Tumgik
#お精霊さん定食
march-brown · 2 years
Photo
Tumblr media
お精霊さん定食@dd食堂京都 デザートのおはぎが、珈琲を呼びます。 #京都定食 #お精霊さん定食 #京都の食文化 #おしょらいさん #京のお盆 #お盆 #ひろうず #生麩 #ずいきのごま酢和え #のっぺ汁 #葛ひき #干瓢 #湯葉 #追い出しあらめ #西瓜 #おはぎ #間水 #けんずい #珈琲 #定食 #京都ランチ #京都カフェ #ロングライフデザイン #dd食堂 #danddepartment #longlifedesign #ディアンドデパートメント #佛光寺 #プラネタリーヘルスダイエット #planetaryhealthdiet (at D&Department KYOTO) https://www.instagram.com/p/Ch1D2CSuerS/?igshid=NGJjMDIxMWI=
4 notes · View notes
elle-p · 28 days
Text
Persona 3 Club Book Strega pages scan and transcription.
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
ストレガ
Strega
主人公たち特別課外活動部の行く手に現れる謎の3人組。同じペルソナ使い ながらあくまで敵対する彼らもまた、彼ら自身の信念でその限られた力を振るっている。
復讐代行屋 Strega
港区全域
自らをストレガと名乗る3人組の表向きの顔は、「復讐依頼サイト」に書き込みされた内容を受けて、自ら手を下せない依頼人の代わりに復讐を果たすことだ。人知れず所持する武器を手に、彼らは裏社会を渡り歩いている。
3人はいずれもかつて幾月が、ペルソナ能力者開発のためにグループ内部にすら秘密裏に進めてきた研究の被験者だ。非合法の人体実験で多くの子どもたちが命を落とすなか、幸運にも生き永らえて能力を開花させたものの、悲惨な実態を目の当たりにして研究所から逃亡し、身を寄せ合って生きてきた。
ペルソナ能力の発現と引き換えに心身に過剰の負担を負う彼らは、制御剤の力を以ってすら長くは生きられない。生命としてのルールを逸脱した運命に魅入られ、彼らは刹那的な衝動にのみ突き動かされて生きている。
たった3人だけで影時間に生きてきた彼ら。宵も享楽を求めて夜の街を笑う。
タカヤ Takaya
凶行の担い手
ストレガの実質的リーダー。3人の中では推定年齢が一番高く、研究所から逃亡した当初から指導的立場に立っている。刹那的・虚無的な思考が強く、自分にも他者にもあらゆる物事への執着の愚かさを説く。復讐代行屋として銃の引き金を引くときも、自分の享楽はもちろんだが、相手の生にしがみつく無様な姿を浄化してやろうという思いがあるようだ。
かつて同列の研究対象であったタルタロスは、忌まわしい邪悪なものではなく、甘美な悪夢をもたらす近しいものだと考えており、ペルソナ使いの存在はもまた、タルタロスあってのものだとしている。そのため真意を知らずタルタロス破壊を目指す主人公たちの存在は、愚かな人間がシャドウの恐怖に怯えることへの嘲笑も込めて、抹殺すべきものだと捉えている。
主人公たちの働きではからずも滅びそのものである二ュクスの復活が秒読み段階に入ると、自ら二ュクスの代弁者を名乗り、滅びと破壊の思想で扇動する。
タカヤの救���主思想
• あなたが自覚している悪意と、相手が感じている悪意とは無関係⋯ 人はみな、聞きたいように聞き、信じたい事だけ信じるものです。(6月22日影時間・裏通り)
• 聞けば、人々を守るための、“善なる戦い” だとか。ですが⋯ 今夜はそれをやめて頂きに来ました。(8月6日影時間・防空壕跡)
• 時の限られたこの体⋯力を失ってまで生き永らえるなど無意味⋯ ならば、 私の生きた証⋯ この地に立てるのみ!(11月3日影時間・ムーンライトブリッジ)
• 分かっていますね⋯? 君には “居場所” など無い⋯ 私たちと来る以外にはね。君もよく知っている筈だ⋯ 怖いのは死ぬ事なんかじゃない。(11月21日深夜・辰巳記念病院)
• フ⋯亡霊などではありませんよ⋯ 生に “執着” などしなかった我々を、運命はそれでも “生かした”⋯ 私は “選ばれた” のです。(11月22日影時間・タルタロス)
自分たちの思想こそが浄化された世界を作ると信じるストレガのリーダー。痩せこけた体に長い髪、色素の薄い瞳という憂世離れした姿。
欲深き自称メシア
ほぼ同年代のはずのストレガですがタカヤは見るからに老け顔。不精ヒゲを剃って髪を切ったらかっこいいのに。
ジン Jin
知性派の爆弾魔
タカヤの右腕を務める少年。自作の爆弾を持ち歩き、武器として使用している。
社会から隔絶された自分たちだけのコミュニティの中で生きているストレガは、物資の調達の大半を影時間を利用した略奪行為によってまかなっているが、その指揮を担うのがブレーンであるジン。特別課外活動部を脱退してからの荒垣に接触し、ペルソナ能力抑制のための制御剤を提供することになったのも、ジンの情報収集能力あってのことである。またネットでは同名のハンドルネームで知られており、その知名度と情報操作のノウハウが、ニュクス教を一気に広げることを可能にした。
つねにともに生きてきたタカヤを崇拝しているが、それゆえに狂気の思想に囚われる彼を、命を捨てていさめようとする。
物議を醸す髪の構造がよくわかる右からの一枚。身につけているものひとつひとつにもこだわりが感じられます。
ストレガ一家を支える苦労人な屋台骨
実際的な生活能力の欠如したストレガを支える一番の常識人。資金調達から食事の世話まですべてを担う関西弁のミリタリーマニア。
ジンの毎晩大変なんだから
• お前を恨んどるヤツがおんねや。でもって、“復讐” を頼まれとる。(6月22日影時間・裏通り)
• お前らには “個人” の目的しかあらへん。どいつも本音はその為に戦っとる。お前らの正義は、それを正当化する為のただの “言い訳” や。そん��んは “善” や ない⋯ ただの “偽善” や。そんなもんに邪魔されとうない。(8月6日影時間・防空壕跡)
• 破れかぶれは、あかん! ⋯すんません。でもこれは⋯ あなたが言うてくれた言葉です。(11月3日影時間・ムーンライトブリッジ)
• やめときや、タカヤ⋯ アンタには先がある! ここで無理したって⋯意味 あらへん! (11月22日影時間・タルタロス)
チドリ Chidori
手斧の魔女
白いドレスに身を包んだ、虚ろな表情の少女。ストレガのひとりとしてタカヤやジンと行動を共にし、ぺルソナ能力のひとつである索敵能力でふたりのサポートを行なうが、ふたりとともに戦いの場で力を振るうことは少ない。
感情表現に乏しく、とくに喜びや悲しみを表に現すことはほどんどない。それは幾月の下で受けた過酷な人体実験や、逃亡後の寄る辺のない生活によって後天的に身に付けた自衛の手段。また彼女は自身のペルソナを通して、あらゆる生き物に命を分け与えることができるが、これも自分の人生にはすぐ先に死が見えているという揺るぎない事実ゆえ、生きることに対してまったく執着を持たなくなった結果の悲しい力だ。しかしそれでも、ふたりが手を下す殺戮現場に決して目をやろうとしないのは、運命をゆがめて与えられる死への、本能的な嫌悪感を抱いているからかもしれない。
生を放棄した飛べない小鳥
可憐な容姿に似合わず手斧を振るって戦う少女。気の向かない相手とは一切会話せず、自分のペルソナだけを拠りどころに生きている。
冷めた目線はチドリのトレードマーク。豪奢なドレスは彼女の趣味なのか、ジンのお仕着せなのか。
あんたには関係ない私の言葉
• チドリよ。私の名前。順平が訊いたんでしょ? あの絵⋯もうすぐできるから。私の描いたものは、私にしか分からない。でもそんなに見たきゃ⋯来れば? (8月31日昼・ポートアイランド駅前)
• 命より、作戦が大事ってこと? 死ぬ事って、普通の人には一番の恐怖なんでしょ? ⋯ 違うの? (9月5日影時間・巌戸台分寮屋上)
• ⋯言っとくけど、心配してくれなんて、言ってないから。あんたの勝手な早合点でしょ。(9月8日昼・辰巳記念病院)
• なにそれ⋯ なんで、そんな顔してるの? 死ぬなんて怖くないのに⋯ 死なんて、あした目が覚めないってだけ⋯ ただそれだけじゃないの。(9月10日昼・辰巳記念病院)
• そう⋯アイツのせいよ⋯ アイツが近づいて来てから、私、毎日、苦しくて⋯ 死ぬのが⋯怖くなって⋯ (11月21日深夜・辰巳記念病院)
• 順平と一緒に居ると、怖くなかったものが、なんでも怖くなる⋯ 無くすのが怖い⋯ 死ぬのだって怖い⋯ 一緒の時間が終わっちゃうのが⋯怖い⋯ だから、私⋯ (11月22日影時間・タルタロス)
「チドリ補正」の入った超ナイスガイな順平とともに。幸せになって欲しいカップルNo.1。
順平との出会いと「生きること」
敵同士としての立場にありながらも献身的に尽くす順平と出会って、チドリは少しずつ生きることの意味を知る。けれどそれは自分自身の死の認識と同義。ずっと忘れていた死ぬことの恐怖におののきながら、それでも彼女は愛する彼に生きて欲しいと願った。
頬を染めたグラマラスなチドリの魅力に、すっかり鼻の下が伸ぎ切った順平がキュート。がんばれヒゲ男くん!
7 notes · View notes
winterain66 · 4 months
Text
近況・2023
年末、と呼んでもいい時期に差し掛かり、今週の頭あたりから一気に真冬の空気へと入れ替わって、外を少し歩くだけで疲れ切ってしまう身体を横たえたシーツを今朝洗った。冷たさで指が切れたような気がした。今年と言わずいつも、この主体は「何かが変わってしまう事」への不安と嘆きを口にし続けている。ただ、今年はより一層、その変化が不可逆なものだという諦念と絶望しかなく、「みないように/考えないことにする」という弱さを選択することしかできない、そうやって、自分自身の(平静ともよべないが)存在(正気と言い換えてもいい)を保つことしかできないでいた。目をそらしている。みないことにする。何をみて、何をみないのか、選択をする。
自分ひとりで生きている訳ではないので、日々の洗濯をすることが、世界を観て、傷をみて、正しさを考える事よりも優先されることがある。”おさまった”とされるパンデミックのこと、マスクをする/しないの選択。ウクライナで継続する戦闘。イスラエル・パレスチナのことと、その歴史的背景。「キリスト教徒」として育ってきたこと。ダニエル書、黙示録に書かれていること。それを信じて育ってきたこと。昨年は『進撃の巨人』を戦争について考えるうえで一考に値すると思っていたけれど、扱われているモチーフの現実に起こっていることを考えるとき、今ではその評価があまりに無邪気であったとしか思えない事。 「毎日溜まっていく洗濯物を片付ける。同居人が帰ってくるまでに夕食の支度をする。寝込んだままにならない」ことがいまの私にとっての最重要事項であるとしたときに、上記のような思索をどこかへ片付けておかねばならなくて、それは正しいことではないかもしれないが必要なことだ。と言い聞かせる。ラジオの話声で耳を塞ぐ。
4月に詩集をリリースした。今までの冊子の「すべてを自分でやる」方式を手放して、装画を依頼して、頒布の方式も自家通販ではなく店舗にお願いして取り扱っていただく方式を取った。今までになく、多くの人の元へ届いてくれた詩集になった。それは私の力によるところではない、それが何か嬉しくもあった。その後、過去作『幽霊』『残照』をそれぞれ版を改めてリリース。萩原朔太郎の出身地である8月には岡山市の表町商店街で一ヶ月限定でオープンしたシェア型書店「表町書店」に参加。『西から枝へ』と題した日記本をはじめたり、こうして書き出してみると精力的に活動、していたことになるのだろう。
2023年12月20日の現在、それが今年の間にあったこととは思えないくらい、同じ自分がやった事とは思えないくらい、私が「冬雨」である時間が短くなっている。宣言をしない活動休止期間、と言ってもいいくらい。それは寂しいことなのかどうかもわからない。このページを開いて、記事を読む人はどのくらいいるのだろうか。あなたにとってここまで書いたことをどう受け止めるのだろうか。あなたの顔を、具体的に思い浮かべることが出来なくなってきた。かつては、もっと、親密に、あなたと呼びかけることができていたような気がするのだけれど。あなたの人生が、あなたと共に続いていく事を祈ります。
14 notes · View notes
ari0921 · 19 days
Text
「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和六年(2024)4月10日(水曜日)
   通巻第8209号 <前日発行>
 イエーレン訪中が意味することは何か?
