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#抱っこ紐難民
okumaseitai · 2 years
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・ 疲れない カラダを痛めない抱っこ 寝かしつけのコツ 手首や腰痛の子育てママさんに 朗報です! 寝かしつけのコツが 科学的に証明されました。 カレントバイオロジー の研究論文です。 理化学研究所の黒田公美(脳神経科学)さんが発表しました。 寝かしつける時 ①歩いて5分 ②寝たら8分待つ ③ベッドに移しても起きない ということがわかったそうです。 コツとしては 赤ちゃんを身体に密着させ 首を支えて 急な方向転換をしないことです。 自然とやっていたかもしれません。 でも長男は嫁さんしかアカンかったな〜と思い出します。 笑笑😊 また 抱っこのコツとして 自分のおへそと赤ちゃんのおへその軸を合わせることも、疲れにくい体の使い方ですので、実践していただけたらと思います。 詳しくはブログを書き直しましたので、ご覧ください。 https://wakae-ookuma-seitai.com/kosodate/ #寝かしつけのコツ #寝かしつけ方法 #寝かしつける #寝かしつけグッズ #寝かしつけ問題 #寝かしつけのプロ #寝かしつけ絵本 #寝かしつけに苦戦 #寝かしつけ成功 #寝かしつけあるある #寝かしつけ失敗 #抱っこ紐 抱っこ #抱っこ紐コーデ #抱っこマン #抱っこはもっと楽しくなる #抱っこ紐難民 #抱っこのコツ #抱っこのコツは #抱っこのコツを掴みました #抱っこの効果 #抱っこのおねだり https://www.instagram.com/p/CiyiRSDJxqN/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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oka-akina · 2 months
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コピー本交換会レポート(でもない)①
コピー本交換会ありがとうございました! 早いもので1ヶ月経ってしまった。 2月は本棚展をやったり寄稿するアンソロの〆切×2があったり忙しく、自分主催のアンソロも動き始め、3月に入ったらJ.Gardenもありそのほか生活のもろもろもあり…ずっとドタバタしている。自主開催するイベントってほんとはもうちょっと身軽なときにやるものだったかもしれないなあとは思いつつ、身軽なときというのはなかなかやってこないので、えいやっとやってみてよかったようにも思う。 というかいちばん初めのところでは、えも個展&本棚展への集客につながったらいいなーというちょっと下心みたいな気持ちで始めたことではあったので、会期中の2月に開催したのはそういうわけでした。
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つまずく本屋ホォルの深澤さん、mibunkaの吉田さん、快く会場を貸してくださりありがとうございました。わたしの要領を得ない説明をいつも辛抱強く聞いてくださり、コピー本って何?交換ってどういうこと?というところからしっかり会話ができて、とてもうれしくありがたかったです。 わたしが「なんかもっと格好いいイベント名をつけたかったんですけど思いつかなくて…」とぶつぶつ言ったとき、「コピー本交換会ってとてもいいと思いますよ」と吉田さんが背中を押してくださりありがたかった。いろいろ準備したり当日を過ごしたりするなか、今回のイベントはそういうまんまの名前が必要だったんだなあと思い至りました。コピー本を交換するということだけ決まってて、来た人はそれぞれいろんなスタンスでいていいというか。
打ち合わせに何度かお伺いしたのですが、いつもいろんな方がにこやかに出入りしていて、本当にいい雰囲気のお店だなあと思います。お店は地域生活応援団という地域住民主体の支え合いの場、有償ボランティアさんの拠点でもあって、イベント会場に貸していただいた2階スペースはふだんコワーキングスペースにしているとのこと。近所の方が「霞ヶ関の父」っていう傾聴ボランティアをやってらして、幅広い世代の方で賑わっていていいなあと思います。
本当にとても正直な気持ちをいえば、そういう「地域」「地元の人」と密接な場所におじゃまするのはけっこうドキドキします。わたしは自分の作品にセクシャルマイノリティのことをたくさん書くので、生身の人間が顔を突き合わせる場、住所や容姿や年齢やもろもろ属性と紐付きやすい場に作品を持っていくのはとても緊張する。いま家からかなり近いところで貸本棚をやっているけど本当におそるおそるという感じで、もちろん悪いことをしているわけではないしうしろめたい表現というわけではないんだけど…「地縁」的なものになんとか馴染もうとするときに切り捨てられがちなものが気にかかる(そういうものを小説にしている面がある)。 ホォルさんはいま住んでいる場所からは離れているんですが実家の近くではあるので、イベントを開催したり自分の作品を並べたりするのはいろいろ感慨深いものがありました。怖さ、照れ、恥ずかしさ、でもここで自分がこういうことをできるようになったんだなーという喜び。また少部数のコピー本だったりzineだったりは書いた人のパーソナルな部分が出やすいものではあるから、自分含む参加者がリラックスして話せることを大事にしたかった。セーファーな場づくりをしたかった。
深澤さん吉田さんがわたしのそういった葛藤や、zineにまつわるデリケートさをみたいなものを汲んでくださりつつ、本当に快く場を開いてくださりとてもとてもうれしくありがたかったです。イベントが明るくオープンな場になったのはホォルさんmibunkaさんの常日頃からのお店づくりによるものが大きいと思います。ホォルさんの選書にもそういった姿勢があらわれていて、大らかで気骨のある場所だなあと感嘆します。
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なんかこのレポートすごく長くなりそうなので何回かに分けようかな。ひとまず今回は余談のような話をしておしまいにします(もはやレポートでもないんだけど、ちゃんと書こうとするとえっらい時間がかかりそうなので、ともかく考えたことを垂れ流しにしているような感じ…)。
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ホォルさんのある角栄商店街の通りに合鍵と靴修理のお店があって、そこで5円コピーというのをやってたんだよね。白黒と単色カラーが5円で、色紙(色上質紙)に刷ると6円だったかな。中学生のころ友だちとそこに行ってペーパーを刷ってたの。 ペーパーっていってもべつに何か宣伝するとかでもなくて、なんかこう…各自が好きな漫画とか音楽とか身の回りのこととか、いろいろおしゃべりみたいなのを書いた手書きの紙。30枚とか40枚とか刷って、学校の友だち同士で交換したり、同人誌のイベントのフリーペーパーコーナーに置いてみたり、好きなバンドのライブとかファン同士の交流会?みたいな場で名刺と一緒に交換したり、郵便で知らない人と交換したり…。 こないだ実家を掃除したらそういうのが出てきて、GLAYのJIROのラジオで紹介されてたスマッシング・パンプキンズのAdoreってアルバムがよかったとか、恋する惑星を観たから香港に行ってみたいとか、そんなようなことを書いていた。いまとあんま変わんないかもしれない。 同じ頃、部活の後輩から毎日手紙をもらっていて、ルーズリーフやコピー用紙にぎっしり書かれた手紙だった。夜に書いたのを朝にくれて、授業中に書いたのを昼か夕方にくれて、1日2通の手紙。わたしの返事は5回に1回返すかどうかって感じだったんだけど、毎日まめに手渡してくれて、なんか話したいことがあったんだろう。わたしにそういう高頻度で手紙をくれる子はほかにも4人くらいいて、毎日たくさん読んでいた。どの子の手紙も深刻な話はあんまりなくて、だいたいは日記というか雑談というか。 あとその頃よく行っていたCD屋で店員さんが新譜紹介のフリーペーパーを自主的に作っていて、これまた手書きの手作り感あふれる感じの紙だった。新譜紹介といいつつ「これぜんぜん好きじゃない」とか「もうこれで解散してもいいくらい最高」とか思いっきり主観で、余白にはどこそこに行ったとか何を食べたとかの雑談も書いてあって…。
わたしはふだん同人誌やzineを作って文フリなどのイベントや書店で販売してるんだけど、今回のコピー本交換会は、こういうペーパーや手紙が頭にあった。売り買いとはちょっとちがうやりかた、むかし作っていたペーパーみたいなことってできるのかな。これは去年6月に参加した陰気なクィアパーティーでzineの交換会をやってすごくいいなと思ったのもあったし、以前umeさんからいただいた交換がテーマのzine(umeさんは本の交換所をやっている)を読んで考えたことでもあった。売ったり買ったりではないことをしてみたらどうなるだろう。売ったり買ったりできないものを作るってどんなだったっけ。
金銭のやりとりの方がコミュニケーション自体はラクだろうか。交換だと人対人になりやすいから結局のところコミュニケーションが達者かどうかになっちゃうんだろうか。買う(読む)側としては匿名でいたい気持ちはすごくある…なら金銭を介したやりとりであるべきか。いや売り買いであっても、規模の小さいイベントだと人対人のコミュニケーションになりやすい。11月に出店者10組だけのzineイベントに出て、「あなたは誰?」「この本は何?」という会話になりやすかった。場が親密になればなるほどそうで、それ自体はとても豊かな時間なんだけど、属性と作品がまっすぐ結ばれるのってちょっと危うさはあるなと思った。そして作り手側もそういうプレゼン?にあっというまに慣れちゃって、自己プロデュースのうまさみたいなことになりがちなのも気にかかる。属性、作品、宣伝、SNS、ビジュアル、会話…そういうものがしっかり噛み合い、「わたしは◯◯で、△△な作品を作っています」がいつも首尾一貫している。一言で説明できる。なんかわかりやすすぎないか。整いすぎてないか。自らと作品をじょうずに寄せにいっちゃってるけど齟齬があってもよくないか。あと買う側の人も自身のことをけっこう開示してくれて、わたしとしては会話ができるのすごくうれしかったけど、無理に話させてないかとちょっと心配にはなった。べつにあなたが何者であっても(なくても)わたしの小説を手に取ってくれるのはうれしい。でもそれだけではいられない、何か話さなきゃって圧が場に生じてるんだとしたら、けっこうきついことかもしれない…とか(ところで陰気なクィアパーティーはそういうのがなくてすごく居心地よかった。会のはじめにセーファースペースポリシーを読み上げてくださって、場にいた人がおたがい了解していたのもあったし、たぶんそのあたりに関心の強い人が多く参加していたのもあったと思う。すごいことだなあと感嘆したしほっとした)。
あるいは売り買いの宣伝の話。文フリとかzineフェスとか書店さんとかで小説を売るとき、多くの人に見つけてもらえるよう宣伝をするわけだけど、なんというかまあけっこう大変だし疲労はある。たとえばアンソロジーだと、コンセプトの強さだったり、フックの効いた言葉やビジュアルだったり、作品や作家の紹介を丁寧にやったり、メンバーの豪華さをアピールしたり…いろいろあるわけだけど、ちょっとちがうことをしたくなった。これはそういうのがよくないという話ではなくて、ちがうベクトルのことをしてみたらなんかいいことあるかもなあくらいのぼんやりした予感。 文芸作品、とくに小説は、読むのにそれなりの負荷がかかると思う。作品の難解さとはまた別のところで気持ちや時間のコストが大きく、「なかなか読めない」という話を作家同士でさえ本当によく聞く。そうすると作品や作家周辺の「活気」みたいなものがけっこう重要ではあって、何か賞をとった、SNSでよく見かける、みんなが話題にしている、みんなが工夫をこらして強い文言で「いい」って言う、そういう祭りや波が読むことへの後押しになる。活気があるのはいいことで、わたし自身すごく楽しんでいるし参考にもしている、かなり恩恵を受けている部分もあるけども、祭りや波から生じる権威大好き感がちょっと苦手ではあって…。権威大好きはちょっと言葉が悪いか。でも沈黙や絶句が、ほんとに沈黙や絶句のままでいられないのはなんかちがうなというか、心の柔らかいところをまいど律儀に開示しなくてもいいし、そもそもそんなに激しく感情が動かなくても楽しんだり感じ入ったりはあるわけで、まして誰々のお墨付きとかじゃなくてもいいわけで…。大傑作とまでは思わなかったけどほどほどに楽しんだ、ちょっといいなと思った、そういうことはぜんぜんあるというかわたしはだいたいの作品はほどほどに面白がってるんだけど、それをまんま口にするとちょっとけなしているみたいに聞こえてしまいそうだなと思う。なんかこう活気を起こそうとする中でちょっと「褒め」がインフレしてねえか…と思う。要するに、祭りや波的なものとはちがったやりかたでの読んだり書いたりが必要な気がしている。 (これはあんまり整理できてないし、活気を起こそうとがんばっている人たちをくさしたいわけではないので、ほんとにまとまってない話で恐縮なんだけど。参加してるアンソロ10000000部売れてくれ〜とかわたしもぜんぜん言うし、人と一緒に作ってるときはおたがいを鼓舞する意味合いも強いのはわかってる。もしかしたらみんなそんなことはとっくに了解していてあえて強い言葉をやっているのかもとも思うけど、わたしはその「あえて」をやり続けられるのってそれなりに元気な人だけじゃないかなあとは思ってしまう…元気じゃない人も文芸をやりたいし、実際勝手にやってるんだけど、「やってる」ということを他人に見せていくのは大事かなと思って言っている)
余談と言いつつすごい長くなってしまった(むしろ余談の方が長い)。 えーと今回のコピー本交換会、わたしはいくつかzineやペーパーを持って行って、そのうちのふたつ『tide』と『プロテスト・モノローグ』はあんまり売ってない本です。 『tide』は陰気なクィアパーティーでのzineの交換用に作ったもの。短い小説をいくつかと&セクシュアリティにまつわるぼやきみたいな文章をまとめたもので、通販はしてなくて文学フリマにも持って行ってない。zineフェス長野には持ってったかな。べつに過激なことが書いてあるわけじゃないんだけど自分的にちょっとナイーブな話はしてるから、こういう本がありますよって宣伝するとなると勇気がいるなーと思う。 『プロテスト・モノローグ』はパレスチナへの連帯について考えてることとかのひとりごとみたいなzine。コピー本交換会のどさくさにまぎれて作ったような感じで、ほんとの走り書き。あんまりおおぜいに売るものではないなーと思った。勿体つけるわけではないんだけど、なんかこうちゃんと発信しようとすると発信するための言葉や話題になるわけで、そうじゃない話、「どさくさ」でないと出てこないような話をする必要があるなと思ったというか…。
そういうものを手渡す場所をやろうと思った。交換する本を机に並べて、気になったものを手に取って読んだり持ち帰ったりできる。しゃべりたかったらしゃべれるし、黙って本だけ交換して帰ってもいい。閲覧用の本も置いておいて、読書の時間にしてもいいし本作りのヒントにしてもいいし…。 それがうまくいったのかどうか、当日わたしはドタバタしていてじつはよくわかんないんだけど、ちょっとずつ振り返っていければと思います。
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ari0921 · 1 year
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我が国の未来を見通す(67)
『強靭な国家』を造る(4)
「世界で最初に飢えるのは日本」なのか(その2)
宗像久男(元陸将)
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□はじめに
米国の雑誌「タイム」が岸田首相のインタビューの
特集記事として、「日本を軍国大国に変える」して
いた見出しを「平和主義だった日本を国際舞台でよ
り積極的な役割をもたせようとしている」と変更し
たが、記事そのものは「軍事大国」としたまま変え
ていないとした記事がニュースになっていました。
当然、アメリカも言論の自由が保障されている国な
ので、だれが何を言ってもよいのですが、「タイム」
誌の記者たる者が、この日本を「軍事大国」と呼称
するぐらいの見識しか持ち合わせていないことに愕
然とします。
GDP比2%の防衛費年額約10兆円はようやくN
ATOに肩を並べる水準ですし、アメリカは約85
80億ドル(約114兆円)〔2023年度〕、中
国の約1兆4505億元(約26兆3000億円)
〔2022年度〕には遠く及びません。その上、未
だ憲法にも明記されておらず、反撃能力を保有する
としても「専守防衛」という不可思議な防衛政策を
堅持している我が国です。
この記者は、日本に対する「ビンの蓋」的な発想と
か、「平和主義」の原点である「日本憲法はアメリ
カがつくった」などの思想を保有しているのでしょ
うか。このような時にだけ、「さすがアメリカ」と、
“それが何を意味するかもロクに考えないまま”国
内の同調者がことさらに騒ぎ立てることも問題なの
です。
本当に困ったものですが、個人的には、様々な話題
を世界に発信したい「タイム」誌なれば、もう少し
“賢い記者”を抱えてほしいと願うばかりです。
▼「食料自給なくして独立なし」
前回の続きです。鈴木宣弘氏も引用している言葉で
すが、食料に関してまさに“身につまされる言葉”
を送りましょう。まず「食料を自給できない人たち
は奴隷である」とのキューバの著作家ホセ・マルテ
ィの言葉です。我が国でも、明治時代、高村光太郎
が残した言葉として「食うものだけは自給したい。
個人でも、国家でも、これなくして真の独立はない」
との有名な言葉もあります。
鈴木氏は、「日本に独立を名乗る資格があるのか」
として、現政権などの政策に「食料自給率」の言及
がないことを取り上げ、「日本には『食料安全保障』
が存在しない」とも指摘します。
ゴールデンウイークを利用して、『安倍晋三回想録』
を読破し、改めて諸所に感銘を受けましたが、農業
政策に関する記述はほとんどありませんでした。安
倍元総理は、財務省とはかなり喧々諤々の議論を重
ねたようですが、「経産省政権」と揶揄する向きも
あるように、経産省主導の政策が多かったことは事
実でした。鈴木氏は、「かつては農家が自民党の票
田だったが、農家が減ったことで票田の価値が下が
ってしまったことなどが積み重なって、農政全体に
『ゆがみ』が生じてしまった」と指摘します。調べ
てみると我が国の戦後の農業政策についても意外な
事実があることがわかりました。その概要を紹介し
ておきましょう。
▼我が国の自給率低下と農業離れの要因
 
私たちは一般に「日本は島国で国土が狭いために農
地面積も限られている。よって、食料の自給率は低
くて当然である」という考えを持っていますが、長
い歴史を振り返ると、我が国は、(現在より人口が
少なかったとは事実ですが)、伝統的に食料自給率
100%を維持してきました。
だからこそ、江戸時代は鎖国政策を採用できました
し、外国から資源の輸出入ができないような情勢下
にあっても、様々な工夫で再生可能な植物資源を活
用する独自の「循環型社会」を築き上げてきたとい
う歴史があります。
戦後の歴史を紐解くと、意外にも我が国の食料自給
率が下がった原因は、「貿易の自由化」と「食生活
改善政策」にあったことがわかります。もっと具体
的にいえば、自動車などの関税撤廃を勝ち取るため
に農産物の関税引き下げと輸入枠の拡大を認めたの
でした。そこに、アメリカやヨーロッパが自国の農
家に補助金をジャブジャブ出してダンピングを仕掛
けてきたため、日本の農家は壊滅的打撃を受けてし
まったのです。
特にアメリカは、当時、小麦の生産過剰が問題にな
っていましたので、日本人の食生活を無理やり変え
させてまで、我が国をアメリカの農産物、特に“小
麦の一大消費地”に仕立て上げようとしました。
様々な宣伝・情報工作の中で、当時、影響が大きか
ったのが1958年に出版された『頭脳─才能を引
き出す処方箋』(慶応大学名誉教授・林たかし著)
でした。本書には「米食国民は一歩遅れる」として
「米を食うとバカになる」「日本人が欧米人に劣っ
ているのは、主食の米が原因である」などの主張が
掲載されていました。本書はまた、発売3年で50
刷を超える大ベストセラーになり、その影響は計り
知れないものがありました(ちなみに、本書は現在、
アマゾンの中古本として、最低価格が4758円、
中には1万円を超える価格で売られているものもあ
ります)。
当然ながら、この主張は科学的根拠が全くない「暴
論」のようですが、慶大名誉教授の肩書も手助け
し、当時は“正しい学説”としてまかり通りました。
これが「洋食推進運動」に発展して、「日本人の食
生活近代化」のスローガンのもと、和食を「排斥」
する運動まで拡大しました。この結果、本来、洋食
に反対するはずの農家の人々まで洗脳され、欧米型
食生活を崇拝するようになりますが、「これほど短
期間で伝統的な食文化を捨てた民族は世界史上もほ
とんど例がない」と鈴木氏は指摘します。
この背景には、「日本農業を米国農業と競争不能に
して余剰農産物を買わせる」というアメリカの「し
たたかな食料戦略」があったことは疑いなく、19
73年、当時のバッツ農務長官が「日本を脅迫する
のなら、食料輸出を止めればよい」と豪語したとの
記録も残っています。
終戦後の占領時代の初期、「日本が二度と武器を持
って米国に立ち向かうことができない国にする」と
のトルーマン大統領の「降伏後における米国の初期
の対日方針」が発出され、マッカーサーの占領政策
の方針になります。1970年代と言えば、日本が
オイルショックから一早く立ち直り、ホンダやトヨ
タがアメリカ進出を果たした頃でしたが、その報復
というべきか、1970代あたりでも、トルーマン
大統領の「対日方針」がくすぶったままとはいえ、
まだ生きていたのでした。冒頭の「タイム」記事を
読むと今でも一部に残っていると感じざるを得ませ
ん。
▼その結果が「減反政策」や「酪農」を危機に
伝統的に、米を主食としてきた日本人にとって米の
安定供給は大きな課題でした。特に、戦後の“食糧
難”を経験した日本は、「米の生産量引き上げが国
全体の問題である」といっても過言でない時代があ
りました。
そして、この問題を解決するため、戦後まもなく過
ぎた頃、肥料や農業用機械の導入が進むなど技術革
新が起こり、米の生産量を大きく引き上げることに
成功し、米が名実ともに家庭の主食になりました。
個人的な体験で言えば、小学校の低学年の頃まで、
近所の農家はみな、農作用の馬を飼育していました。
兄が耕運機を購入して我が家から馬がいなくなった
のは小学校4年生の頃、つまり昭和36年だったと
記憶しています。その後の農作業の風景が様変わり
し、我が家も近くの畑や牧草地などを改良して田ん
ぼの面積を大幅に拡大するとともに、兄は、精米に
加工するためのライスプラントを建設し、近所の米
の精米を支援していました。
そのような折、前述の「洋食推進運動」が広がり、
「主食=米」の常識が徐々に崩れ出し、日本人の食
卓の欧米化が進行し、「米離れ」が加速しました。
この結果、米が生産過剰になり、生産量を調整する
ために、政府は「減反政策」を導入しました(昭和
44〔1969〕年に試験的に開始、1971年本
格導入)。これに対して、農家は当初は激しく反発
しますが、政府は、米農家の転作を支援するために
補助金を支払うことで農家を納得させ、事後「減反
政策」は約50年間続けられ、平成28(2018)
年、ようやく終わりを迎えます。
2018年に終了した理由は、高く販売できるブラ
ンド米を耕作する農家が増えて、業務用の米が不足
するようになったのが原因の一つと言われています。
食料増産を目的として米生産は、終戦時の900万
トンから20年後の1967年に1400万トン超
まで拡大しますが、「減反政策」以降の50年間で
半減し、最近は700万トンを切ってしまいました。
つまり、餓死者が出た終戦時より人口が1.7倍に
増えているのに、米生産は当時よりも少なくなって
しまったのです。
1960年以降、中国もアメリカもインドも、米の
生産を3倍以上に増やしていますし、世界全体では3.
