4/6 隣県へ整形のカウンセリング。1ヶ月以上前から予約して楽しみにしていた。先生とたくさん話して少し未来が明るくなった。がんばってお金稼ごう。
4/7 朝5時に元彼ukから着信。9時に起きてすぐ折り返す。「どうしたの?」 『なんでもない。最近、元気?』 「あんまり。あなたは?」 『あんまり。」
もう会わないって決めたのに、桜を見に行くことになった。昼過ぎに彼を迎えに行って河原へ。その前にとてもかわいいカフェに行った。
しばらく歩いてから、スーパーでお酒とおつまみを買った。川辺に座って水の音を聴きながら、ふたりだけのちいさなお花見をした。
花見が終わってから、お寿司を買って彼の家に帰った。やっぱり、いっしょにいるとリラックスできるし楽しいんだよな… 安楽死や異星人について話しているときに、ふとメールの受信音がなった。もう1月以上音信不通の元婚約者からだった。なんで今なの。誰か(神か仏かそのようなもの)がわたしを監視していて、一番最悪なタイミングでメールを受け取るよう仕向けているとしか思えなかった。
元彼は誰からのメールか少し気にしていたけど、深く聞いてこなかった。
そのメールは連絡を無視し続けていたことに対する謝罪だった。元婚約者がどういうつもりなのか、まだ分からなかったから慎重に返信した。
4/8 メールはテンポよく往復した。彼はニュージーランドでのワーホリを終えて来週チェコに戻る。チェコに会いに行きたいと伝えたら、5月の日本行きのチケットを買ったよと言われた。
私たち会えるの?
うん、会えるよ。
まだ私のことが好き?
うん、好きだよ。
『24日後に会えるワニ元婚約者』
どうして同じ日に2人して戻ってくるの?奇妙すぎて、メールが届いたときパニック発作起こしかけた。問題があることはわかってるよ。今は目をつぶりたい。
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密
転職サイトでエージェントサービスを申し込み、カウンセリングを受けた。その日のうちに大量の求人が紹介され、数時間かけて詳細を読んでみたものの全てやりたくない仕事だったのでサービス停止の手続きをした。こんな仕事要るか?誰が作ったんだ?と改めて求人を眺めながら社不の分際で偉そうなことを考える。結局、別のサイトを通じて何件か自分で選んだ会社に応募して、一旦ステイすることにした。
久しぶりに母親とLINEで連絡をとった。休職していることを含めて近況報告をすると、それならば一緒に旅行に行きたいと言う。その文面を見て重たい気持ちになる自分に、本気で本気の嫌気が刺す。母親は働いていたのだ。嫌だったろうに毎日外で働いて家でも働いて、高熱の日も生理の日も休まず私のために一人で働き続けていたのだ。泣きたくなる。頭が上がらない。次の仕事が見つかったら、心置きなく旅行でも何でも一緒にしてあげたいと思う。
dアニメストアに登録してから毎日欠かすこと無くアニメをみていたけど、休職しだしてから視聴時間がマシマシになっている。懐古厨なので平成アニメしかみていない。みたことあるものを見返したり、当時は知らなかったものをみたりして知見(二次元)(フィクション)を広げている。今同時進行でみているのは「ラーゼフォン」「あずまんが大王」「みなみけ」「キングダム」。
Googleカレンダーを日誌代わりにして、時間きざみで毎日自分の行動を記録している。スプレッドシートに慣れるついでに金銭出納帳と健康管理表的なものを作り、こちらも都度記録している。既存テンプレート使うより自分で作るのが一番使い勝手良い。こういう管理じみたことって個人でも集団でも、暇な人間だからこそちゃんとやるよな~と思う。
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よゆうよけいよわい
何もしない日々が続いている。何もしないではなくて、眠っている。眠って体を回復させようとしているのだと思う。昨日も今日も、朝から夜まで寝ていた。今日は午前中風呂に入って頭も体も洗った。ジムの予定を入れていたが、この疲れ具合では行けないなと判断しキャンセル。応募した契約社員の書店求人からは連絡がない。ぐーすか。夜はまたロッテリアをウーバーイーツした。2日連続。コンビニまで歩いていくことさえできない。ただの疲労だが2日間も動けなくなるなんてまったく面白くない。明日は病院2件。脳神経外科とカウンセリングを梯子。藤井風の新曲が出ているのでは、ということにしゃぶしゃぶ屋でかかっていた有線で気づき、iTunesに「花」を入れる。歌で思い出したが、あんスタのマヨイさんの曲で「要らないなら捨てればいい、必要なら得るしかないさ」みたいな歌詞があり、これは聞くたびにその通りだな、と思い感動してしまう。オタクにはイメソンという文化があるのだが、私は歌詞(言語)がなんらかのキャラクターやカップリングのイメージに繋がることはない。音楽、つまり音の総体と時間の推移から得られるひとかたまり(メロディやフレーズと言いたいのだが、それよりももっと音全体、全て)で言語の意味を排したものしか、イメソンとして捉えられない。言語はわたしが考えるので、誰かの言語をもう一度自分の物語には使えない。ということで、歌の歌詞はキャラクターやカップリングに当てることなく、純粋に自分の人生に照射させる。さまざまな歌にいままで自分の生きるこの瞬間を応援されてきた。この瞬間もだし、未来もそうかも。まあ、未来を思うこの瞬間の自分ということだけど。そういう時の歌詞は結構シンプルなものが多い。だから結局はこれも、言語というより音楽自体に励まされているのだろうと思う。なにか歌詞ばかり重視される「イメソン文化」みたいなものが、私と音楽との相対の姿勢とそもそも馴染まないなあとよく思っている。ミュージカル刀剣乱舞のadditional timesみたいなタイトルの曲にも昔一時期すごく励まされた。今聴き返してみた、今でも好きだ、かなり…。死ぬほどうつで毎日どうすればいいかわからなくて無職で一人暮らしをしていて、という時期にこの歌を聴きながらとにかく歩いていた。あの頃どうやって生きていたのか、全く思い出せない。今立ち上がれば未来は逃げない。今立ち上がれば心は負けない、まだ全てが終わったわけじゃない。BL編集部に正社員で採用されたものの、やばい会社すぎて1週間で辞めた。働く気力も引っ越す気力もなく、そのまま会社の近くのアパートで貯金を使って生きていた。もう何歳の時の事だったのかもよくわからない。その時も結局実家に帰り、数年の療養ののち、やっと地元でアルバイトできるようになってから、最終的にまた上京した。記憶力が悪いというか、そもそも記憶する能力がやる気を全然出さないため、過去はいつも私と切り離されている。断片的には思い出せるが、自分の記憶というよりは、その時代の私という人間(他人)に付随した映像や声という感じだ。毎日すごい勢いで自分という人間が変わっていくので、1週間もすると、もう別人になってしまう。でも私の周りの人々は私を継時的に外側から見ているからか、私にも一貫性(というか、私の人格がもつ特徴)というものがあると思えるらしい。私も私の性質を一応わかっているつもりだが、おそらく他人の方がよくわかっていると思う。私は私の体が見えなくてついつい意識だけの存在と思いがちになるので、その意識が「これだけ変わってしまったんだから、もう別人だ」とよくジャッジする。しかし実際には私は私の体というものを通してしか他人に認識されない。その体は特に変化せず存在しているので、私の中身が物凄い速さで流転していることは私にしか分からない。私にしか感じられない。私は十分に日毎に違う人間になっているような気がするのだが、他人からはそれは見えないので、人間としてひとつながりに見える。私にはそうは見えない。不思議な段差だ。
大学の編入学の試験が終わり、面接でのアドバイス通り、福祉社会学のある国公立大学に行き、4年間勉強しようと思う。そうするとまだまだ貯金が必要なので、一旦また数年働く必要性がある。そういう結論が出てまあまあ楽な気持ちになった。友人のジェルネイル検定のハンドモデルに関しても(恙無くはなかったが)終わり、やっと動くのをやめていい、となったのが昨日で、一日休みにしておいたのだが、今日になっても全然回復しなかった。自炊できるほどの気力が戻るまでにあと何日かかるだろうか。たくさんの夢を見て、絶対に父母や兄が出てきて、寝ているだけでも精神的にかなり疲れる。「お雑煮」という話題があるが、つまり実家や生まれた場所ではどんな味でどんな具のお雑煮だったのか地域差があっておもしろい、という話題で、その際に母が正月に作ってくれるすまし汁から湯気が上がっている食卓の光景や、それに餅をいくつ入れるとか話してもちを焼いたりしている父や兄や母の朝のことを思い出すだけで、ああ、これは人に話せる範囲の家族の話だけれども、とても人に話す気にはなれない、ということを思い、どっと疲れる。食卓というのはおおよそ全ての事件が起こった場所で、そこは最悪だったが、たしかに幸せを感じたこともあった。さまざまな光景が何重にも被さって映される、そして幸福の象徴としての正月元旦の朝。家族のことはもうできるだけ思い出したくない。幸せもたくさんあって、というより幸せばかりの記憶が残っている。私の心が潰れたことに関しては、もはや私の中にしか残っていないし、どんどん忘れていく。私が生物としてどんどん弱っていき薬なしで生きられなくなったことは、私しかその理由を知らない。それで全く問題ない。復讐心というものも、もうすっかり消えた。どうでもよくなった。そんなことよりこれからの自分の人生をどうするかということに比重がかかっており、良い事だと思う。時間が何もかもを解決する。とくに私は記憶力が弱いため、悪いことも良いことも、どんどん忘れてしまう。だから常に新しい「いいこと」を求めて動き回っている。自分には感知できないところだが、過去の「悪いこと」を早く帳消しにしたいがために、必死なのだろうなと思う。自分が未来に対してあまりに楽天的だなと思う時もあるが、基本的には楽天的な人間ではないと思う。でも楽天的な人間だと喧伝して回っているうちに、たぶんそうなれるので、楽天的と言うことにしている。とくに社交的な性格とは真反対だった人間だが、最近では社交的で人見知りしないことが事実と思われるような時もあるので、言い聞かせたり他人にそのように自己紹介することは自分を変える上でだいぶ有効である。被り続けたペルソナは自分の顔になる。このことは身をもって事実だと感じているが、やはりペルソナの下の部分も消えるわけではないので、そのことに自覚的であるほうが、難を切り抜けやすいと思う。
2023.12.4
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ヴァネッサ・ガーボル:第5次元 | アルクトゥルス人 | チャネリング
オリジナル動画:https://youtu.be/iqP_o8IxLh0
公開日:2023年7月15日
【和訳】ALAE PHOENICIS (Telegram)
★★★
今回はVanessa Gabor さんによる、アルクトゥルスからのチャネリング内容を和訳してお届けします。
ヴァネッサさんは、ドイツで霊視を使ったカウンセリングをしている方です。
★★★
今日は、アルクトゥルスから「愛」というテーマを伝えて欲しい、ととても強く話しかけられました。
「そんなこと、もう自明なんじゃ?」と私は答えましたが、彼らは「いいや、全く自明じゃないですよ」と返してきて、あなたが愛と繋がりやすくなり、愛を統合し、愛で生き、愛の中に存在し続けるにはどうしたら良いのか、説明したいというのです。
私の体験からしても、それは簡単ではありません。なぜかというと、皆さんは過去のことを思い起こしたり、未来はどうなるのだろう、新世界はどうやって変換され、構築されていくのか、などと考えてしまい、その時大抵は不安も感じているので、そのような質問を私もよく受けます。
アルクトゥルス人はそれを知っています。そして、彼らは地上に来ています。時々私は、彼らが人間としてここに来ていることを感じることがあります。彼らは非常に寡黙で柔らかい物腰をしており、目立たない人たちです。
これから私は彼らと繋がって、皆さんへのメッセージを届けたいと思います。そして、皆さんがこのメッセージを受け取るためにここへ来てくださったこと、そしてもしかするとこれを他へシェアしてくださることに感謝申し上げます。また、あなたがこの道を歩んでいることにも、感謝します。なぜかというと、そうでなければあなたがこのメッセージを聞いているはずがないからです。
……チャネリング
ご挨拶申し上げます。我々は人類の中にいるアルクトゥルスから来た者たちです。
人類の中で私たちは静かな存在ですが、非常に愛情深くもあります。内面は愛に溢れていて、愛を放ってもいます。
どうすれば、あなたはもっともっと、愛の中に居られるのでしょうか。それはあなた方がこれから脱しようとしている昔からの経験からくる思考と関係しています。その昔からの経験とは、無力感から来る恐怖に彩られており、あなた方はもう絶対に操られるのは嫌だと感じています。「愛」を掲げて操られるのも嫌なのです。
あなた方の最大の恐怖とは、愛を掲げて何かを要求されることで、操作されているという感覚になることです。あなたにそのような感覚があるか、確かめてみて下さい。
愛とは何を意味し、何が実は愛ではないのか、このことを沢山経験してきましたね。しかし、愛されたい一心で、子供だったあなたは操作に甘んじてきました。愛されたいがために、あなたは合わせてきました。愛されたくて、あなたは自分を否定してきました。そして、それはまだあなたの中に引っかかったままなのです。
愛とは、完全な自由のことです。愛は、あなたに何も強要することはありません。愛とは、単純にそこに存在している「状態」であり、あなたはその愛と繋がりたいと決断するのか、それとも繋がり方の手引を必要としているのか、それだけです。
これは、外からの評価とは関係のない、あなたの自己愛と、自己への価値評価がテーマだということです。
あなた自身の心の中へ入り込んで感じてみて下さい。今、あなたの中に含まれている、光も影も、その全ての面を合わせてあるがままの自分として愛せてますか?
