おはようございます。 浜松の家|静岡県浜松市 竣工写真の撮影をお願いしたカメラマンが撮影が終わった後にクライアントに「今日は撮影のご協力ありがとうございました。近々また来ます!雑誌編集者を連れて必ず!」と。 え?そうなの?(←僕) その後いくつかの住宅雑誌などに掲載されて、独立してまだ仕事の少なかった僕にとってはとても救われた仕事となりました。 竣工:2000年 施工:キットコーポレーション 写真:車田保 設計監理:青木昌則建築研究所 #浜松の家 #リビング #青木昌則建築研究所 #マイホーム #新築一戸建て #注文住宅 #新築 #家づくり #建築家 #建築家と建てる家#建築士とつくる家 #設計事務所 #設計事務所愛知 #設計事務所岐阜 #設計事務所三重 #建築士 #建築 #設計 #住宅設計 #木の家 #シンプルモダン #無垢材 #自然素材 #丁寧な暮らし https://www.instagram.com/p/CnNiRDPSnNJ/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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こんばんは、フィールドです‼︎ ・ blueオープンハウスのお知らせです! 場所は静岡県浜松市。 ・ 今回の見学会は、お施主さまであり、 施工もしていただいた、 浜松太陽住宅さんとのコラボ開催となります‼︎ ・ 日時は、 2月25日(土)フィールド主催、2月26日(日)太陽住宅さん主催で開催。 時間は11:00〜17:00です! ・ 日にちは形式上分けましたが、 ご都合の悪い場合は26日でも対応出来ますので、ご相談下さいませ。 ・ blueは家族5人暮らしのお家☺︎ 間取りは、最近多くなってきたマイルーム形式の5LDK+屋上+ビルトインガレージ+バルコニー+吹抜+etc.を詰め込んだ驚きのプランとなっています! ・子育てしながらプライベートも保ちつつ、趣味も楽しめる素敵なお家になりました! ・ ご興味のある方は、ぜひぜひお越し下さいませ。 ・ ご予約は下記URLから↓↓↓ トップのリンクからも、ご予約いただけます! ・ https://www.field-h.net/openhouse/ ・ それでは、blueでお会いしましょう😁 ・ ・ #オープンハウス #blue #ブルー #建築模型 #模型 #家の模型 #プレゼン #平屋 #屋上のある家 #子育てハウス #サーフィン #ビルトインガレージ #白い家 #浜松 #静岡 #浜名湖 #オーダーキッチン #吹抜 #architecturemodel #maquette #architecturephotography #architecturelovers #architecturestudent #岐阜 #名古屋 #注文住宅 #家づくり #マイホーム #設計事務所名古屋 #フィールドの家 (Hamamatsu-shi, Shizuoka, Japan) https://www.instagram.com/p/Coertfqv7q1/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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【ご依頼のご紹介】 この度마이마이さま(@maimai.k_hk )からのご依頼で、手作りキムチのパッケージデザインを制作しました! シールは、韓国風のシンプルな似顔絵に伝統色や柄を合わせたデザインです🇰🇷 全体のデザインはデジタルで仕上げ、文字は古民家カフェの雰囲気に合わせて筆で手書きしています。 こちらのキムチは松山市内の カフェ&バル太陽と月(@taiyoutotuki214 ) さまにてテイクアウトできます。 キムチの製造は基本的に一人でされており、手間もかかるため在庫量は少なめです。 確実にテイクアウトされたい方は、太陽と月へご確認の上ご来店くださいませ😌 納品状況は마이마이さまのアカウントをご確認ください☺️ めちゃくちゃ甘党の私にとって、こちらのキムチは結構辛め🌶 でも辛さの後、野菜本来の甘みを感じるのが特徴かも✨ 特に辛いのが好きな方やお酒の肴にされたい方へオススメしたい一品です! ぜひお試しください〜! #キムチ #手作りキムチ #テイクアウト #마이마이の本格キムチ #カクテキ #白菜 #太陽と月 #松山 #愛媛 #三津浜 #古民家カフェ #matsuyama #ehime #mitsuhama #オトンノアトリエ #有償依頼 #パッケージデザイン #オリジナルシール #筆文字 #韓国風 https://www.instagram.com/p/ComVizYPcFF/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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浜名湖の近くに 素敵な街並みが! はじめて行きましたが 一日中過ごしたい(^^) ロケハン #ぬくもりの森 #浜松市 #浜松市ランチ #建築家 #佐々木茂良 #中世ヨーロッパ #小さな村 #おとぎの国 https://www.instagram.com/p/CnYAsy0S3MY/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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床の間に #歳神様 や鏡餅などを祀る 人数分以上の料理が並ぶ #三ヶ日みかん も忘れずに 実家のお正月でした #謹賀新年 #あけましておめでとうございます #正月 #正月飾り #実家 #田舎 #田舎の正月 #帰省 #床の間 #浜松市 #浜北区 (浜北区) https://www.instagram.com/p/Cm3u2e3PB_p/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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☆ 5月のドリドリ @dori_dori_hamamatsu 5/26 いろいろ持っていきますね! 