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#いや勅使としよう
mofdogs · 1 year
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約半年ぶりに、 フェイてんちょに会って来たよー ٩(๑´3`๑)۶ #はじめてのおつかい #ボスのつかい #いや勅使としよう #いや勅使じゃないな違う #やっぱおつかいか…(笑) #いや宮島には絶対また着たかったのよ #宮島帆布 #宮島 #我家では帆布さんと勝手に呼んでいる #珈琲ご馳走様でした #勝手にカフェ宮島帆布 #次は奥様が居てはる時に行きましょう #ペキニーズ店長 #お昼時にすみませんでした #コッペン食べ過ぎました #みゆまま気を使わせてすみませんでした #好きよ❤︎╰(*´︶`*)╯ (宮島帆布) https://www.instagram.com/p/ClJJAYDpq1_/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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ari0921 · 6 months
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「緊急政令」の取りまとめを急げ 国士舘大学客員教授、日本大学名誉教授・百地章
岸田文雄首相は就任以来、来年9月までの自民党総裁任期内に憲法改正を目指すと繰り返し明言してきた。そのためには秋の臨時国会での改憲案の取りまとめや条文化は不可欠である。
緊急事態条項のうち「緊急時の国会議員の任期延長」については自民党、公明党、日本維新の会、国民民主党、有志の会による合意がほぼ成立しており、「緊急政令」についてもあと一歩だ。
独裁と無関係な緊急政令
緊急事態条項については、相変わらず「独裁」とか「立憲主義の停止」などと短絡的に考え反対する人たちもいる。これは芦部信喜東大名誉教授の『憲法』の影響によるところが少なくなかろう。同書では「国家緊急権」を「非常事態において、…国家権力が、立憲的な秩序を一時停止して非常措置をとる権限」と説明しており、緊急事態条項イコール「独裁」と誤解したとしてもおかしくない。
しかし緊急事態制度といってもさまざまであり、小林直樹東大名誉教授によれば緊急権概念は3段階に分けられる。第1段階は「全体としては平常時の体制を維持したまま、事態に対応して制度の臨時的な機能化を図るもの」で、「その典型的な例としてはドイツ系諸憲法に広く見られた緊急命令や緊急財政処分の制度」などがある。第2段階は「憲法みずからがより緊迫した非常事態を予定し、立憲主義を一時的に停止して、一定条件のもとで独裁的権力行使を認める場合」で、ドイツ・ワイマール憲法の「大統領独裁権」など、そして第3段階が「極度の非常事態において、憲法の一切の枠や授権をこえて、非法の独裁措置を行う場合」である(『国家緊急権』)。
これに照らせば、緊急時の「国会議員の任期延長」や国会が機能しないとき一時的に国会に代わって立法権を行使し、後日国会の承認を得る「緊急政令」が独裁や立憲主義の停止と無関係なことは明らかだろう。
国会の立法権を「簒奪」?
「緊急政令」については、これを「立法権の簒奪(さんだつ)」と批判する者もいる。しかしこれも的外れだ。
日本国憲法41条は国会を「国の唯一の立法機関」としている。これは国民の権利や義務にかかわる立法権を全て国会に独占させることを意味しており、例外は憲法が自ら認めた「両議院による規則制定権」(58条2項)と「最高裁判所の規則制定権」(77条1項)だけである。また内閣の制定する「政令」も法律を実施するための「執行命令(政令)」と法律によって委任された「委任命令(政令)」に限られる(73条6号)。
それ故、法律と同じ効力を有する「緊急命令(政令)」は憲法41条に違反するから、現行憲法のもとで「緊急政令」を発することはもちろん許されない。
これに対して、憲法を改正し、国会が立法権を行使しえないような国家的な緊急事態に限って内閣による「緊急政令」を認め、それによって国民の生命と財産を守るのが改憲案である。これなら憲法自身によって認められた例外的な立法権であり、立法権の「簒奪」などとは無縁である。
召集不能時などに絞れ
緊急政令をめぐる最大の課題はいかにして国民の生命と財産を守るかということ、同時にいかにして濫用(らんよう)を防ぐかということだ。
明治憲法下で緊急勅令(命令)によって被災者の生命、安全、財産が守られた代表的な例は、大正12年の関東大震災であろう。首都壊滅によって、帝国議会は12月中旬まで召集することができなかった。もしこの時、緊急勅令制度が存在しなかったら、一体どうなっただろうか。
他方、濫用された例もある。昭和3年、田中義一内閣が審議未了・不成立に終わった治安維持法改正案を議会の閉会後に緊急勅令で成立させたケースなどがそれだ。明治憲法8条は「帝国議会閉会ノ場合」にのみ緊急勅令の発令を認めており、これが逆用された。
この点、現在公表されている自民党、日本維新の会、国民民主党の改正案では、緊急政令の発令の条件は、いずれも「国会による法律の制定を待ついとまがないと認める特別の事情があるとき」となっており、かなり柔軟かつ効果的な対応が可能である。しかし逆にいえば、明治憲法のような「国会の閉会中」といった縛りさえないから、濫用のおそれもある。
ドイツの緊急命令の発出条件を議会的統制という視点から歴史的に振り返ると、3段階に分類できる。第1段階は発令に制限がなく(1818年のバーデン憲法など)、第2段階では「議会の閉会中」に限定され(50年のプロイセン憲法、89年の明治憲法も)、第3段階になると「議会の閉会中」のほか常設委員会の事前の同意などが必要となる(1922年のブラウンシュヴァイク憲法など)。
このように考えるならば、緊急政令の発令条件は、先の3党の案を前提とした場合、せめて「国会が召集できない等の特別の事情があるとき」に限定するのが望ましいのではないかと思われる。(ももち あきら)
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nyantria · 2 months
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アメリカが主導した昭和天皇の戦争犯罪の証拠隠滅
昭和天皇と731部隊
http://blog.livedoor.jp/nobug51/archives/1103925.html
欧米の帝国主義にならって、日本も中国侵略を真剣に考え���実行していった。
当時、天皇は現人神であり、日本国においては絶対の存在だった。小さい頃から、家庭や学校で天皇を拝み、学校では教育勅語を奉読され、天皇のために死ぬことが最高の価値のように教えられた時代でもあった。
 日本の傀儡政権が満州に成立すると、早速、その地で、安くて強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。その中心になったのが陸軍軍医少佐の石井四郎であった。
 1936年、天皇の認可の下に中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他の石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。
 そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。
 研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。
 ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。
 これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
 731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入っていたはずである。
 莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊ではなかったか?
 戦後、アメリカは731部隊幹部の尋問を細菌兵器の専門家に担当させた。
ところが、731部隊幹部は事実を隠し続け、人体実験はしていないと嘘を通した。
 1947年(昭和22年)1月に、ソ連が石井ら日本にいる731部隊員の尋問を要求した。ソ連とアメリカの交渉により、人体実験のことが明らかになると、アメリカは人体実験・細菌戦のデータを独占しようと、石井らと打ち合わせをする。その結果、ソ連の尋問は形式的なものになってしまった。
 731の戦犯追及をしていた占領軍(アメリカ)の法務部の活動はアメリカ自身の手によって強制的に停止され、詳細なデータはアメリカが独占することになり、東京裁判では731部隊のことは裁かれなかった。
 マッカーサーと本国アメリカとの交渉の中で、データの独占のこともあったが、もう1つの大きな懸案は、天皇にその責任が及ばないようにすることだったのではないか?
 マッカーサーは当初から日本の占領にあたって、天皇の力を利用しようと考えていた。
 また、マッカーサーは自国の遅れていた細菌兵器の開発に日本軍のデータが役立つだろうと見ていた。何としても、細菌戦や細菌兵器のデータが欲しかった。
 731部隊の戦犯追及をすると、そのデータは独占できなくなり、またその責任が天皇に及ぶのを恐れたのではないか?
