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#麦焦がし餡
jekyllandhyde1965 · 1 year
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鋏の細工が綺麗な練り切りの餡は麦焦がし餡だそうですが、正直な処、麦焦がし感は感じられませんでした。麦焦がしが大好きだっただけに残念でした。
千葉の楓の野菊です。
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bakinginstruction · 9 days
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aizumin · 1 year
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今朝のごはん。
塩昆布入り豆ごはん、梅なめ茸餡かけ厚揚げ、ノビルと春雨の和え物、のらぼうと豆もやしとわかめのお味噌汁。
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今朝の料理のうち、梅なめ茸とのびると春雨の和え物は、昨日のうちに作っておいたので、そこそこ楽勝でした💪何せ厚揚げを魚焼きグリルで炙りつつ、お味噌汁と水溶き片栗粉を加えた梅なめ茸を同時に温めればいいだけでしたから😊🎶
梅なめ茸餡かけの厚揚げは、実は梅なめ茸を作る時にちょっと目を離してたら鍋ごと焦がしてしまったので味に不安が……😥
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醤油の焦げが鍋に貼り付いてしまっていたし、これはもうアウトかな😰と思っていましたが、奇跡的に無問題でした。むしろいい感じに梅干しの酸味がほんのり付いて、ちょうど良い塩梅。えのき茸はこれで最後だったので、命拾いしたなと💦💦
ノビルと春雨の和え物は、火曜日にBSプレミアムで再放送していたやまと尼寺精進日記で紹介されていたものをアレンジ。
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放送では中華風サラダにしておられましたが、こちらは七味唐辛子を隠し味に、だし醤油、みりんで甘辛く仕上げました。あときくらげも少しだけ残っていたので、ついでに刻んで追加。椎茸の煮付けは市販品で。
ちょうどいまを盛りと花壇にのびるが生えまくっているので、太めのものを選んで引っこ抜いて作りました。あと1回分残してありますが、白和えにしても美味しいと思うので、明後日あたりリメイクするつもりです🤤絹ごし豆腐を買って来ないと!!
🍚は🍙ではなくそのまま丼によそってます。節分用に購入した大豆の残りもこれで最後。でも昆布がまだかなりあるから、炒り大豆買ってこようかな。
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炊く時に調味料を何も入れなかったし刻み昆布も少なかったから、塩昆布を足しました。それともち麦といりごまもプラス。旨味充分の🍚最高です💕
お味噌汁の具は、のらぼうと味付きもやしとわかめ。先日もお味噌汁の具にした謎の野菜ですが、今日八百屋さんであっさり正体が判明しました。
のらぼうです。あぁ、スッキリした!!
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わかめを少なめにしたつもりだったんですが、やっぱりメインののらぼうより主張が激しいな😅のらぼうだけだとちょっと寂しいかなと思って(油揚げは、主菜に厚揚げを使っているので選択肢から外してあります)、思い付いたのがわかめだったのになぁ。これでも結構のらぼうは多めにしたんですよ。豆もやしが良いアクセントになりました。
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geniusbeach · 4 years
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絶望のパレード
 魂がうわついている。まるで自分が自分でないみたいだ。ここしばらく意識は常に前方斜め下で、歩いているのは抜け殻か尻尾のようなものである。いつから、そしてなぜそのようになってしまったのだろうか。正月にかこつけて内省的になってみる。