11-16時 ハママチプラス よろしくお願いいたします。 何気に @kamome.co.free さんと御一緒するの久しぶりです😄 #Repost @kamome.co.free with @make_repost ・・・ 明日は《5月のdoridori 》へ🕊 @dori_dori_hamamatsu 5/25.26 11:00-16:00 はままちプラス@hama_machi (遠州鉄道新浜松駅下・H&M横) ▶︎かもめは2日目26(木)のみです 《 かもめのおやつ 》 お隣のブースに@budounokoeda さんが出店されます。シトロンケーキや焼き菓子・パンもあります🥐 ドリドリ一周年を迎える今回。 お花の作家さんもお迎えして会場を彩って貰えます༶𓆸 他にも7店舗ステキな作家さんたちが勢揃いします。 ゆっくりと作家さんたちとの会話を楽しんだり、 気になっていたあのアイテムをじっくり眺めたりしながら『自分の時間』を楽しんで頂けたらなと思います。 コーヒーなどのドリンク片手に、 どうぞごゆっくりお過ごしください〜☕︎ lunch timeや帰宅途中など、 ちょっとした合間時間にも、 ぜひ気軽に覗きに来て下さいね🕊 明日もよろしくどーぞー∧( 'Θ' )∧ ・ ・ 【出店者さんたち】 5/25 indeco cafe @indeco_cafe Lily's cake @lilys_cake29 amoamo basket @amoamobasket cocoya @cocoya_clothes caillou @caillou_kitoha teatrino @teatrino_mimi ロクガツ @rokugatsu_acc as needle works @as_needle_works 26日 a look on books @alookonbooks54hut かもめの珈琲屋さん @kamome.co.free ぶどうの小枝 @budounokoeda Rhana. @rhana_hohoiro_ natsuglass @natsuglass caillou @caillou_kitoha teatrino @teatrino_mimi ロクガツ @rokugatsu_acc as needle works @as_needle_works ・ ・ #ドリドリ #5月のドリドリ #浜松イベント #はままちプラス #かもめの珈琲屋さん #かもめ#コーヒー #coffeeroaster #doridori #作家#浜松 #浜松コーヒー #奥浜名湖がスキ #天竜浜名湖鉄道 #出没出店 https://www.instagram.com/p/Cd-25QpvwJc/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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Xユーザーの寺島みずひと@浜松:維新 衆議院静岡8区支部長さん:「浄土宗の説教師さんのお話 とある親子がお墓参りの際にした会話 子「なんで家のお仏壇でお祈りしてるのにお墓参りするの?」 親「クラウド上にいるおじいちゃんのためにもサーバーになってるお墓を定期的にメンテナンスしてあげないとアクセスできなくなるかね」 余りにも解り易い例えで目が点になった」
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たどり着かなかったおおくの未来たちへ
文フリ東京だった。
土曜日開催のイベントってなんだかんだ言いながらはじめてのような気がする……労働が土日祝休めなかったころはなんでイベントは平日にやらないんだろうと思っていたし、土日が休みだったころはイベントは土曜日にしてほしいと思っていたが、日月休みになると、イベントは日曜日がいいなと思ってしまう。日月は宿泊料金がやすい。
そんな自分本位な「この日がいいな」をわたしはいくつも持っている。
文フリ東京は、土曜日の朝に出発した。車内販売がなくなってしまって、でもまあ新幹線のホームとか購買にシンカンセンスゴイカタイアイス(シンカンセンモウカタクナイアイスだという噂だが)が売っているらしいから、それを食べようと思っていたが、朝、名古屋駅で見つけることはできなかった。
しょんぼりしながら新幹線に乗る。新幹線の中ではほとんど寝ていた。
東京駅・浜松町・流通センター。いつもの乗り換えで会場に向かう。来年の12月の文フリはビッグサイトでやるらしいから、この行程で向かうのはあと一回。
会場前に八束さんのスペースで不穏なフライヤーをもらう予定だったのでもらいに行ったら、八束さんがさいたま文学館で開催中の『澁澤龍彦の文学世界』のフライヤーも一緒にくれた。
ので、スペースが出入り口の真ん前だったこともあって、これはたくさんのひとに見てもらえるんじゃないか…!ということで、出口に向けて配置した。完璧である。
そんな素敵な設営をして、開場。
遠方からきてくれたフォロワーさんに展示のフライヤーを見せ澁澤龍彦の話をし、「若い頃にわたしも全集読みました!」と言ってもらうなどしたり、痛覚の麻子さんにはえんえんと「この写真見てくださいやばくないですか?羽田に楯の会の制服を着て見送りに着た三島の帽子をかぶっておどけているときの写真でこれが二人が実際にあった最後になるんですよ……」と一生終わらないんじゃない勝手くらいの話をしつづけてしまったり、このフライヤーに気づいてくれた通行人のひと(「澁澤龍彦だ…!」という声が聞こえた)に「裏面も見てください!そしてよろしくお願いします!」とさっと差し出したり……。こんなに充実した文学フリマ東京は、2014年から参加していて初めてじゃないかと言うくらい充実していた。
惜しむらくは、澁澤龍彦のフライヤーと一緒に不穏なフライヤーを挟んでいたにもかかわらず、だれも「澁澤龍彦と棄てに行ける家父長制があるんですか?」と聞いてくれなかったこと…。澁澤龍彦と棄てに行ける家父長制は果たして存在するのか……?
