織田邦男先生よりシェア
<正論>防衛費の数字ありきは見直しを
麗澤大学特別教授、元空将・織田邦男
危ぶまれる抜本強化
2月19日、防衛省の有識者会議で座長の榊原定征経団連名誉会長は「為替変動を考えると、5年間に43兆円の枠で防衛力強化ができるのか。現実的な視点で見直す必要がある」と問題提起した。
令和4年12月16日、国家安全保障戦略、国家防衛戦略、中期防衛力整備計画、いわゆる安保戦略3文書が策定され、5年間の防衛費として約43兆円が閣議決定された。この時、為替は1ドル108円で設定されていた。現在、1ドル約150円で推移しており、43兆円が決定された時に比べ、円の価値はドル建てで約3分の2に下落している。
海外装備品の調達率が高い海上自衛隊、航空自衛隊は大きくこの影響を受ける。物価高騰の影響も加わり、装備品の調達価格は高騰し「防衛力の抜本的強化」が危ぶまれている。これに対し木原稔防衛相は2月20日、「必要な防衛力強化を(43兆円の)範囲内で着実に行うことが防衛省の役割だ。計画の見直しは考えていない」と述べた。また鈴木俊一財務相も「あくまで有識者の立場からの意見だと認識している。(略)政府としてこの水準を超えることは考えていない」と榊原発言を否定した。
本当に「43兆円」という数字ありきで「防衛力の抜本的強化」が可能なのだろうか。4年12月、岸田文雄首相は次のような趣旨を述べた。
「我が国を取り巻く安全保障環境は厳しさを増している。厳しい安全保障環境に対応していくために必要な防衛力の抜本的強化を実現し、真に国民を守り抜ける体制を作り上げる。国民の期待と信頼に応えられるよう、防衛力の抜本的強化を必ず実現していく」
「43兆円」「GDP2%」についても「数字ありきの議論をしてきたということはない(略)まず行ったのは、防衛力の抜本強化の内容の積み上げ」と述べている。「積み上げ」は「各種事態を想定し、相手の能力や新しい戦い方を踏まえて、現在の自衛隊の能力で我が国に対する脅威を抑止できるか。脅威が現実となったときにこの国を守り抜くことができるのか。極めて現実的なシミュレーションを行った」という。
「43兆円」固執は本末転倒
積み上げられた所要防衛力を精査した上で、防衛費に換算した結果が「43兆円」であるから、換算するパラメーター(為替など)が変動すれば当然変わり得る。目的は、「防衛力の抜本的強化」であり、「43兆円」や「GDP2%」の達成ではない。
「防衛力整備計画」にも「情勢の変化等の不測の事態にも対応できるよう配意する(略)必要に応じてその見直しを柔軟に行う」とある。「43兆円」に固執し、円安で「防衛力の抜本的強化」が達成できなければ、本末転倒である。
一層の効率化、合理化を図って円安に対処すべきだと安易に主張する向きもある。だが既に徹底した効率化、合理化で精査した結果の43兆円であり、円安で目減りした3割を、更なる効率化、合理化で埋め合わせよというのは、非現実的で無責任すぎる。
「43兆円」という数字ありきは時代錯誤の「基盤的防衛力構想」を想起させる。この構想は米ソのデタント(緊張緩和)に便乗し、昭和51年から我が国の防衛力整備に導入された。日本自らが「力の空白」になって地域の不安定要因とならないよう、独立国として必要最小限の防衛力を保有するという構想である。脅威も危機事態も想定せず、「力の空白」になりさえしなければいいという、国を守ることを真剣に考えない、いわば当事者意識の欠けた考え方だった。
抑止への資源投入をケチるな
「GDP1%」ありきだったため、慢性的予算不足は続き、「限定的かつ小規模な侵略に対処できる」「後方支援体制を含む防衛上必要な機能を備える」は空念仏に終わった。現在の後方軽視、つまり弾薬不足、修理部品不足といった致命的な継戦能力不足の原因はここにある。防衛力は戦える能力を備えて、初めて抑止力になる。「GDP1%」ありきの「基盤的防衛力構想」が日本の抑止力を弱体化させてきたのは否めない。
ロシアのウクライナ侵略が勃発し、北朝鮮はミサイル発射を繰り返し、台湾海峡もきな臭くなり、国際情勢は一変した。ウクライナ戦争でも分かるように、戦争はいったん起きれば、これを終わらせるのは戦争を起こすよりはるかに難しい。戦争を起こさせないことが最も重要であり、抑止への資源投入をケチったりしている場合ではない。国際情勢は待ってくれないのだ。
