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#善光寺楼門
orion3sta · 2 years
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2022/08/17 茨城福祉協議会で年4回発行している雑誌の取材に、観光案内ボランティアガイドを依頼されて、いばナビの編集者、カメラマン、協議会職員の3人を引率して、親鸞聖人所縁の板敷山大覚寺と善光寺楼門を案内しました。 八郷盆地の周囲にある、愛宕山十三天狗、筑波山三十六天狗、加波山四十八天狗と伝えられ、加波山は修験道の聖地であり、その山麓の板敷山から稲田まで布教のために峠を越える親鸞聖人を亡き者にしようと、弁円という山伏が護摩を焚いて、待ち伏せしていたのが、改心して筆頭弟子になるのが、牛若丸と弁慶を思わず連想しちゃいます! 親鸞聖人の法難地図通りに、遺跡(過去の画像も添付)を歩いてみて思いを馳せたり、大覚寺前にある、おどろおどろしい名称の人喰橋(女性が大蛇に変身して、池の周辺にいる人を喰っていたのが、親鸞聖人の念仏等により成仏する)の謂れも、興味をそそります。 次に、室町時代に建立された国指定重要文化財である、茅葺き屋根の善光寺楼門を案内しましたが、惜しむらくは善光寺本堂の屋根が崩落してることです。 新盆参りを21件盆中に歩いたと思ったら、盆後に早速、同級生宅のお通夜に参列し、取手市から帰省した親友を誘い、徳樹庵に立ち寄り、うな重御膳をご馳走し、ノンアルコールビールで献杯しました。 石岡市でPayPayとコラボして実施している、PayPayキャンペーンだったので、支払額の三割が還元されるので、得した気分になります。 #iPhone日記 #観光案内ボランティアガイド #八郷すてき旅案内人の会 #板敷山大覚寺 #親鸞聖人 #裏見無しの池 #人喰橋 #弁円の薙刀 #善光寺楼門 #徳樹庵 #うな重御膳 #PayPayキャンペーン #ノンアルコールビール https://www.instagram.com/p/Chfc9vPhaHY/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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navetin · 2 years
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近代日本の芸術家とその邸宅を設計した建築家
※以前の記事に不具合があった為、再掲。 建築家も芸術家の内ではあるが、 ここでは画家や作家の総称として使わせていただく。
先日鑑賞した東郷青児展では石本喜久二が、 また吉田博展では渡辺仁がその邸宅設計に携わっているのを知った。 このように有名建築家が芸術家の邸宅を手掛けた例は いったいどれくらいあるのだろうか。ざっと調べたのが以下の通り。 ▼有名建築家が設計した芸術家の邸宅
太田喜二郎邸 藤井厚二設計 大正13 京都市上京区        アトリエは太田の設計で採光に拘った作り 東郷青児邸  石本喜久二設計 昭和6 世田谷区代沢 現存せず        インターナショナルスタイルの「白い家」 吉田博邸   渡辺仁設計 昭和9 淀橋区下落合 現存せず        ステンドグラスなどの内装は吉田もデザイン 三岸好太郎  山脇巌設計 昭和9 中野区上鷺宮         バウハウスに学んだ山脇のモダニズム建築は        近隣から「お豆腐の家」と呼ばれていた 安井曾太郎邸 山口文象設計 昭和9 淀橋区下落合 現存せず        アトリエのみ 設計にあたり多くの注文があり苦心した様子 前田青邨邸  山口文象設計 昭和11 鎌倉市山ノ内 純和風建築        山奥の寺院の中にあり非公開だが現存する       林芙美子邸  山口文象設計 昭和16 淀橋区下落合 現・林芙美子記念館        数寄屋造の和風建築 林は新居建設の為に建築を学んだ 上村松園邸  西澤文隆設計(坂倉準三建築研究所) 昭和22 奈良市山陵町        現・唳禽荘(れいきんそう) 岡本太郎邸  坂倉準三設計 昭和28 港区南青山 現・岡本太郎記念館        岡本と坂倉はパリ留学中より親交があり、その後も協同 吉村益信邸  磯崎新設計 昭和32 新宿区百人町 住居兼アトリエ        前衛芸術集団「ネオダダ」の拠点となった        通称・新宿ホワイトハウス 現・Chim↑Pomアトリエ 東山魁夷邸  吉村順三設計 昭和28 千葉県市川市        東山の依頼に基づいた簡素な住居 猪熊弦一郎邸 吉村順三設計 昭和46 大田区田園調布        RC造3階建ての二世帯住宅 非公開 赤瀬川原平邸 藤森照信設計 平成9 町田市玉川学園 通称・ニラハウス        竣工時は屋根にニラがなびいていた その他、数多くの日本画家の邸宅・画室の設計に携わっているのが 吉田五十八で、近代数寄屋建築が日本画の制作環境に馴染み、 好まれていた事が伺える。 ▼吉田五十八が設計した邸宅・画室
鏑木清方邸  昭和7 牛込矢来町 旧居 現存せず        昭和29 鎌倉市雪ノ下 新居に五十八が設計した画室を再建        現・鏑木清方記念美術館 小林古径邸  昭和9 大田区南馬込 平成5解体 新潟県上越市に移築         現・小林古径記念美術館 川合玉堂邸  昭和11 新宿区牛込若宮町 現存せず 山川秀峰邸  昭和11 品川区下大崎 画室のみ 現存せず        昭和18 中郡二宮町 別邸 現・旧山川秀峰・方夫邸 山口蓬春邸  昭和14 世田谷区祖師谷 旧居 現存せず        昭和23 三浦郡葉山町一色 画室など増改築        現・山口蓬春記念館(改修は大江匡) 梅原龍三郎邸 昭和27 新宿区市谷加賀町 画室のみ 山梨県清春芸術村に移築        昭和33 同地に新居を建設 その後は不明 吉屋信子邸  昭和37 鎌倉市長谷 現・吉屋信子記念館
ご覧の通り芸術家と建築家の結び付きは強く、 古くはジョサイア・コンドルが河鍋暁斎に師事して日本画を学んでいるが、 もしもコンドルが暁斎邸を設計していたら…なんて想像するのも一興哉。 コンドルの例は兎も角、公共建築に於いては両者の協同も多い。 (例)丹下健三・黒川紀章・谷口吉郎 などの建築家と    岡本太郎・猪熊弦一郎・イサム・ノグチ などの芸術家
元々建築デザイナーも絵描きのうちで、図案や家具、 公共デザインを手掛ける建築家も少なくはないし、 たまたま創作のジャンルが異なっただけのことなのかもしれない。 モダニズム建築の巨匠ル・コルビュジエは優れた画家でもあった。 その一方で、芸術家が自ら建築設計してしまう例もある。 ▼芸術家が自ら建築設計
