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#今日の武道館
vuivui-u · 2 years
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#早朝ウォーク をしてきました。 今日、武道館では 「オフコース・クラシックス・コンサート 2022・6・30 -in Budokan-」があるようです。 #ウォーキング #今日の武道館 #日本武道館 #武道館の垂れ幕 #オフコース (at 日本武道館(Nippon Budokan)) https://www.instagram.com/p/CfaBdgLvZTy/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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kamiton · 1 year
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. 週末の長崎、うす曇り。 #建築 #建築デザイン #建築設計事務所 #スタッフ募集 #北海道長崎県人会 #北海道 #札幌 #hokkaido #sapporo #architects #architecture #architecturedesign #recruit #日本二十六聖人記念館 #昇天のいのり #今井兼次 #船越保武 #長崎 #長崎観光 #西坂公園 #twentysixmartyrsmuseum #nagasaki #nagasakisightseeing https://www.instagram.com/p/CmrRH2rpycS/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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akihiro0119 · 2 years
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. 一緒に三茶でスキップしたい女の子ランキング ぶっちぎりで1位 #自分調べ #ランキング #今日のランキング #ぶっちぎり #1位 #ranking #no1 #中村里帆 #かわいい #日刊スポーツ #推しが武道館いってくれたら死ぬ #推し武道 #高嶺のハナさん2 #らんまん #朝ドラ #三軒茶屋 (at Sangenjiyaya, Setagaya-ku) https://www.instagram.com/p/CjctTLErF61/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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Capitulo 1:ヨーロッパの雰囲気が漂う五稜郭/Goryokaku a hallmark with European airs. - Sean bienvenidos a una nueva entrega de cultura e historia japonesa, en este caso vamos a hablar sobre Goryokaku, localizado en Hakodate en la prefectura de Hokkaido al norte de la isla de Honshu. - Toponimia de Hokkaido en, el siglo XIX se llamaba Ezo, último reducto del shogunato contra el nuevo orden creando una república (1868-1869). Hay que destacar que Japón estubo cerrado al mundo durante 260 (1603-1868), este periodo se le conoce como periodo Edo, bajo el régimen militar Tokugawa. - En 1854 finalizaron los tratados de amistad con Estados Unidos, Gran Bretaña, Rusia. Hakodate se convirtió en una ciudad portuaria abierta al mundo exterior y en 1858, concluyendo el tratado comercial y al año siguiente se convirtió en puerto comercial. Hisaburo Takeda, estudio en Europa y se formó en fortalezas tipo estrelladas de traza italiana, en 1864 se completaron las contribuciones de la fortaleza. - Espero que os guste y nos vemos em próximas publicaciones. - Welcome to a new installment of Japanese culture and history, in this case we are going to talk about Goryokaku, located in Hakodate in the Hokkaido prefecture north of the island of Honshu. - Toponymy of Hokkaido in the 19th century was called Ezo, the last stronghold of the shogunate against the new order creating a republic (1868-1869). It should be noted that Japan was closed to the world for 260 years (1603-1868), this period is known as the Edo period, under the Tokugawa military regime. - In 1854 the friendship treaties with the United States, Great Britain, and Russia ended. Hakodate became a port city open to the outside world and in 1858, concluding the commercial treaty and the following year it became a commercial port. Hisaburo Takeda, studied in Europe and trained in Italian star-type fortresses, in 1864 the contributions of the fortress were completed. - 日本の文化と歴史の新しい記事へようこそ。今回は、本州の北、北海道の函館にある五稜郭について話します。 - 19 世紀の北海道の地名は蝦夷と呼ばれ、共和制を樹立する新秩序(1868~1869 年)に対抗する幕府の最後の拠点でした。 日本は 260 年間 (1603 年から 1868 年まで) 鎖国していたことに注意してください。この期間は、徳川軍事政権下の江戸時代として知られています。 - 1854 年にアメリカ、イギリス、ロシアとの友好条約が終了しました。 函館は対外に開かれた港湾都市となり、1858年に通商条約を締結し、翌年には商業港となりました。 武田久三郎はヨーロッパに留学し、イタリアの星型要塞で訓練を受け、1864 年に要塞の建設を完了しました。 source/ソース:photos internet/写真インターネット
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elle-p · 1 month
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PASH! March 2024 Persona 3 Reload part pictures and transcription.
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DATA
HP : https://p3re.jp
X (旧Twitter) : @p_kouhou
©ATLUS ©SEGA All rights reserved.
STAFF : 制作=アトラス
対応機種 : Xbox Game Pass、Xbox Series X | S、Xbox One、Windows、PlayStation 5、PlayStation 4、Steam
※ Xbox Series XS、Xbox One、Windows、 SteamはDL版のみ
料金 : パッケージ通常版9,680円、パッケージ豪原版17,380円、ダウンロード通常版9,680円、ダウンロード特別版15,730円、ダウンロード豪単版12,408円(すべて税込価格)
影時間、再び
名作RPGのフルリメイク作『ペルソナ3 リロード』を特集!伊織順平役・鳥海浩輔さん、真田明彦役・緑川 光さん、スタジオディレクター・山口拓也さんのコメントと共に、本作の魅力を紐解いていく。
学園ジュブナイルの名作『ペルソナ3』が現代技術で蘇る
2006年に発売され、多くのファンを魅了した『ペルソナ3』。約18年の時を経て、オリジナル版の魅力はそのままに、現代に合わせてフルリメイクした『ペルソナ3 リロード』(以下『P3R』)が2月2日に発売された!
本作は遊びやすくシステムがブラッシュアップされたほか、登場人物を掘り下げるイベントなどが追加されている。
ここでは『P3R』の奥深い物語や、システムを紹介。新たに蘇った『ペルソナ3』の世界に触れてみよう!
↑洗練された新規オープニングや、ゲームサウンドも話題に!
日と1日の狭間にある影時間に挑め!
影時間に現れる謎の敵・シャドウの襲撃を受け、ペルソナ能力が覚醒した主人公。彼は仲間たちとシャドウを討伐しながら、謎に満ちた影時間の真実に迫っていくことになる。
出会いと別れの先で主人公を待つ運命は
Story
→↓心の強さが力になるペルソナ使いたち。彼らは満月のたびに襲来する大型シャドウとの戦いや、仲間との交流を通して成長していく。
System
学園生活を通して自分の能力を磨こう
学生である主人公は、平日は学校に通っている。放味みや休日は、買い物や自分磨きなど、自由に行動することができる。
Point 1
イベントがいっぱいの学園生活
授業を受けたり、行事に参加したり、学内でのイベントがたくさん用意されている。登場人物たちと、楽しい思い出を作ろう!
↑←主人公には、学力、魅力、勇気の専用パラメータがある。授業を受けたり、試験でいい結果を出したりすると成長。特定のパラメータが高くないと、発生しないイベントもあるようだ。
Point2
コミュで絆を育てよう
主人公は仲間たちや一部の登場人物と、絆=コミュを築くことができる。交流してコミュランクを上げることで、登場人物を深掘りする魅力的な物語が展開。さらにランクが上がると、戦闘が有利になる要素も!
新規のリンクエピソードも登場
↑オリジナル版でコミュがなかった仲間キャラには、新規のリンクエピソードを追加。彼らの知らなかった一面が明らかになる。
And More
何をするのもあなた次第
←↑本作はカレンダー形式で、1日ごとに何をするか選択可能 (一部、行動できない日もあり)。部活をするもよし、アルバイトに励むのもよし。全ての行動が主人公の成長につながっていくので、毎日の行動を充実させていこう。
ペルソナ能力を活用しシャドウを倒そう!
影時間に登場するダンジョン・タルタロスに挑むことで、シャドウを討伐し、主人公たちのバトル能力を成長させることができる。
→シャドウには弱点がある。武器やスキルで弱点をつき、戦いを有利にしよう。
シャドウの弱点をつけ
Battle
強力なテウルギア
↑必殺技・テウルギアが追加され、バトル演出がより華やかに!
しゅ じん こう
主人公
CV : 石田 彰
月光館学園高等部に2年から編入してきた転校生。昔学園がある港区に住んでいて、約10年ぶりに戻ってきた。複数のペルソナを召喚できるワイルドの能力を持ち、S.E.E.S. (特別課外活動部) のリーダーを任される。
S.E.E.S
Character
特別課外活動部の仲間たち
主人公が一緒に戦うのは、月光館学園に秘密裏に存在し、シャドウ討伐を目的とする部活動S.E.E.S.に所属する個性豊かな仲間たち!
勝気だけど仲間想いなクラスメイト
たけ ば
岳羽ゆかり
CV : 豊口めぐみ
月光館学園高等部の2年生で、主人公や順平のクラスメイト。弓道部に所属している。容姿端麗なため、学内でもファンが多い。明るくしっかり者で、個性的な仲間たちのツッコミ役になっている。父親の死、そして母親との確執から、ひとりで生きようと考えており、強気な態度を見せることも⋯。
陽気なムードメーカー
い おり じゅん ぺい
伊織順平
CV : 鳥海浩輔
影時間に迷い込んでいるところを真田に救われ、S.E.E.S.に加入する。コミュニケーション能力が高く、陽気で仲間を盛り上げるムードメーカーだが、少し調子に乗りやすいところがある。同じ学年なのにリーダーを任されて周囲からの信頼が厚い主人公に対して、ライバル意識や劣等感を抱いているよう。
ストイックなボクシング部主将
さな だ あき ひこ
真田明彦
CV : 緑川 光
月光館学園高等部3年生。無敗を誇るボクシング部の主将で、学外にも名が知れ渡っている。過去のある事情から強さを追い求めており、影時間でのシャドウとの戦いも、どこか楽しんでいる節がある。文武両道でストイックな性格の持ち主だが、頑固で融通が利かず、少しズレた反応を見せることも多い。
生徒会長を務める大企業の社長令嬢
きり じょう み つる
桐条美鶴
CV : 田中理恵
月光館学園高等部3年生で、生徒会長。S.E.E.S.を立ち上げ、自身も部長としてメンバーをまとめている。世界有数の大企業である桐条グループの社長令嬢だが、影時間には彼女の家が深く関わっているようで⋯。品行方正な優等生だが、世間知らずな面もあり、浮世離れした言動で周囲を驚かせる。
分析能力に優れたナビゲーター
やま ぎし ふう か
山岸風花
CV : 能登麻美子
月光館学園高等部2年生。穏やかで控えめだが、芯はしっかりしている。ある出来事で影時間に閉じ込められ、主人公たちに救出された。そこでペルソナ能力が覚醒し、S.E.E.S.の一員に加わる。情報収集や分析が得意で、サポート能力に優れた専用ぺルソナ・ルキアの力を使い、ナビ役として仲間を支える。
人懐っこい忠犬
コロマル CV : 高橋伸也
寮の近くにある長鳴神社の神主の愛犬で、主人を亡くしたあとも、大切な場所を守り続けていた忠犬。ある事件がきっかけでぺルソナ能力に目覚め、主人公たちに保護され、一緒に寮で生活することになった。賢く、人懐っこい性格で、自身の気持ちを翻訳してくれるアイギスと、天田とは特に仲良し。
心を持った対シャドウ特別兵器
アイギス
CV : 坂本真綾
心を持った人型兵器として生み出され、ペルソナを召喚することができる。なぜか初対面から主人公に対して強い執着を見せるが、理由は不明。仲間に加わったあとは、月光館学園に通い、主人公たちのクラスメイトになる。機械らしく実直な言動が多いが、仲間と過ごすなかで、人間らしい感情が芽生えていく。
背伸びをして大人びた振る舞いをする小学生
あま だ けん
天田 乾 CV : 緒方恵美
月光館学園初等科5年生。事故で母親を亡くしており、主人公たちが暮らす巌戸台分寮に身を寄せることになる。あるきっかけでペルソナ能力に目覚め、幼いながらも、自らの意志でS.E.E.S.に加わることを決めた。とても礼儀正しく大人びているが、特撮ヒーローが好きなど、まだまだ子供らしい面も。
S.E.E.S.の創設メンバーのひとり
あら がき しん じ ろう
荒垣真次郎
CV : 中井和哉
月光館学園高等部3年生だが、現在は休学中。美鶴、真田と共にS.E.E.S.を創設したが、2年前のある事件が原因で現在は活動に参加していない。真田とは同じ施設で育った幼馴染みで、お互いに気にかけている。無口でぶっきらぼうだが根は優しく、料理が得意。また、コロマルを密かに可愛がっている。
順平は誰よりも人間臭くてとてもいい男
今作で初めて『ペルソナ3』に触れる方もいらっしゃると思います。改めて『ペルソナ3』という作品に、ご自身が感じられている魅力をお聞かせください。
独特の世界観、硬軟織り交ぜた見応えのあるストーリー、魅力的なキャラクター等あげたらキリがないですが⋯。新しい・古いではなく、ゲームとして楽しめるところが魅力ではないでしょうか。
ご自身が演じられている伊織順平の魅力や好きなところをお聞かせください。
順平はバカでお調子者でみっともなかったりだらしなかったりするのですが、誰よりも人間臭くて、成長して、決してスーパーマンではないけれど、とてもいい男だと思います⋯褒めすぎかな (笑)。
登場キャラクターの中で好きなキャラや思い入れのあるキャラがいれば教えてください。
Cast Comment 1
伊織順平役
鳥海浩輔
新しい・古いではなく、ゲームとして楽しめるところが魅力
とりうみ・こうすけ
アーツビジョン所属。主な出演作 : 『うたの☆プリンスさまっ♪』愛島セシル役、『キングダム』尾平役 ほか
順平もゆかりっちも⋯てか、出てくるキャラクターみんな良いのですよ。とても魅力的なキャラクター揃いだと思います。まぁでも、手前味噌ですが順平が1番好きです。あとチドリも。
影時間 (1日と1日の間にある、普通の人には認識できない時間) にどんなことをしてみたいですか?
影時間は経験しなくていいです (笑)。
作中のお気に入りのペルソナを教えてください。
ヘルメスかっこいい。ジャックフロストかわいい。ケルベロスかっこいい。
月光館学園の生徒になったとしたら、どんなふうに過ごしてみたいですか?
やはり真田先輩と牛丼を⋯。
最後に読者にメッセージをお願いいたします。
とても楽しく、個人的にも思い入れのある作品です。是非多くの方に楽しんでいただきたいと思います。よろしくお願いいたします。
自分は。ペルソナ能力には目覚めなくていいです(苦笑)
今作で初めて『ヘルソナ3』に触れる方もいらっしゃると思います。改めて『ペルソナ3』という作品の印象をお聞かせください。
自分が初めて遊んだ『ペルソナ』シリーズです。自分はちょっと怖いものが苦手で、このタイトルもそういう雰囲気なんだろうなぁ。遊びたいけど大丈夫かなぁ。なんてビクビクしながらプレイしたのですが、めちゃめちゃスタイリッシュだわ、音楽はお洒落だわで、ものすごくハマりましたねえ。
ご自身が演じられている真田明彦の魅力や好きなところをお聞かせください。
結構ハードな過去を背負っている割には、あまりそれを見せないところかなぁ。
登場キャラクターの中で好きなキャラや思い入れのあるキャラがいれば教えてください。
う~ん。やっぱり荒垣 (真次郎) ですねぇ。
Cast Comment 2
真田明彦役
緑川 光
スタイリッシュで、音楽はお洒落だわで、ものすごくハマりました
みどりかわ・ひかる
青二プロダクション所属。主な出演作 : 『うたの☆プリンスさまっ♪』鳳瑛一役、『あんさんぶるスターズ!!』 天祥院英智役 ほか
影時間 (1日と1日の間にある、普通の人には認護できない時間) にどんなことをしてみたいですか?