 昨年の初めに私家版詩集を刊行した。それまでに書き溜めた僅かな詩編を、2人の詩人と編集者、美術家とともに共著の形でまとめた。処女詩集にして全集のようなおもむきがあるけれども、自分としてはそれでよい。稲垣足穂風に言うなら、以降に自分が書くものはその注釈かバリエーションに過ぎないということだ。共著者と編集者が営業に奔走してくれ、関西の大型書店のみならず、関東の書店にも置いてもらうことができた。ありがたいことに帯には人類学者の金子遊氏が一文を寄せてくださった。個人的には、自分の高校時代からの読書遍歴を決定づけた恵文社一乗寺店に置いてもらえたこと、そしてそこで一度品切れになったことが大変嬉しかった。これで一地方のマイナーポエットになることができたという感じがある。それ以上は望まないが、この営みは細々と続けていくつもりだ。
 詩集に関するあれこれが落ち着いてからは、英語の学習に明け暮れた。一昨年は仕事で繁忙を極めており、勉強どころか読書も満足にできなかったため、それを取り戻すように必死にやった。おかげで昨年度中の目標としていた点数を一発で大きく上回ることができ、すぐに違う分野へ手を出した。次はフランス語であった。気合を入れて5000円もする参考書を買い、基礎からやり直していった。ところがその参考書、誤植があまりにも多く、解説も非常に不親切で、ページをめくるのが億劫になり早々にやる気を失ってしまった。なんとも情けない話である。新しい参考書を買う気もなくなり、漢字の勉強へシフトしたところ、こちらはうまくいった。徐々に、平日はカフェで、週末は図書館で勉強するスタイルが出来上がっていった。その間も読書は続け、昨年で40~50冊程度は読むことができた。
 秋ごろには面白い出会いがあった。実存的な不安が高まったこともあり、有休を取って哲学の道を散歩していたところ、海外からの観光客に、掛かっている看板の意味を聞かれた。訛りのある英語だったため、フランス人ですか? と問うと、そうだとの答え。自分がわずかばかりフランス語が話せるとわかって意気投合し、3日間観光ガイドのようなことをした。彼の名はムッシュー・F、ひとりで日本にバカンスに来て、東京でラグビーの試合を見たりしたとのこと。七十を超える高齢だが、つい最近まで自分もラグビーをしていたと話すエネルギッシュな人物で、全く年齢を感じさせない。パリで会社を営んでいるそうで、これが私の家だと言って見せられたのは、湖畔に浮かぶ大邸宅の写真であった。週末には森を散歩したり、湖にモーターボートを浮かべたり、馬に乗ったりしているよと言う。もちろんそれらは全て私有(森や湖でさえ!)、モノホンの大金持ちである。京都では一緒にカフェに行ったり、大文字に登ったり、うどんをご馳走したり、孫用の柔道着を探したり、旅行の手配を手伝ったりした。是非フランスにおいでと言い残し、彼は去った。それから今でも連絡を取り合っている。実に50歳差の友人ができた。
 かつて自分は、日本で日々を平穏に過ごしながらたまに外国語を話す生活を望んでいたが、今になって少しばかり叶っていることに気が付いた。仕事ではしばしば英語を使う。ただ、本音を言えば、金子光晴のように海外を旅して回りたい。学生時代に思い描いていた生活はと言えば、高等遊民か世界放浪者であった。金子は詩の中で「僕は少年の頃/学校に反対だった。/僕は、いままた/働くことに反対だ。」と言った。人間は何からも自由なのである。自分も「成績」や「評価」、「管理」などには絶対に反対である。人に指示され、その目を気にして送る生活など耐えられない......。ところが、じっさいの自分には構造の外へ飛び出す勇気がない。そもそも自分は道の外から生のスタ-トを切ったのだ。そこから正道に戻るだけで精いっぱいだった。血の鉄鎖に引きずられながらもなんとか空転を繰り返した結果、保守的な思想が全身に染みついてしまった。今はなすすべもないまま泣く泣くレールの上を鈍行で走っている。窓からは、空中を並走するもうひとりの自分が見える。全てに背を向けて純粋な精神の飛翔を楽しむ自分の姿が。金子の詩友・吉田一穂は「遂にコスモポリタンとは、永生救はれざる追放者である」と言った。世界は狭量だ。自分にとっては、シュマン・ド・フィロゾフもアヴェニュ・デ・シャンゼリゼも等価である。どうにか国や所属を超越したいと強く思う。やはり勉強をし直さねばならない。
