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#二代目一幸舎
kousuke-yoshimura · 1 year
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皆様‼︎本年も大変お世話になりました。 2023年もどうぞよろしくお願い致します🙇🏻‍♂️ 良いお年をお迎えください。 #Repost @ikkousha_hakata with @use.repost ・・・ 今年も一年間、⁠ 博多一幸舎をご愛顧頂きありがとうございました!🎉⁠ ⁠ ⁠ 博多一幸舎は個性豊かな5つのブランドを通して⁠ ⁠ ⁠ ひとりでも多くの方に本場博多の豚骨ラーメンを⁠ ⁠ 食べて頂きたいと願い⁠ ⁠ 日々切磋琢磨しております🍜⁠ ⁠ 2022年、お陰様で一幸舎は⁠ 4店舗の新規オープンや⁠ ⁠ コラボレーション企画、⁠ マルタイさんやLAWSONさんでの新商品発売などを通し⁠ ⁠ ⁠ より多くのお客様に一幸舎の味を⁠ ⁠ お届けすることができました。⁠ ⁠ ⁠ ⁠ ⁠ 2023年も⁠ ⁠皆様から愛される美味しいラーメンを⁠ ⁠ お届けしてまいりますので⁠ どうぞよろしくお願いいたします!⁠ ⁠ ⁠ 本年も誠にありがとうございました。⁠ ⁠2023年が明るく健やかな一年になりますように!⁠ ⁠ ⁠ ⁠皆様に幸あれ!✨⁠ ⁠ ⁠ ⁠ ⁠ ⁠ #年末年始 #年末 #年末年始のお知らせ ⁠#年末のご挨拶 #一幸舎 #博多一幸舎総本店#博多一幸舎⁠ #博多屋台ラーメン一幸舎⁠#ドライブイン一幸舎⁠ #博多ラーメン二代目一幸舎 #博多ラーメン⁠ #新店舗 #リニューアル #福岡ラーメン #豚骨ラーメン ⁠ #チャーシューメン #ラーメン大好き #博多グルメ ⁠ #福岡グルメ #ラーメン好きな人と繋がりたい ⁠ #ラーメン部 #麺スタグラム #博多ランチ ⁠ #2023年 #卯年 (博多一幸舎 総本店) https://www.instagram.com/p/Cm0_JZBPuVt/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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kennak · 9 months
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ジャニーが同性愛者(真性の少年性愛者、児童性愛者)であり、事務所に所属する男性タレントに対して性的児童虐待(同性愛行為の強要)を行っているとの話は、1960年代から散発的に繰り返し報道されてきた。 まず、駐留米軍の「在日軍事援助顧問団 (MAAGJ)」に勤務していた頃(1958年~1966年)から、外交官ナンバーの車(クライスラー)で新宿・花園神社の界隈に繰り出し、「ケニー」、「L」、「牛若丸」といったゲイバーで遊んでいたこと、更に新宿駅南口で網を張り、田舎から出てきた少年たちに声をかけては、常宿の「相模屋」(1泊600円のベッドハウス)に連れ込んでいたことを、当時のゲイ仲間・原吾一が、著書『二丁目のジャニーズ』シリーズで明かしている。 ジャニー喜多川が最初に手がけたタレントは「ジャニーズ」の4名(真家ひろみ、飯野おさみ、あおい輝彦、中谷良)で、当初は池袋の芸能学校「新芸能学院」に所属させていたが、学院内にてジャニーが15名の男子生徒たちに性的児童虐待行為をしていたことが発覚。 オーナーの名和太郎学院長(本名:高橋幸吉。2000年6月7日に急性心不全で逝去。81歳没)はジャニーを1964年6月28日付で解雇した。 しかしジャニーが、ジャニーズの4名も一緒に引き連れて出て行ってしまったためにトラブルとなり、ジャニーらが所属中の授業料やスタジオ使用料、食費など270万円を求めて学院長がジャニーを提訴し、裁判へと発展した (通称:ホモセクハラ裁判)。 なお、当時のジャニーは在日軍事援助顧問団(MAAGJ)に在籍する下士官事務職員として、米国軍人および外交官の立場にあったが、新芸能学院との騒動は「MAAGJの公務の範囲外の職業活動」で起こった問題であるため、「外交関係に関するウィーン条約」(日本では1964年6月8日に発行)の第31条1項による外交特権「外交官は接受国の刑事・民事・行政裁判権からの免除を享有する」の対象から漏れ、訴えられた。 この裁判は長期化し、1964年から実に4年に渡って行われた。 ジャニーズの4名も実際に証言台に立っており、その証言記録は『女性自身』(1967年9月25日号)、『ジャニーズの逆襲』(データハウス刊)、『ジャニーズスキャンダル調書』(鹿砦社刊)にて再現されている。 『週刊サンケイ』(1965年3月29日号)でも「ジャニーズ騒動 “ジャニーズ”売り出しのかげに」として5ページの記事が組まれた他、ルポライターの竹中労も、著書『タレント帝国 芸能プロの内幕』(1968年7月、現代書房)の中で「ジャニーズ解散・始末記」と題してジャニーの性加害について言及した (当書はその後、初代ジャニーズを管理していた渡辺プロダクションの渡邊美佐の圧力で販売停止)。 なお、『ジャニーズスキャンダル調書』では「同性愛」という表現自体を否定しており、ホモセクハラである以上、「性的虐待」、善意に表現しても「少年愛」であるとしている。 『週刊現代』(1981年4月30日号、講談社)にて、「『たのきんトリオ』で大当たり アイドル育成で評判の喜多川姉弟の異能」と題し、ジャーナリストの元木昌彦がジャニーの性趣向問題について言及。 (直後、ジャニーの姉のメリー喜多川から編集部に「今後、講談社には一切うちのタレントを出さない」と猛クレームが入り、元木は処分として『週刊現代』から『婦人倶楽部』の部署へと異動させられた。 この件については、『週刊文春』(1981年5月28日号、文藝春秋)でも、「大講談社を震え上がらせたメリー喜多川の“たのきん”操縦術」と題して報じられた。 なお、ジャニーの性的児童虐待についてメリーは、「弟は病気なんだからしょうがないでしょ!」と言ってずっと放任していた) 雑誌『噂の眞相』(1983年11月号)が、「ホモの館」と題してジャニーズ事務所の合宿所の写真を公開。 元所属タレントの告発も相次いだ。 元フォーリーブスの北公次は『光GENJIへ』(1988年12月)、 元ジューク・ボックスの小谷純とやなせかおるは『さらば ! ! 光GENJIへ』(1989年9月)、 元ジャニーズの中谷良は『ジャニーズの逆襲』(1989年10月)、 元ジャニーズJr.の平本淳也は『ジャニーズのすべて ~ 少年愛の館』(1996年4月)、 豊川誕は『ひとりぼっちの旅立ち ~ 元ジャニーズ・アイドル 豊川誕半生記』(1997年3月)、 山崎正人は『SMAPへ』(2005年3月)をそれぞれ上梓。 タレントの生殺与奪の全権を握るジャニーの性的要求を受け入れなければ、仕事を与えられずに干されてしまうという実態が明るみに出た。 中でも『SMAPへ』は、ジャニーが行っていた性行為の内容について最も細かく具体的に描写しており、少年に肛門性交を強要していたことも明かしている。 同じく元Jr.の蓬田利久も、漫画『Jr.メモリーズ ~もしも記憶が確かなら~』(竹書房の漫画雑誌『本当にあった愉快な話』シリーズに掲載。著:柏屋コッコ、2014年1月~2015年4月)に取材協力する形で暴露している。 ジャニーは肛門性交時にノグゼマスキンクリーム、メンソレータム、ベビーローションなどを愛用しており、少年隊もラジオ番組で、錦織一清が「ジャニーさんと言えばメンソレータム思い出すなぁ・・・」、東山紀之は「合宿所はいつもメンソレータムの匂いがしてた」など、分かる人には分かるギリギリの発言をしている。 元Jr.の星英徳も、ジャニー喜多川の死後になってネット配信で、「ただのJr.だった自分ですら、何十回もやられた。 ジャニーさんが特に好んだのは、小中学生の段階のJr.。 時には平日の朝から学校を休んで合宿所に来いと呼び出され、マンツーマンで性行為を受けた。 その最中は、当時付き合ってた彼女のことを毎回必死に頭で思い描きながら耐えてた。 メジャーデビューしたメンバーは必ず全員やられている。 必ずです! 全員やられてる! そもそも断ったらデビュー出来ない」と幾度も打ち明け、ジャニーによる性被害や当時の事務所内での異常な状況を説明した。 ジャニーズの出身者以外からも、浜村淳が関西ローカルのラジオ番組『ありがとう浜村淳です』(MBSラジオ)の中でジャニーのことを「あのホモのおっさん」と発言したり、ミュージシャンのジーザス花園が、2009年発表の自作曲『ジャニー&メリー』で、AV監督の村西とおるもブログやTwitterで糾弾している。 ジャニーに対する感謝、愛情が誰よりも強いことで知られるKinKi Kidsの堂本剛(児童劇団の子役出身)は、小学5年生の段階で子役活動を辞め、一旦芸能界を引退していたが、姉による他薦でジャニーズのエンターテインメントの世界に触れ、自分もスターになって成功したいという感情が芽生える。 しかし成功するためには、まだ幼い小学6年生の段階からジャニーの性的な行為を耐え忍ぶしかなく、剛が中学2年生の14歳の時に奈良県から東京の合宿所に正式に転居してからは、ジャニーの性行為は更に過熱していった。 当時剛と非常に親しい関係にあった元Jr.の星英徳も、「剛は普通のJr.たちとは違うレベルの性行為をジャニーさんから受けていて、そのことにいつも悩んでた。剛が病んじゃったのはジャニーさんが原因」と、2021年6月25日の深夜にツイキャス配信で証言した。 剛にしてみれば、確かにジャニーには芸能界で大成功させて貰って感謝はしているものの、幼い頃から異常すぎる性体験を強いられ、自分の心と体を捨て去るという代償を払わされてきた訳であり、更に人一倍繊細な性格がゆえ、15歳からは芸能活動へのストレスも相まってパニック障害を抱えるようになり、長年に渡って自殺を考えるほどに苦しんだ時期が続いた。 自分で選んだ道ではあるし、ストックホルム症候群、トラウマボンド(トラウマティック・ボンディング)、グルーミングなどの効果によって、ジャニーに対して大きな感謝はしつつも、もしジャニーと出会わなければ、こんなにも苦しい思いをすることは無かった、という愛憎が入り混じった複雑な感情から、剛の自作曲『美しく在る為に』は、ジャニーへの思いや、芸能活動への葛藤が描かれた曲だと、一部のファンの間では解釈されている。 その歌詞の一部には、 「あたしが悪いなんて 云わせないの あなたが悪いなんて 云う筈がないの 人は勝手だったもの 何時も勝手だったもの 美しく在る為に 勝手だったもの」とある。 [1] 元光GENJIの諸星和己も、2016年11月6日放送のバラエティ番組『にけつッ ! !』(日本テレビ)に出演した際、千原ジュニアとの会話でジャニーについて、 千原 「数年後に大スターになると見抜くその力よ」 諸星 「違う違う、たまたま、たまたま」 千原 「先見の明がすごいんでしょ?」 諸星 「僕の考えだと、“結果論”だね。 あの人(ジャニー喜多川)の目がいいとか、見抜く力がすごいとか、“全く”無い!」 と断じ、ジャニーに対する世間の過大評価に異を唱えた。 そして番組の最後では、「ジャニーの感性はね、あれホ〇だから!」と締めくくった。 ジャニーについてはよく、「少年の10年後の成長した顔が見えていた」などと評されてしまうことがあるが、それは間違い。 確かに子供の頃は冴えない平凡な顔をした者が、美容整形なども踏まえて将来二枚目に化けたパターンもあるが、その一方、小さい頃は可愛かったのに、成長と共にどんどん劣化してしまったパターンも少なくない。 そもそも、テレビなどで頻繁に同じタレントの顔を目にしていれば、視聴者の目はその顔に慣れていく訳だから、マイナス面はどんどん軽減されていく。 ジャニーが持っていたのは権力と財力であって、人の10年後の顔はおろか、人の本質や将来を見抜けるような特殊能力、神通力は存在しない。 ジャニーは将来を予見して採用していたのではなく、ただ単に、今その瞬間の“自分の好み”の少年、個人的に性欲を感じる“ヤりたい相手”を選んでいただけであり、その少年がたまたまスターになるかならないかは、諸星が述べた通り、後からついてきた“結果論”に過ぎない。 ジャニーに個人的に嫌われれば、いくらスター性や才能がある者であっても捨てられるし、ジャニーに個人的に好かれれば、スター性の無い者であっても権力と財力でメディアにゴリ推しされ、結果、誰でも人気者になれた。 こうした、ジャニーの個人的な好み、機嫌だけで全てが操作・決定される、非常に特殊で独裁的な事務所だったため、多くのスターを製造した一方、本当に将来有望だったはずの多くの才能も死んでいった。 なお諸星はこの放送の一ヶ月後の2016年12月2日に大沢樹生と共に開催したトークライブでも、ステージ上で「俺が何で結婚しないか? ホモだから。 ジャニーみたいなものだから」と発言し、ジャニーを茶化している (諸星自身がゲイであるという部分は自虐による冗談であり、諸星はゲイではない)。 1988年~1989年にかけ、月刊誌『噂の眞相』もこの問題を数回取り上げた。 しかしジャニーズ側は、「『噂の眞相』という雑誌はこの世に存在しないもの」という姿勢を貫いていたため、全く相手にされることは無かった。 週刊誌『FOCUS』(1989年8月11日号、 新潮社)に、ジャニー喜多川が合宿所で撮影した田原俊彦の全裸のポラロイド写真が流出掲載される。 1999年10月28日号から2000年2月17日号にかけ、『週刊文春』がジャニーズ事務所に対する糾弾を14回に渡ってキャンペーンとしてシリーズ掲載。 ジャニーが所属タレントに対してセクハラ・児童虐待を行い、事務所内では未成年所属タレントの喫煙や飲酒が日常的に黙認されていると報道し、約15名もの元ジャニーズJr.が取材に協力した。 出版元である文藝春秋は、他の大手出版社と違ってジャニーズ事務所との癒着や影響力が皆無に等しかったために出来たことだった。 