色んな所に行って、普段と違うところを堪能したいです (笑)。
もしご自身がぺルソナ能力に目覚めたら、どんなぺルソナだと思いますか?
目覚めちゃうと、あの銃のパーン!ってやつしなきゃダメ???だったら、怖いので、目覚めなくていいです (苦笑)。
月光館学園の生徒になったとしたら、どんなふうに過ごしてみたいですか?
学生時代が、それはそれは昔過ぎてキラッキラ輝いているので (笑)、普通に友達とわちゃわちゃ遊びたいですね。普通が1番です (苦笑)。
最後に読者にメッセージをお願いいたします。
以前のものも面白かったですが、さらに面白くする自信があるからフルリメイクしたんだと思っているので、未プレイの方だけでなく、ブレイ済みの方たちも、是非、再びお手に取っていただけると幸いです。
Staff Comment
アトラス ペルソナスタジオ ディレクター
山口拓也
今のペルソナスタジオが魂を込めてお届けします
議論を重ねて丁寧に作っていく
『ペルソナ3 リロード』はどのような流れでフルリメイクが決定したのでしょうか?
『P3』のリメイク自体は元々ユーザーからの要望も多く、毎年アトラスが行っているユーザーアンケートでもリメイクしてほしいタイトルとして常に上位に上がるほどでした。ぺルソナスタジオとしてもユーザーの要望にお応えしたい気持ちはあったのですが、今までスケジュールや人員などの色々な都合で作れていなかったところに、丁度���々な都合がかみ合うタイミングが来まして、「今だ!」という感じで企画が動き始めました。
『ペルソナ3』という作品の魅力はどんなところにあるとお考えですか?
シナリオ、世界観、キャラクターなど様々な魅力があると思いますが、テーマに【死】を掲げているからこその、決して良いことばかりではない、人生の暗い部分にもフォーカスして繰り広げられる群像劇。それを通じて、自分自身はどう生きるべきなのか、限られた時をどう過ごすべきなのか、ついそんなことを考えてしまいながらプレイしてしまって、気が付くとどんどんあの世界に引き込まれていきます。そういった部分が『ペルソナ3』の魅力かと思います。
オリジナル版の発売から約18年後の今、リメイクするにあたって苦労された部分はありますか?
やはり何を変えるか、何を変えないかの取捨選択は非常に苦労しました。オリジナル版は今の『ペルソナ』のターニングポイントとなった伝説的なタイトルで当時のユーザーの方たちも思い入れが強いと思いますので、そういったすでに『ペルソナ3』をご存知の方とこれから新しく遊ばれる方の両方に最大限、現代の『ペルソナ3』として楽しんでもらうための取捨選択が一番苦労しました。関わったスタッフの中には過去の『ペルソナ3』タイトルをユーザーとして遊んだスタッフも多かったので、そういったスタッフとも一つひとつ議論を重ねて丁寧に作っていきました。
『ペルソナ3 リロード』ならではのアピールポイントもぜひ教えてください。
本作には様々な魅力がありますが、まずは何と言っても全面的に刷新されたグラフィックでしょうか。フィールドやキャラクターは等身大のスケールで作られ、UIも全て新規に作り直されています。特に3Dのキャラクターモデルはとても魅力的に作られていますので、大きな画面でじっくり見ていただきたいです。あと個人的にはコロマルの可愛さがもうたまらないので、仲間になった後は是非パーティに入れて、探索に連れて行ってみてください (笑)。
UIまわりや音楽のお洒落さも話題になっています。デザイン面やサウンド面でこだわられたポイントを教えてください。
デザインやサウンド両方に共通することですが、オリジナル版を遊んでいた方にも改めて楽しんでいただけるように、オリジナル版のイメージやニュアンスを汲み取りつつも新鮮さも感じていただけるようパワーアップさせることを意識しました。例えばリーですと、単純に見た目がカッコいいだけでなくこれまでのシリーズを通して培ってきたユーザビリティを損なわないように、遊びやすさや操作の快適さにもこだわって作っています。あと、サウンドでは今作では新曲もいくつか増やしているのですが、あまり曲自体を軸にしすぎると、懐かしさといいますか『P3』らしさみたいなものが損なわれる気がしたので、今作全体の演出や表現、ゲームプレイでパワーアップしたところや変化したところを考えてオリジナルを補完するような意識で追加しました。
キャラクターたちのイベントや寮生活も充実していますが、どのような経緯で追加されたのでしょうか?
『ペルソナ3』は主要なキャラクターたちが同じ寮に住んで暮らしているのですが、今まではあまりそのシチュエーションを活かした描写が少なかったなと思ったのがきっかけです。そこからスタッフと実際に同じ学校の同級生や先輩後輩と寮に住んでいたらどんな事をしたいかとかを話し合って、一緒にテスト勉強がしたいとかDVDが観たいなどいろいろな意見を踏まえて今の形となりました。
主人公たちと敵対する「ストレガ」のエピソードも追加されていますが、注目してほしいポイントはありますか?
今まであまり描かれていなかった、ストレガの各々が影時間やペルソナ能力に拘る理由の一端が垣間思えるかと思いますので、そういった点に注目していただけたら幸いです。また主人公とタカヤが対話する場面も増えており、この追加エピソードを通じ二人の関係も少し深くなっていく部分もありますので、そういった部分も注目ポイントかと思います。
豪華声優陣も注目されていますが、ボイス収録の際に印象に残っているエピソードなどがあればぜひお教えください。
『ペルソナ3』は割とシリアスな場面が多めのストーリーではあるのですが、そういった場面での鬼気迫る演技は、本当に収録に立ち会いながらスタジオで思わず目頭が熱くなるような凄まじい演技をしてくださり、改めて声優さんの凄さといいますか魂を吹き込むというのは比喩でもなんでもなく本当に吹き込んでいるのだなと感じたことが印象に残っていますね。これは本当に是非ゲームをプレイして体感していただきたいです。勿論何気ない日常の一コマもとても楽しく活き活きとした等身大の彼らが見られますので、そういった部分も存分に楽しんでいただければと思います。あとは、新たにキャスティングさせていただいたコミュキャラクターの声優さん方も本当に錚々たる方々に演じていただけたのはありがたかったです。勿論どのキャラクターも魅力を十二分に引き出していただきましたので、そのあたりも注目していただければと思います。
今作で初めてゲームをプレイされる方もいらっしゃると思います。プレイのコツやアドバイスなどがあれば教えてください。
『ペルソナ3 リロード』はカレンダーシステムという何か行動するたびにゲーム内の日付が進むシステムを採用していまして、ゲーム内で日々を無為に過ごし続けると月日がどんどん経過していき、気が付くと何も準備ができていないまま強敵と対峙する⋯なんてこともあります。なので、勉強やアルバイトなどの自分磨きや仲間や友人との交流は勿論、ダンジョン探索やぺルソナの合体等、様々な要素をまんべんなく進めていただいて、忙しくも充実した日々を送っていただくのがプレイするコツかなと思います。あとは難易度設定も用意してあり、ゲーム中にいつでも変更可能ですので、バトルが難しいと感じた方は遊びやすい難易度を選んでいただけたらなと思います。一番優しい難易度では絶対にクリアできるようになっていますので、ストーリーは気になるけどゲームは苦手という方も安心して遊んでいただけると思います。
最後に読者へメッセージをお願いいたします。
今の『ペルソナ』シリーズのターニングポイントにもなった『ペルソナ3』が装いも新たにフルリメイクされて『ぺルソナ3 リロード』として発売中です!“『ぺルソナ3』のリメイク”となっていますが他の『ペルソナ』タイトルを遊んでいなくても、オリジナル版を遊んでなくても全く問題なく楽しめる内容となっています。今のペルソナスタジオが魂込めてお届けする『ペルソナ3 リロード』。少しでも気になったらお手に取っていただけますと幸いです。
Keyword 1
『ペルソナ』シリーズとは
『ペルソナ』は、不思議なペルソナ能力に目覚めた少年少女たちの物語を描く、アトラスの大人気RPGシリーズ。各作品でストーリーは独立しているが、ペルソナを生み出すベルベットルームの存在など、世界観は共通している。『P3』はグラフィックやシステムなどを刷新し、新たな『ペルソナ』像をファンに打ち出した記念すべき作品だ。
↑ベルベットルームの主・イゴールは、シリーズに欠かせないおなじみの人物。
Keyword 2
スタイリッシュなUI
UI (プレイヤーが触れるメニュ―などのシステム) やキャラクターの2Dイラストがブラッシュアップされ、美しくより遊びやすいものになっているのも本作の特徴だ。
→バトルのメニューも操作性アップ!
Keyword 3
仲間たちとの寮生活
S.E.E.S.のメンバーは、全員同じ寮で生活している。本作では寮内で一緒に料理をしたり、試験勉強をしたり、仲間たちと一緒に過ごせる要素がたっぷり追加された!
↑一緒に過ごす時間が増え、仲間たちとの距離がオリジナル版より近い印象に!
Keyword 4
敵対する存在 “ストレガ”
影時間を利用して、他人の復讐の代行をするグループ“ストレガ”。彼らもペルソナ能力を持っており、影時間に対する考え方の違いから、主人公たちと対立する。彼らのイベントが追加され、想いや目的が明らかに。
↑ “ストレガ”が影時間やペルソナ能力に執着する理由とは⋯?
タカヤ
CV : 神奈延年
“ストレガ”のリーダー。独特な風貌と言動の持ち主だが、高いカリスマ性から、心酔する者も多い。影時間を特別な領域と考えており、影時間を消すために活動しているS.E.E.S.の前に、何度も立ちふさがることになる。
ジン
CV : 小野坂昌也
関西弁を話す少年で、戦闘では特製の手榴弾を使用する。頭脳明晰で、情報収集を得意とし、復讐代行サイトの運営を担当。過去の出来事からタカヤのことを強く信奉しており、彼につき従って行動している。
チドリ
CV : 沢城みゆき
絵を描くことを好む、白いドレスが印象的な少女。あまり感情を表に出すことがなく、他者に対して関心がない。ひょんなことから順平と出会い、交流するように。そのなかで、彼女の心に大きな変化が生まれていく。
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ari0921 · 3 days
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和六年(2024)4月25日(木曜日)
   通巻第8227号
 ウクライナなどへの追加軍事支援予算可決、このうち80億ドルは台湾
   グリーンベレーは金門、大使館警備は米海兵隊
*************************
 4月23日に米議会が可決したイスラエル、ウクライナ、台湾への追加支援予算950億ドルのうち、80億ドルが台湾支援である。
このパケッジには外国支援はあっても米国の境界線、不法移民への対応予算は含まれていない。議会上院の賛成は78,反対19だった。
その四日前に米議会報告書が発表され、2023年末時点で台湾には41人の米軍人が駐留していたとした。
これは米議会調査局が『議会のための台湾防衛問題』報告書としてまとめたもので、「少数の米軍関係者が台湾で任務を遂行していることは『公然の秘密』だった。事実上の駐台北米大使館は海兵隊が警備しており、施設は要塞化している。台湾における米軍人の任務内容に関しては「特定の作戦、交戦、訓練」は非公開になっている。
 ウォール・ストリート・ジャーナルは「今後数カ月以内に100人から200人の軍事訓練要員を台湾に派遣する」と報じたが、国防総省は、この報道を否定した。
 ���軍関連のサイト「SOFREP」では「グリーンベレーが台湾軍を訓練するために金門県に常駐している。ところが、台湾国内に矛盾があり、政治指導者と国民党と連携してきた台湾軍との間には明らかな信頼の欠如がある」と分析した。
 また同媒体は「台湾のエネルギー、食料、水、インターネットの供給に脆弱性があり、人材の採用、訓練、維持に苦戦している。また中国の武力侵略に直面して、台湾国民が経済的安全、身体的安全と安全、生命の観点からどのようなコストに耐える意思があるのか、あるいは耐えられるのかは明らかではない」と報じた。
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2015mai24 · 1 month
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【対談 #4】逹瑯(MUCC) × 柩(NIGHTMARE)が語る、<悪夢69>と確かな関係性「“株式会社ヴィジュアル系”で言ったら社長クラス」
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MUCCとNIGHTMAREが8月、東名阪ツーマンツアー<悪夢69>を開催する。同ツーマンツアーは8月17日のZepp Nagoyaを皮切りに、8月18日のZepp Osaka Bayside、ファイナルとなる8月24日のZepp Hanedaといった3会場をまわるもの。両者はこれまでにもイベント等で共演しているが、対バンは今回が初となる。
◆逹瑯(MUCC) × 柩(NIGHTMARE) 画像
結成24年目のNIGHTMAREに対し、MUCCは27年目であり先輩にあたるが、メジャーデビューは両バンド共に2003年だ。ヴィジュアル系というジャンルで括れば同じフィールドではあるものの、音楽性の差異は大きいかもしれない。しかし、NIGHTMAREは仙台を中心とする宮城、MUCCは茨城という同郷メンバーから成り立つバンド、という共通点もある。
そもそもなぜこのタイミングでツーマンツアーを企画したのか? どのようなライブ内容になりそうなのか? 開幕に向けて両バンドの関係性、それぞれの現在地、このツアーに懸ける想いなどを紐解く全四回の対談連載第一弾は両バンドのヴォーカリスト逹瑯(MUCC) × YOMI(NIGHTMARE)、第二弾はギタリストのミヤ(MUCC) × 咲人(NIGHTMARE)、第三弾はリズム隊のYUKKE(MUCC) × Ni~yaとRUKA(NIGHTMARE)対談をお届けした。そして最終回となる今回は、ツーマン<悪夢69>の首謀者ともいえる逹瑯(MUCC) × 柩(NIGHTMARE)だ。気心の知れた両者のトークセッションは終始笑いが止まらない。「うちらはたぶん、会社で言ったら社長クラスだと思う」といった深い話も飛び出す多面的な対談となった。
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▲<NIGHTMARE × MUCC「悪夢69」>
   ◆   ◆   ◆
■もう20年近くですね ■フランクに話できる唯一の先輩なんで
──8月に<NIGHTMARE×MUCC ツーマンツアー『悪夢69』>を東名阪で開催します。もともと言い出しっぺは誰なんですか?
柩:逹瑯さんです。
逹瑯:そう、俺です。
──MUCCは現在、結成25周年イヤーを掲げたワンマンツアーで忙しくしています。その最中にツーマンツアーを企画したのは、どういう理由からですか?
逹瑯:去年ぐらいだっけ、話したのは?
柩:タッツー(逹瑯)から急に連絡がきた感じで。今、LINEを見返してみたら、タッツーから「ツーマンできないかね?」って連絡来たのは、去年5月23日でした。
逹瑯:1年ちょい前ぐらいか。
柩:だから実現するまでに時間はけっこう掛かってます。
逹瑯:でもタイミングはいつでもよかったんだよね。早くできるんだったら早くでもいいし、うちの周年ツアーやライヴが終わって時間が空いたときでもよかった。お互いのタイミングが合って、ライヴできる会場が取れるときみたいな感じで。
──つまり逹瑯さんとしては、是が非でもやりたかったツーマンだったんですか?