5倍に増加している中で、日本のように、米が主食
にもかかわらず、米の生産を減少させている国は極
めて稀でした。
▼“米離れ”が招いたもの
 
2011年の総務省「家計調査」の結果、日本の一
般家庭におけるパンの消費額が米を上回ったと話題
になりました。1世帯(2人以上世帯、農林漁家世
帯除く)あたりの米に対する年間支出額2万742
8円に対し、パンは2万8318円と逆転したので
した。これは昭和21年(1948年)に始まる
「家計調査」史上、初めてのことだったようです。
現に、我が国の小麦の2016~20年(5年間)
の平均流通量は、国産82万トン(14%)のみで、
488万トン(86%)が輸入、その内訳は、アメ
リカ(49.8%)、カナダ(33.4%)、オー
ストラリア(16.8%)で、この3カ国でほとんど
を占めています。
ここでとても興味深い事実に気がつき、私自身は唖
然としました。ほとんどのパンやめん類には「小麦
粉(国内製造)」と書いてあります。実は、外国産
小麦を“国内で製粉した小麦粉”だからこのような
表記になっているのだそうです。
小麦の需給と価格の安定を図るために、政府が外国
産小麦の輸入と売り渡しを行なっており、製粉会社
は国が決めた“売り渡し価格”で小麦を購入して小
麦製品を作っています。小麦や小麦加工品(小麦粉
など)を輸入すると最大で1kgあたり158円の
関税がかかりますが、国が輸入する小麦には関税は
かかりません。
小麦粉は食品スーパーなどで、1kg100円ほど
で特売されていることもありますが、わざわざ高い
関税を払って小麦や小麦粉を輸入する人はいないの
で、外国産小麦から製造された小麦粉は“国内製
造”なのだそうです。
 
さて、米農家が「減反政策」で向かった先は様々で
した。その1つとして、「酪農」について取り上げ
ておきましょう。
我が国が「酪農」に力を入れたのは、我が国がGA
TT(関税及び貿易に関する一般協定)に加盟した
1955年以降でした。つまり、貿易・資本の自由
化が進められて、日本経済の開放体制のなかで、日
本農業の零細性の克服や生産性向上が求められたこ
とが始まりでした。
それを受けて、1961年、政府は「農業基本法」
を制定し、新しい農業と農業政策の方向を示し まし
たが、 経済成長に伴う所得上昇によって牛乳・ 乳
製品の消費量増大が予想されたため,「酪農」は
「農業基本法」の“選択的拡大”部門として位置づ
けられました。
そして、酪農支援策(低利融資、補助金、技術普及
等)の結果、1960年代から70年代、「減反政
策」で米作を諦めた農家が酪農に転向したこともあ
って、酪農農家は飛躍的に増加します。しかし、そ
の形態は、大半が水田の裏作や転作で飼料作物を生
産する 「水田酪農」と呼称される稲作と酪農の複合
経営に留まったという一面もありました。
一方、日本の酪農は、国内の飼料基盤が不十分 なま
ま輸入飼料に依存して急速に発達した ところに大き
な特徴があり、1970年には49.3%であった
飼料自給率は低下の一途をたどり、2007年には
32.8%まで低下します。
時を同じくして、人口増加に伴い、乳製品の消費量
も増加しますが、折からの乳製品 の輸入自由化、関
税率低下、円高もあって乳製品の輸入量も増加しま
す。事実、牛 乳・乳製品の自給率は,1960年で
は89%であ ったものが90年には78%に低下し,
2007年には66%まで低下します。また、飲用
乳の消費量も1994年をピー クに減少に転じます。
その後も、継続的な減少局面に転じ、現在に至って
います。
これらを背景に、酪農農家、特に経営規模が小規模
の「水田酪農」は減少に転じ、1970年代に、3
0.7万戸もあった酪農家は2022には1万33
00戸にまで減少してしまいます。こうして、酪農
と水田農業の結びつきが弱まった とはいうものの、
酪農家の5 割が米を生産しているといわれます。
残った酪農家も最近はコロナ禍やウクライナ戦争の
影響で生産資材価格が上昇し、特に200頭以上の
牛を飼育する大規模経営が赤字に陥っており、この
ままでは赤字がさらに膨らみ、連鎖的に酪農家が倒
産する可能性もあるといわれ、現に北海道ではかな
りのハイペースで倒産が相次いでいるようです。
コロナ禍などの理由以外に、北海道の酪農家は、輸
入している脱脂粉乳を国産に置き換えるための差額
として乳代1キログラムあたり2円以上の負担金が
課せられているようで、酪農家に重くのしかかって
いるのが実態です。
政府が主導した「畜産クラスター事業」(畜産の収
益向上のために、畜産農家を核として地域の関係事
業者が連携・結集していく体制をいい、これによっ
て、補助金として機械や設備導入時に本体価格の2
分の1の国庫補助を受けられる)の結果、全国的に
牛乳余りが生じ、酪農家は経営危機に直面している
一方で、海外からの乳製品輸入は据え置き、酪農家
には「乳製品が過剰だから、生乳をしぼるな、牛を
処分しろ」という矛盾しているではないかと疑問も
沸き上がり、「人災としての危機」と批判されてい
ます。
子牛も値下がりし、生後1カ月の雄子牛がだいたい
1万円ほどでコロナ前の10分の1に下がっている
ようです。餌代にもならない価格に、一斉に酪農家
がいなくなるとの危機感も叫ばれています。
ふたたび、個人的な経験ですが、「減反政策」で米
の生産を諦めた兄は、「水田酪農」に転じますが、
今度は「乳余りのあおり」を受けて、多額の借金を
抱えたまま酪農を諦め、その後、和牛の飼育に転じ
ます。その和牛飼育も12年前の福島原発事故の影
響で再びあきらめざるを得なくなりました。多額な
借金を息子の代(私の甥)になって完全返済したの
はようやく昨年でした。
第2編でも紹介しましたが、「政治家と農林省の官
僚(の愚策)によって、50年前に農業を奪われた」
と今なお、事あるごとに口癖のように語る兄ですが、
実際にこのような被害を受けたのは決して我が家の
みではなさそうです。次回、「日本の農業は過保護
なのか」について、諸外国と比較して“見える化”
してみましょう。意外な事実に気がつくことでしょ
う。
(つづく)
(むなかた・ひさお)
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tokyomariegold · 1 year
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2023/5/8〜
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5月8日 連休明けの大雨なんてだめ! 寒さで体の力がするすると抜け落ちてしまう。
いつも甘えさせてくれる、尊敬すべき友人のお誕生日だった。 明日は、おととい奈良で会った友人のお誕生日らしい。 もっと早く2人の誕生日に気付いていたかった。 奈良で何かプレゼントにお土産を買っていたかったし、なかなか遠方で会えないのに直接会ってお祝いをしていたかった…!
この連休に金沢の実家に帰省されてた方から、かわむらの甘納豆をいただく。なんて!素晴らしいお土産!「県民しか知らないお土産です」と言って渡してくれて「知ってます…!」と受け取った。
育休中だった上司が復帰していて、奥さんの入院中の病院食(良い旅館の夕ご飯みたい)と、アメリカで出産したお姉さんの入院中の病院食(3種類の液体と赤いゼリー)の写真を見せてくれた。 アメリカでは出産は病気ではないので、とりあえず栄養さえ取れればなんでも良い、という感じらしい。
連休明けで割と人見知りして過ごした一日だった。
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5月9日 やることがたくさんあって充実しているのに、泣きたくなる瞬間が多くて、それは明らかに新しい職場の環境が、新しい上司についていきたいけどもう無理かも、な気持ちがそうさせている。 誘われ笑いをする元気はなくなっていて、元気だな〜モードになっている。
頑張りたいけど頑張れなくて帰り道も泣いていた。 頑張りたいのは仕事ではなくて、今の新しい上司に嫌われたく無い、変に思われたく無い、というベクトルの頑張りたい、だから。それが誰も求めてない虚しいことだってわかっているから惨めな気持ちになって泣いている。
大学時代の後輩の一人も昨日お誕生日だったらしく、とっても頼もしく嬉しくなる投稿をInstagramで見つける。思わずメッセージ送り、スクリーンショットを撮ってひとまず今日の待ち受けにしてみた。 そう言えば最近、日記に個人名を書くようになった。
お昼休みにクリーニングに出した仕事着を受け取りに行った。 今回限りの利用になるだろうクリーニング屋さんは、洋服を持ち込む時にサイコロを振って出た目でポイントがつく。 洋服を受け取る時に棒のくじ引きをしてポイントが加算される。 今日はカウンター内に穴の空いた看板が立っていて、ボールが穴を通れば割引キャンペーンが追加。 たくさん勝手の異なるキャンペーンがあるのに受付の方は淡々とこなしていた。
午後はずっと立ちっぱなし動きっぱなしでそれもあって悲しくてへとへと。 そしてなんと明日は東京出張で、こんなことってある?と絶望している! 残り二つの奈良土産のどら焼きをあげたい相手なんていなくて、もう日持ちもあまりしないので、明日会えるかもしれない友人に脈絡なく渡しちゃおうかと思う。
目黒区庁舎の見学ツアーの抽選は、どうやら外れてしまっていたみたい。
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5月10日 やっぱり私のお部屋のバルコニーでなくとも、どこか近くで毎朝鳩が鳴いている。つらい。
少しだけ遅く起きて出張。 出張先の何も無い駅から現場までの道に、屋上にバラ園があるような少し鬱蒼とした雰囲気の豪邸がある。剪定した何かの木の枝先にアルミホイルを巻き付けてあるのを見ながら、いつも写真を撮りたいな〜と思いながら通り過ぎる。
午前中でお仕事を終えて、午後はお休みを取っていた。 こんなに気持ちがだめになっているとは思っていなかったけれど、先週の私、大正解! この出張先の近くの高校で国語の先生をしている高校の同級生と4年ぶりに会った。 何も無い町なので国道沿いのデニーズで待ち合わせをした。 彼女は4年前から同じ高校の定時制で異動なく先生をしていて、4年前に会った時は、配属されたばかりの定時制の高校の環境にとてもショックを受けていたように見えていた。今日はとてもはつらつとして、やっぱり仕事が生活のほとんどで趣味のようだ、と言っていて、少し安心。 定時制の生活は、朝ごはんを食べて、お昼過ぎに出勤して、学校の給食で夕ご飯を食べて、4時間授業をして、日付が変わる頃に帰宅するとのこと。 今日のデニーズではおやつにメロンパフェを食べていた。 お互いにそこまで変わったことはなく、1時間ほどの再開だったけれど、満足な時間を過ごせた。
またこんな感じで会おうね、と別れ、元気が残っていたので、というか元気になってしまったのでダムタイプのリベンジをした! 東京駅ひとが少ない…!と思ってしまう。
アーティゾン美術館は平日なのにかなり混雑していた。 ダムタイプの展示も会期末だからか平日だけれど人が多かったので、今日行くことができて良かった。 さっきまで日差しの元で何かが解体されている現場に立っていたのに、東京の綺麗な美術館で環境音と光が演出される暗い涼しい部屋にいることが嬉しすぎる。展示会場で彷徨ってふらふらして贅沢な時間だと思ってしまった。 アーティゾン美術館は学生さんは無料らしく羨ましい。これを贅沢とか思わずに、ふ〜んなるほどわからんね、みたいに体験していたいよね。
奈良のお土産のどらやきをやっと渡しきれて良かった。 早めに帰宅して、今日は療養に努めます。
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5月11日 日差しに当たり過ぎたからか昨晩はおかしな食欲で食べ過ぎてしまい、気持ち悪い夜明けに緊急地震速報が重なって最悪な朝だった。 川向こうとこちら側の防災無線が入り混じって物騒な雰囲気の中、鳥が喚いていて、Twitterでちーちゃんが呟いているのを見つけて少し安心する。 昨日、ちーちゃんのホームページを見つけて、とっても良くて、ちーちゃんが今写真をやっていて辛く無いといいな、写真の活動を続けて、これからも写真を見せて欲しいな、と思ったところだった。
それから少し眠って、変な夢を見て疲れて、明日は通院予定で体重を計らなくてはいけないのに食べすぎたことをくよくよしながら家を出た。 食べ過ぎておけば入院しないで済むのに、それでも体重が増えていることを体感して悲しくなってしまう。
地震の恐怖から誰かと連絡をとっていたくなり、昨日出張先で不意に見つけた藤本壮介の東京アパートメントのこと、もうすぐ産休に入る友人に出産前に遊びたいこと、平日休みに銀行に行かないといけないこと、ホームページが素敵だったこと、など、方々のお友達にメッセージを送ってしまう。とても、とても怖かった。
朝の地震の恐怖のストレスと、昨日���出張と、いろんな疲れが溜まっていてとても身体がもたなかったので、昨晩食べ過ぎていたけれどコンビニでわたぱちのチョコレートを買って少しだけ食べた。
驚くほど気力が回復してなんだか元気っぽく過ごせてしまった。今はただ明日の通院がどちらに転んでも恐怖でしかなくてもやもやしている。
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5月12日 職場の方と話していて、不意な流れで自分の身体のことと病気のことをカミングアウトしてみた。 母よりも若いお母さんの職員さんでいつも素敵な方で、更年期の話の流れから、私は7,8年ほど月経がなく、食事に少し不安がある中で、今日の午後は通院のため半休をとっている話をしてみた。 「かわいくて何でもそつなくこなせる優秀なお嬢さんでも、そう見えても、色々抱えちゃうことってあるんだね」と言ってくれた。
病院の近くにヴィーガン焼き菓子とコーヒーのお店があると知り、通院の前に寄ってみる。京都弁?のなまりのある可愛い店員さんに「髪サラサラですね〜」と言ってもらう。 キャロットケーキを食べたかったけれど、持ち歩きが難しいとのことで、オーツクッキーと抹茶のマフィンを買ってみた。
大学病院の敷地に入ると明日が文化祭なのか、お松の準備で賑わっていた。みんなでテントを立てたり委員会の人がハッピを着ていたり、なんか楽しそうで通院前の憂鬱が少しだけ落ち着く。
体重は微増。入院は凌げて、次回以降も落としたら入院という制限付きで活動許可をもらう。 なんだこれ。 先生から仕事以外の活動や趣味はあるか?と訊かれたので、写真のことや展示をしようとしていることをお話しした。もしかしたらこの病気と写真作品制作が紐づいているのかも、ということも伝えてみた。 先生もそれを感じていたようで「ちょっとなんと言って良いかわからないな…」と困っていた。
最近食べ過ぎていたのもあって、それでも意外と増えていなかった体重に少し安心して、また今日から色々気にしながらご飯を食べていきます。
夏の予定をさらに詰めようと大阪のホテルも予約。
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higashiazuma · 1 month
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じゃれ本 2卓目の作品
「じゃれ本 オンライン試用版」を使ったセッションで紡がれた物語たちです。前の文の前後関係がわからずに何かを書こうとするとこうなります。参加した本人たちはめちゃくちゃ楽しかったです。
お題:特になし ページ数:8P
『数奇なチョコレート』
どうしてこうなってしまったんだ? 私が早朝にこっそり彼の机の中に仕込んだはずのチョコレートが、どうしてあんな場所から出てきたんだ。 朝チョコレートを入れてからずっと監視してたんだぞ。おかしいだろ。
朝からずっと監視していたが、彼は机の中のそれに気付く気配すらなかった。疑問に思いながら注視していると、教室移動の時間になった。今日はアルコールランプを使った実験の日だ。
もしかしたらあれは元々彼の持ち物だったのかもしれない。アルコールランプのオレンジ色の光を見ながら考えを整理する。監視したところで……それに注意を促すような筋合いもこちらにはないのだ。
揺らめく灯を眺めていると、それに炙られる何か、まで想像してしまうのは悪い癖だろうか、職業病か。黒褐色に燻された「それ」は――まるでカカオ豆、とは悪趣味かと頭を振ったとき、ランプが消えた。煙が、甘い。
香りが部屋に充満していく。煙がゆらゆらと揺らめき次第に形を成し始める。何が起こったのか分からず呆然と見つめていると、それは小さな人の形になった。つやつやとした濃い茶色の、まるでチョコレートのような
教室がざわつく。もしかして、と冷たい汗が背筋をつたったのを感じる。 私が今朝入れたチョコレートに、何か関係のあるものなんじゃないか。すると、その小さな人型のチョコレートは、驚くべきことに言葉を発した。
「つくえ」「こども」「かばん」と目に止まったものの名前が読み上げられる中、「とみこ」という知らない名前が挟まる。人型チョコレートから発された言葉に、びくりと大きな反応を示したのは私ではなかった。
「何故、その名前を…?」 隣、というほどでもない距離で小刻みに震える声。振りほどいたはずの赤い糸が、いつの間にか小指を締め上げていた、というような。人型チョコレートの顔部分に、ぱきんと割れ目ができる。
『コンビニで買ったねこ』
今日びのコンビニには何でもあるから、猫をバーコード決済でお買い上げすることぐらいお手の物だ。だけど道義的躊躇を捨てきれなくて、私はいつもパッケージの前を素通りする。嫌味かのようにスナック売り場の隣だ。
お菓子を選ぼうとするとどうしてもチラチラと目に入ってしまう。かわいい猫たちのパッケージ…三毛、サビ、ハチワレにトラ。無視しようとしても暴力的なかわいさが私を誘惑する。棚前で吟味していた客が黒猫を手に
レジへ向かっていった。その客を注意深く見守っていると、レジの店員はまるで何事も無いかのようにパッケージのバーコードを読み取り、こう言った。 「この場で開封して行かれますか?」 「いや、家で開けます。」
「ノワァ」変な声で鳴くなあれ。電子決済されていった「ねこ(?)」を見送り、棚を見ればまだいくつかの在庫があった。真四角のパッケージの中で思い思いに伸びたり縮んだり捻れたりしている。呑気なもんだ。
彼らの何割が、自分が実は玉ねぎが食べられなかったりd払いのキャンペーン対象だったりすると理解しているのだろう。来月の請求書では「国民健康保険料」と同列に並んだりするのだ。……ちょっと見たいかも、いや、
猫だって同じ命なんだからこんなふうに扱うのはやっぱり良くない。しかし猫が国民の健康に寄与しているというのは厳然たる事実だ。間違いない。私が若干不健康な日々を過ごしているのはもしやねこが居ないからでは?
そう思った私は、吸い寄せられるようにひとつのパッケージに手を伸ばした。 レジに持っていくと、店員はやはりこう聞いてきた。 「この場で開けて行きますか?」 私もやはりこう答える。 「家で開けます。」
家に帰りそっとパッケージの蓋を開けると「ノワァ」という鳴き声とともに、ねこは消えた。空になったパッケージからはゴロゴロと小さな音が響く。どちらでも良いのだ。本当にねこでも、本当はねこでなくても。
『どこにでも現れるメガネ』
異変に気付いたのは、弐萬圓堂で眼鏡を新調してから三日目のことだった。週一の楽しみ、サウナ通い。オレンジ色の明かりと蒸しに蒸された空間で、俺は目元に違和感を感じた。 熱い! なんとそこには、
…ない。何もない。熱いのは蒸気を直に受けたからで、俺の虚弱な目を守るべく新調した眼鏡がどこにもない。嘘だろ、もう無くした? あの店主、「こいつは絶対に無くなりませんよ」なんて吹きやがって! そもそも、
眼鏡の紛失防止に眼鏡チェーン以上のものがあると思った俺が馬鹿だったんだ。何が「合図一つでどこでもお供! あなたのお眼鏡に叶います!」だ。俺は蒸気で濡れた顔を拭い、0.2の裸眼でレンズの光を探す。
うすらぼやけた視界で必死に探せど一向に見つかる気配はなかった。もう諦めて新しいメガネを買いに眼鏡屋へ行った方がいいのではないか…そんな考えが脳裏を過ったときだった。
ふいに、胸ポケットに違和感を覚えた。恐る恐るまさぐると、『あった』。無くしたはずの眼鏡が、そこにあったのだ。なんて便利な眼鏡なんだ、と思うかもしれない。でも俺は、うっすらと気味の悪さを覚えていた。
無くして見付かる。眼鏡はその繰り返しだ。眼鏡が見付かるのは決まって、ニュースでとある地名を見かける時だった。幼い頃だけ住んでいた田舎。何故今更ニュースで名前が上がるのか不明なほど辺鄙な場所だ。
便宜上故郷であるその地は、ちと難解な名がついている。何も見ずに書けと言われたら俺でも無理だ。 …もしかすると眼鏡のやつ、テロップに映るその込み入った字画を解らせたいために、毎度戻ってくるのだろうか?
つまり、この字を覚えれば晴れてこの眼鏡は役目を終えるというわけだ。なるほどね。俺はこれからもこの地名を覚えることはないだろう。いや、いつか死ぬ前くらいには覚えてやってもいいかな。
『おまかせ木綿豆腐』
絹のやつとは作りが違うんでね。多少の荒事ならこっちに任せるのが正解ってもんだ。名前? 『モメン』じゃない、『ユウ』だ。大体あいつがキヌなんて名乗るからセットで豆腐なんて言われることになってんだ。
キヌのやつは今日も得意のスムーストークであんたを誑かしたんだろう。依頼料は高くつくぜ、財布の紐をどれだけ締めても、あいつには湯葉も同然だ。 まあ、任せておきな――それで、あの「��野」と何で揉めたって?
…なるほど。あの土鍋は上物だからな。どちらの取り分かで揉めたってわけだ。で、その土鍋を自分のものにしたいと、そういう話だな?なあに、俺にとっては湯豆腐みたいなもんさ。安心して吉報を待っておけ。
そう言って男はすっくと立ちあがると、土鍋を求めて夜闇に消えて行った。 なぜならそう、この男こそもめ事の仲裁のプロ。ネゴシエーターなんてお洒落な肩書はいらない。『おまかせ木綿豆腐』その人だったのだ。
─というのが、前回君たちに講義した内容だ。きちんと覚えているかね。『おまかせ木綿豆腐』に関連する記述には実はいくつかの相似点が見られてね。同一人物とする説も複数人とする説もあるが共通しているのは、
その「変幻自在性」。まさに豆腐、ないし大豆だ。柔らかく相手を受け止め、誰かの色に染まるかと思えば、ときに肉食獣のごとき強靭さも見せる。変異性の遺伝子が組み込まれている、と言われても疑うまいよ。
豆乳の満たされたプールで悠々と寛ぐ高野とその取り巻きたちを尻目に、私は屋敷へと忍び込んだ。
そこにあったのは黄金の土鍋。黄金でできているが、確かに土鍋である。私は難なくそれを手にすると、豆腐を味噌汁に滑り入れる速さで屋敷を後にした。 こうして事件は解決した。おまかせ木綿豆腐におまかせさぁ!