 自分の様子がおかしくなったのは10月頃からだ。一昨年度に忙殺されたせいで少なからず人間の心を失った自分は、仕事における虚脱感に苛まれていた。家における問題もあり、また昨年度新たに来た上司とは全くウマが合わず、フラストレーションも募っていた���そもそもが5年で5人も上司が変わるという異常な環境である。自分はよく耐えてきたと思う。働くことが馬鹿馬鹿しくなり、ぼーっとする時間が多くなる。そんな中、自分はある大きなミスをしでかしてしまった。それは実際大した問題ではない、誰にでも起こりうることだった。尻ぬぐいは上司とともに行うこととなった。しかし、そのミスのせいでかなり落ち込んでしまい、さらに事後対応や予防策の打ち出し方が虫唾が走るほど不快なものであったため、自分は深く考え込むこととなった。さらにそこで追い打ちのごとく転勤が告げられたため、自分はついに心身に不調をきたしてしまった。抑鬱、不眠、吐き気、緊張性頭痛、離人感、悲壮感、食欲不振……全ての事物から逃げ出したくなる衝動に眩暈がする。ある日職場で人と話している時に、どうにもうまく言葉が出てこなくなったため、何日か休む羽目になった。初めて心療内科を受診し薬をもらった。一日中涙が止まらなかった。その頃の記憶はあまりない。日々、ふわふわと悲しみのなかを漂っていたように思う。ただ、話を聞いてくれる周りの人々の存在はかなりありがたく、ひとりの人間の精神の危機を救おうとしてくれる数多の優しさに驚かされた。転勤の話は自分の現況を述べたところひとまず流れた。その際、上役が放った言葉が忘れられない。「私は今までどこに転勤しても良いという気持ちで仕事をしてきましたけどね」。他人の精神をいたずらに脅かすその無神経さに呆れて物が言えなかった。薬の服用を続け、1ヶ月半ほどかけて不調はゆるやかに回復したが、自分が何もできずに失った貴重な期間を返して欲しいと強く思う。仕事に対する考え方は世代間でもはや断絶していると言ってもよいだろう。
 労働を称揚する一部の風潮が嫌いだ。仕事をしている自分は情けない。それにしがみついてしか生きられないという点において。システムに進んで身を捧げる人間の思考は停止している。彼らは堂々と「世の中」を語り始め、他人にそれを強制する。奴隷であることの冷たい喜びに彼らの身体は貫かれている。何にも興味を持てなかった大多数の人間が、20代前半に忽然と現れる組織に誘拐され、奇妙にも組織の事業であるところの搾取に加担・協力までしてしまう。それは集団的なストックホルム症候群とでも言うべきではないか。社会全体へのカウンセリングが必要だ。尤も、使命感を持って仕事に臨む一部の奇特な人々のことは尊敬している。生きる目的と収入が合致しさえすれば、自分も進んでそうなろう。だが自分は、「社会とはそういうもの」だという諦念には心の底から反抗したい。組織とは心を持たない奇形の怪物だ。怪物は人間の心の欠陥から生まれる。ただ怪物のおかげで我々は生きられる。それをなだめすかしておまんまを頂戴しようという小汚い算段に、虚しさを深める日々。人間的であろうとする以上、この虚しさを忘れてはいけない。
 どうしようもない事実だが、労働によって人の心は荒む。労働は労働でしかない。肉体を動かすことによる健康維持という面を除けば、それ自体、自己にとっては無益なものだ。勤労意欲のない文学青年たちはいかなる生存戦略を以て生活に挑んでいるのか。彼らの洞窟を訪ね���回りたいと思う。現代には、彼らのように社会と内面世界を対立させたまま働き消耗する人々がいる。ある経営者がその現象を「ロキノン症候群」と呼んでいた。芸術に一度でもハマったことがあるような人々がそうなのだという。しかし彼らも納得はいかないながら、どこかで折り合いをつけて頑張っているはずだ。自分は彼らに一方的な連帯感を覚える。来る亡命に向けて、励まし合っているような気さえするのだ。世間様はきっと我々を馬鹿者だと罵るだろう。「なんとでもいはしておけ/なんとでもおもはしておけ」と、山村暮鳥の強い声が聞こえる。目に見えるものだけを信じるのもいいが、それを周りに強いてはならない。我々は今、ようやく開けてきた時代を生きている。だが認識は未だ模糊としている。完全な精神が保証される世界からすると、まだまだ古い時代なのだ。人間の姿を見失いがちな現代に対して言えるのはただ一つ、みんなで一緒に幸せになろう、ということだけだ。
 さて、年末に3日間の有休をぶち込んだので年末年始は12連休となった。天六で寿司を食べ、友人宅に入り浸ってジャークチキンをむさぼった。ポルトガル料理に舌鼓を打ち、サイゼリヤで豪遊した。特に予定を立てずに、ひたすら酒とコーヒーを鯨飲する毎日であった。心身の不調はマシになったものの、不運が続き、人と会わなければどん底に落ちると思った。それはまるで自分という神輿を中心にした絶望のパレードのようだった。
