Tumgik
#石蹴り
apartment315 · 2 years
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mm0924 · 5 months
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November of Mei Nagano. 11月。今日は30日。つまり、11月最後の日。今年の4月から毎月続けてきたTumblrだけど先月に引き続き今月も、締切に追われる漫画家のような気分で執筆開始。このながのの月記は【前書】【思考】【仕事】【音楽】【後書】の五段落で構成しています。今回この次の段落【思考】では、人と接するときに考えたいおもてなしの心〝接遇〟について書きたいと思っているんだけど、それに通ずる部分があるのかなと思った出来事をここで。出会いも別れもタイミングは選べないし、予期せぬ別れはどんな理由であれやっぱり辛い悲しい気持ちになっちゃいますよね。気付いたらいなくなってる人がいて、だけど他の人のところには帰ってきてて「なんで自分のところには来てくれないの?」って、そんな経験もあるんじゃないでしょうか。ながのはあります。だけどそこで「悲しい」「なんで」「その程度でしか見られてないのか」って思ってしまうのは正直まだまだだと思っていて、もちろん合う合わないもあると思うけどそれでも離れてほしくないと思うのなら離れてほしくないなりの行動をしなきゃいけないし努力をしなきゃいけない。それができないのに軽率に手を繋ぐのは失礼にあたるのではないか、とまで思ってしまいます。ながのにはこれといった取り柄がないから、ながのにできる範囲の努力は絶対に怠ってはいけないし他の人よりも頑張らなきゃいけない。まだまだみなさんの側にいたいから頑張らせてください。そしてちょこっとだけ欲張りなことを言うと、頑張れないときのながのも愛してやってください。前説っていう大事な導入部分で辛辣な意見を綴ってしまったことに若干の反省はしています、が「いいもん、めいのTumblrだもん!何を書くもめいの自由!」と全力で開き直って続きを書いていこうと思います。だって書き直す時間がない(事前に下書きしてなかったながののせい)からね。ざっ!っと書いて、ぐっ!っと読み直して、ちょちょちょ!っと直して、華麗に投稿ボタン押してやりますよ!あ、決して適当に書いてるわけではないですよ。だってこうして永野芽郁に、ながのという人間に触れるために大切な時間を割いてこのTumblrを読んでくれる方がいるんだから、適当になんてできない。「めいちゃんのこと知れたな」とか「こんな考え方もあるんだな」って少しでも有意義な時間を過ごしてもらえたら幸いです。 4月に58人いたフォロワーさんが今では69人になり、新しい出会いがあるたびに百人百様という言葉の意味を知る日々です。100人いれば100種類の姿、形、顔があるし100種類の存在意義があるんです。今月は〝接遇〟について考えました。人と向き合うとき他者の体験や経験、本やネットから得た知識を参考にするのが間違いだとは思わないけど、この方法が最良だ!なんてそんな便利なマニュアルはないんです。きっとここで考えなきゃいけないのは、今めいが向き合っている人は誰なのか。そして、他の誰かに効く薬がその人に効くとは限らないということ。じゃあながのが持ってる薬って、できることってなんなんだろう。先日「めいちゃんに相談したいことがあって」って悩みを話してくれたお友達に「どうしてめいなんですか?」って素朴な疑問をぶつけると「めいちゃんは悩みを無駄にしないからね」って伝えてくれたんです。「楽しい話をしてくれるから」「元気がでるから」「話しやすいから」いいように考えてもそんなところかな、と思っていたから相手がそう見てくれていたことがとっても嬉しかった。こうして綴ってみたけど、これが誰にでも効くってわけじゃないからまた難しいんだけどね。何気なく受け流している言葉は相手が縋るような思いで紡ぎ出した一言かもしれない。だから、1つも取りこぼさないように全部掬って無駄にしない、これはながのにできること、ながのがしなきゃいけないこと、そして存在意義の1つだと思って大切にしていこうと思います。 お仕事!11月は日本武道館でのイベントをはじめ、ドラマや映画の情報解禁などもあり盛沢山な1ヶ月でした。単独イベント『非公開』の会場では季刊誌「team mate」特別版を発売させていただきました。そして今年も『永野芽郁オフィシャルカレンダー2024』の発売が決定しました!12色のカラーテーマに合わせた写真はみなさんの毎日をカラフルにすること間違いなし!是非お部屋の片隅に置いて1年のお供にしていただければと思います。今回のお仕事紹介はお話したいことがたくさんあるので、以下3本立てでお送りします。 【フジテレビ系連続ドラマ『君が心をくれたから』】 月曜9時というドラマの中でも特別な枠だと思ってきた月9で、主人公の逢原雨を演じさせていただきます。愛する人のために〝心〟を差し出す、過酷な奇跡が引き起こすファンタジーラブストーリー。初めて台本を読んだときは、心が苦しくなったりこの役が自分にできるんだろうかという不安もありました。だけどそんなネガティブな気持ち以上に〝今の自分の全てをかけて挑みたい〟と思う作品に出会えたことが幸せだし、今撮影していて凄く嬉しいです。『君が心をくれたから』は誰かのことを純粋に想ったり何かをしてあげるということは素敵なことだと改めて感じられたり、逆に人を想って何かをすることが相手にとっては酷なことだったりもするという人間のリアルな部分も描いた作品です。今心がもやもやしていたり未来がちょっと不安な方が寒い冬の夜、心温まる〝愛の物語〟に救われますように。初回放送日は2024年1月8日成人の日。30分拡大でお送りします。お楽しみに! 【映画『からかい上手の高木さん』】 山本崇一朗さんによる人気コミック『からかい上手の高木さん』の実写映画版で主人公の高木さんを演じさせていただきました。原作で描かれている隣の席の女の子にからかわれ続ける男の子…から実写映画版では10年が経ち、母校で再会する2人を描いたオリジナルストーリー。お話を頂く前からいち視聴者として原作やアニメを拝見していたので『からかい上手の高木さん』の世界に入ることができてとても嬉しく思いながらのびのびと楽しく演じさせていただきました。自然豊かで穏やかな小豆島で撮影できたことによって、スクリーンの中にも穏やかで温かく観ていて心地の良い映画になっていると思います。全編小豆島で撮影された本作は2024年5月31日公開です。お楽しみに! 【永野芽郁『非公開』in日本武道館】 8月末に開催を発表させていただいてから3ヶ月、あっという間でした。まずは無事に開催することができたこと、ありがとうございます。日本武道館という場所はながのにとっては大きすぎて、大勢の人が集まってくれるとわかっていてもどうしても立てる自信がなくて、だけど11月23日イベント当日「めいちゃーん!」「大好きだよ!」って全部全部ちゃんと届いてたよ。ながのの不安を全部蹴散らしてくれる愛に溢れた人たちが、時間が、そこにはありました。とってもとっても幸せでした。大型二輪免許の取得、ピアノで作詞した曲の弾き語り、Vaundyくんが歌う『カーニバル』でのドラム演奏、一人芝居などなど、ながのにとっては〝挑戦〟だらけの2時間15分でした。そう、今回のながの的裏テーマは〝挑戦〟。きっとみなさんに楽しんでもらえる時間をプレゼントできたんじゃないかなと思います。そして(メタな話にはなりますが)、永野芽郁ちゃんに見合うように頑張らないとと感化された1日でした。これからもみなさんに応援したいと思ってもらえるような人でいられるように、自分らしく楽しく面白がりながら努力していきたいと思います。これからもながのについてきてください。一緒にいろんな景色を見に行きましょう。みなさんのことがメイトのことが、大好きです。
