午前中スタジオ練習に行く。
前日に飲んだワインが残っている。
バンドの新曲はかなりシンプルでポップな感じ。
靴屋さんで足のサイズを測ってもらう。
長さに対して幅や高さは小さめらしい。
長さ重視で靴紐を強めに締めると良いとのこと。
家の練習でALBIT A3GPをよく使うようになった。
音が綺麗なので弾いていて楽しい。
downyのアンテナ頭という曲が美しく気迫を感じてすさまじい。
もうすぐ今年が終わるというのに、やるべきことが何も終わらない感じ。
恐ろしい。
DD-6とDD-8を比べたときにバイパス音が全然違う気がする。
DD-8の方が豊か。
ディレイ音はDD-6をショートでかけたときの空虚さも好きなんだけど。
OD-3とSD-1Wも比べてみて、OD-3もかなり良い音だと思ったんだけど、太さが欲しいことを考えると、SD-1Wが良いなと思った。
風が冷たくて喉がキュッと絞まる。
流しの水を出したまま立ち去ろうとしたり、ゴミを捨てたかもわかんなくなったり、封筒に書類入れたまま送り忘れたり。
今さっきのことを忘れてて最近ちょっとよくないかも。
耳掃除と唇噛みは良くないけどやめられない趣味だ。
物を捨てたくなってきた。
何かを終わらせるのはそれだけで色々な感情が渦巻く。
すごいことだ。
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年末年始は気をつけて https://ameblo.jp/kurushige/entry-12831208362.html
あと、詐欺もね。
https://dawaan.com/instagram-bo-fraud/
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マンスリーベストナインアワード2023 は今日にもって投票終了します。〔発表は開票してから掲載するまでお待ちください。〕
My YouTubeの検索語句 🥇
総合 戸次重幸、ショート 西島秀俊 、
ロング フグ田タラオ
ニュース
#堺雅人 さん
プロメア以来の5年ぶりでアニメ映画に出演決定!🦆
#すみっコぐらし
映画でしろくまさんの家族に解禁
来年4月にSTARTOを在籍するタレント、現Smileup・旧創業者の事務所出身のタレント
もうすぐ旧創業者の事務所入りから20年に経つ#山田涼介 さん・#深澤辰哉 さん ・#阿部亮平 さん等のタレント達は4月からSTARTO社を在籍しますが、
ところが突然の悲しいお知らせがありました。
10年前に退所した#森本龍太郎 氏は
来年4月7日にもって2回目の無期限活動休止することに決まりました。
その理由は
heysayjumpの現メンバーである
#八乙女光 さんの次に耳の病気。
#髙橋海人 さん,#二宮和也 さん,#kinkikids ,#snowman #west .#Travisjapan等
その他
阪神・オリックスはハワイ旅行の後にチームメイトと���再会し練習へ
恵美子さんがゾンビのドラマに。
and more....
次回の抜き打ちチェックは
〔SNSのパトロール・年賀はがき作業がある為〕
来年1月上旬まで延期させていただきます。
更新クリア条件
2023.11.3から2024.1の期間中まで
〔失格は〜2023.11.2〕
都合があれば変更する場合にもございます
インスタの調子が悪い〔#インスタ不具合 の〕時は
アップデート〔バージョン〕か再起動しましょう
出来なかったら
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〔〕ヒント有り
#佐々木蔵之介 💙🐎
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お願いだから自分のアカウントで#インスタ不具合 発言をやめてほしいです。必ず、アップデート か再起動・再ログイン をお願いいたします。
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現在は
