Tumgik
#後京極摂政前太政大臣
konitahirao · 6 months
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Miyako Sawafuji
露にぬれつつ ひとりかも寝む 逢はむとぞ思ふ かれぬと思へば 白菊の花 ふれる白雪 夜半の月かな 忘れやはする しばしとどめむ 雪はふりつつ 夜ぞふけにける 燃ゆる思ひを 知る人もなし 本歌 阿部海太郎 「Miyako Sawafuji」 小倉百人一首 天智天皇、柿本人麻呂、後京極摂政前太政大臣、 元良親王、崇徳院、源宗于朝臣、凡河内躬恒、坂上是則、 紫式部、三条院、大弐三位、僧正遍昭、山部赤人、光孝天皇、 中納言家持、藤原実方朝臣、前大僧正行尊
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2ttf · 12 years
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Latin//Alphabet// ABCDEFGHIJKLMNOPQRSTUVWXYZabcdefghijklmnopqrstuvwxyz0123456789 !"“”#$%&'‘’()*+,-./:;<=>?@[\]^_`{|}~ Latin//Accent// ¡¢£€¤¥¦§¨©ª«¬®¯°±²³´µ¶·¸¹º»¼½¾¿ÀÁÂÃÄÅÆÇÈÉÊËÌÍÎÏÐÑÒÓÔÕÖ×ØÙÚÛÜÝÞßàáâãäåæçèéêëìíîïðñòóôõö÷øùúûüýþÿ Latin//Extension 1// ĀāĂ㥹ĆćĈĉĊċČčĎďĐđĒēĔĕĖėĘęĚěĜĝĞğĠġĢģĤĥĦħĨĩĪīĬĭĮįİıIJijĴĵĶķĸĹĺĻļĽľĿŀŁłŃńŅņŇňʼnŊŋŌōŎŏŐőŒœŔŕŖŗŘřŚśŜŝŞşŠšŢţŤťŦŧŨũŪūŬŭŮůŰűŲųŴŵŶŷŸŹźŻżŽžſfffiflffifflſtst Latin//Extension 2// ƀƁƂƃƄƅƆƇƈƉƊƋƌƍƎƏƐƑƒƓƔƕƖƗƘƙƚƛƜƝƞƟƠơƢƣƤƥƦƧƨƩƪƫƬƭƮƯưƱƲƳƴƵƶƷƸƹƺƻƼƽƾƿǀǁǂǃDŽDždžLJLjljNJNjnjǍǎǏǐǑǒǓǔǕǖǗǘǙǚǛǜǝǞǟǠǡǢǣǤǥǦǧǨǩǪǫǬǭǮǯǰDZDzdzǴǵǶǷǸǹǺǻǼǽǾǿ Symbols//Web// –—‚„†‡‰‹›•…′″‾⁄℘ℑℜ™ℵ←↑→↓↔↵⇐⇑⇒⇓⇔∀∂∃∅∇∈∉∋∏∑−∗√∝∞∠∧∨∩∪∫∴∼≅≈≠≡≤≥⊂⊃⊄⊆⊇⊕⊗⊥⋅⌈⌉⌊⌋〈〉◊♠♣♥♦ Symbols//Dingbat// ✁✂✃✄✆✇✈✉✌✍✎✏✐✑✒✓✔✕✖✗✘✙✚✛✜✝✞✟✠✡✢✣✤✥✦✧✩✪✫✬✭✮✯✰✱✲✳✴✵✶✷✸✹✺✻✼✽✾✿❀❁❂❃❄❅❆❇❈❉❊❋❍❏❐❑❒❖❘❙❚❛❜❝❞❡❢❣❤❥❦❧❨❩❪❫❬❭❮❯❰❱❲❳❴❵❶❷❸❹❺❻❼❽❾❿➀➁➂➃➄➅➆➇➈➉➊➋➌➍➎➏➐➑➒➓➔➘➙➚➛➜➝➞➟➠➡➢➣➤➥➦➧➨➩➪➫➬➭➮➯➱➲➳➴➵➶➷➸➹➺➻➼➽➾ Japanese//かな// あいうえおかがきぎくぐけげこごさざしじすずせぜそぞただちぢつづてでとどなにぬねのはばぱひびぴふぶぷへべぺほぼぽまみむめもやゆよらりるれろわゐゑをんぁぃぅぇぉっゃゅょゎゔ゛゜ゝゞアイウエオカガキギクグケゲコゴサザシジスズセゼソゾタダチヂツヅテデトドナニヌネノハバパヒビピフブプヘベペホボポマミムメモヤユヨラリルレロワヰヱヲンァィゥェォッャュョヮヴヵヶヷヸヹヺヽヾ Japanese//小学一年// 一右雨円王音下火花貝学気九休玉金空月犬見五口校左三山子四糸字耳七車手十出女小上森人水正生青夕石赤千川先早草足村大男竹中虫町天田土二日入年白八百文木本名目立力林六 Japanese//小学二年// 引羽雲園遠何科夏家歌画回会海絵外角楽活間丸岩顔汽記帰弓牛魚京強教近兄形計元言原戸古午後語工公広交光考行高黄合谷国黒今才細作算止市矢姉思紙寺自時室社弱首秋週春書少場色食心新親図数西声星晴切雪船線前組走多太体台地池知茶昼長鳥朝直通弟店点電刀冬当東答頭同道読内南肉馬売買麦半番父風分聞米歩母方北毎妹万明鳴毛門夜野友用曜来里理話 Japanese//小学三年// 悪安暗医委意育員院飲運泳駅央横屋温化荷開界階寒感漢館岸起期客究急級宮球去橋業曲局銀区苦具君係軽血決研県庫湖向幸港号根祭皿仕死使始指歯詩次事持式実写者主守取酒受州拾終習集住重宿所暑助昭消商章勝乗植申身神真深進世整昔全相送想息速族他打対待代第題炭短談着注柱丁帳調追定庭笛鉄転都度投豆島湯登等動童農波配倍箱畑発反坂板皮悲美鼻筆氷表秒病品負部服福物平返勉放味命面問役薬由油有遊予羊洋葉陽様落流旅両緑礼列練路和 Japanese//小学四年// 愛案以衣位囲胃印英栄塩億加果貨課芽改械害街各覚完官管関観願希季紀喜旗器機議求泣救給挙漁共協鏡競極訓軍郡径型景芸欠結建健験固功好候航康告差菜最材昨札刷殺察参産散残士氏史司試児治辞失借種周祝順初松笑唱焼象照賞臣信成省清静席積折節説浅戦選然争倉巣束側続卒孫帯隊達単置仲貯兆腸低底停的典伝徒努灯堂働特得毒熱念敗梅博飯飛費必票標不夫付府副粉兵別辺変便包法望牧末満未脈民無約勇要養浴利陸良料量輪類令冷例歴連老労録 Japanese//小学五〜六年// 圧移因永営衛易益液演応往桜恩可仮価河過賀快解格確額刊幹慣眼基寄規技義逆久旧居許境均禁句群経潔件券険検限現減故個護効厚耕鉱構興講混査再災妻採際在財罪雑酸賛支志枝師資飼示似識質舎謝授修述術準序招承証条状常情織職制性政勢精製税責績接設舌絶銭祖素総造像増則測属率損退貸態団断築張提程適敵統銅導徳独任燃能破犯判版比肥非備俵評貧布婦富武復複仏編弁保墓報豊防貿暴務夢迷綿輸余預容略留領異遺域宇映延沿我灰拡革閣割株干巻看簡危机貴揮疑吸供胸郷勤筋系敬警劇激穴絹権憲源厳己呼誤后孝皇紅降鋼刻穀骨困砂座済裁策冊蚕至私姿視詞誌磁射捨尺若樹収宗就衆従縦縮熟純処署諸除将傷障城蒸針仁垂推寸盛聖誠宣専泉洗染善奏窓創装層操蔵臓存尊宅担探誕段暖値宙忠著庁頂潮賃痛展討党糖届難乳認納脳派拝背肺俳班晩否批秘腹奮並陛閉片補暮宝訪亡忘棒枚幕密盟模訳郵優幼欲翌乱卵覧裏律臨朗論 Japanese//中学// 亜哀挨曖扱宛嵐依威為畏尉萎偉椅彙違維慰緯壱逸芋咽姻淫陰隠韻唄鬱畝浦詠影鋭疫悦越謁閲炎��宴援煙猿鉛縁艶汚凹押旺欧殴翁奥憶臆虞乙俺卸穏佳苛架華菓渦嫁暇禍靴寡箇稼蚊牙瓦雅餓介戒怪拐悔皆塊楷潰壊懐諧劾崖涯慨蓋該概骸垣柿核殻郭較隔獲嚇穫岳顎掛括喝渇葛滑褐轄且釜鎌刈甘汗缶肝冠陥乾勘患貫喚堪換敢棺款閑勧寛歓監緩憾還環韓艦鑑含玩頑企伎忌奇祈軌既飢鬼亀幾棋棄毀畿輝騎宜偽欺儀戯擬犠菊吉喫詰却脚虐及丘朽臼糾嗅窮巨拒拠虚距御凶叫狂享況峡挟狭恐恭脅矯響驚仰暁凝巾斤菌琴僅緊錦謹襟吟駆惧愚偶遇隅串屈掘窟繰勲薫刑茎契恵啓掲渓蛍傾携継詣慶憬稽憩鶏迎鯨隙撃桁傑肩倹兼剣拳軒圏堅嫌献遣賢謙鍵繭顕懸幻玄弦舷股虎孤弧枯雇誇鼓錮顧互呉娯悟碁勾孔巧甲江坑抗攻更拘肯侯恒洪荒郊貢控梗喉慌硬絞項溝綱酵稿衡購乞拷剛傲豪克酷獄駒込頃昆恨婚痕紺魂墾懇沙唆詐鎖挫采砕宰栽彩斎債催塞歳載剤削柵索酢搾錯咲刹拶撮擦桟惨傘斬暫旨伺刺祉肢施恣脂紫嗣雌摯賜諮侍慈餌璽軸叱疾執湿嫉漆芝赦斜煮遮邪蛇酌釈爵寂朱狩殊珠腫趣寿呪需儒囚舟秀臭袖羞愁酬醜蹴襲汁充柔渋銃獣叔淑粛塾俊瞬旬巡盾准殉循潤遵庶緒如叙徐升召匠床抄肖尚昇沼宵症祥称渉紹訟掌晶焦硝粧詔奨詳彰憧衝償礁鐘丈冗浄剰畳壌嬢錠譲醸拭殖飾触嘱辱尻伸芯辛侵津唇娠振浸紳診寝慎審震薪刃尽迅甚陣尋腎須吹炊帥粋衰酔遂睡穂随髄枢崇据杉裾瀬是姓征斉牲凄逝婿誓請醒斥析脊隻惜戚跡籍拙窃摂仙占扇栓旋煎羨腺詮践箋潜遷薦繊鮮禅漸膳繕狙阻租措粗疎訴塑遡礎双壮荘捜挿桑掃曹曽爽喪痩葬僧遭槽踪燥霜騒藻憎贈即促捉俗賊遜汰妥唾堕惰駄耐怠胎泰堆袋逮替滞戴滝択沢卓拓託濯諾濁但脱奪棚誰丹旦胆淡嘆端綻鍛弾壇恥致遅痴稚緻畜逐蓄秩窒嫡抽衷酎鋳駐弔挑彫眺釣貼超跳徴嘲澄聴懲勅捗沈珍朕陳鎮椎墜塚漬坪爪鶴呈廷抵邸亭貞帝訂逓偵堤艇締諦泥摘滴溺迭哲徹撤添塡殿斗吐妬途渡塗賭奴怒到逃倒凍唐桃透悼盗陶塔搭棟痘筒稲踏謄藤闘騰洞胴瞳峠匿督篤凸突屯豚頓貪鈍曇丼那謎鍋軟尼弐匂虹尿妊忍寧捻粘悩濃把覇婆罵杯排廃輩培陪媒賠伯拍泊迫剝舶薄漠縛爆箸肌鉢髪伐抜罰閥氾帆汎伴畔般販斑搬煩頒範繁藩蛮盤妃彼披卑疲被扉碑罷避尾眉微膝肘匹泌姫漂苗描猫浜賓頻敏瓶扶怖附訃赴浮符普腐敷膚賦譜侮舞封伏幅覆払沸紛雰噴墳憤丙併柄塀幣弊蔽餅壁璧癖蔑偏遍哺捕舗募慕簿芳邦奉抱泡胞俸倣峰砲崩蜂飽褒縫乏忙坊妨房肪某冒剖紡傍帽貌膨謀頰朴睦僕墨撲没勃堀奔翻凡盆麻摩磨魔昧埋膜枕又抹慢漫魅岬蜜妙眠矛霧娘冥銘滅免麺茂妄盲耗猛網黙紋冶弥厄躍闇喩愉諭癒唯幽悠湧猶裕雄誘憂融与誉妖庸揚揺溶腰瘍踊窯擁謡抑沃翼拉裸羅雷頼絡酪辣濫藍欄吏痢履璃離慄柳竜粒隆硫侶虜慮了涼猟陵僚寮療瞭糧厘倫隣瑠涙累塁励戻鈴零霊隷齢麗暦劣烈裂恋廉錬呂炉賂露弄郎浪廊楼漏籠麓賄脇惑枠湾腕 Japanese//記号//  ・ー~、。〃〄々〆〇〈〉《》「」『』【】〒〓〔〕〖〗〘〙〜〝〞〟〠〡〢〣〤〥〦〧〨〩〰〳〴〵〶 Greek & Coptic//Standard// ʹ͵ͺͻͼͽ;΄΅Ά·ΈΉΊΌΎΏΐΑΒΓΔΕΖΗΘΙΚΛΜΝΞΟΠΡΣΤΥΦΧΨΩΪΫάέήίΰαβγδεζηθικλμνξοπρςστυφχψωϊϋόύώϐϑϒϓϔϕϖϚϜϞϠϢϣϤϥϦϧϨϩϪϫϬϭϮϯϰϱϲϳϴϵ϶ϷϸϹϺϻϼϽϾϿ Cyrillic//Standard// ЀЁЂЃЄЅІЇЈЉЊЋЌЍЎЏАБВГДЕЖЗИЙКЛМНОПРСТУФХЦЧШЩЪЫЬЭЮЯабвгдежзийклмнопрстуфхцчшщъыьэюяѐёђѓєѕіїјљњћќѝўџѢѣѤѥѦѧѨѩѪѫѬѭѰѱѲѳѴѵѶѷѸѹҌҍҐґҒғҖҗҘҙҚқҜҝҠҡҢңҤҥҪҫҬҭҮүҰұҲҳҴҵҶҷҸҹҺһҼҽҾҿӀӁӂӇӈӏӐӑӒӓӔӕӖӗӘәӚӛӜӝӞӟӠӡӢӣӤӥӦӧӨөӪӫӬӭӮӯӰӱӲӳӴӵӶӷӸӹӾӿ Thai//Standard// กขฃคฅฆงจฉชซฌญฎฏฐฑฒณดตถทธนบปผฝพฟภมยรฤลฦวศษสหฬอฮฯะัาำิีึืฺุู฿เ���โใไๅๆ็่้๊๋์ํ๎๏๐๑๒๓๔๕๖๗๘๙๚๛
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lastscenecom · 5 years
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<飛鳥時代> 1 大 化  645 大化の改新 2 白 雉  663 白村江の戦い 3 朱 鳥  672 壬申の乱 4 大 宝  694 藤原京に遷都 5 慶 雲  701 大宝律令制定 <奈良時代> 6 和 銅  710 平城京に遷都 7 霊 亀  712 古事記が完成 8 養 老  720 日本書紀完成 9 神 亀  723 三世一身の法 10 天 平  729 光明子が皇后に 11 天平感宝 741 国分寺建立の詔 12 天平勝宝 743 墾田永年私財法 13 天平宝字 752 東大寺大仏開眼 14 天平神護 754 唐から鑑真来日 15 神護景雲 ― 「万葉集」成立 16 宝 亀  781 桓武天皇が即位 17 天 応  784 長岡京に遷都 <平安時代> 18 延 暦  794 平安京に遷都 19 大 同  802 坂上田村麻呂東征 20 弘 仁  804 最澄、空海が唐へ 21 天 長  806 最澄、天台宗開く 22 承 和  810 唐招提寺五重塔 23 嘉 祥  816 検非違使を設置 24 仁 寿  823 空海、真言宗開く 25 斉 衡  860 石清水八幡宮創建 26 天 安  866 応天門の変 27 貞 観  869 貞観の大地震 28 元 慶  878 元慶の乱 29 仁 和  888 仁和寺金堂建立 30 寛 平  894 遣唐使を廃止 31 昌 泰  ―  平仮名が現れる 32 延 喜  901 菅原道真が失脚 33 延 長  905 古今和歌集編纂 34 承 平  935 平将門の乱 35 天 慶  939 藤原純友の乱 36 天 暦  947 北野天満宮建立 37 天 徳  949 村上天皇の親政 38 応 和  955 後撰和歌集成立 39 康 保  968 東大寺?興福寺 40 安 和  969 安和の変 41 天 禄  ―  浄土教が流行 42 天 延  974 道綱の母「蜻蛉日記」 43 貞 元  ―  日宋貿易始まる 44 天 元  984 最古医術書「医心方」 45 永 観  985 源信「往生要集」 46 寛 和  ― 「日本往生極楽記」 47 永 延  987 宋の商人が来日 48 永 祚  988 尾張国郡司百姓等解 49 正 暦  990 藤原道隆摂政に 50 長 徳  ―  清少納言「枕草子」 51 長 保  ―  紫式部「源氏物語」 52 寛 弘  ― 「和泉式部日記」 53 長 和  ―  拾遺和歌集成立 54 寛 仁  1016 藤原道長摂政に 55 治 安  1019 刀伊の入寇 56 万 寿  1027 藤原道長が死去 57 長 元  1028 平忠常の乱 58 長 暦  1036 後朱雀天皇即位 59 長 久  1040 長久の荘園整理令 60 寛 徳  1047 浄瑠璃寺が創建 61 永 承  1051 前九年の合戦 62 天 喜  1053 平等院鳳凰堂完成 63 康 平  1063 源頼義鎌倉に八幡宮 64 治 暦  ―  孝標の女「更級日記」 65 延 久  1069 延久の荘園整理令 66 承 保  1075 延暦寺?