11月のながののイチオシソングは米米CLUBさんの『浪漫飛行』。いつまで経っても古くならない石井竜也さんの詩。やりたかったのにやっていなかったこと、逢いたかったのに逢っていなかった人、行きたいのに行けてなかった場所…荷物はトランク一つ、イメージははちきれそうなくらいに膨らんで心はあの人に話したいことで溢れかえる、そういう〝夢〟が『浪漫飛行』にはあります。〝夢〟や〝愛〟の前で不安になることもあるかもしれないけど、そのすぐ側には希望がいてくれているはずです。〝逢いたい〟その気持ちがあれば旅に出る理由は十分。準備万端。会いたい人がいるっていいですよね。会いたい人がいるうちはきっと大丈夫なんだろうと思います。会いたい人には今すぐ会いに行って!ながのは会いに行くことにするよ。 今月はお仕事の情報がたくさん解禁になったのでお仕事の話をたっぷりさせていただきました。気になるものはありましたか?大量の情報解禁とまとめる時間と技術のなさが相俟って(盛大な言い訳)長くなってしまいましたが…これからのながのも見たいと思ってもらえますように!もっと知って興味をもってもらえますように!自由に書きたいことを書きたいだけ書いためいの月記、最後まで読んで下さりありがとうございました。 12月のながのめいもよろしくお願いします︎︎︎︎︎︎☺︎
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kokoro-m · 13 days
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脈打つ楽園
窓枠から揺らぐ桜の枝も、明日には新緑に飲み込まれそうだ。そういえばここ最近の私の心は綺麗なものに反応しづらい日々が続いていたと思う。晴れの日にカーテンを開けると世界が広がる気がしたし、少し雑にひいてしまったコーヒー豆から苦味を感じた時でも満足していたし、少し開けた窓から春一番が吹き込めば、髪の間に隠れた前髪が目に入ってだるがったり、それさえ日常のきらめきの一粒に、感じていた。
限りなく思い出せる出来事として、喜びに溢れていたはずの、ぱりんと割れた器があって、肌に刺さるほど大きな破片はないから散らばったまま放っておいたのであった。掻き集めてしまえば自分が必死になって過去に浸るような馬鹿な羽目にあうので、毎日思い切り踏んづけて、粉々にする。胸を張るように歩いても曇天の日が多いとあからさまに気分は下がって、記憶の引っ掛かりである音楽を街中のドラッグストアで聞けば瞬きの回数が多くなった。ことごとく気分が天気に左右されるのは通常であったが、あの冬というのは、幾分長かった気がする。
青々とした芝、本当の芝生は全く青くない。はげて土が見え、何日か前に落ちた赤褐色の枯葉、折れたての小枝に誰かが落としたガムの包装紙。秋に忘れられたどんぐりの頭、裸足の指をくすぐる小さな蟻、どこからか飛んできた灰色の石ころ。大きな幹からぐんぐん伸びた枝や生まれたての葉っぱが影を落として、太陽は数分ごとに位置を変え、私たちはそれから逃げるように、お尻をよじらせ木陰を追いかける。誰かの恩恵を受けたわけではなく、私はいつも芝生の上にいる。小学生の時、近くの公園が養殖中になると近くのブランコで口を尖らせ、早く陽の光の元で寝転びたい気持ちを抑え、スニーカーの先端でゴム床を蹴った。中学生になると、芝生の上で読むものがミステリー小説になった。官能小説も相変わらず読んでいた。高校生、私は一人になりたかった。ブレザーの背中についた細い葉を手で振り落とし、スカートも入念に叩いて、草の匂いが残る裸足で靴下を履いて、窮屈なローファーで電車に乗った。それから今も、私は芝生の上で寝っ転がったり、体育座りをしたり、枝葉から覗く太陽をかざした手のひら越しに見たり、首が痛くなれば、足の甲を走る蟻を応援したりしている。
仲良くなったら変わるよ、好きになったら変わるよ、大人になったら変わるよ、経験したら変わるよ。自分というものが変化するということが大前提で人に教えられると、すごく窮屈な気分になる。好きなものは変わらない、増えるだろうけど。逃げ道だって変わらない。泣く時に来る場所も、聴く曲も、読み返す詩も、変わっていないのに。手の届かないところで美化され、日記の彩りとして消費され、全部同じになんてなれない。あくまで共通のものが私と貴方と誰かに存在して、分かり合える喜びが胸を満たすけれど、貴方や誰かが存在する以前から私はずっとここに居たはずだ。貴方のせいで変わったわけじゃ無い。貴方や誰かを通り過ぎた私が、覚えたての感情を抱いても、知らせたりなんてしない。私の全ては、貴方や誰かに、関係がない。もう居なくなったなら。
一定の冷たさが占めていた、細々とした砂利の音と唸る波の音が聞こえた真夜中の海に似ている。目を覚ませば春風が部屋の観葉植物を力強く揺らす季節になっていた。眠りかけていた機微ごと叩き起こされるも、自分のいる場所は変わっていない。薄く開けた唇の隙間から、生温かい陽気を味わう。次に瞳を閉じた時には安らぎが欲しい。深い眠りと呼吸に身を任せて。
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onishihitsuji84 · 26 days
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春のサンドイッチ
 四月、うそだろう?  きょう、僕は画面の右下の数字をにらみつける――2024/04/03。ちょっと、あまりいろんなことを考えたくない感じがある。数字を数字として受け入れたくないきもちが浮かぶ。  ここ半月ほどの、春という、「解放」を表現してる暖かさのために、あらゆる時間はするすると過ぎ去っていった。四月、雪どけ水は自由自在に町を流れた。
***
 この半月ほど、僕はそんなに小説を書いていない。 「そんなに書いていない」というのは、ほんとうだった。三月の終わりまでにつくったのは十ページにも満たない小品ひとつだけだった。  書くことをべつにすれば――社会という庭で、僕が僕の人生を生きるためには対処の必要がある、ごたごたをこなしていた。でも、それは言葉通りではない。ここでの「ごたごた」には気力がなくてだらだらするだとか、小説をやりたいきもちはあるけれどまとまった集中力を(あるいは勇気を)用意できなくてゲーム("Balatro","幸運の大家様"のふたつだ)をして時間がつぶすなんてことが、含まれている。つまり、三月、僕はだらだらしていた。
***
 春のサンドイッチに意味なんてなかった。  コンビニ裏のゴミ捨て場で、ハムときゅうりがむき出しになっていたサンドイッチにもまた、意味なんてなかった。  意味なんてない。 そういうことを受け入れるのは難しかった。そのときに不安な心であればあるほど。
 三月も終わりのころ、あまりに早い時の流れに何もかもをうっちゃりたくなった僕は、こんなふうに書いた(Twitterでね)。  たしかに多少やさぐれはいたけど、べつに、僕が「不安な心」であるわけではなかった。これは、僕ではない他人――たとえばあなたとかに警告するための、言葉だった。 「そんな比喩や物語、ふるまい、あとゲームをして過ごす時間なんかにはなにも意味ないよ」なんてふうに、いちいち言われてウンザリするのが嫌で、それに先手をうつための言葉だった。  とうぜん、そんなのってパラノイアだった=他人が自分をしつこく責め立てているという妄想。  でも、根っこからの空想というわけでもないというのが、問題をややこしくしていた。というのは、他人の口からこのような言葉がとび出したことがあったのだ。それも、僕に向かって。現実において。  もうそれってかなり昔のことだった。あんまり具体的な年月は明かせないけど、実際、もうノーゲームにしてもいいくらい前のことだった。 「ああ。そういえばそんなこともありましたねえ」  おちゃに縁側みたいな、のどかさを装ったにこにこ顔をして、それで受け流してもいい感じになっていた。  でも、僕はねちっこく覚えていたし、ゲームを降りるなんてこともまだしていない。 「言ったあいつはぜんぜん記憶にないかもしれない」なんてことはわかってるけれど。
