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#モニュメントきみと
g-men-movie · 9 months
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夏のアツさを吹き飛ばす!Gフェス開催!完成披露試写会イベントレポート
この度、7月25日(火)に『Gメン』完成披露試写会を実施!岸優太、竜星涼、恒松祐里、矢本悠馬、森本慎太郎、りんたろー。、吉岡里帆、高良健吾、尾上松也、田中圭、瑠東東一郎監督の総勢11名が登壇しました!
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イベントが始まると、会場では色とりどりのレーザーが飛び交い、キャストの紹介映像が上映。ザ・クロマニヨンズによる主題歌「ランラン」が鳴り響くと幕が上がり、高さ2.5mもある「G-MEN」巨大モニュメントをバックに、キャストと監督が登場しました。壇上に据えられた大階段から降りて舞台へやってくると、ド派手な演出で登場した総勢11名を前に、観客の熱気と歓声は最高潮!場内は一気にお祭りムードに!
最初に登壇者全員から自身の役紹介とともに挨拶があり、その後本編に関する質疑応答へ。1年G組の5名の仲の良さや、高良・田中・松也から見たG組メンバーの様子、癖のあるキャラクターを演じた吉岡の心境、岸から見た先輩達への印象、瑠東監督よる作品への想いや、本作の撮影秘話などが語られました。また、みんなからの無茶振りに、岸が渾身のGメンギャグを全力で披露する場面も!
続いて、フリップへ記述し質問に答えるコーナーでは<自分が演じた役以外で演じてみたいのはどのキャラ?><友情・ケンカ・恋愛と青春がギュッとつまった『Gメン』ですがズバリみなさんの青春を一言で表すと!>というお題に対して出演者がコメントしました。
さらに、岸の呼びかけで、登壇者と会場が一体となり「この夏は、Gメン!」と掛け声をし、キャノン砲が発射!会場は大熱狂の中、イベントの幕が閉じました。
詳しいトークの内容は、8月10日(木)に配信される「Gフェス後夜祭」ダイジェスト映像をチェック!
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mvrider3 · 8 days
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玉造温泉
奈良時代開湯の山陰を代表する名湯♨️名前の由来は三種の神器の一つ八尺瓊勾玉がこの地で造られたことによる。ということでこんなモニュメントが
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神話の国らしく温泉街に神様たちが😲
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下の地図の通りに探してみよう
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バス停に足湯♨️
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川縁にも足湯😁
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温泉街マップ
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美肌の源泉を自由に汲むことができるたらい湯
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夜がふけても温泉情緒いっぱい🥰
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ogawa-xd · 4 months
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モノとコト
モノとコトという対比構文が語られはじめたのは20年くらいまえだろうか。もっと前からだったかな。
大まかには、モ��からコトへ、モノではなくコトが大切という流れの話しだった。おそらくモノを偏重する姿勢を批判する文脈で語られたのだと思うが、自分もその頃そう感じてそう主張していた。プロダクトデザインからITC関連のデザインへ進展したこととも関係があるかな(ということは、30年はゆうにたっている)。
しかし最近は「モノとコト」という形ではあまり語られなくなった気がする。といっても、べつにコトが大切ということが、再否定されたわけではない。おそらくコトが大切という考え方が飽和して、語る必要がなくなったということなんだろう。つまり話題として鮮度を失った、ともいえるかもしれない。 でも、本当にそうか?
ちがう視点から少しだけこれを蒸し返したい。 あらためて、こういうことではないかと考えた。
やはり大切なのはコトの方ではある。
それは、コトが意味内容であるから、ではないか。シニフィエといってもいい。それに対してモノは、それを指し示すシニフィアンとしてはたらいている。
人の行為や事象、あるいは言葉にならない思いなど、それらが価値や意味と結びついている。少なくともそれらが価値の対象である。価値や意味とは物理的な実体ではなく、心の世界の中にだけ存在するものある。だからそういった価値や意味は、「記憶」がなくなればそのままでは消えていってしまう。
しかし消えないように繋ぎ止めるはたらきをモノがもっている。これはまさに、言葉と意味の関係、指すモノと指されるコトの関係である。
たとえば、何かを「為す」こと自体に意味がある。「生きること」とか。しかし「為したコト」は、正確には記憶の中にしか残らない。しかし、為されたことの証しとして、物理的な破壊、転移、生成が起きる(こともある)。そういった物理的な事象の後には物理的なモノが残る。あるいは、モニュメント、景色、山や川や海、桜や富士山など。「景色」というモノは、旅という行為の結果、文字通りたどり着いた物理的な一つの実体である。
しかし景色であれ工業製品などの人工物であれ、さらに芸術作品であれ、本来それ自体に意味や価値はない。それはただの石ころや岩、布のキャンバスの上の絵の具という物質でしかない。しかし一方それは「行為の結果」残された遺物あるいは形見である。それが科学、技術、豊かな生活の、あるいは偉業を指し示している。
亡くした母の写真や形見など、それ自体に意味や価値があるのではなく、それらが母を思い出させてくれるトリガーとして働く、そのことには価値がある。それは母をシニフィアンしている。
モノとコト、どちらが大切かと突き詰めてもしかたないのだろう。
モノとコトの言語学的な転回を試みたわけだが、この直感はあるいはただの妄想のような気がしないでもない。
これは前に呼んだ松尾芭蕉が「古池や」で達観して完成させた俳句という芸術(長谷川櫂)に通じている。このこともいずれ書きたい。
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kennak · 8 months
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こうした創造物にどれほど恐ろしげなメッセージを刻み込んだとしても(たとえば『ここは名誉ある場所ではない。尊敬を集める死者はここに葬られていない。価値あるものは何もない。ここにあるのはわれわれにとって危険であり、われわれに嫌悪感を抱かせたものだ』など)、大規模なモニュメントは、好奇心にかられた人々、犯罪者、さらには未来の考古学者からの注目を集めやすく、本来であればそれが防ぐべき行為、すなわちその場所の発掘を、かえって促す結果になる可能性が高い。  エジプトのピラミッドがまさにその一例だ。ピラミッドは今も存在するが、神官たちはとっくの昔に消え去り、われわれは恐ろしい呪いをものともせずに、彼らの埋葬室を略奪し、死者を汚している。
核のごみの場所と危険性、1万年後にどうやって伝えるのか | ナショナル ジオグラフィック日本版サイト
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gupaooooon · 9 months
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・Nagasaki Peace
「An atomic bomb exploded over Nagasaki on August 9, 1945, three days after the explosion of the first atomic bomb over Hiroshima. The bomb was assembled at Tinian Island on August 6. On August 8, Field Order No.17 issued from the 20th Air Force Headquarters on Guam called for its use the following day on either Kokura, the primary target, or Nagasaki, the secondary target. That same day, the Soviet Union declared war on Japan. The B-29 bomber "Bockscar" reached the sky over Kokura on the morning of August 9 but abandoned the primary target because of smoke cover and changed course for Nagasaki, the secondary target, and detonated the atomic bomb at 11:02 a.m.」
・NO MORE HIROSHIMA & NAGASAKI MUSEUM
「The nuclear weapons dropped on Hiroshima and Nagasaki burned the victims to unrecognizable forms, and brought suffering from illness, poverty and discrimination unto the survivors. Nuclear weapons and humanity cannot coexist.