円城寺 67 承 暦  ―  末法思想の流行 68 永 保  1083 後三年の合戦 69 応 徳  1086 白河上皇の院政 70 寛 治  ―  熊野信仰が盛んに 71 嘉 保  1095 北面の武士設置 72 永 長  1105 平泉に中尊寺建立 73 承 徳  1107 源義親の乱 74 康 和  ―  今昔物語集 75 長 治  ―  源氏物語絵巻 76 嘉 承    77 天 仁    78 天 永    79 永 久    80 元 永    81 保 安    82 天 治    83 大 治    84 天 承    85 長 承    86 保 延    87 永 治    88 康 治    89 天 養    90 久 安    91 仁 平    92 久 寿    93 保 元    94 平 治    95 永 暦  1152 平清盛厳島神社修復 96 応 保  1156 保元の乱 97 長 寛  1159 平治の乱 98 永 万  1160 源頼朝伊豆配流 99 仁 安  1167 平清盛が太政大臣 100 嘉 応  1169 後白河上皇が出家 101 承 安  1171 清盛の娘徳子入内 102 安 元  1175 法然が浄土宗開く 103 治 承  1180 源頼朝伊豆で挙兵 104 養 和  1181 清盛が熱病で死去 105 寿 永  1183 倶利伽羅峠の戦い 106 元 暦  1185 壇ノ浦で平氏滅亡 107 文 治  1189 源義経討たれる 108 建 久  1192 頼朝鎌倉に幕府 <鎌倉時代> 109 正 治  1195 東大寺大仏再建 110 建 仁  1199 頼朝53歳で死す 111 元 久  1202 源頼家が征夷大将軍 112 建 永  1203 北条時政執権就任 113 承 元  1204 頼家が暗殺される 114 建 暦  1205 新古今和歌集完成 115 健 保  1212 鴨長明「方丈記」 116 承 久  1213 源実朝「金槐和歌集」 117 貞 応  1219 実朝暗殺、源氏断絶 118 元 仁  1221 承久の乱 119 嘉 禄  1224 親鸞、浄土真宗開く 120 安 貞  1227 道元、曹洞宗伝える 121 寛 喜  1231 寛喜の大飢饉 122 貞 永  1232 御成敗式目制定 123 天 福  ―  京都で猿楽流行 124 文 暦  1235 小倉百人一首 125 嘉 禎  1235 霧島連峰が大噴火 126 暦 仁  1239 人身売買を禁止 127 延 応  1242 「東関紀行」完成 128 仁 治  1244 越前に永平寺建立 129 寛 元  ―  琵琶法師「平家物語」 130 宝 治  1247 宝治合戦 131 建 長  1253 日蓮、日蓮宗開く 132 康 元  1255 東福寺創建される 133 正 嘉  1259 正嘉の大飢饉 134 正 元  1261 日蓮が伊豆に配流 135 文 応  1268 北条時宗執権就任 136 弘 長  1269 モンゴル使者来着 137 文 永  1274 文永の役 138 建 治  1276 博多湾岸に防塁設置 139 弘 安  1281 弘安の役 140 正 応  1285 霜月騒動 141 永 仁  1293 鎮西探題を設置 142 正 安  1297 永仁の徳政令 143 乾 元    144 嘉 元    145 徳 治    146 延 慶    147 応 長    148 正 和    149 文 保    150 元 応    151 元 享  1321 院政を廃止 152 正 中  1324 正中の変 153 嘉 暦  1324 大徳寺創建される 154 元 徳  1330 兼好法師、徒然草 <南北朝時代> 南 元 弘  1331 楠木正成が挙兵 南 建 武  1332 後醍醐天皇流刑 南 延 元  1333 鎌倉幕府が滅亡 南 興 国  1336 湊川の戦い 南 正 平  1338 足利尊氏が征夷大将軍 南 建 徳  1339 後醍醐天皇が没す 南 文 中  1368 足利義満が3代将軍 南 天 授  ―  太平記 南 弘 和  ―  義経記 南 元 中  1391 明徳の乱 北 正 慶    北 暦 応    北 康 永    北 貞 和    北 観 応    北 文 和    北 延 文    北 康 安    北 貞 治    北 応 安    北 永 和    北 康 暦    北 永 徳    北 至 徳    北 嘉 慶    北 康 応 <室町~戦国時代> 181 明 徳  1392 南北朝が合体 182 応 永  1397 金閣寺造営 183 正 長  1399 応永の乱 184 永 享  1419 応永の外寇 185 嘉 吉  1428 正長の徳政一揆 186 文 安  1438 永享の乱 187 宝 徳  1441 足利義教殺害 188 享 徳  1454 享徳の乱 189 康 正  1456 応仁の乱 190 長 禄  1482 銀閣寺造営 191 寛 正  1488 加賀で一向一揆 192 文 正  1493 明応の政変 193 応 仁  1543 鉄砲伝来 194 文 明  1549 ザビエル布教 195 長 享  1553 川中島の戦い 196 延 徳  1560 桶狭間の戦い 197 明 応  1568 織田信長が入京 198 文 亀  1573 室町幕府滅亡 199 永 正    200 大 永    201 享 禄    202 天 文    203 弘 治    204 永 禄    205 元 亀 <安土桃山時代>    206 天 正  1582 本能寺の変 207 文 禄  1600 関ヶ原の戦い <江戸時代> 208 慶 長  1603 徳川家康江戸幕府開く 209 元 和  1614 大阪冬の陣 210 寛 永  1615 大阪夏の陣 211 正 保  1633 鎖国が始まる 212 慶 安  1635 参勤交代制 213 承 応  1636 長崎に出島完成 214 明 暦  1637 島原・天草一揆 215 万 治  1651 由井正雪の乱 216 寛 文  1685 生類憐れみの令 217 延 宝  1702 赤穂事件 218 天 和  1732 享保の飢饉 219 貞 享  1774 解体新書出版 220 元 禄  1782 天明の飢饉 221 宝 永  1783 浅間山大噴火 222 正 徳  1787 天明の打ち壊し 223 享 保  1825 異国船打払令 224 元 文  1828 シーボルト事件 225 寛 保  1833 天保の飢饉 226 延 享     東海道五十三次完成 227 寛 延  1837 大塩の乱 228 宝 暦  1841 天保の改革 229 明 和  1853 ペリー浦賀来航 230 安 永  1854 日米和親条約 231 天 明  1858 日米修好通商条約 232 寛 永     安政の大獄 233 享 和  1860 桜田門外の変 234 文 化  1864 禁門の変 235 文 政  1866 薩長同盟の密約 236 天 保    237 弘 化    238 嘉 永    239 安 政    240 万 延  1867 坂本龍馬暗殺 241 文 久     大政奉還 242 元 治  1868 鳥羽伏見の戦い 243 慶 応     江戸城無血開城 <近現代> 244 明 治  1904 日露戦争 245 大 正  1914 第1次世界大戦 246 昭 和  1945 太平洋戦争終戦 247 平 成  2011 東日本大震災
248番目の新元号発表 大化から平成まで一覧(日刊スポーツ) - Yahoo!ニュース
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hachikenyakaiwai · 2 years
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【かいわいの時】天平十六年(744)三月十一日:大楯と槍とを宮の門に立つ (続日本紀)。
難波宮・京に着いた後の二月二日、天皇は恭仁宮から駅鈴、内印・外印(天皇の御璽と太政官印)を難波宮に運ばせた。さらに、二十日には、恭仁宮の高御座を難波宮の大極殿に移すため運んだ。また、恭仁宮の兵庫にあった武器を泉川・淀川によって難波に運ばせた。高御座が難波宮に運ばれたことは、これで難波遷都をすすめる上での準備は、ほぼ整ったことになる(略)しかし、『続日本紀』の二十四日条は、天皇が突然に、三島路*をたどって紫香楽宮へ行幸したことを述べている。そして、元正太上天皇と左大臣の橘諸兄が難波に留まった。これは諸兄を留守官として、行幸したものとみなされる。その二日後の二六日、左大臣の諸兄が難波宮を皇都とするという難波遷都の勅を読んだ(略)そして、三月一一日、難波宮が皇都であることを示すため、大楯と槍を石上氏と榎井氏が難波宮の中外門に立てた(小笠原好彦『聖武天皇が造った都 難波宮・恭仁宮・紫香楽宮』2012)。 *三島路=摂津三島郡を通る淀川右岸路。中世以降は西国街道として残っていった(足利健亮 1985)。
(写真)「天皇御璽」 遠江国平田寺蔵天平感宝元年閏五月廿日勅願書所用。松平貞信編『集古十種』1800(国立国会図書館蔵)より。
天皇の印。角印で「天皇御璽」の4文字が刻まれている。養老令(ようろうりょう)に内印として規定されており、「おおみしるし」ともよばれた。材質は、普通、銅と錫(すず)の合金で、幕末までに幾度も改鋳された。御璽は少納言(しょうなごん)が監し、五位以上の位記と諸国に下す公文等に押された。明治維新後、1871年(明治4)新たに安部井音人(あべいおとひと)によって、金印の御璽がつくられた。角印で、大きさは方9.09センチメートル(3寸)、重さ3.55キログラム。御璽は、詔書、法律、政令、条約書、認証官以上の官記に、天皇の親署の下方に押される。戦前は、内大臣府が御璽を保管し、天皇の1泊以上の旅行には、内大臣秘書官が持参した。現在は、侍従職が御璽を国璽とともに保管し、御璽と国璽に関する事務を管掌している[村上重良]。日本大百科全書(ニッポニカ)「御璽」の解説。
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livinng-thinking · 3 years
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中世社会と現代
中世社会と現代
五味文彦 山川出版
概要
古代律令国家の権力統合の弛緩の中で生まれた中世社会。その政治制度は極めて簡素である。中世国家は人々の自力救済を前提に形成されている。中世の実情を現代の様々な視点から探る。
足元から中世を探る
道 中世の道は古代、近世等と異なり曲がっている。 →ランニングコストを避けるため自然に適応。(権力による形成でない) 守護地頭や地域住民による整備により、紀行文や信仰など、文化的側面を持つ。 道と都市 中世京都は小路が発達。京東部の民間信仰の寺社周辺が繁栄。 小道に沿って家が密集して惣町が形成。 →会合衆、町衆による自治 道と信仰 中世における直線は信仰のラインに見られる。神仏への信仰と共に道が開かれ、文化が成長。 道と勧進 公共事業に於いて勧進上人(聖)が重大な役割を果たす。(最初の大事業:重源の東大寺大仏再興) 以前は国家が担うものであったが、中世権力は経済力に乏しく、人々への仏教信仰心を誘って公共事業が推進された。 権力が何もしなかった訳ではないが、勧進と同形式が取られた。
政治権力
院政と武家政権 中世権力は分権的性格を持つ。国司が地方に下らなくなり、武士が台頭。受領に変わり地方文化・経済で主要な役割。地方政治の中心「館」の主も国司から武士へ。館を中心とする社会を築く。 保元平治の乱で中央への影響。 鎌倉幕府と武士連合 院政・平氏政権は天皇補佐の形をとり、政治を積極的に行わず。 →この分権化に呼応し、武士の要求から幕府が誕生。 泰時の代では評定衆が置かれより分権的性格を表出。同時期御成敗式目制定。 合議と専制 鎌倉幕府:将軍親裁→執権政治→得宗専制 あくまで御家人合議が基本。朝廷権力に干渉せず、御家人間調停を務める。 専制志向(得宗、義教、後醍醐)→瓦解、の流れ。 武家政権は王朝を温存し、その権威に依拠しつつ、政治実権を握って近世まで存続した。 諸勢力が統合的であった後白河院政期から承久の乱後の後嵯峨院政期までに限り、諸権門が分立する中、天皇中心に機能を分担して統合される国家体制(=権門体制国家)が指摘できる。 自力救済 分権化著しい中世では、権力による保証は期待出来ず、自力救済が求められた。(特に訴訟など) 自力救済が前提であればこそ、公正な裁判も期待され、鎌倉幕府は訴訟制度の充実を推し進めた。
信仰の世界
仏教と民衆 白河上皇期に成立した顕密主義は法然らの専修性や民衆的性格に揺らぐ。また禅律主義により相対化され、共存するに至った。 神仏への信仰 飢饉や疫病に対し、神は祟る神・救う神の両義性を帯びる。救う神の側面が仏の化身とされ、神仏習合による本地垂迹説が広がりを見せる。 一揆 神仏への誓約という形で契約団体として一揆が形成される。初期は南都北嶺が神木・神輿を担いで強訴した時期。より広く意識されるのは承久の乱後。この頃になると参加者が平等な意識を持って一味同心する集団が広く見られた。幕府の式目制定も一揆の産物と言える。 一揆は新たな法や文化を創出した一方、排他性も帯びていた。
民衆の世界
惣 田地開発の中心が武士から百姓に移行した鎌倉後期になると、一揆も広く民衆の間に見られ、荘園領主や地頭への抵抗が行われた。紀伊國阿氐河荘訴状はこの時期。 一揆は村の集まりである惣が母体となり、村の成長と共に構成員も拡大。室町〜戦国の戦乱期には徳政を引き換えとした派兵や自検断を保持。 近世の村の源流となる。 戦乱と富の蓄積 長期間全国的に生じた南北朝動乱は中小武士の国人一揆形成を促した。この長期戦乱を可能にしたのは、富の拡散と費用の補充であり、料所を通じた土倉や問といった金融業者の存在が大きい。 戦乱が終結して成立した室町幕府はそこに財源を求め、また貿易利を求めた明・朝鮮との外交も展開。金融資本に依拠した政権の体を示したため、後期の民衆一揆は土倉や酒屋を攻撃対象に、徳政を求めるようになる。幕府は民衆への妥協と金融業者の保護、加えて守護大名の対立のジレンマに駆られ、混迷。 銭の流通と「資本主義」 院政期以降宋銭の大量流入によって貨幣が流通。都市の発展、金融業者、為替の発達と続いた。米と銭の選択が可能。 銭・米・文書への物神崇拝に基づき、「資本主義」が芽生え、近世の経済発展、近代の西洋資本主義の早期受容に繋がる。
地域社会
列島各地に地域社会が形成され、それらが内的・外的交流を経て成長。大陸との関係など国際性も確認される。 中央の三代の院政と奥州藤原氏三代は寺院等のモニュメントによる王権強調や、梁塵秘抄・新古今和歌集等コレクションによる王権装飾といった共通点が存在。
歴史のサイクル
西暦 事項 展開 967 関白藤原実頼 摂関常置、後期摂関政治開始 1068 後三条帝即位 延久国政改革、院政へ 1167 平清盛太政大臣 平氏・鎌倉の武家政権 1268 蒙古の国書到来 東アジア世界の流動 1368 応安の半済令 足利義満の公武統一政権の成立 1467 応仁の乱開始 戦国時代の到来 1568 織田信長入京 統一政権へ 1660 全国市場成立 幕藩体制の確立 1760 田沼政権 近代国家の胎動 1868 明治維新 国民国家の形成
※東アジア世界との連関がみられる
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moja-asia · 3 years
