🤍 . 急に、#筆箱の中身 💁🏽♂️ 仕事ががっつり建築関係なので、 フリクションと三角スケールは必須🙆🏾♂️ シャーペンはSTAEDTLERの0.9🫠 伸びる定規も意外と重要アイテム🤞🏻 マーカーは高校生の頃から緑推し🥺💚 ☝🏻クラスで一番賢くてギャグセン高い子が 使ってたのが緑だったから😂😂 #ペンケースの中身 #ペンケース #筆箱 #勉強垢 #大人の勉強垢 #勉強垢さんと繋がりたい #大人の勉強垢さんと繋がりたい https://www.instagram.com/p/CfGo05QJAYb/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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いまの世の中の風潮的にこういう言い方をすると色々と問題になってしまうのかもしれないけれど、僕は昔から女性が苦手で、いや、苦手というか怖い存在と言った方が良いかな。フェミニズム云々とかではなく、対峙したときに生き物として畏怖の念を抱いているというか、純粋にかなわないと思ってしまう。これは男女という性別には関係のない話やけど、人って打算的やし残酷でしょう。たまたま僕はこれまでの人生でそういう女性と多く出会ってきたから、ある種のトラウマになっているのかもしれない。文筆家OBATA LEOはそんな僕が素直に話ができる数少ない女性のひとりで、彼女が自主制作しているZINEを読んだとき、年齢や性別に関係なく、この人とはもっと話がしたいと思った。だから今回のインタビューで彼女の素顔に少しでも迫っていけたら嬉しいし、それによって僕自身がトラウマを克服できたら最高!
〔土井〕 そんな訳でLEOちゃん、今日はよろしくお願いします。あなたの素顔に迫りたいということで、いきなりで申し訳ないんやけど、LEOちゃんはメイクは念入りにする?それともスッピンでも平気な人?
{LEO〕畏怖の念というの、当たり前かもしれませんが自分はあまりピンとこず、それはさておき、話したいというのはとても嬉しいお言葉です。土井さんに対する自分の思いは話し出すと長くなるのでここでは割愛しますね(笑)。インタビューの最初の質問って、文章の書き出しと同じでその後の流れを決める置き石のようなものですが、無駄のない場所に置きはったなという感想です(笑)。メイク、友達や知り合いや初対面の人と会う日、休みを満喫するぞって日は絶対めっちゃ��ます。でも誰とも会う予定ない日は日焼け止めすらせず出かけてますね……。本にも書いたんですけど、メイクって自分にとっては、したくてやってると言い切れるわけでもなければ、したくないのに嫌々やってるとも言い切れるわけでもない、微妙な行為で。川上未映子の『乳と卵』という作品で、豊胸手術について、「それは社会に思い込まされてるんや」という意見と「自分がしたいからするんや」という意見が対立して決着がつかない、という場面があります。自分もフェミニズムというものを知ったとき、そういうジレンマに陥って、なんなら「社会に思い込まされてることを全て取り除いて真の欲望を見つけたいと思う」みたいな文章まで書いたんですけど、今となってはそんなことは不可能やしあまり意味もないのかもと思ってます。
〔土井〕うーむ、良いね、出だしからヒリヒリとした緊張感があるわ、前回の小野ちん(moanyusky)のときとはえらい違いや(笑)。そう、でもやっぱりメイクって自分のなかでは割と重要で、メイクは女性だけに限った話ではないとはいえ、やっぱり男性でメイクをする人はまだまだ少数やし、僕らおっさん連中のほとんどがむき出しの顔面を晒して生活してしているのに対して、女性の多くはメイクで日々、自分の顔を変化させることができる。メスで皮膚を傷つけることなく、その日の気分で変身できるというのは、なかなかにショッキングなことで。『乳と卵』は僕も大好きやし、未だに川上未映子の最高傑作やと思ってる。あそこで描かれる能動的か受動的かという問題、実はタラウマラのご近所さんで実際に豊胸手術をした主婦の方がいて、その人は旦那が胸が大きい方が好きなんだろうと思って実際にやってみたら実は旦那の好みはそうではなかったと知って、めちゃくちゃ後悔してはった。旦那を喜ばせたいという自発的な想いが発端とはいうものの、その背後には無意識に旦那の好みに寄せていくという受け身な態度が窺い知れる。しかもそれが思い込みやったとなれば更に話がややこしくなる。ほんま人間はどこまで能動的に振る舞えるんやろうね、甚だ疑問やわ。そう言えば『乳と卵』のなかに巻子と緑子という親子が互いに自分の頭で玉子を割ってドロドロになる描写があったやん。あれって卵子を破棄したいという願望の現れやと思うねんけど、LEOちゃんの最新作『目下茫洋』のなかにも子宮を爆弾に例えて「それを運び続けることが、すなわち生きることになっている」という強烈な表現があってゲロ吐きそうになってん(賛辞)けど、それ以外の箇所も含めてあきらかに前作『ROLLER SKATE PARK』とは異質の内容になってると思う。前作から今作に至るまでの期間に何か心境の変化のようなものがあったの?
〔LEO〕なるほど!!いわれてみればストレートな比喩やのに、卵の場面でその解釈を思いつきませんでした……!殻が割れるというのが、二人の心の殻が割れるってことを暗示してるんかなぁと思ってました。あとはその卵を体にぶつけて割るという非日常的である意味馬鹿らしい行為を共有することで、関係も変わったんかなぁとか。そもそも、あの話でもなんで巻子が豊胸手術をしたいかっていうのは謎なんですよね。他の人とその話をする機会があったときに聞いた意見で妙に納得したのは、豊胸手術をすれば全てが上手くいくという願いみたいなものがあったんじゃないかというので、それは実際の土井さんのご近所さんの話を聞いて、改めて重ね合わせてしまいした。旦那さんを喜ばせるためには、豊胸手術をする以外の形もあったはずやのに、それが選ばれたという事実について、考え込んでしまいます。ZINEの内容としては、『目下茫洋』の原稿を書き始めたのは、『ROLLER SKATE PARK』と同じタイミングで2022年の9月です。でも最後の最後まで完成しきらず、また最初に出す作品で「女性の書き手」というイメージをつけたくなかったので、別の機会に回すことにしました。一年経って、やっと踏ん切りがついたので、今回出したというような感じです。なので、心境の変化は特にないですね。それどころか、2022年の9月に書きはじめるときにも、2020年とかもっと前に書いた別の原稿を原型にしたので、むしろ『ROLLER SKATE PARK』の方が異質な内容といえるのかもしれません(笑)。
〔土井〕そうなんや!あの2冊は同時期に書かれたものなんや!それはびっくり!あれをがっちゃんこして1冊にしないところがニクいね(笑)。でも「女性の書き手というイメージをつけたくない」という気持ちはわかる気がする。社会そのものが「女性」というイメージを操作する機械やとしたら「女性」の書き手にとってはこのことほど煩わしくて鬱陶しいものはないよね。機械についてはドゥルーズの言葉を引くしかないけど「一方の機械は流れを発する機械であるが、他方の機械は、この発せられた流れを切断する機械である。乳房は母乳を生産する機械であり、口はこの機械に連結されている機械である」っていう、何回読んでもきちんと理解できないドゥルーズなりの概念があって、さっきの能動的か受動的かという話に戻るけど、要するに手を取り合ったかと思えば手を離すということをひたすらに繰り返すってことやんな(違ってたらすみません!)。『ROLLER SKATE PARK』が流れを発する機械やとしたら『目下茫洋』は、この発せられた流れを切断する機械やという感じかな。でもあれは確かにぶった斬りにきてるよね(笑)。そもそもLEOちゃんが「能動的」に文章を書きはじめた、あるいはそれをzineにしようと思ったきっかけは何なの?
〔LEO〕機械の例えはほんまにそうですね……。操作できないレッテルを貼られた箱のなかに勝手に分類されるときの無力さは筆舌に尽くし難いものがありますね。ドゥルーズのその文、帰り道で何回も考えてみたけど難しい(笑)。能動と受動に関しては、自分も全然答え出てないです。「能動的に」文章を書きはじめたきっかけやZINEにしようと思ったきっかけもいまいちはっきりとはしてなくて。文章は小学2年生くらいに挿絵つきの物語を書きはじめて、3年生くらいのときに大学ノート一冊分くらいの勧善懲悪的な物語を書いてたのは憶えてます。子供向けの賞にも応募したことあったような。中学生のときは音楽の感想を書くブログに熱中してて、高校生のときは今もたまに更新してるはてなブログで書いたり、掌編を書きかけては筆を投げたりしてました(笑)。大学に入ってからも、気づいたらtumblerやGoogleドキュメントやノートに文章を書いてて、なんか書こうと思って書くよりは気づいたら書いてる(書かないとやってられない)って感じで、それこそわりと受動的な部分や習慣の部分が多いと思います。ZINEは大学に入る前から出してみたいと思ってたんですが、なかなかまとまった文章を書けずにいて、最後のひと押しをしてくださったのは他ならぬ土井さんです!
