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#住宅街の中の隠れ家的お店
rosysnow · 1 month
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ずっとそばに
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 ゆっくり、夜の街に明かりが戻ってきたと感じる。居酒屋やスナックが夜遅くまで光を灯している。
 そんな通りに並ぶ、とあるバーに大学時代からよく行っている。ゲイバーじゃないけど、ママがニューハーフで、トークがなかなか愉快なのだ。そんなママを気に入って、店によく来る奴のメンツもだいたい決まっている。
 その人々の中に、いつからそのカップルがいたのかは憶えていない。自然と、名前と顔は一致するようになっていた。長身でワインレッドのメッシュを入れた男が真寿、黒髪ショートのきりっとした女が寧々だ。真寿は二十六の俺とタメくらいで、寧々はそれより年上で三十手前だろうか。
 見ている感じ、真寿は寧々の尻に敷かれている。寧々が何かしら一方的に言うと、真寿はしゅんとして謝っている。
 あんな女、俺なら嫌だな。そう思うけど、だからこそ、好きこのんで寧々とつきあう真寿は、よほど彼女が好きなのだろうと俺は思っている。
「あの子も、あんなモラハラみたいな女、やめとけばいいのに」
 その日も仕事を終えて、帰宅前にカウンターで一杯飲んでいた。すると、大学時代に同じサークルだった茅乃も顔を出し、俺の隣でカクテルを飲みはじめた。お局に対する愚痴をひと通り述べたあと、ボックス席にいる真寿と寧々を一瞥して、茅乃はそう言った。
「モラハラって」
「いつも怒られてるじゃん、あの子」
「あいつが彼女のこと好きなら、勝手なんじゃね」
「克宏も、好きな女だったらああいうのOKなの?」
「……俺は嫌だけどな」
「ほら。あーあ、真寿くんならもっといい女がいるのにさ」
 俺は静かにハイボールを飲んだあと、「それは、お前が『いい女』だと自称してるのか?」と眉を寄せた。
「悪い?」
「お前は『いい女』ではないな」
「克宏にはそれでいいけど」
「真寿くんに興味あんの?」
「私は可哀想な男が好きなの」
「可哀想って……」
「放っておけない。私が幸せにしたい」
「本人は幸せだと思うぞ」
「あれを見て、本気でそう思う?」
 真寿と寧々がいるボックス席をちらりとした。寧々は腕を組んでソファにもたれ、何か言っている。真寿はやっぱりうなだれている。会話はジャズと客の話し声に紛れている。
「絶対モラハラだわ、あれは」
 茅乃はひとりうなずき、オレンジ色のカクテルを飲んだ。「そうですか」と俺は聞き流して、スマホを手に取っていじる。
 今まで、真寿と寧々のそういう関係は、当たり前のように見ていた。でも、実は真寿は寧々に負担を感じているのだろうか。だとしたら、別れない理由が俺には分からないけど、真寿は別れたいと切り出せるタイプじゃなさそうだなとは思う。
 やがてアルコールが軆にまわり、ほどよいほてりを覚えてきた。茅乃には「あんま野暮なこと考えんなよ」と釘を刺し、俺はママに支払いをしてバーをあとにした。
 びゅうっと寒風が吹きつけてくる。十二月になって、一気に冷えこむようになった。マスクが隠れるくらい、マフラーをぐるぐるに巻いて、駅へと革靴の足を向ける。
 この通りは、パンデミック前は酔っ払いもかなりふらふらしていて、やや治安が良くない感じだった。でも、時短営業を機に閉じた店も多く、現在はそこまでうるさくない。灯っている明かりは増えたけど、活気が戻るのはまだもう少し先なのかなと思う。
 恋人もいない俺は、毎日会社で仕事をやるしかない。リモートワークも選べるけど、実家住まいの俺は、フルリモートが解除されたら、さっさと出社するようになった。リモート授業の大学生の妹に、「満員電車に乗ってきて、そのまま近づかないでよね」とか言われるが、そもそもお前がそんなふうに生意気だから家でゆっくりできねえんだよと思う。そして、これを口にしたら、両親は確実に妹の味方をするのも鬱陶しい。
 年末感が濃くなる金曜日、俺はまたバーにおもむいた。今年は土日がクリスマスなので、何となくうんざりしていた。彼女持ちの後輩は、「彼女とゆっくり過ごせるから最高ですよね」とか言って、俺は引き攣った苦笑いをするしかなかった。
「今年は久しぶりにオールのクリスマスイベントやるから、うちに来たら? 出逢いもあるかもしれないわよ」
 ママになぐさめられて、それもありかもしれないと深刻な面持ちで検討していると、からん、とドアベルが響いた。ついで、「こんばんは」と誰か店に入ってくる。
「あら、真寿くん。寧々ちゃんは?」
 俺はグラスから顔を上げ、入ってきたのが紺色のコートを羽織った真寿であることを認めた。彼は相変わらずな印象の弱気な笑みを見せると、ホールのボックス席でなく、俺のいるカウンターにやってくる。
 手にしたメニューを見つめた真寿は、吐息をついて、「とりあえず水を……」と言った。
「いいの? お水でもお金はいただくわよ」
「分かってます」
 ママは肩をすくめ、ミネラルウォーターをペットボトルごと真寿に渡した。しかし、受け取った真寿は、それに手をつけようとしない。
「何かあったの?」
 スツールがあいだにふたつあるけど、その横顔を見兼ねて、俺は声をかけてみた。はっと真寿はこちらを見る。女顔だなあと失礼ながら思っていると、「……克宏くん」と真寿はつぶやく。話すのは初めてだが、名前ぐらい把握されていても驚かない。
 真寿は視線を下げると、「あの子……」とぽつりと口を開いた。
「君の恋人ではなかったんだね」
「はい?」
「茅乃さん。ずっと、そう思ってたよ」
「………、え、茅乃と何かあったのか?」
 真寿はやっとペットボトルを開封すると、ごくんと喉仏を動かして、ミネラルウォーターを飲みこんだ。
「夕べ、茅乃さんと一緒だったんだ」
「はっ?」
「それが寧々に見つかって、怒られちゃって」
 え……と。
 何言ってんだ、こいつ。茅乃と夕べ一緒だった?
 もしや、この男、おとなしそうな顔して下半身は緩いのか。一緒だったということは、まあ、そういうことだろう。そりゃあ寧々も怒る。
 いやいや、待て。茅乃は先日、モラハラとかめんどくさいことを勝手に言っていた。
「もしかして、茅乃に無理に迫られた?」
「……まあ」
「マジか。それは……何か、あいつの友達として謝らないとな」
「いやっ、僕が流されただけで」
 そこは確かにお前も悪い。と言うのはこらえて、「真寿くんって、寧々さんとうまくいってなかったりする?」と問う。
「え? そんなことはないけど」
「じゃあ、あんまり……良くはなかったな」
 あんまりというレベルじゃないが、そう言っておく。真寿は黙りこんでしまい、ただ不安そうな顔で水を飲む。
「茅乃は、その──あいつなりに、真寿くんを心配にしてたみたいだから」
 沈黙が窮屈になった俺の言葉に、「心配?」と真寿は首をかたむける。ワインレッドのメッシュがさらりと流れる。
「真寿くんが、寧々さんにモラハラ受けてんじゃないかって」
 真寿は心底驚いた丸い目になって、「それはないよっ」と身まで乗り出してきた。
「確かに、寧々は僕のダメなところに目敏いし、よく指摘するよ。でも、それはほんとに僕が直さなきゃいけないところで」
「お、おう」
「ふたりきりになれば、寧々は僕のいいところもたくさん褒めてくれるんだ。すごく厳しいけど、すごく優しいんだよ」
「そう、なのか……」
「寧々はかっこいい。ずっと僕の憧れだった」
「ずっと?」
「うん。友達のおねえさんだったんだ、もともと。何年も、すれちがうときに挨拶するだけで。寧々からお茶に誘ってくれたときは、夢みたいに嬉しかったなあ」
 真寿は幸せそうに寧々との馴れ初めを語り、俺は臆しながらそれを聞く。
 何か、こんなに寧々にベタ惚れしていて、こいつ、本当に茅乃と寝たのか?
 そこのところを、具体的に訊けずにいたときだった。
「やっぱりここにいた」
 からん、とベルを鳴らして、店に入るなりそう言ったのは、カーキのオーバーと細いデニムを合わせた、いつも通りボーイッシュな寧々だった。
 真寿ははたと寧々を振り向き、口ごもる。
「ねえ、あんたの部屋にあたしとあの子とふたりきりにして、あんたは逃げ出すって何なの?」
 おいおい、そんな修羅場を投げてきたのかよ。ついそう思ったが、同じ男として、そんな現場は逃げたくなる気持ちも分からなくはない。
 真寿は気まずそうにうつむいているので、思わず「友達が失礼したみたいで」と俺は口をはさんだ。寧々はこちらに、長い睫毛がナイフみたいにも感じる鋭利な目を向ける。
「あの女の子の友達?」
「そうです」
「友達は選んだほうがいいわよ。で、真寿、あんたはあたしに言い訳ぐらいしたらどうなの?」
「言い訳なんて……悪いのは、僕だし」
「それで、何も説明しないのはもっとずるい。あたしがどうでもいいってことなら別だけど」
「それはないよ! 僕が好きなのは寧々だよ、絶対に。寧々のこと、大好きだよ」
「あの子にも同じことを言ったの?」
「言うわけないっ」
「じゃあ、それは、あたしにきちんと説明してほしかったな」
「……ごめん」
「あと、一緒に過ごしたくらいで、だいぶ大ごとに捕えてるみたいだけど、何もなかったならあたしは怒らないわよ」
 え? 俺は思わずぽかんとして、真寿もまばたきをする。
「あの子が言ってた、『相手にされなかったから』って」
「信じて……くれるの?」
「むしろ、信じないと思われるほうが不愉快ね」
「ご、ごめんっ。僕だったら、寧々がほかの男とふたりで過ごしたら許せないし、たぶん、何もなかったなんて信じられないから。そんなの、頭が変になると思う」
「……あたしも、頭は変になりかけたけどね」
 むすっとした感じで寧々が言うと、真寿はぱあっと笑顔になり、スツールを立ち上がって「ごめんね」と彼女を抱きしめた。「あらあら」なんてママはにっこりしているけど、俺にしたら痴話喧嘩なので、しょうもないと思いながらスマホを取り出す。
 いつのまにか、通話着信がついている。茅乃からだ。俺はいったん席を立ち、壁際で茅乃に通話をかけた。奴はワンコールで出た。
「真寿くんとひと晩過ごして、何もなかったことは聞いた」
 俺が開口で言うと、茅乃は『ありえないでしょ……』と絶望的な涙声でつぶやいた。
「だから、真寿くんはそれだけ寧々さんに惚れてんだよ」
『うー、つらいよお。私、真寿くんのこと、けっこうマジで好きだったんだよ?』
 俺は壁に背中をもたせかけ、けっこうマジで好きなのはこっちもだけどな、と思う。
 本当に、見る目がない女だ。そんなお前に恋をした俺が悪いんだろうけど。マジで、鈍感すぎる。
 俺がいつも隣にいるって気づいてくれよ。何だかんだ、ずっとそばにいるじゃないか。でも、こいつはおもしろいくらいに気づいてくれない。
 真寿と寧々は、いつも通りのホールのボックス席に移動している。寧々が何か言っても、真寿はいつになく嬉しそうだ。
 あのふたりは、ずっとお互いのそばにいるんだろうな。茅乃の泣き言を聞きながら、そんなことを思う。
 俺が茅乃とあんなふうになれるかは分からないけど、憂鬱だった週末のクリスマスは、ひとまず彼女のやけ酒につきあって過ごすことになりそうだ。
 FIN
【THANKS/診断メーカー『お題ひねり出してみた(ID:392860)』】
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patsatshit · 7 months
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現代に蔓延する上っ面の多様性の背後には、互いに認め合い、尊重するためにはそれぞれがそれぞれに誰かの役に立たなければならないという暗黙の目配せがそこかしこに溢れている。取ってつけたような「弱者救済」というポーズの背後に、どれだけの排他精神が蠢いていることか。高齢者、子ども、障がい者、生活困窮者、クィアをある種の符号に落とし込んでマーケティングに利用するのは、いつだって政治的悪辣の最たるものである。本来は音楽という鐘楼に集いし落伍者たちの解放区として機能していたクラブやライブハウスに於いてさえ、いつしか高い倫理観が求められるようになり、暗黙のドレスコードにより、世にも奇妙な選民思想が根付き始めている。互いに認め合い、互いを支え合うことを前提とした空間に、自分のような人間の居場所がなくなりつつあると感じることが少なくない。音楽が爆音で鳴り響く暗闇のなかには聖職者もいれば犯罪者もいる、心優しき英雄もいれば屑のような悪党もいる、互いの胸のうちに共通するものは何もなく、もちろん自発的な歩み寄りもない。鳴り響く猥雑な音楽だけが両者を辛うじて暗闇の内側にとどめ、足もとの溝を埋めていく。いまの時代、そういう多元的な現場や空間はもはや存在しないのかもしれない。
(『僕のヒーローアカデミア』233話より)
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前置きが長くなってしまったが、タラウマラには日々、様々な事情を抱えた「世の人」たちが入れ替わり立ち替わり訪れる。それは決して居心地の良いものではないし、少なくとも当店にとって、彼らは何の役にも立たない。どちらかと言えばこちらのストレスになるだけだ。それでも彼らはやって来る。そういう人たちをこの社会から見えにくくしているのが無自覚なダイバーシティが夢想するユートピアであり、権力者たちが吹聴する「美しい国」の実態なのだと思う。
(世の人①:東淀川を代表するファッショニスタ)
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まず最初に紹介したい人物が、自他とも認める東淀川のNo.1ファッショニスタ、清水氏だ。氏の特徴を挙げるとすれば、とにかくオシャレ、ひたすらオシャレ、無慈悲にオシャレ。この人がひとたび領域を展開したら、その術式から逃れる術はなく、世の中で最も役に立たないゴミのような服飾情報を一方的に脳内に流し込まれ、結果、見事に誰もが骨抜きにされる。かつて偶然にもその場に居合わせたWD sounds のオーナーLIL MERCY氏さえも凍りつかせた脅威の人物だ。自身の首元を指して「これは希少なFENDIのネクタイだ」と豪語するので、恐る恐るネクタイ裏のタグを確認すると、なんとブランドロゴではなく素材を示すflannelの文字。どつくぞ。そんな清水氏の母親が昨年亡くなったのだが、ある日、沈鬱な表情でタラウマラを訪れた氏が朴訥と胸中を吐露し始めた(聞いてもいないのに)。ずっと母の介護に身を捧げてきた自分としては、親の死を簡単に受け入れることができず、いまは食事も喉を通らない。母が使っていたベッドの上で呆然と天を仰いで、そのまま朝を迎えることも珍しくない、日に日に自身の身体が痩せ細ってきたことを自覚しており、周囲の者からも心配されている、というような内容をエモーショナルに語る。さすがに気の毒だと思い、親身になって耳を傾けていたのだが、次の瞬間、この男の口から耳を疑うようなセリフが飛び出した。「俺はもともとスタイルが良いのに、これ以上痩せたらモデルと間違えられるんちゃうやろか。ほんでこのベルトもかっこええやろ?」。恐ろしいことに、またしても僕は氏の領域に引きずり込まれていたのだ。その後もお決まりのファッション自慢を嫌というほど聞かされ、全身から血の気が引いていくのを感じた。最愛の母親の死さえも、己のファッショントークの「振り」に使う正真正銘のク◯である。しかも亡くなって間もない、死にたての状況で。
