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#いや勅使じゃないな違う
mofdogs · 1 year
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約半年ぶりに、 フェイてんちょに会って来たよー ٩(๑´3`๑)۶ #はじめてのおつかい #ボスのつかい #いや勅使としよう #いや勅使じゃないな違う #やっぱおつかいか…(笑) #いや宮島には絶対また着たかったのよ #宮島帆布 #宮島 #我家では帆布さんと勝手に呼んでいる #珈琲ご馳走様でした #勝手にカフェ宮島帆布 #次は奥様が居てはる時に行きましょう #ペキニーズ店長 #お昼時にすみませんでした #コッペン食べ過ぎました #みゆまま気を使わせてすみませんでした #好きよ❤︎╰(*´︶`*)╯ (宮島帆布) https://www.instagram.com/p/ClJJAYDpq1_/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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shintani24 · 9 days
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2024年4月22日
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“お菓子の王国”滞在型ホテル 広島・呉市に9月にオープンへ シャトレーゼが購入の「グリーンピアせとうち」 (RCCニュース)
広島県呉市にある「グリーンピアせとうち」を購入した菓子製造販売のシャトレーゼは、施設を活用した滞在型ホテルを、9月にオープンさせることを明らかにしました。
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「グリーンピアせとうち」は、1985年にグリーンピア安浦として開業しました。ホテルやプールなどが併設されているリゾート施設で、2005年には呉市が購入しましたが、宿泊者数の減少や施設の老朽化が課題となっていました。
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このため、呉市は、施設を活用するために去年、菓子製造販売のほか全国でリゾート事業も手がけるシャトレーゼホールディングスに売却していました。
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新しいホテル名は「シャトレーゼガトーキングダムせとうち」で、ホテル棟を改修してことし9月にオープンする予定だということです。4月29日には、第一段階としてホテル棟1階で菓子工房と売店の営業をはじめます。
売店では、地元のレモンを使った「レモンケーキ」を、全国のシャトレーゼの店舗に先駆けて販売を始めるということです。
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会見後、記者団に釈明する河村たかし市長=2024年4月22日午後3時0分、名古屋市役所、寺沢知海撮影
河村市長「祖国のため命捨てるのは道徳的行為」 会見で持論、釈明も(朝日新聞)2024年4月22日
名古屋市の河村たかし市長は22日、市が条例で定めた「なごや平和の日」の意義を問われ、「(戦争で)死んでいった人たちに思いを寄せないといけない」と述べたうえで、「祖国のために命を捨てるのは高度な道徳的行為だ」と発言した。
河村氏はこの日の記者会見で、空襲で名古屋城天守が焼失した5月14日を「なごや平和の日」に制定し、平和を祈念する式典を開催すると発表した。その際、戦闘が続くウクライナやパレスチナ自治区ガザに言及。「国に命を捧げるのは、大変勇気のあること。『サンキューベリーマッチ』と���わなきゃ、みんなの福祉も平和も保てないんじゃないんですか」と持論を展開した。
さらに、学校現場でもこうしたことを「一定は考えないといけない」と主張。「国が守られるのは当たり前であるとの考え方は、日本にものすごい不幸を導く」と強調した。
ただ、河村氏は会見終了直後、記者団に「(命は)捨てない方がよい。誤解してもらってはいけない。『捨てよ』とあおっているわけではないが、残念ながら戦争は起こる」と釈明した。(寺沢知海)
河村たかし名古屋市長と記者団の記者会見での主なやり取りは次の通り。
 ――「なごや平和の日」を名古屋城が炎上した5月14日に制定したことについて。
「うちのお袋も言っていたけど『名古屋のお城が燃えたらしい。これで終わりだ』。どこか1日とするなら5月14日が皆さん受け入れやすいんじゃないかと思います。それから結局、こういう戦争がなぜ始まってしまったのかと。300万人死んでいる。日本全土で。名古屋では3万人。2万人が軍人で1万人が空襲被害者の方々。まあ、勉強しませんわね。なんでしないか。受験に出ないから。最近のウクライナとロシアやハマスとイスラエル。人はなぜ殺し合うのかということは、ようみんなで考えてみると。僕らの時代はベトナム戦争があったもんで、どちらかというと日本はとんでもない侵略戦争をやったと。犯罪国家であるというような言い方が多かったですけど。しばらく経つとおかしいなこれはとなってくるんですよ。やっぱり、死んでいった人たちに思いを寄せないといけない。
トリエンナーレ(2019年の国際芸術祭『あいちトリエンナーレ』の企画展)もそうですけどね。とんでもない判決になりましたけど。しかし、あの中に寄せ書きがあるんですけど。『イディオット・ジャポニカ』。間抜けな日本人。軍人として命を失っていくことは。祖国のために命を捨てるというのは、相当高度な道徳的行為であるということは間違いない。右翼ではないですよ。世界の常識ですよ。満州事変のころからでもよいですよ。なんでアメリカと戦争をやってしまったのか。受験には出ませんけど。考えてみなきゃいけないんじゃないかと」
 ――「祖国のために命を捨てるのは相当高度な道徳的行為」とは具体的にどういう意味なのか?
「世界連邦というのはないんですよ。国際連盟をつくって、第2次世界大戦があってむちゃくちゃになりました。第2次世界大戦後には国際連合をつくりましたけど、現にウクライナの戦争もありますし、イスラエルの戦争もある。そうなるとやっぱり、それぞれの国という存在自体が皆さんの戦争の時に守っていかざるを得ないという状況ではある。だから、国というものに対して、自分の命を捧げるというのは、大変な勇気のあることだし。みんなで『サンキューベリーマッチ』と言わなきゃ。やっぱり、みんなの福祉も平和も保てないんじゃないんですか。残念ながら」
 ――太平洋戦争で祖国のために命を捨てたことは、高度な道徳的行為であったという意味か?
「太平洋戦争に限らないです」
 ――今の学校でも「祖国のために命を捨てるのは相当高度な道徳的行為だ」ということを考えるべきだと?
「やっぱり一定は考えないといけないでしょう。国が守られるのは当たり前であると、自分たちの国の若者の血は流さないけど、アメリカ人の若者の血は流してもよいと。そういう考え方はものすごい不幸を導くんじゃないですか。日本に」
 ――日本国憲法は戦争放棄を規定しているが、整合性は?
「日本国憲法はアメリカに占領されていたときにできた憲法です。今とでは全然状況が違うと思います」
(会見直後、河村氏が記者団に向かって)「祖国のために命を捨てるというのはなかなかのことではあるんですよ。本当は捨てない方がよいんですよ。誤解してもらってはいけない。捨てよとあおっているわけではない。残念ながら戦争というのは起こるから。どうしたらええかと。せめて経済を良くすることでしょう。(記者団が)深刻な雰囲気ですが」
コメントプラス
本田由紀(東京大学大学院教育学研究科教授)【視点】 戦史研究によれば、太平洋戦争において亡くなった230万人の日本軍兵士の多くは、戦地への補給路が整っていなかったことによる餓死や病死、自決などであった。当時、国は国民を戦争に動員し、そして見殺しにしたのである。
見殺しにされた兵士を悼むことと、それを「道徳的行為」として持ち上げることとは全く異なる。二度とそうした無惨なことを起こさないという決意こそが、日本国憲法には込められている。
「残念ながら戦争というのは起こるから」と河村市長は言っているが、戦争は自然災害とは異なり、「起こす」誰か―それは必ず権力者である―が存在している。それを隠蔽し、その犠牲になる一般庶民を美化する言説の欺瞞性にぞっとする。
河村市長は大量のリコール署名の捏造に加担しており、その中心人物であった田中孝博(元「日本維新の会」衆議院愛知5区選挙区支部長)には4月19日に有罪判決が下った。
日本では、国民に「道徳」を強いる側の者がもっとも「不道徳」、さらには「違法」「不法」である場合が多い。戦後に廃止された教育勅語の本質であった、「国(天皇)のために死ね」というメッセージに対して、いまさら「道徳」や「善いこと」という価値づけをしようとする者らの醜さを国民は認識すべきである。
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mninmt · 4 months
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ロブ=グリエの映画について
いつだったかヌーヴォー・ロマンについて冊子を作ろうと思っているという話を友人から持ち掛けられて、それならロブ=グリエの映画なら観ているからと紹介文を書いたのだが、残念ながらその件はなくなってしまったらしい。せっかく書いた文章なので載せたい。
『不滅の女』 "L'immortelle"(1963)
異国情緒溢れる音楽と叫び声から始まる、その時点で、なんだかこれからすごい映画が観られそうだ!と思わずにはいられない。メーキャップのはっきりとした、目力の強い女性(フランソワーズ・ブリヨン)が、まるで“死んでいる”かのように横たわっている。窓際でじっと外を眺める主人公(ジャック・ドニオル=ヴァルク)は終始、目に光がない。斜めの線が意識されたような完璧な構図と柱のように立っている人々。またその人々の視線を再現するようにゆっくりと横移動するカメラワーク。何度も同じようなシーンが差し込まれるように思えるが、すこしずつどこかが異なっている。ジャンプカットで物語はどんどん進んでいくが、時系列はめちゃくちゃで、今まで観ていたものはいったいなんだったんだろう…?と思わず頭を抱えてしまう。響く虫の鳴き声と、船のエンジンの連続音が不穏な雰囲気をかもしだす。“夢に見たトルコ”で起こしてしまった事故に憑りつかれ、妄想を続けるうちに、主人公は女性と自分を重ねてしまったようだ。終盤、窓にカメラが近づくシーンで、主人公の視線(主観)がはじめてカメラワークによってあらわされ、映画を観ている私たちも主人公と重なり、もうこの物語から引き返せなくなるのだ。
“夢に見たトルコ”…ボイスオーバー「夢に見たトルコで 異邦人のあなたはさまよう 偽の監獄や要塞に デタラメな物語 もう引き返せない 逃げようとしても偽の船しかない」
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『ヨーロッパ横断特急』 "Trans-Europ-Express"(1966)
題名の通り、ヨーロッパ横断特急に乗り込んだ一行は、同じく乗り込んでいたジャン=ルイ・トランティニャン(本人役)を主人公に、ノワールものの映画製作をしようと、脚本をレコーダーに録音している。あらすじはさておき(!)、こんな格好いい映画を作れるんなら、こういうのずっと作ってよ!と思ってしまうほどには、ロブ=グリエ節が他の作品より薄め(といっても拘束趣味は全開)である。前作の『不滅の女』の東方正教会やモスク、脚本した『去年マリエンバートで』での洋館のように、本作においてもそういった、ある種、荘厳なロケーションでのシーンはお得意であるものの、匿ってくれるギャルソン(ジェラール・パラプラ)の部屋の窓や、パリ東駅というロケーションは、少年らしさ(また少年たちの憧れる格好よさ)を感じられて楽しい。ラストのチャーミングさも必見。
以下余談ーー。
昔は一番つまんないよ~と思っていた作品であったものの今は一番面白いと思えて、当時ロブ=グリエの映画作品の物語の大半を、わけが分からないまま、だけれど映像のアバンギャルドさやエロティックな雰囲気を楽しんでいたものを改めて観て、しつこいくらいに趣味嗜好を提示され、こんなんばっかやな…と思っていた時に、本作はその"ロブ=グリエ節"が抑えられていて、より一層のこと面白く観たのだった。
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『嘘をつく男』 "L'homme qui ment"(1968)
同時期の日本には、勅使河原宏が阿部公房の小説を映画化したものがいくつかある。それらの音楽(ほぼ効果音といってもよい)は現代作曲家の武満徹が担当しており、非常に特徴的なものとなっているが、ロブ=グリエの作品の多くもミシェル・ファノという作曲家が担当していて、その音響効果が非常に絶大なものになっているという点で、勅使河原の作品たちを思い起こされた。また酒場のシーンで、客達がカメラ目線で次々と話す様子は、ドライヤーの『裁かるゝジャンヌ』を彷彿とさせ、常連の集まるただの酒場が裁判所にでもなったかのように、観ているこちらを緊張させる。そして女性をオブジェクトとしてしか扱わない、(ロブ=グリエの)大好きな目隠し遊びのシーンの長いこと長いこと…。
本作品は主人公(ジャン=ルイ・トランティニャン)の語りで映画が進んでいくので、他の作品よりも物語がわかりやすくはあるのだが、タイトル通り“噓をつく男”の語りであるので、わかったところで…という気持ちにはなってしまう。村の英雄ジャン・ロバン(Ivan Mistrík)の親友ボリス・ヴァリサだと彼は名乗るが、誰も信じちゃいないし、映画の途中でボリスの名の書かれた墓が写っていたり、知っているはずの医者に、初めましてと言ったりする始末。噓をつきながら多くを語るこの男が、結局のところ何者なのかはまったく明かされず、最初のシーンへ戻るこの無理矢理な円環構造に驚くだろう。
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『エデン、その後』 "L'Eden et après"(1971)
始まった瞬間から赤青白…とゴダールの『メ��ド・イン・USA』や、小津の『お早よう』のように、色彩による主張が眩しい。主人公のヴィオレット(カトリーヌ・ジュールダン)のファッションが絶妙で、白シャツに黒のセーター、プリーツのミニスカートは赤を選びたくなりそうなところを青に。それと黒のロングブーツを履きこなしており、非常に可愛く参考にしたいのだが、ペイズリーのサテンワンピースは、それで街歩くの!?とびっくりするくらい短い。下着の赤い色にも、この作品の色のこだわりを感じるほどだ。そして、ギャルソンでさえも迷いそうな、モンドリアンルックで、幾何学的な雰囲気のカフェ、エデン。ヴィオレットたち演劇サークルはここをたまり場にしており、センセーショナルだが、ほぼお遊びのような演技をして暇をつぶしている。もしこんなお洒落な(可笑しな)コンセプトのカフェがあるのなら(襖みたいに壁が稼働したり、鏡張りだったり)、絶対にくつろげる雰囲気ではないので、演劇を試みるにはもってこいの場所だろうから、たまり場になるのもわかる。中盤の巨大工場のシーンも含め、観ているうちに『エデン、その後』“ごっこ”がしたくなっていく(!)。
一体、どこからどこまでが彼らの妄想で、演劇の設定で、“幻覚”なのか“現実”なのか、果たして謎の男Duchemin(ピエール・ジマー)の生死は?作中の「エデンとその客達がそう見せかけているのか」という言葉通り、あれさっきみたような…というシーンやモチーフが回収されていきラストに繋がる、ミステリー/ドラッグ/トリップムービー!