とまあ、こんな感じなのだが、そろそろ皆さんも不穏なフライヤーとは?と思っているところだろうと思うので、ご紹介致しますとこういうやつです。
「父親の死体を棄てに行く」アンソロジー。家父長制を棄てに行きたい方はどうぞ2024年5月の文学フリマ東京をお待ちください。
イベントが終わってからは、八束さんとヒマラヤ鍋を食べに行った。
お店の予約時間まで過ごしていたドトールで渋沢栄一の話になり、「ああ、向こうは傍家で、本家はうちなので」と話したら「いまうちって言いました?」と聞き返される。うちです。
ヒマラヤ鍋屋さんはめちゃくちゃすてきな楽隊(?)のお誕生日パレードがあったり、びっくりするような美味しい鍋を食べられたりと大満足だった。
打ち上げを終えて、翌日のさいたま文学館に備えて埼玉に宿を取っていたので、移動をはじめたら電車がいきなり止まった!
電車の沿線で人身事故があったとのことで、近くのハブ駅みたいなところで電車を降ろされてしまう。こんなこと担ったのは初めてなのでびっくりしていると、とりあえず一時間くらいしたら電車は動くからね~とアナウンスが入り、事なきを得る。
都会ならではの体験だな…と思いながら、ホテルにたどり着いて泥のように寝た。
そしてさいたま文学館へ。
張り切って出てきたら開館まえについてしまった…。図録を買って、老人クラブの展示があったので見せてもらったりして(ヤツガシラの俳句があってとてもよかった)、10時になる。
貸し切り状態……。
展示は、埼玉と澁澤の関係から始まっていて、浦和高校時代の写真(浦和高校同窓会が出しているものだった)があるのがとてもよかった。
限定本も展示がたくさんあり、原稿も、文学館が所蔵しているものが4、5点。
サド裁判のときに澁澤が三島に書き送った手紙に、争点が「わいせつか芸術かを超え、表現の自由/検閲への抵抗である」ことが書かれていることを指摘していたり、『高丘親王航海記』の原稿用紙、最初は「了」と書いてあったのを、推敲の段階で文字を自ら消したことを指摘していたり、「澁澤龍彦」という人物を表現との向き合いかたから見せているのが良いと思った。
面白かったのは三島の写真の使い方で、「血と薔薇」の「男の死」の三島の写真、あと、メインビジュアルが羽田に見送りにきた三島の帽子をかぶっておどける澁澤の写真だったからか、「楯の会の制服を着た三島由紀夫」の写真が展示してあったりした。
展示をひとしきり見た後は、図書室に今回の展示の関連本がまとめてあるとのことだったのでそれを身に。「作家のおやつ」「作家の食卓」といった本の紹介や、山﨑ナオコーラが文豪の墓参りにいく本に澁澤の項目があった。山﨑ナオコーラの澁澤へのまなざしにはわたしにもおぼえがある。よい本だった。そしてその本で、先月わたしが緑色のインコに夢中になっていた霊園に中島敦の墓があることを知った。敦、ごめんな……墓のことなんて全然知らなかったから、緑色のインコのことしか考えてなくて……。
その後は文学館併設の「けやきカフェ」で澁澤龍彦コラボメニューをたべる。黒糖と胡桃のパンケーキ。澁澤が好きだった胡桃や黒糖のお菓子をイメージしてつくられていて、とてもよかった。
思い出したのは、今よりもっと貧乏だったころ、いろんなところでやっている澁澤の展示に行けなくて悔しい思いをしたことだった。いまこうしてたどり着くことができるようになったことを、なんだかとても、自分が、自分をなんとかしているように思えた。
パンケーキを食べ終えてから、「武蔵野うどん」に挑戦することにした。「伊勢うどんとは対極にあるうどんだ」という事前情報しかなかった。
桶川駅ちかくのお店はかなり人気店のようでたくさん人が並んでいて、お店に入れたのは並び始めてから一時間後くらいだった。
つけ麺(うどんのことをつけ麺というのか?)システムで、つけ汁とうどんは別々の皿に載っている。なるほどこういうやつなのか、となにも考えずにがっと箸でつかんで汁につけてすすりはじめたはいいが、うどん、めちゃくちゃかたいんですけど?!噛みちぎれない…やばい、全部すすって口の中に入れるしかない……と思ったが、これがまたすさまじく長くて……永遠にうどんがおわらない……。
こんなに硬くて長いうどんはじめてなんですけど?!おれたちは箸で持ち上げただけでへたしたらブツッといく伊勢うどんの民なんだということを再確認し、「これは風邪を引いたときに食べるうどんではなく、体力が有り余っているときに食べるうどんだな」と確信しました。きっと武蔵野のひとたちは、風邪をひいたときにはおかゆを食べるに違いない。(伊勢志摩の人間は風邪をひいたら伊勢うどんを食べます)