岡倉天心  明治38 北茨城市大津町五浦 観瀾亭と称する六角堂を設計       東日本大震災で起きた津波により消失 その後再建 橋本関雪  大正3 - 5 京都市左京区 自邸・画室・庭園を設計       現・白沙村荘(はくさそんそう)橋本関雪記念館       画室は存古楼(ぞんころう)と名付けられた       昭和6 - 7 持仏堂・茶室群を設計 庭園はその後も拡張される 横山大観  大正8 台東区池之端 自邸を設計 東京大空襲で消失       昭和29 同地に新居再建 内装も設計 現・横山大観記念館       旧宅及び庭園が国の史跡及び名勝に指定されている 坪内逍遥  大正9 熱海市水口町 自邸を設計 現・双柿舎(そうししゃ) 山元春挙  大正10  大津市中庄 琵琶湖畔に別邸を設計       現・記恩寺 蘆花浅水荘(きおんじ ろかせんすいそう) 安田靫彦  大正11 三島郡出雲崎町 良寛堂を設計       昭和3 中郡大磯町 自邸を設計 現存せず       昭和6 中郡大磯町 安田善次郎別邸(寿楽庵)庭園内       経蔵・持仏堂・平唐門等を設計       昭和9 伊豆市修善寺 新井旅館       天平大浴堂・花の棟・吉野の棟・観音堂を設計 朝倉文夫  昭和3 - 10 台東区谷中 自邸・アトリエを設計       8回に及ぶ増改築と7年の歳月を掛けて完成した 現・朝倉彫塑館       中庭と屋上庭園が国の名勝に指定されている 柳宗悦   昭和10 目黒区駒場 栃木の農家から長屋門を移築し自邸を設計       昭和11 民衆的工芸品展示の為、同地に日本民藝館を設計 河井寬次郎 昭和12 京都市東山区 自邸兼仕事場を設計        鐘溪窯と名付けた登り窯を付設 現・河井寬次郎記念館 川端龍子  昭和13 大田区中央 画室を設計       昭和23 - 29 同地に自邸を設計 増改築を経て完成       昭和35 伊豆市修善寺 新井旅館 改装工事監修・玄関を設計       昭和37 大田区中央 自作展示の為、龍子記念館を設計 堂本印象  昭和41 京都市北区 自作展示の為、堂本印象美術館を設計
芸術家の美意識が詰まった建築は、個性的でとても興味深い。 素材や意匠など細部に渡って拘りが見え、空間表現も巧みだ。 日本画家の巨匠である安田靫彦と川端龍子は自邸以外の設計も手掛けており 両者の建築コラボレーションが伊豆修善寺・新井旅館を改装する際に、 時を経て実現している。
20220108<加筆修正> 日本画家 橋本関雪・山元春挙を追加
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oniwastagram · 3 years
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📸御堂 陽願寺庭園 [ 福井県武生市 ] Yoganji Temple Garden, Echizen, Fukui の写真・記事を更新しました。 ーー蓮如上人ゆかりの寺院に残る��お寺にはレアな近代の洋館からものぞむ“御殿庭園”。国登録有形文化財。 ...... 「出雲山 御堂 陽願寺」は越前市・武生の中心部にある浄土真宗本願寺派の寺院。その命名は浄土真宗中興の祖 #蓮如 。 江戸時代~近代に建立された本堂、庫裏、対面所、御殿、洋館、客殿、土蔵、鐘楼、納骨堂(蓮如堂)の9棟が #国登録有形文化財 で、江戸時代末期作庭の庭園が残ります。(拝観は土日祝のみ/冬季は拝観休止) . 6月に約2年ぶりに武生を訪れました。2年前に訪れた時は存在を知らなかったこの庭園、元のきっかけはお寺さんから「庭園をご紹介いただけませんか」とご連絡いただいたこと。(ちょうど一年前頃) それ以来武生へ行く機会をずっと伺ってたのですが…北陸(金沢方面)へ行くタイミングで立ち寄り。この日は丁度“蓮如忌~Rennyo Festival”の日でした🎉 . 創建は室町時代の1484年(文明16年)。開基・善鎮上人は元々『毫摂寺』(国指定名勝『城福寺庭園』の近くにある大寺院)の住職でしたが、大谷本願寺を破却し京都を追われ越前を拠点とした本願寺八代目・蓮如上人👨‍🦲に教えを受け、新たに陽願寺を建立。 そんな蓮如ゆかりの寺院であり、蓮如上人の御真筆も残ります。 . 戦国時代、越前一向一揆⚔️が織田信長により鎮圧された後に当時の武生のお城・府中城に入った青木紀伊守により現在の場所が寄進され移転。 江戸時代には本願寺より院家(門跡寺院の別院)に任じられて発展。皇族ゆかりの寺院になったことで“御堂”と呼ばれるようになり、桜町天皇の位牌、光格天皇の冠など皇室関係資料も所蔵(越前市指定文化財)。 . 幕末に大火🔥で伽藍を焼失したため、現在残る建造物はそれ以降の幕末~近代に再建されたものが中心。それゆえ寺院には珍しい近代の洋館があることや、対面所、御殿の意匠に #近代和風建築 の要素が見られるのが陽願寺の楽しいところ。 続く。 ・・・・・・・・ 🔗おにわさん紹介記事: https://oniwa.garden/yoganji-temple-echizen/ ーーーーーーーー #japanesegardens #jardinjaponais #japanischergarten #jardinjapones #jardimjapones #японскийсад #japantemple #japanarchitecture #japanesearchitecture #japantemple #日本庭園 #庭園 #庭院 #庭园 #武生 #takefu #越前市 #echizen #洋館 #文化財 #おにわさん #oniwasan (浄土真宗本願寺派 出雲山 陽願寺) https://www.instagram.com/p/CROMm7fMDYz/?utm_medium=tumblr
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hi-majine · 3 years
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お血脈(おけちみゃく)
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 そのむかし、天竺《てんじく》(インド)から、閻浮檀金《えんぶだごん》とかいう、一寸八分ある仏体《ぶつたい》が、はじめて日本にわたってきたときに、仏敵、守屋《もりや》の大臣《おとど》というひとが、 「日本は神国である。かようなものがあっては、かえって人をまどわしていかん」  といって、摂津《せつつ》、河内《かわち》、和泉《いずみ》の三カ国の鍛冶《かじ》屋をあつめて、大勢で、ドカドカたたいたけれども、わずか一寸八分の仏体が、どうしてもこわれません。なにしろ、ちっぽけなくせに強情なやつだというので、簀巻《すま》きにして難波ガ池というところへほうりこんでしまいました。  そのうちに、日本もだんだんかわってきて、三つの法でおさまるようになりました。三つの法というのは、「仏法、鉄砲、女房」でございますが、それから仏法もひろまるにしたがって、坊さん同士でいろいろと議論をして、意見の衝突から、八宗、九宗とわかれるほどさかんになりました。  のちにいたって、本多|善光《よしみつ》というひとが、かの難波ガ池のそばを通りますと、 「よしみち、よしみち」  というかわいらしい声がいたします。  善光がふりかえってみると、仏体が、おいで、おいでをしております。 )」 むかしのひとは、目の性《しよう》がよかったとみえて、一寸八分のほとけさまが、うすっ暗いところで手まねぎをしているのがよくわかったもので、おからだがちいさいくらいだから、まだ舌がまわりません。 「よしみち、よしみち」  とおっしゃいます。本多善光が、 「ははっ」  と、大地へ手をついて、おじぎをすると、 「余は、信州へまいりたい。案内をいたしてくれ」  とのおことば。 「かしこまりましてございます。さあ、わたくしの背なかへおんぶをなさいまし」  といって、仏体をおぶったと申しますが、たかが一寸八分ばかりのもの、おぶわないでも、財布か、たばこいれへでもいれてゆけばよかったろうとおもいます。  