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#塗り絵教室
blue-belta · 1 year
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12月の #塗り絵教室 のモチーフを検討中。 #うさぎ さんが着物を着てご挨拶をする感じにしたいのですが、いかんせん、着物について詳しくない。 古典柄がいいんだけど。 最初描いたうさぎさんはスキンヘッドに見える(笑)そこで、お花を添えてみたけど、やっぱり今ひとつ。 かわいいより、大人っぽくしたいと思いつつ、もう1枚は子ども顔。 お髭も描こうかな。 あと2、3枚は描いてみなくちゃね。 といいつつ、教室まで時間がない。 金曜日には仕上げたい。 #art #coloredpencil #drawing #rabbit #色鉛筆 #卯年 #年賀状に #ピンク #1日1絵 #イラストグラム #今日何描いた #教室何か描こう #絵を描く暮らし https://www.instagram.com/p/CllpCQZJ-8D/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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w-o-o-l-y · 2 years
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. . 本日8/13 20時から配信です お時間タイミング合いましたら 見て下さいねー コメント・質問 お待ちしております! . . ◆miroomでLIVE配信します◆ 先日からお知らせしておりました miroomでのライブ配信 日程が決まりましたので お知らせします ◯ 塗り絵感覚で楽しむパンチニードルの雑貨作り講座紹介+パンチニードルの質問答えます 「不器用さんでも大丈夫 塗り絵感覚で楽しむパンチニードルの雑貨作り」 講座で作れる作品のポイントや 既に受講中の方も含め みなさんのパンチニードルに関する細かな質問に リアルタイムで答えるLiveを開催します! その場でお返事しながら ギモンが解決できたらいいなと 思っておりますっ これから受講しようか検討中の方 受講中だけど ちょっと疑問がある方 是非ご覧頂けましたら 嬉しいです! 初めてなので ちょっと心配ですが 頑張ります! その前に インスタライブとかも してみようかなー **************************** 「おうち習い事アプリmiroom」にて WOOLYのパンチニードル講座が開講しました♬ @miroom_official 「不器用さんでも大丈夫 塗り絵感覚で楽しむパンチニードルの雑貨作り」 https://miroom.in/courses/150 レッスンの内容は全部で7つ。 ①パンチニードルの基本 ②パンチニードルでコースターづくり ③パンチニードルでつくる鯉のぼり ④パンチニードルでつくる壁飾り ⑤パンチニードルでつくるポシェット ⑥パンチニードルでつくるクッションカバー(前編) ⑦パンチニードルでつくるクッションカバー(後編) それぞれの講座ごとに 新しい技法や 仕立ての仕方など ちがう要素を散りばめてあります 初心者の方は 始めやすいように 材料や道具もキットになったものが購入出来ますし すでにお持ちの方は 動画だけ見て作ることもできます そして 何度も繰り返し見る事が出来るので 自分のペースで作業を進められます クラス内でやり取りや 質問することも出来ますよ☺︎ みなさんのご参加を お待ちしています #WOOLY #パンチニードル #パンチニードルワークショップ #パンチニードル教室 #punchneedle #punchneedleart #おうちで習い事 #おうち習い事アプリmiroom #不器用さんでも大丈夫塗り絵感覚で楽しむパンチニードルの雑貨作り #news #クロバーパンチニードル #習い事 https://www.instagram.com/p/ChL6zczPLP6/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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ari0921 · 4 months
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和五年(2023)12月27日(水曜日)参
    通巻第8070号
 AIは喜怒哀楽を表現できない。人間の霊的な精神の営為を超えることはない
  文学の名作は豊かな情感と創造性の霊感がつくりだしたのだ
*************************
 わずか五七五の十七文字で、すべてを印象的に表現できる芸術が俳句である。三十一文字に表すのが和歌である。文学の極地といってよい。
どんな新聞や雑誌にも俳句と和歌の欄があり、多くの読者を引きつけている。その魅力の源泉に、私たちはAI時代の創作のあり方を見いだせるのではないか。
 「荒海や佐渡によこたう天の川」、「夏草や強者どもが夢の跡」、「無残やな甲の下の蟋蟀」、「旅に病で夢は枯野をかけ巡る」。。。。。
 このような芭蕉の俳句を、AIは真似事は出来るだろうが、人の心を打つ名句をひねり出すとは考えにくい。和歌もそうだろう。
 『春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣干すてふ 天香具山』(持統天皇)
 皇族から庶民に至るまで日本人は深い味わいが籠もる歌を詠んだ。歌の伝統はすでにスサノオの出雲八重垣にはじまり、ヤマトタケルの「まほろば」へとうたいつがれた。
 しかし人工知能(AI)の開発を米国と凌ぎを削る中国で、ついにAIが書いたSF小説が文学賞を受賞した。衝撃に近いニュースである。
 生成AIで対話を繰り返し、たったの3時間で作品が完成したと『武漢晩報』(12月26日)が報じた。この作品は『機憶(機械の記憶)の地』と題され、実験の失敗で家族の記憶を失った神経工学の専門家が、AIとともに仮想空間「メタバース」を旅して自らの記憶を取り戻そうとする短編。作者は清華大でAIを研究する沈陽教授である。生成AIと66回の対話を重ね、沈教授はこの作品を「江蘇省青年SF作品大賞」に応募した。AIが生成した作品であることを予め知らされていたのは選考委員6人のうち1人だけで、委員3人がこの作品を推薦し
「2等賞」受賞となったとか。
 きっと近年中に芥川賞、直木賞、谷崎賞、川端賞のほかに文学界新人賞、群像賞など新人が応募できる文学賞は中止することになるのでは? 考えようによっては、それは恐るべき時代ではないのか。
 文学の名作は最初の一行が作家の精神の凝縮として呻吟から産まれるのである。
 紫式部『源氏物語』の有名な書き出しはこうである。
「いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひける中に、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり」
 ライバルは清少納言だった。「春は曙、やうやう白く成り行く山際すこし明かりて、紫立ちたる雲の細くたなびきたる」(清少納言『『枕草子』』
 「かくありし時すぎて、世の中にいとものはかなく、とにもかくにもつかで、世に経るひとありけり」(道綱母『蜻蛉日記』)
 額田女王の和歌の代表作とされるのは、愛媛の港で白村江へ向かおうとする船団の情景を齊明天王の心情に託して詠んだ。
「熟田津に 船乗りせむと月待てば 潮もかなひぬ今は漕こぎ出いでな」(『万葉集』)。
 「昔、男初冠して、平城の京春日の郷に、しるよしして、狩りにいにけり。その里に、いとなまめいたる女はらから住みけり。」(『伊勢物語』)
 ▼中世の日本人はかくも情緒にみちていた
