラムvol.9』2018より。
(1889年8月)尾崎紅葉、西鶴の墓を訪れ、卒塔婆を残す 紅葉も、同じ明治22年の8月に西鶴の墓を訪れ、「為松寿軒井原西鶴先生追善」と書いた卒塔婆を残した(肥田晧三)。
それではなぜ、この二人は西鶴を知ることになったのか。露伴は帝国図書館、今の国会図書館にあった西鶴の本を随分と勉強したんです。また当時、東京に淡島寒月という人がいましたが、彼は時代に先駆けて西鶴を評価し、自身でも作品を手元に持っておりました。その寒月と仲が良かったのが露伴で、彼の西鶴作品を借りて徹底して読んだわけです。紅葉も、露伴に遅れてですが、やはり淡島寒月から西鶴の作品を教えられたんです(肥田晧三)。
(1889年11月)木﨑好尚、読売新聞に「西鶴の墓」を寄稿 大阪朝日新聞の青年記者だった木﨑好尚は、後に頼山陽や田能村竹田の研究で知られるようになる人です。この人が、明治 22 年にやはり誓願寺に行くわけです。すると新しい卒塔婆が二つ西鶴の墓に立てかけてある。一つは幸田露伴、一つは尾崎紅葉。それで、大阪の青年がびっくりするんです。東京の輝かしい新進の作家二人がここに来ている!大阪の自分たちはちっともお参りせんのに、あの二人が西鶴の墓にお参りしていると。そして 明治22年11月に、東京の読売新聞に「西鶴の墓」という題で書く んです(肥田晧三)。ママ。木崎が朝日新聞に入社したのは明治26年(1893)。
(1889年11月)幸田露伴、「井原西鶴を弔ふ文」を雑誌『小文学』に発表 露伴もまた、「井原西鶴を弔ふ文」という題で、明治22年11月に雑誌『小文学』に発表します。「今や露伴幸に因あり縁ありて、茲に斯に來つて翁を吊へば、墓前の水乾き樒枯れて、鳥雀いたづらに噪ぎ塚後に苔黑み、霜凍りて屐履の跡なく、北風恨を吹て日光寒く、胸噫悲に閉ぢて言語迷ふ。噫世に功ありて世既に顧みず、翁も亦世に求むるなかるべし。翁は安きや、 翁は笑ふや、唯我一炷の香を焚き一盞の水を手向け、我志をいたし、併せて句を誦す、翁若し知るあらば魂尚饗。九天の霞を洩れてつるの聲 露伴」(肥田晧三)。
(1890年5月)尾崎紅葉、「元禄狂」を「国民新聞」に寄稿 西鶴に心酔しているということを書き、その中で、「明治二十二年八月、大阪八丁目寺町誓願寺に、 西鶴翁の墓に詣でゝ」と記し、「ででむしの石に縋りて涙かな」という句も詠んだ(肥田晧三)。
木﨑好尚を除き、全員、江戸っ子です。
(写真)「仙皓西鶴」『壬戌羇旅漫録 2巻 [3]』1802-1812(東京大学学術資産等アーカイブズポータル)より。 注記:写本 注記:目首の書名: 著作堂羇旅漫録 注記:題簽の書名: 羇旅漫録 注記:本文末に「享和二壬戌年八月廾四日筆同十一月朔日挍合畢 曲亭瀧澤觧戯記」とあり 注記:[跋]末に「享和二壬戌年冬十一月二日 著作堂馬琴再識」, 「壬申春日 曲亭主人書」とあり
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tanakadntt · 1 year
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三輪秀次の小説(二次創作)
【3】
三 六月 奈良坂透
「結局、エントリーしなかったじゃん、ランク戦」
「スナイパーが見つからなかったからな」
「遠距離かあ」
 出水は箸を動かす手をとめて、うーんと首をひねった。三輪隊はいまだ結成されていない。
 昼休みの学校である。米屋、出水と共に机を囲んでいる。米屋はもちろんのこと、出水とも弁当を食べる機会も出来て、三輪はうれしい。射手の天才も話してみれば普通の高校生だ。人間とは奥深い。
「スナイパーがブームだから探せば見つかるんじゃねえの?」
 隊を解散した直後から、東はスナイパーの育成に力を入れている。『最初の狙撃手』である彼の指導が直接受けられるとあって、狙撃手訓練室は希望者が殺到している。
 確かにそうなのだが。
「と、思うじゃん?」
 米屋がパックの野菜ジュースを指揮棒のように振ってみせた。
「何か問題があるのかよ」
 どや顔で、あるんだなと返す。
「もったいぶるなって」
「ウケるんだって。前の隊で一緒だった狙撃手の腕がすごすぎて秀次の狙撃手に求めるレベルがおかしい件。」
「は?」
 出水はしばし沈黙した。
「あーあーあー、それ?」
「それ」
「それかあ。ないわ、それはないわぁ」
 三輪は黙って、あんパンを食べるしかない。
 既に暦も来週には七月である。
 先だって、二宮隊、加古隊両隊とも晴れてランク戦デビューを果たした。両隊とも現在、いい成績も残している。
 今回、三輪は参加を見送った。ふたりでやろうぜと言う米屋に悪かったが、三輪は諾としなかった。二人で戦って勝つ道筋はやはり難しいと判断したからだ。部隊結成の申請もまだである。
 狙撃手に求めるレベルがおかしい件。であるが、それほどおかしいレベルを求めているとは三輪自身は思っていない。実戦で使えるレベルと考えると、最近入���したばかりの新人では難しい。育てていく余裕は今の三輪にはない。実力をそろえておきたい。同じく狙撃手をチームに入れた二宮にも相談したら同意見だったが、二人とも感覚がおかしくなってるのだと言うのが、米屋の主張である。
 そんな話をした午後、三輪は米屋と本部にいた。五月からこちら、なるべく米屋と一緒に防衛任務にあたるようにしているが、近くで戦うほどに米屋の底知れなさを感じている。強いだけではない。彼は優れた戦術家だった。判断が早く的確で、しかも独断専行しない、必ず周りの状況に気を配る。連携がしやすいのだ。チーム戦にとって、この連携が重要だと三輪は考えている。エースはいらないというのが、三輪の結論だった。
 任務を終えてさらに、米屋はブースに行くという。個人戦の約束があるらしい。 三輪は米屋の個人戦を見学するか、ロビーで月見を待つかを迷っていたときであった。
 彼独��の軽い口調が三輪の名を呼んだ。
「よお、秀次」
「……」
 三輪はただ、沈黙で答えた。
 食う?と差し出された菓子袋は無視した。油菓子は嫌いである。遠慮なくと言いながら、米屋が手を突っ込んでいる。コミュ強者め。挨拶のように、対戦を申し込んでいるが残念ながらS級は個人戦はできないはずだ。ごめんなあというヌルい返事を聞く。早くこの場を立ち去りたい。
 迅悠一は、三輪が一方的に距離を置いている人物である。身も蓋もない言い方をすれば、敵であると言っていい。少なくとも三輪はそう思っている。
 彼の能力は未来を見晴るかす。神のサイコロを持つ男である。同時に、神を欺くいかさま師でもあった。なぜなら、覗き見た未来を自分の望む方角に寄せることができるのだから。
このチーターが一体どういう経緯で、ボーダーという民間組織に身を置いているのか、三輪は知らない。
 この男の何がいやなのか。まだ十五才の三輪には明確な理由をあげるのは難しい。立っている場所が違う。見ている方向が違う。同じ方向をみるつもりはない。三年前から、三輪は未来などいらないのだ。それをつゆほども気にせず、話しかけてくるのが腹立たしい。何者なのだ。何者のつもりなのだ。お前が正しいのか。この分け隔てなさも不気味なのだ。もう放っておいてくれと思う。一度は彼の選択した未来から外れた身の上なのだ。
「ああ、秀次」
 いつものふわふわとした口調で彼はついでのように付け加えた。
「いま、ブースに行かないほうがいいと思うよ」
「行く」
「秀次、待てってば」
 本部ブースである。行くしかないだろう。前を行く三輪に、米屋がいささか呆れ気味でついてくる。元々の目的地でもある。そこには果たして米屋を待つ人物がいた。
「米屋ぁ、遅い」
「当真さん、ごめんよ」
 リーゼント頭の彼は当真勇という。入隊時期は米屋と一緒である。一つ年上の背の高い男だ。約束していたのは、この男らしい。
 三輪は黙って頭を下げた。
「ああ、東さんとこの坊主」
 一コしか違わないだろうと言いたいところをぐっと我慢する。彼はスナイパーである。彼を指導する東は冗談で『デューク』になれる逸材だと賞賛していたが、三輪にはその比喩はちょっとわからなかった。が、彼はスナイパー向きではないと密かに思っている。突出した才能とそれゆえにある自負が邪魔をして後方支援には向かない。
「早速、対戦しようぜ」
 ところが、当真は眉を下げた。
「それがなあ、米屋。ちょっと、予定が入ってな」
 えー、と米屋がぶうたれる。
「わりいな」
