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#テラスの窓際に広がる街
iitaikotoiutemiru · 3 months
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窓からこんな景色が見えたら癒されるのにぃー🌟
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tokyomariegold · 1 year
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2023/2/4〜
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2月4日 型抜きを買ってクッキーを型抜く日! なのでネイルオフをしてもらいに、朝はネイルサロンへ行った。
上野で待ち合わせをして合羽橋へ向かう。 合羽橋の道具屋街のビルに、バルコニーがコーヒーカップになっているデザインの建物があったり、コックのおじさんがそびえ立っていたり、たくさんの食品サンプルが実際の食事よりも高価だったり楽しい街。 またふらっと遊びに行きたい。
1階から8階まで型抜きがずらーっと並ぶお菓子道具屋さんで、3人それぞれお気に入りの型を見つけて買った。 友人は小さい魚とうさぎ。わたしはおばけちゃんにした。
上野駅横の首都高は改築工事をしていて、日本橋の首都高を地下化して空を取り戻す計画、の一環らしい。
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クッキーを作るため、友人の家へ移動。 移動中に見えるスカイツリーや川で、自分の住んでいるまちとの位置感覚を掴んでいて、まさかスカイツリーが、川が、シンボルとして自分の生活に入り込む日が来るなんて〜、と思った。
友人2人は、小さい頃おばあちゃんの家でクッキーを焼いていたらしい。クッキー用のミックス粉とバターをスーパーで買って、やっぱり節分を過ぎて春が来たのか、暖かいね、と言って歩いた。 誰かのお家に行くと、みんな生活をしていてえらいな〜、という気持ちになる。 今1番の苦痛で抗いたいものが生活になってきている。生活のために社会にも出ているし、生活が忙しくて頭が毎日混乱していて、生活をさぼると精神衛生がよくない。そしてずっと回っていくんだな、と思わせてくる生活って怖い。
クッキーを作りながら、写真を撮ったり色んな話を取っ替え引っ替えしたり、昔、みんなでガスコンロでマシュマロを焼いた日のことを思い出して、こーゆーことしたい!という事ができて幸せだった。
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この数日、すごく不安でSNSにも頼れないで、でも漠然と安定した30歳でいることが悲しかったので、今日の型抜き会はとても救われる時間だった。
バターを溶かしている間に、バレンタインのチョコレートを交換しあった。特に予定してなかったのに3人ともそれぞれ用意していて、幸せな机の上になった。
今朝、3時ごろ目を覚まして、レトルトのほうれん草カレーをそのままスプーを突っ込んで食べていた話をしたら、友人1人はあんバターサンドを作って食べていて、もう1人はグミを食べていて、なんか少し安心した。 カレーを食べながら、IMAのコンペの講評トークのアーカイブを鑑賞した。久しぶりに長島先生のお話を聴けて、少し遠い存在の人から自分の写真について話してもらえて、これは幸せな事で、やっぱり写真を通して人と関わりたい、と思った。 写真、というか、私がしてきたこの7,8年間の生活を、みてもらえている感覚。写真を通して人と関わることが、1番望ましい自分との出会い方なのかも知れない。今は具体的な方法はわからないけれど、生活と写真をどうにかしたい。
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2月5日 昨日のクッキー作りの会が幸せだったな〜、と色々思い出しながらも、生活がだるくてしかたない1日。 昨日クッキーを作った3人は、それぞれ誕生日の季節が違う。みんな自分の季節でない秋が好きなので、秋に祝いたいね、と合同誕生会を秋にすることに決めり、Perfumeのチョコレート・ディスコの“なぜか教室がダンスフロアに”は、聴き取れないよね、と話したりした時間がとても良かった。
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そして今日はフィルム現像を待つ間にデパートのチョコレート売り場を眺めた。モロゾフのナインチェチョコを思わず買ってしまいそうになったけれど、ちゃんと手を止められた。 他のフロアでは5のつく日にくばられる100円引きクーポンをもらって、クーポン墓場(お財布)へ行く前に、お花を買って使っちゃおう!と思ったところで、こんなと前にも日記に書いたな…と思い出す。 今日はお花を買うのをやめた。
帰宅するとamazonセールで買った、本当に必要なモノ、だけが入った段ボールが置き配されていた。
本当に生活にまみれていて、よくわからないことがなくて、悲しけれどずっと真顔。 生活したくないのに目の前のちょっとした汚れを落とすことに身体を使っている。
何となく昨日行った友人の部屋を思い出しては、今頃あのソファに座っているのかな?とか台所でお湯を沸かしているのかな?とか時々他人の生活までも考える日だった。
わけの分からないことをすることに歯止めばかりかけていて、もらったハンドパックをした直後にガシャガシャ手を洗った事くらいが、今日の私の面白さのハイライト。
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2月6日 忌引で休暇していた上司が今日から出勤されていて、社会人として当たり前のことなのだろうけれど、えらいな〜…と思ってしまう。 必要以上に振られた他愛ない話を広げてしまっている自分がいる。 なぜ私の方が気が動転してしまっているんだろう。 そして今日は血糖値お化けをしてしまっている。 朝からコンビニを梯子して食べられるお菓子をさがしてしまい、買ったものを全部一口ぐらいだけ食べて捨てて、をしてしまった。 昨晩NHKオンデマンドで観た某女子校の29歳の同窓会のドキュメンタリーに、大学時代のサークルの後輩が出演していて、思わず彼女にスクリーンショットとメッセージを送ってしまった。 私は、彼女と、彼女の高校時代の友人達(バンド仲間、といってしまうのはおこがましい程のとても愛おしい関係の方々)の関係性がとても好きで、彼女以外の方と直接面識はないけれど、彼女達のSNSを今でも見に行ってしまう(フォローはしていない)。 初めて会った時、こんなに若くて(一つしか違わないけれど)コンセプチュアルにセルフプロデュースできる女の子がいるなんて!!!と思って、今でも私にとってはアイドルでしかなくて昨日のメッセージを送るのも少し緊張していた(お高い感じは全くない、とてもかわいくて気さくな彼女なのに)。 その番組を観ていて、29歳の同窓会という文字に、29歳ってだいぶ大人だな〜とふと思って、私はそれをもう超えていることに一瞬で落ち込んだりもした。 友人からのラインを確認しようとして、届いていたメッセージの文頭から、妊娠の報告なのかもしれない!と察知して、なんだかどうしていいか分からずメッセージを開けずにいる。 オンライン機種変をしたiPhoneを途中駅のauショップに受け取りに行かなくてはいけないのに、全てが面倒でふらふらで、今日はやめておこうかな、と思っている血糖値お化け。
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2月7日 ちゃんとiPhone14を受け取りに行ったよ。えらい! ショッピングモールの3階のテナントがauショップ。3階は主にレストランフロアなので今まで行ったことがなかった。 平日の夜のショッピングモールって従業員の方が多いんじゃないかな、というくらい穏やかで、でも不思議と閑散とした印象ではないのは、このまちの雇用を守って回っている経済が確かにあるからなのかもしれない、と思った。 ショッピングモールのテラスや外の広場は、上品に程よくイルミネーションが施されていて写真を撮りたくなる。バスから降りて歩く30分ほどの道でも、あ、ここで写真を撮ってみたいかも!と思うスポットがいくつかあるのに、今朝もカメラと三脚を玄関で持ち上げてはその重さに断念してしまった。 長島先生の講評を聞きながら昼休みを過ごしている。 セルフポートレートのこともだけれど、先生はキャプションをとても大切に考えていることがよくわかって、文章と写真のことも考えたいと思っていたので、その辺りもお話ししてみたいな〜、と思った。 ムキムキにならなくても三脚とカメラを持ち歩いてどこでも自撮りをしたいし、 頼り甲斐がない物言いのままでも、自分と同じ内容を言っている年上の上司のように社会の人たちに話を聞いてもらえるようになりたいし、 がに股で歩いて舌打ちしないでも夜道で変なおじさんに暴言を吐く当てにされないように、30年で培ったどこまでもふわふわへにゃへにゃな自分を、 誰かでなくて自分で守っていきたい。 年賀状のお年玉は一枚も当選していなかった。
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2月8日 2期下の方をお昼のおしゃべり相手にお誘いしてみた。 半分は写真を撮って過ごして、半分をお話する時間に充てて昼休みを過ごしてみる。
ご飯を食べられないので、ひたすら歩いてラジオを聴いたりトークイベントを聴いたりして過ごすお昼休みを、誰か他愛無い身の上話をして過ごして、いつものお昼休みに起きている時間の使い方の迷いや後悔の焦りがなかったので良いことなのかも知れませんね。 でもとてもあれ?えっとなんだっけ?という気持ちで、帰り道を歩いてた。 そろそろ日記をノートに書く余裕がある気がする。 でもここでノートに戻したら、その瞬間また寒気が舞い込んで来る気がして、寒さは心理戦。
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2月9日 今日は三脚を持って出勤して、少し写真を撮ることができた。 そして、とても楽しかった。 明日の東京出張が、また雪予報でどうなってしまうか不安だけれど、フィルムを出して現像の合間に用務を済ませて、帰りに受け取って帰る予定を立てたので、楽しみになっている。 今は自撮りと一緒に伝えたい言葉が明確にあるわけではないけれど、自分の置かれた環境が変わったところでもう一度我に帰りたいと思って、三脚立てて写真を撮ってみている。 バスを途中下車して帰り道でも写真を撮るぞ〜と思っていたら、一期下の方に声をかけてもらって、お話ししながらバスに乗った。 「今日はこれから写真を撮って帰るので、わたしはここで降りますね」と言って三脚をガタガタさせながらちゃんとお断りを入れて途中下車させてもらった。こんなに堂々と写真を撮っていて、そのことを他人に話していて、わたし大丈夫かな? 職場の二期下の方はベローチェを知らない。時間つぶしにカフェに入るようなことはしなくて、車でわざわざカフェに出かけるとのこと。もう2時間も居座ってしまったから流石に移動しようかしら、と、ベローチェからドトールへカフェ梯子をするような経験はないのでしょうね。 スタバよりベローチェのある街が都会だと思っています。
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yamanaka-lab · 8 days
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2023建築レビュー#5
・建築レビュー#5(設計者:h2o_architectes) 発表者 :紫安 (M1) 講評者:杉山
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第5回建築レビューでは、「h2o_architectures」を取り上げた。
2005年、ジャンジャックとシャルロットユベールの2人の建築家が設立したパリの事務所に2008年、アントワーヌサンティアールが加わるかたちで結成された。
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Nos actions se situent au carrefour de la création architecturale et urbaine, de la restauration des monuments historiques, et de la reprogrammation de situations bâties. 
Le terreau commun des membres fondateurs de l’agence h2o est le goût des transversalités et le recours à un processus d’élaboration de projet par «hypothèses».
私たちの仕事は、建築と都市デザイン、歴史的建造物の修復、建築状況の再構築の交差点にある。
h2oの創設メンバーは、学際性と「仮説」に基づくプロジェクト開発プロセスを共有している。
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とあるように、「建築と都市デザイン」「歴史的建造物の修復」「建築状況の再構築」この交差点にあるものに彼らの仕事があると定義し活動している。
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実際、彼らの手がけてきた作品からは「都市」デザインから「1つの部屋」のデザインまで、実に幅広い規模のプロジェクトに挑んでいることが見て取れる。
今回はこの作品たちから4つをピックアップ・レビューしていくこととする。
事例1『Logement étudiant de 115 logements à Paris -パリの115戸の学生向け住宅-』
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最初に紹介するのは学生寮のプロジェクト。
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敷地は角地にあり、通りから見ると家型の屋根が特徴的なデザインを持つ。
学生一人一人が家庭の家を思い起こさせる「切りずま屋根」に基づいた、独創的なジオメトリ(幾何学、形状)で特別な室内空間を形成し、このような住戸ユニットを組み合わせボリュームをくみ上げるというシンプルな構成となっている。
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住戸ユニットの蓄積により建物の強さが増すとともに、家々の間に生まれる空きスペースを共用部、テラスが住民同士のコミュニティを生じていく。
住戸ユニットによってできるファサードの「空洞」は、まるで建物全体が呼吸しているかのような空間を演出しているが、実際のところ、このプロポーションと踊り場による都市への発展がこの建物を形作っていると捉えられる。
事例2『32 Logements Felix Faure -フェリックス・フォーレの32軒の住宅-』
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2作品目は集合住宅のプロジェクト。
この建物は一作品目の画一的なボリュームの構成とは打って変わって、パリのフェリックス フォーレ通りに面した既存の建物の異なるサイズ、高さ、配置の間の統一要素を用いて、形成している。
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周囲の3つの建物の断片的なボリュームを取り入れることによって、異なるボリュームを段階的に調整し、連結を生み出すとともに、建物中央には大きなスペース設け庭園としてデザインしている。
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カスケード状のボリュームの配置によって生まれる住戸1つ1つのテラスからつながりを生まれるように構成されている。
加えて異なるサイズの住戸を集積することで、多様な内部空間が生じ、住む人に適した空間がデザインされている。
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道路に面する2つの開口部から入ることができ、中心へと視覚的に抜けられるようになってる。
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それぞれの建物へのアクセスの先にある共用庭を経由し、通りの喧騒から守られた静かな空間を設えている。
事例3『LA CARTONNERIE -ラ・カルトヌリ-』
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3作品目は古い工場をインキュベーション施設へ改修したプロジェクト。
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改修に際して3つの開発軸を設定している。
工場の外観は残しながら、建物に塊を切り込むことによって新しい空間を創出、そして新たな入り口や用途を挿入している。
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工場地ということもあり、周辺には駐車場や更地、川などが広がっている。
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ワークショップ、オフィス、会議室を結ぶ中央の共有スペースに焦点を当てるようにゾーニングが施されている。
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ここに訪れる様々な新規事業を取り扱う企業間の交流を促進するような共有スペースとして構想されている。
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広々とした動線スペースには、中央廊下と中央階段がある広場が設けられている。
このスペースはそれぞれの企業の垣根を越える活気のある集会の場になることを期待してデザインされている。
加えて、建物の外観を保存することにより、19世紀の街の「通路」や屋根付きの公共スペースの機能を想起させる空間としている。
3つの開発軸を通すことにより、過去の重工業のある工場とは対照的な明るい空間を生み出している。
事例4『Le Refuge -ル・ルフュージュ-』
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最後は1室の設計を行ったプロジェクト。
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このプロジェクトではアパートの1室、55m^2という限られた空間の中で、「リビングルームを増やす」こと、「バスルームを1つから2つに増やす」こと、そして「既存のベット数を維持する」ことが求められた。
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この制約のなか条件を満足するため、家具をアパートに合わせるのではなく、アパートを家具に合わせるという視点から構想された。
空間全体を貫く大きな木の曲線を挿入させることにより、すべての機能を連携させ、広い居住空間をつくり出す。
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この家具の壁には、日常使用の必需品が相互に組み合わされている。
収納の隣に座席があり、寝室は重ね、室内の窓に読書コーナーが取り付けられており、キッチンはバスルームと背中合わせになっている。
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周囲に広々としたスペースを解放し、機能を最大化している。
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外観からは山の中にある1つのキャビンでありながら、内側からは住み慣れた家具の壁との統一感を演出するなど工夫が施されている。
以上を踏まえ、どのプロジェクト・スケールにおいても、「決定された用途の可能性」と、「流用を可能にする状況」との間の二面性を組み合わせることを意図していると考えられる。
このような未知の空間は、あらゆる可能性を生み出すとともに、管理された社会空間における個人の居場所を、自ら生むことを促しているといえる。
・引用
https://www.chi-athenaeum.org/2014-40under40-awards/2014/10/30/student-housing-of-115-units-in-paris-h2o-architectes/
https://archello.com/project/immeuble-felix-faure
https://divisare.com/projects/297896-h2o-architectes-julien-attard-stephane-chalmeau-la-cartonnerie
https://www.archdaily.com/282111/the-cabin-h2o-architects?ad_medium=office_landing&ad_name=article
