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#学生心理カウンセリング
tanakaeri · 9 months
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共に理解し合える人
「受け入れる」とは自分の意見をおしころすことではありません。 誰かの言葉に、考えを伝えず、後になって「あの時、ああいえばよかった」など考えてしまうこともあります。 八方美人になりたいわけではないですよね。 ため込みすぎることで起きる自分に対しての否定やまだ頑張らなくては、と思う方向へ進まないようにしてください。 同じ考えや同じ人はいないのですから、あくまでも似たような考えを持つ人が一部いるということです。 職場の人間関係、夫婦の関係、親子の関係、パートナーとの関係、お付き合いの関係でも似ています。 ネガティブになりやすい方の大半は、他者への配慮に優れ、人は話せば伝わると考えや信念を持っていると考えている方が多いようです。 話し合っても、理解できないことがあることを知る。 誰が悪いわけではないでのです。 共に理解し合えるパートナーや友人を大切にしていきたいですね。 週末…
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asukatrustcoaching · 4 months
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夫婦関係修復、改善で最初にやること!
夫婦関係、パートナーシップの再構築、修復、改善で⁡1番初めにやること! 1. あなたが目指したい夫婦像・パートナーシップを言語化する2. 出した答えに「どうして、そう思うのか?」を自分に問う3. 出した答えに「それは、どうして?」ともう一度、自分に問う4. 出した答えに、もう一度、「なぜ、そう思うのか?」自分に問う とことん、自分の答え・想いを言語化する! 自分の答え、想いをとことん言語化すると、 夫婦円満のために、夫婦喧嘩をしないために、夫婦間のストレスをなくすため、だけじゃない、本当にあなたが願う2人の姿、パートナーシップが見えてくるよ。 目指すところが曖昧だと⁡⁡いくら頑張って走っても⁡迷子になっちゃう。⁡⁡これは、山登りと一緒。目指す先、ゴールはしっかり決めておく。 明確であればあるほど、より確実に、より早く、自分自身も相手もより良い状態で、目指す姿、夫婦像、目標に向かって進…
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takeuchiyoshihiro · 1 year
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定期的&不定期に、ミーティングや勉強会を開催し、心理カウンセリングの品質向上に努めています。 #一生学び #心理カウンセリング #メンタルヘルス #くれたけ心理相談室 (呉竹おしごとサポート) https://www.instagram.com/p/Cp9wAn9jjJl/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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radshoedeanherring · 1 year
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2023.1.26 ✨ セルフセラピーカード(ビジョン心理学) 今日のカード❤️47.ハイアーマインド (ハイアーセルフ、高次の自分) 今日は わくわくした気持ちや自分や 他の人につながって流れにまかせましょう✨ 「自分一人でしない」がポイントです◡̈♥︎ ☪︎*。꙳☪︎*。꙳☪︎*。꙳☪︎*。꙳☪︎*。꙳☪︎*。꙳ ❤️ビジョン心理学 ハイアーマインドの 反対にあるエゴは、「12.自立」です✨ 12 INDEPENDENCE 自立 意味:感じること、受け取ること、コミットメント(自分を与え続けるという決意や覚悟)を怖れる。 ハートブレイクや嫉妬が癒されていない事に対する反応です✨ 一人になったり、 全部自分だけでするのが 12.自立 です ────────── 47.ハイアーマインド 意識の創造的な部分であり、いつでも具体的な状況への癒しや答えを与えてくれます。 この恩恵を使うと、自分一人の力で全てをしなくても全ての事を楽、且つ効果的に展開させていくので出来事をコントロールしたり、計画したりする事をやらなくなっていきます。 『ハイアーマインド』は宇宙の恩恵によって働きます。 恩恵によって、すべてのことが楽に、効率的に展開するのです。 エゴにはすべてを困難にしようとする特徴があります。 エゴは自分に注目をひき、自分の良さを証明しようとします。 つまり  「こんなに苦しくて大変だけれど、 それでも頑張ってよく働いているから 自分は良い人間だ。」(←🤣やりがち!) と証明しようとするのです。  天の恩恵の方は注目をひくことなど考えてはいません。ただ成果を作り出すだけです。 恩恵によって、あなたを通してすべてがなされるままに任せるようになるのです。 そのほうが自分で計画するよりも、 はるかにうまく行くでしょう。 今日も素敵な一日を❤️💛🧡💚💗💙💜 #セルフセラピーカード #ビジョン心理学 #チャックスペザーノ博士  #WehelptheworldHeal 🌎(#地球を癒す)#自然 #五感 #地球からのおくりもの #宇宙からのおくりもの  #出逢えてよかった #生まれてよかった #わたしは命 #これからもこの地球が美しくあり続けますように🌷🌏✨ #津村美乃里 #セラピスト #カウンセリング #コンサル #ライフワーク #ヒーラー #植物系ミネラル #エッセンシャルオイル #潜在意識 #ビジョン心理学 #ヒーリング #チームワーク #ありがとうございます https://www.instagram.com/p/Cn3F3WQytfg/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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azusahigablog · 4 months
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Mommy’s life part 2
めちゃくちゃ久々のブログ更新。
てか、一年ぶり。
年に一回更新w
バタバタしすぎて、
ブログの存在すら忘れてたっていう。
あっという間にクリスマスと年末だー。
今年は3月に無事ロンドンの大学院(心理学専攻)を卒業して、(やっとー!!!!!!!!)
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そして、9月からアート心理士になる為の、訓練コースに通い始めました。
イギリスで心理士/サイコロジストになるのって非常に長く険しい道のりで、(国家資格と同等の位置付け。←知らなかった、てか知ってたら挑戦しなかったであろう。)
心理学の学位をとった後、卒後後最低3年、臨床訓練と心理学的研究が含まれた修士または博士号の訓練コースに入る。(←いまここ、一年目ね。)
これがまた精神的に非常にきつい。
大学院で学位を取るのは、課題の山をこなすのがガチで大変だったけど、訓練コースは、もっと実技的で、訓練生である私達も毎週カウンセリングに通い、自分の過去やトラウマと向かい合い、過去を受け入れ自分の中で浄化していかなければいけない。
これがまた精神的に非常にきつい。(しつこいw)
毎回、涙あり、吐き気あり、感情の整理が大変。
でも、確かに、自分の過去やトラウマとしっかり向き合って、自分の中で浄化することができなければ、自分以外の人の心の痛みや辛い経験を癒していく事は不可能だもんね。
それにしても、メンタル的にキツくて、円形脱毛症になってる今日この頃w 助けて。
↓髪が多いから見た目わからないのが唯一の救い。どうしたら早く治る?!
