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#静岡・福岡大空襲
herbiemikeadamski · 2 years
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. (^o^)/おはよー(^▽^)ゴザイマース(^_-)-☆. . . 6月19日(日) #先勝(癸卯) 旧暦 5/21 月齢 19.6 年始から170日目(閏年では171日目)にあたり、年末まであと195日です。 . . 朝は希望に起き⤴️昼は努力に生き💪 夜を感謝に眠ろう😪💤夜が来ない 朝はありませんし、朝が来ない夜 はない💦睡眠は明日を迎える為の ☀️未来へのスタートです🏃‍♂💦 でお馴染みのRascalでございます😅. . 26週目に突入🚀けど「大寝坊の巻き」 更に、悲報が届きました⤵️⤵️⤵️ 身内に他界して❓いやいやまだ早い かも💦心肺呼吸停止と...なので💦 呑気な事をやってる場合じゃないと 怒られそうですので今朝は失礼シマス。 「しかし、父の日に義父が他界」 . 今日一日どなた様も💁‍お体ご自愛 なさって❤️お過ごし下さいませ🙋‍ モウ!頑張るしか✋はない! ガンバリマショウ\(^O^)/ ワーイ! ✨本日もご安全に参りましょう✌️ . . ■今日は何の日■. #静岡・福岡大空襲(日本本土空襲). 第二次世界大戦末期の1945(昭和20)年6月19日(火)友引.の深夜から20日(水)未明にかけてアメリカ軍は  無差別殺人を犯しました。B-29爆撃機137機により二つの都市に向け焼夷弾で爆撃を加えました。  旧静岡市(現在の静岡市葵区・駿河区)の市街地と福岡県福岡市の市街地を標的に深夜から未明まで  長時間に渡る爆撃で両都市とも壊滅的な打撃を与えられました。 .  静岡市の被害は死者1,952名余、負傷者5,000名余、焼失戸数26,891戸に上りました。  福岡市では被害は死者902名余、負傷者1,000名余、焼失戸数12,693戸に上り、9つの小学校を含む16校  が全焼ないし一部焼失しました。 .  尚、静岡大空襲を含め、旧静岡市は1944年(昭和19年)暮れから終戦迄に合計26回の空襲を受けている。 . #先勝(サキガチ、センカチ、センショウ). 陰陽道(おんみょうどう)の六曜日の一つ。 この日は勝負ごと、訴訟や急用などに運がよいとされ、早い時刻ほど良くとされ、午後は凶になるなどの俗信がある。  寝坊は、もっての他とされますね😅💦 . #父の日(六月の第三日曜日). 1910年、アメリカ・ワシントン州のジョン・ブルース・トッド夫人が父の思いを受け継ぎ、母の日のように父にも感謝する日を制定しようと運動を展開したのが最初といわれる。  アメリカでは、父の日(6月第3日曜日)にはバラを飾り、黄色いハンカチやスポーツシャツをプレゼントするという。 . #父の日はうなぎの日(六月の第三日曜日). 岐阜県各務原市に本社を置く、人気のうなぎ店「うなぎ屋たむろ」が制定。  同店は品質にこだわった美味しいうなぎを提供、うなぎの蒲焼の通信販売も行っており、父の日にうなぎの蒲焼を贈る人が多いことから「父の日に美味しいうなぎを家族みんなで食べる」という食文化を広めるのが目的。  日付は「父の日」である6月の第3日曜日。 . #名古屋テレビ塔竣工. . #プログラミング教育の日. . #魚がし日本一立喰い寿司の日. . #ロマンスの日. . #ベースボール記念日. . #理化学研究所創設の日. . #朗読の日. . #京都府開庁記念日. . #桜桃忌、太宰治生誕祭. . #元号の日. . #松阪牛の日(毎月19日). . #熟カレーの日(毎月19日). . #シュークリームの日(毎月19日). . #共育の日(毎月19日). . #熟成烏龍茶の日(毎月19日) . . #いいきゅうりの日(4月を除く毎月19日). . #クレープの日(毎月9の付く日). . #対馬島の日(大韓民国). . #世界鎌状赤血球症デー(国際デー). . #ホセ・ヘルバシオ・アルティガス生誕の日(ウルグアイ). . #労働者の日(トリニダード・トバゴ). . . ■本日の語句■. #言わぬ事は聞こえぬ(イワヌツトムハキコエヌ). 【解説】 言葉に出してはっきり言わなければ、こちらの意思や考えが相手に十分に伝わらない。 そこで、後になって聞かなかったという事がないように、前もって念を押して置くべきだという意味。 . . 1998(平成10)年6月19日(金)大安. #羽瀬川なぎ (#はせがわなぎ) 【女優】 〔東京都〕 . . (牧野記念庭園) https://www.instagram.com/p/Ce96iq5vFLbSjbBMbGrYKUCuqoJGEsba1B2mIM0/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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yotchan-blog · 25 days
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2024/4/4 12:59:43現在のニュース
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applemusicbonker · 10 months
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G01 『ゴジラ』(1954)
スタッフ 製作:田中友幸、監督:本多猪四郎、特殊技術:円谷英二/音楽:伊福部昭/原作:香山滋 、脚本:村田武雄、本多猪四郎
出演:宝田明、河内桃子、平田明彦/鈴木豊明、 山本廉 /村上冬樹、堺佐千夫/小川虎之助/菅井きん/橘正晃、池谷三郎/手塚勝巳、中島春雄/高堂國典/ 志村喬ほか
 第1作『ゴジラ』はモノクロ(白黒)映画。画面は暗く、ボロボロで、役者のセリフもちょっと聞き取りづらい。70年も前の映画であるから、それは仕方がない。映像の保存状態が悪いのは古い日本映画の宿命である。
 逆に言えば、それだけゴジラの歴史は長い。映画の解説というよりは歴史の授業になるが、制作・公開されたのは1954年=昭和29年で、太平洋戦争に敗れ、アメリカ・イギリス・中国ら連合国に対して無条件降伏をした1945年=昭和20年から、まだ10年も経たない頃だった。同じ年に公開された日本映画の名作は『七人の侍』『二十四の瞳』など。そして『ゴジラ』……やはりゴジラは日本の歴史の一部なのかもしれない。なにせ公開の2年前、サンフランシスコ講和条約が結ばれる1952年=昭和27年まで、日本は独立国家ですらなかった。 日本はアメリカを中心とするGHQ(連合国軍総司令部)によって占領されており、 非日常の暮らしが続いていたという意味では、まだ戦争は終わっていなかったのだ。これは現代の人間が「終戦記念日は1945年8月15日」と頭ごなしに覚えてしまうと逆に見えなくなってしまう事実で、 ゴジラと戦争の記憶は現代の人間が思うよりずっと近い場所にいる。
 特撮マニアであれば当然知っていることだが、単にゴジラを単なる日本生まれの怪獣としてしか認識していない人は果たして知っているだろうか。ゴジラはアメリカによる水爆実験の放射能を浴びることによって生まれた古代の生物であり、広島・長崎に落とされた原爆の被害者と同じ、被爆者である。そして、映画公開の8ヶ月前の1954年3月に発生した「第五福竜丸事件」も無視できない。遠洋漁業に出ていた日本のマグロ漁船がアメリカの水爆実験に遭遇し、船員が被曝。平和な時代が来たはずなのにまたもや核兵器による日本人の犠牲者が出てしまい、大きな社会問題となっていた。だからゴジラが海から現われて文明を破壊しにやってくるのは自然か、あるいは神か、何者かの怒りを代弁する行為でもあり、人類が犯した罪をことさらに意識させるものであった。それならゴジラにはその元凶であるアメリカで暴れてもらうのが筋という気もするが、たまたま日本の近海を住処にしていたゴジラは大空襲の記憶もまだ生々しい東京に上陸。ようやく復興の兆しが見えてきた街はゴジラによってふたたび破壊し尽くされる。この理不尽な悲劇の連鎖もまた、戦時中の延長にあるものではないだろうか。ちなみに、映画の中に出てくる「原子マグロ」というセリフは、「第五福竜丸が戻った静岡の焼津港で水揚げされたマグロには放射能が含まれている」という風評被害が出回ったことを指している。
 また、昭和20~30年代の日本映画では、登場人物の肉親が空襲や戦闘で亡くなっていたり、かつて豊かだった一家が戦争を境に貧乏になっていたり、まだまだ日常に戦争が残っていた時代の映画には、戦争映画でなくてもそういう設定が当たり前のように出てくる。本作に登場する芹沢博士(平田昭彦)もそうした設定のもとに描かれる人物で、右目は眼帯で隠れており、それについてはほとんど説明がないのだが、これは戦争で負傷したものだと思われる。そんな社会的背景のさなかに生まれた大怪獣・ゴジラが映画のスクリーンの中でどのように暴れ、観客にどのくらい大きな衝撃を与えたのか? もしかすると、この映画を観ることで当時の日本人の気持ちを追体験できるかもしれない。
 多くの観客に共感し、楽しんでもらうために、映画はしばしば「社会を写す鏡」になる。例えば、生物が放射能を浴びて巨大化、あるいは凶暴化する…という設定は、 『原子怪獣現わる』や『放射能X』など、『ゴジラ』より少し早い時期のハリウッド産のモンスター映画ですでに見られたものだが、唯一の被爆国である日本人がこの設定で映画を作るとなると、単なるエンターテインメントを超えた説得力がおのずと含まれることになる。監督の本多猪四郎(ほんだ・いしろう)が終戦までの8年間、映画の現場を離れて従軍していたことも『ゴジラ』に託されたテーマと大きな関係があるだろう。かくして単に怪獣が街を壊すだけの娯楽映画だったはずの『ゴジラ』は、結果として「社会を写す鏡」になった。公開初日=11月3日から観客は映画館に長蛇の列を作り、その一方で新聞や雑誌といったマスコミからは『ゴジラ』は時事ネタをうまく取り入れ、ジャーナリスティックな視点を持った「反戦・反核映画」として、一定の評価もされることにもなった。
 本作の特撮場面を手がけ、のちに『ウルトラマン』などを生んだ特技監督・円谷英二(つぶらや・えいじ)のクレジットは「特殊技術」。あくまでも技術スタッフの責任者、といったところだ。それに当時は「特撮映画」という言葉はまだ生まれていない。映画の歴史の初期からいわゆる特撮を目玉にしていた作品は忍者が忍術を使うチャンバラ映画などいくつかの例があるが、『ゴジラ』以前は「トリック映画」「見世物映画」などという説明がついていた。インチキで、安上がりで軽い。そんなニュアンスが読み取れる。ところが『ゴジラ』はどうだろう? 日本人に戦争のトラウマを蘇らせることも厭わない、容赦のない破壊スペクタクル。未来に生きる我々が戦時中の空気感を知ろうと思うなら、(もちろん戦中の作品を観るに限るのだが)もしかするとこの映画を観たほうがよりとっつきやすい形でわかるような気がするのだ。当然のことながら、この戦争の影を引きずった陰鬱なムードは戦後の復興を経て、シリーズが進むごとに消えていく。その後ゴジラは2代目、3代目と続いていくので、本作のゴジラは「初代ゴジラ」とも呼ばれている。昭和29年という時代のなかで傷つき、苦しみながら産声を上げるゴジラの初姿を、しっかりと見届けてほしい。
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myeverythinglyric · 1 year
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「福岡旅行楽しかったね」で1ヶ月、「あと1ヶ月でまた逢えるよ」で1ヶ月。2ヶ月なんて長くて一瞬だ。1年に1度しか逢えない織姫と彦星なんかよりよっぽど逢えるじゃんか、触れたい時にすぐ触れられないこのもどかしさを知らねえ奴は知らないだろう。何となくここからあの愛おしい瞳で俺を見詰めてくる御前が登って来るだろう、信じてやまない俺はただ1箇所のエレベーターを見据えてた。「久しぶり、行こっか」前よりも慣れた笑顔で肩を並べて歩き出す。2ヶ月ぶりに見る御前はやっぱり可愛くて、片時も忘れる事の無かった好きが一層溢れた。ほんとはもう直ぐにでもキスしてしまいたかったくらいには、そのくりっとした瞳を目で追ってた。
相変わらず2人して方向音痴なのか適当なのか、最初の目的地を探すだけでも馬鹿みたいに歩いたよな。それでも迷った事に弱音や愚痴を吐くこともなく一緒に色んな建物を指差して進んだね。1時間と少し、待った甲斐もあって降りて来た御前はどうしよもなく可愛かった。着物���の御前、誰もがそのすらっとした高身長が映える美しい着物姿に見惚れてた。俺のだぞ、なんて口にもしたけど世界一可愛い御前がほんとに俺の自慢なんだ。隣を歩くのに釣り合うくらいかっこいい人間で居たい、これに尽きる。慣れない土地でなんの目的も無く歩き回るだけでも2人で居るとどうしよもなく楽しくて、馬鹿みたいに早起きだった朝なんてすっかり忘れてたんだ。
沢山調べて選んだホテルに着いた頃に睡魔をちょっと思い出したけど、相変わらず次の予定までに仮眠も取らずに夢中になったね。1時間がまるで5分くらいの体感だったけど、新しい言葉を覚えた御前は前よりも欲深く俺を求めては甘く鳴くからもう、止められるわけもなくね。時計を見て驚いた俺らは慌てて支度して夜の外に繰り出した、アルコールの回った脳ではプラネタリウムなんてまともに視界に入れる事も出来ずに見事に仮眠の時間と化してた。途中まで見てた星空は綺麗だった、途中までは見てたよ。
シャワーを済ませてるうちに忍ばせたクリスマスプレゼント、酔った勢いでなんて言って笑われたけど計画通りで悔いはねえよ。ほんとにサンタさんが来たって興奮してる姿は俺の想像してた笑顔より何倍も可愛くて、泣きそうなくらい喜んでる御前を見れたから選んだ甲斐があったわ。ほんとは次の日に渡すつもりで抜き取る予定だったケースの指輪も、しっかり入ってたそれも全力で喜んで指にはめてたね。ぴったりで良かった、用意周到だなって自分でもまじで思う瞬間だったよ。半ば俺に合わせて空けたピアスホールを彩るピアスも、これから御前のちっさい耳で輝いてくれると良いな。そして何気ない以前の会話からヒントを得て選んでくれた大好きなブランドの手袋、すっかりあげる事に楽しさと幸せを覚えていたとこに不意にプレゼントを貰ってめちゃくちゃ嬉しかったんだ。クリスマスプレゼントなんてガキの頃以来だな、なんて噛み締めながら。
薄いカーテンから差し込むビルの明かりに照らされて、明日も早いってのに俺らはいつまでも確かめ合ったね。それでもまたちゃんとアラームが鳴る前には目が覚める。おはようのキスを交わしてまた嵌りそうになる前に、御前に止められて仕方なく身体を起こした。2ヶ月前に必死こいて獲得したクリスマスディズニーの予約。一日の違いでクリスマスムードが無くなるのを知った去年、今年はこんなにも愛おしい存在の御前と行けるなんてまるで夢みたいだよ。支度をしながらディズニーパレードの動画を見て、「テンション上がってきた」なんて子どもみたいにはしゃぐ御前に微笑みを零す。用意していたお揃いのカチューシャをつけて、暖かな気候のディズニーに繰り出した。色んなことに興味津々な御前はその目に映るもの全てを一個ずつ指差しては毎度の如く目的地に辿り着くまでに寄り道をしまくって俺ららしい過ごし方をしたね。乗りたい物に乗れてご機嫌な御前、周りのカップルに負けないくらいずっとくっついて歩いてた。何気なく「俺買ってくるから席取って座って待ってて」って言えば御前は惚れ惚れした様子で「樹ってやっぱり彼氏側なんだなって実感した」なんて褒めちぎったね。無意識の行動を褒められるのは照れくさいから笑って誤魔化したけど御前は俺の自慢の恋人だから、ほんとに何でもしてあげたくなるんだよね。唯一入れたミュージカルショーも初めて観た御前は終始大興奮で食い付いて観てて、こんなにも全ての事に喜んではしゃいでくれる御前がほんとに愛おしくて。ちょこちょこ御前に見入ってたなんてここだけの話。どんな事にも驚いて、納得して、そして喜んでくれる。その忙しない百面相が御前の1番大好きなところで、1番大切なところだよ。
楽しい夢の国、あっという間に覚める夢の時間。帰り道は二人とも睡魔に襲われて、電車で余韻に浸る間もなく眠ってたね。帰ってまた楽しく談笑して、また触れ合って、眠って。御前より先に目覚めた俺は徐に、隣で眠る御前の寝顔を写真に収めた。目を開けたらそこに居る愛おしい存在、前よりもそれに安心を覚えた俺はすっかり朝まで目を覚ます事無く眠れるようになってた。キスから始まる朝だって、御前とだから許されること。キスからその先だって、御前とだからしたいこと。そんなことしてたらチェックアウトギリギリで、慌てながらもグダグダ支度する俺らがおかしくて笑いあったね。