二口目からは一本ずつ食べることで武蔵野うどんのおいしさを堪能し、また是非食べたい、顎の力を試したい、と思った。
武蔵野うどんを噛み砕くのに体力のほとんどを持って行かれて、疲れ果てたので、そのまま帰宅することに。
購買にシンカンセンスゴイカタイアイスを見つけたので購入し、席に着くと、隣のひともおなじシンカンセンスゴイカタイアイスを持っていた。しかもおなじチョコレート味。
べつに示し合わせてはいないがふたり一緒に食べることになってしまい、こんなに好きなひとがいるのに、もうシンカンセンスゴイカタイアイスは車内販売されないんだな……と悲しくなる。
そして、乗車15分まえに買ったし、シンカンセンモウカタクナイアイスだった。
アイスを食べ終えてからは、記憶がない。気づいたら名古屋だった。
名古屋駅で、近鉄のホームに来たら、電車を待つ人は無秩序にホームにたたずんでいて、車両のドアとか何も気にしていなかったし、電車が着いても「先に並んでいたひと」という概念がないので、運良くドアの近くにいたひとから電車に乗りこんだ。東京とかから帰る途中、この近鉄のホームの無秩序さを目の当たりにすると、まだ名古屋から三重まで帰らないと行けないのに、「帰ってきたなあ」と思うのだった。
名古屋駅から最寄り駅までも、寝ていたのでほとんど記憶がない。
帰宅したら、夕食は焼きそばだった。焼きそばの麺は、どれだけ頬張っても簡単に噛みちぎれた。武蔵野うどんは硬かった。
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【かいわいの時】天正十四年(1586)九月二十五日:山科言緒(阿茶丸)、中島天神社の流鏑馬を見物(山科言経『言経卿記』)
天満宮では、九月二十五日の秋大祭に流鏑馬式がある。伝承によると明治以前には、射手が拝殿に一七日間参籠 し、当日は飾馬に乗り、鏑矢を持ち、社殿を三度回ってから、表門の前から浜の間に立てられた三ヵ所の的を射たという(『新修大阪市史 4』)。旧暦。現在は10月25日。
大阪天満宮における流鏑馬神事の起源は定かではありませんが、豊臣秀吉の時代に天満に居住した公卿・山科言経の目撃証言(息子が見物)があります。
天神社ニ今日ヤフサメ有之、四条・阿茶丸寸見物云々、哥仙新造懸之、願主津田ト眞也云々(天正十四年九月二十五条)。東京大学史料編纂所編纂『大日本古記録 言経卿記二』より。
その後、一時途絶えたようですが、元和元年(1615)に松平忠明が大坂城主として入城後、幕命により乗馬を神事に供したことがきっかけで復活(伝)。延宝八年(1680)刊行の大坂の年中行事を案内した一無軒道冶の『難波鑑』には、馬上から矢で的を射る「天満天神の矢ふさめ」の挿画入りで解説されています。
此日天神の御神事也。則やふさめあり。是は天満天神の門の前に。茶屋あり。茶屋のあるじの式として。としこと是をつとむ。まづ七日以前より。拝殿にあらこも志きて。通夜いたし。精進潔斎して。其日にいたれバ。あたらしきなをしはかまに。袖くくりあかき鉢巻して。かさりたる馬にのり。ゆミとかふらやを。左右の手に取とり。社檀をのりめくること三度それより。逸散をかけいだし。宮の前浜手九町を三反のりかへすあいたに。六所に角のまとを立て。是を射る也。手綱もとらず。手をはなちて。弓射ゐる間。逸足かくる馬を。つゐに落さることハ。此天神の御はからひといとたふとし(「天満天神流鏑馬 同二十五日」)。『浪速叢書 第12』「難波鑑 第五」より。
しかし、江戸後期になると、様子が変わっています。享和元年(1801)、大坂の銅座に赴任した幕臣・大田南畝の『葦の若葉』には、現在と同様に馬上から半弓で的を打ち破る様子が記録されています。
九月二十五日、晴天滿天神の秋祭にて、流鏑馬の神事ありと聞て、御社にまうづる道々に矢來結ひわたせり、神主社家に知る人ある物を伴ひたれば、神社の拜殿に登る事を得たり……やゝありて肩衣袴きたる男、馬に乘て門前の西の方より出て大路を南へ濱の方迄かけおふ事、一度してかへれり、是を馬場見せといふ、やがて的板三本を大路の東の方三所へたつ、乘るへき馬を拜殿の階下に引立つ、社家の白衣きたるが垂多く持出て、厩人に渡す、口取馬の頭につく、社家拍子うちて、細に切たる紙をちらして入る、緋縮緬の小手袖きて〔金絲にて縫たる丸き紋を付〕黄なる皮の行騰に似て、短き物はきたる若き男、弦なき弓と矢を持〔初の馬場みせ乘たるものにあらず〕拝殿の幕の內より出て、神前にぬかつく、社家盃を傳ふ〔神酒なり〕ついたちて、騎射笠のこときものを着て馬に乘り、拜殿の前なる棚のもとを、東より西にめくる事、三度にして門を出づ、此時門の内人あまた立込たれば、棒持たる男先に立て、打拂〃〃行く、門を出て西の方に入て、大路を南へ濱の方まて馬を走しむ事三度なり、一度〃〃に例の的札持たるもの、大路の方三所より的差出すを、弓のはずもて打ば、的持たるもの、的を破りて引く事都合九度なり、此間神主社家ともに、拜殿の階上に座し事終りて退く、此馬にのる男は、例年山本屋といへる市人なりといふ(『葦の若葉 巻三之下』)。吉川弘文館『蜀山人全集 巻1』より。
