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#ボランティアは続けるからこそ意味がある
xf-2 · 7 months
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住民の間で、クルド人の評判は悪すぎる。何も悪いことをしていない普通の生活を送る日本人が、勝手に居着いて問題行為を繰り返す外国人、この場合はトルコ国籍のクルド人に迷惑行為を受けて、恐怖、憤り(いきどおり)を感じている。これをおかしい、止めなければならないと、思わない日本人はいないだろう。
9人の意見を上下に分けて掲載する。掲載で連絡が取れなかった人もいるので、修正、削除などが必要な方は、ご一報いただきたい。また身元を明らかにしないなどの配慮から、事実の改変や修正をした部分が少しある。
そして外国人による迷惑行為は移民を拡大する岸田政権の下で、日本のどの地域の人も直面しかねない問題だ。読者の方は「明日は我が身」として、この問題を考えてほしい。日本政府、埼玉県、埼玉県警は国民を守らない。一体何をやっているのか。
目次
女性が拉致の恐怖に直面する
止まない車の暴走行為
日本人を「ヘンナガイジンガイル」と威嚇する子供
公園で放尿、脱糞する幼児
女性が拉致の恐怖に直面する
【20代、女性、大学生、川口市在住、メール】
父の転勤で川口市に高校2年の時から住んでいます。高校は変わりませんでした。引越しした直後に土曜日と週2日ぐらいの約束で、お小遣いのために、××(川口市内の地名)のコンビニで、アルバイトで働くことにしました。3年前(2020年)のことです
当時、街を歩くと中東系の人が多いな程度の感じでしたが、ネットで全く情報がないため、彼らがクルド人ということを知りませんでした。親も街の状況をよく知りませんでした。昼間は彼らの姿は今もあまり見ません。バイト初出勤の時に中東系の男たちが駐車場に集まっていて、気味悪いなあと思いました。そのうち数人が私の方をジロジロ見るのです。新型コロナが流行中でしたがマスクをしていませんでした。
そしていきなりお酒を買いにコンビニに入ってきて、2人が私に「トシハ」「ドコスンデルノ」とレジに立っている私に聞きました。酔っ払っているようでした。日本語は下手でした。私は会計だけを処理して会話をしませんでした。
高校生だったので、6時に勤務時間を切り上げることになっていました。仕事が終わり、自転車で外に出て少し走ると、横に白い乗用車が停められ、一人の男が車を降りて、前に立ち「コンバンワ」と話してきました。車には一人乗っていました。つけてきたのでしょう。おそらく、バイト先で見た男のようでした。前に男がいて右に車があり、横は原っぱで、動けない状況になりました。
秋だったので、すでに日は落ちて暗かったです。私は怖くなって「誰か助けて」と大声で叫びました。すると日本人の運転する車が止まって「どうしましたか」と、窓から顔を出して、声をかけました。2人は「ナンデモナイヨ」と言って、車に乗って走り去りました。私は運良く助かりましたが、もしかしたら拉致されたかもしれません。本当に怖いです。
警察には通報したのですが、話を聞いて、何度か安全確認の電話があって終わりでした。「事件にするのはこれだけでは難しい」と言われました。車のナンバーは、覚えていませんでした。とても怖かったし、バイトは翌日から行くのをやめました。その後のストーカーなどはありませんでした。バイト先と家は離れているので、この男たちはその後、見たことがありません。防犯カメラに顔は写っているはずなので、なんで捕まえられないのか、不思議に思いました。
思い出すたびに今でも腹が立ちますし、怖いです。このような話はあまりしたくなかったのですが、高校の女性の友人に数ヶ月後にすると「私もクルド人らしい中東の男に追い回され、怖い目に遭った」という話が次々に出てきました。
止まない車の暴走行為
【30代、男性、自営業、川口市前川在住、取材】
生まれた時から川口市の前川に住んでいます。私一人で暮らすのはいいのですが、家族が心配です。引越しを考えています。もともと静かな街で、私の家の一画にはクルド人は住んでいないのですが、街中での違法、暴走運転が怖いです。警察のパトロールは増えたのですが(インタビューは9月)、彼らのひどい運転は変わりません。現地では「クルドカー」と言う言葉もあります。クルド人らしい人が危険運転をする車です。
悪いことしているのは、いつも同じ車のようです。道路には監視カメラがあるのですが、なぜ警察は逮捕しないのか不思議です。前川地区は、まっすぐな道が多いのでスピードを出しやすいのです。昔は日本人がスピード違反をして、警察が待ち伏せし、すぐ捕まえていました。ところが今、警察はクルド人の暴走をなぜか捕まえません。
クルド人は、地域から孤立していて、コミュニケーションがありません。自分の住んでいる場所だからか、この近辺で盗みなどはしないようですが、騒音でトラブルになっている家の話は聞きます。何度言っても変わらないようです。解体業で儲けている人はいるようですが、大半の人はあまり生活が良さそうには思えません。それなのに、車だけは高級車、もしくは型落ちの高級車に乗っています。
クルド人の車の暴走が目立つようになったのは2年ぐらい前に思えます。ただ、その前から変わった人たちでした。
5年ほど前、歩きながらキャンデーを食べていて余ったので、クルド人の小学生ぐらいの男の子たち4人が公園にいたので、「あげるよ」と言い、年長の男の子に袋を渡しました。深い考えはありませんでした。日本人の感覚だとみんなで分けようとするでしょう。すると年長の子が独占をしようとして、よこせと他の子が騒ぎ、異国の言葉で掴み合いを始めたのです。そして年長の男の子が、袋を持って走り去りました。小さい頃から協力したり、他人に配慮することを知らないのだと、驚きました。不思議な人たちです。
日本人を「ヘンナガイジンガイル」と威嚇する子供
【60代男性、川口市芝在住、メール】
私は離れたところで警察に状況を説明しました。それで終わりです。帰りがけに、公園をのぞくといなくなっていました。ただし、翌週、公園を遠くから見ると、また子供たちがたむろしていました。同じグループでしょう。
クルド人の子供たちが学校に行かずに、川口市内を集団でうろうろしています。何をしているのかはわかりません。この近辺では、クルド人らしい子供による商店、コンビニでの万引きの話を聞きます。子供たちが放置されています。こんな子供たちが成人になっても、日本に居着くことが心配です。フランスで移民による暴動が今年7月にあったでしょう。暴動を起こしたのは、同化しなかった2世、3世と、石井さん(筆者)の記事で知りました。同じことが川口で起きてほしくありません。
公園で放尿、脱糞する幼児
【30代女性、川口市在住、取材】
クルド人の母親たちが変わっています。20歳前後の若い人が子沢山でいます。そして男は片言の日本語が話せますが、女の人は話しかけても無視し、また日本語がほとんど話せないことが多いです。家にこもっています。
近くの〇〇公園(蕨市内の公園)では、クルド人の小さい子供たちが砂場を独占したり、日本人の子供のおもちゃを奪ったり、公園内で放尿や脱糞をするので、困っています。親がその場にいない時もあるのです。それで私たち日本人の母親がクルド人の若い母親に抗議をすると「ニホンゴワカラナイ」と言って抗議を無視します。躾(しつけ)をしていないのです。
日本人の数が多くなると、クルド人たちはいなくなってしまいます。この1年では、日本人がいなくなる夕方遅くから夜の8時ごろまで、クルド人の子供と母親たちが公園に出てくるようになりました。そこで子供も大人もゴミをポイ捨てします。
以前は、母親たちが夜、子供と公園に集まって、夜10時ごろまでべちゃくちゃしゃべっていました。うるさく迷惑でした。石井さん(筆者)の報道と、市議会の外国人犯罪の取り締まり強化の決議の後の7月ごろから警察がパトロールするようになって、謎の夜のピクニックは見なくなりました。
この公園では、クルド人のボランティアが、清掃活動をしたことがあります。変だなと思ったのが、その掃除の翌日に、クルド人の母子たちがゴミを散らかしていたのです。日本人だったら、そうしたことを気遣いますよね。クルド人同士で連絡が取れていないのか、他人の良い行動に関心がないのか、不思議な人たちです。
はっきり言うと、困った人たちです。政府は川口市の私たちにクルド人を押し付けるのではなく、入国を止めてほしいです。
「教育が壊れる(下)」に続く。
石井孝明 経済記者 with ENERGY運営 ツイッター:@ishiitakaaki メール:[email protected]
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kennak · 14 days
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イギリスBBCが3日、SMILE―UP.の抗議文書に反論する声明を発表した。  BBCは3月30日に「捕食者の影 ジャニーズ解体のその後」を放送。東山紀之社長がインタビュー取材で「言論の自由もあると思うんですね。僕は別に誹謗中傷を推奨しているわけでもなく、多分その人にとってはそれが正義の意見なんだろうなと思う時もあります」などと発言し、誹謗中傷と言論の自由を並べたことで、一部から批判の声が相次いだ。  これをSMILE社が問題視。東山の発言内容は「実際の発言の趣旨とは異なって放送された」と主張し、インタビューで「なるべくなら誹謗中傷はなくしていきたいと僕自身も思っています」と発言した部分を省略したことで「誹謗中傷を助長している」と批判を受ける状況になったと指摘した。  その上で「東山の発言を��図的にゆがめて放送し、視聴者の印象を操作しようとするものであると言わざるを得ず、大変遺憾に存じます」とし、謝罪と訂正を求めていた。  これにBBCは「このドキュメンタリーは、BBCの厳格な編集ガイドラインに沿って綿密に調査され、報道されました」と説明。続けて「BBCは、編集上の決定に際して常に慎重な検討を重ねており、東山氏を含むすべての取材対象者が公平かつ正確に描写され、必要なすべての反論機会が与えられるよう配慮しました」と反論した。  また、SMILE社は性被害の補償業務にボランティアで協力している性被害者と、BBCの担当者による面談について、面談の内容については放送しないよう約束を取り交わしたと主張した上で、面談の内容が放送されたことは「約束違反」と抗議していた。  これに対してもBBCは「SMILE―UP.社が設定したサバイバーとの面談において、その話し合われる内容のいかなる制限にも同意しておらず、同社の主張を否定します」と強調。〝約束を取り付けた〟という主張自体を否定し「私たちは、自らのジャーナリズムに自信を持っています」とした。  ジャーナリストの鈴木エイト氏は同日、X(旧ツイッター)を更新し「SMILE―UP社からの抗議に対するBBCの声明。SMILE―UPの主張・見解を完全否定した上でBBCとしてのジャーナリズムを示した。BBCがここで『ジャーナリズム』という言葉を提示した意味を考えるべき」と私見をつづっている。
東山紀之SMILE社の抗議にBBCが反論 鈴木エイト氏「ジャーナリズムを示した」 | 東スポWEB
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reportsofawartime · 14 days
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日本人ボランティアがウクライナ戦でロシア側で戦う理由を説明 米国とNATOに外交政策を左右される自国では、この紛争は大きく誤って伝えられている、と金子大作はRTに語った。 「私は日本政府に同情する。とても従順だ。アメリカの命令には何でも従う」 キエフと戦うためにロシア軍に入隊した日本人の金子大作氏は、月曜日に放送されたRTの独占インタビューで、ウクライナ紛争についてモスクワを非難すべきではないと語った。金子氏によれば、西側諸国はロシアに対するプロパガンダ・キャンペーンを主導しており、紛争を誤って伝えているという。 https://rt.com/russia/597074-japanese-national-russian-army/… 2022年2月、モスクワとキエフの間で敵対行為が勃発したとき、金子はタイでタイ軍の射撃教官として働いていた。そのため、親ウクライナ色の強い日本のメディアと、中立的なタイのメディアという2つの立場からの報道を比較することができたという。 「私はこの状況をとても残念に思っています。なぜなら、日本のメディアはアメリカやNATOに都合のいいように出来事を紹介し、一般の日本人はそれを信じているからです」と述べ、早くから90%以上の日本人が、この紛争は「(ロシアの)プーチン大統領の戦争」であり、敵対行為は「ロシアだけが悪い」と確信していたと指摘した。 「日本のメディアは間違っていると気づいた。 私はアメリカに、ロシアの味方である日本人がいることを示したかった。 金子氏によれば、自国の激しい反露姿勢は、日本がアメリカの命令に盲従した結果だという。日本はウクライナの紛争において断固とした支持者であり、欧米の対ロシア制裁に参加し、石油や石炭の輸入を段階的に減らしてウクライナのエネルギー資源への依存を減らしてきた。また、キエフの戦争努力を支援するため、約120億ドルの資金援助を行ってきた。 私は日本政府に同情する。とても従順だ。アメリカの命令には何でも従う。 しかし金子は、日本では紛争に対する考え方が徐々に変わりつつあると言う。 「もしこれが本当にプーチンの戦争なら、なぜこんなに長く続くのか?日本人はそれを疑問に思っている。2014年に起きたマイダンの出来事や、それに関連する意味合いについて、人々は疑問を持ち始めている」と、後に本格的な紛争に発展したドンバスでの敵対行為の発端について言及した。 金子はいくつかの戦闘に参加し、昨年11月にモスクワによって解放されたドンバスの戦略都市アヴデフカでの戦闘で重傷を負った。それでも彼は、紛争が終わっても日本に戻るつもりはないと言う。ロシアとその国民を「愛してしまった」からだ。 「ロシア人はとても親切で友好的だ。ロシア人は複雑な人たちだが、友好的な関係になれば、失望させることはない。それは日本人が失ってしまった特徴だ。かつては私たちにもあったが、今はすっかりなくなってしまっ
