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#越前ふくい美術館
papatomom · 1 month
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2023.03.30(Sat)
地元の企業が運営する「越前ふくい美術館」が、県庁がある福井城址のお堀のすぐ前にオープンした。(福井駅西口より歩いて3分ほど)
館内には東山魁夷や藤田嗣治など越前和紙を用いた有名画家の作品や浮世絵などが展示されていた。
葛飾北斎が描いた木版画「諸国名橋奇覧」11枚には、人間国宝の9代目岩野市兵衛氏の和紙「越前生漉(きずき)奉書」が使われている。
嬉しいことに、写真で展示物の風景を撮るのはいいとのこと。
こじんまりしているけれど雰囲気もよくシックで見ごたえのある「ちいさな美術館」でした。
展示を見終わって、併設されているCafeリンデンで、アップルジュースとチーズケーキのセットを注文。チーズケーキは小さめだけど濃厚でおすすめです。
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ameironisomete · 5 months
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モネ展に行ってきた。わかっていたがモネってこんなにも人気なんだなぁ〜がはじめの感想。人の多さに圧倒されながらも色の使い方はさすがだなぁ、好きだなぁとか連作や最期の作品を観れたことは良かったなぁ。今年行った美術館の中ではマティス展が1番印象に残っている良かったなぁ。年々"自分の好き"がわかっている感じがする。 前髪作って、暗髪にした。イメチェン〜今はまだふいに映る自分の姿に少しびっくりしいるけどまぁ、なかなかいいんじゃなかろうかと満更でもない。私は定期的に縮毛をかけている。今回かかりがイマイチで、それを連絡することがかなり億劫、、憂鬱だ。 月に1.2回の飲食店でバイトしている。食べることが好きだから飲食店でバイトしてみたかった。やってみたかった事をできているからか楽しいと思いながら働けている。他には本職とは違って稼ごうと思っていないこと、短時間であることだろうか。賄いは美味しいしシェフは優しいのが大きいのかもしれないが。 12月に入り1週間が過ぎようとしている。早いね。クリスマスソングを聴いて過ごす時間が増えている。クリスマスは仕事だし、クリスマスだからと一緒に過ごす人もいないけれどクリスマスの雰囲気はキラキラしてて好きだなぁ。部屋に小さなツリー飾って楽しんでいる。寂��い時に寄りかかれるような、安心感のある人が隣に居てくれたら嬉しいしそれに越したことはないが信頼している友達に寂しそうに感じない、楽しく過ごしているように見えるよと言われた。たしかに今の時間は、1人なりに充実しているし、もっと魅力ある人になるために、もっと自分を好きになるための時間に当てたいな。
私は私のペースで行こうね。( ◠ ◠ )✌️
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nanaintheblue · 10 months
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2年前の日記 
一軒目のスーパーで肉や牛乳を買い、二軒目のコンビニでキャベツを買う。通勤鞄に入りきらないのでラグビーボールみたいに手で抱えて帰路につく。昭和の盗人みたいに。 さくらに手紙の返事を送ってから一か月近く経つ。その返事、「ついたよ」という連絡が一向にない。
理由はなんとなくわかっているからこそ「届いた?」という確認のラインを送れずにいた。新幹線の中で一気に書き上げ、ほとんど推敲せずに会社で印刷して送った。多くなるとわかっていたのでwordで打ったものの、印刷すると5枚で、印字で送るには厚みおよび手紙としての気迫が足りない、と思い最初のページにちょっとしたイラストを落書きして「手書きじゃなくてごめんよ」と吹きだしを足しておいた。エアメールなのに名前だけ癖で日本語で書いてしまい、あわててSakuraと郵便局でローマ字を振った。 さくらは不思議な友人だと思う。
サークルの同期だった。それなので付き合い自体はかなり長いのだけれど、本当に素で彼女と話せるようになったのは結局のところ社会人になってからだった。 1年の新歓時期だかに部室で会ったのが最初の出会いだった。初手から、綺麗な子だなと思っていた。その頃のわたしにとって、その感想はイコール「仲良くなってもらえないかもしれない」という危惧とあきらめに直結していた。 かつ、さくらは明るくて元気でなつっこい性格で、当時そんな言葉はなかったが言うなればどう見ても「陽キャ」で、日なたの国道を歩いてきた子のように見えた。事実はどうかわからない、けれど、容姿のきれいさ、人にしゃべりかける屈託のなさ、応じている人の嬉しそうな笑み、そのどれも自分が持ちえないものだった。こういう人はわたしとは仲良くしたいと思わないだろう、と決めつけて遠巻きにしていたものの、さくらからしゃべりかけてきて、そこにはなんのへだてもなかった。あ、こういう子なんだ、と思った。性格に裏表がない天真爛漫な美人。わたしの中にある、「顔が綺麗な人はこういうもの」という偏見の型のどれにもあてはまらなかった。 仲良くなれるはずがない、と思った。性格が悪ければ品のない話で盛り上がったり誰かの陰口に花を咲かせるなり、という邪道な方法で近しくなることもできるのだけれど、さくらは本当に、目に見えるままの子だった。完敗だった。「さくらちゃんって冗談通じないタイプだよねー」と性格の悪いイケメンの先輩がいつだったか彼女がいない場で漏らしていて、それを聞きながらこっそり溜飲を下げている自分がとてもくだらなく、浅ましい存在だと思った。 1年の終わりに部長を決めなければならなかったので、誰もいないだろと思って立候補してみたらさくらも手を挙げたので正直びびった。お互いに打ち明けていなかったので、その時点ではまだ表面的な「仲良し」だったんだと思う。投票で決めることになり、なんとなくわかっていたが、さくらが部長になり、わたしは副部長になった。 票がどんなふうに割れたのかは結局知らないのだけれど、さくらが選ばれた、という事実は、当時のわたしをそれなりに傷つけた。わたしの方が部室に顔を出していたし、展覧会で作品もまめに出していて、部員として「まじめ」だった。本当に部長を務めたかったのかと言えば、いまに思えばそうでもなかった気はする。ありていにいえばそもそもなんで立候補したのかもいまひとつその時の自分の気持ちを思いだせない。でも、負けた、と思ったし、わたしではなくてさくらの方がこの場では上だとみんなに思われてるんだなあ、と思った。もちろん、単に人気投票ということではなく性格や適性や総合的なことを鑑みて選挙がおこなわれたにすぎないのだけれど、当時のわたしは結果をみんなで分かち合っている、という状況がいたたまれなくてしょうがなく、羞恥の意識が身体を貫いた。立候補なんてしなければよかった、と思った。 思いだせないなりにいま振り返ると、わたしは部長になりたかったのではなくて(むしろめんどくさそうだなと思っていたのだし)、「そうだよね、このメンツだったら**ちゃんがふさわしいと思う」とみんなにうなずいてほしかっただけなのかもしれない。けど、結果はそうじゃなった。 別にその一件を通してさくらと関係がぎこちなくなったとかわたしがよそよそしい態度をとったとか、そういうことは特になく、そのあとも適度に仲は良かった。逆に言えば、一定の友だちではあったけれど、深い仲になることもなかった。さくらがどう思っていたかはわからないけれど、わたしは結構確信的に、この子とはここまでだ、と思っていた。決定的なことがなくてもしにたいと思ってしまうことや、サークルの中でかっこいいなと思っている異性のことや、サークル内で聞きかじった下世話な噂話をさくらと盛り上がれる想像が全くつかなかった。 憶えていることがある。新入部員の頃、先輩に「さくらちゃん彼氏いたことあるでしょ! むしろいまいる?」と聞かれて「ないですよ」とこたえ、「うそー! 絶対もてるでしょー!」と騒がれ、さくらは素で困ったようにはにかんで、話題が変わるのをしずかに待っていた。そのやりとりを見ながら、ああ、ほんとにこの人は自覚がないんだ、と思った。自分がひかっていて、それはどうにだって��器にできるものなのに、居心地悪そうな顔をして。 嫌い、と思えた方が楽だったと思う。ただひっそりと、ちゃんとしゃべったことないけどたぶんこういう子はわたしの苦手なタイプだろうな、と思った。そしてその思い込みは、結局大学を卒業するまで、石のように残りつづけたまま、それでもサークルはおなじであるからして、「友だち」でいた。 東京に出たわたしは、23区ではなく国分寺に配属された。仙台よりいなかじゃんか、と思いながら、どうにか慣れない日々や人や街に慣れようと必死だった。そんな時、さくらが「東京行くから泊めて」と連絡を寄越してきた。遠いけど来なよ、と言うと「ありがとう!」と返ってきた。さくらは大学在学中アメリカに留学していたので、ストレートに学部を卒業したわけではない。そもそもいまひとつ、いまどういう状況なのかも知らないでいた。 夜遅く、さくらがマンションに来た。遠かったでしょ、と言うと、遠かった、と笑っていた。着いたのは22時過ぎとかだったので、お風呂を貸して、すぐ布団を並べて寝ることにした。 「**はどういう会社に入って、何の仕事をしてるの?」  川の水を掬ったような澄んだ声で問われ、一瞬言葉に詰まった。在学中に作家になれず、挫折をひきずったまま出版社に潜り込もうとしたものの内定は出ず、そうなるともう自分が何をしたいかなどまったくわからなかった。手当たり次第に企業を受けたものの、結局、自分がなるとはまったく想定していなかった職につき、当然、業務内容に全く関心をもてないまま社会人生活は始まってしまった。 ごまかしようもないので職種と日々の仕事内容をありのままに説明すると、「そうなんだ、意外だね」と言われた。本人が一番そう思っているのでへらへらするしかなかった。 「**はやりたいことがあって、仕事もちゃんとやって両方がんばってて、すごいね。わたしは自分が何をやりたいのか、まだよくわからないから」 「さくらっていまどうしてるの? まだ大学にいるの?」 いまさらのように尋ねると、アメリカの大学でアニメーションの勉強をしているのだと明かしてくれた。さくらは建築学科だったので、意外だった。「アニメーターを目指してるの?」と尋ねると、まだ決めていない、としずかに返ってきた。 「**みたいに、小説が心から好きで、一所懸命書いてるのうらやましい。わたしは、まだ自分がどうしたいのか定まってないから。向こうでいろいろ美術のこと勉強中」向こうでは、デッサンの基礎を学んだりアニメーションを実際につくったりしているらしかった。美術部は完全に趣味で在籍していたわたしからすれば、せっかく名前のある大学に入ったのに随分思い切った進路だなあ、とひそかに思ったけれど、小説を書かない人間からしたらわたしがしていることだって相当突飛だろう、と思い直した。 「**みたいに、これだ、って思える芯があるわけじゃないから羨ましいよ」 わたしは黙り込んだ。 会社のトイレで泣き、月曜日から木曜日まで毎日「早く金曜日にならないかなあ」と思いを馳せながら働き、日に日に時計を確認する頻度が上がる、東京の郊外での些末な暮らし。仙台にいる恋人からは4月に「別れよう」と言われてから別れ話がこじれにこじれ、肝心の小説は、失恋や引っ越しで精神がめちゃくちゃにになったことを盾に事実上筆を折っていた。新人賞用の原稿はせっかく書き上げていたのに推敲が面倒くさくなり、というか急に点数をつけられるということが怖くなって土俵に送り込まずにボツにして、新しい小説は書こうとしては途中で投げていた。こんなの全然「羨ましい」なんかじゃないよ、と思ったけれど、いまの自分のていたらくを一つひとつ明かす勇気も気力もなかった。そして、こんなめちゃくちゃな生活でも、羨ましい、と思えるような面がまだ残っているのであれば、その虚像をまだ信じていたかった。さくらが、誰かを、それも自分を「羨ましい��と思うことがあるなんて、想像もしていなかった。 四年も付き合いがある中で、初めて、いろんな話をした。ほかの、さくらよりもっと親しいと思っていた部員にも言ったことのない本音や、愚痴や、夢や、感情のことを話した。次の日は「**がこの町で好きなところに連れて行ってよ」と言うので、妹尾図書館まで歩いて行って、お昼を食べて、さくらを駅まで送った。 その一件から、わたしのさくらへの気持ちや関係性の捉え方が変わった。時々ラインを交わし、時差のすきまで電話をした。 そして、社会人1年目の年末、さくらから再び連絡があった。日本に帰ってきてるから晩御飯食べよ、と誘われ、自分の職場である新大久保のトッポギを食べることにした。学生時代からうすうす気づいてはいたが、さくらは辛い物、というかげてものが好きなタイプの女の子だった。言いはしなかったけれど、可愛いのにへんなやつ、と失礼な感想を持っていた。 「そういえばさ、さくらは死にたいとか思ったことなさそう、って昔**に言われたな」  さくらが選んだ店は、大久保でも有名な激辛の店だった。熱くて辛い、痛みの根源のような食べものと格闘しているさなか、急にさくらが言いだした。ぎょっとして「そんなこと言った?」ととっさに言い返した。さくらは邪気のない笑顔で言ったよ、とうなずいた。 「なんてこというんだ! って思ったもん。覚えてないの?」 全く、覚えていなかった。頭があせりで真っ白になった。 大学生の頃だったら、さくらのように明るく、人に囲まれたきれいな子はしにたいとか思うはずがない、と思い込んでいたかもしれない。いや、かもしれないとかじゃなくて、そう思っていた。 覚えがない。でも言ったのかもしれない。あの頃の自分ならありうる。内心汗をかいていると、さくらはあっさりと別の話題を話し始めた。正直に言えば、言った言わないの問答にならなかったことに心から安堵した。さくらがそういうなら言ったんだろう、と思った。 新しい仕事や近況の話をして、残ったトッポギは包んでわたしが持って帰ることにした。新宿駅に向かって歩きだし、線が違ったので地下へ降りる階段の前で別れた。 よいお年を、と口にしたら「おない年の人と言い交わすのって変な感じ」とさくらが笑った。それを見て、どうしようもなく、さみしい気持ちになった。 あ、いまわたしこの人に抱きつきたいかも、と思った。