 真木ちゃんがさあと続ける。この男は最近結成された隊に入ったばかりだ。ボーダー上層部の思惑どおり、B級隊の結成ブームである。
「あのきつい感じのコねえ、当真さん、いっつも怒られてそう」
 米屋の軽口にそうなんだよと応えながら、こちらを見下ろした。
「お前ら、組んだのか」
「はい」
「登録まだだろ。部隊結成の届け出も出していないのかよ。二人だけでも出せるだろう?」「遠距離手が決まっていないので」
「ぼやぼやしてんな。俺んとこなんざ、俺とマキリサの二人だぜ」
 そうは言われても、スナイパーとオペレーターだけの構成で申請するのがおかしいのだが、三輪は何も言わなかった。自分も少し前までは同じような立場だったし、どのみち、彼は狙撃手でありながら、いわゆるエース向きという変わり者なのだ。
 当真は顎をかいた。
「んじゃ、ドタキャンのお詫びに俺の次にうまい狙撃手を紹介してやるよ」
 俺としても好都合だし、とつぶやく。米屋がちらりと三輪を見た。先程の迅との一方的な会話が嫌でも思い返された。
『ああ、秀次。いま、ブースに行かないほうがいいと思うよ』
 未来視か。
 なんのつもりだ。いや、なんのつもりもないのだろう。ただの気まぐれだ。
 そういうわけで三輪は不機嫌である。
 出来ることなら断りたかったが、当真が純粋な好意から申し出ているのもわかっている。もしかしたら、迅が関与していない可能性もなきにもあらずだ。
 当真とともに訪れた狙撃手訓練室にはイケメンがいた。
「おおい、奈良坂ぁ」
 合同訓練、個別訓練ともすでに終わったらしく、閑散としている。見学席でノートに何かを書きとめていたイケメンは、ちらりとこちらを見たあと、ふいっと顔を背けた。無視か。
「おうおう、無視すんなよ」
 慣れているらしい。当真は気にせず、彼の横に腰を下ろす。ノートをちらりと見て、真面目だねえと言えば、イケメンはさっと鞄にしまった。
「どお、こいつ、お買い得だぜ」
「は? お買い得ってなんですか? 当真さん」
 随分とんがったイケメンである。
「こいつら、スナイパーを探している米屋と三輪。一コ下だからお前とタメだろう? 一緒に隊を組んでやったらどうだ?」
 簡潔かつド直球な物言いに、こんな時であったが、三輪は当真をかなり見直した。三輪にはできない。出来なくともやれ、そして隊員を見つけてきなさいと月見に言われている。イケメンはじろりとこちらを見た。塩対応をものともせずに、当真はニヤリと笑って、長い脚を組んだ。強者の貫禄だ。
「奈良坂、お前、俺と戦いたいんだろう? 隊に入れよ。俺、すぐにA級にのぼっちまうぜ」
「当真さんの紹介なんてごめんだ」
 俺は真木ちゃんと約束があるから、あとはお若い三人でと当真が消えたあと、イケメンはそう言い放った。とりつくしまもない。
「そう言われても、俺は何も悪くないんだが」
 しかし、三輪はひるまなかった。元々、迅のせいで機嫌が悪いのだ。
「まあまあ、秀次」
 米屋はさすがのニュートラル平常運転だ。
「俺、知っているぜ。今シーズンの新人王」
「まあ、一応」
 ぼそりとイケメンは答えた。
 新人王とは新入隊員でそのシーズンに一番ソロポイントを上げた隊員のことである。
三輪は目を見開いた。フリーでポイントをそこまであげるのはから相当なことだ。
「なんだよ」
 イケメンも機嫌が悪い。
「さっき、当真さんの言った通りだ。フリーと聞いたが、隊を組む気はあるのか?」
「お前らが強ければね」
 三輪はそうかと頷く。
 そうでした。ああ、そうでした。スナイパー、超めんどくさかった。前隊にいた頃、訓練で東に二宮、加古と三人で仕掛けたときを思い出す。
 対戦ブースでのイケメンとの模擬戦の最中である。ここのところ、米屋と手合わせすることが多く、スナイパーとの対戦は久しぶりだった。
「わりぃ、秀次」
 そういいながら消えていく相方を見送る途中で、三輪もヘッドショットを受けた。  結果、2ー8である。三輪にしてみれば惨敗だ。イケメンは強いイケメンだった。
 三輪をおとりにして、米屋が突っ込んだのが成功したが、一回のみ。
 斜線を切りまくって、近づいて倒したのが一回。
 とにかくイケメンの場所がわからない。気がついたときは撃たれている。しかも、予想した場所よりかなり遠くから。
「弱いね」
 フロアに出てきた彼は涼しい顔である。三輪はソファにめり込んでいた。悔しいのだ。米屋との連携もほぼ完成したつもりだったが、まだ甘さがあった。
「これで諦めてくれる?」
「いやだ」
「は? 弱いだろ」
「いや、もう一回十本やったら勝つ」
「どこからそういう自信…」
「事実に基づいた推測だ。やってみればわかる」
「やらない」
「大体、俺が弱いは関係ないだろう。俺はチームの強さの話をしている。弱いなら、お前が入ればいいだけの話だ」
「いつからそんな話になった」
「筋は通ってる。元々、俺は近距離だけでは勝てないから遠距離を探している」
「だったら、探せよ」
「当真さんからお前を紹介された」
「俺は頼んだ覚えはない」
「どっかのチームに入るんだろ? そんだけの腕を持ってたらどこでもいいだろ」
「へりくつだ」
「選ぶな」
「俺の勝手だろう」
「とにかく、もう一回対戦するぞ、お前、ええと」
 イケメンと呼ぶのは、流石にはばかられた。
「覚えてないのによく誘うな」
「俺の名前だって覚えてないだろう?」
「三輪だろ。東隊の。大体、普通、対戦ボードみるだろ?」
 果てしなく続くと思われた争いに終止符を打ったのは米屋ではなかった。米屋はずっとニヤニヤ眺めていたのだ。
「こらこら、こんな場所で喧嘩するんじゃない」
「してません」
「してない」
 二人が振り向いた先にいた人物を認識して、二人は固まる。そこにいたのは、東春秋であった。
 二人を前に、東はニコニコしている。
 なぜここに。いや、それよりも笑顔が三割増しである。おそらく、おそらくだが、自分に喧嘩できる相手がいてよかったと思っている。それがわかって、三輪は赤面して下を向いた。
「失礼しました」
 ぼそりとそれだけつぶやくと、奈良坂はぷいっと顔を背けた。彼も東に師事しているはずだ。
「…東さんがまた新しく隊を作ると聞いたんですが」
「ああ」
 イケメンをちらりと見る。
「その、新しい部隊に俺を入れてもらえませんか」
 三輪は感心する。胆力がある。言い出すタイミングもいい。間違えていない。スナイパー向きだ。
 一方、奈良坂はダメで元々の大勝負だった。東のもとでもっと技術を磨きたい。隊を結成すれば、それにかかりきりになる。彼は当真とは真逆の勤勉な狙撃手だった。
「すまんが、無理だな」
 いきなりの申し出だったが、東はよどみなく応えた。
「俺がスナイパーをするからな」
 奈良坂は諦めなかった。
「二人スナイパー構成はどうでしょうか?」
 三輪が顔をあげた。
「それ、面白いな」
「お前に聞いてないよ」
 カチンときて、ギロリとにらんだが、あまり気にしていないようだ。
 にっこり笑った東は二人の頭をなでた。俺もう高校生ですが、と言いたかったが、口に出せない。
「今度、三人で遊びにおいで」
 そのまま、ふらりと行ってしまう。三人は東の背中を見送った。
「遊びにこいって、どこに?」
 米屋の問いに三輪が答えた。
「作戦室かな? 多分、新しく作戦室を申請するんだと思う」
「いいな、作戦室あこがれねえ?」
 米屋が奈良坂に屈託なく話しかけた。
「なあ、奈良坂。一緒にやろうぜ、とりあえずでいいからさ。作戦室いいじゃん」
 秀次が狙撃手を入れないと隊の申請しないって聞かないんだぜと続ける。 そのためか。奈良坂は唐突にバカバカしくなった。
「お前らとは合わないよ」
「俺はあまり相性とか気にしないぜ」
 戦えれば、と米屋。三輪も腕を組んだまま、頷く。
「問題ない。安心しろ。俺もそういうのは考えたことはない」
 奈良坂はため息をついた。
「…他に行きたいとこができたらやめるけど」
「かまわない」
「…ほんと、それまでだからな」
「とりま、作戦室ゲットしようぜ」
【4】に続く
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chaukachawan · 6 months
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だんいんしょーかい!35期の巻!
ころねです。
ちゃうか引退するんだって!な、なに〜!?
ってわけで、折角やし!団員紹介をします。全員分やるぞ!という意気込みをしておきます。
まずはかわいい35期のメンバーを紹介するぜ!