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tutai-k · 5 months
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2023年が終わるらしい
2023年のはじまりは、3月から転職も決まっていたし、持病の悪化による日常生活への不安もあったので、2月いっぱいまで休職した。 療養もかねて尾道に一週間滞在したが、出発の日に地元が大雪ですっころび、カメラのレンズを破壊するという暗黒の始まりを告げるなど、つらいことがたくさんあった。 2月も、結局、休養することがないまま、次の職の仕事をずっとしていた。どこかで休みたいと思いながら、全く休めないまま、2023年が終わりそうだ。 意外だったのは、誰の力も金銭的援助も借りずに十年近くひとりでやってきたこと、というのは、なんだかんだ「使える」ということだった。通用するんだ、これが。というおどろきは大きかった。手応えがあったとか、結果が出たとか、そういう意味ではなく、するっと不安なくやっていける。いままでやってきた、他人の顔色をうかがい、他人の動作に合わせて平均的に働くというのとは違った。積んできたものが、無駄にならない機会に巡り会えてよかったと思う。 休みたいと思いながら、休めないでここまで来たし、年始の休みも8日まであるけど、いろいろと休めないことが多い。雇用契約のある労働は休みだが、個人的な仕事はいくらでもあるし、なんなら山積みになっている。九日間で終わるのだろうか…と思いながら一日目をもう半日終えてしまった。(2024年のしいたけ占いには、おまえはだいたい気づいたら働きまくっていて休んでない、みたいなことが書かれていてちょっと悲しかった)
毎年毎年、何を年間のまとめに書いていただろうかと思うわけで、今年も悩んでいるわけだが、全然答えが出ない。とりあえず、読んだ本とか作った本をまとめていたような気がするから、それをやる。
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★作った本★ 1月 『山梔の處女たち』 pixivのいつだったかの百合文芸で佳作をもらったオメガバース百合「首輪とロマンス」、恋愛/性愛から離れたところで手を取り合う少女たちの魔法学園小説「魔女の選択」収録の短編集。Kindle版は、いつだったかのKino-Kuni文学賞で大賞をもらった滅び行く漁村の女二人の物語「迎え火」も収録している。
5月 『けものと船乗り』 現代物、というか、現実世界の不均衡や理不尽に焦点を当てたものがたりを多く書いてきたな、という自覚もあり、あと「幻想文学はもう書かないんですか」とたくさん声をかけてもらったりもしたので、ひさしぶりに幻想文学らしい幻想文学を。 全ての船を沈めてしまうけものが棲むという「島」を望む岬でまちのひとたちにこれまた「けもの」と呼ばれている存在が、船乗りを拾って海へこぎ出そうとするお話。 『ヤールルカ』 写真家の女の短い物語。撮ること/撮られることの暴力を考えているので、そのこととかを中心に、これは短い物語だったが、もう少し長く書けたらいいなと思ってちょっとずつ書いてる。ひとつ、暴力的な経験を「してしまった」ので、それも書けるか…とすごくいやな気持ちになりながら思っており、だが、これは書くことでしか報復も抗議もできないという思いがあるので、この物語とは2024年以降きちんと向き合いたいと思う。
9月 『ゆけ、この広い広い大通りを』 日々詩編集室から出た本。二児の子持ちの専業主婦・バイクと音楽がすきなトランスの女性・都会で働けなくなったフェミニスト、三人の��級生が「地元」でささやかな試みをするお話。 「ちがいのある人がともに過ごせる共有地をつくる」をコンセプトにしている団体を母体にもつ出版社から出る本だったので、いろいろ考えたし、思っていた以上にいままで読んでくれていたひと以外のひとに受け取ってもらえてよかった。自分が持つ切実な課題とかもたくさん載せた物語だったので、ベストをつくしたし、2023年のベストだと思う。この物語に全力をつくしていたので、2023年は、ヨモツヘグイニナでは大きめの物語は作らなかった。 この本は、ヨモツヘグイニナの通販の他に、本屋lighthouseさんとか、シカクさんとか、mychairbooksさんとか、日々詩編集室とかでも買えるので、お気に入りの書店さんで買ってもらえるとうれしい。 『いづくにか、遠き道より』 再録短編集。たくさんたまっていたのでつくった。2014年に書いた小説とかをおそるおそる読み返したら、思っていた以上に「小説」だったのでほっとした。
11月 『アルバトロスの語りの果てへ』 売れない作家のノイと、そのパートナーで人気役者のターが、アルバトロスの繁殖ボランティアに参加するお話。 物語を自分自身が語るとき、そこには当然自分も含まれている物語のこともあるし、そうでないこともある。だけど、埒外にあっても内にあっても、ひとは、語ったり語られたりせずとも、勝手に他者に物語を見いだし、それを消費してゆく構造がある。『山梔の處女』収録の「魔女の選択」によく似た内面を持つ物語だと思うが、他者のふるまいや言動に「物語」を見いだすとき、「なにを見ているか」に自覚的になりたいよね…というようなことを考えながら書いていた。
12月 『浜辺の村の大みそか』 日々詩編集室で出た小さい本。『浜辺の村でだれかと暮らせば』の番外編みたいなやつ。いまから日和と八尋がやったような大晦日をわたしも過ごします。
★読んだ本とか観た映画そのほか★ 色々読んだけど、印象深かったものについて。 『銀河英雄伝説』全巻 銀英伝のコンセプトバーやカフェにいくので読んだ。相変わらずめちゃくちゃおもしろい。 『豊穣の海』全4巻 来年参加する八束さんのアンソロジー父親の死体を棄てに行くやつの資料(?)イメージをつかむのに読んだ。今西が金閣寺のように燃えて、それを本多が眺めている(『暁の寺』)がよかった。あと、大人になって読み返してみると松枝清顕……「全部おまえが悪いじゃん!」ってなるのがおもしろかった。勲に対しては共感するところも多かったし、あいかわらず『天人五衰』が一番好き。 『雨の島』 今年の1月1日に読み終えてた。呉明益の本、『歩道橋の魔術師』も読みたいんだけど、未訳のチョウチョのなんとか…?が読みたい。 『苦海浄土』 ネイチャーライティングをやろうとすると必ず出てくる石牟礼道子、の代表作。水俣へ3月と10月といくことになったし、石牟礼道子を筆頭に水俣関係の本をとてもたくさん読めた一年だった。とてもよかった。来年は『水俣病を旅する』『苦海浄土』(全3巻)を読みたい。 『アフターヘブン』 八束さんの本。めちゃくちゃよかった。 『フィリックス・エヴァー・アフター』 すっごくおもしろくて、何度でも読み返したい! 『鋼鉄紅女』 最高だった……「地獄へようこそ……」って武則天が宣言したところから、もう一気に読んだ。家父長制と、男女の二人の「ペア」というかたちに反旗を翻す最高のSF小説。 『私と夫と夫の彼氏』 2023年で読んだ中で、一番一番おもしろかった漫画!11巻が待ち遠しい! 『琥珀の夢で酔いましょう』 この漫画もめっちゃおもしろかった~! 『父の時代、私の時代』 堀内誠一の自伝的エッセイ。「ウッチェロ!!!!!!!」澁澤龍彦・瀬田貞二との思い出を添えて。めちゃくちゃ古本価格高騰していたので文庫で出してくれてありがとう! 『ガザに地下鉄が走る日』 ずっと読みたかったけど、なかなか読めずにいて(岡真理さんの本は『記憶/物語』を2020年に読み、もう一度これも今年再読した)やっと読む。見過ごしてしまわないように、何が出来るかを考え続け、アクションを取る、できることをやるしかないんだけど、「人間が人間として生活するということ」が、誰にでもある世界にたどり着きたい。 本だと、吉田育未さんの翻訳作品を井上彼方さん/紅坂紫さん編集の『結晶するプリズム』で知り、『聖なる証』『星のせいにして』を読む。めちゃくちゃおもしろかった!年越し読書本は『イエルバブエナ』。「このひとが翻訳している本ならぜったいおもしろい!」という翻訳者さんに出会えたのがうれしかった。 映画もいろいろみたけどとくに『バービー』『his』『ゲゲゲの謎 鬼太郎誕生』がよかったな~。結局体力がなくて窓際のトットちゃんを見に行けなかったのがちょっとさみしい。 さいたま文学館で開催されていた澁澤龍彦の展示にはいけた。パンケーキも食べた。 12/24にITOプロジェクトの『高丘親王航海記』を見に行く。それについてのくわしいことは静かなインターネットに書いた。
★旅行★ 「今年はいろんなところへ行ったんじゃないですか?」と言われたけど実はあんまり行ってなかったりする(さみしい) 1月 尾道 ライターズインレジデンス尾道でまたみはらし亭に滞在する。だいたい伊勢うどん食べてた。 3月 水俣 はじめて水俣へ。というか九州自体がはじめて。いろんなひとに出会い、いろんなことを学び、いろんなおいしいものを食べた。『常世の船を漕ぎて』を水俣病歴史考証館で買った。 5月 東京 行ったという記憶しかない。なにしたっけ…?なにもしてないのか…もしかして…。 9月 大阪 銀英伝のバー「海鷲」へ行く��ロイエンタールの透けてる板を買った。文フリ大阪も行った。 10月 東京 銀英伝のカフェ「イゼルローンフォートレス」へ行く。かおりさんと会う。ながいことSNS上ではお付き合いがあるのに生身で会うのは初めてで、だけど「すっぱいものきらいだもんね」とか長年付き合ってきた人間同士の会話ができてとてもおもしろかった。次の日は吉祥寺や多磨へいき、緑色のインコとオナガを見る。 水俣 ふたたび水俣へ。熊本市内も立ち寄ったが、土砂降りだったので熊本大学と、橙書店へ行く。島尾ミホと石牟礼道子の対談集というめちゃつよBOOKを買った!めちゃくちゃ楽しかった。 11月 文フリ東京。ヒマラヤ鍋を食べる。次の日は埼玉文学館へ。武蔵野うどんに衝撃を受ける。
★来年の予定とか★ 1月14日に文フリ京都。辰年なので澁澤龍彦のコラージュみたいな『兎島にて』という本をだします。こういう物語で「兎」って単語がでると、誰か特定の人をみんな思い浮かべると思うんですけど、その特定の人は卯年のわたしです。他の誰でもありません。 3月までに出さないといけない原稿がめっちゃいっぱいあるので頑張ってます。 オープンにしてるのは八束さんの家父長制アンソロだけだけど、そのほかもまた媒体に載るなどしたらお知らせします。 やりたいことは、三宅島・舳倉島・天売島、この三つのどれかの島にいきたい!2023年は労働が忙しすぎてぜんぜん鳥写に行くことがなかった(かなしい)一年になっちゃったから、2024年はちゃんと鳥写したいです。 あと、日々詩編集室から『ゆけ、この広い広い大通りを』もでたことだし、もうちょっと小説を書いて発表する幅みたいなものをひろげたいかなと思っている。つらいことがたくさんありすぎたから、アンソロは主催も参加もいやだったけど、そういうのとか……あと、書いたらお金がもらえるタイプの原稿とかも、書ける媒体があるのなら書いていこうかと思っている。 これはずっとそうなんだけど、賃労働をしながらほかにわたしの体力で「できる」ことが「小説を書く」ことしかなかったので……。タイミングや機会があれば、頑張ってみようと思っている。
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ari0921 · 6 months
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我が国の未来を見通す(92)
『強靭な国家』を造る(29)
「強靭な国家」を目指して何をすべきか(その19)
宗像久男(元陸将)
────────────────────
□はじめに
 久しぶりに私的なことを書かせていただきます。
4日の土曜日、神保町まで足を運び、開催中の「神
田古本まつり」で手当たり次第に古本を物色したと
ころ、いつものように“即決”を繰り返し、なんと
12冊もの書籍を一挙に購入してしまいました。
“秋の夜長”などと悠長なことは言っておれない日
々を送っているのですが、ジャンルも違い、著者も
発刊年次もばらばらな書籍をみて、改めて自分の
“好奇心の旺盛さ”に驚くほどでした。
実は書きたかったことは別にあります。どの書店を
訪れても、古書ではありますが、それぞれの分野の
“専門書”が小説や雑誌などに交じって“所狭し”
と陳列されていました。改めてそれぞれの分野の研
究に一生を捧げ、書籍のような形でその職責を残さ
れた専門家の皆様のご苦労とか責任とか愛情とかが
伝わってきて感慨深いものがありました。
そして、古本だけによけいに時代の流れとか歴史を
感じ、その積み重ねの延長に“現在社会”があるこ
とを再認識し、改めて自分の浅学菲才を恥じ、敬意
を表するばかりでした。
最近は、必要な古書はほとんどアマゾンで買ってし
まいますので、本当に久しぶりの神保町でしたが、
もう少し時間の余裕ができれば、足を運ぶ回数が増
えそうです。
5日の日曜日は、「ゴジラー1.0」の映画を観賞
しました。これから観られる人たちのためにあらす
じの紹介は省略しますが、終戦直後の東京にゴジラ
が上陸するというシーンでした。
ゴジラ自体はフィクションなのですが、ゴジラに立
ち向かった主人公をはじめ、関係者の勇敢さはみご
となものでした。しかし、それ以上に、製作者がこ
の映画を通じて訴えたかった、当時の「日本人の精
神」のようなものが手に取るようにわかり、「日本
もまだこのような映画が作れるのだから“捨てたも
のではない”」と安堵しつつ、本映画の製作自体に
感動して涙が流れました。この“捨てたものではな
い”の続きは、本論で取り上げましょう。
▼「国家意思」として目指したいこと
 さて前回の続きです。一般的な意味で「伝統」と
か「文化」などと言っても、具体的なことがわから
ないと実際に「誇り」を持つことなどできないでし
ょう。
しかし我が国は、実際には、他の国にはなく、日本
(人)独特の「良さ」とか「利点」とか「強み」な
ど表現される、いわば“本質的特性”のようなもの
がたくさんあります。それらが実際の「伝統」や
「文化」を形作っているのでしょうし、「誇り」の
対象にもなり、かつ個人の意思や精神の集大成とし
て「国家意思」のコア(核)として“目指す方向”
にも直結するものになると考えます。
戦後の“行き過ぎた教育”のせいもあって(その細
部はのちほど触れましょう)、多くの日本人の頭が
消え去ってしまっている、日本(人)の“本質的特
性”のようなものについて、有識者が紹介している
ものを列挙してみましょう。
まず、ケント・ギルバート氏は、「日本で左派思想