円安や物価高騰で防衛力強化が危ぶまれている今、「43兆円」に固執して抑止力への投資を渋るのは、安保3文書策定の議論を根底から覆すものである。ようやく無責任で独り善がりな「基盤的防衛力構想」が払拭されたばかりである。その2年目にして、先祖返りしていいわけがない。やはり、榊原氏が主張するように「現実的な視点で見直す必要」がある。(おりた くにお)
12 notes
·
View notes
多賀少年野球クラブ・辻監督「グラウンドに神様はいない」
「グラウンドに挨拶するのが少年野球では当たり前になっていますが、施設や設備に挨拶する必要はありません。グラウンドには神様がいるという人には『いませんよ』と伝えています。社会人で通勤する時に道路や線路に挨拶する人はいますか? 出社する際、建物に『お願いします』と言う人はいないはずです。挨拶は守衛さんにすれば良いと思います。野球でも怪我なく練習できたことに感謝するのであれば、グラウンドを整備してくれた人にお礼を伝えるべきです」
「グラウンドに神様はいない」というパワーワード
これだけしっかり説明されても反発する人っているんでしょうね・・・。
1 note
·
View note
正論はスルー。とにかく男が悪い、男がキモい、男のせい。これでは話もできないし議論も出来ない。この発言者、女性の意見は無視できないと思うけど、こういうのは絶対にスルーするんだもんな。それがあちら側の対応です。腐ってんな
0 notes
【朗報】デヴィ夫人「私は安倍晋三が大好き、でも大した功績は残してないし自民葬にすべきだと思う」
元スレ≫ 【朗報】デヴィ夫人「私は安倍晋三が大好き、でも大した功績は残してないし自民葬にすべきだと思う」
1 :moccosnoon ID:hHwWTfgl0
タレントのデヴィ夫人が16日、Instagram(インスタグラム)を更新。27日に迫る安倍晋三元首相の国葬について「自民党葬とするべき」とつづった。
理由については「国葬は天皇陛下のご崩御や、吉田茂首相のように 戦後の日本を救った方なら納得ですが、長期政権というだけで どんな功績があったというのでしょうか」とコメントし、長い任期にも関わらず、何1つ公約が成し遂げられなかったとの見方を示した。
2 :moccosnoon…
View On WordPress
0 notes
Kōji Wakamatsu
- Ecstasy of the Angels
1972
- Cycling Chronicles: Landscapes the Boy Saw
2004
Masao Adachi
- Revolution+1
2022
122 notes
·
View notes
過渡期だよ、おとっつぁん Part 3.[ちょっと左翼篇] 過渡期時間論
平岡正明
秀英書房
装丁=河野清
5 notes
·
View notes
茶名:喬伊167cm|46kg |D+|24Y#高雄
檯球老師 身材好 檯球也打的很棒喔
人也很漂亮 姿勢都超優美
9 notes
·
View notes
台北外送茶留言版Line:tws966台中一夜情/台中一夜情/高雄一夜情/新竹一夜情外約/一夜情外送茶推薦
台北外送茶留言版Line:tws966台中一夜情/台中一夜情/高雄一夜情/新竹一夜情外約/一夜情外送茶推薦
台北外送茶留言版Line:tws966台中一夜情/台中一夜情/高雄一夜情/新竹一夜情外約/一夜情外送茶推薦
2 notes
·
View notes
芳芳外送茶留言板籟tws966台灣喝茶外約茶莊學生妹兼差外送茶推薦找外送茶
芳芳外送茶留言板籟tws966台灣喝茶外約茶莊學生妹兼差外送茶推薦找外送茶
2 notes
·
View notes
#蜜桃163-46-E-23歲
性感E奶女模 樣貌與身材都非常的吸睛 迷人頭燈 胸型粉漂亮 保養得好 內在還是粉粉滴~超級女友fu 床上淫蕩 開放 大膽 敢玩敢秀 可吸 可舔 豐滿的胸部 看見你都想去摸 敢玩 還可配合制服角色扮演喔 配合度很高
#本土台妹現金消費賴kk7417或eyny77