「今日言えそうな気がする」で家族に打ち明けてくれた俺との関係。「良い話じゃん」と安心して受け入れてくれた暖かい御前の家族、緊張はあったけど何よりも分かってくれた上で俺を迎え入れてくれた家族が本当に暖かくて全員に囲まれた瞬間がたまらなく幸せだった。大切に育ててくれて、大切に慕ってくれてる両親と兄弟に感謝の気持ちでいっぱいになるくらいには楽しくて、表情からも俺を受け入れてくれてるんだって伝わってきて嬉しかった。初めて食べた手作りのオムライス、家族からは薄くて微妙ってディスられてたけど俺はめちゃくちゃ美味しいって思ったよ、毎日でも食いたいくらい幸せな味だった。またおいでね、って言ってもらえて電車の中で胸がいっぱいになってた。
俺たちは暖かいダチにも囲まれてる、配信を俺らくらい楽しみにしてくれていたりその為に戻って来てくれたり。それを更に実感した1時間だった。呼んだらそっこーで来てくれて、俺たちを微笑ましく見詰めては「ほんとに幸せそうでこっちまでニヤニヤしちゃう」なんて心からその言葉を感じて、照れ臭くも嬉しくて。ダチや家族と居てもつい御前を愛おしい目で見ちゃうから、ほんとダダ漏れなんだろうなあと思いつつ。奢ってくれてありがとう、幸せのお裾分けしてくれてありがとうなんて暖かい事を言われて、これからも俺たちを取り巻く全ての存在に感謝の気持ちと相応の愛情を返して行きたいよね。
2人になった電車でもう既にうつむき加減で涙を堪えてる御前に気付いた時には愛おしくてつい笑っちゃった、時折繋いだ手にきゅっと力を込めて寂しさを表しながら涙する御前の指先を悪戯になぞって。寂しくなっちゃったね、何度経験しても泣いちゃうね。静かに泣く姿も不謹慎ながらも可愛くてずっと眺めてた。時が止まれば良いのにと思う程には俺も寂しいけど、また会える楽しみもあるからこそ笑っていられる。
今生の別れってくらい泣きじゃくる北斗がちょっと面白くて笑っちゃったけど、振り向いて手を振るたび泣きながら笑顔を浮かべて手を振り返す姿を見て今すぐこの長蛇の列から抜け出して御前の元に駆け寄りたい、注目の的になったって構わないから驚く御前を強く抱き締めてそのまま一生傍に居たいと思った。どうしてこんなにも俺たちの愛には距離があるのか、心はいつだって寄り添ってて熱を感じるのに。もどかしい、ただその一言に尽きる。
搭乗して電話を掛けたら声を聴いてまた泣き出す、人目を憚らず泣いて愛を表現する御前からも俺と同じ気持ちが伝わってくる。日の落ちた空に濃く煌めく三日月はこんなにも綺麗なのに、冷たい手を握って「月が綺麗だね」って一緒に眺めることも出来ない。互いに違う環境音を響かせる電話越しに絞り出した、「大丈夫、また会えるからね。」これは俺への呪文でもあるから。
無邪気に笑う可憐さ、どんな事にも興味を示してはしゃぐ姿、嬉しさが極まって泣き出しそうになる涙脆さ、寂しいよと静かに涙する姿。どれを取っても360度、隅々まで大好きな御前の一面だしこれからも変わらずに居て欲しいとさえ思う。3年後の俺たちはどんな喜びを噛み締めてどんな道を歩んでるだろうか、物理的な距離なんて取っ払ってこれからは一緒に居られるねなんて笑い合えてたら最高だよな。
機内で徐に綴り出してからこの文に到達する瞬間まで、すっかり夜になってしまった今でも変わらず御前のことで頭がいっぱいだよ。もう会いたい、もう触れたい。その笑顔は何度この目に焼き付けても物足りない、すぐ冷える御前の手をずっと暖めて居たい。次、そのまた次と予定を立てては楽しみを増やしてこのもどかしい日々を期待で満たすんだ。そしていつかそんな日々にも終わりが来ることを願って。「今日からずっと一緒だよ、どんな気分?」いつかそう聞ける日が来るように。来るよ、絶対。絶対なんて言葉が無かろうと俺は御前との未来を掴みに行く。
初めてなんだ、こんなにも尽くしたいと思える相手も真っ直ぐに愛したいと思える相手も。真っ直ぐに愛す選択肢以外が思い当たらないくらいにはこの人生で1番夢中になってる。人目を気にする癖、人の言葉を気にする癖、人に触れることも触れられる事にも躊躇いがあって控えめだった俺が御前と出逢って御前の恋人になって変わったんだ。変わったと言うより多分それくらい初めて本気で好きになったんだろうな。俺にこんなにも愛おしさを教えてくれてありがとう、たくさん愛してくれてありがとうって御前はよく言うけど愛させてくれてありがとうって俺は心から思うよ。
この愛は枯れない、御前という花は俺と共に咲き続けるから。どんなに不安になったって最後は俺を信じて笑ってくれるから、何度不安になっても良いよ。いつでも駆け付けるから、どんな時でも傍に居るから。信じてて、これからも俺と御前の愛を。
ねえ北斗、愛してるよ。
言葉じゃ言い表せないくらい深く、濃く。
何度でも言わせてよ、毎日伝えさせてよ。
その広い心で受け止めて、余すことなく大切に抱き締めてて。
今夜もまた、大好きな御前の声を聴いて眠りにつこう。
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oharash · 1 year
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こひなら不如意
こひ は 恋のことです。
1.        
 俺の舌はよくまわる。本音でもないことをいくらでも言葉にできる。けれど本当は、あの人の手の中、グラスの氷がたてる音だけに耳をすませる——そんな時間が一番好きだ。  あの人が沈黙に沈むとき、俺はあえて声をかけなかった。ときどき、沈黙の途中であてもなく名前を呼ばれた。 「はぁい」と答えると、炎司さんは呆けた顔で俺を見た。呼ばれたのはおそらく俺ではなかったのだ。その視線はどこか別のところへ向いていたのだと思う。そうでなければ、昔のことだけに。  それでもよかった。こんな俺が、矮小な心が、この世界でテーブルに肘をついてグラスを眺めることが許されるなら、それは誰でもないあの人のそばがよかった。  背中押します、支えます。そこに「守ってあげます」が書き添えられたのはいつだったか。  そんなことだけをずっと身のうちに抱えていた。  
                                                       
 アスファルトが晩秋の日差しに蓄熱されきった頃、ようやく俺はいつものベランダにたどり着いた。  開け放した掃き出し窓の先でノートパソコンを眺めていた炎司さんは俺に一瞥だけをよこし、いつものように良いも悪いも言わなかった。 「ホークス便でえす」「受け取り拒否だ」  靴を脱ぎ揃えて部屋に上がり、勝手に椅子を引いて彼の斜め前に腰を下ろす。彼の前に封筒を、自分の前に紙袋を置く。「お昼まだなんで失礼します」道すがら買ったスモークチキンサンドは冷め切っていたがあまりべたつかず甘さを滲ませた。メニュー横のPR文章も何も見ずに買ったけれど特別な品種だったりするんだろうか。脂の融点が低いとか。  炎司さんはチャコールグレーの襟付きシャツをを着ていて、そうしていると何だか休日のお父さんという体だった。本人が目の前にいるのに俺はいつもこの人のことを考える、指や髪や所在なげに揺れる右袖のことなんかを。そして本物を見て答え合わせをして遊ぶ。本体とは真逆に慎ましさを知らない俺の目はどんどん先に進んでいき、太い首をなぞって肩に降りる。でっか。いつもながら胸まわりがパツパツでどうなってるんだろうって思う。こんなのもうおっぱいじゃん。なんで乳首浮かんのじゃ、ニプレスでもしとんのか。肘上から喪失した右腕は体全体のバランスをとるためか不規則に動く。ストイックを絵に描いたような体をしているくせに少しくたびれた目元だとか眉間の皺には若くない男の退廃があって、おまけに不揃いの四肢という危うさも加わりこの人に会うたび俺の性癖はおかしな方向に捻じ曲がっていく。甘い脂を飲み込む音がやけに大きく響いた。前言撤回だ、こんなすけべな休日のお父さんがいてたまるか。 「テイクアウトっていうじゃないですか、日本だと。イギリスとかオーストラリアではテイクアウェイっていうらしいですよ意味は一緒ですけど。あとイートインって英語圏だとほとんど伝わんないんですって。あ、その封筒の中身ですけど確認して月末までに戻してほしいって目良さんが。俺また持ってくんで用意できたら教えてください」 「黙って食え」 「ところできいてほしい話があるんですけど」 「後にしろ」 「じゃあテレビつけていいです? 今日の野球、昼試合なんですよ」返事を待たずにリモコンを手に取る。炎司さんがキッチンに立ち、湯気のたつマグカップを持って戻ってきた。  ぎこちない左手から離れたマグカップが天板を強く鳴らす。残響を遠く聞きながら、俺はひいきのチームのつながりきらない打線を眺めていた。
 誰も彼もがぼろぼろになってAFOをぶっ殺したあと、俺は日本中から瓦礫やゴミが消える速やかさにちょっと感嘆した。庇護の対象だったたくさんの「一般市民」は機械的にすら感じる切り替えの速さで復興へ舵をきり、熱病のように絆を語り、資材不足にあえぎながら市街地はみるみる整然さを取り戻した。「ヒーローが人を守る」なんて考え方がそもそも烏滸がましいもんだな、だってこの人たちのほうがよっぽど現実的でタフだ、と復興の大きなうねりに放り込まれた俺は少し小さくなった心地がした。瓦礫撤去の現場で一緒にタバコを吸った爺さんは俺が生まれるはるか前の災害をいくつか挙げて「復興も3回目だから慣れたもんだすけ」と強い訛りで声を張り、俺は老兵のさまざまなものを飲み下した頑堅さに畏敬の念すら覚えたのだった。  右腕をなくして内臓をいくつも損傷した炎司さんはほどなくして第一線を退き、初夏の頃に正式に引退した。エンデヴァーでなくなった彼がこの社会に不要なんてことはもちろんなくて、ブッキングに後方支援、各所への根回しなど忙しく過ごしている。  ありがたいことに俺も仕事をさせてもらえて「ヒーローが暇を持て余す世の中」とはいささか意味が違うけれど、あの頃のような世界ごと屠られる警戒からはずっと遠い場所で今、生きている。ついでに炎司さんがひとりで暮らすマンションに用事があってもなくても顔を出している。歓待はされないが追い払われることもない。 「東海道新幹線の復旧、おかげさまで順調らしいですよ。来月ですって」 「福岡からこのあたりまで五時間だな。だからってお前はこれ以上うちに来なくていいからな」 「まだ何にも言ってなくな��ですかあ。それに俺は飛行機派ですう」 「この画面から進めない。わかるか?」  この人がエンデヴァーさんから炎司さんになった頃、俺の呼称も貴様からお前に変わった。突き出されたPC画面を処理して戻してやる。 「どこもこうやってどんどん電子化になってるのにお役所っていつまでも紙文化でどうなの、って最近まで思ってたんですよ。でもヴィランの襲撃でパソコンぶっ壊れて焼け残った紙の情報が復興の役に立ったなんて聞いちゃうと何でも知った気になっちゃいけないなって思いましたわ」 「アナログなものをあまり侮らない方がいい。削ぎ落とされたものがそのまま無価値になる訳じゃないからな。そもそもお前ら、わからないことがあると3秒以内にスマホで調べ始めるだろう。あれも時々俺はどうかと思うぞ」 「ええ? だって早いじゃないですか」 「想像力が発揮される余地がないだろう」 「うーーーーーん」 「答えを探しているうちに今まで出会ったものとの有機的なつながりだとか体系的なものが見えてきたりする経験はないか?」 「例えば重要でないけど便利な情報ってあるじゃないですか。最寄りのトイレとかコンビニの場所とか。そういうものを簡単に得られる代わりに、俺たちは思考を訓練する機会を失ってるってことですか?」 「そうだ。お前たちの方が高度な検索機能を持っている分だけ自分を相対化できているし良い社会を作れるのだとは思うが。誰かの主張を無防備に取り入れる若者を見ると心配になる」  この2LDKのマンションではない彼の以前の住居を思い出す。一度だけ訪れたことがある、厳しい佇まいの大きくて静かな日本家屋。あの見事な枝振りの松、晩夏の撫子と女郎花。欄間に切り取られた午後の日差しに床の間の控えめな掛け軸。暴徒かヴィランなのか結局判明しなかったが、放火されてもうどこにもない住まい。あの空間を思い返せば仕事を離れた炎司さんが案外物静かなのがわかる気がした。手のかかるものやアナログなものを否定しきらないことも。 「そうかもですね。俺らって多分根っから効率厨なんですよ。あー…効率重視ってことです。やらなきゃいけないことは効率的にぱぱっと済ませて、自分の好きなことに時間を割きたいっていうか。あんまり余白、とか、ままならないものを愉しむ、とかかがわかんないんですよ。逆に教えてほしいくらい」   「茶道でも習え」 「あ、自分で話振っててめんどくさくなってるでしょ」 「本当に知りたいか? ままならないことを?」 「そりゃもう」あなた以上にままならないものがあってたまるか。  炎司さんは壁時計に目をやって少し思案した。16時少し前。晩秋の日差しはすっかり黄色い。 「今から明日の朝までの予定は?」「オフです。何も決めてません」「なら泊まってけ。その前に一件付き合え」「ええ、事件ですか?」「いや私用だ」  外出とお泊まりの誘いをいただいて浮かれる俺を嘲笑うように、炎司さんが片頬を上げた。 「アナログな、あるいはもっと原始的な案件だ」
2.  かくして、俺は住宅街の中にぽっかり作られたその名も『なかよし公園』のベンチにてコーヒーを啜ることとなった。観光名所でもなくカップルが遊びに来るような場所でもなく、雲梯、鉄棒、滑り台、ブランコ、東屋に小さな山、公衆トイレに動物を模した遊具、ささやかな広場、それらを見守るようにそびえる銀杏の木。ふたりがけのベンチでコーヒーをすする男ふたり、それもひとりはガタイのいいオッサン。公園を取り囲む家家を眺めて造成されてから20年ほどの住宅地と勝手に目算する。ふりあおげば高層の団地がやや遠くに見えた。ほとんどの家庭のベランダに生活の色がついている。 「で、何なんですかここは…」  炎司さんが車を出してくれるという突然のイベントにまず俺は面食らった。次はドライブデートやね♡ かさばるから羽根は落としとかなきゃいかんね♡ と浮き立つ気持ちと、この車ってほぼ俺の年収じゃね? とおののく気持ちで頭が混乱した。走る年収について炎司さんは「ガソリンスタンドは鬼門だから電気自動車、日本製はどれも手狭だったから海外製」と大変セレブな消去法を披露してくださった。ついでに片腕でも運転できる仕様にしたので納車にえらい時間がかかったとか。俺が勝手に当たりにいってるのは百も承知だが経済力で殴るのはやめてほしい。硬さを感じさせないのにしっかりホールドされるシートは全然落ち着かずいっそパトカーが恋しかった。そんなBで始まるドイツ製の車は住宅街から顔を覗かせるドラッグストアに停めてある。 「すぐ終わるから待っていろ。人生には余白も必要だ」 「仕事は超合理主義のくせに」  この人の片頬笑みは凶悪だけど慣れてくれば人懐っこさもある。全く『なかよし公園』にはそぐわないが。  小学校低学年くらいだろうか、柔らかそうな体をした子どもたちがブランコで遊んでいる。板の上に立ち上がって膝を屈伸するアグレッシブな立ち漕ぎだ。 「聞いてほしい話があるって言ったじゃないですか、悩み相談なんですけど。最近、気合の入ったストーカーがいましてね、俺に」 「午後の公園にはふさわしくない話題だな」 「あなたの顔よりはマシだと思いますよ…。まあそれでね、俺を自分の恋人だと思ってる系の人なんですけど。事務所で出待ちされるので撒いて帰ってたんですよ。そしたら消印のない手紙が自宅のポストに届くようになりまして。‘今日の私服素敵でした’から始まって、次の日にはどうして返事をよこさないのか、になって、その次はもう俺とその人が結婚してる前提で話が進んでいきまして。自分の身くらいは守れるしってほっといてるんですけど。最寄りのコンビニにも来るので行けなくなっちゃいました。炎司さんって現役時代、ストーカーの類ってどうしてました?」 「俺をストーキングするような物好きはおらん」 「うっそぉ。‘エンデヴァーに殺されたいヴィラン’いたでしょ。全然説得力ないっすわ。あれも一種のストーカーですよ」  炎司さんは眉間の皺を深くして下唇を突き出した。これで喜怒哀楽を表現する彼も、それがわかる俺もどうかと思う。ちなみに今はご不満であらせられる。 「そういうことなら身の回りに気をつけろ。エスカレートすると親しい人間に矛先がいく。俺は家族を襲われた」 「親しい人…炎司さん…⁉︎」 「お前本当に友達がいないのか…?」 「襲われたら返り討ちにしてくださいね」 「くだらないことを言ってる暇があったら面倒がらず専門家を入れろ。何かあってからでは遅い。それから」  まあそうなるよな、よしよし不安だね大丈夫? とか言わんよなあ。俺の構ってちゃんマインドを一刀両断して、彼は腕時計を見下ろす。 「そろそろだ」    ぼん、と背中に衝撃がはしった。振り返ると男の子がいた。家庭の甘い香りを漂わせた小学一年生、あるいは未就学児。彼は声もあげずにったり笑っていて、その足元にはサッカーボールが転がっている。  これがベンチの背に当てられた、全身に警告が走る。雨覆だけにしてパーカの下に隠していた剛翼が反応しなかったのだ。  子どもがボールを拾い上げて振りかぶると、彼の手を離れたボールの軌道がスローに見える。尻がベンチに縫い付けられたように動かない、目を逸らすことができない。  左肩が熱くなった。熱い? いや痛い。炎司さんに突き飛ばされたと理解した瞬間に受け身をとる。顔を上げると子どもは真っ赤な口を開けて声もなく笑い、背を向けて走り出した。 「追え」  その言葉より早く剛翼を飛ばす。  個性でも使っているのか、子どもは生身とは思えない速さで駆けて公衆トイレの裏手に周り—— 「は?」  あったとしてコンマ1秒。遅れはとらなかったはずだ。けれど俺が壁に手をかけて身を乗り出した時には、子どもの姿はもうどこにもなかった。  剛翼は初めから最後まで一度も伝えてこなかった。生き物の反応も、そうでない反応も。  街に17時を告げる『峠の我が家』が遠く響いている。
