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#亀吉のおすすめ
maigeiko · 9 months
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The look of... VII: Mukojima
Welcome to the 18th installment of this series (my 7th). This time, we’re having a look at the Geigi that work in one of Tokyo's Hanamachi: Mukojima (向島).
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Historical context Geisha started to live in Mukojima in the early Meiji period (1868-1912) [1]. From the Edo to Meiji period, Mukojima was a recreational area for the common people, and was frequented by Yanagibashi and Yoshiwara Geisha with their customers. [3] The earliest record of a Mukojima Geisha (known to me) is Omomo お百, who was featured in "Contemporary Beauties", 1897 [2]. In 1906, 30 Geisha lived in the area. By 1928, their number had increased to 239. In 1940, several Kenban united, further increasing the number of Mukojima Geisha to 1300. Like in all Hanamachi around Japan, the number declined steadily after the second world war. In 1951, their number was 600, in 1993 240 [7], in 1996 170, in 2007 120 [3], in 2020 around 90 [4]. This makes Mukojima approximately as populated as Gion Kobu and Tokyo's largest Hanamachi.
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The look of Mukojima Geiko. Local Term: Geisha 芸者 ※ Hairstyle: Geisha shimada, Tsubushi shimada ※ Kanzashi: Kushi, Maezashi, Hirauchi or Tama in the back, rice husk in the new year period ※ Makeup: Oshiroi ※ Kimono: everyday Kimono: Homongi. Kuromontsuki Hikizuri mostly in the new year period or for Erikae, rarely non-black Hikizuri. ※ Haneri: white ※ Obi: Taiko musubi, Yanagi musubi with Hikizuri ※ Obijime: mostly light-coloured. No obijime with yanagi musubi ※ Obiage: mostly red, pink, or white. Seldomly turquoise, white/green, white with red shibori (red/red-white shibori with Kuromontsuki) ※ Footwear: mostly Zori, also Geta
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Casual/Jikata look ※ Hairstyle: Yohatsu ※ Kanzashi: none ※ Makeup: western makeup ※ Kimono: Homongi, Kurotomesode ※ Eri: white ※ Obi: Taiko musubi ※ Obijime: mostly light-coloured. In rare cases with pocchiri ※ Obiage: white with red shibori, pink, white, pink/turquoise ※ Footwear: Zori
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The look of Mukojima Maiko. Local term: Hangyoku 半玉 ※ Hairstyle: Momoware (own hair or wig), Yuiwata for senior Hangyoku (only wig). Shibori, Kanoko and Chinkoro are mostly red, but can also be pink during summer. ※ Kanzashi: seasonal flower kanzashi (1-2 Daikan, Katsuyama, 1-2 Bira-Ôgi, Shidare popular for all ages), Maezashi (optional), Hirauchi. Minimal flower kanzashi with Yuiwata. ※ Makeup: Oshiroi, both lips painted from the start ※ Kimono: Furisode with or without tucks (all variations possible) ※ Eri: mostly white or red/white. But also pink/red, red/purple/green on white base, pink, green, black/pink/white, etc., etc. ※ Obi: kôken musubi ※ Obijime: light-coloured. sometimes with pocchiri ※ Obiage: most common colour variations are red/silver, or red/white shibori. But there are many other combinations. ※ Footwear: mostly Okobo (with red or pink straps), Zori
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Dances [6] Some dances that are local speciality of Mukojima: ※ Asazuma bune かさずまぶね ※ Fuji musume 藤娘 ※ Fukagawa Kuzushi 深川くずし  ※ Gorô ごろう ※ Mukojima ondo 向島音頭 ※ O-Sumio お角力 ※ Otemoyan おてもやん ※ Sôran bushi ソーラン節 ※ Yosakuraya 夜桜や
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Others that you can also see in Ozashiki outside of Mukojima: ※ Ayame Yukata 菖蒲浴衣 ※ Echigo Jishi 越後獅子 ※ Hanami Odori 花見踊り ※ Hatsuharu 初春 ※ Ina bushi 伊那節 ※ Kiyari Kuzushi 木遣りくずし ※ Sawagi さわぎ ※ Setsuhonkaina せつほんかいな ※ Shichi fukujin 七福神 ※ Takeda bushi 武田節 ※ Tatsumi no hidarizuma 辰巳の左褄 ※ Tsurukame 鶴亀 ※ Yakkosan 奴さん ※ Yoshiwara Suzume 吉原すずめ
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Notes Mukojima allows part-time workers, calling them Kamome かもめ [5]. Most of them are students or work in a different job already. Their task is mainly assisting Geisha/Hangyoku in the Ozashiki. Kamome can become Hangyoku or Geisha if they wish to work full-time. Mukojima dancers also play instruments at ozashiki: Hangyoku frequently play shime-daiko, Tachikata more often play ko-tsutsumi, sometimes fue. Shamisen seems so be reserved for Jikata.
Usually, Ryotei and Okiya are separate businesses in Tokyo. In Mukojima, however, several Ryotei also function as Okiya [3], similar to how in Kyoto, several Ochaya also have an attached Okiya.