に惹かれる人々の中にも、実は驚くほど『伝統的な
価値観』なるものを持った人がいる」として、安倍
総理の『美しい国、ニッポン』に猛反発しても、日
本という国や郷土に対しては、何の嫌悪感を持たず、
むしろ絶対的な信頼と愛着を持っていることを強調
し、つまるところ、彼らも“純粋すぎる日本人”で
あると結論づけています(『ついに「愛国心」のタ
ブーから解き放される日本人』より)。
この指摘のように、巷には、(偏ってはいても)強
いプライドとシャイさが同居しているような“純粋
すぎる日本人”がたくさん存在することは事実です
ので、ケント氏のこの結論にこそ “彼らをしてその
気にさせる”大いなるヒントが含まれているのでは
ないでしょうか。
保守層がよくやっている、“上から目線でたたみか
ける”ような物言いでは彼らの反発を強くするだけ
で、心を動かすことは難しいと考えます。知的レベ
ルの高い人(特に高齢者)ほど自分自身(の考え方)
に自信を持ち、プライドも高く、信念も強いでしょ
うから、これを“軟化”するのは簡単でないことを
知る必要があるのです。
加瀬英明氏は、「日本は『和』の国である。日本の
『和』の心は他国には存在しない。日本の『和』は、
人々が合意することによって成り立っているもので
��なく、人々が意識することなく存在している」と
語ります(『新しい日本人論』〔加瀬英明、石平な
ど共著〕より)。
加瀬氏は、その「和」は“性善説”に基づいている
として、国内的には大きな強みだが、“性悪説”を
とっている他国には通ぜず、国外に対しては大きな
弱点になることも指摘しています。
これこそが、これまで再三述べてきた“孤立国・日
本”の限界でもあり、「和」の考え方が、人類社会
の理想に近いものであっても、これを世界の隅々ま
で普及させるのは永遠に不可能であると悟り、“で
はどうすればよいか”を詰めていく必要があると考
えます。
数学者の藤原正彦氏は、「この国は再生できる」と
して「美意識と武士道精神で、危機の時代を生き抜
く」、あるいは「『日本人の品格』だけが日本を守
る」ことを強調しています(『日本人の真価』より)。
その卑近な例として、このたびのコロナ禍において、
「人権に気を取られている民主主義より全体主義の
方が人の命を救う点で優れている」と主張しつつ
“強権”を最大限に活用した中国と違い、あるいは、
国���の自由に任せたところ、大パニックに陥って膨
大な犠牲者を出す結果になった欧米列国とも違い、
日本は、医療従事者の献身をはじめ、国民の高い公
衆衛生意識、規律や秩序など高い公の精神などの
“高い民度”を活用して、自粛要請という静かな決
意でコロナを抑え込んだことを取り上げています。
この事実は、世界的意義のあること結論づけます。
以前にも紹介しましたが、『「見えない資産」の大
国・日本』(大塚文雄、R・モース、日下公人共著)
は、中国やアメリカにはない強みとして、日本は、
「インタンジブルズ」の宝庫であると強調します。
つまり、「日本人には美を求める心や平和を尊ぶ心
や愛の心がたくさんある。また『道徳心』『好奇心』
『忠誠心』『愛国心』などが、どこの国にも見られ
ないほど豊かである」として、これら“無形のも
の”が、場面場面で「一生懸命」とか「工夫する」
とか、「約束を守る」「仕上げに凝る」「仲間を助
ける」などの“形になって現れる”と強調していま
す。
私が尊敬する奈須田敬氏は、東日本大震災の直後の
平成23年に『天下国家を論ず』と題して、30年
にわたって発刊し続づけた『ざっくばらん』巻頭言
20選を取りまとめた1冊を上梓しました。
本書の最後に「何百年に一度かの天変地異に見舞わ
れて、現実は見るとおりの悲惨さ、というほかはな
い。こうなっては総理大臣、一市民のちがいもない。
与党、野党のちがいもない。日本国民は肩をこすり
あわせていきのびていくほかあるまい。─そう腹を
決めたころから、新しい日本国民の芽生えを見出す
ことができそうだ。その芽は『ボランティア』とい
う形ですでにかいまみせている」として「90年の
生涯もけっして無駄ではなかった」と結んでいます。
ガザ地区などでも現に起きているように、他国なら
略奪が発生してもおかしくないような悲惨な状況の
中で、被災者は食べ物を分け合い、文句を言わず長
蛇の列に並び、そして多くのボランテイアが被災地
に入って、泥だらけになりながら様々な活動を続け
ました。奈須田氏は、そのような日本人の姿を“芽
生え”としてとらえ、安堵されたのでした。
保守の論客・中西輝政氏は、自書『強い日本を目指
す道』の中で、「グローバル化した世界だからこそ、
その中で日本はむしろ、つねに『フルセット自前主
義』の文明伝統に立ち返り、多極のなかで、『一極
として立つ』という気概を示さねばならない。多極
化世界でこそ、「自立の日本」を求められ、また可
能となるのである」と提言しています。
この続きは、読む人が読めば感動ものでしょう。
「この気概に気がつけは、再び日本が世界を引っ張
っていく存在になることは不可能なことではない」
として、「安定した時代の日本人は、皆『和魂(に
ぎみたま)』の持ち主で、『荒魂(あらみたま)』
は眠り込んでいる。『和魂』は『目的喪失』危険も
背中合わせなのである。だがひとたび危機の時代が
到来すると、必ずや『荒魂』が眠りから覚め、『目
を覚ませ日本!』と訴える。そして、世界の人々も、
その声に耳を傾ける」と訴えます。
そしてこうしたリズムを繰り返すのが日本文明の一
大特徴なのであり、「もはや途絶えた」と見えても
「地下水脈」として日本人の奥深くに流れている。
これこそが日本文明の核心たる「大和心」であり、
「日本の底力の源泉」であると結論づけています。
さらに、「このことのもつ、ただならぬ重要性に気
づいて、教育の場やマスコミでどんどん論じられる
ようになれば、日本人は急速に力を発揮する・・・
それは各時代の日本人が証明してきたことだ」と付
け加えます。中西氏もまた、日本は“豹変”する国
であることを分かっているのではないでしょうか。
▼「国家意思」を表明することがスタート
いかがでしょうか。これらはほんの一例に過ぎない
と考えますが、冒頭の「ゴジラー1.0」で述べた
ように、私が「日本はまだまだ捨てたものではない。
まだまだ明るい希望が持てる」との想いを強く持て
るのは、まさにここに紹介したようなところです。
しかし、“希望を現実のものにする”には大ナタを
振って荒治療する必要があることも事実でしょう。
顧みますと、戦後のわが国は、GHQの巧妙な「対
日戦略」に何ひとつ逆らうことなく国家を運営して
きました。講和直後の「吉田ドクトリン」などはそ
の典型と考えますが、それからしばらく経って、G
DPが戦前を上回った1956年頃から「もはや戦
後ではない」との言葉を一人歩きしました。また、
安倍元総理は、「戦後レジームから脱却」を掲げ、
「教育基本法」の改正にも着手しましたが、その成
果が上がっているとは言えないことはすでに取り上
げました。
これらを総括するに、戦後世代の最大の過失は、
「国家100年の計」といわれ、後に続く世代の
「教育」に特段の関心を持たないまま放置してきた
ことにあると言えるのではないでしょうか。
つまり、GHQによる強制的な“墨塗り”教科書の
内容を見直すことなく、70数年あまり、“行き過
ぎた教育”を継続してきました。その結果、ここに
紹介したような、日本の“本質的特性”を若者に教
え、多くの日本人に認識させることができないまま
時が流れました。
このような状況を創った最大の要因も終戦直後まで
さかのぼると考えます。少し補足しましょう。少し
前の調査結果によれば、「自衛隊は憲法違反だ」と
答える憲法学者は約6割を数えるそうですが、素人
の私などからみても、憲法第9条を正確に読めば、
この数字は法理論的には納得できない数字ではない
と考えます。問題はそれから先です。この6割の学
者のほとんどが「だから自衛隊を解体しろ」の方に
走ってしまい、「自衛隊抜きでは国防が成り立たな
い。これは一大事だ。憲法を改正しよう」と声を上
げている人は数えるほどしかいない状態が続いたの
でした。
言葉を代えれば、最も高い知性を有すべき法学者を
して、法理論の解釈を先行するあまり、「国防」と
か「国のあり方」などに疑問や関心を持たない程度
の“知的レベル”に留まってしまいました。
戦前の反省や軍への反発などについて理解できない
わけではないですが、極端な話をすれば、「こちら
から泥棒に入らなければ、我が家に入る泥棒はいな
い。よって、戸締りをする必要はない」と言ってい
るようなものなのです。そのようなことになぜ疑問を
持たないのか、私は長い間、理解不能でした。
そして、このような恩師(達)のもとで、同じよう
な思想や法理論を叩きこまれ、自らの知性や主義主
張になんら疑問を持たないまま拡大再生産された多
くの大人たちが、やがて法曹界、教育界、経済界、
さらには政治家、官僚、有識者、マスコミ人などそ
れぞれの分野を“牛耳る”ようになりました。最近、
政府の有識者懇談会による「日本学術会議に社会貢
献要求」との記事を見つけ、当会議はこれまで“社
会貢献すらしなかったのか”と呆れました。
このような状態では、「国家100年の計の教育を
見直そう」との雰囲気などできるわけがなく、70
数年余りの長きにわたり「教育」は放置されたまま
になってしまいました。私たち大人世代は、最近の
「Z世代」を批判する資格はないと言えるでしょう。
自分たちが「Z世代」を生んできたのですから。
さて、話を戻しましょう。周辺国が“日本をこのま
ま眠らせておき、覚醒しないように”と歴史問題な
どを蒸し返す狙いは、紹介したような日本(人)の
“本質的特定”に“こわさ”を感じているからなの
かも知れないのです。その考えが過剰防衛に走り、
軍事力の拡大路線を走らせている要因の一つになっ
ていると言えるでしょう。
私たち日本人は、認識しているか否かは別にして、
日本文明の「心」あるいは「コア(核)」とも言え
るような特性を依然として保持しています。保持し
ていることが日本人のアイデンティティそのもので
しょうから、これらを「誇り」として、今こそ、個
人の意思や精神の集大成として「国家意思」の“目
指す方向”に掲げることを求められていると考えま
す。
戦後の「教育」によって造成された価値観に凝り固
まっている人たちにとっては、“思いもよらない”
「国家意思」のたたき台を提示されても、にわかに
賛同することはないでしょうから、我が国の無形の
「資産」として後世に残すべき日本文明の「心」を
謳うことについては譲れないとしても、どのような
言葉や文章をもって表現すればよいか、などについ
ては最大限の工夫が必要でしょう。
そのような内容を包含する「国家意思」を表明する
ことがスタートであり、それを受けて、中西氏の言
うがごとく、政界や教育界やマスコミ界で活発な議
論を展開して頂きましょう。その結果、本質さえ変
わらなければ若干の修正は“良し”としましょう。
いずれにせよ、「国家意思」の表明がスタートであ
り、「国家戦略」とタッグを組むことによって、輝
かしい未来をつかみ取ることができると私は確信し
ています。今回はこのくらいにしておきます。
(つづく)
(むなかた・ひさお)
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museology-h · 5 months
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2023
2023年はコロナで止まっていたことが少しずつ動き出した1年だった。仕事面では大きな変化もあった。一方でSNSを見るのが億劫にもなり、Tumblrの更新すらままならず…。追い討ちをかけるように直近のデータも吹っ飛び完全に意欲が消失。1ヶ月の振り返りどころか1年の振り返りになってしまった🫠それでも、自分の気持ちの整理のために書く。
3〜6月
・任期を1年ほど残し、急遽出向解除になることが決まる。出向してるうちに転職でもしてやろうかと企んでいたから、計画が台無しに。次の異動に備えて面談が始まる。出向メンバーも混乱していて、出所の分からない情報が飛び交う。全てに疑心暗鬼。
・出向先は末端の私が見ていてもわかるくらい本当に色々な問題を抱え、昨日と今日で全く違う指示が飛んでくる。筋が通っていれば納得できるけど、今目の前の数字をなんとかするためのものばかりで参ってしまう。担当替えも頻繁に行われ、一体誰のために仕事をしているのかとモヤモヤする毎日。退職者も続出、本社の重要ポジションが休職、残業・経費は極限まで減らせすようにの指示…倒産する前の会社ってこんな感じなんだろうなと。当局が乗り込んでくる夢をよく見た。
・ストレスフルな毎日の中、尊敬している先輩の結婚式に呼んでいただき参列。上司の方から語られた先輩の姿が、学生時代から憧れていた先輩そのままの姿で感動し、先輩のようになりたいという思いを強くした。ほぼやっつけになっていた仕事も先輩だったらどう乗り越えるかな、と考えて少し頑張れた(と思う)。遠方からだからと用意してもらったホテルがすごく良いところで嬉しくて写真撮りまくったのに一枚も残ってなくて悲しすぎ。
7〜9月
・祝出向解除。引っ越しの必要もなく本社勤務となる。異動先は予想もしなかった部署だったけれど、業務は個人的な興味関心にも近く、意義もあるから前向きに頑張りたい。(本業にかすりもしない業務ゆえに、この先のことを考えると不安はある。)社内の重要業務を担っている人も多く、とにかく頭の切れる精鋭揃い。その中に急に放り出されて大丈夫なのかとは思うけど、なんとかやってみたいと思う!
・お盆の帰省。家族に病が見つかったと言われる。既に手術日も決まっていて、特に心配することはないからと言われても、なんだか不安で落ち着かない。手術が終わった報告のLINEを見て職場で泣きそうになる。早期発見のおかげで、痛かったり苦しい思いをしないままその後の治療も続けられていて、それだけは本当に良かった。治療もあと少し、頑張ろう。
・青森へ
少しでも涼しいところへ旅行したいと思い見つけたた奥入瀬渓流。青森にいる友達にも会いたくて、ドキドキしながらLINEを送る。わざわざ休みをとってくれて、ご家族みんなでフルサポートしてくださった。美術館がたくさんあって羨ましい。ここで見た大巻伸嗣の作品を後に六本木で見ることになり作品のつながりが分かり良かった〜。行きたいところに全部行き、美味しいご飯を食べた!友達とも大学卒業ぶりに会えて嬉しかった。この夏1番の思い出。
10〜12月
・業務完全にひとり立ち。手探りではあるけれど少しずつ慣れてきた…かな?