3.  本当に何げない時に右腕の喪失を感じるという。  あの人が缶ビールのプルタブを開けようとして、肘から上が欠損した腕に気づいてふと呆けるなんでもない時間、それに続くわずかな照れと自嘲、はにかみの意味を俺は正確に理解はできなかった。だからそんな時俺はいつも、彼の残された左手の指先を見つめている。  自分の缶ビールを開けて炎司さんの未開封のそれと交換すると、彼は罰が悪そうに礼を言った。もう何回目かもわからない四川麻婆豆腐を平らげて風呂をいただいたばかりだ。初めて作ってもらってから俺がそればかりねだるものだから、炎司さんは麻婆豆腐が俺の好物だと思っている節がある(冬美さんのレシピなのだと教えてくれた時の顔といったら! )。もう一度プルタブを上げてビールを煽る。風呂上がりの体に苦みの強い銘柄が染みていった。  テレビのチャンネルをニュースに合わせて、今度こそ逃さない腹づもりで炎司さんを睨む。 「そろそろ教えてください、夕方のアレはなんだったんですか」  あのあと、あっけにとられる俺の後ろで「ふむ」と頷いて彼さんは公園を後にした。何を聞いても「後で話す」と教えてくれなかった。 「お前はなんだと思う?」 「気配を消す個性か、すぐ消失させられる人間を作る個性かと考えました。でも足の早さが説明つきません。足の速い動物を人間の姿にするとか? でも目的がよくわからない。愉快犯にしたってボールをぶつけるだけじゃその線は考えづらい。そしてあなたがわざわざ俺に見せるくらいだから、そんな薄味なものじゃないでしょう」 「冷静だな。主観的な感想は?」 「不気味でした。体が固まって、あなたに突き飛ばされるまで動けなかった」  炎司さんが片眉を上げて意地悪く笑った。ばりカッコいいな、腹たつわあ。 「お前の頃もあったか? 学校の七不思議というものは」 「エンデヴァーが随分とファンシーなこと言いますね…トイレの花子さん的なやつですか?」 「無人の音楽室からエリーゼのためにが聴こえてくるだとか踊り場の鏡に何かが映るだとか、な。口伝だろうによく何十年も続くもんだ」 「いや待って、全然話が見えないんですけど」 「冬美の勤める小学校があの近くだ。今の子どもたちもそういった怪談が好きなんだそうだ。それでトイレの三番目がどうとかよくある話の中に、地味だが他所では聞かない話が混じってるらしい。17時にあの公園のベンチに座っていると子ども現れてがボール遊びに誘ってくる。それに応じると」  ぼん。 「家までついてくる」  俺が出入りする掃き出し窓が軋んだ。ちょうど、まるで、硬い球体が当たったみたいに。それも大人のフルスイングでなくて子どもの力で精一杯ぶつけたくらいの衝撃で。  剛翼はぴくりともしない。この部屋は地上5階だ。  深刻なことほど遠ざけたいもので、俺はまずドッキリを疑った。炎司さんはこんな手の込んだことはしない、却下。では何かの拍子でボールが飛んできた。それなら散らしてある剛翼で感知できる、却下。そもそもどこからボールが飛んでくるというのか。 「パーナム効果でしょ…」  占いなんかで、誰にでも該当することを言われているのに「自分にだけ当てはまっている」と思い込む現象——そんな一致だろう、音が似てるだけで家鳴りかも知れないし鳥がぶつかったのかも知れない、と思うも脳みそ裏側からの警告音が止まない。 「ボールを受け取らなければいいかと思ったがそうでもなかったようだな。走って追いかけたのが‘遊び’にカウントされたか?」 「待って待って本気ですか⁉︎」 「剛翼は何かを感知したか?」 「してませんけど⁉︎」 「では個性ではないだろう。ついでに家まで来た彼はボールの代わりに生首を持ってるらしいぞ」  炎司さんは立ち上がって、キッチンから小皿と塩を持ってきた。俺に目もくれず片腕でぎこちなく窓際に盛り塩を始める。 「あんた自分の家を幽霊屋敷にする気ですか⁉︎」 「AFOに比べれば怪異くらいなんてことはない。それに古今東西、この手のものは招かれなければ入れない。朝まで窓も玄関も開けるなよ」 「そうなの? そういう問題なの? ていうか初めてじゃないってこと? 俺が公園の後やっぱり帰るとか言い出したらどうするつもりだったんですか⁉︎」 「この怪異が海を越えて福岡まで行けるか否かがわかるな」  ぼん。再び窓が鳴る。 「ままならない出来事はどうだ、小僧?」  ぼん。  外の景色が見られない。 
 突如足先を濡れた感覚が襲い、喉からヒュッと空気が漏れた。床は何の変哲もないフローリングなのにひたひたと冷気が上がってくる。見えるはずもない映像が脳裏によぎる。はねるボール。鱗の生えた足。黒く壊死した指先。縫い合わされた瞼。水を吸って膨らんだ猫の死体。室内に浸水する泥水。家中にぶら下がったロープの結び目。藻に覆われた水面から生える黒い手。  目の前でひとつだけ知っている、電信柱のように太い炎司さんの左腕を掴んだ。 「玄関に盛り塩するから邪魔をするな」 「いや無理! 行かんでください‼︎」  自分でも信じられない力が腕にこもり、普段は組み合ってもびくともしない炎司さんが俺を押しのけるのに手間取った。  ぼん。リビングと廊下を隔てるドアが鳴る。  炎司さんのデカい体が静止する。気温が急に下がった。天井のシーリングライトが明滅している。  ドアの向こうにあの子どもがいる、そんなイメージが脳内で像を結び、炎司さんのシャツを千切れるくらい握りしめた。 「招かなきゃ入ってこれないんじゃないんですか…?」 「はいれるよおおおー」  ぼん。ぼん。ぼん。そんなはずはないのにドアの向こうから音楽が聞こえる。古いスピーカーから流れる、音のひずんだ『峠の我が家』。 「はいれるはいれるはいれるはいれる」  下水の臭いが鼻をついた瞬間、俺は炎司さんの襟首を掴んだ。 「ちんこ出してください」 「あぁ⁉︎」  部屋中にビリビリ反響する声量も今ばかりは気にならなかった。 「これ、想定外の事態でしょ⁉︎」 「そうだが」 「幽霊って汚いものとくだらないものが嫌いなんですよ、例えば糞尿とかえっちなことです。ちんこ出してください、うんこ出ないでしょ。部屋におしっこするのとちんこだすのどっちがいいですか⁉︎」 「何言ってるんだお前は⁉︎」 「俺も一緒にやりますから! 男ふたりでマスかくとか最強に馬鹿馬鹿しいからそれで行きましょ‼︎」 「この状況で勃つか馬鹿者‼︎」 「勃たせるんですよ、男でしょ⁉︎」  炎司さんの股間を握る。デカいちんこを揉みながら全体重をかけてソファに押し倒した。彼の視界にドアが入らないように剛翼で覆うのとほぼ同時に照明が落ちた。  こんな状況なのに、あるいはこんな状況だからなのか俺のちんこは硬くなり始めていて、俺は炎司さんにまたがってふたりのスウェットと下着を下ろした。 「集中してください」  合意がない。そんな悠長なこと言ってられるか。今この人を守れるの俺しかいない。舌で指先を濡らして先端を撫でると、炎司さんのちんこが少し反応した。二本のちんこを握り一度深呼吸をして、俺はふたり分のオナニーを始める。ぼんぼんぼん。つるつるした粘膜に指を引っ掛けて棒を擦って根元から搾乳するみたいに揉み上げる。「はいれるはいれるはいれるはいれるはいれる」まだ足りない。首筋に舌を這わせて右耳を含んだ。わざとぐちゅぐちゅ音をたてて耳介を舐め回して上半身も擦り付ける。彼の硬い髪をこめかみに感じて冷えた体が熱を取り戻していく。「どうしてえええ」剛翼の密度を上げて炎司さんをぴったり包む。ふたり分のシェルターの中で、空いている手で彼の左耳をふさぐ。直接伝わる身じろぎがたまんなくて下半身が重くなる。全身がぴりぴりするくらい気持ちよくて足の指先まで熱い。炎司さんの筋肉が弛緩したのかふかふかになって気持ちいい、俺が乗っかってるだけなのに抱かれてるみたいに錯覚する。耳の後ろでちりりと火花がまたたいた。ああ俺この人に好きっていつになったら言えるっちゃろ。もっと奥まで知りたい。その先が奈落でもいいから奥までもっともっともっと奥まで舌を入れたい。「おおおおおおと」彼の頭を抱き込むようにして、羽根と上半身を使って音を遮断する。「うさああああああん」この大きな体もあかぐろい顔面の傷も高い鼻梁も腹に響く声も右腕の皮膚が張った断面も何もかも好きだ。好き。ばり好き。  全身が強張って、張り詰めたこころが決壊する。手のひらに精液が散った。  賢者タイムは訪れずむしろ体は熱くなるばかりで、引き続きもう一本のちんこに奉仕する。もっと力を入れた方がいいんだろうか。ていうか右手ないとオナニーのときどうすんだろ、左手? 当たり前だけどこの人が好きなところとか何も知らんわ。なら手当たり次第やるしかない。腹に気合を込めて炎司さんのシャツをたくし上げた。したい。時間かけてキスとかたくさんしたいんだけど、今は出してもらわなきゃいけない。いきなり乳首舐めるってどうなんだ、童貞だと思われたらどうしよ。いや今そんな値踏みされないから構うな、できることは全部やれ俺。乾いた胸に鼻を擦り付けて乳首を口に含むと、炎司さんからくぐもった声が漏れた。慣れてない女の子みたいに。吸い上げると水を含んだように���くなる。  下から盗み見た彼は下唇を突き出し眉根を寄せていて、それを見たら無性に腹が立って唇に指をねじ込んだ。俺はわかるはずなのだ、この人が下唇を突き出す仕草から喜怒哀楽が。 (今ぜんっぜんわからん!)  上顎をなぞって舌を指で挟む。喉の奥に指を入れると嘔吐反射が起きて彼の瞳に生理的な涙が張る。なんな。何考えてるん。本当になんでこんな、ままならないことばかり俺は。彼のほとんどえづきに近い、こもった声が鼓膜を揺らすたび体がどんどん熱くなる。  大きな手で後頭部を掴まれたかと思うと、全身を潰されそうなほど四肢で締め付けられた。同時に手のひらに体液が滲む。  …でた、俺はやりきった‼︎  体液ができるまでちんこに奉仕すると、気が抜けて炎司さんの体に倒れ込む。俺より高い体温に包まれて全身がたゆたう心地だ。  余韻が足先から抜ける頃、照明が瞬き、部屋がぱっと照らされた。  部屋に残されたのはニュースを読み上げるアナウンサーの声と床にこぼれた塩と、ちんこを出した俺たちふたりだけ。  廊下に続くドアは開いていた。
 
「ふぎゃ」炎司さんが体を揺すり俺はラグの上に転がる羽目になった。  怒られも殴られも焼かれもしなかった。エンドロールの終わった映画館みたいな薄情さで炎司さんは「風呂に入り直す」と言い出し、俺は彼に追い縋って廊下に出ることを何とか阻止し、体を拭いてそのまま寝室へ押し込んだ。普段俺はソファで寝るが今日は何を言われようが同じ部屋で寝る以外の選択肢はなかった。トイレについてきてもらう約束も取り付けた。  ちんこ擦り合わせたどころかさらなる無体を働いた気恥ずかしさとおののきががようやく襲ってきた頃、炎司さんから健やかな寝息が聞こえてきた。恐ろしくて馬鹿馬鹿しくて恥ずかしい最低な夜なのに俺以外の全てが恬淡としていて、それが余計に俺の小胆さを際立たせるようで身悶えながら、寝た。
4.  朝には炊き立ての米と煎茶を出すのが炎司さんの決まりごとだ。粒のたった米が美味い。 「昨日みたいなことってよくあるんですか?」 「初めてだ。モノがよく落ちるようになったりやたら家鳴りがするようになったことはあるが、一週間もすれば収まっていた」 「そもそもああいう怪異…的なものに興味があるとは知りませんでした」 「興味はないぞ。お前だってあるだろう、夜中に学校の窓から手を振られるとか山中で救助をしていたら覚えのない案内人がやってくるとか水難現場で足を引っ張られるとか、それが家までついてくるなんてヒーローをやっていればよくある話だ。お前のストーカーよりはマシな話だろう」 「全然マシじゃないし俺そんな経験ないですよ⁉︎」 「昨日はお前を驚かそうと思ったら思いのほか活きのいいものを引いてしまったが」 「今日帰りたくないんですけど」 「俺は平気だぞ」 「あなたはよくても! 俺が! 怖いの! ていうかあなた俺が撃退法思いつかなかったらどうするつもりだったんで���か」  朝の話題におよそ似つかわしくない。白米のお供に出された松前漬は上品な塩加減だし窓から差し込む光は真っ白で、ドアの向こうにはいつも通りの廊下だけがあった。もちろん鍵は施錠されたまま。何か問題でも? とでも言いたげな部屋と部屋の主がいまいましい。 「玄関を破られたときは驚いたが、それでもどうとでもなると思っていた。ただそれは個性を使って逃げるとか物理的にどうこうするという意味で、まさかあんなやり方を出してくるとは思わんかったが…お前のあの必死な顔…」  語尾は俺まで届かなかった。顔は伏せられ山脈みたいな肩が震えている。そりゃこの人に笑ってほしいと俺は常から思っているが、笑わせると笑われるじゃ意味が違うのだ。「いやあんただってちんこ出しましたからね」「痛み分けだ」「何が! 本当に怖くなかったんですか?」「お前のあの鬼気迫った顔を見たら吹っ飛んだ」「俺のゴッドハンドでイったくせに! いだっ」強めの手刀が降ってきた。  炎司さんの無邪気ともいえる振る舞いに拍子抜けして朝からぐったりする。ちんこの形の前に知りたいことが山ほどある。キスもしなかった、そもそも俺はこの人に好意すら伝えていないのだ。そして俺は昨晩を思い出してしばらく悶々とした夜を過ごすことが確定したというのに。もはや俺が純情を弄ばれた気分だ、責任とってほしい。 「普段はお前のペースに巻きこまれてばかりだから溜飲が下がったぞ、俺は」 「そりゃ何よりですよぉ…」 「しかしあれはセクハラになる。自分より立場の弱い人間にはするなよ」 「しませんて!」  俺と彼がどこまで同じものを知覚していたのかは確認していない。あの時浮かんだ数々のおぞましいイメージだけならまだしも、あの悲痛な「おとうさーん」の呼び声聞いても同じこと言えますかあなた。俺が耳塞いでおいてよかったですね。誰かを思い出して取り乱したり心を痛めたりしませんか。一昨日は医療刑務所の面会日でしたね、長男さんはお元気でしたか。  そんなことは死んでも口にしてやらない。 「どうして玄関破られたんすかね」 「あまり己を疑うな、魔につけ込まれるぞ。地上はどこも荒野みたいなものだ」  やかんの音が俺たちの間を切り裂いて、炎司さんがキッチンに消える。  何の話だ。スマホを取り出して検索窓に「荒野 悪魔」と打ち込む。昨日「思考力が培われない」と言われたばかりだが俺は効率厨なので待ちきれないのだ。トップに出てきたWikipedia「荒野の誘惑」項を斜め読みする。有名な神様が荒野を引き回されて悪魔に誘惑される。3度誘惑されても神様は揺るがず悪魔は去る。ブラウザバックして知恵袋やら個人のブログやらを眺めていると、転じて「悪魔の声を聞いて3回自分の信仰を疑うと悪魔に魅入れられる」ような意味で使われることがあるらしい。天井を仰ぐのとキッチンからコーヒーの匂いが漂ってくるのはほぼ同時だった。俺に信仰はない、この場合はどう解釈すればいいんだ。そもそもこれって新約聖書の話であって昨日のアレは日本の怪異なわけで、ここにキリスト教は適用されるのか。そういえば日本神話にも3って数字は出てくるな、まで考えたところでスマホをソファに放り投げた。俺は最短最速で答えの引き出しを開けたいわけですよ、どういう意味で言ったの教えて炎司さん。でもこれって絶対「自分で考えろ」って言われるやつ、絶対そう。答えの出ない問題に直面した時に自分がこうも混乱するとは知らなかった。本当にままならない。  焦がされてちりちりになった髪のひと房を、やるせなく弄んだ。
 
