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#エッセー
geniusbeach · 1 year
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石の言葉
 名古屋を巡る車の中で、静岡に砂丘があることを友人から教わった。鳥取以外に砂丘が存在することは意外だったが、私はちょうど、ぼうっと眺めるだけで済む単調な風景を欲していたところだった。というのも、このところ雑事に追われていたせいで、精神は干された雑巾のように疲弊しきっており、何事に関しても乾いた考えしか浮かばなくなっていたからだ。友人に請うて予定を変更し、翌日足を伸ばしてみることにした。
  三月某日。朝から曇天。連休の中日であるせいか車道はしばしば滞った。昼過ぎにようやく浜名湖に着き、そばにある店で鰻を食べつつ、私は植田正治が撮影した写真を思い出していた。白い空と白い砂に二分された画面の中央に、黒い服を着た人物が立っている。現実から遊離した夢のような断片。まるでタンギーの時空にぽつんとある、マグリットのオブジェ。新しいのにどこか懐かしい、シンプルで強烈なイメージだ。そんな不思議な光景が、この先で待っているだろうか。重箱の蓋を閉め、肝吸いをすする。椀のなかにある黒い背景と白い肝のネガポジを反転すれば、近くて遠い異世界が現れるだろう。思いもよらぬ効果は、そのように簡単な操作で得られるのかもしれない。携えたカメラで何かを撮ってみよう。
 中田島砂丘は浜松の南部に位置し、遠州灘に面している。砂は、その東端が接する天竜川の上流から運ばれてくるそうだ。駐車場に車を停め、滑り止めが敷かれた小道を歩いて登って行く。林を抜けると視界が開けた。友人が声を上げる。空と、一面の砂が広がっていた。砂原へと続く急斜面を、足を取られながら興奮ぎみに降りる。すると、不意に下方から視線のようなものを感じ、私は立ち止まった。目を凝らすとそれは人でも動物でも虫でもなかった。石であった。坂の下に、じっとこちらを見つめている石があったのだ。遠ざかる友人をよそに、砂に顔を打たれながら、私はそれを見た。あたりにごろごろ転がる石とは何かが違う。風と波の果てしない響きのなかで、その石は白くきわだち、寂しそうだった。
 私たちにはどこか通じ合うものがあった。ルートを外れ、靴にざばざばと砂が入り込むのも構わず、石のもとまで無心で下って行った。拾い上げると、それは花崗岩であった。美しい卵型をしており、側面に少し平べったい部分がある。表面はチョコチップアイスを思わせる、白にわずかな黒のまだら模様。握ってみるとたしかな重みがあり、旧知の仲でもないのに、手にしっくりとなじんだ。持ったまましばらく考え、その石を散策の相棒にすることに決めた。
 石は、大人しい。しかしその性質はなかなか気難しい。浜を東へ歩いていく途上、こいつをどう扱おうかと悩んだ。ぐっと握りしめたり、持ち上げたり、掲げたり。ときに置いたり、立てたり、回したり。はたまた投げたり、落としたり、転がしたり。その全面が顔ともいえる、しかしいっさい動いてくれないカタブツをなだめすかしながら、何枚も写真を撮った。そのうち何やら、石の言葉が聞こえてくるような気がした。しかしその言葉とはいったいどんなものだろう。
 雨に濡れて。/独り。/石がゐる。/億年を蔵して。/にぶいひかりの。/もやのなかに。
 そう書いたのは詩人草野心平だが、なんでもない石について、石そのもののごとく簡潔に、そこに秘められた歴史と存在の必然性を言い表している。なおかつ映像的でもあり、事物を外部から見た限界ぎりぎりのところを巧みに描写している。とはいえ、それは石の発した言葉ではなく、あくまで人間から見た石の姿にすぎない。最終的にその主張を想像して汲み取るのは我々読者だ。詩人石原吉郎によれば、詩とは「沈黙を語るための言葉」だという。結局、我々が読めるのは「書かれた詩」でしかない。ほんとうの詩は事物と感興との沈黙の関係にあり、口にしたとたん霧消してしまうたぐいのものなのだ。ただしその意味で、カメラは言葉と同等に詩をつかみ得る道具となる。
 石の言葉の意味は石にしかわからないが、聞くことはできる。それは生成と漂着の場所にこだまする音に根ざしているはずだ。ここは砂丘。海と空と砂と風がある。それらを組み合わせて固めた言語が質量となって、いま手のなかにある。石の組成、つまりこの風土の中心に改めて石を据えてみようと思った。空へと放り投げて、あるいは、太陽と重ね合わせたシルエットに向けて、シャッターを切る。一連の試行錯誤の末、徐々に一個の石の多様な側面が見えてきた。浜にある無数の石の中、風紋を斜めに切る光彩と陰影の間、人の足のような流木の上、それぞれの関係性の中で石は表情を変え、異なる何か訴えかける。それは静かだが、熱のこもった対話であった。
 石のようになかなか動こうとしない私に友人はやきもきし、途中からどんどん先に進んでいった。帰りがけに走って追いついたところ、持って帰るつもりかと聞かれた。私は黙って首を振り、堆砂垣の向こうにそっと転がした。ホテルに戻ると、お気に入りを見つけたと言って、友人はポケットから小さな黒い石を取り出してみせた。彼は彼で写真を撮っていたらしい。そうしてにやりとしながら差し出されたカメラの画面には、私と石の出会いが切り取られていた。少し笑うと、名残惜しさが込み上げてきた。ふたたび永遠の海亀の卵へと還った石は、満月とともに夜を語り明かすにちがいない。ここちよい疲労に包まれてほんとうの石となった私は、夢幻のなかでその会話を聞いただろうか。
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herbalcafeprana · 2 years