〔土井〕え、ほんまに!なんにせよLEOちゃんの文章が世に出るきっかけになれたんやったら、素直に嬉しいわ。そ���にしても小学校低学年から物語を書いてたというのはすごいな。僕は二十歳のときが最初で、司馬遼太郎の『燃えよ剣』をまんまギャングの抗争に置き換えた内容で(笑)。いま思い返してみてもほんまに恥ずかしい!でもその恥ずかしさの先にしかいまの自分の作品はなかったなぁとは思う。そういう意味でも勧善懲悪の物語を経た、いまのLEOちゃんが書いた小説を読んでみたいな。エッセイや日記はもちろん素晴らしいけど、僕はやっぱり根本的に「嘘」が好きやから、あなたの「嘘」つまり小説が読んでみたい。そう言えばLEOちゃんとはじめて会ったときに別役実の『ベケットといじめ』という本をオススメしてくれたやん。後に僕がイジメ体験者であることを知って、めっちゃ気にしてくれてて、ええ子やなって思ってん(笑)。あの本のなかで中野富士見中学で起きた「葬式ごっこ事件」を題材に、自殺した被害者も含めてあそこに関わった全員が何らかの役割を演じていたという指摘があったけど、いまでいう同調圧力、それかやっぱりドゥルーズの機械云々がふたたび頭をよぎる。まさにLEOちゃんの言う「箱のなかに勝手に分類される」感じで、そういうのは決して珍しいことじゃない。むしろいまを生きる者みんなが何かしらの役柄を演じてると言えなくもないし、ちょっとゾッとするよね。そう言えばLEOちゃんは『ベケットといじめ』の解説を書いていた宮沢章夫さんの演劇に役者として関わったことがあるんやろ?そのときのこと詳しく教えてほしいな。
〔LEO〕いや〜話したことに対してこんな熱量で返してもらえるのに「インタビュー」って、改めてすごいです(笑)。初めに書いたのがギャングの抗争やったんや、面白い!「その恥ずかしさの先にしかいまの自分の作品はない」ってほんまに間違いないですね。まぁ自分はまだ青二才なので、今も恥を塗り重ねてる最中ですけれども(笑)。小説、実はまさに一昨日書きはじめたところです。今回2作目のZINEを出してみて、いわゆるエッセイの形では今自分が書きたいことを表現するには限界があるなと感じて。それで、題材は現実からとるにしても、嘘の物語を書いてみようと思いました。「ベケットといじめ」のその指摘は本当にぞっとするところですよね。個々の人間の強い意志や悪意じゃなくて、場の雰囲気が人々に演じさせ、死にまで追いやるという。演劇については、当時はあまりピンとこなかったというのが正直なところでした。でも今の話でいうと、ちょうど先生の演劇に出る前に、友人が主宰してる劇団のワークショップで「目の前の相手を馬鹿にする」という演技をしたときに、普段とは違う強い言葉や嘲りの語調が自分の上に現れてきたのはびっくりしました。「役を演じる」というのは、それほど力のある怖い行為なんやと思います。「ゴドーを待ちながら」では、少年の役だったんですが、「わざと演じようとしなくていい」と言われていたので、演じるという感覚はあまりなかったし、思わず感情移入するような話でもないので、台詞をどんな風に言うべきか迷ってました。ご期待に沿えず申し訳ないのですが、実は当時の稽古のことよりも、帰ったらなんか焦りながら新書を読んでたことの方をよく憶えてます(笑)。当時はわかりやすく言葉の形で手に入るもの(知識)だけが価値あるものやと思ってて。小説という表現や、役者の人が身体に蓄えてきたものの豊かさとかに、全然思い及んでなかったです。教授としての宮沢章夫に5年も習ってやっと、価値あるものは世界のどこにでも遍在してるんやということに気づけました(笑)。先生は、街をフィールドワークさせたり、好きなものについてプレゼンさせたり、昔の映像を見せたり音楽を聴かせたりと、いわゆる「学問」的なアプローチではない授業をやっていました。それを勘違いして「楽単(単位をとりやすい楽な授業)」として舐めた態度で授業を受けてる学生も多かったですが、実際のところ受け身でも何かが身につくように親切に教えてくれるわけではなくて、街をフィールドワークする授業では、自分で実際に歩くことでしか見つけられない視点を得てきたかというところを厳しく見ていました。印象的だったのは、ただ通行人が新宿の駅前を歩いてるだけの映像を3分間くらい見せたあとに、先���ひとりが「面白いよねぇ」と笑っていたことで、このニュアンス伝わるかわかりませんが、この人は皆に全然見えてないものが見えるんやなと(笑)。
〔土井〕めちゃくちゃ興味深い話がいっぱいなだれ込んできた(笑)!LEOちゃんの小説、それはヤバい、楽しみすぎる。日記専門店「日記屋 月日」でディレクターをしている蟹の親子さんともよくこの話をするねんけど、やっぱり僕らは「ほんまもんの嘘」を肯定できなくなったら終わりやと思うねん。いまはどちらかと言えば「嘘」は「フェイク」と貶されて、「ほんま」は「リアル」だと厚遇される。僕はどうしてもそういう価値観とは相性が悪い。本来フェイクかリアルかみたいな単純な二項対立からは逃れたところに小説の「語り」はあると思うねん。せやから「あの登場人物のモデルは誰ですか?」とか聞かれても返答に困ってしまう(笑)。「目の前の相手を馬鹿にする」ワークショップの話もめっちゃおもろいな。そこでLEOちゃんの脳みそに降りてきた罵詈雑言の数々……どんな感じやったんやろ、想像でけへん(笑)。『ダークナイト』でジョーカーを演じたヒース・レジャーもまさに同じような境地に立ったんとちゃうかな?ふとしたきっかけで自分のなかの底なしの悪意に気がついてしまうことはある。たまたまレジャーはそこから戻ってこれなくなったのかもしれへん。僕は『ダークナイト』が大好きなんやけど、何が凄いってジョーカーが自身の口が裂けた原因を語る場面で、あるときは「親父のせいでこうなった」と言い、また別のあるときは「妻のせいでこうなった」とか言うねん。めちゃくちゃ怖いやん。しかも最後まで明確な根拠が提示されないままに映画は終わる。「何らかの要因があって、こうなった」というのは、あらゆる物語にとって逃れ難きテンプレートやと思うけど、ジョーカーにはそれがない。すべては突発的に、因果関係なしに起こり得る。笑い飯の漫才にも優しいおばあちゃんが自分の畑の土から出てきたモグラをスコップで叩き殺す、みたいなネタ(哲夫が披露した「すべらない話」かもしれない)があったような気がするねんけど、ああいうのが一番怖い(笑)。ある種の物語に依存している人たちは何でもかんでも原因があって結果が生ずることを求めるけど、実際は人間ってそんなにわかりやすいものでもないやん。恨みとかなくても笑いながら人を刺す奴も絶対おるで。例えば自分の作品でいうと『JAGUAR』の終盤で前後の脈絡なく唐突に「常温でも冬場なら五日、夏場なら二日は日持ちしますよ」みたいな語りが出てくるねんけど、あれはほんまに自分でもわけがわからない(笑)。なんのこっちゃさっぱりやで。でも日常生活においては別に珍しいことでもなく、普通に歩いていても突然色んな言葉や考えが降って湧いては消えていくやろ。だからあのまま残してん。なんかLEOちゃんの話を聞いていると、宮沢章夫さんは講義や演劇を通じて学生たちにそういうことを伝えたかったんちゃうかなぁって思うわ。そうそう、あとあなたを見ていていつもハッとするのが印象的なファッション。すごく似合っているし、魅力的やと思うねんけど、あの独特のファッションは自分なりに考えがあってのことなん?
〔LEO〕「フェイクかリアルかみたいな単純な二項対立からは逃れたところに小説の『語り』はある」っていうの、ほんまにそうですね。小説のなかは独自のルールで動いてる一個の世界で、どんなに現実っぽい見た目してても現実ではないから、それを現実の物差しで測ってリアルか否かを問うのはなんか違うなと思います。その映画は知らなかったんですが、毎回別の説明するのめっちゃ怖いですね(笑)。宮沢先生は演劇も笑いもいわゆる「不条理」な感じなので、近いと思います。因果関係については、小説書きはじめてみてもう早速ぶつかってる壁です。いや、読んでる側のときはなんでもかんでも因果関係で解明しようとする読みはつまらんのちゃうかと思ってました。例えば、夏目漱石の「こころ」でなんで先生やKが死んだのか?みたいな問いって、物事の因果関係の層で片付く問題じゃないと思ってて、仮にあれが個別の具体的な人間に抽象的な概念を象徴させてる話なんやとしたら、そこで出来事だけ追って説明しようとするのってナンセンスやんと思ったり。でもいざ書こうとしてみると、なかなか因果関係から逃れるのって難しいですね。「すべては突発的に、因果関係なしに起こり得る」っていう土井さんの捉え方は、もしかしたら他者の捉え方を反映してるのかなって思いました。tumblerの記事とか読ませてもらってても、勝手に合理的な説明を作って納得しようとしたりするよりかは、他人は他人でわからんもんやって大前提がある気がして、清々しいなと思います。ひとが皆、自分が理解できるような形で自分の行動の意図を説明してくれるわけじゃないですもんね。ファッションは自分なりに気を遣ってるところではあります。顔が地味やから、せめて服だけでも派手にしよう、みたいな(笑)。でもZINEでも書いたみたいに、本来の自分を「粉飾」してる感覚で、つい服を買ってしまうけど、常に微妙な引っかかりがある。真剣に服が好きな人とは対立する価値観やと思うんですけど、服(やメイク)って所詮は見た目のところでしかなくて、本当に大事なものは精神のところにあるんやとも思ってて。だから、いつか坊主にして毎日同じ黒のシンプルな上下を着るみたいな日々を送れたらなとも思うんですけど、なかなか踏ん切りがつかないでいます。
〔土井〕嫌や!LEOちゃんが坊主の黒服は何でか知らんけど嫌や(笑)、ってこれも勝手な理想の押しつけやねんなぁ。ほんますんません。うちの奥さんもたまに「坊主にしたい」とか言うときがあって「嫌や」って言うたら「自分は私が嫌やって言うてもタトゥー彫ってるやん」って怒られる(笑)。人間って自分勝手やな。ファッションに関連した話で、今年の8月に大阪の音楽イベントに出演した韓国のDJ SODAさんが性被害を受けた事件があったやん。DJ SODAさんの身体に故意的に触れた奴が「あかんことをした」というのは大前提にして、僕はあのDJ SODAさんのファッションやセックスアピールと誤解されても仕方がないようなジェスチャーがとても怖い。彼女は「私は服を選ぶ時、自己満足で着たい服を着ているし、どの服を着れば自分が綺麗に見えるかをよく知っているし、その服を着る事で自分の自信になる」と言うていたけど、やっぱりそれを目の当たりにすることによって気まずさを抱える人間や、性的に興奮してしまう人間がいることも頭の片隅に置いとかないとあかんと思う。もっと言えば、彼女が派手なメイクや衣装で自身のスタイルの良さを際立たせれば際立たせるほどに、別のタイプの女性に劣等感を抱かせはしないか?僕はやっぱり筋骨隆々な男を見るのが苦手で、なんとなく目を背けてしまう。でも街中には肉体美をこれみよがしに見せつける看板を掲げたジムがどんどんできて、筋肉バカが量産される、あっ、さすがに言い過ぎた(笑)。これは僕の偏見に満ちた感想なんやけど、男女問わずキラキラした連中って、すぐに群れるし、意識的であるにせよそうでないにせよ他を排除しようとするやん。あいつイケてない、キモいとか言って。DJ SODAさんたちのようなポップアイコンの無自覚な言動が世の中に優劣の基準を植え付けて、新たな弱者を生んでるような気がしてならへん。まぁ、だからって胸を触る行為が許される訳ないし、そんな奴はどつかれたらええねん、とは思うけど(笑)。とにかく一般的に言われる強者、弱者という区分には違和感しかなくて、それは常に変動するものやし、それぞれの局面によっても変わってくる問題やからね。スーパー銭湯やホテルが刺青やタトゥーを禁止にしてるところが多いけど、僕は仕方のないことやと思う。入浴のわずかな時間に刺青だらけの奴の人間性なんか知ったこっちゃないし、ほんまは優しくて良い奴やねんとか言われても、見た目には威圧感しかないから。LEOちゃんは同性の立場からDJ SODAさんのことはどう捉えてる?
