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#宝町立ち食いそば
moment-japan · 17 days
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こんばんワイン。
(懐かしい!おぼっちゃまくんか)
来週の火曜まで地元金沢に滞在しておりますので、時間潰しがてら、石川県立美術館へ行ってあまり興味がない展覧会「加賀藩前田家の名刀」を鑑賞してまいりました。
(興味がない。笑)
実家からそれ程遠くはないのですが、中に入ったのはたぶん生まれて初めてです。
(まじか)
天下五剣の名宝のうち、「大典太光世(国宝)」、「無銘義弘・名物富田江(国宝)」、「短刀 銘 吉光・前田藤四郎(重文)」の3振が一堂に展示されるのは、57年振りとのことで「刀剣乱舞」オタク連中に交じって、しっかり鑑賞させていただきました。
国宝の二振りは、足利尊氏から足利義昭と、代々室町将軍家に相伝され、その後、豊臣秀吉から前田利家に渡ったそうです。
本日は偶然にも「国際博物館の日」で、なんとこれらコレクション展は無料でございました。
国宝とはいえ刀三振りと、あとはいろんな刀の解説みたいなのだけなので、僕的には無料が妥当です。
(厳しい沙汰)
近江町市場で人が映らないように写真を撮るのは大変です。
5分くらい待って、人が滅茶苦茶少なくなったところで何とか撮影成功。
市場の二階にランチを食べに行ったのですが、魚屋さんで見たこともない巨大な「ほっけ」が売られており、お値段を見たら2800円~3400円くらいでございました。
(尋常じゃないくらい大きかった)
知らない観光客のイケオジが、高そうなガラス張りの冷蔵ケースの中に鎮座している能登牛の写真を撮りまくりながら、僕に「な、な、なっ、見てみ!すげーなこの能登牛!」といろいろ解説入りでランゲージされました。
(いつも誰かに声かけられる人)
毎度のことなので、観光客のふりをして最後まで聞いておりました。
(結構疲れる)
兼六園横の戦国武将ショップ「武将庵天翔」には一度も入ったことがございませんのでいつかは入って武将グッズを購入したいと思います。
帰り際、京都でもおなじみ「茶和々」でいつものように何か買おうと思ったけどやめました。
最後に、ドイツ人観光客と一緒に金銀のソフトクリームの置物を撮りまくりました。
(欧米人に大人気だった)
Tschüss!(チュース)
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myonbl · 5 months
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2024年1月14日(日)
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<SOU・SOU>に注文しておいた手ぬぐい(ひめ丈)が届いた。通常の手ぬぐいの半分の大きさ、ハンカチや弁当包みとして使いやすい。開封すると、この時期恒例の<節分の福引き豆>が入っていた。宝船のポチ袋を開けると、3種類の当たり(500円・1000円・2000円)が入っている(かもしれない)。恐る恐る開いてみると・・・なんと2,000円の大当たり、次回の買物に利用出来る。こいつぁ春から縁起がいいわえ!
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6時45分起床、アラームをとめてから1時間熟睡した。
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朝食は、昨晩の鍋の残りにそばを入れていただいた。
洗濯2回。
あれこれ片付け、掃除。
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ランチ、息子たちには日清ラ王、私たちは出石蕎麦に鰊をトッピング。
今日は女子駅伝、テレビで応援する。
軽く午睡。その間、ツレアイはWeb研修、14時から17時まで。
セントラルスクエア花屋町店で買物、赤かれいと塩鮭半額だったので購入する。
私が夕飯準備をしている間に、ツレアイと3男がココに点滴。
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早い時間に夕飯開始。
録画番組視聴。
桂文珍 落語「猫の忠信」
初回放送日: 2024年1月14日 桂文珍さんの落語「猫の忠信」をお送りします(令和5年11月9日(木)NHK大阪ホールで収録)【あらすじ】浄瑠璃の師匠・お静の稽古に通う次郎吉。お静と常吉の噂を耳にし、半信半疑で稽古屋をのぞくと二人でいちゃついていた。次郎吉はすぐに常吉の女房・おとわに報告すると、おとわは一瞬腹を立てたが、すぐに冷静さを取り戻す。なんと常吉は奥の部屋で寝ていたのだ。そこで、次郎吉と常吉が稽古屋へ行き、中をのぞくと…。
久しぶりに散髪をしてもらう。
入浴、体重は400g減。
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正月の血圧は大分高かったが、少し落ち着いてきた。
日誌書く。
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歩数、もう少し頑張らないと。
水分は、1,540ml。
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aminagumo · 3 months
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february 23, 2024
歌舞伎町一番街のアーチの前で幼い子連れの家族(海外からの観光客らしい)が自撮りをしている。私はその真横にあるセブンATMで友人がお金を下ろすのを、もうひとりの友人と待っていた。子連れ家族は5、6人の大所帯だったので自撮りするのがかなり大変そうに見えた。思わず隣にいる友人に「撮ってあげようかな」と呟いた途端、撮影終了。出る幕なし。
街の中へ進んでいくと、ホストクラブの在籍ホストの大きな顔写真看板が何枚も発光しながらタイルのように並んでいる。前を通りながら、ひとりひとりに添えられた二行くらいの文章を読む。「二億一千万」とか、「億の子」とか。軽蔑や嘲笑などではなくただ、商品なんだな、と静かに思う。右耳の方で、「ありがとねー。」と親しげに客を送り出す若い男性の声が聞こえる。
人気の少ない路地に入って私は、色んな世界があるんだな、とぽつんと呟いていた。その姿を、誰かを見るときのように自分の外側から見ていた。
目的地だった路地裏の中華料理屋に入る。久しぶりの麦酒に酔っ払って店を出て、プリ機を探し歩いているとトー横に着く。地面にはゴミが散乱していて、しゃがみ込んでいる人やプラカードを持って立っている人がたくさんいる。アウトサイダー、という単語が自然と浮かぶ。私自身アウトサイダーだとずっと思っていたけれど。この人たちの居場所はここなのだと真っ直ぐ感じ入る私はどうしたってここでは薄情なんだね。
何軒も回ってようやくプリクラコーナーがあるゲームセンターを見つける。エレベーターでそのフロアに上がる。着いてみると、ハート型の女優鏡が何枚かあってその全ての前に女の子たちが座っていた。何故だか見ていられないような気分だった。何年ぶりかのプリクラは高校生の頃を思い出して楽しかった。
またエレベーターで一階まで下りる。出入口付近のクレーンゲームに目を惹かれるけれど通り過ぎて外に出る。寒くない。
お酒の気分じゃないし場所を移してお茶でもしようか、とまたアーチの方へ戻る。
道中。あるビルの三階は一面硝子張りになっていて、通りから見上げるとミニスカートを履いた女の子たちのお尻が目に入る。何も思わない。というより色々な思考が混ざって、感情が相殺されているような感覚。こういう光景に出会うたび、いつもそんな状態になる。大変な仕事。
それから、風俗案内所の暖簾を久しぶりに見て高崎を思い出した。風俗案内所の暖簾で思い出される高崎。中央銀座通り。白馬車にまた行きたいけど、今もやってるかな。ライブハウスの帰りとか、深夜急にお茶したくなったときに重宝していた。故郷がある、というのは幸せなのだなと最近よく思う。
姪っ子とお揃いで、父に煙犬のぬいぐるみを買ってもらったことを今ふと思い出した。
取り返しがつけられることを後ろめたく思うときもある。そんなことばかりかもしれない。
報われるなんて思わないけど、手を伸ばした事実が残るように?
今朝、駅前のベンチにいつもいるホームレスのおじさんが傘をさしながらごはんを食べていたのも急に思い出した。
歌舞伎町の中華料理屋に続く細い路地で、私の足音に驚いてネズミが逃げていったのも。
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jpf-sydney · 4 months
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Besuto essei. 202
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日々の雑感、考察、失敗談から、亡くなられたあの方への追悼文まで… さまざまな書き手たちが、「エッセイ」という枠組みのなかで書き記した2021年の記録。 この年に新聞・雑誌等の媒体に発表された中から選りすぐった、珠玉のアンソロジーです。
Shelf: 914.68 BES 2022 Besuto essei. 2022 = The best essay. edited by Nihon Bungeika Kyōkai.
Tōkyō : Mitsumura Tosho Shuppan, 2022. ISBN: 9784813804147
337 pages ; 20cm.
Editorial board members: Kakuta Mitsuyo, Hayashi Mariko, Fujisawa Shū, Horie Toshiyuki, Machida Kō, Miura Shion. Text in Japanese.
Table of contets:
部屋にいる感じ / 武田砂鉄
ロクな恋 / 李琴峰
特に秘密、ありません / 二宮敦人
親父の枕元 / 原田宗典
犬の建前 / 宇佐見りん
いつか「コロナ福」だったと言える日 / 鷲田清一
紙 / 内田洋子
学び始める春、失敗を楽しむ / 山本貴光
瀬尾夏美 / おじいさんの空き地
落合博満への緊張感 / 鈴木忠平
月の砂漠 / 小池水音
冷水を浴びせる : 坂上弘の文体 / 三浦雅士
陰のある光 / 小泉凡
脳内・ドイツ / マライ・メントライン
父と兄の書棚が招いた変な読書 / 志茂田景樹
心の扉を開く音楽 / 寮美千子
立花隆さんを悼む / 柳田邦男
失われゆく昭和探して / 川本三郎
大人への扉を開けたのは / 加納愛子
関係性の結晶 / 齋藤陽道
ガラスのこころ / 岸田奈美
"諦められない"心でアイヌ語研究に夢中 / 金田一秀穂
アイヌとして生きる / 川上容子
佃煮に想う / 小泉武夫
最高の食事 / 田中卓志
珠玉の世界 / ブレイディみかこ
神様、世間様 / 尾崎世界観
さいとう・たかをさんの思い出 / 辻真先
コロナ禍社会と密になった / 本谷有希子
最後の飛翔 / 椹木野依 -- 我が町の「宝」 / 井上理津子
ネガティブな皆さんへ / 尾上松緑
「あいつなりに筋は通ってるんだ」 / 岩松了
翻訳とは / 村井理子
「覚えられない」 / 茂山千之丞
白土三平さんを悼む / 田中優子
そんな時代 / 海猫沢めろん
ともに歩けば / 小川さやか
(笑)わない作家 / 万城目学
雪原 / 岸本佐知子
河合雅雄さんを悼む / 佐倉統
学園の平和、取り戻せ! / みうらじゅん
料理 / 小山田浩子
田中邦衛さんを悼む / 倉本聰
「声」分かち合う喜び / 温又柔
エリック・カールさんを悼む / 松本猛
月みる月は / 彬子女王
トーストと産業革命 / 青山文平
祖父母のすずらん守る / 星野博美
考えることに失敗する / 神林長平
悪態俳句のススメ / 夏井いつき
死も遊びだと思いましょ / 横尾忠則
UFO / 柴田一成
「やめた」後の達成感 / ほしよりこ
息子よ安心しなさい、あなたの親指は天国で花となり咲いている / 青木耕平
那須正幹さんを悼む / 高樹のぶ子
愚かさが導いてくれた道 / 沢木耕太郎
クールでお茶目なかっこよさ / 谷慶子
機械はしない終業挨拶 / 黒井千次
閉、じ、こ、も、り / 村田喜代子
ナマケモノ / 奥本大三郎
夢を彷徨う / 髙村薫
愛しの小松政夫さん / 鈴木聡
胃袋の飛地 / 湯澤規子
『老人と海』をめぐる恋 / 高見浩
「すごい」と「やばい」 / 酒井順子
写真を撮られるということ / 松浦寿輝
安野光雅さんを悼む / 大矢鞆音
この世の通路 / 佐々涼子
◆編纂委員作品◆
瀬戸内寂聴さんを悼む / 林真理子
多分、両方だと思いますよ / 町田康
忘れがたきご亭主 / 三浦しをん
あそこの棚に置いてある。 / 堀江敏幸
それは私の夢だった / 角田光代
遠き花 / 藤沢周.