同性の友達に対してそんなふうに思ったのは初めてだったし、友達とハグをした経験も数えるほどしかなかった。正確に言えば、こういう場面でそういう、突発的なハグをしたことがなかった。びっくりされそうな気がして、言わないでおいた。 だって、さくらとはそういうんじゃないし。この期に及んで、そう思う自分が、確かにいた。遠慮、後ずさり、虚勢。結局、また明日学校で会うみたいな顔をして、手を振って別れた。 それからもなんどか電話した。突然ラインをくれるのはいつも彼女だった。あれからいちどもわたしの失言についての言及はなく、読んだマンガやいま書いている作品について、あるいははまっているアイドルについてとりとめもなく雑談した。塩釜で全裸になったときの原稿を送ったらすぐ電話をくれて、会社の非常階段で15分くらい話した。性的な話を全くかわしたことがなかったので、道徳的な観点で批判されたり軽蔑されたらちょっとやだな、と思っていたけれど、そんな無粋なことは全くさくらは口にせず、ただただ面白がっていた。 この人はわたしが思うような人ではなかったのかもしれない。友だちになってから随分時間が経つというのに、いまさらのようにそう思った。そして、離れてからしか気づけなかった自分が、あまりにもおろかだと思った。自分の保身ばかり目を向けていて、さくらを「顔のきれいな人」としか見ていなかったのだ、といまになって思った。 さくらから突然ポストカードが届いたのは8月の終わりのことだった。玄関で、靴も脱がずにそれを読んで、わっと泣いた。とくべつな内容ではなく、日本の小説を読んで、わたしと話したくなって、筆を執った、そういう簡潔な内容だった。まぎれもなくわたしだけにあてられた手紙だった。 大学生の頃、わたしはさくらとはここで終わりだろう、と思っていた。もちろん一人の友だちに対して明確にそう思っていたのではなく、社会人になっても遊んだり、連絡を取ったりするだろうとは全く思っていなかった。それを、さびしいとも、正直に言えば思っていなかった。さくらとはここまで、と思っていたから。 でも、大学を出て4年経ったいまでも、わたしたちは友だちだ。それはさくら一人の力によって関係性がつづいているんじゃないだろうか。だって、わたしから連絡をするのは、書き上げた小説を送る時くらいだ。それは、よく言えば信用しているから読ませているとも言えるけれど、わたしは当事者だから自分の気持ちはわかっていた。 ものをつくっている人に送れば、内容に問わず書き上げたことに「すごいね」と言ってもらえるとわかっていたから、その賞讃ほしさに送っていただけなんじゃないだろうか。 でもさくらはそうじゃなくて、本当にただ純粋に友だちとしてわたしを好きで、信じている。はっきりそう書いてあったわけではないにしろ、そういうことが伝わる手紙だった。というよりも、アメリカからわざわざ手紙を送るという行動だけで、充分だった。封筒には、きらめくはなびらの切り紙も一緒に入っていた。ラブレターだ、と思った。 さまざまな感情が津波のように打ち寄せ、長い手紙を書こう、と思った。集中して書きたい、と思って移動中に書き上げた。それはさくらに対する感情の変化を綴った、独白のような懺悔のような、一方的な内容だった。書いている時は集中していたので気づいていなかったけれど、送って数日後に読み返して、うわ、と思った。顔が、赤ではなく蒼くなるのを感じた。さくらが寄越したものがラブレターだとしたら、これは単なる弁解だった。許してほしい、とうわめづかいが浮かび上がるような。 うーんと思っているうちに、ひさしぶりに東京で大きな地震があった。(これは、本当にだめなほうの地震かもしれない)と思った。部屋の真ん中で硬直しているうちに揺れはおさまった。 そういえば忘れてたな、地震ってくるもんだったな、とぼんやりしているうちに、いまだったら、送りそびれているいくつかのメッセージを送れそうだと思った。どれも年単位で滞っている連絡で、地震程度ではやはり、勇気が湧かずに素通りした中で、さくらには送れる、いま、と思った。 【手紙届いてる?】 次の日に連絡があった。【手紙で返信送ろうと思ってた!ごめんね】【来週一時帰国するから会おう!】だった。拍子抜けした。怒って連絡を寄越さない、ってわたしじゃあるまいしさくらにかぎってありえないか、と思ってちょっと笑った。 【13日なら空いてる うち泊まりなよ】 さくらからの手紙には、「**とべろべろになるまで飲んでいっぱい話したい」とあった。さくらが結構お酒に強いことを、ふっと小さい風が吹くようにして思いだす。さくらがうちに来るまでに、ヘパリーゼと一ノ蔵を買っておこうと思う。
2021.11
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chaukachawan · 4 months
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演劇サイボーグ、白子です。
…実はまだどの公演の役者紹介もしていないという事実を横置きにしておいて、新人公演の役者紹介をしていきます。
皆が人柄などについて書いてる中、演技のことばっかり書いちゃう私をどうか許してください。
折角なので白デミー賞の授賞式も一緒に行います。
●縦縞コリー:父(川上一雄)
主役は君しかいないで賞
1番1緒にご飯を食べてる気がします。食べるのが早すぎて、いつも待ってもらってますが…。やっぱり自分で考えて演技してくれる役者はいいよなぁと、こりちゃんの演技を見る度に思います。上手なんですよ、本当に。もっと言うと、こなれていて、直ぐにそのキャラクターになってしまうんですよ。いやぁ、羨ましい。最高の主役です。こりちゃんが主役でよかったなぁといつも思ってます。新人公演のクオリティーを担保してくれるのは、彼の演技力だと常々思っています。そのうえで、彼のどこか子供っぽいところが好きです。お父さん、イヤーカフ付けてるの見た時はちょっとだけ君が遠くに行ってしまったみたいで悲しかったよ。
●あろハム権左衛門:母(川上なぎさ)
使いたい役者ナンバーワンで賞
ちゃうかで1番好きな役者を聞かれた時、いつもあなたの名前を出しています。本当に大学からか?と思わせる圧巻の演技力と声の圧。なのにどんな役でもスルッと自然体でこなしてしまう感じ。とっても好きです。個人的には今公演で一番好きなシーンは動物園のあそこです。オレンジの時からいい役者だなぁと思っていたのですが、今回の母は抜群に上手です。でも何よりも、こうしたらどう?という提案をすれば次の瞬間には120%の状態で持ってきてくれる吸収力と再現性。アローが主人公・ヒロインの劇、一緒に作ってみたいなぁ。いつかまたシャボン玉で一緒に遊びたいです。
● 海泥波波美:子A(川上ひろし)
圧倒的吸引力、みんなの意識と視線を鷲掴みで賞
君に好かれたい。メンヘラな僕でごめん。私は君のことが好きです。でも、どうやったら皆みたいに君と仲良くなれるのか分からない。一緒にいる時間はだいぶ長いけど、まだ君が麻雀と競馬が好きだという事くらいしか理解出来てないです。でも好きなんです。いや、これは嫉妬に近い感情かもしれません。何でそんなに人を惹きつけ、みんなを巻き込んで楽しい空間を作れるのか。近づきたいのに、どう近づけばいいのかまだ分からないです。大道具も子Aも私の分かりずらい口出しを理解することも、全部大変だったと思うけど、お疲れ様。最高の舞台をありがとう。これからも一緒に大道具頑張ろうね。
●苔丸:子B(川上たくや)
役者にスタッフに、二刀流で大谷越えてるで賞
帰りの方向が一緒で話すことが多くて凄く嬉しいです。喋ってて落ち着くし、心地良い合いの手をくれるとこがすごく好き。やっぱり香夜から一緒やと他の人よりも何となく結束力(?)みたいなのが1段階上な気がします。いやぁ、声出るようになったね。演技の幅の広がり方は指数関数的で、キャスパ師としてもそうだし、演技指導の方でもちゃうかをリードしていって欲しいなぁとよく思います。いやぁ、いいですよね苔丸。皆さんどうですか?苔丸のこと好きになりません���?一緒の座組でいてくれる事の安心感。敵になったら厄介なタイプですよ、ホントに。小道具、あなたがいないとどうにもならないです。今後ともよろしくお願いします。
●衿君:遠藤圭一
緩急の魔術師であり、誰よりも一緒に稽古したくなる人で賞
エリちゃん、大好きです。何かね、凄い好き。役者としても話し相手としても、いやぁ、いいですよね、彼。周作の時から上手だったのに、謙虚で努力家で、何より伸びようとする強い意志を持って稽古に来てくれてるのが、一緒に練習していて凄く伝わってくるんですよ。そりゃ一緒にいて好きになるに決まってますわ。動きやリアクション、声色ももがきながら手探りで見つけていった最善手って感じがしてね、いいんですよね〜。個人的には、声や演技が爆発しているエリちゃんも好きだけど、普段の大人しめなエリちゃんの方が好きなんですよね。声を聞いていると心が落ち着くんです。だからこそ、今回の遠藤はね、すっごく良いんです。あぁ、あと一週間あったらもっともっと良くなってますよ。けど、彼は私が教えられることは全て教えてきたといっても過言では無いので、彼の才能に乗っかって生産者の顔しときます。
●冊まいむ:子C (瀬尾マイ)
舞台上に自分の世界を作り出すマイペースクイーンで賞
最初はね、霧島みたいな感じで博士やってもらうかなぁとか考えてたの。でも、あなたは子Cです。あなたにしか子Cの無邪気さと心の奥底にある物憂げさは出せません。ダメも演技指導も何にも出来なかったけど、それだけみそかが完成していて、求めていた子Cを見せてくれたということです。なのに忙しい中たくさん練習してくれるじゃん。そりゃ好きになるしかないでしょ、君のことを。初めてな上にパソコンも壊れて大変な中、立派に音響チーフを全うしていたのも最高にえらいです!私が無理に納期を早めさせようとしたり、稽古でサンプラー使わせろとか言っても、真剣に悩んでくれて本当に信頼できて一緒に作品作りをしたいと思える仲間なんだなぁと思いました。役者としてもチーフとしても、どんどん成長していくみそかが楽しみで仕方ありません。君が娘でいてくれて、お父さん本当に嬉しいです。
●ミル鍋:博士
言葉に誰よりも説得力をもたせられるで賞
言わずもがな演技が上手なんですよね、はい。でもね、ゆにの凄いところは、自分の演技だけじゃなくて他の人の演技プランも考慮しながら、全体が動きやすく見やすいものになるよう動けるところなんですよ。アドバイスが思いつかなくて逆に困りました。凄いです。あと、エンディングの映像や舞台装置、その他色々な宣伝美術等に関して美的センスをいかんなく発揮していて、毎回圧倒されます。でも、何気に一番好きなのは点つなぎの表紙です。可愛い動物たちを全員が互いを尊重し合うように配置されていて、センスがあるってこういうことなのかと思いました。何より、食欲に忠実なところが可愛くて好きです。美味しそうにご飯やお菓子を食べているところを見るとこっちも幸せになります。誰よりも気が使えて周りを見れるところも、演技にも表せていますが、稽古場の雰囲気をすっごく暖かくしてくれるので居てくれるだけでThank you!です。
●大福小餅:助手1
可愛くてかっこいい最高の舞台監督で賞
多分仕込み期間中、君と1番練習した気がします。私は小福ちゃんの真っ直ぐに話を聞いてくれる目が好きです。君がぐんぐん成長してくれるから、私も指導に熱が入っちゃいます。ラップ、上手になったね!カレーライス、最高のスタンドだったね!自然なお喋り、力まなくなったね!褒め出したらキリがありませんが、それも全てこふくの絶え間ない努力の賜物です。仕込み週も暇になったら自主練してて、かっこいいライムを学生会館で響かせていて、聞く度に笑顔になりました!演技だけじゃなくて、舞台監督としても超有能で、私の手の届かない仕事を全部こなしてくれて、君がいるから私が好き勝手できたんです。自信を持って!今後も舞台監督チーフ、頑張ってください!!!私も微力ながらお手伝い致しやす!!
●中森ダリア:助手2
魅せる演技が誰よりも上手いで賞
言わずもがなのラップの名手。曲のセンスとフロウのカッコ良さは聞いた人全員を虜にしちゃうと思います。でも、私の推しポイントは何も言わなくとも大胆に、でも正確に動いてくれる身体表現のうまさです。カレーライスのシーン、いいですよねぇ。クラムボン名付けるとことかもめっちゃ好きなんですよね。こふくとは真逆みたいな動きや声色なはずなのに、舞台は統一感があって、華があるのに荒々しくもなれて、すっごく素敵な役者さんだと思います。でも、皆が書いていることですが、ひらりの周りの人のエピソードがどれも強すぎて、丸山ゴンザレスのインタビューに答えられそうで聞いてて楽しいです。ひらりの個性が爆発するような、素敵なキャラを演じて欲しいなと心から願ってます。
●帝京魂:作業員
フラットな喋り方が誰よりも上手で賞
コンちゃん、いいですよね。やっぱり彼は何気ない台詞をスルッと言う技術に長けてるんですね。くどくなくて、でもちゃんと心に残るような、そんな話し方ができるコンちゃんの演技が大好きです。耳あたりもすごくいい声で、でもはっちゃける所はめっちゃ遊びがあって、作業員・飼育員・素の姿の3つのどれもに味があって、ちーちゃんカンパニーがコンちゃんで良かったなぁと常々思います。しかも、細部の動きも本番当日でも試行錯誤していて、演技上手なのに努力家だからこそ、安心して演技が見れるよなぁと感じます。真面目な一面と遊び心が良い塩梅でまたコンちゃん主演の劇も見たいなぁと思っておりますが、その時もまた一緒にエモい感じをね、作れたらなぁと、華月での去り際、めっちゃかっこいいじゃないですか…あぁ言うのをね、やってほしいなって、思うわけですよ。
●鴨兎春:読み聞かせの人
関西人の血があなたの個性を伸ばしているで賞
読み聞かせのビジュ、最高にいいですよね。可愛いのにちょっと怖くてかっこいい。読み聞かせやりたいなぁって読み合わせの時から言っていて、いざなってみたら改訂後はどんどんセリフ量が増えて、でもそれに対応して演技力もぐんぐん伸ばして、読み聞かせの冷徹な感じとお喋りを演じているっていう雰囲気が、今となってはらびにしか出せんなぁと白子は感服しております。今回は誰よりも一緒に舞台にたったと思うんですけど、安心して隣で演技出来ました。母のナレーションもいっぱい練習してて、最初に比べて格段に良くなってますよ!舞美作業とかで話すこともわりかし多くて私は凄く嬉しいです。センスを爆発させているあの立て看板も最高にかっこいいよね!もっともっとらびと稽古をして、最高の役者に育てたいと、私は切に願っております。漫才劇場、一緒に行こうね!