○大福小餅
こふく。いつもニコニコで真面目で可愛い。あといつもハキハキしてて素敵だなあって思ってる。めちゃくちゃ聞き上手でいっぱい喋りたくなっちゃう。…私は子供か?ともかくこんな良い子になりたかった…!今回めちゃくちゃ声が出るようになっててゲネでびっくりした。努力の賜物なんだろうな。すげえや。
○あろハム権左衛門
アローちゃん。声が好き。よく通って響く声。そしてキャスパを全力で楽しんで踊っていて可愛い。館下コンビニまでのタイムアタックを突然やり出すあたり、実は結構独特な感性をお持ちだと見たので、いつか脚本とか書いてほしいなあ。某同期から貰ったその芸名は固定なのだろうか。乞うご期待…?
○しょこら
こらしょ。怪盗の時は全然アドバイスとか出来なかったから今度こそお力になりたいと思ってたらもう完成されてた。さすが…。色んなサークルと掛け持ちしてて、授業も絶対忙しくて、そんな中でちゃうかで成長しようと意気込んでくれてありがとう。成長しようとする人は絶対伸びるから、これから楽しみ!
○湊
みなと。脚本書ける人って素直にすごいと思う!ちゃうかに入ってくれてありがとう。彼の脚本が舞台になるところがみたいなあ。
○紫仏瑠唯
るい。忙しい中スタッフ参加して、反省会とかにも来てくれた。ありがとう。オムニの時や普段ちゃうかで居る時の姿を見てると、誰よりも落ち着いた雰囲気を持ってるなあと思う。実はちゃうかではそれは希少なのだ。オムニでの立ち姿が母親そのものだったので、また役者をやってほしくて仕方ない。
○近未来ミイラ
みーら。天才。そして超絶いい子。とりとめのない話をしても全部相槌打ってくれる。呼吸をするようにおもろいことを言える抜群のセンスの持ち主。だけど制作チーフとしてしっかりしてる姿も見せててすごい。アサギ達とずっとわちゃわちゃしててほしい。新人頑張ってくれ、応援してる!!
○黒井白子
しらこ。感情の昂りを表現するのが最高に上手い。そして変な動きをするのが上手い。この公演の間、割と私も変な動きをしていたので合わせてくれて嬉しかった。あとキャスパ中に目を合わせるとこでにっこにこでかわいい。自主練の鬼で、周りを引っ張る強さがあるので、これからもそのままでいてほしい。
○海泥波波美
アサギ。やべーやつかと思ったけどそんなことなかった。外公で私はほぼ参加してなかったので噂だけ聞いてるけど、いっぱい頑張ってくれたらしい。ありがとう。舞台チーフとして動いてる姿、最高に頼もしかった。最近麻雀覚えたので一緒にやりたかった〜。またいつかやりましょう。うぇい。
○コン
こんちゃん。自然な演技が魅力かと思っていたけれど、theかっこいい演技も彼の魅力だった。今回バカかっこよくて毎回テンション上がる。最高。そしてどの代役やってもハマるって凄すぎる。キャスパをずっと練習し続ける姿が印象的。本当に努力家で尊敬してます。いつか王道主人公やってほしい。
○田坂優
エピ。まじ映像の天才。先輩たちに囲まれながらもPVの撮影を仕切ってる姿が、すごくてきぱきしててかっこよかった。写真撮影とかの時に意外とノリが良くて非常に可愛��った。不服だったらごめん笑
○鴨兎春
らび。茶髪や派手髪も好きだったけど、黒髪も似合う!かわいい!!殺陣の時のらびは面白いのにかっこよくて惚れますね。声が素敵。立ち姿も素敵。いつかふぉにゃみたいな頼れるネキポジになる予感がしてる。芸術センスと強いバイタリティでなんでも解決していくらびの未来が見える。かっけえ〜
○園堂香莉
なぽり。声が綺麗!立ち姿が映える!かわいい!!初めて見たけど、本当に演技が上手くてビビった。今までちゃうかに居なかった清楚系が似合う女子。だけど言葉の使い方は若干独特で面白い子。あとめちゃくちゃ歌が上手くて照明オペも完璧。エグいぜ。公演の度にファンを増やしていきそう。
○衿君
エリック。オムニで共演した時、感情を爆発させるのが上手すぎてビビった。トリックオアトリートが可愛すぎてファンになった。だがしかし、可愛いは心外らしい。わりぃな!私はあまり稽古場では会えなかったんだけど、めちゃくちゃ吸収が早いと聞いた。実際私は会う度に成長していく姿を見て本当にすごいと思った。役者続けてくれよな!
○縦縞コリー
こりちゃん。新・衣装チーフ!引き受けてくれてありがとう。早速仕事をてきぱきこなしてて感動。演じるのも上手すぎて泣けます。なんであんな貫禄から年相応の感じまで出せるんですか?天才??私はこりちゃんの発声の仕方が好きで、あの腹からしっかり出てる感じの声が好き。最高。
○中森ダリア
ひらり。演技上手くて踊り上手くて美しい、そして意外とぶっ飛んだ一面がある。また役者してほしいな〜。イッヌを愛でる姿がなかなかにインパクト強かったので、また見てえなあって思ってる。オムニの時のダンスが上手すぎてこれもインパクト凄かったので、彼女のダンスをまたみたい。
○冊まいも
みそか。落ち着いた妹にも、姉御にも、キラキラ女子にもなれる大女優。いつもニコニコしてて可愛い。さらに音響チーフを今後やるとのことで、分からないことをたくさんコルクやこたちにまっすぐ聞いてる姿を見て、音響の未来は安泰だあ〜って思った。ほわほわした雰囲気だけどしっかりしてて大好き。
○ミル鍋
ゆに。初共演!かわいくってついよしよしして、ほっぺつんつんして抱きしめてしまう。ただ、今回の舞台上では逆の立場なんだよなあ。ゆにの一つ一つのセリフの出し方、動き方が上手すぎて、私はいつも助けられております。ありがとう。もう一個の方では全力かわいいなのでギャップにも震える。
○まろん
まろん。あと映像オペやったらオペ制覇するスタオンの鏡。来年あたりにはらっしーみたいなスタオン戦士になってそう。英語だけの曲の照明オペやって常に完璧なの天才すぎませんか?信頼しかないぜ。
○苔丸
こけまる。強みはなんにでもなれるところ。祖母と男子高校生の両方いけるとか強すぎ。そして本人が良い子で泣ける。痒いところに手が届く、みたいなことをサラッとやってのける。かっけえ。そしてめちゃくちゃ優しいんだよなあ。今回あなたに憧れる役だけど、素でも全然余裕で憧れてる。ありがとう。
○吉崎太志
チャイ。実は…会ったこと…多分1回しかないんだよねぇ…いつかちゃうかの楽しさを感じてもらえる時が来るといいな!