(LEO〕そうですね……。それほど詳しくないですが、現代らしい出来事やなとは思ってて、自分のなかでもいろんな考えが交差してます。DJ SODAさん個人に対して思うことは特にないですが、その人に限らず、自分を綺麗に見せたいという欲望や見た目を通して自信を得るというあり方を正々堂々と公言する風潮には違和感を感じますね。それは必ずしも社会の大多数が肯定すべき「潔白」で「正しい」価値観ではないはずです。そもそも「美しさ」は必ず「醜さ」を前提としていて、美しくあろうとすることは、他者よりも優位の場所にいたいという薄汚い欲望が剥き出しになってるあり方だと思うので。土井さんの言うように、実際にそういうものを見て、性的な興奮や気まずさを感じる人も居るわけですし、決して手放しにいいね!ってなるようなものではないと思います。と言ってみて、自分が服を買うときに感じる後ろめたさの理由がさらに明確になりました笑 つまり、自分もアプローチは違えどDJ SODAさんなんですよね。ただ自分としては、自己満足でやってるというのを、「自分が好きで能動的に選んでる」という意味で捉えてるので、他者にどう思われるか・どう扱われるかというところまで受け入れなあかんとは思っています。いや正味なところ腹がチラッと見えるような服を着てるからって腹触られたらキレてしまいます、でも腹を見せる服を着ることで自分は何を表現しようとしてるのか?って考えたら、ほんまに後ろめたい汚れた答えしか出てきません。「腹を見せるのは自分のスタイルが良いのを誇示したいから」→「スタイルの良し悪しは自分の努力で決まったわけではない」→「ほとんどただの遺伝要因にすぎない要素を自分のものかのように誇示してるのはさすがにダサすぎる」→「でもこの服を着ると自分の気分も上がるし」→「その『気分の上がり』は詰まるところ優越感だよな」→「いやでも実際これを着ていくと評判もいい」→「その『評判』に何の価値がある?」…みたいな問答を繰り返しながら、結局のところ快楽に溺れてる情けない人間です。そういう「屈託」(グレーゾーン)の部分をどんどん取り払って、ポジティブを装っていくような風潮があまり良いとは思えないですね。お風呂のタトゥーは少し違う部分もあるけど、威圧感を感じてしまう他者がいるという点では似てますね。
〔土井〕そうやなぁ、タトゥーも含めてファッションってほんまに難しいよね。そこにはやっぱり今回の僕らの話の裏テーマ的にもなってる能動的か受動的かという話と切り離せない問題やと思うし、そこには確実に実在しない何者かによる「まなざし」がべったりと貼り付いてる。ちなみにほんまの余談なんやけど、いまや作業着も私服もまったく同じで毎日同じ服装しかせえへん僕も、実は服飾専門学校に通ってた時期があって、結局なんぼやってもまつり縫いができへんくて早々に中退してん。ほんまこれどうでもええ話やったわ(笑)。とにかく今回のインタビューで気がついたことがあって、LEOちゃんのなかにも男性性があるし、僕のなかにも女性性があるということ。それが順繰り自分でも気がつかないうちに小刻みに切り替えが行われてるんちゃ���かな。だから自分の行動や考えにも常に違和感がつきまとう。さっきようやくその結論にたどり着いた自分はもはやいまの自分ではないから、どうやってその結論に至ったのか、いまとなっては到底わかわからない、みたいな(笑)。その果てなき違和感に決着をつける術が僕の場合は小説なのかもしれへん。決着というか、違和感を違和感のまま提示できる裏ワザのようなもんかな。生きてたら矛盾だらけやけど、その矛盾をそのまま置いてみたり、別の角度から眺めてみたり、転がしてみたり、味見してみたりできるのが小説やな。さっきのファッションに関するLEOちゃんの問答なんて、すでにめちゃくちゃ小説的やと思うねん。小説って何も起承転結があって、ある地点で発生した問題を最終地点に送り届けて解決することが目的ではなくて、語りそのものの躍動こそが本来の醍醐味やと思うから。俗にいう解決しない物語は、独りよがりな問答から始まる。だからやっぱり僕はこれからあなたが書き上げるであろう「嘘」が楽しみで仕方ない。今回は色々と突っ込んだ話ができてほんまに楽しかった。そもそも関東から関西に戻って来たばかりで仕事も執筆活動も大変なときに時間を割いてくれてありがとう。そんなわけで最後の質問、いまのLEOちゃんの最大の楽しみは何ですか?それが聞きたい。過日Gerald MitchellのDJで踊るあなたはめちゃくちゃ楽しそうやった!
〔LEO〕なるほど……面白いです。自分のことだからって自分で全て把握してるわけでもないんでしょうね。自分(私)は把握できてると思い込んでたけど、それこそ小説を書きはじめて��ら深層心理を掘り返すような作業に早速飲まれてて、全然把握できてないことを思い知らされました(笑)。小説って面白いですね。いまは書き急がず、もっといろんなものを読んでみようと思ってます。最大の楽しみ!確かに音楽を聴くのはとても好きですが、最大と言われるととても難しい(笑)。若干ズレてて恐縮ですが、布団でまどろんでるときと良い夢をみてるときが一番幸せですかね。最後こんなんですみません、こちらこそ貴重な機会をほんまにありがとうございました。今後は自分が土井さんを個人的に質問攻めにさせてください。この長いインタビューを読んでくださった方もありがとうございました!
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新しい歩み
2023.11.5
・
今日息子は試験だったため
第二礼拝に出席。
その後試験に向かいましたが
駅に到着してから
筆箱を忘れたことに気づき…
その連絡を受けて、
自転車🚲で届けに行きました。。
・
さて娘は、第一礼拝から出席。
夜まで教会で過ごしましたが、
帰宅してからスマホを教会に忘れてきたことに
気づき…
娘はまた自転車🚲で教会へ。
・
2人ともバタバタしていましたが。。
私自身は改めて昨年度の振り返りを
各礼拝で行い
その中で新しい歩みに入ったことを
語られて帰宅しました。
・
全く思いもよらない方法での語りかけに
驚きましたが🫢
この1日を感謝いたします。
そして新しい歩みのスタートを感謝します!