 「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶ泡沫(うたかた)はかつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」(『方丈記』)
 『平家物語』の書き出しは誰もが知っている。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。 沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。 奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。 猛き者も遂にはほろびぬ、 偏(ひとへ)に風の前の塵におなじ」。
 『太平記』の書き出しは「蒙(もう)竊(ひそ)かに古今の変化を探つて、安危の所由を察(み)るに、覆つて外(ほか)なきは天の徳なり」(『太平記』兵藤祐己校注、岩波文庫版)
「つれづれなるままに、日くらし硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ」(『徒然草』)
 古代から平安時代まで日本の文学は無常観を基盤としている。
 江戸時代になると、文章が多彩に変わる。
 井原西鶴の『好色一代男』の書き出しは「「本朝遊女のはじまり、江州の朝妻、播州の室津より事起こりて、いま国々になりぬ」
 上田秋成の『雨月物語』の書き出しはこうだ。
「あふ坂の関守にゆるされてより、秋こし山の黄葉(もみぢ)見過しがたく、浜千鳥の跡ふみつくる鳴海がた、不尽(ふじ)の高嶺の煙、浮島がはら、清見が関、大磯小いその浦々」。
 近代文学は文体がかわって合理性を帯びてくる。
「木曽路はすべて山の中である」(島崎藤村『夜明け前』)
「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜ぬかした事がある」(夏目漱石『坊っちゃん』)
「石炭をば早はや積み果てつ。中等室の卓つくゑのほとりはいと静にて、熾熱燈の光の晴れがましきも徒らなり。今宵は夜毎にこゝに集ひ来る骨牌カルタ仲間もホテルに宿りて、舟に残れるは余一人ひとりのみなれば」(森鴎外『舞姫』)。
 描写は絵画的になり実生活の情緒が溢れる。
「国境の長いトンネルをぬけると雪国だった」(川端康成『雪国』)
 谷崎潤一郎『細雪』の書き出しは写実的になる。
「『こいさん、頼むわ』。鏡の中で、廊下からうしろへ這入はいって来た妙子を見ると、自分で襟えりを塗りかけていた刷毛はけを渡して、其方は見ずに、眼の前に映っている長襦袢姿の、抜き衣紋の顔を他人の顔のように見据みすえながら、『雪子ちゃん下で何してる』と、幸子はきいた」。
 「或春の日暮れです。唐の都洛陽の西の門の下に、ばんやり空を仰いでいる、一人の若者がありました」(芥川龍之介『杜子春』)
 ▼戦後文学はかなり変質を遂げたが。。。
戦後文学はそれぞれが独自の文体を発揮し始めた。
 「朝、食堂でスウプをひとさじ吸って、お母様が『あ』と幽(かす)かな声をお挙げになった」(太宰治『斜陽』)
 「その頃も旅をしていた。ある国を出て、別の国に入り、そこの首府の学生町の安い旅館で寝たり起きたりして私はその日その日をすごしていた」(開高健『夏の闇』)
 「雪後庵は起伏の多い小石川の高台にあって、幸いに戦災を免れた」(三島由紀夫『宴のあと』)
和歌もかなりの変質を遂げた。
正統派の辞世は
「益荒男が 手挟む太刀の鞘鳴りに 幾とせ耐えて今日の初霜」(三島由紀夫)
「散るをいとふ 世にも人にも さきがけて 散るこそ花と 吹く小夜嵐」(同)
 サラダ記念日などのような前衛は例外としても、たとえば寺山修司の和歌は
「マッチ擦る つかのま海に霧ふかし 身捨つるほどの 祖国はありや。」
 わずか三十一文字のなかで総てが凝縮されている。そこから想像が拡がっていく。
 こうした絶望、空虚、無常を表す人間の微細な感情は、喜怒哀楽のない機械が想像出来るとはとうてい考えられないのである。
AIは人間の霊感、霊的な精神の営みをこえることはない。
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搬入まで残すところあと1日⏳😱‼️(相変わらず崖っぷちの巻)
制作に勤む子どもたちのスナップ。みんなドキドキワクワク💓の3月です。
福寿幼稚園
星川しげ子アート教室 展覧会
“1人ひとり思い思いにアートの時間”
2024年3月2日(土)ー10日(日)
月に2回のアートの時間。パレットの中で色の変化を楽しんだり色水にしたり。好きな色をただただ塗ったり重ねたり、紙を切ったり貼ったり破いたり。一人ひとりの表現の仕方でその日その時の気持ちが色や形になりました。
ーアーティスト星川しげ子ー
@hoshi_ko_7
絵本の古本と木のおもちゃ
🕊️貝の小鳥🐚
12時〜18時(最終日17時まで)
火曜定休
〒161-0033 東京都新宿区下落合3-18-10
電話 : 03-5996-1193
URL : http://kainokotori.com
Instagram, X : @kainokotori
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soohco · 2 years
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カット用の絵をちょっと大きいサイズでかいたのでぬりえした
どこにいるか分かんない絵をぼんやり塗ろうをしてたけど3年生くらいになって別に普段から教室でべたべたしたりはしないが結構ふつうの高校生的な雰囲気がちょっとあるかもなかっちゃんがスマホカメラを向けられたら目の前にあったデクくんの肩に顎を乗せてきたのでデクくんはびっくりしてめちゃくちゃ動揺して照れてしまったんだよね〜〜〜って思いながら描いたからそういう絵にすればよかったな
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moshimobokuga · 1 year
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突然春は跳ねる #03
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 入学して二週間と少しが経って高校生活がどういうものかわかってきた。クラスメイトとも先生とも先輩とも今のところは上手くやっている。勉強だけ早速不安。  毎週水曜日は必ず部活が休みで今日もさっさと帰ろうと教室を出た。階段で一枚の大きなダンボールを抱えてもたもた歩く人を追い抜く。ダンボールの板から見覚えのあるツインテールがちらりと見えてつい声をかけてしまった。 「…長山さん?」 「へ?あ!イワイさん!偶然だねぇ!」 「何してるの?」  美術科が体育科の校舎に来ることって滅多にないと思う。しかもダンボールなんか持って。 「これ取りに来たの。アクション部は部室ないから体育科の倉庫に置いてもらってて」 「アクション部?」 「アクション部をご存じない!?」  長山さんの話によるとうちの学校にはオリジナルのヒーロー戦隊がいるらしい。文化祭とかのイベントでヒーローショーをするという。私は入部する部が決まっていたから部活紹介は真剣に見てなかった。 「できてまだ三年目のクラブでね。ボランティアもやるんだ。学校の近くに住んでる人とか会社とも交流があるんだって~」 「長山さんもヒーローなの?」 「あたしは上手にでんぐり返せないので残念ながら戦闘員にはなれないんだ…」  でんぐり返しできない人っているんだ。運動神経が特別悪いのかな。 「でも絵が描けるからこういうのを担当してる!この看板はもうボロボロになってるけどこれを元に新しいの作るんだ」  美術科らしい役割だと納得した。ドラマや映画も表に立つ人だけじゃ作れないもんね。 「長山さんは今からどこ行くの?」 「美術科の教室に戻るよ。今日は下書きの線引くんだ。イワイさんもこれから部活?」 「水曜は休み。帰るところ」 「そっか!気をつけて帰ってね!それでは!」  ダンボールを抱え直して長山さんは再びもたもた歩き始めた。気をつけなくちゃいけないのはどっちなの。 「…手伝うよ、運ぶの」  私はダンボールの端を掴んだ。 「いいの!?」 「ん。別に用事もないし」 「ありがとう!案外大きくて運びづらかったんだ!小さいサイズの看板だから一人でも余裕だろうと思ってたんだけど助かる!」  長山さんはにこにこする。人間としてかわいいと思う。