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今日の出来事 2021-01-05
なるほど、美容業界か https://t.co/q6bbjflns6 17:01:20 後京極摂政前太政大臣だった。 in reply to codeechi 16:51:51 子どもらの百人一首 ごぎゃうごくせっしょうさきのだじょうだいじん。 かみまくってる 16:45:26 今さら気づいた。これTumblrなんだ。 色んな使い方ができるんやなー https://t.co/a8v92cYZPf 12:39:32 奈良行って、初詣して鹿に追っかけられて帰ってきて三男が描いた絵は淀川だった。 #ブログ更新 #ブログ #ブロガー #ブロガー仲間募集 #ブロガーさんと繋がりたい #ブログ書け https://t.co/5z8JlkBx1s 11:36:59 今さら気づいた。「修羅の紋」は川原さん描いてないんだ。それでも十分に面白い…
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zaregoto1914 · 5 years
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中根雪江「丁卯日記」(1867年12月9日)
○九日、公昨夕御参内より、御城御往復等に而不被及御帰邸、其儘御在朝之処、今朝に至り長防御処置之儀漸く御決議に相成、被仰出趣如左、
今度大樹奉帰政権、朝政一新之折柄、弥以天下之人心居合不相附に於ては、追々復古之典も難被行、深被悩宸襟候、且来春御元服并立太后、追々御大礼被行、且又先帝御一周に相成候に付、所謂既往不咎之御時節故、人心一和専要に被思召候間、先年長防之事件彼是混雑難有之候得共、寛大之御処置被為有、大膳父子末家等被免入洛、官位元被復候旨被仰出候事、
右相済後、追々大御変革御発表之御模様に而、御用無之候間、諸官散朝可致旨被仰出、各退朝後、摂政殿已下宮方公卿之出仕を被止之事如左、
〔参内停止者略〕
夫より諸藩之兵隊を以宮垣之内外を警固し、中山殿、中御門殿、正親町三条殿御居残り、岩倉殿、大原殿、急参内に而万機御取計有之、諸侯は在京之分即刻参内を被命、其中尾越芸之三侯は昨夕より在朝、土州老公は今日御上着、御旅装之儘御参内、薩侯は午後に至り御参有之、夫より暮時前に至り、於小御所会議相始る、帥宮、山階宮、仁和寺宮、中山殿初、公卿方左方に御列席、尾越土芸薩之諸侯は宮方に御列座、諸藩臣は御三の間御敷居際迄相詰たり、于時中山殿より、今般徳川氏より政権奉還に付、大政御一新之御基本被為建度叡慮之趣御発言有之、公卿諸侯取り取り御評議有之、又夫より徳川内府公辞官、并御領地御献納可有之儀之御僉議有之、結局尾越両老公より御伝達、御官禄之御両条はニ侯御含に而、徳川内府公より御内願之筋に相成候様、御周旋可有之との御決議なり、会桑ニ藩も、朝廷より免職之御沙汰に可相成御評議有之処、幕府に而罷免之取計有之に付、不被及御沙汰相済たり、彼是に而子刻後散朝有之、此夜三職之降命有之、公議定職被仰蒙、如左、
〔松平春嶽議定任命沙汰書及び三職任命者略〕
一、爰に再び小御所議事之次第を詳説せんとす、如前説上下已に班列に着くの後、中山殿より先一点無私之公平を以、王政之御基本被為建度叡旨之趣御発言に而、夫より徳川氏之弊政、殆違勅ともいふへき条々不少、今内府政権を還し奉るといへとも、其出る処正邪を弁し難けれは、実蹟を以之を責譲すへしなと、縉紳諸卿論議あるに、土老侯大声を発して、此度之変革一挙、陰険之所為多きのみならす、王政復古の初に当つて兇器を弄する、其不祥にして乱階を倡ふに似たり、二百余年天下太平を致せし盛業ある徳川氏を、一朝に厭棄して疎外に附し、幕府衆心之不平を誘ひ、又人材を挙る時に当つて、斯の政令一途に出、王業復古之大策を建、政権を還し奉りたる如き大英断之内府公をして、此大議之席に加へ給はさるは、甚公議之意を失せり、速に参内を命せらるへし、畢竟如此暴挙企られし三四卿、何等之定見あつて、幼主を擁して権柄を窃取せられたるや抔と、したヽかに中山殿を挫折し、諸卿を弁駁せられ、公も亦諄々として、王政之初に刑律を先にし、徳誼を後にせられ候事不可然、徳川氏数百年隆治輔賛之功業、今日之罪責を掩ふに足る事を弁論し給ひ、諸卿之説漸く屈せんとする時、大久保一蔵席を進んて申陳しは、幕府近年悖逆之重罪而已ならす、此度内府之処置におゐて其正姦を弁するに、強ち尾越土侯之立説を信受すへきにあらす、是を実事上に見るに加かす、先其官位を貶し其所領を収めん事を命して、一毫不平の声色なくんは、其真実を見るに足れは、速に参内を命し朝堂に立しめらるへし、もし之に反し一点扞拒の気色あらは、是譎詐なり、実に其官を貶し其地を削り、其罪責を天下に示すへしとの議論を発す、岩倉卿是に附尾して其説を慫慂し、正邪の分、空論を以弁析せんより、形迹の実を見て知るへしと論弁を極められ、ニ侯亦正論を持して相決す、三宮尾侯は黙然たれは、中山殿、尾侯は如何と詰らるヽに、容堂の説のことしと答へらる、薩侯は如何と問はるヽに、一蔵言ふ処のことしと答へられ、芸侯は土老に同す、岩大ニ氏猶正邪を実行に証せん事を強弁して屈せす、諸藩士に議せらるヽに、尾に而は田宮如雲、丹羽淳太郎、田中邦之輔、越は中根雪江、酒井十之丞、土は後藤象次郎、神山左太衛、薩は岩下佐次右衛門、大久保一蔵、芸は辻将曹、久保田平司にして、薩を除くの外は、悉越土ニ侯と同論なりといへとも、共に是を主張せは、君臣合議雷同之嫌疑を生し、却而事を害せん事を恐るヽの意衷、期せすして同一なれは、各顔を見合せて抗せす、唯々諾々たり、象次郎は吾公之説を推して、陰険を排して公正に出ん事を論して止ます、ニ侯も余りに極論し給はヽ、実事を見ん事を厭ふて、内府公に姦あるを掩はんとし給ふに似たれは、止事を得られすして尾越担当あつて、明日御登城之上、将軍職御辞退を被聞召之条は如左、  辞将軍職之事被聞召候事、 右は吾公より御達有之、官禄之二条はニ侯御含を以、内府公より御内願之筋に御周旋あるへきに決せり、又会桑二藩の職を解かれすして不相適故、其事を幕府へ降命あらは、二藩忿怒して如何成暴挙妄動あらんも難計、此条如何すへきと、朝議殊之外困難宭窮に及ひたり、折柄両藩は幕府におゐて職務罷免せられし由、戸田大���守を以奏上あり、於是難議一頻〔頓カ〕に解釈して、会は帰国して御沙汰を待ち、桑は速に帰国すへき由を命せらるへきに決して、議果たるは已に三更を過き、四更前散朝となれり、 一、今日より御所御檐下御警衛任選十人つヽ、并其他之警固兵、昨日内達之通尾越薩土芸之五藩より指出之、  但十四日至つて解厳なり、 一、此日堺町御門御警衛場へ、御所より之御使持参相達書付左之通、
大政御一新に付、守衛之輩自根朝命を奉し可致進退諸事心得違無之様御沙汰候事、但今日召之列藩兵士、戎服之儘参朝候得共、非常御手当而已、必動揺無之様為心得申私渡候、尤御守衛之義は一際厳重に取締可致候事、
一、此日公家門警衛桑名被免、長州と入替り、蛤御門会津被免、土州と代れり、
私云、桜木御殿へ参上せし節、此日公卿方見聞之形勢を伺ひ奉りしに、堂上何も八日より徹夜、当朝長防之御処置御決議相成、無程散朝之運ひ之処、宮中之模様何となく物騒か敷、不審之状情も���之に付、議奏は居残りたる方可然歟抔御談之処、間もなく御用相済たる間、何も及退朝候様降命に而御退散之処、引続参内御指止之儀被仰出、申刻過勅使を以、摂関之号を被廃、門流を被止候段被仰出たりとの仰なりき、
一、此日夕申刻前、岩倉殿、大原殿、尾越之重役に御逢被成度との事に付、尾之田宮如雲、越之毛受鹿之介両人罷出処、両卿被申出候は、何か伝聞之趣に而は、旗下及会桑并譜代之諸侯二条城へ馳集たる由、畢竟今般御所へ兵を被集候は、全く他之盗之為にする警備に而、承知之通決而討幕等之義には無之事なるに、万一旗下を始め諸藩心得違出来、不慮之動乱を生而は不容易次第候へは、何卒条城鎮静相成候様、尾越に而厚心配之義御頼被成旨に付、其段両公へ申上、尾之茜部小五郎、田中邦之輔同道、鹿之介登城、板倉殿へ請謁、右御口上之趣申上、且宮中之形勢及詳達候処、板老にも此件に付殊更御按労之由、何分内府公への委細及言上、指向候処は、精々可致鎮撫候へは、其段御所へ御答可申上、併此上朝廷より御無礼成被仰出等有之候ては、其上之事情は如何可相運哉、何共難計候間、此辺は尾越に而御配慮被成下候様、両公へも宜申上旨御申聞有之、夜六時過退城、直に参朝して、板老被申聞候趣両卿迄申上たり、此節条城之形勢、旗下并諸藩之兵士竹葦之如く、各戎装に而兵器を携へ、営中草鞋はきにて往来し、唯今にも討て可出気色に而、控所にも御譜代藩々重役、井伊、藤堂を初多勢相詰、隊長等同伴せるも有之、御一麾之御指揮次第、二百余年之洪恩を可奉報との義勢決然たる有様なりき、
*中根雪江「丁卯日記」慶応3年12月9日条(『史籍雑纂 第四』国書刊行会、1912年) 252ー256頁
〔旧字体を新字体に改め、訓点を省略した。〕
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shibaracu · 4 years
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●歴史まとめ
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●歴史まとめ ◆民衆の思い積んだ行基の十三重土塔(堺市) 古きを歩けば(15)2012/1/10 https://style.nikkei.com/article/DGXBZO37578820W1A221C1000000/ 歴史博士 堺市郊外の住宅地に、瓦で包まれた奇妙な小山がそびえ立っている。土で築いた階段状の仏塔、土塔(どとう、国史跡)だ。奈良時代の僧、行基が故郷の和泉監大鳥郡に築き、全面が瓦で覆われていたという、国内に類例がほとんど無い珍しい遺跡だ。 往時には7万枚の瓦 堺市にある国史跡・土塔。ピラミッドの頂部を切り取った形をしている ピラミッドの頂部を切り取った形状をしており、一辺約53メートル、高さは約9メートル。麓から頂部まで13の段が重なる「十三重塔」で、土を盛り上げ、往時は7万枚を超す瓦で表面を覆っていたとみられる。 発掘調査では庶民を中心に幅広い層の名を刻んだ瓦が出土。 多くの人々がこの塔の建立に携わった様子が浮かび上がった。...1/3   ◆大阪に「都」があった7世紀難波宮跡(大阪市) 古きを歩けば(14)2011/12/20 https://style.nikkei.com/article/DGXBZO37262320U1A211C1000000?channel=DF280120166609&style=1 歴史博士 大阪はかつて首都だった。7世紀に「大化の改新」として知られる政治改革の舞台となり、官庁を集約して建て並べるなど先進的な構造の難波宮(なにわのみや)が造営された。この遺跡を守り伝えようとする研究者や市民の取り組みは、今も続いている。 大極殿の基壇が復元された難波宮跡公園。演奏会の練習やペットの散歩など市民の憩いの場となっている(大阪市中央区) 古代から現代まで一望 大阪府庁の近くに緑に包まれた広々とした公園がある。犬を連れて散歩する人、楽器の練習をする人。この都心部にぽっかりあいた空間が難波宮跡だ。北隣には大阪城があり、その向こうに高層ビル群が見える。「ここでは大阪の古代、中近世、現代が一望できます」。30年以上、調査に携わってきた大阪市教育委員会研究主幹の植木久さんはこう話す。...1/3   ◆戦国耐えた仏 伝え続ける守り人赤後寺(滋賀県長浜市高月町) 古きを歩けば(13)2011/12/13 https://style.nikkei.com/article/DGXBZO37052230W1A201C1000000?channel=DF280120166609&style=1 歴史博士 厨子(ずし)の扉が開くと、痛ましい2体の仏像が現れた。9世紀の十一面千手観音は42本の腕のうち残るは12本だけで、頭上にいただいていたはずの十一面もない。10世紀の聖観音も手首から先がない。滋賀県長浜市高月町の赤後寺(しゃくごじ)の仏は、戦国の傷を今に伝える。...1/3   ◆鳥獣に乗る菩薩と13歳の願い 古きを歩けば(53) 観智院(京都市) https://style.nikkei.com/article/DGXNASHC02044_X00C13A5000000?channel=DF280120166609&style=1 獅子、象、馬、孔雀(くじゃく)。動物園の光景ではない。インド神話の鳥類の王、迦楼羅(かるら)も加えた5体の像が、背中に智恵をつかさどる菩薩(ぼさつ)を乗せている。京都市南区の観智院は、鳥獣座に乗る珍しい五大虚空蔵菩薩像の本尊で知られる。...1/3   ◆STORY5 古代国家を支えた下毛野氏基盤の地 宇都宮の歴史と文化財 https://utsunomiya-8story.jp/story/story5/ 倭の五王の時代のうつのみや 大和王権が力を伸ばしていた5世紀、日本最大の大仙古墳が造られます。このころ、うつのみやの地でも市内最大の笹塚古墳が造られます。全長105mの前方後円墳です。埴輪、葺石、二重の周掘をもつ古墳です。この場所は現在のインターパーク付近で、近くでは豪族の居館跡や大規模な集落跡が見つかっており、当時、この地域の中心であったと考えられます。   ◆倭の五王は、いつの天皇なのか? - 歴史まとめ.net https://rekishi-memo.net/kofunjidai/wa_no_goou.html 5世紀、当時の日本の大和王権は中国南朝の「宋」と外交関係を持ち、倭国王に冊封された。 当時の中国の歴史書「宋書」倭国伝には、讃(さん)、珍(ちん)、済(せい)、興(こう)、武(ぶ)といわれる五人の倭王(倭の五王)が、約1世紀の間に使者を派遣した事が記されている。 これらの王を、日本側の史料である「古事記」による天皇と照らし合わせると、讃=仁徳or履中、珍=反正、済=允恭、興=安康、武=雄略の各天皇ではないかと推測される。 最初の二人、讃と珍は事実であるか疑わしい推測なのだが、済・興・武の三人に関しては、現在、確実視されている。 最後の武の雄略天皇が、敵対する有力豪族たちを滅ぼし、天皇の権力を強化させてた。 そして、武を最後に、宋への遣使は派遣されていない。   ◆古代国家支えたメガ「王墓」 造山古墳(岡山市) 古きを歩けば(10) https://style.nikkei.com/article/DGXBZO36504410V11C11A1000000/ ■全国最大級のスケール 岡山市に“全国最大”を誇る前方後円墳、造山古墳がある。