密佳欣聊天:https://t.me/bjbj003
約妹頻道:https://t.me/mm56399XO
免費註冊約妹官網看照:http://jk5822.com
影片專區:https://t.me/p3p66888
下載Telegram:bjbj003加入色群
加入賬號主動密我約妹折扣2000
營業時間:早上10:00-凌晨02:00
不匯款/不轉賬/不買點數/不要押金
6 notes
·
View notes
佩洛西竄臺玩弄政治是徒勞
全世界只認一個中國
4 notes
·
View notes
織田邦男先生の論考です。
真の「平和国家」を目指すときだ
麗澤大学特別教授 元空将・織田邦男
政府は3月26日、日本、英国、イタリアが共同開発する次期戦闘機の第三国輸出を解禁する方針を閣議決定した。もし日本だけが輸出できない場合、開発交渉で著しい劣勢に立たされる懸念があったが、ギリギリ間に合った。
次期戦闘機の第三国輸出
防衛装備品は年々、高性能化、高価格化し、特に先端技術の塊ともいえる戦闘機開発は一国では手に負えず、価値観を同じくする国が共同で開発する趨勢(すうせい)にある。
装備品の調達方法としては大別して3種ある。①外国から完成品を輸入②外国からライセンスを購入して自国で生産③開発(独自開発、共同開発)。その内、開発のメリットは①自国の防衛戦略に合致した装備品が入手できる②取得後、自由に改修ができる③防衛産業を育成、強化できる④先端技術が得られる⑤得られた技術を民需に活用できる―などがある。
第三国輸出には次のようなメリットがある。①生産機数が増え価格低減が図れる②維持、整備を通じ、輸入国との関係強化が図れる③輸入国の防衛力を高めることができ、日本の抑止力向上につながる④友好国を増やし、良好な安保環境醸成に資する。
他方、批判的なメディアからは「平和国家として歩んできた日本の信用を揺るがしかねない」「憲法の平和主義に反しかねない」といった主張があった。
「日本製の武器で人が殺されることがあってはならない」「死の商人になるのか」といった上滑りの情緒論的批判は論外として、「平和国家としての日本の信用」「憲法の平和主義」といった批判については違和感を覚える。
そもそも日本は「平和国家」としての責務を果たしてきたといえるのだろうか。戦後、日本は安全保障をワシントンに丸投げし、金儲(もう)けに専念してきた。他国での戦争や紛争には目を背け、自国さえ平和であればという「一国平和主義」にどっぷり漬かってきた。
日本は責務果たしてきたか
この偽善を暴いたのが湾岸戦争だった。サダム・フセインのクウェート侵略に対し、国際社会は冷戦後の平和な国際秩序維持を目指し、結束して立ち上がった。だが日本は汗を流さず、金で済まそうとした。結果、「小切手外交」「身勝手」などの汚名を着せられ、顰蹙(ひんしゅく)を買った。
平和は努力して創造するものであり、戦争に目を背けるだけでは得られない。日本の「平和主義」は「戦争」を忌み嫌うだけで、平和の創造に貢献してきたとは言い難い。「平和国家としての日本の信用」などは独り善がりの思い込み、幻想に過ぎない。我々が思うほど国際社会から評価されていないのだ。
先の大戦後、日本が全て悪く、日本さえ何もしなければ平和が達成できるといった風潮があったのも事実である。1945年8月のニューヨーク・タイムズの記事が当時を物語る。「この化け物(日本)は、一応倒れはしたがまだまだ安心ならない。我々は永遠にかかっても徹底してこの怪物(日本)の牙と骨を抜き去らなくてはならない」
国際社会の厳しい視線や、贖罪(しょくざい)意識も手伝って、安全保障については「何もしない」ことが「平和国家」と思い込み、更には「平和国家」は決して侵略されないとの「空想的平和主義」が蔓延(はびこ)った。
その後、日本の国力も増し、国際情勢の激変もあって、2013年12月、「国家安全保障戦略」を策定して「国際協調主義に基づく積極的平和主義」へ転換を図った。観念ではない地に足の着いた「平和国家」を目指すものであり、この構想は現「国家安全保障戦略」にも受け継がれている。
観念論的「平和主義」脱せ