●黒井白子:道化師
もっと自分の演技も指導も上手になりたいで賞
私(白子)です。道化師、すっごく楽しかったです。いい舞台だったなぁとたまにニヤニヤしてます。こういう馬鹿馬鹿しいけどちょっと良いとこあるみたいなキャラをね、今後もやれたら本望ですわ。
●しょこら:ルロイ修道士
君にしかできない役がいっぱいあるで賞
ある意味今公演で1番振り回されたのは君かもしれません。でも、ルロイを演じれるのも君しかいかったです。だからこそ、舞台に立ってルロイを演じてくれてありがとう。良い演技でした。皆が言っている通り、こらしょにはこらしょにしか出せない独特の雰囲気があります。それが役とマッチした時、黒閃みたいな感じで、ポテンシャルが何倍にも増幅されたものを、君は表現できるんです。だからこそ、今後も技を磨いて欲しいし、役者をやって欲しいなぁと思います。その時は、いくらでも稽古に付き合いますんで、今後ともよろしくお願いします!
●園堂香莉:照明オペ
臨機応変で準備も万端って、有能すぎで賞
本番直前なのに、読み聞かせの照明を足してくれなんて言ってしまい申し訳ありませんでした。でもなぽりなら、きっと叶えてくれるかなって、信じてたから。仕込み週とか、ずっと大集にいて、シュートに明かり作り、場当たりの後はキャスパ照明の練習と連日大忙しなはずなのに、焦りを一切見せずにケロッとボケる感じが凄く安心感があって良かったです。外公の時、こんなに演技上手なんだって感心したけど、オペとしても照明チーフとしても有能すぎて、分身してくれたら最強なのになぁとか考えてました。
●まろん:音響オペ
どんなオペでも安心して任せられるで賞
体調悪いのに引っ張ってきちゃった様ですごく申し訳なさを感じています。でも、とってもいい音響オペでした。通しに来てくれる?とかサンプラー使って稽古したいんだけど?とか色々投げても丁寧に対応してくれて、雑な白子は見習わなきゃなぁと脱帽しました。折角なら引退までのどこかの公演で役者もやってくれればね、嬉しいんですけど。私が演出補佐になることがあれば、オペに対して無理難題を押し付けることもあると思いますが、その時もどうぞよろしくお願いします。
●テキストを入力:映像オペ
映像、プロとして食べて行けるで賞
PVが神すぎて、本番当日の昼、皆でPVを見た時の感動は今でも忘れられないわ…。世界取れるなって、思っちゃいました。前説の前に流して本当に正解だと思うわ。だってお客さんの期待感と盛り上がりをMAXまで高められるじゃない!もう最高。私、エピとはあんまり話した事がないから、君が最近ちゃうかが楽しくなってきてるって話を小耳に挟むくらいしか知らないんだけど、それでも凄く嬉しいです。是非、最強の映像班員としてちゃうかを盛り上げて欲しいですわ!
●紫仏瑠唯:有能スタッフ
誰よりも話を聞いて欲しくなるで賞
私のしょうもない愚痴を聞いてくれ、その上でアドバイスや訂正何かもしてくれたおかげで、私は演出補佐をら続けられました。本当にありがとう。私が一方的に話しただけだけど、るいは話を聞くのが上手だなぁと感じましたわ。先生、向いてるんじゃなくって。でもね、私はるいの世界史話を聞きたいのよねぇ。私はウィーン会議以降の帝国主義が闊歩し衰退するまでの100年半くらいが好きなので、ぜひお話聞かせてください。
●近未来ミイラ:脚本・演出
次回作、本当に本当に楽しみで賞
我らが最強の脚本家兼演出家。君がちゃうかに入ってくれて、筆を執ってくれて、新人公演を最高の舞台にしてくれて、感謝してもしきれません。皆そうだけど、みーらの言葉遊びと小ボケは無限に読みたくなるし見たくなります。として突っ込む時は誰よりも声を張る感じがすっごく好きです。合宿で仲良くなれて本当に良かったな。こんな私を演出補佐に選んでくれて本当に嬉しいです。少しでも君の期待に応えられたのなら幸いです。もしね、今後も脚本を書いて演出したいなぁって時、私に演出補佐やらない?って声掛けてくれたら二つ返事で喜んで承諾しますんで、是非是非。あと、勝手に私が思っているだけかもだけど、感性があんまりズレていない気がするのよね。まぁそれは縦置き、個人的にはちゃうか1の文才を君は持っているでしょうし、ちょっと優柔不断だけど、その分誰よりも優しくて気を使えて、誰も傷付けずに周りを元気にしてくれる君が大好きです。脚本・演出、共に本当にお疲れ様でした!
他の人みたいに上手いこと書けないし、書き足りないことも沢山あるけど、ひとまずこんな感じで良いでしょう。
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tokyomariegold · 1 year
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2022/10/29〜
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10月29日 いろいろ疲れているので、日記も写真も今日の予定もすっぽかそう!の気持ちでいちにちを始めたら、全てまずまずやり遂げてしまった。
3ヶ月に一度の歯科検診へ。 前回、黒ごまラテの着色いじりへ不服を態度で伝えることができた、と思っていたのは勘違いで、今回も黒ごまラテから始まった診察。黒ごまラテは飲んでないけれど着色汚れがある。お茶をやめて水にしろ、言われたこともあったけれど、それは無理なので、コンクールジェル、シュミテクトホワイトニングの2回磨き+コンクールマウスウォッシュの消毒+ホワイトニングマウスウォッシュ、で術を尽くしていた口内事情。それを伝えると、シュミテクトホワイトニング以外やめてみましょう!と、新商品のシュミテクトホワイトニングの試供品をくれた。 シュミテクトって海外では違う商品名らしい。 とにかく歯が白くなって嬉しい。 でも口を開けっぱなしだったからか、喉を痛めてしまった。それと、毎度のことながら歯医者さんの後はお腹を壊している。
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都写美で野口里佳の“不思議な力”を鑑賞。 ほとんど観たことのある作品だった。作品展の空間に居られることがとても幸せに感じた。���地よい展覧会で幸せ。 撮っているものは、キュウリやヤシの木やコップなど、シンプルで一瞬で認識することができる写真。でも、じっくり落ち着いて観ていたくなるようにさせてくれる写真たちだった。 潜水して撮影したり、胃カメラを使って撮影したり、思っていたよりへんなことをしているのに、写真はシンプルで美しいのが不思議。 “夜の星に”のデジタル映像とコンタクトシートの展示を観て泣きたくなった。 昔、平日の曇天の昼の品川のキャノンギャラリーで観たことがある作品。会社員たちと、昼食にテイクアウトした商品を入れた緑の袋が、モスバーガーの店舗からどんどん出てくるシーンに、わ〜〜〜となった記憶。
何となく街のちょっとした陽の当たるところとか、そうゆう写真を撮っても良いんだね、と思い出して、まんまと写真をたくさん撮って恵比寿駅まで戻った。
アトレの無印良品で冬のお部屋のものなどを買い込んだ!
夜お部屋で花火が打ち上がる音を聞く。
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10月30日 今日の日はもうないものとして過ごしていたので、少しの家事や用事を済ませることができただけで大満足な日だった。
体の調子は変わらずに良くなく、体力を余分に消耗している体感でソワソワしながら日中を過ごした。
スーパーで年末年始っぽい音楽が流れている。駅前の歯医者にはツリーがあって、ショッピングモールにはカボチャのアイテムを身に付けた子供がたくさんいた。
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10月31日 昨晩、渋谷と京都のライブカメラ配信を見ていたら、渋谷はハロウィン前日の人の多さで、警察も出動していた。予定していたライブは、渋谷のライブハウスが会場だったので行けなくてよかったかも。
風邪薬が効きすぎているのか、エネルギーが勢いだけ有り余り、でもチャージはされていないのでスカスカの身体が、今日もずっとソワソワしている。 朝、一応体調が戻った気がして出掛けてみた。 途中で��原検査キットを処方してもらう。 フィルム現像を出しに写真屋さんへ行くと、年賀状の注文をしている人がいた。
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平日の昼間のオフィス街がやはり大好き。 大手町から日比谷までの丸の内を歩いて歌って、ショーウィンドウを眺めて写真を撮っている時が一番楽しい!と思った。 みんなが働いているのに休んでいる優越感なだけ?と考えたけれど、みんな働いているのを知らない大学院生時代からこの通りを歩くのが大好きだった。 東京駅は外国の方が増えた。
日比谷のTOHOシネマズで映画を鑑賞。 うん、少しずつ映画館恐怖症?が治ってきている…はず。今日は2時間超の作品で、途中、とてつもなく気持ち悪くなりかけたけれど、足をゆさったり深呼吸をして凌げた。 鑑賞したのは趣里ちゃんが出演し、根本宗子が脚本の“もっと超越したところへ。” いろいろすごかったし、音が大きくて何度か酔っていた。趣里ちゃんの動き方や身体のバランス感がとても好き。 こないだyoutubeで予告を見た三浦透子ちゃん主演の映画にも、あっちゃんと元乃木坂の子が出演していたな〜、と思い出す。 映画は、後半からエンドロールまでが、演劇っぽい作品!と何も映画にも演劇にも詳しくないのに、なんとなく思っていた。
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映画の後、大丸のパパブブレでラスト1つのハロウィンキャンディセットを購入し、大学の研究室へ持っていくことにした。
駅から大学まで、都会特有の長い信号待ちの横断歩道を2回渡りながら、1つ目を渡った後、とっても走れば2つ目の青信号に間に合うことなどを思い出した。 結局、大学まで行って、何か怖気付いてしまい神保町古本祭りを眺めて帰宅した。
東京の平日の昼間って、たくさん撮りたくなるシーンがあって貴族の遊びが捗ってしまう。
丸の内のショーウィンドウの中のものたちが、どれもキレイで、それを欲して入店する人達も気品があるので安心する。 平日に、北関東のスーパーやディスカウントストアやショッピングモールやファミレスばかり見ていると、インターネットで欲しくないものばかり買ってしまうので、精神衛生的にも金銭的にも良くない。
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11月1日 朝起きて、これはだめなやつ!な身体だったのでお休みをすることにした。 けれど、このままずっと休んでしまうのでは?と、午前休にする。8時の電話をかけるまでの時間、いろいろな言い訳を頭の中でし続ける。 連絡をした後も、この午前休を何か有効的に使わなくては…!と眼科を予約。 身支度を済ませた時に、身体が本当に空っぽで薬の効果で駆動力だけ湧き上がっているのに気が付き、予約まで1時間以上あるのに家を出てしまう。
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すぐエネルギー切れになり、何か食べよう!と思った。 いつもは、少しの血糖値の上昇でも身体がきつく眠くぱったりしてしまうため、日中に食事はしない。でも、こうなると無理で、他のことが見えず、食物を探し彷徨ってしまうことがたまに起きてしまう。
とりあえずキレートレモンを片手に電車に乗った。 車内では秋の行楽のアナウンスが流れていて、窓の外を見て、休んでいた3日間で通勤経路の秋がどっと深まっているのを感じた。 無心で金曜から予定していた旅行をキャンセルした。 隣の席の人のスマホの画面を見ると、東博の“国宝展”のチケットを予約して、ラインで予約完了の報告をしている。あ!と、友人に国宝展のお誘いメッセージを送ると、なかなか予約が取れないらしい。その時、他の人からディズニーランドへ行く予定の確認が来ていて、でも今は全くディズニーランドなんて行きたくない!どちらかと言えば、有給とってでも国宝展へ行きたい気分。
下車した先のスタバの店員さんが赤いTシャツを着ていて今日からクリスマス解禁。
ここからまたコンビニというコンビニをうろつき、食物を探すけれど納得のいくものがなく、駅のちょっとした物産展へ入ってみると、こだわりプリン的なものが半額だったのでちょうど胃も辛いし咀嚼も辛いので、食べてみることにした。
広場の椅子とテーブルでは、女子高生が1人数学の問題集を解いていた。 私もそこに座りプリンを食べた。 近くではロボットが実走させられている。 プリンはカラメル以外は食べることができたし、満たされる美味しさを感じることができた。半額で190円支払ったので定価400円程する高級プリン…。
血糖値おばけになってガクガクしながら出勤して、やっぱり苦しくて虐げられて泣いたり、体調不良でワクチン接種���きなかった事を笑い飛ばされたり、暇だけど何か手伝いますか?何をどうすればさらに職場環境が向上するか的なの前向きな話題を聞いたりして半日を過ごした。
すぐ泣きたくなる。すぐ、みんな良く喋るなー、ってモードになる。暇な時間をどう埋めるべきかで私の頭はとっても忙しい。そして実際に暇でもなくて、それはもう忙殺。
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11月2日 うさもっちの白はamazonで既に売り切れ!
