今日の東京はいいお天気。昨晩はちょっと寝苦しかったのですが、皆さんは十分に質の良い睡眠をとっていますか?3ヶ月前に新しく羽枕から低反発枕に変えたのですが、まだちょっと慣れていないようで、起きた時に首が痛い時があります。
先週の水曜日に接種した新型コロナワクチンの副反応なのか、久しぶりに体調を崩してしまい、金曜日のスピリチュアル・フライデーをキャンセルしてしまいました。ご迷惑をおかけして、本当に申し訳ありませんでした。また人生初のギックリ腰らしきものも併発し、つくづく体力不足を感じています。そんな訳で、しばらくベッドの中で大人しくしながら考え事に耽っていると、自分の周りで起きている状況がシュールに思えてきます。新型コロナウィルスの感染拡大に続き、アフガニスタンの政情やテロ、無観客で開催されているパラリンピック…夢から覚めた現実の方がよっぽど非現実のような日々です。そんな中でポジティブ思考を持ち続けるのは並大抵のことではありません。私も普段いつもポジティブに!と人には言っていても、熱や倦怠感が出ただけですぐに心配して、ひたすらネット検索をしてしまう有様です。
けれど、そんなネガティブな自分に気づくのも、自分の中のポジティブな一面のおかげです。ネガティブ沼にはまってしまうと、その状況が当たり前で、気持ちがいいと勘違いしてしまいがちです。そんな時には、ポジティブなアファメーションが役に立つと言われています。ポジティブになるのに、特別な才能や能力は必要はありません。いくつか著名人のポジティブ・アファメーションをご紹介します。(主語を「私」にして、アファメーションらしい表現にしています)
私は適切な場所で、適切なタイミングで適切な行いをしています
ルイーズ・ヘイ
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意識的な呼吸は私のアンカーです
ティク・ナット・ハン
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私はただ存在することだけで愛されています
ラム・ダス
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私はそのままで完璧です
ミシェル・オバマ
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地球における毎日が佳き日である
アーネスト・ヘミングウェイ
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内側から輝く光を暗くすることはできません
マヤ・アンジェロウ
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私は自分ができないと思うことをしなければならない
エレノア・ルーズベルト
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私の魅力を増やす秘訣は、自分を愛することです
ディーパック・チョプラ
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私って最高。 自分でそうだと知る前から言っていました
モハメド・アリ
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有限の失望を受け入れなければなりませんが、無限の希望を失うことは決してありません
マーティン・ルーサー・キング・ジュニア
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私の人生そのものが、私自身がその運命を形成するのを待っているチャンスに溢れた奇跡です
トニ・モリスン
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私が小さいと思うなら、私の周りの世界は小さくなり、 私が大きく考えるなら、私の世界は大きくなるでしょう
パウロ・コエーリョ
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私にもたらされた輝かしく美しい混乱を受け入れます
エリザベス・ギルバート
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私が誰であるかという究極の真実は、私はこうだ、私はああだ、ではなく、私は私だということです
エックハルト・トール
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私の心を痛める感情は、同時に私の心を癒す存在です
ニコラス・スパークス
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何があっても堂々としていて! あなたは失敗のために作られたのではなく、勝利のために作られたのです
アン・ギルクリスト
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私が良い考えを持っているならば、太陽の光ように私の顔から輝きが溢れ、私はいつも魅力的に見えるでしょう
ロアルド・ダール
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物事に良いも悪いもありません。 私の考え方によって、物事が良くも悪くもなります
ウィリアム・シェイクスピア
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勇気は私の姿を皆の前に現し、そのありのままの姿を見られることから始まります
ブレネー・ブラウン
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私はハートを開き、そこにまた新たな輝かしい1日を注ぎ込みます
ヘザー・ハヴリレスキー
リンクの記事は新学期を迎える生徒たちに教室に入る前、ポジティブなアファメーションを言わせているという内容です。もうすぐアイイスの秋学期が始まります。クラス前に試してみてはいかがでしょう?
以下のPrime90へのお申し込みはアイイスへどうぞ!