受け入れる、ということが最初の一歩です。
感謝とは、あなたが自分自身をあるがまま受け入れるための、更なる一歩となります。
受け入れる、ということが愛なのです。
もう戦わなくても良くなった時、ただ今あるがままの自分で存在しているだけで良くなった時、あなたはどんどん愛の中へ入っていきます。
「そんなの難しい、私には出来ない」
自分自身をジャッジすることを辞めるのです。自分を貶めるのは辞めるのです。「お前なんか取るに足らない存在だ」と、誰があなたに言い聞かせたのかはどうでも良く、それは真実ではないことに気づいて下さい。
真実とは、あなたが源泉と繋がっていること、源泉からやってきたことです。その源泉が生命なのです。そしてその源泉はあなたをどこかへ行かせようとしているわけではなく、あなたという魂はいろんな体験がしたいので、あなたの生命は魂に向かって「私はこの人生で“愛であること”はどんな感じか体験したい」と語りかけます。
大事なのは、3次元世界から降りるのだ、ということをあなたが知っていることです。「欠如の感覚」から降りるのです。自己愛が、欠如の感覚を解消してくれます。
あなたはずっと穏やかになり、落ち着きを得ます。
自分のことを面白がって笑えるようになります。
この一歩は、新世界への一歩となります。
そして、この新世界は愛で出来ており、あなたの内側にある叡智で出来ている。新たな叡智が覚醒し、成長し、あなたはメッセージを受け取る波動を感じるようになり、何が正しくて何が間違っているのか直感的にわかるようになっていきます。あなたにとっての真実にしっくり来る感触、自分に合っている人たちの輪にしっくり来る感触を得られます。そうやって、あなたはもっともっと「愛」というもの、そして「愛と共に存在する」ということを信頼するようになっていけます。
「ただ単に愛するだけ、とはどうすれば良いのか」ということについて、疑問がありますか?
「愛する」とは、あなたが自分の周りで起こること全てに納得出来る、ということではないのです。愛とは、一歩下がって「他人はなぜ、あんなことをするのだろうか」と、その人をジャッジすることなく感じてみることなのです。愛とは、もう相手をジャッジをしなくなり、ただ証人になること。あなたの方は、相手の状況をジャッジすることなく、自分の内なる感覚をもって「自分自身にとってはこれは正しい」「自分自身にとってはこれは調和しない」を感じ取ること。
愛とは、目をそらし、無視することではないのです。
愛とは、全てを観察し、あなたは自分自身の焦点をどこへ合わせ、自分の感情をどこへ向けるのかを決めること。あなたの中に何が起こり、それをもって自分は何をするのか。
その世界で何かが起こることで、不快な気分になることもあるでしょう。自分の中に起こる怒りの感情もジャッジしないで、今顕れてきた怒りを受け取ります。あなたは人間であり、聖者ではないのだから、揺れたり腹が立ったりするものなのだ、と常に心得ておいて、状況を感じ取るのです。そして自分の中で怒りの感情を留めるのではなく、通り過ぎるようにして下さい。自分の感情に「イエス」と答え、息を吐きながら手放します。
これが、「愛」とたくさん関係してきます。「あるがままを受け入れる」ということ。「単純にそこに顕れてきたもの」に対してあなたはどうするのか?それに刺激されて、自分はどのような「愛」をもって新しいものをクリエイトするのか、試されています。それとも、昔からの何かが示されていて、「手放しなさい、それはもうあなたの役には立たない」と言われているのかも知れません。
我々アルクトゥルス人が、あなた方に神聖幾何学を渡したのは意味があります。あれら円形や三角形、四角形と向き合ってみて下さい。ピラミッドや八面体もです。これらの図形が、何の助けになっているのか感応してみて下さい。どんな意味があり、何につかえるのか。これらにはたくさん援助となるものが込められています。あなたの身体も、これらのいろんな図形から出来ているのですよ。そうして、あなたの魂が宿っている身体も、それ自体が存在なのです。ただ、あなたは自分の身体に、神聖になるための情報を与えることが出来ます。
あなたが禍に焦点を当てる程... どこかが痛い、あるべく機能を果たさなかったり、関節がきしんで前のように動けなくなったり、老化現象を嘆くとか... そうではなくて、歳をとることを愛するのです。あなたが身体に愛を送れば送るほど、老いはその重さを失い、「老い」という暗号は解けていきます。
そこに座って、「親愛なるアルクトゥルスの方、私の身体のこの部分を癒やす暗号となる数字がほしいのです」と言ってみて下さい。
数字というのは、エネルギーを上手に運んでくれます。
あなたの中を「愛」が通って流れるようにしてくれる補助は色々あります。
そして、ジャッジしたり、決めつけたりせず、「感じるもの」を単に感じてみる、ということをどんどんやってみて下さい。
知覚し、感じ、そしてそれをもってあなたが何をするのか、決める。
これが「愛」です。
「感じる」ことが「愛」です。
あなたの思考を「感じる」ことを学ぶのです。
「私の中に起きたこの思考は、何を引き起こすのか」。
「それは賢明な思考だろうか。これをもって新しい何かをクリエイトしたり、新し才能を磨き出すことが出来るのか」それとも「それは、自分の威力を愛することを抑制し、阻止し、怠らせようとする思考なのか」。
「愛」とは、自分の威力を浄化しなさいということでもあります。
そうした威力に、あなた方は恐れを抱いています。実は、あなた方は全力で「心」を起点にすると、ものすごい威力を発揮し、あなたが心の何処か隅っこに隠していた愛を展開して放射します。
今こそ、「恐れ」ではなく、「愛」が変化をもたらす時が来たのです。今こそ、「愛」が次なる一歩を示してくれる時が来たのです。そして、告知されていたように、既存の状況から脱するのが難しくても、それを楽にさせてくれるようとしています。
状況を変えていくには、それを楽に受け取ることで、変化に向けて適切な刺激が与えられます。
選択するのはいつもあなた。愛を選ぶ、明らかなもののか、選ばないのか。それもあなたの自由意志です。我々がここに来ているのは、この愛のフィールドを保持し、安定化させ、外側へ放射されるようにするためです。
そして、愛とは往々にして静かなので、だから、あなたは自分の心の中にある小さな愛の声に耳を澄ましてみて下さい。愛は大声で騒いだりしないし、戦うこともないのです。
愛は顕れくるもの。愛は示唆するもの。愛は澄んでいるもの。そして、愛は、その人の選択を尊重するもの。
もし、あなたの周囲で過った道を選んだ人がいたなら、その選択に敬意を持って下さい。彼はもう何周かまわって、もっと経験が必要なのです。ジャッジをしないで、「こうやって、こうした方がいい」などと説教などはしないこと。
もし相談されたら、あなたの経験を話して上げなさい。あなたがあなたの道程で、どうやって自分への愛へと進んでいったのか。あなたが自分に対してどんな努力をしたのか。その時あなたがその道を進む中、どんな経験をしたのか。
そして、他人が彼に与えたものから、彼が自分にとって良いと思うものを受け取っていくであろうことを信頼するのです。
愛とは、その人が行こうとしている道を、行かせてあげること。
歩み易くなる助けになるようなプレゼントしてあげるのもいいでしょう。
しかし、どの道を行くべきか、説得しようとする、これはもう愛ではありません。
愛とは「させてあげること」「あるがままで居させてあげること」「発展させてあげること」なのです。
あなたの場合でも、他人の場合でも。
すると、あなたはどんどん「愛のフィールド(エネルギー領域)」へと入っていきます。そこには、魔法があり、軽やかさがあり、喜びと感謝があり、人生への信頼がどんどん深まっていきます。
私の背後には、木があります。この木は遠慮なんかしていません。ただ、光に向かって伸びており、毎年より大きく強くなっていっています。
だから、太陽の光、愛の光を使って成長・拡張し、空間を浄化し、あなたの道が照らされていくようにしましょう。
我々は喜んで、あなた方を支援していきます。
アルクトゥルス人より
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最近はなんだか生きることが全然楽しくなくて、まあ別に今まで生きるの楽し〜〜〜ヒョ〜〜〜!!!って感じでもないんだけど、ず〜〜〜っと息苦しくて余裕がないというかギリギリで生きてるREAL FACE状態ってわけで
余裕あるじゃん(笑)って感じだけどいや全然そんなわけね〜だろって感じなんですが、とりあえず常に疲れてて寝ても食べても体がダルい こういう状態を解体するとシンプルに鉄分とかビタミンとかなんちゃら不足が原因で、サプリなんかで摂取すると意外とあっさり解消できたりするもんだよね〜と頭では考えつつもじゃあそれを行動のルーティンに取り入れようという気力もなく日々が過ぎていくだけの疲労・人間がここにいます
最近キールズのジェルクレンジングを買ったんだけど、ほんとに、化粧、落とすのが、ダルすぎる。ということでW洗顔不要の、せっかくだしちょっと良いとこのクレンジングを探してたらキールズにありました
洗濯機の内蓋の上で撮った
キールズってカウンセリング重視で一度店内に入ったら逃がさないような圧を毎回受けるからなんとなく避けてたけど、もう決め打ちでこれください。肌診断やりません。他も結構です。で案外スムーズに買えた──大切なのは強い意志──ジェルだけど落とすとき水足してクルクルすると泡状になってエンタメ感あってオモロいし顔のベタベタをこそぎ落としてくれるのでサッパリします パッサパサになるけどすぐに保湿すればあんま気にならない
良いものを買うとちょ〜っとだけ生活が底上げされるので、良い。最近買ってよかったものはこれと無印の不揃いバウム 期間限定の塩チョコみたいな味が美味しかった
最近よく聴く
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2023.03.19 岡崎京子の退屈と、空虚で透明な穴
昨日は、川で弾き語りをしていたら、やってきた警察官に立ち退かされて名前や電話番号等を控えられた後、家に帰って眠ると、フライされたコオロギを食べて「意外と美味しいよ」と誰かに言う夢を見た。最近、人と話していて、「あなたはもっと自分が、どのようなときにどのような感情を抱いているかについて自覚的になった方がいい」ということを言われたので、半分カウンセリングを受けているような気分でとても楽しく、そして絶望的に会話をしていた。自分にとって一番楽しいことは、楽しくそして絶望的であること、絶望的でありそして楽しいこと。イヤホンからは大森靖子が「アンダーグラウンドから君の指まで 遠くはないのさ iphoneのあかりをのこして」と歌う声が聞こえていて、いまもそれを本気で信じている。アンダーグラウンドという最果てと、今ここにある指先が結びつけられる。
