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#でもそこにお父さんに慰めて
sandreeen · 7 months
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Nogoon Beki (Yakusho Koji) & Nokor (Ninomiya Kazunari) ① || Vivant Episode 10
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xx86 · 6 months
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Hypnos
その日はそもそもひどく自己嫌悪に陥っており、何度も15階から飛び降りたくなる衝動に駆られながらすんでのところで留まった。1ヶ月に2回も喪主を務めるなんて父が可哀想だから。写真を撮らないせいで遺影に使えそうな写真もないし。残業を少しして、夕飯を手っ取り早く外食で済ませてしまいたいところなんとか自炊をして、えらいえらいと自分を褒め、あとは寝るだけに整えた時、電話が鳴った。
罰が当たったのかと思った。電話相手は酷く酔っ払っていて、ドラマでしか聞いたことないセリフを何度も繰り返す。泣きながら、ああやっぱり私はそこへは行けないんだなと思った。関係に名前など不必要だと思っていたけれど、そもそも望める権利などないのだ。いい夢を見てね、と電話が切れた。涙はもう出なかった。思いっきり泣いてしまいたかったのに。いい夢など見れるわけないし寝れるわけないと思ったけれど、横になったらすんなり眠れた。ポケモンスリープのおかげで規則正しい生活が送れるようになっていたから。ありがとう、ポケモンスリープ。私を救ってくれるのは睡眠しかない。
翌日は翌日で仕事の人間関係で疲れ、やっぱりもう人生やめちゃいたいなと思いながらあづみに電話できるかとLINEを入れた。相変わらず彼女の返事は早く、とんとん拍子で夜に電話できることになった。
やってらんねーと500mlのレモンサワーを勢いよく飲み干して、あづみに電話をかける。私の話を聞いてあづみは泣いていた。ああ友人をまた泣かせてしまった。人に泣かれるぐらい悲惨な状況なんだなと思いながら水をたくさん飲む。悪酔いすると眠れなくなるから。私の今月来月のテーマは睡眠に全振りする、である。こんな喪中で仕事も忙しくなってくる時に眠れなければ1発で肉体も精神もバッドに入ってしまう。もう片足突っ込んでるようなものだけど。あづみは泣きながら悔しい、と零した。やっぱり涙はもう出なかった。
幸せにしたい。私が幸せにできるのであれば。でも現状何も出来ないし、何も望まれていないのだろう。はるか何100km離れた土地で、職場の人間関係に吐きながら、部屋中の窓を拭いたり、白菜をキッチン鋏で切ったり、なんとか自分の生活を整えて小さく生きることしか出来ない。
悲しいとか、つらいとか、そんなのとっくのとうに通り越した。だから泣かないし、泣けない。不安には度々かられる。いつか突然目の前からいなくなってしまったらどうしよう。でもそれを止めることはできないのだろう。せめてもの慰めでただ祈っている。大切な人が毎晩よく眠れるといいなと思う。あわよくば毎日お腹がすいて、ごはんがおいしいと感じて欲しいし、体がどこも痛まず風も引かないでほしい。毎日全部の信号が青だったらいいなと思う。どうか神様。
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jaguarmen99 · 1 year
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291 名前:名無しさん@おーぷん[sage] 投稿日:23/04/15(土) 22:26:23 ID:gp.92.L1 [1/2]婚約者(当時)の実家に初めて挨拶に行った時のこと。彼、彼の両親、彼の妹、私の5人でランチを食べに出掛けたんだがそこは煮込みうどんの専門店みたいなところでそれぞれが注文したあと、店員さんが「ランチタイムはごはんがサービスでつきますがいかがなさいますか?」とかって聞いてきたのね。そしたら彼父が「サービスなら、俺は要らんからそのぶんまけてくれ」って言ったの。えぇ・・・って顔した店員さんが「申し訳ありません。それはちょっと」と返答していた。そしたら「なんだ、気が利かんな」だって。で、義母も頷いてたの。妹さんは眉間に皺寄せて不快そうにしてたから、そういうの嫌なんだろうと思うのね。でも彼は平然としてた。否定も肯定もしない感じ。そのあと彼の実家に戻って、私が手土産に渡した和菓子(フルーツ大福)が出された。彼の妹さんが「うわー、これ食べてみたかったの!」って言ってくれて美味しい美味しいって喜んでくれた。でも彼父は「美味いっちゃー美味いけど、普通こういう場面での手土産なら酒だろ」って言ったのね。店でのことがあって、更にその発言を聞いて、彼父に対する嫌悪感が半端なかった。そしてこの時も、妹さんは父親の発言に嫌悪感を見せてたけど彼自身は平然としてた。しかもこの時は笑ってた。そこに腹が立った。292 名前:名無しさん@おーぷん[sage] 投稿日:23/04/15(土) 22:26:36 ID:gp.92.L1 [2/2]家に帰ってきてからあの時の彼を思い出すと、結婚は引き返した方がいいって方にぐんぐん引っ張られてそうなると彼への気持ちもどんどん冷めて行った。悩んで悩んで結婚はしない方向で気持ちが固まり、別れ話を切り出した。当然理由を聞かれたので、彼父の発言を受け入れることができなかったのとそれに対して彼が平然としていたのを見て、気持ちが冷めたってハッキリ言った。婚約破棄で訴えると言うことなら、素直に受け入れるつもり。慰謝料を払ってもいい。とにかく結婚は無理ですって言った。話は喫茶店でしてたんだけど、話し終えたとたんに彼が、両手をパーにした状態でテーブルをバンバン叩いて、何度も叩いて、なんか幼児が癇癪起こしたみたいな感じになって周り中がこっち見てて、怖くなってお金置いて逃げた。彼とは一年半ぐらいの付き合いだったんだけど、あんなの見たのは初めてだった。彼とは社内恋愛だったから、翌日出社するのが怖かった。でも彼は無断欠勤してて、翌日も無断欠勤、翌々日も無断欠勤。付き合ってたことは公にはしてなかったけど、やっぱりバレてて課長に呼ばれて何か知らんかって聞かれたので実は・・・と婚約解消を申し出たことを話した。理由は聞かれなかったので言ってない。課長が何度も電話してるんだけど、出ないらしいんだ。それで何日目かに課長自身が自宅を訪ねたらしいんだよね。そしたら母親から辞表を渡されたとか。引きこもってるらしい。いきなり別れ話する前に、もっとちゃんと彼と話し合った方が良かったと思う一方で喫茶店でのあの姿を思い出すと、やっぱり別れて良かったとも思ってしまう。ただ、そのまま知らん顔して勤め続けることもできなくて、私も年度末までで退職して田舎に帰ってる。うちの両親は私の選択を肯定してくれるので、それだけが救い。
続・妄想的日常
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oka-akina · 11 months
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リチとの遭遇(冒頭試し読み)&通販のお知らせ
 こたつの天板をひっくり返すと麻雀のラシャだった。あの緑色が現れると夜だった。布端がちょっとほつれて毛羽立っていて、直行はいつも焦れったかった。剥がれかけたかさぶたを引っ掻くみたいに手が伸び、びーーっと引っ張りたくてたまらなかったが、あれは父とその友人、あるいは伯父たちが夜な夜なジャラジャラやるためのものだった。勝手に触ると叱られそうな気がしてがまんしていた。  母家の隣のプレハブ小屋だ。父たちはしょっちゅうそこに集まり、ときには半裸になって酒を飲んでいた。母や祖母はほとんど来ない部屋だった。酒とかつまみとかを運んで溢れた灰皿を交換する役目は直行だった。夏の小屋はかなり蒸すが、窓も扉も全開にして扇風機をまわしておくと夜風が涼しかった。  ぶおお……ぶおお……と風に乗って鳴き声が響く。あれは牛蛙だと祖父が言った。火を通すとささみみたいだがあまりうまくはない、ただし唐揚げにすれば鶏か蛙かわからない。直行は、六年生になったら授業でカエルの解剖をやる、一人一匹カエルを与えられて必ずお腹を割かねばならないと上級生からおどかされていたため、いつまでも響く鳴き声が怖かった。そうしたら祖父が励ますみたいに「鳴いているのはみんな雄だ」と教えてくれた。変な励ましだと思った。  日が暮れる。父は小屋に向かう。麻雀牌にベビーパウダーをまぶし、夏場は長い時間やっているうちに牌と牌が汗でくっついてしまうからで、直行が赤ん坊のころ汗疹やおむつかぶれにはたかれたのと同じ粉だった。いそいそと作業する父の背中は汗ばんで、太い首が桃色に染まっていた。小屋の中を甘いにおいでいっぱいにして仕度し、父は客を待った。そうしていいにおいは男たちの汗やたばこでたちまちぐちゃぐちゃになった。  牌は杏仁豆腐みたいに見えた。しっかり固くて、スプーンを押し当てたらすとんと切れる、甘いシロップの中に浮かんでいる……。牌山を見ているとひんやりと甘い味が口の中によみがえった。甘味が虫歯に滲みる気さえした。あるいは父たちのツモったり切ったりの手つきは寿司職人みたいだと思っていた。伏せられた牌の白色はシャリで、背の黄色は……、黄色いネタって何かな。沢庵とか卵とか。もしくは辛子を塗られた? そんなもの見たことはないがたぶんバラエティ番組の罰ゲームっぽい何かが頭にあった。直行がじっと見ていても父も誰も麻雀のルールを教えてくれなかった。そばで携帯ゲーム機をいじりながら勝手な想像ばかりしていた。  父の後輩らしきちょっと若い男。日焼けした体がケヤキの若木みたいで、背中も眉も額も、体の全部がまっすぐだった。定規で引いたみたいな輪郭だと直行は思った。彼が「ロンです」と控えめに発声する感じがいいなと思っていた。あ、ロンです。あ、ツモ。おとなしく勝つ感じが格好いいもののように思えた。ただどうもロンとかツモとか宣言しても必ずしも勝ちとはならないようで、直行にはますます謎めいていた。  昼。男たちがいなくなったあとも直行はそれについて考えた。授業中や掃除の時間にふと思い出した。ポン、チー。