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ari0921 · 7 months
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我が国の未来を見通す(92)
『強靭な国家』を造る(29)
「強靭な国家」を目指して何をすべきか(その19)
宗像久男(元陸将)
────────────────────
□はじめに
 久しぶりに私的なことを書かせていただきます。
4日の土曜日、神保町まで足を運び、開催中の「神
田古本まつり」で手当たり次第に古本を物色したと
ころ、いつものように“即決”を繰り返し、なんと
12冊もの書籍を一挙に購入してしまいました。
“秋の夜長”などと悠長なことは言っておれない日
々を送っているのですが、ジャンルも違い、著者も
発刊年次もばらばらな書籍をみて、改めて自分の
“好奇心の旺盛さ”に驚くほどでした。
実は書きたかったことは別にあります。どの書店を
訪れても、古書ではありますが、それぞれの分野の
“専門書”が小説や雑誌などに交じって“所狭し”
と陳列されていました。改めてそれぞれの分野の研
究に一生を捧げ、書籍のような形でその職責を残さ
れた専門家の皆様のご苦労とか責任とか愛情とかが
伝わってきて感慨深いものがありました。
そして、古本だけによけいに時代の流れとか歴史を
感じ、その積み重ねの延長に“現在社会”があるこ
とを再認識し、改めて自分の浅学菲才を恥じ、敬意
を表するばかりでした。
最近は、必要な古書はほとんどアマゾンで買ってし
まいますので、本当に久しぶりの神保町でしたが、
もう少し時間の余裕ができれば、足を運ぶ回数が増
えそうです。
5日の日曜日は、「ゴジラー1.0」の映画を観賞
しました。これから観られる人たちのためにあらす
じの紹介は省略しますが、終戦直後の東京にゴジラ
が上陸するというシーンでした。
ゴジラ自体はフィクションなのですが、ゴジラに立
ち向かった主人公をはじめ、関係者の勇敢さはみご
となものでした。しかし、それ以上に、製作者がこ
の映画を通じて訴えたかった、当時の「日本人の精
神」のようなものが手に取るようにわかり、「日本
もまだこのような映画が作れるのだから“捨てたも
のではない”」と安堵しつつ、本映画の製作自体に
感動して涙が流れました。この“捨てたものではな
い”の続きは、本論で取り上げましょう。
▼「国家意思」として目指したいこと
 さて前回の続きです。一般的な意味で「伝統」と
か「文化」などと言っても、具体的なことがわから
ないと実際に「誇り」を持つことなどできないでし
ょう。
しかし我が国は、実際には、他の国にはなく、日本
(人)独特の「良さ」とか「利点」とか「強み」な
ど表現される、いわば“本質的特性”のようなもの
がたくさんあります。それらが実際の「伝統��や
「文化」を形作っているのでしょうし、「誇り」の
対象にもなり、かつ個人の意思や精神の集大成とし
て「国家意思」のコア(核)として“目指す方向”
にも直結するものになると考えます。
戦後の“行き過ぎた教育”のせいもあって(その細
部はのちほど触れましょう)、多くの日本人の頭が
消え去ってしまっている、日本(人)の“本質的特
性”のようなものについて、有識者が紹介している
ものを列挙してみましょう。
まず、ケント・ギルバート氏は、「日本で左派思想
に惹かれる人々の中にも、実は驚くほど『伝統的な
価値観』なるものを持った人がいる」として、安倍
総理の『美しい国、ニッポン』に猛反発しても、日
本という国や郷土に対しては、何の嫌悪感を持たず、
むしろ絶対的な信頼と愛着を持っていることを強調
し、つまるところ、彼らも“純粋すぎる日本人”で
あると結論づけています(『ついに「愛国心」のタ
ブーから解き放される日本人』より)。
この指摘のように、巷には、(偏ってはいても)強
いプライドとシャイさが同居しているような“純粋
すぎる日本人”がたくさん存在することは事実です
ので、ケント氏のこの結論にこそ “彼らをしてその
気にさせる”大いなるヒントが含まれているのでは
ないでしょうか。
保守層がよくやっている、“上から目線でたたみか
ける”ような物言いでは彼らの反発を強くするだけ
で、心を動かすことは難しいと考えます。知的レベ
ルの高い人(特に高齢者)ほど自分自身(の考え方)
に自信を持ち、プ��イドも高く、信念も強いでしょ
うから、これを“軟化”するのは簡単でないことを
知る必要があるのです。
加瀬英明氏は、「日本は『和』の国である。日本の
『和』の心は他国には存在しない。日本の『和』は、
人々が合意することによって成り立っているもので
はなく、人々が意識することなく存在している」と
語ります(『新しい日本人論』〔加瀬英明、石平な
ど共著〕より)。
加瀬氏は、その「和」は“性善説”に基づいている
として、国内的には大きな強みだが、“性悪説”を
とっている他国には通ぜず、国外に対しては大きな
弱点になることも指摘しています。
これこそが、これまで再三述べてきた“孤立国・日
本”の限界でもあり、「和」の考え方が、人類社会
の理想に近いものであっても、これを世界の隅々ま
で普及させるのは永遠に不可能であると悟り、“で
はどうすればよいか”を詰めていく必要があると考
えます。
数学者の藤原正彦氏は、「この国は再生できる」と
して「美意識と武士道精神で、危機の時代を生き抜
く」、あるいは「『日本人の品格』だけが日本を守
る」ことを強調しています(『日本人の真価』より)。
その卑近な例として、このたびのコロナ禍において、
「人権に気を取られている民主主義より全体主義の
方が人の命を救う点で優れている」と主張しつつ
“強権”を最大限に活用した中国と違い、あるいは、
国民の自由に任せたところ、大パニックに陥って膨
大な犠牲者を出す結果になった欧米列国とも違い、
日本は、医療従事者の献身をはじめ、国民の高い公
衆衛生意識、規律や秩序など高い公の精神などの
“高い民度”を活用して、自粛要請という静かな決
意でコロナを抑え込んだことを取り上げています。
この事実は、世界的意義のあること結論づけます。
以前にも紹介しましたが、『「見えない資産」の大
国・日本』(大塚文雄、R・モース、日下公人共著)
は、中国やアメリカにはない強みとして、日本は、
「インタンジブルズ」の宝庫であると強調します。
つまり、「日本人には美を求める心や平和を尊ぶ心
や愛の心がたくさんある。また『道徳心』『好奇心』
『忠誠心』『愛国心』などが、どこの国にも見られ
ないほど豊かである」として、これら“無形のも
の”が、場面場面で「一生懸命」とか「工夫する」
とか、「約束を守る」「仕上げに凝る」「仲間を助
ける」などの“形になって現れる”と強調していま
す。
私が尊敬する奈須田敬氏は、東日本大震災の直後の
平成23年に『天下国家を論ず』と題して、30年
にわたって発刊し続づけた『ざっくばらん』巻頭言
20選を取りまとめた1冊を上梓しました。
本書の最後に「何百年に一度かの天変地異に見舞わ
れて、現実は見るとおりの悲惨さ、というほかはな
い。こうなっては総理大臣、一市民のちがいもない。
与党、野党のちがいもない。日本国民は肩をこすり
あわせていきのびていくほかあるまい。─そう腹を
決めたころから、新しい日本国民の芽生えを見出す
ことができそうだ。その芽は『ボランティア』とい
う形ですでにかいまみせている」として「90年の
生涯もけっして無駄ではなかった」と結んでいます。
ガザ地区などでも現に起きているように、他国なら
略奪が発生してもおかしくないような悲惨な状況の
中で、被災者は食べ物を分け合い、文句を言わず長
蛇の列に並び、そして多くのボランテイアが被災地
に入って、泥だらけになりながら様々な活動を続け
ました。奈須田氏は、そのような日本人の姿を“芽
生え”としてとらえ、安堵されたのでした。
保守の論客・中西輝政氏は、自書『強い日本を目指
す道』の中で、「グローバル化した世界だからこそ、
その中で日本はむしろ、つねに『フルセット自前主
義』の文明伝統に立ち返り、多極のなかで、『一極
として立つ』という気概を示さねばならない。多極
化世界でこそ、「自立の日本」を求められ、また可
能となるのである」と提言しています。
この続きは、読む人が読めば感動ものでしょう。
「この気概に気がつけは、再び日本が世界を引っ張
っていく存在になることは不可能なことではない」
として、「安定した時代の日本人は、皆『和魂(に
ぎみたま)』の持ち主で、『荒魂(あらみたま)』
は眠り込んでいる。『和魂』は『目的喪失』危険も
背中合わせなのである。だがひとたび危機の時代が
到来すると、必ずや『荒魂』が眠りから覚め、『目
を覚ませ日本!』と訴える。そして、世界の人々も、
その声に耳を傾ける」と訴えます。
そしてこうしたリズムを繰り返すのが日本文明の一
大特徴なのであり、「もはや途絶えた」と見えても
「地下水脈」として日本人の奥深くに流れている。
これこそが日本文明の核心たる「大和心」であり、
「日本の底力の源泉」であると結論づけています。
さらに、「このことのもつ、ただならぬ重要性に気
づいて、教育の場やマスコミでどんどん論じられる
ようになれば、日本人は急速に力を発揮する・・・
それは各時代の日本人が証明してきたことだ」と付
け加えます。中西氏もまた、日本は“豹変”する国
であることを分かっているのではないでしょうか。
▼「国家意思」を表明することがスタート
いかがでしょうか。これらはほんの一例に過ぎない
と考えますが、冒頭の「ゴジラー1.0」で述べた
ように、私が「日本はまだまだ捨てたものではない。
まだまだ明るい希望が持てる」との想いを強く持て
るのは、まさにここに紹介したようなところです。
しかし、“希望を現実のものにする”には大ナタを
振って荒治療する必要があることも事実でしょう。
顧みますと、戦後のわが国は、GHQの巧妙な「対
日戦略」に何ひとつ逆らうことなく国家を運営して
きました。講和直後の「吉田ドクトリン」などはそ
の典型と考えますが、それからしばらく経って、G
DPが戦前を上回った1956年頃から「もはや戦
後ではない」との言葉を一人歩きしました。また、
安倍元総理は、「戦後レジームから脱却」を掲げ、
「教育基本法」の改正にも着手しましたが、その成
果が上がっているとは言えないことはすでに取り上
げました。
これらを総括するに、戦後世代の最大の過失は、
「国家100年の計」といわれ、後に続く世代の
「教育」に特段の関心を持たないまま放置してきた
ことにあると言えるのではないでしょうか。
つまり、GHQによる強制的な“墨塗り”教科書の
内容を見直すことなく、70数年あまり、“行き過
ぎた教育”を継続してきました。その結果、ここに
紹介したような、日本の“本質的特性”を若者に教
え、多くの日本人に認識させることができないまま
時が流れました。
このような状況を創った最大の要因も終戦直後まで
さかのぼると考えます。少し補足しましょう。少し
前の調査結果によれば、「自衛隊は憲法違反だ」と
答える憲法学者は約6割を数えるそうですが、素人
の私などからみても、憲法第9条を正確に読めば、
この数字は法理論的には納得できない数字ではない
と考えます。問題はそれから先です。この6割の学
者のほとんどが「だから自衛隊を解体しろ」の方に
走ってしまい、「自衛隊抜きでは国防が成り立たな
い。これは一大事だ。憲法を改正しよう」と声を上
げている人は数えるほどしかいない状態が続いたの
でした。
言葉を代えれば、最も高い知性を有すべき法学者を
して、法理論の解釈を先行するあまり、「国防」と
か「国のあり方」などに疑問や関心を持たない程度
の“知的レベル”に留まってしまいました。
戦前の反省や軍への反発などについて理解できない
わけではないですが、極端な話をすれば、「こちら
から泥棒に入らなければ、我が家に入る泥棒はいな
い。よって、戸締りをする必要はない」と言ってい
るようなものなのです。そのようなことになぜ疑問を
持たないのか、私は長い間、理解不能でした。
そして、このような恩師(達)のもとで、同じよう
な思想や法理論を叩きこまれ、自らの知性や主義主
張になんら疑問を持たないまま拡大再生産された多
くの大人たちが、やがて法曹界、教育界、経済界、
さらには政治家、官僚、有識者、マスコミ人などそ
れぞれの分野を“牛耳る”ようになりました。最近、
政府の有識者懇談会による「日本学術会議に社会貢
献要求」との記事を見つけ、当会議はこれまで“社
会貢献すらしなかったのか”と呆れました。
このような状態では、「国家100年の計の教育を
見直そう」との雰囲気などできるわけがなく、70
数年余りの長きにわたり「教育」は放置されたまま
になってしまいました。私たち大人世代は、最近の
「Z世代」を批判する資格はないと言えるでしょう。
自分たちが「Z世代」を生んできたのですから。
さて、話を戻しましょう。周辺国が“日本をこのま
ま眠らせておき、覚醒しないように”と歴史問題な
どを蒸し返す狙いは、紹介したような日本(人)の
“本質的特定”に“こわさ”を感じているからなの
かも知れないのです。その考えが過剰防衛に走り、
軍事力の拡大路線を走らせている要因の一つになっ
ていると言えるでしょう。
私たち日本人は、認識しているか否かは別にして、
日本文明の「心」あるいは「コア(核)」とも言え
るような特性を依然として保持しています。保持し
ていることが日本人のアイデンティティそのもので
しょうから、これらを「誇り」として、今こそ、個
人の意思や精神の集大成として「国家意思」の“目
指す方向”に掲げることを求められていると考えま
す。
戦後の「教育」によって造成された価値観に凝り固
まっている人たちにとっては、“思いもよらない”
「国家意思」のたたき台を提示されても、にわかに
賛同することはないでしょうから、我が国の無形の
「資産」として後世に残すべき日本文明の「心」を
謳うことについては譲れないとしても、どのような
言葉や文章をもって表現すればよいか、などについ
ては最大限の工夫が必要でしょう。
そのような内容を包含する「国家意思」を表明する
ことがスタートであり、それを受けて、中西氏の言
うがごとく、政界や教育界やマスコミ界で活発な議
論を展開して頂きましょう。その結果、本質さえ変
わらなければ若干の修正は“良し”としましょう。
いずれにせよ、「国家意思」の表明がスタートであ
り、「国家戦略」とタッグを組むことによって、輝
かしい未来をつかみ取ることができると私は確信し
ています。今回はこのくらいにしておきます。
(つづく)
(むなかた・ひさお)