 休みの初日、ふと思い立ち、生き別れた父親の所在を探るべく、戸籍を請求してみた。私は父親の顔も名前も知らなかった。さほど興味がなかったというのもあるが、これまで家族に問うても曖昧な答えしか返ってこなかったのだ。働き出してからしばらくして、親戚から聞いたのは、父親は母親と同じく耳が聞こえなかったこと、暴力をふるう人間であったことの二つだけだ。養育費が払われることはなかったともどこかで聞いたような気もする。いずれにせよクズのような人間であったことは疑いようもない。生まれてから会った記憶もなく、不在が当たり前の環境で育ったため、会いたいと思ったことはほとんどない。ただ、自分の身体の半分が知らない人間の血によって構成されていることに何とも言えない気持ち悪さを覚えていた。というのも、顔は母親似だと言われるが、色覚異常の遺伝子は父親から受け継いだものであり、おかげで少年はある夢を断念せざるを得なくなったからだ。その「不可視の色」を意識するたび、自分の身の内には不在の存在がかえって色濃く反映された。違和感は自分が年を重ねるごとに増してゆくような気がした。そのため、せめて名前と消息だけでも知っておこうと思い、今回ようやく役所に出向いたのだ。職員に尋ねたところ丁寧に教えてもらえた。自分の戸籍から遡れば簡単に辿ることができる。しばらくして数枚の紙きれが手渡された。そこには聞きなれない苗字が書かれてあった。そして、案外近くにひとりで住んでいることがわかった。ふーん。何か虚しさを覚えた。自分は何がしたかったのか。カメラを持って突撃でもすれば面白いのかもしれない。ネットで調べてみると同じ名前の者が自己破産者リストに載っていた。そうかもしれないし、そうではないかもしれない。結局自分には関係のないことだ。じっさいこの文章を書いている今、父親の下の名前をまったく忘れてしまっている。思い出そうとしても思い出せないのだ。
 旅行前日の夜中に家の鍵をなくした。普段ほとんど物をなくさないのでかなり焦った。約4㎞の距離を3往復し、交番に駆け込むも見つからず。最後に寄ったコンビニの駐車場を這うように探し回ったところ、思いがけない場所で発見し安堵した。寒くて死ぬかと思った。自分は落とし物を探す能力には自信がある。物をなくさない、などと言いながらイヤホンのイヤーピースはこれまでに3度落としたことがある。しかし、その都度血眼になって道端から救出してきたのだ。今回見つからなかったら自分はどんなに落ち込んでいただろう。2時間も無駄にしてしまったが、とにかく良かった。もうお洒落を気取ったカラビナは使わない。
 中学時代の友人3名と有馬温泉に行った。ここ数年、年末の旅行は恒例行事となっている。とはいえこの4人で遊ぶために集まるのはおよそ10年ぶりだ。有馬は京都から車でおよそ1時間半。温泉街は観光客でごった返している。外国人も多い。昼飯にカレーを食べ、しばしぶらつく。細く入り組んだ坂道が続く。公園には赤く錆びついた蛇口があった。飲用可能な鉄泉だったが、衝撃的な味に顔がゆがむ。血だ。その後、目当ての温泉旅館に行くも臨時休業であった。どこの湯も混雑しており、20分待ちがザラだった。日帰り湯の看板が出ていないホテルにダメもとで聞いてみると、幸運にも入れるとの答え。客もほとんどおらず、金泉をこころゆくまで楽しめた。歩き途中、炭酸せんべいを土産に買う。特徴のない普通のせんべいだ。ここで一旦宿に戻って車を置き、再びタクシーで温泉街へ。鉄板焼き屋でお好み焼きを食べ、銀泉に入る。顔がツルツルになった。宿はそこからかなり離れた山裾にある合宿所のようなところだった。嫌がるタクシーに乗り込み、外灯のない急坂を登る。受付には緩い感じのおじさんがいて、懐かしさを覚える。鍵を受け取り、宿泊棟へ。一棟貸しなので騒ぎ放題だ。大量に仕入れた酒とつまみと思い出話で深夜までウノに耽った。翌朝気が付いたのは隣の棟の声が意外とよく聞こえるということだ。大声、というか爆音で昔の先生のモノマネやらツッコミやらを繰り返していた我々の醜態は筒抜けになっていたようだ。棟を出る時に同年代くらいの若者と鉢合わせてかなり気まずかった。ここにお詫び申し上げる。この日は朝から中華街へと移動し、料理を食らった。鰆の酒粕餡かけという聞きなれない一皿がめっぽう美味かった。バリスタのいるコーヒー屋でエスプレッソを飲み、だらだら歩いて旅行は終了。京都に着いてからなぜか3時間ほどドライブし、大盛の鴨南蛮そばを腹に入れてから解散となった。
 大晦日は友人宅で蕎麦をご馳走になってから鐘を撞きに行き、深夜まで運行している阪急で松尾大社へ。地元の兄ちゃんが多い印象。社殿がコンパクトにまとまっていて良かった。おみくじは末吉だった。年明け早々、以前付き合っていた人が結婚したことを人づてに聞く。めでたい気持ち半分、複雑な気持ち半分。元日は高校時代の友人3人と四条で酒を飲むだけに留まる。2日は友人らと蹴上の日向大神宮へ。「大」と名づくが割合小さい。社殿の奥には天の岩屋を模したと思しき巨大な岩をL字型にくりぬいた洞窟があり、潜り抜けることができる。いつ作られたものかは不明だそう。暗闇を抜けて日の光を再び浴びる時、不思議にもスッキリとした感覚になる。ここでもおみくじは小吉だった。その後は下鴨神社の露店を物色し、ケバブとヤンニョムチーズチキンなる悪魔のような食べ物に枡酒で乾杯。旧友と合流し、深夜まで酒を飲み、コーヒーで〆。怒涛のアルコール摂取はここで一旦落ち着いた。