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皆様へのクリエイター達に感謝してあげています。
あと、threads はInstagramと一緒に連携を。
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神藤彩佳🐼💙
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絆を求めるというのは人の生来的な欲求であると言えるし、絆というのは、人々の共感や共通の理解の上に成り立つ信頼関係のことだとも言える。言葉も、話してる本人にしか理解できないオリジナル言語みたいなのは言葉として成立しないし、あくまで共通の理解や共感の上に成り立つものだと言える。
ギリシア神話に登場するトロイア(イーリオス)の王女カッサンドラは、ゼウスの息子で詩歌や音楽の神であるアポローンに愛され、アポローンの恋人になる代わりに予言能力を授かったが、その瞬間、アポローンの愛が冷めて自分を捨て去ってゆく未来が見えてしまったため、アポローンの愛を拒絶する。憤慨したアポローンは、カッサンドラの予言を誰も信じないようにという呪いをかけた。カッサンドラは、トロイア戦争において、トロイの木馬を市民が市内に運び込もうとしたとき、それはトロイアの破滅につながると予言し抗議したが、誰も信じなかった。
カッサンドラ(カサンドラ)の名は、ある人が正当な不安や警告を発しても、それが他人に信じてもらえない現象を指す比喩として、「カサンドラ症候群」「カサンドラコンプレックス」「カサンドラのジレンマ」などの形で使われる。こうした比喩としてのカ��ンドラの現象は、絆の喪失あるいは奇妙で有害な絆の形成が要因だと考えられ、いわばこれがアポローンの呪いにあたる。絆を失ったり歪めたりしてしまうと、言葉が通じなくなってしまう。
情緒的な絆の形成やその過程のことを心理学の用語で「ボンディング」(ボンドでくっつけること)というが、例えばストックホルム症候群のように被害者が加害者に対して心理的なつながりを築くこともボンディングであり、また、集団心理は、個人間の心的相互作用の集合過程を通して形成されるという意味でボンディングによく似た概念である。
「カサンドラ症候群」などの言葉は、危機感や不安を煽ることやヒステリー、あるいは異なる見解を排除することを正当化するためのエクスキューズとしても多々使われる。科学的に正しいと主張して危機を予言し、異なる見解を持つ人たちを散々バンした後で、最初から特に根拠もなかったし予言も外れたけど、警告は正当なものだったし、予言がはずれたのは耳を貸さなかったやつらのせい、みたいなことを結構真面目なメディアの���事にしたり、破滅的な予言がはずれたのって良いことじゃないかとか、せめて謎にバンされてるやつそろそろ解除してやれみたいなツッコミに対してヒステリックにブチギレて喚き散らすショート動画をアップすることを正当化し、バンされた人や陰謀論者とか差別者とかナチスとか散々なレッテル貼られまくってる人たちじゃなく私こそが悲劇の予言者カサンドラだみたいな感じで、予言を続けている。
同じように、心理学の用語などが歪んだ形で用いられることが、ここ数年の間、多かった気がする。医学や政治や経済などの課題をそれぞれの分野の人が語るが、どれもほとんど心理的というか、てかおまえのメンタルどうなってんだ的な言い合いになってしまい、どれも何言ってんのかよくわからないまま次に移る時間になぜかなるため、とりあえず何か心理学っぽい用語を使ってエクスキューズしたり、いやわからないやつの方が何かの障害だろみたいなノリになっていく。
また新しい話題が出てきて、また改めてどっち派かで区分されたそれぞれやあくまで中立とか現実主義とかのグループ名の下に集まった人たちが、またせっせとボンディングするというのがまた始まった。二週間後はニューヨークになるとか、バイデンは外交のプロだみたいな、異常に頭が悪いがなぜかボンディングとして機能していたものの賞味期限が切れ、新しいのに付け替えようとしている。闇の支配者とかが意図した通りかどうかはともかく、団結や連帯という言葉を掲げた分断になっているという意味で皮肉であり、絆を強く求めるが故に共感や共通の理解の形成をすっとばす形で同調してしまうため、信頼関係のない絆というような奇妙で歪んだものに支配されてしまうという意味でも皮肉である。