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20kitan · 5 months
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CoC「片鱗」HO殺人鬼 ※シナリオの重大なネタバレが含まれます
セリフ集
「かうかう」 「ぶ」 「うー、あ゛」 「カッコー、カッコー、カッコー」 「くじら、ヤギ、キツツキ」 「ここが地獄だ!ここで跳べ!」 「宙吊り、宙吊り、宙吊りで、かわいそうで、おれが埋め合わせしてあげたいと思うんだよ」 「あの家には行かれない」 「ううー」 「いい子、いい子」 「『行き過ぎろ、影』」 「おまえはもう十分耐えた。あれはただの育ちすぎたコウモリだ。やつらが自ら蒔いた種をおれが刈りとってやる」 「それに比べてどうだ? おまえときたら盗人の淫売……おまえの薄汚い血が薄まったおかげで衿迦や兄は出来がいい」 「邪悪! 老いぼれの古コウモリめ! 報いを受けろ!」 「でもおれは、どこにも行くところがないし、他にやることもないんだ」 「今日はいいことあった?」
◆身上調査書
姓名:ビスコ/房 必思可(ファン ビスコ) 愛称:ビスコ 年齢:23歳 性別:男 血液型:B型 誕生日:6月28日 星座:かに座 身長:198cm 体重:84kg 髪色:オレンジっぽい赤毛 瞳の色:茶色 視力:左右1.0 きき腕:右 声の質:ザラザラした掠れ声 icv山寺宏一 手術経験や虫歯、病気:なし 身体の傷、アザ、刺青:なし その他の身体的特徴(鼻や目の形、姿勢、乳房、足、ホクロなど):手足が長くて猫背 ゴツゴツしている 手が細長い セックス体験、恋愛、結婚観:なし 性愛感情がかなり薄い 尊敬する人:なし 恨んでる人:もういない 出身:衿迦から生まれた/中国籍を取得 職業:肉屋 将来の夢:まだない 恐怖:衿迦を守れないこと 癖:目を細める 舌を出す 酒癖:酒の味が苦手なので飲まない 特に酔っても顔に出ない
*交流向け 一人称:おれ 二人称:おまえ、あいつ 呼び方:下の名前呼び捨て 敬称をつけない
*概要
 蛇之目衿迦の同級生と家族3人の命を奪った殺人鬼。道徳規範を持たぬ怪物。正体は蛇之目衿迦が作り出した狂気の別人格であり、アーティファクトの力を得て肉体を持つ独立した存在となった。
*性格
 おおよそ人間が持ち得る道徳規範や社会的モラルを持たない破綻した思考回路の持ち主であり、目的を達成するために法律や禁忌を破ることにはじめから躊躇いのない人物。自身の写し身である衿迦を守ることに関しては普通では考えられないほどに献身的になるが、それ以外の人間や事象に関しては関心がかなり薄い。  感情表現は幼稚で素直だが、起伏は通常激しくはない。極端なほど口下手で、ほとんどのコミュニケーションを単語や短い反復によって行い、自分の考えを自発的に話すことは稀。意味のない喃語を交えて話し、関わる必要がないと思えば完全に相手をシャットダウンし、ひとことも喋らないということも平気でする。  これらはビスコ自身に「社会に混じって生活する」という能力が根こそぎ欠けていることに由来し、目の前で起きたことや他人の事情や感情を受け取って呼応することもなければ、常識的にこうしなければならないという基本的概念を持たず、相手に分かりやすく伝えるための工程をすっ飛ばすことで発生する。理解できていないわけではなく理解させる気がないといったほうが正しい。  このため知能行動に支障があると判じられることが多く、実際の知能テストをまともに受けることも不可能なためそのように分類されるが、実を言うと知能より性質の問題。今後社会生活をこなしていく上で変化する可能性はある。  大人しくぼうっとして反応が鈍い。何を考えているかわからない冷血で爬虫類っぽい性格である。衿迦に対してはどこまでも優しく、辛抱強いあたたかみのある部分が発露される。刺激しなければ無害な置物のようなもの。
*人間関係
 社会に馴染める人格の持ち主ではないため、衿迦と房芳と職場の店主くらいとしか基本的には会話をしない。初対面の人間からは不気味がられ、それらを払拭する努力もしないため遠巻きにされることが常である。一応必要があると思えば肯定、否定、疑問くらいは口にすることもあるようだ。
*家族関係、幼少期体験
 なし
*能力
 前述のとおり実は知能に問題はなく、高校卒業程度の学力知識は持っているものと思われる。計算問題などは難なくこなし、少々難解な文章も理解して読むことができる。問題はテストなどをまともに受けるために机に留まらせておくのが難しく、ビスコが意味を理解できないものには取り合わないため、数値的な判断は難しい。  現在は肉屋での食肉加工作業を行っているが、動物を解体するのに精神的に動揺することも落ち込むこともなく、生まれが生まれのために刃物の扱いに長けていることからなかなか向いており、慢性的に人手不足な職種のため重宝されている。特に楽しいと思ったことはないが、現在の仕事に不満はないようだ。  何時から何時までという括りでの仕事が難しいため、衿迦が出かけるときに一緒に出かけ、作業が終わったら帰るという出来高制を許可してもらっている。
*肉屋のポパイ
 牧場から一頭ずつ牛や豚、鳥を買い付けるため新鮮で安いお肉を売っている精肉店。店内作業がきついため職人が居付かず育たないことが目下の悩みだったが、重労働をあまり高くはない給料でやってくれるビスコが店員になり助かっているらしい。現在は店長(精肉作業と接客)、ビスコ(精肉作業専門)、バイト(接客と配達)の3人で運営している小さな町の肉屋。コロッケがおいしい。  ビスコはほとんど店長としか会話をしないが、特段ビスコの奇妙な人柄を気にしていないようだ。
*好きなもの 食べ物:チョコレート菓子、グラタン、コロッケ、ハンバーグ ケチャップとマヨネーズの味が好き 飲み物:カルピスなど乳酸菌飲料、ホットミルク 季節:夏 色:海の色、衿迦の目の色 香り:牛乳石鹸のにおい 書籍:銀河鉄道の夜 動物:あんまり出会ったことがない ファッション:丈が長い服 落ち着く 場所:海 愛用:肉切り包丁 趣味:クレーンゲーム 写真を見る 
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patsatshit · 8 months
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東京滞在日記。
◆Day1
12:45 新横浜到着。寒いと思ってヒートテックやらネックウォーマー、起毛したパジャマを持っていったにも関わらず、気温25度で照り返しがきつく汗ばむ気候。東京に住んでいた頃、関東は体感温度が関西よりも5度くらい低い気がしていたのに。レイジアゲインストザマシーンのウィズアウトアフェイス。かっこええー。96年発売の曲の中で一番好きかもしれないな。いや分かんないけど。終わるのが悲しくてリピートしてしまう。
12:57 京急に乗って雑色へ。「ぞうしき」と読むらしい。聞いたことも見たこともない地名。最近友人が引っ越したというので、おじゃまさせてもらうことになった。ありがとう。大田区。飛行機に乗らない私にとってはあまり縁のない地区。東京タワーからは程遠く、都会とは縁のなさそうな樹々が生えていて、なんだか良さそうな街。昔ながらの商店街もある。バックナンバーからaiko、いきものがかりと平成J-popが次々と流れてくる。結構長そうな商店街。天六ほどではないだろうけど、先が見えないので抜けられるのかドキドキする。突然見覚えのある走り方をする人影が見えてきた。
13:55 友人宅到着。ちょっと駅からは離れているけど、立地は最高。大きな窓からは多摩川が見えていて、開放感でいっぱい。空港が近くにあって、すぐにここを飛び出してアメリカへでもいけそう。
14:30 友人は1日在宅ワーク。ずっとパソコンに向かってタイピング&会議私は後ろでひたすらゴロゴロ。ヒモみたいになってた。
16:00 夕方、仕事終わりの友人と茶をしばくため虎ノ門へ。むっちゃ薄暗い照明のお店。店内はマスターのオキニが詰まった宝庫みたいになっていて、グレングールドがかかっている。ライトな雰囲気のカフェと聞いていたけど、かなり荘厳な感じ。バカ話できるかな?友人登場。私が今ちょうどほしかったcasetifyのiPhoneケースを使っていてテンションが上がる。「ちょうど昨日藤原ヒロシが『便利』って言ってたよ」という話から佐川急便男子の話まで途切れることなく2時間強話しまくる。酸味の効いたコーヒーと濃厚なチョコレートケーキ、淡白なチーズケーキの相性がそれぞれ完璧だった。友人の背後からフライヤーの三島由紀夫が鋭い眼光でこちらを睨んでいた。ずっと怖かった。
19:10 『ざっくりYouTube』で見ていた池尻大橋の「喜楽亭」へ。ジュニアさんが座った席と同じところに座れてテンションが上がった。料理はもちろん極上。こう言っちゃなんだけどまずいハンバーグカレーとかあるのかなぁ。ルーとライスを綺麗に分けずに「親父ガケ」して「親父グイ」(ルーを皿一面にかけぐちゃぐちゃにして食べること)してしまう癖、治したい。というか治す。いやだわー。無意識って怖い、気をつけよう。
22:00 帰宅。友人と話す。思い出話2割、今後の話8割。昔は覚えてもないようなどうでもいい話しかしなかったのに、キャリアとか結婚とか出産とか、切ないね。けど仕方ないね。そうそう、何で雑色に引っ越したのか聞いてみた。いい場所だけど都心からはだいぶ離れているし…。友人曰く、最近の日本にますますいやけが差してきたので、すぐ海外に飛べるように空港付近にしたとのこと。かっこえ。昔から彼女の意思&意志が強くてすぐ行動に移せるところ、尊敬してる。
◆Day2
12:00 13時からの打ち合わせに向けて横浜へ。ほどよい都会感。建物の感じもどこかオシャレに見える。今日は風が強い。ふわっと香るくさいにおい。もう銀杏の季節か。『トークサバイバー2』で(シソンヌ)じろうさんが叫んでた「銀杏〜!くせえからうめえのか、うめえからくせえのか?」っていう素朴な疑問、私も思う。いつか教えてくれ。
15:30 一旦帰宅。友人会議中。多摩川を少し散歩する。『セトウツミ』の舞台ってここかなぁ?とかあらゆる平成ジャパニーズ映画のロケ地に思いを馳せながら歩いてみる。
16:50 半年ぶりに代田橋へ。行く場所は決まっているのに常に緊張する。Fat Boysを聴いて喝を入れる。
17:01 ジャスミンティー購入。手鏡にてデコに大きなおできと小さなニキビを確認。
17:10 緊張で首が左上右下に動いてる感じ。つまり吐きそう。
18:01 代田橋到着。とりあえずトイレに行く。
18:03 緊急事態。一旦酒を入れなければと彷徨う。
18:09 「納戸」は閉まっていた。がっくし。
18:18 「ジュークボックス」へ入る。マスターに挨拶するも覚えていない様子。半年ぶりだし2回目だから仕方ないかと思ったが、zineの話をしたら思い出してくれた。髪型とファッションで人は変わるということが分かる。コーヒー焼酎のロックを2,3杯入れる。美味い。
19:40 マスターに教えてもらった「大天狗」というお店に入る。焼き鳥がぶりぶりで美味しかった。この書き方だと不味そう。身が大きくて味付けも辛すぎず無すぎず、つまりちょうど良くて美味しかった。特にレバー塩。
23:39 終電に乗れた。代田橋に来る時はいつも終電と共にお別れだ。はー。終電といいながら蒲田までしか行かない。代田橋のお兄さんにもらったハイボールを片手に電車に揺られる。
0:16 蒲田駅から多摩川沿いを歩いている。徒歩22分。結構近い。友人に連絡する。川沿いで合流することに。
...
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↑記憶なし
◆Day3
12:47 起床。若干頭痛。友人は会議中。
17:18 山手線に乗っている。今日学んだこと。二日酔いでも酒は飲め。但し、酒がないと話せない場合に限る。つまり緊張状態に縛られる状況の場合。
17:46 綺麗な夕焼けを写。肝心な時にカメラを持ってきていない。そして非常に落ち込んでいる。
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↑夕焼け
19:15 友人とご飯に行く。カジュアルなフレンチビストロ。ここで「人生の目標」とか「働くこと」とか「死ぬこと」などシリアスな話を熱く語り合う。
20:39 多摩川散歩。酔っ払っていたので写真がすべてぶれている。
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↑彗星到来。ネオ東京
◆Day4
8:45 朝から餃子を作る。大学時代から彼女とはずっと餃子パーティーをしていた。餃子で繋がる友情と言っても過言ではない。彼女の家族たちと餃子パーティーをしたこともある。今後誰と会ってもそうマウントをとっていく。味噌ダレで乾杯。パートナーの話で盛り上がる。いくつになっても色恋の話は楽しいな。しかし外食が多くて、胃が悲鳴を上げ始めてる。
10:45 多摩川の写真を撮る。毎日多摩川を見ながら生活できる幸せ。噛み締めた。川のある生活っていいなぁと実感。天気も良くて雲の形もポテトフライみたいでよかった。
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↑ マンションの広告にありそうなくらい完璧な景色。うまく言えないけれど。
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↑パノラマで撮った
11:00 友人と別れの時。でも12月にまた会える。でも帰り道少しツンときた。それくらい居心地が良くて、一緒にいて落ち着ける存在だったのだと改めて思う。会うのは半年ぶりだったけど、しっかり話すのは2年半ぶりくらい。彼女はすごく…さらにいい方に変われていて、刺激をもらうと同時にすこし、自分に対して不安になったりもした。同じ歩幅で歩いてると思っていたから。全然違ってたんだ!今、小さい頃に遠方の祖父母の家に何泊かして帰らなければならない時の悲しさで涙が止まらなくなるあの感じが襲ってきてる。嬉しいのに少し寂しいな。
12:02 有楽町駅到着。映画館の前を通り、スコセッシの新作今日公開だと思い出す。でも今日は無理。ノーマネーソーリー。
12:06 ある人と待ち合わせ。その後ランチ。
15:33 新幹線到着。いよいよ帰る。おセンチな気持ちなのでブレッドのプレイリストを聴いている。ただ、ウォークマンのプレイリストは厄介。
16:03 『Dumb and Dumber』(ジムキャリーはMr.ダマー)をみる。百面相最高。we love jim carrey!!!