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Sources - Text [1] Foreign Press Center Japan, Mukojima Press Tour April 2006 https://fpcj.jp/en/assistance-en/tours_notice-en/p=6744/ [2] https://www.flickr.com/photos/blue_ruin_1/28442353867/ [3] numbers 1906-1951, 1996-2007: Sumi Asahara "Tokyo Rokkagai", 2007 [4] not an exact number (account required) https://www.tapatalk.com/groups/tsurukomaiko/hanamachi-population-reference-wip-t2000.html [5] Kamome http://sengoku-japan.com/ [6] dances compiled at Tsurukomaiko, it's by no means a complete list (account required) https://www.tapatalk.com/groups/tsurukomaiko/list-of-dances-in-all-hanamachi-t1988.html [7] 1993: Tsuiseki (追跡): The World of the Geisha, ca. 1993 https://www.youtube.com/watch?v=bkhRWNDwTyM Sources - Pictures Omomo ※ Kingyo Ozashiki ※ Momoka ※ Komachi ※ Yuki+Otokichi ※ Chikage ※ Senyume ※ Hiroya ※ Chikage+Natsuki ※ Tamaki ※ Shingetsu ※ Natsuki (twitter) ※ Soraka (insta) ※ Tomoka ※ Kingyo (fb) ※ Teruka 2x ※ Kanzashi ※ Kintaro (insta) ※ Ayame ※ Kingyo+Rin Ozashiki (fb) ※ Sakura matsuri 2023 I tried to trace back all pictures. If you find the missing links, let me know. "The look of" other Hanamachi: Yamagata, Tokyo Yoshicho, Niigata, Atami, Gifu, Tokyo Kagurazaka, Arima Onsen, Tokyo Asakua, Nagoya, Tokyo Shinbashi, Anjo I Osaka Kitashinchi, II Tokyo Akasaka, III Osaka Nanchi, Fukuoka, V Yuzawa, VI Morioka More Mukojima content: https://maigeiko.tumblr.com/tagged/mukojima Layout: @geimaiko, thanks as always! ♥
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ari0921 · 1 month
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和六年(2024)4月19日(金曜日)
   通巻第8221号
 後継皇室問題で自民党が有識者会議の二案を『妥当』
  やはり自民党に「現代の新井白石」はいなかった
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 皇統後継問題の皇室典範改正をめぐって有識者会議が開かれ、これを踏まえて岸田首相は令和六年(二〇二四年)一月三十日の所信表明演説後の質門に答え、かく述べている。
 「有識者会議において悠仁親王殿下までの皇位継承の流れをゆるがせにしてはならないとの結論に至った」。
つまり「女系天皇論」という俗論をたしなめたのだ。だがメディアは意図的に、この一歩踏み込んだ発言を殆ど伝えなかった。岸田首相は「悠仁親王殿下までの皇位継承の流れをゆるがせにしてはならない」と明言しているのである。
 皇統は神武以来の万世一系で男子が継承��、跡継ぎが幼少などの場合、未亡人皇后か独身の内親王が天皇代理として「称制」と務めた。この歴史の特質が意図的に議論されず学校でも教えない。
だから軽佻浮薄にも「愛子天皇待望論」が出てくる。女性天皇と女系天皇の区別も曖昧とされたままである。
 小泉政権のおり皇室典範改正をめぐって有識者会議が開催された。明治二二年(一八八九年)制定された典範により、男系長子が皇位を継承するという神武天皇以来の万世一系の伝統が守られてきた。状況が変化し、皇統が絶えかねないという危機を認識し、急遽、有識者会議が招集された。
だが、座長はロボット工学専門の学者で歴史には無知だった。秋篠宮に悠仁親)王がお生まれになって、皇統問題は棚上げとなった。
 もしこの流れを変えるとなると歴史を否定する革命である。フランクフルト学派が狙うのは二段階革命による国家破壊であり、グローバリズムが国境をなくせと唱えている国家否定の隠れた目標に通底する。
  
 4月15日、自民党は皇位継承の安定のための皇族数確保に関する有識者会議の二案を『妥当』とする立場を示し、「安定的な皇位継承の確保に関する懇親会(麻生副総裁が会長)で党見解のとりまとめを急ぐとした。
 「二案」とは(1)皇族女子の結婚後の皇族身分保持。(2)養子縁組に拠る旧皇族団系男子の皇籍復帰、である。
 自民党はいずれも妥当としたわけだが、いささか勉強不足だろう。やはり与党に現代版の新井白石はいなかったのだ。
 各党の意見のなかで、唯一まともなのが「維新の会」である。すなわち(1)に対して、現実的ではあるが「女系への皇位継承資格拡大につながる懸念がある」としている。
 (2)に関しては『歴史と現実を踏まえれば、高く評価できる』とした。
そもそも皇室典範の改正云々を内閣ごときがおこなうべきではない。立太子と親王殿下がおられるのに、なぜこんな議論をするのか、裏に何か別の動機が潜んでいるのか。
(参考文献 宮崎正弘『二度天皇になった女性 ─孝謙・称徳女帝の光と影』(ワック)
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(再録)「新井白石 皇統断絶の危機を予知」
 皇統が断絶の危機に瀕したことは神武天皇の御代から幾度かある。また後継皇位を争った政争、謀殺も何回かあった。 
 古代史最大の謎は応神天皇と継体天皇の正当性である。ほかにも雄略天皇が謀殺したイチノヘオシハ(履中天皇の皇子、雄略天皇の叔父)の遺児が播磨と吉備の境に二十年隠れ住んでいて、雄略の皇子・清寧天皇が亡くなると名乗り出た。この間、イチノヘオシハの妹の称制だった。
 新井白石は自伝ともとれる『折たく柴の記』のなかで、皇室の後継が不在となる危機の到来を認識し、東山天皇の祖孫をして閑院宮家を立てられるよう将軍に建言した。その皇統を維持させた経緯を次のように回想した。
 「議し申すべき一事の候は天亨・建武の間、皇統すでに南北にわかれ、南朝はいくほどなくて絶させ給ひぬ。北朝はもとこれ武家のためにたてられ給ひぬれば、武家の代の栄えも衰えをも、ともにせさせ給ふべき御事なるに、応仁の後、世の乱れ打ち続て、武家すでに衰給ひにし上は、朝家のことは申すに及ばず当家(徳川)神祖天下の事をしろしめされしに及びてこそ、朝家(皇室)にも絶たるをも?ぎ、廃れしをも興させ給ふ御事共はあるなれ。しかはあれど儲君(皇太子)の外は、皇子、皇女皆々御出家の事においては、いまもなほおとろへし代のさまに、かは
り給はず。凡そ匹夫匹婦の賤しさも子を産みては其室家あらむ事を思ふ。これ天下古今の情也。(中略)これより後、代々の皇子、皇女、其数多くおはしまさむに至りては天下の富も、つがせ給はぬ所ありぬべしなど申す事も候はんか。古より皇子、皇女、数十人おはしませし代々もすくなかれねど、それらの御後、今に至り給ふは、いくばくもおはしまさず。『天地の間には大算数といふもののある也』と古人は申したりき。これらの事は人の智力の推し測るべき所にあらず。ただ理の当否をこそ論じもうすべけれ」(松村明校注、岩波文庫。138~140p)
 新井白石は後継皇統の候補者がたくさんおられた時代ではなく、いずれ後継候補が不在となる危機にそなえ、別に宮家を建てて費用をまかなうべきと建言したのだ。
 将軍家宣は白石の建言を受けいれ直仁親王を閑院宮と称し、禄千石を進上した。はたして白石が危惧した通り第113代東山天皇の系統は第118代後桃園天皇で絶えた。
 そこで東山の皇子、直人親王の孫にあたる光格天皇が第119代天皇として即位された。光格天皇は閑院宮典仁親王の第六王子。誕生の翌年に聖護院に入寺し将来は出家して聖護院門跡を継ぐ予定だった。
 ところが後桃園天皇が崩御し、直系は内親王だけだったため、安永八年(1789)十一月二十五日、践祚された。今上陛下はこの光格天皇の系統である。
 ゆえに令和の時代の皇室論議に臣籍降下された旧宮家の復活が急がれる所以である。
 白石が冒頭にのべた「建武の間、皇統すでに南北にわかれ、南朝はいくほどなくて絶させ給ひぬ。北朝はもとこれ武家のためにたてられ給ひぬれば」という意味は、建武の中興の後醍醐天皇の南朝が99代の後亀山天皇で世継ぎなく北朝五代の後円融天皇の皇子が、第百代の後小松天皇、101代称光天皇のあと、五代遡って北朝一代の光嚴天皇の祖々孫にあたる後花園天皇となられたことを指している。
 皇位が空位となったケースは幾つかあるが、未亡人か独身の内親王が称制(臨時天皇)として正式な後継皇子が成人するのを待った。たとえば持統天皇、皇極・齊明、元正、元明がそうだ。孝謙・称徳天皇の場合は後継淳仁天皇を廃帝とし、次の光仁天皇を指名したとする遺書は藤原百川がでっち上げた。
 第二十一代雄略天皇の子、清寧には皇子がおらず三代遡って履中天皇の皇子イチノヘオシハの遺児(顕宗、仁賢)が継いだことはみたが、その間の飯豊天皇は明治三年に皇統譜から削除された。ところが葛城の麓へいくと宮内庁管轄の飯豊天皇陵がある。
 その後、第二十五代武烈天皇にも後継皇子は不在で、こんどは五代遡り、応神天皇の五代孫と言われた継体天皇が践祚された。継体天皇は越前からやってきたが二十年間も奈良へ入らず、この謎は解明されていない。
