Tumgik
nejiresoukakusuigun · 6 months
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『故障かなと思ったら』読書会レジュメ
この記事について
この記事は、文芸同人・ねじれ双角錐群が2022年 文学フリマ東京35にて発表したSF短編アンソロジー『故障かなと思ったら』について、文学フリマでの発表前に同人メンバーで実施した読書会のレジュメを公開するものです。 このレジュメには、各作品を楽しむためのヒントがちりばめられているかもしれません。適宜ご活用ください。
石井僚一「森/The Forest」
一言
レイ・ブラッドベリ「みずうみ」からのずらし具合が絶妙すぎて良い
よく見るとけっこう別の話になってるのに、ちょっとした場面とかぜんぶベースになってるのがわかるのすごいですよね……
もちろん湖/森の、なんだろう、ちょっと魔法っぽい場(「はる!まほうだよ……」のダメ押しよ!!)みたいなのはちゃんと共通してるし
婉曲的な話運びに圧倒されました。持ち合わせた感性に絶対の自信を持って話の輪郭を描ききる力に畏怖さえ覚えます。
単純に文章がとにかくきれい。もちろんそれは「みずうみ」(の宇野訳)を範にとったものではあるんだけど、それ以上にこの設定・内容にアダプトさせてるのがすごい(宇野訳もけっこうやわらかかったけど、もちょっと柔らかくなっている印象がある)
森を歩く歩きごこちのところとかが特に好き
レイ・ブラッドベリ「みずうみ」読みました。もとの文章がもうきれいなんだけど、それをほとんど違和感なく改変(という言葉が適切でなかったらすみません、単純な改変ではないんだけど)していて、このやわらかい文体で最後まで走り切れるパワーがすごいと思いました。
巻頭の森と巻末の閲覧者のおかげで、アンソロジー全体がstaticな感じがする。取扱説明書としてのすわりがよくなる印象
細部
P13の「ぼくはまだ、」から始まるパラグラフがすごく好きです。ずっと何度も読み返していたい美しい詩のようで、こんな文体に憧れました。
ここすごく美しいですね。
どれくらい推敲に時間を割かれているのでしょうか。言葉選びにどれだけの時間を要すのでしょうか。気になります。それくらい一文一文に隙がなく強度があります。
ざっくり構成をみていく
p10「朝のしめった空気が」~「ひとりでゆっくり回ってみたくなった」」
(ここ消えてる?)
p12「「いいよ。だけど」〜「遠くはなれた向こうで〜」
森のなか、はるとふみなさん。ふみなさんがいなくなる
「みずうみ」では、母と湖でちゃぷちゃぷしてるところ。タリーの役割と母の役割がどちらもふみなさんにかかっている……わけでもないか……でもまあそんな感じになっている
母の役割をいったんおいといたとして、タリーとふみなさんが対応している、のはそうなんだけど、タリーは事故によって命を落としているのに対して本作でははるがふみなさんをここで捨ててきている(p11「彼女をおいてここを去ることになっている」)のは明らかに位置づけが違う
で、捨てるっていうのが、恋人を振るっていう意味じゃなくて、どうやらロボット(?)的なものを物理的に置いて帰るということらしいというのが後でわかるんだけど、でもやっぱりわからない(なんで捨てたかったのかは特に言われてない、よね)
「ひとりでいるのは、」のパラグラフは、原作でもここまで主人公視点(主語 I)の過去形だった語りが、急に三人称(主語 a twelve-year-old child / he)の現在形が挿入されるところに形式的には対応していて(邦訳でどうなってるか誰か確認してくれ)、一方で内容としては子供らしさを求められる子供、から、恋人とはこうするもの、という規範に書き換わっている。
これはミスリードを超えて、はるとふみなさんはやっぱり恋人という位置づけということでいいんだろうか。ロボット(?)だとしても。
「木の枝をふりまわして、魔法つかいだと言って、きれいに笑った彼女を、ただ思い出した」:最後の「はる!まほうだよ……」に対応
p14「そして、ぼくは」〜「ぼくはそこを動けなかった。」
森を離れて、時間がとび、さくらさんと同棲をはじめ、森(箱根!)に戻ってくる。さくらさんもいなくなる(!)
「みずうみ」でも、長じてマーガレットと旅行に来るところ。場所はぜんぜん違っている
でもこの固有地名を出すタイミングは多分原作を参考にしている?かなと思った。原作でも最初のシーンではみずうみがどこなのかは明示されてない(よな)ところから去るときに初めてイリノイが言及され、マーガレットはサクラメントで出会ったというのが明記されてて、地名によるリアリティで急に大人になる感じがでるのと、多分なんだけど東部(中西部か)と西海岸のコントラストが効いている
「みずうみ」の舞台のレイクブラフはシカゴとミルウォーキーの間くらいにある小さい村 https://en.wikipedia.org/wiki/Lake_Bluff,_Illinois
みずうみっていうかもうほとんど海だよね、サイズ感としては https://www.lakebluffparks.org/parks-facilities/sunrise-park-beach/overview/
そして実際箱根町の人口が約1万なの符合がすごくて絶妙だな
p16「ここで待っていて、はる」の展開は「みずうみ」から反転してあって、「みずうみ」では主人公がマーガレットを置いてみずうみのほうへいくところ、本作では逆にさくらさんが主人公を置いていこうとし、かつ、そのときのセリフ「この森の中を回ってみたくなった」「さよなら、さよなら」は冒頭部で主人公がふみなさんを置いていったときのものを使っている
p17「「こちらの子が」〜「そして、パッケージをあけた」
ロボット(でいいのか?)の販売員との会話。ふみなさんを購入
「みずうみ」では、水死体が見つかった云々のところ。ここの改変はかなりでかい。「みずうみ」だと不穏さがぐっと出るところなんだけど、こっちはいっきにSFに飛ぶ
「みずうみ」で死で成長しない、時間が流れない、だったのが機械!っていう、その差し替えがすごくて興奮した
ここでロボット(?)のふみなさんを購入しているのは、普通に考えると過去の回想ということになる?(購入したロボットであるふみなさんを、かつて森に捨てて帰った主人公が、ふたたび森を訪れてふみなさんと再会している、という流れ?)
p18「視界のなかに人かげがあった」〜「はる!まほうだよ!」
固有名詞が出てきていないし、場所と時間が急にふわっとする。が、描写や↑とのつながりから、はるとふみなさんとして読むところのはず
「みずうみ」では、あえていえば、砂の城に戻ってきてオチの部分
箱根湯本から登山鉄道に乗り換えた先の森、強羅とか彫刻の森?
「彼女がぼくの名前を呼んだ気がした」「ぼくだってずっと変わらない……?」から、主人公が名前を呼んで起動する側だけでなく、起動される側?であることが示唆される?
さくらさんに置いていかれるという反転とも合わせて読むと、そう?
原作では主人公にとってタリーは特別、自分とは異なる存在という側面が強いように思うけれど、本作のはるはふみなさんと自分に同じ要素(ずっと変わらない)を見いだしている?
原作では足跡(よくわかってないんだけど)を見た主人公が最後に気づいて(?)砂の城を完成させる(ええと、原作の読みに自信なくなってきた。今度はタリーが半分作った城の残り半分を主人公が作ったシーンでいい?)のに対して本作では作った墓がそのままになっている(新たにというよりも最初のシーンで作った物そのままの印象を受ける)ところにある説明書(誰の?)を見つける
原作の最後は主人公が死によって永遠になったタリーを永遠に愛し続けることに気づいて、それでマーガレットを見る目が変わっている強烈なオチで終わるけど、本作ではさくらさんはフェードアウトしており、あくまではるとふみなの二人で終わっているように読める
「みずうみ」との人名対応
ハロルド→はる:音だよね
タリー→ふみな:なんだろう
マーガレット→さくら:花だよね
小林貫「取説ばあさん」
一言
CM好き。この微妙にバリエーションあるのめっちゃ良いでしょ。ジオを抱こうとしたら流れるとこでマジで笑いました。
ここ、ぼくも笑いました。
「DNAを、統制せよ」じゃあないんだよ
YoutubeのクソCMの経験をしている現代だからこそ通じるところがあっていい
モチヅキはCV津田健次郎というかんじがします。シブい。
わかる
小林作品の中で一番好きかもしれない。ちょうどサイバーパンク2077やってるから情景がめっちゃ浮かんでくる。
トリガーにアニメ化してもらおう。
ベルチナとのシンクロニティを感じる。今回ち〇こが出てくる作品多い。
ばばあ勝負では正直負けたなと。次のばばあ勝負では勝ちます。
台詞回しが上手いのと、描写の際の言葉選びにセンスを感じました。会話描くのが上手すぎるので参考にしたいです。今俺が理想としているのはこういう小説なんだなあと思いました。CMのインパクトが最強ですね。頭から離れません。
登場シーンで羅生門のばばあ以来のヤバいばばあが出てきたと思いました。
完全に「サイバーパンク」っぽい文体やガジェット、そして物悲しさみたいなものを自家薬籠中にしていやがる……そんななかでどうしても残ってしまってる人情みたいなのもいいんだよな
細部
俺もスマートウォッチかカシオの腕時計で迷って、大体主人公と同じ思考でカシオを選んだのですごく親近感がありました。
スポンサーがついている娼婦のアイデアが面白すぎてばあさんが全部どこか行きました。……結局、何でばあさんは紙の説明書を集めてたんでしたっけ……。
「終わりかけのおしっこのようなうめき声」という比喩、良すぎる。
「老婆通いの日々」みたいなのも、こう、ユーモアだよな……
ユーモアのちりばめめっちゃ良いんだよね
ざっくり構成をみていくコーナー
p22 冒頭のCM〜「ひさしぶりにいい夢を見た気がする〜」
サイバーパンクだよ、という導入。怪しげな道具屋(モチヅキマート)や焦燥感はやっぱり必須なんだ……(ほとんど「クローム襲撃」なんだよな)
p25「太陽も昇り切らない」〜「思わずつむってしまった目を〜」
取説ばあさんが出てくる。取説ばあさんて。「怪しげな稼業に手を出してしまう」も定番だけど、それが取説ばあさんなのはなんなんだよ
だからそう、ここでいかにもな電脳とか身体強化とかメガコーポがとかに向かわず、いっけんミスマッチな「取説」に向かうのもすごくいいんだよな
p29「老婆通いの日々が始まった」〜「自嘲めいた笑みがこみ上げてきたので」
取説ばあさんの噂、娼婦がなにか知っているらしいことを知る
p32「次の休み、おれは夜の」〜「抗うことのできない眠りに〜」
ジオという娼婦を買う。うまくいかない(途中でCM)。これもファムファタールなのか……?
p36「しかしそれ以来」〜「しずかに黒い幕がおりる」
取説ばあさんに襲われる。ここの襲撃描写の加速感が地味にうまい
p40「わたしには名前がない」〜「おぉ、おぉ……。」
ジオ=取説ばあさんの悲しい出自。めっちゃ義体化してる
p43「深海のように」〜「…………一分が経過した」(※便宜上ここで区切る)
ジオに縛りつけられピンチ
p47「我慢できずに」〜「いかめしいサイバー視覚器の下で」
モチヅキが颯爽と助けにくる。ジオ=取説ばあさん=キヌ(ばあさんぽい名前だ!)とモチヅキの血縁が明かされる。モチヅキがばあさんを撃退して、なんかブルースな感じになる
なんか世界の理不尽さ?を説明してくれる?知識欲?みたいなのが取説集めにつなが���てんのかとか、自分が何者かわからなかったところから名前を知ることが少しの救いになる?のとか、わかりそうなところとやっぱりわからない感じとのせめぎ合いがあり、怪異としての取説ばあさんの謎は解けてはいけない(解けてないからラストが光る)のと、でも結局ばあさんなんだったんだという、もやもやの残りと、両方ある
そうそう、ここの「結局なんだったんだよ」のわかりそうでわからない具合がかなりいい味なんですよね……
p50「おれは街を出た」〜「ねえ、取説ばあさんって知ってる?」
それでも人生は続く
しれっとネオンシードFにツッコミを入れているのもニクい
これは個人的には非常にポイントが高いというか、CMのリフレインに対応する形でこういうツッコミがあるのが良いんだよな
ラストが再度の怪っぽいのも自分は好きですね
笹幡みなみ「私の自由な選択として」
一言
SF設定が素晴らしい。パラスタット技術によって人間の精神活動が大きく変わることは想像、納得しやすい。古代の人間が神の声として並行世界の自分の声を聞いていた(『神々の沈黙』への接続)ことと結びつけるところがエレガント。バウマイスター野の刺激による本当の沈黙を経て、じつは現代においてもその声は沈黙していなかったというくだりも自然に受け入れられる。
読み終わった後また頭に戻って読み直したくなる終わり方。
テーマとギミックと文体と視点が綺麗に噛み合っていて圧倒的でした。前半は割とライトな感じで読めるのですが、進むうちに結構重めでこちらに取っ組み合いを仕掛けてくるような構成になっていて、そのエスカレートぶりが好きです。
第二論文の紹介あたりまでの説明のそつのなさ(ほんとそつがなくてこれはこれですごいんよ)から一点、第三論文の紹介で並行世界の話がぶちこまれてオッオッってなって、ユニカの過去の話とかでウェットになりつつ(このへんも淡々として見せつつ情念が滲んでる塩梅が良い……)、終盤に雪崩れ込む構成すげえうまいですよね……
各要素が違和感なくつながっていって上手だなーとおもいました。
いつもの作風に比べるとオールドスクールで、それが海外SFっぽい味わいでよき。
この内容で大きな破綻なく話を書き切るの、強すぎる……。
細部
冒頭の語りの時点はいつか。語りは並列世界を移動していないか。
p.33 「そして彼は愚かにも(ユニカはそこでエアクオートして、彼女の爪が非常灯の光を反射した)」ここのディテールが好き。
好き
わたしだけかもしれませんが最後の一文に謎が残っています。
俺もでした……。後日もう一度読み直します。「長い話」どこからどこまで?
ここは自分もわからなかったので読書会の論点にしたいです
ユニカが臨床家であるという設定が実はすごく効いていると思っていて、自由意志と決定論というテーマにもし臨床的な切り口を与えたら? というifに反射療法という道具を与えて真相に迫ろうとするのはチャレンジングでワクワクしました。
それを踏まえて、最後の実験に他人を使った人体実験を行わないのも彼女のキャラクターを表していて好きです。人道的……なのか?
タイトルにもある「私の(その人の)自由な選択として。」というフレーズの繰り返しが不気味な感じでよかったです。自由な選択に固執していて、逆説的に全然自由じゃない感じ。
ざっくり構成をみていく
p54「二〇二五年」〜「彼女のために〜」
いきなりエレベーターで足を揉んでいる。反射療法がテーマっぽいなというのもわかるところ。話のマクラとしてヒキがありすぎるんよ
p55「ユニカ・クーリッジは」〜「臨床家であったユニカは〜」
ユニカの実績を紹介するにあたっての、反射療法および自由意志(自由意志信念)に関する前提知識の共有。ユニカの第一論文の内容以外はほぼ現実そのままの説明になっている……はず(逆にここがフックになってるということでもある)。パラスタットについてもここでいちおう出てくるが、詳しい説明はされない(勘がよければわかるよね、くらいの温度感)
p60「第一の論文」〜「人類の痛みへの反逆の歴史を〜」
ユニカの三本の論文についての説明。第一第二は前節からのわりと素直な延長なんだけど、第三で並行世界が導入される(エスカレーションの第1段階)
p63「私がユニカ・クーリッジと」〜「この一連のできごとが〜」
冒頭の話に繋がる筆者個人に関する語り。冒頭に繋がる出会いや、ユニカの出自、モチベーションなどが紹介される。パラスタットについても(前節でほぼわかるとはいえ)ここではっきり判明する
p67「ユニカ・クーリッジの研究に」〜「電気刺激を停止しても」(*で区切られてはいないけど便宜上ここで区切る)
ユニカが温めていた仮説(神々の沈黙っぽい)についての説明(エスカレーションの第2段階)。バウマイスター野を直接刺激する実験(筆者も手伝った)と、その結果「ひとりになってしまった」というユニカ。ここらへんから「これ何の文章だっけ?」みたいになってくる
p71「彼女の実験ノートの中に」〜「私は開頭用ドリルを手に取った。私の自由な選択として」
ユニカの手紙を見つける。「ユニカはこう記していた」〜「次の一歩を踏み出そう。私の自由な選択として」
「私が事情を説明するために語ってきたこの文章と」からまた筆者の語りに戻る。「私が事情を説明するために語ってきたこの文章と、彼女のこれまでの研究の一切は――このあと実施する実験も含めて――データ化され、彼女の脳に信号として入力される。」
最後の一文のやつ、これか!(これか?)
p75「ユニカは長い話を終えると、二杯目のコーヒーを求めて立ち上がった。」
Garanhead「故障とは言うまいね?」 
一言
直球で説明書の奇想(?)をやってて良い
王道の良さがある
この説明書産業っていうでっかい嘘にこまかいギャグとかセンチメントとかをすべて集約させる腕力も良い。なんというか変な設定で王道の話がされてるのを読むのは単純に楽しい
「故障とは言うまいね?」のミーム画像がめちゃめちゃ想像できるのが良い
文量的には長めのはずだけどスッと読めました。
ちゃんとした小説だ!となる。ねじれ双角錐群の良心。
会社間の関係とかの設定をちゃんとしているところが見習わないとなと思う。
設定が説明的になりすぎず、物語のなかで自然と読ませるかたちになっているのがすごいな、と思いました。リーダビリティが高い文章。
細部
p78「その日、ウニベルシダマニュアルカンパニーで」~
復刻版説明書の販売とサイン会。説明書とマニュアリストロの導入
ここで、この世界では説明書に異常な価値があること、マニュアリストロという資格者に異常な価値があることが、戯画化された掴みシーンと共に印象づけられるのが、さらっとすごいことをやってる
「完売。説明書、完売」とか「本間くんを、包囲しろ!」とかパシパシとノリ良く無茶を導入していて良いよね
女性に顔のインク拭いてもらってるのとか、御曹司感とギャグ具合を絶妙に表現できてて笑うんだよな
p81「時を四十年ほど遡る」~
マニュアリストロに至るまでのこの世界の設定説明パート
前のシーンで無茶苦茶ながら導入された上での説明なので、言ってることは無茶なのだがなんかそれっぽさがあってなるほどねという感じが出る(?)
この辺の細かい設定は元ネタがありそう
ここの設定の練り込みがまず好き。無茶苦茶なんだけど、すごく「それっぽさ」が出てる……
p83「俺は顔のインクを綺麗に落としてもらって車を降りる」~
チャリア工業でのマニュアルコンペ。タアナとの出会い
「食堂のカプチーノマシンがぼかーんって芸術的に故障したので、うっとりして眺めてました」そんなギャルゲヒロインみたいなやつおる?(好き)
「え、根回ししてなかったのか?」この微妙なメタツッコミみたいなやつ人を選ぶだろうけど自分は好きで、そもそもマニュアルのコンペってなんだよみたいなところから言い始めたら切りがないところを、いやまあそこはいいんですよって押し通してくれる推進力に繋がる
「ボイスチェンジャーで加工された声が響く」なんで父親がボイスチェンジャー使ってんだよ、とかさ、ずるいだろ
p86「大空タアナを捕まえたのは地下の駐車場だった」~
本間くんの因縁の提示、タアナの動機の提示(ここ結構複雑な構図をさくさくっと作ってるからちゃんとまとめたいな)
十年前、マニュアル記載漏れによる「チャリアトル事故」で主人公の母親が死亡、父親は右足を失くして顔面に怪我
声帯やられたのかな
これによりチャリア社ソーラーセイルのマニュアル作成はウニベルシダ(主人公社)からヘリオス(タアナ社)に変わる
マニュアリストロの制度ができるきっかけになる
安全なガルダのマニュアルを作るのが母への償いになると考えている
タアナの動機
マリウスくんの説明書をつくった主人公に会いたかった
「そつないなあって思いました」この口調のぶれって計算してやってんの? そつがなさすぎるよ
「過激だな。ヘラクレスか」すき
p97「車は高速道路に入り最初のパーキングエリアで停車した」~
「故障とは言うまいね?」のコラ画像
言葉の元ネタ的には卑怯とは言うまいね?なのかな
でも自分はなんか英語のミーム画像をイメージしたんだよな(画像に文字を入れるっていうところが?)
p100「案内されて大広間に出た」~
タアナからマリウスくんの説明書を一緒に作ることを要求され快諾
p102「組み立て工場はタイにあるようだったが」~
自分はここのパートがめちゃくちゃ好きで、この設定の上で相当にデフォルメされた「説明書作り」の醍醐味が伝わってくるのすごいなと思うんですよね。本作について、個人的にはここがいちばんの推薦ポイント
もちろんそのデフォルメ具合自体(現実の説明書はそうやって作らんやろ)自体も楽しい
工場に行くぜ!
まずは現場という謎の納得感があるのが良い
冷静に考えると設計のほうにいくんじゃなくて工場で現物から図面起こしてたりとか、何かがおかしくて笑うんだけど突破力があって良いんだよな。
「なぜなら俺はマニュアリストロだから」
なんだこの洋画感
「尻尾センサーを三年以上引っ張って『おやすみモード』にした場合の注意書き」
三年以上引っ張ったら子供も成長してるよ
とかいうギャグやりとりの流れから主人公が自然に笑うことができたという、「故障なんかしていない」の流れに持ってく
p106「大空タアナは死んだ」~
このへんの説明書と感情のなぞらえかたやタアナの粋なはからいもクール
最初読んだ時ロジックが結構複雑でよくわかってなかったけど、読み直したら尻尾センサーネタを上手くひっくり返してバッチリ噛み合うようになっててすごい
それで主人公の因縁というかトラウマを乗り越えて救われることができる
p112「それから月日は流れて」~
最後にミームオチなの良いんだよな
全自動ムー大陸「直射日光の当たらない涼しい場所」
一言
「なめたねじ、」好き
「電源ひ」と「大人にな」が好き
「ばらしてる」が好きです
短歌だと最初は気づかずに読んで、全部通して詩のように感じました。全てに通ずる何かの企てがあるのか、果たして……。
全ムーさんの歌、やわらかな読み心地がある
わりと視覚的イメージを軸にした歌が多い印象で、その視覚的イメージがちょっと抽象に寄っているところが特徴な気がしています。
細部
「めくるめく〜」
呪文の詠唱みたいで好きです。
「説明書→綴じる」の自然なつながりから、冒頭の「めくるめくこの世はでかい」(この時点ではたんにでかいということしか言っていない)を引き継いだ最後の「銀河」に至って「銀河が綴じられる」という形に具体化するイメージがすごいいい
「沈黙の倍」っていうのもそのでかさの表現というか、茫洋とした感じが出ていると思ったんだけどどうだろうか
紙を綴じて折ると厚さは倍になることと関係あるかな
紙をたくさん折ると月に届く的な話も連想した
「この世」をすべて説明ないし記載可能なものとして捉えているうえに、それを「綴じよ」と製本みたいなことができるものとして考えているのが面白い。「綴じる」に入っている「閉じる」のニュアンスも含めて、世界をぜんぶ掌握したい、みたいな意識も感じます。「沈黙の倍の銀河」はちょっとイメージしにくい。
沈黙は金との対応
「この世=地球」「銀河」の対応
ドラゴンボールのOPが脳内再生される騒がしさと、「沈黙」との対比が出る
「まちがいを〜」
「涙 - 氵 = 戻」ってこと……だよね?
まちがいにたいして、「よくあること」と言って手を引いて「戻す」ときに、(まちがいであったことによる?)涙が云々みたいな雰囲気で読んだ(いやこれだと「手を引くほうの」が組み込めてないんだが)
「まちがいなんてよくあるねー」となみだが言っていて(思っていて)、私の意志に反してなみだが引っ込んじゃうんだけれども、そこに涙の痕跡が残っているよ、が歌意かと思います。そこに上述の漢字のユーモア。目から出てる水(=さんずい)と別に「手を引くほうのなみだ」(=戻)があるよ、という。
「手を引く」がここだと「退く」みたいな意味かと思うんですが、別の「手を取って導く」みたいなほうも出てきてやや読みにくいかも。と言いつつも「手引き」からこの語をつかうことにしたならやむなしだが。
皆さんの考察を読んでめちゃくちゃ好きな歌になった
てへんにもどるの「捩る」もあって、さらにそこから↓に繋がる!!!