18:40 帰宅
.
おしまい。
東京ってやっぱり刺激のある街。ずっといたら飲み込まれそうで怖いけど。昔からそう思っている。昔東京に数年住んでみたけど、まぁ仕事とか色々なことがあって、いい思い出は全くなかった。でもきっと、その頃の自分は視野が狭くて未熟で卑屈ですごく保守的だったのだと思う。その頃の自分のことを…ようやく客観的にみれるようになった気がした。離れてみるとやっぱ東京って面白い街だと思うし、会いたい人がいれば誰にだって会いに行けるし、刺激の宝庫だなと思う。
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kennak · 9 months
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こういう棚卸しは面白いな。関西も乗っかるわ。東京みたいに全部が一点に集中してないからエリアは京阪神+αで許してや。1 演劇あんま詳しくないけど、なんつっても宝塚やな。大箱は梅田芸術劇場、京都劇場、オリックス劇場あたりかな。それから、生き残ってる大衆演劇は阪神地域が中心なんちゃうかな。京都は学生が多いから小劇団もいっぱいあるで。増田はヨーロッパ企画のサマータイムマシンブルースを西部講堂で見たのがちょっとした自慢や。2 美術・建築建物が古いからな、世界遺産が5件あるで。姫路城、法隆寺、京都、奈良、百舌鳥古市古墳や。建物の中にも美術品がたくさんあるから、重文が町のそこらへんに転がっとるで。一見ただのベッドタウンでもいきなり西国三十三所に出くわす楽しみもあったりするしな。曜変天目基準やと関西は2点あるから関東より多いで。伝統建築だけやのうて、近代建築も京都・大阪・神戸の中心地に点在してるな。京都は南禅寺の水路閣、大阪は中之島の日銀、神戸は旧居留地が増田の好みや。もちろん現代建築も充実しとるで。ガラス張りの京都駅と梅田スカイビルは原広司の代表作やな。国立美術館・博物館やと、京都と奈良の博物館、大阪の国際美術館、それから万博記念公園の民族学博物館や。みんぱくはいいぞ3 メセナさすがにこれは大企業が多い東京の方が有利や。サントリーはなんで東京でがんばってるんやろな?ローム、京セラ、竹中工務店、神戸製鋼あたりが有名なんかな。4 伝統芸能落語は上方で成立して現代に至るからな、さすがに譲れんで。人形浄瑠璃もほぼ大阪の独自芸能や。歌舞伎は南座と大阪松竹座で盛んにやっとるで。能楽は明治期に東京に行ったけど、華道と茶道はほぼ京都文化ちゃうか?5 サブカルチャー関西やとほぼメインカルチャーな気もするけど、このカテゴリーでお笑いを外すのはありえんな。関西弁が方言の中で唯一全国どこでも意味が通じるのは7割ダウンタウンのおかげやと増田は思っとる。増田の経験やから今も盛んか分からんけど、京都にはオシャレ~な本屋やら雑貨屋もめっちゃあったで。6 漫画・アニメ出版社とテレビ局が東京に集中しとるからこれは東京が強いな。ただ京都には有名なスタジオがあるで。同人イベントはコミケほどやないけどCOMIC CITYが大規模にやっとる。インテックス大阪でやるから通称インテやな。7 音楽・映画元増田が書いてないけどこれも挙げとくで。箱の話がメインになるけどな。増田はクラシック畑やからいいホールが点在してる印象が強いんや。大阪のシンフォニーホールとフェスティバルホール、西宮の兵庫県立芸術文化センター、京都の京都コンサートホールあたりにはちょくちょくお世話になるで。でも海外オケの公演がなかなか来ないのは事実や。悲しいわ。ポピュラーやと大阪城ホールが一番有名やろ。ライブハウスがたくさんあるはずやけど、よく知ってる人が補完してくれるのを期待しとくわ。ジャズは神戸かと思ったらなぜか高槻で盛んやな。映画は(追記:単館が)京阪神合計で東京の半分くらいみたいやね。増田は行ったことないわ。8 食関西でこれを書かんと片手落ちや。京都と大阪の懐石、京都の精進料理とそばとラーメン、大阪の粉もんとスパイスカレー、神戸��鉄板焼きと芦屋の洋菓子、みんな最高やな。もちろんパンも充実しとるで。(追記)トラバとブコメのおかげでいろんなこと知れたから増田は嬉しいわ!ブログでなく増田に書いてよかった!トラバでも書いたけど、ゲームは活動範囲が関西に収まってないかなって思って外したんや!アリスソフト好きやで!はてな?あかんあかん!お茶の一杯も出してから出直しや!スポーツは野球とかラグビーとか考えたけどガンバのしょっぱい成績が頭をよぎって外してしまったわ!エリアは東京と比べるために京阪神+αに絞ったから滋賀と和歌山は入れてないし奈良も世界遺産でしか入れてないんや!すまん!石山寺も黒壁スクエアも高野山もパンダも大好きや!猛虎弁みたいな妙な関西弁は書き文字にするとなんかポロッと出てしまうんや!堪忍な!
関西の文化(追記)
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akikohatase · 9 months
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レポート 親子で参加!農業体験ミステリーバスツアー
夏休み企画の「農業体験ミステリーバスツアー」があり、8月6日(日)に息子と参加しました。
到着まで目的地は秘密。「農業」といっても、米も野菜も畜産もありますから、どこに向かうのかドキドキ。
結果から申し上げると、今回は、オーガニックの卵を生産する養鶏所と、最先端の植物工場、を見学したあと、農産物加工品のお買い物を楽しんで、最後に地元食材をたっぷり使ったスペシャルランチを食べました。詳細は下記からどうぞ!
一ヵ所目「ファーム アグリコラ」
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ファーム アグリコラは、札幌の隣町「当別町」にある養鶏所です。代表の水野さんが、アグリコラの特徴や、大切にしていることを話してくださいました。
アグリコラのこだわり01「飼料も国産オーガニック」
日本の飼料はほとんどが輸入。輸入飼料の大豆やトウモロコシは一般的に、遺伝子組み換えが使われています。アグリコラの特徴は、輸入飼料ではなく、国産飼料を使っていること。近隣の有機栽培をしている生産者と連携しているそうです。
また、人間と同じくニワトリも、腸内環境を良くすることが重要だそうで、サツマイモを発酵させた餌も食べさせています。
見た目ウケのために黄身の色を濃くしないので、飼料に着色料を混ぜたりもしていません。
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水野さんのこだわり02「平飼い、放牧」
アグリコラでは、人も家畜も心身ともに健康であることを大切にしています。そのため、平飼い&放牧スタイルをとっているそうですが、おかげで鳥インフルなどかかることもなく健康なんだそうです。
キッズの質問「平飼いと放牧って何が違うの?」
「鶏舎の中で放し飼いの状態で飼育するのが平飼いで、屋外でニワトリたちが外で自由に走り回れる状態の飼育が放牧です。」と水野さん。
一般的な養鶏の「ゲージ式」は、一羽あたりiPad一台分程度の広さのゲージの中で過ごし、鶏舎には窓がないそうです。
アグリコラのニワトリは、土を掘ってみたり、草をついばんだりする姿がほほえましく、みんな元気いっぱい。ずっと見ていられるくらいかわいかったです。
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水野さんが大切にしていること03「農福連携」
「アグリコラは、障害のある方が活躍できる農福連携の取り組みを行っています。」と水野さん。
就労継続支援A型事業所、つまり障害のある方も「仕事として」農業に従事できるということです。
「持続可能な農業」は、言葉にすると短いですが、ここに至るまでの相当なご苦労があったはず。人とニワトリの健康、食べ物としての品質、環境、きれいごとではなく全部大切にしながら、商売としても成立させていく。本当にすごいなぁと思いました。
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キッズからの質問タイム
Q. ニワトリは一日に卵を何個生むの?
水野さん「1日一個生めばいい感じです。ニワトリは25時間ごとに一個生みます。なので、毎日ちょっとずつ生む時間が少しずつずれて、午後3時くらいになったらその日は生むのをお休みします。なので、10日間で8~9個生みます。」
Q. このニワトリの卵からはヒヨコは生まれるの?
水野さん「ここにはメスのニワトリしかいません。メスのニワトリだけで卵を生むのだけど、人間と同じく、赤ちゃんが生まれるためにはオスのニワトリの精子が必要です(受精)。この卵は受精していないため、卵は孵らないのです。」
Q. ニワトリは何年くらい生きているの?
水野さん「ニワトリにも寿命があります。ただ、人間のおばあちゃんが赤ちゃんを生まないように、ニワトリも齢をとると卵を生めない身体になるの。私たちはニワトリからもらった卵を売ってお金にしています。ニワトリから卵がもらえなくなってしまうと、お金にすることもできません。なので、ニワトリには申し訳ないけれど、役目を終えてお肉になるということをしています。ちょっと悲しいけれどね。」
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二カ所目 現代式トマト栽培!?「Jファーム」の植物工場
夏は野菜がたくさん収穫できる季節ですが、北海道の冬は雪が積もります。当たり前ですが、冬は野菜の露地栽培ができません。一年中安定して栽培するために、巨大なハウスの中でトマトを栽培するJファームの「植物工場」を見せていただきました。場所は、札幌市東区。
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苗の見た目にビックリ!
中に入ってまず驚いたのが、ミニトマトの苗の背の高さ!全長はなんと7メートルくらいあり、長~いトマトの苗を天井から紐を使って吊るるように支えて、光の当たりやすい高さに調整しています。家庭菜園だと、1.7メートルくらいの苗を支柱で支えているので、その違いに驚きました。そして7メートルもあるのに、茎の太さは親指程度しかなく、思ったよりも太くないことに驚きました。
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トマトの生育環境に合わせて徹底管理
ハウスの中に入ると、モワッとした熱気が立ち込めるのかと思いきや、意外と過ごしやすい温度帯。この日がたまたま涼しい日だったというのもありますが、トマトが生育しやすい環境に温度管理は徹底しているのだとか。「水は肥料分を溶かしたものをチューブを使って与えています。時間帯や量を管理し、あえて根元が乾く時間帯を設けています」と工場長。
トマトの原産はアンデス山脈の乾いた高山地帯ですから、「暑すぎない」「乾いている」という環境をハウス内で作り出しているということですね。
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収穫量は一日4トン!
今回見学させてもらった品種は、「ダルダリー」というオランダ産のミニトマト。苗が長持ちするため、長期間の収穫にむいている品種ということで、今年から取り扱いを始めたそうです。
収穫量は現在、多い日で一日4トン程度。さらに最終目標は、その3倍以上の収穫量を設定しているそうです。
キッズの質問「もっといっぱい収穫するには、栄養の量を増やせばいいの?」
工場長「重量を上げるには、栄養も関係するけれど、二酸化炭素の量も大切です。光合成に必要なのは二酸化炭素。だから天井の窓を開けてハウスの中に外気を取り入れる調整が欠かせないのです。窓はコンピューターで自動制御しています」
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ちなみに、工場というイメージから収穫作業は機械なのかと思いきや、昇降機にのって人が手摘みしているそうです!
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車内では「野菜○×クイズ大会」
移動車の中では、○×クイズ大会。大人でも迷うくらいの絶妙な問題で、大盛り上がり。
司会の“みっちゃん”がさらに盛りあげてくれて、目的地まであっという間に到着する楽しい時間を過ごしました。
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思春期に突入した息子。周りよりも少しお兄さんだったため、最初は遠慮がちでしたが…しっかり楽しんでいるし(笑)
お待ちかねのランチタイム!
「サッポロさとらんど」に戻り、調理室でランチタイムの準備開始!部屋に入るとスパイスの匂いが…お、お腹が空いちゃったよ~!
サラダ作りプチ講座
子どもたちは、各家庭分のサラダづくりにチャレンジ!レタス類もフリルやベビーリーフなど何種類かあって、少しずつ形が違うだけで、玉レタス一種類だけで作る時と比べて見栄えが良くなることもわかりました。そして、野菜ソムリエプロの大澄さんが、サラダを美味しく作るコツを教えてくれました。
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美味しくなるポイント01「レタスのちぎりかた」
大澄さん「コツは、横にちぎるのではなくて、葉の繊維にそって縦にちぎると美味しくなります」。「ちょっとしたこと」なんだけど、試してみると本当に歯ざわりが違ってくるから、不思議!
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美味しくなるポイント02「ドレッシングの和え方」
ドレッシング…上からかけていませんか?「レストランではドレッシングは上からかけていないけれど、美味しいですよね?」と大澄さん。たしかに、ドレッシングが一ヵ所だけ集中してかかっているとしょっぱいですが、全体に均一に味がついている方が美味しいです。(なので、この見出しも「和える」という表現にしました)
均一に味を付けるコツは、ビニール袋に野菜とドレッシングをスプーン二杯入れて……フリフリ~!このやり方ならば、子どもでも楽しくお手伝いできそう!
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そして、まんべんなくドレッシングが行き渡ることで、ドレッシングの油分が野菜をよりツヤツヤに魅せてくれます。
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完成した、スペシャルランチはこちら!
食材は、ほぼ北海道産です!
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手前のミニトマトは、先ほど見学した「Jファーム」のトマト。 ピカピカで宝石みたいです!
