Tumgik
#足もとクラブ
monroe-shoes · 2 years
Photo
Tumblr media
アンクルストラップと太めのヒールが上品な足元に♡ バイカラーやパイピングもとってもお洒落です♥︎ http://www.monroe-shoes.com 。 。 #靴マニア #あしもと倶楽部 #靴好き #足元倶楽部 #足元クラブ #靴フェチ #ママファッション #ママファッションコーデ  #ハーフブーツ #フラットブーツ  #オーダーシューズ #オーダー靴 #シンデレラシューズ #小さいサイズの靴 #大きいサイズの靴 (Monroe:モンロー~靴が大好き~I love shoes) https://www.instagram.com/p/CjZi8zrPrhh/?igshid=NGJjMDIxMWI=
0 notes
shoe-repair-roost · 2 years
Photo
Tumblr media
HIROSHI TSUBOUCHI  (ツボウチ ヒロシ) ツボウチヒロシのホワイトヌバックシューズ。 イタリアンレザーにてオールソールです。 元々はブリックソールというレンガ色のスポンジ系ソールが付いていましたので、いわゆる「ホワイトバックス」と呼ばれるものでした。 この度レザーに変更なのでカスタム修理ですね。 元はレンガスポンジ10mm+3mmのミッドでボリューム満点だったのですが、歩きやすさを考慮しシングルレザーへと変更です。 つま先はあらかじめの補強でラバーをつけています。 涼しげに履けそうなので、夏に間に合ってよかった。 ■夏季休業のお知らせ■ 下記の日程で夏季休業を頂きます。 ・8/15(月)~18(木) 定休日(月曜・火曜)を含め8/15(月)~18(木)に夏季休業を頂きます。また、修理のお預かりがこの期間に掛かってくるものに関しては修理期間を多めに頂きますのでご了承ください。 ■郵送・配送での修理も受付けています■ プロフィールよりリンク(@shoe_repair_roost )のサイト内にあるメールか、お問合せフォームをご利用ください。 ※写真を添付して頂けるとよりスムーズに修理のご案内ができます。 #shoerepair #靴修理 #中古靴 #古靴 #oldshoes #名古屋 #千種区 #本山 #四谷通 #roost #足元倶楽部 #あしもと倶楽部 #足元クラブ #革靴 #革靴男子 #革靴女子 #紳士靴 #hiroshitsubouchi #hiroshi_tsubouchi #ヒロシツボウチ #坪内浩 #ホワイトバックス #ホワイトヌバック #ブリックソール #レンガソール #オールソール #リソール #カスタム修理 #カスタムオールソール (ROOST shoe repair) https://www.instagram.com/p/ChHYGMmOQNH/?igshid=NGJjMDIxMWI=
0 notes
tutai-k · 6 months
Text
たどり着かなかったおおくの未来たちへ
文フリ東京だった。 土曜日開催のイベントってなんだかんだ言いながらはじめてのような気がする……労働が土日祝休めなかったころはなんでイベントは平日にやらないんだろうと思っていたし、土日が休みだったころはイベントは土曜日にしてほしいと思っていたが、日月休みになると、イベントは日曜日がいいなと思ってしまう。日月は宿泊料金がやすい。
そんな自分本位な「この日がいいな」をわたしはいくつも持っている。
文フリ東京は、土曜日の朝に出発した。車内販売がなくなってしまって、でもまあ新幹線のホームとか購買にシンカンセンスゴイカタイアイス(シンカンセンモウカタクナイアイスだという噂だが)が売っているらしいから、それを食べようと思っていたが、朝、名古屋駅で見つけることはできなかった。 しょんぼりしながら新幹線に乗る。新幹線の中ではほとんど寝ていた。
東京駅・浜松町・流通センター。いつもの乗り換えで会場に向かう。来年の12月の文フリはビッグサイトでやるらしいから、この行程で向かうのはあと一回。
会場前に八束さんのスペースで不穏なフライヤーをもらう予定だったのでもらいに行ったら、八束さんがさいたま文学館で開催中の『澁澤龍彦の文学世界』のフライヤーも一緒にくれた。 ので、スペースが出入り口の真ん前だったこともあって、これはたくさんのひとに見てもらえるんじゃないか…!ということで、出口に向けて配置した。完璧である。
Tumblr media
そんな素敵な設営をして、開場。
遠方からきてくれたフォロワーさんに展示のフライヤーを見せ澁澤龍彦の話をし、「若い頃にわたしも全集読みました!」と言ってもらうなどしたり、痛覚の麻子さんにはえんえんと「この写真見てくださいやばくないですか?羽田に楯の会の制服を着て見送りに着た三島の帽子をかぶっておどけているときの写真でこれが二人が実際にあった最後になるんですよ……」と一生終わらないんじゃない勝手くらいの話をしつづけてしまったり、このフライヤーに気づいてくれた通行人のひと(「澁澤龍彦だ…!」という声が聞こえた)に「裏面も見てください!そしてよろしくお願いします!」とさっと差し出したり……。こんなに充実した文学フリマ東京は、2014年から参加していて初めてじゃないかと言うくらい充実していた。
Tumblr media
惜しむらくは、澁澤龍彦のフライヤーと一緒に不穏なフライヤーを挟んでいたにもかかわらず、だれも「澁澤龍彦と棄てに行ける家父長制があるんですか?」と聞いてくれなかったこと…。澁澤龍彦と棄てに行ける家父長制は果たして存在するのか……?