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でもほんと日々痛みと共に学んで成長してる感満載。
また次回から、学んだ事に関して少しずつシェアしていけたらいーなと思ってるよ。
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おかげさまで、息子も日々成長。
2歳になりましたー!イヤイヤ気真っ只中。
でも、バナナかミニカーあげたら治るから
全然可愛いもんです。(猿かw)
訓練と子育ての両立はまじ大変だけど、子供がいても、独身の頃以上に、自分のやりたい事や学びた事を学ぶことができる環境には感謝しないといけないなと、思ってる今日この頃。
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保育園も週3回だけ通い始めたよー!全く物怖じも人見知りもしないから、初日から我が物顔で馴染んでたw
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manganjiiji · 5 months
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よゆうよけいよわい
何もしない日々が続いている。何もしないではなくて、眠っている。眠って体を回復させようとしているのだと思う。昨日も今日も、朝から夜まで寝ていた。今日は午前中風呂に入って頭も体も洗った。ジムの予定を入れていたが、この疲れ具合では行けないなと判断しキャンセル。応募した契約社員の書店求人からは連絡がない。ぐーすか。夜はまたロッテリアをウーバーイーツした。2日連続。コンビニまで歩いていくことさえできない。ただの疲労だが2日間も動けなくなるなんてまったく面白くない。明日は病院2件。脳神経外科とカウンセリングを梯子。藤井風の新曲が出ているのでは、ということにしゃぶしゃぶ屋でかかっていた有線で気づき、iTunesに「花」を入れる。歌で思い出したが、あんスタのマヨイさんの曲で「要らないなら捨てればいい、必要なら得るしかないさ」みたいな歌詞があり、これは聞くたびにその通りだな、と思い感動してしまう。オタクにはイメソンという文化があるのだが、私は歌詞(言語)がなんらかのキャラクターやカップリングのイメージに繋がることはない。音楽、つまり音の総体と時間の推移から得られるひとかたまり(メロディやフレーズと言いたいのだが、それよりももっと音全体、全て)で言語の意味を排したものしか、イメソンとして捉えられない。言語はわたしが考えるので、誰かの言語をもう一度自分の物語には使えない。ということで、歌の歌詞はキャラクターやカップリングに当てることなく、純粋に自分の人生に照射させる。さまざまな歌にいままで自分の生きるこの瞬間を応援されてきた。この瞬間もだし、未来もそうかも。まあ、未来を思うこの瞬間の自分ということだけど。そういう時の歌詞は結構シンプルなものが多い。だから結局はこれも、言語というより音楽自体に励まされているのだろうと思う。なにか歌詞ばかり重視される「イメソン文化」みたいなものが、私と音楽との相対の姿勢とそもそも馴染まないなあとよく思っている。ミュージカル刀剣乱舞のadditional timesみたいなタイトルの曲にも昔一時期すごく励まされた。今聴き返してみた、今でも好きだ、かなり…。死ぬほどうつで毎日どうすればいいかわからなくて無職で一人暮らしをしていて、という時期にこの歌を聴きながらとにかく歩いていた。あの頃どうやって生きていたのか、全く思い出せない。今立ち上がれば未来は逃げない。今立ち上がれば心は負けない、まだ全てが終わったわけじゃない。BL編集部に正社員で採用されたものの、やばい会社すぎて1週間で辞めた。働く気力も引っ越す気力もなく、そのまま会社の近くのアパートで貯金を使って生きていた。もう何歳の時の事だったのかもよくわからない。その時も結局実家に帰り、数年の療養ののち、やっと地元でアルバイトできるようになってから、最終的にまた上京した。記憶力が悪いというか、そもそも記憶する能力がやる気を全然出さないため、過去はいつも私と切り離されている。断片的には思い出せるが、自分の記憶というよりは、その時代の私という人間(他人)に付随した映像や声という感じだ。毎日すごい勢いで自分という人間が変わっていくので、1週間もすると、もう別人になってしまう。でも私の周りの人々は私を継時的に外側から見ているからか、私にも一貫性(というか、私の人格がもつ特徴)というものがあると思えるらしい。私も私の性質を一応わかっているつもりだが、おそらく他人の方がよくわかっていると思う。私は私の体が見えなくてついつい意識だけの存在と思いがちになるので、その意識が「これだけ変わってしまったんだから、もう別人だ」とよくジャッジする。しかし実際には私は私の体というものを通してしか他人に認識されない。その体は特に変化せず存在しているので、私の中身が物凄い速さで流転していることは私にしか分からない。私にしか感じられない。私は十分に日毎に違う人間になっているような気がするのだが、他人からはそれは見えないので、人間としてひとつながりに見える。私にはそうは見えない。不思議な段差だ。
大学の編入学の試験が終わり、面接でのアドバイス通り、福祉社会学のある国公立大学に行き、4年間勉強しようと思う。そうするとまだまだ貯金が必要なので、一旦また数年働く必要性がある。そういう結論が出てまあまあ楽な気持ちになった。友人のジェルネイル検定のハンドモデルに関しても(恙無くはなかったが)終わり、やっと動くのをやめていい、となったのが昨日で、一日休みにしておいたのだが、今日になっても全然回復しなかった。自炊できるほどの気力が戻るまでにあと何日かかるだろうか。たくさんの夢を見て、絶対に父母や兄が出てきて、寝ているだけでも精神的にかなり疲れる。「お雑煮」という話題があるが、つまり実家や生まれた場所ではどんな味でどんな具のお雑煮だったのか地域差があっておもしろい、という話題で、その際に母が正月に作ってくれるすまし汁から湯気が上がっている食卓の光景や、それに餅をいくつ入れるとか話してもちを焼いたりしている父や兄や母の朝のことを思い出すだけで、ああ、これは人に話せる範囲の家族の話だけれども、とても人に話す気にはなれない、ということを思い、どっと疲れる。食卓というのはおおよそ全ての事件が起こった場所で、そこは最悪だったが、たしかに幸せを感じたこともあった。さまざまな光景が何重にも被さって映される、そして幸福の象徴としての正月元旦の朝。家族のことはもうできるだけ思い出したくない。幸せもたくさんあって、というより幸せばかりの記憶が残っている。私の心が潰れたことに関しては、もはや私の中にしか残っていないし、どんどん忘れていく。私が生物としてどんどん弱っていき薬なしで生きられなくなったことは、私しかその理由を知らない。それで全く問題ない。復讐心というものも、もうすっかり消えた。どうでもよくなった。そんなことよりこれからの自分の人生をどうするかということに比重がかかっており、良い事だと思う。時間が何もかもを解決する。とくに私は記憶力が弱いため、悪いことも良いことも、どんどん忘れてしまう。だから常に新しい「いいこと」を求めて動き回っている。自分には感知できないところだが、過去の「悪いこと」を早く帳消しにしたいがために、必死なのだろうなと思う。自分が未来に対してあまりに楽天的だなと思う時もあるが、基本的には楽天的な人間ではないと思う。でも楽天的な人間だと喧伝して回っているうちに、たぶんそうなれるので、楽天的と言うことにしている。とくに社交的な性格と��真反対だった人間だが、最近では社交的で人見知りしないことが事実と思われるような時もあるので、言い聞かせたり他人にそのように自己紹介することは自分を変える上でだいぶ有効である。被り続けたペルソナは自分の顔になる。このことは身をもって事実だと感じているが、やはりペルソナの下の部分も消えるわけではないので、そのことに自覚的であるほうが、難を切り抜けやすいと思う。