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|失敗 - 《名・ス自》 方法がまずかったり情勢が悪かったりで、目的が達せられないこと。  「太郎が入試に―した」 - この写真はある意味で失敗なんだと思う。 失敗をしない 失敗ができない のはなんでだろう?🤔 恥をかきたくない いくつか理由があるのだろうけれど 突き詰めていけばこれかな? 誰もみていない失敗は 恥ずかしくない スケボーが下手でコケても 誰もみていなければ ただ痛いだけ😇 みんな見ているようで みんな見ていない 自分のことへの興味がほとんどで 他人のことなんて 意外と気にしていないものだ みんな見ていないようで みんな見ている 髪を切ったね アクセサリーステキだね - 成功があるから失敗がある 成功するまでやれば失敗はない 失敗は通過点 時間を決めるから失敗するわけで 時間をかければ失敗しない 正解があるから失敗がある 目標があるから失敗する 目的があるから失敗する - 話を戻しますね この写真は 目標もなく正解も無く無目的 カメラを構えて モニター越しに構図を探していたら キレイだなと思って シャッターを押したんです これはそんな一枚で ただそれだけの話でした😌 #失敗 #成功 #コーヒー #カフェ #読書 #まったり #ボーダー #写真 #カメラ #gr3 #泡 #バブル #キラキラ #自分がいいと思ったものをいいと思う #ないがある #エッセイ #エッセー #雑談 #特に意味はない #日々の泡 #日常 #暮らし  https://www.instagram.com/p/CfdEjIShwQz/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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ryotarox · 6 months
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明治維新は、その後の日本の不幸な歴史に直結する。「維新の精神的支柱」とされる吉田松陰ほどウソにまみれた人物はいない。その実態は乱暴者の多い長州人の中でもとりわけ過激な若者の一人に過ぎなかった。  長州の下級藩士出身の松陰が「維新の志士」を育てたとされる松下村塾は、叔父の玉木文之進が主宰していたものであり、松陰は一時的に塾を借りただけだ。しかも何かを講義したのではなく、仲間内で集まって盛り上がるだけの場だった。  松陰がひたすら唱えたのは「暗殺」と「天誅」である。彼は老中間部詮勝や大老井伊直弼の暗殺を主張し、武力による幕府転覆を訴えて、藩に対して大砲など武器の支給を願い出たほどである。
吉田松陰の松下村塾 仲間が集まり盛り上がるだけの場説も|NEWSポストセブン
明治維新という過ち 日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト〔完全増補版〕 (講談社文庫) | 原田 伊織 |本 | 通販 | Amazon
歴史本ではなくエッセーです」 2018年6月15日に日本でレビュー済み まずこの方は歴史"作家"であって、歴史学者ではありません。そこを間違えずに、この人はそういう視点でものを見てるんだなぁ、と読んで行く方が良いかと思います。 長くなりましたが、この人の言説は参考文献などからも明らかなように、某掲示板の歴史系プロギャラリーみたいなものでした。 真偽が知りたい方は"サムライエッセー批判まとめ"で調べてみて下さい。 少なくとも原田氏の書くことがかなり極端な歴史観である事が分かると思います。 あと、歴史事実の誤認が多いため、正直酷い内容でした。
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ignitiongallery · 7 months
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エッセーの音がきこえる『これが生活なのかしらん』刊行記念朗読会
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小原晩さんのエッセー集『これが生活なのかしらん』(大和書房)の刊行記念朗読会を、10月28日(土)にtwililightで開催します。
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小原さんの音楽家の友人である、みらんさんと寺田燿児さんをお招きし、『これが生活なのかしらん』から気に入ったものを朗読していただきます。
小原さんのエッセーには明るい諦めのようなムードが漂っていて、ムードという目に見えないものを表現するのは、言葉より音楽が得意とするものだと思います。
それを小原さんが言葉にできるのは、もしかしたら小原さんが歌を詠む人だからかもしれません。
ページをめくり、小原さんのムードに浸っていくと、いつか死ぬことや、人と人とは分かり合えないことを、胸の中に受け入れて、生きていこうと思える。どこからか音がきこえてきて、それは自分の鼓動だと気づく。
エッセーの音がきこえる夜に、ぜひいらしてください。
また、小原晩さんによる選書フェア『これまでに影響を受けた12冊』も10月5日から開催します。ぜひ足をお運びください。
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日時:2023年10月28日(土) 開場:19時 開演:19時30分 会場:twililight(東京都世田谷区太子堂4-28- 10 鈴木ビル3F/三軒茶屋駅徒歩5分
出演:小原晩 / みらん / 寺田燿児
料金:2,500円+ 1drink
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件名を「エッセーの音がきこえる『これが生活なのかしらん』刊行記念朗読会」
として、お名前(ふりがな)・お電話番号・ご予約人数を明記の上、メールをお送りください。
*このメールアドレスが受信できるよう、受信設定のご確認をお願い致します。2日経っても返信がこない場合は、迷惑フォルダなどに入っている可能性がありますので、ご確認ください。
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《選書フェア》 期間:2023年10月5日(木)〜10月30日(月) 会場:twililight(東京都世田谷区太子堂4-28- 10鈴木ビル3F&屋上/三軒茶屋駅徒歩5分)
小原晩さんが「これまでに影響を受けた12冊」を選び、 それぞれにコメントを寄せています。
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小原晩(おばら・ばん)