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streetglider · 4 months
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(LIXIL ビジネス情報 | 穴が開くほど見る── 建築写真から読み解く暮らしとその先 (第6回) | 住まい・建築 | 建築・設計関連コラムから)
「ボルドーの家」 レム・コールハース(1998年、フランス、ボルドー) 撮影:Hans Werlemann 提供:OMA
石上:
僕が選んだ1枚目の写真は、レム・コールハースの「ボルドーの家」です。僕はレムの建築の中で住宅が突出して好きです。非常に高い密度のあるデザインがどのような思考のもとでつくられているのかに興味があって、住宅にこそ彼の哲学が反映されていると思うからです。この「ボルドーの家」は、僕が学生の時に計画段階として雑誌に発表されてとても注目していて、1998年に竣工した後に訪れる機会がありました。建主の夫婦は新聞社の元オーナーで、レムに依頼する8年前から自分たちの住宅を構想し、当初はシンプルなデザインをする建築家を探していたそうです。しかしその間にご主人が交通事故にあってしまい、半身不随の生活を余儀なくされた。階段や段差があるアメリカの古典的な住宅は車椅子生活の彼らには厳しい。「牢獄のような住宅から解放されたい」とレムに依頼したそうです。 この写真は、この住宅の構成がいちばん分かる1枚です。しかしそれでも理解しきれない謎がたくさんある。この写真を見てもエントランスがどこなのかも分からないでしょ。写真中央に遠く夜景が見えるように、敷地はボルドーの街全体を見渡せる丘の頂部。3層の構成で、写真の一番下のフロアはグランドレベルから見ると半地下で埋もれるようになっていて、円弧を描いた車寄せからアクセスします。レムは1階を「洞窟のような空間」と言っていますが、中央の半透明のガラス横に見える白いポールを倒すように引くとこのガラスが開く。不思議なのがエントランスを入るとすぐにキッチンなんです。2階はグランドレベルで写真の反対側の丘と連続し、透明感のあるリビングやテラスがあります。3階は寝室で、夫婦の部屋と子供部屋に別れ、ふたつの部屋は繋がっておらず別々の階段からアクセスします。窓が小さくて暗いように感じますが、EVコアの上部のトップライトによってEVコア自体が光庭のようになり寝室にも光が届きます。この住宅の一番の特徴である3層を貫く4×3.5mのエレベーターはご主人の生活空間で、彼は各階を自由に移動する。『錯乱のニューヨーク』(筑摩書房、1995年)でレムは、エレベーターの発明が建築のスケールを変え、都市の計画に大きな影響を与えたと述べていますが、この哲学と障害を持つ住まい手の生活が奇跡的にマッチして実現したプロジェクトと言えます。 この住宅は写真の人のスケールからも分かるように、豪邸でありながら天井高が2,100mmと低く手で触れられる高さで、広い天井面が空まで連続していくような水平性と住宅の親密性が強調されています。レムの住宅は、構成やディテールが共に奇抜で独特の雰囲気を持っているのに、実際それが住む人たちの理にかなっている。この住宅も一見巨大な機械であるエレベーターや大きな梁があるのに、ここに住む人間のスケールや暮らしに合っていて違和感がない。僕が聞いた話では、OMAの新入りスタッフはここを訪れてディテールを勉強するそうです。たとえば1階のFIX窓に対して2階の窓は少しガラスが外に飛び出すようにずれていますよね。普通この平面同士を同じ面内に納めるはずですが、少し外側にはみ出すことでこのボリュームの独立感が強まっています。また、玄関ドアのハンドルやシャフトドア上のカーテンレール、写真右の巨大な回転窓のレバーなどメカニカルで舞台装置のようなものと生活感漂う空間が共存している。発明品のようなレベルまでつくり込まれたディテールが巧妙にプランニングに組み込まれていて、この住宅はレムの要素が凝縮した、エキシビションと言えるかもしれません。
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haruhara-san · 3 years
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9/21(火)、9/22(水)サン・セバスチャン
出発の1時間前に起床。槻舘さんがコーヒーを淹れてくれて朝食。パンとヨーグルト。急いで荷造りと片付け。また後日戻ってくるのでパリで買ったお土産などは置いていって大丈夫と槻舘さんが言ってくれる。
スペインへの特急電車が出るモンパルナス駅まで乗り換えが1回。パリの地下鉄はバリアフリーが進んでなくて階段が多い。トランクを何度も持ち上げて移動する。乗り換え駅はホームが混んでて入ってくる電車も満員。山手線みたいなペースで電車がくるので2本やり過ごして乗車した。モンパルナス駅に到着したところで、昼食のテイクアウトを買うのにどんな店があるかを槻舘さんが調べてきてくれる。パン、サンドイッチ、寿司があるけどどれがいいかと訊かれて荒木さんが寿司と答える。トランクを引いてお店に向かう途中で衛生パスのチェックをしてる係りの人に声をかける。まだ私には衛生パスが届かないので紙の証明書を見せる。すぐに認めてくれて左腕にチェック済みの印になるリストバンドを付けてくれる。さらに進むとYo Sushi! という看板が見えてくる。寿司の大きな1パックを買って荒木さんと槻舘さんは分けることに。私はその隣の店でサンドイッチとエクレアを購入。荒木さんも食べたくなるかもと思いエクレアは2つ。改札を無事に通って乗車。
7月にマルセイユに向かった時の特急電車より車内が豪華。リクライニングが電動でテーブルは2種類で荷物置き場は安全な作り。荒木さんも私も感動してる。国境を越える特急だから違うのだろうとのこと。出発。サン・セバスチャン国際映画祭のチケットは朝7時から次の日の分のチケットを予約できるため、槻舘さんの指示を受けながらサイトを開いてトライするけれど希望のチケットを取るのがむずかしい。そのうち荒木さんが静かになってる。画面を見すぎて酔ったとのこと。荒木さんのiPhoneも借りて両手でチケット予約を進める。休憩。国境付近の乗り換えまでしばらくあるので日記を書こうとしたけれどなかなか進まない。前回もそうだった。移動中は文章が書けないのかもしれない。槻舘さんは記事の執筆などをいつも移動中に済ませてしまうとのこと。尊敬。昼食。荒木さんにエクレアも食べるか聞いてみた。二つとも自分で食べた。別の車両にカフェスペースもあると知って���リンクを買ってくることに。映画ではよく見てきたけれど、実際に利用したのは初めてかもしれない。カウンターに並んだ。荒木さんに炭酸水、槻舘さんにラテ・マキアート、自分にアメリカーノを購入して戻る。終点の駅に到着。そこから別の電車に乗り継いでサン・セバスチャンに移動するのだけれど、事前に手元に届いた電子チケットを見てもその先のことがよくわからない。槻舘さんが窓口の人に聞いてくれて、これは普通に券売機で買えばいいのではということがわかり、3人分のチケットを購入。そこからは普通の路線電車。車窓から見える街並みの雰囲気が変わっていく。iPhoneの電波が一度無効になり、ほら国境越えたと槻舘さんが教えてくれる。ローミングをし直した。パスポートの提示も必要のない国境の移動は初めてだった。無事にスペインに入国。
サン・セバスチャン駅に映画祭の車両が迎えに来てくれることになってて、槻舘さん曰く途中のアマロという駅で降りて10分くらい歩いた方が早いとのことで、下車。少し歩いただけで街が穏やかなのがわかる。ずっと雨模様と聞いてたけれど晴れてて気持ちいい。サン・セバスチャン駅に到着。迎えの車がどこにいるのかをしばらく探す。向こうが見つけてくれて無事に合流。最新の車で、サイドミラーがミラーじゃなくてカメラと液晶画面だった。海沿いの道を走って中心街から離れたところのホテルに到着。槻舘さんが笑いながら陸の孤島に飛ばされたと言ってる。スペインでの配給会社も付いてないアジアのインディペンデント作品の扱いはこんなものだと教えてくれる。確かに遠い。チェックインをしたら映画祭のエコバッグを渡される。中身をざっと見たけれど、その後どうすればいいのかなどがわからない。大きい映画祭。あとは自分たちで何とかしろということなんじゃないかということで、ひとまず30分後にロビーで待ち合わせることに。エレベーターに乗りながら、もしバスタブがなかったらごめんねとお風呂好きの荒木さんに伝える。自分の部屋に入ってまず確認。バスタブがあった。ほっとした。広いテラスもあった。いい景色。遠くに海が見える。wi-fiについてどこにも書いてなかったので受付に電話した。パスワードを口頭で伝えてくれる。喋りが早いし文字数が多くて聞き取れないので直接行くことに。年配の受付の人がパスワードの書かれた紙を渡してくれる。朝食について尋ねたら色々答えてくれるけれど早くてうまく聞き取れない。時間を指定するとよさそうだったので7時でお願いした。部屋に戻ってメールを開くと映画祭のスタッフからの連絡。今からIDパスなどを持って挨拶に行くとのこと。放ってかれてるわけじゃなかった。槻舘さんと荒木さんに伝える。ロビーに降りたところですぐにスタッフの人が到着。IDをそれぞれ受け取りつつCovid-19についての誓約書にサイン。不織布のマスクを必ず付けること、鼻を出さないことなどが細かく書かれてる。映画祭の会場になる映画館が集まる中心街までは路線バスで移動するしかないみたいだった。槻舘さんがいてくれるおかげで一つ一つの判断が早くて本当に助けられてる。ホテルの近くのバス停から乗車。料金はクレジットカードを当てて支払うシステムだったのでスムーズに済んだ。中心街に到着。会場の映画館の場所を確認しておくために一つ一つ巡りつつ散策。槻舘さんが案内してくれる。気になるお店があったら教えてくださいねと言ってくれる。荒木さんがアヒルのオモチャだけが並んでるお店に入っていった。必要なメール連絡を終えて私も中へ。お土産に2つ購入。どの道も建物もすてきで、やってるお店はどこも賑わってて、元気のある街。途中、国際広報のグロリアさんから槻舘さんにメッセージ。この日は夜10時に濱口竜介さんと待ち合わせてみんなでご飯を食べることになってた。その前から会って軽く飲まないかとのこと。指定されたお店に行くとグロリアさんが先に着いててみんなで挨拶のハグ。ピンチョスが食べられるレストラン。賑わってるし、店の外まで人が並んでる。店頭で好きなピンチョスを選んだ。どれもおいしそうだけれど、まだ夕食の前だから2つに抑えておく。グロリアさんがイベリコ豚のハムをご馳走してくれた。輝いてた。荒木さんがグロリアさんにカードをプレゼントする。表にグロリアさんの名前のカタカナ、裏に東直子さんの歌集『春原さんのリコーダー』からグロリアさんのために選んだマヨネーズの一首が書かれてる。感激してた。短歌を訳してほしいと言われて槻舘さんがフランス語にして伝えたら戸惑いながら笑ってた。ピンチョスもハムも本当においしくてすぐに食べ終える。荒木さんもうれしそう。仲良しの槻舘さんとグロリアさんの掛け合いを見てるだけでたのしい。途中、グロリアさんが『春原さんのうた』についての思いを丁寧に伝えてくれた。それを聞いてたら泣いてしまいそうになった。槻舘さんとグロリアさんの友人で映画批評家のセドリックさんも合流。やっぱりやさしくてすてきな方。主にフランス語だけれど槻舘さんが要所要所で日本語に訳して何を話してるかを教えてくれる。荒木さんが眠そうに見えたから眠っても大丈夫だよと伝えたら、すっと眠った。
夕食を予定してるレストランに移動することに。外は土砂降り。びしょ濡れになりながらしばらく歩く。ミシュランの星が付いててすごくおいしいのに安くてしかも混んでないというセドリックさんお勧めのレストラン。サン・セバスチャンの名物のトルティーヤや牛肉をトマトで煮たものや名前のわからない様々な料理。信じられないくらいどれもおいしかった。なにこれとずっと言ってしまう。途中、セドリックさんと二人で外で話す時間があって、生まれ育った街がマルセイユであることなど教えてくれた。ブイヤベースが本当においしかったことを伝えたら、ああ食べたいと言ってた。今はイタリアに住んでて、次のクリスマスは母親と過ごすために帰るとのことだった。
前の予定から抜けられそうにないらしく、合流できないかもしれないと濱口さんからグロリアに連絡。次の朝にはイタリアに発ってしまうため、会えずに残念。ニューヨークでは同じ日程で滞在予定だから、そこで会えますように。EU圏の人はアメリカへの入国が制限されてるためグロリアはニューヨークには行けず、やっぱり残念そうにしてる。
旅の疲れとお酒をたくさん飲んだのとご飯をいっぱい食べたのとで、またもや限界に。いつの間にか眠ってしまってた。目が覚めた頃に閉店時間。レストランを出てセドリックさんと別れる。グロリアさんはタクシーを見つけるまで付き合ってくれることに。荒木さんとグロリアさんが肩を組んで歩いてる。途中の道で盛大に転んだらみんながびっくりして笑いながら心配してくれた。私もびっくりした。痛かったけど痛くないふりをした。しばらく歩いたところで、たまたま通りかかった女性2人がタクシーの乗り場はあっちにあるよと教えてくれる。たどり着くと長蛇の列。近くにホテルのあるグロリアさんとはそこでお別れ。タクシーがなかなか来ない。こういうときでも槻舘さんは盛り上げてくれる。次の乗客が一人だけだと列も進まないからちゃんとがっかりする。たくさん乗る人がいるとよしよしいいぞーとうれしそうに拳を上げる。並んでる間に後ろにもどんどん人が並んでいく。1時間くらい経ってようやく乗車。ホテルに戻って解散。雨で濡れて体が冷えてたので、朦朧としながらもすぐにシャワーを浴びて温める。就寝。
22日。ハイライトで。
ホテルの朝食はシンプルだった。卵とベーコンはやっぱりおいしい。
映画祭のチケットを取るのにまたも苦戦。でも少しだけ取れた。
火曜日から大川景子さんが代わりに受け持ってくれてる女子美術大学でのオンライン集中授業に少しだけ参加。
槻舘さんが大好きな、ステーキがメインのおじさんが一人でやってるというバルに行ってランチ。お肉すごかった。肉汁たっぷり。トマトもししとうも何でこんなにおいしいのかと思う。荒木さんはちゃんと骨肉にもかぶりついて、店員のお兄さんにナイスと言われてた。グロリアさんも合流。
歩いてたら『偶然と想像』の演出部の高野徹さんと遭遇。槻舘さんのお知り合いみたい。バナナとスナック菓子を持って歩いてた。高野さんは前日まで濱口さんがいたことを知らなかった。
名誉賞の授与式があるこの日は近くにジョニー・デップがいるはずで、きっと彼も歩いただろうレッドカーペットを歩いて記念写真。
サン・セバスチャンの一番豪華なホテルの一階でグロリアさんが仕込んでくれた各媒体からのインタビューを一気に受ける。映画祭発行の新聞のために写真も撮影するとのことで、荒木さんと二人でポーズを取ったりもした。セドリックさんもインタビューしてくれてうれしかった。この日もおしゃれなセドリックさん。昔はモデルの仕事をしてたみたい。インタビューを終えてそのままカフェでケーキとコーヒー。荒木さんと槻舘さんは映画祭記念のケーキを食べてた。
移動中に通りかかった大型モニターにジョニー・デップの記者会見の様子が映ってた。荒木さんに立ってもらって2ショット写真の撮影。
海沿いにある一番大きい劇場でメイン部門の作品を鑑賞。コンサートホールみたい。3階席でもスクリーンがちゃんと見えた。上映前に観客が手拍子を鳴らして盛り上げたり。元気。終えて外に出たら夕焼けがきれい。同じ監督の前作がとてもよかったらしく、槻舘さんとグロリアさんががっかりしてる。
バルに移動して夕食。ピンチョス、トルティーヤ、トマト料理などを食べる。高野さんも合流した。
グロリアさんと高野さんと別れて駅前のタバカレラホールへ。『春原さんのうた』の最初の上映が同じホールになるので下見も兼ねて、同じ部門の別の作品を鑑賞。おもしろく見てたのにいつの間にか寝てた。
駅前でタクシーを待とうとしたら、前に並んでたお兄さんがタクシー会社に電話して私たちの分も呼んでくれた。待ってるだけでは来ない乗り場だったらしい。やさしい。
すぐにタクシーが来て、これまでで一番丁寧な運転手の人だった。無事にホテルに戻って就寝。
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hana-koi · 3 years
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映画公開記念のタイアップ続々始動!!
この冬、誰もが涙する最高純度のラブストーリーに、タイアップが続々始動中!
映画の舞台となった調布市や京王電鉄をはじめ、西武池袋本店やそごう横浜店、ららぽーとTOKYO BAYなどの商業施設、タワーレコードやJOYSOUNDなどで、菅田将暉さん、有村架純が劇中で着用した衣装の展示やサイン入りの映画関連グッズなどが当たるプレゼントキャンペーンを実施予定!多種多様なタイアップで、街中が『花束みたいな恋をした』一色に!
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【タイアップ一覧】
♦︎調布市(地域活性プランニング )
映画の主な撮影場所となった東京都調布市では、ロケ地マップの発行や、ロケ地観光パネルの設置。また市内でのロケ地や観光地を紹介した映像「MISSION IN CHOFU」を公開中!
♦︎京王電鉄・京王グループ
「京王で花束みたいな恋をしよう企画」を実施中!Twitterキャンペーン(1月15日~2月13日)のほか、スタンプラリーや京王グループ3社共同プレゼントキャンペーン、また京王プラザホテルでの映画の世界に浸ることができる専用ルームの宿泊プランを販売(いずれも1月29日~2月28日)
♦︎キラリナ京王吉祥寺
1/9(土)~1/20(水)の期間、4階のキラリナ広場にて、菅田将暉さんと有村架純さんが撮影時に着用した衣装を展示!
♦︎トリエ京王調布
1/29(金)~2/28(日)の期間、A館3階こもれびテラスにおいて、劇中衣装やSNS施策で作成したフラワーモニュメントを展示!また菅田将暉さん、有村架純さんによる館内放送も放送します。
♦︎ローソン
【Loppi限定】グッズ予約受付中!オリジナルイラストを使用した”ミニトート”、二人の様々な表情が映し出された”ブロマイド3枚セット”の2種類がラインアップ。またローチケでは1/28(木)まで”ムビチケコンビニ券”とのお得なセットも販売!
♦︎そごう横浜店
1/12(火)~2/14(日)の期間 関連書籍発売と映画のバレンタインフェアコラボ。特設ブースにてフォトブック刊行記念パネル展開催!
♦︎ジェイアール名古屋タカシマヤ
1/15(金)〜2/14(日)の期間、映画鑑賞券などが当たる「幸せをプラスする性格診断ラリー」を館内にて実施!
♦︎ららぽーとTOKYO BAY
1/29(金)~2/14(日)の期間中、「あなたの大切な人に贈る」をテーマにしたバレンタインフェアを開催! 対象店舗では映画の割引クーポンが当たるポストカードも配布中!
♦︎ラスカ茅ヶ崎・ラスカ平塚
1/25(金)~2/14(日)の期間中、茅ヶ崎店では対象店舗で1会計2,000円(税込)以上ご購入の方を対象に、抽選で映画関連グッズが当たるキャンペーンを実施!また平塚店でも抽選で劇場鑑賞券が当たるキャンペーンを実施します!
♦︎大宮アルシェ
12/26(土)~2/7(日)の期間、菅田将暉さんと有村架純さんの直筆サイン入りポスターやオリジナルグッズなどが当たるTwitterプレゼントキャンペーンや、アルシェ2階入口横ショーウィンドウにて劇中で着用された衣装を展示!
♦︎「特別展ミイラ『永遠の命』を求めて」
1/29(金)〜2月末まで、「TOHOシネマズファボーレ富山」「TOHOシネマズ高岡」「JMAX THEATERとやま」以上の3館で鑑賞された映画「花束みたいな恋をした」の半券を会場券売所でご提示頂くと、「特別展ミイラ『永遠の命』を求めて」観覧料金が当日料金から200円引きに!
※半券1枚で2名様まで有効。※他割引券との併用不可。(1/23更新)
♦︎革製品のカスタムオーダー「JOGGO」
1/5(火)~2/13(土)の期間中、映画タイトルの「花束」にちなんで、JOGGOの「革の一輪花」をカラーカスタマイズした画像を投稿すると映画限定グッズなどがあたるTwitterキャンペーン「#ジョッゴで恋をした」実施中!
♦︎TCGメンバーズカード
テアトルシネマグループ、角川シネマ、シネマート、シネスイッチ銀座でご利用いただける会員サービス「TCGメンバーズカード」に、『花束みたいな恋をした』デザインの限定カードが登場!テアトルシネマグループの劇場窓口にて1/15(金)より数量限定販売!
♦︎靴下「Tabio」
1/22(金)~2/5(金) Twitterフォロー&リツイートキャンペーン実施 抽選で映画オリジナルステッカー&ペアソックス10名様にプレゼント!Tabio公式アプリ&Twitterにて告知予定
♦︎スケッチブック
1月29日よりマルマンコラボスケッチブック販売予定!一部の劇場、HMVパネル展、HMV ECサイト、ishop、TBSストア他にて販売予定
♦︎JOYSOUND
1/29(金)~2/28(日)の期間中、カラオケ店舗でインスパイアソング「勿忘」ほか課題曲を歌って、菅田将暉さん・有村架純さんサイン入りポスターなどが当たるキャンペーンを実施!
♦︎タワーレコード
1/29(金)よりタワーレコードカフェ渋谷店・梅田NU茶屋町店・名古屋栄スカイル店でテイクアウトドリンクを販売! 渋谷店・梅田NU茶屋町店では衣装展示も!また、全店でプレゼントキャンペーンも同時開催!
