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#スパイス陰陽師
yfukuoka · 1 year
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【3713日目②】2023-03-18 カレー三兄弟 三男のchance the curry主宰イベントの司会進行を担当いたしました。 「スパイス陰陽師のカレー店 〜もったいないオバケ祓い」in 東京カルチャーカルチャー@渋谷 ‪____________________________________ もう終わったことなので、いくらでも種明かしできちゃうわけですが、カレーに関しては、東京カリ〜番長のリーダー伊東陰陽師が、6時間ノンストップ&ノンレシピで新作カレーを作り続けてくれて、来場者全員で食べ切りました。リーダーもすごいけどお客様もすごい。ありがとうございます。 *蓮根のスパ漬け(アチャール) *レタスとグリーンカールと人参のココナッツ炒め(トーレン) *サグ・ダル・キーマカレー *ベジ・ココ・ナッツカレー *ZENBミールカレー 何種類カレーがあったんだろう。出演者側なので、はじめのプレートしか食べられていませんが、個人的には、ベジ・ココ・ナッツカレー…好きでしたね。カシューナッツのグレイビーって、ついつい手が出て止まらなくなる。野菜を丸ごと使ったZENBのカレーもグッドでした。 どんなイベントだったの??と聞かれることがあるのですが、詳しくは、三男タケナカリー( @takenacurry )のSNSで確認していただくとして、ざっくり言うと、世の中の捨てられてしまう食材を救う活動をしている人達を紹介しつつ、その食材をカレーにして笑いながら食べましょう。という社会派のイベント。 常々思うのですが、三男はこういうソーシャルグッドな活動に明るくて活動的。次男の僕は、世の中をよくしようなんて発想も活動もなくて、ただただカレーの沼で溺れながら息継ぎをしているだけ。 カレーっていろんな可能性を秘めてるんだなぁと思う一夜でした。 伊東陰陽師、カレーとの格闘お疲れ様でした。 ソウダルア陰陽師、インスタレーションのパフォーマンス最高でした。チバベジさんのアート野菜おいしかったです。ウニノミクスさんのウニは本当に本物でした。鶏革命団さんの親鳥ガラスープ…過去最高においしい出汁でした。 長男、アドリブの効いた進行ありがとう。三男、素晴らしいイベントの企画をありがとう。チャンスザカリースタッフの皆さん…超お疲れ様でした。 僕の顔…こんなに赤かったんだ。 ‪____________________________________ #japanesefood #asia #asianfood #foodpic #foodstagram #tasty #delicious #spice #curry‪ #zenb #スパイス陰陽師 #陰陽師 #渋谷 #渋谷渦渦 #東京カルチャーカルチャー #カルカル #スパイス #カレー ‪#‬東京カリ〜番長 #カレー #zenb #チバベジ #ウニノミクス #鶏革命団 #カレー #フクドローン #ふくすたぐらむ (東京カルチャーカルチャー) https://www.instagram.com/p/CqbsD9YSNNx/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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jitterbugs-mhyk · 2 years
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パーティならチキンを焼いて my favorite things.
 
 満たされたばら色の人生にも、遣る瀬無い夜は訪れる。そういうときは誰にだって、ささやかな楽しみや、希望にあふれた展望が、必要になるのだった。必ずしもすべて、未来の約束じゃあ、ない、胸の奥にそっと灯ったわずかのともしびのように、幾度となく取りだしては大事に眺めた過去の日々のことであったり、はっきりとは思い出せない、夢のなかの景色であったりしたもの。
 なにもかもを忽ちに。打ち上げた花火のように、あるいは激しく打ち鳴らす銅鑼のように、景気よく、気前よく、解決する手段はない。自分たちにはふしぎの力があったけれども、短く唱える呪文、たったひとつ、長い長い魔法使いの人生にあって、幾度となく、あるいは自身の名前より、多く繰り返すことになるであろう言葉は、かならずしも万能ではなかった。こうあってほしい。願ったかたちと、色と、匂いと。思い描いたものをそのままに生み出すのは、魔法であっても容易くはない。そりゃあ、世界でいちばんの魔法使い、かつて魔王と恐れられ、また、その人自身もそう呼ばれることに何の疑問もなければ、快感にすら考えていたらしいオズであるなら、違っていたかもしれないが。少なくとも、排他的で、魔法使いに限らずとも、ひととひととの独特な距離と、稀薄な関係、微妙な均衡のうえに成り立つ東の国で、息を潜めるようにして暮らす歳月の、長くなったネロには難しいことだった。
 かれらは人をたまらなく愛するくせ、ジレンマのハリネズミ、いつだって近寄りすぎれば互いに傷つけあうことを恐れている。本質的に優しく、どうしようもなく寂しいが、おなじだけ気位が高く、自らを偏屈と嘯いてはばからない。もとよりそういったきらいのあったゆえに、東の国の水によく馴染んだとも言えたし、あちこちを転々としつつも店を営み続けた日々が、ネロを東の国の魔法使いにしたとも言える。彼は大いに変わったし、何ひとつ変わらない。繊細なくせに豪胆で、穏やかなようでいて燃えたぎる焔をその身のうちに飼っている。敵と見るや容赦はないが、いちど懐に入れた者にはあまりに情が深すぎた。
 磨きぬかれたカトラリー、整理整頓されたスパイスラック、年代順に並べられたワインのボトル、ひとつひとつを丁寧に、確実に。積み重ねる仕事は地道で堅実、つまらないといえばつまらないが、魔法使いらしくない勤勉さは、思えば初めからネロのものだった。掃き清められた床、皺だらけでも染みはない寝具たち、行き場のないガラクタが散乱してはいても埃ひとつなく、空気は入れ替えられていつでも新鮮だったし、窓にガラスは嵌まっておらずとも、雨漏りのする屋根はない。無責任で、自堕落、怠け者のふるまいをしてはいても、彼はきちんとしたひとだった。もっとも、照れくさいのか隠したがったが。