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作家、歌人。2022年初のエッセイ集となる『ここで唐揚げ弁当を食べないでください』を自費出版。2023年「小説すばる」に読切小説「発光しましょう」を発表し、話題になる。 9月に初の商業出版作品として『これが生活なのかしらん』を大和書房から刊行。
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みらん
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1999年生まれのシンガーソングライター。 包容力のある歌声と可憐さと鋭さが共存したソングライティングが魅力。
2020年に宅録で制作した1stアルバム『帆風』のリリース、その後多数作品をリリースする中、2022年に、曽我部恵一プロデュースのもと 監督:城定秀夫×脚本:今泉力哉、映画『愛なのに』の主題歌を制作し、2ndアルバム『Ducky』をリリース。
その後、久米雄介(Special Favorite Music)をプロデューサーに迎え入れ「夏の僕にも」「レモンの木」「好きなように」を配信リリース、フジテレビ「Love music」でも取り上げられ、カルチャーメディアNiEWにて作家・小原晩と交換日記「窓辺に頬杖つきながら」を連載するなど更なる注目を集める中、新曲「天使のキス」を配信/7inchにてリリースした。
Twitter:https://twitter.com/m11ram_5Instagram:https://www.instagram.com/mirams11
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寺田燿児(てらだ・ようじ)
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広島生まれ。yoji&his ghost bandの名でCD『My Labyrinth』(’14)『ANGRY KID 2116』(’16) を発表。角銅真実のサポートの他、折坂悠太(合奏)メンバーとしてFUJIROCK FES’18などに出演。 ’22 ニ作目となる漫画『TORA TORA TORA TORA』を東南西北kikenよりリリース。MIDORI.so NAKAMEGUROから衛星(台北)に至る6都市で漫画展をツアーした。「中華満腹見聞録」と題して街の中華を巡ったりもしている。 X:@YOJIandGHOST IG:@ysfor_men
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pineappleyk · 2 years
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昨晩、ショパンコンクール第2位のピアニスト、反田恭平さんのリサイタルを聴きに行きました🎹✨
タッチの多彩さやペダリングの素晴らしさ、そして音を自分の言葉のように語っている演奏だったのが印象的でした🥰 演奏会場限定表紙のエッセーを買ってしまいました。
終演後は沖縄居酒屋に🌺
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koshian · 1 year
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とはいえ、��ランプ氏はある一点については正しかった。それがいかにぞんざいな表現だったとしても。パックス・アメリカーナが1945年の後に制定された形で永遠に続くことはあり得ないということだ。
【エッセー】戦争への備え再び、日本とドイツの避けがたい道 - WSJ
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news-futatsukukuri · 1 year
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【futatsukukuri】エッセー商品紹介
商品ラインナップをデザイナー・谷内香衣のコメントとともにお届けします。
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レース地でケープをつくってみました 前後どちらでも使えます
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ケープ付きのワンピースやブラウスは今まで何度かありましたが、ケープ単体は久しぶり レースで作ると更に夢が膨らみます
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FUTATSUKUKURI エッセー 小花柄の夢 服飾ブランド・フタツククリがお送りするエッセー。 デザイナー・谷内香衣が潜在的に影響を受けていた「小花柄」を軸に 服飾小物や一点物のお洋服などを心を込めてお届けします。 どうぞ良き日にお越しください。
会期: 2022年12月16日(金)〜25日(日) 時間: 13〜19時 会場: NEW PURE +(大阪市中央区淡路町1-1-4) 電話: 06-6226-8574 *会期中無休 WEB Instagram __________
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yotchan-blog · 1 hour
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2024/4/28 9:59:41現在のニュース
就活挫折し、20代でひきこもり NPO職員が経験をエッセーに(毎日新聞, 2024/4/28 9:53:32) 成田旅客 3000万人突破 コロナ後初 訪日外国人増え 23年度 /千葉 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/4/28 9:49:51) シジミのしょうゆ漬け食べてノロに 客38人に症状 福岡の飲食店(毎日新聞, 2024/4/28 9:39:18) 衆院選挙で全国屈指の高投票率誇る島根県、きょう投開票の1区補選は関心低下で6割切るか([B!]読売新聞, 2024/4/28 9:34:15) R1優勝 泣き崩れてた 街裏ぴんく 妻の激励にも感謝:東京新聞 TOKYO Web([B!]東京新聞, 2024/4/28 9:31:23)