♦︎図書館流通センター
1/19(火)~3/31(水)の期間中、全国の公共図書館にて映画コラボポスターの掲出と劇中登場書籍を紹介。 ”花恋特設本棚”の設置も! ※実施有無や期間は各図書館の判断となります。
♦︎三代目鳥メロ
1/29(金)~2/28(日)の期間、全国129店舗にて映画「花束みたいな恋をした」の半券提示で焼きおにぎりが無料になるキャンペーンや、菅田将暉さん&有村架純さんサイン入りポスターなどが当たるSNSキャンペーンを実施!※営業状況は各店���のHPをご確認ください。
♦︎菓子「ベイユヴェール」
1月16日(土)〜映画オリジナルマカロン・オ・フルールを販売予定!また映画公開期間中にガトー・オ・ブーケ(花型ケーキ)をご購入のお客様に映画オリジナルステッカーをプレゼント(先着限定数)。
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*緊急事態宣言などにより実施内容は変更になる可能性がございます。詳細は各社ホームページをご確認ください。
*各施設にお越しの際は、新型コロナウィルス感染拡大防止対策を徹底の上ご来場ください。
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shunsukessk · 4 years
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あるいは永遠の未来都市(東雲キャナルコートCODAN生活記)
 都市について語るのは難しい。同様に、自宅や仕事場について語るのも難しい。それを語ることができるのは、おそらく、その中にいながら常にはじき出されている人間か、実際にそこから出てしまった人間だけだろう。わたしにはできるだろうか?  まず、自宅から徒歩三秒のアトリエに移動しよう。北側のカーテンを開けて、掃き出し窓と鉄格子の向こうに団地とタワーマンション、彼方の青空に聳える東京スカイツリーの姿を認める。次に東側の白い引き戸を一枚、二枚とスライドしていき、団地とタワーマンションの窓が反射した陽光がテラスとアトリエを優しく温めるのをじっくりと待つ。その間、テラスに置かれた黒竹がかすかに揺れているのを眺める。外から共用廊下に向かって、つまり左から右へさらさらと葉が靡く。一枚の枯れた葉が宙に舞う。お前、とわたしは念じる。お前、お隣さんには行くんじゃないぞ。このテラスは、腰よりも低いフェンスによってお隣さんのテラスと接しているのだ。それだけでなく、共用廊下とも接している。エレベーターへと急ぐ人の背中が見える。枯れ葉はテラスと共用廊下との境目に設置されたベンチの上に落ちた。わたしは今日の風の強さを知る。アトリエはまだ温まらない。  徒歩三秒の自宅に戻ろう。リビング・ダイニングのカーテンを開けると、北に向いた壁の一面に「田」の形をしたアルミ製のフレームが現れる。窓はわたしの背より高く、広げた両手より大きかった。真下にはウッドデッキを設えた人工地盤の中庭があって、それを取り囲むように高層の住棟が建ち並び、さらにその外周にタワーマンションが林立している。視界の半分は集合住宅で、残りの半分は青空だった。そのちょうど境目に、まるで空に落書きをしようとする鉛筆のように東京スカイツリーが伸びている。  ここから望む風景の中にわたしは何かしらを発見する。たとえば、斜め向かいの部屋の窓に無数の小さな写真が踊っている。その下の鉄格子つきのベランダに男が出てきて、パジャマ姿のままたばこを吸い始める。最上階の渡り廊下では若い男が三脚を据えて西側の風景を撮影している。今日は富士山とレインボーブリッジが綺麗に見えるに違いない。その二つ下の渡り廊下を右から左に、つまり一二号棟から一一号棟に向かって黒いコートの男が横切り、さらに一つ下の渡り廊下を、今度は左から右に向かって若い母親と黄色い帽子の息子が横切っていく。タワーマンションの間を抜けてきた陽光が数百の窓に当たって輝く。たばこを吸っていた男がいつの間にか部屋に戻ってワイシャツにネクタイ姿になっている。六階部分にある共用のテラスでは赤いダウンジャケットの男が外を眺めながら電話をかけている。地上ではフォーマルな洋服に身を包んだ人々が左から右に向かって流れていて、ウッドデッキの上では老婦が杖をついて……いくらでも観察と発見は可能だ。けれども、それを書き留めることはしない。ただ新しい出来事が無数に生成していることを確認するだけだ。世界は死んでいないし、今日の都市は昨日の都市とは異なる何ものかに変化しつつあると認識する。こうして仕事をする準備が整う。
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 東雲キャナルコートCODAN一一号棟に越してきたのは今から四年前だった。内陸部より体感温度が二度ほど低いな、というのが東雲に来て初めに思ったことだ。この土地は海と運河と高速道路に囲まれていて、物流倉庫とバスの車庫とオートバックスがひしめく都市のバックヤードだった。東雲キャナルコートと呼ばれるエリアはその名のとおり運河沿いにある。ただし、東雲運河に沿っているのではなく、辰巳運河に沿っているのだった。かつては三菱製鋼の工場だったと聞いたが、今ではその名残はない。東雲キャナルコートが擁するのは、三千戸の賃貸住宅と三千戸の分譲住宅、大型のイオン、児童・高齢者施設、警察庁などが入る合同庁舎、辰巳運河沿いの区立公園で、エリアの中央部分に都市基盤整備公団(現・都市再生機構/UR)が計画した高層板状の集合住宅群が並ぶ。中央部分は六街区に分けられ、それぞれ著名な建築家が設計者として割り当てられた。そのうち、もっとも南側に位置する一街区は山本理顕による設計で、L字型に連なる一一号棟と一二号棟が中庭を囲むようにして建ち、やや小ぶりの一三号棟が島のように浮かんでいる。この一街区は二〇〇三年七月に竣工した。それから一三年後の二〇一六年五月一四日、わたしと妻は二人で一一号棟の一三階に越してきた。四年の歳月が流れてその部屋を出ることになったとき、わたしはあの限りない循環について思い出していた。
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 アトリエに戻るとそこは既に温まっている。さあ、仕事を始めよう。ものを書くのがわたしの仕事だった。だからまずMacを立ち上げ、テキストエディタかワードを開く。さっきリビング・ダイニングで行った準備運動によって既に意識は覚醒している。ただし、その日の頭とからだのコンディションによってはすぐに書き始められないこともある。そういった場合はアトリエの東側に面したテラスに一時的に避難してもよい。  掃き出し窓を開けてサンダルを履く。黒竹の鉢に水を入れてやる。近くの部屋の原状回復工事に来たと思しき作業服姿の男がこんちは、と挨拶をしてくる。挨拶を返す。お隣さんのテラスにはベビーカーとキックボード、それに傘が四本置かれている。テラスに面した三枚の引き戸はぴったりと閉められている。緑色のボーダー柄があしらわれた、目隠しと防犯を兼ねた白い戸。この戸が開かれることはほとんどなかった。わたしのアトリエや共用廊下から部屋の中が丸見えになってしまうからだ。こちらも条件は同じだが、わたしはアトリエとして使っているので開けているわけだ。とはいえ、お隣さんが戸を開けたときにあまり中を見てしまうと気まずいので、二年前に豊洲のホームセンターで見つけた黒竹を置いた。共用廊下から外側に向かって風が吹いていて、葉が光を食らうように靡いている。この住棟にはところどころに大穴が空いているのでこういうことが起きる。つまり、風向きが反転するのだった。  通風と採光のために設けられた空洞、それがこのテラスだった。ここから東雲キャナルコートCODANのほぼ全体が見渡せる。だが、もう特に集中して観察したりしない。隈研吾が設計した三街区の住棟に陽光が当たっていて、ベランダで父子が日光浴をしていようが、島のような一三号棟の屋上に設置されたソーラーパネルが紺碧に輝いていて、その傍の芝生に二羽の鳩が舞い降りてこようが、伊東豊雄が設計した二街区の住棟で影がゆらめいて、テラスに出てきた老爺が異様にうまいフラフープを披露しようが、気に留めない。アトリエに戻ってどういうふうに書くか、それだけを考える。だから、目の前のすべてはバックグラウンド・スケープと化す。ただし、ここに広がるのは上質なそれだった。たとえば、ここにはさまざまな匂いが漂ってきた。雨が降った次の日には海の匂いがした。東京湾の匂いだが、それはいつも微妙に違っていた。同じ匂いはない。生成される現実に呼応して新しい文字の組み合わせが発生する。アトリエに戻ろう。
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 わたしはここで、広島の中心部に建つ巨大な公営住宅、横川という街に形成された魅力的な高架下商店街、シンガポールのベイサイドに屹立するリトル・タイランド、ソウルの中心部を一キロメートルにわたって貫く線状の建築物などについて書いてきた。既に世に出たものもあるし、今から出るものもあるし、たぶん永遠にMacの中に封じ込められると思われるものもある。いずれにせよ、考えてきたことのコアはひとつで、なぜ人は集まって生きるのか、ということだった。  人間の高密度な集合体、つまり都市は、なぜ人類にとって必要なのか?  そしてこの先、都市と人類はいかなる進化を遂げるのか?  あるいは都市は既に死んだ?  人類はかつて都市だった廃墟の上をさまよい続ける?  このアトリエはそういうことを考えるのに最適だった。この一街区そのものが新しい都市をつくるように設計されていたからだ。  実際、ここに来てから、思考のプロセスが根本的に変わった。ここに来るまでの朝の日課といえば、とにかく怒りの炎を燃やすことだった。閉じられた小さなワンルームの中で、自分が外側から遮断され、都市の中にいるにもかかわらず隔離状態にあることに怒り、その怒りを炎上させることで思考を開いた。穴蔵から出ようともがくように。息苦しくて、ひとりで部屋の中で暴れたし、壁や床に穴を開けようと試みることもあった。客観的に見るとかなりやばい奴だったに違いない。けれども、こうした循環は一生続くのだと、当時のわたしは信じて疑わなかった。都市はそもそも息苦しい場所なのだと、そう信じていたのだ。だが、ここに来てからは息苦しさを感じることはなくなった。怒りの炎を燃やす朝の日課は、カーテンを開け、その向こうを観察するあの循環へと置き換えられた。では、怒りは消滅したのか?
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 白く光沢のあるアトリエの床タイルに青空が輝いている。ここにはこの街の上半分がリアルタイムで描き出される。床の隅にはプロジェクトごとに振り分けられた資料の箱が積まれていて、剥き出しの灰色の柱に沿って山積みの本と額に入ったいくつかの写真や絵が並んでいる。デスクは東向きの掃き出し窓の傍に置かれていて、ここからテラスの半分と共用廊下、それに斜向かいの部屋の玄関が見える。このアトリエは空中につくられた庭と道に面しているのだった。斜向かいの玄関ドアには透明のガラスが使用されていて、中の様子が透けて見える。靴を履く住人の姿がガラス越しに浮かんでいる。視線をアトリエ内に戻そう。このアトリエは専用の玄関を有していた。玄関ドアは斜向かいの部屋のそれと異なり、全面が白く塗装された鉄扉だった。玄関の脇にある木製のドアを開けると、そこは既に徒歩三秒の自宅だ。まずキッチンがあって、奥にリビング・ダイニングがあり、その先に自宅用の玄関ドアがあった。だから、このアトリエは自宅と繋がってもいるが、独立してもいた。  午後になると仕事仲間や友人がこのアトリエを訪ねてくることがある。アトリエの玄関から入ってもらってもいいし、共用廊下からテラス経由でアトリエに招き入れてもよい。いずれにせよ、共用廊下からすぐに仕事場に入ることができるので効率的だ。打ち合わせをする場合にはテーブルと椅子をセッティングする。ここでの打ち合わせはいつも妙に捗った。自宅と都市の両方に隣接し、同時に独立してもいるこのアトリエの雰囲気は、最小のものと最大のものとを同時に掴み取るための刺激に満ちている。いくつかの重要なアイデアがここで産み落とされた。議論が白熱し、日が暮れると、徒歩三秒の自宅で妻が用意してくれた料理を囲んだり、東雲の鉄鋼団地に出かけて闇の中にぼうっと浮かぶ屋台で打ち上げを敢行したりした。  こうしてあの循環は完成したかに見えた。わたしはこうして都市への怒りを反転させ都市とともに歩み始めた、と結論づけられそうだった。お前はついに穴蔵から出たのだ、と。本当にそうだろうか?  都市の穴蔵とはそんなに浅いものだったのか?
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 いやぁ、  未来都市ですね、
 ある編集者がこのアトリエでそう言ったことを思い出す。それは決して消えない残響のようにアトリエの中にこだまする。ある濃密な打ち合わせが一段落したあと、おそらくはほとんど無意識に発された言葉だった。  未来都市?  だってこんなの、見たことないですよ。  ああ、そうかもね、とわたしが返して、その会話は流れた。だが、わたしはどこか引っかかっていた。若く鋭い編集者が発した言葉だったから、余計に。未来都市?  ここは現在なのに?  ちょうどそのころ、続けて示唆的な出来事があった。地上に降り、一三号棟の脇の通路を歩いていたときのことだ。団地内の案内図を兼ねたスツールの上に、ピーテル・ブリューゲルの画集が広げられていたのだった。なぜブリューゲルとわかったかといえば、開かれていたページが「バベルの塔」だったからだ。ウィーンの美術史美術館所蔵のものではなく、ロッテルダムのボイマンス・ヴァン・ベーニンゲン美術館所蔵の作品で、天に昇る茶褐色の塔がアクリル製のスツールの上で異様なオーラを放っていた。その画集はしばらくそこにあって、ある日ふいになくなったかと思うと、数日後にまた同じように置かれていた。まるで「もっとよく見ろ」と言��んばかりに。
 おい、お前。このあいだは軽くスルーしただろう。もっとよく見ろ。
 わたしは近寄ってその絵を見た。新しい地面を積み重ねるようにして伸びていく塔。その上には無数の人々の蠢きがあった。塔の建設に従事する労働者たちだった。既に雲の高さに届いた塔はさらに先へと工事が進んでいて、先端部分は焼きたての新しい煉瓦で真っ赤に染まっている。未来都市だな、これは、と思う。それは天地が創造され、原初の人類が文明を築きつつある時代のことだった。その地では人々はひとつの民で、同じ言葉を話していた。だが、人々が天に届くほどの塔をつくろうとしていたそのとき、神は全地の言葉を乱し、人を全地に散らされたのだった。ただし、塔は破壊されたわけではなかった。少なくとも『創世記』にはそのような記述はない。だから、バベルの塔は今なお未来都市であり続けている。決して完成することがないから未来都市なのだ。世界は変わったが、バベルは永遠の未来都市として存在し続ける。
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 ようやく気づいたか。  ああ。  それで?  おれは永遠の未来都市をさまよう亡霊だと?  どうかな、  本当は都市なんか存在しないのか?  どうかな、  すべては幻想だった?  そうだな、  どっちなんだ。  まあ結論を急ぐなよ。  おれはさっさと結論を出して原稿を書かなきゃならないんだよ。  知ってる、だから急ぐなと言ったんだ。  あんたは誰なんだ。  まあ息抜きに歩いてこいよ。  息抜き?  いつもやっているだろう。あの循環だよ。  ああ、わかった……。いや、ちょっと待ってくれ。先に腹ごしらえだ。
 もう昼を過ぎて久しいんだな、と鉄格子越しの風景を一瞥して気づく。陽光は人工地盤上の芝生と一本木を通過して一三号棟の廊下を照らし始めていた。タワーマンションをかすめて赤色のヘリコプターが東へと飛んでいき、青空に白線を引きながら飛行機が西へと進む。もちろん、時間を忘れて書くのは悪いことではない。だが、無理をしすぎるとあとになって深刻な不調に見舞われることになる。だから徒歩三秒の自宅に移動しよう。  キッチンの明かりをつける。ここには陽光が入ってこない。窓側に風呂場とトイレ���あるからだ。キッチンの背後に洗面所へと続くドアがある。それを開けると陽光が降り注ぐ。風呂場に入った光が透明なドアを通過して洗面所へと至るのだった。洗面台で手を洗い、鏡に目を向けると、風呂場と窓のサッシと鉄格子と団地とスカイツリーが万華鏡のように複雑な模様を見せる。手を拭いたら、キッチンに戻って冷蔵庫を開け、中を眺める。食材は豊富だった。そのうちの九五パーセントはここから徒歩五分のイオンで仕入れた。で、遅めの昼食はどうする?  豚バラとキャベツで回鍋肉にしてもいいが、飯を炊くのに時間がかかる。そうだな……、カルボナーラでいこう。鍋に湯を沸かして塩を入れ、パスタを茹でる。ベーコンと玉葱、にんにくを刻んでオリーブオイルで炒める。それをボウルに入れ、パルメザンチーズと生卵も加え、茹で上がったパスタを投入する。オリーブオイルとたっぷりの黒胡椒とともにすべてを混ぜ合わせれば、カルボナーラは完成する。もっとも手順の少ない料理のひとつだった。文字の世界に没頭しているときは簡単な料理のほうがいい。逆に、どうにも集中できない日は、複雑な料理に取り組んで思考回路を開くとよい。まあ、何をやっても駄目な日もあるのだが。  リビング・ダイニングの窓際に置かれたテーブルでカルボナーラを食べながら、散歩の計画を練る。籠もって原稿を書く日はできるだけ歩く時間を取るようにしていた。あまり動かないと頭も指先も鈍るからだ。走ってもいいのだが、そこそこ気合いを入れなければならないし、何よりも風景がよく見えない。だから、平均して一時間、長いときで二時間程度の散歩をするのが午後の日課になっていた。たとえば、辰巳運河沿いを南下しながら首都高の高架と森と物流倉庫群を眺めてもいいし、辰巳運河を越えて辰巳団地の中を通り、辰巳の森海浜公園まで行ってもよい。あるいは有明から東雲運河を越えて豊洲市場あたりに出てもいいし、そこからさらに晴海運河を越えて晴海第一公園まで足を伸ばし、日本住宅公団が手がけた最初の高層アパートの跡地に巡礼する手もある。だが、わたしにとってもっとも重要なのは、この東雲キャナルコートCODAN一街区をめぐるルートだった。つまり、空中に張りめぐらされた道を歩いて、東京湾岸のタブラ・ラサに立ち上がった新都市を内側から体感するのだ。  と、このように書くと、何か劇的な旅が想像されるかもしれない。アトリエや事務所、さらにはギャラリーのようなものが住棟内に点在していて、まさに都市を立体化したような人々の躍動が見られると思うかもしれない。生活と仕事が混在した活動が積み重なり、文化と言えるようなものすら発生しつつあるかもしれないと、期待を抱くかもしれない。少なくともわたしはそうだった。実際にここに来るまでは。さて、靴を履いてアトリエの玄関ドアを開けよう。