プレートの中央にあるカボチャは、札幌市手稲山口の特産「大浜みやこかぼちゃ」、そして今が旬のトウモロコシ。
写真奥のカレーは、トマトと牛肉の夏カレー。牛肉は道内産で「キタウシリ」というホルスタイン種の肥育牛がたっぷり入っています。
そして、アグリコラの卵も「玉子サラダ」になっていました。 見てください、このクリーム色の黄身を! ”見た目ウケのために飼料に着色料を混ぜたりしない“とは言ってましたが、着色しないと黄身がこんなに色が薄いことを知りませんでした。
そして、黄身の色が薄くても、味はしっかり。それでいて全く臭みを感じない、澄んだ味でした。
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まとめ
近郊農場をめぐり、生産者さんの話を聞いて、最後は採れたて野菜や地元の食材たっぷりのランチで締める!農場見学もランチも大満足!頭も心もお腹も満たされる一日でした。
主催 農業魅力再発信プロジェクト推進協議会 運営・企画 HERB & COOKING KINA
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tokyomariegold · 1 year
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2022/12/10〜
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12月10日 13時に有楽町で待ち合わせ。 昨日は1時まで夜ご飯を食べていて、寝て、8時に起きた(ちなみに豚肉をちゃんとレンジで調理できた!すごい!)。 クリーニングを出して、待ち合わせより早めに東京駅へ向かう。 12月の東京だった。 少し歩くとクリスマスツリーがあって、みんなどことなくおめかしをして、手には大きな紙袋を下げていたり、キャリーケースを引いていたり。年末ジャンボ宝くじに行列ができていて、また今年も「宝くじ当たらないかな〜」と、その行列を眺めるだけ。
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これから会う友人にジャンポールエヴァンでクリスマスプレゼントを買った。 いつかマカロンを食べてみたい、と思いつつ、冷蔵物なので諦めている。 有楽町のマルイの前で、右翼っぽい方が演説していて、でもよく聞くと自分の訴えというより日本の歴史をつらつらと語っていた。 その前で友人と会って、国際フォーラムの干支ツリーを見て、大島さんの展示を観た。“多摩多摩”というタイトルで、多摩というワードにどこか親近感を抱いていたけれど、多摩って広い。 でも郊外のいわゆる“どこにでもある風景”は、やっぱりどこにでも、で、多摩から引っ越した今住んでいる町にもよく似ていた。 友人が住んでいる町にも似ているらしい。 大島さんの日記に登場する同居人とは、この写真を撮った方なのかしら?と思った。インターネットで見ていた大島さんのイラストが壁に貼ってあって、愛おしくてうっかり剥がして持ち帰っちゃいそうだった。
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ギャラリーまでの道で外国人の女性の方に「very nice!」とコートを褒めてもらった。 ウエストでお茶をしようと歩いている途中の絵本屋さんの前に、クリスマスのオーナメントやリースが売られていて足を止める。 鳥がマフラーを耳当てをしている可愛いオーナメントを買ってしまった…! 友人は玄関用にリースを買っていた。 ウエストは列がターンする程並んでいたので、その奥のコーヒー屋さんに入った。とっても昔、1wall展の公開審査会までの時間つぶしに入った以来で、その時も友人と一緒だった。 元気な人と元気じゃない人がいる話や、日記を書いたり自分の日記を読みたくなくて代わりに絵を描いたり、クリスマスの予定を話したり、生活が忙しくて、別にそうしなくと良いこと、に、忙しくさせられている話などをした。 友人は、もっとマメになれば良いのかな、と言っていた。 次はクッキーを焼いたり、銀座スカイラウンジでお茶をしたりしようね、と言って、良いお年を、をした。
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12月11日 昨日あった友人が“花束みたいな恋をした”を観た、と言っていたので、思い出したようにamazonで鑑賞した。 前評判から、何となく怖くて観られていなかったけれど、何も怖がらなくて良かった!という結果でした! とてもわかるストーリーで、私にはわからない世界のお話、という感じ。 昔好きだった、大切だったものに、社会や生活に挟まれて熱量を入れられなくなる話だと思っていて、その“好きだったもの”として描かれているカルチャーにどれもピンとかなかった。 それでも、自分にとっての大切なものに置き換えてみても、当時の好きが、今おろそかになっていることはないかもしれない、と映画を観て元気になってしまった。 自分のことがよくわからなかった学生時代、少しの好きをきっかけに、関わる好きな人たちを通して広がる自分の世界が楽しくて、数珠繋ぎしていくように好きがつながる感覚が幸せだった。 それが写真だったし、東京だったし、今も生活をしながら(生活は今はそんなに嫌ではなくなっている)その好きをもっと発展させたい!というところが一番の悩みどころ。 この映画のレビューで、たくさんのコンテンツが並ぶがどれもそれらが選ばれた背景がない、というのを読んだことがある。私が、その人が何かを好きになる過程や理由が好きなので、だから何かしらないたくさんの記号が出てくる恋愛映画ね〜、とだけ思ってしまったのかもしれない。 やっぱり“おとぎ話みたい”のかほちゃんに感情移入をしてしまう。 まあまあ君って若いんだね、まだ、と言われて、田舎で生活する大人を出戻り文化人!と罵って、屋上で一人で叫ぶシーンに泣いてしまう。(最果タヒの一葉ちゃんがパフェを潰すシーンも同じ。) 映画を観て、大学の先輩たちを思い出して、夢にも出てきて、何か失礼なことをした気持ち。もしかして万が一のこと、この映画を観て私のことを少しでも思い出す人がいなければいいな、と思う。誰かの花束なんかになりたくない。 大島渉の展示のブックレットを読む。 やっぱり大島さんの文章もとても好き。作品とその人の書く文章が好きな作家さんが多くて、ソフィカルの研究とかしてみたいかも。
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12月12日 職場が寒くてしもやけが痛くて冷えて吐きそう。 お昼休みは“多摩多摩”のトークイベントの配信を聴きながら歩いた。 途中で“飲み込みについての実験”の会場案内を見かける。水やヨーグルトを飲み込んで、ラジオ体操をした人の様子を記録するらしい。 トークを聴いて展示会場で「大島さんの日記に登場する方は、この写真を撮った方かしら」と思った自分をひどく、とても、気持ち悪いと思った。 それと会場で友人が「TOEICの勉強は3点ですかね」と言っていた意味を今になって理解した。(生活の中でできたこと・できなかったことに点数をつけている大島さんのキャプションを読んで、その前に何も考えたくなくてTOEICの勉強ばかりしてしまう私の話をしてくれていた!)
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12月13日 職場が寒すぎて泣いていて、何でこんなにも仕事内容でなく外的要因で辛いの?と思って、いろんなところに“節電”のお知らせが掲示されていたり“節電見回り中”のキャンペーンたすきが用意されているのを発見して、さらに泣いてしまう。 ギャラリーを探しているのだけれど、場所を選ばなければどこでも展示ができてしまう。「恥ずかしそうに写真を展示しているんでしょ(どうせ)」と、初めて写真展をする話を母にした時(来てほしいとは言ってない)に言われたことを思い出す。 スーパーの出口にバター餅とごまゆべしとくるみゆべしがカゴで売られていて再会。
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12月14日 不意に知った人の誕生日にパパブブレのお菓子をあげたら、2月に焼き鳥を焼くので来てください、と誘ってくれた。IHしかない新居に、やっとガスボンベのカセットコンロを買ったので焼き鳥をするのだそう。 工作みたいで楽しそう。 SNSの好きな女の子が、自撮りをまとめた動画をストーリーに投稿していた。 とても良かった。 防衛本能でamazonで防寒グッズばかりを検索してしまう。 心が死んじゃう節電ってなに。 12月15日 今日も職場の寒さが異常でお腹が痛かったし、吐き気と震えが止まらなくなって辛い。でも帰り道で写真を撮ったり、一期下の方とお話しながら帰ってきて少し回復した。 このままずっと元気ないままなのかも、と思うと、来月で終えることも悪くなくて、今日は上司から積み立てNISA(?)や出産支援金(?)の制度の話を聞いて、そうゆう情報をちゃんと収集して損するべきではない!と言われてショックだった。 上司の奥さんは産休期間に金髪にするらしい!いいな〜。
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12月16日 このところ生肉や生魚をレンジで調理している。 「○○(食材の名前) レンジ」で検索結果に出てきたレシピより2分多めにレンジで加熱している。��くわからないけど実験みたいで楽しい。 生肉や生魚にお酒をかける工程が、何か上等っぽくて楽しい。 今日は鶏肉に挑戦しようとしたけれど、寒さと疲れで身体がボロボロで泣いていて、何も考えられなかったので、値引きシール出来合いのものの日、にしてしまった。 今日も“多摩多摩”のトークを聴いた。 多摩川を眺めたくなった。 かつてインターネットで、大島さんのイラストが、のらねこちゃんが、とっても人気で流行っていたよね、みたいな言われ方をしていて、私はずっと波風なく登場した頃から穏やかにインターネットにいるものだと思っていいたのでショックだった。 そういえば一緒に展示に行った友人も「大島さん、懐かしいって思っちゃいました。」と言っていた。
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varioussighhorns · 1 year
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20230615
前回の続きで、5月のお出かけの記録です。もともとここで何かぶつぶつと紹介なのか旅の記録なのかわからないことをやっていたのもすっかり忘れていて、コロナの関係が緩くなったこともあるのかわかりませんがこうして久々に記事を書いています。
初めは自分の音楽と関係しているところに自分の足で回ろうみたいな気持ちもあったと思うけど、現実としてはコロナじゃなくてもなかなか遠出するのは珍しい自分なのでたまたま行くことができたら発信、みたいな感じが真実だと思います。
佐久に用事があったので、ちょっと足を伸ばして長野の上田のお店に。
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「と」
長野県上田市真田町本原1013−1
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こちらは東京高円寺のコクテイル書房でカレー屋をやっていた店主さんのお店。国立の奏で演奏をしたときに時に観にきてくれて、知り合いになりました。
えほんやるすばんさんに行くときにたまに食べに行っていて、自分にとっては高円寺の行きつけの店でしたが、最近上田に移住してお店をはじめたのだそうです。
上田に来るのは多分二度目くらい。駅のあたりを1人でフラフラ徘徊していた思い出がとても曖昧で、なんだっけかなあ、と記憶の整理をしながら向かいました。まあ少しぼーっとしながらというわけです。
マップのナビに任せて向かっていたんですが、だんだん後戻りできないような道幅の狭い山間の小川の流れる崖道みたいになってきて、う〜ん、と思いはじめた時に小さな鳥居がポツンとあるところに到着してしまったわけで。地図を見直したらお店からけっこう離れてました。暗くなってたのもあって普通に怖かったのですが、長く自分を生きてると慣れてくるもんで、何かの縁かしら、と軽く思いつつ、そこだけ道幅が広がってたのでUターンして向かいなおしました。神様、本当にありがとうございました。
だいたいこういうところはまた行こうと思っても辿り着かないというか、あとあと地図で見てもはっきりどこだかわからなかった。(地図で見てもなんか白い部分が多いし、当時、頭の中もけっこう真っ白)
この辺りは城跡とか神社とかいっぱいあるみたい。
15分くらい走り直して、到着。店主夫婦お勧めの温泉に行ってから、と思って車を置いて歩いて行けるかな?と聞いたら、普通にやめた方がいいよと言われて素直に車で行きました。多分歩いてたら迷子になってたと思います。
小さな温泉だったのでなんとなく禊のような気持ちでゆっくりはいりました。ゆったりほかほかだから全然禊じゃ無いけど、普通に疲れが洗い流されました。一瞬で極楽浄土です。私は簡単に造られた人間なのでしょうか、いや、けっこう複雑に造られた人間かと思いますが、心も体も綺麗になりました。
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今まで店主さんとは高円寺のころもカレー食べて珈琲飲んで、また、みたいな感じだったので、ほとんどちゃんと話したことはなくて、この日は色々話ができました。
食事についてはおいしいとか、簡単な表現しかできないので適当ですが、ここのカレーはサラッとしててシュッとしてます、身体に優しいんだけどシュッとしてる。塩が濃いわけでもなくて。カレーって人柄が出るなあと思います。そしてここも付け合わせがおいしかった、アチャールとかかな。南インド風のカレーというのもあって付け合わせがとてもアクセントになっておいしかった。なんとなく頼んだじゃがいものの煮たものを揚げたものが、宝石のようにキラッとした食感で、カレーと付け合わせと、これまたおいしいハーモニーでした。
最近の自分は副菜にベクトルが向かってる感ありますね。椿もこちらも付け合わせがやけにおいしかったせいもあるんですが。とても美味しかった。また他のメニューも食べに行きたい。