墳丘長は約350メートルで全国4位。ただ大阪府にある上位3つの古墳はいずれも宮内庁が管理する陵墓で、一般の立ち入りが禁止されている。自由に立ち入れる古墳では、造山が最大というわけだ。...1/3   ◆145年前に見る「丸腰の安全保障」の教訓 古きを歩けば(54) 土佐 .. https://style.nikkei.com/article/DGXNASHC1301A_V10C13A5000000 2013/05/21 現在でも起こりうる国同士の偶発的な軍事衝突。乏しい情報や丸腰に近い安全保障体制の下では、どんな結末を迎えるのか。さらに、政権移行期の混乱が加わったら……。 ■フランス兵を制止した土佐藩士 宝珠院境内にある土佐藩士11人の墓 ひとつの答えが1868年2月の堺事件にある。連座し切腹を命じられた土佐藩士11人の墓は堺市の宝珠院の系列の宝珠学園幼稚園(宿屋町東3)の一角で、180人の園児の歓声に包まれ、移り行く時代を静かに見守る。墓石は砂岩で風化が進んだ部分もあるが、「土佐」「二十五歳」などの文字が読み取れる。幼稚園でも毎年2月には「烈士祭」を実施、園児らが並ぶ墓石に小さな手を合わせているという。...1/3   ◆忠臣蔵、410年目のお城再興 赤穂城(兵庫県赤穂市) 古きを歩けば(12) https://style.nikkei.com/article/DGXBZO36889450Q1A131C1000000/ 1701年、藩主の浅野長矩が江戸城内で刃傷事件を起こし切腹――。急を知らせる使者到着から城明け渡しまで、赤穂の1カ月の動きは忠臣蔵の前段のヤマ場だ。その舞台、赤穂城は明治期に廃城となったが、約40年前から往時の姿への復元が進んでいる。...1/3   ◆大阪に「都」があった7世紀 難波宮跡(大阪市) 古きを歩けば(14) https://style.nikkei.com/article/DGXBZO37262320U1A211C1000000/ 大阪はかつて首都だった。7世紀に「大化の改新」として知られる政治改革の舞台となり、官庁を集約して建て並べるなど先進的な構造の難波宮(なにわのみや)が造営された。この遺跡を守り伝えようとする研究者や市民の取り組みは、今も続いている。...1/3   ◆元寇船や人骨…歴史塗り変える発見、ハイテクで実現 https://style.nikkei.com/article/DGXBZO37785720V00C12A1000000/ 東日本大震災と原発事故に揺れた2011年。大きなニュースの陰に隠れがちだったが、考古学会では我が国の歴史を塗り替えるような大発見が相次いだ。長崎県松浦市鷹島(たかしま)沖での元寇船のほぼ原形をとどめた形での発見、福井県若狭町の鳥浜(とりはま)貝塚遺跡での世界最古の漆の枝の発見、沖縄県石垣島(石垣市)の白保竿根田原(しらほさおねたばる)洞穴遺跡での日本最古の人骨の発見――。いずれも日本史の謎の部分を解き明かしたり、日本文化や日本人のルーツにかかわる通説を覆したりするかもしれない発見。この一連の「世紀の発見」を可能にしたのは、考古学とは直接関係のない資源工学や理化学の分野で使われているハイテク技術だ。...1/5   ◆アルバート・パイク - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/wiki 弁護士。フリーメイソン。南北戦争時の南部連合の将軍。 フリーメイソンの正装を着たパイク(1865-1880年頃)。 秘密結社フリーメイソンに所属していたと言われている。「メイソンの黒い教皇」とも呼ばれている。古代や東洋の神秘主義を研究して、構成員を増やした[要出典]。オハイオ州シンシナティに本拠地にしていた「ゴールデン・サークル騎士団」の名前を変えたと言われる。また1871年、イタリアのフリーメイソンのジュゼッペ・マッツィーニ(イタリア建国の父)に送った手紙には、第一次世界大戦と第二次世界大戦、更に第三次世界大戦についての計画が記されていたという説が陰謀論者の間で広がっている。   ◆武市半平太〜その栄光と挫折 https://ryo-ma.net/ryoma-hanpeita 月形龍之介 「月様、雨が…。」 「春雨じゃ。濡れて参ろう。」 これは、戦前、舞台や映画で大流行した、行友李風(ゆきともりふう)作の戯曲『月形半平太』の有名な一節です。   ◆武市半平太〜その栄光と挫折 | 「龍馬はん」/嶺里ボー - Part 2 https://ryo-ma.net/ryoma-hanpeita/2 土佐勤王党結成 しかし半平太は、あくまで一藩勤王の実現を目指すべきだと自重を促しました。 これによって吉村虎太郎は脱藩、それに続くように坂本龍馬や沢村惣之丞も脱藩します。 半平太は、その龍馬の脱藩について後に「龍馬は土佐の国にはあだたぬ(収まりきらぬ)奴。   ◆坂本龍馬人物伝 「土佐の国にはあだたぬ奴だ」と http://bit.ly/y3xCON 坂本龍馬(さかもと りょうま、天保6年11月15日(1836年1月3日) - 慶応3年11月15日(1867年12月10日))は幕末、日本の政治家・実業家として活躍しました。 28歳の時に土佐藩を脱藩。その事を聞いた同じ土佐藩の武市瑞山は「土佐の国にはあだたぬ奴だ」といった。「あだたぬ」とは土佐弁で包容しきれぬ人という意味です。その後、貿易会社と政治組織を兼ねた亀山社中・海援隊の結成、薩長連合の斡旋、大政奉還の成立に尽力するなど、幕末の志士として活動しました。 司馬遼太郎の小説『竜馬がゆ���』の主人公とされて以来、国民的人気を誇っている   ◆聖徳太子が歴史から消える日~ 『世界一受けたい授業』河合敦さんが教える、日本史教科書のミステリー 河合 敦 歴史研究家 多摩大学客員教授 https://gendai.ismedia.jp/articles/-/48884 あの聖徳太子は別の人?? 「聖徳太子は、推古天皇の摂政として冠位十二階、十七条の憲法を制定し、遣隋使の小野妹子を派遣した」 「日本で一番大きな古墳は、仁徳天皇陵である」 「日本最古の貨幣は、和同開珎である」 「鎌倉幕府の創立は1192年」 みなさん、これらの文章を読んでどう感じましたか。懐かしいなあ。そうそう、昔一生懸命憶えたよ。…そんな感想を持った読者も多いかも知れません。 もしもあなたが、この文章に何の違和感もおぼえないとしたら、あなたが学校で学んだ歴史は、もう時代遅れと言わざるをえません。.....1/4   ◆あの「聖徳太子」が教科書から姿を消すワケ  ここまでわかった!「日本史」の最新常識 山岸 良二 : 歴史家・昭和女子大学講師・東邦大学付属東邦中高等学校非常勤講師 https://toyokeizai.net/articles/-/118796 2016/05/25 10:00 かつて「伝説の学習参考書」と呼ばれた名著をご存じだろうか。1973年に初版が発行され、多くの受験生のバイブルとして版を重ね続けてきた『大学への日本史』である。 作家の佐藤優氏も、外交官時代、「座右の書」として肌身離さず持ち歩き、何度も読み返してきた。その学習参考書が今回、装いも新たに『いっきに学び直す日本史 古代・中世・近世 教養編』、『いっきに学び直す日本史 近代・現代 実用編』として生まれ変わった。 特長は、リニューアル復刊にあたって、監修者が全編チェックして「古い学説」は改訂し、最新の研究成果によって以前の内容にはなかった「新たな歴史の常識」も数多く盛り込まれ、「いま使える内容」になっていること。 本連載では、同書の監修を担当した東邦大学付属東邦中高等学校の山岸良二氏が、そんな「最新の日本史」を紹介していく。
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anri008-blog · 7 years
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岩宿遺跡:相沢忠弘
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大森貝塚:エドワード・モース
BC1 倭人は百余国にわかれ、一部の国は前漢の楽浪郡に朝貢:「漢書」地理志
 57 倭の奴国が後漢の光武帝より印綬を賜る:「後漢書」東夷伝
107 倭国王帥升ら、後漢の安帝に生口を献���:「後漢書」東夷伝
239 卑弥呼が魏に使いを送り、親魏倭王の号を賜る:「魏志」倭人伝
弥生土器:有坂しょうぞう
391 高句麗好太王の碑文
大仙古墳
倭の五王
478 倭王武の上表文(雄略天皇)
527 磐井の乱
538 仏教伝来
562 任那滅亡
蘇我氏・物部氏・大伴氏
587 蘇我馬子物部守屋殺害
589 隋建国
592 蘇我馬子崇峻天皇殺害
592 推古天皇即位
593 聖徳太子摂政就任
603 冠位12階の制定
604 17条の憲法制定  
607 遣隋使の派遣
607 法隆寺建立
618 唐建国
645 大化の改新
646 改新の詔
630 遣唐使の派遣
663 白村江の戦い
667 大津京遷都   
668 天智天皇即位
672 壬申の乱
683 富本銭の鋳造
684 八色の姓制定
694 藤原京遷都
701 大宝律令制定
708 和同開珎:元明天皇
元明天皇の事柄の整理
710 平城京遷都:元明天皇
712 古事記編纂:元明天皇
713 風土記編纂:元明天皇
718 養老律令:元正天皇
720 日本書紀:元正天皇
723 三世一身法:元正天皇
729 長屋王の変
741 国分寺・国分尼寺建立の詔
743 墾田永年私財法の制定
743 大仏造立の詔
752 東大寺大仏開眼供養
754 鑑真来日、律宗を伝える
聖武天皇のまとめ
8世紀 このころ万葉集ができる
奈良時代の争いのまとめ
784 長岡京遷都
794 平安京遷都
797 坂上田村麻呂、征夷大将軍に就任
802 胆沢城:桓武天皇
804 最澄・空海が唐に渡る
805 最澄、天台宗をはじめる
806 空海、真言宗をはじめる
810 薬子の変
858 藤原良房摂政就任
884 藤原基経関白就任
894 遣唐使の廃止:菅原道真
901 菅原道真、大宰府に左遷
10世紀 この頃竹取物語ができる
905 古今和歌集編纂:紀貫之
935 平将門の乱(承平・天慶の乱)
939 藤原純友の乱(承平・天慶の乱)
960 宋建国
988 尾張国郡司百姓等解文
1000 枕草子・源氏物語ができる
1016 藤原道長摂政就任
1017 藤原頼通、摂政就任
1051 前九年の役
1069 延久の荘園整理令
1083 後3年の役
1086 白河上皇(院政開始)
1124 藤原清衡中尊寺金色堂建立
奥州藤原氏の順番
1156 保元の乱
保元の乱の歴史的な意義
1159 平治の乱
1167 平清盛太政大臣就任
源平の戦い(治承・寿永の乱)
1185 源頼朝、全国に守護・地頭を設置
1192 源頼朝、征夷大将軍に就任(鎌倉幕府成立) 
1203 実朝将軍就任  時政執権就任
1205 新古今和歌集
1206 モンゴル帝国建国
1219 源実朝、公暁に殺される
1221 承久の変
1232 御成敗式目
1271 元建国
1274 文永の役(時宗)
1281 弘安の役(時宗)
1297 永仁の徳政令
1318 後醍醐天皇即位
1324 正中の変(後醍醐天皇)
1330 吉田兼好 徒然草を著す
1331 元弘の変(後醍醐天皇)
1333 鎌倉幕府滅亡
鎌倉6仏教の覚え方
1334 建武の新政(後醍醐天皇)
1336 南北朝分裂
1336 建武式目制定
1338 足利尊氏 征夷大将軍に就任(室町幕府成立)
1341 天竜寺船 1342 天竜寺船を元に派遣
足利尊氏 関連年代の覚え方
三管領の覚え方
四職の覚え方
1368 明建国(朱元璋(太祖・洪武帝))
1368 足利義満 将軍就任
1378 足利義満 室町へ移る
1391 明徳の乱
1392 足利義満 南北朝合一
1392 李氏朝鮮建国
1397 足利義満(鹿苑寺)金閣造営
1404 勘合貿易開始
1428 正長の土一揆
1429 琉球統一
1439 足利学校の再興
1457 コシャマインの戦い
1467 応仁の乱
1485 山城の国一揆
1488 加賀の一向一揆
1489 足利義政(慈照寺)銀閣造営
1543 鉄砲伝来
1549 キリスト教伝来
1553 川中島の戦い
1560 桶狭間の戦い
1568 足利義昭を奉じて上洛
1570 姉川の戦い
1570 石山合戦がはじまる
1571 比叡山焼き討ち
1573 室町幕府滅亡
1575 長篠の戦い
1582 天正遣欧使節
1582 本能寺の変
織田信長 関連年代の覚え方
1582 太閤検地
1583 賤ヶ岳の戦い
1584 小牧・長久手の戦い
1588 刀狩令
1592 朱印船貿易
1592 文禄の役
1597 慶長の役
豊臣秀吉 関連年代の覚え方
1600 リーフデ号豊後に漂着
1600 関が原の戦い
徳川家康に関連する年代の確認
1603 江戸幕府を開く
1605 秀忠、征夷大将軍に就任
1612 禁教令(直轄地)
1613 禁教令(全国)
1614 高山右近 マニラに追放
1614 方広寺鐘銘事件
1614 大阪 冬の陣
1615 大阪 夏の陣
1615 武家諸法度制定 禁中並公家諸法度制定
徳川家康 関連年代の覚え方
1624 スペイン船の来航禁止
1629 踏絵(絵踏)をはじめる
1635 参勤交代が定められる
1635 海外渡航と海外在留日本人帰国禁止
1637 島原・天草一揆が起こる
キリスト教関連のまとめ
1636 清建国
1639 ポルトガル船の来航禁止
1641 鎖国の完成
鎖国関連のまとめ
1649 慶安のお触書
1651 慶安の変(由井正雪の乱)
1657 明暦の大火
1685 生類憐みの令が出される
1689 松尾芭蕉「奥の細道」の旅に出発
1690 湯島の聖堂をたてる
1709 正徳の治(新井白石)
徳川綱吉
徳川家宣
徳川家継
1716 享保の改革
1732 享保の大飢饉
1742 公事方御定書の制定
徳川吉宗 関連年代の覚え方
1772 田沼意次、老中に就任
1774 解体新書
1782 天明の大飢饉
1787 寛政の改革
1792 林子平「海国兵談」絶版
1792 ラックスマン来航
1798 本居宣長、古事記伝を著す
1804 レザノフ来航
1808 フェートン号事件
1821 伊能忠敬日本地図作成
1825 外国船打払令
1828 シーボルト事件