お題:おまかせ縛り ページ数:8P
『お父さんが作るヒンズー教』
「そうだ、ヒンズー教を作ろう」 ある日、父の口から出た言葉だ。 定年退職を迎えた父親が始めるものといえば蕎麦打ちと相場が決まっているが、なぜか父は宗教に目覚めてしまったようだ。
「ヒンズー教はもうあるじゃん。作る前にもうこの世に存在してるから諦めなよ」至極冷静なツッコミも父は意に介さないようだった。「まずは合言葉を考えるか」「よくわかんないけどもっと先にやることあると思う」
「じゃあまずお父さんがヒンズーとして」「お父さんヒンズー教知らないよね?」 まったく分からないまま父の熱意だけが空回りをしている。理由を尋ねるのも嫌だが、掘り下げてくれと父の顔が言っていた。
「…うん、じゃあお母さんは?」 そういう自分だって女神転生シリーズの知識しかないけれど、お父さんに至ってはこうだ。 「母さんには、ラーマをやってもらおうと思う」 マーガリンで覚えたなさては。
「母さんにカーリーをやってもらうわけにはいかないからな」 「そこはヴィシュヌとラクシュミじゃなくて良いんだ」 最早女神転生オタクの会話である。お父さんは黙ってメガテン5をセールで買った方が良い。
「タマにも我がヒンズー教の一柱として重要な役割を与えよう」「タマ…巻き込まれてかわいそうに」何も知らないタマは父に撫でられて満足げにゴロゴロと喉を鳴らしている。「名はタママーンに改名す」「やめて」
タマを膝に抱いてああだこうだと話す父は、それはそれとしてまあ楽しそうではある。もともとこの手の与太話を作るのが好きなヒトなのだ。
この一連の流れだって、先週配信サイトで「RRR」か「バーフバリ」を観たせいに決まっている。些細な愉快をくれたのならまあ良いじゃないか。女神転生シリーズでの知識しかない僕が、文句を言っても仕方ないのだ。
『健全な肉体に宿るユンケル』
健全な精神は健全な肉体に宿る、なんてのは全きウソであり、少なくとも俺の健全な肉体には恐らくユンケルとかが宿っている。しじみの味噌汁とプロテインバーも。筋肉は全てを解決するなんてウソだ。解決してみろ、
なかやまきんに君。筋トレは正義��もしれないが、そもそも現代社会人に残される可処分時間なんてたかが知れている。その貴重な時間をどうやって筋トレに費やすことができようか。かといって、
このままでは肉体は不健全になるばかりだ。もやしまっしぐらだ。いや、それだけならいいが代謝が落ちた体はいずれ摂取した栄養を消費しきれず蓄え始めてしまう。そうなったらもうおしまいだ。
ともあれ対策は早急に行うべきだろう。何故なら健全な肉体でなければ意味がないからだ。精神はこの際置いておく。ユンケル的にはそっちはあんまり役に立てない。自分で頑張ってほしい。そうと決まれば早速、
行きつけの薬局へ―向かうつもりだったが、深夜営業のはずのそこは閉まっていた。シャッターに「本日棚卸」の文字。期限切れになるだろうアプリクーポンを惜しみ、否、惜しむより先に鉄剤だ。イオンなら、いけるか。
その一縷の望みは、すぐさま砕かれることになった。 しまった!深夜営業の薬局が閉まっている時間帯に、イオンが開いてるはずないじゃないか!! 赤と白の看板の下、俺は絶望する。鉄剤。なんとしても鉄剤を。
「ヤーッ!」それは突然のことだった。窮地に陥った俺の耳にあの聞き慣れた声が飛び込んできた。「き、きんに君!!」そう、紛れもなくなかやまきんに君だった。自信に満ちた仁王立ちでそこにいた。「ハッ(笑顔)」
なんて眩い笑顔なんだ。失われていた力が蘇るのが分かる。何が敵かも分からんがとりあえず殴っとけば良いか。やはり筋肉。健全な肉体、頑強な筋肉、それこそがすべてを解決する。
『我が家UFO』
ホログラムで出来た夕暮れの町並み、伸びていく影。少し湿った柔らかい土の上を走りながら、僕らは家に向かっている。僕らの家は、頭上にある色とりどりのUFOだ。
姉ちゃんとその彼氏(現:元カレ)の些細なLINEスタンプ会話が、うっかり「母星」との通信に混線してしまったせいで、呑気な地方都市は太陽系いち愉快な避暑地に変わった。葉巻型の家も金星人からの贈り物だ。
アダムスキー型のホテルは木星人が建てたもので、海王星人にたいへんウケが良く、県外からの観光客にも人気になっている。おまけに日清グループの焼きそば工場まで進出してきたものだから、町はとても賑やかになった
しかし後に大きな問題が発生した。建てられた数々のUFO建築物が人々をアブダクションし始めたのだ。幸いなことに内臓を抜かれキャトられるところまではいかなかったが
普通に改造はされたし記憶も改ざんされた。お父さんが二人いるご家庭も出来れば、長女が増えたご家庭もある。UFOは「家族は複数人」ということしか理解していない。その関係性や成り立ちは二の次だ。
「どうする、姉ちゃん」と僕は言う。「このままいくと元カレが僕らの新しい兄ちゃんだ」 「無理絶対無理、あんな伸びたカップ焼きそばみたいな男。お湯と一緒に流しに捨て――」 瞬間、僕らは同時にはっとした。
僕らの葉巻型ハウスの前に、新たな葉巻型UFOがフォンフォンと音を立てて降りて来たのだ。硬直している僕らの前に、光が射す。この家をプレゼントしてくれた金星人だ! 金星人は優しく微笑んだ。
「このたびはUFO型ハウスのモニターになっていただきありがとうございます」僕たちモニターだったんだ。しらなかった…「住心地はどうでしたか?」アンケート用紙を渡された。とてもよかったに◯をつけた。
『キャンプファイヤーをするスリ』
目の前にはごうごうと燃え盛る火柱がある。いわゆるキャンプファイヤーというやつだ。ぱちぱちと爆ぜる音と顔を焼く熱を浴びながら今までのことを思い返していた。いつものようにスリの獲物を物色していた俺は、
おあつらえ向きな男を見つけていた。取ってくださいと言わんばかりにチラ見えする財布。しかも厚い。おどおどとした雰囲気も丁度いい。財布はあっさり俺の手中におさまり、今日の仕事は完遂だ。そう思っていた。
なのに今、俺は何故こうして積まれた薪の前に立ち尽くしているんだ? 五分じゃ審査が下りないだろうカードや角の折れてない札が詰まった革財布を、まるで炎に投じたがっているかのように。否、焼かれるのは財布か?
そうだ。財布ではなく俺自身を焼けば財布は無事だ。俺が罪に問われることもない。――いや、何を考えているんだ、俺は!困惑する俺の意思を無視するように、俺の手が勝手にチャッカマンを薪の隙間に差し込んだ。
一気に薪が燃え上がる…かと思ったが、一向に炎は上がらない。チャッカマンの小さな火は薪の表面を焦がすだけでなかなか燃え移らない。薪を燃やすにはもっと燃えやすいものを先に入れるんだったか。何か手頃なものは
とポケットをまさぐり、結局スッた財布にいきつく。レシートくらいなら燃やしても良いだろう。財布の中には幾重にも折りたたまれた…異様といえるような長さのレシートが入れられていた。何だこれはと手に取り、
中程の印字に目を剥いた。「割引 50%」と付記された項目。みな人名だ。中には、俺の名も。 何が引かれてるんだ? 人間的価値? 確かに俺はスリだが半額になるほどか? それとも、…命、寿命。その領収書。
気付くと俺は、木組みの中にいた。燃える炎が、全身に纏わりついて行く。たすけてくれ、と声をあげそうになるが、呼吸すらできない。 目の前に男が立っている。 「ええ、その通りですよ」 男の目に、炎の橙が輝く
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onishihitsuji84 · 4 months
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こんにちは(爆撃機より)
 一月。僕はBig Dataの「Dangerous」を聞いている。
 ”危険”。激しい曲だ。牧歌的な幸せではなく、衝撃を聴衆に要求する音楽だ。  しかしそのリズムはテーマから離れている。始まりから、均一。決して決して焦らない。
 デ・デデデン。デデ――デデ。  デ・デデデン。デデ――デデ。
”How could you know, how could you know? That those were my eyes Peepin' through the floor, it's like they know”
youtube
 まず、Bluetoothは耳栓だ。挿せば駅の雑踏さえもくぐもって聞こえる。 ――ボタンを押せば音楽が流れる。音量は最大で、皮膚・血液・脊椎に三原色でリズムが巡る。体が揺れる。
 交感神経に音楽が噴水のようにきらきらと溢れる。  足は人間でごった返す駅の階段を上る。
「駅構内で走るのはおやめください」
 薄汚れた階段を真っ白なスニーカーが踏みつけていく。靴底からのテクニカルな響きが、がつんがつんとリズムを作り、人ごみの中でも音楽中毒者を露にする。曲調に合わせ、力強く一段一段。
 全身の筋肉という筋肉に熱い血が駆け巡る。さあっと雲が割れるように、気持ちが明るい側へと開けていく。  あたらしい一日が始まるのがわかる。
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 洋楽を聞いていると、言葉が雨のように降り注ぐ。  アルファベット歌詞の断片がうかぶ。広告の文字がおどる。リズムを刻んで歩いてく肉体のダイナミズムが七色の熟語を産み落とす。
「レインボー」、「水は敵ではないからね」、「ソースと目玉焼き」。 「リーガルのスニーカー」、「語ることと、その言葉」。 「セックスがつむぐ運命の糸」、「試験会場」、「輪ゴム即売会」。 「全てがどんな場所でも一度に」、「鳩を撃つ」。 「もう一度ファインダー」。 「ピクチャー・イン・アメリカ」。
「アメリカの風景」。
 そう、「アメリカの風景」……
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 僕はアメリカの小説をうんとたくさん読んできた。  高校生の頃に『ロング・グッドバイ』と『ひまわりのお酒』を読んで以来ぞっこんだった。『偉大なるギャッツビー』もまた。
 そして僕は洗脳され、アメリカの小説に首ったけになった。ホーソーンからアンソニー・ドーアまで、アメリカの作家なら何でもよし。時代を問わず読み漁った。
『キリマンジャロの雪』、『ティファニーで朝食を』、『スローターハウス5』、『頼むから静かにしてくれ』。
『あしながおじさん』、『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』、『ディキンソン詩集』、『ウインドアイ』、『宇宙戦争』。
『ジーザス・サン』、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』、『オン・ザ・ロード』、『心は孤独な狩人』、『あの夕陽』、『東オレゴンの郵便局』、『賢者の贈り物』、『吠える』、『ドイツ難民』。
 何度も何度もアメリカのごつごつとした人情ドラマにときめいた。そのふくよかにして安らかなる腹に、禿頭を照らす脂に、腐臭とファストフードをしてゆらめく体臭に、心をまるごと奪われた。
 僕は『白鯨』を脇に抱えて高校までの坂を駆け上がった。黒板に並んだ公式ではなく、バナナフィッシュの読解に挑んだ。昼休みにはクラスメイトにフォークナーのリアリズムを論じた。ポール・オースターのする幽霊をひとり紐解いた。
 気づけば放課後だった。時の過ぎるは手のひらから滑り落ちる水滴がごとく素早かった。  眼は窓を見た。クラスに残っているのは一人で、夕陽もすでに隠れんとしていた。いま、文学青年の眼にはアンダーソンの文学に似た漠たる闇だけが映り込んだ。闇は太った白人女のようにさえみえた……
 実際、当時は「アメリカの小説」というラベルさえあればなんでも読めた。読むと必ず手を叩き、跳ねてまで面白いと感じていた。そんな彼の心にあったのは青年期特有の曇り。正しくは、夏の夜の冷風のようにもたらされて形無き闇。
 ぶうん……
 響く、静寂で巨大な暗闇。甘く、性的でさえある美しい深紫。 そんな闇をギザギザに裂いてしまうアメリカの小説のけばけばしい光。光、光は当然24時間無料、無料で、青年の眼球は視神経まるごと剥き出しにされ、麻薬のようにガンガンと無料、無料で、思考は麻痺して、その心には『巨大なラジオ』。
 でも、それはけして悪いことではなかった。僕はアメリカの小説と一緒で、幸せだった。
 つまり、恋をしていたんだ。それも猛烈に、刺激的に、甘く。
 LA、スプリング・フィールド、タコマ……僕のイメージはアメリカを横断した。  僕はモーテルに飛び込み、アメリカの小説とでベッドに入った。シーツの下で僕らはえんえん悲鳴に似た喘ぎ声をあげ、朝陽がみえるまでのたうち回った。  朝陽は新鮮な希望を満載して町に襲来し、東の空を陶器のように白く磨き上げる。モーテルの一室にも朝陽はそっと忍び込む。情熱に果てて眠り込む若者をも白く輝かせる。あたたかく、やさしく抱きとめる。
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 爆撃機はずっと唸る。
 ぶうん……
 ぶうん……
「大西君はどうしてアメリカの小説が好きなんだい?」 「アメリカが好きだからですね」 「どうして大西君はアメリカが好きなの?」  僕はいつもみたいにときめいて言う。 「やっぱりアメリカにはアメリカン・ドリームがあるじゃないですか。おおきな夢が、僕をうきうきさせてくれるんです!」 「でもアメリカは戦争をしているよ。人を殺している。戦争を��援している。ベトナムを焼き払っている。戦争を計画している」 「大西君は戦争は好きかい?」
 その答えは当然ノン(否)。でも、言葉は詰まって動かない。
 大学二年生のあるとき、懇意にしていた教授から僕はそう問われる。  そのときのことは一から十まで覚えている。教授の授業が終わって、いつもみたく談笑をして、爆撃機みたいなエレベーターに乗っているときだった。パーマに水牛みたいなのんびりとした顔つきをした彼は僕にそう問いた。 「アメリカの文学は戦争だ。戦争と資本主義のメカニズム、その歪を何度も何度も解釈する文学だ。悪夢を、どうやって覗くかの文学だ」 「大西君は戦争が好きなのかい?」
 リアルとは厄介だ。文章と違い、書き直すことも、一度手を放して寝かせるということもできない。  瞬間は過ぎれば過去となり、過去は改変不可能で、爆撃機式エレベーターは五階から四階へと渡った。  そして四階から三階。誰かが乗り込んでくるということもなく、扉は完全に閉じたまま。  それで、仏文学の教授は大部のファイルを両腕で抱えており、ずんぐりとして柔和な表情をこちらを向けていて、均一。崩れない。エレベーターもぶうん――ぶうんと同じ。一つの形を崩さない。
 ぶうん……
 ぶうん……
「戦争は嫌いです」 「ふうん……」  そこでエレベーターの扉がゴトゴト開く。学生がなだれ込み、その日の僕たちの話は過去になり、終わった。高校二年生から続いていた僕の米文学への忠誠もまた同様に。
 でも、それは悪いことではなかった。結果僕は仏文学や英文学、カナダ文学、ボルヘス。そしてシェイクスピア、カフカ、ドストエフスキー。新しい文学をノックすることになる。だから悪いなんてことはなかった。
 そもそも、善悪なんてものは実際には存在しない。正しさなんてものはまやかしだ。比較でしか示せないものに大した価値なんてものはあるわけがない……
 でも、僕は戦争は嫌だった。心からそう思った。  文学も、恋もそこまではごまかせなかった。
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abeya38 · 11 months
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私たちはどう生きるか?
宮崎駿の監督作品を劇場で鑑賞するのは、ナウシカ以来であらうか。当時、ナウシカを見たのは私が小学生になるかならないかの頃であり、映画館もない田舎の事なので通常の劇場ではなく、訣も分からぬまま母に連れられて行つた市民会館での上映を鑑賞したのであるから、全うに劇場公開中に見たのは、本日、小学生の我が子を連れて鑑賞した本作「君たちはどう生きるか」が最初であり、その最初の本作がスタジオジブリ(トップクラフト含む)乃至は宮崎駿の(内容的に)遺作だといふのはなんとも皮肉めいてゐる気がする。 素人の感想なので的外れかも知れないのだが、本作はスタジオジブリ乃至は宮崎駿監督の葬儀、いや正確には生前葬?に参列した弔問客である観客が、故人自身が監督した生前を偲ぶドキュメンタリーといふか、遺産目録といふか、故人の作品群の走馬灯を見せられてゐる気分であつた。 どう生きるか?とはどう死ぬか?といふ事と思ふ。 私たちはジブリ亡き後、どう生きるか? 主人公が私たち観客であるなら、大叔父(←大伯父でなく大叔父といふ記載がネット上であつたので)である宮崎駿がアニメーションといふ石の力で作り出したいくつのも世界を塔を軸にして見せられて来た訣だ。それは古いゲームで例へるなら「魔界塔士Sa・Ga」のやうでもあり、SFやファンタジーでよくある設定を下地にしてゐるようでもある。 また、それらの世界に親しみ、その後、現実に生まれ戻るといふのは「ミスティックアーク」のやうでもあるし、近い例であれば「シン・エヴァンゲリオン」から感じた現実回帰、作品世界からの卒業といふ感じが近いやうにも思ふ。 更にいへば、印象的な糸杉はゴッホの絵画を連想させ、それは黒澤明監督の「夢」といふ作品を想起させる。 だが、いかに巨匠と称へられてもいずれは忘れ去られてゆくし、その才能は血統により継承される訣でもないし、継承したところで相続人は相続人としての独自の世界を作る訣だから、故人の取り巻きや世論といふ周囲の批判を受け子孫への重荷にしかならないといふ悲観的といふか独善的な暗さが本作に反映されてゐるやうにも感じた。 作中で主人公やその母や叔母が神隠しにあふのは、いはゆる死後の世界、幽世といふよりは創作された作品世界に取り憑かれる事、キモオタ化を暗喩してゐるやうでもあるが、そちらの世界で養分を十分に取る事が出来たなら、宮崎駿作品に影響されて自身でも作品を作る人達が生まれてきてゐるとも取れる。生存競争は過酷である。 新たに生まれ出てくる芽を摘み取る役はペリカンであるが、彼らはここは地獄だといふ。ダンテの神曲なら地獄の門には「この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ」とあつたが、なるほど創作活動は煉獄山を登る如しといふ事だらうか。 ダンテの「神曲」に擬へるなら、主人公はダンテであり、母はベアトリーチェか。青鷺はウェルギリウスでモデルは鈴木敏夫?さうならば宮崎駿はコキュートスで氷漬けにされてゐる魔王サタンか?いや大叔父として薔薇を落としたならあれは「天上の薔薇」?至高天? いくつものモチーフがあるだらうけれど、神曲の内容なんて既に忘れてゐるので、wikiで確認してきたのだが、気になる部分をいくつか挙げてをく。「この門をくぐる者は一切の希望を捨てよの銘」「アケローン川が流れており、冥府の渡し守カロンの舟で渡る」「洗礼を受けなかった者が、呵責こそないが希望もないまま永遠に時を過ごす」 「異端者の地獄 - あらゆる宗派の異端の教主と門徒が、火焔の墓孔に葬られてゐる」「第三の環 神と自然と技術に対する暴力 - 神および自然の業を蔑んだ者、男色者に、火の雨が降りかかる」「第八圏 悪意者の地獄 - 悪意を以て罪を犯した者が、それぞれ十の「マーレボルジェ」(悪の嚢)に振り分けられる」「第二の嚢 阿諛者 - 阿諛追従の過ぎた者が、糞尿の海に漬けられる」「第九の嚢 離間者 - 不和・分裂の種を蒔いた者が、体を裂き切られ内臓を露出する」「第六冠 暴食者 - 暴食に明け暮れた者が、決して口に入らぬ果実を前に食欲を節制する。」「第七冠 愛欲者 - 不純な色欲に耽つた者が互いに走りきたり、抱擁を交はして罪を悔い改める」など。 神曲に地獄篇があるが、宮崎駿と息子・宮崎吾朗の関係を見ると芥川龍之介の地獄変とも取れる。 そして、神曲のやうでありながらそこにあるのは磐座であり、産屋であり、産屋に火を放つといへば一般に邇邇藝命(天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇藝命)と石長比売・木花之佐久夜毘売の姉妹を想起させる。 石長比売は永遠性を表すとされ、永遠の淑女を表すベアトリーチェと対応してゐる。 邇邇藝命の第一子が火照命(ホデリ=海幸彦)、第二子が火須勢理命(ホスセリ)、第三子が火遠理命(ホオリ=山幸彦)である。 主人公が弓矢を扱ふのは山幸彦、即ち神武天皇の祖父とも取れるのだが、主人公の母は石長比売なので??? いや、そもそも邇邇藝命と石長比売の間に子はゐないし、本作ではその子に位置する主人公は大叔父様(主人公から見た大叔父だつたか?大伯父ではなく曽祖父の弟?)の跡を継ぐ事なく戻つてしまふ。 なぜ木花之佐久夜毘売は産屋に火を放たせたのかといふ経緯も含めて、この辺りに意味はあるのか。基本的には神曲を下地にしてゐるのだと思ひたいものだ。 ◇----------------------------
7/25 追記 自分としては当然だと感じてゐた部分、ここまでいへば分かるだらう事でも、他者からすると異なる感想を持つやうなので、補足。 本作の大きなモチーフの一つとしてギリシア神話のオイディプス王、並びに彼を由来としたオイディプス(エディプス)コンプレックスを挙げてをく。 ・・・さういへばインコについて言及してゐなかつたのだが、オイディプスでいへば母と交はる禁忌を犯させない役割のスピンクス(スフィンクス)だらうか。神曲なら「第六冠 暴食者 - 暴食に明け暮れた者が、決して口に入らぬ果実を前に食欲を節制する。」といふ作品の浪費者だらうか。 母と叔母は先日述べた通り石長比売と木花之佐久夜毘売であるともいへるが、同一視されるやうにも感じられる。創作でよくあるらしいが、一人の人物の内面を複数の人物に分けて描写してゐるといふ事だらうか。その意味ではスピンクスを送つたヘーラーも同一視するべきなのかも知れない。 そのやうに考へると(「第七冠 愛欲者 - 不純な色欲に耽つた者が)互いに走りきたり、抱擁を交はして罪を悔い改める」といふその儘の演出と、産屋に立ち入る禁忌といふものが、胎中の子の父は誰なのかといふ意味にしか取れないのではないか。 さうであれば主人公の父、声を演じたのは木村拓哉ださうだが、立ち位置として、古事記的には瓊瓊藝命、ギリシア神話的にはオイディプス王の実父であるラーイオス王(余談だがラーイオスの父ラブダコスが死んだ時、ラーイオスの「曽祖父の弟(曾祖叔父)」が王位を簒奪したともいはれる)は、本作でもどうにも不遇な扱ひである。 繰り返しになるがモチーフは他にも挙げられるだらうし、そこは教養ある宮崎駿監督であるから、それこそ切りがないだらう。 しかし、膨大な知識を以てしても、それを活かす思想的背骨が歪であれば、それは作者或いは視聴者の狭量さや傲慢さ、猜疑心、理性主義や個人主義といふ範疇でしか組み立てられず、本質にある空虚さを「難解さ」や「演出の妙」といふオブラートで包む事でしか答へを出せないといふ哲学詐欺の一種にしかならないのではないかといふ気がする。 綺麗事で誤魔化しつつ、結果として大叔父の世界は継承せず、己自身も父からではなく己自身の才覚により生まれたのだ。父と子との紐帯などないのだから、ただ能力のみ評価されるのだ。といふ呪詛のやうに私には感じられる。 遺作でもここが限界なのだとすれば、それまでの事であつたのだ。 テーマに対して作者の力量不足といつたところか。 私の解釈・感想が全てではないし、門外漢の的外れな意見なのかも知れないが、このやうな絵空事をあれこれと解釈して遊ぶのも暇潰しにはなるだらうけれど、それよりは現実と向き合ひ「國體護持総論」や「祭祀の道」を学ぶべきだらう。 それでこそ本懐を遂げる事ができる。 ■ 國體護持總論 http://kokutaigoji.com/books/menu_kokutaigojisouron.html ■ 祭祀の道 http://kokutaigoji.com/suggest.html
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catonoire · 1 year
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「ラテンアメリカの民衆芸術」展
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国立民族学博物館で「ラテンアメリカの民衆芸術」展を見る。当地で arte popular と呼ばれる、民衆の作る洗練された手工芸品を幅広く紹介する特別展で、時間的には古代から現代、空間的にはラテンアメリカ全域が対象である。
まずプロローグとして各地の典型的な民衆芸術(儀礼用品、実用品、装飾品)が並べられていた。
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次いで古代文明の遺物を概観するコーナー。下の画像は先コロンブス期に中央アンデス地域で織られた布。
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次は先住民族の手による手工芸品のコーナー。
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上はメキシコ西部に住む先住民族ウィチョルの肩かけ袋。下はパナマの先住民族グナの女性たちの手になる飾り布、モラ。
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写真はあまり撮らないでしまったが、キリスト教の影響の強さを感じる展示も多かった。メキシコの有名な「死者の日」の祭壇。
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奴隷として連れてこられたアフリカ系の人々の影響も無視できない。
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アジアの文化の影響についても触れられている。スペインを経由して伝わったり、アジアから直接伝わったものもあるらしい。下の画像は絣と漆器。
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次の章では現代の国民芸術としての民族芸術に焦点が移る。特にメキシコとペルーで政府が提唱し、近代化政策の一環として振興した由。
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上はペルーの首長人形。首が長いのは、なんとリャマやアルパカのイメージからきているそう。下は同じくペルーの箱型の祭壇、レタブロ。
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メキシコのオアハカ州で作られた木彫。
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20世紀前半にブラジル北東部で流行した民衆本、「紐の文学」の表紙や挿絵の木版画。
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最後の章は、市民による批判精神としての民衆芸術について。軍事政権、債務危機、格差拡大など、重い現実を直視せざるを得ない。下の写真はチリのアルピジェラ。ピノチェト政権下で多くの市民が亡くなったり行方不明になったりした、その犠牲者の家族や都市部の貧困層の間でアップリケ画の制作が始まったとのこと。
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メキシコのオアハカ州におけるストリートアート。博物館なのでこのように展示してあるが、本来は建物の外壁に大胆に貼られるものである。展示室の一角で、アーティストたちの活動の模様を映像で見ることができる。
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グアテマラの先住民族の女性たちによる、次世代の衣文化をはぐくむ活動の紹介も。
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最後にラテンアメリカ各地の仮面のコーナーで締めくくられる。
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全体的に、パワーや熱量に圧倒される展示だった。強大な古代文明、それを滅ぼされた後の植民地時代、独立を果たした後もなお続く困難など、どれも日本の状況が相対的に生ぬるく��じられてしまうことばかりである。メキシコのオアハカ州のアーティストたちのインタビュー映像が特に印象的で、安穏と暮らしている多数派の日系日本人としての我が身を顧みざるを得なかった。展示を見てどんな感想を持っても自由だとは思うが、ここで避けなければならないことは、「相対的に平和な日本に生まれてよかったなあ」だの「向こうの人たちは大変そうだなあ、でも困難に立ち向かっていてすごいなあ」というような他人事感たっぷりののんきな感想を述べることだと思う。そういう感想を抱いてしまうこと自体は致し方ないとしても、それを無邪気に口に出したり、「素朴」な感想だけでおしまいにしてはいけない。
展示ではラテンアメリカの多様性が強調されていたが、多様性はそれ自体を目標にして意図的に作り出すようなものではない。多様性が魅力的なのは否めないが、相対的に多様性に乏しい(ように見える)地域の文化の価値が相対的に低いわけではないだろう。「多様性があって素晴らしい」という言説には半自動的になんとなく納得してしまうけれども、多様性がほとんど自明的に良いものだと見なされるようになった事情や経緯を考えなければならないのではないかと思った。
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amiya3 · 3 years
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雨の塔舞台感想
私デビューしてそろそろ十五年経つ美麗な文章が売りの小説家なんですが、今回は語彙の貧弱なオタクが書いた文章をよむ感じで流していただけると幸いです。若干ネタバレしてますので死んでもネタバレに被弾したくないマンは読まないで。
なんかもう素晴らしかったよ雨の塔舞台……。自画自賛とか抜きでマジでヤベーもん観たよ……。あの場にいたオタク全員同じ気持ちだと思います。同じ気持ちだよね? これ全人類絶対観たほうが良いよね?? 自分原作の舞台でマチソワはきついなと思って今日は私は矢咲小津バージョンだけ観たんだけど、もし当日券売ってたら普通に夜の三島都岡バージョンのチケット買ってました。何あの中毒性。マジやばくないですか。 原作者的中毒性やばいポイント ・音楽(お歌)が超良い  歌詞が、私の文章半分、創作半分くらいの感じで、脚本読んだときは「これどうやって歌にするんだ……?」って不安になったんですが、ぜんぜん不自然さがなくてスーパーナチュラルでむしろ刺さりまくりで永遠に聴いてたかった。しかもいっぱい歌があるの! 全員それぞれ個性が違うけど合さると無限を感じる歌声で、劇伴もそれぞれ「そうだよね! そこだよね!」という刺さり具合で、ていうかこれサントラ出ないんですか? 配信だけでも出してくれませんか? ・踊りが超良い  個人的な話ですが、私ダンスが本当にからきしダメで、今までヒップホップと日本舞踊とベリーダンスをかじったのですがマジでまったくもってぜんぜん上達しませんでした(振りが覚えられない)。だから単純に「踊れる人」に対しての憧れが非常に強いです。今回の舞台、ダンスがあるとは知らなかったため、四人が踊り出したときめっちゃ得した気持ちになりました。この振付がものすごく良いの……。みんな可愛くて色の違う綺麗さで、硝子のオルゴールの中で踊るお人形みたいなの……。四人とも元々踊る人だったり現役で踊る人だったりするから踊れるのは当たり前なんでしょうが、個人的に藤本さんのダンスがめっちゃ好みでした。あなたとはアイドル現役時代に出会いたかったよ……ライブ観たかった……。 ・まさかそこにそんなものが!! な小道具とか大道具とか  これは実際観て確認してほしい。舞台上の細工考えた人(なんていうポジション?)天才だな!!!