 いつだって誰よりも早く起きて、オーブンに火を入れる。薪ひとつ、打ち合わせる火打ちのひとつにさえ、ネロは魔法を使わない。それはポリシーというよりも、ルールというよりも、信仰にも似た、祈りのようなルーティーンのなかにある。菜園の朝採りの野菜は瑞々しく、そのまま齧ってもゆたかな水と太陽の味がする。弱くないくせに深酒をきらい、ひそやかな談笑と、駆け引きのカードの卓にはつかないネロが、とっておきのバーに顔を出すことは滅多にない。いつだったか、一度か、二度か、酔いつぶれた男たち、いつだって酩酊しているようなくだけた魂のムルにカードでこてんぱんにされ、酔うほどに冴えるシャイロックのダーツ、上機嫌に賭け金を吊り上げてゆくレイズを、ブラッドリーは何度口にしただろう、浴びるほどに呑んでな��も眠ることかなわないミスラの憂鬱、それら綯い交ぜの男たちが、夜中の菜園でトマトやグリーンフラワーをちょいと拝借したときの、ネロの怒りの形相はいまだに語り種になっている。怒りに我を忘れたネロは、あろうことか序列第二位のミスラまでまとめて首根っこを引っ掴んで中庭の噴水にぶん投げてのけた。怒りの過ぎ去ったあとから勿論真っ青になっていたが、彼の大切なものを蔑ろにした人間たちを、東の魔法使いたちがそれこそ射殺すような視線で侮蔑したのでますます小さくなっていた。彼らは陰険で、執念深く、そうして何より、自らのように他人を遇することのできる人格を持ち合わせている。引っ込み思案ではあるが普段は礼儀正しく朗らかなヒースクリフや、横暴なようでいて真摯、育ちのよい振る舞いをするではなくとも主人を立てる忠義のシノ、呪い屋などと名乗りながら、不幸そのものを被せるのでなく、ひとの幸運を少��ばかりくじいてみせるファウストさえも、まごうかたなき東の男、彼らのあいだの、触れ合わないながらもけして離れることのない紐帯は、かたく結ばれたノットのようだ。知っていれば容易くほどけるのに、力任せには外せない。
 あいかわらず甘い男だな、と揶揄されて、かつてであれば傷つくか、さもなければ猛烈に腹を立てていただろう。思うに自分は若すぎたし、感傷的にすぎた。そんなに良いものでもなかったのに、いつだって、初恋の甘酸っぱさをひきずっている処女のような、散った花の香りを惜しんではらはらと涙をこぼす生娘の心ばえを持ち合わせていた。そんなに良いものであるはずもなかったのに! あの頃慕った男は破天荒、傍若無人は十八番、焦がれるままに背を追って、まともな教育ひとつない、宝石の目利き、あらゆる鍵のこじ開けかた、それから、うつくしく高潔な暴力、彼から学んだことのすべて。師と慕うにはあまりにも、絶対のカリスマでありすぎたし、かといって、率いる盗賊団の下っ端とだって気安く肩を組み、売り捌けば相当の値がつくであろう年代もののワインを惜しまずに振る舞った。ブラッドリーはそういう男だと、痛いほどによく、分かっていた。彼が均等に分け与えないのはマナ石くらいのもので、魔法使いたちにとっては、宝石よりも、贅の限りを尽くしたご馳走や、黄金に輝くシャンパンの泡、誰にも邪魔をされずに午すぎまで惰眠を餮ることのできるベッド、それらのすべてより、いくらも価値のあったもの。けれど、さほどの不満はなかった。マナ石をボスが喰うのなら、彼の庇護下にあるものたちは、結果として強さを手に入れたのと同義であったし、ブラッドリーは北の魔法使いらしからぬ、義に篤い男であり、同じだけ誰より北の魔法使いらしい、傲慢で、不遜で、気まぐれを持ち合わせていたものだ。
 すれ違う紳士淑女の懐からちょいと財布をくすねるやりかたは、残念ながらろくでもない子どもの時分に覚えた。北の国では良くあることで、家のなかには、兄だか、姉だか、父だか、母だか分からない年長者たちが溢れていたが、少なくともネロは、自分がろくでもない家の、よくない子どもであることに十分に自覚的だった。意識して、悪を悪と知りながら為すことは、なんの免罪符にもならないが、成し遂げるための知恵と、技術と、度胸があること、他人から盗みとる他にはなにひとつ持たない子どもにもゆるされる財産だった。ひとりきり、自分だけを守り、慈しみ、愛してやる、それすらも厳しいのが北の国のならいであって、山ほど部下をかかえたり、誰からみても足手まといになりかねない男を相棒と呼んで憚らなかったブラッドリーが奇特なのだ。ちびで、やせぎすで、いつだって腹を空かせている子どもたち、北の国では路地裏に、彼らの明日は転がっていない。夜はあまりに深く、暗く、長いもの、朝を迎える前に仲良く骸になれるなら、孤独もいくらか浮かばれる。死は必ずしも幸福の対極にない。
 北の大盗賊ブラッドリー・ベイン。彼は間違いなく悪党であり、与えるものでも、施すものでもありえなかった。彼は多くを持ち合わせたが、しかし、価値あるものは適切に、渡るべき手へ流れていった。きっとネロ・ターナーも、そのうちのひとつであっただろう。うつくしい宝石のような、この世にふたつとない宝剣のような価値が己にあると自惚れたことはなかったが、ほんとうに素晴らしいものは、いつだってブラッドリーのもとにとどまりはしない。彼が望んでそうしたものかもしれないし、ブラッドリー・ベインという男の、避けえざる、けして覆ることのない運命のうえに、定められたものかもしれなかった。彼自身から語られないまま、断絶された数百年、いまだに牢に繋がれて、似合いもしない献身と奉仕の日々、忌々しいと吐き捨てながら、楽しんでいるようにさえ思えるのは、願望ばかりでないだろう。彼に美徳があるとは認めがたいが、日々の困難をさえ笑いとばせる豪胆さは、同じく北の国に生まれ育っても、ネロにはついぞ、備わらなかった。
 とくべつでない特別な日に、任務や、修行や、仕事やらで、へとへとになった子どもたちに、なにを食わせてやろうと考えるのが好きだった。市場で仕入れてきたばかりの新鮮な食材、昨夜のうちに絞めておいた鳥、近ごろ使っていない気がするスパイス。まともに飯を食いもせず酒の肴を摘まむばかりの大人たちには、炒ったナッツでも出して黙らせておきたい。夜を裂いてゆく一条の光は銃弾、なんで分からないかな、ネロは一度だって魔法でチキンを揚げたことはなかったし、ましてや子どもたちは、焼いたチキンをご所望なので。
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reikaozono-blog1 · 6 years