とまあ、こんな感じなのだが、そろそろ皆さんも不穏なフライヤーとは?と思っているところだろうと思うので、ご紹介致しますとこういうやつです。
「父親の死体を棄てに行く」アンソロジー。家父長制を棄てに行きたい方はどうぞ2024年5月の文学フリマ東京をお待ちください。
イベントが終わってからは、八束さんとヒマラヤ鍋を食べに行った。 お店の予約時間まで過ごしていたドトールで渋沢栄一の話になり、「ああ、向こうは傍家で、本家はうちなので」と話したら「いまうちって言いました?」と聞き返される。うちです。 ヒマラヤ鍋屋さんはめちゃくちゃすてきな楽隊(?)のお誕生日パレードがあったり、びっくりするような美味しい鍋を食べられたりと大満足だった。
Tumblr media
打ち上げを終えて、翌日のさいたま文学館に備えて埼玉に宿を取っていたので、移動をはじめたら電車がいきなり止まった! 電車の沿線で人身事故があったとのことで、近くのハブ駅みたいなところで電車を降ろされてしまう。こんなこと担ったのは初めてなのでびっくりしていると、とりあえず一時間くらいしたら電車は動くからね~とアナウンスが入り、事なきを得る。
都会ならではの体験だな…と思いながら、ホテルにたどり着いて泥のように寝た。
そしてさいたま文学館へ。
Tumblr media
張り切って出てきたら開館まえについてしまった…。図録を買って、老人クラブの展示があったので見せてもらったりして(ヤツガシラの俳句があってとてもよかった)、10時になる。
貸し切り状態……。
展示は、埼玉と澁澤の関係から始まっていて、浦和高校時代の写真(浦和高校同窓会が出しているものだった)があるのがとてもよかった。 限定本も展示がたくさんあり、原稿も、文学館が所蔵しているものが4、5点。 サド裁判のときに澁澤が三島に書き送った手紙に、争点が「わいせつか芸術かを超え、表現の自由/検閲への抵抗である」ことが書かれていることを指摘していたり、『高丘親王航海記』の原稿用紙、最初は「了」と書いてあったのを、推敲の段階で文字を自ら消したことを指摘していたり、「澁澤龍彦」という人物を表現との向き合いかたから見せているのが良いと思った。 面白かったのは三島の写真の使い方で、「血と薔薇」の「男の死」の三島の写真、あと、メインビジュアルが羽田に見送りにきた三島の帽子をかぶっておどける澁澤の写真だったからか、「楯の会の制服を着た三島由紀夫」の写真が展示してあったりした。
展示をひとしきり見た後は、図書室に今回の展示の関連本がまとめてあるとのことだったのでそれを身に。「作家のおやつ」「作家の食卓」といった本の紹介や、山﨑ナオコーラが文豪の墓参りにいく本に澁澤の項目があった。山﨑ナオコーラの澁澤へのまなざしにはわたしにもおぼえがある。よい本だった。そしてその本で、先月わたしが緑色のインコに夢中になっていた霊園に中島敦の墓があることを知った。敦、ごめんな……墓のことなんて全然知らなかったから、緑色のインコのことしか考えてなくて……。
Tumblr media Tumblr media
その後は文学館併設の「けやきカフェ」で澁澤龍彦コラボメニューをたべる。黒糖と胡桃のパンケーキ。澁澤が好きだった胡桃や黒糖のお菓子をイメージしてつくられていて、とてもよかった。 思い出したのは、今よりもっと貧乏だったころ、いろんなところでやっている澁澤の展示に行けなくて悔しい思いをしたことだった。いまこうしてたどり着くことができるようになったことを、なんだかとても、自分が、自分をなんとかしているように思えた。
パンケーキを食べ終えてから、「武蔵野うどん」に挑戦することにした。「伊勢うどんとは対極にあるうどんだ」という事前情報しかなかった。 桶川駅ちかくのお店はかなり人気店のようでたくさん人が並んでいて、お店に入れたのは並び始めてから一時間後くらいだった。 つけ麺(うどんのことをつけ麺というのか?)システムで、つけ汁とうどんは別々の皿に載っている。なるほどこういうやつなのか、となにも考えずにがっと箸でつかんで汁につけてすすりはじめたはいいが、うどん、めちゃくちゃかたいんですけど?!噛みちぎれない…やばい、全部すすって口の中に入れるしかない……と思ったが、これがまたすさまじく長くて……永遠にうどんがおわらない……。 こんなに硬くて長いうどんはじめてなんですけど?!おれたちは箸で持ち上げただけでへたしたらブツッといく伊勢うどんの民なんだということを再確認し、「これは風邪を引いたときに食べるうどんではなく、体力が有り余っているときに食べるうどんだな」と確信しました。きっと武蔵野のひとたちは、風邪をひいたときにはおかゆを食べるに違いない。(伊勢志摩の人間は風邪をひいたら伊勢うどんを食べます)
Tumblr media
二口目からは一本ずつ食べることで武蔵野うどんのおいしさを堪能し、また是非食べたい、顎の力を試したい、と思った。
武蔵野うどんを噛み砕くのに体力のほとんどを持って行かれて、疲れ果てたので、そのまま帰宅することに。 購買にシンカンセンスゴイカタイアイスを見つけたので購入し、席に着くと、隣のひともおなじシンカンセンスゴイカタイアイスを持っていた。しかもおなじチョコレート味。
Tumblr media
べつに示し合わせてはいないがふたり一緒に食べることになってしまい、こんなに好きなひとがいるのに、もうシンカンセンスゴイカタイアイスは車内販売されないんだな……と悲しくなる。 そして、乗車15分まえに買ったし、シンカンセンモウカタクナイアイスだった。
アイスを食べ終えてからは、記憶がない。気づいたら名古屋だった。
名古屋駅で、近鉄のホームに来たら、電車を待つ人は無秩序にホームにたたずんでいて、車両のドアとか何も気にしていなかったし、電車が着いても「先に並んでいたひと」という概念がないので、運良くドアの近くにいたひとから電車に乗りこんだ。東京とかから帰る途中、この近鉄のホームの無秩序さを目の当たりにすると、まだ名古屋から三重まで帰らないと行けないのに、「帰ってきたなあ」と思うのだった。
名古屋駅から最寄り駅までも、寝ていたのでほとんど記憶がない。
帰宅したら、夕食は焼きそばだった。焼きそばの麺は、どれだけ頬張っても簡単に噛みちぎれた。武蔵野うどんは硬かった。
20 notes · View notes
old-generation-area · 2 months
Text
AFKトランプの話
タオバオ見に行ったら通常版がまだ残ってたのでとうとう買いました。去年の海外公式オフイベントの動画内で豪華版のトランプが使われているのを見て「ぐぎぎぎい」ってなってしまったのでな……
Tumblr media
当時の比較的新しいメンツ。トレズナーさんいるう
Tumblr media
JQK。名前の所が各陣営ぽくて良いですね 今だったらブライトはKがパレルモなんだろうなあ
Tumblr media
主従!!! テルミンはQじゃないのはしょうがないね……
以下絵柄です。 ハート(ブライト) Aスカーレット、2ロワン、3オスカー、4セリス、5ヘイムダル、6ロザリン、7ルシウス、8ペギー、9フォークス、10セシリア、Jグヴィネス、Qベリンダ、Kセイン
クラブ(ババリア) Aティーダ、2クレイン、3サテラ、4ヌミス、5ウォック、6タリー、7ザスク、8スクレッグ、9アラロー、10アンダンドラ、Jスケーリアス、Qサフィア、Kブルータス
ダイヤ(ヴェルディア) Aクイン、2アスタ、3ピッパー、4ソリス、5シリウス、6キャット、7ミサカ、8ネモラ、9レスペ、10ラーク、Jエルロン、Qタシー、Kライカ
スペード(グレボ) Aクリード、2ダイモン、3イゾルデ、4イザベラ、5ファリオ、6ディセラ、7テルミン、8バートン、9サイラス、10トレズナー、Jグリーズル、Qシェミーラ、Kトーラン
ジョーカー SPタレン、フレミング
セレカタほぼいないので寂しい所。時期が時期なのでティベちゃんがいた可能性はあったかもしれない
AFK、カードとの相性抜群なので全英雄カード化してほしいんですよね……カードシャッフルしてリアルに10連引いてみたいんで……今からでも遅くないよリリス買うよ ともあれトランプは満足です。
11 notes · View notes
superhighkaiser · 1 year
Text
20代後半に転職することになった時、有給休暇消化で1か月ほど時間ができた。