We want people around the world to know about the consequences of nuclear weapons, and the journey of the Hibakusha - the atomic bomb survivors. As Hibakusha of Hiroshima and Nagasaki, we have held exhibitions at the United Nations four times to date, at the timing of the NPT Review Conferences. As the risk of the use of nuclear weapons is today at its highest, we have decided to open this exhibition as an online museum.」
・Hiroshima and Nagasaki: A Multilingual Bibliography
「ABOUT US: The Aim of Our Project In 2014, a year before the 70th anniversary of the atomic bombings of Hiroshima and Nagasaki, we started our survey and research into the multilingual publication of atomic bomb literature. Our goal is to make a comprehensive survey into the process of worldwide acknowledgment of Hiroshima and Nagasaki for 70 years.」
・2023長崎平和宣言 全文
・外国人戦争犠牲者追悼核廃絶人類不戦碑
「八月九日の原爆 によって七万余の日本人、数千の朝鮮人、中国人労働者、華僑、留学生、連合軍捕虜(イギ リス、アメリカ、オーストラリア、オランダ、インドネシア等)が犠牲となった。特に浦上刑務所のあった隣接する丘では、三十二名の中国人、十三名の朝鮮人が、日本人 受刑者とともに爆死し、また香焼や幸町の捕虜収容所では、被爆前に病気や事故などによ って数百名の連合軍兵士が死亡した。」
・「長崎の原爆ドーム」なぜ解体されたのか? 浦上天主堂が幻の世界遺産になった理由【長崎原爆の日】(22/08/09)
「8月9日は「長崎原爆の日」。長崎市内への原爆投下で、1945年だけで7万人以上が亡くなった。長崎では平和祈念像が犠牲者に黙禱を捧げるモニュメントとして知られているが、実は広島の世界遺産「原爆ドーム」に匹敵する原爆遺構が、かつて長崎市内に存在していた。爆心地からわずか500メートルの位置にあったカトリック教会の大聖堂「浦上天主堂(うらかみてんしゅどう)」だ。」
・«さもしいといって下さいますな» 福田須磨子さんの思い 原爆を背負って(30)(20/08/06)
「 《何も彼(か)も いやになりました 原子野に屹立(きつりつ)する巨大な平和像 それはいい それはいいけど そのお金で何とかならなかったかしら “石の像は食えぬし腹の足しにならぬ” さもしいといって下さいますな 原爆後十年をぎりぎりに生きる 被災者の偽らぬ心境です》1955年8月、被爆詩人・福田須磨子さん=74年に52歳で死去=が詠んだ詩「ひとりごと」です。」
・祈りと異質な巨大芸術 平和祈念像 法王は今回も立ち寄らず(19/10/27)
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/554327/
「長崎新聞の元論説委員長、高橋信雄さん(68)によると、浦上教会の主任司祭だった故川添猛神父は生前、高橋さんの取材に対して「私自身は平和祈念像の前には決して行かない」「巨大な芸術品の前で祈りをささげることなどできない。いくら像の名前に平和を冠していても、被爆者として、あの像とは相いれない」と語っていたという。」
「北村は戦前戦中にわたり、戦意高揚のための軍人像などを数多く手がけた。反核、反戦の美術評論家、故針生一郎氏は、北村について「戦後一転して平和や自由をうたいあげる公共彫刻に意欲を燃やしたが、戦前戦中の自作についての深い反省もなく百余歳まで生きたので、各地に醜悪無残な彫刻公害を残している」と酷評。その代表格が、北村の戦前戦中の作風そのままの男性裸像、平和祈念像ということなのだろう。」
「祈念像の周りをぐるりと歩くと、像の裏には北村の言葉が刻まれ、こんなくだりもあった。「山の如き聖哲 それは逞(たくま)しい男性の健康美」。祈りとはかけ離れた異質なもの。」
・「存在しない」とされた残留放射線、内部被ばくの被害を認めない政府(22/09/05)
「長崎の「被爆地域」は、原爆投下時の行政区域をもとにしている。爆心地から12キロ圏内で原爆に遭っても、国の指定する「被爆地域」外にいた人々は「被爆体験者」として、被爆者と線引きされてきた。」
「原爆投下から1ヵ月後、マンハッタン計画の副責任者であるトーマス・ファーレル氏は、下記のような声明を発表したとされる。 「広島・長崎では、死ぬべきものは死んでしまい、9月上旬において、原爆放射能の余燼ために苦しんでいる者は皆無だ」 残留放射能が存在しないとした理由について記者からの質問を受け、ファーレル氏は「相当の高度で爆発させた」ことを挙げていた。」
「広島の「黒い雨」訴訟で、国側は国際放射線防護委員会(ICRP)国内メンバーが記した論文を引用した上で、「内部被ばくをより危険とする根拠はない」などとしていた。国が政策で依拠するICRPとはどのような成り立ちなのだろうか?この組織は1950年、米国放射線防護委員会(NCRP)議長らが中心となって組織された。NCRPは1946年に発足しており、あの「人体実験」にも携わったマンハッタン計画の医学部長らが執行委員となっていた。中心メンバーも、マンハッタン計画に従事した科学者たちだった。」
「「日本政府は核兵器の残酷さや非人道性を訴えるどころか、その“威力”を重視し、原爆攻撃をした米国と一緒になって、核兵器の有効性を世界に向けて訴えてきたといえます。核の“パワー”の肯定的イメージを拡散してきた、世界に対する責任は重いと思います」」
・核廃絶専門委、長崎の被爆者落選 禁止条約に否定的な政府支援なく(23/07/23)
「【ニューヨーク共同】核兵器禁止条約の諮問機関「科学諮問グループ」の専門家委員に推薦された長崎の被爆者が落選していたことが23日、国連関係者への取材で分かった。核廃棄や被害者支援など「核なき世界」実現の方策を締約国に助言する「要」の機関。核実験の影響に苦しむカザフスタンが推したが、条約に否定的で非加盟の日本政府の支援は得られず、外交筋は落選への影響を指摘した。」
