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#ブラインドからのぞき見た世の中
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いやー、すっかり5月病感あふれる4月末のトーキョーの今日このごろ、みなさま、いかがお過ごしでしょうか?
>>>TYO mag
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tutai-k · 7 months
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休暇。
10月1日~長期休暇だという噂が職場に流れていた。長期の休みなら行きたい場所はたくさんあったが、噂が流れはじめたのは8月の末くらいで、そんな時期から用意しはじめたのでは何も間に合わない。釧路と舳倉島、どちらにするか悩んだが、どちらも現実的ではないのであきらめて、結局長期休暇は取らずに、四連休だけ取ってあとは出勤した。来年も同じ時期に長期休暇があるのなら、半年くらいまえには教えてもらいたいし(一年後の予定がすでに決まっているような生活をしている人間なので)それなら周到に旅に出られる。
とはいえ、せっかくの休暇なので何かしたいと思っていたら、東京のイゼルローンフォートレスでキルヒアイスのアフタヌーンティーへ行けることになった。
東京は文フリで年に多いと二回くらい行くのだが、単純に『遊びに行くだけ』というのは、何年ぶりか……。イベントまえのストレスや緊張、イベント後の疲れのない旅行というのは、もしかしなくても十年くらいは経験していないのでは? という…。
いつもは始発に乗るのをすこしゆっくりの電車に乗って名古屋駅へ。
平日の、しかも朝だからすんなり食べられるだろうと思っていた名古屋駅名物「ぴよりん」のモーニングは、びっくりするくらい人が並んでいた……。とりあえず名前だけ書いて、出かける直前にバタバタしてて買えなかったお土産を探しに行くも、あせってしまいぴよりんのバウムクーヘンを一個しか買えないまま、席へ通される。 そしてぴよりんモーニングを注文して食べる。 当たり前だがこの「カフェ・ジャンシアーヌ」は、ぴよりんを求めているひとがわざわざ並ぶお店なので、みんなぴよりんを食べる。いろんなひとが「ぴよりんモーニング」を注文するのを、「ああこの人たちはみんな、ぴよりんを楽しみにこのお店に朝早くにやってきたんだなあ」という幸せな気持ちで感じることができる。とてもいい旅立ちの朝だった。
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新幹線は少し遅れている便もあったようだったが、わたしが乗るのは大丈夫だった。予定通り東京駅へ着き、約束の駅へ。
休日はとても並ぶというラーメンのようななにかのお店へ連れて行ってもらう。透き通ったスープに、きしめんみたいな麺(麺は10種類くらいからえらべたが、初心者なので先達に従って頼んだらきしめんみたいなのだった)、たくさんのネギとパクチーが浮いている。パクチー大好きなので、追加すれば良かった。とにかくめちゃくちゃおいしくて、スープまで飲んだ。 到着したときにはお店は結構すいていたのに、すぐに満席になって、お店を出るころには人が並びはじめていた。
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皇居まで歩いて行ける距離だというので案内してもらう。 人生で実は皇居に行く(しかも結構奥の一般人が入れないようなところまで入れる)機会があったのだが、一度も行かなかったので、皇居は初体験だった。入り口は閉まっていて、見学はできなかったのだが、かつて皇居へ入る機会があったころからはずいぶん違う道と考え方をしているわたしには、そういうものなのだと思った。偶然だが。 皇居の周りは走っている人がたくさんいた。柳がたくさん生えていて、風が目に見えるので気持ちよかった。 「このお堀、冬は鳥がきそう」と言ったら、案内してくれた人が、「黒くて足がこんな鳥がくる」と指を三本立ててオオバンを表現したのが面白かった。たしかにオオバンは、カモとかと違って、指がわかれていて足がへら状になっていない(指がわかれていてそれぞれに水かきがついている)。
そのあとは、紅茶屋さんへ。いろいろ悩んだけど、暑かったのでレモンティーを頼む。たくさんおしゃべりして、二杯目も。ロイヤルミルクティーを飲む。どれもおいしかったし、カフェはとても居心地が良かった。 いつも東京で誰かに会うときは、イベントの後の打ち上げとかで、疲れとお酒でハイになってたり、時間も時間だから焦っていたりするけれど、ゆっくり時間を気にせずおしゃべりができたのがうれしかった。 だれかに会いに行く旅、というのを久しぶりにしたなあと思った。
その人とは別れて、イゼルローンフォートレスへ。十年来のフォロワーさんと会う。BL短歌の頃に出会っていて、タイムラインでは毎日のようにおしゃべりしているのに、会うのはこれが初めてなのが不思議。 イゼルローンフォートレスは「銀河英雄伝説」という小説のコンセプトカフェ(公式)で、物語の中の陣営で席がえらべたようで、イゼルローンを選んだよ、と言う話だったが、なにが違ったのかよくわからなかった。記念の銀貨・金貨をもらったり、コースターをもらったりした。ドリンクについてくるコースターにシェーンコップが含まれていたのを、ながれるように渡されたのがおもしろかった。 アフタヌーンティーのケーキにひとつめちゃくちゃ酸っぱいのがあって複雑な顔をしていたら「酸っぱいのきらいだもんね」と言われて、「やっぱりいつも一緒にいる人だ!」と思った。 ライチョウのぬいぐるみをもらう。夏羽と冬羽を選ばせてもらう。まだ夏羽のオスにしか出会っていないので、夏羽をもらった。 ひとしく一緒にわちゃわちゃしているフォロワーさんたちにお土産を買う。今日発送したが、よろこんでくれるとうれしいなと思う。 自分用には、箸を買った。迷ったけど、同盟の箸にした。 世界が平和でありますように、この小説の主人公の一人が語るような、健全な民主主義の世界にたどり着き、すこしでも長くそれがつづきますようにと祈る。
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翌日。 泊ったホテルの近くに野鳥のサンクチュアリのような場所があるようだったが、とにかく「緑色のインコ(ワカケホンセイインコ)」と「オナガ」が見たいと思っていたので、目撃情報があり、さらに良く発生するという井の頭公園へいく。何年かまえ、みんなでアヒルボートを漕いで楽しんだ井の頭公園だ。朝早く到着したからか、あの楽しかったアヒルボートを漕いでいる人は誰もいなかった。 カメラを持っている人が何人かいて、鳥への期待が高まる。 池にはカイツブリとカルガモが浮いていた。
一生懸命探すも、オナガの鳴声とシジュウカラの鳴声しか聞こえないので、公園の管理塔で「緑色のインコはどこにいますか?」と聞く。 「夕方に群で飛んでくるけど、昼間はあんまり見ないね」と言われる。好む木とかが分かればそこから探せるのに…と思ったが、そういうのもないらしい。とりあえず玉川上水を遡る。オナガの声がたくさん聞こえるけど、全然見つからない。 ブラインドがもうけられているところがあって、鳥写おじさんがたくさんいたので覗いてみる。池があって、ムラサキシキブが池の周りに生えていたので、鳥は来そう。だけど鳥があらわれなかったので情報収集。ちょっと離れたところにたくさんいる場所があるとわかったので移動。
関東の人はもしかしたら「なんでこいつ、こんなにオナガ(とワカケホンセイインコ)を見たいんだ?」と思うかもしれないが、オナガは関東にしか住んでいないので、三重では見られないのである。
どきどきしながら歩いて行くと、まず見つけたのはオナガ。 「オナガだ!!!!めっちゃいる!!!!!オナガ!!!」もう大興奮である。オナガはしきりに飛びまわり、すぐに木の中に隠れてしまうので、まだ葉っぱが繁っている今は見つけづらいし、写真を撮るのがむずかしい。でもときどき、開けたところへ出てくるのでそれを撮影していると、なんか変な影が……飛んでくる……。なんて言うんだろう、ロケットみたいな……。日本にいるタイプの鳥ではない、形状の……。 目の前にとまったのはワカケホンセイインコだった! 「わーーーーーー!!!本物だ!!本物だ!!!!」 重いカメラとレンズを担いできたかいがあった……。このインコも木陰に隠れるし緑色なので、はっぱと紛れて見つけづらいし写真も撮りづらい……。 こんなトロピカルな鳥がなんでこんなところにいるかというと、外来種である。飼われていたのが逃げ出して野生化しているらしい。とても異様……。 寿命が30年くらいあるらしい。外来種についてはいろいろ思うことがあるし、その存在を全面的に肯定はしないが、かれらをここに持ちこんだのは我々人間なので、「彼ら」が悪だという立場にはわたしは立っていない。存在と言うよりは、「棲みつかせてしまった」構造や、行為を批判したいと思っている。 絶滅危惧種を「この目で見てことほぐ」必要があるとしたら(その行為の根底には人類の営為による贖罪と、その環境の改善への努力への約束が含まれると思う)、等しく外来生物も「この目で見る」必要があるとおもう。たしかに、都会の森の中に、この南国にいそうな姿は異様で、その「違和感」は、環境について考える動機になる。
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とにかくワカケホンセイインコとオナガを見つけて満足する。 どちらも動き回る鳥なので、追いかけて歩いていたら、ひらけた場所に鳥写おじさんがたくさん集まっていたので寄っていく。 エゾビタキとキビタキを撮影していた。 今年はエゾビタキに出会ってないし、なんだかんだキビタキにもほとんど出会えないので見られて良かった。
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名古屋駅でお土産にぴよりんを買いたかったので、はやめに東京を出ようと東京駅にもどる。 スマホリングが壊れてしまっているので、東京駅のちいかわちゃんのショップでちいかわちゃんのスマホリングを買おうと思っていたら、東京駅のちいかわちゃんショップは一時間待ちだった! あきらめて、東京駅にあるというクルミッコショップへ……人が全然いないなあと思っていたら、なんとクルミッコは売り切れ! そんなぁ~~と落胆しながらお土産を物色していたら、普通の総合お土産ショップみたいなところにクルミッコとサブレのセットが売っていた。 「これ、おふくもち(赤福によく似た伊勢のお土産)みたいな……なんかそういうクルミッコじゃないよな?」と不安に思いながらレジに持って行くと、ちゃんと紅谷の袋に入れてくれたので本物のクルミッコのようだった。 崎陽軒のシウマイもほしくて、真空パックじゃなくてチルドのやつを探し回るが見つけられなかったので真空パックのを買って、お弁当も買って電車に乗る。 じつは朝、ホテルのバイキングでしこたま食べてから何も食べていなかったが、腹が減っていなかったので、帰りの近鉄特急で弁当を食べようと思って、新幹線ではもうすぐ車内販売がなくなるというシンカンセンスゴイカタイアイスを食べる。次に新幹線に乗るのは文フリの時だから、もう食べられるのはこれが最後の機会だ。いつまで経ってもやわらかくならないのを待っていたら、いつの間にか静岡を通過していた。豊橋辺りでなんとか食べ終える。そうこうしているうちに、名古屋。
駅でぴよりんを買おうと思ったら、めちゃくちゃ並んでいた。とりあえず特急券を買ってからぴよりんの列に並ぼうと思っていたら、いろいろあって列にならばず、特急も乗らないことに。 ゆっくり急行と鈍行で三重まで帰る。
急行と鈍行のベンチシートではお弁当は食べられないので、家に帰ってきてからお弁当を食べた。おいしかった。
良い旅をした。 翌日(つまり今日)伊良子へタカの渡りを見に行こうと思っていたのに、雨が降っていた。 来週からはとても忙しいので、今年は、もうヒヨドリの渡りを見に行けないだろう。
11月の半ばくらいには忙しいのは落ち着くので、そしたら、いつものアフタヌーンティーの秋のコースを滑り込みで食べよう。そしたらすぐに、ハッピーホリデーアフタヌーンティーがきちゃう。
月末に、今度は九州へ行く用事がある。九州では、カササギを探したいと思う。
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hashimile09ag · 4 months
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ギルガルド、ああギルガルド、ギルガルド
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お前の居ない世界で私はどうやって生きていけばいいんだァアアーーーーーーッッッ!!!!!!!!!!
やァご無沙汰してますかもみいるです。今の今までどこほっつき歩いていたのかと弁明いたしますと、
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ご覧の通りSVとはギルガルドが居ない世界である事が確定したショックで廃人と化してスイカを作っていたり
終わらぬハロウィンという名の「こうかつのあかし」持ち色フワンテ(バイオレットでは出ないので何が何でも欲しかった)探索に数週間ほど明け暮れて無事ゲットしたり(先に「ひそうのあかし」持ちが出て驚いたり)(ボクレーも出ぇ↑たぁ!!ドラえもんバトルドーム感)
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終わらぬイーブイの日という名の「のうむのあかし」持ち色イーブイ探索にフジが原の崖に数週間ほど山籠りしてゲットしたり(天候証が1匹出ればオーライなのを痛感した)
今回でブリザポスがブルレク報酬で手に入るようになったはいいものの、ふと思い立って今度はレジドラゴも(レジ系はSVで出ないけどできればレジエレキも)HOMEの図鑑コレクションに置いとく用で1匹ずつ欲しくなってしまい、サブロムを用意して剣盾2周目を走って捕まえてきたりダイマックスアドベンチャー満喫しつつウルトラビースト各位をやっと自前で揃えたり。まあこれは本アカで「ふじゅんのあかし」持ちガラルフリーザー(その確率なんと約0.107%ほど)を粘りたくて、でもそのままだとウルトラビーストの出現条件を満たせず埒が開かないのでサブアカから走ることで彼らを一通りHOMEに並べるためでもあり。ところでランドロスさんも早く出てきてくださいあなたがレジェアル産シェイミや弟から預かった過去作伝説を除いたHOME図鑑で埋まっていない準伝ラス1なんです対戦でも使いたいんですお願いします
ルナアーラの低A個体を厳選しその上でウルボで捕まえたり(ウルボの捕獲率が低すぎて一番の難関だったけどリセット繰り返してるうちにウルボ一発目でA1個体の捕獲に成功したぜやっほい)バクロォースさんことレイスポスのA0が爆速で出てドリボで捕獲したり
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やっぱり2体目以降の四災ともっこ赫月ミライドン諸々が欲しくなってSV2周目を走って捕獲し番外編まで待機してたり(A0チオンジェンとキチキギスに2匹目のイーユイ厳選とS0赫月の厳選を今度こそ終えたのでありがとう厳選過程note書いてくれた方とA測定担当のフワライド達えっS0ディンルー?また今度で)
他では『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』を観に3回ほど映画館へ入村してかつての目玉親父と水木のバディ劇が良すぎて脚本も演技も映像も何から何まで素晴らしくてかつ涙腺ダイレクトアタックしてくるシーンも多くて3回ともきっちり泣いてきたり特典第2弾の配布開始日の翌日の朝イチを迎える前に特典の在庫が全滅してて序盤の某一族の長男みたいに咽び泣いてた所に予測通りだが予想以上に早く公式イラスト集のお知らせが来て喜んでいたりしてました。
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とにかくみんなにゲ謎を観てほしい。
6期の沢城さん演じる鬼太郎くんも観たい……
ちなみに映画の感動とギルガルドが居ないショックでシエルの髪が白くなりました。しれっと変更しててすまない……
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藍の円盤が遂に始まりまして、シナリオもだけど何より野生とトレーナーの戦闘BGMがBWのアレンジになってるしブルベ四天王のプロフといい学園までの“地下鉄”を通る経路といいイッシュの空気を肺いっぱい吸えるとは夢にも思ってなかったのでドードーやサイホーン達に轢かれながらあまりの懐かしさにガチ泣きしてました(しかもテラスタルポケモンのちょっと違う戦闘BGMはBW当時に存在した「揺れる草むら」専用の曲と重なってるとブラザーが指摘して気づいてアガったよね)局所で流れる新規のバトル曲(特にスグリ戦が今作最推しBGMにランクイン)も全部熱くて最高だったけどBP集めはソロだと虚無の極みなので試しにマイブラザーと協力したら小一時間で10000BP集まってホクホクでした
この世界にギルガルドが居ないことが確定して放心しつつも全国図鑑のポケモン達をランドとか一部歯抜けしてるけどHOMEできっちり図鑑番号1から1000〜まで順番に1匹ずつ並べたボックスから歴代御三家や通信進化ポケモン達を引き出して図鑑埋めをする力業に加えてデスメタルB(バンド何故?)ことマイブラザー(向こうもお気に入りのヤンチャムとゴロンダが出禁確定でかなり落ち込んでた何故だこんなにもかわいいのに!!!!)に図鑑埋めの支援をしつつ捕まえてもらったウガツホムラ&タケルライコをテツノカシラ(顔面と首周りと角の構造がどタイプすぎて対戦でもぜひ使いたいタキオンカッターがモーションも性能もエッッで大変ヘキに刺さるなどしてサザンドラなどと合わせた構築を真面目に考えてるけど絶賛難儀中)&テツノイワオ(こっちもパワフルエッジの専用モーションカッコいいし殺意高くてだいすき)と交換で埋めて返してわずか配信3日目にして図鑑完成に漕ぎ着け『あかしのおまもり』をゲットしましたバンザイ🙌🙌🙌ホムラライコも強そうで欲しくなったのではよブラザーもサブロム走ってもろてええですかというか自前でスカーレットDLした方が早い説がここ最近浮上中。2日もあれば余裕で表ストーリー終わるんだカラミンゴが強すぎて!!
