Tumgik
#イラン映画
kcphousou · 8 months
Text
2023年9月26日火曜日、天気は晴れとくもり?
本日はこちら!
『熊は、いない』
23年9月15日(金)公開
2022年製作/107分/イラン 原題:Khers nist 配給:アンプラグド 監督:ジャファル・パナヒ
Tumblr media
youtube
昨日はくまさんがいましたが、今回は熊はいない。イランの名匠、ジャファル・パナヒ監督の映画!9月15日公開ですが、全国順次公開なので今週末の地域も、10月なかばからの地域もあります。Check!
予告最後に「本作完成後、パナヒは逮捕された “熊”が意味するものとは?」とテロップがでてくる。監督は今どうしておられるのかとそわそわさせられる!!予告の別版で監督からのメッセージ動画があり少し安心。そこで調べたところ、収監されたけどハンストしたりして、一時釈放、現在はフランスに行ったことが報道されたとのこと!まずは無事でよかった。
0 notes
ishiduca · 9 months
Text
イラン映画の前提として、イランで映画を作ることのハードルの高さ(検閲の厳しさ)。政府に反対するような映画を作ると徹底的に処罰を受けること、それでも身を削って映画を撮る人たちがいる、この監督の父親は拘束されながらもなんとか映画を撮り、海外の映画祭に出品されたそう。イラン映画に子供や家族のテーマが多いということとの関係。また、イランでは車の中はプライベートの空間という位置付けがあって、イラン革命前の歌謡曲を歌ったり、女性がスカーフを緩くすることが許される空間、(だからイラン映画は車中のシーンが多い!) 矢田部さんもインタビューがなぜか車の中だったとか! 海外で有名になった作品もイラン国内では上映されていないことも多々あるとのこと。(この映画もそう)だからこそ映画の娯楽の面だけでなく情報(ここでは社会的情勢、実態)を映画を通して発信することの意義が大きいという言葉になるほど、、となりました
0 notes
seymourmusicclub · 1 year
Text
Tumblr media
0 notes
cinemanohimitsu · 2 years
Link
第百五十六回に紹介するのは、2021年製作のイラン映画【英雄の証明】 山崎貴監督の超大作怪獣映画はやはりゴジラ?といった話しもしています 監督:アスガー・ファルハディ 製作:アレクサンドル・マレ=ギィ、アスガー・ファルハディ 脚本:アスガー・ファルハディ 撮影:アリ・ガーズィ 美術:メーディ・ムサビ 衣装:ネガル・ネマティ 編集:ハイデー・サフィヤリ キャスト:アミール・ジャディディ、モーセン・タナバンデ、サハル・ゴルデュースト、マルヤム・シャーダイ、アリレザ・ジャハンディデ、サレー・カリマイ 、サリナ・ファルハディ、フェレシュテ・サドル・アラファイ、エーサン・グダルズィ、ファッロク・ヌールバクト、モハッマド・アガバティ 原題:A Hero 製作年:2021年 製作国:イラン・フランス合作 配給:シンカ 上映時間:127分 映倫区分:G
0 notes
brygry · 7 months
Quote
重要なのは、パレスチナ自治政府が世界中から集まるパレスチナ支援金の主たる受け皿となっている点だ。日本もパレスチナに対し、ここ30年間で23億ドル(約3400億円)を支援している。パレスチナ自治政府はこうした支援金で運営されているのだが、支援金の一部は汚職に消える。その割合は少なくない。 パラグライダーでイスラエルに越境する“訓練”を行う戦闘員(ハマスの軍事部門が10月7日に公開した映像より) ハマスが狙うのは、このパレスチナ自治政府が独占している利権だ。自分たちがパレスチナの正当な代表となれば、世界からの支援金をほしいままにできる。ハマスは「清貧の戦士」などでは全くない。カネに目がない金満テロ組織だ。年間7億ドルの収入があるとされ、ハマスの指導者イスマイール・ハニーヤはカタールの高級ホテルに暮らしている。ハマスの幹部も軒並みカタールかトルコで豊かな生活を送っている。彼らはいつも、ハマスのテロやガザ空爆をカタールの放送局「アルジャジーラ」の画面で眺める。高みの見物だ。
「宣伝としてのテロ」ハマスの狙う“利権”には日本の金も…攻撃の背景にパレスチナ内部抗争、対イラン制裁緩和の影響も|FNNプライムオンライン