 3日、昼に起きる。夕方ごろ喫茶店に行くもぼんやりして何もできず。3時間で本のページを3回めくったのみ。その帰りがけに初めて交通事故を起こした。自分は自転車に乗っていたが、考え事ごとをしていたかそれとも何も考えていなかったか、赤信号の灯る横断歩道の真ん中で車に真横からはねられて、初めて意識が戻った。即座に状況を理解し、平謝りする。非常に幸運なことに怪我も物損もなく、さらには運転手が気遣ってくれたおかげで大事には至らず、事故処理のみしてその場を後にした。自分はあまりにぼーっとしすぎていたのだ。赤信号はおろか、横断歩道があることさえも気づいていなかった。完全にこちらが悪い。ただ、こんなことを言ってはヒンシュクを買うだろうが、何か自分のせいではないような気もした。昔、轢かれたことのある友人が、「車は鉄の塊、人なんて無力」と言っていた。生と死は笑えるほどに近い。車の同乗者には、生きててよかったなぁ! と半ば怒った口調で言われた。果たしてそうなのか。苦しんで生きるか、知らぬ間に死ぬか、どちらが良いのか。よくわからない頭のまま先輩の家に遊びに行き、帰ってからおみくじを捨てた。馬鹿にもほどがある。
 “WWⅢ”がツイッターのトレンド入りした日に、リニューアルしたみなみ会館で映画「AKIRA」を見た。第三次世界大戦で荒廃・復興した2020年のネオ東京が舞台である。東京オリンピックの開催まで予言されていて瞠目する。作画の緻密さと色彩の美麗さ、展開のスピードが尋常ではなく、見るドラッグのようであった。見に来ていたのは意外にも20代の若者が多かった。なぜか終了30分前に入ってきた女性3人組もいた。目がぐるぐる回って、もう何が何か訳がわからなかった。溢れそうな鍋に蓋をしたところ、その蓋の上から具が降ってきた。そんな脳内で、世界の終わりというよりは、自分の終わりという感じだった。翌日から仕事だったが、変に興奮して夜中まで寝付くことができなかった。
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gotouya · 2 years
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本日は、こがしまんじゅう。砂糖を焦がして、生地に練り込んで蒸しているので香ばしい香りです☺️白餡入り 1個140円(税込) #和菓子 #Wagashi #わがし #Japan #あんこ #奥州市産小豆 #Sweets #どらやき #桜餅 #フルーツの森大福 #大福 #いちご大福 #お取り寄せ #スウィーツ #おやつ #麦つき節 #後藤新平 #litlink #銘菓 #お土産 #奥州市 #一関市 #北上市 #盛岡市 #花巻市 #金ヶ崎町 #後藤屋 #菓子処後藤屋 #中尊寺 #岩手銘菓 (菓子処後藤屋) https://www.instagram.com/p/CbRDR5svezv/?utm_medium=tumblr
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yokorocksn · 4 years
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パン屋さんごっこ
こないだ、パン屋さんごっこという名目でとにかく多種多様なパンを一気に焼く、ていうのをやりました。
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一昨日から種を仕込みだして、前日に生地をこね、当日の朝一気に全て焼く。
今回は一応8種類のパンを焼いた〜!
当日は何故か体調のせいで2時に起きたのでそこからあれやこれややって、
結局全部焼き上がったのは9時過ぎ、、
とにかく時間の使い方が分からなくてバタバタ
予定通りに一次発酵が上がって来なかったり、予想より早く上がってたりと焦りまくりの数時間。
武蔵fils一台で焼ききろうとしてたのが無茶だったかもと気付く、、
菓子パン系は石窯ドームも使って焼けばスムーズに作れたんじゃないかな、というのが反省点、、
でもfils買ったばかりで使いたくてやったから仕方ない!
とりあえず焼き上げることを目標にしたので、ひとつひとつのクオリティ低めなパン達記録
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バゲットとミニバケット
     