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手に入れた証とBPで早速色証ツタージャ探しに明け暮れ、天候証と感情証持ちの子をムンボでゲット!くもをみつめていたりやるきが/Zeroだったりするかわいいちゃんたちですかわいいね!
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ああ〜〜〜ツタージャたんはいつでも超絶かわいいなあ〜〜〜💕💕💕(なお全部♂の模様だがそれがいい)
BP支援で強化したロックオン機能は良い文明。証持ちをオシャボで狙い撃つぜ!!
つまるところポケモン廃人ライフをゼンリョクで謳歌しています(ウルトラムーンもちまちま進めてますイリマくんかわいいねマーレインさんにも早く会いたいポケマスのイリマくんいつ実装ですか??)
P.S.オーガポンちゃんでシンクロして攻撃モーション見てみ??(ギャップで情緒が)飛ぶぞ??
中の人の体調の方は至って元気です 何とかは風邪引かないって言うもんな〜ダハハ
というのが表向き。
しばらく低浮上だった訳を真面目に説明すると、年の暮れは昔の嫌な記憶が重なる時期というのもあってトラウマが再発したり、そのせいで他の人の同ジャンルの作品が見れなくなり浮上も億劫になって、加えバイトではトラブルに巻き込まれ怒りのあまり家の壁に穴を開けて拳をズダボロにするなどして少しづつ外で蓄積した鬱憤が爆発してしまい、仕事はメンタルを割り切って続けられているもののボケっとして何も考えてなさそうな(重要)学生の群れとか話の通じない人間がもっと嫌いになってしまったぶっちゃけ数ヶ月前と比べて健全な精神状態とは言えないので勝手ながら某ポップスター圏からはサイレントに離脱して様子を見つつ、ここや雑多アカ(Xの端花 薫)の方からしばしの間ポケモンや雑多専門で休み休みやらせていただきます。よしなに。
多分鴨見 居の名義のアカウントを作り直すかもしれないししないかもしれない。推しの公式グッズだけは欲しいのでブラインド商品のメル●リに使う費用は欲しいと思っているしププマケの特典もおのれまるくちゃタイミングが合わないよぐぬぬだけどもまあマギレコのクリスマスで資金溶かしちゃったしみことちゃんがめちゃくちゃ強くて可哀想でとてもかわいいので別に後悔はしてないんだただ資金がもっと欲しいだけですもっとだもっと(給料)よこせバルバトス
ちょっと休みたくなって&気持ちの整理をつけたくていきなり無言で自分から距離を取ってしまったのでご心配おかけしました🙇それでも何も言わずそっとしておいてくれてる友人達には感謝しかないので、いずれ元通りにとは約束できないけど何かしらよい形でこれからも繋がりを保てたらなあと思います。
来年はいい加減自分に対して色んな意味で「もういいや、もういいよ」の精神でいこうかと。 長く引きずった思いにもそろそろ飽きが来る頃合いかもしれないし。ところでグッズ熱が落ち着いたら今度はガチャ欲が増したり分厚い本や他の物も欲しくなってきた。魔術の書とか西洋甲冑の本とかVisionとかコルグのマイクロキーとか諸々欲しいし来年も世界は欲しいモノに溢れてるので定期的に読み返してモチベを保ちたい次第。
というわけで今年も大変お世話になりました。
来年もどうぞよろしくお願いいたします。
よいお年を〜👋
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gagago-001 · 2 months
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2/5
友人とカラオケに行った 日を跨いで わー! ペン��イトやお菓子をそれぞれ持って、ゆるゆると楽しく過ごした 過ごした
ちょうど雪が降りしきる夜だった 窓付きの部屋というのを22時、入って6時間後に友人が気づいて、そこで始めてブラインドを上げて雪を確かめた 外では道路に、木々に、建物に、人に、雪が積もっていた 歓声 入室前も降ってる雪〜と喜んだが、積もった面の雪はもっと嬉しい 積雪は冬になって初かも そしてまだ降り続けている 帰路にも雪が積もっていて最高〜でした 朝になったら一面白になってて最高〜
2/7
溜めていたアニメを観た 観た 観た
中景にいる、あまり書き込まれていない顔をしているキャラクター好き
2/9
配信を観て、寝て、起きたらまだ続いていたのでそれを観て、寝て、出かけた
TULLY'Sでモンブランを食べました めちゃうまい
映画を観た 『哀れなるものたち』 上映前の予告映像から知り、ビジュアルと題に圧倒され鑑賞を決めた 予告から受けた衝撃を遥かに超えた最高の美術だったので観てよかった〜、につきる 現実世界を内包しつつも、確実にファンタジーな世界観と表現で溺れた ガツンとした衝撃ではなく、じわじわ侵されていくような感動に包まれて帰りました 美しき痴人と取り巻く登場人物全員がそれぞれの欲のために身勝手に生き、互いに互いを傷つけ、最終的に不気味な幸福を発見する物語
所々現実に向けた皮肉が食い違っているような気がしたが、フィクションとしては最高〜なことに変わりない 書籍のほうでもう一度確認したい
よく、わからなかったな。でもよかったな。が今のところ全てかも 秘められた真意がどうとかでなく、単に思考実験だった気もするし、何かメッセージがあるんだ!感じてみて!な映画だった気もする う〜ん…… 何について象徴し、どう哀れな行動をとるキャラクターなのかは伝わったが、その哀れむべき点が具体的に何かはまだわかっていません
原作は書店に並んでいなかったので取り寄せた 3月頃に届くようです ……
2/11
天気がいい! うれしい それなりの寒さとそれなりの澄んだ空気
バレンタインという名目でチョコレートを受け取った 嬉しい〜〜〜! 青や緑など爽やかな色をして、宝石の形をして、カラフルな要素が外や中に仕込まれていて、見目美しくもかわいいチョコレート フルーツが入っていたり、まろやかなガナッシュだったりと味も様々で楽しくいただいた とても嬉しい 感謝…………
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ishuran · 7 months
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Vol.166 「カンタン」でも飛びついてはいけない、線虫N-NOSE検査
ようやく少し「秋」を感じられる空気を味わえるようになってきましたが、それでも例年のこの時期と比べるとまだまだ暑いですね。
私は魚介類(+日本酒)好きで、特に秋刀魚は大好物なのですが、黒潮の蛇行の影響か、今年も深刻な不漁が続き、大きな秋刀魚の塩焼きを食べながら一杯飲る贅沢はしばらくお預けかもしれません。
大谷選手の二刀流もそうですが、今目の前にあることを当たり前と思わず、思いっきり感謝しながら日々を過ごさなければですね。
今号は、本メルマガとしては少し”柔らかめ”の話題を2本取り上げます。
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【記事1】 「カンタン」でも飛びついてはいけない、線虫N-NOSE検査
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線虫によるがん検査、最近では仲間由紀恵さんを使った広告を目にされたことのある方も多いかと思います。 私は電車の吊り広告で見かけたことあるのですが、こんなTV-CMまでやっています。 (そういえば、以前は、あのジャニーズの社長になった東山さんがCMに出ていましたね)
 ■「線虫がん検査【N-NOSE】TVCM 『要件だけ』篇 30秒」(HIROTSUバイオサイエンス) 線虫が尿に含まれる「がん特有の匂い」を検知する特殊能力を持つとし、その技術を活用して「N-NOSE」という商品名で、「世界初の線虫がん検査」を世に出しているHIROTSUバイオサイエンス社。
いつの間にか、評価額が10億ドルを超える未上場のスタートアップ企業、いわゆる「ユニコーン」になっています。 この線虫検査、本メルマガでも一度取り上げたことがあります。
 ■「Vol.141 どうなの?”精度86%”の『尿一滴の線虫がん検査』の真の実力」(イシュランメルマガ)
この時書いたように、そもそも当時の論文情報から判断するに、実際に検査として使うには特異度が低く、「実力不足」と考えていました。 今、HIOTSU社のHP上では、線虫検査の感度と特異度について、
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がん患者を「がん」と判定する確率(感度):86.3% 健常者を「がんではない」と判定する確率(特異度):90.8%
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と記載されています。本当にこの通りであれば、良いのですが… 実は、「虚飾のユニコーン」と題し、NewsPicksで今月6回シリーズで特集があり、医療界隈のSNSで大きな話題となりました。
(個別の内容は有料記事となります)
衝撃的な、これぞ「渾身のスクープ」記事なのですが、この中で特に注目したのが、本年6月に開かれた日本がん検診・診断学会総会での次の内容の発表です。
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会場内がざわめいたのは、宮崎鶴田記念クリニックの藤田晴吾・がん診断センター院長が、次のデータを示した時だった。 がんと診断されたばかりの10人の患者から了承をもらい、それぞれの患者の尿でN-NOSEを受けたところ、10人全員がAまたはB判定、つまり低リスク(陰性)の結果が返ってきたというのだ。
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もし、本当に感度86.3%の実力値があるとしたら、本当はがんなのに陰性として判定してしまう確率は真の陽性者1人あたり13.7%です。 10人続けて「外す」確率は、13.7%x13.7%x13.7%…. と13.7%の「10乗」となりますので、0.00000023%。
つまりほぼありえないわけで、感度86.3%は全く信じられない数値になります。 もう一つ記事で印象的だったのが、「ブラインド検査はしない」というHIROTSU社の方針です。 「ブラインド検査」は、尿の検体が真の陽性者or陰性者のものなのかわからない状態で判定し、その判定がどの程度真の陽性or陰性と一致するのかを見るやり方です。 「ブラインド検査」でないということは、最初からその尿が本当は陽性なのか陰性なのかわかった状態で検査するということになります。
検査結果に手心を加える余地を残してしまいかねず、これだと検査結果は信用し難いのです。 この記事を見る限り、線虫検査のN-NOSEは信頼に足る検査結果を出せているとは全く言えません。 「カンタン」な検査ではあるし、「早期発見」の方が完治の確率が高まる、というのは事実でも、慌てて飛び付くべきではない検査と心得ましょう。
※本項執筆時点(2023年9月30日)で、筆者はHIROTSUバイオサイエンス社に関し、特筆すべき利益相反はありません。
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【記事2】信頼できる?できない?ソーシャルメディア上のがん情報 ─────────────────────────
TV-CMで俳優さんが宣伝している商品だからといって、信頼できるとは限りませんよという話を前段でしましたが、ネットの世界の情報の信頼度はどうでしょうか。
もはや昔話になってきましたが、実は、GoogleやYahooの医療情報の検索結果は、かなり「クリーン」になっています。
それ以前は、がん関連の言葉を検索すると、怪しげな治療を行なっているクリニックのサイトが検索上位を占居するなど、目を覆わんばかりの惨状でした。 それに対し、Googleが英断を下したのが6年ほど前。
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医療や健康に関連する検索結果の改善について 2017年12月6日水曜 Google では、今週、日本語検索におけるページの評価方法をアップデートしました。 この変更は、医療や健康に関する検索結果の改善を意図したもので、例えば医療従事者や専門家、医療機関等から提供されるような、より信頼性が高く有益な情報が上位に表示されやすくなります。本アップデートは医療・健康に関連する検索のおよそ 60% に影響します。Google では、医療や健康だけに限らず、今後も継続的に検索の改善に取り組んで行きます。
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ということで、今では病気の名前や薬の名前など、医療系の検索ワードを入れると、基本的には信頼性の高いと思われるサイトが上位に並びます。 (ただし例外はありますし、広告費を払って一番上や一番下の目立つ場所に掲載されるサイトは怪しいものが並びますので、そこは注意してください)
しかし、最近は若めの世代の人たちは、Twitter、Instagram、Youtubeといったソーシャルメディア上で直接検索する人も増えてきています。 となると、ソーシャルメディア上での情報は信頼できるものなのでしょうか?