2023.12.4
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m12gatsu · 2 years
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心目当て
彼女が中井久夫の訃報に心を痛めていた。今日では当たり前とされるような心理療法に先鞭をつけた、精神医療や臨床心理の碩学なのだという。その仕事を辿ってみると、ヴァレリーやカヴァフィスの翻訳でも大きな業績を残している。人文科学と自然科学が重なる地点に決然として立っている巨人の姿。湯川秀樹の文筆や円城塔の小説を読んだ時の感じ。文系理系って区別する必然性ってどこにあんのかね、と思う。俺は国語科、彼女は数学科の教員免許持ってる。良い組み合わせだと思う。温かい家庭を構築していきたい。
うつかもしれない、と彼女にLINEでうそ��いてみると、ご飯食べたり眠ったりできてる? 気分しんどい? とカウンセリングしてくれる。3食もりもり食べてます。中途覚醒はするけどよく眠れてます。気分がかったるいだけです。つまりいつも通り。読みさしの本がテーブルやソファやヘッドボードや鞄の中やトイレにまで散らばっていて、Netflixに「何を観るかお悩みですか?」と訊かれ、不承々々再生しはじめた映画は途中で飽きて、ハイパーハードボイルドグルメリポートばっかり垂れ流してる。明後日、彼女の実家へ挨拶に行く。輪禍で嫡男を亡くした九州男児の一人娘を貰いに行く。
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kennak · 6 months
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ここ数年、「会社の電話に出られない」という退職理由が増え始めている。『ABEMAヒルズ』では「電話恐怖症」の背景と対策を取材した。 「電話恐怖症」━━電話に出る、または出ようとすると、“緊張が走り、体調が悪くなる”など、心身症状をともなう苦痛を感じる状態で、最終的には職場に足が向かなくなることも。株式会社ソフツーの調査によると20代の7割以上が「電話に苦手意識を感じている」という。  企業向けのカウンセリングやメンタルサポートを行う日本メンタルアップ支援機構の大野萌子代表理事によると、この10年で「離職理由=電話に出られない」というケースの増加に悩む人事担当者や「電話への恐怖から仕事を続けられない」という新人からの相談も増えているという。  なぜ電話恐怖症になる人が増えているのか? 大野代表理事は「自宅に固定電話がなくなってきたことで、子どもの頃に電話の取り次ぎや伝言を受けた体験をしていない若者が増えた」と分析した。  また、「コミュニケーションツールの進化」にも関係があるという。 「メッセージツールを主に利用するようになると、文字でのやり取りに慣れてしまい、瞬発力が必要な電話にひるんだり、焦ったりしてしまう。そんな経験から苦手意識を感じる方が多いようだ」  大野代表理事はそうした“慣れていない電話への対応”がもとで、業務中に「集中力が途切れてしまう」といったストレスや、クレームへの対応で精神的な負担がかかってしまう点も「電話恐怖症」を深刻化させる原因だと指摘する。  そんな「電話恐怖症」になりやすい人には完璧主義の傾向があるという。 「メールなどの場合、きちっと読み直したり、自分の考えをまとめてから返事ができるが、電話はその場で対応しなければいけない。その違いにジレンマを感じるのではないか」  これまで育ってきた環境や性格による影響が大きいというが、「電話恐怖症」を克服するために学生のうちから取り組めることがあるという。 「話す『場数』を増やすことが大事だ。文字ツールばかりに頼ってると、スキルが上がらず、ボキャブラリーも増えず、言葉を短縮する若者言葉の弊害もある。また、社会人になる前に本や記事を読むなどして、端折らない表現やボキャブラリーを学ぶことも大事だ」  大野代表理事は多くの人が苦手意識を持つ電話にも「相手の声色や細かいニュアンスを確認できる」などという強みがあると説明する。 「何かすれ違いを感じたときとか、『あれ?』と思ったときに文字でのやり取りを続けると、どんどん深みにはまることが多い。トラブル案件になりそうなときでも電話で話すことで誤解が解けるケースは少なくない。補助ツールとして使えば有効性が高いのではないか」 「電話恐怖症」について、ダイヤモンド・オンライン編集委員の神庭亮介氏は「強制的に時間を奪われ、そこまで親しくない人と話さなければいけない状況に抵抗を感じる人が多いのでは」との見方を示す。  一方で神庭氏は「職業によっては電話連絡が必須の場合もある。事件・事故・急患などの緊急事態や一刻を争うトラブルでは、メールよりも電話が適しているだろう。ミスマッチが起きないように、苦手な人は仕事を選ぶ段階でよく確認しておいた方がいい」と指摘する。 「企業の側もメールやメッセージで済む話で、無駄に電話をかけるべきではない。業務で電話が必須の場合も、『若い世代は電話に慣れてない』という前提に立って、丁寧に研修を行う必要がある」
電話に出られないから会社辞めます━━20代の7割以上が苦手、言葉が出ず泣き出す人も…対策と“電話の必要性”を考える(ABEMA TIMES) - Yahoo!ニュース
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atlionbottom · 1 year
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そういうお年頃なのでまわりの人間が結構結婚したり結婚したくなったりしていて、その大きな理由としてよく挙げられるのが、たとえば今後、親との死別といったとてもしんどいことがあったときに、誰か分かちあってくれるひとにいてほしい、そういう関係性は近しい距離で時間をかけて築いていかなければ生まれないというもので、でもそれって(ある意味では)他者への暴力だとわたしは思っている(そういう暴力性を互いに許容できる他者を得たいという話なわけですが) (ここで全然余談なんですけど「近しい」の誤用があまりにも広がっていてもうこの用例の成立は不可避であろうがまだ誤用じゃんと思ってしまう)