・
(写真:長崎に電車で行った時の一枚。)
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芦原妃名子さんブログ魚拓
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2014.2.2〜2024.1.26
・ドラマ『セクシー田中さん』について
・「ダラス・バイヤーズクラブ」
・「オンリーゴッド」
2013.7.1〜2013.12.5
https://web.archive.org/web/20200107215433/http://ashihara-hina.jugem.jp/?page=1
・ガラケーからスマホにした
・姉から鍋つかみをもらった
・顔出し
・「タイピスト」
・小学館ビル☆落書き大会
・長岡花火
・「Piece」の100万部超えのお祝い会
・集英社で初連載
2013.7
https://web.archive.org/web/20170710060235/http://ashihara-hina.jugem.jp/?month=201307
2013.6
https://web.archive.org/web/20170710064720/http://ashihara-hina.jugem.jp/?month=201306
・競馬
2013.5
https://web.archive.org/web/20170710054554/http://ashihara-hina.jugem.jp/?month=201305
・「月刊フラワーズ」メッセージイラスト(水城せとな先生の20周年)
・数年前に体調崩してから、仕事量をセーブ
2013.4
https://web.archive.org/web/20170710055435/http://ashihara-hina.jugem.jp/?month=201304
・悪女について 木嶋佳苗、中村うさぎ
2013.3
https://web.archive.org/web/20170710055337/http://ashihara-hina.jugem.jp/?month=201303
・piece最終話脱稿
・小学館漫画賞の授賞式
・やめようと思って休業してた時期もあるが今は漫画が楽しい
2013.2
https://web.archive.org/web/20170710053740/http://ashihara-hina.jugem.jp/?month=201302
・身内での小学館漫画賞の受賞祝い
・吉永ゆうさん表紙のオムニバス本
2013.1
・初代&現担当からの小学館漫画賞のお祝いピン
・pieceは半分自己満の作品
2012.12
https://web.archive.org/web/20170710063230/http://ashihara-hina.jugem.jp/?month=201212
・piece放送日時お知らせ
・講談社編集が毎年シュトーレン送ってくれる
2012.11
https://web.archive.org/web/20170710054328/http://ashihara-hina.jugem.jp/?month=201211
・中山優馬くんの「Missing Piece」
・「ひと恋めぐり」も「帰りたくなったよ」も嬉しかった
2012.10
https://web.archive.org/web/20170710055811/http://ashihara-hina.jugem.jp/?month=201210
・MATCHBOX TWENTY 「NORTH」
・稲刈り
・関西弁
2012.9
・「鈴木先生」
・「桐島、部活やめるってよ」
・pieceドラマ化
・ドラマ迷った
2012.8
https://web.archive.org/web/20170710054539/http://ashihara-hina.jugem.jp/?month=201208
・小学館の人に竹むらの揚げ饅頭を買ってもらった
・パソコン壊れかけた
・長岡花火、アルパカ、へぎそば、寺泊、村祐
2012.7
https://web.archive.org/web/20170710054051/http://ashihara-hina.jugem.jp/?month=201207
・「殺す理由」
・講談社漫画賞授賞式祝賀会(水城せとな先生の失恋ショコラティエ)、迷って日比谷シャンテ周辺をグルグルグル。小学館の謝恩会&漫画賞授賞式は毎年帝国ホテル。
2012.6
・水城せとな先生の祝賀会(内輪)の幹事
・テレビが壊れた
・占い
2012.5
・友達の結婚式
・「ブルーバレンタイン」
・同窓会
2012.4
・テニス
・貧血
・スカパラライブ
・「ガタカ」
・「ヘルタースケルター」
2012.3
https://web.archive.org/web/20170710062324/http://ashihara-hina.jugem.jp/?month=201203
・「僕らがいた」
・「なのはな」
・「第9地区」
2012.2
https://web.archive.org/web/20170710060639/http://ashihara-hina.jugem.jp/?month=201202
・母のロールキャベツ
・蜷川幸雄&唐十郎の「下町万年町物語」
・「カーネーション」「ジョゼ」「ヒミコ」「コケッコー」渡辺あやさん
2012.1
https://web.archive.org/web/20170710055944/http://ashihara-hina.jugem.jp/?month=201201
・別コミ編集部が誕生日毎年花束送ってくれる
・「ALWAYS~三丁目の夕日~」
・野獣風呂
・桜小路かのこ先生
・iPad買った
・箱根神社
2011.12
・姉の手作りのミニトート
・マスターキートン
・謝恩会
2011.11
https://web.archive.org/web/20170710054159/http://ashihara-hina.jugem.jp/?month=201111
・テレビ壊した
・エンデの「モモ」
・芝刈り
2011.10
https://web.archive.org/web/20170710060035/http://ashihara-hina.jugem.jp/?month=201110
・沖田×華さんの「ガキのためいき」
・「見かけの二重星」。
・犬の箸置き
2011.9
https://web.archive.org/web/20170710055651/http://ashihara-hina.jugem.jp/?month=201109
・安全地帯のライブ
・クラーク博士の珈琲
2011.8
・みなとみらいの花火大会
・捜査一課の伊丹 野沢尚さん
・ルンバ壊れた
2011.7
・インタビューは筆談
・指揮者の上岡敏之さん
・はらドーナツ
・夏帆さん写真集
・「天然コケッコー」
2011.6
https://web.archive.org/web/20170710054907/http://ashihara-hina.jugem.jp/?month=201106
・カラスに襲われた
・仲間内で始めた田んぼサークル
・パンの話が描きたい
・ご当地キューピー
・杏と大悟のキティ
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感想
観た…オラは見た。
とんでもねえ物語をオラはみてしまった
もうだめだ、自分の中でとどめてはおけない。時は来た…我が家にもあの。噂の、アンソロがやってきたのだ
(こんな辺境の地を先に見る人絶対居ないと思うが、なんせ奇跡の作品。500万が1、次元の歪みが起こるという危惧をも想定。)
この先
ドラゴンボール地上げ屋アンソロジー😇の
「"Happy 318 day”」のネタバレが全体的に含まれますので
未読の方は、絶対にみないでください。
CAUTION!
If you have not read the cartoon Saiyan Anthology"Happy 318 day"by Supobi,
do not read the rest of this article.
祝!SUPOBI・紙・媒体!!!!!⭐️✨🙏🙏🙏🙏✨👏👏🙌🙌🙌✨⭐️
I’mSUPOBIの紙媒体コレクターマン(買うよ~←ダフ屋?!←WBCの東京ドームで声かけられた)
ssssssssssssssssssss
SSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSAIKOU!!!!!!!
SSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSUPOBI!!!!!!!!⭐️✨⭐️✨😭⭐️✨⭐️
人類に告ぐ
人よ忘れるな
これが、
ドラゴンボールのサイヤ文化を千代に八千代に遺した御仁なのだ
スカウターを
スマホのように扱うのスポビさんが人類初だからね?!
↑これに始まる、
スポビさまのサイヤ風俗史観
公式も影響受けてるから、みんな見慣れてて気が付かんかもしれんけど
(自然すぎて気が付かないつうのも、すげーことなんだよ!!!)
スポビ発やねんまじで!
当時・・・
なんでそうリアルな描写が次つぎにpobiちゃまから編み出されていたのかなと改めて考えてみて
スポビさまは、世界観に誰よりも深く入り込んでいたから。
自然と、スカウターならこういうふうに扱ったんだとか、そういう思いに至ったのだろうと
誰よりもコンテンツを愛するこころ
正しいファンアートのありかたを学んだ
一言で言うと感銘を受けた
歴史があるんだ…
でさーーーーーーーーー
もうね…読み終わった後、
「・・・なに、この話…
なに、なに、なんなん…
ヤバい、ヤバいヤバいって!!!」
叫んでしまったもんそれから
毎日毎日
この話ヤバくね??? って改めて言ってる
あと…こんな高クォリティ読んだ後にとてもじゃないが
絵で上手く書けないからよ…
文章で描きますが、稀代の猫好きとしてpobi'sコゲちゃん!(タマ)におどれえた
顔があの顔なのに身体が、動きがちょうリアル猫だった クッソかわいかったどの猫漫画よりも
音が聞こえた(持って、おろして トン みたいな)
猫、箱、かぎに来るよねーーーーーッッ 💕🐈 😭😂🤣
ナッパかっけーーーーEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEE
ほんとにほんとにカッコいい
pobi'sナッパ
くそかっけーラディッツと
超かっけーベジータ王子とのリアル男同士の会話を見よ!!!
pobiちゃまのパパ王見られて嬉しいよ~~~
ほんとにほんとに嬉しいな筆舌にしがたいとはこのことだ
いやーすげー漫画だった…
まさか318の日をテーマに、
描かれるなんてなあ…泣ける
ごちそうの中に宇宙カニ🦀いた…😂🤣
いつも思うが、
こんな漫画見たことない。。🎶✨🎸🎹✨けど感銘が別格だよ…
pobiさまのサイヤが