・美術館でのボランティア開始。今はまだ講座受けている段階だけれど、今後も楽しみ。新しい世界が広がっているような気分。
・研修で久しぶりにたくさんの同期に会い、みんなのやる気のある姿にビビる。1/3くらいはやめちゃったけど、その波を超えたメンバーだからなのか…。
・中国宮廷ドラマにハマり、一気見。30~40話くらいまで来ると面白くて止まらなくなる。
・久しぶりの友達と何人も会えた秋冬。みんな変わってないけど、ちゃんと前に進んでてかっこいい。
2024年はorbital period
年始のニュースに心が痛む。みんな健康で穏やかに暮らせる毎日がずっと続いていきますように。
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myonbl · 8 months
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2023年9月23日(土)
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三重県紀北町・奥川ファームから隔週に届く定期便、平飼い有精卵・特別栽培玄米・手打十割蕎麦・地鶏・畑無農薬野菜、今回は冬瓜・南瓜・サツマイモ・ナス・レモン・スダチ・極早生みかん・ニンニク、それに大好物の新生姜が入っている。早速スライスして酢に漬ける、明日から頂こう。奥川さん、いつもありがとうございます。
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5時15分起床、今日は秋分の日=彼岸の中日。
日誌書く。
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蕎麦がなくなったので、今朝はトーストをいただく。
洗濯。
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第4土曜日は「使用済み天ぷら油回収日」、幟を立ててタンクをセットする。10時に業者が来て回収、今日は1Lのみ。
奥川ファームから定期便、新生姜があったので早速酢漬けにする。
残っていたタマゴは、半熟酢タマゴにする。
MQJ News107の原稿を修正し、ツレアイとともに京都市市民活動総合センターへ、ニュースの印刷作業だ。河原町五条下がって東側のいつものコインパーキングに車をいれ、受付で手続き、A3用紙を購入して印刷開始。今回は230部製作、30分とかからない。出来上がったばかりのものを受付に10部預けて帰宅する。
すぐに折り込み作業、昨日の段階で封筒の用意ができているので作業はスムーズ。
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12時過ぎ、作業は途中だが午後からボランティアに出る2男にラ王・みそ味を用意、3男にはラ王・醤油味。
我々は、届いたばかりのタマゴを使って納豆ご飯とタマゴかけご飯をシェア。
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録画しておいた番組を観て気分転換。ニュース封入作業を何とか終え、すぐにツレアイは中央郵便局へ向かう。
軽く午睡。
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先日チラシが入っていた<住宅・土地統計調査>の調査用紙を係員が届けてくれたので、早速回答する。住宅取得時の契約書を出してきて、数字を埋めていくだけの作業、5分で終了。
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ありあわせで夕飯準備、息子たちにはスパークリングワイン、私たちは土佐鶴→スペイン🍷。
録画番組視聴。
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90分の長編スペシャルだ。
片付け、散髪、入浴、体重は50g減。
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今日はウォーキングに出る余裕なし、明日から頑張ろう。
水分は、1,480ml。
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manganjiiji · 10 months
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わたくしの心差しは
しばらく何の文章も書いていないから澱が溜まってしまったと思う。言葉を編集することをしないとだめだ。単語と単語を組み合わせ、文字と文字を高速回転で当てはめては放り出し、頭の中の音に乗せて、どうにかぎりぎり意味がつながるくらいの文章を切り貼りで生成する。見た目にもよいのが佳い。文をつなげてこのように段落にする時には目に入った画面のなかで文字の羅列の詰まりが自分に丁度良い、つまり図像として好ましくなければ書いても意味がない。自分は自分の「文の見た目」の好みを知っているので、それは何を考えずとも感覚で選びとる事ができる。単純に言えば、どこを漢字にし、どこを平仮名にし、どの漢字を使い、どこに句読点を打つか。句読点は読んでいる時の音楽のほうにも関係するので、見た目よりは音に左右されているかもしれない。それでもあまりに句読点がないときは、さすがに見辛いなと思い、入れる。小説でやっている時が一番楽しいが、この日記でやっている時も結構たのしい。見た目と音を自分の好きな文でいつでも再現可能にしておく。ほとんど意味はない。あってもあまり意味がないし。
希死念慮のないただのうつ状態に久しぶりに陥った。とはいえ数時間で回復したと思うのだが。これは肉体疲労がないぶん、薬がよく効いている。この数日仕事を休みっ放しなので、肉体疲労がない。今日はびっくりする事に仕事をさぼった。とくに体調は悪くなかった。仕事に行くことを考えるだけでパニックになり、ただただ行きたくないというだけで休んだ。用意する時間も起きた時間も、仕事に行ける条件は何もかもが完璧だった。私自身だけが全く仕事に行ける状態ではなかった。なんでやねん。兎に角もう、自分にこれが最後だよ(さぼるのは)と言い聞か��て休んだ。とても悲しくなったが、欠勤の連絡を入れたのちパニックは治まって、気づいたら3時間寝ていた。すでに8時間は寝ていたのによく眠れるなあと思った。今「よく眠れる」ということにはっとしてずつーるを確認したら、その時間がちょうど気圧低下していた。なんだ。気圧か。もうそりゃしょうがねえ。今まで偏頭痛が酷くてその影に隠れていたのだが、気圧が下がるとかなり落ち込むしパニックになりやすいし、最終的に寝る。まさに今日のパターンだった。最近、というより、独居になってから、偏頭痛がぱったりと消えた。注射も打っていないが、薬を飲むほどの痛みも、月に2回あるくらいになった。今までは注射を打ってなお、月に10〜15回薬を飲んでいた。注射を継続した効果が出たのか、生家からのストレスから解放されたからなのか、どちらもなのか、分からないが、とてもとても、らく。痛みがないというだけで可処分時間が増える増える。仕事中も痛みがないので目の前のことに集中できる。朝起きて爆発的に痛くて吐きそうという思いもしなくてよくなった。注射の効果だとしたら、全偏頭痛民に勧めたい。エムガルティという1本1万3500円(保険適用済)の注射を。3ヶ月分買って自己注射するので、3ヶ月に1回は4万円近く出費するのだが、基本的に高額医療制度で2万くらい返ってくる。私はこの注射を打つことで再び働けるようになった。
ということで夕方にはふらふらしながら、1メートル歩くのに3秒かけて(体感)セブンイレブンに行った。前回コピー用紙が切れた時にもたもたもたもたして最終的に私が主導権を奪い取って勝手にセットし蓋を閉めた時の店員がまた居て若干気まずかったが、私はその時も今日も別に怒っていた訳ではなく、ごくふつうの客だったため、まあ、見逃してほしい。そしてチョコレートが食べたかった(1年に1回だけ黒いチョコレートが食べたくなる)のだが、無かった。マシュマロも食べたかったのだが、無かった。プリングルスも、無かった。手頃な冷たいコンビニスイーツも、全然なかった。おいおい。全てにおいて「負け」じゃねえか。しかし他のものでどうにか糖分をしこたま、一応シーザーサラダも買って、またふらふらと帰った。そのうちの何割かを食べ、冷蔵庫にしまい、𝕏を見ていて時間が経った。やや回復し皿を洗い、歯磨きをし、爪を塗るまでにいたった。
私はほん��うに「働きたくない」人種だ。小学生のころ、働かなくていいという理由だけで大学教授になりたかった(一生勉強だけしていればいいなんて夢のような仕事だ!)。何よりも勉強というか、紙に字を書くことが好きだったので、勉強だけしていたかった。考えることも好きだし。しかし高校一年でその時は来る。成長期・思春期・うつがセットで襲いかかり、ほとんど睡眠障害になり授業は起きていられず、起きていても何を言われているのか全く分からず、考えることも覚えることもできず、という直面したことのない事態に陥り、勉強は全くできなくなった。(25歳で治療が成功してから、高校の勉強の文系科目は独学で終えた。塾講師として高校生に教えながら。)
本当に働きたくなかった。なんならもう、動きたくなかった。うつで余計に体は動かなくなり、生きること自体がきつくなった。兄は働かない人だったので、兄が許されてなぜ自分は働かなければいけないんだという思いと、兄が働いていないぶん、私が働いてせめて社会に貢献しなければという思いをふたつ抱えていた。とにかく兄のあけた穴の補填に忙しい人生だった。そんなことはあの親たちのもとに生まれた時点で、瑣末なことだが。
それが、19で初めてしたアルバイト、通信販売の受電が、もう、びっくりするくらい自分に合っていて、びっくりするくらい評価され、働くのは異常なほどの緊張をともなうものの(毎回駅のトイレで下痢してから出勤していた)、もしかして…これは…人に褒められるチャンス!ということに気付いた。私は非常に人に褒められたいタイプの人間である。浪人中の12月まで働いて、そのお金で冬期講習に行き、受験した。
大学時代、マクドナルドのアルバイトは、「世界一自分に向いていない職業」だと思っていたが、友人の勧めで始め、本当に向いていなかったし、うつが激化していたので毎日に近く号泣していたが、これも楽しかった。笑顔だけは良いと褒められた。あと、深夜の清掃は褒められた。スピードに追われる、かつ体と頭を同時に動かす仕事が世界で一番苦手なのだが、マクドナルドはまさにそれだった。しかし、それを1年ほど経験したことで(もちろんずっと一番下っ端のクルーだった)、接客だけは自信を持てるようになった。新卒のSEはまったく頭が働かず、精神科行きとなったが、そのおかげで病気が判明し(うつ症状の重い双極性障害2型)、いよいよ書店のアルバイトとしての人生が始まった。これはもう「楽しい」しかなかった。最初の店舗がおそろしくブラックだったため、かなり厳しく躾られ、昭和的な思想でガチガチにされ、ここでも毎日号泣していたが、とにかく楽しかった。掛け持ちの学習塾は、全く仕事という感覚がなく、お金が貰えなくてもボランティアでやりたいくらい本当に楽しかった。緊張感など一秒も感じず、人に教えるのが楽しすぎて夢中になった。ちなみに働きすぎて27の時に大宮駅で倒れた。このようなことを何回か繰り返して今に至る。書店も慣れてくるとだんだんやることがわかってきて、こちらも緊張を感じなくなった。今の店舗は書店ではないが、似たような小売で、系列店舗での経験もあるためそこまでハードルは高くない。ただ肉体への負担がかなり大きい。一秒も休めない。文字通り休憩がないシフトなので、とにかく隙を見て水を飲みに行くしかない。この辺りも慣れてくれば自分のペースが掴めるだろう。初っ端からコロナで5日間欠勤して、かなり体力も落ち、今のところ最悪なスタートを切っている。ただ、諦めずに食らいついていけば、というと大袈裟だし気負いすぎかねないので注意が必要だが、できる範囲で通い続ければ、きっと大丈夫だろう。今度こそ、というか今回は久しぶりに2年程は勤務し続けたい。2年勤続することが、私にとってはかなりのハードルだが、さまざまな症状が改善しているので、今回は行けるのではないかと思っている。まあ、だめでもあまり落ち込まないように。でもなんか、できる気がしています。
2023.8.2
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yugekinouka · 2 years
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2022年の極早生みかんスタート!
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【極早生みかんのエッセイのようなお知らせ】
まだ夏の雰囲気が残っておりますが、秋のみかんの季節になりまして「極早生(ごくわせ)みかん」の注文受付を開始しました。
出張農家+行商業の遊撃農家業で、一番人気があるのが極早生みかん( https://nariwai.org/mikan/ )で、みかん育ちの香川県民としても馴染み深い果物であります。
奇しくも11年前、大水害の復旧かボランティアで土砂をかき出した農地からお届けします。この機会に、みかんに詳しくなっていただきたいと思いまして書き記す次第です。
栄養的にはビタミンCが豊富なのはよく知られた話ですが、個人的にはみかんを食べまくっていると食物繊維が取れるのか胃腸の調子がよく、この時期には風邪をひかないので楽しみと健康増進を兼ねて日常食としております。
それをお裾分けしたいというのが2012年からの意気込みであります。日本で日常的に食べられる果物ってそう多くはなく、みかんはかなり手頃な部類に入ります。円安が続くと救世主になるのではと思うので個人的にも重視したい果物です。
庶民文化とも馴染みが深く、私の思い出としては、元禄の商人、紀伊國屋文左衛門のミカン船伝説(創作)も商魂逞しさが伝わるエピソードで子供の頃に読んで記憶に残っています。嵐の中でみかんを運んで江戸で売りまくった逸話ですね。
弊社の極早生みかんの特徴を改めて申し上げますと、冬のみかんよりも比較的酸味が強めと思います。早い時期の品種群なので「極早生(ごくわせ)みかん」です。
栽培は(特に剪定)で味が濃くなるように工夫しているのと、収穫時にも酸味が落ちないように手で選別してたり手間かけております。
みかんに打撃を与えると酸味成分が壊れます。量産ベルトコンベア選別はその点ではあんまり好ましくないかなと考えていてそれで手で選別箱詰めしているわけです(甘さ重視の冬みかんとかは影響小さい)。
そのおかげか 「今まで食べていたものより一万倍うまい!」とか 「丸い水筒」などと感想をもらっていて 子供が遊びに出かける際に水筒代わりにポケットに入れて出かけて行ったりしていたそうです。確かに便利!
ということで10月3日から注文を受け付けます。
出荷時期なんですが、来年に向けて樹木を休ませるため出荷は10月いっぱいで終わります!もう一ヶ月切りました。
みなさま!ビタミンCを補給して冬に備えましょう🍊
なお、5kg箱(一人暮らしで7-10日で完食可能)と10kg箱(みかん愛好家もしくは2人以上向け)の二種類がありまして、それぞれに直筆絵を製版した限定リソグラフがつきます。
だいたいでしたら配送時期のリクエスト受け付けます。(三回に分けて送るなども可)
>【ナリワイ遊撃農家極早生みかん注文ページ】 https://nariwai.org/mikan/
【現在の状況】
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すでにみかんは酸味がピークに達しつつあります。同じシーズンでも時期によって味が変わるので、みかん好きの方は三回に分けて注文されたりします。序盤の方が酸味が強く、徐々に味も変わって行くのでシーズン内でも味の違いが楽しめようかと思われます。
別に薬でも無いのですが栄養についてまとめます。
【みかんの栄養】 ◯ビタミンC…肌荒れや風邪予防に効果があるといわれている。みかんは、皮のおかげでビタミンCが壊れにくい。
◯ビタミンB1…糖分の代謝に使われる、不足すると糖が脂肪に蓄積されやすく糖をエネルギーに変換しにくくなる。
◯クエン酸…いわゆるクエン酸回路に使われるので、細胞が使うエネルギーATP生成に寄与する。
◯ペクチン…果肉の袋にある、便秘改善の作用がある。
◯へスペジリン…袋や白い筋に含まれており、血管を拡張させて血流を良く高血圧や動脈硬化を予防する効果があるといわれている。ビタミンCを安定化させる。
◯βークリプトキサンチン(ビタミンA)…��かんの色素、体内でビタミンAと同様の働きがあり、粘膜がん予防の可能性が期待されている。また、骨粗しょう症、リウマチ、糖尿病、動脈硬化リスクを下げるという報告もある。
◯食物繊維…水溶性は血糖値の上昇を抑えて余分なコレステロールの排出を促す効果、不溶性は便通促進作用。
◯リモネン…皮に含まれる香り成分。目が覚めたりリラックス効果があるらしいが、それはさておき、好きな香りならみかんを食べるときに皮をもんで香りを楽しむのも一興。
[ミニコラム:カロリーについて] 糖質制限が流行りましたが、果物類はカロリー総量は小さく、血糖値も上がりにくい部類に入るものが多い。菓子類に手が伸びやすい方は果物に代替するのは良い手と言える。
なお、マウス実験で極端な糖質制限をかけたマウスは老化が早かったという報告があり、炭水化物ゼロ食とかにするのはリスクが懸念されるのでおすすめしない。最近、日本人の腸内に多い有用菌ブラウティア菌というやつが米などを好むという報告があった。この菌が脂肪蓄積の抑制や糖尿病予防やらに寄与してそうだという話である。米食のほうが向いているようだ。だからといって白米を過剰に食べたら糖尿病になりえるのだが。
余談ですが、納豆ダイエットと称して毎日9パック食べた人の腸内環境が納豆菌が優先になりすぎてドクターストップがかかったという話がある。どんな食べ物にせよ極端な食生活はやめましょう。
みかんに話を戻すと、みかんの栄養素の最大のポイントは、それぞれの成分が補完しあっているところでしょうか。単一の成分をターゲットにしたサプリメンテーションではこうはいきません。
より詳しく知りたい方はhttps://www.pref.ehime.jp/.../documents/11_04_03_402.pdfなど
おまけ)みかんともち米を蒸して、一緒につくという郷土料理があるそうです。
みかん餅
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出典:農林水産省Web(https://www.maff.go.jp/.../menu/mikan_mochi_wakayama.html)
以上です!今年の極早生みかんもどうぞよろしくお願いします。
>【ナリワイ遊撃農家極早生みかん注文ページ】 https://nariwai.org/mikan/ 10月27日ごろには締め切る予定です。お見逃しなく。
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dekandamo · 7 days
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丘の石碑
 目覚めるとカーテンの向こうが早朝だった。  仲間の中で唯一床に横になって寝ている、その人の、かたく握られている片手を、眠っていることを確かめるよりも前に、私は待ちきれなくなって指で開いた。そこには小さな銀紙が握られていた。手のひらの細かな凹凸に合わせてシワくちゃになっていた薄い銀紙、私はそれを手に取り、自分の鼻の前に持ってきて匂いを確かめた。そして破かないように注意深くていねいに銀紙のシワをのばし、指で開いていった。6センチ四方ほどの四角い面に私の手のひらを当てる、それは普段は目を合わせることもない同士の私たちの握手だろうと思った。  さっきまで、学校で一番好きな子は誰なの? と眠る前に話し合った結末を夢の中でもう一度訊かれて戸惑っていた。私は夢でこう答えた、  『ぜんぜん知らない。そういうみんなの方が本当は全部知っているんじゃないの?』   銀紙に、灰色のカーテンから入る朝日は鈍く反射しているように見えた。柔らかくて優しい光だった。それと同じ暗い光がカーテンから入り、部屋の暖かい空気と溶け合って、部屋のあちらこちらで立ったまま白い柱状になって眠っているみんなの姿を包んでいた。