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私の日々の生活に欠かせない五行🌹 心も身体も健康な毎日のために 毎日朝から使うものが 陰陽五行思想に基づいた 10エレメンツアロマです🎀 元気を出してパフォーマンスアップする 火のアロマ、ローズマリー🌱 コツコツ積み重ねるお勉強の時は 土のアロマペパーミントやフランキンセンス 金運アップは 木、土のアロマの組み合わせが効果的です。 大好きなブレンドの中のひとつ 豊かさを表す『アバンダンス』という名のアロマは 木と土の精油でブレンドされてます🌱🌹 今日のおやつもアロマケーキ💕 ローズマリーとジンジャー、レモン🍋 仕事運、金運のアロマの組み合わせです🧡 私が講師を勤めている自然個性学では 10エレメンツを基本に 毎月勉強会をやってますよ🧡 人生を向上させるちょっとしたスパイスとして お役立ちなお勉強をしています。 #五行 #アロマ #アロマテラピー #5elements #10elements #10エレメンツ #10エレメンツアロマ #占い #ディフューザー #家庭のアロマ #アロマの魔法使い #ヤングリヴィング #younglivingessentialoils #yleo #abundance #yljoy #ワイエルジョイ #愛と光と忍耐
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jimichinikasegu · 7 years
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ケーララ、お互いさまが彼岸
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谷崎潤一郎は、あこがれがMAXレベルにまで高まっていた中国の地を踏んだ時に「アレ?思ってたところと違うゾ?」という幻滅を覚えないでいられなかったはずだけれど、谷崎特有の現実肯定力、というか現実変容力を発揮して、かの地がこれ以上ないほどすばらしいところだと「信じ切って」、こころから楽しみ切って最高の思い出にした、それに比べて芥川の中国旅行記の暗さはどうだろうと野崎歓が書いていて、それは多分、人の資質によるところによるのが大きいのでしょうけど、どうせならどのような現実を前にしてもそれを良い方に、自分にとって価値のある尊いものだという風に感じられるならもうけものでしょう。
それが旅する前の心構えみたいなものでした。(旅人K)
ケーララ、その魅惑的響きにするどく反応するようになったのは、いつ頃からだったのだろうか。ケーララという響きを頭のなかで何度も転がしていた。ある夕方、駅前にとれたて野菜ととれたて果実を販売する屋台が立っていた。ダンボールに大きく、マジックで値段が書き込まれてある。手ぬぐいを頭に巻き付けた青年が立っていた。そこを通り過ぎた時にかすかに感じた芳香によってすら南国行きの切符を想像してしまったぼくは、そのとき、ケーララ・ランドに行くしかないことを受け入れていた。
青果店の軒先の熱帯の芳香に 南国行き切符を夢みる
地名は光でできていると大岡信はその卓越した詩「地名論」で語っている。ケーララという響きに魅了されたのなら、そこに行ってみるだけの正当な理由になる。「ぼくたちは清らかな光の発見を志す身」(ランボー)なのだから。覚悟を決めたらあとは簡単。一週間休暇を取り、一路インドへ。
✈✈✈
成田→北京→ムンバイ→トリヴァンドラム。まともに寝ていない。でもトリヴァンドラム空港に降りた時の開放感はどうだろう。冷凍都市から一気に南国の真ん中。ジェットエアウェイズの紺色の翼が太陽の光で輝いているのを背にぼくはトリヴァンドラム空港に入り、トイレでTシャツに着替えた。これはすべては南インドのグロリアス・サンの下における話。かれはすべての魔法を知っている/アンダー・ザ・サン。
空港を出て、トリ市駅前までとりあえずオートで向かう。うれしさしかない。オートの揺れ、ドライバーのハンドルの捌き方。ドアのない車の開放感。色あせた壁。看板。見える風景のひとつひとつが全部いい。青空に映える花々もいいし年代物のバスの群れもいい。駅までで降り、ふしぎなインディアンコーヒーショップでチャーイを飲んで休みながら、周囲の人たちの話す音を聞くのもいい。ガラスを必要としない窓からいい風が入ってくる。「いいぞ、いいぞ」と日本語でつぶやいては笑みを浮かべるぼくはすこし間が抜けていたはずだった。気分はすっかり高揚していて、疲れを感じない。
そのノリでカニャークマリまで行くことにする。最南端の近くまで来て、そこまで行かない手はないから。行かざるをえないといってもよかった。
ポリネシアは三角形なんだって? だったらそれぞれの頂点には行かざるをえないね。これは愚考だ、否定できない。地図を見たり、どこかで見かけた一枚の写真にとりつかれたり、何かの文章の一節が妙に気にかかったりして、無根拠に出発する愚者の一部族。ぼくはそのひとりだった。 管啓次郎『斜線の旅』
ぼくもそのひとりだった。列車を待つ間、駅ナカの軽食屋でサモサとチャーイをボウイに注文する。これが10年ぶりのインド。べっこう縁のメガネを掛けた初老のおじさんが、さりげなく僕の前に座り、僕たちは英語で話した。僕のまえに座る前から僕は彼を認めていた。リラックスの仕方が尋常じゃないというか、ストレスから完全に切り離されて独存しているような印象を受けていた。軽みをマスターした身のこなし。オランダ人だという。働かなくていいんですか?と聞くと、そうだ、もう働かなくていいんだという返事だった。各国の���どもの遊びを取材して、それをホームページに載せているということだった(kidsplaybook.comというもので、帰国してから見てみたらとてもよかった)。日本の子どもの遊びも取材したいんだけどね、と彼は言った。東京では子どもたちは外で遊んでいるかね?さあ、昨今は遊びが掌に収まり、片手間で消費されるようになってますからね。そんな彼らをこそ取材したらどうですか。まったく、それはもうどこの国も同じだよ。まったくクレイジーなことに。