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 それは二つの世界をめぐる旅だ。一方にここに埋め込まれたはずの思想があり、他方には生成する現実があった。二つの世界は常に並行して存在する。だが、実際に見えているのは現実のほうだけだし、歴史は二つの世界の存在を許さない。とはいえ、わたしが最初に遭遇したのは見えない世界のほうだった。その世界では、実際に都市がひとつの建築として立ち上がっていた。ただ家が集積されただけでなく、その中に住みながら働いたり、ショールームやギャラリーを開設したりすることができて、さまざまな形で人と人とが接続されていた。全体の半数近くを占める透明な玄関ドアの向こうに談笑する人の姿が見え、共用廊下に向かって開かれたテラスで人々は語り合っていた。テラスに向かって設けられた大きな掃き出し窓には、子どもたちが遊ぶ姿や、趣味のコレクション、打ち合わせをする人と人、アトリエと作品群などが浮かんでいた。それはもはや集合住宅ではなかった。都市で発生する多様で複雑な活動をそのまま受け入れる文化保全地区だった。ゾーニングによって分断された都市の攪拌装置であり、過剰な接続の果てに衰退期を迎えた人類の新・進化論でもあった。  なあ、そうだろう?  応答はない。静かな空中の散歩道だけがある。わたしのアトリエに隣接するテラスとお隣さんのテラスを通り過ぎると、やや薄暗い内廊下のゾーンに入る。日が暮れるまでは照明が半分しか点灯しないので光がいくらか不足するのだった。透明な玄関ドアがあり、その傍の壁に廣村正彰によってデザインされたボーダー柄と部屋番号の表示がある。ボーダー柄は階ごとに色が異なっていて、この一三階は緑だった。少し歩くと右側にエレベーターホールが現れる。外との境界線上にはめ込まれたパンチングメタルから風が吹き込んできて、ぴゅうぴゅうと騒ぐ。普段はここでエレベーターに乗り込むのだが、今日は通り過ぎよう。廊下の両側に玄関と緑色のボーダー柄が点々と続いている。左右に四つの透明な玄関ドアが連なったあと、二つの白く塗装された鉄扉がある。透明な玄関ドアの向こうは見えない。カーテンやブラインドや黒いフィルムによって塞がれているからだ。でも陰鬱な気分になる必要はない。間もなく左右に光が満ちてくる。  コモンテラスと名づけられた空洞のひとつに出た。二階分の大穴が南側と北側に空いていて、共用廊下とテラスとを仕切るフェンスはなく、住民に開放されていた。コモンテラスは住棟内にいくつか存在するが、ここはその中でも最大だ。一四階の高さが通常の一・五倍ほどあるので、一三階と合わせて計二・五階分の空洞になっているのだ。それはさながら、天空の劇場だった。南側には巨大な長方形によって縁取られた東京湾の風景がある。左右と真ん中に計三棟のタワーマンションが陣取り、そのあいだで辰巳運河の水が東京湾に注ぎ、東京ゲートブリッジの橋脚と出会って、「海の森」と名づけられた人工島の縁でしぶきを上げる様が見える。天気のいい日には対岸に広がる千葉の工業地帯とその先の山々まで望むことができた。海から来た風がこのコモンテラスを通過し、東京の内側へと抜けていく。北側にその風景が広がる。視界の半分は集合住宅で、残りの半分は青空だった。タワーマンションの陰に隠れて東京スカイツリーは確認できないが、豊洲のビル群が団地の上から頭を覗かせている。眼下にはこの団地を南北に貫くS字アベニューが伸び、一街区と二街区の人工地盤を繋ぐブリッジが横切っていて、長谷川浩己率いるオンサイト計画設計事務所によるランドスケープ・デザインの骨格が見て取れる。  さあ、公演が始まる。コモンテラスの中心に灰色の巨大な柱が伸びている。一三階の共用廊下の上に一四階の共用廊下が浮かんでいる。ガラス製のパネルには「CODAN  Shinonome」の文字が刻まれている。この空間の両側に、六つの部屋が立体的に配置されている。半分は一三階に属し、残りの半分は一四階に属しているのだった。したがって、壁にあしらわれたボーダー柄は緑から青へと遷移する。その色は、掃き出し窓の向こうに設えられた目隠しと防犯を兼ねた引き戸にも連続している。そう、六つの部屋はこのコモンテラスに向かって大きく開くことができた。少なくとも設計上は。引き戸を全開にすれば、六つの部屋の中身がすべて露わになる。それらの部屋の住人たちは観客なのではない。この劇場で物語を紡ぎ出す主役たちなのだった。両サイドに見える美しい風景もここではただの背景にすぎない。近田玲子によって計画された照明がこの空間そのものを照らすように上向きに取り付けられている。ただし、今はまだ点灯していない。わたしはたったひとりで幕が上がるのを待っている。だが、動きはない。戸は厳重に閉じられるか、採光のために数センチだけ開いているかだ。ひとつだけ開かれている戸があるが、レースカーテンで視界が完全に遮られ、窓際にはいくつかの段ボールと紙袋が無造作に積まれていた。風がこのコモンテラスを素通りしていく。
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 ほら、  幕は上がらないだろう、  お前はわかっていたはずだ、ここでは人と出会うことがないと。横浜のことを思い出してみろ。お前はかつて横浜の湾岸に住んでいた。住宅と事務所と店舗が街の中に混在し、近所の雑居ビルやカフェスペースで毎日のように文化的なイベントが催されていて、お前はよくそういうところにふらっと行っていた。で、いくつかの重要な出会いを経験した。つけ加えるなら、そのあたりは山本理顕設計工場の所在地でもあった。だから、東雲に移るとき、お前はそういうものが垂直に立ち上がる様を思い描いていただろう。だが、どうだ?  あのアトリエと自宅は東京の空中にぽつんと浮かんでいるのではないか?  それも悪くない、とお前は言うかもしれない。物書きには都市の孤独な拠点が必要だったのだ、と。多くの人に会って濃密な取材をこなしたあと、ふと自分自身に戻ることができるアトリエを欲していたのだ、と。所詮自分は穴蔵の住人だし、たまに訪ねてくる仕事仲間や友人もいなくはない、と。実際、お前はここではマイノリティだった。ここの住民の大半は幼い子どもを連れた核家族だったし、大人たちのほとんどはこの住棟の外に職場があった。もちろん、二階のウッドデッキ沿いを中心にいくつかの仕事場は存在した。不動産屋、建築家や写真家のアトリエ、ネットショップのオフィス、アメリカのコンサルティング会社の連絡事務所、いくつかの謎の会社、秘かに行われている英会話教室や料理教室、かつては違法民泊らしきものもあった。だが、それもかすかな蠢きにすぎなかった。ほとんどの住民の仕事はどこか別の場所で行われていて、この一街区には活動が積み重ねられず、したがって文化は育たなかったのだ。周囲の住人は頻繁に入れ替わって、コミュニケーションも生まれなかった。お前のアトリエと自宅のまわりにある五軒のうち四軒の住人が、この四年間で入れ替わったのだった。隣人が去ったことにしばらく気づかないことすらあった。何週間か経って新しい住人が入り、透明な玄関ドアが黒い布で塞がれ、テラスに向いた戸が閉じられていくのを、お前は満足して見ていたか?  胸を抉られるような気持ちだったはずだ。  そうした状況にもかかわらず、お前はこの一街区を愛した。家というものにこれほどの帰属意識を持ったことはこれまでになかったはずだ。遠くの街から戻り、暗闇に浮かぶ格子状の光を見たとき、心底ほっとしたし、帰ってきたんだな、と感じただろう。なぜお前はこの一街区を愛したのか?  もちろん、第一には妻との生活が充実したものだったことが挙げられる。そもそも、ここに住むことを提案したのは妻のほうだった。四年前の春だ。「家で仕事をするんだったらここがいいんじゃない?」とお前の妻はあの奇妙な間取りが載った図面を示した。だから、お前が恵まれた環境にいたことは指摘されなければならない。だが、第二に挙げるべきはお前の本性だ。つまり、お前は現実のみに生きているのではない。お前の頭の中には常に想像の世界がある。そのレイヤーを現実に重ねることでようやく生きている。だから、お前はあのアトリエから見える現実に落胆しながら、この都市のような構造体の可能性を想像し続けた。簡単に言えば、この一街区はお前の想像力を搔き立てたのだ。  では、お前は想像の世界に満足したか?  そうではなかった。想像すればするほどに現実との溝は大きく深くなっていった。しばらく想像の世界にいたお前は、どこまでが現実だったのか見失いつつあるだろう。それはとても危険なことだ。だから確認しよう。お前が住む東雲キャナルコートCODAN一街区には四二〇戸の住宅があるが、それはかつて日本住宅公団であり、住宅・都市整備公団であり、都市基盤整備公団であって、今の独立行政法人都市再生機構、つまりURが供給してきた一五〇万戸以上の住宅の中でも特異なものだった。お前が言うようにそれは都市を構築することが目指された。ところが、そこには公団の亡霊としか言い表しようのない矛盾が内包されていた。たとえば、当時の都市基盤整備公団は四二〇戸のうちの三七八戸を一般の住宅にしようとした。だが、設計者の山本理顕は表面上はそれに応じながら、実際には大半の住戸にアトリエや事務所やギャラリーを実装できる仕掛けを忍ばせたのだ。玄関や壁は透明で、仕事場にできる開放的なスペースが用意された。間取りはありとあらゆる活動を受け入れるべく多種多様で、メゾネットやアネックスつきの部屋も存在した。で、実際にそれは東雲の地に建った。それは現実のものとなったのだった。だが、実はここで世界が分岐した。公団およびのちのURは、例の三七八戸を結局、一般の住宅として貸し出した。したがって大半の住戸では、アトリエはまだしも、事務所やギャラリーは現実的に不可だった。ほかに「在宅ワーク型住宅」と呼ばれる部屋が三二戸あるが、不特定多数が出入りしたり、従業員を雇って行ったりする業務は不可とされたし、そもそも、家で仕事をしない人が普通に借りることもできた。残るは「SOHO住宅」だ。これは確かに事務所やギャラリーとして使うことができる部屋だが、ウッドデッキ沿いの一〇戸にすぎなかった。  結果、この一街区は集合住宅へと回帰した。これがお前の立っている現実だ。都市として運営されていないのだから、都市にならないのは当然の帰結だ。もちろん、ゲリラ的に別の使い方をすることは可能だろう。ここにはそういう人間たちも確かにいる。お前も含めて。だが、お前はもうすぐここから去るのだろう?  こうしてまたひとり、都市を望む者が消えていく。二つの世界はさらに乖離する。まあ、ここではよくあることだ。ブリューゲルの「バベルの塔」、あの絵の中にお前の姿を認めることはできなくなる。  とはいえ、心配は無用だ。誰もそのことに気づかないから。おれだけがそれを知っている。おれは別の場所からそれを見ている。ここでは、永遠の未来都市は循環を脱して都市へと移行した。いずれにせよ、お前が立つ現実とは別世界の話だがな。
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 実際、人には出会わなかった。一四階から二階へ、階段を使ってすべてのフロアを歩いたが、誰とも顔を合わせることはなかった。その間、ずっとあの声が頭の中に響いていた。うるさいな、せっかくひとりで静かに散歩しているのに、と文句を言おうかとも考えたが、やめた。あの声の正体はわからない。どのようにして聞こえているのかもはっきりしない。ただ、ふと何かを諦めようとしたとき、周波数が突然合うような感じで、周囲の雑音が消え、かわりにあの声が聞こえてくる。こちらが応答すれば会話ができるが、黙っていると勝手に喋って、勝手に切り上げてしまう。あまり考えたくなかったことを矢継ぎ早に投げかけてくるので、面倒なときもあるが、重要なヒントをくれもするのだ。  あの声が聞こえていることを除くと、いつもの散歩道だった。まず一三階のコモンテラスの脇にある階段で一四階に上り、一一号棟の共用廊下を東から西へ一直線に歩き、右折して一〇メートルほどの渡り廊下を辿り、一二号棟に到達する。南から北へ一二号棟を踏破すると、エレベーターホールの脇にある階段で一三階に下り、あらためて一三階の共用廊下を歩く。以下同様に、二階まで辿っていく。その間、各階の壁にあしらわれたボーダー柄は青、緑、黄緑、黄、橙、赤、紫、青、緑、黄緑、黄、橙、赤と遷移する。二階に到達したら、人工地盤上のウッドデッキをめぐりながら島のように浮かぶ一三号棟へと移動する。その際、人工地盤に空いた長方形の穴から、地上レベルの駐車場や学童クラブ、子ども写真館の様子が目に入る。一三号棟は一〇階建てで共用廊下も短いので踏破するのにそれほど時間はかからない。二階には集会所があり、住宅は三階から始まる。橙、黄、黄緑、緑、青、紫、赤、橙。  この旅では風景がさまざまに変化する。フロアごとにあしらわれた色については既に述べた。ほかにも、二〇〇もの透明な玄関ドアが住人の個性を露わにする。たとえば、入ってすぐのところに大きなテーブルが置かれた部屋。子どもがつくったと思しき切り絵と人気ユーチューバーのステッカーが浮かぶ部屋。玄関に置かれた飾り棚に仏像や陶器が並べられた部屋。家の一部が透けて見える。とはいえ、透明な玄関ドアの四割近くは完全に閉じられている。ただし、そのやり方にも個性は現れる。たとえば、白い紙で雑に塞がれた玄関ドア。一面が英字新聞で覆われた玄関ドア。鏡面シートが一分の隙もなく貼りつけられた玄関ドア。そうした玄関ドアが共用廊下の両側に現れては消えていく。ときどき、外に向かって開かれた空洞に出会う。この一街区には東西南北に合わせて三六の空洞がある。そのうち、隣接する住戸が占有する空洞はプライベートテラスと呼ばれる。わたしのアトリエに面したテラスがそれだ。部屋からテラスに向かって戸を開くことができるが、ほとんどの戸は閉じられたうえ、テラスは物置になっている。たとえば、山のような箱。不要になった椅子やテーブル。何かを覆う青いビニールシート。その先に広がるこの団地の風景はどこか殺伐としている。一方、共用廊下の両側に広がる空洞、つまりコモンテラスには物が置かれることはないが、テラスに面したほとんどの戸はやはり、閉じられている。ただし、閉じられたボーダー柄の戸とガラスとの間に、その部屋の個性を示すものが置かれることがある。たとえば、黄緑色のボーダー柄を背景としたいくつかの油絵。黄色のボーダー柄の海を漂う古代の船の模型。橙色のボーダー柄と調和する黄色いサーフボードと高波を警告する看板のレプリカ。何かが始まりそうな予感はある。今にも幕が上がりそうな。だが、コモンテラスはいつも無言だった。ある柱の側面にこう書かれている。「コモンテラスで騒ぐこと禁止」と。なるほど、無言でいなければならないわけか。都市として運営されていない、とあの声は言った。  長いあいだ、わたしはこの一街区をさまよっていた。街区の外には出なかった。そろそろアトリエに戻らないとな、と思いながら歩き続けた。その距離と時間は日課の域をとうに超えていて、あの循環を逸脱しつつあった。アトリエに戻ったら、わたしはこのことについて書くだろう。今や、すべての風景は書き留められる。見過ごされてきたものの言語化が行われる。そうしたものが、気の遠くなるほど長いあいだ、連綿と積み重ねられなければ、文化は発生しない。ほら、見えるだろう?  一一号棟と一二号棟とを繋ぐ渡り廊下の上から、東京都心の風景が確認できる。東雲運河の向こうに豊洲市場とレインボーブリッジがあり、遥か遠くに真っ赤に染まった富士山があって、そのあいだの土地に超高層ビルがびっしりと生えている。都市は、瀕死だった。炎は上がっていないが、息も絶え絶えだった。密集すればするほど人々は分断されるのだ。
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 まあいい。そろそろ帰ろう。陽光は地平線の彼方へと姿を消し、かわりに闇が、濃紺から黒へと変化を遂げながらこの街に降りた。もうじき妻が都心の職場から戻るだろう。今日は有楽町のもつ鍋屋で持ち帰りのセットを買ってきてくれるはずだ。有楽町線の有楽町駅から辰巳駅まで地下鉄で移動し、辰巳桜橋を渡ってここまでたどり着く。それまでに締めに投入する飯を炊いておきたい。  わたしは一二号棟一二階のコモンテラスにいる。ここから右斜め先に一一号棟の北側の面が見える。コンクリートで縁取られた四角形が規則正しく並び、ところどころに色とりどりの空洞が光を放っている。緑と青に光る空洞がわたしのアトリエの左隣にあり、黄と黄緑に光る空洞がわたしの自宅のリビング・ダイニングおよびベッドルームの真下にある。家々の窓がひとつ、ひとつと、琥珀色に輝き始めた。そのときだ。わたしのアトリエの明かりが点灯した。妻ではなかった。まだ妻が戻る時間ではないし、そもそも妻は自宅用の玄関ドアから戻る。闇の中に、机とそこに座る人の姿が浮かんでいる。鉄格子とガラス越しだからはっきりしないが、たぶん……男だ。男は机に向かって何かを書いているらしい。テラスから身を乗り出してそれを見る。それは、わたしだった。いつものアトリエで文章を書くわたしだ。だが、何かが違っている。男の手元にはMacがなかった。机の上にあるのは原稿用紙だった。男はそこに万年筆で文字を書き入れ、原稿の束が次々と積み上げられていく。それでわたしは悟った。
 あんたは、もうひとつの世界にいるんだな。  どうかな、  で、さまざまに見逃されてきたものを書き連ねてきたんだろう?  そうだな。
 もうひとりのわたしは立ち上がって、掃き出し窓の近くに寄り、コモンテラスの縁にいるこのわたしに向かって右手を振ってみせた。こっちへ来いよ、と言っているのか、もう行けよ、と言っているのか、どちらとも取れるような、妙に間の抜けた仕草で。
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photoconcerto · 4 years
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ホテル リッツ  (August 2002)リニューアル更新 (4) Hôtel Ritz(Hotel Ritz Paris)(August 2002) Renewal (4)
6) オペラ座サイド 526号室  (Room number 526  viewing l'Opéra, Palais Garnier)
ブルゴーニュへの小旅行のため一旦チェックアウトをし、再度チェックインをしたところ、明らかにランクの違う部屋に案内されてしまったので、レセプションと交渉して部屋を変えてもらうことにしました。
前泊の108号室のようにテラス・レストランが見える部屋を「ガーデン・サイド」と呼ぶようですが、ガーデン・サイドがすべて満室だそうです。明日以降は何とかするので、今晩は我慢して欲しい、と言われました。その後、部屋に電話が掛かってきて、明日以降はキング・サイズ・ベッドで良ければ、「スクエア・サイド」(かの有名なヴァンドーム広場に面した部屋)の部屋を提供したい、アップ・グレードです、と言われましたので、了承しました。そして、お詫びにと、部屋にシャンペンが届きました。
それにしても・・・。 小旅行のため、一旦��ェックアウトをした際のレセプションのスタッフは、チェックインの時と同じ人で、朝なのでディレクターズ・スーツを着て、笑顔で冗談まじりに話し掛けてきました。TGVでディジョンへ行く、と言ったら、ディジョンはマスタードで有名な街、と教えてくれました。後半の予約を確認すると、何時頃チェックインか?と尋ねられたので、19時頃と答えました。その際に、後半も同じ部屋にして下さい、と言おうかどうか迷って、結局言わないでしまったら、これが後でトラブルの基になってしまいました。
2度目のチェックインのスタッフは、運悪く全く知らない別の人でした。やはり希望ははっきりと言っておくべきだったとの苦い反省でした。
ヨーロッパの伝統的な街並やホテルは、正面などの外壁は整然として美しくたいへん気持ちの良いものですが、その反面、意外と気になるのが部屋からの中庭などの眺めです。中層程度の部屋になると、当然ホテルの敷地以外の光景も眼に入ってきます。場合によっては見たくもないような汚い場所や、せっかくのムードをぶち壊しにするようなごちゃごちゃした光景を眼にすることもあります。隣の敷地に関してはもちろんホテルの責任を問いようがありませんが、宿泊客にすればホテルの印象と直結する大きな問題です。
前泊の印象でなんとなく、このホテルの高層階は眺めが悪そうだと思いました。そこで高層階の526号室と言われ、嫌な予感がしました。スタッフはオペラ座が遠望出来る眺めの良い部屋です、と説明してくれましたが、納得出来ませんでした。おまけに窓の外には、廂の上に大嫌いな鳩の糞が溜まっているし・・・・。
7) バー・ヴァンドーム (Bar Vendôme)
夕食は本来ダイニング・ルームの「エスパドン」で頂きますが、ブルゴーニュの小旅行でディナーは飽きたので、「バー・ヴァンドーム」に行ってみました。
涼しくて心地よい夜なので、室内ではなくてテラス席に座りました。軽食がありますか?、と尋ねると、アメリカン・クラブ・サンドイッチが用意出来る、というのでお願いしました。カプチーノを飲みながら、テラスの観察をすると、中程が植木で仕切られていて、奥はレストラン「エスパドン」のテラス席になっていました。今晩はテラス席のみの営業のようです。相変わらず、サービスの黒服のスタッフは多く、またハープの生演奏が行われていました。しかし、あのテラス席では高いお金を払ってわざわざディナーを食べる気にはなれませんでした。
ヨーロッパの五つ星ホテルは、夏になると、ディナーは豪華な内装のダイニング・ルームからテラスに移動になるようです。去年、宿泊したイタリアのホテルもテラスで、少しがっかりした経験がありました。   バーのテラスはリラックスしていて気持ちが良く、のんびりと寛ぐことが出来ました。しかし、正装のお客も多く、ディナーの帰りなのでしょうか?。夫の写真を撮っていると、先程のスタッフが来て、ふたりの写真を撮ってくれました。感じの良い、親切な人でした。
Hôtel Ritz Paris,  August 2002,  CONTAX 645 MFB-1B Planar T* 80 mm F2 / Fuji NS160, Film Scanner EPSON F-3200.   Fuji TIARA ix TITANIUM We can look at the enlarged images clicking the original ones.