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ビーチボールとクラゲ
                                                         岸政彦
 大学の教師を長いことしている。社会学というものを教えているのだが、研究テーマが決まらない、という学生や院生がよくいる。話を聞くと、やる気がないという場合よりもむしろ、とても実存的な悩みがあり、社会学にも大きく期待していて、だからこそひとつのテーマに絞れない。あまりにも期待が大きすぎると、そして基準が厳しすぎると、ひとつの作業に没頭できなくて、結果的に何もできないまま終わってしまう。  あるいは、ひとりのひとと親密になること。どんなひとを選ぶとしても、「ほんとうにこのひとでよいか」という保証を得られることはない。それでも私たちは、誰かを選んでいる。  あるいは、道に捨てられている子猫と目が合う。または、ペットショップの狭くて暗い箱のなかに閉じ込められている子犬と目が合う。目をそらすことはとても難しい。私たちは、その子を連れて帰る。  そういうとき、私たちは、そもそも何かを「選んで」いるだろうか。たくさんの子犬や子猫のなかから、いちばん可愛らしいものを「選んで」いるだろうか。他のどれでもない、他ならぬ「この子」を選ぶという、そのことそのものに、何か必然性や理由があるだろうか。  なにかのなかからひとつを選ぶことは、ほかのたくさんを捨てることである。あるいはむしろ、「選んでいる」という意識すら、そこには生じないのではないか。ただ私たちは、自分の仕事に没頭し、ひとりのひとを好きになり、たまたま目が合った子猫を連れて帰るのだ。
 宇壽山貴久子がシャッターを押すとき、何かを選んでいるのだろうか、と不思議になる。何かを「撮ろうとしている」のだろうか。シャッターを押すとき、宇壽山はその風景を「撮ろうと思って」いるだろうか。
 なにか、たぶん、まったく異なることをしているのではないか。
 やむにやまれず子猫を連れて帰ったり、そんな気はなかったのに突然ひとりのひとを好きになったりするように、目の前にあった植木鉢に向かってカメラを向け、そしてシャッターを押す。むしろここでは、シャッターを押している、のではなく、シャッターが押されている。  いまここにある、この風景は、たくさんある風景のなかでもっとも美しいというわけでもない。ほんとうにこの風景は撮られる価値があるものなのかどうか、という保証は、どこにも存在しない。  そして、もっとも不思議で、もっとも美しいのは、それでも私たちは何かを選んでいる、ということだ。何の根拠も、理由も、保証も、必然性もないところで私たちは、いつもただ何かを選んでいる。だから私たちには、人生というものがあるのだ。とても奇妙で、とてもきれいだな、と思う。音楽を演奏しても、絵を描いても、文章を書いても、ひとつ先の音、色、文字が何になるのかは���誰にも予想ができないし、また結果として現れた音、色、文字そのものには、理由も、必然性もない。  しかし、そうやって選ばれた音が集まって、ひとつの歌になることがある。  私たちはいつも、ひとつひとつには何の理由もない音たちがたくさんあつまってできた歌を、歌っているのである。   そしてその歌は、とても美しいものになることがある。意味のない音が集まって、とても美しい音楽になることがあるのだ。この事実に、驚く。
 海辺でビーチボールをしている写真がある。私はこの逆光に見覚えがある。この写真から届いてくる波の音や、人びとの笑い声や、潮の香りも、よく憶えている。  小学校1年ぐらいのときだろうか。家族や親戚で、どこかの海に行った。どこの海かはもうわからない。ほぼ同時に生まれて、赤んぼうのころからずっと仲良く一緒に育ってきたいとこの女の子も一緒だった。私と彼女は、家族のいるところから離れて、もう日が沈みかかっている、夕暮れの浜辺を歩いていた。まわりには誰もいなかった。  波打ち際に、半透明の、銀色のクラゲがいた。クラゲは死んでいた。私と彼女は、指でクラゲをつついた。その肉は、ぶよぶよと弾力があった。
 私たちの足元を波が通り過ぎた。
 どこまでも静かな、遠浅の海。
 私と彼女は、このビーチボールの写真のなかにいる。ここに、写っていると思う。
※写真集『SAME TIME NEXT YEAR』(2019年刊行)に寄せられたエッセーを全文掲載した。
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zo-sunz · 20 days
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エスカレートする「倫理的狂気」
 倫理的狂気に陥るのは、時間がたってからだ。戦争開始直後から起こわけではない。時間がたち、いくつもの出来事を経るうちに、どんどんエスカレートしていく。誰も都市に空から爆弾を落とす第一号になどなりたくなかった。しかし、敵が攻撃してきたので仕返しをした。最初は軍事目標だけを狙うつもりだったが、昼間では敵の戦闘機に攻撃されてしまう。そのため夜間に爆撃を行うことにした。問題は、昼間でも標的に命中させることができなかったことだ。にもかかわらず夜に爆撃機を飛ばすことは、都市に無差別に爆弾を落とすのを、闇に認めていたということだ。
「倫理的には、彼らは昼間でも正確に狙えなかった標的を爆撃しようとしていた」と、レン・デイトンはドイツの戦略の変化について書いている。「実際には彼らは英国空軍爆撃機軍団がしていたのと同じようにしていた。大きな市の中心部を見つけてそこに火を放ったのだ」
 1941年6月、イギリスは敵国の労働者の士気とコミュニティの破壊を目的として、爆撃は夜間に行なうと公言した(ドイツが行なったのは“脅威を与え���ための爆撃”で、イギリスが行なったのは、“士気を挫く爆撃”だった)。イギリスにとっては、それは当時ドイツとの戦争において、彼らが持っていた数少ない貴重な戦法の一つだった。
 ドイツの作家ヨルグ・フリードリッヒは複合爆撃機攻撃の航空隊を「人間に向けられた最も不気味な兵器」と呼んだ(この取り組みを監督していた空軍元帥のハリスは戦後も、これがイギリス人兵士一世代分を丸ごと救ったと固く信じていた)。