・NHK長崎放送局 WEB特集 原爆
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mitsutakatajiri · 9 months
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「PLACE」
地下室を出て岬に辿り着くまで
小鳥たちの点在する夜を渡り
服を脱いだ霧の手帳に旅の行き先を記してある
飛び乗った大船は絢爛と奴隷性との
隠れたる集合で揺れていた
ディナーは焦げたフィッシュの中で終え
別種の景観を窓越しから眺めながら
形式は永遠の中を遊牧する事にあるなどとつぶやき
片目だけを強制収容所に置いてきた
青白い波しぶきを逆立ちさせ
記念モニュメントとして
記念撮影でもしようと試みたが
デッキに逸話を刻んだ方が
カモメは喜んでいるようにも思えた
線形(リニア)な出航から
場のマトリスクに連なる
大船は定刻に着岸している
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muramatsu-takehiko · 10 months
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『多摩美術大学 共同研究 佐藤晃一研究 2019-2022年度 報告書│資料目録』 A4サイズ
グラフィックデザイナーで、多摩美術大学の教授でもあった佐藤晃一さんの資料目録をつくりました。多摩美のアートアーカイヴセンターが所蔵する資料をまとめた冊子です。
画像は表1と表4。 モチーフは「棚」です。「多摩美の棚に収まる資料」を表しています。モニュメント的でありつつ、なおかつ、表4は人をくったようなデザインにしました。
本書では編集(作品の分類・整理と情報の精査)も担当しています。
約1800点の資料はサムネイル付きで、約700点はテキストのみで掲載しています 佐藤晃一の代名詞であるポスターだけでなく、あらゆる媒体の仕事を網羅した結果、あまり類のない資料となっています。
至らぬところもあるのですが、今後の研究の土台となるものが出来上がりました。
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hangorin · 2 years
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【報告】NO MORE OLYMPICS!NO MORE IOC!ぼったくりバッハ断固拒否デモ!
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(Photo by @ken123)
10月16日、東京五輪1周年記念事業の一環として「東京レガシーハーフマラソン」が開催され、さらにIOC主催の「Thank You TOKYO」Festival&Ceremonyが行われ、あのぼったくり男爵、IOC会長バッハが来場すると聞いた。
私たちはいつまでオリンピックやIOCの食い物にされなければならないのか。居ても立っても居られずデモを行うことにした。
ところが、IOC会長バッハは直前の10月3日に来日中止を発表。「スケジュールの都合」などと言われているが、この日の来日は今年初頭から決まっていたこと。9月に札幌市長とのローザンヌでの面会をキャンセルしたことからも推測すると、おそらく、いま連日報じられている東京五輪汚職の火の粉が自らに降りかかること、批判の矛先を向けられることから逃げたかったのだろう。なんとも卑怯だ。
しかし、盗人たちからサンキューなどと言われて黙っているわけにはいかない。私たちは予定通りデモを決行することにした。50人が結集した。
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JOCビル前には公安がずらり。
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さらにオリンピック・ボランティアの青いユニフォームに身を包んだ集団が、ファイブリングスのモニュメントと共に記念撮影をしようと列をなしていた。あれほどオリンピックに搾取されながら、いまなお有難がる者たちがこんなにいるとは世も末だ。
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その薄気味悪い空気を打ち壊すように、デモ参加者と、そして10月10日のおことわりんくの抗議行動で爆誕した五輪戦犯7人衆のパネル+森喜朗の胸像が現れた。
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(Photo by @ken0123)
デモ前の小集会では、小池百合子に扮した何者かが現れ、築地を破壊しプロポーザル契約によって70年間民間管理させることにしたこと、新国立競技場のために潰した明治公園をおしゃれなカフェやアウトドアショップだらけの広場に再開発することなどをオリンピックの成果として自慢げに演説。ブーイングと共にその場を後にした。
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続いて、賄賂疑惑のマスコット、ミライトワとソメイティが登場。風の精の力も借りつつ、いかに東京五輪が汚職にまみれたものだったかをわかりやすく解説し、最後は「オリンピックを応援したのは間違いだった」と改心し、NO THANK YOU TOKYO! ABOLISH THE OLYMPICS!と声を挙げた。
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そしていよいよ新国立競技場を2周(!)するデモ出発!オリンピックはどこにもいらない、の声が高らかに響き渡った。
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オリンピックいらない!どこにもいらない! パラリンピックいらない!どこにもいらない! オリンピック災害終わってないぞ! 札幌招致を今すぐやめろ! オリンピックは金まみれ! オリンピックは嘘まみれ!
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新国立競技場には、何箇所か競技場内に通じるゲートがある。その前では特にコールに熱がこもった。
No More Olypmics! No More Paralympics! IOC, Go to hell!
公園返せ! 団地を返せ! 住まいを返せ! 暮らしを返せ! 命を返せ!
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新国立競技場を2周する長いデモ。途中にはアルプスの少女ハイシ(廃止)による歌も!