プラットフォームでアナウンスする女性の声も変わっていないようだった。これはふしぎなことではないだろうか。案内に従い、車内に乗り込む。パックパックひとつ、肩から降ろし、空席に座るとまもなく動き始めた。全開の窓からいい風が入ってくる重厚な鉄の塊は誇らしげに汽笛をあげながら走る。すべて初めて目にする風景を通過していく。真っ白な画用紙の上に鉛筆でするりと一本線を引く、その線のあたらしさを、この列車は体現していた。鬱蒼と茂るヤシの木などからなるケーララの植生が全開で生きていた。ごろりと寝転ぶ青年のスマホからは軽快なヒンディー・ポップが流れていて、それが車内の暑さと完璧に調和していた。みんな穏やかに談笑している。幼女の着ている白いワンピースの赤い水玉模様が、薄暗い車内に差し込むあかるい光を受けてひときわ映えていた。すっかりリラックスした僕はサンダルを脱ぎ、裸足で前の席に足を載せる。そして窓枠に肘を載せて風に吹かれている。この自由さ。京葉線での通勤の日々が遠くにかすみ、すぐに消失した。まるでそんなことは始めからなかったかのような、あっさりとした消失。風景は鮮やかに彩られ、列車は力いっぱい加速している。その速度。あらゆる窓、あらゆる出入り口が世界に向かって開け放たれ、天井に据えられた無数のファンが唸っている。このオープンネスの比類なさ。鬱屈した島国だけに居たら一生感じることのできない経験だと断言できる。いろいろなものをじっとみるのが僕の仕事だという認識はずっと持っている。
インドの駅の表示版は、黄色に黒の文字。その書体はどう形容したらいいのか、とにかくインドの雰囲気に合う、普遍的で超時代的なフォント。英語、ヒンディー語、それから南インドの言葉が併記されてる。エラニエルという駅名が妙にふしぎな、インドっぽくない響きがした。プラットフォームのベンチに座ったままじっとしている人たちが、ひとつの腰掛けにひとりくらいの割合でいて、乗客や木陰の模様を眺めるともなしに眺めていた、そのもてあまされた時間そのものも、パンクチュアリティに統率された東京の電車時間や、何十分も遅れた上、バス停と遠く離れたところに雑に停車したバスに向かって殺到する北京のバス時間とも等質な時間なのだった。そしてそれを列車の窓から見つめる僕の目も、その時間とともにあった。僕もその人の隣にさりげなく座り同じ時間を共有したかったが、僕たちがお互いに話し合うことがあったとしても、そもそもお互いが触れ合うことのできない彼岸として存在しているだけなのかもしれなかった。それぞれがもつ自分という思いは此岸として感じられるが相手にとっては彼岸。その間にはガンガーがゆっくりと流れていて、川岸の風景は似ているけれど両岸は動けないので、お互いに手を振ることだけが精一杯なのだった。
平行線の二本だが、手を振るくらいは(中村一義)
カニャークマリが終点。それ以上南はないのだから。下車した時、すでにかすかに潮の匂いがしていた。駅から歩いて海に向かう。年代物の車があちこちを走っていたのは、カルカッタのようだった。そしてサダルストリートの安宿の屋上で瓶詰めのマンゴージュースを飲んで涼んでいた日々を思いだすのだった。でも今は初めての町にいて、サンダルつっかけてまっすぐ海まで歩いている。途中日陰でコーラを飲む。家々の塗装の色彩感覚が鮮やかで、そのどれもが強烈な日差しの中、充足していて調和しているように見えた。そんな光景の向こうから、着飾った少女たちがはしゃぎながら通り過ぎていったとき、自分はいま、亜大陸の最南端で一人いることに、ふしぎな気がした。
ふしぎな気がした、なんて言ってるけど、ここに来てみたくて、チケットやらなにから手配した自分が自分を連れてきただけじゃないか!
細い路地の先に海が見えた時の高揚感、あれはまるで初めてガンガーを、まるで迷路のように入り組んだ細い路地の彼方から認めた時の高揚感と少し似ていた。まっすぐ進み、サンダルを穿いたまま、ジーンズの裾をまくり上げ、砂浜に立ち、そのまま波打際で波に浸る。風は強いし波もある。しかしその風はいつまでも受けていたいと思わせるような温暖な風だった。砂礫は荒めで、素足での感触は日本の渚で感じるそれとは異なり、足の裏をチクチク刺した。海の色がなにかこう見たことのないような緑。午後二時の光を受けて、そんな光り方をしていた。そこにはただ、別の海があっただけだ。同じ空間に違うものが存在できないのだから当然だ。
木造の船、とすら言えないような、靴の型のような、船の中身。船の形を保つために不使用時に入れておく用なのかと思われた木型の上に座り(拝借します・・・)、風、スリランカ、そのはるか南に広がる広漠としたインド洋を通ってやってきた風を感じながら、足を乾かしていた。はるか洋上を見やりつつ(はじめて使ったことばだ!)、その足を乾かす間の時間、聞こえるのは風と波の音だけ。成田から一息に、インドの最南端というダイナミックな移動ができて満足していた。
よる八時の食堂でアールゴービー(じゃがいもとカリフラワーのカレー)とチャパティを食す。カレーがとてもスパイシーでホットであったが、認めないわけにはいくまい。今まで食べてきたカレーの中で最もうまかった。何が違うのか。北インド(といってもそんな大雑把な捉え方はどうなのだろうか)のやさしい味わいに比して、ここのカレーはぎっしりしている。ダイナミックに炒められスパイスともどもぐつぐつ煮込まれた刻み玉ねぎが主役級の活躍を果たしつつ、過激なスパイスのいろいろが身体を突き抜けてたとき、いまぼくは最もうまいカレーを食べていることに気づいていた。卓球玉より小さい、かわいいじゃがいもの旨さ、辛味を緩和しつつ、そのものの味もカレーのハーモニーに参加している。そしてカリフラワー。赤い衣で揚げてあり、そいつがあたかも唐揚げの衣のように味がついていて、ぱくつくと中のカリフラワーが迎える。まったく予期しない幸運の一皿。あまりに辛いため、チャーイ2杯、ミネラルウォーター1本なしでは食べ切れなかったのだけれど。上野の「デリー」のコルマカレーに近い味といえば伝わるだろうか。それを本場にした味。その後なにげなくPOLOを買い求め、舌先で転がしながら部屋に戻り、そうしてやっとぐっすり眠ったのである。
朝4時からお寺の拡声器からお経なのかなんなのか、ひたすら大音量で声が響く。ぼくはインド最南端のお寺、
トリ市に戻り、今度はシヴァナンダ・アーシュラムに向かう。まずバスターミナルでNeyyar Damに行くバスを探す。どのバスもタミル文字かなんかで書かれていて読めない。しかしNeyyar Damという文字だけは英語表記だったのは、そこを目指す旅人が多いからだろう。その、必要最小限の親切心がありがたかったし、どう見てもなれない旅人という風情を察知したのか座りやすい一人がけの椅子を勧めてくれた料金回収人のカインドネスもありがたく受け取った。ぼくは、これから山奥のアーシュラムでリトリートするのだ。たった3日間のつもりなんだけど。