 ドイツ空軍のヘルマン・ルメイまで、第一次世界大戦のころにパイロットや兵士として戦った軍の指揮官たちにとっては、何があろうと20年前に前線で経験したことよりはるかにましだった。第一次世界大戦では英国海軍が約80万人のドイツ人(大半が非戦闘員)を餓死させたと思われているが──すべてイギリスが海上封鎖している間の戦争の原則のもと──それは西部戦線で戦っていた兵士の命を救うためだったので、倫理的に受け入れられていたと、ハリスは主張した。(もちろん誰もが受け入れていたわけではない。ドイツの姿勢はイギリスとは著しく違っていたが、それは当然だろう)。
 タミ・デイヴィス・ビドルは自らのエッセー『空軍力』で「自国の兵士の命と敵国の民間人の命を、どう比較するのだろうか?」と問うた。また、イギリスがドイツへの空爆を始めたときには、平和主義の聖職者たちが、戦争に勝つためにモラル上の一線を超えるよりも、負けるほうがいいのはどういう場合かと問いかけた。
 米軍空軍司令官のヘンリー・“ハップ”・アーノルドは、何十万人もの市民が死んだあとで、「適切な理解とともに使用すれば、爆撃は、事実上、すべての兵器の中で最も人道的なものになる」と述べた。最悪な大量殺戮はまさに最適な条件で起きた。(爆撃される国からすると、誤った条件下かもしれない。)ある一定の条件の下では、爆撃で火炎旋風と呼ばれる現象が起きる。ある範囲(この場合は町)にいくつもの火炎があがり、それが一つに合わさって大きな火炎となる。これが起きると熱い上昇気流が大量に発生し、地上の冷たい空気が渦を巻いて、ハリケーン級の超高温の風を生じさせる。
 このような状況では、人がいろいろな原因で死んでいく。ある人は爆風で死ぬ──肺が破裂し、血管等神経が衝撃を受けて死が訪れる。炎が燃え移って焼死する人もいれば、コンクリートの塊や建物に押しつぶされて死ぬ人もいる(個人が致命傷を負う弾丸と違って、爆弾は犠牲者の周囲の世界も破界する)。防空壕に流れ込んできた一酸化炭素による中毒、あるいは火炎旋風で部屋の空気がなくなって、窒息した犠牲者も多かった。
 ドイツ軍の爆撃が最も激しかった晩は火炎旋風が生じ、1666年のロンドン大火以来、サイアクの大火災となった。しかしそれも、ドイツの齢への報復の爆撃に比べれば見劣りがする。(ドイツ空軍は、当初はあまり考えずに戦略爆撃を重視する原則を採用していたが、戦争が始まるころには戦術空爆を中心としたやり方に切り替えていった。戦術攻撃とは、都市全体ではなくその戦場だけに攻撃を絞る手法である。急降下爆撃機(Ju87ストゥーカ)で戦車を爆撃するのが、戦術攻撃の例である)。最初の激しい攻撃は1943年のハンブルクだった。おそらく4万から5万人が焼死した。
 1943年に19歳だったケイト・ホフマイスターは、爆撃を生き延びた一人だった。グウィン・ダイアーが著書『戦争(War)』に彼女の経験を書いている。そこには人間の経験として想像を超える極限状態が描かれている。防空壕を出たホフマイスターの目の前には、燃え上がる地獄が広がっていた。ガスマスクが溶けて顔にはりついている人が転がっていた。ダイアーはホフマイスターの話を引用している。「アイフェ通りの向こうには行けませんでした。道路には人がいて、すでに死んでいる人も、生きているけどアスファルトにくっついて動けなくなっている人もいました。きっとあわてて何も考えずに道に出てきたのでしょう。足がくっついて、抜け出そうとして手をついたんです。手と膝をついて四つん這いの状態で叫んでいました」
 火炎旋風が起これば、次に何が起こるかは決まっていた。ロンドン大空襲では、8ヶ月を超える期間で4万人が死んだ(これは近代以前のほとんどの軍隊が、一度の戦争全体で失う数よりも多い)。ハンブルクではひと晩でそれだけの数のドイツ人が命を落とした。それは地獄の底をのぞき見て、目を背ける経験だったのかもしれない。
 地獄をのぞき見た人はごくわずかだったが、英国首相はその一人だったと思われる。ウィンストン・チャーチルは、飛行機の先につけたカメラで撮影した、爆撃されたドイツ都市の被害現場の映像を見て、恐ろしさのあまり震え上がってもおかしくはなかった。当時彼と一緒にいたオーストラリア駐在武官によると、チャーチルは腰掛けた背を伸ばして、大声でこう言ったのだ。「われわれは野獣か? ここまでやってしまったのか?」。その同じチャーチルが、1940年にはこう言っていた。「自分の裏庭に火が付けば、ヒトラーは交代せざるをえなくなる。そして我々はドイツを砂漠にしてやる。そう砂漠だ」
 チャーチルはまた、爆撃で失われるヨーロッパの遺産を心配していた。戦争で直接の被害を受けた人々が死んでいなくなったあとも、ローマ時代までさかのぼれる遺産の喪失は、子々孫々にわたり影響を受けることになる。文化遺産が、倫理的狂気によって破壊されるのだ。そしてそれはヨーロッパに限らない。日本、中国をはじめ多くの國で起こっていた。(たとえばイラクへの爆撃で、古代バビロニアやアッシリアの遺跡が損傷した。)
 フランクリン・ローズベルト大統領は、敵の都市の爆撃について、二つの違う立場をとった。公的には反対、非公式には賛成だ。1941年8月4日の彼の発言を、米国財務長官ヘンリー・モーゲンソーが録音していたが、その内容は次のようなものだった(コンラッド・クレーンによる引用)。「ヒトラーに勝つ方法をイギリス人に伝え続けているが、彼らは聞く耳を持たない。軍事施設を狙って百機の飛行機をドイツに飛ばすなら、そのうち十機は前に爆撃されたことのない小さな町を爆撃するべきだと、繰り返して提言した。どの町にも何らかの工場があるはずだドイツ人の士気を挫くにはそれしかない」
 1943年になると、死者の数が恐ろしい勢いで増え始め、それがずっと続いた。米国は、戦争最後の1年で、それまでの累計より多くの死者を出すことになる。
 ダグラス・カッカーサー将軍は焼夷弾攻撃を非常に嫌っていた。補佐官の一人(基本的に彼を代弁する立場)は、それを「これまでの歴史の中でも最も容赦のない野蛮な非戦闘員の殺戮だ」と述べた。マッカーサーは実際に、市民を守るために民間施設を爆撃しなかったせいで自分の部隊を危険な目にあわせて死なせたことがある。現在でもそれは間違っていたという声がある。