***
 それでは、きょうの日記はこのあたりで終わる。記事の最後に、きのうとか一昨日にした、Twitterでのつぶやきをここに貼り付けて。  それで、日記でもいい。こんなふうにでも書いてみさえすれば、僕自身の現在みたいなところがちょっとわかりやすくなるようだった。  うん。僕は小説をやってたほうがいい。ゲームやパラノイアに稀なる価値はない。
 でも、小説は書き上げたときはぜったい最悪だった。小説で楽しいのなんて、実際はまるでありきたりだけど浮かんできた瞬間にはぴっちぴちに輝いているアイデアを書き留めるとき、そしてどっぷり集中力の水に沈み込んでいるときに「ああ。表現ってこうやるんだ」ってもう一度感覚を思いだすときの、その二つだけだった。  他の瞬間はぜんぶ苦しかった。耐えがたくみじめな自分の実力に対する”怒りという名の僕自身を殺したいきもち”と”なみだ”、それに”ため息”だけだった。もうずっと前から、「僕は小説家です」だとか、「小説を書いてます」ってひとに話すのが嫌だった。僕のしたあれらが「作品」だとする考えが、一ミリも受け入れられなかったからだ――身の毛のよだつほどに。僕はこっそり書いている。それがいちばんよかった。それがいちばんゆっくりとしたきもちで生きていられた。  けど、このまえ賞に応募した。  また新しいのを書いて、賞に出すつもりだ。
***
月がぬらりとひかる。あなたは空を見上げていた。四月、夜はむらさき色だった。
床に石の環があって、それを迂回して僕は歩いた。 環は僕の歩みに沿って緩やかにつづいた。明るい灰色は四月の光にまたたいては犬のように僕の気を引こうと一生懸命になっていた。
奇妙という言葉はあまりにも魅力的だし、だからこそ絶対つかってはならない言葉だった。ほんとう、それは他の言葉をぜんぶあとにしてしまい、ちりひとつさえ残さないほどの力をもっていた。つまり、神みたいな。 だからこそ、その言葉を口にしてはいけなかった。誰も神を試してはいけなかったんだね。
無感覚になったとき、「いま、自分は無感覚になっている」とはきづかない。五感はどれも疲れてしまっていて、自分が”疲れている”とも気づかない。
時はいたずらだ。落ち着くことをしらない。この手にしっくり馴染んで、クラシックを聴くなんてしない。でたらめに走っては自動販売機をバンバン蹴り上げてわらっている。
皮肉や、悪意ある分解を勉強したいと、メトロに乗りながらおもっていた。
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ari0921 · 27 days
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【変見自在】歴史の作り方
 高山 正之
 賽金花は日本で言えば明治維新のころ、安徽省の貧しい家に生まれた。
妓楼に売られ、13歳、半玉で34歳年上の洪鈞に身請けされ愛人になった。
洪鈞は科挙をトップ合格した清朝末期を代表する外交官だった。
2年後、駐独支那公使を拝命して賽金花はその幼な妻として同行した。
彼女はそのころの支那の女、とくに妓女では当たり前の纏足をしている。
 小さいころに足の指を内側に曲げて布で縛り、人工的な小足にする。10センンチくらいが最も美しい。三寸金蓮なんて言われたが、健康な足をたわめるからこれほどの激痛はない。
 石平は『三大中国病』の中で、女の人権を蔑(ないがし)ろにしたおぞましいまでの蛮風とこき下ろす。 実際、金蓮とか囃されても女性は満足に歩けないし、歩けば激痛が走った。それでも賽金花はその代償に公使夫人になれた。
 ただそんな足で欧州社交界に出たところで踊れるわけでなし。奇異の目に曝されるだけだが、同時に男たちの関心は集めた。実際、洪鈞は彼女を伴ってウイルヘルム2世に拝謁したし、モルトケの右腕ワルデルゼー参謀次長にも親しく会っている。
 彼はことのほか興味をたぎらせ、何度か纏足女の味を楽しんだという。
洪鈞もそのつもりで不相応の女を妻にしたと言われる。いかにも支那人らしい発想だ。4年の任期の間に賽金花は独語をマスターし、皇帝ははっきり支那贔屓になって日清戦争の三国干渉を生み出す。
 洪鈞は任期を終えて帰国して間もなく病死する。洪家は格式の合わない賽金花を追い出し、彼女は再び北京の花街「八大胡同」に戻っていった。
そして山東省で外人、別けても独人を嫌う義和団の乱が起きる。
20万に膨れ上がった暴徒は北京の外国人居留区を包囲し、これに西太后の正規軍も加わった。
 柴五郎ら各国の警備隊員500人はよく戦い、籠城55日間を耐えたところに8か国連合軍がやっと到着する。総司令官は独軍のワルデルゼーで、義和団を蹴散らした後、最初にやったことが「独皇帝のための3日間の略奪」だった。3日間が明けると今度は「兵士のための3日間の略奪」を許可した。
 これに米、仏、露の兵士も加わり、北京市内は殺戮と略奪で混乱。市民は日本軍が守る「北城」に逃げ込んだ。ここだけは秩序が維持されていたからだ。この間、ワルデルゼーは昔なじみの賽金花を探して再会を果たした。彼は総司令官の特権を使って紫禁城に入り込み、西太后の寝所で賽金花とともに皇帝の夜を楽しんだ。占領地の夜を満喫する欧米人の姿がよく出ている。
 そういう思い上がりをワルデルゼーが象徴して風にも見えるが、習近平の御代になったらこの話が全く変わっていった。まず賽金花は「公使夫人として欧州社交界に登場するとその話術や華麗なダンスステップで一躍社交界の花になった」と曾樸「ゲツ海花(ゲツカイカ)」は書く。纏足の彼女は踊るどころか満足に歩けないはずなのに、そういう些細なことは気にしない。
 帰国後、義和団の乱が起きる。北京で独公使フョン・ケトラーが暴徒に殺されると夏衍の「賽金花」ではここに彼女を登場させる。「激昂する公使夫人を独語で慰めた」と。さらに8か国連合軍が北京に入城すると「旧知のワルデルゼー司令官を訪ねて報復しないように頼んだ。
 同司令官も説得に応えて北京市内に秩序を回復させ、同時に連合国将兵に報復や略奪を行わないように厳に戒めた」と。北京大教授の劉半農も「賽金花本事」で「彼女は西太后より立派」と称賛する。かくて纏足の売笑婦が北京を救ったヒロインになりあがった。
 そうまで加工しないと習氏が望む国民的ヒ^ロが出来上がらない。可哀想な国柄にも見える。
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oka-akina · 9 months
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0806
夢の中でわたしは猛烈に怒っていて、金を返せ、ふざけるなと強く抗議していた。何のお金だか、どうしてそうなったんだか、目が覚めたらさっぱりわからなくなってしまったんだけど、すごく怒っていたという余韻があった。相手は誰だったろう。わからない。二人くらいいた気がする。起きたら喉がカラカラで、すごく疲れていた。 夢の中のわたしはよく舌がまわって、かなり興奮していた。同時に、内心では冷めてもいた。こんなに怒鳴ることってそうそうないな、こういうこともあるもんだなと自分で自分に驚き、語彙や声色に感心していた。わたしってこういうことをこういうふうに言えるんだなあとびっくりしていた。 どうやらわたしは戦略的に怒りを選び取って表現していた。検討した結果実行している怒声だった。そのことに可笑しみと多少のおそろしさを感じ、そうしてやはり痛快さのようなものはあったので、心の中でちょっと反省していた。夢の中の心の中。 怒りの最中にはそうでない自分がいる。というか、内心で自分の言動につっこみを入れたり、状況を俯瞰しているつもりだったりの心理も込みで、興奮状態というものなんだろう。わたしはふだんもっとぼーっとしている。怒っているときの自分はいつもより冴えている感があり…いや冴えているようなつもりになっているだけかも。怒りによって脳がフル稼働している感。まあこれは夢の中の怒りの話なんだけど。