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masterpieceisme · 4 years
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韓国旅行  Day.1  前半
ロンドン日記の途中(一応まだ終わってないよ)ですが、約一年前に行った韓国の日記からアップします。
2019. 5.17  AM8:00
今回一泊弾丸旅行でフルに時間を使いたいので、朝の便で福岡空港からソウルの仁川(インチョン)空港に行く。
空港のグローバルWifiで予約していたWifiを受け取る。現地では乗り換えアプリなどを使うのでWifiは必須なんだけど、日本に限らず海外もフリーWifiが安定していなかったり使えないところも多いので保険かけてWifi借りていく派。しょっちゅうSNSしなければ一日4Gの300MBで十分。
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空港好きなので、普段なかなか来ない福岡空港の国際便ターミナルのロイヤルで朝ごはん食べる。チケット探すときにJINair(ジンエアー)と迷ったJEJUairの機体。
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ジンエアー222便に乗る。1時間とちょっとで仁川空港に着いた。羽田より早いやん!感動。隣は韓国旅行に行く日本人の女の子とお母さんだった。ガイドブック見たり、着いたらすぐ行きたい場所とか言い合っていて楽しそう。
仁川空港→弘大(以下ホンデ)
空港から市内に向かう空港鉄道(AREX)の改札に向かう。日本人多い。空港は外貨両替の手数料が高いから現地で両替しようと思ってて、仁川からホンデに行く空港鉄道(AREX)のチケットはクレカで支払おうと思ってたら、まず最初の関門に引っかかった。
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券売機でまさかのクレカが使えん。窓口でクレカで買えるかなと駅員に聞いてみたら、そこでも「キャッシュ(現金)オンリー」と言われた。
観光客に市内に出る前になんとしても両替させたい仁川の陰謀を感じて腑に落ちんので、鉄道付近の両替所のレートを確認して、空港の方に戻って空港内の両替所のレートと比較すると空港内の方がレートがほんとにちょっとだけ良かったので空港内で両替した。意地でここで2往復くらいしてすごい疲れた。
※後で調べたら、ソウル駅直通の列車はクレカ使えるらしい。今回はホンデで途中下車できる一般列車を利用するので使えなかったっぽい。すみません。
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 無事にソウル行きの空港鉄道の一般列車のチケットを手に入れてホンデに向かう。所要時間50分くらい。電車内は綺麗で、韓国語のあとに日本語のアナウンスや表示も流れるので日本の電車内のような感じがする。海外での一人移動はいつも少し緊張するけど、早起きしたしさっきのクレカ使えない事件で疲れたのでホンデまで爆睡した。
 ホンデエリア
今回滞在するホンデは韓国一の美大弘益大学があり、若者が集まるカルチャーの発信地である。ホンデ紹介
 まずホンデ駅に着いたので、宿にチェックインに向かう。ホンデ駅の地下街広くて迷った。お店やカフェもいっぱいあって入り組んでて梅田のホワイティみたい。途中にK-POPアイドルのでかい広告がところどころにあって、日本人の女の子たちがよく写真を撮っていた。韓国人は笑いながら見てたけど、私もロンドンでblurのデーモン・アルバーンの昔のポスターの前で写真撮ったので気持ちすごいわかる。
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宿はHongdae Style Guesthouse
宿はホンデ駅から近いゲストハウスにした。しかもドミトリーではなくて個室が取れた。予約をしたときにすぐにスタッフからLINE登録申請がきて、「空港着いたらLINEで連絡して!道わからなかったら迎えに行くね!」と英語で連絡がきていた。超優しい。
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↑目印にしたカフェ。
入り口がわからなくて周辺うろうろしたけど、一人で辿り着けた。入り口の門的なところでロックを解除して、また建物の入り口でロック解除をしないといけなかった。ソウルってどこもこんなにセキュリティしっかりしてるんかな。
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宿の入り口の横にあるテラス。
宿のオーナーに宿内の案内と部屋のロック解除の方法を教えてもらっていると隣の部屋から日本人の女の子2人組が出て来た。宿には日本人が多いもよう。トイレとシャワーが近いとか(シャワー浴びるともれなくトイレが濡れる)、ちょっと水漏れしてるとか、日本と比べて水回りには少々難があるけど、部屋は綺麗だし、日本人用の変換プラグもあるしすごくいい部屋だった。
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共有リビングに部屋専用の冷蔵庫内スペースもある。♯203は私のやつ↓。ペットボトルのお茶をサービスでくれた。
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しかし宿に着いてから部屋までに3つのロック(全部キーが違う)を解除しないといけないとは、あんまりベロベロに酔って帰ると部屋に入れないかもしれんから気を付けようと思った。一人だし。
 PM2:00
ホンデ散策に行く。今回は韓国料理を食べられるだけ食べて帰るつもりなので、一人で行けそうなレストランに直行した。韓国はまだ一人飯文化が根付いてないので一人だと断られるところも多いっぽい。
 少年食堂 弘大店
カンジャンセウ(海老の醤油漬け)食べに来た!
ここは定食屋でカウンターもあるので一人でも入れる。お店狭いからちょっと並ぶけど回転は早い。スーツケースを持ってる日本人もいたけど、韓国人も多かった。学生さんたちかもしれん。
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ハサミが付いてくるので、海老の頭と尻尾を自分で切ってご飯に乗せて食べる。
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全然臭みもなく美味しかった。新鮮なのかな。醤油辛くもなくちょうどいい。カンジャンセウは漬け具合が難しい料理らしいので、美味しいやつ食べたんだろうな。レジのおばちゃんは英語が通じなかったので、会計時に「エビ!」と言ったら通じた。
 その後ブラブラして服屋やタピオカ屋に行列ができている前を通って原宿みたいやなーと思っていると観光中のYOHLUの団体に会った。YOHLUのライブ見に内緒で来たのにライブ前に会ってしまった。ここでサプライズ終了。
 ライブは19時からなのでもう一軒行ける!と思ってサムゲタン食べに行く。
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 百年土種参鶏湯 本店
サムゲタンはもう絶対食べて帰ると思って行ったので候補の店に行った。店員さんが優しい。でも韓国語わからん。
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ハングル読めないので、サムゲタンの写真を指さして「これ!」って言ったら「サムゲタン?」と言われた。そうだ、韓国語わからんでもサムゲタンという単語の読みはわかるんだったとハッとした。
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壺のキムチ食べていいよ、箸とスプーンはここ(引き出し)だよ、的なことを言われて待っていると出て来た念願のサムゲタン。
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意外と小さいから一人でいけるかなと思ったけど、海老の後だったのもあり若干きつかった。それでも完食できるくらい美味しかった。最初のおばちゃんが横通ったので「美味しい!」と言ったらニコニコしてたぶんサービスで他の料理持ってきてくれそうになったので慌てて断った。海老食べてなかったらいけたな。奥に厨房。
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  散歩しながら駅の方に戻ってプチプラコスメ屋の見学してたら、韓国の製品もあるけど半分くらい日本製品だった。パッケージも日本語そのまま。もう日本やん。
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ちょっと買い物して宿に戻ってWifiの設定して夜に備えてお昼寝。
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おやすみなさい。
 Day1. 後編に続く
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akirathehustler · 4 years
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国境がまだ閉じられていなかった2月16日、横浜の老舗のホールでソウルのドラッグ・クィーン、MOREさんとプロデューサーのコ・ジュヨンさんと一緒に作ったパフォーマンスのレビュー。正確に意図を汲んでいただいていて、うれしい。本当に本当に光栄だ。
국경이 아직 닫히지 않은 2월 16일 서울의 드래그 퀸, MORE와 프로듀서 고주영 씨와 같이 만든 공연의 리뷰.정확하게 의도를 길어 주시고 있고 기뻐서 눈물이 나온다.
http://choomin.sfac.or.kr/zoom/zoom_view.asp?type=OUT&zom_idx=514&div=03
去る2月9日から16日まで、日本の横浜に宿泊しながらTPAM2020(Performing Arts Meeting in Yokohama 2020)参加公演の数々を見ることが出来るという「あまり見慣れない」機会が与えられた。
公演観覧することを目的に海外に出て行ったことも、1日に一回以上の公演を毎日見ることも私には全て初めてのことだった。
不慣れなことだったので、普段よりも公演を見ることにより集中しようと努力した。しかし、目を閉じれば韓国で片付けられない数々の仕事と帰ってからやらねばならない仕事たちが頭の中でぐるぐる回り、インターネットで触れる韓国の事件とニュースは韓国にいる時よりもずっと大きく迫って来た。
その渦中に解決することができない悩みに向き合っている友人の日常が心配でもあった。そして、当時横浜にはコロナ19ウィルス感染の拡散防止を理由に3700余名の乗客と乗務員が隔離された旅客船が停泊させられていた。
とても近い所で起きていたけれど、一番非現実的に感じたことでもあった。私が歩いて通った道は穏やかで小綺麗で、公演は決められた場所で定時に始まり終わるというそんな繰り返しだった。私はぎこちない顔をして街を歩き公演を見て酒を飲んで睡眠を取る日々を送っていた。
振り返って見ると横浜での私の様子は見慣れないものではなかった。知らない建物の窓に照らされる私の顔をしばしばまるで違う人の顔のように錯覚するくらいだった。体も心もしっかり足を地面に踏みしめたいけど、実際にいざ自分がいたい場所がどこなのか、よくわからない気分。行かなければいけないのは何処なのか、そしてどこに行きたいのか。それらを確信出来ずにキョロキョロしながらを心許なく歩いているいつもの私の姿を、知らない場所でもっとはっきりと感じていた。
そんな状態で私はTPAM2020の最後の公演となる「ねじロール」と「オギヨディオラ」に出会ったのだ。それぞれ三十分あまりの二つのパフォーマンスが立て続けに上演されるこのプログラムは、TPAMディレクション(プログラムディレクター達によって紹介または企画されたプログラムが束ねられているセクション)の最後の公演でもあった。公演場所であるクリフサイドは外観から、廃業して随分経ったナイトクラブの気配をぷんぷん匂わせる場所だった。
ドアを開けると、年月を経た木と布の匂いが嗅覚を刺激した。過去の栄光が古いテーブルクロスとカーペットの染みの痕跡に記憶された場所だった。ロビーや階段にびっしり埋まった人々がいなくなってしまい今はもう空っぽになった空間が、ようやくブルースの音楽とともに「今にもマジで」ショーが始まりそうな空間だった。
客席の入場が始まると、観客達はロビーから相次いで階段を上り始めた。階段を上り切って到着した二階にはクリフサイドの一階のダンスホールとは区分された空間が設けられていた。ライブ公演を見ること、もしくは舞台に立つことには関心のない人々がそれぞれ集まってわいわいがやがやと酒を飲んでダンスを踊る物語を紡ぐ言葉を交わしそうな空間だった。
その空間で「オギヨディオラ」のパフォーマーであるモア・ジミンとアキラ・ザ・ハスラーが、ドラァグの扮装をし準備をしていた。二人のパフォーマーは、散らかった荷物衣装や小道具の間でまるでそこが自分の家であるかのように気楽な様子でメイクをしていて、観客たちはその姿を見ながら客席に通じる狭い通路に向かって相次いで歩いて行った。
私はその二人の姿を交互に眺めながら既に公演が始まっていたことにはっと気づいた。そして狭い通路の前に着くと、その通路の横のコンセントに携帯電話の充電器を差し込んだまま、しゃがみこんで座って、通話をする一人の男性の後ろ姿が見えた。「公演開始まであまり時間がないのにあの人はどんなに急な用があってああしているんだろ」
過去のどこかで、私も何回かは経験した、「緊迫した」行動も時空間を割るひとつのパフォーマンスのようだった。私は二階の狭い通路(下に一階のダンスホールが見下ろせるテラス)を通過して舞台(ダンスホール)が正面に見える一階のディナーテーブルに席を取った。
<ねじロール>
観客たちが席を取る時に生じる騒音と騒がしさは公演の開始時間が過ぎても続いた。おそらく舞台に設置されたスピーカーとサウンドシステムを通じて出て来る吃るような話し方の男性の声に神経が持っていかれるが、ぜんぜん無視もできるくらいの喧騒の中で観客たちのおしゃべりも継続された。
入場のさいに受け取った公演パンフレットをいじくり回す音と、バーに行ってドリンクチケットをビールやワインに変えてくる人たちが動く音で空間が散漫に満たされた。 <ねじロール>の梅田哲也(Umeda Tetsuya)と同僚のパフォーマーが舞台に登場して、サウンドシステムの前に座る動作も特別な気配もなく進行された。
二台の大型スピーカーの間に位置したサウンドシステムは、楽器を変形したものなのか変形して楽器になったものなのか分からない物体と、マイク、オーディオ・コンソール、そしてそれらを連結するラインで構成されていた。 パフォーマーが登場したから、もう何かが起きるのかなと思った瞬間、システムの合間に置かれている黒い旧式の電話機のベルが鳴った。 このベルは私がこの公演で明確に認知した二つの音のなかの一つだった。
ベルは鳴るが、受話器を取る人はいなかった。 梅田哲也が受話器を取り上げて、電話機の横に置いた。 まるで受信者はこの空間だとでもいうように。 そのため、さっきも流れたどもるような話し方の男性の声がもう少しよく聞こえるようだったが、依然として内容は分からなかった。 そして何を見なければならないのか聞かなければならないのか不明なこの状況を経験しているのは(おそらく)私だけではないようだった。
舞台の両側に見える、観客の視線もその焦点を失ったまま、それぞれ漂っていた。と、その時さっき通路にしゃがみ込むように座って電話をしていた男性が舞台の領域に歩いて入り、マイクの前に立ち泰然と通話を続けた。 やっと私はその人がもう一人のパフォーマーである捩子ぴじん(Neji Pijin)であり、これまで流れていた吃るような声の主人公であったいう事実を知ることになった。
若干の追加パフォーマンス(スプレームースを舞台の床にまいたり椅子の高さの構造物の上に立つアクション)がなかったわけではないが、彼は公演が終わるまで終始一貫してマイクを握り、言葉を「叫ぶ」行為を繰り返した。 そして他のパフォーマーたちによって作られた(あらかじめ計作ってあった)様々なサウンドが、彼の叫びをめぐって増幅された。 パフォーマンスが終わる頃に喉が裂けるほど繰り返して何かを訴えていた彼の声から「笛の音」がした。彼の声が裏返ったのだ。
その笛の音が私がこの公演ではっきりとはっきり認知した二番目の音だった。 最初に認知したベルの音が発信の始まりだったら、笛の音は重ねて滑ってしまう発信、あるいは、受信のずれを暗示するようだった。 彼の叫びのなかで、私がわかった内容は遂に一つもなかったが、後で彼が叫んだ言葉のなかに"Can you hear me?(私の話が聞こえるの?)"という言葉があったという事実を知ったとき、笑みがこぼれた。彼の数多くの叫びの中で、私は笛の音だけを受信したんだね。<ねじロール>は、対象と目的がなめらかに収束しない叫びと音をすべての空間にまき散らしながら終わった。 明確な受信させることは当初から発信する目的ではなかったというかのように。
<オギヨディオラ>
空間のあちこちにばら撒かれたエネルギーは、<オギヨディオラ>のパフォーマンスで一つずつ拾い集められた。 <ねじロール>の音が止むと、客席に入場した時から配備されていた、小道具や大道具たちが再び目に入って来た。サウンドシステムが置かれていた舞台の反対側、古いグランドピアノが置かれている空間(社交ダンスの交流の場だったクリフサイドで、ライブバンドの定位置だった空間)の両側に、約1.5×1.5メートルの段ボールに描かれた二つの山(mountain)がそびえ立っていた。 そしてグランドピアノの周辺には華やかな衣装やウイッグ、鏡などの小道具とバレーレッスンのためのバーが設置されていた。 私���前日に<オギヨディオラ>公演のために用意された練習室で、部分的にではあるけれど覗き見たパフォーマンスが、今日この空間でどのように実行されるのか期待しながら舞台まわりをもう一度ゆっくり見渡した。 その時、モアが舞台にフッと入ってきた。 ライブでドラァグクイーンの舞台を見るのははじめてだったので、彼が登場しただけで訳もなく胸騒ぎがし始めた。 彼は舞台にのぼり、精巧に描かれたラインと色が調和を成した自分の顔を鏡に映してみたり、靴や衣装といった小道具を手にするように動き、また舞台の外に出て行った。
ほどなく<オズの魔法使い>の挿入曲<Over the rainbow>の前奏が流れた。 そして白いショートカットのウイッグと白い木綿材質のオフショルダー・ドレスを着た、濃く厚いアイラインと彼のものよりさらに厚く赤い唇のアキラ・ザ・ハスラーが、はにかみながら舞台に登場してきた。 彼が歌の始まるポイントに合わせて唇を開いた瞬間、散漫だった空間の空気が彼の周辺に集まるのが感じられた。 彼のリップシンク、手ぶり、歩み、いたずらにスカートの下に隠しておいた、歌のラストに天井にバラバラに飛ばした半透明の黄色い風船まで私にはとても「リアル(real)」であるように感じられて、軽く狼狽するほどだった。
私は誇張されたジェスチャーや内容の公演をまっすぐに見ない方なのだ���、アキラ・ザ・ハスラーのショーはもちろん、それに続くモア・ジミンの<It's oh so quiet-Bjork>の舞台も、動作や表情を一つも逃さないようにじっと見つめていた。モアの真っ赤な唇と同じくらい濃いチーク、白い巻き毛のショートカットのウイッグ、小さな白いドット柄が散りばめられた赤い水着。そして赤い靴、そのすべての扮装が本来彼の身体の一部であるかのように自然に感じられ、それでいて美しかった。 私が感じたリアルさと美しさは、舞台の特性を活用し、着飾った二人の華やかさに由来するものでもあったが、何より二人が表現しようとした感情、情緒そして歌の歌詞以上のドラマが、各自に与えられた3分弱の時間の中で、極めて具体的に作られたためだった。 私はにわかに二人の世界をそっとのぞいたような気さえした。
ⓒRody Shimazaki, TPAM - Performing Arts Meeting in Yokohama, 2020
各自のショーが終わるやいなや、すぐに次のパフォーマンスが続いた。 余韻を感じる間はなかった。二人はもうすでに一緒にやるショーを準備するかのごとく「突然」モアによるバレエのレッスンが始まった。バーを使って開始された「講習」は舞台の中央へとつながって行った。 プロのバレエダンサーであり、振付師のモアジミンが見せてくれる動作を真似するアキラ・ザ・ハスラーの姿はまるで大人の真似をしはしゃぐ子どものように見えたりもした。 二人の遊びは、チャイコフスキー(Peter I.Chaikovskii)の<白鳥の湖>の音楽に合わせて最高潮を迎えて、二羽の白鳥のように舞台裏に退場してショーはそのまま終わるかのように見えた。
しかし、すぐに二人は白とピンク色の白鳥の形をした浮き輪に乗って(正確に表現すると両足で引っ張って)オールを漕ぎながら舞台に出て来ると、客席の笑い声とともに異なる次元の遊びが再開された。その後に続いた二つの韓国語の歌に合わせた二人のパフォーマンスは、二人が一緒にドラァグショーを作る、その過程のように見えた。 観客の視線と流れる歌に合わせて二人はショーの場面を一つずつ作って行っていた。
"…天空の星も 大地の花も ひそやかに わが道を 生きてゆくように ふと気がつけば 河が微笑みかけている 私たちも 微笑みがこぼれる…"-<オギヨディオラ>
李尚恩の歌<オギヨディオラ>の穏かなメロディーに会場全体の雰囲気が敬虔になったのか、それともそっと互いに心を配るかのように、それぞれの船に乗って水路の上で出会った二人の動きは、終始一貫して軽くて愉快だった。 "オギヨディオラ"のフレーズがリフレインされると、二人はそれぞれの船から降りて一緒に通ってきた水の流れに白い布を広げた。 そして二人はまるで白い布の上に新しい水路を描くような感覚で空色の絵の具を塗り、撒いた。 そして空色の絵の具が塗られた川(水路)は2階のテラスの高さまで引き上げられて、舞台の正面であり、両側にそびえる山の間に(流れるように)置かれた。 そして間髪を入れずに二人のパフォーマーはすぐに始まる次のショーのために衣装をチェンジし、順次舞台の両脇に置かれた山(山の絵が貼りつけられた構造物)の上に上がった。 二人がそれぞれの峰に上がると、二つめの歌である楊姫銀(ヤン・ヒウン)の<私たちが登る峰は>のナレーションが始まった。