♪オリパラはなぜ いつまでもおいしいの あの人はなぜ 逮捕されないの おしえて安倍晋三 おしえて警視庁 おしえて組織委森喜朗
♪TOKYOがなぜ Thank youと言われるの バッハはなぜ ここに来なかったの おしえておじいさん 教えてIOC おしえて都知事の小池さん
♪お客さんなぜ 参加費が無料なの? アスリートなぜ 笑っていられるの? おしえてオリンピアン おしえてメダリスト おしえて楽しめるそのわけを
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後で知ったことだが、7月23日のオリンピック1周年記念セレモニーと同様、この日のThank You TOKYOセレモニーでまたしても安倍晋三への黙とうが行われたという。国葬まで強行しておいて、何度弔わせれば気が済むのか。何重にも許しがたい事態だ。
しかし痛快なことに、その瞬間「黙とうの静寂を切り裂くように、「札幌五輪いらない!」などの怒声が響き渡った。黙とうが終わると、約1万人の観客はどよめき、騒然となった。(デイリースポーツ)」という。オリンピック・パラリンピックに社会をズタズタにされた私たちの怒りの声が、オリパラを称え、オリパラを推進した者を称える醜悪な企みを打ち破った瞬間だ。
また、直前になって逃げ出したバッハはビデオメッセージで、「世界的なパンデミックという背景がある中で、東京で皆が一つになる様子はまさに魔法のようでした。私は永遠に感謝します。ありがとう東京、ありがとう日本」などと語ったという。
私たちは一つになどなっていないし、世界的なパンデミックという背景がある中で、あらゆる社会資源を私たちから奪って強行されたオリンピック・パラリンピックを決して許さない。もちろん、オリンピック・パラリンピックがパンデミック以前から私たちの生活を踏みにじり続けてきたことも許さない。サンキューなどと言われる筋合いは一ミリもない。そのことを堂々と訴えたデモとなった。
デモの報道
五輪1周年イベント 冒頭で安倍元首相に黙とうも 反対派デモ響く 観客騒然/スポーツ/デイリースポーツ online (daily.co.jp)
東京オリパラ1周年 バッハ会長「東京が一つになる様子は魔法のよう」 安倍前首相に黙祷も― スポニチ Sponichi Annex スポーツ
東京新聞 こちら特報部「『金まみれ』政治の責任は 消えない『30年札幌有力』1周年イベント合わせ反対デモ」
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ところで、デモのあと何人かの仲間が五輪オブジェの前で写真を撮ろうとしたところ、JOCの警備責任者を自称する人物が、あんたたちはダメだと妨害し、あろうことかミライトワの頭をはたいて被り物を奪い落とすという暴力を振るった。また、アルプスの少女ハイシが手に持っていた紙をプラカードだと言って強引に奪い取ろうとした。
五輪オブジェには昼間からたくさんの人々が立ち入り、記念撮影を行っていた。五輪に反対の表現をする者だけ排除するというのは非常におかしい。
また、この人物は、自らの氏名も役職も一切明かさない一方で、私たちをJOC前の広場から締め出し続けている。そして、これまでも抗議行動参加者を「転び攻防」で陥れようとする、オリパラ反対署名の受け取りを拒否するなどの問題行動を繰り返している。(参照)
元々は都立明治公園こもれびテラスという公共空間だった場所が、オリンピックを契機にJOCに奪われ、今は一体何の権限があるのかまったくわからない暴力的な人物の独断によって支配されているのである。これもまたオリンピック・パラリンピックがもたらした最低最悪のレガシーの一つである。
10月16日NO MORE OLYMPICS!NO MORE IOC!ぼったくりバッハ断固拒否デモ・動画はこちら
①NKさん
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②KENさん
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sendaihiscafe · 1 year
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せんだい歴史学カフェ第123回放送「In Memory of MacMullen and Meeks 古代ローマ社会・キリスト教史を振り返る」
第123回放送をご覧いただきありがとうございました!
放送時のtogetterまとめはこちら⇒   https://togetter.com/li/2065890
今回ご紹介3人の研究者の論文・著作や関連する文献のごく一部となりますが、放送時に言及したものを中心に下記にまとめました!
・R. MacMullen, "What Difference Did Christians Make?", Historia 35-3, 1986, pp, 322-343.
・R. MacMullen, Corruption and the Decline of Rome, New Haven, 1988
・R. MacMullen, “The Epigraphic Habit in the Roman Empire”, The American Journal of Philology 103, 1982, pp. 233–246
・W・ミークス著、加山久雄監訳『古代都市のキリスト教 パウロ伝道圏の社会学的研究』ヨルダン社、1989年(原著1983年)
・松本宣郎「(書評)MACMULLEN, R., Paganism in the Roman Empire. Pp. 241, Yale U. P., New Haven, 1981」『西洋古典學研究』31、1983年、123-126頁 
・松本宣郎「初期キリスト教論」岩波講座『世界歴史7 ヨーロッパの誕生 4-10世紀』岩波書店 1998年、 187-211頁
・RR・スターク著、穐田信子訳 『キリスト教とローマ帝国―小さなメシア運動が帝国に広がった理由』新教出版社、2014年
・上村静「(書評)ロドニー・スターク著(穐田信子訳)『キリスト教とローマ帝国』」『ユダヤ・イスラエル研究』29巻、2015年、95-98頁 https://www.jstage.jst.go.jp/article/yudayaisuraerukenkyu/29/0/29_95/_article/-char/ja/
・大清水裕 『ディオクレティアヌス時代のローマ帝国 : ラテン碑文に見る帝国統治の継続と変容』山川出版社、2012年。
・島田誠「locus celeberrimus -古代ローマにおける記念建造物の設置と元老院決議等の公示について-」『西洋史研究』新輯42、2013年、1–24頁。
・中川亜希 「古代ローマのモニュメントとしての石碑 -権力と、記憶を刻むという名誉ー」『歴史学研究』859、2009年、152–160頁。
・福山佑子『ダムナティオ・メモリアエ  -つくり変えられたローマ皇帝の記憶-』岩波書店、2020年。
・前野弘志 『アッティカの碑文文化 : 政治・宗教・国家』 広島大学出版会、2007年。
・増永理考 「都市空間をかたちづくる碑文 -ギリシア語碑文の新たな可能性をめぐって-」『西洋古代史研究』15、2015年、19–40頁。
・増永理考 「言語行為論を通してみる碑文 -史料論的一考察-」『西洋古代史研究』16、2016年、1–23頁。
・師尾晶子 「古代ギリシアの石碑-関係性の記録と記憶の共有」『歴史学研究』 859、2009年、144–152頁。
・師尾晶子「古代ギリシアの碑文研究の新潮流:碑文習慣をめぐって」『西洋史学』242、2011年、145–57頁。
・師尾晶子 「古代ギリシアの書承文化と碑文習慣-アテナイを中心に」須江隆編『碑と地方志のアーカイブズを探る』汲古書院、2012年、413–436頁。
よろしければご参照ください。次回どうぞお楽しみに!!