もう十何年前のことだけど、演劇絡みのイベントで、やると約束していたことをやってもらえずドタンバになってすっぽかされたことがあった。当初かなり壮大な物言いをしていたのでまじかよと思ったし、お金や時間や人手の面でそれなりに協力していたのでがっくりきたが、後日謝られ、おれのことは殴っていいと言われた。 それなりに長い付き合いの知り合いだったから、言われたとおり殴って許そうと思った。二つ年上の男性。他人を殴るって初めてだったかもしれない。相手はすまなさそうに、でもち��っと半笑いで、わたしに頬を差し出した。その場にはほかに三人くらいいた。 わたしは平手でぱしーんとやるつもりだったがグーで殴っていた。平手とグーパンでは振りかぶるときの動作がちがう。わたしはどの段階でグーに変えたのだろう。半笑いの表情に嗜虐心を刺激されたのだろうか。ごつっという感触があり、でも音としてはぺちんと鳴った。だからそんなに強くは殴らなかったのだと思う。ただその次の瞬間、わたしはごく自然に足も出ていて、本当にそんなつもりはぜんぜんなかったのに相手の脛を蹴り飛ばしていた。こっちのほうが強い力になったようで、そしてまさか蹴られるとは思っていなかったのだろう、相手はギャッと声を上げ、地べたに手をついた。 殴るだけじゃ気が済まないから蹴ってやろうと思ったわけではなかった。殴ってみたら自然に蹴ってもいた。拳の感触だけでは物足りなさがあり、流れるように蹴っ飛ばしていた…? わからない。わからないが、殴る→蹴るを体の動くまま、自分の体がよどみなくやった、やれたということに快感があった。 周りにいた人たちは驚き、でも笑った。もしかしたらかなりぎょっとしたのかもしれないけどその場は笑いになった。わたしは興奮していたのだろうか。殴ったことにより興奮し、体が動いてしまった? 相手が手をつかなかったらさらにもう一発やっていた? そもそもこの件でわたしは大して怒っていなかった。でかい口をたたくやつほど行動がともなわないものだから、すっぽかされたときは「やっぱね〜」って感じだった。わたしの友人のほうがものすごく腹を立てていたし悲しんでいた。わたしよりもっと具体的な迷惑を被り、けっこう泣いていた。その仇をとってやろうというわけではなかったが、まあ間に入るならわたしなんだろうなという感じがそのときその集団にはあった。歳下のあっちゃん(わたしのこと)がいっぱつ殴ることで一区切りつけましょうやという。 で、それからどうなったんだっけ…。それなりにインパクトのあるできごとだった気もするのにいまでは夢の中みたいに遠い。というか、そこそこ親しいつきあいではあったにせよ殴る蹴るで始末をつけるって、ろくでもねえな。なんて暴力的なコミュニティだったのだろう。この日記を読んでくださっている方はドン引きしているだろうか。 いちおう言い添えておくなら、言葉でやったら泥沼になるたぐいの話ではあった。もし話し合いで始末をつけようとするなら相手の人格に言及することになり、それは双方ダメージを受け、後を引く。物理的にひっぱたいて落としどころとするのは、まあ一つの方法ではあった。ろくでもないのはまあそうだと思うけど。
8/7からZINEのフェアがあり、本を並べに行った。それぞれ手書きのPOPをつけたんだけど写真を撮り忘れて帰ってきてしまった。6月の日記に書いたいろいろの件があり、ちょっとまだ平常運転ではないのかも。店で作業をしているとき、今朝見た夢のような、へんなたかぶりのようなものがあった。 気持ちがどうにも落ち着かなくて、なんかこまごましたものを買ったら少しは楽しくなるかも?と思って雑貨屋に寄り道した。コーヒーゼリーの素と蛍光ピンクの糸と石鹸を吊るしておけるネットとタイ製の洗濯ばさみみたいなクリップを買った。ぜんぶで900円くらい。夕飯は作らず、夫と待ちあわせてラーメンを食べた。
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poetohno · 2 months
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黄金律 6 おまけトーク(じっくりと考えて、受け取って、そして悩んでいる)
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「銀河の歌声」
崖から小石が転がり落ちる 疎らな音を立てて谷底に消える 高みに行けば行くほど意識は蕩けそうになる
息が切れる 心臓が痛い 山の高みを目指している
どれだけ上れば 待ち続ければ 訪れるのか 頂きに手をかける時は 選んだ運命の導火線
未来に設置した時限爆弾は意識の危機をきっかけに目覚めるだろう 硫黄のような味わい
ぐつぐつと煮え滾った強欲も冷えて固まってくる
過去の古傷が生み出した流れは 堰き止められる 既に肥やしにしてきた強欲は粉々に打ち砕かれた
敵意を向けるだろう 自由への弾圧のように 祈りは儚いからこそ蹴散らそうと画策している
内なる声が聞こえるか 子どもにも似た歌声が
聞こえないのなら 時が来ていないだけ
栄光の朝には遠い 世界の天と地を覆すだろう
光と闇は流転し雪崩のように崩れ落ちる 自らの均衡を保ってきた両極の地は他ならない強欲によって支えられていた
欲望の風を受け止める帆が裂け 船は転覆しそうになる 新しい流れに身を委ねる風を知る
地球の意志のよう 運命の手による修正であり 密かな魂の壮大な計画の一部
歌声は星に反響して心臓に流れ来る
大地を駆け抜け地平の果てへと響く
天の彼方も地の果ても行き着く先は同じ 誰もが教え 諭し 導くことのできなかった導を 知るだろう
――地球 修正された 帆の裂け目 密かに… 分かる時が来る 空っぽの部屋の 王座 溺れる水を飲み乾す 生まれながらに受け継がれる 支配する気はない
地球の軌道のように人智を越えた筋書き 言葉 概念 感情 以上の何か
生まれながらに受け継がれた聖なる歌声
永遠を頂によって知るだろう
永遠であるが故に一瞬で終わる
朝陽に消えゆく星の歌声
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renachtara0313-blog · 4 months
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2024年の抱負(やりたいこと)
既に新年始まって9日なので今更感はある。…が、ネットで文字を書いて形に残すと自分に言い聞かせる効果があると実感している。だからまとめることにした。
転職活動は続ける。後1社くらいは内定取ってみたい。蹴るかもしれないけど。
→自分の人生で勝つ経験が欲しい。社内政治のプロになることは自分の満足とはズレている。現職という狭い箱の中で認められること、それで自分は満足か?と自問自答してしまう。30代は挑戦ができる最初の機会だし、もしかすると最後の機会かもしれない。その機会を何もやらずにドブに捨てたりせず、「私、ちゃんと生きていたな」と振り返って納得できるような経験をしたい。だから、転職活動を続けることにした。既に書類選考で1社落ちているので、このままでは終われないといった気持ちが大きい事もあるけど。1−3月にやって、ここまでで決着つかなければ現職の都合上、次にトライできるのは8月中旬からだ。向こう3ヶ月一旦頑張って、後は3ヶ月の状況を振り返った上で決めたい。
真面目に勉強する。候補は簿記、プログラミング、ドイツ語と中国語。
→現職で成果出せていることを言い訳に、ダラダラと7年(今年で8年)会社で過ごし続けていた気がする。成果が出ているように見えても、後輩がつかずマネジメント経験はないし、部署異動すら経験していないので実務経験が本当に広がったのかと言えば謎だった。書類選考で落ちた会社は会計や経理関連の経歴/スペックが欲しかったらしい。
なので、いい加減簿記の勉強を真面目に続けようと思う。会社で経験できなければ、自分でさっさと身に着けなければ。
加えて、プログラミングは自分の興味分野だが、興味で終わるばかりでは意味がない。自分も会社で必要な簡単そうな効率化システムとか内製化/デザインできるようにならないと、他人と差がつかない気がする。調べたところ、Paizaなどお手軽にプログラミングの学習素材を提供しているページをいくつか確認できた。何でもいいから手を付けようと思う。自分の現職と関わりが深いものはHTML/CSS(ホームページ担当、大体業者に委託しているが)、うまく活かせば製造現場に役に立ちそうなものはPython、一番とっつきやすいのはJavaらしいと聞いている。この辺りを少しずつ触っていこうかと思う。