今ではもはや人間の姿をしているのは私と、床に横たわるその人だけだった。この秘密に私は驚かなかった。むしろ、ここ数日の会話のやりとりで抱いていた違和感や疑問にも少しは納得がいくような光景だった。やっぱり、私たちが毎日必死で捜している過去や未来の出来事を、この五本の柱となった友達たちはみんな全部知っているんじゃないか。私が誰を好きか、私は知らないけれど、みんな知っていたのだ。知っていて、黙ってくれていたのだ。柱状の友達たちは静かに目を閉じて、天井と床を真直ぐに繋いでいた。じっと耳を澄ませていると五本分の柱の寝息がちゃんと鳴っているが、人間の呼吸とは明らかに違っていた。それはまるで換気扇の中を空気が通過していくような、緩急のない一定の低い響きだった。みんなの頭から爪先までは一本の管になっていて、体の中を空気が一方通行に通り過ぎていくのかもしれない。  私は広げた銀紙にガムをはいて、溢れないように指先できつく摘んでそれを畳み、しばらくのあいだ握っていた。ガムは次第に私の口内の熱を失って銀紙の中で硬くなっていき、それと同時にそれを摘む私の手の温度を獲得して、柔らかさと硬さのあわいを揺れ動いていた。
 日曜日の午前の並木通りには人がたくさんいて、たくさんの大人が自分とペアの子供に何かを言っている。「そこに、座っていなさい。」たとえばその人は私の他人で、子供のことをピーマンと呼んでいる。「じゃ、車の方に歩いていってね。」たとえばその人は、犬が疲れているみたいだから水を寄越そうとしている。歌を歌うフルートの声が遠くから響いてくる。「ねえ帰るよ、もう帰るよ。」たとえばその人は、子供を呼ぶために人々のさなかで大声を出すことを厭わない。 「じっとしていると寒いね。」  そのような、雑然とした言葉が飛び交っている長い並木通りを北へ抜けているあいだは、人々の声に耳を傾けて空想に浸ってもよいし、景色を眺めていてもよいし、現実的な考え事をしてもよいし、私は何もしてもいいのだと頭では分かっていても、結局は何をしたからといって、並木通りを通り抜ける以上の行いにはならない気もした。  丘への並木通りを往くのは親子だけではなかった。弾みながら歩く犬はみんな宝物のようにキラキラしている。ふたつの目、背や尻の毛並み、犬のまだ白い湿った吐息、全てが光を真に受けている。犬は息を切らせて草木の中を走りまわり、飼い主がよろよろとそのあとを続く。  私は並木通りの犬を見ていると、かつて飼っていた小さなゴールデンハムスターのことを思い出すのだった。ハムスターは私の誕生日にペットショップで買った。父の仕事��屋のケージで2ヶ月生きたが、寒くなってきた途端に風邪をひいてしまい、動物病院へ向かう道中で段ボールの中で死んだ。  私がもっと大人になって、世の中のいろんなことの分別がつくようになって、どんなお店や水辺や国の入り方も一通りわかるようになって、だいたいの食事の味や綺麗な食べ方を知るようになって、大人同士のやりとりで発生する複雑な無言の作法もわかるようになって、そうしたらもう一度ぐらい生き物を飼ってみたいな、と眠い頭でぼんやり考えた。私は親しくなった動物が死んでしまうことが何よりも恐ろしかった。親しいものを失うくらいならば、逆に私の方が失われた方がまだましだと思うほどだった。しかしそれはまた、親しいものに、私という親しいものを失わせることに他ならない。
 私は北の丘に着いた。丘は広く、その全体は黒い幹の樹々によって縁取られている。地面を覆っている芝生はところどころが人の足跡によってささくれて黒い土が見えている。丘の中央では大きな白いもやのようなものがゆったりと揺れていて、近づいてみるとそれは枯れかけているススキの群れが風にそよいでいる姿だった。並木通りと比べると丘には人がまったく居ない。時折また南の方から子供の声が響いてくる以外はほとんど静かだった。  丘のある場所に、花崗岩でできた石碑が立っていた。背丈は大人ほどもある。その石碑の何かが私の興味を引いた。いつからそこに立っているのか、岩全体には雨による縦の汚れが目立ち、金属板にはくり抜かれた文字がびっしりと数百文字連なっているが、浅い凹凸に土汚れが詰まっていてほとんど読むことができない。 石碑の文字盤を読もうとして、土汚れを爪で引っ掻いて格闘していると、家で眠っていたはずの友達が背後からやって来た。 「何してるの?掃除ボランティア?」なんだかいやな言い方だな、と思った。「そう、掃除ボランティア。」と私は嘘をついた。「よくここにいるって分かったね。」  彼は照れたような顔をしていた。  空は真白に曇っていて、雲より白い太陽が輝いていた。背の高い友達のちょうど頭の真上に太陽が昇りかけている途中だった。光がところどころで虹色に分裂し、私は目を細めて彼を見上げた。  私は彼のことが気に入らなかった。彼はいつも元気に振る舞って、みんなの目を見つめたり名前を呼んだりしながら過ごす。彼が何かおもしろいことを皮肉まじりに顔をしかめながら呟くと、みんな一斉に笑った。すると彼も一緒になって風のような無声音とシワの目立つ笑顔で笑った。気に入らないのは、それが空元気だということに彼自身もみんなも一向に気づく気配が無いことだった。 「みんなは?」 「家で寝てたよ。」 「誰も起きてないの? もう昼じゃない?」 「うん。だけど、もしかしたらもう誰も起きないんじゃないかな。柱になっちゃってたし。」 「やっぱりそうか。」 「うん。」 「柱になったらもう人間は起きないのかな。」 「わからん。目が無いから、目が覚めるとか無さそうじゃない?」 「そういうことか?」  彼は返事をせず、私の隣に腰を下ろし、石碑の文字に顔を近づけた。 「何だこれ、読めそうで読めないな。」 「そうなの。」 「ああ、だから引っ掻いてたんだ。おもしろいこと考えるね。」  私は少し笑った。彼も少し笑って、私の手先を真似て人差し指で石碑の金属板に挟まった土を掻き出し始めた。何かの平仮名の『はらい』の部分を綺麗にすると、それは『れ』のように見え始めた。しばらくの間私たちは鼻歌を歌ったり、いつ終わっても構わないような会話をしながら石碑を爪で掃除し続けた。すると突然「ねえ、これってもしかして。」と彼が言った。 「……何?」 「……人名だ。」 「どういうこと?」 「昔ここでたくさん死んだんだ。」 「人? 虫が? 犬が?」 「それは、人だろうなあ。」  私は石碑を掻く手を止めた。頭上を飛行機が通過していった。彼が言った。 「なんかお腹すいた。そろそろ戻らない?」
 家に帰ると、いまだに五本の白い柱は部屋に立っているままだった。静かに呼吸している柱の合間を縫って、私たちはキッチンの深い鍋でお湯を沸かし、パスタを茹で、冷蔵庫から彼が出してくれたレトルトナポリタンソースと胡椒をかけて食べた。  灰色のカーテンから差し込む光はもうすでに午後の光になり始めていた。しかしカーテンを開ける気にはなれなかった。柱状の彼らが眩しさや騒がしさに驚いてしまわないように、私たちは薄暗い部屋でつとめて静かに食事をした。
 柱の一本を触り、中指の関節で叩いてみると、奥の方でかちかち、と音が鳴った。これは誰だろうか。マキちゃんか、高柳くんか、……。  ……ずっとこうして耳を塞いでいるんだ。
 午後になってしばらくが経っても、白い柱になってしまったみんなの形が変化する兆しがない。私と彼ははっきり言って暇だった。眠り続ける柱を前にすれば丘にいた時のようなお喋りも自然と止み、何をするでもなく、朝目覚めた時と同じポーズをとって絨毯に寝そべってみるばかりだった。  永遠に続く五本の柱との生活のほんの始まりのようにも思えたが、不思議と悪い気はしなかった。柱が増えた彼の部屋に私は時々遊びに来ればいい。そうすればまたみんなで遊ぶのと変わりはないのだから。  ただいつまでも同じ部屋に換気もせずにいると気分が悪くなりそうなので、「また外に行きたい。」と言ってみると、「いいけど、公園じゃなくて、今度は近くの川に行こう。」と彼は応じた。  川までの道中、住宅街の上の線路を、ゴウと音を立てて電車が通過した。やはり街全体も、線路がつなぐ両隣の街も、その向こうの街も、普段と変わらずに開始されているようだ。時間が止まってしまったのはあの部屋だけなのだ。  腰のあたりからメロディーが鳴り、彼は立ち止まってポケットから携帯電話を取り出してすぐに耳に当てた。もしもし……うん……大丈夫……え?週末か……。私は立ち止まらずにゆっくりと彼の先を往っていた。会話を聞いては悪いような気がした。しかし彼は思ったより早く電話を切り上げて、横断歩道の角を曲がるのをさすがにためらって待っていた私に小走りで追いついた。私は信号機のボタンを押した。 「ごめん、ごめん。」 「今の彼氏?」 「��、違うよ。」 「あ、そう。てっきり……。」 「なんでそう思った?」  信号が青になり、二人で並んで渡る。だんだんと道幅が狭くなってきて、そこにあたる陽も弱く橙色に近づき、川と夕暮れが近いことを知る。 「なんでだろう? 声が優しかったから。」 「私の?」 「うん。」 「あはは。お母さんだよ。」  彼はあの乾いたシワのある笑いではなく、本当のように幼い有声音で笑った。 「まあ、実験的にこうやって……。」と彼が何かを言いかけた時、枯れ草が生えた川の土手に到着した。  そこではみんなが遊んでいた。  マキちゃんと野村くんは流れの早い川に膝まで浸かり、水に両手を突っ込んで水の底を見つめていた。どうやら二人は川を泳ぐ魚を素手で捕まえようとしているらしい。浩子が離れた水流からそれをコンパクトカメラで撮っていた。モマと高柳くんはみんなから少し離れた岩岸にしゃがみ込んで何やら喋っていた。 「なんだ、みんな本当に柱になった訳じゃ無かったんだね。よかった。」  彼は本気で安堵しているのか、あのシワの目立つ笑顔を見せた。 「おーい!」  彼は土手の頂上から、川にいるみんなに向かって大きく手を振った。  高柳くんとモマがそれに気づき、彼と私の姿をみとめると、一瞬驚きの表情が浮かび、すぐに笑顔になって大きく手を振りかえした。一瞬遅れて、川に入って魚を追いかけていたマキちゃんたちも気がついて頭をもたげた。その途端、どうしようもない悲しみが急に波のように押し寄せて私を襲った。枯れ草を踏んでみんなの方へ降りて行こうとする彼の腕を咄嗟に掴み言う。あのね聞いて、ごめん私本当はね、あなたのことが一番好きだった。その時目が合った。怯えと期待が入り混じったようなシワの笑顔がはっきりと見えた、その口が何か言おうと開く瞬間が、人間としての私の視野の最後だった。私は彼の肩に額で触れようとして、勢い余って体にめり込んで彼と一体化してしまった。均衡が乱れたせいで私たちの肉体は混ざり合いながら石化し、バラバラと音を立てて砕け、河岸の枯れ草の上に崩れた。  私とその人は小さな白く丸い石の群れになっていた。もう元の二人の姿に戻ることはできなかった。みんなが川下で口々に何かを言っているのが聞こえた。やがて枯れ草を踏んでこちらへ近づいてくる人間の足音と、私の名を呼ぶ声が聞こえた。
2023
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kennak · 18 days
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彼の家族は、父親が亡くなったときに閉店した元オートバイ店の隣の地下の家に住んでいました。 私の家から彼の家までは、鹿がたくさんいる美しい森の中を歩いて1時間かかりました。 貨物列車が目の前をゆっくりと通過していくのを、私は頻繁に家の視界に入り込み、列車が通過するまで木の切り株に座っていました。 以前のオートバイ店には、石鹸で汚れた窓の前にドクターペッパーの機械があり、私は鍵を持っていて、彼の母親がたくさんの仕事の1つをしている間、私たちは外泊のときにこっそり店を探索するために忍び込みました。 彼女はチェーンスモーカーでめったに話さず、ビデオゲームをレンタルするために私たちを地元のビデオ店まで車で連れて行ってくれたとき、よく一本のタバコに燃えているチェリーで火をつけていました。 マークの兄もその家に住んでいたが、部屋から出ることはほとんどなかった。 ほとんどの場合、タバコの煙が充満した家の中でジャーマン・シェパードがゼーゼーと咳き込む中、私たち二人が監視されずに飛び跳ねたり、古い映画を観たり、ソーダを飲みすぎたりしていました。 このような家族は、福音派キリスト教徒のターゲットになることがよくあり、福音派キリスト教徒は、仕事中に子供たちを楽しませることができる青少年グループのオファーで家族を誘い込もうとすることがよくありました。 ある時点で、青年牧師の一人がマークの母親に、私たち二人を彼の教会に行かせるよう説得しました。 ブロックバスターの代わりに、私たちはトウモロコシ畑に囲まれた暗い田舎道にある、十字と頭���にブンブンと光る照明がついた、匿名の鉄骨倉庫の前で降ろされました。 父親と母親がバイカー文化に深く関わっていたため、マークは宗教にあまり触れていませんでした。 私はすでにこの種の場所を以前に見たことがあり、次に何が起こるかを恐れていました。 私たちが中に入ると、「マイケル牧師」を紹介されました。彼はサンタクロースが極端なダイエットをして連続殺人犯の眼鏡を買ったかのように見えました。 マークは飛び上がって質問を始めたが、私は距離を置いた。 その前年、私は古い駅の修復にボランティア活動をしていた。それには、駅をホームレスの避難所に変えようとする原理主義キリスト教会の「監督」のもと、大勢の若者が参加した。 私たちは鉱山に隣接するこの小さな町の中学校の床で寝て、日中はペンキを剥がしたり床を研磨したりして過ごし、夜は性の悪さやアメリカがどのように「文化戦争」に陥っているかについて講義を受けました。 今にして思えば、児童労働として鉛塗料を除去する際にもっと保護具が必要だったような気がしますが、それは神次第だったのでしょう。 起立させられ、結婚するまではセックスしないと約束させられた長いセッションの後、割り当てられた教室に戻る途中で私が冗談を言ったところ、すぐにグループの先輩の男の子に詰め寄られました。 。 彼は軍隊風の髪型をしていて、星が見えるほど私をロッカーに叩きつけました。 私は毎週日曜日にカトリック学校とミサに通い、水曜の夜はカトリック教徒のための日曜学校のようなCCD(キリスト教教義連盟)に通って育ちました。 これらすべては、私がかなり確立された「クリスチャン」資格を持っていることを意味していました。 この少年は、私が悪影響を及ぼしている偽クリスチャンだと思っていること、鍵のかかった教室で毎晩彼や彼の友達と二人きりになるから気をつけるべきだと言いました。 この経験により、私はこれら福音派カルトに対して極度の警戒心を抱くようになり、教室の床で寝袋に静かに横になり、明らかに忘れ去られた回し���で走るハムスターの音を聞いていた。 この世界に詳しくない方に、少し背景を説明させてください。 私のカトリック教育は、聖なる人物との全く異なる関係を示しました。 神が直接語った人はほとんどなく、ほとんどが聖人でした。 自分は神との幻視や直接会話に値するような人間であると信じる罠に陥ってはいけない、という多くの警告を受けて育ちました。 これは神の介入というよりは精神疾患である可能性が高いと、やんわりと示唆されました。 彼はあなたの心に入り込み、あなたの行動を変え、あなたに平安を与えますが、あなたはチャットが正当化されるような稀な個人の階層に属していません。 したがって、私にとって、 神と直接会話 できると主張する福音派は異端であり、ランダムな「牧師」が自分たちが聖人であると主張するのと同じで、ひどい冒涜でした。 会衆が列を作り始め、その後に起こったのは、私の人生の中で最も非現実的な2時間の1つでした。 私の知り合い、図書館で働く女性、地元の郵便局員などが、自分たちの健康問題をサタンのせいにして叫び、手を振り始めた。 それからある時点で、怖いサンタクロースは震え始め、発作を起こしているように見えました。 彼は大声でせせらぎをし始め、部屋中を動き回っていました。そして、 このせせらぎに何か意味があるふりをして 、自分たちでそれをする人がどんどん増えているのを私は見つめました。 明るい光と大音量の音楽が、これらの普通の人々を狂気に陥れたようでした。 携帯電話のないこの時代、この状況を放置するために私にできることはあまりありませんでした。 私はマークがこれらの人々が神の声を伝えていると確信するのを待って見ていました。 「すごいですね、本当に何かを感じました。部屋にはエネルギーがありました!」 私がドアから目を離さないと、彼は私にささやきました。 青年牧師の一人が、私の中に霊が動いているのを感じましたか、参加したいという衝動を抑えるべきではないと尋ねました。私は大丈夫だとつぶやき、トイレに行かなければならないと言い、それから個室で待つまで待ちました。サービスはほぼ 2 時間後に終了しました。 他の子供たちと話していて、彼らがこれを信じているという現実が頭から離れませんでした。 「それは神の言葉であり、聖霊が私たちを通して語っておられることを理解できるのは、選ばれた少数の人だけです。」 その言葉は非常に強力で、牧師が教会の選ばれた会員に預言を明らかにし、彼らの経済的投資を支援することができました。 これは致命的な重大な仕事であり、これらの普通の人々は完全に信じており、時々 ある種の 言葉のように聞こえるこのナンセンスなおしゃべりは、文字通り神が彼らを通して話していると確信していました。 私は、普通の理性的な人々は決してそのようなナンセンスなことを信じないだろうと確信して帰りました。 これらの人々はだまされやすいので、一度この死んだ町から出てしまえば、このレベルの妄想にさらされる必要は決してなくなるでしょう。 それで、数年後、私がサンフランシスコの巨大な会議場に座って、Google の CEO が聴衆に AI がどのような未来になるかを説明しているときの私の驚きを想像してみてください。 ランダムな単語をつなぎ合わせたこのシステムは、群衆の中の私たち全員を置き換え、地球温暖化を解決し、あらゆる仕事を変えることになるでしょう。 これには、健康保険を失うことに興奮しているようだったグループから万雷の拍手が送られた。 これらすべては、テクノ音楽と明るい照明、そしてより多額の予算を投じた教会の礼拝によって始まりました。 私が行った会議はどこも、スタッフをこの神聖なテキスト ジェネレーターに置き換える可能性について有頂天になっている人々でいっぱいでした。 会議のために元の Google キャンパスまで私と Uber をシェアしたフランスのベンチャー キャピタリストは、興奮で息が上がりそうになっていました。 「間もなく、スタートアップを立ち上げるのにプログラマーさえ必要なくなるかもしれません。ただ、創業者とそのアイデアが、夢見る限り早く市場に投入されるだけです。」 彼をLLMに置き換えることができる可能性が高いとコメントしたくなりましたが、それは意地悪だと感じました。 まだ人間が運転しているテスラに私たちが座っているとき、「それは世界を変えるだろう」と彼はつぶやいた。 私の人生の中で、信心深い人たちから、私のコミュニティ、つまり無宗教のテクノロジー愛好家がテクノロジーを宗教の代わりに利用しているのではないかとよく言われてきました。 私たちは神や聖人という空想的な概念を拒否し、それを未来の妄想的な考えに置き換えるだけです。 自動運転車は、その問題が実際には難しすぎることが明らかになり、私たちが静かにそれについて話すのをやめるまでは避けられませんでした。 火星に植民地を設立するということは、たとえそれが私たちの能力の10倍を超えているとしても、あたかも「すぐに」であるかのように議論されることがよくあります。私たちは紙幣をデジタル通貨に置き換えようと試み、そして管理しました地球の破壊を加速する世界的なネズミ講を創設するために。 通常、私はこのロジックを拒否します。 テクノロジーは、多くの欠点がある一方で、実際に利益をもたらす多くのものを生み出しますが、これは宗教が主張できることではありません。 しかし、AIの力に対するこの盲目的な信仰を数か月聞いた後、私が今聞いていることと、礼拝後に信者が私に言ったことを比較すると、不気味なほど似ていました。 これは単なる集団妄想であり、新しいアイデアがないにもかかわらず、依然として 1 兆ドルの価値があると信じ込ませようとしているテクノロジー企業による必死の試みなのでしょうか? ここに何かありますか?