 炎司さんの街から俺の街に帰るときはいつも季節を越境する。  群青の空にふくよかな月がのぼっていて、空気は湿気を含んで活気付いていてる。炎司さんが別れ側に言ってくれた「またな」がゆっくりと崩れ形を変えていく。ああちんこ触ってしまった乳首も舐めてしまった。そりゃ「守りたい」とは常々思っているがあんな形で暴走するってある? あのときもっと顔見とけばよかった俺のバカ。あの人俺にあんなことされてなんであんな平気な顔でいられるんだろう。炎司さんが本気出したら俺なんて2秒で投げ飛ばされるのに、焼き鳥にもされなかったし。あの時されるがままになってくれたのは何で。その心は。昨日から1000000回は繰り返した問いがまた頭を駆け巡る。 「たぶんなんも考えてなか…犬に噛まれた的な…あの人天然なとこあるし…」  スマホを手に取ると、炎司さんからストーカー問題に強い弁護士の連絡先が送られて来ていた。ありがたいがそうじゃない。「●●市 男児 水死」で検索しかけて指を止める。知らない方がいいこともある。  自宅のソファで脱力して明日の予定を頭の中で並べていると、インターフォンが立て続けに三回鳴った。Amazonの宅配だろうか。オートロックに手を伸ばそうとして違和感を覚え、音声を繋がずエントランスの画像を呼び出すと髪の長い女が見えた。件のストーカーだ。ひと抱えもある荷物を胸に抱いていて、赤黒いそれが何なのかモニターの荒い映像ではとらえきれない。  ついにインターフォンを鳴らすようになったのか。カーテンを引く前に家の灯りは点けてしまったから在宅もバレているだろう。  とりあえずここは無視だ。しつこいなら窓から出て事務所に避難だ。そんなことを考えているとまた三度、インターフォンが鳴る。炎司さんの言葉を思いだす。
 許可がなければ入れない。  あまり自分を疑うな、魔につけ込まれるぞ。
 ストーカーはエスカレートすれば許可がなくても入ってくるだろうし、俺が何を疑わなくてもストーキングをやめないだろう。まだ悪魔や怪異の方が慎みがある。そう思うと投げやりに笑えた。インターフォンの音声を切ってソファに転がり、炎司さんに電話をかける。  ぼん。  背後で窓が鳴る。
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debumi · 2 years
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果てしなく続く✨☁️青空☁️✨と絶品ラーメンを爆食い❣️❣️
皆さん、ご機嫌よう✨✨
デブ美でございます❣️
そぅそぅ‼️
ァ🚕は今、新潟県の方に旅行に行ってるザマスなの~😘😘
初日はァ🚕の元マラの地元が近い新潟・長岡ルァの方でも、もちろんグルメ爆食いゴンガゴンガ道中膝栗毛人生~ウォ満喫したンダッ❣️❣️
予報では雨でしたが神様がァ🚕に味方をする様に快晴だったんだダョネ~☀️☀️
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ここぞとばかりに元マラとチャリをレンタルァ…しかし長岡市で借用と登録されてるチャリはなんと5台しかなかったんザマスなの…😢😢
ァ〜リェナィンだョーッッッ😡💢
長岡祭り終わった直後だったキャラリァあるかあるかと願ってホテルァに緊急コォーリングを鳴り響かせドド突きァゲたら在庫発見👀❣️
ァンタ達も先行き不安な旅でも🇫🇷やっparis🇫🇷
聞く‼️ドド突ク‼️それらをやってイク‼️
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無事チャリをゲトリァできたところでモリ漕ぎ旅スタートヨォ〜🚵🚵
果てしなく続く青い空デスとかめったっチャ大きい信濃川ですとか眺めての雄大な🌳ネイチュァ🌳ゥォ感じながらのサイクリングルァ~本当に心地良かったザマスなの❣️❣️
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元マラの紹介で訪れた1軒目
【ラーメン ヒグマ】
本店は小千谷にあり、かの有名な青島食堂と好みが分かれる長岡醤油ラーメンの名店なのッ‼️
小千谷本店では正油(醤油)ラーメンが一杯600円でいただけると言うのにァ🚕達が行った店舗は800円もしたンダョ-‼️😡💢
許すわけがないョッ🥵💦この👿デビル野郎👿
かーなり濃く聞いた醤油とそれを爽やかに昇華する生姜の香りァが絶品✨✨ジャンキーな味付けが大便なァ🚕にピッタリァな濃さで青島食堂よりヒグマの方がァ🚕は好きかもしれなぃゎネッ❣️
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ァタクシ実は既に東京・秋葉原にありますッ青島食堂に行った事があったので肩を並べるウォ店で㌃ヒグマでの比較はとっても楽しみだったンですッ😉
2軒目に伺ったのは
【安福亭】
長岡に本店の㌃こちらのお店ッ✨燕三条の背脂ギトギトラーメンのヴィジュアルァを踏襲しつつ独自の進化を遂げてゥォリもはや"安福亭"というジャンルァになっているラーメンらしぃゎぇ🥵💦
💰爆食い富のムチリァゲ象徴💰のァ🚕は元マラの静止も聞かず通常より背脂の量が多い"大脂"ウォ選択いたしましタッ🍜🍜
ラーメン自体の味付けは薄く元マラも他のローカルァの👱🏻‍♀️カスタマァ👱🏻‍♂️達も"かえし"デスとか"ニンニク"を手元に置いていましたッ🫙🫙
ァ🚕も早速かえしとニンニクをドバドバッと大量にぶち込みァゲ混ぜて啜ってみるとアラ不思議ありえんめったっちぁデリシャス人生✨✨
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あっという間にゲプリと平らげ満足~満足ゲプリチョーザと済ませましたッ🍜🍥
✨❣️ハァ~///ァァァアィク///❣️✨
他にもここでは書ききれない程の元マラの軌跡ウォ追う旅ウォしたんダョネッ❣️
また長岡に来る事があれば必ず巡るに決まっちゅゥッーゎえ‼️‼️
では…………💖✨💖✨💖✨
コチラも併せてご覧なさィッネ…💋💞
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kachoushi · 2 years
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各地句会報
花鳥誌 令和4年7月号
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坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和4年4月2日 零の会 坊城俊樹選 特選句
花の舞ふ五叉路に迷ふ女かな きみよ 蛇穴を出て街中に紛れたる 梓渕 大江戸も春や二の橋三の橋 荘吉 ハワイアンたらたら流れ逝く春ぞ いづみ 大銀杏とは崩れつつ芽吹くもの 光子 散る花も散らざる花も手に遠く 和子 春の地上へとエスカレーターエスカレーター 炳子 六本木ヒルズの方へ茎立ちぬ いづみ 小津映画ほどの間合や春の昼 美紀 春爛漫東洋英和女学院 梓渕
岡田順子選 特選句
女学館へとまやかしの蜃気楼 俊樹 道路鏡に真昼の空や鳥交る 炳子 花衣抱かれて泣く真昼かな 光子 花盛り帝都の地下を逝く列車 久 骨董を��人売りをり春市場 季凜 花衣とて親鸞のわらぢ履き 千種 散る花も散らざる花も手に遠く 和子 開山堂椿は白に額は朱に 季凜 老酒の壺の箆跡風光る 和子 手のひらが日を受くやうに飛花落花 小鳥
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年4月7日 うづら三日の月花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
春光やコロコロコロと猫たはむ 喜代子 制服も夢も大きな一年生 由季子 ぶらんこや少し揺らぎて誰を待つ 同 遠い国桜咲くよな和みあれ さとみ 春灯や逝きし人宛文を書く 都 九頭竜に影を流して春の雲 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年4月7日 花鳥さざれ会 坊城俊樹選 特選句
鳥曇東尋坊に句碑幾つ 匠 日本海敦賀も能登も鳥曇 同 お精舎は花の宇宙となりにけり 笑 花見舟鳩も雀も乗りたかや 希 白猫も潜めし花の堤かな 天 空
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年4月8日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
花の昼一本の棒の如く臥す 悦子 野遊やゴム動力機風に乗せ 宇太郎 落花また落花画布まだ白きまま 栄子 少女らに余る日溜り菫濃く 都 戻りにも居るふらここの独りぼち 栄子 風光る雲に届けと竹蜻蛉 宇太郎 しやぼん玉橋の上から彼の世まで 栄子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年4月9日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
陽子墓碑追慕にしばし桜舞ふ 文英 鶯の息継ぎ長きとしあつ忌 百合子 たえまなく組んでほぐれて花筏 ゆう子 ふらここや立ち去る子等に揺れ残る 多美女 ふらここの空へ空へと蹴る愁ひ 百合子 チューリップ南部鉄器の壺の中 節子 ぶらんこや引つ越す友と風をきり 三無 天からの風に舞ふ花としあつ忌 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年4月11日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
鄙里の相聞歌碑や青き踏む 時 江 干鰈の骨透きとほる越の町 ただし 思案橋ゴルフボールは朧にて 三四郎 仏生会寺の柱に凭れけり 世詩明 花吹雪手に掬ひても停まらず 同 うららかや猫と話すは妻のこゑ 三四郎 家刀自の納戸色てふ花衣 昭上嶋子 花吹雪しの字への字と風に乗る みす枝
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年4月11日 なかみち句会 栗林圭魚選 特選句
遠足の列に割り込む仔犬かな 史空 縋るものあれば絡みて豆の花 三無 豆の花叱られるのはいつも姉 美貴 遠足や新任教師もみくちやに 三無 遠足の思ひ出母の味噌にぎり 貴薫 遠足やほんのり甘き玉子焼 美貴 春風に心放たれ一歩かな せつこ 遠足の列笛の音に伸び縮み 三無 豆の花剪定の音惜し気なく 有有 遠足の信号待ちの列乱れ ます江
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年4月12日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
椿咲く日々つがひ鳥顔うづめ みえこ 高架下電車の音も東風に乗り 紀子 病床の闇を香らせ沈丁花 令子 満開の花や背景埋め尽くす 裕子 暮遅し残業の無き日の余裕 紀子 完璧に弾けぬピアノや花の雨 登美子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年4月12日 萩花鳥句会
乱鶯や競ふ息吹に山びこに 祐子 啓蟄や地下で避難す命あり 健雄 霧かかる山なみのぞむ花見バス 恒雄 病む体不安ばかりや春の闇 ゆかり 先々のことは預けて花見かな 陽子 初蝶を追ふ子の網に花ひらり 美恵子
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令和4年4月16日 伊藤柏翠記念館句会 坊城俊樹選 特選句
初蝶と云ふ前触れも告げぬ使者 雪 猩々と云ふ程もなき花の色 同 落ちさうで落ちかねてゐる白椿 同 花筏墨絵のごとく流れゆく 和子 森羅万象春の息吹の謳歌あり 同 花影やひとりで修す愛子の忌 眞喜栄 寺町へ路地幾曲がり鐘朧 英美子 百千鳥今極楽と鳴き交す 玲子 入院の衣裳としたる花衣 千代子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年4月17日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
桜蘂降る城攻めの骸積み 斉 メタセコイア芽吹きの森に小さくゐる 要 供養する人に緋牡丹浄土なる ます江 蒲公英をたどりたどりて母の塔 久 鬨上げて城山囲む芽吹きかな 兎生 たんぽぽに膨らむ丘や母子像 斉 桜蘂まみれの犬とすれ違ふ 久 山吹に肩抱かれて石仏 三無 新しき柔道着の児葱坊主 亜栄子 梵鐘は鳴らず蜜蜂ぶんぶんと 慶月 稲毛三郎春風抱きて丘に立つ 佑天 陽炎や乳白の塔膨らみぬ 久
栗林圭魚選 特選句
春林の足音ふつとたしかめり 幸子 そぞろ来て鶯を聞きノラを撫で 炳子 蒲公英をたどりたどりて母の塔 久 紅牡丹美しき重さを競ひたる 三無 切口を曝し菩提樹芽立ち初む 眞理子 城山の谷間隠れの遅桜 兎生
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年4月20日 福井花鳥会 坊城俊樹選 特選句
花馬酔木少年指で句をつくる 令子 洗ひ髪束ねるまでにまだ遠く 清女 花衣杉田久女に想ひ馳せ 同 越前の土の臭ひも筍の里 笑子 暮六つや花雪洞に灯も入りて 希子 ふらここに心残りの揺れてをり 雪 落椿踏むには淋し過ぎる白 同 涅槃図の嘆き洩れ来る荒格子 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年4月21日 鯖江花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
花仰ぎ空の蒼さを仰ぎけり 雪 初蝶と呼ばれ初蝶らしく飛ぶ 同 万葉の古歌の如くに散るさくら 同 目借時弁財天も琵琶重し 一涓 糸遊や虚子に中子師汀子師か 同 天金の蔵書ひもどく朧月 同 菜の花や浄土と思ふ茜雲 ただし 父の歳三倍生きて日脚伸ぶ 同 競ふごと囁くごとく木の芽吹く みす枝 若緑むくりむくりと故山かな 同 子を抱きてくるりくるりと花吹雪 洋子 鈍重か威厳か蟇動く 昭上嶋子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年4月24日 月例会 坊城俊樹選 特選句
姫女菀いつもどこかが欠けゐたる 和子 竜天に登る気配や神の池 幸風 蒲公英の絮の宇宙を壊しけり 和子 蠅生まる日をぎらぎらに絡ませて 光子 行春やゆつくりゆがむ田安門 千種 青き眼の鯉にまぶたや春の水 和子 招魂祭終へてふつくら大鳥居 三郎 亀の鳴く朝はほあんと白き月 炳子
岡田順子選 特選句
ものの影泛ぶ水面や春暮るる 三郎 著莪の雨ふり向けば立つ憲兵碑 和子 蝶生る斎庭に黒き翅濡れて 光子 金鳳花神宿るかに咲き満ちて はるか 春の鴨ひなたの石の色をして 光子 ラジオより小さき時報や囀れる 炳子 九段坂小さき登攀草芳し ゆう子 蓮巻葉かそけき光恃みとし はるか 二の丸は淡き襲の若葉かな 千種 石燈の幾柱立てば母の日に 慶月
栗林圭魚選 特選句
蓮巻葉かそけき光恃みとし はるか 春の鴨ひなたの石の色をして 光子 春陰や誰か在する橋懸 眞理子 水底の黙を脱ぎつつ蓮巻葉 順子 この坂は静謐な風ライラック 同 惜春の人へ神池水の音 政江 尚残花ありけり杜の静けさに 同
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令和4年4月 九州花鳥会 坊城俊樹選 特選句
長閑けしや纜ひと日軋みをり 志津子 永劫の城は動かず飛花落花 朝子 着て立ちてしつけ糸抜く花衣 佐和 大切なこと話せずに花あけび 光子 古代魚の飄々として春深し 久恵 海越えて来るやも知れぬ柳絮かな 愛 密漁区抜けだす船に雲の峰 佐和 演歌歌手の草履飛んだり花􄼪 美穂 青柳のたそがれの道夫を追ふ 朝子 亀鳴けりここが潮時じやんけんぽん ひとみ 三打目の筍傷に香を放つ 久恵 姿見に春の日射しのもうひとつ 桂 心空にして飛べさうな春の空 睦古賀子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
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shintani22 · 2 years
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2022年5月3日