 世界で最も大きな力を持つ人々でも、こうした非道が行われる勢いを止めることができなかったようだ。戦争を率いた陸軍のジョージ・マーシャル元帥と陸軍長官ヘンリー・スティムソンも、その時起きていることを気に入らなかったが、止めることはできなかった。スティムソンの言によるとマンハッタン計画に参加した物理学者J・ロバート・オッペンハイマーは、焼夷弾攻撃と民間人への攻撃に対して米国の一般大衆があまり怒っていないことを不安視していた。オッペンハイマーは必ずしも攻撃を止めることを望んではいなかった。ただそれについて起こる人が少ないのが気に入らなかったのだ。
 これはその時期の狂気を示すものだった。戦前の世論が女や子どもを標的にすることを許さなかったために精密に標的を狙う空軍力をつくった、まさにその当事者らが、1944年には一般大衆が怒らないという懸念を表明していたのだから。しかし都市には多くの軍事施設があるので、町全体を消滅させてしまえば、多くの軍事施設を破壊できる。
 日本は産業を民間人の移住��域に移す決定をして、計り知れないほどの代償を払うことになった。一か所に集中させて爆撃を受けないよう、地域ごとに小さな工場をつくった。これが、当然と言えば当然だが、すべてを消滅させることを都合よく正当化させる要因となった。
 技術の発達で、離れたところから標的を攻撃できるようにもなっていた。陸軍中佐で軍事心理学の専門家であるデイヴ・グロスマンは、距離があると殺人ができるようになる理由、そして標的との距離が遠いほど簡単に殺せることについて書いている。日本とドイツに対して行なわれたこと、あるいはドイツがイギリスに行なったこと、そのどれも、兵士が敵の顔を見て手を下さなければならなかったら、起こっていなかった可能性は高い。
 グロスマンは7万人の犠牲者を出したある夜の空爆について「七万人の女子供にひとりずつ火炎放射器を向けるとしたら、いや、なお悪いことにひとりひとりの喉を掻き切らなねばならなかったのなら、その行為のむごたらしさとトラウマはけたはずれに大きく、誰にもそんなことはできなかっただろう。しかし、何千フィートもの上空からなら、悲鳴は聞こえず、焼け焦げる身体は見えない。だからだれにでも簡単にできてしまうのである」と書いている。日本で空襲を行なって戻ってきたアメリカの爆撃機の搭乗員には、焦げた人間のようなにおいがした。彼らの飛行機の底は焦げていた。そして彼らは戦果報告書を、握手して手渡していたと言われる。
 コンラッド・クレーンは民間人を標的とした空爆について、米国のある当局者の話を引用している。「それは地上部隊に、戦っているときすべての民間人を殺し、すべての建物を破壊せよと命令するのと同じではないのか」
 たしかにそうかもしれないが、前述したとおり、陸軍には海軍と同じように、戦時中に取るべき行動と、何が許容できて何ができないのかについての理解を、何千年もかけて体系的にまとめた指針がある。
3億人を救うためなら1億人を殺戮していいのか?
 1945年2月にら、ドイツにはもう爆撃するものは残っていないので、連合軍はがれきを揺らしているだけだという不満が出ていたが、それでも爆撃は継続された。戦後、ニュルンベルク裁判で、被告は──ほとんどが人道に対する罪で絞首刑になる──連合軍のドイツの都市の爆撃を非難していた。連合軍の法律顧問の一人は、空爆は「すべての国が実行するようになり、近代戦争の一部として認められるようになった」と述べた。倫理的な問題を問うには遅すぎる、というわけだ。
 連合軍からすると、事実上の敗北が決まったドイツへの爆撃を止めないのであれば、それよりは兵力が残っている日本がいる、太平洋戦域での攻撃を止めることは誰も考えなかっただろう。(ドイツ・ファースト政策によって、連合軍は第三帝国への攻撃を優先した。1945年初頭、ドイツはまだ侵攻されていない日本よりはるかに不安定な状況にあった。複数の敵国軍がドイツ国内で戦い、ドイツの大都市はどこも廃墟と化していた)さらに1945年8月、“空からのとどめ”という、ドイツに対する攻撃として想定されていたものが再び浮上した。その時点で、毎日の死傷者の数は恐ろしいほどで、終戦が1日早まるごとに、何千人もの命を救うことができた。
 日本に2発の原子爆弾が落とされてから完全に降伏するまでの間に、千機の飛行機が東京に焼夷弾を落とした。まだやるのか、という話である。
 しかし連合軍の爆撃だけに注目するのは、敵の危険性と性質を無視することだ。空軍の歴史を研究していたブルース・ホッパーは、1945年4月にブーヘンヴァルトの強制収容所を訪ねたあと、次のように書いている。「そこらじゅうで悪臭がした。人骨の残骸が炉の近くに山積みになっている。戦略爆撃を行なったことについての良心の呵責は、これを見れば和らげられる」。1899年のハーグ平和会議で、爆撃機はいずれ標的を狙う精度が高まって、市民を殺さずにすむ人道的な兵器になると言ったのは、米国の代表団だった。米国はまた、多くの非戦闘員を無差別に殺す軍部の策に耐えられないと感じていた。その米国が原子爆弾という、おそらくは世界史上最悪の無差別大量殺人兵器を使用した、唯一の国になるというのは、なんとも皮肉な話である。
 総力戦の論理は矛盾だらけだ。
 話は飛んで15年後、爆弾と高高度爆発物を民間人居住地域に使用することは合法である──なにしろどの国も使っていた──と成分化されたことで、米国自身が冷戦の間、核兵器の標的となる可能性を受け入れた。世界の指導者が3億人の命を救うために一億人を殺戮することは、倫理的に受け入れられるかという話を始めると、倫理的狂気はいっそう激しくなる。
 死者の総数を最小限にとどめようとするのは、それで3億人を救えるのであれば、たしかに論理的である。しかし自分たちが使用した兵器が引き起こした1億の人間の無残な死に、健全で有益だった部分もあるというのは、どんな理由をこじつけようと無理がある。
 人類が世界的な熱核戦争に突入し、再び暗黒時代を引き起こすようなことがあれば、私たちはきっと映画『猿の惑星』のチャールトン・ヘストンのように「バカども! このザマは何だ!」と叫びたくなるだろう。しかしそれは我々が招いた結末ではあっても、誰かが好き好んで起こしたことではないはずだ。
『危機の世界史』ダン・カールソン著 渡会圭子訳 2021年2月25日文藝春秋発行
THE END IS ALWAYS NEAR:
Humanity vs the Apocalypse. from the Bronze Age to Today
by Dan Carlin
Copyright © Dan Carlin 2019
Japanese translation rights reserved by Bungei Skunju Ltd.