アーシュラムにたどり着き、チェックインする時のフロントのイギリス女性(発音のしかたでなんとなく推測)が、なんともまぶしいウインクを交えながら施設の説明をしてくれていた。すでにここのやりかたに従い、受け入れるつもりでいる。なにか収穫があればいいと思うけど、ただまったく何も考えずtranquilityを楽しめたら気分転換にもなるだろう。枕や布団や蚊帳を渡され、ドミトリーの空いているベッドを探し、周りのひとにハイなんて挨拶する。みんな笑顔。笑顔を保つのがルールなのかっていうくらいみんな笑顔。
ベーシック・アーシュラム・スケジュールとはこういうもの。
05.20 AM Wake-up Bell 06.00 AM Satsang (Group Meditation, Chanting, Talk) 07.30 AM Tea Time 08.00 AM Asana Class (Beginners & Intermediate) 10.00 AM Vegetarian Meal 11.00 AM Karma Yoga 12.30 PM Coaching Class (Optional) 01.30 PM Tea Time 02.00 PM Lecture 03.30 PM Asana Class (Beginners & Intermediate) 06.00 PM Vegetarian Meal 08.00 PM Satsan (Group Meditation, Chanting, Talk) 10.30 PM Lights Out
ヨーガの先生になる人たちのコースは別にあって、上のはヨーガ・バケーションのコース。ヨーガ・バケーションは予約しないで直接行ってチェックインする。詳しくはシヴァナンダアーシュラムのHP参照。カルマ・ヨーガというのは、食事の準備とか宿舎の掃除とかそういったことの手伝い。アーサナクラスは、頭立ちのポーズができるくらいならいきなり中級クラスから初めていいと思った。初級、中級ともに、講師は日本人のときもあったりインド人のときもあった。中級だからといって頭立ちできなくても身体が固くてうまくアーサナができなくても何も言われないし、むしろできるように手伝ってくれる。あんたは初級でしばらくやってなさいなんて冷たいこと言うような雰囲気はなかった。生徒はみんなおだやかな気分を保つことに集中しているようだった。
毎日朝と晩に瞑想およびレクチャーの時間がある。瞑想に入る前にマントラみたいなものを太鼓やタンバリンやオルガンのメロディーと共に歌う。それが意外と楽しい。そのあと瞑想が始まり、時たま香炉を下げて講堂全体にすがすがしい柑橘系のお香の香りを撒いてくれる方がいて、その香りがたまらなくよかった。レクチャーはいろいろと話してくれたけれどなにぶんインドなまりがあってイマイチ聞き取れなかったが、欧米人は普通に理解できていて、ジョークがあれば笑っていた。通じるか通じないかは発音がすべてというわけではなくて、おそらくその話し方とか論理の持って行き方みたいなところ?が大切なんだろうか。
ヨーガが唯一だと思わないほうがいい、スキーも乗馬も楽しめばいいし、好きなスポーツチームを応援したっていい。実際、スワミ・ヴィシュヌ・デーワナンダはそうしていたし、飛行機を操縦するなどしてアクティブだったのだから。スポーツには相手がいるが、ヨーガにはいらない。スポーツには一定の筋肉の緊張を必要とするがヨーガ求めるのはフレキシブルなマッスル。ヨーガは内なるコームネスを追求するだけで競争やストレスとは無縁。セルフ・リアライゼーションを実現するために長く生きるのを目的としてヨーガはある。なんてところはメモった。
この美しいシヴァナンダアーシュラムはインドのヨーガアーシュラムを紹介する本(Yoga in India, kindle edition)で見つけて、その紹介文にパーフェクトなヨーガのイントロダクションとかって書いていたので調べていくうちに一度はこういうところで過ごしてみたいという気になったの。シヴァナンダヨーガは、12の基本アーサナを集中的に練習する。これは難しいアーサナを追求する苦行的なヨーガとは対照的に、初心者でもすんなりヨーガを実習していける、そして日常生活のちょっとした時間に実践できる、いわば開かれた形のヨーガだろう。その12のベーシックアーサナとは、大事に参照している伊藤武のヨーガ本で紹介されているアーサナとかなり重複して好感できた。頭立ち、肩立ち、犂、魚、前屈、コブラ、イナゴ、弓、ねじり、カラスまたはクジャク、立ち前屈、三角形。シヴァナンダのHPにわかりやすい紹介があります。特に、頭立ち(シールシャーサナ)の練習を推奨された。頭立ち、それはケルアックの『ザ・ダルマ・バムス』The Dharma Bumsに出てくる元海兵隊のニュージャージー州出身のホーボーが実践する健康法でもある。ケルアックはその男にLAで列車を待っているときに出会った。ディーガ・ニカーヤ(長部経典)のことばが書かれた紙の切れ端を大事に持っている理想家肌のホーボーだった。役に立てばいいなと思うので、唐突だけどケルアックから長めの引用。
「どうやって神経痛をなおしたのか知りたいね。実は、おれも、血栓症の気があっていけねえんだ」 「そうか、あんたもか。いや、きっとこいつは、あんたのやつにも利くにちげえねえ。なに、わきゃないよ。毎日三分ずつ、頭を地べたにつけて逆立ちをやりゃいいんだ。いや、五分の方がいいかな。おれはね、毎朝起抜けに、河原にいようが、ゴットンゴットン走ってる貨車の上にいようが、小さいマットを敷いて、逆立ちをして五百数えることにしてるんだ。それで、大体三分の勘定になるだろ、な、なるだろ」男は五百まで数えりゃ三分の勘定になるかどうかということをやけに気にしていた。へんな野郎だ。大方、小学校で、算数ができなかったので、自信がなかったにちがいあるまい。 「まあ、そんな見当だね」 「ともかく、こいつを毎日やってみろよ。おれの神経痛がなおったんだから、あんたの血栓症もきっとなおっちまうよ。おれは、今年四十になるんだぜ。ああ、それからね、毎晩寝る前に、あったかいミルクにハチミツを入れて飲むといいよ。おれは、いつもハチミツをビンに入れて持ってるんだ(彼は、そいつをズダ袋の中から引っぱり出してみせた)。まず、ミルクを空きカンに入れて、それからハチミツを入れて、温めて、飲むわけさ。まあ、この二つだな」 「オーケー」