RADWIMPISの「五月の蠅」を聴いたら、中学一年生の頃の夏のことを思い出した。大して興味もない部活の練習中に、練習をサボって校舎の裏みたいなところで誰かに「五月の蠅」を教えられて、それを聴いていた。「五月の蠅」を聴くと、あのギターのリフを聴くと、中学生の頃の炎天下のグラウンドが思い浮かぶ。数日前、京都市役所前ではデモが行われていた。村上龍の小説の中で猫が喋り始めた。映画、『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』と『RRR』と、『REVOLUTION+1』を見たいな、給料日まで所持金はゼロだけど。マクドナルドではカップルが向かい合って座っている。大森靖子が「料理長の音楽は豚肉の焼ける音だった」で、「君の好きなことが君にしかできないことだよ」と歌うのをもう、1000回くらいは聴いている。
***
〈見るための眼、呼吸するための肺、飲みこむための口、話すための舌、考えるための脳、肛門、喉頭、頭、足を、もはや耐えがたいものと感ずることは、なぜそんなに悲惨で危険なことなのか。なぜ、さか立ちで歩き、骨のくぼみで歌い、皮膚で見、腹で呼吸しないのか〉(ドゥルーズ+ガタリ『千のプラトー 上』、p310)
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人と話していて、急に現実感がなくなってしまうことがある。会話している自分と会話している相手を外側から眺めていて、その場面が切りとられているような感覚。そうなっても、もちろん自分は会話を続けている。これは現実なのか、現実じゃないのか、と考えながら会話を続けている、自分をずっとどこかから眺めている。こういうとき、急に「すみません、現実感がなくなってきました」。と言っていいのかな。でも、そういう内的な感覚って話し言葉にしてもどうしようもないような、そんな気がする。そんな気がする。自分の感情、自分の思っていることはやっぱりそれほど明確ではない。目の前に「綾鷹」のペットボトルがある、ということよりも、遥かに曖昧なものでしかない。「楽しい」と言葉にしてみれば少しそんな気もするし、「悲しい」と言葉にしてみればそんな気もする。
***
Twitterという場にせよ日記という場にせよ、それを誰かに伝えたい、公開したい、という欲求が薄れている。というか、正確には、SNS的な、リアルタイムで何かを伝える行為への欲求が薄れているのだと思う。長いスパンで何かを伝えたい、という気持ちはずっとある。SNSでも日記でもなく、小説を書くべきなのかもしれない。何日か前に、ひとつ小説が書けたので、そうやって続けていきたい。しばらくは水の中に潜っていたい。そこには熱帯魚が三匹泳いでいる。
***
今日はバイトの休憩中に、ずっと「吉本隆明の183講演」のテキスト版を読んでいた。インターネットで吉本隆明の講演が183本聴けるし、読めるというのはほんとうにありがたくて、いま自分にとっては一番価値のあるサイトかもしれない(サイトそのものは「ほぼ日刊イトイ新聞」)。
「文学の戦後と現在 ――三島由紀夫から村上春樹、村上龍まで」で、吉本隆明は、村上春樹に対して、「対象の選択力が非常に強い」という表現をする。例に挙げているのは『風の歌を聴け』の、「ひと夏中かけて、ぼくとねずみが、まるで何かにとりつかれたように、25mプール一杯分ばかりのビールを飲み干し、ジェイズ・バーの床いっぱい5センチの厚さに、ピーナッツの殻をまき散らした。」という文章で、このとき、大雑把に、そして強く対象が選択されている。
村上春樹以前の世代であれば(たとえば大江健三郎)、もっと緻密に描くはずのものを、村上春樹は大雑把に、しかし強い対象の選択力で描く。そして、この対象選択の強力さが、文学として、重たい出来事を「軽く」している。大江健三郎までの文学は明らかに「重い」のに対して、村上春樹は明らかに書かれ方が「軽い」。そして、対象の選択が強力であるということは、ある意味飛躍があるということで、その飛躍は、しかしある種のリズムによって繋がれていく。リアリズムからも、緻密な描写、からも遠い方法。
ここでふと、この「対象の選択力」の強力さ、そして書かれ方の「軽さ」というのはブコウスキーの『パルプ』を読んだ時にも感じたな、と思った。ブコウスキーも、現実を現実のまま写しとるというよりかは、明らかに大雑把に対象を選択して、ある種のリズムの中でそれを繋いでいた。もちろん、ブコウスキーに限らずポストモダンの小説にはそのような潮流があるのだろうけれど、ブコウスキーが自分にとってはなじみ深いから。
たとえば、プルーストの『失われた未来を求めて』を読めば分かることとして、そこでは内面の持続というか、心の中で感じたことすべてが緻密に描かれている。すべて、というのは誇張ではなくて、たぶん、内面のすべてを、見たものすべてを描写しようとしている。それがある種の「重さ」だとすれば、ポストモダン文学には、対象選択の強力さと「軽さ」がある。
***
「カール, カッセゴール. 退屈さとの闘争、衝撃へのノスタルジー :
W. ベンヤミンと村上龍をめぐって. 京都社会学年報 : KJS 2001」も読んでいた。「退屈」をキーワードとして、ベンヤミ��と村上龍、岡崎京子が引用されている。うる星やつら、終わらない日常、核戦争、オウム。限りなく透明に近いブルー、衝撃を人工的に生産すること。退屈さとの戦いの退屈さ。世界の破滅、という反復不可能なイメージでさえ、それが反復されれば退屈になる。
思えば、岡崎京子の漫画にはどれも愛おしいほどの退屈な空気感みたいなものがあって、村上龍『限りなく透明に近いブルー』には、暴力と性が加速し続けた結果としての、過剰な刺激ゆえのどうしようもない慢性的な退屈がある。
岡崎京子の描くあの日常(あるいは非日常)の、性や死を描くときの、その楽観的と言ってもいいくらいのグルーヴ感の中に、ぽっかりとあいた穴のような空虚さを見てしまう。自分の中では『pink』と『チワワちゃん』。というか、岡崎京子がそれを書くときの視線は、透明なもの、その生活に空いた空虚な穴を見ている。村上龍の『限りなく透明に近いブルー』もそうで、村上龍の視線は、過剰に飽和した性と暴力という非日常(が日常化したもの)の反復の、その後ろ側にある空虚な穴を見ている。
村上龍について言うと(自分の読んだ中だと)、『希望の国のエクソダス』『愛と幻想のファシズム』『半島を出よ』『五分後の世界』『ヒュウガ・ウイルス 五分後の世界Ⅱ』は外へ外へと向かっていって、乾いた現実をただ描写している印象だけど、『限りなく透明に近いブルー』『共生虫』『MISSING 失われたもの』にはそうではない側面を感じる。ただ、『愛と幻想のファシズム』辺りの作品を読んでいたのは中学生の頃だから、記憶が曖昧で、『愛と幻想のファシズム』を借りた地元の図書館の静かな空気ばかりを思い出してしまう。そこにいたのはたいてい、小さな子供か、老人かのどちらかだった。
***
最近、「意識レベルが低い状態」が幸せだと感じることが多い。睡眠薬で意識レベルが下げられている曖昧な状態が、一番幸せに近い。意識、が鋭敏な状態である限り幸福にはなれないな、と思う。意識レベルの低い曖昧な状態がずっと続いていて欲しい。だから、高校生の頃に読んだ『harmony/』で御冷ミァハが言っていたことの意味、そして意識が存在しない世界のその幸福さがとてもよく分かる。もちろん、そこに人間性は存在しないわけだけれど、人間性なんてはやく手放してしまえばいいのに、とほんとうに思う。でも、それに対して「人間性も必要かもしれない」と思う自分が存在してしまうから、そのコンフリクトと葛藤の中に意識が生じてしまうわけで、意識から逃れることができず、また、曖昧な状態を望むことしかできなくなる。
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長くなります。よかったら読んでください。 まず、私から提案したいと思います。 私の家に遊びに来ませんか。鹿児島県のとある田舎町で農業を営んでいます。新規就農してからまだ半年余りなので、アルバイトをしながら何とかやっている状態ですが。 独り者です。バツイチです。質問者の方が男性でしたら、何日か泊まっていただいても構いません。 柴犬と猫とヤギ、ニワトリがいます。 以下、陰鬱な内容を含みます。耐性の無い方は読まれない事をオススメします。 私もうつ病でした。 それも重度のうつ病でした。主治医には、最終的には脳に電極をつけて電気ショックを施すことを勧められたぐらいです。 入院治療も2度行いました。 最初の入院は、自殺未遂をしてから運ばれました。施錠された病室に隔離されました。常にモニターで監視されていて、トイレなどハナから丸見えです。 1週間の後、一般病棟に移りました。 職場には、主治医からうつ病の為3か月の休職が伝えられました。 2週間後くらいから、躁状態に入りました。 室内では腹筋、腕立てを繰り返し、外出許可をもらってはランニングに勤しみました。 自分自身が何故うつ病になってしまったのか自省し、退院してから復職する迄のやるべき事リストを作り上げました。 前向きな様子を見て、主治医も退院時期を前倒しにしました。 一月後、退院しました。 退院してから、先ずは主夫業に精を出しました。 過剰なまでの不安と心配を与えてしまった妻の為、早起きして犬と散歩に行き、朝ごはんを作り、掃除、洗濯を済ませ、夕ごはんの買い出しに行き、夕ごはんを作って妻の帰りを待ちました。 週に2回の通院は、あえて15キロの道のりを自転車で通いました。散歩にも出かけ、野の花や小鳥なんかをスケッチしたりもしました。 全てはうつ病を克服するためだけに、日々を過ごしました。認知療法、行動療法、薬物療法すべて行いました。 1か月後、再発しました。 休職期間も残り1か月ともなると、緊張と不安が絶え間なく襲ってきます。また寝れない日々が続きます。食欲もなくなり、何をするのも億劫です。 復職1週間前ともなるとある思いが心を支配します。 (死にたい…) とにかく私は死にたかったのです。 いわゆる、希死念慮です。 簡単に言うと自殺願望なのでしょうが、色んな自殺の方法を探りました。 結局は首を吊る事に落ち着きました。 妻の居ない日中に、何度も何度もタオルなどで首を吊りました。でも死に切れませんでした。 勇気を振り絞って復職しました。 