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『快楽の漸進的横滑り』 "Glissements progressifs du plaisir"(1974)
快楽の漸進的横滑り(ぜんしんてきよこすべり)。いちばん口に出して言いたい邦題。当時はこの邦題の意味の分からなさと単語そのものが魅力的で、早く観たくて仕方がなかったものの、年代の古い順に観るくせがあり、わざと後回しに、5作品目でやっと観たとき、初っ端からロブ=グリエの大好きなモチーフたちがたたみかけられ、興奮したのを覚えている。今回改めて観ると、その露骨さには思わず笑ってしまった。“主題は割れた瓶”だという始末。他の作品にも再三使用されている、登場人物たちがカメラ目線で正面を向き、首を横に振ったのち、また正面を向くといったようなカットの他に、本作には手による表現も追加されており、その点は目新しさを感じるし、アーティスティックな画面作りには、よっ!真骨頂!と言いたくなるが、正直なところ、こんなのレズビアンもの好きの変態の妄想じゃん…!とうんざりしてしまうこともしばしば。神父(ジャン・マルタン)が気持ち悪すぎて泣けてくる。ミシェル・ロンズデール(判事)の十八番とも言える呻き声(あるいは叫び声)をあげる長回しや、みんな大好きジャン=ルイ・トランティニャン(刑事)のどんな役でもこなしている様子は見もの。“類似・繰り返し・置き換え・模倣”、とロブ=グリエの手法が抜群にきいた官能アート作品が観たい気分のときにおすすめしたい。
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『危険な戯れ』 "Le Jeu avec le feu"(1975)
美しい娘カロリナ(アニセー・アルヴィナ)との近親相姦的妄想を繰り広げながら語る父や、娼館に来る様々な客の役をこなすフィリップ・ノワレの気持ち悪さたるや…!娘のみた、いくつかの悪夢の中の一つである、太った男に身体を洗われる夢、もはや恐怖である。出演女優たちは惜しげもなく服を脱いでいくのだが、それぞれの身体すべてがマネキン人形のように(腰から脚にかけてのラインや胸の大きさなどが)似通っていて、ロブ=グリエは、フェリーニのそれとはまったく違った美学で女性を見ていることが感じられる。
女たちの名前の書かれた寝室のドアを開けるたびに繰り広げられる、異色なプレイの数々には思わずカロリナもあんぐり。アニセー・アルヴィナのあの口元の緩さ加減はそれとして魅力的である。コメディタッチなシーンも多く楽しいし、広い館のたくさんのドアをすべて開けてみせてくれる、ゲーム脳的思考の持ち主(RPGではアイテム入手のために、部屋という部屋すべてを確認しないと気が済まないたち)には嬉しい映画。
『囚われの美女』 "La Belle Captive"(1983)
ルネ・マグリットの同名作品『囚われの美女』を含む作品群に着想を得つつ、ロブ=グリエの好きなモチーフやテーマがたくさん組み込まれている本作品を観ていると、ロブ=グリエって本当にこういうの好きだね…!と思わざるを得ない。割れたガラスと赤い血(のような液体)や、拘束された女性が横たわる姿は必ずといっていいほど出てくる、もはやそれらを待ち望んでさえいる。
主人公のヴァルテル(ダニエル・メスギッシュ)が、聴く音楽といえば、シューベルトの『死と乙女』か“とらわれの女”だと言うのだが、劇中に流れている曲は弦楽四重奏曲第15番で、『死と乙女』と呼ばれている曲(弦楽四重奏曲第14番)とは異なるし、“とらわれの女”という曲も実在しない(弦楽四重奏曲第15番が“とらわれの女”と呼ばれているといった話も聞いたことがない)。また『囚われの女』といえばプルーストの『失われた時を求めて』の第5篇だが、これも劇中でプルーストの名前は出されるものの、この文学作品を映画化したというわけでもない。アケルマンにも『囚われの女』という作品(これはプルーストに関連する)があるが、この劇中でも、シューベルトの楽曲が使用される。こうして“囚われる”という言葉になんらかの様々な事柄を想起し、この物語にアプローチしていこうとする自分もロブ=グリエに“囚われ”てしまっていることには間違いない…。
毎度のことながら、ラストに向けて畳み掛けるように、幾重にもかさなった構造が明かされていくのだが、この題名の通り“囚われて”いるのは美女なのだろうか?とまたしても思考が止まらない。ロブ=グリエのフェティシズムに、心霊と夢と退廃的な世界観が足され、繰り返し挟み込まれる象徴的な映像にドキ!とさせられながら楽しめる作品だ。
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kuribayashisachi · 9 months
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勉強メモ 野口良平『幕末的思考』第3部「公私」 第1章 再び見いだされた感覚──第三のミッシングリンク1~4 ①
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明治10年代のはじめ。 西郷隆盛が西南の役で敗死。 つづいて木戸孝允が病死し、大久保が暗殺され、 「明治の三傑」が一度に消えてしまう。
日本列島はいまだ混乱の中。 後を継いだ次世代政局担当者たちはどうしたか。
この章では、大久保の跡継ぎ、①伊藤博文の大車輪の仕事を追い、 また、この政府のやり方に対して、思想家たちはどう対抗したか、 ②中江兆民と③福沢諭吉の格闘をたどる。
1章まるごとサクッとまとめたかったのですが、どうしても面白かったことをちまちま書きたくなってしまうので、①②③を分けて書きます。
いつもながら、私の学習したところをメモしているものなので、理解を間違ってるところもいっぱいと思います。 ぜひ、一緒に読んでくれる方があるとうれしいです~~!!
①伊藤博文の工学
著者は、伊藤やそのブレーンである井上毅の仕事を「工学」とよぶ。
どんな世を作るべきか、そのためにどのような根拠でどんなルールが必要なのか、という精神の働き、思想とは別物だからだ。
伊藤の考えは、方法というか手段というか作戦だ。
伊藤博文のことを熱意を込めて描く物語作家はあまりいないと思う。
おもしろいのは、精神史を辿る著者が、伊藤の仕事の結末を批判してはいるのだが、着実な実務家であった彼の仕事を、まるで側で見ている親友のように細やかに追っていることだ。
この節を読んでいて、 NHK大河ドラマ「花神」(1977年)で、長州の志士たちが外国大使館に忍び込んで、みんなは放火してぱーっと逃げちゃうのに、尾藤イサオの伊藤俊輔だけが戻って、ちゃんと火がついたかどうか確かめて(放火なんだけど)ふーふーしてから逃げる……シーンを思い出してしまった。 ナレーションで「師の松陰が、俊介は理屈はダメだが、細かいことをきちんとする性格だ、といっていた」というようなことを言う。
うん、こういう人はいてくれないと困る。
***
伊藤は、一刻も早く、日本列島の混乱をまとめ、欧米列強国から一人前の国家と認められる国を作らなくては、と痛切に考えていた。
三傑のことも、伊藤たちのことも、排除された人々は認めていない。 そういう人たちの多くが参加している民権運動は、もはや弾圧するだけでは静まらないし、憲法や国会がないのは近代国家としてまずい。
一番早く、確実に、目的を遂げるためにはどうすればいいか。
伊藤は、「いまの国民には、こういう高度な法律作りは無理!」 と判断し、とりあえず急いでエリートだけでやってしまおうと考えた。 エリートだけで憲法を作成してしまい、それを天皇の名でもって、人民に上から授け与える、というやり方だ。
伊藤は、自ら3度目のヨーロッパ留学を果たして、プロイセンの憲法作りを習得する。(すごいんだよね) そして、イギリス流の立憲君主制を見習おうという大隈重信を「政変」で追い落とし、どんどん仕事を進める。
もう一つ、秘密憲法作りと平行して、伊藤たちの進めたのが、「市民宗教」を国民に浸透させること。欧米でキリスト教信仰がいかに人々の頭と心を統制しているかに、彼らは目を見張っていた。 (アメリカとかの裁判で、裁判とかい��「法」や「制度」の場なのに、聖書に手を当てて宣誓する場面とかニュースで見ると、ちょっとびっくりしませんか?)