ここに切り込むべく、日本でTwitter(現在は”X”ですが、Twitterの方が馴染み深いのでこのまま行きます)に出ているがん情報が、どの程度「適切」かを評価した論文が出てきました。
 ■ “Fact-Checking Cancer Information on Social Media in Japan: Retrospective Study Using Twitter”「日本におけるソーシャルメディア上のがん情報のファクトチェック:Twitterを用いたレトロスペクティブ研究」(JMIR Publications)
2022年8-9月に投稿された、「がん(癌)」の文字が含まれる7万件弱のツイート(140字以内の短文投稿)の内、「いいね」数の上位100件を専門家2名でレビューしたところ、次のことがわかりました。
・44件に誤りの情報、31件に有害な情報、30件に誤りの情報と有害情報の両方が含まれていた
・有害な情報は安全な情報の95倍の「いいね」が付いていた ・誤りの情報は、正しい情報の29倍「リツイート」(自分がフォローしていた人のツイートをそのまま自分のフォロワーにツイートすること。メールの”転送”みたいなものですね)されていた
・有害な情報は、安全な情報の35倍「リツイート」されていた まあ、安全な情報とか正しい情報ってのは、そうではないものと比べるとつまらないのが相場で、”注目を獲得してナンボ”というソーシャルメディアでは、どうしても埋もれがちになります。
Twitter上で目立つ情報は、安易に信用しない方が良さそう、というのがひとまずの結論です。
とはいえ、Twitterは、”誰をフォローするか”によって、流れてくる情報の質も大きく変わってきます。
がんに関する情報でしたら、腫瘍内科医や、各がん種の専門医資格を持っている医師をフォローして、彼ら彼女らの言説で判断、というようなやり方をまずはお勧めします。
※本項執筆時点(2023年8月31日)で、筆者はTwitterに関し、特筆すべき利益相反はありません。
「この話についてどう思うか教えて欲しい」というようなご要望、メールマガジンの内容についてのご質問やご意見、解約のご希望などにつきましては、返信の形でお気軽にメールしてください。
配信した内容とは無関係の質問でも結構です。必ずお返事いたします。 メールマガジンの内容の引用、紹介、転送も、どんどんやっていただいて構いません。
【お問い合わせ先:[email protected] 】
イシュランの新しい試みとして、がん以外の疾患ですが、病院・医師検索サイト「皮膚ナビ」を作っております。
イシュランと同じく、実際に受診した患者さんの声がコンテンツとなってより充実したサイトに成長していきますので、読者の皆さまにおかれましても、ぜひご自身の経験に基づき、ご存知のクリニックや先生について、投票/投稿して頂けると嬉しいです。
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atsushifukui · 8 months
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ウラシマビル 404
名古屋、栄「MtK Satellite」 にて開催中のグループ展「ウラシマビル 404」。9/3(日)までです、是非ご覧ください。
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古い雑居ビル、あるいは現れては消える「アート」の話
水本剛廣
就職活動とは実際に何をすることなのかも知らぬまま、四人が学生生活に別れを告げたのは、バブル 崩壊が騒がれた1990年代初頭。昼も夜もない寮生活にすっかり染まりきっていた四人は「皆で古い 雑居ビルをアトリエ兼住居として借りて、また共同生活を!」と夢想していた。無論、そんな計画は 実現するはずもなく、四人も他の学生同様、右も左もわからぬまま社会へ放り出されることとなる。
あれから三十年あまり。ある者は画家、またある者はミュージシャンとして活動、ある者は職を転々 とし、またある者は教職に就いた。ある者は移住し、ある者は家庭を持ち、またある者は旅に出た。 四人はときに接近し、ときに距離をとり、相互に影響を及ぼしながら異なる人生を歩んできた。芸術 に対する姿勢も異なる四人が、それぞれの道程で見つけたものをいま再び持ち寄り、展覧会を行う。
ほぼ平成年間と重なり合うこの三十数年の間に、日本社会は多くの面で停滞の様相を呈した。日本の 美術界でも、僅かな例外を除いて構造的変革は起こらず仕舞いだった。にもかかわらず、世間では 「アート」という言葉だけが氾濫。工芸品も、似顔絵も、手芸も書道も奇抜なファッションも、あら ゆる鑑賞物が「アート」と呼ばれるようになった。今では「アート作品」と名乗りさえすれば、その 芸術性が厳しく議論されることはない、という摩訶不思議な状況に至りつつあるように見える。
共同生活の夢は実現しなかったが、四人は今でも架空の雑居ビルを想い描く。都会の片隅、商店街が 商店街でなくなるあたり、電線の蜘蛛の巣にからまれるようにその小さなビルは建つ。地階は閑古鳥 の鳴くラーメン屋、二階から上の各階に芸術家が一人ずつ住みつく。室内でも靴を履いたまま生活 し、壁は好みの色に塗られ、夏は屋上でビール、楽器の爆音演奏にも苦情なし。実際にはそんな物件 が都市の容赦なき「スクラップ・アンド・ビルド」を生き抜くことは難しい。夢の跡地に建てられる のは、疑似レンガに覆われた効率一辺倒のマンションや虚飾的で短命な商業施設たち。「ルネサン ス」「メゾン・ド・ソレイユ」「ヴィラ・アーバンライフ」「ペアシティ・アネックス」・・・それ らは思想を欠いた片仮名アートの濫用と同様に、中身のないネーミングで人々を思考停止へと誘う。
四人と共に学生生活を送った徳富満は、藝大の寮では珍しく自室の窓にブラインドを設えていた。卒 業の直前、彼は転居先として愛用のブラインドの似合う雑居ビルの一室を探し求め、不動産業者を訪 ね歩いたという。理想のビルと理想の部屋を熱く語る彼に向かって、ある不動産屋の主人はぞんざい に言い放った。「あんた、テレビの見過ぎだよ!」
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oisiihito · 1 year
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「すこしでも水みたいな部屋にすみたくてさ」 窓が大きい 普通の部屋より 1.5倍くらい窓が大きい 西側と北側に全部で四枚 「窓を開けておくと 水の匂いが 部屋の隅々まで満ちていくんだよ」 耳を澄ませなくても 湖の音が聞こえる 何かを引きずっているような? それよりももう少し落ち着いた 湖の音は 海とは違って ずっと静かで 「いい部屋」 「これで家賃いくらだと思う?」 「え~……」 部屋の中に灯りはなく あくまで外からはいってくる明かりだけが かろうじてニカの顔を照らす のを クワノは目を細めて 確認するように 目や鼻や 口を 部品ごとに点検していって そんな様子をニカは いぶかしげに茶化して 「家賃、いくらだと思うかって」 「5万」―――「よりもうちょっと高い」 唇が結ばれ 目は閉ざされた ためて「5.7k!」 「お~なるほど」 思っていたよりも 高かった この部屋にニカが住むことになると 思うと なんだか不思議な感じがする 一人暮らしなんて とクワノは少し心配で それでもこうやってニカが大丈夫になっていくのを 祝えるように 微笑んでみてから この部屋の暗さにも もうだいぶ目が慣れてきているのに気付く 「今日はそろそろ帰ろうか」 「うん でも もうすこし」 例によって大きな窓から 月?なのか 妙な明かりが 影の間をステッチするようにして 差し込み ニカはまるで静かな湖の様子を 真剣にみつめていた ポケットの中で なにかがじゃれて これから始まるはずの 生活が 少しでも穏やかなものでありますようにと クワノは祈った そうして時間が経っても まだ部屋の中は 明るかった /
🛋️
ニカは疲れてしまって 車の中では 一言二言 言葉を交わした後は もうずっと 左に傾き 車が揺れると それに合わせてニカも揺れるのだった Bluetoothでつなげた 車のオーディオから 前日に作ったプレイリストの3周目が流れている もうBGMになって久しいフランク・オーシャンが もごもごなにか足早に口ずさむのが 風や摩擦や 振動の音にかき消されていく 「ねむ」 ハンドルはしっかり握ったまま 前の車のナンバーから 外の景色に目を移す 完全な抽象画 そのうち色遣いを間違えた都市がだんだん見えてくるはずだ / 
🥡
クワノは今月で22になる 18の時に普通車の運転免許をとってから 交通事故は一回も起こしてない 親のフォルクスワーゲンゴルフを乗り継いで 今年で三年目の 夏が迫っているのを クワノはあっという間だと 当然思う ニカは免許を持っていない 教習所へは通っていたがしかし 途中で諦めて 「私は車 運転するより 乗るほうが好きだったことに気づいてね やめた通うの」といった 「そっかそっか」 「だからさあ これからもクワノのごーふに乗せてね」 「ごーふ?」 「名前 この子の」 車に名前を付ける人を見るのは はじめてだったから うまく物が言えなかった 「ごーふね!」 とクワノは まるで前から知っていた名前みたいに 知らない名前で自分の車を呼んだ 「ごーふ」なんてもう 最近は呼ばない たいていさ 愛着がつくにつれて もともとの名前は雲みたいにかわっていくもので いまニカは「ビジー」と呼んでいる 理由はわからない クワノは「アルバトロス」 ゴルフにちなんでいるし かっこいいから クワノは男にみえるけど女のような女で 髪は長いし いいにおいもする 背は 家屋のへりよりも もう少し高い ニカのことがちゃんと好きで 同じくらい音楽も好きだ でも 映画は全く見ない 一時間も二時間もジッとして 画面を観続けるというのが性に合わないし 退屈におもえる そこにある作品的な意義とか 美的な応酬が 理解できない 出自は複雑で 東京に生まれたかとおもうと 岐阜に籍を移し そのあとまたすぐに神奈川に籍を移した なんでそんなことになったのか そのせいで いまは東京に住んでいるにもかかわらず 本籍は神奈川のままだ クワノは その理由を 何度も両親に訊いてみて そのたびに「風水」と答えられてはみるが まだうまく納得できていない 車を運転するのはいい 自分が動かす限り いつまでも動く 景色は常に変わり 抽象画が繰り返されるのは 永い美術館にいるみたいで 素敵な気持ちだ 音楽も聴ける たいてい気になった新譜は 車で聴くことになる 距離がうまくとれるような気がするから 家だと環境が良すぎたりする /
📼
「そういうことってない?」 コンビニの駐車場で ニカは目を覚ましてトイレに行き ホットスナックのポテトを二個買って 帰ってきてほとんど一人で食べているので クワノはなるべくもらえるように 手を伸ばすが そのたびにニカは背を丸め 顔を隠して食べつづけた 「……まあ わかるけどね」 「映画も 映画館で観ると だいたいの作品くらっちゃうんだけど うちで観ると そうでもないことがある 場にあてられないと まともに文化を受け取れたりする」 もぐついているニカは 背をむけたままで クワノはいった 「ソレ くれるつもりないわけ」 「いいよ」 まるまる一個 手渡され 「もともとあげるつもり」 笑って 油にまみれた口を 舌で拭った クワノはあきれて 笑った 「でも場も含めて文化だというヤツも」 「まあねえ」 「でも距離をとらないと、まともになれない」 「それはたしか」 「だよねえ」 クワノは肩をすぼめ シートに深く腰掛ける 「ポテトうま」 「うまい」 「ミニストップのホットスナックって あまり食べないけど」 「うまい」 「あとどれくらいだっけ?」 「逗子まで?」 うなずくニカ もうポテトは手にない 「50min」 クワノの 英語の発音がいいのは 小さいころに 情操的な教育をされた名残で あまりいいことだとは思っていないクワノに反して ニカは英語の発音のいいクワノが好きだった 「ポテト、もう一個買ってくる」 「アセロラジュースも!」 「OKラジャ」 ニカはスカートをたくしあげて走っていった ドアは静かにしまって また車内に独特の あの沈黙がやってきて ニュージーンズのAttentionが その上に色を塗りたくるみたいに 流れるだけの時間を クワノは目を閉じて息を止める やり過ごすことにした / 
🐘
「水みたいな部屋だったでしょ」 「うん まさか湖の近くとは思わなかった」 クワノは本当に報らされていなかった 彼女が来月から 県外の博物館で働くことにして 部屋を探している間 ニカはクワノにその話をしなかった これまでは なんだって話してきたのに 「だって水みたいな部屋なんて言ったら反対されそうだったから」 反対するのだろうか するような気がして なんで?と思う 別にいいような気もする 「病気ひどかったとき よく水の中にある部屋のことを 考えてたんだよ そこは静かで 良くて」 頷くクワノ 「そこでは 濃い水の匂いがするんだよ 海だと潮の匂いが強いし 川だとあまりに薄い 流れてるからかなあ 湖がちょうどよかったんだ」 クワノには「濃い水の匂い」がわからない そもそも水に匂いがあることも わからない でもニカには感じ取れるのだろうなと そういう気遣いで聞き続ける話が クワノは嫌いじゃない 「湖畔の静けさは質が高い」 「そんな気がするよね」 喫茶店のブラインドは半分下がって 陽を遮って 影が切れているのを 机の上でなぞってみた アイスココアが ガムシロップで甘さを調節するタイプの アイスココアで コレを出すのは この辺だとここしかない 名前は「スキップ」とか「ホップ」とか ニカはここでジャーマンポテトドックしか食べない 「逃げれなくなった」と語った ジャガイモが好きなの? いやそういうわけでもないんだけど…… 再来週から ニカは湖のほとりにある 街へ行く そこにある水みたいな部屋に住む 水の濃い匂いがする 水みたいに静かな部屋で 博物館の事務員として 暮らす 「手紙かくよ」 「消印はうちの近くがいい」 「わかった」 そうしてニカは旅立っていった その日はやけに曇った水曜日で なんか嫌だった / 
⛰️
六月 梅雨になるまえに 手紙を書いておこうと クワノは 駅前の文房具屋まで 足を延ばして 思っていたより強い日差しに サングラスの下の目を細めている 妙に落ち着いた街なのだ 海へは少し遠い それもあってのんびりとした空気が しらけたグルーブを生んでいた 店の中に入ると 若い女が店番をしていた 文具のほかに適当な雑誌が いくつかおいてあった 地方放送局のラジオともう何年も売れていない鉛筆削り器 そういう店だ 「いらっしゃいませ」 どうもこんにちは 心の中でクワノは応えた ポパイが置いてある 手でめくると 紙のこすれる音が 手に伝わってくる 汗 拭う間もなく流れる 便箋を探しにきたんだった 上等な紙だと プリントに耐えないから クワノは手紙を手で書かない 必ずパソコンかスマートフォンで打ち込んで それをプリントアウトして 丁寧に封筒へ入れる 上等な封筒を選ぶ 手で書かなくたって気持ちはこもると 本気でそう思っている 淡い黄色がいいだろうか 封筒の大きさは? ああでもないこうでもないと 選ぶ時間があることが素晴らしい 世間において 過程はしばしば美化される傾向にあるが 手紙については 反論のしようがない プロセスがあまりに美しい時間の費やし方なのだと思う 大体どれくらい選んでいたのだろうか その間に客といえば腰の曲がりすぎたおばあさんと 近くに住む三毛猫ぐらいだった 店番の女は青色のスツールに座って ジッと珍しい地下甲虫の観察でもするみたいにして 午前中のテレビ番組を眺め続けている ラジオとの兼ね合いで 店の中ではテレビの音量が極めて小さく定められ トーキーの映画をみているみたいに ワイドショーが流れ CMが流れ 時々 番組なんだかCMなんだかわからないような ネットショッピングのCMが流れた クワノは便箋と封筒を決めた ようやく決まった封筒はうすーく伸びた水色のやつ 便箋はコピーが可能なきちっと白いものにした あ・り・が・と・う・ご・ざ・い・ま・し・た とハッキリ 1音ずつ聞こえるように 女はお礼を言ってから お辞儀をした 湿度を保って熱気がまず 足元を焼くようにすると 太陽の地道な熱さが服ごしに背中を焼く音がする クワノはうんざりしながら帰る / 
🪞
「手紙ありがとうございました また手書きではなかったので ガッカリでしたが 消印があなたの街の郵便局のものだったので 安心しました こういう言い方はよくないのかもしれませんが あなたがあの街で あの声で そこにいる誰かと話していることが ここにいる私のことを なぜか落ち着かせるのです どうかそういうことを笑わないでくださいね さて こちらは忙しい日々を送っています と書くと心配するかもしれませんが 忙しいことは本当です しかしながらそれは悪いことではないかもしれません 働くということは もちろん働くことなのですが それ以外の複合的な意義を持つ営為でもあるのです 他者があり 自己があり そこに起こる会話や交渉 場の雰囲気やある種のトラブルが 私には まるっきり人生の縮図のように思えるのです 働くということは つまるところ人生を 自分自身の人生を小さく送ることに他ならない と近頃思っています あなたはまだ働くということに上手くリアクションできていないけれど そんなに悲観的になる必要はないのかもしれません 職場では ミネヤマさんという 事務の女の人によくしてもらっています 彼女はアイロンビーズがとても上手で 私に時々キツネやイルカのビーズ作品を作ってきてくれます bitの粗いビーズでできているのに ミネヤマさんの作るアイロンビーズは妙なリアリティがあるのです 生き物が持つ生命の質感が みごとに実現されているような気がします おこがましくもいつかあなたにも作ってもらおうと画策しています 短いですが今回はこの辺で 最近はダウ90000のラジオを聴いています 何を言ってるのかは ほとんど分からないけれど 面白いと思います」 明らかにニカの文字で書かれた ニカの手紙が届いたのはクワノが手紙を出してから二か月が経った頃だと思う 消印は湖のある あの街のものだった 手紙の最後には 秋にはまたここへ来てくださいとつづってあり クワノは秋のことを考えようにも 今 暑くて仕方のない 夏の終わりを肌で感じ取るしか能のない 動物になっていた 汗が止まらない こけたほほを撫でてみる この夏はろくに食事を摂らなかった 気づかないと三日間 食べないこともあった でもそんなものではないですか 夏なんて 食べなくたって生きていけるように できているような気がしませんか 困らないならしたくないことはしなくていい歳になったと クワノは思って 大人ってそういうことなのかもと考えて 夏の風がまだ残っているうちに 外に出よう さあ! オーラリーとニューバランスの2002RDは 暑くてもうはかなくなった夏は ビルケンシュトックの名前もしらないサンダルを履きつぶしそうな勢いで 繰り返し履くのだった これを買ったのはいつだったっけ 家を出て駅へ向かう道をまっすぐ歩くと すぐに2LDKほどの公園が見える 公園には申し訳程度の鉄棒 そして青色の豚のスプリング遊具が二匹 木はないが 蹴ればたちまち崩れそうな花壇が情けないながらも 入口に位置している 
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kariyado-lab · 2 years
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第13回 学んでいない人は誰もいないということ
授業も残すところあと2回となってしまいました。
まだ受講生たちは知りませんが、今日は授業スタッフと実践系受講生のプレゼン回。
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落ち着かない様子のスタッフたちは、O118や廊下に散らばってボソボソとプレゼンの練習をしています。
そんな今回のブログは、当日誰よりもソワソワしてずっと動き回っていた吉山琳子が担当します。(笑)
なんだか少しいつもと違う雰囲気の教室。
前にはプレゼン用の背景、後ろにはスポットライト、窓とブラインドの間には段ボール。
このプレゼン用の特別仕様も、場づくりのデザインのひとつ。
3限開始のチャイムがなると、最初に受講生に告げられたのは「来週は皆さんに個人プレゼンをしてもらいます!」という突然の次回予告。いきなりで驚いた人もいるはず。
そしてこの授業で学んでいるのは受講生だけではない!