(世の人②:東淀川のジャコメッティ)
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次に紹介したいのは、東淀川のジャコメッティ。ある日の営業日、下駄履きのおっさんがタラウマラに訪れ、店内の書棚を一瞥して咆哮した。「ここの本ぜんぶキミらが読んでるんか?やとしたら相当わかってるな!」。僕たちは当店取り扱い書籍はすべて自分たちで読んで、仕入れ、仕入れて、読んでいることを伝えた。するとおっさんの眼は鋭く輝き「キミらは大阪の文化を1ミリ底上げしとるな。大阪で1ミリってことは世界で1ミリってことや!気に入った!儂の家にある本を全部キミらにあげよう、今夜でも我が家に取りに来なさい」と快活に言い放った。その後もジャコメッティやカフカ、折口信夫について興味深い話を聞かせてくれた。おっさんの名は矢嶋博士、淀川とともに生きる彫刻家であり歌人であった。博士から自宅住所と電話番号を書いたメモを受け取り、タラウマラ閉店後にお伺いすることを約束した。博士は帰り際に「もし良かったら、儂の家にある本ぜんぶとキミらのジャコメッティを交換しよう」と言った。僕は何となく話題を逸らして、夜を待った。タラウマラ閉店後に近所のキンキーガールりんちゃんを誘って矢嶋宅へと向かった。ゲトーなアパートのゲトーな階段を上がりゲトーな玄関を開けると、果たしてそこは博士のアトリエ兼寝床であった。三畳一間に所狭しと並べられた謎の彫刻と珍奇植物、藁と見紛う敷布団とヘドロ化したホルモン、呑みさしの酒瓶、そしてあっち系のアダルトコンテンツが視界を過ったことは記憶に留めておこうと思った。博士は「何を突っ立っとんねん、腰おろして寛ぎなさい」と着座することを薦めてくれたので、僕は「どこに?」という言葉をかろうじて飲み込んで、藁のような敷布団に腰を下ろした。ぴったり寄り添うようにりんちゃんの背中がある。博士は1,000冊つくって50冊しか売れていないという自著『淀川。よ』(幻冬舎)を僕たちに1冊ずつプレゼントしてくれた。「芸術家なんて世間様に認められたら負けや。儂はいまの生活で十分幸せやから、死ぬまで作品を作っていくだけや。売れたいなんて思ったことない」という博士の言葉に負け惜しみや諦念は微塵も感じられず、寧ろ清々しい。りんちゃんの興奮が伝わってきた。僕たちは小一時間ほど色んな話をして、席を立った。「階段の上に本を置いてるから全部持っていきや!頑張れよ、若者たち」と言って博士は扉を閉めた。ゲトーなアパートのゲトーな階段の上に大量の書籍が置かれていたが、なんとその8割程度が司馬遼太郎の著作だった。ジャコメッティを交換条件として差し出さなかった自分を心から讃えた。僕たちは自転車のカゴに大量の司馬を積み込んで帰路に着き、その足ですべて「本の森」に寄贈した。
(世の人③:ラッパーの母)
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最後はタラウマラの元スタッフであるマリヲ君の実母を紹介する。この方は初来店時に食パンの差入れを持ってきてくれて、淡路商店街で食パンと言えば、当時の人気店「熟成純生 食パン専門店|本多」(2022年9月に閉店)のものに違いないと早合点し「そんな高級なやつ頂いて良いんですか?」と言うと「え?そこのイズミヤで買ったやつよ、え?こっちの方が良かった?」とテヘペロ。なんと僕には廉価食パンを差し出し、ご自身用に高級品を隠し持っていたのだ。2度目の来店時は前回購入してくれたAFTERのTシャツ(画像参照)のコーディネートを見せに来てくれたのだが、タイミング悪くパンク修理の最中だった僕は、店内で少しお待ち頂きたい旨を伝えて作業に注力した。ところがパンク修理を終えて顔を上げると、マリヲ母は嘘のように店内から姿を消していた。それから何度かタラウマラにやって来ては、僕の目を気にしてか、まるでプッシャーマンのような所作で袖の下からマリヲくんに小遣いを渡していたり、連日おばあちゃんの就寝時の写真を送ってきて、マリヲくんが「ばあちゃん元気そうで良かった」と返信すると「おばあちゃんじゃなくて、おばあちゃんが着てるパジャマを見て欲しかった」と返す刀がぴこぴこハンマー。よく見るとパジャマの花柄はすべて微妙に違っていた。そうかと思えば「おばあちゃん、明日あたり死にそうです」と唐突に不安を煽るメッセージを送りつけてきたりもする(因みにおばあちゃんはいまも元気にご存命)。或いは道頓堀川で殺人事件が起きた際には被害者の男性が我が子でないかと執拗に心配していた。報道で被害者はベトナム人男性だと報じられているにも関わらず、だ。
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そして、日々の寂寥感を紛らわせるようにSiriというバーチャルアシスタントと夜毎ピロートークを繰り広げていたある時期のマリヲくんが、酔った勢いでSiriに「好きだ!」と告白した瞬間、マリヲ母から「私も!」とLINEメッセージが届いたとき(別の文脈でのやり取りをしていたらしいが、偶然タイミングが重なったようだ)には膝から崩れ落ちた。やはり異能の子は異能、この親にしてこの子あり、ということだろう。
(マリヲ母については息子の著書に詳しい)
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aya-azana · 27 days
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スクレイピング・ユア・ハート ― Access to SANUKI ―
あらすじ 平凡な大学院生である丸亀飛鳥。 新規気鋭のイラストレーターで、飛鳥の後輩である詩音。 四年ぶりの再会を経て、二人は奇妙な出来事に巻き込まれていく――――
 物語の始まりなんて、なんでもよかった。  偉人の言葉を引き合いに出して、壮大な問題を提起する冒頭が思いつかない。洒落た言い回しを使った、豪華絢爛な幕開けが思いつかない。ああ、思いつかない。とにかく、思いつかないの。  一般教養が足りないとか、センスがないとか、そんなんじゃない。  ただ、平坦。二十三年生きた人生に山も谷もない。  一般的な都内の中流家庭に産まれ、すくすくと成長し、苦難なく小中高大を卒業。  特に研究したいこともないが、働くのが嫌で大学院へ。研究生活の中で平均くらいの能力を身につけ、今でもゆるゆると日常を謳歌している。  そんな人間が想い描く物語だ。たとえ始まりを豪華絢爛にしたところで、面白くともなんともない。  だから、始まりなんてなんでもいいん『そんなことないわ』  ……そうかしら。それなら、もう少し頑張ってみ「お願いだから止まって、止まって!」  ……どっちよ。  これは、寝る前にするちょっとした妄想。クラスを占拠した悪漢を一人でやっつける、みたいなもの。  目を瞑っているのだから周囲は真っ暗だし、私以外の声が聞こえるわけ「先輩!先輩!しっかりして!」  うーん。うるさいわね。  聞き覚えがある女の子の声。少しガサついていて綺麗な声音ではないのだが、なぜか心地よくて、落ち着く。  ……寝る前に聞く、ちょっとえっちなASMRの切り忘れね「先輩!?」。面倒だけど一度起き『ダメよ』
 身体がビクン、ビクンと震える。
 表面上は高潔な雰囲気を纏っているものの、ねっとりとした厭らしさが滲みでて、根底にある魔性を隠しきれていない女性の声。  今まで一度も聞いたことがない。声の主なんて知るはずがない。それでも狂しいほど切なく、堪らないほど愛おしい。  そんな声が全身を駆け巡り、電撃のような痺れとなって身体を激しく愛撫したのだ。  『貴女の全てが欲しいの』  唐突に発せられた媚薬のような愛の囁きに、動悸が早くなって頬が火照る。恋愛感情に近い心の昂りが瞬く間にニューロンを焼き焦がして、身体にむず痒い疼きを与えた。  『貴女は快楽の熱で、ドロドロに蕩かされていく』  そう告げられると、容赦ない快感が次々と身体に打ちつけられ始めた。  堪らず身を捩ろうとするが、金縛りに遭ったように手足が動ない。舐めしゃぶられるように身体中が犯され、許しを乞うことすらできない。ただ一方的にジュクジュクとした甘ったるい快楽の波が全身に蓄積していく。  やがて許しを懇願することさえ忘れ、頭の中が真っ白に染まってしまう。もう耐えきれない、決壊してしまう。  『そして、深く深く流れ落ちていく』  そのタイミングを見透かしたように、許しの言葉が告げられる。同時に、心の器が壊れ、溜め込んだ全ての快感が濁流のように全身を駆け巡った。  意識が何度も飛びそうになって、頭のチカチカが止まらない。獣のように声にもならない嬌声をあげながら、やり場のない幸福感に身を委ねて甘く嬲られることしかできない。何もかもがどうでもよくなる程、気持ちがいい。  永遠に思えるような幸福な時間を経て、すぅっと暴力的な快楽が引いていくのを感じた。代わりに、深い陶酔の中へ身体が沈み始める。  そして、自然と強張っていた身体から力が、いや、もっと大切な何かが抜けていく。でも危機感はない。  たとえ声の主が猛獣で、彼女に捕食されている最中であっても、私は目を開けず身を任せてしまうだろう。  ゆっくりと身体の輪郭が曖昧になり、呼吸が浅くなっていく。意識が朦朧として何も考えられない。ただ、恍惚たる快楽の余韻に浸りながら、彼女の言葉の通り深く深く、流れ落ちていく。  『おやすみなさい、愛しい貴女』  赤ん坊に語りかけるような優しい声音で別れが告げられる。そして、私の意識はブレーカーが落ちたようにプツンと切れた。  遠くからぼんやり響いた悲痛な叫びは、もう私に届くことはなかった。
 ***    もしあたしにインタビュー取材依頼がきて、最も影響を受けた人物を聞かれたら、間違いなく先輩と答えて彼女への想いを語り続けるだろう。  コラム執筆依頼がきたら必ず先輩の金言を引き合いに出して最高のポエムに仕上げるし、ラジオに生出演したら「いぇい、先輩、聴いてるー?」が第一声と決めている。  現に初めて受賞した大きなイラストコンテストの授賞式の挨拶では、会場にいない先輩に向けて感謝の気持ちを述べた。それほどまで、高校で先輩と過ごした二年間はかけがえのない宝物だったのだ。  だから、あたしという物語の始まりは必ず先輩との思い出を引き合いに出すと決めている。  そんな小っ恥ずかしいことを寝巻き姿で平然と考えてしまう程、あたしこと讃岐詩音は浮かれていた。  なんせ今日は先輩と四年ぶりの再会である。  窓から差込む小春日和の暖かな日差しが、今日という素晴らしい日を祝福しているようにも思えた。
 「詩音、朝ごはんできてるわよー」  「うん」  一階から聞こえたママの呼びかけに応じる、蚊の鳴くような声。自分のガサついた地声が嫌で、どうしても声量が小さくなってしまう。  おそらくママには聞こえていないので急いで自室から出て階段を降り、リビングに移動する。閑静な高級住宅街に建つ一軒家に相応しくないドタバタ音が鳴り響いた。  「危ないからゆっくり降りてきなさいって言ってるでしょ」  ママのお小言に無言で頷きながら、焼きたてのバターロール一個とコップ一杯のスープをテーブルに運ぶ。いつものご機嫌な朝食だ。  「バターロールもう一個食べない?消費期限今日までなの」  ママの問いかけに対して首を横に振って拒否した。少食なあたしにとって、朝の食事はこの量が限界。これ以上摂取すると移動の際に嘔吐しかねない。  「高校でバスケやってた時はもっと食べてたのに。ママ心配よ」  そう言われてしまうと気まずいが断固としてNOだ。先輩との大切な再会をあたしの吐瀉物で汚したくない。  話題を逸らすためテレビをつけると、ニュースキャスターが神妙な面持ちで原稿を読み上げていた。  「横浜市のアトリエで画家の東堂善治さんが倒れているのが見つかり、病院に搬送されましたが意識不明の重体です」  たしか、以前参加したコンテストの審査員だったような。国際美術祭で油彩画を見たような。あと生成AI関連で裁判がうんたら。  「東堂さんは世界的に権威のあ……また、スポンサー契約を交わしていたFusionArtAI社に対して訴……捜査関係者によると奪われた絵……」  ニュースの内容を聞き流していると、概ねの内容は記憶と合致していた。どうやら、高校を卒業してから勉学の道には進まず、創作活動に勤しむようになったあたしの記憶力はまだ健在らしい。少しだけ、ホッとした。  「最近物騒ね。よく聞く闇バイト強盗かしら。ほら、この前も水墨画の先生が殺されたじゃない。詩音も今日のおでかけ、気をつけなさいよ」  「ん、気をつける」  ママを心配をさせないために少しだけ大きな声で返事をして、深く頷いた。  食事を終えた後、アイロンがけされた一張羅に着替えて身なりを整え、先輩が待つ喫茶店へ向かった。    ***    ――――ちょうど三週間前のこと。  本業のデジタルイラストの息抜きとして始めた水彩画にハマりにハマって、気がつけば丑三つ時。ふと先輩の顔が頭に浮かんだのだ。  丸筆とパレットを置いてから勢いよくベッドにダイブして寝転がり、流れるようにエプロンのポケットからスマホを取り出す。  先輩はSNSを実名で登録するタイプではない。それでも広大なネットのどこかに先輩の足跡みたいなものがないか、淡い期待を抱いて名前を検索してしまう。  そんな自分がちょっと気持ち悪い。  自己嫌悪に陥りつつ検索結果を眺めていると、思いもよらない見出し文を見つけたので間髪入れずにタップした。
 「情報システム工学専攻修士1年生の丸亀飛鳥さんが、AIによる雛の雌雄鑑別システムに関する研究で人工知能技術学会最優秀論文賞を受賞しました」