だけど、それがいけなかった笑
ポン中手前まで荒れた生活になってしまったのだ。
退職金もらえたことが「買い物」に走らせ、時間ができたことで毎日のようにシューティングで寝る時間がどこかにいってしまった笑
異変に気づいたのは相手から手の震えを指摘された時。ドラマや映画で見るあの震えの描写、それがついに自分にもやってきたとやりすぎを自覚した。今になってわかることだけど明らかに睡眠不足だ。
それと汗から排出されるアレや皮脂が毛穴などに詰まって、特に顔に酷いニキビができたり、瞼の脂が詰まってモノモライのようなものができたりして、顔のニキビの一部は跡になってしまった汗 あの頃はデトックスなるものを理解していないまま粗雑な健康管理をしていたことは事実だ。
当時百戦錬磨の相手に、この遊びは自然界にない化学物質を体に取り入れている時点でインパクト強いのだから、「百害あって一利なし」を念頭に体のケアと遊びへの距離を保たないと頭も体もみんながやられちゃうぞと笑われた。
事実この頃の自分は体から完全に抜けきれないままに追加するような荒れた生活だっただけに、ちょっとした言動でも感情がグアーっと上がり攻撃的になったり、泣けるような感動の話では嗚咽するぐらい泣いたりして感情の起伏が激しかった。勘繰りにハマった経験したのもその時だったので、他人がいたら相当オカシイように見えていたかも汗
そういえばアレはカルシウム欠乏を促すから気をつけろと言ったのはどの先輩だろうか?歯がガタガタになるのは水分失って口内菌が増殖して歯茎がダメージ受けるからという人もいて、カルシウム欠乏なら実際に骨粗鬆症になった奴がいるのか知りたいところだ。
さて、その後自分はほどなくして転職先の仕事が始まってからは普通の生活にランディングした。それと同時に気づいた。
お金と時間があった時に「暇」であるのが一番危険だと笑
そういえば自分には音楽や映画、トレーニングの趣味があったよなと思い、とりあえず不摂生した体を立て直すためにジムを再開した。そして好きな音楽を聴きにライブハウスやクラブに行ったり、たまには二丁目に寄って仲間と酒を飲む。そうした「暇」を補う自分なりの楽しめる時間とモチベーションでバランスを取れるようになった。
こうした発想の転換は「百害あって一利なし」から少しは回避できてる感じがしている今日この頃。これからどうなるか知らんけど笑
81 notes · View notes
asagaquru · 3 months
Text
私の住む札幌市にある、すすきの。“すすきの”という駅やビルはあるけれど、“すすきの”という住所はない。なんとなくここからここまでがすすきのかなという感覚。ちなみにススキノとも薄野とも書く。
日本最北の歓楽街であるくせに、縦にも横にも1キロに届かない面積しかないからか、1件目にいた人がその後行くクラブにいたり、2件目から行くタクシー乗り場で鉢合わせたりする。
いつも通り、いなりで串やらもつ煮込みを食べ、今日も名物の豚足は売り切れなのねと恋人を話しながら札幌ラガー1本とそれぞれハイボールを飲んで外に出る。それからふらりと寄ったバーが当たりだった。カウンターがあってテーブルがあるバーなのに、スクリーンに無音で映画が映し出されていて、音声の代わりにジャズが流れている。カウンターに設置されたショーケースにはチーズケーキとタル��が鎮座している。
数年前から締めパフェなるものが、すすきので広まったけれどすでにもう飽和状態で、有名店となった店は2号店、3号店と出店し、価格も3000円、4000円と高騰している。それなのに若者や国内外の観光客が何時間も並ぶから飽き飽きしていた。私だってアイスクリームやらシリアルやら果物とヨーロッパの数秒後には忘れてしまうような横文字の名前のパリパリとした甘いお菓子が美しく盛り付けられたパフェを食べたい。けれど、そんなに待っていたら、酔いは覚め、低体温症で凍え死んでしまう。
けれど、そこのケーキも素晴らしく美味しかった。「ケーキひとつずつください」と頼むと、ピスタチオのチーズケーキが私に、ナッツタルトが彼の前に届けられる。店員が去るとすぐさま彼は、ケーキの皿を私のと取り替える。彼はピスタチオが好きなのだ。どちらのケーキも程よい甘味と楽しい舌触りで、お酒を飲みながらお喋りをするのにうってつけだった。
映画とお酒とジャズとケーキ。燻製も何故だか古着もある。全部好きだ。幾度となく来たこの小さなすすきのという空間にまだこんなお店が隠れていたなんて。開店したのは12.3年前だと言う。私が成人するずっと前からここでこの店を営われていて、私たちがたどり着くまで、私が見合う大人になるまで待っていてくれたかのような不思議な気持ちになる。私が一生かけて好きな映画「マイブルーベリーナイツ」に出てくるブルーベリーパイを焼くこともあると聞いて、胸の内が静かに煌めいている。タクシーで帰宅、甘美な夜ふかし。
Tumblr media
14 notes · View notes
jimmy-dipthong · 7 months
Text
New Vocab (Sep 21 - Sep 30)
My new goal of trying to add 3 new words to my vocab list every day is going pretty well! I've missed a couple of days from being busy with life stuff but mostly keeping consistent! Btw, I try to keep my definitions in Japanese too, I believe it helps to get a fuller understanding of the meaning.
看護師(かんごし) Nurse, RN 例文:「彼女には2人の看護師がついている」「その看護師はずっとその患者に付き添っている(つきそっている)」
患者(かんじゃ) A patient. 病気やけがの治療を受ける人。医師の側からいう語。 例文:「その医者は予約でしか患者を診ない」「その患者はHIVウイルスを持っている」「患者は自分が巻き込まれた事故の記憶がなかった」
施設(しせつ) ある目的のために建物などをもうけること。また、その設備。 例文:「この日は、日本で初めての水族館とされる『観魚室(うをのぞき)』と呼ばれる施設がオープンした日」「どのメンバーもこれらの施設を使うことができる」「市が新たに道路や公園等の公共施設を整備します」
付属(ふぞく) 主になるものに付き従っていること。また、そのもの。 例文:「いわゆる水族館は動物園に付属してできるという流れが歴史的にあった」「会社に付属する研究所」「カメラを付属品付きで買った」
惚れる(ほれる) Pregnancy, conception, gestation 例文:「妊娠したメスが交尾相手でない別のオス」「彼女は妊娠8か月だ」「おそらく彼女は妊娠しているのだろう」「妊娠中の女性はアルコールを常用すべきではない」
哺乳類(ほにゅうるい) Mammal 例文:「哺乳類がかわいいかわからないけど」「ヒトは哺乳類にあたります」「それは哺乳類の中で一番大きい」「鯨は魚ではなくて哺乳類である」
典型的(てんけいてき) 特定のカテゴリーやグループに属する個体や事象の中で、そのカテゴリーやグループの特徴を最もよく表現しているものを表す。 例文:「ナシレマはマレーシアの国民的料理でマレーシヤの典型的な朝ごはんです」「それは典型的なエリート主義のやり方だね」「彼は典型的な英国人だ」
積極的(せっきょくてき) 物事を進んでするさま。 例文:「積極的に仕事に取り組む」「ボランティア団体で積極的な役割を果たす」「積極的に英語を使おう」「セミナーでは積極的に自分の意見を述べましょう」「今後はもっと積極的にコミュニケーションをとろう」
炊く(たく) 米などの穀物を煮て食べられるようにする 例文:「ごはんを炊く」「飯は炊くばかりになっている」
比率(ひりつ) Ratio 例文:「Oreo Thinsのクリーム比率高い!」「人口に対する出生の比率」「私たちのクラブの男女の比率は2対1です」