ⓒHideto Maezawa, TPAM - Performing Arts Meeting in Yokohama, 2020
モア・ジミンは明瞭な表情と口の動き、そして手振りで、自分が登った峰にまつわる話を聞かせ始めた。 その場に韓国語の歌詞を聞き分けることができる観客は多くても5人程度だったため、ほとんどの観客は英語/日本語の歌詞が書かれたパンフレットや、モアのジェスチャーを交互に眺めながら彼の話に耳を傾けた。それは孤独に自身の峰を登っている友達に手渡す励ましだった。 そんなふうに各自の峰で始まった慰めだが、「友達よ」のフレーズのリフレインが始まる頃には二人のパフォーマーは各自の山から降ろし、出会わせ、今度は共に他の山(2階のテラス)を登らせた。
歌がクライマックスに近づくと、二人のパフォーマーは、観客らが公演前に通って来ていた2階テラスの両側の通路を通り、先ほど二人が共に描いた水路の上に並んで立ってプラカードを広げた。 プラカードには、まさにそのときに流れていた歌詞の内容の文句が書かれていた。 "だから友よ 私たちが登る峰は すぐ今のここかもしれないよ"
公演は「まさに今ここ」に集まった人々の耳目を二人のパフォーマーが到着した地点に集中させ、終わった。
驚いたことに<オギヨディオラ>のすべてのパフォーマンスを見るのにかかった時間はわずか30分だった。 二人のパフォーマーは停泊するまで延々とオールを漕いで行かなければならない船頭のようにせっせと、そして休む間もなくパフォーマンスを遂行した。 プログラムディレクターと2人のパフォーマーが公演に込めようとしたメッセージと「こうすれば面白そうだ」と想像した要素が決められた時間内に舞台の上で一つずつクリアになった。 パフォーマンスを一つずつクリアする度にモアが息を切らしながら吐き出した息の音、まるで合いの手や囃し言葉のようだったハイトーンの「はっ!」という音が、私がいま見ているものが何なのかをその度に想起させてくれた。 <ねじロール>での「笛の音」がそうであったように。
ⓒHideto Maezawa, TPAM - Performing Arts Meeting in Yokohama, 2020
公演場で、不慣れな場所で、そして日常でも私はしばしば「まさに今ここ」という感覚を失ってしまう。それは私を取り巻く状況と関係が、たとえどこにいても私に影響を与えているためでもあるが、しきりに今ここにないもの、あるいは私が望んでいないことを欲する真似をするからでもある。 私は今ここに無いものについて話す時、不安な気持ちになり、今踏みしめている地面も,そばにいる人もリアルに感じられなくなったりする。 そんな私に見知らぬ場所での最後の公演であった<ねじロール>と<オギヨディオラ>は、足元に感じられた古いカーペットの感触、そして私が見ているものの表面と裏面を感じられる時空間をその瞬間、開いてくれた。
公演が終わって宿所に戻って、次の日に韓国に発つ準備をしながら李尚恩の"オギヨディオラ"をもう一度聴いてみた。 すると他のどの歌詞より"さあさあ 船を漕いで"というフレーズが耳にすっと入ってきた。 私が漕いできた、そしてこれから漕がなければならないオールのことについて、そして一緒にオールを漕いでいる人たちについて考えた。 私はまた見知らぬ気持ちに酔って、どこか分からないところをうろうろするだろうことは明らかだが、少なくともその瞬間だけはせっせとオールを漕いで向かうべきところがどこなのか、少し鮮やかにはっきりしたのだ。
テキスト: シン・ジェ (演出家・韓国)
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roomzblog · 4 years
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各プロジェクトの進捗状況
■N VILLA
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竹林の中にある、N VILLA の基礎工事を進めています。 新潟市の郊外に位置するN VILLAは、緑に囲まれながら過ごすことができる家です。風景の中に佇む家。完成は2020年春の予定です。
■S HOUSE
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順調に工事が進んでいます。 2階リビングの広々とした空間で明るく過ごせる家です。 工事が進みましたら、内部空間の写真もUPしたいと思います。
■K HOUSE
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2階のテラスで、空の風景をおもいっきり眺めることの出来る家です。 間も無く完成です。
■YM HOUSE
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住宅地の中に建つ、YM HOUSE 。 お引き渡し向けて、仕上工事を進めています。 外装、内装共に、落ち着いたトーンで統一しています。 2方向道路に面し、外部からの視線をコントロールしながらも、街とつながるよう、窓の位置を計画しました。 新潟の冬の優しい日差しが、室内の奥まで届きます。
■静岡のプロジェクト
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静岡のプロジェクトも順調に進んでおります。 今月中旬に現地確認を予定していますので、その際に少し詳しくUPしたいと思っています。
■YK HOUSE
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YK HOUSE は先月お引渡しを終え、家具搬入の立ち合いにお邪魔しました。 ご家族様の生活が始まり、生活の為の品々が入ると、よりお客様らしい空間になって行くことを感じます。 来春、お庭が緑に色づいた頃に、カメラマンによる撮影の予定です。
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poirebatterista · 5 years
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パラレルな世界に存在する住宅について
ぼくがSUO事務所に出入りしていたのは4年ほど前になる。
以前SANAAのオープンデスクに行ってた縁で、周防さんの事務所立ち上げの手伝いに誘ってもらった。もしアルバイトとしてそのまま事務所に居ついていたら、大学より多くの時間を費やして、何か1つのプロジェクトを担当する...という道に進んでいただろう。 当時は屋島の展望台のコンペの手伝いをしていて、早朝に模型を完成させたのが最後の日だったように思う。
それがぼくの、未来の完成でもあった。それ以来SUOに行くことをやめて、違う道に向かおうと決めたのはM1の時だった。今に思うと、際どい判断だったと思う。
一方で、事務所の手伝いに誘った同胞の小野木氏は、(不幸なことに?)ぼく代わりにそのストーリーを全うすることとなった。前述の通り、大学院の多くを事務所で過ごし、そのまま住宅を担当し、いよいよ竣工の日を迎えたと、彼から伺った。 平行線の世界に存在するぼくにとって、住宅特集の表紙をただ他人事に見ていられるわけがない!
例えば、坂道の多い街を歩いてるときに、角を曲がった先に突然目下の景色が開けたとき、あるいは雑居ビルの階段を登った先に屋上に飛び出したときみたいな、日常が地続きの上で非日常に反転した時のさわやかさは、ひとつの空間の中で起きるというよりは、街全部をひっくるめた体験的な特別感であるように思う。 つまり、自分がある世界に存在していて、階段の向こう側の景色も、隣のビルの屋上も、他人の領域なんだけれど、自分の風景におすそ分けされている状態。
菊井邸のにわに漂う自由さは、そんなお得感の積み重ねであると思う。テラスにあがった時に、街の風景が広がるさわやかさというのは! 大坪氏の指摘によると、それぞれのテラスに立ったときの風景が、住宅のスケールから逸脱しているとのこと。なるほど。もう少し具体的に考えると、積み上がるスラブが中途半端であることで、隣地との目線が少しずつズレている。その結果、窓の外に対峙するものが「隣の家のリビング」とか、「隣の家のキッチン」ではなくて、総体として街の風景を庭が共有している。
もうひとつ、庭が街の風景として映るのは、隣地から余裕を持って、ぐるっと庭が配置された、建築の建ち方にある。 これは、この近くにある妹島さん設計(周防さんが所員で担当している)の「有元歯科医院」と共通している。前面に駐車場をとって、奥に建築を配置する郊外の典型的な風景に対して、建物を中央に配置して、ぐるっと余白をとり、そこを駐車場に当てている。その結果、車の見え方を周りの郊外型と外すことに成功してる一方で、隣地との距離感を獲得、ぐるっと開くことができる。 菊井邸においても、周りに配された庭は、隣地とうまく距離をとっている。それ以上に、自分たちの庭は隣の家におすそ分けされた庭でもある。お互いが自由に振る舞うための、柔らかい境界線として漂う空気。ハコはボリュームを詰め込んで積層されているわけではない。というか、庭の空気でふわっと包まれたボリューム、上昇気流を起こした雲みたいなもの。
つまり、いくつかのボリュームを積み上げたというより、地面を持ち上げた庭の構造体、という方がしっくりくる。そのために、床はコンクリート、タイル、デッキ材とさまざまに仕上げられているのだから。(洗面台でさえタイルが貼られていると、深読みできる!)
...というところが一通りの感想なのだけれど、「庭の構造体」だけでは、鉄骨の柱梁をそのまま表さずに、わざわざ木材で被覆していることが説明できない。この構成と空間は明らかに鉄骨造であるし、鉄骨として表現することが一番わかりやすいことに他ならない。 例えば、この構成を、そのまま木造であるように見せるという方向性がある。そうであるなら、柱と梁はどうづらとなって、フレームが構成することをより表現することができただろう。あるいは、抽象的なボリュームであることをより表現する手段もあるだろう。(実際にFIXガラスは内部と外部を隔てるものとして扱われていて、サッシもボリュームを行き来する出入り口として取り付けられている。)
しかしどうも、そのどちらでもない方向が取られているように思う。もしかすると、柱より幕板勝ちになっているから、一枚一枚の人工地盤が表現されている、と読むことができるだろうけれども。ガラスが本当に抽象的に扱われてよかったのか。アルミサッシはただ内と外を隔てるものとしてあるべきだったのか。構造と仕上げの行き来を批評するものとして木の被覆があるとするならば、もう少し違うあり方があったのではないか。これ自体は、庭の話と分断されたストーリーであると思う。
では、別の見方で考えてみる。そもそも、鉄骨に木の化粧がされていることは周防さんのギャグであるということだ。(これは住宅特集で内藤さんが発言したことから引用している。) そもそも、化粧として木が貼られていることが、それと構成が修辞的な関係性を持つことを目指していない。IPPONグランプリでいうと、バカリズムではなく、ホリケンみたいな一本の取り方。(ちなみに、ぼくはバカリズムの一本を目指している。)M1でいうところの、トムブラウンの中島ックス。衝撃型の笑いの取り方。少なくとも、ぼくだけは大笑いしている。
とはいえ、この何とも大らかな空気感は、どこか小野木の動物的なセンスに満ち溢れている(本人は嫌がるかもしれないがけれど)。彼が担当しなければ、決してドライブすることのなかったストーリーであって、ぼくにとってはパラレルに存在するこの住宅を、自分の中でやっと素直に位置付けることができたように思う。そんな銀河鉄道のようなストーリーを見せてもらった小野木氏に感謝と、竣工おめでとうの言葉を送ります。
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karasuya-hompo · 5 years
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Conan Outcasts:86:あらねの おうち あれこれ
 アラネは、1stのドムがエラーで動けなくなったときに作った、2nd建築キャラ。  そんなわけでこちらも管理者権限振りかざし、好き放題に建築しつづけています。……エラーに怯えながら:( •ᾥ•):  前回のドム同様に、スクショをだーっと羅列していくだけの回。  さて、まずは5/23に撮影している家。ただこれ、外観のスクショがなくなっているので、中の一部だけです。
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 「実際にありそうな間取りの家」を作り始めたのがこの頃。その第一弾が「白と黒(アキロ&黒氷)のお風呂つきハウス」。  まずはダイニング。
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 ざっくりキッチン。スペースの関係もあって、あんま作りこんでませんな。
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 で、お風呂!!  このお風呂に「浸かってる気分」を味わうため、椅子を置ける深さ、かつ、イスに腰掛けたとき棟から首のあたりに水面が来る深さが重用。そのため、この部分から建築開始しています。
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 自室もシンプルに。  装飾的なカゴが脱衣カゴっぽくて好きで、自室のベッドサイドとかによく置いてます。
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 こちらは6/8に建てているトゥランベースの豆腐型建築。
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 建物の形はめっちゃシンプルですが、横手にキッチンから行ける漁場があったり、
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 オープンテラスの作業場があったり。あと、ペット置いておく囲いですね。  ここは間取りが分かるスクショを残していないのですが、
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 和室には床の間っぽい段差をつけてみたりしていたり。
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 ダイニングの脇はすぱっと開けて作業場へ。実際の家がこんなんだったら困りますがw、まあ、窓とかね、ガラス戸とかないしね(´・ω・`)
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 漁場へ出られるようにしてあるキッチン。
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 寝室はシンプルに。せいぜいベッドを斜め置きした程度ですね。
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 この日のちょっと不思議な空の色合い。あ、久しぶりの砂嵐だ、と。シングルの建築だと、時間は経過させていますが(暗くなったときの灯りを見るため)、空は停止されているため、ずーっと砂嵐見てなかったんですよ。PvEのドードーではちゃんと出くわしてるのに、妙に新鮮でした。
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 で、これは5月中くくらいに作り始めていたゴブリンフォートです。撮影は6/28。  コンセプトは、「雑多な連中が集まって、勝手に建てまし繰り返していったら、気がつけばめっちゃく複雑でごみごみしたデカい街ができあがっていた」という感じ。  一応、製作設備は踏まえに固まっていますが、それでも、鍛冶屋を通り抜けて炉のところへ行くしかないとか、防具屋、錬金屋とかは別の場所といった具���に散らかってます。
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 赤い日除け置いてるとこが、鍛冶屋系への入り口。階段から上に行くことで、砦本体にアクセスできる感じ。
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 実際、自分でも「えーっと、あそこどうやって行ったっけ?」になったりしてます。
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 作り方としては「ここに部屋作れそうだな」と思ったら強引に作るので、計画もなにも、むしろあっちゃ困るw 雑で適当、いびつ、使い勝手ものすごく悪い。  そういう中で、思いつきで「この部屋の住人は物好きな学者」とか、適当に内装したり、後回しにしたり。
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 露店の武具屋さん。
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 同じく、剥製屋さんと、置き物屋さん。
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 軽食屋さんと、画家!! は? 乾燥台? なに言ってるんです? イーゼルですよ?(ㅍ_ㅍ)
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 ツボ屋さんと、一服する憩いの場。
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 裏手側から見るとこう。
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 橋の下に、家もなく住み着いてる奴だっていそう。  とかいう感じで、気が向いたときにぼちぼち建築追加してます。
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 これは8/17に撮影してます。上の平たいところは、ちょっと偉い人の家のするか……。
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 裏手の食堂。まだテーブルとかも置ききってませんが、中央に潤しの像でも置いて飾りつけようかなぁとか考えてもいたり。
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 隣の岩山に通じる橋は、岩の上だけでなく下にも。
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 上は上で通れます。
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 対岸の山をどうしようかなぁ。  まあ、思いつくままに建てまししていくのみですw
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 で、これは7/16。建築場所がたまたまこの、「川を泳いで渡っているときに、弓矢に射られて死んだ誰か」の傍でw
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 建ててるのはこんな建物。これまた、リアルありそうな間取りの家。  玄関、入ってすぐに小さな自室、キッチン、ダイニング。風呂場と、テラスです。
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 2Fはこう。階段を登ってきたところからそれぞれ、錬金部屋、手作業部屋、大型作業部屋に。あと、ベランダもね。
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 屋根とかつけて、庭にはペット用の餌小屋も。
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 はい、だいたい完成!!
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 玄関入って~、
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 シンプルな自室。いや、普通の家だと自室は2Fだと思いますが、そのへんは適当にコナンアレンジですので。
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 お風呂場。
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 庭にはペットも。
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 広々としたダイニング。
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 2Fの錬金部屋。プランターを置いた小さなベランダに出られます。
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 手作業場。各種職人台と、鎧ですね。
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 こっちは重量やサイズのあ��ものを作るほう。  水辺で緑も多いので、どかーんと窓を開けている部屋が多くなってます。  こういう間取り、どうやって考えるんですか、と言われたことがありますが……えーっと、基本的に、ネットとかでよさ気な間取り見つけてくるだけです。で、それをアレンジするだけ。  実際の家では必要な収納とかって、コナンでは宝箱置いたりになってしまうし、トイレも普通なら絶対必要ですが、ドムがやったように無理に作ることはできても、あの程度のものでしかないなら使わないんだから作らなくてもいいし、建材のサイズで無理があったり大きさ変えたりもするし。  あと、これくらいのサイズの家なら、実際に拠点として使うこともある程度考えているので、製作設備にアクセスするのが非常に面倒くさい、とかいうことはないようにしています。  代打のはずのアラネですが、こっちのほうがこまかい家を多く作ってる気がしてきましたね。  まだ紹介してない家が一つと、今まさに着手している新しい建物もあるのですが、それはまた次回!