                 (『月刊日本』から再録です)
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m12gatsu · 2 months
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有る‼︎
吉祥寺で何度か亀川千代を見かけたことがあった。サンロードからホープ軒に折れる角のところですれ違った。当時の彼女がバイトしてたタワレコにも来たっていってた。井の頭線で目の前に姫カットのおじさんが立ったから亀川千代みたいだと思って、手元のスマホで亀川千代の写真を検索して見比べたらまさに亀川千代その人だった。まなこがほぼ正円で、ツンと尖った鼻筋がくちばしのようで、賢明なふくろうみたいだった。
日課の晩酌を辞めて、夕食後に外へ走りに出た。しかも2日も続けて。偉すぎる。近くの橋梁を3往復する。二粁と五〇〇米余になる。毎日続けようとも思わないし断酒したわけでもないけれど、春の夜風は気持ちよい。裸眼で見上げる橋梁のナトリウム灯がぼやけてきれい。
先に床に就いた家人を起こさないように引き戸を開けて暗い寝室に入り込むと、遮光カーテンが半開きで、磨りガラスの窓が戸外の白い光に明滅していた。規則性があるような、ないような、変拍子みたいな。車のパッシングのようにも見えたけれど、向かいのアパートの共用階段の照明が切れかかっているのだとすぐにわかった。呼吸が歌だ。鼓動がリズムだ。
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lierrelearns · 5 months
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写真提供: 小田原市立図書館発行[一枚の古い写真]より
明治憲法と民法を起草、初代の内閣総理大臣 伊藤博文 (1841-1909) 1] 伊藤博文公胸像 (本町四丁目) 伊藤博文の別邸[滄浪閣]跡で[民法発祥の地]として知られます。 *民有地ですので立入りはご遠慮ください。 写真提供: 国立国会図書館
幕末の志士で、宮内大臣等を歴任した政治家 田中光顕 (1843-1939) 2] 小田原文学館、3] 白秋童謡館 (南町二丁目) 田中光顕が構えた2棟の別邸を、小田��文学館と白秋童謡館として有料公開しています。 *建物は国登録有形文化財 写真提供:多摩市教育委員会
三井物産等を設立した明治財界の指導者、大茶人 益田孝 (鈍翁) (1848-1938) 鈍翁in西海子(南町二丁目) 茶器など鈍翁ゆかりの品々を展示しています。 写真提供: 国立国会図書館
秋山真之と親父があり、海運業で財閥を築いた実業家 山下亀三郎 (1867-1944) 5] 対潮閣跡 (南町一丁目) 山下亀三郎の別邸[対潮閣]跡で、秋山真之の終焉の地です。後に、田中光顕の歌を彫った[釣鐘石]が置かれました。 *民有地ですので立入りはご遠慮ください。 写真提供:山下真一郎氏
福岡黒田家13代目、貴族院副議長を30年務める 黒田長成 (1867-1939) [6]清閑亭 (南町一丁目) 黒田長成が明治末期に構えた数奇屋風の別邸。周辺の庭園めぐりの案内をしています。 *建物は国登録有形文化財 写真提供: 国立国会図書館
日露戦争における仁川沖海戦等で活躍した司令官瓜生外吉 (1857-1937) 7] 瓜生海軍大将之像 (南町一丁目) 山角天神社の境内に瓜生大将の胸像があります。 8] 瓜生坂 (南町一丁目) 高台にあった瓜生外吉の別邸に通じていた坂道です。 写真提供:瓜生家
多数の詩や童謡を創作した国民的詩人 北原白秋 (1885-1942) 9] 木兎の家跡(伝肇寺境内)(城山四丁目) 北原白秋が大正7年から8年余りを過ごした[木兎の家]が伝肇寺境内にありました。 写真提供: 小田原市立図書館
皇族出身の陸軍軍人で、昭和激動期の参謀総長 閑院宮載仁親王 (1865-1945) 10] 三の丸外郭新掘土塁(南町一丁目〜城山四丁目) 閑院宮載仁親王の別邸跡。広大な敷地の一部は史跡小田原城跡の土塁に重ねっていました。 写真提供: 小田原市立図書館 H25.12 小田原市観光課
Vocab 提供 (ていきょう) providing, donating 発行(はっこう)publication 憲法(けんぽう) constitution 民法(みんぽう) civil code, civil law 起草(きそう) (drafting (a bill, etc.), drawing up 内閣総理大臣 (ないかくそうりだいじん)prime minister (of a cabinet government) 伊藤博文 (いとう・ひろぶみ)Itou Hirobumi 公 (おおやけ)official, governmental, formal 胸像 (きょうぞう)half-length portrait 別邸 (べってい)secondary residence, vacation home 滄浪閣 (そうろうかく)Sorokaku 発祥の地(はっしょうのち) origin, birthplace 民有地 (みんゆうち)private land ご遠慮ください(ごえんりょください)please refrain (from) 国立国会図書館(こくりつこっかいとしょかん)National Diet Library 幕末(ばくまつ)Bakumatsu period 志士 (しし)imperial loyalist samurai of the Bakumatsu-era 宮内大臣(くないだいじん)Minister of the Imperial Household 歴任 (れきにん)successive/consecutive jobs 政治家(せいじかん)politician, statesman 田中光顕(たんか・むつあき)Tanaka Mitsuaki 文学館(ぶんがくかん)literary museum 白秋(はくしゅう)Hakushu (see below) 童謡(どうよう)nursery rhyme 構える(かまえる)to build, set up 棟(とう)counter for buildings 有料(ゆうりょう)fee-charging 公開(こうかい)open to the public 有形文化財(ゆうけいぶんかざい)tangible cultural properties 多摩市(たまし)Tama City 三井物産(みついぶっさん)Mitsuri & Co. 設立(せつりん)establishment, foundation 財界(ざいかい)financial world, business circles 茶人(ちゃじん)master of the tea ceremony 益田孝(ますだ・たかし)Masuda Takashi 鈍翁(どんのう)Donnou, an alias he took on as a tea master 西海子(さいかいし)Saikaishi 茶器(ちゃき)tea utensils ゆかりconnection (to a person, place, or thing) 品々(しなじな)various articles 展示(てんじ)exhibition, display 秋山真之(あきやま・さねゆき)Akiyama Saneyuki 海運業(かいうんぎょう)shipping industry, marine transport 財閥(ざいばつ)zaibatsu, financial conglomerate 築く(きずぐ)to build up, establish 実業家(じつぎょうか)business, entrepreneur 山下亀三郎(やました・かめさぶろう)Yamashita Kamesaburo 対潮閣(たいちょうかく)Taichokaku 終焉(しゅうえん)end (of life), death; (peacefully) spending one’s final years 彫る (ほる)to carve, engrave 釣鐘石 (つりがねいし)Tsurigane-ishi (Hanging Bell-shaped Rock) 代目(だいめ)nth generation 貴族院(きぞくいん)House of Peers (Meiji constitution) 副議長(ふくぎちょう)vice-chairman 黒田長成(くろだ・ながしげ)Kuroda Nagashige 数奇屋(すきや)tea-ceremony arbor めぐり tour 教育委員会(きょういくいいんかい)board of education 日露戦争(にちろせんそう)Russo-Japanese War における in, at, on, regarding 仁川沖海戦(じんせんおきかいせん)Battle of Chemulpo Bay (Feb. 9, 1904) 仁川(インチョン)Incheon 活躍(かつやく)activity, great efforts, active participation 司令官(しれいかん)commanding officer, general 瓜生外吉(うりう・そときち)Uryu Sotokichi 海軍大将(かいぐんたいしょう)admiral 之(の)of 山角天神社(やむかくてんじんじゃ)Yamakakuten Shrine 境内(けいだい)grounds (esp. of temples and shrines) 坂(さか)milestone; slope, hill 高台(たかだい)high ground, hill 坂道(さかみち)hill road 創作(そうさく)creative work 国民的(こくみんてき)popular on a national level 北原白秋(きたはら・はくしゅう)Kitahara Hakushuu 木兎(つく)horned owl (rarely used kanji form) 伝肇寺(でんじょうじ)Denjo-ji Temple 皇族(こうぞく)imperial family 陸軍(りくぐん)army 軍人(ぐんじん)soldier 激動(げきどう)turmoil, upheaval 参謀総長(さんぽうそうちょう)chief of general staff 閑院宮載仁親王(かんいんのみやことひとしんのう)Prince Kan’in Kotohito 外郭(がいかく)outer fence, outer enclosure 土塁(どるい)earthen walls 広大(こうだい)immense, huge, grand 敷地(しきち)site, plot, grounds 史跡(しせき)historic site