3か月ほど働いたでしょうか。職場での日々は、私にとって正に地獄でした。常に緊張していました。頭が上手く回転しません。真っ直ぐ歩くことさえままならず、何故か柱や机の角にぶつかりました。トイレに用がなくても頻繁に入り、周りの好奇な目から逃げました。その度にトイレの窓から飛び降りたい気持ちになりました。自殺を試みた人間に対して、同僚は腫れ物に触るように対応します。 毎週末、今日こそはと思い、首つりを繰り返しました。しかし、最後まで出来ません。 私は思い込みの世界で生き、想像の世界で苦しんでいました。 自殺未遂をしてから、うつ病と告知されてから、いやもっとずっと前から私は、私自身の妄想に自縄自縛の状態でした。 あいつは仕事が出来ない。 あいつのせいでみんな迷惑している。 自殺未遂するぐらいなら仕事を辞めればいいのに。 それでも上司は私を励まします。 君なら出来る。死んだ気になってがんばりなさい。みんな君の事を心配しているんだ。恩返ししないとね。 妻も私を励ましてくれました。 折角、頑張って公務員になったのに、今辞めたらもったいないよ。家のローンはどうするの。その年から転職なんて出来ないよ。あなたの大好きな柴犬も手放して、動物も飼えないようなアパートに移る事になるよ。今が頑張りどきよ。 私はもう限界でした。いや、もうとっくに限界だったのでしょう。主治医からは兎に角強い睡眠剤と抗うつ剤を処方してもらいました。 起きていても何時もボーッとしていました。 漢字もどう書くのかよく分からなくなりました。 ひらがなさえ、「あ」と「お」の違いさえよく分からなくなり、度々授業中の計算ミスを子どもに指摘されました。 ある日、子どもに問いかけられました。 「先生、なんで死のうと思ったの?前の先生が、H先生はぼくたちのことが嫌いで死のうとしたって言ってたけど、本当?」 「そんなことないよ。死のうとなんかしてないよ。」 咄嗟に取り繕いました。 代行の先生が、断片的で恣意的な情報を子どもたちに伝えていたようでした。 再休職することになりました。 うつ病の原因は今だからよく分かります。 新しい学校に移動したものの、子どもたちと以前のような信頼関係を築けないことからの自己嫌悪。 同僚とも良好な関係を持てないことからの苛立ち、不安、不満。 それらから派生するように、仕事への自信喪失。 40過ぎても子どもを持てないことへの落胆。 35年住宅ローンの重圧。 自分の故郷が地震と津波で壊滅的な状況なのに、何も出来なかったことへの後悔。 妻とも友人とも、会話が噛み合わないことからの孤独感。 当時の私は客観的に見ても、八方塞がりでした。 でも多くの方たちも、多かれ少なかれ40も過ぎれば仕事や家庭で問題を抱えています。しかし、うつ病にはならないでしょう。だからこそ私は私自身に失望しました。失望感は再休職したことからさらに募り、積み重なった失望感は、絶望感へと集約されました。 再休職して、私はまさに生きるしかばねの様でした。 以前の休職期間のように、前向きにうつ病治療をすることも有りません。ただ、ただ死なないように生きているだけです。 誰かの歌詞にあったように、 私は小さく死にました。 当時の私は死にたいと云うよりも、「楽になりたかった」のです。 40も過ぎて再休職し、再び同僚や子どもたちに迷惑をかけ、上司の配慮や期待にも応えることが出来ず、その上、妻への罪悪感は筆舌に尽くし難いものがありました。 いつ自殺が成功しても大丈夫なように、定期的に遺書を書きました。妻への謝罪、同僚たちへの謝罪、両親兄姉への謝罪、毎日毎日こんな自分が生きていることが申し訳ありませんでした。 妻は週末になると、神社へとわたしを連れ出しました。近所の神社、箱根神社、鶴岡八幡宮、春日大社にも行きました。 2時間で2万円もするカウンセリングも受けました。 主治医から処方される薬は、5種類まで増えました。病院でのカウンセリング担当医は、大学を卒業したばかりのような若い女性です。彼女なりに真摯に私と向き合ってくれましたが、私は彼女から助けてもらえるとはとても思えませんでした。主治医で院長でもあった先生は、薬を処方するだけです。もしうつ病が治らず、教員を退職する事になったら精神障害者として生活保護を受けるしかないと言われました。 一向に良くならない私の状況に、妻は失望し、疲弊しました。あとで知った事ですが、リストカットなどの自傷行為をしていたようです。 毎晩、妻から叱責をされるようになりました。 このままだとどうなるか分かる?あなたがうつ病を治さないとどうなるか分かる?いい加減、治してよ!どれだけあなたが沢山の人たちに迷惑を掛けているのか分かる?だから早く治して! 時には包丁を持ち出され、一緒に死のうと懇願されました。 一度、人は道を踏み外すととことんまで堕ちるのだと思いました。しかも、底がありません。どこまでも堕ちるのです。 生き地獄でした。 翌年の4月、私は別の学校に移動し復職することになりました。 私は私を偽りました。うつ��は治っていません。しかし、治った事にしないと妻がもちません。 治ったと偽り、主治医にも復職を許されました。 復職して、3週間後の朝、自宅の梁に電気コードを括り付け、椅子を倒し首吊り自殺しました。 死んでいませんでした。 気づくと愛犬の柴犬が必死に私を舐めていました。 何も見えません。呼吸が止まっていたのでしょうか。私は必死に呼吸をしました。呼吸を繰り返し繰り返し行うと暗闇に光が差し込んできました。 何故かコードは解けていました。今際の際で、コードを解いていたようです。しかし自分が何をしたのか暫く理解できませんでした。失禁していることに気づきました。脱糞までしていました。眼球は出血し、白目部分は真っ赤に染まっていました。左半身が上手く動きませんでした。 その日、再入院することになりました。 主治医から、電気ショック治療を勧められました。一定の効果は期待できるが、全身に激しい電気ショックが流れるので多少の骨折や記憶の欠落などのリスクは覚悟してくれと言われました。妻の反対で行いませんでした。 もはや、自分が何をしたいのか、生きたいのか死にたいのか全く分かりません。ただただ矮小で卑屈で社会のゴミのような存在だと思いました。 生きている意味などあろうはずもありません。 でも私は生きていました。あの日以来首を吊るのも止めました。何も考えず何もせず、出されたものを食し排泄し、夜になれば睡眠剤でぐっすり寝���朝になれば看護師に起こされ、何もない1日が始まります。 2か月後退院しました。暫くして、教員を辞めました。無職になりました。新築の家も売りに出しました。妻には当然ですが、見放され東北の実家に帰ることになりました。実家にはまだ思春期の姪たちがいたので、兄がアパートを探してくれそこに1人で暮らす事になりました。 私は何も考えなくていいように、中古のゲーム機を買って一日中ゲームをしていました。たまにスーパーに食料を買いに行きますが、誰かに見られるのが恥ずかしくて、短時間で目につくものをそそくさと買ってアパートに戻ります。何も考えません。感情も有りません。風呂にも入りません。歯も磨きません。ある時、履けるパンツが無く、Tシャツを逆さにして履きました。チンチンが寒かったです。 以前の主治医から実家近くの病院を紹介され、紹介状も持たされていましたが、そこの病院に行く事は有りませんでした。もう精神科医も抗うつ剤も睡眠薬も私には必要ありませんでした。 なぜなら私は人の形をした、ただの醜いぬけがらでしたから。 時間も季節も、世間も仕事も、私には何の意味も有りません。物欲、金欲、食欲といった欲求もありません。ただ日々死なないように生き、金を食いつぶし、秋が来て、冬が来て、春が来ました。 定期的に父から電話がありました。その日は今までにない雰囲気で、もうアパートを引き払えと言ってきました。 実家で両親と兄家族と暮らす事になりました。 父は頻繁に私を外に連れ出しました。80も近い父の運転で、被災地の風景を見たり、故郷の野山を見たり、桜を見たりしました。 5月過ぎ、父が帯状疱疹になりました。 6月になると、胃腸に何らかの不調を訴えるようになりました。 7月、近隣の中核病院に入院することになりました。 最初は泌尿器系の病気が疑われ、手術を受けましたがあまり体調が改善されません。その後、ガンが疑われましたが、その部位が分からないと言われました。原発不明ガンと診断されましたが、本人には告知していませんでした。 父が体調を崩してから、病院の送り迎え、入院の準備や手続き、お医者さんの対応など、私が行いました。初めは嫌々でしたが、結局手が空いているのは私しかおりませんから、仕方なく対処していました。 原発不明のガンなので、具体的な治療方針が決まりません。何故か、一時退院が許されました。 退院してから、定期的に通院する事になりました。その日は泌尿器科の受診の日でした。泌尿器の主治医がお休みで代理の先生に診てもらいましたが、受診後父の様子が変で、帰り道に尋ねるとガンだと告知されたと言います。 何年ぶりでしょうか。私の中に忘れていた感情が芽生えました。 怒りです。 その日告知してきた先生は、あくまで泌尿器科の主治医の代理で、しかもガンの部位はおそらく消化器系だろうと言うことで告知する時期は消化器科の主治医と治療方針と共にこれから考えていきましょうという段取りになっていたのです。 父の落胆は見るからに明らかでした。父はタバコも吸いません。深酒もしません。健康番組が大好きで、健康に人一倍気を使っていました。 食事の世話も私が行っていましたが、食欲もめっきり無くなりました。歩くのも酷く疲れるようになりました。 私は消化器科の主治医とアポを取り、抗議の為病院に赴きました。何の相談もなく、科も違う代替先生が告知をしてしまった事に、平謝りでした。 それから私は、ガンについてできうる限り勉強しました。通院の際は、ノートを持ち込んで先生の所見を事細かくメモしました。 PET検査なるものでガンの所在が分かるかもしれないと聞き、検査機のある病院まで連れて行きました。 しかしながら、ガンの所在、及び部位は特定できませんでした。 8月になり、いつも以上に辛そうな父を見て再入院させる事にしました。病院に着くともう自力では歩くことが出来ず、車椅子に乗せて診察室まで連れて行きました。 父は気丈で弱音を吐くことを聞いた事がありません。 私が小学生の頃、車のドアで親指を挟み、骨が見えていても自分で運転し整形外科に行き、夕方には仕事をしていました。 私が中学生の時には、母が粉砕機で薬指を切り落としてしまいました。側にいた父は、すぐさま薬指を拾い、氷袋に入れて母を病院まで連れて行きました。指はくっつきませんでしたが。 そんな父が、自ら車椅子に乗っている姿に愕然としました。 