日本の市民宗教の神様は、「天皇」だ。
これを、教育の力を使って、子供の頃から「あたりまえのこと」として教え込むのだ。
そういうわけで、欽定憲法からまもなく「教育勅語」が発布される。どんな国民に育ってほしいか、「天皇の大事なお言葉」をしろしめし、全国の学校に天皇の真影を配る。
この伊藤たちのやり方を、著者は、思想家、久野収が中世の仏教体制になぞらえて呼んだ「顕密体制」という名で呼んでいる。
【密】「本当のことを知って政治をちゃんと仕切る一部エリート」と
【顕】「国民意識をもって、上の決めたことに従う一般国民」。 「きみたちみんな国民なのだから、天皇のもと、力を合わせて強い日本帝国を作ろうね、バンザーイ」と。
で結局、この「いまは急ぐから」と、伊藤たちがとった方法が、 いつのまにか「いまは」という条件が忘れられ、 「そりゃおかしいぜ! あんたらいったいなんで官軍になったんだ?」 と抵抗する声が、だんだんに聞こえなくなったことで、大日本帝国はとんでもない国家へと育ち、自国民のみならず、隣国、アジアの人々を地獄に突き落とす……のだ。
だが、伊藤はそこまで予想はしていなかっただろうと、著者は言う。
***
いっぽう、「これではおかしい!」「国」のあるべき姿を考えた人々もいた。
著者は、多くの同時代人に訴えかけた中江兆民『三酔人経綸問題』と、晩年の福沢諭吉(死後に新聞掲載)による「瘠我慢の説」をたどる。
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thursdayvacanceslucky · 10 months
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2023/07/03
 朝、早めに家を出てコンビニに勅使河原三郎のダンス公演のチケットの支払い。いつもと違う道を辿って。公園を横切ったりして。暑い。シーブリーズ塗っといてよかった。土曜日塗るの忘れて体臭を気にしながら仕事して疲れたからこそ。昼からの授業2つともウトウトする時間があり、それを乗り越えると鬼の集中力を発揮してた。眠いときはなにしてもダメでコーヒーがぶ飲みしてもミンティア食べても、もう全身が入眠をお迎えしてるようなだるさをまとってしまって。バイト中に就活が終わった4年の先輩と雑談。どういう仕事が向いてるんだろねって話を。話しながら、お店で働く系でジェンダー規範的な装いを求められなくてシフト制で定時に退勤できる仕事がいいなぁって思った。もちろん土日休み。親には百貨店とかすすめられるけど、確かに悪くない。だけど、やっぱりスーツとか着ないといけないのがやだな。まぁなんとかなるでしょ。夕飯になるべく、米とか麺とか炭水化物は摂らないようにしたいんだけど、あまりにお腹空いてたから、なんかちっちゃいラーメンたべた。作るの失敗して全然味なかったけど、まぁ薄味で塩分おさえられたと思ったらラッキー。あぁ悪口言いたい。声と態度がでかい男子大学生の集団が大嫌いです。同じ空間にいるとストレスです。やだなって人だいたいマスクしてないし、ノートパソコンにステッカー貼りまくってるし、そしてなにより靴が汚い。学内にもともだちほしい。授業のとき教室でひとりで座って本読んでるような人が好き。だけど、そういう人って話しかけたら迷惑かなとか考えちゃって。どうやったらともだちできるんやろーーー。
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metal-cn · 11 months
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「廟議」が存在しない!戦後民主御皇室の「すき」表面化+天皇陛下へ「おもらい、情報上がらず」+皇后さま安否不明+彬子さまとNHK2人が「英国に戦争犯罪」収監、法執行も!まとめると…深刻そのもの!国際関係への「油断」あらわに!
基本的に「廟議」は戦前の用語である。だがわかりやすい。よって、その軍国主義性を否定しつつ用いる。今回の天皇皇后両陛下インドネシアご訪問や彬子さまの件は、現在の御皇室に「廟議」というものが存在しない(=権力の空白)こと、特に成員の誰か(彬子さま)が国際法「戦争犯罪」違反容疑でしょっ引かれる可能性が出てき、かつ、国母たる皇后さまが安否不明の時間が長く続いた。それを一向にテレビら出演者が気づかない(「思考力」がない)+そして日本の自衛隊サイドのクーデター決起が否定されない、という異様な時間、けっこう続いた。いかに、ぎょうさん日本メディアに「思考力」がないのかは、ばればれ(露見)になった。そもそも宮内庁自身、QRコードは基本的に諸国では「ルンペン」的(おもらい)が路上に座ってお金を乞うツールとして使われているという厳然とした事実。これを天皇陛下へ上奏しなかった。よって天皇陛下からそれに配慮するご発言のないまま、同開発者を表彰なさってしまった。これが舞台裏である。なお公然情報(源は一切秘匿)である。言っておく。そもそも事態は東日本大震災発災時「逃げまーす」へさかのぼらざるを得ない。最悪や。さらに「戦争責任被疑者性」<英国故チャーチル元首相の絶対性、ポツダム、ヤルタ、ポツダム宣言受諾の詔勅・勅令>のあるNHKアナウンサーが少なくとも2人。そして日本の自衛隊+幕僚長+自衛隊MP「偽装性」。ええかげんにせいちゅうの。日本、たおれまっがな。だから米ブリンケン国務長官は「気を使って」、中国共産党と長時間話して、ひきつけざるを得なかった。情報源は秘匿する。もちろんこの「彬子さま」戦争犯罪へ逮捕も!というもはや公然化した話のツボを米はGHQの最主導者として握っているとだけ。そこんとこ。NHKは、そのない頭(思考力のなさ)でよーく考えるこっちゃ。それにつける薬ってか?ないんじゃね?なーははは!(By小五郎なんてな?)家康公、言う資格なし。そもそも日本の明治維新の「偽勅」(いつも注目のイッシュウだ!)テーマにせよ。倒幕時の。クリソツや。
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thetaizuru · 11 months
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 19世紀のアメリカにジョシュア ノートンという人物がいた。  生年月日の明確な記録はないが1818年頃イギリスで生まれ、幼少期を南アフリカで過ごし、1849年にサンフランシスコに邸宅を購入してアメリカに移り住み、父親から受け継いだ遺産を運用して一財を作ったが、投機に失敗して1858年に破産する。破産により正気を失ったと考えられている。1859年9月、ノートンはサンフランシスコの新聞各社に次のような手紙を送った。 「  大多数の合衆国市民の懇請により、喜望峰なるアルゴア湾より来たりて過去九年と十ヶ月の間サンフランシスコに在りし余、ジョシュア ノートンはこの合衆国の皇帝たることを自ら宣言し布告す。   ―合衆国皇帝ノートン1世 」  いきなりの合衆国皇帝即位宣言を、声明を受け取った新聞社の一つであるサンフランシスココール紙がジョークとして掲載した。ここから21年間にわたる「帝都サンフランシスコ」を拠点にした「合衆国皇帝ノートン1世の帝位請求」が始められた。後にノートン1世は請求称号に「メキシコの保護者」を追加する。ノートン1世は主にサンフランシスコの日刊紙上に数多くの国事に関する「勅令」を投書として送りつけ、これを帝位請求における主要な活動とした。  「絶対君主制に移行したアメリカ合衆国においては皇帝による親政が行われる必要があり、議会制度は廃止されるべきである」として、アメリカ合衆国議会の解散を命令したりもしたが、皇帝として要求した内容のほとんどは温和なものであり、先進的で価��のある発想と言えなくもないもの���多く含まれていた。 サンフランシスコの市民たちは次第に、頭はおかしいが打算や野心のない温和で平和的なノートン1世の人格を敬愛し、「皇帝勅令」に親しむようになっていった。  1867年に一人の警官がノートンを捕え、彼の意に反して精神病の治療を受けさせようとしたときには、市民と新聞による激しい抗議により騒動となった。警察署長はすぐに対応し、ノートンを釈放して警察として公式に謝罪した。ノートン1世は寛大にもこの警官による「大逆罪」に「特赦」を下した。この騒動以降、警官たちは通りで「皇帝」に会った時は敬礼するようになった。  ノートンは生涯極めて貧しいままだったが、彼を敬愛する市民たちが生活を支えた。食事を振舞ったレストランは「皇帝御用達」のプレートを玄関に飾った。「皇帝」がいつも着ている軍服が古びてきたときには、サンフランシスコ市が大仰な儀式とともに新品を買うのに足りる分を支出した。「皇帝」はその見返りに感状を送り、終身貴族特許状を発行した。小額の負債の支払いのために「帝国政府国債」を発行することもあったが、その紙幣は地域経済において完全に承認された。  1880年の「皇帝崩御」は州外にまで報じられた。寄付金により大規模な葬儀が執り行われ、3万人もの人々が足を運んだと記録されている。
 1818年生まれというと、こちらも明確な記録がないため正確な生年は定かではないが、現在では知らない人のいない、現代社会における最も重要な思想の礎を作ったとも言える人物であるフレデリック ダグラスと同い年であり、「皇帝宣言」をした1859年というと、「19世紀のアメリカ人で最も議論の的になる人物」と言われるジョン ブラウンが、その議論の的となる行動を起こした年である。そのため、特に1860年代のアメリカについては、こうした時代背景を抜きに語れることはほとんどないはずだが、「皇帝」陛下のエピソードは時代背景からもぶっ飛んで語られていらっしゃり、また、現在まで語り継がれているということ自体が、というか単なる悪ノリと言われればそれまでなのかもしれないが、社会を取り巻く論争などについて、その党派性や宗派性、イデオロギーなどを超えた視点を与えてくれている、気もする。  1960年代に創立された「ディスコーディアニズム」というパロディカルトはノートンを聖者としたが、そのパロディカルトの教義は、自身を含めたあらゆるドグマを笑い飛ばして超越するというものだ。また、ノートンをオマージュした人物を登場させる小説などのねらいのひとつも、突飛で常識外れな考えの提示によって、社会的な論争の中でねじれてしまっている常識の本来の姿を思い出させるということにある。  ノートンは合衆国の政治体制である共和制と連邦主義にある著しい不備を解決するには、絶対君主制を導入するしかないと信じ、自らがその帝位請求者になろうと決意した。サンフランシスコの市民たちは、「皇帝」に敬意を表する人も、そういうノリをあんまり面白くないと思う人も、特に議論をするまでもなく、君主制には賛同しないという考えと、人生には程度の差はあるだろうが理想やユーモアは必要だという常識を再認識し共有した。ノートン1世の「帝都サンフランシスコ」への愛は、市民たちに誇りを持って共有され、祝福された。
 フレデリック ダグラスの奴隷解放運動は、1861年に就任したリンカーン大統領による1862年の奴隷解放宣言となり、合衆国憲法修正条項第13条および第14条となり、1870年には修正第15条も批准される。さらには1948年の世界人権宣言へとつながった。ダグラスは「公民権運動の父」とも呼ばれる。  ダグラスもリンカーンも奴隷解放論者としては「きわめて穏健派」であり、 1860年の大統領選挙期間は、リンカーンもリンカーンの大統領選挙を後援したダグラスも、「合衆国の新しい領土に奴隷制を拡大しないようにすることで最終的に奴隷制が終わる」と主張した。奴隷制の拡大を止めれば、経済的に奴隷制はいずれ消えるという考えは、ジョージ ワシントンをはじめとする建国の父たちの考えを引き継いだものでもあった。  こうした奴隷制度廃止運動が奨励していた平和主義に対し、「こいつらは口先だけだ。我々に必要なことは行動だ-行動だ!」 と、 アメリカでは初めて、運動の手段として「反乱」を唱道し実行したのがジョン ブラウンである。  1859年10月、ブラウンはバージニア州ハー��ーズフェリーで連邦政府の武器庫を襲撃する。武器庫を占拠し、解放黒人1人を含む7名を殺害、10名以上を負傷させた。ブラウンは武器庫の武器で奴隷達を武装させるつもりだったが、結局は失敗し捕縛される。バージニア州に対する反逆罪で、12月、絞首刑となる。これは16ヶ月後の南北戦争開戦の重要な原因の一つとなった。  ブラウンの公判中、ヴィクトル ユゴーは、当時亡命していたイギリス王室属領ガーンジーから、ブラウンに対する恩赦を得ようと試み、公開の手紙を送り、大西洋の両側で新聞に載った。その文章で、内戦の可能性を警告していた。