ジャック・ケルアック『ザ・ダルマ・バムス』
ケルアックはその助言を実践して、三ヶ月後には病気がすっかり治り、再発することもなくなったと書いている。そしてあの元海兵隊ホーボーがブッダだったのだと確信するのだった。頭立ちは確かにすばらしい。ここに来るまでは壁の補助がないとできなかったけれど、肘を肩幅と同じくらい、つまり両手で双方の肘を掴んだ時の幅で、肘をその間隔に保ち、三角形の底辺を形成し、頭頂をその頂点に据え、遼の手のひらでそれをサポートする。うまく説明できない!画像を見るのが一番手っ取り早いね。とにかくぼくも壁なしで容易にできるようになった。勢い良く地面を蹴って逆立ちするのではなくて、少しずつ腹筋で上げていくほうがコントロールし易いってこと。
それから、スーリヤ・ナマスカーラ(太陽崇拝)も重点的に実習する。12セットを毎回必ずきちっとやりきる。これが意外としんどい。関節が悲鳴をあげるようだけど、気持ちよくもある。慣れてくると身体も柔らかくなってどんどん楽しくなる。そうして熱中しているあいだ、ふと会社の様子を思い出したり、電車通勤のあの雰囲気を思い出したりするのだけれど、今ここにいることとあまり関係ないことのように思えた。リラ~ックス、コンプリートリー・・・と講師がやさしくくりかえす。 アーシュラム内はサンダルか裸足で歩く。慣れているひとは裸足が普通のようだった。足の裏がやわなぼくはサンダルなしじゃ痛い。犬がひだまりで眠っている。瞑想時に猫がぼくの膝下でくつろぐ。動物たちまでまったくリラックスしているのはすこし驚きだった。なんの警戒心も持っていなくて、そこにいる人たちも驚かせたりからかったりすることはなく、大事に接していた。自分が敵意を捨てたら相手も敵意を捨てるというようなことが『ヨーガ・スートラ』に書いてあったっけ。
アーシュラムには何も持っていかなくていいんですよ。お店があって、ヨーガマットからなにからなにまで買えるから。現金のやり取りはない。電子マネーみたいな、チャージ式のカードを使って購入する。水は、自由に飲めるしペットボトルに詰めることもできる。そしてこの水がたまらなくうまかった。なぜかわからないが、たぶんそこの雰囲気とかも影響しているんだろう。コーラなんて飲みたいとも思わなかったのは、そこが資本主義のイコンとも言えるコカ・コーラすら及ばない聖域なのかもしれなかった。食事もまた最高においしい。そのようにして、規則正しい生活を3日続けた。その短さに驚かれることもあったが、東京で仕事が待ってるんですよ、ぼくには。そのことが、幸せなのか不幸なのか、はっきり断定できなかった。仕事があるだけいいじゃないかと思う。働くことと好きなことをやることの間の広がりはいまだ測定できた例がない。
東京の会社員も年に一度、3日だけでもいいので来たらいいのにと思う(でもまた元の生活に戻ったらそうした感覚ってぜんぶわすれちゃうもんだな…)。時間も株価も為替もどうでもいい。会社は、あんたがいなくてもそれまで通り運営されていくことだろう。ぼくたちはあまりに自分を重要視していないか。迂回は逃避��はない、実践だ。会社員・・・、ぼくはそう��う働き方を否定しない。そんなふうに思わないでくださいね。ここのやりかたが一番いいなんて言うつもりはないし。どちらもお互いぜったいに代わってあげることができない。だけどアーシュラム生活のほうが健康にはいい。
太宰治は、怒るときに怒らないと人間をやっている甲斐がありませんと書いていて、このあたりにぼくは太宰の文学的グルーヴを感じるわけだが、ぼくとしてはタゴールの「怒らないことによって怒りに打ち勝て」という考えに寄り添って生きていきたい。なんでって単純なことさ。怒りは健康にわるいから。おそらく日本の、世界の未来を想像すると、以下に気持ちよく生きていくかということにシフトしていきそうな気がする。この、健康にいいかどうかというのが重大な判断基準になる。たとえば世間一般的には当然怒るべき場面で怒らない。いらいらやもどかしさや欲求不満や面子や承認欲求を脇において、怒りは体に悪いということのみによって怒りをスルーすること。それは本人の健康にもいいことだけれど、同時に怒りの連鎖を止めることを意味する。怒る事になっている主体が、自主的にその「社会的役割」を捨てて、怒りをスルーする。『7つの習慣』にあるように、反応は自主的に選べるのだから。それは世界に対する貢献とすら言っていい。怒りの連鎖を止めることは並大抵のことではない。それにはおそらく修練が必要だけれど、試してみる価値はあるんじゃない? 「怒らないことによって怒りに打ち勝て」とベンガルの大詩人タゴールが言った。これほど深いことばも鮮い。そういうことができる文化で暮らしたかったね、できるかな、これから。
矛盾を受け入れ健康になる (YO-KING)
カルマ・ヨーガという行為について説明があった。それはバガヴァッド・ギーターでクリシュナがアルジュナに説く重要な教えのひとつである。仕事に精を出している無私の状態がそのままヨーガであるという。知識として知らなかったわけではない。それではわざわざ南インドの山奥にまで来ることもなかったのかもしれないが、これも僕のカルマなんだろう。そこまでしないとわからないなんて。日本でも周りを見渡せばそこらじゅうに見つかるはずだ、無私でやっている崇高な人々が。ヨーガということばの広がりかたに、あらためて念を深めたことでした。
少ない荷物をまとめてアーシュラムを辞すまえにもう一度お寺に行ってしばらく佇んでみる。おそらくここにはぎっしりと物語が詰まっているが、人生に意味を求めること自体ナンセンスなのか、人生は意味の外にあるのだとしたら?その人生を物語として理解するようにこの世の中はできているのだとしたら、意味は生の中にしかなく、生そのものを意味づけできるわけではない。人生の中身には意味があるが、人生そのものには意味はない、意味づけできない。そうならこの生は何なのか。ストップ・メイキング・センス。意味を求めないこと、ただあることで満ち足りるべきだ。そなことをなめらかな石の腰掛けに座って風を感じていたときに思った。その時は「エウレカ!」ばりにはっとしたくらいだが、今こうして書いていてもその時のエウレカ感は蘇���ないようだ。日本で生活しているうちに消えてしまうような思念は、始めからなくてもいいものなのか?