主治医からは、胸水が溜まっているのでお辛いのでしょうと言われました。とりあえず、入院治療することになりました。 胸水を抜いてもらい、多少楽になったのか父に少しだけ笑顔が戻ってきました。後から来た母とも談笑していました。 数日後、父は永眠しました。 死因は、原発不明ガンとのことですが直接的な死因は、窒息死です。深夜になって吐いたものが気管に詰まり、自力では解消されず看護師が気づいた時には亡くなっていたのです。 解剖はしませんでした。 母の取り乱しようは筆舌に尽くし難く、身内一同呆然としました。 それでも、お通夜や葬儀は粛々と進められます。 葬儀が終わり、明日早朝に火葬を残すのみという晩の頃、私は葬儀会場で棺の中にいる父と2人きりになりました。 止め処無く涙が溢れてきました。あんなに泣く事はもはやないだろうと思います。 おそらく1時間ほど泣き続けたでしょうか。その間、私は心の中で同じ言葉を繰り返していました。 (ごめんなさい。ごめんなさい。) (もう大丈夫だから。) ほぼ平均寿命とは言え、父は80手前で亡くなるような人ではありません。ましてや、ヘビースモーカーで高血圧の祖父より早死にするような人ではないのです。 では何故、こうも早逝してしまったのか。 原因は、私です。 私の存在がストレスとなり、私のうつ病が治らないこともストレスとなり、40過ぎの息子が無職になって帰ってきて引きこもりになっている現実がこの上なく父に負担を掛けたのは間違いありません。帯状疱疹になったのも、胃腸に不調をきたしたのも、がんと診断されて1か月余りで亡くなったのも、私のせいです。身内は誰も口には出しませんが、みんなそう思っている事でしょう。 それなのに私は、父の棺の前で1時間ほど泣いて泣いて泣き疲れた後、気づいたのです。 うつ病が治ったと…。 皮肉なものです。父の病と死が、私のうつ病を寛解に導いたのです。 半年前まで、私は私の抜け殻でした。 何もせず、何も考えず、ただ無意味に時間とお金を浪費する肉の塊に過ぎませんでした。他人と会話する事は勿論のこと、身内ですら顔を見て話すことも出来ませんでした。 それが3か月前から止むを得ず、父の世話をするようになってお医者さんと交渉したり、看護師と話したり、父の様子を親戚に伝えたりするうちに何となく、うつ病は回復の兆しを見せ始め、最終的にに父の死によって寛解に至ったのです。 父は全く意図していなかったでしょうが、結果的に父の病と死が、私を深い深い谷底から救ってくれたのです。 結局のところ、私のうつ病を治したものは医者でも無く、カウンセリングでもなく、ましてや薬でもありません。タイミングときっかけ、そして行動です。 以下は私の経験則からの私見です。異論がある方もいらっしゃると思いますが、ご容赦ください。 うつ病は、薬で治る病気ではありません。 一般的な解釈としては、うつ病は過剰なストレスなどにより、セロトニン、ドーパミン、ノルアドレナリンといった神経伝達物質が上手く働かなくなり、シナプス間における電気信号が不調となる為、活動性が低下し、感情が失われていくとされています。 抗うつ剤などの薬は、上記の神経伝達物質を良好に分泌させる為のものですが、あくまで一時的なものです。言わば、身体が疲れた時のユンケルみたいなものです。ユンケルのような滋養強壮剤の効果は、有って小一時間ぐらいらしいです。医者に聞きました。寧ろ(俺はりぽDを飲んだから元気だ!)といった暗示の副作用の方が大きいといいます。抗うつ剤も同じです。気休め程度にしかなりません。しかも抗うつ剤を服用し続ける事は何の根本的な解決にはなりません。また様々な種類があり、強いものを飲み続けると廃人になるようなものも有ります。ハイリスクローリターンです。 私が知っている精神科医で、うつ病を本気で治せると思っている人はおりません。彼らは、薬を処方し点数を稼ぎ、報酬を得ているに過ぎません。私が暫く通院していた病院は、正にそうでした。2年ほど通いましたが、沢山の精神病患者で寛解に至った方を私は知りません。私の主治医だった精神科医は、患者を1時間待たせ5分の問診で処方箋を書き、効率よく病院に富を蓄積させます。おそらくそれが出世の処方箋なのでしょう。 先日、NHKドラマで阪神淡路大地震を体験した精神科医の話がありました。患者の話を30分でも1時間でも真摯に聞く先生でした。私もそういう精神科医に出会ったら違っていたのでしょうが。 現実は違います。それでも精神科医に診てもらいたければ、開業医をお勧めします。少なくとも組織の中にいる精神科医はダメです。 カウンセリングもお金と時間がかかるばかりで、効果のほどは期待できないと思います。 中には、行動療法や認知療法で寛解する方もいらっしゃるとは思いますが、私は懐疑的です。 そもそもうつ病の根幹的な治療は何か? まず、うつ病に至ったストレスを無くすことです。私は公務員という立場や家のローン、世間体などから仕事を辞めるという選択肢を選ぶのか遅すぎました。 そして、死なないように生き、どこかのタイミングで行動を起こすことです。具体性に欠けますが、深い深い闇の中にいて、抗うつ剤や他人の空虚な言葉が一筋の光になる…なんて事は現実的ではありません。 最初はどんな行動でも構いません。ポイントは、うつ病を患ってからした事がない行動です。 よくうつ病を患った人に、「神様から休みなさいって言われているんだよ。」という方がいますが、うつ病患者は休んでいるわけではありません。深く傷つき、深い闇の中でいつ終わるとも分からない嵐が過ぎ去るのを息を殺し、感情を捨て、ただただ耐えているのです。 話が逸れました。 質問者の方は、生きている意味があるかと問いかけられていますね。 私の答えは、「ない」です。 そもそもが、生きているだけで意味がある人間なんてどれほどいるのでしょうか?人間は人間を特別視し過ぎです。過去には、人間ひとりの命は地球よりも重いと言った政治家が居ました。馬鹿げています。 この地球には、既知の部分だけでも175万種の生命体がいるそうです。未知を含めたら500万とも800万とも言われています。その多種多様な生き物が懸命に命を繋いでいます。その中で、何故人間の命だけが尊いと言えるのでしょうか。 周りを見渡せば、ニュースを見れば犬、猫より価値の無い生き方をしている人が沢山います。蜂や蟻よりも生産性の無い生き方をしている人間がありふれています。 人間の命、そのものには意味がないのです。 あるとすれば、意味ではなく「時間」だと思います。 そして時間があるからこそ、「行動」ができるのです。 重度のうつ病患者は、行動が出来ません。 行動が出来ないということは、時間が止まっているのです。 故に今のあなたが、生きている事の意味を問いかけるのははっきりいって無意味です。 それはあなた自身が本当は理解されているはずです。 けれども今あなたがその漆黒の闇を抜け出せるその日が来た時、あなたの(生)に価値が生まれます。あなたが自分の足で、自分の意思で前に進み始めた時、時間が再び動き出します。 生きている限り、意味はなくてもあなたには「時間」がある。時間があるという事は、あなたの人生は何度でもやり直せるのです。 更にあなたが価値ある、より良い行動をとることで、あなたの(人生)に意味が生まれると思うのです。 人の(生)に意味があるとすれば、価値ある行動を実践した時、初めて生まれると思うのです。 ���の人生の評価は何で決まるのでしょうか? 財産、出世、肩書き…人それぞれでしょうが、私は行動だと思います。どれだけ価値ある行動を人生で出来たか、だと思うのです。 だからまずあなたがするべき事は、死なないように生きることです。そして、私のようにきっかけを待つか、自らきっかけを作り行動することです。 正直言って、私のようなきっかけを待つことはお勧めできません。 だからこそ、私のところに遊びに来ませんか? もしかしたら、何かのきっかけになるかも知れません。仮にならなくても、きっかけのきっかけぐらいにはなるかも知れません。 私は今、農業に従事しています。何故、東北から南九州に来て、農業をしているかの経緯は割愛しますが、私はうつ病が寛解してから2年ほどの、50手前のおじさんです。 うつ病が治り、取り敢えず3つの事を目標に掲げました。 ①飼っている柴犬を、日本一幸せな柴犬にする事。 ②最低限、父の年齢まで生きる事。 ③世界の真理を一つでも多く学ぶ事。 です。 農業では、無農薬、無化学肥料での、循環農法を実践しています。なるべく、F1の種に頼らず固定種の種から作付けして、この土地に合った野菜を育て、種取りをして、安全、安心な、究極的には硝酸態窒素を過剰に含まない、ガンにならない野菜作りを目指しています。 知らない土地に来てからの挑戦なので、苦労もありますがやり甲斐も有りますし、生き甲斐も感じています。 何よりも、何度となく死んでしまってもおかしくない我が身がこうしてお天道様の光を浴びて働けることが、嬉しくて嬉しくて仕方が有りません。 昔、ドイツの哲学者が言っていました。 (自らを否定して否定し尽くした時、あなたは超人となるだろう。) 私のうつ病期は、自己否定の繰り返しでした。 もちろん、私は超人には成れておりません。 ただ、周りの人達よりちょっとだけ物事の本質を理解出来るようになったかなと思います。 一昨日、東日本大震災から9年経ちました。 2万人以上の方が亡くなられました。 彼らにはもう時間が有りません。行動を起こすことも出来ません。 だからこそ我々生きている人間は、然るべき行動により、震災を語り継ぎ、亡くなった方たちを忘れずに生きねばなりません。 あなたは生きている。 あなたには時間がある。 あなたは行動を起こせる。 大丈夫。時は必ず訪れます。 最後にアメリカの詩人の言葉をご紹介します。 (寒さに震えた者ほど 太陽の暖かさを感じる 人生の悩みをくぐった者ほど 生命の尊さを知る これから私は幸福を求めない 私自身が幸福だ) 長文につき、乱筆、乱文ご容赦ください。
私はうつ病です。昔の事も思い出せず、感動せず、感情もわからず、物を覚えられず、体を動かすのもつらく、毎日ただひたすら苦しく、生きているだけでお金がかかるのに生きてる意味ってありますか? - Quora
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桜が満開を迎え、今週末は花見をする人も多いのでは。ちょっと曇り空ですが、それもまた趣深いものがありますね。春学期のクラスでは『もののあはれ』というタイトルの平安時代の美意識をヒントにした誘導瞑想を作りました。桜はちょっとタイミングを逃すとすぐに散ってしまうので、しみじみとした情趣や無常感的な哀愁である『もののあはれ』を体現しているかのような花です。
