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#レゴ好き
recipe-cookingclass · 2 years
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さらに、「Curiosity asks WHY and imagines possible explanations. 」と説き、続いて「Playfulness asks WHAT IF and imagines how the ordinary becomes extraordinary, fantasy or fiction. Dreaming it is a first step towards doing it.」と言っていますが、これは、好奇心というのは、どうすれば、思い描くものが叶うかどうかを考える原動力であり、遊び心とは、考えること、どうすれば形にできるかどうかを考える力になるということだと理解しています。 そして、レゴグループの最も伝えたいメッセージは、通常では考えられない、ファンタジーやフィクションを生み出すためには、これを夢見ること、きっとできるはずだと歩み出すことが大事な一歩であるということだと考えています。 私たちはレシピ制作専門スタジオを立ち上げましたが、スタジオにおいて大切なのは好奇心であり、もっと美味しい料理を作り出したい、料理を楽しんでもらえる人が増えて欲しいという思いがこもっています。 レゴブロックのプレゼントにファミリー一同、感極まりました。 この世界にはなかったものを、想像して、イマジネーションの力で描き出し、創造していく、クリエイトしていくというのは、並大抵のことではできません。遊び心や好奇心が必要であり、喜んでもらいたい、感動してもらいたいというハートフルな気持ちが欠かせないものであると考えています。 想像力と創造力で生み出されたレゴブロックが、子どもの誕生日を祝い、好奇心と遊び心に火を灯し、新しいストーリーが生み出されていくことを私たちは願い、「Thank you for the wonderful gift.」、感謝の気持ちをこの場でお伝えしたいと思います。 料理研究家 指宿さゆり 写真家 指宿慎一郎 @photobusuki ーーーーーーーーーーー #料理研究家指宿さゆり #レシピ開発 #レシピ制作 #レシピ制作専門スタジオ #料理は教養 #食は品性 #料理好き #創造力が世界を変える #lego #こどものいる暮らし #子どものいる生活 #レゴ #インスタ映え #こどもごはん #フォトジェニック #happybirthday #クリエイター #プロフェッショナル #レゴビルダー #レゴ好き #こどものいる暮らし #レゴから見える食卓 #神戸料理教室 #神戸三田プレミアムアウトレット #教育 #食育 #お子様ランチ #素晴らしい出会い #お誕生日パーティー #amazing (神戸三田プレミアム・アウトレット) https://www.instagram.com/p/CfJ2ut4v1Yg/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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ibusuki-sayuri · 2 years
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Hottest Articles More. 大人気の記事でして 『食育を考える。レゴから見える食卓〜料理を組み立てる手法』 【公式】料理研究家 指宿さゆり 大変反響がありまして 各SNSでの反響と共に 振り返りたいと思います。 『食育』と『レゴ』と『教育』そして 『世界の食文化での料理』etc この関連性も非常に教育を考える方々には一番重要なのかと考察できます。 では以下原文引用より Those are the source of my creative power. 『レゴから見える食卓』一皿にふんだんに詰まったお料理色々。 こちらはおかずが盛りだくさんの、ワンプレートご飯です。 ワンプレート料理を用意するうえで大切なのは、日頃からのストックを整えておくということだと思います。 おかずのストックを作ると言っても、料理に対する知識や経験も必要ですが、 旬の食材の入荷状況、 スーパーマーケットの流通状況に加え、 出来ることなら農地や畑を視察し、 野菜がどのように育ち、 どのようなタイミングで収穫され、 市場に流れていくのかを見ることも大切なことなのだと思います。 現代の食生活は、 便利なものが普及した一方、 生活習慣病の増加、 汚染物質や食品添加物、 食料自給率の低下、 偏食の弊害など、 様々な課題を抱えていると言えます。 レゴグループでは、「Together, we can rebuild the world」と呼び掛けています。 これはレゴグループと一緒に、 世界を作り直すことができるのだと呼びかけているのだと思いますし、 その思いに共感することばかりです。 一緒に世界を作り直すというのは、大変な勇気が必要であり、 これは食の問題で言えば、 現実の課題に対して真摯に向き合うことが大切であると気づかされます。 おかずのストックの話になりますが、コンビニエンスストア、 スーパーマーケット、量販店などで手軽にお惣菜は購入できますし、 インスタント食品や冷凍食品を使えば、便利な家電製品や電子レンジを使うことで、 すぐにおかずを用意することができます。 ところが、やはり、 便利なものだけでは食生活を豊かにすることはできず、 健康にいいもの、 安心・安全だと言える食品、 食卓が華やかなで、 それは経済的な指針だけではなく、 知恵とアイデアに満ちた意味での豊かな食卓というものが求められていると実感します。 また、「At the LEGO Group, we’re playing our part in building a sustainable future and creating a better, brighter world for our children to inherit.」と言っています。 レゴグループでは、 持続可能な未来を築き上げ、 子どもたちによりよい明るい世界を受け継いでほしいと考え、 そのために必要な創造力を養う役割を果たしているという意味であると考えていますが、 これからの食卓を考えるうえで、歳月の積み重ねによる、 人々の関心や意識の違いについても考えてみたいと思います。 今から20年以上前になりますが、私自身、 日本でも様々な経験を積み、 当時はアメリカで料理を学びました。それと同時に現地で実感した欧米食の課題も痛感しました。 体調の変化に気が付き、 すでに学んでいた和食や精進料理、 アメリカのパーティ料理はもちろん、 イタリアンやフレンチ、 地中海料理、 中華や韓国料理、 エスニック、 インドやネパールなどのスパイス、ありとあらゆる料理を探求し、 オーガニックやマクロビオティック、 ヴィーガン、精進料理など、 ジャンルを横断した料理を作ることで、健康で美味しく、 見た目の彩りもよい、 豊かな食事を残していきたいと考えるようになりました。 今回、ワンプレートご飯の主菜にしたのは、鶏のほろほろ煮と煮卵〜煮凝り、 国産どんこ椎茸の肉詰め、 自家製とろサーモンの塩漬けなど、 見た目の彩りにもこだわって用意しています。 サーモンは入荷が不安定な時期もありましたが、塩漬けにして一定期間、保存できる方法にすることで、安定した供給に備えることもできます。 ※レゴは神戸三田プレミアムアウトレット店で購入したものとを @photobusuki が撮影しております。 料理は我が家の普段の食卓。 料理研究家 指宿さゆり 写真家 指宿慎一郎 @photobusuki ーーーーーーーーーーー #料理研究家指宿さゆり #レシピ開発 #レシピ制作 #レシピ制作専門スタジオ #料理は教養 #食は品性 #料理好き #創造力が世界を変える #lego #レゴシティ #レゴミニフィグ #ゆとりある暮らし #インスタ映え #大人気 #フォトジェニック #デンマーク #ワンプレート #アスリート飯 #おうち定食 #レゴ好き #こどものいる暮らし #レゴから見える食卓 #神戸料理教室 #神戸三田プレミアムアウトレット #教育 #食育 #お子様ランチ #レゴブロック #レゴ #こどもごはん (at レゴクリックブリック神戸三田店) https://www.instagram.com/p/CeNzoFkPK4O/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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kennak · 10 months
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私はそこそこ年かさのパパで、就学前の子供一人と社会人としても家庭人としても優秀な妻の3人で暮らしている。首都圏在住、夫婦ともにフルタイム勤務。なぜ書くのか子供を持つ喜びがネットであまり共有されていないのがもどかしい。子育てについて、よく把握しないまま否定しているような意見まで見るようになり、残念な気分になった。そこで我が子を育てる中で感じている喜びを紹介したいと思う。じゃあ子供を持つ喜びとは何か?この感覚をわかってほしいんだようちの子は、保育園のお迎えや、仕事からの帰宅でパパが来たのを知ると全力の笑顔とダッシュでつっこんでくる。誰かの人生にここまで重要になれるとは…承認欲求と言うとなんだか下品な感じがするけれど、この誇らしい気分は悪くない。結婚も家族が増えるという点では同じだが、また違う良さがある。うまく伝えるのは難しいのだけれど…たとえば照明に例えよう。結婚後、妻を見ると蛍光灯が灯るように、一拍おいて心が明るくなった。こんな体験は今までなかったので、結婚はすごい…家にいるだけで毎日新鮮で、修学旅行みたいだな…と思ったものだ。ところが、子供が生まれたあとの喜びは、もう自分が経験したことのないほどの強烈な喜びを感じる。子供を見ると、瞬時に天井いっぱいのLED照明が点灯され、多幸感が落ちてくるイメージだ。そんなに愛おしい子供が、一人でできることが増えたり、同い年の子が苦手にするような野菜をパクパク食べたりしたら、どれだけ誇らしい、幸せな気分になれるか!生理的な影響もあると思う。子供を腕に抱きながら寝ると、寝覚めのときに、満たされた気持ちで起床することになる。おそらくオキシトシンか何かがドバっと分泌されているのではないか。個人の感想だけど。彼女のママ友は百八人までおるぞさらに近所のコミュニティに繋がれるというのも大きい。子育てをしていると親のネットワークができ、連絡先を交換することになる。私の妻は素晴らしいママ友ネットワークを築いている。彼女には感心させられることが多いのだが、結婚後最もすごいと感じたのは、このママ友ネットワーク構築の実績だ。子供が生まれる前は近所付き合いなんて皆無だったのに!妻の1/10も真似できていないが、コミュ障、陰キャの私でもご近所と多少は知り合えた。子供と、模範をみせてくれた妻のおかげだ。私は妻と子のおかげで、今の街に根を下ろすことができたと思う。学びもあるんだ我が子が知識や道徳を習得していくプロセスに寄り添うことで、人という生き物への理解が深まった気がする。仕事でもプライベートでも、他者に対する感じ方がかなり変わった。それから、フィクションで人が死ぬのを見ると、苦しくなるようになった。人の命の大切さを知ったと言えるかもしれない。何を選ぶのか?人の生き方というのは様々だ。親になるだけが人生ではない。だが、消費する喜びや趣味を生きがいに生きていく、という人には、オタクで趣味に没頭して生きてきた私から言わせると、ちょっと待ってほしい、という感じだ。個人的な感想になってしまうが、買い物ならば、子供のための買い物のほうがより楽しい。おもちゃを手にとって、うれしいな、うれしいなと感激している子を見る満足感。このおもちゃを通して、何か新しいものを学んでいくという期待感。子供が初見のものに感動するたびに、愛おしくて抱きしめたくなる。子供がプラレール沼、レゴ沼、ロボットアニメ沼に落ちるたびに、親である私も一緒になって楽しんでいる。人生の酸いも甘いも噛み分けたはずのジジババが、親が反対しても際限なくオモチャを買い与えようとするのは何故か?それはとても楽しいからだ。子育て支援は足りるのかまず、こんなに楽しい自分の子育てのために、公費でタダ同然の保育所、無償の医療が提供されるのはすごいことだ。そして今の保育の充実ぶりは、質・量共にすばらしい。保育所に入れないという話も聞かなくなった。昔は本当にひどかったようだが・・・近隣の認可保育所は活動も食事も自宅育児では全く実現できないほどクオリティが高い。私は日本での子育てがそこまでハードだとは思わない。成人してからの失業も少なく、子供が犯罪にかかわるリスクも低い。金銭の問題はつきまとうが、行政も遊んでいるわけではないので、基本的になんとかなるように設計されている。調べて、決断すべき子育ての喜びを知らないまま年齢を重ねるのは機会損失につながる。若い人にはライフプランについてよく考え、勇気を持って人生の方向を選んでほしい。補足:良い事ばかりではない親子というのは離れがたい関係なので、障害など、困難な問題が起きてもそこから逃げられないというのはある。行政には、こういった世帯への支援を手厚く行ってほしい。社会福祉は真に困っている世帯への支援を優先してほしい。世の中には子供が居るのに家庭をぶっ壊したり、子供に加害する人も居るのは事実。まったく理解できない世界だが、私が感じるようなバラ色の状態だけではないんだな…それから、時間は本当に足りない。長時間残業、長距離通勤、介護などで時間が無い場合は育児の困難さはかなり上がると思う。キャリアも犠牲になると思う。我が家は夫婦ともにそこは受け入れているが。追記読んでくれた人いろんな立ち位置の人がいると思うけど、みなさんありがとうございます。この界隈で見かけない意見を言語化できて、誰かの役に立てたなら嬉しいな。内容が薄い、つたわらない説明したいと言いつつ、人によっては表現が伝わりづらかったなと思う。ごめんなさい。愛情で繋がっている嬉しさって言葉にしにくいということなのかもしれない。大事なことを書き忘れた。世界で一番かわいいママがいて嬉しい、なんでも知ってるパパ大好き、と…俺の息子…天使みたいに笑って…彼はハッピーボーイなんだよ。そりゃ嬉しい。妻も幸せだと確信できるしね。家事やってるの?いっぱいやってるよ!以上。家事にからめて妻自慢をさせてもらうと、うちの妻の食事を作るスピードは半端ない。省力化しつつ爆速で食事を用意する彼女は、キッチンという戦場を駆け抜ける疾風ウォルフだ。私は高度の柔軟性を維持しつつ臨機応変に余った食材を組み合わせて使い切るタイプ。面倒なことについてとにかく時間・土日に休めない 子供に張り付き、溜まった家事をすると休日さのほうが疲れる気がする。楽しい時間で体力消耗してるから良いような、良くないような。・子供に時間を割けない罪悪感 我が家は語りかけ育児を信奉していて、家で子供を放置してしまうときは焦る。過保護かな。・仕事への関心が薄くなる子供、妻、仕事と3番手に降格だから仕方ないね心を広く持てるようになったような気もするが…これ以外は人によって違うかな。親同士の子育て方針の違いとかね。子供が一人ということもあって、お金の面は気にしていない。パパ友ママ友パパ友ママ友がみんな素晴らしい人なんだ。不思議。こわ有り難い。この先子供は離れていくだろうし、ある意味犬を飼うより賞味期限の短い時間かもね。しらんけど。バイク>コミュ障、陰キャの私でも多少の知り合いができた。これもバイクのおかげだ。ここリアルだな。私は、暖気運転を兼ねて、エンジンの反応を確かめながらゆっくり走り出す瞬間とかしゅき。