My wayなんだよ
俺ぁ
サイヤと
Coolで面白くて、やさしい
supobiを愛してんだよ
もう思い残すこたあない…
・・・・感謝、宝物にします。
VIVA・HAPPYサイヤの日!!!! 🎂🍰3🍰18🍰💕
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相沢 友子(あいざわ ともこ、1971年5月10日 - )は、日本の脚本家。脚本家以前はシンガーソングライター、女優として活動していた。血液型はB型。東京都出身。
略歴・人物
高等学校在学中より文化放送でコンサート・リポーターを務め、詞を書いていたところソニーミュージックのスタッフに歌うことを勧められ、1991年3月、19歳の時にシングル「Discolor days」にて歌手デビュー[1][2]。その後、ホリプロ所属の女優としても活動しながら、4枚のアルバムを発表している。シンガーソングライターであり、加藤いづみとも親交が深く、アルバムにも楽曲を提供している。
デビューから長らく歌手兼女優であったが、ソニーとホリプロとの契約を解消し、フリーとなる。フリー直後に、ホリプロ時代のマネージャーに「小説を書き、賞を狙ってみては?」と勧められ、1999年に第15回太宰治賞の最終候補作に小説『COVER』がノミネートされた[2]。当時、相沢は「その当時は藁にもすがる思いでした。音楽の道がうまくいかなくて、事務所との契約が切れて、本当に一時期何もしてない時期があって。私はほぼ歌詞しか書いていなかったので、やれることといったら書くことだなと思って、小説『COVER』を書いた」と述懐している[2]。そ��結果をもって、前述のマネージャーの紹介で共同テレビジョンの小椋久雄に脚本執筆の指導を受け[1]、2000年に『世にも奇妙な物語』で「記憶リセット」で脚本家デビューした[2]。
2003年にアメリカ合衆国で発生した大停電を題材とするドキュメンタリー『ニューヨーク大停電の夜に』(NHKハイビジョン、構成・源孝志)で語りを務める[3]。その後、同事件をエピソードとして、2005年に源孝志と共同で映画『大停電の夜に』の脚本を手がけた[4]。
2009年に放映された『重力ピエロ』の脚本を手がけたきっかけについて、相沢がパーソナリティーを務めていたラジオ番組の常連リスナーで、伊坂幸太郎の担当編集者から、「素晴らしいからぜひ読んでほしい」と小説を送付され、即座に相沢が映像化を申し入れたとしている[5][注 1]。相沢によれば、「物語の肌触りは軽やか。けれど、世の中的な常識に人が流れされて生きていることへのロック魂が隠されていることに共感した」という[6]。伊坂は映像化に積極的でなかったが許諾し、最大の魅力を損なうことなく小説のコンテクストをそのまま映像に置換しようと努めたという[5]。なお、『読売新聞』の福永聖二は、「異論もあるだろうが、伊坂作品の精神を尊重しつつ、より自然な流れを作った」と評している[7]。
2013年に放送された『ビブリア古書堂の事件手帖』について相沢は、「ていねいに話を積み上げてファンタジックに作っていきたい」とし、古書業界の用語を各所に挿入するなどして、作品の世界観を伝えようとしたという[8]。また、剛力彩芽がキャスティングされたことについて、「たしかに栞子とは外見のイメージが違いますが、剛力さんは黙ってじっとしているとミステリアスなムードを持っている」とし、「彼女の“静”の部分を出すと新鮮なものになると確信できたので、栞子を剛力さんのイメージに近づけるのではなく、剛力さんが物語に寄り添っていけるような脚本を心がけ」たと述べている[8]。
2015年に放送された『私の青おに』について相沢は、「人の温かさが伝わるストーリー。高畠町の持っている風景の力強さを伝えたい」としている[9]。なお、主演で辻村莉子役を演じた村川絵梨は、「脚本を読んだ時から、すごく自分と重なる部分があって。そういう意味ではとても自然に莉子という役に向き合うことができました」と述べている[10]。
リアルサウンドのインタビューによれば、相沢はト書きに「私はうるさいぐらいに、『ここで相手を見る』とか、『ここで顔を上げる』とか、目の動きまで書く」とし、「あとは現場で好きにしていただいて構わないですけど、私のイメージはできる限り伝えよう」と演出に一任しているという[2]。また、以心伝心と言えるほど、互いに分かりあう役者や監督・演出家と仕事ができると嬉しいとし、『恋ノチカラ』で主演を務めた深津絵里に関して「天才的な役者さんですけど、びっくりするぐらい汲み取って返してくれて。自分の想像を超えてくるお芝居を役者さんがしてくれることもたくさんあります。お互いに響き合って、奇跡的に合致したときは感動しますね」と述べている[2]。
アーティストの友人に、加藤いづみや相馬裕子などがいる。
主な脚本作品
テレビドラマ
1999年
DG TV DI:GA「UNIVERSE」「SNOW KISS」「Love Things」
2000年
世にも奇妙な物語 春の特別編「記憶リセット」[11]
悪いこと「盗む」
やまとなでしこ[注 2][12]
2001年
17年目のパパへ[13]
ココだけの話「不機嫌なめざめ」
私を旅館に連れてって[注 3][14]
江國香織クリスマス・ドラマスペシャル「温かなお皿」[注 4]
2002年
世にも奇妙な物語 秋の特別編「昨日の君は別の君 明日の私は別の私」[15]
LOVE & PEACE(DVD)「君がいるだけで特別な街、特別な場所」「Thanks」
恋ノチカラ[5][16]
2003年
天国のダイスケへ〜箱根駅伝が結んだ絆〜[17]
いつもふたりで[16]
エ・アロール[18]
2004年
めだか[19]
2007年
秋の特別編「48%の恋」[20]
2008年
鹿男あをによし[5]
2010年
ギルティ 悪魔と契約した女[注 5][21]
2012年
鍵のかかった部屋[注 6][22]
2013年
ビブリア古書堂の事件手帖[注 7][8]
女と男の熱帯[23]
2014年
鍵のかかった部屋 SP[24]
失恋ショコラティエ[注 8][注 9][25]
2015年
紅雲町珈琲屋こよみ[26]
私の青おに[9]
2017年
人は見た目が100パーセント[27]
龍馬 最後の30日[28]
龍馬 最後の遺言
2019年
トレース〜科捜研の男〜[29]
2022年
ミステリと言う勿れ[30]
2023年
セクシー田中さん[注 10][30]
映画
2000年
世にも奇妙な物語 映画の特別編「結婚シミュレーター」[31]
2005年
大停電の夜に[注 4][4][32]
2009年
重力ピエロ[5][6]
2010年
東京島[33]
2011年
プリンセス トヨトミ[23]
2015年
脳内ポイズンベリー[34]
2017年
本能寺ホテル[35]
2021年
さんかく窓の外側は夜[36]
2023年
ミステリと言う勿れ[37]
配信ドラマ
僕だけが17歳の世界で(2020年、AbemaTV)[38]
金魚妻(2022年、Netflix)[注 8][39]
ラジオドラマ
LOVE = Platinum 恋愛パズル(2010年)[33]
相沢友子 - Wikipedia
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2024年2月14日(水)
一週間ぶりの出勤、ずいぶんと暖かい一日だ。先日届いたiMacを持参、最低限のセットアップを済ませる。職場ではお仕着せのWindows10マシンがあるのだが、やはり長い文章を書くには指に馴染んだキーボード(Ctrlキーの位置)とAtokの組み合わせが不可欠。これまではMacBookAirの小さな画面を使ってきたが、老眼が進行する我が身には辛いことが多かった。これでやっと自宅でも職場でも(ほぼ)同じ環境、春休み残り6週間、ピッチ上げて宿題頑張るぞ!
5時45分起床。
朝食。
洗濯。
弁当*2。
空きビン缶、45L*1。
ツレアイの職場経由で出勤。
順調に到着。
タイムカードの整理。
昨日下書きしておいた<研究倫理審査報告書>に若干手を入れ、押印して提出。
さて、iMacを箱から出してセットアップ作業開始。
macOS update, AtokPassport install, 必要ソフトのダウンロード・・・。
とは言え、やはりテンキーのないキーボードは使いづらい、TouchID 搭載のものを発注した。
新品のマウスは気持ちいいが、作業効率を考えれば(私には)TrackPadがベター、自宅で余っているものを明日持って来よう。
自分の弁当は用意してこなかったので、ファミレスでランチを食べてから帰路へ。
順調に到着する。
セブンイレブンの年末キャンペーンの特典発行の連絡、すぐに出向いてIcocaに5,000円チャージする。
昨日発注した<iPad Air>到着、早速保護ガラスをはって環境整備。
灯油の移動販売、18L*1。
夕飯は、昨日から仕込んでおいた無水地鶏カレー、サラダとリンゴとワインを添えて息子たちが先に食べる。
途中でツレアイ帰宅、あれこれつまみながらポワロを観る。
第2話「鳩のなかの猫」/ Cat among the Pigeonsシーズン 11, エピソード 2
中東の王国ラマットで革命が起き、アリ殿下が殺害される。殿下は死の直前、親友のイギリス人、ローリンスンにあることを依頼していた。数か月後、イギリス では名門女学校、メドウバンク学園の新学期が始まる。アリ殿下の婚約者だったラマットのシャイスタ王女も転入してくる。ポワロは知人のバルストロード校長 に後任者選びの助言を求められ、しばらく滞在することに。そんな中、深夜に体育教師スプリンガーが殺害される。
福岡の叔母からツレアイの携帯に着信、予想以上に元気だがあれこれハプニング連続で同じマンションに住む息子夫婦が大変な様子、私は聞かぬふり。
片付け、入浴、体重は150g増。
今夜も寝る前に日誌執筆、このリズムは守りたい。
外でも内でもデスクワークに時間が取られたので、ウォーキングの勇無し。水分は、1,430ml。
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DBHサントラレコードVol.3
5月にポチった「Detroit: Become Human Original Soundtrack Volume 3」が忘れた頃に届いた。Quantic Dreamは2020年以来、デジタルサウンドトラック全85曲(挿入曲を含む)から25曲ちょい程度ずつ抜粋した2枚組のアナログレコードをリリースしてきた。挿入曲がうち1枚にまとめられたVol.2に入っていなかったThornetta Davisによる2曲を除き、純粋に劇伴からLP収録されていないトラックは現時点で4曲しか残っていないので、LPの形で出るのは今回のVol.3が多分最後なんじゃないかと思う。
Vol.3は全25曲中12曲がマーカス編のトラックという構成であるためか(そもそも単純にサントラ全曲の中でマーカス編の曲は一番数が多い)、マーカス編のアートワークのみを用いてデザインされている。