 ブラウンのような反乱指導者が再び現れることを恐れた南部の奴隷所有者は、老朽化した民兵制度を再構築した。これらの民兵は1861年までに基礎を固め、そのまま南軍として戦争に対する備えとなった。   南部においては、北部による「奴隷制度廃止論」は「人種差別」と「南部侵略の陰謀」を隠すためのカモフラージュに過ぎないという説が以前から広がっていた。これは奴隷たちによる反乱の意思を削ぐために広められた側面もあるが、人種間における格差も、習慣の違いも、制度上の不備も、それらに起因する対立も、事実として存在した。ブラウンの襲撃は、「北部には南部侵略の意思がある」という説にも信憑性を与えることとなり、南部民主党は、奴隷制度廃止論と密接な共和党の政策綱領が、ブラウンの襲撃を必然的にもたらしたと非難した。1860年11月の大統領選挙での、民主党の共和党への攻撃材料となり、共和党はブラウンの襲撃を非難し、その話題からできるだけ距離をとった。  リンカーンが当選し、12月には早くもサウスカロライナ州が合衆国からの脱退を宣言。翌1861年2月までに脱退を宣言した7州がアメリカ連合国を結成。3月4日、リンカーン大統領就任。4月12日、南軍が合衆国のサムター要塞を砲撃、戦端が開かれた。リンカーンは合衆国に残ったすべての州にサムター要塞奪回を呼び掛け、軍事的な協力を要請した。しかしこれは連合国への軍事対決を意味し、まだ合衆国に残っていた奴隷州を刺激した。5月までにさらに4州が合衆国を脱退し連合国に合流した。  南北戦争中、南部は、「奴隷解放は平和と再統一への障害となる」という説を広めた。  リンカーンは、憲法で制限されているため連邦政府には奴隷制を終わらせる権限がないことを理解していた。  南北戦争中、リンカーン大統領は「この戦争における私の至上の目的は、連邦を救うこと」だと繰り返した。
 1862年9月、リンカーン大統領は奴隷解放宣言を発した。  リンカーン大統領は、各州の状況をみながら妥協点を探り、時局を見誤らないようきわめて慎重に指揮を執った。前例のない政治的および軍事的危機に直面し、戦争指揮権を拡大、前例のない権限を使う最高司令官となっていた。「適切で必要な軍事的手段 」として奴隷解放宣言は発せられた。リンカーン大統領は、戦争の発生だけが大統領に合衆国内にすでに存在する奴隷を解放する憲法上の力を与えたと主張して、戦時立法として宣言に署名した。  リンカーン大統領のきわめて慎重な指揮は、「あいつらは差別者だ」と言って奴隷制存続を主張し、「社会が分断される」と言って合衆国を脱退し、「あいつらはテロリストだ」と言って砲撃を始めた連合国には大義がないことを明示することになった。連邦議会は国民的意思の後押しのもと、本来権限がないはずの奴隷制を禁じる法を成立させ、リンカーン大統領は議会に敬意を表してこれを承認した。公式に戦争を終結させるには、奴隷解放宣言を発するしかないという国民的な合意も出来上がっていた。それは奴隷制の廃止と連邦での市民権の確立に関するアメリカ合衆国憲法修正条項第13条および第14条制定の推進力にもなった。  リンカーン大統領の慎重さは、この戦争が国際紛争にならないようにするための奮闘でもあった。  南部の綿花のおもな購入先であり、北軍の海上封鎖を打破しうる海軍力をもっていたのはイギリスだった。アメリカ南部から綿花輸入の8割を頼っているイギリスにとっては南部との関係が断たれたのは大打撃だった。英首相のパーマストン子爵は合衆国に対し強硬姿勢を打ち出していた。1861年末のイギリスの南北戦争介入の危機はヴィクトリア女王夫妻が阻止に動き回避されたが、南北戦争が長期化の様相を呈する中で、再びイギリス政界に南北戦争介入の機運が高まり始めた。  リンカーン大統領の奴隷解放宣言は、奴隷貿易廃止に尽力してきたパーマストン子爵としても共感するところが多かった。イギリス世論も奴隷廃止を支持した。最終的にパーマストン子爵は1862年11月の閣議で南北戦争不介入の方針を改めて決定した。
 解けないはずのパズルを解くように、国家に巣食う内なる敵と戦い、アメリカの精神を世界に示したリンカーン大統領の手腕は、1865年の二期目就任後、南北戦争が実質的に終結した頃、支持者の一部から半ば神格化され始める。が、そのすぐ後に凶弾に倒れる。  1865年4月14日にリンカーン大統領を暗殺したジョン ウィルクス ブースは、 リンカーン大統領によって共和制が廃止され絶対君主制になると思い込み、自分の事をブルータスになぞらえていたとされる。
2023年6月 ミスティック コーズ オブ メモリー
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黒澤明の映画音楽
監督の中で音楽の方向性が定まっている
”黒澤(明)さんのように、自分の映像に付ける音楽のイメージが極めて鮮明で、作曲家にもそれに添うよう求めるケースもあります。例えば『羅生門』(1950年)では早坂文雄にラヴェルの≪ボレロ≫を、『乱』(1985年)では武満にマーラーの≪大地の歌≫や≪交響曲第1番「巨人」≫を求めた。”
 現代音楽の作曲家として国際的に知られ(もっともその方面についてはほとんど知らないのであるが)、映画音楽も数多く手がけた武満徹(1930年〜1996年)さんも映画音楽は楽しいと言っていた。ただし黒澤明監督とはもう二度とやらないとも(笑)。  武満さんは黒澤明監督の「どですかでん」(70年)と「乱」(85年)の音楽を担当しているが、「乱」のとき、黒澤監督の指示でマーラー風の音楽をさんざん要求され、「それならマーラーを使えばいいじゃないか」と怒り、以後袂をわかったというエピソードが知られている。  一方、日本映画界にとどまらず、黒澤明監督の音楽に対するセンスはきわめて高いと思う。中でも対位法というのか、シーンの内容とそこにかかる音楽のイメージが全く違っていたり、関係なかったりするから、いっそう効果的になる、という音楽の使い方が実にうまい。「用心棒(61年)」において芸者たちが三味線を使ってマンボをやるシーンは何度か紹介したと思うが、「生きる」(52年)の中でも、ピアニストの市村俊幸さんが弾くブギウギで、病身の主人公が踊るシーンなども印象に残っている。黒澤監督やフェリーニの映画にはよくジャズやマンボが使われているが、僕は以前そういうシーンだけを編集して見ていたことがある。  黒澤明と武満徹、才能のある人間同士だからこそこだわりが強く、お互いに妥協しなかったのだろう。  武満さんは黒澤監督との仕事以上に小林正樹、篠田正浩、勅使河原宏といった監督たちとのコンビ作が多く、僕が最初に彼の名を知ったのも、確か中学生の頃に観たのだと思うが、琵琶の音がとても効果的だった小林正樹監督の「切腹」(62年)であり。同じ小林=武満コンビでは、これはもっとあとになって、実はほんの数年前に阿佐ヶ谷の映画館で観たのであるが、「いのちぼうにすろう」(71年)という映画も印象に残る。内容も音楽もどちらも良いものであった。  映画音楽と作曲家のコンビというのは、ほかにも黒澤明と佐藤勝、新藤兼人と林光など、もっとたくさん挙げられるだろう。音楽家としてこういう関係にはちょっと羨ましいものがある。  コンビ作といえば、山田洋次郎監督と山本直純直純(1932年〜2002年)さんのコンビというか、「男はつらいよ」シリーズにおけるテーマ音楽も忘れがたい。あのテーマ音楽は、年を経るごとに僕の中でどんどん好きな音楽になっている。
細野晴臣『映画を聴きましょう』2017, キネマ旬報道, pp.124-126
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misasmemorandum · 3 years
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『バチカンーーローマ法王庁は、いま』 郷富佐子
2007年出版の岩波新書で、ヨハネ・パウロ2世からベネディクト16世に代わる頃が中心。著者は記者で法王庁も取材していた。その記録とバチカンについての基礎的知識。学者の本ではないためだろうかとても読みやすかった。
全く知らなかったが、1978年にポーランド人のヨハネ・パウロ2世が法王になるまで数百年の間、法王は皆イタリア人だったそうだ。で、この「ほほ笑みの法王」は若い頃に演劇をしていたそうだ。だからあの存在感というか、雰囲気だったのかな、だ。慈愛に満ちたパパを演じてもいたんだろうな。下に気になったところを抜粋
 一九八六年に法王として初めてローマ市内のシナゴーグを訪問。...
 一九九八年には、ホロコーストをめぐる報告を発表。「キリストを殺したのはユダヤ人」とするそれまでの解釈が「反ユダヤ的な誤った内容」だったため、一部のキリスト教徒による反ユダヤ主義的な思想を招き、ナチスによるホロコーストにつながったと初めて認めた。ホロコーストに対してもキリスト教とは十分な抵抗をしなかったとも指摘し、初めて謝罪したのだ。
 二〇〇三年には法王として初めて聖地エルサレムを公式訪問(p118)
聖職者の独身制は聖書に明記されてるものではなく、
 リベラル派の元聖職者として妻帯神父の支援活動を続け、イタリアでカリスマ的な存在のジョバンニ・フランツォーニさんは、「結婚を認めれば子孫が残る。遺産相続の問題が生まれるのを恐れたバチカンが、教会の財産を守ために定めた無用の産物が独身制なのだ。歴史的に見れば、使徒やローマ法王も結婚していた」と力説(pp133−134)
するようにとても世俗的な理由からだったようだ。清貧であらねばならない神父が遺産のために目の色変えてたら、そりゃぁ信者は幻滅するわな。
さて、エクソシスト。本物の「悪魔つき」は、
①突然、知っているはずがない外国語を話だす、
②年齢などから見てありえない怪力を持ち、物理的に不可能な動作をする、
③十字架など神聖なものを怖がる(pp163−164)
などの特徴があるそうです。2005年からレジーナ使徒大学で「悪魔払い(エクソシズム)と解放の祈り」の講座が始まったそうだ(p162)。あの、アンソニー・パーキンスが出てるB級映画を思い出すな。
税金としては、10分の1税みたいに、「Otto per mille(1000分の8)」と呼ばれるのがあって、これは、
個人所得税の総額の一〇〇〇分の八に当たる額を社会厚生事業や宗教・慈善団体に払うシステムで、納税者は税金を払う際に書類でどこへ、どれだけの分配を希望するか選ぶ仕組みになっている。(p181)
ものなのだそうだ。納税者が使われる先を選べるの、いいシステムだな。こうなったのに歴史的な背景があると思われる。
イタリアにある学校の教室には十字架がかかってるそうで、非キリスト教徒の住民から外して欲しいと要求が出たそうだ。だが、この十字架には宗教的意味だけではなく、「二〇〇〇年の文明を高度に表現したもの(p202)」と私には意味不明な返答が出たりとそのままになってるそうだ。で、著者が学校に十字架がかけられるようになったのはいつからなのか調べたら、なんと、ファシズムのムッソリーニ独裁政権下の1924年と1928年の「勅令」からなんだそうだ(p204)。自分が生きてる間に習慣になったものには何らかの伝統的価値があるってやつ、日本の家父長制みたいなもんだな。だけど、以下、
 現在のイタリアは共和制に移行しており、王政ではない。だからもちろん、勅令はとっくの昔に無効となっているはずなのだが、当時の習慣がまだ残っているということらしい。イスラム教徒でも学校へスカーフをかぶってきてはいけないとするフランスのように、「世俗主義」を徹底して貫く姿勢は、イタリアにはない。カトリックを文化や習慣として、「何となく従っている」という緩さがあるように感じるが、今後、移民が増えて他宗教の信者や世俗制を重んじたいという人々が増えたら、こうした訴えも増える可能性が高い。イタリア的とも言える「独特の緩さ」はもう、なじまない時代になってきているのかもしれない。(p205)
最後にキリスト教の考え方の一つ「義認」について。「『義認』とは神がキリストを通して人間を罪から解放し、神との正しい関係に導く救いの働きを意味する(p222)」もので、プロテスタントとカトリックとでは理解の仕方が違う。