ということで、簡単な流れの説明の後、いよいよ緊張のスタッフプレゼンが始まった。
「役立つ人になる」
「人はそもそも多様である」
「自己主張を恐れない」
「自分の限界は自分が思っているよりもずっと上にある」
「今しかない、を今やっておかなきゃ」
「俯瞰力」
「色んなチャネルを持つこと」
「関心と関与のバランス力」
「経験は視点を変える」
「気づきのアンテナ次第で人生は豊かになる」
「失敗はないということ」
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スタッフプレゼンに続いて、じぇらさんからも最後のお話。
「”できそう”や”できるかも”を大切に」
受講生の今までのワーク中の様子やリフレクションシートの内容と、じぇらさん自身の経験とを照らし合わせてお話をしてくださった。
これからこの授業での学びを外の世界でアウトプットしていくであろう受講生にとって、きっとものすごく背中を押されるメッセージだったはずだ。
受講生がワークを通してさまざまな学びを得ている姿を見て、そこからスタッフも学んでいる。そんな空間から先生もたくさん学んでいる。
つまり、この授業の空間で学んでいない人は誰もいないということである。
やっていることとしては同じ1つの授業。
だがそこには受講生、スタッフ、先生という異なる立場からなる複数の意味空間が存在しているのである。
これが、「同一空間上に複数の意味空間がある」ということ。
しかし!この言葉の意味はこれだけではない。
この授業をひたすら面白がってやるぞ!という気持ちで��加している人。
演劇とか苦手だし、できるかなあ……と思いながら授業に来た人。
このワークでデザインされていることってなんだろう?とアンテナを張っている人。
などなど。
どれが良い悪いということでは決してない。
彼らにとって、この授業は同じ空間でありながらも異なる意味空間として存在している。
そう考えると、その空間にいる人の数だけ、その分の意味空間が存在しているともいえる。
来週はいよいよ最終回。
授業が終わってしまう寂しさが本格的に押し寄せる中、早くみんなのプレゼンが聞きたい!という気持ちもあり、私の中で葛藤が生まれています。
いくら悩んだところで、7日後にはその日が来てしまうんですけどね。
そして私がブログを書くのは今日が最後です。
「WS+MCってどんな授業だったっけ?」
「すごく楽しかったけど、何を学んだんだっけ?」
なんて忘れそうになった時には、ああそういえば、スタッフの人が書いていたブログがあったな、見てみようかな、なんて思い出してくれると嬉しいです。
何ヶ月後、何年後か分かりませんが、その時のあなたにとって、少しでも気づきのヒントになっていたら良いなあ。
終わりムードを醸し出していますが、次回もまだブログはあります。
全14回の締めはたーじさんワールド全開でお願いしますね!
吉山琳子
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えー、さてー、急すぎるナツ感にカラダと花粉症がついていっていないトーキョーの今日このごろ、みなさま、いかがお過ごしでしょうか?
>>>TYO mag
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shunsukessk · 4 years
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あるいは永遠の未来都市(東雲キャナルコートCODAN生活記)
 都市について語るのは難しい。同様に、自宅や仕事場について語るのも難しい。それを語ることができるのは、おそらく、その中にいながら常にはじき出されている人間か、実際にそこから出てしまった人間だけだろう。わたしにはできるだろうか?  まず、自宅から徒歩三秒のアトリエに移動しよう。北側のカーテンを開けて、掃き出し窓と鉄格子の向こうに団地とタワーマンション、彼方の青空に聳える東京スカイツリーの姿を認める。次に東側の白い引き戸を一枚、二枚とスライドしていき、団地とタワーマンションの窓が反射した陽光がテラスとアトリエを優しく温めるのをじっくりと待つ。その間、テラスに置かれた黒竹がかすかに揺れているのを眺める。外から共用廊下に向かって、つまり左から右へさらさらと葉が靡く。一枚の枯れた葉が宙に舞う。お前、とわたしは念じる。お前、お隣さんには行くんじゃないぞ。このテラスは、腰よりも低いフェンスによってお隣さんのテラスと接しているのだ。それだけでなく、共用廊下とも接している。エレベーターへと急ぐ人の背中が見える。枯れ葉はテラスと共用廊下との境目に設置されたベンチの上に落ちた。わたしは今日の風の強さを知る。アトリエはまだ温まらない。  徒歩三秒の自宅に戻ろう。リビング・ダイニングのカーテンを開けると、北に向いた壁の一面に「田」の形をしたアルミ製のフレームが現れる。窓はわたしの背より高く、広げた両手より大きかった。真下にはウッドデッキを設えた人工地盤の中庭があって、それを取り囲むように高層の住棟が建ち並び、さらにその外周にタワーマンションが林立している。視界の半分は集合住宅で、残りの半分は青空だった。そのちょうど境目に、まるで空に落書きをしようとする鉛筆のように東京スカイツリーが伸びている。  ここから望む風景の中にわたしは何かしらを発見する。たとえば、斜め向かいの部屋の窓に無数の小さな写真が踊っている。その下の鉄格子つきのベランダに男が出てきて、パジャマ姿のままたばこを吸い始める。最上階の渡り廊下では若い男が三脚を据えて西側の風景を撮影している。今日は富士山とレインボーブリッジが綺麗に見えるに違いない。その二つ下の渡り廊下を右から左に、つまり一二号棟から一一号棟に向かって黒いコートの男が横切り、さらに一つ下の渡り廊下を、今度は左から右に向かって若い母親と黄色い帽子の息子が横切っていく。タワーマンションの間を抜けてきた陽光が数百の窓に当たって輝く。たばこを吸っていた男がいつの間にか部屋に戻ってワイシャツにネクタイ姿になっている。六階部分にある共用のテラスでは赤いダウンジャケットの男が外を眺めながら電話をかけている。地上ではフォーマルな洋服に身を包んだ人々が左から右に向かって流れていて、ウッドデッキの上では老婦が杖をついて……いくらでも観察と発見は可能だ。けれども、それを書き留めることはしない。ただ新しい出来事が無数に生成していることを確認するだけだ。世界は死んでいないし、今日の都市は昨日の都市とは異なる何ものかに変化しつつあると認識する。こうして仕事をする準備が整う。
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 東雲キャナルコートCODAN一一号棟に越してきたのは今から四年前だった。内陸部より体感温度が二度ほど低いな、というのが東雲に来て初めに思ったことだ。この土地は海と運河と高速道路に囲まれていて、物流倉庫とバスの車庫とオートバックスがひしめく都市のバックヤードだった。東雲キャナルコートと呼ばれるエリアはその名のとおり運河沿いにある。ただし、東雲運河に沿っているのではなく、辰巳運河に沿っているのだった。かつては三菱製鋼の工場だったと聞いたが、今ではその名残はない。東雲キャナルコートが擁するのは、三千戸の賃貸住宅と三千戸の分譲住宅、大型のイオン、児童・高齢者施設、警察庁などが入る合同庁舎、辰巳運河沿いの区立公園で、エリアの中央部分に都市基盤整備公団(現・都市再生機構/UR)が計画した高層板状の集合住宅群が並ぶ。中央部分は六街区に分けられ、それぞれ著名な建築家が設計者として割り当てられた。そのうち、もっとも南側に位置する一街区は山本理顕による設計で、L字型に連なる一一号棟と一二号棟が中庭を囲むようにして建ち、やや小ぶりの一三号棟が島のように浮かんでいる。この一街区は二〇〇三年七月に竣工した。それから一三年後の二〇一六年五月一四日、わたしと妻は二人で一一号棟の一三階に越してきた。四年の歳月が流れてその部屋を出ることになったとき、わたしはあの限りない循環について思い出していた。
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 アトリエに戻るとそこは既に温まっている。さあ、仕事を始めよう。ものを書くのがわたしの仕事だった。だからまずMacを立ち上げ、テキストエディタかワードを開く。さっきリビング・ダイニングで行った準備運動によって既に意識は覚醒している。ただし、その日の頭とからだのコンディションによってはすぐに書き始められないこともある。そういった場合はアトリエの東側に面したテラスに一時的に避難してもよい。  掃き出し窓を開けてサンダルを履く。黒竹の鉢に水を入れてやる。近くの部屋の原状回復工事に来たと思しき作業服姿の男がこんちは、と挨拶をしてくる。挨拶を返す。お隣さんのテラスにはベビーカーとキックボード、それに傘が四本置かれている。テラスに面した三枚の引き戸はぴったりと閉められている。緑色のボーダー柄があしらわれた、目隠しと防犯を兼ねた白い戸。この戸が開かれることはほとんどなかった。わたしのアトリエや共用廊下から部屋の中が丸見えになってしまうからだ。こちらも条件は同じだが、わたしはアトリエとして使っているので開けているわけだ。とはいえ、お隣さんが戸を開けたときにあまり中を見てしまうと気まずいので、二年前に豊洲のホームセンターで見つけた黒竹を置いた。共用廊下から外側に向かって風が吹いていて、葉が光を食らうように靡いている。この住棟にはところどころに大穴が空いているのでこういうことが起きる。つまり、風向きが反転するのだった。  通風と採光のために設けられた空洞、それがこのテラスだった。ここから東雲キャナルコートCODANのほぼ全体が見渡せる。だが、もう特に集中して観察したりしない。隈研吾が設計した三街区の住棟に陽光が当たっていて、ベランダで父子が日光浴をしていようが、島のような一三号棟の屋上に設置されたソーラーパネルが紺碧に輝いていて、その傍の芝生に二羽の鳩が舞い降りてこようが、伊東豊雄が設計した二街区の住棟で影がゆらめいて、テラスに出てきた老爺が異様にうまいフラフープを披露しようが、気に留めない。アトリエに戻ってどういうふうに書くか、それだけを考える。だから、目の前のすべてはバックグラウンド・スケープと化す。ただし、ここに広がるのは上質なそれだった。たとえば、ここにはさまざまな匂いが漂ってきた。雨が降った次の日には海の匂いがした。東京湾の匂いだが、それはいつも微妙に違っていた。同じ匂いはない。生成される現実に呼応して新しい文字の組み合わせが発生する。アトリエに戻ろう。
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 わたしはここで、広島の中心部に建つ巨大な公営住宅、横川という街に形成された魅力的な高架下商店街、シンガポールのベイサイドに屹立するリトル・タイランド、ソウルの中心部を一キロメートルにわたって貫く線状の建築物などについて書いてきた。既に世に出たものもあるし、今から出るものもあるし、たぶん永遠にMacの中に封じ込められると思われるものもある。いずれにせよ、考えてきたことのコアはひとつで、なぜ人は集まって生きるのか、ということだった。  人間の高密度な集合体、つまり都市は、なぜ人類にとって必要なのか?  そしてこの先、都市と人類はいかなる進化を遂げるのか?  あるいは都市は既に死んだ?  人類はかつて都市だった廃墟の上をさまよい続ける?  このアトリエはそういうことを考えるのに最適だった。この一街区そのものが新しい都市をつくるように設計されていたからだ。  実際、ここに来てから、思考のプロセスが根本的に変わった。ここに来るまでの朝の日課といえば、とにかく怒りの炎を燃やすことだった。閉じられた小さなワンルームの中で、自分が外側から遮断され、都市の中にいるにもかかわらず隔離状態にあることに怒り、その怒りを炎上させることで思考を開いた。穴蔵から出ようともがくように。息苦しくて、ひとりで部屋の中で暴れたし、壁や床に穴を開けようと試みることもあった。客観的に見るとかなりやばい奴だったに違いない。けれども、こうした循環は一生続くのだと、当時のわたしは信じて疑わなかった。都市はそもそも息苦しい場所なのだと、そう信じていたのだ。だが、ここに来てからは息苦しさを感じることはなくなった。怒りの炎を燃やす朝の日課は、カーテンを開け、その向こうを観察するあの循環へと置き換えられた。では、怒りは消滅したのか?
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 白く光沢のあるアトリエの床タイルに青空が輝いている。ここにはこの街の上半分がリアルタイムで描き出される。床の隅にはプロジェクトごとに振り分けられた資料の箱が積まれていて、剥き出しの灰色の柱に沿って山積みの本と額に入ったいくつかの写真や絵が並んでいる。デスクは東向きの掃き出し窓の傍に置かれていて、ここからテラスの半分と共用廊下、それに斜向かいの部屋の玄関が見える。このアトリエは空中につくられた庭と道に面しているのだった。斜向かいの玄関ドアには透明のガラスが使用されていて、中の様子が透けて見える。靴を履く住人の姿がガラス越しに浮かんでいる。視線をアトリエ内に戻そう。このアトリエは専用の玄関を有していた。玄関ドアは斜向かいの部屋のそれと異なり、全面が白く塗装された鉄扉だった。玄関の脇にある木製のドアを開けると、そこは既に徒歩三秒の自宅だ。まずキッチンがあって、奥にリビング・ダイニングがあり、その先に自宅用の玄関ドアがあった。だから、このアトリエは自宅と繋がってもいるが、独立してもいた。  午後になると仕事仲間や友人がこのアトリエを訪ねてくることがある。アトリエの玄関から入ってもらってもいいし、共用廊下からテラス経由でアトリエに招き入れてもよい。いずれにせよ、共用廊下からすぐに仕事場に入ることができるので効率的だ。打ち合わせをする場合にはテーブルと椅子をセッティングする。ここでの打ち合わせはいつも妙に捗った。自宅と都市の両方に隣接し、同時に独立してもいるこのアトリエの雰囲気は、最小のものと最大のものとを同時に掴み取るための刺激に満ちている。いくつかの重要なアイデアがここで産み落とされた。議論が白熱し、日が暮れると、徒歩三秒の自宅で妻が用意してくれた料理を囲んだり、東雲の鉄鋼団地に出かけて闇の中にぼうっと浮かぶ屋台で打ち上げを敢行したりした。  こうしてあの循環は完成したかに見えた。わたしはこうして都市への怒りを反転させ都市とともに歩み始めた、と結論づけられそうだった。お前はついに穴蔵から出たのだ、と。本当にそうだろうか?  都市の穴蔵とはそんなに浅いものだったのか?