それから、昼夜をわかたず、これをおぶって道をいそぎましたが、なにしろ道路が整備されておりませんから、木の根、岩のかどへつまずき、生爪をはがし、足をいためなどすると、背なかでこれをごらんあそばして、 「ああ、昼夜のわかちなく、われをおぶいくれ、そのほうもだいぶつかれたるようす。夜は人目にかからんから、余がかわりとらせる」  と、おっしゃると、みるみるうちに丈余(一丈あまり)のすがたに変じました。  これだけ大きくなれるんなら、なにも池のなかで、おたまじゃくしを相手にあそんでなくってもよかったろうにとおもいますが、これがいわゆる時機を待っていたのでございましょう。昼間は人目にかかってわるいというので、ちいさくなっていて、夜になって大きくなる。昼間がちいさくって、夜になると、むくむくと大きくなる……なにかみたいなほとけさまでございますが……これが信州へまいりまして、いまもって善光寺へおさまって、善男善女《ぜんなんぜんによ》の参詣ひきもきらず。お堂のうちに、階段めぐりというおそろしいまっ暗なところがあります。これは、ありがたいお経文がはいっております。つまり、地下倉庫で、入り口に大きな錠《じよう》がおりております。その錠へ手がさわると、極楽往生ができるといいつたえているので、欲ばったやつが、手がさわっただけで極楽へいけるというなら、捻《ね》じ切ったら、どんなことになるだろうかと、三日三晩、錠前へつかまって、「うんうん」やったが、どうしても切れなかったと申します。しかし、世のなかで、いくらわるいことをしようと、いかなる大罪を犯《おか》そうとも、極楽往生ができるというので、むかしは、善光寺から血脈《けちみやく》のご印《いん》というものをだしました。これはなにかといいますと、お金をおさめると、お坊さんが、「なむあみだぶつ」といって、ひたいのところへお血脈のご印をおしてくださる。すると、たちまち罪障消滅《ざいしようしようめつ》、現世の罪が滅して極楽へゆかれるというありがたいものでございます。  こんなぐあいに、善光寺でお血脈のご印をくださるので、みんな極楽へいってしまって、地獄へゆくものがありません。それがために、地獄のほうは、たいへん不景気になって、閻魔《えんま》大王は、財政困難におちいった結果、やむをえず、浄玻璃《じようはり》の鏡を床屋へ売り、部下の鬼が突いている鉄の棒をのこらずあつめて、古鉄屋へ払《はら》いさげるというしまつで、赤鬼なんぞは、色がさめて、かわらけ色にかわり、青鬼もやせおとろえて空色になり、虎の皮のふんどしもしめていられないから、これも売ってしまって、鬱金《うこん》もめんのふんどしで間《ま》にあわせるというようなありさまで、竹の棒へつかまった鬼が、栄養失調で、ひょろひょろしております。  ここにおいて、奥殿で、閻魔大王を議長としまして、会議がひらかれました。 「諸君、こんにち、かく地獄の衰微をきたすということについては、かならずなんらかの原因がなくてはならんことである。すみやかにこれが挽回策《ばんかいさく》を講じなければならんが、めいめい意見があらば、腹蔵なく述べてもらいたいものである」  と、いとも沈痛なる態度をもって大王が発言いたしますと、座の中央から、みる目かぐ鼻というものがすすみでまして、 「おそれながら、わたくしより大王閣下へ申しあげたいことがございます」 「なんだ?」 「うけたまわるところによれば、近ごろ、娑婆《しやば》の信州善光寺という寺院において、血脈のご印というものを発行いたし、それがために、みな、その罪が消滅して、極楽往生をするもの多く、その結果、かく地獄の衰微をみるにいたったのであります。これにひきかえ、極楽の発展は、非常なもので、このままにすておきまするときには、ついには、地獄は全滅の惨状をみるにいたらんと、われわれは、大いに心痛いたしているしだいであります」 「うーん、それは一大事である。なんとかして、これをふせぐ方法はあるまいかのう?」 「さよう、わたくしのかんがえますには、その血脈のご印なるものを盗みだしてしまったならば、極楽へゆくものも、自然と地獄へくることになろうと存じますが……」 「なるほど、それは名案じゃ。だれかその役をつとめるものはないか?」 「それは、地獄のことでありますから、むかしから、あらゆる盗賊がまいっております」 「そうじゃな。とにかく盗賊の名簿をしらべてみい」 「……ええ、いかがでございましょうか、ねずみ小僧なぞは?」 「さあ、かれら程度のものでは、この大役をしとげるのはむずかしかろうな」 「しからば、袴垂式部大輔保輔《はかまだれしきぶだゆうやすすけ》は?」 「それは、ちと大仰《おうぎよう》でいかん」 「熊坂大太郎長範は?」 「やはり古めかしいな」 「しからば、このさい婦人の力を借りまして、鬼神のお松か、まむしのおまさあたりはいかがで?」 「いや、なにも婦人の力を借りることもあるまい」 「いかがでございましょうか、石川五右衛門なぞは?」 「うん、彼なれば、この任務を果たすであろう。五右衛門は、いかがいたしておるか?」 「いまだ釜のなかにはいっております」 「とにかく五右衛門を呼びだせ」  それから、小使いを五右衛門のところへむかいにやると、五右衛門のやつ、釜のなかで、いい気になって、都都逸《どどいつ》を三十六唄って、新内、端唄《はうた》から、浪曲、歌謡曲、もうみんな唄いつくして、すこし湯気にあがりかけているところへ、 「ちょっと石川さん、石川さん」 「おう、なんだい、小使いさんか。なんか用かい?」 「大王さまがお召《め》しですよ」 「大王さまがお召し?」 「ええ、奥殿へちょいときてもらいたいってんですが……」 「なんの用だ?」 「なんの用か知りませんが、大王さまから、あなたを娑婆《しやば》へ派遣されるようなことを聞きました。うまくいけば、あなた、地獄の重役《じゆうやく》になれますぜ」 「それはかたじけない」 「なにしろ、いそいでおいでをねがいますよ」 「ああ、いま身なりをととのえていくからな。ちょいと、その衣装をとってくれ」 「これですか? りっぱなもんですね」 「ああ、これは、南禅寺の楼門で、花見をしたときのものだ」 「ああ、なるほど、『楼門五三桐《さんもんごさんのきり》』という芝居で、たばこをのみながら、『絶景かな、絶景かな……』と、やってた、あれですね?」 「うん、そうだ」 「こりゃあ、りっぱでいいや。じゃあ、さっそくでむいてくださいよ」 「承知いたした」  五右衛門は、釜からあがると、黒の三枚小袖、緞子《どんす》の巾広《はばひろ》の帯をしめまして、朱鞘《しゆざや》の大小をかんぬき差しにして、その上から、びろうどのどてらを羽織りまして、重《かさ》ねわらじをはき、あたまは、百日かずらという、ぼうぼうといたしまして、おそれげもなく、六法を踏みながら、奥殿へのそりのそりとはいってまいりました。 「ええ、お召しによって、石川五右衛門出頭いたしました」 「おお、石川五右衛門とはそのほうか。苦しゅうない。もそっと近《ちこ》うすすめ」 「あまりお身近かではおそれいります」 「いや、苦しゅうない。さて、五右衛門、余の儀ではないが、地獄の興廃ここにあり。なんじに一骨折ってもらわなければならんことができた。というのは、娑婆の信州善光寺において、血脈のご印なるものをだしたるために、罪障消滅して極楽往生するものばかり。地獄へまいるものは、昨今まったくない。ついては、この血脈のご印といえるものを盗みだしたならば、極楽へゆくべきものどもも、のこらず地獄へまいるであろうとおもうのじゃ。いかがであろう、血脈の印を盗みとってまいることはできまいか?」 