その出で立ちは、南畝の描写とは細部で違いはありますが、芳梅の『滑稽浪花名所』で見る事ができます。
(写真)芳梅「滑稽浪花名所 天満天神」1857-58(ボストン美術館蔵)
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おはようございます。 浜松の家|静岡県浜松市 主寝室(1枚目)と奥にある書斎スペース(2枚目)。 壁は左官薄塗り仕上げ。 【クライアントの声】 Q5.家で気に入っているところはどこですか? A.2階のリビングです。 Q6.青木昌則建築研究所に依頼して良かったと思う点はどこですか? A.家を頑丈に設計していただけて安心なこと。 #浜松の家 #寝室 #書斎 #クライアントの声 #青木昌則建築研究所 #マイホーム #新築一戸建て #注文住宅 #新築 #家づくり #建築家 #建築家と建てる家#建築士とつくる家 #設計事務所 #設計事務所愛知 #設計事務所岐阜 #設計事務所三重 #建築士 #建築 #設計 #住宅設計 #木の家 #シンプルモダン #無垢材 #自然素材 #丁寧な暮らし https://www.instagram.com/p/CnK7s8ByHRP/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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A place for smiling faces
カウンター、その148
笑顔と笑顔の交歓場所 😃
サケトメシ 百春
https://tabelog.com/tokyo/A1328/A132801/13239295/
Cafe じみへん
https://tabelog.com/tokyo/A1319/A131901/13198009/
SAAWAAN BISTRO
https://tabelog.com/tokyo/A1307/A130701/13291187/
Sunny
https://tabelog.com/tokyo/A1318/A131809/13224820/
千串屋 東中野店
https://tabelog.com/tokyo/A1319/A131901/13171442/
vivo daily stand 東中野店
https://tabelog.com/tokyo/A1319/A131901/13194115/
メビウス
https://tabelog.com/tokyo/A1309/A130903/13021970/
カフェ・ベローチェ 四谷三丁目店
https://tabelog.com/tokyo/A1309/A130903/13130647/
スターバックス・コーヒー TSUTAYA 馬事公苑店(閉店)
https://tabelog.com/tokyo/A1317/A131707/13038387/
中華そば 共楽
https://tabelog.com/tokyo/A1301/A130101/13002327/
BERG
https://tabelog.com/tokyo/A1304/A130401/13004332/
ステーキガスト 岩槻インター店
https://tabelog.com/saitama/A1101/A110103/11031061/
おにぎりこんが 羽田空港国際線ターミナル店
https://tabelog.com/tokyo/A1315/A131504/13283678/
TOKYO豚骨BASE ペリエ海浜幕張店
https://tabelog.com/chiba/A1201/A120102/12032677/
山形田
https://tabelog.com/tokyo/A1301/A130101/13111033/
魚金 本店
https://tabelog.com/tokyo/A1301/A130103/13007107/
music shed YES!