垣根(かきね) 敷地を限るために設ける囲いや仕切り。竹や植木などで作る。垣。 例文:「垣根をこえて」「垣根を跳び越える」「私は彼に垣根のペンキを塗らせた」「父は庭のまわりに垣根を作った」
掬う(すくう) 手のひらやさじなど、くぼんだ形のものを使って、液状・粉末状のものの表面に近い部分を、えぐるようにして取り出す。また、手のひらやさじなどで、液体の表面に浮いているものやその中にあるものを、下から受けるようにして取り出す。 例文:「杓子(しゃくし)で汁を掬う」「足を掬う」「改めて手で掬う」
風鈴(ふうりん) 夏っぽいガラスで作られる鈴 例文:「風鈴がりんりん鳴る」「日本人は風鈴の音に風情を感じてきた」「どこかで風鈴が鳴った」
副菜(ふくさい) 主食とともに食べるもののこと。 例文:「副菜で沖縄そばが出てくる、すごくない?」
上回る(うわまわる) ある基準数量を超える。予定量以上になる。 例文:「視覚の表現は他の3つの感覚を上回って最も数が多いと」
結び付き(むすびつき) 関係、関わり、結合、などの意味の表現。 例文:「結びつきの強い家族」「あれはこの行動に結びつきがあると言ってる?」
幼馴染(おさなじみ) 幼い頃から仲が良い人、あるいは物心ついたときからの顔馴染みなどを意味する表現。 例文:「今日は幼なじみに偶然会いました」「幼なじみが春から大阪の大学に行くらしい」
瘡蓋(かさぶた) Scab 例文:「その少年はかさぶたを剥がしている」「傷は、結局かさぶたになる」「はれものにかさぶたができる」
講演(こうえん) 大ぜいの人に向かって、ある題目に従って話をすること。また、その話。 例文:「彼女は講演者として評判がよい」「彼女のスケジュールがいっぱいなのは講演者として人気がある証拠である」「質問は講演の後でお願いします」「講演の入場料は2ドルです」
18 notes · View notes
ryotarox · 3 days
Text
モロダーは1977年に、レコード・ミラー誌のロビン・カッツに次のように語っている。 「あの曲は単なるアルバムの収録曲の一つとして作ったんだ。ドナのレコーディングは10分で終わった。これだけビッグな曲になるなんて僕らは誰も思っていなかったんだ」
(ドナ・サマーの「I Feel Love」が音楽界にもたらした変革から)
時は1977年。ブライアン・イーノとデヴィッド・ボウイは、ベルリンで『Heroes』の制作に勤しんでいた。そんなある日、イーノは新発売の7インチ盤を興奮気味に掲げながらスタジオに駆け込み、ボウイにこう熱く語った。 「このシングルはこの先15年のあいだ、クラブ・ミュージックのサウンドを一変させるよ」 そのシングルこそがドナ・サマーの「I Feel Love」だった。彼の言葉は確かに正しかったが、このコメントには2点の訂正が必要だ。つまり、“この先15年のあいだ”を“永久に”、そして“クラブ・ミュージック”を“あらゆる音楽”に変える必要があったのだ。
『I Remember Yesterday』は、それぞれの曲に異なる時代が表現されたコンセプト・アルバムである。モロダーとベロッテは、音楽の未来を象徴する楽曲をアルバムの最後に配するというアイデアをあとから思いついたという。それがいかに的確な判断だったか、彼ら自身もそのときは気付いていなかった。
- - - - - - - - - - - - - - - -
「I Feel Love」みたいな曲がいっぱい入ったアルバムなのかと思うと、シーケンサー使用曲は他になく、皆、フツーの音楽ばかりなので肩透かしに思った印象。そういう「いろんな時代」がコンセプトだったのか。アルバムタイトルもそうなってる。
- - - - - - - - - - - - - - - -
モーグ製モジュラー・シンセサイザーのスペシャリストであるドイツ人エンジニア、ロビー・ウェデルを起用している。 彼らはモロダーの通常の楽曲制作とは逆の順番で、まずはグルーヴ ―― 英ドラマ『ドクター・フー』のテーマ曲をディスコ調にアレンジしたような波打つベース・ラインと、何より重要な電子音のビート ―― から作り上げていった。ビートの制作にあたっては、当時はまだドラム・マシンが十分に進歩していなかったため、ドラムの構成音を一つずつシンセで作り、個別にレコーディングしていったという。 しかし、どうしてもバス・ドラムの音に満足できなかった彼らは、のちにビリー・アイドルのプロデューサーを務めるキース・フォーシーを呼��、バス・ドラムを演奏させた。このトラックにおいて、電子音以外が使用されているのはそこだけである。
3 notes · View notes
kennak · 4 months
Quote
六本木の裏路地にひっそりと佇む、会員制の高級クラブ。ある大物政治家が夜な夜な通い、政界関係者と酒を酌み交わす店として知られていた。だが、このところ出入りする客の姿がぷっつりと途絶えているという。 「ここ1か月ほどは明かりも灯っていません。休業状態のようです」(近隣で働く従業員)  店の名は「Bovary(ボバリー)」。麻生太郎・副総理兼財務相(79)が足繁く通う店として、たびたび報じられてきた高級クラブだ。 「元モデルのママは60代でも若々しく、麻生氏は黒塗りの高級車でこの店によく通っていました。かつて週刊誌には“愛人疑惑”まで書かれたほどです」(自民党関係者)  飲み代の“財布”は麻生氏の政治資金。収支報告書によると、店を運営する会社に支出された金額は第二次安倍政権が発足した2011年以降、平均して年間700万円以上で、先日公開されたばかりの2018年の政治資金収支報告書にも約650万円が計上されている。  そんな“上客”を抱えているのに休業状態になっているのはなぜなのか。店を訪れたことのある元麻生番記者はこう明かす。 「1年ほど前に連れていってもらった時、ママが『そろそろ閉めようと思ってる。年齢的にも潮時かもしれない』と漏らしていました」  麻生氏の事務所に聞いたが、締め切りまでに回答はなかった。
麻生太郎財務相が年700万円注ぎ込む高級クラブが閉店の怪|NEWSポストセブン
5 notes · View notes
alien-melissa · 8 months
Text
FLAG 2023
私がFLAGを知った2021survive 時代から振り返る
2020年に終わったひとつのサイクル。 世の中の動きが突然とまり、世界中の人々に突然同じ状況が与えられた、、過去を振り返ったり、未来について考えたりせざるおえなかった2020年、なんとなく暗いムードが漂っていたあの時期に、コロナ直前まで遊びに行っていたアーティスト達がそれぞれ面白いことを初め出した。
その中で私が楽しませてもらっていたのが今のFLAGが始めた2021survive というプロジェクトだった。自分がライブハウスやクラブに行っても人と話すタイプではなかったので、同じイベントに行っている人たち、出演しているアーティストや一緒に作り上げるクリエイターたちが何を考えていて、どんなルーツがあって、何が好きで、、そんな話をフランクにYouTube内で話している姿を見て、すごく勝手に親近感を覚えた。 
都会のクールなコミュニティに疎外感や壁を感じることもあったけど、コロナをきっかけに近い価値観、近い情熱を持った人達に出会いやすくなった。ここにはピュアに音楽や芸術を愛している人たちがいて、話を聞いているだけでワクワクさせてくれるような、、新しいムーブメントの始まりを感じた。
クールだと思うものを信じ続けたり、守りたいものを守ったり、与えられるのを待つだけの時代は終わったんだなと思った。私達の世代がみんな自分も時代を創るひとりなんだと気づいたし、発信したり共有したり話し合ったり、それだけで循環してカルチャーが成り立って、 そこからまた広がっていくものにワクワクした。       
SATOHを始めとするFLAGの素敵なアーティスト達、、NowLedge,Gentoku,HEAVEN,(aryy,ry0n4,LIL SOFT TENNIS)who28,LilBeamz....など共通して感じるDIYでクリエイティブな音楽とユニークでクールで優しさ、希望を感じキレがある((表現が難しい))音楽、、
そんな感じでそれぞれが形を変えながら日々いろんなものから影響を受け変わりながらも、でもみんな変わらず好きなものを信じて、動き続けたこの数年、、、
1周回った?