皮肉っぽく並べると、「プロジェクトカサンドラ」というアメリカの麻薬取締局(DEA)によるヒズボラの資金源の調査が再開したという2017年の報道の後に、こうしたナルコテロレジームって何なんだとか、エジプトのモルシ政権って何だったんだとか、アラブの春やカラー革命って何だったんだということについて何となく疑問などを交換していたことで、はっきりしたことは全くわからないままだし意見も立場も様々でオールドスクールな陰謀論からふざけたいだけなのまで色々あるが、何となく共通の理解や共感を形成したことがあるという経験が、メディアの煽りに釣られるだけでもなく、現実を忘れるための趣味の世界に籠るだけでもなく、ボンディングジャンキーにもならない形で、これまでの会話を続けられる心理的な場を維持することに役立っている。
絆(ボンディング)は、自分と他者との関係だけではなく、自分自身の中の複数の考えだったり、例えば「昨日までの自分」と「今の自分」を結ぶものでもある。他者との絆を守るために自分の考えの多くを放棄するというのも辛いし、自分自身の考えのいくつかが互いに矛盾しあって拮抗している状態も辛い。こうした葛藤は常に起こっているか起こり得る状態にあるが何となく調停されていて、その調停の結果や調停の仕方が絆である。ただ、自分の中にある考えとは言っても、それらを同時に見ることも、それらがどうやって調停されたのかも見ることはできない。人が認識できるのはあくまでその時の特定の視点から特定の見方で見たものである。
遠近法に従った絵画で描かれている風景は常に画家の視点に相関的であるのと同様に、世界は常に特定の視点から特定の見方によってしか見られえないものであり、いかなる視点にも限定されない絶対的な世界認識などはありえないという考えを「パースペクティビズム (遠近法主義)」という。絶対的な世界認識(知性)の獲得は不可能だとする考えであり、まるで神にでもなったかのように自分が絶対に正しいと主張したり複数の場所に同時に存在するのはとりあえず何個か予言を当てたり千里眼を発現させたとしても頭ヤバいという考えでもあり、「反知性主義」ともいう。
19世紀にニーチェがこのパースペクティビズムを説きつつ、これを大衆民主主義に与えられた病名として「眺望固定病」と呼んだ。眺望固定病とは、自分自身を尺度として、自分の支配に好都合な価値をあたかも普遍的で客観的なものとして世界を見てしまうことを言い、価値観の押し売りなどがよい例だという。この眺望固定病に陥っているからこそ我々は「力への意思」を認識できないのだと説いた。しかしそれ以外の見方はなく、余裕ぶっていられる間だけ謙虚なふりができる程度だ。言い換えると、本当の考えあるいは自己は絶えず流れている動的なもののはずだが、それのほんの一部でたまたまその時に見えるものを、しかも固定させてしまわなければ見えない。ニーチェはこれを乗り越えようとして「永劫回帰」や「超人思想」の概念を提示したものの未完に終わる。
遠近法という絵画技法の名がついていることもあって、この考えは19世紀末から20世紀前半の画家に大きな影響を与え、それぞれが自分なりの解釈で取り入れようとした。遠近法を無視した絵画が注目されるのもこの時期である。ジョルジョ デ キリコも青年期にニーチェの思想に傾倒し、そうした思想を1910年代に「形而上絵画」として提唱した作品に落とし込んだ。形而上絵画は、遠近法における焦点のずれにより、見ている人に自分がここと数歩離れた場所、同じ建物の1階と2階などに同時に存在してしまっているような違和感を感じさせ、なぜか静謐や郷愁、幻惑や不安などを感じさせるという特徴をもつ。後にシュルレアリスムにおいて「デペイズマン」と呼ばれる手法が用いられている。