  過剰生産の警告は、すなわち『習近平の経済路線は間違いですよ』の暗喩
*************************
 ジャネット・イエーレン米財務長官は4月3日にワシントンを立ち、4日に広東省に到着した。何立鋒副首相等と会談し、はやくも中国の過剰生産問題に言及した。世界貿易秩序の波乱要因として懸念を表明した。
 ところが中国のメディアは、イエーレンが前回訪中時にビールを飲んで、奇妙なキノコを食べていた写真を配信し、今度は何を食べたか等とへんな記事を配信していた。
 訪中前の講演でもイエーレンは「世界の価格と生産パターンを歪め、米国ばかりか世界中の企業と労働者に打撃を与える」と発言している(3月27日、ジョージア州での講演)。
 王文濤・商務部長は、三日後にはパリでBYD展示会にのぞみ、イエーレンの主張に対しては、「補助金の所為ではなく、中国のイノベーションの賜物であり、過剰生産と言われるのは市場メカニズムの結果である」と米側の主張に反駁した。
 すでに米国は中国製EVに25%の報復関税をかけており、トランプ前大統領は、これを60%とすると唱え、またメキシコ製の中国車には100%関税をかけると訴えている。
ジョシュ・ホーリー上院議員は125%、おなじくマルコ・ルビオ上院議員は「中国車一台あたり2万ドルの追加関税をもとめる法案」をすでに議会に提出した。
 この動きに応じたのか、中国のEVメーカーはタイに進出し、値下げと補助金で攻勢をかけ、日本が圧勝してきた市場を蚕食し始めた。
中国EVのタイ進出はBYDに加えて長城汽車、長安汽車、浙江吉利など、低価格帯EVや大幅値引きでタイのシェアを増やしている。
 過剰生産への懸念か。なるほどマンションの過剰生産(建てすぎ)は人の住まないマンションが30億人分もある。どう処理するのだろうか?
辺境で乗客のいない新幹線も、高僧道路も造りすぎ、テーマパークもあちこちに建てて、いまはペンペン草が生えている。海外にも過剰生産の付け足しのようにBRIプロジェクトで各地にゴーストタウンを造った。
 中国経済の構造的欠陥はGDPに占める個人消費がすくないため(37%、米国は65%、日本は60%)、外需に依存し、さらに海外マーケットを獲得するためにダンピングと補助金をつける歪んだ体質である。これは不公正な慣行だと米国側はみるが、米国に限らずWTO違反は明らか。日本も中国製太陽光パネルなどに100%の関税をかけてしかるべきだろう。
 ▼それでも「ウィンウィンでいける」と李強首相
 「過剰生産」をイエーレンは重大な懸念だと繰り返し述べたが、中国側は聞く耳がなかった。北京では李強首相、劉鶴 ・前副首相らがイエーレンと会談した。中国側は米中対決というタイミングゆえに、むしろ異例の厚遇ぶりを示した。
李強首相は決められた台詞。「敵対関係ではなくパートナーであるべきだ」と歯の浮くような発言を繰り出した。
 直前に中国政府は鉄鋼の減産方針を全国に通知し、過剰生産対応のジェスチャーを示したが、鉄鋼、造船、風力発電、太陽光パネル、そしてEVと、その廉価というよりダンピング輸出は世界市場を潰乱させた。
風力発電の世界シェアは中国メーカーがトップ5を独占し、「金風科技(Goldwind)」「遠景能源(Envision Energy)」「明陽智能(MingYang Smart Energy)」「運達股分(Windey)」「三一重能(Sany Heavy Energy)」の順となっている。メーカー乱立で収益は殆どないというのが業界の評判だ。
 中国製太陽光パネルはトリナ・ソーラー、カナディアン・ソーラー、ジンコソーラーホールディング、JAソーラーが譲位を独占しており、世界の太陽光パネル出荷量の上位四位を寡占した。じつに世界出荷量のうち71%が中国系企業が独占した。日本列島各地を埋め尽くしたが、不評ばかり。おまけに土砂災害を引き起こした。
ついで中国製EVがEU市場を攪乱し始めたため、EU委員会は重い腰を上げて規制に乗り出す。かくしてイエーレンの警告は世界市場すべての問題なのである。
 ようするに不動産関連で墜落した中国経済の補完を、EVを筆頭にクリーンエネルギー関連、バイオなどに転化しGDP成長率を堅持しようとしているのだ。
 ▼毛沢東の亡霊、ノルマという強迫観念が国有企業に取り憑いている
 習近平の経済の理解は社会主義時代のノルマであり、強迫観念のように国有企業の宿痾、中国人の体質なのである。だから馬雲やテンセントなど欧米並みの起業家が育っても、民間企業はかならず規制され、あるいは潰される。起業家精神は大きく削がれる。だから若者は国を棄てることになる。
 4月8日、訪中最終日に記者会見に応じたイエーレン財務長官は「中国政府による特定産業への補助金などの支援が原因だ」し、「米国や世界の労働者や企業に大きなリスクをもたらす」と改めて強調した。
 入れ違いにセルゲイ・ラブロフ・露西亜外相が北京に到着した。ロシアは中国との戦略的パートナーシップをさらに強化するため、とラブロフは語った。
 ラブロフ訪中はプーチン訪中の地ならしと言われる。
 またイエーレンは習近平とは会わなかったが、おりしも訪中している馬英九・台湾元総統が4月10日に北京で習近平と会談する段取り、日米首脳会談に日程を意図的にぶつけてきた。
 イエーレンは北京で潘功勝・中央銀王総裁とも会っているが、嘗てFRB議長の経験があるからだ。結局、中国は米国側に歩み寄る姿勢を示しつつ、一方でバイデン政権の半導体輸出規制にはつよく反発し、「米国の対中経済・貿易制限措置に深刻な懸念がある」とした。「米国は自由競争という資本主義原理に基づいて行動すべきである」と耳を疑うような発言もあった。
 半導体は技術窃取や台湾、韓国からのエンジニアのスカウト、米国における「千人計画」などで、すでに7ナノ半導体生産の技術を獲得したと、米国のシンクタンクが報告している。
 米国はこのため3ナノ、2ナノ生産工場をアリゾナ州に誘致し、台湾のTSMCに1兆円もの政府支援を行って、工場をいちどに三つ建設中である。
しかしTSMCは14ナノならびに1ナノの研究と開発ラボを台湾に集中させているため、米国は次世代半導体技術の中国への漏洩を警戒している。TSMCの熊本工場は28ナノで家電、スマホ向け需要に対応するためであり、予定されている熊本第二工場とて、7ナノにとどめる。
日本がIBM支援のもと、官民挙げていどむラピダスは、北海道千歳で2027年に2ナノ半導体生産を予定している。
 ▼中国の大手不動産会社、デフォルト続く
 さて不動産デベロッパーが倒産しているのに倒産しないという「ゾンビ軍団」はその後、どうなっているのか。
地方銀行、中小銀行の不良債権を肥大化させ、こんどは銀行の経営危機を招来させている。哈爾浜銀行は不良債権率が44%増えた。遼寧省の地銀、錦州銀行は上場廃止、江西省九江銀行は不良債権が三倍ちかくに膨らんだ。甘粛銀行は2・7倍、貴州銀行は五割近く不良債権を増やしていた。
準大手以下の27行の不良債権合計は2兆2300億円と今のところ軽いレベルだと言い張っているが、不動産大手のデフォルト処理が進んでおらず、とくに外貨建て債券が軒並みパンク、不動産不況の実態は、24兆円が不良債権だろうと推計される(それでも少なすぎるが、いずれ別稿で触れたい)。
 
中国最大のデベロッパー「碧桂園」も、ついに23年10月にドル建て債権99億ドルをデフォルト、第二位だった恒大集団の破産はいうに及ばず、世茂集団は二年前の米ドル債10億ドルのデフォルト、ドイツ銀行などが香港高等裁判所に法手続きを申請した。
このほか、大手の万科、華潤、融創、遠洋などが業績不振に陥っている。それぞまさしく供給過剰(生産過剰)の悪例ではないのか。
2 notes · View notes
Text
Tumblr media
「聖なる鹿殺し」を観た。以下ネタバレあり。
「哀れなるものたち」のヨルゴス・ランティモス監督作品ということで観てみようかなと再生を始めたけど、最初のシーンがかなりグロくてすぐ止めたままになっていた映画…。
最初でこれだと結構この後もきついのかなあとちょっと心配だったけど、最初さえ超えればあとは全然平気だった(最初のシーンは何か食べながらとかはおすすめしません…)。
うらみを持った若者(バリー・コーガン)に主人公(コリン・ファレル)の家族が呪いみたいなものをかけられてしまって…という話。 なのでてっきり家族で一致団結してバリー・コーガンと戦うのかと思っていたけど、全く逆の話だった(呪いなのかどうかははっきりしないけど)。
バリー・コーガンはコリン・ファレルの医療ミスでお父さんをなくしたので、「あなたも家族を一人失うのだ」と言い、「奥さん(ニコール・キッドマン)か、娘か、息子か、一人を選べ」と言う。そして選べなかったら「全員死ぬ」と。 最初はみんなそんな話全然信じてないけど、最初に息子が倒れ、次に娘が倒れ…となって、この呪いからは逃れられないとみんな思うようになる。
で、怖いのが、奥さんと子供二人がコリン・ファレルに命乞いというか、「本当はあなたのことが好き」みたいな話を徐々に始める所…。ニコール・キッドマンなんか、「自分はどうなってもいいから子供たちを助けて」とか言ってもおかしくなさそうなのに、「一人選ぶなら子供よね、私がいればまた産める」みたいなことを言ってたりする。 結局最後までニコール・キッドマンが倒れなかったのはやや謎。単に呪いが発動してなかっただけなのか、それともいわゆる仮面夫婦でコリン・ファレルの家族とは言えない(?)みたいな話なのか…。
息子はどうやら本当はお母さんの方が好きで、お母さんと同じ眼科医になりたくて、お父さんに注意されても髪を長く伸ばしていた(お母さんは長髪気に入ってた)。でも最後の方になると自分でハサミでざくざく髪を切って、本当は心臓外科医(コリン・ファレルと同じ)になりたいと言うようになる。サボっていた植木の水やりもやると。
娘はそもそもバリー・コーガンといい感じになっていたので、二人で逃げようとこっそり持ちかけたり、コリン・ファレルには「自分は家族のために死ぬのは構わない」と言ったりする。これは一見いい話なのでは?と思うけど、ここで「聖なる鹿殺し」というタイトルに関わる話になる。
ここはギリシア悲劇の「アウリスのイピゲネイア」の話が下敷きになっているらしく、ざっとネットで見ただけだけど、イピゲネイアが生贄になるとき、鹿とこっそり入れ替えた、という話があるらしい。なのでこの娘の「自分は死んでもいい」は、コリン・ファレルに対して鹿と入れ替えて助けてくれるよね?という意味が入ってくるっぽい。ややこしいな…。 さらにアウリスのイピゲネイアは後日談で、アガメムノンが妻に殺されて、妻は息子のオレステースに殺されるらしい。このへんはラストのダイナーのシーンにつながるのか…?