待望のHarryTeardropの来日を振り返る
ニューヨークから来たHarryTeardrop、彼が活動している場所は様々なカルチャーが入り混じりめまぐるしく発展し続ける街。 ニューヨークのアーティスト達は本当にクリエイティブでクールで、私が今とても興味があるシーン。私は毎日のようにニューヨークのライブハウスやパーティーをチェックしているがHarryはイベントのフライヤーに名前をよく見かけ、多くのアーティストと繋がりを持ち、自身の音楽を確立している本当に素晴らしいアーティスト。
5月に私がインタビューをするよりも前から計画されていたこのFLAGとHarryの企画。
個人的に2022年のBEST SONGに選んでいたアーティストでもあるので思い入れがあり、いちファンとしても、このニューヨークと東京のカルチャーが融合する瞬間を楽しみにしていた。
音楽的に近いという話だけではなく、フィーリングやバイブス、それよりももっと深い部分からの繋がりを感じるようなSATOHを始めとするFLAGのアーティスト達とHarryTeardrop。
後になって冷静に考えると初対面だったということを忘れてしまう笑
Tumblr media
生まれた場所や育った環境、生きてる場所も話す言語も違うが、それぞれが日々を生きる中で体感しているもの、そこからインスパイアされた感覚を音楽や芸術に表現したきっかけで繋がって、こうやって何か目に見えて形になるのって不思議なことだと      私はいつも感じてる。
Tumblr media Tumblr media
O-EAST/www β/ circus Tokyo/
それぞれが好きなものを素直に共有したような空間だったから居心地が良かった。 
ただ大きければいい訳でも無い、中身が詰まった純度、密度が濃いパーティーだった。
いいパーティーの後はいつもどこか夢から覚めたような感じ、思い出すとまたエネルギーが湧くような感覚。
実現させてくれたSATOHとFLAG、関わった全ての人に感謝したい....し関わらせてもらえたことに感謝してます
好きなものを信じ続けたり、動き続けたらどこにだって行けるし 何でもできるんじゃない????
なぜかなんかそんなことを思った。
今回の来日がHarryTeardropがただ日本に来てライブをやったというだけではなく、FLAGで日本に来たこと、 日本で出会った人たちと共有した時間、交わした言葉、がお互いの何かに影響し続けること、遠くから足を運んでくれたこと、本当に意味があったと思う。
果報は寝て待て。
なぜか合言葉のように来日中に仲間の中で言い合った言葉は、おそらく言葉以上に意味を持った。
Tumblr media
Tumblr media
7 notes · View notes
monroe-shoes · 2 years
Photo
Tumblr media
そろそろ秋支度はいかがですか?♡ フラットタイプのハーフブーツ♥︎ http://www.monroe-shoes.com 。 。 #靴マニア #あしもと倶楽部 #靴好き #足元倶楽部 #足元クラブ #靴フェチ #ママファッション #ママファッションコーデ  #ハーフブーツ #フラットブーツ  #yslshoes #ysl #シンデレラシューズ #小さいサイズの靴 #大きいサイズの靴 (Monroe:モンロー~靴が大好き~I love shoes) https://www.instagram.com/p/ChbjYShvwf3/?igshid=NGJjMDIxMWI=
0 notes
myonbl · 5 days
Text
2024年4月26日(金)
Tumblr media
私の職場では、今日で前期授業の第3週が終了した。新入生にとってみれば、入学式・オリエンテーションを経て、ようやく新しい環境・生活にも慣れてきたところだろう。私自身も、前期は毎日出勤なので授業準備・授業・提出物の整理、このリズムを整えるためには他の仕事をする余裕がほとんど無い。やっとやって来た連休は4/27(土)から5/5(日)まで、新入生諸君、心身をリフレッシュして元気な顔で再会しよう、お互いに。
Tumblr media
5時起床。
いつも訪れるブログで、石井徹也さんの訃報を知る。十代目馬生の本はいい仕事だった。
洗濯。
Tumblr media
朝食。
珈琲。
弁当*1。
可燃ゴミ、20L*1&30L*1。
ツレアイは休み、一人で出勤する。
Tumblr media
連休前のせいか、交通量が多い。
金曜日は2限・3限<スタディスキルズ(栄養学科)>、今日のワークショップはテーマを与えてブレインストーミング、人数が少ないので3つのグループに分けたが差が激しい。月木のクラスは放っておいても大丈夫だが、こちらは少し介入した。
提出物をスキャンし、ゴミを出して今月の業務は終了。
Tumblr media
帰路は順調、走行時間が47分とは素晴らしい。
ツレアイは午前中は原稿書き、午後はあちこち買物に走り回っていたようだ。
早めに夕飯準備。
Tumblr media
地鶏(ムネ・ササミ)と粗挽きフランクを焼き、新ジャガはワイン蒸し。肴は今年初めてのはも皮、美味しい!
録画番組視聴、名探偵ポワロ。
第9話「クラブのキング」/ The King of Clubsシーズン 1, エピソード 9 次回放送日: 2024/06/20(木)22:55〜 ポワロはヘイスティングスと映画の撮影所を訪れる。そこでは、撮影所のボスでプロデューサーのリードバーンが、映画の主演女優バレリー。サンクレアを責め ていた。その晩、リードバーンが自宅で何者かに殺害される。第一発見者はバレリーだった。彼女がリードバーン��ら強請られていたことが発覚し、捜査の目は バレリーへ向けられるが…。
終わる頃には睡魔到来、すぐに布団に吸い込まれた。
Tumblr media
エクササイズが足りなかったが、連休中には毎日リング完成をめざそう。
3 notes · View notes
doublegroovesite · 26 days
Text
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
“昔の和歌なんかには美しい表現があるんですよ”
ダブルが4枚目となるシングル「Shake」をリリース
すでにインタビューも3度目となるダブル。熱心な読者なら、彼女達が姉妹であるとか、ましてやR&Bシンガーであるとか言う必要もないだろう。前号でも触れた通り、今回4枚目となるマキシ・シングル「Shake」がリリースされる。ダブルの二人がラップにも挑戦している表題曲「Shake」は、パーティーを主題としたフロア・ライクな曲。そして前回のマミー・Dに続き、今回リミックスを手掛けたのはジブラ。もちろん自身もラップを披露しているこっち は、オリジナルとはうって変わり地下の臭い漂うダヴィーなリミックスとなった。もう1曲の「Make Me Happy」は細かく打ち込まれたドラムとピアノによる、ハネたビートの曲。両曲とも姉妹ならではのコンビネーションもバッチリ。ダンサーと共に踊るダブルが見られるヴィデオもかなりカッコイイ仕上がりなので要チェック。では、以前に比べるとかなりインタビュー馴れしてきた二人のインタビューを、どうぞ。
▶ 「Shake」のヴィデオを見せてもらったんですが、カッコイイですね。
T (TAKAKO)  むこうのヴィデオっぽくしたかったんで、狙い通りにできました。
S (SACHIKO)  私もがんばって踊ったんで、みんなも(見て)踊って下さい。
▶ その新曲「Shake」はやはりクラブでかかることを狙って作 ったんですか?