17 notes · View notes
ari0921 · 3 months
Text
 「宮崎正弘の国際情勢解題」 
 令和六年(2024)2月26日(月曜日)
     通巻第8150号 
 サイバー戦争のデータから判断できた事実
  やっぱり中国とロシアがハッカーの元凶である
*************************
日本で最初にハッカー攻撃の脅威を書籍で著したのは宮脇磊介『サイバー・クライシス』(PHP研究所。2001年)だった。インターネットの通信革命が本格化したのが1990年代、その頃は単に「ネット」といわれ、ハリウッド映画の邦題が『インターネット』(サンドラ・ブロック主演)。公開は1995年だった。
筆者もすぐに見に行った。
この映画は犯罪集団が株価操作によりウォール街が大混乱に陥る恐怖を描き出した。何か異常な通信の革命が起きていると考えた筆者は米国に取材し、『インターネット情報学』〔1996年、東急エージェンシー。絶版〕を世に問うた。
前掲宮脇磊介の著作は「日本企業や政府、官庁がハッカーや外国の情報機関によるサイバーテロの絶好の標的になっている」と警告し、IT革命の裏側で頻発するハッカーや海外の情報機関によるサイバー攻撃の実態を活写した。彼は元内閣広報官だから政・官界への影響力があった。
ハッカー集団は「日本の危機管理は甘く、格好の標的」と豪語していた。
CIAなど海外の情報機関が日本企業の情報を盗み、それを自国の当該企業などに流して日本企業をとの商談を有利に進めたり、破談にしているとも警告した。
 まさに「見えない敵」との戦いが激化してい��のだが、日本の危機管理はユル褌だった。
宮脇は皇宮警察本部長から内閣広報官(中曽根政権)。退官後もハッカーの究明と、事件の概要のレポートなどを作成する個人事務所をもっておられ、その頃、筆者も何回か氏とあった。
 欧州のサイバーセキュリティ対策は米英とともに進んでいる。『欧州サイバー事故リポジトリー』(EUREPOC)の調査報告では、常習犯的なハッカーグループは679が確認されているとする。
リポジトリーとは『貯蔵庫』『倉庫』だが、転じて『データベース』「アーカイブ」の意味で使われている。
▼ハッカーの識別では案の定、中国がトップ、ついでロシア
 同EUREPOCが2000年から2023年までの注目すべき「ハッカー事件」を調べてデータベース化したところ、ハッカー発信の国別シェアがまとまった。
 発信元不明   44・8%
 中国      11・9
 ロシア     11・6
 イラン      5・3%
 北朝鮮      4・7
 ウクライナ    2・6
 米国       2・3
 パキスタン    1・8
 トルコ      1・7%
 ほか      13・4%
(出典 STATISTA)
 
国家そのものの政治宣伝目的のハッカーは全体の三分の一、そして身代金要求のハッカー集団は、エネルギー、発電、通信目、医療機関、運輸などを攻撃目標にしている。
中国では民間企業の「アイスン(ISOON)」などにハッカーの機密盗取などを委託していることは前号までに小誌でも紹介した。
中国は米国官庁、大企業、ペンタゴン、ハイテクラボ、大學などから機密データを大量に盗み出していたことも判明している。米国のサイバーセキュリティ庁(CISA)、国家安全局(NSA)、そしてFBIはこうした実態の脅威を警告している。
 日本の警察庁にはハッカー対策部隊があり、先頃インターポールと組んで犯人逮捕に漕ぎ着けている。コンピューターウイルス、ランサムウェアで攻撃を仕掛けるハッカー集団「LockBit」の主犯格二人を摘発した。
このLockBitランサムウェアは、ユーザーがPCやスマートフォンなどにアクセスできないようにし、身代金を要求するソフトウェアだ。多額の身代金を要求できそうな標的に暗号化する。
被害者が要求に従わない場合データを盗難し違法に公開すると脅迫する。
LockBitの標的は国家機関や医療機関、金融機関など、業務を妨害して多額の金銭を要求すれば、応じる可能性が高く、資金力のある組織の狙い撃ちが得意。だが、ロシアやCIS(独立国家共同体)の国々のシステムへの攻撃は意図的に避けている。