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chikuri · 9 months
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関東大震災時の朝鮮人犯罪の報道禁止(事態の鎮静化の為)から45日後に精査検証を経て発表された、朝鮮人の多数の凶悪犯罪とテロ活動について、今朝の小坂の書き込みの資料です。
 記事の一部になりますが、是非、じっくりとお読み下さい。
 こうした事実が現場に有ったことを我々は忘れてはなりません。
(以下、画像とテキストは神戸大学新聞記事文庫から引用です。東京時事新報大正12年10月22日の記事です)
 関東一帯を騒がした鮮人暴動の正体はこれ : 放火殺人暴行掠奪につぎ橋梁破壊も企てた不逞団 : (記事差止め昨日解除)
 翻刻九月一日の震災後東京始め関東一帯の人を騒がせた流言蜚語の為めに遂に内鮮人にして殺害されるもの算無く、是が流言の出所に就いては尚お闡明されて居ないが、一部の不逞鮮人が混乱裏に左の如く有ゆる犯行を逞うした事で、司法当局は爾来極力是が犯罪検挙に努めた結果昨二十日一先ず取調べを終り、同時に記事差止めを解除した既に起訴されたもの十数件、此外治安警察法違犯、窃盗、横領等により起訴した鮮人二十三名、放火、毒薬投入、爆弾携帯、掠奪、婦人に対する暴行その他の事件につき、東京横浜に於て捜査中のもの亦少くない
掠奪
九月二日午後六時頃本所区中の郷附近 鄭 塋 住所氏名不詳の罹災者より数回に衣類諸道具類を掠奪し吾嬬町清地方面へ運搬の途中押えられた
放火
九月一日午後八時過日本橋北鞘町にて 氏名不詳鮮人一石橋際大谷倉庫に放火した
婦人に暴行
九月二日午後十一時過ぎ本所柳島元町金孫順 避難中の氏名不詳の一内地婦人に暴行を加えんとして遂げず、衣類高十点を強奪し亀戸署に拘禁されたが、同署類焼に瀕しななめ二日解放され行方不明
三十名の一団 柳島の呉服屋で掠奪
 九月一日午後十一時過本所区柳島姜金山外三十名位の一団 柳島元町一六九呉服商中里奥三方に乱入し、店員に暴行を加え各一抱の呉服類を強奪した、犯人中姜金山は亀戸署に拘禁されたが、類焼に瀕して解放され行方不明
掠奪
九月一日午後六時より十一時本所区押上町一六五呉服商牧野弥八方、柳島元町洋品店鹿取孝次郎方同洋食店安田組二方、同一六九村上与三方、氏名不詳鮮人、十六六名金品を掠奪し酒食を貪る日本刀、棍棒等を以て襲撃し内四名取押えられ、一名は東森下町に放火し金某は日島渡辺倉庫に爆発物を以て放火した
放火爆弾
九月一日夜より三日月島二号地、月島渡辺倉庫の号、深川区東森下町附近汁粉屋自称金某外氏名不詳鮮人四名 兇器をたずさえて五名本所区菊川町方面より月島に入込み短銃を発射し或は放火、掠奪、爆弾放擲
強奪
九月二日午後二時過深川区富川町三五高橋勝治方前道路氏名不詳鮮人三名 高橋勝治を兇器を以て負傷せしめ金銭を強奪せんとして果さず逃走
少女を殺す
九月二日夜南葛飾郡木田町四つ木荒川放水路堤上氏名不詳鮮人四名 避難中の十六七歳の少女に暴行を加え後殺害して死体を荒川放水路に放棄した
棍棒
九月二日午後十時頃南葛飾郡小松川町字新町三九六二四軒長屋裏手氏名不詳鮮人一名 榎本豊吉に棍棒を以て負傷せしめ逃走した
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荒川区議 小坂英二 / X
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catonoire · 2 months
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琴平町立歴史民俗資料館
こんぴら歌舞伎を観るため香川県琴平町を訪れた折、琴平町立歴史民俗資料館へ足を運んだ。旧金毘羅大芝居(金丸座)の跡地にあり、琴平町やこんぴら歌舞伎の歴史資料を展示している。展示内容は正直なところ雑然とした印象ではあったが、このご時世、歴史資料をちゃんと屋内に保存・展示する姿勢があるだけでも、資料を長らく屋外に放置していたどこぞの自治体などよりよほど立派である……とも言えるかもしれない。こんぴら歌舞伎関連の文物など、ここにしかない資料もたくさんあるはずなので、散逸しないようどうか頑張ってもらいたいと思う。
四国の道はこんぴらさんに通ず。土佐・伊予街道、阿波街道、高松街道、丸亀街道、多度津街道が図示されたパネルは、下のボタンを押すと当該の街道が光るようになっている。
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こんぴらさんへの道に立てられた丁石が奥に展示されている。手前にこんぴら歌舞伎の出演者の名を書いた札や寄せ書き。
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金毘羅行人と呼ばれる天狗の道者。キャプションによれば施米を集めてまわる宗教者とのこと。背中に天狗のお面を背負っている。広重の浮世絵にも描かれているとは知らなかった(下の浮世絵のいちばん左端の人物)。
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昔の道具類など。
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全体的に、こんぴら歌舞伎関連の資料が多い。過去の公演ごとの寄せ書きや着到板が無造作に(ほんとうに無造作に!)並べられている。
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連獅子の絵提灯、勧進帳の絵提灯、中村富十郎の名入りの提灯。
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旧金毘羅大芝居の客席の天井に張られていた花丸絵板。
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役者が空中で演技をするのを宙乗りというが、そのための舞台装置「かけすじ」の仕組み。この展示を見ただけではあまりピンとこなかったが、あとで実際にこんぴら歌舞伎で宙乗りを観て(仕組みがあまりにもおもしろいので役者さんより黒衣さんに目が向いてしまった)、この写真を見直して、ようやくなんとなく少しわかったような気もしないでもない。ともかく図解されているのは良いことである。
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第三回こんぴら歌舞伎のときの舞踊劇「屋敷娘」。筋書(パンフレット)に讃岐うどんの広告があるのがいかにもという感じでよい。
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第一回こんぴら歌舞伎での演目のひとつ、「再桜遇清水(さいかいざくらみそめのきよみず)」の看板絵。清弦と桜姫の物語。中村吉右衛門、澤村宗十郎、澤村藤十郎という、垂涎の座組。
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十七代目中村勘三郎の描いた「三茄子」。
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芝居小屋の構造を写真で紹介。
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金丸座の看板。
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金丸座では富くじが売り出された。富札を売り、当選者に当選金を払い、経費を差し引いた残りが胴元の収入となった由。
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geniusbeach · 1 year
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石の言葉
 名古屋を巡る車の中で、静岡に砂丘があることを友人から教わった。鳥取以外に砂丘が存在することは意外だったが、私はちょうど、ぼうっと眺めるだけで済む単調な風景を欲していたところだった。というのも、このところ雑事に追われていたせいで、精神は干された雑巾のように疲弊しきっており、何事に関しても乾いた考えしか浮かばなくなっていたからだ。友人に請うて予定を変更し、翌日足を伸ばしてみることにした。
  三月某日。朝から曇天。連休の中日であるせいか車道はしばしば滞った。昼過ぎにようやく浜名湖に着き、そばにある店で鰻を食べつつ、私は植田正治が撮影した写真を思い出していた。白い空と白い砂に二分された画面の中央に、黒い服を着た人物が立っている。現実から遊離した夢のような断片。まるでタンギーの時空にぽつんとある、マグリットのオブジェ。新しいのにどこか懐かしい、シンプルで強烈なイメージだ。そんな不思議な光景が、この先で待っているだろうか。重箱の蓋を閉め、肝吸いをすする。椀のなかにある黒い背景と白い肝のネガポジを反転すれば、近くて遠い異世界が現れるだろう。思いもよらぬ効果は、そのように簡単な操作で得られるのかもしれない。携えたカメラで何かを撮ってみよう。
 中田島砂丘は浜松の南部に位置し、遠州灘に面している。砂は、その東端が接する天竜川の上流から運ばれてくるそうだ。駐車場に車を停め、滑り止めが敷かれた小道を歩いて登って行く。林を抜けると視界が開けた。友人が声を上げる。空と、一面の砂が広がっていた。砂原へと続く急斜面を、足を取られながら興奮ぎみに降りる。すると、不意に下方から視線のようなものを感じ、私は立ち止まった。目を凝らすとそれは人でも動物でも虫でもなかった。石であった。坂の下に、じっとこちらを見つめている石があったのだ。遠ざかる友人をよそに、砂に顔を打たれながら、私はそれを見た。あたりにごろごろ転がる石とは何かが違う。風と波の果てしない響きのなかで、その石は白くきわだち、寂しそうだった。
 私たちにはどこか通じ合うものがあった。ルートを外れ、靴にざばざばと砂が入り込むのも構わず、石のもとまで無心で下って行った。拾い上げると、それは花崗岩であった。美しい卵型をしており、側面に少し平べったい部分がある。表面はチョコチップアイスを思わせる、白にわずかな黒のまだら模様。握ってみるとたしかな重みがあり、旧知の仲でもないのに、手にしっくりとなじんだ。持ったまましばらく考え、その石を散策の相棒にすることに決めた。