ごっつい 下高井戸店
https://tabelog.com/tokyo/A1318/A131809/13042724/
松波ラーメン店
https://tabelog.com/tokyo/A1317/A131709/13090221/
ダブル エックスワイズィ バー
https://tabelog.com/tokyo/A1301/A130101/13250811/
銀座梵天
https://tabelog.com/tokyo/A1301/A130101/13126793/
つけめん 満を持して
https://tabelog.com/tokyo/A1318/A131809/13289935/
Live Performance Bar un.10
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下松市の由来となった大内氏始祖伝説をもつ降松神社 ご神紋は大内氏の家紋「大内菱」です 推古天皇の御代に青柳浦の一松の樹に大星が降り七日七夜輝いて「吾は天之御中主尊なり、今より三年ならずして、百済国の王子来朝すべし、其の擁護のために天降りし」という託宣を受けた伝説をはじめとする1700年の古社です これが降松、すなわち現在の下松市の由来です その3年後大内氏の祖先とする百済国の琳聖太子が来朝し北辰妙見社と称え創建しました 周防大内氏の全盛期は南北朝時代から室町初期の9代当主大内弘世、10代当主大内義弘親子といわれますが、そのルーツは「大内氏多々良譜牒」によると推古天皇19年(611)百済国聖明王の第三皇子である琳聖太子が周防国佐波郡多々良浜に着き、摂津国荒陸(あらはか)で聖徳太子に謁見、聖徳太子より多々良姓を賜り周防国に下向し本拠地にしたとあります これは後世になりかなり盛った伝承とされるのが概ねの見識です 大内氏の歴史を見ると貿易商人として手腕を見せるも大体毎回家督継承争いが起きますが室町中期14代当主大内正弘になって「大内氏多々良譜牒」を作成し百済王朝の琳聖太子の子孫を主張しすることで一家をまとめようとしています 多くの大名や武家は源平藤橘にある家を先祖と称することが多いですが、渡来人を祖先とする大内氏は守護大名というより貿易商人としての優位性を見ていたと思います #降松神社 𑁍𑁍𑁍𑁍𑁍 降松神社(くだまつじんじゃ) 鎮座地:山口県下松市河内1984番地 主祭神:天之御中主尊 社格:県社 𑁍𑁍𑁍𑁍𑁍 #神社#神社巡り#神社好き#神社好きな人と繋がりたい#神道#shrine#shinto#日本の風景#参拝#神社巡拝家#recotrip#神社フォトコンわたしと神社#神社と四季#御朱印#御朱印巡り#御朱印好きな人と繋がりたい#神社建築#神社仏閣#パワースポット#山口県#下松市#妙見信仰#大内文化 (妙見本宮 降松神社) https://www.instagram.com/p/CnwowqnvQEi/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和五年(2023)12月29日(金曜日)弐
通巻第8073号
浜松につぐブラジルタウンは群馬県大泉市
四月から外国人も市職員に門戸開放へ
*************************
すでに日本列島のあちこちに「中国人居住区」がある。
沖縄の離島を購入した中国人女性、国家の研究機関に巣くう学術スパイ、闇警察、栃木県小山市には「中国農場」がある。横浜中華街には中国人経営の激安八百屋、川口市にはチャイナ団地、どうなっているのか。
12月28日、群馬県大泉市(人口が4万1000人。その2割の住民は外国人)は、令和6年度から、市職員採用試験の受験資格に「日本国籍を必要とする」条項を撤廃すると発表した。
となると、いずれこの地方都市は外国人に乗っ取られる懼れはないのか?