[プロテスタントはルターによる宗教改革から] 「義認は人間の善行などの努力によって受けるものではなく、ひたすら神の恵みによって起こる。人間側は信仰のみによってそれを受ける」と主張した。
一方、カトリックは「信仰とともに、人間は善行を積むといった行動もなければならない」とする。
共同宣言では、義認は信仰によってのみ得られるが、善行は信仰の印であると確認した。その上で、「依然として残る相違点はもはや行利上の断罪のための機会とはならない」とし、長年の論争に終止符を打った。(段変え私 p222)
どっちがいいかは私には何とも言えませんが、宗教は尊いがその分面倒でもあるな。
トリビア:イタリアには内務省管轄の警察(polizia)国防省管轄と警察軍(carabinieri)が併存しているそうだ。
彩りで、Young Popeのギフを下に(笑
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書き忘れたことを一つ
ベネディクト16世が選ばれたときの対抗馬(って変な言い方だが)が現法王フランシスコだったんだって。ネットフリックスのThe Two Popesって割と現実に沿ってるんだな。ということでギフを一つ(笑
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mninmt · 4 months
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2023年に観てよかった旧作映画の感想など
○洋画&邦画(順不同)
ペトラ・フォン・カントの苦い涙(1972)ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー @新宿武蔵野館
ずっと苦手意識を持っていたファスビンダー。これを観る前にオゾンのリメイクを観たので、物語を追う必要がそこまでなく画に集中できたことによって、ファスビンダー作品の"凄み"みたいなのが感じ取れたのかもしれない。これまで男性同士の恋愛映画はいくらか観てきたが、女性同士の物語はというと、性愛を含まないシスターフッドが銘打たれていたり、女性たちをエンパワーメントするような作品は好んで観るものの、私自身に差別意識はないつもりでも、なんとなしに遠ざけてしまっていたのだろう。先にも書いたようにオゾンがリメイク版で主人公とその相手役も男性のキャラクターにしていたから、個人的に取っかかりやすくなったことは否定出来ないが、作品としては全くの別物であったし(オゾン版は大大大コメディ映画)ファスビンダーの作る画は、その映画の物語とは別のところでも魅力が発揮されていると思う。そして完膚なきまで室内劇であることに大興奮だった。
偽れる装い(1945)ジャック・ベッケル @シネマヴェーラ渋谷
自分で制作した洋服にこれまで関係をもってきた女たちの名前をつけていくような、変質的(だがカリスマ性のある)主人公が、アトリエの中をぐるぐると回るカメラワークとともに狂っていく様子が素晴らしい。(性愛による)狂いの先に死がある物語も大変好み。というのは建前で、別ジャンルの推しがパリに洋裁で留学しているという設定なので、パリで洋裁をするということに対してのディテールが深まり大変良かった、同担はみんなこの映画観て~!(オタク)
ショコラ(1988)クレール・ドニ @新文芸坐
とにかくクレール・ドニの映画にでてくる黒人男性はかっこよすぎる(昨年に挙げた『パリ、18区、夜』(1994)も同じく)という言葉に尽きるのだが、主人公の幼い頃の記憶として描かれていながら、危なげで、そして艶やかなところもある彼らを写す数々の場面に魅了された。暗い部屋に佇む人の存在の緊張感とその熱を感じられるのはドニの映画��有のものなんじゃないかと思う。
ラストエンペラー(1987)ベルナルド・ベルトルッチ @シネマ・ジャック&ベティ
満を持して観た…!ちゃんと大きめのスクリーンで…!名作すぎて多くを語りたくないのだけれど、マジで映画を観て眩暈がすることってあるんだなって。世界観に浸り、酔うことができて、いい映画体験だった。
赤線地帯(1956)溝口健二 @配信 / 流れる(1956)成瀬巳喜男 @配信
吉原の女たち。芸者の女たち。同時代に2人の監督が、一つ屋根の下で支え合って生きる女たちを異なる形で作品にしていることに純粋に驚いた。『赤線地帯』を観れば、京マチ子の演じる明るさや若尾文子の強かに生きる賢いキャラクターに力付けられる。『流れる』を観れば、田中絹代の表現するなんとも形容し難い表情や、山田五十鈴の薄幸な演技、その作品のまとう物哀しさに涙する。ここにあげていない他の女優たちの演技も素晴らしくて、それを演出する監督の作品ももっと観たい。けど、成瀬作品を見ると毎回夜も眠れないほど悲しい気持ちになるので、どうしたものか!
ラヴ・ストリームス(1983)ジョン・カサヴェテス @横浜シネマリン
いままでどうしてもカサヴェテスの映画をフィクションとして捉えられなかった。打ち出される邪悪な男性性を、あまりにもリアルに感じてしまい、まるでドキュメンタリーを観ているように、コメディだと思えないからだ。本作品は、いつも通りジーナ・ローランズの演技の素晴らしさはさることながら、これまでのわたしの観てきたカサヴェテス映画にはなかった、いい意味でふざけた演出(劇中オペラ)が、”この映画はフィクションである”と言ってくれたような気がしたのだ。カラックスの『アネット』(2021)を想起したのだけれど、この作品は関係しているのだろうか?激動する映画。
ママと娼婦(1973)ジャン・ユスターシュ @ヒュートラ渋谷
もうレオーといったらドワネル…というのは否めない、というかレオーもトリュフォーの映画じゃなくても、放浪青年役=ドワネルとして出演してるんじゃないの?とも感じてしまうくらいなのだけれど、それが嫌だとか、一辺倒でつまらないということはなく、バチバチにかっこいい映画。あらすじを簡単に言ってしまえば三角関係のお話(というかわたしの好きな映画はほとんどが痴情の縺れのお話)だが、主人公が居候している、タイトルでいうところのママの部屋が、レコードプレーヤーなどの色々なものが部屋の低いところに置いてあって(それも布団から寝ながら手を伸ばせるような位置に)、雑然としていて、とても綺麗だとは言えないが、その堕落した生活感のある部屋で起こっていることを登場人物の皆が皆、おおごとにみせていて、吸い込まれるように見入ってしまったし、別に、登場人物の誰にも感情移入はしなかったけれど、それぞれにとにかくこの三角関係をなんとかするんだという気概が台詞の端々に感じられて見応えのある映画だった。
ヘカテ デジタルリマスター版(1982)ダニエル・シュミット @配信
この映画を観たという人と話したときにどうでしたかと聞いたら、微妙な反応と共に「あんまり好きじゃないと思いますよ。」と言われ、"自分は好きだけどあなたには合わない"なのか、"自分は好きではなかった、ただそれだけ"だったのかはわからないけど、いつも"好きじゃないと思うよ"と言われると、勝手に決めんじゃねー!と思ってしまう質なので、帰って即座に観る。大抵それは外れていて(まあ関係の浅い人から言われることなんかそりゃそうなんだけれど)外交官が駐在先の灼熱の土地で出会った謎の女に狂わされるやつなんか好きにきまってんの!真っ白なスーツに、しっかり固めた髪の毛の、いかにも精悍な男が、服も髪の毛もどんどん乱れ薄汚くなっていく、汗でべたつく額と、必死に女を探すその表情が何とも馬鹿馬鹿しくて良い。姿を消してしまった人がいるであろう思いつく限りの場所を探して回る、やっとのことで見つけても、その相手にはぞんざいに扱われ、また苦しめられる…最初からやめとけって忠告されてたのにね。
利休(1989)勅使河原宏 @配信
利休と豊臣秀吉、三國連太郎と山崎努の、静と動の相対する演技。山口小夜子の出ている映画を観て(伴睦人『杳子』@国立映画アーカイブ)、他の出演作品はも観たいなと思った、きっかけはただそれだったためそこまで期待はしていなかったが非常に面白く観た(まあ勅使河原作品は元々好きなんだけどね)。学生時代、日本史なんか全然勉強してなかったから(他の科目も特段勉強したわけではないが)時代劇(や大河ドラマ)を観てて、たくさん人達や合戦にポカーンとしてしまうことが多いのだけれど、この作品は二人の張りつめた関係性、空気感が丁寧に、冗長することなく描かれていて集中して観れた。時代劇のやんごとなき人の出てくるシーンや描写が好きだ。今年は母に連れられて大友啓史『レジェンド&バタフライ』(織田信長)、北野武『首』(豊臣秀吉)も観て、図らずも安土桃山時代に…(?)
レースを編む女(1977)クロード・ゴレッタ @アテネ・フランセ文化センター
ヴァカンス先での出会いはもういっそのこと割り切って、ひと夏の恋として終わらせるに限る!(エリック・ロメール信奉者)ふたりがまた会えるかもしれないという淡くロマンティックな気持ちを抱きながら、ぐるぐるとお互いを探すシークエンスがとても長く感じ、このあと幸せな展開にはならないだろうなと、なんとなくうっすらと気付いてしまったわたしは、ふたりが再会できたとき、とても悲しくなってしまった。フランソワは自身のコミュニティの範囲で様々なところへポムを連れていくけれど、その行く先々でのポムの馴染めなさ。ポム自身はその場をありのままに楽しんでいるのにも関わらず、フランソワはその馴染めていない様子に居心地の悪さを感じ、またその居心地の悪そうなフランソワをみてポムの居心地も悪くなっていく。しまいには、君は大学に行くことには興味はないか?と聞き出すしまつ。おめ~が惹かれたポムという人間をなんもわかっちゃいね~!君は勉学に励めるような環境で育ったかもしれないけど、ポムはそうじゃない。そうじゃないから、手に職をつけるために(または、あなたと一緒にいるために)今自分にできることを精一杯頑張っているんですけど…!?運命の人かもしれないと勝手に期待したのはそっちなのにね、なんか違かったとか言っていろんな理由つけて離れていくんだ。ポムにうんざりしてもう別れたいと言うフランソワをみる友人たちの目も痛い。心の壊れて���まったポムを見舞いにきた(見舞いくるなよ)フランソワのセリフの端々から滲み出る、まだ自分のことを思ってくれているかという確認の浅はかさ。ダセーからやめな~!
不安は魂を食いつくす/不安と魂(1974)ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー @横浜シネマリン
『苦い涙』以降すっかりファスビンダーへの苦手意識が払拭され、半ば楽しみにしていた気持ちを裏切られることなく、なんて美しく純粋な物語なんだろうと思った。ふたりが一緒にいることの意味、お互いを愛する気持ちと、取り囲む人々からの見る目との齟齬が大きくなり、どれだけふたりが幸せだと感じていても不安が募り精神/身体を蝕んでいく様子が濃密に明示される。このあとに本作品の下敷きとなったダグラス・サークの『天はすべてを許し給う/天が許し給うすべて』(@早稲田松竹)を観たとき、ファスビンダーのこの完成されたメロドラマをあそこまで自分のものにし、昇華させたのかと思わず比較して再度感動してしまった。
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kuribayashisachi · 1 year
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勉強メモ 野口良平『幕末的思考』みすず書房 第一部第5章-1、2
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野口良平『幕末的思考』みすず書房 第一部「外圧」 第5章「残された亀裂」-1、2
理解できてないところも多々と思いますが、自分流の内容メモと時々、自分の思いを……
「日本内で争わず、みんなで列強と平等な開国を目指そう」 諸勢力の間を駆け回って人々を、思想と行動をつないでいた、坂本竜馬と中岡慎太郎が殺されてしまった……。
「大政奉還」で将軍徳川慶喜が、政権を朝廷に返し、せっかく平和裏に政権交代が為されようとしていたのに……薩摩と討幕派の公家による「王政復古のクーデター」が起こり、 誰が主導権を握るか、ギラギラした争いが始まる。
列強に黒船で囲まれながら、同国人同士の殺し合い、内乱になってしまったのだ。 ダメじゃーん!!