 (ドイツでは人体実験にかかわった医師などが「ニュルンベルグ継続裁判」によってアメリカの手によって裁かれている!最高責任者ヒトラーはすでに自殺している。)
 日本政府とアメリカは、一緒になって、731の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。
昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。
新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。
 それ結果、裁判で国民の前に731の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任は問われなかった。
※パウエルの記事と森村の本は、日本で政府が見解を出さざるを得ないほどの騒ぎを巻き起こした。政府は国会で731部隊の存在と、731部隊の戦争犯罪について初めて認めた。議論の中で政府は、石井の細菌実験について知りながら石井にかなりの軍人恩給を給付していたことを全く偶然に露呈してしまった。(『死の工場』ハリス著:柏書房)
・天皇裕仁は、明らかに、2度にわたって石井の実演を目にしている。
1度目は1933年に陸軍軍医学校を視察した折、もう1度は恒例の天皇訪問の際の、海軍の艦船上においてである。石井が濾水機の1つに放尿し、その濾過水を飲み干すよう天皇に恭しく差し出したとされているのは、天皇が視察したそうした折のことだった。・・・天皇はその申し出を断り、そして石井は尿を濾過したその水を見るからに嬉々として飲み干したという。
・軍医中将で元関東軍軍医部長の梶塚隆二によれば、石井は「天皇の軍令」によって1936年に平房の実験を開始する許可を与えられたと言う。・・・・梶塚によれば、その後1939年に、天皇は、石井の特殊部隊を再編成するようさらにもう1つ軍令を発布した。・・・・
 石井が東京の高い地位のところに、ひょっとすれば最も上のところに味方を持っていたことは明らかである。
・軽く見てはならないのは、石井と若松の部隊は、裕仁の勅令によって設立された部隊であるという事実である。他の多くの部隊は、必要とされた時に陸軍の内部で適当な司令官によって設立された。
・軍事細菌研究のさらにもう1つの拠点が長春の第100部隊(部隊長:若松有次郎)であった。作戦任務のための資金供給は莫大かつ無制限だった。部隊は2つの経路から資金を得ていた。すなわち、東京の陸軍省と、関東軍司令部の第2部である。(陸軍省から人件費60万円の予算が、100万円が関東軍司令部の第2部から攻撃的生物戦の研究のために支出された。731部隊の予算総額は1000万円、人件費300万円、20万から30万が各支部の運営費、600万円が細菌製造、実験、研究費用である。しかも731部隊の予算は国会の場で細部を発表されることはなかった。関東軍の獣医将校は、生物戦の資金は底なしだと自分は理解していたと語っている。)
・石井はノモンハン事件の間に彼が行ったサービス業務に対する褒美として、天皇の玉璽の押してある大変名誉な政府表彰を受けた。彼の部隊は、同じ戦闘中における英雄的な行動に対して、天皇から価値ある表彰状を贈られた。
このことも、またしても無二の名誉だったのである。他の医療部隊も日本の戦争において勇敢に働いた。それなのに、20世紀において他の医療部隊が天皇の表彰状をその業務に対して受けたことはない。裕仁が、これらの名誉ある賞を与える前に、いくらかの調査を行ったのではないかと疑ってもおかしくない。
 (1939年に発生したノモンハン事件では、出動部隊の給水支援を行うことになり、石井式濾水機などを装備した防疫給水隊3個ほかを編成して現地へ派遣し、部長の石井大佐自身も現地へ赴いて指導にあたった。最前線での給水活動・衛生指導は、消化器系伝染病の発生率を低く抑えるなど大きな成果を上げたとされる。その功績により、第6軍配属防疫給水部は、第6軍司令官だった荻洲立兵中将から衛生部隊としては史上初となる感状の授与を受け、石井大佐には金鵄勲章と陸軍技術有功賞が贈られた。)
・『731部隊-天皇は知っていたか?』と題されたそのドキュメンタリーは、2人のベテランのテレビジャーナリストによって製作された。・・・アメリカ、イギリス、その他の連合国軍の西洋人捕虜が、人体実験の犠牲になったことが暴露された。その上、ドキュメンタリーの製作者・ナレーターは、天皇が満州での細菌戦の人体実験を知っていたことを強く示唆している。
・1930年代において、くるくる替わった日本の内閣においては役目を果たすように〔大臣職に〕任命された軍部のリーダーたちは、誰もが満州で起こっていることを認識していた。参謀本部のスタッフ〔立案者〕とその上司たちは、石井、若松、北野のプロジェクトに精通していたし、細菌兵器の開発研究を助けた。・・・・
 何千人もの、もしかしたら何万人もの陸軍の軍医や獣医、生物学者、化学者、微生物学者、技術スタッフその他の似たような職の人々が、定期的に交代で満州や〔その他の〕中国占領地に派遣されている。(731部隊には専用の飛行場があり、専用の飛行機も複数持っていた。東京⇔ハルピン間を何度も往復して情報交換や物資の輸送などをしていた。また、他の部隊との連絡にも使った。)
・軍部を除けば、外務省が平房での秘密の任務について認識していたことは確実と思われる。それは、ハルピンの日本領事館の地下室がマルタの留置場として使われていたこ���からも言える。
・東久邇は早い時期に、平房の施設を旅先で訪れている。
・1939年2月9日に、裕仁の弟である活発な秩父宮は、陸軍省の大会議室で、2時間半にわたる石井の「雄弁な」講演に出席した。
・天皇の一番下の弟である三笠宮は、施設の多くに立ち寄った。
・竹田宮は関東軍の首席主計官として、満州におけるすべての細菌戦の関連施設に割り当てられる金を扱った。・・・また、平房〔の施設〕に立ち入る際には竹田宮・宮田が発行した通行証を求める必要があった。関東軍司令官もしくはその直属の部下が731部隊を訪れるときは、竹田宮自身が彼らの一行に混じって彼らをエスコートした。
・天皇は、その倹約〔の精神〕でも知られていた。彼は常々、役に立たないもしくは取るに足らないプロジェクトのために、政府の支出が無駄に使われないよう懸念していると表明していた。細菌戦のプログラムは、国の資源の大規模な乱費であった。第2次世界大戦中、平房、長春、奉天、南京の主要な基地および多くの支部施設は、少なくとも1500万円から2000万円、多分それ以上の年間予算を食い潰して機能していたに違いない。天皇が軍事予算を詳細に調べたなら、満州やその他の中国における何千もの人員の滞在は、天皇にとって関心事だったはずである。裕仁はまた、特別の武器研究にその使途を限定された秘密の帝国予算を持っていたが、それが満州や中国において細菌戦の研究に使用されていても何の不思議も無い。
・裕仁は細菌戦の研究については知っていたのだろうか。おそらくイエス、であろう。このプロジェクトは、単純に、天皇の目から隠しおおすには、大規模すぎた。費用も、天皇の政府費用に対する鋭い関心から逃れるには巨額すぎた。・・・・最終的に、大日本帝国において、政策決定は政府の最高レベルで行なわれるべきものであって、陸軍の将軍たちの気まぐれでできるものではなかったのである。
(以上『死の工場(隠された731部隊)』:シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳より抜書き)
・731部隊の組織犯罪については、関東軍という日本陸軍の一駐留軍の指揮命令系統下にあった。部隊そのものは関東軍司令官の直轄であり、あらゆる人体実験も形式上は司令官の命令無しには行なわれえなかった。また、731部隊以外の「防疫給水部隊」(北京、南京、広東など)も日本陸軍の中国派遣軍の指揮下にあった。
日本陸軍を統括していたのは陸軍省であり、その上には天皇がいた。したがって731部隊の人体実験の最終責任者も天皇である。(『検証 人体実験 731部隊・ナチ医学』小俣和一郎著:第3文明社)
http://blog.livedoor.jp/nobug51/archives/1103925.html
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yamada50 · 1 year