卓のあっちからこっちへやりとりされる点棒。あれは算数セットの何かに似ていなくもない。小屋の麻雀はいつも長い時間やっているから直行は途中で寝てしまうこともあり、誰かが布団へ運んでくれた。男の横顔。彼はたばこを吸わない。漬物の茄子を齧るとき、汁がこぼれないようにあるいは惜しむように、口に運んだ箸をちょっと吸う。直行も真似をしてみたが茄子漬けを好きになれなかった。においも感触も苦手だった。鉢に残った漬け汁の青色は朝顔みたいな色だと思った。授業で育てた朝顔。直行のだけ成長が遅かった。みんなが実をスケッチしたり種を収穫したりしているころ、直行の鉢だけまだ青い花を咲かせていた。  苦手だとわかっているのに客の前で見栄をはり、茄子を口に入れたら飲み込めなくてべえっと吐いた。父はべつに叱らなかったが声をかけてくれるでもなかった。若い男がティッシュをとってくれた。しゅっしゅっとすばやく二枚。二枚も使って母親に怒られないかと、小屋にはいないのにとてもどきどきした。そうして若い男は出し抜けに「子どものころ学校のトイレでうんこするのが恥ずかしくて、体育館横のトイレは幽霊が出るって噂を流したよ」と言った。おれ専用のトイレにしたんだと笑った。  鳴いている蛙はみんな雄だ。いつかの祖父の励ましは理屈として通らないと思ったが、あれは理屈を言いたいわけではなかったのだとしばらく経ってからふと思い至った。体育館でマットを運んでいたら急にそう思った。たんになぐさめようとして言葉を継いだのだ。直行の学校は体育館の横にトイレはなかった。渡り廊下がいつも薄暗かった。  それならばと直行は思い、父たちのいない昼のうちにこっそりラシャのほつれを毟ることにした。学校から帰ってきてそっと忍び込み、昼間の小屋はかえって薄暗かった。カーテンの隙間から差し込む光が埃の粒子に跳ね返り、光の道筋を作ってキラキラしていた。直行は口を開け、ぱくっぱくっと空気をかじって吸い込んでみた。キラキラが埃だというのはわかっていた。汚い粒が自分の胃袋に溜まっていく背徳感に酔った。  天板を浮かせて隙間に手をつっこみ、布端を探った。天板は重く、指を挟むと爪がぎゅっと白くなった。痛くはないが圧迫される感じがよかった。思ったより少ししか糸はほどけず、びーーっとはならなかった。千切った糸は絨毯の裏に隠した。すっかり擦り切れたパンチカーペットで、タバコの焦げ穴があいている。直行の人差し指がちょうど嵌まる穴。そこに指を突っ込むのが好きだった。自分の指が芋虫になって絨毯を食う。きっと穴はどこかちがう場所につながっている。ワープ。そのころ髪を抜くのもちょっと癖になっていて、ぷちっと抜いたときの案外痛くない感じがやみつきになっていた。根元の白いかたまりが大きいとうれしくて、いい感じのかたまりが取れるまでぶちぶち抜いた。抜いた毛も糸と一緒に絨毯に挟んだ。  直行は一人で小屋に入り浸るようになった。毎日緑の布地をこすった。父たちがラシャと呼んでいたからこれはラシャなんだろうなあとおぼえたが、本当はもっとちがう名前があるのか、このような敷物がラシャというのは世の中の常識なのか、直行にはわからなかった。ラシャは音を消した。酔った父たちのでかい声に反し、牌を切る音はことんことんとおとなしかった。おらっとふざけて乱暴な打牌をすることはあったが、それでも大した音は鳴らない。寿司っぽい。寿司のことはよく知らないけど。白い調理服の男のイメージ。たまに連れて行ってもらう回転寿司は若いアルバイトとおばさんのアルバイトが多く、ちょっとちがった。伯父は醤油をむらさきと呼ぶ。伯父の太鼓腹には盲腸の手術跡がある。盲腸の痛みがいかに大変だったか、伯父は大仰に語り直行を怖がらせたが、手術跡というのは格好いい気がしていた。酔った伯父のひたいはてかてか赤く光った。  重い天板に手首の骨のところをわざと挟んでみて、痛くないのに痛がってみた。手がちぎれる! 罠が仕掛けられていた! 鰐に噛まれた! そういう想像。なかなかいい演技だったと直行は思うが一人きりでやっていたことなので誰も見ていない。昼間の小屋には誰も来なかった。やがて自慰を覚えた。  挟まれる感じといえば、重たい布団に押しつぶされるのも好きだった。押入れに積まれた布団の間に体をねじこみ、圧迫される感じがうれしかった。そしてそういう喜びは人に知られてはいけないものだろうと直感していた。これは誰にもばれてはいけない感情だと直行は噛み締めた。  でも従兄弟たちは察していたのかもしれない。集まった子どもたちで床にうつぶせになって何人も重なる遊びをよくやっていて、直行は一番下にされがちだった。その遊びのことはペチャンペチャンと呼んでいた。一番下はじゃんけんで決めようとは言うが小さい子が下になってはかわいそうだともっともらしく言われ、だいたいいつも直行が下敷きになった。どんどんみんな積み重なって、他人の体と密着したのはこれが最初の記憶かもしれない。自分ではない体のぐにゃっとした重さや熱。におい。  二つ上の従兄はそんなに背が高いわけではなかったが腕や足が骨っぽくて重かった。のしかかられると日焼けした腕にうっすら毛が生えているのがよく見えた。従兄の輪郭も定規で引き直されつつあると思った。直行が重いと叫ぶと毛が揺れた。草原だと思った。自分のとはちがうよその家の服のにおいがくすぐったかった。ペチャンペチャンをやっていると母たちに叱られた。内臓が破裂しちゃったらどうするの。直行はそのスリルにもひそかにドキドキしていた。ペチャンペチャンは三人目くらいから腹がぐっと押され、潰される感じで、苦しい苦しい、痛い痛い、ぺちゃんこになっちゃうよと直行はわめいた。ほんとはそんなに痛くなかった。痛みよりも快感があったのだが、ごまかすみたいに苦しいと叫んでいた。  やがて従兄は中学生になり麻雀の輪に入っていった。卓を囲む四人の男たち。じゃあ、従兄が入ったぶん誰が抜けたのだろう。それとも誰も抜けずに仲良く交代で? 疑問に答えは出ないまま、やがて直行が中学に入るころには父たちはあまり集まって遊ばなくなった。若い男は結婚し、子どもが生まれたときいた。直行は小屋をもらって自分の部屋とした。
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5/21文学フリマ東京の新刊です。3万字くらいの短い小説で、薄い文庫本です。
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joyjoyjoygospel · 8 months
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2023.08.24 祈祷会
"「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるから。柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐから。義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるから。あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるから。心のきよい者は幸いです。その人たちは神を見るから。平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるから。義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。わたしのために人々があなたがたをののしり、迫害し、ありもしないことで悪口を浴びせるとき、あなたがたは幸いです。喜びなさい。喜びおどりなさい。天ではあなたがたの報いは大きいから。あなたがたより前にいた預言者たちを、人々はそのように迫害したのです。"
マタイの福音書 5章3~12節
"あなたがたは、世界の光です。山の上にある町は隠れる事ができません。また、あかりをつけて、それを枡の下に置く者はありません。燭台の上に置きます。そうすれば、家にいる人々全部を照らします。"
マタイの福音書 5章14~15節
"だから、あなたがたは、天の父が完全なように、完全でありなさい。"
マタイの福音書 5章48節
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kennak · 1 month
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9年前、兵庫県警の機動隊員が自殺した。 木戸大地さんは、広島の高校を卒業後、2009年に兵庫県警の警察官に採用され、2012年からは機動隊で山岳救助などを担い多くの表彰を受ける優秀な隊員だった。 両親が職場のパワハラが原因だとして兵庫県に損害賠償を求めてからおよそ7年。兵庫県が謝罪し、賠償金を支払うことで和解が成立した。 【動画】機動隊員が自殺 パワハラとの因果関係認められず 両親「かたきを取ってやりたい」 ■「あなたの思い通りになってよかったですね」先輩に宛てた遺書 先輩隊員に宛てた遺書 当時24歳だった大地さんは機動隊の寮で、自ら命を絶った。大地さんの上着の中からは先輩隊員に宛てた「あなたの思い通りになってよかったですね」と書かれた遺書が見つかった。 家族や大切な人に宛てた遺書 さらに、同じ寮では、大地さんが亡くなる1週間前にも当時23歳の隊員が自殺するという異常な状況だった。 家族の写真 息子の大地さんを亡くした父・一仁さんは、職場でのパワーハラスメントを疑い兵庫県警に調査を依頼した。 ■両親に渡された「黒塗りの報告書」 しかし警察の「内部資料」にパワハラの事実 しかし、返ってきたのは大半が黒塗りの報告書と「自殺の原因はわからない」という答え。 ところが、兵庫県警の内部資料には、遺書を宛てた先輩隊員によるパワハラの事実が記されていた。 兵庫県警の内部資料には、「他の隊員ならそこまで言われないようなことでも厳しく叱責されていた」と記載。さらに、大地さんの自殺の原因については、同僚隊員による「小隊長、A隊員による明らかなパワハラであると思う」という証言が記されていた。 ■長引く裁判 父が下した決断 裁判で「組織」と対峙する過酷 兵庫県警察本部 父・一仁さんは、2017年自殺は先輩隊員らのパワハラが原因だとし、兵庫県におよそ8000万円の損害賠償を求める裁判を起こした。 2022年、1審の神戸地裁(久保井恵子裁判長)は、「ボケ木戸」と書かれた付箋を貼るなど、先輩隊員らの行為について「違法なパワハラ行為に該当する」と認定し、兵庫県に100万円の支払いを命じた。 一方で、パワハラ行為と自殺との因果関係は認めず、双方が、判決を不服として控訴。大阪高裁では裁判所の提案で和解に向けて協議する裁判手続きが行われ、一仁さんはひとつの決断をした。 父・木戸一仁さん:去年の暮れに、大地ごめんなぁ、色々考えたけど和解に応じんといけんと思うけどいいかなっていうのは、大阪高裁から帰ってすぐに相談しましたね。 裁判所が提示した和解案は、パワハラと自殺の因果関係は認めないものの「先輩隊員が大地さんに対してパワハラを行ったことにより、精神的負担を加えたことを真摯に反省し謝罪する」とパワハラを認め、慰謝料合わせて142万円を支払う内容だった。 受け入れるようと決めた背景には裁判で闘う難しさがあった。 父・木戸一仁さん:私たちが戦う材料は、兵庫県警が調べた聞き取り調査しかない。この8年半で。これ以上の証拠はもう出せない。 ■『もしお父さんに何かあったら絶対、大地は喜ばないよ』妻の言葉も受け和解へ 大地さんの死後、体調を崩すことが増えた一仁さんを気遣う妻の言葉も背中を押したという。 父・木戸一仁さん:『もしこのまま大地の意思を継ぐとか言って(裁判を)続けて、もしお父さんに何かあったら絶対、大地は喜ばないよ』って(妻に言われて)それは大きかったですね。 そして、提訴からおよそ7年たった3月22日、大阪高裁で和解が成立した。