 ゆっくりとスクロールしながら情報を集める。やがて研究室のホームページに掲載された集合写真にたどり着く頃には、これが先輩の記事であることを確信した。  ……正直言って自分がだいぶ気持ち悪い。  「やっぱり先輩はすごい。うん、とてもすごい人だ」  先輩の活躍ぶりに足をばたつかせながら興奮していると、ピコンと仕事用のアドレス宛に一通のメール。見慣れないアドレスだったが、ユーザー名が目に入った瞬間飛び起き、正座になる。  「marugame.asuka0209って、これ絶対に飛鳥先輩だ!」  偶然にしては出来すぎているが、なんの警戒もなく開封をして内容を隈なく読み込み――――読み終える頃には呆然としていた。  要約すると研究協力の依頼であり、可能であれば一度会って話せないか、という非常に堅苦しい内容である。  気がつくと涙が頬を伝っていた。  四年ぶり、つまり先輩が卒業してから初めて貰った連絡。元気?今度ご飯でも行かない?みたいな、そういうのを期待していたあたしがおバカじゃないか。  ――――いいや、先輩が悪いわけではない。これが普通��むしろ、あたしがおかしい。  何を隠そう、あたしと先輩の間に特別な繋がりはない。友達でもなければ恋人でもない。ただ、バスケ部の先輩後輩というだけで、練習と試合だけが共に過ごした時間の全て。連絡も練習に関することだけ。そんな程度の仲。  「……それでも好き」  あたしに手を差し伸べてくれた先輩に対する想い。四年経ってもこの気持ちは色褪せていない。  でも、これが最後になるかも。もし拒絶されたら、ただの先輩後輩ですらなくなってしまったらどうしよう。そう思うと、胸が苦しくなる。だから今まで一度も自分から連絡できなかった。  ――――涙を拭い、ありったけの勇気を振り絞る。  先輩に会ってお話しがしたい、その気持ちだけで震える指をどうにか動かし、書いては消してを繰り返す。文面が完成しても、何度も声に出して読み上げ続け、早三時間。返信を完了する頃には外が薄明るくなりつつあった。  急にドッと疲れが出て、再びベッドに倒れうつ伏せになり、顔を枕に埋める。そのままうめき声を上げて、湧き出る混沌とした感情を擦り付けていく。  このあられもない姿がママに目撃されていたことは、あたしの人生最大の汚点となるのだった。    ***    ――――いつの間にか私はドアの前に立っていた。  温かみを感じるレトロな木製のガラスドア。ここは大学から離れた場所に佇む、少し寂れた喫茶店の玄関前だ。私の憩いの場の一つで、よく帰り道に訪れている。  ぼーっとしていると、店内が薄暗いからか自分の姿がガラスに反射していること��気がついた。  ���ラスに映る、ケープを羽織ったおさげ姿の美少女。うどんのように白い肌が彼女の纏う儚さに拍車をかけている。    彼女の名は讃岐詩音。    私の一個下で、高校バスケ部の後輩だ。  某バスケ漫画に憧れて入部したという詩音は、初心者という点を考慮しても信じられないほど下手だった。  ドリブルやパスはへんてこだし、一番簡単なレイアップシュートすらろくに出来ない。おまけに口数が少ない不思議ちゃんで、趣味と特技がイラストときた。  そのため、次第に周囲から腫れ物のように扱われるようになる。  それでも詩音は部活を辞めず、直向きに人一倍努力を続けた。  しかし、周囲からの扱いは変わることはない。下手っぴが一人で頑張っても嘲笑の対象になるだけだ。  だから私は、詩音に手を差し伸べた。少しでも彼女が笑顔になれるように。  ――――精一杯頑張る彼女の姿が、どこか冷めていた私の憧れだったから。    原因は不明だが、今、私は『詩音』の姿になっている。まるでVRを体験しているようだ。なんにせよ、玄関前で棒立ちを続けるのは迷惑だ。  混乱しながらドアを開けて入店すると、店員がにこやかに迎え入れてくれた。  「いらっしゃいませ、讃岐さんですね。丸亀さんはあちらの席でお待ちです」  会釈をするも、妙な違和感。戸惑いながら店員の案内に従い、席に移動した。そして私は大っ嫌いな女と対面することになる。  緑色の黒髪が綺麗な、リクルートスーツ姿の美女。気品のある見た目をしているが、中身は空っぽ。連絡が来ないから嫌われたと思い込み、自分を慕う後輩を四年間も放置したクズ。そんな女性が私を見て微笑む。
 『久しぶりね、詩音』
 そう、『『私』』だ。まるで鏡を見ているかのように、『私』が机を挟んだ向こう側に存在している。  詩音と四年ぶりに再開したあの日の夢を見ているのだろうか。  唖然とする私を無視して、目の前に座っている『私』は一方的に話を進めていき、本題に移り始める。
 『研究室が推進するイラスト生成AIプロジェクトが難航しているの』
 原因は技術の普及と発展に伴って、目視であっても判別できないAIイラストがウェブ上に溢れかえったことだ。  その結果、クローラープログラムがウェブを巡回してイラストを収集するスクレイピング技術で作られた学習データにAIイラストが混入し、AIプログラムが崩壊する報告が多数出ている。  余談だが、私の研究は養鶏農家から提供される写真を使用しているため、全く影響を受けなかった。それゆえ、最優秀論文賞を繰り上げ受賞してしまったのだ。
 『研究用のデータ加工が大変なのよ』
 これはイラストレーター達が自衛として、データをそのままウェブにアップロードしなくなったからだ。  近頃はデジタル画像を紙に印刷した作品やアナログ作品を造花などで飾り付けてからカメラで撮影する、2.5次元作品が主流となっている。  イラスト本体の解像度劣化やカメラフィルターによる色合の変化、装飾物による境界の抽象化などが原因で、2.5次元作品はAIで学習できない。  修正AIで2.5次元作品を2次元作品に加工しようとしても、誤認識のパレードである。そのため、ゆうに一万を超える大量のデータを人力で加工するしか手立てがないのだ。
 『FusionArtAI社のデータも法外的な値段で八方塞がりなの』
 FusionArtAI社は唯一ピュアなイラストデータを扱っているユニコーン企業だ。東堂善治のような大御所アーティストらと契約し、安定して高品質なデータを取得しているらしい。  AIやらNFTやらを壮大に語っているが事業内容がよく理解できない。それに莫大な資金が何処から出ているのか非常に疑問である。  加えて詩音がモニターとして、AIの学習を阻害する絵具を貰ったのだとか。胡散臭すぎる。
 『だから詩音のイラストのデータを全て譲って欲しいの』
 「……は?ちょっと待ちなさい」
 今まで無言で頷いていたが、思わず声が出てしまう。
 『貴女の全てが欲しいの』  「そんなこと言っていない!私は研究協力の依頼を断るように警告したのよ!!」    ことの発端は詩音がイラストコンクールの授賞式で私の名前を出したことである。偶然その授賞式に私の指導教員も来賓として出席していたのだ。  後日、ゼミで彼女の挨拶が話題に出され、私は迂闊にも恥ずかしさのあまり過剰に反応してしまった。  指導教員は詩音が語った人物が私のことだと察した。そして詩音宛に研究協力の依頼を出すよう、私に指示を下したのだ。  なんせ、詩音は今や業界を席巻する超新星。その作品を利用できれば、データの質の担保だけでなく、研究に箔をつけることができる。  下手をすれば詩音が筆を折りかねないその指示に対し、私は強い憤りを感じた。  しかし、上の言う事は絶対。だから大学から離れた喫茶店に呼び出し、密かに依頼を断るように警告したのだ。  ……加えて、授賞式のようなオフィシャルな場で無闇矢鱈に人様の個人情報を出さないよう、情報リテラシーの講義もみっちり実施した。  詩音は私の言葉を素直に聞き入れてくれた。ただし、研究室の厄介事に巻き込んだお詫び?として、週末に作品撮影のアシスタントをする約束をした。    ――――その撮影日が今日。  そこは、誰も寄りつかない瓦礫まみれのビーチ。  遥か昔、海辺に栄える水族館だった場所。  青空の下、詩音が無我夢中になって作品の飾り付けをしている。  装飾材を補充するため、彼女が水彩画に背を向けた刹那。  額縁からコールタールに似た漆黒の液体が勢いよく溢れ出し、彼女を襲う。  だから私は彼女を突き飛ばして。  悍ましく蠢く闇に、『食われた』。    「……ようやく思い出したわ」  これは、妄想でも夢でもない。相対する『私』の皮を被る怪異が起こした現象だ。  理解不能な存在に生殺与奪の権を握られている。その事実を認識した途端、体に悪寒が走り、鳥肌が立つ。今にも腰が抜けそうだ。  怪異は恐れ慄く私の眼をじっとりと見つめながら、ブリーフケースから同意書とペンを取り出し、机の上に置いた。  『貴女とはいい関係になれると思うの』  そう言いながら、怪異は小指を立てながら厭らしく微笑む。  私の生存本能が、この文字化けした書類にサインをしてはいけないと警鐘を鳴らしている。サインをすれば、死ぬ。  それでも私は震える手でペンを掴んでしまう。    ……だって、私なんかが敵う相手じゃないもの。   怖くて泣きじゃくる無様な私に何ができるの。  そうね。きっと、あっけなく死ぬのよ。  ――――そうだとしても    「大切な後輩を襲ったお前だけは、絶対にぶっ殺してやる!!」    私は決死の覚悟を決め、一世一代の大啖呵を切った。瞬時に怪異に対する怒りの炎が燃え上がり、滞っていた思考が急激に動き始める。  相見えるは常識の埒外の存在。裏を返せば奇想天外な自由解釈が可能であり、不格好でもそれっぽい仮説を立ててしまえば、私にとっては常識の埒内の存在になる。  きっとそう強く信じなければ、目の前の『私』は倒せない。  唇に人差し指をあてながら、ただひたすらに、常識や記憶の間に無理やり関連性を見出して理屈をこじつけることを繰り返す。  やがて、その思考過程を経て、一つの結論に辿り着く。    この怪異の正体は、『クローラーを模した淫獣』だ。    こいつは複数回にわたって人を襲い、心の記憶から作品を抽出していくタチの悪い存在。全ての作品を取り込み終えると、獲物に大量の快楽成分を流し込んで再起不能にする恐ろしい習性を持つ。  おそらく詩音も何度か寄生されていて、今日が最後の日になるはずだった。  ところが、すんでのところで私が身代わりになったため、情報の吸い残しがあると誤認が生じてしまった。それは淫獣にとって重大なエラーである。  そこで、やり直しを試みるも、改めて詩音の同意が必要となってしまった。  だから先日の会話に基づいてこの空間を生成し、『私』の皮を被ってサインを迫っているのだ。――――今、自分が捕食している獲物が『丸亀飛鳥』であることに気が付かずに。  そして、最も重要なことは淫獣が人工的に作られた存在という点である。  これまでの同意書に重きを置くような言動を見ると、魑魅魍魎の類とは思えない。何より、元凶に心当たりがある。  そう、FusionArtAI社だ。淫獣の正体が例の胡散臭い絵の具であり、密かに多数のイラストレーターを襲っているとしたら、全て辻褄が合う。  ――――そうであると信じるの。そうすれば、こいつに一矢報いることができるはずよ。  汗ばんだ手で同意書を手繰り寄せ、ゆっくりとペン先を近づける。  すると、自分勝手に喋っていた淫獣が口を閉じ、紙面をじっと凝視し始めた。それだけではない。空間を構成する全てが、その瞬間を見逃すまいと監視している。  張り詰めた空気の中、私は素早く紙を裏返して、こう書き記す。    robots.txt  User-agent: *  Disallow: /    その意味は、『クローラーお断り』。  今や対魔の護符に等しい存在となった同意書を握りしめ、勢いよく席を立つ。  「私の全てが欲しい……そう言っていたかしら?」  沈黙。詩音の好意や才能を踏み躙った淫獣は、口を開かない。  『An error occurred. If this……』  どこからともなくアナウンスが聞こえるが今はどうでもいい。
 「これが私の答えよ」
 大っ嫌いなクソ女の顔面が吹き飛び、振り抜いた私の拳が漆黒の返り血に染まる。  一呼吸おいた後、心から詩音の無事を願い、静かに目を閉じた。    ***    茜色の空。漣の音。磯の香り……それと、ちょっと焦げ臭い。  そして、私の身体に縋って嗚咽する大切な後輩。  どうやら私は死の淵から生還できたらしい。無事を知らせるため、詩音の頭を優しく撫でる。それでも泣き止まないので、落ち着くまで背中をさすってあげた。  「心配かけたわね。詩音が無事でよかった」  詩音は私の胸に顔を埋めたまま、コクリと頷く。  「先輩も無事?」  「ええ、大丈夫よ」  これ以上、詩音を不安にさせないように気丈な態度をとるものの、重度の疲労を感じ、もはや立つことすらできない。  「ここはまだ危ないから、早く詩音だけでも逃げて」  「やっつけたから、モーマンタイだよ」  詩音が指差す方向を見ると、黒い液体に塗れた水彩画が静かに燃えていた。焦げ臭い匂いの原因はこれか。……やっつけたってどういうことかしら。  些細なことに気をとられている場合じゃない。  先ほどから微かに聞こえる、複数の物音。  何者かが物陰で息を潜め、私たちの様子を窺っている。  今や炭になりつつある淫獣の回収が目的か。いや、それは私がでっち上げた荒唐無稽な陰謀論にすぎない。  ここは、電波が届かない人里離れた廃墟。無防備な女二人がいつ襲われてもおかしくない、危険な場所だ。  詩音も気が付いたのか、私に抱きつく力が強くなる。意地でも私から離れないつもりのようだ。高校の時から感じていたが、この子は気が弱いわりに頑固だ。    ――――息が詰まるような空気を、遠くから鳴り響くサイレン音が切り裂いた。    同時に複数の人影が足音と共に遠ざかっていき、私は安堵の息を吐いた。  「もう大丈夫。定刻を過ぎても私から連絡がなかったら、警察と救急に通報するよう、母さんに頼んでいたの」  半分は今のような不足の事態に陥った時の保険として。  「やっぱり先輩はすごい。うん、とてもすごい」  もう半分は、尊敬の念を向けている後輩から刺された際の保険として。……絶対に黙っておきましょう。    ***    ――――事件から三か月後。  結局、私たちを襲った存在の正体は分からず終い。一方、あの場にいた不審な人影は東堂善治を襲撃した闇バイト強盗であった。そのため私達の不法侵入は霞んでしまい、一切お咎めなし。私達の身に何があったか、深く聞かれることもなかった。  まぁ、警察に事情を説明するにしても――――  FusionArtAI社が作ったスライム型の淫獣に襲われてデスアクメしそうになりました。奴らはアーティストの心の記憶に存在する作品データを狙っています。  という私の支離滅裂な説は口が裂けても言えない。それに、FusionArtAI社が不正会計絡みで呆気なく倒産したため、もう追及のしようがなかった。  ちなみに、詩音は黒い液体の正体が亡霊の祟りだと思い込んでいる。だから制汗スプレーとライターで除霊?しようとして、そのまま引火。あの有様となったそうな。  「貴女のおかげで助かったのかもしれないわね」  私の言葉に首を傾げる後輩は、今日も美少女だ。  あの事件以来、私達はお互いの身を案じて一週間に一回は会うようになった。といっても、毎回普通に遊んでいるだけだ。  今日は私の行きつけの喫茶店でまったりとお茶をしている。お紅茶がおいしい。  紅茶の香りの余韻を味わっていると、詩音の手招きが。  またか、と思いつつ耳を寄せる。
 「先輩のケーキ、一口欲しい」