【キャンペーン開始の引き金的な記事】 江木俊夫 公判で元アイドルが「ジャニーズ」批判 (1999年10月7日号) 【14回のキャンペーン】 青山孝 元フォーリーブス衝撃の告発 芸能界のモンスター「ジャニーズ事務所」の非道 TVも新聞も絶対報じない (1999年10月28日号・p252~255) ジャニーズの少年たちが耐える「おぞましい」環境 元メンバーが告発 「芸能界のモンスター」追及第2弾 (1999年11月4日号・p190~193) ジャニーズの少年たちが「悪魔の館」合宿所で 「芸能界のモンスター」追及第3弾 強いられる“行為” スクーブグラビア ジャニーズ「喫煙常習」の証拠写真 (1999年11月11日号・p26~29)[1] テレビ局が封印したジャニーズの少年たち集団万引き事件 追及キャンペーン4 マスコミはなぜ恐れるのか (1999年11月18日号・p188~191) ジャニー喜多川は関西の少年たちを「ホテル」に呼び出す 追及第5弾 芸能界のモンスター (1999年11月25日号・p188~191)[1] ジャニーズOBが決起! ホモセクハラの犠牲者たち 芸能界のモンスター追及第6弾 (1999年12月2日号・p195~197) 小誌だけが知っているジャニー喜多川「絶体絶命」 追及第7弾 (1999年12月9日号・p179~181)[1] ジャニーズ人気スターの「恋人」が脅された! 追及第8弾 (1999年12月16日号・p185~187) ジャニー喜多川殿 ユー、法廷に立てますか? 「噴飯告訴に答える 追及第9弾」 (1999年12月23日号・p179~181) 外国人記者が「ジャニー喜多川ホモ・セクハラは日本の恥」 追及第10弾 (1999年12月30日号・p38~40) ジャニーズ裁判 元タレントはなぜ「偽証」した キャンペーン再開! (2000年1月27日号・p180~181) ジャニー喜多川よ、ファンもこんなに怒っている 徹底追及(第12弾) (2000年2月3日号・p165~167) NYタイムスも報じたジャ二ー喜多川「性的児童虐待」 (2000年2月10日号・p172~173) ジャニー喜多川「性的虐待」 日本のメディアは腰くだけ ピュリツァー記者が激白 (2000年2月17日号・p34~35) 【追加報道】 スクープ撮! ジャニー喜多川の素顔 (2000年3月16日号) ジャニー喜多川の性的虐待! 母親が決意の告白 「息子は私に訴えた」 (2000年3月23日号・p184~186) 新展開 ついに国会で質問されたジャニーズ性的虐待 なぜNYタイムスしか報じないのか (2000年4月27日号・p176~179) ジャニーズ疑惑 梨元勝国会で証言へ! (2000年5月4日・11日合併号・p180~181) 大手メディアがこの性的児童虐待問題をこれほどまでに取り上げたのは1960年代以来初めてのことで、その波紋は大きく、自民党衆議院議員・阪上善秀(後の宝塚市長)も、2000年4月13日にこの問題を衆議院で取り上げた [注 6]。 1999年11月、ジャニー側は名誉毀損であるとして文藝春秋を訴え、1億700万円(ジャニーズ事務所に対し5350万円、ジャニー喜多川に対し5350万円)の損害賠償と謝罪広告1回を求める民事訴訟を起こした。 2002年3月27日、東京地裁の一審判決では、「高度の信用性を認めがたい。 証人の証言はたやすく信用できない点を残している」としてジャニー側が勝訴し、東京地裁は文藝春秋に対し、ジャニーへ440万円、ジャニーズ事務所へ440万円の、計880万円の損害賠償を命じた (井上哲男裁判長)。 文春側はこれを不服として東京高裁に控訴。 これに対抗するかのようにジャニー側も控訴。 2003年7月15日の二審判決では、ジャニーの性的児童虐待に関する記述について、 「喜多川が少年らに対しセクハラ行為をしたとの各証言はこれを信用することができ、喜多川が、少年達が逆らえばステージの立ち位置が悪くなったり、デビューできなくなるという抗拒不能な状態にあるのに乗じ、セクハラ行為をしているとの記述については、いわゆる真実性の抗弁が認められ、かつ、公共の利害に関する事実に係るものである」 と結論づけられ、ジャニー側の性的児童虐待行為を認定 (矢崎秀一裁判長)。 このため、性的児童虐待部分のジャニー側の勝訴は取り消され、損害賠償額はジャニーへ60万円、ジャニーズ事務所へ60万円の、計120万円に減額された。 ジャニー側は損害賠償額を不服として最高裁に上告したが、2004年2月24日に棄却され (藤田宙靖裁判長)、120万円の損害賠償と性的児童虐待行為認定が確定した。[1]、[2] しかし各芸能マスコミは、一審の880万円から120万円に減額された事実だけをベタ記事で書いて済ませ、「性的児童虐待が認められた」という肝心の部分は書かなかった。 この問題について、懐疑主義団体「JAPAN SKEPTICS」の機関誌『NEWSLETTER 53号』にて、当時同会の副会長だった草野直樹が批判。 「マスコミの誤りというのは、『間違ったことを報じる』だけでなく、『必要なことを報じない』ことも含まれる。 そして後者の多くは、いくつかの『タブー』に縛られていることが原因になっている。 報道におけるタブーのベールを抜いた報道には、オカルト・疑似科学の類と同様に騙されないようにしよう」と訴えた。 芸能評論家の肥留間正明も、「芸能界でホモセクハラが裁判になったのは異例。 真実と認められたのも初めてで、これは社会的な事件」と語っている。 また、ニューヨーク・タイムズや、イギリスの新聞・オブザーバーなどの海外メディアも大々的に取り上げ、この問題をタブー視するなどして真実を報道しない卑怯で腰抜けな日本のマスメディアの姿勢、体質を批判した。 以後もジャニーズ事務所と文藝春秋は対立。 2006年に『武士の一分』が映画化された際、ジャニーズは文春文庫で発売されている藤沢周平の原作本の帯に、主演の木村拓哉の写真の使用を一切許可しない、という対抗措置を取っている。 また、木村が工藤静香と結婚した際にも、会見への週刊文春の参加を���じた。 そのため、文春側は巻頭グラビアで白紙ページに木村とインタビュアーの輪郭のみを描き、ジャニーズによるメディア統制であると非難した。 2010年3月14日、サイゾーウーマンにてシリーズ連載「新約・ジャニーズ暴露本」開始。 2018年6月6日、サイゾーウーマンにてシリーズ連載「いま振り返るジャニーズの“少年愛”報道」開始。 2019年7月9日にジャニーが逝去。 その際、テレビや雑誌など、日本の主要メディアではジャニーを賛美する歯の浮くような美辞麗句のみが並べられ、まるでジャニーを聖人君子かのように崇め奉った。
ジャニー喜多川 - ジャニーズ百科事典
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ari0921 · 4 months
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和五年(2023)12月27日(水曜日)参
    通巻第8070号
 AIは喜怒哀楽を表現できない。人間の霊的な精神の営為を超えることはない
  文学の名作は豊かな情感と創造性の霊感がつくりだしたのだ
*************************
 わずか五七五の十七文字で、すべてを印象的に表現できる芸術が俳句である。三十一文字に表すのが和歌である。文学の極地といってよい。
どんな新聞や雑誌にも俳句と和歌の欄があり、多くの読者を引きつけている。その魅力の源泉に、私たちはAI時代の創作のあり方を見いだせるのではないか。
 「荒海や佐渡によこたう天の川」、「夏草や強者どもが夢の跡」、「無残やな甲の下の蟋蟀」、「旅に病で夢は枯野をかけ巡る」。。。。。
 このような芭蕉の俳句を、AIは真似事は出来るだろうが、人の心を打つ名句をひねり出すとは考えにくい。和歌もそうだろう。
 『春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣干すてふ 天香具山』(持統天皇)
 皇族から庶民に至るまで日本人は深い味わいが籠もる歌を詠んだ。歌の伝統はすでにスサノオの出雲八重垣にはじまり、ヤマトタ��ルの「まほろば」へとうたいつがれた。
 しかし人工知能(AI)の開発を米国と凌ぎを削る中国で、ついにAIが書いたSF小説が文学賞を受賞した。衝撃に近いニュースである。
 生成AIで対話を繰り返し、たったの3時間で作品が完成したと『武漢晩報』(12月26日)が報じた。この作品は『機憶(機械の記憶)の地』と題され、実験の失敗で家族の記憶を失った神経工学の専門家が、AIとともに仮想空間「メタバース」を旅して自らの記憶を取り戻そうとする短編。作者は清華大でAIを研究する沈陽教授である。生成AIと66回の対話を重ね、沈教授はこの作品を「江蘇省青年SF作品大賞」に応募した。AIが生成した作品であることを予め知らされていたのは選考委員6人のうち1人だけで、委員3人がこの作品を推薦し
「2等賞」受賞となったとか。
 きっと近年中に芥川賞、直木賞、谷崎賞、川端賞のほかに文学界新人賞、群像賞など新人が応募できる文学賞は中止することになるのでは? 考えようによっては、それは恐るべき時代ではないのか。
 文学の名作は最初の一行が作家の精神の凝縮として呻吟から産まれるのである。
 紫式部『源氏物語』の有名な書き出しはこうである。
「いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひける中に、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり」
 ライバルは清少納言だった。「春は曙、やうやう白く成り行く山際すこし明かりて、紫立ちたる雲の細くたなびきたる」(清少納言『『枕草子』』
 「かくありし時すぎて、世の中にいとものはかなく、とにもかくにもつかで、世に経るひとありけり」(道綱母『蜻蛉日記』)
 額田女王の和歌の代表作とされるのは、愛媛の港で白村江へ向かおうとする船団の情景を齊明天王の心情に託して詠んだ。
「熟田津に 船乗りせむと月待てば 潮もかなひぬ今は漕こぎ出いでな」(『万葉集』)。
 「昔、男初冠して、平城の京春日の郷に、しるよしして、狩りにいにけり。その里に、いとなまめいたる女はらから住みけり。」(『伊勢物語』)
 ▼中世の日本人はかくも情緒にみちていた
 「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶ泡沫(うたかた)はかつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」(『方丈記』)
 『平家物語』の書き出しは誰もが知っている。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。 沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。 奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。 猛き者も遂にはほろびぬ、 偏(ひとへ)に風の前の塵におなじ」。
 『太平記』の書き出しは「蒙(もう)竊(ひそ)かに古今の変化を探つて、安危の所由を察(み)るに、覆つて外(ほか)なきは天の徳なり」(『太平記』兵藤祐己校注、岩波文庫版)
「つれづれなるままに、日くらし硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ」(『徒然草』)
 古代から平安時代まで日本の文学は無常観を基盤としている。
 江戸時代になると、文章が多彩に変わる。
 井原西鶴の『好色一代男』の書き出しは「「本朝遊女のはじまり、江州の朝妻、播州の室津より事起こりて、いま国々になりぬ」
 上田秋成の『雨月物語』の書き出しはこうだ。
「あふ坂の関守にゆるされてより、秋こし山の黄葉(もみぢ)見過しがたく、浜千鳥の跡ふみつくる鳴海がた、不尽(ふじ)の高嶺の煙、浮島がはら、清見が関、大磯小いその浦々」。
 近代文学は文体がかわって合理性を帯びてくる。
「木曽路はすべて山の中である」(島崎藤村『夜明け前』)
「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜ぬかした事がある」(夏目漱石『坊っちゃん』)
「石炭をば早はや積み果てつ。中等室の卓つくゑのほとりはいと静にて、熾熱燈の光の晴れがましきも徒らなり。今宵は夜毎にこゝに集ひ来る骨牌カルタ仲間もホテルに宿りて、舟に残れるは余一人ひとりのみなれば」(森鴎外『舞姫』)。
 描写は絵画的になり実生活の情緒が溢れる。
「国境の長いトンネルをぬけると雪国だった」(川端康成『雪国』)
 谷崎潤一郎『細雪』の書き出しは写実的になる。
「『こいさん、頼むわ』。鏡の中で、廊下からうしろへ這入はいって来た妙子を見ると、自分で襟えりを塗りかけていた刷毛はけを渡して、其方は見ずに、眼の前に映っている長襦袢姿の、抜き衣紋の顔を他人の顔のように見据みすえながら、『雪子ちゃん下で何してる』と、幸子はきいた」。
 「或春の日暮れです。唐の都洛陽の西の門の下に、ばんやり空を仰いでいる、一人の若者がありました」(芥川龍之介『杜子春』)
 ▼戦後文学はかなり変質を遂げたが。。。
戦後文学はそれぞれが独自の文体を発揮し始めた。
 「朝、食堂でスウプをひとさじ吸って、お母様が『あ』と幽(かす)かな声をお挙げになった」(太宰治『斜陽』)
 「その頃も旅をしていた。ある国を出て、別の国に入り、そこの首府の学生町の安い旅館で寝たり起きたりして私はその日その日をすごしていた」(開高健『夏の闇』)
 「雪後庵は起伏の多い小石川の高台にあって、幸いに戦災を免れた」(三島由紀夫『宴のあと』)
和歌もかなりの変質を遂げた。
正統派の辞世は
「益荒男が 手挟む太刀の鞘鳴りに 幾とせ耐えて今日の初霜」(三島由紀夫)
「散るをいとふ 世にも人にも さきがけて 散るこそ花と 吹く小夜嵐」(同)
 サラダ記念日などのような前衛は例外としても、たとえば寺山修司の和歌は
「マッチ擦る つかのま海に霧ふかし 身捨つるほどの 祖国はありや。」
 わずか三十一文字のなかで総てが凝縮されている。そこから想像が拡がっていく。
 こうした絶望、空虚、無常を表す人間の微細な感情は、喜怒哀楽のない機械が想像出来るとはとうてい考えられないのである。
AIは人間の霊感、霊的な精神の営みをこえることはない。
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elle-p · 6 months
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P3 Club Book Ken Amada short story scan and transcription.