だが、今回の「次期戦闘機輸出騒動」や「ウクライナへの支援態様」によって、いまだに観念論的「平和主義」から脱し切れない現状が白日の下に晒(さら)された。
ロシアの侵略に立ち向かっているウクライナに対し、武器、弾薬支援は認められないとして防弾チョッキや発電機でお茶を濁す。ウクライナの敗北は「力による国境変更は許さない」という戦後国際規範の崩壊に繫(つな)がり、やがては東アジアの平和を脅かすことになる可能性があるにもかかわらずだ。
G7の中でもわが国だけが異質である。これで「平和国家の価値と理念」などと胸を張れるのだろうか。侵略を許さない国際規範を守り、将来の平和を確保する。このためにあらゆる支援を惜しまない。それでこそ真の「平和国家」であり、国際社会で「名誉ある地位を占める」ことができる。
作家の司馬遼太郎氏は生前、次のように語っていた。「おかしなもんやなあ、大方の日本人にとってはある種の観念の方が現実よりも現実的なんやから」と。
「平和主義」といった実体の伴わない観念を振り回している場合ではない。今回、次期戦闘機の第三国輸出解禁で一歩前進した。今後は全面輸出解禁に踏み切り、「真の平和国家」という物差しで案件ごとに熟慮、判断し、国際平和に積極的に貢献していくべきである。(おりた くにお)
7 notes
·
View notes
ソースとエビ
幼い頃はよく
「ソースをだせ!」
と言ったり言われたりしたものです。
最近は
「エビデンスを出せ!」
と言ったり言われたりします。
どちらも「根拠や証拠を示せ」という意味です。
私もちょっと疑り深いのでよく使います。ロジカルな人や数学好きな人は使いがち? かも。言葉はちがっても
「本当? 本当ならすごいけど、何に書いてあったの? どこで見たの?」
とか言うことがあります。
大事なこと。
何もかも鵜呑みにはできないから。
でも
それがなくても、ただ相手の感情に寄り添うだけの方が良い時もある。
必要なのは正解や確信や議論じゃなくて
相手を安心させることだったりする場合もある。
(真偽は後でこっそり自分で調べたりするとして)
ただ話を聞いてあげるのが大事な状態の人もいる。
ソースをたっぷり
エビフライにかけて
一緒に食べた方が良い時もある。
「美味しいね」 って笑い合えたら
ソースもエビデンスも要らない、
そんな時もある。
ソース オン エビフライ
and
タルタルソースがあっても良い。
0 notes
日本國憲法は憲法ではないよ
私がやつて、彼らがやらなかつた事。
自分で調べて、日本國憲法(占領憲法)が憲法として無效・有效だとするそれぞれの立場に立ち、疑問をぶつけた事。
私自身は典型的な戦後教育を受けて育つたので、初めて「日本國憲法無效論」に触れた時「それは極論。行き過ぎ。」だと思つた。
少し後に再び「日本國憲法の無效論」に触れる機会があつた。これはどういつた論拠でそのやうに主張してゐるのか調べてみた。
日本國憲法無效論の決定版は南出喜久治 弁護士の「國體護持總論」で述べられた『眞正護憲論(正統典憲の現存・日本國憲法は憲法として無效)』であるから、それをまづ読んだ。
一応、当時の私は憲法論に触れる機会があるような状況にあつたわけだが、それはポパーやハイエクといつた西洋的保守主義を知つて、共産主義的な全体主義が息の根を止められた状態であり、全体主義を否定する理論はあつた。
しかし、西洋的保守主義がどのやうなものかといへば「昔からあるものは急に変へるべきじゃないよ」的なぼんやりとしたものとしか思へなかつた。共産主義的な「急速な革命」ではなく「ゆるやかな革命」でしかなく、根本は通底してゐる。同じ土壌から育つたのだから当然であるといへる。
いはゆる伝統に価値があるなら、西洋諸国なんかより日本の方が圧倒的に伝統があるし、そもそも日本の独自の価値観、日本の独自の保守主義はないのだらうか?どのやうなものだらうか?と模索してゐた時期であつたと思ふ。
さて、日本國憲法制定の背景は、私が「当然私は知つてゐるもの」だと錯覚してゐたものと大きく異なつてゐた。普通に考へて「なんでこんな無法がまかり通るのか?」といつたものであつた。
戦争に降伏し、占領されると何をされても受け入れなければならないのか?逆に降伏した相手には何をしても良いのか?