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itose01 · 7 years
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ひみつのはなぞの
「クリミナルマインド」パロ。FBIの行動分析課が、犯罪者をプロファイリングし、犯罪心理を読み解いて事件の解決を目指す…という海外ドラマのパロです。未見ですが「エル」という映画の設定にも影響を受けています。 現実の日本より物騒な国で司法制度や警察組織も現実とは別物と思ってふんわりお読みください。
※ 出水くんのお父さんが犯罪者、太刀川さんが行動分析官という設定です。 ※ 小児性愛・殺人についての描写があります。それほど過激ではないですが、嫌悪感を抱く方はご注意ください。  【出水公平】  閑静な住宅街にある、真っ白の壁にとんがり屋根のその家には、絵に描いたような幸福な家���が住んでいた。  立派な洋風の家はもちろんだが、それよりも家族の自慢だったのは、父親が休日ごとに丹精を込めて世話をしている庭だった。  玄関へと続く煉瓦の小道をそれてアーチ型の門をくぐれば色彩豊かな花々が咲き乱れる庭へと出る。テラスに備えられたテーブルに母親と幼い姉弟は手作りのクッキーを並べ紅茶を入れて、庭仕事を終えた父親を呼んで、その庭を眺めながらアフタヌーンティーを楽しむのだ。  ご近所からもうらやましがられる美人の妻と、天使のような子どもたち。誰でも一度は夢に見る、そんな幸福に満ちた光景だった。  その家族に不幸が訪れたのは、庭の薔薇が美しく咲き誇る初夏のことだった。まだやっと小学校に上がったばかりの弟と父親をおいて買い物に出かけたまま、母親と姉が帰らぬ人となったのだ。どこにでもある、不幸な事故だった。  二人で住むには広くなった家で、それでも父と子は助け合いながら細々と暮らし続けた。母親が好きだった美しい庭は、変わらず花に溢れ、そこだけ時が止まったかのように見えた。その様子は近所の者からの憐憫を誘い、周囲は助けの手を差し伸べようとするが、それらを全て丁重に断りながら、父子はただ、二人だけで生き続けていた。  それから5年後。彼らの美しい庭から一人の少年の死体が発見された。  それだけではない。発見される2週間前に行方不明になっていたその少年のほかにも、警察の手によって掘り起こされた庭には4人の死体が埋まっていた。いずれも幼い少年で、その全てに性的暴行の痕跡が認められたという。  聴取された父親は素直に犯行を認め、やがて死刑判決が下された。  そうして一人残された彼の愛息子の名を、「出水公平」といった。 * * *  行動分析課に所属する太刀川慶は、手元の資料にぼんやりと視線を落とし、かの青年の経歴をなぞった。けれど結局、思考は彼の名が世に知られることとなった最初の事件に辿り着く。  唯一の加害者家族であったその少年は、事件の残虐性と異常性に過熱した報道と、「無害な」国民の好奇の視線にさらされて、プライバシーも何もなく、その個人情報をさらされることとなった。  その日、家族の自慢であった白い家は報道陣と野次馬に囲まれており、保護されていたはずの彼がどうして無防備にその姿を彼らの前にさらすことになったのかはよくわからない。けれど、不意に窓から顔を覗かせた「異常犯罪者の息子」に、報道陣だけではなく野次馬までもが競ってカメラのレンズを向け、一斉にフラッシュを焚いた。  その時の少年は、そんなふうに必死になって自分にたかる人々には一切目を向けることなく、ただ静かに庭を見つめていたという。  無惨に掘り起こされ、荒らされた庭。かつては季節の花々が咲き乱れ、優雅に蝶が飛び、光に満ちていた家族の自慢の庭。  騒動に気が付いた警察が彼を慌てて室内へと引き寄せカーテンをぴったりと閉じるまで、彼はじっとその庭を見つめ続けた。  目元は隠されていたけれど、その写真は太刀川も見たことがある。  あの時の少年が、当時の面影を残しつつ、けれど流れた年月を相応に感じさせる成長した姿で、太刀川の目の前に立っていた。  かつての少年、出水公平が太刀川の所属する行動分析課に配属となったのはある意味では必然であった。  事件後は親戚に預けられたものの、日本中からの好奇と畏怖と侮蔑の視線に耐えかねた彼は一人合衆国へと居を移し、行動分析の先進国であるかの地で犯罪心理学を専攻し、若くして博士の称号を得て帰国したのだ。  もともと頭は良かったが、遠い異国の地でスキップを重ねるほどの学才があったようにも思われなかった。にもかかわらずそれを成し遂げたのは、彼の中の非常な情熱と執着だろうと推測したのは、当時最も出水公平と親しく接していた担当分析官であった忍田正史だ。そもそも彼に渡米を勧めたのも忍田だという。  出水が今回太刀川のチームが担当している事件にアドバイザーとして招致されたのもその縁があったからだ。  その事件を、「出水公平」とそれほど年の変わらない太刀川が記憶していたのは、それが日本を揺るがす大事件だったからではない。たしかに当時は連日ニュースでもセンセーショナルに扱われ、学校でも話題になっていたが、それはあくまで自分とは関係のない、どこか遠くで起こった出来事で、すぐに忘れ去られる類のものだった。  太刀川にとってその事件が意味を持ったのは警察組織に入り、行動分析課で働くようになってからだ。  まだ立ち上げたばかりで実績のない行動分析課が初めて挙げた「手柄」で、その中心となったのが、自分が師として慕う忍田だった。その事実が、太刀川にとってその事件を特別たらしめる理由であった。  分析官として働くにあたって、これまで行動分析課が解決してきた事件の概要と分析内容をサンプルとして読み込んだ、その時に記憶に刻まれた文字の羅列とわずかな写真が太刀川にとってはその事件の全てだった。  そんな、資料でしか知らなかった人物が、今、実際に太刀川の目の前に存在している。それはひどく不思議な気分だった。 「よろしくお願いします、太刀川さん?」  そう、紹介されたばかりの名前を軽く語尾を上げて呼びかける彼の、透き通った琥珀の瞳を見た瞬間、太刀川は誰にも気づかれないほど小さく、「あぁ、これが」と感嘆の溜息をついた。無造作に拾い上げたパズルのピースがぱちりと当てはまったような感覚だった。  その時、彼の腑に落ちたのは、忍田からもたらされた「利発な子」という評価でも、先に顔合わせを済ませていた迅の「面白そうな奴」という感想でもない。  この青年のかつての幼い姿を前にして、犯して殺してやりたいと願いつつもそうすることの叶わなかった彼の父親。太刀川が共感したのは、そんな父親の異常な愛情だった。 * * *   父親は、警察からの聴取で聞かれたことには何もかも包み隠さず答えたという。少年たちを誘い出した方法や、犯している最中、少年たちがなんと叫んで助けを求めたか。いかに残虐な手口で殺して、どうやって周囲に気づかれずに遺体を庭に埋めたのか。淀みなく、理性的に答える姿が、彼の異常さを際だたせていた。  けれど、そんな父親がただ一つ、口を閉ざした質問があった。 「どうしてこんなことを?」  誰がどんなふうに問いかけようと、彼は未だにこの問いにだけは沈黙を守っている。  事件当初、そんな彼の態度にさまざまな憶測が飛び交った。そうしてその矛先は、そんな父親と二人で細々と暮らしていた、まだやっと十をすぎたばかりの幼い息子に向けられる。  小児性愛者である父親の相手を恒常的に務めていたのはその息子だろう。それを厭った彼が父親をそそのかしたのではないか? 父子は共犯だったのではないか。むしろ無邪気に主導権を握っていたのは子どもの方だったのではないか?  そんなふうに無責任な推理ばかりが暴走した。流出した、庭を見つめる彼の写真もその暴走を加速させた。  けれど、それらが全くの誤りであることは、捜査にあたった人間はみんな知っている。彼の息子の身体には性的接触の痕跡はついぞ見られなかったし、家宅捜索によっても物的証拠は何も出なかった。犯行は子どもの不在時や就寝中に行ったという父親の証言通り、用心のために息子に使用したらしい睡眠導入剤が押収品の中から見つかった。  一方で、彼の息子がこの事件の引き金であったという周囲の仮説は、正しく的を射ていた。  見つかった死体は5年間で5人。季節は多少ずれても、「標的は1年に一人」というルールだけは守って殺されていた。そして年を経るごとに被害者の年齢は一つずつ上がっていた。選ばれたのは必ず、彼の息子と同い年の少年だったのだ。  偶然の一致ではありえなかった。  小児性愛者の犯行だという地元警察の推理が覆されたのも、このルールに気が付いたからだ。  当時の捜査で一連の事件に関わると目されていた行方不明の少年たちは、小児性愛の対象としては年齢の幅が広すぎた。好みが変わったのか、犯人には本命がいて、それに合わせて標的を変えているのか。  後者であると仮定して捜査を行っ���結果、行き当たったのが件の父親だ。彼の本命は、彼自身の愛息子だったというわけだ。  引き金は愛する妻と娘の死であったろうが、彼の欲望はその前から芽生えていたに違いない。二人の死から殆ど間を置かずに犯行が始まったことから、かねてより抑えつけていた欲望が枷を失ったのだと考えられた。  なぜその欲望が息子本人ではなく、他者へと向かったのか。  頑なに犯行動機を語らない父親の姿に、彼なりに「理想の父親像」を守ろうとした葛藤が爆発した結果なのではないかという、警察内部でも結局は憶測でしかない結論がくだされ、そうして事件自体は一応の解決を見た。    十数年の時を経て、初めて太刀川は父親の内心を思い知る。  汚して壊して辱めて、無惨な姿に貶めたい、そんなふうに、異常者をこそ無性に惹きつける存在。  それでいて自分の狂った欲望にさらしてはいけない、汚れた指で決して触れてはいけないと不可侵の聖域のように思わせる存在。  そんな蠱惑と無垢が絶妙なバランスを保って人の形をとった、それが出水公平だった。  きっと、彼のそういう性質は普通の人間にはわからないだろう。けれど太刀川は一目で理解した。  それは太刀川慶が、かの父親と同じ種類の人間だったからに他ならない。 Next→【太刀川慶】 「お前は、殺人鬼の目をしているな」  警察組織の1から10までを手取り足取り教えてくれた先輩刑事が定年間際、最後によこした言葉がこれだった。  自分がなんと返したかは覚えていない。 -----------------------------------------------------------------------------------------------------------
 行動分析課は猟奇殺人、連続殺人などの難事件が起こると、地元警察の依頼を受けて各地に出張するというイメージです。現場へ出向する分析官と、渉外担当、情報分析担当などの役割分担があります。 ・なんとなく思いつくままに書いていたのですが、みなさんのかわいい太刀出を見て我に返ったので、ちょっと寝かせます。私はいったいなにを目指していたんだろう…。また気分が乗ったら続きます。忘れないようにちょっとさらしておきます。 ・個人的には太刀川さんは戦闘狂いだけど実は出水より常識人だと思うんですが、たまにサイコパス傾向のある太刀川さんも嗜みたくなる。
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unicodesign · 5 years
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ブラジル建築紀行 パンプーリャ編
ブラジリアのあと、サンパウロに2日滞在して、ベロオリゾンチへ向かいました。4年前の東京でのオスカーニーマイヤー展を見て、『ここにいきたい』と思ったサンフランシスコ・ジ・アシス教会のある街。
『パンプーリャの近代建築群』として、2016年7月に世界文化遺産に登録されています。
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ベロオリゾンチは、サンパウロ、リオデジャネイロ、サルバドールに 次ぐ第4位の都市であるミナスジェライス州の州都。ミナスジェライス州は、17世紀末に金が発見されたのを機に宝石の鉱山として栄えたところ。
ベロオリゾンチ市の北東部にパンプーリャ湖という人造湖があります。1938年にできたもの。この周辺一体の建築を、ブラジリアを手がけるより16年前の若き日のオスカーニーマイヤーが手がけている。当時のベロオリゾンチ市長は、ブラジリアを作ったクビチェック大統領。パンプーリャにレジャー施設を作るためと、オスカーニーマイヤーに依頼した。ランドスケープのブルレ・マルク��とのコラボレーションもあり、ブラジリアの原点のような。
空港からの途中、ミナス・ジェライス州の州政府庁舎は2010年、ニーマイヤー100歳をすぎての建物。
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自由な曲線、スロープ、造形的な柱、ニーマイヤーの要素が集約。
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最初に訪れたのは、カジノ。1943年竣工、現在は、パンプーリヤ現代美術館。
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ブルレ・マルクスの素敵な庭園からのアプローチ。
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エントランスからの眺め。
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外構計画、大事です。
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この建物、完成した3年後の1946年にブラジルでギャンブルが禁止されると同時に閉館に。10年後の1957年に美術館として再開された。サインも美術館仕様です。
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スロープ。奥の鏡の効果で、柱が続いていくよう。
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大理石のオニキスとステンレスの列柱が高級感。石はブエノスアイレス産だとか。
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スロープ!やっぱりダイナミックです。
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自由な曲線たち。
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奥に続く廊下、カーブを描くガラス。
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『ダンスフロアのあるレストラン』だったとか。
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床はオリジナルだとガイドのおじさんが言っていた。
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内部のブレイズソレイユ。
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トイレの化粧室。自由な曲線、コンパクトバージョン。
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外部。軸吊りの回転窓とピロティ、カーブと青いタイル。
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パンプーリャの他の建物にも共通して使われているこのタイルは、リオ生まれのアーティスト、パウロ・ヴェルネッキ(Paulo Werneck)の作。
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半屋外空間のピロティー。
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ブルレ・マルクスのランドスケープとのバランスがすばらしく。
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地形を生かしたゆるやかな『自由な曲線』
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ランドスケープによって建物が生きている。
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そして、いよいよ、サンフランシスコ・ジ・アシス教会!
というところで、改修中で中が見れないってガイドのおじさん。落胆がすぎたワタクシ。
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仮囲われていました。
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屋根までモザイク貼りの4つの波状コンクリートが放物線状になった、シェル構造の建物。
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本体のモザイクタイルの模様が仮囲いのもように。
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実際はこんなだったようす。モザイクタイルはカジノと同じくパウロ・ヴェルネッキによるもの。
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この前面のタイルが素晴らしく。画家のカンディード・ポルティナーリの作。
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動物と自然の守護聖人である聖フランシスコ・ヂ・アシスの人生が描かれています。鳥やお魚が。
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この足元の動物は狼で、本来、犬が描かれる場所に狼が描かれる独創性が、あとから問題視されたといいます。
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庭はブルレ・マルクス。
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パンプーリャの建築の中では最後に手がけられたもの。1945年完成。
ニーマイヤーが、エンジニア、アーティストと協力し、モダニズム建築として大きな成果のあったこの教会ですが、ベロオリゾンチの司教は、個人的作品すぎると、伝統的な教会建築として認めませんでした。なんと1959年まで14年間使われず。
市長だったクビチェックが大統領になったこと、1958年にローマ法王となったヨハネ23世がポルチナーリ作の祭壇に興味を示したりがきっかけになって、ようやく教会として認められたそう。
いろいろな紆余曲折があります。
気をとりなおして記念撮影。
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続いて、Casa Kubitschek クビチェックの家へ。ブルレ・マルクスのアプローチはカジノと同じくスロープで。
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直線的な形や、バタフライルーフに、コルビュジェの影響が残っています。
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奥のキャビネットの黒扉にかわいい絵が。
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コルビュジェ的な要素が多いと思いきや、中庭にきたら、ニーマイヤー曲線にであう。
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このモザイクは既出のパウロ・ヴェルネッキ。
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テーブル天板もタイル。レモンの輪切りみたい。
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テーブル脚や庇の支柱に、細いスチールパイプ交差使い。
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別棟へつながる庭園。
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植栽と壁の色、石積み、ペイブメント、色合いが好みだった。
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プールと、バタフライルーフ、スモールサイズ。
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そして、Casa Do Baile ダンスホール。
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自由!な曲線。
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自由なキャノピーと円形のダンスホールがつながります。
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キャノピーとダンスホールのあいまいな境目。カーブ状のサッシュをあけると一体化。
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お隣のヨットクラブ。1943年竣工。当時は湖でのヨット貸しスペース。現在は会員制プール。
スロープとバタフライルーフ。
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暫定利用の施工中でした。
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連続するブリーズソレイユ。
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中から。可変ではなかった記憶。
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湖に面するテラスが気持ちよかった。
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最初に見たカジノが湖越しに。
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パンプーリャの建築群を見終わって、ベロオリゾンチ方面へ。
ブラジルで一番デザイン性が高い、といわれるミネイロンスタジアム。
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1965年に建てられたもので、斜めの柱を残して、ワールドカップ前に大改修された。ソーラーパネルや、約6000キロリットルの雨水の再利用ができるなどの計画がされている。収容人員63000人。広〜いブラジルでも十分に大きかった。神宮の国立競技場80000人、そりゃ大きすぎる。
敷地内ではカフェに集う人や遊ぶ子供達が。外周はオリジナルで、その他は大半は改修されたそう。
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ベロオリゾンチの街にでて、これまたニーマイヤー巡り。
『Edificio JK』1951年に着手されて1970年まで事情があって引き渡されるまでに20年かかったという建物。
人工地盤の上に、手を広げたような巨大な柱によって浮いたように支えられれている。
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2つの住宅街区で構成されていて、こちらがAブロック。幅16メートル、長さ100メートルの23階建て。人口地盤の下1階には商業施設。
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道を挟んでBブロック、コンパクトだが、36階建で背が高い。あわせて、およそ5000人がそこに住んでいると推定される(建築案内本より)
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地形の斜面を利用して、半地下と人工地盤。道路のペイブメントがデザインされている。
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「計画当初は、住宅、ホテル、美術館、ショッピングセンターの共存を想定し、さまざまなタイプとサイズの用途とアパートを組み合わせることで、オスカーニーマイヤーは、可能な限り建築を通して何らかの社会的変革を実行する意図だった」
1階の商店街。曲線は健在。
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穴あきのコボゴブロックの壁が。このブロックはとても魅力的。
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半地下部分は、あまり治安もよろしくない感じ。
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「完成してから数年たち、建物が劣化すると地元の人々に避けられ犯罪者や犯罪者の居場所になった、しかし、1990年代後半以降、建物の修復、その結果として不動産評価があがり、社会経済的地位の高い人々の介入によって、状況は大きく変わった」とのこと。
上部の住宅はセキュリティもしっかりしていました。
それから、守衛さんにお願いしていれてもらったミルトンカンポス公立学校。これもニーマイヤー。
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コルビュジェ的な柱のピロティ。この建物、ブラジリアより前の1956年に竣工しています。
教室を上にあげて、ピロティはレクリエーションスペースとしている。生徒さんたちがチラホラ。
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教室へのスロープ。
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クリチバの美術館みたいと思った目玉のような形のオーディトリアム。
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雨がざーざーぶりでした。この駐車の形は正しいのか。
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ニーマイヤービル。サンパウロのコパンビルの小さい版。
ニーマイヤーはあまりに作品数が多くて、作られた年代が気になるのですが、こちらが1954年で、コパンが1951年からの着手のようなので、同時期のアイデアのよう。
水平のブリーズソレイユは外周のそれぞれで深さが異なる。中央部に少しだけ見えているのはモザイクタイル。ブラジリアでも見たアトスブルカンデザイン。とのこと。
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そして近くの、ミナスジェライス州立図書館。
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緩やかなカーブの外観と素晴らしい外構計画。
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こんな形の建物。
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ホワイエ。
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奥の壁、近づいたら、格子の壁は、ガラスなしで外とつながっていた。おーっと驚きましたが、他にも、外気を取り入れるこうゆう壁の建物がありました。ブラジル的穴あき壁。
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1階は子供用の図書室。
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上のフロア。
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サッシュは軸吊りの回転窓。
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どのガイドブックにものっておらず、ガイドのおじさんに教えてもらったこの図書館、館内を案内してくれた方が、建築を見に来る人がたくさんいます、オスカーにマイヤーですから!って言っていました。
この日もとにかくたくさん見ました。
公共施設のブラジリアと比べて、人間らしいスケール感。
自由なラインはニーマイヤーのアイデンティティだとしみじみ感じる若かりし頃の作品群。
『祖国リオの山々、川、海の波、女性の体の曲線、官能的な曲線に惹かれる』といったニーマイヤーの建築は、もうとにかくすごい数で、今もなお使われ続けている、色々と度肝を抜かれるのでした。100歳を過ぎても現役だったということも含めて。
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tanroboot · 5 years
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お台場デートプランのおすすめ34選!昼も夜も晴れた日も雨の日も https://sgk.me/2sHVZ80
1:お台場デートといえば?