 石は、大人しい。しかしその性質はなかなか気難しい。浜を東へ歩いていく途上、こいつをどう扱おうかと悩んだ。ぐっと握りしめたり、持ち上げたり、掲げたり。ときに置いたり、立てたり、回したり。はたまた投げたり、落としたり、転がしたり。その全面が顔ともいえる、しかしいっさい動いてくれないカタブツをなだめすかしながら、何枚も写真を撮った。そのうち何やら、石の言葉が聞こえてくるような気がした。しかしその言葉とはいったいどんなものだろう。
 雨に濡れて。/独り。/石がゐる。/億年を蔵して。/にぶいひかりの。/もやのなかに。
 そう書いたのは詩人草野心平だが、なんでもない石について、石そのもののごとく簡潔に、そこに秘められた歴史と存在の必然性を言い表している。なおかつ映像的でもあり、事物を外部から見た限界ぎりぎりのところを巧みに描写している。とはいえ、それは石の発した言葉ではなく、あくまで人間から見た石の姿にすぎない。最終的にその主張を想像して汲み取るのは我々読者だ。詩人石原吉郎によれば、詩とは「沈黙を語るための言葉」だという。結局、我々が読めるのは「書かれた詩」でしかない。ほんとうの詩は事物と感興との沈��の関係にあり、口にしたとたん霧消してしまうたぐいのものなのだ。ただしその意味で、カメラは言葉と同等に詩をつかみ得る道具となる。
 石の言葉の意味は石にしかわからないが、聞くことはできる。それは生成と漂着の場所にこだまする音に根ざしているはずだ。ここは砂丘。海と空と砂と風がある。それらを組み合わせて固めた言語が質量となって、いま手のなかにある。石の組成、つまりこの風土の中心に改めて石を据えてみようと思った。空へと放り投げて、あるいは、太陽と重ね合わせたシルエットに向けて、シャッターを切る。一連の試行錯誤の末、徐々に一個の石の多様な側面が見えてきた。浜にある無数の石の中、風紋を斜めに切る光彩と陰影の間、人の足のような流木の上、それぞれの関係性の中で石は表情を変え、異なる何か訴えかける。それは静かだが、熱のこもった対話であった。
 石のようになかなか動こうとしない私に友人はやきもきし、途中からどんどん先に進んでいった。帰りがけに走って追いついたところ、持って帰るつもりかと聞かれた。私は黙って首を振り、堆砂垣の向こうにそっと転がした。ホテルに戻ると、お気に入りを見つけたと言って、友人はポケットから小さな黒い石を取り出してみせた。彼は彼で写真を撮っていたらしい。そうしてにやりとしながら差し出されたカメラの画面には、私と石の出会いが切り取られていた。少し笑うと、名残惜しさが込み上げてきた。ふたたび永遠の海亀の卵へと還った石は、満月とともに夜を語り明かすにちがいない。ここちよい疲労に包まれてほんとうの石となった私は、夢幻のなかでその会話を聞いただろうか。
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mmmmmmmm0620 · 7 months
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可惜夜E.P.リリースツアー
今年の年明けにレコーディングをして、夏から可惜夜e.p.というCDを引っ提げて「オレンジに染まるツアー」というツアーを回った計16本ようやく諸々落ち着いたので長めに書こうと思う
2023.7.21 新潟CLUB RIVERST
ツアー初日、楽しみで全然寝れなかった、オープン前にバックドロップを頂いて(本当に夢だったからめちゃめちゃ嬉しい)ツアーの幕開け 俺が対バンしてうざ!!!って思うくらい悔しかったバンドをゲストに迎えたら全員2000年で顔合わせの時びっくりした 心から尊敬して大好きなバンドに出てもらえてることが嬉しかったな、打ち上げはたつみくんとハラくんと気狂うくらい新時代の伝串たべた あのスパイスって何にかけてもうまいからこわい みんなに無事に行ってらっしゃいって言ってもらえた!
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2023.7.30 郡山PEAK ACTION
実に2年ぶりのピークでのライブ 10代最後のライブをしたのもこのライブハウス なんか途中で悔しくなってライブ中泣き始めたのもこのライブハウス 店長のジョ���さんはこの世でいちばんいい人、成人祝いもしてくれてうれしかったー zanpanでスタッフのふっしーさんと朝まで飲んだ
2023.7.31 仙台FLYING SON
今回のツアーでもかなり記憶に強く残ってる日 まじで何から何まで最高だったし鉄風東京がこの街でやってきたことにただただリスペクト さかじりと大黒とおかしくなるまでお酒のみました 
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2023.8.9福岡Queblick
なんと人生初九州 とんねるずのみなさんのおかげでしたの細かすぎて伝わらないモノマネで博多華丸がやってた長浜屋のネタを小学生の時から見てたから堪能しまくりたかったけどまさかの台風直撃 天気悪すぎて15時にお店が全部閉まり、打ち上げで行きたかった屋台も終了 かがっちょさんぎっくり腰により打ち上げもなし、とほほ…となりながらコンビニでビール買って移動
2023.8.10 高松RIZIN’
そしてまた人生初四国 コンビニのノリでうどん屋あるのヤバすぎる リハ終わってからすみいくんとフケセリに連れてってもらってうどん食べに行った 今まで、まあまあ…丸亀製麺の方がうまいでしょ…と思っていた俺を怒りたい 革命だった、もう高松のうどんしか食べません 店長さんもかなりイカれてて(いい意味で)セトリとか取り置き書くリストなんてものはないしそこら辺の紙に書け!と言われて出したしリハもタバコ吸いながらサイコー!とか言ってるし… 超大好きになった ハラくんも遊びに来てくれて打ち上げも一緒にした まさかの当日24時間の居酒屋がグランドオープンしてしまったせい��最後フケセリと喫煙所で喋ってるところで記憶がおしまい 起きたら家でした
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2023.8.18 寝屋川VINTAGE
この日も前日Googleマップのストリートビューでネヤビンに行ってしまうくらい楽しみだった日 なのにたこじろうやってないししまいには優斗とご飯食べようってなったのにファミマのおにぎりだし この日はO.A.のバンドがかなりグッと来た 打ち上げもきっかり最後は寝屋川市駅前の吉野家、朝6時にfin
2023.9.3 群馬SUNBURST
この日もかなり記憶に残ってる 俺が1回だけ本気でバンド辞めようと思った場所 今日はトイレで1人泣くことはなくて良かった ASAHIってバンドが後輩なんだけど曲数足りないからSeek meのカバー2回やってたのウケた 気合いめちゃくちゃ入ってて良かったなあ 打ち上げも箱打ち⇨ラーメン屋⇨やじまとガイくんとスマブラ 朝9時くらいまで遊びました
2023.9.7 千葉Sound Stream Sakura
サンストはツアーやる!ってなった時最初に出てきたライブハウス 俺はシラハタさんの人間性が大好きでここに通いたいと心から思う くさのねフェスの準備で次の日早かったからな無限テキーラワイン編はなんとか回避 サンストで初めて潰れないで帰れた
2023.9.9 下北沢近松
高校2年生の時初めて東京は下北沢でライブをした そのときに対バンのライブを見ないバンド、乾杯だけの打ち上げにカルチャーショックを受けた けど近松は初めてこんな大人も東京にいるんだ!って思わせてくれた場所 途中で新宿に移動して朝まで遊んでネカフェにぶち込まれた
2023.9.10 越谷EASY GOINGS
毎回地元バンドが顔を出してくれる 箱にいる人と集まる人の人間が好きだ レイクタウン行ってみたい
2023.9.25 豊橋club KNOT
地元以外のライブハウスで好きな箱ランキング堂々の1位 スタッフとそこに集まる人と地元バンドがはちゃめちゃに好きだ よそ者のはずなのにここまであったかく感じるのはなんでなんだろう Alstroemeriaは毎回出演じゃない日でもライブを観てくれる 人が好きだからその場所が好きになる ブッカーのしょうじさんがお酒は喉越しだ!とビールのノリでテキーラを並々注ぐので大ゲロ吐きました
2023.9.26 静岡UMBER
やっぱり高校卒業したての時に行ったライブハウスはなんかみんな思い入れがあるような気がしてる たごさんが辞める前にまた会えてよかったー バンド続けてればまた会えるよな、と信じている しきじからさわやかという最高ムーブもした ハンバーグとサウナはさわやかとしきじしか行きません
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2023.10.15 新宿Marble
この日からファイナルシリーズ 個人的におもしろそう!となって組めた日 kaoとUNFAIR RULEに出てもらった とにかく心が満たされた夜でこれが可惜夜ってことか〜となった ともさんとみはねとかなり話せて良かった 嬉しいことを言ってくれてもう泣きそうになった みんなすぐ帰ってしまったのでメンバーで凪食べて帰宅
2023.10.20 心斎橋BRONZE
この日の記憶はずっとhananashi この日を境にメンバーはhananashiしか聴けない体になりました 鼻歌も車内BGMもずっとhananashi 打ち上げできむけんさんに嬉しい言葉もらって曲げずにいて良かったと思ったしこれからも曲げずにいようにもなれた!テオくんと朝6時まで飲んだらファミマで吐いてました 
2023.10.22 栄Party’z
大好きなAlstroemeriaとツーマン とにかく幸せだったな 打ち上げで中華行こうとしてかなり歩いたのにやってなくて結局箱打ち ノンアルで朝まで付き合ってくれたの今考えると狂ってると思う みんなでシゲバーガー食べて幸福 
2023.10.27 新潟GOLDENPIGS BLACK STAGE
いよいよツアーファイナル 先週初日やったみたいな感覚なのにもうファイナル 愛すべきTHE KING OF ROOKIEとツーマン 初ライブした時から対バンしてて、辛いところも苦しいところもださいところもカッコいいところも全部見てる先輩だからこそファイナル新潟でツーマンできて良かったしこの街でバンドやれてよかった!と思った 店長の翔さんも次の日アイドルイベントで朝クソ早いのに打ち上げいてくれて嬉しかった これにてツアー完結!