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momoko-shibata · 7 months
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「古坂禄子カウンセラーってどんな人ですか?」(くれたけ#210)
奈良県 生駒支部 古坂禄子カウンセラーをご紹介いたします。 柴田桃子
『カウンセラーの「よしこさん」』でおなじみの、古坂禄子カウンセラー。 2021年は、強化チームのトレーニングのオンラインミーティングでお会いする機会が多く、「物腰の柔らかい方だな」「素直な方だな」と感じていました。 その後、京都のランチ会や名古屋での食事会等で直接お会いする機会がありました。 一緒にいる安心感はもちろんのこともっと話したい、もっと聴いてほしいと思える空気感を持っていらっしゃって、様々なお話をしました。(関西弁でのお話や突っ込みが絶妙で、お話していて楽しいんです) 柔らかさの中に強さもありカウンセリングでの対応を見ても、そこに思いやりがあり誠実さを感じます。 個人からカップルまで幅広く対応され講師としてのお仕事もこなされる古坂禄子カウンセラーの公式サイトはこちらです。⇒古坂禄子オフィシャルサイト
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machikoyamada · 7 months
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「古坂禄子カウンセラーってどんな人ですか?」古坂カウンセラーについて、語ってください。(くれたけ#210)
くれたけ心理相談室からカウンセラーへの今月のお題二つ目にお答えします。   【お題】「古坂禄子カウンセラーってどんな人ですか?」 奈良県生駒支部の古坂禄子カウンセラーを一言で言うと、 『レンジの広い人』です。 「広い」という言葉を使うと面積のイメージですが、 禄子カウンセラーのレンジは、奥行きや深さもあって とにかくどんな方向にも合わせられるレンジです。   このお仕事、もちろん人が相手になりますが、 レンジの広い禄子カウンセラー、どんなお相手でも いつでもどこからでもど~んとこい状態です。 年齢層、子供からお年寄りまで性別も関係なし。 なんならおっさん大得意。 保育士、幼稚園教諭の資格もお持ちで子育てもほぼ終えているので、 子供や親の立場での深い理解も可能です。 お仕事バージョンはこれくらいで。 (あとはぜひカウンセリングを受けてみてご体感ください。)   プライベートのレンジもすご…
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kazuki-sakakibara · 8 months
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くれたけ心理相談室のカウンセラーが月々のお題にお答えするシリーズ 9月の1つ目。 古坂禄子カウンセラーのご紹介です。
先月の田中カウンセラーや去年のブログでもそうでしたが、 昔から大好きな人を紹介しようとすると、 愛がダダ漏れになってしまうんですよね・・・。 伝わりますように。
ブログを更新しました。 (「古坂禄子カウンセラーってどんな人ですか?」(くれたけ#210)から)
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kachoushi · 1 year
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各地句会報
花鳥誌 令和5年2月号
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坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
………………………………………………………………
令和4年11月5日 零の会 坊城俊樹選 特選句
秋風や日覆ひの色褪せしまま 秋尚 のつそりと冷ゆるがままの地蔵かな 軽象 佃煮屋間口小さく秋灯す 三郎 神水を掬へば木の実溢れ出る はるか 残菊やまことに細き路地ぬけて きみよ くつくつともんじや躍らせ小春人 眞理子 欄干に頬杖をつく鯊の竿 はるか 猫じやらしいづれも佃生まれなる 和子 小鳥来て路地の少女の消えてゐる 同 晩秋に釣糸たらす女かな きみよ
岡田順子選 特選句
初冬の海月は川の色をして 小鳥 ���つそりと冷ゆるがままの地蔵かな 軽象 大正の風沸く交番神の留守 小鳥 もんじや屋の高き箆音小六月 眞理子 てつぺんへ鳥入れ替る柿の空 千種 産土神の留守の月島一号地 いづみ 朝寒し江戸の醤油の煮詰まれり ゆう子 佃とは小鳥姦し婆もまた 俊樹
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年11月5日 色鳥句会 坊城俊樹選 特選句
鷹匠の脈打つ腕畏鳥 美穂 襟元を直す鷹師の指女性 勝利 風の待つ鷹一点を凝視して 孝子 鷹匠の血脈誇り隠れ棲む 美穂 白樺の空ふかぶかと鷹柱 朝子 りんりんと月呼びよせて虫の声 成子 七五三背中をあふれさうに帯 美穂 隼の一閃に散る鳥の群 由紀子 風も日も包みて蓮の枯れにけり 孝子 あまたなる祈り睡らせ枯蓮 かおり 前を行く心変りの時雨傘 久美子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年11月7日 花鳥さざれ会 坊城俊樹選 特選句
石蕗の黄飛ばねばをれぬ蝶一つ 雪 赤とんぼ飛んで昔の空の色 同 この晴を授けて神は旅に出し かづを 幾千里子連れの鴨の渡り来し 匠 在りし日や歴史は遺る左内の忌 千加江 潮風や句碑は礁に柏翠忌 同 霙るるや獄舎の左内穀然とし 千代子 天高く貫ぬく像や左内の忌 笑 街路樹の一夜に痩せて神渡 希
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年11月8日 萩花鳥会
石蕗の花段段段と崖ぷち 祐子 コロナ禍の波乗り上手に冬構 健雄 小春日の暮れて待たるる燗一杯 俊文 風に揺れ森の囁き木の葉散る ゆかり 会釈から世間話に小春の日 陽子 ただふるへ明日を求めぬ木の葉かな 吉之 流星の如く零れし小夜時雨 明子 南窓微睡む父や冬ぬくし 美惠子
………………………………………………………………
令和4年11月5日 さくら花鳥俳句会 岡田順子選 特選句
袖揺らし拙く歩く七五三 あけみ 傷のない大根抱へ師を訪ひぬ 登美子 面取りの暇なき夕の煮大根 実加 徒歩多き歴史ツアーや椎の秋 紀子 細路地に並ぶ地蔵や朝時雨 実加 葛湯して今夜は静かすぎる母 登美子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年11月10日 うづら三日の月花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
凩や気にしても今猫背かも さとみ 句をよんで名を知れるなり石蕗の花 同 手の先に触れ行く物の冬に入る 都 廃船のたゆたふ河や冬めきて 同 前山に人の呼び合ふ小春かな 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年11月10日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
蒼穹へ差し出されあり鵙の贄 都 トタン屋根黒く被ひて山葡萄 史子 迷ひ来し犬は小春の匂ひして 都 神名備へ舞ひ降りて来し渡り蝶 宇太郎 冬籠老いて小さくなるままに 悦子 遠き日の灯台の下大根畑 すみ子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年11月12日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
欠礼の葉書一通冬に入る 恭子 大綿の飛ぶ一角や時ゆるむ 同 朝の日に虻を待ちゐる花八手 三無 初時雨移ろへる景厨より 和代 蒼天に柿の朱色の映り込み 三無 大綿の抱へる影の漂へる 秋尚 想ひ出は些細なはなし花八手 ゆう子 木々の葉の手さわり厚く冬来る 恭子 綿虫のふうはり中子師の化身 三無
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年11月14日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
こつこつと振子の音や冬灯 時江 残菊に風の別れか纏ひつく 同 丁寧に描く絵手紙曼珠沙華 ただし 神なびの落葉時雨や岩を打つ 時江 花八手午後の日早も翳りゆく 昭子 職人はなべて無口や日短 同 落葉踏む音にも山の深さあり みす枝 踏み入りて銀杏落葉に呑まれたる 信子 マネキンの衣裳着膨れしてゐたり 世詩明 初霜の夜なりオリオン瞬きぬ 信子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年11月14日 なかみち句会 栗林圭魚選 特選句
山茶花の掃きたるあとに二三片 廸子 ものの影長く濃くなる冬めきて 三無 隼の腹白じろと急降下 怜 街路樹の風音乾き冬めける 秋尚 夕散歩我が影長く冬めきぬ 怜 箒持ち山茶花散るを楽��めり ことこ 青空を切るビルの影冬めける 秋尚 立ち話続く山茶花日和かな 和魚 冬めきて木立の空の広くなり 廸子 蒼天を蹴りて隼矢となりぬ 三無
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年11月16日 福井花鳥会 坊城俊樹選 特選句
字余りの句をつくりたる文化の日 世詩明 桟橋も浚渫船も冬に入る 千代子 神の旅紅く際立つ大鳥居 笑子 茅葺の千古の家に散る紅葉 希子 玉砂利の中に見つけし木の実かな 和子 存問もせずしづむ身に石蕗の花 数幸 せめて欲しうすばかげろふ程の翅 雪 人の世を仏の流転秋の風 同 だんまりを通しきれずに蚯蚓鳴く 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年11月17日 伊藤柏翠記念館句会 坊城俊樹選 特選句