最後に語学。ドイツ語は高校で専攻だったけど高校時代はうつ状態?ともかくメンタル不良との戦いだったので、断片的くらいにしか残っていないと思う。その不完全さを、成人になった今だとしても、一生かけて埋めていかないとなと思う。(そうでもしないと、昔の自分の日々がトラウマとして延々と襲いかかってくる気がする)一方で中国語、特に台湾華語を学びたい気持ちが強い。台湾に詳しい人の話を聞くと、他の国以上に治安・国内の人々の性格面で住みやすい環境であるらしい。台湾の人と社会的に関わっていける力を持てば、生きる場所といった選択肢を広げられるのではと思う。ドイツ語に比べて単純に学べる機会は幅広いと思うので、ここは自分に頑張って鞭を打ちたいところ。
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(台湾観光をまともにできなかったという悔しさもある(家族全員体調崩し+思った以上に英語も日本語も通じない+乗り継ぎ待機時間が非常に微妙だった+夏は厳しい、逆に年末年始休暇の際は台湾一周が候補になる可能性あり)。中国語学習のモチベを復活させるには、このことを思い出さんとな。)
見出しに書いていなかったが、そろそろ運転免許も真摯に取得を考えないと親がキツそうである。後は、公共交通機関インフラが脆弱(申し訳ない言い方だが)な地域に住んでいる友達には、自分が車を運転して会いに行けるといいな、という将来の野望もあるので…。
趣味を増やす
→流石に「上手に生きること」を考えると、やはりアニメとゲーム好きのままでは趣味活動が厳しい。アニメとゲームを消費するための脳は、上手く生きることに繋がってこない。自分でも悲しいし心にぽっかりと穴が空いた気持ちになるが、ポケモンと刀剣乱舞も満足に追えないかもしれない。どちらも日本各地に根ざした取り組みが活発なので、旅行のついでに追いかけることは引き続き問題ない。が、今後ゲームをどれだけ消化できるかは不透明だ。刀剣乱舞はちょうど良く昨年に一番好きな刀剣男士がレベルMAXになっている。ポケモンだけが悲しいことになってしまった…がしょうがないんだ…。
旅行はお金も時間も飛んでいくが、両親も私も好きだし他の人との雑談のネタになるので何やかんや続けていくだろう。それ以外に何をするかだ。いろんな本を読むという読書趣味はあるが、それ以外にも欲しい。料理は必須になった時に、ライフであり趣味と同化してきそうな気がする。(既に最近、声優の木村良平さんの料理放送や、ゆるキャン△の外飯レシピをじっくり見てはいるが…)なので他のもので探してみた。
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(京都 東寺の川を泳ぐ野鳥)
野鳥観察。観るだけなら旅行しながらでもできるか。というか名古屋市だと、たくさんの鳥を見るためには港付近の小さな干潟公園に行くしかないような…これまでに撮ったことのある鳥さんをスケッチで描き起こしてみることも、一興ではあるかと思う。
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(相当どうでもいいが、最近は地図を自分で手描きすることが何となく楽しかったりする)
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(静岡 島田のふじのくに茶の都ミュージアム)
茶道。持ち家ではないし、そもそもの人脈上誰かを誘うこともないか…。教室に行ってじっくり学ぶ必要があり、お茶会を開けそうな環境(小道具や服装含め)がないとキツそう。ただし、茶道の知識があると、江戸時代の大名さんが持っていた茶道具の価値や、博物館の展示物コレクションへの理解が深まる。教養として学ぶことに意義があると感じた。
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(埼玉 鉄道博物館で眺めた新幹線「とき」)
東京に何度か行き来すると、鉄道/電車に愛着が湧く。しかし、鉄道も動かす仕組みや歴史を学ぶこと以外だと、基本乗り鉄マニアとして旅行の延長線になりそう。いつか青春18切符で名古屋からできる範囲で効果的に旅をする、といった目標なら考えられるか。
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(埼玉 大宮盆栽美術館。木の幹が龍の形に整えられた、最も私の印象に残った五葉松)
盆栽はとても良い趣味だとフィーリングで思ったが、調べてみた結果、植物を育てることも愛玩動物の世話をすることと同じレベルの手間や丁寧さ、こまめさが必要と分かってしまった。関心事が変わりやすかったり、ふらふら遠出したくなる自分には向かなそうである。ただ、茶道と同じく、知識を身につけることで見れるものが多くなると感じた。何気なさそうな造形から、手入れした人のイメージした世界観や風景を想像する楽しみがある点は、日本刀の観賞に似ている気がする。後植物に愛着が湧く。
ま、まああまり変わらないな。ドローン操縦も気になるが、ライセンスも必要になりそうだし、関係法令をきちんと学ぶハードルもある。何よりどんな教室に通えば学べるのだろう…。
最後の候補は藤井聡太さんで話題になっている、将棋を覚えてみるか....(?!)。
旅行経験や何かしら思い出のある県に関する、話題をまとめたブログ記事(※Wordpress)を書く
→日本国内だと47都道府県の話になるが、実際は日本以外の国も含めて記事化することを想定している。
きっかけは、スマホの旅行写真をなかなか破棄できずに困っていること。また、外付けHDDを既に所持しているは良いものの、HDDにバックアップしたところできっとその存在を忘れるだろうと思っているから。忘れないようにするためには、自分が作ったネットの媒体に写真とテキストを残すことが一番かと思う。手間もあっての記憶だろうか。加えて、プログラミングは自分で触って形にしないと身につかないだろう。HTML/CSS知識習得の手段としても、Wordpressは何とか記事作成と運営を続けるべきだ。地域の思い出に関するネタなら、無難な話を書くことができるだろう。読書感想文を投稿しても良いだろうけど。
ぐだぐだ述べてしまった。これ以外にも増えるし変更するかもしれない。いずれにせよ、自分を出し惜しみせず、後悔のない1年を過ごせるようにしよう。
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chiyoha1488 · 4 months
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FFCC、確かにオフラインで一画面を共有する当時とはまた違ったプレイ体験になってるけど、ケージ持つ方が主導権握って探索したり、合体魔法ムズくなってるからゲームバランスが歯応えあるものになってたり、魔石蹴って意思表示したり、これはこれで違った面白さが見えてくる、よく考えられていると関心する
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hokuto-yuasa-journal · 6 months
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20231021
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少し遅れて夏服を仕舞った。
明日の朝は冷え込むと言う。
今年の夏はコロナ開けの影響か3ヶ月ぐらい忙しい時期が続いた。正直あんまり記憶がないんだな。10月頭ぐらいから心身共に疲れが出て月の裏側で暮らすみたいにひっそりやり過ごした。
それでも9月には伊豆の天城山に登り温泉に入って伊豆半島を車で一周。先日は8年ぶりに都心に出かけて東京都現代美術館でホックニー展を見た。スカイツリーを初めて近くからちゃんと見た気がする。