この『もののあはれ』の『もの』とは、形のある物体や存在が感知できる対象である『物品』とは別に、仏・神・魂などの霊的な作用をもたらす存在を表す言葉でもあります。(広辞苑)また『ものがたり』の『もの』も、さまざまな霊力を持った登場人物を指す言葉で、元は超現実:シュルレアリスムの世界を語るという意味でした。(日本国語大辞典)ですから、世界各地で古くから伝承されている『ものがたり』には、神々や鬼、妖精や天使などの霊的なシンボルである登場人物が多く存在します。また、能の世界でも舟・鐘楼・井戸などをあらわす『つくりもの』などの『もの』がつく舞台装置は、すべて霊界との媒介とされています。
昔から大好きなのは、そういったさまざまな『ものがたり』と出会うこと。春休みに入ってちょっと時間ができ、積読していた本を消化していますので、最近読んだ本を何冊か紹介いたします。(写真上:副題は省略しています)
・死後も生きる〈意識〉:ピーター・フェンウィック・エリザベス・フェンウィック
イギリスにおける臨死体験に関する研究の第一人者とその配偶者であり医師の共著。臨死体験談がメインで読みやすいです。英語のタイトル『The Art of Dying』は中世のペスト・パンデミックにより生まれた書物のラテン語タイトルの直訳で『往生術』という意味です。
・- 想念形体 - 思いは生きている:アニー・べサント・チャールズ・ウェブスター・レッドビーター
著者はどちらも透視能力を持つ神智学の学者で、人のオーラ、さまざまな想念形体をビジュアル化したものがカラーで解説と共に掲載されていて興味深いです。バーバラ・アン・ブレナンの著作『光の手』に掲載されているオーラのヴィジュアルと比較してもいいですね。
・霊魂だけが知っている:メアリー・ローチ
科学ジャーナリストによるスピリチュアル・エビデンス探しの旅。有名なミディアム、アリソン・デュボアとのリーディング体験やアーサー・フィンドレイ・カレッジ体験記、臨死体験者へのインタビューなどを経た結果やいかに?懐疑的な意見にも耳を傾けたい人に。
・トランスジェンダーになりたい少女たち:アビゲイル・シュライヤー
別の会社からやっと出版されましたが、一部書店では出版の中止を求める脅迫のため販売を見合わせているとか。この時代に焚書などあってはなりません。反対意見を述べるなら本を全部読んでから。若気の至りって誰にでもあるけど、特にティーンの娘を持つ親は必読です。
・人生をいじくりまわしてはいけない:水木しげる
漫画家で『ゲゲゲの鬼太郎』の作者でもある著者の人生についてのエッセイ集。不思議な世界、死後の世界、霊界についても語っています。でも、人生の大先輩から「いじくりまわしてはいけないよ」って諭されても、もがいてしまうんですよね…だいぶ減りましたが。
・真似のできない女たち:山崎まどか
日本ではあまり名前が知られていない、本国でもようやく見出されたばかりの近代の女性たちの素晴らしい人生を垣間見ることができます。現在も、世界のどこか��同時進行形で活躍しているはずの、たくさんの無名の女性たちの存在に思いを馳せながら読みました。
・死者の力:高橋原・堀江宗正
東日本大震災後に語られる霊的体験に関する本は他にも何冊か読みましたが、この本はさまざまな『力』を主題とした被災地と被災者の再生を描いています。ミディアムや神職者の関わりも興味深いです。また、参考文献でアイイス会長の開堂先生の著書『自分でできる霊性開花』も挙げられています。
夏学期までの後1ヶ月、アイイスの推薦図書を読んだり、テキストを読み返したり、100日行に挑戦したり、誘導瞑想やクリエイティブな活動を楽しむのもいいですね。春の気候を満喫しながら、夏学期に備えましょう💕 ご都合が合えば、ぜひ私のワークショップにもご参加ください!お申し込みをお待ちしています。
All About ミディアムシップ
4月21日(日)10:00~17:00(1時間のお昼休憩あり)
4月22日(月)10:00~17:00(1時間のお昼休憩あり)
料金:1回 8,000円(アイイス会員・税込)・10,000円(非会員・税込)
両日共に同じ内容です
どなたでもご参加いただけます
最少催行人数:3名
ミディアムになりたいと思っている人、ミディアムの役割について知りたい人のための6時間ワークショップです。アイイスでの講師歴9年、ミディアム歴8年、イギリスのアーサー・フィンドレイ・カレッジにて数回に渡って講師・プロの為のミディアムシップ、サイキックアート、トランス、シャーマニズム等のワークショップに参加し、海外のミディアムとも交流のある講師による最新の情報を含めたレクチャーとゲーム感覚で楽しめる実習を通じて、あなただけの唯一無二のミディアムシップを作り上げていく過程を経験していただきます。
あなたの中に潜在する本来の能力を知り、それを呼び覚まし、育み、特化した分野をさらに伸ばして磨き上げましょう。そして同時に自分の苦手な分野を知り、それを伸ばす方法も試してみましょう。
ミディアムシップは決して完成することのない、永遠に学び、伸ばし、育むことのできる能力です。その過程を指導霊の応援と協力のもと、楽しみながら一歩一歩着実に進んでゆきましょう。大切なのは、自分に期待しながら挑戦し続けること、自分を信じて諦めないことです。練習すればするほど、そして失敗を重ねるほど感覚が研ぎ澄まされ、あなたは素晴らしいミディアムになれるでしょう。
レクチャー内容
・ミディアム、ミディアムシップとは
・ミディアムシップの種類とその役割
・良いミディアム、ミディアムシップとは
・霊能力はなぜ与えられ、なぜ失効するのか
・ミディアムとサイキック
・想像と霊感の違い
・デモンストレーションとカウンセリング
実習
・シッティング・イン・ザ・パワー
・ミディアムシップクイズ・30問に挑戦!解説付き
・サイキック、ミディアムシップ、トランス各実習
・直感と指導霊により深く繋がるための各実習
このワークショップは以下のような方に向いています
・ミディアムシップついての理解を深めたい
・ミディアムシップの練習、経験をしてみたい
・ミディアムという役割に興味がある
・ミディアムになりたい
・指導霊との繋がりを深めたい
・本当の自分の人生の目的を探りたい
・自分自身の可能性や能力を探りたい
・霊性開花を通して人の役に立ちたい、社会に貢献したい
このワークショップは2019年4月17・21日に開催した同タイトルのワークショップの内容と同様ですが、一部を加えたりアレンジしてアップデートしています
詳細・お申し込みはこちらからどうぞ。
ショップからも直接お申し込みいただけます。
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サンデー・サービス(日曜 12:30〜14:00)詳細はこちらから。
5月19日 担当ミディアム:澤輪・森
6月30日 担当ミディアム:ゲスト・森
ご参加は無料ですが、一口500円からの寄付金をお願いしています。
当日は以下のリンクよりご参加ください。
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ドロップイン・ナイト 木曜日 19:00〜20:00
5月23日(木)指導霊(スピリット・ガイド)のサイキックアート
詳細とお申し込みはこちらからどうぞ。
過去の開催の様子はこちらからご覧ください。
夏学期クラスのスケジュールが決定いたしました。サイトとショップにてお申し込みを受付中です。(アイイスのサイトでも告知されています)
春学期に蒔いた霊性開花という名の種を、眩しい太陽と清らかな水、豊かな土壌、そして爽やかな夏の風のエネルギーを享受しながら、共に大切に育んでゆきませんか?皆さまのご参加をお待ちしています!
アウェアネス・ベーシック前期 Zoomクラス
月曜日:10:00~12:00
日程:5/13、5/27、6/10、6/24、7/8
火曜日:13:00~15:00
日程:5/7、5/21、6/4、6/18、7/2
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アウェアネス・ベーシック後期 Zoomクラス
土曜日:19:00~21:00
日程:5/11、5/25、6/8、6/22、7/6
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アウェアネス・ベーシック通信クラス
開催日程:全6回
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アウェアネス・オールレベルZoomクラス
火曜日:19:00~21:00
日程:5/14、5/28、6/11、6/25、7/9
木曜日:10:00〜12:00
日程:5/9、5/23、6/6、6/20、7/4
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アウェアネス・マスターZoom クラス
火曜日:19:00〜21:00
日程:5/7、5/21、6/4、6/18、7/2
金曜日:19:00〜21:00
日程:5/17、5/31、6/14、6/28、7/12
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サイキックアートZoomクラス
日曜日:17:00~19:00
日程:5/12、5/26、6/9、6/23、7/7
水曜日:16:00~18:00
日程:5/15、5/29、6/12、6/26、7/10
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インナージャーニー 〜瞑想と内観〜 Zoomクラス
月曜日:16:00~17:00
日程:5/20、6/3、6/17、7/1、7/15
土曜日:10:00~11:00
日程:5/11、5/25、6/8、6/22、7/6
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マントラ入門 Zoomクラス
土曜日:13:00~15:00
日程:5/18、6/1、6/15、6/29、7/13
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トランスZoomクラス
土曜日:19:00~21:00
日程:5/18、6/1、6/15、6/29、7/13
・・・・・
サンスクリット・般若心経 Zoomクラス
月曜日:13:00~15:00
日程:5/20、6/3、6/17、7/1、7/15
水曜日:19:00~21:00 NEW!