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Prime90「ペンデュラム入門」
9/25(土)19:30〜21:00
参加費:アイイス会員2,000円・非会員2,500円
ダウジングの歴史は古く、約8千年も前から人々は政治や学問、勝敗や水脈、鉱脈の発見、日常生活など、様々なシーンにおいて活用してきました。
世界中のあらゆる文化圏において、ロッド(棒)やペンデュラム(振り子)などの道具が使われ、またその使い手も様々な方法を編み出し、テクニックを向上させてきました。
近代スピリチュアリズムにおいては、ダウジングは霊界と繋がり、そのメッセージを受け取るための手段として取り入れられ、テーブルターニングと呼ばれる方法などで霊との会話を試み、高級霊と見られる光からのメッセージを受け取ってきています。
今回は、その中でもペンデュラムに焦点を当てたレクチャーや実習で、ペンデュラムからメッセージを受け取る練習をします。
5円玉(あるいは50円玉)1枚と、50センチくらいの長さの紐を用意して、ご参加ください。
主なレクチャー:
・ペンデュラムの歴史
・ペンデュラムを使う理由
・ペンデュラムの使い方
・ペンデュラムの機能とは
・質問に答えてくれるのは誰か
・ペンデュラムに聞けること
簡単な実習も用意しています。
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Prime90「私が出会ったスピリットの世界」
11/10(水)19:30〜21:00
参加費:アイイス会員2,000円・非会員2,500円
ミディアムになって5年、その間に行ったカウンセリングやデモンストレーションや参加したワークショップを通して出会ったスピリット達が伝えてくれた、愛に溢れた心温まるエピソードをご紹介します。
個人情報がわからないように細部は少し変えさせていただきますが、主軸となるメッセージをお伝えし、その考察も行いたいと思います。
また、イギリスのワークショップの中で行った、カウンセリングやデモンストレーション実習でのスピリットの現れ方やメッセージにも触れたいと思います。
スピリットコミュニケーションは、全てが一つとして同じものはない、オリジナルなストーリーですが、共通点があります。
それは、その目的が「癒し」だということです。
スピリットからもたらされる愛と光の物語で、皆さまにも癒しがもたらされますように。
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最初はどのような症状がありましたか?
4日前に腰痛発生
上記の症状はどのように良くなってきましたか?
痛みが消えた
同じような症状で悩んでいる患者さんへのアドバイスやメッセージがあれば教えてください。
整体と鍼灸の総合治療(複合)で効果があった。
お名前 NK
年齢 50代
性別 男
職業 会社役員
スポーツ 自転車
ギックリ腰になった50代男性【整体鍼灸治療】で改善した1症例
ギックリ腰になり、安静にしていたが治らず、いつもいく鍼灸院や接骨院でもよくならず来院されました。過去にもギックリ腰は何回もなっていて慢性的に腰痛はあるそうです。
過去には腰椎すべり症を学生時代に発症。
ギックリ腰になった50代男性【整体鍼灸治療】で改善した1症例の整体治療的な検査
上半身右傾き右ねじれ、下半身右ねじれ
右鎖骨骨折経験あり。左��椎C4あたりシコリ感あり。
ギックリ腰になった50代男性【整体鍼灸治療】で改善した1症例の鍼灸治療的な検査
舌:紅、白苔腎区
脈:弦
ギックリ腰になった50代男性【整体鍼灸治療】で改善した1症例の整体鍼灸治療
1回目
大椎
右陽陵泉
左右太谿
2回目翌日来院
腰調子よく、夜出かけて電車に乗っていたら痛みが出てきた。
朝は靴下履けない。
大椎
左股関節の調整を整体治療で施術
左大腸兪
左陽陵泉
左太谿
楽になったとはいえ、筋肉は傷んでいるので無理をしないよう指導。
3回目11日後来院
慢性的な腰痛もなくつっぱる感じ。靴下を履くと左腰に引っかかる感じがあった。