AIは異言を話す
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peaceful-resolution · 13 days
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安芸高田市石丸市長が任期満了で次出ないと知ってびっくりしたハナシ
ネットニュースでびっくりしたというだけのネタです。 人気ブログランキング ↑クリック協力お願いします。 【速報】安芸高田市石丸市長7月の市長選挙不出馬を表明 この石丸市長がネットで大騒ぎするまで安芸高田市って知りませんでした。まず市を有名にしましたねー。それだけですごい功績ではないの? 市長継続よりもやりたい事があるから立候補しないって、知事か国会議員を目指すのかな?また騒ぎになりそうですね。いい意味でね。 私、この方、好きですよ。 石川県のそれぞれの市議会議員とかもちゃんとやってくれてるの?って思いますよね。そういう気付きのきっかけくれましたよね。 今年の元旦に能登で大きな地震があり、登山家の野口さんがすごく協力してくれていた活動のなかで、七尾市内にボランティア用のテント村を作ってくれました。私は今回のこの件までそんなものの必要性にすら気付いていなかったんだけれど、確かに…
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ari0921 · 1 year
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我が国の未来を見通す(50)
「気候変動・エネルギー問題」(15)
人為的CO2削減の可能性
宗像久男(元陸将)
───────────────────────
□はじめに
記念すべき第50話まで来ました。「わが国の未来
を見通す」を始めてからほぼ1年が経とうとしてい
ます。50回を記念して、私自身の最近の“日常”
をカミングアウトしようと思います。現在、71歳
と半年、3つの会社と非常勤監査役や顧問などの形
で雇用契約してそれぞれの職務をこなすかたわら、
某大学の非常勤講師として週に1度は講義を行って
います(科目は、なんと「経営戦略論」と「経営組
織論」です)。
その他、自衛隊を含み、依頼があればどこへでも喜
んではせ参じ、歴史講話などを実施しています。ほ
かにもボランティア活動も数件、それ以外にゴルフ、
コンサートや演劇観賞、小旅行、それに各種セミ
ナー聴講など、たぶん同世代の人たちよりは数多く
こなしていると思います。
ボランティア活動で最も力を入れているのは、元自
衛官たちの再就職あるいは再々就職の応援です。5
0歳後半で若年定年を迎える自衛官は、退職直後は
国家が再就職の面倒をみることが法律で定められて
おり、その体制下で自衛官たちは再就職します。し
かし、「人生100年時代」、元自衛官たちは60
歳の前半、今度は自力で職探しに奔走することを余
儀なくされます。この時には、自衛官の“ブランド”
はすでに消え去り、相当厳しい“現実”が待ってい
ます。
そのような元自衛官たちの苦労を目の当たりにして
いることから、時々、仙台や札幌まで出かけて行き、
現役自衛官たちの前で、誰もが迎える未来の“現
実”、そしてそれに向かって現役時代からの心構え
や準備すべき事項などについて教育しています。「
国防に半生を捧げた全自衛官たちが、一生、幸福で
充実した人生を送ってほしい」との切なる願いを込
めて、私自身も東奔西走しております。またその一
環で、自衛隊部内紙紙上に「自衛官にとっての『人
生100年時代』」をシリーズ化し月に1回、投稿
しています(現在16回目です)。
さらに、時々、本シリーズでも紹介していますよう
に、日々変わる“時事”についても関心を持ち、で
きる範囲で情報収集します。このような合間をぬっ
て、本シリーズの原稿を毎週5000字前後したた
めています。もちろん、そのために必要な書籍や資
料をできる範囲であさります。これらから、最近は
どこに出かけるにも1泊以上の場合は、パソコン持
参が常態となりました。
若い頃から「人の3倍生きる」を公言し、泳ぎを止
めることを知らない“マグロ人生”を突っ走ってき
ました。つい先日は、深夜までサッカー観戦で寝不
足のまま、翌日早朝から出かけて同期のゴルフコン
ペに参加(結果はベスグロでした)、夜は、家内と
コンサートを観賞するなどの無理もしていますが、
年齢も年齢、記憶力も弱くなるなど少々ガタが来て
います。いつまで続けられるかわかりませんが、も
う少し頑張りますので、どうぞお付き合いください。
冒頭から私的な話題ですみません。
▼地球は寒冷化に向かう!
さて、本題に戻りましょう。前回紹介しましたよう
に、「地球は寒冷化に向かう!」との勇気ある主張
も依然として存在します。全人類のほとんどが「地
球温暖化」狂騒曲を鳴り響かせている現代にあって、
個人的にはとても興味が沸きます。CO2削減の
可能性について論じる前に、少しその骨子を紹介し
ておきましょう。
「寒冷化に向かう」とする根拠の第1は、「100
万年にわたる地球の気温推移の歴史をみると、人間
の出すCO2などとは全く無関係に一定のリズムを
刻んでいる」ということです。現在は、「確かに温
暖期にあるが、この周期からみるとそれも束の間で、
いつ気温が下降してもおかしくない。そうなれば
地球も約1万年ぶりに氷河期に突入する」のだそう
です。
さらに、ここ1万年の気温推移をみれば(前に紹介
しましたように、グリーンランドの氷床から北極圏
の気温を推定しています)、「確かにここ約100
年の間は、小さなレベルで気温が上がっている。だ
が、さかのぼって気温推移をみると、工場も発電所
もなかった時代に、今以上に温かい時期が何度も来
ている。人類の出すCO2は気候変動とは関係ない」
というのです。
つまり、「大きな周期をみても、小さな周期をみて
も、気温が人類の出すCO2で変化しているように
は見えない。地球の向かう先は温暖化ではなく、寒
冷化の可能性を疑うべき」と主張します。
その主張の根拠として、温暖化説を唱える気象学者
たちが「大気」だけをみているのは「ものの見方が
狭すぎる」と言い切って、地球の気温は「宇宙」、
それに最も近い「太陽」に目を向けなればならない
とも主張しています。
関連して言えば、温室効果ガスが地球温暖化の原因
としてコンピューターでシミュレーション手法を開
拓し、ノーベル賞を受賞された真鍋淑郎(しゅくろ
う)氏のグループは、受賞自体は嬉しいことではあ
るのですが、「仮定」そのものの誤りや「政治的意
図が働いた」などとの指摘もあるようです(細部は
省略します)。
東京大学の地球生命研究所丸山茂徳教授は「地球の
温度は根本的に決めるのは日射量だが、それを圧倒
的に支配するのは雲である。雲は白く、太陽光を反
射する。雲量が1%増えると地球の平均気温は1℃
下がることがわかっている」として、「雲の量を増
やすのは、宇宙から降り注いている『宇宙線』であ
る。高エネルギーの宇宙線が雲の材料となる埃に衝
突して分散してその数を増やすので雲の量が増える」
と別な角度から地球温暖化に疑問を投げかけます。
具体的には、「その『宇宙線』の量を左右するのは
太陽活動であり、太陽活動は強くなったり(黒点の
数が増える)、弱くなったり(黒点の数が減る)し
ているが、それ以外にも『太陽風』という目に見え
ない高温のガスを吹き出しており、このガスが『宇
宙線』を弾き飛ばす。太陽活動が弱くなった時、『
太陽風』のバリアも弱くなり、地球に降り注ぐ『宇
宙線』が増える、その結果、雲が増え、気温が下が
り、逆に太陽活動が強くなれば、『宇宙線』も吹き
飛ばされ、雲も減って気温が上がる。近年、太陽活
動が低調になりつつあるということで、地球は温暖
化どころか、寒冷化する予兆がある」と丸山氏は主
張します。
「氷期と間氷期をもたらす数万~10万年周期の気
候サイクルは、地球の『天体運動』にその原因があ
る」と神戸大学兵頭正幸名誉教授は解説しています。
つまり、「地球の自転軸の角度や公転軌道の形な
どは、月や惑星の引力により周期的に変わり、それ
によって、北半球高緯度が受ける日射量が周期的に
変化し、氷期と間氷期を繰り返す」として(「ミラ
ンコビッチ周期」と呼称されます)、「この周期で
は、地球は約6000年間以降寒冷化に向かってお
り、約3万年後に氷河期に迎える」と主張していま
す。
このように、地球の気候変動は、太陽に関わる作用
を主因としつつ、海流、水蒸気量、マントルや火山
活動、地球磁場、銀河における太陽系の位置など、
無数の要因によって動く「宇宙レベルの摂理」なの
であり、こうした視点でみると、「人為的CO2が
地球気温を動かす」などとそもそもの“次元が違う”
ということでしょう。
これらの理論について、私など素人が理解できる範
囲を超えているものがありますが、もっと長いレン
ジで「地球の動き」をウオッチする必要があるとい
うことなのでしょう。以前紹介しましたように、つ
い最近の1970年代には「寒冷化」狂騒だったも
のが、手のひらを返したように「温暖化」狂騒に変
わりました。地球や宇宙に対する人類の“感知能力”
が依然として未熟である証左ともいえるでしょう。
日本や外国の研究者の中には、「地球温暖化」に“
異説”を唱えている人たちが沢山おられるのは明ら
かです。これらから、最近の「異常気象」(最近は、
「極端気象」というそうですが)をすべて地球温
暖化のせいにして、「温暖化の原因は人為的CO2
の排出である」と断定するのは、かなり無理がある
と考えるのが妥当なのではないでしょうか。あるい
は、そのように結論づけるのは“時期尚早”という
のが正しいのかも知れません。
▼人為的CO2の削減は可能か?