パワハラ自殺した機動隊員 両親には「黒塗り報告書」 しかし警察内部には「パワハラの事実」 息子の死から9年 過酷な裁判と妻の言葉に父は和解受け入れを決意|FNNプライムオンライン
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ari0921 · 9 months
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 安倍政治は若者世代を元気づけた
  櫻井よしこ
安倍晋三総理が亡くなって1年。7月8日、各地で偲ぶ会が催され、東京・元赤坂の明治記念館での「安倍晋三元総理の志を継承する集い」はネット中継された。冒頭、2014年5月30日に安倍総理がシンガポールのアジア安全保障会議で行った基調講演の一部が紹介された。第二次政権を12年12月に発足させた安倍氏は、13年12月、靖国神社に参拝し、英霊たちに感謝を捧げ、日本人皆が夢をもって暮らせる国を創りたいと、アベノミクスを始動させた。エネルギーに溢れ、溌剌とした様子で氏は語っている。
「私はこの1年と半年近く、日本経済を今一度イノベーションがさきわい、力強く成長する経済に立て直そうと粉骨砕身、努めてまいりました。アベノミクスと人はこれを呼び、経済政策として分類します。私にとってそれは、経済政策をはるかに超えたミッションです。未来を担う新しい日本人を育てる事業にほかなりません」
新しい日本人とは「昔ながらの良さを、ひとつとして失わない日本人です」と簡潔明瞭だ。
具体的には「貧困を憎み、勤労の喜びに普遍的価値があると信じる日本人は、アジアがまだ貧しさの代名詞であるかに言われていたころから、自分たちにできたことがアジアの他の国々で同じようにできないはずはないと信じ、経済の建設に孜々(しし)として協力を続けました」と、アジアのリーダーたる自負心を語った。中国を強く意識した言葉でもあろう。
日本は中国とは違って、国民を大事にし近隣諸国を尊重する。日本の国柄はずっと前から古代の先人達がつくりあげ、残してくれたものだ。���倍氏は言い切った。「新しい日本人は、こうした無私無欲の貢献をおのがじし、喜びとする点で、父、祖父たちとなんら変わることはないでしょう」。
首相再登板を果たした安倍氏に世界は注目し、各国指導者たちは安倍氏に幾度も拍手を送った。日本の自分たちにできたことがアジアの国々で同じようにできないはずはない。相手への信頼、相手の可能性を評価し抽き出す前向きの姿勢は、インドをはじめアジア諸国に大いに歓迎された。それは日本の若者世代にも向けられていた。
命日の朝日社説
にも拘わらず、このような前向きの姿勢を見ることなく、何があっても安倍氏非難しかしないような朝日新聞は命日の社説で、安倍政治は「分断に満ちた荒々しい政治」だったと貶めた。
確かに平成から令和へと、日本社会における不公平感は高まった。また、社会保障のツケは次世代任せとでもいうかのような世代間の不公平という話で終わらせるのではなく、自分のことはもっと自分でやるのがよいと、自立を促す気概が強まった。朝日はそれを「分断に満ちた荒々しい政治」と切り捨てる。だが若者が置かれていた苦況を改善し、皆が働ける社会を創ったのは安倍氏である。21年12月3日の「言論テレビ」で安倍氏は語った。
「私が政権を取った2012年(民主党政権時代)の就職内定率は68%で、就職氷河期より悪かった。安倍政権時の最終的な就職内定率は98%に上がりました。すると新卒者が増えます。新卒者の給料は低いですから、平均実質賃金は低くなります。65歳以上で300万人が働くようになりましたが、現役時代よりは給料が低い。女性も300万人、新たに仕事を始めた。高い給料の方もいらっしゃいますが、結婚、出産を経て職場復帰した当初は、給料は低かったりします。パートから始める人もいますから、それらを足し合わせて平均すれば、実質賃金は低くなる。
しかし、その後は、だんだんと実質においてもプラスになっています。大切なことは総雇用者報酬、みんなの稼ぎを足し合わせたものです。総雇用者報酬は、民主党政権時代にはマイナス2兆円、安倍政権ではプラス35兆円です」
第二次安倍政権前の3年余りの民主党政権時代は若い世代にとっては極度の就職難だった。12年の正社員の有効求人倍率は0.48倍、安倍政権発足8年目の19年には1.14倍に上がった。全都道府県で1倍を超えたのは史上初めてだった
安倍氏は経済を成長させて皆が働き自立できる社会を創ろうとした。可能性が花開き、夢が叶う。広い未来が開ける。そんな社会を若者や女性に用意した。朝日新聞は認めないが、安倍氏の政策を真っ当に評価し、希望を託した人々は数知れない。そうした人々、老若男女が、安倍家による法要が営まれた東京芝の増上寺にも、奈良市の近鉄大和西大寺駅前の献花台にも、長い列をつくり献花した。
「勝てるんですか」
明治記念館での集いではもうひとつの安倍氏の肉声が伝えられた。19年1月28日、国会での施政方針演説だ。安倍氏は平成から令和への御代替りに触れ、平成の時代に起きた阪神・淡路大震災、東日本大震災に関して、天皇、皇后両陛下のお励ましが国民をどれほど慰め力づけたかを語った。その上で、明治天皇の御製を紹介した。
「しきしまの 大和心のをゝしさは ことある時ぞ あらはれにける」
今を生きる日本人も同じ気持ちで共に日本の明日を切り拓こう、と呼びかけた。
ロシアのウクライナ侵略戦争は、来る中国の台湾・沖縄侵略戦争と重なって見える。それ以前から米国の力は相対的に低下し、中国の脅威が強大化していた。100年に一度の危機に直面して、安倍氏は15年、野党とメディアの凄まじい反対、非難キャンペーンの中で支持率を13ポイントも下げながら平和安全法制をまとめた。
当時、自衛隊の最高幹部達に、安倍総理が聞いた。「勝てるんですか」と。その場に激震が走ったと当時の国家安全保障局次長、内閣官房副長官補、兼原信克氏は振り返る。
自衛隊は憲法上も政治上も厳しくタガをはめられていて、「米軍が助けに来なければ必ず負けるように作られた軍隊」だから、勝てるはずがない。それでは日本国は持たず日本国民は救われない。だから安倍氏は総理退任後も、台湾有事は日本有事、日米同盟有事だと警告した。GDP比2%の防衛費、核共有論の議論の勧めなどを提案した。
政治家として全力を尽くした安倍総理を振りかえるのに、朝日は相変わらず統一教会問題をとり上げる。9日の社説、「教団と自民党 社会の不信に向き合え」で安倍氏が「国政選挙で『教団票』を差配していたといわれる」と書いた。教団票は全国で6万~8万票、創価学会の力は600万~800万票だ。朝日が統一教会の6万~8万票を大仰に問題視するのなら、その100倍の創価学会をなぜもっと追及しないのか。
安倍氏貶めに走る余り、我を忘れる朝日の主張は的外ればかりだ。
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myonbl · 11 months
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2023年6月16日(金)
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私の職場(私立女子大学)では、今日で前期授業の10週目が終了、残り1/3となった。やはり金曜日を終えるとホッとする、少し贅沢をして今夜は鱧。自分では皮しか買わないが、ツレアイが<父の日>近しと(見切り品を)買ってくれたので<山椒煮>を作った。暑い夏には<鱧の落とし>が人気だが、私はこの食べ方が一番好き、なんといっても酒が進むのだ。おっと、<飲み過ぎ注意報>を先に発令しておこう。
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4時45分起床。
日誌書く。
5時30分にタイマーを止めて、リビングに上がる。
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朝食、洗濯、弁当*3。
可燃ゴミ、30L*1。
ツレアイの職場経由で出勤する。
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順調に到着、換気・体操・お茶。
図書館に紀要投稿申込をメールで送る、今年は余裕を持って仕上げねば。
金曜日2限・3限は<スタディスキルズ(栄養学科)>の10週目、今日からはグループワークに取り組む。最初にグループ分けをして名前を付けるのだが、2クラスともほとんどが食べ物に関する名前なのはさすがに管理栄養士養成課程だ。雑談含めて話が盛り上がるのは見ていて嬉しくなる光景、こちらも楽だしね。
いつも通りO姉と帰路へ、途中で<シェルブールの雨傘>の話題になり、運転中ではあるが Siri にテーマ音楽を流して貰う。映画の内容は忘れてしまったが、音楽は印象に残っている。
九条大宮で彼女を降ろして帰宅する。