村山俊明町長は対象を一般事務職や土木職など7職種に限定し、採用試験は面接や作文など日本語で選考するとしているが、在住のブラジル人は日系人が多いから、日本語はかなり達者である。
この地方都市はアクセスが悪い。
たとえば東京から西小泉町へは北千住から館林へ向かう。ローカル線で行くしかない。町の景観はブラジル系のキリスト教会、ブラジル料理レストラン、スーパーの食材もそれなりに、看板はポルトガル語、英語、なかにはインドネシア語、ベトナム語。。。。。。。大泉市にはスバル、パナソニック(旧三洋電気系)が生産拠点を置く。これまでもブラジル、ペルーに加え、近年はアジア系のベトナム、ネパール出身者が急増した。じつに51カ国8306人(22年末時点)の外国人が暮らす。
わが国では公権力を行使し、自治体の重要施策を決定、参画できる公務員は日本国籍が必要であり、たとえ外国人を採用しても税金の賦課・徴収などの担当や課長以上には充てないと大泉市はいっているのだが。。。
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おはようございます。
秋田県湯沢市川連は、曇り空です。
#Repost @fei.art
本日より「日本×台湾 現代漆藝交流展」が始まりました。
2018 年よりスタートした台湾作家と日本作家による漆交流展も、6回目を迎えることになりました。
漆は自然と人間を繋げ、自然の鼓動に包まれた、ゆったりとした心地よい時間を与えてくれます。
脈々と繋がる漆の歴史の中で、新世代の作家は漆作品の創造において、伝統に囚われない表現を模索しています。漆も生きている、人間も共に成長していきます。
この創造的な交流が継続し、次世代へ伝えられ、友情が育まれていくことを望みます。
今回も台湾の漆藝作家を交えた創造的な作品をご覧頂けます。漆藝の奥行きを会場にてぜひご体感下さい。
【出品作家】
日本:岩田俊彦/伊能一三/いらはらみつみ/梅津奈保子/江村忠彦/大塚智嗣/小田伊織/小林秀俊/佐藤史幸/高田光彦/ 髙宮ヨウコ/中静志帆/中島靖高/藤田薫/柗井圭太郎/松島さくら子/松田環/三好かがり/村本真吾/吉田真澄/横田千明
台湾:張森洋/王賢志/謝袖妤/歐慧宜/趙崇源/賴明淳/吳明媛 /葉曉陵/廖勝文/陳衍志/蔡彥承
--------------
展覧会名:日本×台湾 現代漆藝交流展
会 期:2023年10月3日(火)~10月19日(木)※月曜休廊
開廊時間:10:00~19:00 ※最終日は17:00まで
料 金:入場無料
会 場:FEI ART MUSEUM YOKOHAMA(フェイアートミュージアムヨコハマ)
住 所:〒221-0835神奈川県横浜市神奈川区鶴屋町3-33-2 横浜鶴屋町ビル1F
TEL:045-411-5031 FAX : 045-411-5032
共同主催:台湾漆研究会/台中市漆藝協会/FEI ART MUSEUM YOKOHAMA
URL: https://hfg-art.com
Facebook:https://www.facebook.com/feiartmuseum
Instagram:https://www.instagram.com/fei.art
Twitter:https://twitter.com/fei_yokohama
[ACCESS]
*各線「横浜駅」西口 より徒歩6分
*横浜駅西口地下街[南12番出口]より出て左
[鶴屋町3丁目交差点]前方左角
お伺いする事が出来ませんが、ご興味の有ります方は是非、ご高覧頂けましたら幸いです。
そして今日もこれから秋田市出張。
今日もアレヤコレヤと有りますが、一つ一つコツコツ頑張ります。
皆様にとって今日も、良い一日と成ります様に。
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2023/11/11
11月11日
今日が11月11日であることに日記を書いて気がついて、スーパーで特段トッポやポッキーやプリッツ(こう考えると棒状のお菓子多い)がイベント販売されていなかったことに気がつく。
ポッキーの日って浸透しているようしきっていない。
昨晩狂ったように掃除をしてしまいへとへとだったので、朝起きて余裕があったら9:30の歯医者へ行こう、くらいに思っていた。
急げば間に合う7:45に起き上がってしまい、特段急がずに支度をして家を出る。
売ってしまうつもりの赤いコートを着たけれど、それでも今日は寒かった。
15分遅刻した歯医者は30分もかからず外れた詰め物を入れ直してもらって終了。
次の予定まで時間があったので大学の図書館で久しぶりにゆっくり雑誌を読めた。まだ神保町の街は始まっておらず、でもキッチン南海とラーメン二郎には人が並んでいた。
図書館でファッション誌やインテリア誌、医療関係の雑誌をパラパラして、やっぱりインターネットで見るよりもずっと落ち着いて見れちゃうアナログ人間。
12時に浜松町で友人と待ち合わせをして文学フリマへ行く予定だった。
ここ数日忙しすぎてあまり正確に気持ちは向いていなかったけれど、とにかく友人に会って、関西に移住できる表向きな理由をさがしていることや、さっき図書館の雑誌で見つけた深澤さんの展示とインヴィトウィーン展を観に行きたい事などを話したかった。