こうやって各箇所書いてみるとずっとライブ⇨打ち上げ⇨嘔吐の繰り返しですがバンドはそういうのの繰り返しと積み重ねだと思ってます もう今年のライブは残り少ないし冬は雪やばすぎて遠征もポンポンできないので制作しまくって冬が明ける前にはまたいいおしらせをします!これからも末長く、よろしくお願いします
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harubaku · 7 months
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まだ書きたいけど下書きに入れてたらずっと出さなくなりそうなので投稿🐻
使い方どうしよとか言ってたけど、noteにネタと日記が混在してるの見にくいから普通に日記こっちでやればいいかも!こっちの方が書けること多い
たいらさんとの共催ライブ「夢也全部」無事終演!好きな人を集めすぎて俺が楽しいだけで終わってしまうのでは?という不安もあったんだけど、凪の亀亀にLINEでプロじゃないメリットだから味わった方がいいと言ってもらい、そのおかげで拙くではありますがある程度ブレずに走りきれた🙏
MCやると毎回自分でもどこまでボケとして成立しててどこまで変な感じになってるか分からなくなるんですが、その感覚がけっこう好き!確実に下手ではあるのであんまりみんなを振り回すわけにもいかないんですが💦ごめんやで💦(吉原さんが一時期たまに言ってたやつ)
あと全体の1個目に出した「ボクサー力が0のボクサー」というお題が一番盛り上がらなくてめちゃくちゃ焦った。俺の中では「キチガイのボクサー」を言い換えたくらいの安牌のつもりで出したんですが、ボクサー力なんて言葉は無いのでイミフ状態に😫←この旨をその場ではっきり言っちゃった方がよかったかもな 亀亀の面白さなんて昔からずっと知ってるのに、亀亀を活かすお題ができなかったのが悔しい〜
全演者もちろん面白かったけどやっぱ犬派を見れたの嬉しすぎたね〜〜〜お二人が会場入って挨拶した時、1人ずつを見るのではなく"犬派"として視界に収めるために後ずさりしちゃってさすがにオタクすぎた!!感覚的な面白さの切り取り方見せ方に改めて憧れました💖
その後の高速バスは大荷物なのにめちゃくちゃ寝ちゃってたぶんすごい邪魔だったと思う😰ライブ中の邪魔はなんとかなるけど生活の中の邪魔はどうしようもない😰だからといって生活をお笑いで埋めればいいわけでもないのしんど😰
客入れ/大喜利中BGM/客出しを川の流れのようにで区切ったプレイリストを送ったらスタッフの堀さんと橋本さんにウケて嬉しかった!
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kennak · 1 year
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東京メトロ千代田線に乗り入れるJR常磐線各駅停車の亀有・金町駅を使う住民が両社と国を相手取り、不当な運賃を取られているとして3者に2万6980円の損害賠償を求めた訴訟の第1回口頭弁論が1月13日、東京地裁であった。JR東、メトロは請求棄却を求める答弁書を提出、国交省は2月末までに追って主張するという。 ●JR、「不当」の主張に激しく反論 JR側は答弁書の内容から「重要な部分を口頭陳述したい」と申し出、吉岡雅史弁護士が「2社を乗り継ぐから運賃が併算される。端的にそれに尽きる」と説明。JR1社だけより高くなるのは「ごく一般的な仕組みで、不当な運賃というのは法律的におよそあり得ない」と述べた。 傍聴した原告からは「まったく噛み合っていない。JRの都合で勝手に乗り入れしたのに、そこを見ていない」との声が上がった。原告側の中村忠史弁護士は「そもそもの制度設計の問題です。そこを主張していきます」と意気込んだ。次回の口頭弁論は3月15日午後2時に東京地裁で開かれる。
亀有・金町住民が訴える「常磐線の二重取り」問題、JR東は「ありえない」と全面戦争へ(弁護士ドットコムニュース) - Yahoo!ニュース
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ari0921 · 8 months
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和五年(2023)9月28日(木曜日)弐
   通巻第7928号 
萩生田光一政調会長は「現代の新井白石」になれるか
安定的な皇位継承策議論をすすめると明言
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萩生田光一政調会長は「安定的な皇位継承策議論をめぐって自ら責任者として党内議論を進める」と産経新聞のインタビューに答えた。
 岸��首相は令和3年9月の党総裁選で「旧宮家の男系男子が皇籍に復帰する案も含め、女系天皇以外の方法を検討すべきだ」としていた。
政府は令和四年1月に、皇族数の確保策として、旧宮家の男系男子が養子縁組などで皇籍復帰する案、女性皇族が婚姻後も皇室に残る案などを盛り込んだ有識者会議の報告書を国会に提出している。
 
小泉政権の有識者会議から議論は一歩も進んでいなかったが、萩生田の主導で、この重要な政治課題が前へ進むのか、彼は現代の新井白石になれるのか。
 下記拙文は『月刊日本』(令和五年十月号)からの再録である。
~~~~~~~~~~
 ▼「新井白石 皇統断絶の危機を予知」
 皇統が断絶の危機に瀕したことは神武天皇の御代から幾度かある。
 また後継皇位を争った政争、謀殺も何回かあった。 
 古代史最大の謎は応神天皇と継体天皇の正当性である。ほかにも雄略天皇が謀殺したイチノヘオシハ(履中天皇の皇子、雄略天皇の従兄弟)の遺児が播磨と吉備の境に二十年隠れ住んでいて、雄略の皇子・清寧天皇が亡くなると名乗り出た。
 この間、イチノヘオシハの妹の称制(天皇臨時代行)だった。
 新井白石は自伝ともとれる『折たく柴の記』のなかで、皇室の後継が不在となる危機の到来を認識し、東山天皇の祖孫をして閑院宮家を立てられるよう将軍に建言した。
 その皇統を維持させた経緯を次のように回想した。
 「議し申すべき一事の候は天亨・建武の間、皇統すでに南北にわかれ、南朝はいくほどなくて絶させ給ひぬ。北朝はもとこれ武家のためにたてられ給ひぬれば、武家の代の栄えも衰えをも、ともにせさせ給ふべき御事なるに、応仁の後、世の乱れ打ち続て、武家すでに衰給ひにし上は、朝家のことは申すに及ばず当家(徳川)神祖天下の事をしろしめされしに及びてこそ、朝家(皇室)にも絶たるをもつなぎ、廃れしをも興させ給ふ御事共はあるなれ。しかはあれど儲君(皇太子)の外は、皇子、皇女皆々御出家の事においては、いまもなほおとろへし代のさまに、
かはり給はず。凡そ匹夫匹婦の賤しさも子を産みては其室家あらむ事を思ふ。これ天下古今の情也。(中略)これより後、代々の皇子、皇女、其数多くおはしまさむに至りては天下の富も、つがせ給はぬ所ありぬべしなど申す事も候はんか。古より皇子、皇女、数十人おはしませし代々もすくなかれねど、それらの御後、今に至り給ふは、いくばくもおはしまさず。『天地の間には大算数といふもののある也』と古人は申したりき。これらの事は人の智力の推し測るべき所にあらず。ただ理の当否をこそ論じもうすべけれ」(松村明校注、岩波文庫。138~140p)
 新井白石は後継皇統の候補者がたくさんおられた時代ではなく、いずれ後継候補が不在となる危機にそなえ、別に宮家を建てて費用をまかなうべきと建言したのだ。
 将軍家宣は白石の建言を受けいれ直仁親王を閑院宮と称し、禄千石を進上した。はたして白石が危惧した通り第113代東山天皇の系統は第118代後桃園天皇で絶えた。
 そこで東山の皇子、直人親王の孫にあたる光格天皇が第119代天皇として即位された。光格天皇は閑院宮典仁親王の第六王子。誕生の翌年に聖護院に入寺し将来は出家して聖護院門跡を継ぐ予定だった。
 ところが後桃園天皇が崩御し、直系は内親王だけだったため、安永八年(1789)十一月二十五日、践祚された。今上陛下はこの光格天皇の系統である。
 ゆえに令和の時代の皇室論議に臣籍降下された旧宮家の復活が急がれる所以である。
 白石が冒頭にのべた「建武の間、皇統すでに南北にわかれ、南朝はいくほどなくて絶させ給ひぬ。北朝はもとこれ武家のためにたてられ給ひぬれば」という意味は、建武の中興の後醍醐天皇の南朝が99代の後亀山天皇で世継ぎなく北朝五代の後円融天皇の皇子が、第百代の後小松天皇、101代称光天皇のあと、五代遡って北朝一代の光嚴天皇の祖々孫にあたる後花園天皇となられたことを指している。