「なめたねじ〜」
突き放しているようで、これは優しさじゃねえか?
「いいので」という結句の言い方が、おっしゃる通り突き放しているようだけれども、歌の内容自体が優しいので、別の響き方になりますね。前の歌に引きずられながら読むと、ちょっと涙をこらえながら「もう回らなくていいので……(だいじょうぶだよ……)」と言ってるような感じも。
もう回らなくていいってことはそのねじは何かを固定していて現在のところ分解する必要がないっていうことだと思って、説明書というベースから想像を膨らませると、説明書を読みながら頑張って不慣れな人が(子供かもしれない)何かを組み立てたり組み替えたりしていて、下手だから潰してなめたねじにしてしまったりするんだけど、それが完成したあと時間が経っていてもう回らなくていい(たとえばもう使わなくなった子供用の椅子とか)、みたいななんか優しさを感じる。
「YES/NO〜」
「はい/いいえ」で答えていくと「あなたにはこれがおすすめ!」ってところにたどりつくあれでいいんだよな。あれやってるとなんか自己なりなんなりに気付いてしまう感じじゃなかろうか、べつに気付いてもたいして嬉しくもないのに、みたいな
視覚的には指と紙面しか出てこず、その指先に灯るっていうのは見た目にもクールな感ある
表現としては全体的にやわらかい歌の印象。「ユリイカ」なのでチャートを通してある程度の気づきは得られているのだけれども、あくまでチャートに沿った規定の気づきということで「怠い」という修飾語が出てくるのかな。ぼんやりした目ざめ、みたいな一首。
YES/NOチャートによって提示されるおすすめなのかタイプなのかに対して、こんなので自分のことがわかってたまるかよという冷めた見方と、でも気づきがある発見があるという自覚と、その両方なのかなと思った。
Y音のリフレインが気だるさや脱力感をかもす。N音もあり「なよなよ」感が出る
「電源ひ〜」
まずもって「馬」まで来ないと像が結ばれないのが楽しかったです。で、そこまできてやっと「あーこれ遊園地とかにあるコイン入れて動く馬か」(なのかな、わからんけど)とかなった次ですぐに「ただしさ」、そうだよね、正しいよねー、なりたいよねーってなる収束(言ってること伝わるか?)
電源につながれた馬(メリーゴーラウンドかな、と)がいて、たぶんその馬が自分で電源コードを引きちぎって、あえて朝に駆ける(普段は夜にキラキラと駆けている)ことを「きたない」と言いつつも、その与えられた役割からの逸脱に正しさを感じて憧れている感じの歌としてとりました。
馬の描写までの荒々しさと、そこ以下の弱弱しいような言い方の対比が歌の魅力。
メリーゴーラウンドって木馬自体に動力があるわけじゃないから電源つながってないような気もするんだけどイメージ的にはやっぱりメリーゴーラウンドなのかな。コイン入れて動く馬、みたいなあれは充電式?なイメージがある。
ライ麦畑的な……(あれは朝じゃなかった)
ゲーセンの競馬ゲームが思い浮かんだ。メダル賭博の対象である(しかも疑似的な賭博にすぎない)ことのきたなさや情けなさからの解放を想起。
「完ぺきで〜」
ひどい話のような気がする
「どうして」っていうからには不本意なんだろうけれども、それでもやさしいきみに打ちひしがれるしかないんだよ……。
こういうシンプルな歌のパワーよ……
「組み立てよ〜」
(短歌の読み方よくわからんのだけど)「いち葉の」でいっ��ん切れて、まあ葉っぱのすんとした感じに読まれての、「かさぶた」で生っぽくなって、とはいえ意味としては依然通じる(かさぶたのないことの淡白さ)あたりの動きが好き
「淡白な日々」に「しずかな暮らし」を重ねる効果はよくわからなかった
「組み立て」は説明書の文言ですね。
「かさぶた」=傷の治る途中のもの。傷つかない暮らしをしましょうよ、という歌としてとりました。あんまり具体的な描写が無いので、感情の問題としての傷つかない、と解釈。「組み立てよ」という文言で、その暮らしの達成をあくまで理知的に促しているところが面白いです。感情を理性で抑えようとする感じ(1首目の「綴じよ」と似たイメージ)。
傷つかず心が動かない生活をしたい(していないからしたいといっているのか、半ばすでにそうなのか)、いずれにしてもさみしい話なのかな。
「大人にな��」
強そうな名前の電池。エボルタ……かな? マクセルは会社名か。
自分は「これエボルタだな……」と思いながら読みました
ちょっと自分に充電しようとしてないか?
「自分に充電」はめっちゃ良い読みですね。
なんで大人になったことを嘆いているんですかね。電池に子ども時代を見ているような印象も。おもちゃの電池とかを大事にするようなニュアンスを少し感じます。
世代差もあるんだろうけど子供の頃おもちゃに入れるものとしての電池って存在感大きかったし、ブランドも重要だったりしますよね。大人になるとリモコンの電池替えるみたいなのは機械的な日常になる
最近だと(昔どうだったかは覚えてない)パナソニックとタカラトミーは仲が良くて最強のエボルタ電池でトミカやプラレールがめちゃめちゃ動くぜみたいなプロモーションをやっているので子供はエボルタ覚えがち
「エボルタ」は「エボリューション」と「ボルテージ」が由来みたいですね。このへんは確かに子どもに象徴的かもしれない。
「ばらしてる〜」
「〜思い出す」まででとりあえず中途半端に組み合わさってる家具みたいなのがイメージされて、そこから「ページが」で説明書の組立手順のとこみたいなのが浮かぶんだけど、「あった」で落とされて、なんか奥行きを感じる(何も言ってないなこれ)
少なくとも説明書としては役に立たない無のページ。このページを見ているときは解体も組立もしておらず手が止まっているはず。その現実には何も行われていないふわっとした瞬間にささげるアンセム。
そういうページに対する憧憬なのかな
「季がくらむ〜」
「○月なのになんだよこの気候は」って日に「文字を焚く」までひとつらなりでいったん切れて、その次、「肘かけた杢」でまた切れる(で、「けぶる目のはし」で焚かれたときの煙に戻ってくる)でいいんだろうか
杢の模様と文字のイメージの関連とかあるか
名詞も動詞も多くてちょっと読みにくいが、初句の「くらむ」で宣言されている通りに、その連なりをイメージのままにめくるめく感じていくかたちで読むしかないのかな。
この歌のわかりにくさは、そもそも説明的な言葉への否定みたいなものもある気が。「文字を焚き」なんかは、ある意味で1首目でやってることを最後に全部なかったことにしようとしているようにも捉えられます。
murashit「子供たちのための教本」
一言
続柄の欄に書く初恋の人、のところめちゃくちゃ良い。
終盤がまだ全然わかんないんだけど。
父が作った街で生まれ育った自分も父が作ったもので、でも一度は街を出ていくんだけど、また戻ってきて、父が死ぬ、死ぬけど都市が消えるわけじゃない、けど父が作った都市ではある、という、こう、父権からの逃れと逃れられなさとそれも悪くなさみたいな話……か!?
この果てしない不条理な葬送を巡るお話に、総じて自分は寂しさを受け取りつつ、作品全体に散りばめられた()の形式で明かされる心の声が、客観的であろうとする語り手の支えになっているような気がしました。
もう少しじっくり読んでみたいですね。
むらしっとさんの描く冠婚葬祭、冠婚葬祭特有の一切合切がめんどくせえな、でも仕方ねえという淡々とした感じがありとても好きです
panpanyaっぽい
なんかわかる
父が作った街であり世界を歩くということがメタファーとして愛おしくさえある、ような心持ちになってしまうパワーがこの飄々とした文体にはある。父殺しの対極(地の文の視点:父が作った世界に内包されているという意味で)のようであり、じつはしっかり父殺し(括弧内語りの視点)であるところの二面性がいい。
最後(合唱曲以後のところ)が圧倒的によかったです(ぶっちゃけ内容はよくわかっていないが)。
細部
はじめの「そうだったのか」、初読でなにが? と思ったんだけど、そういうことなのか(まだ言語化できていません)。
これわかんないんだよな
直接的には、直前の文「郵便局のバイクが門の前に停まった」に対して「そうだったのか」と言っているように読めるが。
緻密作為コーナーにも書いているとおり、この最初のパラグラフでは一番最初だけ語り手の一人称「私」が出てきて、それがパラグラフの最後になると「ア兵」と三人称名前呼びにすり替わり、以降本作の地の文では「私」ではなく「ア兵」という呼び方で焦点化して語りが続く。
この場面での「郵便局のバイクが門の前に停まった」ことが縁側で将棋をしている二人の目には入っていなかったという解釈を考えることができると思う。配達員が「縁側の二人に声をかけた」とあるから、配達員の方からは縁側に人がいることが(覗き込めば、少なくとも部分的には)見えるわけだが、二人は将棋に集中していたのか、あるいはア兵は背を向ける角度だったからで、少なくとも見えていなかった。だからア兵は当時「郵便局のバイクが門の前に停まった」ことを知らない。知らなかったことをここで知ったから、「そうだったのか」
つまり現在の「私」が過去の「ア兵」の周辺の物事を何らかの形で知覚し語り直しているのがこの文で、当時の自分が見えていなかったことをこの語り直しなのか追体験なのかの中で発見して「そうだったのか」と言っているとする説。
これはなんか、控えめすぎるというか、そこに注目して「そうだったのか」と言うほどのことなのか、というのがよくわからない。直後に配達員から呼びかけられているんだから、そこに配達員が来たタイミングはその少し前というのは当然の類推のはず。たとえば配達員が投函していって将棋が全部終わった夕方に郵便受けで発見したとかいう話の流れならば「そうだったのか」は自然ではあるが……。
あと、これは弱い要素だけれど、p151ではア兵がクリップボードの方を見ていたので実際に視覚的に確認したわけではない職員の挙動を、地の文で書いて、カッコ内で「実際には目にしていない」と断っている。これはやはり、当時知覚できなかったことは推測でしか書けないのではないかと思われ、そういうルールが全編に適用されるのなら、バイクが停まったことに対して「そうだったのか」はやはり不自然になる。
なのでこの説は微妙だ。
直前の文のカッコ内、「ようやく詰みまでの道筋が見えたところで」に対して「そうだったのか」と応答しているとする説。
つまり、片方は「ようやく詰みまでの道筋が見えた」のだが、対局の相手方は詰みがあることに気づいていなかった。詰みが見えていたことをこの語りの中で知らされて、「そうだったのか」と反応している。
これはしかし、地の文とカッコ内の文の語り手がいずれもア兵で一貫しているとすると矛盾が生じる。
地の文については最初の一行で「私」=「ア兵」であることが明記されている。
カッコ内の文についても続く行で「誘ったのは父」「こちらといえば」と言っているのだからやはりア兵であるはずだ。
であれば「詰みまでの道筋が見えた」のもそれに対して「そうだったのか」と言っているのもア兵なので、応答としては不自然である。前段のバイクが門の前に停まった説は、当時のア兵がそのことを認識していなかったという解釈がとれるが、バイクと違い詰みまでの道筋が見えたのはその時点でのア兵の認識そのものだから、後から気づいたというのもおかしい。
「括弧内語り→地の文に対してコメント」はあるが、「地の文→括弧内語りに対してコメント」の方向は全体通してあった?なかったような印象
p137「(誰かと会った?)」→「会った」みたいな応答はしている
では地の文とカッコ内の語りの一部を父が担当していて、対局者であるア兵が既に詰み筋に気づいていたということをこの語りの中で知った、という解釈ならあり得るのか。
前述の矛盾は解消されるのだが、そんなシームレスに語り手が父になって良いものだろうか。
地の文がア兵でカッコ内が父、とかならまだそういう構成はあり得ようが、そんな単純さでは少なくともないように見える。
いいのか。父がア兵を作ったから。ア兵がそう考えるよう父が作ったから。だから混ざっていて良い?
まあでもそれはそれで、そういう全知性を持ってたら、「そうだったのか」ってならなくない?
この説は有力な気がする。だからこそ「対局は途中止めにされた(体よく逃げられたと言っていい)」
俺は「詰み」に対しての「そうだったのか」だと思ったんですが、まあその後の語りのルール?というか、わかんないんですよね。
ア兵とかサン議とかのネーミングが新鮮でした。
「夏ハバキ」好き。「岩本」とか普通っぽいのが混じってるのもいいですね。
ネーミングはまじで上手いと思いました。
老人たちが流れてきて賛辞の嵐を浴びせてきたり、役所の職員が手続きのための説明を一息でやり終えて仲間が拍手を打たんばかりの状態になり紙吹雪(書類)も舞ってといったり、唐突に始まるミニゲームみたいなお祭り感が好きです。
(けれどもフクロウではぜったいにない)好き
p.148 「高基線の建設による変化」高基線って高速道路みたいなやつ?だとすると、この建設で雪が降るように気候が変わるというのはどういうことか。フェーン現象を形成する山脈を取り去る勢いで高速道路を敷設しているのかもしれない。
p.154「ポイントが十倍ですので」流石になんのポイントだよ
p154「二人が役所から出ると」あたりからなんか「やってる」んだよな
なかったはずの全裸男性の銅像が出現しているが、ア兵がそれを無視する
(さすがにやりすぎ)
全裸男性の銅像(父をモデルにしている?)を出現させたことに対して、やりすぎ、とツッコミを入れている
そんな銅像を出現させるという理外の力がここにあり、かつ、それをア兵は認識していて誰がやったかもわかっていて無視していて、この発言?
「いずれにせよこの期に及んで父が受け答えすることなどできはしない」
やりすぎ、と指摘している相手は父であり(つまりア兵は銅像を出現させたのが父だと思っていて)、しかし父はそれに応答しない、ということ?
「それにしても、どうして今になって――/(え、わかんないの?)/藤十郎のこと――と、間髪入れず、ア兵は今度は声に出し、「連れて行かなかったらどうする?」」
読みにくくてわからない。「今度は声に出し」で問いかけている相手は父。なのでやはり前段から続く「さすがにやりすぎ」も含めて父に対する呼びかけ。
途中で切れている藤十郎のこと、のところは、「どうして今になって初恋の人である藤十郎と一緒にこの役所に来るように取り計らったのか」ということ?
p154までは引っかかりを覚えながらも何とかたどり着けるんですが、ここから先で一気に振り落とされるんですよね。でも、きっとここからが重要なパートなのでしょう。
p155あたりまで読み進めると、なんかまるっと総合すると、
この都市を作ったのが父であり、だから父が基本的になんでもできる(?)
銅像をいきなり出したりして遊べるのはそれを端的に示した描写だ
だから「父が決めたことだ。自分勝手に死ぬことを決めて、その埋め合わせにでもしてやろうと」初恋の人である藤十郎と二人で役所に赴くイベントを起こした
父の筋書に沿って物事が進んでいて、だけどそれが「悪くない」
p156「(ぐずぐずじゃん)」以下で、
この街は父が作っていて、
父が自分に死亡内定通知を届かせた、
父が死ぬに際して、だから街はぐずぐずになりつつある
ア兵も父が作ったのでありア兵がどのように考えるかは父の作意の通りだ
(本文と順序が前後するけど)でも父が死ぬからと言って街やア兵や藤十郎が消えるわけじゃない
地の文が父になっていて、カッコ内のア兵と会話になっている
この地の文で父が出てくることの先出しが冒頭の「そうだったのか」なのか
死を計算する機械も父が関与してるんだっけ→特別そんな説明は無かった
p158「すり潰される」「グラインダーのような機械で、喩えるならコーヒーミル」はこどもブロイラー感があり、その前のp154「ポイントが十倍ですので」とかの戯画化もなんかそれっぽい
ラスト、()が語りを途中で終わりにすることで(父の死を語らないことで)、父の世界を、ないしは親子の関係性をふわっとしたまま残存させることを狙っている気が。泣ける。
ここ緻密に作為をもって語られているだろコーナー
人称と焦点
冒頭だけ「私」、以降「ア兵」
一番最後の括弧内に「わたし」「わたしたち」が出てくる(「わたしたち」のところ、藤十郎と目配せしあってという記述なので、このわたしたちは、ア兵からみたア兵と藤十郎を指しているように読み取れ、したがってこの括弧内の「わたし」はア兵のように思える、が)
地の文の語りと括弧内の語り
括弧内は、単純にア兵の心内語や言い足しであるように見えるところと、そうではない主体が語っているように見えるところがある
ア兵が描写せざるをえないとか描写しようとしたとか、語りに対して括弧の内外共に意識的である
「そうだったのか」問題のところに書いたとおり、基本的に両方ア兵のように見えるのだが、使い分け方がわからない
単なるア兵の心内語や言い足しを超えて他者的であるように読めるところ:p125「あー、なるほどね」、p126「ははあ、発育が、いい、と」、p129「で、次はなにを?」、p131「そうですか」、p136「老人が流れるってそういうことか」、p137「誰かと会った?」、p139「同意する」、p141「「老人が一人」だったんじゃないの?」、p154「え、わかんないの?」
仮説1:地の文=父にとってのア兵、括弧内=ア兵と読めないか
p.154「やはり父は何も答えない(これだけ饒舌なのに)」饒舌なのが父だとすると、地の文が父の語りと読めないか
p.155「「しかも、初恋の人と」〜(中略)〜それは父が決めたことだ」藤十郎と行くことを決めたのは地の文のア兵だが、括弧内のア兵はそれを決めたのは父だと言っている。
父が自分が作った世界をたたむにあたって、それを外側から眺めているア兵の語りが括弧内の語りということ?(→仮説3)
この仮説が無難な気がします。前半は地の文と括弧内の思考かなり近いけれども、物語が進むにしたがって括弧内の自我が強くなって最終的に地の文から完全に分離するイメージ。親離れの主題?
仮説2:フィクションにおける語り手 vs 読者・作者との関係性の違いによって、地の文のア兵と括弧内のア兵を使い分けているのではないか
フィクション論はよく分からないのでよく分からない
仮説3:父が作った世界のなかのア兵と、外側のア兵の違いではないか(仮説1に近い)
安直なたとえだがVR世界のなかの父・ア兵・藤十郎を外から見ているア兵の語りが括弧内に書かれているようなイメージ
性別
ア兵には父がいて、母がいて、父にはでかいちんこもついているが(身体全体がでかいんだよ)、一方でア兵と藤十郎の性別は意図的に不明確にされている(あるいはそもそも性別があるのかどうか自体が定かではない)(ように読める)
藤十郎は我々の日本で言えば男と思われる名前だけど、「ははあ、発育が、良い、と」みたいなことがかいてあり(いやこれは別に背の高さとかでも一応は成立して、あまり手がかりではなくて、ミスリードされているだけなのかもしれないのだが)
ア兵は陰茎を備えていない様子の描写がある(これは割と明確なようには思える)
二人が同級生に囃し立てられたりする話からすれば、我々の日本の今の前提からすると二人が異性である蓋然性が高いという読み取りが生じるっちゃ生じるんだけど、強い根拠にはならないよね
ア兵には母がいて、とかいたけど、父は母がいたという体でいるけれど、ア兵のほうは(少なくともカッコ内の語りは)自信がなさそうだ p129「(そういえば、母のことが思い出せない、ほんとうに母などいたのだったか」p130「(ほんとうに母とやらに」
父がこの街を作ったという設定の本当らしさと嘘らしさ(おそらく語る視点によって異なっている)
この街のリアリティラインもですね。イオンモールとか書いてあるからいやらしいんだが、本屋が無限スクロールしたり、一点透視の商店街の消失点、とか、無限遠の太陽から光が届く、とか、つくりもの感を所々に出している感じがある
街路樹の果物が食えるのとかもゲームっぽい
予感はさせてくれるんですが、尻尾がつかめないんですよね。最後に全裸の男の銅像が出てくるところで「父にはこの世界の創造権がある?」と思わせてくれるんですが、これが決め手で良いのかと思うところもあり。
リスペクト先
タイトル「子供たちのための教本」
ドナルド・バーセルミ『死父』(柳瀬尚紀訳)(原題:The Dead Father)
読んだことないけど、死んだ父を墓穴に連れて行くらしい(?)
作中に「息子たちのための教本」(A Manual for Sons)という章があり、もとは独立して発表された短編が取り込まれる形となっているらしい
だからこれが説明書要素であると同時に、でかくなる父を墓へと運ぶという要素だろう。
紹介文
高橋源一郎『さようなら、ギャングたち』
読んだことないけど、役所から死亡予告を通知された子どもを墓地に連れて行くという要素があるようで、その部分が子どもではなく父という形で引かれているのだろう。
エピグラフ
円城塔「良い夜を持っている」
読んだことないけど、異常な記憶能力を持った父親が、物事を彼の頭の中の都市のなかの事物と関連付けて記憶するみたいな話のようだ。
父が都市を創造しているという要素だろう。
鴻上怜「沼妖精ベルチナ」 
一言
説明書要素は……ない!
説明書要素が薄いので「社会を識る」という補足をつけてみたのですが、姑息なエクスキューズはよくない気がしたので最終的に削除しました
ISMSとかeラーニングとか、体温報告とか、数え切れないちりばめられたダメ総務・情シスしぐさが面白すぎる
アクションとバイオレンスが飄々とした文体によって綴られていて、何箇所も笑いどころがありながら、最後はハッピーエンドで締めるのが憎いですね。ベルチナかわいい。闇のジブリが映画化しそう。
とにかくまず文体が良くて、講談みたいな語りで無限に繰り出されるホラを読んでるだけで楽しいのがいい。こういうのが書きたいんだ……
あと鴻上さんがこうやって醸し出すサラリーマン的ダルさはいつも好き
めっちゃウケました。全体がユーモアに覆われているけれども、物語の土台が労働と人生過ぎる……。
出てくるものが全体的にぬめぬめしている。
細部
「もいもい食べはじめる」のいいな
のんのん、じゃないという工夫
https://d21.co.jp/akachan-ehon/
「オッドラときたらたいしたもんだ。」という最初の一文と「もいもい」でこの小説の雰囲気がみごとに提示されたな、と思いました(もいもい以外も全体的にオノマトペが良い)
ISMSを遵守するババアでめちゃくちゃ笑いました。
「eラーニングで学んだろ?」良すぎる。
物理的な情報セキュリティ対策。こういうのに弱いです。ああ面白い。
アクションシーンが上手すぎて、モーションまで想像できてしまうのが悔しい。
ベルチナに肉と骨が詰まってふくふくしているのは……→いい!
いいところを書き出したらキリがなさそうなのでやらないぞ
なにかと出てくるオッドラの自由気儘新入社員ぶり
「死と太陽を直接見つめると目がつぶれるから、労働というサングラスで保護してやる必要があるのだ」が名言すぎる。
あらすじ文の「そしてそれとは関係なく」ずるすぎる。実際本当に関係ないし。
構成をざっと見ていこうのコーナー
p162「オッドラときたらたいしたもんだ。朝」〜
出社、データがぬるぬるになるトラブル
NULLs propagateってことでいいんだよな!?
こういうのをネタとしてメインにするのかと(あらすじ文での言及も含め)思ったらサクッと流されるのが良すぎる。
電子粘菌ってなんだよとかいろいろ言いたいことが多いんだが、それにつけてもダルダルの職場感が最高
ちなみにこのへんの「オッベルと象」オマージュはとくに別にどこにもかかってないですよね?なんなのもう!
「デウスに誓って」とかあたりの雰囲気くらいか?