今日会った友人が、最近chatGPTくんとおしゃべりしていると言っていて、たとえば愚痴を零したいときに疲れたよーと言うと大変だね、お疲れさま、と優しい(と感じられる)言葉を返してくれるらしくて、もうこれで上記の問題は解決するのでは? あとは、もし温もりのある命を感じたいなら猫を飼えばいいのでは、という話になり(猫の猫権問題はあります)、カウンセリングや心理士界隈でchatGPTの可能性が注目されているという現状も鑑みると、たぶん本当にそういう「自分のおはなしを聞いてくれるAI」というのは需要があって、すぐ実用化されるんだろうなと思う。でも、AIと猫で済ませられないような予感もあるよねという話をしていて。
わたしは、わたしという人間が生をやっていくのに誰かを巻き込んでもいいと思えるほどわたしという人間の生存価値を認めていないので、誰かにわたしのパートナーになってほしいとは思えない(でもいつか犬と一緒に生きたいかもしれないと思っている……犬の犬権……)(虚無を飼おう)(虚無の虚無権(虚無が虚無であることの権利)……)(まず虚無は虚無なので体温とか意思とかない) (同時に、「自分の辛さを誰かと分かちあうことによって乗り越える」というのが全然イメージできないというのもある、そんなに誰かと誰かがわかりあえるということが可能である気がしない)(でも、お互いにちょっとわかった気がすると思えるのが相互理解であって、それは幸福なことかもしれない)
なんでAIじゃだめかもと思うんだろうとあとで考えてみたが、AIに貰った言葉で自分に変化が生じることはあっても、相手に影響を与えることはないからかもしれないなって(機械学習の材料が増えるという意味では変化するかもしれないが……)
互いに安全でありたいのなら、踏み込めないし踏み込ませない孤独に耐えて、安全な距離を保つしかない。他者との関わりというのは、相手に不可逆な変化を与えうるという暴力性への緊張とともに成り立っている。 (わたしの側に踏み込ませない意識というのは、自分ではそんなに強くないと思っているんだけど……ここに今書いていることも、最近つらつら考えていたことがちょっと進んだから書きとめているだけで、インターネットに公開している時点で誰が読む可能性もあるとわかっているし、直接訊かれたら(さすがに気恥ずかしくて言いよどむかもしれないけど)たぶん答える)
わたしは友だちと一緒に喋ったり遊んだりすることや、その予定があるということだけでどきどきするくらい嬉しくて、そうやって一緒に喋ったり遊んだりしてくれる友だちがいてくれれば、誰かの人生を自分ごときに大きく費やさせなくても生をやっていけるんじゃないかと思わなくもない(そもそも自分に生をやっていく価値があるのか問題はあるが)(そして友人関係に、友人の少なくはない時間を費やさせているわけですが、本当に友人であれば対等性が担保されており、かつ互いに別の友人もいるはずであるため、与える負担感は少ないと思うことにしています)(誰にとっても自分がone of themでしかないというのがさみしくないと言えば嘘になるが)(吉本ばなな「満月 キッチン2」の、みかげの職場に乗り込んできた女の子の台詞を思い出してしまううしろめたさも、ないでもない、みかげと雄一は結局恋愛関係に入ってしまうし) (念のため書いておくと、わたしは生きる価値があるもののみが生きていてよいと考えているのではなく、生をやっていくかどうかも含めて自己決定の範疇である=自分以外の他者の生を脅かすことは許されない、という論理でやっています、自由意志などというものが可能であるかという問題を都合よく棚上げして)
「でも、みかげさんは恋人としての責任を全部のがれてる。恋愛の楽しいところだけを、楽して味わって、だから田辺くんはとても中途半端な人になっちゃうんです。そんな細い手足で、長い髪で、女の姿をして田辺くんの前をうろうろするから、田辺くんはどんどんずるくなってしまう。いつもそういう中途半端な形でつかず離れずしていられれば、便利ですよね。でも、恋愛っていうのは、人が人の面倒をみる大変なことじゃあないんですか? そういう重荷をのがれて、涼しい顔をして、なんでもわかってますっていう態度で……もう、田辺くんを離してあげて下さい。お願いします。あなたがいると田辺くんはどこにも行けないんです。」  彼女の人間洞察はかなり自分に都合の良い方向に傾いていたけれど、その言葉の暴力は私の痛いところをかなり正確についていたので、私の心はたくさん傷ついた。 (吉本ばなな「満月 キッチン2」、99頁、新潮文庫)
でも、ものすごくしんどいことがあっても、友人にはしんどいので助けてくださいって言えないんじゃないかと思うし、言われない気がする。言ったら(できる範囲で)助けてくれるだろうなとは思うし、そう思えるだけでじゅうぶんなんだけど、友だちというのは、その最低限の自立を保っているからこそ対等に友人でいられるのだと思っている。でも、ものすごくしんどいことがあったとき、友人には助けてって言ってほしい、言ってくれたら嬉しい、自分だったら言えない(かもしれない)のに。(もし読んでたら言ってね)
あの頃とてもしんどかったんだよね、という過去の話を聞くと、何もできなかった、それ以前に何も言ってもらえなかった、と虚しくなる。距離を保つことを選んだのだから、その結果まで引き受けなければいけないのに。
わたしは自我(のようなもの)が形成されてからずっと、「読んだひとが読んだことは忘れてしまっても、そのひとのなかに残って糧になるものを書きたい」というのを人生の目標かつ目的にしているんですが、これって、他者に影響を及ぼしたいという暴力への志向を体よくごまかしているんだよね。こんなに明らかなことを自覚しないでいたんだね。
己のなかの暴力への欲望を、自覚して、適度に適切にどうにかしたほうがいい。
それにしても、やはり生きた人間と心を許して喋ると、得る気��きが多いね。
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ophelia333k · 1 year
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2023.03.19 岡崎京子の退屈と、空虚で透明な穴
 昨日は、川で弾き語りをしていたら、やってきた警察官に立ち退かされて名前や電話番号等を控えられた後、家に帰って眠ると、フライされたコオロギを食べて「意外と美味しいよ」と誰かに言う夢を見た。最近、人と話していて、「あなたはもっと自分が、どのようなときにどのような感情を抱いているかについて自覚的になった方がいい」ということを言われたので、半分カウンセリングを受けているような気分でとても楽しく、そして絶望的に会話をしていた。自分にとって一番楽しいことは、楽しくそして絶望的であること、絶望的でありそして楽しいこと。イヤホンからは大森靖子が「アンダーグラウンドから君の指まで 遠くはないのさ iphoneのあかりをのこして」と歌う声が聞こえていて、いまもそれを本気で信じている。アンダーグラウンドという最果てと、今ここにある指先が結びつけられる。