日程:5/15、5/29、6/12、6/26、7/10
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まるい蕾が剥がれるように
母親から入電。退職者向けの書類がなぜか私の住所ではなくて実家に届いてしまったらしく、仕事を辞めたなどとは聞いていないがどういうことだ、という電話だった。そう。確かに仕事を辞めたことは言っていない。べつに、言う必要が無いかなと思ったので、単純に言っていない。しかし母親にはそれが信じ難い裏切りのように感じられたのかもしれない(という感じの口調だった)。私は今のところ年金による貯金があるし、金銭面で母親を頼る必要もないし、私が仕事を辞めようが続けようが、私のことなので母親には関係がないことだと、単純に考えていたのだけど、「そういうこと」は報告するのが「義務」だと、母親は考えている。私も、たぶんそう思っているのだろうな、とは思ったが、母親と関わるとかなり精神状態が乱れるので、「一旦保留」ということにしておいた。その保留は今日終わった。
母親は、「そっちに行った方がいいか?」「病院の日に(母親が)病院まで行くか?」ということを言っており、なんというか、この人はこの人で、私との間の愛着障害や依存関係に苦しんでいるのだ、と思った。私のほうが、勝手に「ある程度のお金は返したし、これからはプライベートは報告しなくてもいいよね(その義務はないよね)」と思っても、それを母親に伝えていないのだから、彼女のほうでは問題はなんら進展していない。こういうことも話し合っていかなければなと思う。私は「書類を郵送してくれればいい」と言ったが、母親は書類を渡すことを口実にして、私に直接会いたいようだった。でも、会って何になるのだろうと思う。私は家を出る前に「引越し資金を工面してほしい」というお願いをした時に、結構はっきり、家とはほとんどの縁を切りたいという意味のことを言ったと思う。でも、それは「母親ごと」縁を切りたい、という意味では伝わっていなかったようだ。家と縁を切っても、母親のことは頼る、という体制でいく、という宣言だと思われているのかな。でも私は母親とのことが、正直最大の問題だ。母親のことを好きすぎるがために(そして母親にとって私がそこまで重要な存在ではなかったという事実に打ちのめされ)、この歳になってもここまで苦しんでいる。しかし、母親は母親なりに私を愛してくれていた。それはもちろんわかっているし、でも、心底からは認めていないのかもしれない。あの時も、あの時も、あの時も、母親は私ののことを本気で心配したりはしてくれなかった、という恨み節がここぞとばかりに炸裂しているのだと思う。母親は、ただやり方がわからなかっただけなのに。なぜ私はもう少し大人になって、思いやりをもって、母のことを許せなかったのだろう。それは今でも遅くないとは思うのだが、母親と相対すると、どうしても5歳の自分になってしまう。このことは容易には克服できない。電話を切った後も、たいした会話はなかったのに泣いてしまったし、とにかく母親に関係することを思ったり考えたりすると、私は泣くのである。これを書いている今も泣いている。5歳の、自分の心を守ることができなかった自分。それがそのままここにいる。
カウンセリングでは、母親のことを中心に先生と話している。私の問題は、父親でも兄でもなく、母親なのであり、その執着が、今の生活のところどころに暗い影を落としている。母親とこれからどんな関係を築くべきか。話し合うとしたら何を言うべきか。カウンセリングの先生とは来週会うので、また話してきたいと思う。
人間関係、とくに、私がいちばん大切で、重要だと思っている、友人関係において、この愛着障害から来るさまざまな幼児性が、かなり深刻に問題になっている。直近でも、とても仲良くしてくれていた友人を、またしても(つまり2度目)深く傷つけてしまい、これ以上になく反省している最中です。このことで、私は、ずっと逃げ続けていた「愛着障害」というもの、自分が「友人に対して、赤ん坊が母親に求めるような安全基地の役割を無限に求めてしまうこと」に対して、やっと対策しようと思うことができた。人を傷つけるだけ傷つけておいて何を、という感じだが、ここまで人を深く傷つけておいて、さすがにもうこんなことは止めたいと思った。
考えたことはいろいろあり、それはノートに書き出した。とにかく、子供の頃のように、なんでも紙のノートに書き出して、周囲の目に触れない場所で自分の感情を整理することだと思った。そして、どうしてもそれを外に向けて吐き出したい時、それはそのままの形ではなく、小説に詰めて書いていこうと改めて思った。本当はずっと前からそう思っていたはずなのに、近頃はもう、そのままの感情を自分用のTwitterに書き出していた。そういうところでも、「だれて」いたのだと思う。小説が書けないのを体調のせいにして、書くことで自分を救うということをさぼっていた。気持ちは紙のノートに書く。そのうえで、小説を書く努力をする。そうすることでしか私は生き延びていけないのだと思った。
友人に依存してしまう件に関しては、これはすっぱりと辞めるべきだと考える。たとえば、辛い時や、誰かにかまって欲しい時、つまり、精神がネガティブな方向に傾いている時、自分から連絡を取らない。そういう時に「友人(他者)」を頼らない。それは自分の問題であって、まず自分できちんと紙に書き出して、何が嫌で、何を改善したいのか考えてみる。安易にTwitterにメモを取らない。人に助けを求めない。もちろん、自��で考えた結果、これは人の意見を聞いた方がいいだとか、人に話を聞いてもらったほうがいいと判断した場合は、きちんと冷静になってから友人に連絡を取り、話を聞いてもらえるかどうか打診する。
友人との会話ややり取りの中で、深く傷ついてしまった場合があったとしても、その時に反射で発言したり行動したりすることは、我慢する。その時には一旦黙って、やはり紙や、自分しか見ないメモに気持ちを吐き出す。そうしてから、何を言いたいのか、聞いてほしいのか、きちんと整理して相手に伝える。その場で対応すべきことが起きたとしても、「度が過ぎたこと」をしないで、友人に試し行動をしてしまいそうになる自分を客観視して、我慢する。私は成長すると決めたのだから、どんなに心の中の赤ん坊が泣き叫んだとしても、その赤ん坊に従ってはいけない。
普段から、いろいろなことを我慢しすぎないというのも重要かもしれない。自分で勝手に嫌なことを我慢しておいて、それを盾にして、「私はこれだけ我慢してきたのに、なぜそんなことを言うの」というのは、ただの我儘だ。自分が我慢したことは、相手の要求でもなんでもなく、私が勝手にやったことで、そんなものを人質にするのは、まったくの見当違いだ。自分が「ここは我慢した方がいいな」と感じたのなら、我慢してその覚悟を最後まで通すべきだし、我慢したくないなと思ったのなら、「こういうふうに感じたんだけど、そういう言い方(やり方)をやめてもらうことはできるかな?」と、相手に冷静に伝えればいい。それが友人関係、信頼関係の構築だと思う。それができない相手ならば、私はたぶんその人のことを好きではないのだから、友人関係は解消すればいいだけの事だと思う。
いつでも、私だけが相手を好きなのだと思う。こう思うことも良くないとは思うのだが、相手の優しさに甘えて、つい連絡を取ってしまう。相手は優しいから連絡を返してくれる。しかし、送るのがいつも自分からなのであれば、それは一方通行な感情で、相手は私との関係を求めていないと認めなければならない。それがすごく辛いとしても、私に、相手にとっての魅力がないことがすべてで、そのこと(相性)はどうにもできない。
一人になる練習をする。1人で何かを行うことを習慣づけていく。1人でいても「平気」であることを、自分に覚えさせていく。勉強をする。小説を書く。家事をする。何かを見る、聴く。私のこの「一人が怖い」というのは、単なる寂しさのほかに、1人になると「発狂」しそうになるのが怖いという理由もある。でも実際には発狂しない。自意識が何重にも重なっていることが怖くて仕方ないが、それを感じたとしても、実際には発狂しない、と思う。ただ、小さい頃から時おり訪れるその感覚が怖くて、できるだけ1人にならないようにしているうちに、人への依存が強まっていった可能性がある。正直、今でも「発狂」するのかしないのかは、わからない。でも、しないことを信じて一人に慣れていかなければ、この先の成長はないと思う。自分の頭の中に、自分一人しかいないこと、そして同時に、何十人も自分がいること、このことは確かに自分の理解を超えた恐ろしいことだが、それで死ぬわけではない。死ななきゃ安い、というせりふは格好いいが、死ななくても頭が壊れることはある。自滅だ。だから、その思考に陥りそうになった時には、可及的速やかに「1人の頭に1人分」の思考に戻ってこれるようにする。自分の視界を、現実の自分の目とリンクさせる感覚で、体に「1人分」の意識だけでいっぱいになるように頑張る。他のことを考えて、「自分」のことを考えなければいい。そのためにも勉強や小説は有効だ。空想や妄想や思惟や黙考。そういえば瞑想というのは自分には難しいだろうなと思う。あれをやったら、どこかで間違えて、また「無限の自意識」と向き合うことになり、泡を吹いてそのまま死んでしまいそう。私の中にこんなに何百人、何千人も人がいるのが良くないと思う。一人でいいのにな。
できるだけ多くのことを、普段から忘れておくことだ。何かを考えてもろくなことは無い。だからインプットをしたりアウトプットをしたりして、気を紛らわす。この世はとにかく気を紛らわし続けて過ごすべき場所で、何かを考えたりなんかするもんじゃない。体を動かすことにもっと神経を使えばいいのかもしれない。じっとしているから思考が沈殿してくるのかもしれない。体を動かすというか、少し歩いたりするだけで、私はわりと元気になるので、体調が悪くなければ、歩いたり、部屋の中でも体操したりするのがいいかもしれない。今日は「とりあえずお湯沸かそう」という思考でじょじょに動けるようになった。
また長い日記になってしまったが、今日考えたことや決めたことは、なかなか重要な事だったと思う。こわがって何もしないでいること、少しずつでも体を動かして、空気を変えていきたい。
2023.10.10
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さいたま市不登校家庭教師カウンセリング一塾東儀正人
プロセスを重視する。
結果よりもプロセスが重要です。努力した過程を認めることです。
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13 異常検出
昼食のあと少し休憩して、
様々な検査機器が運び込まれた広い部屋に通された。
そこでフジワラ教授から、検査内容について説明を受けた。
血液検査、細胞採取、尿検査、内視鏡検査、骨髄液検査、脳波測定
あと身体測定。
知能検査とカウンセリングもあるようだが、明日以降になるとのこと。
MRIやCTもやりたいそうだが、館内に絶縁工事ができないらしい。
それらは検査車両が病院から借りられたら行うと言っていた。
来週には仮面ライダーになれそうだ。
まずは身体測定。身長、体重などを計測。視力、聴力なども計測した。
次に血液検査のための採血をした。
そして細胞を採るために口の中の粘膜を採取。
骨髄液を抜くと聞いたとき、フジワラ教授にハメられた!と思ったが、
その前に行った脳波の検査で数値に異常が出たらしく中止になった。
フジワラ教授が検査員とモニターを見ながらやりとりをしている。
そういや、病院でも老医師が目をひん剥いていたなこの検査。
「ハナダさん、頭痛はないですか?
クラクラしたり、ボーっとするとかは?」
「いや、至って普通ですけど。血を抜いたからですか?」
「いえ、脳波の検査で、ベータ波が非常に活発というか、
脳が暴走状態になっているという結果が出まして」
「え!?ぜんぜんそんな感覚ないんですけど」
「MRIで血流を見ないとはっきりしたことは言えないのですが、
普通なら脳の血管に相当な負担がかかっている状態です」
教授はそう説明して、また波形の確認をしている。
これって…
普通の人間が使っていない、残り70%の力が引き出されているやつか?