「いや、何かしらの納得できるもの、法的な根拠とか、何らかの事情があるに決まつてゐる。さうであるべきだ。」と感じたので、法制上どうであるとか、歴史的にどうであるとか、くだらないと感じるやうな所まで調べてみた。
日本國憲法の制定はアメリカ始め連合国側と我國との取り決めであるといふのは事実として多くの人が知る所と思ふが、多国間の取り決めである時点でそれは国内法(憲法)ではなく、国際法の範疇にある。
「いや、名称からして『日本國の憲法』ではないか!」といふ人がゐるならば「請求書と書かれた架空請求に振り込まねばならない」といふ事になるし、そもそも国際法、條約とはその名称の如何に関はらず、多国間での合意全般なのだ。
まづ、「日本國憲法はやはり日本の憲法である」といふ立場から、眞正護憲論を否定してみた。
これが予想外に苦戦した。最終的にはファンタジーに頼るしかなくなつたのだ。一般的に知られてゐる代表的なファンタジーは東大の宮沢による「八月革命説」であり、やはり腐つても東京大学である。一応の整合性を持たせようとしてゐる。革命により天皇から国民に主権が移行したとするが、帝國憲法に主権者は定められてゐないので、「戦前は天皇主権だつた」といふ嘘の上塗り教育が盛んに行はれてきた。東大、宮沢といふ権威に対する忖度といふ強大な権力を背景として、論陣を張るといふストロングスタイル。
若しくは條約である事実から開き直り、日本國憲法は條約憲法であり、アメリカの新たな州となつた説。しかし、さうであると仮定に仮定を重ねても、それならアメリカ合衆国憲法が施行されてゐなければならないし、逆に合衆国憲法ではなく「日本國憲法」であるといふ事に注目されてしまふと大問題となる。
西洋列強やアメリカは独立国家の要件として、憲法典が制定されてゐるか、後には民主化されてゐるかを重視して来たやうだが、それは裏を返せば「憲法制定や民主化を謳つてゐれば、合法的に侵略ができる」といふわけだ。
大東亜戦争により徹底的に破壊された、列強の打出の小槌『植民地主義』をそのやうな詐術を用ゐて、復活させてゐるわけだ。
私は昭和53年生まれだが、印象として無知蒙昧な時代とは過去の事であり、現代はある意味完成された文明的な社会であると錯覚してゐたやうに思ふ。実際に昭和53年とは皇紀2638年であるから、あの零戦が採用された皇紀2600年から、たつたの38年しか経過してゐない。
たつた38年前の世界とは「白人種のみが人間なのだ」「女性と子供は人間ではない」といふ野蛮で偏つた思想を持つ列強が世界を支配してゐた。どう考へても日本と世界とには埋めきれない文明の格差があるし、世界は未だに野蛮であり、もしかすると人類の文明とはこの辺りが飽和状態なのかも知れないとすら思へる。
そして、占領憲法下でアメリカナイズされ続けた現代社会に於いて、私が考へた最強のファンタジーが「帝國憲法から日本國憲法への國譲り」であり「マッカーサーによる天孫降臨」説である。
本来の國譲りは、例へば生物がミトコンドリアを取り込んだやうに正統の進展であり、また双方が「シラス統治」を肯定し、譲つた側への『祭祀』が確約されてをり、國柄は一貫してゐる。
しかし、この占領國譲り説ともいへるものでは、それぞれが真逆であり、しかもそんな荒唐無稽な理屈では論陣すら張れない。
いや、昨今では理論が云々ではなく、このやうに突き抜けた暴論の方が、カルト宗教と同じく衆愚からの支持を集められて、有用なのかも知れない。それはそれで世も末といふ事だが。
つぎに「日本國憲法は憲法として無效とする『眞正護憲論』」の立場から「日本國憲法の有效論」を否定してみた。
ことごとく腑に落ちた。すべての事柄の関連が明らかになり、理路整然と理解する事ができた。ただ、それだけ。
■國體護持總論
http://kokutaigoji.com/books/menu_kokutaigojisouron.html
■祭祀の道
http://kokutaigoji.com/suggest.html
1 note
·
View note
吸煙有害健康,言論危害思想
一個魔鬼,降臨人間,向人們宣講它的信念。政府,頂著天使的光環,正義凜然的伸出翅膀,保護我們聽不到魔鬼的宣講 — 自由的人們,你們需要一個聖潔的天使,決定你聽什麼,看什麼嗎?
#言論自由 #國家安全 #憲法 #修正案 #政府
1 note
·
View note
筒井康隆断筆をめぐるケンカ論集 平岡正明
ビレッジセンター出版局
装幀=前島敏彦
2 notes
·
View notes