 ほかにもいろいろあるんですが超長くなりそうなのでやめておく。そしてここからは各キャストさんに対しての感想。 ・矢咲  ややネタバレになりますが、矢咲小津バージョンは矢咲のモノローグから始まります。まっくらい会場で高月さんの声が聞こえてきた時点で「あ、この舞台は成功だな」って思いました。普通にちゃんと18歳の女の子なの。児玉先生が演出って知ったとき、唯一不安だったのが矢咲のキャラクター作りでした。児玉先生もともと宝塚の演出されてた方だから、もしかしたら矢咲「男役」になっちゃうかなと思ってました。でもちゃんと私の思い描いていた矢咲(女の子を好きになる女の子)を読み取ってくれて、高月さんもその(異性愛者にとってはまだ理解され難い)微妙なポジションを一ミリの違和感もなく演じてくれて、なんというか「通じてた」感がすごく嬉しかったです。はー。好き。抱いて。 ・小津  ものすごい台詞量でしたね……。大変だったね……。小津の台詞って、原作読んでくれたオタクにはお分かりいただけると思うんですが、ほとんど小説の「地の文」なんですよ。それをあんなに違和感なく、台詞として言葉に乗せられる表現力すごくないですか。あと単純に七木さんの姿かたちがものすごく美しくないですか。あのボリュームのある衣裳を纏っていてなお華奢さとしなやかさを感じる骨格、重要文化財じゃないですか。原作読んだオタク(およびもともとの私の読者)が一番気になっていたであろう肋骨が鳥籠~~のシーン、着衣なのにめちゃくちゃエロくてドキドキしちゃった……。美しいものを見せてくれてありがとう……。たっとかった……。 ・三島  三島都岡バージョンはまだ観てないので後日また書きますが、松村さんマジめっちゃ可愛いね!! さすが乃木坂だね!! 腰に結んでたおりぼんが拘束紐になる場面、たぶん一瞬うまく解けなかったんですよ。でもまったく焦りを見せず振付に一秒も遅れずに対処されてて、長いことアイドル界のトップランナーとして働いてる方の凄さを垣間見ました。三島都岡バージョンが楽しみです。 ・都岡  上記三人に関しては「私の小説の中の人」だったのですが、都岡だけは解釈が違いました。ただ、始まって少し経って「これもアリだな、いやむしろこれが正解だな」って思いました。児玉先生の指導か、藤本さんご自身の役の解釈か判りませんが、私が当時書けなかった「正しいほうの都岡」を見られて嬉しかったです。このニュアンス、原作読んだ人は判ってくれると思う。三島都岡バージョンを楽しみにしています。
総  野良女のときもそうだったんですが、私本当に恵まれてるなー幸せだなーと思いました。キャストもスタッフも本気オブ本気で「小説を元にした、舞台でしか成し得ない舞台作品」を作ろうとしてくれているのが真正面から伝わってきてちょっと泣きそうだった。きほん私は「書いた小説が世に出た時点で私の物ではなく買ってくれた人の物」だと割り切るようにしてるため、映像化や舞台化に関して、根幹となる部分には意見をしないようこころがけているのですが、今回は衣裳に関してだけは「やりなおしてください」ってお願いしました。元々ちゃんと、ものすごく可愛い衣裳を考えてくれてたんですよ。でも私の考えていたものとはちょっと違っていて、これ、口出されたほうはすごくイヤじゃないですか。プライドを持って仕事してたら、しろうとが口出すなよバーカって思うよね。でも、衣裳担当の方がとても真摯に対応してくださって、結果、どれも本当に完璧なかたちで雨の塔の世界を飾ってくれて、服ヲタとしても眼福でした。  結局今日は企画を挙げてくれた方とはお会いできなかった気がするんですが、雨の塔を見つけてくれて本当にありがとうございました。まさか十三年以上も前に出版された本をこんな、宝石箱みたいな舞台にしてもらえるとは思ってもいませんでした。愛してくれてありがとう。原作者幸せです。  あと、あまねく百合の民、配信でもこれは絶対に観たほうが良い。こんなに美しくて切ない生身の百合、今後100年は見られない(多分)。  そして原作の小説買うの迷ってるオタク、これも絶対買ったほうが良い。今回物販ないから台本の販売もないんですよ。私は推しが出た舞台の台本が売ってたらもれなく買って家でタイムシフト脳内上演するタイプのオタクなんですが(もちろんサントラも買う)、雨の塔、原作にものすごく忠実だから、マジ文字だけで脳内上演余裕です。劇場で売ってます。そして制作の人、サントラも売ってください。お願い。
※推敲してません。読み直してもいない勢いだけで書いた文章なのでご不快な点もあるかもしれませんが大目に見てください。 ※原作本、劇場販売分売り切れたそうです。数が少なかったのもありますが、物販がなかったせいで、終演後に「なんかお金落とさなきゃ!」と強迫観念にかられたオタクが意識ないまま原作本買ってくれた姿が目に浮かぶ。ありがとうございました。
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makikoakiyama710 · 4 years
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展覧会評:「One World: 40 Artists Respond to Covid-19」展
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ジュエリーはどのようにして人々の助けになりうるのだろうか?大きな災害が起きた時、ジュエリーに従事する多くの人の心にはこんな質問が思い浮かぶのではないだろうか。
この問いについて考えるのに最適の展覧会がある。「One World: 40 Artists Respond to Covid-19」展である。この展覧会は、アメリカ、ニュージャージー州のGallery Loupeが企画したグループ展で、国内外のジュエリーアーティスト40名が、COVID19のパンデミックへの応答としてネックレスを制作した。感染状況を考慮し、バーチャルエキシビションの形式を取り、デジタルカタログのフォーマットでオンライン公開されている。そのカタログは宝飾史家で金工史家のトニ・グリーンバウムのテキストにはじまり、そのあとに、作品写真、アーティストによるステートメント、本人による着用写真や着用ムービーがならぶ。
感染拡大がもたらす不安は、鑑賞時の心理にも影響をおよぼすらしい。カタログのページを送りながら、わたしは、自分ならどのジュエリーとこの難局を乗り切りたいだろうか、と知らず知らずのうちに考えていた。このような心情はわたしだけではないようだ。トニ・グリーンバウムによるテキストが「新時代のお守り」と題されていることもそれを物語る。また、出品作には、お守りとしての役割を意識したものある。(ただし、お守りにもなるジュエリーをつくることがこの展覧会のテーマでなかったことは、誤解のないよう付言しておきたい)。
お守りを想起させる作品の代表例は、丸い形にトゲを生やしたコロナウイルスの形を模した作品群だ。ビビッドな赤色が印象的なAnnamaria Zanellaの作品や、ビーズをあしらったポップな色づかいのBarbara Seidenathらの作品がこれにあたる。伝統的な魔除けのお守りには、不吉な動物や邪神の姿をかたどったものがあるが、コロナウイルス形のジュエリーは、この流れをうけついでいるといえるだろう。同時に、ミクロなウイルスを拡大し可視化することで、安心感を得ようとする心理が表れていると考えることもできる。
護符の代表的なモチーフという点では、目を扱ったEmiko Oyeの作品にも注目したい。Oyeは長年、玩具のレゴブロックでジュエリーをつくってきたアーティストだが、「One World」展の出品作にもレゴを使い、ライトブルーの目にレインボーカラーの光背を配した『Sunday』を出品した。目は、邪視よけとして人気の高いシンボルだ。この邪視(=evel eye)とは、嫉妬や悪意にかられた人物の視線が、その視線がむけられる相手に災いをもたらすとする、世界の多くの地域で信じられてきた民間伝承である。
お守りという視点からこの作品を見るとき、この邪視よけと関連づけたくなるが、この作品は、邪視ではなくコロナウイルスの感染拡大への応答である点、また、自身が制作する「2 be seen」シリーズ(2019年~)1の一環として制作されている点で、邪視よけとは趣を異にする。このシリーズは、内面に目を向け、NVC(非暴力コミュニケーション)を実践することを、見る者に促すことをコンセプトとしており、そこには目が何度も登場する。ここにおいて目は、NVCを実践する上で必要な、自分のことを見てもらいたいという普遍の欲求に対する理解、自己および他者への関心、またNVCの実践者そのものの象徴している。つまり、このシリーズにおける目は他者への愛を表し、持ち主の心にポジティブな作用をもたらす。自分の気持ちを強く保つこともまた、お守りのたいせつな作用であるならば、Oyeの作品もまた、目というモチーフに新たな意味を吹き込んだ、現代型のお守りと考えることはできないだろうか。
 この、伝統のお守りのアップデートという形のもうひとつの良い例が、Shachar Cohenの『Hamsa』である。ハムサは、中東や北西アフリカ諸国、ユダヤ人社会で人気の高い邪視よけの護符で、開いた右手を様式化したものであり、手のひら部分に目が描かれることもある。だが、Cohenのハムサは手のひらが扁平で指が短く、アンバランスだ。そして、その形や大きさから、特定の人物の手を象っていると推測でき、本来のハムサが持つシンボルとしての普遍性を欠く。
また表面の鏡状仕上げにも注目したい。Cohen自身は、この鏡面効果を、セルフィー文化などが象徴する現代社会における自意識の肥大を表すものとして用いているようだが2、わたしが住む日本では、鏡は古くから神の憑代と考えられ、三種の神器のひとつとして聖性視されてきた器物である3。本人はその点を意識せず作っているようだが、ふたつの文化圏のお守りの表象が偶然にも混在しているのは興味深い。同時に、この作品にはお守りの伝統的な形を踏襲しながらも、それにたいする多義的であいまいな態度も内在している。それは、彼自身の見解であるようにも、現代人一般のお守りにたいする見解であるようにも見え、図らずもグリーンバウムのテキストの「新時代のお守り」を体現しているようにも思われる。
ここで、ジュエリーのお守りとしての役割について考えるさいに注目に値すると思われる、ひとつの要素を提示したい。その要素とはしぐさである。
 この、しぐさを伴う作品として挙げられるのは、Timothy Veske-McMahonの『Contact』だ。これは温度によって色が変わる塗料を塗った円形のネックレスで、カタログには、作品を身につけたMcMahonの動画が載っている。その動画のなかで、McMahonは編み物をしているが、途中で手を止め、その手を胸元の円形に押し当て、不安まじりの途方にくれたような顔で遠くを見る。そして、塗料の色が変わったころ、ふたたび編み物にもどる。Esther Knobelの作品にもしぐさが伴う。長方形の平たい缶のような陶磁器製の容器に、何とも形容しがたい形のパーツが無造作に入れられたものを下げたネックレスを出品したKnobelは、写真のなかでその容器を手に取り、中をのぞき込んでいる。Knobelでなくとも、この作品を手に取れば、無意識のうちに彼女と同じ動作をとりたくなりそうだ。
Luci Jockelの作品は、オブジディアンという石を楕円状に削りだして作られている。表面はしずく状に刻まれ、その上にハチの羽根が配されている。作品を光に透かすとしずくの形とオブジディアンのストライプとが浮かび上る。それらが作品越しに見える景色と重なり、小さな絵画のような様相をなす。
かれらのポートレートからは、不安と孤独な時間とが透けて見える。MacMahonの表情からは、不安や恐れ。Jockelの作品写真からは、窮屈な状況とそこからの解放への切望。そして、Knobelの、箱をのぞき込むしぐさからは、感染拡大によって急増したひとりの時間に、内省的になりがちな心持。そして、ジュエリーを手にしながら行われるしぐさが、これらの行き場のない感情をまぎらわすためのささやかな手段のように扱われている。だとしたら、それらのしぐさは日常的に繰り返されることで、安らぎの儀式へと変わり、やがてはそのジュエリー自体が持ち主にとってのお守りになりはしないだろうか。
ここではお守りについて、自分が住む国の状況と個人的な見解に基づいて論じてきた。人によっては、わたしの考えに共感を抱けないだろうし、まるでピンとこないかもしれない。だが、お守りとは、ひいてはジュエリーとは、本来きわめて個人的で、その土地の文化・風習を色濃く反映するものだ。また、ジュエリーが持つお守りとしての側面は、ジュエリーを作る人、研究する人、身に付ける人にとって一考に値するテーマであるはずだ。これは、太古の昔から、人々がジュエリーに求めてきた役割であるだけでなく、ウイルスや気候変動など自然への脅威が高まるいま、人々がますますもって必要とする役割でもあるからだ。だからこそ、民俗学や文化人類学的な視点に加え、芸術的側面をはじめ、多様な視点��ら、お守りとしてのジュエリーの可能性を探ることができると思うのだ。そのさい、先ほど挙げたジェスチャーといった、身に付けて持ち歩けるものに固有の特質に目を向けることは、けっして無駄にはならないと思う。
また、誤解のないようつけ足しておくと、わたしは作り手に、お守りとしてのジュエリーを作るべきだと説くつもりはない。なぜなら、そのジュエリーが持ち主にどのような心理作用をもたらすかは、その持ち主にゆだねるよりほかないからだ。いわゆる伝統的な護符と、現代におけるお守りの違いは、ここにあると思われる。つまり、お守り効果の後ろ盾になるのが、集団的な信仰や風習か、個がそのものに感じる私的な心理的紐帯かという点だ。
 ひとつ確かなことを言えるとしたら、そういうジュエリーと巡り合えた人はとても幸運だということだ。そして、これを読んでいるあなたが作り手であるならば、あなたが作るジュエリーだって、弱った誰かの心に寄り添い、力を与えられる可能性を秘めているということだ。そして、それが現実のものとなるならば、それはジュエリーを作る者にとって、大きな幸せなのではないだろうか。たとえそれが、あなたのあずかり知らぬところで起こることであったとしても。
「One World」展は、現在進行形の事象に対するアーティストたちのタイムリーな反応を引き出し、それを後から確認できる形で残している点、そして、展覧会を鑑賞・考察するさいのガイドとなる時宜を得たテーマ(お守り)を同時に提示した点、さらには、苦境においても果敢に制作するアーティストの姿を紹介することで、見る者を勇気づけた点など、複数の側面で意義深くすぐれた展示である。とくに最後の点については、ポートレートという写真の形式の選択が功を奏したといえるだろう。「Stay Home」が世界的な合言葉だった当時、自宅やその周辺で撮影されたと思われる彼らの写真は、見る者に連帯感を抱かせる効果もあった。
ここでは、わたし自身がここのところ「お守りとしてのジュエリー」というテーマに着目していたこともあって、それを軸に話を進めてきたが、もちろん、それ以外の切り口からパンデミックに応答した作品も多い。さらに、ここではしぐさを誘導する作品例として、McMahon、Jockel、Knobelの作品を紹介したが、これはわたし自身がとくに心をひかれたのがかれらの作品であったというだけで、ほかにもしぐさを誘う作品はいくつもある。それぞれの作り手がどんな発想をもってわたしたち全員が体験しているこの大きな事象に向き合ったか、ぜひじっくりと時間をかけて鑑賞してみてほしい。どこにいても、好きな時に好きなだけ時間をかけて鑑賞できることも、オンライン展覧会の大きな利点である。
 1.      本展詳細は、Emiko Oyeのウェブサイトを参照:https://www.emikooreware.com/
2.      Gallery Loupeウェブサイトの作家紹介ページを参照https://galleryloupe.com/artists/Shachar+Cohen
3. 三種の神器は、日本の神話に登場する鏡・勾玉・剣で構成されており、初代天皇に授けられたとされ、現在もなお皇居および神社に奉納されていると言われている。
2020年9月22日:加筆修正
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valiantlydarktiger · 5 years
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インドの神様めぐり 高岡山瑞龍寺 【再】
 高岡山瑞龍寺
訪問日 2019/10/27 
 二回目の訪問です。一回目  今年は大河ドラマ「いだてん」なので、今年いっぱい普段格子の奥にいる韋駄天さんが格子無しで拝見できるから、と知ってたのですが、もう11月になってしまうこのままじゃ終わってしまう!と、あわてて行ってきました。  前に行ったときは…そうだ、こちらの韋駄天さんが美少年でびっくりして調べてこの後宇治の萬福寺に寄って布袋さんと韋駄天さんを拝めたよいきっかけになったのでした。
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 と、韋駄天話から始めたのですが、瑞龍寺と言えば烏枢沙摩明王。  まずは写真撮り放題のレプリカうす様にご挨拶。
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 高岡は鋳物、銅器が名産なんですが、この明王様も鋳物。後で伺ったのですが、美術館に初めてオリジナル木造うす様がお出ましになった時に、本来オリジナルが祀られている法堂に移動してお留守番してたのですが、大人八人で何とか運んだとか。  …国宝の木造建築、床抜けなかったか心配です(抜けてない)
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 さてコンビの猪頭天、やらかして叱られております。オリジナルの猪頭天は、お耳をネズミにかじられてしまいました。  話は変わって漫画家藤子・F・不二雄先生は高岡の出身。なので高岡はドラえもんミュージアムがあったりドラえもん路面電車があったり銅器の町なので銅製ドラえもんポストがあったりドラえもんな町です。  そのドラえもんは猫型ロボットですがネズミに耳をかじられて以来ネズミ超苦手なのでした。  あと高岡市民は引き出物やおみやげお持たせの定番がどら焼きなのです。  どら焼きはともかく、高岡では耳をネズミにかじられやすいのです。
 本堂はお釈迦様と普賢菩薩文殊菩薩。法堂は前田利長公のお位牌。法堂右の部屋がお厨子に納められた烏枢沙摩明王。撮影禁止ですが近くで拝見することはできます。服の模様までよくよく拝みます。
 法堂を出て大庫裏に韋駄天さん。
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 ほんのちょっとだけ高い位置にあるので、どうしても煽りになってしまいますがそれでも写真たっぷりとれたので満足しました。鎧の超絶技巧と可愛らしいお顔がたまりません。…皮を籠みたいに編んだ風?