日本の警察庁ハッカー対策部隊は、被害にあった団体や組織などのデータベース復元に成功している。
4 notes · View notes
kijitora3 · 2 months
Text
それで本人が幸せならいい 日本人から見れば常に集まって大声で騒いでいる欧米人、中国人、中東系などに違和感を感じる
 文化の差異だからいいも悪いもない イラン人はイラン人らしく過ごして欲しい 日本人は日本人らしく過ごす それだけでいいはず
おいらは、休日は一人か家族だけでゆっくり過ごすのがいい 仕事で散々人に会ってんだから、たまの休みぐらいは会いたくない
3 notes · View notes
sugarsui · 30 days
Text
2024/4/15
 弟がマグロを釣りに行くと意気込んでどこかの島へと出かけて行ったが、釣れず、よくわからない魚を持って帰ってきていた。生魚は苦手だったものの、最近はとりあえず食べられる、くらいにはなったのだが、その美味しさがよくわからない。むにむにとしたなかに薄らぼんやりとした味が広がるだけで、そのインパクトの薄さに人々がなぜあれだけ歓喜しながら食べるのかわからない。
 昨日起きてニュースを見ていたら、イスラエルとイランのあいだで何かが勃発しており、第五次中東大戦、もしかしたら第三次世界大戦なんて文字が躍っていた。調べていると、抑制されたもので緊張関係は高まるものではないが、そこまでではないと知る。しかし、コロナのときもそうであったが、私は政治思想や哲学のことについてはなんとなくわかるため、その情報の成否を私が判断できるものの、国際政治学やあるいは諸々の自然科学の議論については、話を読み、例えば相対する議論を比べたりすることもできるが、そのうえでどちらがより妥当な主張であるのかとか、そもそもの分析の妥当性を判断する能力はない。最後の部分はとりあえず措いておくとして、情報を収集するだけでも大事なのだろうが、多くの人はどう向き合ってるのだろう。ものすごく単純に言えば、自分があまり詳しくないことに対して。
 そんな前置きを思いつつ、Twitterを見ていると、飛来してくるミサイルを迎撃する映像が何件もあり、夜空に線を描いて、衝突し、そして一瞬強く煌めくという絵がとても綺麗であった。以前、ノートルダムが火災にあい、炎のなかで骨組みがむき出しになり、尖塔が崩れ落ちていく動画や、首里城でもすべてが火に包まれていく動画を見て思ったが、破壊や暴力のなかに絵としての美しさがある。
2 notes · View notes
reportsofawartime · 1 month
Text
Tumblr media
飽和攻撃の完璧な例 動画では、イスラエルの防空ミサイルがイランの攻撃を迎撃するために出撃し、その後イランのミサイルが目標地域を攻撃する様子が映っている。(防空ミサイル発射地点も攻撃されたようだ)迎撃ミサイルはもう残っていなかったため
Tumblr media
2 notes · View notes
shinayakani · 8 months
Text
230917 変化(へ)の知覚
 目立った変化の乏しい生活を送っていると、日常のなかで生じる些細な綻びが実際の規模以上に拡大して見えてきて、はては「まだ起こっていない(起こるはずのない)惨事」のイメージに繋がっていき、神経質にそれに捕らえられてしまう。それからしばらくは何も手につかなくなる――精神的に不安的な時期は大抵そうなるんだよね、と以前友人に話していた。いったい何を恐れているのかと言えば、「惨事」と書いたからにはもちろん、それなりに平穏だった日常が何らかの出来事によって突如一変してしまうことだろう。しかし、自分が能動的な状態(身体と精神がともに「健康的な」状態)にあるときは、「それなりに平穏な」日常のことなど全く頭に上らないし、むしろそれに類する言葉で生きている場を捉えようとすることを、私は軽蔑するはずだ(そんな日々を生きたためしが本当にあったのかい?)。