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天田乾子供化計画
「別にいいじゃないですか!順平さんには関係ないでしょ!?」
ここは月光館学園の施設、綾戸台分寮の1階。カウンターの方角から聞こえてきた大きな声に、ラウンジでくつろいでいた面々が、何ごとかと目を向けた。声の主は、月光館学園初等部の天田乾。そのそばでは順平が、にやにやと意地の悪い笑みを見せている。
「いーや、関係あるね。いいか、天田。まだまだ子供のお前が、大人ぶりたい気持ちはよぉーっくわかる。オレだって覚えがある」
「別に大人ぶってるわけじゃ······!」
「まあ、聞けって。子供時代にちゃんと子供であることを十分に楽しめないと、やっぱ人間ってのは歪んじまうんだよ」
「······順平さんみたいにですか?」
「うぐっ、そ、そういうとこがガキらしくねえってんだよっ!」
どうやら、いつも大人びた天田の態度に対し、これまたいつものごとく順平が何かいちゃもんをつけているらしい。
「そもそも、順平さんの方が子供っぽすぎだと僕は思いますけどね。真田さんや美鶴さんの落ち着きを見習うべきなんじゃないかなあ?」
「オレはいいんだよ、オレは。つーかな、オレはホントに心配なんだよ······」
「心配?」
いつになく真面目な口調の順平に、不機嫌そうに顔を背けていた天田も、ようやく聞く気になったのか口調を和らげた。
「······どういうことです?」
「いや、お前さ、いつも学校終わってから寄り道もしないですぐ帰ってくるし、どこか出かけたと思ったらひとりで神社に行ってるていうじゃんか。フツーお前くらいの年だと、やっぱ友達と遊びまわったりとかするもんだろ?さすがに心配になってくるって」
「それは······」
順平の心配には、天田自身にも心当たりがあった。確かに、いまの彼には我を忘れて級友と遊ぶような、心の余裕はない。それは、亡き母に対して誓った、悲願を現実のものにするためのストイックな覚悟ゆえ。しかし、それを順平に教えるわけにはいかない。だから。
「別に、心配してもらわなくても平気です」
天田は、そう言うしかない。だが、それでも順平は諦めなかった。
「いかん。いかんよ、キミ!」
「な、なんですか」
「まったく、大人ぶってるくせに、そういうところはガキっぽいんだからな~」
かちん。
その言葉が、天田の心の中の何かを刺激する。
「······わかりました。別に子供っぽいと言われたからって訳じゃないですよ。それに、子供らしくないって言われたって平気ですし。それこそ、その程度でムキになるほど子供じゃないですから。でも、そこまで順平さんが言うなら、歳相応に見えるようやってみますよ。で、いったい僕は何をやればいいんですか?」
つい勢いで、順平に啖呵を切る天田。ラウンジの方では、ゆかりが「あーゆうとこ十分子供らしいよね?」と小声で言い、風花を始めとした面々もうんうんと肯定するが、そのやり取りは天田と順平のもとまでは届かない。 そして。
「よっし!よく言った!」
順平はそう大声を張り上げ、すっくと席を立つ。その顔には、しめた、といった感じの表情が浮かんでいた。ぞわり、と不吉な予感が、天田の背筋をかけのぼる。
「ちょ、ちょっと待······」
「男に二言は、ねえよなあ?」
「うぐっ」
引き返すには、やや遅すぎた。そして天田の予感は、最悪の形で的中していたのだ。
「で······何なんですか、これは!」
「くっくっく、よく似合うぜ~」
ラウンジの真ん中で、天田はすっかりさらし者になっていた。子供らしさはまず形から。そう主張する順平に言われるまま、天田は服を着替えさせられていた。真っ白なランニングシャツに、ちょっと古くなったデザインの半ズボン、頭には麦藁帽子という、昔懐かしの田舎の子ファッションである。どういうわけか、虫取り網に膝小僧のバンソウコという、オプションまでもがちゃっかり用意されていた。
「いや、実はこないだちょろっと実家に帰ったときにさ、オレが昔着てた服が大量に掘り出されてな。天田に着せたらどうなるかなー、とか思ってたもんで」
「要は······順平さんの暇つぶしなんですね? はぁ······満足ですか?じゃ、脱ぎますね」
それこそ子供らしくない深い溜め息をついて、天田はもとの服に着替えようと踵を返した。だが、その両腕をぐっと引き止める者がいた。
「しつこいですよ、順平さ······って、ゆかりさん?風花さん?え?」
引き止める手の主は、意外な人物。ゆかりと風花のふたりだった。何かをぐっとガマンしているかのような、やや紅潮した顔で、ふたりは声をハモらせて絶叫に近い声を出した。
「かわいいっ!!」
「え?え、えっ?」
予想外のリアクションに、天田はすっかり言葉を失っている。だが、盛り上がった女子ふたりのテンションは、間断なく上がり続ける。
「次、これ!これ着てみて!ちょっとストリート風のやつ!」
「ううん、こっちが似合うよ、ゆかりちゃん!ほらお坊ちゃんって感じのブレザー!」
「いえ、あのおふたりとも、落ち着」
「いやーん、何このピンクのベスト!順平、子供の頃こんなの着てたの?もったいない!天田くんに着てもらわないとっ!」
「ゆかりちゃん、ほら!黒のハイソックス、ハイソックス!これは外せないよっ!」
「わ、わ!勝手に脱がせないでくだ」
「た、岳羽······この袖が長めのハイネックなども捨てがたいと思うのだが······」
いつの間にか、美鶴までもが参加していた。
「まったく······ 女性というものは、幾つになっても着せ替え人形が好きなんだな」
「え······ええっ!?」
よりによって、憧れの真田にお人形さん扱いされ、天田の心に絶望感が押し寄せる。だが、脱力するにはタイミングが悪かった。抵抗が弱まった天田に、女性陣がこれ幸いにと群がって、あれこれと服を合わせ始めたのだ。
さすがに天田の人格を考慮してか、下まで脱がされることはなかったものの、次から次へと服を着せられ脱がされて、天田の心にもういいやという諦めの感情が芽生えかけたそのとき。
「ちょ、ちょっと待っててね」
風花がそう言うと、もの凄い勢いで上階への階段へ向かって走り去った。思考能力が鈍った天田が、ここで危険を察知し得なかったのは、一世一代の不覚だったと言えよう。やがてさほど時間を空けずに戻ってきた風花は、いくつかの紙袋を抱えていた。
「こ、これ!これ着てみてっ!!」
そこでようやく、鈍りきった天田の頭の歯車がカチリとはまった。
風花は女性→風花が服を持ってきた→持ってる服はおそらく女物→その服を着せられようとしている→自分は立派な男の子☆
神��回路がそれだけの情報を伝達し、最悪の事態を避けるために手足を動かす信号が発されようとしたときは、既に事態は終了していた。
「か、か、かわいいっ!!」
「うわ······めちゃくちゃ似合う······」
「あ、天田······写真を撮ってもいいだろうか?」
ややロリータ風味が入った、薄いブルーのブラウスと、それに色を合わせたフレアスカート。腰の部分には大きなリボンが添えられ、裾や袖などいたるところにフリルがあしらわれた、可愛いとしか形容できないドレスであった。
「ほぉ······」
「うわ、マジかよ?」
「山岸······やるな」
どうやら男性陣にも、かなり受けがいいようだが、それは何ら慰めにはならない。そして、無言でプルプルと震えるばかりの天田に、アイギスのひと言がトドメを刺した。
「大変、お似合いであります」
「うわあああああああああんっ!!」
見事な逃げっぷりだった。残像すら見えるかという勢いで、天田は2階の自室へと逃げ出したのだ。不覚にも、目には涙が浮かんでいた。
「あ······やば」
「ちょっと、調子に乗りすぎたかな?」
天田の慟哭に正気を取り戻したゆかりと風花を始めとして、そこにいる全員がやりすぎたという表情を見合わせるが、それは後の祭りである。たまだ、この事態の元凶である順平ひとりだけが、いまだに腹を抱えて笑っていた。
「ちょっと、順平。そんなに笑っちゃ悪いよ」
「くっくっくっく······。これが笑わずにいられるかっての。あの天田が泣いて逃げ出したんだぜ?いやー、あいつの子供らしいところが見れて、お兄さんちょっと安心したぜ」
「ホント、大人げないヤツ······知らないからね、天田くんに仕返しされても」
「ま、子供の仕返しなんざタカが知れてるから大丈夫だって。むしろ、オレにイタズラ仕掛けるくらいになれば、アイツも歳相応で余計に安心ってことなんじゃねえの?」
「そう······かなあ?」
周囲の心配をよそに、順平はまったく悪びれたそぶりはなく、むしろ善行を施したと信じている様子である。だが、順平は甘く見ていた。母の復響を胸に生きる小学生が、本気になったらどれほど恐ろしいことになるか、彼はまったく知らなかったのである。
「······っんだ、こりゃああああ!?」
翌朝、寮の中に順平の絶叫がこだました。あまりの悲痛な叫びに、すでに朝の準備を終わらせていた寮生たちが、いったい何ごとかと順平の部屋の前に集合する。
「順平?開けるぞ?」
代表してドアを開ける真田。散らかりきった順平の部屋が、彼らの前にあらわになる。そして、そこに皆が見た物はー。
色とりどりのペンで、顔中に落書きをされた順平の情けない姿であった。一瞬にして、全員が昨日の天田の悔しそうな泣き顔を思い出す。
「ぷぷっ!れさっそく仕返しされてんの!」
真っ先にゆかりが噴き出した。
「笑ってんじゃねーよ!これ、洒落になんねえぞ ······アイツ、全部油性で書きやがった」
拭いても拭いても落ちない落書きに、順平は心底弱りきった声を上げる。落書きの内容も、へたれ、根性なし、変質者、禁治産者、 などなど小学生としては高レベルなボキャブラリーを駆使している。トレードマークのアゴひげの部分には、矢印でポイントされた上に「カビ」とか書かれていた。センスもなかなかである。
「くっくっく、子供の仕返しはタカが知れてるんじゃなかったっけ?あんたさ、昨夜ひとりだけ天田くんに謝りに行かなかったでしょ?言わんこっちゃない」
「っくしょ〜!天田!天田はどこだ!」
「もう、 とっくに登校したわよ。あ、そうだ。もういい時間じゃない。アホの順平に構ってるヒマないわ。行こ、風花」
その言葉を合図にしたように、皆はそれぞれ登校するために散っていった。順平ひとりが自室に残り、天田に対する恨み言を呟きながら、ごしごしと必死に顔をこすっている。
「あの野郎······放課後に折檻してやるっ!」
逆恨み風味で、そう宣言する順平であったが、その言葉は実行されることがなかった。そう、本番はそれからだったのだ。
「だ、だいじょぶ順平?何が魂抜けてるよ?」
昼休み---ゆかりの心配そうな言葉どおり、順平はすっかり憔悴しきっていた。朝の騒ぎのあと、天田が仕掛けたさまざまなトラップが、連続で順平に襲い掛かったのだ。
まず、服を着てカバンを持ち上げようとしたら、机に接着剤で固定されていた。寮を出ようと靴を履いたら、靴先にマヨネーズが詰められていた。駅に着いたら、遺失物の掲示板に「パンツ 伊織順平様」と書かれ、道行く女生徒やOLが笑いを噛み殺していた。学校に着いて上靴に履き替えたら、今度はケチャップが詰められており、シャーペンには芯に見せかけた針金がつめられ、消しゴムにはシャーペンの芯が仕込まれ、教科書を開くと中に挟まれたエッチな写真が落ち、体操着はしゃがむと尻が破れるような細工がされていた。トドメについ先ほど、別クラスの顔も知らない女生徒から、「あのさ、こういうキモイ手紙やめてくれる?マジ迷惑なんだけど」と、 まったく出した覚えのなラブレターに関して、クラスメイトの目の前でなじられ、ついに順平は根を上げた。
「もう······オレ駄目······死にてえ」
ちょっとだけ、その子がチドリに似ていたのも、順平の落ち込みに拍車をかけていた。と、そのときだった。
「あの······伊織先輩、いますか?」
教室前方の入り口から、仕掛け人の天田本人が姿を現わしたのだ。
「あ、天田!てめえっ······!」
と順平が立ち上がろうとしたとき、 先手を打って天田がこう言ったのだ。
「い、伊織先輩······ご、ごめんなさい!」
「へ?」
「お、怒らないでくださいっ!ちゃ、ちゃんとパン買ってきました······から······ぐすっ」
「え?え?」
うっすら涙を浮かべる天田。予想外の事態に焦ある順平に、周囲からの視線が突き刺さる。