人の世に蓑虫鳴くと誰が云ひし 雪 火取虫飛ばざれば灯も淋しきか 同 寺小春上品上生仏仰ぐ 千代子 ぼてさんは越前蟹を売り歩く 同 銀杏散り大樹の影の細りゆく かづを 千年の古都の時雨にあひにけり 同 潮風に磨きあげられ石蕗の花 眞喜栄 腕白も今日は神の子七五三 みす枝 秋風に揺れてゐるかに弥陀の耳朶 やす香 冬ざれや星をつけたる兵の墓 世詩明
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年11月18日 さきたま花鳥句会
参道を江戸小紋なる散紅葉 月惑 冬凪や島のなぞへの墓の群 裕章 麦稈のロールどすんと冬を待つ とし江 藤袴やさしく撫づる福禄寿 ふじ穂 あかあかと冬田息づく日の出かな 康子 神無月何事もなく老いの日々 静子 美女と言ふ嘘を重ねて冬鏡 良江
………………………………………………………………
令和4年11月20日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
照紅葉ここは武蔵野ど真ん中 三無 黄落の熄み変哲もなきベンチ 千種 落葉して三面恐し馬頭尊 慶月 重さなき影を揺らして枯尾花 三無 藁屋根に落葉降り積み主留守 慶月
栗林圭魚選 特選句
冬枯や蚕飼の匂ひふと間近 炳子 冬灯しコルクのもろき薬瓶 久 初時雨お薄いただく森の庵 久子 雲割れてゆく黄落の激しさに 千種 大根の髭剃られあり品評会 久子 山茶花や雨の重さも散り敷きて 亜栄子 黄落の熄み変哲もなきベンチ 千種 白銀の手摺り冷たく磴下る 炳子 乾びたる音の遠のく冬木道 眞理子 ちりちりと咲き揃ひたる冬桜 秋尚
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年11月21日 鯖江花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
秋祭皮張り替へし大太鼓 雪 而して九十一の菊膾 同 七福神旅立たれたる村静か みす枝 百地蔵に散華の如く紅葉舞ふ 同 湯豆腐の正面に座す強面 昭子 掃き終へし箒立て掛け花八手 同 季は今し厳き面となる猟夫 一涓 還り来し神をねぎらふ祝詞かな ただし 百鉢の菊の位を競ひけり 世詩明 一寺置く知恵の文殊の山眠る 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年11月27日 月例会 坊城俊樹選 特選句
皇のげに隙のなき白障子 昌文 身を包むコートの中が愛国者 いづみ 箒目を真直ぐに神を迎へけり 光子 陸士らの祈りの長き神迎 はるか 今にして見えてくるもの綿虫も 千種 大前へ小春は人を歩かせて はるか 孤独なる鴨の水脈とはもつれざる 光子
岡田順子選 特選句
桜もみぢ防大生の整列へ 眞理子 狛犬の阿吽おそらく息白し 俊樹 黄落す絵画の中に居るやうな 政江 参道の冬日の中へ防大生 同 幾そ度落葉の艶を神の池 幸風 すれ違ふ男冬野の匂ひして 千種 大前へ小春は人を歩かせて はるか すめらぎの濠へ映りて柿たわわ 眞理子
栗林圭魚選 特選句
冬蜂のとどまるところ香の濃ゆし 光子 ハーレイの枯葉舞ひ上ぐ九段坂 要 靖国は黄金色に神迎 千種 枯蓮の影縮こまる濠深き 秋尚 日を溜める力残せし枯尾花 同 すれ違ふ男冬野の匂ひして 千種 孤独なる鴨の水脈とはもつれざる 光子 紅葉散る城跡になほ地の熱り 千種
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年11月 九州花鳥会 坊城俊樹選 特選句
蓮根掘る胴長干して昼餉時 光子 蓮根掘り母のがめ煮の待つてをり 美穂 目貼せし仏間に母と長話 愛 黄落やへうたん池を膨らませ 由紀子 手の窪に在はす仏や霜の声 成子 蓮根掘るまぶしき泥の太古まで 睦古賀子 冷たき掌胸に合はせて百度石 かおり づぶづぶと臍まで沈む蓮根掘 千代 抜き足は得意技なり蓮根掘 美穂 蓮根掘るこのまま脚の根付きさう 愛 冬銀河泳ぎ止まざる大魚達 ひとみ
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
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iwatsukieri · 1 year
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11月お話会
平素よりお世話になりありがとうございます。 11月になり、街の木々が緑色からオレンジや黄色に 変わってきましたね。   11月のお話会の案内です。 毎月、一般の方と弊社のカウンセラーと お話し会を実施しております。   心に関するお話しから雑談まで、 参加者様のご希望に沿ったテーマで お話しをしております。   聞いてみたいこと、お話ししたいこと、 カウンセラーと関わってみたい等、 お気軽にご参加いただけます。   <日程> ◆日時:2022年11月20日(日)13:00~ (途中退席&途中入りOK)飲食自由 ◆参加費(無料) ◆内 容"LINE"でのオンライン・フリートーク   <参加カウンセラー> 大野快人(準備中) 水上奈美(東京都練馬区・埼玉県川越市) 渡辺恭代(埼玉県入間市) 古坂禄子(奈良県生駒市) ロバーツ多英子(ニュージーランド)   エントリー方法:お問合わせフォーム …
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【富山県謡曲古跡めぐり呉西編】2日目3箇所目  2021/3/23・4/4
能「藤」
阿尾城 《富山県小矢部市阿尾字島尾》 英遠(あを)の浦に 寄する白波 いや増しに 立ちしき寄せ来 東風(あゆ)をいたみかも  (万葉集 巻18-4093・大伴家持)
現代語訳 阿尾の浦に寄せる白波が、だんだん増してしきりに押し寄せてくる。東風が激しいからであろうか。
「英遠の浦」とは氷見市阿尾、灘浦の海に突き出た標高約38mの台地付近の海辺のことです。 戦国時代には阿尾城が築かれていたこの白い台地の岩肌と、 台地を包む暖地性常緑樹叢が群青の海に 影をおとすさまが美しい景勝地です。
阿尾城は、富山県氷見市阿尾城ヶ崎にある平山城です。あるいは海城・崖端城とも言えるかもしれません。 現在は富山県史跡に指定されています。 阿尾城は富山湾に面した標高20~40mの独立丘陵上にあります。海側は断崖絶壁でここからはとても攻めることはできないので攻め込めるのは西側からだけです。ここもかなり急坂ですので、もしここを攻めようとしてもかなりの被害が予想されます。 築城時期は不明ですが、発掘された出土遺物からは15世紀後半頃には既に城として利用されていたと思われます。 天正・文禄年間(1573~1596)頃には菊地武勝・安信父子が居城しています。 この菊池氏は、肥後の名族菊池氏の出自ですが、肥後の菊池宗家は戦国時代に大友氏によって滅亡しています。 阿尾城主の菊地氏は、当初は上杉謙信が能登を支配した際にはそれに従ったと思われますが、織田信長が勢力を伸ばしてくるとその配下の佐々成政に従い、1584年(天正12)には佐々成政と羽柴秀吉が対立すると秀吉配下の前田利家へ寝返り、城を明け渡しています。そして阿尾城代として有名な前田慶次郎が入り、佐々軍の攻撃を受けることもありましたが、なんとか防ぎきっています。阿尾城は慶長初め(1597年頃)には廃城となり、菊池氏の子孫は前田家家臣となり1500石を与えられています。 三の丸にある神輿会資料館阿尾城の遺構としては、曲輪として、本丸、二の丸、三の丸が現存しています。また土塁、空堀も残っています。 また現在は榊葉乎布神社が西側の郭にあり(郭名は不明)、実際には城の唯一のウィークポイントである西側を守る郭なので防衛上最も重要な郭であると思われます。また白峰社が二の丸の上部にあります。 本丸には当時は櫓があったと考えられていて、海上の監視を行っていたと思われますが、現在は展望台がありやはり海上を望むことができます。この城の特徴として本丸が海上に突き出た崖上にあり、他の郭とはやや離れていて二の丸とつなぐ通路が極めて狭く急な土橋だけということです。本丸と二の丸の間に空堀らしい窪みがあります。 またこの城は、各郭がみな狭いためあまり大規模な建築物を建てることができないので、あまり多数の兵が篭ることはできないと思われます。もっとも菊池氏はさほどの兵力を持っていたとも思えません。おそらく数百名の兵力しかなかったのではないかと思われます。後の氷見合戦では菊池勢は千名を動員していますが、これが最大動員であったと思われます
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takeuchiyoshihiro · 7 months
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古坂禄子カウンセラー(くれたけ心理相談室 生駒支部 奈良県)ってどんな人?(#210)
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hiromiaoyagi · 2 years
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京都ランチ会に行ってきました
くれたけ心理相談室の京都でのランチ会が開催されました。
昨日、9月13日に関西地区では初となる、くれたけ心理相談室 WESTランチ会(in京都)が開催されました。 オンラインでしかお目にかかれていなかった京都南支部、奈良 生駒支部、和歌山 田辺支部の方々とも直接お会いすることができて嬉しかったです。 くれたけ心理相談室のランチ会は、どなた様もご参加いただけます。 左から奈良 生駒支部:古坂禄子カウンセラー京都南支部:中根春奈カウンセラー京都支部:山田真智子カウンセラー和歌山 田辺支部:久保このみカウンセラー 今までは、本部の名古屋開催がほとんどでしたが、これからは徐々に全国各地でも開催できるといいなと思います。楽しみです。 ※次回は名古屋本部にて、10/4開催となります。ご参加申し込みはこちらからお願いいたします。
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shakuhachi-kataha · 3 years
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虚無僧尺八入門曲 ☆ 霧海篪(むかいぢ)徹底探求! 
霧海篪は恋慕(れんぼ)なの?!
中世の薦僧はれんぼを吹いていた?