【追記あり】子育て、やってみたらとっても楽しかったんだ!この楽しさを知らせた
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nnmrblgksk · 2 years
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RT @sunmi192: 夫に「これ一口でも食べたらレゴ買ってあげる、食べないと買ってあげない」と言われた息子が「どういうこと?これを食べることとレゴを買ってもらえることと何の関係があるの?おかしい」と指摘していて(かしこ〜〜〜好き〜〜〜)となった — ksk_oue (@ksk_oue) Aug 13, 2022 August 14, 2022 at 07:23AM via Twitter https://twitter.com/ksk_oue
— RT @sunmi192: 夫に「これ一口でも食べたらレゴ買ってあげる、食べないと買ってあげない」と言われた息子が「どういうこと?これを食べることとレゴを買ってもらえることと何の関係があるの?おかしい」と指摘していて(かしこ〜〜〜好き〜〜〜)となった — ksk_oue (@ksk_oue) Aug 13, 2022 August 14, 2022 at 07:23AM via Twitter https://twitter.com/ksk_oue
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littlesallywalker · 11 months
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日記
ごくろうさま。おかえりなさい。
鼻のあたまにニキビができた。マスクありがたい。
曇っているみたいだけど今夜は中潮の月を見ませんか。
笹かまみたいな形をしていて今、もう一品という感じだよ。
月の写真の撮り方は、すこしトリッキー?なことをしていて、
近くの梅林に秘密を隠していて、いつか行こうね。
今夜はどことどこでみえますか。
乱視のそれでたくさんにもみえる。
配達が、店舗さんから印鑑をもらう過程を含み午前はほぼ潰れた。
だから日記という訳ではなくて、なので日記を書きます。
(わたしは何を言っていますか?)
ぼくは持病のてんかんから高校三年生のプールは見学になった。
共学で、アイドルみたいな女の子に男勢がにやにやの男社会。
だんだん見学もしなくなって、教室で寝ておりました。
てんかんって以前はなんだか奇病みたいな扱いで、
ただ音楽家にもたくさんいてニール・ヤングとか。
ジョイ・ディヴィジョンもジョン・レノンもそうらしかった。
傾向で音が通常の半音低く聞こえるのでギターだと、
いつもカポ1しておりました。そこだけは今も同じ。
(across the universeが全弦半音さげなのが物語るように)
チューナーとか音叉使わない系でやりすごしていたよ。
泳ぐの、本当はだめというかやっちゃいけないんだけど、
あれからぼくたち結論が似ていると思えうれしいです。
(素潜りしたいから)内緒の話でした。
時々やっちゃいけないことしたくなる。
だれかつかまえてください。
夢で椎名林檎さんとタモリさんに人柄を褒められた。(?)
零時に座布団を干しっぱなしだったあと気が付いたから、
ベランダでパイポ、蚊にくわれて、今季初の線香を炊いた。
いわゆるアロマ効果みたいな、蚊がよりつかない的な。
おかげかなんだかまたよく眠れたような気がする。
♪窓をあけておくんだよ~の晩そして朝。
詳しく書けないけど国に貢献してもまた正方形のタオルをくれる。
これまで一枚だけもらったことがあって、妙に小さくて笑った。
これほど小さくする技術のほうが崇高であると思うくらい...。
あれから。いくらなんでも捨てたけどタオルや又ハンカチって、
必ずといっていいほど別の季節のぽっけに忘れる。
ヴィヴィアンのきのこ柄のが出てくると、
発掘の気分で捨てるように洗っている。
プレゼントは外装も捨てられない方でさまざまな包み紙が。
いらないものはまだ何もなかった紙の束。
深夜に蚊で起きたままほんのすこし写真三枚つづり選び絵空事。
二枚はほぼ決定し���いてあと一枚がどうしても決まらずいます。
時間はまだある。書類もなくしてない。時間をひどく使う方です。
締め切りは自分指定の日曜日までかな。
朝食はミニトマトとオレンジとふがし。
親とぼくはフルーツとうどんそば好きでいつもいつも食べます。
”ふくらはぎが魚みたい”ってはじめうろこがあるんかなって。
思い思ったらわかりました。泳げない魚座の人魚さんへ。
つかまっていて。鱗の跡つくくらいそばにいてください。
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なので(耳のおかげ?で)
アクロスザユニバースのコピーはすぐできました。
本家ではなくギタリスト、Göran Söllscherという、
たしかスウェーデンのひとのビートルズインスト参考に。
この間レコードCD売る時ふと見つけて。何かなつかしくて。
ファンレターって書いたことありますか(突然)。
ぼくはレゴブロック社と栗山千明さんと、
ステファン・グロスマンというギタリスト。
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グロスマンさん。
拙い英語の手紙にお返事をいただきました。そこにはこうありました。
「ケースにしまうな」って。うれしかったです。ラグタイムを教わった師。
そしてレゴからは忘れたころクリスマスにキーホルダー送ってくれました。
粋なはからい「あの時はどうもありがとう、心のかぎをなくさぬようにね」。
栗山千明さんのことはすっ飛んでしまいました(忘却)。
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maosoir · 2 hours
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遊星D『どこへも帰らない』配信感想(ネタバレあり)
配信チケットを購入していた遊星D公演『どこへも帰らない』を観た。まず冒頭の梢はすかさんがその一見拘り強そうな痩身の文科系青年である外見とは似つかわしくない、非常にしっかりとした全方位に気を遣った社会人然とした口調とトーンで開演前の注意事項などをお話しされていてそのちぐはぐさというか落差に階段を踏み外したときのような感覚になった。Xのポストしか見ていないとはすかさんを博識な文科系青年=ネット上では饒舌だがリアルでは若干コミュ症気味というステレオタイプに当て嵌めてしまいがちかもしれないのだが、実際の梢はすかさんは超・超・超・超・鬼コミュ強文科系青年なのだった。人脈も広く、ひとと繋がっていくのに全く躊躇いがない。出版社で編集者として勤めているくらいなのだから当然なのだが。