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 いやぁ、  未来都市ですね、
 ある編集者がこのアトリエでそう言ったことを思い出す。それは決して消えない残響のようにアトリエの中にこだまする。ある濃密な打ち合わせが一段落したあと、おそらくはほとんど無意識に発された言葉だった。  未来都市?  だってこんなの、見たことないですよ。  ああ、そうかもね、とわたしが返して、その会話は流れた。だが、わたしはどこか引っかかっていた。若く鋭い編集者が発した言葉だったから、余計に。未来都市?  ここは現在なのに?  ちょうどそのころ、続けて示唆的な出来事があった。地上に降り、一三号棟の脇の通路を歩いていたときのことだ。団地内の案内図を兼ねたスツールの上に、ピーテル・ブリューゲルの画集が広げられていたのだった。なぜブリューゲルとわかったかといえば、開かれていたページが「バベルの塔」だったからだ。ウィーンの美術史美術館所蔵のものではなく、ロッテルダムのボイマンス・ヴァン・ベーニンゲン美術館所蔵の作品で、天に昇る茶褐色の塔がアクリル製のスツールの上で異様なオーラを放っていた。その画集はしばらくそこにあって、ある日ふいになくなったかと思うと、数日後にまた同じように置かれていた。まるで「もっとよく見ろ」と言わんばかりに。
 おい、お前。このあいだは軽くスルーしただろう。もっとよく見ろ。
 わたしは近寄ってその絵を見た。新しい地面を積み重ねるようにして伸びていく塔。その上には無数の人々の蠢きがあった。塔の建設に従事する労働者たちだった。既に雲の高さに届いた塔はさらに先へと工事が進んでいて、先端部分は焼きたての新しい煉瓦で真っ赤に染まっている。未来都市だな、これは、と思う。それは天地が創造され、原初の人類が文明を築きつつある時代のことだった。その地では人々はひとつの民で、同じ言葉を話していた。だが、人々が天に届くほどの塔をつくろうとしていたそのとき、神は全地の言葉を乱し、人を全地に散らされたのだった。ただし、塔は破壊されたわけではなかった。少なくとも『創世記』にはそのような記述はない。だから、バベルの塔は今なお未来都市であり続けている。決して完成することがないから未来都市なのだ。世界は変わったが、バベルは永遠の未来都市として存在し続ける。
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 ようやく��づいたか。  ああ。  それで?  おれは永遠の未来都市をさまよう亡霊だと?  どうかな、  本当は都市なんか存在しないのか?  どうかな、  すべては幻想だった?  そうだな、  どっちなんだ。  まあ結論を急ぐなよ。  おれはさっさと結論を出して原稿を書かなきゃならないんだよ。  知ってる、だから急ぐなと言ったんだ。  あんたは誰なんだ。  まあ息抜きに歩いてこいよ。  息抜き?  いつもやっているだろう。あの循環だよ。  ああ、わかった……。いや、ちょっと待ってくれ。先に腹ごしらえだ。
 もう昼を過ぎて久しいんだな、と鉄格子越しの風景を一瞥して気づく。陽光は人工地盤上の芝生と一本木を通過して一三号棟の廊下を照らし始めていた。タワーマンションをかすめて赤色のヘリコプターが東へと飛んでいき、青空に白線を引きながら飛行機が西へと進む。もちろん、時間を忘れて書くのは悪いことではない。だが、無理をしすぎるとあとになって深刻な不調に見舞われることになる。だから徒歩三秒の自宅に移動しよう。  キッチンの明かりをつける。ここには陽光が入ってこない。窓側に風呂場とトイレがあるからだ。キッチンの背後に洗面所へと続くドアがある。それを開けると陽光が降り注ぐ。風呂場に入った光が透明なドアを通過して洗面所へと至るのだった。洗面台で手を洗い、鏡に目を向けると、風呂場と窓のサッシと鉄格子と団地とスカイツリーが万華鏡のように複雑な模様を見せる。手を拭いたら、キッチンに戻って冷蔵庫を開け、中を眺める。食材は豊富だった。そのうちの九五パーセントはここから徒歩五分のイオンで仕入れた。で、遅めの昼食はどうする?  豚バラとキャベツで回鍋肉にしてもいいが、飯を炊くのに時間がかかる。そうだな……、カルボナーラでいこう。鍋に湯を沸かして塩を入れ、パスタを茹でる。ベーコンと玉葱、にんにくを刻んでオリーブオイルで炒める。それをボウルに入れ、パルメザンチーズと生卵も加え、茹で上がったパスタを投入する。オリーブオイルとたっぷりの黒胡椒とともにすべてを混ぜ合わせれば、カルボナーラは完成する。もっとも手順の少ない料理のひとつだった。文字の世界に没頭しているときは簡単な料理のほうがいい。逆に、どうにも集中できない日は、複雑な料理に取り組んで思考回路を開くとよい。まあ、何をやっても駄目な日もあるのだが。  リビング・ダイニングの窓際に置かれたテーブルでカルボナーラを食べながら、散歩の計画を練る。籠もって原稿を書く日はできるだけ歩く時間を取るようにしていた。あまり動かないと頭も指先も鈍るからだ。走ってもいいのだが、そこそこ気合いを入れなければならないし、何よりも風景がよく見えない。だから、平均して一時間、長いときで二時間程度の散歩をするのが午後の日課になっていた。たとえば、辰巳運河沿いを南下しながら���都高の高架と森と物流倉庫群を眺めてもいいし、辰巳運河を越えて辰巳団地の中を通り、辰巳の森海浜公園まで行ってもよい。あるいは有明から東雲運河を越えて豊洲市場あたりに出てもいいし、そこからさらに晴海運河を越えて晴海第一公園まで足を伸ばし、日本住宅公団が手がけた最初の高層アパートの跡地に巡礼する手もある。だが、わたしにとってもっとも重要なのは、この東雲キャナルコートCODAN一街区をめぐるルートだった。つまり、空中に張りめぐらされた道を歩いて、東京湾岸のタブラ・ラサに立ち上がった新都市を内側から体感するのだ。  と、このように書くと、何か劇的な旅が想像されるかもしれない。アトリエや事務所、さらにはギャラリーのようなものが住棟内に点在していて、まさに都市を立体化したような人々の躍動が見られると思うかもしれない。生活と仕事が混在した活動が積み重なり、文化と言えるようなものすら発生しつつあるかもしれないと、期待を抱くかもしれない。少なくともわたしはそうだった。実際にここに来るまでは。さて、靴を履いてアトリエの玄関ドアを開けよう。
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 それは二つの世界をめぐる旅だ。一方にここに埋め込まれたはずの思想があり、他方には生成する現実があった。二つの世界は常に並行して存在する。だが、実際に見えているのは現実のほうだけだし、歴史は二つの世界の存在を許さない。とはいえ、わたしが最初に遭遇したのは見えない世界のほうだった。その世界では、実際に都市がひとつの建築として立ち上がっていた。ただ家が集積されただけでなく、その中に住みながら働いたり、ショールームやギャラリーを開設したりすることができて、さまざまな形で人と人とが接続されていた。全体の半数近くを占める透明な玄関ドアの向こうに談笑する人の姿が見え、共用廊下に向かって開かれたテラスで人々は語り合っていた。テラスに向かって設けられた大きな掃き出し窓には、子どもたちが遊ぶ姿や、趣味のコレクション、打ち合わせをする人と人、アトリエと作品群などが浮かんでいた。それはもはや集合住宅ではなかった。都市で発生する多様で複雑な活動をそのまま受け入れる文化保全地区だった。ゾーニングによって分断された都市の攪拌装置であり、過剰な接続の果てに衰退期を迎えた人類の新・進化論でもあった。  なあ、そうだろう?  応答はない。静かな空中の散歩道だけがある。わたしのアトリエに隣接するテラスとお隣さんのテラスを通り過ぎると、やや薄暗い内廊下のゾーンに入る。日が暮れるまでは照明が半分しか点灯しないので光がいくらか不足するのだった。透明な玄関ドアがあり、その傍の壁に廣村正彰によってデザインされたボーダー柄と部屋番号の表示がある。ボーダー柄は階ごとに色が異なっていて、この一三階は緑だった。少し歩くと右側にエレベーターホールが現れる。外との境界線上にはめ込まれたパンチングメタルから風が吹き込んできて、ぴゅうぴゅうと騒ぐ。普段はここでエレベーターに乗り込むのだが、今日は通り過ぎよう。廊下の両側に玄関と緑色のボーダー柄が点々と続いている。左右に四つの透明な玄関ドアが連なったあと、二つの白く塗装された鉄扉がある。透明な玄関ドアの向こうは見えない。カーテンやブラインドや黒いフィルムによって塞がれているからだ。でも陰鬱な気分になる必要はない。間もなく左右に光が満ちてくる。  コモンテラスと名づけられた空洞のひとつに出た。二階分の大穴が南側と北側に空いていて、共用廊下とテラスとを仕切るフェンスはなく、住民に開放されていた。コモンテラスは住棟内にいくつか存在するが、ここはその中でも最大だ。一四階の高さが通常の一・五倍ほどあるので、一三階と合わせて計二・五階分の空洞になっているのだ。それはさながら、天空の劇場だった。南側には巨大な長方形によって縁取られた東京湾の風景がある。左右と真ん中に計三棟のタワーマンションが陣取り、そのあいだで辰巳運河の水が東京湾に注ぎ、東京ゲートブリッジの橋脚と出会って、「海の森」と名づけられた人工島の縁でしぶきを上げる様が見える。天気のいい日には対岸に広がる千葉の工業地帯とその先の山々まで望むことができた。海から来た風がこのコモンテラスを通過し、東京の内側へと抜けていく。北側にその風景が広がる。視界の半分は集合住宅で、残りの半分は青空だった。タワーマンションの陰に隠れて東京スカイツリーは確認できないが、豊洲のビル群が団地の上から頭を覗かせている。眼下にはこの団地を南北に貫くS字アベニューが伸び、一街区と二街区の人工地盤を繋ぐブリッジが横切っていて、長谷川浩己率いるオンサイト計画設計事務所によるランドスケープ・デザインの骨格が見て取れる。  さあ、公演が始まる。コモンテラスの中心に灰色の巨大な柱が伸びている。一三階の共用廊下の上に一四階の共用廊下が浮かんでいる。ガラス製のパネルには「CODAN  Shinonome」の文字が刻まれている。この空間の両側に、六つの部屋が立体的に配置されている。半分は一三階に属し、残りの半分は一四階に属しているのだった。したがって、壁にあしらわれたボーダー柄は緑から青へと遷移する。その色は、掃き出し窓の向こうに設えられた目隠しと防犯を兼ねた引き戸にも連続している。そう、六つの部屋はこのコモンテラスに向かって大きく開くことができた。少なくとも設計上は。引き戸を全開にすれば、六つの部屋の中身がすべて露わになる。それらの部屋の住人たちは観客なのではない。この劇場で物語を紡ぎ出す主役たちなのだった。両サイドに見える美しい風景もここではただの背景にすぎない。近田玲子によって計画された照明がこの空間そのものを照らすように上向きに取り付けられている。ただし、今はまだ点灯していない。わたしはたったひとりで幕が上がるのを待っている。だが、動きはない。戸は厳重に閉じられるか、採光のために数センチだけ開いているかだ。ひとつだけ開かれている戸があるが、レースカーテンで視界が完全に遮られ、窓際にはいくつかの段ボールと紙袋が無造作に積まれていた。風がこのコモンテラスを素通りしていく。
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 ほら、  幕は上がらないだろう、  お前はわかっていたはずだ、ここでは人と出会うことがないと。横浜のことを思い出してみろ。お前はかつて横浜の湾岸に住んでいた。住宅と事務所と店舗が街の中に混在し、近所の雑居ビルやカフェスペースで毎日のように文化的なイベントが催されていて、お前はよくそういうところにふらっと行っていた。で、いくつかの重要な出会いを経験した。つけ加えるなら、そのあたりは山本理顕設計工場の所在地でもあった。だから、東雲に移るとき、お前はそういうものが垂直に立ち上がる様を思い描いていただろう。だが、どうだ?  あのアトリエと自宅は東京の空中にぽつんと浮かんでいるのではないか?  それも悪くない、とお前は言うかもしれない。物書きには都市の孤独な拠点が必要だったのだ、と。多くの人に会って濃密な取材をこなしたあと、ふと自分自身に戻ることができるアトリエを欲していたのだ、と。所詮自分は穴蔵の住人だし、たまに訪ねてくる仕事仲間や友人もいなくはない、と。実際、お前はここではマイノリティだった。ここの住民の大半は幼い子どもを連れた核家族だったし、大人たちのほとんどはこの住棟の外に職場があった。もちろん、二階のウッドデッキ沿いを中心にいくつかの仕事場は存在した。不動産屋、建築家や写真家のアトリエ、ネットショップのオフィス、アメリカのコンサルティング会社の連絡事務所、いくつかの謎の会社、秘かに行われている英会話教室や料理教室、かつては違法民泊らしきものもあった。だが、それもかすかな蠢きにすぎなかった。ほとんどの住民の仕事はどこか別の場所で行われていて、この一街区には活動が積み重ねられず、したがって文化は育たなかったのだ。周囲の住人は頻繁に入れ替わって、コミュニケーションも生まれなかった。お前のアトリエと自宅のまわりにある五軒のうち四軒の住人が、この四年間で入れ替わったのだった。隣人が去ったことにしばらく気づかないことすらあった。何週間か経って新しい住人が入り、透明な玄関ドアが黒い布で塞がれ、テラスに向いた戸が閉じられていくのを、お前は満足して見ていたか?  胸を抉られるような気持ちだったはずだ。  そうした状況にもかかわらず、お前はこの一街区を愛した。家というものにこれほどの帰属意識を持ったことはこれまでになかったはずだ。遠くの街から戻り、暗闇に浮かぶ格子状の光を見たとき、心底ほっとしたし、帰ってきたんだな、と感じただろう。なぜお前はこの一街区を愛したのか?  もちろん、第一には妻との生活が充実したものだったことが挙げられる。そもそも、ここに住むことを提案したのは妻のほうだった。四年前の春だ。「家で仕事をするんだったらここがいいんじゃない?」とお前の妻はあの奇妙な間取りが載った図面を示した。だから、お前が恵まれた環境にいたことは指摘されなければならない。だが、第二に挙げるべきはお前の本性だ。つまり、お前は現実のみに生きているのではない。お前の頭の中には常に想像の世界がある。そのレイヤーを現実に重ねることでようやく生きている。だから、お前はあのアトリエから見える現実に落胆しながら、この都市のような構造体の可能性を想像し続けた。簡単に言えば、この一街区はお前の想像力を搔き立てたのだ。  では、お前は想像の世界に満足したか?  そうではなかった。想像すればするほどに現実との溝は大きく深くなっていった。しばらく想像の世界にいたお前は、どこまでが現実だったのか見失いつつあるだろう。それはとても危険なことだ。だから確認しよう。お前が住む東雲キャナルコートCODAN一街区には四二〇戸の住宅があるが、それはかつて日本住宅公団であり、住宅・都市整備公団であり、都市基盤整備公団であって、今の独立行政法人都市再生機構、つまりURが供給してきた一五〇万戸以上の住宅の中でも特異なものだった。お前が言うようにそれは都市を構築することが目指された。ところが、そこには公団の亡霊としか言い表しようのない矛盾が内包されていた。たとえば、当時の都市基盤整備公団は四二〇戸のうちの三七八戸を一般の住宅にしようとした。だが、設計者の山本理顕は表面上はそれに応じながら、実際には大半の住戸にアトリエや事務所やギャラリーを実装できる仕掛けを忍ばせたのだ。玄関や壁は透明で、仕事場にできる開放的なスペースが用意された。間取りはありとあらゆる活動を受け入れるべく多種多様で、メゾネットやアネックスつきの部屋も存在した。で、実際にそれは東雲の地に建った。それは現実のものとなったのだった。だが、実はここで世界が分岐した。公団およびのちのURは、例の三七八戸を結局、一般の住宅として貸し出した。したがって大半の住戸では、アトリエはまだしも、事務所やギャラリーは現実的に不可だった。ほかに「在宅ワーク型住宅」と呼ばれる部屋が三二戸あるが、不特定多数が出入りしたり、従業員を雇って行ったりする業務は不可とされたし、そもそも、家で仕事をしない人が普通に借りることもできた。残るは「SOHO住宅」だ。これは確かに事務所やギャラリーとして使うことができる部屋だが、ウッドデッキ沿いの一〇戸にすぎなかった。  結果、この一街区は集合住宅へと回帰した。これがお前の立っている現実だ。都市として運営されていないのだから、都市にならないのは当然の帰結だ。もちろん、ゲリラ的に別の使い方をすることは可能だろう。ここにはそういう人間たちも確かにいる。お前も含めて。だが、お前はもうすぐここから去るのだろう?  こうしてまたひとり、都市を望む者が消えていく。二つの世界はさらに乖離する。まあ、ここではよくあることだ。ブリューゲルの「バベルの塔」、あの絵の中にお前の姿を認めることはできなくなる。  とはいえ、心配は無用だ。誰もそのことに気づかないから。おれだけがそれを知っている。おれは別の場所からそれを見ている。ここでは、永遠の未来都市は循環を脱して都市へと移行した。いずれにせよ、お前が立つ現実とは別世界の話だがな。