霧海篪とは、虚鈴、虚空にならぶ古伝三曲の一つ。
霧海篪鈴慕とも云う。
古い譜には「箎」と明記されていますが、「篪」と同じで、笛の意。
神田可遊著『虚無僧と尺八筆記』の尺八古典本曲解説「鈴慕・霧海篪」によると、「『霧海篪』は「恋慕」の異名であるということになっている。」とのこと。
「恋慕の一曲は、こひしたふといふ文字にして凡夫愛着恋慕の妄執にまどはされ居て、一心を開覚する事能はず、仏の他力にて発動するの曲なり(中略)俗縁の恩愛を断ざれば仏になれぬ故に、恋慕の俗恩を棄て無為の門を修行」する秘曲で、「当門入門の一曲なり、是即発心門なり」
鈴慕と言う曲が多いのは入門曲ということなのだろう。一般にも虚無僧は恋慕を吹くものと思われていたらしい。『霧海篪』は「恋慕」の異名であるということになっている。
『虚霊山縁起并三虚霊譜弁』(1735年)では、虚竹が霧中に聞えたこの尺八を「霧海南針」というべしとし、これによって霧海篪という譜の名にしたとしている。
「霧海南針」の【南針】とは、中国語の辞書によると、南针(ピンインnánzhēn)と書き、「指南、指針、指導」の意があります。
「恋慕の俗恩を棄て無為の門を修行」���る秘曲とあるように、入門者にとっては基本の曲であったことが伺われます。
「虚鐸伝記」伝説の霧海篪についてはこちらをご参照下さい↓
youtube
↑明暗対山派(流)、37代目の谷北無竹から竹内史光師に伝承された霧海篪です。
では、霧海篪の原型である「れんぼ」は一体どんな曲なのか?を探求してみたいと思います。
「れんぼ」と一節切との関連性は、次のような浄瑠璃の詞章にも見られる。
   〽一夜ぎりには子も足らぬ 只しやくはちのねをながく
    れんぼれゝつれがよございしょ」
金平浄瑠璃《四天王丸山あそび》貞享頃 1684-1688年
【金平浄瑠璃(きんぴらじょうるり)】江戸前期、江戸に流行した浄瑠璃。
江戸の桜井和泉太夫(のち丹波掾)が創始。坂田金時の子金平の武勇談を操 (あやつり) 芝居で上演,その豪快粗野な曲が江戸の気風に適合して町人に喜ばれた。初世市川団十郎の荒事 (あらごと) もこの人形の動きから考案されたものという。(『旺文社日本史事典 三訂版』より)
近世初期歌謡「れんぼ」から生まれた一節切尺八のイメージは、詞章〽レンボレレツレ」の「レレツレ」に象徴的に示されている。〽レレツレ」は一節切尺八の唱歌に起因する詞章と思われ、それが「れんぼ」の詞章の特 徴となり、同時に旋律の音楽的特徴ともなった。
〽レンボレレツレ」という詞章の「レンボ」と「レレツレ」が、それぞれに、「恋慕」という情感のイメージと 一節切尺八のイメージに対応し、後述するように、定型旋律「レンボ」が広がる状況にも影響を与えていくので ある。
(『近代邦楽における「レンボ」の広がり』より)
近世初期の流行歌謡「レンボ」の旋律について、楽譜と共に大変詳しく書かれていますので、こちらをご参照下さい。
ここで一つ謎なのが、この頃の一節切の譜はロツレチ譜では無くフホウエ譜なので、ここで歌われる「レレツレ」はただの言葉遊びかと思われますが、「ウウホウ」の部分が現代の譜のロツレチにすると「レレツレ」になのは偶然にしても上手く行き過ぎているような…🤔
地歌筝曲の「歌恋慕」(うたれんぼ)とは?
流儀によって各種ある。元禄以前の歌謡を組み合わせたもので、各歌の長さは不定。作曲は菊平勾当、もしくは河原崎検校とみられる。
三歌のあとに手事風の間奏が入り、巣籠地を合わせることができる。これは歌詞や曲名が尺八曲に因むためであるという。
【手事(てごと)】地唄、箏曲での歌の間に挿入される器楽の長い間奏部分。
詩の内容は、愛しい人に会えれば一夜限りでも��れしく、夢の中でさえその伊達男が吹く尺八の音色にこそ束の間の幸せを感じる、そんな哀しい遊女の心情を歌った詩。
歌恋慕(うたれんぼ)
一、
絶えて逢はずとな、文をば通ひ、文は妹背の橋となる。妹背のな、妹背の文は、文は妹背の中となる。
二、
人の辛さにな。こりもせず。憂き玉の緒のいつまでか。絶えぬ思ひに呉竹の。幾夜、伏見の袖濡れて。乾く間も無き涙の渕よ。夢になりとも逢瀬は嬉し。
三、
寝良げに聞くは小夜の尺八。一節切にも情あれかし。
四、
梅は匂ひよ、桜は花よ。それそれ人の情は、いつも花の香。
1.
打ち絶えて、逢わないということですか、手紙を出しなさい。手紙は恋の架け橋となる。恋の手紙は、手紙は恋の仲立ちとなる。
2.
人の世の辛さにこりもしないで、憂い生命はいつまで生られるのか、絶えない思いに暮れて、幾夜も伏見で伏して袖を濡らし、乾く暇のない涙の淵であるよ。夢にでも逢う瀬は嬉しい。
3.
寝耳に聞いてよい夜の尺八や、一節切の一夜だけでもよいから情けが欲しい。
(「一節切」と「一夜きり」がかけてあります。)
4.
梅は匂いが良いし、桜は花が良い。それぞれ人の情けはいつも梅や桜の花と香りのように良いものだ。
参照・日本伝統音楽情報サイト、尺八修理工房幻海HP
次は、
薦僧が「れんぼ」を吹いていたとされる史料です。
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中世から江戸初期にかけての虚無僧スタイルの二人の横に、
「こむれんぼふく」
とあります。
こちらは「れんぼながし」の三味線の楽譜です。
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(古典かな字のため「れんぼながし」の「ん」と「し」しか読めません😅日本人でこの古典かな文字が読める人は殆どいないです)
「れんぼながし」の譜の最後の箇所に↓
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此外ニ
こもれんぼとて有
と、記してあります。
最初の虚無僧二人の絵では「こむ」でしたが、こちらは「こも」ですね。
「れんぼ」もそうですが、「こもそう」「こむそう」も当て字が幾つかあります。
薦僧、古無僧、虚妄僧などなど。
『大怒佐』(三味線入門書)東京大学学術資産等アーカイブズポータルより。原題簽/「糸竹大全三味線初心書」
そして、『糸竹初心集』の類書で、一節切尺八の書一節切尺八の書『紙鳶(いかのぼり)』(1687年)にも「れんぼ」の譜があります。
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『紙鳶(いかのぼり) 3巻』(国立国会図書館蔵)
一節切のフホウエの譜です。
早速、一節切で吹いてみたのですが、今の霧海篪の原型と言えるかと言われると、どうもしっくりこない。
尺八研究家の神田可遊氏も、ご自身の著書に共通点が感じられないと書いておられます。
ですが、霧海篪で何度も繰り返される「リイーリイー(ハイーハイー)の部分と、『れんぼ』の譜の「ウホウホ」と同じ音である事が、『霧海篪』と『れんぼ』の共通点である事が分かりました。
謎は残りますが、霧海篪と名前がついた頃は色々吹き継がれて、全く原型を留めない新しい曲になっていったことは想像できます。
この「れんぼ」も1000回くらい吹けばきっと何かが分かるかもしれない…、いやきっと分かるはず。古典本曲はとにかく1000回以上演奏すれば、その曲の本質がようやく分かってくる。ということが、今までの経験上分かっていることです。笑
まだ宗教味を帯びていない中世の尺八吹きは、門前では流行りの歌謡曲などを吹いていた薦僧もいたと想像します。きっと情感のある曲だったろうな〜と思いを馳せながら、霧海篪を吹いてみてもいいですね。
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yasuyowatanabe · 3 years
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(くれたけ心理相談室古坂禄子カウンセラーから)
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hi-majine · 4 years
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三十石  1/2