 さて満足したから御朱印いただいて帰ろうと思ったのですが、たまたま寺内で「開運マルシェ」というイベント中。そこで、「韋駄天座禅会」「烏枢沙摩明王会」をやってるそうではありませんか。  座禅会はもう終わってたのですが、烏枢沙摩明王の前でのご祈祷(気持ち分お賽銭)はお昼過ぎた頃だ!ご飯食べてくる!!
 お昼は精進料理。野菜だけですががっつり。
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 さて時間がきたので烏枢沙摩明王会に参加します。  多分地元や檀家の皆さんがほとんど。結構な方がご祈祷の申し込みしてました。  お経読んでもらって個々の祈願ご祈祷あってお焼香して、お厨子の前でお坊さんと向き合いお経読んでもらってばふばふとお経で頭と肩を叩いて払っていただきました。…満足。
 革製ストラップお守り授かりました。  前に来たときにも授かったのですが、愛用しすぎてストラップ部分が抜けてしまったのです。本体無事だから紐だけ付け替えればいいかーと、100均で根付け紐買ってきたら、合わない。  ぐぬぬ、ストラップ金具付きならどうか、だが駄目だ。  もうちょっと金具が大きいのを買ってきたが駄目ー!  うむこれはお返しして新しいのをお迎えしろと言うサインである、直す努力をするより旅行計画を立てるべきだ、と、解釈したのも今回のお出かけの理由の一つでありました。
 物販に韋駄天さんグッズはなかったのことよ。
 さて瑞龍寺にはほかに跋陀婆羅菩薩という風呂の守護像があります。
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 バドラ・パーラという方がお風呂よばれて入ったところ、悟りを開いた故事から風呂場の守護となったとか。  手に持ってるのはお湯かき混ぜる櫂です。  東司、食堂、浴室はお寺では大事な修行の場で喋っちゃいけないとかいろいろ決まりがあるそうで、その守護に明王、天、菩薩がついているのは頼もしく恐ろしいところではありますが何というかバドラさん気にしたことなかったよ!
 ご祈祷までしてもらって瑞龍寺出た後は、藤子・F・不二雄ふるさとミュージアムへ…迷子になって動物園で孔雀とかフラミンゴ見たり寄り道しましたが何とか間に合った。  私の住んでるところは神奈川県で、そんなに遠くないところに藤子・F・不二雄ミュージアムがあるんですよ。まだ行ったことないんですが。  翌日足延ばして射水市の海王丸も見てきたんですが、横浜に姉妹船の日本丸がいるんですよね。  日本横断して似たところに来たもんだ、と、ちょっと感慨深くなりました。  時間内ので急いで回ってしまいましたが、またのんびり行きたいなあ。
 あ、高岡はコロッケそのほか揚げ物がうまいです。  適当に入った肉屋さんのコロッケが、冷めてからもべちゃっとならずにばりばりざくざく。  これ一つならその肉屋さんだけレベルが高かった話ですが、ホテルの朝ご飯のバイキングコロッケも、ざくざくだったんですよ。  …ドラえもんはどら焼きラブで、コロ助はコロッケラブだったなあ…
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御朱印、上が2017/07 下が2019/10
真ん中も情報量変わってますね。そしてきんきら!!
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「看板仏像役とられたー」  参拝客がいない時間、お抹茶席に陣取ったウスサマは今年に入って何百回目か位に文句を言うのだが、スカンダとお供の猪頭天は聞き飽きたので聞いてやらない。 「韋駄天御朱印は今後も継続だし、絵に起こしてもらったから高岡制圧して富山から石川行こうか新潟行こうか」 「坊はここでは台所当番なんだから、すぐ制圧とか言わない。あと、大仏さんがいるからなかなか高岡一箇所だけでも制圧難しいっしょ」  大仏さんにゃー勝てないなー高岡市民の大好きな銅だしなー、と、スカンダは猪頭天の持ってきたどら焼きをかじる。 「て言うか、大仏さんよりアレに勝てないよね」 「同じ市内の誇り、仲良く高めあいなせえよ」  ぐりぐりとスカンダは猪頭天の頭をなでる。 「ウリ坊はドラちゃんのモデルだもんなードラちゃんの味方するよね」 「モデルってわかってるわけじゃねえし、味方しても何もでねえ」  ちょっと強めに頭をかかれて猪頭天は頭突きで反撃し、即二人ともウスサマにチョップを食らう。 「喧嘩は外で」 「仲良しですー」 「坊が今日はやけに絡むんでおっぱい飲んでねんねするといい」  なんだとう、と、つっかかるスカンダを、ウスサマが押しのけ、猪頭天に振り返る。 「コロッケ買ってきて」 「どこの店だ」 「任せる」 「任された」  よいしょ、と、猪頭天は人にまぎれて外に出て行く。  後はむすっとしたスカンダとウスサマと。 「抱っこか、いい子いい子か」  ほらおいで、と、ウスサマが手招きすると、さらにスカンダはふくれる。 「赤ちゃん扱いすんな」 「めんどくさいから赤ちゃんみたいにえんえんするか腹立ててること言っちまえ」  後10秒、9、8、と数え始めるとあわててスカンダは口を開く。 「せっかくおとさんとツーショットなのにウリ坊入ってるから」  なんだそれ、と、ウスサマがカウントダウンをやめると、スカンダが御朱印帳を広げる。  新作御朱印は烏枢沙摩明王、釈迦如来、韋駄天と豪華三面使い。  烏枢沙摩明王と韋駄天は仏像から起こした絵のスタンプなので、当然烏枢沙摩明王の足元には猪頭天が座っている。 「…真ん中お釈迦様だから元々ツーショットじゃないし、ウリ坊ここにいなかったら俺バランス悪くてひっくり返るし」 「でもさー一緒の画面に入るの二千年ぶりくらいだよ?」  そんなだっけ、と、ウスサマは指折り数えるがまあ二千も指はない。 「…そっか」 「別にここでも看板仏像二つ並べただけで特に意味はないことになってるけどさ」  そっかそっかとウスサマはぼーっとして、それから、にーっと笑う。 「後でウリ坊に笑われろ」 「おとさんにだけ内緒で言ったんだからね!言わないでよ」  ウリ坊どこまでコロッケ買いに行ったかなー、腹減ったー、と、もう少しだけ二人してどうでもいいことを話していたらしい。  
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buriedbornes · 5 years
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第30話 『赤子の視る夢 (2) - “異界”』 Fetus dream chapter 2 - “Abyss”
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 目の前の白いガウンの男をじっと見ていると、まるでぐにゃりと地面が揺らぐような錯覚に陥った。私は自分でも不思議になるほど、とんとひとかけらも思い出せないのだ。そんな私に真実とは何かを判断する術は持ちようがない。
 けれど、このような装丁まできちんとした論文を用意してまで、私を騙して何か利することはあるのだろうか。全く想像がつかない。冊子を持て余す私を見かねたのか、ヴァルター博士は私の手からそれを拾い上げ、手早く近くの書棚へと返した。
 そして、別の資料を私に押し付ける。少し角が折れたり、曲がったりした羊皮紙の束だった。私はぐるぐると巻かれた革紐を解きながら、ちらちらとヴァルター博士の様子を伺った。
「……次は、なんです?」
「異界に関する資料です」
「詳しくは分かっていないのでは……?」
「ええ。ですが、『異界』の存在自体は周知の事実と申しましょうか……存在は分かっていて、ある程度調査が進んでいると――、私たちは信じていました。ですが、少なくとも我々が調査してはじめて分かったこともあったわけです」
 羊皮紙にはびっしりと神経質そうな文字が並んでいる。
「読みにくいかもしれませんが……今回の件にまつわるものをまとめております」
「こんなに……」
 私は半ば脅迫的に、その羊皮紙に目を落とした。
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 医療団派遣 嘆願書
歎願者 シェルノ医院医師一同
  当院医師は当該事件についての医師団派遣を希望する。伝染病の恐れあり。至急返答求む。
  6月某日、農業と林業を主たる産業とする山村ロルコールにて、ある青年が亡くなった。清廉潔白で村の青年団を務めたような堅強な青年であるが、前兆無く不帰。家族が農地周辺を探すも姿が見えず、親族と共に周辺を探す。上述の理由から失踪とは考えにくく、事故ではないかと他の村民たちも捜索に加わるが、痕跡なし。
 3日後、青年は帰宅するが、尋常ではない様子。家の隅に座り、壁に顔を向けたままブツブツと何かを唱えているばかり。実妹が心配し、食事を持って行った際にようやく返事をしたものの、会話が成り立たない。よほどのことがあったのか、無理やりにでも医者に連れて行くかと思案するうち、青年の容体が急変。突如苦しみ出し、介抱する間もなく死亡。直前、支離滅裂な発言と共に胸を異様なほど掻きむしっていたため、精神の病ではないかと考えられ、そっと荼毘に付される。(当院医師、看護婦等への連絡はなし、後ほど聴取と解剖行った)この青年をAとする。Aの家は豪農であり、農地を有する裕福な家系であった。
 その後同じ村からまた行方不明者が出る。幼年から親しく付き合う仲だった若者達B、C、Dが、先述のAと同様にブツブツと独り言を繰り返し、三者一様に徘徊する様子あり。B、C、Dは、Aの家の農地を小作する家の出。発狂した青年を慕っていた者たちでもあったため、家族共は相談し、様子を見守っていたが、その内2名B、Cが行方不明となる。Dは家族が取り押さえているうちにぱったりとこと切れた。Dの遺体には暴れた後はあるものの、絞殺に見られる圧迫痕や打撲痕等見られず、この時点では心不全と考えられた。
 当院医師が呼ばれ、死亡したA、D、2名の解剖を行う。解剖の結果両者の首筋に腫瘍状の肉塊あり。この異物の影響で異常行動をとったのではないかと推測。葬儀の許可を与える。
  再度同村から連絡あり、急行。腐敗した子牛大の肉塊が2つあり、村民は先日の行方不明者B、Cだったものだと主張する。
 経緯不明のため確認したところ、B、Cが、突然A、Dの共同葬儀に現れたとの説明を受ける。A宅で行われる葬儀のため、煮炊きする下女が驚いて腰を抜かしているところを通り過ぎ、屋敷の表から入る。B、Cともに、山などに潜んでいたにしては汚れておらず、いなくなっていた時と同様の衣類を身に着けていた。しかし、親しくしていたA、Dの葬儀だというのに妙に陽気に笑っている姿に、変事が続いていた村民は警戒を露わにした。中でも、彼らと年の近い青年Eは2名の変様に異常を察知し、鍬を手に制止を呼びかけ、それぞれ頭部と腰部を柄で強く打ちつけた。
 絶命するほどの強さではなかったとEから証言を得ているが、姿を現した2名はその場で倒れ、全身が急激に腐乱し崩壊したという。この異常な結果を鑑みて、精神の病ではなく何らかの伝染病ではないかと判断し、解剖を担当した医師を呼び寄せる。
 しかし、当院医師が確認しようにも人体とは判断できない肉塊であるが、衣服等の散乱した形跡あり。ほとんどの村民は半ば恐慌状態にあり、村を出て山を降りると主張する者が他の村民と諍いを起こす様子も見られ、口裏を合わせた殺人などの可能性も低い。
 以上が、一連の事件の経緯である。状況を放置した場合、山麓の町々にも影響が出る可能性があると考えられる。至急、派遣・調査を願いたく、報告とする。
  王立医師団への報告書写し
報告者:クラウス 王命監視団付医師、医学博士
 王命監視団団長に任ぜられ、ロルコール村に到着。陛下誠に心が痛むとお答えになり、すぐさま調査団の組織を命ぜられた。伝染病対策のため、看護団とともに入村。異界の門を確認、奏上。
 王命を受け、招聘した2名の博士を含め、監視団を再編。団長職をマティアス博士に委任する。
 マティアス博士:55歳男性、王立魔道学院異界研究室 教授、代表論文『赤子の視る夢』:通達にあった通り、若干視野狭窄が認められる。門への好奇心が極めて強く、門に案内したところそのまま突入しそうになったため、慌てて隊員ふたりがかりで制止している。それ以外はおおむね問題なく体調等変化なし。
 ヴァルター博士:41歳男性、王立魔道学院異界研究室 教授、代表論文『召喚術に於ける被召喚物と現実の交差構造について』:比較的落ち着いているものの、マティアス博士の突発的な行動を警戒し神経質になっている様子。門へのアクションは最小限にしたいという考えを表明している。
 両博士の確認により、門を異界に通ずるものと確定。ロルコール村の村民の立ち入りを禁ずる。
 同日、調査開始したことを報告する。
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 そこには一枚の集合写真が挟まれていた。十数人の白衣の人間がずらりと並び、中心には目の前にいるヴァルター博士と、穏やかそうな笑みを讃える好々爺然とした男性が立っていた。
「これは私たちが着任した時に撮った写真です。ほら、これがあなたです」
 ヴァルター博士はすぅっと写真の、ヴァルター博士の隣に立つ男を指さした。すらりと均整の取れた体つきの、若い男だった。
 ……これが、私。
 私はきょとんとしたまま、近くのガラスを振り向いた。戸棚にはめ込まれたそのガラスは、透けて薬瓶が見えるものの、うっすらと私の顔が映り込んでいた。
 確かに、写真の男によく似ている、今の私はかなり痩せているようだが、同じ顔をしている……。だというのに、何の実感も込み上げてこない。
「医学者だったあなたとモニカ嬢は陛下の命で結成された調査団のメンバーでした。あなたが指揮を執り、村での不審死が未知なる伝染病か――はたまた、実は単なる殺人なのか、調査していました」
「お、覚えていない……!」
 首を大きく振って、私は否定した。覚えていない、何一つとして。何を言われても、ぴくりとも記憶は蘇ってこないのだ。
「門を���えておいでですか」
「いいえ……博士にどんなに説明されても、異界も門も、その肉片とやらも思い出せません」
「落ち着いてください、責めているわけではないのです」
 ヴァルター博士は私をなだめるように続けた。
「あなただけが真相に最も近づいているのです。あなたが異界中での出来事を思い出せれば、門や異界の謎に大きく近づく事ができ、門を封じる糸口も見つかるかもしれない……」
「私が真相に……? あなたは博士なんですよね? 専門家のはずじゃ……」
 ヴァルター博士は哀し気に微笑んだ。
「あの時、全員が門に入るわけにもいかず、私はこちらに残っていました」
 笑みは自嘲じみて歪み、しおれたようにヴァルター博士は小さくなった。
「ですから、私は門の中を知り得ないのですよ。あなたとマティアス博士が門に向かった時、私は一緒ではなかった。……帰ってきたのはあなたとマティアス博士だけでした」
「マティアス博士も一緒に?」
「はい。ご一緒でした。ただ、マティアス博士は帰還を果たした自分達が危険な状態にあると、あなたとご自身を隔離され……私も近づくことは許されませんでした」
「隔離……? どこにですか?」
「監視室です、門を監視するためにこしらえていました。あなただけをそこに残し、マティアス博士は再び門を越えたようです。しばらくして、監視室からの連絡も途絶え、私は博士の言いつけを破り、監視室に踏み込んだのです。そして、我々は監視室で倒れたあなたを発見しました」
「それで私は、あの監獄部屋に……?」
 羊皮紙にびっしり書かれた異界との遭遇事例、ヴァルター博士の淡々とした、だからこそ感じる強い悔恨の声、私はおどおどとみっともなく体を竦めるしかなかった。
「マティアス博士の姿はなく、あなたが倒れている姿を見た時に、まず、保護しなければと咄嗟に隔離する形をとったことは申し訳ないと思っています。ですが、あなたが再び目を覚ました時、何が起こるのか分からず……このような形にしてしまいました」
「私が何かするとでも思ったのですか……」
「どちらかというと、あなたもマティアス博士のように門を超えてしまうことや、ロルコール村の青年たちのように形を失うことを、私は恐れたのです。万が一、あなたが暴れても、誰にも危害を加えないようにする必要もありましたし」
 私はこれ以上羊皮紙に書かれた『異界』や『門』『肉片』『乳母』という言葉を見ていられなかった。元のようにぐるぐると革紐を結わい、ヴァルター博士に返そうとした、その刹那――、
(……あれは、)
 ヴァルター博士の影が動いたのだと、はじめは思った。しかし、そんなわけはない、どこか赤黒い、血のような色をした影が彼の首筋にすぅっと入り込んでいったのだ。ヴァルター博士は私から目を逸らさないが、自分の首筋を這っていた影を気にする様子もなく話し続けている。
「あなたは、思い出す義務があります」
「思い出す、義務……」
「ええ、異界がこれ以上世界に災厄をもたらす前に、唯一帰還した『赤子の異界』を経験したものとして、是非記憶を取り戻していただきたい」
 思い出せない、何も……記憶がない。どうして私には記憶がないのだろう。あれだけ確かに聞こえるモニカの声も聴き間違いだと断じ、私を監視所の責任者だったと言いながらあんな監獄に閉じ込めて…
 この男は、何者だ。先ほどの赤黒い影は……、赤黒い、まるで血の塊のような……あれこそが肉片ではないか……。
「あなたの記憶が世界を救う鍵になるかもしれません。思い出してください」
 私は答えずに紙の束を突き返した。ヴァルター博士はそれを受け取ると、棚に戻すために体を捻る。
 ――……今だ。
 咄嗟に私はそばにあった一番分厚い本を手に取り、素早く振り下ろした。鈍い手ごたえと同時に「ぐぅ」というつぶれた悲鳴が聞こえ、ヴァルター博士が天鵞絨の椅子から床に崩れ落ちる。
 お前こそ、赤子に成り代わっているんじゃないか。
 犠牲者の首筋からは、腫瘍状の肉塊が摘出されている。さっき見えた影が、きっと……。
 私は部屋から飛び出した。
 必死で廊下を駆け始めると、ブウウンという音がどこか遠くで高鳴り始める。殺風景な廊下の角向こうから、ピチャリという湿った音と同時に聞こえる。あの監獄部屋に近づいているような気がして、私は足を向ける方向を変えた。
「くそ……っ」
 急に頭が激しく痛み、視界がぐらりと歪んだ。どんどん意識が半濁していくが、私は必死で抗った。
 ドクリ、ドクリ、と痛みが周期となって襲ってくる。
 音を避けながら歩き続けたが、看護婦には会わなかった。
 クラウス、と誰かが呼ぶ声がした気がする。
 濁っていた意識がじわりと浮上する。
 あの女の声は――私を愛しそうに呼ぶ声は、モニカなのではないか。私と一緒に調査に来たという恋人。生憎私は思い出せずにいたが、彼女はあれほど切実に呼びかけていたではないか。
 ヴァルター博士は誰もいないと言った。
 ここは本当に、監視所なのだろうか?
 モニカは、ここのどこかに、いるはずなのだ。
「モニカ! モニカ、いるんだろう!」
「クラウス! クラウス!」
「ああ、やっぱり君はいるんだな!」
 モニカの声は少し離れたところから聞こえた。彼女の声を頼りに私は見覚えのない監視所なる建物の中を駆け回った。
 山村というだけあって、奥深い山中に監視所はあった。窓から見える鬱蒼とした木々は、清らかな雪を被り、シンとそこに立ち尽くしている。監視所は山を抱くように回廊型で、どうやら中庭があるようだ。
「でも、きっとそうじゃないわ。私の勘でしかないけれど……そうね……ええ……」
 モニカの声がはっきりと聞こえるのに、私はずっと無視をしていたのか。ヴァルター博士に化けた赤子に騙されて、恋人を見捨てるところだった。
 いくら記憶がないからと言って、どう言い訳をすればいいか、モニカは今のように親しげに私の名前を呼び、失われた記憶について優しく語ってくれるだろうか。
「クラウス!」
 声は、あの扉の向こうからする。
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 扉には鍵がかかっていなかった。そして、飛び込んだ私は凍り付いた。
 モニカはおろか、人の姿はなく、そこにあったのは巨大な窓だった。
「――……これが、門、か」
 思い出したのではない、ただ、そう考えた方が自然だっただけだ。窓の向こうには空間を切り裂くように開いた不可解な裂け目があった。荷馬車の幌ほどの巨大さで、怪しく禍々しい光を放ち、赤黒いその内の空間を覗かせている。
 赤子の異界……。
「も、モニカ……?」
 この部屋で間違いないと思った。そのほかに扉はなくて、声がするなら、この扉の向こうだと。
 ただ、そこに人影はなかった。門に面した大きな窓には簡素な数脚の椅子が並び、扉側に置かれた事務机の上には書面が散乱していただけだ。
「……これは……?」
 散乱した書類の上、手帳が置かれている。
 罪悪感よりも、救いを求める気持ちが強かった。この手帳に何かを思い出すきっかけがあるのではないか。
 表紙をめくった中扉には小さくMとサインが書かれていた。そのサインを見た瞬間、私は取り憑かれたようにページを手繰り始める。
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6月7日
 山中の門を確認。報告にあった遭遇事案は近年では稀に見る規模。発見した王命監視団のクラウス隊長に歓迎される。監視団全員の健康状態の確認のため写真をひとりひとり撮影。その際、ヴァルター君の提案もあり、集合写真も撮影する。医学者でもあるモニカ女史の手伝いを受け、私とヴァルター君と手分けし、隊員たちの問診をする。現在赤子の異界への曝露の影響はほぼ見られない。
 6月8日
 門の周囲に仮設キャンプの監視所設営。隊は青年が多く、村人の多くも手伝ってくれる。監視所が完成するまで、問題の村を定宿とす。経緯で『成り代わり』が現れているため、疑わしい場合に隔離する独房の必要性を主張。クラウス君は快諾。スムーズに設営が進む。門を常時監視できる部屋は今のままでは手狭とヴァルター君が主張。
 6月23日
 監視所の設営が完了。監視所に定宿を移す。村、隊、また門に異常なし。
 6月26日
 監視所に移動してから、挙動不審の隊員あり、名前を確認するとテオ隊員とのこと。モニカ女史と診察。身体的な異常は見当たらないが、言動等から赤子の異界の影響を受けている可能性がある。念のため全員の診察を行う。問題なし。テオ君の独房入りはヴァルター博士に反対され、実施できず。危険性を訴えるも、仲間である隊員の幽閉は各隊員たちも抵抗がある様子。一方で、これは間近で観察する好機とも取れる。肉片が孵化しないか……様子を見る。
 6月27日
 テオ隊員がいない。探す。村人に姿を見たものもなく、狩りの罠などにも異常がないとのこと。赤子の異界に行ったのではないか? 距離が近づいたための影響と思われる。クラウス君曰く、防寒具も荷物もそのままで、山中は手ぶらで出ていける状況でない事から門に入った可��性が高いとのこと。
 6月28日
 テオ隊員やはり戻らず。門の中への潜入調査を進言。ヴァルター博士は反対。隊員の身柄を預かっているクラウス君、モニカ女史は賛成。もしやヴァルター博士は二心あって反対しているのではないだろうか……このケースを逃せば、これほどの稀有な遭遇事案は二度とないだろう。この失踪は、千載一遇の好機なのだ。何より何日も放置しておけない、彼を見つけなければ。
 6月29日
 ヴァルター博士の反対を押し切り、有志の隊員――といってもヴァルター博士と医療補助のための看護婦を除いた研究者――で探索に向かう。門はいつも通りに見える。
 7月3日
 生きている。
 7月4日
 少し落ち着いた。しかし、想定外のことが起きた。我々は門をくぐったが、その先は肉片と嚢胞で満ちた、これまで見られたものとは全く異なる異界だった。何人かは嘔吐、他メンバーが介抱する。奥には進めず。内部は異常に暑く、防寒着のまま進むことは困難を極め、装備で何とか肉片をかき分けて進むうち、先頭を進むクラウス君ら若い衆は上半身裸になり、それでも��異様に汗をかいていた。モニカ女史も肌着ばかりになっていた。非常に暑い。その後間もなく、我々の捜索隊は”乳母”の襲撃を受けた。考えていた理論は概ね肯定される形となったが、異界の乳母は想像以上に危険な化け物だった。抵抗の余地なく、瞬く間に壊滅。目覚めた時、クラウス君とふたりきり門の外に投げ出されていた状態。待機していた医療補助の隊員とヴァルターに保護される。ヴァルターたちに指示を出し、内側に私とクラウス君を残して門を二重隔離する。監視室内には突入以前にはなかった異音が満ちている。幻聴か? クラウス君は目覚めない。確認のため彼の首を切開、腫瘍状の肉片なし。昏睡はしているが無事か、孵化の心配はないだろう。だが、何故?