「え?もしかしてイジメ?」「うそっ、あんな小さい子を?」「伊織くんサイッテー」
どう見ても、 順平が悪人にしか見えない。慌てる順平は、急いで天田のもとに駆け寄り、小声でささやいた。
「わかった!オレが悪かった!もう勘弁してくれ!明日から学校来れねえよぉ······」
折檻してやると言った勢いはどこへやら、情けなく順平は許しを請う。それを見た天田は。
「僕······すごく傷つきました」
「う。わ、わかってるよ。マジ悪かったよ」
「······欲しいゲームソフトがあるんですよ」
「なっ!?てめ、こら、ゆする気かよ!」
「ごめんなさいー!ぶたないでー!」
「わ、こら、やめ、ちょっと、わかったよ!」
すっかり天田に翻弄される順平。
「くっそう······めちゃくちゃマジになりやがって······大人げねえぞ!······あ」
その順平の失言に、してやったりといった表情を浮かべて、天田はにこやかに言った。
「僕、 子供ですから」
その笑顔は、まさしく子供らしく、それゆえにけっこう恐ろしいものであった。
結論---天田は怒らせないほうがいい。
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tutai-k · 1 year
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文学フリマ東京参加します
2023年5月21日(日)、東京・流通センターにて開催される文学フリマ東京36にサークル・ヨモツヘグイニナで参加します。 お品書き↓
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新刊は『けものと船乗り』、『ヤールルカ』の二種類です。
★けものと船乗り 船をことごとく沈めてしまうという「魔の水道」を挟んで、島とむきあう街……その街の灯台には、もう一匹のけものが棲みついていた。 街のひとびとには「けもの」と思われているアーシアは、ある日磯で船乗りと出会う。けものに焦がれて水道を渡りたがる船乗りは、それでも、星の読み方も、鳥のことも、航海についての知識をすべて、忘れてしまっていたのだった……。 B6サイズ/42ページの小さな幻想小説です。 ★ヤールルカ 動物写真家とハンター、ふたりの女が出会い撮ることと撮られることについて考えるファンタジー小説。B6サイズよりちょっと大きい、12ページのコピー本です。
通販で予約していただいてるかたは本日発送いたしましたので、週の半ばころには到着するんじゃないかなと思います。
他に持ち込む本ピックアップ ★山梔の處女たち(準新刊) アルファの少女ふたりの物語『首輪とロマンス』、魔法学院に通う少女たちと教師・使い魔の物語『魔女の選択』、人生の岐路にまどう少女たちの恋をすること・しないこと、そして未来についての物語です。 ★浜辺の村でだれかと暮らせば(おすすめ) 田舎で漁師をいとなむ日和。父が死に、自分の収入だけでは生活が心許ない…そんなとき「だれかと暮らす気、ない?」と声をかけられて……。やってきたのは都会の男。人付き合いは得意じゃないし、村に役立つような特技も持ってない。それでも、「この土地」で生きていくことを、ともに選ぶ「ひとびと」の物語。
委託本 ★『征服されざる千年』(鹿紙路さん) 東アフリカ×三つの時代×百合、歴史と物語りの剣呑な関係、歴史実践という切実な営みについての長編小説 5~6世紀 魂の救済を求め沙漠を旅する修道女と元娼婦(シリア~エチオピア) 15~16世紀 漁師の娘に恋い焦がれるムスリマの少女(マダガスカル~エチオピア) 21世紀 共に逃避行する歴史人類学者と考古学者(日本、マレーシア、シンガポール、マダガスカル、ロンドン、タンザニア、エチオピア) ほかに、鹿紙さんのお手製の素敵なブックカバーも委託します! ★『日々詩編集室アンソロジーvol.1 わかち合い』 31名の寄稿者とHIBIUTA AND COMPANYのスタッフによるエッセイや旅行記を集めた本です。全部リソグラフ! ★『存在している 編集室篇』 HIBIUTA AND COMPANYに集うひとびとが、どこへ行こうと出発し、どんな道のりを歩いて「ここ」へたどり着いたかをそれぞれの言葉で語るエッセイ集。第一弾は編集室篇。編集室にいる「ひと」のことを知らなくても、「ひとりの人間がどんな軌跡を歩いてきたか」、言語化に長けたひと・出版という選別に勝ち抜いたひとだけでなく「だれもが」語りたいときに語る試みをする本です。
他に↑の日々詩編集室から9月に『ゆけ、この広い広い大通りを』というタイトルの三人の女たちの物語が出るので、試し読みの冊子(ちょっとだけ)とかも持って行きます。よかったらどうぞ。
文フリ東京、お隣は八束さん。
新刊の「アフター・ヘブン」、その書物について書かれた八束さんのブログを読んで、このような目を持つ稀有な作家の書物に手が届く世界は幸福である、と言う思いを強くしました。 『光や風にさえ』もそうなんだけど、権威や能力主義からは取りこぼされてしまう個人(これはフィクションの登場人物であっても、というかフィクションの登場人物であるからこそ、ストーリーラインに載せられず、すくいあげられなかったりする)の物語を、丁寧に、(逃げずに)、決してあきらめずに「描く」姿勢に敬服する。
東京、行くのは実は三年ぶり。鹿紙さんに委託をお願いしていたので、初頒布の本ばかりではないけれど、それでも、わたしがこの本たちを携えて東京へ行く、と言うことは「初」で、どきどきしている。
新幹線の切符、予約を間違えて、東京→名古屋というのを買っちゃった。
今週中に、もう一個くらいお知らせしたいことがあると思うので、そしたらまた、ブログを書きます。
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rioarai · 2 months
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第14回 関係性のWORLD
リオです : ) 関係性にもWORLDがあるよ。
👦🏻⛰️👧🏻
長野で生まれたひとりの少女は、母のことを「お母さんと呼びなさい」という教育で育った。少女は、未来に家族ができたら自分は「ママ」と呼んでほしいなあと、田舎の空に願った。
時は経ち、東京。 娘31才、息子29才&息子19才の3人の子を持つ彼女は、「お母さん」または「かあさん」と呼ばれる存在になった。子育てってこんなにおもしろいのね!あなたたちを見ていることが、いまのわたしの幸せです。でもね、どの子たちも、小学生の頃まではママと呼んでくれるんだけど、中学に入るとませてしまって、呼んでくれなくなっちゃうの。だから今はもう「ママはね、」って自分で呼んでるの。私だけでも…ね。
真ん中の息子はオランダで一人暮らしを始めた。彼の海外移住はこれで三度目なので、家族も慣れているが、今回は永住権を取る予定だから、過去にない長旅となる。そのため今までよりも、家族を気に掛ける回数、というか頭の中に登場してくる回数が増えたような気が、少ししていた。
頭の中に母が現れたとき、僕は「お母さん」と呼んでいた。それがいつもの呼び方だったから。ただ、オランダに来てから一度、小学生ぶりに、心で「ママ」と呼んでみた。母は、ママと呼びたかった/呼ばれたかったエピソードのことをよく話していたし、LINEも健気に一人称をママにして送ってきていたので、ああこの人は、もうだれからも呼ばれたい名前で呼ばれることがないのかと思ったら悲しい気持ちになってしまった。ごめんねと思った。そんくらいおれするよー。もう恥ずかしさないから。これはおれとあなたの二人の間にある世界での呼び名だから。この際、年齢も関係性も一旦忘れよう。あなたは僕のお母さんだ。でも���時に長野の田舎で育った少女でも��る。そんな少女が夢を持って上京し、20代で家族を持った。自分のために割ける時間というのはほとんどなくなった。子は3人。一番上と下は12歳も離れているから、もう人生の半分以上子育てしていることになる。ありがとう少女。あなたは何よりも大切な時間という宝を、自分自身ではない存在にこれだけ費やした。本当に感謝しています。僕たち二人の間にある世界では、僕たちはパートナーだ。だから死ぬまで助け合って生きていこう。そんな大切な人をおれは今まで、恥ずかしいからという理由だけで、一番呼んでほしい名前で呼ぶことすらできていなかったんだね。
僕は電話をかけた。
「今何してた?」
「よるごはん作ってたよ〜。」
「そっか、いつもありがと。」
「うん。どうしたの?」
「あのさおれ、今日から、」
「うん。」
「お母さんのこと、ママって呼ぼうと思うんだよね。」
「ええーーーーー!!?どうしたのーー!!」
「いや、こんなにママって呼ばれたい人のことママって呼んであげようかなって…」
「無理しなくていいのよ?」
「無理してないよ。」
「あらそう、じゃあすごく嬉しいわ。ありがとう。」
こうして僕は、約17年ぶりに母をママと呼ぶことになった。
ただいま。
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longgoodbye1992 · 2 years
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東京ってすごい
高速バスに十時間以上揺られ到着したのは東京駅鍛冶橋駐車場。
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東京駅へと向かいながら街並みをキョロキョロと見ては歩く。そうか、ここは東京か。何て寝ぼけたことを思った。
Suicaをチャージして中央線に乗り込む。
最初の目的地は明治神宮。
神奈川に四年、東京に約一年住んでいたが明治神宮には行ったことがなかった。
山手線に乗り継いで原宿駅に降りる。
新しくなっていた駅舎に少し驚く。
駅からすぐに参道への入り口がある。
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朝の参道はどこか神々しさがあって心地いい。
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本殿では朝の祈祷が行われていて、二十人くらいの人がそれを見ながら祈りを捧げており、とてもじゃないが写真を撮れる空気ではなく本殿の写真はこれだけだ。
参拝を終えると原宿ではなく小田急線の参宮橋方面へ向かうことにした。
参宮橋という駅にはちょっとして縁がある。
高校時代に弁論大会のようなもので県代表になり、その時の全国大会の会場が、参宮橋近くのオリンピックセンターだったためその時一度利用した。
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その時以来およそ十四年ぶりだったが、商店街の景色はあまり変わってなく、これのまた駅舎が綺麗になっていた。
その後各停に乗って新宿へ。
少し遅めの朝食をとるため大好きな蕎麦屋へ向かう。
思い出横丁にあるかめやという店だ。
ここの天玉そばは絶品。
暑かったので冷やしにしたがこれもまた美味い。
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天ぷらがサクサクで、たまごのとろみが蕎麦ののど越しをまろやかにしつつ優しい味わいにしてくれる。
新宿をあとにして、山手線に乗り込む。
上野まで行って銀座線。浅草へ。
隅田川の水上バスに乗るのが目的だ。
時間があったので二つのコースに乗船することにした。
最初は吾妻橋から上流へ向かって周遊するコース。
初めて乗るコースだったが、スカイツリーがアサヒビールの本社ビルに映り、金色のスカイツリーに見えるという中々レアなものをみた。
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次に乗ったのはお台場海浜公園行きのコース。
二つのコースに乗るというのは珍しいらしく、受付係のお姉さんや乗務員さんから手厚いもてなしをうけたのは嬉しかった。
何度も乗っているが、定期的にこの路線で東京の街並みを見るのがたまらなく好きなのだ。