Vol.2を買った時に書いたような感じで、今回も内容画像を載せてから収録曲に関して書いとく。在庫はまだあるようだ。
ジャケット。マーカスがカールに絵を描くよう言われる場面で、[アンドロイド]→[希望]を選んだ場合のタブロー。実際のゲーム画面で見ることができる色味に比べて相当赤味の補正をかけている。盤面が赤なのでそれと合うように調整したのだろう。
特筆すべきはマーカスが描いたという設定のこの絵の右下にカールのサインがあしらわれている点だが、この辺のことは記事の後ろの方に書く。いいジャケットだと思ってる。
裏ジャケット。アトリエのコン��プトアート。
QD公式のページでそこそこの面積にフィラーテキストが箱組みされている裏ジャケ画像があったので、何かテキストが載るかと思っていたがクレジットだけだった。ちなみにVol.2にもVol.3にもアートディレクターやデザイナーのクレジットは見られないので(Vol.1は持ってないから知らない)、インハウスの仕事と思われる。
中ジャケット。アトリエのコンセプトアートで、最終的なキャスティングと俳優が異なるようだ。こっちのコンセプトアートはゲームのボーナスコンテンツにも収録されていた。ただしボーナスコンテンツと見比べると、少なくともカールが描いている大作とシンク上の大きなモノクロドローイングが貼られている箇所が変わっている。ボーナスコンテンツでカールが向かっているキャンバスは最終ゲームで食卓に飾られている男性の顔で、中ジャケの方は女性の全身に見える。間違えて修正前のバージョンを入稿したのだろうかと余計な心配をしてしまった。
あとはボーナスコンテンツのスクリーンショットを貼っておくので適当にサイゼリヤタイムをお楽しみください。
インナースリーブとLP盤。今回はスリーブデザインは凝っていない、普通に取り出しやすいタイプ。LP盤は前回同様にカラークリアヴァイナル仕様。これの2枚組。
収録曲
思い出せる範囲でスネ夫が自慢話をする時に方式で曲の使用シーンをザックリ添える。複数のシーンで流れるものもあるので網羅はできない。また、デトロイトビカムヒューマンの劇伴は「このエリアはこの曲」のように分かりやすい形では流れず、プレイヤーの行動と進展に応じてシームレスにパートが組み合わされるので、サントラとしてリリースされているものと同じミックスが本編で流れるとは限らない。
A1
1. John Paesano - Lost(マーカス「自由への行進」冒頭や「革命」死亡シーンの曲)
2. Philip Sheppard - Keep Turning(カーラ「あらたな我が家」1階に降りた時の曲)
3. Nima Fakhrara - Investigation(コナー「相棒」「天敵」捜査シーンの曲)
4. John Paesano - Find Jericho(マーカス「ジェリコ」廃船に着いた時の曲)
5. Philip Sheppard - I am Kara(カーラ「ズラトコ」初期化マシンに立った時、「夜行列車」ローズの家に着いた時の曲)
6. John Paesano - A False Freedom(マーカス「画家」カールをアトリエに連れて行く時の曲)
7. Philip Sheppard - In the Cold(カーラ「海賊の入り江」探索する時の曲)
A2
1. John Paesano - Time To Take Action(マーカス「ストラトフォードタワー」序盤中盤で流れる曲)
2. Philip Sheppard - Buzzkill(カーラ「ズラトコ」屋敷でアリスを探す時の曲)
3. Nima Fakhrara - Analysing(「逃亡」コナーがカーラの泊まった場所の捜査に向かう時の曲)
4. Nima Fakhrara - Eden Club(コナー「エデンクラブ」捜査シーンの曲)
5. John Paesano - Treated Like Slaves(マーカス「命をつなぐもの」倉庫に侵入する時の曲)
B1
1. John Paesano - Can We Still Trust Our Machines(マーカス「ストラトフォードタワー」パラシュートで脱出する時の曲)
2. Philip Sheppard - Breathe In(カーラ「リコールセンター」で流れる曲)
3. John Paesano - We Can't Save Everyone(マーカス「魂の夜」墓参り及びマンフレッド邸で流れる曲)
4. John Paesano - CyberLife(マーカス「キャピトルパーク」店舗襲撃準備をする時の曲)
5. Nima Fakhrara - Kamski(コナー「カムスキー」で流れる曲)
B2
1. John Paesano - A Huge Mistake(マーカス「決断の時」ルーシーと話す時、「命をつなぐもの」箱のアンドロイドを見つけた時の曲)
2. John Paesano - Not Human(マーカス「失意」アトリエの灯に気付いた時、「命をつなぐもの」トラックの鍵を盗みに行く時の曲)
3. John Paesano - Finish The Barricade(マーカス「行進」バリケードのシーンの曲)
4. Nima Fakhrara - Crossroads(「交わる運命」コナーが変異体になるか選ぶ時、「革命」店舗に逃げ込んだマーカスかノースを撃つか選ぶ時の曲)
5. Philip Sheppard - What Light Breaks(カーラ「逃亡」ラルフと揉める時、「ズラトコ」初期化マシンが作動した時、「海賊の入り江」ジェリー達が建物に入ってきた時の曲)
6. Philip Sheppard - No Man Has Borders(カーラ「旅立ち」で流れる曲)
7. Nima Fakhrara - Meet Markus(「革命」コナー操作を選んだ場合の戦闘シーンの曲)
8. John Paesano - The Horrors of War(「革命」前半がマーカス操作を選んだ場合の戦闘シーンの曲、後半が進軍する時の曲)
今回のサントラは、全ての主人公の曲をごちゃまぜになんとなく時系列を追う順で収録している点がVol.1とVol.2と異なっている。こんな記事を読む人は全員知ってるかもしれないけどDBHは主人公ごとに作曲家が別で、Philip Sheppardがカーラ編、John Paesanoがマーカス編、Nima Fakhraraがコナー編を担当している。Vol.1とVol.2ではデジタルサントラ同様、作曲家ごとにまとめて収録していた。作曲家が別だと音楽的な断絶もあるので当然まとめる良さもある。でもVol.3の曲目を見てみると、特に最後の「革命」で操作する主人公を選ぶ一騎討ちシーンの、コナーのMeet MarkusとマーカスのThe Horrors of Warの2曲などは絶対にこの並び以外有り得ない。
対立する主人公同士エンカウントシチュエーション(デヴィッド・ケイジの大好きな)では、カーラとコナーの高速道路チェイスで2人のサントラが綺麗に重なるように作られていたRun with Meが印象的だったが、Meet MarkusとThe Horrors of Warはどことなく似ているようでいて前者は単純拍子、後者はよく分からんがかなり変則的な構成になっている。高速道路には両方に生きる道があるが一騎討ちはどちらかが必ず死ぬことが決定している。この取り返しのつかなさが彼らの拍子の違いにあらわれているのだ。のか?
改めて、マーカスの曲はかなり多彩なので、カーラ編だけ、コナー編だけ連続で聴くより飽きない感じはあるかもしれない。ゲーム本編の特に終盤で視点がコロコロ変わる焦燥が再現されている。あと今回の流れで聴いてみて、本編で流れるものに比べてサントラだとやたらパーカッション(というか弦を叩く音)が強いカーラのNo Man Has Bordersのミックスの良さに気付いた。
ジャケットの話
マーカス作の絵画に「Carl Manfred」とサインがあしらわれているというアイデアからは、この絵がマーカスの描いたものだと知られることなく著名画家の遺作の一つとして世間にイメージが流通する、という物語が連想される。「魂の夜」時点でカールが生きている分岐もあるが少なくともそうでない分岐では、「画家」でレオがこの絵をカールの絵だと考えていることが台詞と目線から分かるので、カールの未発表作品としてオークションにかけられるのも自然なことだ。
ゲーム作中の雑誌曰くカールは「フランシス・ベーコンの系譜を継」いでいるらしい。表面的な色使いなどでは一見似ていない気もするが、実際、カールがマーカスにこの2枚目の絵を描かせる際に1枚目の現実の模倣を否定して解釈を促すアドバイス内容も、また具象的な人体モチーフにこだわりながらも激しい筆致でそれを写実から遠ざける点においても、具象と抽象の間を綱渡りして非模倣的なリアリティの実践を試みたベーコンにスタンスは通ずると言えるように思う。
マーカスの描いた手の部分的に白い箇所は流動性の皮膚の下のボディが露出しているということだと思うが、このカールの系譜を継いだ2枚目の画風的にただの筆致に見えなくもないので、人間の手だと捉えられる可能性もある。それが実のところアンドロイドの手で、(引きちぎった?)鎖を掲げているというこの露骨にメッセージ性の強い──マーカス的には[アンドロイド]の[希望]であるらしい──絵画が、カールの作品として大衆に知られるようになるというアイデアは、言うまでもなくマーカスが帰属すら予め奪われる状況を表しながらも、同時に(語弊を恐れず言えば)侵襲的想像力を持っている。つまり、アンドロイドが接続を通して何かに「感染」するなら、人間は例えば絵画を通して何かに「感染」するだろう。あまつさえ人間の魂が宿る素晴らしい創造物だと考えられていたものがアンドロイドの手によるといつか判明した時、それが巨匠に帰属するものであればあるほど彼らの足場を切り崩し得るだろう。それとも生成AIの加速的進歩とうんざりする議論を経て、2038年頃にはこんな出来事にとっくに不感症になっているだろうか。
前回のVol.2のジャケットで、ナチスの強制収容所のバッジから借用したアンドロイドのバッジ及びそれを反転したジェリコのシンボルである(逆)三角形を、まあ悪く言えばいけしゃあしゃあと用いたデザインよりも、今回のVol.3はサインたった一つでさりげなく暗示的に物語が提示されているように感じられて遥かにうまい。或いはもっと簡単に、時流を踏まえた「これを作ったのは人間なのかAIなのか」という議論への皮肉とも考えられる。見方はいろいろあると思う。
まとめ
デザインは個人的には良い。図版の潔い置き方が安っぽくないし、クリアヴァイナルは凝ってる感も出る。収録曲はまあ全部サブスクにもある。
でも音楽は可能ならLPにせよCD、mp3にせよ所有すべきだと思ってる。瀧がコカインで逮捕された頃からそうしてる。
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2022年11月11日
【新入荷・新本】
『牛腸茂雄全集 作品編』(赤々舎、2022年)
H245mm × W255mm. 248 pages. Hardcover.