朝、霧が濃くて紅葉が白に生えていたので、何となく持って行けたカメラでたくさん写真を撮った。帰り道も何か月とか撮ろうとしたけれど、いつも撮っているよね?と自制を効かす。
ケイトはいつまでもつのかな。 お花の片付け時がわからず、1週間と決めてしまっている。 なるべく、本当は明日から旅行だったのに!と思わないように2日間は生活と自分を喜ばせる時間に充てたい。
SNS映えのためにずっと生活をしているので、なるべく“映え”がテキトーにバカにされる言葉にならないで欲しい。 (“映え”という言葉が出てきた時、私のしたかったことはこの一言で表せるのかも!と思ったりした。一瞬。) 明らかに仕組み作られてしまったインターネットの世界でなかった頃、飲み会帰りにさっきまで一緒にいたみんながするツイートをふぁぼしていた頃、そうゆう感じで、掴みどころのないツイートを仕事終わりにして、みんなでいいね!をし合うものだと思っていた頃、その頃のインターネットを知っている私は幸せだと思う。
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11月3日 午後の予定まで東京駅〜銀座をお散歩した。 国際フォーラムではゴジラのイベントが開催されていた。本当に外国人の観光客が増えていて、話題の食べ物とセルカ棒で写真を撮っている。 KITTEの郵便窓口では、年賀はがきや年賀切手を60枚、70枚と大口購入されている方が多い。今年はもう年賀状をやめてしまおうと思っていたけれど、30枚インクジェット年賀はがきを購入してしまう。卯年のデザインのうさぎは、どことなくマイナンバーカードのうさぎに似ていて、うーん。 うさもっちは20体ほど残っていた! 紅しかいなかったけれど、実物はとっても可愛い。お会計してくれた局員さんは“うさもっち”と、言わないようにお会計手続きをしている感じ。 その後エルメスへ行ってみると展示が変わっていたので鑑賞。犬の粘土アニメーションが面白かった。
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帰りにスーパーへ行く。 どうもずっとお腹が気持ち悪く何も食べたくないのに身体はエネルギーを欲していてあべこべな気持ちで食材を買った。レジでお会計していたら、隣のレジのおばさんが「これ使った?私は今日もう使っちゃったのであげる!」と、10%引きクーポンをくれた。「え!?あっ、ありがとう…」と、ろくにお礼も言えずに、おばさんが先に袋詰めを済ませて店を出ていく姿におじぎをしたら、振り返って手を振ってくれた。
今、少し長い地震があった。こわい。 今日は結婚する報告を受けた。こうゆう時、誰かいるとこわさが軽減されていいのかもしれない。大丈夫なきれいな人がいるといいのだと思う。
ケイトを生けていた花瓶を倒して水を撒いてしまった。ケイトはまだ元気そうだったけれど、さよならすることにした。
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11月4日 1日休んで1日働くくらいが身体的にはちょうど良い。 明日から文化祭なので、広場には仮設ステージが設営されていて、朝から夜まで準備をしている人がいて、少し元気になった。 こうゆうイベントが少しずつ許されていて、元々苦手だったものは、この感染症を理由に断ったりして利用しつつ、うまくやっていければいいな。 文化祭前夜の仮設ステージと照明と雨の夜がとてもよかった。 酉の市には行けていないけれど、雨が降っているので!と行けない理由もできて大人しく帰宅できた(でも40分くらい写真を撮って遊んで貴族退勤した)。
「3年目までのメンバーで新人さんの歓迎会をやるんですけど、どうですか?」とお誘い話を受ける。ちゃんとこうゆう会を開こうって思ったり、人に声をかけたりできる人ってすごい。確かに歓迎会らしい会がなくここまできてしまったので、3年経ってもなんとなく知っていてなんとなく過ごしている人だらけ。
先週の反省として、頑張って掃除をしすぎない(体調を崩す)と言い聞かせて、いま夜を過ごしています。
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tadaiso · 11 months
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ノスタルジーをもとめて彷徨う
初めて車を手に入れた時はね、ハンドルを握ることの楽しみを知ったってのもあったんだけど、車というものがね、自分の知見を拡張してくれるものなんじゃないかなって思ってたんだ。
見たことのないものを見に行くことができる、そんな道具なんだって思ってた。
だから、何かを探し求めて、あてもなくブラブラとすることもあったし、何かのきっかけで知った興味深いものをワクワクしながら見に行くこともあったなぁ。
歳食った今も、基本的には同じなのかもしれないけど、その傾向が未知を求めることから追憶や郷愁という既知のものを求めている気がしてるんだ。
具体的に言えば、かつて数多くあった「オートレストラン」的な施設によくあった麺類やホットサンドやハンバーガーの自販機の、あのチープな味を今の僕は求めている。
あの自販機との初遭遇は、おそらく45年以上前の小学校低学年の頃��ったと想う。
アレルギー性の鼻炎を患っていた僕は、毎日のように耳鼻咽喉科へ通わされていたわけだけど、その病院の近くにエンゼルという名のゲームセンター的な店があったんだ。
当時はインベーダーゲームが登場してから間もない頃で、あまりビデオゲーム数は多くなくて、食事をとったりするテーブルが半分、ビデオゲームが半分くらいで店舗の中が占められていて、奥の壁には様々な自販機があって、時々それを購入して食べている大人の様子を見ながら「どんな味がするんだろうか?」と、興味津々だったなぁ。
で、そこから10年ちょっと経って、大学受験が近づいてきた高校3年の頃になって、その自販機たちの一つと思わぬ再会をすることになるんだ。
それは千種にある河合塾の美術研究所に通っていた頃に、本館の地下にあったハンバーガーの自販機だった。
あの、ヒーターが壊れているのかわからないけれど、外箱が熱々、中のハンバーガーの表面がシナシナ、ハンバーガーの中央がまだひんやりしてるという独特な温度で味わいはチープ、数少ないメリットは値段といつでも買える(食堂の入り口にあったので食堂が閉まっていても購入できた)ことくらいだったけど、なぜか僕はこれが大好きで、そのハンバーガーを頬張りながら悪友たちと駄弁ってのをよく覚えてる。
それからまた数年が経ち、美大に落ちてデザイン系の専門学校に潜り込んだ僕は怠惰に学生時代を過ごした結果、デザインなんて全く縁のない町工場に勤めることになって、当時付き合ってた娘とも喧嘩ばかりしてたわけだけれど、その娘を実家に送って行き、国道19号を名古屋方面に向かって車を走らせて帰る頃に、自宅の近くまできて空腹を満たすために必ず立ち寄ってたオートレストランにラーメンの自販機があって、「なんであんなこと言ってしまったんだろうか」と愚痴愚痴考えながら、その自販機のラーメンの麺をズルズル啜っていたんだよなぁ。
と、この手の自販機の思い出を語りだすとキリがない。
20代半ばで一旦ハンドルを握らなくなり、そこから20年以上ハンドルを握っていなかった時期が続いていたから、再びハンドルを握るようになって驚いたんだ。
オートレストラン、ほとんど見当たらないなぁ……、て。
尾張地方だけかと思ったけど、北関東に越してきても、ほとんど見かけることがなくて流石にもうないのかな、なんて思ってたんだけど、ふと気になって探してみたら、まだいくつか残っているみたいで、その中の一つにお邪魔してきたんだけど、店主の体調不良のせいでそれらの自販機が全て売り切れ……。
仕方ないので、そこにあったワニワニパニックに悔しさと憤りを叩きつけてきたんだけど、流石にかつてのスコアは出なかった……、残念。
 
そんなわけで、気が向いたらそんな話を書くと思うので、期待しないで待っててね。
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asagaquru · 2 years
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ボーナストラック
6月になってしまった。書かないで置こうかと思ったけれど、結局書くことにする。書くことで輪郭を持たせてしまうのが嫌だった。輪郭がなければ、いつまでも忘れまいと思い出し続けることができると思ったからだ。なのに思い出せなくなっている。新しい恋人との時間はわたしの生活をめまぐるしく変えていってくれる。別れて1ヶ月も経っていない元恋人のことで感傷に浸らずに楽しく過ごせているのは、新しい恋人のおかげだ。ありがたいと思う反面、あんなに掌の中できらめいてた元恋人との5年間が、見えなくなってしまうことが怖いと思ってしまう。まだ覚えているうちに書いておく。5/21のこと。
元恋人が荷物をとりに来る。大きな段ボールを持ってきたのを見て、事前にわたし1人で彼の荷物をまとめて置いてよかったと思う。彼が段ボールに荷物を詰めていく姿をみるのはきっと耐えられなかっただろう。「久しぶり」と言う彼は2週間ぶりだった。普段からお互いの仕事の関係で1、2週間おきにしか会えなかったけれど、今回は重みが違う。来週再来週会える間柄でなくなる最後の日で、もう会わないのだ。この日のためにお互い手紙を書いていた。わたしは花が好きな彼へ黄色い花の便箋で書いた手紙を手渡し、彼は一滴緑を落とした深いブルーの封筒の手紙をくれた。わたしの好きな色。5年間ふたりで歩いてきたこと、その道は楽でなかったけれど乗り越えることで成長出来ていたこと、またお互い必要だったら再会できると信じていること、大好きだったこと。手紙の内容でさえ似ていた。
彼の車で石田珈琲店にいく。北16西3にある古家を店舗としているその店は、前の通りを通っただけで焙煎した珈琲の匂いがする。付き合って早々、プリンを食べに来たのを覚えている。彼とはことあるごとに来ていて、ふたりのお気に入りの喫茶店だった。店を入ってすぐ見える壁面は、彼がくれた封筒と同じブルーをしている。わたしはオレンジのチョコブラウニーを選んで珈琲を選ぶ。彼はプリンとココアを。珈琲店なのに、彼はいつもココアだ。札幌でいちばん美味しいココアはここで飲めるらしい。談笑するわたしたちは、側から見たら恋人という関係を解消して会わなくなるふたりに見えなかっただろう。今までの思い出話をして、楽しい時間を過ごした。わたしの新しい彼氏の話もする。「職業同じだから色々話聞いてもらいなね」と言われて、彼の底なしの愛情を知る。聖人とは彼のような人を呼ぶのだと思う。お互いの幸せを願ってはいる。けれど、好きな人の幸せが自分ではない人と生きていくことだと思って、自分は離れた場所へ行くことはできない。わたしならきっと「わたしの知らないところで勝手に幸せになって」と、不貞腐れてしまう。本当のところ、愛を煮詰めて結晶化させて残るのは彼のような祈りにも似た、そんな感情なのだろうか。
家に帰るつもりが「もう少し一緒にいさせて」と言われて札幌近郊をドライブすることにした。わたしの生まれは札幌の隣にあるベッドタウンだ。彼と出会った頃はまだそこに住んでいて、その街を懐かしいと言いながら彼が車を走らせた。途中、「一緒に行くことはないってわかってたけど、気づいたら2枚買ってた」と、夏に近代美術館で開催される古代エジプト展のチケットを1枚もらう。わたしはこういう文明や歴史にロマンを感じてしまう性質で、ひとり行こうと思ってたから驚いた。彼もひとりで行くらしい。「✳︎✳︎くんが珍しいね」と言うと「俺が✳︎✳︎ちゃんに似てきたんだよなあ。俺は誰にも影響されることないって思ってたけど、✳︎✳︎の存在がね」と言われる。運転する姿を見て、彼の横顔が好きだったと気づく。ふたりでまた話をしながら札幌に帰る。会ったらもっとじめっとした雰囲気になってしまうかと思ったけれど、別れて2週間経ってた私たちは爽やかだった。だからといって消化試合みたいな会い方ではなく、アルバムのボーナストラックかのようだった。家の前まで着いて、「ハグだけしていい?」と彼はわたしを抱きしめた。少し体を離された時に「しないよ」と言う。もう新しい恋人がいるからキスはもうできない。「ありがとね、今日のこともこの5年間のことも」車のドアに手をかける。ポロポロと泣いて化粧が落ちてしまっても去り際だけは美しくありたかった。これが本当に最後だと思うと名残惜しかったけれど、車を降りる。身を屈めて運転席の彼を見る。「大好きだよ」と笑いかけてみせる。過去形にはしない。離れてもずっとずっと大好きだから。「そしたら、また」「また」クラクションを鳴らして発進した車を見送る。ふらふらと家の鍵を開け、部屋に戻ってひとり声を出して泣いた。その“また”はいつを指すのだろう。この人生のことなのだろうか、死んだ後の世界でのことだろうか、生まれ変わった来世のことだろうか。それがいつだったとしても、また彼と出会い、恋をしたい。
5年間の長い長いアルバムが終わって、ボーナストラックも終わってしまって、ラジカセからCDを取り出す。街でそのアルバムの中の1曲を聴けば、少しだけ彼を思い出そう。
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79nihs · 1 year
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日記 / 5.7 / 写真を再び
どうもここ数ヶ月、写真が撮れなかった。半年前から撮っている写真のシリーズについてのことだ。製本ワークショップに参加して製本してみて、一度立ち止まって俯瞰的に見てみようと試みたが、これがまさかの急ブレーキとなってしまった。本の形になった高揚感に浸りつつ、「足りない」こと探し、粗探しを繰り返した結果、撮影を始めたときに抱いていた前のめりな感覚を忘れてしまっていたように感じていた。
京都国際写真祭でそれに拍車がかかった。凄みのある作品を三日三晩浴び続けることで、着眼点や撮影の技量、熱量、我が事とする力強さ、数え切れないポイントと比較ばかりして苦しくなってしまっていた。正直、息ができていない状態に陥っていた。1年前は「制作」をしていなかったから、どの作品も憧れのような対象だった。尊敬する写真家の自宅に訪ねて相談させてもらったり、他の写真家の方には、勤務中に彼の働く会社まで足を運んで助言を請うたりした。ようやく、自分なりの視点を持って撮影してこれたのではと、思った今年のはず…と思っていたのだが、違った。「作品をつくるようになった若い人」(と言われるようになった)は、先人たちから厳しいレビューを受け、落ち込んでしまったのだ。この落ち込みを誰かに解消してもらうことなんてできないし、親しい友人に話しても、結局情けをかけてもらいたいという気持ちから始まってしまうわけで、健全ではなかった。
先週には、撮影をお願いしていた方と長い時間お茶をして撮影に望んだが、正直に伝えた。「今は撮れるような状況ではない」と。相手からも、見透かされたような気がして、ブローニーフィルム一本を撮り切ることだけにしか集中できなかった。つまり被写体との対話ができていたとは言い難い。きょう、現像から上がってきた写真たちは、それなりに撮れているのだが、撮ったときの感情をまだ記憶しているので素直に見ることができないことで思い知らされた。現像があがるまでの高揚感、ポジティブな気持ちを抱いていなかったことに気づいた。
ここまでネガティブなことばかり書き連ねているのだが、ようやくトンネルを抜け出せそうな感覚をきょうは覚えた。一日を振り返りながら、いろいろ考えてみようと思ったからきょうは書こうと思う。
まずは、久々に早朝に起床できたことに始まる。朝マックに足を運び、エッグソーセージマフィンのセットを食し、スイッチを入れる。朝ごはんを食べると血糖値が高まり、血の巡りを感じる。ファストフードとはいえ、気持ちが前向きになったようだった。その勢いで、都内の展示へ。本当は丸木美術館に行きたかったが、せっかく晴れている日、2時間も電車に乗るのがもったいないと思い、終了日前日なのに諦めた。
昨日、WHOがコロナ緊急事態宣言の終了を発表。週明けにはコロナが第5類に移行する。パンデミック下に置かれていた日常は、ようやく活気づいてきたことを武蔵小杉から乗り換えた行楽日の総武線快速で感じた。先月行った京都も、外国人観光客が戻ってきて、マスクをしている人がほとんどみなかったので、不思議ではないのだが、東京にもコロナ前の日常が戻りつつあった。そんなことを思いながら、上野に着くとすごい人だった。動物園に並ぶ人��の姿も見えた。美術館前で記���撮影をする人。にぎやかな声が聞こえてくるから、自然と触発される。
向かったのは東京芸術大学陳列館。「解/拆邊界 亞際木刻版畫實踐」(脱境界:インターアジアの木版画実践)(※)を見るためだった。初夏の日差しに浴びる青々とした葉をつけた木々が陰をつくる上野公園がこんなに気持ち良いとは思わなかった。陳列館の2階は、天窓から優しい日光が注ぎ込み、版画がすられたキャンバスや布がゆらゆらとしていた。版画は力強かった。日本、韓国、中国、香港、台湾、フィリピン、インドネシアのアーティストの作品をゆっくり何周もしながらみる。印象的だったのは、タイトルの通り、ボーダーを越えていくことの希望だ。