公演内容。
『闖入者たち』
2つ目の墓泥棒の話(ZINEに掲載されている台本により「闖入者たち」というタイトルの戯曲であることが判明。読めなかった・・・確かに侵入じゃなく闖入だなあ)。はすかさんのやりたいことが少しだけわかったような気がした。わたしは演劇や小説や映画の理論を学んだこともなければお笑いも全く観ないので、ほんとうに「感想」を書くことしかできないのが悔しく心苦しいが(絵を見て美術史の勉強をしていないので感想しか言えない状態である)、そういう人間の観た感想として聞いてもらいたい。「冷笑主義のお墓は」「殺されたんだよ」のくだりでは普段Xのポストから感じられるようなはすかさんの尖った面が垣間見えた。その中に吉本興業所属芸人の如く誰にでもわかるくらい明らかに舞台に立つ人間である関西弁のバツイチ狼人間、「AKBみたいなお嬢さん」という浮いたワードによって乖離した温度差の空気が文字通り「闖入」してきて、その新しい空間のテクスチャが入り混じることにより生まれる居心地の悪さ。電子レンジで解凍したがまだ温度にムラがある冷凍しておいたパウンドケーキのようだ。だがその居心地の悪さがなぜかすぐに温度差があるままで心地よくなってくる。ラストは言葉が意味を失い音のつらなりだけになってゆくのだが、こういう感覚になることがわたしもよくある。
『ナイト・オン・アース(rimix)』
照明と衣装がいい。衣装と照明から作られる画面の配色が本家ジャームッシュの『ナイト・オン・ザ・プラネット』を彷彿とさせる。照明では赤が印象的に使われているのだが、複数の色の重なりとズレにより生まれる色が、ウォン・カーウァイ作品、ビー・ガン作品などのアジア映画の監督作品の配色に近いなと思った。だがそこで流れるのはsettaさんのローファイな音楽で、そこは少し懐かしさがある心地よい令和の空間なのだ。なぜか少しロスト・イン・トランスレーションも思い出した。Y2K。そういえばロスト・イン・トランスレーションも居心地の悪さを描いた作品であり、この戯曲と遠いところにある作品ではない。
役者、こばやしかのんさん。運転手役の役者さんは『闖入者たち』の狼人間であり、一言でいえば上手い、いい。誰が観ても舞台に立つ人間である。が、わたしはこばやしかのんさんがいちばん好きだった。声と高身長なところがいい。この組み合わせでいい役者さんって実はあまりいないのではないかと思う。「動じない、意思を感じる佇まい」とポストしたのだが、はっきり言うと「ふてぶてしさ」がある。今の時代をサバイヴするのに必要なふてぶてしさ。女性の外見で、あの声、高身長、ふてぶてしさのある存在感という組み合わせ。それは世間では希少で、女性を優しくケアしてくれる存在だと見下している男性にとっては居心地の悪さを感じさせるだろう。彼女は戯曲の中の台詞でいう「邪悪」のポジションなのだ。普段の会話で使われないゴロっとした質感の言葉ーー一旦言ったら取り返しがつかない強さを持つーーが突然現れて、バランスを崩す、或いはとる。それが作品の個性となって、観た後その台詞しか覚えていなかったりする。それがこばやしかのんさんなのだった。こばやしかのんさんは、現実でもその質感ーー相手が勝手に感じる質感のせいで、生きにくい場面のあるひとではないだろうか。などと、勝手に想像している。
屋根裏ハイツさんのpodcast「#14『どこへも帰らない』で感想会」の回を聴いたのだが、ダンスシーンの話題で身体と言葉が同時に別々に動くときの難しさ、それが演技に与える影響の話をしており、それを聞いてふとあのダンスシーンで踊っているのがデヴィッド・バーンだったらどんな動きでどんな風に喋るのだろうと考えた。タクシーの乗客のデヴィッド・バーン。そのことを考えたらなんだか急に可笑しくなってきた。
『越夜』
morgenさんの寄稿文がとてもよい。一定の距離を保つ、観測者のように見つめる、というくだりに、山形ワンコイン演劇祭で『越夜』を観たときの自分の感想と同じだ!と思った。当時の自分の感想を読み返すと「触れることすらせず見つめているまなざしのようにやさしく、同じ部屋にいてそれぞれが無言で別の本を読んでいるのだけれども、それが心地よい状態」と書いてある。観客がちかを観客席や液晶画面の前から観測者のように見つめているように、ちかもアポロ11号のレゴ(とそれが表象するものたち)を観測者のように見つめているという入れ子構造だったのかと今更気付いた。観測者を見つめる観測者。やさしい断絶。youtuberに疎いというか全く見ないのでmorgenさんを初めて知ったがすてきな文章を書く方で魅力的だなあと思った。というわけでめんだこピースラジオを聞いてみた令和6年の5月1日。
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shishio-3 · 2 months
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0313
友達と一日会えないだけでこんなに喪失感が………😭になってたところ今日学校終わったら遊ぼー♪って言ってくれてニコ!になった
他の子にあなたがオタクなの本当に驚いてるけど………みたいなこと言われて へへへ となってたら他のお嬢様に何のオタク?て言われて えープロセカですうといったら うわっ あてていい 話からして絶対天馬司と類 と言われて あはは面白い。それ以上舐めた口聞くなよ 正解 てなり あってる…と言ったら あははははは面白い わかりやすすぎるでしょ 好きそーーーーー笑笑笑笑笑笑笑笑と言われて 俺もうこんな喋って何回かの子に好みバレてんの?終わった となった その子はあんスタが好きだから えー 英智様とか好きそうやん あと日々樹渉とかさ と言われて おっ 後者はともかく新しいキャラ来た となった なんだっけ 夏目…みたいな 赤髪のメガネ…誰だっけ? 茨? が好きって言ってた ねーここ3人でカラオケ行こ!遊びたい!って言ってくれて嬉しい みんなのこと好き
チョコエッグ開けた時に えっ!クロやん!!!!と嬉しそうにしてました もう一人の子にもえっ!!!!!!侑?!!?!!!と言われて お前たち用だよ…♪になった
皆さんにチョコエッグのクロと侑あげたんだけど問題発生してさ、フィギュアを立てる棒が無くて あたしが無くしちゃったのかな 立てれないんだけど?!と言われて笑った
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これは 別のガチャの棒(爪楊枝とか立てれるやつ…)のハイキューのリエーフの棒いらんからあげる(ア��キーだけ鍵につけてるので)と言ったら こんなことされてた ねえおかしいでしょ これ窓際にあったら 透明だからめっちゃジャンプしてるクロになるでしょ?と言われた はい……すみません…
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その後横飛びするツッキーも勝手に組み立てられてて笑う クロ家に置いてきた( т т )クソ!と言ってた 確かに ブロック組したかった 普通に飯先で遊んでたこれで
昨日あたしがやったたまごっちのガチャがしたかったらしく、行ったら全部なくなっててしょげてるしハイキューのグッズ♪みたいなところも全部無くなってたし凄いしょげてた かわいそう
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ガチ のレゴをした 俺が家を作った 終わんなすぎて断念 車作ってた友達は