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いつもの大皿、息子たちにはスパークリングワイン。夕方の訪問を終えて遅く帰宅したツレアイには、鱧の山椒煮と瑞冠で慰労する。
録画番組視聴。
(53)「ホロー荘の殺人」
世界が愛した名探偵、エルキュール・ポワロ。アガサ・クリスティー原作の人気ドラマシリーズ。田舎のホロー荘で起きた殺人事件。背景には一族の複雑な人間関係があった。
週末、田舎のコテージで過ごしていたポワロは、近くのホロー荘の主人サー・ヘンリー夫妻から招待を受ける。屋敷には夫人の実家を相続したエドワードや彫刻家のヘンリエッタ、医師のジョン夫妻など親族たちが集まっていた。翌日、ポワロがランチに出向くと、血を流して倒れているジョン、銃を手にしたジョンの妻ガーダ、そして2人の周りをホロー荘の人々が囲んでいる姿を目の当たりにする。
終わり近くでウトウト、そのまま布団に吸い込まれて朝まで。
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辛うじて3つのリング完成、歩数は10,745歩、水分は1,680ml。
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zion0430 · 1 year
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祈り
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2023.3.26
父はステージ4という状況になっても
弱みを見せることは一切なく
しかもイエス様の話をする隙さえなく
日々が過ぎ去っていきましたが、
そんな時に教会の体験談コーナー
「クリスチャンの寄り道」
で同じように病ある中にいた
ある方のお父様がイエス様を信じられた👏
というお話を聞き
とても励まされことがありました。
その方とお話をしたいと
ずっと思っていましたが
今日その機会が与えられ、
その中でお父様が天に帰られてからも
いろいろ見えてきたことがあったという
お話を聞くことができ
これもまた私にとって慰めとなりました。
というのも私自身少し考えるところがあって
でもそのことさえも
これから神様が明らかにしてくださることが
あるのではと思えたのです。
来月も手続きのために帰省しますが、
しばらく父に関して
自分の心と向き合う時間はあるので
焦らず祈っていこうと思っています。
(写真:中高生キブツ。照明がいい感じです。)
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apoandbangpo · 9 months
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BTS Sugaのワールドツアーは究極のポップス転覆 / The Atlantic 翻訳
アメリカでグループ初となるソロコンサートを開催、アーティストとしての個性を強烈に宣言した。
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Story by Lenika Cruz
フォグマシーンの柔らかな吐息に包まれたステージから、フードを被った4人の人物が舞い降りてきたかのようだった。その肩には、黒をまとった体が乗っている。雨と稲妻が背後のスクリーンに真っ白に映し出される。ようやく、その男が地面に横たえられた。その後には、まるで死からの復活を思わせるような光景が待っていた。スポットライトが彼を見つけ、歓声が上がり、ついに彼は動き出した。そして、マイクを口に当てた。
このロックスター、ラザロの正体はミン・ユンギ。グラミー賞にもノミネートされ、チャートを席巻している韓国のグループ、BTSのラッパー兼ソングライターのSugaとして広く知られている。しかし、その夜ニューヨーク州ロングアイランドにあるUBSアリーナのステージには、彼のバンドメンバーは誰もいなかった。なぜなら、この日は彼のソロワールドツアーの初日だったからだ。昨年の夏以降、メンバーは各々の兵役義務遂行に向け、個人活動に集中してきた。BTSで初めてソロツアーを行うSugaはグループ作品よりも暗く、生々しく、パーソナルな音楽制作のために2016年につけた名前、Agust Dとしても公演を行っていた。先月、Agust Dの3部作の完結編となる強烈なスタジオアルバム『D-Day』をリリースした。このアルバムで社会批判やトラウマの黙想、名声、精神疾患、孤独、そして許しについて語っている。
同じくD-Dayと題されたSugaの現在進行中のツアーは、彼の作品を初めて本格的にショーケースするものだ。完売したアメリカでのツアーは、まるで10年以上の歳月を経て作り上げた芸術的個性の宣言のようだった。コンサートはフロントマンのエネルギーと作家主義的な華麗さで爆発していた。しかし、彼の最も際立った功績はポップミュージックが持つ共感を生み出す潜在的な力を受け入れながらも、その非人間的な作用に立ち向かっていることだ。
水曜日の夜、カリフォルニア州オークランドで幕を閉じた全米ツアーの全11公演は雷雨の中、道路に横たわるSugaの姿で終わるショートフィルムからスタートした。これはBTSとしてデビューするまでの練習生時代、生活費を賄うためにソウルで配達のアルバイトをしていた時に、車にはねられたことにちなんでいる。この事故で肩に傷を負った彼はBTSが世界的な名声を得た後も、この怪我に悩まされ続けた。この映像の後に命を落としたかのような実物のSugaがステージに担ぎ込まれる展開は、スムーズでありながらも衝撃的であり、何日も会場の外で待ち続けるファンを持つポップスターの人間的な脆さを再認識させるものであった。
初日のUBSアリーナ、そしてアメリカ最終日のオークランド・アリーナで私が観たSugaの公演は、ポップ・コンサートの常識を覆すものだった。ある面では子供の頃に日本の作曲家である坂本龍一の曲をサンプリングして自分のビートを作っていた技術に長けたラッパーによるダイナミックなヒップホップショーだった。Sugaは『Haegeum』でこの夜の空気を作った。タイトルは韓国の弦楽器と解禁を意味する。「溢れ返る情報は想像の自由を禁ずると同時に思想の統一を求める」「資本の奴隷 カネの奴隷 憎悪と偏見 嫌悪の奴隷 / YouTubeの奴隷 Flexの奴隷」とSugaは韓国語でラップする。Haegeumの耳に残るストリングスと、心地よく荒れたベースが空気を振動させた。この曲はすべて韓国語で書かれたものだが、観客は歌詞を大声で彼に歌い返した。反骨精神に満ちた『Daechwita』、初期のファンに人気の『Agust D』、『Give It to Me』と激しいラップ曲で序盤を駆け抜ける彼は催眠状態にあるかのようだった。
観客がまだ落ち着かないうちに、Sugaはアコースティックギターを取り出した。ギターにはBTSの他の6人のメンバーからのメッセージや絵が描かれていた。パンデミック期間中にギターを習得した彼のアンプラグド・バージョンの『Seesaw』は、振り付けやバックダンサー、凝ったセットを伴う過去のパフォーマンスとは一線を画すものであった。序盤の盛り上がる曲で見せた力みのない威勢が、静かなシンガーソングライターモードのSugaへと移り変わっていった。その後、アップライトピアノの前に座り、2020年のBTSの楽曲『Life Goes On』の自作バージョンを披露した。特に感極まる瞬間は、歌手のWoosungと亡き坂本龍一が参加した楽曲『Snooze』のソロパフォーマンスだった。2022年後半にSugaと坂本が唯一対面した時の映像が、前もって大型スクリーンに流れた。グランドピアノで曲を演奏する年上のミュージシャンと喜びを抑えようとする若者。Snoozeは、坂本にとって最後のコラボレーション作品のひとつになった。坂本を敬愛し、苦闘する若きアーティストを慰めるためにこの曲を書いたSugaにとって曲中の坂本の存在は、とりわけ心に響くものだろう。
BTSの活動で、できなかった試みをD-Dayで再三にわたり実践するSugaの姿は、実にスリリングだった。 そう、彼は依然として熟練したエンターテイナーなのだ。何万人もの観客の心をつかむ術を熟知している。BTSのコンサート中盤の爽快なラップメドレーで見せるとおり、息をつく様子もなくラップをしながらステージを飛び回れる人なのだ。そして、ロサンゼルスの2公演ではアメリカ人歌手、MAXとHalseyをゲストに迎え、それぞれのコラボレーションを披露した。その一方で、彼の破壊的な選択も際立った。コンサートに散りばめられたショートフィルムは、デヴィッド・リンチの夢の論理とグラインドハウス映画の粗い質感を思わせる。ポップアイドルのSuga、影のAgust D、そして人間ミン・ユンギという3つのアイデンティティーのストーリーが描かれている。このコンサートにおける究極の芸術的意図は、それぞれの自己を観客に明瞭に示すと同時に、それらがすべて共存していなければならないのだと認識させることにあるようだ。BTSのソロ曲である『Interlude: Shadow』やBTSの他のラッパーたちとの曲のヴァースを披露する姿を見て、彼は自分の過去を否定しているのではなく、むしろ誇りに思っているのだ���確信した。なにしろ、その過去が彼を韓国の青瓦台、アメリカのホワイトハウス、国連総会、そしてグラミー賞の舞台にまで導いたのだから。
もうひとつの魅力的な演出があった。公演全体を通じて、舞台の一部がチェーンで天井に引き上げられ、Sugaのパフォーマンスできるスペースが次第に狭くなり、より慎重に舞台を進行させる必要があったのだ。 アンコール前の最後の曲『Amygdala』では、寂しげな四角い床に立っていた。周囲には炎が燃え上がり、まるで恐ろしい牢獄のようだった。アルバム D-Dayの核となる、このエモ・ラップトラックには、Agust Dのオルター・エゴの起源が記されている。交通事故、母親の心臓手術、父親の肝臓がん宣告など、彼の人生を決定づけたトラウマに言及し、それらがいかに彼を形成したかを語っている。曲の最後のフレーズで、力尽きたように地面に倒れ込むとフードをかぶった人物たちが戻ってきて彼を運び去った。ただし、今回は全身真っ白な服を着ていた。まるで浄化されたかのようだった。彼のカタルシスが完了したのだ。