無意味であることが救い。そう思ってみた。どんな宗教を持っていようと、その人の具体的生自体、意味を越えているのだとしたら、たとえばヨーガを修めない人たちもそうでない人たちも同等であって、意味のないということそのものによってすでに全員救われている。意味を求めるから苦しくなる。ぼくたちは何かを得たい、充実感や肯定感を得たい。そのような希求こそが苦の根源であるとブッダは説く。どんな神様や宗教を信じようと尊重します。でも意味を蒸発させる、自己すら否定するという宗教こそ、「そんなんじゃなしにほんとうにたったひとりの神さま」の教えなのかと、ものすごく心細い思考が、欠けた湯呑みの縁にそっと触れるように、かろうじて到達した。アーシュラムのお寺にはいろいろな聖人の絵が掛けられていて、パット見なにがすごいのかわからないのだが、そこには一遍上人のような聖性を生きた人たちばかりなのだろう。空港や機内で読んでいたこの本に導かれたのだろうか。ノートにメモった箇所はこんなとこ。
「誰もぼくの生を代わって死んでくれることができないのは、誰もぼくの生を代わって生きてくれることができないからなんだよ。とって代わってくれないっていう点では、死はちっとも特別なものじゃないさ」
「人生に意味を求める人が多いんだけど、あれは、まちがいだよ。人生の内側には、もちろんたくさんの意味付けができるし、生きがいはあるさ。でも、人生の全体を、つまりそれが存在したってことを、まるごと外から意味づけるものなんて、ありえないのさ。そんなものがありえないってことこそが、それをほんものの奇跡にしているんだからね」 永井均『翔太と猫のインサイトの夏休み』
タクシーとバスでトリバンドラムに戻る。Tranquilityの極地から、すぐに雑踏と喧騒と排気ガスの只中へ。この落差。早いとここの落差に対応すべく早速コーラを買い求めごくごく飲むありさま。トリ市のバスターミナルの混雑のなか、コーチン(エルナクラム)行きのバスを探す。普通の市内バスみたいなバスにその目的地が書いてあったけれど、こんなので6時間ガタゴト揺られるのはちょっと勘弁だな、と思いながらそのバスはやりすごす。リムジンバスがあり、非常に快適そうなバスがあり、乗り込む気が満々だったけれど、それは完全予約制のバスであった。俺達は違うみたいな雰囲気のエリートっぽい青年たちがスマホ片手に乗り込んでいった。そして、ついに中級かなっていうレベルのバスがやってきて、鼻息荒く一番乗りで乗り込んだのである。そしていちばん前の席に座っていたら、代金回収人から一番前は女性用なんだよと言われて、オーソーリーなんつってその後ろの席に移ったんだよ。
インドのバスはケイオスなロードを突き進む。ホーンを鳴らし、道を切り開く。道中、車が市街地でつっかえて停止中に、鼻先を干魚の匂いが突き抜け、その懐かしい海辺を思わせる匂いの突然の到来に驚く。見ると、道端で各種干物を新聞の上に広げて商いをしている。干された魚たちの姿をなにげなく見つめていた時、売り主のおじさんと目が合う。おじさんは僕に向かって干物片手に「ほれ、ほれ」とでも言わんばかりに干物を手向けていたのだった。まさかバスを停めて買いに降りてくるとでも思っているのか?冗談でやっているのか?でも、バスが再び進むまでの間の10秒足らずの時間、おじさんの表情は陽気でありながらあくまでもまじめそうだった。ぼくが買いに降りてくると信じている風でもあったのかもしれなかった。バスの高みから、スプライトを飲んでいるという優雅な旅人である僕も、そのとき運転手に「停めて!干物買うの!」と懇願することを、もっともっとアクチュアルに考えてもよかったのではなったか?他の乗客を気にせずに。なんて真面目ぶらなくてもいいんだけどさ。そんなおじさんの仕草に、ぼくはその時苦笑を見せながら、やり過ごすことしかできなかった。かれが遠ざかってもしばらくその時の印象は残った。ちなみに生の魚は氷の上に載せられて、日にさらされながら売られている。ダイキンの次はホシザキの出番なのではないか。インドのあらゆる魚屋がホシザキの業務用冷凍庫を保有する日をぼくは幻視した。
大きめなバス停でしばらく停まる。そこをウロウロしていた開襟シャツ、丈の短いスラックス、へらへらしたソールのサンダルという出で立ち、いわば南インドのデフォルトスタイルといっていいようなおじさんが、見たこともない黄緑色した、食べかけの果実をさりげなく手にしながら、けだるそうにきょろきょろしていた。新聞売りが近づいてきた時、いかにも慣れきった仕草で1部買い求めた。買うという行為が完結するまでが長かった!片手に持っていた果物を咀嚼するペースを早めることも遅くすることもせず、ポケットの中の小銭を実にマイペースで探し、それが代金に足りないことが分かっても焦る素振りはまったく見せず、今度は後ろのポケットにある財布を取り出し、改めて小銭を探し、まるでこれくらいの小銭は当然あるし、別に惜しくもなんともない、だからおれのポケットのどこに小銭があるのか知らないんだよ、でもあんたはその小銭が欲しくて仕方がないんだろう?という仕草で、小銭を少年の手に渡す。その行程におよそ4分はかかっていて、その間新聞売りは神妙な表情で律儀に待っていた。そこにぼくたちはカジュアルな悠久と普遍的な経済原理を垣間見ていたのかもしれなかった。