By arrangement with Harper, an inprint of HarperCollins Publishers.
through Japan UNI Agency Inc., Tokyo.
ダン・カーリン
Dan Carlin
1965年生まれ。ポッドキャストのパイオニア的ジャーナリスト。かつてはテレビレポーター、ラジオパーソナリティ、コラムニストとして活動していたが、やがて活躍の場をインターネットに移し、彼がひとりで世界史のさまざまなテーマを、1エピソード数時間にわたって語る「だけ」のポッドキャスト番組『ハードコア・ヒストリー』を開設。そのドラマチックなテーマ選びと語り口で人気が爆発し、“Alexander versus Hitler(アレクサンドロス対ヒトラー)”、“Death Throes of the Republic(共和国の断末魔)”シリーズ、“Blueprint for Armageddon(最終戦争の青写真)”シリーズ、日本を扱った“Supernova in the East(東の超新星)”シリーズなど、60本以上のエピソードで累計1億ダウンロードを誇る。2015年の「ベスト教育ポッドキャスト賞」、2018年の「ベスト歴史ポッドキャスト賞」などを受賞。本書が初の著書となる。
渡会圭子
Keiko Watarai
1963年生まれ。翻訳家。上智大学文学部卒。おもな訳書に『the four GAFA-四騎士が創り変えた世界』(スコット・ギャロウェイ)、『習慣の力』(チャールズ・デュヒッグ)、『悪について』(エーリッヒ・フロム)、『かくて行動経済学は生まれり』(マイケル・ルイス)、『フラッシュ・ボーイズ』(マイケル・ルイス、東江一紀共訳)、『人口で語る世界史』(ポール・モーランド)など。
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geniusbeach · 1 year
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襤褸日記
 眠剤が効き始めるまで書く。毎日毎日、社会と距離を取り続けている鬱屈した俺の前に立ちはだかる難問「これからいったいどうすればいいんだ…‥」を、とりあえず壁から引き剥がして踏んづけて台所にまでいくところから、朝の日課は始まる。ところどころに顔を覗かせる情けなさは都度蹴散らしていく。まずは水道水をガブ飲みする。実家の蛇口から出るそれよりもうまいのでゴクゴク飲めてしまう。時計を見ると14時半だ、ド平日の。作り置きのカルボナーラをチンして卵そぼろのボソボソ麺に変える。食事中は、最初のひとくちに付いてくる味の確認をしたら、以降は無だ。気休めにアングラなラップを聞くこともあるが、それで食うのが早くなるとかはない。茶を二杯立て続けに飲み、煙草を吸う。洗い物は、気力のある俺が後でやってくれるので放っておく。換気扇の下で煙を吐き散らかし、コーラで薬を飲む。一錠、二錠、三錠……たぶん六錠。灰皿がパンパンだがこれも限界が来た俺が後で片付けるので、ほとんどない隙間に吸い殻をぶっ刺しておく。用を足して身だしなみを整え—坊主なので整えるもなにもないが—、俺は意気揚々と行きつけの喫茶店へと徒歩で「出勤」する。春うらら黄砂にやられて喉砂漠、であるが、春の風にさざ波を立てる鴨川は光に満ちて美しい。そこらじゅうで人々が寝そべっている。余暇だ。しかし俺にとっては永遠の。誰かに知られなくとも、勉強と創作だけを続けていたい。この猶予期間に果たして何かしらの解決策が事故のように飛び出てくるだろうか。喫茶店は薄暗く、煙草臭い。マスターが、今日も来たんかというような顔で俺を一瞥する。俺は四人席にどっかりと腰を据え、アイスコーヒーを注文する。ここのコーヒーは濃くて苦いんや。なんぼ濃いのが好き言うても、煙草とダブルで喉にクるからなぁ。というわけで本日もシロップ多めである。いっちょまえにマックブックなぞを開いて業務に取り掛かる。具体詩、コラージュ、アセミック・アート、またはそれらに関する情報収集。時おり詩が浮かぶこともあるので、そんな時は携帯にメモする。俺の詩とはいったいなんぞや。いつも真心から書いているが、それは人類の忘れた遊び? ネガティヴな吐露? 預言? そんなものを意識して書けた試しがない。ただ考えながら書いている。文字に同化している。そこに少しのレトリックとタバスコをかける。すると何かができている。ふう。煙草を吸う。しかし現代詩とはなんぞや。いまだによくわかっていないし、俺には民の詩しか書けない。それは「現代詩」からすれば「現代」的ではないということなのだろう。ややこしい、なんでもええわい。時々、喫茶店には友人がやってくる。おう! 頑張ってな! 彼は大学生だ。一方こちらは30歳丸坊主。くう、痺れる。電気風呂で痛すぎて立てなくなった時を思い出す。そんなこんなで今日は具体詩のインスピレーションを探る。白いページに黒い文字、白いページに黒い文字、白いページに……。誰も見たことがない画面を作り上げたい。とはいえおこがましい話である。人間が考える物事は他の人間も考えているというのに。基礎をひたすら固めていけば、僅かな突破口が見えてくる。そういうもんなんちゃうん、知らんけど? ふう。煙草を吸う。他の客の声に耳を傾ける。他愛ないおしゃべりのリボルバー。声がでかいおっさんの話が聞こえてくると、なんだかYoutubeの粗悪な広告を見せられているような気分になる。さて、黒いページに白い文字…おっと違った。具体詩はあくまで文学の延長上にあるという意識から、一般的な本の体裁を土台にしなければならない。フォント、グリッド、行間云々。そろそろ飽きてきた。本でも読むか。いやそんな気力もねぇしもう帰るか。コーヒーチケットで支払いを済ませ、雨の中をとぼとぼ歩く。こういう時、無防備な背中に過去は襲いかかってくる。俺は何をしてるんだろうか。何をすべきなんだろうか。皆目わからない。などと念仏のように繰り返す。法然はん、これでほんまに救われるんですか? 日没直後の街の紺青には懺悔を強いられるような気分になる。そうして家に帰り着いた時にようやく何も得られなかったことに気づいて、夢でも見ようかとソファでうたた寝するのである。テーブルでは、食べ残しのカルボナーラが冷えて固まっている。