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2022 明治安田生命J1リーグ 第11節 サンフレッチェ広島 1-2 柏レイソル@エディオンスタジアム広島 10821人/13分 ジュニオールサントス、70分 森海渡、87分 森海渡
J1第8節 広島 1-0 福岡@Eスタの試合当日(4月10日)試合前に欠場が決まった浅野雄也がベンチ復帰・後半25分から出場
広島新加入のFWベン・カリファがホームデビュー「気持ちよくサッカーができる」(サッカーキング)
サンフレッチェ広島に加入した元スイス代表FWナッシム・ベン・カリファが3日、明治安田生命J1リーグ第11節の柏レイソル戦でホームデビューを飾った。
ベン・カリファは4月26日にチームに合流し、3日後に行われた第10節の清水エスパルス戦でいきなりメンバー入り。後半開始から出場して日本デビューを飾り、前線からのプレスや周りを活かすプレー、クロスに対する動きなど期待感が膨らむパフォーマンスを披露した。
柏戦では71分に途中出場し、初めてエディオンスタジアム広島のピッチに立った。ホームデビューを果たしたベン・カリファは試合後、「声を出して応援ができない中でも、ポジティブな雰囲気を出してもらっているので、すごく気持ちよくサッカーができる」と、制限がある中でもサポーターが作るホームの雰囲気に心地よさを感じたようだ。
ホームで実力の片鱗も見せた。1点ビハインドの90分に相手DFの裏へ飛び出し、DF野上結貴からのロングパスを収めると、上がってきたMF柏好文とパス交換。最後はペナルティエリア前中央からゴール右隅を狙いすましたシュートでゴールネットを揺らした。土壇場での同点弾かと思われたが、これは惜しくも自身のオフサイドで得点は認められなかった。ゴールは幻となったものの、裏への意識やシュート技術を見せつけた。本人は、「裏に抜けるところ、コンビネーションから抜け出すところはこれからもどんどん増えてくると思う」と自身のストロングポイントを活かしていく構えだ。
広島は柏に1-2の逆転負けを喫して、リーグ戦6試合ぶりの黒星となった。ベン・カリファは、「残念ながら結果だけがついてこなかった。ここから次の試合がすぐきてしまうので、しっかり切り替えて、次の試合に向けてやっていきたい」と中3日で7日に行われる次節・鹿島アントラーズ戦を見据えた。
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創立30周年事業特別企画 レジェンドOB 森保一
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周年コラボパッケージ焼そばソース オタフクソース
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野々村チェアマン来場
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塩谷司選手J1リーグ通算150試合出場達成セレモニー
3月19日J1第5節 広島 0-2 川崎F@EスタでJ1通算150試合出場を達成。今節で154試合出場。
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前田大然のいないJ1でスプリント回数上位に食い込む男は? 走力で存在感発揮する広島MF(ザ・ワールドweb 5月9日)
横浜FM戦では51回でトップに
昨季までのJ1で毎年のようにスプリント数ランキングの上位にいた男が、現在セルティックで活躍する前田大然だ。昨シーズンは横浜F・マリノスで得点王に輝き、1試合のスプリント回数ランキングでは、トップ15のうち12が前田というすさまじい成績を残してスコットランドへ飛び立った。
そんな前田がいない今季のJ1でスプリントで存在感を残すのが、サンフレッチェ広島の藤井智也だ。立命館大学を経て2020年に広島へと加入した藤井は、昨季29試合に出場して、レギュラー争いに名乗りを挙げる。すると今季はここまで全試合に先発出場し、右ウイングバックとして存在感を放っている。
そんな藤井は第7節の横浜FM戦で今シーズン最多の「51回」を記録。リーグのスプリント回数ランキングでもトップに立っており、2位も第5節の川崎フロンターレ戦の「50回」だ。今季のスプリント回数ランキング上位10のうち、藤井が6回食い込んでおり、走力でチームに貢献している。
直近の3-0と勝利した鹿島アントラーズ戦でも32回と両クラブで最多の数を記録した藤井。圧倒的なスピードとそれを何度も繰り返して発揮できるスタミナは、ミヒャエル・スキッベ監督の新たな広島で大きな武器となっているのだ。シーズン終了後には、前田のようにスプリント回数ランキングが藤井でうめつくされているかもしれない(データはJリーグ公式より)。
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原爆資料館南側に8メートルの花の塔 広島でフラワーフェスティバル(毎日新聞映像グループ)
フラワーフェスティバル始まる(広島ホームテレビ)
花で平和を伝える祭典「フラワーフェスティバル」が始まりました。今年も新型コロナの影響でパレードなど一部のイベントは見送られています。
フラワーフェスティバルのシンボル、「花の塔」には、平和の灯から採火され子どもたちの手でつながれた火がともされました。
コロナ禍前に行われていたパレードで通りを彩った花車は、フォトスポットに。舞台に乗って記念撮影を楽しむ人たちの姿がありました。
大野貴嗣 実行委員長 「地域の人たちや子どもたちの日ごろの成果を発揮して、笑顔の輪からどんどんフラワーから広がっていくようなお祭りになればと思います」
フラワーフェスティバルは5日までで、国際会議場など3つのステージでは、3年ぶりに一般公募された出演者約3千人が音楽やダンスを披露します。
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【社説】<社説>憲法記念日に考える 良心のバトンをつなぐ(東京新聞)
近代の戦争で日本人はいったい何人、死んだのでしょうか。
日清戦争(一八九四〜九五年)で約一万四千人、日露戦争(一九〇四〜〇五年)では約十一万八千人といわれています。その後のシベリア出兵、満州事変と、日本の戦争は際限なく続き、そのたびに死者も千人単位、一万人単位で積み上げられました。
日中戦争・太平洋戦争での戦没者は軍民合わせ約三百十万人にもなります。
アジアの人々の犠牲も甚大です。中国では一千万人以上、インドネシアで約四百万人、ベトナムで約二百万人、フィリピンで約百十万人が死亡したといわれます。
驚くべき死者数です。これが昭和の敗戦まで続く戦争の姿です。
ヨーロッパに目を転じても、第一次大戦(一四〜一八年)では約一千万人の兵士らが死んだといわれます。戦車や潜水艦、毒ガスなど残酷な新兵器が登場し、死者数が膨大になったのです。
◆血塗られた20世紀
第二次大戦(三九〜四五年)では死者数はさらに飛躍的に増えました=図。ドイツなど枢軸国側が約千二百万人、米英など連合国側が四千三百六十万人に。アジア・太平洋諸国を加えると、すさまじい犠牲者数になります。
とくに旧ソ連(ロシア)では何と約二千百五十万人、ポーランドでは約六百六十万人と甚大です。「タイムズ・アトラス 第二次世界大戦歴史地図」(原書房)や「日本の戦争」(同)などの資料に基づきましたが、二十世紀はまさに血塗られた時代でした。
日本に落とされた原爆や空襲の被害も悲��でした。このような人類の惨状を踏まえて、四七年に施行されたのが日本国憲法です。
しばしば憲法は法人である国家と国民との間で結ばれた社会契約だと説明されます。契約の第一は基本的人権の保障でしょう。九七条は次のように記しています。
<日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである>
私たちが自由に生き、権利を行使できるのも、人類の多年にわたる努力の成果に他なりません。戦争はとりわけ厳しい試練でした。「信託」という難しい言葉が書かれていますが、憲法をつくった人々が、未来の人々に託したバトンであるに違いありません。
私たちは良心のバトンを受けた受託者であり、また権利の恩恵を受ける受益者だという構図です。では委託者は誰なのでしょう。
もちろん憲法をつくった当時の人々ですが、その脳裏には戦争で無残に亡くなった無数の人々の姿があったことでしょう。
そう考えれば、委託者には死者も含まれて当然です。死者たちの声が憲法の条文に生きている。そんな発想が必要です。
民主主義は「現在」の多数派が少数派の意見を踏まえつつ権力を行使します。それに対し、憲法を力にする立憲主義は「過去」が未来を拘束します。
例えば「過去」が保障した基本的人権は、「現在」の多数派がたとえ奪おうとしても、奪うことができません。もちろん国民主権もです。人間は愚かで移ろいやすいゆえに、憲法原理は変えられないようにしているのです。
でも、日本国憲法の三本柱である平和主義は壊れつつあります。歴代政権が「不可能」と言ってきた集団的自衛権行使を「解釈改憲」なる手段で「可能」に変えてしまったのですから…。
◆愚かな為政者が戦争を
平和大国を冒涜するものです。平和主義は非現実的という声もありますが、平和を唱え続けないと平和が守れないのも事実です。他国の脅威が戦争を始めるのではありません。愚かな為政者が戦争を始めるのです。
もっともらしい脅威や危機をあおり、「軍事」の掛け声が聞こえたら危険信号です。歴史の教えです。明治維新から昭和の敗戦に至る戦争の七十七年。敗戦から今日までの平和の七十七年。未来の分水嶺のような年です。
静かに死者たちの声を聞き、次の時代に良心のバトンをつなぎたいものです。
岸田首相、改憲へ議論進展期待 立民代表「国民投票法、まだ不十分」(時事通信 5月1日)
与野党党首は1日放送のNHK番組で、国会での憲法審議の進め方について議論した。岸田文雄首相(自民党総裁)が憲法改正に向けた議論進展に期待する考えを示したのに対し、立憲民主党の泉健太代表はCM規制など国民投票法の改正を優先させるべきだとの立場を重ねて示した。
首相は「施行から75年がたった憲法には、時代にそぐわないとか、不足している部分もあるのではないか」と指摘。「国民の中で、憲法に対する意識がより高まり、改正の議論が進むことを期待したい」と語った。
これに対し、泉氏は「国民投票法の整備はまだ不十分だ」と述べ、CM規制や外国人寄付の問題などの優先審議を求めた。
日本維新の会の馬場伸幸共同代表は「いろんな項目について議論を深め、採決し発議するかどうか決めよう」と主張。国民民主党の玉木雄一郎代表も「立法府の機能を維持するための(国会議員)任期の特例延長について、速やかに結論を得るべきだ」と語った。
一方、公明党の山口那津男代表は「今日的な課題も出ているが、この憲法の意義を改めて共有すべきだ」として、丁寧な議論を要請。共産党の志位和夫委員長は「憲法9条を変える議論ではなく、9条を生かした平和外交の議論を大いにやりたい」と訴えた。
れいわ新選組の山本太郎代表は「憲法改正の優先順位は低い」と述べ、新型コロナウイルス対策や社会保障の議論が重要との考えを示した。番組は4月27日に収録された。
岸田首相 憲法改正に意欲「挑戦し続けなければならない」(NHKニュース)
憲法改正を目指す立場の人たちでつくる団体の集会が開かれ、岸田総理大臣はビデオメッセージで「社会が大きく変化する今だからこそ挑戦し続けなければならない」と述べ、憲法改正への意欲を改めて示しました。
この中で岸田総理大臣は、新型コロナの感染拡大やロシアによるウクライナ侵攻などを踏まえ、緊急事態への対応や自衛隊の位置づけなどについて議論を深めなければならないと指摘しました。
そして、自民党がまとめている「自衛隊の明記」など4項目の改正案について「いずれも極めて現代的な課題であり、早期の実現が求められる」と述べました。
そのうえで「憲法改正への挑戦は決して容易なものではないが、社会が大きく変化する今だからこそ挑戦し続けなければならない」と述べ、憲法改正への意欲を改めて示しました。
また、自民党の古屋憲法改正実現本部長は「世界の安全保障環境が大きく変わっている時代に憲法9条は世界遺産だと言って北朝鮮や中国に何の効果があるのか。参議院選挙の公約の大項目に憲法改正の必要性をいれて訴える」と述べました。
公明党の浜地憲法調査会事務局長は「大災害や有事、感染症のまん延があっても国会の機能を維持する観点がより重要だ。国民の理解と関心を得る中で憲法議論が進むことを願っている」と述べました。
日本維新の会の足立国会議員団政務調査会長は「ウクライナ危機の勃発で何よりも議論すべき項目は憲法9条だ。党として参議院選挙までに憲法9条と緊急事態条項の改正案を策定し、憲法論議の先頭に立ちたい」と述べました。
国民民主党の玉木代表は「緊急事態については定義を定めることが非常に大事だ。自衛隊の明記の議論では国際法でいう軍隊なのか、議論を避けてはいけない。賛否とともに考えていくことが今の時代には必要だ」と述べました。
立民や共産など野党3党 “憲法改正に向けた動きを阻止”と訴え(NHKニュース)
立憲民主党や共産党など野党3党は、憲法を守る立場の市民団体が東京都内で開いた集会に出席し、与党などの憲法改正に向けた動きを阻止していくと訴えました。
この中で、衆議院憲法審査会で野党側の筆頭幹事を務める立憲民主党の奥野総一郎氏は「ウクライナの問題をだしにして、緊急事態対応などを理由に改憲に突き進もうとする与党の姿勢を許すわけにはいかない。憲法9条は日本に平和をもたらすと正面から議論し、国民に与党の憲法改正案のひどさを訴えていきたい」と述べました。
そのうえで、夏の参議院選挙に向けて「改憲勢力が3分の2を下回るよう、しっかりと野党で共闘し、改憲にストップをかけていきたい」と訴えました。
共産党の志位委員長は「戦争を起こさないために、憲法9条を生かした外交に知恵と力を尽くすのが政治の役割だ。日本がやるべきことは敵基地攻撃能力ではなく、東アジアを戦争の心配のない平和な地域にすることだ」と述べました。
また、社民党の福島党首は「今こそ、戦争をしないと決めた憲法9条が世界で輝く時だ。民主主義の力で政治を変えて、憲法を輝かさせていこう」と訴えました。
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【本日 (5/3)の広島県内の感染状況】(広島県)
【国内感染】新型コロナ 55人死亡 3万481人感染(3日18:00)(NHKニュース)
東京都 新型コロナ 4人死亡 3357人感染 前週火曜比約1700人減(NHKニュース)
大阪府 新型コロナ 13人死亡 新たに3318人感染確認(NHKニュース)
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5月3日 19:40 震度3 【群馬県】群馬県南部【神奈川県】神奈川県東部 神奈川県西部
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kanataposts · 3 years
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本展は福岡市美術館、兵庫県立美術館、島根県立石見美術館、静岡県立美術館、富山県美術館、青森県立美術館の6館の共同企画として2019年夏より巡回してきましたが、今回の青森会場はその最終会場となります。一般的な企画展よりもスペースを拡張し、青森県立美術館ならではの魅力的な空間いっぱいに富野ワールドが広がります。
共同企画展のフィナーレにあたって、下記のとおり青森会場オリジナルの追加展示を行います。
2020年に放送40周年を迎えた『伝説巨神イデオン』の展示コーナーを拡充いたします。富野監督の作劇、演出のアイデアが詰め込まれた「イデオンノート」の重要箇所を一挙に公開します。
2019年12月に逝去した世界的インダストリアルデザイナーであるシド・ミードの功績を顕彰するため、『∀ガンダム』のためにデザインされたモビルスーツのスケッチを多数紹介します。さらに、∀ガンダムとターンXは高さ4mという巨大サイズでそのデザインの魅力をお伝えします。
『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』に登場したモビルスーツ「リ・ガズィ」のダミーバルーンを原寸大の胸像として再現します。モビルスーツの大きさが体感できる展示です。
人気声優、有名モデラーの模型作品を多数展示いたします。
展示の最後に「エンディング」のコーナーが追加されます。果たして何が展示されるのか…、誰も知らないラスト!