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江戸時代まで唯一勅許を得て伊勢の神宮から勧請された山口大神宮 西のお伊勢さま山口大神宮です 外宮と内宮がそれぞれ鎮座していますが神宮以外で式年遷宮のための古殿地を持つ神社は見たことがありません 創建当初は神宮同様20年毎に式年遷宮が斎行されましたが直近では平成12年に10回目の遷宮と諸々事情で延期や縮小、中止となっています 時は戦国時代、周防大内氏の15代当主大内義興が永正16年(1519)に外宮、翌年に内宮を造営し、第104代後柏原天皇の勅許を得て神宮より勧請し創建されました 応仁の乱後、神宮は財政難により朝廷よりの勅使参向の停止や大祭の中止、式年遷宮の中断など衰えていた時期でした 一方庶民による伊勢信仰が広がり今神明や飛び神明が流行し各地に神明神社が創建されている流れの中で勅許を得ての勧請は前例がなくはじめてのことでした 当時周防大内氏は周防長門の他に筑前、豊後、安芸の守護を担い、その経済基盤は明や李氏朝鮮との交易独占と石見銀山の銀産出によってすでに日本一で西国一の戦国大名でした 応仁の乱で荒廃した京より公卿を招き入れ山口は小京都ともよばれる町並みから後の義隆の時代には山口遷都計画すらあったほどです 義隆も筥崎宮再興、現在の厳島神社の初代大鳥居、宇佐神宮の再建など寺社再建を多く行っていますが最終的に周防守護代陶晴賢の下剋上により自刃、大内氏は実質的に滅亡します その陶晴賢も後に毛利元就によって滅ぼされました 大神宮号を持つ神社は現在の東京大神宮を筆頭に明治期の神宮教院(のちの神道神宮派、神宮奉賛会、神社本庁)の出張機関の後継が多いですが皇大神宮より勧請した神社も大神宮号を称することも多いです 一方出雲大神宮や伊野皇大神宮、日向大神宮など例外もあります また伊勢原大神宮や芝大神宮など江戸期以前の伊勢からの奉斎の由緒を持つ神社もありますが勅許を含め確かな記録が残るのは山口大神宮のみといわれています #山口大神宮 𑁍𑁍𑁍𑁍𑁍 山口大神宮(やまぐちだいじんぐう) 鎮座地:山口県山口市滝町4-4 主祭神:天照大御神、豊受大御神 社格:県社 𑁍𑁍𑁍𑁍𑁍 #神社#神社巡り#神社好き#神社好きな人と繋がりたい#神道#shrine#shinto#日本の風景#参拝#神社巡拝家#recotrip#神社フォトコンわたしと神社#神社とわたしの思い出#御朱印#御朱印巡り#御朱印好きな人と繋がりたい#神社建築#神社仏閣#パワースポット#山口県#山口市 (山口大神宮) https://www.instagram.com/p/CnPF418PpWl/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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moment-japan · 2 years
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大阪・金剛寺 三鈷剣(国宝)レプリカ
ニコニコ美術館に度々登場する、京都国立博物館の研究員の井並林太郎・ 上杉智英・ 末兼俊彦とかの話がわかりやすいし、内容がバカで面白すぎるので毎回楽しみに見ています。
(いっとくけど、 京都国立博物館の研究員って超エリート集団だよ!)
途中、江戸時代以降の歴史について研究員に尋ねられたところ彼らは鼻で笑っていました。
(なんかわかる)
エリート歴史研究家の間では、江戸時代までが歴史の研究に値するらしく、あとはどうでもいいらしいです。
(すごくわかりやすい。笑)
磯田道史とか千田嘉博が歴史研究家としてあれだけ人気なのは、彼らは決して書物に書かれたことを鵜呑みにしてなくて、1年のほとんどを自らの足で現地で調べて、それでもわからないことは通説としか認めていないこと。
(だから話の内容に説得力があるし、信用されてるんですね!)
科学の世界と同じスタイルで歴史を見つめているから信用されているんです。
ソースの不確かな書物や古い書籍で歴史を調べる研究は小学生でもできることなので、あれらは研究家ではなく評論家です。
(あんた、その内容のソースは何処から来ているの?と思うことが良くあるよね)
話が飛んでしまいましたが、写真は先日ニコニコ美術館の生放送で生まれてはじめて見た、金剛寺の国宝の三鈷剣。
(ニコ美で出ていた本物の写真がなかったので写真はレプリカの写真です)
後白河上皇の勅願によって金剛寺を再興した阿観上人が、密教の重要な儀式に使用していた剣といわれています。
平安時代の作。
反りの無い西洋型の直刃で両端が刃の、いわゆる諸刃の剣。
日本ではあまり知られていませんが、この三鈷剣が映画「スターウォーズ」でジェダイの騎士が使うライトセーバーのモデルになったことは海外では周知の通りで、ライトセーバー起動前の状態が三鈷、 プラズマの光刃が出た状態がこの三鈷剣の姿をモチーフにしたといわれています。
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kennak · 9 months
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国家行使能力の高まりが経済成長を促すとは限らない。高い行使能力を持つ国家は、破壊的な経済政策を追求するかもしれない。重要なのはむしろ、国家による権力行使が法によって制約されている場合に、国家行使能力が経済成長に寄与し得るということである。この理由の1つは、高い行使能力を持つ国家が「一般的ルール」(general rule)を執行する能力を持っているためである。この能力は、社会科学者が「法の支配」という言葉で指すものと密接に結びついている。 「法の支配」という概念自体は非常に古くから存在するが、この言葉を生み出したのはアルバート・ヴェン・ダイシー(Dicey, 1908)である。法の支配は、ダグラス・ノースの研究(North, 1990)や、共産圏の資本主義移行についての議論によって、経済学や政治学の議論の最前線に登場し、その後アセモグル、ロビンソン、サイモン・ジョンソン(Acemoglu et al., 2001, 2005bを参照)の研究において再び脚光を浴びた。アセモグルとロビンソン(Acemoglu and Robinson, 2012)は、法の支配を「包括的制度」(inclusive institution)、あるいは政府権力への制約としばしば関連づけている。これは、(一般的で安定的なルールの重要性を強調する傾向がある)法学領域での法の支配の研究と整合的だ [40] … Continue reading 。ハイエク(Hayek, 1960)は、一般的ルールは予測可能なので、個人はそのルールを念頭に置いて自身の人生を計画することができるようになり、結果、個人の自由が最大化され、支配者の恣意的な権力行使は制約される、と論じている。ノースら(North et al., 2009)は、個人や組織が平等に市場に参入でき、権力者との個人的繋がりの有無に関係なく競争することができるアクセス開放型秩序の台頭という文脈で、法の支配の重要性を論じている。ここではこうした研究者に倣い、社会があらゆる市民に平等に適用される一般的ルールによって統治されている度合いを、法の支配の最小限の定義として採用しよう。 行使能力の低い国家は、一般的ルールを実施、執行できない。高い行使能力を持つ国家は、必ずしも一般的ルールを執行するわけではないが、支配者は行使能力への投資を行うほど、一般的ルールを採用する強いインセンティブに直面しがちであったことを歴史史料は示唆している。これは概して、制度を一般的ルールに近づけることで、中央集権的な財政的・行政的ルールを多様な人々に適用するコストが低下するためだ。この例として、1539年、フランソワ1世(在位期間1515-1547)統治下のフランスで発されたヴィレール=コトレの勅令や、ルイ14世(在位期間1642-1715)の宰相が発したルイ法典(Code Louis)などがある。こうした勅令は、フランスの君主制の力を強めるために発されたが、国内全体で法制度を標準化するという副次的効果を持っていた(Hamscher, 2012) [41]原注:ジョンソン(Johnson, 2013)、およびジョンソンとコヤマ(Johnson and Koyama,  2014b)の議論を参照。 。
ノエル・ジョンソン&マーク・コヤマ「近代国家と経済成長にはどんな関係があるのか:国家行使能力(State Capacity)に関する経済史研究のサーヴェイ」(2017年4月1日) – 経済学101
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sdeet · 1 year
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オルフェウスとエウリディケの物語が題材のオペラとダンスを今、配信で観るためのメモ
オルフェウスの物語はギリシア神話のひとつで、死んだ妻を冥界に迎えに行くが失敗する、という話です。
この題材は音楽・舞台芸術でもよくつかわれていて、オペラではモンテヴェルディ作曲の『オルフェオ』、グルック作曲の『オルフェオとエウリディーチェ』が有名どころです。