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thefunkychicken · 1 month
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【シリコンバレー=中藤玲】米ブルームバーグ通信は17日、米アップルがスマートフォン「iPhone」に米グーグルの生成AI(人工知能)の基盤技術「Gemini(ジェミニ)」を搭載する方向で両社が交渉していると報じた。アップルは米新興オープンAIとも話し合いを持つなど、提携先を幅広く模索しているという。
ブルームバーグ通信によると、iPhoneの複数の新機能開発に向けてアップルとグーグルが交渉している。ただ合意に達しない可能性もあり、アップルは最終的にオープンAIや米アンソロピックなど他企業を選ぶ可能性もあるとしている。
アップルとグーグルは、日本経済新聞の問い合わせに回答しなかった。
オープンAIが対話型AI「Chat(チャット)GPT」の提供を始めたのを機に、生成AIブームが起きた。米テクノロジー大手の中でアップルはAI対応が遅れていると指摘されてきた。最近になってティム・クック最高経営責任者(CEO)が「生成AIに多額の投資をしている。2024年内に生成AIの新機能を発表する」と述べている。
ブルームバーグ通信によると、iPhoneに搭載するアップル独自のAIモデルはクラウド経由ではなく端末上の機能に集中する予定だ。簡単な指示に基づいて画像を作ったりエッセーを作ったりする機能について、生成AIのパートナー企業を探しているという。
一方でアップルとグーグルの提携には規制当局が監視の目を光らせている。両社は、iPhoneで使う検索サービスの初期設定をグーグルにする契約を結んでおり、司法省は「検索市場の競争を阻害している」としてグーグルを反トラスト法(独占禁止法)違反で訴えている。
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goldmonk · 2 months
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ignitiongallery · 11 months
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管啓次郎の朗読会『本とともに生きたいとのぞむ人たちへ』
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比較文学研究者で詩人、エッセイストの管啓次郎さんの新刊『本と貝殻』『一週間、その他の小さな旅』(コトニ社)の刊行を記念して、黄昏時のtwililightの屋上で朗読会を開催します。
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日時:6月24日(土) 開場:18:45 開演:19:15 終演:20:15 料金:1,700円 定員:12名さま 場所:twililight 屋上 (世田谷区太子堂4-28-10鈴木ビル3F&屋上/三軒茶屋駅徒歩5分) *雨天の場合は店内で開催します。
本という〈物〉の不思議。 それは、この世のあらゆるものとつながっていること。 ヒトが集合的に経験したすべての記憶・知識・情動が流れこむ一冊一冊の本は、タイムマシン、そして意識の乗り物。 いまこそ本を大切にしよう。 私たちのもとにやって来て、そして去っていった無数の本たちに、心からの「ありがとう」を。
件名を「本とともに生きたいとのぞむ人たちへ」として、お名前(ふりがな)・ご予約人数・当日のご連絡先を明記の上、メールをお送りください。
*このメールアドレスが受信できるよう、受信設定のご確認をお願い致します。2日経っても返信がこない場合は、迷惑フォルダなどに入っている可能性がありますので、ご確認ください。
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プロフィール:
管啓次郎(すが・けいじろう)
1958年生まれ。詩人、比較文学研究者。明治大学理工学部教授(批評理論)。同大学院理工学研究科〈総合芸術系〉教授。1980年代にリオタール『こどもたちに語るポストモダン』、マトゥラーナとバレーラ『知恵の樹』の翻訳を発表(いずれものちに、ちくま学芸文庫)。以後、フランス語・スペイン語・英語からの翻訳者として活動すると同時に『コロンブスの犬』『狼が連れだって走る月』(いずれも河出文庫)などにまとめられる批評的紀行文・エッセーを執筆する。2011年、『斜線の旅』にて読売文学賞(随筆・紀行賞)受賞。2010年の第一詩集『Agend'Ars』(インスクリプト)以後、8冊の日本語詩集と一冊の英語詩集を刊行。20カ国以上の詩祭や大学で招待朗読をおこなってきた。2021年、多和田葉子ら14名による管啓次郎論を集めた論集『Wild Lines and Poetic Travels』(Lexington Books)が出版された。東日本大震災以後、小説家の古川日出男らと朗読劇『銀河鉄道の夜』を制作し、現在も活動をつづけている。
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kodama189 · 5 months
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何度か読んできた。
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kennak · 5 months
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「受け月」「機関車先生」など人間味を深く感じさせる小説のほか、エッセー、作詞など多彩な分野で活躍した作家の伊集院静(いじゅういん・しずか、本名・西山忠来=にしやま・ただき)さんが24日、肝内胆管がんで死去した。73歳だった。
伊集院静さん死去、73歳…「大人の流儀」「ギンギラギンにさりげなく」 | ヨミドクター(読売新聞)
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