監修:三浦和人
執筆:冨山由紀子
Book Design:須山悠里
価格:8,800円(税込)
/////
牛腸茂雄が生前に発表した作品全点を収載する決定版。
本書は『牛腸茂雄全集』全2巻のうち「作品編」に当たる(「資料編」は2023年11月刊行予定)。近年、国内外で日本写真史、特に1960年代以降の写真史再考の機運が高まっており、中でも重要な作家の一人と位置づけられる牛腸茂雄の全体像を俯瞰できる書籍が現在入手しにくいことから、今回の全集刊行は企画された。
「作品編」には、生前に刊行された4冊の作品集『日々』『SELF AND OTHERS』『扉をあけると』『見慣れた街の中で』所収の全点と、生前に発表、もしくはまとめられた 2 つの連作〈水の記憶〉〈幼年の「時間 」〉全点を収録した。
1971年に自費出版された写真集『日々』は、桑沢デザイン研究所時代の同級生 関口正夫との共著である。各々24点ずつの写真が掲載された。牛腸がモノクロームで捉えた都市の日常には、そこに潜む歴史や政治を見出そうとする観察の眼がはたらいている。牛腸を写真へと導いた大辻清司の序文「写真をみる他人」を付す。
1977年に自費出版された写真集『SELF AND OTHERS』は全60点のシリーズ。すべての写真に人物が写っており、「自己と他者」の関係のありようをテーマとする。牛腸自身もセルフポートレートにおいて被写体のひとりとなっており、「自己と他者」はより複雑な奥行きを見せる。大辻清司による序文を付す。
1980年に刊行された画集『扉をあけると』は、全14点のインクブロット作品を収載する。これらは1972年1月から断続的に制作された。「紙とインクの奇妙な交接」であるシンメトリーのしみ。それに反応する自己を見つめ、記憶や想念を探ることに牛腸はつよい関心を抱いていた。
1981年に自費出版された写真集『見慣れた街の中で』全47点は、カラー・ポジフィルムで撮られ、これまでのスタイルを大きく刷新した。「見慣れた街」の日常を過ぎる「人間存在の不可解な影」を、コダクロームの鮮やかな色調や、光と影のコントラストの中に写し出そうとする。
1980年11月から制作を開始したマーブリングによる連作〈水の記憶〉。牛腸は57 枚を選んで配列を決め、小さな箱に収めていた。 水面に偶然生じた模様を紙で写し取る��品は、鏡やレンズの円形をも連想させる。牛腸が最後に発表した〈幼年の「時間 」〉の連作6点は、『日本カメラ』1983年6月号に掲載された。子どもは牛腸が最初期から撮り続けた被写体であり、生と死につながる眼差しを含みつつ、「老年」へとつづく構想を抱いていた。
本書は、上記の作品を制作された年代に沿って収載した。写真と写真以外の作品とが、外と内の一対のように現れる。刊行時の書籍に掲載されていたテキストも、その多くを再録した。また、牛腸が遺したヴィンテージプリントやフィルム原板を印刷の指標とし、その制作意図を現代の技術によって能うかぎり再現した。シリーズによって用紙を切り替え、作品と余白の関係を意識する。
巻末に、冨山由紀子(写真史研究者)による論考「『きわ』を生きる― 牛腸茂雄の作品と時代 」、年譜、作品リストを収載する。これらは「資料編」においてさらに拡充され、今後の参照を俟つものである。
"牛腸の作品は何かと何かの境い目、つまり「きわ」がどのように在るのかを捉えようと試行錯誤してきたようにも思える。たとえばそれは、文化と文化、時代と時代の接する「きわ」である。人と人の出会いが生む「きわ」であり、都市を生きる若者が直面する「きわ」である。そうしたさまざまな「きわ」の経験が、人間のふとした表情や身振りのなかに見出せるということを、彼は示して遺したのではないだろうか。"
冨山由紀子(写真史研究者)『「きわ」を生きる― 牛腸茂雄の作品と時代 』より
私は意識の周辺から吹きあげてくる風に身をまかせ、
この見慣れた街の中へと歩みをすすめる。
そして往来のきわで写真を撮る。
『見慣れた街の中で』序文より
/////
牛腸茂雄 Shigeo GOCHO
1946年11月2日、新潟県南蒲原郡加茂町(現・加茂市)で金物屋を営む家に次男として生まれる。3歳で胸椎カリエスを患いほぼ1年間を寝たきりで送る。10代から数々の美術展、ポスター展などに入選。1965年、新潟県立三条実業高等学校を卒業後、桑沢デザイン研究所リビングデザイン科入学、その後、リビングデザイン研究科写真専攻に進む。1968年、同校卒業。デザインの仕事と並行して写真を撮り続ける。1977年、『SELF AND OTHERS』(白亜館)を自費出版。1978年、本写真集と展覧会により日本写真協会賞新人賞受賞。1983年、体調不良のため実家に戻り静養を続けるが、6月2日、心不全のため死去。享年36歳。2004年には回顧展「牛腸茂雄 1946-1983」(新潟市立美術館、山形美術館、三鷹市民ギャラリー)が開催され、2000年には佐藤真監督によるドキュメンタリー映画「SELF AND OTHERS」が製作され大きな反響を呼ぶ。2013年、『こども』(白水社)、新装版『見慣れた街の中で』(山羊舍)が相次いで刊行された。
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【意味の図表、または創作への適当な戯言】
1
Fokin
2023年1月2日 20:31
【意味の図表、または創作への適当な戯言】
して、過去に戻ってみた。
人生において情報は作品材料にしか見えていない。誰から教わったわけではなく自然と気づけば身についていた。
授業を聞くか聞かないかは作品に組み込めるかが重点だった。作品のためなら全ては苦にならず、人が言う勉強にも取り掛かった。
例として、勉強の意味が友人とは違うことに気づいた事件がある。友人達とTOEICテストを受けた後で図書館に行こうとした私に、友達は
『もう一日中勉強漬けだったんだ、まだ勉強するのかい?』と。
ここで私と彼の『勉強』という言葉の意味の違いがはっきりした。私はその時から意識的に『勉強』と『学校』を使い分けていた。私は『学校』に馴染めなくても『勉強』はなによりも愛していた。勉強は蜜のように甘い存在だ。ユダヤの教育では言語を初めて教える時に蜂蜜で字を書かせ、それを舐めさせ味わせるらしい。勉強はいつでも取り出せ遊べて、いつでも人と遊べる。この情報で砂箱遊びをするのが作品作り。SFは現実のある程度の縛りをつけてその中で楽しむもの、ファンタジーはその縛りを取っ払ったもの、私はどちらもそれぞれの楽しみ方で愛でる。
世界は全て情報でできていて、その情報を使い構成していくことで私は人格や社会、行動を定義してきた。情報というものは私の感覚でしか『感じる』ことができず、あくまで自身の感知でしか情報を構成できない。感触で世界の情報を感知し、それを存在の中で意識を使い構成する。極めて自分勝手と唱えればそうなるだろう、しかしこれは世界を認識する上でかけがえのないもので、そういうことで人間味を構成する。この人間味は人格としての問題であり人類であることとは別の問題である。たとえ肉体として人類に所属していても意識や認識がなければ人間性というものと受け取れない。感情もなくただ意識がある人間に不安を感じるが、多々、小説や漫画などのエンタメのメディアでは意識の中で笑っていたり、喜んでいたりと描写をし、読者に安心と感動を与える。しかしほんとうに考えを持たず、感情を持たず、意識を持たない『人類』はどうなるのであろう。このわけで私は人類と人間性の違いで違和感を持つ。人形に意識が持てば果たしてそれは人間なのだろうか?人形ではあるが中身は全くの別物だ、しかし面白いことに我々は人類のマークとして人形を取っている。これはなかなか面白いことだ。猿と人間を分ける『我々と彼ら』という二元論で安心する。
人生に意味がないことで悔やむ。そこで引っかかるのだ。意味がないことは死ぬほど落ち込むことなのか?「意味」は人間がそれほど必要とする物。意味が欲しい。何もかも意味をつけたがる心のコアな処。意味があることで気持ち良くなる。その意味が間違っていたりあさかったりしたとしても。意味こそが、全て。
「人生の意味は何か?」という問いは難しい問題である。問題と回答がどちらも抽象的であるから。入れ子構造だからこそ答えは多様。例として「人間とは何か?」も同様の問いである。文に含まれる『人間』とは人間たらしめる哲学的な意味を示しているのか?生物的な分類を示しているのか?はっきりしない。文字の捉え方で見解が分かれ、捉えのずれが生じる、どちらも全く同じ文字を使っているのに。この話題を別の観点からとれば、言葉の意味が一つ違えば同じ文章でも様々な論理から論点に導くことができる…意味というものは存在を囲い確定するもの。意味を「指す」ために言語は使用される。言語『林檎』は物質の林檎として存在しない、指すためのツールである。存在するのは林檎が指す「もの」。言語は魔法陣のようなものである。「そのイメージ」を言語化や図形で出力すること、それが本質的な書き物に当たる。
図表はどこになにがあるか記す。だけど神社のマークがあっても、どんな神社なのか、どんな信仰があり、どんな空気なのか。それはわからない。言語は世界観の記号である。言語を文章に構成して一連の論理を書いたものが記事。自分の感性で表すこと。自分の言葉を記号として、図表を描いていく。世界観は広がっていく。世界図表が生まれる。人類史に生きてきた偉人たちの命を削って記してきた【意味の図表】。自分のチグハグで破れた地図から少しずつ、しかし確実に地図を作っていく。それが、意味の図表である。
この文章を書く前に、まず私は考えた、この二枚の紙に直筆でなにを書けば良いのだろう。
そもそも私はプロジェクトの魅力を前面に出した企画書を書いたことがあっても自分という存在の価値をアピールするための出願書類など書いてきた試しがない。自分がやれることに進むにも結局は社会の方式に進むのかいったり来たりで中途半端な人生が出来上がっていた。
先延ばしは完璧を求めることで生まれる。でもその完璧へいつになってもたどり着くことができない。来たら大当たり。来なくても、とんだ嘘っぱちだったとしても存在は全てが嘘っぱちと気づくことで、初めて何かを信じることができる。待ち続けることに意味がある。
ぼんやりとした最終地点は、いつ歩いても近づいているかわからない。だけど、心の中には存在する。
「キャリアとかって決まっているの?」
未来のことを考えるのはキャリアくらいで良い。どのみちなんともない環境へ飛んでいくだけだから。
だとしても、
「いや、決まってない。別にやりたいことない」
キャリア、学位を取るだけのものでさえ、予定を組めずに霧の中に置いたまま。
自分は存在していること。それがあるから健康やキャリアはそちらに任せておく。
そうして10年以上歩く帰路についた。
2022年12月25日(金) 午後2時23分 晴れ
P.S. アーティストが自分のことを文で語るのってダサいの極みです。私は自分の理想とかけ離れている。
まるで最悪の上司と最悪の部下を同時に持ち合わせているようだ。
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Fokin
◆ɴᴏᴛʜɪɴ'
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こんばんは!
YouTube投稿です!
今回は、私の筆箱の中身を紹介します!
見た目や統一感にこだわり、外出先でも活躍できるような、お気に入りのアイテムを揃えました!
皆様もぜひ、自分だけの筆箱が作れるよう、参考にして頂ければと思います!