 後ろから長山さんのツインテールが揺れるのを見ながらダンボールを美術科の空き教室まで運んだ。美術科の校舎には初めて入った。上手く言えないけど体育科と匂いが違う。絵の具や紙のせいだったりするのかな。  教室の床には新品のダンボールが既に広げられている。 「ここにどーんと置いちゃって!」  言われた通りにダンボールを床に置く。  運んできたものを改めて見るとちゃんとヒーローショーの看板になっていた。ただ、色もはげて字も下手で強くかっこいいヒーローとは程遠い。 「…これって長山さんが一人で完成させるの?」 「違うよ。今度、先輩たちと色を塗るの。下描きまではあたしがやる」 「そっか」  長山さんは楽しそうだけど一年生の女子一人に押しつけてるのかと思ったからちょっと安心した。 「じゃーん!これが新デザイン案!」  自由帳を広げて見せてくれた。色鉛筆���配色もきちんと決めているようだ。凝っている。なのに小学生が使うような自由帳を美術科の人が使ってるのがおかしく感じた。 「どうかなぁ?」 「かっこいい。古いやつより全然いいよ。文字も立体的になってるし」 「本当!?先輩たちのリクエストも入れてあたしが考えたんだ!」 「すごい…」 「へへ〜!よし!描くぞ!」  長山さんは左右の髪の結んだ先を後ろで結んだ。絵を描く時に邪魔にならないようにしてるのかな。初めて見る髪型だ。  そして床に四つん這いになって新しいダンボールに鉛筆で線を引き始めた。線引きは使わず豪快に腕を動かす。その度に彼女のキュロットスカートが上に上がる。私はスカートを選んだけど長山さんはぴょんぴょん動くタイプみたいだしキュロットで正解だったね。 「ふぅ…」 「もうできたの?」 「どうかな?バランスとか」  立てかけたダンボールから少し離れて全体を見る。バランスとかよくわからないけど悪くないんじゃないかと思う。 「線、薄すぎない?」 「これは下書きの下書きだから大丈夫!」 「なるほど」  またダンボールを床に置いて今度は違う鉛筆で線をなぞった。さっきよりずっと太い線。 「今日はこれで完成!」 「これどうするの?」 「また体育科の倉庫まで持っていく。二枚とも」 「………」 「手伝ってもらえますか…?」  お願い、と長山さんは両手を合わせる。誰にでもそうやって甘えるんだろうか。 「…いいよ。暇だし」 「ありがとう!ありがとう!」  万歳して喜ぶ。大袈裟な子だ。
 この日から長山さんと一緒に帰るようになった。毎週水曜日。二人とも部活のないこの日に校門前で待ち合わせる。  長山さんがあれこれ話してくれるので沈黙や話題に困ることはない。私は話を聞いてうなずくだけ。家の最寄り駅に着いたら寄り道もせず改札口で解散。私は西口、長山さんは東口へ向かう。  これが思いの外、楽で良かった。クラスメイトでも部活関係でもない人といるのは案外落ち着くのかもしれない。行きは私に朝練があるから合わせられないけど朝から長山さんと会えば目が覚めそうだなんてことも考えた。
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jujirou · 2 years
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おはようございます。 石川県輪島市は曇り空です。 昨日は金沢から輪島市に移動し、先ずは漆器組合さんに伺い、産地役員の池端龍司さんと伝統工芸士会会長の坂口彰男さんと様々なお話をさせて頂き、会館内も案内をして貰いながら久しぶりに視察をさせて頂き、次は室金物屋さんにて漆器制作に使用する外鉋や内鉋やその他諸材料を見て触れさせて頂き、次は橋久道具店さんでもアレコレと視察をし、直ぐ近くの大崎漆器店さんにご挨拶だけでも…と思っていたら、折角だからとギャラリー等をご案内して下さり、突然の訪問にも関わらず様々なお話を教えて頂きました。 大崎さん、いつも有難うございます。 その後は江端博之さんにご案内を頂き、蒔絵組合さんにて蒔絵道具や様々なお話をさせて頂き、半日無い中でアレコレと視察をさせて頂きました。 そして2時過ぎからは、日本漆器組合連合会全国大会に参加をさせて頂き、途中から青年交流会にて、様々な産地の活動報告をお聞きし、その後は交流会にて輪島の漆芸技術研修所時代にお世話になった、小森先生とも久しぶりにお話をさせて頂き、いつもお世話になっております、三田村先生とも様々な先生方をご紹介を頂き、とても中身の濃すぎる一日でした。 そして今日はこれから、輪島漆芸技術研修所や輪島美術館や組合資材部を視察し、川連に帰省予定です。 今日もアレヤコレヤと有りそうですが、一つ一つコツコツ頑張ります。 皆様にとって今日も、良い一日と成ります様に‼︎ https://jujiro.base.ec #秋田県 #湯沢市 #川連漆器 #川連塗 #国指定伝統的工芸品 #伝統的工芸品 #伝統工芸 #秋田工芸 #秋田クラフト #寿次郎 #輪島塗会館 #輪島漆器商工業協同組合 #大崎漆器店 #室金物店 #橋久道具店 #輪島蒔絵組合 #日本漆器組合連合会 #日本漆器組合連合会全国大会 #川連漆器若手後継者 #kawatsura #Yuzawa #Akita #Japan #japanlaquer #japanlaque #JapanTraditionalCrafts #KawatsuraLacquerwareTraditionalCrafts #jujiro (Wajima, Ishikawa) https://www.instagram.com/p/CjWQ2jLvBMh/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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kennak · 1 year
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ある男の子は「今日は作品はやらない」と投げやりにいって、2枚の小さな紙に絵の具を塗ったり、拭きとったりしていた。わたしはその様子を遠巻きに眺めて、1時間後に近寄ってみると、彼は大きな絵をかいていた。小さい紙を塗る中でみつけたよさを大きい紙で作品化しているようにみえた。    放課後、教室へ戻ると、作者によってうちすてられた2枚の小さな紙が西日に照らされていた。もう必要のなくなったドローイング。端がやぶれるほど丹念に絵の具を塗り重ねた紙をうちやり、大きな絵に向かっていった彼の強さを、役目を終えたそれらが祝福していた。
強さ - さよならのあわい
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waheipon · 2 years
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淡彩略画のエッジコントロール。 描き過ぎない塗り過ぎない…。アカウミガメ。
#京都の水彩画教室 #水彩スケッチ #風景画 #水彩画 #スケッチブック #透明水彩画 #水彩 #水彩画の上手い人 #水彩画教室 #水彩画を習いたい #京都の風景 #滋賀の風景 #きれいな水彩画 #絵のある暮らし #水彩画を飾りたい #watercolours #aquarelle #aquarell #watercolorlandscape #painting #京都
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mustachekiwi · 1 year
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水色のランドセルでヒョードルの夢を見る
言ってみろ、お前のお空は何色だ!