そしてとにかくコリン・ファレルがひどいやつ(の役)。絶対自分の非を認めないし、幸せな家族を無理にやってる感じがすごく出てた。そもそもバリー・コーガンにお金やプレゼントをあげたりとかもなんだか変な気もするし…。そして結局最後もめちゃくちゃだし。いやはやすごい家族だ…。
バリー・コーガンはやはりコリン・ファレルが出ていた「イニシェリン島の精霊」にも出ていた役者さんだった。この二本しか見ていないけど、なんだか不思議な人だなあ。今回もなんとも言えない不安な感じというか不自然な感じというか、すごかった。さらっと嘘つくところとか怖いな〜って感じだし。かなり若いようにも、それなりに年を取っているようにも見えるのがまた不思議(実際には1992年生まれだった)。
全体としてはやや単調な感じもあったけど、中盤〜ラストに向けてはすごかったな。半分くらいまで展開がわりとスローで、全体的な構成としては最初の「エクソシスト」に近いかも。映像はそこまで特別ということもなかったけど、病院の廊下を進むカットやエスカレーターを上から撮ったカットとか、印象に残る部分もあった。音楽はそんなにだったかな…。効果音的な音はまあまあよかったかも。映像的に怖いものが直接は出てくるわけではないので、音で少し煽る感じだったのかな。
いい話とは言えないけど、とにかくストーリーがすごかったなあ。家族とはいえやはりみんな一人の人間か…。
「哀れなるものたち」より全然よかったな。やはり原作があるものは難しいか。でもヨルゴス・ランティモスの他の映画も機会があれば観てみたいなあ。
3 notes · View notes
poetohno · 2 months
Text
混沌の洪水 9 おまけトーク(現実にではなく、観念にダメージを受けている)
youtube
「断罪」
迸るように激しく 溢れるように流れ 世界の色彩は閃く
ギロチンが音を立てて待ち構えている 帰りを待っている 朝が来て 夜が来て
断罪の音が木霊する 日々音が近づいてくる どこにいようとも 何をしようとも
迫り来る 祭壇への 道 生きること 鼓動が 導く 避けようのない 運命
心臓は高鳴る 警鐘のように
逃れることはできないからこその 運命 受け入れる気はない 別の運命をたぐり寄せようと手を伸ばす
火薬に火を点け 計画を粉々に砕く 燃え広がり 海の中に灰を蒔く
未来への標を失った 命の計画書は塵となる 何を望める 運命の音は木霊する
細胞が 共食いし 命を 食らう 身体が 身体を 貪り 食らう
破壊されてしまえば 消えてしまえば
破壊された溝を 埋めることはできない 困難な道 茨の導き 血を流して軌跡とする 運命の音が迫り来る 脳裏に浮かぶ祭壇 恐怖 震える手 未来のための標は 失われてしまった 命は彷徨う
どこにいようと安全な場所など無い 安らぎなど仮初めの姿
真実から目を背けたいだけ なくなることはない 遠ざかろうとすればするほどに 音は轟き 心臓を掴む
心臓が肺を囓る音がする 恐怖 細胞の痛みが奔る 絶望
警鐘が鳴り 断罪は 雷鳴に似て 思考は 混濁 喪失し 生命の 破壊
時は近い 運命は変えられないのか 遙か昔に決定されていたこと
狂うことができれば どれ程の 救いだろう 不安 恐れ 失望 痛み
全てが降り注ぐ 矢のように 裁きのように のたうち回り 足掻き 藻掻き 懸命に走る
それしかできない どんなことがあっても 自身が歩む道でしかない
全ては耐えられるからこそ 与えられてしまうもの 運命には 望みも 願いも 何ら関係がない 微動さえしない
太古の昔から脈々と流れてきた 巨大な奔流 都合よく 未来と名づけて 必死に生きることしか できない
彷徨い歩き 倒れた時 後ろで音がした 刃物が落ちた音 影の首を切る 崩れ落ちた
逃れれば救いと呼ぶのか 自分勝手―それでも 生きろというのか 葛藤も 矛盾も抱えて 醜い心さえ携え 夜明けの美しさを焼きつけて
不穏
砂漠から立ち上る蜃気楼 海に浮かぶ砂上の城
既に失われた楽園
人々は泥を財宝と錯覚して身につける
美しさを求めて泥を身体に塗りたくり穢す
愛というものは季節のようにすぐに移ろう幻
秋が訪れれば 葉が枯れゆくように 万物は逃れられない 太陽と月さえも支配されている
熱せば冷める水と同じ 酔えば醒める甘美な酒 死のような恍惚の眠りと失望した現実への目覚め 彼らは皆求めたがゆえに失った
強固な大理石に罅が入る 溶けるように風化していく 化石のような残骸が残る
硫酸に溶かされるかのように消えていく
永遠を望むということは時の移ろわない砂時計を望むことと同じこと
籠は骨でできている やがて塵となり 土に還る時の流れに 抱擁されている
海水を啜る者達は飢えに我慢ができなかったのだろう 心の欠乏に 自らが欠陥を抱えた存在であることを認められないがゆえに より渇くとも知らずに
飢え求めるからこそ 貧しくなる 覚悟していようとも 本能と欲望は抗えない 偽りを本物と気づかずに
ほくそ笑むだろう 欲する者達は煌めきに眼は眩んでいる 砂粒が宝石に見える
自らが富を得て 豊かに 幸せを身につけているのは 全ては錯覚でしかない
より得るために 偽りを求めて 自らが代償に支払うものは自らの命の欠片 刹那の幸福の感情と引き換えに奪われていく
声が聞こえる 単なる砂上の王国だったと知る 愕然とする 人生は何だったのか 幻に踊らされていた 真実は常に痛みと共に襲い来る 恍惚は彼方に蜃気楼となる 幻 記憶は美化して輝かしくする 後悔が押し寄せる 人生の意味は失われた どのようにして取り戻せというのか 全てを奪われたと同時に 知った真実が 青空にすら星となって輝き消えない道を照らす
駒でしかなかったのか 運命という盤上の人形でしかなかったのだろうか
星は導いて満足したか 風は欺いて楽しんだか
闇さえも光の姿をして注いでいたのかもしれない
風を射抜いた旋律は 闇夜から零れ落ちた銀貨のように
命の目指す標
大洪水 無数の理由
無数の理由の柵(悪意 利己 執着)
混沌の渦に己の道を敷き秩序を描く
内なる音楽が消える時 引き寄せられる
記憶のない場所に 罪の意識と共に 自ら招いた意識の果て 無意識という 果ての無い宇宙 無音であり 万物の音よりも 雄弁に語る
契約という宇宙と星との密やかな画策
誰も知らない 己が契約書にサインをしたことを
気づきようがない 魂に封印されている
知らずとも 道を辿っている 未来と過去とが 出会う場所で 偶然に 必然を見出し 運命と名づけて 全てを背負って
宇宙はただなすがままに実行するだけであり 機械的であり 無常であり 非情ですらある この世界は自然的な法則で動いている
天に何を見出す
物事は淡々と生じ 粛々と過ぎる あるがままと言うか 自由と呼ぶのか
どこに自由がある 必然だらけの世界であり 星の配列により定められ 物事の数列により決められ 命はただ従い 抗い 藻掻くに過ぎない
逃れることはできない シナリオから 血管が証 血脈が奔り 施されている 心臓に託された運命の契約書
生者は 蘇る 第二の生へと
魂は目覚める時を待っている 蘇る瞬間の訪れを 心臓に閉ざされ 封じられ
生者は 蘇る 第二の生へと
欲望と混沌に見失う 広大な宇宙に彷徨い 見失った光 心臓が深淵に出会う時 時計は 針が 刻々と 時を刻む 時は動き出す 肉体の鼓動ではない 魂の表出 世界が孵化する瞬間 囚われた精神が光を見出し 頂よりも高く飛翔し 観念としての意味と価値を超越する 高潔と無垢との刃によって 柵と呪いは断たれる 命は鼓動し 星は光り 宇宙は万物を生み出し 破壊さえもする 混沌に 産声を 響かせ 奏で 紡ぐ 存在のために 精神は目覚める
幸福 安らぎ 存在理由 存在価値の全てが列なる 万物の意味 未来と過去の全ての暗号が解かれる
5 notes · View notes
a-class05 · 5 months
Text
下古町・本町散策
Tumblr media
⚪︎秋葉神社
古町11番町に建つ神社の一つです
明治時代にはお寺だったようですが、神仏分離政策のために秋葉神社と名が変わったようです。
御祭神は火産霊神(火之迦具土神)のようで、秋葉神社以外にも愛宕神社や荒神山神社などでも祀られているそうです。
Tumblr media Tumblr media
⚪︎さわ山
老舗和菓子店のさわ山
看板にもある通り笹団子や大福饅頭、そら豆羊羹など多くの和菓子作られ、売られています。それ以外にもくるみゆべしやきな粉、もちペパーというようなものも売られていました。
私は笹餅を購入しました。食べてみると中身はこし餡で、もちもちのお餅の部分が非常に食べ応えがあり美味しかったです。他の班員も食べてみたところこし餡だという話なのでほとんどがこし餡で統一されているのではないかなと思います。
また、現金の他にPayPayでも購入できるそうです。
財布は持ってきていないがスマホならある!PayPayの残高も割とある!というときにはぜひ購入することをお勧めします。
Tumblr media
⚪︎港茶屋
さわ山からの帰り道に見つけた茶屋さんです。
正式な店名は「魚や 片桐寅吉/港茶屋」というらしく、明治37年に創業したようです。
ここでは「魚や 片桐寅吉」として定食や丼といったランチやディナー、「港茶屋」としてプリンやぜんざい、ドリンクなどのデザートが味わえます。また、片桐寅吉の方からテイクアウトメニューを購入することができます。
ゆっくりと日本ならではの「和」に浸りたい時など、赴いてみてはいかがでしょうか。
Tumblr media
⚪︎鍋茶屋 光琳
古町の老舗和食料亭こと鍋茶屋 光琳。
ここは1846年に創業した、先ほどの茶屋よりも先輩な料亭です。外観だけでも昔ながらの建築と言う雰囲気の上、非常に落ち着く見た目となっています。また、平成12年に木造3階建ての料亭を「保存文化財」にも認定されるほど長い歴史を持っています。
この料亭では、新潟ならではの食や伝統・文化を一番に日々味の探究に精を出しているそうです。昼食、夕食のコース料理はもちろん、お節料理、その他古町芸妓さんもいらっしゃってThe老舗の料亭だなと感じることができます。
下古町・本町は昔ながらのお店や建築物が多く、長くの歴史を持つ故に人々に愛されてきたのだなと感じるお店や、神社が見られました。
時間のある時、ふらりとどこかに散策に行きたい時、落ち着く場所を見つけたい時などにこれらの場所を訪れてみてはどうでしょうか。
2 notes · View notes
Text
Tumblr media Tumblr media Tumblr media
youtube
「純粋硬派柱ULtiMaTePureEgrosburst04 虚構締化」が育てるラティアス⤵️
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
①悪堕ちさせられて、②会うのが野生の出会ったばかりのチェリンボ 🍒と駄目な条件が重なった場合だったら俺未満のサドビッチーズだが👎……B(バグ)の家族達は食糧難非常時代になっても🐷mipigちゃん🐖を何があっても家族だからね。と、傷つけようとする奴なら誰を殺してでも守り通します 幾ら飢えてもパートナーを食える訳が無い ペットと一期一会を超えて一緒に死ぬ覚悟なんて彼、彼女等は最初から不安が生んだ考えを吹っ切って決めている(究極で黄金の真実) こういうペットの為に法律すら敵に回す善・悪・正義の最高を全て併せ持った[[[[[”””””🐈‍⬛完善🐽”””””]]]]]なマジ無限物である所が[絶対悪]しか持てない”霧島04(裏ストボス)みたいなサイコパス”と、美男児を[[買春]]する””F(フェア)の秀才方・ザ・ヴァストローデみたいな一部ガチビッチ””とは別格たる”””””ラオウ様(真主人公)”””””の正統後継者たる所以(カイオウ様は霧島04と違ってちゃんと最上位天国に登り詰めて新たな人生を始めた) 来世俺は流れに逆らえずリーダーにも向かない元来の人格なんて約24日/約600日の時間分だけ個性はそのままの状態で、地平線のように成長する決定的な違いがある”””””B(バグ)の家族達”””””と同じファイナルステージへ踏み出す事を自分自身に願います
Tumblr media Tumblr media Tumblr media
あと霊猫蒼海ちゃんは“””””マイピッグちゃん”””””より大切な恋愛なんてどこにも存在しないからねと思ってる(でもママゴンは精神が崩壊するから絶対飼わないって言ってる) だから今居る”””””🐈本物の猫ちゃん達”””””と幸せになります
1 note · View note
patsatshit · 7 months
Text
先日までの暑さが嘘のように、朝晩が急に冷え込んできた。つまりイネ科の花粉が猛威をふるう季節の到来ということだ。秋の訪れを待ち侘びていた人も多いとは思うけれど、僕としては新たな地獄の始まりであり、定量噴霧式気管支拡張剤メプチンエアーを手放せない日々がしばらく続くことになる。幼少期から悩まされている喘息発作、子どもの頃はこの苦しさが続くくらいなら死んだほうがマシやと心のどこかでずっと思っていた。小児喘息に虚弱体質、運動場や体育館で貧血を起こしてぶっ倒れたことは一度や二度ではない。何を食べても太れない体質で、特に鳩尾の凹み具合は周りの友人と比べて自分は異常だと感じていたから、DeerhunterのフロントマンBradford CoxがAtlas Sound名義でリリースした『Logos』のアートワークを見たときには、いろんな意味でゾッとした。
(直視を躊��う『Logos』のアートワーク)
Tumblr media
臨海学修、林間学習、修学旅行などの学校行事はどれも喘鳴に悩まされた苦々しい記憶とともにある。臨海学修のときは勇ましく遊泳するクラスメイトの姿を、タイミング悪く生理になった女子と一緒にボートの上から眺めていて、あのときの情けないような惨めな気持ちは未だに忘れられない。家族旅行の際も必ず夜になると喘息発作を起こしてホテル近くの病院で吸入や点滴の処置を受けていた。いつも横に付き添ってくれていた母親には迷惑をかけっぱなしだった。そんな訳で今月に入ってからは非常に体調が悪く、おまけに歯痛、腰痛にも悩まされて、夜中に何度も目が覚めてしまう。目覚めたときはいつも息苦しくて、慌ててメプチンエアーに手を伸ばす。吸入してしばらくすると呼吸は落ち着いてくる。そのままソファに虚脱して朝を迎える。朝ごはんを要求してくる猫のミューモと文鳥のピッピにご飯を与えて今度は子どもたちを叩き起こし、みんな揃って慌ただしく朝食を済ませて妻のゆきこと子どもたちを送り出し、仕上げに洗濯と食器洗いを済ませてタラウマラへと向かう。自分が家を出るときに「行ってきます」と言える相手が部屋にいることを心から幸せだと思う。ミューモ、ピッピ、ほんまにありがとう。タラウマラのシャッターを開けると朝からたくさんの修理依頼を受ける。整備を終えた自転車が次々に巣立っていく。Googleの口コミで「ここはダメ。自転車の質が悪い」なんていう書き込みがあるにもかかわらず、数ある自転車屋のなかで僕の魂のカタチを具現化したような特異チャリンコ屋を選んでもらえることを素直に嬉しく思う。