大椎
整体治療にて左股関節の調整
左志室
右陽陵泉
右太谿
このあともメンテナンスで3週から4週での来院を指導。
ギックリ腰になった50代男性【整体鍼灸治療】で改善した1症例の考察
接骨院整骨院でギックリ腰治療の場合、電気をあてて湿布を貼る程度かもしれません。
痛み止めの薬は当然だせないので、あまり治療らしい治療ができない印象があります。
鍼灸治療だと多くの鍼灸師は患部に鍼を打つ場合が多いです。ただしこれにはメリットデメリットがあります。
メリット:鎮痛を効かすことができる
デメリット:悪化する場合がある
痛みを感じないので、普段と同じように行動すると、あくまで鎮痛作用なので治っていません。その結果、余計に痛くなる場合があります。
大原則として、炎症性の患部に鍼を打つことは推奨されていないはずです。
今回の男性の場合、患部は触っていませんが痛みの軽減になり、夜出かけられました。
鍼灸治療当日はゆっくり過ごすように指導していますが、うまく伝わっていませんでした。
お酒を飲むと不良姿勢でも痛みを感じにくく、さらに飲酒によって炎症がひどくなる場合もあります。
翌日の治療でほぼほぼよくなったので、よかったです。ギックリ腰期間にアルコール飲酒は辞めておきましょう。
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■「カメラを止めるな」のメモ
▼「低予算にもかかわらず傑作!」と話題の「ゾンビ映画」、上田慎一郎監督「カメラを止めるな」を観た。
▼俺が観るような映画はたいがいが当日、ふらっと映画館に足を運んでも席がゆうゆう空いているようなものばかりだが、今回は「どの時間も満席です!」状態で、ふらっと行って撃沈してしまった…。
▼それくらい人気のある映画だが後日、観てみたところ、やはりバズる作品というのは時代の空気をうまくとらえているんだなあ、と痛感させられた。
▼その意味するところはこれから書いていくが、まず言っておけば、他の多くの人たちがいうとおり、脚本や演出などは文句なくよくできた作品だと思う。だから映画自体には特に反感はない。
▼だが、映画とは別にそれを受け止める人たちの反応をみて複雑な気持ちになっている。
▼何が言いたいのか?その前にストーリーを追ってみる。
▼俺は「ネタバレ配慮」みたいなことを全くしないが、この映画ばっかりは、しておかないと怒られるかもしれない。というわけで…
▼以下、ネタバレ500%で行く!
▼あとは各自で判断して読む/読まないを決めてもらえればと思う。
■ストーリー
▼ストーリーは山奥の廃墟から幕を開ける。なお、以後37分にわたり映像はワンカットで流れ続ける。
▼そこでは、ある「ゾンビ映画」の撮影が行われていた。撮影隊を前に演技をしているのは、主人公の女子・松本逢花(秋山ゆずき)と、彼女を襲うゾンビの青年・神谷和明(長屋和彰)。どうやらゾンビ青年は女子の彼氏だったよう
▼恐怖に顔をゆがませながらも愛する彼氏に食われることを受け入れる女子。そして映画は…と思いきや、「ハイ、カットーー!」と怒号が!
▼声の主は、怒り混じりの顔で女優に食ってかかる。監督の日暮隆之(濱津隆之)だった。このシーンだけで42テイクを重ねているがまだ満足できぬ様子。どこにでもあるようなチープなゾンビ映画の1シーンなのに…
▼「恐怖っていうのは出すんじゃないんだよ!出るんだよ!」「お前がウソばっかりの人生だから本物がでないんだ!」「本物をくれよ!恐怖に染まった本物の顔、顔、顔!」
▼女優が泣きそうになるほど追い詰める日暮。だが、しばらくすると「屋上のシーンで使う血のりを撒きに行く」といって消えていく。
▼ここで一旦休憩。「何なの!?あの鬼監督は?」と、グチりはじめる主人公役の女優と、ゾンビ役の俳優。そしてメイクのおばさん(しゅまはるみ)も。
▼とはいえ、しばらくグチっていたが、話がもたなくなったのか、俳優はメイクのおばさんに趣味を聞く。「護身術にハマっててね」などと言うおばさん。そして、「やってみせましょうか?」と護身術を披露。俳優が試しに背後から覆いかぶさったのを「ポン!!」という大きな掛け声とともにはじきとばす。