1833 天保の大飢饉
1837 大塩平八郎の乱
1837 モリソン号事件
1839 蛮社の獄
1840 アヘン戦争 
1841 天保の改革
1853 ペリー来航
1854 日米和親条約
1856 タウンゼント・ハリス来日
1858 日米修好通商条約
1858 安政の大獄
1860 桜田門外の変
1861 南北戦争
1862 生麦事件(→薩英戦争)
1863 薩英戦争
1864 四国艦隊下関砲撃事件
1866 薩長同盟
1867 大政奉還
1867 王政復古の大号令
1868 明治時代の始まり
1868 戊辰戦争
1868 五箇条のご誓文・五榜の掲示
1869 東京遷都
1869 版籍奉還
1871 郵便制度がはじまる
1871 廃藩置県
1871 岩倉具視使節団
幕末のまとめ
1872 琉球藩設置 
1872 学問のすすめ・学制公布・鉄道開通・富岡製糸場設立
1873 徴兵令
1873 キリスト教解禁
1873 地租改正
1873 明治6年の政変
1873の出来事のまとめ(花見シリーズ)
1874 民撰議院設立建白書・佐賀の乱他
1874 民撰議院設立建白書
1875 樺太千島交換条約
1875 江華島事件
1877 地租改正
1877 西南の役
1877 大森貝塚発見
1879 沖縄県設置
1881 国会開設の詔
1881 開拓使官有物払下げ事件
1881 自由党結成
1882 立憲改進党の結成
1883 鹿鳴館完成
1884 秩父事件
1885 内閣制度
自由民権運動のまとめ
1886 ノルマントン号事件
1889 大日本帝国憲法発布
1891 足尾銅山鉱毒事件
1891 大津事件
1894 条約改正(治外法権撤廃)
1894 甲午農民戦争(東学党の乱)
1894 日清戦争
1895 下関条約
1895 三国干渉
1898 隈板内閣
1900 義和団事件・北清事変
1901 八幡製鉄所操業開始
1902 日英同盟
1904 日露戦争
1905��ポーツマス条約締結
1905 日比谷焼打事件
1910 大逆事件
1910 韓国併合
1911 条約改正(関税自主権回復)
条約改正の流れ
1911 辛亥革命
1912 中華民国建国
1912 大正が始まる
1912 第一次護憲運動
1914 第一次世界大戦始まる
1915 対華21か条の要求
1916 吉野作造「民本主義」
1917 ロシア革命
1918 シベリア出兵
1918 米騒動
1918 原敬内閣誕生
1918 第一次世界大戦終わる
1919 3・1運動 5・4運動 ベルサイユ条約
1920 国際連盟の成立
1921 ワシントン会議
1922 全国水平社設立
1922 ソビエト社会主義共和国連邦成立
1923 関東大震災
1924 第二次護憲運動
1925 ラジオ放送がはじまる
1925 治安維持法・普通選挙法制定
1926 大正が終わる
1929 世界恐慌
1930 ロンドン会議
1931 満州事変
1932 満州国の建国
1932 リットン調査団
1932 5・15事件
1933 国際連盟を脱退
1936 2・26事件
1937 日中戦争(盧溝橋事件)
1938 国家総動員法
1939 第二次世界大戦はじまる
1940 日独伊三国同盟
1940 大政翼賛会
1941 日ソ中立条約
1941 太平洋戦争始まる
1945 第二次世界大戦終わる(太平洋戦争・日中戦争終わる)
1945 GHQ設置(マッカーサー) 財閥解体 婦人参政権の実現
1945 国際連合発足
1946 天皇の人間宣言
1946 極東国際軍事裁判
1946 日本国憲法の公布(11.3)
1946 婦人参政権
1946(清志郎)のまとめ
1947 教育基本法・学校教育法 労働基準法・独占禁止法
1947 日本国憲法施行(5.3)
1948 朝鮮が分裂(朝鮮民主主義人民共和国・大韓民国)
1949 中華人民共和国
1950 朝鮮戦争がはじまる
1951 サンフランシスコ平和条約
1951 日米安全保障条約調印
1953 朝鮮戦争、休戦協定が結ばれる
1954 第五福竜丸、ビキニ水爆実験で被爆
1954 自衛隊発足
1955 バンドン会議
1956 日ソ共同宣言の調印・日本、国際連合に加盟
1960 日米新安保条約・安保闘争が起こる
1964 東海道新幹線が開通・東京オリンピック開催
1965 日韓基本条約の締結
1968 小笠原諸島が返還される
1972 日中共同声明調印
1972 沖縄が返還される
1973 石油危機が起こる
1976 ロッキード事件
1978 日中平和友好条約
1989 平成がはじまる
1989 消費税導入
1990 東西ドイツ統一
1991 湾岸戦争
1991 ソ連の崩壊
1992 PKO法成立
1993 55年体制が終わる
1995 阪神淡路大震災
2000 沖縄サミット開催
2001 9・11事件(アメリカ同時��発テロ)
2002 平壌宣言
2009 オバマ大統領誕生
NATO・ワルシャワ条約機構
EEC・EC・EU
徳川将軍の覚え方
室町将軍の覚え方
内閣総理大臣の覚え方
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shibaracu · 4 years
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●商人(しょうにん)(あきんど)●商い(あきない)
●商人(しょうにん)(あきんど)●商い(あきない) ・あきんどの意味や使い方 Weblio辞書 ・あきんど【商人】 〔「あきびと」の転〕 物の売買を職業とする人。しょうにん。あきゅうど。 [句項目] 商人の空誓文 ・ 商人は腹を売り、客は下より這う ・あきうど 【商人】 ⇒ あきゅうど(商人) ・あきびと 【商人】 商人。あきんど。 「商賈(しようこ)の-は百族満ちにぎはひ/海道記」 ・あきゅうど【商▽ 人▽】 〔「あきびと」の転〕 商人(しようにん)。 ・しょう にん【商人】 ① 商業を営む人。あきんど。 ② 〘法〙 商法上、自己の名をもって商行為を行うことを業とする者をいう。また、店舗などの設備により物品販売を業とする者、鉱業を営む者も商人とみなされる。 「商人」に似た言葉 » 類語の一覧を見る ディーラー  売人  あきんど  商売人  商賈    ・ディーラー [1] 【dealer】 ①販売業者。メーカーの特約小売業者。 ②自己の負担で証券為替の売買を行う業者。 ③カード(トランプ)の札を配る人。親。    ・ばい にん [0] 【売人】 ① 品物の売り手。特に、密売組織の末端で、麻薬などの密売品を売る者。 「やく(=麻薬)の-」 ② 商売人。あきんど。 「ここに酒造れる-に和泉清左衛門といふ有り/浮世草子・五人女 1」 ③ 「売女(ばいた)」に同じ。 「色は-の事以来袂にも手は触れまい/おぼろ夜 緑雨」    ・ しょう ばいにん【商売人】 ① 商売をしている人。また、商売の上手な人。あきんど。商人。 「いっぱしの-になった」 ② その道の専門家。くろうと。 ③ 水商売の女。商売女。   ・ しょう こ しやう- [] 【商賈・商估】 商人。あきんど。また、商店。    一時 この名で呼ぶことが流行った時期がある。 物々交換から始まった職業で独立して古文書などに記載されたのが平安中期以降に成る。 前の士農工商にも少し書いたけれども日本の経済を動かしてきた職業である。 あきんどやあきないなど呼ばれて時には上に時には下に見られてきた。 飽きずに仕事をするからあきないなどと言われていたこともある。 日本は本当にコトバ遊びの好きな国で語源がハッキリしないコトバが多い。 楽しい国である。 コトバ一つ調べていてこんなにもワクワクする。 自分の思い過ごしでトンでもない意味で理解していたり聞かされた事と全然違う意味だったり。 知ることで又楽しみが増える。 有り難い事だ。     ●商人(あきんど) 【意味】あきんどとは、売買を仕事とする人。しょうにん。 【あきんどの語源・由来】 あきんどは、平安中期の辞書『和名抄』に「商人」の意味として「あきひと」があり、『古今集』には「あきびと」の例が見られる。 「あきひと」「あきびと」が音変化して「あきゅうど」となり、「あきんど」となった語で、あきんどの「んど」は「人(ひと)」を意味する。 あきんどの「あき」は、動詞「商う(あきなう)」の「あき」。 「商う」の「あき」は、農民達が収穫物を売買したことから、収穫の季節となる「秋」を語源とする説が定説となっているが、物を買い求める意味の「購う・贖う(あがう・あがなう)」と同源とも考えられるため、正確な語源は未詳である。   ●商い(あきない) 【意味】 商いとは、売買すること。商売。売り上げ。 【商いの語源・由来】 商いの古形は「あきなひ」で、動詞は「あきなふ」。 商人を「あきひと」と言ったことから、「あきなふ」の語構成は「あき」と「なふ」であることがわかる。 「なふ」は「おこなふ(行う)」や「おぎなふ(補う)」などの「なふ」と同じく、動詞をつくる接尾語である。 商いの語源は、農民の間で収穫物や織物などを交換する商業が、秋に行われたことから「秋なふ(秋なう)」から動詞「あきなふ」が生まれ、「あきない」になったとする説が定説となっている。 しかし、物を買い求めたり、何か別のものを代償として手に入れる意味の「購う・贖う(あがう・あがなう)」と同源とも考えられ、商いの語源は「秋」が正しいとは言い切れず、正確な語源は未詳である。   ●商い、あきない - 日本語を味わう辞典(笑える超解釈で言葉の意味 http://bit.ly/39r52y1 https://www.fleapedia.com/%E4%BA%94%E5%8D%81%E9%9F%B3%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9/%E3%81%82/%E5%95%86%E3%81%84-%E3%81%82%E3%81%8D%E3%81%AA%E3%81%84%E3%81%A8%E3%81%AF-%E6%84%8F%E5%91%B3/ あきない(商い)とは、商売、商売をすることという意味。日本語の「あきない」は、漢語の「商売」「売買」「商業」などと比べると、「その日の分だけ稼げばいい」といったのどかな響きがあり、一攫千金でがっぽり儲ける事業には結びつきそうもなく、いまどきの会社で「あきない」をやっているところはほとんどない。 「あきない」の「あき」は、季節の「秋」や満ち足りるという意味の「飽き」と同根で、収穫期になって満ち足りた作物を交換するという意味があるのではないかとされる(他に諸説あり)。「ない」は、「占い(うらない)」「償い(つぐない)」のように、名詞や形容詞の後について、その行為をする意を表す接尾語であり、「あきない」は「あき」を「すること」となる。「商い」は「飽きない」でこつこつやるべきものだから「あきない」というのだという俗説があるが、語源から考えると、ほんとうの商いは飽きてもなおがんがんやるべきもののようである。(CAS)   面白い意味で物事をしていて飽きるかなあきないにならないから飽きないという こんなことも聞いたことが有る。 飽きたら何にも出来ないからね。 兎に角 色んな語源からこんな言葉が生まれてきている。 日本語とは こんなに楽しい意味が裏に隠れた言葉多い。 だから 語源がはっきりしない言葉が多いのだろうね。     ●商人(しょうにん)http://bit.ly/wI3W3n 商品を他の商品との物々交換、あるいは貨幣とをもって交換を行う作業を仲介する職業(商業)に従事する者を指す。 農業を尊んで商人を卑しい人間と見なす慣習(農本主義)がある。日本で独立した商人階層が形成されるのは、律令制と中小豪族が没落する平安時代中期以後であるとされる。 市 以外の場所で商売を行う者が出てくるようになる一方、有力な権門と結びつく者も現れるようになる。 貞観6年(864年)に市籍人が貴族や皇族に仕える事を禁じた命令が出されている。 やがて、有力権門や寺社の雑色・神人などの身分を得てその権威を背景に諸国と京都を往復して交易を行うようになる。 やがて、権門や寺社を本所として仰いで奉仕の義務と引き換えに諸国通行自由・関銭免除・治外法権などの特権を保障された集団「座」を結成するようになった。   ●著者名:五島邦治著『京都 町共同体成立史の研究』 評 者:小西 瑞恵 http://www.iwata-shoin.co.jp/shohyo/sho635.htm 掲載誌:「日本歴史」696(2006.5)  都市京都の研究史を回顧すれば、膨大な著書・論文が挙げられるが、その基調を形作ってきたのは、林屋辰三郎『町衆』(中公新書、一九六四年)であ���、京都市編『京都の歴史』全一〇巻(学芸書林、一九六八~七六年)や、秋山国三・仲村研『京都「町」の研究』(法政大学出版局、一九七五年)などであった。これらは戦後から一九七五年頃までの仕事であり、一九七〇年代から都市研究が隆盛期を迎えるなかで、京都についての優れた研究が積み重ねられていった。具体的には、戸田芳実・脇田晴子・網野善彦・黒田紘一郎・五味文彦・瀬田勝哉・川嶋將生の諸氏による研究で、理論的にも実証的にも、京都研究は豊かに成熟していった。しかし、研究が精緻になる一方、「町衆」論と研究との乖離も生じてきたと思う。  この著書で五島邦治氏が提起しているのは、従来の「町衆」研究の基調を継承しながら、現在生じているさまざまな難問を解決する試みである。著書は「第一部 都市民の誕生と祭礼組織」、「第二部 町共同体の成立」、「第三部 地域の都市民」に分かれる。 第一部の「第一章 平安京の成立と都市住民の形態」で、まず、京戸と平安京に住む都市民の実勢とのずれが指摘され、新興都市民を表すことばには、 (イ)市人・市籍人・市廛百姓・市郭之人、 (ロ)下級官人・有力貴族の下部、 (ハ)豪富之室・富豪之輩、 (ニ)漠然とした地域をさすことばを冠する者、があり、初期都市民をさす特定のことばは、成立しなかったとする。 (イ)(ロ)(ハ)は、実は同一の都市民の実態をさし、新興都市民の実態そのものが、都市と地方をともに生活基盤としてそれぞれ分有し、その間を往来するという都市民としては不徹底なものであった。この背景には、本質的に都市と地方との未分化があった。しかし、平安京のなかにも都市的な文化の発生がみられることが、「焼尾荒鎮(しょうびこうちん)」(任官・昇任等の際の祝宴、荒鎮は大酒すること)と「御霊会」の分析を通じて語られる。   ●京戸 - Wikipedia   https://ja.wikipedia.org/wiki/京戸 京戸(きょうこ/けいこ)は、日本の律令制において、京に本貫を持った住民のこと。 