すぐ近くで作業をしているサトウさんの肩をトンと突いてみた。
彼はすごく嫌そうな顔をするだけで、肩口が爆発するようなことはなかった。
修行もなしに、一子相伝の暗殺拳の使い手にはなれないらしい。
ふざけてるおれに、教授が歩み寄って来た。
「やはり脳の状態が気になります、他の検査はキャンセルします。
今日はもう部屋で休んでください。
頭が痛くなったり、鼻血が出たらすぐ人を呼んでください」
「鼻血ですか…わかりました。とにかく休んでおきます」
まるで天才脱獄囚のあの弟のようだな。
暗殺拳じゃないとすると超人的な記憶力でも身に着けたか。
しばし空想に耽っているおれの様子を、教授はじっと見る。
目の前で火花がパチパチとした感覚がした。
パウラさんといたときも似たような感じがあった。
緊張による眩暈なのか、脳波の異常がこれを起こしているのか。
―――――
検査の広い部屋を出て、宿泊室に向かう。
廊下を歩いていると、サクラさんに声を掛けられた。
少し待つように言われ、そのまま廊下で待つ。
廊下に立たされるのは小学校以来だ。いまの子も立たされるのだろうか。
「これ、忘れ物だって。パウラから」
西和辞書を渡された。これは借りたものだと思っていた。
お母さんの遺品だと言っていたが、いいのだろうか。
「ありがとう。勉強しますって伝えてください」
「はい。それにしても気に入られてますねー
パウラとなにかあったんですか。告白した、とか?」
彼女は悪戯っぽく笑��た、そう描写される顔ってこんな感じか。
「なにもないよ。勝手に勘違いされて、セックスダメって言われたけど」
「えー、なにそれ…」
「病院から逃げたくて深刻な顔してたら、勘違いされた」
「パウラ… まあ、誘われちゃうんだろうな」
「そういえば、パウラさんはあの夜、なんて連絡してきたの?」
「事故でウルグアイに来た日本人が大使館に保護を求めているから、
助けてあげてって」
「すごい、完璧な説明だね。パウラさんて賢いんだなあ」
「そうですよー。
パウラは医学部の研修医でもかなり優秀だったらしいですから。
でも看護師になりたくなって看護学部に編入したんだって」
「サクラちゃんは、どこで知り合ったの?入院したとか?」
「違いますよ。美容院が同じなんです。そこで日本人?て話し掛けられて」
「病院じゃなくて美容院なんだ。日本人が気になるんだねパウラさん」
「うん。ルーツがあるから、日本人の友達できて嬉しいって言われました」
とても話しやすい子だ。姪っ子ぐらいの距離感がある。
「ところでさっき、サクラちゃん、て言いました?」
「あっ。すみません。なんだか話やすくて」
「いいですよ。さん付けされるの、おばさんになった気がするから」
「それは、おれがおじさんだっていう…」
また何かあったら声掛けてくださいと彼女は去っていった。
―――――
午後は、宿泊室で辞書を眺めながら過ごした。
天才脱獄囚弟のような記憶力は授かってなさそうだった。
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視点を変える
以前の話ですが、私はうつ病に悩まされていた時期にカウンセリングを受けていました。数回のセッションを重ねるうちに、悩みが少しずつ軽減し、自己認識が向上していくのを感じました。
自分の思考パターンについて気付くたびに、次のような過程を辿っていました。
「これも改善すべきだな」と自分を評価する。
「これがまだ改善されていないのは、自己努力が足りないせいか?」と焦る。
「うまくいかないのは、私が何かおかしいからなのか?」と不安になる。
「私は何も変われていない」と自己評価が低下する。
このように、自己評価が負の方向に向かい、自己嫌悪に陥りかけていました。
ある時、自分の視点を変えて「本当に何も変われていないのか?」という疑問をもち考えてみることにしました。すると、次のようなことに気付きました。
自己変革の過程で、実際に自分が変化していた。
新しいスキルや能力が身についていた。
過去の自分に…
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10月5週
月
「眠りつづける少女たち」スザンヌ・オサリバン著、読了。この本は「機能性神経障害」と呼ばれる「病」がどのようなものかを書いたもの、と言える、けれど、もっと大きい意味がある、というかその「病」というものが、どのように「病化」するかという話であり、大きく言えば現在の、特に欧米の医療、科学、そういうものへの隙を暴き出したと言えるかもしれない。機能性神経障害が、その地域の文化によって、そしてそこにあるコミュニティの、環境の、人間関係の、そして個々人の意識、知識、思考というものと密接に関わっていて、非常に解決しにくい「問題」であるということが書かれていた。型通りの投薬、カウンセリングでは決して快癒しないメカニズムがある、外科のように単純ではない人間の脳システム、意識や思考メカニズム、複雑故の病化していくプロセス。
「欧米人は幸福をとりわけ重視する文化のもとで暮らしているため、少しでも幸福を損なう可能性のある状態は異常と見なす。そして苦痛を医療化し、商業化しようとする。」
機能性神経障害、そうでなくてももっとその手前の、気持ちの落ち込み、塞ぎ込み、不安感、苦痛感、もっと漠然としたもやもや、そういうものへ名前をつけ、レッテルを貼り、病化してしまうことへの警鐘。とてもおもしろい本だった。
火
最近安いパスタソースに具材を追加したりしてパスタを作るのがおもしろくてハマってる。楽に作れるというのもポイント。自炊はどのくらい手をかけ、どのくらい手を抜くかというバランスが重要である。やる気があるときだけしっかり作り、手を抜くときは最高に抜く。今日はガーリックトマトソースにじっくり焼いたナスと豚バラの薄切り、マッシュルームを追加して、最後にきざみチーズをぱらぱらと。
水
弓なりにしなるほど枝に生った真っ赤な柿が鳥に食べられずそのまま残っているのを横目に、雲ひとつない真っ青な空のどこを見ても月の痕跡は残っていない。まったく暖かな日で、冬だってことを忘れそう。
木
小春日和というにはあまりにも陽が暖かい。冬が本当に近いのかわからなくなる。こんなだから、去年の今頃がどうだったかとか季節の、寒い暖かい暑い感覚が、忘れてしまうのだ。俺のせいではない、季節のせいだ。しかし、ほんとうに気候が変動してしまったんだなあ。ゆっくりと人間は滅びの道を行く。
金
りんごケーキの準備だけした。作るタイミングは難しい。おでんが二日目に入ってうまさを増していく、しかしこういうものでいつも困るのが、具は食べればいいが汁はどうすれば。うどんにしてある程度自己の中に入れてしまえばいいのだが、いつも多量に余る。流すのもどうなのかとか色々と考える。葛藤である。
土
職場で一生分のシナモンに触れたので、健康増進効果ありそうとか思ったり。シナボンのシナモンロールを口にしたいです。吉祥寺にまだあるかな。今週は壮絶に眠たかったので、来週からはもっと眠りたいと思って何年経ったよ。
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日本がしんどいノンバイナリーのフォルケホイスコーレ体験記②
〜申し込み編〜
自分が行きたいフォルケホイスコーレを見つけて、申し込むまでのことを書きます。
フォルケホイスコーレの探し方
フォルケホイスコーレのリストとそれぞれの特徴、学べる内容などをまとめてくれているサイトがあるので、それを見て探した。
自分は“IFAS“というところのサイトを見た。
まずはざっと見て気になるところを選び、ホームページに飛んでより詳しく調べていった。
ホームページはデンマーク語または英語で書かれているのがほとんどなので、翻訳しながら。
探すときに重視したこと
留学生を受け入れている
英語で授業が受けられる
自分が学びたい分野の授業が取れる(ただ、先生の異動により授業がなくなったりしている場合もあるので注意)
自分はジェンダーやセクシュアリティについて学べるところを探した。
フォルケホイスコーレはたくさんあるが、授業を英語で受けられるところはそんなに多くない。(選択肢が多すぎなくて逆に自分は助かったところもある)
候補にしたフォルケホイスコーレ
自分が探した中で、条件に当てはまった学校は以下の2校。(探したらもっとあるかも?)
International People’s College (IPC)
https://ipc.dk/
ここは“唯一の国際的なフォルケホイスコーレ“なので、ほぼ全員が留学生。
ウェブサイトの授業リストには“インターセクショナル・スタディーズ“という授業が存在。(2023秋ターム現在、先生が一時的に不在のためこの授業は開講されていなかった。その代わり?別の先生が同じテーマについて授業を開講している。)
Brandbjerg Højskole
留学生も受け入れているが、デンマークの生徒も多い。
ここもジェンダーについての授業がリスト上に載っていた。
結局自分はIPCを選んだ。理由は以下の通り。
そもそもインターセクショナリティについて学びたかった
インターセクショナルスタディーズの授業の説明欄で、ノンバイナリーに触れていた
もう一つの方は「ジェンダー」についての学習としか書かれていなくて、トランスが排除されないかどうか若干不安だったから(実際のところは不明)
IPCのコアバリューが良いなと思ったから
もちろん、複数のフォルケホイスコーレに同時に申し込むことも可能。落ちる場合もあるので複数申し込んでおくのが安全だと思う。(自分はそこまでの元気がなかったので1校のみ申し込んだ)
IPCへの申し込み方法と時期
基本的に、公式サイトからウェブ上で申し込みをする。
聞かれたことは確かこんな感じ。(曖昧な記憶)
基本的な情報(名前、年齢や国籍など)
どのコースに申し込みたいか
英語のレベル(TOEICの点数など書かされるわけではなく、ペラペラ・日常会話程度・初心者 のようなカテゴリを選ぶ自己申告制)
奨学金が欲しいかどうか(欲しい場合、その理由を書く欄があった)
英語のエッセイ(IPCに来て何を学びたいかなどについて書く。文字数規定なし)
2023年の秋ターム(7月の終わり〜)のコースの募集開始時期は2022年の10月中旬ごろだったはず。
(IPCに限らず)合格可能性を上げるのに大事なこと
早く申し込む
フォルケホイスコーレは(それだけが条件ではないが)先着順で入学者を決めているらしい。
申し込みが遅くても受かった人もいるが、まあまあ落ちている人もいるので早めに申し込むに越したことはないと思う。
さらに、申し込み期限前でも十分な人数の申し込みがあった場合、早めに締め切られてしまう場合もあるので注意。
また、IPCは多様性を大事にしているため、1つの国から来る生徒を多くても15人前後にしているっぽい。フォルケホイスコーレは日本人に人気らしく、たくさんの申し込みがあるらしいので注意。
エッセイをたくさん書く
IPCの先輩に聞いた話によると、エッセイをたくさん書くのは全体の1割くらいらしい(ほんとかどうかは不明)
ぱぱっと書いた短いエッセイでも大多数の人は受かっているらしいが、特に申し込み時期が遅い場合や絶対に行きたい!と思っている人はたくさん書いておくのがよい気がする。(ギリギリに申し込んで受かった人たちは多くがエッセイ頑張って書いたと言っていた)
英語の正確さなどはそこまで気にしてないと思われる。(言いたいことが伝われば多分大丈夫)
(正直、自分は日本語で書いたエッセイを翻訳機にぶち込んだやつそのまま提出したら受かった、、、)
一人で調べて申し込んで手続きするの無理!という人へ
フォルケホイスコーレ選びから入学後の手続き、渡航準備までサポートしてくれる留学エージェントのサービスがある。
使わなくても全然いけるけど、自分は不安すぎたのと気力がなさすぎたので頼んだ。(お金は1万円ぐらいかかった)
「ヨーロッパ留学のIris(アイリス)」というところ。
無料カウンセリングもできるので試してみてもいいかも。
良いところは、コースの申し込みが開始したらすぐに教えてくれたこと(これは本当に助かった)。
ラインで気になることを聞いたらすぐ教えてくれること。
ビザの取り方とかめんどくさいところをサポートしてくれたり、忘れないようリマインドしてくれたりしたところ。
エッセイの添削もしてくれたが、翻訳機の出力そのままの文章を送ったら(ごめんなさい)ほぼそのまま帰ってきて、本当に添削してくれたのか…?って思った。(翻訳機の文章が完璧だったのかもしれない)
あと、担当者にジェンダー、セクシュアリティに関する知識などはないようだった。自分に合っていそうなフォルケホイスコーレをいくつか提案してくれるサービスもあったが、担当者の理解があまりなかったためうまく機能しなかった。
でも、自分としては頼んでよかったかな、と思っている。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
少しでも助けになったら幸いです。
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