逹瑯:まず、楽しいことが好きなんで。おもしろそうじゃないですか、NIGHTMAREとのツーマンは。こっちがおもしろそうだと思ったというのもあるけど、ファンのみんなも、おもしろそうだと思ってくれそうだなと。そっちのほうが大きかった。
柩:過去にイベントでMUCCと一緒になったことはあるんですけど、ツーマンはなかったんで。しかも若いときからめっちゃカッコいいなと思っていたバンドで、そのMUCCとツーマンできるのは、俺も嬉しかったですね。
──「若いとき」ってMUCCのことを初めて知ったのは、いつぐらいだったんですか?
柩:10代でしたね。17〜18歳ぐらい。だからMUCCもかなり初期のころ。
逹瑯:1stアルバムぐらいのときかね?
柩:そう。1stミニアルバム『アンティーク』(1999年発表)とかのころ。“このMUCCというバンドは、絶対に変な人たちなんだろうな”って勝手に思ってた(笑)。いわゆるヴィジュアル系でもないなって印象は当時からあって。
逹瑯:それを言ったらさ、俺が柩と初めて会ったとき、柩は猫目の全眼カラコンしていたからね。もう、コイツは普通のヤツじゃないだろうなって思った(笑)。
柩:いやいや、勘弁してください。『アンティーク』のころのMUCCって、メンバー写真もモノクロで、メンバー全員のメイクも統一されているような、見るからに暗い雰囲気もあって。明らかに普通じゃなかった(笑)。
──普通じゃないのは、お互い様という。
逹瑯:いや、でもどのバンドもそうでしょう。普通のことをしたい人は、まずバンドやらないからね。
柩:確かに。特にこのジャンルは。
逹瑯:みんな普通じゃないものを好きになって、それでヴィジュアル系のバンドを始める感じだったから。
──はみ出してこそカッコいいところがありますからね。
逹瑯:俺らは高校生のころからそうだったけど、“みんなと違うことをやってるほうが目立つ”と思っていたんですよ。だから“今、なにが流行っているんだろう?”ってのを知ったうえで、それとは違うことをやりつつ、上手に採り入れるというのが、一番の正解だと思ってたんですよ、目立つという意味ではね。あと、自分にできることや得意なことってのを、ちゃんと分かっていた…という意味では、柩もそんな感じだったよね?
柩:他の人とかぶりたくないなってのはありましたね。俺の場合、身近な人とも、それこそメンバーともかぶりたくなかったし。
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▲逹瑯(MUCC) × 柩(NIGHTMARE)
──柩さんはピアスを顔中に付けているじゃないですか。それも普通じゃない、というスタンスからだったんですか?
柩:ああ、かもしれない。
逹瑯:いや、オマエはドMだからでしょ(笑)?
柩:違う違う(笑)。
逹瑯:自傷行為の延長じゃないの? メンヘラでしょ(笑)?
柩:やめろって、その言い方は、違うっつうの(笑)。言い方がおかしいだろ。普通じゃないっていうか、ちょっとした変身願望から来ているかもしれないですね。
逹瑯:ああ、変態願望?
柩:変身! ヘ・ン・シ・ンだっていうの!!
逹瑯:あははは!
柩:やっぱり他とは違うこと、普通じゃないことって考えていったら、結果、こうなっていったんですよね。
──ピアスやタトゥーなど、最初は覚悟とか勇気も必要だったんですか?
柩:う〜ん、最初は勢いでしたね。15歳ぐらいからピアスを開け始めたんで。
逹瑯:最初は耳でしょ?
柩:耳だったかな…いや、違うわ。最初が口だ。
逹瑯:えっ!? 耳じゃねえんだ?
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▲<V系って知ってる?>2022年12月27日@日本武道館【BUCK-TICK Respect Session】逹瑯(MUCC) × 柩(NIGHTMARE)
──最初から普通じゃない。やっぱり変態ってことですか(笑)。
柩:その言い方しないで(笑)。で、2つ目が耳だったかな。
逹瑯:ファーストタトゥーは?
柩:タトゥーは腕というか、肩のあたりに。
逹瑯:どんな絵が入ってんの?
柩:普通のやつ。
逹瑯:普通のタトゥーってなんだよ(笑)? よく分かんねえって。
柩:龍。
逹瑯:おお、ドラゴンね。なんで龍にしたん? 一発目だからたぶん、すげぇ慎重になったと思うんだけど。
柩:最初にタトゥー雑誌とかカタログとかを見てたら、東京の彫師さんのカッコいい龍が載っていて。それがいいなと思ったので、その彫師さんのスタジオに行って入れてもらったんです。
逹瑯:やっぱり彫師さんによって、彫りの上手い下手もあるんだろうけど、絵の上手い下手もあるんでしょ?
柩:あるし、色のぼかし方にクセみたいなのもあるし。
逹瑯:気に入ってないタトゥーはないの?
柩:ない!
逹瑯:スゲーな。
──タトゥーは意味を持って入れる人も多いじゃないですか。
柩:自分への戒めという意味を込めて入れる人もいますね。俺も、ラクガキみたいに入れたものもあれば、そういう思いを持って入れたものもあるし。
逹瑯:戒め? そうか。じゃあ、前に酔っぱらって周りのみんなに迷惑を掛けた、その自分への戒めで入れたタトゥーというのは、どれ(笑)?
柩:そんなタトゥーないって。それに、その話はやめろ(笑)! 書けないやつだから。
──詳細が気になる。でも余計なこともいろいろ知ってそうなぐらい仲がいいんですね(笑)。
逹瑯:まあ、普通に遊び仲間だから。
柩:もう20年近く。フランクに話ができる唯一の先輩なんで、タッツーが。 ■みんなすげーことをやってきたんだなって ■自分で歌い始めて思ったから
──NIGHTMAREが一時活動を止めたときとか、ソロプロジェクトGREMLINSをスタートさせたときなど、逹瑯さんに相談もしたんですか?
柩:いや、俺からはなくて。タッツーから後で「あれはどうだったの?」とか聞いてもらうことはありましたね。
逹瑯:「自分で歌ってみてどうだったの?」とか。それぐらいの話で。
柩:やっぱ難しいですよね、歌って。上手い下手だけではどうにもならないってのが、露骨に出るパートかなと。
逹瑯:物理的に、出ねえ声は出ねえからな。
柩:そうそう。
逹瑯:ギタリスト的に言うなら、「ギター1本でなんとかしろ」って言われてる感じじゃん?
柩:そう、エフェクターもなしでね。
逹瑯:エフェクターはギリ使ってもいいけど、このギターしか弾いちゃダメだ、みたいなさ。このギターとこのアンプとこのキャビしか使っちゃいけませんって言われてる感じ。
柩:それでも、いかに表現するかっていう。やろうとしたら、やっぱすげぇ難しい。YOMIに対しても、他のバンドのボーカリストに対しても、みんなすげーことをやってきたんだなって、自分で歌い始めて思ったから。
逹瑯:しかも自分で選んで買った好きなギターじゃなくて、ずっと前から家にあったギターしか使っちゃダメだよって言われてる感じで(笑)。
柩:そうそう(笑)。理想と現実をまず思い知らされて、それでもいかに表現をしていくかって。
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▲逹瑯(MUCC)
──歌うということでは、逹瑯さんのここ数年の成長ぶりは、ライヴを観るたびに感激するんですよ。2022年からソロワークスを本格スタートさせたのも、いい効果につながっているんですか?
逹瑯:それで言うと、SATOちが抜けたタイミングで、いろいろ時間もできたので、根本的なところから見直したんですよ。まず環境を整えたかな、歌いやすい環境を。良くも悪くも、MUCC全体がスポ根みたいな感じというか、“できない理由は自分にあるんじゃないか”って思ってしまう人種の集まりで(笑)。環境を整えようって考える前に、自分に問題があるんだろって感じの脳みそを持ってる人ばかりで。SATOち脱退後にサポートドラムを入れて練習する時間が多くなったとき、まず歌う環境を見直して、歌いやすい状況を作っていく時間もあったんですよ。だから、その過程で気づきがたくさんあったかな。
──そういう経験をした逹瑯さんから、ソロではボーカルも兼任する柩さんにアドバイスもありますか?
逹瑯:GREMLINSは結成してから何年経った?
柩:今年で10年。でも全然やってない時期もあったから。ライヴはトータルで50本ぐらいかな。音源はアルバム2枚、��ニアルバム1枚、あとシングルが3〜4枚。今日もさっきまでGREMLINSのリハで歌ってて。この対談が終わってからもまた歌うんですけど、リハのときから大変な思いをしてます(笑)。
逹瑯:GREMLINSでは、全曲でギターとボーカルを?
柩:ギターはAメロだけ美月(G / TheTHIRTEEN, Sadie)が弾くとかもあるけど、ギターソロとかは基本俺が全曲で弾いてるんで。
逹瑯:そりゃ大変だわ。歌ってないところではずっとギターを弾いてるんでしょう?
柩:そう。あとサビでは、歌いながら弾いているんで。
逹瑯:そうなると水分補給する時間も隙間もないでしょ?
柩:曲の途中にはないよ。曲と曲の合間しかない。
逹瑯:そりゃキツいな。楽器をやっている人は、曲の途中にノドを湿らせるっていう考えがないんだよね。ボーカリストは、曲の途中でノドを湿らせて、一度仕切り直すってのが、実はけっこう大事だから。
柩:あっ、それやってないかも。タッツーの助言を聞いて、この後のリハ中はノドを潤します。
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▲柩(NIGHTMARE)
──歌の表現とか声の表情という面で、“こうすればいいかも”というアドバイスもあります?
逹瑯:それは好みとか歌のスタイルにもよるでしょう。K-POPとかR&Bとかが好きな人、泥臭いフォークソングが好きな人、ハードロックが好きな人、ミクスチャーが好きな人とか。それぞれによって歌い方も目指すスタイルも違うから。どのスタイルで、どういうボーカリストに憧れているかによっても、表現とか表情の付け方も違ってくると思うな。
柩:ちなみにタッツーは、細かいピッチとか気にしながら歌ってる感じ? それとも、そういうのはわりと自由にフィーリングのままで?
逹瑯:ピッチは気にするよ。今、自分がどのピッチで歌っていて、どういう声を出しているんだろうってのが、すごく分かるようなモニターの作り方を頑張ってる。自分が今、どれぐらいの声量で、どんな声を出しているのかが分からないと、それってそのまま歌のニュアンスに直結していくからさ。モニター環境も含めて、けっこう細かく煮詰めているかも。
柩:そんなところまで? 器用な人じゃないとできないパートだなって改めて思う、ボーカルは。
逹瑯:うん、そうだと思う。しかもライヴって、演奏して歌っていればいいってだけではないからさ。今、ライヴ全体がどんな空気感だとか、どういうふうに次の曲へつないでいこうとか、それはボーカルが考えなくちゃいけないから。ここで煽りを一発入れて、盛り上がったところで次だなとか。
柩:ライヴ全体を引っ張っていくというか。
逹瑯:そうそう。だから曲に没頭しつつも、どこかひとつ冷静になって、ライヴ全体の状況や空気感を見ていないとダメかもな。
柩:そこがすごいんだよな。俺、いっぱいいっぱいになるんだよ。
逹瑯:実際、難しいと思うよ。YOMIもアホなようでいて、ちゃんとやってるもんね(笑)。
柩:いや、アホだけどね(笑)。「アホなようで」ではなくて、YOMIはアホだけどやってる。この間、タッツーと飲んでいるときにもちらっと言ったんだけど、「いつかタッツーのソロとGREMLINSで一緒になにかやれたらな」って。
逹瑯:そうそう、やりたいよね。おもしろそうだから。
柩:俺も勉強になるし、絶対に。
逹瑯:勉強とかしないだろ、オマエは(笑)。
柩:いや、こう見えてすぐに刺激を受けるタイプだから、俺は(笑)。
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▲<V系って知ってる?>2022年12月27日@日本武道館【BUCK-TICK Respect Session】逹瑯(MUCC) × 柩(NIGHTMARE)
──お互いに受ける刺激があるでしょうし。
逹瑯:NIGHTMAREとMUCCの対バンもさ、一回だけで終わらせずに、何回もやりたいよね。今回の対バンに合わせて、こういう対談で、俺と柩以外のメンバーも仲良くなっているじゃん?
柩:そうそう。RUKAさんもYUKKEさんとの対談でけっこうしゃべったみたいで。
逹瑯:RUKA君なんて、そもそも強めに引っ張り出さないと出てこないからね。
──今までは、2バンドの全員がワチャワチャ仲いいって感じでもなかったんですか?
柩:今までは個々で仲がいい、という感じでした。俺とタッツーが一番面識ある感じだったかな。
逹瑯:柩とNi〜yaとはちょこちょこ会ったりしていたけど、意外とYOMIとは遊ばなかったもんね。昔、アイジさん(LM.C)と飲むこともたまにあったから、そのへんのつながりで咲人と飲んだことがあった程度かな。RUKA君とは全然遊んだことないな。街中で偶然会って話すことがあったぐらいで。
柩:そっちのほうがレアケースだけどな(笑)。
逹瑯:「今、あそこにいました?」って突然LINEに連絡が来て、「おおっ、確かにいたよ」って(笑)。でも、結局本人とは出会わずで、どういうこと?みたいなこともあったり(笑)。
──全員がグッと急接近して絡むツーマンツアーだから、楽屋もそうだし、ステージ上でも刺激的なことしか起こらないでしょうね。
逹瑯:絶対に起こる。この前、2バンド全体の生配信番組の雑談からの流れで、ツーマンライヴのセッション企画にRUKA君が参加することになってね。RUKA君をセッションに引っ張り出せただけでも、すでにすごいと思ってる(笑)。
柩:確かに(笑)。RUKAさんは、みんなでワイワイやらなそうな人だから。それを引っ張り出したタッツーはすげえな、と横で見てて思ってたから(笑)。
逹瑯:しかも、すげえ自然な会話の流れのままセッション企画に引っ張り出すというね。
柩:さすが、全体をコントロールするボーカリスト=逹瑯だなって(笑)。やるなーと。
逹瑯:ツーマンツアーがスタートする前から、楽しそうなライヴになりそうって感じでしょ。
柩:NIGHTMAREのファンも嬉しいと思います。あんまり見たことのないRUKAさんの姿を目撃できることになるから。引っ張り出したタッツーに対して、NIGHTMAREのファンみんな、すごく感謝すると思います。
逹瑯:それは嬉しい。それにRUKA君の笑顔を取り戻してあげないと。
柩:いやいや、笑顔はあるよ(笑)。笑顔がない人ってことじゃないから。
■SATOちを知らないお客さんを ■もっと増やさなきゃいけない
──NIGHTMAREもMUCCも、20年以上の活動の歴史を積み重ねています。それぞれの現在の立ち位置から過去の自分たちを振り返ると、どう映りますか?
逹瑯:柩ってNIGHTMAREの前にバンドやってたの?