アンコールの頃には舞台装置がすべて取り払われ、下に隠れていた機材が露わになった。 消火器、電気コード、発火装置などが散乱していた。Sugaはもう観客の頭上に立つことなく、地面の高さからファンの目の前で最後の数曲をパフォーマンスした。時にはファンの携帯電話を手に取り、自身の姿を撮影してみせた。最後の瞬間は、ほろ苦かった。ほとんどの観客は、6月下旬にあるソウル公演でツアーが終了した後、Sugaが少なくとも18ヶ月間の兵役に就くことを知っていたからだ。その現実がコンサートを一時的な別れのように感じさせた。ファンが持つライトスティックの輝きが、まるでひとつの波のようにアリーナ全体を駆け巡った。 時折、野生的なエネルギーに駆られた観客が吠え始めるとSugaは驚いたり笑ったりしていた。オークランドでは観客に向かって、BTSの他のメンバーと一緒に戻ってくること伝え、ファンにもう少しだけ待って欲しいと頼んだ。
ツアー初日の夜、もうひとつのサプライズが待っていた。私は最後の曲は感傷的なものなのか、軽快なものかだと思っていた。 ところが、Sugaは不気味なビデオカメラの輪の中に入っていき、その真ん中に立った。つぶやきはじめたのは『The Last』のヴァースだった。第一作目のミックステープに収録されているこの曲は、彼の最高傑作であり、私が最も好きな曲のひとつだ。そして、このところ私が聴くのに苦労している曲でもある。The LastでSugaは、強迫性障害、鬱、社交不安について語っている。低く控えめな表現から徐々に切迫していき、最後には叫び声と泣き声の間のような声へと変化していた。数年前、この曲を初めて聴いたとき、私は自分自身の絶え間ないパニック障害による発作と息苦しい死への渇望を思い出した。この曲は私の心に刺さり、歓迎すべき欠片になったのだ。
ここ数年、Sugaは成長、自己愛、不安や苦しみを肯定することをテーマにした音楽を多く作ってきた。 コンサートの序盤、彼は英語で「あまり怒りを抱えずにパフォーマンスしたい」と語り『SDL』、『People』、『People Pt.2』といった曲に焦点を当てた。これらの曲は人生の試練を前にして冷静に考え、許し、謙虚でいられる人物像を描いている。ひどい苦しみから解放され、自分なりの癒しを見つけられたときの安堵感を私もよく知っている。だから、The Lastの出だしの歌詞(「有名なアイドルラッパーその後ろに、弱い俺が立ってる 少し危険だ」)を聴いたとき、私は凍りついた。彼は一体何をしているのだろうか。 監視システムのように並んだカメラ、その映像が映る彼の頭上のスクリーン。彼が見せる苦しみを貪るように映し出す。つまり私もまた、彼の苦しみを貪っているのだ。
しかし、すぐに理解できた。23歳のときと同じように息もつかせぬ情熱でラップしているが、単なる激高ではなく時間とともに和らいだ怒りでパフォーマンスしているのだと。その感情の力強さや真摯さに陰りはないが、それを発信する側が受けるダメージは少ないのだ。今の彼は炎の中に立って熱を感じながらも、その炎に飲まれることはない。若き日の自分に回帰することなく、当時の自分と心を通わせられる。
そして、魔法が解けた。曲が終わった瞬間、客席の照明がつき、彼が舞台袖に無言で歩いていくのが見えた。別れの挨拶も、長々とした感謝の言葉も、歓声を上げる観客に手を振ることもない。後ろを振り返ることさえもしなかった。初日の夜、突然の退場に衝撃を受けた人々は戸惑いの表情を浮かべた。このフィナーレを観客との静かな対決、愛されてやまない芸術家による大いなる自己主張と捉えることもできるかもしれない。けれども、もしそれが対決であったなら、それは見下しているのではなく、むしろ信頼に基づくものだ。観客が不快感に耐えられるだけの知性を備えており、彼が見せたものに気分を害したり、恐怖を感じたりしないのだという信頼だ。
完璧なエンディングだった。闇と神話作りから始まったコンサートが明かりの中で、さらけ出すように終わったのだ。他の誰かに運ばれきてスタートさせた公演をSugaは自らステージを去ることで終わらせたのだ。これ以上、何を望むというのか。彼は私たちに何もかも見せてくれたのだから。
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moja-co · 9 months
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 故中川昭一 元自由民主党政調会長の御霊に額ずき、ここに哀悼の誠を捧げます。
 昭一さん、きょうは昭一さんと呼ばせて下さい。
 私と昭一さんとは、お互い父親が親しい政治家同士という関係もあり、家族ぐるみのお付き合いをさせていただきました。私が父の秘書となり、政治の世界に足を踏み入れてから今日まで長く親交を深めることができたことは、私の喜びとするところであります。
 先般の総選挙直後、お目にかかった時には、さすがにお疲れの様子でしたが、2週間ほど前、電話で話した際は大変元気で「安倍ちゃん、保守再生のために頑張ろうよ」と語りかけてくれました。激励しようと思った私が逆に励まされました。
 その矢先の突然の訃報に私は愕然とし、言葉を失いました。再起を目指していた昭一さんの意欲に、多くの人達が期待していただけに無念であります。かえすがえすも残念であり、本人もさぞかし悔しい思いであったことでしょう。
 私が初めて選挙戦に挑んだ際、昭一さんは当選3回でした。まだ、ご自分の選挙に集中しなければいけない中で、あなたは私の選挙区に足を運び、心にしみる応援演説をして下さいました。
 当選後は国家の基本問題で大きな議論が起こった時、私は昭一さんと行動を共にしてきました。常に昭一さんはリーダーでした。〝颯爽〟とした若武者ぶりは、当時の私達若手議員を奮い立たせる魅力と力にあふれていました。
 いまでも忘れません。自由民主党の党綱領から憲法改正の柱が削除されそうになった時、昭一さんは当時の党の重鎮を向こうに回し、堂々と論陣を張りましたね。
 時は村山政権時代。このままでは日本は危ないという危機感の中で、教科書問題にも取り組みました。中学校の歴史教科書すべてに従軍慰安婦強制連行の記述が載ることになりました。このような自虐的な歴史観を何とか正し、子供達が日本に生まれたことに誇りを持てる教育に変えたい。その一心でした。
 当時の政治状況、マスコミの報道ぶりから考えれば、圧倒的に不利な情勢であり、まさに多勢に無勢でした。
 その中で私達は「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」を立ち上げ、メンバーの総意で昭一さんに会長をお願いしました。批判の矢面に立たされる危険がある中、俗に言えば票にもつながらない、政治キャリアにはマイナスかもしれない役職を、昭一さんは「俺がやらねば」という思いで引き受けてくれました。
 拉致問題でも全力投球でしたね。憲法改正問題も同様でした。
 今から思えば全て困難な問題ばかりで、私がまだ当選1、2回の頃、若手の仲間と「昭一さんに、こんなに何でも押し付けていいのかなあ」と話し合ったことがあります。
 しかし、責任感の強い昭一さんは自ら困難な問題に立ち向かい、その後、教科書の記述は改善されました。
 難局に立ち向かうことで世の中を変えていく。そのためには全力で闘う。私も昭一さんの“驥尾”(きび)に付し、「闘う政治家」の姿をあなたから学びました。
 小泉内閣時代、昭一さんは経済産業大臣、農水大臣を歴任されました。その間、海外出張は何と43回にのぼりました。
 東シナ海のガス田問題で、あなたの毅然とした外交姿勢は資源外交の重要性、国益を守るとは何なのか、ということを私達に身をもって示してくれました。
 安倍内閣が誕生した時、私は迷わず、あなたに政調会長就任をお願いしました。平成19年1月、通常国会で昭一さんは代表質問の壇上に立ちました。奥様のお話では、まじめな昭一さんは深夜まで何回も“推敲”を重ねたそうです。
 その冒頭、昭一さんは張りのある声でこう切り出しました。
「国の骨格をなすものは、憲法、安全保障、教育であります」。そして結びで
「アインシュタインが称賛した日本人の謙虚、質素などの美徳を保ちつつ、誇りと自信を持った国民によって、見える部分、見えない心の部分も、ともに真に美しい国、日本が実現されるよう全力を挙げて努力することをお誓いします」と述べられました。
 私は代表質問に聞き入り、昭一さんと共に歩んできた道、闘ってきた道に思いを馳せました。
 あなたの歩んできた道は国家のため、まさにその��筋で貫かれていました。
 お別れの時がきました。
 私は残されたご家族、ご参列の皆様に改めて申し上げたいと思います。
「中川昭一は立派な政治家でした」
 まだまだ国家のために一緒に闘ってほしかった。私達はあなたを必要としていました。
 こんなことを申し上げていると、あの魅力的で、誰をも虜にする、はにかんだ笑顔で「そんなにほめるなよ。安倍ちゃん」という昭一さんの声が聞こえてくるようです。
 国家の行く末、残されたご家族、昭一さんにとって心残りだと思います。
 しかし、ご長女の眞理子さんはジャーナリストとして活躍され、将来が“渇望”(かつぼう)されています。高校2年生のご長男、峻一君はスポーツで鍛えられた精神と肉体を持った優秀な青年に成長されました。
 お2人とも中川昭一の娘、息子であることを誇りにし、人生を切り拓いていくことでしょう。
 昭一さんの最愛の奥様、郁子さんと昭一さんはかねてからの夢だったエジプト旅行に来週、出発することを決めておられたと、伺いました。本当に楽しみにしていたことでしょう。
 郁子さんは、昭一さんとの幸せな日々を胸に、お2人のお子様と中川家を守っていかれると思います。
 そして残された私達は、あなたが目指した誇りある日本をつくるため、保守再生に向けて全力で取り組むことをお約束し、弔辞といたします。
 昭一さん、さようなら。安らかにお眠り下さい。
 平成21年10月9日
 友人代表
 衆議院議員 安倍 晋三
「国家のために一緒に闘うあなたを必要としていた」 安倍晋三が友人・中川昭一の葬儀で読んだ弔辞全文公開 | 財界さっぽろ https://www.zaikaisapporo.co.jp/news/news-article.php?id=16905
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ashi-yuri · 3 months