「なにごとのご用かと存じましたら、さような仕事をいたすことは、赤子の手をひねるよりもいとやすきこと。拙者《せつしや》も、世にあるときは、伊賀流の忍術をもって、豊太閤秀吉公のご寝所へしのびこみ、すでに御《み》首級《しるし》をあげんとして、武運つたなく宿直《とのい》のものにおさえられ、世にもまれなる釜煎《かまい》りの刑におこなわれ、地獄へまいってまで、いまだ釜のなかにて苦しみおりますところ、さいわい大王閣下のおみだしにあずかり、光栄これにすぎるものはございません。ご奉公のしおさめに、かならず任務を果してごらんにいれますゆえ、なにとぞご安心くださるように……」 「たのもしきその一言、しからば十分しとげるよう」 「心得ました。しからば大王閣下」 「おお五右衛門、早うゆけ」 「ははっ」  てんで、芝居がかりに見得《みえ》を切ってでかけました。のんきなやつがあったもんで……  ひさしぶりに五右衛門は娑婆へでてまいりまして、昼間は、善光寺へ参詣するようにみせてはいりこみ、なかのようすをしらべて、夜にはいると、むかしおぼえた忍術をもって奥殿へしのびこみ、あらゆる宝物をあらためましたが、どうもわかりません。そのうちに、桐の箱があったので、よくみると、「お血脈の御印」としるしてあります。やれうれしやと、ふたをあけてみると、二重になっているので、これをあけると、錦の布につつんであるのが、まさしくお血脈のご印。これがみつかったら、さっさと地獄へ帰ればいいのに、そこは芝居心のある泥棒だから、あたりを一応みまわして、 「ふ、ふーん」  と、気味のわるい笑いかたをして、 「はは、ありがてえ、かたじけねえ。まんまと首尾よく善光寺の奥殿へしのびこみ、奪《うべ》えとったる血脈のご印、これせえありゃあ大願成就《たいがんじようじゆ》 ちえー、かたじけねえ」  と、いただいたから、そのまま極楽へいっちまった。
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2ttf · 12 years
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kamizake · 3 years
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2021
滋賀県大津市の天台宗総本山・比叡山延暦寺です。 標高およそ800メートル。冷たく澄んだ空気が辺りを包んでいます。 毎年、大みそかに行われる鬼追い式です。怒り、ねたみ、むさぼり。 人間の煩悩を鬼に見立て邪気を払う行事。 新型コロナウイルス感染防止のため 参拝者は例年より間隔を空けて、見守ります。 4月、緊急事態宣言を受け 比叡山では1か月にわたって拝観を停止しました。 最澄が山を開いた 1200年前も疫病や災害が多い時代でした。 人々の苦しみを取り除こうと彫られた薬師如来。 織田信長による焼き打ちなど 幾多の苦難を乗り越え現代に祈りをつないでいます。 ことしも除夜の鐘が打たれます。 (鐘の音) (鐘の音)
香川県高松市。 街を見守る弘法大師、空海です。 四国八十八ヶ所霊場の一つ八栗寺(やくりじ)。 ことしは新型コロナウイルスの影響で お遍路に来る人が8割減りました。 久々のにぎわいを見せた大みそか。人が密集しないよう スタッフを増員するなど感染対策を講じています。 (お経) お遍路をもてなしてきた地元の人々。 ことしは、そのにぎわいが失われました。 人々が感染の終息への願いを託したものがあります。100巻の写経です。 かつて空海が写経で疫病を治めたという逸話にならいました。 外出自粛が呼びかけられる中多くの人が自宅で書き写しました。 逆境の日々をみんなで乗り越える。 離れていても同じ思いが込められています。 (お経) 街に、にぎわいが戻りますように。 (鐘の音) (鐘の音) 2人≫こんばんは。 高瀬≫2020年は感染の拡大によって日常が大きく変わりました。 石橋≫東京では、きょう新たに1300を超える人の感染が確認されています。 帰省や初詣を控えているという方も多いのではないでしょうか。 高瀬≫そういうときだからこそ全国各地の様子をお届けしながら一緒に新しい年を迎えたいと思います。 石橋≫ここは、東京・調布市の深大寺(じんだいじ)です。 奈良時代に開かれ、厄よけや疫病(えきびょう)退散の御利益があるとして 信仰を集めてきました。 高瀬≫ことしは列に並ぶ人が密集しないようさい銭箱を2倍以上の大きさにしました。 石橋≫さらに一度に300人が集まっていた護摩祈祷(ごまきとう)も一組ずつ祈祷を受け速やかに離れるようにしています。 (お経) 高瀬≫信仰の中心になっているのは実在した僧侶元三大師(がんざんだいし)です。平安時代疫病に苦しむ人々を救うため鬼に姿を変え疫病神(やくびょうがみ)を追い払ったと伝えられています。 石橋≫その元三大師は秘仏としてこの鏡の奥に祭られています。 今回、特別に撮影が許可されました。 高さは、およそ2m。 鎌倉時代に作られた鎌倉時代に作られた日本最大の僧侶の像とされています。
来年、感染拡大の終息を願って205年ぶりに寺の外で開帳が行われる予定です。
高瀬≫誰も想像しえなかった一年の終わりに穏やかな日々への思いをはせます。
石橋≫それでは年越しを迎える各地の様子を見ていきます。
華やかな夜景が広がる横浜です。クルーズ船ダイヤモンド・プリンセスでの集団感染から大きく揺れた一年になりました。 600ほどの店が軒を連ねる中華街。
ことし初め中国で感染が広がると街から感染者が出ていないにもかかわらず差別や風評被害にさらされました。
対策を徹底してきた中華街では密を避けるために年越しの神事も見物客を8分の1に制限しました。
「苦しいときこそ皆で華やかに年を越したい」。
思いを込めて舞います。
舞がささげられるのは媽祖廟(まそびょう)です。媽祖は災害や疫病などから人々を守るとされる女神。世界各地に建てられ華僑の心のよりどころになってきました。
感染拡大の終息。そして、商売繁盛への願い。苦難を経て年越しを迎えることができたことに感謝する中華街です。
原田≫雪の降りしきる大みそかとなりました鳥取市の白兎(はくと)神社です。因幡の白うさぎのけがを大国主命(おおくにぬしのみこと)がこの地で治したという神話から病気平癒の御利益があるといわれています。初詣を待つ人々の中にはこんな方もいます。こんばんは。
≫こんばんは。
原田≫なんとロボットです。
手を振っていますね。これ、実は離れた場所にいる人が操作をしているんです。
鳥取市の中山美智子さんです。中山さんは、全身の筋肉が徐々に動かなくなる難病で入院しています。
目の動きでパソコンを操作することでロボットを自分の分身のように動かします。
この1年、新型コロナの影響で家族との面会が難しくなりましたがこのロボットによってようやく、それがかないました。
実はもう一台ロボットがあります。これは夫・和夫さんが操作しているんです。和夫さんも難病を患っていて外出が難しい状態です。
ロボットを通して、2人は久々に再会することができました。 ロボットのレンタルを行う代理店の協力で念願だった、お二人での外出が実現したんです。
では美智子さんにお話を聞きます。 声を出すのが難しいので合成音声でお答えいただきます。
美智子さん久しぶりの2人での外出ですけれどもどんなお気持ちですか?
ロボット(美智子)≫夫と離れていて体調が気がかりでしたから久しぶりに話ができてうれしいです。来年は夫の体調がよくなりコロナも落ち着いて家で一緒に生活できるよう願っています。
原田≫和夫さん何を祈られますか?