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わんこ… ぺしょってしてた あざらしみたい
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ええ?!なんでこんな所に乙骨くんが 呪いかけられてる 可哀想 とかいってたら
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ええ?!?!マツケンサンバと乙骨憂太が並ぶ世界線なんだけど!!!!!!!とはしゃぐ友達 おもろい なにもかも
スタバも飲んだ♪
チョコエッグした過ぎてチョコエッグない…………てずっといってた
友達に文スト!文スト見て欲しい!!おもろいよ!!!と言われて 2話でやめた と言ったら この上ない大声で ハァーーーーーー!?!!?!?!!?!!!?!て言われて普通に笑った
明日いったら学校休み休み休み休み休み休み休み♪♪♪♪という気持ちと そうなると横人間と毎日話せなくなっちゃうんだ…という悲しみでめちゃくちゃになっててもう遊べないねーみたいな言ったら え?!最後なの?!終わりじゃないでしょ?!怖いこと言わないでよ?!と言われて ほほほ になった
けんひなのまとめにバイオレンスな雰囲気に癖が揺さぶられたとかコメントされてて普通にちょっと嬉しい ずっとしてたことをやっと誰かに認められた気がした キャラとかじゃなくて雰囲気で褒められるの嬉し
つか支部にコメントするやつの行動力すごくない?ありがとう
マダムシンコのバームクーヘンおとうさんからもらったーーーーやったーーーー
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hyouset · 5 months
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一人じゃないと思えると平然と生きていられるようになる
味覚の一部が死んでいる。本当にまずい。まずいというか死にたくなっているのだけれどその発端がまるで分からない。
今はタリーズにいる。ブラッドオレンジジュースを頼んだ。ブラッドオレンジジュースは変な味がした。最近こういうことがよくある。前に河原町でショートケーキを食べたときも、薬品みたいな味がした。今回もそう。ブラッドオレンジジュースから薬品みたいな味がしているのか、ブラッドオレンジュースとかショートケーキの何かしらが自分の中にある、より具体的に言えば味覚、嗅覚を司る器官の中にある何かしらを刺激して薬品みたいな味を感じさせているのか、その辺りは分からない。何を食べたり飲んだりしても薬品みたいな味がするわけじゃないから、自分の側にすべての問題があるわけではないと思う。
自分の側にすべての問題、問題はそうやって自分の側とか相手の側とかで割り切れるものではないと思う。でもそうやって切り分けないと、よく分からなくなることがたくさんある。
今日は映画を見に行こうとして、見られなかった。見られるはずだった。というのは、劇場まで行けてチケットも買えて多分開始時間にも間に合っていたからだ。時間ギリギリだったから一番近くにあったスクリーンに入ったら、まさかのそこは同じ映画のひとつ前の回だった。だからスクリーンに入って15分経たずで映画は終わった。ちょっと衝撃的だった。衝撃的もクソもない、自分が悪いけど、時間ギリギリに行ったから、というか僕は時計もスマホも持っていないからその瞬間の正確な時刻が分からなくて、家を出た時間から考えるにちょっと過ぎてるかピッタリくらいだと思って「上映中」が出ていても何も怪しまずそのまま入ってしまった。僕が冒頭だと思ったシーンは最終盤のシーンだった。エンドロールが流れてきても僕は「ああ、この映画は冒頭で出演者を紹介するんだ」という認識を持った。でもそういう映画はあると思う。たとえば「君の名は。」は、エンドロールだけじゃなくて冒頭に簡単な出演者紹介というか、アニメでいうオープニング的なものがある。だから僕は今回見た映画でエンドロールが流れてきても、オープニングだと解釈した。出演者の名前だけじゃなくプロジューサーとか製作陣の名前が出てきてちょっと怪しいかなと思いつつもここから映画が始まることに期待した。そうしたら案の定、案の定というか出演者、製作陣の紹介後にふさわしく、ちゃんと劇場は明るくなった。僕の千百円はなんだったのだろう。
そもそも同時間帯に違う二つのスクリーンで同じ映画をやっていたのが紛らわしかったと思う、と言いたいけれど、結局時間ギリギリに行った僕が悪いし、時間ギリギリでも手持ちのチケットに記載されているスクリーン番号と目の前のスクリーンの番号を照合させることはできたはずだから、全部僕がそそっかしかったのが悪いと思う。映画を見る前は、より具体的にはチケットを買ってから映画が始まる直前、なんなら始まって10分くらい経つまでは「やっぱり見るのやめようかな」という気分になることがけっこう多い。でもいざチケットを買って本当に見なかったら悲しくなる。ちなみに僕が本来見るはずだった回は、間違ったスクリーンから出てきた時点で始まってから20分が経過していた。だから諦めた。また明日、もう一回お金を払って見に行こうと思う。もったいねえ。
最近は過食がすごくて、ずっと体の中が気持ち悪い。昨日は昼にカレーパンとサツマイモと小豆的なものが入ったずっしりしたパン、それから小松菜と牛肉のオイスター炒めを食べて、夜はグリーンカレーとご飯、それから中華料理店で鶏炒め鍋とエビと卵が入った焼き餃子を食べた。散財したしお腹も気持ち悪くなったしで良いことが一つもなかったと言いたいけれど、美味しいことは美味しかった。そういうことは忘れちゃいけない。過食しているときはそれの罪悪感ですべてを否定したくなるけれど、ちゃんと美味しいと思えているときもある。昨日はそれだった。というより、昨日は美味しいと思えたというより、昨日はどんなときでも美味しいと思えるくらいにクオリティの高いものを食べたのだと思う。だって二千円以上したもん。中華料理店、高かったけどまた行きたい。
とか明るい感じで締めたら良い感じになるかというとまったくそうではなく、気持ち悪さは消えない。今日は朝起きてから今まで飲むヨーグルトを一本とパンを三つ、それからほうれん草とにんじんとしめじとベーコンをバターと醤油で炒めて最後に卵を混ぜたものと、さっきここ(タリーズ)でちっちゃなバニラアイスとブラッドオレンジジュースのトールサイズを飲んだ。「ちっちゃな」とか書いても欲に負けたことは変わらないし、気持ち悪いならブラッドオレンジュースだけにすべきだった、多分。本当にしんどいときは食べるか寝るかしかできなくなる。言うまでもなく「本当にしんどいとき」は僕の主観だ。万人にとって絶対的に、究極的にしんどい状態というのは存在しないのだから仕方ない。今日はパンと炒め物を食べてから映画を見に家を出るまで寝ていた。お腹いっぱいになったら眠くなってしまった。くそだ。でも一日はこうやって終わることもある。究極、人間は食べて寝るだけで人生を終わらすことができる。なんて悲しいんだろう。
今年一年はかなり灰色で、色はともかく濃淡がない。色にバリエーションがない。全体的にのっぺりしている。鮮やかさがない。食べても読んでもどこかに行っても何かを見ても、それが鮮烈な印象を持って残っていない。唯一、「罪と罰」を読んだことはけっこうドキドキというかワクワクした経験として残っているけれど、でもあれを思い出すと同時に当時の苦しさも思い出す。罪と罰を一番ノってる状態で読んでたとき僕は北大路のイオンモールのスタバにいて、時間帯は夜、8時から10時くらいだった。閉店時間が10時で、店を出た後も僕は出入り口の横にあるエレベーターの前で雨宿りしながら続きを読んでいた、気がする。雨が降っていたかはあんまりちゃんと覚えていない。そういえばあの時は春だった。春は全体的にそういう記憶が多い。総合商業施設の閉店後にその前で雨宿りをしながら本を読んでいる的な記憶。意味が分からない。