▼だが、もうそろそろ別の展開に行けばいいものを、3人のグダグダなトークがこの後も続く。また、途中、廃墟のドアが「ドーン!」と不自然に音を立てるなど、違和感のある映像が続く。
▼「やっぱり低予算映画だからいろいろ雑なのかな?」と観て��る人は、思うだろう。だが、これは後段に続く重要な伏線になっていく…
▼ともあれ、このグダグダトークが続いた後、メイクのおばさんはロケ場所であるこの廃墟にまつわる「ある噂話」をし始める。
▼なんでもここはかつて旧日本軍が人体実験をしていた場所で、屋上に血を撒くと実験中に死んだ霊が寄ってくるのだという。
▼それを聞き「まさか、あの鬼監督、リアルを追求するあまり本当に霊を呼ぼうとしてるんじゃ…」と、不安になる俳優&女優…。
▼すると時を同じくして、廃墟の外で異変が起きる。タバコを吸っている照明さん(市原洋)の元に、フラフラとゾンビメイクのおじさん(細井学)が。
▼「もう~、なんなんすか?もう演技してんすか?」などと半笑いの照明さん。どうやらおじさんは、この後のシーンで出てくるゾンビ役者のようだ。
▼だが、おじさんは「ゾンビの演技」をしているのかとおもいきや…ブハー…謎の体液を録音マンに吹き付ける。「えええっ!」。パニックになる照明さん。さらにゾンビオヤジは、彼の腕にかぶりつく。
▼「うわああ…」。たまらず、女優&俳優&おばさんのいる場所に逃げてくる照明さん。「どうしたんですか?」と、ポカンとする3人だったが、彼の片腕が食われていることに気付くと騒然。そして、倒れ込む照明さんをみて「死んでる…」
▼「廃墟にまつわる噂話は本当だったのか!?」。
▼焦る3人は「ここから逃げないとゾンビに襲われてしまう」と、脱出の準備をはじめ、廃墟から逃げ出して行く。
▼すると当時に、屋上に行っていた鬼監督もあわただしい感じで戻ってきた。
▼さらになぜか、録音マン(山﨑俊太郎)も「もうダメだ~」と飛び出してきて、廃墟のドアをバンと開けて去って行く。
▼混乱する撮影現場…
▼そんな中、鬼監督はカメラ目線で「カメラを止めるな!」と、意味深なことを言いつつ、廃墟から逃げ出した女優&俳優&メイクのおばさんを追いかけていく…
▼この不思議なカメラ目線をみた観客は、どうやら「ゾンビ映画を撮っているうちに本当にゾンビが出てきた映画」以上の何かがあると察することになる。
▼だが映画は、その疑問をすぐに解消することなく、次の展開へ。カメラは廃墟を逃げ出した3人と、監督を追いかけていくことになる。
▼ここでも、途中から「ブレアウィッチプロジェクト」のようにカメラがゴロンと地面に置かれた状態で森の中をしばらく映していたり、3人を追うカメラが必要以上にユラユラしたり…と違和感のある映像が続く。
▼その後、廃墟を逃げ出した3人は、別の小屋をみつけ隠れることに。だが、不穏な事態に錯乱したメイクのおばさんが、女子の足に傷をみつけると「途中ゾンビに噛まれたんだろ?」と難癖をつけはじめ内ゲバ状態に。
▼「落ち着いて」という俳優を「ポン!!」とさっきの護身術で弾き飛ばし襲い掛かるおばさん…
▼そして、映画は、内ゲバ→女子の逃走→おばさんの気絶→ホントに男子がゾンビ化→監督もゾンビに捕食…と、急展開をたどる。
▼この間にも、「なんでこんなシーンなの?」と思わせる違和感ありありな映像がいくつも差し込まれる。
▼そして、映画はクライマックスへと向かい、女子とゾンビ化した男子が向かい合う映画冒頭と同じ光景に…。
▼だが、シナリオとは逆に、ここでは、女子が男子の首を斧でぶった切る。
▼そして血まみれの女子を空から俯瞰したようにカメラが抑え…映画は終了。
▼エンドロールとともに画面にはタイトルロゴである「ONE CUT OF THEDEAD」の文字が!ここまでで37分。
▼だが…「ああ、ゾンビ映画を撮っているうちにホントにゾンビに襲われる低予算のフェイクドキュメントだったのか…」と思うと、突如、次の展開が。
▼画面には「1か月前」の文字…
▼そしてカットが変わると、舞台は病院の屋上に。見れば、さっき照明さんに咬みついたオヤジゾンビ役の俳優(細井)が車いすに座っている。