T まず、今までの曲は一人用の曲を二人で歌ってたって感じだったんで、(今回は)二人で歌う形の曲を作りたかった。あとはライブで映える曲を作ろうってことで。
S このくらいのテンポならパーティー・ソングしかないだろうと思って。パーティー・ソングにはどんな歌詞がいいんだろうかと考えて、具体的な言葉を入れるよりも何を言ってるか分らないく らいの歌詞にしました。
▶ 日本の歌もの全体を見ると、トラックやボーカル・テクニックに比べて歌詞が追いついていないと感じることがあるんですが、それについてはどう考えていますか?
T 日本語だと現実的、具体的な表現になってしまって、歌詞が飛び込んできたときに粋じゃない感じになっちゃうんですよ。日本語っていうのは、そもそも直接表現することが美しいとされるような言語じゃないんですよ。
S 例えば昔の和歌なんかだと、女の人に声をかけとけばよかっ たというときに”素敵な花の枝を折ってくるのを忘れた”だとか、あなたに会えなくて寂しいと言う代わりに“袂が(涙に濡れて)毎日重くなる”とか、そういう美しい表現をするんですよ。
T そういう日本語の美しい表現をこれから作っていきたいですね。
▶ 逆に「Make Me Happy」の歌詞は英語が中心ですね。
T もうちょっと練れば(日本語でも)できたのかもしれないけど、この楽曲を生かすには英語が一番だと思って。サビ以外は全部英語なんですよ。だから、この曲は日本語を今までの英語扱いにした感じ。
S でも、全部英語で作っても使い古されてる単語ばかりになってしまって、稚拙な歌詞になるんですよ。今新しく作ってるのも日本語と英語が混ざってるもの。
▶ 今回は英語のラップにも挑戦してますよね。
T サッちゃんのパート、カッコよくないですか?
S “どういうラップが(曲に)合うんだろう?”って考えて、レコー ディング当日のブースの中でもいろいろなスタイルで何十回もやった結果、こうな���ました。私の歌詞はちょっとエロチックで、大 人っぽい感じ。タカちゃんの方は“みてみて私たち”っていう。
T やんちゃな感じ。
▶ 「Shake」のリミキサーにジブラさんを選んだのはなぜ?
T ジブラさんのアルバムを聴いて、そのセンスがスゴク信頼できたので、お任せしました。
▶ ミックスはデイブ・ダーリントンですよね。
T ボーカリストの人がこんなに満足のいくミックスは初めてだったていう話を噂で聞いて、ぜひお願いしたいと願っていたところ、偶然日本に来ていてそこをガシッと押さえてやってもらいました。 願えばかなうんですね(笑)。
▶ 前回の「Bed」からステップ・アップした点は?
T 前回と違って、今回はメロディーと歌詞を同時に考えたから、自分達の曲っていう意識が強いですね。今回の方がもっと自分達のやりたい事がやれてきてるんですよ。その分スゴく責任も大きくて、満足感もスゴく大きくなりました。
▶ 次のリリースの予定は?
T 自分達の方向性をようやく形にできるようになりましたが、次はそれまでの過程のシングルを含めてのミニ・アルバムになります。セカンド・シングルの「Desire」はリミックス、ファースト・シングルの「For Me」は歌い直しが入ります。アルバムの方も楽しみにしていて下さい。
S それと、ぜひライブも見に来て下さい。
2 notes · View notes
seafood-33 · 1 year
Text
2015-04-02
"If Yuzuru fell down, Javier would fly over to help him up." The interviewer saw that.
"I was proud of him as a teammate and thought, 'I'm so happy to see my friends win.' " Yuzuru said. Javier rubbed Yuzuru's shoulder as if to hide his embarrassment.
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
Title: ハビエル・ フェルナンデス 「夢、恋と人生、そしてユヅルについて」 Javier Fernandez "About Dreams, Love and Life, and Yuzuru"
(excerpt)
昨年(2014)12月、ついに念願のGPファイナルがスペインで開催された(バルセロナ)。地元ハビエル・フェルナンデスの人気はもちろん、スペインの観客はどの国の選手にも驚くほど熱心な声援をおくった。会場は連日、ほぼ満員だった。
Last December (2014), the long-sought after GP Final was finally held in Spain (Barcelona). Aside from the popularity of local player Javier Fernandez, the Spanish audience was surprisingly enthusiastic in their support for players of all nationalities. The venue was nearly full every day.
「スペイン人は元々スポーツ観戦が大好きなんですよ。でもあの大会の後で、大勢の人々に『フィギュアスケートがあれほど面白いとは思わなかった』と言われました。うれしかったですね」
"Spaniards love to watch sports by nature. But after that competition, many people said to me, 'I didn't think figure skating could be so interesting.' It made me happy."
この大いに盛り上がった大会の後だった、スペインに新たなリンク2カ所(バルセロナとグラナダ)の建設が決まったのは。
It was after this highly successful tournament that the decision was made to build two new rinks in Spain (Barcelona and Granada).
2012年、日本から新たな風が舞い込んだ。羽生結弦(はにゅう・ゆづる)が同じクラブに移って来たのである。
In 2012, a new wind blew in from Japan. Yuzuru Hanyu moved to the same club.
「ユヅルが加わることに、まったくためらいは感じませんでした。ニコライのところにいたときに、強い選手と一緒にトレーニングすることのメリットを十分に実感していましたから」
"I had no hesitation at all about having Yuzuru join us. When I was with Nikolai, I fully realized the benefits of training with strong athletes."
「ユヅルは本当にすごい選手ですよ。練習でも常に100%を出し切って、上達しつづけている。彼が五輪チャンピオンになる前から、彼は偉大なスケーターだと言ってきましたが、今も言い続けています」
"Yuzuru is a truly amazing player. He always gives 100% in practice and continues to improve. I have been saying he is a great skater even before he became an Olympic champion, and I continue to say so."
羽生が転倒すれば、ハビエルが飛んできて手を貸して起こす。そんな和気藹々として光景がリンクに見られた。
If Hanyu fell down, Javier would fly over to help him up. Such a harmonious scene could be seen at the rink.