 変化を拒んでいるために不安定な状態(それから過剰に受動的になってしまう状態)に置かれることになるのか、不安定な状態に投げ出されることによって変化への回路を閉ざしてしまうのか、自分でもはっきりしないことの方が多い。ただし実感としては、変化それ自体(誘因となる出来事がどれほどの規模のもので、またどのような結果をひき起こすものであっても)に対する過度な警戒によって事態がさらに悪化していく、という方が印象に適っている。しかし、変化を引き起こす偶発事を恐れているとき、実際には何を「保守」しようとしているのだろう。自己保存の欲求(本能、とか何と呼ぼうと勝手だが)があることを否定できないとしても、卑小な予見の範囲内で生を送ることに耐え難くなり、そのままでは悪循環に囚われていくことにも気がついているではないか。あらゆるものが流れていく、そして個々人もただ受動的に流されていく(しかし〈時間〉は流れていない……?)、そんな幾度も繰り返されてきた無常の嘆き節には聞き飽きている。
(230913)
 こんなことを書いていると、自身で袋小路をせっせと拵えているように思えてくるが、そんなときにはまた、かつて読んで印象的だった言葉がどこからか曖昧なままに脳裏に過ることがある。今となっては随分昔のことのようだが、私が Twitter のアカウントを持っていた頃、劇場で見た映画について日々書き続けている女性がいた(その方はコロナの時期になってすぐにアカウントを削除してしまったようで、それ以降は消息が全く分からない)。半ば日常的な言葉を使いながらも、具体的なショットについて本質(そして倫理!)を逃さず捉える書きっぷりに、私は敬意や憧れを持っていた(そんな風に思って読んでいた人が、きっと私以外にも多くいたはず)。
 映画を見ること。出来事によって登場人物(俳優)が刻々と変化していくさま、その身体のふるまいを、まざまざと目撃すること。ひとりの人間が変化していく、まさにそのとき、そのただなかで放たれる圧倒的な「エロさ」。
 例によって私が曖昧なまま杜撰な文に再生したものだが、おそらく『散歩する侵略者』について書いていた際に、些事のように書き添えられていた何気ない言葉だったと思う。「エロ」という言葉が使われていたことは確かだと思うが、もちろんそれは(単なるイメージとしての)セクシュアルな面にのみ関わるものではない――ここでどうでもいい話に逸れる。何気なく発する言葉や立ち振る舞いから、その人のこれまで生きてきたありよう(生き様、という言葉は大袈裟に思えてしまうからこう書く)がまざまざと伝わってくると、私はいつも「色気」という言葉がまず頭に浮かぶ。別にセクシュアルなものだけを特に強調したいわけではないし、���にこの言葉の響きが好きなだけなのかもしれないが(日常の会話でこの言葉を使ってしまったときに、知人に誤解されたことがある)。
 偶発事に対して受動的であるだけでなく、そこから能動的なリアクション(身振りや言葉)を引き出すことによって、ひとりの人間が変化し続けていくこと。そのとき私は特定の人物に魅せられているというだけでなく、ひとりの人間が出来事に触発され変化していくこと、それ自体に魅了されている。作り出された虚構のなかで示される出来事は、「現実」と比べれば劇的で仰々しいものかもしれない。しかし、アクターたちの振る舞いとともにあくまでも強調されているのは、一つの生が出来事に促されどこまでも変化が連鎖していくこと、生を構成しているのはまさにその変化そのものであるということだ。そして、たとえ一つのフィクション(作品)によって示されるものが、変化の途上で連鎖が塞がれ挫折してしまった生、また現実では看過し難い「誤った」生であったとしても、作品が閉じられたその後に、一連の(それでいて迷路のような)時間を通して生成された問いが残る……変化の知覚へ向けられた問い。
(230915)
 そんなわけで(?)相変わらず本を読んでいないのだが、今年は宇野邦一の集大成的な著作『非有機的生』と、何と言っても廣瀬純の8年越しの時評集『新空位時代の政治哲学』が出たのだから、しばらくはもうこの二冊を集中して読んでいればそれで良いではないか、という気分になっている。
 時代を経て資本主義のパラダイムがどのように変化しようと、資本は「〔必ずしも地理的に限定されない外部としての〕南」への剥き出しの収奪抜きに延命することはできない。廣瀬さんの新著では、パラダイムが変化しつつある「空位期」の現代において見出される資本制の「病的現象」に対して、オペライズモ(あるいはアウトノミア)派直系の理論的な分析がなされている。そして、著者が理論的分析と分かち難く結びついているものとして報告し続けているのは、欧州どころか南米、イランやパレスチナなどの中東地域をはじめとする世界各地の民衆闘争(実践の現場)だ。資本(と結託した国家)に抗する民衆闘争の最前線に��、女性たちや先住民族のマイノリティがいる。本書は、世界各地の人々に「マイノリティ性への生成変化」を促そうとする彼女ら彼らアクターたちに触発されることによって、書かれたものだという。