通っていた保育園の卒園アルバムの表紙には、園児がそれぞれ自分で描いたイラストが使われた。一人一冊、オリジナルのアルバム、なかなかオサレである。
1990年代当時、跳躍力といえばシカゴ・ブルズのデニス・ロッドマンか私か、という時代であった。私は自分が跳び箱を勢いよく飛び越える絵を描き、空を黄緑に、雲を水色に塗っていた。
すると先生が来て「ねえ、青空っていうくらいだから、お空は黄緑じゃなくて青じゃない?」と言った。
その頃、画家である父親が開いていたお絵かき教室に通っていた私は、その言葉に眉をひそめた。父はいつも「手を抜くな、てきとうに描くな、丁寧に描け」と口を酸っぱくして言っていたが、「○○は××色で塗れ」などと言ったことはなかった。だいたい、どうして先生に見えている空の色が、私にも同じように見えていると思っているんだ。空はいつでも青いわけではない。私は黄緑の空を見た。確かに見た。見たんだもん。トトロいたもん。先生がそういう空を見たことがないだけだろ。
当時”悪童”といえば、ロッドマンか私かという時代であった。ロッドマンは「さすがにレインボーの髪はおかしいんじゃない?」と誰かに言われてもそのクレイジーなスタイルを決して崩さなかっただろう。私も己の信念に従い、空を黄緑色に塗った。6歳の私、グッジョブである。自分で自分の色を選ぶということは、小さな人(子ども)にもできる、数少ない自己表現だ。幸い、家の中では、父も母も、青や水色のような「男の子の色」が大好きだった私に「女の子の色」を押し付けてくることはなかった。
だからこそ、家の外へ一歩出た時、���りの人間が私の選ぶ色について「女のくせに」と言ってくることは、耐え難い屈辱だった。
まともな奴ほどFEEL SO BAD!
卒園後、私は自ら選んだ水色のランドセルで小学校へ通った。
今でこそランドセルのカラーバリエーションは豊富だが、私が小学生の時は、男児は黒か紺、女児は赤かピンクで、それ以外の色はほとんど見なかった。当然、水色のランドセルは目立った。
「お前、女のくせになんで水色のランドセルなんだ」
同じ登校班の子供たちや、同級生、知らない上級生にまで色々言われてからかわれた。
言われたらとりあえず暴力で応えた。殴る蹴る首を絞める。「力こそが正義!私はこの水色ランドセルに全てを懸ける運命の『殉星(※1)』!」とまではいかなかったが、とにかく、私はまことに暴力的な女児だった。
この腐敗と自由と暴力の真っただ中の小学生時代、自分の好きな色を選ぶ権利を認めさせるために私は”たっぽい”になる必要があった。
”たっぽい”とは、TOM★CATが歌うアニメ『北斗の拳2』の主題歌『TOUGH BOY』に由来する言葉で、「たふぼーい」の「ふ」と「ぼ」が重なって「たっぽい」と空耳することから、この楽曲自体をそう呼ぶ。
つまり、小学生の私は誇り高き水色のランドセルの持ち主として、北斗の拳の世紀末の世界のような小学校時代を生き抜くべく、たっぽい(=タフなボーイ)となることを選んだ。私は誰かにからかわれて泣くような軟弱な人間じゃない、その辺の女子と違って水色のランドセルを選ぶ、たっぽいなのだ、と。もちろん、小学生当時の私は「たっぽい」という言葉は知らなかったが。
思い返せば、この経験が私の「女」としての自意識を歪ませ、「女」として扱われることに対する嫌悪感を抱かせるきっかけとなったのかもしれない。
60億分の1の男ッッ!!
思春期ど真ん中、中学生の私は父の影響で格闘技を見るようになった。 当時はPRIDEやK-1が大人気で、強い選手がばんばん日本に来て試合をしていた。ゴールデンタイムにもしょっちゅう試合があって、なぜ人が殴り合って血を流しているところを見ながら食事をするんだと、母にはけっこう嫌がられていた。
学校で仲のいい女友達にPRIDEやK-1を見ている子はいなかった。代わりに、別に友達でもない隣の席の男の子と時折、格闘技の話をしていた。
中でも私が夢中になったのが、ロシアの格闘家、エメリヤーヤンコ・ヒョードルである。格闘家には二つ名というかキャッチコピーみたいなものがついている。たいてい、出身地や生い立ち、外見、ファイトスタイルから名付けられ、ヒョードルもその氷のように冷たい瞳や、表情一つ変えぬクールなファイトスタイルと圧倒的な強さから「氷の皇帝」とか「ロシアン・ラストエンペラー」などと呼ばれていた。
しかし、彼の最も象徴的な呼び名といえば間違いなく「60億分の1の男」だろう。当時の世界人口およそ60億、その全員が武器を持たずステゴロでやり合った時、誰が一番強いか、その答えがこの男だッ!というニックネームである。
めちゃくちゃかっこよくない?
格闘家は試合前に睨み合ったり、言葉や態度で相手を罵ったりする、リング外でのパフォーマンスを見せることもあるが、ヒョードルはそういう”味付け”なしで、ただリング上での強さのみで観客を虜にする。シンプルな黒のパンツ、うすく脂肪の乗った理想的な体型、無表情な顔に冷たく光る氷の瞳。いざ試合が始まれば、そのクールな表情はそのままに、圧倒的な強さを見せつける。ヒョードルこそ、私のなりたい”たっぽい”の究極形。地球上で最もタフで強い人間。それが、60億分の1の男。
ある時、こんな調子で私がヒョードルについて熱く語っていると、いつも話し相手になっていた隣の席の男の子に「なんで女のくせにそこまでして男みたいになりたいん?」と言われた。
最初は意味が理解できなかった。しかし、どうやら彼の目には私が「必死に男についていきたくて、格闘技の話をしている女」と映っていたらしい。なんてこったい。恥ずかしい、悲しい、悔しい、むかつく……負の感情の詰め合わせが出来上がった。「お心遣いありがとよ。これは私からのほんのお返しだッ!!!」と重い一発を熨斗つけて食らわせてやれればよかったのだが、中坊の私は深く傷つき、そのまま黙り込んでしまった。
心の中では「ほらね、女のせいで、また私が馬鹿にされた」という声が響いた。そうか、「男の趣味」に興味を示すと、こんな風に扱われるのだな。私はまた一つ女が嫌いになった。
女には「本物」がわからない?