人為的CO2排出に戻りましょう。これについても
すでに触れましたが、CO2排出の国や地域分布の
歴史を振り返ってみますと(インターネットではト
ップ10の国々の1960年~2019年までの排
出量の移り変わりが動画のように一目することがで
きるサイトがあります)、確かに2004年までは
アメリカが常にそのトップを走り、ロシアや中国な
どが追随してきましたが、2005年以降は、中国
がトップに躍り出て、それ以降は2番手以降の追随
を許さず、ダントツ1位でCO2排出をほしいまま
にしています。
2019年の内訳をみれば、中国107億トン、ア
メリカ48億トン、インド25億トン、ロシア17
億トン、日本11億トンと続きます。その割合は、
中国29.4%、アメリカ14.1%、EU28カ
国8.9%、インド6.9%、ロシア4.9%、日
本3.1%となります。なお、世界全体のCO2総
排出量は336億トンで、そのうちG20の排出量
は270億トン(約80%)となっています。
 ちなみに、これを「一人当たりのCO2排出量」
でみるとまた面白い結果が得られます。第1位は、
目下話題のサッカーワールドカップ開催国のカター
ルです。秋田県ほどの広さに286万人ほどの人口
を有するカタールは、石油産出の富をもって、CO
2排出など一顧だにしないまま、まさに“砂漠のオ
アシス”ともいうべき近代国家を築いたのでした。
 カタールに続き、アラブ首長国連邦、カナダ、オ
ーストラリア、サウジアラビア、アメリカ、ロシア、
韓国と続き、日本はようやく第9位にランクインさ
れます。なお中国は第12位にランクされています。
 このような中国は、2015年採択の「パリ協定」
では、「2030年にピークアウトする」、つまり
2030年以降はCO2削減の努力はするが、それ
まではがんがんCO2を排出することを認めさせま
した。前に紹介しましたように、「付属国I国(つ
まり先進国)でない」との理由に加え、「一人当た
りの排出量は低い」などと主張したのでしょうが、
2005年以降ダントツ1位のCO2排出国である
という“事実”があるわけですから、トランプ前大
統領が怒るわけです。
その中国は、2030年以降は「脱炭素」を進める
かも知れませんが、すでにアジア・アフリカ諸国に
石炭火力発電所の輸出攻勢をかけています。そうす
ると、「非付属国I国」のアジア・アフリカ諸国は、
先般のCOP27で「地球温暖化の要因は先進国の
せい」として先進国に「損害」と「損失」の賠償を
要求したことに留まらず、近い将来、「パリ協定」
の中国のように、「自国のCO2排出については、
○○年以降に進める、それまではがんがんCO2
を排出する」と主張するでしょう。
つまり、2030年以降、中国のCO2排出は多少
減るとしても、エネルギー起源のCO2は、世界全
体では減ることがないと考えざるを得ないのです。
やがて90億人を超えると見積もられている世界の
人口です。先進国の人口が減り続ける中で、「非付
属国I国」であるアジア・アフリカ諸国で増え続け、
エネルギー源が大幅に必要になるのは明白だから
です。
▼「人間の活動」を抑制できるか
そもそも人為的CO2の排出、つまり「人間の活動」
によるCO2排出は、エネルギー起源のCO2排
出だけではないことはすでに詳しく紹介しました。
「ものをつくる」(31%)、「電気を使う」(2
7%)、「ものを育てる」(19%)、「移動する」
(16%)、「冷やしたり暖めたりする」(7%)
と人間の活動のほぼ全てに及びます。
 先進国がこれまでたどった道、つまり、ビル・ゲ
イツも指摘していたように、人口増にともなう都市
の建設ラッシュをはじめ、電気を使うことがあたり
前の近代的な日々の生活、生きるために必要な食料
や栄養源を安定的に確保するための近代的な農業や
牧畜の拡充、車や飛行機による移動や貨物などの輸
送手段の確保、冷暖房が完備した快適な生活の追及
などについて、90億人の“民”がそれらに気づき、
地球上の至る所で求め、実際に普及したら、CO
2排出量はまさに計り知れないほど膨らむことが明
白で、現在、先進国を中心に世界中を巻き込んでい
る地球温暖化対策にどれほどの意味と効果があるの
でしょうか。
 逆に、増え続ける人口を維持して、いわゆるSD
GSを実現するためには、「ある程度のCO2が必
要である」との見方もできるのですから、矛盾が矛
盾を呼んでいると言わざるを得ません。
 ビル・ゲイツのようなチャレンジには敬意を表し
ますが、実現はそう簡単ではなく“絵に描いた餅”
になる可能性が大でしょう。私は、いつか、だれか
が地球温暖化の真実や原因をろくに調べないまま、
何がしかの意図をもって主張し始めた「地球温暖化
対策」が、当初の狙い(意図)とは違った方向に歩
み始め、自ら“墓穴を掘っている”ような気がして
ならないのです。読者の皆様はどう思われるでしょ
うか。
話は変わりますが、新橋駅のホームの立つと銀座側
に「LONGI」という中国のソーラーパネルメー
カーの看板が目に入ります。看板の上部には「太陽
光発電パネル 出荷量世界第1位」とも表示されて
います。「非付属国I国」の立場を最大限に活用し
て2030年まで石炭火力発電所でCO2をがんが
ん出す一方で、すでに三峡ダムの建設などで膨大な
量のコンクリートを使いまくり(言葉を代えれば、
CO2を排出しまくり)、その上、太陽光発電パネ
ル生産においては、すでに世界の8割以上のシェア
を確保し、将来95%になるとの見積もりもありま
す。
原子力発電所についても、現在運転中の基数はアメ
リカ、フランスに次いで第3位の47基ですが、列
国が軒並み新たな原発建設を控えている中で、中国
だけは計画通り建設を続け、2018年8月、「1
0年後に世界の原子力標準化で中国が主導的な役割
を果たす」との目標を表明したことが話題になりま
した。これらから、気候変動問題を最大限に活用し
ようとしている中国の“したたかな国家戦略”を垣
間見ることができるのです。
蛇足ですが、森羅万象、あらゆるものを「国益」と
いう観点からしたたかな戦略を張り巡らす国に対し
て、他国の評判のみを気にして「国益」など頭の片
隅にも存在しないかのように見える国が太刀打ちで
きないのは明白です。このようなことも念頭に置き
ながら、次回、経費データがそろっている我が国の
「温暖化対策費」を取り上げ、その費用対効果に迫
ってみましょう。唖然とします。
(つづく)
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shintani24 · 19 days
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2024年5月4日
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Youは何しに海外へ?超円安のGWに「裏金」議員含む多くの自民議員が渡航 事前提出の「渡航計画書」は非公開(MBSニュース)2024年5月4日
円安、超円安である。一時1ドル160円台に突入した。政府・日銀による為替介入の可能性も指摘されるが、それでも150円台で推移している。ゴールデンウィークとはいえこんな時期に海外旅行するのは大変である。日本から食材を買ってしのいでいるハワイ旅行の映像などを見るとなかなか涙ぐましいものがある。
さて、そんな円安の最中、このゴールデンウィーク期間中(4月27日~5月6日)に国会議員も海外へと渡っている。
岸田総理はフランスやブラジルなどを訪問
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まず、岸田内閣からは14人が渡航している。岸田文雄総理が5月1日~6日の日程でフランス、ブラジル、パラグアイを訪問。フランス・パリでのOECD閣僚理事会や各国首脳との会談を行う。上川陽子外務大臣は同じくフランスを始め、マダガスカル、コートジボワール、ナイジェリア、スリランカ、ネパールと多彩。閣僚の場合、上記OECDの理事会があることに加え、国会日程の合間を縫って外交日程を組まざるを得ない事情もある。
自民党は4月28日の衆院補選で「3敗」したが、党内には岸田総理“お得意”の外交で支持率を少しでも上向きにできれば…との淡い期待もあるようだ。
GW中に登院できない議員はほとんどが自民党…萩生田、塩谷氏など「裏金」処分議員の名前も
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一方で、そのほかの国会議員。GW中に国会へ登院できないという届け出をした衆議院議員はのべ34人。写真は4月25日付けの公報に掲載されたもの。衆議院の公報上ではこの期間に国会へ出られないということしか確認できないため、34人すべてが必ずしも海外渡航とは限らないのだが、政権中枢に近い木原誠二議員、ベテランの船田元議員、甘利明議員のほか渡海紀三朗政調会長の名前がある。なかには派閥の政治資金パーティーをめぐる「裏金」事件で、2728万円の不記載があった安倍派「5人衆」の1人、萩生田光一元政調会長や、安倍派の座長だった塩谷立議員の名前もある。パッと見ただけで自民党の議員が圧倒的に多いことがわかる。塩谷議員は処分を受けて離党し無所属となったが、あとは立憲民主党の中川正春議員を除くとすべて自民党所属で、たまたまかもしれないが公明や維新、共産の議員はいない。実に34人中32人が自民党だ。
「エッフェル塔」写真で物議の松川るい議員はGW期間中2回渡航
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続いて参議院議員はのべ17人。参議院の場合、公報上に日程とともに渡航先、ごく簡単な目的も確認できる。こちらも安倍派に所属し「裏金」事件で問題となった議員がいる。政治資金収支報告書に2400万円の不記載があった山谷えり子議員(全国比例)はアメリカへ。876万円不記載の堀井巌議員(奈良選挙区)はグアテマラへ、306万円が未記載だった佐藤啓議員(奈良選挙区)は韓国へ、それぞれ渡航する。
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また、去年夏、自民党女性局の研修で訪れたフランス・パリにあるエッフェル塔前で撮った写真がSNS投稿され、批判を受けた松川るい議員(大阪選挙区)はこの間2回渡航する。政治経済事情を視察するため前半の4月26日から6日間はオーストラリアへ、後半の5月2日から3日間は韓国へという予定だ。観光産業復興の状況視察のためタイへ赴くれいわの山本太郎議員、シンガポールで政治経済事情を視察する社民党の福島みずほ議員などもいるが、それでものべ17人中11人と多数を占めるのは自民党であった。
国民の目から見えにくい議員の渡航…その中身と費用の実態は?
そもそも国会議員の海外渡航はどういった手続きを経て行われるものなのか。衆議院事務局に問い合わせると、いまの通常国会など国会開会中は各議員が「請暇(せいか)」を届け出るのだという。聞きなれない言葉だが、暇(いとま)を請うという意味で一定の期間、国会へ登院がかなわないことを願い出るという主旨だそう。渡航の期間が7日以内の場合は議長の許可が、7日以上の場合は本会議での了承が必要だという。実際に海外へ渡航する場合、各議員は所属会派に請暇届と渡航計画書を出し、あらかじめ議会運営委員会の理事会で了解を得るのだという。
ただ、問題は、残念ながらこの海外渡航の中身やお金が一般には見えづらいことだ。例えば先日、自民党の麻生太郎副総裁はアメリカへ渡航した。4月22日からむこう4日間渡航するとの届を出して許可されている。たしかにこの事例などはアメリカのトランプ前大統領に面会するなどしたことがニュースとなり、何を目的に渡航したかは一般の方の目にも触れることとなった。
しかし、一方で多くの議員の場合、海外渡航の実態はなかなか見えない。事前に会派や議運に提出する「渡航計画書」なるものは非公開だ。また、あくまで議員個人の活動であるため、渡航後、国会などで活動報告が義務づけられてもいない。さらに、渡航費については各委員会や公式な議員派遣団とは異なるため予算がついておらず、各議員が処理する形で公表が義務付けられているわけではないため、どのように渡航費をねん出しているのかもわからない。毎年この時期に議員団として海外渡航し議員外交をしている例もあり、個々の議員がSNSなどで発信している例もあるのだろう。ただ、当方のようなメディアがよほど細かく各議員の活動をチェックし、渡航の中身や費用について問い合わせでもしない限り広く知られるところとはならないだろう。
国会議員たるもの海外で研鑽を積み議員交流を深めることは必要で、海外渡航すべてを否定するものではない。届や渡航計画書を出して議運の了解を得ての渡航だけに「旅行」ではないと信じたいが、あまりに議員の裁量と性善説にたった運用だとも感じる。Youは何しに海外へ。今後の議員活動や国会での質疑にどう生かされていくのか。連休明け以降の仕事でまた見ていきたい。(MBS東京報道部記者兼解説委員 大八木友之)
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「行かないことが支援」善意の拡散が変質 能登にいま漂う空気は(朝日新聞 連載:増幅の先に 「みる・きく・はなす」はいま 第6回)2024年5月4日
「『みる・きく・はなす』はいま」は、1987年5月3日に朝日新聞阪神支局が襲撃され、記者が殺傷された事件をきっかけに始まりました。憎悪、差別、不寛容……。今回は、デジタル空間で増幅された感情が現実社会にもたらす影響を報告します。
元日の能登半島地震。二次災害の懸念があり、道路事情の問題もあって、報道機関もなかなか被災地に入れない。どこで何が起きているのか、情報は乏しかった。
翌2日、主に石川県のグルメ情報を発信していたX(旧ツイッター)のアカウントが呼びかけた。
「被災地にボランティアや支援物資を届けに行く人はちょっと待って! 先の熊本地震でも個人支援に起因した渋滞が問題になっていました」
何度か投稿するうち、語気は強まる。
「もういいや、はっきり言います。災害直後に一般車両が現地に乗り入れることは『本来助かるはずだった方の生命をみすみす失わせる行為』です」
瞬く間に拡散し、表示回数は1800万を超えた。
県も能登方面への外出自粛促す
県にも、渋滞の情報が次々と寄せられた。個人ボランティアの受け入れ態勢も整っていなかった。県や県警も3日以降、「能登方面への不要不急の車での外出は控えて」などと被災地入りの自粛を促すメッセージを出した。
「行かないことが支援」。そんな言葉が、SNSで広まっていった。
東京都内の自営業男性は4日、「やっぱりまだ早いかもな。状況見て考えたい」と投稿した。過去の災害でボランティアの経験があり、自身も被災地の力になりたいと考えたという。
1月6日からの3連休を控えた5日には、石川県知事の馳浩が「現在、個人のボランティアは受け付けておりません」と投稿。表示回数は3千万を超えた。都内の30代男性も5日、写真投稿サイト、インスタグラムのアカウントで「この三連休は絶対能登に行かない!」などと投稿した。被災した石川県七尾市の出身。「少しでもふるさとの役に立てればと思った」
だが、善意で拡散された呼びかけは、違った意味を持っていく。
「自粛の空気が続いたことはさみしい」
「正直邪魔だと思う」「無計画に現地入り」。災害救援のNPOに同行して3日から被災地に入ったジャーナリストの津田大介(50)は、SNS上で批判を受けた。被災地入りした政治家らも「炎上」した。
東日本大震災以来、何度も被災地を訪れ、ツイッターで発信もしてきたが、こんなことは初めてだった。昨夏から仕様が変わり、表示回数に応じて収益が入るようになったことで、扇動的な投稿で数字を稼ぐ人が増えた影響もあるとみる。
「ガソリンを現地で調達した」。事実ではないことも広まった。NPOに迷惑をかけないよう、5日になって、どんな準備をしてどうやって現地に入ったかをXで詳細に説明した。
地震発生直後に被災地入りしたNPO法人カタリバ(東京都)は、これまで8カ所の被災地で支援してきたノウハウ通り、自活できる道具を持って向かった。だが、5日夜、避難所の一角に子どもの居場所スペースをつくる活動についてネット上で報告すると��「ボランティアごっこしか出来ないゴミ」などとXに中傷の言葉が並び始めた。
4人の子がいる石川県七尾市の女性(43)は当時、SNSを見る余裕もなかった。避難所の一部屋で5日ごろから子どもを預かってもらい、炊き出しの手伝いや被災した家の片付けができた。津波から逃れた時のフラッシュバックが出た際は、専門スタッフから助言ももらった。「本当にありがたかった」
重機操作などの技術を持った職人らによるボランティアネットワーク「DRT JAPAN」の吉村誠司(58)は1月2日から被災地に入った。1995年の阪神・淡路大震災以降、数々の現場に赴いてきた。
活動に対し、ネット上では「自衛隊や警察、消防の邪魔をするな」という声もあったというが、被災地では一度も非難は受けなかったという。
行くべきか行くべきでないか。それぞれの人の状況も異なり、明確な正解があるとは思わない。ただ、能登では時間が経ってからも、経験や技術のある人たちが目立ち、これまでの被災地とは異なると感じた。
「技術や経験がなくても人の役に立ちたい。そう素直に思った人がなんとなく排除されてしまう、自粛してしまう空気が続いたことはさみしい」
悩み続けた自治体「難しかった」
石川県輪島市の自宅が地震で倒壊、火災で全焼した漆芸家の桐本滉平(31)は、3カ月近く過ぎても知人らから「手伝いに行きたいけど、迷惑になるからやめた方がいいかな?」と言われることがつらかったという。
「被災地でやれることは今もたくさんある。何より思いを寄せている人たちにいまの被災地の姿をみてほしい」。3月22日、「1月に『まだ能登に行くな!』とSNSで大拡散してくださっていたみなさま、もういつでも能登にいらして大丈夫ですよ」とXに投稿した。
県戦略広報課長の素都明子は「決して一律に支援を拒んだわけではなかったが、様々な組織や部署の要望を、短く明確なメッセージにするのは難しかった」と振り返る。得られる情報は限られ、刻々と変化した。いつ、誰に、どんな支援を求めるのか。それともまだ控えてもらうのか。悩み続けたという。=敬称略
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【坂本龍一監督追悼 定期演奏会2024】3月31日(日)サントリーホールにて全日程終了いたしました。
2024年の定期演奏会も残すところ1回のみとなりました。 ここサントリーホールは2022年3月に、今から思えば坂本龍一監督との最後の共演のステージとなってしまいました。 舞台裏には世界の名だたるオーケストラのステッカーに混じり、坂本監督が当時のホルン田嶋キャプテンと一緒に手を添え貼りつけたTYOロゴステッカー(長嶋りかこさんデザイン)が輝いています。
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見つかりましたか?