宮沢賢治のあの作品も、象がブラックな労働をさせられる話なので、孤独な老象辺りでかかっているはず…
p166「オッドラときたらたいしたもんだ。内勤のくせして」〜
サーバー室に入り対処しようとしたらサーバ(ー)やまんばと遭遇し、追い返される(主人公の諦めが早いのもダルい感じでいい)
途中でダークソウルになるところとかいろいろ言いたいことが依然多い
老婆が退職再雇用の平社員とはいえ重役と昵懇かもしれんみたいな下りが良すぎる
p171「どのみち今日は仕事にならないから」〜
残業のうえ帰宅。ベルチナ登場、餃子、フェラ、そして我に返る
ベルチナの描写に主人公のドルオタ性が滲むところとかいろいろ言いたいことが依然多い
さっきの「同僚老婆を殴っちゃまずいよな」の我に返りの相似形としての沼妖精に舐めさせたらまずいよなの我に返り方!
p179「ヨギボーを掌底で押し込み」〜
主人公のしょんぼり、沼妖精は印旛沼の妖精である、印旛沼を襲う地上げと妖精婆率いる反対運動、その婆を探している、婆の道は婆
婆の道は婆ではないんよ
地名とか固有名詞のズラし方がいちいちずるい
p184「翌日、俺は」〜
ベルチナを伴って出社、おかげで職場でちょっといざこざ
このへんのなんか妖精とか学校に連れてきちゃったドタバタ的なやり口が良い
p188「サーバ室へ通じる」〜
ベルチナを伴ってサーバ室へ、セキュリティの観点からババアの攻撃を受けベルチナが死亡、主人公もピンチ!、一人情シスのヘモトにより助けられる
「何って、マシンを強制終了しただけだが?」をはじめいろいろ言いたいところが多い
p193「俺は地上へ戻ると」〜
業務への復帰、終業ののちベルチナを想い苦しむ主人公、オッドラに誘われてラーメンへ、オッドラによるベルチナの復活
いや!なんかいい話ふうに締めるんじゃないよ!
ベルチナシスターズが普通にかわいいんだよな
cydonianbanana「閲覧者」
一言
みんなだいすきメタ構造。
1:1地図、ヘッドセットの説明書、本書の説明書と説明書の多層構造が作られているのに貫禄がある。
描写しまくり系がしっかりできる体力、すごい。
タイトルからしてかっこいい。
感覚的なことをいいますが、潜っていく感じが気持ちよかったです。
ストリートビューの棒人間を地図へぽんと落とすあの感覚
視点を担う対象にの心的描写を排し、純粋なカメラとして作品全体を眺め回すスタイルはハードボイルド風でありつつも、選択したオブジェクトやシチュエーションにどこか回顧的で懐かしさを呼び覚ます効能があり情緒が失われてもいない。細部に神が宿ってる。物語構造を引っこ抜いて、物語の説明を試みたまさに「物語の説明書」だと感じました。すごい。
「覗き込む(=作中作に移行する?)とインデントが一段下がる」の使い方がうまい。最後できっちりおっと言わせてくれる……
これを軸にちょっと内容まとめたい気持ちがあります
インスパイヤを感じたもの
作中作に潜る、潜る、潜る、ドーンみたいなのはインセプション感
VRの多層性や、ヘッドセットを外すという行為への注目は、PROJECT: SUMMER FLARE感
そのワールド性というかVR的な題材を地図の話と作中作の議論に結びつけて小説としての強みというか特徴に繋いでいるのが良いですね
細部
細部に神が宿ってる。何度でも書く。
小説における情景説明のパラグラフ、その作法をレイヤー化して表現しているのが技法として新しい。私も感覚としては無意識にやっていることだけど、大枠から細部へと向かう描写の手法を字下げというかブロック分けで詳らかにしているのが「分かる」って感じでした。
「いま、あなたが見ているその地図、わたしが立っているこの場所は〜」から「たまらずヘッドセットを」へのジャンプが読み手の視点を物理的にジャンプさせている。そしてまた次のパラグラフで「潜る」。このジグザグ加減がたまらない。
文章に点在するこの切れ込みのちょうど境目の描写が好き。長すぎるエレベーターとか、バス停とか。モンタージュを多用した古いソ連の映画みたいで好きです。
構成をざっと見ていこうのコーナー
p204「盛夏の日射しと」の段落
レイヤ0(便宜的にここをいったんレイヤ0とする。部屋の外)
p205「玄関の中は」〜
レイヤ1(部屋を進む視点)〜2(仕切りの奥や棚の中、置かれた説明書の中など)の行き来
男性の一人暮らしのように見える
っていうかばななハウスすぎるだろ!!
https://cydonianbanana.net/2022/02/06/%e8%87%aa%e5%ae%a4%e3%82%a4%e3%83%b3%e3%83%86%e3%83%aa%e3%82%a22022/
だからばななハウスをフォトグラメトリでVRChatのワールドにして閲覧者ワールドとして公開して欲しい
内側から鍵がかかった扉(レイヤ1)のむこうからくぐもった女の声がする(レイヤ2)
あとのほうでも女の声が出てくる
ウイスキー棚(レイヤ1)に並んでいる瓶のラベル(レイヤ2)から未来っぽいことがわかる
ただここは基本的に実在のウイスキーの名前っぽい?(「UMC2273〜」から出てきたりはしてねえ)
董啓章『地図集』からの引用(レイヤ2):ボルヘスの縮尺一分の一地図の話。考察ポイントだ
読んだことあるはずだけどぜんぜん覚えていない。っていうか、この 『地図集』-「学問の厳密さについて」-『賢者の旅』の(引用もしくは作中作による)重層構造がそもそも本作全体の示唆にもなってるのか
p212「《……作中作とは」
レイヤ2(部屋にあるコンピュータの画面上)
原寸地図についての話。ここも考察ポイントだ
emacsおじさん
p215「書斎の机に載っているものは」
レイヤ1(部屋にあるヘッドセットの描写)〜レイヤ2(ヘッドセットを被って見るなかで映写機)〜レイヤ3(映写機の映し出す映像と女の声)
レイヤ3の女の語りも考察ポイント
ファムファタール感
レイヤ3の最後で炎→レイヤ2の映写機も燃える→レイヤ1の部屋にも煙
p220「もうお気づきのことと思いますが」
いきなり3段階落ちて、ここまで出てきていないレイヤ4
「出口を」ということで、逃げてね的なことを言われる(お前は誰や)。このへんの語りの内容も考察ポイントだ
p220「たまらずヘッドセットを脱ぎ捨てると」
そしていっきにレイヤ0に上がる
冒頭では「屋外=レイヤ0、部屋のなか=レイヤ1……」であったが、ここでは「冒頭から一貫した描写をVR内と捉えなおしたときの、そこからヘッドセットを外した状態」がレイヤ0になっている(「レイヤ0」でインデックスした先がズレていることに注意)。これ言ってること伝わるか?
これは脱ぎ捨ててるヘッドセットが違う(一段上)のかもと思ったけどどうですか?
いや、むらしっとさんはそのことを書いてるのか。
ここはここまでのレイヤ1の「部屋のなか」と同じ部屋のなか(だが煙は出ていない)。「次の地図の記憶から」と言うとおりである
p221「踏み出した足が」
レイヤ1だが、先ほどの部屋(レイヤ0)との「ズームイン/アウト」関係が(すくなくとも一見)ないように見える。もちろん最初のほうからの「レイヤ1」ともまた別
「次は出口、出口」
いつもの伊豆要素
実際に伊豆市に出口という地名・バス停がある
p221「目の前に」
(空行を挟んで)レイヤとしてはマイナス1相当(本書の版面の上端より上から始まっている)
説明書を読んでるのにレイヤが変わってないとか、最初のほうで出てきた説明書とちょっと組み方が違う(階層でのインデントもあるし、空行も入ってる)とか
煙が出てるんですけど→お近くの非常口へ
目次の横のページの火気に注意っていうのと繋がる
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nejiresoukakusuigun · 7 months
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よだつ
すべての恐ろしいことどもは、ぼくらの頭の中に棲んでいる――身の毛もよだつ、異彩の《毛》ホラー短編アンソロジー!
文学フリマ東京37(2023/11/11) | き-35
ジャンル
《毛》ホラーアンソロジー
収録作品
01 「えいべさん オーディオコメンタリ版」 cydonianbanana
撮影後に監督が失踪を遂げたことで知られる幻の短編ホラー映画『えいべさん』――このたび、お蔵入りとされ長らく存在を忘れられてきた本作のオーディオコメンタリー音源をとある筋から入手しました! 入手元からは止められていますが、文化的価値を鑑み、こっそり書き起こしたものをここでミナさんにコウカイしたいとオモいます。
02 「カルマ・アーマ」 小林貫
マヨギさんが見ている。その細い目でじっとぼくを品定めして、うすら笑いを浮かべている。遅効性の毒のように、気づけばぼくの生活はマヨギさんに侵されている。
03 「取材と収穫」笹幡みなみ
こんばんは、突然のDMですみません。実は今、秋の文学フリマ東京に向けて毛に纏わる怪談を探しています。■■さんが怪談をされてるのを最近偶然知りまして、もし何かご存じでしたら教えていただけないかと思ったのですが……。
04 「恢覆」国戸醤油市民
不慮の事故で五年以上植物状態となってしまった私に新たな治療が試みられる。世界ではじめての治療はうまく行くのか、どうなるのか。でも大丈夫。全部うまく行くよ。僕を信じて!
05 「毛想症」 Garanhead
その男は女性の長い髪を愛好する。手で触れ撫でて、頬擦りし、香りを吸い……そんな悦楽に浸っていた。身の毛もよだつような猟奇的な手段を用いて。しかし彼はその代償に疲弊し欲望を封じて生きると決めた。穏やかだが何処か物足らぬ日々。そんなある時、彼の前に同じ嗜好を持つ女性が現れるのだった。
06 「きざし」 鴻上怜
――僕はハゲつつあるという残酷な事実へ立ち向かう。
07 「新田くんのこと」 石井僚一
とある朝、初めての出社を前に、鏡の前で新社会人��新田くんは髪の毛をセットしていますが、そこからあらゆる方向に回想&内省は巡り、めくるめく非現実&現実世界へ。髪の毛をとりまく愛と暴力と時間と虚無のサイコスペクタクルホラー小説が今ここに。
執筆者
cydonianbanana(website)
小林貫(X, website)
笹幡みなみ(website)
国戸醤油市民
Garanhead(X)
鴻上怜(Bluesky)
石井僚一(website)
表紙イラスト
全自動ム��大陸(website)
仕様
B6判、148頁
価格
¥1000
刊行日
2023年11月11日
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アドベントカレンダー2022終結に寄せて
敷島梧桐
ねじれ双角錐群とはなんなのだろう。
このサイトの「About」ページには「文芸同人ねじれ双角錐群は、ホラー・怪奇小説を志向する創作群です」とある。「創作群」という言葉の捉え方に少し幅があるように思える。
ひとつには、創作を行う人たちの群であるとする解釈。この場合、創作団とか創作衆とか呼んでも同じような意味になる。
もうひとつには、創作された作品の群であるとする解釈。この場合、小説誌やこのサイトに掲載されてきた作品の総体をねじれ双角錐群と呼んでいることになり、またねじれ双角錐群というものの存在自体がある種の創作群であることを仄めかしてもいる。
わたしはねじれ双角錐群のいち群員であるが、実のところ、これまでこの文芸同人に作品を寄稿してきた人々と面識を持ったことがない。わたしたちは小説誌を頒布するため、年に数度開かれる蚤の市に出店するのだが、東京はわたしが住んでいる場所からアクセスが悪く、現地で参加する機会に恵まれてこなかった。
それが今年、ちょうど仕事の休暇と重なっていたこともあり、初めて現地へ行くことができた。飛行機を乗り継いで会場へ辿り着いたわたしは、ねじれ双角錐群のブースを探して2つの会場を練り歩いたのだが、不思議なことに「ヲ−137」という番号のブースはどこにも見当たらなかった。ときおりわたしたちの新刊を手に抱えて歩く人とすれ違ったから、ねじれ双角錐群が出店していることは確からしい。それで1つ1つのブースをしっかりと検分しながら会場を2周、3周と捜索したのだが、どうしても見つけることができないのだ。急に怖くなってメンバー間のやりとりに使っているDiscordを開いたところ、彼らはその日の打ち上げの算段をはじめており、鴨肉がどうとか言っている。こちらからメッセージを送ろうとしても、ネットワーク不良のためか、エラーが出てままならない。それでわたしは怖かったり情けなかったりで、そのまま会場を後にし、帰りの航空便を繰り上げて帰途についたのだった。
そういうこともあって、わたしはいまだにこの文芸同人に参加している人々の実在性を、本当の意味では確信できていないのかもしれない。まったくすべてが虚構であるとは思わないまでも、本当は存在しない人がひとりくらい紛れ込んでいたり、そういうことがあってもおかしくないような受け取り方をしている。このような形で、わたしはねじれ双角錐群が「創作群」であるのだと捉えているのだろう。
いまあらためて、これまでわたしがこの同人へ寄せた序文を読み返してみると、ずいぶん大仰な文章を書いてきたものだと少し照れくさくなる。とはいえ、怪談の序文を砕けた調子で書くわけにもいかないから、この点は仕方のないことだ。むしろ序文ばかりを続けて読むという行為の側に問題がある。ちなみに最近の同人内のやりとりで、たまには怪奇小説ではなく違うジャンルをやろうという気運が高まってきている。来年の今頃には、SFテーマの小説誌を出しているかもしれない。そうなるとわたしも、多少こなれた文体で序文を書くことができるかもしれない。来年なにが起きるか、わたしたちもまだ分かっていない。
12月いっぱいにわたって続いたねじれ双角錐群アドベントカレンダー2022は、記事を落とすこともなく、本日無事に終えることができた。いかなる形であれ、わたしたちという枠組みの中で書かれ・作られたものの総体がわたしたちであるということを踏まえて、来年以降もわたしたちは少しずつでも形を変え、あり方を変えていくことができたらよいと思っている。
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そとでねむる ~ゆる野宿のすすめ③~
鴻上怜
ゆる野宿がどんなシロモノなのか、そして何を注意するべきなのか。 前二回(①、②)を踏まえたうえで、実際にぼくがどんな流れで野宿しているかを話しておこう。
まず、最初に行うのは候補地探し。 実際に山や森へ入ると痛感するけれど、自然の地形でフラットな場所なんてほとんど存在しない。 平らな地面というのは、人間が意図的に手を加えないとほぼ成立しないものだ。 だから自然のなかでは、斜めでない土地、岩でごつごつしていない土地を探すのもひと苦労。 冒険気分で野営適地をやみくもに探すのも楽しいけれど、 ぼくは地理院の地形図を読んでおおよその目星をつけている。 地形図の等高線の間隔があいている場所は傾斜がゆるく、適地となる可能性が高い。 近くに人家がないかもわかる。 前回言ったけれど、周囲に人がいるかどうかは超重要だ。
つぎに水場探し。 なるべく川の上流の、淀んでいない清流の水を汲み、浄水器でろ過して活用する。 生水をそのまま飲むのはおすすめできない。おなかを壊す可能性が高いし、 もっと恐ろしいのはエキノコックスへの感染だ。 北海道では昔から恐れられてきたけれど、最近では本州でもエキノコックスが検出された。 野生動物を介して広まる性質上、どこまで広まっているかは未知数なので、 中空糸膜が使われた本格的なフィルターでろ過した水を利用したい。
場所と水の確保が済んだら、ようやく設営だ。 適当な間隔のあいた二本の木にハンモックストラップを結び、ハンモックを設置する。 頭上にロープを通し、その上からタープをはる。 そして汗拭きシートで体を清めると、寝巻に着替えてまったりとくつろぐ。 以前は焚火もしていたけれど、最近は面倒なのでガスストーブでの調理だ。 バーボンをあおりながら、アルミ鍋でコトコト鶏の水炊きなんかを煮込み、 薄墨を流しこんだような暮れなずむ雑木林の景色を眺めては、 ふーふーいいながらあつあつの鍋を食べる。 夕飯がすんだらあとは寝るだけ。 Amazonプライムでダウンロードした映画を観たり、 イヤホンでアンビエントミュージックを聴きながらハンモックに揺られたり。 山の冷たく静かな空気を頬に感じながら、太古の光で星々のきしむ夜空を心ゆくまで眺める。 この分なら明日はきっと晴れるだろう。 帰りのバスは何時だったかな。 まあ、そんなのはどうとでもなるか。 今はただ、誰もいないぼくだけの静かな夜を楽しもう。
鴻上拝
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四季の帯紐
Garanhead
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乗降場
murashit
 ときおり、あの夜の記憶がよみがえってくる。
 夜風にコートの前をかきあわせたわたしは駅のホームに立っていて、残業の帰りだか飲み会の帰りだかも判然としないけれど、ずいぶんと遅い時間ではあるようだった。もうひとまわり厚手のストッキングにしておくべきだった。酒の入った気分でもないから前者と覚えるものの、あるいは後者で酒気を冷まされただけかもしれない。
 高架に乗った小綺麗なホームを見るに、私鉄、郊外、そういった立地らしく、遠目の先には街灯がぽつぽつとしている。ときおりのクラクション。駅名表示の看板も時刻表もみあたらず、そこの階段を下りればなにかわかることもあろうかと思った。けれどどうにも億劫だ。このように憮然と立ちつくしているからには、きっとやってくる電車に乗るだけなのだ。
 菱川と別れた日を思い出す。葬儀場はおなじような私鉄沿線にあった。終えて、そのまま帰る気にもならず、駅前に見つけたバーでぐずぐずし、遅くなってからこんなふうに電車を待ったのだった。菱川がまとわりついていたような心地がしていた。この夜より前のことだったろうか、それともあとのことだったろうか。あるいは当夜まさにその菱川と会っていたのかもしれない。
 かつかつと固い音が響いたと思ったら、女がひとり階段をのぼってきた。階段に見えたときからむこうに立ちどまるまで、いやそれからもずっと、スマートフォンをぽちぽちとしている。階段を挟んで反対側のわたしからは顔も見えないが、うしろ姿から判ずるに若い女のようだった。こちらには気づいていないらしい。ふと、ここはどこかと尋ねようと思いつく。けれど、見知らぬ人間にとつぜん話しかけられても迷惑だろう。そもそも電車を待ちながら、ここはどこかもないものだ。そう考えてやめにした。
 ふたたびしばらくの無音ののち、左のむこうのその遠くから、電車のうなりが届く。ちかづいてきたそれは、減速する様子もなさそうだった。つまり急行だか特急だかで、ここはその通過駅なのだろう。ヘッドライトのまぶしさにおもてを下げているうち、強い風とごうごうという音で、車体が流れてゆくのがわかる。むこうの線路を走っていたから、わたしの目当てはきっと右側から来るのだと思った。通りすぎたのを見はからって顔を上げ、その方向をちらと見やった。
 先ほどそこらにいたはずの女が消えていた。
 怖気の立った気がした。女の消えたことにおののいたのか。けれど、考えてみればたいした話でもない。気づかぬうちに、電車の通りすぎるうちに、また階段を下りたに違いなかった。トイレに行ったとか、そんなところだろう。階段を照らす蛍光灯に群がる蛾たちを眺めつつ、わたしはそう思った。
 実際、しばらくして女は戻ってきた。あいかわらずスマートフォンをぽちぽちとしている。たいしたことでもなかったはずだが、それでも心細かったのだろう、どこかほっとした心地がした。どころか、さらに高じてむやみに気持ちが大きくなってしまったらしい。わたしは女に話しかけてみようと思った。女はまだスマートフォンに夢中で、きっとわたしに気づいてはいない。ゆっくりと近付き、警戒されないよう、にこやかな笑みを忘れないように。しぜん後ろから声をかける形になるのはしかたがない。次の電車はいつごろ来るんでしょうか、とでも尋ねるのだ。
 すみません、と発したわたしの声に、しかし女が気づく様子もない。イヤホンでもしているのだろうか。いや、そういうわけでもなさそうだ。仕方がない、まさかのっぺらぼうでもあるまいと、わざわざそんなことを考えつつ、スマートフォンにむいた女の顔を覗き込んだ。
 そのとおり、のっぺらぼうではなかったけれど、 女の視線は動かぬままで、こんなに近くにいるわたしに気がつかない様子である。手を振ってみる、ふたたび声をあげる。けれどやっぱり気づかない。肩をゆさぶってやろうか。さすがにそれはまずかろう。
 女にまとわりつくようななりで逡巡するうち、電車のうなりがまた届く。さきほどと逆方向であるからして、わたしと女の乗るべき電車に思われた。だんだん減速している様子だった。わざわざ尋ねる必要もなくなったわけだ。ぼんやりとしたアナウンスの聞こえる気がした。降車すべき駅はいまだ思い出せなかったけれど、乗ればなんとかなるのだろうと思った。わたしはまだ女の顔を覗きつづけていた。どこかで見覚えのある顔に思えてきたからだ。まじまじ見たところで、どうせ気づきやしないのだ。
 停車し、わたしはいまだ女の顔を見つめ、女はいまだスマートフォンを見つめていた。ホームドアと電車のドアが同時に開く。わたしはようやく姿勢を戻した。こんな時間だというのに、車内はたくさんの人でひしめいていた。
 そして、そこにいる全員が、わたしを見つめていた。ドアの向こうの人間たちも、窓ごしに見える人間たちも、そこにいる全員が、手前のものはわざわざ振り返ってまで、わたしのほうに顔を向けていた。目玉をこちらに向けていた。曖昧なアナウンスがして、ドアが閉まった。電車がすべりだす。後続する車両に浮かぶすべての目玉が、わたしを見つめていた。加速にともなって視線は曖昧になってゆく。動けなかったのだと、テールライトを見送りながら気がついた。女はあの電車に乗っていったらしかった。
 それからわたしは、ずっとこのホームで電車を待っている。覗いた顔は、いまでは菱川の顔としてしか描けない。
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ことばの中にだけあなたがいた
石井僚一
 幸せになる方法が余すところなく書かれた分厚い本を一生をかけて読み終えたところでその人は息を引き取った。
 故人のメールアドレスの受信トレイのいちばん上には「あのときはありがとうございました」という件名のメールが未読のままある。
 男は歩きながら世の中への不満をひとりでぶつぶつとつぶやき続けているが、風以外にその声を聞き取るものはない。
 天井からとめどなく流れくる血液を手のひらで受け止めているあいだここから動けない。
 自分の感情を紙にしたためて売り渡したお金で感情以外のすべてを手に入れた男が、数十年ぶりに感情をしたためたその紙を買い戻したが、その瞬間から男の涙はずっと止まらない。
 失ってしまったものを箇条書きしていたら窓の外に季節がめぐっていた。
 嘘しか言うことしかできない男が好きな人を前に「人間はいつか死んでしまうけれど……」という前置きから愛について話しはじめた。
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そとでねむる ~ゆる野宿のすすめ②~
鴻上怜
さて、前回、この企画がゆる野宿であると判明したその続きからだ。 野宿をする上で、ぼくが大切だと考えるポイントがいくつかある。 順番にみていこう。
まず前提として、野宿をするのは人目につかない場所であること。 キャンプ禁止とうたわれている場所はもちろん、それ以外の土地だって誰かの所有物だ。 森の中で地権者に見つかる可能性は低いけど、もちろんゼロじゃない。 トラブルをお望みじゃないなら、野宿中は誰にも発見されないくらいの心意気を持ちたい。
公園の中でテントをはって生活するのは公園条例違反として見とがめられても、 公園内のベンチで座って休憩するのは通常利用の範囲だ。 それなら、ベンチに座ったままもくねんと一夜を明かすのは野営か? 通常利用と野営はどこが境界線なんだろう。 他人とトラブったときの言い訳を、つい考えてしまう。 野宿はあくまで長めの休憩だと強弁できないだろうか? それか、刑法で定める緊急避難を適用した一時的なビバークとか?