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Kentucky Route Zeroテキストを巡る冒険12
X/Twitterで投稿規制になぜか引っかかってしまったため、今回からこちらにて。最終的には全部まとめてブログに投稿する予定です。
テキスト(詩)
本作のテキストは詩情をたたえるが、そのほとんどは脚本・散文調で書かれており、形式的に「詩」といえる文章は数か所しかない。
その詩は、詩のいくつかがそうであるように、短くも作品全体を貫く精神を象徴する。
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ジョセフ:パスワードは長くて、ちょっとした詩みたいなものでね。人生を要約した短い詩さ。
1.    はじまりの詩
3つの文章からひとつ選ぶ選択を3回繰り返せば、パソコンのパスワードとなる詩が完成する。
単体では美しい響きだけの言葉は、組み合わせることで必然のように先の展開を予兆させる。
このパスワードでは、どんな選択も間違いにならない。プレイヤーの選択を報酬・展開の変化等によりゲームが評価することはなく、すべての選択は等価となる。プレイヤーが何を選ぶかは、この先もずっと自由に任される。
最初に作るこの詩から「マルケス」というキーワードが開け、本作の旅は始まる。
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(Act.1 EQUUS石油:パソコンのパスワードとして、3つの文章から3回選んで詩を作り入力する。)
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2.町はずれの者の死を悼む詩
アマチュア詩人である「町」の住人ニッキがコミュニティテレビWEVP-TVで披露する詩。
居場所でありよりどころであった「町」がより弱い立場にある町はずれの者に対して振るった暴力と罪を悔い記憶するための詩。
もう思い出す者もいないHomeなき者への詩。
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ニッキ:町外れの者へ。 どの鷲があなたを終の眠りへと運んだだろう? あなたを運び、眠りにつかせたのは人ではない。 泥と泥水の流れる小川を選んだ者たちは、血まみれのあなたを残して逃げ出した。(以下略)
3.最後の詩
なにもわからず宙ぶらりんでさまよう気持ちのまま、あなたはそれでも詩を紡がなければならない。
まったく現実の世界でもそうであるように。
喪失、追悼、後悔、慰安、再生、悲嘆、鎮魂、決意、休息
悲劇といわれる旅の終着点で、だれに、なにに向けて祈るのか。この作品があなたにとって何だったのか。
作り手たちとの言葉と混ざり合いながら、あなたは短い言葉で詩を紡ぐ。それを表明するために、あなたはこの場にいるのだから。
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(Act.5:最後に捧げる詩の言葉を選ぶ)
ウォルト・ホイットマン「草の葉」
「自由詩の父」と呼ばれ、放浪しながら一般民衆に広く詩を行きわたらせた19世紀アメリカの代表的な詩人のひとり。「草の葉」は彼の代表作であり、おおらかで気宇壮大で自然と理想に満ちたアメリカ建国時のイメージが映る。
最後の詩の直前の台詞及び第5幕の実績「あなたの足下にいる私を探して」はここから引用されている。
おれはおれ自身を土に遺す、やがては愛しき草地から生え出るように、 もしおれをまた求めるなら、おまえの靴底の下を探すがいい 「草の葉 おれ自身の歌(抄)」ウォルト・ホイットマン 飯野友幸訳より
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ニッキ:「私を探すなら君の足元を見るがいい!」、そんな言葉があったわね。
ロバート・フロスト「雇い人の死」
『選ばなかった道』などの詩で有名なアメリカ詩人。簡潔で平易な言葉を用いながら、象徴的で喪失感・諦観に満ち謎めいた詩を多く残した。
20世紀のアメリカを代表する詩人のひとりであるとともに、その詩はアメリカ一国を超えてひろく読まれてきた。
「雇い人の死」は、老いてどこにも行く当てのない雇われ小作人サイラスが放浪の末、雇用先の納屋で誰にも知られぬままひっそりと息を引き取るさまを雇用主夫婦の会話により描いた詩。KRZはこの詩を基調として作られていることがキャリントンの口から示唆されている。
「雇い人の死」和約:神戸親和女子大学学術リポジトリ
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Act.1 EQUUS石油 キャリントン:私はこの12年間を人生における最高傑作を作り出すため捧げてきた。ロバート・フロストの詩「雇い人の死」を、壮大かつ実験的な演劇へと翻案することに。
最後の幕間劇「雇い人の死」においてサイラスの最期と重なるように雇い人ブランドンがひとまずHomeで眠りにつくことでKRZは終わりを迎える。
「ウォレン」と彼女。「彼は死ぬためにうちに戻ったの。もう今度は途中でいなくなる心配はいらないわ」。 「うちにね」、彼はおだやかに皮肉をこめた。 「だってうちじゃない。うちをどう考えるかで、話はずいぶん違うけど。もちろん彼は私たちには赤の他人で、それは以前、森から出てうちに来た見知らぬ犬―長い旅路でやつれ果てたあの犬と変わりはないわ」。 「フロスト詩集」『雇われ農夫の死』 ロバート・フロスト 川本皓嗣編より
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ハリー:眠らせてやろう。
詩という形式で、短く象徴的に凝縮されたこれらの言葉こそが、本作の精神をよく表しているといえるだろう。
いや、「迷ったと感じるべき」なんだ、ジョセフ。我々が常に迷い続けているように。 あの哀れな、放浪する雇い人サイラスのように。道をさまよい、帰るべき家を探しながら。 Act.1 EQUUS石油 劇演出家ジェームズ・キャリントン
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toshikun777-blog · 7 months
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ガオガオがおー。
帽子のなか。。大変な事になってるの、、。
みたい人〜〜?したいひと〜〜??
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って、変態バリウケどんぐり見てもきもいだけだよね、、明日。新居が決まるかも。横須賀?平塚、藤沢、保土ケ谷、茅ケ崎、辻堂、相模原??厚木もいいよね。。。なんでかって??
子安、厚木の山登ってったとこ、藤沢、平塚、追浜、横須賀。川崎もか。。もう川崎の産業道路なんて、もう、、、妄想やばいよね。。答えは。
肉体労働者さま。工場。。いろいろ。
仕事おわり、、疲れてるとき、一気に勃起することない??あるんです。期間工のお兄さんとか、男子寮に帰っていく。。あー。。拉致られて、閉じ込められて、監禁されたい、、、。。慰安夫になりたい、、、。
れいぷされたいよね。。だって、便器だもん。欲しくなるの当たり前だよ。ご飯食べるみたいに普通のこと。。肉食動物が草食食うのと一緒。弱肉強食。。
自分はね絶対タイマン負けるよ。。つか、、てなんかあげれないし。。でもね。肉食なんだから、弱いものいじめしてスカッとしたいはず。。だからね。2体1で、更に動けなくされて、、、。。自分父親にDV受けて育ったからかな、、父。自衛官なんだよね、、。。
しょっちゅう目を腫らしてた、、、。でもいまは大好きなんだ。だって喜んでくれるんだよ。。縛られた自分。。これからどうされるんだろ、、三人しかいない。。抵抗できない。。気が狂いそうになるほど可愛がられたい。。ニヤニヤしながら二人で硬くなってさ。叫んでも誰も来ないし。逃げれない。苦しむのみて興奮してびんびんに、、。。自分は男のなりそこないのエラー品。。いれるんじゃなく、いれられてるんだもん。。37になってメイド服。。着れる?
自分なんで岩手から横浜来たと思う??男にたっぷり犯されるため、、あげた時しかえろならんけどさ。。
まあ、女装してまで犯されたい変態だからね。
だって、自分の穴使ってほしいよね。。無理やりじゃないんだもん。自分は
ケツ使ってくれるならなんでもする。
言ってる。本当は女がいいのにさ。。。だからさ。。やった後さ、ノリでやったけど、なんでこんなのとやったんだ?きもちわり〜、、。って。多分なると思う…つか、自分は無理だもん、、
あっ。ムリも何も、立たないし入れられなかった。。だからね。。だからさ。
だいたい一回で終わるでしょ、、?一回で終わりなら。お互いなにしてもいいし、優しくされるよりも、奴隷のようにたっぷり可愛がられたいよね。。ホモってマジ、ちんこのタメならなんでもすんだなって笑われて、逃げれないからだ。。ストレスも発散させたい。。だって、、自分なんかを使ってもらえるんだよ。。本当だったら、ないんだから。なんもない。女とやる人だよ。その男の人が、勃起しながらニヤニヤ。。声が震えたり、歯ぎしりなんかはじまったら、、、。。
自分バイの彼氏がいたんだよ。つか、バイばっかり。ばいにしかすかれないんよ。別にすかれてないけど。体ありきで性処理以外で必要とされた事、、、ないんだろうな。。。
自分はさ。変態な事いったりなんだりはさ。カモフラージュ。。男のひとと一緒にいたいってすごく思うし、、気持ちよくしたいとか、使ってほしいとかさ。。面倒くさい話はやめよ。。そんなもんひとりよがりな感情だから。。
だからくだらねーこといわねーで、楽しませて上げるんだよね。。好きな人の為になんでもしてあげたいよね。当たり前の事。するなら、中出しされたい。当たり前。でも眼の前の人は自分なんか好きじゃない。。女の子なら、しゃぶる前からビンビンになってるんだろな。。だからRingつけさせる、勃起ものませる。。当たり前だよね。だって自分は女とやる気もしなけりゃ、たちもしない。でもたってくれてる。。涙
自分ってなんも嫌な思いしていない。
でもノンケとかバイなんて。最初から嫌な理由。せめてできるのは、気を使わずに何でもさせてあげよう、、つか、したいのは自分だよね。変態なりきって、変態なおねがいしまくろう。思いっきり使わせてあげよう!