■正統性を説明できないちゃっかり新政府
しかしなんだって、薩長による新政府が、主導権を握るいわれがあるのか。
だいたい薩長は、生麦でイギリス人を斬ったり、下関を通る商船を撃ったりしてたくせに、なんだって不平等条約で開国した政権の担当者に、ちゃっかりなりおおせたのか。
「幕府はダメだから俺たちがやる」というなら、幕府とどう違うことをするのか。
それを彼らは説明できない。
当たり前だ。 彼らは主導権を握りたいだけで、どんな国を作るか、これまでやってきた攘夷とはなぜ必要だったか、何も理念がないのだもの。
天皇による「条約勅許」もあり、彼らはいつの間にか攘夷をあきらめて「不平等条約の下の開国」を続けることになし崩し的になっていた。いわば「転向」していたのだ。
もし必要があってそうするなら、それでもかまわないだろう。 しかしその場合は、どうして考えを変えたかを申し述べ、これからどうするかちゃんと方針を言うべきだ。
だが彼らは、なんら「転向」の宣言もせず、《魔術の使用》p93によって《転向の事実の隠蔽》を行った、と著者は説く。
■世直し、御一新から維新へ
この魔術は、この変革をどう名付けるか、にも関わっていた。
「世直し」から「御一新」。 そして、いつの間にか上層部が使い始めた「維新」。
言葉が変わるのに従って、新しいはずの時代が、どす黒く曇りはじめる。 その地滑りのような有様が、膨大な史料から描き出される。
幕末。 武士たちも庶民も、もっと暮らしやすい、人間らしく生きられる世を思い描いて「世直し」を語った。 やがて、 「御一新」という言葉で、人々はやってきた新しい世を語るようになる。自分たちが主人公になる、新しい世だ。
著者は、隠岐島の庶民たちが「武芸と学問の自由」を求めてたちあがった一揆の宣言書に「御一新」という言葉が誇らしく使われていることを紹介する。 そしてまた、それと同時期に、長崎裁判所で出された "「御一新」はおまえら庶民がうかうか喜ぶような世じゃないんだからな” と上から目線で叱りつけた「御諭書」を引用する。「御一新」の定義を、するっと上から変えてしまった例だ。
この「御一新」と同時に「維新」という、庶民にはあまり聞き慣れない言葉が、「上からの改革」の言葉として使われはじめる。 次第に、新しい世の主人公の座は、薩長指導部だけに独占され、庶民たちはどんどん外されていった。
■その魔術、他人ごとじゃない
それより何より、ぎょっとしたのが、新政府の「魔術」に、自分もしっかり足をすくわれかけたこと��。 (なんという体験型の書物だろう。もうへとへとだ)
A:「攘夷には2種類あって、外国をただ打ち払えというのが小攘夷。大攘夷は、戦わずして彼らを服従せしめるやり方。先だっての帝の条約勅許はそれである」
これは津和野藩の国学者、大国(野々口)隆正の『尊皇攘夷異説辨』(の勝手な現代超訳)だ。大国は若き日、平田篤胤の門人として国学をまなびつつ、長崎で蘭学者吉尾権之助から西洋の学問を学んだ人、その人が75歳にして自分の掲げてきた攘夷とは何だったのか、これからどうすべきか、考えた書だそうだ。
「戦わずして相手を服従させる」なんてステキなんだろう。心を打たれてしまいようになる。
かたや、中岡慎太郎が同志に書き送った「愚論窃かに知己の人に示す」はこういう(メモ社の勝手な現代超訳)。
B:「そもそも攘夷というのは、我が国だけのことではない。やむを得ない場合には世界のどんな国だって、同じことを考えなくてはならない」
いっしゅん、険しいな、排他的な姿勢かな、などと身構えてしまう。
だが、中岡は、攻めてくるわけもない「北朝鮮のミサイルを打ち落とすために(どうやって打ち落とすんだよ)ミサイルを買え」などという現代の軍隊すきすきオジサンとは違う、実際、軍艦で脅されて開国を迫られ、悲惨な植民地状態に置かれるかもしれない、という、理不尽なピンチに遭っていたのだ。 こういう弱い立場の者が直面しなくてはならない、理想的な開国のための“攘夷”という思想について、その根本から定義を試みたのが中岡慎太郎なのだそうだ。
中岡は、「陸援隊」という軍隊をつくり、土佐藩が新しい政治体制で活躍するための支援をしようとしてた。中岡は、もうどうしようもなく必要があるなら、アメリカの独立戦争みたいに列強を相手に戦争しなくてはならないかもしれない。それくらいの覚悟で、平等な関係を勝ち取ろう、と考えていたみたいだ。
え~戦争はやだ~~ と反射的に思うが、Aが何を言っているか、中身をハタと考えさせられたとき、私はぎょっとした。
耳あたりのいい言葉に、自分がどれだけふらふらと踊らされてしまうかを自覚して。
Aはまさに、新政府の「魔術」のしくみなのだ。
天皇による条約勅許は、「戦わずして服従させた大攘夷」なんてものではない。ごく普通に、攘夷を諦めて列強の圧力に屈した結果だ。 老いた攘夷論者としては認めたくなかったのかもしれないが、あざといレトリックだ。 ましてや為��者がこれを採用してはならないはずだ。
この手のレトリックや、レトリックとも言えない「言葉」によるむちゃくちゃなラッピングに、我々はどれだけ騙されやすいか。
安倍ちゃんの「美しい日本」に本気で感動する人はあまりいないかもしれないが、「平和を守る」「戦争をやめさせるため」というお題目にふらふらして真実を見ないでは、リベラルな者でもあっというまに足を掠われてしまう。
■独立戦争と侵略戦争
中岡の「場合によっては独立戦争が必要かもしれない」という理論は、当時、きちんと現実を見て分析するのが必要な為政者なら、自覚しなくてはならないはずの真実だったろう。
「戦争が必要だ」などと聞くと、「チェチェンにNATOが爆弾を落としたのは必要だった」と言っていたリベラル風の歴史学者を思い出してげろげろげーっとするが、まず、幕末の彼らと21世紀の私たちとでは置かれた立場が違うし、戦争の意味も全く違う。
それに、よくよく考えてみれば、 明治帝国日本は列強とは戦争をしなかったが、80年かけて隣国や近隣アジアの国々に対して、かつての黒船よりも何百倍もエグい攻撃を仕掛け、あげくに破滅したのだ。 中岡の独立戦争の方が、かなりましかもしれない。
独立戦争していたら、いや、すわ独立戦争、と身構えてそれを直前で回避したら……ひょっとしたら、近代日本は、あんな鉄さび血みどろの帝国主義にはならず、今また加害の反省をうやむやにしたまま、またぞろ庶民を軍隊に行かせようとする政府にノーともいえない私たちにはなっていなかったかもしれない。
坂本竜馬には華やかなイメージがありすぎて、リベラルな人たちからはかえって「ケッ」と思われがちだが、 中岡や坂本の考えが育っていたら……という物語は、 少なくとも「信長がうるさい奴を全員殺して天下統一してくれて平和を作った」などという物語より、もっと人の口の端に上ってほしいと思う。
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yrkhang · 6 years
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「言葉の先の<人>」について
twitterに「たらればさん」という方がいる。枕草子をこよなく愛するゴールデンレトリバーさんである。
この人のお話が以前から好きで時々拝見していたところ、氏が「枕草子の話」をしてくれるという。だもんで取り急ぎ仕事を片付け浜離宮ホールにいってきた。
恐らく講演の内容はどこかで表にされると思うので、彼是感じたことを中心に書いておきたい。
氏の日頃のお話で非常に印象的なのは、その相手に対する「好き」という気持ちが前面に表れていながら、その内側に氏自身が蓄積してきた様々な知識と経験を基にした理性的な視野があり、その視野でもって作品を読み解こうとする姿勢の中にその相手の良さが感じられるところだ。
この日のお話は、そういう氏の日頃の在り方がとてもよく表れていたお話だったと思う。
本講演は2部構成。1部ではまず、枕として『枕草子』という作品が描かれた背景、この作品がどうして生まれ、どうしてこのような作品になり、そしてどんな作品(或いは文章)として描かれたのか、ということを、本作が捧げられた藤原定子と本作著者である清少納言を中心とした人間関係およびその社会情勢の変動から語ってくれた。当時の宮廷社会の中で「教養」が何故重要だったのかという所から、定子がその点で如何に優れた人物であったのか、そしてその中で少納言自身がどのようにして召し上げられ、そういう人物が作品を描くことによって生まれた『枕草子』が何故すぐれた文学作品足り得たのかということを明らかにしてゆく。それは氏ご自身が蓄積してきたものを基に、環境からそれが語られるべき前提を共有したいということだったように思う。
その中で氏が重視されていたのは「『枕草子』があくまで定子ただ一人に捧げられた作品であり、その生の一瞬の輝きをかけがえのない美しい時間として綴じこめた追悼と鎮魂の物語である」ということだった。その中で氏は、「少納言はこれを、私が記すのだ、という強い想いで綴ったのではないか」という話をされていた。これは、他ならぬ氏ご自身が枕草子の話を日頃熱心にされている理由とも重なるように思えた。
話はここから一足飛びに現代・SNSの世界へと変わる。
氏によれば、現代は「文章の時代」になりつつあるのだという。SNSの発達により僕たちが生きるこの現代は、「言葉がより広範に誰かへと届く時代」になりつつある。そこで為されるのは「思いの可視化」である。書いたことと思うことが同じとは限らないけれど、多くの「文章」としてそれが語られる現代において、その中にはその人が「普段読んでいるもの」「使う言葉」「話題」といった、その人自身の「人格」が表れる。『枕草子』という作品が分類される「随筆」というジャンル。この言葉は「筆に従う」ということであり、それは以て「想いに従う」ということである。従って、「想い」を文章として表現する機会の増えつつある現代にあって、優れた随筆である『枕草子』は非常に親和性が高いのではないか、というお話を情熱的に語られていた。『枕草子』は「想いに従う」という随筆でありながら、その言葉とは裏腹に律されている作品なのだそうで、この日はそういうこの作品の一面についてお話をしたいということだった。
一応このあたりで僕自身の『枕草子』に対する理解を書いてしまうと、殆どずぶの素人だ。講演の終わり際に校長先生が話されていた「学校で触れたくらい」の知識の持ち合わせしかない。なのでこの日を楽しみにしていたという側面もあったのかなと思う。付け焼刃では意味が無いので、まっさらの状態で臨むことに決めていた。
氏のお話はエレクトリカルパレードの話題に移った。ここで為されたのは「好きであることにとって知識を持つということがいかに大切か」というお話である。エレクトリカルパレードは何も知らなくても勿論楽しめる。けれど、そこに表された各作品を知れば知るほど、それをより深く、より細やかに広範に楽しむことが出来る。相手に対する見方と知識量の多寡が、その体験によって得られるものの違いとして表れる。だから「好きであること」にとってそれが重要なのであり、一方で同時に、その知識を得るために必要なのもまた、その相手を「愛すること」なのだというお話には、その見方そのものに氏ご自身が「愛してきたもの」に対して向き合ってきた姿が垣間見えるようで、ちょっと泣きそうになった。そんなタイミングでさだまさしさんの『関白宣言』「たやすいはずだ愛すればいい~♪」を持ち出してくるあたりが氏のユーモアなのかなと思う。
「愛すること」が何故重要なのか。それは、それがその相手のまわりで繋がる多くのもの、その扉へと繋がるものであり、それを開く鍵(氏は「切符」という表現をされていたかと思う)だからだということだった。SNSでは持っている扉の数が関わりの中で大きなポイントになる。だから「好き」な気持ちを大切にした方が良いというお話。
そしてお話は再び枕草子へ。知識を得ることによって同じ文章でも「響きが変わる」のだという。このあたりも一応メモはとったのだけど、恐らく氏ご自身がどこかで書かれるんじゃないかなとも思うのでここでは割愛したい。要約すると、枕草子冒頭に春夏秋冬が描かれている事が清少納言にとって尊敬する彼女の父親との繋がりによるものという見立てとその関わる先(勅撰和歌集)でそのことがどんな意味を持っていたか、翻って枕草子の冒頭にそれを置いたことが彼女自身の中でどのような位置づけになるのかというお話と、その作中にみられる表現の技法が和歌や漢文といった深い教養に裏打ちされたものであり、華やかに描かれたように見えるその文章が、実は理知的に構築された優れた文章表現であるというお話。それから、twitterにも以前書かれていた、少納言のある種変態的な視点とその観察眼の鋭さ。一見変態的に見えるその表象が、その当時その文章が書かれた情勢を踏まえて見たときに���く違って観えてくること。そしてそれは現代の人の想いとも共有できるものであろうこと。