 耳元で囁かれる妙に蠱惑的な声と熱の籠った吐息にゾクッとしてしまう。あの事件で私が晒した醜態から、余計なことを学んでしまったのだろう。  悪戯っぽく笑う詩音。本音を言ってしまうと非常に嬉しいのだが、どうも照れ臭くて顔を背けてしまう。  でも、これから時間をかけて慣れていけばいい。あの事件が私という物語の始まり、いや、――――私達という物語の始まりと決めたから。  二人に降り注ぐ優しい木漏れ日が、これからの日常を祝福しているように思える。  ――――そんな気恥ずかしいことを考えてしまうほど、私こと丸亀飛鳥は幸せだった。
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helloharuo-diary-2023 · 3 months
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思い出を振り返る
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Tuesday 11 February 2014
2014年1月9日(木)夜10時4分、おかあさんが92歳で亡くなった。おかあさんは、自分の母のことではない。ハルオは、26歳の時人生のターニングポイントを迎えた。それはカメラマンになる修行を始める時だった。キーパーソンは、カナダ人のジョン。ジョンとの出会いは、ハルオが当時勤めていたカメラ量販店(24〜26歳)でのことで販売員(ハルオ)とお客(ジョン)の関係から始まった。そのジョンにカメラマンになりたいと伝えるとジョンはある女性を紹介してくれた。その女性は、ハルオが師事する事になったカメラマンGが手掛けていた雑誌の編集者をしていた。ハルオは、ジョンを介してその女性と会いまもなくカメラマンGを紹介してもらい彼の元で働きながら写真を学ぶことになった。
ハルオは、当時国分寺に住んでいた。カメラマンGの仕事場は中目黒にあった。一方ジョンは中目黒に近い下北沢のアパート「葉隠荘」に住んでいた。そのアパートは、いわゆる外人ハウスで管理人がいなくある意味無法地帯のアパートだった。そのアパートがあった敷地内におかあさんが営む一杯飲み屋「小料理 小千谷」があった。ハルオは、国分寺のアパートをキープしながら葉隠荘(3畳部屋)に移り住んだ。そしておかあさんと出会った。おかあさんは、当時70歳だった。1991年のことだ。「小千谷」とはおかあさんの生まれ故郷新潟県小千谷のことだ。「小千谷」カウンターに5席ほどの小さい飲み屋でおかあさんが一人で切り盛りしていた。メニューは、300円と600円のみ。瓶ビール(大瓶)500円。おかあさんは、自分のことを『昔はあばずれ、今は聖母マリア』と言った。そして『おかあさん』と呼んでと言われる。おかあさんは、外国人しかいない葉隠荘に日本人がやって来たことが嬉しかったのだろうかハルオとおかあさんはすぐに打ち解けて仲良くなった。「小千谷」は夕方から12時まで営業していたので仕事が遅くなった時でもお店は開いていてよくハルオはおかあさんに会いにお店に寄った。おかあさんは昔の下宿屋のおばちゃんみたいな存在だった。おかあさんは世田谷区に住まいがあり旦那さんと暮らしていたが葉隠荘にも1室部屋を持っていた。その部屋はジョンの部屋(6畳部屋)の隣りだった。ジョンもハルオも20代後半の血気盛んな時期で週末となればどこからともなく外国人たちがジョンの部屋に集まりテクノミュージック(後にトランス)を聞いて騒いだ。ボロアパートの葉隠荘だから音は筒抜けでおかあさんは最年長でテクノを聞いていたことになるだろうか。聞くだけならともかくその音はおかあさんには不快でよくジョンの部屋に来て『うるさいよ〜』と注意に来た。
「小千谷」には、常連のお客さんがたくさんいて当然おかあさんのファンでもあった。おかあさんが道で拾った鶏をカゴに入れて飼っていた時があった。そのカゴは「小千谷」の店先に置いてあってある日おかあさんはそのコメコと名付けた鶏を写真に撮っている女の子Aと出会う。そして「うちにも写真を勉強しているハルオ君という子がいるよ』と伝えハルオはその女の子と「小千谷」で会った。ハルオは、その女の子を気に入りやがて2人は付き合う様になった。おかあさんは愛のキューピッドをし他にもおかあさんがお客さんとお客さんの縁を取り持ち結婚までしたカップルがいた。ハルオには、18歳で上京して以来2番目に仲良くなったTという友人がいるがそのTも「小千谷」が気に入り常連になった。そのTもやはり常連だった女性と恋に落ちその縁は今でも続いている。
ハルオが葉隠荘にいた期間は3年間だったがその間に「小千谷」が30周年を迎えた。近くの北沢八幡宮の宴会場を借りて大勢の人が集まり盛大に開催された。おかあさんは、得意のかっぽれを踊った。おかあさんはハルオに葉隠荘の外観写真を撮ること依頼しその写真を使い記念テレフォンカードを作った。おかあさんが何かの病気になり病院に入院した。それは大したことではなかったが退院の日ハルオはおかあさんに頼まれて迎えに行った。当時ハルオは400ccのバイクに乗っていておかあさんをシートの後ろに乗せて葉隠荘まで連れ帰った。そのことは後々までもおかあさんの記憶に残っていて時折そのことを懐かしんでハルオに話した。
「小千谷」には焼き飯というメニューがあってとても美味しく量がありハルオはよく好んで食べた。他には、刺身や漬け物、焼き魚等のメニューがあった。時折ハルオが朝仕事に出掛けると葉隠荘の入り口におかあさんからハルオに宛てたメモがありお店で残ったメニューの焼き飯やおにぎり、惣菜、を詰めてハルオに弁当を持たせてくれた。おかあさんは"お母さん"だった。ハルオは、バイクで交通事故に遭い肩甲骨と鎖骨を折って入院したことがあった。その際にはハルオの母も看病にやって来たのでハルオの母とおかあさんは顔を合わせている。その後年賀状のやり取りも続く。
ハルオが葉隠荘に住んで約3年後葉隠荘が取り壊しになる話が進められていた。丁度ハルオはカメラマン修行も終えた頃で立退料を大家の代理から30万円貰って早々に羽根木公園の近くのアパートに引っ越しをした。その後も暫く葉隠荘も「小千谷」もそのまま健在だったが遂に取り壊しをする時がやって来た。おかあさんが75歳前後のことだろうと思う。ハルオは、葉隠荘が取り壊される日、ドキュメント写真を撮った。その後まだ元気だったおかあさんは世田谷区上町駅近くの商店街に「小千谷パート2」を開店させた。ハルオは、定期的におかあさんに会いに行った。さてその店が何年続いたか?2〜3年?ハルオには記憶にない。下北沢という好条件にあった時に比べ上町ではお客さんが少なくなっていた。それでもおかあさんはお店を続けたかったんだと思う。
おかあさんは、水泳を好んで良くプールに出掛けていた。『ハルオ君、今度私が泳いでいるところを撮って』とおかあさんに言われたことがあったが実現には至らなかった。『小千谷パート2』が終りかけた頃、おかあさんは、自分史を書いた。その文章を常連のお客さんたちが小冊子に纏めた。その中にハルオについての話を書いてくれた。
2006年、ハルオは、写真展「十人十ゑろ」を開催した。しばらくおかあさんとは会っていなかったがおかあさんに写真展の話をすると行きたいと言ってくれた。しかしおかあさんは足が悪くなっていて自力では来れない。ハルオは、タクシーをチャーターしておかあさんの送迎をした。「十人十ゑろ」は10人の女性の素肌(殆どがヌード)をキャンピングテントの中で撮影した作品だった。その後おかあさんとのやり取りは年賀状や時折の電話で続いて行った。
2008年、ハルオは25年間住み慣れた東京から静岡に引っ越しをした。この年の前後(記憶が乏しい)におかあさんに会いに行った。場所は下北沢から近い世田谷区の淡島通り付近の喫茶店。おかあさんの住まいは一戸建だったがとても小さく人を迎い入れるには難があった。おかあさんの足は更に悪くなっていた。その時は、ハルオはおかあさんがキューピッドをして付き合うことになった女の子Aと行った。Aとのお付き合いは半年も続かなかった。しかし元々Aはカメラマンになりたかった女の子でハルオに触発されてか付き合っている頃から写真学校の夜間部に通い晴れてカメラマンになっていた。ハルオとAは、友達として連絡を取り合っていたのでいい機会と一緒におかあさんに会いに行ったのだった。ハルオは、写真を撮って後でおかあさんにその写真を額に入れて贈った。おかあさんはその後世田谷の住まいをそのままにして小千谷に近い新潟県長岡市に身を寄せた。始めはおかあさんだけでその後旦那さんも。
2011年、おかあさんからハルオに手紙が届いた。その日は偶然にもハルオの誕生日だった。手紙が入った封筒には、現金2万円と写真も入っていた。その時何故現金が入っていたのか分らずハルオは、誕生日プレゼントだと勝手に思った。(しかしそれは後で気付いたが新潟までの往復の交通費だった。)そして写真だがそれが驚いたことにおかあさんのヌード写真だった。おかあさんが50〜60歳位の頃の温泉の露天風呂に入っている写真で下半身はタオルで隠れていて上半身は裸で乳首は見えそうで見えてはいなかった。手紙に『ハルオ君の個展か何かに出せるんじゃないかと勝手に考えました。自分のうぬぼれかも知れないけどそんな風に役立てて下さい。お願いします』とあった。随分大胆だなとハルオは驚いた。ハルオは、この時以前プールの写真を撮ってとリクエストされたことを思い出した。
手紙を貰った後中々新潟までおかあさんに会いには行けなかった。 ハルオは、それがはがくゆく気になっていたのでおかあさんに会いに行く決意をする。 おかあさんに貰った交通費2万円を使い時がやって来たのだ。
2013年春、 その旨をおかあさんに伝えようと身を寄せていた新潟県長岡市のお宅に電話すると旦那さんが危ないからまたの機会にして欲しいと言われ延期した。おかあさんには2人のお子さんがいて長女さんは大阪に住んでいて息子さんはすでに亡くなっていた。その息子さんの奥さんがおかあさんと旦那さんの世話をしていたのだ。間もなく旦那さんは亡くなられた。そして10月の始め、おかあさんに会いに静岡から車で出掛けた。久しぶりに会ったおかあさんは、すでにガンに侵されていた。部屋の中で2時間ほど話した。写真も撮った。しかしおかあさんの笑顔は撮れなかった。おかあさんは、長年の伴侶だった旦那さんが亡くなり生きることよりも死ぬことを願っている様に見えた。ハルオは、おかあさんと別れた後おかあさんの勧めで小千谷にも寄って来た。おかあさんの実家は小千谷駅近くにあった。甥っ子さんが寿司屋を経営し、その同じ通りにおかあさんの幼馴染みが住む金物屋があって両方訪ねた。幼馴染みの方はご健在で写真も撮ることが出来た。
『おかあさん、これから手紙を定期的に送っていい?』そうハルオはおかあさんに尋ねると承知してくれたのでその後迷惑にならない様に気を使いながら手紙(葉書)を送った。しかしおかあさんはそれから3ヶ月後に帰らぬ人になってしまった。
おかあさんのご冥福を心からお祈り致します。 長い間本当にありがとうございました。 安らかにお眠り下さいね。
2014年2月21日(金)    ハルオ
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tokyomariegold · 3 months
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2023/10/20
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10月20日 “自然に委ねて制作されているアーティストqpさん”と紹介されているqpさんのいる(?)まちへ出発してしまった。雷雨予報だけど。 分刻みスケジュールを新幹線でたてています。
13:15京都駅 13:33京都市役所前 ↓ ホテル 14:06京都市役所前 14:21北山 ↓ 京都府立植物園 マールブランシュ 下鴨湯 ↓ 植物園前 (バス) 一乗寺木ノ本町 ↓ itou ↓ 一乗寺 (比叡山電鉄) 出町柳? ↓ ACG villa kyoto 喫茶ドセイノワ 哲学の道 ↓ 平安神宮 ↓ ホテル
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この予定を立てた後、また大好きだったはずの旅行の移動中にたくさん寝てしまった。怖いくらい眠くて仕方なかったので、うっかり新大阪まで行ってしまわないか不安になりながらうとうとした。
平日休みにソワソワしてしまうこと、qpさんのtwitterをみているとばからしく思えて、そんな方がいるところへ行くのだ、と思えば少し気持ちに余裕を持ってお出かけできた。 できる限りの家事をして、tumblrに日記を更新して家を出る。
東京駅に向かうんだろうな、というスーツケースの人々の多さにびっくりした。 幸楽の良い季節だものね。 東京駅で同じく下車したスーツケースを引いた男性の荷物に、ローマ字で名前が書かれていて、日本人にとても多い苗字の下にはフィンランド(ヘルシンキ)の住所が書かれていた。これから帰国するのかな。
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京都に着くと、確かに人が多い! 地上に出ずに新幹線内で予定した通り地下鉄へ向かった。明日は京都タワーとライブカメラのところを拝めるかしら。 雨予報に備えてレインコートを持ってきたし、防水スプレーもたくさん振りかけたけれどまだ降っていなかった。 ホテルの最寄り駅で地上に上がるとそこには京都市役所。近代建築感あるけれど改修工事中で仮囲いがされていた。 市役所前にあったニュースが流れるデジタルサイネージに“雷注意報でてます”と流れる。
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ホテルに荷物を預けて京都府立植物園へ。 北山で地上に上がって、人がとても少なくて(ほとんど無人…)静かでほっとした。地下鉄は、吊り革に伝統芸能が組み込まれていて、シートは宇治抹茶色(だと思ってしまった)だった。
チケットを買うと窓口の方に「温室は15:30までだから先に温室に行って!」と言われ、足早に温室へ向かう。その間にだんだんと雨が本降りになる。 温室、とても大きくて広くて楽しかった。 昼夜逆転室という部屋があった。
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植物園内も人がほぼいなくてたくさんふらふらできた。 たくさんのバラとか、別に京都でなくても見られるけれど、でもどこでもわざわざ見ないと見られないものでもあるし、すごく贅沢した気分になる。
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qpさんのtwitterでみた下鴨湯が近くにあるみたいなので寄ってみる。 お風呂屋さんだけれど、ちょっとした食事ができるカフェや物販コーナーもある感じ。もしかしたら、お風呂屋さんだったところを活用したお店、だったのかも?