お台場は東京でも屈指のデートスポットです。
付き合いたての初々しいカップルから、何年も一緒に過ごしているベテランカップルまで、幅広いカップルが遊べますし、どんどん進化しているから、何度訪れても楽しめること間違いなし!
(1)高校生でも楽しめるお台場デートスポットは?
高校生でも、お台場デートを楽しむ時代です!
高校生のお小遣いの範囲でも、遊び方次第ではかなり満足度の高い遊びができちゃうエリアです。
また『東京ジョイポリス』のようなレジャースポットでデートを満喫する高校生カップルも少なくありません。
(2)お台場は雨の日も夜も楽しめる!
お台場デートの魅力のひとつは、雨でも夜でも楽しめちゃう点にもあります。
せっかくのデートなのに雨が降ってしまってお流れ、なんて悲しすぎますよね。でもお台場デートなら、天候や時間帯を問わずに満足度の高いデートが叶うから、訪れるカップルを魅了し続けているのも納得です。
2:お台場のおすすめデートプラン5選
というわけで、ここからはお台場デートを徹底ガイド!
まずは、定番のデートプランを5選お届けします。
プラン1:『パレットタウン大観覧車』からの『ヴィーナスフォート』
『パレットタウン』にある大観覧車は、昼間ならば東京の街を一望でき、夜ならば夜景を堪能できる人気のデートスポット。
まずは観覧車で愛を育んだあと、タウン内の『ヴィーナスフォート』に移動して、ショッピングやグルメを楽しむのは、コンパクトにお台場エリアを楽しみたい人には嬉しいデートプランです。
また、新しくできた『森ビル デジタルアート ミュージアム』もカップルに人気のスポットになっています。
プラン2:『アクアシティお台場』付近を散策&ショッピング
お台場を走る新交通ゆりかもめの「台場」駅から徒歩1分と、雨が降っていても近いから移動が楽々で、アクセス至便な位置にある『アクアシティお台場』。こちらもショッピングからグルメまで楽しめる複合型商業施設です。
「とりあえず、お台場行っとく?」的な目的のないデートでも、ここにくれば何かしら楽しめちゃうという、魅惑の施設です。
プラン3:『お台場海浜公園』をプラプラ
お台場エリアは、東京都内にありながら、ちょっとしたリゾート気分を味わえることでも人気が集まっています。
特に『お台場海浜公園』は、静かな入り江をぐるりと囲っているから、カップルがゆったりと散歩をして過ごすのにも最適。
夕方には東京のマンション群に映えるサンセットが望めますし、夜ならばレインボーブリッジをはじめとした美しい夜景を眺めることができます。
プラン4:フジテレビ本社でエンターテインメントを満喫
お台場を代表する建物といえば、『フジテレビ』の本社ビル。会社ではありますが、観光客向けのイベントを開催していたり、一般客が見学できるエリアもたくさん!
地上100mの高さから東京の大パノラマを楽しめる『球体展望室“はちたま”』は、定番のデートスポットです。
プラン5:『大江戸温泉物語』でまったり癒しデート
お台場エリアのまったり系デートの定番として外せないのが『大江戸温泉物語』。
手ぶらで訪れる���とができる温泉施設で、館内は江戸時代にタイムトリップしたかのようなエンターテインメント性のある内装が特徴。
浴衣を持っていかなくとも、館内で貸し出してくれるから「今日は、お台場で何する?」と迷ってしまったときにも選びやすい♡
3:お昼食べるなら?お台場デートのおすすめランチ5つ
続いては、お台場デートのおすすめランチを5選ご紹介します。
味はもちろんのこと、デートで大切にしたい“雰囲気”にも注目してセレクトしましたよ〜♡
(1)『トラットリア マルーモ 台場店』
『デックス東京ビーチ』にある、テラス席からお台場を望めるレストラン。自家製のピザやパスタなどカジュアルなイタリア料理が楽しめます。
特に生パスタは「モチモチの食感がクセになる!」と人気があり、デートでオーダーするなら、彼とシェアしながらラブラブして食べるのもおすすめです。
(2)『Eggs ‘n Things(エッグスンシングス) お台場店』
EGGS ’N THINGS JAPANさん(@eggsnthings_jp)がシェアした投稿 – 2018年 6月月30日午後9時26分PDT
ハワイで大人気のパンケーキショップ『エッグスンシングス』。『アクアシティお台場』にあるこちらは、大行列ができることで有名な原宿店よりも、比較的混雑していないことでも知られています。
パンケーキだけでなく、ステーキやガーリックシュリンプなどお食事系のメニューもあるので、甘いものが苦手な彼でも満足度が高いはず。
またテラス席から見るお台場の風景は、デート気分を盛り上げてくれます。
(3)『CARESS(カレス)』
大人の隠れ家っぽい雰囲気が大人気のこちらのお店は、お台場のビーチ近くカジュアルなイタリアンレストラン。
自家製の手打ちパスタや自家製生地を使ったピザメニューなど、デートの気分を盛り上げてくれるメニューも豊富です。
広いテラスエリアは屋根つきで、雨の日でも開放的なテラスランチができるのも嬉しいポイント。
お台場海浜公園駅から徒歩2分という立地の良さもデートには重要ですよね。
(4)『GARDEN DINING(ガーデン ダイニング)』(グランドニッコー東京 台場)
グランドニッコー東京 台場さん(@grandnikkotokyodaiba)がシェアした投稿 – 2018年 6月月1日午前2時00分PDT
ちょっとリッチな気分でランチを味わうなら『グランドニッコー東京 台場』ホテル内にある『ガーデン ダイニング』でのランチがおすすめ。
ブッフェ形式なので、お腹がペコペコのカップルは好きなものを好きなだけ堪能できちゃいます。
また、インスタジェニックなテラス席を選べば、優雅なテラスランチのひとときを写真におさめられます!
(5)『bills(ビルズ) お台場』
bills Japanさん(@billsjapan)がシェアした投稿 – 2018年 2月月13日午前1時39分PST
オーストラリアのシドニーに本店を構える、リコッタパンケーキが有名なレストランです。
カジュアルダイニングとして展開しているお店で、パンケーキ以外にも、サンドイッチやバーガーなどのランチメニューも豊富です。また、スクランブルエッグやトーストなどの軽食もいただけます。
明るい店内は、リゾート気分を盛り上げてくれるゆったりとした空間。
のんびりと過ごしたいカップルにも、おすすめできるランチスポットです。
4:夜に行くなら?お台場デートのおすすめディナー5選
続いては、夜デートの虎の巻! お台場デートのおすすめディナーを5店をお届けします。
こちらも当然、ムードにもこだわってご紹介しちゃいましょう。
(1)『シースケープ テラス・ダイニング』
Hilton Tokyo Odaiba ヒルトン東京お台場さん(@hilton_tokyo_odaiba)がシェアした投稿 – 2017年11月月14日午前4時41分PST
『ヒルトン東京お台場』内にあるこちらのお店は、サンセット後にはお台場の夜景が一望できるロケーションにあり、ロマンティックなムードを盛り上げてくれるディナースポット。
ローストビーフやブイヤベースなど、シェフが腕によりをかけた本格的な料理をビュッフェスタイルで楽しめます。特にデザートビュッフェが豪華で、ちょっとした記念日デートにもおすすめの場所です。
(2)『響 お台場店』
素晴らしい眺望も人気の『響 お台場店』は、全国各地の銘柄肉など、食材にこだわった料理が楽しめる和食ダイニングバー。
『アクアシティお台場』の6階にあり、夜のテラス席では海風を感じながらリゾート気分でディナーを楽しめます。
(3)『Trattoria Pizzeria LOGiC お台場』
『デックス東京ビーチ』の3階にある『Trattoria Pizzeria LOGiC お台場』は、ピザが人気のカジュアルイタリアンレストラン。
店内の釜で焼き上げるナポリピザは、モチモチの食感なのにサクッとした絶妙な味わい。
夜風を楽しみながらディナーが楽しめるテラス席の雰囲気も素敵で、ゆったりとしたソファ席でのんびりと食事ができます。
(4)『the Canteen(ザ キャンティーン)』
TRANSIT GENERAL OFFICEさん(@transitgeneraloffice)がシェアした投稿 – 2017年 8月月22日午前12時46分PDT
お台場エリアの端っこ、テレコムセンター駅から徒歩5分の位置にあるカフェダイニング。
海外リゾート地のような雰囲気が素敵で、デートムードが盛り上がる!
お台場の賑わいから離れて、落ち着いた雰囲気で食事をしたいカップルには、ぜひ足を伸ばしてほしいお店です。
夏は、テラス席でBBQもできちゃうので、リゾート旅行に行ったような、非日常デートも演出できちゃいます!
(5)『RISTORANTE OZIO(リストランテ オッツィオ)』
OZIOさん(@ristorante_ozio)がシェアした投稿 – 2017年10月月30日午前3時51分PDT
会員制ホテル『東京ベイコート倶楽部』内にありながら、こちらは一般客でも入場可能。
スワロフスキーのカーテンが下りたゴージャスな内装は、大人のデートにぴったり。お姫さま気分を味わいながら食事ができちゃいます。
ライトアップされるテラス席もあるので、旅行のような非日常的なデートを楽しみたいカップルにもイチオシです。
5:雨の日でも!お台場デートの室内スポット5つ
お台場デートを予定していた日が雨!となると、ちょっとガッカリしちゃう人もいるかもしれません。
でも、安心してください!お台場なら、雨でも楽しめるデートスポットが大充実!雨の日デートを満喫できる室内スポットを5選ご紹介します。
(1)『台場怪奇学校』
こちらは『デックス東京ビーチ』内にあるお化け屋敷。
著名なホラープランナーがプロデュースした本格的な施設で、カップルでキャーキャーしながらイチャイチャ時間を楽しめるスポットとしても人気です。
ドキドキの時間を過ごしたあとは、そのまま雨に濡れることなく『デックス東京ビーチ』施設内でカフェタイムを楽しむこともできます。
(2)『東京ジョイポリス』
お台場で室内デートといえば、外せないほどの人気スポット。
本格的なアトラクションやショーもあり、1日中いても飽きることなく遊び倒せます。
彼と一緒にジェットコースターに乗れば、室内なのにどこかの遊園地まで遠出したときのような満足度の高いデートが楽しめちゃう!
(3)『メガウェブ』
新交通ゆりかもめ「青海」駅から直結の『パレットタウン』内にある、トヨタ自動車が運営する車のテーマパークです。車好きな彼にはたまらないデート施設。
屋内施設ながら、自動車の試乗が室内でできちゃうサービスもあるので、ちょっとしたアトラクション気分でトライするのも楽しい!
さらに試乗を申し込めば、屋外にも出られるので、車を持っていないカップルでも、雨の日のドライブデートが叶います。
(4)『日本科学未来館(Miraikan)』
先端の科学技術に触れることができる本格的な科学博物館です。
ゆりかもめ「船の科学館」駅からは徒歩約5分、「テレコムセンター」駅からは徒歩約4分という好立地にあるので、雨の日のアクセスも楽々。
館内は常設展のほかに、実演や体験プログラムなどのアクティビティも充実しています。
また予約制のドームシアターでは、臨場感あふれる映像プログラムを楽しむことができ、映画館デートのようなロマンティックな時間を楽しめます。
(5)『ソニー・エクスプローラサイエンス』
ソニーが運営する体験型科学館で、最新科学をスタイリッシュに体験できる人気の施設です。
シアターでは大迫力の映像を楽しめるほか、施設内では実験ショー、ワークショップなどの体験型イベントも充実しています。
また「音」や「光」など、それぞれのテーマ別に構成されている体験ゾーンでは、幻想的な雰囲気の館内で最新の科学を身近に感じる体験がたくさんできます。
『アクアシティお台場』の5階にあるので、雨の日にアクセスしやすいところも嬉しい!
6:人が少なめ?お台場デートの穴場スポット4つ
「お台場に行くなら混んでいないところがいい!」と思っているカップルのみなさん!
穴場なデートスポットを5選お届けしましょう。
(1)『マダム・タッソー東京』
マダム・タッソー東京さん(@madametussaudstokyo)がシェアした投稿 – 2018年 8月月2日午後10時51分PDT
有名人の等身大フィギュアが展示されている施設。
オードリー・ヘップバーンやマドンナ、ビヨンセなどの海外セレブたちのフィギュアにも会えちゃいます。
『デックス東京ビーチ』アイランドモールの3階にありながら、ちょっとしたレアスポットのような印象です。
(2)『東京トリックアート迷宮館』
『デックス東京ビーチ』のアイランドモール4階には、トリックアートが楽しめる施設が。ここも、知っている人が意外と少ない穴場なスポット。
不思議な写真がたくさん撮れますよ~。
(3)『船の科学館』
ゆりかもめ「船の科学館」駅からすぐの場所にあるにもかかわらず、落ち着いたデートができる穴場として人気の施設。東京臨海高速鉄道りんかい線の「東京テレポート駅」から徒歩約12分と、お台場エリア��中でも端っこに位置するため、穴場デート感があります。
潜水艇の模型や、大型スクリュープロペラなど、ユニークな展示もたくさん。
しかも屋外の展示は、なんと無料! お金をかけずにデートを楽しみたいカップルにもイチ押しです。
(4)『東京臨海広域防災公園』
お台場エリアの喧騒からちょっと離れた有明エリアにある公園です。
園内には防災学習ができる体験施設があり、津波避難体験や、東京に直下型地震が起きた想定で“地震発生後72時間を生き抜く知恵を学ぶ”「東京直下72h TOUR」など、防災にまつわる学びが体験できます。
映像コーナーやカフェもあるので、静かにデートをしたいカップルにもおすすめできる穴場スポットです。
7:誕生日を祝うなら?おすすめスポット5つ
お台場デートは、記念日デートのスポットとしても大人気!
そこで、誕生日を祝う際に訪れたいお台場デートのスポットを5選ご紹介していきます。
(1)『テレコムセンター展望台』
「誕生日には、しっぽりと夜景を満喫したい!」と思っているカップルにおすすめのスポットが『テレコムセンタービル』にある展望台。
東京ゲートブリッジが臨めるロケーションです。
(2)『森ビル デジタルアート ミュージアム:エプソン チームラボ ボーダレス』
館内すべてがアートになっているミュージアムは、誕生日のロマンティックムードを一気に盛り上げてくれる幻想空間。
最新デジタル技術を駆使したアートの数々には、ほかでは体験できない本格的かつムーディな演出がたくさん!
520台のコンピューターに470台のプロジェクター、10,000㎡の圧倒的なスケール感が素晴らしく、彼と館内を巡れば、とっておきの1日になること間違いなしの話題のスポットです♡
(3)『日本料理「さくら」 鉄板焼カウンター』
「誕生日に特別感のあるディナーを満喫したい♡」というようなカップルにおすすめなのが『ヒルトン東京お台場』にある日本料理店の鉄板焼き。
幻想的に輝く庭園を間近に見ながら、おいしい鉄板焼きを堪能できるレストランです。夜は庭園がライトアップされるので、ロマンティックなムードも一層高まります!
(4)『KING OF THE PIRATES(キングオブザパイレーツ)』
『アクアシティお台場』内にある、海賊船をモチーフにしたレストラン。個性的な内装が誕生日のお祝い気分を盛り上げてくれます。
お料理も海賊をテーマにしていて、グリル料理はボリュームも満点。
レストランの窓からは、レインボーブリッジや東京のビル群を眺めることができ、夜景を見ながらムーディなディナーが楽しめるお店です。
(5)『The Grill on 30th(ザ グリル オン サーティース)』
グランドニッコー東京 台場さん(@grandnikkotokyodaiba)がシェアした投稿 – 2018年 6月月15日午前2時00分PDT
『グランドニッコー東京 台場』ホテルの30階にあるグリルレストランは、誕生日ディナーにぴったりのゴージャスなお店。
オープンキッチンスタイルなので、まるで海外に旅行にきたかのような雰囲気の中でロマンティックなディナーが楽しめます。
地上30階から眺める東京の夜景も粋で、大パノラマを見つめながらお誕生日のお祝いができますよ~。
8:冬のお台場を楽しめるスポット5つ
お台場は季節を問わずに楽しいデートができる場所としても知られます。
そこで、冬のお台場を楽しむためのスポットを5選ご紹介してまいりましょう!
(1)「イルミネーションアイランドお台場」
冬のお台場デートで絶対に外せないのが、イルミネーション鑑賞。
例年、11~12月に開催されている「イルミネーションアイランドお台場」は、大規模なイルミネーションでお台場が光り輝く人気のイベントです。
(2)『ヴィーナスフォート』のイルミネーション
全天候型施設の『ヴィーナスフォート』は、1年中デートスポットとして人気の場所だけれど、冬場に訪れると美しいイルミネーションが鑑賞できるお得感も!
館内にある噴水広場や、天井や壁面などに美しいイルミネーションが展開されるので、あちらこちらでインスタジェニックな写真がたくさん撮影できます。
彼とのラブラブな写真をたくさん撮りたい冬の人気デートスポットのひとつです。
(3)『アクアシティお台場』のイルミネーション
『アクアシティお台場』のウッドデッキ周辺は、桜のライトアップが有名ですが、冬の時期にも幻想的な雰囲気に。
光のトンネルを歩いているかのようなロマンティックな光に包まれるので、ラブラブカップルのデートコースとして人気があります。
(4)「お台場レインボー花火」
「お台場レインボー花火」は、12月に打ち上げられるプチな花火イベント。
寒い季節ならではの澄んだ空気に大輪の花火がキラキラと輝く様子は、ロマンティックです。
1回10分程度なので、冬にロマンティック花火を堪能したいカップルは、花火の時間帯に合わせてお台場にGO!です。
(5)各ホテルや施設で実施されるクリスマスイベント
クリスマスが近づいてくると、お台場にある各ホテルや施設では、例年さまざまなクリスマスイベントが開催されています。
大人っぽいイベントからワイワイと楽しめるカジュアルな企画までいろいろなテーマでのイベントがあるほか、お台場エリアのいたるところに美しいクリスマスツリーが展示されるので、冬デート気分を一気に盛り上げてくれます。
9:お台場デートでラブラブしよう!
季節を問わず、また時間帯を問わずにラブラブデートが楽しめるお台場エリアは、まさにカップルの聖地!
ショッピングからグルメ、アクティブなデートからアカデミックな体験まで、その日の気分に合わせていろいろなプランが組めるから、いつ訪れても新鮮なデートが楽しめるのも魅力です。
みなさんも、お台場デートで大好きな恋人とラブラブな時間を過ごしちゃってくださいね♡
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