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mickeykhun · 1 year
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2023年タイの旅(後編)
いよいよタイ滞在も明日でおしまいの今日は、長年の付き合いのHOTTESTにずっと行きたかったワット・パークナムに頼んで連れてってもらいました。
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まずは仏像に金箔貼り貼り。自分がよくなりたいところに貼る。金箔はお賽銭入れて勝手に取る花束の茎に輪ゴムで留めてある紙の間に潜ませてある。タイ人と行かなかったらわからなかったな。
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中庭に鎮座してたのは、圧巻の巨大な黄金の仏像。見上げた時は驚いた。
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目指すエメラルドの仏陀天井画はちょうどこの仏陀の背中側にあった。4階まで階段を登り切ると息を呑む美しさ。天井のてっぺんに仏陀がいて、その途中の高さには僧侶が描かれている。私達一般人はいちばん低い位置にいる、と絵の説明をうける。インスタ映えするお寺として有名になり、観光客もたくさんいた。
タイではお堂の中は靴を脱いで入る。もちろん靴置き場はあるけど、持参するように勧められた。最近、靴泥棒がいるんだとか。
お参りを終え、お昼は彼女はBuddy Boysのあのレストランに行こうと考えてくれてたけど、「ごめん、昨日行っちゃったよ」と告白し、急遽選んでくれたのが、こちらのレストラン。毎年、ミシュランの星をとってるらしい。家族連れで満席に近かったのに、運良くモニュメントが見える窓側の席が空いてた。日頃の行いの良さが出た?
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ここも美味しかった!パイナップルに入ったパイナップル炒飯を食べたのは実に久しぶり。前菜に出て来たのも実に手がこんでて美味だった。
ランチを終えた後はチュラー(タイの東大と言われるチュラルコン大学)の近く、つまり学生街のレストラン密集地帯を目指して車を走らせる。そのカフェでもう1人のHOTTESTと合流する。
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カフェ好きな彼女が選んでくれただけあり、タイらしい内装に美味しいタイデザート。私はタイの食べ物で食べれなかった物はないな。(虫は無視)もう1人とも無事合流し、頼んでたNew君の香水も受け取れた。余談ですがNewはチュラー工学部卒。大学院まで行ってるとか。
夜もこの一帯で食べる事に。かなり辛い料理だらけだったけど、どれも美味しかった!私が遠慮の塊までキレイに平らげ、2人に笑われた。タイ人が残した香辛料の葉っぱまで食べちゃった、と。それくらいタイ料理は口に合うんです。食べてばっかりの私。
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ここの支払いはQRコード決済でタイチングが済ます。コロナ以来、タイでも急速にQR決済が広がったらしい。
ランチもカフェも夕飯も全てご馳走になり、この日お賽銭以外バーツを使ってないではないか!いいのか、自分。
帰りは懐かしのセントラルワールドまで送ってもらうが、超渋滞。歩いた方が早いかもってくらい。ま、これもいかにもバンコク。車内でものんびり最後のおしゃべり。きっとまた会うけどね。
翌日はいよいよ帰国。朝はホテル近くを散策し、朝ごはんを屋台でゲット。これにコーヒーでも買って帰ろうと、たまたま通りかかったカフェに入る。コーヒーをテークアウトで、と注文すると、持ち帰り用カップを切らしてると。じゃあ、ここで朝ごはん食べていい?(ギンカオティニーダイマイカ?)と聞くと、即、ダイカ(もち、いいよ)と。窓側のカウンターで、朝ごはんを食べる。Wi-Fiのパスワード聞いて繋げる時に初めてこの店の名前が、
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NK Cafeと知り、1人で爆笑🤣
そこで朝食済ませホテルに戻り、チェックアウトタ��ムが12時と聞き、最後にホテルでSpaして帰る事にする。このスパの英語がフロントでなかなか通じない。タイ風に発音して、やっとこわかってもらえた😂スパは10時からの開店と同時に入り1時間コース。やっぱホテルのスパは違うわ。街中のマッサージも飛び込みでやったけど、350バーツ vs 1190バーツだけの違いはある。
スコソルホテルでは1日だけ朝食450バーツも食べたから、Spa代とも合わせた精算が1640バーツあった。あまりにバーツが余ってるから、現金で支払う。皆さまにゴチになりすぎだろ。
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rinam-works · 2 years
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福島県いわき市勿来(なこそ)地区にある 岩間海岸のモニュメント「きみと」。 「私たちの(き)記憶を(み)未来に(と)共に届ける」 という意味が込められています。 東日本大震災の記憶を次世代に残したいと、 地域の津波被災者642名が体験を語り、 音声や映像として記録。 それらを納めたタイムカプセルが、 モニュメントの下に保管されています。 2018年9月に設置され、震災から20年後の 2031年3月11日に掘り起こされる予定です。 海岸では釣竿を担いで歩く釣り人や 天気が悪かったので、波が荒く ボードを持ったサーファーが多く見かけました。 波打ち際にはポコポコと穴が開いていて 覗くとカニがじっと身を潜めています。 それに気が付いて周りを見渡すと、 数え切れない程のカニが浜辺を歩いていました。 よく見ようと思っても10mくらいのところで 巣穴に隠れてしまうので、どんなカニかは分かりません。 今回はカメラを持って行かなかったので、 望遠レンズで観察もできませんでした。残念。 ネットで調べると「ツノメガニ」が有力そうです。 東日本大震災のマグニチュードは 日本の観測史上最大規模9.0でした。 震源地だった宮城県で震度7、 いわき市でも6弱を記録しています。 岩間海岸のあたりでは 津波が7.66mの高さに達したそうです。 写真の奥に見えるのは 常磐共同火力株式会社勿来発電所の建物。 防波堤を破壊して押し寄せる津波により 当時、稼動していた7号機9号機が停止しました。 この大きな建物が津波の勢いを弱め、 背後に密集した住宅地の盾になったといいます。 実際に海岸から近い市街地でも、 昔のままの建物が多く見られました。 インフラの被害は 市内約20万戸のうち約13万戸で断水、 停電が約2万戸、都市ガスは供給停止となりました。 