中央線から見える家々や地下鉄の構内に吹く茶色い風、車内アナウンス、交わることのない見知らぬ人たち。東京。私が根を下ろせなかった街。
時は流れたんだなと思った。
そんで秩父の武甲山に登った。
下りで急に目がブリジット・ライリーの絵みたいにチカチカし始め偏頭痛の発作一歩手前のような状態になって超焦ったが夕方から旧友のお母さんのお通夜があったのでカロナール飲んで気合いで秩父から帰った。
10代から20代の頃可愛がってもらいとてもお世話になったがその友人といつしか疎遠となりおばちゃんとも10年は会っていなかったと思う。
今まで確かに存在していてきっと明日もいるだろうと思っていた人がある時を境にこの世界からいなくなる。
この世に生まれ落ちて生きて死ぬことについて歳を取れば何かしら分かるもんだと思っていたが、結局輪を掛けて分からなくなっていく。
四十にして惑わずとは言うものの。
あとは最近なんかあったかね。
少し太った気がするのでランニングを再開した。
来月人間ドックを予約した。
そんぐらい。
球蹴り
そういえば最近サッカーばっかり見とる気がする。
遠藤選手のリバプール移籍でプレミアリーグ見るためにU-NEXTに登録した。でも結局一番楽しみなのはラ・リーガのレアル・ソシエダの試合、久保選手。親戚たらい回しにされるみたいな不遇のレンタル時代を見てきたので昨シーズン後半からの快進撃は非常に感慨深い。
暗黒時代だと思ってた第二次森保ジャパン。つよい。
5年も見てるとなんだかんだ愛着が出てきてもうポイチが監督でいいような。兎にも角にも運がある。
映画
海よりもまだ深く、海街diary、草の響き、cure、distance、12モンキーズ、LEON完全版、マトリックス・レザレクションズ、ヒメアノール、遊星からの物体X、ガガーリン
「火の鳥」に比肩すると言われたあの立原あゆみの大著「本気!」(マジ!)のように「蛇足!」と書いて「LEON完全版!」と読むぐらいに追加された部分に謎を感じる。
これは父性なの?女児愛してんの?と揺れ動く心を想像させる余白が肝だとてっきり思ってたんだが、なんつうか性癖一切隠す気無いんだなと思って単純に気色悪かった。
マトリックス・レザレクションズも謎だったなあ。
本編に挿入される過去作の映像の若い頃のキャリー=アン・モスが綺麗だった。キアヌ・リーブスも若かった。なんか泣けた。
誰も彼もが歳を取る。
監督のウィシャウスキー兄弟が気づいたら姉妹に変わってるくらい諸行は無常。
読書録
「熊を夢見る、中沢新一」「ユング名言集、フランツ・アルト編」「地上に星座をつくる、石川直樹」
毎度のことだが9月過ぎると早い。次ハッと気づいたら年の瀬とか全然ありうる。今年は早めに大掃除するぞい。
どっか旅行に行きたいと思い続けているが考えてた季節と少しずれてしまったのでのんびり計画を考えている。
どっか寂びれた辺鄙な島とか行きたい。
隙あらば世界大戦前夜みたいな空気出してくるけど何なのと思う。
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patsatshit · 7 months
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「ずいぶん鮮明だった夢でも九年も経つと細部の不確かさが現実と変わらなくなるのを避けられない。明治通りを雑司ヶ谷の方から北へ池袋に向かって歩いていると、西武百貨店の手前にある「ビックリガードの五叉路」と呼ばれているところで、私は一週間前に死んだ篠島が歩いていた」。
これは保坂和志の長編小説『未明の闘争』の冒頭箇所からの引用で、この立ち上がり箇所に躓いたが最後、本書は永遠に読み終えることができなくなる。
(装丁の赤はまさに血の色よろしく!といった感じ)
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私は一週間前に死んだ篠島が歩いていた、こんな気色の悪い日本語はついぞ聞いたことがない。助詞の使い方がおかしい、変だ、と追求することは容易いが、では正しい助詞の使い方とはどのようなもので、実際その正しさなるものは、この保坂の文章に対して有効にあてがうことが果たして本当に可能なのか?助詞がどうのこうのいう以前に、このセンテンスにはいくつもの時間軸が折り重なり、しかもぐちゃぐちゃに崩されたジェンガのようにとりとめのない様相で横たわっている。言ってしまえばガルシア・マルケスの『百年の孤独』のラストシーンが丸ごとすっぽりこの一行に内包されていると言っても過言ではない。「私は歩いていた」「一週間前に死んだ篠島」「私は死んだ」「篠島が歩いていた」このように文章を細切れに分断したところで何も解決しないし、ただひたすらに「一週間」という残酷とも形容できそうな時間の堆積だけが読者の肩に重くのしかかる。ゆえに僕は本書が刊行された2013年以降、10年の月日が経過したいまもこの先の展開をまったく知らない。読み進めようとも思わない。それはそれでかまわない、何ら問題がないと思っているのは極端に偏った僕の考えなので、読書家の方々からバチボコに非難されても「ごめんなさい、阿呆なんです」としか言いようがないし、最初から反論する気もない。本書に限らず保坂の長編小説を最後まで読み通せた記憶がそもそもない。もちろん保坂の作品はリリースされたら必ず購入し、夢中になってページをめくる。しかし『カンバセイション・ピース』も『朝露通信』も内容をまったく覚えていない。言うまでもなく途中で放り投げたからだ。例外的にデビュー作の『プレーンソング』だけは再読を繰り返し、その都度、読了している。保坂はどの作品に於いても女性を性的な視点から舐めるように観察し、男たちの「ちんちんがあるがゆえの」どうしようもなさを滑稽に書き連ね、猫や風景を偏執狂的とも言える筆づかいで精緻に描写する。これはデビュー作から一貫していることで、あえてイジワルな言い方をすれば、書きたいことは「それしかない」ということになる。一般的に難解と思われがちな保坂の文章自体は、決して読みにくい訳ではない。むしろどちらかと言えば取っ付きやすく、何も考えずにスラスラ読める。ところが至るところに『未明の闘争』の冒頭部のような躓きの石が無造作に設置されているので、まんまとそれに蹴躓いたら、やはりどうしたって先には進めない。だから僕はこの10年間ずっと飽きることもなく《私は一週間前に死んだ篠島が歩いていた》を執拗に噛みしだき、もはやとっくに味もしないのにねぶり続けている。そして舌先に残った異物感を自分なりに抽出し、何の手がかりもないままに自らもペンを取り、小説を書く。要するに「保坂和志の著作で最も好きな作品は?」と聞かれても、僕には『未明の闘争』の冒頭部としか答えようがない。それにしてもどう考えたって保坂の文章や小説の世界観はいまのフェミニズムと相性が悪いように思うのだけれど、どうして疑いの余地もなく受け入れられているのだろう?これについては本当によくわからない。昨年、ソーコアファクトリーにて開催されたhankyovain主催のパーティー「SWEET LOUNGE」で、光栄なことにトラスムンドと並んで物販を担当した際、この日はじめて会ったトラスムンドの浜崎さんと話をしているうちに自然と保坂のことが話題に上がり「あの人、絶対に嫌なやつだよね」とか言って、ふたりで爆笑したのはここだけの話。
(2022.4.21 at SOCORE FACTORY )
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(珠玉のラブソング MIXはWDsoundよりリリース)
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そういう訳で僕にとっての保坂和志は小説家というよりも呪術師に近い存在だということ。そのカテゴリーで語るならば、言うまでもなく保坂は特級術師に該当するだろう。かつてベケットが演劇の舞台の中央に石ころを置くだけで世界を転覆させられると夢想したように、保坂の文体もまた、単独での国家転覆が可能なレベルの危うい呪力を孕んでいる。
(みんなわかるよね?)