なんでこんな記事を書いているかというと、ここ数年プレイしているゲームの「第五人格(IdentityV)」の基礎構造がオルフェウスの物語だからで、さらに現在ゲーム内で開催されているイベントが直球でオペラ『オルフェオ』モチーフだからです。アプリ立ち上げのオープニングの曲がモンテヴェルディになっているので。
ゲーム中で題材にされているのはモンテヴェルディの『オルフェオ』ですがグルックの『オルフェオとエウリディーチェ』作品も並べていきます。オルフェウスの物語は様々な方法で語られているのでいろんなものがある。
というわけで、観ましょう。
一番アクセスしやすいだろう、youtubeのOperaVisionのチャンネルを紹介します。
世界各国のオペラの上演作品がそれぞれ期間限定で無料で見られます。たいへんありがたい。文化ぢから。昨年から日本の新国立劇場も参加しました。
youtube
ORFEO Monteverdi – Garsington Opera
配信は2023年4月20日まで
サムネイルは毒々しい色合いだけど、本編はのどかな庭園での器楽演奏、舞台美術も緑あふれる場所からスタートします。後半冥界のヴィジュアルになるとどんどんゴスくなる。境界の表現が円形なんだね。
youtube
ORPHEUS Monteverdi, Degun – Opera North
配信は2023年4月30日まで
これはインド伝統音楽と混交したタイプのオルフェウス。 音楽はモンテヴェルディと、シタール奏者のヤスディープ・シン・デグン。
歌はイタリア語ウルドゥー語 マラヤーラム語 ベンガル語 パンジャブ語 ヒンディー語 タミル語だそう。字幕は英語です。
あらすじとキャスト表はこちら https://operavision.eu/performance/orpheus
オルフェウスとエウリディケの結婚式が西欧とアジア(インド)の結ばれみたいな感じ。色鮮やかな人々と様々な音色が面白い。
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ORFEO ED EURIDICE Gluck – New National Theatre Tokyo
配信は2023年4月7日まで(今週で終わり)
これは新国立劇場の『オルフェオとエウリディーチェ』。勅使川原三郎振付作品です。 音楽はグルックのほう。日本語字幕が選択可能です。
ダンスの要素が強めの作品で、歌手の他にダンサーがいて、歌+踊りで場面場面が物語られます。
ここまで、OperaVisionの作品群はフル尺で見られます。いままでオペラ見たことない方も、気軽に視聴してみてください。家で見る最大の利点は気軽さです。中断もできるし面白そうなとこまで飛ばしてもいいし寝落ちてももう一回見られるしBGMにもできる。
私は舞台を観に劇場に行くのがもちろん好きですが、映像は映像で好きなように楽しめていいと思っています。まあ海外のオペラハウスなんてそうそう行く機会ないから日本に住んでたら映像で観るしかないけどね。
ここからは私の好きな作品紹介です。作品鑑賞はソフトを探して買うか配信課金するかしてください。
私がオペラ『オルフェオ』を意識したのはジョルディ・サヴァール指揮のリセウ大歌劇場のオルフェオの舞台映像を見てめっちゃいいなって思ったのが確かはじまり。↓これね。
youtube
これDVD持っているんですが、劇場がすごく良いね……ってまじまじ見てしまう。演出とか演奏とかもちろんいいんですが箱の力が強いと思う。もともと古楽が好きなので、楽器の音だけでも楽しいっていう気持ちはあるけど、映像で観たいやつです。映像ソフトはもう入手困難だと思うんだけど、どこかクラシック系のVODで配信してたりするかな? 色々あるから調べきれてないんだよね。
音源だけなら各種サブスクリプションで配信もあります。
サヴァール指揮のオルフェオ最近のやつはこれ。ポリーヌ・ベール演出。
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何回モンテヴェルディ聴くんよってなるんですが、個々のプロダクションの出来や好き嫌いはともかく、何度も語られ直すという現象を含めて作品で強さなんだろうなと思います。
舞台演出で好きなのといえばロバート・ウィルソン演出、スカラ座の『オルフェオ』。
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何が好きっていうか、ロバート・ウィルソン演出のブレない様式美が好きなんですよね。白塗り人物&ポーズ+構図。苦手な人は苦手だっていうのもわかる。トンチキ且つつまんねえっていう声が聞こえる。でも私は好きなんで……グルックの『オルフェオとエウリディーチェ』も演出しているみたいなんですがそっちは観れてないです。どんなんだろうな。
これはダンス。曲はグルックのほうです。ピナ・バウシュ振付。Amazonでも配信してます。
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ピナ・バウシュの振付が好きなので貼った。観て。
ちなみに私はダンスと演劇を観る者で、振付家と演出家、または現代美術家がキャリアを積んでいくとオペラを手掛けるようになるという経緯で振付・演出を軸にオペラを見ているので、音楽方面に詳しいわけではないので音楽のことは音楽が詳しい方にお問い合わせください。
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poddyshobbies · 2 years
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博多旧市街の寺院(3)承天寺(じょうてんじ)
(写真が多いです。)
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博多駅から少し海側へ裏道を歩くと古い街並みと寺社が残る旧市街地があります。隙間時間に歩いてみました。
博多駅前1丁目、博多旧市街エリアへのウエルカムゲート「博多千年門」から続く「承天寺通り」の左右に境内が広がる臨済宗(禅宗)のお寺さんです。
「博多祇園山笠」の発祥地でありま��、うどんの発祥地ともされています。
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↓ 西側(博多駅前35号線) ~ 勅使門
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境内は昭和38年(1963年)の博多駅移転に伴う区画整理事業によって通された市道によって、山門や仏殿がある西側と本堂などがある東側に分断されました。また、勅使門などは戦争の空襲で焼失した建物もあって、1991年(平成3年)の開創750年を機に勅使門・山門・仏殿などを復興一新したそうです。
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山門を潜って境内へ。
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正面が現在の仏殿「覚王殿」ですが、
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その前に、左手にお地蔵様が並んでいるのが目に留まります。
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「お百度参り」をする?してた? ~ 平成になって設置のようです。
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将軍地蔵(しょうぐんじぞう)
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西エリアから承天寺通りをまたいで東エリアへ。
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↑ 御供所町方向 ↓ 博多駅方向
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東エリアの山門を潜ってすぐの左手。
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饂飩蕎麦発祥之地の碑(左)と御饅頭所の碑(右)
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可愛らしいお地蔵さん(奥に本堂など)
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方丈の石庭(通常非公開)
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↓ 御用の方はこちらへ(かな?)