…もちろん、そんなのはただの屁理屈だ。 道理がないから、納得してくれるかはあやしい。 でも野宿というグレーな行為は、この屁理屈の延長線上にあり、 世間からかろうじてお目こぼしされているのは忘れてはならない。 ゆえに後ろめたい野営者は、人目をはばかり世をしのばざるをえないのだ。
そしてつぎに考えることは屋根があるかどうか。 そとで眠るのに軒下へ逃げこむなんて意気地がない、なんて言わないでほしい。 満点の星空の下で眠るのをカウボーイキャンプというけれど、 これは気候が比較的安定した土地だからできることで、 国土の大半が温暖湿潤気候である日本ではなかなか難しい。 なにしろ全国平均で年に120日近くも雨が降るんだから、どだい無理な相談だ。 外で寝るには何がしかの雨に対する自衛策が必要になってくる。
ぼくが野宿するときは、だいたいタープをはる。 重量わずか300gくらいの薄いナイロン布一枚だけれど、 よほどの横殴りの豪雨でもなければこれ一枚でこと足りてしまう。 雨粒がタープを叩くぽつぽつという音を聴きながら、 ハンモックに揺られてうとうと微睡んでいると、野営っていいなと思う。
ただし、タープは雨には強いけれど、虫からの攻撃には無力なので、 血を吸う虫が発生する時期は、森林香などの強力な忌避剤が必要になってくる。 そういう意味では、第三の注意点として虫への耐性もあげられるかもしれない。 虫が苦手だと、そもそも野外で寝ようなどと考えないかもしれないけれど、 全身刺されてぼこぼこに腫れあがるのを防ぐためにも、 しっかり各種対策(虫よけスプレーや虫刺されの薬)を用意していきたい。
鴻上拝
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同期処理
小林貫
 ひさしぶりにまとまった休みが取れたので、わたしは母B、母E、母F、母Gを温泉旅行に招待した。どうしても都合がつかず不参加となった母Cのことは残念だが、四人の代替母たちと過ごすゆったりとした時間をわたしも心待ちにしていた。
「そうだ、みんなでトランプでもどう?」  風呂をあがり、地産の懐石料理を堪能して一息ついているところ母Eが提案した。 「こんなこともあろうかと」と母Gはバッグからトランプを取り出してわたしによこす。わたしがひとり暮らしをはじめるときに実家から持ち出した、幼少期から使っているボロボロのやつだ。ケースからカードを取り出すとすこしだけ実家のにおいがして、代替母たちとの存在しないはずの記憶がフラッシュバックする。 「ババ抜きにする? ババばっかりだけど」  母Fが飛ばしたジョークにわたしたちは思わず笑い声をあげた。
 母Bにジョーカーを引かせていち早く上がったわたしは、代替母たちのゲームを微笑ましく見守った。真剣な表情でカードを引き、大げさなリアクションをとる代替母たち。何気ないこの瞬間、まぎれもなく彼女らはわたしと血の繋がった家族であり、わたしの腹の底から湧きあがるそれはおそらく「愛情」なのだろうと理解した。  わたしは代替母たちを愛していて、だからこそ彼女たちの死を待ち望んでいる。本来なら一度しか経験しないはずの母親の死、それを代替母たちによって何度も何度も経験することで、わたしは悲しみに耐え、心を強く保ち、残された者の気持ちをあらかじめ知ることができる。しかしこうまで周到に準備をしてなお、わたしはいずれ訪れる実の母の死が怖くて怖くてたまらず、いまだって、そう、母……お母さんのことを思い、いつしかそのやさしい笑顔が失われ、思い出せなくなってしまわないかと、吐きそうなほどに不安なのだ。
 気づけば母Fと母Gが上がり、母Bと母Eの一騎打ちとなっている。 「せっかくだから、負けた方は罰ゲームってことにしない?」手元に二枚残ったカードを意味ありげにシャッフルしながら母Bは言う。 「私はかまわないけど、どんな内容?」 「負けた方は、いますぐアキちゃんの母親を辞める」  ひび割れたガラスのような緊張がわたしたちを分断し、上の階でドスドスと子供が走り回る音が響いた。 「母さん、それは——」母Bはわたしを制止する。 「やあねえ、ジョークよ! ジョーク!」  緊張と緩和。わたしたちは一斉に吹き出した。笑いすぎてお腹が痛くなるほどだった。 「もう、やだわあ」母Eはカードを引く。ジョーカーは母Bの手元に残り、ゲームが終了する。 「さて、私たちはもうひと風呂浴びてくるけどアキちゃんはどうする?」 「疲れたから部屋で休んでるよ」  肩にタオルをかけてにぎやかに部屋を出ていく代替母たちを見送り、なんだかママ友みたいだなとわたしは目を細めた。
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新宿、午前五時、始発、各駅停車伊勢原行
Garanhead
 俺は金曜の朝から新宿にいた。台風接近のニュースはあったが、どうしても教科書をつくる会社に行くつもりだった。先週、電話で内々内定をもらったはいいが、辞退する気でいたのだ。少なくとも先日の俺はそうだった。代々木八幡駅を通過する俺はそうだった。快速急行新宿行きでまどろむ俺は。夢の中で意気込んで気分を高揚させていた。  寝ぼけて固めた決意は、春の昼頃に見せられる夢のようにいともたやすく流れてしまう。溶けたことも分からない。その日の明け方に降った雪に混ざり、どこへ行ったのかも分からない。  ゴールデン街と言われればゴールデン街だし、そこは微妙にゴールデン街ではないと言われればゴールデン街ではない、そんな半端な場所に建つ居酒屋で夜通し飲んだのは安酒で長く居られたからだ。イタリア人が暴れていた。何もおかしくないのに俺はそいつを笑っていた。台風のせいにして俺は内々内定を蹴れなかった。
 各駅停車で代々木八幡を去る俺は、少なくともアルコールではない何かにこっぴどく負けて、ひどい気分だった。  結局俺の未来はこの各駅停車にあった。一番のろいが、一番早くどこかに辿り着く電車に乗っているのがいい。伊勢原までは誰も俺には追いつけない。  昼も夜も景色の変わらぬ地下駅は東北沢。  誰かが降り席が一つ空いたので俺は座る。  人と人との間に挟まる形になるが、安酒で足腰がへろへろなので、座席があるだけでありがたい。  内々内定はありがたいのだ。これが欲しくて涙を飲んだ人がきっと何百人もいるだろう。とは言え、顔は一人として思い浮かばない。グループ面接の時のあの筋肉質の女の子も今はもうちっとも思い出さない。あの子とオフィスで働く夢まで見たのに。  あの子と下宿のベッドで目を覚ました時、俺は小田急ロマンスカーミュージアムに遊びに行く夢が頭から離れなかった。あの子とあの子の子供と俺で海老名に行き、小田急ロマンスカーミュージアムでジオラマを前に青木慶則の「セブンティ・ステイションズ」を聞きながらぼんやりしてもいい。  乳房をブラに詰め込む彼女をぼんやり見つめながら聞いた音は、竜巻インバーターの悲鳴だったろうか。
 代々木上原で隣の席が空いた。ロングシートの端はオセロの端くらいに優先して取るべき場所だ。急いで尻を持ち上げようとしたが、そこに小さな影が滑り込んできて俺は席を取られる。  青いリュックを背負った少年だった。始発電車とは縁遠い、違和感のある存在だ。怪我しているのか三角巾で左腕を吊っていた。文句の一つも言いたくなるが、相手が幼い少年であるという事実と、負傷を抱えているという現実が、俺の口元で鬱陶しく飛び回っていた。  また電車が走り出す。すると、少年はリュックからPSPを取り出して遊び始めた。左腕は動かないが指は動くらしく、胸元に引き付けて手の平で機体を包み込むように持ち、アナログスティックを器用に摘んでいた。  もしやと思って覗き込むと、やはりモンハンだった。しかも俺が中学生の時にやり込んだ2ndGだ。何でいまさらこんな過去作を。今はニンテンドースイッチでもっと何バージョン先の未来のモンハンが出ているのに。  少年は癖のある立ち回りをしていた。俺の知らないモンハンの動きをしていた。周りに教えてくれる大人がいないのだろうか。日本の教育はどうなっているのか。  少年は低い声で「覗くなよ」と凄んできた。やけに貫禄のある言い方だった。俺は謝りもせずただ背筋を伸ばした。  が、やはり気になって、ちらちらとゲームを観察していると、少年が舌打ちをしてきた。お節介かもしれない。しかし、俺はこのゲームが粗雑にプレイされていると我慢ならないのだ。何かアドバイスでもと思ったが、ちょうど電車は豪徳寺に停まり、少年は歩きPSPをしながら下車していった。駅員よ、注意をしろよ。  ガンランスは砲を使わなければいけない。突いて下がるだけならランスを使えばいいのだ。そんな助言をするべきだったか。しかし、冷静になれば、俺も最初はガンランスを使い出した頃、似たような立ち回りをしていたのを思い出す。もし、あの過去で俺のような年長者が口を出してきたら、あの時の俺は従っていただろうか。いや、きっと同じように舌打ちをしていたはずだ。だからこれでいい。良かったのだ。  このまま始発に乗り続けていいのか。  引き返して内定を辞退するべきではないのか。  もし、この電車に未来の俺が乗り込んできて、俺の隣に座り、そう助言してきたらどう受け取るだろう。不快にはなるだろう。なるだろうが、一考はすると思う。一考はするけれどやはり確実な未来を選択する。このまま座席に居続けるだろう。わざわざ座った席を手放して、次にいつ座れるか分からない空席を待ちたくはない。  本当に?  次の経堂駅で男が乗ってきた。左腕にギブスを巻いていた。スーツ姿で俺よりも一回りは年上そうに見えた。俺はどきりとした。隣に座られて何か話しかけられたらどうしよう。どぎまぎしていたが、その男は窓際に立ったままスマホをいじり始めていた。  和泉多摩川で男はスマホをスーツのポケットにしまい、それから俺を凝視していた。まるで何か言いたそうに見えたのは錯覚だろう。が、だんだんと腹が立ってきた。心の中を見透かされているような気がして苛ついてくる。何でここまで不機嫌になってしまうのか。しかし、変に調子が狂うのだ。  やがて、登戸に到着して男は歩き出したが、降りる前に一度立ち止まった。俺の方を覗き見ていた。一秒だけ過去と未来の時を止めて、彼はそろりと下車する。何なんだ一体。俺は過ぎゆくホームを覗いた。あの男は改札口への階段に向かって歩き出していた。その背中はやけに憂鬱そうに見えた。  何かを言いたかったのだろうか。俺があの少年の雑なモンスターハンターを見るのと同じように、彼には俺がまずい人生の選択をしていると分かっていたのだが、「それを指摘するのはお節介だろう」と思って助言を控えたのではないか。
 一年。もう一年。本当に人生を考える時間があってもいい。俺の心は右に左に忙しなく揺れ続ける。次の一年こそは乗る駅も降りる駅も間違えない。そんな乗客になる。  そのために親にもう一年学費を払ってもらい、俺はこの始発から降りて、折り返しの新宿行きに乗り換える。そんな選択肢も捨てがたくなってくる。  新百合ヶ丘を通過し、柿生に着くまでに、俺の心は「ここで下車してやろう」という信念で塗りたぐられていた。引き返そう。新宿へ戻ろう。  近しい未来を覗く度、俺は遠くの過去がかけがえなく思えた。この先の自分を考える時間なんていくらでもあったはずだ。でも、大学生が社会人の自分を想像するというのは、まるで自分の葬儀で流れる音楽を選ぶくらいに現実味のないテーマだった。  三駅先の景色なんて三駅先に行かなくては分からない。そういうものではないか。  でも、終点が近づくたびに俺たちは降りたホームからどう振る舞うかを決めなくてはいけない。  町田に列車が滑り込んだ。俺はふらつきながら降りていく。そして、ホームの券売機でそのまま次のロマンスカーの切符を買っていた。完全座席指定制で小田原まで行ける。伊勢原という未来を飛び越えようとひとまず決めた。その電車に果たして俺は乗っているだろうか。もしも乗っていなかったら、大人しく俺は小田原でまたロマンスカーに乗って、新宿まで折り返していこう。乗っていたら話しかけて、一緒に温泉にでもいこう。箱根湯本までは近いはずだ。  俺は券売機の上にある料金表を見ながら、竜巻インバーターの音を見送る。  その列車は、始発。午前五時に新宿を出発した伊勢原行。僕の未来が乗っているかも知れない列車であり、僕の過去が降りなかったかも知れない列車だ。  ロマンスカーのあのミュージックホーンが聞こえてくるまで、どうしていようか。  慌ただしくなる前の町田駅で俺は、購入した切符の匂いを嗅ぎながら考えていた。
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そとでねむる ~ゆる野宿のすすめ①~
鴻上怜
これはなんの文章か? ひと言でいうなら、屋外で眠りたいひとに向けた文章だ。 安心安全な屋根の下をはなれ、森や山奥や公園なんかで眠る。 寝床を用意して、ピクニックみたいに外で煮炊きして晩ごはんを食べ、 そのままそこで眠って一晩すごすんだ。
なんでそんなことをするんだろう? 理由はひとそれぞれだ。 貧乏旅で金銭的な余裕がなかったり(ホテル代もばかにならない)、 じかに自然を感じたかったり(夏に蚊取線香なしで眠れば暴力的なウィルダネスが君を襲うだろう)、 星空を眺めながら眠りたかったりと、いちいち理由を数えあげればきりがない。 屋根の下の穏やかな日常から、屋根のないぴりっとした非日常へ。 見慣れた昼間の森から、あやしげな鹿の鳴き声がひびきわたる夜の森へ。 サラミをそぎ落とすようにして、少しずつ削られてゆく貴重な生の残り時間を惜しむでもなく、 ぼくはせっせと屋根のない場所へ眠りにゆく。
この国では、むかしから積極的な野宿が行われてきた。 俳人は草を枕にして寝そべっては、四季おりおりの自然を感じて句をしたためてきたし、 お遍路は各地の霊場をめぐる長い旅のなか、寺や宿坊の軒先を借りて疲れた体を休めた。 旅路のかれらは目的達成のための手段として野宿をしてきたわけだけれど、 野宿自体を目的とした活動も立派に存在していて、それがいわゆるキャンプというやつだ。
そう、キャンプ。 ぼくのやっている野宿は、たぶん大��なくくりではキャンプに含まれるんだと思う。 な��しろタープを張ってハンモックで眠ってるんだから。 世間一般(というのがあるとして)が思い浮かべる「野宿」というのは、 もっとこう、河川敷で段ボールを敷いて新聞紙に包まるような切実で殺伐としたものだろう。 そうしたストイックな野宿こそ真の野宿だと言われれば、まあそうかなという気はしなくもないけれど、 ここで語られるのはあくまでゆる野宿。 グランピングまで快適ではないにしろ、さまざまなアウトドア用品をもちいて、 それなりに楽しく、朗らかな気分で野外で一晩をすごしたい。 そんなエンジョイ勢寄りの目線で、まったりと野宿の魅力を語れたらと思っている。
鴻上拝
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虜囚図
cydonianbanana
「聞いたかね」下家が山に指を伸ばし、「昨日、北半球第四図が燃えたらしい」と一筒を切る。
 地図が燃えた?「それは、地図が稼働しているサーバーが燃えたって意味ですか?」ぼくは上家が切るのを待って尋ねる。
「いいや。文字通り、地図が燃えたのさ。後に残ったのは、風が吹けば崩れ去るのみの焦げた断片と、鼻を突く黒煙のにおいだけだったんだと」
 ぼくは窓の外に目をやる。地平線まで一面となった灰色の地面と黒い空が見える。この月面図がいま燃えたとしたら、ぼくらはどこへ逃げればよいのだろう。
「観世音、南無佛」下家がなにか呟きながら牌を切る。二筒だ。
「えぇ?」
「ほら、牌の横に刻まれてるだろ? 延命十句観音経だよ」
 言われて雀牌の側面を注意深く触ってみると、竹の部分にごくごく細かい溝が掘られていることに気づく。
「あ。これ、お経が彫られているんですか? またどうして」
「マニ車みたいなもんさ。牌ってのは初め山に積まれて、それから河へ流れていくだろう? 一局終われば河から再び山へと還る。この繰り返しだ。つまり、牌は循環しているんだよ。これほど輪廻転生的な回転運動を活用しない手はない。牌にマントラを彫っておけば、麻雀を打つだけでどんどん徳が溜まっていくって寸法さ」
「じゃあ、身心こめて打たなきゃいけませんね」ぼくは山から引いた中に掘られた経文を読み取れないかと人差し指を擦りつけてみるが、諦めてそのまま切る「こんな細かい文字、よく読めますね。ぼくには、なんとなく凸凹してるってことしかわかりませんよ」
「盲牌ができれば、そう難しいことじゃあない」
「なるほど」ぼくたちはいつも手で山を積んでいる「あなたと打つのが急に怖くなってきました」
「オレは積み込みなんてしない。徳が減るからな」そう言って下家は一萬を切る。
 雀卓の上に山河が繰り返し形成され、絶えず変化し続けることは示唆に富んでいる。麻雀を打つことは、地図を描くという行為の反復に他ならない。雀卓を時間軸にそって俯瞰すると、それは考えうるあらゆる可能な地図のバリエーションを包含する超地図へと向かわねばならない。浄土=地図宗の僧侶もたしかそう言っていた。
「ところで、キミはこの地図に住んで何年たつ?」下家の口数が多い。手が悪いのかもしれない。
「そろそろ四年になるはずです」ぼくは答えて二枚目の中を切る。
「その前に住んでいた地図を思い出せるか?」
「よく覚えていません。海辺の街だったような気がするんですが」
 縮尺一分の一の地図に住んでいる以上、地図飛躍はつねに話題の中心になる。地図の中の地図、あるいは地図の外の地図への出口を暴きたいという欲望はヒトの社会的欲求の根本に接続しているらしい。巧妙に隠蔽された出口の発見にはアルキメデス的発見の快楽が伴うのだ。
「海辺の街か、いいな。ここよりはずっと楽しそうだ」
 月面図に来てすぐのころは目新しい風景に喜んだものだが、数日も過ごせばどこもかしこも同じ景色ですぐに飽きてしまう。ほんの先月まではこの月面図にも両手で数えるくらいの人がいたのに、いまでは面子を四人揃えることさえできなくなり、今日もこうして三人麻雀を打っている。
「まるで囚人のようですね」脱獄の閃きを待つだけの囚人だ。
「どんなに穴を掘っても、その先はまた次の牢屋につながってる」下家が引いてきた赤五筒を河にたたく。どうやら染めているらしい。
 上家の河からは何をやっているか読み取れない。対子系の手かもしれない。
「北」ぼくは北を抜いて、切れるうちに三索を切っておく「だんだん、この卓が牢獄に思えてきました」
「それは正しい認識だ。オレたちはこの卓に新しい地図を描いている。地図と地図の中の地図との間に挟まる地図をな。雀卓ってのは、地図という牢屋を生み出しつづける牢獄なんだ」
 そう言って下家が三枚目の中を切ったときだった。
「ロン」今までずっと黙っていた上家が唸りながら牌を倒した。その一三牌は、すべてが互いに異なる么九牌から成っていた。
 ぼくと下家が息を呑む。卓上に異なる幾何学と計量へ向かう座標変換が生じ、一〇八枚の牌に隠蔽されていた地図が展開される様が透視されたかのようだった。上家の姿は忽然と消えている。
「上がったか」下家がボソッと呟く「先を越されたな」
「また次の囚人を待ちますか」二人で麻雀は打てない。
「一人二役で打ってもいいぞ」
「ご冗談を」月が新たな虜囚を得るまで、麻雀はお預けだ。ところで……すこし焦げ臭いにおいがしませんか?