 皇位が空位となったケースは幾つかあるが、未亡人か独身の内親王が称制(臨時天皇)として正式な後継皇子が成人するのを待った。たとえば持統天皇、皇極・齊明、元正、元明がそうだ。孝謙・称徳天皇の場合は後継淳仁天皇を廃帝とし、次の光仁天皇を指名したとする遺書は藤原百川がでっち上げた。
 第二十一代雄略天皇の子、清寧には皇子がおらず三代遡って履中天皇の皇子イチノヘオシハの遺児(顕宗、仁賢)が継いだことはみたが、その間の飯豊天皇は明治三年に皇統譜から削除された。ところが葛城の麓へいくと宮内庁管轄の飯豊天皇陵がある。
 その後、第二十五代武烈天皇にも後継皇子は不在で、こんどは五代遡り、応神天皇の五代孫と言われた継体天皇が践祚された。継体天皇は越前からやってきたが二十年間も奈良へ入らず、この謎は解明されていない。
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m12gatsu · 2 months
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世界がナマで銀残しになる
はばかりのマガジンラックに放り込んである吉増剛造の日記を読んでいたら、「夢から覚めた」ではなくて、「夢から覚めてきた」という書き方をしていた。眠りゆく向こう側。覚めてきてこちら側。言葉にするまでもない日々に自明でいる。俺はこの「自明でいる」という言い方が好きで、「自覚的でいる」みたいな意味でときどき使う。最寄駅のひとつ隣の、大きい駅の、大きいスーパーで、鮟鱇の切り身と肝を購って鍋にした。美味かったけれど、しばらく部屋が生臭くなった。地球外生命体じみた巨大魚を針で吊るして、漁師が大きな包丁でもって手際よく切り身にしていく動画を見たことがある。それはなぜか屋外で、漁師が頻りに白い息を吐いていた。スイセイノボアズのギグを観に、京都へ行った。100人にも満たない小さな箱だった。天下一品ラーメンの本店に行った。京都駅から烏丸線終点の国際会館駅へ、そこからさらにバスを乗り継いだ。宝ヶ池という地名を見て、ようやくそこが青山真治が住んでいた場所だと気がついた。宝ヶ池の沈まぬ亀。風呂に入ろうとしたら、彼女が、「いつか言おうと思ってた……」と切り出したので、何、と身構えたら、「リンス買おうと思ってた……」のきき間違いだった。言葉にするまでもない日々に自明でいる。
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potterhirosasaki · 1 year
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おはようございます。 きのうからマグカップを作っています。 きのうは全然集中できなくて困りました。今日はなんとか、、、。 Have a nice day! #島根県 #浜田市 #石州亀山焼 #shimane #blue #有福温泉 #アクアス #陶器好き #陶芸家 #佐々木弘吉 #SASAKIHIROYOSHI #蒼い陶器 #蒼いうつわ #陶器好き #石見 #新型コロナに負けないぞ #マグカップ #うつわのある暮らし #スープカップ #サラダボール #コーヒーカップ #マグカップ #ビアカップ #ひらめ皿 #Instaglam #暮らしのうつわ (島根県ふるさと伝統工芸品 石州亀山焼) https://www.instagram.com/p/Cp3sd7GSXi-/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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oniwastagram · 2 years
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⛳️成田山新勝寺・成田山公園 / Naritasan Park(Shinshoji Temple), Narita, Chiba ② ——初詣の参拝者は日本2位。東日本を代表する寺院の近代数寄屋建築の巨匠 #吉田五十八 建築の本堂の裏の石庭は昭和の東京を代表する作庭家 #岩城亘太郎 、隣接する成田山公園は渋沢栄一邸の庭園も手掛けた近代の庭師、二代目松本幾次郎・松本亀吉の作庭! ...... 続き。そして各お堂の奥に広がるのが東京ドーム約3.5個分、16万5000平方メートルの広大な『成田山公園』。 その歴史は古く、1877年(明治10年)に前身の「成田山花園」が開園。1928年(昭和3年)に成田山公園として今日の原型が出来上がりました。 . その一角(昭和後期に竣工した平和大塔の周囲)には西洋庭園もあるけれど、全体的には“文殊の池”“竜樹の池”“竜智の池”という3つの池からなる池泉回遊式庭園といった感じで—— 四季の花木、点在する石灯籠、浮御堂…大阪の『万博公園 日本庭園』の様にこれは“日本庭園”と名乗れば“日本庭園”になるもの。 . 庭園の中のハイライトはまず“竜智の池”にある浮御堂付近からの平和大塔の借景🗼 そして池の逆側、清滝権現堂の脇の階段を降りたところにある大滝“雄飛の滝”とその周辺の石組。庭園内でも“森の中”の雰囲気を醸す中にある滝〜流れ💦はもっと日本庭園的な評価を得てもよさそうな。 . 秋の“紅葉まつり”では公園内にある茶室“赤松庵”でどなたでも無料で参加できる茶会が催されるとか🍁🍵 . たぶんこの写真のあたりは紅葉と大塔の景色が楽しめるんじゃないかなー。秋に成田山を訪れる予定の方はぜひ立ち寄ってみて! . 千葉・成田山新勝寺/成田山公園の紹介は☟ https://oniwa.garden/naritasan-shinshoji-temple-park/ - - - - - - - - #庭園 #日本庭園 #ランドスケープ #建築デザイン #japanesegarden #japanesegardens #kyotogarden #zengarden #beautifuljapan #japanesearchitecture #japanarchitecture #japanarchitect #japandesign #jardinjaponais #jardinjapones #japanischergarten #jardimjapones #landscapedesign #japantemple #寺社仏閣 #庭院 #庭园 #松本幾次郎 #松本亀吉 #大森健二 #おにわさん (成田山新勝寺) https://www.instagram.com/p/Ck-1x23Pn8C/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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kachoushi · 2 days
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各地句会報
花鳥誌 令和6年6月号
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坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
………………………………………………………………
令和5年3月2日 零の会 坊城俊樹選 特選句
撞かるるを待つ梵鐘にある余寒 美紀 春灯や蔦の絡まる家傾ぐ 和子 料峭やいつか御籤でありし紙 緋路 自転車の主婦涅槃寺も突つ切つて 瑠璃 春塵は仁王の筋肉のかたち 緋路 冴返る仁王は金の歯で怒る 慶月 鳥帰る空はとほくて累塚 小鳥 春北風や大釣鐘に隠れたし 風頭 春陰の暖簾に純白の屋号 緋路 貴婦人の大車輪のみ春光に 慶月
岡田順子選 特選句
料峭やいつか御籤でありし紙 緋路 下萌る輪廻途中に道草を きみよ 中華屋の春塵赤き椅子逆さ 小鳥 喪の列の消ゆ式台の春障子 昌文 窓飾る家族の数の紙雛 はるか 白杖のリュックに揺るる桃の花 眞理子 学僧は霞に昼の鐘をつく きみよ 春禽のつがひ卵塔あたたむる 千種 上人の絵のその上の春の雲 俊樹 父性めく陽春の木の温もりは きみよ
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年3月2日 色鳥句会 坊城俊樹選 特選句