 7月5日
 理論は肯定されたと考えていたが、それは誤りだった。門の向こうには行ってはいけなかった。赤子の異界は触れてならなかったのだ。門を閉じる方法が見つかるまで放置するべきだったのだ。乳母は確実に人間を狙う意思を持っている。肉片に秘められた力は我々に理解できるものではない。私は既に影響を受け、孵化の時へと近づいていることを感じる。我々には奴の牙が既に突き立てられている。患部ごと切除しなければ。私に出来ることは、これが最後だろう。時間がない。全身にその毒が回る前に、手を打たねば。
 ヴァルター君、君が正しかった。私はもっと慎重になるべきだった。クラウス君のことは任せる。クラウス君とふたり、必ずやこの危険な門を閉じてくれ。
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 心臓が早鐘のように打っている。私は震える手でさらにページをめくろうとした時、背後で扉が軋み開かれる音がした。
 その音に驚き、飛び退るように振り向いた先には、ヴァルター博士に見せられた写真の中央に映っていた男――マティアス博士その人が立っていた。
~つづく~
原作: ohNussy
著作: 森きいこ
※今回のショートストーリーはohNussyが作成したプロットを元に代筆していただく形を取っております。ご了承ください。
赤子の視る夢 (3) - “錯誤”
「ショートストーリー」は、Buriedbornesの本編で語られる事のない物語を補完するためのゲーム外コンテンツです。「ショートストーリー」で、よりBuriedbornesの世界を楽しんでいただけましたら幸いです。
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ari0921 · 4 years
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和2年(2020)11月23日(月曜日、新嘗祭)
 ロシアの「G8復帰」になぜ民主党は反対なのか?
  プーチンを意固地に追い込んで、中国包囲網にロシアを梃子とは出来なかった
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 ロシアに対して、欧州は警戒を緩めない一方で、ドイツはロシアからガスを輸入し、さらにバルト海の海底パイプラインも第二期プロジェクトが進捗している。
 ポーランドやバルト三国、フィンランドがロシアの軍事力を警戒するのは過去の歴史を振り返れば極く当然であり、スカンジナビア諸国も、ロシア警戒の防衛態勢の再構築には積極的になる。
 NATOの軍事力は「ロシアシフト」され、さらにリトアニアとポーランドには米軍が展開している。ブルガリア、ルーマニアはNATOにすぐさま加盟し、対ロシアミサイル網の前線基地となった。旧ソ連圏の中の旧東欧諸国はことごとくが親欧米に向きを変えた。もっとも「神聖ローマ帝国」時代から東欧はソ連を受け入れる政治体制はなかった。
 こうした情勢の変化を、ロシアから見ると、旧ソ連圏での影響力低下は屈辱的な外交的後退である。クレムリンの嘆きは手に取るように分かる。
 冷戦が終結しソ連が崩壊した後、真っ先にバルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)が独立した。カフカスの三ヶ国(グルジア=現在のジョージア、アルメニア、アゼルバイジャン)、そして中央アジア五ヶ国(カザフスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタン、タジキスタン、キルギス)も独立し、傀儡政権と言われたウランバートルにも親西側の政権が産まれた。筆者はこれらの国々を何回にも分けてすべて訪問し、ルポをまとめた(拙著『日本が全体主義に陥る日』、ビジネス社)。
 ロシアの影響力低下に便乗し、中国はタジキスタン、カザフスタン、トルキスタン、キルギスの大々的な投資を敢行し、ロシアの政治的位置を代替するかのように政治的影響力を拡げた。その手段は、SOC(上海協力機構)だった。
 中国は謎の国トルクメニスタンにプロジェクトを持ちかけ、およそ6000キロ以上のガスパイプラインを敷設し、経由地のウズベキスタン、カザフスタンに「通過料」を支払い、しゃにむに上海まで繋げた。これにより旧ソ連中央アジア圏は、ロシアと中国のバランスをとる路線に修正し、さらにはキルギスでは親露派大統領が退陣、タジキスタンには中国人民解放軍が駐留している。
 経済的困窮と政治的混乱に陥っていたロシアは、中国の跳梁を前に為す術もなく、逆に中国の金を当てに石油ガス、そして武器輸出で急場をしのいだ。だから内心で「:キタイ」に不快感を抱きながらも、中国とは戦略的パートナーだと言い張るのである。キタイはロシア圏で中国を意味する。
カフカスでもジョージアには親米派政権が誕生し、アゼルバイジャンへはロシアより、トルコの影響力が急増した。
 ロシアはこれらの巻き返しのため、ガスパイプラインをトルコ経由に変更し、南欧への経済的影響力を強める一方で、米国が介入を躊躇ったシリア内戦に本格介入し、軍事的拠点を維持する。
ロシアはシリア介入で敵対していたトルコと急接近し、S400ミサイル防衛網を売り込み、配備させて米国を苛立たせた。トルコはNATOの一員だから、このトルコにロシア傾斜は西側にとっては重大問題である。
 ロシアにとって「兄弟国」は、ウクライナ、ベラル-シである。スラブ民族として血の紐帯がある。
 ところがオバマ政権時代に米国はウクライナ民主化に露骨に介入し、そのため内戦となってウクライナの東側はロシア軍(民間武装組織を名乗っているが)が抑えた。ウクライナの西側は親欧米派で、分裂状態となった。
 ▼民主党の価値観外交を看板の旧ソ連介入、ウクライナで失敗
 米国のウクライナ介入は失敗だったと言える。
ヒラリーが長官時代の国務省が裏側で支援した。バイデン親子の「ウクライナ・スキャンダル」は、この過程で発生しており、バイデンは明確にロシアを敵視している。バイデン政権の外交を司る国務省は反露派の牙城と化けそうである。
 ベラルーシは欧米が非難してやまないルカシェンコ独裁が続くが、ロシアが内側から静かに支援し、不正選挙に抗議する反政府運動を抑え込んだ。ロシアがベラルーシに気を取られている内にモルドバは親欧米派の大統領(サンドゥ女史)が大勝した。モルドバには国内国として沿ドニエストル自治区があって、ロシアはこの自治区を抑え、モルドバ政治を裏側から操ってきた。
  2014年三月に米国は露西亜をG8から排除した。プーチンは意気消沈したかに見えたが、米国との間にSTART(戦略的核兵器削減交渉)の更新をひかえており、2018年6月にトランプは、露西亜の8Gを提唱した。
 トランプの狙いは明らかです。ロシアを中国包囲網に巻き込む、あるいは対中敵視政策ではロシアを反対に回らせないことである。バイデンは、この基本をひっくり返そうとしており、ロシアへの敵対をつづけると、プーチンはますます意固地になって中国との「同盟関係」を深めさせるだろう。戦略的見地から言えば、たいそう危険なのである。
 G8への復帰をトランプが提唱しても、欧州の反応はつめたく、米国でも本格議論とはならなかった。オバマ前政権が掲げていたのは「価値観外交」であり、ロシアは反発した。『価値観』などと意味不明、ロシア正教から見れば、欧米のキリスト教は聖典の解釈が異なる。
 2019年8月、トランプはロシアとの間に締結していたINF(中距離核戦力全廃条約)の失効を迎え、廃棄した。むしろ中距離核戦力の再配備に移行する。これは対中国の軍事的脅威に対抗するためである。
 こう見てくると民主党は中国に敵対するより、ロシア敵視が強く、バイデンは中国に対して(トランプの高関税報復のような)懲罰的政策は採らないと厳命している。したがってバイデン政権となると、外交戦略はロシア、中国へのアプローチが変わることになるだろう。 
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本当に解決したかったのか?
5年前の今週、2014年2月18日、安倍晋三政権は当時の沖縄県知事の仲井眞弘多氏に、普天間飛行場の5年以内の運用停止について検討することを約束した。
その発表は多くの人々にショックを与えたが、沖縄関係の動きを長年、研究者や在日米海兵隊幹部として真剣にフォローする筆者にとっては驚きではなかった。なぜなら、日本政府は、沖縄に対して守ることもできなければ守る予定もない約束をいつもしているからである。
その約束は、数多くの理由で間違ったものだった。
1つには、勝つはずがなかった知事選を意識したものだったこと。
2つ目は、政府はそもそも閉鎖できる計画もないし、実行可能なコンセプトをつくる知識もなければ想像力もない。
3つ目、そもそも、海抜90メートルの高台に座り、世界最大級の飛行機が対応できる、戦略的な普天間飛行場を必要以上に早く閉鎖してはいけないからだ。
4つ目、どの実施でも沖縄県の協力が必要だが、基地をめぐる政策に対する支持を得るのは難しい。これは一応保守系の県政ですらそう言えるので、私は沖縄を「NOKINAWA」と呼んでいる。「Noとしか言わない沖縄」。基地に反対して、協力や妥協をしない革新系の昨今の知事たちとは、支持を得るのはほぼ不可能。
5つ目、互いにや総合的に日米沖の対話がない中で、日米沖にとって納得するものが生れるはずがないからだ。
以上の問題はあるものの、自殺行為をするくせのある政府は、5年以内に普天間を閉鎖しようと思えば、実現できたのである。基地削減を行い、辺野古も埋め立てず、日米同盟も傷つけずにである。
しかし、そのためには哲学をはじめ、戦略、想像力、そして勇気が必要だった。さらに、普天間が実は日本政府のものであり、あくまで、米軍に貸している施設だという認識が必要だった。
ところが、日本政府はこのどれも持っていないのである。
普天間問題の背景と争点の不条理
実は、普天間の運用停止、つまり閉鎖を短期間で実現しようと思えば、3つプラスアルファの現実的で可能な選択肢はあった。それぞれは違っていたのが、異なる方法論を反映したからだ。
だが、3つとも、「何を解決しようとしているか」という同じ前提を共有している。
一方、長年の間、政府の関係者は、何を解決しようとしているのかを分かっていなかった(今もそうだが)。
この問いこそが、「沖縄問題」の複雑さや真相をめぐる誤解を象徴している。
「沖縄問題」とは何かをきちんと定義できる人もおらず、そもそも「沖縄問題」が存在しているかさえ答えられない。
多くの人は「沖縄問題」は、「基地問題」の別の言い方で、そして米軍や自衛隊の基地は沖縄での諸悪の根元だと批判している。しかし、そのような議論は事実に反するだけではなく、基地が果たす安全保障上の機能や経済的、社会的、そして文化的な役割の客観的な(もちろん肯定的も)評価を反映していない。
この「沖縄問題」を、私は以前から「結び目」だと説明している。複雑に絡んでいる紐を辛抱強く丁寧に対応したら結び目を割合簡単に解くことができるが、無理やりに引っ張ったら、その結び目はより固くなる。
15年前頃の2004年から06年に行った在日米軍再編協議の際、米政府の関係者は、沖縄問題を「基地問題」として偏狭かつ一方的に定義したが、実際には沖縄問題は数多くの課題からできている。基地問題は確かに大きくて目立つ。だが「沖縄問題」の全てではない。
基地問題に関する誤解は、私がかつての論文や複数の本で、沖縄問題の「神話」と呼んでいるものだ。神話ではあるが、メディア、学者、活動家や政治家は、嘘(例えば、既存のキャンプシュワブの拡張だけなのに、辺野古は「新基地」という)を繰り返すことによって、新しい「真実」が生れ、政府は決して勝利できない対応に追われる。
その結果が、間違って「世界一危険な基地」と言われることで始まった普天間返還問題だ。
でも、73年以上前の建設から今日に至るまで、亡くなった県民、ケガされた県民は1人もいない。そもそも普天間飛行場は本当に世界一危険なのだろうか。
過去23年間、日米両政府の関係者は、この間違った認識に基づいて、宜野湾市の約4分の1を占める普天間の重要な機能を(県内で)移設しようとしてきた。
23年という歳月は、いうまでもないが、サンフランシスコ講和条約が発効した1952年4月28日から沖縄返還が実現した1972年5月15日までの20年間より長い。しかもまだ実現していない。
1施設の移転だけで、こんなに長くかかっているのは、やはり問題を孕んでいる案だからだ。
普天間を返還するという決定は、1996年初期に、当時の橋本龍太郎総理とクリントン大統領との間の首脳会談で議論され、そして同年末、前年の1995年11月に設置し、訓練や基地の整理縮小や普天間の条件付き県内移設に伴う返還などによって沖縄の負担軽減について提言を纏める、1年間の任期のあった「沖縄に関する特別行動委員会」の勧告書を受けて日米の外交・防衛関係の閣僚会議である、いわゆる2+2で承認された。
橋本総理の要請は、長年、沖縄の関係者が要求したものに基づいて行ったのだが、特に95年9月に、キャンプハンセンを抱えている金武町で発生した海兵隊2人を含む3人の米兵による12歳の少女の誘拐、暴行の事件に対する政府の対応に怒りを覚えた当時の大田昌秀沖縄県知事は、強く要請したその1人であった。
それ以降、数多くの勧���が実施され、沖縄県内の「負担」は名実共に軽減されてきた。
普天間飛行場に関して言えば、合計14機の輸送機(KC-130)を2014年夏に、新しい滑走路や格納庫が完成したばかりの山口県にある海兵隊岩国飛行場に移転した。時々、1機、2機が訓練や隊員やその装備を移動するために普天間に一時的に戻ってきている。
それは地元のメディアなどが批判しているが、これが運用上必要な措置であることは最初から皆分かっており、それを批判すること自体は論外だ。
これは、軍が分散することがあまり良くないと典型的な事例だと言える。特に、半世紀以上活用している海兵空陸任務部隊(MAGTF)という作戦概念に基づいて行動している米海兵隊にとっては。真の統合組織である海兵隊として、歩兵、兵站、輸送手段、そして司令部機能が隣か、近くにないと、有効かつタイムリーに機能できない。
例えば、火事やその他の緊急状態への対応を考える場合、消防士を1ヵ所に、彼らの車(消防車)を別のところに、装備品はまた違う場所に、そして、消防署がさらに別の場所にあったら大変なことになる。
同じように、日米同盟、安全保障条約を維持すると言うことが大前提である限り、アメリカや日米同盟にとっての即応対応部隊であり、強力で統合的な組織である海兵隊を、必要以上に、複数の都道府県を跨って、展開するために再結集せざるを得なく貴重な時間を失ってしまうような状態をつくってはダメだ。
沖縄の海兵隊が朝鮮半島から南シナ海までカバーしている以上、この条件を満たす日本国内の別な場所に集約出来る場合以外、やはり沖縄県の地政上の優位性を捨てるわけに行かない。これは日米の安全保障協力を放棄することになる。
これは有事の際だけではなく、自然災害の対応でも言える。そのため、米海兵隊は2011年3月に東日本大震災の直後から、沖縄に配備していたMV-22Bオスプレイを2013年11月発生したスパー台風の直ぐ後、初めて投入し、フィリピンに対して迅速に救援活動を展開できた。
2011年の前に、オスプレイが日本に配備されていたら、我々の対応はさらに早かった。前に使用していたCH-46は、飛行速度が遅くて、空港に定期的に降りて給油する必要があるため仙台まで3日間かかったが、空中給油できるオスプレイなら3時間で東北まで行くことができる。
以前から予定し、米側が一生懸命に情報公開をしていた、2012年夏から秋にかけてのオスプレイの最初の中隊の配備に対する、極めて煽動的でネガティブな報道にも拘わらず、搭載できる量の多く、飛行機のように静かに飛べる、速度が速い、航続距離が遠い、高度が高い、空中給油できる、室内のシミュレーターで多くの訓練を済ませるMV-22は、普天間の「負担」を具体的かつ大幅に軽減している。
しかし、悲しいことに、こうした事実は日本や日本にいる外国のメディアで紹介されていない。
本当に5年以内に運用停止したかったのなら
逆説的だが、普天間は、最もうるさく、最も危険な飛行場ではない。最も混雑している基地でもない。しかし、普天間は、戦略的に極めて重要な施設であるので、中国など、日米同盟の敵しか勝たない政治的なゲームにおける「歩」とか「兵」として扱ってはならない。
これを行ってきた、日本政府の関係者も、米政府の関係者も罪がある。
残念だが、現在や過去の政権でのワシントンの官僚たちは、全ての政党の日本の政治家とは、これだけの共通点を持つわけではない。何十年間も、真実を言う勇気も欠如し、戦略的なビジョンと知的誠実性も持っていなかった。
日米安全保障条約の体制を維持するためにと先に述べたが、この前提を崩さず、辺野古も埋め立てず、普天間も返還する方法はいくつもあるのだ。
そもそも、普天間の閉鎖に合意すること自体がおかしな話である。その前提、政治的な要求、誤解はいくらでも反論できるものだ。
少なくとも、1996年の段階の普天間と、現在の普天間を巡る状況は全然違っている。これは、先ほど見てきたように、普天間飛行場の運用に関してはもちろんそうだが、国内、日米間、そして地域での政治、外交、安全保障関係も大きく変わっている。
しかし、1996年の辺野古の合意以来、三十数名の外務大臣、35人ぐらいの防衛大臣、40人前後の沖縄担当大臣を経ても、全く同じ政策を追求しようとしている。
この致命的な問題だらけの辺野古案は古いものだ。20世紀の同盟のための90年代の考えであり、そのボディーとなるキャンプシャワブは、1950年後半の建設だ。しかし、今、必要なのは、21世紀や22世紀までも通用する近代的な体に前向きな案だ。
しかし、最も重要なのは、日米両国民に広く支持され、地元で政治的に堅持され、財政的維持可能、環境に大きな被害を及ぼさない、そして国際的に信用されている、つまり脅威国へ抑止力になり、同盟国などに対して友人としてちゃんと機能する、この日米の同盟を、真に持続可能なものにすること。辺野古案は、このどの条件を満たしていない。
次に示すのは、日本政府が普天間を5年以内に閉鎖しようとしたら使えたはずだった、そしてほんとうにその気になれば、辺野古移転を行わず、普天間から海兵隊を移設させることの出来る、現実的な3つの解決策だ。
良かろうが、悪かろうが、日本政府には考える力がなく、それを実施する先見性を持っていなかった。
今後、意味のない辺野古案を完成まで10年から14年の間、凧、風船、レーザー、高いタワーの建設などのテロ的な行為を含む事故や、新世代の政治家たちによる基地への集中的な攻撃がない限り、普天間は使用し続くことができる。これはもちろんいいことだが、一方で数多くの機会が失われた。
解決策その1 勝連構想
日米同盟における相互運用性を高め、合同や共同使用の基地の可能性を最大限にする最も効果的な案は、勝連構想だ。
この案は、那覇基地、那覇軍港、キャンプキンザ―、そして普天間飛行場を、うるま市の勝連半島(与勝半島)に新たに埋め立ててつくる集約基地に纏め、自衛隊の管理下に置くもの。
それによって膨大な土地返還ができ、なおかつ基地が人工島にあり完全に海側にあるため、危険性や騒音の問題は全くない。
一番近い住民は、2.5km離れた場所に住んでいる。実は以前に相談され、条件付きで計画を了承済みであった。
この構想は、普天間問題の一番大きいな教訓を盛り組んでいる。すなわち、人が住んでいる、あるいは住めるところで飛行場をつくることは出来ないと言うことだ。
このことは、辺野古案が根本的に間違っている理由の1つでもある。つまり、辺野古の飛行場、将来の「海兵隊名護飛行場」で飛行運航が始まれば、翌日、「ウルサイ!」「キケン!」という抗議の電話が、私が以前勤めていた海兵隊のオフィスで必ず鳴るだろう。
このような抗議を受けないためという理由で、日米両政府は普天間の移設を決めた。これでは基地の移転をしても、何も変わらないし、何の解決にもならない。
しかも、辺野古と違って、勝連は軍民共用の施設になるため、民間機も利用できる。それによって、爆発的に増えている観光者の対応がしやすくなり、そして特に中部、北部への貨物の対応もできる。
那覇空港の混雑や那覇の渋滞は著しく緩和できる。辺野古案に100の問題点があるように、勝連案は100のメリットがある。詳細を知りたい読者に、拙著「緊急政策提言 沖縄の基地問題への実行性のある、包括的かつ長期的な解決 および日米同盟の真の強化へ」をご覧いただきたい。
もともと勝連構想は、日米両政府が普天間の代替施設の再検討をしていた2005年に私が提案した。
しかし、両政府とも、一旦死んだ辺野古案を、救急救命士のように一生懸命生き返す事を目指しており、国防総省の長官室の関係者が勝連構想は「ベスト・ワン」と認めていたにも関わらず新しい提案を受け入れようとしなかった。
国防総省の日本上席部長の文書の返答は、「日本政府が提案しないといけない。だが、日本政府が提案するのに、沖縄県が提案しないとだめ」というものだった。
勝連構想の利点の1つは、建設のスピードだ。少なくとも40年もかかる辺野古案と違って、勝連はおよそ3年しかかからず、しかも、僅かのコストで済む。
これは、沖縄市泡瀬案や那覇空港の第2滑走路のような埋め立て事業であるが、埋め立てには周辺の砂と死んだ珊瑚などを吸い上げて利用する。
沖縄の他の地域、日本本土あるいは、検討されていた中国から輸入しなくていい。その近くにある宮城島と平安座島(両方とも、うるま市)の間にある広大な人工島と同じ工法を使ってつくる予定だ。
何もかも一から建設するもので、全ての電気、下水道、その他のパイプラインなどは、最新の製品、最新の方法でつくりながら埋めていける。
辺野古案のキャンプシュワブでは、50年代以降から作ったものが多いため、全てのものが取り壊してから再建しないといけない。それによって、コストと時間は倍どころか、3倍、4倍かかる。
さらに、地形が斜めであるため、基地の地盤が完全に作り直す必要がある。地盤沈下や地面が固める時間がかかるなどの問題が以前から出ている。また、大浦湾は、35~38メートル��らい深いところがあるため、埋め立てた部分が固まらないとその上の工事が始められない。
それに対して、勝連構想の予定地(浮原島と南浮原島の間とその周辺)の海は浅く、砂や死んだ珊瑚は直ぐセメントのように固まる。埋め立て工事は1年で終わり、基地の工事は2か年。