 宇宙地図の成立よりも、ずっと前の時代の話である。
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自分で作る! ジルバクテリア水晶オブジェクト 取扱説明書
Garanhead
大切なお客様へ
この度はコロニー型ジルバクテリア(培地付属版)をご購入いただきありがとうございました。このユーザーマニュアルは付属のクイックスタートガイドと共に大切に保管していただきますようお願いいたします。
本マニュアルにおきましては、ジルバクテリアの変容過程における正史と異聞のみの運用を想定しております。そのため、バクテリア置換現象やレボリューショナル因子(悉無律ネットワークの異常発生)といった崩壊現象の兆候を確認した場合は、すぐさま液体培地と史料を破棄して下さい。破棄については各自治体の定めるルールに従って下さい。
禁止行為
紫外線によるジルバクテリアの加工(バクテリアの理性に影響が生じます)。
ジルバクテリア装置の並列培養(上位存在への認知行動を妨げ、バクテリアの不活性化を促進します)。
ジルバクテリアを食す。食用ではありません(お腹がゆるくなることがあります)。
1 準備
1.1 培養培地
付属の容器に��極ユニットと攪拌装置へのアダプタをはめ込んでください。その中にジルバクテリアとAの袋の中身を投入し、二十四時間を目安に日陰で放置して下さい。その後、粉状の物体が白色に発光し始めたら、Bの袋の中身を入れて下さい。その後、液体培地が容器を満たすようになります。十二時間前後で容器がいっぱいになりますので、蓋を閉めて密閉して下さい。ジルバクテリアは必要に応じて液体培地を調整するため、以後水溶液や薬品類、市販培養液の投入は必要ありません。
1.2 攪拌
攪拌装置に容器を格納します。装置全面のパネルにてコース選択を行なって下さい。以下、各コースと分裂傾向を記載しますので、お好みで攪拌具合を調整してください。
標準コース……ジルバクテリアにシムコード2022方式でのエミュレート結果を与えるコースです。核の飛沫は完全に沈澱し、ニューロ因子を菌類が持ち得ることは不可能になります。水晶体の形状は丸型に落ち着きます。
おしゃれコース……ジルバクテリアにシューマン共振に基づいた振動情報を与え続けながら、やさしく撹拌するコースです。菌類は話すようになります。こちらからのインプットは以後不可能になりますが、攪拌時のBPMに応じて核が偏在するようになります。音楽はストラビンスキーの「ぺトリューシュカ」、CHILL ROB G の「RIDE THE RHYTHM」、Stereophonicsの「Dakota」を用意しております。水晶体の形状は角錐型になります。
大物コース……ジルバクテリアに約三日の攪拌を行うコースです。長時間に渡る動作が予想されますので、選択時に確認コードを入力する必要があります。バクテリアの素真核への因子コードを刻まない加工におすすめです。このコースを選択した場合、因子コードに変数ミトコンドリアが侵食する危険性が高まります。ご注意下さい。水晶体の形状は円柱型になります。
スピードコース……ジルバクテリアの崩壊を極限まで抑えるコースです。核の飛沫と菌類の融合が起こりやすくなり、結晶化への過程が単調になります。ニューロ因子を菌類が保持することにより、菌類の雑談を耳にしやすくなります。また、こちらから会話を持ちかけることも可能になります。水晶体の形状は楕円形になります。
1.3 夜明け
攪拌作業の終了後にジルバクテリアは崩壊を始めて容器に漂います。多少の濁りは出ますが、品質に問題はありません。容器にはしばらく液体培地のみが満たされている状態が続きます。通常は七日前後で菌類の活性化が始まりますが、変化に乏しい場合は、電極ユニットを操作して容器全体に刺激を与えると活性化が促進される傾向があります。
注意
電流を発生させる前は以下の点にご注意ください。
七時間未満の容器には電流を用いない。
七時間経過後の容器には一日一回を限度とする。
十五時間経過後の容器には一日二回を限度とする。
それ以上が経過した容器には一日三回までを限度にしてください。
三日が経過しても菌類が活動しない場合は、サポートセンターへの連絡をお願いします。
2 年代記
2.1 菌類の歴史記述について
容器内で菌類がコロニーを形造り始めると、菌同士の侵食活動が行われます。これは群と群とが最適化を目的として行うものですので、仕様上は問題がありません。群の規模が一定まで到達すると、菌類は自らの情報へのアクセスを試みようとします。菌は菌に自らの存在を問います。なお、この間も容器内で菌類は自然発生します。争いも止みません。一時は栄えた群も必ずいつかは瓦解します。そのため、一種類の群が抜きん出て強大になったとしても、仕様ですので問題はありません。戦いを重ねた菌類は、侵食した領域が増えれば増えるほど、自己アクセスの頻度も多くなります。それらの末に菌類が自らの過去を記録し始めた時、全ての物語は始まります。
2.2 菌類の増殖活動
一部の菌類はやがてコロニーから切り離されて、容器内を自由に活動するようになります。群れから離れても菌同士の類似性は認識できます。ジルバクテリアの残骸に触れた群れは一斉に純化し、他の菌を消滅させるためだけに液体培地の変質を行います。これが歴史の蓄積であり、結晶化のための史料であるのです。こうして、ジルバクテリアとの接触が多かった菌類により、容器内は満たされるようになります。
3 水晶化
3.1 因子干渉
菌類の侵食と消滅が繰り返されると、やがて菌類はジルバクテリアを積極的に求めて行動するようになります。一部の菌は液体培地を変質させて、硬質の菌を増やして武器のように用います。史料に触れた菌ほどジルバクテリアほど液体培地の活用をするようになります。この傾向をもった菌類をコード因子と呼びます。コード因子持ちの菌類は将来的に結晶を粗くします。大味な水晶を作りたい場合は因子の誕生は喜ばしいでしょうが、より細やかな結晶を目指すのであれば因子は不利に働く可能性があります。
3.2 信仰告白
菌類の群れから群れへとコードは引き継がれていきますが、史料とジルバクテリアへの近似性に気がついた者たちが神を崇め始めます。コード因子の種類によりその崇拝は史料への変質を招きます。液体培地が狂信者たちによって強奪されるようになると、史料はやがて透明な物質となって容器内で様々な形になります。これを水晶塔と呼びます。容器内の菌類が何をどのようにどんな強度で崇めていたかの結果により、水晶塔の形状は変化をします。
3.3 水晶塔を取り出す
お好みのサイズにまで水晶が成長した場合、容器の蓋を開けて水晶を取り出してください。容器内の菌類は自然には生存できませんので、そのまま容器を洗い流してしまっても構いません。出来上がった水晶はしっかりと水気を拭き取って乾燥させて、二十四時間は日光に当てずに保管してください。水晶が芯まで白くなったのを確認したら完成です。
故障かなと思ったら
菌類の声が聞こえません→イヤフォンジャックにイヤフォンの端子がしっかりとささっているかを確認してください。それにもかかわらず聞こえないのであれば、菌類は音声以外の方法を用いて情報伝達を行なっている可能性があります。また、菌類は必ずしも有意味な発声を行なっている訳ではありません。雑音のように聞こえる場合もあります。
菌類が話しかけてきます→仕様です。コード因子の種類によっては上位存在へのアプローチを取ろうとする菌類も出てきます。返答も可能ですが、その場合は別売りの音声入力装置をお買い求めください。
水晶の成長が途中で止まりました→史料の積み重ねが薄い場合、コード因子を放棄する菌類が出現します。淘汰の速度が低いと思われますので、低温の場所に装置を移動して新たに菌類を発生させてください。やがて強い信仰を持った菌類が出現します。それまでの水晶を継承するかは保証できません。
菌類が容器に張り付いて動かなくなりました→電流の流し過ぎが原因です。一度、液体培地を全て捨てて下さい。ジルバクテリアが健在の場合は、別売りの培地を用いて再度菌類の繁殖を行えます。ジルバクテリアが崩壊しているようでしたら、申し訳ございませんが、再度本機をお買い求めいただきますようよろしくお願いいたします。
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名刺代わりの私の過去
笹幡みなみ
 差し出された紙片を、私たちははじめから読みとる。
 紙片は縦横比が1:1.654の横長で、白い用紙の上に横書きで日本語の文字が並んでいる。文字情報は用紙左側に左揃えで整列し、その整列から外れた用紙右上部にはロゴマークがついている。ロゴマークは「T」の文字に惑星環の意匠を取り入れた青色のデザインをしており、「Telesto Technologies」というロゴとセットになっている。左揃えで整列している文字情報の最上部には「株式会社Telesto Technologies」との記載があり、この文字列はロゴと同様の青色で、サンセリフ体である。その下に続いて、「インテリジェンス事業部」、改行、「エンジニア」とあり、これは黒色のゴシック体である。続けて行を改めたのちに、これまでのフォントよりも2.5倍ほどの大きさのゴシック体で「姫野伊織」とあり、その下部には小さなローマン体の「Himeno Iori」が添えられている。その下部には再び小さな、ややウェイトを落としたフォントで、「〒102-0094 東京都千代田区紀尾井町8番1号 紀尾井フロントプレイス22階」とある。続けて「Tel:」「E-mail:」と記載があり、それぞれに連絡先を特定する文字列が続いているが、いずれも差し出されている現在では有効なものではない。
 次の紙片を確認すると、紙片はやはり縦横比が1:1.654の横長で、白い用紙の上に横書きで日本語の文字が並んでいる。紙面の左上にはマークが置かれており、赤色の円に同じく赤色の二本の直線が重なり、うち一本は円の外で鉤のように折り返している。続けて「NAKA」のサンセリフ体のロゴが、やはり赤で配置されている。同じ赤の細い水平線がセクションを区切り、その下に続けて、いずれも黒の明朝体の左揃えで「次世代コミュニケーション研究部門」、改行、「越時知性研究室」、改行、「研究員」。改行して大きなフォントで「姫野伊織」とある。紙面の下部には「株式会社那珂技術研究所」とあり、住所「〒211-0053 神奈川県川崎市中原区上小田中8丁目1-1」、電話��号、メールアドレスの情報が記載されている。最下部の余白にはごく小さなフォントで「地球環境にやさしい紙を使用しています」とある。また、「姫野伊織」の右側のスペースには、藍色の市松模様を環状にしたエンブレム、「TOKYO 2020」、青、黄、黒、緑、赤の五輪、さらに同じく藍色の市松模様が上部を開いているエンブレム、「TOKYO 2020 PARALYMPICS GAMES」、赤、青、緑の動きを思わせるシンボルがつき、それらをとりまとめる下部に「東京2020オフィシャルパートナー」の文字が配置されている。
 次の紙片を確認すると、先のものと全体的な印象は変わらないが、「次世代コミュニケーション研究部門」、「越時知性研究室」に続いていた「研究員」の部分が「主任研究員」となっている。また、「東京2020オフィシャルパートナー」の記載がエンブレムを含めてなくなっており、それらがあったスペースには代わりに、二つのマークが並んでいる。左側は、黒色で「B」、「S」、「I」の三文字を組み合わせてハート型としたものを円で囲い、上部に「bsi」と表記したロゴ、その隣には、青い四角形の地に、簡略化された人を表現する「i」に似たシルエットが抜かれ、そのマークの下部に「ISMS-AC」および「ISO 27001」と記載されている。
 次の紙片を確認すると、紙片の縦横比はやはり1:1.654であるが、長辺を縦とする縦型となっている。白い用紙に、黒の明朝体の日本語文字列のみが縦書きで配置されており、ロゴマークやエンブレムの類い、あるいは黒以外の色味の印刷は存在しない。紙面の右側に「文部科学省」。続けて、「研究開発局 宇宙開発課 技術専門官」とある。紙面の中央に「姫野伊織」。紙面の左側には「〒100-8959 東京都千代田区霞が関3丁目2番2号」、続けて電話番号とメールアドレスの記載がある。
 次の紙片を確認すると、紙片は再び横型に戻るが、縦横比が先ほどまでと異なり1:1.75となっており、寸法としても先ほどまでよりも一回り小さく、より細長い形になっている。記載されている文字列は全て英字である。紙面の右肩にロゴマークがあり、青色の円のなかに白い点で遥か彼方の星々、それに周回する惑星が表現されており、赤いV字形の紋章が組み込まれたデザインの中央に、「NASA」とある。ロゴマークの右側にはサンセリフ体で「National Astronauts and Space Administration」とあり、紙面中央部に中央揃えで、この部分だけがややウェイトのあるフォントで「Iori Himeno」、その下に「Senior Researcher」、改行、「Omni-time Presence, External Affairs」とある。左下と右下にそれぞれ左揃えの文字列のブロックがあり、左下のブロックには「NASA Ames Research Center」、「236 De France Ave, Mountain View, CA 94043」とあり、右下のブロックには電話番号とメールアドレスが記載されている。
 次の紙片を確認すると、この紙片が現在の私たちの前に差し出されているものである。紙片の縦横比は1:1.654の縦置きで、「文部科学省」のものと似たデザインであるが、これには「外務省」とあり、「総合外交政策局 国連政策課 首席事務官」と続く。紙面の中央に「姫野伊織」。
 いま現在私たちの前に、彼ら彼女らの代表として送り込まれてきた人物である。
 紙片から顔を上げた私たちはそれを受け取り、この人間の顔をよく見る。
 自信に満ちた表情であることが私たちにはわかる。
 私たちがなにを見ているか、知っているのだ。
 私たちはそれをはじめから読みとる。
 それはか細い泣き声を上げ、必死に呼吸していた。
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ね群アドベントカレンダー2022
本企画について
文芸同人・ねじれ双角錐群によるアドベントカレンダー企画として、12月1日から25日まで、群員が毎日一つずつ何らかの記事を公開する。
既刊紹介記事の再掲から、書き下ろしの掌編小説やエッセイまで、多様な内容をお届けする予定だ。ぜひお楽しみいただきたい。
本記事は、企画まとめ記事として、随時以下のカレンダー表を更新していく。
カレンダー
日付   担当        記事 12/1 敷島梧桐  (本記事) 12/2 笹幡みなみ 掌編小説「名刺代わりの私の過去」 12/3 Garanhead 掌編小説「自分で作る! ジルバクテリア水晶オブジェクト 取扱説明書」 12/4 - 既刊紹介『望郷』 12/5 小林貫 ブログ「ローグライクで遊びましょう・2022冬」 12/6 cydonianbanana 掌編小説「虜囚図」 12/7 - 既刊紹介『廻廊』 12/8 murashit ブログ「すずめの戸締まり」 12/9 鴻上怜 エッセイ「そとでねむる ~ゆる野宿のすすめ①~」 12/10 - 既刊紹介『アンソロポエジー』 12/11 笹幡みなみ ブログ「アニメ『ヤマノススメ Next Summit』各話エンディング考察」 12/12 Garanhead 掌編小説「新宿、午前五時、始発、各駅停車伊勢原行」 12/13 - 既刊紹介『心射方位図の赤道で待ってる』 12/14 小林貫 掌編小説「同期処理」 12/15 鴻上怜 エッセイ「そとでねむる ~ゆる野宿のすすめ②~」 12/16 - 既刊紹介『来たるべき因習』 12/17 石井僚一 一行小説集「ことばの中にだけあなたがいた」 12/18 murashit 掌編小説「乗降場」 12/19 - 既刊紹介『無花果の断面』 12/20 cydonianbanana ブログ「LOTY 2022」 12/21 Garanhead 短編小説「四季の帯紐」 12/22 - 既刊紹介『故障かなと思ったら』 12/23 鴻上怜 エッセイ「そとでねむる ~ゆる野宿のすすめ③~」 12/24 小林貫 デモ音源「100nenmae - Good writing(demo ver.)」 12/25 敷島梧桐 アドベントカレンダー2022終結に寄せて
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『無花果の断面』読書会レジュメ
この記事について
この記事は、文芸同人・ねじれ双角錐群が2021年 第33回文学フリマ東京にて発表した第6小説誌『無花果の断面』について、文学フリマでの発表前に同人メンバーで実施した読書会のレジュメを公開するものです。 このレジュメには、各作品を楽しむためのヒントがちりばめられているかもしれません。適宜ご活用ください。
石井僚一「教室」
一言感想
教室の風景でAから順番に繰り返していくというか色んな事を描いていくところが途中から未来に飛んだり関係性が変わったり(クラスメイトではなく教師と生徒であったり、親子であったり)と羽ばたいて行って夢オチで戻ってきてBへの視線でしめるんだけどそこで群れの話というか、群れの疎外というか、不思議な切なさがあって、最後に座席で明らかになる(いや明らかになってないが!)、すごい構成だ
読んでいるときに、「こいつとこいつ隣なんだな」「前後だな」「教壇の前なんだ」とかわかるんだけど全体像は読み取れない、のが、最後に座席表で明らかになる
アルファベットっていう、順序がありつつひとまとまりになっているものをうまく扱っている感じがした。実は2〜3文字一組ごとに「話」が進んでいてそれら相互のつながり自体はあんまり書かれていないんだけど、連結している感が出てる
ペレック「人生使用法」のアパルトマンを想起させる。
アンドレアス・グルスキーのアパルトマンの写真、アレも群れだな。
席順という形式に基づく詩。
この席順をお題に合同誌を作っても面白いかもしれない。
登場人物が多い(単純に人物の多さで群れにしてる)のはこの作品だけだけど、手法が形式(詩)にあっている
オチに至るまでの読者の感情の操作のやり口が短歌っぽい!!
細部
普通の教室の配置(窓は左側)とは左右が逆転している?
Bが窓の外をぼんやり眺めていることからそれが分かる。言外に鏡のモチーフが忍ばせられている可能性がある
あとPが机を投げて窓を割るのも。
まあ教室の窓が絶対左側って決まってるわけでもないので深い意味はないのかもしれないし、あるのかもしれない
Eの「この星では〜」からちょっとリアリティがゆるんでくる(これ自体は比喩で済ませることもできるので、そのへんの塩梅がある)
��は背筋を凍らせてそのいやな感じを今も思い出す
Fが虫の死骸を入れた時点とGが思い出している時点が別。Gが思い出している時点っていつのこと?
Iは「助手席みたいに思」うのは、直接的には受動的に揺らされているからということなんだけど、「運転席はどうなってるのかな」と想像を呼んでるところがある(しかも、うとうとしているので、夢見心地らしいし)
Jは振り返って/中略/おはよう、が太陽になる
オレもだれかの太陽になるような言葉をひり出してえんだ。
MはLから/手紙を
隣の席に座ってる人宛ての手紙をしたためて数日後に渡すのエモすぎない? Mはさ、多分分かってたよ。Lが自分宛の手紙を一生懸命したためていることを。
P-Qあたりは机を投げるって物理的なところからいかにもな言葉遣いに飛んで「これは血です」でまた戻る運動がある
Rの叫びをSが文字起こしした文字化けの復元を試みると「なんて????世界?」になる?
Tはいつか教壇に立ち
ここ、なんかやってるな?
別の時間(未来?)を感じさせる
CとかDのあたりのはなしで先生が存在する授業中であるという想定でなんとなく読んでたから、教壇に移動しているのも逸脱感がある
UでEの「星」の話が、VでIの車の話が、WでPの割れた窓の話がそれぞれ召喚されてる
これすき
Uは別の星からやってきた赤子でVの車の後部座席に乗っている
赤子というのでさらに時間が不思議なことになる
Wは窓のほうを見る/中略/教室はあっという間に水中になる
たぶん関係ないが、G・ガルシア・マルケス 「光は水のよう」を想起した。(雰囲気だけ)
Zが居眠りしていてびくっとなって立ち上がって「ごめんなさい!」と言ってしまうあたりは「あるある」なんだよな。ここも水中になってからの現実っぽさへの戻り
「そのときAはわたしである」「そのときAはあなたである」マジかよ。
あたりが真っ暗になっても/AはBを見つめている
Aが一人だけ真っ暗な教室に残っている感覚。あるいはその日の学校での出来事を帰宅後の床で思い返している感覚。ここで教室という場から視点が一気にフェードアウトしてAの内面に収束し孤独が顕在化する。教室という群れを題材にしつつ最後には個に収束し群れを外在化する。群れの中に答えはない。
「BからZが/ひとつのまとまりに見える」という、自分対他全員(群れ)っていう視点と同時に、このBを見つめている(ひとつのまとまりとして見ていなくてBという個人を見ている)のの両立感?になにかがありそうな感じがするんだけどどうだろう。
Aは他のクラスメイトには認識されていない?
「BからYがいっせいに/どっと笑った」Aだけ笑ってない、とか、Aは他のクラスメイトと交流がないように見える
Aは死んでるとかそういう説
Aが過去を振り返っている(未来からの視点でこの教室を見ている)説
Aが読者に近い
Aの席って転校生の席っぽい
座席、なんか不思議な配置だよね。新学年の初期配置の出席番号順とかだと右上なり左上からまっすぐ行くのが普通だと思うんだけどそうじゃなくて後ろから始まって渦巻き、しかも飛び出してるAの位置が渦を巻く方と反対回りにズレてる(伝わるか?)
一方で座席表の上の■が教卓を表す、みたいなのって言うまでもなく伝わるあるあるだけど、日本特有なのかな、とか思うとたのしい
孤独を感じているのがZとかじゃなくてAだというのも不思議さがある
ちょうどよく、ありきたりさが排除されているというか
笹帽子「マーズ・エクリプス」
一言感想
かわいい喋り方
けっこうしっかりした、ハードめな設定だと思うんだけど、文体が軽いのでもったりしないところがある
ハードといっても小さい仮定からでかく演繹していくスタイルというよりは、要所要所で嘘を折り込んで広げていく感じなのではないか
ストーンスネーク自体は記録のためのものだったのが、オチ前の(っていうかけっこうはじめのほうから地味に示唆されているのだが)でそもそも因果にまで手を出している(出してるよね?)のはけっこうでかいジャンプで小気味良い
未来予知のできるコンピュータは量子コンピュータより真に強いというのは↓みたいな話か
とても強い計算量クラスのコンピュータとその実現方法
ストーンスネークの記録を突き合わせつつ、テル-天のギミックとかを解いていけばだいたいの全貌は見える……はず
収縮の「マーズ・エクリプス」と拡散の「大勢なので」の並びがいいと思います。
『22分間の予言』が好きなファンも大満足
構造というか形式?がめちゃくちゃ良い。ブロックチェーンと歴史修正を混ぜることで、Ruby番号で索引された時間SFの形式になっていて新鮮に感じた
バトルとか軽妙な会話シーンにもストーリーを紐解く情報が混ぜられているので、読者もつらくない。この辺のバランスがよかった(全部地の文で説明されるとつらいので)
細部
エピグラフ
実在しないらしい
天の先に新しく開けた視界の向こうで(p20)
2046-05-29(↓の3日後だよね)の火星。あかりと天城
ここで地球と火星の無遅延通信が繋がり、地球と火星でストーンスネークが異なっていることがあかるみに出る
地球側のRuby: 185,803,669の延長ではあかりが死に、天城→美汐と管理官の地位が移譲されたことになっている
公式にはこちらが「正史」として選択されている
ここのSieverは「うそ」をついてることになるはずなんだが、ほかで出てきていない?
ああそうか、べつにSieverが嘘をついてる必要はないのか
地球側の世界線では天城はどこで何をしていることになっているんだろう
火星側のRuby: 1,540,061,522の延長では天城が死に、天城→あかりと管理官の地位が移譲されたことになっている
現実にはこちらになっているはず
Sieverのアドレスが美汐相当!……じゃないわ!違った!最初だけ同じなのずるいよ!!
天城について、地の文は「天」、あかりは「天ちゃん」と呼んでいる
「22分前に発された通信を知ることができる」から「現時点の情報を、天城は22分前に知ることができる」
これを繰り返していけば、任意の過去の時点で「現時点」の情報を知ることが可能になる=その過去の時点においては「未来」に位置する情報を知ることができる
よく考えてみればもうほとんどなんでもできそうなんだけど、この時点ではとりあえず「過去の天城に、現時点での事件を事前にどうにかしてもらう」というところしか読者に集中させていない
見えた。(p31)
2046-05-26の地球→火星輸送船内(ストーンスネーク的には���球扱い)。(遡ってきた)天城と美汐
回想を引き継ぎつつそのまま仮想現実として見えている内容につながってきたりして地味にややこしい
天城について、地の文は「天」と呼んでいる。一方、ばったり会ったときの美汐は「テルちゃん……? テルちゃんなの?」
この際、天の内面を描く地の文で「天はそのこと(過去の美汐の姿)を思い出せるはずがない」とある。でもって「私は…(中略)…天城テルなんだ」。「天」は、事故前のテルとは見た目も同じで、記憶も引き継がれている。天自身には「たぶんあかりに作ってもらった」程度の認識しかない
ここで天の実体?が火星輸送船内に存在するのはどういう仕組みなんだろう。それとも二人が会っているのは仮想現実のなかだけで会っている?
p.47「生身の身体ならば脳震盪は免れず、意識は残っていないだろう」
ここの記述は天城の肉体が機械製であることを示している
p.32〜:火星への配属が決まったときの天の回想(天の心のうちだけ)。於地球・合同会館職員食堂
「冷た良い」なんだかいやらしくないですか?
p.35〜:↑の合同会館を模した美汐の仮想空間。p.36以降の美汐による事故直後の話は、ここでの美汐から天城に向けた語り
美汐が事故後天城の部屋に入ると、天城の鍵を見つけた
美汐が事故直後のとあるトランザクションを改竄したら、地球側でそれ(=管理官の地位が美汐に移譲された)が承認されちゃった
改竄内容は「管理官の地位を美汐に移譲する」
ここちょっと説明が曖昧なんだけど、おそらくRuby: 185,803,669のb6b9e8257d93219d0d0f34622e1762b3456c98aab0a7d62c9e92f88347919fc0相当(天城からの移譲)のはず。たしかに、p.43の説明を敷衍すれば、実際に天城の鍵を使って改竄できるのはここだけっぽい
その気になれば天城の死自体も改竄できる?
その前のあかり死亡7dfc3e1d646b9ed39b8770b52e402a9652a18c9bd69bc59fc50f90645c9d0104は美汐による改竄ではないっぽい(これもp.43によると、これはあかり本人かその鍵を持っている者しかできない)
美汐は三年間地球周辺のステーションに身を潜めていたって事か。狂気が醸成される
p.38:火協連での初日、のあとの夕食(p.32の回想より前)についての天城の回想
あかりと天城はよく知った仲だけど美汐ははじめてっぽい、ということで付き合ってきた時間の長さが違うんだな……みたいなニュアンスが……こう、ね……
p.40:↑の居酒屋を模した美汐の仮想空間。p.41からの説明も引き続きそう
先ほどの美汐の説明で2046-05-29の事件の経緯自体はわかる。ただ、「あかりが死んだ」というトランザクションは誰が作成したのか?(あかり本人か、その鍵を盗んだ者しか作成できないはず)
美汐はそれがあかり自身の仕業で、美汐の改竄への警告ではないかと推測する
ここちょっと読めていないか状況が前後しているような気がするんだけど、あかりが改竄を知れるのは当然美汐の改竄行為のあとのはずで、でもあかりの死のトランザクションは当然天城→美汐の移譲の前なんだよな。このあたりストーンスネークないしブロックチェーンの知識がちょっと足りてなくて可能なのかよくわかっていないんだけど、たぶん、「いくつかトランザクションをまとめて、それに合うRubyを記録する」って都合上、ふつうにできるってことでいいのかな
改竄したことへの警告というより鍵を盗んだことへの警告というように読めました。盗む→警告→改竄(このとき警告には気づいていない?)
あかりはあかり自身はもちろん天城のキーも使える状態のはずなので、天城の死自体も隠せるはず
あかりがトランザクションを流したようには思えなかったんだよな。ストーンスネークのシステム上のなにか仕組みがあってこうなったんだろうか。
p.57「宇宙の理か。因果の修正本能か」
たしかにそれはあるんですよね
あかりはそういうことする性格ではない!
そして「どうしてテルちゃんがいるの?」といきなりバトルが始まる。もちろん美汐の認識としては天城(テル)が生きているはずがない。なので目の前の天城「あかりちゃんが作った偽物」でしょう?と
戦闘描写がいい。美汐の得物はハンマー(モーニングスターっぽい)、天城はランス。
なんとなくフルーレとか鉄扇で戦いそうなイメージだけどランスなのがいいと思いました
美汐の「二人だけはズルい」があの↑ニュアンスだ……
「冷た良い」さっきはあんなにいやらしかったのに……。
桜井あかりの火協連第三開発区管理官としての仕事は(p48)
2045年の暮れくらい?(事故の2年半後)の火星。あかりと天城
冒頭でけっこう詳細な火星移民の事情が書かれていて、これがリアリティなんだよ。あとあかりの魅力もわかる
p.50あたりから、未完成の天城の機械体が、あかりに話しかける
天城が死んでる世界線のようだ
あかりとしてはあとで人格データを入れるつもりだった天城の機械体が喋っている形で、あかりとしても当初時点で、相手が(このあと入れるつもりの)天としてのアイデンティティなのかどうか一瞬わからなくなっている
まあまだ入れてないのに動いていたらそりゃびびるわな
で、天城は「見えた」。あかりもなんかいろいろ理解する(時間を超えて情報の受け渡しができることなども理解している、というかおそらくそのつもりだったというのもある)
「なにしろ天としての意識の生まれるよりも前に遡ったからだ」はどういうことなのか→以下の回想後(p.57)に、事故の内容を改竄しようとしてもうまくいかず、その(天城の主観の上では)あとに戻る地点がここ、ということらしい。じゃあ、これは天城の主観として、ここまでの話に対して「いつ」なんだ?