▼どうやら別の作品のロケ風景のようだ。彼にささっと駆け寄り目薬を差す撮影隊。「あれ?俺なんで泣くことになるんだっけ?」と、おじさん俳優は戸惑うが、「大丈夫です。ここナレーションを被せますんで」などと、やっつけ気味にディレクターが言う。
▼だが、そのディレクターは…なんとあの鬼監督・日暮!とはいえ、その表情はなんとも弱弱しい。さっきの鬼ぶりが嘘のようだ。
▼そして「ハイ、スタート!」と撮影が進められていく…
▼「え?これは一体…?」と、突然の展開に混乱する。だが、映画を観ているうちに次第に事情が呑み込めてくる。
▼ストーリーを先取りしておけば、冒頭37分の「ONE CUT OF THE DEAD」は、フリーディレクターの日暮が「ある大人の事情」で撮影&出演することになった作品だった。
▼映画冒頭では鬼気迫る目をしていたが、あれは「演技」。普段の日暮は、「安い、早い、質はそこそこ」がウリのポリシーなき映像ディレクター。
▼依頼される「作品」も、テレビ番組のちゃちな「再現ドラマ」など「やっつけ仕事」ばかり。
▼そのため元女優の妻・晴美(しゅはまはるみ!そうあのメイクのおばさん!)からは、半ばあきれられ、自らも映像作家を目指す娘・真央(真魚)からは軽蔑に近い感情を抱かれていた。
▼家でテレビを観ていると、日暮が病院屋上で撮った「再現ドラマ」が流れるが、娘は即、チャンネルをチェンジ…
▼切り替えた先は、「情熱大陸」のような番組で、そこでは冒頭、ゾンビ男子役を演じていた俳優が滔々と「オレの俳優論」を語っている。「やっぱり映像に携わる人は情熱がないと…」という感じで、画面の俳優を見つめるまお。そんな娘を見る「やっつけパパ」の表情がなんとも切ない…
▼だが、そんな「やっつけディレクター」日暮にある日、仕事が舞い込む。
▼呼び出された場所は、先日できたばかりだという「ゾンビ映画専門チャンネル」のスタジオ。
▼それだけでもうさんくさいが、彼を呼び出したプロデューサーも、ワカメちゃんカットに大阪弁でかなりインパクト大。吉本新喜劇にでも出てきそうなオバハンキャラだ……(竹原芳子という人で本作が映画デビューのようだ)。
▼「これはアツアツの企画やで!」などとドヤ顔をしながら、オバハンは日暮に番組の撮影を依頼する。
▼それは「生放送!ワンカット!のゾンビ映画」…
▼ゾンビなど本当にいるはずがないのだから生放送にして臨場感を出す必要はないはず…しかもカットを割った方が特殊効果などいろいろテクニックも使えるはず…あまりに無謀な注文。編集にかける予算を削りたいためとしか思えない…
▼これには「いやいやいや冗談でしょ」と日暮も笑ってしまう。
▼だが、オバハンは本気だった…。で、結局、彼女らの圧に押され「やります」と言ってしまう日暮…
▼「護身術の番組鑑賞と、夫の書く台本を読むのが趣味」という妻も、シナリオを一読し、「大丈夫なの?」とあきれ顔…
▼それでも、他のディレクターが続々辞退したこともあり、「安い、早い、質はそこそこ」の日暮がやるしかなくなっていた。
▼こうして「ワンカット生放送のゾンビ映画」の撮影準備は進められていく。だが、もともとが予算を削る気マンマンの低予算映画。集まる俳優は、一癖も二癖もあるメンバーばかり。
「俺の俳優論」が好きで,台本の解釈ばかり聞く若手俳優(ゾンビ男子)
「泣けないかもなんで目薬用意しといてくださーい」などと、向上心のまるでないアイドル女優。「よろしくでーす」の口癖が腹立たしい。(女主人公)
セリフ合わせに子連れで来てしまうメイク役の女優と、そんな彼女とつきあいたい感満載の監督役俳優。
「水は常温って言ったじゃないですか?メールもしましたよ!」と水ばかり気にしている気難しい音声マン役の俳優。
そして、さっき屋上シーンにいたおじさんゾンビ役。彼はアル中気味で始終酒を飲んでいる。
▼これら面倒くさい人たちに囲まれ、板挟みとなりながら、必死の作り笑いで準備を進めていく日暮Dがなんとも切ない…。
▼それでもオンエア日は、刻一刻と近づいていく。そして生放送当日…事件が起きる。監督役の俳優とメイク役の女優が、現場に向かう途中交通事故に!