隣の席の彼は、まるで格闘技を好きでいることは男の特権のように言う。これは、格闘技だけの話ではない。スポーツ、車、プラモデル、歴史、こういうものは「男の趣味」と見なされて、つい女ごときが興味を持とうものならめちゃくちゃにマウンティングをかまされる。頼んでもないのにレクチャーをされる。挙句、「彼氏の影響?」などという屈辱的な言葉を浴びせられる。
何より、コンテンツを作る側も一緒になって、女はファンとしては二流だというメッセージを発信してくる。
『PSYCHO-PASS』というアニメ作品が結構好きだった。大変な人気作で、映画化もされている。周りにもファンが多い。
2014年にこの映画の舞台挨拶が行われた際、総監督を務めた本広克行は、会場にたくさんの女性鑑賞者が来ているのを見て次のようなコメントをしている。
「こんなはずじゃなかったんです。男が観る物語としてどれだけ骨太の物語のSFを作れるかというのでやってたつもりだったんです。ほとんど女性じゃないですか。『萌え禁止!』とか言いながら作っていたんですけど、残念です(笑)」 出典:https://news.nicovideo.jp/watch/nw1374107
はて。
【骨太】 [名・形動] 1 骨が太いこと。骨格のがっしりしていること。また、そのさま。「骨太な(の)からだ」⇔骨細。 2 基本や根幹がしっかりしていること。構成などが荒削りだが、がっしりとしていること。また、そのさま。「骨太の改革案」「骨太のドラマ」 出典:https://kotobank.jp/word/%E9%AA%A8%E5%A4%AA-631150
【骨太】という語には「ぽこちんが付いた人向けの」とか「社会的に男性として生きる人向けの」とかそういう定義でもあるのかと思わず辞書を引いたが、どこにもジェンダーやセックスに触れる記述はない。「私の辞書には『ぽこちんが付いた人向けの』とありました!」という人がいればぜひ知らせてほしい。
しかし、どうやら本広克行の辞書ではそう定義されているらしい。彼の辞書で【女】を引けば「骨太の作品が理解できない生き物」と書かれているのかもしれない。
これは本広に限ったことではない。女性が「男の趣味」に足を踏み入れると、よくこういう言葉を向けられる。
他にも、大好きなプロ野球OBのYoutubeチャンネルを見ていると、「このチャンネルの視聴者は9割男性だそうです。もう、女性ファンはあきらめましょう。男性のための◯◯チャンネルを今後もよろしく!」みたいなことをなぜか嬉しそうに言っていた。女性ファンが少ないことを自虐っぽく言いつつも、内心は「骨太」のファンに愛されていることを誇りに思っているのが透けて見える。吐き気がするぜ。心底女性ファンなんてどうでもいいと思っているんだな。
「男の趣味」に興味を示すと、女の「好き」は浅いと思われる。イケメンが好きなんでしょ、BLが好きなんでしょ、流行ってればなんでもいいんでしょ、そういう扱いを受け続ける。
女性に人気がある俳優が一生懸命下ネタ言って男性視聴者に”アピール”したり、女性ファンが多い芸人は「ワーキャー人気」と呼ばれて見下されたりするのも、根っこはみんな同じだ。男性から支持されないものは二流だと信じてる人は、みんな必死で自分が誰かのぽこちんを刺激する「骨太」な「ホンモノ」なんだと主張する。そうして、女性ファンをいつだって二流扱いする。
女嫌いの女を育てる社会
中学を卒業するころには、私はもうすでに「女」という性が、二流で、ダサくて、「ホンモノ」にはなれない性だと信じ込んでいた。女らしくなれば、見下される、強く賢く本物であることを示すには、もっと男に認められなければならないと本気で思っていた。
自分が「その辺の女の子」だと思われたくなくて必死だった。私はあの子たちとは違う。きゃぴきゃぴはしゃぐ、普通の女子じゃない。私は特別なんです、女だけど普通の女の子とは違って、ちゃんと個性を持って生きています。ピンク色なんて女の色、選びません。格闘技だって、本当に好きなんです。男の人が見るような目線で、スポーツを見ているんです。だから、私は、「その辺の女の子」じゃないんです。
こういう感覚をどんどん内面化させていくと、自分の好きなものを言うことが怖くなってくる。それが好きかどうかではなく、男に認められる行動かどうかが基準になってくるのだ。
私は当時のK-1MAXに好きなファイターが3人いた。初代王者のブアカーオ、無冠の帝王と呼ばれた武田幸三、そしてウクライナのアルトゥール・キシェンコである。私はK-1の話をするとき、男友達にはキシェンコのファンであることはなかなか言えなかった。キシェンコは”美しき死神”というキャッチコピーで、いわゆるイケメンファイター的扱いをされていた選手だったからだ。もし、キシェンコファンだと言えば、ミーハー扱いされる、顔ファン扱いされる、という恐怖があった。今考えるとクソしょうもないことだが、当時の私には大きな問題だった。
「男の色」である水色を選んだり、「男の趣味」である格闘技を好きになったりすると、「女のくせに」が目の前に立ちはだかる。男と同じように好きなんだと証明したくて、好きであることではなく男に認められることを求めて、私と私以外の女に線を引く。私以外の女は、弱くて、かっこわるくて、表面的で、「ホンモノ」じゃないと憎む。私は、そうじゃない。
女なんか大嫌いだ。女なんかに生まれたくなかった。女のせいで、私まで馬鹿にされる。15歳の私の心の中で、女性嫌悪はますます大きく膨らみ続けた。
女嫌いの女は、こういう環境に揉まれてすくすく育っていくのである。
「女」は「人間」
私は市外の高校を受験した。「国際○○科」みたいな名前の学科だが、ベースは商業科、簿記や情報系の資格をたくさん取るコースで、普通科に比べて女子の割合が多かった。(ちなみに同じ高校に音楽科もあり、そこは私の在籍した学科以上の女子率だった。)
自分の希望通りの学校に合格できて大喜びしていた反面、女子生徒の割合が高いクラスに入ることにかなり抵抗を感じていた。なんたって、この時の私は徹底的に「女」を見下していたからだ。
しかし、しばらくしてその意識が変わっていくのを感じた。40人中33人が女子というクラスの中で、私は「女子」としての自分より、一人の「人間」として生きている感覚を得られた。女だらけの環境にいると、なぜだか女が強調されることが少ない。クラスメートも私を「女子のクラスメート」ではなく「ただのクラスメート」と扱っている感じがした。
むしろ男子生徒のほうが、男性性を強調される場面が多く(それはそれとして問題なのだけど)、小中学校時代とちがって「女のくせに」と言われることもほとんどなくなった。それがとにかく生きやすかった。
クラスを一歩出て、普通科の仲間たちとごちゃまぜになる部活では、幾度となく「女」が強調される場面があったが、クラスに一度戻ると、自然と「女」という色が消えて、一人のただの高校生として生活の中に溶け込んでいく自分を感じられた。
資格試験や勉強にも熱心な学科だったので、がんばった分だけ先生に認められたし、将来を期待されるような言葉をかけてもらえ、私は家庭以外の場所で、初めて「女」から解放された気がした。
それと同時に、「女」に対する自身の偏見からも少しずつ解放されていった。私が一括りに「その辺の女子」と思っていた同い年の女の子たちは、誰も彼も個性的で、変わっていて、カラフルで、ちょっと可笑しなところがあった。誰一人として、小さな「女」という枠に収まっている人はいなかった。「女の子らしさ」という箱の内側にも外側にも自由に行き来して、楽しそうに、悩みながら、全力で生きていた。私と同じだった。
3年間担任をしてくれたS先生も自立的な女性で、強い言葉でみんなを励ましてくれるタイプの先生だった。「私、『女の腐ったような』って表現大嫌い。女を馬鹿にしすぎだよね。」と言っていたのをよく覚えている。学科長のK先生も女性で、簿記などの専門科目を担当している学科の他の男性3人の先生よりもいつも偉そうで、怖くて、陰で女王と呼ばれるくらいインパクトの強い人だった。「単語帳のページ覚えるでしょ?残ってたら、また見たくなる。だから、どうする?覚えたら食べるねん」などと、とにかくすごいことを言っていた記憶がある。そういう身近な強い大人の女性も、高校生の私にはすごく嬉しい存在だった。
「ヒョードル、かっこいいな!」