(自転車屋としてあるまじきレビュー笑)
Tumblr media
昨年末まで一緒に働いていたマリヲくんが退職した際に、自分のなかで掲げた目標がある。まずは借金を完済すること、次に前年対比で売上を向上させること、そしてタラウマラレーベルからの制作/製作を途絶えさせないこと。この三本柱については現時点ですべて達成できた。おまけに今夏に関しては遂にサラリーマン時代の月収も超えることができた。これはひとえにタラウマラを利用してくれる日々のお客さんと、支えてくれる友人や家族、そして自分の意地の賜物だ。ひとりになったとき、何人もの人から「大丈夫なん?」「もう作品づくりできないんちゃう?」と言われ続けたけど、そこは誰に何を言われようとも自分を信じた。人はみな簡単に「嫉妬」という言葉を口にするけど、僕が抱えているのはいつだって「嫉妬」ではなく純粋に「負けたくない」とう気持ちだけ。それも身近な存在に対してではなく、もっと巨大な資本とかムードとか慣例みたいなものに対して。そして何よりも自分自身に対して。でもやっぱり言うは易し行うは難しで、達成する為には精神も肉体も相当に擦り減らしてきた。大好きな少年漫画の『呪術廻戦』に倣って言うと、誰にだって呪力切れは起こり得るということ。そんな訳でここ数日は通院と服薬と寝不足でへとへとなんだけど、お客さんとの何気ない会話から元気をもらうことは、どんなときにでも不意にやってくる。自転車のタイヤについているバルブと虫ゴムを駐輪場でパクられたギャルのAさん、虫ゴム交換後の水調べでチューブにも穴を開けられていることがわかった。しかもパンク修理で補えないレベルのデカい穴。Aさんはマジかぁと叫んで、次のような事柄を捲し立てた。先月、福井県のとある宿に宿泊してからこんなことばっかり起こるんですよ、その宿は幽霊屋敷みたいなボロボロの宿で私が泊まった部屋の天井は人間の手形みたいな痕がいくつもあって、とにかくそこに宿泊してから不吉なことが立て続けにあって、お母さんはここで買った自転車で車に轢かれて全治6ヶ月の重症やし、こないだはカレー屋でカレー食べてたら異物混入してて、気づかずに奥歯で思いっきり噛んでしもうて歯が砕けたんですよ、もう最悪です、お祓い行った方が良いですかね?矢継ぎ早に繰り出される災難の深刻さとは裏腹に、Aさんの表情はなぜか明るかった。まぁ、お母さんは命に別状はないし、自転車も奇跡的に無事だったし、カレー屋の保険対応でインプラントにできるし、ちょっとラッキーかもって思ってるんです、とのことなのだが、どう考えても彼女の置かれた状況はラッキーではない。幸と不幸の帳尻が合わない。そもそも歯を失わなければインプラントなんて必要ないのだ。実際に彼女のスマホで宿の写真も見せてもらったが、確かにいまにも崩れ落ちそうな薄汚い天井のあちらこちらに人間の手形のような染みが点在していた。よくこんな部屋で朝まで眠れたね、と聞くと、私ぜんぜん霊感ないんですけど、このときはさすがに気持ち悪くて、霊を拒絶するには死と真逆の行為をしたら良いって誰かに聞いたことがあったので、めちゃくちゃAV観てめちゃくちゃSEXしました、だから結局ぜんぜん寝れなかったんですよ、と快活に笑う。僕も笑うしかなかった。チューブ交換しないといけないのはめちゃ痛いですけど、この話をお兄さんにできたので良しとします、またお母さんも元気になったら連れてきますね、そう言って颯爽とペダルを回転させるAさんの後ろ姿を見て、ギャルってマジで最強やな、と改めて感心したのでありました。
(Aさんの推しは星乃莉子さんだそうです)
Tumblr media
4 notes · View notes
sskyt · 9 months
Text
『「呪術」の呪縛』下巻の読書ノート
Tumblr media
江川純一・久保田浩編『「呪術」の呪縛』(下)リトン、2017年。
第一部 呪術概念の再検討
鶴岡賀雄「「呪術」の魅力:「永遠のオルタナティブ」の来歴と可能性についての試論」
 「マギア」を人類学的・宗教学的分析概念としてではなく西欧精神史の構成要素として見て、古代ギリシアから、中世神学、ルネサンス、近世キリスト教、現代芸術に至るまで、マギアの位置づけを跡づける。  そこでは、マギアがつねに、公共宗教や哲学といった正統的な知や生き方に対して、劣位に置かれた人々による代替行為として位置づけられる。しかし、この民衆の低級知は正統知でないがゆえに、かえってそれを批判的に超える超高級知ともなりうるものであった。  近世神秘神学における神的/悪魔的/自然的という三分法が、人類学・宗教学における宗教/呪術/科学の三区分に改鋳されていったのではないか、という指摘はなるほどなあと感じ。また、世間的・民衆的な低級知たるマギアがつねに物を介するというのも、フェティッシュとの関係で興味深い。  「神秘主義」概念の検討については別稿に譲るとされているが、その「別稿」とはこれですね。→ 鶴岡賀雄「「神秘主義」概念の歴史と現状���『東京大学宗教学年報』vol. 34、東京大学文学部宗教学研究室、2017年、pp. 1–24。 https://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/records/47687#  なお、本論文の中で、サラマンカ大学の学士アマドール・デ・ベラスコが持っていたグリモワール(魔術の指南書)をめぐる事件の話が出てくるが、最近、魔術のことを考えすぎて、先日、江川さんから「grimoireとは魔術書のことなんですよ」と教えてもらう夢を見た。 山崎亮「社会学年報学派の呪術論素描」
 ユベールとモースの「呪術論」は混乱に満ちた論文であり、その一因として呪術のアポリア(呪術は私的なものであるが、社会的な性格ももつ)が挙げられる。この混乱を理論的に整理したのがデュルケームの聖理論であるが、ユベールとモースは納得していなかった。 江川純一「「magia」とは何か:デ・マルティーノと、呪術の認識論」
 イタリア宗教史学におけるマジーア概念を、特にエルネスト・デ・マルティーノの『呪術的世界』とその後の転回にしたがって明らかにする。宗教学において一般的に、「呪術」は「宗教」のネガとして語られがちだが、宗教史学はこの対比・対立を認めない。  デ・マルティーノは『呪術的世界』において、呪術的世界は「自分の魂の喪失の危機とそこからの解放」という実存のドラマによって根拠づけられるとして肯定的に評価したが、この世界を歴史的時代であるとしたがゆえに、進化主義的宗教論と見分けがつかなくなってしまった。  「呪術的心性と原始的心性を混同している」という師ペッタッツォーニらの批判を受け、デ・マルティーノは後年、「呪術的世界」という想定を取り下げ、神話ー儀礼の結合物としての「呪術ー宗教現象」を探究するようになる。  注にある、「今後、20世紀の宗教学思想を振り返るときには、ペッタッツォーニ、デ・マルティーノ、エリアーデのトライアングルによる、神話ー儀礼的技術としての「呪術ー宗教」の考察が軸となるであろう」という指摘が興味深い。
 なお、A. C. ハッドンが報告したボルネオのトゥリク族の男の話(ある男は鉤形の石を頑なに手放そうとしなかった、その石は魂が自分の身体を去るのを引き留めているのだという)がラトゥールのファクティッシュのようで面白い。
第二部 事例研究:古代~中世
渡辺和子「メソポタミアにおける「祈祷呪術」と誓約:「宗教」と「呪術」と「法」」
 なかなか論争的ですごい論文であった。一言ではまとめづらいが、アッシリアの『エサルハドン王位継承誓約文書』(ESOD)の構成や文法を分析することで、誓約と儀礼、「言うこと」と「すること」の宗教的な結びつきを考察する。  アッシリア学者の重鎮オッペンハイムは、西洋人として祈りと儀礼が結びつくことに耐えられず、「メソポタミア宗教」は書かれるべきではない、とまで言う。また、ESODの誓約と儀礼という形式こそが、契約(誓約)宗教としての一神教の成立と後のキリスト教の成立にも影響を与えたという。
高井啓介「その声はどこから来るのか:腹話術の魔術性についての考察」
 叙述がトリッキーで面白い。腹話術が古代の神学者たちによって魔術として扱われ、近代に脱魔術化していった過程が示される。旧約聖書サムエル記上の「降霊術」がギリシア語に翻訳される際にἐγγαστρίμυθος(腹話術)と訳されたために腹話術の魔術化が始まった。  降霊術が腹話術と見なされることで、腹話術師は腹の中に悪霊をもつことになり、霊媒は魔女扱いされるようになる。しかし、腹話術の魔術性を否定し、単なるトリックだとしたのが、『百科全書』で数学に関する項目を多く書いているジャンバプティスト・ドゥ・ラ・シャペルの『腹話術』であった。
山本伸一「カバラーにおける神名の技法と魔術の境界」
 ユダヤ教のカバラーにおいて、正当な呪術と禁じられた魔術の境界は不分明である。このことを15世紀のカバラー文学、ルネサンスの自然魔術の影響下のカバラー、18世紀のエムデン=アイベシュッツ論争という3つの事例に即して考える。  15世紀スペインのカバラー文学の共通点は、主人公であるカバリストが終末とメシア来臨を促すために悪魔を追放しようと立ち上がるも、悪魔に騙されて取り逃がしてしまい、逆に魔術に手を染めた悪人として非難される、という物語。中2っぽいというか、『進撃の巨人』(デビルマン)フォーマットだなと。 青木健「ゾロアスター教神官マゴスの呪術師イメージ:バビロニア文化の影響と呪術師イメージの由来」
 マゴスには「呪術師」「神秘主義の達人」「放蕩」といったイメージが付与されるが、ゾロアスター教の神官の職能を検討してみると、実態は王朝に仕える官僚であり、吉凶暦や蛇占いといった副業の方がイメージの形成要因となったと考えられる。  青木健『古代オリエントの宗教』は、渡辺論文の注で、紀元前2世紀から13世紀までのオリエントの宗教史を扱うものなので、「書名と内容が一致していない」と批判されていた。 毛利晶「古代ローマにおける凱旋の儀式:トリウンプスに関する最近の研究動向を中心に」
 ローマで戦争で勝利を収めた将軍が行う凱旋の儀式トリウンプス(triumphus)。そこでユピテルの扮装をする凱旋将軍の役割は神か王か。近年の論争を踏まえて、著者は元々ユピテルの儀式であったものが後に将軍自身を讃える儀式へと変化していったと推測する。  凱旋式挙行の要件が、①命令権(imperium)、②鳥占権(auspicium)、③軍隊指揮(ductus)、④幸運(felicitas)の4つだったというのが、統治(王)・呪術(宗教)・軍事の三権が一人に集中しているようで興味深い。 野口孝之「近代ドイツ・オカルティズムの「学問」における「魔術」」
 19世紀後半から20世紀初頭に展開されたオカルティズムにおける「魔術」の位置づけを、キーゼヴェッター、エスターライヒ、シュティルナーという3人の思想を中心に検討する。  ドイツの代表的なスピリチュアリスト、カール・ドゥ・プレルの概念das transzendentale Subjektを「超越的主体」と訳しているけど、「超越論的主観」では。このドゥ・プレルの理論を援用するキーゼヴェッターはオカルティズムをGeheimwissenschaftと呼び、先人としてスウェーデンボルグを挙げている。  ちなみに、スウェーデンボルクを批判したカントの『視霊者の夢』の第一部第二章のタイトルはgeheime Philosophie(オカルト哲学)である。
寺戸淳子「「呪術ではない」祭儀:「秘義」としての聖体拝領」
 大変勉強になった。キリスト教の「聖体拝領(聖餐)」「実体変化」「神秘的肢体」といったややこしい話を基本的なところから丁寧に教えてくれるので、これらの神学的議論に関心がある人におすすめの入門的論文。  12世紀に「実体変化」の教理が確立したのと同時に、「神秘的肢体」(Corpus mysticum)論も確立していった。Corpus mysticumは元々、食べる方の「聖体」を意味していたが、秘義的ニュアンスがよろしくないため、それまで「教会」を意味していた「キリストの体」Corpus Christiと呼ばれるようになった。  12世紀に「実体変化」の教理が確立したのと同時に、「神秘的肢体」(Corpus mysticum)論も確立していった。Corpus mysticumは元々、食べる方の「聖体」を意味していたが、秘義的ニュアンスがよろしくないため、それまで「教会」を意味していた「キリストの体」Corpus Christiと呼ばれるようになった。  逆に、教会はCorpus mysticumと呼ばれるようになった。つまり、聖体と教会の呼び方が入れ替わったのである。この教会を指す「神秘的肢体」がやがて法人のような擬制的人格一般を指すようになっていった。カントーロヴィチぽいなと思ったら、カントーロヴィチが参照されていた。 佐藤清子「19世紀合衆国における回心と「呪術」:チャールズ・G・フィニーの新手法擁護論とその批判を中心として」