柩:ちゃんとしたバンド活動はやってない。
逹瑯:初バンドか。じゃあ俺と一緒だね。
柩:でも、セッション的にコピーバンドみたいなのはやったことあるけどね。
逹瑯:オリジナル曲をやるバンドは、NIGHTMAREが初めてでしょう? 俺もMUCCが初めてだから。ミヤさんはその前にバンドやっていて、YUKKEさんもちょこっとセッションバンド的なことをやってた。SATOちも前のバンドあったし。それで質問の答えだけど、この間、ボーッと振り返るような時間があったんですよ。バンドをやっていないプライベートの友達とか同じ歳の地元の仲間とかって、社会的にけっこう偉い立場や役職に就いてたりするんですよね。で、ヴィジュアル系バンド全体を一個の会社として考えたら、我々の役職はなんだろう?ってさ(笑)。
柩:すごい考え方するな。
逹瑯:いろんなパターンを考えていったとき、うちらはたぶん、会社で言ったら社長クラスだと思うよ。
柩:えっ!? うちら社長なの?
逹瑯:いやいや、先輩方はいっぱいいるんだよ。だけど、あの人たちは会社で言ったら会長クラスだから。たぶん我々世代が“株式会社ヴィジュアル系”で言ったら、いろんなところの支社長とか社長クラスなんだよ。
柩:まじ!? そんな話をされるとちょっと責任感が……(笑)。
逹瑯:ちょっと姿勢が変わってくるよね(笑)。
柩:うん、変わってくる。好き勝手やってるのもどうなのかな?って話になるし、でも好き勝手やりたいし。
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▲MUCC
逹瑯:そう。でも業界全体で考えたら、我々は社長クラスになってる世代だし、意識してそうなっていなきゃいけないんだろうなって。そう考えたら、けっこう痺れたよー(笑)。
柩:そっかー、たしかに世代的にはそうかもな。自分たちがバンドを始めたころ、今の俺らの年齢の人たちって、すごい年上の方々、という印象だったもんね。
逹瑯:うちらがバンド活動をかじるか、かじらないかぐらいの10代のころに、第一線ですでにバカ売れしていた先輩たちは、ヴィジュアル系会社を設立した人たちだよ。会社の創設者ってことだね。それから何年も経って、我々は今、もう何代目って感じだろうけどさ。そういう立ち位置になってくると、今度は下の世代に対して、会社をよりいい状態にしていかなきゃいけないじゃん。
柩:そうだね。次の世代へ受け継いでいってもらうために。
逹瑯:そうそう。そうなっていくことが、我々世代が会長クラスとかになったときの住みやすさにもつながっていくからさ(笑)。
柩:あははは。すごいこと言うね(笑)。
逹瑯:だから自分たちのことばかり考えていてもいられねえんだろうなって。
柩:そうだよね。俺ら世代が刺激していかなきゃいけない。
逹瑯:そういう意味で言うと、NIGHTMAREとMUCCのツーマンツアーは、そういうことのひとつの要因になったらいいな、とは思うよ。
柩:確かに。直接的な後輩バンドたちもそうだけど、面識のないバンドマンとかにも観に来てもらいたいな。特に年下の頑張っているバンドマンたちに。
──単なるツーマンツアーではなく、シーン全体を活性化させるツアーにするという意気込みですか?
逹瑯:うん、そうなったらいい。
柩:ファンも、もうお母さんになっている世代が多いので、ライヴ離れしていった人たちもやっぱりいて。
逹瑯:子育てに忙しくて、ライヴに来れないって方もやっぱり多いからね。
柩:子育てしつつ仕事もしつつ、日々忙しくて、仕方なくライヴから離れてしまった方々がね。でも今回のツーマンツアーだけはちょっと観てみたいって、そういう方々も刺激したいですよね。青春を思い出してもらいたい。我々が活動をスタートさせたころにライヴハウスに来てくれてた高校生とかが、あの当時の気持ちになれるように。
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▲NIGHTMARE
──でもMUCCもNIGHTMAREも、ライヴにけっこう若い世代もいますよね? この前、MUCCの野音ワンマンに行ったら、周りは若い子ばっかりで熱かったですから。
逹瑯:いいですね。ここ最近、ずっと思っていることがあるんですよ。全体の活性化もそうだけど、俺が今MUCCに関して思っていることを言うと、“SATOちさんのいた時代のMUCCを観てみたかった”という世代をもっと増やさなきゃいけないと思っていて。SATOちを知らないお客さんが増えないと。
柩:それだけ若い世代が来てるっていうことか。
逹瑯:そうそう。「SATOちがいなくて寂しい」って言ってる方ばかりでは、まだ新しい世代に向けてアピールできていないなって。今、MUCCの現場を手伝ってくれる若いスタッフが2人いるんだけど、彼らはSATOちの時代を知らないからさ。“今、一緒にものを作っているスタッフの中に、SATOちを知らない若い子がいるのか。すごいな”と思ってさ。
柩:SATOちさんって何年前でしたっけ?
逹瑯:えっ、死んだの(笑)?
柩:死んでないし(笑)。なんでSATOちさんを殺すの。
逹瑯:今、SATOちはムキムキだからね(笑)。
──パーソナルトレーナーとして生命力に溢れる体つきですから。
逹瑯:ほんとにそう。SATOちが脱退したのは、もう2年ちょい前か。
柩:衝撃だったもん、脱退。めっちゃ寂しい、と思って。
逹瑯:NIGHTMAREはそういう時期なかったの? 例えば誰かがしんどそうだな、とか。柩はしんどいと思ってた時期ないの? NIGHTMAREがバーンと売れ出したたとき、スケジュール的にもしんどかったとか。
柩:確かにしんどかったけど、“これが当たり前で、こういうもんだ”と思ってやっていたからね。俺は飼い慣らされてた(笑)。
逹瑯:よく言うよ(笑)。そのへんはメンバーみんなの地元が一緒というのもデカいかもね。
柩:そうそう。MUCCもメンバー全員、地元が一緒でしょ。地元が一緒で、みんなでこっちに出てきたっていう絆的なものがあるよね。
逹瑯:NIGHTMAREのメンバーは、通ってた学校も一緒なの?
柩:いや、別。俺とRUKAさんとは同じ高校だったけど、通っていた時期はかぶってないよ。
逹瑯:3つぐらい違うの?
柩:ううん、2つだけど…かぶってないってこと(笑)。
逹瑯:ああ、学校を辞めてるってことだね。で、どっちが?
柩:そこまで言わせるのか…どっちもだよ(笑)!
逹瑯:本来ならかぶってたはずなのに、やめてたからかぶらずと(笑)。で、高校を?
柩:中学を辞めるって無理でしょ(笑)。そんなの茨城でも無理でしょ。
逹瑯:高校が別なのに、よくRUKAさん以外は同じ歳のメンバーが集まったよね。
柩:友達を通して、それぞれ知り合っていったんだよね。
逹瑯:地元が一緒だと、メンバー間でバンド以外の共通項も持ってるわけじゃん。それがすごくいいなと思う、やってて。
柩:昔話も普通にできるから。
逹瑯:そう。昔からのツレが、メンバー間で一緒だったりするし。
柩:それで言うと、俺からしたらタッツーは先輩だけど、10代からの知り合いだし、地元のツレに近いものを勝手に感じている。
逹瑯:MUCCが仙台に行き始めたのも早かったしな。
柩:そう。昔からタッツーはあんま変わんないもん。ズケズケとモノを言う感じとか(笑)。
■一緒にものを作っていくときに ■ひとつのムーブメントって生まれる
──そういう近しい間柄だと、たとえば、ちょっとした行き詰まりを感じたり悩んだりしたとき、少し話しただけで力の出る言葉を掛けてくれたりとか?
柩:うん、まさにそう。
逹瑯:でも、柩はあまり悩むことなさそうだよな。
柩:いや、あるよ。なに、その勝手な決めつけは(笑)。
逹瑯:自分で解決してそうだから。
柩:ああ。いや、けっこう悩んだり、ストレス溜まったりするタイプなんだよ。
逹瑯:ほんと? いろんなタイプがいるじゃん。DEZERTのSORAとかアルルカンの暁とかは、一生悩んでそうなタイプじゃん。
柩:ああ。俺はそういう感じでもないかな。
逹瑯:人種的にそうじゃないじゃん。あと、メリーのガラは悩んでるとかじゃなくて、誰かに愚痴を聞いてほしいだけだからさ。悩みとかじゃなくて、ただぼやきたいだけでさ、一生(笑)。
柩:ひどいな、言ってることが(笑)。��ラさんはめちゃくちゃ優しいよ。
逹瑯:俺は悩み事がないわけじゃないけど、人に話して解決するような感じでもねえし。
柩:タッツーは人からアドバイスもらって悩みを解決するような人じゃない気がするな。
逹瑯:うん、人に話して解決するようなことだったら、自分で解決できるし。自分で解決できるんだったら、人に話したところで解決できない感じ。
柩:分かる。俺は溜め込んじゃう時期があるんだよな。
逹瑯:俺は溜め込まないんだよ。忘れちゃうんだよね(笑)。とりあえず目に付かないところに置いとくと、そのまま忘れちゃう。で、賞味期限が切れてる。もう、いいかって。
柩:その考え方、ちょっといいかもしれない。
──逹瑯さんは常に前向きだってことですね。
柩:うん。前向きなほうがいいですよ、基本的には。
逹瑯:それに、たいがいのことは時間が経てば解決しているからね。だってさ、20代のころに抱えていたような悩みは、今となってはどうでもよくない(笑)? それって時間が経てば解決したってことでさ。
柩:どうでもいいし、当時の悩みも覚えてないもん。
逹瑯:でしょ? そんなもんなんだよ。その程度の悩みしかない人生を送れているのは、幸せなことだよね。
柩:確かに。いろんな事情があって、ずーっと同じ悩みを抱えている人もいるから。
逹瑯:我々は好きなことやれているし、少数精鋭のクリエイティヴなスタッフに囲まれているから、まず、職場の人間関係で悩むことがほぼないじゃん。たいがいの人の悩みって、職場の人間関係だったりするでしょう。そこに関して我々は経験したことがないから、なんの助言もできないよね。相談されても綺麗事しか言えないと思う。
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──“株式会社ヴィジュアル系”の社長として、これから若いバンドマンたちに頼りにされる場面も多くなりそうですよ。
逹瑯:むしろ、うちらが力を貸してほしい気がしてるんだよね。“なにかイベントやろうぜ” “フェスやろうぜ”ってときに、“出てくれ”とか“一緒にやってくれ”とかさ。誘われるほうも出させてもらったというよりも、一緒に作りましょうってスタンスのほうが、絶対に楽しいよ。
柩:変な遠慮はしないでくれっていう。
逹瑯:うん。一緒にものを作っていくときに、ひとつのムーブメントって生まれると思う。それは一人の力ではどうにもならないからさ。ムーブメントを作っていくとき、力を合わせるのが必要だと思う。
柩:タッツー主導でフェスやってよ。
逹瑯:やりたいと思うんだけど、やるんだったら、継続して毎年もやらないと意味がないと思ってるんだよね。一発で終わっちゃったら、ただのイベントだから。継続して毎年やることで、ひとつの文化やコミュニティになっていくわけじゃん。だからやるとなったとき、相当な覚悟が必要だと思ってる。
柩:MUCCがやるときは呼んでほしいです。
逹瑯:絶対に呼ぶんじゃないかな、うん。
柩:うちのボーカルの弟のバンドとかも。
逹瑯:YOMIの弟…?
柩:YOMIの弟が、仙台貨物ってバンドをやってるんで。
逹瑯:あっ、あれ弟なんだ!? 俺は同じ人かと思ってた(笑)。
柩:いや、別人です!
逹瑯:じゃあ、スリーマンしよう(笑)。MUCCがトップバッターやるから。
柩:その順番はどうなの(笑)? 仙台貨物とNIGHTMAREが続いちゃうんだよね。ちょっといろいろ相談をしないといけないかも(笑)。
──仙台貨物のフルフェイスさんにも話を通さないとマズいですよね、きっと(笑)。
柩:あ、ギターの人ですか? 僕は全く面識ないんですけどね(笑)。
逹瑯:あ、そう来る(笑)? メンバーさんに“本当はこんなバンドやりたくないんだよな”と思ってる人はいないんかね?
柩:いや〜、いないんじゃないかな。まっ、そういう時期もあったかもしれないけど(笑)。
逹瑯:俺、ずっとベースの人はオウチンチン(王珍々)…おちんちんかと思ってた。そしたらワン・チェンチェンなんだよな。
柩:ああ、そうらしいですね。俺もちょっとあんまり詳しくないんで(笑)。株式会社ヴィジュアル系の話に戻るけど、社長という立場にいるって自覚しなきゃいけないのであれば、俺らも今後はイベントとかいろいろやっていきたいし。
逹瑯:いや〜、でもNIGHTMAREは友達が少ねぇからな。
柩:だからそれ言うの、やめてもらっていい(笑)? 俺ら田舎から出てきてますから。
逹瑯:いや、うちらも田舎から出てきてんだよ(笑)。
柩:でも茨城のほうが東京に近いし。
逹瑯:若干ね(笑)。ところで普段、なにして遊んでんの?
柩:遊ぶ……たとえば2週間ぐらい休みがあったら、夏ならダイビングとか。沖縄はやっぱ綺麗。
逹瑯:本島より離島がいいんでしょう? 沖縄のバンドマンに言わせると、「沖縄本島はこれでも汚くなったんですよ」ってことだからね。全然綺麗なのに。
柩:すごく綺麗だよね。あとサクッとダイビングに行くときは伊豆とか。
逹瑯:大島とか新島とか、あっちのほうも良さそうだよね。俺、今年は秋口ぐらいにキャンプに手を出してみようかと思ってて。
柩:ちょっとそれ、俺も行きたい! 去年、初めて行ったんだけど。
逹瑯:テントとか持ってんの?
柩:寝るときはバンガローだった。
逹瑯:それキャンプじゃねえーし! バカ野郎!! 自分で建てろ、寝るところは。テントと寝袋だよ。だから、ちょっとずつキャンプ用品を揃えていこうと思ってて。
柩:行くなら9月?
逹瑯:10月後半ぐらいから狙えたらなと思ってる。
──ツーマンツアーの打ち上げは、キャンプ場に決まった感じですか?