 RADWIMPISの「五月の蠅」を聴いたら、中学一年生の頃の夏のことを思い出した。大して興味もない部活の練習中に、練習をサボって校舎の裏みたいなところで誰かに「五月の蠅」を教えられて、それを聴いていた。「五月の蠅」を聴くと、あのギターのリフを聴くと、中学生の頃の炎天下のグラウンドが思い浮かぶ。数日前、京都市役所前ではデモが行われていた。村上龍の小説の中で猫が喋り始めた。映画、『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』と『RRR』と、『REVOLUTION+1』を見たいな、給料日まで所持金はゼロだけど。マクドナルドではカップルが向かい合って座っている。大森靖子が「料理長の音楽は豚肉の焼ける音だった」で、「君の好きなことが君にしかできないことだよ」と歌うのをもう、1000回くらいは聴いている。
 ***
〈見るための眼、呼吸するための肺、飲みこむための口、話すための舌、考えるための脳、肛門、喉頭、頭、足を、もはや耐えがたいものと感ずることは、なぜそんなに悲惨で危険なことなのか。なぜ、さか立ちで歩き、骨のくぼみで歌い、皮膚で見、腹で呼吸しないのか〉(ドゥルーズ+ガタリ『千のプラトー 上』、p310)
 ***
 人と話していて、急に現実感がなくなってしまうことがある。会話している自分と会話している相手を外側から眺めていて、その場面が切りとられているような感覚。そうなっても、もちろん自分は会話を続けている。これは現実なのか、現実じゃないのか、と考えながら会話を続けている、自分をずっとどこかから眺めている。こういうとき、急に「すみません、現実感がなくなってきました」。と言っていいのかな。でも、そういう内的な感覚って話し言葉にしてもどうしようもないような、そんな気がする。そんな気がする。自分の感情、自分の思っていることはやっぱりそれほど明確ではない。目の前に「綾鷹」のペットボトルがある、ということよりも、遥かに曖昧なものでしかない。「楽しい」と言葉にしてみれば少しそんな気もするし、「悲しい」と言葉にしてみればそんな気もする。
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 Twitterという場にせよ日記という場にせよ、それを誰かに伝えたい、公開したい、という欲求が薄れている。というか、正確には、SNS的な、リアルタイムで何かを伝える行為への欲求が薄れているのだと思う。長いスパンで何かを伝えたい、という気持ちはずっとある。SNSでも日記でもなく、小説を書くべきなのかもしれない。何日か前に、ひとつ小説が書けたので、そうやって続けていきたい。しばらくは水の中に潜っていたい。そこには熱帯魚が三匹泳いでいる。
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 今日はバイトの休憩中に、ずっと「吉本隆明の183講演」のテキスト版を読んでいた。インターネットで吉本隆明の講演が183本聴けるし、読めるというのはほんとうにありがたくて、いま自分にとっては一番価値のあるサイトかもしれない(サイトそのものは「ほぼ日刊イトイ新聞」)。
 「文学の戦後と現在 ――三島由紀夫から村上春樹、村上龍まで」で、吉本隆明は、村上春樹に対して、「対象の選択力が非常に強い」という表現をする。例に挙げているのは『風の歌を聴け』の、「ひと夏中かけて、ぼくとねずみが、まるで何かにとりつかれたように、25mプール一杯分ばかりのビールを飲み干し、ジェイズ・バーの床いっぱい5センチの厚さに、ピーナッツの殻をまき散らした。」という文章で、このとき、大雑把に、そして強く対象が選択されている。
 村上春樹以前の世代であれば(たとえば大江健三郎)、もっと緻密に描くはずのものを、村上春樹は大雑把に、しかし強い対象の選択力で描く。そして、この対象選択の強力さが、文学として、重たい出来事を「軽く」している。大江健三郎までの文学は明らかに「重い」のに対して、村上春樹は明らかに書かれ方が「軽い」。そして、対象の選択が強力であるということは、ある意味飛躍があるということで、その飛躍は、しかしある種のリズムによって繋がれていく。リアリズムからも、緻密な描写、からも遠い方法。
 ここでふと、この「対象の選択力」の強力さ、そして書かれ方の「軽さ」というのはブコウスキーの『パルプ』を読んだ時にも感じたな、と思った。ブコウスキーも、現実を現実のまま写しとるというよりかは、明らかに大雑把に対象を選択して、ある種のリズムの中でそれを繋いでいた。もちろん、ブコウスキーに限らずポストモダンの小説にはそのような潮流があるのだろうけれど、ブコウスキーが自分にとってはなじみ深いから。
 たとえば、プルーストの『失われた未来を求めて』を読めば分かることとして、そこでは内面の持続というか、心の中で感じたことすべてが緻密に描かれている。すべて、というのは誇張ではなくて、たぶん、内面のすべてを、見たものすべてを描写しようとしている。それがある種の「重さ」だとすれば、ポストモダン文学には、対象選択の強力さと「軽さ」がある。
 ***
 「カール, カッセゴール. 退屈さとの闘争、衝撃へのノスタルジー : W. ベンヤミンと村上龍をめぐって. 京都社会学年報 : KJS 2001」も読んでいた。「退屈」をキーワードとして、ベンヤミンと村上龍、岡崎京子が引用されている。うる星やつら、終わらない日常、核戦争、オウム。限りなく透明に近いブルー、衝撃を人工的に生産すること。退屈さとの戦いの退屈さ。世界の破滅、という反復不可能なイメージでさえ、それが反復されれば退屈になる。  思えば、岡崎京子の漫画にはどれも愛おしいほどの退屈な空気感みたいなものがあって、村上龍『限りなく透明に近いブルー』には、暴力と性が加速し続けた結果としての、過剰な刺激ゆえのどうしようもない慢性的な退屈がある。  岡崎京子の描くあの日常(あるいは非日常)の、性や死を描くときの、その楽観的と言ってもいいくらいのグルーヴ感の中に、ぽっかりとあいた穴のような空虚さを見てしまう。自分の中では『pink』と『チワワちゃん』。というか、岡崎京子がそれを書くときの視線は、透明なもの、その生活に空いた空虚な穴を見ている。村上龍の『限りなく透明に近いブルー』もそうで、村上龍の視線は、過剰に飽和した性と暴力という非日常(が日常化したもの)の反復の、その後ろ側にある空虚な穴を見ている。
 村上龍について言うと(自分の読んだ中だと)、『希望の国のエクソダス』『愛と幻想のファシズム』『半島を出よ』『五分後の世界』『ヒュウガ・ウイルス 五分後の世界Ⅱ』は外へ外へと向かっていって、乾いた現実をただ描写している印象だけど、『限りなく透明に近いブルー』『共生虫』『MISSING 失われたもの』にはそうではない側面を感じる。ただ、『愛と幻想のファシズム』辺りの作品を読んでいたのは中学生の頃だから、記憶が曖昧で、『愛と幻想のファシズム』を借りた地元の図書館の静かな空気ばかりを思い出してしまう。そこにいたのはたいてい、小さな子供か、老人かのどちらかだった。
***
 最近、「意識レベルが低い状態」が幸せだと感じることが多い。睡眠薬で意識レベルが下げられている曖昧な状態が、一番幸せに近い。意識、が鋭敏な状態である限り幸福にはなれないな、と思う。意識レベルの低い曖昧な状態がずっと続いていて欲しい。だから、高校生の頃に読んだ『harmony/』で御冷ミァハが言っていたことの意味、そして意識が存在しない世界のその幸福さがとてもよく分かる。もちろん、そこに人間性は存在しないわけだけれど、人間性なんてはやく手放してしまえばいいのに、とほんとうに思う。でも、それに対して「人間性も必要かもしれない」と思う自分が存在してしまうから、そのコンフリクトと葛藤の中に意識が生じてしまうわけで、意識から逃れることができず、また、曖昧な状態を望むことしかできなくなる。