デートで使うこともしばしばあったから、ちょっとそれを思い出してはセンチな気持ちになったりもするけれど。
実は橋マニアなところがあるから、橋をくぐるということで好奇心が高ぶる。
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国技館、LIONのビル、浜町公園、聖路加タワーを過ぎていくと勝鬨橋が近づく。
勝鬨橋のすぐ近くに築地がある。トータルで十ヶ月くらい築地場外の店で働いていたのを思い出す。
また東京で暮らしたいとしみじみ思ってしまう。
そんなのも束の間で、早くも一番見たかったレインボーブリッジが視界に入ってくる。
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レインボーブリッジ、スカイツリー、東京タワー
この三つのいずれかを見ると東京だなと思うのは、決して田舎者の自分だけではないはずだ。
お台場についてゆりかもめに乗る。
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幸運なことに最前席が空いていて座ることができた。
新橋で降り���神田へ。
ここには安く国産うなぎを食べられる店がある。
その名はうな正。
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これで990円。
うなぎはふわふわで、薄い皮が上品。
以前はグラスビールが200円で飲めたけど今はやってないのかメニューの載っていなかった。
満足して次に向かうのは宿泊地川崎へ。
実はここで人と会う予定がある。
Skypeを通じて知り合った子で、偶然にも地元が近かった。
サバサバしているけど、どこか女の子らしさがある子という印象だが、果たしてどうなんだろうか。
十六時に川崎駅で待ちあわせだったが、その子は早くに列車で来ており、ホテルから向かった自分のほうが数分遅くなってしまった。
互いに特徴を言いながら探しているとき、何故か聞いていたAmazonミュージックから「LA・LA・LA LOVE SONG」が流れてきて、何だか一人でおかしかった。
この話の続きはいつかまた書けたら。
この日、東京の空はずっとくもっていた。
旅の途中。東京ってすごい。
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dal2bb · 2 years
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ジヨンベは2ショをインスタに上げてくれるし、じよんなんて「よんべが太陽なら僕はそっちを向いて咲くひまわり」をその写真にデコるし。祭り?
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最後に夜になって特大のニュース。よんべ10月頭のフェスでソロでステージパフォーマンスするってよ!(歓喜)
祭気分でよんべのソロアルバム聞き始めて胸がいっぱいになる。
ソロコン楽しかったなぁ。
2014年のソロコンのオーラス@大阪城ホールはあの年のベストライブ。一生忘れられない素晴らしいコンサートだったよね。
個人的な事情もあってあのライブは印象深いってのもある。
一緒に行った友人が2人いて、会社の同僚でもあったorあるんだけど、約10年弱経って、仕事上でもプラベでも立場も色々変わったなぁと思って。オーラス@大阪城ホールは9月にあったんですよね。私に誕生日より少し前。二人は誕生日プレゼントくれたんだ。サボンのセットだった。よく覚えてる。
当時私は会社でまぁ過酷で誰もやりたがらない前職の部署に飛ばされて2〜3年め頃。その直前まで同じ支店の立ち上げメンバーとして一緒に頑張った同年代の仲間同士で5人で仲良くしてた。そのうちの2人が同じビッペンだったからオーラス取れたし行こう!ってなって。
この日は確か9月の平日だったんだよね。
私=前職に飛ばされて2年位(土日休み)
友人A=一緒だった支店から別の支店に異動後同一の職種(平日休み)
友人B=一緒だった視点にそのままいる(平日休み)
私はどうしてもオーラス行きたかったのと、友人二人が大阪まで出てくるって言うんで、大阪出張を無理くりその日に合わせて夜の公演に間に合うようにダッシュで向かった。友人達は平日休みで余裕で2日間連続休みにして先に会場へ。開演ギリギリで私はスーツでゼーゼー言いつつ席について、お誕生日プレゼント渡された。公演は素晴らしくて本当に本当に最高で感動したんだけど、エンドロールは私は途中までしか見れなかった。次の日平日で休めなかったから。暗闇の中、ホール内の階段をこそこそササッと降りていくの、悔しかったんだよね。プレゼントの紙袋の紐に暗いから足引っ掛けちゃって、ちょっと階段でコケて周りに目立ってしまって。
すっごく良い公演だったしプレゼントも嬉しかったし二人のことも大好きなんだけど、だからこそか、帰りの新幹線の中で落ち着いて座ったら涙が出てきちゃったんだよね。
そういう思い出がある公演だ。
10年弱経った今。
結局前職で苦労はしたけど、代わりに胸張って「こんだけのことしてきました!」って言える経歴にはまぁなったかなと思ってて、前職から足洗って(←言い方)、新しい部署で新しい仕事をしている私。変わらず土日のみの休みが基本だけど、まぁ申請すれば月曜火曜でなければ平日も休み取れるかなって現部署。仕事の内容も産業としての流行り廃りに翻弄されることが少なくなって座ってできる仕事だし、安定してる。(まぁまたいつ飛ばされるかわかんないけど。その分貰ってるのでね…)
一方で友人達は。
友人Aは結婚して最初は働きながらでやってたけど結局会社を辞めた。辞めてすぐ子どもができて、双方の親とも近くで住んでて、いわゆる「賞賛される幸せ」ってのを勝ち取って過ごしてる。うちの親なんて彼女の生き方を大絶賛拍手喝采。田舎で一番賞賛されるのよ。子どもは男の子だったしね。←これ重要
でも相手の親御さんの土地に家建てて住んでて、すぐ裏に親御さん住んでて助かるけど!助かるけど!でも!という日々ではあるそうだ。あとあんなにいつも個性的でおしゃれだった彼女は今はそこは興味なくなってしまったよう。それはそれで良いし、ほんと賞賛されるべき人生だし、私には計り知れない全然違う種類の幸せを掴んでるんだと思う。
でも、とも思う。これからまた働くこともなく、一生家で家族のためだけに生きるのだなぁと、そういうのが望みだったんだなぁ。何かあったときどうするのだろう。何もないか。でも、と。彼女の社会でのキャリアは0だ。
たまにラインとか、実際会ったりとか、コロナ前はしてた。またコロナが少なくなってきたらちょくちょく会おうと思う。
友人Bは今でも同じ職種で別の支店で働いてる。でも最近彼女は様子がおかしい。たぶん心の病気に罹りかけてると思う。現在の支店が特殊な支店で、地場のパートさんやアルバイトさんと(まぁ誰でもだろうけど)合わなくて詰んでしまってる。仕事はできる人なので、全部一人で抱えてしまってヒステリー起こして過労。辞めたいということを言い始めたので、5人組のうちの1人が今、偶然私の隣の部署にいるので(彼女についてはまた別の機会に)一緒に心配で様子を見に先週行ってきた。新幹線で行く距離を。コロナ拡大中なので他の観光とかは一切無しで。話を聞く限りもうこれは病、という感じ。病院を受診するように強く説得したけど行くかなぁ…。辞めたいという気持ちは強いようだったので、辞めるにせよ部署変わる要望出すにせよ、人事の担当者に連絡するように強く説得したけどこれもするかなぁ…。辞めたくて転職活動もしているようだったけど、やはりずっと同じ職種で(しかも潰しが効かない対外的に。いわゆる接客業の現場主任)この年齢となると厳しいと。まぁそうだろうなぁ…職務経歴書に書くことがあまりにも少なすぎるかなと。上を目指すまではいかずともキープを目指す転職も厳しいだろうなぁ。
良い人なのですっごく心配。本当に心配している。また1ヶ月位経ったら病院だけでも受診したか確かめようかなと思ってる。私は独身で暇だし連絡するのは私の役目かなと。
よんべの2014年のソロコン@大阪城ホールから話がだいぶ逸れてしまったけど、あの時私は正直なんで私だけこんな仕事に追われて酷い部署で酷い仕事してるんだろう…って思いを抱えながら、悔しい思い出も込もで、良い公演だったと思ってる。あの時はそうだったけど、今はたぶん私が一番気持ちが楽に過ごせている気がする。そりゃ日々いろんなことはありますが。
あの時「大変だね〜(他人事)(あたりまえ)」と呑気に言ってた友人達も今はそれぞれ苦労してる。みんなそれぞれ順番に巡ってくるのかな、とも思ったり。
人ってどうなるか分からない。三者三様。それどころか人の数だけいろんな人生。
次また私が苦労する番が来るんだろう。嫌だな。もう全員苦労からは上がりたいな。
そんで、年取ってから全員が余裕を持ってよんべのコンサート行きたい。そういう日が来てほしい。いまだに私達は奇跡的にお互い気遣い、仲良くできている。よんべが長く歌い続けてくれたら実現するよきっと。頑張ってね。よろしく。
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kousuke-yoshimura · 2 years
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#Repost @ikkousha_hakata with @use.repost ・・・ .⁠ ⁠ ⁠一幸舎の世界観を体現した総本店⁠ ⁠ ⁠ ■博多一幸舎 総本店⁠ ⁠ ⁠ 博多駅前にある⁠ 博多一幸舎の総本店。⁠ ⁠ すべての一幸舎の原点であり、⁠ 集大成でもある旗艦店です。⁠ ⁠ ⁠ 和風でありながら、⁠ 活気ある街をイメージした⁠ 博多を感じさせる内観。⁠ ⁠ そこで食べられるのは、⁠ 本店ならではの味。⁠ ⁠ ⁠ 選りすぐりのラーメン職人たちが⁠ 丹精込めて作る一杯を⁠ 総本店でお楽しみください。⁠ ⁠ ⁠------------------------------------------------⁠ ⁠ #一幸舎 #博多一幸舎総本店#博多一幸舎⁠ #博多屋台ラーメン一幸舎⁠#ドライブイン一幸舎⁠ #博多ラーメン二代目一幸舎#博多ラーメン⁠ #ラーメン #福岡ラーメン #豚骨ラーメン ⁠ #とんこつラーメン #ラーメン大好き #博多グルメ ⁠ #福岡グルメ #ラーメン好きな人と繋がりたい ⁠ #ラーメン部 #麺スタグラム #麺スタグラマー ⁠ #ラーメンパトロール #ラーメン倶楽部 #ラーメン巡り⁠ #博多ランチ #麺喰い ⁠#麺活 #泡系ラーメン (博多一幸舎 総本店) https://www.instagram.com/p/Cgy71e5P-90/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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kennak · 10 months