點印社(香港)の「私たちは輪になって食べる、刷る」は横長の大きな版画。テーブルでご飯を食べる様子を描いているのだが、そこに描かれているのは、人間だけでなく、シャチや、犬など動物もいる。コロナ禍によって幾多の国境が閉ざされた世界で、異なる国籍や民族やルーツ、バックグラウンドを持つ人々の間に境界線が引かれるようになったことを忘れてはいけない。そんな時代だからこそ、他者との時間を共有することを肯定し続ける力強さを感じた。登場する人々や、動物の表情は笑顔で豊かで、美しかった。決して丁寧に、きれいにつくられたわけではないけれど、その雑然さを版画で刻む描くことの尊さを感じた。
韓国のキム・オクさんが制作した7枚の版画からは、いつか未来で消える朝鮮半島の南北の境界線を想像させた。30年以上に渡り、朝鮮半島南部をくまなく歩き、フィールドワークしてきたというキムさん。農村地帯など韓国の原風景が描かれた7枚は、南北統一という先に続きがうまれるはずだという期待を抱かせ、そしていまだ解決しない南北問題について、極東の島国にいる自分をハッとさせた。
何よりエンパワーメントされた。この展示の作家の多くが社会運動に参画し、運動を活性化させたり、アジテーションを強化するという目的を持ったりしながら制作しているということを掲示されているテキストで知る。政治的抑圧に抵抗する。それは大きな主語を語りがちのように感じられるが、版画を刷るということによって我が事として捉える身体性が一層増していくように感じた。何より、作家自ら社会に対して、異議申し立てをするまでのプロセスを、自らの生活実践の場において果たそうとする姿勢が感じられた。だからこそ、「私たちは輪になって食べる、刷る」のカラフルな描き方に心が揺さぶられたのだろう。
何より、描いて、版を作り、刷るという繰り返しを諦めない。その先に、社会的に生じている苦しさから解放されるように思えた。新聞記者として多くの時間を、社会的課題について考えようとしながら、当事者性があるかどうかなど悩み、写真撮影においても強度があるかないかなど気にしていた自分にとって、今までの悩みがちっぽけに思えたし、何よりそうだ、自分が言いたいことを言えばいいんだと思えた展示だった。
彫り続ける作家たちの姿勢に刺激をもらい、浅草に移動してから入ったタリーズで本を開いた。坂口恭平の「継続するコツ」だ。数ヶ月前に綴方で購入したまま開いていなかったが、効果てきめんだった。「才能という言葉」の呪いにかけられたように、他者の作品を羨望の眼差しで見ていた。そして、撮影ができない状態に陥っていたけれど、それは「比較が始まり、否定が始まり、手が止まる」という項で正体が書かれていた。ある程度、自分がやりたいことを続けていくと「慣れ」が生じるというのだ。「慣れ」。なるほど。確かに、慣れてきた。こうして撮っていけばいいのだ。こう進めていけばいいのだという実感は、いつしか、「見る人に伝えるには○○が足りない」と完成度ばかり気にすることに変わっていたからだ。
製本して、足りないことが見えて、評価を受ける作家のアーティストブックやダミーブックに圧倒され、到底その領域に達していないのにと自分を卑下して、比較をし続けていたなと気付かされた。なんか自分が馬鹿らしくなった。撮っていく。それだけでまずは十分じゃないか。当初抱いていた撮りたい写真への気持ちは、いろんな人の助言や苦言や励ましで少しずつ変容したりしているけど、自分の撮りたいという気持ちに正直になれるのは自分しかいないわけなんだから。
そうだ。去年の7月、アレック・ソスに「SLEEPING BY MISSISSIPPI」にサインを入れてもらったとき、メッセージをお願いして書いてもらった言葉を思い出した。「Don't ever forget the feeling when you first piched up a camera」。そうだよね。初心忘れずって言うよね。いま撮っているカメラは別に「First」じゃないけれど、このカメラで撮っていくぞって嬉々としていたときのことを思い出した。小さな1Kで、千尋からも「買ってよかったね」なんて言われて、ファインダーを覗いて初めて装填したネガフィルムに彼女を焼き付けたんだっけ。うまく扱えず、フォーカスと露出を決めるのに時間がかかって切ったシャッターによって写し取られた千尋のふと力の抜けた表情が自分は好きだったんだなと。あの感覚があったから、静かに被写体となる他者に正対する感覚を今でも大事にしているのかもしれない。
そんなことを思いながら、ベトナムの写真作家たちのダミーブック展をあとにしたあと、ブローニーを装填した。ゴールデンタイムの日差しが当たる街にカメラを向けてシャッターを数枚着る。隅田川に沿って歩いていくと、ふと人を撮りたいなという気持ちが湧いた。
ふと、目が止まった。若い男女が微動だにせず、静かに抱き合っている姿に見とれてしまった。高校生か、大学生かな、と思い、声をかけさせてもらった。こうやって街にいる人に声をかけて撮りたいって伝えるの久々だな。心のなかで自分に語りかけていた。それに、やっぱり最初は緊張する。「ティックトックですか?」と聞かれたけど、「いえ違いますよ」という。最近、インスタやYou Tubeのショート動画で確かに「ストリートスナップ撮っているんですけど」という動画が流れてくるなと思い出した。それのおかげなのかな。恥ずかしがっていた彼らは、少し悩むそぶりを見せてくれたけれど快諾してくれた。撮らせてもらえる。高揚感が全身に走った。
マキナで露出を決め、フォーカスを固める。透明の四角いファインダーの向こうで、静かに佇む二人に引き込まれる。女性は恥ずかしいからマスクをしたままだったけれど、風になびく黒髪の隙間から見える青いカラーコンタクトをつけた瞳から向けられる視線が、まっすぐ力強く凛としていた。男性の方も、無表情ながら芯の強さを感じさせていた。
撮影後に聞くと、二人は15歳の高校1年生。男性はぼくの父とおなじ江戸川区で生まれ育ったという。在日朝鮮人の母を持ち、インスタグラムには日本と韓国の国旗アイコンを掲げる。聞きづらかったけれど在日コリアンかどうかを聞いてしまったが、「そうですよ」とさらりと答える。僕がこれまで川崎で取材をしてきたことなども伝えると、親しげな感じを見せてくれた。そして、なにより自分のルーツに誇りを持っているようだった。スケートボードが好きで、スケートボードが「バ先」だといって、店長のインスタグラムアカウントを見せてくれた。女の子はシャイだ。ファインダーの奥に見たあの視線の強さとは相反するのか、不思議だった。
街で声をかけ写真を撮る。撮影時間を入れても、賞味10分ほどしかなかったかもしれない。写真はSHOOTだ。池澤夏樹によると、「Shoot」は銃撃か撮影でしか使わない。だから、若い彼らをカメラの前に立たせる行為というのは、主従関係が生じ、抑圧・被抑圧の関係性が生まれることにほかならない。それでも、撮影を許容してもらうために、僕は彼らに誠意を伝えようとする。そして彼らも受け入れるために覚悟をする(覚悟を強いている可能性も忘れてはいけない)。そのわずかな時間でも、僕と彼ら彼女の間に一定の緊張感が生まれ、正対することによって他者を信じ切るしかないのだ。嘘偽りがないとは言い切れない。それでも、1/500秒という膨大な時間軸における一瞬、フィルムに焼き付ける行為そのものが、僕がこの社会に接点を築いていくことに必要なプロセスなのだと言い聞かせるには十分なんだ。そのことを、二人との出会いによって改めて認識させられた。
これが、明るい兆しだ。写真を諦めなくてよかったと思えた撮影だった。写真を撮ることでしか、僕は社会を知るすべがないことも知っている。それが、なにか明確なメッセージや、スローガンがなくても、そこに写し込まれた人々の姿によって、この社会の輪郭が際立ち、描かれていくことを信じたいから撮っている。僕にとって人を撮ること、正対してポートレートを撮ることとは、その決意表明みたいなものなのだ。沈みかけていた気持ちが、ようやく前を向き始めた。
※参考)近年、アジア各地で木版画による芸術・文化実践が再び注目を集めています。20世紀初頭の中国で魯迅によって始まった近代木版画運動は、民衆自身が社会や現実を表現する運動/方法としてアジア各地に伝播しましたが、20世紀後半になると社会構造やメディア環境の変化により下火となっていきました。しかし、2000年代から2010年代にかけてアジアの芸術家や社会活動家たちの一部は木版画を通じて社会や政治の問題を表現し、文化的直接行動や集団的創造の実験、さらには国境を越えた交流・ネットワークを生み出してきました。 本展は《「解/拆邊界 亞際木刻版畫實踐」(脱境界:インターアジアの木版画実践)》と題し、アジア各地から12の作家・活動団体による木版画を紹介します。とりわけ2020年に始まったパンデミックでは、人やモノの移動を一元的に管理する国境の問題や、差別や排外主義などの社会的、心理的な排除や断絶の問題を現前化させました。本展はわたしたちの生きる世界や社会に張り巡らされた「境界」を改めて主題化し、これらの境界からの離脱・解体を志向するトランスナショナルなアジアの木版画実践とそのネットワークについて紹介します。同時に、コロナ期に各地で制作された木版画を比較することで「アジア」という地理的/政治的概念への批判的認識と、さらなる理解・議論の可能性を開くことを目指しています。
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7010333 · 1 year
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2022年振り返り
カメラロールを見ながら今年も雑に振り返る。
■1月 ・横浜エアキャビンに乗った まあまあ高くて怖かった
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・雪積もる 今の家に住み始めてから初めての積雪と思う 車が出せないくらいの積もり具合だった
・tofubeatsが人力車に乗っておじいちゃんみたいな笑みを浮かべてる写真が面白すぎてずっと見てた
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・眉毛サロンに初めて行った ブラジリアンワックスみたいなやつで形を整えた後切り揃えるやつ めちゃ痛くて涙出た
■2月 ・特に何かをしていた記録がない
・友達の家に行って子どもを構ったりしていた様子
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▲2月に何かしらの焼き肉を食べていました
■3月 ・NYCで働いている友達が一���帰国していたので遊んだ フォー食ってビール飲んだ
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・初めてデイキャンプをした 薪割るの楽しい 焚き火の匂いたまらない
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・サンダルを直した 修理に出したのは去年だったかも? ピカピカになって帰ってきた
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・旅行バッグを買った elvis & kresseというところのもの 今年買ってよかったものその1
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・パオパオチャンネルの展示を見に行った 渋谷 動画で出てきたアイテムが色々展示されててテンションあがる
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・ちゃみん会
羊のキンタマ食いました
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■4月 ・石川・福井に旅行に行った 東尋坊、越前松島水族館に行き、界 加賀へ宿泊 初めての石川福井よかった 翌日は金沢21世紀美術館に行った
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▲東尋坊
・潮干狩りに行こうと思ったが、台風で天気が荒れるとのことで中止 普通に売ってる貝を食べるpartyした
・パオパオチャンネルのイベント(パオ博)を見に行った 目の前で動くパオパオチャンネルと東海オンエア見られてよかった
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■5月 ・東京ダバインディアにてどん底会開催
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・弁理士をやっている先輩とご飯を食べた 知財実務のあーだこーだ話を仕事以外でできる人貴重だなと思った
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▲ご馳走になってしまった
■6月 ・謎会ホテルニューオータニ
・新しいレンズを購入
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・オープンキャンパスで卒業生として座談会に参加した その後先生と研究室の同窓生で東京駅飲み@丸の内ハウス あそこよかったのでまた誰かと行きたい
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■7月 ・食洗機を導入 キッチンの引き出しをぶち抜いて洗剤自動投入モデルを投入した あんま洗剤入れてくれてる雰囲気なくて手動で投入してる
・北海道に旅行 倶知安にある坐忘林という宿に泊まった 最高すぎて1ヶ月くらい住みたくなった
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・札幌に暮らす大学時代の同期と久しぶりに会ってご飯食べた 穀物祭というところ 雰囲気の良い店だった
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・大学時代の後輩の結婚式に参加 お幸せに〜〜
・家の人が感染完了してた お大事に〜〜 (自分は無事だった)
■8月 ・車から異音がして修理 ショックアブソーバー交換 出費です
・新しいレンズを購入
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・炊飯器が壊れた 出費です
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▲同じの買いました
■9月 ・祖父に会いに行く もう90超えてる 流石に元気なさそうだった 家も荒れてる雰囲気
・久しぶりに海釣り アジ爆釣
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・ふと思い立って秋田に行った お気に入りのご飯屋さん、宇宙一のレバニラを食わしてくれる店、など
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■10月 ・車検 出費です
・デイキャンプ2回目 流石にハマったと言って良いでしょ���
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・どん底会@新宿らへん
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・山下達郎@横浜 相変わらず最高のパフォーマンスだった 長生きしてほしい
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・写真おじさんたちと浅草界隈散歩 久しぶりにカメラぶら下げて街歩きした
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▲結構人出戻ってる
■11月 ・鬼怒川旅行 界鬼怒川、花の宿松やに宿泊 2泊くらい旅行するのいい 東照宮の紅葉が見頃で大変よかった
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・キャンプ道具を揃え出す 流石に(ry
・ヴェイランスのジャケットを購入 めちゃ着やすくて気に入っている 今年買ってよかったものその2
■12月 ・前職の同期と忘年会 みんな元気そうでよかった 恵比寿の米福にて
・わかさぎ釣り わかさぎじゃない魚ばっかり釣れた わかさぎはうまい
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▲釣れたやつ
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▲流石に釣れなすぎて追加購入したやつ
・名古屋旅行 名古屋港水族館、愛知住みの後輩とひつまぶし 水族館寒かった!