様々なお話をお伺いする中で、僕自身の『枕草子』像にも変化があったように思う。最初と最後に氏がその冒頭を語り聞かせてくださったのだけど、なんというか、その中で例えば映像として思い浮かべる情景の解像度が全く違っていた。一部の終わりに氏は「人生経験の中で、色んな人と出会い、話し、書く。そのことが作品の理解にも繋がる」ということを言われていた。それは、今となっては大人でもある僕がもう一度この作品に触れてみる充分な理由になり得ると思ったし、理知的に語りつつも「愛することが大事なんです」と語る氏の言葉を通して、こういうふうに僕も作品を好きになれたらいいなとも思った。
大変「緊張しました」という第一部を終え、しかし明らかにその時よりも緊張した面持ちを氏がされていたことがとても印象的だった第二部。二部はたらればさんと、氏が枕草子を読む中で「尊敬し憧れ」だという山本淳子先生、そして本講演をコーディネートされた「ほぼ日の学校」の校長である河野通知さんの鼎談という形式だった。
とにかく一部の「知識」を前面に語る姿とは180度正反対と言ってしまえるような、とにかく「好き!」が最前面に溢れ切った氏の様子が大変印象に残っている。こちらも詳細は控えておこうかな。鼎談は事前にたらればさんが山本先生にお送りした質問を中心としたやり取りだったので、その題目だけメモから抜粋すると「好きな章段」「好きなキャラクター」「何故<清少納言>と呼ばれたのか」「紫式部と会うことはなかったのだろうか」「少納言は『式部日記』を読まなかったのか」「少納言は『枕草子』を広めるつもりはなかった、と記しているが本当にそうだったのか」「道長は『枕草子』を読まなかったのか」「彰子はマンガなどでは前に出ない人物像だったが」「<枕にこそは侍らめ>は事実?」「『方丈記』までの空白」「ずっと読み続けられてきたのか」「少納言に聞けるとしたらどんなことを」といったお話がとてもディープに飛び交う時間となった。たらればさん曰く「出来るだけライトなところから」というお話のほぼ冒頭から「これ基本的に作品の周りの知識が無いと分からないやつ」という内容だったので、第一部で色々伺えたことを個人的には大変感謝することとなった。
その中でもとても印象的だったのが、一部でも垣間見えた、たらればさんが『枕草子』をその著者である清少納言自身を通して理解しようと努める在り方が、それを様々な立場で研究する諸先生方の書籍に対しても同様に向けられていたことだった。山本先生のお話から研究者によって作者像が全く異なる点に触れ、「山本先生の清少納言像は断然ロマンチック」という話をされていたあたりの氏はとても嬉しそうで、氏が文章に向き合う中でその「書き手」の姿を見ようと努めるのと同じように、そこから何かを読み取り論文なり書籍なりの文章にする云わば「読み手たる書き手」の言葉の中にも、その書き手の姿を見ようとされていることが強く感じられた。その在り方に再度、氏が『枕草子』をこよなく愛している事、そして冒頭にもあったように、氏自身がその「好き」という気持ちを通して深めてきたその周りの様々な扉に連なるもの達を、その愛する作品と同様に愛しておられるのだなあということが感じられたように思う。面白かったのは、その「好き」という気持ちが山本先生のお話からも強く感じられたことで、山本先生ご自身もやっぱり好きだからこそ研究を続けられているのだろうなあということが、そのより深い知見と鋭い考察から滲んでいたように思う。先生のお話の中には研究者だからこそ少ないながらも、「推測ではあるけれどこうでなかった訳がない」という確信に近いお話が幾つかあり、それは、逆にその分からない中央を不明のまま残しながらも、その周りの扉にある多くのものを見てきたからこそ言い切れる力強さがあった。逆説的だけれど、そのことが別の面からも「好きであることにとって知識を持つということがいかに大切か」ということを語っておられたように感じている。
「文章」ということについて考えたときに、自身のこととしては途方に暮れてしまうようなところがある。言葉は、難しいし、全てを語り得るものではないとも思うし、だから誤解されてしまうことも時にはあるかと思う。
けれど、この講演の全編を通して僕が感じたのは、そこに書かれた「言葉」がその人自身を表し得る、というひとつの信念にも似た氏の文章に対するまなざしと、そのまなざしが拾おうとしてきた氏の���する作品のことを、他でもない氏ご自身がその言葉で誰かに伝えてゆきたいという暖かな気持ちだった。
自分の文章を振り返ってみると、凝り性というかオタク性というか、どうしても分析的・考察的なものになりがちで、好きなものの話をしようとしてもなかなか暖かにそれを書き表すことが出来ない。僕が氏の言葉に惹かれるのは、そういう僕自身の文章の在り方に(出来の如何はともかく)近いものを氏の理知的な言葉の中に感じる一方で、僕にはなかなか出来ずにいる、愛情を前面に掲げながらそれを語ろうとする在り方を氏の言葉の中に感じるからなのかなと思う。
「たやすいはずだ愛すればいい~♪」が途方もなく遠いものに感じてしまうのだけど、それで笑わせてもいただいたので、もうちょっと自分も頑張ってみたいなと思う。それがまた、別の誰かに届いてくれたらうれしいな。
あとは、たぶん今『枕草子』を読むと以前とは全然違って観得るんだろうなとも思うので、時間を取って読んでみたいとも思った。
たぶん「文章」というものは、そこに残された何かのかたちであって、読み手がどんな眼差しでそれを読み取ろうとするかが、それをどう書くのかということと同じくらい大切な事なのだ。
書き手の側にも、読み手の側にも。言葉の先にはいつも人が居る。
その人に届くような書き方をしたいと思うし、その人に届くような読み方をしたい。そう強く思った。
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yukarikousaka · 2 years
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11月12日
 明治四年に発布された勅諭により明治五年十一月十二日付で「爾今礼服には洋服を採用す」という太政官布告令が出されたのに由来し、今日、十一月十二日は洋服記念日だという。現代では服といえばすっかり洋服だから記念日というのも面白い。今週のわたしもワンピース、スーツ、ニットとワイドパンツ、スウェットとパンツという組みあわせで和服の入る余地などない。今日はわたしの特に好きなブランドについて少しだけ書いてみたい。
 ha | za | ma。松井諒祐さんというファッションデザイナーが率いるジャパンブランドで、年々その独創性を高め日に日に尖るめちゃくちゃ面白いブランドだ。ちょうど今はツイッターで新作発表を行っているし、プレゼント企画もやっているので是非。ただハザマは高いので普段使いには難しい。普段よく着ているのはMISCH MASCH(ミッシュマッシュ)。量産系フェミニンになりがちなところを、ちょっと他とは違うデザインで差をつけているのが良い。
 面白可愛いTシャツやシャツワンピース、スウェットならグラニフ。ついこの間も色々な可愛いブランドを見てまわった挙句グラニフで『ひつじのショーン』のスウェットを買ってしまった。可愛いから仕方がない。ネタTシャツも豊富なのがグラニフの推せるポイントだ。あとは、Honeys(ハニーズ)。フルコーデで1万円を切ることもあって、大学生の最後の切り札になる。とはいえ、デザインの可愛さだけならミッシュマッシュに負けていない。
 見るだけでも好きなブランドはもっと沢山ある。ファッションコレクションなら何万時間でも費やすことができる。洋服記念日ということだし、昔流行したファッションやブランドの成立などを調べていたら、一瞬で時間が過ぎていってしまった。未来のファッション、ファッションSFアンソロジーも作りたい。特別なときの和服もいいけれど、日々当たり前に着ている洋服にこそ色々と考えたいことがある。今日は素敵な洋服を着ていこう。
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toshihikokuroda · 3 years
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《安倍政権は、内閣法制局長官の首をすげかえ、2014年7月、閣議決定でこの「屁理屈」をくつがえしました。まさに「無理屈」の世界です。菅政権はこれを継承して、無理屈で憲法上の制約をスルーしようとしています。》…😡😡😡😡😡
2021焦点・論点 施行74年 憲法学者インタビュー 早稲田大学教授(憲法) 水島朝穂さん 2021年5月3日【3面】
気付かせず「改憲」狙う菅政権  安倍晋三前首相のようなイデオロギッシュな改憲とは違って、菅義偉政権の改憲は、実利的になっていると思います。実利的とは、「実」を取るという意味です。「改憲」を言い過ぎると野党やメディアからの反発を招き、国民に論点を気付かせてしまい、結局改憲が進まない。だから、菅政権は、国民に説明もせずに、米国の要求にこたえる形で、自衛隊の海外派兵を拡大し、武力行使を行う活動の際までいく、実質的な「改憲」を狙っています。
「無理屈」を継承  1954年以来、政府は、「自衛のための必要最小限度の実力」は合憲という理屈で自衛隊を合憲としてきました。これを軸に、「武力行使」と「武器使用」、「海外派兵」と「海外派遣」、「戦闘地域」と「非戦闘地域」などを区別して、後者は合憲とする「屁理屈(へりくつ)」を作り出してきました。「集団的自衛権は持っているが、行使できない」という政府解釈もその一つ。屁理屈でもまだ理屈は理屈です。歴代政権がこの政府解釈を維持してきたことにより、海外で自衛隊が武力行使をする事態には至らないできたわけです。その背後には、憲法9条を支える学説や判例、平和を求める市民の運動など、長年にわたる憲法プラクティス(実践)がありました。
 ところが、安倍政権は、内閣法制局長官の首をすげかえ、2014年7月、閣議決定でこの「屁理屈」をくつがえしました。まさに「無理屈」の世界です。菅政権はこれを継承して、無理屈で憲法上の制約をスルーしようとしています。
 バイデン米大統領との日米首脳会談の共同声明には実質改憲の危険性が表れています。バイデンは「メイク・アメリカ・ノーマル・アゲイン」を掲げて大統領になりました。「普通のアメリカ」とは、「普通のアメリカ帝国主義」ということでしょうか。武力介入を否定せず、集団的自衛権行使を前提とする「米国中心の多国���主義」です。共同声明には、「アジア太平洋」から「インド太平洋」へと、自衛隊に米軍の世界戦略の一角を担任させていく構想が見えてきます。52年ぶりに「台湾海峡の平和と安定」が明記され、「地域の課題に対処する備えがかつてなくできている」とも。この「備え」には5年前に施行された安保法制が含まれます。「専守防衛」の枠を超えた自衛隊の海外展開の多様な可能性について米国に約束したわけです。
 菅政権は、安保法制の条文を拡張解釈していくでしょう。例えば、米軍パイロットを救出するための「捜索救助活動」も、周辺事態法にあった「後方地域」という縛りが、安保法制の「重要影響事態法」で削られた分、法的にはどこでも可能です。活動拠点として、海賊対処のジブチ基地の機能も拡大し、米アフリカ軍の一角もうかがう。「武器等防護」でどこでも武器使用が正当化されます。菅政権の無理屈「スルー」戦術は、「憲法改正」国民投票法の改正も行って、9条明文改正の道は残しておきつつも、国民が気づかない形で「実」をとっていく。その意味で、「9条加憲」で無理をした安倍政権よりも手ごわいかもしれません。
求められる共同  これを支えているのが、自衛隊のなかで一定の勢力となった「政治的軍人」たちです。軍事的合理性にあわせて政治を変えていく。日本にもそういう勢力が増大しています。