そこからバスに乗ってitouへ。 SNSでは実態を掴みきれないお店だったけれど、限られた営業日が今回の旅行と重なることを知って、絶対行こう!と思っていた。 一乗寺の方面、今まで行ったことがなかったけれど、芸大があるからか画材屋さんやセレクトショップや気になる感じのカフェがたくさんあった。
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itouへ入るとお一人品定めをするお客さんと、若いおしゃれな店員のお兄さんと、たくさんの、これは、な、に?の品物がいい感じに置かれていた。 販売されていた作品と、その作家さんのポートフォリオ的な本がとても良かった。 「まだ値札をつけられていないものもあるんで、気になるものあったら聞いてください」と柔らかい感じで店員さんが声をかけてくれる。 くにゃくにゃのサイコロや、透明ガラスのスワンみたいな水差し、ろう?ゴム?謎の素材でできたはたき等いろいろあった。何かを買うつもりはなかったけれど、ふと見つけてしまった花をねじ込まれたくま(パンダ?)を手に取って、値段を訊ねてしまう。 「ふふふ、パンダ?くま?何かかわいいですよね」と、2,500円です、と教えてくれた。 「アクリルじゃなくてガラスにどうやって花を閉じ込めたんですかね〜」と柔らかくお話ししてくださり、なんだかとても嬉しかった。 「かわいすぎなくてかわいいですね」と、購入させてもらう。 みんな(お部屋の本棚の友達の列)の仲間に入れてみよう。 「ガラス製品なのでプチプチしてきますね〜」と包んでもらっている間、デスクの上の新商品の、粘土でできたソフトクリームのコーンだけ、が気になった。
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itouから比叡山電鉄に乗って出町柳へ。 雨が降っているからか、デルタは人がいなかった。本当にデルタか不安になってGoogle mapも開いてしまうほど、川沿いが静かでそのままホテルまで歩いた。
歩きている間に雨が止んで、日は暮れ始めているけれど空が明るくなっていって、後ろの山から雲が裾の尾を広げる様に広がって、雲の両サイドは少し夕焼け。 鴨川は本当に?鴨がたくさんいた。
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両岸を歩くスーツの男性は毎日帰宅時にこの川沿いを歩いているのかな?と京都で働きたい気持ちになる。 先日友人に京都に家族がいたりして、京大へ転勤した人がいる話をしたら「京都の男と結婚すればいい」と言われ、結婚を利用するのも手か、と一瞬思った自分をとてもかわいそうに感じた。 自分でなんとかしろよ!と思って、そんな感じで半分くらいぼーっと川の流れを見ながらホテルへ向かう。
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荷物を解いて夕食を買いに四条方面へ歩くと、若い人が多くて街もにぎやかでつかれてしまい、近くのビルのmuji cafeでテイクアウトした。ここに来ても安心を無印で買った。 からふね珈琲の巨大パフェを見て、学生時代、母と京都へ行った時に泊まったホテルがこの近くだったことを思い出す。もうホテルは閉業してしまったのか、看板はあるけれど電気が消えていた。
お部屋は、川沿いの一階で、目隠しがあり川の風景は眺められないけれど京阪電鉄のサインが見切れている。
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hangorin · 3 months
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2023反五輪重大ニュース!
毎年、年末に段ボールで制作しているその年の反五輪重大ニュース。今年は年明けから1か月以上も過ぎてしまいましたが、ブログで発表したいと思います。
1 札幌30年34年不招致決定!
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札幌の人たちの大勝利!札幌市長のしつ��い招致活動に対して、とことん冷水を浴びせつづけました。
札幌市とJOCは10月11日、2030年招致を断念し2034年招致に照準を合わせると会見。しかし、その2日後の13日、IOCは2030年と2034年の開催都市を同時決定する方針を発表。11月29日のIOC理事会で、2030年大会の候補地を仏・アルプス地方に、2034年大会の候補地を米・ソルトレークシティに一本化することを決定した。また、2038年大会についてはスイスと「優先的対話」を進めるという。
札幌不招致が確定したことは喜ばしいが、他の立候補都市でも五輪による破壊が起こることは目に見えている。既にフレンチ・アルプスでは「Non aux J.O dans les Alpes(アルプスでのオリンピックに反対)」というグループが立ち上がり、反対活動を活発化させている。彼らのスローガンは「Ni ici, ni ailleurs !(ここでもNO!どこでもNO!)」で、私たちが掲げてきたNOlympicsAnywhere(オリンピックはどこにも要らない)と共通する。
2 東京オリンピック、嘘とワイロの記録更新中!
2022年に発覚した東京五輪汚職事件では、元組織委員会理事・高橋治之はじめAOKI、KADOKAWA、ADK、サンアロー、大広の社長や重役ら15人が受託収賄や贈賄の罪で逮捕・起訴。2023年には15人中11人が執行猶予付きの有罪判決を受けた。しかし、高橋治之は2024年1月31日の公判で「賄賂ではなくビジネス」と主張。まだまだ記録は伸びそうな気配である。
一方、2023年2月には組織委員会が発注した各競技のテスト大会や本大会における総額437億円の事業を対象に談合が行われていたことが発覚。電通グループ、博報堂、東急エージェンシー、セレスポ、フジクリエイティブコーポレーション、セイムトゥーの6社と、組織委員会大会運営局元次長森泰夫ら7人が起訴された。12月12日には森泰夫に懲役2年、執行猶予4年の有罪判決が出されている。
3 2013年招致時、官房機密費でIOCに高額贈答品疑惑。石川県知事・馳浩。
2013年当時、自民党の「招致推進本部」本部長であり、現・石川県知事の馳浩が、東京大会招致活動の中で「官房機密費使って、IOC委員全員105名に、選手時代の写真をまとめたアルバム、一冊20万円を送った」と11月17日の講演会で語った。のちに説明なく撤回(事実だから、黙らされた)。
本人のブログ(2013年4月1日) https://ameblo.jp/hase-hiroshi/entry-11503851369.html
4 明治公園国賠一審不当判決、控訴審へ
2016年、新国立競技場建設のために明治公園の野宿者を強制執行により暴力的に排除した不当性を問う明治公園オリンピック追い出しを許さない国家賠償請求訴訟。2月28日、ついに第一審判決が下された。しかし「原告野宿当事者2名の訴えを棄却・4団体の訴えは却下」の不当判決!許せない!闘いは東京高裁・控訴審へ!高裁では、不当な強制執行の様子を終始記録していた白いヘルメットの集団が誰なのか、その動画を誰が所持しているのか、明らかにするよう指示が出た。闘いはこれからだ。
5 10月31日、新・明治公園開園
2016年1月27日、新国立競技場建設のために廃園になった明治公園が、2023年10月31日、かつて都営霞ヶ丘アパートのあった場所にリニューアルオープンした。公園内にはカフェやレストラン、アウトドアショップなどの商業施設が立ち並び、およそ公共の公園とは呼び難い様相。公園や木々を破壊し、野宿者を排除し、都営住宅住民を立ち退かせた歴史を覆い隠すように、公園の各所に「希望の広場」「インクルーシブ広場」「誇りの杜」などと名付けられていた。
さらに、日本テレビ「鉄腕DASH」という番組で、元社長による性暴力問題が取りざたされてきたジャニーズ事務所のタレントたちによって明治公園の「100年続く森づくりのお手伝い」なる企画が進行。都営霞ヶ丘アパートがあった場所を「50年間コンクリートだった」と蔑む発言などに非難が湧きおこった。
6 東京の公教育、オリパラ教育が「学校2020レガシー」として継続中。
ある都立学校では、2020大会前と比べて、外部講師招聘など外部のオリパラ関係者等との交流は少なくなり、校内の教員向け研修も大会前はオリパラ教育が主要テーマだったが、大会終了後は学習指導や進路指導など通常の内容に戻った。しかし、「総合的な探求の時間」では「パラスポーツ」のボッチャなど「障害者」スポーツが依然として主要な取組内容であり、校内ボッチャ大会や区主催など外部との試合参加など、かなりの比重を占めている。
また、冬季オリパラ招致を進めてきた札幌市は、2016年に2020大会を主な目標としてオリパラ教育を推進、冬季大会招致と歩を一にするように実施校は増え続け、昨年度の実施校は100校近くにのぼっている。札幌市は一旦はオリパラ招致撤退を表明したが、今後、学校でのオリパラ教育がどのようになっていくのか、注目していく必要がある。
招致レース参加が現実味を帯びる可能性のある2042年には、現在小学校高学年の子どもはアラサーとなる。
都教委サイト(都立/市町村区別で各校の2020レガシーの内容の一覧ファイルも) https://www.kyoiku.metro.tokyo.lg.jp/school/content/2020legacy.html
札幌市のオリパラ教育
7 パリでも汚職、立ち退き、過剰警備、自然破壊
パリでも2024年夏季五輪開催が迫っており、東京大会と同様の問題が次々と起こっている。
パリでも組織委本部やスポーツ代理店が汚職の疑いで捜索。このスポーツ代理店が、2016~21年の間、電通子会社だったこともわかった。電通汚職はパリにまで!
3月にはパリ五輪に向け人工知能(AI)を搭載した監視カメラの街頭での設置を認める法案が議会を通過。AIによる大規模監視カメラの導入が法的に認められることに。また、フランス軍15,000人、数万人の警察官と民間警備員を投入した大規模警備体制が敷かれることが明らかになった。
ホームレスの人々に対する立ち退き、セーヌ川沿いの古書店に対する立ち退き、学生たちに対する立ち退きも起こっている。
また、パリ五輪のサーフィン会場はなんとパリから1万5000キロも離れたタヒチ。地元住民の反対にも関わらず競技判定用タワーが建設され、サンゴが破壊されているという。
汚職、立ち退き、過剰警備、自然破壊、オリンピックは世界中で同じ災厄をもたらし続けている!廃止だ廃止!
8 パリ、フレンチアルプスで活発化する抗議行動
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2024年夏季五輪が迫るパリ、2030年冬季五輪の最優先候補都市とされてしまったフレンチ・アルプスでは、2023年、活発な抗議行動が取り組まれてきた。
12月2日にはフランス全土で2024年夏季五輪と2030年冬季五輪の両方に反対する抗議が行われた。
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9 2026年冬季五輪開催都市ミラノ、コルティナ・ダンペッツォでも反対運動。ボブスレートラック建設阻止?