自分本当にないんだよ。エロ以外で、、。酒飲みにとかはあったけど。どう考えてもない。
高校ときの彼氏くらい。
としく〜ん宿題やったか〜って。。
毎日電話くれたんだ。そして土曜の夜。スカイラインでうちまで迎えにきてくれたの。
自分顔真っ赤だったんだろな。。
あった途端豹変するタイプ。みんなもそうだよね??姉もそうだった、、。急に女になるやつww
って、自分まだぜんぜんやってないんだ。ずーっとエロエロなってるけどさ。
自分明日。新居きまるんだ。。自衛隊さんがいる横須賀?追浜のトヨタのおにーさん?追浜。なんか小ぶりなパチンコ屋と、小さい飲み屋なんかたくさんあるよね。なんとかデリカだっけ?惣菜屋。磯丸水産あってさ。。
だれか。新居祝に中出ししてよ。つか、女装して犯されるのみる?女の格好すればいいっていう、単純さ。。自分が感じることないエロの感情。。なんだろな。。
自分になら理性外してなんでもしてあげたい。。
社会人だから毎日ストレス溜まってると思うし。。対等なんかないよ。
たださ。神様ありがとう。穴を2つつけてくれて。。ありがとう。これが無かったら、なんもできなかったんだ、、ありがとう。。
自分。。ずっと思ってることがある。
ゲイタチっているのかな?って。。
レズってほぼほぼバイらしいね。。
自分は生まれて16の時便器になって、それからずっと。バリウケ。変にリバとかにならなくて本当に良かった。いまんとこ、付き合った相手が掘られてるとか見たことない。多分一発で覚めると思う。。やっぱさ。性別なんだよね。無理することないよ。無理してやっても。それは違うんだよ。ある意味自分って一番ノンケだよねww対象が男でウケ。高校の時女と二回。それだけ。そん時の感情思い出せない。。多分幻だ。女ごめんね。なんとなくしてみたかったんだ。童貞思われたくなかったし。。デートとかしたかもしれないけど、普通に彼氏いました\(^o^)/あはは。
つか、、30分も。。だってきもちいいんだもん。この多幸感。これ買うために仕事してるわ。わし。セックスが気持ちいいって感じたの。初めてキメタとき。なしだと、、ちょっと怖いんだ。。嵐山のジレンマだ〜。。
エヴァのライトミドルやりたい。。
パチンコ半年以上やってない。最後大海5のミドル。。やりたいと思わないの。。
で〜。ねーねー。新居祝いに使ってくれる人。。DMください。今さ55型テレビだけど近々85にします。。一緒にみながらしようよ。。、エロ動画。。
横浜東京民。おいで〜。車でむかえにもいくよ★おうち。すっごいすてきすぎなんだ。
つか、、楽しも〜★神奈川民遊ぼ〜★
天涯孤独だし。め゙いわくかける人なんていない。。
ねー。あそんでよ、、。。
受けの子とは変態話と妄想で。
さみしいよ
おもちゃたくさん遊ぼうね。
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今度みんなにも紹介するね。
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oppositesex · 10 months
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「まず、ジャニーと私の父・良一の出会いから話します。1950年に、父が歌手の笠置シヅ子さんと『ブギ海を渡る』を持ってアメリカ巡業ツアーをしたのです。8月11日にハワイ公演、9月1日から3日間はロサンゼルス公演でした。会場は高野山ホールという高野山真言宗の直営ホールで、当時の高野山真言宗米国別院の第3代主監が喜多川諦道氏。ジャニー喜多川の父です。
 諦道氏は『ボーイスカウト第379隊』の結成に尽力したり、プロ野球球団『ゴールドスター』のマネジャーも務めていたという多芸多才な方だと、今回ネットで知りました。ロスの日系社会で声望が高かったそうです。息子のジャニーは当時19歳。姉のメリーと共にコンサート会場を駆け回り、大人顔負けの接待役を発揮し、父や笠置さん、服部富子(叔母で『満州娘』の大ヒットで知られる歌手)、スタッフたちのマスコット的存在だったそうで���」
「同じ年の6月に勃発した朝鮮戦争で、ジャニーはアメリカ国民として徴兵され、従軍するのですが、ある日、突然、彼が新宿区若松町の家にカーキ色の軍服姿で現れました。パパ(良一)と叔母は、それを見るなり『ヒーボー(ジャニー氏の本名・擴からこう呼んでいた)! ウワー、大きくなって』と歓声をあげて出迎えました。
 それから、何回か若松町に遊びに来ました。今でも忘れられない光景があります。玄関にうずくまり、軍靴をゆっくりと編み上げている彼の姿です。家族はそれを囲んで一言も言わずじっと見つめていました。それから彼は立ち上がり、私たちに別れの挨拶をするでなく、『あー、行きたくないなー』と一言。
 今思うと、2世差別の残る戦場へ向かう彼の姿を中国戦線での慰問経験をもつパパと叔母は、どんな思いで見ていたのだろうと思います。ジャニーは朝鮮戦争から帰還し、その翌年日本に戻り、除隊後には米大使館軍事顧問団に勤務したといいます。それで再び、服部家に出入りするようになったのです」
「ジャニーはワシントンハイツ(代々木にあった進駐軍宿舎)に住んでいて、時々、お土産をもって服部家を訪ねてくるんです。ハーシーのチョコレートやハンバーガー、フライドポテト、アイスクリームなど。PX(基地内の売店)で手に入れたものでしょう。当時の日本は皆貧しいですからね、ハーシーのチョコなんて高根の花でした。うちは比較的裕福とはいっても、進駐軍の物資の豊かさは別世界です。
 ある時、冷蔵庫が運ばれてきたのでびっくりしました。父が彼に頼んで買ったものでしょうけど、当時は氷を置いて冷やす簡易冷蔵庫しかない時代です。冷蔵庫・洗濯機・テレビが三種の神器と呼ばれて主婦が憧れたのは1960年代の初めですからね」
国民栄誉賞作曲家の次男がジャニー喜多川氏からの性被害を告白 「8歳の時に自宅部屋で…」
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kennak · 9 months
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 服部吉次さん(俳優・音楽家/78歳)  今年3月に英公共放送BBCが報じたジャニーズ事務所の創業者・故ジャニー喜多川氏の性加害問題のドキュメンタリーを契機に、元ジャニーズJrでシンガー・ソングライターとして活動するカウアン・オカモト氏(27)が実名でジャニー氏を告発するなど、その衝撃は日本中に広がっている。今回、俳優で音楽家の服部吉次氏が小学生の時に受けたジャニー氏からの性被害を告白する。吉次氏は「別れのブルース」「東京ブギウギ」「銀座カンカン娘」などの和製ポップスで知られる国民栄誉賞受賞作曲家・服部良一の次男。長兄は作曲家の故・服部克久だ。(独占インタビュー前後編の前編です)  ◇  ◇  ◇  ──なぜ、今過去の性被害を公表する気になったのでしょうか。 「ひとつは、カウアン・オカモト氏ら実名で告発した方たちに対する敬意です。ジャニーの悪行にはかつて(2000年代に)司法の明確な裁きが下ったんです。にもかかわらず、それから30年経った今に至るも、主要なメディアはジャニーズ事務所の数々の非道の兆候を明確に指摘することをためらい、忖度し、温存する側に回ってしまった。  なぜか。この国ではむきだしの怒りを相手にぶつけることを避けてしまう。人々はこの世の歪みに気づかないふりをする。でも、少しずつではあるけれども、勇気ある告発は増え続け、海外からの声も追い風になり『おかしい』という声は大きくなってきた。それだけに行動する人に対するバッシングも大きくなる。今回こそ、真正面からその圧力と向き合おう、この機会を失うと、もう二度と発言の機会は失われてしまうかもしれない。そんなやむにやまれない思いで、今回の告白に踏み切りました」 ■父の米国巡業の縁で姉弟が服部家に  ──被害にあったのはいつ頃でしょうか。 「まず、ジャニーと私の父・良一の出会いから話します。1950年に、父が歌手の笠置シヅ子さんと『ブギ海を渡る』を持ってアメリカ巡業ツアーをしたのです。8月11日にハワイ公演、9月1日から3日間はロサンゼルス公演でした。会場は高野山ホールという高野山真言宗の直営ホールで、当時の高野山真言宗米国別院の第3代主監が喜多川諦道氏。ジャニー喜多川の父です。  諦道氏は『ボーイスカウト第379隊』の結成に尽力したり、プロ野球球団『ゴールドスター』のマネジャーも務めていたという多芸多才な方だと、今回ネットで知りました。ロスの日系社会で声望が高かったそうです。息子のジャニーは当時19歳。姉のメリーと共にコンサート会場を駆け回り、大人顔負けの接待役を発揮し、父や笠置さん、服部富子(叔母で『満州娘』の大ヒットで知られる歌手)、スタッフたちのマスコット的存在だったそうです」  ──服部家とはその縁で? 「同じ年の6月に勃発した朝鮮戦争で、ジャニーはアメリカ国民として徴兵され、従軍するのですが、ある日、突然、彼が新宿区若松町の家にカーキ色の軍服姿で現れました。パパ(良一)と叔母は、それを見るなり『ヒーボー(ジャニー氏の本名・擴からこう呼んでいた)! ウワー、大きくなって』と歓声をあげて出迎えました。  