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↓ 謎エリア ~ 博多駅側の敷地
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博多千年門
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2022.9.6 ~ 台風11号一過
YouTube > (13分14秒)
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shintani24 · 9 days
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2024年4月22日
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“お菓子の王国”滞在型ホテル 広島・呉市に9月にオープンへ シャトレーゼが購入の「グリーンピアせとうち」 (RCCニュース)
広島県呉市にある「グ��ーンピアせとうち」を購入した菓子製造販売のシャトレーゼは、施設を活用した滞在型ホテルを、9月にオープンさせることを明らかにしました。
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「グリーンピアせとうち」は、1985年にグリーンピア安浦として開業しました。ホテルやプールなどが併設されているリゾート施設で、2005年には呉市が購入しましたが、宿泊者数の減少や施設の老朽化が課題となっていました。
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このため、呉市は、施設を活用するために去年、菓子製造販売のほか全国でリゾート事業も手がけるシャトレーゼホールディングスに売却していました。
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新しいホテル名は「シャトレーゼガトーキングダムせとうち」で、ホテル棟を改修してことし9月にオープンする予定だということです。4月29日には、第一段階としてホテル棟1階で菓子工房と売店の営業をはじめます。
売店では、地元のレモンを使った「レモンケーキ」を、全国のシャトレーゼの店舗に先駆けて販売を始めるということです。
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会見後、記者団に釈明する河村たかし市長=2024年4月22日午後3時0分、名古屋市役所、寺沢知海撮影
河村市長「祖国のため命捨てるのは道徳的行為」 会見で持論、釈明も(朝日新聞)2024年4月22日
名古屋市の河村たかし市長は22日、市が条例で定めた「なごや平和の日」の意義を問われ、「(戦争で)死んでいった人たちに思いを寄せないといけない」と述べたうえで、「祖国のために命を捨てるのは高度な道徳的行為だ」と発言した。
河村氏はこの日の記者会見で、空襲で名古屋城天守が焼失した5月14日を「なごや平和の日」に制定し、平和を祈念する式典を開催すると発表した。その際、戦闘が続くウクライナやパレスチナ自治区ガザに言及。「国に命を捧げるのは、大変勇気のあること。『サンキューベリーマッチ』と言わなきゃ、みんなの福祉も平和も保てないんじゃないんですか」と持論を展開した。
さらに、学校現場でもこうしたことを「一定は考えないといけない」と主張。「国が守られるのは当たり前であるとの考え方は、日本にものすごい不幸を導く」と強調した。
ただ、河村氏は会見終了直後、記者団に「(命は)捨てない方がよい。誤解してもらってはいけない。『捨てよ』とあおっているわけではないが、残念ながら戦争は起こる」と釈明した。(寺沢知海)
河村たかし名古屋市長と記者団の記者会見での主なやり取りは次の通り。
 ――「なごや平和の日」を名古屋城が炎上した5月14日に制定したことについて。
「うちのお袋も言っていたけど『名古屋のお城が燃えたらしい。これで終わりだ』。どこか1日とするなら5月14日が皆さん受け入れやすいんじゃないかと思います。それから結局、こういう戦争がなぜ始まってしまったのかと。300万人死んでいる。日本全土で。名古屋では3万人。2万人が軍人で1万人が空襲被害者の方々。まあ、勉強しませんわね。なんでしないか。受験に出ないから。最近のウクライナとロシアやハマスとイスラエル。人はなぜ殺し合うのかということは、ようみんなで考えてみると。僕らの時代はベトナム戦争があったもんで、どちらかというと日本はとんでもない侵略戦争をやったと。犯罪国家であるというような言い方が多かったですけど。しばらく経つとおかしいなこれはとなってくるんですよ。やっぱり、死んでいった人たちに思いを寄せないといけない。
トリエンナーレ(2019年の国際芸術祭『あいちトリエンナーレ』の企画展)もそうですけどね。とんでもない判決になりましたけど。しかし、あの中に寄せ書きがあるんですけど。『イディオット・ジャポニカ』。間抜けな日本人。軍人として命を失っていくことは。祖国のために命を捨てるというのは、相当高度な道徳的行為��あるということは間違いない。右翼ではないですよ。世界の常識ですよ。満州事変のころからでもよいですよ。なんでアメリカと戦争をやってしまったのか。受験には出ませんけど。考えてみなきゃいけないんじゃないかと」
 ――「祖国のために命を捨てるのは相当高度な道徳的行為」とは具体的にどういう意味なのか?
「世界連邦というのはないんですよ。国際連盟をつくって、第2次世界大戦があってむちゃくちゃになりました。第2次世界大戦後には国際連合をつくりましたけど、現にウクライナの戦争もありますし、イスラエルの戦争もある。そうなるとやっぱり、それぞれの国という存在自体が皆さんの戦争の時に守っていかざるを得ないという状況ではある。だから、国というものに対して、自分の命を捧げるというのは、大変な勇気のあることだし。みんなで『サンキューベリーマッチ』と言わなきゃ。やっぱり、みんなの福祉も平和も保てないんじゃないんですか。残念ながら」
 ――太平洋戦争で祖国のために命を捨てたことは、高度な道徳的行為であったという意味か?
「太平洋戦争に限らないです」
 ――今の学校でも「祖国のために命を捨てるのは相当高度な道徳的行為だ」ということを考えるべきだと?
「やっぱり一定は考えないといけないでしょう。国が守られるのは当たり前であると、自分たちの国の若者の血は流さないけど、アメリカ人の若者の血は流してもよいと。そういう考え方はものすごい不幸を導くんじゃないですか。日本に」
 ――日本国憲法は戦争放棄を規定しているが、整合性は?
「日本国憲法はアメリカに占領されていたときにできた憲法です。今とでは全然状況が違うと思います」
(会見直後、河村氏が記者団に向かって)「祖国のために命を捨てるというのはなかなかのことではあるんですよ。本当は捨てない方がよいんですよ。誤解してもらってはいけない。捨てよとあおっているわけではない。残念ながら戦争というのは起こるから。どうしたらええかと。せめて経済を良くすることでしょう。(記者団が)深刻な雰囲気ですが」
コメントプラス
本田由紀(東京大学大学院教育学研究科教授)【視点】 戦史研究によれば、太平洋戦争において亡くなった230万人の日本軍兵士の多くは、戦地への補給路が整っていなかったことによる餓死や病死、自決などであった。当時、国は国民を戦争に動員し、そして見殺しにしたのである。
見殺しにされた兵士を悼むことと、それを「道徳的行為」として持ち上げることとは全く異なる。二度とそうした無惨なことを起こさないという決意こそが、日本国憲法には込められている。
「残念ながら戦争というのは起こるから」と河村市長は言っているが、戦争は自然災害とは異なり、「起こす」誰か―それは必ず権力者である―が存在している。それを隠蔽し、その犠牲になる一般庶民を美化する言説の欺瞞性にぞっとする。
河村市長は大量のリコール署名の捏造に加担しており、その中心人物であった田中孝博(元「日本維新の会」衆議院愛知5区選挙区支部長)には4月19日に有罪判決が下った。
日本では、国民に「道徳」を強いる側の者がもっとも「不道徳」、さらには「違法」「不法」である場合が多い。戦後に廃止された教育勅語の本質であった、「国(天皇)のために死ね」というメッセージに対して、いまさら「道徳」や「善いこと」という価値づけをしようとする者らの醜さを国民は認識すべきである。
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taketea44 · 2 months
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毎日が記念日
2月25日は…
深良用水完成の日
1670年2月25日に日本の土木史上重要な意味を持つ深良用水(ふからようすい、または、箱根用水)が完成、世界かんがい施設遺産に登録された深良用水。
江戸時代のはじめまで深良やその周辺に住む農民たちは、地上に流れる水を十分に確保できず、炊事や洗濯などの生活用水の確保や米作りに苦労していました。水が地下に浸透しやすい土地のため、新たに水田を開拓しても、雨が降らないと干ばつに見舞われ、米が実らず収入はありませんでした。そのため農民は貧しい生活をしいられていました。江戸時代のはじめ、深良村の名主であった大庭源之丞(おおばげんのじょう)は、芦ノ湖の水を深良に引くことを考え、新田開発の経験がある江戸の商人、友野与右衛門(とものよえもん)らの協力を得て用水路を掘ります。
幕府に用水の計画を提出してから3年以上の月日が経った1666年、工事の許可がやっとおりて、8月に深良側から工事が始まりました。3カ月後には芦ノ湖側からも始まり、のみを使って掘り進められました。坑道の上には、換気のための息抜き穴が掘られるなど先進的な技術を駆使していたんです。水路トンネル工事には延べ84万人の作業員が動員され、完成まで3年半かかったそうです。トンネルの長さは1,280メートル、合流地点での高低差はわずか1メートル程度で、高度な測量技術が用いられたことがわかります。トンネルの平均勾配は1/130で、水利技術も高い水準でした。
まっすぐ掘るのに提灯を一列に灯して、まっすぐかどうか確認しながら進んだそうです。
手作業で作った用水路。油をかけて火をつけて、あっつくした岩をノミで削るように掘った作業、職人技とは、こういうことを言うんでしょうね。
【疑わしいAI-イチロウによる2月25日の出来事】
1. 1570年 - ローマ教皇ピウス5世が教皇勅書『リグナニ・トゥム』を発布し、エリザベス1世を異端者と宣言。
2. 1836年 - アメリカ合衆国で、アメリカ陸軍の特殊部隊であるテキサス・レンジャーズが創設される。