 きわめて明晰な論文。19世紀アメリカの第二次大覚醒の時代を代表する牧師フィニーは「新手法」と呼ばれる礼拝方式を導入して革新をもたらしたが、それは回心を意図的・合理的に促す手法であり、限りなく呪術に接近していく。  フィニーはスコットランド啓蒙思想の影響の下、自然法則の学習・応用という方法論を採用し、自らの回心の方法を「科学」あるいは「哲学」であると称した。他方で、呪術・宗教・科学の三区分で知られるフレイザーもまた、同じくスコットランド啓蒙の思潮に影響を受けていることは興味深い。  フレイザーは呪術を稚拙な科学であるとしたが、もし仮に「回心」を心理学的な技術によって達成できるようになったとしたら、それは科学なのか呪術なのか。実は科学と呪術の区別は、その知識や技術の程度の差異によるのではないのではないか。  フィニーの「祈り」についての議論も面白い。回心は聖霊の働きによるが、人間は聖霊をコントロールできないがゆえに、回心も究極的には神に委ねられている。しかし、フィニーは回心と聖霊の間に「祈り」という人間の行為を介入させる。とはいえ、人間は祈りによって神を操作できるわけではない。  フィニーによれば、祈りはそもそも聖霊の働きによって可能になるのだから、祈ることができること自体がそれが叶えられる可能性があることの証拠となる、という。ここには、祈りのアポリア(祈りは効果があるならば、祈りにはならず、効果がないならば、祈る必要がない)を解く鍵があるように思われる。 久保田浩「近代ドイツにおける「奇術=魔術」:奇術とスピリチュアリズムの関係に見る〈秘められてあるもの〉の���味論」
 19世紀ドイツで機械仕掛けの奇術を行う奇術師は、トリックを説明(klaeren)可能なものとしながら、それを驚嘆すべきものとして提示する者であり、スピリチュアリストの種明かし(erklaeren)をして詐欺を暴く啓蒙(Aufklaerung)の意義も担っていた。  奇術師がスピリチュアリストを科学的に暴いたり、宮廷からお墨付きを得た「宮廷奇術師」が登場したりと、『鋼の錬金術師』が好きな人にお薦めしたい論文。スピリチュアリストが、奇術師は本人も気づいていないけれど実は霊媒であり、本人が奇術だと思っているのも霊媒現象なのだと主張する話が面白い。
井上まどか「ロシアにおける呪術概念の検討」
 前半が現代ロシアの事典や概説書における「呪術」概念の分析、後半が16世紀に編纂された『百章』における「呪術」の用法について。「準備的覚え書き以上のものではなく」という著者の言葉通りの文章であった。  『金枝篇』の著者名が「D. D. フレイザー」となっていて、目を疑った(ロシアだとJもGもDなんですか)。それ以外にも本書は誤植が非常に多い印象。上巻目次のタイトルからして既に間違っている。
西村明「呪術としてのキリスト教受容:ミクロネシア・ポンペイ島を中心に」
 最終章でいよいよ真打ち「マナ」登場。ミクロネシアのポンペイ島における宣教でキーワードとなった「マナマン」から、マジックワードとしての「マナ」概念の歴史的形成の議論へ。  まず、宣教師は植民地主義的視点で現地の宗教的・呪術的実践を裁断するが、しかし、その視線は一方向的なものではなく、現地民もまた、自分たちの価値体系の中にキリスト教を位置づけて理解する。ポンペイ島で、二つの異なる価値体系を通訳した概念が「マナマン」であった、という話が面白い。  さらに後半、この「マナマン」(ミクロネシア)と同族語である「マナ」(メラネシア・ポリネシア)という概念が辿った数奇な運命が論じられるが、これも面白い。  「マナ」とはそもそも、コドリントンが『メラネシア人』(1891)において初めて学術的議論に導入した語で、その後、超自然的力を指す普遍的な概念として人類学・宗教学で多用されていった。しかし、コドリントンが現地調査したモタ島とバンクス諸島は、当時、ポリネシア人と宣教師の影響を受けていた。  メラネシアの「マナ」が形容詞や動詞としての含意があったのに、ポリネシアでは名詞として用いられた。メラネシアの宣教師たちは先にポリネシア語に通じていたために、「マナ」を名詞的に理解してしまった。こうして、コドリントンがやってきた頃には、既にバイアスのかった「マナ」となっていたのだ。  このように、「マナ」とは、ポリネシアとメラネシア、現地民と宣教師、そして世界各地の多様な宗教間といった、異質な価値体系を通訳=通約する概念として強力な力をもつようになっていったのである。異質な体系の間の界面に生じる通約的概念という意味では、「フェティッシュ」にも似ているように思う。
3 notes · View notes
march-brown · 2 years
Photo
Tumblr media
dd食堂京都のお精霊さん定食 ご先祖さまの魂「おしょらいさん」という実在しないお客様をお迎えし、送り出していくお料理です。 #京都定食 #お精霊さん定食 #京都の食文化 #おしょらいさん #京のお盆 #お盆 #ひろうず #生麩 #ずいきのごま酢和え #のっぺ汁 #葛ひき #干瓢 #湯葉 #追い出しあらめ #西瓜 #おはぎ #間水 #けんずい #定食 #京都ランチ #京都カフェ #ロングライフデザイン #dd食堂 #danddepartment #longlifedesign #ディアンドデパートメント #佛光寺 #プラネタリーヘルスダイエット #planetaryhealthdiet (佛光寺) https://www.instagram.com/p/Cg_NYmVOZMP/?igshid=NGJjMDIxMWI=
0 notes
ophelia333k · 10 months
Text
2023.07.08
 ループする非在の猫、惣流・アスカ・ラングレーが横たわっているベッド、この世界は鳩羽つぐが保健室で見続けている夢。現実が破れる、教室の端、破れた白いカーテン、風に揺れる、揺れている、幻覚を見てもすぐに忘れる、見ているということを忘れる、生きていることを忘れる、死んでいることを忘れる、忘れていることを忘れる、私は誰? と綾波レイの声がする。綾波レイが好きなあの娘のことを好きな君がインターネット掲示板に書き込んでいた文章すべて。  
 すべて、すべてではないよ、だって永遠は永遠だから(「永遠」という言葉を使ったから、「永遠」はこの世界から消滅してしまう)。さようなら、さようなら、さようなら、さようなら、と口を動かす。声は出ていない。彼女は人形だった。彼は人形だった。たとえばこの人形の眼球を取り替えていま自分の眼球と入れ替えたのだして、私はきっと何も見えなくなってしまうだろうけれど、そのとき私は人形に近づけるのかな。
 眠剤、眠剤がほどほどに効いている状態の方が色々なことをできる気がする。何も効いていないときは何もできずに横たわって、いま、この瞬間がここにあること、この瞬間に存在していること、何もしないでいること、何かをしなくてはならないこと、何かをしているということ、そのすべてに焦燥しながら、どこか別のところへと逃げ出そうとして立ち上がっては、低血圧で立ちくらみとめまいと、耳鳴りがしてまた布団の方へと戻る、ことを繰り返す。たぶん逃げる場所なんてなくて、自分の精神の内部から私たちは逃れられないから、甘き死よ来たれ、と唱える声。
 眠剤を飲むと、精神が落ち着くし、意識の濃度がぼんやりとして、それによってむしろ、何かをやろうとか、人に返信をしようとか、何かを書こうとか、音楽をちゃんと聴こうとか、ちゃんと見ようとか思えるようになる(どうして?)
 ラブホテル、一週間くらい前に札幌のラブホテルの客室の浴槽から、頭部のない男性の遺体が見つかったというニュースを見た。眠剤が効いてはいるけれど、これはたぶん現実、現実に起こったことで、昨日くらいに続報のニュースを見たら、被害者の男性が60歳くらいだったこと、退室の電話の声が女性の声だったことなどが書かれていたと思う。
 自分も何軒かのラブホテルで清掃をやっていたから、いつものように浴槽の清掃をしようとしたら浴槽の中に死体がある、という状況をリアルに想像できてしまうし、実際、清掃をしている際にも、「浴槽の中に死体があったら」と考えていることはよくあったし、でも、頭部のない死体はあまり想定していないから、きっとびっくりしてしまう。口うるさいおばさんといい加減なおじさんと、発達障害の若者(もちろん自分自身もそうなのだけど)という4人の清掃員で、自分が浴槽に頭部のない死体を見つける。きっと、自分は「警察を呼んでください」と伝えて、そのあと、その日のシフトはどうなるのだろう。    頭部、頭部、頭部のない初音ミクの死骸を想像してみる。それはもう初音ミクではなくなっている(なぜなら、歌えなくなったしまったから)。歌えない初音ミクはどこにいくのだろう。電子の海? 電子の海を流れていくのは機械翻訳されたポルノ動画のタイトルたちで、はやく自分も機械翻訳されたから支離滅裂なポルノ動画のタイトルみたいに無茶苦茶になりたい。子供の名前を機械翻訳されたポルノ動画のタイトルそのものにして、そうして生まれた子供のたましいを抽出したあと変換してまた文字列にしたい。
 死体? 回帰する。亡霊のように、亡霊のように、亡霊のように。あなたが見ているものは夢、亡霊。時計の針が怖い、何もしないことが怖い、何かをしていることが怖い、いまこの瞬間に耐えられない、それは退屈さに耐えられないということにも近いかもしれないけれど、少し違う。人の生には振り払うことのできない本源的な退屈さのようなものがあって、それはむしろ……というよりも単に、無気力だから、あまりに本源的に無気力だから、そんな無気力な身体を無理矢理起こして立たせてその状態を努力して維持して、そこから歩く決心をして歩く、ということをして無理矢理に身体を動かして、無理矢理に何かをする、ということをこれからも続けていける気がしない。
 何も食べたくないし、どこにも行きたくないし、何も見たくない。四肢を切断され、目を花を耳を塞がれた状態の自分を想像してみる。何も見えないし何も聞こえないし感じられない。私はひとつの球体になったような気がする。球状の花が空へと舞い上がっていく、舞い上がった球状の花からツタが伸びる、スルスルと、ツタが伸びてゆく。
 ねぇ、忘れちゃうね。  ねぇ、忘れちゃうね  ねぇ、忘れちゃうね
 やっぱりそうだ、睡眠薬を飲むと、集中力が上がっているような感じがする。眠くなって素直に眠ることもあるけれど、明らかに過集中状態になることも多い(でも普通に考えてそんなはずはないのだけど、誰か理由を知っている人 いたら 教えてください)
 ここ最近はずっとLé Realというvaporwave系のラッパーの「1080p」という曲をずっと聴いている。歌詞を知りたいけれどどこにもない。舵をとれない、というよりもはじめから舵がない。あと、この文章を書いている間はずっと適度に睡眠薬を入れながらyung cortexの「skin contact」を聴いている。
外部と内部、超越と内在、そして神。外部とは内部へと織り込まれたもので、たとえば、神のために死んだ殉教者たちは「超越」しているのでしょうか?、「内在」しているのでしょうか? と先生に尋ねてみる。先生は「クリシェ」とだけ言って、私の制服を脱がした。そして、先生は私をラブホテルまで連れて行って、お風呂場で四肢を切断したあと、四肢のない死んだ私をお風呂場に放置して出ていってしまった。
 おかしい、何かが反復している。    頭部のないインターネットが亡霊のように徘徊する
4 notes · View notes
haura-yuki · 1 year
Text
Tumblr media
状態。
20230423
じぃちゃんが昨日死んだ。Tully'sのチャイティーのホットはグランデサイズで、レジ横のスイートポテトを持たされて、帰えろうかって野球ドームを後にした。あたたかくて甘いものをそばに置いておけば少しは元気になるんだって。
思い出せば、ゴツゴツと装飾を加えた金の指輪たちは、殴られたらひとたまりもないことを思わせたし、たまにニッと現れる金冠は漢のステータスであると同時に、そういう思想を持っていることを私たちに認識させた。
無口なうえに、話す時はあまり口角を上げず、かつ目尻を垂らさないものだから、言っていることが冗談なのか本気なのか分かりにくくて、幼い私たちにも気を使わせた人だった。隣にいるばぁちゃんがアッハッハッと笑えばこれは冗談なんだって、半テンポ遅れて笑ったものだ。
安置されたじぃちゃんは、生前同様損傷のない綺麗な顔立ちだったが、青白く色彩は落ちていて、まるで抜け殻で、死ねばみんな一緒なんだな、とふと思う。
私は出来が悪いので、当然のことが受け入れられない時がよくあるのです。今もまだ死体と同じ空間にいて、死ぬことと生きることの境界線が分かっていない。
キャッキャとはしゃぐ3歳の従姉妹の子は「じぃちゃんねてる」と言った。あなたのパパは「そうだね、おわかれしようね」と答えたけれど、私にも死んだように寝ているだけに見えるよ。
私のことは3歳だと思って読んでほしい。
私たちは肉体と精神を備えているが、デカルトは、世界の存在を自分自身の意識の明証性に基礎付けて「人間が自分自身を“考える主体である”と捉えている事実がすでに、意識が肉体という物質から完全に切り離されいる証拠だ」と、精神と物理的な世界の間には断じて何の関係性もないと主張したらしい。
昨今の技術の発展によって、意識はないけれど身長、体重、目の大きさ、鼻の高さ、声の高低、外見の全てが私と同じヒトが造られて、生身の私と人工的なヒトを第三者が見分けることが出来るかどうかの実験を行ったとする。おそらく、初対面の人は見分けがつかないんじゃないかな。でも、時間を共有してきた家族や恋人であれば、これは私が言いそうなことかどうか、意識的な部分から見分けてくれるのかもしれない。
そうだとしたら、私を私たらしめているのは肉体ではなく意識なのだろうと、デカルトのいう精神と肉体を区別する考え方も分からなくはないし、意識が“私らしさ”であったら、“らしさ”を重視する現代の欲求を満たす魅力的な考え方なのかな。
チーンとおりんの音を聞くと背筋が伸びた。緊張をするとお腹が痛くなった。精神と肉体はどこかで相互作用していると直感的に認めざるを得ないことも確かなんだ。
じぃちゃんが横たわっている。肉体があって、精神がない(あることが確かめられない)。死んでいることを疑う余地はなくても、私とじぃちゃんの間にあるこの天と地の存在の差を埋める理由が私には見つけられない。私は引力で未知なる空間に引き込まれそうになるのをぐっと耐える。
肉体と精神、共に意思のままに抑制できるのが生きている条件なのだろうか?
肉体があって精神がない所謂脳死状態の方を医師ではない私たちは死んでいる、と言えるか?私は、言えない。分かっていても言えない。そうなってしまえば、肉体がなくて精神がある所謂幽霊を私は“生きている”と位置付けなくてはいけないね。
肉体と精神、共に失ったときが死んでいる条件なのだろうか?