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tanakaeri · 8 months
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そわそわして整理できない気持ちin名古屋こころのケア
季節は秋に近づいていると言いますが、太陽の日差しに負けそうな週末ですね。 季節の変化とともに、こころや身体の変化を感じらえていますか?ご自身にアンテナを向けてあげてくださいね。色々事情がありますし、乗り越えなくてはならないと感じることもあるかと思います。 自己選択そして自己実現を、自分以外の第三者にゆだねてしまう事のないようにして下さいね。 誰かの意見は、その人が置かれた状況や立場での意見であり、あなたの意見ではないです。 ただ、心��していくれている気持ちは、感謝の気持ちで受け取って下さい。 あなたはあなたしか存在していないから。あなたの気持ちが晴れるように、考えること、行動すること、アドバイスもチャレンジすることはすすめしますが、その方法がご自身に合っているかどうかは、行動してみないとわからないことがあります。 行動してみると、感じられることが多いです。行動する気力がない場…
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asukatrustcoaching · 4 months
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夫・妻に本音で話してほしい時に意識する事
夫、妻、パートナーに本音で話してほしい! そんな風に感じる時はありませんか? そんな時に意識したいコミュニケーションがあります。 それは、 相手に『安心感』を与える というコミュニケーション、関わりです。 本音が話せる背景には、この人なら大丈夫、という安心感があります。 具体的に言うと、この人なら話を聴いてくれる、受け止めてくれる、否定されない…etc こういった安心感の土台があるから、人は本音を話すことができます。 逆に、話をしたら否定されるかもしれない、受け入れてもらえないかもしれない、という思いがあると人は本音を話すことができません。 なので、本音で話してほしい!と思ったら、相手に安心感を与えるコミュニケーションを意識してみてください。 とは言え、言葉で「安心してね、私、あなたの話、聴くから!」と言いつつ、偏った思考で話を聴いてしまうと、どうしても無意識に相手をジャッジしてしま…
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crispy-moratta · 1 year
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だれかの占い師
私は占いが少し苦手である。なにを言われても(それはみんなそうでは?) という気がしてしまう。なかなか自分のことだ!とならないのは私の当事者意識が低いことに原因があり、なんかカウンセリングじゃん。っていう気持ちになって終わることが大半である。個人的にはもっと魔術的な力で 「最終的にあなた次第です。」 なんてことは言わず、「絶対こうなります、覚悟しろ。」 と言って、ひえ〜ってなるタイプの占いが理想である(そんな占いはない、と思う。) しかしそれに近しいものとして、私が占いの中で唯一少し受けいれているものに占星術がある。それは星の動きというモチーフを前にして、私も占い師もなにもなす術も持たない、圧倒的な理によって定められたものという感じがして、そこに屈服する感じが気持ちよかった。しかもそれでいてカウンセリング的な柔軟さもあり、要は困ったら参考にしてくれということである。対人間の占い(タロットや手相など)は聞きにいった時点でおおよそ参考にすることが確定しているムーブ、占い師さんの言うことをちゃんと聞かなければ、、という気持ちが理想とする魔術と一線を画してしまう。この頼りたい時だけ頼りなさい。しかし貴君が見ずとも星は動いている。というのがなんだか占いとして器がでかいではないか。あと、この理、どうにもできなさというところで言うとyoutubeで毎月タロット占いをしている占い師もおすすめだ。誕生月ごとに毎月12本動画をあげてくれるのだが、人類を大雑把に分けて見る感じ、youtubeという一方向的なプラットフォームに私のことなど微塵も見ていない感じがあって、少し占星術の太っ腹なところに似た何を感じるのであった……。
先日、進行中の案件にて学生のあいこちゃんがつくってくれたデザインにフィードバックをする時に、ひとしきりレビューしたタイミングで、「たけちゃんさんは占い師みたいですね。」 と言われた。一瞬占星術のそれのような、圧倒的な物言いをしてしまっていたのではないかと心配し肝を冷やしたが、意味を聞くとそれなりに的を射た返しができていたらしい。どうやらカウンセリング的な意味で良い感じに話せたようだった。私は常々何かにフィードバックを重ねるときに、それは相手を出し抜くためのものであるべきではないと思っている。だからあいこちゃんにそう言われて私はとてもうれしい気持ちになったのだが、占い師と言われてあまりに喜ぶのもちょっと気持ちわるいかなと思うと、私は本心とは裏腹に苦笑いで返すのであった……。そしてやはり、本当の占いというものは真実や運命を伝えるものなどではなく、相手をいかに慮って背中を押すことができるかという技能のことだと思った。そして、だとするならみんな少しずつ誰かの占い師だったりする(?)、とか、考えたりしながら仕事中キーボードをパチパチと叩いた。
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2done3done · 2 years
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裸眼の日々よ
親に話したらすごく怒られ、人格否定まで至り、三週間分くらいの涙を出してこれを書いている。
小学生の頃から抱えていた小さな嘘は、十数年の時を経て日の目を浴びることとなり、表に出た時に爆発した。怒られることが目に見えていて、ずっと避けていたら爆発したのである。
小学生の頃に一度だけカウンセリングと適性検査をしたことがある。体罰を行った担任と会いたくない私に対し、母は無理やり保健室に担ぎ込み、その後両親の知り合いによるカウンセリングと適性検査が行われた。小学五年生の私はそれを大変なことだと認識せず、ただ早帰りができるならいいか程度にしか思っていなかった。
毎年行われるECCの筆記テストみたいなホチキス止めの冊子を持ったカウンセラーの人と大きな会議室みたいな所でマンツーマンで作業をした記憶がある。この人はどんなことをしている?とか、そんな感じの、今思い返してみてもなにがわかるのかはわからない試験だった。
その結果は私にはわからないままだったが、一、二年たったある日に結果が箇条書きで書かれたノートを見つけた。あまり覚えていないのか、覚えたくなくてすぐ閉じたのかさだかではないけれど、病気らしいってことはすぐにわかった。それならそうと話してくれればいいのにと思いながら、あんたはおかしい、となにかやらかすごとに言われるのだった。