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深夜にすまん。先日ついに警察を呼んで問題客に対応してもらった。だが困ったことになってしまい、どうしようもない。私がやっているSNSでは相談できないし、かといってツテもない。増田はSNSではないけど、過去に相談して解決したことがあるので今回もお願いしたい。私の立場としては、関東地方の田舎でコンビニをやっている。先祖代々コンビニを経営している。経営者としては若輩だ。精神が参ってる状態なので文の調子はよくない。変な箇所があれば容赦なく指摘がほしい。半年ほど前だった。ある大学生の女子アルバイトが店を辞めた。その後も一人辞めた。不自然なタイミングだと思った。学生の場合、普通は年度替わりか資格研修に参加する直前に辞めたり休止したりするものだ。今年に入って事情がわかった。私の代になってすぐに働いてくれている姉妹がいるのだが、妹の方が辞めたいと言ってきた。事情を聴くと、「男の人がカウンターで話しかけてくる」らしい。どうやら姉の方も同じ事情のようだった。こんな感じのことを言われたようだ。・「こんにちは」「こんばんは」などの挨拶・髪の感じが変わったね、など外見をほめる・今日は暑かったね、寒かったね・こないだ、そこのイオンに居なかった?これはアウトの案件だった。妹の方には、正式に辞めるんじゃなくて休止という形を取ってもらうことにした。姉の方も言われているようだが、この子とはオーナーの代替わりの時から二人三脚でやってきたつもりだ。経営状況が悪化を続けている時でも相談に乗ってもらったし、アルバイトの人間関係もいろいろ取りもってくれたし、一緒に何度もご飯に行ったことがある。その子(姉)には、「苦しいかもしれないが、まだ続けてほしい」と強く説得した。聞いたところ、私も接客したことのある男だという。まずは、そいつが来る可能性がある夕方から夜にかけてシフトに入り、様子を探ることにした。一月経った頃に見ることができた。ツナギ~作業服の男で、土木か建築の仕事のようだった。記憶にある人間だった。ここ以外でも見たことがある気がした。同じ組内(※近所ぐらいの意味で取ってほしい)かもしれない。服に汚れはなくて、身綺麗だった。見た目は私のいくつか下に思えた。35くらいと推察したが、マスクを付けているから確証はない。レジを受けた印象だと、①体格はそれなり、②自信がありそうな雰囲気・悪くいうとイキッている、③言葉遣いは丁寧、といったところだった。そこまで問題がありそうには見えない。まだ普通の範疇だ。印象はすぐに覆った。ほかの女性店員にも聞いていったところ、けっこうみんな話しかけられていた。高校生も、大学生も、社会人も、旦那さんがいるパートさんも。年齢は関係なかった。中には「いい人だと思います」という人もいれば、「ちょっと怖いです」という人もいた。私の結論は決まっていた。夜シフトの店員に指示を出して、彼が来店したら警察に通報することにした。事前に警察には相談してあって、「事情はわかりました。罪に問えるかはわかりませんが、店に滞在しそうなら通報してください」と指導を受けていた。先月、そいつが店に来た際、漫画雑誌の立ち読みを始めたらしい。アルバイト店員からその連絡を受けて、警察を呼びつつ家を出て店に向かった。駐車場にはパトカーが停まっていた。車内を眺めると、そいつがいた。いつもと同じ、ツナギか作業服かなんともいえない格好だった。店に入ると、通報した男子アルバイトが不安そうな顔をしていて、先ほどの姉の方がレジ付近のATMのところで縮こまっていた。やがて、パトカーから降りてきたそいつと、警察官2人が店に入ってきた。憶えている限りで、やり取りをかく。私「どうなりましたか」巡「事実は認めました。ただ、今回は法令にかかるほどではないかと。様子見にしてください」私「罪に問うほどではないと」巡「はい。ですね。では店長さん。彼にどういう処置をされるか直接説明を」(そいつがこっちに来る。意外と圧があって緊張した)私「すいませんが、こういうことになってるので、今後のご利用は遠慮いただきたいということで」そ「わかりました。そうします。ただ、今回こういうことがあったんなら、事前に話をしてもらいたかった。いきなり行政ではなくて、店員に話しかけるのが迷惑なら、まずは言ってほしかった。お互い近所なんですから」私「はい……では、今後はご利用はなしでお願いします」そ「わかりました」巡「また来るようでしたら通報してください」話が終わって、そいつと警察官が外に出てちょっと話していて、そのまま解散した。姉の方は、店の奥にある休憩室に引いていた。涙目になっていた。「もう大丈夫だぞ」と言ったけど、怖かったのか反応はなかった。「もうあの人来ないんですか」と言っていた。ハンカチで涙を拭いてやろうとすると、手をぶつけてきて振り払った。こんなことは滅多にないから、気が動転してるんだろうと思い、それで姉のシフトは終わりにした。それから、地獄は言い過ぎとしても苦しい状況になった。2つある。ひとつめに、グーグルマップのクチコミに悪い評価が付いたことだ。元々2~3の評価だったが、それのせいでさらに下がった。内容は、どう見ても先の事情を知ってるとしか思えない人間が、部外者のふりをして書いたものだと思われる。たぶん、あいつが書いたのだ。許せない。それでまた警察に行った。刑法230条に名誉棄損罪があるのを調べていた。それで裁いてもらおうと考えていた。だが、担当した警察官は、「告訴はできないですね」と言う。なぜかと問うと、「慣例上、この程度では表現の自由の範囲内とみなされます。刑法には、憲法とのバランスというのがありますから」という答えだった。ほかにもいろいろ言われたが覚えていない。それでも告訴したいと言ったが、断られてしまった。帰ってネットで調べたところ、刑法上の名誉棄損罪や侮辱罪は一定のレベルでないと成立しないらしい。刑法にも相場があるということか。飯塚幸三とか、木村花さんとか、春風ちゃんとか、ああいうレベルでないと受け付けてもらえないようだ。弁護士に頼んだら何とかなるのかもしれないが、我が家にそんなお金はない。ふたつめが、町内での評判だ。特に組内の中での評判が悪くなったようで、秋に神社である豊作祭の実行委員会とか、組の寄り合いとか、こども会とか、そういう会合に出す弁当の注文がほぼなくなった。これも、おそらくあいつがやったのだ。あいつが店の悪い噂を流して私の店の営業を妨害している。そうでないと、あまりに説明がつかない。あれから約二ヵ月。店の売り上げも徐々に落ちてる気がする。あと数か月も経てばわかるだろうが、それまで待てない。私の代で潰したくない。せっかくアルバイトやパートの子たちも育ってきたのに。手を尽くしたが、道が開ける気がしない。お願いだから知恵を貸してくれないか。このまま経営の危機を迎えたくない。頼むよ。お願いします。
コンビニをやってるんだが助けてほしい
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iconomiccc · 1 year
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tagged by @katebvsh to list seven of my favorite films.I would like to thank my friends who always take an interest in me and care about me. I would be happy if it was an opportunity to meet good works. それぞれのタイトル下に解説文をつけました。ネタバレしているので嫌な方は読まないでください。I've added a commentary below each title. Please do not read if you do not want to spoil the content of the story. カラスの飼育~Cría Cuervos~ (1976) 高校生の頃にカヒミ(kahimi karie)のアルバムでカバーされていた「Porque te vas」という曲で知って見た映画。カヒミさんは主役のアナ・トレントが自分の幼少期のようでシンパシーを感じると言っていました。私も同じように感じたのかは初見時はよくわからなかったけど、とにかく湿度の高すぎる古めかしい屋敷の中の空気のように重く苦しいストーリーなのに、24時間ずーっと流していても気分が良い不思議な映画だと感じました。やはり自分の感性に似たものを感じて懐かしかったんでしょうね。 汚いことがたくさんある大人の世界に対する子供の鋭い視線、汚い世界で生きていて死んでしまった大好きな母親に対する愛、でも大きくなれば自分もその汚い世界に入っていくのだ、望む望まずに関わらず。それに対するどこまでもピュアな嫌悪感・拒否感が彼女を殺人に駆り立てたのではないだろうかと思っています。 アナの子供特有のスラリとしたお人形のようなスタイル、髪型、顔立ち、衣装、とても愛らしくて全て完璧。スペインの田舎の草原はどこまでも終わりがなく続いているようで、物語と同じく、救いなく連綿と続いていく人生のような寂しい風景だと感じました。 夢 (1990) 黒澤明とスティーブン・スピルバーグの合作。 高校時代の同級生に親が映画マニアで家に死ぬほどテープやDVDがある女の子がいて。その子と私がたまたま天気雨(狐の嫁入り)という気象現象に遭遇した時、私が「天気雨大好き!!」と言うと、「黒澤明の夢って見たことある?狐の嫁入り行列の映像があるんだけど、霧深い杉林の中で子供時代の黒澤明が狐に見つからないように隠れて嫁入り行列を見るの。その時の狐たちがリズムに乗って歩いていて、三歩に一度突然ぐわっと後ろを振り向くのが怖くてねー」って。 それがずっと記憶に残っていて、見てみたら最高でした。まさに私が思い描く通りの狐の嫁入り行列の映像化。見つかったら殺される、と言う緊迫感を忘れさせるほど幻想的なシーンで、何回も繰り返しみてしまう。 同時収録されているお雛さま人形たちが段々畑で実際の人間の大きさになって花吹雪の中舞い踊る話も大好き。黒澤監督が幼い頃にみた夢の映像化作品なので、ストーリーにあまり意味はないけれど、とにかく映像が美しいです。 The Addams Family (1991) 24時間ずーっと流してても苦にならない不思議な映画二作目。これもカヒミさん繋がりで知り好きになったもの。 中学、高校時代の私はカヒミカリィという人の感受性に痺れるようなシンパシーを感じていて、彼女が理想の姿でもあったけれど同時に全く自分と同じ悲しみを含んだ魂の形をしているなとひしひしと感じていました。懐かしい、いつも私が感じてい���もの、好きな感じ、落ち着く感じ。 カヒミさんはアダムスファミリーのようなお城で暮らしたい、世間と常識が真逆であっても家族の中では愛や信頼が成り立ち、幸せに暮らしていると言う姿が理想的とおっしゃっていました。アルバム「クロコダイルの涙」収録の「superfreak」はまさにその世界を彷彿とさせます。 私も赤い絨毯に蜘蛛の巣のはった不気味な古城に暮らしていた前世があると思う。世の人の不気味に思うものが私の美を感じるもの。 お気に入りキャラはイケてるいとこのモップさんとペットの賢いハンドくんです。可愛すぎ。 Nell(1994) ジョディ・フォスター主演。ノースカロライナ州の深い山奥、美しい、湖のほとりにある木でできた家。そこに住む言葉が不自由な現代版狼少女のネルと医師のジェリー、心理学者ポーラ三人の心の交流・家族愛が不器用に育つ過程を描いた物語。体は大人だけど心は幼児でもない、小さな子猫でもない、不思議な存在であるネルと関わることで、常識の中で生きてきた普通の大人の男女二人が、一人の生き物としてそれぞれネルを守ろうと変わり始める姿に胸を打たれる。 私はなぜか小さい時から泉や水辺で水浴するという行為やシーンがとても好きなのですが、ネルが夏の夕方、森の中の湖で泳ぐシーンがすごく好きです。なんだろう、体が溶けて揺れて大気と水と一体になるような陶酔感。 真っ当に育った人間ではない存在であるネルが社会に復帰するために街に出るシーンは人々の好奇な目線やからかいに胸が苦しくなるのだけど、それをも乗り越えて人生は変化をし続けながら続いていく。目と心を世俗の汚れから洗ってくれるような作品。 Digging to China (1998) 実家にいた時衛星放送で偶然録画してすごく気に入った作品。まず登場人物全員の衣装やメイクや背景が半端なく可愛くて感心する。(一番の推しは主人公のお姉さんが妹捜索時に着ていた透明に白のドットの雨ガッパ) 思春期前の少女と知的障害ゆえに少年のような心を持った大人の男性の不思議な友情を描いた素敵な作品。 リボンのついたキャンディーのように可愛くて、でも油断してたら包み紙で手を切ってしまって血が滲むような、なんとも言えない純粋さと可愛らしさが混ざった妙味ある童話みたいな映画。大好き。 かぐや姫の物語 (2013) あまりにも打ちのめされるので気軽に繰り返し見たいという作品ではないけれど、強大な力を持っているので選ばざるを得ない。 鬱病から社会復帰するときにリワーク施設に通っていて、そこでのプログラムで映画鑑賞というものがあり、月に二、三回スタッフさんの持ってきたDVDを見ていて出会いました。 もう、上映後は泣きに泣いて震えて頭が働かないくらい衝撃的でした。 