JR常磐線、磐越東線の運転はすべて中止。 常磐自動車道、磐越自動車道も全面通行止、 一般道も道路陥没、土砂崩れなど多くの被害を受け、 食料品やガソリンなどのモノ不足に陥ります。 さらに原発事故が判明し、 輸送業界が福島入りに難色を示したことで、 モノ不足の深刻さが増していったといいます。 常磐道を走っていると、 時々、放射能量の計測器が立っています。 遠くに住んでいて、忘れてしまいがちな私に まだまだ原発の問題は解決していないのだという 当然の事実を思い出させてくれるようでした。 2031年にタイムカプセルを見る方々が 「こんなこともあったね」と いえる状況になっていればいいなと ただただ祈ることしかできません。 #japan #japanese #naturelovers #loves_nippon #IGersJP #ptk_japan #wu_japan #Lovers_Nippon #japanoninsta #tohokucamerafan #いくぜ東北 #東北photogram #福島県 #hukushima #いわき市 #iwaki #福島 #いわき #ふくしま #いわき観光 #いわき七浜海道 #海 #勿来火力発電所 #岩間海岸 #モニュメントきみと #きみと (at 岩間海岸) https://www.instagram.com/p/Ci1TmF0pPNj/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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palakona · 2 years
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初めての北陸単独釣行
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2022年9月、福井 SONY α7+SELP1650
どうも、こんにちは。釣りって、朝早いですよね〜。大阪から北陸の川まで軽く見積もって4時間ぐらい。途中のサービスエリアで朝ごはんとか食べてると、4時間じゃ無理。北陸釣行っていうと、みんな釣れると思ってるから気合が入って夜中の待ち合わせなんかフツーです。午前0時待ち合わせもあったような気がする。大体は午前1時〜3時が多いかな。ですが、前日のhrkさんとの待ち合わせは朝5時(僕は4時出発)にしてもらったので、早めに寝たら4時間以上寝れて体が楽。hrkさんも4時間以上寝れたそうで、「まだ大丈夫」って言いながらほとんど運転してもらった。疲労は少なめで、3連休の真ん中の日曜日。1人で北陸なんか行ったことないけど、行ってみようか?みたいな。実は意外とポイントを知らないので、「行っても今日と同じポイントに入って釣れるかなあ」とか、「1人で行ってもお金かかるし、家でゆっくりするのもいいとちゃうの」とか思って、朝5時に目が覚めてもグダグダしてたんですが、やっぱ行く気になって朝6時には出発できました。僕の家はhrkさんの家より小一時間は北陸から遠いのに、昨日より1時間出発が遅いw。
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2022年9月、福井 SONY α7+SELP1650
福井県は恐竜の化石がよく出るのか、恐竜博物館もあるし、道中に恐竜のモニュメントがあちこちにある。いつもは釣友さんと一緒なので、通り過ぎるだけなんですが、一度撮ってみたかったんだよね〜。僕、アマチュアカメラマンだしw。
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2022年9月、石川 SONY α7+SELP1650
朝6時に大阪を出たので、入渓は11時になったw。朝のポイントは小ヤマメ1尾だけ。釣れたのが奇跡のような釣れなさで、想定内でもあったので、12時を過ぎて早々に昼食に向かう。途中、howellsさんに教えてもらったポイントを思い出して、寄り道して数投してみたけど、ヤマメはお留守のようでした。
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2022年9月、石川 SONY α7+SELP1650
午後の釣り場。ジムニー乗りなので、ダートを走れてちょっと嬉しいw。思わず記念撮影してしまった。ジムニーは軽自動車なのに本格的な四輪駆動車だけあって、重くて遅い車なので高速道路は苦手だけど、渓流釣りには最高の相棒かな。高速道路も制限速度で走る分にはなんの問題もない。100km制限区間でも、走行車線は90kmぐらいで流れていることも多いので、僕は80km〜90kmぐらいで前の車について走ってることが多いかな。このペースでエンジン回転数は最大トルク発生回転の毎分3500回転で、燃費がリッター17km届くかどうか。
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2022年9月、石川 iPhone11
午後は昨日と違うポイントに。ここって前回釣れたっけ?竿を出してみたら、ここはどうかな〜って思うほど浅いポイントでイワナがフライに喰いついた。浅い瀬にもいるんですね。イワナが暴れて写真を撮らせてくれないので、こんな写真に。そうそう、ロッドはウジニッキ。昨日はハーディーのフェアチャイルドでした。
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2022年9月、石川 iPhone11
ポイントごとってほどでもないが、結構反応があって楽しい。7尾釣れたが、釣れた数と同じぐらいバラしました(悲)
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2022年9月、石川 iPhone11
河岸を変えて初めてのポイントに入渓。ここも同じぐらい釣れて7尾。堰堤を上手く攻略できずに凹みました。流れの向こう側の緩流帯にいると思ってドライフライを流してたら、尺ぐらいありそうなイワナが追ってきて、ドラッグのかかったフライを避けて白泡に下に入ってしまったから。元の位置には戻ってないやろな〜と思いつつウェットフライに交換。矢野シルクラインのブレイデッドリーダー(5ftウェット用)に流れを受けさせて、ウェットフライをスイングさせたらリーダーの動きが途中で止まってる!来たーって感じの釣れ方でしたw。あっ、尺には程遠い別のイワナですw。ドロッパーのピーターロスかリードフライのブッチャーかどっちに喰ったか覚えてなかったんですが、写真を見るとブッチャーに掛かってますね〜。リードフライに喰ったのか…
ということで、9月18日の日曜日は、ヤマメ1尾、イワナ14尾の合計15尾でした。
軽自動車で北陸まで行ってきましたけど、意外にフツーに走れました。帰りは、北陸自動車道の工事渋滞に2回も遭遇して時間がかかったし(大津SAに着いた時、21時を過ぎて大阪王将が閉まってた)、眠かったけどw
では、また。