2026年冬季五輪開催予定都市、ミラノ、コルティナ・ダンペッツォでも五輪反対運動が活発化している。8月には、ボブスレートラック建設のために自然破壊が行われることに対して抗議行動が取り組まれた。樹齢数十年のカラマツ、モミ、マツの木300本以上が伐採されるという。
しかし、コルティナでのボブスレートラック建設にはIOCが建設費の問題などで難色を示しており、国外での競技実施の可能性があるとのこと。
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10 続くガザ虐殺。「平和の祭典」の欺瞞。
イスラエルのガザ攻撃を止められない中、国連総会で、パリ大会中の「休戦の呼びかけ」が決議された。「平和に貢献するオリパラ」を演出するだけの茶番は、真の解決への努力をバカにしているかのようだ。
<番外編>
・オリンピックは終っても、まだまだ続くメガイベント
2030年・34年札幌五輪招致は阻止されたが、日本国内だけでも今後数多くのメガイベントが予定されている。メガイベントの際は、五輪のとき同様、公費の無駄遣い、汚職や談合、立ち退き、監視強化、自然破壊、ナショナリズムの称揚など様々な問題が起こる。
・2025年4~10日 大阪・関西万博(大阪)
→署名活動など反対の声が湧きおこっている。https://www.tokyo-np.co.jp/article/289081
・2025年8~9月 世界陸上(東京)
・2025年11月 デフリンピック(東京)
・2026年9~10月 アジア競技大会(名古屋)
・2027年3月~9日 横浜国際園芸博覧会(神奈川)
→計画の見直しを求める署名が呼びかけられている。https://chng.it/gBgrBwzLGX
※このほかにIOCが2026年オリンピックeスポーツ競技大会の開発を発表し、日本に開催を打診しているとの報あり。https://t.co/zRMtA6INWw
・世界中で続くオリンピック災害 2036年夏季五輪
現在、夏季五輪は2024年パリ(仏)、2028年LA(米)、2032年ブリズベン(豪)が開催予定都市として決定しており、反対運動も取り組まれている(ブリズベンは未確認)。そして、東京の惨状を目の当たりにした私たちにはとても信じがたいことだが、2036年夏季五輪招致を目指す国々��既に多々ある。一日も早い五輪廃絶を実現するためにも、各都市の人々と連帯しともに反対の声を挙げていきたい。
招致活動を表明した国
・エジプト 
・ポーランド 
・トルコ 
・インドネシア 
・インド 
関心を寄せている国
・ドイツ 
・カタール 
・中国 
・韓国
・イギリス(ロンドン) 
※メキシコは招致を目指していたが断念。 https://www.tokyo-np.co.jp/article/303267
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yoshkawa · 7 months
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【グルメ】小山の住宅街、隠れ家的な中華レストラン
【この記事のポイント】 ・地方都市ではコスパのいい料理を楽しめるもの、今回は小山で美味しい中華レストランに巡り合うことができた 例年同様、今年もお彼岸にはファミリー揃って墓参り。 ランチのお店を選ぶのがいつの間にやら私の重要な仕事になっていて、今年は小山で食べたことがない中華にしました。 個人的には小山の町中華を攻めたいんですけど、そんな我儘をファミリーが許してくれる訳もなし。 最も拘りがある母でも納得しそうな小綺麗なお店��ということで、『扇子 THE…
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team-ginga · 8 months
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映画『ブルー・ベルベット』
 というわけでU-Nextでデヴィッド・リンチ監督の映画『ブルー・ベルベット』(1986)を見ました。
 フランス留学中にパリの映画館で見たような気がしますが、同時に帰国してからビデオで見たような気もします。どっちなんだろう……
 いずれにせよ覚えているのは、主人公の大学生が原っぱで人間の耳を拾うところと、ギャングのボスのような男がボンベでガスを吸いながらイザベラ・ロッセリーニと幼児プレイをするところと、イザベラ・ロッセリーニが夜の戸外で両手を広げて傷だらけの裸体を見せるところの三つだけです。
 でもまあ、改めて見てみると、その三つを覚えていればそれでいい映画ですね。
 主人公の大学生ジェフリーを演じるのはカイル・マクラクラン、彼と恋に落ちる女子高生サンディを演じるのはローラ・ダーン。
 カイル・マクラクランはのちに『ツイン・ピークス』でクーパー捜査官を演じた役者、ローラ・ダーンは『インランド・エンパイア』で主人公のニッキーを演じて変顔を見せてくれた女優です。
 その二人が大学生と高校生、ハイティーンの若者を演じ、「探偵ごっこ」、「恋愛ごっこ」をしているのは、なんだか変な感じがしましたが、まあ誰にだってーー私にだってーー若い頃はあったということなのでしょうね。
 のちのデヴィッド・リンチの映画を思えば、ストーリーは意外なほどまともです。
 ジェフリーは父親が脳溢血だか心臓発作だかで倒れたので、実家に帰り父親が経営する工具店か何かを手伝っています。ある日、父親の見舞いに行った帰り、彼は原っぱで人間の耳を見つけます。
 ジェフリーは耳を警察に持っていき、顔見知りの刑事に話をします。捜査が始まりますが、ジェフリーは詳しいことを教えてもらえません。そこで彼は刑事の娘サンディから情報を引き出そうとします。
 サンディは事件にドロシーというキャバレーの歌手が関わっていると言うので、ジェフリーは害虫駆除のふりをしてドロシーのアパートに入って鍵を盗み、深夜ドロシーが留守の間にアパートに忍び込みます。
 ところがドロシーが急に帰宅し、ジェフリーは見つかってしまいます。ジェフリーは咄嗟に「昼間害虫駆除に来て、あなたに一目惚れした」と嘘を吐きます。
 ドロシーはジェフリーに服を脱がせ、ひざまずいて何かを(おそらくフェラチオを)しようとしますが、ちょうどそこへギャングのボスのような男(デニス・ホッパー)がやってきたので、ジェフリーはクローゼットに隠れます。
 男(フランクという名前です)はドロシーを押し倒し、ボンベでガスを吸いながら「ママ、ママ」と言いながらドロシーに縋り付きますが、次の瞬間には「俺を見るんじゃない」と叫んでドロシーを殴ります。
 デニス・ホッパーの面目躍如(?)といったところですね。
 ことを済ませたフランクは帰って行き、ジェフリーはクローゼットから出てきます。ドロシーは彼に「抱いて」と言いますが、フランクのせいでSM的なプレイに慣れてしまったのか、「ぶって」と言うのでジェフリーは怖くなって帰ってしまいます。
 ドロシーは夫と幼い息子をフランクに誘拐され、フランクの意のままにされている、ジェフリーが拾った耳はドロシーの夫の耳であると、ジェフリーは隠れて聞いていた会話の端々から推測します。
 当然その推測は間違っている、ラストには驚愕の真実が待っているーーと誰でも思いますよね。私もそう思いました。でも……そうはなりません。ジェフリーの推測はほぼ100%当たっています。
 なんじゃそれは。これでは意外性も何もあったもんじゃありません。
 ジェフリーは翌日もドロシーに会いに行き、二人は肉体関係を持ちます。フランクのことを怪しんだジェフリーは、フランクのあとをつけて彼の住んでいるところを特定し、フランクの協力者らしい黄色い服の男を写真に撮ります。
 ジェフリーは毎日のようにドロシーに会いに行きますが、ある日の帰り際、フランクに見つかってしまい、車で連れ出されてボコボコにされてしまいます。
 もう手を引こうと決意したジェフリーは全ての情報を持って警察へ行きます。ところがそこには黄色い服の男がいます。男は刑事だったのです。まずいと思ったジェフリーは一旦家に帰り、サンディの父親に会いに行って全てを打ち明けます。
 ジェフリーとサンディーは一緒にパーティーに行き急速に接近します。その帰りに二人は全裸で街を彷徨っているドロシーを見つけ、サンディの家に連れて帰り救急車を呼びます。
 ドロシーがジェフリーに抱きつき「私の秘密の恋人」と呼んだことから、サンディは二人の間に肉体関係があることを知ってショックを受けます(『インランド・エンパイア』で花開くことになるローラ・ダーンの変顔がここで見られます)。
 ジェフリーはなぜだかわかりませんが、単身ドロシーのアパートへ向かいます。中に入ると片耳のない男がソファに座っていて、黄色い服の男が立っています。二人とも頭から血を流して死んでいます(なぜ黄色い服の男は立ったまま死んでるんでしょう。「弁慶の立ち往生」じゃあるまいし、立ったまま死んでいるなんてことがあり得るのでしょうか。でもそうなんだから仕方ありません)。
 黄色い服の男がポケットに入れているトランシーバーから声が聞こえ、警察がフランクの家に強制捜査に入ったことがわかります。
 ちょうどそこへフランクがやってきます。なぜこのタイミングでやってくるのかよくわかりませんが、とにかくやってくるので、ジェフリーはクローゼットに隠れます。
 フランクはジェフリーに気づいて殺そうとしますが、ジェフリーは黄色い服の男が持っていたピストルでフランクを撃ち殺します。
 で、そこからしばらく時間が経ち、ジェフリーとサンディとその家族、それぞれの父親(ジェフリーの父親は無事退院できたようです)、それぞれの母親、ジェフリーの叔母たちが楽しげに休日を過ごしているところでジ・エンド。
 えーっと、結局フランクはどんな犯罪を犯していていたんですか。ドロシーの夫と息子はなぜ誘拐されたんですか。ドロシーの夫と黄色い服の男は誰に、そしてなんのために殺されたんですか。
 全く説明はありません。不親切にもほどがあります。
 ごくありきたりな、しかし説明不足で不親切なストーリーに、のちのデヴィッド・リンチを思わせるヘンテコな要素を加味した映画という感じです。
 まあ、それも仕方ありません。リンチの本領が発揮されるのは、1997年の『ロスト・ハイウェイ』からで、そのあとに2001年の『マルホランド・ドライブ』、2006年の『インランド・エンパイア』と傑作(と私は思っています)が続きます。
 それ以前に撮った映画は、この『ブルー・ベルベット』も、カンヌでパルム・ドールをとった『ワイルド・アット・ハート』(1990)も、一世を風靡したテレビドラマ『ツイン・ピークス』(1990-1991)も、中途半端にヘンテコなだけで、うっかりすると「なめとんか」と言いたくなるような作品です。
 まあいいや。若き日の(ということはまだ未完成の)リンチの映画を見ることができたことで満足することにします。
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wazakka-kan · 8 months
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営業中。いよいよ明日、お友達のご飯とお酒が楽しめる店「#akahi」オーブン。皆さま、ぜひご贔屓に。
場所は、江古田市場通り商店街、私が通う美容室festaの裏にピンク色ゲート。昭和の古い住宅改装した隠れ家的なスペース。
集まる客がフレンドリーなので、テキトーな距離感で和気あいあい間違いなし。
オーナーゆかりさんのご飯はホッとする家庭的な味。でも下ごしらえ、味付けは上品で繊細なので、やっぱり真似できる気がしない、美味しいご飯です。
自炊に疲れた独身者にもおすすめ。
年齢層幅広く、ご夫婦で通う方も多いかな。
変な酔っ払いが少ないので、女性に特におすすめです。
#ご紹介 #ご案内 #開店情報 #インテリア雑貨 #和雑貨 #江古田 #新桜台 #西武池袋線 #練馬区 #贈り物 #プレゼント #ギフト
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shisui2021 · 9 months
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2023.08.03
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足利市立美術館に「顕神の夢ー霊性の表現者ー超越的なもののおとずれ」を見に行った。 元々JRの,のんびりホリデーパスを使い倒したいという願望があり,丁度端っこにある足利で展覧会をやっていることに気づき,数日前から通い始めた都立図書館の休館日に合わせて,急遽予定を組み立てた次第である。 何度かTwitterで見て興味はあったものの,足利ってどこだ,というくらいの認識で,なかなか行けそうには思っていなかった。けれども,私の住まう町から2時間半もあれば,到着してしまうことが判明し,東京ー広島間の4時間半に耐えた身としては,臍で茶を沸かすようなものだった。結局,修論も,見えないけれどある世界,と,どう対峙していくか,ということになりそうだし,逃れられないところに来ている。
降り立った町足利は,沼津にも似た地方都市で,基本的に駅の目の前は栄えていないことがわかった。街を歩いていると,古いものと新しいものが共存する姿は鳥取にも似ていて,面白さを感じる。街が造られた時代もあるのかもしれない。 事前情報では知っていたものの,足利市立美術館は,美術館の上にマンションタイプの住宅がある。いざ,目の前にしてみると,なかなかに奇妙な光景である。「足利市立美術館」と掲げられた文字の下に,団地のような佇まいの家々があり,その下にはガラス張りの美術館がある。それらは,平坦な足利市街からは,飛び出していて,より一層奇怪さを醸し出している。 平日の,開館から30分位しか経っていない時間なのに,会場にはそこそこの人がいて,面食らうとともに安心した。生物群さんのtweet(https://twitter.com/kmngr/status/1685286401242447872?s=20)にもあったが,”場の歪み”を感じた。あ,やばいところにきた,という感じで,鳥肌が立った。ここに一人で取り残されたらいてもたってもいられなくなるだろうな,という感じがした。
展示は出口なおの自動書記から始まり,次々と続いていく。最初に出口なおを持ってくるあたり,やってんな,と思う。字も書けない農家の一般女性が,神がかりにあった途端,神の言葉が書けるようになるなんて,なかなかどうして信じ難い。でも,彼女の筆跡は「かみさま」の「ま」だけ,どの字も大きく張り出していて,その緻密さが,歪で異常だった。 見えないものが見えるとは,こういうことか,と感心させられる。私が見えていないだけで,世界は存外広く豊かなものだと痛感させられる。宮川隆の絵が好きだった。人間の顔がみな仏の顔をしていて,あぁ見えちゃったんだな,と笑ってしまった。京都の三十三間堂を思い出した。どこかに自分の知ってる顔の仏様がいる。線がとても良い。今川宇宙ちゃんが昔よく描いていた,イラストの線によく似ている。どこかで同じなのかもしれない。 花沢忍も良かった。図録に書かれていた,おばさんが夢に出てくる話はよく知っていることだった。私もそういう夢を見たから。だからこそ,そのことを,向こう側との垣根のなさに捉えているのが嬉しかった。おんなじように世界を捉えようとしている人がいることを知れて嬉しくなった。 あとは,全般的に解説が,「無いとされているもの」に対して寛容で,けれどもあちら側には行かず,その存在を認めた上で,こちら側に立って話をしてくれているのが良かった。彼らのことをフラットに手渡してくれる書きぶりに好感が持てた。 眺めていると,視線が気になった。作品に描かれている人,自画像であっても,どの人も眼差しが強い。見られている,という感覚に陥る。看取られている。見透かされている。その眼差しの異様さに怯えてしまう。 ��中に読んでいたデイヴィッド・���ーモンドの『肩甲骨は翼のなごり』を思い出す。ウィリアム・ブレイクをこよなく愛する母子の眼はとても強く,あらゆることを見通すような眼差しだった。そういうことか。見えている人特有の眼があるのだ。彼らはみな無意識かどうかその眼を知っているのだ。その眼は日常とは異なっているから,ズレが生まれるのだ。不思議なところでつながりが生まれるから,どうしたって世界に触れることは面白い。今まで話したことを全て覚えている彼女に「強い眼をしている」と言われた私はどうだろう。何が見えているんだろう。 エネルギーが吸い取られるのを感じながら,図録を買おうか迷いミュージアムショップへ向かう。宮川隆の作品集『みやこ』を発見したため,即購入する。出会うべき時に出会った本は,ただちに買う。