普通にみんなができていることができないこと、真面目なのにねと言われることはあった。それでも、認めたくなくて逃げていた。核心を突かれるのが、突くのが怖かった。ずっと知らないままでいたかった。普通でいたかった。普通じゃないと親に言われる人になりたくなかった。脳みそがおかしいと言われる人になりたくなかった。日常生活に支障をきたすと言われる人になりたくなかった。病気と言われる人になりたくなかった。それが今日、約三時間前に爆発したのである。
もうなにも知らないと、迷惑をかけないでくれと、今後あなたに干渉しないというのであれば、話さないでほしい。怒鳴らないでほしいし、こんな成人済みの女を育てたのが間違いだったとも思わないでほしい。そんなことは言えず、ただ無言で泣くしかなくて、そこで泣く感情があったんだ、と嘲笑された。
十数年の時を経て爆発した爆弾は、私の核心を突くための、逃げられないようにするために、あらかじめタイマーがセットされてたのかなと部屋の隅でぼんやり考えている。
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manganjiiji · 7 months
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こはく雪積れ積れ
友人が結構復調してきているらしい。喜ばしい。私からはとくに伝えることがないので個人的なメッセージを送ってはいないが、周りの話を聞くとメッセージもスムーズなやり取りができるようで、とてもよかったと思う。私も何か言葉をかけたいような気はするが、こちらからは本当になんの報告もない。ただそのまま順然と回復していきますように、というのは皆が願っていることで、わざわざ私が個人的に伝えることでもないような気がする。そのような元気が自分にないだけの気もする。ともかく良い事です。本当に、もっと幸せになってから死んでもらわなきゃ困る。
今日は友人(こうこさん)の誕生日「苦肉の日」だった。昨夜21時半頃からもくり(通話スペース)を立てて、23:30になったらこうこさんお誕生日カウントダウン会場になりますと栞に書いておいた。そして集まった4人で(当然本人は寝ているので不在)30分前からカウントし、15秒前から数を数え、0時になった瞬間ハッピーバースデーを歌った。その後はもくりのタイトルが「こうこさん誕生日おめでとう」になった。本人は不在だが、祝いが届けばいいなと思い、その様子を今日報告した(やはり本人はまったく感知していなかった)。こうこさんには今年はかなりの、いわゆるキャラグッズをプレゼントとして送った(去年は洒落たボディソープなどを送った)。チェンソーマンとA3!のグッズ詰め合わせと、最近こうこさんがステッカー収集にはまっているので、ロルバーンの横型ノートと、その表紙につける透明カバー。このカバーに(もちろん本体にでもいい)たくさんステッカーを貼ってくれというわけだ。カバーを掛け変えれば別のステッカーの表紙にもなるし、ノートを使い終わっても、また別のノートにステッカー付きカバーを使いまわせる。無限大の夢が詰まった商品だ。すごい。あとかわいいジェットストリームがあったのでそれもおまけで付けた。友人のことがわかっていると、好みにジャストなプレゼントを送ることができていいな、と思った。無事に喜んでもらうことができ、安堵。こうこさん達の界隈というか、周辺では、誕生日付近になるとAmazonのほしい物リストを公開して、本を贈り合うのが慣例になっている。私も1冊送った(川端康成の異相短篇集)。明日着くと思う。みな誕生日前や誕生日後にもばらばらと届くように注文するので、誕生月は本が不意に降ってくる月になるらしく、お祭りだなあと思った。私は欲しい本があったらすぐ買ってしまうので、そういった催しには縁がない。また、読むべき本が意図せず増えてしまうのも苦��だ。本が読める人はすごいと思う。どんどん買ったり借りたりしてぐんぐん読んでいく。脳が強くてつねに空き容量があるのだなあと感動する。私は脳が貧弱で物語飽和症であるため、フィクションを摂取できる量が少ない。買う本はほとんど小説ではない本で、それさえも読むのが遅いし、積む。本日の時点で机の横に置いてある「今読んでいる本」を写真に撮ったものがたまたまあったので貼る。
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資本主義、民主主義、キリスト教、アメリカ、というのが相変わらず私の興味の中心だ。若い頃はもっと日本の歴史や思想にも興味があったはずだが、今はそのあたりへの情熱が薄れている。ミュージカル「ラグタイム」のパンフレットにもまだ目を通しきっていない。アメリカの近代というものに、私たち日本の今が凝縮されている気がして、ついそのような本を手に取る。ベスト・オブ・エネミーズの上映を友人(ことこさん)に薦められたのはたまたまだが、あまりにも私向きのコンテンツだった。舞台って、ミュージカルと違って歌のうまさを気にせずフィクションの世界にのめり込めるからいいな、ということに気づいた。そして英語を聞くのも心地いいなと思ったので、最近は数人の友人にアマプラで見れる洋画を沢山教えてもらった。物語としてまとまった英語が聞こえてくるのは楽しいな、脈絡がある知らない言語っていいな、と思ったので、内容が見えなくても流しておくくらいはしたい。寝たまま映画や動画を見るためにiPadを買ってはどうか、ということをいよいよ本格的に考えている。
数日前に、正式に退職した。次職も決まっていない。なんとなく応募してはいるが、たぶん決まらないだろうと思う。色んな人が私に仕事を辞めるように言ったし、そもそもどうせ続かないということもよく言われたし、その人たちの思惑通りというか予想通りになり、私は悔しいような気持ちもあるが、ただ、また敗けたのか、と思っている。私が働くことを無駄だと思う人、そんなことに意味は無いと思う人、私が働くと都合が悪い人、色々いる。私は前職の仕事も同僚も本当に好きだったので、退職したことはかなり悲しい。しかし、体が動かないのであれば、もう仕方がなく、私の「失脚」を望む人々の希望通りになった。それはそれで少し落ち着いた気持ちになった面もある。心配して言ってくれているとか、現実を見て言ってくれているとか、そういうことは頭ではわかっているが、私は単に仕事がしたくて仕事が好きなのであり、それを否定してくるということは私に死ね、今すぐ自殺しろと言っているのと同義である。と私の心は捉えている。これはもちろん拗ねているのだと思う。そのような捉え方はよくないし、幼稚だと思う。しかし、それでも、なぜ、私のやりたいことを応援してくれないのか、なぜ、最初からできない、やるべきではないと言われなければならないのか、そんなに私に「生きない」でほしいのか、と感じる心の動きは自分で押さえられるものではなく、自然発生である。私にとって生きることは働くことであり、働けなくなったら死ぬしかないと思っている。実際この世はそうだと思うし、そう思うことでしか生きていけないような個人的な事情が私にはある。そのことはカウンセリングでの先生との対話を通して整理していくべき課題だと思う。