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 実際、人には出会わなかった。一四階から二階へ、階段を使ってすべてのフロアを歩いたが、誰とも顔を合わせることはなかった。その間、ずっとあの声が頭の中に響いていた。うるさいな、せっかくひとりで静かに散歩しているのに、と文句を言おうかとも考えたが、やめた。あの声の正体はわからない。どのようにして聞こえているのかもはっきりしない。ただ、ふと何かを諦めようとしたとき、周波数が突然合うような感じで、周囲の雑音が消え、かわりにあの声が聞こえてくる。こちらが応答すれば会話ができるが、黙っていると勝手に喋って、勝手に切り上げてしまう。あまり考えたくなかったことを矢継ぎ早に投げかけてくるので、面倒なときもあるが、重要なヒントをくれもするのだ。  あの声が聞こえていることを除くと、いつもの散歩道だった。まず一三階のコモンテラスの脇にある階段で一四階に上り、一一号棟の共用廊下を東から西へ一直線に歩き、右折して一〇メートルほどの渡り廊下を辿り、一二号棟に到達する。南から北へ一二号棟を踏破すると、エレベーターホールの脇にある階段で一三階に下り、あらためて一三階の共用廊下を歩く。以下同様に、二階まで辿っていく。その間、各階の壁にあしらわれたボーダー柄は青、緑、黄緑、黄、橙、赤、紫、青、緑、黄緑、黄、橙、赤と遷移する。二階に到達したら、人工地盤上のウッドデッキをめぐりながら島のように浮かぶ一三号棟へと移動する。その際、人工地盤に空いた長方形の穴から、地上レベルの駐車場や学童クラブ、子ども写真館の様子が目に入る。一三号棟は一〇階建てで共用廊下も短いので踏破するのにそれほど時間はかからない。二階には集会所があり、住宅は三階から始まる。橙、黄、黄緑、緑、青、紫、赤、橙。  この旅では風景がさまざまに変化する。フロアごとにあしらわれた色については既に述べた。ほかにも、二〇〇もの透明な玄関ドアが住人の個性を露わにする。たとえば、入ってすぐのところに大きなテーブルが置かれた部屋。子どもがつくったと思しき切り絵と人気ユーチューバーのステッカーが浮かぶ部屋。玄関に置かれた飾り棚に仏像や陶器が並べられた部屋。家の一部が透けて見える。とはいえ、透明な玄関ドアの四割近くは完全に閉じられている。ただし、そのやり方にも個性は現れる。たとえば、白い紙で雑に塞がれた玄関ドア。一面が英字新聞で覆われた玄関ドア。鏡面シートが一分の隙もなく貼りつけられた玄関ドア。そうした玄関ドアが共用廊下の両側に現れては消えていく。ときどき、外に向かって開かれた空洞に出会う。この一街区には東西南北に合わせて三六の空洞がある。そのうち、��接する住戸が占有する空洞はプライベートテラスと呼ばれる。わたしのアトリエに面したテラスがそれだ。部屋からテラスに向かって戸を開くことができるが、ほとんどの戸は閉じられたうえ、テラスは物置になっている。たとえば、山のような箱。不要になった椅子やテーブル。何かを覆う青いビニールシート。その先に広がるこの団地の風景はどこか殺伐としている。一方、共用廊下の両側に広がる空洞、つまりコモンテラスには物が置かれることはないが、テラスに面したほとんどの戸はやはり、閉じられている。ただし、閉じられたボーダー柄の戸とガラスとの間に、その部屋の個性を示すものが置かれることがある。たとえば、黄緑色のボーダー柄を背景としたいくつかの油絵。黄色のボーダー柄の海を漂う古代の船の模型。橙色のボーダー柄と調和する黄色いサーフボードと高波を警告する看板のレプリカ。何かが始まりそうな予感はある。今にも幕が上がりそうな。だが、コモンテラスはいつも無言だった。ある柱の側面にこう書かれている。「コモンテラスで騒ぐこと禁止」と。なるほど、無言でいなければならないわけか。都市として運営されていない、とあの声は言った。  長いあいだ、わたしはこの一街区をさまよっていた。街区の外には出なかった。そろそろアトリエに戻らないとな、と思いながら歩き続けた。その距離と時間は日課の域をとうに超えていて、あの循環を逸脱しつつあった。アトリエに戻ったら、わたしはこのことについて書くだろう。今や、すべての風景は書き留められる。見過ごされてきたものの言語化が行われる。そうしたものが、気の遠くなるほど長いあいだ、連綿と積み重ねられなければ、文化は発生しない。ほら、見えるだろう?  一一号棟と一二号棟とを繋ぐ渡り廊下の上から、東京都心の風景が確認できる。東雲運河の向こうに豊洲市場とレインボーブリッジがあり、遥か遠くに真っ赤に染まった富士山があって、そのあいだの土地に超高層ビルがびっしりと生えている。都市は、瀕死だった。炎は上がっていないが、息も絶え絶えだった。密集すればするほど人々は分断されるのだ。
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 まあいい。そろそろ帰ろう。陽光は地平線の彼方へと姿を消し、かわりに闇が、濃紺から黒へと変化を遂げながらこの街に降りた。もうじき妻が都心の職場から戻るだろう。今日は有楽町のもつ鍋屋で持ち帰りのセットを買ってきてくれるはずだ。有楽町線の有楽町駅から辰巳駅まで地下鉄で移動し、辰巳桜橋を渡ってここまでたどり着く。それまでに締めに投入する飯を炊いておきたい。  わたしは一二号棟一二階のコモンテラスにいる。ここから右斜め先に一一号棟の北側の面が見える。コンクリートで縁取られた四角形が規則正しく並び、ところどころに色とりどりの空洞が光を放っている。緑と青に光る空洞がわたしのアトリエの左隣にあり、黄と黄緑に光る空洞がわたしの自宅のリビング・ダイニングおよびベッドルームの真下にある。家々の窓がひとつ、ひとつと、琥珀色に輝き始めた。そのときだ。わたしのアトリエの明かりが点灯した。妻ではなかった。まだ妻が戻る時間ではないし、そもそも妻は自宅用の玄関ドアから戻る。闇の中に、机とそこに座る人の姿が浮かんでいる。鉄格子とガラス越しだからはっきりしないが、たぶん……男だ。男は机に向かって何かを書いているらしい。テラスから身を乗り出してそれを見る。それは、わたしだった。いつものアトリエで文章を書くわたしだ。だが、何かが違っている。男の手元にはMacがなかった。机の上にあるのは原稿用紙だった。男はそこに万年筆で文字を書き入れ、原稿の束が次々と積み上げられていく。それでわたしは悟った。
 あんたは、もうひとつの世界にいるんだな。  どうかな、  で、さまざまに見逃されてきたものを書き連ねてきたんだろう?  そうだな。
 もうひとりのわたしは立ち上がって、掃き出し窓の近くに寄り、コモンテラスの縁にいるこのわたしに向かって右手を振ってみせた。こっちへ来いよ、と言っているのか、もう行けよ、と言っているのか、どちらとも取れるような、妙に間の抜けた仕草で。
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onibuscoffee · 5 years
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\ロースター対談/COFFEE COUNTY ×ONIBUS vol.1
福岡にあるスペシャルティコーヒーのロースター・カフェ「COFFEE COUNTY」をご存知ですか? 毎年春にONIBUS COFFEEは、COFFEE COUNTY代表の森崇顕さんと伴に中米・ホンジュラスの農園へコーヒー豆の買い付けに行っています。今回農園へ旅立つ直前に八雲店に来店された森さん。ロースターのお2人にお話を伺いました。
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COFFEE COUNTY森さん(左)とONIBUS COFFEE・QCマネージャー安武修平さん(右)。
ーー森さんが自家焙煎のコーヒー店を始められた経緯とは?
(森)もともと、コーヒーや食品を卸す企業に勤めていました。そこの工場で焙煎をしていて。その企業の中で、スペシャルティコーヒーのお店の立ち上げを担当したんです。7、8年前かな。でもなかなか企業の中で思うようにはできないことがわかって。コーヒー豆の産地に行って勉強をしたかったので、会社を辞めて。ニカラグアの農園に3ヶ月滞在しました。収穫時期が終わった頃の5月から8月にかけてです。コーヒーも他の農作物同様の畑仕事なので、草刈り、苗植え、肥料を撒くなど農家に住み込みで手伝いました。帰国した同じ年(2013年)に、福岡の久留米市に焙煎所・COFFEE COUNTYを立ち上げました。今でも毎年ニカラグアやホンジュラスへ渡っています。
ロースターとしての共感
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5月に開催された、ジャパンエアロプレスチャンピオンシップが主催するローストコンペティション。ONIBUS COFFEEが第2位、COFFEE COUNTYが第3位の成績を収めました。
ーー今回のコンペを振り返っていかがですか?
(安武)コンペでは、ブラインドカッピングで点数をつけるんですけど。「あれ、これなんだろう」って、6番(森さんが焙煎した豆)を飲んで思いました。ものすごくボリュームがあって甘くて、アフターが長かった。これおいしいなと思って点数をつけたら、森さんでした(笑)。
(森)修平くんと、0.5点差だったよね。
(安武)誰かの一目盛り(笑)。同じ豆なので基本的な味わいは一緒ですけど、焙煎の仕方が違うので並べて比較すると多少の差は出てきますね。
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ーーグアテマラの豆が指定されたそうですが、焙煎はどのように?
(安武)焼く前に検証しましたか?
(森)サンプルロースターで2バッチ焼いて。あとは本釜で一発で。
(安武)大会から支給される5kgの豆を、僕らは2回に分けて。水分値も計測して自分のところで使っているグアテマラで試してからそのプロファイルでやりました。少し過熟気味なフレーバーがあって、それをネガティブに感じてあまり出したくないな、と思ったのでロースト中盤のアプローチを少し変えました。
(森)僕は、ホンジュラスのビエハ農園の豆を店で使っていたからそれは細かく見ていた。ホンジュラスとグアテマラは、隣の国で、もちろん同じではないけど近いからそれをアレンジして。ローストレベルはほぼ一緒だけど後半の火力を落として、時間は同じくらいで近いプロファイル(ローストカーブ)になるよう調整した。
ーー微妙な調整があるんですね。
(安武)ロースターは常にいろいろな方法を試していると思うので、それぞれ自分のやり方のプロファイルがあるはずです。
(森)僕は、コンペではONIBUSが一番よかった。いい意味で、真ん中にいてバランスがよかった。“ディードリッヒだな”って。
(安武)ディードリッヒ(中目黒店で使用している焙煎機)は、味わいとしてクリーンカップを作りやすいんです。
(森)癖がない。ニュートラルで、教科書のようなコーヒーがつくれます。
焙煎のおもしろさ
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ーー森さんが使われている焙煎機は何ですか?
(森)古い年代のプロバットです。ディードリッヒよりは若干癖が出ます。
(安武)プロバットはボリュームが出ますね。うちはクリーンを意識していますが、意識しすぎるとフラットで面白くないものになってしまいます。森さんは何を一番意識していますか?
(森)うーん、全部かな……。
(安武)この前、ホンジュラスの豆を交換したじゃないですか? 去年までやっていたプロセス(アプローチ)と違うのはなぜですか?
(森)チャレンジしましたね。今年は、ビエハは攻めた。去年よりもローストは浅いし、ローストのピークを狭いところにもっていって。素材がよくなったから“いけるんじゃない?”みたいな。
(安武)それがすごいと思いました。
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ーー焙煎のおもしろさとは?
(安武)僕はバリスタよりもロースターが好きなんです。素材との距離感が近いのでより作り手としての意識ができるので。焙煎された豆は経過によって味わいが変化します。それらを検証して、必要に応じて変えてみて。
(森)「あれ、なんで?」っていうことを、「ここをこうすればよかったのか」と検証していって。「最初焼いたときはこっちの方がよかったけど3日後はこっちがよくて……では、商品としてそれはどうなんだ?」みたいなことと常に向き合って。日々やっている中でのちょっとした発見、その積み重ねなんです。それがおもしろいですね。
(安武)データをとって焙煎しても、その日に結果が出ない。それが3日後に飲んだときに思った通りの味になっていたら、すごく気持ちいいですよね。素材と近い距離で常に向き合っているのが、ロースター。いいものをつくるためには何をどう改善したらいいか? いろんな要素を考えるのがたのしいですね。
(森)お客さんと向き合うのがバリスタで産地側と向き合うのがロースターだと思います。僕は、前に出るより、後ろの川上を辿っていく方がおもしろいというか、興味が湧く。コーヒーは毎年、いろんな条件で変わったりするし、気候もそうだし保管状況にもよる。まさに研究対象です。分析できることがコーヒーのおもしろさですね。
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八雲店で新たに導入したドイツの焙煎機・PROBATは森さんも使用。
ホンジュラスの農園へ
ーー今回買い付けに行くホンジュラスのコーヒー豆の特徴は?
(安武)ホンジュラスのサンタバルバラの地域で生産されるコーヒー豆は、ジューシーでフルーティなものも多いですね。……パカスですかね?
(森)色々品種もあるけど、パカスやカトゥアイはサンタバルバラらしい味わいで好きです。去年も半数以上がパカスでしたね。サンタバルバラは本当に世界的にみてもいい土地。だからCOE(カップ・オブ・エクセレンス)があって、ホンジュラスのいろんな地域からサンプルが集められるわけですけど。だいたい半分から半分強くらいはサンタバルバラです。いいコーヒー豆ができる土地です。
ーー優秀な地域なんですね。
(安武)お米で言ったら東北みたいなものです。エクスポーター自体がそのエリアにあって、取引している農園はサンタバルバラ地区を中心に200箇所くらいあります。
(森)以前は、サンタバルバラだけじゃなくてもっと西のグアテマラ寄りの産地にも行っていました。今は、僕らはサンタバルバラを中心に、周辺の豆を買い付けていますね。
ーーたくさんの農園から絞り込むのも大変ですね。どのように選ぶのですか?
(森)生産者と僕らバイヤーをつなぐ場所があって、いわゆる農協のようなイメージなんですが。そこへ生産者が自分の農園の豆を持ってくるわけです。そこにサンタバルバラのいいコーヒー豆が集まってきます。ブラインドでカッピングし、品質が良かったらその農家さんに連れて行ってもらって農園を見る、そういう流れですね。基本的に毎日カッピングします。期間中、4、5セッションして、最終的に買う豆を決めますね。
(安武)毎年買い続けている生産者のコーヒー豆を中心に、数十種類のサンプルを出してもらってカッピングします。信頼している農家さんがいるので、そのコーヒー豆のクオリティはいつも一番に気にしています。もちろん他にもいいものがあればいくつかは買うかもしれません。それは実際に現地に行ってみないとわからないですね。僕はコーヒーに関わらず本当に自分がおいしいと思うものやいいものとの出会うと、「またすぐ行きたい」「絶対欲しい」と思ってしまう性格なので、僕らの買い付けたコーヒーを手にとってくれた方が「また飲みたい」と思ってもらえるようなコーヒーと出会えるといいですね。
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ホンジュラスの大地で育ったコーヒーチェリー/撮影:安武修平
ロースターお2人のコーヒーへのストイックな情熱を感じました。求めるコーヒーの方向性が近いということで、なるほど話が尽きない様子。遠く現地の農園まで足を運んで確かめ、焙煎をとことん追求するからこそ、クオリティの高いコーヒーが飲めるのだなとしみじみ。今回ホンジュラスで買い付けたコーヒー豆の入荷はもう少し先の予定ですが、おいしい味わいを想像しながらたのしみに待ちたいと思います! 森さんの営む福岡の「COFFEE COUNTY」もぜひ訪れてみてはいかがでしょう?