中空を塞ぐ余寒の廃高炉 かおり 曲水の刻安寧の風美し 朝子 曲水宴美しきあぎとの並びたる たかし 春の闇400Hzの着信音 修二 曲水や配流の無念流れをり 同 バッカスの壁画翳ればアネモネも かおり 中也掌に詩片ふりくる春の雪 睦子 野火走る倭建命の影走る 美穂 北窓を開く復興兆す音 朝子 曲水や女人の盃のちと遅れ 久美子 朧の夜幻想一つ二つ三つ 光子 涅槃図の中へ入りたく近道す 美穂 紅をひき三寒四温横切りて かおり
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年3月7日 うづら三日の月花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
春日射し昼寝の猫にやはらかに 喜代子 地の息吹すべての芽より放たれん さとみ 卒業生てかる制服光差す 同 雛見れば乙女心もらんまんに 同 啓蟄や老眼鏡に虫眼鏡 都 マネキンに呼び止められし春の窓 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年3月8日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
弁財天の目力強きご開帳 宇太郎 介護士の赤鬼追うて追儺かな すみ子 春動く大鍋洗ひ伏せてより 都 咲く椿落ちし椿も「太郎冠者」 美智子 無縁塚天の供へし犬ふぐり 都 閏日や何して遊ぶ春寒し 佐代子 観音の視線の先に吾と梅と 宇太郎 春氷􄼺曳く吾を映すのみ 悦子 風海へ菜花すみずみ靡かせて 都 薄氷や踏めばナイフの光持つ 佐代子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年3月9日 枡形句会
語り継ぐ作詞の謂れ春の野辺 百合子 陽子師の墓前満開蕗の薹 教 子 雛祭り白寿の母も祝はれて 百合子 一輪の菫映して句碑閑か 三 無 きめこみ雛偲ばる友を飾りけり 文 英 廃屋に繁るミモザの花明り 多美女 揚げ雲雀寺領に紛れ猫眠る 亜栄子 のんびりと牛横たはる春の野辺 幸風 年尾碑に晴れてまた降る淡き雪 美枝子 雲雀生む高原行けば雲の人 白陶 やはらかな春の野の音辿りゆく 秋尚
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年3月11日 なかみち句会
消えさうな跡をつなぎて蜷の道 秋尚 磴百段尾道水道朝かすみ あき子 閉院の看板掠れ三味線草 美貴 日溜まりの数多の道も蜷のもの ます江 夜霞の一隅までも大灯台 聰 魚屋の釣銭濡れて春の雪 美貴 目をつむりぺんぺん草の音を聞く 廸子 極楽は泥の中なり蜷の道 あき子 蜷の道水面流るる光の輪 三無 崖下の流れやさしくになの道 和魚 鐘声のこころ震はす夕霞 史空
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年3月11日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
老犬の矍鑠と追ふ寒鴉 清女 造花にも枯れは来たりぬ春愁ひ 昭子 お水送り達陀炎豪快に みす枝 春一番大手拡げて女子高生 昭子 全身を耳に涅槃の法話聞く みす枝 知らずともよき事知りぬ蜆汁 昭子 春眠の夢逝きし子の影おぼろ 時江 生死未だ仏に供へる桜餅 ただし 亀鳴くや遠くて近き爆撃音 みす枝 肩書を減らし北国の雪に住む 世詩明 鄙の里水滔滔と芋水車 時江 つまづいて梅の香りを逃しけり みす枝 浮御堂にそして巨松に春の雪 昭子
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令和5年3月12日 萩花鳥会
鼓草摩文仁の丘の兄の墓 祐子 風神は火の神鳥に野火揚る 健雄 春の空ここは宇宙のど真ん中 俊文 忘れ雪抗ふ漁師海胆を取る ゆかり 忘れ物鞄の中に山笑ふ 吉之 制服の丈短きや卒業生 明子 沈丁花色付く前より香り立つ 美恵子
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令和5年3月14日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
合格の電話の声は春光に みえこ 彼岸会へ母一張羅出してをり あけみ 手作りの雛微笑んで雛祭 実加 啓蟄や亡き友ふえて吾は生きて 令子 うららかや押絵の猫に会釈して 同
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令和5年3月15日 さきたま花鳥句会
銀翼のきらめく空や木の芽風 月惑 昴座の星を砕きていぬふぐり 八草 古雛の神輿に残る能登の技 裕章 料峭や客船の無き海広し 紀花 杉玉も軒端に馴染む春日影 孝江 亀鳴くや飛鳥の山はみな蕾 ふゆ子 今晩も味噌田楽とまぜご飯 としゑ 雛客の手みやげ酒や国訛 康子 春しぐれ天皇参賀長き列 彩香 春愁や予期せぬ病電子辞書 恵美子 草の芽の小石動かす力あり みのり 浮世絵を抜け出す遊女万愚節 良江
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令和5年3月17日 伊藤柏翠記念館句会 坊城俊樹選 特選句
不器用は不器用なりに針供養 雪 我が町を春一番の素通りす 同 ぬるむてふ色を湛へて水温む 同 言の葉を育み春をふくらます 眞喜栄 雛飾り声なき顔に語りかけ 同 子供らの古墳探訪山笑ふ 同 道祖神肩を寄せ合ふ春の雪 同 雛見つめゐれば脳裏に母の顔 同 潮の香と水仙の香の一漁村 同 友の葬蝋燭揺らす涅槃西風 嘉和 風に棘あれど春日の燦々と みす枝 遠浅の水美しく蜆舟 ただし 雄叫びを似て左義長の始まれり 世詩明
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令和5年3月17日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
城山をもみくだくかに春疾風 眞理子 春野歩すダルメシアンの脚線美 亜栄子 蒲公英の丘膨よかに母の塔 斉 石鹸玉母の塔まで追ひかけて 亜栄子 涅槃会や外から一人手を合はせ れい 蓬生の城址や鬨の声遥か 炳子 洗堰磧にとよむ雉の声 幸風 機関車に用心深く初蝶来 幸風 ぽつとりと落ちて華やぐ花椿 れい 春塵を淡く置きたる母の塔 芙佐子 啓蟄の句碑のひらがな揺らめける 要
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令和5年3月18日 花鳥さざれ会 坊城俊樹選 特選句
胸を張り農を継ぐぞと卒業す かづを 四脚門氷雨の中に凜と建つ 和子 僧逝くや枝垂れ桜を待たずして 千加江 畦の径青きまたたき犬ふぐり 啓子 雛の間をちらと横切る男の子かな 笑子 九頭竜に朱を透かせゆく桜鱒 同 鰤大根男料理の後始末 清女 古里に古里の香の土筆摘む 泰俊 上を向き涙湛へて卒業歌 同 陽炎や人の集まる船溜り 同 春塵の経蔵深く舞ふ飛天 同 水ぬるむ色ある如く無き如く 雪
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令和5年3月20日 福井花鳥会 坊城俊樹選 特選句
雛納め飲まず喰はずの官女かな 世詩明 啓蟄や始発電車の一人旅 笑子 花ミモザ抱へふくらむ恋衣 同 けたたまし派手な身振りの春の鳥 同 啓蟄の土嗅ぐ犬の背の丸さ 希子 つくしんぼどこに隠れてゐるのやら 和子 麗しき新幹線で春来る 隆司 陽炎へる無人駅舎の降車客 泰俊 陽炎の中より来たる笑顔かな 同 啓蟄の啓蟄の顔穴を出づ 雪 懐かしやぬるみ初めたる水の色 同 蟲はただ蟲とし穴を出づるのみ 同
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令和5年3月22日 鯖江花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
凍つるべき所に凍つる蝶一つ 雪 着膨れて弟母似吾は父似 同 ぬるみ来し水に映れる何やかや 同 都恋ふ紫式部像に東風 同 幽霊の飴買ふ話木兎の夜 同 春灯下術後の傷を見る夜中 洋子 婚約のナースの話院の春 同 春ショール黄色く巻いて退院す 同 花柊恋に桎梏あればこそ 昭子 春雪や深田久弥の百名山 ただし 春彼岸死んで句友に逢へるなら やす香 親の恩山より高し卒業す みす枝 拙を守り愚直に生きて目貼剥ぐ 一涓 児を一人傘に拾ひし春時雨 世詩明
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2024/5/16 15:02:29現在のニュース
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