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・かに道楽 カニだけで腹パンパンになるほど食べた
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・大学の先輩が開いたビール屋に行く 1杯だけといいつつ何杯飲んだか・・・ 勝どきに行かれた際はぜひ
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何かと大型出費の多い一年でした。(そういえば冷蔵庫も買い替えたのだった)
旅行にも結構行けたのでなかなか満足。年明けは伊豆の方に行く予定を立てています。
仕事面のことはわからん。何もわからんということだけがわかっているので来年は少しはわかるようになりたい。
みなさんの一年はいかがでしたか?
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mougen-nikki · 1 year
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22年振り返り
1月 誕生日に卒論を提出。ひなと「春原さんのうた」鑑賞。自身初のTRPGキャラ瀬川理さんをリリース、「悪霊の家」を通過。まお、はるかさんと三菱一号美術館で「印象派・光の系譜」を観る。「少女革命ウテナ」を一気見した。はるかさんとこうきがポコと面会。ポーランドの朝ごはんを食べに行き後方彼氏面。ももち、ぴよ、孫文さんとオンラインお絵描きバトルをした。2人目のTRPGキャラ、妄言ヶ原墓都で「カタシロ」を通過。IVEにハマり、ガウロンニのパートの少なさに憤る。
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2月 ポラ科旅行で初の富山。バレンタインフェアで1万円ほどチョコを買い込む。2winkバレンタイン曲が最高で涙した。大学生テンプレドライブ(アカオハーブ&ローズガーデン→さわやか→三島スカイウォーク)に行く。ムルSSRは引けず。3人目のTRPGキャラ、磯貝愛海ちゃんで「まつりの街」を通過。
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3月 「フレンチ・ディスパッチ」鑑賞。すみちゃんとハリポタ展。ポラ科ディズニー。軽井沢でポラ科合宿、テニス部発足。帰りに「あんさんぶるスターズ!!ーRoad to Show!!」を観て圧倒される。部活の同期と香川旅行。「THE BATMAN」を2回鑑賞、ブルース坊っちゃまとパティンソンへの想いが溢れてネトフリでドラマGOTHAMを観始める。卒論が学部賞をもらった。「14歳の栞」を観てまともな大人でいることを決意。こうきと上野の「宝石 地球がうみだすキセキ」に行く。ネイルサロンデビュー。卒業式にジャーファルさん色の袴とネイルで行くことにしていたら当日朝に何故かマギのミュージカル化が報じられる。ぴよと「ガンパウダー・ミルクシェイク」を観てミルクシェイクを飲む。もつ鍋会、こうき見送り。31日にようやく勤務地が判明。
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4月 入社式で配属部署を知る。1ヶ月在宅オンライン研修。簿記を始める。ひなたくんとみかのイースターシャッフルで慌てる。カムカムエブリバディが完結しスタンディングオベーション。ゴールデンカムイも完結し山猫の死のことを考え続ける。初任給で家族にご飯を奢る。おもしれ〜男ことTさんとの出会い。
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5月 4人目のTRPGキャラ、アメリア・アニングで「海底散歩と星の唄」を通過。「ファンタスティックビースト ダンブルドアの秘密」を観てゲラード……テセウス……になる。友人宅で「私ときどきレッサーパンダ」を観て感激。横浜でバラを眺めながらティータイム。GWの配信で刀ミュを観てふ〜んとなる。同期と初めて対面、本社で寿司を食べその後茨城へ旅立つ。真剣乱舞祭宮城公演で大助かりする。
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6月 ミュージカルマギを初観劇。マギと過ごした半生を振り返りしみじみする。ジュダルちゃんの好感度が爆上がりした。 同期のオンニ2人とあしかがフラワーパークに行く。同期のオンニ①とPLAN75を観に行き社会の悪口で盛り上がる。土日に同期とバスケをし、バスケが上手で良かった〜〜と思う。神里綾人欲しさに原神を始める。(G)I-DLEに爆ハマりしてなぜ今まで手を出さなかったのかと大後悔時代。
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7月 5人目のTRPGキャラ、キャサリン・アーンショウ(篠宮塔子)で「お助けくださいまし、お嬢様!!」を通過。「マイ・スモール・ランド」を観て埼玉県の将来を憂う。ひな、まおと「ベイビー・ブローカー」とTWICEの衣装を観る。バスケ部の先輩と「戦争と女の顔」の沼キョントークショー回を観る。部署に配属され上司&先輩と初対面。その直後コロナになり1ヶ月本社に姿を見せなかったため、同期に退職を疑われる。バリチルの内見にも行けず。
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8月 3年ぶりに地元の祭りがあったが久しぶりに行ったら自衛隊のPRが露骨すぎて辟易。一方で中学の友達が立ち上げたよさこいチームがデカくなっており感涙。滋賀へ初出張で京都に前乗り。念願の京セラ美術館で「綺羅めく京の明治美術」を観る。高台寺の夜間拝館でプロジェクションマッピングを見たり、にっかり青江のエピソードを怖がる人々を見て笑顔になったりする。初の野球観戦で東京ドームへ行き、走り回る野球人たちをシャンパングラスを傾けながら観察。久しぶりに家族4人で出かける(木更津アウトレット)。れみかと「自然と人のダイアローグ フリードリヒ、モネ、ゴッホからリヒターまで」を観る。20日にバリチルの借家人となる。ポラ科合宿で相模湖へ行き束の間のヴァカンス。「バリチル」という呼び名が誕生。「私は最強」にどハマりする。
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9月 母と母校の文化祭へ行き、妹のクラスメイトにかっこいいと言われ有頂天になる。バリチル入居に向けて家具探しが始まる。「ONE PIECE FILM RED」を観てパペットスンスンPOP UPへ行く。やはりシャンクスは養育費を払っていなかった。2回目の滋賀出張。ワンピース無料公開を読み始める。
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10月 バリチルに引越し。ももちと三日月宗近カクテルを飲む。刀剣乱舞宴奏会のために午後休を取る。レボライで予想外の客降りを浴びる。池袋のお洒落ホテルステイでナイトルーティーン動画とバルミューダの面白さが分かり始める。すえたんとAesop queer libraryに行きFILM REDに関する議論が盛り上がる。ディズニーシーで大人の遊び方をする。3回目の滋賀出張。すえたんとトーハクの「国宝 東京国立博物館のすべて」に行きガチ中華を食べる。ココスのテニプリコラボに同居人を連れて行き、幸村のスープパスタと阿久津のモンブランパフェを食べた。
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11月 仕事帰りに「秘密の森の、その向こう」を観る。同期との飲みでワインを飲みすぎ有楽町までレスキューに来てもらうが翌週も懲りずに外でワインを飲む。数年ぶりの大学の先輩とインドネシア料理を食べた。ポーランドに旅立つゼミ同期の送別会に参加。会社の同期と木更津に旅行に行き、コストコの会員になる。ポーランド映画祭で「パン・タデウシュ物語」久山先生のトークショー回を観てから外語祭へ向かう。指導教員にはタッチの差で会えず、大雨だったので早々に退散した。先輩からお誘いがあり「バケモノの子」で劇団四季を初観劇。コミティアに行き同人女に差し入れを渡す。みなほさんとヒルトンお台場の刀剣乱舞コラボビュッフェに行き燭台切様から歓迎のドリンクをいただく。
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12月 すみちゃんとトーハクの「国宝 東京国立博物館のすべて」に行き羊中華を昼呑みをする。出張で浜松、鈴鹿に初めて降り立ち、名古屋で味噌煮込みカツを食べて帰る。初めて高輪ゲートウェイで降りてチェコ料理を食べに行った。RRRを観てインド意欲が高まる。広島出張でほとんど自分の金を使わずに一泊2日する。ゼミ同期の職場でバロックパールを買いすえたんとまお、こうきをエンカさせた。日比谷のクリスマスマーケットに行く。バリチルでクリスマスパーティーを三日三晩弱行う。クリスマス当日にアフタヌーンティーオフ会をする。
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emily-et-tommy · 1 year
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「大地の芸術祭」日記
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ちょうど1ヶ月ほど前、友達に誘ってもらって、生まれてはじめて新潟の越後妻有で行われていた「大地の芸術祭」を巡るバスツアーに参加したのだけど、それがしみじみと心に残る体験だったので、忘れないうちに書き残しておこうと思う。
昔から西洋絵画や写真やファッション関連の展示を見たりするのは好きで、国内外の美術館にはたびたび足を運んでいたけれど、決してアートに詳しいわけでもなく、車も運転できない私にとって、泊まりがけで行く「芸術祭」はなんとなくハードルが高くて、これまでずっと興味はあってもなかなか行けずじまいだった。
でも、ついに巡ってきた機会に今回はじめて訪れてみると、大地の芸術祭のアート作品や展示作品は、越後妻有という場所に生きてきた/生きている人たちの歴史や日々の生活と深く関わり、その営みの痕跡や手ざわりが五感を通じて豊かに伝わってくるようなものが多くて、今まで私が美術館で観てきた「アート作品」とは、まったく印象が違っていた。
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少し湿った土の香りがするしんと澄んだ空気に、色とりどりの紅葉が広がる山々。太陽の光にきらきらと照らされる、あちこちに背高く群生するススキの穂。古民家や廃校になった小学校がそのまま展示会場になった場所の、足裏や肌で感じる床板の冷たさや軋みと懐かしい風景や匂い。地元で取れた米や野菜や肉などの素材の味や食感と、作り手の方の温もりがそのまま感じられるような素朴で豊かな食事。
そういう、その土地の自然やそこでの営みの中に少しだけ身を置いて、自分の五感で直接感じながらアート作品を見る体験は、自分自身が内側から満たされ回復していくようでもあったし、「アート」というものが決して「美しくて高尚で市井の人々やその生活から切り離されたところにあるもの」ではなく、「その土地に生きる普通の人々の生活や営みをまなざし、共にあろうとするもの」でありうると知れたことが、とてもうれしくもあった。
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私が去年までラグジュアリーファッションの世界で働いていた中で、文化や社会の動きとも連動しながら築かれてきた豊かな歴史や背景の蓄積や、社会の価値観を変えたり人々をエンパワメントしたりすることのできる影響力の大きさ、惜しみなくデザインや技術を高め、美しさや芸術性を追求することのできる豊かさに、大きな魅力も感じていた。
でもそれ以上に、グローバル化や商業主義化が進んだラグジュアリーブランドが提示する世界観やものとその値段が、あまりにも一般的な市民の生活や価値観と大きく乖離していて、結局は世の中で富や権力を持つ人たちにしか手に入れられない、そこにアクセスできる人の方しか向いていないように感じられる部分も数多くあったことに、ずっと葛藤や違和感も抱いていた。
だからそういう意味でも、今回「大地の芸術祭」を体験して、アート作品にもいろんな種類や在り方や力があることを改めて知ることができたのは、とてもよかったと思う。
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「大地の芸術祭」で見た作品はどれもそれぞれに印象深かったけれど、2日間かけて回った中で特に私の心に残ったのは、いくつもの場所で見た、旧ソ連(現ウクライナ)出身のアーティスト、イリヤ&エミリア・カバコフの作品たちだった。(その時は迷って買わなかったけど、やっぱり忘れられずに後から展示の図録をオンラインで買って手に入れた)
旧ソ連の文化統制下で、公的には絵本作家として働きながら、公には発表できない「自分のため」の作品を長年作り続けていたというカバコフの作品たちは、「前の私だったら見過ごしていたかもしれない」と思うくらいに、一見慎ましくてさりげないものが多い。
でも、目を凝らして一つ一つの説明を読みながらじっくり作品を見ていくと、「表現や行動が制限された場所や時間の中で、どうやって少しでも幸せに、よりよく生きていくことができるのか」ということを切実さや苦悩や閉塞感の中で考え、生み出されたものでありながら、そこにはどこかふっと肩の力が抜けたり、凝り固まった視点や思考に抜け道を作ってくれるような、ひたむきな前向きさやウィットや”信じようとする力”があって、強く惹きつけられた。
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たとえば、天使の翼を作り、毎日それを一定時間背負って過ごすことでよりよい人間になろうとする「自分をより良くする方法」や、板で囲ったブースの内側に豊かな自然や心休まる風景などの前向きな写真や絵を貼り、その中で椅子に座って30-40分過ごすことで元気になろうとする「前向きな姿勢と楽天主義に照らされる」といった作品は、自分の日々や人生や世の中が行き詰ったとき、そういう試みや考え方をヒントにしてみたい、と思わされるものがある。たとえ実際にはやらなかったとしても、そういう発想が頭の片隅にあるだけで、きっと少し心や視界が開けていくような気持ちになる。
コロナや戦争や圧政、未来に不安を感じるような政治や社会のあり方に人々の生や生活が脅かされる中で、できるだけ日々に光を見出そうとし、少しでも幸せに、よりよく生きようとする個人的な実践の可能性や力はとても素晴らしいし、大切にしたい。