今年の春は外にいることが多かった。時間が経つにつれて、少しずつ家の中にいる時間が増えていって、最近は何か書くときも家の中にいることの方が多い。それが良いのかは分からない。今年の春は「京都グラフィー」の展示をいくつか見にいった。京都文化博物館で行われていた「マベル・ポブレット」という人の展示が一番印象に残っている。確か海や水をテーマにした展示で、鏡とか、折り紙とか様々な形でそれが表現されていた。あと純粋に京都文化博物館、展示空間が良かった。その中にある展示として、マベル・ポブレットさんの展示がすごく良かった。展示を見ているとすごく心が落ち着いた。でも落ち着きはいつまでも続かなかった。落ち着きはいつもそうだ。最近は良さが持続しない。一人暮らしを始めたからだろうか? 日常のうまくいかない諸々をすべて一人暮らしと接続させるのは良くない。
FUKUROKOZI、みたいな名前のバンドがあるんじゃないかと思って調べてみたら、なぜかカフェが出てきた。そんなことはどうでもいい。素早く文章を書くことはドラッグを決めることと方向としては近いんじゃないかなと思う。多分、手を止めずにキーボードを叩き続けることにはそれなりの快感がある。でもどんな内容でもただ打っていれば満足できるわけでもないから、一概にそうとも言えない。良いことも悪いこともあるけどそのすべてが同じ色合いで表現されているような、そういう感覚がある。端的に言うと退屈している。ずっと渋滞に巻き込まれているようなそういう感じがある。環境を変えたい、というか大学を辞めたい、というかおそらく来年の春には辞めている。が、大学を辞めたらすべてが好転するとかそんな甘っちょろい話はない。誰か助けてくれないか、という歌詞が含まれている曲はなんだっただろう。きっと割とたくさんあると思う。
穴埋めには限界があって、でも穴が空いていたら埋めるしかなくて、空いている穴に対して胸を張ることはできるんだろうかとかそういうことを考えるけれど、これはあくまで比喩的な話だ。感覚的には、自分はずっとその穴に対して、応急処置的に何かで埋めるか、その穴が目立たないように他の部分もその穴と同じ高さまで掘ることをやってきたと思う。でも、いくら掘ったり足で慣らしたりしても満足できなくて、自分はずっとその穴があった箇所の状態を気にしているような、そういう感覚があるかというと別にない。でも、「やりたいことをやろう」というのはもしかしたら、穴が気にならなくなってからじゃないと言えないのかもしれないなと思う。穴が空いた状態で「やりたいことをやろう」と言っても、「いや、まずは埋めろよ」という話になる。いや、違うか。でも、仮に穴が空いていたとしても、自分がそこに手を施さなくても雨風とかで勝手にその穴は埋まっていくんじゃないかなと思う。自分が他のことをやっている間に。
色盲というのはこういう状態なんだろうか。絶対に違う。でも色がない世界で何が違いを生むのかというと、それは段差とか奥行きとか、そういうものになるのかもしれないなと思う。一色で描かれた絵に魅力がないかというと、そんなことはない。二次元の絵で奥行きを表現しようとしたら結果的に色を変えることになるのだろうけれどそういうことではなくて、だからこれはどちらかというと立体の話だ。レゴブロックを積んでいるとして、一色のレゴしかないとして、だったら自分は、きっといつもより形で違いを生もうとすると思う。いつもだったら「魚」とか「お馬さん」とかその程度で満足するところを色の変化のなさを補うために様々な積み方で工夫しようとするんじゃないかと思う。でも多分、工夫して、その時はそれなりに満足したとしても、一旦レゴから離れたら悲しくなる。人生において色は相当重要な要素なんじゃないかと思う。「人生」とか大袈裟だけど。
自分はあんまり自然を眺めていても落ち着かなくて、というより自然「だけ」では満足できなくて、たとえば離島で生活することになったらかなり苦しむような気がする。かと言ってずっと都会にいたいとも思わないし、この辺りは塩梅だ。おそらく、苦しさは時間によってしか消えないんだと思う。もっと具体的に言うと、一つ一つの物事の積み重なりがあって、その結果として何かの弾みでスッと楽になったりするものなのではないかと思う。AがBになるから楽になるのではなく、AがAダッシュになるから苦しくなくなるわけでもなくて、AとかBとか「あ」とか「い」とか1とか2とか、とにかく色々なものが積み重なっていった結果、ある時ふいに訪れた「G」とかによって、パッと視界が開けたりするものなんじゃないかなと思う。
なんて言うんだろう、時間さえなければ物事はもっと簡単になると思う反面、時間があるからこそ人生で、というか時間しか人生じゃないとすら思う。実際にそうなのかな? どんな大きな理想を掲げたって目の前にあるのは次の1秒で、その1秒を「一時間」とか「二時間」とかそういうまとまりとして見ることもできれば、純粋なただの一瞬として感じることもできる。どちらも等しい1秒で、でも本当に等しいのかな。時間はその人の主観の中にしかないとは言えずとも、「24時間」「365日」というのが人間が作り出した概念であることは間違いなくて、日々沈んでいく太陽と、季節の移り変わり、気温の変化だけが本当で、でもきっと時計や時間が存在しなかったら、自分達はほとんど動物と変わらなくなるというか、ぼうっと牧歌的に生きることしかできなくなるんじゃないかと思う。
人生は暇潰しとか思い出作りとかどっちもあんまり好きな言葉じゃないけどでも多分部分的には本当で、思い返したときに何があるかしか大事なことはないような気もする。本当に分からないよ。あと一歩だと思う気持ちともう全部ダメになったりして(笑)みたいな気持ちと両方ある。でも後者に関してはあんまり言語化していない。いつかどこかで突発的に線路に飛び込むとかそういう類の表現のされ方をするような気がする。
自分一人しかいないと思うと死にたくなる。一人じゃないと思えると平然と生きていられるようになる。この「一人じゃないと思える」ということがどういう状態なのかは分からない。誰かと一緒にいたら一人じゃないのか、帰る家に誰かがいれば一人じゃないのか、もっと精神的な話なのか、「一人じゃない」というのはそもそも「別の人間もいる」ということに留まらないのか。滞留していると苦しくなる。循環していると落ち着いていられる。そういうことも思う。
(久しぶりに書くと違和感がすごい)
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recipe-cookingclass · 2 years