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poddyshobbies · 4 years
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台風通過
The typhoon passed.
6日、午前10時半ころの空。
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そして、吹き返しの風も治まった7日の午後6時半前。
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表現がおかしいが、最近は福岡市内を本格的な台風が襲っていなかったところに大きな台風がやってきた。左側を通ると風雨が強くなるというがまさにそんな感じ。台風の中心に向かって右下(南東)から風が吹き込む位置にくるまでは静かなものでした。雨は九州山地で遮られ、宮崎周辺では大量の降水をもたらしたが、福岡市内ではそれほどでもない風台風の様相。そして7日の午前3時頃、台風の接近とともに急に風が吹き始め、未明の5時頃には更に強く間断なく暴風が吹き荒れた。外が明るくなった6時ころにはややピークを越えた感じがするが暴風は続いた。治まってきたかと思っても、思い出したように吹き荒れ、突風が音を立てるとドキッとする。昼前には吹き返しの風がゴーッと音を立てて小さな台風並みに吹いていた。突風が窓や家に当たる音は、やはり怖かった。
直前に台風9号が通過していたのがよかったように思う。あの台風でヒヤリとしたところに更にとてつもなく大きな台風が来ると言われればそれは心配になります。本当、近所の道があんな渋滞になったのは初めて見ました。しかし、一つだけ言わせてください。「今から車のガソリン満タンにしてどこ行くの?」
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shinjihi · 4 years
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‪韓国元徴用工の肉声 本当に金による解決を望んでいるのか ‬ ‪2019年12月下旬、1年3か月ぶりの日韓首脳会談が実現しようとしている。そこで焦点となるのが徴用工問題だ。昨年末の韓国最高裁の判決によってくすぶり続けている問題は、実際に「元徴用工」たちの肉声を聞くことによって、違う核心が見えてくる。ジャーナリストの赤石晋一郎氏が現地取材で得た証言とは──。‬ ‪ * * *‬ ‪ ソウル市の郊外、城南市で待ち合わせした老人は、独りで暮らす自宅で取材に応じてくれた。‬ ‪「日本人のほうが韓国人より、いい人が多かったと私は考えています。私が炭鉱で働いていた時代、日本人にはとても親切にされた思い出があります」‬ ‪おすすめ情報‬ ‪「モンド最高金賞」これがフサフサの秘訣!この育毛剤凄い‬ ‪ビタブリッドジャパン on TREND NEWS‬ ‪ こう語る崔漢永氏(91)は、徴用工として日本で働いた経験を振り返り、「私は日本人が好きでした」と語った──。‬ ‪ 11月22日に韓国政府が下したGSOMIA継続の決断以降、日韓関係の焦点として再浮上しているのが「徴用工問題」だ。‬ ‪ 昨年末に元徴用工が日本企業を訴えた裁判で、韓国大法院(最高裁)は日本製鉄(元・新日鉄住金)、三菱重工に対して、相次いで賠償を命じる判決を下した。同判決を契機に韓国内では徴用工問題は“奴隷労働”の歴史だったという議論が沸騰し、ソウル龍山駅前などの各地に徴用工像が相次いで建設される事態となった。‬ ‪ そうした状況の解決を目指し、11月末に文喜相・国会議長が「記憶・和解・未来財団」の設立を提唱した。‬ ‪「この文議長案は日韓企業と個人による自発的寄付金をベースとして財団を設立するというものでしたが、元徴用工に高額な慰謝料を支払うという方針をめぐっては、異論の声も出ている」(ソウル特派員)‬ ‪ 韓国大法院判決では日本企業が元徴用工に対して1億ウォン(約910万円)の慰謝料を支払う判決が出た。さらに文議長案では元徴用工を対象に1億~2億ウォン(約910万~1820万円)を支払う予定といわれ、慰謝料は高騰の一途を辿っている。‬ ‪ しかし、果たして当事者である元徴用工たちは、本当に金による解決を望んでいるのだろうか。‬ ‪◆「日本人も同じ賃金だった」‬ ‪ 冒頭の崔漢永氏が日本に渡ったのは15歳の時だったという。‬ ‪「私は自分の意志で日本に行きました。当時、父親が傷害事件を起こして逮捕され、罰として日本での強制労働を命じられた。しかし父を失うと9人の大家族なので困る。そこで私が代理として『日本に行く』と手を上げました。年齢も18歳と偽りました。‬ ‪ 日本での働き先は、福岡県飯塚市にある三菱炭鉱でした。炭鉱には私以外にも何百人もの動員された朝鮮人がいました」(崔氏)‬ ‪ 徴用工として日本で働いた崔氏。しかし、日本人からの差別を感じることはなかったと振り返る。‬ ‪「私は坑道を作る仕事を主にしていました。現場では日本人と朝鮮人が一緒に働いていた。休みは月に1日か2日でしたが、日本人も朝鮮人も同じ労働条件で、同じ賃金をもらっていました。朝鮮人だからと差別や暴行を受けるということもなかった。‬ ‪ 特に私は15歳と若かったこともあり、上司のサキヤマさん(日本人)に大変可愛がられた。『私の娘と結婚しないか?』と言われたこともありました」(同前)‬ ‪◆「賠償裁判では何も得られない」‬ ‪ 崔氏は日本人に悪感情はないという。私が「徴用工に慰謝料は必要だと思うか?」と問うと、崔氏はこう語った。‬ ‪「(元徴用工が)裁判を起こしても何も得られるものはないよ。この高齢でお金を手にしてもしょうがないだろう。私はお金もいらないし、補償をして欲しいとも思わない」‬ ‪ そのハッキリとした物言いは、慰謝料ありきで徴用工問題を語る文在寅政権に、静かに異を唱えているようにも思えた。‬ ‪ 同じように差別はなかったと語るのは金炳鐵氏(96)だ。金氏は20歳のときに地元・麗水郡庁からの徴用命令を受けた(※注)。行き先は佐賀県だった。‬ ‪【※注/戦中の労働力不足を解消するために1939年に制定された国民徴用令によって、日韓から多くの人間が動員された】‬ ‪「私が派遣されたのは佐賀県西松浦郡のウラサキ造船所でした。私は資材課に属し、工場内で出る屑鉄を集める仕事をしていました。集めた屑鉄は、鉄工場に輸送され再び製鉄されるのです。造船所で働く2000人のうち、700人が朝鮮人でした。朝9時から4~5時頃まで働き、日曜日ごとに休みはありました」‬ ‪ ウラサキ造船所とは、当時、佐賀県に存在した川南工業の浦崎造船所だと思われる。軍需工場だった浦崎造船所では二等輸送艦や人間魚雷「海龍」などが大量建造されていた。‬ ‪ 戦争末期ということもあり、食料事情は日本全体で厳しかったと語る。‬ ‪「そこはおかずが良くて、よく美味しいブリとかトビウオが1~2匹出た。でも原則はお米と麦を混ぜたご飯を一杯しか食べられない。だからお腹が減る。あるとき、ご飯を盗み出して山中で食べた。そのことがバレて、日本人管理者に殴られたこともありました。でも、(ルールを破ったので)たいしたことではないと思っています。基本的に日本人が朝鮮人に暴力を振るうとか、虐めるようなことはありませんでした」‬ ‪ 金氏の証言もまた、韓国内で語られている“被害者像”とは異なるものだった。‬ ‪「私は労働が強制的だったとか、奴隷的だったとは思っていません。そのときは(植民地時代なので)日本人の命令が全てですから、言う通りにするしかなかった。徴用工時代がいい思い出とはいえませんが、学校で日本語を勉強していたので日本語で職員と話を出来たのは良かったですね。ただ鹿児島や宮崎県の人だけは方言がきつくて、何言っているかわからなかったですけど(笑)」‬ ‪ 派遣された場所によって労働環境や実情が違うと感じさせられるのが、姜彩九氏(92)と孫義奉氏(91)のケースだ。同郷だった二人は10代の頃に徴用命令を受けて、ともに大阪のクボタ鉄工所に送られた。‬ ‪「500人ほどの朝鮮人がクボタ鉄工所に送られていました。日本人から差別とか、奴隷のように働かされたという記憶はないですね。クボタでの仕事は鉄材を運ぶ仕事ばかりでした。それよりも恐ろしかったのは米軍の空襲です。夜に米機が姿を見せると、空襲警報が鳴りみな逃げ惑った。とても仕事を覚えるというような状況ではありませんでした」(孫氏)‬ ‪ 1945年に米軍による本土爆撃が本格化、ますます仕事どころではなくなったという。姜氏が苦笑いしながら回想する。‬ ‪「空襲が酷くなってからは、工員は散り散りとなり、私は兵庫県の山中に逃げ込んで野宿生活を送っていた。だから大法院判決で元徴用工に対して慰謝料1億ウォンの支払い命令が出たと聞くと、私はその金額をもらえるほどの仕事を日本ではしていないと思ってしまうよ。補償はして欲しいけど、(高額な慰謝料の話を聞くと)私たちがお金を吸い取る掃除機みたいだと思われてしまうね(笑)」‬ ‪ 元徴用工の口からは、全ての人が“奴隷労働”に苦しんでいた訳ではないという事実が語られた。歪んだ歴史論争のなかで当事者たちの声はかき消されている。‬ ‪http://a.msn.com/01/ja-jp/AAK4ClL?ocid=st‬
http://a.msn.com/01/ja-jp/AAK4ClL?ocid=st‬
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xf-2 · 4 years
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003年4月15日夜、福岡市中央区の日本語学校に魏と王、楊らが職員室に忍び込み、現金約五万円を盗んだ。そこは王が在籍していた学校だった。王、楊はその1月にも、同区のファストフード店に侵入し、現金230万円を盗んでいた。ここは楊のアルバイト先。4月9日には魏が別の中国人留学生2人と共謀し、中国人留学生から現金約26万円を奪うという事件も起こしている。 「3人で何かやろう」  5月上旬には、楊のアルバイト先だった同市博多区のラーメン店経営者襲撃を計画する。「面識があると発覚の危険性が高い」として断念したが、この時すでに「殺害して金を奪う」ことを念頭に置いていた。 http://yabusaka.moo.jp/fukuokaikka.htm
中国人留学生
王亮(ワンリャン 当時21歳)
出典福岡・一家4人殺人事件
吉林省出身。父親は土木会社を経営し、裕福な家庭に育った。02年春、日本の大学進学を目指して福岡市内の日本語学校に入学し、同級生とともに寮で暮らし始めた。当初授業の出席率は96%と高かった。(出席率が95%以下になれば入国管理局に報告されるという。さらに低くなると強制送還される)だが王はこの年の9月、同級生とトラブルを起こし、その時の学校の対応に不信感を抱き、ほとんど学校に出てこなくなった。同級生によるとこの頃から王の様子が変わっていったという。03年4月の時点で、王はMさん宅から700mほどのところにある家賃2万円のアパートに楊とともに住んでいた。5月15日に日本語学校から、このままで除籍処分になると通告された。就学生が除籍処分されると、就学ビザを取り消され不法滞在になる。王は1度中国に帰り、両親に再編入のための授業料の工面を依頼していた。だが、両親が王持たせたはずの授業料は学校に納めておらず、除籍処分となっていた。
楊寧(ヤンニン 当時23歳)
出典福岡・一家4人殺人事件
吉林省出身。父親は長春市の中日友好協会に勤め、母親は同市の製紙工場に勤務。王とは両親同市が古くからの知り合いだった。01年10月に就学ビザで来日し、日本語学校を卒業した後、私立大学国際商学部に入学し、アジアの貿易経済について学んだ。02年には1科目を履修しただけでさぼり、後期には病気と称して休学したが、��際は福岡市内のハンバーガーショップでアルバイトをしていた。03年4月に1度は復学したが、年間50万円余の学費が払えず、納入期限の6月末を前に「親から学費を受け取るために一旦帰国する」と大学側に説明して出国した。この時、実家には戻っていない。
魏巍(ウェイウェイ 当時23歳)
出典福岡・一家4人殺人事件
河南省出身。父は工場を経営する資産家。魏自身も高校卒業後、3年間人民軍(※)で班長を務めた。その後大連の外国語学院で日本語を学び、日本留学後は先端技術を学ぶという希望を持ち、01年4月、福岡の日本語学校に入学している。02年4月には予定通り、コンピューターの専門学校に入学した。ここでは成績もよく、奨学生候補だった。故郷には恋人もいて、ごく普通の学生だったが03年になると一転して学校を欠席がちになった。魏のアパートには中国人の女性が何人も出入りするようになり、4月には留学生仲間と中国人宅に押し入り、26万円を強奪、6月には知人の女性に暴力をふるったとして傷害容疑で逮捕された。この頃、インターネットカフェにしばしば通うようになり、王や楊と知り合った。4月9日にはかつて住んでいたアパートへ強盗を押しこんだこともある。また、他人名義で携帯電話を契約する詐欺も働いている。金にも対して困っていない優秀な学生だった彼が、03年春を境に突如犯罪行為を繰り返すようになっていた。
出典blog-imgs-34.fc2.com
福岡一家4人殺害事件
福岡一家4人殺害事件
Mさん一家
殺害されたMさん一家は、Mさん(41歳)、妻C子さん(40歳)、小学6年の長男K君(11歳)、小学3年生の長女H子ちゃん(8歳)の4人暮らし。  Mさんは1962年福岡市で生まれた。私立博多高校を中退し、中州のクラブ勤めを経て上京。東京・麻布十番の焼肉店などで修行した後、88年に福岡市中央区で韓国料理店をオープンさせた。この店は繁盛し、有名人なども多く来店、テレビでも紹介されるほど有名店になった。その後、東区にも別の焼肉店を開店し、売上も好調だった。    C子さんも福岡県出身。九州女子高校を卒業後、94年頃まで化粧品会社の美容部員として福岡空港の国際線ターミナル店で働いていた。MさんとC個さんは高校時代から交際しており、90年5月に結婚した。Kくん、H子ちゃんも生まれ、幸せ家庭を築いていた。  しかし、最初の悲劇が起こった。01年9月、BSE(牛海綿状脳症)騒動が起こり、その煽りを受けて経営していた両店は廃業に追い込まれたのである。  MさんはC子さんの親族と一緒に婦人服販売会社を始めるが、売上が低迷、さらに東区の焼肉店開店のために自宅を抵当に入れて借りた4000万円の返済も滞るようになった。  03年3月、夫婦は婦人服販売業の業績が上がらないことから、C子さんの親族から独立して、衣料品などをデパートに卸す仕事を始めた。その2ヶ月後、Mさんの知人から休眠中の会社「W」を継承して復活させた。C子さんを社長にして、衣料品販売業を本格的に乗り出した。  また失業し、金に困ったMさんは闇ビジネスと呼ばれる仕事にも手を広げていく。事件後、家宅捜索で福岡市中央区のマンションから大麻草が発見されている。Mさんは大麻草を栽培して、売りさばいていたとされている。  またMさん一家は94年から96年にかけて、外資系生保会社と、99年には国内の生保会社と、一家4人の生命保健契約を締結した。保健金額はMさんが1億2000万円、C子さんが2500万円、KくんとH子ちゃんが各2100万円の総額1億8700万円に上り、その月々の保険料は14万円近くになっていた。  ちなみにMさん一家は王、楊、魏の3人とは面識はなかった。 http://yabusaka.moo.jp/fukuokaikka.htm
強襲
凌遅刑
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%87%8C%E9%81%85%E5%88%91
凌遅刑(りょうちけい)とは、清の時代まで中国で行われた処刑の方法のひとつ。生身の人間の肉を少しずつ切り落とし、長時間苦痛を与えたうえで死に至らす刑。歴代中国王朝が科した刑罰の中でも最も重い刑とされ、反乱の首謀者などに科された。また「水滸伝」にも凌遅刑の記述が記載されている。また、この刑に処された人間の人肉が漢方薬として売られることになっていたとされている。この刑罰は李氏朝鮮(朝鮮王朝)でも実施されていた。また、これに酷似したものとして隗肉刑がある。
Mさんの帰宅
