悪魔は囁く
鳴らないはずの、電話が鳴った。
忘れられない番号がディスプレイに表示された瞬間、己の指はいつの間にか画面をスライドさせていた。
プツリ。
電波の線と線が、しっかりと繋がる。
『悟……』
久しく聞いていない、甘ったるい声音が耳を叩く。
『よかった、繋がって。ちょっとヘマしたみたいで……悪いんだけど、ここまで迎えに来てくれないか』
一体何が何なんだか。
あまりにも「あの頃」の体で話し続ける電話の向こうの男──夏油に、流石の五条も鼻白む。
自分が現在利用している部屋は、同じ高専内とはいえど、昔とは違う場所だ。部屋の間取りだって、家具の配置だって、何もかも違うのに。機械越しの彼だけが、あまりにもあの青春の日々を彷彿とさせるものだから。
今の自分を、一瞬見失った刹那。
『頼む、悟』
「判った」
錯覚を患ったまま、気付けば応えを返していた。半ば無意識化で行われた動作に、五条は自分でうっすら驚く。
──おいおい、正気かよ。
なんて内心でツッコんではみるが、後の祭で。
そんな五条の戸惑いに気付いているのかいないのか。電話越しの彼は、小さく「よかった」と呟いた。
本当に、心の底からそう思っている様な様子で。
『ありがとう、待ってる』
自身の居所を大まかに告げ、夏油が通話を切った。ツーツーツー。切れた糸の残響を聞きながら、五条は小さく嘆息する。
──罠かな。
「罠かもなあ」
冷静に考えればそうだ。何を考えているのかは知れないが、五条をおびき寄せる何かしらの可能性は十分にある。
けれど、最初の一声が。
自分を呼んだ声が、あまりにも頼りなさそうに聞こえてしまったものだから。
まるで夏油から乞われた様な錯覚をどうにも捨てられず、五条は大人しく、スマートフォンをジャケットのポケットに突っ込んだ。
向かうは玄関である。
「悟!」
駅の出口を出た先のベンチスペースから、五条を見付けた彼が声を上げる。のこのこと近寄れば、眉根を下げた夏油が小さく頭を垂れた。
「悪いね、こんなところまで来てもらって」
大仰な袈裟を身にまとっている割に、浮かべる表情はどうにも毒っ気が無い。
別離を宣った時は、あんなに冷めた目をしていたくせに。
「……オマエ、一体どうしたんだよ」
本当に、心の底から大真面目に問い質す。
夏油の親指が、彼の額を細かく掻いた。
「それが、正直判らないんだ。気付いたらここにいて……新宿の様だけど、何だか微妙に店のラインナップも違うし、ケータイも持ってないし……だから、何故か持ってた小型のタブレットPCみたいなので、微妙に覚えてた君の電話に掛けてみたんだけど」
「……へぇ」
「ホント、繋がってよかったよ。正直合ってるかどうかも判らなかったから……」
「意外と覚えてるもんだね」なんて、夏油がころころと笑う。
あんまりにも屈託が無い顔をするものだから、五条はいよいよ状況を察してしまった。
だって今の傑はきっと、こんな風に笑ってくれない。
「正直、ガラスで自分の姿を見た時から、薄々変だとは思ってたんだ……だから君の姿を見て、確信したよ」
彼自身、どうやらちゃんと自覚していたらしい。
「なあ、悟……今の私たちは、一体何歳なんだ?」
途方に暮れた色をほんのり滲ませて、夏油が五条を一心に見上げる。
瞬間、五条の脳内はありとあらゆる様々な想定を算出した。
殊勝な様子すらも罠の可能性。
本当に記憶喪失であり、身寄りが無い可能性。
──彼を拘束してしまう段取り。
高専以外で所有している、独り暮らしでは持て余しがちなマンションの一室。
長身の自分でも足を伸ばせる、オーダーメイドのベッド。
「……とりあえず、一旦帰ろうか。俺たちの部屋に」
あまりにも荒唐無稽なことを口走った自分に、五条は心底戸惑ったが。
けれど訂正の言葉は、終ぞ口から出なかった。
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Do you fantasize about killing me like I do?
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Sketch dump whilst I'm on holiday woooooo
thankyou for all the love on my yuta piece! 🫶🫶
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タナトスにはなれない
「じゃあ俺が殺してやるよ」
何の話の流れだったか。
彼の憂いに対して、悟はこう返した。
己ならば苦しませずに殺してやれると、そう心から自負している。そして必要な後始末だからこそ、実行するだけのこと。すべてはただ、オマエが望むままに。ただそれだけの発言だった。
人の情緒というものにある程度理解を示せる、「今」ならば判る。
オマエなど取るに足らないと受け取られても仕方が無い言葉だったと。
けれどもアイツは──傑は、悟の心情を正しく汲み取った。
悟の真心を汲み取り、受け留めた上で、笑った。
どこか、ほっとした顔つきで。
「ああ、任せた」
だからきっと、「最強に成った」はずの悟は、前よりも弱くなった。
人の手緩さに慣れた、野生の動物と同じだ。
一度でもその生温い施しに触れようものなら、二度と元いた理の中では生きられない。生きていけない。
気付いたのは、傑から明確に拒絶された、あの瞬間だ。
半ば無意識に術式を放つべく指を構えて──微動だに出来なかった。まるで中指と親指が蝋で固められた様に、ぴくりとも動かない。
彼を映す六眼はこんなにも揺れているというのに。
構えを解けたのは、傑の姿が完全に雑踏から消えた後だった。
馬鹿だ。阿呆だ。自分はとんだ大洞吹きだ。
何が殺してやるよ、だ。
傑に情を抱いてしまった時点で、悟が「殺せる理由」など、無くなったも同然だった。
もう彼を知らない頃の自分には戻れない。それくらい深く、深く、「傑」という存在が悟の根幹に根付いてしまった。
忘れれば楽になるだろうか。
望み通り、屠ってしまえば前の自分を装えるだろうか。
答えは否だ。
そんなもの、現在の自分にとっては自殺と同一である。
「何故追わなかった?」
「……それ……聞きます?」
まさか己が一般的な感性などというものを振りかざす羽目になるとは。遠く目を凝らしたまま、悟は夜蛾に質問で返す。
そう、結局はご想像の通りだ。
傑に求められてもいないのに、追い縋ることなど出来なかった。求められないまま、この足元を廻る結界の外に出る気概など持てなかった。それくらい自身の持ち得る「常識」は、どうやら正しく足を引っ張る代物だったのだと。悟は生まれて初めてようやく、壁を越えられない無力感を自覚した。
「……いやいい。悪かった」
そんな悟の真っ当さを、夜蛾はどうやら正しく察してくれた様だった。
それくらい、今の自分は、きっと判りやすいのだ。そういう生き物になってしまった。されてしまった。
アイツの所為で。
「先生、俺強いよね?」
「あぁ、生意気にもな」
期待通りの回答に、悟は小さく鼻を鳴らす。
「でも、俺だけ強くても駄目らしいよ」
──あーあ、やってらんねぇ。
オマエを想わなければ生きていけないなんて、一生気付きたくなかった。
気付くことも無いまま、ただ彼と共に在れたらよかった。
まるで掴めない桜の花びらの如く。
指の隙間から零れ落ちた青い春の残滓を思って、悟はただただ自戒した。
「俺が救えるのは、他人に救われる準備がある奴だけだ」
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