柩:しますか、2人打ち上げをキャンプ場で(笑)。
逹瑯:キャンプ部結成だな。YUKKEさんが部長で。
柩:あっ、それ最高です。
──最高なキャンプの前に、大事なのがツーマンツアーですよ。
柩:そうですよね。ステージ上だけじゃなくて、フロアのみんなも、我々と同じようにテンション上げて盛り上がってほしいですね。別々のバンドのファンの子が一ヵ所に集まるわけだけど、ギクシャクしないでほしいっていうか(笑)。仲良く盛り上がってほしい。
逹瑯:そこに関してはうちらよりフロアのほうが慣れてるでしょう。ファンのみんなは、いろんなライヴに行ってるだろうから、経験値も高いよ。
──そんなオーディエンスのみなさんに、最後に言葉をいただけたらと思います。
逹瑯:なんも深く考えずに、遊びに来て楽しんでもらうだけでいいので。いい意味でライトな気持ちで遊びに来てもらえばいいと思っています。
柩:構えないで来てほしいね。お互いのバンドの曲は、事前にある程度は聴いてきてほしいですけど。
逹瑯:ある程度? 難しいよ、300曲以上はあるからね(笑)。
柩:じゃあ、ちょこっとでも、最新曲とかだけでも(笑)。まあ、夏の思い出を作るぐらいに、夏祭りに行くような感じで来てもらえればなと思います。自分も構えるというよりは、ライヴ当日を楽しく迎えたいと思ってます。
取材・文◎長谷川幸信 撮影◎冨田味我(MUCC LIVE)/菅沼剛弘(NIGHTMARE LIVE)
13.08.2023 quelle: barks.jp
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buck-tick-stash · 4 months
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【アンコール後のメンバーあいさつ】
樋口豊(ベース) 「今日はたくさん集まってくれてありが とうございます。今日、来られなかった全国のファンの皆 さん、ありがとうございました。時間がない中、こんな 素晴らしい)ステージを作ってくれたスタッフの皆さ ん、ありがとうございます。1985年、新宿の小さなラ イブハウスに5人が立って。それからデビューしてツアー に行けるようになり、たくさんの皆さんとライブを楽しめ ました・・。BUCK-TICKはライブバンドなので、ラ イブをして成長したと思っています。そして、皆さんと作 ってきたと思っています。あっちゃんは天国へ行ってしま いましたが、BUCK-TICKはずっと5人です。どん な未来になるか分かりませんが、1つだけ分かっているこ とは、これからも、皆さんとBUCK-TICKを続けて いくことだと思っています。みんなでずっとずっと大切に してきたBUCK-TICKを、これからも皆さん、一緒に作っていきましょう…。よろしくお願いします。」
ヤガミトール(ドラム) 「不良だった弟(=樋口)が、こんなに立派なコメントを言うとは思っていませんでした。 すいません。前代未聞というか、そういう状況になりまし た。続けていいんだか、やめた方がいいのか、いろいろと 考えました。こういう風にファンの皆さんがいるので…・・、 継続させて頂きたいと思います。どういう形になるか分か りませんが、来年は新譜のレコーディングに入ると思いま す。今井、星野英彦の脳内には、まだ何千曲とアイデアが 眠っていると思います。それを発表したいと思います。期 待していてください。これからもよろしくお願いします、第2期のBUCK-TICKということで」
星野英彦(ギター) 「今日、新しい一歩を踏み出すことが できました。不安の中、武道館に足を運んでくれて本当に ありがとう。不安だったよね?みんな不安でした。で も、パレード(ニライブ)はこれからも続きます、もう一度、言います。パレードは続きます」
今井寿(ギター) 「人生は容赦ねえなぁ〜。面白いぐらい ドラマチックで。でも、笑えねえよ。何死んでんだよ、 な?大丈夫だよ。(バンド活動は)続けるからさ、、一緒に 行こうぜ。あっちゃんは死んだけど、別にそれは悪いこと じゃありません。当たり前のことです。だから、悲しいけ ど、泣いてもいいけど、号泣してもいいけど、苦しまない でください。死んだことより、いなくなったことより、生 きていたということ、存在していたということを大事にし てください・・。あっちゃんはまだ、天国には行っていませ ん。まだ、この辺にいます。ずっと一緒にいると思いま す。来年、BUCK-TICKは新曲作って、アルバムを 作ります。最新が最高のBUCKーTICKなんで、期待 していてください。でも、覚悟していてください。(将来的 に)次は(バンドメンバーが)3人になります。覚悟して いてください。それでもパレードは続けます。次は2人、 次は1人になり、最後の1人はオレかな。それでも続けるんで、みんなを連れて行きたいと思っています。きょう、 12月29日はBUCK-TICKにとってハレの日で す。乾杯をする日です。乾杯しようか、乾杯!ありがと う。みんなも帰りに乾杯して、BUCK-TICKの話、あっちゃんの話をしてください」
as reported here.
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mm0924 · 5 months
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November of Mei Nagano. 11月。今日は30日。つまり、11月最後の日。今年の4月から毎月続けてきたTumblrだけど先月に引き続き今月も、締切に追われる漫画家のような気分で執筆開始。このながのの月記は【前書】【思考】【仕事】【音楽】【後書】の五段落で構成しています。今回この次の段落【思考】では、人と接するときに考えたいおもてなしの心〝接遇〟について書きたいと思っているんだけど、それに通ずる部分があるのかなと思った出来事をここで。出会いも別���もタイミングは選べないし、予期せぬ別れはどんな理由であれやっぱり辛い悲しい気持ちになっちゃいますよね。気付いたらいなくなってる人がいて、だけど他の人のところには帰ってきてて「なんで自分のところには来てくれないの?」って、そんな経験もあるんじゃないでしょうか。ながのはあります。だけどそこで「悲しい」「なんで」「その程度でしか見られてないのか」って思ってしまうのは正直まだまだだと思っていて、もちろん合う合わないもあると思うけどそれでも離れてほしくないと思うのなら離れてほしくないなりの行動をしなきゃいけないし努力をしなきゃいけない。それができないのに軽率に手を繋ぐのは失礼にあたるのではないか、とまで思ってしまいます。ながのにはこれといった取り柄がないから、ながのにできる範囲の努力は絶対に怠ってはいけないし他の人よりも頑張らなきゃいけない。まだまだみなさんの側にいたいから頑張らせてください。そしてちょこっとだけ欲張りなことを言うと、頑張れないときのながのも愛してやってください。前説っていう大事な導入部分で辛辣な意見を綴ってしまったことに若干の反省はしています、が「いいもん、めいのTumblrだもん!何を書くもめいの自由!」と全力で開き直って続きを書いていこうと思います。だって書き直す時間がない(事前に下書きしてなかったながののせい)からね。ざっ!っと書いて、ぐっ!っと読み直して、ちょちょちょ!っと直して、華麗に投稿ボタン押してやりますよ!あ、決して適当に書いてるわけではないですよ。だってこうして永野芽郁に、ながのという人間に触れるために大切な時間を割いてこのTumblrを読んでくれる方がいるんだから、適当になんてできない。「めいちゃんのこと知れたな」とか「こんな考え方もあるんだな」って少しでも有意義な時間を過ごしてもらえたら幸いです。 4月に58人いたフォロワーさんが今では69人になり、新しい出会いがあるたびに百人百様という言葉の意味を知る日々です。100人いれば100種類の姿、形、顔があるし100種類の存在意義があるんです。今月は〝接遇〟について考えました。人と向き合うとき他者の体験や経験、本やネットから得た知識を参考にするのが間違いだとは思わないけど、この方法が最良だ!なんてそんな便利なマニュアルはないんです。きっとここで考えなきゃいけないのは、今めいが向き合っている人は誰なのか。そして、他の誰かに効く薬がその人に効くとは限らないということ。じゃあながのが持ってる薬って、できることってなんなんだろう。先日「めいちゃんに相談したいことがあって」って悩みを話してくれたお友達に「どうしてめいなんですか?」って素朴な疑問をぶつけると「めいちゃんは悩みを無駄にしないからね」って伝えてくれたんです。「楽しい話をしてくれるから」「元気がでるから」「話しやすいから」いいように考えてもそんなところかな、と思っていたから相手がそう見てくれていたことがとっても嬉しかった。こうして綴ってみたけど、これが誰にでも効くってわけじゃないからまた難しいんだけどね。何気なく受け流している言葉は相手が縋るような思いで紡ぎ出した一言かもしれない。だから、1つも取りこぼさないように全部掬って無駄にしない、これはながのにできること、ながのがしなきゃいけないこと、そして存在意義の1つだと思って大切にしていこうと思います。 お仕事!11月は日本武道館でのイベントをはじめ、ドラマや映画の情報解禁などもあり盛沢山な1ヶ月でした。単独イベント『非公開』の会場では季刊誌「team mate」特別版を発売させていただきました。そして今年も『永野芽郁オフィシャルカレンダー2024』の発売が決定しました!12色のカラーテーマに合わせた写真はみなさんの毎日をカラフルにすること間違いなし!是非お部屋の片隅に置いて1年のお供にしていただければと思います。今回のお仕事紹介はお話したいことがたくさんあるので、以下3本立てでお送りします。 【フジテレビ系連続ドラマ『君が心をくれたから』】 月曜9時というドラマの中でも特別な枠だと思ってきた月9で、主人公の逢原雨を演じさせていただきます。愛する人のために〝心〟を差し出す、過酷な奇跡が引き起こすファンタジーラブストーリー。初めて台本を読んだときは、心が苦しくなったりこの役が自分にできるんだろうかという不安もありました。だけどそんなネガティブな気持ち以上に〝今の自分の全てをかけて挑みたい〟と思う作品に出会えたことが幸せだし、今撮影していて凄く嬉しいです。『君が心をくれたから』は誰かのことを純粋に想ったり何かをしてあげるということは素敵なことだと改めて感じられたり、逆に人を想って何かをすることが相手にとっては酷なことだったりもするという人間のリアルな部分も描いた作品です。今心がもやもやしていたり未来がちょっと不安な方が寒い冬の夜、心温まる〝愛の物語〟に救われますように。初回放送日は2024年1月8日成人の日。30分拡大でお送りします。お楽しみに! 【映画『からかい上手の高木さん』】 山本崇一朗さんによる人気コミック『からかい上手の高木さん』の実写映画版で主人公の高木さんを演じさせていただきました。原作で描かれている隣の席の女の子にからかわれ続ける男の子…から実写映画版では10年が経ち、母校で再会する2人を描いたオリジナルストーリー。お話を頂く前からいち視聴者として原作やアニメを拝見していたので『からかい上手の高木さん』の世界に入ることができてとても嬉しく思いながらのびのびと楽しく演じさせていただきました。自然豊かで穏やかな小豆島で撮影できたことによって、スクリーンの中にも穏やかで温かく観ていて心地の良い映画になっていると思います。全編小豆島で撮影された本作は2024年5月31日公開です。お楽しみに! 【永野芽郁『非公開』in日本武道館】 8月末に開催を発表させていただいてから3ヶ月、あっという間でした。まずは無事に開催することができたこと、ありがとうございます。日本武道館という場所はながのにとっては大きすぎて、大勢の人が集まってくれるとわかっていてもどうしても立てる自信がなくて、だけど11月23日イベント当日「めいちゃーん!」「大好きだよ!」って全部全部ちゃんと届いてたよ。ながのの不安を全部蹴散らしてくれる愛に溢れた人たちが、時間が、そこにはありました。とってもとっても幸せでした。大型二輪免許の取得、ピアノで作詞した曲の弾き語り、Vaundyくんが歌う『カーニバル』でのドラム演奏、一人芝居などなど、ながのにとっては〝挑戦〟だらけの2時間15分でした。そう、今回のながの的裏テーマは〝挑戦〟。きっとみなさんに楽しんでもらえる時間をプレゼントできたんじゃないかなと思います。そして(メタな話にはなりますが)、永野芽郁ちゃんに見合うように頑張らないとと感化された1日でした。これからもみなさんに応援したいと思ってもらえるような人でいられるように、自分らしく楽しく面白がりながら努力していきたいと思います。これからもながのについてきてください。一緒にいろんな景色を見に行きましょう。みなさんのことがメイトのことが、大好きです。
11月のながののイチオシソングは米米CLUBさんの『浪漫飛行』。いつまで経っても古くならない石井竜也さんの詩。やりたかったのにやっていなかったこと、逢いたかったのに逢っていなかった人、行きたいのに行けてなかった場所…荷物はトランク一つ、イメージははちきれそうなくらいに膨らんで心はあの人に話したいことで溢れかえる、そういう〝夢〟が『浪漫飛行』にはあります。〝夢〟や〝愛〟の前で不安になることもあるかもしれないけど、そのすぐ側には希望がいてくれているはずです。〝逢いたい〟その気持ちがあれば旅に出る理由は十分。準備万端。会いたい人がいるっていいですよね。会いたい人がいるうちはきっと大丈夫なんだろうと思います。会いたい人には今すぐ会いに行って!ながのは会いに行くことにするよ。 今月はお仕事の情報がたくさん解禁になったのでお仕事の話をたっぷりさせていただきました。気になるものはありましたか?大量の情報解禁とまとめる時間と技術のなさが相俟って(盛大な言い訳)長くなってしまいましたが…これからのながのも見たいと思ってもらえますように!もっと知って興味をもってもらえますように!自由に書きたいことを書きたいだけ書いためいの月記、最後まで読んで下さりありがとうございました。 12月のながのめいもよろしくお願いします︎︎︎︎︎︎☺︎
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75log · 1 year
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BABYMETAL THE OTHER ONEに両日参加してきました!本当に最高の2日間でした。 4月がめちゃくちゃ楽しみです!
あとこの衣装は光と闇の融合なのでSWでReyloです。※諸説あります。
〜以下ライブの感想〜 封印を解きに行く儀式があまりにもDUNEでそして荘厳で美しくて、行進に合わせて下から光るライトがとにかくカッコよかった……。
新曲の中で特に神撃が楽しみな曲でしたが、やはりライブだとSU-様の声の伸びが冴え渡る、最高に盛り上がる曲になりましたね。今年はたくさん聴く機会がありそうなので超楽しみです。この曲でタオル回したい気持ちがあるけどタオル曲にならないかな。ちょっと期待したい。
METAL VERSE MADNESSの紙芝居については「うんうん、THE  OTHER ONEだもんね。マルチバースがテーマだよね。ってことは未発表曲が来るのかな!?」というドキドキからのドキモの前奏の時点であまりのテンションの差に動揺していたのになんとか動揺を飲み込んで1番が終わったと思ったらBABYMETALが増えましたからね。1日目は何が起こっているのか理解ができず、暗転の一瞬でワープした!?!?!?!?となっていました。あの瞬間の衝撃は言葉で表すのは難しいですね。 ワープの次は過去映像のホロ映像!?と考えたあたり当時の私の頭の混乱具合が窺えると思います。元々演出での声出しはOKの公演でしたが、この驚きは「ちょっと」では済まなかったので声出し解禁のライブになって良かったと心底思います。つくづくBABYMETALのライブは観客に「体験」をもたらすものであると感じました。 1日目は左右のステージを交互に見るのが精一杯でモニターすら見れませんでしたが、2日目はわかっていたのでメタルバースの面々がしっかり見れてドキモを咀嚼できて良かったです。寝転んだ体勢からニコニコで起き上がるメタルバース組の可愛さたるや……。
ドキモと言えば武道館の1日目がかなり可愛い歌声だったのが公演を重ねるごとにいまのBABYMETALに合った形に調整されて行きましたが、今回は武道館1日目のようにめちゃ可愛い歌声に戻っていましたね。同じ曲でもいろいろな形で聴けるのはライブの醍醐味ですね。
日本の公演だとスマホライトNGが多いことでお馴染みですが、今回はSU-様のお声で解禁という展開にも驚きました。
1日目の「すごくよわーい!」はスーパーKAWAIかったですね。光の中で歌うSU-様は本当に綺麗で美しい光景でした。
RoRの旗を準備している様子がよく見える位置どりだったのですが旗を広げた時のSu-様のシルエットの神々しさは完全に絵画でしたね。
BABYMETALの復活に相応しい素晴らしい演出のライブで、今後もBABYMETALの物語を体験できるのが嬉しいです。
NEW  METALとは誰なのか?ドキドキですね。
客入りBGMで流れてたBloody woodがめちゃくちゃ刺さって帰宅後に何曲か購入しました。会場入ってから2時間近くありましたが客入りBGMのおかげで楽しく過ごせました。
いつかBMTHと対バンしてItch for the CureからのKingslayerを聴きたいな〜!!!!