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poddyshobbies · 1 year
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2022.11.2 ~ 佐賀へ
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バルーンさが経由で唐津くんちの宵曳山(よいやま)へ出かけました。やっぱりと言うか、バルーンの昼からの競技飛行はキャンセルに。理由は気温が上がりす来たことと(上空の)強風の予報でした。14時過ぎからのブリーフィングで早々に決定。それくらい気温が上がり、小春日和を越えて以上に暑い嘉瀬川の河川敷でした。
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軽く腹ごしらえをして。道中のトイレを気にしてカフェインレスコーヒー ~ 「どんな作り方してんのかなぁ?」と思いつつ。
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9時ちょい前のバスに乗って博多駅へ。
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博多駅 ~ 毎年恒例のクリスマスイルミネーションの準備が進んでました。
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イルミネーションに囲われた3億円のモニュメント。
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博多口
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ネットきっぷの発券
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後ろ側に1台ある専用端末で発券 ~ カードで決済済み
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10:04 博多発のリレーかもめに乗りました。
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自由席は写真(↓)の1号車とは反対側
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予定では 10:15 発の肥前鹿島行き特急かささぎ103号でした。
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YouTube > 博多→佐賀(38分37秒)
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misoyo-happy · 2 years
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今日は研究会。
土日に行けなかったので、午後から有給休暇を取って行ってきました。
95点いただきました(*^^*)ありがとうございます!嬉しい〜。でもちょっとおまけしてくれたみたい。上に伸びてるアリウムリーキの角度と全体の正面が変わっていました。3つ前の投稿と比べると違うでしょ。勉強になりました!
あと、数人から写真撮っていいですか?って言われて嬉しかったです。
それから!支部長先生が声をかけてくださったの!花展に出瓶したら?って。感激!!
この前のお稽古で、出瓶を先生にお願いしたことを伝えました。先生の勧めもあり、中作に!95周年花展で初出瓶して、100周年花展で初中作です。私は後期で希望を出したので、10月16日(日)から18日(火)です。��ケット差し上げますので、ぜひ来てね!
3枚目は夕方の東京支部100周年記念モニュメント。先月、明るい昼間に撮ったのとまた雰囲気が違うね。みんなの思いがつながってるようなあたたかい感じ(*´∀`*)
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kennak · 8 months
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相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者19人が刺殺された事件は、26日で発生から7年を迎える。元職員の植松聖死刑囚(33)は優生思想を動機とした一方、当時も園に導入されていた「指定管理者制度」を問題視する人たちがいる。施設の運営を民間に任せる仕組みを障害者支援の現場に取り込むのは妥当か。あの事件との関わりをどう考えるべきか。(宮畑譲) ◆指定管理者に委託からわずか3年、入所の弟が窒息死  「県営時代は職員と入所者の親族との信頼関係が強かった。自由にものが言えたし、園に細かな要望を出して通っていた。民営化された後は、それまで担当していた職員の方がみんな異動してしまい、そんな雰囲気はなくなってしまった」  津久井やまゆり園に弟が入所していた星野泰子さん(82)は、民営化前後で生じた変化をこう感じる。  同園は重度知的障害者のための入所施設として1964年、神奈川県が全国的に先駆けて設立した。2003年に国が指定管理者制度を創設すると、県は05年、社会福祉法人「かながわ共同会」に委託した。  民営化から3年目の07年、星野さんの弟は食事中に物をのどに詰まらせ、窒息死した。植松死刑囚の事件から9年前のことだ。亡くなった時は59歳。入所から約30年、食べ物をのどに詰まらせることはなかったという。  「障害者施設では人が直接、サービスに関わる。人間関係が大事。障害がある人は関係性をつくるのに時間がかかる。担当の職員が代わると困るんです」 ◆施設と入所者家族の話し合い激減、事件で途絶える  弟は障害の影響もあり、よくかんで食べるのが苦手だった。職員が状態を把握して注意を払っていれば事故は起きなかったのではないか—。星野さんは今でもそう思っている。  そもそも民営化後、食事の内容が変わった。弟は口に合わない食べない物が増え、亡くなる直前、ずいぶん痩せてしまっていた。  県営時代、星野さんをはじめ兄弟姉妹が入所している人たちで「兄弟会」をつくり、月に一度、園と話し合う機会を持った。そこで改善点などを要望した。  こうした活動は民営化後、事情をよく知る職員が異動で次々といなくなったこともあり、下火になっていった。星野さんは弟が亡くなった後も、環境改善を図ろうと園に通い続けた。しかし、これまであった報告や連絡は植松死刑囚の事件後に途絶えた。 ◆元職員「民営化で障害者支援は後退」  障害者支援の現場に民営化がなじむのか。津久井やまゆり園の元職員、太田顕さん(80)も疑念を抱いてきた1人だ。04年3月に退職する以前から、民営化に反対していた。   鎮魂のモニュメントで献花し、手を合わせる人たち=2022年7月26日、相模原市緑区の津久井やまゆり園で  「賃金カット、経費節減のためだろう。