天の意識がある状態に入ると二つの意識の狭間で見当識の喪失が起こるという意味かな
ともかく天城はあかりに回想させる
「過去に答えを送り込む」とは?
このRubyの世界線はイキではない、みたいな話だろうか
答えを送る=「トランザクションが同じであれば、Rubyがわかればそのダイジェストを生成できる」、Rubyを送ることで過去にそのものを……?
索引(ここではRuby番号)をつけておいて後からその伏線の先を並べる方式。ここ書いてるときが一番楽しそう。
あかりの回想は以下
Ruby: 1,540,061,522:最初に出てきたやつ。天城が死ぬ(冒頭のシーンの火星はこれの延長)
冒頭の時点では、現実に合っているのはこちら
Ruby: 4,229,519,302:美汐が死ぬ
Ruby: 185,803,669:最初に出てきたやつ。あかりが死ぬ(冒頭のシーンの地球はこれの延長)
冒頭の時点では、公式にはこちらが「正史」
Ruby: 933,231:事故時点ですでにあかりが存在しない?
Ruby: 2,375,132,840:美汐が死ぬ
「大丈夫?」「ほら。ね。あったかいでしょ?」「このままこうしててもいい?」……いいぞ……
これ天城があかりの口からRuby: 4,229,519,302のことを知ってそこから遡って美汐を助けようとしているのか?
「どうして二人とも、勝手にいなくなっちゃうの」これは先の美汐と同じ言葉。天城が死ぬ歴史と美汐が死ぬ歴史を交互に語りながらあかりの意識に両方の歴史が混ざってこの言葉が出てきた?
上述の、いつもここに戻ってくるという話が明かされ、「やるべきことは明らかだ」
何度やっても誰かが死んでしまう
おそらくp.60以降の中間者攻撃のアイデアを思いついたのだと思われる
ただ、とりあえず先に地球軌道に戻るらしい
あかりは眠っている。天城はあかりの端末から、天城の基礎人格データを見つける
あかりはここから「天」を起動するつもりだったのか、と天城は考える。p.51の「ここでは未来のことではあるが」という通り、この時点ではまだ起動していないはずなのだが……みたいなタイムパラドクスめいたあれや
半年前に誰かから受信したようだが、そのノードのアドレスは存在しない
事故から二年後。
ラグランジュ点から見る宇宙は(p60)
2043年の事故以降(レーザーを放つ宇宙船を見て「別の世界線の今日」見たのと似てる言っているので、2046-05-29か)。太陽-地球のラグランジュ点(地球-火星間通信の中継地点)
天城(おそらくさきほどあかりのラボを後にしたのの地続きの「天」?)が中継時にストーンスネークを改竄し、火星でのあかりの功績が、地球では美汐の功績になるようにしている
天城は死に、あかりが管理官となり(火星サイドの事実)、美汐は地球にいる(が、地球サイドでは美汐が管理官となっている)
天は起動してることになってるのかそうではないのか→p.48〜あたりの世界線と地続きと考えるのがおそらく自然で、かつそのあとのもろもろを見る限り起動していないっぽい
特定しなくてもいいところでもある
この世界線に限らず、天城が死んだことにしたまま改竄をせずあかりと美汐に適宜やってもらってあかりが天を起動させれば天城に厳密な連続性はなくとも3人とも生きていることになるのではとも思ったんだけど、そのへんはどうなのか(これから読んで考えます)(逆に言えばラストの光景はそれとは違うもののはず)
ともあれ、あかりと美汐がやってくる
バトル!あかりの得物は……真球(真球だ!)からなんか飛び道具が出てくるやつ、なんだよそれは
死闘ではあるがうれしい天城
「量子デバイスにも因果修正本能が?」
ここポイントなんだろうか。因果がいじられてることが既定事項となってるように読めるんだけども
ナビにとっては、と限っていいのかわからないんだけど、ストーンスネークが過去を規定していると言ってしまえたりするのか
p.60のナビは過去を大事にする云々ともある程度符合はするがしかし
あ、あとで「ストーンスネークの上では死んでいる」という美汐の言葉があるので、この解釈は立たないっぽい
素直に、なんでバトルしてんのの説明として捉えるのが正解かな
「あの日なつひぼしで話した美汐は」
この世界線で話していることになっている、と言っていいのかどうか、もうわからなくなってきた
あ、あかりラボを後にしてとりあえず地球軌道に戻ったあたりの話か?p.31あたりと重ね合わせるミスリードなのか。なんかしら期待をかけて美汐にも会いに行った、というのは自然な話に思える
いやそもそもあの時点がここに繋がってて、本作冒頭には繋がっていない説もいけるのか
おい!わからんくなってきたぞ!
素直になれたテルちゃんに新しいアドレスが付与される
美汐の発案。美汐は天城が改竄しているであろうと勘づいていた(というか、やってないことがやっていることになっていたわけだから、そうだよな)
あかりは中継していることは知っていたが、改竄しているところまでは勘付いていなかったらしい
未来なら変えられる
天城の予言能力をもっての計算で火星のストーンスネークのほうを長くすればいい、と。火星のストーンスネークは、地球と火星の計算量のうえで地球には勝てないところを、勝たせる
結局ここまで、天城は2046-05-29から過去へは何度も飛んだけど、そのおおもと=最新が2046-05-29であることは変わらないから、そこからのやり方を考えるしかねえよという話であろうか
だから、天城の主観から見ても本作冒頭部分は最初の遡上といってよさそう
念じたらあかりラボに戻ってくる云々の理屈はまた別かな(天が起動する直前なのでどうこうとか言えそうではあるが)
ここで、考えてみたら当たり前だが未来方向にも飛べるよ、ってところに目をひらかせるのがいいかんじだ
「見えた?」(p69)
↑の続き。ただし天城はすでに未来を見ている
「二人にだってきっと見えている〜」内容とばちっとはまったラストだ……
最後のストーンについて
タイムスタンプは2073-05-29T15:45:21+00:00D+0.44
D+0.44が気になるわよね
Heightに加えてDepthとLoopの項目が増えている
「因果円環と並行因果予言」絡みっぽいな
Sieverがオリジナルの天城相当のアドレス
トランザクション内には天(アドレスも新しいほう)が出てくる
ここでオリジナルのテルが出てきていることから因果がどうこうの話になるわけだが(なので上のほうで考えた「これじゃダメなのか」案を蹴っている)、しかし理屈はよくわかんないので募集中です。それはともかくとして気持ちのいい終わり方ではある……
メモ
いろいろいりまじっててややこしいが、基本的に天城への内的焦点化(って言い方でいいのか?)で語られており、そういう意味では天城の主観上の経緯で考えていくのがいいのではないか
その意味では、客観的なタイムスタンプの前後のしかたにもかかわらず、(ところどころにスキップがありそうだが)おそらく直線的に語られているっぽい?
天城の内面については特に嘘をついていないと考えていいと思う
というより、これらを前提としないと因果円環云々でかなりどうとでもとれることになりそう(という意味でそういうストーリーを作りましたよ、みたいなところに持ってってもいいのかもしれないんだけど、ほとんどおれの空想の域だな)
いっぽうでタイムパラドクスみはちゃんと残っているというか、新しいアドレスを付与されないまま奮闘してた天の出自はけっきょく「ラス前時点でのこの世界線」のものではないってのはあって、ここは意図的に解消させてない、はず……
あーそうか、焦点化は別として、主観で連続的に繋っている必要はないんだよな。タイムリープ者においての自然さは、(そう読んで差し支えないとはいえ)その意味でのナチュラルさを持っている必然性はない
登場人物
みんな「ナビ」らしいです。
桜井あかり
航空宇宙工学。笑い上戸。人のことがすき。犬属性
1KqdTvT2Ra7EBP8GGtZ3L5LHDjNZ1R8w3e
立花美汐
生物学。激辛すき。白いごはんもだいすき。猫属性
1HNkcPa8wdQBeGPEhKuEuVdQHhwgqp1cpz
ぼくは三人の中で美汐が一番好きです……。
天城テル(天)
計算機科学。辛いのは苦手。体温低め。機械属性
火星-地球の通信を無遅延で行うための「情報予言知能」
地球→火星の通信が届くよりも前にその内容を予言する
2つあるので注意(途中でアイデンティティが変わるとか最初書いてたけど、たぶん最初から最後……の少なくとも直前まで「天」のはず)
事故記録では 1PUNdG6eES9kwGaAu4T7uLdZUSc3juZpxV
その後のあかりのなんか(なんかだよ)で与えられたのが1BeRzsZW4hzc4hEhXNUvZPr1x3UZ3k5sNE こっちが「天」
いやこれちょっと違うな。このアドレスが出てくるのは最後の最後だけであって、そのほかの世界線で起動されたであろう天のアドレスがそうかどうかはわからない
事故前のテルのアドレスをそのまま付与可能なのかどうかもよくわからんところはあるが
とはいえp.65で「もらう前に出ていっちゃったでしょ」とあるので当初よりこのアドレスを付与する予定だったっぽいか。冒頭部でもあかりは「天」と呼んでたし、こちら
「ナビ」は人の歴史を導く役割を持った人たち(人たち?耳が生えたりするが)のこと?このあたりの設定がよく分かってない。
名称からしても導くために作られたんでしょうけど、「叔父」「父」といった血?縁関係もあるみたいですね。
アンドロイド(って言っていいかわかんないけど人外)の認識でした。
でも天城以外は宇宙服着てるんだよな……
ストーンスネークまわりの設定について
p.41におおざっぱな説明あり。基本的にはブロックチェーンが元ネタ
Heightは場所なのだろうか。2043年の事故現場は236,411、ラストのは762,361
TimestampはISO 8601形式だ
Rubyがいわゆるナンスなのか
Sieverはsieve+erで篩う者ってことで、そのトランザクションをストーンとして積むためのルビーをみつけたノードのアドレスってことなのかな
murashit「大勢なので」
一言感想
紹介文ずるすぎるでしょ(っていうか無限なので)
舵をとってますねとか言ってみたりもしたけど、まあ舵も確かにそうなんだけど、このスタイルの変奏への実験作みたいな、けど横転しない楽しみ方(??)が良いな
設定を語らずに単語で「なんかおかしいな」とか「そういう未来なのかな」とか思わせるの上手い
(1)「突然父が死んだこと」(2)「パパとママが深夜にいきなり」くらいまでは、死者がテーマなのかなみたいな感覚を抱くんだけど(葬式の話、っていうのが、「追善供養のおんために」との繋がりとかを勝手に感じてしまってそっちに誘導されてしまう)、しかし読み終えてみれば、死は確かにあるんだけど多分メインではなくて、宇宙の無限さ、物語の限りなさ、すなわち群れがメインになっている。群れSFだ。
とにかく語りが良すぎて最高。どの断章も首根っこ掴まれてぐいぐい読ませてくる。こんなの語りのお化けじゃん。
無限と図書館についての語りを除く各断章の多くが、親族の死、見知らぬ土地(しかし自分の土地と変わらない)へ行く、ノートを手に入れる、という類型の変奏になっており、当然全く同じ話ではないので「同一の《いま・ここ》が無限にある」というのとは違うんだけど、なんとなしにマルチバース的なものを想起させる。
語りが軽妙でむずかしい言葉もなくすっと入ってくる、かといって薄さはまったく感じさせないのでまさに理想だなと思いました。
細部
エピグラフ
「どんなことでも起こり得る」の引用? 他に何かあるのだろうか。
何事も判らない、押付けられたものを受け取るしかない(その《いま・ここ》を読んでいる)、ということ?
(1)突然父が死んだこと、それ自体はいいのだけれど、(p74)
父の遺品整理に実家に通うことになる女性が、遺品の中からノートを発見し、中身を確認する
p76「犬が飼えるところに引っ越したいのよね」とあるので、ここで死んだ父の家��は犬を飼っていない
p76「上の娘の気が焦っている」これ最初(厳密には本当に最初ではなくて推敲版の最初か)読んだときはこの語り手の娘のことかと思って、(2)「パパとママが深夜にいきなり~」の語り手かと誤認したけど、冷静に読むと語り手自身だった。
(インフレーションを認める理論によれば、(p78)
括弧書きで始まるのは書かれた文章であることを自己アピールしている。音声の語りならこんなのないから。
「インフレーションを認める理論によれば」ここでのインフレーションというのは宇宙初期の急膨張のあれの話で、それが多元宇宙論となんか関係がある(よくわかってない)ということだけど、なんかさらっと言ってるがどこまで本気なのか。
ここでしれっとインフレーションとか言った癖にあとでp91「量子力学のなんとか解釈で」とか言うのちょっとじわじわくるな
「かの有名な図書館とは必ずしも一致しない」
バベルの図書館は、膨大だが無限ではないっていう話?
バベルの図書館は、多分全く同じ本は二冊ない
「妻や子供たちは、わたしのことをどう思っているのだろう?」これなんだ。直前の文との繋がりがわからない。「わたし」の「手元の本」に対する、特別愛着があるわけでもないけどなんとなく情が移って、みたいな温度感からの連想?
つまり「わたし」に妻や子供たちがいるということで、自然に初読していくと、(1)で死んだ父の語りなのではないかという印象を受けるようになっている、なっているが。
ここどういうことなんでしょうね。
(2)パパとママが深夜にいきなりどたばたはじめて(p78)
祖父の葬儀のために田舎に来た女の子が、納屋でノートを見つけ、友達と一緒に開いてみる
最初、自然に読もうとすると(1)「突然父が死んだこと」と話が繋がっていると思い、つまりは(1)「突然父が死んだこと」の語り手の娘の視点なのだ、と思うのだけれど、読んでいくと矛盾があり、どうやら違う家の話のようである
おじいちゃんちには「シロ」という飼い犬がいる(p78)(「突然父が死んだこと」の家では犬を飼っていない)
これは(1)時点ではかってなくて、でも買いたいよなと男の妻((1)での語り手の母)は思っていたので、(1)で男が死なず、その後飼い始めた犬、みたいな感じか。違う家、ではなくて、違う時間、なんだ
確定的な記述はないけれど、ママ方というよりはパパ方の祖父のように思われる。「ママもなんとか神妙な顔を作ろうとしてた」など。
これは単にそういうキャラ説と解釈して、(1)とは別の時間なんだけど続きである((1)よりも男が長生きしたバージョンであり、(1)の語り手が(2)におけるママ)と読んだ方が自然らしいと読書会を経て理解した
初読の読者はそこまで細かいところに着目するかは微妙だし、かりに着目したとしても、もやっとしつつも多分読み進めるんだけど、(3)に至って明らかに違う死者の話が始まったところで、あ、全部別々の話なのか?と気づかされる形になる
真奈という友人は、「遠征に付き合って」などの文言からしてゲーム友達のように最初は思われるのだけれど、どうも距離が近いというか常に通信している感じがあり(「わたしが真奈とずっと話してるのは」「真奈といまみたいになってからは、そんな暇つぶしをしなくてもよくなって」)、より強い何かの関係、あるいはそもそも真奈というのが普通の人間ではないのかもとか思わせる隙が作ってある
後段、語りが進むにつれて舞台がかなり未来であることがわかってきたりするので、この場面だって現代(に近い)日本の話であるとは明示されておらず、まあ犬を飼ってたり納屋があったりはするのだが、実はかなり未来の何かの技術が出てきているのかもしれない、とあとになっては思わせる、そういう構成になっていて、戻ってきて読み味があるおいしさ。
さて、《いま・ここ》と題された本は、(p81)
《いま・ここ》が割と説明なしにいきなり導入されてるんですよね。
別に現象学の話をしたいわけでは……ないよな、多分? 単に主観性というか語りの現在性、それこそ後段のトラルファマドール星人と違ってある一点を読んでいるところにしか存在しないよっていう程度の意味で《いま・ここ》が導入されている?
「トラルファマドール星人」ヴォネガットだ……
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%9E%E3%83%89%E3%83%BC%E3%83%AB%E6%98%9F
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%8F%E3%82%A6%E3%82%B95
上記読んだことないのだが推測で書くと、宇宙を本にたとえて、時間を本のページに例えていて、時間を自由に移ることができるトラルファマドール星人を、本のページを戻ったり先に飛んだり出来る存在に重ねた上で、自分はそうではない、本のページは順番にめくっていくことしかできない、未来に飛んだり過去に戻ったりはできない、ということを言っている。
「さらには」以下で、別の本に移ることもできない、つまり宇宙が無限にあるんだけど、別の宇宙に行けるわけでもない、と。
「わたしはわたしの書くものについて、そんな読者のことが」やっぱりこの括弧書き謎なんだよな。「わたしの書くもの」っていうのは当然(1)(2)で共通して存在してきた(このあとも続く)ノートを想起させる。が、なんかミスリーディングくさくもあるし。
(3)老人ホームの郷と揶揄されるこの街に暮らし、(p82)
老人介護施設で職員として働く男が、自身の曾祖父を介護することになり、それを看取るが、曾祖父が恋文を書いていると思っていたノートを見てみると、どうも恋文ではない何かが書いてある
この段階ではまだなんか、曾祖父を介護することだってなくはないのかなんて思わなくもないんだけれど、冷静に考えて年齢がすごいことになるのではないか。年齢が明示されていないあたり、後段を読んで思うには、寿命が既に今よりも延びているのか。たとえば語り手20歳、父50歳、祖父80歳、曾祖父110歳とか。
死者との続柄が、(1)「突然父が死んだこと」は父(1世代)、(2)「パパとママが深夜にいきなり」は祖父(2世代)、(3)「老人ホームの郷と」は曾祖父(3世代)。以下どんどん連なっていく。
ここの文章すさまじいな。
知世さん、これp77の週刊誌の表紙のグラビアアイドルか!?
《いま・ここ》と題された、(p85)
「わたしが読むことのできている範囲ではまったくおなじ内容」ってことは、複数の本を読めている、のか? 宇宙を移れるわけではないということだったのに?
「無限にあることだけは知っている」とあるから、知ってるだけで読めているわけではない?
「ありがたいことに、《いま・ここ》はまさにそのことをあかしてくれてさえいる!」というのは、つまり、ここで語られている内容はやっぱりその本に書かれているということ?
「そのうちのどれかを読んでいると考えることはできないだろう。わたしはそれらすべてを読んでいると考えるべきだ」これが答えか。そもそも同じなんだからどれかなのかすべてなのか区別がつかないよってこと。
「二色刷り」「あかがね色」みんなだいすき、はてしない物語
「点対」でも出てたよね(出てないよ)
(4)重苦しい空気ばかりが。(p86)
母の祖母の祖父の死の知らせを受けてその家を訪れた「わたし」は遺品の蔵書をもらい受け帰る途中、挟まっていたノートに気づく。
この節は不完全な文の断片で書かれている。
倒置法的な、述部が前に出た文のような感じだが、必ずしも固定的な法則で切られているようにも見えない。
ただし母の祖母の祖父の遺族(夫妻、遠縁の人)の台詞だけは通常の文になっている。「わたし」の母の発言はそうはなっていないので、台詞だけ普通というわけではなく、住む場所の差による?
完全に書かれていないことを想像した読みだけれど、(5)に繋がるように、コピペ的に殖やされて管理された都市群(群れだ!)みたいな舞台をそこここからイメージするので、そこの間で使っている言語が違って、それが自動翻訳的に伝えられている(しかも言語間の翻訳というよりも、直接的にイメージやクオリアに変換して脳に入力するみたいな感じの翻訳システムがきっとあって)、それを文字に書いてみました。みたいな感じだろうか。(5)とかの方が時代が未来であるはずなのにそこでの文体は普通。そうするとこの段階でこういう文体が一度挟まるのは、上記のような翻訳されたものであるみたいな解釈が整合するように感じる。
「わたし」の母は自らの祖母の祖父がこの国で最も長齢な人間のひとりであることに縋った。しかしこの国では誰もそんなことに興味は持たない。(3)「老人ホームの郷」の話が曾祖父オーダーだったのが、それより一つ(「わたし」から見るなら二つ)世代が増えていて、さらに長寿になっている。
というわけで、宇宙が無限個あるのなら、(p87)
本を読んでいるときに全く同じこと書いてある本が他にもあるから全部読んでるのと同じという話から敷衍して、その時点まで全く同一の経過を辿っている並行宇宙の自分もまた自分、全て自分である
(5)さて、ここでちょっとだけ気味の悪いお話を(p88)
おじいさんのおじいさんの……何代になるかわからない、年齢不詳の親戚に会いに、関所を超えてその家を訪れると、当主はもう死んでいると男の子に告げられ、ノートを渡される
語り手は敬体で年若い感じを出しており、「夏休み」という単語を出したりと、学生身分のような雰囲気があるが、三十歳である。
しかし「いまどき人の年齢なんて気にする時代じゃない」らしい。
(4)「重苦しい空気ばかりが」よりもさらに長寿が進んでいる?
「管理区」「インプラント」「受像機」「磁動車」特に説明ないけどなんとなく世界観は想像できて上手だなと思いました。
念のために言っておくと、これはべつに、(p91)
宇宙は単に複数、というか無限に、あるだけで、相互に繋がってない
SFで宇宙がたくさんあるみたいなことを言うと、安易に並行世界と繋がったり入れ替わったりそれで未来や過去を変えたりするけどそういうのじゃないんだよということ
多世界解釈を排除している
(6)わたしが話しかけると、キミはすぐに顔を赤らめる。(p92)
「わたし」が「キミ」に語って聞かせる、「わたし」の血縁の男を個人崇拝する教団について、そしてその使者から「わたし」が受け取ったトークンとノートについて
「男」=「第四性」。後半で第五性も出てくるので、少なくとも五つは性別がある世界ないし時代
「きみ(あ、これひらがななの表記揺れだな……)はたった五十年ほどしか生きてはいないだろう」五十歳というのが若者に分類される程度の長寿化が進んでいる((5)「さて、ここでちょっとだけ気味の悪い」よりもさらに進んでいることになる)
表記揺れじゃないらしい(台詞っぽいところは「きみ」がひらがな? あれ、なんか話者が思ったより多いとかあるか?)
話者の言葉が対象に直接向いてるときが「きみ」でそうでないときは「キミ」のような気もするしぜんぜん違う気もする。だったとしてもだからどうだというのはちょっとわからない。
「あれのもとになった「ノートブック」」紙に字を書くノートはもう存在しない。ノートパソコンの延長のようななんかそういうものがあって、ノートと言えばそっちを指す時代なのだろう
説明なしに単語で時の流れ感を加速させていくのが上手
トークンはどういうことなんだろう。教団のことを知ることが出来たと言っているのでまあ教団の情報をこの語り手が得られたっていうのが直接的なことだけど、この語りにだけ、ノートとセットで別アイテムが登場しているっていう構造上の変異はなんか意図があるのだろうか。
図書館の話に戻る。(p94)
いろんな宇宙があるよって話。
(7)地球に親族がいるなんて、(p94)
火星人の「おれ」が地球の親族の葬儀になぜか地球まで行くことになり、行った先で部屋に閉じ込められ、ノートを見つける
「光速ですら追いつけない」マーズ・エクリプスと同じ設定っていうか着眼点だ!
「ちゃきちゃきのアルカディアっ子」なんか好き
レベルインフレ激しいの好き
地球人は三本腕が流行っている
「二十八地球日の隔離期間」 これは防疫目的なんだろうか
わたしがあらゆるわざわいから逃れられる確率を(p99)
無限に存在する宇宙のなかでいつ死ぬかというパターンでどんどんその宇宙の数が絞られていく、のだけれど絞られたその部分集合もまた無限で、無限の宇宙の中に、(現代のわれわれの感覚で)普通のタイミングで死ぬパターンもあれば、少し長生きして死ぬパターンもあれば、かなり長生きして死ぬパターンもあれば、ものすごく長生きして死ぬパターンもあれば、というのが順々に、それぞれ遺族の側(「わたし」の娘、孫、曾孫、…………)の語り手から語られてきている、そしてその先に、「わたし」が永遠に死なないというパターンだって無限にあるはずだ、ということ、で良いんですよね?