 それぞれの文章について具体的に触れることは追々やるつもりだが(例えば現在進行中の「世界大戦」に対するいわばマクロ的な状況分析は、他では読むことのできない論点を提供してくれる)、いまはあとがきの末尾に書き添えられていた言葉を引いておこう。曰く――《今日の日本でよく読まれている哲学書や思想書の大半は「倫理」の書であると言っていい。日本に暮らす多くの人が日々の社会生活のなかで倫理を求めているからだろう。これに対して、本書は、いかにして資本主義に絶対的限界を突き付けるかを「状況の下で思考すること」(L・アルチュセール)へと誘う「政治哲学」の書である。〔…〕日本でも、20世紀には、国外の同時代的な状況も広く視野に入れて書かれた政治哲学書や政治思想書が多数発表され広範な読者を得ていた時代があった。世界各地での革命過程の再開とともに、倫理的転回を経験して久しい日本の哲学・思想環境が再び大きく政治化することを期待する》。
 本邦の言葉たちの多くは、上記の「倫理的転回」の下で、ある意味では自閉してしまった状態にあるのではないか。それら行き場を塞がれた言葉たちに対して、世界各地の民衆による身体的な試行錯誤(実践)に触発されることによって生み出された本書の言葉たち(理論)は、新鮮な〈外〉の風を吹き込もうとしている。ところで、この文中で消極的な意味合いで言われている「倫理」とは、いったい何だろうか。またしても話が逸れて行ってしまいそうだが、ここでこうして抽象的なことを書き綴っていると、これでは倫理の皮を被った自己啓発風の人生訓を滔々と述べ続けているだけではないのか、と私自身不信に思うことが常々だ。倫理まがいのものを要請することによって、そのときいったい何が得られる(守られる)というのか。しかし、特定の誰かに向けて書いているのではないとして、それでいて自分自身のために書くというのも実感として当たっているとは言い難い。それならば、変化へ向けて書くというのはどうか――同時代のこの地上で身を曝して実践を続けるアクターたちからの触発によって創出されるものであり、そして翻っては潜在的な力(それは人々のものだろうか、出来事のものだろうか?)に働きかけようとする言葉を。そのとき願わくば、書き手自身もまた変化するアクターとなるように。
《68年5月は、社会民主主義的環境をすでに安定的に享受し、利害闘争をもはや必要としない「市民」たち、あるいは、彼らの構成する「社会」が、「消費社会」や「権威主義」、「帝国主義」などを、おのれ自身の「耐え難い」存在様態として見出し、この自己知覚に押されて、それらとは異なる自己の新たな存在様態の可能性を見出す現象だった。これが新たな「主観性〔身体、性、時間、環境、文化、労働などとの関係〕」の創出だと言われるのは、世界と関係するその仕方自体、世界との関係において自己を知覚するその仕方自体のいわば「コペルニクス的転回」が問題となっているからだ。ドゥルーズは1980年代末制作のテレビ番組『アベセデール』のなかで、「左翼」とは何かという問いに対し、「知覚」の形式だと答えている。左翼ではないということが、自己の享受する環境の持続をあくまでも担保し、自己を起点に世界を知覚することであるのに対して(天動説)、左翼になるとは、世界全体の知覚から始めること、すなわち、まず「地平」を知覚し、次いでその地平において自己を含むすべてを知覚すること(地動説)だと。》
 ――廣瀬純「68年5月は今日もなお存続している」
2 notes · View notes
moznohayanie · 8 months
Text
Tumblr media
映画「君は行く先を知らない」公式サイト
観た映画紹介、今回はイランのロードムービー。珍しく良い邦題w  当然観客もはじめはわからず、旅の目的や意味が不明だと嫌な人には向かない系です。ふふっ、人生っぽいね。イラン映画は国情ごにょごにょの規制で魅力的な子役を産み出してしまうのですが、次男のラヤン君は悪魔のようにうるさくて、天使のように可愛い!