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森 崇顕(もり たかあき) COFFEE COUNTY オーナー兼ヘッドロースター 2013年にCOFFEE COUNTYをオープン。これに先駆け中米の産地に約3ヶ月滞在、ニカラグアを中心に滞在しコーヒー作りを学ぶ。以降、毎年中米産地や他国へ買い付け訪問。2016年9月福岡店をオープン、今年8月にはベーカリー、pain stock とのコラボショップをオープン予定。 http://coffeecounty.cc/ Roastery 福岡県久留米市通町102-8 11:00 - 19:00 Closed on Tue. Coffee Bar & Shop 福岡県福岡市中央区高砂1-21-21 11:00 - 19:30 Closed on Wed. 聞き手・文・写真 林真世
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judachigeiju · 6 years
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口語俳句同人句集
浦賀広巳編『口語俳句同人句集』口語俳句会1963
芦田みさ子「紅絹」より 待合せれば恋人のようにさわやかに時計が鳴る 夕雲に吹くトランペット少年青年となるころ 涼しい水に洗うエジプトのお米よ
市川一男「透明なうろこ」より 春の三日月くらく人の死ねがつたこともある 子をうむ犬に春のまひるのむごい明るさ 海埋めたてられはじめからそうであつたように雲 世界中の時計に時をきざませ世の終りを待つているもの
伊藤後槻「十三夜塔」より 先客の女と俺に餃子両手で出す 一羽になつてつかまらない白い鶏だ月がでて
浦賀広巳「黄色い封筒」より 雪ふれば妻の名前すらすらと言える 黒い旅カバンここから単線となる町 ビール一気に飲む雲かたよつてゆく枯野 蛇つかまえ少年風船の重さでくる
大竹竜「見事な菊」より 柿むいて血のつながりに負けまいとする あいてにいつこうおかまいなくえんだんからつきのうらがわのはなし
小久保久雄「自分の名刺」より 混んだ男湯におんなの子のかなしい立て膝である 片手はおとこのそれをまさぐり運転手にあごで道をおしえる
佐藤東郊「竹の花」より がけ下めぐる水を拒否して竹の花ぴらぴら 前世の因ねんと思い知らされて月光のひまわり 月へロケットいちじくの葉もふきあげられ
高橋木槿「長い眉毛」より うそばかりつくこの男の涙がなんときれいな うらおもてみがかれたガラスのような透明なさびしさだ
田中君子「私のページ」より れんげのおし花が古い私のページから落ちる 大みそか夜の電車にだまつて座る
高田声三「かゆいところ」より 町かどに消えた��なたを風に追わせる こんなに家がたつてしまつて川魚料理 かゆいところをかいてじぶんにはすなお
富澤正一「葉ざくらの頃」より つばくろよ思い出だけで家がない 明日から職場がないひぐらしひとすじ やけ酒ものめない男で首の汗ぬぐつている
西村秀治「四季好日」より ニュース映画総理と見て画面にもいる総理 建物のてつぺんにくればくるで春の空遠くなる 山脈から暮れて菜の花畑に子供がひとり
早川八重子「ぶどうの花」より 私にだけわかる月日 冷い手に脈とられ 心の十字路に来て信号を無視した女 小さなヒミツを植え南風冷たい盆地 愛憎のかなたに碁石を並べる
早川宝「蹴ればとんでいく石ころ」より みんなのするようにやれば円満な人だという 生活のまずしさせめて時計だけは正確に 知らぬ町を歩くポストはどこでも赤い
藤井以身「足跡」より 雷雨予報 皿からキャベツがこぼれる 獣みんな出てきて月夜の雪に残していつた足あと 月の裏側写そうが昔と変わらぬだるまの顔
藤島範孝「遠い電話」より 雪の下で生きているということが遠い電話につながる ジエツト機とべとべキンタマにぎつてもらい風呂 おきわすれたもののひとつに薄情な耳
まつもと・かずや「黄という色の日本人」より よるに、おんなのくいのこしたさらをあらう ちちはつねに、おおきななみだためている ねこじたの天皇にねこじたの孤児たち、全くちがつたところでひなたぼつこ
松本裕「虫ぞろぞろ」より 親に甘えた記憶がないみごとないわし雲だが さまざまな生き方をすませて裏町灯を消していく
間宮春生「青麦」より 失業のひとりとなつて見ているかもめ サーカスがみたくてしぐれふる日曜 憲法改悪されるか黒ストツキング流行
水谷六子「愛欲の海」より 白もくげ空いつぱいに今日一日のいのち 愛欲の海あたたかく静かに真正面に満月のぼり 残雪消えてしまい夕ぐれの街ひろびろと帰る
森子朗「雲と人間と海と」より 雲を一トン売りそこねた風小僧の風のようなたくらみ ぬきさしならぬ海の広さに頭のゆがみどうなる 巨大資本のゆがみたとえばブラインド越しの西日というやつ
故・市川忠男「ミイラの気持」より サ・シ・ス・セ・ソ青いサ行のリズムにのびる草の葉 お堀星条旗をうつして古事記どおりのせきれい おなら出す注射もあつて病院はみんなのもの
故・市川たまお「みどりの道」より もうすぐ暮れてしまうこの街のなにもかも さくら風のないのに散つて病名うちあけられる
故・島野一進「寒いところ」より つまずけばかげろうのかつさいゆれる うめいて目ざめる月光が額につきささつていた 枯木星いつぱいに吊しねむるなとは神の心か
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冬コミが近づいてきました!
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どうもどうもなかむらです!
慌ただしい年の瀬を皆さんはいかがお過ごしでしょうか? なかむらは白目剥きながら過ごしています。多少泡も吹いていますね!
と、そんななかむらのどうでもいい近況はゴミ箱にでも捨てておいて、早速本題に入りたいと思います(*'ω'*)
あにぷらが冬コミ(C93)に初出展します!
ということで本日はその情報をまとめてみました!
まずは、こちら!!
星屑へリオグラフ STARTER BOOK
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こちらはB5サイズのフルカラー44ページの本になります! 当初は36ページを予定していたのですが、みんな張り切り過ぎて文字量がドカンと増えてしまい、ページ数に合わせて文字数を減らすのももったいないなという事で、ページ数を増やしました(笑)。
詳しい情報はここからどんっ!! 今回は、星ヘリの波智のお世話係でもあるおだに編集をお願いしました!
なかむらは何度か冊子を作った事があるので、星ヘリのコンセプトである“はじめて”に挑戦する意味でも冊子を作った事がないおだに編集をお願いしたというわけです。
おだがレイアウトを考え、各お世話係とシナリオ担当に連絡を取ってテキストを回収したり、デザイン担当のスズキと話し合いデザインの方向性を決めて、“はじめて”ながらもとても素敵な一冊に仕上げてくれています。
どんな感じかと言うとこんな感じ!
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おだが考えたレイアウトを勝手に晒してみました!
この画像がぺろっと貼られたテキストが送られてきて、指定された場所のコメントやキャラテキスト、プロットを各お世話係が埋めて、その次はシナリオ担当が埋めていくという感じで作業していました! 同じ空間で作業が出来ないのでLINEで連絡を取りながら進めていたので、遅れたテキストの取り立てももちろんLINEです!取り立てをするおだのLINEスタンプがぶるぶる震えていくので早くやらねばっ!と焦ったものです(笑)。
内容の話に戻りますが、キャラ個別書き下ろしSSは全てゲームが始まる前のお話で、以前プロフィールカードの特設サイトで公開したSSと合わせて読んで頂けるともっと楽しめる内容になっています! 浅生さんとわくわくが頑張ってくれたので、おだの想定の2倍の文字量が来て、ふたりのポテンシャルの高さに驚かされました(笑)。
なかむらもSSのプロットを書いたのですが、完成したSSをチェックしていると「こうきたか~」「こういう発想はなかった!」というものがあるので、毎回新鮮な気持ちで読者気分で楽しんでいます! 自分でシナリオを書くのも好きですが、自分で書くと自分の想像以上のものは出てこないのです!だから、シナリオを書いてもらうのはそこがわくわくしますし、楽しいです( *´艸`) 勝手な印象ですが『星屑へリオグラフ』を楽しみにして下さっている方は、文字を読むのが好きなんじゃないかと思っていて、その印象の元、とにかく今回は読み応えのある一冊を作ろう! というのが目標でした。
なのでこの前、ブログでおだが言っていましたが……
とにかく文字が多い!
デザインを担当したスズキにも言われましたね。ええ、はい。 デザインが完成し、入稿前にチェックをしたのですが、あまりの文字の多さに白目を剥いたくらいです(笑)。
家に帰ってからのチェック作業だったので、お世話係3人で毎晩2時過ぎまでチェックしていましたが、少しずつ完成していく本を見ているとなんだか嬉しくなってきて、本になるのが楽しみだねと言い合いながらチェックしていました。
ただチェックしている時は文字が多いなと思っていた��ですが、いざ完成してみると…… もっといけたんじゃないか? と思ってしまうので不思議ですよね!
愛情だけはたっぷり詰め込んで作りましたので、楽しみにしていてください!
そして、こちらを手にして下さった方には、1冊につき1個ノベルティとしてかぷせるに入ったヒロインの缶バッジ『かぷせる in ヒロイン』をプレゼントします☆
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AGF2017で販売した星屑へリオグラフの缶バッジの『かぷせる in』シリーズに並べて飾って頂くと可愛いかと思います!
次は、スタブルのグッズをご紹介!
まずは、こちら!
starlit blue topia アクリルキーホルダー
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こちらは、全長15cmのビッグサイズのアクリルキーホルダーです!
バンドロゴだけのアイテムがあったら良いなと話していて、今回、思い切って作ってみました。
最初は10cmで作っていたのですが見本を製作して頂き、見てみたところ思ったより小さく感じ、15cmに変更しました!
存在感ばっちりの仕上がりになっていますので、是非、お手にとってみてください(*ノωノ)
次は、こちら!
starlit blue topia winter トレーディング缶バッジ
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今回は『シカになるシカない』シリーズと『かぷせる in』シリーズの10種類になっています!
『シカになるシカない』はスタブルのサポートメンバーのトピアくんがきっかけで、スタブルメンバーがヘラジカになっちゃっています!
『かぷせる in』シリーズは、『星屑へリオグラフ』で作った時にメンバーと「いつかスタブルでもやりたいね」って話していたので、今回、グッズに出来て嬉しいです(*´ω`*)
今回こちらはランダム10個パックでの頒布になり、1パックにつき1枚『シカになるシカない』シリーズのビジュアルを使用したブロマイドをプレゼント!
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こちらランダムでメンバーのサインが入っておりますので、お楽しみに! スタブルグッズの詳しい情報はこちらをどどんがどんっ!
そして、最後は!
フライヤーです!
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こちら二つ折りのフライヤーになっていて、表面は星ヘリの理音とスタブルのAranがプリントされていて、中面にはあにまるぷらねっとのマニフェストをメインに、キャラやアーティストのマニフェスト、あにぷらからのメッセージ等を掲載しています!
どうして表面が理音とAranなのかと言いますと、遠くから見た時にインパクトがある2人を選びました(笑)。
本当は5種類作成したかったのですが、予算的に厳しかったので泣く泣く目立つ2人に宣伝部長をお願いしました!
頼んだよ!宣伝部長ズ!!
と、今回はこんな感じのラインナップでお届けします(*´▽`*) なかむらは、クリスマスイブにスズキと榎野とよろずと冬コミのアッセンブル(梱包作業)に勤しんでいました。 缶バッジを10個パックにしたり、フライヤーを袋に入れたりと、気が遠くなりそうな作業でしたが、なんだか文化祭前って感じで楽しかったです!
準備している時が一番楽しいのですが、本番で気を抜かないようにしないといけませんね(´・ω・`)
ブースの場所は、東ホール・ヌ-60aになります!
よく「企業ブースじゃないんですか?」とお問い合わせを頂くのですが、あにまるぷらねっとは企業ではなくクリエイター集団なので、企業ブースではなく一般ブースでの出展になっております! ですので、あにぷらのスペースは大きくはありません(;^ω^) また、お問い合わせで頂くグッズの在庫数ですが、コミックマーケットには1サークルとスペースにつき搬入量の規定があります。 規定 の範囲内での搬入になりますので、在庫には数に限りがありますので、予めご了承ください。 こちら全部ではありませんが事後販売も検討しております! お手紙や差し入れを贈りたいというありがたいお問い合わせをAGF2017に引き続き頂きました! 今回もお気持ちは嬉しいのですが、贈り物を買うお金で、冬コミで何か好きなものを買って欲しいと思っています(*'ω'*) お手紙はメンバー一同励みになりますので、お近くのスタッフまでお渡しいただけますと咽び泣きながら読ませて頂きます(T-T)!! キャラクターやアーティストへのお手紙も同様にお受けし、AGF2017同様にそれぞれにお渡しさせていただきます('ω')ノ
あと、会計をスムーズに行うためにもお金を細かくして来て頂けると、助かります! ご協力よろしくお願いします<(_ _)>
遊びに来て下さるのをお待ちしています!
さてさて…… ここからはいくつかの項目に分けて、ご紹介させて頂きます(*'ω'*)
■ステラワース様から発売されるグッズのこと
ステラワース様から『星屑へリオグラフ』のグッズが12月24日に発売されています!
ラインナップはこちら!
星屑へリオグラフ アクリルスタンド 星屑へリオグラフ ブラインド缶バッジ
まずはアクリルスタンドからご紹介!
星屑へリオグラフ アクリルスタンド
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全6種/各1500円+税
ヒロインを含む写真部メンバーがアクリルスタンドになっています! こちら最初5人だけだったのですが、ステラワース様の方から「ヒロインちゃんも是非!」と言われ、秒速でお願いしました(笑)。
台座もこだわってくださって、星型になっており、可愛らしくデザインしてくださっています!
しかもAGF2017で1月と7月様が作ってくださったスタブルのアクリルスタンドと並べてもちょうどいいサイズにしたいんですと言ってくださるこだわりよう!
ありがたいおぶありがたいです(´;ω;`)(´;ω;`)
お持ちでしたらスタブルのアクリルスタンドと並べて飾ってみてください。
なかむらも時間を見つけて買いに行きたいです!!! だがしかし。年末忙しくて時間が( ^ω^)・・・
次は缶バッジです!
星屑へリオグラフ ブラインド缶バッジ
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全11種/300円(税込)
なんと缶バッジが丸型だけではなくスクエア型もあるという豪華っぷり!
こちらも最初ヒロインは入っていなかったのですが、ステラワース様からヒロインちゃんを入れたいというご要望を頂き、実現しました!
そしてさらに……!!
1月24日には、榎野マナ描き下ろしのチビキャラを使ったグッズのリリースが決定!
描き下ろしSD缶バッジ
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全6種/300円(税込)
アクリルキーホルダー
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全6種 /800円+税
こちらは榎野がかねてから「瓶詰めのチビが描きたい」と言っていたので、ステラワース様とお話をして、実現させて頂きました!
しかもしかも!
ステラワース様がこだわってくださって、アクリルキーホルダーのカラビナ部分を星型にしてくださったんです!
色校を見た時に感激したものです(´;ω;`)
缶バッジも素敵にデザインしてくださり、今から発売日が楽しみで仕方ありません!
ステラワース様がとても丁寧に作ってくださったグッズです! 店頭で見かけた際には、是非、お迎えして頂けると嬉しいです。
ステラワース様の紹介ページも是非、チェックしてください! こちらからおいでませ!