ノートってなんやねん、というのはあるが
ノートを見つけてそれを読み始めるところで場面が切れて謎の文(おじさんの語り)が入ってくるのが最初メタというか、作中作というか、語りの中の語りというか、なんかそういう位置づけなのかと思って読み始め、でも内容を見ていくとそういう入れ子というよりは並列なんですよね(それこそ無数に並ぶ《いま・ここ》であり宇宙)。それがなんか最初読んだときは、おっ、そっちにいくのか、という感覚があった。
無限の《いま・ここ》を読んでいる「わたし」、との重ね合わせとして、色々な宇宙、時間でノートを読んでいる「わたし」の子孫、なのか。
長生きする方法(理由)が、最初はまあたまたま的な位置づけなのが、途中から人類自体の寿命が延びてるとか、それにしても特異な存在として個人崇拝されてるとか、理由付けされている。これは(説明のために因果が逆転しているんだけれども)死なない理由としてそういう説明が必要になったというか、そういう世界だから結果的に生きている、みたいな話か
トンネル効果がなければ太陽だって光らない
微視的な量子力学の世界ではボールが壁の高さまで投げ上げられていないのに向こう側にいけることがある(ポテンシャルを乗り越えてしまい得る)というのがあって、太陽の核融合はこれによって説明されるとかなんとか
やっぱり量子力学の話しとるやんけ!
(8)その生きている人間を殺せとの指令が(p99)
直系の祖先にあたる「最後にのこった人間」を殺すよう指令を受けた「ぼくら」が物理世界に受肉しそれを殺す。死体の側にあるノートを拾う。
時間はさらに流れており「最後にのこった人間」という通り、通常の意味で生きている人間はもはや他にいなくなっている。また、これまでの語りにおいては基本的には寿命をまっとうして死んでいたのと違い、指令を受けて語り手がその長寿の人間を殺す、という新しいパターンになっている。
もうここまで来るとそこで今さら寿命が来て死ぬというわけにも行かなくなり、そういうことになっているのか。それ以外の何か意図的な理由なのか。
何度も殺そうとしてきたが殺せなかった、というのが、あるいは殺せた宇宙もあったのだろうが、この宇宙は殺すことができない宇宙だったということで、そして今回は殺せる宇宙?
「ぼくら」について
「保存されたぼくらのゲノム」「はじめての受肉」「物理世界のことを知らなくて」とあるので、「ぼくら」は我々が知っている生命のような形は取っておらず、まあ情報知性的な感じなのだろうか。(7)「地球に親族がいるなんて」で地球人が未だに実現できていなかった脳の交換、その先にそもそも物理的な生体脳の不要、みたいな先の存在か。
受肉したときの形態については語られておらず、「噛みちぎり」「吠えた」などからなんとなく犬っぽさ狼っぽさを受けるけれど、まあヒトの身体の形でも別に良いか。
(6)で教団も犬を被ってたりするから犬属性が信仰されている?
(7)で毛がふさふさしてる
「誰ら」「通じる」「知る」に特殊というか我々の言葉遣いとは違う意味合いがついているのがわかる、こういう細やかさが良い
図書館と宇宙にも違いはある。(p101)
いなくなることのできなさという新しい、しかし切実な概念が導入されてる
(9)ここにはなにもない。(p102)
これに(9)とナンバリングするのか一瞬迷うんだけど、構造を信じるなら(9)だよね
(8)までは子孫が語り手となっていたが、もはや子孫すら存在しない、地球も太陽も銀河系もないここにいたって、語り手は「わたし」自身でしかあり得なくって、その「わたし」だって客観的物理的な存在ではもはやない
これはひっくり返すと、無限への根源的な怖さみたいなのがあるな。死は終わりであり、終わりであることが怖いという(それこそ「分散する風景」での根源的恐怖)一方で、もしかすると違う宇宙には死なない自分も無限に存在し、いなくなることができずに漂い続ける自分が無限にいるかもしれない、と思うと死=いなくなることへ向かうのとは違う根源的な恐怖が湧いてくる。この底知れなさがあって、その上で、次のシーンでなんか穏やかに落としてくる、いや落ちてねえけど、どうなんだ!っていう不思議な読後感。
胎児は2001年宇宙の旅だ。
ノートを預け、横で冷めたコーヒーの残りを(p102)
ここでノート読み終わって、妹が来るということはおそらく一番最初の(1)の語り手のところに戻っているんだけど、これが少し上で書いた作中作や入れ子構造ではなくて並列、っていうのを傍証として示唆している感じがする。
つまり結局ノートに何が書いてあったのか必ずしも明らかではない(ないよな?)んだけど、なんかそこに飲み込まれてしまうような力があるとか、そんなんじゃなくて、たまたま(?)語りがそこで中断されている(《いま・ここ》を読んでいる瞬間だから)というだけで、その宇宙はその宇宙で何事もなく続いてる、んではなかろうか。
ノートの内容=無限と図書館に関する語り、だと思って読んだ
最初はそう思ったんですけど、それだとするとこの最終断章の雰囲気にならなそうな感じがあるんですよね。
まあなんかすごい与太話書いてあったなくらいの軽いスルーをされてるのかもしれんが。そう思うとほのぼの。
もしくはそのノートは、「そこまで生きた主人公=各断章の語り手たちの祖先」が書いている《いま・ここ》という本であって、各断章で持ち主が死ぬところまではそのノートの内容は他の断章で残されたノートと一致しているのでは。
これは納得感ある!
この読みに気付いて「いやこれ傑作じゃん」となった。
「自分が死んだことにも気づいてないかもね」、いわゆるピンピンコロリ的な往生をした人に向けられる定番フレーズではあるけれど、ここにおいてはなんだか救いのようであると同時に、「いなくなることができずにいる」かもしれない無限の「わたし」を考えると薄ら寒かったりもして、良い味。
逆に、あれか、主観的に必ず生き延びることができる、というのを裏を返せば、生き延びられていない場合に「自分が死んだことにも気づいていない」ということになるのか。抜き打ちテストのパラドックスだこれ。
小林貫「分散する風景」
一言感想
母という唯一無二��ものを群れにしてしまうというアイデア(これそんなに目立ってないというか強調されていないんだけど、6作の中でも明らかに「群れ」に対する切り口が違っててすごいと思う)と、狂気の描写がすごく良い。
基本的には暗い話なんだけど、やっぱところどころに妙なおかしみがあるんだよな……
母の死を受け容れられない……(わかるよ)→そうだ!代替母で慣らしたろ!(!?)っていう飛躍はふつう出てこんやろ
かなり異常なことしてるんだけど、テクノロジー的には現在でもできんことはない、というあたりも効いてると思う
クローンで作りますとかAIで再現した仮想の人格みたいなSFSFしたガジェットじゃなくて、所詮これマッチングサービスですからね。効いてる。しかもそのサービスの話をほとんどしてなくて、ちょっとマイナーなサービスくらいの雰囲気で説明してるのじわじわくるんだよな。
そこまで!?というくらい母の死への恐れの描写がしっかり描かれているので、その勢いで「そうだ!代替母で慣らしたろ!」が自然に受け入れられた
書き出しの硬派な流れから代替母へ飛ぶのが好き。
タイトルかっこいい。分散はリスク分散の分散?
ですね。当初ホットスタンバイとかそっちの方にもっていこうとしてました(そうはなりませんでしたが)。
細部
立方体が置かれている。(p106)
箱のイメージどういうことなんだろうな。これはあとで考えたい
これは自分も一読してどういうモチーフなのかつかめてないのであとで考えたい
冒頭部分では虚無をたたえた箱、p.108〜109では「わたしの実家」のミニチュアの入った箱であり、そこから母の棺(わたしがそれを開ける)-自分が入った棺(母がそれを開ける)の鏡写しのイメージにつながっている
ここで自分のほうが先に死んでいる状況が連想されているのもな���か意味があるのかもしれない
ここ短くテクニカルだけど確かに気になりますね。パラグラフレベルでいうと、自分自身の死への恐怖、から母の死への恐怖、にスイッチしている箇所になるんだけど、文としては母の棺→自分の棺、なんだよね。
p110「母が死んだあと、わたしのことを深く知る人間はこの世にいなくなるのではないか」ここが関係するという解釈あるのかなと思った。母の死も自分の死もそういう意味では裏表というか。
冒頭部は虚無、と言ってるが不安のようでもあるし、透明な快楽とも書いてある。
この部分だと、ざっくり「何も考えたくない」みたいな話なのかもしれないな。慣れるってのはそういう部分があるだろうし、このあと出てくる神経質さを紛らわせたいみたいなのがあるのかなとか勝手に察してしまうところがなくもなくもないような……
p106「「クソったれ」とでかでか箱に書かれていても」、刃牙の家でしょ
心理セラピーで箱を想像せよって言うのはよくある(いやなことや不安なことを箱に入れましょう、ってやつ)、なんか創作でも脳内に箱があってみたいなイメージはよくある気がする、序盤の言い聞かせ方がそういう道具的な話をしているようなイメージを受けるので、主人公が我流で自分を落ち着けるためのイメージをしているみたいな風に読み取った。けれどそれがp108でもう一度出てきたときには夢うつつの状態で上手くコントロールできずに逆に悪夢に繋がっていたりする。ラストシーンでは自由に出し入れできる箱として大成(狂気)しているのかなと。
章区切りの「◇」は箱なの?
「癇癪持ちの室外機~」からの3行でめちゃくちゃ神経質で狂気じみた感じが存分に発揮されてるのすごい。「わたしへの嫌がらせ目的」とか。吐瀉音が小刻みに響くってマジでなんなんだよ。
p107「わたしは起き上がり」このパラグラフの一連の異常行動よすぎる。シンプルな描写と内容で異常状態が際立ってくる。
「得も言われぬ予感があったので〜いやどうせならと二本目のビール」、気持ちはわかる
白い雪原のモチーフ、これも虚無に飲み込まれるのと相似っぽいんだけど、むしろ死ぬことへの恐怖なんだな
というか、まあ、憧れと恐れが同居するのはよくあることか
吐瀉物へのこだわりはなんなんだよ!(好き)
圧倒的に明らかに異常な精神状態なんだけどそこで苦しんでいる内容が自身の未来の死、母の死、っていう、いやそれ自体は普通っていうか、誰しも持っている根源的な恐怖で、そこがめちゃくちゃ良い。異常な状態なんだけど気にしていること自体はまっとうで、否定できない! 「異常だけど共感できる」って主人公の型の一つの感じがする。強い。と、いうところから次の章でまた変調して代替母とかいう共感できなさすぎる異常概念が出てくる作りが最高。
「小太りのパグを三匹も連れた老婆」これさらっと出てくるのめちゃめちゃ好き
三匹「も」に語り手の感情が現れてて最高なんだよな
母の死を受け入れる方法を思索した結果、(p110)
代替母を迎えるために一軒家まで用意するの端的に狂っとるな。いやそうでなくても狂っとるんだが
p112「しかしわたしは問いたいのだ。あなたたちは五人の母親と代わるがわるに暮らし、そこに血を越えた親子愛を育むために尽くした経験があるのか、と。だからどうかわたしを笑わないでほしい。」ここ無茶苦茶で笑う。急に壁超えてくるのも面白いし。
「おかえりなさい」とバタバタ駆けてきて(p112)
冒頭の慣れてく過程とかがちゃんとあるのが、なんかこう、なるほどほんとにそういうサービスなんだね!感が出てて良い。真顔でやってる感というか
p113「父が出て行った日」まあ言わなくても明らかではあるが(そうか?)、父との繋がりは切れていて、というのがこの母子関係の前提になっている
p113「母Aはわたしがまだ空にしていないお茶碗に次々ご飯をよそる」さすがにおかしいだろ(しれっと面白いことを書かないでくれ)
p113「お母さん!」めちゃくちゃ笑いました
しかもどう呼ぶかで迷うって多感な少年かよ(そして前触れもなくオカンとか呼び出すんだよ、多感な少年は)
p114「母Aがいればそれでよいのではと考えはじめてしまっていたのだ」すんなり主人公の構想を実現させないの良いですね
母Aにかなり移入してしまって、BやCへの気持ちがいい加減になってしまう本末転倒さ。こういう移入をしてしまうから母の死にたいしてここまで拘ってしまうんだろうな……みたいな手触りがある
あと、代替母のほうもしっかりプロ意識が高いの笑うんだよな
「立ち上がりも早かった」とかも笑える
p115冒頭時点では母Aとうまくいきすぎていて(代替母サービスとしては成功)、だから逆に当初の目的からすればうまくいってない。ねじれとる
p115「母B、母Cの報告書から」母Aからの引き継ぎとかもそうだけど、報告書つくって回覧してるのめちゃめちゃ笑うんだよな。単に代替母のマッチングサービスを使ってるだけじゃなくて代替母同士が連携してるのなんなんだよ
ちょいちょいいちじくとか断面とか挟んでくるのじわじわくる
「もうすぐ警察着くよ。回鍋肉は多かったら〜」のメールはさすがに笑うでしょ
p117「わたしたちはレンタカーでユーミンを流しながら温泉へ向かう」真顔で笑わせに来るのホントやめて
世代感出てんだよな。うちの母もユーミンが好きなんや……
母Dの一件があっても生活は変わらず「ラッキーだった」と言いのけてしまえるあたりで、たしかに目的どおりなんだけどやっぱおかしいよね……という、なんだ、なんだこの気持ちは……
p118、慣れてきたというか、受け入れられるようになってきてんだけど、相変わらず嘔吐しとるやないけ!
p118「追加で契約した母F、母G」ウキウキで追加で契約すんな
日課のように、(p118)
「母AA」エクセルかよ
この部分のシーケンスで、代替母の群れを心にしまって、出し入れしているうちに、ほんとうの母を見失っている、だから喪失しているんだけど、そのことによりダメージを受けていないという意味では目的を果たしている
虚無であったり不安であったり、底知れぬ何かが詰まっている象徴だった箱を、いまや道具として使いこなしている主人公。一線を越えてしまったというか(いやとっくに超えまくってるか?)向こう側にいってしまった感じが出て終わるのが非常に良い
狂気的ではあるんだけどハッピーエンドなのではないかという
だって眠れるようになってますからね。ハッピーエンドです。
三好景「電子蝗害の夜」
一言感想
正統派群れハードSF(群れだけに)だ……
みんなだいすきファムファタール
そもそも群れ言語っていうアイデアが秀逸なんだよな。最初読んだとき「やられた!」って思った
観測者がいなければ……とかあたりもわかる。一方で、ではあとがきから察されるように実際に入り込むことになってしまいかねないというところはまだ突き詰めてわかっていないところもある。あとでまとめたい
でもって、その「群れ言語」のアイデアだけに淫しているわけではなくて、個々の語りがふつうにおもしろいというのもいい。群飛バトルとか馬の話とかすげえ好き
魚群、鳥群もいいけれど、馬群描写がとてもいい。
『UMC 2273 テイスティングレポート』からの発展みたいな側面もあるよね。断章が連なって物語を形成していたところから、さらにそれぞれの語りの独立性と繋がりが両方強まった感じ。そしてドラマも派手になった。あと、原テキストがあってその解釈や翻訳がそこへ入り込んでしまうというのは『望郷』や『筐体反転』にも出てきた要素だと思った。好きを詰め込んだぞという勢いを感じる。
三好景に対する読者のリアクションが気になるな
電子蝗害の夜おもしれ〜〜〜
設定が強固だからこそふざけがよりきいてますね
細部
いくつもの声が、さらにいくつもの人々の耳に届く。(p122)
多声的な語りやりまっせ宣言
今日は、魚群探知師と呼ばれる人たちについて(p122)
漆ヶ原正臣。魚群探知師についての語り。
ヌラヌラ。
水産学者の寺神戸と、言語学者の三好。
「私は死んだ蟹の匂いがこの世で一番嫌いなんだ」いきなりキレてて笑うんだよな
知らんけど、札幌の居酒屋で店内に生け簀があったら蟹のボリュームそれなりにあるでしょと思うとじわじわくる
貝はどうなんだろう?
p124の「現在の漁業手法」の説明。大真面目に書いてあるけどこれ無茶苦茶な話だよね? というのが自信なくなってくるくらい大真面目にディテールが書いてあってすごく良い。これが枕としてあるから論文書いてない研究者とか異星言語学とか群れ言語とか無茶のボルテージが上がっていくのにちょうど良い助走になってる感じがある。
ここのディテールの描き方は見習いてえなと思いました
異星言語学あたりはやはり筐体反転を連想させるところがある
――いいかげん聞いていられないから(p126)
平善之丞。鳥(ムクドリ)の群れについての語り。
群飛バトラーおじさんテラカドと、相転移を引き起こすミヨシ。
p126「君たち」に対して語りかけている。これは読者というか、翻訳者の寺神戸、を含む群れ、みたいな感じか?
おじさんたちがみんな小さいのってなんか意味あるんだろうか?
それ自体の理由はわからんのだけど、本節全体になんか、ちょっとメインストリームから外れたおっさんの物悲しさ(と、それに引き寄せられる子供)っていう、なんか感情を刺激する雰囲気が漂っていて、そのへんに資してる気はするんだよな
野球帽を被って、基本無口で、なんかニコニコしてる、とかも非常に味がある
それでいて、バトルの話になると饒舌になるおじさん、というのも良い……
ね群ゲームスで群飛バトルゲーを作ろ���。
p129「《ラビット》」群れの中に入って動き、周囲を同調させることで群れ全体をコントロールする存在。ここでは単に群飛操作用のラジコン機のことかのように言及されているけれど、のちに群れ一般に対して通用する概念に拡張する。本作におけるキー概念の一つ。
p129「そう、群飛バトルだよ」じゃあないんだよ
公式認定トリックの下りめちゃくちゃ好き
完全にハイパーヨーヨーなんだよな
ここが漆ヶ原正臣のいかにもそれっぽいかのような大真面目な設定語りと違ってはいいまホラ吹いてますよ~感を出すのが緩急ついてる感じある
高難度トリックにはサブタイつくの好き
p130「臨界点」「相転移」
これもキー概念になっている
この時点では、複数の《ラビット》による操作で群れの中での情報伝達速度を超えた変異を引き起こすことを指して相転移とか臨界点とか言っている(と思う)。あとから出てくる群れ言語まわりの用語法ではこれより踏み込んだことを言っている(と思う)。この時点では意図的に説明が抑えられているか、平善之丞はそのあたりの詳細は詳しく判っていない?
p131「語りに差し込まれる唐突な哀愁。これはやはりどうしたって停滞の合図であり、終わりの始まりだ」またメタなことを言うんだけど、単にメタなだけじゃなくて、実際あるあるなのが良い。語りの手癖だよね。そして実際この語りでもクライマックスへ向かって高まっていくのがまた良い。
p133「ああ、臨界点が……こんな形で相転移を起こすつもりなのか?」
ここではp130とは意味が違うような使われ方をしている(後に出てくるような群れ言語の創発に関わるニュアンス)
いったいどんな形で相転移を……
p133「神奈川沖浪裏を思わせるような波濤」無茶苦茶なんだけど画が良すぎてズルいんだよな~
――おい! 善之丞さんがまた勝手に語っていますね!(p134)
漆ヶ原正臣。群れ言語についての語り。
p134「私がまだ語っているんだぞこの死んだ蟹め!」こいつキレすぎでしょ
地雷が多く、話してるときにヒヤヒヤしてしまうタイプの方ですね……
平善之丞は、語りをジャックしているというのは正確じゃなくて同時多発的なんだって言ってたけど、ここで漆ヶ原正臣はジャックされたという雰囲気(まだ語っている、という、語りの順序性というか直列性を前提にした表現)なんだよな。単なる性格の問題なのか、翻訳上そうならないといけないところまでこう、あれなのか。
「おい」のあとに「〜ますね」のキレ方怖いな
脳のアナロジー
自律分散系として全体で秩序を形成する、じゃあ分析してみようまではいいとして、そこから自然言語に繋げるのはひとつでかい飛躍か(ふつう言語は自律分散系としては捉えられないはずなので)
「複数の意味の連続が群れの意識をなす」、かつ↓の件もあわせて考えるとなんとなく雰囲気掴めてきた気がする
説明としては、生存のための機能として働いているから……ということで、(いわゆる言語としてアナロジーするかは置いといて)ミームだかなんだかみたいに捉えられる(その意味では言語と同じ)かも、みたいなのはたしかに説得力が
あとの語りで、言語として振る舞っているというよりp.148「人が群れを言語として捉えはじめた」とある。ここも大事っぽい
ここは色々まぜこぜっていうか、二分心と随伴現象説と進化心理学をぶち込んだ感じがあるな
――僕は緋色の一三。(p137)
緋色13(ハンドルネーム)。馬の群れについての語り。
馬主事業を興し古代血統の復活を目論む寺神戸と、その目として雇われる三好。
さっきの群飛バトルが少年の日の思い出めいたドラマチックさである一方で、こっちはこっちで壮大な歴史とその先の野望みたいなドラマチックさがあり、振れ幅がデカくてしかもどっちもおもしろい
目を失うことにはなんか象徴的な意味合いがあるのかどうか(とくにないかもしれない)
「観測」の象徴と捉えてもいいのか?
血筋、血統に絡めているのかも
ここでの《ラビット》は群れ競馬における特定の役割を持った馬の呼び名らしく、群飛バトルのときと似たような機能をしているっぽい?
そもそも群れ競馬ってどんなのだよというのはあるとして、どうもふつうの群れ競馬では相転移とか起こさないっぽい
三好は放牧のなかでもラビットを立て、調教の効率を上げたらしい。ついには相転移を起こすための種みたいなものとしても扱われている
やっぱり最後に創発を起こさずにはいられない三好
で、ここでもその言葉を感じ取れる寺神戸
群飛バトルのときはあくまで寺神戸にしても語り手の平善之丞にしても、本人は群れに入ってないんですよね。でもここでは寺神戸も三好も、馬に跨がることで群れの中に入ってるという一段階深い関与があると思う(緋色の一三は入ってないか。っていうかこいつはどういう関係者なんだ)。
あとがきで「読者は自身と粒子群との近接相互作用によって生じる力と、その結果もたらされる粒子群全体の運動を全身で感覚し、その過程で群れ言語の意味の連なりが脳に直接流れ込んでくる」「自分自身を《ラビット》化する」って書いてあるやつ。
――彼女は不完全なイメージだった。(p146)
翻訳者寺神戸の三好に関する語り?
かずら橋。三好市? 三好だし。
https://miyoshi-tourism.jp/spot/iyanokazurabashi/
詳しく調べてないけど、牧草地や湖がありそうな感じはしないので、イメージのつなぎ合わせなのかな。
――あああ! また勝手に始めやがって!(p147)
漆ヶ原正臣。群れ言語についての語り。三好と相転移、創発について。
またこいつキレとるな、創発の一歩手前って誤魔化してねえか?????
ラビットの登場による技術革新。群れ言語が群れ言語として読み取れるようになってく
創発、という単語の説明が意図的にスキップされている感じを受けたのだが、読者を信頼しているという程度のことなのだろうか。個々の単なる総和を超えるすごいことが系として起きる程度のイメージで読んでたけど
辞書を引くとまあ大体そういう意味で良いっぽいが https://kotobank.jp/word/%E5%89%B5%E7%99%BA-552975
最終的に、群れの意志の制御をもくろむ三好
相転移を経ないコントロールに比べて難しさも自由度も格段に高い、みたいな感じでいいのかな
p151「あの痛ましい事故」は電子蝗害の夜のこと?
あとがきでは三好が姿を消したタイミングというかきっかけが「無花果事件」に求められていて、電子蝗害の夜のことではないんだよな……
この魚群パートにおける群禍的なイベントか
――最初の電子蝗害があった夜(p151)
三好景。最初の電子蝗害があった夜についての語り。
誰とまぐわってたんですか?
「まぐわって」という語彙とか、ワラジムシの比喩とか、性癖出し過ぎじゃないか?
p151「壁一面に敷き詰められたディスプレイ」はp147に同様の描写があって、p147は小説「電子蝗害の夜」を読んでいる(VRなんだけど、デスクトップモードで……)とか最初思ったんだけど、そうじゃなくて、群れを観測する監視室の設備みたいな感じなんだろうか? そうするとこの描写を信用する時には、なんとなくこの場所がかつての寺神戸(水産学者)と三好が二人で研究していた部屋みたいな感じがしてくるのだが、時系列的に電子蝗害の夜のころには二人は訣別していたのではないかという感じもする。
訣別していなかった説
そういうことじゃなくてこれは小説「電子蝗害の夜」を、しかも寺神戸が読んでいるときの内容だから、なんか混ざっているとする説(後述の、寺神戸が被害者の会を回ってる感じ)
読者寺神戸とまぐわう三好説
電子蝗害の夜って何?