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レゴグループでは、「Play also makes the whole family happier, builds stronger family bonds and improves their wellbeing according to 95% of parents.」という話があります。これは、両親の95%に関して、遊びというのは家族みんなを幸せにするものであり、より強い家族の絆を築くものであり、幸せの支えとなるという考え方であると理解しています。 今回作ったサーモンについてですが、サーモンを使った料理やグルメはまだまだ可能性を秘めていると感じます。サーモンが日本に普及して50年程ということもあり、サーモンを生食するというイメージがあるという方もいれば、家庭では生食することがないという方も、いまだにいらっしゃるというお声をいただくことがあります。 今回は生食できるサーモンなので、サーモンを自家製の発芽雑穀玄米と一緒に味わえるよう、卵黄の醤油漬け仕立てにしました。サーモンのサクを手に入れ、煮切り酒と古式醤油、本山葵で味付けをしています。国産焼き海苔は炙ってから手ちぎりし、ひねり胡麻と大葉千切りを添えました。昔な���らの醤油で漬けた卵黄との相性はよく、玄米とサーモンの相性も抜群です。食への遊び心を大切にし、色んなサーモンの食べ方を試してみてはいかがでしょうか。 ※レゴは神戸三田プレミアムアウトレット店で購入したものとを @photobusuki が撮影しております。 料理は我が家の普段の食卓。 料理研究家 指宿さゆり 写真家 指宿慎一郎 @photobusuki ーーーーーーーーーーー #料理研究家指宿さゆり #レシピ開発 #レシピ制作 #レシピ制作専門スタジオ #料理は教養 #食は品性 #料理好き #創造力が世界を変える #lego #レゴシティ #レゴミニフィグ #ゆとりある暮らし #インスタ映え #legostore #フォトジェニック #三色丼 #健康食 #アスリート飯 #おうち定食 #レゴ好き #こどものいる暮らし #レゴから見える食卓 #神戸料理教室 #神戸三田プレミアムアウトレット #教育 #食育 #お子様ランチ #レゴブロック #レゴ #こどもごはん (神戸三田プレミアム・アウトレット) https://www.instagram.com/p/CgI1bQKP7EP/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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ibusuki-sayuri · 2 years
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Norwegian salmon is farmed in clean, cold water and has less of the smell that is often characteristic of farm-raised fish. 『レゴから見える食卓』サーモン海鮮和食 こちらは、『サーモンのとろける生サーモン玄米丼』 自家製のかえし醤油、本葵にくぐらせていて、 とろけるサーモンの短冊を包丁でカットし、 鮮度がよいうちにいただきます。 さて、デンマークやノルウェーでは、 グラブラックス(Gravlax)という料理があり、 サーモンを塩漬け(ハーブ漬け)にしたものがありますが、 日本では漬けという手法があります。 国は違っても、 根本にある料理に対する考え方、 美味しさへの表現力を理解すれば、 方法論の違いこそありますが、 北欧と日本に共通するものがあるのだと感じます。 興味深い調査をレゴグループが行っていて、 レゴグループが発表している調査(LEGO Play Well Study 2020)では、 10人に7人の親は 「デジタルゲーム以外で遊ぶことを望む」 と回答しているとか。 スマートフォン、タブレットなどの端末が浸透し、 手軽にデジタルにアクセス時代となりました。 身近な存在でありながら、 デジタルゲーム以外で遊ぶことを 望んでいる親が多いのが現状であると言えるのです。 それならば、デジタルゲームなどを 遠ざけるべきなのか?と考えてしまいますが、 レゴグループから学ぶべきは、 そのような課題との向き合い方です。 近年、レゴグループが興味深いリリースを出していて、 「With new digital storytelling experiences, LEGO® City Missions puts children in charge of customising their models using pure imagination and creativity in a bid to solve exciting, upcoming missions.」 というものがあります。 これは、新しいデジタルストーリーテリング体験を備えた「LEGO®CityMissions」に関するリリース情報で、 子どもたちには、 純粋な想像力と創造性を駆使することで、 形をカスタマイズし、 エキサイティングにミッションを解決するというものです。 今や日本ではサーモンを食べるという文化が 随分と浸透しましたが、 これは1985年以降の話であり、 1985年と言えば、 携帯電話の先駆けとなるショルダーフォン(NTT)が登場したり、 ファミコン用ソフト「スーパーマリオブラザーズ」が発売したり、 現代では当たり前となったものが、 当時は珍しい時代だったと振り返ることができます。 サーモンも同様で、35年以上前、 鮭を生食するという考えは日本国内ではあまりなかったのです。 それは、鮭はしっかりと火を通して食べるものという 固定概念があったからです。 ところが、サーモンを西洋のものであり、 回転寿司での利用を促し、 マグロとの価格差、脂ののりなども鮭との差別化を図ると、 サーモンの生食は普及します。 ほとんど日本では生のサーモンを輸入していませんでしたが、 輸入額もどんどん増え、 回転寿司でよく食べるネタでも サーモンがダントツで上位になるようになりました。 口の中でとろける、 サーモンを食べながら、 時代の移り変わりを冷静に見つめ直せば、 目の前にある課題に対し、 私たちに何ができるのか、 考えるための新たな視座を与えてくれます。 ※レゴは神戸三田プレミアムアウトレット店で購入したものとを @photobusuki が撮影しております。 料理は我が家の普段の食卓。 料理研究家 指宿さゆり 写真家 指宿慎一郎 @photobusuki ーーーーーーーーーーー #料理研究家指宿さゆり #レシピ開発 #レシピ制作 #レシピ制作専門スタジオ #料理は教養 #食は品性 #料理好き #創造力が世界を変える #lego #レゴシティ #レゴミニフィグ #小鉢定食 #インスタ映え #legostore #フォトジェニック #サーモン #海鮮丼 #アスリート飯 #おうち定食 #レゴ好き #こどものいる暮らし #レゴから見える食卓 #神戸料理教室 #神戸三田プレミアムアウトレット #教育 #食育 #お子様ランチ #レゴブロック #レゴ #こどもごはん (レゴクリックブリック神戸三田店) https://www.instagram.com/p/CeVJVR3v9Om/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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leomacgivena · 6 months
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Xユーザーの大村 卓 Taku Omuraさん:「4歳の娘による「たこ焼き屋さん」がなかなかよい。レゴはこのくらいの解像度が好きだな」
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kennak · 1 year