退職直前から非正規職員が増えた。障害者支援のいろんなものが後退したと感じている」  太田さんが働いていた当時、津久井やまゆり園は県職員労働組合における福祉部門の拠点のような存在だった。活動を通じて、入所者の生活向上を目指した。  民営化後に組合員は���らばらになり、活動はかつての活発さを失ったという。  「県当局は指定管理者制度を導入することでコストカットと同時に組合つぶしを狙ったと思っている。利用者の幸せを追求する本当の福祉行政ではない。ただその責任は県だけでなく、指定管理者制度を創設した国にもあると思う」  先の星野さんは、植松死刑囚の事件に触れた上で「指定管理者制度の導入が影響していたような気がしてならない」と話し、きめ細かさが失われた状況がどう関わるか、思いを巡らす。 ◆委託取り消しが怖い...トラブル隠しなど密室化の恐れ  民営化が事件や虐待などに直接つながるとは、必ずしも言えない。しかし民間委託することで、施設内のトラブルや問題が明るみに出づらく、行政が把握しにくいという難点もある。行政の管理が間接的になる上、委託の取り消しを恐れ、受託する側の報告が後手になる可能性があるからだ。  植松死刑囚は事件前から「障がい者は生きていても意味がない」「安楽死させた方がいい」といった発言をしていた。他人を傷つける可能性があるとして一時、措置入院もされた。これらを園は把握していたが、県に報告していなかった。  園がこうした対応に終始した背景に指定管理者制度の弊害があると指摘するのは、神奈川県の元福祉職の松尾悦行さん(71)だ。  「モニタリングが形骸化しやすい。直営であれば、何か問題があった時、施設の幹部は自分だけの責任にしたくないものだ。もっと早く報告して別の対応を取る可能性はあったのではないか」と振り返る。  さらに「民間事業者は公の介入を求めないし、行政の関わりも控えめになる。民間の力を生かすということと、運営指導が両立しにくく、お互いの責任が曖昧になりやすい」とも。  一方で、神奈川県が運営する障害者施設「中井やまゆり園」でも、多数の職員による虐待などが判明している。松尾さんは障害者支援で問題なのは民営化だけでなく、現場の労働環境も見過ごせないと説く。 ◆待遇悪く定着しない だから職員も育たない  「施設のケア労働では利用者と24時間、暮らしをともにする。未熟な職員自身が利用者、同僚、上司と接して変わっていく。これが面白さであり、やりがい」。その半面、密室の権力関係ができ、支援が容易に人権侵害に転化しやすい面もはらむという。  「非正規雇用が多く、賃金は安いので、求人は多くても定着せず、支援の専門性、実践力は高まらない。これでは指導する中堅職員も育たない。いつまた虐待など事件が起きてもおかしくない。そうした土壌は広がっているのではないか」 ◆小泉政権のコスト削減策に巻き込まれた  指定管理者制度は2003年の地方自治法の一部改定で創設され、公共施設の運営を民間に委託できるようになった。時は小泉純一郎政権。「官から民へ」の旗振りの下、民間の力を活用し、効率的なサービスの提供を図ることが目的とされた。法改定は小泉氏肝いりの総合規制改革会議の答申が元になっている。 2002年12月、総合規制改革会議に出席する(右から)石原伸晃行革担当相、小泉純一郎首相ら(ともに当時)  北海道大の宮脇淳名誉教授(行政学)は「公民館やホールといった、箱物の運営の無駄を見直すという視点で始まった。それが、社会のセーフティーネットの一つである重度障害者施設にまでコスト競争が入り込んでしまった。適用すべきでないものまで含まれていた」と話す。  障害者施設のコストの大半は人件費。7割を占めるとも言われる。コストカットはサービス低下に直結しうる。「福祉の仕事は人件費のかたまり。公民館やホール、スポーツセンターなどの運営とは分けて考えるべきだ」と宮脇氏。  事業の公共性の判断が自治体任せで、検討が不十分なまま、コストカットありきで民間に委託している面があると問題視する。  「指定管理にするかは、自治体に任されている。国の役割が希薄で、制度的に放置し過ぎているのではないか。重度障害者施設のように根本的になじまないものもある。地方自治という名の下に任せきりにせず、国が主導して一定のルール作りをするべきだ」 ◆デスクメモ  物価高の中、どの職場もコストカットは人ごとでない。ただコストを削ればゆがみが出る。人手を減らせば残る人に負荷が。余裕がないと深刻なミスが。募るいらだちは誰かに向きかねない。新たな悲劇が起きてからでは遅い。コストカットに傾きがちなお偉方ほど、よく考えてほしい。(榊)
障害者施設の「民営化」を進めていいのか? やまゆり園事件から7年 元入所者家族は、元職員は何を思う:東京新聞 TOKYO Web
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belacqui-pro-quo · 2 years
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今、少し冷静にふり返ってみると、《PROVOKE》のめざしたものは、写真家の肉声(パロール)の獲得ということであった。それは既存する美学や価値観による制度的に整序された視覚(ラング)に対する肉声による切り込みであったはずだ。むろんのこと、それがどこまでできたかの判定は第三者にまかす他はない。ただオプティミスティックな観測などを私は今一切持ちあわせていない。むしろ《PROVOKE》の獲得したかもしれない肉声などは一瞬の後に制度的な視覚のうちにのみこまれてしまったに違いないのだ。むしろ《PROVOKE》を通じて得たたった一つのものは、この時代の難攻不落の多重層構造の発見であったかもしれないのだ。例えばわれわれが不遜にもそう信じ込んでいた世界と私との直接的な出遇い、生の生体験から結果した技術的なアレ・ブレなどはまたたくまに一つの意匠にまで変形され、当時おそらくはもっていたであろうわれわれの反抗的な姿勢とその映像は、反抗的な情緒、反抗的な気分として寛容にも受け入れられ、そのことによって逆にわれわれの反抗を骨ぬきにする結果を生んだにすぎない。  国鉄の馬鹿げた、それでいて高慢な観光キャンペーンDISCOVER JAPANが大々的にくり展げられた当初、ある友人が冗談まじりに、《PROVOKE》もたいしたもんだね、国鉄までブレてるよ、と言ったことがある。冗談ではない、それはむしろ逆の証左なのだ。彼らはあらゆるものを骨ぬきにし、しかもその形だけは残すのだ。いやそうではない、それでは事の半面をしか捉えたことにならないだろう。彼らが認めたその瞬間からわれわれ自身が腐蝕しはじめるのだ。結果としてのアレ・ブレはその時からわれわれの術に変わったのだ。それはすでに写真界で「コンポラかリアリズムか」などと騒がれた時から始まっていたに違いない。
中平卓馬, 『記憶という幻影 ドキュメントからモニュメントへ』
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