Varkara、Kollam、 Amrithapuri、 Kayamkulam、 Harippad、 Alleppeyなど、時間があれば一つ一つ寄ってみたい地を通過していった。すぐに見えなくなったけれど、そこに行った気にさせて、納得してみた。そ熱帯雨林とバックウォーターの感じもバスの車窓から一瞥できた。時間があればバックウォーターの旅したかったなあ。
エルナクラム(コーチンの中心地。旅行者に人気のあるヒストリックなフォート・コーチンはそこからちょっと離れたところにある一区画)に着く直前の30分位はハイウェイが整備されていて非常にスムーズに進んだ。このハイウェイも将来ずっと南の方まで延ばすとの由。バスを降りたらすぐにフォートコチに向かうべく動く。ぼくの計画ではフェリー乗り場までオートで行き、そこからフェリーで向こう岸まで渡り、歩いてアゴダで予約してた宿まで行くというもの。でも流しのオートリキシャが、フェリーは故障しているので今日は出ない、だからぐるっと下から廻るルートで行くしかない、お代は300ルピーでよいと言う。つぎつぎと現れるオート運転手たちも同じことを言う。20年前の自分なら簡単に信じていたのではなかったか。そんなことあるかと思いながらウロウロしていたら、プリペイドのオート乗り場に出くわし、フェリーターミナルまで30ルピーとあっさり決まる。まったく気が抜けない。
船は8時半が最終のようだった、チケットを買えたのが8時28分、図らずもギリギリ間に合った格好。波でわずかに揺れている小さな船に座り、出発を待っていた。港湾都市特有の雰囲気というものはある。前方の若者連がSNSのメッセージ機能を使って盛り上がっている。好きな女の子にメッセージでも送っているのだろうか。薄暗い船内でかすかに揺れを感じながらだまって座っている。船の漕ぎ手が乗船してきたなと思っていたら、いつのまにか船はするりと進み始めていた。それはあまりにもさりげなかった。汽笛もなにも鳴らさずに。出入り口の扉は無造作に空いたまま。その空いた扉からゆったりとした夜の水がナトリウムランプのオレンジの光を受けて揺れていた。ぼくたちの乗った小さな船が巨大な船の船体の近くをするりと通り過ぎていく時、巨大な船の甲板の明るい光が遠く感じられた。
フォートの雰囲気は良かった。洗練されていたと言っても良かった。欧米人の姿が非常に多く、ここが一種のわりと快適な滞在場所として一定の人気があることを伺わせた。ニセコや青島や大理のような雰囲気にも似ていた。ぼくが泊まった安宿ですら、洗練された内装、親しげなスタッフを擁し、快適だった。そのスタッフはまだ少年のようだったけれど、ぼくなんかがロビーを通り過ぎるときすら、必ず立ち上がりにっと微笑んでくれる。ドアも先回りして開けてくれるのだった。
市内観光で見るべきところはたくさんあったけれど、これが見れたらそれでいいというのがあった。それはマッタンチェリーのユダヤ人街にある400年の歴史を誇るシナゴーグの床を埋める広東から舶来された青タイル(”It features an ornate gold pulpit and elaborate hand-painted, willow-pattern floor tiles from Canto, China, which were added in 1762.” Lonely Planet, South India & Kerala) 。この青タイルを見たいという気持ちはすごくあったのだが、あろうことか行ったときにはクローズしていた。シナゴーグの基礎知識として金曜の午後から月曜まで閉まるということすら調べていなかった自分がわるい。コーチンが舞台の小説、ルシュディの『ムーア人の最後のため息』に、ここの青タイルが登場するのだった。その美しい青タイルから物語がつぎつぎと立ち現れる、そんな魅惑的なお話。次回ここにくることはあるのかと思いながらユダヤ人街を散策した。そういえばカタカリダンスもインド武術もバックウォーターも観れなかったなあ。オートの運転手はサイナゴーグと発音したので、僕の中でいつの間にかサイナゴーグになっていた。アイランドはイズランドで、ナンバーワンはナンバルワン、サンキューベリーマッチはタンキューベルリマッチ(というかそもそもカタカナ発音の英語とインド風アクセントの英語はどちらがましなのか?)。そうやって、異国の響きに分け入っていくときの新鮮な驚き。そしてぼくの発音もまぎれもなく、彼らにとっては異質であるわけで、その異なる響きが交差することのおもしろさ。ぼくが突飛な思いつきをしてここに来ない限り決して発生しなかったこと。それはほとんど旅の経験の根幹をなすものだと思う。翌日、ビエンナーレという、まちなかや歴史的建物の中に現代アートを展示するイベントが開催されていて、そいつを見ながら、街を散策する。そしてフロントのお兄さんにウーバルことUBERで車を呼んでもらってコーチン国際空港へ向かった。特に結論のない旅だけど、結論のある旅なんてない。いつか必ず付せられる最後の句点があるだけ。だけど、連鎖を続けてゆくこと、とぎれさせないこと、最終ヴァージョンの存在を許さないこと(管啓次郎)、そのための旅。
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