出来が悪すぎてピント合わず
4本一気に焼いたら全然焼きこめてなくて優しい方々になってしまった
もっと焼き時間長くすればよかったのか、そもそも4本一気が無茶な感じがして
とりあえず悔しい仕上がり。
フランスとキタノカオリ、室温発酵。
    
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パウンド型で山食パン
    
最終発酵に時間かけ過ぎて発酵臭が強め ᵕ-ᵕ̩̩
あと一回パンチしておけばよかったのかな。
そもそも食パンをうまく焼けたことがないからこれから要研究、、
中種50、テリア特号、低温発酵。
     
     
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焼きカレーパン
   
中身は夫作
包餡を頑張る。いろんなお店の焼きカレーパン見ると上にちょこっと穴が開いてるのって
もしかして爆発しないようにするためなの、、、?遅
中種50、テリア特号、低温発酵。
   
     
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チョコレートパヴェ
     
全然パヴェにするつもりはなかったけれど、
一次発酵終わりの生地が硬すぎてパヴェ風にしたもの。
砂糖とバターの代わりに板チョコを練り込んでて、味はチョコチョコしてて美味しかった。
パサついてたけども、、
中種50、テリア特号、低温発酵。
   
     
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レーズンカンパーニュ 
   
これが一番まともだった、、
バヌトン無いので100均の小さいザルでなんだか不思議な模様。
ポーリッシュ種30、フランス、全粒粉、ライ麦粉、低温発酵。
レーズンは湯通ししてこねから。
いろんなクープを試してみたり。
     
     
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ハムチーズエピ
最近一回焼いたやつ。もちもち!
もっと焼成温度高くてよかったかも。
バゲットと同じ生地で。
     
     
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大学芋パン
     
飴部分が少なくてほぼ焼き芋パン。
切れ目にバターをひとかけのせて焼いてみた。
テリア特号、室温発酵。
こういう焼き色薄い菓子パン系はなんだか癒し系で好き、、、
      
      
      