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都会に出ていってしまった息子の部屋を片付けるべく母親の私が整理している。私に似て玩具好きに育った息子は沢山の置き土産を残していった。押入いっぱいのおもちゃだ。値のはる物は本人がある程度売っぱらったので「残りは捨てても売ってもいいよ」と託された。現在は絶賛無職の専業主婦、そしてヤフオク歴20年の“粗利は100円でもあればいい女”の私は売るほかなかった。最近はメルカリのほうもよく売れる。息子はとにかく玩具を“見つける・選ぶ・買う”ことが好きで、開封して一度作ったり弄れればもう放置する人間だったので押入はバラバラになったプラモやフィギュアやらが袋や箱に入れられて佃煮のようだ。まず箱を用意してそれぞれにトランスフォーマー 、特撮系、ボトルマン、ガンダム系、ベイブレード、ナーフ…と張り紙をしてそこにぶっ込んでいく。特撮系は嵩張るので3箱になった。わかりやすい物は分類しやすいが分解しやすいプラモとちまっこいフィギュアには手こずっている。しかしどんな小さなパーツでも息子は絶対に捨てないで保管していたのでバラバラの佃煮の一部をGoogleレンズでイメ検し出てきた全体像をつかみながら目を凝らして根気よく探すとほぼ必ずそのものが完成する。さっきは『マルチアビス V-リンク・メカ ストライカー』の中に搭乗する人物の1cmもない右腕を見つけることができて興奮した。凄いな私。さすがレゴで育てた目だ。レゴも積んでる。そうして完成させては出品して売っているともう1万円になった。このまま頑張れば部屋は片付き売り上げは懐に入り最後は私の趣味部屋へと変えられるだろう。ここ数年で集めたシルバニアファミリーのダン箱が7つあるのでやっとこれを広げることができる。これは建物はノーカンで書いてる。建物は箱に入れるとさらにかさばるからだ。建物は積んで(積める)常に眺めてる。シルバニア者は自室のことを土地と呼ぶ。
出ていった息子の部屋を整理している
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yoruto-uso · 8 months
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レゴのディズニープリンセスのやつ観たのだけど、白雪が最高だった。あの白雪ならめっちゃ好き。というかメリダ以前のプリンセス、ジャスミン以外はあんまり好きじゃないというか、好きになる要素がないというかそんな感じなので、実写で別の姿を描いてくれるのありがたいなと思っている。
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siim-tv · 11 months
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【LEGO】duploアナと雪の女王
こんにちはuyaです。 今回は『duploアナと雪の女王』についてご紹介していきます。   こちらはLEGOのおもちゃです。 ディズニーのアナと雪の女王がモチーフになっているブロックおもちゃで、アナとエルサのレゴおもちゃがついています。 うちの子はまだ2歳になる前だったんですがアナと雪の女王が大好きで、週3くらいでアニメーションを観ていました。 なので気に入ってくれるのではないかと思って購入したんですが、ブロック遊びでここまでしっかりしたお城を作るには、まだ幼すぎました(笑) 大人がお城を作ってあげないとだめだったので、正直もうちょっと大きくなってから買ってあげてもよかったのかなと。 アナ、エルサの他にオラフのレゴおもちゃもついています。 LEGOと言えば小さなブロックが多いというイメージでしたが、これはわりと大きいブロックがたくさん入っています。 お城を作ることが前提のおもちゃな…
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takachan · 1 year
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レゴ製テスラ・センター、製品化なるか?
レゴ・ビルダーの創意工夫と1万人からのサポートで製品化に繋がるLEGO IDEAS(レゴアイデア)。現在4,046人からのサポート(執筆時)を得ている「TESLA CENTER」もまた、レゴとテスラ好きなビルダーによる作品です。 https://www.gizmodo.jp/2023/03/lego-tesla-center.html?utm_source=dlvr.it&utm_medium=tumblr GIZMODE JAPAN
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hosoudehanjouki · 1 year
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子どもが、かわいい
ある程度の年齢になるまで、小さな子どもがとても苦手だった。乳児はかわいい。でも歩き出して、自分の意思を持ち出して、誰が好きで誰が苦手で…ということが表出してくる年齢になると、もう苦手。
具体的に苦手になったきっかけは思い出せないが、わたしが親友と呼べるくらい親しくなる友人たちは一様に子ども好きだったことは、一因かなと思う。
つまりやきもちである。
友人たちは小さな子どもを見かけるとパアッと顔が明るくなり、知り合いの子どもなら抱き上げ、私との会話は中断される。そんなことが、小学生の頃から続いた。
妹として家族の関心を一手に受けて育った私は、年少者であったとしても自分への関心を奪う小さな子どもたちをよく思わなかった。彼らも当然それに気付き、私をやんわりと警戒する。
そのようにして長年、私と「小さな子ども」の間には見えない緊張が流れていた。
ところが。
わたしも良い大人になり、友人たちは母になった。彼らがおなかを痛めて生んでいるのだが、わたしの周りに突如として赤子が複数誕生したのである。
最初こそ、ふにゃふにゃ言ったりきゃあきゃあ泣いたりするだけでどう接したら良いか分からなかったのだが、抱かせてもらってまあ大変。
かわいすぎるのである。
この温かい生き物は、なんだ。
なぜ見知らぬ私の腕の中でそんなにすやすや眠れるのか。私に身を預けて大丈夫なのか。
もちろん、本人はそんなことは知る由もなく、ただ預けられる場で生きるために眠っている。それが、どうしようもなく愛おしかった。私の細すぎる細腕を頼りにしてくれて、ありがとう、と思った。
そこから、すっかりベビーラバーになりました、というわけではなく、今もたまに抱かせてもらう程度の関係性でしかないが、とにかく私の中で小さな子供に対する緊張感はほとんど消え去ってしまった。
今は、レゴを見つけてはしゃぐ子どもと一緒に遊ぶし、牛乳パックが開けられない子どもには開けてやるし、手が離せない友人のために赤子を抱く。ワイワイ泣かれても、抱いてあやして揺らす。それが、苦にならない。
ー子どもたちを、私のところに来させなさい。邪魔してはいけません。神の国はこのような者たちのものなのです。 マルコの福音書 10:14
子どもの頃から、この聖句の意味がいまいちピンと来なかった。私にとって、子どもはよく分からない存在だったからだ。
でも今はわかる。子どもはかわいい。そして純粋で、力がある。神の国は、このような者たちのものなのだ、と言われたら、良いところなんだろうな、と思う。そう思えるようになって、良かったなと思った。
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