ロボット(和夫)≫一日も早くよくなって皆さんに助けられてまた2人で暮らせますようにとお祈りしたいと思います。
原田≫お二人ありがとうございました。
離れていても同じ景色を見ていたい。2人の思いが詰まった初詣です。
7月記録的な豪雨が襲った熊本県。65人が犠牲となり今も2人が行方不明です。特に大きな被害を受けた人吉(ひとよし)市にある青井阿蘇神社は「青井さん」と呼ばれ親しまれてきました。国宝のかやぶき屋根の楼門(ろうもん)など5つの建造物が被害を受けました。
球磨(くま)川が氾濫し境内には1mを超える高さまで水が押し寄せました。復旧作業を行ったのは地域の人々でした。地域のよりどころがよみがえりたみ、むさぼり。人間の煩悩を鬼に見立て邪気を払う行事。
新型コロナウイルス感染防止のため参拝者は例年より間隔を空けて、見守ります。
4月、緊急事態宣言を受け比叡山では1か月にわたって拝観を停止しました。最澄が山を開いた1200年前も疫病や災害が多い時代でした。人々の苦しみを取り除こうと彫られた薬師如来。織田信長による焼き打ちなど幾多の苦難を乗り越え現代に祈りをつないでいます。
ことしも除夜の鐘が打たれます。
(鐘の音)
(鐘の音)
香川県高松市。街を見守る弘法大師、空海です。四国八十八ヶ所霊場の一つ八栗寺(やくりじ)。ことしは新型コロナウイルスの影響でお遍路に来る人が8割減りました。
久々のにぎわいを見せた大みそか。人が密集しないようスタッフを増員するなど感染対策を講じています。
(お経)
お遍路をもてなしてきた地元の人々。ことしは、そのにぎわいが失われました。人々が感染の終息への願いを託したものがあります。100巻の写経です。
かつて空海が写経で疫病を治めたという逸話にならいました。外出自粛が呼びかけられる中多くの人が自宅で書き写しました。 逆境の日々をみんなで乗り越える。離れていても同じ思いが込められています。
(お経)
街に、にぎわいが戻りますように。
(鐘の音)
2人≫こんばんは。
高瀬≫2020年は感染の拡大によって日常が大きく変わりました。
石橋≫東京では、きょう新たに1300を超える人の感染が確認されています。帰省や初詣を控えているという方も多いのではないでしょうか。
高瀬≫そういうときだからこそ全国各地の様子をお届けしながら
一緒に新しい年を迎えたいと思います。
石橋≫ここは、東京・調布市の深大寺(じんだいじ)です。奈良時代に開かれ、厄よけや疫病(えきびょう)退散の御利益があるとして信仰を集めてきました。
高瀬≫ことしは列に並ぶ人が密集しないようさい銭箱を2倍以上の大きさにしました。
石橋≫さらに一度に300人が集まっていた護摩祈祷(ごまきとう)も一組ずつ祈祷を受け速やかに離れるようにしています。
(お経)
高瀬≫信仰の中心になっているのは実在した僧侶元三大師(がんざんだいし)です。平安時代疫病に苦しむ人々を救うため鬼に姿を変え疫病神(やくびょうがみ)を追い払ったと伝えられています。
石橋≫その元三大師は秘仏としてこの鏡の奥に祭られています。今回、特別に撮影が許可されました。高さは、およそ2m。
ことしも「青井さん」で年を越すことができます。拝殿には全国から大量の支援物資が届きました。新型コロナの影響でボランティア活動が制限される中寄せられた復興へのエールです。
「がんばれ熊本」。
熊本では今も4000人以上が避難所や仮設住宅などで暮らしています。
「青井さん」とともに復興の道を歩みます。
石橋≫再び、東京・深大寺です。
高瀬≫各地の様子を見ていますと離れていても心はつながっていたい一つでありたいという気持ちが伝わってきます。
皆さんにとって、2020年はどんな年だったでしょうか。
石橋≫さあ、新しい年を知らせる除夜の鐘です。
(鐘の音)
(花火の音)
(汽笛)
(爆竹の音)
横浜港の汽笛と魔よけの意味が込められた爆竹。新年を迎えた中華街です。ステージには色鮮やかな獅子が現れました。
(獅子舞の音)
頭を噛(か)んでもらうと厄(やく)を祓(はら)い福が来るといわれる獅子。中華街の祝い事に欠かせない人気者です。
2人≫明けましておめでとうございます。
高瀬≫2021年令和3年の幕開けです。
石橋≫新年を迎えここ深大寺でも人々が初詣に訪れていますが例年より、その数は少ないようです。
高瀬≫ことしは混雑を避けるため旧正月に当たる2月中旬までを参拝期間として分散初詣を呼びかけていくということです。
石橋≫皆さんはそれぞれの場所でどんな思いを抱きながら新年を迎えているのでしょうか。全国各地の様子を見ていきましょう。
ことしは、うし年。4時間ほど前に生まれたばかりの子牛も新年を迎えました。こちらの子牛が着ているのはちゃんちゃんこ。体温調節が難しい子牛を元気に育てるための習慣です。北海道・足寄(あしょろ)町の牧場です。
現在の気温はマイナス17度。北海道でも、とりわけ寒さが厳しい、この町では寒さに強い乳牛が人々の暮らしを支えてきました。今夜も数頭の牛が出産を予定しています。牛たちを見守るのは牧場主の山下和洋さんです。
牛を育てて40年。僅か2頭から始め今では830頭になりました。
山下≫おいで、おいで。
新型コロナウイルスの影響で牛乳や乳製品の消費は大きく落ち込みました。「どんな困難に直面しても牛の歩みのように一歩ずつ進んでいく」。 新年を迎え決意を新たにしています。
再び、比叡山延暦寺です。最澄が亡くなって1200年という節目の年を迎えました。国宝根本中堂(こんぽんちゅうどう)
では今、10年がかりの大規模な改修が行われています。屋根を覆っていた銅の板はすべて剥がされました。横40m、高さ25mの屋根は新たに葺(ふ)き直されます。貴重な木造建築の今しか見られない姿です。
建物の彩色はいったん、落として創建当時の姿に塗り直されます。山が開かれて以来守り伝えられているものがあります。最澄がともしたと伝わる不滅の法灯(ほうとう)です。
「一隅を照らす心」、つまり「一人一人が今いる場所で最善を尽くす心」を持てばよりよい世界につながると説きました。
ともし火とともに最澄の思いは受け継がれてきました。ことし、不滅の法灯から分けられた、ともし火が全国を巡ります。
不安な時代を照らす光が各地に広がります。
静岡県熱海市です。毎年およそ300万人の宿泊客が訪れる観光の町です。古くから旅人を守る神社として知られる來宮(きのみや)神社です。新年を迎え静かに参拝が始まりました。
(祝詞)
本殿では祝詞が読み上げられています。参拝者たちの願いを届ける神事です。氏子の多くが携わる観光業は大きな打撃を受けました。温泉旅館を経営する藤間崇史さんです。従業員とともに熱海の魅力を紹介する動画を配信するなど模索を続けてきました。
町に活気を取り戻すためできることはすべてやる覚悟です。境内の奥にあるのは国の天然記念物のクスノキ。樹齢は推定2000年です。高さは20m以上。長年、風雪に耐え今も成長を続けています。その生命力にあやかろうと人々は周りを一周します。
新たな年もこのクスノキが見守っています。
原口≫群馬県前橋市のアパートです。こちらの部屋にはことしこそはという思いで新しい年を迎えられた方々がいらっしゃいます。
皆さん明けましておめでとうございます。 選手たち≫おめでとうございます。
原口≫東京オリンピック・パラリンピックに出場するアフリカ・南スーダン共和国の陸上選手団の皆さんです。事前合宿のために1年あまり前に来日されたんですが去年、大会は延期。さらに新型コロナウイルスの影響で帰国が困難になったこともあってここで共同生活を送っています。こちらはふだんの練習の様子です。ホストタウンの前橋市では近くの運動場を無償で貸し出すなどして練習に集中できる環境を整えてきました。
多くの選手が日本に来てから自己ベストを更新しているそうです。選手たちは地元の人たちとも交流を重ねてきました。市内の幼稚園や小・中学校へは10回以上、訪問しました。そして、こちらは地域のお祭りに参加したときの写真です。
皆さん、今では前橋を第2のふるさとのように感じているそうです。 この一年間、皆さんは日本語の勉強もされました。書き初めをしていただきました。 「金」「メダル」そして「平和」。 母国、南スーダンでは長く紛争が続いてきました。
スポーツを通して平和をもたらしたい。そんな気持ちを込めたそうです。
男子1500mに出場するアブラハム選手です。ことしこそ晴れの舞台に立って家族に活躍する姿を見せたいそうですね。
アブラハム≫メダルを取って南スーダンと前橋の皆さんを喜ばせたいです。 原口≫ありがとうございます。
遠く離されたふるさとそして前橋のために選手たちは新たな一年のスタートを切ります。
高瀬≫ことし、大きな節目を迎える場所があります。復興への道を歩み続ける東日本大震災の被災地です。
真っ暗な海に沿って再建した町の明かりがともります。東日本大震災の発生から10年を迎える宮城県石巻市洞源院(どうげんいん)です。
(太鼓の音)
被災地を��む本堂では新年の祈祷が始まっています。あの日から5か月の間ここにはおよそ400人が避難し共同生活を送っていました。壁には今も当時の約束事が貼られています。
「元気よく挨拶をしましょう」。
(太鼓の音)
人々は支え合いながら復興への険しい道を歩んできました。亡くなった人々の魂を鎮めるお焚(た)き上げです。全国から送られてきた千羽鶴も節目のことし 火にくべることにしました。避難所、仮設住宅そして、暮らしの再建。
いつもそばにあった千羽鶴を感謝を込めて焚き上げます。被災地の将来を担う子どもたち。人々に見守られ元気に育っています。
東日本大震災からまもなく10年。未来への希望の鐘です。
(鐘の音)
石橋≫ごく普通の日常のありがたさそして人々のつながりの大切さ改めて感じますね。
高瀬≫私たちも皆さんとつながっています。変わってしまった日常。だからこそ