6 notes · View notes
sobajima · 11 months
Photo
Tumblr media
「映画 友だちのうちはどこ?」
数年前に観てから、すごくお気に入りのイラン映画(私的映画ランキングベスト10にいれてもいい)
最近、BS放送で放映していたので再鑑賞した。あらためて観ても、本当にいい映画作品だと思う。
ドキュメンタリー的に撮られた一見ゆるい雰囲気だが、かなりしっかりとしたイメージのもとにつくられている。
ドラマチックなことはなにもおきない。たいした感動もない。そして、人生とはそもそも理不尽である。
そんなことを、素朴で美しい村を舞台に、アートのような映像美で、我々に悲しくもやさしく伝えてくれる。
小説、絵画や写真では表現できない、優れた映像作品のお手本のような映画。
「言うことを聞かない時は殴るかね?」
「もちろんだとも」
「子供が少しも悪いことをしない時は? 礼儀正しい子だったら? そういう時はどうしたらいい?」
「何か理由を見つけて4日に1度 殴ることにする」
4 notes · View notes
seymourmusicclub · 1 year
Text
Tumblr media
0 notes
melikemordemjaponi · 2 years
Text
*These days I’ve been receiving many videos from inside Iran where schoolgirls & boys knock turbans off clerics as part of anti regime protests.
Removing the turbans of clerics has turned into an act of protest after regime killed hundreds of innocent protesters.
Via Twitter/Masih Alinejad (+video)
*Son günlerde İran içinden rejim karşıtı protestoların bir parçası olarak kız ve erkek öğrencilerin din adamlarının türbanlarını çıkardığı birçok video alıyorum.
Din adamlarının türbanlarını çıkarmak, rejimin yüzlerce masum protestocuyu öldürmesinden sonra bir protesto eylemine dönüştü.
Twitter/Masih Alinejad aracılığıyla (+görüntü)
*このところ、イラン国内から反体制デモの一環として、女子学生や男子学生が聖職者のターバンを叩き落とす映像を何度も受け取っています。
政権が何百人もの罪のないデモ参加者を殺害した後、聖職者のターバンを外すことが抗議行動となったのです。
Twitter/マシフ・アリネジャドさんより(動画とも)
6 notes · View notes
kennak · 1 year
Quote
映画の収入を使い果たしたっていうけど、映画化はかなり前のこと。何か感じる所があって、自分の人生を捧げることになった場所へ戻りたいと思ったのかな。単なる想像だけど
[B! 映画] 映画「ターミナル」のモデル死去 イラン出身、パリの空港で18年生活:時事ドットコム
1 note · View note
ari0921 · 10 days
Text
「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和六年(2024)5月6日(月曜日)
   通巻第8241号 <前日発行>
 全米40の大學キャンパスがパレスチナ支援の「学生」で占拠された
  2000名の活動家を逮捕。陰の支援者、胴元は誰か