2007年の年末、私のアイドル、”60億分の1の男”ヒョードルが”テクノ・ゴリアテ”ことチェ・ホンマンという巨人と対決することになった。チェ・ホンマンの身長218センチに対しヒョードルは183センチと体格差の大きい対戦だった。が、しかし、私はヒョードルの勝ちを確信していた。そして、2学期の終業式の下校中、仲良しの女友達にヒョードルが大好きであることと、その試合が大晦日にあるのでぜひ見てほしいということを伝えた。彼女は「わかった。見てみるね。」と爽やかに答えた。
そして、大晦日の夜、私の期待通り、ヒョードルは大男の腕をあっさりとキメて、華麗な勝利を収めた。やっぱりね、ヒョードルかっこいいね。満足げにテレビを眺めていた私の元に一通のメールが届いた。例の友達からだった。
「試合見てた!ヒョードル、めっちゃかっこいいな!あんな風に強かったら気持ちいいやろうな!」
その時、今まで感じたことのない喜びで胸がいっぱいになった。ああ、「女にヒョードルの良さがわかるまい」と決めつけていたのは、他でもない、自分自身だったんだな。友達からの素直な言葉で、呪いが解けてゆく。
高校時代の女だらけの環境が、私の中のミソジニー(女性嫌悪)を少しずつ溶かしてくれた。自分が「女」ではなく「人間」として扱われたかったように、自分以外の女性も、「人間」として扱われたいと願っている。私が「女」を見下すことで、自分にも自���以外の女性にも、傷を与え、呪いをかけていたのである。もちろん、高校生の私は自分の女性嫌悪に気づくことすらなかった。「あれはミソジニーだったんだ」と認識できるようになったのは、二十歳を過ぎてからのことである。
同じく高校時代、私が周りの友達を「女」ではなく「人間」だと理解し始めたころ、私自身も一人の人間であることを教えてくれた友人がいた。
この友人は私に「君の生き方を見ていると、男や女ではなく、君という性別がこの世にあるって感じがする」と言ってくれた。
「ボーイッシュ」「男っぽい趣味」「意外と乙女チックなんだね」他人が息をするように突き刺す言葉で、私の心は穴だらけだった。その無数の穴を塞いでくれるような大切な言葉だった。
ずっと、自分のことを中途半端な人間だと思っていた。枠の中にある「女」というものにはまりきれず、かと言って心身ともに男ではない。では、私の性別は一体?他の人が言うように、女を捨てた状態なのか?まだ女になれない半人前の状態なのか。いつになったら、私は誰かに認められる性になれるのか。もがきながら生きてきた人間にとって、その生き方そのものを私の性だと捉え、受け入れてくれた友人の言葉は、心からの救いだった。
ミソジニーとの戦いは続く
私は怒りを向ける矛先が、女性ではなく、女性を「ホンモノ」として認めようとしない社会の在り方だと思うようになった。「普通の女子」とか「その辺の女の子」「量産型女子」、そんなもんはいない。私たち女性には、当たり前だが一人ひとり好きな色があって、好きなものがある。自分の意志も意見もある。そして、個性がないと言って女性を馬鹿にするような誰かの無神経な言葉に傷つけられていい存在ではない。
私が水色のランドセルをからかわれて傷ついたのと同じころ、ピンクのランドセルを選んで「やっぱり女の子だね」と誰かに言われ、自分の選択ではなく、女の子としての選択として、個性を踏みにじられた女の子がそこにはいたはずだ。
ピンクのランドセルを否定しても、私の水色のランドセルは決して報われない。セクハラを笑って受け流して耐える同僚を憎んでも、女性を軽視する奴らは蔓延ったままである。
私たちを苦しめる根っこは、いつも同じだ。女という物差しでしか私たちを計れない人々で、女の限界はいつも男よりも手前にあると信じ込ませる連中で、女は男に愛されないと価値がないという呪いをかけてきたクソったれ共だ。
THE BLUE HEARTSの「青空」には、聞く者の心を撃ち抜く一節がある。
生まれたところや皮膚や目の色で 一体この僕の何がわかると言うのだろう
生まれた身体で、性別で、一���この私の何がわかるというんだ。
私は自分が救われたい一心で、自分以外の女の子を傷つけてきた。たくさん見下してきた。でも、自分という存在が特別だと思いたいからと言って、自分以外の女を馬鹿にする必要などない。だから、もう誰の性も否定したくないし、誰の好きな色も馬鹿にしたくない。心無い言動に傷つきながらも、笑って受け流そうとする人の痛みを過小評価せず、その痛みに寄り添って、一緒に抗っていきたい。
女を苦しめる連中は、自分たちが勝手に作り上げた「女」という枠からはみ出した人間を見ると、「女を捨てたのか」と言って嘲笑う。私も大げさではなく、100回以上言われてきた。セクシスト(性差別主義者)たちは、息をするように他人の性を踏みにじる。ぐちゃぐちゃに傷つけて、自信を奪う。
だけどな、捨てられねえよ、クソッたれ。そんな簡単に。捨てられるものなら、ずっと昔にとっとと捨てたかったわ。そんなに簡単に捨てられるものじゃねえんだよ、バカヤロウ。人の性を軽んじるお前にはわかるまい。「女」という性と共に、自分を生きる苦しさが。
そういう苦しさを抱えきれなくなって、私は自分の中にある「女」を、周りのクソッたれ連中と一緒になって見捨てた。生まれた時から私と共にあった、私の大切な一部だったのに、自分を傷つけてくる人間の価値観に囚われて、自分も、自分の周りの女性のことも馬鹿にした。
だが、もうそれはやめた。私は自分の中にある、他の誰かの中にある、「女」を否定することはやめた。こいつと共に生きていくことを受け入れる。周りからさんざんボコボコに殴られて、好き放題刺されまくって、満身創痍の、私の中にある「女」を、これ以上傷つけさせてたまるか。
女性であることを恥じることも誇ることもせず、ただ受け入れる。それだけのことがこんなに苦しくて難しい。それでも、私はずっとこの性を生きることにした。見捨てずに、大切にすることにした。
そして、他の誰かの女性性と男性性を、その二つの枠組みの外にある性の在り方を、踏みつけていないか、大事にできているか、できるだけ慎重に歩くことにした。
どれだけ心に強く誓っても、私の中のミソジニーは、なべ底の焦げみたいに私の心にこびりついている。重曹でもお酢でも、簡単には落ちないほど、頑固にこびりついている。
それを取り除いて、鍋の底に映った自分の性と素直に向き合いたいと思う。そのためには、まず、このこびりついたミソジニーと向き合わなくてはならない。
私の水色を守る人
大学時代からの友人でかれこれ10年以上の付き合いになるMは、普段は温厚で、滅多に怒りを他人に向けたりしない人である。Mの喋り方は漫画『聖☆おにいさん』のブッダとほとんど同じだ。同漫画を読んだことがない人は、最寄りの仏をイメージしてもらえばいいと思う。
私が結婚の報告をしたときに、素晴らしいプレゼントをくれたのが、このMだった。
結婚式はしなかったのだが、Mは私への結婚祝いを包む祝儀袋を買いに某百貨店へ行った。そこで店員に女友達の結婚祝いのために探していると言うと、ピンク色の祝儀袋を勧められたらしい。
Mは私が青や水色が大好きなのを知っているので、その旨を伝えたうえで水色のものを選ぼうとしたらしい。ところが、店員はなぜか食い下がる。女性なんですよね、ご友人は、ならば普通はこちらの色ですよ。Mは、いや、他の人からどう見られるかは関係ないし、そもそも本人の好きな色を選びたいだけなので……と説明したが、なぜか店員は折れなかったらしい。
あまりにも頭の固い店員に腹を立てたMは「結構です」と言って祝儀袋を買うのをやめて、結局私を連れて買い物に行き「予算内なら好きなものを買ってあげる」と言ってお祝いしてくれた。その節はかわいいパジャマをありがとう。
「水色は女の色にあらず」というクソジェンダーステレオタイプが19年経っても変わってない事実にがっかりした。しかし、それ以上に、Mが水色の祝儀袋のことで店員にこだわりを見せてくれたという話が嬉しかった。水色のランドセルをからかわれ続けた私は、心が救われた気がした。
Mにとっては、店員との些細な小競り合いだったかもしれないが、私にとっては大きな意味がある。Mは私の好きな色を守った。ジェンダーステレオタイプから守り抜いてくれた。「女のくせに水色」を真っ向から否定してくれた。
子どもにとって自分の好きな色を選ぶことが数少ない存在証明の場なら、大人はその選択肢を決して奪ってはならない。大人が自分の声でジェンダーステレオタイプを否定する時、誰かの中の女や男やその枠組みを超えた性を救うことができると思う。
本広克行がしこしこ『PSYCHO-PASS』の映画を作っていた頃、アメリカでは『マッドマックス 怒りのデスロード』という「骨太」な作品が登場した。