 京都見物にまいりましたふたりの男が、円山二軒茶屋、八坂の塔、高台寺、清水坂、大谷鳥辺山、大仏さん、耳塚三十三間堂と見物いたしまして、でてまいりましたのが、伏見街道でございます。 「さあ、早よう歩き、なにをぼーっとしてるねん?」 「べつにぼーっとしてるわけやないけど、なんぞ子どものみやげを買《こ》うて帰ろうおもうて、なにを買おうと、思案《しあん》してるねん」 「ほな、伏見人形でも買うて帰りいな」 「伏見人形てなんや?」 「この稲荷山の土で焼いた人形や。ここの人形はな、持って帰って破れても、その土が、もとの稲荷山へかえるというねん」 「ほう、えらいもんやな……そんな人形を売ってるか?」 「このへんは、人形屋ばっかりや……みてみ。だんだん職人がじょうずになるのか、器用になったんか、人形も焼き物とみえぬ羽二重細工《はぶたえざいく》のようやろ? ……どうや? 所帯道具かて、なにひとつないものはないわ。みな焼き物でできてるやろ?」 「そうかいな? ……けども、みわたしたところ、横槌《よこづち》がないな」 「これっ、焼き物の横槌がつかえるか?」 「おまえ、焼き物でなんでもあるというたがな」 「そら、いうたけど、焼き物の横槌があるかいな……そのほかのもんなら、あるというねん」 「ほうきがない、ほこりたたきがない。十能《じゆうのう》がない」 「おい、おまえ、ないものばっかり選《よ》ってるがな。あの棚にある大黒さんが、えびすさんの耳をほじくっている。あの肉づきといい、にたっと笑うてるとこは、ものでもいいそうやな」 「やあ、こっちののれんのあいだから首をつきだして、鼻たらしてる丁稚《でつち》もようできてるわ」 「どれいな?」 「あののれんのあいだから顔をだしてるやないか」 「あほ! あれは人間やがな」 「ああそうか……人形屋はん、ごめんなはれや」 「おいでやす。どうぞおかけ」 「おまえ、どれでも売るかえ?」 「へえ、どれでも商《あきな》います」 「ほな、あののれんのあいだから首だしてる人形、あれ、きれいに鼻ふいてなんぼや?」 「のれんのあいだから首だしてる人形? ……これ、あたまひっこめてい……あれは、わたしのせがれで……」 「なんや、おまえはんのむすこか……けったいなむすこをこしらえたんやな。あんなせがれ、大きなってもろくな者になれへんで、いまのうちに売ってしまい」 「ひとりしかないせがれを売ってしもうたら、跡とりがなくなります」 「なかったら、またこしらえたらええがな」 「こしらえたらええがなというて、じきにできるものやおまへん」 「そこをうんときばって……」 「なにほどきばったかて、わたしのような年になったらだめどす」 「ほな、わいが手つどうてこしらえよか?」 「いや、それにはおよびまへん」 「そうか。わいならすぐこしらえるんやがな。おしいな……棚にあるあたまの長い人形、あれはなんや?」 「へえ、福禄寿《ふくろくじゆ》どす」 「なんぼや?」 「あの福禄寿、百七十文どすが、百六十にまけておきます」 「なんや? 百六十が百七十やが、百六十にまけるのか?」 「いいえ、福禄寿、百七十を百六十にまけますので……」 「ややこしいねだんやな。値を聞いて肩がこってしもた……この小さい人形は?」 「へえ、この人形は、肌身につけていただきますと、船などに酔わぬまじないで……」 「これはなんや?」 「へえ、寝丑《ねうし》と申しまして、子どもに瘡《かさ》ができましたら、この丑《うし》に、坊《ぼん》の瘡を食べてくれ、嬢《いと》の瘡を食べてくれとたのむと、ふしぎとその瘡がなおりますねん」 「ふーん、お医者はんみたいな丑やな」 「値はなんぼや?」 「三百だす」 「この小さい、きたない寝丑が三百とは、ねうしがないな……やあ、いろいろな丑があるなあ」 「へえ、これが黒丑で、これが赤丑、こっちが斑丑《まんだらうし》だす」 「ああ、さよか……ほな、背なかにすき鍋を背負うて、なかに葱《ねぶか》と焼き豆腐いれると、ジューと鳴く丑はないか?」 「そんなすき焼きみたいな丑はおまへん」 「とにかく、寝丑と、この小さい文づかいと虚無僧《こむそう》の人形をもらうわ。みんなでなんぼや?」 「へえ、五百だす」 「だれがぼやくねん?」 「いえ、ぼやくやおまへん。五百だす」 「ああそうか……ほな、銭はここへおくで」 「ありがとうさんで……」 「えらいじゃまをしたな。それ、みやげができた」
 やってまいりましたのは、伏見寺田屋の浜で、夕方になりますと、三十石の夜船に乗るお客さんを呼んでおります。 「へえ、あんさんがた、お下《くだ》りさんやおまへんか? もし、そちらの顔の色のわるいかた、あんた下《くだ》らんか?」 「いや、結《けつ》して(便秘して)こまってんねん」 「おい、なにいうてるねん」 「え?」 「結してこまってるとは、なんのこっちゃ?」 「あの人が、わての顔をみて、下らんかというてたずねてはるさかい、結してこまるというたんや……わてな、一昨日《おとつい》から便所《ちようず》へいかずや」 「ちがうがな。船に乗って大阪へ帰ることを下らんかというてるのや」 「ああ、そうか。ほな、大阪へ帰って下ります」 「そないていねいにいわんでもええ……おい、船はすぐにでるか?」 「へい、すぐにでます。どうぞご一服を……」 「そんなら待たしてもらおう」  二階へあがりますと、お客さんがたくさん待っておりますが、そこへまいりましたのが、船宿の番頭さんで、 「へえ、どちらさんも、えらく長らくお待たせいたしました。もうほどなく船がでます。今日《こんにち》は、えらいおつかれのことでござります。宿の番頭でござります。みなさんのおところとお名前を帳面に書かしていただきます。役場へとどけますのんどすが、どうぞてんご(じょうだん)をいわんように、ひとつていねいにいうていただきとうおす……ええ、あんさん、どちらさんでござりましょうか?」 「わいはな、大阪船場っ」 「わあ、きたないな、つばがはねまっせ……ええ、大阪船場どすな」 「今橋二丁目」 「へ……ええ、お名前は?」 「鴻池善《こうのいけぜん》右衛門《えもん》」 「ええ? ……鴻池はんのお手代《てだい》で?」 「いやいや、手代やない。わいが鴻池善右衛門」 「そんな、あんた、無茶いうたかてあきまへんで……鴻池はんにはごひいきになっておりますので、よう存じております。鴻池の旦那《だん》さんは、もっとよう肥えてはったようにおもいますが……」 「米高がこたえて、どかっとやせたんや」 「米高でやせた? てんごばっかりおっしゃって……もうすこうし背が高かったようにおもうてますが……」 「道中をして歩いてるうちに、ちびって背が低うなったんや」 「ちびった!? なにいうてなはる……そっちの旦那《だん》さんは?」 「おいどんは、鹿児島は本町通り二丁目、西郷……」 「え? 西郷!?」 「西郷ひくもり」 「どうぞなぶらんように……そっちのお��あさんは?」 「みずからは、小野《おのの》小町」 「いやあ、きたない小野小町やな。みずからちゅう顔やないわ。塩辛《しおから》みたいな顔をしてなはる。そっちの坊《ぼん》は?」 「ムチャチボウベンケイ」 「なんや、お子たちまでなぶりなはる……そっちのご出家は?」 「愚僧は、高野山弘法大師、これなるは、円光大師……おんなぼきゃ、べろしゃな、まかぼたら、まにはんどまじんばら、ばらはりたやむ……真言経を二十一ぺん書け」 「どうぞなぶらんように、ていねいにいうておくれやす……あんさんは?」 「ほなら、わたし、ていねいにいうよって、ていねいに書いてや」 「へい、ていねいに書きます」 「仮名で書いてや」 「へいへい、仮名で書きます」 「おうさかより、さんりみなみにあたる、せんしゅうさかい……」 「それなら、最初《はな》から泉州堺でええのどす」 「ていねいにと、いうたやないか」 「ていねいすぎますがな……泉州堺……へえへえ」 「だいどうくけんのちょう、ほうちょうかじきくいちもんじかねたか、ほんけこんぽんかじもときゅうざえもん、なごやししんまちどおりにちょうめ、おなじくしてん、にょうぼ、さよ、せがれ、まんきち」 「もし、それはなんどす?」 「こんどな、堺から名古屋へ庖丁《ほうちよう》の店をだそうとおもうねんが、ちらし(広告)のところ書きは、それでわかるかしらん?」 「知らんがな、そんなこと……そちらさんは?」 「わいは、大阪|西渡海里町《にしとかいりちよう》じゃ」 「へえへ、こりゃほんまや。大阪西渡海里町、へえへ、お名前は?」 「八���字屋徳兵衛、近江屋|卯兵衛《うへえ》、福徳屋万兵衛、大黒屋六兵衛、大和屋徳七、河内屋太郎兵衛、紀州屋源助、泉屋与兵衛、浪花屋清七、山城屋喜三郎、堺屋治助、赤穂屋太三郎、備前屋佐兵衛、讃岐《さぬき》屋喜平、肥前屋角兵衛、伊勢屋三郎兵衛」 「えーえ、おっしゃったのは、どなたはんとどなたはんどす?」 「おっしゃったのは、こなたはんおひとりや」 「え? おひとりで? ……あの……名前をぎょうさん書きましたが……これなんどす?」 「去年、うちのおとっつあんが死んでな、香奠《こうでん》をもろうたんやが、香奠がえしをせんならん、何軒あるやろ?」 「もし、うだうだいいなはんな。帳面がまっ黒になりましたがな」  番頭はん、ぶつぶついいながら下へおりてしまいました。  しばらくいたしますと、川から船頭の声が聞こえてまいります。 「さあ、だしまっすぞー」  この声に、みながどやどやと下へおりてきますと、下では、女中さんがべんちゃら(お世辞)を申しております。 「へえ、どなたさんもおしずかにどうぞ、おはようお上がりを……もし、あんたはん、わらじをお召しにならんでもよろしゅうござります。すぐに船に乗るのんどすので、そこにてまえかたの下駄がおす。それをはいてお越しあそばせ。川端へぬいでおいていただきましたら、わたしのほうの焼き印が押しておすので、あとでひらいにまいります……あの、あんさんのお弁当、これにこしらえてござります。なかに高野豆腐《こうやどうふ》がはいってござります。