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shirasuphoto · 8 months
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#あの保存車両を撮る No.24
東武博物館 東武1720系モハ1721号
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時代が変わっても,求められるデラックス
 白い車体にXのイニシャルを組み合わせた窓.7 月に特急スペーシアに変わる新たな日光行きの特急として,スペーシアXがデビューした.おひとり様にはプレミアムシート,家族連れにはボックシートなど用途に合わせた座席が用意されている.また前後先頭車の座席がソファと,鉄道車両では珍しく新たな高級感を取り入れている.  そんな日光行きの特急は東武鉄道にとって重要とされていて,昔から新型車両を導入するときには新たな試みを取り入れ存在感を出している.東武博物館に保存されている東武1720系デラックスロマンスカーも日光行きの特急としてデビューした.高いボンネットの車体に,ベージュとマルーンの車体色.シートピッチが広い座席を2列×2列で,車内はイエローを主にしていて,時代が変わっても高級感のある車両なのが伝わる.  デラックスロマンスカーはスペーシアXとは2世代離れた主力特急だ.今の特急に求められるものと比べると劣るかもしれないが,日光行きとしての使命は変わらないものがある.
東武1720系モハ1721号 1960年 ナニワ工機製造 1991年 引退
東武博物館 東京都墨田区東向島4-28-6 ◆休館日 月曜日(祝日の場合、火曜日に変更) ◆入館券 大人210円/子ども100円 ◆最寄り駅 東武スカイツリーライン 東向島
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vuivui-u · 2 years
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#早朝ウォーク をしてきました。 今日と明日、武道館では #Novelbright の全国ツアー『Novelbright LIVE tour 2022 Hope Assort tour ~ 「路上ライブから武道館へ」的なよくある目標を実現させちゃうツアー ~』武道館公演があるようです。 #ウォーキング #今日の武道館 #日本武道館 #武道館の垂れ幕 (日本武道館(Nippon Budokan)) https://www.instagram.com/p/CfH-Jotvfrh/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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hotarutranslations · 5 days
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Bread
Evening
Thank you for your hard work today as well~~
⋆͛📢
Tour Finale On May 27th Nippon Budoukan Performance
SNS Ticket Advance Reception ⚠️〆Deadline on the 23rd at 11:59PM
Special URL is Here🔍↲
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The present this time was corn bread🌽
Its fluffy, slightly sweet and delicious (Sweet corn)
Its what I had for breakfast this morning as well🌽
My mother, Shapes the bread by weighing it in grams, there is just about no difference in between them but,
even then,
its like, which one looks good~🧐🧐
There were those examining which one to take, it was really cute lol
And in most cases the deciding factor was the color of the tie on the bag lol
This time Ako-chan immidiately ate hers, Ishida-san I ate it! Ishida-san it was delicious! She let me know both of those immediately😂
Also in the seat next to me and during the MC was Nonaka, Nonaka ate it while next to me saying "Nonaka's is also fluffy~"🤭
There were those who were like, Should I take it home and eat it, Should I eat it on the spot,
Even though I can only give one of that size, Rairi told me, that she ate it with her family and that it was delicious🫶🏻 lol Its cute, I'm happy
Really, thank you everyone for taking one…🫶🏻
Also thank you mother…👏🏻
My Birthday Event DVD is on sale❤️
Applications Here →April 26th 11:59PM Deadline
DVD "Morning Musume '24 Ishida Ayumi Birthday Event DVD"
📺Hello Pro Dance Gakuen Season 11
April 18th 11:30PM~ A Learning From TSUKUSHI-san Adventure🕺
Sendai Broadcast "Ara Ara Kashiko" April 13th (Sat) at 10:25AM~ Ishida Ayumi Goes~!
📺Sendai Broadcast "Sendai Broadcast-san's "Did You Know!? Have You Eaten It!? Everyone's #MiyagiMeshi Project supported by Midori Gin Soda"
27th (Sat) 6:30PM~
I appear once a month as part of the AraKashi Family
The previous shows, and makings, are on OX VIDEO STORE!
Thank you for following.. Instagram💙🩵
💿
May 15th Release Morning Musume '23 Concert Tour Fall "Neverending Shine Show ~Seiki~" Fukumura Mizuki Graduation Special YokoAri's 2nd Day With Fukumura-san's Graduation Performance
May 15th Release Morning Musume '23 Concert Tour Fall "Neverending Shine Show" SPECIAL YokoAri's 1st Day With OG Performances
🪩Spring Tour Has Been Decided Morning Musume '24 Concert Tour Spring MOTTO MORNING MUSUME
🪩JAPAN JAM Morning Musume '24 will be performing on May 3rd!
⚾️《LIVE DAYS!~Exciting Big Exhibition Match~》 June 2nd(Sun), after the Hokkaido Ham Fighters vs. Yokohama DeNa Baystars match, Morning Musume '24 will be having a special mini live!
🪩The MusiQuest 2024 July 21st (Sun) PiaArena MM
We're challenging a new festival stage❤️‍🔥 Absolutely, Definitely, Thank you for your support❤️‍🔥
🍉Sanrio Character Grand Prix Thank you very much for supporting Gaokki🍉
📻Morning Musume '24 Morning Jogakuin ~Houkago Meeting~
Airs Every Saturday, On Radio Nihon at 12:00AM~
Past Broadcast Episodes Are Available →Program Details
Yamazaki Mei's Panda-san Daisuki!! ~Expressing Love Towards My Favorite Panda-san♡ ver.~ in Adventure World
Yamazaki Mei's Panda-san Daisuki!! Mei-chan's Holiday. Adventure World with Oda-san and Ishida-san
see you ayumin <3
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myonbl · 1 month
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2024年3月25日(月)
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今日は月曜日だが、研究室で作業すべき事があって出勤だ。ところが、往路・復路ともに名神で事故渋滞が発生している。往路はなんとか渋滞手前の茨木ICで下りることができたので10分程度の遅れで済んだが、帰路は2箇所の事故のために20分以上余計にかかってしまった。車通勤で高速道路を利用する以上こうした事態は避けられないが、事故は大抵焦りと情報不足が原因、ノンビリと視野を広くとって運転しようぜ、お互いに。
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4時30分起床。
二日分の日誌を書く。
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朝食。
洗濯。
珈琲。
弁当*2。
大型ゴミ(布団*2、プリンター)
ツレアイ(訪問看護師)は9時頃出発とのことで、ひとりで出勤する。
Instagramに週末の寄席の画像をポストする。
週末の経費を精算する。
資料整理、自宅から少しずつ運んだ書籍を書架に並べる。前期は平日すべて授業が入っているが、後期になれば徐々に処分していこう。
2限終了(12時10分)で退出。
帰路の名神は2箇所で事故発生、困ったものだ。
ツレアイは仕事から帰宅して弁当を食べた後、月一の<テディベア・ワークショップ>のために<ひと・まち交流館京都>へ小雨の中を自転車で向かう。
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『東京かわら版』4月号が届いていた。当分東京遠征はできないが、情報はとっておかないとね。
iOS update, 17.4.1。
コレモ七条店で買物、冷蔵庫に手羽中があるので関東煮の材料を買い足す。
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夕飯準備中にツレアイ帰宅、4人で早めの夕飯開始。
録画番組視聴、<舟を編む><シャーロック・ホームズ>
(6)初回放送日: 2024年3月24日 辞書作りにのめり込んでいくみどり(池田エライザ)だが、辞書編集部に猛烈な嵐がやってくる。玄武書房・新社長の五十嵐(堤真一)が「大渡海」の紙での出版を廃止、デジタルのみにすると言うのだ。ショックを受ける馬締(野田洋次郎)たち編集部員。中でも大渡海の刊行に向け、松本先生(柴田恭兵)と二人三脚で長年作業してきた荒木(岩松了)の思いは沈痛だ。なんとか紙の辞書を守ろうとするみどりは、あるアイデアを思いつく。
第27話「レディー・フランシスの失踪」/ The Disappearance of Lady Frances Carfaxシーズン 1, エピソード 27 休暇で湖水地方のホテルに滞在中のワトソンは、個性的な女性レディー・フランシスと出会う。彼女の行動が気になったワトソンからの手紙を読んだホームズは彼女に危険が迫っていると察知する。そんな中、ある少佐の講演後、彼女が行方不明に…。
片付け、入浴、体重は3日前から400g増。
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血圧測定、まずまず。
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あれこれ作業が多くて、ウォーキングの余裕なし。
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kennak · 4 months
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中国に駐在する日本の垂たるみ秀夫大使がおよそ3年の任期を終え、日本への帰任を前に記者会見を開きました。 外務省で中国語を専門とする、いわゆる「チャイナスクール」として40年近い外交官生活の大半を中国との関係に費やすなど、キャリア官僚としては異例の経歴を歩んできた垂氏。 習近平国家主席への権力集中が進む中国で、何を目指し、何を感じたのか。離任を前に開いた記者会見の全文で迫ります。 離任の記者会見を行った垂秀夫大使とは 垂大使は、昭和60年に外務省に入り、中国語を専門とする、いわゆる「チャイナスクール」の出身として、中国・モンゴル課長や領事局長、官房長などを歴任し、およそ3年前から中国大使を務めてきました。 いわゆるキャリア外交官は、専門とする国以外に欧米先進国などへも赴任するのが通例ですが、垂氏が駐在したのは中国、香港、台湾で合わせて18年。異例の経歴です。 中国共産党の高官だけでなく、民主化を求め政権に異を唱える人たちにも人脈を築いてきたと言われ、中国政府が日本の政策を批判したときには、SNSも使ってすぐに反論するなど、異色の外交活動が注目を集めたこともありました。 その垂大使の離任に当たっての記者会見は、12月4日午後、北京の日本大使公邸で1時間あまりにわたって行われました。 以下、その全文です。 会見 (垂大使 冒頭発言) 皆さん、こんにちは。こんなにたくさんお集まりいただいて感謝いたします。離任記者会見ということで、ちょっとピンとこないですけれども、こういう機会をいただいたことに御礼申し上げたいと思っています。 中国駐在 垂秀夫大使 私は12月6日に任務を終え、この地を離れて日本に帰国することになっています。振り返れば大使の期間もさることながら、40年近い外交官生活の大半を中国関係に携わってきたという意味でそれなりの感慨はあります。 国民の税金で養っていただいたといいますか、公僕として、長年、力をためてきた知見とか経験とか人脈、これらを生かして、何とか大使の任務を、最後のご奉公をかろうじて勤めあげられたのではないかなと安堵しています。 後ほど皆さんから日中関係や中国の問題で質問があると思いますので、最初は私が大使として何をやってきたか、その時どういう気持ちでやってきたかという内容を簡単にご紹介、ご説明させていただければと思います。 私が中国大使として着任したとき、この場で記者会見が開かれました。そこで私は大使館の今後の大きな柱として2つのことを申し上げました。1つは日系企業支援、もう1つは邦人保護、邦人の安全確保でした。 まず日系企業の支援という点については、日々のいわゆるビジネストラブルへの対応、これはもちろんのことながら真剣に取り組んだつもりです。 また、中国で行うビジネスが昔に比べれば非常に難しくなっている昨今、どちらかというと互助団体的であった中国日本商会の組織改革を提案し、大きく改革していただきました。 その結果として、今年の春から日本商会は会長職が固定化されました。また、これまでの任務以外にもロービングや調査業務、発信機能、これらを非常に強化する力強い団体に変貌しつつあるところです。いいスタートを切れたのではないかと思います。 中国日本商会 本間哲朗会長(左)の記者会見  先ほど申し上げました難しい中国ビジネス、とりわけ経済安全保障という観点からも非常にいい動きではないかと思っています。 次に在留邦人の安全確保という点についてです。