だとしたら、じぃちゃんは焼かれるまで眠っているだけかもしれないね。
もう眠たい。これから眠りに就く私は一度一定の時間死ぬのかな。そしてもし、二度と目を覚さなかったら、私の死の起��は眠りに就いた時なのかな、あるいは第三者によって死亡が確認された時点なのかな。
みんなはきっとこんなことを考えなくても、死を受け入れ純粋に別れを惜しむことができて、これからも立派に生きていく、私にはそう見えてしまう。私はいちいちそういうことを夜に考えてしまう。いつもどこかで死との境界線を分かりたくて、一歩立つ位置を変えると死を望んでいるようなんだ。
もう心拍数も呼吸音もないのに、部屋の奥から聞こえる静けさの音がうるさい。これが私の生きている音なのかな。生きるってうるさい。
裏の畑で白い煙を焚いていたじぃちゃんが数日後に黒い煙になる。肉体すらこの世になくなる。
そういえば、スイートポテトがまだカバンの中にあった。あたたかいものと甘いものをそばに置いておけば少しは元気になるって、食べられなくても元気になれた日があなたにもあったんだね。痛み入ります。
4 notes · View notes
ari0921 · 8 months
Text
我が国の未来を見通す(81)
『強靭な国家』を造る(18)
「強靭な国家」を目指して何をすべきか(その8)
宗像久男(元陸将)
───────────────────────
□はじめに
2週遅れになってしまいましたが、8月15日、7
8回目の「終戦記念日」に感じたことをまとめてお
きたいと思います。
式典において、天皇陛下は「戦没者に対する慰霊、
人々のたゆまぬ努力によって平和と繁栄が築かれて
いること、さらには過去の反省と再び戦争を繰り返
さないこと」などのお言葉を述べられました。
岸田首相は天皇陛下と同趣旨の式辞の最後に���積極
的平和主義の旗の下で、国際社会と手を携え、世界
が直面する様々な課題の解決に全力で取り組む」
「今を生きる世代、これからの世代のために国の未
来を切り開いていく」旨の言葉を付け加えました。
細田衆院議長は「日本国憲法の精神を体して恒久平
和の実現に全力を尽くす」、尾辻参院議長は自分の
体験談を述べられた後に「犠牲となられた方々のこ
とを忘れない」「戦争を絶対に起こしてはならない」
と結びました。
8月のこの時期になると、日本人として戦没者に対
する鎮魂は当然としても、「平和」(「戦争」は起
こさない)という言葉がそこはかとなく“一人歩
き”をして、多くの国民をして、“こうして念仏の
ように「平和」を口にしておれば、「平和」が向こ
うからやってくる”という錯覚に陥らせている(思
考停止というべきか)と考えるのは、うがった見方
なのでしょうか。
15日当日、各政党の談話も発表されました。談話
の全文は読んでいませんが、新聞紙上に発表された
その要旨だけでも考えさせられるものがあります。
紙面の都合上、紹介する価値があると考える政党談
話のみをさらに要約します。読者の皆様は、ぜひそ
れぞれの番号の談話がどの政党の談話かを想像して
お読みください。ウクライナ戦争などの厳しい安全
保障環境に対する認識はほぼ共通していますが、当
然ながら、その後に続く主張は各政党によって違い
ます。
唯一の被爆国として、「核兵器のない世界」の実現
に向けて現実的・実践的な取り組みを進めていく。
必要な防衛力を整備しつつ、国際協調と対話外交、
多国間協調を深め日本周辺の平和を守り、地域の緊
張を緩和させる努力をする。
他国に侵略を思いとどまらせる抑止力の確保、我が
国の主権と国民を守り抜くために積極防衛力を抜本
的に強化、整備する。
核兵器による威嚇など現実の脅威にさらされている。
「核の先制不使用」の議論を、今こそ日本が主導す
べきである。
食料やエネルギーの自給体制の強化を含めて「自分
の国は自分で守る」という現実的な安保政策を進め
ていく。
二度と戦争に巻き込まれないために、国のまもりに
対する国民の意識を高め、抑止力の構築が現実的な
手段との認識が必要である。
これらから、どの談話が与党で、その与党の安全保
障・防衛政策に反対の立場を主張する野党の談話が
どれなのか、混乱し、考え込み、そして安堵し、ま
た呆れもしました。
安堵したのは、「日頃、色々反対しているが、案外
分かっているではないか」と感じた野党に対してで
あり、呆れたのは、「相変わらず、足元を見ないで
とぼけたことを言っている。それが本心なのか」と
思ってしまう与党に対してでした。
各談話の正解は、(1)自民党、(2)立憲民主党、(3)日
本維新の会、(4)公明党、(5)国民民主党、(6)参政党
です。
総括すれば、(特に与党に対してですが)「国会議
員であることをもっと自覚して、我が国内外に起き
ている様々な事象をよく勉強して、危機意識を持っ
て国の舵取りをしていただきたい」の一言です。
(6)の参政党の冒頭には「恒久的な平和は美辞麗句を
並べるだけでは実現しない」とありましたが、その
ようなことを国民に最も声高に訴え、理解を促す必
要がある与党が「保守」の看板を下ろし、「リベラ
ル」のような主張をすることは、我が国にとって決
して幸福なことではないと思います。百田尚樹氏が
「結党宣言」し、保守の論客諸氏がこぞって現政権
を批判する訳もこのあたりにあるのでしょうし、最
近の世論調査からすると、国民の多くも見抜いてい
るのでしょう。読者の皆様はどう考えるでしょうか。
▼我が国の「防衛力」の“急所”─同盟
 
気を取り直して本題です。本メルマガでもすでに紹
介しましたが、私は、愚書『日本国防史』((※)に
おいて、「我が国の歴史から学ぶ4つの知恵」をま
とめ、その筆頭に「孤立しないこと」を上げ、人も
国家も仲間を選び、失わないことの大切さを強調し
ました。
(※)『世界の動きとつなげて学ぶ日本国防史』
https://amzn.to/44xI30c
その内容を要約すれば、「日米同盟」の強化・対等
化、「日米豪印戦略対話(QUAD)」や「自由で
開かれたインド太平洋戦略(FOIP)」などを対
中国包囲網として同盟化まで引き上げることなどに
加え、本メルマガにおいても、貿易や食料・肥料な
ど経済的な“中国依存”から速やかに脱却すること
なども提唱してきました。
今回、改めて、我が国の「防衛力」の“急所”とし
ての「同盟」について考えてみたいと思います。た
だし、この「同盟」にからむ様々な論点を子細に紹
介しますと、本メルマガ数回分に及び、本来の「国
力」分析の視点から外れてしまう可能性もあります
ので、私の問題意識を簡潔に紹介することに留めま
す。
島田洋一氏は、自書『腹黒い世界の常識』(※)の
第1章冒頭に「同盟とは何か」と題して、「同盟は
一瞬にして敵対関係に変わる。共に戦う限りにおい
てアメリカは日本の同盟国だが、日本が中国に降伏
した途端、敵の戦略拠点として使われないよう、ア
メリカは日本を攻撃対象にしてくる。『血を流して
守る』以外に、『破壊して去る』という選択肢もあ
る。それが国際常識である」と述べています。
(※)
これまで、様々な戦争の歴史を勉強して、島田氏の
指摘のようなことがたびたび繰り返されてきたとい
う事実を知っている私でさえ、この文章を読んだト
タン、ハッとして背筋が凍りました。
我が国には、軽々に「中国が攻めてきたら、白旗を
あげればよい」と口に出す人がいますが、そのこと
は即、アメリカを敵にまわすことであり、最悪の場
合、アメリカの攻撃によって陸海空自衛隊の基地や
装備が攻撃され、国土が再び“焦土と化す”ことま
でを考えなければならないのです。
島田氏も実例として取り上げていますが、第2次世
界大戦において、フランスがドイツに降伏し、パリ
無血入城を許した時、イギリスはフランス海軍が
(海上兵力が弱点だった)ドイツ海軍に組み込まれ
ることを防ぐため、フランス海軍の艦艇を空爆で破
壊し、1000名を超える兵士も犠牲になりました���
このような経験を乗り超えてイギリスとフランスは
この後も同盟国として共に戦ったのですが、ある事
象や事件をきっかけにして「昨日の友は今日の敵」
になったことなども歴史上枚挙にいとまがありませ
ん。
さて、細部の経緯は省略しますが、1952年4月、
「サンフランシスコ講和条約」と同時に発効された
「日米安全保障条約」は、戦後の占領に続き、アメ
リカ軍による保護協定的性格が強いものでした。ア
メリカは、日本の再軍備を抑え込むと同時に、日本
列島というアジア大陸東側の戦略的拠点を敵対勢力
の手に渡さないことが目的だったために、NATO
のように「相互性」を持たない「片務性」で妥協し
たのでした。
1960年、激しい安保闘争の中で、より共同防衛
に近い条約に改正されましたが、憲法上の制約もあ
って、引き続き日本本土に米軍を駐留することを容
認しつつ、「片務性」もそのまま残存された形の
「軍事同盟」が継続されました。
この結果、日本政府は、我が国の安全保障の多くを
アメリカに担ってもらい、「軽武装・重経済」とい
われる経済発展のみを政策の最優先課題とすること
ができて、実際に高度経済成長にもつながりました。
そして、1983年、中曽根元首相のアメリカ訪問
時の「共同宣言」をきっかけに、「日米同盟」とい
う言葉が市民権を得ました。「日米同盟」は、“
「日米安全保障条約」を根幹とする日本とアメリカ
の間の包括的な協力関係”と定義され、安全保障・
防衛面だけでなく、政治、経済、社会など幅広い分
野において機能することを指しています。
以来、我が国は、ほぼあらゆる政策を「日米同盟」
を基軸にして立案し、実行してきました。一時、民
主党政権時には米中を絡めた「二等辺三角形」論も
ありましたが、そのような考えは長くは持ちません
でした。よって、歴代の首相をはじめ政治家、官僚、
有識者、それに私たち自衛隊関係者にあっても、
「日米同盟がなくなる」とか「日米同盟なき我が国
の繁栄」などについて、一瞬たりと頭をかすめたこ
とはないでしょう。
特に、防衛分野においては、戦争経験のない自衛隊
は米軍の豊富な実戦経験から学ぶことが多々ありま
したし、個人的な経験でも、在日米軍の高官たちと
親しく付き合って、お互いの信頼や友情を深めまし
た。
一方、高度成長の結果、一時は世界第2位、現在で
も世界第3位のGDPを誇りならも、防衛予算は
「GDPの約1%」にとどまり、「日米安全保障条
約」は、憲法上の制約を盾に「片務性」についても
今日まで手付かずのまま放置されています。
「同盟」を維持させるためにはそれ相応の努力が必
要なことは言うまでもありません。長年、日本の約
15倍、GDPの約3.5%に相当する巨額の軍事
予算を投入しているアメリカが、その大元が戦後の
対日方針にあるとはいえ、この状態に不公平感を持
つのは当然なのです。
2019年、トランプ前大統領が「日本が攻撃され
れば、我々は第3次世界大戦を戦うことになり、あ
らゆる犠牲を払って日本を守るが、アメリカが攻撃
されても日本は我々を助ける必要がない。彼らはソ
ニー製のテレビでそれを見ていられる」と「片務性」
を痛烈に批判し、話題になりました。
「この批判が何を意味するか」について、当時、ほ
とんどの日本人に理解していなかったと今なお想像
しています。実際、アメリカにおいては、憲法上、
条約の批准は上院の3分の2の賛成を必要とすると
の高いハードルがありますが、条約の破棄は大統領
の判断で行なうことができます。トランプ大統領の
発言はけっして脅しでもなんでもなく、大統領一人
の判断でいつでも条約を破棄することはできるので
す。
現在、「日米同盟」はアメリカの「国益」にも合致
しているし、これから先もそう願いたいですが、国
際社会を取り巻く“様々な情勢”が変われば、未来
永劫に「日米同盟」が継続される保証はありません。
大統領の判断一つで「昨日の友は今日の敵」になる
可能性を潜めていることを常に頭に置く必要がある
と私は思います。だからこそ、「自主防衛」を筆頭
にした「自助努力」が必要なのですが、それについ
ては後述しましょう。
▼我が国の「防衛力」の“急所”─同盟(続き)
今後変わるかも知れない、国際社会を取り巻く“様
々な情勢”についても触れておきましょう。前回紹
介しました伊藤貫氏によれば、冷戦終了後、アメリ
カは、人類史上一度も実現されたことがなかった
「世界一極体制」を創ろうとの野心と自信をもって
様々な外交を展開しました。その特徴は、アメリカ
を例外的に優れた国とする「アメリカン・エクセプ
ショナリズム」をもって、国際政治にアメリカの政
治制度や経済システムを採用させようとし、それに
抵抗する国々は、裁き、処罰し、時には破壊しまし
た。実際に、冷戦終結直後の1989年の「パナマ
侵攻」以降、アメリカが関与した世界の紛争は17
紛争を数えます(『習近平が狙う「米一極から多極
化へ」』遠藤誉著より)。
アメリカのこの「新外交理論」は一世を風靡し、日
本人の中にも「熱心な信者」を輩出しましたが、2
0世紀になった頃から、中東地域、ロシア、中国、
北朝鮮などが反旗を翻すなど様々な厄災が表面化し
て、ほころびを露呈し始めてきました。なかでも、
中国、インド、ロシアなどの台頭は、「一極体制」
を形なきものにして、「多極化」に拍車がかかりま
した。
そのような状況から、オバマ元大統領の「アメリカ
は世界の警察官ではない」やトランプ前大統領の
「アメリカン・ファースト」の発言などにつながり、
このたびの「ウクライナ戦争」をもって、「世界一
極体制」はその原型を留めることなく、世界は「多
極化時代」、というか「分裂の時代」に再突入した
と考える必要があるでしょう。現に、スウェーデン