「デペイズマン」は、「人を異なった環境に置くこと」転じて「居心地の悪さ」「違和感」「気分転換」を意味するフランス語で、美術用語としては、あるものを本来ある文脈から別の場所へ移すことで違和を生じさせるシュルレアリスムの方法概念を指す語として1920年代に用いられるようになった。同じ1920年代にドイツの新即物主義で使われるようになった「マジックリアリズム」にも似た概念で、技法的にも互いに影響を与え合っている。また、1910年代のロシアフォルマニズムにおける「異化 (慣れ親しんだ日常的な事物を奇異で非日常的なものとして表現するための手法)」とも似た概念である。
シュルレアリスムは「オートマティスム(自動筆記)」という概念を重視し、「フロッタージュ(表面がでこぼこした物の上に紙を置いて鉛筆などでこすって模様を写し取ること)」や「デカルコマニー(2つ折りにした紙に絵具を入れて再び紙を開いて偶発的な模様を得ること)」などといった、いわば「描かない手法」を考案する。「描く手法」としてのデペイズマンは、デ キリコの1910年代の形而上絵画の影響のもとにほぼ成り立っている。
オートマティスムは、意識の介入を排除して無意識を表出させようという試みであるのに対し、絵を描くという行為やイメージ化は意識が必ず介在するというか意識そのものであるため、絵画のオートマティスムはそもそも不可能だとする考えはシュルレアリスムの運動開始当初からあり、これに対して、筆記や読むという再現行為なども思考の固定化だし意識化であって、そもそも矛盾があるのではないかという思想対立があった。
デ キリコはシュルレアリスムが始まったすぐ後に呼びかけに応じる形で参加するも、その時にはすでに古典的技法を一から学びなおして古典に回帰しようとしていた。すぐに思想的な違いが露わになり、1926年には決別を表明する。シュルレアリストたちは古典に回帰したデ キリコを非難した。
シュルレアリスムを創始したアンドレ ブルトンには、この芸術運動を共産主義革命運動に連動させようという意図があった。シュルレアリスムの実質的な活動期間は、レーニンが死去した1924年から第二次世界大戦が始まる1939年までで、ブルトンはトロツキーに感銘を受けていた。シュルレアリスム運動は共産党からの厳しい批判を受けていたがブルトンは共産党に入党したり、思想などの本質的な違いのために結局離れることになったりと紆余曲折する。この間にシュルレアリスムの運動から離れたものも多く、また、ブルトンは特に1930年代後半にエルンストやダリといったシュルレアリスムの代表的な芸術家の多くを除名した。ブルトンは1938年に、メキシコの画家でメキシコに亡命中のトロツキーと一時期愛人関係にあったフリーダ カーロをフランスに紹介し、カーロと交友関係のある芸術家たちと連携して運動を一新しようとするも、第二次世界大戦の勃発により実質的な運動は終わる。ブルトンはニューヨークに亡命し活動を続けたが、1940年にトロツキーが暗殺され、精神面での支柱を失う。
ブルトンがダリを批判し除名する際にも使った「ファシスト的思想」というのは、トロツキストが対立する相手を攻撃する際にとりあえず「差別者」や「ファシスト」と呼ぶというのをほぼ手法として確立していたというのもあるが、「描くデペイズマン」を指してもいた。描くデペイズマンは、デ キリコからの影響を介する形でニーチェの思想の影響を受けていて、トロツキストのみならず共産主義者は、特にナチスが政権をとった1933年以降、ニーチェの思想をナチスの思想だと解していた。
ファシズムも共産主義も全体主義も、イデオロギーという強力な絆によって人々を一つに結びつけるものである。
ロシアフォルマリズムが「異化」という手法を用いた目的であり、おそらくは形而上絵画もデペイズマンもマジックリアリズムも同様の目的で用いられただろうとされるその目的とは、知覚の「自動化」を避けるということである。イデオロギーやなんやかんやですぐに自動化してしまう知覚や自動化状態にある事物を「再認」するのではなく、「直視」することで「生の感覚」を取り戻すことである。
2023年11月 エト クイド アマボ ニシ クオド エニグマ エスト?