でもその一方で、人々が抱える苦しさや不安や閉塞感の原因が、「個人の努力」や「個人の感じ方」の問題に絶対に(本当に絶対に!)回収されてほしくないということも、改めて思った。
個人が抱えるさまざまな問題や苦しみの多くが、本当は社会の構造や不平等からきていること、本当に変わらなければいけないのは社会やマジョリティ(権力や特権を持つ側)であるということを忘れたくないし、そのことにもっといろんな人が気づいてほしいなと、最近学んだり考えたりしていることに思いを巡らせながら考えた。
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そして、いろいろ見たカバコフの作品の中で特に好きだと思ったのが、越後妻有里山現代美術館に展示された「16本のロープ」だった。(頭上に張り巡らされたロープに、紙切れや壊れた日用品の欠片などとともに、旧ソ連の圧政下で暮らす人々の会話のメモがぶら下げられているという作品)
まだまだ声の大きい人の声ばかりが聞かれる社会のなかで、こういうふうに、社会に生きる”普通”の人々や”少数派”の人々の声や感情や生活や置かれた状況に丁寧に目を向け、大切に思う人や視点があること、それが芸術や文学やカルチャーを通して表現されることに私はいつもすごく勇気づけられるし、救われる気持ちになる。
(2019年に、市原湖畔美術館で『更級日記考 女性たちの、想像の部屋』という展示を見た時もそんなことを思ったな、と思い出した。私が韓国のアーティスト、イ・ランさんの書くエッセイや歌詞の内容にずっと惹かれ続けているのも、同じ気持ちから)
とにかく、ここ数年で見てきた大小さまざまな展示の中で、こんなにもいろんなことを考えたり感じたりしたのははじめてかもしれないと思うくらい、「大地の芸術祭」は自分の中に行き交うものがとても多い、実りある体験だった。コロナや、今も続いているロシアとウクライナの戦争、今個人的に感じている行き詰まりと、カバコフの作品たちが作られた背景や想いが、呼応する部分も大きかったのかもしれない。
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2022.12.03
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watanabekaori · 2 years
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*展覧会のお知らせ* Any Kobe with Arts 2022にて作品展示・販売いたします。 私の作品は「旧トーマス住宅 風見鶏の館」でご覧いただけます。(別途入館料が必要です) 物販スペース(建栄ビル(MRSXビル)2F 南)ではポストカードも販売します。お土産に是非どうぞ。 見どころたくさんのアートフェスです。ぜひお越しください。 . [Any Kobe with Arts 2022] 於: 神戸北野・旧居留地界隈 会期: 2022年9月23日(金・祝)~ 2022年10月10日(月・祝) 開館時間: 11:00~18:00 会場により休館日・営業時間が異なりますので事前にご確認下さい。 料金: 周遊チケット 当日¥3,000 前売り¥2,700 (9/22迄販売) ローソンチケット(Lコード:55061) ◆展覧会概要(Any Kobe with Arts 2022 HPより) アートが観れる♪アートが買える。現代作家の作品を軸に目新しいものを一同に集結!
Any Kobe with Arts 2022 は、神戸北野と旧居留地の街に点在する観光資源を活用した街なか散歩アートフェス♪
在廊作家も多く直にアーティスト達と触れ合える良い機会となります。歴史ある建築物も楽しみながら芸術の秋にふさわしい展示物の数々を鑑賞しながら、ゆっくりと神戸の街をお楽しみください。 40ヵ所以上120名を超えるアーティストによる祭典♫ 1. 中学生以下は無料 ※学生証ご提示ください。 2. 1会場1回限りですが当日すべての会場を観られなくても開催中であればいつでも使用可能です。 3. 風見鶏の館(500円)・萌黄の館(400円)は別途入館料が必要となります。
※お得な2館券(萌黄の館・風見鶏の館)650円をご購入ください。
※高校生以下、65歳以上の神戸市民、障害者手帳をお持ちの方は無料となります。 4. 周遊チケットは有料会場7ヵ所+お好きな有料会場2ヵ所の合計9ヵ所で使えるチケットになります。チケット提示で協力店舗では様々なサービスを受けることができます。 . . . #kimono#art#arte#kunst #artfes#kobe#anykobe#exhibition#maiko#japanesepainting#painting#contemporaryart#미술#회화#日本画#舞妓 #絵画#美術#展覧会#神戸北野#旧居留地#神戸#風見鶏の館#異人館 (神戸市風見鶏の館) https://www.instagram.com/p/Cikfc-5v2cm/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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nanjoyoshitaka · 2 years
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気がつけば、会期も半分を過ぎました。 夜は秋の虫の音も聞こえてきましたが、まだまだ暑いですね。香川にお越しの際はぜひお立ち寄りください。 鏡を使った作品と、瀬戸内海歴史民俗資料館から貴重な資料をお借りし、漁撈具などを使ったインスタレーションを展示します。(写真のオイルランプは既に電球仕様に変更されていました。これを2次保管していたコレクターのしごとか、もしくはその使用期間中に電化がすすんだのか) 瀬戸芸夏会期のグループ展示でもあるので、パスポート提示で入場料がお得になります。 特別展「せとうちの大気―美術の視点」 会期 :令和4年8月5日(金曜)~9月4日(日曜) 開館時間:午前9時~午後5時(入館は閉館の30分前まで) 夜間開館 :会期中毎週土曜日、午後8時まで(入館は閉館の30分前まで) 休館日 :毎週月曜日 会場 :香川県立ミュージアム2階特別展示室、常設展示室4・5他 作家:浅見貴子、北村大樹、藏本秀彦、得丸成人、南条嘉毅、三村昌道、水谷一、宮武かおる、宮脇慎太郎、矢野恵利子 写真撮影:宮脇慎太郎 展示内容 : 「香川県出身あるいは、これまで瀬戸内を活動の拠点とした経験のある美術家や写真家、映像作家、デザイナーなどによって、美術にまつわる様々な視点から瀬戸内をイメージしてもらおうとする試みです。」 今回は、10人の作家たちが、それぞれの個性を遺憾なく発揮した特徴的な捉え方に着目することで、瀬戸内沿岸に居住する私たちの生活を客観的な立場で見直すきっかけにもなると考えています。 ふだん見過ごしがちな風景や事象も、実は長い歴史の積み重ねとともに人々の生活に反映された文化的資産として所在しています。この瀬戸内は常に生き物のように呼吸し続け、現代にまで繋がっていることを作家たちは見逃すことはないでしょう。 私たちの五感を刺激する作品群は、音や映像、光の織りなす情景を描き出し、瀬戸内の魅力を引き出します。 https://www.pref.kagawa.lg.jp/kmuseum/kmuseum/tenji/tokubetsuten/setouchinotaiki.html #contemporaryart #art #installation #installationart #artfestival #yoshitakananjo #setouchitriennale #setouchitriennale2022 #takamatsu #museum#visualart #瀬戸内国際芸術祭 #瀬戸内国際芸術祭2022 #インスタレーション #芸術祭 #沙弥島 #香川県 #高松市 #香川 #香川県立ミュージアム #せとうちの大気 https://www.instagram.com/p/ChoentHLkkZ/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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myonbl · 2 years
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2022年6月19日(日)
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昨日契約農家から届いた定期便、中に鹿肉が入っていた。日本の中山間地農業(平地が少ない地域)では、鹿との戦いは深刻だ。決定的な対策はなく、猟友会による駆除の取組もハンターの高齢化もあって追いつかない。とは言え、生き物の命を奪う以上、感謝しつつ食として最後まで付き合わなくてはならない。きれいな赤身をカットして、2/3は鹿カツに、1/3はヨーグルトに漬けてカレーにしよう。ここから先は減量との戦い、食べ過ぎないようにしなければ。
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5時起床。
日誌書く。
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おぼろそば+そば湯+ヨーグルト。
ツレアイは太鼓の練習で奈良へ、JR京都駅まで送る。
ツレアイが使用しているAppleWatchはわたしのお下がりのSeries6、Series7に買い換えるために下取りを申し込んだ。
2男にはSeries3を与えていたが、今は使っていないということで下取りに出すことに下。ところが、いったん私の使用しているSeries7とiPhoneとのペアリングを解除し、Series3とのペアリング操作をしなければシリアル番号が確認できない。操作を始めるが、こんどはWatchOSのアップデートが必要で、これがなかなか進まない。結局2時間程度かけてようやく下取り申込終了、評価は2,000円とのことだった。
中元手配、大丸&浜峰商店。
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息子たちのランチはレタス炒飯、私は残り物を片付ける。
ツレアイを京都駅まで向かえに行く。何しろ大きな太鼓を背負っているので、観光客の増えた市バスでは迷惑この上ない。暑さのせいで自転車も大変なので、今日は送り迎えをしたのだ。
MQJ(メモリアル・キルト・ジャパン)のニュースレターの編集作業、昨秋から随分と間隔が空いているのだが、専従スタッフがいるわけではないので、我が家の仕事の流れが大きく影響してくる。夕方までかけて、A4*12舞いに収めた。明日はツレアイが休みなので、<市民活動総合センター>の印刷室を予約して仕上げる予定だ。
松尾大社の<夏越の大祓え>、やっと組内の申込を揃えて会長宅へ届ける。
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夕飯は鹿カツ、ついでに残っていた豚肉をトンカツに、定期便に入っていたサンドマメも天ぷらにした。
録��番組視聴。
(9)「まるごと徳島!昆虫食最前線?!コオロギ養殖」
初回放送日: 2022年6月19日
徳島県のサラメシを集めたスペシャル版!かつて取材した職人さんや都会からの移住者たちの地域色あふれる昼ごはんから、今、話題の昆虫食の最前線!コオロギ養殖を行うベンチャー企業のランチタイムまで「まるごと徳島県」でお届け!▼環境意識の高まりから人気急上昇中の昆虫食。コオロギの飼育から食用加工までを手掛けるベンチャー企業で仕事とランチを拝見!▼かずら橋架け替え現場や藍染め職人工房、サテライトオフィスの昼。
(39)「黄金のバックル」
何度見ても新しい!ミステリードラマの金字塔。全体的に古風な雰囲気がただよう作品。ルース役のジョイス・バン・パタンはピーター・フォーク主演の映画で共演歴がある。 
 美術館の館長を務めるルースは、理事である弟のエドワードが財政難の美術館を売ろうとしていることを知る。美術館一筋で生きてきた彼女は弟の殺害を決意。まず、借金を抱えている警備員の男を「多額の保険金がかけられた展示品を盗んでくれれば逃亡費用と旅券を渡す」とそそのかす。その夜、美術館に忍び込んできた男を射殺し、そこに現れたエドワードを、今度は男の銃で撃ち殺す。
入浴、早めの就寝、落語を聞くことなく夢の中へ。
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デスクワークに時間が取られ、3つのリング完成とはならず。水分は、1,600ml。
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tokyomariegold · 7 months
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2023/7/10〜
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7月10日 週末に無印で買った風を通すズボン?を履いてみたら、いままでより格段に快適になってしまって、行きも帰りもバスに乗らずに歩いてしまってへとへと。
出勤して、たくさんの人とデートをしているから誰から聞いた話かわからない、と言っていた人が、その関係の話で「よかったね〜」と言われているのを朝の給湯コーナーで聞きかける。
とうもろこし茶をニューデイズで買った話をしたら「ニューデイズって何?」と言われてしまい、その方はコンビニの区別がつかないそう。 なんとなくの色でなんとなく区別しているとのことで、私も一人暮らしを始める前までは、コンビニ毎の違いをらそこまで気に留めた事なかった。なんか大体アメリカンドッグ売ってて、清掃剤の薬品の匂いで気持ち悪くなる場所だった。
お昼休み、向かいのデスクの方となんとなく話をして、その流れで一緒にスタバへ行くことに。 酷暑なのでお散歩に行くのは気が引けていて、でもどこで何をしていればいいのかわからなくなっていたので一緒に時間を過ごせてもらえて助かった。 と、いうか、ドタキャンを2回もしてしまった過去があるのに、こうやってお昼を誘ってくれてありがたいな〜と、久しぶりホットのチャイティーラテを飲んだ(学生時代、水野しずのしずラテ(ホットのチャイティーラテ豆乳へ変更シロップ半分シナモンパウダー追加)をよく飲んでいた。)!