本島と埋め立て地をつなぐ2つか3つの橋(その1つは弾薬専用のため)は、同時並行で建設できる。橋の問題があった場合、基地に軍港もついているのは、船で人、車、荷物の移動ができる。先述した既設の人工島にあるCTS(石油中継・備蓄基地)からパイプラインを引く約束が獲得されているので、燃料の補給の心配もない。
解決策その2 那覇基地活用案 
第2の解決策は、中国やロシアの領空侵犯などのためにスクランブル(緊急発進)する航空自衛隊のジェット機を宮古列島にある下地島空港に移転させてから、海兵隊は那覇基地に移動するとの案だ。
伊良部島が隣接し、そこから宮古島に近年、橋でつながるようになったため、宮古列島で生活し、観光するのはかなり便利になった。
下地島の3000㍍の滑走路は、長年、日本の民間航空会社が操縦者の訓練地として使っていたが、フライト・シミュレーターが利用されるようになって、滑走路は十分に利用されていない。
1960年代から地元住民は自衛隊を誘致しようとしており、結果として空港ができたが、運営者である沖縄県庁と運輸省(当時)との間で、軍事転用をしない合意を1971年に締結した。
その後、災害対応などのために使用できることが認め、合意が改正されており、海兵隊は、ヘリの燃料補給のために使用したことがある。
宮古島には、既に航空自衛隊のレーダー基地は既にあるが、中国軍による海や空の行動に鑑みてより大きな自衛隊のプレゼンスが必要だ。
この関連で、2016年1月に那覇基地にある南西航空方面隊所属の戦闘機中隊を倍にしたが、スクランブルの必要性は大きく減ったと残念ながら言えない。
同じ年では、那覇基地から発進するスクランブル数は過去最高の803回に達した。つまり、那覇は遠すぎ、かつ不便だ。中国軍こそ、それを分かっている。
さらに、那覇空港には、現在、1つの滑走路しかなく、民間飛行機が優先されている。もし中国との有事が発生したとして、中国の民間機が「故障」して、滑走路の真上に居座ったら、航空自衛隊の戦闘機は離陸でき無くなってしまう。要するに軍事基地として不十分なのである。
尖閣諸島が焦点として、遠い那覇基地からの発進は、飛行機及び操縦者に疲労をもたらしている。ところが、より近い下地島空港よりの発進だったら、日本にとって極めて有利な状態をつくる。
最終的に、日本が今まであった南西諸島の上空の穴を見事に閉じることができ、中国は領空侵犯を控えるようになる。仮に中国がその行動を取りやめない場合、毎回、日本からは速いかつ強い対応で対抗し、もし必要があれば、下地島���港(基地)からさらにブルーサムライたちが来ることを覚悟しないといけない。
那覇基地が少し空くことになるため、海兵隊の航空機(オスプレイなど)は空いている格納庫やエプロンを使用することができる。
これらの航空機は、まだ沖縄本島内に、他の海兵隊の部隊と一緒にいるので、先述したMAGTFの完結性は維持したまま、テナントとして日本の基地の一部を利用することになる。
これによって、米軍の活動に対して多少不満のある日本政府にとって米軍の透明度が上がり、財政上の節約や合理化、(海兵隊は1つ少ない基地の運用をするので)地元との政治摩擦の削減、(海兵隊の姉妹組織である陸上自衛隊の第15旅団もいるので)軍事的の相互運用性が高まり、そして、世界や地域の両国の敵に対して、「日米同盟は強い」という極めて重要な戦略的なメッセージを発信できる。
また、那覇空港で建設している第2滑走路の目的の1つは普天間で失ったその機能の代替であるので、今から海兵隊が那覇基地にいることは意義深い。予算化されたら、移転は1年でできるほど簡単だ。
日本、アメリカそして沖縄にとってwin-win-winだが、勝連構想ほどよくない。また、海抜4㍍にある那覇基地には津波リスクがある。
解決策その3 沖縄県管理下の普天間防災拠点化
最後に提示する解決策は、私が内々で提言してきたもので、普天間を沖縄県の管轄下に置く共同使用の防災拠点として位置付ける。
この解決策には、運用上、現状維持に近いものと、かなり大胆のものの、2つのオプションがある。
何れのオプションにしても、同解決策は、普天間飛行場の重要性を強調し、責任感のある日本や沖縄のリーダーたちが、そうした認識から普天間を維持し丁寧に運用するとの希望を抱いているものだ。
現状維持に近いオプション1によれば、沖縄県(もしくは日本政府)と共同使用にし、沖縄県の管轄に置く。
海兵隊の飛行場としての今の機能をそのまま維持するか、嘉手納基地に一部あるいは全ての機能を移動するかは今後の議論の対象となる。
後者の場合であれば、事実というより政治問題である騒音と危険の懸念が減らされ、沖縄県が管轄しているため、摩擦も少なくなる。
ポイントは、いずれの場合、普天間の滑走路や一部の格納庫などは、海兵隊が有事などの時に支障なく使える状態を維持するということだ。
共同使用は即時にできる。実現するのは簡単。だが、1950年から53年の間の朝鮮戦争で活躍した普天間飛行場は、休戦後、日本で設立された国連軍後方司令部の使用施設に指定されているので、新しい管轄を、国連軍地位協定第5条に基づき報告する義務が発生する。
広大な面積のため、県庁は、飛行場の運用を協力するために普天間内に事務所を新たに設置必要がある。
普天間飛行場はいずれ閉鎖される予定だったため、長年、整備予算がついておらず、設備がボロボロになっている。県庁の管轄下に置けば、建物の再建もでき、中止になる辺野古の工事で仕事を失った建設会社などは、普天間の工事のために契約を再締結できるはずだ。
より大胆なオプション2は、1と同じく、滑走路や格納庫を使える状態を維持しながら普天間にある海兵隊の機能の一部か全てを嘉手納基地に移転する上、普天間の中心的な役割は沖縄県の管轄下の防災拠点にすることだ。
この場合、新しくできた海軍病院は直ぐ近くにあり、普天間飛行場とその病院の両方の施設は高台にあるので、津波などの被害は全く心配がない。その2つの機能を連携させることで、沖縄県や宜野湾市は、日米沖の協力のもとで、頻繁に襲うインド太平洋地域における自然災害に対して大変大きな人道上の役割を果たせる。
問題は、上記で説明しているより簡単かつ重要だ。要するに、有事の際、複数の選択肢をもつ必要があるので、日米同盟は2740㍍の戦略的な滑走路を持つ普天間を失ってはダメだ。何らかの形の普天間を維持すべきなのだ。
キャンプシャワブで1800㍍しかない滑走路(両側に305㍍ずつの安全地帯があるため、実際に使えるのは、1190㍍だ)をわざわざ建設して普天間飛行場を閉鎖するのは、自殺行為そのものだ。
同様に、那覇空港の第2滑走路は、有事の際、自衛隊も使用しており、場合によって、避難のために、民間飛行機やチャーター機が利用しているため、普天間ほどよくない。那覇空港は混雑な状態になり、敵にとって最高の的になる。普天間は既に返還され、使用できず、那覇空港が被害を受けたら、1つの使用できる飛行場しか残らない(嘉手納空軍基地)。
最終的に2つ目の解決策である那覇基地は、上記で説明したように、大変リスキーであるため、あまりいい選択ではないが、辺野古より遥かにベターだ。
結論から言えば、普天間をそのまま維持(か解決策3という防災拠点化)するか、あるいは解決策1の勝連構想を建設するかしかない。
現状維持の場合、「普天間が世界一危険な基地」であり、その「固定化」をさけるべきという感情的な議論に対して積極的に反論しなけらえばならない。何れにしても正常に判断できる人は辺野古案を採択するはずがない。
日本政府が逃げ続けた後で
しかしながら、多くの日米の政治家や官僚たちは辺野古に固執している。それとも、事なかれ主義的に黙従してきた。時間や資源の無駄はすごい。彼らは辺野古が「ベスト」だとか、「唯一の解決策」というとんでもないウソを言い続けてきた。ベストでもなければベターでもない。ワーストだ。冒頭で質問した「何を解決しようとしているのか」がわからないから。
彼らは一貫して透明性や説明責任のある形で、真の再検討作業するのを避けてきた。
小泉純一郎首相に様々な誤報を伝えながら、当時の防衛庁が私の勝連構想を拒否した理由は「(ブッシュ大統領の来日を控えて)再検討する時間がない」ということだった。それは2005年9月だった。今から14年前(!)。時間はあった、十分にあった。
今だと反論はきっと、「もう砂の投入が始まったから、時間がない」となるだろう。しかし、今のところ工事は簡単なほうだ。まだ水深が浅いだから。大変な部分はこれからだ。先日、地盤軟弱の問題が出てきているが、それは大昔から分かっていた。にもかかわらず、実行しようとしたのだから無責任極まりない。
この官僚たちは、沖縄で他の案に対して「反対があるから」できないという。それは多少、事実だ。しかし、沖縄では必ず「反対」がある。
重要なのは、反対の最も少ないところを探すこと。日本政府はその努力をしていなかった。その結果、歴代の政権は、ますます深刻になる混雑を引き継ぎ、そして安倍政権は、この週末で行う、普天間移設をめぐる県民投票に直面している。
この問題は、10年前の勝連構想、2015年の下地島・那覇基地構想、あるいは、2014年の普天間防災拠点構想の何れの私案でも解決できた。
日本政府は哲学、想像力が欠けているだけでなく、時間や歳月を管理する時計やカレンダー、支出を管理する元帳もない。
アメリカをはじめ、日本、沖縄そしてインド太平洋地域のために、普天間を閉鎖してはいけない。
だけど、どうしてもやるというなら、何を解決しているかをしっかり理解して日米沖の総合的な観点に立って勇気を覚悟があれば実現はできる。
しかしもっと悪いのは、守るつもりがない約束をすること。約束を破るのは、信頼関係の崩壊につながる。こうした不信関係は、沖縄問題の本質そのものだ。普天間飛行場などの基地問題だけではない。
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kiitatakita · 5 years
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聴講メモ 情報ネットワーク法学会第18回研究大会1日目 #inlaw #inlaw1 #inlaw3 #inlaw5
聴講時に入力したメモです。断片。配布資料等からのメモも引用符はありません。 聞き取り間違い等、あります。おかしな部分は記録者のせいです。
開催案内:http://www.in-law.jp/taikai/2018/index.html 日  時:22018年12月8日(土)11:50~18:20 場  所:立正大学品川キャンパス
研究大会の前に学会総会が行われた。第19回研究大会は来年11月2日(土)、3日(日)に大阪府内にて開催予定。
※発表者敬称略
【開会挨拶】 情報ネットワーク法学会理事長 中川 裕志
技術系の出身。工学部出身で人工知能の研究、テキスト処理をやってきた。10年ほど前からプライバシー保護を研究対象に。技術だけでは足りず、法律も必要と感じた。理研 革新知能統合センターで研究に携わる。総務省、内閣府で仕事。
人工知能、生命科学等の研究で、人間の自由意思の存在について疑義が呈されるようになってきた。人間はアルゴリズムであるとの主張も。人間中心の法体系とどのようにすり合わせていくか。
【開催校挨拶】 位田央 立正大学法学部長
本学は開学より146周年になる。2年後にはキャンパス再開発事業が完了する。
【基調講演】 情報ネットワーク化の進展とプライバシー・個人情報保護論議の展開 堀部政男 一橋大学名誉教授
19世紀末から現代まで8期に大きく分けて考えられる。第4期では1980年のOECDガイドライン採択、欧州評議会の条約採択というトピック。第5期1990年代には欧州のデータ保護指令、国連のガイドラインなど。日本では1988年に旧行政機関個人情報保護法ができたが、民間を律するのは第6期2000年代の個人情報保護法。 情報ネットワーク法学会は2002年設立。世界人権宣言70周年、第12条でプライバシーという言葉が使われている。表現の自由に関する19条もあり。 情報ネットワーク化の進展と法的対応のうち、現法体制内対応論に”プライバシー外交的”対応論。 欧州評議会条約第108号諮問委員会に日本はオブザーバー参加。 1982年、当時の行政管理庁プライバシー保護研究会で立法化の提案。 日本では1980年代から自治省個人情報保護対策研究会。1985年に総務庁 行政機関における個人情報保護研究会。 住基台帳NW訴訟は全国で54件、最高裁は合憲判決、但し高裁レベルでは違憲判決も。 第6期2010年代には個人情報保護法の改正論議が出てきた。 EUから十分性認知に基づいて移転した個人データの取扱いに係る規律を定めるガイドライン案 日EUの個人データ移転枠組み構築最終合意2018年7月17日 第40回コミッショナー会議サイドセッションでもスピーチ 今月中に欧州委員会の十分性認定に���論が出るか?
第1分科会 12月8日(土)13:30-15:00 会場9B21 #inlaw1 【プロバイダ責任制限法研究会:ブロッキングを巡る議論とプロバイダ関連訴訟】 主査:板倉陽一郎(弁護士 ひかり総合法律事務所/理研AIP/立正大学非常勤講師)
登壇者: 中澤佑一(弁護士 弁護士法人戸田総合法律事務所)司会 壇俊光(弁護士 北尻総合法律事務所) ブロッキング ブロッキングを巡る議論とプロバイダ責任制限法・総論
2つのブロッキング  4・13政府決定とこれに基づく民間事業者の自主的取り組みとしてのブロッキング   いわゆる忖度ブロッキング   立法ブロッキング
海賊版サイトは日本の著作権法上違法なのか?  ほぼすべての海賊版サイトはリーチサイト  リーチサイトが著作権侵害かは不明  リツイート裁判 ロケットニュース24事件  海外サーバーで海外事業者が運営している場合
ブロッキングの対象は何なのか?
大規模サイトにはCDNに対する法的措置で足りる
電気通信事業法とDNSポイズニング  知得、窃用
補充性の要件とLRA
ブロッキングは妻の妊娠中における飢餓による窃盗よりも緊急?
ほかに手段があるか無いかはスキルのある弁護士を基準に考えるべき
米国subpoenaを用いた手続き  日本のプロ責は使いづらいのは事実  プロ責の見直しが本筋
米国に比べると  開示範囲が限定 開示拒否に対するサンクションのなさ 現行民訴は匿名訴訟ができない  公示送達の問題  非開示免責
民訴は相手方をはっきりさせなければならない 外国における送達は時間がかかる 民事保全法も大変 保全命令を当事者に送達するのに数か月かかる
ブロッキングの議論はプロ責と民訴法の出来が悪いから必要性が論じられている
神田知宏(弁護士 小笠原六川国際総合法律事務所) H29Google裁判の射程 送信防止措置依頼としてのブロッキング請求の体系的地位 最決H29.1.31の運用結果と射程
判事2353号判例評釈708号  多額の負債:認容  4年、示談して不起訴:認容  つつもたせ被害による風評:認容 元AV女優身バレ事案:認容
犯罪報道の削除には高いハードル  東京高判290629 12年オレオレ詐欺 棄却 最決不受理  東京高判300125 11年歯科医師法違反 棄却 最決不受理  東京高判301109
東京高決H300810(犯罪報道だが認容)  不起訴処分 今後起訴される現実的な可能性は事実上ない  法律上は無罪推定だが現実的には有罪の嫌疑を抱くものが多く名誉や信用が毀損される  伝達範囲は限定的であるとはいえ、具体的被害の程度は大きい
名誉毀損の検索結果削除  射程外?  東京高決H291030 係属中  東京高決H300420 抗告不許可 加重不要   リンク先は読まないとの規範を示し、グーグル側が大いに引用中  高判H300823 上告中   検索結果の提供の差し止めは、事前抑制であることの性質上(もう提供されとるが…)   最高裁S61判決が判示する要件が基本的に妥当(北方ジャーナル事件)
ツイッター・コンテンツプロバイダへの波及(グーグル基準の採用)
東京高決H290810(平成29年ラ1184号)  グーグルと同じ基準を採用  抗告許可申立て理由
預金保険機構 振り込め詐欺救済法27条  解釈と運用変更により、削除要件が定められた
吉井和明(弁護士 弁護士法人ALAW&GOODLOOP) オンライン地図サービスに付随するレビューに関するプロバイダ関連訴訟の動向
Googleマップ口コミ機能  口コミはログインした上で投稿
口コミの閲覧を目的としないものに対しても、評価を晒されることになる 実質匿名投稿になっている
Googleマップ上の施設は、他人が登録することができる  位置情報や店舗情報が投稿内容が正しいものである限り、他の要素が無ければ削除は難しい
法的問題  内容が抽象的  反真実性を示すことが難しい  口コミが存在する限り、被害が刻々と発生する
Google側の主張H29年決定の「明らか」基準適用の素地  公共性 口コミ全体の話  媒介者 単なる媒介者ではない  投稿者の反論の機会 大部分のコンテンツプロバイダで々  萎縮効果 裁判所の特定の決定
利用者側敗訴判決ばかり裁判所に顕出される問題  訴えられる側の企業には情報の蓄積があるが、裁判所や地方の弁護士にはない  裁判所に提出されるのは、企業側に有利な裁判例だらけになっていく
弁護士唐澤貴洋 ログインIP訴訟事例
なりすましアカウントによる有名人の訃報をツイート  ツイッター社から特定の時間帯のログインIPアドレスの提供を受ける  ログイン時IPアドレスに関する氏名等の情報はプロ責における発信者情報に相当するのか   被告 開示請求の対象となる「当該権利の侵害に係る発信者情報」は侵害情報に係る特定電気通信の家庭で把握された発信者を識別するための情報を意味すると解すべきである
裁判所の判断  ログイン情報から、当該ログインに係る発信者が侵害情報の発信者であることが推認される場合があり、このような時には、当該ログインに係る発信者情報は、法4条1項の発信者の特定に資する情報に当たると解することができる
本件契約者がなぜ、匿名化担保されていたことを知り得るのか
異なるプロバイダを経由して同一のIDにログイン 裁判所は不自然と。
パネルディスカッション
な プロ責実務、どの辺がきついのか
か 発信者情報目録が難しい。何を開示しろというのが。コンテンツプロバイダの住所氏名開示を請求すればいいというのは分かったが、住所氏名が何と紐づいているのか分からない。クラウドフレア目線で分かるようにしないと。主文の書き方も難しい。
だ とりあえずやってみるのが良いのでは。
か 裁判所はこちらが言った内容でクラウドフレアに送ってくれるかもしれないが、受けとった側が納得しないとどうしようもない。
よ 民訴にも難点。管轄の問題。プロ責はプロバイダの所在地が管轄になることが多い。地方でやると変な判断が出ることもある。匿名訴訟ができれば民訴で解決できる部分もある。送達に時間がかかりすぎて、依頼者の被害拡大も。
か 弁護士会照会で開示してくれるという話があるのだが。ログインIPの問題が出てくるのがおかしいのではないか。事業展開の中で発生したトラブルについて、応分の負担で開示できるようにするべきでは。
だ 発信者情報開示は東京、削除は大阪と分かれてしまう。Googleの責任を問わなければ情報を開示すると言われる。
な 海外からの資格証明取り寄せが訴訟費用にならない。翻訳費用も馬鹿にならない。間接強制絡みで海外事業者が保有の有無を照会しても回答してくれない。回答義務があってもいいのでは。 匿名訴訟の話だが、仮名、例えば口座番号等で照会を同時にかけるという手段では?
だ 民訴規則を変えれば行けるのではないか。
な 何も書かないのか?
だ 住所不明、氏名不明で訴訟できれば、裁判所が開示命令を出してくれる。
か 判決までに何らかの手段で確定できればいいという話なのか?
だ 一番のメリットは開示される内容が限定されていない。訴訟の補正で対応できる。
か 通信の秘密の侵害にならないか
だ 違法性阻却になるのでは。
よ 無駄な訴訟をしなくて済む。プロ責で開示請求をすると権利侵害等の申し立てをしなければならないが、それは本案と同じ内容になる。本来なら言わなくても済むことを言わずに済む。
か 被害を受けた人が自分の名前を出して訴訟しなければならないという点を改善できないのか。発信者情報開示で原告の名前を晒す意味があるのか。
よ 判決を何らかの形で共有できないだろうか。
会場 開示に当たって同意書を求めるのは酷い。発信者情報開示ガイドラインではそのようなことを言っていない。対クラウドフレアについては技術的なことを相談する相手が原告側にいないのか。
だ このような分野は実質3人に情報が集約されている。(だかよ)
よ 未経験者に手取り足取り教えるのは難しい。
か 教えてくださいコピーください的な依頼がくるが多忙を理由で断ってる。
よ 変な判決が出てくるとこちらの首が締まるので、難しい。
か ツイッターにIPアドレスださせるのに訴訟でやっている例があり、仮処分ではないのかと疑問。
よ 仮処分と本訴の選択だが、どのように考えるか。
か 本案訴訟にすると違法性阻却事由を出さなくていいのか?どちらでも要件事実が変わるわけではないと主張しているので、本案であっても主張がいるのでは。
よ 立証責任の問題
か Googleだけは起訴命令を送ってきてくれるので、本案訴訟しているが、基本はあまりしない。
だ 担保の問題をクリアすれば仮処分の方が簡単。掲示板でスレごと消したい場合は仮処分では対応していない。
第3分科会 12月8日(土)15:10-16:40 会場9B21 #inlaw3 【システム開発プロジェクトの中止〜その手法とタイミングの見極め〜】 主査:伊藤雅浩(弁護士 シティライツ法律事務所) 登壇者: 伊藤雅浩(弁護士 シティライツ法律事務所) 影島広泰(弁護士 牛島総合法律事務所)  訴訟ではベンダ側、相談は発注側が多い 大井哲也(弁護士 TMI総合法律事務所)  データの利活用、サイバーセキュリティ等が多い 杦岡充宏  ITコンサルタントで実務者としての立場。
スライドシェアに資料はアップしてある。 リンクは https://masahiroito.hatenablog.com/entry/2018/12/07/170739 にあり。
システム開発は未だ失敗が多い。 ヤバくなった時に、どうやって撤退するのか。どこだったら引き上げられるのかが現場としては悩みどころではないか。
ユーザー 早く損切りしたいとか、自分達の責任も感じたりとか。
ベンダ このままだとメンバーが潰れる 被害を最小限にして撤退したい 「中止提言義務」?