にある「民主主義多様性研究所」によれば、今や世
界人口の72%に相当する57億人が「専制主義的
(権威主義的)な傾向の強い国」に住んでいるとの
ことで、これらの国々はアメリカが提唱する政治制
度や経済システムに与することをかたくなに拒否し
ているのです。
基軸通貨である「米ドル」についても、近年はユー
ロや人民元に押され、外貨準備高の約60%はドル
建て資産といわれながらも、国際決済においては4
2%に留まっているなど脱ドル化が進み、将来はそ
の地位が危ぶまれる“様々な現象”が発生するとの
予測もあります。
さて話を本題に戻しましょう。このように、将来
“混とんとした国際情勢”になることを予想せざる
を得ないなかにあっても、なおかつ「日米同盟」は
盤石で、その延長で“アメリカの「核の傘」は有効
と断定できるのか否か”を議論する時が来たのでは
ないかと考えるのです。
これまでのようなアメリカであれば、水戸黄門の
「葵の紋所」のように、それを見せるだけでひれ伏
す国はあったとしても、これから将来はその“効き
目”があるのか、逆に、アメリカが「葵の紋所」を
“出し惜しみ”するような情勢は来ないのか、など、
それらの想定を「もしかして」の範疇として捉え、
最も大事な「我が国の抑止力は大丈夫なのか」につ
いて、しっかり議論すべきなのです。
前回、中国や北朝鮮などは、自国の犠牲回避を最優
先しない可能性があることに触れましたが、差し伸
べてもらった「傘」にも問題があるとすれば、過剰
な依存を止め、逆に相対的な力関係を補い、より盤
石な抑止力を構築する上でも、(それぞれ微妙に違
う)イギリスやフランス、そしてドイツの抑止戦略
などを研究しつつ、我が国独自の「自主防衛」につ
いても検討する時期に来ていると考えます。
かつてのアメリカは、「日本の核武装は力づくでも
阻止する」との勢力が大半を占めていたものから、
キッシンジャー、ウォルツ、ホフマンなどのリアリ
スト戦略家たちのように我が国の「自主防衛」を容
認する勢力が増えつつあるのは、それが日本の「国
益」に留まらず、アメリカの「国益」にもつながる
との認識を持っているからなのです。
まさに、“時代は変わりつつ”あります。冷静沈着
に「あらゆる戦争を抑止するために、我が国の防衛
をどうするか」についてタブーを廃して、真剣に考
える時期に来ています。
令和6年度防衛予算の概算要求は過去最高の7.7
兆円だそうで、これによって通常戦力が増強され、
陸海空領域に加えて「宇宙」「サイバー」「電磁波」
に至る「領域横断」を強化する方向に舵を切ってい
るのでしょうが、これだけでは、あらゆる「戦争」
の発生を未然防止するのは困難と考えます。不確定
で、かつ厳しさを増す情勢を目前にして、ここで思
考を断ち切ることは、冒頭に述べた、念仏のように
「平和」を願うことと“大同小異である”ことを悟
る必要があるでしょう。
▼我が国の「防衛力」の“急所”─「足かせ」にな
っているもの
最後に、「防衛力」の“急所”として「足かせ」に
なっているものついて触れておきましょう。
先般のNATO会議において、東京事務所の開設に
ついては、フランスの反対もあって実現しませんで
した。NATO加盟国は、1949年に署名された
「北大西洋条約」の条約第5条において「一方の加
盟国が武力攻撃を受けた場合、他方の加盟国も共同
して自衛すること」と定めておりますが、これは
“���方への攻撃は全員への攻撃とする”「集団的自
衛権」の原則そのものの適用です。
「日米安全保障条約」は戦後の特殊事情によって
「片務性」が容認されましたが、NATOへの加盟、
あるいはNATOの東アジアへの拡大を企図すれば、
もはや「片務性」は容認されないでしょう。
第1次世界大戦時、「日英同盟」下にあった日本に
対して、イギリスから日本の参戦について再三の要
求がありましたが、日本は「国防の本質を完備しな
い外征はなじまない」と「参戦地域の限定」に執着
し、海軍の特務艦隊の派遣を除き、陸軍の派遣は拒
否しました。そのことが、のちの「日英同盟」破棄
につながったという“前歴”があります。
もし、東アジア地域で何かあった場合、NATOの
支援を得ることを期待するなら、もし欧州で何かあ
った場合に、自衛隊を派遣することを“拒否できな
い”ような「枠組み」を求められるでしょう。その
ためには、現在、憲法上、「権利はあるが、行使で
きない」としている「集団的自衛権」を行使できる
ように解釈を見直すか、憲法そのものを見直すか、
他に方法がありません。
そのよう制約は、冒頭に述べたQUADやFOIP
を実質的同盟のレベルまで引き上げる場合、あるい
は8月18日に合意された「日米韓安保協力」をさ
らに盤石なものにする場合でも同様でしょう。
いよいよ戦後80年近く、かたくなに守り続けてき
た憲法、さらにはあの手この手を使い、屁理屈をつ
けつつ、潜り抜けてきた憲法解釈や現憲法のもとの
防衛政策が限界に来ているということでもあり、
“見切りをつける”時が来たということではないで
しょうか。
その決断こそが、我が国の「国力」を維持し、憲法
でいう「国際社会において名誉ある地位を占める」
ための唯一の道なのです。皮肉と言えば皮肉ですが、
それが現在の我が国の置かれた立場であり、これま
での“ツケ”の集大成こそが将来に向けた生存の道
であろうと私は考えます。
軍事力(防衛力)についてはひとまずこのぐらいに
しておきましょう。次回は、本メルマでもすでに取
り上げた「食料・天然資源」を「国力」の要素との
観点から再度取り上げ、その後、「政治力」につい
て素人の立場ながら「何が問題なのか」について迫
ってみます。
(つづく)
(むなかた・ひさお)
2 notes · View notes
blue-aotan · 1 year
Text
ハロー(´ー∀ー`)2023.5.6
GWはのんびりとレンタル祭りしてました〜
今回借りたのは9本!そしてレンタルしたその日にU-NEXTで1本だけ視聴しました笑
ということで簡潔に映画の感想です〜
U-NEXTで観たのはこちら
「ヘレディタリー継承」
ジャンルとしてはホラーですね。不気味な女の子が主人公と思いきや…なーんか母親が暴走してるのか母親が元凶なのかと思いきや…女の子のお兄ちゃんの存在が鍵なのかと思いきや…
という思いきやホラーでしたね
(何だそれ
結構グロいのと、私が1番言いたい感想は父親がとっっってもいい旦那さんやないの!ってこと←
おかしくなっていく妻に対しても優しさの塊だし、息子に対しても思い遣りの塊だし。
そんな素敵なお父さんは焼死しちゃったよね←
で、最大のホラーシーンはお母さんが糸鋸で自分の首をゴリゴリ切り落とすシーンです。これはもう…完全なるトラウマホラー認定ですよ。子供は見ちゃダメです。絶対に観ないで下さい。
そして最後まで観て私の一言は
「はい?」
説明をお願いします←
ということで誰かの考察レビュー見ましたよね。
タイトルからして何となく女の子に何かが宿っており、その何かは多分悪魔で、器としてお兄ちゃんの身体を狙っていたカルト教団のおばさんが母親に近づいたってことよね。
母親のお母さんがその信者で、どうやら王妃ってことになってたのでその悪魔の復活をさせる儀式はお母さんの時から続いてたってことよね。
で、その儀式を成功させるために首を落とす必要があったんだとか?その辺がよくわからないよねってこと。
母親はその儀式を成功させたくはなかったんだけど、夢遊病(精神の深い部分で操作されていたのか?)として意識下で儀式を遂行しちゃったということで、最後は悪魔が復活してチャンチャン!
「はい?」
で終わりましたとさ。
「セイント・モード/狂信」
これは観なくていいやつでした←
終末期ケアの看護師さんが主人公なんだけど、その人が神様の声を聞いて頭おかしくなるというか初めから頭おかしかったんだね〜という話です←
最後は浜辺で焼身自殺。それが神様のお声だそうです👼
「バイオレント・ナイト」
お下品なサンタさんが子供を救う為に悪い人達をボッコボコに殺す映画です←
サンタっていうかもう、バイキングだよね。
脳天潰しとかいうハンマー持って次々に悪い人を殺しまくるんだよね。
ホームアローンみたいなシーンもあります。
「ブラックアダム」
DCコミックの映画は一応ジャスティスリーグとかアクアマンとかワンダーウーマンとかバットマンは観たけど、マンオブスティールとかシャザムとかザスーサイドスクワッドとか観てないんだよね…
なので「シャザム」という言葉には何の知識もなかったから何それとはなったけど、楽しめましたよ。
今回はヒーローじゃないのね、、ふむふむ細いロック様が違和感ありすぎるwって感じだったしアダムがいかにして力を得たのかその理由が悲しかったし、一応ちゃんとしたストーリーがありました。
(何様
ブラックアダムめちゃくちゃ強いし、飛び方がスーパーマンだし、ジャスティスソサエティオブアメリカ(JSA)とかいう世界秩序を守るヒーロー組織が突然出てきて誰?ってなったし、男の子のお母さんがアダムとJSAに説教してつえぇ…ってなったし←
だってさ突然骨の兵士みたいなのが現れて「地獄の兵士だわ!やっつけるわよ!」とかなるのよ←
おかしーよね😂一体どこまで予見してて覚悟してるんや←
あっここは現実世界ではなかった←
とはなったけどさ。普通逃げるよね。でもカーンダックの国民達は反骨精神が強くてきっと奴隷時代に受けた屈辱と正義を血に秘めて受け継いできたってことなんだろね…知らんけど。
それでねJSAのメンバーでドクターフェイトっておじさんがいるんだけど、私はその人が好きだったなー。ドクターストレンジがもっと歳取ったらフェイトになるのかなって感じ(違います)
大体私のお気に入りキャラは死んじゃうんだけどね←
ヒーロー対ブラックアダム
って構図が私としては戦う必要ないのに…って思ってしまってもやもやしたけど、映像はすごかったね。
戦う理由がない、ただ邪魔なだけみたいな笑
ヒーロー側からすると、やはりアダムは世界秩序を乱す存在なんだよね。
最後はまとまったけどさ。
終わり方がかっこよかったよねー!ザ・映画!って感じでした。
「ヴェンデッタ」
ブルースウィリスが悪でした。
ギャング?かマフィア?かよくわからないけど、バカ息子の組織入りの儀式みたいなもので誰かを殺したら合格みたいなしきたりがあって。
それで高校生の娘を殺された父親が復讐するみたいな話。
そこまでハラハラ感もなく、別に観なくてもいい映画でした←
警察もそのしきたりを容認してたし、分かってて捕まえないグレーな社会ってよくある話だよね。
私が思ったのは裏社会牛耳ってるようなブルースのアジトのセキュリティが激甘のガバガバでバカなの?って感じでした〜
「ブレ���ト・トレイン」
面白くないだろうなって思いながらレンタルしたけどその通りでした〜
ブラピが観たかっただけ、とそう思うことにしました←
姉に「ブラピのブレットトレイン借りたよ」と言ったら『プラピンはサスペンス系?』(打ち間違い
だってさ!
そんな俳優はおらんのよ←
始まってすぐ木村という日本人役の俳優がめちゃくちゃカタコトな日本語で喋ってて秒で見る気失くしました←
その木村、いつのまにか流暢な英語で会話してた←
建物とか景観とかがやっぱり中国なんだけど、海外からの日本ってこう見えてるの?って思うよね。
GACKTが出てた「BUNRAKU」って映画を思い出しました。海外映画に出てくる日本の舞台って本当違和感しかない…
「ノープ」
序盤は全然面白くなかったけど、UFOが出てきて🛸それでそれで?とはなってきました。
ただそれが乗り物ではなく、それ自体が生き物ってことで「へえ」って感じで←
見た目よくわからないエイリアンってことでいいのかね?
金属と思ってたけど、ビラビラの布みたいな花びら型のでかい食虫植物みたいな?食人エイリアンw
経営困難な牧場を立て直すために兄妹はこのエイリアンを撮影して一儲けするぞ!みたいな話。
途中、人々を襲ったチンパンジーの話があったんだけどこの話がどう繋がっていたのか全くわかりませんでした…
ざっくり言うと兄妹愛が勝つ!みたいな😂
観終わって誰かのレビュー読んだら、色んな映画のオマージュが散りばめられていたらしいんだけど私には何一つ刺さりませんでした←AKIRA知らないしね…
「ラストナイトインソーホー」
怖くないホラーでしたね。
主人公の女の子が霊感があって、デザイナーになる為に服飾科へ通い始めるんだけど同室の女の子がかなり性格ブスで嫌になって部屋を借りるんだけども、そこで霊体験していくといったお話。
かつてそこに住んでいた女の子の過去を追体験していくんだけど、その女の子の正体と物語の真相は少し捻りがありました。
ありましたけど、正体は読めてしまいました。だけど、怖いだけじゃなくてそこには悲しさとか裏切りとか傷があって、結果主人公はその体験によって助けられ成功するみたいな報われ方だったのでよかったなと思いました。
「アンテベラム」
輪廻のストーリーかと思っていたら違いました。
過去の話と現在の話が交互に展開されていると思い込んで見てたけど、主人公は同一人物で発言力のある黒人ということで拉致され奴隷として働かされていたというお話。
この映画には色々な社会問題やら政治的なものも絡んでいるようなお話なのでしょうけれど、私にはとても退屈でしたね…
人種差別はとても酷い行いですが、映画としては私は視聴選択しないかな…
(つまりレンタル失敗←
人種差別問題なら以前観た「グリーンブック」の方がとてもよかったです。
ということで、私のレンタル祭り終了でございます〜👏
ゼルダの伝説ティアーズオブザキングダム発売まで1週間切りましたね!!