■2D☆STARのこと
12月25日発売の『2D☆STAR vol.09』にスタブルの撮り下ろしビジュアルとインタビューが掲載されています!
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チラ見せです!
もったいぶってます!
雑誌で見て欲しいのでもったいぶらせてください(´;ω;`)
今回は初めての雑誌インタビューということで、気合いが入ったり、緊張したり、いつも通りだったりと大忙しだったみたいです(笑)。
ポスター付録もつけてくださっているので、よかったらお部屋に飾ってみてくださいね!
実は、starlit blue topiaは、あるるかんさんが見つけてきたインディーズバンドです! 今は、お友だち兼アドバイザー兼プロデューサーとして、あるるかんさんが彼らのやりたい音楽に寄り添い、彼らの夢であり、目標でもあるメジャーデビューを目指していますので、応援して頂けると嬉しいです!
その夢への一歩として、今回彼らは気合いを入れてインタビュー取材を受けたみたいです。 念願でもあった雑誌のインタビュー掲載が叶って良かったと思います!
4000文字近いインタビュー内容になっていますので、是非、チェックしてみてください!
■質問箱のこと
期間限定になりますが質問箱を設置してみました!
質問箱へGO!!
質問箱は匿名で質問を送ることが出来るサービスですので、メールを書く程ではないけど聞いてみたい! といったような時に使ってみてください。
ある程度質問が溜まったら、お答え致します!
本日からちょこちょこお答えしていますのでよかったらあにぷら公式Twitterで確認してみて下さいね(*‘∀‘) ただ、全ての質問にはお答えいたしかねますので、こちらはあらかじめご了承ください!
■Aranの誕生日
12月13日は、スタブルのギター担当のAranの誕生日でした!
二十歳になったAranは、お酒を飲んで酔っぱらっちゃったみたいですね(笑)。
Arataがツイッターでも紹介していましたがこちらもご紹介しておきます。
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少し遅れましたがIsoraの誕生日に引き続き、なかむらもカズアキさんとオレンジのタルトで誕生日をお祝いしました!
Aranの一年が素敵な一年になれば良いなと願ってます。
次は『星屑へリオグラフ』の宇良星真の誕生日ですね!
写真部メンバーもお祝いするみたいなので、こっそりのぞいてみてください。
おしらせがいっぱい溜まっていたので長くなってしまいましたね!
12月は師走というだけあってほんっっっっとに忙しくて、気が付いたらクリスマスを迎えていました。 来年に向けていろいろ準備をしたり、冬コミの準備をしたり、カズアキさんとマイクラ会をしていたら、あっっっっという間に12月が過ぎ去って行こうとしています。
おそろしい。実におそろしい。
ブログも久しぶりになってしまう有様……orz
ブログを書くのは好きなので、来年はブログの頻度をあげたいなと思いつつ、今回はここまでにしておきます!
あと数日で冬コミ当日です! 当日はなるべくトラブルがないように善処してまいりますので、ご協力頂けますと幸いです。
よろしくお願いします!
それでは~
ブログを書いたあにまる⇒なかむらごりら
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takahashicleaning · 4 years
Link
TEDにて
ダン・アリエリー:人はどれだけ平等な世界を求めているのか?―驚きの実態
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
社会システム内で広がりつつある不平等に関するニュース。目にすると不安になるのは、なぜでしょうか?
ダン・アリエリーが、新しい、驚くべき研究結果を紹介し、私たちが良しとする富の分配のあり方とはどういうものか?
それが実際の統計にどう現われるのかを明らかにします。
人生。客観的でいられたら、いろんな意味でいいですよね。ただ、厄介なことに私たちは、何事も自らの色眼鏡を通して見てしまいます。
ビールみたいな単純なものでさえそうです。何種類かビールをテイスティングして「濃さ」や「苦味」で評価をしたとしましょう。
ビールの評価は、きれいにばらけるはずです。これを客観的にしたらどうでしょう?ビールの場合は、とても簡単にできます。
ブラインド・テイスティングです。同じようにして同じビールを味わっても目隠しをしているとちょっと様相が変わってきます。
ほとんどのビールが同じ評価になり、味の区別ができなくなります。もちろん、ギネスは例外です。
生理機能についても同じように考えられます。人間の期待が生体機能にもたらす効果は何でしょう?例えば、鎮痛剤を売るのに「高価な薬」と伝えた場合と「安い薬」と伝えた場合とでは「高価な薬」のほうがよく効きました。
なぜ?痛みがより和らいだかというと期待することで生理的効果に違いが生まれるからです。もちろん、スポーツでも主観が影響します。特定のチームのファンだったら?そのチームの立場でしか、ゲーム展開が見られなくなりますよね。
これらに共通しているのは、私たちが目にする世界は、先入観や期待感で色付けされてしまうということです。これがもっと重い問題。
社会正義に関わる問題だったらどうでしょう?
私のチームが取り上げたのは「不平等」に対する見方。これをブラインド・テイスティング形式で大規模に検証しました。
多くの人の答えはこうです。最下層20%には、全体の富の2.9%。次のグループには6.4%。あわせて9%超です。次のグループには12%。その次は20%。そして、最富裕層20%には58%の富があると考えていました。皆さんの答えと比べてみてください。
さて、現実はどうでしょう?現実は少し違います。最下層20%の持てる富は、全体の0.1%。次の20%は0.2%。あわせて0.3%です。
その次が3.9%。11.3%と来て、最も豊かな層が 84〜85%の富を有します。現実と私たちの認識には、大きな隔たりがあるのです。
豊かな層は少数。最下層その他は多数。選挙のたび民主主義社会では、多数決で決まるからどちらが勝利するかはわかりますね。
民主主義の良い点です。また、市民は、意思を選挙の投票の一票でしか、社会システムに反映できません。
さらに、国家によっても異なりますが、日本の国家システムを簡単に説明はできないが、あえて簡単に説明してみると・・・
世の中は不公平が当たり前?ここから出発しないと自由資本主義が成り立たない?お金は当然、強い法人に資本が集まり、弱い法人は傘下に入るか、合併して対抗するような欲に目のくらんだ弱肉強食な最低の世の中になっていく。
マルクスも資本論で論じています。現代では、「21世紀の資本論」を書いてるピケティかな?
マイケル・サンデル:なぜ、株式市場に市民生活を託すべきではないのか?
すると、ほんとうの弱いお店、市民生活にまで弱肉強食となり、世の中がおかしくなるので、行政府をつくり法律をつくり税金でとり、セーフティーネット。みんなに再分配する。
人間の限界を超えるような大規模な共同作業を行うために、マクロ経済学に沿った地道な毎年の世界経済の成長のため、ある程度は法人として貨幣の集中を行う方がいいのかもしれません。しかし、独占禁止法を軽視しているわけではありません。
法律は行政府、政治家が創るので、弱いものはされるがままなのか?というとそうでもなくて、選挙の一票がその分強い権利をもつようになる。これは誰もが平等に持てる権利。
日本国憲法で保障されている国民主権。インターネットのようにみんなの票が集まるとみんなのチカラが弱者に結集します。ジャンジャックルソー、カント、自由民主主義です。
ほんとうの弱いお店に役に立つ法律を作ってくれる一大政党をみんなの一票でクリエイティブにクリエイトしてかないと日本はヤバいな〜親亀が転んでも平気な国になるよう祈ります。たぶん、こんなことは現実的には不可能でしょ。
実際は、国会という場で戦ってもらう議員を選ぶだけしか私たちにはできません。それは、議員でしか、法律を開発、変更、削除できない議員内閣制という法が運用されてるから!
つまり、議員は法律を創ることが仕事だからです。だから、きちんと法を開発→法案可決できる議員を選んだ方が良いです。善と悪は時代によって変わるもの!
選挙に通過したいだけの法案可決能力のない口先だけの議員は庶民が選挙で投票せずに間引びいていけば自動的に議員は良くなります。(個人別法案可決実績の履歴を公表してくれば可能かも!)
ですから、みんなで見極める目を養いましょう。それが結局自分のためになるのだから!権力に固執する人種が議員になる人だと前もって覚悟してればそんなに政治には失望しませんよ。
その前提で全住民がチェックすればいいのだから!
また、それには、競馬のパドックを見るように一頭一頭の法案可決能力を見極める必要があります。誰が一番、法案可決させたか?を!
でも、その多数のグループのきめた方向が、太平洋戦争の東條総理のようにドイツのヒットラーのように、間違っていたら?おそろしい未来がまってます。
過去の歴史では、ポピュリズムという、モデルのオンリーは失敗している現実があります。ハンナアーレントの書籍「全体主義の起源(The Origins of Totalitarianism)」「イエルサレムのアイヒマン- 悪の陳腐さについての報告」にもあります。
昔は、マスメディアが情報を独占して弱者はされるがままでしたが、現代では、分散システムであるインターネットがあるので、みんなの票が集まるとみんなのチカラが弱者に結集します。
今は法案可決能力のない少数のグループでも良い法案を出してる所は将来を見込んで投票し議員を当選させて育ててみるということもおもしろいかもしれませんよ。
さらに良い議員がまったくいなければ、無名の人に投票することもおもしろいかもしれません一人一人よく考えて今、選択して投票しないと未来は・・・
政治家を見極める目が必要です。
では?話を元に戻して、私たちが望む姿はどうでしょう?そもそも、どうすれば分かるでしょうか?これを調べるにあたり、私たちの理想を調べるにあたり、哲学者ジョン・ロールズのことを思い起こしました。
ジョン・ロールズは、公正な社会システムについてこう考えていました。
公正な社会システムとは、その社会システムについてすべてを知り尽くした上でどの立場であってもその一員になりたい社会システムであると!!
美しい定義ですね。普通、裕福な人は「富める者にはより多くの富を。貧しい者にはより少なく」と考え、貧しければより平等を求めるものです。
でも、ここで仮定している社会システムでは、あなたはどの立場になるかわかりませんからあらゆる場面を考えなければいけません。ブラインド・テイスティングに少し似ています。決断するときには、結果がどうなるか見えないからです。
ロールズはこれを「無知のベール」と呼びました。マイケルサンデルも紹介しています。
このときの被験者は、誰も完全な平等は望みませんでした。誰も崩壊してしまったソビエトのような社会主義がすばらしいとは思わなかったようです。そして、所得格差の大きい社会システムほど生活が悪化していることは、リチャード・ウィルキンソンなどがデータで示しています。
また、小さな子供や赤ちゃんに起こる不平等の是正については、人は特に賛同しやすいことも分かりました。子供には自らの置かれた状況に責任がないと考えるからです。
なお、日本の全テレビ局は超裕福層に入ります。
超富豪層に累進課税すること。2020年からは、世界中のトレンドになりつつあります!!
ヨーロッパでの一般データ保護規則(GDPR)でも言うように・・・
年収の低い個人(中央値で600万円以下)から集めたデータほど金銭同様に経済的に高い価値を持ち、独占禁止法の適用対象にしていくことで、高価格にし抑止力を持たせるアイデア。
自分自身のデータを渡す個人も各社の取引先に当たりデータに関しては優越的地位の乱用を年収の低い個人(中央値で600万円以下)に行う場合は厳しく適用していく。
最後に、マクロ経済学の大目標には、「長期的に生活水準を高め、今日のこども達がおじいさん達よりも良い暮らしを送れるようにする!!」という目標があります。
経済成長を「パーセント」という指数関数的な指標で数値化します。経験則的に毎年、経済成長2%くらいで巡航速度にて上昇すれば良いことがわかっています。
たった、経済成長2%のように見えますが、毎年、積み重ねるとムーアの法則みたいに膨大な量になって行きます。
また、経済学は、大前提としてある個人、法人モデルを扱う。それは、身勝手で自己中心的な欲望を満たしていく人間の部類としては最低クズというハードルの高い個人、法人。
たとえば、生産性、利益という欲だけを追求する人間。地球を救うという欲だけを追求する人間。利益と真逆なぐうたらしたい時間を最大化したいという欲を追求する人間。などの最低生活を保護、向上しつつお金の循環を通じて個人同士の相互作用も考えていく(また、憎しみの連鎖も解消する)
多様性はあるが、欲という側面では皆平等。つまり、利益以外からも解決策を見出しお金儲けだけの話だけではないのが経済学(カントの「永遠平和のために」思想も含めて個人のプライバシーも考慮)
(合成の誤謬について)
合成の誤謬とは、ミクロの視点では正しいことでも、それが、合成されたマクロ(集計量)の世界では、必ずしも意図しない結果が生じること。物理学では、相転移みた���な現象です。性質が変わってしまうということ。
ミクロのメカニズムが個人同士の経済における仕組みであるのに対して、マクロのメカニズムは、国家間や経済全体の循環における仕組みだからである。
例えば、家計の貯蓄などがよく登場するが悪い例えです。前提条件が、所得が一定の場合!!所得が一定じゃない増加する場合は?これは、論じていませんので参考になりません!!(法人が提供する製品やサービスの価格も一定の場合も前提条件です)
1930年代のアメリカ経済が金融危機2008と似たような状態に陥った時、ケインズは、「倹約のパラドックス」というケインズ経済学の法則を発見しています。
それは、ポール・A・サミュエルソン(1915-2009)が、近代経済学の教科書「経済学」の冒頭で「個人を富裕にする貯金は、経済全体を貧困にする!(所得が一定の場合)」というわかりやすい言葉で表現しました。しかし、庶民の所得が増加し、貯蓄が投資、消費に回る場合には、「倹約のパラドックス」は生じません。
その後、この「倹約のパラドックス」は、アメリカの経済学者・ケネス・J・アロー(1921- )が「合成の誤謬」を数学的論理に基づいて「個人個人がそれぞれ合理的選択をしても、社会システム全体は合理的選択をするとは限らない」を検証してみせた。 要するに、部分最適ではなく、全体最適させていくということ。
つまり、新産業でイノベーションが起きるとゲーム理論でいうところのプラスサムになるから既存の産業との 戦争に発展しないため共存関係を構築できるメリットがあります。デフレスパイラルも予防できる?人間の限界を超えてることが前提だけど
しかし、独占禁止法を軽視してるわけではありませんので、既存産業の戦争を避けるため新産業だけの限定で限界を超えてください!ということに集約していきます。
なお、金融危機2008では、マイケル・メトカルフェも言うように、「特別資金引出権(SDR)」は、2008年に行われた緊急対策で、一国だけで行われたのではなく、驚くほど足並みの揃った協調の下に国際通貨基金(IMF)を構成する188ヶ国が各国通貨で総額2500億ドル相当を「特別資金引出権(SDR)」を用いて世界中の準備通貨を潤沢にする目的で増刷してます。
このアイデアの根本は、元FRB議長であったベンバーナンキの書籍「大恐慌論」です。この研究がなければ、誰一人として、変動相場制での当時の状況を改善し解決できなかったと言われています。
それ以前では、固定相場制でのマーシャルプランが有名です。
<おすすめサイト>
この世のシステム一覧イメージ図2012
ポール・ピフ:お金の独占が人と大企業を嫌なヤツにする?
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マーク・フォーサイス: 政治における言葉について
ダニエル・カーネマン: 経験と記憶の謎(所得政策も)
トマ・ピケティ:21世紀の資本論についての新たな考察
クリスティア・フリーランド: 新しいグローバル超富裕層
マイケル・サンデル:失われた民主的議論の技術
強い経済、子育て支援、社会保障のアイデア
個人賃金保障、ベーシックインカムは、労働市場に対する破壊的イノベーションということ?2020(人間の限界を遥かに超えることが前提条件)
世界の通貨供給量は、幸福の最低ライン人間ひとりで年収6万ドルに到達しているのか?2017
ルトハー・ブレフマン:貧困は「人格の欠如」ではなく「金銭の欠乏」である!
ベティーナ・ウォーバーグ: ブロックチェーンが経済にもたらす劇的な変化
<提供>
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