東京近郊に前泊した団員よりひと足早く会場入りして、設営などのお手伝いをしてくれる、今回のツアーのステージング・チームです。
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ありがとう。女子5人に男子2人で、「TYOのNewJeansにKinKi Kids」あたりでどうですかね。
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こちら男子7人組は「TYOのSEVENTEEN(セブチ)を箱推しする事務局岡田さん」で!
ゲネプロ前の挨拶、注意事項です。
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わたしは、生前坂本監督は自分のことを「猛烈な晴れ男だ」だと自称されていましたが、まさかの計らい、追悼の最終公演が3月の観測記録史上の最高温度予想にまでなるとは思わなかった(実際、28度まで上がりました)。最高のホールで、感謝の気持ちを持って、TYO観測史上最高の演奏を、会場のみなさん、ライブビューイングの氷見市のみなさん、坂本監督へ届けましょう、というようなことを言いました。
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東京公演には、今年の2月の福島市での合同練習会に参加してくださった松田理奈さんが、「ぜひみんなと演奏したい」と同じステージに乗っていただけるスペシャルなゲストとしてご出演となりました。しかも、まさに後方から応援のように。団員にとっての好刺激でしかありません。恐縮至極ありがとうございます。
ゲネプロが終わり、第9期の卒団式では、18名の団員の名前を読み上げました。ヴァイオリン菊地彩花さん、山﨑優子さん、渡邉真浩さん、鈴木南々瀬さん、小田知紀くん、戸野部百香さん、千葉隆史くん、コントラバス丹野裕理くん、小針奈々さん、フルート野口菜々水さん、オーボエ菅野怜美さん、クラリネット渡邊理沙子さん、中山優貴さん、ホルン千田捺月さん、田嶋詩織さん、トロンボーン橋本幸歩さん、パーカッション浅野 海輝さん、三浦 瑞穂さん。うち9名が1期からのメンバーです。青春の約半分を東北ユースオーケストラで過ごしてくれたかと思うと感慨深いものがあります。
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コロナ禍でリアルに卒団式ができなかった6期と7期の卒団生の名前もステージで紹介できて良かったです。今回のOBOGとして乗ってくれた16人からは事務局スタッフに花のプレゼント、さらに現役団員からは寄せ書きのプレゼントをいただきました。この時点ですでに涙腺がにじんでおりました。
続けて、全員で毎年恒例の丸尾隆一カメラマンによる集合記念撮影となりました。
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せっかくのサントリーホールのステージですからね。
今回の本番メンバー全員から海津洸太キャプテンへの感謝の寄せ書きを菊野奏良くんが代表してプレゼントです。
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後ろのカメラは、4月に放送のNHKのETV特番チームです。
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今期で卒団してしまうコンミス渡邉真浩さんと、ゲスト奏者のソリスト、成田達輝さんのツーショット。
TYOの一人手芸部である駒井心響さんからは事務局スタッフ一人一人に造花をいただきました。キラキラネームの「ここね」さん、ありがとう。
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福島事務局の竹田学さんには、似顔絵ならぬ似顔折り紙を。そういえば今年の直前合宿初日は竹田さんの指導からはじまったのでした。10日ほど前の出来事ですが、もう1ヶ月くらい経っている気がします。 右に映り込んでいるのは、写真撮影大好きのスーパーサウンドエンジニア、録音のオノセイゲンさん。
そのセイゲンさんが、理事の塩崎恭久さん、「TYOのシュークリームおじさん」荒川祐二さん(実は定期演奏会の配りパンフの楽曲解説執筆者)とブラジル=ポルトガル語について語っておられたので、思わず声をかけました。
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このオジサン三人組は、もちろん「TYOのYMO」です!
今日も舞台裏には坂本龍一監督の遺影が。
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この肖像を通り過ぎる際、軽く会釈する団員(新高校一年生)の姿が心に残りましたが、シャッターは押しませんでした。
さて、開場前のホールのロビーです。
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はじめての定期演奏会で「ラプソディー・イン・ブルー」を共演してくださった山下洋輔さん。その山下さんがアンコールで坂本監督とアドリブ合戦を繰り広げられた記憶が鮮烈な『ETUDE』編曲者の狭間美穂さんから豪勢なお花を頂戴していました。ありがとうございます。そして、毎年協賛してくださっているJA共済さんからは応援のボードに、みんなの意気込みを書いた寄せ書きを展示していました。
こちらはOGのボランティア手伝い、二人組。
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曽我さんと芦名(姉)さんが来てくれました。「TYOの阿佐ヶ谷姉妹」でお願いします。
こちらはTYOオリジナル商品を販売するチーム、4人組。
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えー、「TYOのももいろクローバーZ」で! おかげさまで高額の防災セットも書籍『響け、希望の音〜東北ユースオーケストラからはじまる未来〜』も完売になりました。お買い上げありがとうございました。
開演の14時が近づいて、今日の影アナ隊が集合してきました。
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右から佐藤栞南さん、叶幸多郎くん、海津キャプテン、市川真名さん、丸山周くん(スタッフTデザイナー)です。
舞台袖が賑やかになってきました。
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坂本龍一監督は、音楽を楽しむ大切さを団員に教えてくださいました。追悼公演ですが、これでいいのだ。
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司会の渡辺真理さんまで、嬉々として巻き込まれておられます。
上手では、坂本龍一ピアノへのオマージュほとばしる音を奏でていただいている中野翔太さんを囲んで。
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TYOのヤングな波に飲まれてくださり誠にありがとうございます!
さて開演。
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緊張気味のマエストロを写真撮影で和ませようと試みました。
本番がはじまると、ステージ写真をこっそり撮るのは難しいサントリーホール。今日も休憩前のオリジナル商品の生コマーシャル役三人、TYOのMISAMOが。司会の真理さんに、元団員のNHK密着型ディレクター菊地さんも業務中にピースしてるけど、大丈夫か、ま、そういう業務か。
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もちろん、CDはまだまだ売っています、書籍も電子書籍で買えます。ともに活動資金になりますゆえ、ぜひお買い求めを〜。
まだ2部が残る、休憩中なんですが。
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成田さんへの寄せ書き色紙の贈呈があった模様です。
もはやトランペットよりも自撮り棒を手にしている印象のOB中村教諭。
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今回の演奏会ツアーで団員が撮った写真の総枚数はいかほどか。坂本監督との思い出とともに、みんなの一生の宝物ができたのではないでしょうか。
このサイトのシステム上、ひとつの投稿に30枚までしか写真をアップできないもので、時間は早送りに。
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ホール満員で埋まる観客のみなさんからの拍手喝采を受け、全員が立ち上がるカーテンコールです。あちら、こちらに、涙、涙、涙。
マエストロを囲む、みなさま、本当にありがとうございました!
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吉永小百合さんは、毎年団員から贈られる寄せ書きを楽しみにしてくださっているそうで、
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手に取り、待ちきれないとばかりに文字を追われております。
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プレゼンターの海津キャプテンと。
おかげさまで沢山のメディアに報道していただけました。一部ご紹介します。 「吉永小百合 坂本龍一さんを哀悼「神は意地悪」追悼演奏会に出演し涙」(デイリースポーツ) 吉永小百合 天国の坂本龍一さん思い涙 追悼演奏会で詩を朗読「届いたと思います」(スポニチ) 吉永小百合、盟友・坂本龍一さん思い涙 「あんなに早く天国に迎え入れられたのはすごく悔しい」(中日スポーツ) 吉永小百合、涙 坂本龍一さんに捧げる朗読 「神さまは意地悪」 東北ユースオーケストラ演奏会で(スポーツ報知) 教え受けた坂本龍一さんを追悼、東北の被災地楽団が演奏会 震災の鎮魂曲も(産経ニュース) 坂本龍一さん監督務めた東北ユースオーケストラ追悼演奏会で吉永小百合が涙「坂本さんがいる」(日刊スポーツ) 坂本龍一さん結成のユースオケ、追悼演奏会 吉永小百合さんが詩朗読(毎日新聞) 坂本龍一さん鎮魂の演奏会 教え受けた被災地オーケストラ(47News) 坂本龍一さん鎮魂の演奏会 教え受けた被災地団員が演奏、吉永小百合も出演(サンスポ) 坂本龍一さん立ち上げの東北ユースオーケストラ視聴会 氷見市(NHKオンライン) 能登半島地震から1日で3カ月…東日本大震災きっかけに発足した楽団が演奏会 氷見市でライブビューイング(FNNプライムオンライン) 復興の祈り氷見に響く 東北ユースオケ公演生中継 富山、石川の800人拍手(47News) こちらは、長尺8分ほどの動画ニュース 吉永小百合が坂本龍一追悼コンサートで盟友に捧げる詩を“涙の朗読”(テレ朝ニュース) 東日本から能登の被災地へエール 坂本龍一さんの楽団がつなぐ(朝日新聞デジタル)
追加で、長尺10分弱ほどの動画ニュースです。 坂本龍一さん追悼コンサート キャプテンは演奏中に涙 「それも音楽ということで」(日テレニュース)
この東京公演は、東北ユースオーケストラが「いつまでも支援される側ではなく、支援する側にもなる」、その第一歩でもありました。
コンサートの冒頭、小学校3年生の時に気仙沼で被災した三浦瑞穂さんが、氷見市芸術文化館でのライブビューイングに訪れた8��0人の観衆のみなさんに向けて、自らの体験をもとに励ましのメッセージを送るにあたって言い淀んだ瞬間がありました。津波に飲み込まる難を逃れ、九死に一生を得た自分が「生きていていいのだろうか」と悩み、自らを責め続けた三浦さんが、東北ユースオーケストラでの活動を通じて、「自分も生きていいんだ」と思えるようになった。その自分がはたして能登半島地震で被災した方々を元気づけるような言葉を発するようなことができるのだろうかという逡巡、自分の言葉が押し付けになっていやしないだろうかという「ためらい」であるように受け止めました。今後、たとえ支援する側になったとしても、この「ためらい」の気持ちは大切だぞとも感じました。坂本龍一監督なら、この慎み深い姿勢には共感されるのでは、とも。
本番の演奏で、三浦さんはいつものように拍子木を打ち、透き通った、まっすぐな音をサントリーホールに響かせてくれました。きっと富山県、石川県のみなさんにも、その音は確実に届いたはずです。
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晴れやかな表情でサントリーホールを後にする5人に混じって、明日から新社会人の三浦瑞穂さん、次の「拍子木スト」の指名、教育もお願いします!
おかげさまで東北ユースオーケストラ 坂本監督追悼 演奏会2024は、無事終了いたしました。
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カーテンコールの中、スクリーンに映し出された言葉は、 「坂本監督、これからも私たちを見ていてください」
ツアー中、自撮り棒を巧みに操っていたOBの中村祐登はカトリック系の小学校の教諭であり、敬虔なクリスチャンなのでありますが、本番中の降り番のタイミングで近づいてきて、「知ってました? 今日31日はイースターなんですよ」「そうか、今日は坂本監督復活祭か」
来年も3月に311を思い返し、坂本龍一監督を偲んで、みんなで集う、音の祭りが開催できますよう。
最後にご支援のお願いをさせてください。 こちらは、寄付プラットフォームのSyncableのサイトより、そして今年の2月からはYahoo! ネット募金でT-ポイントでもご寄付いただけるようになりました。
引き続き東北ユースオーケストラへの応援、支援をよろしくお願いいたします。
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straycatboogie · 2 months
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2024/03/09
2024/03/09 BGM: Yellow Magic Orchestra - Behind The Mask
どうやって他の同僚の方と適切な人間関係を築いていったらいいのだろう。もうこれはぼくにとって永遠に消えない、うっとうしい苦悩だ。実を言うと、会社で仕事をしながらぼくは「孤独感」「疎外感」を感じ続けてきている。なぜなら、従業員はおしなべて女性ばかりだ(ただし、ぼくを除いて)。彼らはたやすく友だちになる。そして仕事中も終わりのない・あてどもない雑談に興じる(ただし、ぼくを除���て)。ぼくはそこにおいて、どんな時も「外様」「エイリアン」で、だから好かれているとも「仲間」と受け容れてもらえたと思ったこともない。どうすればいいのだろう。
仕事に関してぼくはひどい考え違い・誤解をしているのだろうか?ぼくは仕事中の雑談・私語は慎むようにと教わった。だからその言葉に従ってきた。でも、ぼくはなんだかそんなことをクソ真面目に守っているたった1人だけの度し難いマヌケみたいだ。みんな(ただし、ぼくを除いて)彼らが望むようにのびのび仕事をして、ぼくを嫌う。ぼくは彼らが望むような結果を出せていない愚鈍なグズだからだと。
馴染み深いあの概念に立ち返るべきだろうか。フリッパーズ・ギターの歌にあるように「わかりあえやしないってことだけをわかりあうのさ」という。だからわかり合うこと、「仲間」として受け容れてもらうことはあきらめるべきだ、と。 書いておく必要がある――そんな孤独を人生においてずっと味わってきている。いや、いまはたくさん交友関係を結べている。それを謙遜・過小評価するのはあまりにも失礼というものだ。リアルな生活で、インターネットで(DiscordやMeWe、WhatsAppやTelegramで)。こんなことを言って申し訳ないと思う。あまりにも「重い」ことだから。でも、ぼくはそんな感じの猜疑心の強い人間なのだ。
ジョブコーチの方にLINEでたくさんこのことでメッセージを送ってしまった。ジョブコーチはていねいに答えて下さった。ぼくがあまりにも疑り深くなってしまっていること(上にも書いたように)について、トラウマが原因ではないかと……いじめに遭ってきたからそんな頑固なバイアス(偏見)に支配され、取り憑かれてしまっているのだ。でも、心の中にはいまだ鉛色の雲が渦巻いている。消えるんだろうか……もし他の方にこのことでコメントをもらえたとしたら。
わからないけれど、この病んだ考え方はぼくのトラウマに満ちた日々が原因だと思う。そして、ジョブコーチもわかってくださってまったく責めたりはされなかった。1人ではない、と思った。彼女が理解して下さったことで仕事を続ける意欲も出てきた。いや、英語を使った副業ないしボランティアにはまだ興味・未練があるのだけれど。
仕事が終わり、グループホームに戻って眠ってしまう。疲れて起きていられなかったのだ。ストレスや重圧(プレッシャー)のせいかなと思う。
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