「京戸」の存在は、日本独自の制度とされている。 日本の律令制がモデルとした唐の都長安の場合、関内道(後京畿道)-雍州(後京兆府)の下に万年県(西側)・長安県(東側)が設置され、他の地域と同様の道-州-県という地方制度の下に置かれていた。 これに対し、日本の場合には大和国や山城国といった令制国とは別に京職と呼ばれる別の官司の管轄下に置かれていた(京職は「京」という都市空間において、国家機能を円滑に機能させるための維持・管理を行っており、京の地方行政のみを行っていた訳ではない)。 養老律令には、「京戸」という語はないが、令義解の戸令注釈(居狭条・穴記)より古令(大宝律令の令)に「京戸」の語が存在したことが知られている。 また、『続日本紀』以降の六国史にも「京戸」の語が見られる。   ●商品(しょうひん)http://bit.ly/yhfNpe 経済活動において生産・流通・交換される物財のことである。商品には具体例として食品や衣類などの物のほかに、法律相談や郵便配達などのサービスや、証券などの権利、情報などが含まれる。 販売する物財に主眼を置く場合には、商材(しょうざい)とも呼ばれる。   ●物々交換(ぶつぶつこうかん、英: barter:バーター) http://bit.ly/yWIUm8 貨幣などの媒介物を経ず、物品と物品を直接に交換すること。 「物」とあるが、無形のサービスについても使う。 近代では、貨幣への信頼が無くなったり、超インフレーションが起こったり、貨幣の発行が途絶えたりして、貨幣経済が麻痺した状況下で行われる。近年では、ソ連崩壊直後のロシアでの物々交換経済が顕著であった。 正常に貨幣経済が機能していても、片方に支払い能力が乏しいとき、バーターとして、商品で支払われることがある。給料の現物支給なども、物々交換の一種である。 物々交換は、決算に金額として現れないので、定量的に評価することが難しく、経営の障害になる。 マクロには、経済政策を立てる上での障害になり、課税も難しい。   ●貨幣(かへい)とは、http://bit.ly/zIB9tQ 商品交換の際の媒介物で、価値尺度、流通手段、価値貯蔵の3機能を持つもののこと。 商品の価値尺度、交換手段として社会に流通しているもので、またそれ自体が価値あるもの、富として蓄蔵を図られるもの。   ●商業(しょうぎょう) 財やサービスなどの商品を所有している人やまたは存在している場所と、必要としている人または必要としている場所を結びつけることにより利益を得る職業または経済活動である。 多くは貨幣の媒介を経て市場や個々の店舗��おいて取引(商取引)という形���をとって行われる。 ただし、貨幣や市場などを媒介しないケースを含める場合には「交換」と呼ぶこともある。 また、「商業的」という場合、「営利を目的として」という意味になる(例:商業的生産)。 商業を生業としている人を「商人」という。   ●商行為(しょうこうい;独Handelsgeschäft;仏acte de commerce)とは大陸法系の商法において、その適用範囲を確定する際に用いられる基本概念の一つ。 また、企業活動の意味でも用いられる。http://bit.ly/yizQ3w   ●商法(しょうほう)http://bit.ly/zSZghb 商人の営業、商行、その他商事についての一般法である。   ●農本主義(のうほんしゅぎ)http://bit.ly/wmNKyg 明治時代以降の日本において、立国の基礎を農業におくことを主張した思想もしくは運動である。 英語ではpeasantism(農民主義)。   ●権門(けんもん)http://bit.ly/xhAun4 古代末期から中世の日本において、社会的な特権を有した権勢のある門閥・家柄・集団を指す言葉。 類似した意味を持つ勢家(せいか/せいけ)と組み合わせて、権門勢家ともいった。 「権門」と「勢家」はともに中国の古典に記された故事に由来する語で、平安時代初め頃から使われるようになる。 902年(延喜2年)3月13日付太政官符(すなわち『延喜の荘園整理令』)には、「権門」「多勢之家(勢家)」などの語がすでに見られ、諸院諸宮王臣家あるいは五位以上の貴族の意味で用いられていたことがわかる。 摂関政治の時代に入ると、地方の在地豪族が国司の介入を排除するため権門に土地を荘園として寄進して不輸権・不入権を獲得するようになった(荘園領主)。 特に藤原北家でも摂関の地位を占める可能性のある一族に寄進が集中して格差が拡大し、それ以外の貴族が「寒門」として没落するようになった。 当時の政治は権門によって運営されていたために、荘園整理などの権門抑制策には消極的だったが、一方で政治的権威の基盤である太政官 - 国衙の支配体制の崩壊も望まれるところではなく、官物率法の導入などによってその最低限の維持政策は取られ続けていた。 しかし院政の時代に入ると藤原北家への権力の集中に翳りが見え始め、それと平行して治天の君(皇室の家督)、村上源氏、興福寺や延暦寺などの大寺社勢力、そして平家に代表される武士団を背景とした新しい武家勢力の棟梁などが、新たな権門として浮上するようになる。 これらはしばらくの間互いを牽制するかたちで並列的に存在したが、やがて平安時代末期の源平合戦の動乱から鎌倉幕府の成立を経て、いわゆる「荘園公領制」の時代に入ると、「権門体制」と呼ばれる新秩序が確立されたと考えられている。   ●荘園整理令(延喜の荘園整理令から転送)http://bit.ly/waN2VF 荘園整理令(しょうえんせいりれい)は、平安時代に発布された一連の法令のこと。 特に有名なものは、1069年(治暦5年 = 延久元年)に後三条天皇が全国の荘園を一斉整理する目的で発令した延久の荘園整理令であるが、実はこれを遡ること150年前の醍醐天皇の時代から天皇の代替わりごとに度々発令されている。   ●荘園 (日本)http://bit.ly/zqQi0C 日本の荘園は、奈良時代に律令制下で農地増加を図るために墾田私有を認めたことに始まる(初期荘園)。 平安時代には、まず小規模な免税農地からなる免田寄人型荘園が発達し、その後、皇室や摂関家・大寺社など権力者へ寄進する寄進地系荘園が主流を占めた。   ●簒奪(さんだつ)http://bit.ly/ypvC3B 本来君主の地位の継承資格が無い者が、君主の地位を奪取すること。 あるいは継承資格の優先順位の低い者が、より高い者から君主の地位を奪取する事。 ないしそれを批判的に表現した語。本来その地位につくべきでない人物が武力や政治的圧力で君主の地位を譲ることを強要するという意味合いが含まれる。   ●君主(くんしゅ) 一般に、世襲その他血統を背景とする権威により、主権国家を継承し、統治する臣民の畏敬の対象となる地位にある者をいう。   ◆関白(かんぱく)  https://ja.wikipedia.org/wiki/関白 成人の天皇を補佐する官職である。令外官であり、また、実質上の公家の最高位であった。敬称は殿下。   ◆豊臣秀吉#関白任官と紀伊・四国・越中攻略 https://ja.wikipedia.org/wiki/豊臣秀吉#関白任官と紀伊・四国・越中攻略 天正12年(1584年)11月21日、従三位権大納言に叙任され[28]、これにより公卿となった。この際、将軍兼任を勧められたがこれを断る[29][注釈 22]。 天正13年(1585年)3月10日、秀吉は正二位内大臣に叙任された。そして3月21日には紀伊国に侵攻して雑賀党を各地で破っている(千石堀城の戦い)。最終的には藤堂高虎に命じて雑賀党の首領・鈴木重意を謀殺させることで紀伊国を平定した(紀州征伐)。 四国を統一した長宗我部元親に対しても、弟の羽柴秀長を総大将、黒田孝高を軍監として10万の大軍を四国に送り込んでその平定に臨んだ。毛利輝元や小早川隆景ら有力大名も動員したこの大規模な討伐軍には元親の抵抗も歯が立たず、7月25日に降伏。元親は土佐一国のみを安堵されて許された(四国攻め・四国平定)。 秀吉はこの四国討伐の最中、二条昭実と近衛信輔との間で朝廷を二分して紛糾していた関白職を巡る争い(関白相論)に介入し、近衛前久の猶子となり、7月11日には関白宣下を受けた。   ◆本姓について  https://ja.wikipedia.org/wiki/徳川氏#本姓について 日光東照宮に残る家康の口宣案等はすべて源家康となっており、徳川氏が源氏を継続的に称していたことになっているが、これは三代将軍徳川家光の代である1645年(正保2年)に、散逸した分を補填したとして改変されたものであると見られている 永禄9年(1566年)の叙爵は実際には、「系図発見」の経緯もあって藤原家康としておこなわれており、この時点では藤原氏を称していた。笠谷和比古は源氏の棟梁である足利将軍家に家康がつてを持たなかっただけでなく、将軍家が当時当主不在であるという異常事態を迎えており、取り次ぎを行った近衛前久が官位奏請を行うためには藤原氏一門であるほうが好都合であったという指摘を行っている。
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shibaracu · 4 years
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● 源 氏 物 語
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◆源氏物語 これだけ世に知れ渡っていて謎の多いものは無いだろう。 題名一つ定かでない。 二部構成説、三部構成説 或いは四部構成だというものまで入る。 帖数も54帖説が一般的で居なる説を解く人もいる。 巻名も その巻の中で使用されている言葉に由来するもの。 他の巻に見える言葉に由来するもの。 など諸説がある。 成立・生成・作者に関する諸説有る。 源氏物語60巻説 まで飛び出している。 これだけ有名なだけに動機も解からない部分があるという。 「ものの��はれ」論がこれに重なる。 藤原氏と源氏の覇権争いの様も呈している。 いろんな人物や事柄を調べてきたけれども こんなのはなかった。 日本は謎の多い国であることは確かなようだ。 だから国学者は面白くてしょうがないのだろう。 はっきりしなければソレを野心として金儲けにも走るものまで出てくる。 考古学などもそういうたぐいの人は沢山居るようだ。 何年か前に捏造して捕まった教授が居たけれども自分の中の鬱憤などを 晴らすためにしたようだ。 学会というところはドコモかしこも個人主義が多いのではないかな。 認めて欲しい 認められないと何か事起こす。 人間らしくて良いけれども度が過ぎると御用学者に成り下がってしまう。 人が社会で生きるのは大変。 大変だけど 者の大切さだけは何時も肝に銘じていて欲しいものである。 素人は解からないものがたくさんあったほうが楽しいものだけど。
一度みなさんもこの妖艶と言うか奥の深い物語に一度足を踏み入れてはどうかな。   ● 5分でわかる源氏物語!紫式部が描く平安時代の貴族社会を解説 2017.10.27 https://honcierge.jp/articles/shelf_story/4808 世界最古の長編小説とも言われる『源氏物語』。 光源氏を主人公にして、作者の紫式部は何を描きたかったのでしょうか。 ただの平安貴族の恋愛ストーリーだけではない、 『源氏物語』を知るための本も合わせて紹介します。 『源氏物語』は平安時代中期の1008年頃に成立した長編小説。 20ヶ国以上の言語に翻訳され、世界的にも高い評価を受けています。 作者は女性歌人で作家の紫式部で、 『源氏物語』は彼女が遺した唯一の物語作品です。 およそ70年間におよぶ時代を描き、文字数はおよそ100万、 タイトルのみの「雲隠」を含めて全54帖(巻)から成っています。 (巻数については諸説あり) 登場人物は500人ほどで、彼らの心情に即した795首の和歌が詠まれており、 全帖が紫式部による執筆ではないのではないかという説もあります。 これも諸説ありますが、3部構成と考えるのが一般的です。    第1部:「桐壺」から「藤裏葉」まで。主人公光源氏の誕生と栄光を描いている。    第2部:「若菜」から「幻」まで。光源氏の苦悩と老いを描いている。    「雲隠」:タイトルのみで本文は無し。光源氏の死を示唆している。    第3部:「匂兵部卿」から「夢浮橋」まで。光源氏の死後を描いている。 第3部の最後の10帖は宇治を舞台としており、「宇治十帖」とも呼ばれています。 各帖は1帖完結の構成で、その集合体として長大な物語ができあがっているのです。 光源氏と女性の愛の物語を中心に、紫式部から見た貴族社会に関わる 女性の苦労話、藤原時代の摂関政治などが描かれています。 平安時代の公家文化の遺産とも言うべきこの物語は、 多くの現代語訳がされています。 明治から大正時代にかけては与謝野晶子、昭和に入ってからは谷崎潤一郎など、 著名な文豪も手がけました。 また現代語訳以外にも、現代風に書きかえられた小説やコミックなど、手に取り やすいものが増え、気軽に平安時代の貴族社会に触れることができますよ。   ●源氏物語|日本大百科全書・世界大百科事典 - ジャパンナレッジ https://japanknowledge.com/introduction/keyword.html?i=17 平安時代中期の11世紀初め、紫式部によって創作された長編の虚構物語。 正しい呼称は「源氏の物語」で、 「光源氏(ひかるげんじ)の物語」「紫の物語」「紫のゆかり」 などの呼び方もある。 後世は「源氏」「源語」「紫文」「紫史」などの略称も用いられた。 主人公光源氏の一生とその一族たちのさまざまの人生を70年余にわたって構成し、 王朝文化の最盛期の宮廷貴族の生活の内実を優艶(ゆうえん)に、 かつ克明に描き尽くしている。 これ以前の物語作品とはまったく異質の卓越した文学的達成は、 まさに文学史上の奇跡ともいうべき観がある。 以後の物語文学史に限らず、日本文化史の展開に規範的意義をもち続けた 古典として仰がれるが、日本人にとっての遺産であるのみならず、 世界的にも最高の文学としての評価をかちえている。 [秋山 虔]   ●源氏物語について - 和子/源氏物語 http://wakogenji.o.oo7.jp/sonota/genjimo.html 源氏物語は、平安時代中期1000年頃に、作者・紫式部によって書かれた世界最古の長編小説です。 