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気持ちの良い服とは 〜 ONICA "Organic cotton Top"
こんばんは。
・
近年ミツバチが減っているらしい。
朝ご飯を食べながら、you tubeでそんなニュースの切り抜き動画を見た。
大阪に住んでいるからなのか、言われてみるとミツバチを見る機会が確かに少ない。
幼い頃、僕はミツバチを捕まえたりして遊んでいたし、初めて蜂に刺されたのもミツバチだった。
ミツバチは確かに日常に居た。
・
アインシュタイン曰く、ミツバチがこの地球から居なくなれば、人間は4年で死ぬらしい。
・
現在私たちの食卓に並ぶ食材の7割は、ミツバチによって受粉されているそうだ。
つまり、ミツバチの減少は食糧危機と密接に関わりがあることなんだとか。
・
今年の5月に群馬の桐生にポップアップに行ってきた。
その時、とても良くしてくれた近所のセレクトショップが、なぜか養蜂をしていた。
長年、群馬という街でセレクトショップを営み、高感度のアイテムを発信する素敵なお店だったのだけど、養蜂とのリンクが結び付かなかった。
・
でも、なんか、このニュースを見てふと腑に落ちた。
ファッションと言えば、服を思い浮かべるかもしれないけど、ファッションという言葉はもっと広義的な意味を持っていると僕は思っている。
(これは取引先の"osakentaro"と話をしていて、なるほどと思った。)
・
どんな本を読んでいるのか。
どんな映画を見にいくのか。
どこに旅行に行くのか。
使っているガジェットは何なのか。
支持する政党はどこなのか。
そんな、趣味嗜好であったり、生き方であったり、世の中に対する態度だったり。
装いはあくまでも、ファッションの一部でしかないと思っている。
(だから僕はファッションという言葉と服という言葉を使い分けるようにしているのだけど。)
・
そう考えると、セレクトショップが養蜂にチャレンジする姿勢というのも腑に落ちる。
このミツバチの減少という危機を知ってのことかは分からないし、大義的なものがあるかも分からないのだけど、養蜂にも取り組む姿勢のようなものは、ある意味最先端であり、ファッションなんだと僕は思った。
もしかしたら、長年の経験から、肌でそういった雰囲気を感じているのかもしれない。
・
何だか、朝から店のあり方や態度に関して考えてしまった1日だった。
ちなみに、ちょっとテンションが上がったのが、ナレーションは声優の種崎敦美さんだ。
秋アニメ、葬送のフリーレンのフリーレン役、そしてSPY×FAMILYのアーニャ役も務める人気声優。
もし良かったら、そんな素敵なナレーションにも耳を傾けて見てほしい。笑
それでは本日の本題に。
今日は問い合わせも多い"ONICA"から、明日からの装いにも活躍するような1着をピックさせてもらう。
ONICA : Organic cotton Top (Forest) ¥29,700 (tax in)
ONICA : Organic cotton Top (Black navy) ¥29,700 (tax in)
ONICA : Organic cotton Top (Sand) ¥29,700 (tax in) sold out
昨年も入荷した"ONICA"の"Organic cotton Top"。
今季は昨年と少しデザインの仕様も変わって新たに登場した。
・
コットン素材の心地の良いトップス。
急に秋らしい気候となり始めたこれからの季節にオススメしたいアイテムにもなる。
・
身体にフィットするようなニットトップスで、秋口には1枚でサラッと。
一方、徐々に肌寒くなるにつれてブラウスやニットのインナーに合わせて、首元からチラッとタートル部分を覗かせるような着こなしがオススメだ。
昨年と大きく変わった仕様は、フロントの裾に入ったスリットになるだろう。
スリットが入ることで、裾で生地が弛まず、すっきりとした装いが可能となる。
また、ボトムスもチラッと見せることができて、装いのアクセントにもなる。
・
ショート丈のトップスのインナーに合わせると、スリット部分はチラッと裾口から見えて、素敵なレイヤードルックを楽しんでいただけるのではないだろうか。
現在当店では"Forest"と"Black navy"の2色がある。
"Forest"は深い森を感じさせるような、緑、ブラウン、ブルーの糸を用いて編まれている。
この色の重なりが、美しい色味を生み出しているのだ。
・
針葉樹の冬の深い緑を感じさせるような。
そんな1着だ。
一方、"Black navy"は濃紺と黒の糸で、トーンの変化は少ないのだけど、シックで品のある色が特徴的だ。
非常に着回しもし易く、1着あると重宝できる色味ではないだろうか。
黒やネイビー単色にはない奥行きも感じられる。
・