 しかし、こうした無理屈やスルー戦術がいつまでも通用するはずはありません。ルールのルールである憲法を蔑視する安倍・菅政権を、その発足9年を待たずに退場させるために「大異を捨てて大同につく」ことが、いま、求められています。(聞き手・若林明)
 みずしま・あさほ 1953年生まれ。憲法理論研究会運営委員長、全国憲法研究会代表などを歴任。著書に『ライブ講義 徹底分析!集団的自衛権』『平和の憲法政策論』など多数。
2021焦点・論点 施行74年 憲法学者インタビュー 福島県立医科大学教授(憲法、社会保障法) 藤野美都子さん 2021年5月3日【3面】
憲法の精神からコロナ対策を  日本国憲法の精神から、政府の新型コロナ対策を問う必要があります。
 感染しても適切な医療が受けられない、あるいは予定していた手術を延期せざるを得ないなどの状況が生じています。憲法25条の生存権、13条の幸福追求権で保障されている健康への権利、医療を受ける権利が脅かされる事態です。
 昨年春の1回目の緊急事態宣言からこの1年、政府が何をしてきたのかが問われます。政府はこの間、「Go To トラベル」などに大金をつぎ込み、東京五輪開催へと突き進んできました。聖火リレーは、原発事故からの復興もままならない福島から出発しました。一方、医療体制の充実や、感染を封じ込める対策はきちんととられてきませんでした。命と五輪とどちらが大切なのでしょうか。
 政府の対応の間違いが、感染の第3波、第4波を招いてしまったと言わざるを得ません。
脆弱さ浮き彫り  コロナ禍は、日本の医療体制の脆弱(ぜいじゃく)さを明らかにしました。
 少ない医療スタッフでベッドの稼働率をギリギリまで上げなければ病院経営が成り立たないなど、感染拡大前から、多くの問題がありました。2012年に成立した新型インフルエンザ等対策特別措置法が求めていた、感染症の拡大に備えた常時からの体制整備が進んでいなかったことも問題です。
 社会保障制度の弱さは、普段から弱い立場に置かれている人たちに被害が集中している現状に表れています。
 食料品配布などの緊急支援が各地で展開されています。憲法の要請にそって“健康で文化的な最低限度の生活”を支える社会保障の仕組みを普段から国が整えてこなかったことが問題です。
 その点で、セーフティーネットである生活保護制度をいつでも安心して使える制度にしていくことも重要です。
 日本は生活保護の捕捉率が2割程度で、その利用は極めて低い状況です。生活保護に対しネガティブな印象があることや、親族に照会されることなどを恐れ申請自体のハードルが高くなっています。支給を抑制するような行政の姿勢を改め、困ったときは「生活保護があるから大丈夫」と思えるような社会に変えていくことが必要です。
根拠の説明なし  緊急事態宣言下で、移動の自由や営業の自由などが制限されています。感染抑止のためにやむを得ませんが、憲法で保障される権利を制限する以上はきちんと科学的根拠を示し丁寧に説明すべきです。
 現状は、そうした根拠のある説明が行われていません。休業を求める業種の根拠は何か、なぜ五輪選手は待機期間もなく入国できるのか。国民が納得できる説明がなければ政府の感染症対策に理解は得られません。
 いま国会では憲法審査会を動かし、憲法改正の議論を進めようとしています。
 東日本大震災のときもそうでしたが、災害や感染症への対応のためにと緊急事態条項の創設を求める議論があります。しかし、今ある法律の枠内でできる対策をきちんと取らずに憲法を変えようというのは本末転倒です。戦前の日本では緊急勅令の規定によって治安維持法などが「改悪」されました。内閣総理大臣や内閣に大きな権限を認めるのは危険です。
 コロナ禍で困難な状況にある人々のために、憲法の要請に応え、一人ひとりの命、健康、権利を守る対策、社会保障制度の充実こそ求められていると思います。(聞き手・伊藤幸)
 ふじの・みつこ 憲法をいかす福島県民の会呼びかけ人。共著に『日本国憲法の力』、『憲法理論の再構築』など。
(しんぶん赤旗、2021年5月3日)
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monqu1y · 3 years
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索引
海軍報道部発表。中央は報道部長
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8月15日は終戦の日。先の大戦における軍部の独善・ 欺瞞 ( ぎまん ) の象徴として語り継がれるのが「大本営発表」だ。当時、最高レベルのエリート集団だった大本営はなぜ、繰り返しウソの戦果を並べ立てるに至ったのか。真相を探ると、現代の日本社会にも通じる病理が浮かび上がってきた。 終戦の日が来るたびに「日本は、なぜ無謀な戦争に突き進んだのか」という反省が繰り返される。特に罪深いとされるのが、国民を 騙 ( だま ) し続けた「大本営発表」だ。 ウソとでたらめに満ちた発表は、今でも「あてにならない当局に都合のいい発表」の代名詞として使われる。戦果のごまかしは他国もしていたが、大本営のでたらめぶりは常軌を逸しており「国民の士気を鼓舞するためだった」では片付けられない。そもそも大本営は天皇に直属する最高の統帥機関で、陸海軍のエリートが集められていた。発表は幾重ものチェックを経ていたし、ウソがばれれば国民の信頼を失い、戦争遂行が難しくなることも分かっていたはずではないか。 大本営発表が最初からでたらめだったわけではない。真珠湾攻撃の戦果は、航空写真を綿密に確認するなどした上で、3度も修正されている。戦闘機から見た艦船は点のようなもので、本当に沈んだのか、沈んだ艦は戦艦なのか、駆逐艦なのかを判別するのは、熟練度が高い搭乗員でも簡単ではないからだ。 戦線が拡大し、熟練度が低い搭乗員が増えるにつれ、戦果の誤認が急増した。誤認は米軍にもあったが、大本営には情報を精査したり、複数の情報を突き合わせたりする仕組みがなかった。特に作戦部には現場からの情報を軽視する悪癖があった。根拠もなく報告を疑えば「現場の労苦を過小評価するのか」と現場に突き上げられる。誤った報告は 鵜呑 ( うの ) みにされ、そのまま発表されていった。
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昭和天皇が臨席して行われた大本営の会議(1943年4月ごろ撮影) 誤報の極みとされるのが、1944年(昭和19年)10月の台湾沖航空戦に関する大本営発表だ。5日間の航空攻撃の戦果をまとめた発表は「敵空母11隻、戦艦2隻、巡洋艦3隻を 轟 ( ごう ) 撃沈、空母8隻、戦艦2隻、巡洋艦4隻を撃破」。米機動部隊を壊滅させる大勝利に、昭和天皇(1901~89)からは戦果を賞する勅語が出された。だが、実際には米空母や戦艦は1隻も沈んでおらず、日本の惨敗だった。 熟練度の高い搭乗員はすでに戦死し、作戦に参加したのは初陣を含む未熟な兵卒が大半だった。多くは米軍の反撃で撃墜され、鹿屋基地(鹿児島県)に帰還した搭乗員の報告は「火柱が見えた」「艦種は不明」といったあいまいな内容ばかりだった。だが、基地司令部は「それは撃沈だ」「空母に違いない」と断定し、大本営の海軍軍令部に打電した。翌日に飛んだ偵察機が「前日は同じ海域に5隻いた空母が3隻しか発見できない」との報告が「敵空母2隻撃沈」の根拠とされ、さらに戦果に上乗せされた。 さすがに疑問を感じた海軍軍令部は内部で戦果を再検討し「大戦果は幻だった」ことをつかんだが、それを陸軍の参謀本部に告げなかった。陸軍は大本営発表の戦果をもとにフィリピン防衛作戦を変更し、レイテ島に進出して米軍を迎え撃ったが、台湾沖で壊滅させたはずの米空母艦載機の餌食となり、壊滅した。各部署は大本営発表から戦果を差し引いた独自の内部帳簿を持っていたが、その数字は共有されず、共有しても相手は参考にしなかったという。 情報の軽視によって水増しされた戦果は、公表範囲を決める幹部会議に持ち込まれ「軍事上の機密」を理由に都合の悪い部分が隠ぺいされた。報道部が大本営発表の文書を起案する時点で、すでに戦果の水増しと隠ぺいが実施済みだったわけだが、ここからは「内部対立」でさらに戦果は歪められていく。
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ミッドウェー海戦で米軍機の攻撃を回避しようとする日本海軍の空母「赤城」(1942年) 軍内部の対立で大本営発表が歪められるきっかけとなったのが、1942年(昭和17年)6月のミッドウェー海戦の大本営発表だ。霞が関の海軍省・軍令部では祝杯の準備をして戦勝報告を待っていたが、飛び込んできたのは空母4隻を失う予想外の知らせだった。開戦以来初めてとなる大敗に直面し、これをどう発表するかをめぐる調整は難航を極めたという。 報道部は「空母2隻沈没、1隻大破、1隻小破」とする発表文を起案したが、作戦部が猛反対した。3日後に発表された味方の損害は「空母1隻喪失、1隻大破、巡洋艦1隻大破」に減らされた。一方で、敵の損害は「空母1隻の大破」が「2隻撃沈」に水増しされ「沈めた空母の数で日本の勝ち」と発表された。 報道部の担当者は戦後、ミッドウェー海戦の大本営発表のなりゆきについて「真相発表とか被害秘匿とかそんなものを飛び越えた自然の成り行きであった。理屈も何もない」と述懐している。誰かの決定も指示もなく、あうんの呼吸で部署間のバランスに配慮した結論が出された。情報軽視と軍内部の対立という欠陥は放置されたまま、空気を読んで戦果を 忖度 ( そんたく ) し、でたらめを発表する仕組みができ上がった。 良心の 呵責 ( かしゃく ) もあったのか、ミッドウェー海戦以降、いったん大本営発表の回数は激減する。しかし、しばらくして再び増え始めた大本営発表には、当たり前のようにウソが混じるようになる。辻田さんは「ウソをつくことを覚えたのだろう」と分析する。海軍はミッドウェーでのごまかしは、すぐに勝って帳尻を合わせればよいと思っていたようだが、戦いの主導権は二度と戻らなかった。 一部の海戦については後から戦果を訂正する発表もあったが、これは誤りが判明したからでなく、過去のウソから生じた矛盾を取り繕うためだった。しかし、同時に新たなウソをついていたから、実際の戦果との開きは拡大するばかりだった。 組織ぐるみの忖度については、対馬藩が国書を偽造した「柳川一件」を紹介した( https://www.yomiuri.co.jp/fukayomi/ichiran/20180330-OYT8T50019.html )。森友学園問題では、役人の忖度が公文書の改ざんにまで発展した。辻田さんは「今の政治を戦時中と同一視するつもりは全くない。だが、だから歴史から学ぶことなどない、というのも間違っている」という。
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書類の電子化が進んでいる今でも、役所や会社の中を回る決裁文書にはハンコを押す欄がずらりと並ぶ。権力がトップに集中する組織ほど「上はこう望んでいるだろう」と忖度した文書が回る。ハンコは起案者が読んだ空気に同意した証し。正しく空気を読んだ文書ほどハンコがそろいやすく、効率的に仕事が進み、起案者は上の覚えもめでたくなって出世できるわけだ。 物事がうまくいっているうちはいいのだが、ひとたび問題が起きた時は、上が指示をした証拠はなく、たくさんのハンコもかえって責任の所在を不明確にしてしまう。辻田さんは「空気を読むことがすべて悪いわけではないが、日本には他国以上に空気を読む文化がある。だからこそ、特に公権力を持つ組織では、他国以上に権力集中に歯止めを設ける仕組みが必要ではないか」と指摘している。 丸山 淳一( まるやま・じゅんいち ) 読売新聞東京本社経済部、論説委員、経済部長などを経て、熊本県民テレビ報道局長から読売新聞編集委員・BS日テレ「深層NEWS」キャスターに。経済部では金融、通商、自動車業界などを担当。東日本大震災と熊本地震で災害報道の最前線も経験した。1962年5月生まれ。小学5年生で大河ドラマ「国盗り物語」で高橋英樹さん演じる織田信長を見て大好きになり、城や寺社、古戦場巡りや歴史書を読みあさり続けている。
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