紛争の予防・早期解決の観点から、中止することの法的根拠、リスクを整理し、実務にフィードバックする。
影島広泰(弁護士 牛島総合法律事務所) ユーザ(発注者)から見た論点の整理
ユーザ側の法的主張  債務不履行   履行遅滞 催告するか 悪化しないか? 履行期よりも前に主張できない        信頼関係の破壊  履行不能   物理的/技術的不能   社会的不能    債権者がプロジェクトを注視するといえば、履行不能なのか     ユーザ側が変えたいと思っている 受領拒絶?     それは債務不履行で言う「不能」なのか 「不能」と「帰責性」の交錯     追加仕様がてんこ盛りだったら?     ベンダ側に帰責事由の不在を立証させる  付随義務違反(PM義務違反)  
 瑕疵担保責任   完成しているので請求権は発生
ベンダ側からの反訴リスク  中止した場合の残額支払  追加コスト
 注文者解除の損害倍書請求   641条の(任意)解除ではないと認定してもらえるような内容証明を作る必要
 532条2項 債権者の責に帰すべき事由   不況に伴う業務縮小   カスタマイズ費用の増大
 商法512条
 黙示の合意   認定されるだけの事実関係の存在が必要    説明したか    指示があったか、それが追加であることを知っていたか
ユーザ側のプロジェクト管理(協力) ベンダ側のPM義務違反の時期を、なるべく遡らせる  瑕疵担保責任が認められたフェーズよりも前のフェーズの個別契約は、相当因果関係なしとして損害賠償の対象とせず  「相当因果関係」  スルガ銀行事件 ある時点での不法行為
「検収」
一括契約はユーザ側にリスクあり。多段階契約はリスクコントロールしやすいのでは。
大井哲也(弁護士 TMI総合法律事務所) ベンダ(受注者)から見た論点の整理
履行遅滞は認められないことが多い  履行遅滞はユーザの追加要望に従ったもの
PM義務違反  ユーザがシステム機能の追加や変更の要求等をした場合で、当該要求が委託料や納入期限、ほかの機能の内容等に影響を及ぼすものであった場合等に、ユーザに対し適示その旨説明して、要求の撤回や追加の委託料の負担、納入期限の延期等を求めるなどすべき義務  要求の撤回、追加の委託料の負担、納期延長の申し入れがあったかによる
瑕疵担保責任に対する反論  システムの完成があったか?   民641条 債務不履行解除崩れの注文者解除    注文者に対して不要な仕事の完成を強制することはなく、かつ社会経済的見地からも不当    注文者に損害を賠償してもらえれば請負人に不利はない
損害賠償の範囲  すでに支出した費用  逸失利益(報酬-下請費用) 完成が前提   介助によってベンダが逆に利益を得ている場合は「損益相殺」
意思表示の転換 ステアリング・コミッティの必要的アジェンダ  システム開発基本契約及び個別契約の変更等を必要とする理由、変更提案書の提出の有無  変更管理手続き 変更提案書を提出し、かつ、次の事項を記載した書面を甲府   費用、スケジュール、その他変更が本契約及び個別契約の条件に与える影響   協力義務違反の証拠化  Redmineを使う   誰が相手方にボールを返していないのか
杦岡充宏 事例紹介
課題管理はプロジェクト完成の基本条件。 課題管理とリスク管理をセットで。
ケース  販売管理システムを請負で構築。ホスト→webベースへ。  現行システム機能をWebベースのシステムに単純移行  内容は1日間のヒアリング内容を基に提案し合意
 結果   4か月が4年半に。ベンダは完成したと主張。
 要件定義の段階で多くの追加要件の存在が確認され、当初計画と費用では実現不可能なことが判明  7か月で大体ソリューションを検討し、4か月の追加を提案  設計と開発を並行して行い、更に4か月の遅延  追加がぼこぼこ出てくる  ベンダの主担当が産休に入る  納品後もユーザの指摘が継続し、ベンダも対応を継続した挙句、ユーザは検収を拒否
ベンダに  ない袖は振れぬ  やらないことを決めろ!  ユーザの言いなりになるな!
期待値コントロール大事 適正なところに戻す
ディスカッション
い この場合の解除にどのような問題があるか
か 最終バージョンに書かれた仕様が満たされていないのであれば不履行
お 変更対応がトレースされているはず
い ユーザはどうすべきだったか。
す ユーザから辞められるタイミングもあったのでは
か 代替検討の時は難しいだろう。その後の提案に沿った開発が不調であったのであれば、そこで解除すればすっきりしていたのでは。
お 設計・開発・テストが基本設計で終わった段階で実現可能性を疑うべき。ここで合意解約の打診をし始めてもいいのでは。
す 4か月を守れなかった時点で契約解除はできないのか。
か ユーザ側に問題があったのでは。現場の意見をきちんとまとめてベンダに伝えることができていたのか。となると、債務不履行解除は難しいのではないか。
お 使用固めの段階でキャッチボールしており、ここで債務不履行主張は難しい。
い 定期的に打ち合わせ等をやっており、延期の合意があったと主張したらどうなるか。
か 納期と履行期の関係は難しい。定められている納期の日にカットオーバーにどれだけ意味があるか。
お 黙示的な納期の延長合意がなされているとみなされるのでは。
い あとこれだけあれば対応できるといえば遅延ではないのか。
お それも危険がある。
い ユーザ側からベンダ側の能力不足をどうやって立証するか。
か 基本的なミス、納期遅延等の積み重ねで立証。
お 完成度の立証を裁判官にするのは難しい。数量基準で定量的に示す。
い 証拠化はどうすればいいか
す ドキュメントのレビューと指摘内容をしっかり記録する。
い 最終の交渉でユーザ側はどうすべきだったか。
か 解除すべきだったのでは。要求をきちんとまとめられておらず、反訴リスクが高い。
お 課題の棚卸をして、多くの課題が未着手、あるいは内容不十分であることを記録しておかないと、ユーザの検証不足となるのでは。
す 交渉せずに引き上げることはベンダの不利になるのか。
い 信頼関係の破壊を解除理由にしてくるのではないか。
お 裁判所の見方としては説明なしの撤退はインパクトが大きい。
す 対応を続けるのは未完成であることと同視されてしまうのではないか。それよりも撤退の方がリスクが多いのか。
い それはないのでは。裁判所は技術的な評価を避け、振舞いから両者の関係を見ているように思える。
か 謝らせるよりも事実を認めさせる。
お なぜ謝罪したのかの理由の方が大事。機能要件の充足こそが肝。プロダクトそのものの鑑定をプロにして欲しい。
い 検証は現実的には難しい。
か オンラインゲームの開発である時点での機能を裁判所で見せたことがある。下請が元請に請求した事例。
お 医療裁判で鑑定書の合理性を裁判官の目で判断する。システム開発でも意見書を出したことがあるが、裁判官に理解してもらうのは難しい。
す ADRで係争中のケースを見たことがある。フローに沿って見て、一応の完成をしていると判断した。
か ユーザに気をつけて欲しいのは、ベンダ側の内部的なコストが発生しているということを理解していないと、本訴、反訴共に金額が大きくなってしまう。
お 紛争の種、芽の段階で法務がどのように関与するか。リーガルがしっかりコントロールしてほしい。
す ベンダはユーザのパートナーである。きつくし過ぎると問題が隠れてしまう。
第5分科会 12月8日(土)16:50-18:20 会場9B21 #inlaw5 【個人情報保護法制『2000個問題』を考える】 主査:岡本正(弁護士 銀座パートナーズ法律事務所) 登壇者: 岡本正(弁護士 銀座パートナーズ法律事務所) 自然災害と2000個問題
鈴木正朝(新潟大学・教授/理研AIP) 2000個問題最新動向~官民データ活用推進基本法から規制改革答申まで~
湯淺墾道(情報セキュリティ大学院大学) 自治体からの情報提供をめぐる現状:情報提供・情報公開・個人情報の提供・非識別加工情報・官民データの間 板倉陽一郎(弁護士 ひかり総合法律事務所/理研AIP/立正大学非常勤講師) 2000個問題の負の側面:自治体ネグレクト及び自治体の多重事務
お 2000個問題についてご紹介願いたい
す 1800個問題と最初は言っていた。市町村の数がそれくらいだったので。上原教授から広域連合等の存在を指摘され、切りの良いところで2000個に。湯淺先生が実際に条例を集め、上原先生が分析した。 ルールが2000個存在する現状でデータ連携、越境データ、環境が激変する中でルールが2000個存在するのは問題ではないか。
お 実際には2000個では済まないのでは。 西日本豪雨など大災害が続発している。広島の土砂災害の時には行方不明者の発表に3日かかった。その数年後にも県と市でデータの共有をしていない。法律あっても、条例あっても実務の運用がない。
す 岩手日報社が3・11の継続報道をしている。救助復興の時にリアルタイムで情報を共有できず足かせとなった。
お 今年も同じ問題が起きた。ルールの策定を提唱しているが、国は関与できないとしている。法律上はそう答えざるを得ない。最低限のルールが無くていいのか。命の問題を条例の問題としていいのか。安否情報を家族に答えられないところまでもある。
ゆ 自治体が持っている情報を出すのは第三者提供だけではない。観光として公にすることが予定されている情報は除外→定めがない。ウェブサイトに掲載するのが「オンライン結合」になるのか?非識別加工は自治体の手に余るものがある。基準や対象を国が示してほしい。市町村は官民データの作成を義務付けられていない。データの保存規定もない。保存年限のさだまっている文書類は逆にそれを超えてあってはならず、データを作れない。
お 2013年に伊豆大島で土砂災害があった。居所がうつってしまった人に支援を届けるために大島町がトレースしたかったが、手に余る。東京都がやろうとしたが、大島町の条例でデータ結合が禁止されていた。同年に改正された災害基本法で上書きされ、結合が可能になった。
す オンライン結合はお手本から丸写しだが、解釈が分かれている。
い 地域医療連携において、自治体の病院が手続きの煩雑さから連携されないことを「自治体ネグレクト」と名付けた。条例に対応したシステム開発が必要で、病院を所管する個人情報保護条例がない場合もある。医療IDの導入でも自治体の病院が無視される可能性がある。条例はマイナンバー法にも対応しなければならない。法定受託事務だから。加工基準の条文は国だってコピペでやっつけているのに、非識別加工情報が自治体の手におえるのか。
ゆ 地域医療では大きな自治体は連携を自前で構築してしまう。同じ市立病院でも指定管理者がやっているところと直営のところではシステムが違う。指定管理者は処分性はあるが、事業者として民間法の個人情報保護法がてきおうされるとかんがえられる。直営は条例。
す 病院は私立病院の方が圧倒的に多いが、難病等については公立病院がネットワークを作っている。指針の方が緩いが、真面目なところは条例に対応しようとする。
ゆ 真面目なところほど苦労する。
す 国立大学法人、公立大学、私学でデータ連携が難しい。データの足回りの悪さをどこまで放置するのか。告示で法律、条例を上書きしようとする国が十分性認定と言えるのか。
ゆ 個人情報の定義についての教材にも間違いがある。
お 学術除外の条項が10以上の県の条例にはない。
す 医療分野だと3000個問題、倫理審査会の数。
い 例外事由は予算も人もつかない。最小限のところが同じなら、解釈も共通で使える。さいたま市と千葉市で、そんなに地域の実情が違うのか。港区と渋谷区でそんなに違うのか。
す 個人情報保護法5条に「地域の特性」の文言がある。上乗せ横出し条例で対応可能な中身が殆どなのに。
ゆ 「地域の特性」というのは、先進的な自治体への配慮や、現代も深刻な同和問題、宗教団体等の問題があるが、殆どの場合は上乗せ横出しで対応可能。
す JILISで開示をかけた資料を見ると、過去の経緯を尊重する意味であって、「地方自治の本旨」がもとではなかった。
お 地方自治の人は実際にはどう言っているのか。現場の判断になってしまう。要支援者名簿に載っているのは同意した人だけ。
す 国会では2000個問題の解決の必要性は認識されている。官庁でも課題となっている。自治側からは県域構想が出てきている。自治体の在り方を憲法レベルで検討する動きはすでに出ている。基礎自治体単位の条例が維持できるのか。
お 官民データ活用法19条には国の政策と自治体の政策の整合性について記述されている。災害、医療、福祉の側面から考える必要がある。
す 丁寧に特別法を作ればいいのではないかという反論が想定される。一般法レベルで土台に手を付ける必要があるのかと。
お 災害時の弱者名簿は事前に共有する必要があるが、この部分は自治体任せになっている。消費生活上の弱者リストもあるが、協議会とリストを作って保護するのは自治体任せ。困窮者の自立支援も協議会が必要。これを全部やるのか。特別法をいくら作っても漏れは出る。
ゆ 非識別加工情報が官民データみなされてしまったので、各自治体は基準も何もなし、徒手空拳で非識別加工情報を作らなければならい羽目に
い 非識別加工情報についてだけ立法しても他はほったらかしではしょうがない。3年に1回しか協議会を開催しないのでは知見なんか貯まるわけがない。都会の自治体だけ呼んでどうするのか。新宿区だってやらかしている。
お 新宿区ですら消費者安全確保地域協議会が無く、いきなり区議会で審議にかけられた。
い 普通の自治体で普通に運用でき��ようになっていないのは欠陥だ。
す 個人情報の定義が確定していない、解釈基準にバラエティがある現状で、非識別加工情報の基準を概念として出すことができるのか。
ゆ 国の場合は非識別加工情報は個人情報性が残っているとしている。自治体は情報公開条例における個人情報性を判断しなければならない。加工基準も自分で作らなければならない。
す 基礎自治体の持つ情報は大きいが、手助け無しでいいのか。
ゆ 官民データ作成の義務付けがあるのは都道府県レベルで基礎自治体にはない。
す 出口はあるのか。
ゆ 具体的な提言に入る前に、日本の「地方自治の本旨」はミニマムを定めた方が良い領域と、地方の自主性に任せた方が良い部分に別れることに気がついた。個人情報法制はミニマムを定めた方がいい領域ではないか。
す 憲法と国際連携など課題は山積している。
お 災害救助の主体は都道府県だが、大事な個人情報はどこにあるのか。基礎自治体にある。住民票、障碍者手帳、母子手帳などに眠っている。都道府県の条例で基礎自治体に条例の制定と情報共有を呼び掛けても実効性があるのか。市町村のインセンティブがない。地方自治体個人情報保護法の必要性があるのではないか。
い 犯歴情報は選挙の関係で本籍地市区町村にある。根拠法の明文規定なし。経済活動にも支障が出るのではないか。
ゆ 全国の市区町村の条例を集めたが、収集できなかったところがある。情報公開請求をする必要があったが、住民でなければ請求できない。暴力団の構成員であることが要配慮情報かどうかもばらばら。
す 国会職員と裁判所職員に罰則がない。地方行政文書についても罰則規定を設けるべき。公的部門のチェックの為に個人情報保護委員会は独立性の高い委員会にした。グローバル対応するならプライバシー保護に対応するのはナショナルセキュリティ。
お 震災被害地の復興のための法制を。
会場 法務省にも犯歴データはある。犯歴データが照会できないと困るのは海外人材を採用したり、海外取引があるFinTech業界での採用活動。越境データ問題も絡む。
会場 情報銀行の態様はは共同利用になるのか?民間が経営している情報銀行であれば自治体間で個人情報を共同利用可能か?
ゆ 地方公共団体には民間と個人情報を共同利用する規定がないので、情報銀行の利用自体が無理ではないか。
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jitterbugs-lxh · 2 years
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渺茫(わたしを叱らないで)
 玄离というひとは、竹を割ったようなじつに単純明快の気質をしていた。叡智によって深謀遠慮のかぎりをはたし、いっそ色のない透明の視線で、人間を、妖精を、庇護しているようでも、観察しているようでもある老君のかたわらにあって、玄离の衒いのなさは、しかし無知蒙昧のさきにのみ、あったのではなかった。かれほど正しく、自らを諫め、留めた妖精は類をみない。妖精には妖精の生きかた暮らしむきがあり、必ずしも人間のそれと同じく過ごすのは叶わなくとも、少なくとも歩み寄ろうという意思が玄离にはあるからだ。もっとも多くの対話や、難解な駆け引きや、人間の興した文明、文化、妖精たるかれらの視点からみれば、ときには瞬きの間に塗り替えられてゆく縮図や地図を、詳らかに知り黙殺し、あるいは積極的に介入しながら隣人としてのふるまいをするのは主に老君の職務であるので、玄离はそれらに同席したりしなかったり、茶を喫んで紫煙を燻らし、蒸したばかりの包子に舌鼓を打ったりしながら、過ごしてきただけなのだが。何が自分の領分であり、そして、課せられた宿星の命題であるのかを、定めてなぞるのは、簡単そうにみえて実のところ困難を極める。たしかにながく生きてはいるだろう、しかし、生きているかぎりは忘れる。あれほど居たはずの妖精たちが、気づけば去っていた。明確に散じた、さもなくば誅伐されて失せたものも幾らかはいただろう。しかし、妖精たちの多くは、ひと知れず去りゆくものだった。いったい如何なる理由でかれらが去るのか、玄离には判じかねる。老君ならばその眸、推察し、思案し、ただしく去ったひとびとを奉じるなり、弔うなり出来るのかもしれなかったが、とうの老君自身に素振りはまるでない。どこからか顕れて、どこへなりと去ってゆく、時のなかに、妖精はとどまるべきではない。ましてや、人間と交わるなどと。争いが地に蔓延り、戦禍が野を燒き、堆く重なる戦死者たちのしかばねは、石を組んで積み上げられた城砦のそれのような、抑止力をけして持たない。朽ちるためか? 否であろう、武器と呼ぶにも烏滸がましい、あまりに質素にすぎる、割ってさきを削り尖らせただけの槍や、碌々手入れされることもなしに硬く破れた革の胸あて、膝をつき、脚を引き摺る輩の、とどまるけはいをみせない傷にあてるために引き裂いた��みえる、けして清潔といえない、かぎ裂きだらけの衣には、誰のものとも知れない血と、土と、草いきれとが染みこんでもとの色さえさだかではない。肌は土気、瞼は伏せられて眸は分からず、折り重なったかれらは事切れてながく、すでに魂は散じたあとだ。すこしでもよい装備や、まだ使えると思しき武器、連ねられた玉や、立場がうえになればなるだけ、繊細で豪奢になる髪紐ひとつでさえ腹の足しにはならない。太平にあっては野を耕し、汗水漬くになって懸命にはたらいたであろうひとも、わずかに裕福で、ひとを使って商いをしたひとも、医術のこころえあって転々と放浪暮らしのひとも、こうして積まれてしまっては。たしかめる気にもならなかったが、なかにはひとに紛れて暮らし、かれらに同化、同調しすぎたゆえに戦乱までもに参画した妖精のあったかもわからない。それはかれらの選択であり、玄离の選択でない、生きている土地が違うのなら、選択は違っていてしかるべきだ。もっとも、どこにいようとも同じ選択があることも、たしかではあるが。かれは単純明快の、気質ではあったが、けして考えなしの愚かな生き物ではない。玄离があまり思い悩まずにいられるのは、それら頭脳労働の多くを老君が担っているからに間違いないが、それと、かれに思考を停止させる強制力があるか否かはまったくもって無関係であるべきだった。老君とのあいだに友愛はあるが、主従はない。だれも玄离に何かを命じたり、強いることはできない。玄离自身でさえも、それは例外でないのだった。
 清凝の、うすい下瞼に、わずかに疲れの兆しがあることには気づいていた。かのじょはいささか生真面目にすぎる、というのは、清凝を弟子として迎えることを認めた老君の言だが、弟子が師に学ぶように、師父たる老君も、かのじょに多くを学ぶべきであった。いまでこそ仙として、戦乱のさなかに邑を、家を、故郷を追われたひとびとを庇護し、それでいてけしてかれらの王として顕つことなしに、君臨も支配も、自ら切り離して暮らしている老君ではあるが、実際のところのかれはそれほど勤勉ではないのだった。学識はあるだろう、ひとびとに拓かれた藍溪鎮の奥の奥、書き換えられ続ける地図において、どこの国でもなければ、どこの民でもなく、此岸にあって彼岸でなく、どこでもあってどこにもない、門だけはたしかにあるが、撰ばれ許された案内のなければ、門にたどり着くさえむつかしい。一度離れたら戻ることはゆるされない、と決めたのは老君であり、この世ならぬは桃源郷、夢なれどひと晩で終わらぬばかりがやさしさであるのだろう。やさしさがなべて、ひとを救うとは限らない。高潔な精神が、奉仕に身も心もくだいたところで、心無いひとびとは容易く礫を投げつけただろうし、たとえ脅かされまいと、ありとあらゆる攻撃を阻む防御の陣を敷いたとても、向けられた悪意は消えはしない。それが判らないような男ではないだろうに……、飄々としているようでいて、かれにはただ、機微というもの、こまやかに移ろいゆくものへの思慮が、ともすれば足りないのかもしれなかった。感情はままならぬもの、恋情にしろ、思慕にしろ、ただ深くこうべを垂れて、敬愛と、信仰のためにかれに跪くことができるのなら、だれも老君の顔を知らなかっただろう。微笑みをたたえ、窓のそばにはべり、片膝を立ててときには長煙管に紫煙をくゆらせていた老君の袂に、袖に、焚き染められた香の種類を、医術を学び、薬を煎じて日々の修行とする清凝が、嗅ぎ分けられないはずはない。いつからだろう、かれの衣から、紫煙のけはいがいくらか薄くなったのは。きまって遠くを見ているか、そうでなければ、綴じられた、何度繰ったか分からない書物の、玄离にはまるで理解のできない文字の羅列を追いかけているばかりのかれの眸が、近ごろはずいぶん近くにあるようだ。多くの妖精が去っていった。遠く月面にあって俯瞰したひとの世界の小ささといったら! 玄离がはじめてそれを見たのは、やはり老君に連れられて行った、いまとなっては昔のことだが。
 あのおさない少女にすぎなかった清凝を、これほど思い悩ますとは。ただ秘めていることもできた、はずだ、しかし、かのじょは告げることを選んだ。老君はこころやすく穏やかなようでいて、あれほど酷薄な男もそうはない。つとめて善いひと足らんとふるまうことに異論はないが、結果なにがもたらされてきたかは明白である。幾人もの女たち、ときには男たちも、老君に想いを寄せた。かれは応えることができない。知らぬものをただ受容し真似事でもこころみるには、かれは賢すぎ、考えすぎる。どこか見当違いの部分に、いつだって老君の興味と好奇は向いている。考えねばならない! 今度こそは。ほかならぬ清凝、たぐいまれなる才覚としなやかな意思を持ち合わせた、希代の弟子が、その眸が、師父と仰ぎ、教えを乞いながらも、想いを口にするのなら。さしもの老君も考えた、考えた! 考えたろう。けれども、友よ、なぜおまえは考えたのか。
 「清凝、ほんとうに、おれを連れて行かないのか」
 「うん。ひとりでいきたいんだ。寂しいの? わたしがいないのが」
 「そりゃあさみしいよ、さみしいさ」
 玄离と清凝は師弟ではないし、かといって友かといえば違うような気もしている。だが、我々の間柄に果たして名まえをつけるべきだろうか? 力ある妖精のひとりであり、積極的な武力介入を良しとしない老君の、唯一の懐刀にして配下でない玄离は、この藍溪鎮にあってかぎりなく上位ではあっても、ひとり宙に浮いている。民たちの多くは老君にそうするように玄离にも敬意をはらって過ごしたが、この土地に降りかかる災厄から誰かを守ってやろうなどとはみじんも考えたことがない。ひとの手になる包子は旨い、大鍋でぐらりぐらりと炊かれた粥は旨い、玻璃になみなみと注いだ酒にうつる月は甘い。おれはおまえたちのあるじじゃあ、ない、けれども、だれも、おまえ以外のだれも、おまえのあるじになりえないのだ。知っているはず。清凝、おまえも。
 「ありがとう、狗哥。でも、行くよ。行かなくちゃ。ちゃんと勉強してね、けんかばかりはだめだよ、おいしいご飯を食べて……、」
 「清凝。」
 玄离を愛称で呼ぶのなんてかのじょくらいだ、ちいさく、おさなかった清凝。あの子はもうどこにもいない、とは、ゆめゆめ思われなかった。老君の深遠を覗いてなおもかれについていけるのは、自分かかのじょくらいだろう、と、確信をもって言える。かれの眸はいつだって遠くをみているばかりだ、月からみた地上はうつくしかろうが、はたしてあなたは月からかわいい弟子をみつけられるか? あの子が在るというだけで、世界を愛せる道理のあろうか。そんなものがかのじょの望みのはずがない。手の届く範囲だけ、簡単なこと、足並みを揃え、頭を撫で、茶と酒を注ぎあい、抱きしめて、肩を寄せて眠ればいい。それくらいの分別は、玄离にもある。
 「ひとりになるな。清凝。」
 「あはは! お父さんみたいなこと言うね!」
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