「ユヅルはまだ英語を勉強中だけど、可能な限り僕たちは英語で話をしています。ウォームアップの最中に、ブライアンと3人でジョークを言い合うこともある。アスリートにとって、リンクがこういう快適な環境だと毎日来るのが楽しくなるし、上達も早くなる。それに、お互い見て学び合うこともできるんです」
"Yuzuru is still learning English, but whenever possible we speak English. During warm-ups, sometimes the three of us (and Brian) share jokes. For athletes, when the rink is a comfortable environment like this, it makes it more fun to come here every day and helps them improve faster. Plus, we can watch and learn from each other."
羽生がハビエルにアドバイスを求めることもあった。
Sometimes Hanyu would ask Javier for advice.
「不調な日には、『前日、君はこうやっていたけれど、今日はここがこうなっているよ』というように、気がついたことを言ってあげることもあります。逆に僕がイマイチな日には、ユヅルが『大丈夫、できるよ』と声をかけてくれたりもします」
"On a bad day, I might say something what I notice, 'This is what you did the day before, but this is how it is today' Conversely, on days when I am not doing well, Yuzuru will sometimes say to me, "Don't worry, you can do it. "
ソチ五輪、羽生結弦は金メダルに輝いた。ハビエルは4位。惜しくもメダルを逃した。
Yuzuru Hanyu won the gold medal at the Sochi Olympics. Javier finished 4th. He unfortunately missed the medal.
「もちろん、いつかはユヅルに勝ちたいという気持ちはある。スポーツには勝敗がつきもので、いくら友達でも競技になったらライバルだから」
"Of course, I have a desire to beat Yuzuru someday. Winning and losing is inevitable in sports. No matter how friends we are, when it comes to competition, we're rivals. "
ハビエルが羽生結弦を上回る日がやってきた。今年(2015)の世界選手権。
The day has come for Javier to surpass Yuzuru Hanyu. World Championships this year (2015).
ハビエルの演技は羽生の直後だった。その段階で羽生は暫定首位。リンクには羽生を称える無数のプレゼントが散らばっており、ハビエルは本番前にまったく足慣らしができなかった。
Javier's performance was right after Hanyu's. At that stage, Hanyu was the provisional leader. The rink was littered with countless gifts honoring Hanyu, and Javier was unable to break in his feet at all before the performance.
「同じことを昨シーズン、埼玉の世界選手権で経験しているから、ぜんぜん大丈夫でした」
"I had experienced the same thing last season at the World Championships in Saitama, so it was no problem at all."
十分に落ち着いていたハビエルは、4回転3本のうち2本を成功させた。電光掲示板は「1位」と表示した。羽生の連覇は阻まれた。同じチームメイトのハビエル・フェルナンデスによって。会見場にあらわれた羽生は意外にも明るい表情で、ハビエルの金メダルをねだる素振りさえ見せた。
Calm enough, Javier succeeded in two out of three quadruples. The electronic board displayed "1st place" . Hanyu's consecutive victory was thwarted. By his teammate, Javier Fernandez. Hanyu appeared at the press conference with a surprisingly cheerful expression on his face, and even made a gesture of begging for Javier's gold medal.
「絶対にユヅルが優勝だと思っていたからね。スペインにとって初の金メダルは夢だったけど、夢に過ぎないと思っていた。ユヅルが一緒に練習するようになったお陰で、僕の練習量が増えたんです」
“Because I definitely thought Yuzuru would win. Spain’s first gold medal was a dream. I thought it was just a dream. Thanks to Yuzuru starting practicing with me, the amount of practice I do has increased."
一方の羽生は、こう言った。
Hanyu on the other hand said:
「ハビエルがすごく練習していたということは、トロントの皆から聞いていました。これまでいつも一緒に試合をして、ハビエルは『おめでとう、ユヅルを誇りに思うよ』って言ってくれていました。でも今回は立場が逆になって、自分はそんなに心が広くないから悔しいし、次は勝ってやるとも思うけど、その反面、彼をチームメイトとして誇りに思うし、『仲間が優勝するのはこんなにも嬉しいものなんだな』と思いました」
"I had heard from everyone in Toronto that Javier had been practicing very hard. We have always played matches together and Javier would say, 'Congratulations, I am proud of you Yuzuru.' But this time our positions were reversed, and although I was frustrated because I am not so open-minded and I would win next time, on the other hand, I was proud of him as a teammate and thought, 'I'm so happy to see my friends win.'"
横にいたハビエルは、照れ隠しのように羽生の肩をもんだ。
Javier, who was standing beside, rubbed Hanyu's shoulder as if to hide his embarrassment.
Source
Number 875号 羽生結弦 不屈の魂
Full list from 2011 to present
23 notes · View notes
fujita-japa · 5 months
Text
自己紹介
初めまして、自称JAPA(ジャパ)こと藤田です。ポルトガルの首都リスボンに暮らす34歳(独身)です。
埼玉県で生まれ育ち、私立の男子校で6年間ぬるま湯に浸かり、そこで海外と海外サッカーにかぶれ、浪人の末に合格した東京外国語大学でポルトガル語を専攻し(2009年入学)、2度リスボンに留学、そこで人生を狂わすあるものに出逢ってしまいます。
それは何か?