その内容は、帝の御子でありながら源氏という臣下(ただ人)の身分に落とされ、皇位継承権を失った皇子(光源氏)の王権復活の物語で、当時の王朝貴族の華やかなりし時代を背景に語られています。  世界最古の長編小説「源氏物語」入門 http://wakogenji.o.oo7.jp/index.html 「和子/源氏物語」へ ようこそ http://wakogenji.o.oo7.jp/sonota/hajime.html   ●「紫式部の人生と源氏物語」(視点・論点) | 視点・論点 | 解説 2016年08月26日 (金) http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/251517.html 『源氏物語』は、天皇の息子・光源氏を主人公に、貴族たちの愛と人生を描いた長編小説です。物語は光源氏の誕生前から死後まで七〇年以上にわたり、登場人物は数百名に及ぶ大作であるとともに、文章の美しさ、盛り込まれた教養の豊かさ、人間洞察の深さなどにより、今なお日本文学の最高峰といわれる作品です。   ●女の大戦略! 紫式部が「源氏物語」を書いた切ない理由 | コラム ... https://www.tm-office.co.jp/column/20160328.html 2016/03/28 そこで今回は、切ない想いが約100万文字、54帖にもわたって綴られた日本最古の(世界最古とも言われている)大長編恋愛小説「源氏物語」に秘められた、千年の謎に迫ってみたいと思います……なんて言うと、きっと多くの源氏物語ファン ... ・ない想いを抱いたら「源氏物語」  切ない想いが約100万文字、54帖にもわたって綴られた日本最古の(世界最古とも言われている)大長編恋愛小説「源氏物語」に秘められた、千年の謎に迫ってみたいと思います……なんて言うと、きっと多くの源氏物語ファンから、こんなお叱りを受けるでしょう。  「えっ、そんな軽々しく源氏物語の謎に迫れると思っているの? これまで数えきれないほど多くの文学者や歴史学者が研究して、まだ分かっていないのに、素人がとんでもないことを言うな!」  もちろん、私も簡単に「千年の謎」を解き明かせるとは思っていませんし、私にできるとも思っていません。ただ、今の価値観をもって作者の紫式部の人生を深掘りすると、「人生がラク」になるヒントがザクザクと見つかるのです。  「紫式部がもし、今どきの女性だったら」――そんな視点で源氏物語が書かれた背景を読み解くと、びっくりするような“女の大戦略”が浮かび上がってきたというわけです。 ※源氏物語の解釈には諸説あります。これから展開する解釈に異論のある方は「こんな見方もあり得る」くらいの大きな心で、お許しいただければ幸いです。 ・紫式部はなぜ、“刺激的な”源氏物語を書いたのか   ●源氏物語 (げんじものがたり)とは【ピクシブ百科事典】 https://dic.pixiv.net/a/%E6%BA%90%E6%B0%8F%E7%89%A9%E8%AA%9E 紫式部による長編小説。最古のライトノベルとか最古の同人誌とかとも言われたりする。
恋愛というある種人間の不変のテーマを扱った作品であることから、近年でも小説やドラマに漫画、さらに恋愛ゲームの題材になるなど、様々なかたちで創作の素材になっている。
「世界最古級の長編小説」であり、時と所によっては「最古のライトノベル」「最古のナマモノ同人誌」等とも言われたりしている。 寝取られ(藤壺)、ヤンデレ(六条御息所)、ロリコン(若紫)と、現代の萌え要素が1000年以上前のこの時代に既にして完成していたことは、特筆に値する。なお、主人公の光源氏が、義母を父親から寝取ったり、幼女を誘拐したりした事については、話の中で、きっちりエグい報いを受けているので、ネタにする際は注意が必要。 政治に関する詳細については作中では少ししかでない。これは紫式部が女房という立場であったためで『源氏物語』には沢山の名前付きの女房が出てくる。 「若菜」は上下巻。巻名だけで本文の無い「雲隠れ」より後は光源氏の死後の話で、「橋姫」から「夢浮橋」までは宇治十帖と呼ばれる。「雲隠れ」を数えず「若菜」上下巻を分けてカウントすることもある また「桜人(さくらびと)」「巣守(すもり)」「輝く日の宮」「狭筵(さむしろ)」などのように現在まで伝わっていないが様々な文献上では現れる帖がある   ●源氏物語 (げんじものがたり) 防府歴史用語辞典 平安時代に紫式部[むらさきしきぶ]の書いた物語で、光源氏[ひかるげんじ]を中心に物語が進みます。全部で54巻あります。現在伝えられているものに、青表紙本[あおびょうしぼん]・河内本[かわちぼん]・別本[べつぼん]の3つがあります。 関連項目 防府の文化財「紙本墨書源氏物語」   ●登場人物の系図 - 和子/源氏物語 http://wakogenji.o.oo7.jp/sonota/keizu.html 第1部 桐壺(第1帖)~藤裏葉(第33帖) 光源氏の出生、継母藤壷への思慕、朧月夜との密会露見から須磨への流離を経て、 准太上天皇の地位を得るまでの栄華物語が綴られています。 ・光源氏(ひかるげんじ)父・桐壺帝の第二皇子。母が身分の低い更衣のため、「源氏」という臣下の身分に落とされ、皇位継承権もないままに育てられ、幼い頃から学問をはじめ琴笛に大層優れている。亡き母に大層よく似た継母・藤壷を慕い続けることから、愛の遍歴がはじまる。輝くばかり美しい容貌から光の君と呼ばれる。「源氏物語」は光源氏を主人公とした愛と栄華の物語である。   ●「早わかり!速攻!?源氏物語」 あらすじ 登場人物 - ZTV http://wakogenji.o.oo7.jp/index.html このページさえ読めば、源氏物語の成り立ちやあらすじがわかります。簡単な言葉を使い、1時間以内で読めるように要点をまとめています。登場人物の相関図、全文の現代語訳へのリンク、動画共有サービスによる映画「紫式部 源氏物語」も掲載しています。   ●この人物相関図、直ちに理解できたら神!「源氏物語」。 - ボンボン ... https://blog.goo.ne.jp/lunaluna0x0x/e/3348721a63f929d69ee86b768908e3ca 2015/05/30 こないだのマルガリータ王女だけどよ、近親結婚の例にもれず、 母の弟。つまり叔父と結婚してるのな。 ちなみにマルガリータの母マリアナは、初めはいとこと結婚するはずであったが、 彼が急死したために、その父。つまり伯父と結婚した。 二代続けての「おじ・めい」婚・・・ しかしこのパターンは、何を隠そうこの国の小説にもあった。 それは何かといいやすと・・・ 「源氏物語」。私は「あさきゆめみし」で読んでるけども、まぁエエやん。どっちも同じ。(笑) きょうび、たとえ現代語訳とはいえ、あの長大な王朝絵巻を文字で読み通せる人が そうそういるとは思えない。作者の大和和紀さんには感謝しても感謝しきれない思いだす。 この「源氏物語」は平安時代の上流階級の物語で、 登場するのは帝(天皇)を始めとする超セレブな貴族たち。 私がこれを読んでまず思ったのは、「近親結婚だらけ」・・・・ そう。今のシモジモの者たちには考えられないほど、 当時の貴人たちには近親結婚が当たり前だったみたい。   ●登場人物の関係図・六條院拝見・風俗博物館~よみがえる源氏 ... http://www.iz2.or.jp/rokujoin/jinbutsu.html 書物や絵巻物でしか味わえなかった源氏物語が立体になり、中には光源氏や紫上などの登場人物が配され、リアルに源氏物語 ... 桐壺院崩御後、東宮を守り源氏を後見者とするために自らは出家の道を選ぶ賢明さには、政治家としての資質を窺うことができる。   ●プレイボーイぶりに唖然!光源氏の愛した女性たち一覧 - NAVERまとめ https://matome.naver.jp/odai/2140836521438759901 2018/07/24 ☆現代だったら最低☆ でも一人一人に一生懸命な源氏の、代表的な妻、恋人一覧です。 年齢層やレパートリーの幅広さにも注目です。   ●【あさきゆめみし】光源氏と女性たち - NAVERまとめ 更新日: 2017年11月28日 https://matome.naver.jp/odai/2146072894313503201 源氏物語のマンガ化した「あさきゆめみし」は、 今でも受験生の古典のバイブル的存在です。 源氏は自分の周りの素晴らしい女性たちをどのように思っていたのでしょうか。   ●色んな人が描いてる!漫画「源氏物語」がカオスすぎるwww https://matome.naver.jp/odai/2142544844545464401 2017年05月12日 あの有名な「源氏物語」を題材にしたマンガについてまとめてみました。 「あさきゆめみし」だけでない、 源氏が栗になったりなめこになったりの漫画や、 男女逆転ネタやBLアンソロジーなども。   ●源氏物語/紫式部・光源氏|【あらすじ・解説】を世界一わかりやすく! http://www.xn--t8judv08rzua689koxn.com/2017/12/16/post-3316/ 更新日:2019年6月29日 今回は『源氏物語/紫式部・光源氏』として、
1、「源氏物語」ってどんな物語?(解説付き) 2、【あらすじ】を箇条書きで5分まとめ! の2つを中心に、 ”世界一わかりやすく” まとめていきます。   ●源氏面白あらすじ 桐壺編(光源氏誕生) https://youtu.be/5d8krfp76Ow 2015/11/21 勉強にも対応?? 古文の世界を面白おかしく学びませんか? 学問的な正しさは知りません。 面白くなきゃ勉強じゃない!がコンセプトです。 笑ってもらえれば幸いです。 続き→https://youtu.be/h9swx-DwT80 本文の解説動画→https://youtu.be/7DSjgr5aMwo   ●源氏面白あらすじ2(桐壺 光源氏の誕生) https://youtu.be/h9swx-DwT80 2015/11/24 今回は少し短めで作成してみました。 そして、桐壺の巻はこれでおしまいです。 次回から箒木の巻です。   ●3分で分かる源氏物語の大まとめ!  2016/05/09 https://vokka.jp/2729 「源氏物語」は日本最古の長編小説と言われています。名高い傑作であるため、日本人である以上、読んでおくと様々な場で役立つことは間違い無いのはわかっていても、やはり「内容が難しそう」という理由で敬遠してしまう方が多いのではないでしょうか。そんな方のために、源氏物語を大掴みで理解できるよう紹介します。 目次    古典作品は難しいと思われがち    源氏物語    映画化もされた!    もっと面白く読むために    平安時代の昼ドラ   ●『源氏物語』よくわかる まとめ「源氏が関係を持った女性達」 https://chokochan.com/1719.html 2018/03/02 源氏物語には母桐壺更衣からはじまって、女性がたくさん出て来ます。 特に源氏が元服してからは、 源氏の恋愛を中心に話が進みますので、 恋人が次々に出て、結婚も何度もします。 源氏物語の中で出会ってから亡くなるまでの生涯を遂げている人も何人も居ます。     ●源氏物語登場人物  http://www003.upp.so-net.ne.jp/ocharake/hito1.htm            http://www003.upp.so-net.ne.jp/ocharake/hito2.htm Part.1 光源氏 ひかるげんじ 言わずとしれた源氏物語の主人公! 典型的プレーボーイだよね。おまけにマザコン! 容姿端麗、頭脳明晰、お金持ちで、出世して、女性にまめ・・・ こうなれば、もてないわけ無いんだけどね。 でも母親である桐壺が源氏が幼い頃に亡くなってしまったので、 母の面影を求めて、母そっくりな藤壺をずっと、追いかける。 しかし、藤壺は、父である桐壺帝の寵愛姫であったので、 人目を避けて強引に過ちを犯してしまうんだけど・・・・恋は実らず。。。 その後、桐壺&藤壺にそっくりな、紫の上を手元で、自分好みに育てる。 結局、人生においては位をきわめて成功者だったけど、 愛においてはなんとも中途半端な生き方だったような。。 すべての女性に愛されたようで、 その実、誰からも愛されなかったような気がする。 関わった女性たちを傷つけて、 理想の女性を追い求めてさまよう。 金と地位にものを言わせて、いろんな女性に手を出す。 ただし、1度でも関わった女性には、 「誠意」を尽くそうとする。 芸能人で言うなら、”羽賀健二”あたりが近いんじゃないかな?? 彼も「誠意の人」なんて言われたよね。(笑) でも外見のイメージといえば、線が細い感じで、キンキキッズの ”堂本光一”なら、イメージ近いような気がするけどなぁ~   ●源氏物語あらすじ全まとめ。現代語訳や原文を読む前におさらい https://intojapanwaraku.com/culture/2493/ 2019/09/05 目次    源氏物語は世界最古の恋愛小説!    明かされる光源氏誕生の秘密        一帖 桐壺(きりつぼ)        二帖 帚木(ははきぎ)        三帖 空蝉(うつせみ)        四帖 夕顔(ゆうがお)    紫の上登場!        五帖 若紫(わかむらさき)        六帖 末摘花(すえつむはな)        七帖 紅葉賀(もみじが)        八帖 花宴(はなのえん)    屈辱に震える六条御息所        九帖 葵(あおい)        十帖 賢木(さかき)        十一帖 花散里(はなちるさと)    光源氏須磨へ!        