▼放送まで時間がない。脚本を換えるにも間に合わない。「無理です。何かと差し替えましょう!」と慌てる日暮。
▼それでも…「無理です。なんとか成立させてください。作品よりも番組です!日暮さん!」…現場プロデューサーの無常な宣告が。
▼追い詰められる日暮。父の仕事風景を見ようと妻も娘も観覧に来ていたが…
▼だが、時間が迫る中、土壇場で彼は決断する。「俺が監督役出ます!こう見えても高校時代演劇部なんで!」。さらに流れで「メイク役は妻で。元女優なんで!」
▼あまりにも無謀すぎるアイディアだが他に手はない。こうして日暮夫婦はキャストとして「ゾンビ映画を撮っているうちに本当にゾンビに襲われる生放送ワンカットのゾンビ映画」にキャストとして出演することになるのだった…
▼ここにきてようやく「ああ!そういうことか!」と全てがつながる。それだけでも関心するだろうが、その後の展開も、実によくできている。「ゾンビ映画を撮っているうちにゾンビに襲われる映画」ならば「ダイアリー・オブ・ザ・デット」など他にもあるが、「さらにその上を行くのね?」と感心させられる。
▼ネットを見回せば「絶賛」の声だらけなのも理解できる。
▼その後は、冒頭37分の「ONE CUT OF THE DEAD」が繰り替えされるのだが、そこでは先に感じた「違和感」の数々が「伏線回収」されていく。
▼たとえば…
◆「お前がウソばっかりの人生だから本物がでないんだ!」と罵声を浴びせる日暮の言葉は、アイドル女優の向上心なき姿を指していた。
◆3人の「ダラダラトーク」が続いていたのは、撮影の不手際をアドリブで時間稼ぎするためだった。
◆オヤジゾンビが吹きかけた「体液」は、アル中で吐いたゲロだった…。
◆鬼監督が不自然なカメラ目線で「カメラを止めるな!」と言ったのは生放送だったから。
◆途中音声さん俳優が「もうダメだ」と飛び出したのは、常温でない水を飲んで下痢になったから…
◆地面にカメラが転がった映像になっていたのは腰痛持ちのカメラマンがコケてギックリ腰になってしまったから…で、その後、カメラがゆらゆらしてたのは、彼についていた女子ADが代わりになったから・・・
…などなど、「あの違和感の正体はこれだったのか!?」とひざを打ちっぱなし!アルキメデスなら「ユリイカ!」を言いっぱなしの展開になる!
▼そして映画はラストに。だが、ここでもトラブルが。主人公の女の子を俯瞰で映すクレーンが動かなくなってしまうのだ。
▼そこで機転を利かせたのが、日暮の娘・真央。「やっつけディレクター」だと軽蔑していた父が、「カメラを止めまい」と全身全霊をかけ奮闘している。その姿に感化された彼女は、パパを助けるべく…一計を案じる。
▼彼女は突然、「みんなで人間ピラミッドを作るのよ!」と指揮。そして、スタッフ、キャストが全員力をあわせ、ピラミッドを作ると、まおはカメラを持ってその頂点に登って行く。
▼そしてカメラをかざすと…あの「ONE CUT OF THE DEAD」のラストカットが!
▼なんとバカバカしくも、ハートフルな展開…思わず心が満た��れてしまう人も多いだろう。実際、俺が観に行った日は、映画が終わった後、館内では拍手が起きていた……。
▼いや、分かる。分かるのだが俺はその反応に複雑な気持ちになってしまう。「どうすればいいんだ、この夏 アンビバレントアバウト…」な気分になる。
▼何かこの流れに、非常に嫌なものを感じる。
▼いや、「カメラを止めるな」というが、その前になぜ「番組を止めろ!」と誰も言えなかったのか?
▼一歩引いて考えるなら、日暮も「いや、冗談でしょ」と笑うようにオバハンPの提示する「ゾンビ映画」は、どうにも無理筋だ。実際に、多くのディレクターが「やります」とは言えず、演出を辞退している。
▼さらに言えば、当日、役者も不在になってしまったのだから、何か別の素材で差し替えるべきだ。「ゾンビ映画専門チャンネル」なのだから、他のゾンビ映画を急きょ流しておけばよかったのではないか?