電子情報の振る舞いも群れとみなすことができ、そこに相転移を起こして創発することで群禍を巻き起こし、デジタル社会に対して壊滅的な打撃を……みたいなことを単語からは想像するんだけど、そういうことが直接書いてはいない。
そこまでの大打撃になるようなテロリスト的な行為を三好が行っていたとすると、あとがきの記載が穏当すぎるように思える。群れ言語小説が規制されたのもあくまで「無花果事件」のように読者の認知に悪影響を与えるからであって、群れ言語によって群禍を巻き起こすこと自体が断罪されたという感じはしない。
VR空間上の粒子で群れ言語を記述して小説を書いた、その小説で読者の認知を不可逆に歪めてしまう、という「無花果事件」がイコール電子蝗害の夜なのか??
だからこの小説のタイトルが電子蝗害の夜なのか??
観測者がいるから意識が生じると語られる
さっきの「人が群れを言語として捉えはじめた」ことと繋がるところか
ここまでで、群れに対し、観測者が言語を認める→その連なりとして意識が生まれる→ラビットを通して、群れに人為的に相転移を起こせる→創発を起こせる→意識の操作ができる、みたいな構図ができはするか
そこで作者だから臨界点がわかるって言われるとそろそろわからんくなってくるな
「群れの言葉を綴る」ってのはもはやアナロジーが還流してる状態だと思う(ラビットによる操作は「綴る」なのか、みたいな。あるいはラビットたる三好だから、別の形なのか)
――いまここに三好景が現れませんでしたか?(p153)
そいつがルパンだ!
「ぼくらの群れ」とは?
語り手5人?
――ああ。本当は、はじめからわかっていたんだ(p154)
群れの語りが混線する。
「彼は魚、僕は馬、平氏は鳥、三好さんは虫。おや? 残るもう一人の物語をまだ聞いていませんね」
残るもう一人は寺神戸。何かの群れとかいうわけではないのだろうがこのあとの混線する語りの中では三好に対する思いを語っている。
最後橋を切るのかっこいいんだよな
訳者あとがき(p156)
三好フィリッポス四三世ってなんだよ。
「無花果事件」の自称三好フィリッポス四三世は蟹を憎んでて、それは本編の語り手で言うと漆ヶ原正臣なんだけど、あとがきの記載を基底現実のもの(しかもbefore電子蝗害の夜だから信用して良い)と思うとそこで漆ヶ原は翻訳者寺神戸が群れ言語について取材した相手に過ぎなくて、当然無花果事件とは別人なんですよね。そうすると後述の仮説と同じロジックになるけど、基底現実の漆ヶ原は蟹嫌いではないのか? 寺神戸の知り合いであるために、取り込まれた状態で登場している?
「本書にもおそらく(……)作者である三好景、そして翻訳者である寺神戸琴文が登場人物として描かれてしまうだろう」三好景はともかく、寺神戸が水産学者になったり群飛バトラーになったり馬主になったりするのは物語中の役柄を寺神戸が演じてしまっているというかそういう取り込まれ方をしているような感じなんだろうか。
千年女優を連想した
あーインセプション
これ完全に妄想レベルの仮説なんだけど、
基底現実には、三好の研究パートナーだった水産学者、群飛バトルおじさん、馬の事業やってた人、は全て別の人物として存在していて、全員が群れ言語の創発を研究していた三好の被害者(ファムファタられた人たち)
翻訳者の寺神戸は、上記のいずれにも当てはまらない何らかの縁で三好と青春時代に繋がりがあった(思春期を破壊されてる)
本作を翻訳しようとダイブする過程で、上記の全員になって三好に弄ばれまくっている、というのが本編
他に語り手として登場している漆ヶ原、平、緋色13はいずれも翻訳者の寺神戸が取材した相手であり、寺神戸の意識の中から選ばれてアバター的に語り手になっている(各人の意識が「電子蝗害の夜」に接続していたり取り込まれていたりするとは必ずしも言えないと思う。本編の内容はあくまで寺神戸の意識の中で起こっていることが、様々な語り手の口を借りて語られているのでは)
p158「翻訳作業を始めてからでは遅いかもしれないからだ」って実際遅かったの? 翻訳者寺神戸は完全に取り込まれてしまって意識が戻らない状態になってるけど原稿は上がったからヨシ!って平善之丞が出版したのかな
そういや書名じたいは著者の三好と目される語りから(どっちが前かはよくわからんが)来てるんだよな。書名自体は翻訳を開始する前から確定している
登場人物
(訳者あとがきより)
三好景
本稿(群れ言語で書かれた小説)の著者。本稿を2042年、32歳のときに、ゲームプラットフォームCurrent上で本作を発表
作中では電子蝗害について語っている
一人称「わたし」
寺神戸琴文
本稿を、群れ言語から日本語に訳した翻訳者。三好を「青春時代をともに過ごした友人」としている。
一人称「ぼく」
漆ヶ原正臣
群れ言語の専門家
作中では魚群探知師について語っている
一人称「私」
平善之丞
湖上書房の編集者。本書担当編集者っぽい
作中では群飛バトルについて語っている
一人称「俺」
名前の由来?
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%B9%B3%E5%96%84%E4%B9%8B%E4%B8%9E
三好市、かずら橋との関連性、ある? まあちょっと離れてるな……。
緋色13
Currentにおける本作のコミュニティの初代リーダー
作中では馬について語っている
一人称「僕」
名前がかっこよすぎる
群れ言語について
群れ言語の五原則(1〜3は三好が提唱したもの)
任意の期間・任意の領域における群れの運動が一つの意味をなす
複数の意味の連続が群れの意識をなす
群れの意識との対話を成立させる一定の規則(文法)が存在する
群れは単語をもち、単語はすべての群れに共通する
群れは自律した記憶領域を持ち、これにより群れの自己同一性が担保される
「相転移」「創発」あたりも気にしておきたい
あと「ラビット」。群れに相転移を引き起こしてなんか(なんだろう)を創発させるような、なんかこう、なんかだ、たぶん
そういやなんでラビットなんだろう。寂しいと死ぬからか?
たぶんなんかエッチな意味だと思うんですよね
なるほどね
真面目に申し上げるとベタな想定ではアリスだけど、なんかそれだけでカチッとはまるわけではない気がしますね
あー競馬用語なんだ
https://putitallinaplasticbag.com/race/lead.html
https://www.jennaknapp.com/rabbit.html
群飛バトルにおいては、信号が伝わる前にラビットで信号を発することで、情報学的ソニックブームを起こす、つまり媒体である群れ(の動き?状態)が急激な変化=相転移を起こす、的に説明される。臨界点を超えるまではある程度容易にコントロールできるが、超えると一気に難しくなったりするんだろうかな
そのうえで、一幅の絵画を作っとるんやな〜(これを創発と呼ぶのかどうかはよくわかんない)(そういえばここは言語ではなく絵画なんだな)
馬のほうでは、「のちに群禍と呼ばれる、群れ言語による群れの劇的な創発現象の最初期の例」が出てくる
p.150に言語学者の三好による直接の説明あり
本作をとりまく状況
オリジナル(群れ言語による作品)においては、その日本語への翻訳である本作のように順次語られていると考えるべきではなく、同時多発的に語られているとみるべき(p.126の平の言より)
また、翻訳においては上記の登場人物が語っていることにはなっているが、おそらくこれは寺神戸が翻訳したからであって、別の読み手や翻訳者であれば「登場人物(語り手)」(とその内容も?)は異なってくるものと考えられる
ベンチマークとして:たとえばMMORPGなどで個々のプレイヤーが受容する創発的な物語とはどう違うのか?
インタラクティビティが重要という点では同じ。多アクターでなければならないというのも似ている。全体として伝えるものがある(そしてその結果は観測者=プレイヤーによって違う)とかもそう
ただ、群れ言語によける個々の単語的な対象みたいなものはビデオゲームでは特定しづらいか
もちろん「意識」やある種のアイデンティティもないと考えるのがふつう
ただ、本作の群れ言語の話を敷衍すると、ゲームだってプレイヤーを取り込み引き留め没入させるための全体的機能を持っているわけで、本作の意味での創発が起こるんではないか
その意味でCurrentというゲームプラットフォームにおいて発表されたということには必然性があると考えられる
鴻上怜「なまえ」
一言感想
構成がめちゃくちゃすごい。この導入からそんな話始まるのかよ、からの戻ってこられるのかよ!という。まさか戻れるとは思わなかったしこんな爽やかに終わるのどういう技術なんだ。すごすぎる。
同じく、クールな感じの語りからハチャメチャがはじまりさわやかに終わるのどういう技術なんだよと思った。こんな無茶苦茶な話なのに読後感がすごくいいという
「こんな学校抜け出して走りだしちゃおうよ」みたいなふつうのきれいな青春話をこの内容で展開できるのは完全に腕力のなせるわざだと思う
かさかさ笑いがめちゃくちゃ雰囲気出してる
ここまでの貫以外の作品を読んで「複雑な構造にしないとダメな時代なのか?」と感じていたのですが最後にシンプルに力強い作品がきて安心したところがあります
わかる。というかこの強い構成だからこそ最後を飾るのに相応しい。
細部
年代物のジュークボックスへ硬貨を入れる(p162)
舞台は伊豆の離島らしい
本土から数十海里と言ってるので、三宅島までは行かない、大島の周りのどこかの島くらいでしょうか
勝手に大島と思ってた(ホテルとかあるなら大島くらいのサイズはあるのかなと……)
大島だと「離島」って呼ばないかなとおもったんですが、まあ大島かもしれない
ここにリリの墓と、実家があるということが示されている。一方で女子高生はあとで出てくる記述によるとバイクで横須賀まで行ける場所の高校に通っているから現在この島に住んでいるわけではない(けどバーのマスターとは顔見知りだから、住んでた時期もあるんだろう)。そうするとなにかリリの命日とかそういうタイミングで女子高生は島に来ているということだろうか。
カコもホテルのバーにいるという状況からして同じく島に住んでるわけではないのかなと最初は思ったんだけど、「洗濯物取り込まないと」とか言ってるんだよな。島民なのか?
リリが故人という状況なのでカコがその実家がある島に住んでるっていうのはなんかしっくりこない(二人が同棲していたのは院生のこと=本土の出来事でしょ)。元々カコもこの島の出身なのかな。でもそれなら幼馴染み感出してもいい気がする。そうすると引っ越してきたのか? あるいは単に「洗濯物取り込まないと」はどうでもいいのか。
冒頭から、締まりのない雰囲気の漂わせ方がテクい
「紙コップを切らしてうがいのできない歯医者くらいひどい」こういうのがサラッと出てきて雰囲気作ってるんだよな……
マスターの故郷、オハイオのカマキリ話
いちおう群れ要素なんだよな
いかにもこういう場でのしょうもない思い出話だかほら話だか
このオチない話もだらっとした感じに貢献しててすごいよね
カコの側も禁煙のきっかけとなったリリのことを思い出す
ここの思い出話から思い出話へっていう流れもテクい
付き添いで参加したガールスカウトのキャンプファイヤー云々みたいな禁煙エピソードのディティールがいちいち良い
ここめちゃくちゃ好き
だらっとした雰囲気から、昔の恋人の話になって、その娘が登場して急に引き締まるっていうか、話が始まるぞって感じがする
娘が登場してからの、細かい動きの描写とか文体とかでの雰囲気の変え方がめっちゃ好き。カコのほうも気分が変わってるってのが、こう、細やかなところでわかるようになっているというか……
p167「窓辺へ目をやると~」この段落すごい好き。カコの側、大人の側、だらっとしてる側、にここでもう一度目を向けることで、女子高生の若さ、動き、不安定さ、脆さがなお際立つ感じ。
p168の話し始めるまでのあたりの描写めちゃくちゃいいんだよね。まさかここからSF奇想ばなしが始まるとは思わない。ずるい。
「劇の主役を狙うなら〜」のところのちょっと拗けた感じが娘のまぶしさみたいなのを強調してて良さがすごいある
そのあと、少女の熱で氷が溶けるってところとかもニクいわね……
転校生がやってくる(p168)
最初何の話が始まったのかわからないんですよね。当然に、女子高生の話の内容であろうというのは前後関係を考えるとそうなんだけど、その話の当事者たる女子高生の姿が見えない語りになっている。「わたしたち」の一人称複数の語り=群れの語り。
アユタヤという名前、それからどんな子だろうと想像して、王朝か?とかなるあたりの、引き続きなんかばかばかしいほら話をしてる楽しさみたいなのに乗ってく感じがうれしい
p169「全国の織田さんは全員信長の子孫だと言いはるなら」やっぱり名前の概念ふつうにあるんだよな?? 総匿名社会ってなんなんだ……
p170「ブレイク展の《蚤の幽霊》のポスター」
https://www.musey.net/12689
いい小道具だ(なんか深い意味もあるのかな?)
大江『新しい人よ眼ざめよ』に出てくるとか。たしかなんか夢の話してた、くらいしか覚えてないが……
あ、伊豆の別荘みたいなのは出てくるのか。だからなんだよっていうアレだが
アユタヤの顔立ちは中庸、特徴が無い、喜怒哀楽のどれでもない薄笑い、不安定、出身を答えない、何も食べない
何も食べないのは土地に馴染まないことのわかりやすい表現として、特徴のなさというのは面白いところだと思った。派手なので馴染まないとかではないんだなと。特徴のなさというのはむしろ群れ側、匿名側のポイントのようにも思えるから。
逆説的に、群れの中にいるクラスメイトはそれぞれに個性があって、しかし(だからこそ打ち消しあって?)群れとして均質化してる、みたいなのが見えるところがあるんだよな。無個性と没個性は違うというか
p.175のなんかずっと学生のままでいるのではないかみたいな、噂というか妄想の発展みたいなの好き。王朝?の話もそうなんだけど、こうやって理路にならない理路をつなげてふわふわさせてくるのは手管だよ……
っていうか性別すら確定しない。
なんなんだ。
アユタヤはカフカ『家父の気がかり』に登場するオドラデクをイメージしてます。
これか https://www.aozora.gr.jp/cards/001235/card47212.html
星形の糸巻きとかはまさにそれ
p177「恋慕はわたしたちの集団としての匿名性を侵略する橋頭保となる。恋に限らない。憎しみ、憧れ、アユタヤへ対してなんらかの個人的な感情を抱いた時点で、わたしたちは不特定多数の生徒ではなく、固有の名を持つ個人として切りだされる。」
ここで起きることは全部言ってる。また、恋ということで女子高生の語りの内容がやっぱりこれということで繋がる感じはある。あるけど、いやあるけどどういうことなんだよというのはわからないし、後に登場する総匿名社会云々とはやっぱりちょっとレイヤが違う話をしてるっぽさもある。わからん。
p179「近現代におけるプライバシー権の確立と、集団的匿名権に関する内容で、こんにちの総匿名社会について」
そんなに真面目に考えなくていいのかもしれないが、考えると、字面から言えば現在の我々よりも匿名であることが当たり前の権利として認められている社会のように思われ、この後に続く、「名前を名乗らせる気だ」からすると本当にこの「わたしたち」はそれぞれの名前をお互いに隠しているように思われる?
しかし転校生が「アユタヤ」という名前でやってきた時点で名前への注目がなさすぎなのがさすがに不思議というか。それとも「アユタヤ」のような渾名的なものをみんな持っている?
ふわっとしたままでいいとは思うんだけど、あえていうなら、全体的に、学生たちはかなり社会に順応しているというか、道徳的によくない、とい��た論の出る反応がそこここに見られるところがあって、なのでたとえば互いに名前を知ったりする機会もあるのだけれど、それを出すのはよくないことみたいな通念があるのかなみたいな雰囲気で読んでました。それでも中庸で異質な闖入者であるアユタヤにはその抑えが効かない、みたいな動揺があり……
実際p.177あたりでそういう動きを見せている。それにしても、こういうの自体が転校生あるあるなんだろうなあ
「それぞれが協力し、譲歩して形成した巨大な知的集合体のゼリーが、個性のフォークでめった刺しにされ無数の自意識のかけらとして飛び散ってゆく」あたりもそうか。多様性と調和をよしとしつつ、でも調和ってのはそれでいいんですか?みたいなあたり
実質ユリ熊嵐
「『友だち』は何よりも大切ですよね。今、この教室にいる『私たち』、それが『友だち』です。そんな『私たち』の気持ちを否定する人って、最低ですよね」「『私たち』から浮いてるひとって、だめですよね。『私たち』の色に染まらない人は迷惑で邪魔ですよね。そういう、空気を読めない人は、『悪』です」
p180「悲鳴にも似た絶叫とともに」このあたりのパニック描写好き。っていうか全ての描写好き。
ここノリノリで書いてるのが伝わってきますね。
p182「だって、君がいちばんよく見ててくれたから」ここ気になってます。ハムスターの話にもつながるけど結局はたまたま?
アユタヤに呼びかけられることで「わたし」(=語り手の女子高生、で良いんだよな/っていうか話の内容がなんか小中学生みたいな感じを受けるんだけど、高校生なのかよ)が「わたしたち」から切り離される。この作りはかっこいい。
ここ、読者には名前が知らされないんだよな。老兵であるカコはもう名前に私秘性がないんだけど、女子高生にはある、みたいな、なんかこう、青春っぽさを感じる。青春っぽさでいいのか?名前を呼ぶのは百合なので
臍帯血のあたりの切り取る、そして「生まれる」イメージの重層性
p165「かさぶたのある膝小僧が覗く」p180「ひとはそれをがん細胞と呼ぶ」pp181-182「はがれた膝のかさぶたの、自分のものとは思えないグロテスクさ」
なんかこれ、思わせぶりだよね……。免疫機構のモチーフみたいなのがあるのか?
そこまで話すと少女はうつむく(p183)
いや「そこまで話すと」ってマジでいまの、女子高生の語りだったの?? この浮上の膂力、すごいぞ。
ハムスターの話
運命を感じて一匹選ぶ→見分けがつかなくなってしまう
見分けがつかないならどの子だっていい?→そういうもんじゃない、彼女に取っては
嫌味な(?)教訓:みんな同じ、端から見たら区別つかないんだけど、運命を感じるのが恋だ、みたいなこと?
それでリリはカコに代わりに選んでと頼んだ、「選ぶか、選ばれるかすれば満足する」から。万事そういうことなのだ。
「選ぶか、選ばれるかすれば満足する」は匿名性の教室の中から選ばれた女子高生に対するカコの祝福のような教訓としてなんとなく解釈できると思った。元のハムスターの話に対してどうハマるのかちょっとわかってない(代わりに選んであげる、というのと、選ばれる、はちょっと違う気がする。選ばれる、だとハムスター視点になっちゃう気が)
アユタヤが語り手の女子高生を選んだのはほとんど「たまたま」であって、強い理由があるわけではない。けれども、理由となるような性質?があるということはその性質において代替可能であることと表裏一体であり、そのもののそのものさ、固有性からずれてしまう。で、名前こそはそのもののそのものさをまるっと名指せるものである。だからたまたまその名前が呼ばれる、「選ばれる」ことではじめて群れから切り離された固有性がかたちづくられる……みたいな……ムニャムニャ……まあだから、そうなんですよ、恋なんですよ!
ラストシーンの余韻がすごい良い。この美しさを読んでると何ページか前にしめやかな失禁による強烈な排泄臭と嘔吐した朝食がマリアージュされてたとは思えない。
なんかこの、若者の熱気にどうしようもなくあてられてる感とか、それでいての消えない哀愁とか、いいんだよな……
登場人物
カコ(冒頭&末尾の語り手)
バーのマスター
リリ
語り手の元パートナー
性的に奔放。バイセクシャルのようだ
ちょうど語り手といっしょにいる頃にどこかの男との間に↓の子を産んだ
女子高生(中盤の語り手)
リリの子供のようだ
アユタヤと走り出す
アユタヤ
見た目にはめちゃくちゃ特徴がない
総匿名社会について
普通にカコやリリの名前が出てくる。総匿名社会ってなんなのかという不思議が深まるんだよね。というかこれがあるから、最後元のレイヤに戻ってこられたのがすごいってなった。
総匿名社会といいつつ家族親戚やそれに近い関係の間では名前を呼べるという解釈もできなくはないと思ったが、ちょっとそういう話ではない感じがする。
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故障かなと思ったら
故障かなと思ったら、次のことをお確かめください。
想像力が始動しない → 十分な休息を摂っていますか? 睡眠時間を十分に確保してください。
想像力が広がらない → 十分な休息を摂っていますか? 睡眠時間を十分に確保してください。 → 摂取する現実及び虚構の多様性を確保してください。
想像したことを十分に出力できない → 十分な休息を摂っていますか? 睡眠時間を十分に確保してください。 → 完全な出力ができないことは仕様です。故障ではありません。
以上を試してみても想像力が正常に動作しないときは、下記の場所にてねじれ双角錐群第七短編集『故障かなと思ったら』をお買い求めください。
文学フリマ東京35(2022/11/20) | G-10
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ジャンル
《取扱説明書》アンソロジー
収録作品
01 「森/The Forest」 石井僚一 ある一人の男が、学生時代に恋人と訪れた森を、大人になって再び訪れる。レイ・ブラッドベリの名作短編「みずうみ」をもとに書かれた抒情SF。
02 「取説ばあさん」 小林貫 「おぉ……旦那様。説明書を、おお……説明書をお持ちではありませぬか」 極彩色のネオンと喧噪、眠らないサイバーシティで取説ばあさんに遭遇したおれは、踏み入ってはならないとわかっていながらも、その妖しさに魅かれていく。
03 「私の自由な選択として」 笹幡みなみ 足の裏の特定の反射区を刺激することは、自由意志信念の強化に繋がり(Coolidge, 2035)、特定の気分障害に対して有効とされる(Coolidge et al., 2038)。本文書はこれらの研究を概説し、彼女の選択を伝える。
04 「故障とは言うまいね?」 Garanhead 「マニュアリストロ」。それは国の認証を受けた、良質な説明書を作成する者たち。彼らの手がけた説明書なくして工業製品の出荷や流通が成り立たなくなった未来。心が故障した少年と、体が故障した少女。二人の最年少マニュアリストロたちが出会う時、過去と未来を繋ぐ因縁尽のマニュアルが綴られる。
05 「直射日光の当たらない涼しい場所」 全自動ムー大陸 「説明書」を題材にした短歌十首。
06 「子供たちのための教本」 murashit 役所はわたしたちが死ぬ日を正確に知っていて、その期日を書留で通知する。民法上の子を持たない者には本人、持つ者はその子に書留を送る。わたしはある日、通知を受け取った。父は二週間後、死ぬことになっていた。
07 「沼妖精ベルチナ」 鴻上怜 底辺会社員の俺は部下のオッドラの教育に手を焼きつつ、人事としての業���を日々行う。そんなある日、社のデータベースがぬるぬるの粘液で覆われてしまう。忙しい情シスに代わって原因を探る俺は、地下で謎の老婆サーバやまんばと遭遇する。そしてそれとは関係なく、俺のもとへ1体の妖精が訪れる。沼妖精を名乗る少女は、行方不明の御婆を探しているらしいが――
08 「閲覧者」 cydonianbanana 遮光スクリーンに覆われた窓、空調設備の定常的なノイズ、絵と本の切れ端に埋め尽くされた壁、椅子のない机、開かれたままの取扱説明書——登場人物不在、住人の輪郭を示す静物の素描で綴られた縮尺一分の一の地図をめぐる冒険がはじまる。
執筆者
石井僚一(website)
小林貫(twitter, website)
笹幡みなみ(twitter, website)
Garanhead(twitter)
全自動ムー大陸(website)
murashit(twitter, website)
鴻上怜(twitter)
cydonianbanana(twitter, website)
表紙イラスト
全自動ムー大陸(website)
仕様
B6判、226頁
価格
¥1000
刊行日
2022年11月20日
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