3. 1862年 - アメリカ南北戦争中、フォートドネルソンの戦いが終結し、北軍が勝利。
4. 1919年 - イタリアのベニート・ムッソリーニが、ファシスト党を結成。
5. 1986年 - フィリピンのコラソン・アキノ大統領が、フェルディナンド・マルコス政権に対抗するために流亡先から帰国。
6. 1994年 - バラク・オバマがイリノイ州上院議員に選出され、アメリカの政界に登場。
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ari0921 · 1 year
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和五年(2023)5月8日(月曜日)弐
    通巻第7741号
 岸田訪韓を評価すべきだが、韓国の外交転換こそ注目だろう
  日本は安禄山の蜂起を三年知らなかった。これが歴史の教訓である 
************************
孝謙、淳仁、称徳、光仁天皇の時代において、日本の最大級の外交的変化は、渤海国からの度重なる使者の来駕である。
 渤海は高麗に替わって建国された。いまの北朝鮮である。渤海使は敵対した新羅の沖合をさけるため船は日本海を縦断し、出羽から越後、能登から若狭へ漂着することが多く、太宰府へ逐一回航して丁寧にもてなし、膨大な土産を持た��た。
 競うように新羅からも使節が太宰府へ入り、最初、大和朝廷は朝貢と受け取って歓待した。文書や使節の態度から判断しても、明らかに朝貢だった。日本の宿敵の国がころりと態度を変えて来日するのだから裏にナニカアルに違いない。
 実態は朝貢を装い日本の防衛体制を観察し、また大和王朝の政治空気を把握することにあった。情報収集である。
 新羅は次第に図に乗って官位の低い大使を派遣するようになった。態度も横柄、傍若無人の無礼を極めるようになったため新羅使は太宰府で留め置かれ追い返された。
新羅の態度が横柄尊大になった背景には唐が乱れ、安禄山が叛乱をおこし、国土は荒廃し、新羅に対しての軍事的な脅威にはならなかったからだ。大和朝廷はこの情報を三年ほど知らなかった。ということは新羅使は安禄山の乱を知っていながら大和朝廷には意図的につたえず日本の反応を確かめに来た可能性がある。日本のこうした情報戦の失態はいまと変わらない。つまり韓国の対日外交激変は裏にナニカアルのだ。
 天智天皇の御代、白村江の闘いで唐の海軍に敗れ、2100名の百済高官が日本に亡命した。天智天皇は水城と防塁、城を構築し、防人を強化したばかりか、各地22ヶ所に築城 防衛力を拡充し、新羅の侵攻に備えた。
 ところが、新羅は逆に日本が攻めてくると防衛態勢を急ぎ、「ご機嫌取り」のため「朝貢」を装い屡々来日した。
 天平宝字二年九月十八日に渤海使の小野朝臣田守らが帰朝し、渤海大使の輔国大将軍・行木ら二十三名を随行した。日本海側に帰着したので越前に滞在し、疫病感染の有無を調べるためニケ月を過ごす。
 帰国十日後に小野田守に従五位上を授け、ほかの随行員六十六人にも位階を授けた。 同年十二月十日、すなわち帰国から七十日後に小野朝臣田守は安禄山の謀反を伝えた。安禄山の挙兵は755年のことだから、なんと三年間、大和朝廷は唐の政変を知らなかったのである。
 ▲安禄山の乱が日本政治にいかなる変化をもたらしたか
 小野田守は次のように上奏した。
 天平勝宝七年の十一月九日に御史太夫兼氾陽節度使の安禄山が蹶起し、自らを大燕聖武皇帝と名乗り、邸宅を潜龍宮と名付けた上、年号を聖武と改元した。安禄山は二十万の兵力を率いて忽ち洛陽を落とした。翌六月に玄宗皇帝は難を避けるために蜀の成都(現在の四川省)へ避難した。
渤海に援軍要請があり、騎兵四万をもって賊徒を平定されたしと懇請された。渤海からだと安禄山の後方を攪乱できる。しかし渤海王は派兵要請を疑い、派兵を見送った。途中から安禄山の反乱に加わったのが史思明だ。だから「安史の乱」とも言う。
 玄宗側の反撃準備が整い、ようやく官軍が乱を平定し、玄宗は長安に戻った。逃亡途中では随行した兵隊たちに不穏の空気が流れたため玄宗は愛妃楊貴妃の自裁を認めざるを得ず、長安に復帰しても嘗ての政治力は失われていた。側近は朝衡(阿部仲麻呂の中国名)だった。
 
 かく上奏した小野田守とて、まだ安禄山が部下に殺害されたという情報を知らなかった。渤海もその後の情報を隠匿したわけではなく長安に派遣した情報員が戻らず実情をつかんでいなかった。
 唐土の異変を知った大和朝廷は太宰府に勅して「安禄山は凶暴なる胡人(ソグド人だが、当時は「胡」と称した)、狡猾である。天命に背いた反乱は必ず失敗するが、寧ろ海東へ兵を進める華もしれず、この緊迫状況を太宰府はよく理解し、たとえ安禄山が来航せずとも防衛を怠るな」とした。
 怡土城築城を任された吉備真備は工事に力を入れ、また京では渤海使の歓待宴が続いた。淳仁天皇はかれらに位階をあたえ、藤原仲麻呂は自邸で宴を催し、賑やかにもてなしたうえ夥しい土産を持たせた。
 この時に大和朝廷を支配した空気は唐が衰弱し、渤海が北から協力して新羅を挟み撃ち出来ないか、今こそチャンスではないかということだった。これは当時権力の頂点にいた藤原仲麻呂の情勢認識に欠陥があったということである。 
 
 ▲むしろ韓国がなぜ外交舵取りを変えたかの背景に謎がある。
 北朝鮮内部で何かが起きている。あるいは静かに秘密裏に中国が北への態度をかえたことを韓国が気づいた。米国からも精度高い情報を得て、日本とは修好する時期だとの判断があった。また従来の反日路線は、北朝鮮が情報操作していた。
 さて岸田首相の訪韓である。
 5月7日、アフリカ四カ国歴訪を終えて帰国したばかりの岸田首相はソウルへ飛んだ。
 ソウルの大統領府で 尹錫悦(ユンソンニョル)大統領と会談し、「元徴用工(旧朝鮮半島出身労働者)」の訴訟問題など日韓両国の課題に向き合い、関係改善を加速させる方針で一致した。
首相は会談で元徴用工問題に関し、「厳しい環境の下で多数の方々が大変苦しい、悲しい思いをされたことに心が痛む思いだ」と述べた。
 日本がこれまでの態度を軟化させたのは財産請求権である。
 1965年の日韓請求権協定で「完全に解決済み」とされたが、つねに韓国が蒸し返してきた。
ところが尹政権となって提示してきた徴用工訴訟問題の解決策で突然活路が開けた。岸田首相は「おわび」「反省」は口にせず、尹大統領も謝罪を求めることはしなかった。
 外務省幹部は「大きな前進。文在寅(ムン・ジェイン)政権では実現しなかっただろう」とする。
韓国大統領は「共通の利益」のために歴史問題と切り離して協力を進めるべきだと言い切った。
(資料編に続く。10分後に配信します)
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774 · 3 months
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『三国志』は三国の内の魏を正統として扱ったが、魏を正統とした類書はほとんどが『魏書』(王沈の著など)など、魏単独の表題としていた。蜀漢や呉の歴史は、あくまで『魏書』の中で語られたのである。これに対し陳寿は表題上は三国を対等に扱い、また本文も『魏書』『呉書』『蜀書』と三国を分けて扱ったところに大きな違いがある。また、元は蜀漢に仕えた人物であったため、敬語の使い方などからも蜀漢を比較的よく扱おうとする姿勢が見える。 『三国志』は私撰だったが、陳寿の死後にはこれを筆写するよう勅命が下り、事実上公認の書物となった。その後唐の太宗の時代に正史と認定された。なお『古国志』・『益州耆旧伝』など、『三国志』以外の彼の著作物は現存していない。
陳寿 - Wikipedia
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trivia-jp · 4 months
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興福寺 奈良の名所
興福寺(こうぶつじ)は、日本の奈良市に位置する仏教寺院で、奈良時代に創建された古刹です。奈良時代の飛鳥時代から奈良時代初期にかけて、聖武天皇の勅願により発願されました。 興福寺は多くの仏教文化財を有し、その中でも特に有名なのは多宝塔(五重塔)です。多宝塔は日本国内に残る最古の木造の五重塔であり、非常に美しい様式と技術を持っています。国宝に指定されており、日本の仏教建築の歴史的な価値を示すものとして重要視されています。 また、興福寺には東大寺の大仏殿で使用されたとされる金剛力士像(こんごうりきしぞう)や、国宝の石造五重塔、薬師如来像などもあり、仏教美術の貴重な遺産が多く保管されています。
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Kofukuji Temple Famous places in Nara
Kofukuji is an ancient Buddhist temple located in Nara City, Japan, and was founded during the Nara period. It was commissioned by Emperor Shomu from the Asuka period to the early Nara period. Kofukuji Temple has many Buddhist cultural properties, the most famous of which is the Tahoto (five-storied pagoda). Tahoto is the oldest remaining wooden five-storied pagoda in Japan, and has an extremely beautiful style and technique. It has been designated as a national treasure and is considered important as a demonstration of the historical value of Japanese Buddhist architecture. In addition, Kofukuji Temple is home to many valuable Buddhist art assets, including the Kongo Rikishi statue that is said to have been used in the Great Buddha Hall of Todaiji Temple, a five-storied stone pagoda that is a national treasure, and a statue of Yakushi Nyorai. .