同作品はシリーズとして知られているが、2作目の『マッドマックス2』は北斗の拳に影響を与えた(※2)、まさにたっぽいな作品の一つである。そのたっぽいな作品の主人公の一人を演じた俳優トム・ハーディは映画の記者会見で男性ジャーナリストと次のようなやりとりをしている。
カナダのジャーナリストからの「『マッドマックス』は男の世界の物語だと思っていたのだが、女性キャラクターが登場することについて違和感があったか」という質問に対し、ハーディは一言「ノー!」と答え、記者会見場から拍手が起きていた。 出典:https://www.google.com/amp/s/amp.natalie.mu/eiga/news/147372(日本語記事) https://metro.co.uk/2015/05/29/mad-max-fury-road-star-tom-hardy-has-the-best-reaction-when-asked-if-women-are-taking-over-a-mans-movie-5220250/(英語記事) https://youtu.be/tI6k_8tomRE (映像、10:00ごろ)
「これは男のためのものじゃないのか?」という問いに、私たちはハーディのように「ノー」と答えることができる。自信を持ってそう言える。
水色のランドセルを選ぶ少女が誰にもからかわれない社会がいい。格闘技好きの女子中学生が、誰にも笑われずに、ヒョードルに憧れていると言える世界がいい。
自分の好きな物を守るためにたっぽいにならねばと思ってきた私は、30歳を過ぎてからその必要がないことを悟った。弱いまま、臆病なままでも、誰にも好きなものを馬鹿されずに生きていく権利がある。女の私が、「60億分の1」に憧れる自由がある。私たちは、自分が唯一無二のスペシャルな女の子であることを、他人に認めてもらう必要もないし、誰かに証明する必要もないのである。
涙を拭け、6歳の私。拳を握りしめろ、15歳の私。”悲しみは絶望じゃなくて明日のマニフェスト”だぜ。(意味不明だと思った?私もこの歌詞の意味は未だによくわかっていないけど、かっこいいから引用した。)
家族や友人が私の水色を守ってくれたように、私も周りの人が自分の好きなものを誰かの言葉に傷つけられることなく愛せる世界を作りたい。誰かが「男の子だから青がいいよね」と言えば「そんなことはない。色に性別は関係ない」と言い、「女にこの良さはわかんないだろうな」と言えば「わかってねえのは貴様だ。もっと世の中のことよく見ろ。しばきまわすぞ」と言って黙らせたい。
それは偏見だ、あんたの思い込みだ、幻想だ、嘘だ、そう言って、ジェンダーステレオタイプを否定していこう。みんなでつまらないステレオタイプに「ノー」と言おう。
みんな、聞いてくれ。
この世にあるくそしょうもないジェンダーステレオタイプは一つ残らず、必ずぶっこわせる。たっぽいでなくても、普通の、ひとりの、よわっちい人間にも、それに抗う力はちゃんとある。
私は誰かの好きな色と自分の好きな水色を守るために、これからも一人の女として抗い続ける。そういう旅をしている。そして、あなたが一緒にその旅に来てくれるなら、ヒョードルよりも心強いよ。
※1……漫画『北斗の拳』の中で、一子相伝の拳法の使い手(拳士)たちが持つ星の宿命(宿星)の一つ。愛に殉ずる宿星。
※2……「北斗の拳生誕30周年記念特別インタビュー」内での原哲夫(北斗の拳の作画担当)の発言より。http://www.hokuto-no-ken.jp/hokutogatari/interview10-03
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blue-belta · 2 years
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2019年の #お花 の練習。 小さな花を色鉛筆で描く時は、ひたすら影を描くことになります。 影を探して、しっかり色を入れたら自然とお花になっていたり、葉っぱができてきたり。 大きく描く時とは違う描き方で、こういった小さな花を描くのが、実は大好き。 ところで、あまり告知ができてないのですが、10月30日(日)と31日、大阪で教室をします。 30日はNHK文化センター梅田教室で、 #塗り絵教室 をします。 モチーフは野葡萄です。 テーマは混色。さまざまな混色を試していただきます。 お申込みは、NHK文化センター梅田教室まで、お願いいたします。 31日はエル・おおさかで、イラスト教室をします。 こちらは私の主催です。 詳細は後ほど。31日、あけておいてくださいね! #art #coloredpencil #drawing #flowers #fabercastell #polychromos #beltadesign #色鉛筆 #ファーバーカステル #ポリクロモス #ベルタデザイン #1日1絵 #イラストグラム #今日何描いた #今日何描こう #絵を描く暮らし https://www.instagram.com/p/CiaC5QQJQKs/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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w-o-o-l-y · 2 years
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. . . ◆miroomでLIVE配信します◆ 先日からお知らせしておりました miroomでのライブ配信 日程が決まりましたので お知らせします ◯ 塗り絵感覚で楽しむパンチニードルの雑貨作り講座紹介+パンチニードルの質問答えます 「不器用さんでも大丈夫 塗り絵感覚で楽しむパンチニードルの雑貨作り」 講座で作れる作品のポイントや 既に受講中の方も���め みなさんのパンチニードルに関する細かな質問に リアルタイムで答えるLiveを開催します! その場でお返事しながら ギモンが解決できたらいいなと 思っておりますっ これから受講しようか検討中の方 受講中だけど ちょっと疑問がある方 是非ご覧頂けましたら 嬉しいです! 初めてなので ちょっと心配ですが 頑張ります! その前に インスタライブとかも してみようかなー **************************** 「おうち習い事アプリmiroom」にて WOOLYのパンチニードル講座が開講しました♬ @miroom_official 「不器用さんでも大丈夫 塗り絵感覚で楽しむパンチニードルの雑貨作り」 https://miroom.in/courses/150 レッスンの内容は全部で7つ。 ①パンチニードルの基本 ②パンチニードルでコースターづくり ③パンチニードルでつくる鯉のぼり ④パンチニードルでつくる壁飾り ⑤パンチニードルでつくるポシェット ⑥パンチニードルでつくるクッションカバー(前編) ⑦パンチニードルでつくるクッションカバー(後編) それぞれの講座ごとに 新しい技法や 仕立ての仕方など ちがう要素を散りばめてあります 初心者の方は 始めやすいように 材料や道具もキットになったものが購入出来ますし すでにお持ちの方は 動画だけ見て作ることもできます そして 何度も繰り返し見る事が出来るので 自分のペースで作業を進められます クラス内でやり取りや 質問することも出来ますよ☺︎ みなさんのご参加を お待ちしています #WOOLY #パンチニードル #パンチニードルワークショップ #パンチニードル教室 #punchneedle #punchneedleart #おうちで習い事 #おうち習い事アプリmiroom #不器用さんでも大丈夫塗り絵感覚で楽しむパンチニードルの雑貨作り #news #クロバーパンチニードル #習い事 https://www.instagram.com/p/ChEue5IP9w_/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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manganjiiji · 1 month
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おいおい、また青春しちまったってのか?