友人を待つ間、浜松町の駅で推している北陸旅行のカニの展示を眺めていた。
文フリっぽい人はあまりいない気がした。
20分くらい経ったところでラインを確認すると“夫が池袋で倒れたのでそっちに向かうのでキャンセルさせてください”とのこと。
私も倒れそうになった。
ドタキャン、ダメ絶対!だけど今日は私が彼女に会いたさすぎていて、こんな大変な時に大切にあってもらえない奈良別に今日でなくてもいいね、と思った。
いつも旦那さんのことを“同居人”と呼ぶところを“夫”と書いてあるところに、とても緊急性を感じた。大丈夫だったんだろうか?と思いながら、突然倒れた時に私が呼ばれる相手や、突然自分が倒れた時に呼ぶ相手が、今の私にはいなくて、突然自分が倒れっぱなしにならないように気をつけている毎日です。
“お詫びさせて下さい”とメッセージにあり、何がいいかな?と年内できるだけちょっとしたお茶をしてほしい、と思った。
あと、メガネは破ります。
1人で文フリへ行く気分ではなかったので、日本橋へ取り寄せていた服を試着しに行った。髙島屋がとても空いていて心地よかったけれど、また百貨店存続の危機を感じる。
アポテーケフレグランスの金木犀のお香と、白いバラと、ビオセボンでちょっとしたスープやスパイスを買って、東京駅まで歩いて帰ってきた。
昨日tumblrを更新した時にメッセージが届いていたっけ、とおそるおそる確認。
“よろしければご参加下さい”とURLがあり、おそるおそるリンクへ飛ぶとインターネットの方々が各々の2023ベストオブイヤー(?)を語るアドベントカレンダーのイベント会場だった。
メッセージをくれた方は、たぶんIMAのコンペから私のインターネットのことを知ってくださり、ご自身のスクラップブック(?)で私のことを記述してくださっていた。
ベスト…と言えるほど2023のまとめを書ける自信はないけれど、写真を通して広がった新しいつながりの場に参加したい気持ち。
年賀状も新しい作品も、今は手がつかなくて、日記の更新をするたびに日々が更新されて、こちらも追いついていない。少なくとも丸一年は日記を続けたので2023年で辞めてみても良いかもしれない、と思っている。
今日もぶんぶんチョッパーしてレンジでカレーを作ってみた。でもトマトの煮込みみたいになってきているので、やっぱりフライパンで炒めたりした方が美味しいのかもしれない。
お部屋の温度計が20℃をきった。
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無題
年末に彼女とユリイカを観た。俺は2回目だった。2人兄妹で九州ネイティヴの彼女にも観てもらいたかった。半ば放心状態の彼女と劇場を出て、近くのはま寿司に入って、何か喋ると泣きそうだという彼女とぽつぽつ感想を話し合った。あの兄のアセスメントをどう見立てているか、と訊かれたから、自分のトラウマと折り合うために、不条理を道理にしたかったんだと思う、とこたえた。後ろのボックス席の大学生がうるさかった。彼女は静かにうなずきながら、勉強になる映画だった、といった。トラウマから立ち直っていこうとする人の姿を、三者三様で真摯に描いていたから、と。
*
正月は彼女の実家に帰って、義父の運転でユリイカのロケ地だった阿蘇の草千里と中岳の火口に連れてってもらった。美しい風景だった。冬枯れした草原が黄金色に光っていて、スクリーンで観た色に限りなく近いようだった。冬に行ってよかった。金色の野っすね、と俺がいったら、義父が、ナウシカやね、と笑った。火口付近は猛然と白煙を上げていて、到着してすぐは立ち入りが規制されていたけれど、程なく解除されて無事に見学することができた。太宰府で大吉を引いた義父のもたらした僥倖だった。スピード狂の義父は、車間を保って法定速度を順守している車たちに毒づきながら、快調に愛車を転がしていく。自損事故で長男を喪っているのに、と口にはしないまでも思う。車内には義母の好きなLDH系のアーティストの曲が終始流れていた。熊本地震の影響か、脱落して痘痕みたいになった山肌が何箇所も見えた。途中、数鹿流(すがる)崩れといって、大規模な山崩れの起きた遺構にも立ち寄った。東海大の学生が巻き込まれて……、ときいて、俺も当時の報道を思い出した。崖の途中に引っかかった路面やガードレールがそのまま遺されている。すぐ脇には再建された阿蘇大橋が架かっていて、真新しいコンクリートが光っていた。破壊と再生の風景だった、ここもまた。
*
もう1日休みがあったから、彼女とレンタカー借りて海ノ中道に行った。車内ではジム・オルークやアルバート・アイラーを流した。陽が沈む前にと急いて急いて、すぐ向こうに海の気配を感じるのにどこまでも切れず伸びている松原を恨みながら海岸沿いの道路を駆け抜けて、ようやく辿り着いた浜辺はまさしくゴールデンタイムで、ハングル文字の書かれたペットボトルや半壊した冷蔵庫が漂着していた。世界の終わりによく渚の風景が描かれるのも頷けた。ぼろぼろになった海鳥がはらわたを晒して事切れていた。晒す、という字は西日と書くんだね。写真もたくさん撮った。現像が楽しみ。良い旅だった。巡礼の旅だった。いつか義兄が亡くなった現場にも同行させてほしい、と彼女に伝えた。
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