昨年もお話をしたことかもしれないけど、"ONICA"のこの"Organic cotton Top"には目に見えない部分まで、デザインが行き届いている。
・
例えば、このニットはご自宅でお手入れもできてしまうのだけど、ご自宅でお洗濯をした後、シワになりにくいように、編み地から計算されているのだ。
・
着用する私たちが、少しでも気軽に、楽しく装いに取り入れられるように。
そんなブランドの姿勢を感じられる。
僕は、そんな目に見えない部分にまで気を遣った配慮がとても好きだ。
・
1年で飽きてしまったり、もしくは、そもそもワンシーズン着て満足するようなアイテムが多くなる世界で、こういった服はきっと毎年着るのが楽しくなるような1着だと僕は思っている。
・
そんな点も踏まえて、秋から冬にかけて1着あるととても便利なアイテムだと思っているのだ。
"ONICA"の服にはそれぞれ1着ごとにストーリーがある。
そんなストーリーをもとに生まれてくるのだ。
このトップスには「冬の散歩」というストーリーが付けられている。
・
「a winter walk 冬の散歩」
雪をかぶった ふわふわの稜線
空気と地の境目に そうっと触れてみた
・
少し季節は早いけど、そんな冬の場面から生まれた1着。
この1着を装いに取り入れて、雪に触れて見てほしい。
デザインと服、そして世界がリンクし、その日の装いは特別な瞬間になるのではないだろうか。
さて、ちょっと別のお話をさせてもらおうと思う。
このトップスはオーガニックコットンを使用している。
オーガニックという聞くと、身体に優しいとか、心地よいとかそんなイメージが先行しがちだが、実はオーガニックだろうが、オーガニックじゃなかろうが、着用する私たちからしてみると、着心地や人体への影響は全く差がない。
・
ではなぜオーガニックコットンなのだろうか。
実は、コットンは枯葉剤を大量に使用する農作物なのだ。
写真で収穫した綿は、コットンの実が枯れて収穫できるのである。
これを自然の力に任せると、実が枯れて、コットンが現れるまで個体差があり、一気に収穫ができない。
そんな作業効率を考えて、大規模なコットン畑ではセスナ機を用いて枯葉剤を散布する。
ある統計によると、全作物で使用される枯葉剤の7割がコットンに用いられるという話すらある。
・
これは土壌汚染に直結したり、またそんな枯葉剤の撒かれた畑で働く方の人体への影響は計り知れない。
オーガニックコットンはそんな背景から生まれてきたのだ。
・
僕はオーガニックコットンだから良いなんて思ったことは正直一度もない。
オーガニックコットンを使っていても、生産背景がグレーなアイテムを作っていれば全く意味がないからだ。
だから、信頼のおけるブランドのオーガニックコットンでなければ意味がないのだ。
僕は、9年コットン栽培に携わってきた。
だからこそ、コットンを産業として捉えるときの難しさなどもある程度想像がつく。
こんな言い方をしたら良い訳ではないけど、枯葉剤を散布する人の気持ちも分かる。
とはいえ、環境や働く人のことを考えれば、オーガニックコットンが大切だということも痛いくらい分かるのだ。
・
この世は0か100で語れないことばかりだ。
それは、この夏、青森の六ヶ所村にある使用済み核燃料の再処理施設に行って痛いほど感じた。
ただ、冒頭の話ではないけど、何を選択するのか。
どう生きるのか。
その態度。
それもファッションとなり得るのだ。
・
だから、僕は最近、気持ちの良い生き方というのを考えるようにしている。
自分が何を選択し、どう社会に、世界に対して向き合うのか。
全てが良い訳ではないけど、少しでも良くなるように。
そのために色々を選択して、気持ちの良い生き方とは何かということを考えるようにしている。
・
全ての服をオーガニックコットンに変えることは難しいかもしれない。
でも、装いの中の一部に取り入れるくらいはできる。
そして、それは信頼のできるブランドでなくてはならない。
・
朝、ミツバチの話を聞いて、ファッションについて考えながら、店に来たけど、そんなことを考えていたら今日は"ONICA"の"Organic cotton Top"を���介したくなってしまった。
��ょっと最後は僕の個人の思想的なものが色濃く反映されてしまったので、読み流してもらえると幸いだ。
話をもとに戻そう。
兎にも角にも。
このニットトップスは、着用する私たちに寄り添うデザインによって生まれた、心地の良い1着なのだ。
それは、編み地のみならず、原料にまで行き届いているのだ。
・
だからこそ、そのニットを纏う日、私たちは肌触りから感じる気持ちよさだけではない、気持ちの気持ちよさも感じていただけるはずだ。
・
そんな素敵なニットと共に、この秋冬の装いを楽しんでもらうと嬉しく思う。
・
なお、こちらは現在オンラインショップでもご覧いただける。
それでは、次回もお楽しみに。
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