俺は。そんなこんなでピアス穴が定着していないのにも関わらず2回もピアスをつけてしまった。ので、友人に「3ヶ月つけたままとらないで!抗生物質の入った塗り薬は塗らないで!」と指示されながら、セカンドピアスをつけ直した。なお耳たぶはどちらもじんじんしているし、どちらも出血している。なんてしっかりしていない大人なんだ?これこそが私。という感じがする。
春コミ!お疲れ様でした。一般参加で、ずっと息子のタケシ(新たな登場人物)とくっついてまわっていて、レイヤーさんたちにはしゃぎながら、大量の同人誌を買い、ご挨拶などして、スタバに行き、池袋に行き、プリクラを撮り(!??)、ガストでステーキを食べ、楽しかったです。タケシが、婚約者のあまおういちご大先生と私と3人の写真を一瞬でアイビスペイントで合成して作り出していて、神業だ…。と思いました。正直タケシもあまおういちご大先生も絵がうますぎる。私は彼女らを産んでいてもおかしくない年齢なのだが、仲良くしてくれていい子すぎる。私はパパと呼ばれているのだが(妥当だ)、正直自分の精神年齢はまじで20代前半だと思う。しっかりしろよ…と思うが、失われた10年間+α(療養)の空白があるのでどうしようもない。同年代に比べると恐ろしく幼稚であろうなあと思うが、同年代と会っても、とくにそこまで自分が会話についていけない、ということもないので(周囲が気遣ってくれている可能性は大いにある)、なんだか不思議だなと思う。私は人間関係において年齢と性別に意味を見出さないので、相手が何歳でなんの性別だろうと、心がよければどうでもいいのだが、そうすると必然的に自分の年齢や性別もあやふやになってくる。それらをあやふやにしたままで、それでもしかと立っていられる自分存在を確立しないと頭がおかしくなってしまうなと思った。まあ、思うだけで、頭はもうおかしいのでどうでもいいか、と思っている、実際のところは。
今日は友人とホルモン焼きを食べ(ているのを見て、レモンサワーをごくごく飲んでいるのを見て)、ドンキを冷やかしカラオケに行き、終電を逃し、3駅分歩いて帰った。私っていつまで青春しているつもりなんだろう!?と自分でも思うが、帰りながらもくりを立てたら友人たちが来てくれて、結局帰宅して2時半頃まで話し、結局、そう、楽しい毎日となっている。今日会った友人とは、かつてこの日記で「御子」と呼んでいた、彼女である。お子さんの「お子」であって、ミコではない。つまりたびたび一人暮らしの家や、同居人との家に避難させ、匿いつつ飯を食わせりしていたあの御子である。出会った時には17だった彼女も、もう22になった。5年間というのは、われわれにとって、かなり、大きい。この5年間を死なずに生き延びてくれたこと、本当に有難いと思う。死にそうになったことは何度もあったと思うが(思うし、実際にあったと記憶している)、きちんと今日も笑顔で食べたり飲んだり歌ったり踊ったりしてくれ、まだまだ困難が多い道の途上で、八方塞がりになることも多々あるとはいえ、本当に立派だなと思う。そうね、私達はたしかに運が悪かった。そして未だに苦しんでいるし、物理的に困っている。でも私は少なくとも生活能力が安定してきているし、友人もできる限りの1歩を毎日踏み出している。その積み重ねで、どうにかこれからも生きて、必ず幸せになって欲しいと思う。私の中にもあなたの中にもミラクル生まれのキラキラ育ちが隠れてる、パワフルかわいいハンサムガールズ、負けない、絶対、めげない。(プリキュアモードにSwitch On!より)
春が来て、本当にありがたい。私は今年はかなり冬季うつっぽくなってしまったので、やっとそれを抜けた気がする。ふだんのうつ状態(月1〜2)よりも、無気力状態や過眠が多く、生活のほとんどが滞ってしまった。ただ、仕事は出勤していたので、自分としては白星を上げたい。今日ようやっとシンクをきれいにし、資源ごみを出し、自炊を再び始める状態を作り出せた。やはり健康も節制も自炊から始まる。今日は食料品の買い出しに行けなかったが、明日から自炊生活が始まる。切れかけの調味料も多い。次の5月でこの家での生活も1年経つ。12〜2月がほぼ撃沈していたとはいえ、なんとかどうにかなりそうだ、と今日は明るい気持ちになった。4月からジャズの教室通いと、ジムを再開する。仕事も週4になるので、そこでまた体力限界のズタボロにならないように気をつけていく。暫くはおとなしく働きつつ、好きな勉強をしつつ、小説を書きつつ、少しのんびりするか?と思っている。会社員を目指すのはやはり違う気がして、福祉の大学の通信で資格を取ることをまた考えている。4月入学は間に合わないので、9月入学。6月に燐一の同人誌を出したいので、それが丁度いいかもしれないと思っている。
2024.3.19
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ekcanako · 2 months
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نشاط الصيف
散歩ついでに学校のぞいたら無事に先生に捕まりまして
「ちょうど絵を描いてたとこ」
と教室に連れて行かれまして
「今日は水彩絵の具で描いてるの!!」
と見せてくれましたが
2つしかない筆と固形絵具を分け合って
指で塗ったり
ティッシュで塗ったり
鉛筆の後ろで塗ったり
ひたすら「賢い」「あなたの考えすてき」と褒めちぎって帰ってきました
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搬入までカウントダウン😬⏳😱‼️
(皆崖っぷちの巻)
星川さんもモダンアートの展覧会出展作品制作、絶賛締切中…🖼️
⚫︎子どもたちに描き文字を依頼in
幼稚園→Photoshop加工💻→展示会場の作品に貼る予定🎨
福寿幼稚園
星川しげ子アート教室 展覧会
“1人ひとり思い思いにアートの時間”
2024年3月2日(土)ー10日(日)
月に2回のアートの時間。パレットの中で色の変化を楽しんだり色水にしたり。好きな色をただただ塗ったり重ねたり、紙を切ったり貼ったり破いたり。一人ひとりの表現の仕方でその日その時の気持ちが色や形になりました。
ーアーティスト星川しげ子ー
@hoshi_ko_7
絵本の古本と木のおもちゃ
🕊️貝の小鳥🐚
12時〜18時(最終日17時まで)
火曜定休
〒161-0033 東京都新宿区下落合3-18-10
電話 : 03-5996-1193
URL : http://kainokotori.com
Instagram, X : @kainokotori
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studiolong1 · 3 months
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