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mninmt · 4 months
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ロブ=グリエの映画について
いつだったかヌーヴォー・ロマンについて冊子を作ろうと思っているという話を友人から持ち掛けられて、それならロブ=グリエの映画なら観ているからと紹介文を書いたのだが、残念ながらその件はなくなってしまったらしい。せっかく書いた文章なので載せたい。
『不滅の女』 "L'immortelle"(1963)
異国情緒溢れる音楽と叫び声から始まる、その時点で、なんだかこれからすごい映画が観られそうだ!と思わずにはいられない。メーキャップのはっきりとした、目力の強い女性(フランソワーズ・ブリヨン)が、まるで“死んでいる”かのように横たわっている。窓際でじっと外を眺める主人公(ジャック・ドニオル=ヴァルク)は終始、目に光がない。斜めの線が意識されたような完璧な構図と柱のように立っている人々。またその人々の視線を再現するようにゆっくりと横移動するカメラワーク。何度も同じようなシーンが差し込まれるように思えるが、すこしずつどこかが異なっている。ジャンプカットで物語はどんどん進んでいくが、時系列はめちゃくちゃで、今まで観ていたものはいったいなんだったんだろう…?と思わず頭を抱えてしまう。響く虫の鳴き声と、船のエンジンの連続音が不穏な雰囲気をかもしだす。“夢に見たトルコ”で起こしてしまった事故に憑りつかれ、妄想を続けるうちに、主人公は女性と自分を重ねてしまったようだ。終盤、窓にカメラが近づくシーンで、主人公の視線(主観)がはじめてカメラワークによってあらわされ、映画を観ている私たちも主人公と重なり、もうこの物語から引き返せなくなるのだ。
“夢に見たトルコ”…ボイスオーバー「夢に見たトルコで 異邦人のあなたはさまよう 偽の監獄や要塞に デタラメな物語 もう引き返せない 逃げようとしても偽の船しかない」
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『ヨーロッパ横断特急』 "Trans-Europ-Express"(1966)
題名の通り、ヨーロッパ横断特急に乗り込んだ一行は、同じく乗り込んでいたジャン=ルイ・トランティニャン(本人役)を主人公に、ノワールものの映画製作をしようと、脚本をレコーダーに録音している。あらすじはさておき(!)、こんな格好いい映画を作れるんなら、こういうのずっと作ってよ!と思ってしまうほどには、ロブ=グリエ節が他の作品より薄め(といっても拘束趣味は全開)である。前作の『不滅の女』の東方正教会やモスク、脚本した『去年マリエンバートで』での洋館のように、本作においてもそういった、ある種、荘厳なロケーションでのシーンはお得意であるものの、匿ってくれるギャルソン(ジェラール・パラプラ)の部屋の窓や、パリ東駅というロケーションは、少年らしさ(また少年たちの憧れる格好よさ)を感じられて楽しい。ラストのチャーミングさも必見。
以下余談ーー。
昔は一番つまんないよ~と思っていた作品であったものの今は一番面白いと思えて、当時ロブ=グリエの映画作品の物語の大半を、わけが分からないまま、だけれど映像のアバンギャルドさやエロティックな雰囲気を楽しんでいたものを改めて観て、しつこいくらいに趣味嗜好を提示され、こんなんばっかやな…と思っていた時に、本作はその"ロブ=グリエ節"が抑えられていて、より一層のこと面白く観たのだった。
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『嘘をつく男』 "L'homme qui ment"(1968)
同時期の日本には、勅使河原宏が阿部公房の小説を映画化したものがいくつかある。それらの音楽(ほぼ効果音といってもよい)は現代作曲家の武満徹が担当しており、非常に特徴的なものとなっているが、ロブ=グリエの作品の多くもミシェル・ファノという作曲家が担当していて、その音響効果が非常に絶大なものになっているという点で、勅使河原の作品たちを思い起こされた。また酒場のシーンで、客達がカメラ目線で次々と話す様子は、ドライヤーの『裁かるゝジャンヌ』を彷彿とさせ、常連の集まるただの酒場が裁判所にでもなったかのように、観ているこちらを緊張させる。そして女性をオブジェクトとしてしか扱わない、(ロブ=グリエの)大好きな目隠し遊びのシーンの長いこと長いこと…。
本作品は主人公(ジャン=ルイ・トランティニャン)の語りで映画が進ん���いくので、他の作品よりも物語がわかりやすくはあるのだが、タイトル通り“噓をつく男”の語りであるので、わかったところで…という気持ちにはなってしまう。村の英雄ジャン・ロバン(Ivan Mistrík)の親友ボリス・ヴァリサだと彼は名乗るが、誰も信じちゃいないし、映画の途中でボリスの名の書かれた墓が写っていたり、知っているはずの医者に、初めましてと言ったりする始末。噓をつきながら多くを語るこの男が、結局のところ何者なのかはまったく明かされず、最初のシーンへ戻るこの無理矢理な円環構造に驚くだろう。
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『エデン、その後』 "L'Eden et après"(1971)
始まった瞬間から赤青白…とゴダールの『メイド・イン・USA』や、小津の『お早よう』のように、色彩による主張が眩しい。主人公のヴィオレット(カトリーヌ・ジュールダン)のファッションが絶妙で、白シャツに黒のセーター、プリーツのミニスカートは赤を選びたくなりそうなところを青に。それと黒のロングブーツを履きこなしており、非常に可愛く参考にしたいのだが、ペイズリーのサテンワンピースは、それで街歩くの!?とびっくりするくらい短い。下着の赤い色にも、この作品の色のこだわりを感じるほどだ。そして、ギャルソンでさえも迷いそうな、モンドリアンルックで、幾何学的な雰囲気のカフェ、エデン。ヴィオレットたち演劇サークルはここをたまり場にしており、センセーショナルだが、ほぼお遊びのような演技をして暇をつぶしている。もしこんなお洒落な(可笑しな)コンセプトのカフェがあるのなら(襖みたいに壁が稼働したり、鏡張りだったり)、絶対にくつろげる雰囲気ではないので、演劇を試みるにはもってこいの場所だろうから、たまり場になるのもわかる。中盤の巨大工場のシーンも含め、観ているうちに『エデン、その後』“ごっこ”がしたくなっていく(!)。
一体、どこからどこまでが彼らの妄想で、演劇の設定で、“幻覚”なのか“現実”なのか、果たして謎の男Duchemin(ピエール・ジマー)の生死は?作中の「エデンとその客達がそう見せかけているのか」という言葉通り、あれさっきみたような…というシーンやモチーフが回収されていきラストに繋がる、ミステリー/ドラッグ/トリップムービー!