日付が変わって翌午前1時40分頃、Mさんが帰宅してきた。愛車のベンツC200に乗って、自宅の車庫前まで帰ってきた時、携帯電話で友人と会話している。Mさんは「今、家についた。これから駐車場にいれるから、後でかけ直す」と電話を切ったが、その友人に再び電話がかかってくることはなかった。家に入ろうとしてきたMさんを犯人達は玄関で待ち伏せていた。工事現場から盗んできた鉄パイプを、いきなり後頭部を殴りつけた後、前に向かって横から額を殴り、さらに左目周辺や頬を殴ったり、全身を蹴ったりした。さらに犯人達は2階で失神していたH子ちゃんを担ぎ下ろし、父親の目の前でいたぶったり殴打しながら、Mさんに何かを聞き出そうとリンチを加え続けていた。だが、Mさんはなにも答えず、「用がなくなった」ということで、H子ちゃんの首を絞めて殺そうとした。Mさんは土下座して、「娘だけは助けてくれ」と言ったが、彼らはこれを嘲笑し、殺害した。さらにMさんの首を白いビニール紐で絞め、気を失った彼を浴槽に浸けて溺死させた。  3人は一家の遺体を運びやすくするため、まずMさんの両手に手錠をかけ、首から足にかけて工事現場で盗んできた太い電線で縛り、H子ちゃんを背負わせる格好で固定した。また、ちょうど血のついて放置しておけない玄関マットがあったので遺体を覆い隠すために持ち出し、車を乗り捨てる際に近くの草むらに捨てた。  3人は一家4人をベンツに乗せ、その車に一緒に乗りこんだ。 博多港箱崎埠頭の岸壁に到着した3人は遺体を海に沈めるために、前もって用意しておいた重りを1個ずつつけ始めた。Mさんの腕とH子ちゃんの足を手錠でつなぎ、その手錠のチェーンの部分に別の手錠をつないで、鉄アレイをつけるなど、万全を期した。C子さんとKくんはそれぞれ両手に手錠をかけ、鉄アレイをつけた。千加さんは服を着ていないので浮き上がりそうだったので、特別に鉄製の重りを針金で巻きつけていた。  遺体を捨てた後、Mさんのベンツを運転して久留米市に向かった。これはNシステム(自動車ナンバー自動読み取り装置)でも確認された。ベンツは「ブリジストン久留米工場」クラブハウスの専用駐車場に乗り捨ててあるのが発見されてい。3人はベンツ放置後、JR久留米駅から福岡に戻った。  20日午後、博多港箱崎埠頭付近の海中から一家の遺体が次々と発見された。これほど早く遺体が発見されることは、3人にとって誤算以外の何物でもなかったはずだ。  なお事件当日の行動については3人の供述をもとに書いたが、3人が責任をなすりつけ合ったり、供述そのものを変えているので、不確かな点も多い。 http://yabusaka.moo.jp/fukuokaikka.htm
3人の浮上
事件に使われた手錠は台湾製でレバー操作をすれば簡単に取り外しができる金属製のおもちゃ、鉄アレイは重量20kgのもので、それぞれ福岡市内にある量販店で売られていた。この店の防犯カメラにそれらを買った人物が映し出されていた。その映像から似顔絵が公開されると、日本語学校の生徒が「同級生(王)に酷似している」と証言、ここで王とその交友関係が洗われるようになった。ここで楊の存在が浮上し、楊の携帯電話の通話記録から魏の存在も明らかになった。  また、遺体に付けられていた直方体の鉄製の重り(重量30kg)は魏が過去に頻繁に出入りしていた女性宅がある福岡市博多区の賃貸マンションの所有会社が非常階段への鉄製扉を開放させておくために特別注文したものだった。  事件後、魏は出国2時間前に空港へ向かう途中の路上で、別の暴行事件により身柄を拘束された。だが、この時すでに王は楊とともに福岡空港から上海に出国していた。この航空券は犯行の3日前に楊が用意していた。2人は中国の公安当局に身柄を拘束されることになった。 供述 「窃盗目的で侵入した。黒幕は存在しない」(王、楊) 「Mさんは高級車を持っていて金持ちそうだったから狙った」 「5月下旬に王から『おまえは格闘技ができるだろう。それなりに荒っぽいが、カネになる仕事がある』と誘われ、楊を入れて3人でMさん一家を襲った。家族4人の首を絞めて殺した後、遺体をMさんのベンツでう実まで運んで投げ捨て、その車も遠くまで捨てに行った。王は誰かに殺しを依頼されていたようで、私は成功報酬として約1万円を受け取っただけだ。残りの報酬はまだもらっていない」 (魏) http://yabusaka.moo.jp/fukuokaikka.htm
出典kyushu.yomiuri.co.jp
公判を終え福岡地裁を出る魏被告
福岡一家4人殺害事件
王被告土下座にも消えぬ怒り 遺族、厳罰求める
出典kyushu.yomiuri.co.jp
福岡一家4人殺害事件
中級人民法院裏門で、通行人をチェックする職員
憤りは収まらなかった。昨年六月に起きた福岡市の松本真二郎さん一家四人殺害事件。遼寧省遼陽市の中級人民法院で十九日に開かれた初公判で、孫たちの命を奪った元留学生二人と初対面した遺族には、日本語での謝罪もむなしく響いた。「頭を下げれば済むと思っているのか」。一年四か月を経ても消えない激しい怒りが、異国の法廷に広がった。  王亮被告(22)は白いワイシャツ、白っぽい綿のズボン姿で法廷に姿を見せた。楊寧被告(24)は、黒いトレーナーに白っぽいズボンをはき、二人ともオレンジ色のベストを着ていた。両足には鎖、両手には手錠がかけられていた。  起訴状が読み上げられる間、楊被告は、検察側の質問に対し、はきはきと答えたが、何度もまばたきするなど緊張が見て取れた。王被告も時折、目元に手をやるなど、落ち着かない様子だった。  犯行現場となった松本さん宅の子供部屋や浴室、廊下に残された血痕などの写真がスクリーンに次々と映し出されると、王被告は終始目をそらし、楊被告も顔を上げようとしなかった。  静寂が破られたのは、王被告の意見陳述の途中だった。突然、後ろを振り返り、約三メートル離れた傍聴席の最前列に座っていた松本さんの妻千加さんの父親、梅津亮七さん(78)に向かって土下座し、約三十人いた傍聴席から驚きの声が上がった。さらに、裁判長に向き直った後、もう一度後ろを向き、日本語で三回、「すみません」と繰り返し頭を下げた。  数日前に遼陽市入りした梅津さんは、公安当局などを回り、両被告の逮捕に謝意を伝え、厳罰を要請したという。公判終了後、「頭を下げて済むものではない。それ以上にひどい目に遭わされた」と怒りが収まらない様子だった。 http://kyushu.yomiuri.co.jp/news-spe/20090427-462876/news/20090427-OYS1T00564.htm
裁判経過
楊寧被告人は1審で死刑判決を受け、控訴棄却を経て2005年7月12日に死刑執行された。一方、王亮被告人は遼寧省遼陽市人民検察院により無期懲役が確定した。 日本で逮捕起訴された魏巍被告人は1審の福岡地裁で事実を認めた後、ほぼ黙秘を通し、死刑判決を受けた。2審では、一転して動機や犯行過程、3人の役割、遺族への謝罪などを詳細に証言したが、控訴は棄却された。上告したが2011年10月20日に最高裁第1小法廷(白木勇裁判長)は上告を棄却して死刑が確定した。 2014年現在、魏巍は福岡拘置所に収監されている。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E5%B2%A1%E4%B8%80%E5%AE%B64%E4%BA%BA%E6%AE%BA%E5%AE%B3%E4%BA%8B%E4%BB%B6
出典stat.ameba.jp
福岡一家4人殺害事件
福岡一家4人殺害事件
日中の捜査共助と問題点
同事件は主犯格2人が中国に逃亡したため、中国との捜査共助が最大の焦点となった。結果的には日本国内の反響の大きさに配慮した中国当局が積極的に協力したため、早期逮捕が実現したが、一方で他の事件では日中間の捜査協力がほとんどなされていない実態や、アメリカ、韓国以外と犯罪人引渡し条約が結ばれていない現状も指摘され、国際化する犯罪に各国捜査当局の対応が遅れている点が浮き彫りとなった。 また、福岡地裁で行われた魏巍被告人の公判では、中国公安当局が作成した王亮、楊寧両被告人の供述調書が日本の裁判で初めて証拠採用された。これまで日本の刑事裁判では、海外の捜査当局が作成した調書は「証拠能力なし」とされることが多かったため、この判断は「国際犯罪の捜査に道を開く」と評価されたが、黙秘権が存在しない中国の調書を問題視する意見もあり、議論を呼んだ。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E5%B2%A1%E4%B8%80%E5%AE%B64%E4%BA%BA%E6%AE%BA%E5%AE%B3%E4%BA%8B%E4%BB%B6
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funniaking · 5 years
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タイ旅行記 2019/09/22編
FILTERパイセンのツアー福岡編打ち上げ後、2時ごろにタクシーを捕まえて福岡空港まで送ってもらうも空港は閉館。
翌5時まで開かない。本当に人が誰一人いない。無慈悲ですね、この辺。逆に明かりがついてることに怒りが込み上げてくる。タクシーの運ちゃんが「この時間空いてるかなあ?」と言いながら送ってくれて、途方にくれてる俺を待っててくれたんだけども、その優しさに余計苦しくなって、大丈夫です!と気丈に振る舞い運ちゃんとサヨナラした。
見知らぬ福岡の土地で迷える子羊たちに準備されていたのが福岡空港近くにあるスーパー銭湯。
タクシーも見当たらないので徒歩で向かう。
ここであの運ちゃん引き止めておいて乗せてもらっとけばよかった、と後悔が込み上げる。
雨も徐々に強まってきえ旅の序盤から心が折れかけている。
歩いたことによる汗と雨に濡れたため銭湯についた後、速攻でサウナをかました。
銭湯では飛行機に搭乗に間に合うように過ごしているだろう若い人たちがたくさんいた。
睡魔に襲われながらもなんとか4時に銭湯から空港へ向けて徒歩で出発。
早めに銭湯を出て空港に着くも目的地である国際線ターミナルは逆方向であることに気づく。
7時50分出発の飛行機に乗るためには2時間前にはチェックインしておかなくては行けない。つまり5時50分の前には空港にいなくては行けない。時計を見ると4時半。地図アプリで目的地を国際線に合わせて徒歩で距離を算出すると50分かかってしまう。
途端に脂汗がでてきた。チェックイン遅刻フラグが立ってしまったのだ。まあまあの距離をこの大荷物を背負って間に合うのだろうか。
雨も強くなっていることもあって、せっかく洗った体もまた脂汗でじっとりしてきたところタクシーを発見し、通っちゃいけないようなところを走ってタクシーを止めた。
そもそも福岡空港は国内線国際線間をつなぐバスが走ってるのだが、6時から運行開始なので俺が乗りたい飛行機のチェックインには間に合わなかった。
5時の開館のタイミングで無事福岡航空国際線に到着。
チェックインをするときに預け荷物としてバックパックを申請するとチケット予約の際に預け荷物無しにしていたため追加料金ということで一万円がぶっ飛ぶ。
LCCはこういうのがあるのが恐ろしい。今後気をつけようと、高い勉強代を払った気分にして気を紛らわせた。
予約しておけば5000円程度で荷物が預けられる。カウンターのお姉さん談。
やはり早朝のLCCは安いからか混雑していた。保安検査の列に並んでいると二人組のおっさんがいる。いると意識したのは、目立つからだ。一人は静かだけど、もう一人はガハハセクハラタイプで無差別に人に話しかけてて、セクハラ紛いなことをしている。急に心の距離間が近いのだ。友達の友達の会合で距離が近く接してもらえれば引っ込み思案な奴からしたら凄くありがたいことなのに、赤の他人の一回分の友達の空間であのくらい距離が近いと引いてしまうというか関わらないでほしいというマインドになってしまった。一回分の友達のくだりはファイトクラブを是非見て欲しい。
機内でタイの旅程を地球の歩き方を見ながら組んでいると、全然寝れてなかった分の睡魔に襲われてほとんど寝てしまっていたのか、起きたらタイについていた。
そもそもなぜ急に一人旅かというと、
・深夜特急の付録のインタビュー曰く、26歳までに一人旅をしておくべきであるということ。
・デジタルデトックスをしたかったということ。
・世界遺産を見てみたかったということ。
といった特段面白みのない個人的な理由と
福岡でライブさせてもらうタイミングもあったので、タイへと向かうことにした。
ドンムアン空港に到着し、あのガハハセクハラ親父が入国審査の際、目の前に登場。
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話しかけるなオーラで対応していると隣のおばあちゃんの手を握る等の愚業を目の当たりにして感服いたしました。多分ヤキモチだ。俺はきっとあぁなりたいんだ。人の目を気にしないガハハセクハラ親父に。
入国審査が無事終わり荷物受け取りの列に並んでいると自分のバックパックが全然出てこない。これは波乱の予感、、と思っていたら、ガハハセクハラ親父に見とれている間にバックパックが流れていたらしい。
無事カラダはタイにいる。日本で予約したwifiを受け取ろうと探すも、予約の完了メールからではカウンターを見つけることができない。というか想像していた国際線のターミナル空港がこんな規模感でいいのか?!と驚いた。成田空港が凄いんだなと感心してしまった。
wifiレンタル屋さんを探す際に空港のインフォメーションセンターでwifi屋さんを探してる旨をと伝えると、知らないような顔をされてしまった。ただ後ろにいた同滋賀から来た親子がどうやら同じレンタル屋さんで予約していたらしく、一緒に探すことになった。
結局wifiの受け取りカウンターは国内線にあったため国際線に到着した我々にはわかりにくい場所にあった。親子と別れたあと、機内で考えたプランではホテルにチェックインしておくはずが、バスの乗り場を探しているうちにバックパッカーの聖地カオサン通り行きのバスへ乗車していた。
バスの添乗員さんのお金の受け取り方がパフォーマンスのようで、謎の筒で受け取ったお金を折り曲げて自分の指に挟み、小銭が出たら謎の筒から出し、領収証の角をその筒でちぎるという筒を最大限に活かしたものを見せてもらった。
同乗していた多分フランス人のバックパッカーの女の子たちが可愛らしくて、観察してしまった。
一人の子が携帯の画面を打ちながらポロリと涙を流したのだ。その姿を見た友達がとっさにティッシュを取り、折りたたみ、泣いている友達の横顔を温かく見守っていた。友達はどうやら画面に夢中で友達が涙を拭くティッシュを準備していることを気づいていなかった。結局友達には渡さずカバンにそっとしまっていた。彼女なりの優しさなのだろうか。何も言わず、結果何もしなかったけど、彼女は優しさを持ち合わせていて、その子と旅に来ている二人に幸あれと思った。ただ、同じバスということは空港から出てるバスに乗っているはずだ。恐らく旅初日だけその情緒大丈夫?と心配になった。
その子たちが降車したタイミングで、つられるように自分も降りてしまった。
想定してない場所に降りてしまった焦りからか、外部の情報をたくさん取り込もうとしている脳が悲鳴を上げている。
ふらふらと周りを歩いていると、そこには金色の寺院があってシャンテが優しく響いてた。なんという寺院か忘れてしまったが運良く、タイっぽい景色を拝むことができた。
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道路は一度訪れたことのあるミャンマーより整備されていて、寧ろ綺麗な印象があった。横断歩道もあり、信号機もついている。
寺院を出たあと人の群れに従って人通りの多いところへ向かっていると、シャーデーのスムースオペレーターが流れるレストランで朝から何も食べてないお腹を満たすことにした。はじめてのタイ料理、日本でもあまり食べないタイ料理。
303.88バーツ=日本円約1212円
グリーンカレー
レオビール 大瓶
ライス
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日本のランチと値段は変わらないけど、ビールは大瓶だったので一杯でお腹が満たされてしまった。
タイで初めて口にした料理は旅のアドレナリンも相まって、かなり美味いと驚いた。
昼食をとったレストランはカオサン通りの近くにあり、観光客向けのレストランのため清潔感とサービスがしっかりしていた。
カオサン通りを散策していると至る所にタトゥーショップがあり、外国の方たちがよく足を止めて店内を眺めていた。タイではタトゥーはお守りに近いものとして扱われているらしいのか、タイの方も、観光客も結構タトゥーが入っている人が多かった。
カオサン通りを一通り眺めたあと、地球の歩き方に載っていた宮殿付近を見てバンコクの土地勘を覚える作戦を考えた。
街を歩いて気づいたこととしては、専門店が多い。
例えば掃除機を治す屋さん、
テレビのディスプレイのみを治す屋さんなどなど。
掃除機のホースの部分だけが店頭に並んでいたり、なにかの基盤だけが店に並んでいた。
バンコクの人の生活が気になり始めた。
宮殿周辺の通りには楽器屋さんが盛りだくさんだった。楽器と時計、楽器と宝石、楽器と雑貨のように楽器だけでなくとなりの競合店との差別化をそれぞれ図っていた。