お店は広くて空間もあって明るい雰囲気。座敷もあってワイワイできそうな感じもあるし、孤独も許してくれるような感じがします。自分はカウンターに座ったんですが、勉強とか考え事とかできそうだなあとか思ったりしてましたあんまりのんびりしすぎてもお店の人には迷惑かもしれないけど。熱心に勉強してたら怒られなそうな雰囲気がある、、、かもしれないです。もし自分が学生とかで近所だったらここで1人で勉強したいなあとか思った。店主夫婦の人柄もあるのかな。なんだか開放感というかどっか普段と違うところに解放される感じでしょうか。音楽も流れてるし。いい場所だと思います。
そういえば、スピーカーの音がやけに良かった気がします。空間も関係あるのかな。気になってたけど聞き忘れました。いつもだいたい一つや二つやり残しがありますね。
ここでもCDかけるよって言ってくれてました。一回聴いてみとけば良かったけど、これもやり残しですね。また伺います。
お店は日々進化しているみたいなので、こちらを見た方が早いかな。
https://www.instagram.com/to_to_to_2022/
自分も写真撮ったんですけど、けっこうブレちゃってて。(じゃがいもが一番よく撮れてました)
興味のある方はぜひ。
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myonbl · 1 year
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2023年5月6日(土)
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連休唯一のイベント、龍谷ミュージアムへとやって来た。ツレアイにここで写真を撮ろうと指さすと、逆に撮られてしまった。展示は<親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年記念 春季特別展「真宗と聖徳太子」>、
親鸞聖人の太子への篤い想いに触れるとともに、太子信仰の高揚に親鸞聖人と弟子たちが果たした役割を再確認
<友の会>メンバーなので入場フリー、大変面白く良い勉強になった。京都へ来られる予定のある方、お勧めですぞ。
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5時30分起床。
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朝食を頂き、洗濯をする。
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落語研究会の録画、駆け足で拝見。
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五条御前のホンダカーズ京都へ、車のブレーキ部品に欠陥があるとのリコール、チェックのために車を預ける。
西大路花屋町のセントラルスクエア花屋町店で猫砂を買って帰宅。
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ホンダへ戻る前の時間つぶし、AppleWatch の文字盤を色々変えて遊んでみる。iPhone で自作したミー文字を入れてみると、表情がコロコロ変化して面白い。
11時過ぎに再度ホンダへ、問題なしとのことでホッとする。
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ランチ、息子たちには肉うどん、私たちはドライカレー。
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龍谷ミュージアムへとやって来た。
鎌倉時代に大きな盛り上がりをみせた聖徳太子信仰は、日本人の精神文化に影響を及ぼしたばかりではなく、絵画や彫刻など数々の優れた美術品を生み出し、日本の美術史に大きな足跡を残してきました。
一方親鸞聖人は、「和国の教主」として聖徳太子に深く帰依し、晩年に至るまで太子を讃嘆する和讃「太子奉讃」を多数制作しました。そして聖徳太子像を傍らに安置し、聖徳太子に関わる法宝物の制作にも関与していました。
この展覧会では、親鸞聖人の太子への篤い想いに触れるとともに、太子信仰の高揚に親鸞聖人と弟子たちが果たした役割を再確認します。そしてその後の門徒たちが生み出してきた太子信仰に関わる多彩な法宝物をご紹介します。
全国各地から門徒が本山参拝に来ていることもあって、結構な人出である。面白かったのは、<三河すーぱー絵解き座>による実演、
絵解きとは――仏教の掛け軸をわかりやすく解説したレトロ話芸。
文字の読めない人びとにも仏教の教えを伝えるための手段として発達したが、時代の流れの中で忘れ去られてしまい、今では一部を除きほとんど継承者もいない。
絵解きの娯楽要素は掛け軸から紙芝居、テレビへと受け継がれている。
三河すーぱー絵解き座は、
おもしろくもありがたい絵解きという話芸の、数少ない継承集団である。
これだけでも入場料の値打ちはある。
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夕飯は残り食材総ざらえ。
録画番組視聴、シャーロック・ホームズ。
(15)「プライオリ・スクール」
ジェレミー・ブレットが演じたシャーロック・ホームズのドラマシリーズ。公爵の息子がプライオリ・スクールから失踪。同じころドイツ人教師も姿を消し、関与が疑われたが…
ホールダネス公爵の息子がプライオリ・スクールから姿を消す。捜索依頼を受けたホームズ(ジェレミー・ブレット)とワトソン(エドワード・ハードウィック)。手がかりは荒れ地に残る、2種類の自転車のタイヤ痕。同じころに姿を消したドイツ人教師が関与している可能性が。タイヤ痕のうちのひとつはドイツ人教師の自転車と判明。ふたつの痕は離れた場所でぷっつり途絶えていた。イギリス1986年制作。
片付け、入浴、体重は250g減、よし。
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ウォーキングしなかったので歩数は足りず、水分は1,740ml。
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memory-of-hiroshima · 2 years
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77回目の8月6日が来ました。 あの日、そしてその後の“ヒロシマ”を知ってもらうことが、核兵器廃絶への道につながることを信じたいのです。 2年前に書いた文章ですが、読んでいただければ嬉しいです。
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胎内被爆者の綴り方
<はじめに>  長い間、私は不特定多数の人に被爆体験を語ることにとまどいを覚えておりました。胎内被曝のため、実際に被爆の被害・惨状を見たわけでもなく、肉親を失ったわけでもなく、私自身もこの年齢まで生きてこれた幸運もあり、大きな嘆きの人々に比べれば語る資格がないと思っていました。  しかし、ここ数年、特に日本政府は広島・長崎の被害の事実をなかったものかのように動き始め、核兵器禁止条約に対しても、日本の代表とは思えぬ動きで、私は不安でたまりません。  今まで、生協の平和行進や集会、そして募金に参加したことがあるくらいで、平和や反核に対する運動をほとんどしていません。平和公園での座り込み運動にも、心をよせてはいても、ただの傍観者でした。私が育った戦後、ついこの間までは多くの活動をする人がいて、私も黙っていてもよかったのです。ただ被爆者の会も高齢化で消滅解散する中で、何かしなければならないのではと思い始めていました。  そんな時、オーラルヒストリーを研究しておられる元TBSアナウンサーの久保田智子さんの講演を聞く機会がありました。私が記憶を語るとしたら客観的事実ではないかもという懸念をもっていたのですが、久保田さんは「その人が感じ考え思ったことをいっしょに述べること、主観的事実でいい」と言われました。「複雑でいい、矛盾していい、個人的なものを社会的なものに関連づけて解釈するのだ」と。これは私を勇気づけました。  また、ピラミッドの一番上に直接被爆者がいて、その下にいろいろな人が階層的に存在し、それぞれに思うこと感じ考えることがある、それも大切だと。「ああ私の位置はヒエラルキーの二番目だ、それでも語っていいのだ」と強く励まされました。  それから1ヵ月後、ニューヨークの2020年NPT(核兵器不拡散条約)会議に広島生協の代表として行くことになった友人が、胎内被爆者の会が証言集を出す予定であることを教えてくれました。思い迷った末に、証言集に応募するしないにかかわらず、記憶がうすれる前に一度整理してみようかなとの思いに至りました。
<8月6日>  1946年1月24日生まれの私は、1945年8月6日原爆の炸裂したあの日、母の胎内にいました。予定より早く生まれたと聞いていますから、妊娠4ヵ月位ではなかったでしょうか。悪阻が激しく空襲警報がなっても「このまま死んでもいいから」と逃げるのが億劫だと言っていた母は、朝の洗たくものを干すため両手をあげた時、原爆の光を浴びたといいます。あっと思った時は、胸と腕に火傷をしたようですが、幸いにも「天ぷら油をぬったらいい」と教えてもらい、ケロイドにならずにすみました。借家だった家の前はごぼう畑が広がり、己斐駅がすぐ目の前に見渡せました。光線をさえぎるものは何もありません。爆心地から2.5kmとS42年(1967年)2月18日取得の被爆者手帳にはしるされています。  その時父は観音町の三菱重工の工場、爆心地から4kmの所で被爆。父がどのルートでどのように己斐まで帰ってきたのか全く知りません。9月に4才になる姉は、家の中の布団で寝ており、布団ごと部屋の端から端まで飛ばされていました。壁が少し崩れたくらいで、家は倒れずにすみ、姉も無事でした。  これらの話を父や母から直接聞いたという記憶はなく、どこでどのように知ったのでしょう。母が黒い雨にうたれ、髪の毛が抜け寝こんだこともどうして知ったのでしょう。それには一つの類推があります。
<近所の人々との思い出>  私が小学校低学年の頃住んでいた家はやはり己斐ですが、被爆した時とは違う近くの家です。家の前にも横にも40cm位の側溝に水が流れ、夏には青い露草の花が咲き蛍もとんでいました。暑い暑い8月6日の前後には、近所の人々が涼を求めて集まり、石垣に座って思い思いに語ります。クーラーも無い時代、手にはうちわがあります。冷蔵庫も氷で冷やす木の冷蔵庫です。家には西瓜が待っており、私たち子供は浴衣を着て、大人のまわりをうろちょろしています。そんな時大人の話が聞こえるともなく聞こえるのです。 「ようけえ逃げてきたのお」「おう、水あげりゃあえかったのう、どうせ死ぬんじゃったらのお」「Tさんの家は壊れたらしいのぉ」「下敷きになって男ん子が死んだんよ」「Nさんの奥さんは今年も日傘さして行きよっちゃったよ」「式典なんじゃろう。姉妹や親はえっとこ亡くなったって」  話が聞こえてくるうちにだんだん恐くなります。帰ってトイレに行くのも、夜寝るのも恐くなります。こんな会話の中で私の母の話も語られ、私が覚えたのだという気がします。  Nさんとは、私を実の娘と同じようにかわいがって、お風呂に入れて身体をごしごし洗ってくれたり、焼きリンゴを作ってごちそうしてくれたおばちゃんです。あの優しいおばちゃんが大きな悲しみを抱えておられたのに深く気づくのはずっと後です。このおばちゃんは小学生の女の子2人を残して腎臓病で、身体をパンパンにむくませて亡くなられました。きっと被爆の影響だったと今なら思いますが、当時小学生だった私は、おばちゃんの変わり様に恐ろしかっただけです。  あの夏の日々は、あらためて語り部と言わなくても、みんな思い思いに自然に語って、私たちに伝承されていたのだなあと改めて思います。
<己斐小学校でのこと>  伝承というと小学校の担任を1年から6年まで受け持ってもらったY先生のことが思われます。8月6日宝町の自宅から己斐小学校へ通勤した日のできごと。爆心地近くから相生橋、本川を通ってひたすら己斐へ歩く途中に見た被災の光景。川の中に浮かぶたくさんの人々、横たわる死者たち。その話を聞いた記憶がしっかり残っています。教壇に立って語る先生の息づかい。並ぶ生徒たちの机。写真のようにまぶたに残っています。先生はその日どのように自宅へ帰られたのでしょうか。全く知りません。Y先生はその後私たちが4年か5年生の頃、だから戦後10年くらいでしょうか、肝臓を悪くされ長く入院されたことがありました。きっとこれも原爆と関係があるに違いないと今は思います。  私の小学校は己斐小学校ですが、己斐はたくさんの被災者が流れ込んできて、小学校の校庭ではたくさん人を焼いたと言います。春秋に運動会があったのですが、グランド整理で土をならすと骨が出るというのをよく聞きました。私は直接拾ったことはないのですが恐くてたまりませんでした。それに春は校庭の桜が葉桜になる頃の運動会でしたから、毛虫がぞろぞろはい回ります。私は大の虫嫌い。二重に恐くて――。今と違って素足でかけっこですものね。
<ABCCの記憶>  私が唯一当事者として語れるのはABCC(現・放射線影響研究所)のことかもしれません。小学校低学年の時だったと思います。母と、あるいは近所の友と、そして級友と何回かABCCが近所まで迎えに来て出かけました。学校まで迎えに来たこともあります。黒塗りの大きなハイヤーが来るのですが、私はすぐ酔うので苦手です。行くと、全てがすんだあとクッキーやサンドイッチ、紅茶などをご馳走してくれるのです。異文化への興味や憧れのようなものがありました。けれども何しろアンパンやジャムパン育ちで偏食も多かった私は、なれないものを何とか口にし、帰りの車でまた気分が悪くなるのでした。  さて、ABCCの記憶で長く私が語れなかったことが一つ。検査に行くとズロース(パンツ)の上に白いスモックのようなものを1枚かぶるのですが、それを着てある部屋に一人連れて行かれます。大きな机、私には3m×4mぐらいにも思われましたが、その端に足をぶらんと下ろして、入口のドアに向かって不安そうに座っている自画像が脳裏に残って消えません。そして、立つように促されたのでしょうか。服を脱いでズロース1枚でテーブルに立ったと思うまもなく、大きな180cm位の白人男性がこれまた大きなカメラを抱えて10人近くどたどたと入って、テーブルの回りから、四方八方カメラのフラッシュをたきました。驚きと恥ずかしさと何があったかわからないのとで呆然としていたのでした。一番大きかったのはたぶん恥。何かいけないことのように思ったのでしょう。この話は帰りの母にも友にも誰にも話しませんでした。話せば自分一人の体験ではなかったことがわかったかもしれません。後に語れるようになり、友人夫妻にこの体験を話した時「つらい話をさせてしまった」と言われ、ああそうだったのかと納得したものです。映画のワンシーンのようなこの記憶は今後も決して消えることはないと思います。