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『快楽の漸進的横滑り』 "Glissements progressifs du plaisir"(1974)
快楽の漸進的横滑り(ぜんしんてきよこすべり)。いちばん口に出して言いたい邦題。当時はこの邦題の意味の分からなさと単語そのものが魅力的で、早く観たくて仕方がなかったものの、年代の古い順に観るくせがあり、わざと後回しに、5作品目でやっと観たとき、初っ端からロブ=グリエの大好きなモチーフたちがたたみかけられ、興奮したのを覚えている。今回改めて観ると、その露骨さには思わず笑ってしまった。“主題は割れた瓶”だという始末。他の作品にも再三使用されている、登場人物たちがカメラ目線で正面を向き、首を横に振ったのち、また正面を向くといったようなカットの他に、本作には手による表現も追加されており、その点は目新しさを感じるし、アーティスティックな画面作りには、よっ!真骨頂!と言いたくなるが、正直なところ、こんなのレズビアンもの好きの変態の妄想じゃん…!とうんざりしてしまうこともしばしば。神父(ジャン・マルタン)が気持ち悪すぎて泣けてくる。ミシェル・ロンズデール(判事)の十八番とも言える呻き声(あるいは叫び声)をあげる長回しや、みんな大好きジャン=ルイ・トランティニャン(刑事)のどんな役でもこなしている様子は見もの。“類似・繰り返し・置き換え・模倣”、とロブ=グリエの手法が抜群にきいた官能アート作品が観たい気分のときにおすすめしたい。
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『危険な戯れ』 "Le Jeu avec le feu"(1975)
美しい娘カロリナ(アニセー・アルヴィナ)との近親相姦的妄想を繰り広げながら語る父や、娼館に来る様々な客の役をこなすフィリップ・ノワレの気持ち悪さたるや…!娘のみた、いくつかの悪夢の中の一つである、太った男に身体を洗われる夢、もはや恐怖である。出演女優たちは惜しげもなく服を脱いでいくのだが、それぞれの身体すべてがマネキン人形のように(腰から脚にかけてのラインや胸の大きさなどが)似通っていて、ロブ=グリエは、フェリーニのそれとはまったく違った美学で女性を見ていることが感じられる。
女たちの名前の書かれた寝室のドアを開けるたびに繰り広げられる、異色なプレイの数々には思わずカロリナもあんぐり。アニセー・アルヴィナのあの口元の緩さ加減はそれとして魅力的である。コメディタッチなシーンも多く楽しいし、広い館のたくさんのドアをすべて開けてみせてくれる、ゲーム脳的思考の持ち主(RPGではアイテム入手のために、部屋という部屋すべてを確認しないと気が済まないたち)には嬉しい映画。
『囚われの美女』 "La Belle Captive"(1983)
ルネ・マグリットの同名作品『囚われの美女』を含む作品群に着想を得つつ、ロブ=グリエの好きなモチーフやテーマがたくさん組み込まれている本作品を観ていると、ロブ=グリエって本当にこういうの好きだね…!と思わざるを得ない。割れたガラスと赤い血(のような液体)や、拘束された女性が横たわる姿は必ずといっていいほど出てくる、もはやそれらを待ち望んでさえいる。
主人公のヴァルテル(ダニエル・メスギッシュ)が、聴く音楽といえば、シューベルトの『死と乙女』か“とらわれの女”だと言うのだが、劇中に流れている曲は弦楽四重奏曲第15番で、『死と乙女』と呼ばれている曲(弦楽四重奏曲第14番)とは異なるし、“とらわれの女”という曲も実在しない(弦楽四重奏曲第15番が“とらわれの女”と呼ばれているといった話も聞いたことがない)。また『囚われの女』といえばプルーストの『失われた時を求めて』の第5篇だが、これも劇中でプルーストの名前は出されるものの、この文学作品を映画化したというわけでもない。アケルマンにも『囚われの女』という作品(これはプルーストに関連する)があるが、この劇中でも、シューベルトの楽曲が使用される。こうして“囚われる”という言葉になんらかの様々な事柄を想起し、この物語にアプローチしていこうとする自分もロブ=グリエに“囚われ”てしまっていることには間違いない…。
毎度のことながら、ラストに向けて畳み掛けるように、幾重にもかさなった構造が明かされていくのだが、この題名の通り“囚われて”いるのは美女なのだろうか?とまたしても思考が止まらない。ロブ=グリエのフェティシズムに、心霊と夢と退廃的な世界観が足され、繰り返し���み込まれる象徴的な映像にドキ!とさせられながら楽しめる作品だ。
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kennak · 11 months
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ぼくは当時、ミンハと同い歳の#崔在銀{チェ・ジェウン}が勅使河原宏のもとでアジア的な芽吹きをインスタレーションしていたこと、ミンハよりは少し若いけれどもニューヨークでメディアアートに旋風をおこして去っていった三上晴子が深い閃鋭性を発揮していたこととともに、ミンハを見ていたものだ。そこにはときにアフリカの土を焼いていた小川待子の陶芸作品が交差し、山口小夜子の脱エスニック・モードの主張などが美しい戦車のように横断していた。けれどもそこには何かが足りない。荒木経惟(1105夜)やロバート・メイプルソープ(318夜)やシンディ・シャーマンがいないのだ。  そのうち石内都や長島有里枝の写真群に出会った。ネイチャー・マザ―がアートに汲み出し、日本海が東アジアと欧米のマザーズを引き取りはじめたのである。石内と長島の写真はどこかで是非見られるといい。背骨がピンとする。  3・11をさかいに、ミンハは日本にも接近した。近松や俳諧を理解し、《四次元》という日本文化をめぐるドキュメンタリーも撮っている。この活動がどういうものになっていくのか、ぼくはまだ見定めていないのだが、ここから先は日本のアーティストやポッププレイヤーの出番なのではないかと思っている。とくに勇気のある映像作家たちが、日本のトランスジェンダーたちにひそむ「日本のエスニシティ」を抉ってほしいと思う。
1826夜 『女性・ネイティヴ・他者』 トリン・T・ミンハ − 松岡正剛の千夜千冊
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darksouljellyfish · 5 months
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教育勅語に反対するならこうあれ
親孝行はするな。オイディプスの如く生きて自ら目を潰して国外追放されろ。
シブリサイド上等。カツオドリを見慣らえ。競合する兄弟を打倒し、親と言うリソースを独占しろ。
夫婦は仲良くするな。相手が服従するまでいじめ抜き支配下に置け。他所の配偶者を寝取ったり愛人を侍らせるのが良い。
友人は見せ掛けの信頼を構築した後で、奪えるだけ奪ってから裏切ろう。
天上天下唯我独尊の精神で、傍若無人に振る舞おう。
人に情けをかけるのはやめよう。他人に厳しく自分に甘くをモットーに。
学問をして余計な知恵をつけなくてもできる仕事は沢山有る。低賃金で機械やAIに置き換えられていく仕事だと言われていても、実際にそれが置き換えられていくのはもっと先かも知れないし、置き換えられてから別の仕事をすれば良い。
公共の利益になることを進んでやってはならない。金を貰わぬなら小指一本動かすな。税金を取られてるんだから、公共の利益になることは行政がやるべきなのだ。
法律は守らなくて良い。政治家だって守ってないやつがいるんだから、一国民が全ての法律を守ったって意味が無い。法律というのは嫌いな奴を訴えるときだけ有効に活用するべきものだ。
戦争になったら尻をまくって一目散にトンズラしよう。命あっての物種だ。亡命先で使えるように財産は純金やビットコインにしておくのが安全だ。
あー。確かに自分では努力せず、福祉の充実とかを要求して自分だけフリーライダーでありたい方面の人達にとっては、教育勅語みたいな皆で頑張ろうみたいな精神は反するのか。
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