今年のゲーム活動はゼルダ一色で終わるだろうと思っていたし、全て配信でプレイする予定だったのに…ネット開通日未定のせいで←←
予定が全て狂いました。
ゼルダを配信でする為に、プレイをネット開通日に合わせてスタートするのか
それとも動画でアップするスタイルにするのか…
まだまだ悩み中です。
ゼルダ解禁を我慢できるのだろうか←
3ヶ月も待たなければならないけど…それはそれでいいのかもとか思ったり。
他にも色々したいゲームは沢山あるんだけど、編集が本当に嫌なんですよね←
この無駄に時間かかる作業がかなり苦痛…😞
かと言ってぐだぐだNo編集のまま上げる訳にもいかず。「あーーー編集しなければーーー」って動画が溜まっていくとゲームをすることすら億劫になってくる始末←
やっぱり配信でぐだぐだのんびりリスナーさんと話しながらプレイするのが1番合ってるよねー。
私はぐだぐだしたいのです!
(知らんがな
ゼルダ寝かせる方向になりそうだね←
というかさ!NU○○光から追加のポケットWi-Fi来たって言ったけど、それもめちゃくちゃ速度遅くてなんなら1台目よりも更に遅いんだけどどういうこと?←
どっちに繋げてもクルクルクルクルなるんだが💢
これ以上イラつかせないでほしい←
結局愚痴って終わるブログです😂😂
※追記※
レンタル9本って言って一つ感想書き忘れてました←
「PIGピッグ」
ニコラスケイジがトリュフブタと山奥で生活してるんだけどある日その豚が盗まれた!!ってことでその豚を取り戻す為に奮闘するお話。
とにかくこの豚さんが可愛いかった!
でもストーリーはへんてこ←
奮闘していくうちにニコラスケイジの過去やらトリュフを売ってあげてる仲介の男性と父親の関係も深掘りされていくんだけど……
なんかただの親子喧嘩に巻き込まれて豚殺されて、世捨て人のニコラスケイジがただただ可哀想な話だったよね?←
メッセージがめちゃくちゃだよね←
せめて生きたまま豚帰ってきて欲しかった🥹またニコラスケイジと生活再開してほしかった🥹🐷
4 notes · View notes
alaephoenicis · 1 year
Text
レムリア 〜 母なる樹に抱かれた生活
ロビン・カイザー
Tumblr media
オリジナル動画:https://youtu.be/UMtxg1KGJXE
【和訳:ALAE PHOENICIS】
最新情報はTelegramチャンネルへ
レムリアには巨大な生命の樹があり、そこに人が住んでいた。現在でも、この母なる樹の遺跡は世界各地に残っている。レムリアの記憶が人々の心の中に残っている限り、本来の自然な生活を取り戻す希望があるのです。 ロビン・カイザーのホームページ:robinkaiser.eu
レムリアと母なる樹木での生活
その昔、地球にはまだ水が澄んでいて、土壌には豊かな栄養分が含ま���、自然の中のあらゆるものが底力をみなぎらせ、振動していた頃がありました。
当時はまだ炎には性格があり、風には声があり、自然界のものにはみな生命が宿っているのが当たり前だったのです。
火の精霊は炎を舞ってその姿を人間に見せ、風の勢いは遠くの国の物語を語ってくれた。
人間は、すべての生き物と親密な交流を持ち、すべての生き物が心の動きや感情を直感的に理解できる言葉を話すことができました。
自然界に備わる力は友人や仲間として扱われ、助けを求めたり、助言を求めたりすることができました。
人間が他の土地について何か知りたいと思ったとき、その土地の情報を素早く運んできてくれないかと風に頼みました。
そして、人生における決断を運命に問うたときは、炎の精霊に火を灯しました。
人間が全生涯を自然界の創造物に捧げているため、自然界の精霊たちは人間に好意的でした。
Tumblr media
二つの部族が互いに連絡を取り合いたいとき、同時に火を焚いて、その火を通してもう一方の火の中に姿を現すことができました。
この地球上のすべての炉は自然のネットワークを形成しており、ある人の意識は、ある炉を通して別の炉に現れることができるのです。そして、火の精霊の力を借りて、火の炎の中に顔や形を作ります。
人々は火を通してお互いを訪問し、風に乗って聞こえてくる声と火の中の幻影の両方を通して、お互いにメッセージを伝え合うことができたのです。
その頃、大地との対話は、現在の数倍も大きかった木々を通して行われました。
そして、人々は木々を通して深い瞑想状態に身を置くことができたのです。
人の意識が木と融合すれば、木の枝や根をすべて自分の手足のように感じ、その意識で大地に深く沈むことができました。
Tumblr media
自然は人間の家であり、森の中の空き地はすべて自分の家の中のようだったからです。
自然の力は、その自然な成長を通して、人間のために素晴らしい住まいを作ってくれていました。
この地球が人間に与えた最大の贈り物は、母なる樹木です。
地球は人間に、天に近い最も美しい住処を提供しようと考え、ある種の樹木を空に向かって何キロも成長させました。
この樹木は、地球が生んだ最も素晴らしいものでした。
そして、それらは生きた楽園であり、色鮮やかな花々が咲き乱れる独立した生態系でした。
一本の母なる樹には、部族が丸ごと住めるほどで、その上に台座、塚、見晴らし台、梁、小川、円周およそ3メートルもある花があり、日没時には必ず開いて燐光を放っていました。
世界は言葉に尽くせないほどの美しい色彩に染まり、生活は静かな調和と深い感銘、そして母なる自然への大きな感謝の中で営まれていました。
なんでも豊富にあるため、人間は何も植えなくても木や草の果実を食べて生きていました。
人間が必要とするものはすべて自然が与えてくれ、生活の自然な営みを阻害するものは何もありませんでした。
Tumblr media
人の体は細身で力強く、生命力に溢れていました。直立歩行で、足取りも軽く、優雅でした。そして、歩くというより、大地の上を踊るように飛び跳ねていました。
夕刻になると、人間も植物も生きとし生けるものすべてが調和し合い、深い静寂の中にたたずむことがありました。
風が止んでしまいました。もう葉っぱの音もしないし、人も獣も動いていません。
すると、すべての生命を包み込むような大きな静寂が訪れるのです。あれだけ活気に満ちていたのに、まるで、自然そのものが息を潜めて、ひと休みしているかのようです。
この最も神聖な時代にあって、すべての生命は互いに静かに結ばれ合っていたのです。そして、すべての生命体が母なる樹木と大地の精霊のもとに一体となっていました。
その日の時刻によって、さまざまな香りが漂っていました。
中には、一瞬で人を別の意識状態にしてしまうような魅惑的な香りもありました。
生命のリズムは、ある種の植物の開花によってもたらされ、その植物はその進化において動物と植物の中間に位置する生物のようなものでした。
母なる樹には、その上を移動する植物があり、常に最も日当たりの良い美しい場所に移動していました。
また、一日に一度、数時間だけ大きな花を咲かせ、その後また閉じる植物もあります。また、他の植物には脈拍や呼吸のリズムがあることも見て取れました。
ある日、ある植物が花を咲かせると、その香りが辺り一面に広がり、その香りを通じて人間の意識はその植物と一体化しました。
その花が閉じればまた、別の植物が示し合わせたかのように花を開き、人間の心を招き入れるのでした。
母なる樹は年に一度、数日間だけ花を咲かせますが、このときが自然と人間が結ばれる最高の神聖な結婚式だったのです。
Tumblr media
母なる樹が開花するや否や、人々を恍惚とさせる芳香が立ち込めるため、その宴の準備は長い時間をかけて行われました。
母樹の花、そして一部の植物には幻覚作用があり、その香りだけで人間の意識を大きく拡張させることができたのです。
萼(がく)から滴る露を飲み、花粉で満たされた空気は、呼吸するだけで豊かな栄養を与えてくれます。
人間の皮膚はやや硬く、革のようでありながら、ところどころに細かいクリスタル状の構造が浮き出ていて、その上に皮膚が光っているように見えます。
深い意識状態から抜け出したばかりの人たちは、文字通り、肌がクリスタルのように光り輝いていました。
植物は人々の生活の場となり、母なる樹木の中には、夜になると大きな花が開き、その中に寝そべることができるような、各人専用の植物があったりしました。
人間の意識は植物と結びついていて、疲れたときには必ず寝台植物の花びらが開くのでした。生きている花の中に横たわって眠れば、花はその人の体を優しく覆い包んでくれました。また、目が醒めると共に、花は開きました。
こうした人たちの眠りとは、意識的に夢の世界へ移行することでした。
Tumblr media
また当時の人々の生活の営みは大部分が睡眠中に行われていました。
人生には、夢の世界というレベルからしか叶えられないことがありました。ほかに、身体的な場面での方がもっとうまくやれものもありました。
その意味で、世界には意識が起きている間も、眠っている間も、変わりありませんでした。
人々は、睡眠中に物理的な世界に繋がるのと同じように、日中も睡眠中の世界に繋がっていたのです。
そして、彼らは夢の中の世界から、物理的な領域で多くのことを実現させました。彼らは自分の人生を夢で描き、その夢に従って自然界は急速に物質面で成長していったのです。
母なる樹は鉱物の王国と植物の王国の狭間で進化を続け、地球は母なる樹を通して生きた結晶のように空へ向かって成長していきました。
地球に宿る魂は、母なる樹の中に最も純粋な形で転生していきました。そして、地球の鉱物界から植物界へと流れるようなクリスタル状の移り変わりを形成したのです。母なる樹の幹は、大地から伸びたクリスタルのようで、頂上に向かって次第に樹らしくなっていくのでした。
反重力によって、母なる樹の幹は地中の鉱物だけでなく、大量の水を運び、樹冠の中で湧き水となり、小川や滝となって地上に流れ落ちていきました。
ある種の樹木の鼓動は、大地から何キロも上へと水を汲み上げ、樹冠の中に泡立つ湖を形成していました。
さっきも言いましたが、それぞれの木にはそれぞれの生態系があり、当時の人が住んでいた地球にはそれぞれの地球があったのです。
当時の気候は一年中安定しており、熱帯らしい暖かさで、昼夜の温度差もわずかでした。
母なる樹に生える植物は、どちらかというと動物に近かった。そして、動物はより植物に近かったのです。
そこには沢山の巨大な平野があり、非常に多様な色と形をしたキノコがたくさんありました。
いくつかのキノコは夜になると小さな提灯のように発光し、母なる樹を光の海に変えてしまいました。
当時は昆虫や鳥類もいましたが、その他の大型哺乳類はまだいなかったか、母なる樹の上で生活していた人たちには関わりのない存在だったようです。
ただ、人間の髪の毛には特別な役割があり、髪の毛もある種の生き物として、触角のような役割を果たしていました。
樹木が幹から枝を生やすように、人も頭髪を生やしました。そして、髪の毛は手や足と同じように身体の一部として何かに触れることができたのです。
また、髪は意識的に動かすことで、例えば三つ編みにすることなども出来ました。
人々は特別な日には葉や花で身を飾りましたが、伝統として我々が理解している衣服は存在しませんでした。
彼らは、高い目標を目指すことなく、母なる樹木の腕に抱かれ、最も素晴らしい自然構造の中で暮らしていたのです。
そして、彼らの存在は、大地が差し出す贈り物で深く満たされていました。
Tumblr media
レムリアと呼ばれるこの時代に、一体何が起きて、このような生き方が終焉を迎えたのかは、その時のあなた方の記憶に委ねるしかないでしょう。
私たちはただ、あなたの地球の最も素晴らしい創造物が完全に消滅させられた、巨大な破壊工作が行われたことを記しておきたいのです。
すでに一部の人類が乱伐を営んでいたにもかかわらず、レムリアの人々は最後まで、大自然に忠実に、平和的な生活を続けようとしました。
そうして、地球にとって最も痛ましきことは、すべての母なる樹木が計画的に伐採されていったことでした。
今でも、その痛みは地球のエネルギー領域で感じることができるのです。
母なる樹木が壊されて以来、地球上の生命はますます分離と孤立に向かって後退していきました。
Tumblr media
そして、一本の母樹の最初の伐採から始まったこの破壊行為のクライマックスに、今日、皆さんはたどり着いたのではないでしょうか。
けれども、あなた方の世界では、当時の楽園のような地球での状態を覆い隠し、嘘だらけの人間の起源を語る勢力が���るものの、まだ母なる樹木の名残が息づいているのです。
そして、自然と深く一体と なって生きていた記憶は、一部の人々の中で未だに消えてはいません。
もちろん、現在の地球上の自然はかなり異なっていますが、レムリア時代の生き生きとした自然が当時のみなさんの意識に呼応していたように、ある意味、現在のみなさんの意識状態に呼応した小規模な自然がそこに存在しているのです。
地球上の天然の楽園が破壊されようとも、地球はまだ失われてはいません。
そして、レムリアの原初的状態の生々しい記憶が、あなたに相応しい未来を創造する力を持っているのかもしれません。
人類として別離の時代を乗り越えたとき、地球上のいくつかの木々は再び他の木々よりも大きく成長し、ガイアの精霊が自らそれらの木々に転生して、天まで成長させるのかも知れませんね。
今の地球には、このような素晴らしい生き物を育てるだけの生命力と強さがありません。しかし、地球が再生し、枯渇から回復したとき、人間は再び木の上に生きた自然の建造物を育てることができるかもしれません。
最後に、以下の写真をじっくり眺めて、レムリア時代と母なる樹木の記憶を呼び覚ましてみてください。
Tumblr media
これらは、のこぎりで切られた切り株です。
Tumblr media
かつて、あなたの地球で最も偉大で最も素晴らしい生き物でありました。
Tumblr media
この地球上の破壊工作は、はるか昔から始まっており、あなた方は今になってその結果を体験しているのだということに、どうか気づいてください。
Tumblr media
Tumblr media
レムリアの生活形態は破壊されたとはいえ、人々の心の中に生き続けています。
Tumblr media
そして、それがそこに生き続け、人々の意識の中に残っている限り、地球を癒す希望も残っているのです。
Tumblr media
Tumblr media
2 notes · View notes