ぜひご覧ください!
https://youtu.be/oZ3TPSCGTuY
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新刊『世界に放りこまれた』安達茉莉子
言葉と絵による作品発表を続けている作家・文筆家の安達茉莉子が言葉だけで綴った初めての詩集。
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「歩きながら、電車の中で、道端で、湧き上がる言葉を拾い上げた。何もかもが変わっていくような予感だけがあったが、現実的にはまだその前夜といったところで、身動きが取れないまま予感を感じ続けるような、もどかしい時間を過ごしていた。新しい世界はすぐそこにあり、放りこまれてみたい。とことん無防備になってみたい、というじりじりした気持ちは、そのまま言葉に転写されていった。」
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タイトル:『世界に放りこまれた』
著者:安達茉莉子
写真:成重松樹
挿絵:安達茉莉子
装幀: 横山雄
ISBN:978-4-9912851-0-3
判型:h182mm×w116mm 並製本
ページ数:64ページ
本体価格:1,300円
発行:ignition gallery
発行所:twililight
カタログ番号:ign-012
刊行日:2022年11月19日
《目次》
箱舟
世界に放りこまれた
CO2削減
村娘A
ywnlm ♯1
最高のもの
剥き身クラブメドレー
ほんたうのさいはひとは
犬ぞり極夜行
NGC 1947
ywnlm ♯2
miracle/ chance
無限果樹園
Re:NGC 1947
ふたつがつながるとき
ywnlm ♯3
L.Y.L
あとがき
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著者の安達茉莉子が率直さを大事に、無防備に、剥き身になって、紡いだ詩17篇を収録しています。
人の目を気にせず、自分の暗い部分も含めて、勇気を持って自分を開いてみると、新しい世界が広がる。
安達茉莉子の言葉は、そんな自由な地平に読者を連れていってくれると思います。
9篇の詩は、本屋twililightでの朗読会で読まれた詩です。だからでしょうか、書かれた言葉であると同時に、本人に語りかけられている声のようにも感じます。
声の震えを感じたとき、ひとりでいても、震えが伝わる同じ世界にいるということ。
そんなあたたかで勇気をもらえるこの詩集を開き、世界に放りこまれてみてください。
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著者プロフィール:
安達茉莉子 (アダチ・マリコ)
作家、文筆家。東京外国語大学英語専攻卒業、サセックス大学開発学研究所開発学修士課程修了。政府機関での勤務、限界集落での生活、留学など様々な組織や場所での経験を経て、言葉と絵による作品発表・エッセイ執筆をおこなう。著書に『消えそうな光を抱えて歩き続ける人へ』(ビーナイス)、『何か大切なものをなくしてそして立ち上がった頃の人へ』(MARIOBOOKS)、『毛布 - あなたをくるんでくれるもの』(玄光社)ほか、2022年9月に新刊エッセイ集『私の生活改善運動 THIS IS MY LIFE』(三輪舎)、『臆病者の自転車生活』(亜紀書房)を刊行。
Web mariobooks.com
Instagram @andmariobooks
Twitter @andmariobooks
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twililightのオンラインショップでも販売します。
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和四年(2022)8月27日(土曜日)
通巻第7441号
中国の湖が枯れて湖底がみえた。深刻な水不足、農作物は壊滅の懼れ
番陽湖は35%の湖水に。屈原の洞庭湖も観光地・西湖も景観が激変した
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中国最大の湖は青海湖。淡水湖で世界二位が番陽湖、日本人観光客は必ず訪れるのが杭州西湖、中国史が好きな人は洞庭湖。日本にも北はサロマ湖、支笏湖、洞爺湖、阿寒湖、十和田湖、田沢湖、猪苗代湖と幾多の湖があって、琵琶湖は日本一だが、世界ランキングでは百傑にも入らない(世界一はバイカル湖)。ちなみに番陽湖は琵琶湖の6倍の面積である。
中国の自然災害は桁違い。豪雨が続くと、ダム決壊、洪水、地盤陥没、台風被害などで、道路は河となり、すさまじい犠牲がでる。
三年前はあまりの豪雨に世界最大の三峡ダムの決壊がさかんに言われた。
こんどは逆だった。連日の猛暑、摂氏40度超え、干ばつが電力供給に大きな障害をもたらし、各地で計画停電。重慶はショッピングモール営業時間を午後四時~九時に制限。トヨタとホンダの工場は停まった。四川省は電力の八割が水力だからだ。
四川省は昔の「蜀」。劉備玄徳が治め、杜甫が活躍し、諸葛孔明が戦略を編んだ地。トウ小平の出身地であり、成都、重慶など工業の拠点である。電力需要は6500万キロワット。前年比25%の需要増は、アップルや自動車工場が集中したからだろう。
一ヶ月、雨がまったく降らなかった。摂氏40度(華氏百度)、農作物は枯れ、となりの湖北省と合わせて数千ヘクタールに被害が出た。成都市民のおよそ82万人は飲料水がない。水道がとまったからだ。
くわえて山火事である。8月25日のApに拠れば、540世帯、1500名が非難し、消防隊5000名が動員されているが、未曾有の山火事は一帯をはげ山にしてしまうから、保水力が失われる。
番陽湖は江西省の北西部、九江から南昌へ南下すると左手に広がる。淡水湖で中国一(世界一はキルギスのイシク湖)、湖面面積は3976平方キロだが、洪水期には5050平方キロに湖面が広がったことがある(ちなみに琵琶湖は670平方キロ)。
8月25日現在、水位は五分の一となって、湖中にある展望楼には歩いてけることとなった。番陽湖の中州に北欧企業がリゾートホテルを計画していると九江で政府関係者から聞いたことを思い出した。
九江は洪水でも有名だが、付近は工業団地など開発がブームに沸いたことがあった。番陽湖の水量を調整し、農地へ配水する機能があることから「腎臓の湖」とも言われる。(番陽湖の「番」には、「こざと」)。
歴史好き文学好きの人なら洞庭湖だろう。屈原は政治の腐敗に絶望し、汨羅で入水自殺した。詩人の杜甫は、「岳陽楼」を謳った。この洞庭湖は淡水湖では中国第二位。2820平方キロで関東平野より湖面が広いのだから桁が違う。
杭州観光ではおなじみの西湖、ほかに九寨溝のエメラルド色などが観光客を引き寄せていたが、猛暑、干ばつで景観が激変した。
▲中国一の青海湖は周囲が360キロ、一周したことがある
中国最大の青海湖は青海省の省都、西寧に宿を取って、中国人ツアーに紛れ、一周したことがある。
早朝八時だったかに出発し、帰ってきたのが午後八時、青海湖は周囲360キロの凸凹道だから12時間(途中、昼飯休憩などあり)かかった。
青海湖は塩湖、モンゴル語でココノールという。4635キロ平方キロ。108の河川から流れ込んだが、2022年8月には85%も水位が下がった。
あれは小泉政権のときだった、ツアーで日本人と分かると、まだ日本へのあこがれがつよく残っている時代で、「小泉首相の靖国参拝をどう思うか」と聞かれた。
デジタルカメラを珍しそうに眺め、なかでも親子連れの父親がかなりのインテリで流ちょうな英語を喋った。
「日本にもこのような湖はあるかい?」「琵琶湖(ピーパーフゥ)って東京からどういくのか?」
内蒙古省のホロンバイル草原は有名だが、かつて日本軍の要塞があったハイラル(海拉爾)からバスで三時間。拠点となるのは「満州里」である。典型の炭鉱街。
満州里は、ロシアとの国境でもあり、鉄道がまたいでいる。そこからやや西へ開けるのがホロン湖(呼倫湖)で2335平方キロ。湖畔のレストランで湖魚を酒の肴にしたことがあるが、夏でも革ジャンを着込むほど寒かった。
また思い出した。中国人作家で台湾に亡命した朴内夫(筆名=無名氏)が日本に来たとき、箱根の芦ノ湖を案内した。湖畔のレストランで、氏は松尾芭蕉の「古池や蛙飛び込む水の音」は、この池(芦ノ湖)か?」と聞かれて驚いた。
中国人の感覚では、小規模な湖は「池」なのである。
▲じつは中国最大の湖は興凱湖だが、北京条約で75%がロシアに帰属する
ついでにもうひとつ。
日本人が殆ど行かない最大級の湖がある。
黒竜江にある興凱湖で、4403キロと、番陽湖よりも湖面面積は広いが、じつは北京条約によって四分の三がロシア領に編入されている。十数年前に、高山正之氏等と行ったことがあるが、真夏なのに、日本の初冬の寒さだった。
したがって中国側の湖面は1000平方キロでランキングに入らない。
この興凱湖の真南が沿海州のウラジオストクだから、中国人にとってロシアは「癪の種」になる。ロシアがウクライナでへとへとになったら、中国は北京条約の廃棄をせまり、ウラジオストックを回収する挙にでるかもしれない。(詳しくは来月五日発売の拙著『ウクライナ危機後に、中国とロシアは破局を迎える』(宝島社)をご参照されたい)。
8月24日から降雨(慈雨)があって、四川省では25日あたりからようやく工場が再開されている模様である。
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兵庫県西脇市の市立中学校で昨夏、3年の男子生徒が同級生から暴行を受けて腎臓損傷などの重傷を負い、市教育委員会が、いじめ防止対策推進法に基づく「重大事態」に認定していたことが12日、市教委への取材で分かった。学校が第三者を交えた調査委員会を設置し、いじめの有無などを含む原因を調べている。
市教委などによると、男子生徒は昨年7月6日、同級生の男子生徒に背後から背中を殴られたほか、腹部を複数回殴られるなどして床に倒され、腎臓損傷など全治6カ月の重傷を負ったとしている。同級生は県警西脇署が傷害の非行事実で家裁送致し、今年1月に少年審判で保護観察処分となった。
市教委は取材に、「からかわれた男子生徒が筆箱を投げたところ、同級生の顔に当たり、腹を立てた同級生が暴力をふるった」と説明。同法が重大事態に関して定めている「いじめにより生命、心身に重大な被害が生じた疑いがある」事例に該当すると判断した。
中3生徒暴行で腎臓損傷 兵庫・西脇市教委「重大事態」認定(産経新聞) - Yahoo!ニュース
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