以上〜
     
焼いたパン達は朝ご飯になったり、
いろんな人に貰ってもらってなくなりました🙏
     
不定期開催予定!
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peace1006 · 6 years
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餃子を作りました(後半) アップするのを、すっかり忘れていました(笑) ⑤ 餡、トレイ、水溶き小麦粉、餃子の皮を用意 ⑥ 餡を皮で包んだら、トレイに置いていきます。 皮の包み方には、ちょっとこだわりがあって、「ひだ」を7つ作ります。 大した意味はないんですが、ラッキーがありますように、ってことで(笑) ⑦ 包み終わったら、餃子を時計回りに並べていきます。 左にあるのは、羽を作るための「水溶き小麦粉」です。 ⑧ できあがり! 焦げ目は意図的に濃くつけています。 そっちの方が、皮目がパリッと仕上がるので。 こんな感じで、ほぼ毎月一回作っています♪ #餃子 #焼き餃子 #水餃子 #羽が上手く出来なかった💧 (Fujisawa, Kanagawa) https://www.instagram.com/p/BmnOmJKlhfc/?utm_source=ig_tumblr_share&igshid=6ub3w8yria7l
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aizumin · 1 year
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今朝のごはん。
ねこぶまんまと松茸風味のふりかけの混ぜごはんおにぎり、なすのチーズ炒め、白菜とにんじんのそぼろ餡かけ、菜の花と油揚げとえのき茸のお味噌汁。
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今朝のメインは🍆のチーズ炒めです。長なすが欲しくて買いに行ったら、これは厚切りにしてピカタにしても良いな💕ってくらいに、素晴らしく立派なのがありまして(しかも安い!!)、それを1本使ってみました。
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🔪で切っていても身が絞まってていい感じ。たっぷりのオリーブオイルをフライパンに入れて、じっくり炒めました。フライパンに入れてすぐに、オリーブオイルを全部吸収してしまったのには軽く恐怖を覚えたんですが😅
ちなみに作った順は🍆が一番最後。先ずは白菜と菜の花を軽く湯がいてざるに上げ、炊飯器の🍚には諸々加えて蒸らし、お味噌汁とそぼろ餡を作ってから。なるべく温かい状態で食べたかったし。
🍙にはたっぷりのふりかけが😅たくあんふりかけをかけてから、混ぜ込みわかめの松茸風味をさらに少量……って思ってたのに、開けた袋を勢いよく傾けてしまった為にざざーっと中身が全てお釜の中に😰たくあんふりかけも入れたのに、更にふりかけが1袋分!!仕方なく、目についたねこぶまんま(あまり味が付いてない)とすりごまをたんまり使い、結果的にしょっぱいだけの🍙は何とか回避しました。どっと払い。
もうひと品のおかずが白菜とにんじんのそぼろ餡かけ。これも何度も食卓に上げてますね💦でも食べたかったし。
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今朝一番ヤバかったのがこのそぼろ餡。チルドにある筈の大豆ミートのそぼろが見つからない💦同時進行でお味噌汁を🔥にかけているので慌てました😰
あれ~、使いきっちゃった覚えもないのに!!
気持ちを落ち着かせてもう一度チルドを確認したら、今度はあっさり見つかりました。も~焦らせないでよ~~!!そして上手く作れたように見えますが、白菜と菜の花を湯がいた時にちょっと塩を入れすぎてしまったらしく、味が濃くなっちゃいました。反省💦💦
お味噌汁は、先に茹でた菜の花以外の具(油揚げとえのき茸と菜の花の茎の部分)で作りました。菜の花は最後に添えるだけです。
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こちらは、麦みそが少し足らずに薄味になってしまった為、菜の花はしょっぱくても丁度いい塩梅。怪我の功名ってヤツです😅そしてまたも具が多い💦💦何で?そんなに大量の材料は使ってないのに!!
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jekyllandhyde1965 · 4 years
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麦焦餡を使った練り切りだそうです。ということで、麦焦がし(はったい粉)を使っている餡だそうですが、あんまり麦焦がしの存在感は強くなくて、やや香ばしさがある練り切りになっています。多分、麦焦がしを強調すると粉っぽくなり塩梅が難しいのでしょう。
千葉の楓の菖蒲です。
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jekyllandhyde1965 · 5 years
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麦焦がしの香りが素敵なお菓子です。中にはつぶ餡が隠れていて、香ばしい麦焦がしと相まってとっても美味しかったです。
名古屋の芳光の麦手餅です。
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jekyllandhyde1965 · 6 years
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きな粉ではなくてはったい粉(麦焦がし、あるいは香煎)で包まれた羽二重餅です。中には粒餡が隠れています。羽二重餅といってもフワフワなタイプてはなくて、柔らかい餅という感じです。しかし、なんといってもこちらのお菓子は香煎の香りがポイントです。とても美味しいお菓子です。 名古屋の伊勢久兵衛の 鯱で餅 です。
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jekyllandhyde1965 · 6 years
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麦焦がしをまぶした麦手餅は初夏のお菓子です。この時期、麦の収穫が行われるので麦にとっての収穫期、秋となるため、麦秋と呼ばれます。小津安二郎さんの映画でも麦秋とありましたね。そんな訳で、粒餡をちょっと厚めの羽二重餅で包み、たっぷりの麦焦がしをまぶしてあります。麦こがしに負けてるのか羽二重餅の香りが感じられないのがちょっと残念ですが、素敵な御菓子です。
東京の一幸庵の麦手餅をcafe竹早72でいただきました。
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