▼にもかかわらず、オンエアに至るまで誰も「おかしいよ」と言わず、本番でも「これはもう決まったことだから」として番組を止められなかった。
▼そして、次世代を担う若者を始め全てのスタッフが総動員され、いわばこの「茶番」を茶番でないものにすべく全身全霊を尽くさねばならなくなった。
▼そのうえ、それを「ハートフル」なものだとして観る人は100%心が満たされてしまっている。
▼これには、「わかる」と思いつつも「それでいいのか…」という気分になってしまう。
▼「なぜこれをやる?」とか考えるな「止めない」と決めたら止めないんだ…
▼こうした事態を100%ハートフルに受け止めてしまっていいのか…
▼もちろん、人間生きていれば「こういうタイプの話」に巻き込まれ「止めないこと」に加担してしまうことはある。「僕はyesと言わない!」「首を縦にふらない!」なんて、カッコよく言えないことも多い。
▼それでも「マズかったんじゃなかろうか」と内省くらいはしないといけないのではないか。
▼その意味ではすごく今の空気をとらえていると思う。
▼たとえば、総理がうっかり嘘をついてしまった。嘘とは言わないまでも、国民からは大きな疑問符を突きつけられる「茶番な答弁」をしてしまった。
▼そんな中、側近や官僚たちが総動員され、全身全霊を尽くして「嘘が嘘にならないように」「茶番が茶番にならないように」奮闘する。
▼「安倍政権を止めれば代わりがいない」→「代わりがいなければ日本が止まる!」→「日本を止めるな!」とばかりに奮闘する。
▼こうして、なんとか事態を収拾するために、文書を書き換え、口裏を合わせ、「ご飯論法」で言質をとられないようにしていく…。知恵を出し合って、一見するとバカバカしい人間ピラミッドを完成させていく。
▼だが、そんな姿に国民は共感する。「ああ!あの人たちは日本を止めないために頑張っている!」
▼「なぜこれをやるの?」とか考えるな、「これを止めたらホントに日本が止まるの?」とか考えるな、「止めない」と決めたら止めないんだ…
▼法案の内容や、政策の有効性なんて二の次だ。日本経済を止めないために「働き方改革を全力でやっている」「金融緩和を全力でやっている」「賃上げを全力で企業に求めている」。とにかく「やる」とぶちあげたことを止めるな。止めないことが大事であって、止めずにやり遂げた後どうなるかなど今はどっちだっていい!日本経済を止めるな!
▼「この論文を認めたら日本から多様性がなくなる?」そんなことはどうだっていいんだよ!とにかくこの論文がおかしいとなったら現政権に穴が開く!穴が開いたら代わりがいないのだから日本が止まる。日本を止めるな!止めないためにはこの茶番な論文を茶番でなくするために全ての力を総動員しろ!
▼まずは「全部読まずに批判するのは言葉狩りだ!」とぶちあげて、時間稼ぎせよ。それから辞書で「生産性」を引いてきて、「生産性がない」=「価値がない」ではないことを主張していけ。
▼「日本ではLGBTの差別はないが、男女の性以外を認めると秩序が乱れる。だから、2つの性以外の趣味嗜好を持つ人は、差別がないからといって高校を卒業してもそんな趣味は続けないでほしいし、それでも続けている人には予算も支援も必要ない」という全体の論旨に触れさせないようにしろ。個別の言葉の意味に対する論戦に持ち込め。
▼そうやって泥仕合に持ち込んで、この論文はおかしくないという方向に持って行け。でないと日本が止まる。日本を止めるな!
▼こんな状況下で、シナリオの穴を指摘するようなことをしてもむしろ逆効果になるだろう。「ストーリーのあそこがおかしいだって?そんなことはどうだっていいんだよ!カメラを止めないことが大事なの!」「作品よりも番組なの!」
▼逆にいえば、今は、内容についての議論を骨抜きにしてしまう複雑な感情の動員回路ができてしまっている。
▼ともあれ。こうして政権が止まらなかった時、国民は心が満たされるだろう。「ああ、日本は止まらなかった」と。
▼そんな事態を100%ハートフルに受け止めてしまっていいのか…
▼いや、受け止めているから今こうなっているのだろう、と思う。
▼小林よしのり氏などは、自身のブログの中で、現政権を漫画家にたとえ「普通は読者が読みたくないといえば打ち切りなるのに、今は作者が続けたいからという理由で連載が続いてしまっている。これはおかしい」という。
▼しかし、言いたいことはよく分かるが、そうなのか?むしろ「続けてほしい」と思う読者がかなり多いのではないか?
▼俺は、それがなぜなのか、今までもうひとつ心の底からはピンと来ていなかったが、この映画を観て少し分かった気がする。単に「代わりがいないから」というよりも、彼らの奮闘ぶりが支持者にはどこか「ハートフル」に感じられるのだ。
▼そして、野党が攻めれば攻めるほど支持率が回復する理由も…
▼その意味で、本作は時代の空気をよく捉えた作品であるとともに、俺をなんともアンビバレントな気持ちにさせるのだった。
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