新しい年を、このことばとともにスタートさせようと思います。2021年が皆さんにとって…。
2人≫すばらしい年になりますように。
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herbiemikeadamski · 5 years
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(^_^)/おはよー(^▽^)ゴザイマース(^_^) . . 3月28日(木) 大安(甲子) 旧暦 2/22 月齢 21.5 下弦 年始から87日目(閏年では88日目)にあたり、年末まであと278日です。 . . 朝は希望に起き、昼は努力に生き、夜は感謝に眠りましょう(^_-)-☆ 睡眠は明日を迎える為の未来へのスタートですY(^^)ピース! でお馴染みのRascalでございます。 . 今朝の目覚めの気温は14℃にも達して居ました。流石に暖かw それに30分ぐらい寝坊してしまいました(;^_^A  スマホのアラームに起こされましたwいやいやぁ~それが正しいでしょw . 「春眠暁を覚えず」とか「春はあけぼの」なんて語句があるが 正にその通りで朝になったのも気づかずに寝過ごしてしまったか? 雲が少し多目で空が霞んだ感じで白くそれでいて暖かな春の朝。 . 春は良いですねぇ~(^_^;) 13週目も木曜で週の下りもう一息です。 今日一日どなた様もお体ご自愛なさってお過ごし下さいませ(^^ゞ “本日もご安全に参りましょう(^^)v” . . ■今日は何の日■ #八幡浜ちゃんぽん記念日  愛媛県八幡浜市が制定。  市民のソウルフードである「八幡浜ちゃんぽん」でまちを元気にするのが目的。  市では商工観光課にちゃんぽん係長を配置したり、八幡浜ちゃんぽん振興条例を設けるなど、その知名度向上に取り組んでいる。  日付は旧八幡浜市と旧保内町が合併した2005年3月28日から。  「八幡浜ちゃんぽん」は鶏ガラ・鰹・昆布などでダシを取った黄金色のスープで、あっさりとした風味が特徴。  魚のまち八幡浜らしく特産品の蒲鉾・じゃこ天などの水産練製品が具材として使われている。 .  #三つ葉の日  「み(3)つ(2)ば(8)」の語呂合せから「三つ葉の日」といわれているそうです。  ミツバ(三つ葉、学名 Cryptotaenia japonica、英 Japanese honewort)は、セリ科の多年草。  別名はミツバゼリともいいます。  東アジアと北アメリカの温帯部に分布していて、日本では、九州から本州にかけて広く自生しており、山地の日陰に生え、茎と葉が食用とされる、さわやかな香りが特徴の香味野菜です。  「三つ葉の日」にちなんで、農林水産省の作物統計調査結果から三つ葉の出荷量を見てみると、2,760トンで千葉県が全国一となっています。  なお、千葉県に次いで愛知県、茨城県、埼玉県、静岡県の順になっています。 . #シルクロードの日  今から2000年前、中国の敦煌から砂漠を16日ほど進むと、ロプ・ノール湖のほとりに楼蘭(クロライナ)というシルクロードのオアシス都市がありました。  楼蘭はいつしか荒れ果て、砂漠の中に消えてしまいましたが、1900(明治33)年のこの日、探検家スウェン・ヘディンによって発見されました。 . #三ツ矢の日(三ツ矢サイダーの日)  清く、涼しく、気持ちがスーッと澄みわたる国民的炭酸飲料として知られる「三ツ矢サイダー」を製造販売するアサヒ飲料株式会社が制定。 . #スリーマイル島記念日  1979(昭和54)年、アメリカ・ペンシルベニア州のスリーマイル島原発で放射能漏れ事故が発生しました。  世界初の原発事故でした。 . #グリーンツーリズムの日  大分県宇佐市に本拠を置き、大分県各地で活動を行う特定非営利活動法人大分県グリーンツーリズム研究会が制定。 . #みつばち保険ファームの日  来店型保険ショップを全国展開する株式会社VLフィナンシャル・パートナーズが、自社の保険ショップブランドである「みつばち保険ファーム」が2010年4月に100店舗の出店を達成し、「あなたの保険相談窓口」としてさらなる発展を目指すことを目的に制定。 . #京都裏千家利休忌  千家流茶道の開祖・千利休は、秀吉の命により、天正19年2月28日に自害しました。  その1ヶ月後れを命日とし、表千家は27日、裏千家は28日に追善茶会を行っています。  表千家、裏千家ともに利休像をかかげます。  当主が茶を献じて社中門弟が茶事で供養します。  調度はすべて利休の遺品が用いられます。 .  利休の祥月命日は旧暦2月28日でありますが、新暦に換算しますと3月か4月になります。  表千家家元では、ひと月送りにして、新暦3月27日および3月28日に大徳寺で行事が催されています。 . #生命保険見直し月間(1日~31日). . #チベット農奴解放記念日(#中華人民共和国 #中国チベット自治区). . #チェコ・スロバキア教師の日. . . ■今日のつぶやき■ #目は心の窓 . . 1971年(昭和46年)3月28日 島津亜矢 (しまづ・あや) 【演歌歌手】 《熊本県》 . . (Minato-ku, Tokyo, Japan) https://www.instagram.com/p/Bvh9lZbAeq8l2i7Yv4tNSXSamobG8qGzveprPI0/?utm_source=ig_tumblr_share&igshid=hx7a7e0f75x8
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orion3sta · 2 years
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2022/10/03 茨城県社会福祉協議会で、年に数回発刊している「わくわくライフ」より、八郷地区の名所の観光案内を依頼されたので、いばらきフラワーパークから大覚寺、善光寺楼門を紹介した雑誌が届いたので、八郷すてき旅案内人の会の会議で披露しました。 #iPhone日記 #茨城県社会福祉協議会 #わくわくらいふ茨城 #わくわくらいふ #八郷すてき旅案内人の会 https://www.instagram.com/p/CjQH9ByL3XH/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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kachoushi · 5 years
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11月の各地句会報
平成30年11月の特選句
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坊城俊樹選
栗林圭魚選岡田順子選
平成30年11月1日 うづら三日の月句会 坊城俊樹選 特選句
時雨るるも岸に白波三国港 英子 鉄塔の影長くして小春凪 都 秋灯下ワイングラスの脚細く 都 末枯や雲の流れもその一つ 都
(順不同 特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
平成30年11月10日 枡方句会 栗林圭魚選 特選句
頰杖の野仏の笑み七五三 美枝子 夕暮の小さき社の三の酉 亜栄子 酉の市手締の音頭少女なる 三無 石蕗の黄を辿り登るや教会堂 恭子 石蕗の花十字の墓標照らしをり 恭子 小枝とて柊の花芳しき 清子 花石蕗の径黄帽子の動かざる 文英 新海苔の深緑なる艶炙る 三無 柊の花咲き初めし夜の庭 多美女 郁子熟るる閂太き寺の門 三無
(順不同 特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
平成30年11月12日 なかみち句会 栗林圭魚選 特選句
芳しきヒマラヤ杉の落ち葉籠 貴薫 初時雨術後の肩に重かりき エイ子 小夜時雨ナースセンター灯りをり 和魚 鈍色の空に紅引く七五三 有有 錆深む廃校の門積む落葉 美貴 陶めきて淀みに沈む柿落葉 怜 終バスの窓の落書き小夜時雨 美貴 落葉して遠く初島見ゆる窓 怜
(順不同 特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
平成30年11月12日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
少年の赤き木の実の枝提げて 俊子 椋鳥のうねりの下や人も群れ 都 文化祭村の新米よく売れて 幸子 片時雨天へ溶けゆく虹架けて 佐代子 新蕎麦を伸ばす麺棒三尺余 幹也 鎌上ぐる力も失せて枯蟷螂 和子 子坊主の箒の中へ降る落葉 栄子 紅葉山点描の濃き紅もあり 悦子 身に入むや放棄の棚田増えてきし 史子 茅刈るや国定屋根を守る村 益恵 田を渡る風に背伸し稲を刈る 立子 長電話煮こぼれてゐる柚煮かな すみ子 黄泉へ飛ぶや蓮の実かそけき音 美智子
(順不同 特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
平成30年11月12日 芦原花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
蒲の穂に風の行方を見る朝 よみ子 爼はトントン短日雨となり 由紀子 鉄塔も山もかくして秋の霧 久美子
(順不同 特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
平成30年11月13日 萩花鳥句会