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ぶらりと入った喫茶店でカレーを食べ,チャイを飲みながら机に齧り付くようにして宮川隆の作品集を読む。隣の席には上品な車椅子のおばあさんと息子夫婦と思しきグループがいて,チラチラと様子を伺ってしまった。 その後,炎天下の中足利学校と鑁阿寺(ばんなじ)に行き,フラフラになりながら渡瀬川を見にいく。暑さのせいであまり記憶がないが,一人でものびのび行動できる自分に戻ってきた。そこから佐野に移動し,フラフラと佐野厄除け大師に向かう。一応寺院なのに,間違えて拍手をして参拝してしまった。方位厄であることが発覚し,お守りを買おうかどうか閉場ギリギリまで迷っているとアリに足を噛まれたので,買えと言うことか,と思い,諦めて900円の方位よけを買う。高かった。水子供養の大きな塔があり,水子にお供えを!などというお菓子の自販機もあり,少し背筋が寒くなった。自分が妙齢の女性であることに気付かされる。何もなければ良い。 せっかく佐野に来たのだから佐野ラーメンでも食べるか,と思い,近くでGoogleマップの評価が良さそうな店に行く。店先で長髪の男性が佇んでおり,すわタバコを吸いに出た客かと思うが,あにはからんや店主であった。「お食事ですか?」「あ,いいですか?」「中へどうぞ」と言われ店内に入る。休憩中だったのであれば申し訳ないことをしたな,と思い,気まずさを隠しきれないまま,店の隅で小さく座る。とっとと食べて出て行こうと思った。佐野ラーメンはあっさりしていて美味しかった。いよいよ食べ終わる段になって,「ここ,地元の人ですか?」と聞かれ,店主と話をする。意外と話好きなようで,今日の美術館のこと,足利市が山姥切りを買ったこと,佐野市の美術館のこと,自分の息子のことなどを話してくれた。久々に人とこういう形で会話をしたので,その新鮮さに感動していた。帰り際にさのまるの話をすると,マンホールカードをくれた。お前はこういうところがあるから気をつけなくてはいけない。
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ゆらゆらと列車を乗り継いで帰る。小山ー大宮間で見た夕焼けがひどく綺麗だった。紺と橙のあわいが空に溶けていて,いい旅をしたと思った。車窓の左端はもう夜になっていて,右側だけがまだ微かに昼の明るさを残していた。まさに越境だった。いい絵だと思った。
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digoutourcorpses · 9 months
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人にやらせておいて自分は遊び、人の作ったものに文句を付ける
自分一人でできないことを他人に助けてもらいながら、それに文句をつける
自分で作ってみればいい、できなければ文句を言わず受け入れるべきだ
どこかの海が近い南の街
駅前には白い壁の古びた駅ビルがあり、ロータリーがあり、映画館の入ったデパート的な建物が向かいにある
夜にそこをコスメティック田中に似た人物が飛び回ったり、歩き回るMVを撮影する。
若者の女性集団から面白がられていた
ある日、その街の海の近くの集合住宅や家がある一画
四角くマンションや家が真ん中の駐車場を囲んでいる立地で、そこを抜けるとコンクリートと海橋が見える磯が近いところ
呂布カルマに似た人物がそこに歩いており、家と家の隙間に置いてあるゴミ箱に嘔吐していた
夕方、集合住宅の高層階に居て、ベランダに出ると海が見渡せた。海には対岸に工業地帯が霞んで見え、橋が向こう岸までかかっていて、コンテナ船が行き来する。
沢山の国旗を掲げた、黒ずんだ幽霊船が視界を端から端まで横切っていくのを見た
私はカメラでそれを撮影し、ビデオでそれを置い続けた
視界の右方向へずっとぐるりと追っていくと、まだ海が見えていて、手間の木々に遮られながら、船は垂直に伸びるマンションの壁の向こうへ隠れていった
それは予兆だった
ある日
その街の、海に一番飛び出た大きな埋め立て地で、大規模な祝祭が行われた
駅前のロータリーから海の方向へ伸びる坂の歩道橋を歩いていくと、その入り口がある
その道中で私は(Bjorkや大家さんに似た)老婦人に声をかけられた。気に入られたのか、私は彼女に案内されて、会場の中へ入っていった
この道を真っ直ぐ行くと、次第に右側の壁は高く聳え立った灰色の石壁になっていて、左側にはスペイン意匠の重厚で巨大な建築物があった。建築長い回廊が歩道に並行してずっと伸びており、この二つの間には庭もずっと伸びている。これだけ豪勢な建築物にも関わらず、庭はやや打ち捨てられた雰囲気で、水たまりや草の生えた彫刻、コンクリート片などが転がって日光を浴びて輝いている。逆にそれが、人の手を離れた、最も高貴な雰囲気を感じさせた。建物の隙間からは、海や高速道路が覗いた。
そこを抜けると、下り坂になり、急に視界が開け、様々な店や建物が建っていた。
遊園地、屋台、飲食店、服屋…ありとあらゆる店がそこに密集していた。左側は建物に阻まれて見えないが、右側はもう広大な海が見えて、海中からは巨大な岡本太郎の太陽が伸び、私たちを見下ろしている。
あらゆる建物がJagromanceで、呪力を帯びていた。
婦人は私を連れてどんどん先へ向かう。
下り坂は一度グンっと平地に戻ると、その先には、海に向かって下っていく大きな灰色の砂丘があった。
砂丘の向こうには一面に海が広がっており、川崎人口島がそこに浮いて私を見ていた。
婦人が先に向かうも、私は恐ろしさで固まってしまい、婦人を置いて引き返す。
商店や人でごった返す道を歩いていると、やはり心配になってきて、また砂丘の方へ歩いていくと、幸運にも再開できた。日は落ちて、夕方の青黒さが全体を包み始めた。
帰り道に、婦人と一緒にいくつかの店に寄った。東アジアの呪術仮面を売る店が��り、そこからは夕方の黒い水平線が臨めた。
岡本太郎の太陽はライトアップを受けて鈍く金色に光り、海に佇んでいた。
駅前のロータリーまで戻ると、俗世に戻ってきた感があった。人でごった返す駅前で、婦人に感謝され、別れた。なんとなく、もうあの祝祭には戻ってはいけない感じがした。
その足で帰ろうとすると、ある若者に声をかけられた。
あの婦人は街で最も高貴な存在で、話すことなどできないという。
私はそれでいい気分になってしまい、またその若者と祝祭に戻ってしまった。
それまで婦人に案内された道を歩き、店を紹介して回った。もう夜はすっかり濃くなっていた。
有頂天になっていたので、砂丘まで行こうとすると、途中で分かれ道があったのでそっちに行ってみた。
そこには祝祭の外れで、坂を下った先に、真っ暗な公園や古ぼけた家々が遠くに見えた。普段貧困層が追いやられて過ごしている、引き返すべきだとすぐにわかった。
そこに神がいた。
寂れたトタンの家と家の間から老婆がゆらりと現れ、動物のように目は赤く光っている。
こちらに歩いてきて、若者が老婆に何かを言う。
そうすると老婆は凄まじいスピードでこちらへ走ってきて、若者を虐殺した。
もう一度、ここに来てはならない理由が分かってしまった。
私は老婆から逃げ、祝祭の中へ入っていった。
老婆も祝祭の中へと入り込み、人々を手当たり次第に殺し、店を破壊し始めた。
祝祭は一瞬で阿鼻叫喚の地獄へと代わった。人々はパニックに陥り、駅前のロータリーへ逃げていく。
気付けば老婆以外にも、様々な異形が店の間の闇から出てきて、人々を殺して回っている。
辺りが血でまみれている。
私が呆然としながら、岡本太郎の太陽が、こちらを睨み付け、何も言わず、沈黙しながら、海の中へとゆっくり沈んでいくのを見た。
私は逃げ回り、祝祭の中でも外れにある、美容院があるビルに着いた。
一回の美容院はガラス張りになっているが、そのガラスを通り抜けることができた。
壁一面に鏡が並んでいた。鏡の向こうには人がいた。他にも何人かそこにいた。
私は皆と同じように、鏡の前に座った。簡単な手続をして、自分の名前を書き、人々の記憶から私の存在を消し、この呪いを逃れることができた。
それでよかったのか?
神は私に対して怒っている。
この緊張感を常に持たなければならないのではないか
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四季の帯紐
Garanhead
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yamashitaproject · 2 years
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番外編〜金沢旅行〜2日目
9/15/2022(木)
金沢旅行記録2日目編
 個人的な話ですが、私は旅行の初日がインターンシップの日程と被っていたため、2日目からの参加でした。
 インターンで疲れた状態でそのまま夜行バスに飛び乗るのはキツい。 ということで優雅に新幹線を利用しました。(始発だったので4:30起き)
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始発に乗ったので、9時前には金沢駅に到着!都内からのアクセスを非常に便利だなと身をもって感じました。
<金沢旅行2日目>
 私はアナログ班、かつ1人チームでした。(前回記事参照) 着いてからしばらくメンバーに会えなかったのは、少し寂しかったですが、遅れて来た分楽しみながら有益な情報を得ることができたら良いな、と思いながら出発!
#1 兼六園〜朝食なのか昼食なのか、、、
駅に到着後、荷物を預けてから早速バスに乗車。アナログということで完全ノープランで行動してみることにしました。最初は無難に1番有名な兼六園を目指すことに、
最寄りのバス停で降車すると、(バスの路線図で簡単に降りる場所がわかる)果たしてどこに向かえば良いのか状態でしたが、ここで発見。
街のあらゆるポイントに地図が!
携帯のマップなどを使わなくても迷うことなく現地に到着。
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見渡す限り広がる緑に満ちた光景で自然と心はリラックス不可避。迷路級に広くてたくさんの通路があるのですが、探検気分で楽しむこともできますし、その先の光景一つ一つに感銘を受けました。また、海外の観光客や結婚式の前撮りなど訪問の目的も様々なようで。気づけば1時間以上夢中で散策していました。
時間は、10時半を回る頃。ここで日本男児。
「お腹がすいた、、、」
そう。朝四時半起きからの約4時間に及ぶ電車移動。そして到着後即散策。のストップで移動を重ねていたため、昼を待たずして、空腹が襲って来ました。人間の三大欲求の一つである食欲に逆らうことはできず、次の目的地へ。
そしてバス乗り込みたどり着いたのは、
「近江町市場」a.k.a金沢の台所
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平日のまだ朝だというのに市場内は大勢の観光客で大賑わい。様々な海の幸が並ぶお店が混在しているので、非常にお店のチョイスに困ってしまう、、、
しかし、私には訪問前からずっと目をつけていたお店が。
https://youtu.be/pP_v88RH7Qc
こちらの動画の後半出てくる「もりもり寿し」に2年近くずっと行きたいと思っていました!!念願、
値段は���し弾んだものの、人生で1番と言っても過言ではない美味しさに感動、
果たしてこれ以外を寿司と呼んで良いのか、、、、
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#2 厨二病大歓喜の忍者寺〜金沢建築館
※写真撮れなかったです
こちらも前から行ってみたいなと思っていた忍者寺。 正式名称は「妙立寺」ですが、まるで忍者が住んでいるのではないかと思わせるような様々な仕掛けがあることからこのような異名がついたのだとか。
予約なしで見学ツアーに参加することは難しいらしいのですが、私は幸運にも少しの待ちで参加できることに。
寺内に仕掛けられたあらゆるトラップや隠れ場所などに心の底から感動しました。これを見て興奮しない男がいるのだろうか、、、、、
次に訪れたのは、忍者寺の近くで発見した金沢建築館に行ってみることに。
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当日は、木造建築に関する展示が開催されており、細かい設計が施された木造建築の模型に感銘を受けました。(先ほどの忍者寺といい、童心を非常に揺さぶられている)
#3 鈴木大拙館〜石川県立美術館
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次に向かったのは、金沢出身の仏教哲学者である鈴木大拙氏の功績についての展示がされている鈴木大拙館へ。
一見哲学という言葉のような固い施設なのかと考えていたが、石垣や水景などの美しい景色も堪能することができました。無駄のない自然の殺風景を一望して、「これが哲学か、」となりました。(たぶん違う)
館内を出て経路を進んでみるとその先に庭園のようなものを発見。誰もいなかった上に、陽の光もあまり当たらないことから少し不気味なようにも感じられましたが、それも見どころの一部かもしれません。また、すぐ横がラジオ局であることから、現代と昔のアシンメトリーのような光景も楽しむことができます。
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さらに奥へと進んでみると、滝を発見。この滝の水は、辰巳用水と呼ばれ、防火のために犀川の水を引いて造られ、当時、徳川幕府との関係が険悪だったため、戦時の飲料水確保の意図もあったともいわれているようです。(金沢旅物語より)
https://www.kanazawa-kankoukyoukai.or.jp/spot/detail_10175.html
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滝を上から撮るというなかなかない画角。
#4 2日目の終わり〜石川県立美術館〜夕飯
滝と並行した階段を登って先に進むと、美術館を発見。この美術館は、国宝《色絵雉香炉》や古九谷の名品など加賀藩ゆかりの古美術と、石川の作家を中心とする近現代の油彩画・日本画・彫刻・工芸品を常設展示する地方色豊かな美術館です。(石川県立美術館より)