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さて『未明の闘争』について考えると、いつも必ず聴きたくなるのがBurial - Archangelだ。クラックルノイズが降り注ぐビートのうえで執拗なまでに”Couldn't be alone”と繰り返す悲哀に満ちた都市の破片、時間の堆積、魂の逃走経路、これを未明の闘争と呼ばずに何と形容すれば良いのか……。
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hoshioka0701 · 10 months
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町民グランプリ名古屋レポ
3曲目Glowingでこへミスる?
げんがAメロ入るあたりで中断
げ「これがライブだよ〜!」
やり直そうとするもこへ上手く始められず…
気を取り直してGlowing
げ「もうコロナ終わ��たね!」
げ「5類になった途端わたくし体調崩しましたね〜」
げ「セキュリティの人も、あ、お前まだいるじゃん!」
知り合いのセキュリティさんを見つける
げ「城本クリニックのCMってめっちゃ印象残らない?」
げ「0120-807-929〜♪」
客「107!」
げ「なんて?あ、107?」
げ「あれ何拍子なの?って思って。0120-107-929城本クリニック、0120って!リズムすごいのになんであんなキャッチーなの?作った人只者じゃないなと笑」
げ「城本クリニックは名古屋?ってわけではない?」
客「全国だよ〜!」
げ(いつもの如く近藤産興を歌う)
げ「あとさ!ーーのCMわかるかな、ストロー吸ってぐるっとハート型になるやつ」それがなんだっけ…
客「げんさーん!」
客「かっこいい!」
げ「かっこいい?笑 中身は普通のおじさんだけどね。名探偵コナンみたいな感じだよ、上半身は子供、下半身は大人。だってもう、ここも(あそこを指しながら)実はこうなってるし!」背中側に回って肩上まで伸びる仕草、長すぎだろ
げ「ここからひろかずビンタ出来るくらいあるよ、大縄跳びもできるよ」縄みたいにぐるぐる回すな
げ「名古屋だからって、下品すぎる!笑」
げ「昔の曲やってたらその当時のことを思い出しちゃって。深夜に歩きながら歌詞考えてたんだけど、ひとりブツブツ呟きながら歩いてて、(実際にブツブツ言いながら歩く)不審者じゃん!笑 で、鶴舞公園で1人で歩いてたらなんかおばさんみたいなおじさんがいて…」
り「いるいる笑」
げ「いるよね!長いスカート履いて自転車漕いでるおじさんが、めっちゃこっち見てきて怖い!何?って思ってたらまた一周まわって戻ってきて、みたいな笑」
げ「6年前に上京した訳だけど、この前昔行ってたコンビニに行ったら当時の店員さんがいて!あれ、この声は…?」
げ「あと最寄りのコンビニ、ひろかずも一緒だったよね」
ひ「ローソンね」
げ「そう、ローソン。そこの店員さんが〜(忘れた)」
ひ「メガネの人?」
げ「そうそう!(その人の口調を真似しながら、)いらっしゃませ〜○○がお買い得ですよ〜ってすっごい親切な対応で」
げ「あとはベトナム人の女の人が俺のこと好きで、あっバンドとか関係なしに普通に、俺が行くとあっあっ(もじもじしながら)ってしてたり隣の人にきゃっきゃ話したりしてて」
ひ「キャピキャピしてるな笑」
げ「で、もう上京するからここに来るのも最後なのか〜とか思って、それを伝えるか伝えないかすごい迷って。結局伝えなかったんだけど…りゅーちゃんは何かそういうことある?最後に何か言ったりした?」
り「うーん、ひとこと伝えたかったなっていうのはある。昔大須2丁目の交差点に住んでて、」
げ「めっちゃ細かい情報言うね!」
り「うん笑 近くにラーメン屋があったんだけど、店主さんが怖そうな感じの人であんまり話しかけにいけなくて、俺も喋るの下手だから。でも最後のときはちょっと話せて。でもその後上京しちゃったから、何も伝えられなかったのがちょっと残念だったかな〜」
げ「未だに天気予報も名古屋を見ちゃうよね」
3人「そうそう」
げ「明日雨か〜…ってちゃうやん!みたいな」
げ「第44回!町民グランプリ!」
1人目 ジャグリング対決 /vs RYU-TA
最初名前呼んでも手を挙げなくて、
げ「いないパターンとかある?…帰った?こうへいがミスったから帰ったか?」
いました
全然出来ないりゅーちゃん、玉はすぐ落として手だけ回しながら前へのそのそ歩き続ける
2人目 アニメ声(妹の声、りゅーちゃんが兄役)
り「ただいまぁ」
妹「おかえりお兄ちゃんっ!今日もお仕事だったの?」
り「あぁ、うん、お仕事だったぁ」(下手すぎ)
なんかグダグダ続いてた
げ「ありがとうございました、普通の声も出せるの?」
女の子「あ、出せます」
げ「でも普通の声もアニメってるね」
こ「アニメってるってなんだよ」
忘れたけどどっかのタイミングで
こ「ちょ、いい?(お客さん)ちょっと下がる?」
げ「あ、そうだね。このコーナー別に面白くないからね。みなさん一歩ずつ下がろうか。このタイミングでダイブする人いたら〜〜(忘れた)」
3人目 クレヨンしんちゃんの声真似
2人同じ特技の人がいたからその2人で対決
げ「見れば〜(しんちゃんボイス)ってやつ?」
げ「ひろかずのマイクとりゅーたのマイク使ってバトルして!」
しんちゃんとしんちゃんの会話、途中で
ひ「ボー…」ボーちゃん
4人目 エアギター
げ「でもエアギターって他にも得意そうな奴いそうじゃない?誰か得意な人〜」
結局4人目ステージに立つ
げ「こうへいがエアギター得意だからやってもらおうか」
げ「みんな名前は?」
そのうち1人「てんてんです」
げ「ちんちん」
全員の名前聞いた後にこへさんに
げ「あなたは名前なんですか?」
こ「……大森だよ!」
こ「準備しようかな」
げ「お、影丸さん来る?」
こ「いや別にメイクとかはしないから!笑」
げ「ちなみに曲はこちらです」
が流れ始める
げ「あ、影丸さんはもう入り込んでる」
背を向けエアギターモードに入るこへ
りゅーちゃんも乗り気になってステージ中心に立つ
げ「4人が見えなくなっちゃうからちょっとどこうか」
りゅーちゃんハッと気付いてアンプの傍まで下がって申し訳なさそうにする(そんなに下がらなくても…笑)
こへエアギターからのフロアにダイブする
戻ってから他の4人を蹴って邪魔する、女の子も蹴っていた(優しくね)
げ「女も蹴る!」
げ「女に蹴り返される!」実況するげん
曲終わって、女の子にはちょんちょんって肩叩いて謝るこへ
げ「じゃあグランプリをみんなに決めてもらおうか!拍手でお願いします」
👏👏👏
げ「う〜ん…○○かな!(名前忘れました)」
フォーリミたちに王冠とマントを着せられトロフィーを受け取る(その姿が似合いすぎていた)
げ「え、今日これで来た?笑」
記念撮影
げ「見れば〜?(しんちゃんボイス)」
り「見れば〜?(しんちゃんボイス?)」
げ「ただのデブやん」
ひ「ぼー(ボーちゃんボイス)」
げ「…グーフィー?」
ひ「ウホッ」グーフィーの真似
げ「上手いんだよな笑」
げ「りゅーちゃんは何かモノマネできる?」
り「何かな〜…おれそういうの無いんだよな〜」
げ「YOSHIKI?」
げ「歌って」
本気で歌うりゅーちゃん
imaginary始まった直後に体調不良者
げ「あ、体調不良者?ナイス迅速な対応」
げ「AIは計算とか出来ても、〜〜は感じられない!」
アンコール前、フォーリミコールが起こる
り「アンコールありがとう!フォーリミコールも嬉しい!昨日無かったから」
客「ええ〜!」
り「昨日はね、何も無かった」
こ「流石に何も無かったことはない」
げ「何も無かったら俺ら出てこないもんね笑」
り「…嬉しかったことを伝えたかったのっ!」
言葉足らずなりゅーちゃんでした
げ「楽器弾ける人いる?」
3人ステージに上げる
げ「ひろかずなんにもやること無くない?」
リードギターの女の子、ストラップが長すぎたのでひろかずが支える