小春日や楊枝の先に源氏巻 牛子 掃くほどの金鈴子踏み藩祖廟 小勇 鯨墓静かにぬらし時雨けり 孝士 孫も来て土いぢりする小春かな 美恵子 胃カメラの冷んやりわが腑モニターに 健雄 両岸の桜紅葉遊覧船 圭三 蒼空に星屑のごと金鈴子 克弘
(順不同) ………………………………………………………………
平成30年11月15日 花鳥さざれ会
誰が吹ける篠笛なるや十三夜 越堂 観音の花入れにある落葉かな 雪子 沖荒れて摂社末社の神の旅 千代子 雪吊や青竹を剪り縄を切り 陽子 婚殿と漢字談議や夜長の灯 清女 神渡り給ふ大海波静か 松陰 白山をはなれし雲や神渡 匠 一木一草に及びし神渡し 雪 落葉掃く箒の音に古時計 天空
(順不同) ………………………………………………………………
平成30年11月16日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
白川郷庫裡も厠も冬構 令子 冬の窓ソーラー人形の孤独 登美子 長良川網打つ影や冬に入り みえこ 新蕎麦や大きくすする吾子の口 実加 落葉掃き労ひの声くれし人 みえこ 母老いて気にも留めない冬の蠅 登美子 古セーター青春の頁を手繰る 実加 民家の灯遠くにありし刈田道 紀子
(順不同 特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
平成30年11月16日 芦原花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
お茶会の賑つてゐる神の留守 よみ子 三毛猫の樹下に紛れて冬夕焼 よみ子 小春日や溝に工夫のヘルメット よみ子
(順不同 特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
平成30年11月17日 柏翠俳句記念会句会 坊城俊樹選 特選句
九頭竜は風音ばかり冬ざるる かづを 子等遊ぶ声に小春のありにけり かづを 右往左往して散りゆける紅葉かな かづを 無住寺の仏が守る神の留守 文子 十夜寺善男善女木魚打つ 文子 鵙の贄きざみ鳴きして姿見ず 冨美 丈高き物を残して大花野 冨美 切口の青竹匂ふ雪囲ひ たゞし 小春日や頰を伝ひし目の薬 富子
(順不同 特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
平成30年11月18日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
晩秋を仰ぐ太郎の母の塔 亜栄子 鉄路なき機関車ひとつ黄落す 千種 綿虫の山の日に青濃かりけり 政江 母の像両手を天へ冬日和 政江 年尾句碑なぞれば冬日やはらかし 政江
栗林圭魚選 特選句
坂道に枇杷の花満ち年尾句碑 眞理子 冬烏遠くに鳴きて母の塔 ラズリ 青白き粗朶の切口落葉降る 久子 綿虫の山の日に青濃かりけり 政江 山茶花や微笑を秘めし野の仏 ゆう子 年尾句碑なぞれば冬日やはらかし 政江 一輪の冬薔薇句碑に添ふやうに 淸流 狭む瀬にのりし枯葉の軽さかな 斉 野仏は欠け冬紅葉色擦れ ゆう子 柊の香の犇めきて水の音 文英
(順不同 特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
平成30年11月21日 福井花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
時雨るるや枯れゆくものに散るものに 越堂 風神の衝立たてて神の留守 嘉子 どの船も烏賊を干したる小春凪 嘉子 鷹匠の鷹に恭しく在りぬ 昭子 拍手のうつろにひびく神の留守 よしのり 鳶の輪を鷹つき抜けり日本海 松陰 垂直に垂れし鈴の緖神の留守 雪
(順不同 特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
平成30年11月21日 鯖江花鳥会句会
大杉を神と祀りし里の秋 雪 耳遠き人集まりて炉辺話 たゞし ときに火を走らせ落葉焚きにけり 信子
(順不同) ………………………………………………………………
平成30年11月25日 花鳥月例会 坊城俊樹選 特選句
綿虫の飛ぶや麗人見失ふ 千種 この杜の高きに果つる黄落期 順子 玄冬や石英ひかる石の橋 光子 大鳥居足場に消えて冬帝へ 野衣 冬の蠅玉砂利ひとつ舐めつくす 千種 短日の影神木の形して 千種 菊紋のひとひらづつの冬日燦 野衣 神池の鯉消え冬の水動く 小鳥 衛士そつと上を向きたる黄落期 小鳥 靖国の空青くして神還る 小鳥 冬麗や軍馬像の眼瞬かず ゆう子 枯れ蓮の枯れ尽さむとするところ 公世
栗林圭魚選 特選句
差し出さる菓���へ冷たき指の我 野衣 教会の鋭角美しく冬日和 野衣 濠端の朝日を浴びて木守柿 梓淵 神迎靖国の空晴れ渡る て津子 枯蓮の黙へ漣光り寄せ 政江 うら寂し桜紅葉の残りもの 淸流 石蕗の花安寧の日の日章旗 政江 大綿の消えて英国大使館 梓淵
(順不同 特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
平成30年11月28日〜29日 九州花鳥会 坊城俊樹選 特選句
神鹿の何を見てゐる神の旅 寿美香 縁結ぶ神と主宰と冬ぬくし かおり 露けしやむすびの神にむすぶ絵馬 由紀子 神池の底にも浮世散紅葉 志津子 もみぢ濃きおかまどさんへ詣でけり 洋子 枯れきつて再会の木を忘れゐる 美穂
(順不同 特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
平成30年11月28日 太宰府天満宮吟行 坊城俊樹選 特選句
海原も苔も紅葉の散る下に 光子 大楠を揺らして神を送りけり 寿美香 神々のおほらかな恋竜の玉 美穂 散紅葉大海原の渦となり 光子 寺庭にお浄土紅葉散るは散るは 乱水 夕紅葉静寂に聞ゆ童うた 喜和 菅公の表参道クリスマス かおり 石庭の大海原を行く紅葉 光子
(順不同 特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
平成30年11月29日 水城太宰府政庁周辺吟行 坊城俊樹選 特選句
飛梅の冬芽ひしめき寿 豊子 都府楼の深空は無言鷹渡る かおり 都府楼の杜に寒禽ほしいまま ちぐさ 差しかけし傘には入らず片時雨 由紀子 小春日や年尾の句碑と仏たち 和子 神無月のつぺらぼうの都府楼址 洋子 都府楼の空の天辺大小春 和子 天平の梵鐘遠く黄落す 愛
(順不同 特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
平成30年10月8日 札幌花鳥会報 坊城俊樹選 特選句
蝦夷富士の流るる雲や天高し 独舟 人文字を変へる一笛天高し 独舟 満を持し落つる木の実の音色かな 和加 じつと見る爺のナイフや林檎むく 和加 葉鶏頭闘志あるかに風の中 登美 地震に揺れ風になびきて秋さうび 慧子 秋の蚊に魔王の如く囁かれ 修子 天涯の花野の径を一人行く 秀夫 月光に案山子の役目終る畑 親子 土手に咲く母病むころの曼殊沙華 みよ子 行く秋や深夜便よりディクミネ 清
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hentaianime2019 · 4 years
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茨城県石岡市~ぶっちゃけ寺改め~ぶっ壊れ寺~おっちゃわれ寺~廃寺~Abandoned temple「心霊スポット(善光寺)」~国指定文化財観光スポット「楼門」。茨城県石岡市きみチャン寝る666劇場。
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atsushi-life-like · 6 years
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【旅の記:白川郷・高山バスツアー⑦妻籠宿・光徳寺】
帰路は大きく迂回して中山道の妻籠宿へ。中山道六十九次だそうで、長野県木曽郡にあります。中山道と飯田街道の分岐点に位置して、古くから交通の��所として栄えた。1976年、地域を挙げての景観保全活動が認められ国の重要伝統的建造物保存地区に選定されています。
両サイドに古い建物が続きます。
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歴史資料館・本陣・脇本陣合わせて南木曽町博物館を見学できます。お偉いさんが泊まる本陣は島崎氏が任命されて本陣・庄屋を兼ねて務める。島崎藤村の母の実家で、最後の当主は藤村の兄で隣の宿場である馬籠から養子に来た広助であった。明治に取り壊されたが平成7年に復元。
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また1877年建築の脇本陣は代々庄屋・問屋を務めた林家の旧宅を資料館として公開。藤村の初恋の人「ふゆ」さんの嫁ぎ先でもあるそうです。。明治10年まで禁制であったヒノキを使っていて、国の重要文化財。時間がなくて拝観はできず。。
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お寺がありました。。臨済宗妙心寺派の寺院で瑠璃山光徳寺。1500年に悟渓和尚によって開かれたとも、1583年に長野飯田の開善寺性天和尚が隠居地として薬師堂を設けたのがはじまりとも。。1602年妻籠宿が成立すると人々から厚く帰依されて隆盛する。
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石段すぐ左手にはお稲荷さん、かな?