このDVDを持ってきた支援員さんに、私が泣きながら「○○さん、これ。私、わかった」というと、彼女も目を潤ませながら笑顔でうなづいてくれたことを覚えてる。 これは竹取物語という昔話の単なるリバイバルではなく、「この地球で生きるとはどういうことなのか」「人間は死んだらどうなるのか」を描いた物凄く重い作品です。 これは、「この世に生まれてきて、自分を愛してくれた両親が望む娘の幸せと自らが望む幸せが合致せず、親のためにとひたすら自分を殺し続けた結果、苦しさに耐えきれなくなり自殺に至る娘の生涯」を描いた作品なのです。 姫が帝に抱きしめられて瞬間移動ができているのは、もう半分死の世界に行っているからです。生身の人間にあんなことはできません。最後に月の使者が迎えに来るのは文字通り死の世界からのお迎えです。兵士たちの放つ矢は全て花になってしまう。死の前にはどんな権力も力も通用しません。 羽衣を着てしまえば地球でのこと(生きていた時のこと)を全て忘れる、躊躇した姫に親の愛で動けるようになったおじいさんとおばあさんが駆け寄ったとき、「ととさま、かかさま!!」と泣きながら振り返り、二人に抱きつきながら「離れたくない!!」と叫ぶ姫のセリフは、「死にたくない!!」という生への執着、生への恋慕の叫びなのです。 死んだら無の世界に行きます。生きていた頃の記憶は全て忘れて、喜びも痛みも悲しみも何もない光に満ちた世界に行くのです。 姫が地球を飛び立ち、宇宙を月に向かって進んでいるとき、ふっ、と振り返って青い地球をかえり見たとき。一粒涙を流したのは、喜びも悲しみも苦しみも全てが咲いては枯れ、沸き起こり、繰り返されている、生の世界の営みを愛おしく思う心の表れでしょう。 今生きていることが途方もなく尊いことだってことは普段、忘れてしまいがちなのですが、見た後にそれを思い出して自分を抱きしめたくなるような凄い映画です。 中国の植物学者の娘たち(2006) フランスとカナダ合作映画。監督は中国の方ですが同性愛を描いた作品のため中国では撮影許可が降りず、ベトナムで撮影されたもの。 映像も俳優さんたちも風景も全てが物凄く美しいけれど、物凄く悲しいストーリー。二人の愛が本物であったが故に、その愛の花が咲く大地が中国であったというだけで最後、二人は死刑にされてしまいます。 私は植物が好きなので画面に溢れんばかりに写り続ける緑と水と土の香りにとても癒されます。二人が出会い、互いに恋心を抱くようになり、少女のような淡い確かめ合いの時期を経てむせかえるような花と緑の中で激しく結ばれる。しかしその愛はこの人生では許されないものだった。関係が露見した二人は不幸になり、周囲から孤立し、ラストは死に別れるというとても辛い結末。 人間の幸福とは、国家とはなんなんだろうか?考えざるを得ません。 私は異性愛者ですが、幼い頃から同性愛者の人たちに不思議なシンパシーを感じていました。なんなら、そこらじゅうに在る異性愛よりも日の目を見ない同性愛の方が純粋であるとも思っていた。 どうして、同じ性別の人を愛しただけで罰せられなければいけないのか理解不能でした。愛の感情は人間に等しく与えられているものなのに。 見た後悲しくて胸が潰れそうになるので、これも気軽に何度も見ようとは思えないけれど、しかし心に残る作品です。
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nrmkh · 1 year
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「会えるのを楽しみにしてるよ」
それが私が聞いた、あのひとの最後の言葉だった、気がする。少し空気がひんやりしてきた、今くらいの時期、井の頭線の下北沢駅のホームで、電車に乗る前の短い間の電話だった。そのころ、私は東京に出てきてはじめて彼女ができて、はじめてのクリスマスも年末年始も東京で過ごすつもりだった。それでも上京一年目の年末年始ということもあり、北海道の片田舎にある実家に住む母と祖母は、当然私が帰郷するのだろうと考えていたけど、帰るつもりがないとははっきりとは言わず、冒頭の祖母の電話越しの声に、「ああ」とか「そうだね」とか、あいまいに答えたような気がする。
その数日後か、数週間後かは記憶にない。けれど、それほど経たないうちに、祖母はこの世を去った。仕事から帰った母がキッチンで倒れていた祖母を発見して病院に搬送したが、意識が戻ることはなかった。浮かれた気分を胸の奥に押し込めた私が病院に到着しても、もちろん祖母と言葉は交わすことはできず、あの電話での会話が、私と祖母の最後となった。
臨終が伝えられても、ゆっくり冷たくなっていく体を親戚宅の一室で寝かせていたときも、葬式のときも、悲しいとも感じず、もちろん涙が滲むことすらなかったのに、火葬を済ませ、骨を拾い、親戚とともにマイクロバスに乗った後、涙が勝手に流れ出てきて止まらなくなった。今考えれば、ばかみたいなことだが、骨になった祖母はもうこの世界には存在せず、どうがんばっても、二度と、決して、会うことができないと理解したとき、その顔が体が存在が完全に失われたことが怖くて、悲しくて、どうしていいかわからくなってしまった。
祖母が生きていたら、今年の8月で100歳になる。
1922年、大正11年に生まれた彼女の76年の人生は、幸せだったのだろうか。思い出そうとしても、私が生まれる前の彼女の人生について、私は何も知らないことに気づく。まだ日本では女性に選挙権もない時代に生まれ、戦時中に夫を亡くし、家族のあり方も、就ける仕事も、人々や社会の価値観もどんどん変化していく中で、過酷な時期も長かっただろうけど、子どもたちや姉妹たちと生きてきた人生は幸せだっただろうか。
何の因果か、いや、ただの偶然だけど、現在製作している新作「メデイア」の公演初日は、祖母の命日である。
母であり、妻であり、女であり、ひとりの存在だったメデイアの悲劇は約2500年前の古代ギリシアから現在まで継がれ続けている。メデイアと同じように、母であり、妻であり、女であり、ひとりの存在だった祖母の物語は、映画にもドラマにも演劇にもならないだろうし、2500年どころか100年だって継がれないかもしれないけど、彼女もメデイアのひとりのように思う。
一面的な弱さを理由に不当に差別されたひと、弱くあることを強制されたひと、生命や労働の再生産に無理やり押し込められたひと、強さを認めてもらえず疎外されたひと、普通という言葉に苦しめられたひと。今まさにこういう苦しみを感じているひと、かつてこういう経験をしたひと。そういうすべてのひとのために、メデイアは2500年、物語の中で大切なものを殺し続けてきたように思う。
もし祖母が生きていて、メデイアを観たらなんて言うだろうか。「ひどい母親だね」とでも言うだろうか。「かわいそうに」とでも言うだろうか。いつか聞いてみたいと思う。そして、私が知らない祖母の物語も。
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第七劇場「メデイア」
三重県文化会館 中ホール
2022年12月10日(土)、11日(日)両日14時開演
女性であるがゆえの苦悩と抵抗を描くギリシア悲劇の傑作。メデイアが苦しみの末に選んだ行動が、女と男、親と子、公と私に刻まれた2500年前から癒えない痛みとして響く。人間が人間であるがゆえの悲しく、強く、美しい物語。女になることは、妻になることは、母になることは、幸かそれとも不幸か。
三重県文化会館 公演情報ページ
https://www.center-mie.or.jp/bunka/event/detail/40147
第七劇場 website
https://dainanagekijo.tumblr.com/post/694258935131258881/medee
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thereareonlydeer · 2 years
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後足で砂をかける
バイトの給料が出たので前の家の清掃費を支払いに銀行までチャリを漕いだ。先日の引っ越しの後始末だ。
引っ越しのとき、ずぼらなボクはギリギリまでまったく準備をしていなかった。必要な物から順に車に詰め込んで残りは捨てていけばいいだろうと、ずぼらな人間特有のずぼらな計画を立てていた。ずぼらな人間が繁忙期の引越し業者とやりとりできようはずもない。軽バンを借りての独力での引っ越しだった。
それでボクは引っ越し前日から荷造りを始めた。読み通り準備はさくさく進んだ。前の引っ越しで使った段ボールが中身の入ったまま放置されていた。それを閉じてその日の朝にコンビニで買ったガムテープで封印した。嵩張りそうな食器や書籍、スーツやコートはゴミ袋に詰め込んだ――どうして日雇い労働者がそれらを持つ必要がある? 夕方ごろから始めたので、さくさく進んだとは云っても夜通しの作業だった。外観的には夜逃げだった。本質的にも多分に夜逃げだったような気がする。住所と紐づいたあらゆる支払いを、あわよくば踏み倒そうと思っていた。家賃とか光熱費とか学費とか。
そうして予定日になって、ボクは一人車を走らせた。実際のところ引っ越しの日がその日である必要は特になかった。前にも後にも・誰とも何処とも予定はないから何時まででもその家に住み続けることができた。家賃を滞納して強制退去命令を喰らったとて、それから半年は居住する権利があることをボクは知っている。 ただ、片付けの途中で面倒くさくなってしまった。最低限の衣服とPC、分解した自転車を車に積んだ時点でなんかもうどうでもよくなった。とっ散らかった汚い部屋を見るのが嫌になった。
どうせ暖かくなるし布団はいらないか。炊飯器は年単位で洗ってなくて汚いしなくてもいいだろう。洗濯はコインランドリーで済む。冷蔵庫には腐って緑色になった牛乳しか入っていない。
ボクはほとんどのゴミを見て見ぬふりして目を瞑って――ここで云う「目を瞑る」は比喩であり、視覚情報なしに車の運転はできない――家を出た。自分が認識していなければ実質的にゴミは存在しない。失敗も、汚点も、後悔も。もし物質宇宙が人間の思考によって創造されたのであれば、それを仮想現実より上に位置づける特別な理由はないのだ。
立つ鳥跡を濁す。 考えてみれば、ボクは今まで他人に迷惑をかける立ち去り方ばかりをしてきた。小中高と卒業式には出たことがないし、ついていけなくなった部活は総体前に辞めた。ありとあらゆるバイトを連絡なしにばっくれた。大学を辞めたときだって誰にも何も話すことなく唐突に退学届だけ郵送で送り付けた。ゼミの先生からの電話や数少ない知人からのラインは着拒とアプリ消去で解決とした。未納の学費の請求書だけがしつこく追いかけてきた。
悲しいことに、唯我論にふけってみたところで現実は思い通りにはならない。今回だって同様だ。 引っ越して1週間後、前家の大家から清掃費の請求書が届いた。6桁あった。当然だった。いくつかの粗大ごみ、冬物の服とコート、その他大量の日用品、それらすべてを置いてきた。掃除も一切していない。風呂場には髪の毛が溜まったままだし、シンクは生ゴミでどろどろだった。 しかしながらレンタカーを借りた時点でボクの全財産は4桁になっていた。いくら大家が迷惑を被りその補償を求めたところでない袖は振れない。請求書は適当なダンボールの中に放り込んで再度ガムテープで封をした。みなかったことにした。一度身についた思想の様式はなかなか覆らない。
それから1ヶ月立ち、催促状が届いた。玄関に赤い封筒が落ちているのを見た――新居のポストは玄関ドアに付いている――ときは一瞬心臓が止まった。赤単色というのは非常に攻撃的なカラーだ。これ以上知らぬ存ぜずは通用しないなと流石のボクも観念した。速やかに銀行へ行くことにした。外は豪雨だったけれどそれを気にする余裕はなかった。つい前日バイト代が入金されていたのが幸いだった。
都会に住んでいる人には分らないだろうけれど、田舎の道はたとえ舗装されていようとも出所不明の土に塗れている。そしてクロスバイクには泥除けがついていない。 雨の中往復6キロの道程を走ったボクは、家に帰りついたときにはびしょびしょだった。シ��ツの背中の真ん中には一筋の泥汚れが出来ていた。自転車の後輪に巻き上げられた泥が飛んできたのだ。車輪が1回転するたびに。まっすぐ正確に。