私は普段から同僚に対して、(大使館の)政治部にいようが経済部にいようが広報文化部にいようが、すべてが領事担当官であると。そう何度も言って常に館内の意識改革を行ってきたつもりです。 私もかつて領事局長を担当した身です。ひとつひとつの領事案件、本当に、なんというか、普通の事務処理で済ませてはいけないような非常に厚みのある案件がたくさんあるんですね。 そうしたときに、もし事件・事故が起きた時に当事者が自分の肉親であったらどうかと。自分の父親が、自分の兄弟が、自分の子どもが事件・事故に遭ったらどういう対応をするかと。常にそういうつもりで対応しようと皆で確認し合ってやってきたつもりです。 ときには涙を流すこともありました。それでも領事担当の同僚は非常によくやってくれたと思います。邦人の安全確保、邦人保護という点はわれわれの大きな柱でした。ただ、この邦人保護、在留邦人の安全確保という観点から申し上げれば、今年の3月に起きた、国家安全当局に拘束された在留邦人の方がまだこう留されているという状況につきましては、私個人としては極めてじくじたる思いです。 社員が拘束された大手製薬会社「アステラス製薬」 この2つの大きな柱に加えて、私は1つの試みを提案しました。それは何かといいますと、この大使公邸の開放です。この北京には多くの外交団がいます。その数ある外交団の中でもわが日本大使公邸は、その美しさ、あるいは格式の高さ、いずれの点においても最も優れた素晴らしい大使公邸だと自負しています。 調度品もたくさん素晴らしいものがありますし、平山郁夫画伯とか絹谷幸二画伯の絵がかけられているなど、本当に美術館、博物館のような大使公邸です。春には桜が美しく咲きますし、秋には紅葉が見事に色づきます。 北京の日本大使公邸の庭園(垂大使撮影) その美しい庭園も抱えたこの大使公邸を在留邦人に使っていただく。そういう試みでした。この公邸の建設はもちろん、維持管理は全て国民の税金で行われている。そういう観点から言えば使っていただいて当然であると。そういう出発点でした。 当初は、在留邦人の方も半信半疑のところはあったんですけれども、何度もわれわれが使ってくださいとお勧めしているうちにいろんなことで使われ、コロナの時期もありましたが、それでも私の任期中に120回を超える公邸開放、公邸の利用が行われました。 例えば企業間のMOU(基本合意書)の調印式だとか、あるいはジャズのコンサートだとか、あるいは剣道の試合だとか、あるいは某大学の同窓会だとか、もういろんな形で使われました。時には日本人学校の子どもたちを中心にこいのぼり参観、あるいはひな祭り参観、そういうことに使われたこともあります。 大使公邸で開かれた 日本の特産品などをPRするイベント(2023年3月) 普段、公邸とあまり関係がないと思われるような方々には、例えば駐在員の配偶者だとか日本人学校のPTAの方々には一般参観日も設け、対外開放する日もありました。そういう試みを行って、これまで十分に使っていただいたと思っています。この試みは非常に上手くいったのではないかと思っています。 さて、中国で仕事を行っていく上では、特に私の任期中はコロナが非常に蔓延まんえんしている時期でしたし、また、ちょうど去年は日中国交正常化50周年、今年は日中平和友好条約締結45周年というエポックメイキングなこともありましたが、時には厳しい勤務環境の中で日本ではちょっと考えられないようなことが起きることもありました。 閉鎖された武漢の海鮮市場(2020年) 例えば、去年の50周年の関係では、在留邦人の人たちが手作りで祝うために、いろんな交流事業、文化事業を準備したり用意したりしましたけれども、それを日中関係が悪いという状況の中で、コロナを理由に何度も延期されたり中止されたり、そういうことがありました。 また、われわれとしてはなかなか受け入れがたいような理由で、日本の政策を批判されるようなこともありました。そういう時、多くの日本の人たち、とりわけ中国に長く勤務しているような人たちには「中国だからしょうがない、郷に入っては郷に従わないといけない」と理不尽なことを受け入れてしまうきらいが、私はあるのではないかと思っています。 そうしたときに民間の人、それぞれの個人はなかなか言いにくいんだと思うんですね。立場上も言い難い、企業の人も言い難い。でも私は日本の大使として、しっかり主張すべきは主張する必要があるという気持ちで、必要に応じておかしいことはおかしいということを声にしてきたつもりです。 ただ、ここで大事なことは、相手に対して物申すようなときには、その基準が、私は日本の大使ですから、日本の国益、あるいは日中関係をしっかり維持し大局を守っていくためにやるということが基本であるべきだと思っています。 決して反中とか嫌中とかいう感情で批判したり物事を判断したりしてはいけないと自分を戒めてきたつもりです。私のそうしたやり方についてどう評価されるのかについては、これは私自身が決める話でもありませんし、日本の皆さん、あるいは世論が決めることでもないんだと私は思っています。私は常々歴史が決めるものだと。歴史が評価してくれると考えて仕事をしてきたつもりです。 日本では外交に関する資料は30年後には公表されることになるわけですね。その将来の、歴史家か評論家かわかりませんが、そういう人たちがどう評価するのか、判断するのかということが私にとっては一番大きな基準であると、そういうつもりでやってきました。 私は常々同僚に対して、歴史に耐えられる外交をやろうと。歴史に恥じない外交をやろうと。今、その時々を過ごすためのアリバイ作りのためだけの外交をやってはいけないと、そういうことを訴え続けてきました。同僚は皆、本当にそれに応えて非常によくやってくれたと思っています。 そういう意味においては、ちょっととんがっているかもしれませんが、そういう上司、大使を持って非常に大変だったと思いますが、私の同僚は本当によくついてきてくれて非常に良い仕事をしてくれたと思っていて感謝しかありません。 先般、サンフランシスコで岸田総理大臣と習近平国家主席との間で日中首脳会談が開かれました。一番大事な点として、日中両国は全面的に戦略的互恵関係を推進することを再確認するということが示されました。私は非常によい会談だったのではないかと思っています。 日中首脳会談(アメリカ サンフランシスコ 2023年11月) これからが実は大変だと思います。大きな方向性を示すこと、これは何とかやれました。ただそれを具体化、実現していくことが、実はある意味ではもっと大事である、そう思っています。そうした意味では、引き続き日中双方の外交当局、あるいは政府全体がともに努力して、日中関係をさらに高みに押し上げていく必要があると。建設的、安定的関係を強化していく必要があると考えています。 冒頭申し上げましたように、40年近い外交官生活において、18年間、中国大陸、香港、台湾と勤務して参りました。私なりに一生懸命やってきたつもりです。精一杯駆け抜けた外交官生活だったのではないかと今思ってい���す。何の後悔もありません。「風光霽月」の心境です。非常に爽やかで、思い残すことは何もないと、そういう心境です。 私の第2の人生の夢は、何らかの形で写真の世界で生きていけないかなと考えています。そのことを考えると、また非常にチャレンジ精神が出てくるという意味では、風光霽月と言いながら、また気持ちが震え上がってくるところがあります。中国も、日本も、あるいは台湾も、自然の美しさや一般庶民の喜怒哀楽には何の変わりもありません。私は中国大陸で撮りためてきた写真、そして日本、台湾で撮りためてきた写真、これらを多くの日本の方に示して、共通点をしっかりと伝えていくことによって、日中関係の更なる強化をお手伝いしたいと思っています。 垂大使が撮影した中国の農村 冒頭私からのご挨拶は以上です。 質疑応答 中国に長らく携わってきた外交官として今の日中関係についてどのような感想を。また今後の日中関係はどのようにあってほしいと考えるか。 今の質問で思い起こすのは、去年、日中国交正常化50周年のときの大使館公邸での記念レセプションです。私はそのレセプションの挨拶で、こういう風に日中関係をたとえました。これまでの日中関係はジェットコースターのようだと。上がったり下がったり、良くなったり悪くなったりだと。 遊園地で遊ぶジェットコースターは楽しいでしょうが、日中関係というジェットコースターに乗っている両国民はたまったものではないと。今後はジェットコースターではなく、ゆっくりゆっくり走る普通電車がいいのではないかと。要は、日中関係はしっかりと安定的に関係を構築していくことが大事だということを申し上げたつもりです。 日中関係が安定化するためには、やはり一番大事なものは日中間の意思疎通だと思います。日中は永遠の隣人であるのはこれはもう間違いのない事実なんですね。互いに引っ越すことはできないんです。国が違う以上、それぞれ国益を背負っているという意味において、ときには立場の相違だとか摩擦だとかがあるのは正常なことだと思うんです。自然なことだと思うんです。だからそれを恐れる必要は全くないんだと思うんですね。 恐れないといけないのは日中間で意思疎通がなくなることです。摩擦や意見の相違があればあるほど、本来であれば、日中の意思疎通は強化されなければならない。そういうふうに思います。首脳間から本当に民間レベルの交流に至るまであらゆるレベルで意思疎通が行われると。そういう関係が私は望ましいし、それが安定した日中関係につながるのではないかと思っています。 邦人保護の観点から。ことし3月に男性社員が拘束され、いまだ解放されていない。大使は11月28日にみずから領事面会に臨んだ。どういう思いで、なぜこのタイミングで臨んだのか。 サンフランシスコの日中首脳会談で、岸田総理は習近平国家主席に対して、できるだけ早期の釈放を要求されています。 それを受けて、この北京の一番の最前線で働く、なおかつその責任者である私が、そのための仕事を行うということ、これは、当然、まずやらないといけないことであると言えると思います。 さらに申し上げれば、私みずからが領事面会に行く必要があるとずっと考えていました。いろいろ事情があってそれは成し遂げられませんでした。 実は私による面会は領事面会としては8回目で、それ以前に7回領事面会が行われていました。その時、毎回、私は面会に行く同僚にメッセージを託していたんです。「われわれとしてはこの問題にしっかり取り組んでいくので気をしっかり持ってください」という趣旨のメッセージです。 今回、私が帰国することになり、やはりこのまま何もなしに本当に帰っていいのかと。私は、それは人の道ではないと。許されるのであれば���接会って帰国するという報告と、私の任期中に結果的には助けることができなかったことについてのお詫びを伝える必要があると感じていました。それが人の道であると感じていました。 また、私が行くことによって、例えば、メディアが関心を持ってくれ、日本政府としてこの問題にしっかり取り組んでいるというメッセージにもなると考えました。そして、非常に重要なことだと思いますが、この問題は決して風化させてはいけないと、忘れてはいけないと。多くの関係者の中でこの問題がだんだんと話題に上らないようになってはいけないと思っていましたので、私は自分が行くことが必要だと感じていました。 日中関係に関連した質問を。コロナが明けたあともビザの免除が回復しない状況。日本から中国を訪れる人が少ない状況になっている。今後何に期待するか。 人の往来が極めて少ない。とりわけ、日本から中国に来る人の数が極めて少ないです。いろんな理由があると思います。そもそもビザがなかなか取りにくい。昔はノービザということもありましたし。中国から日本へ行く旅行者、こちらも一番多かったときに比べればまだ半分にも達していません。ただこちらはそれでもそれなりの人が日本に行ってくれてはいます。 結果として何が起きるか。何が起こっているか、どういう影響があるかと申し上げれば、生の中国を見る機会があまりない、等身大の中国を知る機会がなく、中国に対する理解が深まらない。 上海 あるいは、万が一中国に対して誤解を持っていたとしたら、それにもかかわらずそれが増長してしまう、それが減じることもない、そういうことにも繋がってしまいます。 いずれにしろ、相互理解が深まらないということが、間違いなく起きています。昨今の日本人の対中感情の低さを表すいろいろな世論調査がありますが、それを見てもそのあたりは歴然と出ているのではないでしょうか。 広報スタイルについて。中国が発表した後に日本側が反論するという広報スタイルがあったと思う。それは垂大使から始まった形式だと思うが、この狙いは。 私どもからすれば、受け入れがたい理不尽な批判等もあったとき、あるいは申し入れがあったときには、われわれとしてあるいは私個人として、しっかり物申す必要があります。歴代の大使も同様にやられ、しっかりと反論されておられたと私は思っておりますし、信じております。 ただ、今おっしゃられたようなことが、私のやり方が特別に見えているのであれば、若干違いはあるのかもしれません。一般論で申し上げて、例えば中国側が私どもに申し入れをした時、私は必ず、あるいは歴代の大使もきっと同じだと思いますが、必ず反論する、あるいは日本側の立場を言う、日本としての申し入れを行うのです。 ところが、中国は国営の新華社通信がそれを流す場合、われわれの発言は完全に無視されるわけです。中国側の言い分しかないわけです。私はそれでいいのかと考えました。ある問題において、日本の大使が呼びつけられて、それに関する報道が中国側の一方的な主張しかこの世に出ない、それでいいのかという問題意識がありました。 ことばが悪くて申し訳ないのですが、中国が出していないのに、私どもがけんかを売る形で、われわれから直接出すということはなかったと私は信じています。中国側が出した時に、われわれが必ず反論すると。われわれも主張していることを出すということは確かに行いました。この世に中国だけの主張しかないことにならないように心がけたつもりです。 日本の(メディアの)皆さんを批判しているわけではありません。日本の皆さんは非常に立派なんです。中国側の主張も、日本側の主張も書かれるんですね。喧嘩両成敗じゃないですけど、大体、一応2つ書かれるわけです。最初の頃、私の主張がすごくちょっとしかなかった時もありましたが、だんだんと相当たくさん書いてくれるようになりました。 中国側はどんなことをしても自分たちのことしか書かないんです。それでも皆さん(日本のメディア)は書いてくれる。私はそれを信じて、中国側の主張しかないということになってはいけないと思ってやってきました。これは私の信念でやったことです。今後どうかということについては、私は申し上げる立場にありません。 大使の任期中、中国では習主席が3期目に入るという政治的に大きな動きがあった。3期目の習主席が率いる中国と日本は今後どう向き合っていくべきか。 極めて大事な、いい質問なんですが、私もまだ現役ですので、なかなか入り込めない部分もあり、答えが奥歯に物が挟まってるような言い方になるかもしれません。 中国は非常に変わってきています。どんどん変わってきています。それに応じた付き合い方、あるいは対中政策を考えていく必要があると思っています。一般論として言えば、私は首脳会談、この重要性がますます大事になっているんではないか。そういうふうに申し上げられるとこの場で言っておきたいと思います。 習主席になってから社会の統制が非常に厳しくなってきている。中国の人たちの価値観も多様化している。中国は社会統制の厳しさに耐えうるのか。また、仮に内側から変えようという動きが出てくる可能性があるかどうか、その場合日本としてサポートするようなことができるのか。 敏感な質問ですね。とても大事な質問なんですよ。いつもみたいに完オフ※だったらいくらでも喋りますが、ここは完オフではないので、そうした意味において申し上げればですね、今、言われたように、中国社会、社会統制がどんどん強くなってきているんじゃないか、それを内側から変えようとする力があるのではないか等々、そういう見方が存在していること自身、私は承知しています。そういうふうにだけ申し上げておきたいと思います。また日本がそれにどういう風に関わっていくべきなのか、あるいは関わっていくのがいいのかということについては、私はまだ現役ですので、お答えを差し控えさせていただきたいと思います。ご理解ください。 完オフ 「完全オフレコ」のことで、取材相手の名前や発言内容など一切を公表しないこと。 福島の処理水の対応をめぐり日本産の海産物の全面禁輸が続いている。この問題について今後どのように対応していくのか。 福島第一原発での処理水の放出(2023年8月) 私の見方で申し上げれば、今回の首脳会談でも2つ大事な点があったと思います。1つは、日中関係の位置付け、戦略的互恵関係を再確認すること。もう1つは、処理水の問題について。日中が、例えば専門家どうしがしっかり意見交換する。そういう形で互いにこの問題の解決に向けて知恵を出すといった方向性を確認したことだと思っています。 もちろん日本としては、今の「ALPS(アルプス)」の処理のやり方について、政府の一員として絶対的な自信を持っています。そうではありますけれども、一方で隣国の中国が別の意見を持っていることに対して、その意見、その主張は一切聞かないと、耳も貸さないというような姿勢は必ずしも適切ではないと思っています。 日中の関係当局、あるいは専門家どうしの意見交換、これを通じて、何とか着地点を見いだしていく、一刻も早く中国側の水産物の全面禁輸を解除するために努力することが大事だと思っています。 大使の在任中に最も印象に残っていること、また離任に当たって心残りなことがあれば。印象に残っている中国の指導者は。エピソードなどあれば紹介してほしい。 まず最も印象がある出来事、これはもういろんなことがありました。