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石垣の上に
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秋葉様のお堂(本陣前にあったものを道路整備で移設)
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山門。。は使われておらず。
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隣の入口から。。
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本堂。1725年再建。山岡鉄舟による「光徳寺殿」の扁額が。
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1682年建築の庫裏では。。
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天保年間(1830~1844)に遂応和尚が考案したという日本初の人力車が保管されています。作っては見たものの、実際に使ったら和尚さん、あまりにも揺れるので酔ってしまったとかw
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地蔵堂。
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鐘楼。
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御朱印は庫裏でいただきました。
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お寺の下には、昭和59年の地震で石垣が崩れた際に発見されたという不思議な彫り物がある石仏。
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延命地蔵堂があります。
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しばらく散策。。
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雪がちらついてきました。。
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高札場。最新ニューズはこちらから。
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水車なども。
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短い滞在でいたが、堪能しました。
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orion3sta · 4 years
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太田の善光寺楼門脇を通って、親戚に香典返しを持参 親戚の母屋と隠居の池に、岩清水からほとばしる水の音に癒されます‥‥‥ 子供の頃に泊まりに来ると、池を跨いで孟宗竹の小さな橋と、水音を思い出して懐かしく感じます! 恋瀬川沿いをこたろうと散歩しながら、綺麗に下草刈りしたうちの雑木林を散策 下草刈りをしてくれた、葉太郎君を誘って、やさと温泉ゆりの郷で疲れを癒してもらいました。 #iPhone日記 #太田の善光寺楼門 #茅葺き #うちの雑木林 #こたろう🐶❤︎ #筑波山 #足尾山 #夕焼け空 #やさと温泉ゆりの郷 #葉太郎君 https://www.instagram.com/p/CGnGBZXHUAR/?igshid=9h98t9cr3nqx
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atsushi-life-like · 7 years
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【旅の記:名古屋ライブ2017年秋①天林山笠履寺(笠寺観音)】
友人の結婚式で名古屋へ、というわけでライブと寺社巡り!まずは名古屋市南区にあります真言宗智山派の寺院・天林山笠履寺、通称・笠寺観音へ。733年、呼続の浜辺に不思議な光を放つ浮き木が漂着した。近くに住んでいた善光上人という僧が夢の中でお告げを受けて、その浮き木で十一面観音菩薩の尊像を造り、現在の地より650mほど南に堂を建立、観音様を安置して天林山小松寺と名付けたのがはじまりとか。 それから百数十年、小松寺は荒れ果て本尊の観音様は雨ざらし。。それを鳴海に住む娘が笠を覆った。後日、鳴海に寄った貴族・藤原兼平がその娘をみそめて妻として迎え、そして「玉照姫」と呼ばれるようになった。この縁により夫婦は現在の地に寺を復興して笠寺の地名の起こり���なる「笠覆寺」と改めた、とさ。 時が経ち、再び荒廃した笠覆寺を1238年阿願上人によってふたたび書道や塔が建立されて再興した。
明治時代初期、廃仏毀釈のあおりを受けて一時荒廃するものの昭和時代に住職らの努力で隆盛を取り戻した。
車を止めて西門より。
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右手に六地蔵堂。笠寺は赤いヒトシンドonベースの地元でもあります。
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阿弥陀如来をお祀りする多宝塔。
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左手は左から役行者を祀る行者堂、延命地蔵堂、白山社。
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笠!
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ご本堂。ご本尊十一面観音菩薩像を安置。
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藤原兼平・玉照姫を祀るお堂。縁結びや交際円満の本尊、観音様がいらっしゃいます。
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境内奥には左・如意輪堂、薬師如来を安置する医王堂。
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鐘楼。鎌倉時代に造られたという梵鐘は尾張三名鐘の一つ。建長3年(1251年の)の銘がある。大みそかには除夜の鐘をつくそうです。
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山門はとても立派。
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仁王様。
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atsushi-life-like · 7 years
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【巡る記・五七:弘明寺】
巡ってまいりました横浜南区にある弘明寺。「ぐみょうじ」と読みます。高野山真言宗の寺院で山号は瑞應山。
721年元正天皇の時代、渡来したインドの善無畏三蔵法師が当地に結果意を創り、737年に悪病が流行した時に行基が全国をめぐり、当地で草庵をつくり彫刻祈願したのが現在のご本尊・十一面観音菩薩だそうです。814年には弘法大師が訪れ庶民の除災招福を祈願したといわれる。鎌倉~戦国~江戸時代と将軍家、北条氏などからの尊崇を受ける。寺領はかなり広かったそうですが、明治の廃仏毀釈で多くを譲渡、民有化により現在は昔の2割程度になっているそうです。
駐車場から境内へ。鐘楼。梵鐘は1798年製。
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ご本堂。1044年に光慧上人が建立。当時の古材が床板として使われているそうです。
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七つ石。善無畏三蔵法師が結界を立てた霊石といわれる。
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本堂左手から。
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聖天堂。弘法大師が彫ったとい聖天(大聖歓喜天)を安置。
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大師堂。
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こうやくん、いますねぇ。。
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仁王門へ降りていく石段の途中、身代わり地蔵。平成13年京浜急行電鉄会社設立100周年を記念して奉納された。
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仁王門。江戸時代に再建されたものを平成14年に改修工事。
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神奈川県下に遺る最古の仁王像。13世紀後半鎌倉仏師の作。
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仁王門の先には懐かしさを感じるアーケード商店街。この雰囲気を求めてテレビ番組やCMのロケ地にも使われているそうです。途中のレトロなコーヒー屋さんで一杯いただきました。。アーケードと山の上にある駅の間にお寺があるのが面白いなぁ。
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atsushi-life-like · 7 years
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【旅の記:金沢・富山2017年初夏⑫高岡山瑞龍寺】
加賀藩2代藩主前田利長が織田信長・信忠を追善するために建てた法円寺を前身として、異母弟ながら家督を譲られた3代藩主利常がそのお寺を利長の菩提寺として瑞龍寺とした。家督を譲ったのち、利長は富山城に入り、富山城が火災で炎上すると高岡に移り、高岡城を建て、法円寺も高岡に移された。
曹洞宗の寺院でご本尊は釈迦如来。富山県で唯一国宝建築物を有する寺院です。
車を止め参道を行く。利長さん。利家亡き後、この人が有能でなければ加賀藩は徳川家に潰されていただろうな。。
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総門。重文。
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ということらしいです。。
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山門。1820年竣工。国宝。そして逆光。。
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仁王像。
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仏殿。1659年竣工。国宝。そして、逆光。。釈迦如来、普賢菩薩、文殊菩薩の釈迦三尊、他を安置。
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法堂。1655年建立。国宝。少し逆光。。
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法堂の中から。。
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回廊も重要文化財。
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他、禅堂、鐘楼なども重文。とてもりっぱな寺院で、利常の、嫡男がいなかったとはいえ異母弟の自分に家督を譲ってくれた利長への感謝が感じられました。写真が逆光ばかりで、残念です。。
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