<病気に思うこと>  私が生まれたのは、母の母・未亡人だった祖母のいた広島県北部の旧・山縣郡千代田町壬生です。大雪で2階の窓から出入りするような日だったということです。戦後の広島を避けてお産をしたのでしょう。私は乳を飲んでもすぐ吐き、胃の入口の調子が悪くて薬を飲んで治したといいますが、詳しいことはわかりません。その後10カ月位の時には百日咳の激しいのにかかり骨と皮になりました。母は父の実家の香川県高松市鬼無町にひきあげました。そこで祖父から「こんな子を連れて帰って」と非難されたことを相当うらめしく思ったようで、時々同じ話をしてくれました。父の家の事情もあり、結局両親と私たちはまた己斐に戻りました。  そこで成長して22才の大学卒業まで暮らすのですが、父も母も被爆者でしたが、特に母の身体が弱かった気がします。家事だけの人でしたが、一日中かかって掃除・洗たく・食事の支度をし、少し動くと休みながらという具合です。おまけに度の過ぎた清潔好きで、洗たくもハンカチを洗って次は上のもの、下着はその次、そのあとパンツ…といったくらいに丁寧でした。今思えば、それもこれも細菌におびえていた事情もあったかもしれません。私は母の身体の弱いのは偏食のせいと思っていましたが、ひょっとすると被爆の影響があったかもしれません。父は61才、母は57才で亡くなりました。二人とも脳内出血ですが、母は一度肺ガンということで、広島市のM病院で放射線治療を受けたこともあります。  私はよく熱を出し、決して強いとは言えず、身体も細く背も前から一・二・三を争うくらいのチビでした。それでも高校時代は皆勤賞をもらいました(授業中寝てばかりの子でしたが)。  それが結婚して1ヵ月ちょっとだったでしょうか。盲腸になり、夫も手術をしたこともあり夫の家族の中では名医と呼ばれていたN外科で手術をしました。なぜか2、3日眼が覚めず熱も出て、私が被爆者手帳で受診したからでしょうか、先生は慎重になられ結局1ヵ月入院しました。  また、二人目の子のお産の時、妊娠5ヵ月くらいから妊娠中毒症になりとうとう7ヵ月ころ入院。そして子供が9ヵ月に入った時母体がもたないということで早く生みました。お産がすめば蛋白尿がよくなるということでしたが、数値は4本プラスが2本プラスになっただけで入院がその後も続きました。家族を心配して泣き、食事もとれなくなり、そんな私を心配した先生が退院させてくれました。1年位かけて漢方薬をせんじて飲みながら治ることができました。この2回のトラブルで、人がスムーズにできることが上手にできないのは被爆と関係があるのかなあと思ったりしました。これが被爆者共通の心理かもしれません。
<家族の中で>  私が被爆者であるということを夫に初めて言ったのがいつかは覚えていません。当時は手帳取得が結婚にさわるという風評もあり、姉などは「いらない」とすぐにはとらなかったような気がします。私はそんな思いもなく所持していたのですが、夫が戦争の責任とか社会のものの見方などで、私よりはるかに反戦の意識が強かったので何も心配ありませんでした。広島・長崎の式典中継でも私より深く正座してみるような人で、これは幸いでした。  家庭の中で被爆体験を話せたこと。それを淡々と聞いてくれる家族がいたことはうれしいことです。  初孫が5才のころでしょうか。我が家には「原爆の図」「ひろしまのピカ」「ピカドン」(いずれも丸木位里・俊作)や原爆ドームの本など夫が集めた本がたくさんあります。それらを持って帰るほど興味��もち、「原爆ドームに行きたい」と親にねだるほどの孫娘。ホ��コースト記念館にも何回か行き、私たち夫婦にもアンネの部屋を丁寧に教えてくれ、「ああこの子は平和の担い手に」と期待をこめて見守っていました。なにしろ8月15日生まれですから。そしてその孫に、佐々木禎子さんについてまとめたダイジェスト版の本を夫は作りました。それを読んだ孫は「禎子さんちは散髪屋さんだったんだね」と。夫はその一言に苦笑していました。2、3年もすると興味を失った孫娘が、いつの日かまた興味と関心を持ってくれれば幸いです。  孫娘が小学校1年生くらいの夏に遊びに来て、寝物語に被爆体験の話をしたところ「おばあちゃん(生きてて)よかったね」と言われ、私ははっとしたのを覚えています。「生きてて申しわけない」という被爆者のことばがよく言われます。私に明確にあるのではありませんが、いくらか私にも長生きへの申しわけなさみたいなものがあります。でも「よかったね」というのはありがたくかみしめたいと今では思っています。
<最後に>  たまたま2020年3月15日付の中国新聞に、「被爆オリンピアン肉声現存・広島市出身36年出場故高田静雄氏」という見出しを見ました。その人は小学校時代の級友の父親です。また、米兵たちの被爆をほりおこし追悼してオバマ大統領にハグされた森重昭さんも級友のお兄さんです。佐々木禎子さんが白血病で亡くなられたころ入院した級友もいます。でも、私たちは戦後60年、還暦を迎えた同窓会でほんの少し被爆のことを話したことがあるくらいで、級友でも詳しいことはほとんど知りません。日々衰えていく記憶と、語りあう機会も減っていく中で、今回書き残してみたのはよかったように思います。記憶とは不思議なもので、自分流にゆがめているかもしれません。この主観的な記録がどのように伝えられていくのか少し楽しみです。長生きすれば「最後の被爆者」となる可能性もある人間の記録ですから。そのためにも両親からもっともっと話を聞いておきたかったです。
<さらに>  この原稿のパソコン入力を娘がひきうけてくれました。彼女は幼い頃、原爆資料館のろう人形母子を見ておびえましたが、私と平和行進に参加したことや、大会で「青い空は青いままで子どもらに伝えたい。燃える八月の朝…」と歌ったことは覚えています。8月6日の式典で峠三吉の詩を子供代表が語ったのに感動して、東京から電話をかけてきたこともあります。彼女には彼女のヒロシマとの歴史が作られているのですね。いろいろな形でヒロシマが伝承され続け、子や孫・その先まで、この愚かなことがくり返されぬように祈ります。私の胸を今でもゆさぶる歌「原爆許すまじ」を心に銘じて。
(2020年4月記/上村洋子)
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catcatcat66 · 1 year
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勝負の店〜うどんそば 助六〜
ふらふら歩いているうちに、山王市場商店街という古いアーケードに入った。
そこで出会ったのが、この最高にシブイうどん屋だ。店は閉まっていたが、あまりにいい店構えで、写真を撮っていたら、通りかかった地元の男性が足を止め、
「(店の)おっちゃん、もう帰ったやろ。昼だけの店や」と教えてくれた。大阪の下町では、こんな時すぐ話しかけられる。
「おいしいんですか」と思わず聞くと、
「うまいで。朝からやって、昼過ぎには閉めよる」とのことだ。これは明日もう行くしかない。
ドキドキしながら角を曲がると、白い大きな暖簾が出ている!心の中で万歳した。
さっそく中に入る。狭い店内には先客がふたり。彼らの奥のテーブルに着いた。テーブルの天板、年季入りすぎ。俺的に国宝級。黒々としたセメントの床、最高。
どこもかしこも昭和だ。店主が「いらっしゃい」とほうじ茶を出してくれた。
頑固でせっかちな大阪のおっちゃんを想像していたが、思いのほかおだやかで、どこか知的な雰囲気漂う、白髪の店主だった。
「うどん or そば」350円とある。「きつね or たぬき」550円、「昆布うどん」450円、「肉うどん」650円。「かやくうどん」「かやくとじうどん」が関西だなぁ。
丼ものもある。「きつね丼」「木の葉丼」が珍しい。大阪だ。「国産米」と書いてある。ここの「カレーライス」も食べてみたいなぁ。でもここは、まずうどんだ。
かなり迷ったが、初めてということで「きざみうどん」450円を選択、注文。
やがて、僕の前に一杯のうどんが置かれた。ダシの匂いを濃くまとった湯気が、顔まで立ち上り、喉が鳴った。見るからにうまい。
細切りの油揚げがうどんの上に広がり、その隙間に刻んだ青ネギが散らされている。僕はそれらをかき分けるようにして、まずうどんを引きずり出しすすった。やわらかいうどんに、汁が絡みついてきて、熱い、うまい、サイコー。店の佇まいそのものの味だ。飲み込んでから、思わず小さく唸る。
今度は刻んだ揚げとネギもろとも、うどんを手繰りこむ。うまい。うまい。腹にしみ入るようだ。この懐かしさはなんだ。汁をすする。メガネが曇る。メガネを外す。「あー」と声が出た。落ち着くためにコップの水を飲む。
後は夢中だ。学生のように、箸を休めることなく、丼に向かった。いつまでも熱いのはお揚げの油のせいだ。たちまち汁まで全部飲んだ。
丼をからにして、水をゴクゴク飲み、ハーと息をついた。大満足。大感動。
古い邦画の名作を一本観終わったかのような心地だ。
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zauri8836long · 2 years
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Pupil
「ふ、くくっ……ははっ」 「さっきから何なん」  背を丸めながら声をあげて笑うバルバトスをかれこれ数分は見ている気がする。  数分はさすがに言い過ぎだがこの金髪の美男子は先ほどから笑い止んだと思えばまた吹き出すという行動を続けているのだ。 「ふふっいや、悪い。なんか、ツボに入って…くっ、ふふ」  楽しそうなのはいいことだ。  買い出しに出るソロモンにかち合い、手伝いを申し出て承諾されたところまではよかった。  助かるよカスピエルの一言で舞い上がる自分のチョロさは我ながら不安になることもあるが相手がソロモンなのだから仕方がない。  けれど出かける準備に時間をとったのが悪かった。どこかに出ていたらしいブネがアジトに帰還し、話があると言ってソロモンを連れて行ってしまったのだ。  買い出しだけなら頼まれようか?と提案したのは自分だが、まさかそれがバルバトスと一緒になるとは思いもしなかった。  一人じゃ使いもできないと思われた、というよりは単純に一人で運ぶには多い量の買い物が予定されていたからだというのはメモを見て理解した。  ソロモンがもともと誰かに声をかけるつもりだったのならそこに居合わせた自分の運が良かったのは確かだが、結局、王都から少し離れたポータルを出た瞬間から、ずっとバルバトスの笑い声を聞いている気がする。  今日の王都は快晴で、時間もまだ昼を過ぎたばかりだが行くべき店も一つではないしさっさと門を潜りたい。この笑い声はいつ止むのだろうか。 「俺の顔見て笑っとるわけやないよな?」  そういえば、この色男が笑い出したきっかけはポータルを出てすぐに自分と正面から目があった時だった気がする。確か買出しがソロモンとじゃなくて悪いねと謝られたのだ。そして謝ったその口でそのまま笑い出した。  自分が女なら唄いを仕事とする男の美しい声は耳に心地よいものだったのかもしれないが生憎と自分に同性の声を聴いて楽しむ趣味はない。 「ははっ…気付かれたか。ふふ、いやね君の瞳の色が」  適当に思いついただけの言葉を肯定されるとは思ってもいなかった。  確かに自分の目は左右で多少色が違う。橙と黄色の目。どちらも蛇のようで不気味だと言われたのはいつのことだっただろうか。  色違いの目は物珍しいものかもしれないが何も笑うことはないだろう。 「アジトには俺以外にもおるやん、そう珍しくないやろ」  そういえば少し前にアムドゥスキアスがこの目を自分とお揃いだと喜んでくれていたのを思い出す。  気がついたのは確かゼパルで、アジトでの朝食の席だった。宵っ張りの自分と普段は自宅に帰っているゼパルが朝食に揃った珍しい日で、いつもの席が決まっていない者が集まったテーブルでの出来事だ。  そのあとはどうやらお泊まり会をしていたらしい子供たちに囲まれて。そういえばあの日のソロモンたちはどこかの町に出ていて不在だった。この吟遊詩人もソロモンと一緒だったはずだ。  自分の目はアムドゥスキアスの赤と青緑色の美しいオッドアイと比べるようないいものではないが、その時の彼女たちはこの目を言葉を尽くして褒めてくれたので悪い気はしなかった。  自分もアムドゥスキアスに褒める言葉を返したが読書家の彼女の興奮気味の言葉には追いつかず舌を巻いたのだった。  アジトの連中とのやりとりは、女を口説くようにうまくはいかない。  バルバトスが一つ大きな息をついてようやく笑う声も止まったようだ。  結局俺の目の色がどうしたのだろう。 「ここのところ君の瞳のその不思議な色をどう喩えたものかと考えてたんだ」 「ハァ?」  この男はいきなり何を言い出すのか。  こちらを覗き込むように少しだけ傾げられた首と淡い笑みは、見慣れた女たちのものほど近くはないが、身長の分だけ慣れたものより高い位置にあって調子が狂う。 「ふふ、聞きたいかい?」  やっと背を伸ばして歩き出したバルバトスが流れるように口にする高価な宝石の名やら蜜の色、湖に写った夕日などの喩えが自分に向けられたものとは思えず、あぁでも黄金の酒というのは少しだけいい響きだ。 「と、まぁ色々言葉を選んでみていたわけだけど左右の色が違うだけだったとはね。気づいてしまったらおかしくてしょうがなくて」  昼の日差しの中だとよくわかるという言葉に感じたどういう意味だという気持ちはそのまま声に出た。 「うん?あぁそうか。君をみてたのはいつもバーの照明の下だったから」  昼間ほど明るくないし光源も揺れるだろう?褐色かと思ったら明るい黄色にも見えるし、変化の幅の広い不思議な色だなと思ってね。