*************************
 コロンビア大学を占拠した「学生」らは、プロの極左活動家から数ヶ月に亘って訓練を受けていたとウォールストリートジャーナルが伝えた(5月3日付)。なんだか日本共産党の暁行動部隊、極左セクトの革命夢想組、軍事組織まがいを連想してしまった。
 たびたび予測してきたようにアメリカは『完全な』分裂状態にあり、カリフォルニアなど20の州兵、武装民兵が首都ワシントンに攻め込んで大統領を殺害するという近未来映画「シヴィルウォー」が大ヒットとなっている。
 不法移民、中絶、LGBT、同性婚、大學ローン減免などで世論は真っ二つに割れ、従来のパターンとは異なった暴力的対決が迫る。地図的に南北に分かれるのではない。イデオロギーと政策的差違が未曾有の対決と分裂をまねきよせたのだ。
 
 この分裂をかろうじて抑止しているのが外的要素、すなわち中国の軍事的脅威、中国の軍事的挑発に対してのアメリカ人の敵愾心、反発である。
 ロイターの世論調査では58%のアメリカ人がTIKTOKは中国のスパイという認識をしていることが分かった(5月3日)。
 アンチ中国では共和党民主党を問わず、結束がみられる。
 トランプ前大統領のシンクタンク「米国第一政策研究所(AFPI)」が安全保障政策の提言書を発表した。
「米国第一の国家安全保障アプローチ」とし、「バイデン政権は中国やロシア、イランなど敵対勢力の抑止に失敗した」と痛烈に批判した。
 中国を最大の脅威」と位置づけたポイントに特徴がある。
「米国民の利益を優先させる」目的を掲げたトランプ政権の統治アプローチ」は過去の実績を誇示して、「米国第一政策のもと、トランプ前政権下では平和がもたらされ、20年間で初めて海外の新たな戦争に参戦しなかった」。
 一方、「バイデン大統領の不適格な指導力も加わって米国と世界の安全は悲惨な状況に陥った。アフガニスタンからの米軍撤退は敵対勢力に対して「米国の弱さ」をみせてしまった。以後、ロシアのウクライナ侵略、中国の台湾への威圧や北朝鮮の核・ミサイル開発の加速、中東でのイランや親イラン勢力の攻勢など不安定で危険になった」とする。
米国第一政策は「孤立主義」ではない、「アメリカは自由世界の指導者から後退するものではない」。しかしながらNATOなど同盟諸国と密接に協力しつつも、相互防衛に応分の費用を負担することが不可欠である。強固な同盟関係が敵対勢力に勝る最大の比較優位になる」と唱えている。(トランプは、或る集会では「EU諸国は安保に『ただ乗り』している」と発言している)。
AFPIは、「米国の安全保障の最大の脅威はウクライナ戦争ではなく中国だ」と断言し、「台湾への中国の侵略にそなえ、不可欠な兵器や訓練の確保など、『台湾関係法』に基づく関与の重要性」を強調し、日本に言及した。
すなわち、「台湾有事に関し最重要パートナーである日本に対し、「自衛隊の再軍備」に加え、東・南シナ海での中国の台頭に対抗するため他の同盟諸国への強固な支援が必要だろうとまとめた。
 ▼「中国脅威」とは幻影なのか、リアルなのか?
 軍事的脅威は張り子の虎の実態があるが、習近平の政治外交力はEU諸国の個別撃破にあり、ロシアとの強い絆の強化が狙いだ。
 経済的には国内の行き詰まりからの打開は輸出増大にあり、外的要因によって経済の活性化を図ろうとする中国である。
 ステノ・リサーチCEOのアンドレアス・ステノ・レーセンは『人民元の劇的な切り下げが近い』と予測する。
レーセンは中国の『戦略備蓄』の激増ぶりに注目し、とくに金備蓄が17ヶ月連続で戦略的におこなわれており、「経済戦争での核兵器に値する」。
何故なら中国は、人民元切り下げで輸出競争力を強化し、外国資本を再び呼び込むことになるからだ」とした。
 「外貨準備の通貨の多角化、とりわけ金備蓄増量は中国の戦略的動きだが、世界経済に緊張感を深めるばかりか、人民元安は輸入代金をかさ上げしインフレを将来する。サプライチェーンが混乱することになり、人民元切り下げをおこなう環境ではない」とするのがコーネル大学のエスワープラサド教授(元IMF幹部)だ。
 経済のアキレス腱、中国の脆弱性のどこをアメリカは攻めようとしているのか。いずれも参考にはなるが決定的な政策立案へは繋がらないかもしれない。
2 notes · View notes