げ「あ、ギター支える係?笑」
こ「次から楽器弾く人はストラップ持参にしたら?笑」
準備
げ「どうなるのか俺も分かってない」
swim
りゅーちゃんフロアに降りてお客さんみたいに最前で見る
終わって、、
こ「女の子いちばん弾けてたよ」
げんさん3人とハイタッチ、ベースの子に
げ「お前いちばん出来そうな感じ出してたのにいちばん弾けてなかったよ!(愛のある言い方)」
げ「みんなありがとう、やる勇気がすごい」
げ「プロの本気見せちゃっていいですか?My HERO〜」さすがにグルーヴ感がすごい、好き
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hitujijp · 1 year
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よし、さっさと見限って次だ
例の霞掛かった一眼レフカメラのレンズだが、何とか自分で分解清掃出来ないか試してみた。分解に関しては概ね順調に進み、明らかに点状の汚れらしきものが蔓延ったレンズを清掃し終え、いざ組み立て直した最中、小さな部品の一つが折れた。 「あ?別に全然力とか入れてないんだけど?なめてんのか」流石に構造が繊細で惰弱過ぎるし、なぜメカニカルでこんな複雑な構造を採用しているのか意味が分からない。これではスマートフォンのカメラに駆逐されるのも頷ける訳だ。一眼レフなど使い物にならない糞だ。オレはレンズを即座に壁に叩き付け、蹴り飛ばした後、燃えないゴミの袋に叩き込んでやった。
方針変更だ。次期スマートフォンの選定を急ごう。
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t-u-e-n-3 · 2 years
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奥先生。
ふと思い出して、小学校の頃にお世話になった先生の話を書きたくなった。
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俺は良く教師に覚えられる生徒だった。成績がものすごく良いわけでも無く、小、中、高の教師に対しての畏怖も尊敬も、何の思い入れもありはしなかったけれど、俺の名前と顔を覚えてくれる先生は多かった。それは特に国語の先生だった。
勉強が好きだったわけではないけど、国語の授業で居眠りをした記憶は無い。授業で取り上げる物語のあらすじを先生が丁寧に説明してくれるのを尻目に、別な物語まで読み始めて結局テストの範囲を聞きそびれるようなことが良くあった。数学や英語の答案が赤点間際で返されてヘラヘラしていても、国語だけは80点以上じゃないと心底落ち込んでいた。
俺を国語好きにさせてくれたのは小学校の頃の担任の先生だった。180センチぐらいの細身で、少し頬が角張った、黒縁のメガネの奥に優しい眼差しを持った先生だった。名前を奥先生といった。
ある日、ちいちゃんのかげおくりという物語を先生が読み聞かせる授業があった。音読している最中、奥先生は泣いていた。しかしそれは大袈裟に涙を落としたり、喚いたりする滑稽なものではなく、音読する声を静かに振るわせていただけだったから、気づいた生徒は少ないと思うけど、些細な異変を感じで顔を上げた俺の目には、確かに大人の男性が泣いている姿が窺えた。子供ながらに感受性の強い先生なんだなと思った記憶がある。
小学四年生の頃、俺は数人の生徒に「イジメ」とも取れるような仕打ちを受けていた。それは机に体を拘束されて昆虫図鑑で頭を叩かれるようなことや、教室を移動している最中に背後からスライディングを決め込まれるなどといった、健全な男子児童であるが故の陰湿さのかけらもない、攻撃力に特化したパワープレーが���白押しだった。反撃する勇気も、力もなかった俺に奥先生は「やり返しても俺は怒らない」といつも言ってくれていた。先生が怒っても本当の解決にならないこととわかって言ってくれたんだろう。
石油ストーブがあったから冬だったと思う。俺は1人の男子児童に全力で蹴りを入れていた。俺をいじめていたうちの1人だった。休み時間で騒がしかった教室は、いつの間にか俺の言葉とも取れない嗚咽混じりの怒号だけが聞こえる空間になっていた。隣にいた奥先生は俺を止めようとする生徒を制して、「やらせてあげなさい」と言っていた。俺は気が済むまでうずくまる彼を踏み倒した。次の授業は俺と彼と先生だけが別な教室で話をして、給食の放送が流れ始めた頃に教室へと戻った。それ以来俺は誰からも攻撃の対象となることは無く、奥先生も何事もなかったように接してくれていた。
ある日の三者面談の時、母親に「息子さんはとても強くて優しい子です」と言ってくれたことを俺は忘れられない。
高校を卒業して入社した会社を、8ヶ月で退職し、地元でフラフラしていた19の頃、商店街に面したTSUTAYAで音楽雑誌の立ち読みに飽きて帰ろうとした俺の目に、奥先生に似た長身のメガネの男性が映った。両手を2人の小さな息子に握らせてエスカレーターを降りて行った。確か当時、息子が2人いると話していた記憶があったが、その時は生まれたばかりだったのかと思った。きっと俺にしてくれたように、間違ったことをちゃんと否定して、その先へ導いてくれるまっすぐな父親なのだろうと思った。次の日、俺は、俺が蹴りを入れたあの時の彼と、マクドナルドのバイトへ出勤していた。彼は今、自衛隊で勤務している。
一通りそんなことを思い出して、ちいちゃんのかげおくりを読み返してみた。戦争によって離れ離れになった家族の切ない物語なのだけど、中身よりもあの時の震えた奥先生の声が思い出されて喫茶店で泣いてしまった。恩師という言葉には少し、あの頃の残滓のような恥ずかしさがあるが、感謝する教師を挙げるなら迷わず奥先生の名前を出す。
先生。俺のことをまだ覚えていますか?
俺は今、東京にいます。
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jaguarmen99 · 1 year
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 宮城蔵王キツネ村(宮城県白石市)は4日、キツネにリュックを奪われたとする動画がツイッターに投稿されたことに関し、同村のツイッターで「問題のツイートについてですが、動画の前後の行動なども防犯カメラに残っており、当社では投稿者に対して警告及び厳しい対応を現在進めております」と報告した。  投稿者のリュックをキツネが引きずっていく動画は3月28日に撮影したとするもので、「リュックを早いスピードで引きずっていかれた。取り返そうとしたら数匹集まってきて無理だった」「ここは子供は危ないと思う」とつづられていた。この動画には、ネットユーザーから「やらせ」を疑う声や批判的な声が上がっていた。
非道…「キツネ村」物議のリュック動画 投稿者のキツネ蹴飛ばし発覚「警告及び厳しい対応を」― スポニチ Sponichi Annex 社会
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kennak · 11 months
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●北海道新ひだか町の精神科病院「石井病院」の男性准看護師が昨年夏、入院患者の女性に性的暴行を加えていた(昨年夏に下半身を触るなどの行為) ●このほか男性看護師が今年5月中旬に入院患者の男性を虐待していたことも判明。(腹や胸を複数回殴り蹴り⇒映像で記録あり) ●病院は准看護師を停職3か月の懲戒処分に ●病院は7日にも道などに報告する。
北海道の精神科病院でも虐待事例が・・・~職員が患者虐待 新ひだかの精神科病院 「事実を調査中」~ | いまいホームケアクリニック
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