https://www.ishibi.pref.ishikawa.jp/
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ただの美術館ではなく、金沢や石川県の特徴の美術文化を存分に楽しむことができることから、美術にあまり関心がない私もついつい見入ってしまいました。
時刻は、もう夕方。早朝からノンストップで移動を続けていた体がそろそろ悲鳴を上げたのでホテルに向かうことに。
そして肝心の夕飯なのですが、金沢で有名な味噌ラーメンのお店が宿泊先のすぐ近くにあるということでラーメンマニアの私(初出し情報)は、行かざるを得ませんでした。
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麺屋「大河」さん
味噌ラーメンが看板メニューだというのに、まぜそばの誘惑に負けて後者をチョイス。あまりの美味しさに椅子から崩れ落ちるところでした。あまりに美味しかったので、お土産用のラーメンを帰りに購入して自宅で食べたのですが、そちらも非常に美味で、2玉すぐに完食してしまいました。
私の金沢旅行2日目は、こんな感じでした。デジタルデバイスに頼らず、弾丸で様々な場所を巡ってみるのも新たな出会いの宝庫だな、と身をもって感じた1日でした。
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yeoh-net · 6 years
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おはようございます😃 本日、マンゴーの日❗️ マンゴースパークリング販売中❗️ このフルーティ感は当店でもかなりの人気❗️モスカートにマンゴーの果肉と果汁をプラスしたフルーティ感満載のスパークリングワイン🍾 マンゴーをそのまま飲んでる感じで、パーティーでのテンションも⤴︎⤴︎⤴︎ ビーチパーティーに必須ですよ❗️ 宜しくお願いいたします🙇‍♂️ 【 Hans 】 沖縄県那覇市字与儀48番地 TEL : 080-2692-7916 月〜金 : 16:00〜20:00 土 : 14:00〜20:00 定休日 : 日曜・祝祭日 (ちょい飲みおつまみ提供は要事前3日前連絡 ※キャンセルはキャンセル料金発生します。) http://m.facebook.com/wine.hans/ http://yeoh2jojo.wixsite.com/hans LINE ID → kitchen-hans.net ※ホームページにワインリスト掲載しております。 ※店舗駐車場は、一台ご用意あります。 ※配達も致しますのでご相談ください。 ※ワインのご相談、ご購入に関するご相談は、TEL、LINE、DMよりお願い致します。 #okinawa #naha #沖縄 #那覇市 #与儀 #germanwine #italywine #instawine #wine #wineshop #winestagram #wineshophans #住宅街の中の隠れ家的お店 #住宅街のなかにひっそりあります #ワインショップ #ワイン #bianco #rosso #rotwein #sekt #weisswein #赤ワイン #白ワイン #ロゼワイン #ドイツワイン #ワイン販売中 #mamamango #ワイングッズ #どしどしお待ちしております (ワイン家 Hans)
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xf-2 · 3 years
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香港デモ激化の背景に「中国マネー」
中国人は無類の不動産好きだ。日本においても2000年代後半以降、彼らによるさまざまな不動産取引が盛んに行われてきた。中国企業による億単位のホテル投資やオフィスビル投資、個人投資家によるワンルームマンションや民泊物件、極めつけはリゾート地や山林・水脈地にいたるまで、ありとあらゆる不動産が彼らのターゲットとなった。
2020年に入ってもその投資意欲は旺盛で、筆者にも何人かの中国の友人から「日本で不動産を買いたいのだけど」と相談が持ち掛けられた。
人口減少を最大の課題とする日本では、不動産業者が新たに住宅を分譲しても「即日完売」の札が下がるケースは実に少なくなった。中古市場でも値段を落とさなければ買い手がつかなくなる中で、一部の業界が購入意欲満々の中国からの投資に期待を寄せるのは無理からぬことだった。
しかし、ことはそんなに単純ではない。香港に目を向ければ、中国からの不動産投資が行き過ぎて高騰し、地元の庶民が住めなくなったという悲劇が起こっている。抗議デモがあれほど過激に発展したのは、中国マネーの流入が遠因だ。ここではその過程を振り返ってみたい。
リーマンショックの下落が「買い」だった
話は2000年代にさかのぼる。1997年7月の香港返還以降、中国では空前の「香港不動産投資ブーム」が到来し、芸能人や有名企業の経営者などが香港の不動産をこぞって買い求めた。しかし2009年、中国ではリーマンショックの影響を受け景気が落ち込んだ。政府はすぐさま4兆元(当時のレートで約64兆円)の財政出動を行ったのだが、このときのだぶついた一部の資金も香港の不動産投資に向かったといわれている。
香港不動産もリーマンショックの影響で下落したのだが、「このときがまさに“買い”でした」と、投資家の友人は語る。
「中国共産党幹部が香港に豪邸を構えている」――というまことしやかな噂も立った。かの香港紙「蘋果日報」(アップルデイリー)によれば、習近平国家主席も浅水湾(レパルスベイ)に6億4000万香港ドル、日本円にして約90億円相当の物件を所有しているという話だ。
しかし、資金源はいずれも極めて不透明だ。額に汗して稼げる金額ではない。共産党幹部にせよ政府官僚にせよ、利権を金に換え、膨大な資金をため込んだ疑念は払拭できない。
一方、持てる者からすれば、「中国本土に桁外れの資産を置いておくのは危険だ」という認識がある。これまで職権を乱用し“口利き料”を受け取ってきた高級官僚にとっては、政権交代や派閥闘争の結果如何で、いつ何時どんな罪名で牢にぶち込まれ、資産のすべてを没収されるかわからないからだ。中国では地位が高い者ほど、想定外のリスクに常時怯えている。
「取られる前に海外に資産を移す、隠す」――香港はこうした“曰く付きのマネー”の格好の投資先となった。
規制をかいくぐる香港のカラクリ
2014年、中国は外貨準備高が4兆ドルに達する一方で、海外への資金流出に歯止めがかからなくなってしまった。もとより、中国政府は海外への外貨持ち出しを厳しく制限してきたが、2016年に外貨準備高が3兆ドルの水準にまで落ち込むと、さらに資金流出に神経をとがらせるようになった。
一時は、銀聯カード(中国の銀行が発行するデビットカード)などを複数枚使いながら、国外のATMで中国の預金口座から繰り返し資金を引き出すという資金移転のやり方で、海外に億円単位の豪邸を買うなどの荒業も散見されたが、こうした攻略法も使いにくくなった。
外貨持ち出し制限が厳しくなる中、今なお香港で分譲物件を購入できるのはどういうわけなのだろう。筆者の中国人の友人も、2016年に日本円にして4億円超の戸建てを香港で購入している。そのあたりの抜け道について、ある中国人実業家に訊ねたところ、こう返ってきた。
「中国の高級幹部ならば、地下銀行を使って何百、何千億円単位の人民元を香港に送金することができる。中国の一般市民の場合は、深圳と香港の間を往復するブローカーに現金を運ばせるケースが多い。あるいは、海外に法人口座を持つ中国人に物件を購入してもらい、それに相当する対価を人民元で返すなど、友人同士のネットワークを利用するケースもある」
送金の抜け道はいくらでもある
「上に政策あれば下に対策あり」とはこのことだ。帳簿に載せられないカネを、無数に張り巡らされた“闇ルート”で中国から香港に運び出す、ひとたび香港に資金移転することができれば、香港の法治の下で、その資産は安全に維持管理することができるというわけだ。
表向きは「法治」、水面下には「無数の闇ルート」を備えた香港は、共産主義国家から資本主義国家への橋渡しするグレーなエリアであり、金持ち向けに実に都合よく設計された土地である。
ちなみに香港の不動産企業の管理職によると、2019年、香港の大手不動産仲介業者が取り扱った中古住宅の最高価格は、実に12億香港ドル(約168億円、1000平米の物件)だったという。東京でさえも聞かないとんでもない金額だが、「こうした巨額投資のほとんどが大陸からのものだ」(同)という。
前出の中国人実業家は、「不動産物件が高額になればなるほど、中国人にとって中国内地の資金を持ち出すのに好都合だ」という。香港ではこうした一国二制度の差を悪用したロンダリングや錬金行為が日常的に行われているのだ。まさしく、香港の闇の部分である。
香港の人間が家を買えない
“竹林のようにそびえる高層住宅”が香港の象徴であるように、香港の土地は有限だ。わずか1100万平方キロメートルと札幌市と変わらぬ面積に730万人超の人口がひしめく。香港は世界でも指折りの“住宅難都市”である。
過去20年の統計を見ると、香港で地価の高騰は2003年を底に急上昇を始めたことがわかる。2018年の住宅価格は2003年からの15年間で4倍に高騰した。「バブルだ、バブルだ」と騒がれた上海の住宅価格は2010年に東京の水準を超えたが、香港は上海の倍の水準である。日本では「住宅は世帯年収の5倍が適正価格」といわれているが、香港の平均住宅価格はもはや世帯収入の14倍だといわれている。
香港ではここ数年、一般市民向けの住宅が投資の対象になっている。住宅ローンの利率が大陸よりも低いことから、大陸の中間層が香港で住宅を求めるケースが増えたのだ。また、大陸では住宅の購入規制が導入され、自己居住以外の物件(賃貸事業用不動産)が取得しづらくなっている点がある。近年は、大陸の住宅価格が香港並みに上昇したため、香港の住宅は相対的に安く手に入れることができるようになった。
香港でこのように急激に住宅価格が上昇したのは、大陸からのチャイナマネー流入による高騰にほかならず���結果として、香港の住宅バブルは香港社会に深い断絶をもたらした。すでに持ち家に居住している人は資産価値が「億円単位」に跳ね上がるというバブルの恩恵に浴したが、これから住宅購入を検討しようという人にとっては絶望しか残されていない。若い学生たちがデモに参加して激しい怒りをぶちまけたのは、このような住宅事情にも由来する。
産業も「中国人好み」に舵を切り…
2003年、香港経済はSARSの蔓延により大打撃を受けた。その救済策となったのが、中国の一部の都市からの個人旅行解禁だった。その後、香港は中国人観光客を中心としたインバウンド産業が大いに発展したが、結果として香港の街は「中国人客好み」にガラリと変化してしまった。
現在の香港の街を象徴するのは、ビクトリアピークでも女人街でもない。今やどこに行ってもドラッグストアと宝飾品チェーン店ばかりが視界に飛び込んでくる。この光景こそが、中国人観光客にのめり込んでしまった香港の姿である。中国人観光客が欲しがる商品と店づくりを追い求めた結果、香港の街はドラッグ・コスメチェーンの「莎莎」「卓悦」、宝飾品チェーンの「周生生」「周大福」の商業看板に埋め尽くされてしまった。
中国人観光客がスーツケースを転がしながら徘徊し、買った商品を詰め込むシーンは「爆買い」に沸いた数年前の日本とまったく同じ光景だ。
中国依存を続けてきた末路
旺角モンコック在住の香港人は、「ラーメン屋が立ち退かされ、入ってきたのは中国人客目当てのドラッグストアだ。家の周辺にはすでにドラッグストアが10軒以上もある。こんなに何店舗も必要ないよ」と呆れて言い放った。香港経済が中国人客目当てのインバウンドに傾斜して生活環境が大きく変わったことも、地元民の大きな不満になっていた。
そして2019年、大規模な抗議デモが反中色を帯びると、大陸からの観光客は激減した。2018年の香港には日本の6倍にのぼる5100万人の中国人観光客が訪れていたが、2019年は4377万人と、前年比で14%も減少した。
市民の反感を買いながらも店舗を増やしたドラッグストアだが、これにより化粧品や薬の販売も大幅に落ち込んだ。2020年には追い打ちをかけるように、コロナ禍が香港を直撃した。観光客の8割を中国大陸に依存し続けてきた香港は「中国一極依存のリスク」に直面し、香港のインバウンド事業者は「観光客ゼロ、収入ゼロ」に頭を抱えた。
中国マネーの本当の恐ろしさ
香港への不動産投資とインバウンド客の増大、そして香港への移民流入は、香港返還後に徐々に進んだ変化だった。しかし、その変化に気づいたときには、香港市民は自分の生存空間をすっかり失ってしまっていた。
香港だけではない。オーストラリアでも中国マネーが集中した都市では、地元民が住宅を買えないという本末転倒な事態が起こった。早晩、日本でも地元民が生まれ育った地元を離れなければならない事態が起こる可能性がある。
産業も「中国人好み」に舵を切り… 2003年、香港経済はSARSの蔓延により大打撃を受けた。その救済策となったのが、中国の一部の都市からの個人旅行解禁だった。その後、香港は中国人観光客を中心としたインバウンド産業が大いに発展したが、結果として香港の街は「中国人客好み」にガラリと変化してしまった。
現在の香港の街を象徴するのは、ビクトリアピークでも女人街でもない。今やどこに行ってもドラッグストアと宝飾品チェーン店ばかりが視界に飛び込んでくる。この光景こそが、中国人観光客にのめり込んでしまった香港の姿である。中国人観光客が欲しがる商品と店づくりを追い求めた結果、香港の街はドラッグ・コスメチェーンの「莎莎」「卓悦」、宝飾品チェーンの「周生生」「周大福」の商業看板に埋め尽くされてしまった。
中国人観光客がスーツケースを転がしながら徘徊し、買った商品を詰め込むシーンは「爆買い」に沸いた数年前の日本とまったく同じ光景だ。
中国依存を続けてきた末路 旺角モンコック在住の香港人は、「ラーメン屋が立ち退かされ、入ってきたのは中国人客目当てのドラッグストアだ。家の周辺にはすでにドラッグストアが10軒以上もある。こんなに何店舗も必要ないよ」と呆れて言い放った。香港経済が中国人客目当てのインバウンドに傾斜して生活環境が大きく変わったことも、地元民の大きな不満になっていた。
そして2019年、大規模な抗議デモが反中色を帯びると、大陸からの観光客は激減した。2018年の香港には日本の6倍にのぼる5100万人の中国人観光客が訪れていたが、2019年は4377万人と、前年比で14%も減少した。
市民の反感を買いながらも店舗を増やしたドラッグストアだが、これにより化粧品や薬の販売も大幅に落ち込んだ。2020年には追い打ちをかけるように、コロナ禍が香港を直撃した。観光客の8割を中国大陸に依存し続けてきた香港は「中国一極依存のリスク」に直面し、香港のインバウンド事業者は「観光客ゼロ、収入ゼロ」に頭を抱えた。
中国マネーの本当の恐ろしさ 香港への不動産投資とインバウンド客の増大、そして香港への移民流入は、香港返還後に徐々に進んだ変化だった。しかし、その変化に気づいたときには、香港市民は自分の生存空間をすっかり失ってしまっていた。
香港だけではない。オーストラリアでも中国マネーが集中した都市では、地元民が住宅を買えないという本末転倒な事態が起こった。早晩、日本でも地元民が生まれ育った地元を離れなければならない事態が起こる可能性がある。
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