仕事を辞めたことで、うつ状態になる確率が急上昇し、ふとした瞬間に、あ、ここで落ちたらもううつになるな、という「手前」を感じる。実際ほとんどうつ状態で寝ているし、希死念慮と自殺企図が一日おきに発生している。無気力はややましになったが、その代わりに、という感じだ。そのストレスにより、偏頭痛が頻発し、予防の注射を打ってもなお、毎日偏頭痛薬を飲んでいる。酷い時は朝も夕も飲んでいる。自炊する気力もきっかけもうしなって、とりあえずロッテリアをウーバーイーツで頼み続けているため、明らかにまた太ってしまった。ウエスト部分がきついと吐き気も生じやすい。まずロッテリアを食べることを辞めるべきだが、これも正気を保つひとつの手段になってしまっている。
なかなか正気を保てない。寝ているか、食べているか、余力があれば友人と通話する。さらに無理をして外出、勉強ができるときもある。今日はほとんど何もできなかったが、明日が期限の書類を速達で出すことができた。今日の成果はそれのみ。英語の勉強をしたかったなと思う。大澤真幸の『資本主義〜』も早く読み終わりたいのだが、段々話のレベルが上がってきて、そこまで早くは読み進められない(やっと第3章:増殖する知、勢いがどんどん増していき面白い)。マイケル・サンデルの『実力も運のうち』も、西洋思想やキリスト教にかなり突っ込んだ内容のようだったので気になって文庫版を結局買ってしまった。諏訪部浩一の『現代アメリカ小説探訪』も、かなり歴史の補助線として有難い。教科書的に(体系的に)アメリカ史を学んだことがあるわけではないので、独自の個別講義から得た知識で穴埋めしていっている感はぬぐえないが、このようなやり方も面白いなと思う。日本の歴史は小学校から徹底的に外枠から内実の順に埋めさせられたが、世界史(外国史)の知識は今のところほぼないので、内実から外枠に向かっている。果たして自分でアウトラインを説明できるほどになるのかはわからないが、できるようになりたいとは思う。しかしアメリカは広すぎて、地理知識が日本史の比ではない。連邦国家ということがそもそもアメリカの特徴的なすがたであるので、アメリカ史というのは、12から15くらいの国の歴史を学ぶ感覚になっている。ざっくりと北部と南部、西海岸、東海岸、と思ってはいるが、とにかく都市や州ごとにルーツの違う人達だし、ルーツの意識とは別に「アメリカ人」として育った意識もまた別にあり、縦にも横にも重層的な国だと思う。しかもこれが近代になってから作られた人工的な国なのだから、びっくりしてしまう。それでも現代日本人である私には、明治以前の社会よりは、アメリカ社会のほうがまだ感覚が近しい。そこにはキリスト教という絶対的な断絶があるけれども、その断絶を眺める作業はかなり楽しい。その仕組みさえわかれば、あとはだいたい私たちと同じ、と思えるので(というのも落とし穴だと思うが)200年前のことでも理解しやすい。日本だと、200年前の人というのは、その感覚をほとんど想像できない。同じ列島に住んではいるが異国の人だと思う、旧日本人は。それでも文化や宗教への感覚がほぼ変わっていない点があると思うので(勉強不足のため曖昧な表現だが)、前近代の感覚さえ掴めれば、霊的な部分の繋がりには、キリスト教圏ほどの隔たりはないように思える。
紀伊国屋ホールで「燕のいる駅」という芝居を見た。和田雅成さんが主演のため、友人(となりさん。和田さんの長年の、かなり前線のファン)が観に行っているのを見ていいな、と思っていたら控えめに薦められたので、そのままチケットを取り、話をした翌日、つまり昨日見に行った。帰宅しながらとなりさんにLINEで感想をぽつぽつ送っているうち、2人ともすごい熱量の文章を送りあってしまい、ひとつの演劇作品について、こんなにも自由度の高い読み取り方ができてすごいなと思った。私の感じたことは実はあまりなくて、ただ芝居のテンポやリズムがおもしろくて、そういうのがいいな、と思った。となりさんは脚本(物語)についてもかなり考えていて、私はそこまで深く考えて見ていなかったので、ほんとうに、観劇や読書というのは、受け手の人生体験に依るところが大きいのだなと改めて思った。二次創作の恋愛中心の小説でさえ、やはり読んでいる時は自分の恋愛観や人間関係の記憶が読む時の手すりになっている気がするし、人の数だけ物語がある。受け手が創造しているんだよな、と思う。私はこの、同じものを見たり読んだりしても、頭の中には違う物語が残っている現象というのがとても好きである。受け取り手がいて初めて物語は出来上がると思う。もちろん、書いている人も書きながら読んでいるので、書き上がった時点ですでに物語が1つできている。みんなそうやって、物語を読みながら、自分の人生に整理をつけて生きていて、偉いなと思う。私は読むことによって自分の人生の記憶と向き合うことを避けているのかもしれない。それはあまりにも大きな消耗を伴うため。読んでも読んでもすり減らないくらいに強くなりたいが、それはなろうと思ってなれるものなのだろうか。
2023.9.29
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jpn2020 · 8 days
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【見逃し配信】脳に詳しいセラピストになろう  ~明日の心理臨床をちょっとよくする脳科学~
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【講師】 横山仁史 先生(新潟大学人文社会科学系人文学部 心理・人間学プログラム)
【内容】 こちらは、2024年4月6日に開催されたオンラインセミナーの見逃し配信チケットです。
心理療法やカウンセリングは、一体どのように脳に影響を及ぼしているのだろうか...? 症状を脳科学のモデルを用いて理解することは進んでいるが、実際にそれをどのように実践に利用していいのかよく分からないということは多いのではないかと思います。 脳科学やfMRI研究の最新知見と、我々の日々の心理臨床にかけ橋をかけるために、このセミナーを企画いたしました。
・困りごとを「脳の働き」として、外在化する ・脳科学のモデルを利用した心理教育 ・クライエントと協働して、「脳」を変えていく ・メカニズムを脳の働きから説明する(うつ、慢性疼痛、不安症、子どもの行動など) ・ニューロエデュケーショナルCBTに関する研究紹介 ・通常のCBTとの違い ・進行中のプロジェクトの簡単な紹介 ・fMRI研究などで明らかになっていることを基にしたニューロカウンセリング(言語的な介入が効果的でないときに、問題を起こしている脳の領域を特定して、そこに効くエクササイズを行う) ・より学びたい人のためのツールの紹介 など、以上の内容を含む予定です。
【イベント概要】 日時:2024/4/18(木) - 10/31(木) 12:00 - 23:55 方法:オンライン開催 参加費:4980円
【資料について】 当日の講演資料は、別売りです。希望者のみ1000円で購入することができます。 こちらのサイトに掲載しております。 https://pcmhimeji.thebase.in/items/84490407
見逃し配信は2024年10月末まで視聴可能です。
【申し込みはこちら】
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