十二帖 須磨(すま)        十三帖 明石(あかし)        十四帖 澪標(みおつくし)        十五帖 蓬生(よもぎう)        十六帖 関屋(せきや)    光源氏この世の栄華を極める        十七帖 絵合(えあわせ)        十八帖 松風(まつかぜ)        十九帖 薄雲(うすぐも)        二十帖 朝顔(あさがお)        二十一帖 少女(おとめ)        二十二帖 玉鬘(たまかずら)        二十三帖 初音(はつね)        二十四帖 胡蝶(こちょう)        二十五帖 蛍(ほたる)        二十六帖 常夏(とこなつ)        二十七帖 篝火(かがりび)    夕霧、紫の上に懸想する        二十八帖 野分(のわけ)        二十九帖 行幸(みゆき)        三十帖 藤袴(ふじばかま)        三十一帖 真木柱(まきばしら)        三十二帖 梅枝(うめがえ)        三十三帖 藤裏葉(ふじのうらば)        三十四帖 若菜上(わかなじょう)    女三の宮と柏木の秘密        三十五帖 若菜下(わかなげ)        三十六帖 柏木(かしわぎ)        三十七帖 横笛(よこぶえ)        三十八帖 鈴虫(すずむし)        三十九帖 夕霧(ゆうぎり)    紫の上死す        四十帖 御法(みのり)        四十一帖 幻(まぼろし)    光源氏亡き後の物語がスタート        四十二帖 匂兵部卿(におうひょうぶきょう)        四十三帖 紅梅(こうばい)        四十四帖 竹河(たけかわ)        四十五帖 橋姫(はしひめ)        四十六帖 椎本(しいがもと)        四十七帖 総角(あげまき)        四十八帖 早蕨(さわらび)    浮舟登場!        四十九帖 宿木(やどりぎ)        五十帖 東屋(あずまや)        五十一帖 浮舟(うきふね)        五十二帖 蜻蛉(かげろう)        五十三帖 手習(てならい)        五十四帖 夢浮橋(ゆめのうきはし)        輝く日の宮(かがやくひのみや)    おすすめ関連書籍はこちら 源氏物語は、約千年前紫式部によって書かれた世界最古の恋愛小説です。時代を超えて読み継がれてきた大河ドラマである源氏物語は登場人物が多く、今を生きる私たちにとってハードルが高いのも事実。そこで、現代語訳や原文に挑戦する前に頭に入れておきたい全54帖のあらすじをまとめました。ばくっとあらすじを覚えておくと、源氏物語の世界に没入しやすくなること間違いなし!   ●『源氏物語』開題-入門編   1998.9.05 http://www.asahi-net.or.jp/~tu3s-uehr/genjimemo.htm    本解説は 『古典講読 源氏物語・大鏡』(角川書店・1998)によります。 入門編  「成立」 作者の『紫式部日記』によれば、寛弘五年(1008)に、『源氏物語』の手稿本が藤原道長の命によって持ち出され、次女の妍子に献上されたことが知られる。同じ頃、一条天皇が『源氏の物語』の朗読を聞いて、作者を前に「この人は日本紀を読みたるべけれ」と感嘆したことから、紫式部が他の女房に「日本紀の局」とよばれるようになった由来を記している。ただし、この物語に関する資料は、この日記の記述のみであり、成立過程等の詳細は一切不明と言う他はない。  「書名」 前記『紫式部日記』に『源氏の物語』と見えている。やや時代は下って菅原孝標女の『更級日記』治安元年(1021)にも、「叔母なる人」から『源氏の物語』が贈られた記述が見えることから、この物語の書名は、主人公光源氏の物語として流布したことがわかる。そもそも、先行する物語でも『竹取物語』『落窪物語』などのように主要人物の名が物語の書名になることは多い。   ●図書カード:源氏物語 - 青空文庫 https://www.aozora.gr.jp/cards/000052/files/5016_9758.html 桐壺 紫式部 與謝野晶子訳  紫のかがやく花と日の光思ひあはざることわりもなし      (晶子) どの天皇様の御代であったか、女御とか更衣とかいわれる後宮がおおぜいいた中に、最上の貴族出身ではないが深い御愛寵を得ている人があった。 最初から自分こそはという自信と、親兄弟の勢力に恃む所があって宮中にはいった女御たちからは失敬な女としてねたまれた。 その人と同等、もしくはそれより地位の低い更衣たちはまして嫉妬の焔を燃やさないわけもなかった。   ●あなたはどのタイプ?『源氏物語』に登場する魅惑の女性キャラからモテるための秘訣を学ぶ【文学恋愛講座#5】 https://pdmagazine.jp/works/genji-monogatari/ 今から1000年以上も前に書かれた長編小説、『源氏物語』。光源氏の心を射止めた女性キャラクターのうち、あなたは誰にあてはまるのでしょうか。診断チャートでチェックしてみましょう!   ●源氏物語の世界にどっぷり浸れる「宇治市源氏物語ミュージアム」 https://travel.navitime.com/ja/area/jp/guide/NTJsingle0001902/ 2016/10/13 「宇治市源氏物語ミュージアム」は、平安時代半ばに紫式部によって書かれた長篇小説『源氏物語』をテーマにした日本で唯一の美術館。映像によるあらすじの紹介や牛車や十二単なども展示されています。 三部構成になっている物語の最後の十帖は宇治が主な舞台。「宇治の間」へと続く「架け橋」は平安京から宇治への道中を体感することができ、ゆかりの地として日本最古の恋愛小説『源氏物語』の世界を身近に感じることができます。   ●源氏物語 - Wikipedia http://bit.ly/z2QQE3 源氏物語(げんじものがたり)は平安時代中期に成立した日本の京都を舞台とした長編物語、小説である。文献初出は長保3年(1001年)で、このころには相当な部分までが成立していたと思われる。 度々喧伝されている「世界最古の長篇小説」という評価 一条天皇中宮・藤原彰子(藤原道長の長女)に女房として仕えた紫式部が作者というのが通説である。 古写本は題名の記されていないものも多く、記されている場合であっても内容はさまざまである。 『源氏物語』の場合は冊子の標題として「源氏物語」ないしそれに相当する物語全体の標題が記されている場合よりも、それぞれの帖名が記されていることが少なくない。こうした経緯から、現在において一般に『源氏物語』と呼ばれているこの物語が書かれた当時の題名が何であったのかは明らかではない。 古い時代の写本や注釈書などの文献に記されている名称は大きく以下の系統に分かれる。 「源氏の物語」、「光源氏の物語」、「光る源氏の物語」、「光源氏」、「源氏」、「源氏の君」などとする系統。 「紫の物語」、「紫のゆかり」、「紫のゆかりの物語」などとする系統。 これらはいずれも源氏(光源氏)または紫の上という主人公の名前をそのまま物語の題名としたものであり、物語の固有の名称であるとはいいがたい。 また、執筆時に著者が命名していたならば、このようにさまざまな題名が生まれるとは考えにくいため、これらは作者によるものではない可能性が高いと考えられている。   ●源氏物語の写本 http://bit.ly/yT7dxi 日本の古典文学を代表する作品である源氏物語には数多くの写本が残されている。 日本でも木版による印刷技術は飛鳥時代から存在したものの、それによって印刷されたのは仏典や漢籍に限られており源氏物語のような文学作品は長く「印刷」される事は無かった。 そのために、源氏物語は平安時代中期に著されてから江戸時代初期までは写本でのみ読むことが出来た。 それ以降は古活字本を始めとする印刷本が流布する事になって行く。   ●成立・生成・作者に関する諸説 https://ja.wikipedia.org/wiki/成立・生成・作者に関する諸説 現在では3部構成説(第1部:「桐壺」から「藤裏葉」までの33帖、第2部:「若菜上」から「幻」までの8帖、第3部:「匂宮」から「夢浮橋」までの13帖)が定説となっているが、その成立・生成・作者・原形態に関しては古くからさまざまな議論がなされてきた。以下に、特に重要であろうと思われるものを掲げる。 作者は誰か 通説 紫式部 一条天皇中宮・藤原彰子(藤原道長の長女)に女房として仕えた紫式部が作者というのが通説である。物語中に「作者名」は書かれていないが、以下の文から作者は紫式部だろうと言われている。    『紫式部日記』(写本の題名はすべて『紫日記』)中に自作の根拠とされる次の3つの記述        藤原公任の「源氏の物語の若紫」という呼びかけ。        一条天皇の「源氏の物語の作者は日本紀をよく読んでいる」という述懐により日本紀の御局と呼ばれたこと。        藤原道長が源氏の物語の前で好色の歌を日記作者に詠んだこと。    尊卑分脈の註記    後世の源氏物語註釈書 「  「左衛門督 あなかしここのわたりに若紫やさぶらふ とうかがひたまふ 源氏にかかるへき人も見えたまはぬにかの上はまいていかでものしたまはむと聞きゐたり」  」 —底本、宮内庁蔵『紫日記』黒川本 「  「内裏の上の源氏の物語人に読ませたまひつつ聞こしめしけるに この人は日本紀をこそよみたまへけれまことに才あるべし とのたまはせけるをふと推しはかりに いみじうなむさえかある と殿上人などに言ひ散らして日本紀の御局ぞつけたりけるいとをかしくぞはべる」  」 —底本、宮内庁蔵『紫日記』黒川本 「  「源氏の物語御前にあるを殿の御覧じて 例のすずろ言ども出で来たるついでに梅の下に敷かれたる紙に書かせたまへる すきものと名にしたてれば見る人の折らで過ぐるはあらじとぞ思ふ たまはせたれば 人にまだ折られぬものをたれかこのすきものぞとは口ならしけむ めざましう と聞こゆ」  」 —底本、宮内庁蔵『紫日記』黒川本 「  「上東門院女房 歌人 紫式部是也 源氏物語作者 或本雅正女云々 為時妹也云々 御堂関白道長妾」  」 —『新編纂図本朝尊卑分脉系譜雑類要集』 紫式部ひとりが書いたとする説の中にも以下の考え方がある。    短期間に一気に書き上げられたとする考え方    長期間にわたって書き継がれてきたとする考え方。この場合はその間の紫式部の環境の変化(結婚、出産、夫との死別、出仕など)が作品に反映しているとするものが多い。   ●物の哀れ http://bit.ly/wDLkRy もののあはれ(もののあわれ、物の哀れ)とは、平安時代の王朝文学を知る上で重要な文学的・美的理念の一つ。折に触れ、目に見、耳に聞くものごとに触発されて生ずる、しみじみとした情趣や哀愁。日常からかけ離れた物事(=もの)に出会った時に生ずる、心の底から「ああ(=あはれ)」と思う何とも言いがたい感情。
「もののあはれ」の発見 江戸時代後期の国学者本居宣長が、著作『紫文要領』や『源氏物語玉の小櫛』において提唱し、その頂点が『源氏物語』であると規定した。
江戸時代には、幕府の保護、奨励した儒教から生まれた「勧善懲悪」の概念が浸透し、過去の平安時代の文学に対しても、その概念を前提にして議論され語られた時期があった。この理念の発見はそれを否定し、新しい視点を生み出したことになる。
●勧善懲悪(かんぜんちょうあく)http://bit.ly/zT4VzT 「善を勧め、悪を懲しめる」ことを主題とする物語の類型の一つである。 勧懲(かんちょう)と略して使われることもある。欧米圏の文学において「詩的正義」(英: Poetic justice)と呼ばれる類型と比較できる。
善を勧め、悪を戒める倫理規範や、因果応報を説く思想はさまざまな社会集団や宗教でみられるが、本項では物語の類型としての「勧善懲悪」を中心に扱う。
●源氏物語の世界 http://www.sainet.or.jp/~eshibuya/ 本文、現代語訳を注釈付きで掲載。その他、関連資料を紹介。 定家本「源氏物語」本文の研究と資料 映雪荘 季節の暦(早春 立春から啓蟄まで)   ●源氏物語(トップ)http://www.genjimonogatari.net/ 源氏物語入門、源氏にぴったりのステキBGMを楽しんでください。 源氏をわかり易く、 楽しく、映像的に美しく魅せます。 「源氏物語」登場人物、あらすじ、人物系図等、常に 進化し続ける源氏を長い眼でお楽しみください。 源氏物語ホーム トップあらすじ登場人物人物系図あとがきリンク集更新日記メール画面を閉じる ◆源氏物語絵詞・第二図◆ 鎌倉時代、十三世紀後半(徳川美術館蔵) 背景画は、邸内に忍び入った匂宮が縫物をする女房たちのなかに、浮舟を確認する場面である。 図は「源氏物語」浮舟の前半と蜻蛉の一部を合装しており、全三十四紙分(うち白描の挿絵三図)が現存している。 柔軟性をもった格調高い細線を主に、人物の形態を的確に描き出し、頭髪や冠などを濃墨で塗りつめた「白描絵」の中でも最も古風な画風を示している。 本来は冊子本の形態をとっていたが、江戸時代には屏風に貼込まれ伝来し、近年になって順序を正し巻子装に改められた。絵巻ではないが、物語絵の古例として貴重である。   ●紫式部【源氏物語】第1話〜ロイヤルサクセスパニックラブストーリー感動巨編 2019/12/18 https://youtu.be/YYq2Gyp7c1M?list=PLZBrDKKxkxdgY5OEnpFBRQSW2Iv-ZmGTo   ●Hoàng tử Ánh Sáng_Hikaru Genji Monogatari Ep1 千年の恋 ひかる源氏物語 https://youtu.be/k83Xk4i7Ubg Hoàng tử Ánh Sáng_ Hikaru Genji Monogatari Ep2 年の恋 ひかる源氏物語 https://youtu.be/t1-nWT6WBBM   ●第4話 紫式部が言いたかったこと 【CGS ねずさん】  2014/12/04 https://youtu.be/0zfdt9QFmz0 紫式部と言えば源氏物語であり、世界最古の女流文学者と言えるでしょう。 彼女が生涯に詠んだ和歌の中から、一首紹介致します。 しかし最近の解説書では本来の和歌が改変され、意味が変わってしまっています。 和歌の原点は、少ない情報から状況を察することにあります。   ●源氏入門   http://bit.ly/yckL4J 「源氏物語」との出会いのきっかけと、その入門の参考になれば幸いです。 きっと「ぼけない」「若返り」のいいクスリになると思います。   ●源氏物語『源氏物語』原文とその背景を読む http://heian.cocolog-nifty.com/ このBlogでは、基本的に1記事読みきり・順不同で、『源氏物語』の場面解釈や物語に描かれた儀式・習慣、ゆかりの地などをご紹介しています。   ●源氏物語の世界 再編集版  http://www.genji-monogatari.net/ このページは高千穂大学の渋谷教授が公開しているホームページ「源氏物語の世界」を再編集したページです。
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