SPORT LISBOA E BENFICA (SLベンフィカ)というポルトガルが世界に誇る総合スポーツクラブです。
インテルミラノの青と黒のユニフォームに憧れていた藤田少年はリスボンで人生一度目の改宗を果たします…でも、理由はちゃんとあります。自分と同じ誕生日11月3日で、憧れのパブロ・アイマールさんが10番のユニフォームを着てベンフィカでプレーしてたのです。
2010年に初めて海外で見た試合がCLとリスボンダービー、これでサッカーにハマらないのは不可能な程のカードを観てしまった藤田少年。案の上ベンフィカにのめり込み、翌年の長期留学を決意します。
2011年9月〜2012年3月までの半年間、ベンフィカに全て?を注ぐ生活が始まります。サッカー好きの方のために補足をすると、アイマール以外にはガイタン、ヴィツェル、ノリート、ロドリゴを擁しCLでマンチェスターUと同組ながら、バーゼルと共にグループステージを突破したシーズンです。
人生二度目のリスボンダービーを見るためにソシオとなっていた私は、阪大から同じく留学をしていた日本人と共にスタジアムツアーに行くと、そこでベンフィカの広報スタッフより、日本人のソシオは珍しいのでインタビューをしたいという話をされます。一つ返事でOKをした私たちは、スタッフの方々とスタジアムを周り、最後にインタビューは行われます。拙いポルトガル語で恥ずかしいのでリンク等は載せませんが、今も探せば関連記事はでてきます。
動画は翌日の2011年12月1日にクラブの公式サイト、FB等のトップに掲載されました…当時はベンフィカがアジアを意識したプロモーション戦略をとっていたのもありますが(私たちの前の少し前に中国人の夫妻が同じようにインタビューをされ、同じように掲載されていた経緯もありました)。そこで承認欲求の塊wとなった藤田少年は20代の全てをベンフィカに注ぎます。
毎年一度はリスボンに旅行で行き、旅行の間は毎日のようにベンフィカの練習場に足を運び、日本で収集したベンフィカグッズをカバンいっぱいに詰め込み、サインや写真をお願いする日々を過ごしました。その間にはモラトリアムの延長のために大学院に進学したり、就職をして予備校で英語の講師兼テキスト編集の仕事をしたりと人生のイベントはありましたが(昔から教えるのが好きで天職だと思ってます。本当はポルトガル語講師だけで食べていきたいです)、思い出を書き連ねてもキリがないので割愛します。
最終的には、ベンフィカの公式TVの一時間の討論番組に出演させてもらい、私のファンとしての活動は休止期間を迎えます。最終的な人生の目標はポルトガルで家庭を持つこととベンフィカに就職することと決めている私ですが、30歳までにサッカー界に入れなかったり、ポルトガル語を使う仕事に就けなかった場合には、日本でヒッソリと暮らすという決意をしていました。
ベンフィカTVに出ても何もなかった私は、30歳という年齢を無事に迎え、自分の身の振り方を考えていた矢先に、お世話になっていた方からの紹介で、ポルトガルのサッカー界で働くという話が浮上します。チーム名は伏せられていましたが、すぐに返事をしたのは覚えています(誰にも相談せずw)。
紆余曲折経て、入団?が決まったUDオリヴェイレンセSAD(現在は三浦知良が所属)では約3年半お世話になり、『秘書』という名目で特に専門性も強みもなかったので、何でも屋でした笑。翻訳・通訳(通訳としてはポンコツです)…、外国人担当、クラブ公式カメラマン、SNS担当、日本人選手へのポルトガル語の授業、経理業務etc…。自分がクラブの貢献出来たことを挙げるとすれば、ファンとの関係の構築だけかと思います。3部で戦っていたシーズンはコロナ禍も落ち着き、ファンもスタジアムへと足を運べるようになってきたので、ここぞとばかりにファンの写真をバシバシ撮影し、クラブ公式SNSで使用をしてもらったり、ファンに直接配ったりしてました。私の中では「ファンがあってこそフットボール」という信念は大事にしております。3部から2部への昇格が決まったアウェイの試合で、遠くから訪れたオリヴェイレンセサポーターが歌ってくれた私のチャントは今でも一生の思い出です。個人的には、降格への責任も感じていたので、喜びも一入でした。また、カメラマンは自分の写真が残らないので、それも含めて最高の瞬間でした。
個人的には思い入れの強いクラブですし、街を歩けば、皆にフジータと声をかけてもらえる、最高の環境でしたが、プライベートの問題でオリヴェイレンセを退団し、今はリスボンの企業で英語と日本語を使った仕事をしております。また、完全週休2日制のオフィスワークを望んでいたのもありますが。
仕事が8時〜16時で残業もなさそうなので、これからは、封印してきたベンフィカ、ポルトガル代表の追っかけ活動と、副業として観光ガイドや写真撮影、ポルトガル語のオンラインや対面でのレッスンや、生活が落ち着いてきたら、YouTubeも始めたいと思ってます。
「ベンフィカ」と言えば「藤田」、「ポルトガル語講師」と言えば「藤田」と皆さんに認知してもらえるようにこれから頑張ります。長くなりましたが、今後ともどうぞ宜しくお願いします。駄文をタラタラと連ねすぎたので、自己紹介の簡易版も用意します笑。ではでは、Até já
Tumblr media
2 notes · View notes
m12gatsu · 1 year
Note
幼稚園からゴリゴリの私立でした。中学受験の話が出てたので、ひとつお伝えしたく。というかただの私が整理したいだけなのかもしれないです。
良い学校は公立私立なんて関係なくて、動物園かな?って思う程の私立校もあれば、節度の保たれている公立校も存在しているのだと思います。
小学生の頃、受験で、塾の点数で、志望校でマウントを取り合うクラスメイトに戸惑い、そのままエスカレーターで上がりしました。どんな中学か、どんな生徒か、教育方針か何も確かめずに。小学生って親の言うことに従っていれば正解に進めていたので。
入りたい部活に入れて、やりたい楽器を吹けていなければ、私の絶望は中高と共にあったのだろうと思います。通っていた小学校とあまりにかけ離れた中学の雰囲気に唖然としました。授業中に雑談をしている人、教師の言葉遣い、授業参観に来る保護者の服装。「良いなぁ金持ちで」と言われる裏に潜む「世間知らず」。
中学にいた頭のいい、話の合う、授業中かしましくないクラスメイト達は、所謂受験コースと呼ばれるクラスに行くか、教師に色んな事を言われながら外部の高校に出てしました。部活に勤しんでいた私は、受験する時間も作らずこれから起こる孤独に襲われる事等考えず一般クラスの推薦を取るしか考えていませんでした。
今考えてもああするしかなかったのだと思います。ゴリラみたいな体力で、熱があろうと感染症でない限りは休みは取れず、ただただ親の言う「良い将来」のレールを走るしかありませんでした。
自分語りが多すぎて何が言いたかったのだろうと疑問になってきました。どんな人になりたいのか、どんな環境を望んでいるのか、どんな生活を送りたいのかを話し合って決めて言って欲しいなと思いました。
私にとってこの世は地獄で、子どもを育てるということは私が親にされたかったことをしているだけで、それは単に私の自己満足になってしまうこと、それは私の子どもの自由と、尊厳と権利を奪うことになるのだと思っているので、現在は考えていません。
本格的に何が言いたいのか分からなくなってしまいました。少しでも頭の片隅に置いていただければ嬉しいです。
「ひとつ」と仰いつつ全然ひとつじゃなくて笑いました。こういうの待ってました。
僕が疑問に思うのは、小学校中学年〜高学年程度で、主体的に自分の志望校だとか進路を考えることなんてできんのかね、ということです。どんな人になりたいのか、と問われてまともに答えられるのか。僕は少なくとも無理でした。
自分語りついでに思い出したことがあるので、僕もひとつ身の上話を差し上げます。小学校5年生の時に、通っている地域のサッカークラブから、全国区の強豪クラブへ移らないか、と父親にいわれました。細かい経緯はめんどくさいので省きますが、僕はこれを泣いて拒否し、地域のクラブに残留しました。理不尽で強権的な部分も大いにある父親でしたが、最終的には親にNOといえる子どもだったようです。でも、僕を突き動かしたのは中長期的な将来の展望などでなくて、「新しい環境が無理」という目の前の一心だった。いま思えば文字通り幼稚で、浅はかで、臆病だったとも思う。父親の気持ちもわからなくもない。
国民の三大義務に、教育を受けさせる義務とあります。教育を受ける義務はありません。基本的人権には、教育を受ける権利がある。では、教育を受けさせる権利は? この辺りがやはりひどく曖昧で、僕もあなたも戸惑っているようです。「親の敷いたレール」とはよくきく表現ですが、保護者にできることは、経済的な支援と機会提供に尽きるのではないでしょうか。だから経済的に余裕があれば、などと欲をかいたこと口走りもしました。反出生主義っぽい言説もお見受けしますが、勉強不足なのでこのくらいにしておきます。
回答になっていませんが、あなたのも質問になっていないので、お互い様ということで笑 ありがとう。
8 notes · View notes