コロナについては、皆さんも同じように経験された方はたくさんいらっしゃると思いますが、特に去年の今頃なんかもう大混乱でしたしね。隔離生活も長かったりと、いろんなことがもう走馬灯のようにあるので、どれがと言われるとなかなか難しい。 PCR検査場に並ぶ人々(北京・2022年11月) 中国の古い友人、それから新しい友人とまた深い付き合いができたということも私にとっては極めて印象のあることでした。 あえて1つ申し上げれば、先般の日中平和友好条約締結45周年の際に中国が釣魚台迎賓館で行った記念レセプションで、私は大使としてスピーチする機会を与えていただきました。私はその中で、戦略的互恵関係、これが生み出された経緯を紹介するとともに、日中は戦略的関係の再構築が必要であると訴えました。スピーチが終わったあと、壇上から降りてきたときに、皆が座っている中で、1人、王毅中央外事弁公室主任兼外交部長が立ち上がって私のところまで迎えに来て、「大使、スピーチは良かった。素晴らしかった。ぜひ、戦略的互恵関係を再構築しよう」ということを言って、握手を求めてきたことは、とても印象のある出来事だったと思います。 日中平和友好条約45年の記念式典で垂大使に話しかける 中国 王毅外相(右・2023年10月) 何かやり残したことについてですが、私はやり残したことは、あえて言えば先ほどの邦人拘束の件です。 それ以外に申し上げれば、私は大使になってこういう大使館を作りたい、こういう気持ちで大使としての仕事をやろうと思っていたことについては、ほぼできたと思っています。もちろん、私が独りよがりにできたというよりも、私の同僚たちがしっかりついてきてくれたことが一番大きな理由です。私が思い描いていた大使館像、これを���っかり作れたと思っています。そういう意味では何ら思い残していることはないというのが私の心境です。 それから、心に残った指導者、中国側の指導者でいいですよね。これは、長い外交官生活の中でということで申し上げれば、私はやはり、あえて中国側のことを申し上げます。 日本はまだ何とか頑張ってらっしゃる方がいらっしゃる中で、本当にリスクを取って日中関係をしっかり進めていくんだとか守っていくんだという指導者が、今やそう多くないというかほとんどいない。 そんな中にあって、思い起こせば2009年。詳しいことは申し上げられませんが、2009年に、ある場で引退された曽慶紅※さんに会う機会があったんですね。そこで曽慶紅さんに、私の方から1つ質問したんです。曽慶紅さんは、中央組織部長で、いわゆる江沢民さんの側近中の側近であった方ですが、2002年4月だったと思いますが、訪日しているわけですね。 曽慶紅そう けいこう氏とは 元国家副主席。江沢民前総書記に近い実力者で、日本の政界にも幅広い人脈をもっていた。習近平氏が中国政治の表舞台に出てきた背景に、曽氏の影響力もあったといわれている。 なぜその訪日が大事だったかというと、実は当時、小泉総理の時代で、小泉総理自身が靖国神社に参拝した直後だったんです。その直後に、曽慶紅さんは日本を訪問されたんです。日本といっても大分県でした。確か私の記憶が間違いなければ武漢と大分のチャーター便を飛ばすか何かそういう話だったかと思います。 私は聞いたんです。「なぜ日本に行けたんですか。いろいろ反対とかなかったんですか」と。 曽慶紅さんは非常に満面に笑みを浮かべて、「日本には私の友人2人が待っていた。1人は野中広務さんで、1人は大分県の平松知事だ。日本の友人が待っているので、私は行かなければならないと思った。私は、2人の指導者に許可をもらった。1人が江沢民さん。もう1人が外交担当の副総理であった銭其シン【※王へんに、深のつくり】さん。2人とも喜んで行ってきなさいと言ってくれたから行きました。友人が待っていたから私は行ったんだ」と。私は本当にリスクを取ってでも日本を訪問する、日中関係を進めるという素晴らしい人だなと感じました。私にとってはとても心に残ったやり取りでした。 曽慶紅 元国家副主席(右・中国共産党大会 2022年) 改革開放で多くの日本企業が中国に来て経済交流を進めてきたが、足元では中国での事業リスクの高まりもあって対中投資意欲を大きく下げているという実情もある。中国で日本企業がおかれている状況や日中の経済関係は今後どうなっていくと考えるか。 私は2つのアプローチが大事だとつくづく思っています。1つは攻め、1つは守り。現実問題として、改革開放以降、日本経済、日本のビジネス界は中国との間の経済交流・経済往来を強化させてきました。ある統計によれば、今や中国大陸に、拠点数を入れた数字で申し上げれば、3万以上の日本の会社あるいは拠点があると。中国大陸の中で最も大きなプレゼンスを示しているのが日本企業なんです。 日本経済を考える上で中国経済を抜きに語ることはもうあり得ないと思います。もちろん、中国経済の大きなマーケット、これも非常に魅力的ですし、イノベーションやデジタル経済など、日本から見ても極めて目を見張るような動きを示していることもあります。どういうふうにして日本経済としてこれを活用していくのかというような視点は非常に大事だと思います。そうした意味では、中国との経済関係を能動的にしっかりと強化していくということはとても大切だと思っています。 日系企業の自動車工場 一方で、中国でビジネスをやっていく上で、今どんどんと難しくなっているわけです。いろんな問題も生じてきています。まず最初に中国経済そのものが、特に今年に入って、あるいは去年ぐらいから、非常に不景気である、デフレ気味の状況を示しているということもあります。それはまだ1つの経済の状況ですが、それだけではなくて、例えば、よく言われる自立自強のサプライチェーン、あるいは自国産品を優遇するような政策があります。 表面的には否定するんですが、内外差別を行っているのではないかと思われるような対応も見受けられます。業種によっては強制的な技術移転というような動きについても、われわれはいろいろ相談を受けていることも事実です。そういう経済安全保障的な側面から見ても、しっかりと守り、しっかり脇を締めて、中国経済、中国とのビジネスをやっていく必要があると。 私は両方が大事だと思っています。決して守りだけではダメだ、もちろん攻めだけでもダメで、攻めがあって守りだと考えています。 「ゼロコロナ」政策について。大使は着任から隔離を受け、終了まで全部見届けた。日本と全く違うスタイルをとった「ゼロコロナ」政策をどう総括するか。 着任のときは2週間でしたね。10日ではなくて2週間の隔離生活でしたが、総括は、私が行うのではなく本来中国政府ないしは中国共産党が行うべきものです。実際もう何度も総括していて、中国政府・中国共産党としては勝利宣言を行っているので、それに私が横から総括するっていうのは変な話かもわかりませんが、印象だけ申し上げます。 正直申し上げて、前半期は、「ゼロコロナ」、一種の真空状態を中国の中でつくる。そのために隔離を2週間だ3週間だ、地域によっては2か月要求しているところがあったわけですね。そのかわり、そこに入れば無菌状態、実験室みたいな状況をつくって。実はそれはそれでうまく回っていたのも事実なんですね。 ところがオミクロン株の流行となって、それはもう効果を発せられなかった。オミクロンの威力、伝染力がもっと強かったんですね。私は政策を変更するタイミングを逸したんではないかと個人的には思っていますね。そのタイミングは相当間違ったんじゃないかと。それが私の印象です。その結果、後半の方は極めて、世界的にもまれに見るようなロックダウン等があったり、北京では「弾窓(タンチュアン)」という経験した人でないとわからないような政策がとられたり、いろんな不可思議なことがありました。最後は大混乱の中、「ゼロコロナ」政策が取り下げられていく。全体としての評価については、私の個人的印象だけを申し上げれば、タイミングがうまくいかなかったというか、良くなかったと思っています。 弾窓タンチュアン 「ゼロコロナ」政策のもと、スマートフォンの「健康コード」と呼ばれるアプリに表示されたポップアップメッセージのこと。感染者が出た地域に行ったと認識されると、濃厚接触者でもないのに「あなたはリスクが高い地域を訪問しました」と表示される。この表示は自分では解除できず、数日間建物へ入れなくなったり公共交通機関の利用ができなくなったりする。 米中関係について。サンフランシスコで米中首脳会談が行われたが、今後も米中対立の構図は続くとみられている。今後、米中対立が深まる中で日本の役割は何か。また日本政府として現状、どのくらい日本の役割を果たせていると考えるか。 米中首脳会談(2023年11月) 日本大使としての立場で第三国どうしの関係である米中関係について、表だった評価をするのはなかなか難しく、差し控えないといけないんですけれども、一般論として申し上げます。 米中関係の安定化は、日本としては非常に希望しているところです。今回のサンフランシスコにおける米中首脳会談についてもいろいろな論調があるのも承知していますけれども、私は今回の会談を歓迎しています。 日本がどういう役割を発揮するかということについて。アメリカはわれわれの同盟国であり、日米同盟という強固な信頼関係のもとで、われわれは必要に応じて中国に対して対話を重ねながら、必要な時には中国に対して大国としての責任を果たしてもらえるように働きかける。そういうふうに考えています。 拘束された男性社員に領事面会をした判断理由として、帰国の報告と、任期中に結果として救出できなかったお詫びを伝えたいということだった。実際に伝えて先方の反応はどうだったのか。 すみません、私の発言、私の思いはお伝えした通りですが、先方の方の発言、対応等については私の立場上、紹介するのは恐縮ですが、差し控えさせていただければと思います。 (12月4日 BS国際報道2023 などで放送) 垂氏が大使として赴任する前に行ったインタビューの記事はこちら
中国・習近平体制と対峙した垂秀夫大使 ゼロコロナ 邦人拘束 日中・米中関係 離任前に何を語った? | NHK
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elle-p · 4 months
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Persona 3 Club Book Pawlonia Mall people pages scan and transcription.
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ポロニアンモールの人々
People of Pauloownian mogol
月光館学園に隣接する巨大ショッピングエリアのポロニアンモールは、買い物と娯楽の一大スポット。タルタロス探索の準備のためだけでなく東の間の息抜きにもふさわしい。
黒沢巡查 辰巳東交番
港区の辰巳東交番を守る地域課の巡査。かつては敏腕のエリート巡査として知られていたが、正義感のあまりに10年前の桐条研究所事故の真相に深入りし、出世の道を外れた。
だがそのときの捜査によって真相に警察機構の手に負えない、人外のモノの存在を感じ、以降は独断で関係者と接触し、事件解決のサポートを行なうようになる。
なお巌戸台地区に配属されたときの最初の担当案件は、真田兄妹の入寮していた孤児院火災事故の再捜査だった。結局この事故もとくに人為的な点は見当たらずに決着しているが、そのときに現在の真田との関 係がつくられた。
基本的に非番はなく、昼は交番での勤務と武器の横流し販売、夜は担当地区一帯のパトロールと、とにかく黙々と働く男。毎週月曜日にご機嫌で値引きしてくれるのは、勤務明けに彼女とのデートが待ってい るから······かもしれない。
話しかけるのを躊躇させる強面の巡査。見かけによらず港区の平和を心から願い、特別課外活動部員への武器提供を請け負っている。
寡黙な平和
の守り手
眞宵堂店主 眞宵堂
隠棲の美人
科学者
断片的ではあるが港区で起こる事件のカラクりを知る数少ない人物。黒沢巡査とは桐条がらみで知り合い、頻繁に情報交換をする仲。
趣味で集めた骨董品を売る、凄みのきいた笑みが魅力的な女性。
学生時代から考古学を専攻していたのが縁で、桐条鴻悦が存命のころ、非公式計画の中核であった「エルゴノミクス研究所」の研究所員として、岳羽詠一朗の下で研究の一端に関わっていた。おもな研究は、過去のシャドウ関連の記述や痕跡を考古学的見地から分析・解析するもの。中心研究から一歩引いたところにいたことが、早期に研究 の問題を知ることとなり、事故の起こる数年前には研究所を去っている。しかし研究の真相を知りながら、その事実から身を引いたことに呵責を感じていて、桐条の膝元の土地を去れずにいる。そんな自分の迷いを自嘲し、店の名前を「眞宵」堂と名づけた。
上司であり師弟関係にもあった詠一朗には、妻子ある相手と知りながら道ならぬ感情を抱いていた時期があり、彼がすべての罪を負わされる形で世間的な決着がついていることも、彼女の桐条への複雑な感情をを助長しているようだ。
青ひげ店主 青ひげ薬局
欧米型ドラッグストアがこの国に根を下ろして十数年、今やすっかり市民権を獲得した中、昔ながらの対面販売式「薬局」としてがんばる、青ひげ薬局の店主。洗練された雰囲気を全面に押し出す新興のショッピングエリア・ポロニアンモールの一等地にて、このスタイルを貫く心意気はさすが。顧客は若者はもちろん、仕事帰りのサラリーマンや、いろいろ不具合に悩むお年寄りまで、幅広い年代をカバーしている。
仕事柄幅広い医薬品を扱ってはいるが、なにを置いても養生がいちばんという、東洋医学に基づいた主張をもっている。その証拠に料理の相談を持ちかけると、医食同源の秘蔵のハブの干物を熱心に勧められたという、部員からの報告あり。
店主渾身の青汁スムージーは販売1年目には罰ゲームのネタにされるという不幸な歴史を持つが、本人はその味わいと健康的な価値とに自身を持っている様子。
家庭の医学の体現煮
立派なひげをたくわえた恰幅のいい店主。豪快な人柄と取扱商品の怪しさにただの薬屋ではない気配がただよう。
ヤリ手の女性記者 ポロニアンモールほか
ペンを武器に三流ゴシップ誌で戦う女性記者。全国的に広がりつつある謎の社会現象の真相に、たったひとりで挑んでいる。その行動力と洞察力で、無気力症患者の発生のメカニズムにいち早く着目したほか、月の満ち欠けと無気力症患者の増減や、無気力症拡大と桐条グループ関係者たちの動向との関係をかぎつけるなど、本来桐条の関係者にしか知り得ない真相に徐々に迫りつつある。そのため上司や「さるところ」から圧力をかけられることも多数あり。それが彼女の自由報道への情熱に一層拍車をかけているようだ。年末に向かって無気力症が猛威を振るうようになっても、さらにそこに謎を解く鍵を見出す、恐るべきバイタリティの持ち主。
無気力症におちいったタクシー運転手の間近でも冷静に状況を分析。報道に携わる者の鑑。
記者eyes
事件の気配をいち早く見分ける千里眼!!
記者brain
巧妙に隠された真相を見抜く冴えた頭脳!!
記者heart
おばさんと呼ぶと無反応になる乙女心!!
記者suit
体を張った取材に耐える丈夫な素材!!
記者hand
記事を書きなぐる武器!ペンだこは勲章!!
記者pumps
走っても足を痛めない低めのヒール!!
●図解!デキる雑誌記者!!
●女性記者の真実への軌跡
老いてますます盛んな老人 噴水広場
日がな一日、噴水のそばに腰を下ろして遠くを見つめるお爺ちゃん。多少弱々しく見える現在からは想像もつかないが、若いころは結構な女泣かせだったらしく、会うたびに盛んに「若いころにはギャルと遊べ」と力説される。このところ、かつての友だちがひとり、 またひとりと冥土に旅立ち、寂しさを隠し切れない様子。ポロニアンモールを訪れて無事な姿を確認するたび、「元気でよかった」を胸をなで下ろさずにはいられない、��水広場のシンボル的存在になっている。
影人間が増え出す時期以外は一年を通してこのベンチで過ぎ去った時間を思い返している。
聞かせて!おじいちゃんの武勇伝
ビー・ブルー・ヴィーの店員 ビー・ブルー・ヴィー
感度の高いアイテムで、月高生をはじめとした地域の女子高生に人気のアクセサリーショップの、カリスマ店員。彼女の提案する小物使いは、必ずといっていいほど10代女子のハートをがっちりつかむ。見た目の派手さに反して、気さくな人柄と丁寧な応対で、相手の目線で接客する態度が好感度高し。自然と恋愛相談を受けることも多くなり、客同士の人間関係や恋の成り行きにはちょっと詳しいようだ。信条は「おサイフに優しい値段でセレブ感のあるオシャレ」。
クレーンゲームの月高生 ゲームパニック前
齢17にして初めてクレーンゲームを知り、世間から10年以上遅れてやってきた、景品釣りのスリルと興奮に盛り上がり中の男子生徒。友だちの誘いもむげにして、熱心に攻略方法を研究しており、影人間が徘徊を始める時期以外は、青春の貴重な時間と多くない小遣いを、その娯楽に費やしてポロニアンモールで過ごしている。かつて一世を風靡したこのゲーム、最盛期には亀や伊勢海老まで景品になっていたのは本当の話。
買い物途中の主婦 噴水広場
夕方の買い物の途中で油を売っている主婦ふたり組。日々成長する子どものしつけと教育問題に頭を悩ませている。家事と買い物で疲れたと言ってはたびたびお茶に繰り出しているらしく、ポロニアンモールや巌戸台商店街の飲食店には、月高生以上に詳しい。
●髪を結った主婦
高校2年生の年頃の娘を抱える母親。勉強そっちのけでオシャレに凝り始めた娘にあきれ顔。
●髪の短い主婦
中学3年生の息子を持つ母親。月高を目指しているが不穏な事件続きで躊躇気味。
Syuhu's COMMU
高2の娘 ← シャガールばっかり行って!← 髪を結った主婦 買い物友だち
髪の短い主婦
ご近所さん? 購買のおばちゃん
→ 目指せ月高!→ 中3の息子
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