お汁《つい》は、しぼってござりますが、せっかくのお召し物にしみがつくといきまへんので、わらび縄でさげるようにしておす。どうぞ、さげてお越しあそばせ。ありがとさんで。どうぞおはようお上がりを、ありがとさんで、おしずかにお越しあそばせ……まあ、これは、船場の旦那《だん》さんどすかいな。おみそれ申しておりまして、まことに失礼をいたしました。まあまあ、これはこれは、坊《ぼん》さん、大きゅうおなりあそばしたことわいな。先年お越しのときは、乳母《おんば》さんに抱かれてござったのに、こんなに大きいおなりあそばして、かわいおすわいな。お帰りになりましたら、ご寮《りよう》人さん(奥さん)によろしゅういうていただきますように……さきほどは、ご祝儀《しゆうぎ》をいただきまして、ありがとうさんどす。あの、おもよどんという女中《おなごつ》さん、まだ奉公しておられますか? まあ、さようでござりますか。ご忠義なおかたわいな。どうぞお帰りになりましたら、寺田屋の竹が、『よろしゅういうてくれと申しました』と、いうていただきますように……さよーならー、どなたもおしずかにお下りやーす」 「わあ、あいつ、なんや? 大きな口あきよったな」 「みんなのあたまへおしずかにをふりかけよったんや」 「ああ、そうか。ほな、さよーならー」 「これ、おまえ、なにしてるねん?」 「うん、あいつがおしずかにをふりかけよったんやさかい、わいは、さよならをゆすりこんだったんや」 「そんなしょうむないことをしないな」 「おーい、早よこい、早よこい」 「どなたもおしずかに……」 「早よこい、早よこい」 「おしずかに……」 「おい、おまえ、女中《おなごし》と船頭とみくらべて、なにうろうろしてるねん?」 「船頭は、早よこいというし、女中《おなごし》はおしずかにというし、どないしたらええねん?」 「なに、あほなこというてんねん、早ようこんかいな」 「おーい、お客さんがた、早よこい、早よこい」 「船頭はん、このお客さん、ひとりで五人前とっとくれ。こちらのお客さん、ひとりで二人前、三人で五人前、二人で三人前とっとくれ」 「あれは、なにをいうてよるねん?」 「あれはな、ひとり前の場所やと、混《こ》みおうてくると、坐ってられへんさかい、ひとりで二人前とってゆっくり坐るとか、三人で五人前の銭を払うて足をのばすとか、ひとりで五人前の場所買うて寝るとかするねん」 「ああそうか……おい、船頭はん、ふたりで、ひとり前とってんか?」 「なんやて? ひとりでもせまいのに、ふたりで、ひとり前どうして坐りなさる?」 「ひとり坐って、ひとり肩車するねん」 「そんなあほな……肩が痛《いと》うて、大阪までいかれへんがな」 「肩が痛うなったら、枚方《ひらかた》で、上と下と交替するわ」 「なにいいなさる。早よう乗りなされ」  お客さんが船に乗りこみますと、それへ物売りがまいります。 「どなたも、おみや(おみやげ)はどうどす? おみやはどうどす? おちりにあんぽんたんはどうどす? 西《にし》の洞院紙《といんがみ》はよろしおすか? おちりにあんぽんたん……もし、あんた、あんぽんたん」 「こらっ、なにぬかしやがるねん。あっちへいけ」 「おい、おまえ、なにをおこってるねん?」 「この物売り、わいの顔みて、あんた、あんぽんたんやいいよるねん」 「そりゃ、おまえのことやない。あんぽんたんという菓子の名やがな」 「ほんまか?」 「かきもちのふくれたんに、砂糖の衣《ころも》がかかったあるのや」 「ふーん、おかしな名やな」 「東山というのやが、俗にあんぽんたん」 「そうか……おちりてなんや?」 「ちりがみのことを、京ことばで、やさしくおちりというねん」 「ほな、便所へいたら、おちりでおちり(お尻のしゃれ)をふくか?」 「きたないしゃれをいいな」 「西の洞院紙てなんや?」 「大阪ですきなおし、京で西の洞院紙、江戸で浅草紙いうねん」 「えらい名がかわるねんなあ」 「まあ、ところによって名がちがうのやな……大阪でなんきんを、京でかぼちゃ、江戸で唐《とう》なすというそうな。ところによって唱《とな》えがかわる。浪花《なにわ》の芦《あし》も伊勢の浜荻《はまおぎ》というでな」 「妙なことをいうねんな。こらっ、物売り、買えへんわい。あっちへいけ!」 「まあ、あんたはん、いっかいお声どすなあ」 「こらっ、いっかいといわずに、大きいといえ」 「そんなことをおいいかて、京のことばや、しかたがおへんえ」 「なにいうてんのや。京がどれだけえらいのや?」 「京は、王城の地どすえ」 「なんや? 王城の地? ……青物ばっかり食《くろ》うて往生の地やろ?」 「まあ、あんなことおいいる。京は、一条から九条まで法華経普門品《ほけきようふもんぼん》が埋めておすえ」 「そんなもん埋めんと、ちょっと石でも埋めえ。歩きにくうてかなわんわい」 「あんなことをおいいる……京の御所のお砂をおつかみてみ」 「なんぞになるのか?」 「どんなおこり(熱病)でもおちるえ」 「おこりがおちる? ……ほな、大阪の造幣局の金をおつかみてみ」 「おこりがおちるんどすか?」 「首がおちるわい」 「おい、そんな無茶いいないな……物売り、怒って行《い》てしもうたわ」 「京のやつがものいうと、生《なま》ったれてるんので腹が立つ」 「そんなこというたかてしょうがない。郷《ごう》に入《い》っては、郷にしたがい、ところに入っては、ところにしたがうということがある。そう、おまえのようにいうもんやない」 「けったくそがわるい。寝てこまそ」 「これ、お客さんよ、こんなとこへ寝なはったら、じゃまになるがな。のきなはれ」 「こらっ、なにをしやがんねん、人のあたまをなぐりやがって……」 「お客さんよ、船頭はしておりますが、お客さんのどたまをどついたりはしません」 「いいや、いまなぐりやがったわい」 「どつきやしまへん。じゃまになるで、どきなはれと突いたで、おまえのどたまが鳴ったんじゃろう」 「こらっ、人のあたまをなぐっといて、鳴ったんじゃろとはどうや?」 「どつきやしまへん。どきなはれと突きや、おまえのどたまが鳴ったんじゃろ……よう鳴るどたまじゃ」 「こらっ、よう鳴るどたまとはなんじゃい? 太鼓みたいにぬかしおって……なぐったわい」 「おまえさんは、なぐったといいなさる。おれは、なぐらんという。こりゃ、おさまりがつかんがな……おまえさん、なぐったといいなさるなら、なぐられたという書き証文持っとるかい?」 「こらっ、なにいうてんのや。なぐられるのに、いちいち証文を書いてなぐられるやつがあるかい」 「これ、角《かく》よ」 「おーう」 「いつまでお客人をとらまえて、からこうとるかえ? ……お客さんよう、そいつは、国からでてきて、まだ間がない者じゃで堪忍《こらえ》まいよ」 「おまえのようにやさしくいうてくれたらええのに、人のあたまなぐっといて、よう鳴るどたまやというによってに、腹が立つねん」 「それじゃから、こらえまいよというのじゃ」 「そういてくれたらええのや。銭をだして乗ったら客や、その客のあたまをなぐるというやつがあるか?」 「それじゃから、こらえまいよというのじゃ。銭をだしたといいなさるが、この船は、船行船《せぎようぶね》(水死人を供養するための川施餓鬼をおこなう船)じゃござんせんで、銭ゃあいただきます……こらえまいよというに、こらえられんか? こらえられんなら、こらえられんとぬかしてみくされ。どたまからかちまく(なぐる)ぞ」 「うわあ、こわやの。あいさつ人の船頭のほうがこわいわ。どたまかちまくいいよる」 「そやかて、おまえがわるいがな。船頭の通り道に寝てるよってに……」 「船頭になぐられるわ、おまえにしかられるわしたら、わいの立つ瀬がないがな」 「そないに怒りいな。あないにいうてるが、馬方、船頭、お乳《ち》の人というて、ことばは荒いが、気立てはええもんや。あないごつごついわんと、この大きな船がうごかされへん。馬方かてそうや。馬の手綱持ったら、年中怒ってよる。『どう、長いつらさらして、張りたおすで! どちくしょうめ! 脛節《すねぶし》いがんでるがな』……まあ、ようあんな無茶いいよる。むかしから、馬の丸顔みたことないで。みんな長いもんや。馬かて張りたおされたら痛いよってに、顔をみじこうしたいやろが、でけんさかい、気のええもんで、鼻で笑うてる、『ヒヒン』とな……『どちくしょう』て、馬はちくしょうにきまってる。脛節いがんでるて、いがんでるので歩けるのや。まっすぐやったら歩かれへんがな。けどな、ああいうよってに、馬がうごくねん。やさしいのがええというて、京ことばで馬を追うてみい。馬はうごけへんで……『ちゃいちゃい、お歩きんかいな? なにしとるねん、あんたはん、長《いか》いお顔どすな。お足《みや》ゆがんどすえ』というてたら、馬が、『そうどすか』いうて、寝てしまうわ。船かていっしょや。『どきなはれっ』てな調子でやるさかい、船がうごくねん。なあ、船頭はん」 「やかましいわい」 「それみい。おまえのために、わいまで怒られるがな」 「おい、船頭はん、早ようだしいな」 「おい、だしますぞう!」
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