やっぱりご飯を食べられていない私に、デスクへ戻ったあと「これなら食べられますか?食べないと心配!」とビスコを一袋差し出してくれる。
この週末は3連休が待っていることに気がついて、少し焦っている。
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7月11日 サーキュレーターを買おうか迷い中だけれど、この迷いはAmazonプライムセールに誘導されているだけの気もする。
川上さんのエッセイと女性作家のエッセイや短歌集の本が届く。楽天お買い物マラソンに参加してしまった。
職場にはいろんな人がいろんな思惑で仕事をして、同じ日本円の金を手に入れている(金額はまちまちだけれど)!と改めて実感した日だった。 いろんな星があるね、って思ってしまって、今は写真のことや暑さのことや身体のことがあって、仕事に割いてる人生は17.5%(いつもは20%)。 なるべく今年度は有給を使って持ち越せなかった分を出さないようにします。
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7月12日 サーキュレーターを買ってしまった! そのほかセールの日用品を購入して、ふと、amazonのセールっていつも同じものばかりセール品になる気がする。もっと楽しいセールのお買い物をしたくなる。
今週末、特に海の日、誰かと少しだけお茶をしたり美術館に行ったりしたくなり、でも当てを頼っては振られてしまい眼鏡を割り続けている。
今日はロキソニンを飲んだからか、ずっとぼーっとしながらも色々お仕事を進めることができた。
高校の進級や卒業が危うい娘・息子を持つ親達の職員さん達の話が飛び交っていて、でもみなさん意外と我が子の人生を「厳しい道を選んじゃってるな〜」とか言っていてあまりピリピリしていなかった。親からしたら子供の人生ってそんなものなのかしら。
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7月13日 昨晩私でも知っているタレントの方の急逝についてNHKのニュースから流れてきて固まった。 死は怖いことでもなんでもないのに。そのタイミングが早いか遅いかだけなのに。 それで、ちーちゃんがこないだ、お部屋が汚すぎてこれを残して飛び降りることはできない!と言っていたのを思い出して、死ぬってそれくらいの事でいいんだよね、と思ったりした。 掃除ができるかできないか、死ぬか死なないか。
でも、どんなにその人にとってポジティブな選択としての死だったとしても、残された側での憶測は飛び交うばかりで、死んだあとに、あ〜〜そういうことでなくて…!となってしまうのが嫌で(そもそも、死んだ後も天国で生き続けている?みたいな話は違うと思っているけれど)、私はできる限り生きていたいかもしれない。 それで、毎日とても気をつけて、死なないように気をつけているよ。
朝の電車で、川上未映子さんの深く、しっかり息をしてのエナジードリンクのエピソードを読んで、今の職場の方を思い出す。 その方は3月に入職してから、たびたびお休みをしていて、最近も体調不良でほとんど出勤できていない様子。出勤してもうつらうつはしたり、iPhoneを触っている様子が目立ち、周りの人にとっては簡単な入力作業もままならない感じで、みんな少し呆れてしまっている節があった。
たまに給湯コーナーで会うとお話しできて嬉しい、と言ってくれて、おしゃべりは好きなみたいで、私はいつもカラコンが似合ってるな〜、と思ってその場はなんとなくおしゃべりしていた。
そういえば彼女も息子さんがいて、私と2歳違いくらいだけれどもう小学六年生になるとか言ってたっけ、と、彼女も昼休みが明けるといつもデスクにエナジードリンクを置いていたっけ、と、川上さんのエッセイと通じる部分があり思い出していた。
同じ職場で働く身としては、なるべく戦力になって働いてほしいけれど、でもそれ以上にそれぞれの星を守ることを大切にして欲しいかも。
なんで真面目に働けないの?と、私も思っていたけれど、お仕事は、自分の得たい生活以上に頑張りすぎてはいけないし、本を読んだり映画を見たり美術館に行ったりして、他の世界に触れておかないと星が死んでしまう。危ないところだった。
でもまた明日もし彼女の休暇の連絡を受けたら、やれやれムードを職場の人たちとやってしまうんだろうな。
午後の打ち合わせで、集中治療室の新生児と対面して、生命そのものみたいで戸惑ってしまった。
色々気持ちが落ち着かないので三連休が怖い。
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7月14日 少し涼しくて朝起きて4:30でも絶望的な疲労感がなくて、大丈夫な身体の調子の時に、やっぱりギリギリじゃないことが少し怖くなる。体感が麻痺している。
エナジードリンクを飲んでいる職員さんから、今日もお休みの連絡が入り、8月末までお休みされるとのこと。
お昼休みに1ヶ月後の旅行のために新幹線のチケットを取ろうとしたけれど、確定ボタンを押してカード会社のアカウントへログインしてまた確定ボタン画面へ戻る、をループし続けてしまい予約できなかった。 あとお散歩していたらカラスがぱたん、と倒れていた。
以前の上司から、某タレントさんが死について「彼が死を選場なくてはいけない世の中なんて悲しすぎる!」と、話しかけてもらう。 今の上司からナタデココブームは平成5年に会ったことを教えてもらう。
絶望的に疲れていないけれど、平たく積み重なった疲れ感と退屈感があって、やっぱりこの週末が不安なので、よく眠ろうと思う。
帰り際に向かいのデスクの方から、満点でなくて良いから、誰もが認識できる程度のミッキーを、誰もが描けるようになる職場環境をつくろうマイスターの研修を受けたエピソードを聞いた。
リップヴァンウィンクルの花嫁がYouTubeで配信されていたので、今晩は流しで過ごそうかな。
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derspericher · 2 days
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旅に出る理由 #Republic of Palau
初めてこの国を出たのは、まだ小学生の頃だった。
私は子供の頃、市の友好青年使節団の研修へ参加し、主に日本と戦時中に関わりがあった幾つかの国々を訪れた。友好青年使節団の渡航準備は、まず半年をかけた研修から始まる。定期的にフォーラムに参加し、渡航先と日本がどのように関わり合っていたのか、彼らの文化はどのようなものなのか、戦時中何が起きたのか。事前に相手の国へ行く目的をはっきりさせてから行った。文化交流の一環として、相手の国民的な歌を覚えて合唱曲を互いに送り合ったり、時にはホームステイもした。「言語の壁を越えていく適応力」と「互いの歴史的・文化的背景を知り、多角的な視点を持って相手に歩み寄ること」をここで着実に学んだように思う。
そして私が使節団として渡航した最初の国が、パラオ共和国だ。
パラオは西太平洋に位置する、500以上の島が集まってできた共和国だ。日本とは歴史的な関わりが非常に深く、第一次世界大戦後に日本の統治領土として一時的に統治されていたことが大きく影響している。(パラオ共和国の国旗は、日本の国旗のオマージュとも言われているが、製作者は否定しているとのこと)パラオ語の中には日本語が混ざっていることで有名だ。
私はパラオ無人島体験のプログラムに参加した。参加時はもちろん戦地学習としてぺリリュー島などの激戦地には行ったのだが、無人島で過ごした時間が衝撃的すぎて全く覚えていない。大人より子供の多い無人島サバイバルツアーが組まれ、今となっては考えられないようなプログラムが組まれていた。子供達のメンバーはうろ覚えだが、明るい子、教室の隅にいるような子、不登校の子、など、決して外交的な人間だけが揃えられたのではなかった。大人はマジシャン、理科講師、主催者、現地のツアーガイド数名だった。「理科」「エンタメ」「現地民」「計画者」、そしてさまざまな性格の子供たち。今思うとほぼ漂流教室だ。やばすぎる。
プログラムがスタートしてパラオのコロール市に数泊した後、小さな無人島へ皆でボートで向かった。日中、干潮の時間に水の中をじゃぶじゃぶと歩きながら島へ上陸したのを覚えている。足元を見ると、白い砂浜を米粒ほどの小さなヤドカリがウヨウヨと歩いていた。島に入ってすぐ見えるヤシの木には、前年度のプログラム参加者が作ったお手製の木のブランコがかかっていた。
無人島生活は、まずシュノーケリングから始まった。小判鮫がウヨウヨいる海を泳いだ。ずっと向こう側まで澄み切っている海を泳ぎ、横をスイスイと泳ぐ魚たち、とサメ。サメサメサメ。サメばかり。とはいえど、小判ザメだ。人間を襲いにくる様子もなく、ちいさな群れを成して悠然と泳いでいた。最初は怖くて仕方がなかったが、何もしてこないとわかると俄然楽しくなったのを覚えている。
午後はテグスと小さな針のみで魚釣り。釣った魚はその日の晩御飯になると聞き、みんな果敢に挑戦し、小判ザメを釣ったり、小さなミノカサゴを釣ったり。「食べなければ生き残れない」という無意識のもとで命を獲り、それを食べる。今思うと「人間という動物」らしい瞬間だ。海に生きとし生けるものと一つになって泳ぎ、その群像の一つを食べて生きる。そんなサイクルを体感した。
日が沈んだ頃、壁のない木の小屋に集まり、釣った獲物の鍋を突いた。マジシャンがマジックを披露していた最中、その向こう側からふらっと現れた巨大なヤシガニに一同騒然とした。ヤシガニはマジックのタネではなかった。ガイドが木の枝を使って捕まえて、理科講師が「ヤシガニのハサミは人の親指をパチンと切る」と言っていた。鍋で煮て食べた。捕食者でよかった。私の指は残った。ヤシガニのハサミは美味しかった。
ひとしきり食べ終わった後、みんなで浜辺で焚き火をした。ここで理科講師「おじい」が星の名前を教えてくれた。一つも覚えていないが、南十字星という、南の島でしか見れない星が稀にあることだけは覚えた。私たちは見ることができなかった。
あの時、まだ10代になったばかりの子供達だったが、焚き火を囲みながら、夜なべして将来の話をしていた。6年生の男の子がすごく悩んでいたような気がする。そのあとは硬い木の床にみんなで雑魚寝した。お風呂なんてもちろん入っていない。肌が砂でざらつき、湿気でベタついていた。風を感じた。月が大きかった。『時間』という概念を忘れていた。何もかもが自然の流れと共にあった。
夜明け、とんでもない光に照らされて起き上がり、理科講師おじいを起こした。「あれは何?」と聞いた時に「あれはね、朝と夜の間にしか見えない金星という星だよ」と教えてもらった。金星が朝陽の限りなく近くにいたからなのか、眩しくて仕方がなかったのを覚えている。その光を、いまだに、確かに、私の体は覚えている。
思い切り自然を楽しみきった私は、無人島から帰る時、「帰りたくない」と駄々をこねた。ガイドさんに「残るか?」と聞いてもらったのを覚えている。育てていたポケモンのたまごなんて、もうどうでも良くなっていた。「ここがいい」と思っていた。泣く泣くホテルに帰り、夕方にレストランで食べたコウモリのスープは、シャケの味がした。ホテルに帰ってベッドで寝ても、食事だけは相変わらずビーストモードだった。
パラオでの無人島体験は、地球と邂逅した時間だった。
当時、日本の児童館でPCで毎日フラッシュ倉庫やYouTubeを漁っていたザ・インターネットキッズの私にとって、すでに情報の海はみじかなものであった。タイピングも上手くなってきた頃、全ての電子機器を置いて無人島に行った私は、人間社会の皮を被っていない地球そのものに完全に魅せられてしまった。
インターネットは今でも大好きだ。今はさまざまな情報をもっともっとインターネットで簡単に得られる時代。なんだって知ったような気になれる。
でも如何せん、地球は大きく、広く、丸く、そして変化し続ける命だ。その未来には私たちと同様、死が待っている。四角いフレームや文字の羅列で切り取れるようなサイズの事柄は、最初から世界にはない。知り尽くせない文脈が、地球の血脈だ。毛細血管の如く地球上にぐるぐると広がっている。本物を知りたければ、自身の身体を持って、本物に触れなければいけない、と、私は思う。そのアクションはとてもパワーがいる。エネルギーがいる。ただその分、私の問いに世界は言葉なく応えてくれる。
旅という行為に興味はない。私は、この世界に興味がある。この世界で起きたこと、起きていること、起きるであろうこと、その全てに、魅せられ続けている。遺跡、美術、絶景、人物、動物、エンターテイメント、文学、音楽、どれにしたって、「概要」を知っていても、本質に触れることとは知の獲得において、天と地ほどの差がある。本物に触れることで、真実そのものが伝わってくる。そしてまたひとつ、新しい感覚が、この体に生まれる。「そういうことだったのか」と、言葉にならない体験的な知の財産を得る。
この「知る喜び」こそ、私が旅に出る理由なのだ。
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