それから、何回か若松町に遊びに来ました。今でも忘れられない光景があります。玄関にうずくまり、軍靴をゆっくりと編み上げている彼の姿です。家族はそれを囲んで一言も言わずじっと見つめていました。それから彼は立ち上がり、私たちに別れの挨拶をするでなく、『あー、行きたくないなー』と一言。  今思うと、2世差別の残る戦場へ向かう彼の姿を中国戦線での慰問経験をもつパパと叔母は、どんな思いで見ていたのだろうと思います。ジャニーは朝鮮戦争から帰還し、その翌年日本に戻り、除隊後には米大使館軍事顧問団に勤務したといいます。それで再び、服部家に出入りするようになったのです」  ──どんな印象でしたか? 「ジャニーはワシントンハイツ(代々木にあった進駐軍宿舎)に住んでいて、時々、お土産をもって服部家を訪ねてくるんです。ハーシーのチョコレートやハンバーガー、フライドポテト、アイスクリームなど。PX(基地内の売店)で手に入れたものでしょう。当時の日本は皆貧しいですからね、ハーシーのチョコなんて高根の花でした。うちは比較的裕福とはいっても、進駐軍の物資の豊かさは別世界です。  ある時、冷蔵庫が運ばれてきたのでびっくりしました。父が彼に頼んで買ったものでしょうけど、当時は氷を置いて冷やす簡易冷蔵庫しかない時代です。冷蔵庫・洗濯機・テレビが三種の神器と呼ばれて主婦が憧れたのは1960年代の初めですからね」 ──ジャニー氏の性癖を知ったのはいつですか? 「私は当時8歳。小学2年生ですから、チョコレートやお菓子を山のように持ってきてくれて、一緒に遊んでくれるヒーボー(ジャニー氏)は優しいお兄さんですし、大好きでした。ある日、いつものようにふらりとやってきて、確か“キャナスター”というトランプゲームなどで遊んでくれたヒーボーが、『もう遅くなったから今日は泊まっていこうかな』と言うんです。母も、『そうね、どうぞ泊まっていって』と言う。  ヒーボーが『どこに寝ればいいかな?』と聞くと、『よっちゃんの部屋がいいんじゃない』と母。『よっちゃん』というのは私の愛称です。  それでヒーボーが私の部屋に泊まることになりました。2階が子供部屋で4部屋あるうちの2つは兄と私、1つは姉3人が寝るようになっていて、一つは布団部屋みたいになっていたと思います。  パジャマに着替えた私が布団に入ると、彼が『肩揉んであげる』と言うんです。私も子供のくせに肩こり性なので、言う通りうつぶせになると、ヒーボーの手が虫みたいに体中をはいまわるので『なんか変だな』と思ったけど、私にとっては優しいお兄さんですからね。  そのうち、下半身をまさぐってきて、パンツをめくって股間のあたりに手を入れてくるんです。指でさすられているうちに生温かいものに包まれたと思った瞬間、今まで知らない突き抜けるような快感があって。それが初めての射精でした。何がなんだかわからず、びっくりしていると、今度は肛門をいじり始め、舌がはい回ってくる。そのうち舌とは違う硬いものが入ってくる感触がするけど、さすがに痛いので身をひねったら、諦めたようで、指で自分を慰めている。それを見て怖いというよりも、8歳だから何がなんだかわからない状態です」 ■姉からは「汚らわしい」と言われ…  ──母親には話さなかった?  「その翌朝、起きたらすでにヒーボーの姿はない。何も知らない姉が笑顔で『どうだった? 昨夜は大好きなお兄ちゃんと一緒に寝て楽しかった?』と聞くので、『うん、ヒーボーは僕の体を揉んでくれるんだけど、だんだん、手がパンツの中に入ってきて、おちんちん触るんだよ。おちんちんって汚いよね。ぼく、なんだか気持ち悪くて……』と言ったら、姉が、『やめなさいよ、そんな話。汚らわしい』とすごい剣幕で言う。  姉がそんなに怒るのは昨夜のことはやっぱりいけないことだったんだと思って……母親に話すことはできないし、まして普段からあまり会話が少ない父親に話すなんて無理。そこで思考停止しちゃったんです。  ジャニーがしたことがオーラルセックスだというのは大人になってわかるんですが、変なことをされたという気持ちとそれを自分が受け入れた後ろめたさが子ども心にも複雑な心理状態になるんですね。  アイスやチョコをくれて、性的な快感を味わわせるということで、こちらに後ろめたさを持たせ、その一方で加害者としてその快楽を使った口封じをしているわけです。性に関する問題は『支配と奉仕』の二重構造があるのだと思います。でも、それで終わったわけではなかったんです」(後編につづく) ▽服部吉次(はっとり・よしつぐ) 本名・服部良次。1944年生まれ。父は作曲家・服部良一。劇団黒テントの創立メンバー。「翼を燃やす天使たちの舞踏」「上海バンスキング」「阿部定の犬」ほか多数の舞台に出演。妻は女優の石井くに子。次男はハンブルク・バレエ団で東洋人初のソリストで、バンクーバー五輪の開会式に出演したバレエダンサー・服部有吉。兄は作曲家・服部克久。甥は作曲家・服部隆之。隆之の娘はバイオリニストの服部百音。 (取材・文=山田勝仁)
(2ページ目)国民栄誉賞作曲家の次男がジャニー喜多川氏からの性被害を告白 「8歳の時に自宅部屋で…」|日刊ゲンダイDIGITAL
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ari0921 · 7 months
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【変見自在】優子を見習え 
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         高山 正之
 忠犬ハチ公は帰らぬ主人を待ち続けた。対して朝日新聞はすぐ見切って別の主人に走るタイプだ。戦後はだから天皇を見切ってGHQに走った。京都は原爆投下候補地で、その威力を正確に測るために空爆も控えさせた。
 結果、無傷で残った。日本人がその僥倖を喜んでいるのをGHQは知った。で、尻尾を振る朝日に「ラングドン・ウォーナー教授の意見で空襲をやめた」と尤もらしい嘘を書かせた。細川護熙の父、護貞は記事を事実だと思って米国に感謝する碑を建てた。
 そのGHQが去ると、朝日は別の主人を探し、渡辺誠毅はソ連を、広岡知男は毛沢東を新主人とした。 編集局は以後、二人の主人に仕えるようになった。あるとき北京が「京都を空襲から守ったのは梁思成だ」と言ってきた。
 昔、日本が面倒を見てやった梁啓超の息子だが、彼にそんな影響力はなかった。全くの嘘だが、ご主人様のお言葉だ。朝日は「梁思成が京都を救った」と書いた。よく書いたものだ。
 ネタの真贋より、ご主人様の意向が大事。だから支那や露西亜が喜べばどんな嘘でも書いた。広岡はそれで真実の一片もない「中国の旅」を本多勝一に書かせた。渡辺誠毅も負けずに「教科書検定で侵略を進出に書き換えた」とyった。ガセだが、支那は喜んだ。
「南京大虐殺は都城連隊がやった」とも書き、さらに「これが中支での毒ガス作戦だ」と煙もくもくの写真も添えて掲載した。しかし南京ものは都城連隊関係者が誤りを指摘。毒ガスも産経新聞が写真の出所を割り出して、煙もくもくは煙幕だと証明した。
 渡辺は辞任し、世間は北京やモスクワの意向より真実の報道を朝日に求めた。しかし真実を書く癖がない記者に反省はなかった。 次の一柳東一郎時代にはカメラマンが西表の珊瑚に落書きをし、それをもとに「日本人は落書きして恥じない」(降幡賢一)と自虐ネタに仕立てた。一柳のクビが飛んだ。
 二代置いて箱島信一時代も記者たちは嘘をやめなかった。政治部デスク曾我豪が田中康夫と亀井静香の架空会談を捏造した。箱島が責任を取り、秋山耿太郎に代わると、前後して「安倍晋三がNHKの番組を改変させた」という本田雅和のネタが出た。
 NHKは朝日、共同とともに赤い三羽烏を自認する。自虐の趣味もいっしょなら安倍嫌いも共通した。てっきり口裏を合わせてくれると思っていた。ところが本田の記事がお粗末すぎたのか。NHKは「朝日の報道は虚偽」と秋山に公開質問状まで叩きつけてきた。
 政界のプリンスの政治生命を絶とうというネタがガセだったら秋山の首では収まらない。朝日の廃刊だってあり得る。秋山は考え、ここは「第三者委員会に総括させる」ことにした。
 ただまともな第三者だったら悪質な嘘を重ねる朝日は即廃刊にするだろう。それで秋山は身内同然の伊藤忠の丹羽宇一郎や憲法学者長谷部恭男、それに共同通信も入れた。
彼らは世間が忘れるまで待って「取材不足」と結論した。記事は正しいが取材が足りないとも読める。
 だから朝日には謝罪も訂正も求めなかった。第三者委員会に任せれば何でも無罪にしてくれる。うまい手法を見つけた朝日は30年間、日本人を愚弄してきた慰安婦問題も同じ処理をやった。結論はうやむや。お詫びも訂正もしなかった。
 自民の新選対委委員長、小渕優子に朝日が偉そうに9年前の電動ドリル事件を持ち出し、説明不足と責めた。
しかし彼女は朝日と違って公正な第三者委員会を立ち上げ、そこに委ねた。その結論が出ると記者会見もやって答えている。
 対して朝日は委員の人選もお手盛りなら結論もお手盛り。結論についての記者会見すらやっていない。
小渕優子に「説明不足」とはよく言えた。
朝日にはやはり廃刊が一番似合う。
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