この背中につく泥汚れを初めて見たときの困惑はよく覚えている。まったく心当たりのない汚れだったから小一時真剣に頭を抱えた。朝からの行動を振り返り、いったい何があったのか頭をフル回転させて考えた。結局原因が自転車の後輪だと分かったのはそれから数回同じ経験をした後だった。
クロスバイクはときに持ち主に唐竹割の太刀筋を残す。そう気づいたとき、ついでに長らくの疑問も氷解した。 ボクはずっと、雨の日にズボンの後ろ側の裾ばかりが汚れるのを不思議に思っていた。雨の中を歩くと必ず踵が集中的に濡れそぼる。傘のサイズと角度の問題かと思って傘の傾け方を色々試してみたけれど効果はなかった。いつもふくらはぎ~踵の部分が汚れた。サッカーの練習のとき着るピステなんかでは顕著だった。嫌で嫌で仕方なかった雨の日のクレーコートでの練習。泥が体に付いたそばから流されるほどの雨でも、しっかりとこびりつくアキレス腱まわりの汚れ。
その正体は自分が巻き上げた土だった。意外と気づかないけれど、歩くときの人の脚の動きは回転運動に近い。特に膝から下は二重振り子のように小さな弧を描き激しく動く。自転車の後輪のように。人間のふくらはぎが作り出す力のモーメントは結構大きいのだ。 脚が回転運動しているということは、自転車の後輪と同じように泥を巻き上げるということだ。そして足の裏についた土や水のベクトルは長ズボンの裾に向かっている。ボクは自分で自分に泥を吹っかけていたのだ。
清掃費を支払ったことでボクの預金はついに3桁に突入した。後足でかけた砂はいつだって自分に返ってくる。次は誰からどんな書状が届くだろう。
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rioarai · 3 months
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ママ
長野で生まれたひとりの少女は、母のことを「お母さんと呼びなさい」という教育で育った。少女は、未来に家���ができたら自分は「ママ」と呼んでほしいなあと、田舎の空に願った。
時は経ち、東京。 娘31才、息子29才&息子19才の3人の子を持つ彼女は、「お母さん」または「かあさん」と呼ばれる存在になった。子育てってこんなにおもしろいのね!あなたたちを見ていることが、いまのわたしの幸せです。でもね、どの子たちも、小学生の頃まではママと呼んでくれるんだけど、中学に入るとませてしまって、呼んでくれなくなっちゃうの。だから今はもう「ママはね、」って自分で呼んでるの。私だけでも…ね。
真ん中の息子はオランダで一人暮らしを始めた。彼の海外移住はこれで三度目なので、家族も慣れているが、今回は永住権を取る予定だから、過去にない長旅となる。そのため今までよりも、家族を気に掛ける回数、というか頭の中に登場してくる回数が増えたような気が、少ししていた。
頭の中に母が現れたとき、僕は「お母さん」と呼んでいた。それがいつもの呼び方だったから。ただ、オランダに来てから一度、小学生ぶりに、心で「ママ」と呼んでみた。母は、ママと呼びたかった/呼ばれたかったエピソードのことをよく話していたし、LINEも健気に一人称をママにして送ってきていたので、ああこの人は、もうだれからも、呼ばれたい名前で呼ばれることがないのかと思ったら、悲しい気持ちになってしまった。ごめんねと思った。そんくらいおれがするよ。もう恥ずかしさとかないから。これはおれとあなたの二人の間にある世界での、呼び名だから。この際、年齢も関係性も一旦忘れよう。あなたは僕のお母さんだ。でも同時に、長野の田舎で育った少女でもある。そんな少女が夢を持って上京し、20代で家族を持った。自分のために割ける時間というのはほとんどなくなった。子は3人。一番上と下は12歳も離れているから、もう人生の半分以上、子育てしていることになる。ありがとう少女。あなたは何よりも大切な時間という宝を、自分自身ではない存在にこれだけ費やした。本当に感謝しています。僕たち二人の間にある世界では、僕たちはパートナーだ。死ぬまで助け合って生きていこう。そんな大切な人をおれは今まで、恥ずかしいからという理由だけで、一番呼んでほしい名前で呼ぶことすらできていなかったんだね。
僕は電話をかけた。
「今何してた?」
「よるごはん作ってたよ〜。」
「そっかそっか、いつもありがと。」
「うん。どうしたの?」
「あのさおれ、今日から、」
「うん。」
「お母さんのこと、ママって呼ぼうと思うんだよね。」
「ええーーーーー!!?どうしたのーー!!」
「いや、こんなにママって呼ばれたい人のことママって呼んであげようかなって…」
「無理しなくていいのよ?」
「無理してないよ。」
「あらそう、じゃあすごく嬉しいわ。ありがとう。」
こうして僕は、約17年ぶりに母をママと呼ぶことになった。
ただいま。
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ico450 · 17 days
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最近のこと
健康
東京にきて1年が経とうとするけれど、仕事に没頭するあまり食生活がとことん疎かになり1日1食がデフォルトに、まともな料理も全くしなくなってしまっていた。
Ubereatsとは恐ろしいもので、食が作業的になりお金は浪費するばかり。
健康診断の結果、昨年より4kgも体重が減り、要指導の域に達した。
流石にまずいと最近は自炊を欠かさず行なっている。最初は簡単なものや以前よく作っていたようなレシピを見なくても作れるものから。そのうちに油と水でへにゃへにゃになったマイお料理メモを引っ張り出して作ったり、土日はお菓子作りもできるまでになってきた。
新しいレシピも覚えたいと付箋にメモをし、すぐに目につく冷蔵庫にペタペタと貼ると不思議と幸福感が増す。頑張りすぎるとまたいつスイッチが切れてしまうかもわからないので程々に楽しくできる範囲でやっていく。
仕事
仕事はと言うと、新卒と第二新卒と個人事業主とグループ会社の手伝い採用でてんやわんや。本来ならわたしの業務領域ではこの時期ゆとりができるはずだったため、大きなプロジェクトを3本走り出させてしまっていたこともあり息つく暇もなく1日が過ぎ去っていく。
リーダー職を打診されているけれど、この業界での歴も年齢も最年少のわたしが曲者揃いの部のメンバーを上手く導いていけるイメージが湧かず話題を受け流し続ける日々。
新卒の選考を受けてくれている子たちに偉そうに講釈を垂れる自分を思い出すと虫唾が走る。
今の仕事は大好きなインテリアと採用のどちらにもアプローチすることができてとても楽しい。けれど業界的に国内では伸び代がないことと、業態的にポジションが上がっても給与の上がり幅はあまり見込めないことから転職が頭をよぎることがある。自分の今のスキルがどこまで通用するのだろうか、リモートで住宅手当が存分に出る条件を簡単に手放していいのだろうかと様々なことが頭の中をグルグルまわる。
だけど、今の会社でまだできることをやり切ってもいないのに転職が頭をチラつくあまちゃんな自信を許せないという感情があるのも事実。いちどリーダー職に挑戦してみようかという気持ちが生まれたことも確か。
ずっと若さや容姿のような年々すり減っていくことが確定しているものに縋らず、年齢に比例して磨いていけるものを増やそうと仕事に懸命に向き合ってきた。だからこそ、若さや期間限定の容姿で万能感を覚えている同年代に嫌悪感すら覚えたし、見ているだけで不安になった。例えば被写体モデルのみで20代後半まで過ごしてきた人はこれからどうするのだろう。お金持ちを見つけて結婚して主婦になるのだろうか。誰しも独りになる可能性があるのだけど、もし働かなくてはならなくなったらアルバイトですらまともできるのかと思ってしまう。
やっぱり次にリーダー職の打診があれば挑戦してみよう。
住む場所
海外ワーホリの持ち上げがSNSで目立つようになったけれど、そんないい話があるわけないと懐疑的な目で見ていた。
ふと先日、英語を勉強しようかと思い立ち、仕事で「なぜそれをやるか」企画立案時に据える癖が発揮され、英語でやりたいことを考えてみた。
海外の仕事には興味がないけれど、海外の暮らしには興味がある。わたしの人生にとって、窓からどんな景色を眺めながら、どんな間取りの家で、どんなインテリアに囲まれて暮らすかは最重要。あくまで家を起点とするけれど、それを取り巻く半径5mくらいまでへの感心と執着が非常に強い。
暮らすならヨーロッパで、窓からはカラフルで歴史的な街並みが見えて、地震の心配がないのなら多少の荒さはあれど歴史のある古い家に住んで、ミッドセンチュリーな家具に囲まれて暮らしたい。海外の蚤の市ではきっとお財布の紐がゆるゆるになるほど素敵なインテリアに出会えるに違いない。
そんなふうに想像をしながら、パリの一般的なアパルトマンの家賃相場や間取りを見て驚愕する。冷静に考えれば京都から東京に出てきた時ですらこの面積でこの家賃かと驚いたのだから当然。だけど、狭い部屋に耐えながら住む環境を優先するなんて耐えられない。それなら田舎で好きなものに囲まれて広々過ごして交通の便に嘆いているほうがまだ良い。
そこから実際に海外移住をしたひとのリアルを調べ漁っていると、治安や医療へのアクセス、仕事を保証されていることなど日本がいかに恵まれていてぬるま湯な環境かがじわじわと沁みてくる。経済的に発展し続けているとされる国は弱者を切り捨て強者を優遇するからこそそれを実現しうるのだと痛感する。海外で強者になるほどの実力もガッツもないわたしは情報を収集した時点で夢から覚めてしまった。海外への憧れは抽象度が高いからこそ持てるものなのかもしれない。
きっと海外で楽しく生活を送れる人は、他人からどう見られているかなど気にせず、自分1人で大抵のことはやれてしまう精神的な強さをもっている��だと思う。
夫婦のこと
結婚をして1年が経つ。ちょうど、東京に越してくる直前に席を入れた。
付き合ってからの期間でいえば5年なので最近は激しい喧嘩もなく過ごしていたのだけれど、先日久しぶりに言い合いになった。
いつもは、旦那は生活の全てだらしがないが他人にとても寛容、わたしは全てをきっちりこなしたいタイプで他人にもそれを強要する癖があり、わたしが機嫌を悪くして旦那が謝って丸く治っている。
今回のことの発端は、旦那が仕事相手兼友人だったひととやんわり中を違えたことをきっかけに今後仕事とどう向き合っていくか考えていたそうなのだけれど、その様子があまりにもひどく、数日間仕事もせずただ夕方まで寝て夜になるとゲームを際限なくやるという様子だったため、隣で朝から晩まで生活を支えるためにと仕事をカリカリこなしていたわたしの逆鱗に触れたというもの。
あれだけ夫婦になろうと個人の集まりに過ぎないと思っていたにも関わらず、2人の生活を成り立たせなきゃと必死になったり、相手の仕事の問題は夫婦の問題でもあると深入りしすぎたわたしにも責任がある。
仲直りの会話をする中で、どうしようもなくなったら2人で四畳半の空調もない家で生活保護を受けながら鮎釣りでもして暮らそうと笑った。これでは当分家を買うとか子供を産むとか、そんな同世代の友人と同じ選択肢を持てそうにないけど、それでもこの人と過ごせればいいやと思って結婚したことを忘れてしまっていた。
その後、また約束の時間を破り深夜までゲームをして騒いだ旦那を布団に入れてやらず、風邪をひいたと騒ぐ姿に苛立ったのはいつも通りといえばいつも通りの夫婦の姿。
その他
わたしは携帯を充電することが苦手だ。使いたい時にだけ充電をして10%も貯まればコードから引き抜き使い始め、またすぐに充電がなくなりコードに繋ぐ、まるでわたしの今の姿みたい。
だけど充電がなくなることで繋がりから解放されることを楽しみにしている自分もいる。出先で充電がなくなれば、帰る道すらわからなくなるのに新しい出会いがあるかもと内心嬉しい。
今のところ共感は得られていないけれどこれはわたしの良さなのかもしれない。
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