まぁ近くで見てればすぐに気づいたのかもしれないけど。  男はそう言いながらこちらへ顔を向けて今度はにっこりと微笑むのだ。 「……そうやって女口説くんやな」  勉強になるわという言葉は本心だ。自分の魅力を確信している人間は行動の一つひとつに自信が滲む。あるいはそれを感じる自分が卑屈なのだろうか。  自分を魅力的に見せるための技術とは違うそれは、本人の気質によるものだ。 「またまた、今更勉強することなんてないくせに」 「いや、気のある女にもそんなに褒められたことないで、吟遊詩人怖いわぁ」 「ま、本職だからね」  ふふん、とでも聞こえて来そうな顔はやはり自信に溢れたもので。この男に女性を口説いて楽しむ趣味があるのは女性たちからの文句の形で聞いたことがあるが、それはきっと自分が必死に覚えたものとは成り立ちからして違うものだろう。 「しかし、一緒に飲んだことあんまないやろ。そんなに俺のこと見とったん?」  視線を進行方向へ戻しながら思いつくままにそう返せば隣から明確に吹き出す声がした。 「笑うとことちゃうやろ」  もう一度、横を歩く曲がった背中を見る。 「い、まのは君が悪いでしょ。ははっ、それ本気で言ってる?」 「何やの」  口説くような真似を始めたのはこの男が先だし、さっきから何だと言うのだろう。  だって、と呟く男の顔はどう見ても笑いを噛み殺していて。 「一挙一動を観察ーー監視される覚え、あるだろ?」  ようやく発せられた言葉は楽しいものではなかった。  ソロモンの下についてから暫くの間��疑惑の目で見られていたことを知らなかったわけではない。知らなかったわけではないし当然のことであると思ってもいたが、急に気温が下が���たかのように感じる身体はそんな自分の立場をすっかり忘れていたことを教えてくる。  悪党として生きてきた者が自分以外にもいるこの軍団は、王と呼ばれる少年の人の良さを差し引いても居心地のいいものだった。  それでも自分は、少年の命を脅かしたことのある自分はただの悪党である彼らと同じと言うわけにもいかないのだ。 「……せやな、今のは俺が悪かったわ」  さすがに足を止めるほどの話題ではない。相手にもそんなつもりはないだろう。  むしろ、やや早足になりながら王都への道を行く。 「まぁ、最近は俺もそんなこと考えて眺めてたわけじゃないけどね」  それこそ、このやり取りで信頼して問題ないことは確認できたようなものだなどと気楽に言ってくれる。  バルバトスがもう一度こちらを向くのを視界の隅に捉えるがその顔を正面から見るような気分ではなかった。 「…俺がとぼけとるだけかもしれんやろ」  隣から今日だけで幾度と聞いた笑い声。 「ソロモンが困るようなことはしないだろ?そんな心配はとっくにしてないよ。」  言葉は、でも君も知る通りうちの軍団にはソロモンを筆頭に人を信じやすい奴が多いからそういう警戒心は持っていてくれた方が助かると続いた。  心配していないとはいい気なものだ。ソロモンを裏切るつもりなどかけらもないが人の考えなど容易く変わるものだというのに。 「ガープが、君のこと褒めていたのは知ってるかい?」  使いは半分終わり、残すは大きな買い物だけだ。 「知らんな」  唐突に提供された話題は、仲間のことではあるが、こんな街中で話すのだから大した話ではないのだろう。 「へえ、仲間の交友関係には詳しそうなのに」 「それとこれとは話が別やろ…」  しかしあの男が誰かを褒めるなどよっぽどのことではないのか。  自分がアジトで仲間たちとよく話しているのはその方が都合がいいからで、ソロモンに出会う前からの習性のようなものだ。  自分が所属する集団の交友関係や軋轢などを把握しておくことは何かと便利がよくて。  最近は話しやすい連中も増えたし子ども達に話しかけられることも増えそこそこ楽しくやっているが根にあるのが他人を利用してやろうという精神なことに変わりはない。 「ま、彼の言葉はわかりにくいからねぇ。でも、君が仲間を嫌いじゃないなら、もっとみんなが君をどう思っているかに目を向けてみるのもいいかもしれないよ」  この色男は何の話をしようとしているのだ。 「それとも、ソロモン以外からの信頼には興味がないかい?」 「考えたこともなかったわ…」  ソロモンが自分を信頼してくれているのは知っている。多分それは彼が言葉にすることを惜しまないからだ。  言葉が全てというわけではないし、どちらかというと自分こそが言葉を都合よく使うことに抵抗のない質ではあるが彼の言葉は信じられる。  それは多分、行動と言葉で示される態度が同じものだからで。人を騙す時の常套手段と言ってしまえばそれまでだがソロモンはそういう奴ではないのだ。  それでは言葉にしない連中は?  この男や、もしかすると他のアジトの面々も自分のことを信頼しているのだろうか。自分が信用に足る人物だと誰かに思われているかどうかなんてあまり考えたことがない。惨めな気持ちになるだけだからだ。  自分がソロモンの役に立ちたいと思っているのは事実だしこのアジトに来てから自分の生活は確かに変わった。でも自分の行動の多くはソロモンに好かれたい一心で自分のためにやっていることだし、それ以外の誰かに好かれようなどと思ったことはない。 「ま、とりあえず今日は頼りにしてるよ。俺たち二人だ、うまくやって少しても費用を抑えられたら嬉しいね」 「いくら顔がいいからって無理に値切ったらあかんよ。今後も使う店なんやから」 「それもそうかな。お任せしよう」  アジトの連中が自分のことをどう思っているのか。  ソロモンと共に戦うということは二人で戦うという意味ではない。そこには当然、他の仲間もいるのだ。  同じ戦場に立つことの多い仲間に対するこいつがいれば大丈夫だという感覚はなんと名付けるのが正しいのだろう。 「あぁ、そういえば。」  荷物を抱えた帰り道、バルバトスが何かを思い出すように呟いた。 「ランプの下で見る君の瞳の色、ちょっとソロモンと似てるよね」 「はぁ!?」  思いもよらない言葉に大きな声が出る。両手に抱える荷物を取り落とさなかったのが奇跡だ。 「茶褐色、左目の方かな。似た色に見える時がある」  行きがけに久々に感じた身体が凍るような気持ちも、陽光のおかげか買い物の間にすっかりなりを潜めていた。思い出させたのはこの男だが、別にもう忘れてもいいと言われているような気がしていたところにこれだ。 「……とりあえず、あんたに嫌われてないのはよーぉわかったわ」 「それは何よりだ」  そう言ってにこりと笑う。  いや、全くこの男から学ぶべきことは多そうだ。
6章前カスピエルとバルバトスがおつかい途中でおしゃべりする話。 初出:2020年2月2日 管理D:12312003
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usickyou · 2 years
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目次
Usick(カニ)の小説を保管しています
作品はジャンル→CP、キャラクター→時系列の順におおむね並んでいます
タイトルをクリックすると作品ページへ移動します
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一次創作
ニーナの旅立ち:百合文芸4、おねロリ、ペドフィリア
イクサ:百合文芸4、人石、コーギー
ニーナの復活:百合文芸3、おねロリ、懐胎
世界に木はもうない:百合文芸、義手、サッカー
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二次創作
〇アイドルマスターシャイニーカラーズ
・まどこい
円香ちゃんの瓶詰め:背中の穴、瓶詰め
小糸ちゃんと、町の小さな映画館:まどこい、TS
グッドガール! 小糸ちゃん!:まどこい、イヌ、とおまど
・にちみこルカ
subdominant:誕生日、手紙とクマのオルゴール、川
火を消して帰って:テニス、写真、灰
喜びの国:にちみこルカ、家
・other
さよならいろいろ:とおまど、ふっ飛ぶ歯、私たちのプロデューサー
通り雨だったね:市川雛菜、誕生日
ノクチルと、絶対に割れるガラスキュー:ノクチル、ガラスの球体
ノクチルと人形たちの森:ノクチル、ホラー
数えて:杜野凛世、怪奇幻想
目、口:まみきり、怪奇幻想
〇アイドルマスターシンデレラガールズ
・しきフレ
こんな夜:愛、受容
おお、マリア!:ねこ、ミア
きみとはニースで夏のあいだ暮らした:しきフレ合同誌「Coffret」寄稿、ニース、記憶
ラブランド:『一時間前までセッしてた合同「気持ちいいよね一時後!」』寄稿、幻想、ようこそ愛の国
バースデイ:背中の羽根、生きる
La La La:シンデレラガールズ×ララランド小説本「Stars Who Dream」寄稿、夢と愛
(till) vanilla twilight:ありがとうセレンディピティパレード
新世界より:鍵、隕石、メリークリスマス
Baby so long:「ベイビー」④、長いお別れ
ベイビー・コーリング・ユー:「ベイビー」③、兆し
ベイビー・マイ・スウィート:「ベイビー」②、過去
ベイビー・アイ・ラブ・ユー:「ベイビー」①、あたし宮本フレデリカ
What a wonderful worldend:ポストアポカリプス、旅
私の神様:殺害した
残光:一瞬の感覚
・奏周子
「寛容」:ビデオカメラ、記憶
あじさい②:快復、怖くなかった
ベイビー・イン・カー:のせ塩、あかちゃんが乗っています
ダンサー:出会い、ロストイントランスレーション
ラブラ:サメのぬいぐるみ、青い空
しずかに愛して(Love me softly):日々
もうくさくなっています:シャベル、埋める、氷
あじさい:日々、スイカ
恋愛映画:奏周子合同誌「群青ストライド」寄稿、青春
死体袋の記憶:デレマスマフィアパロ、ロシむす、「Galway Girl」
Sugar:おタバコ、電話、月
行ける:消失、幻想、愛になる
海と恋人:「ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア」
Arterial:吸血、夏、夕日
bullseye:ダーツ、魔性
・かなふみしゅーこ
鼻血:鼻血を拭う、見る
千年あとまで:鎌倉、メリークリスマス、永く続いた
ラブリー・ラブリー・フィーリング:絵を描く、絵を贈る
しおりづくり:「海の見える家」サブエピソード
海の見える家:鎌倉、家族、消滅、ポリアモリー
・なおかれ
窓をあけて:北条加蓮さんお誕生日、感染症
さよなら恋人:別れ、劇中劇、ずっと仲良し
四月になれば彼女は:渋谷、キットカット
私から生まれて:妊娠出産、おめでとう
恋のほのお:燃える、燃え上がる
融雪:列車、雪景色
・かえみゆ
抜け道:秘密の道、差し出す
ニーナ:三船美優さんとニーナちゃん
雪に花、愛には指環:ご実家、祝福、「The Rose」
結婚しよう:指輪、そこへ行きましょうね
星はどこへ落ちた?:深夜、お散歩
・うづりん
南ゆき: うづりん小説合同誌「カラフルドロップス」寄稿、南へ
散文詩:散文詩、光景
見て、雪が降ってるよ:回想、手をつなごう
グッドモーニング、あるいは一部の不幸も立ち入ること��ない幸福:朝、幸福
・奏加蓮(モノクロームリリィ)
セカンダリ・ラバーズ:新生活、サーフィン、色のない都市
十七歳:女子寮、ごまかし、喪失
水の中の幸せの国:生理食塩水、溺水
わたしを葬くる:埋める、ウェディングドレス、誰も知らない
・かなふみ
いない:奏さんがいない
イルクーツクにて:喪失、逃避
よんで:読書会、私たちもそうだったの
・新田ーニャ
不治の星:2020と2016、私のかわいい
あなたは私の白い兎:デレマスマフィアパロ、雪、逃避行
スカイフォール:大人、盲目
・白菊ほたる
黒髪の奇蹟:カーゴカルト、ホタル
不幸な者へ:老婆、BLS、行け
白い:プロデュンヌさん、シンデレラガール
いつかのきみに:ご両親、お手紙
かがやき:全身不随のPさん、ステージ、連れていく
宝石: 右ひ骨遠位端及び脛骨遠位端の開放骨折、不幸
君は、幸福:賭け、オーディション、カスミソウのティアラ
君のための花:前プロデューサー、最後のステージ、スズラン
・北条加蓮
ジャンクフードをめぐる冒険:加蓮ちとせ志希、冒険、P字頭の狂人
顔のない女:怖い夢、過去
加蓮ママ:カンクンビーチ、ベイビー、マヤ民族文化
おもいでを聞かせてください:体育用具室、破る
ママ:しきかれ、看病
Dive(あるいはこの世界のヒロイン):ベッド、さまざまな北条加蓮
・other
りんみお浮気紀行!:りんみお、百合浮気、コヨーテ
Gon宮本フレデリカ:宮本フレデリカさんお誕生日、「ソ」の音
まるい角:りょううめ、角の夢
ゴオォォーーーン:ちと千夜、魔女、炎
いつでもおいで:のせ塩、飲酒、いつでも
あいびき:加蓮と楓、なおかれかえみゆ前提、フード理論
たくさんかわいがってね:しゅうさえ、金魚、心は
無題h:加蓮、ほたる、人殺しの邂逅
南極観測隊:焼きそばハロウィン、閉塞、ファンになる
『シネマ・パラダイス』:りょううめ、デレマスマフィアパロ、ロシむす
初恋:志乃礼子、怒り、ダンス、出会う
ペーパー・ムーン:志乃礼子、雨、最後のひと 
場面:デレマスマフィアパロ、ロシむす、カエデタカガキ
アテナイの幽霊:しきふみ、図書館、謎を追う
a Housework:家事、しきフレ、かえみゆ
羊たちの沈黙パロ:奏、文香、ありす、志希、フレデリカ
Sugar.Bride.Strawberry.:ときのりこ、ご結婚、嘔吐
Paradise(for life):周子、美嘉、ゾンビパロ
窓辺の花:タケバネ、名前
さよなら、かぶとむし:城ケ崎莉嘉、城ヶ崎美嘉、世界は変わる
〇ゾンビランドサガ
腕が旅をした話:純愛コンビ、消えた腕、引力
少女(リリィ):ゆうぎリリィ、ホラー、花火
少女(ゆうぎり):ゆうぎリリィ、かつての習慣
〇アイドルマスター
Inferno:ちはゆき、人魚姫
赤い糸:ゆきまこ、五年後の世界
Star,visual binary star:亜美真美、大人になっても
Kluuvikatu Helsinki Finland:あずりつ、フィンランド、雪だるま
運命の人:ひびたか、太陽と月、撫子
〇魔法少女まどか☆マギカ
Life, after life:ほむマミ、魔獣、離れない
白紙:雪原、ループ
〇らき☆すた
光の速さで1.2秒:かがみ、みゆき、月へ移住
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