でかい涅槃像ことワットポーは16:30に閉園してしまったので、最寄りの駅から地下鉄に乗ってホテルまで向かう。といっても交通に慣れておらず2-30分駅を探して歩いた。
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降りた駅からホテルに向かう際にホテル近くの大きな公園を通っていきたくて地図を見ながら歩いていると
謎の門が出てきた。
警備員がたくさんおり、こちらを見ている。
地図ではそこは素通りができるはずなのだ。
これが俗にいうトイレとかでお金をとるアレか、と思いながら迂回しようするも行き止まりになってしまい、結局ペイ覚悟で門を通ると止められもせずに素通りできてしまった。バンコクでは公園の入り口にたくさん警備員がいるが何をしてるのかサッパリわからない。
気になってた公園に入ってみると湖?を囲うようにして大きなランニングコースが作られており、絶え間なく老若男女のランナーが通っていた。
湖を囲んだ高層ビルはバンコクが都会であるということを象徴していてバンコクのシティボーイ、シティガールのデートスポットはここかあ、と辺りを見渡す。
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公園から出て、少しすると日本で予約していたホテルがあることを地図アプリは示してくれている。
地図アプリに従って歩いていたが、方向的に近道ができるはず、と路地を曲がると
見たことのないエロさ溢れるネオンに照らされたお姉さんたちがこっちを見ている。
ガヤガヤしていた外の音が一瞬聞こえなくなった気がするほどのインパクトだ。
思わず立ち止まってしまったがイカン、イカンと頭を振りながらホテルの方向へ進む。
道を進んでいて気づいたがホテルは近くにあるはずだが、ホテルの入り口にたどり着くには迂回の必要があった。
バンコクでは結構迂回するくらい、目的地への道が繋がってない場合が多い。
さっき通ったお色気ネオンに戻って道を進んでいるとバーやレストランの軒先には複数人の女性が手持ち無沙汰に何かを待っている。さっきまで点いてなかった照明もエロネオンに変わり、夜の時間へと変わっていく。
タイの女性は素朴な印象なので個人的好感度は高かった。
中には元男性っぽい人や整形をトライしすぎて顔が変形してる人もいて、興味深かった。
整形をやりすぎると行き着く顔があるはずだと結論に至ったので、それらを”イカロスの翼現象”とする。
そんな夜の街になっていく通りを過ぎながら、
暗くなっていくことに少々焦りを感じ始めていた。
初めての海外一人旅でバックパック一個で歩いている。見知らぬ土地で、犯罪に巻き込まれたら何も���きやしないのだ。急ぎ足でナビが示す通りに進んでいく。明らかに住宅街でホテル街ではないように思えたが、ナビを今度は信じようと進んでいく。
目的地に到着するととても大きな豪邸があり、車がゆっくりと車庫へ入っていく。直感でここではないな、と足を止め調べ直そうとすると、人感センサーで照明がつき、照らされた自分を見た途轍もなくでかいボクサー犬に吠えられて震えた。
心細さがピークになり、見知らぬバックパック男が住宅街ウロついてたら通報されちゃうよな、という焦りも出てきたところで人影を発見。
警戒しているようだが、門越しにホテルの名前を伝えると親切に教えてくれた。そういった人が飼ってるのは可愛い小型犬って相場が決まってんのかなあ。
今回の教訓としては信じられるのはネットでも地球の歩き方でもなく、己のみであることをしみじみと感じた。
無事にホテルについて、チェックイン。
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部屋に入るとカビ臭い、壁薄い、部屋が広過ぎて家具がないため虚しい。
これが旅かあ!!と独り言を言ってぬるいシャワーを浴びて、寝落ちしてしまった。
目を覚ますと22時だったので眠気覚ましの水とタイでお気に入りになったレオビールをセブンで購入し、アユタヤでの旅程を組むことにした。
ネオン街へ繰り出すにも酷い雨だったのでおとなしくしていることにした。
顔を洗って鏡を見ると死んでた目に光が宿り出した。
疲れてるけどいい顔になってきたじゃんと自分の髭面を見て思った。
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theatrum-wl · 6 years
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【劇評】【レポート】どこにもない演劇のまち、西和賀:東北の湖畔の町で見た演劇の風景
第26回  銀河ホール地域演劇祭(2018/09/01-09/02) 片山 幹生
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〔西和賀町文化創造館銀河ホールの空撮。手前は錦秋湖〕
岩手県と秋田県の県境、奥羽山脈のただ中にある西和賀町は人口5000人ほどの小さな町だ。この町には客席300ほどの公営の劇場、西和賀町文化創造館  銀河ホールがある。この劇場では1993年の開館以来、毎年地域演劇祭が開催されている。第26回銀河ホール地域演劇祭は2018年9月1日(土)と2日(日)に開催され、4団体4作品が上演された。今回上演された4作品はすべて宮沢賢治の作品だった。本稿ではこの4作品の舞台評のほか、銀河ホールというユニークな地方公共劇場の活動と地域演劇祭の様子について紹介していきたい。
劇団あしぶえ『セロ弾きのゴーシュ』
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〔劇団あしぶえ『セロ弾きのゴーシュ』〕
銀河ホール地域演劇祭の最初の演目は、島根県松江市の公設民営劇場〈しいの実シアター〉を��点する劇団あしぶえの『セロ弾きのゴーシュ』だった。あしぶえは2016年に創設50年を迎えた長い活動歴を持つ劇団だ。『セロ弾きのゴーシュ』はあしぶえが28年にわたって上演し続けている劇団の最重要レパートリーであり、アメリカ、カナダの演劇祭でいくつかの賞を受賞している。
『セロ弾きのゴーシュ』の筋立てはごくシンプルなものだ。しかしあしぶえの公演ではそのシンプルな物語が、ミニマルな舞台美術とストイックな演出によって、さらに研ぎ澄まされたものになっていた。徹底的に磨き抜かれた鉱物の結晶のような美しさを持つ舞台だった。張り詰めた緊張感が最初から最後まで維持され、冗長さはまったく感じられない。
自尊心を徹底的に打ち砕かれ、絶望で自暴自棄の状態に陥りそうになりながら、ぎりぎりのところでゴーシュは破滅への転落をまぬがれた。夜中にゴーシュの家にやってきた何匹かの動物の前で演奏することで、ゴーシュのセロは上達し、自尊心を回復する。次の演奏会でゴーシュはそれまで自分を罵倒していた指揮者から賞賛を受ける。彼はそれまで自分がどれほど傷ついていたことさえ気がついていなかった。演奏会が終了し、帰宅して一人になったときになってはじめて、ゴーシュは自分を絶望の淵から救い出してくれた動物たちの無償の優しさに気づく。
劇の最後で彼の口から漏れる感謝の言葉の真実に、私は強く心打たれた。
俳優の表現のあらゆるディテールにまで注意が払われていることが感じとることができた舞台だった。きびしくコントールされた俳優の演技は、ゴーシュの情念の動きを精密に、ダイナミックに描き出している。ゴーシュの絶望ともがき、いらだちが、舞台から豊かなニュアンスとともにまっすぐ観客席に伝わってくる。ゴーシュ役の俳優の演技にひきこまれ、観客の多くはゴーシュの重苦しさを共有していたに違いない。
なぜゴーシュが動物たちの出会いによって停滞から抜け出せすことができたのか、動物たちはなぜゴーシュの家にやってきたのか、そしてゴーシュが最初にやってきた猫に対して謝罪しなかったのはなぜなのか。いくつもの「なぜ?」に対する回答はあしぶえの舞台でも宙ぶらりんのまま提示されない。『セロ弾きのゴーシュ』はハッピーエンドの物語だろうか。ゴーシュに感情移入していた観客は、ゴーシュの演奏の成功にカタルシスは感じた者もいるだろう。終幕のゴーシュは確かに絶望からの解放を味わっていた。しかしその解放感は愚かで未熟��自分へのいくばくかの悔恨を伴っている。彼は喜びよりは、深い虚脱感をあのとき味わっていたのではないだろうか。そんなことを感じさせる演出だった。
物語を舞台化するにあたって、雑多な情報を持つ俳優の身体や舞台空間が、作品を過剰に説明的なものにし、そのノイズによって語りの持っていた本質的な魅力を損なってしまうことがままある。あしぶえの『セロ弾きのゴーシュ』は、これとは逆だ。俳優の存在と舞台空間の抽象性が、物語の純度をさらに高め、作品に内在する象徴性を際立たせることに成功している。ほぼ唯一の具象的美術であるチェロの存在が、この舞台ではなんと雄弁なことか。28年に渡る上演のなかでテクストと真摯に向かい合ってきたからこそ、到達することができた表現の逆説だろう。強くて美しい舞台だった。(9月1日14時開演@銀河ホール)
劇団田中直樹と仲間たち『水仙月の四日』
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〔劇団田中直樹と仲間たち『水仙月の四月』〕
地域演劇祭、二本目は西和賀在住の〈田中直樹と仲間たち〉による『水仙月の四日』を見た。この公演は田中ひとりよって語り、演じられる人形芝居だった。
田中直樹はもともとは地元の劇団ぶどう座に所属していたが、考え方の違いからぶどう座を離れ、ソロで公演を行っていると聞いた。会場は銀河ホールに隣接するUホール。Uホールの建物は円錐形のとんがり屋根と赤い壁の可愛らしい建物で一階は図書館になっている。二階のUホールは円形平面で、リハーサル室・会議室として利用されている場所とのこと。観客は床に座って見るが、今回の公演では後ろの壁際に何脚かパイプ椅子が用意されていた。
『水仙月の四日』は吹雪の一夜を雪原でやり過ごす少年の話だ。舞台が始まる前に田中から、タイトルの「水仙月」と作品冒頭で出てくる「カリメラ」という語についての説明がある。これらの語はいずれもは宮沢賢治の造語で、水仙月は2月から3月の雪深く寒い時期、「カリメラ」は「赤砂糖を一つまみ入れて、それからザラメを一つまみ入れる。水をたして、あとはくつくつくつと煮る」とテクストにあるので、おそらく「キャラメル」を指す。
『水仙月の四日』は日本有数の豪雪地帯であるこの付近の人々にとっては、とりわけその情景がはっきりと思い浮かぶ作品に違いない。田中直樹は赤いケット(毛布)をかぶった少年とその少年を見守る雪童子を15センチほどの小さな人形に演じさせた。これに対して吹雪のアレゴリーである雪狼は人間の顔と同じくらいの大きさの仮面、そして大吹雪のアレゴリーの雪婆は人間をすっぽり覆い尽くす大きさの紙製の面で表現していた。雪婆が登場する場面では照明が暗くなり、蛍光ライトで雪婆の巨大な顔が白く照らし出される。小さい子供たちは狭い舞台を走り回る雪狼と雪婆を怖がっていた。
少年と雪童子を小型の人形にしたことで、白くて厳しい大自然に翻弄される人間の様子が強調された。また白い美術のなかでの少年の着た鮮やかな赤のケットの色彩の対比も印象的だった。小品だが配慮のいきとどいた工夫の数々によって、大人の観客も子供の観客も異世界に誘う、優れた演出の公演だった。人形と紙製の大きなオブジェ、紙吹雪といった材料はこの作品の上演を考えると定番的な素材だが、そのスペクタクルが作り出す幻想は、宮沢賢治の物語を冗語的に説明するのではなく、その語りの美しさをより印象的に引き立てるものになっていた。(9月1日15時半開演@Uホール)
栗田桃子(文学座)ソロ朗読劇『銀河鉄道の夜』
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〔栗田桃子(文学座)ソロ朗読劇『銀河鉄道の夜』〕
銀河ホール地域演劇祭の二日目(9/2)の最初の演目は、文学座の栗田桃子によるソロ朗読劇『銀河鉄道の夜』だった。
会場は銀河ホール。舞台にはいくつものキャンドルが並べられ、中央に椅子が一脚置かれている。背景には静止画の映像が映し出される。栗田はときおり、椅子を立ったり、座ったり、あるいは歩き回ったりしながら、声色で人物を演じ分けて朗読する。
動きもスマートだし、朗読も達者ではあるが、その動作や声色の変化がことごとく定型的で、テクストに書いてあることをそのまま冗語的、説明的になぞっているに過ぎない。テクストの記述に反射的に反応するような中途半端な工夫は、かえってテクストの世界を矮小化し、観客が世界に入り込むことを妨げてしまう。あれなら座ったまま普通に読んだほうがまだ聞き手の想像力を刺激することができるだろう。広い間口の舞台で栗田の芝居が空回りしていた。栗田桃子という魅力的な女優を使った朗読劇がこんなありさまなのはいかにももったいない。演出家あるいは演者の作品に対する思い入れや独自の解釈などを感じとることができない退屈な朗読劇だった。「朗読劇ってこんなものだろう」という演出家の作品に対する取り組みの甘さを感じてしまう。
演出の単調さと照明の暗さで、五分もすると猛烈な眠気の波が襲いかかってくた。私の周囲の観客にも観客も落ちていた人がかなりいた。公演後のアフタートークで宮沢賢治記念館の学芸員と演出の西本由香の話があったが、このアフタトークでも西本の話ははなはだ曖昧模糊としていて、学芸員の語る興味深いエピソードとの対比で、演出家の作品への関心の薄さが露わになっていた。(9月2日14時開演@銀河ホール)
劇団ぶどう座『植物医師』@ぶどう座稽古場
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〔劇団ぶどう座『植物医師』〕
銀河ホール地域演劇祭で最後に見た演目は、この地を拠点に1950年以降活動を続けているぶどう座の『植物医師』だった。これは他の上演作品のような翻案ではなく、宮沢賢治の書いた短編戯曲の上演だ。私はこの戯曲を読んだことがなかったし、上演を見たことがなかった。ぶどう座は、近年は主宰の川村光夫が高齢(現在96歳)のため実質的に引退状態で、かつてと比べると活動力が大幅に衰えているという話を聞いていたのが、この『植物医師』の公演はその衰退ぶりを感じさせない充実した内��の公演だった。
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〔ぶどう座稽古場〕
公演会場は1960年代に建てられたというぶどう座の稽古場である。まさに芝居小屋といった風情の公演会場に、芝居が始まる前から心が浮き立つ。稽古場は北上線の踏切のすぐそばに、踏切の番小屋のように建っている。舞台の間口は6メートルくらいか。舞台奥の壁はさまざまな色の大きな布で覆われている。客席は板間平面と三、四段の段状、詰めれば40人ぐらいは座れると思う。
芝居の始まる前に、劇のオープニングで歌われる宮沢賢治作詞の《花巻農学校精神歌》の練習があった。観客もこの歌を一緒に歌うようにうながされる。これは楽しい趣向だった。
『植物医師』は上演時間30分ほどの小篇だ。岩手のとある村に《植物医師》を名乗る人物が引っ越してきて、植物病院を開業する。しかしこの植物医師の専門家としての知識はどうもいい加減なもののようで、いかにもうさんくさい人物だ。開業した植物病院に村人たちが次々とやってきて、枯れてしまった稲の治療法を訪ねる。植物医師はでまかせのいい加減な対処法を村人たちに伝え、お金を取る。いんちき治療法で易々とお金を稼いだ植物医師だが、彼の処方では稲の被害は収まるどころか、ますます拡大していく。村人たちが医院に戻ってきて植物医師を詰問する。植物医師は口舌でなんとかそれらの非難を丸め込もうとするが、最後には言い返す言葉もなくなり、村人たちの怒りの言葉にうなだれてしまう。善良でお人好しの村人たちはうなだれた植物医師を見て、彼に同情しはじめる。そして先ほどまでの怒りを収め、植物医師を許すのだ。その許しの言葉は、植物医師にとっては怒りにまかせた批判の言葉よりもはるかに重く感じられた。植物医師はますます打ちひしがれてしまう。
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〔ぶどう座稽古場内部〕
村人たちが入れ替わり立ち替わり植物医師のもとを訪れ、アドバイスを求める場面では、民話によく見られる同種のやりとりの反復とそのエスカレートが、笑いの効果を作り出している。岩手弁のユーモラスな響きがさらに場面の喜劇性を高めていた。不正に対する怒りと非難よりも、不正に行った人間への大らかな優しさと許しこそが力を持つという宮沢賢治らしい倫理が結末で提示されるが、最後の場面の急転が作り出すドラマの力強さと素朴さに心打たれた。村人たちの許しのことばが発せられるたびに、かがんだ体がどんどん下がり、苦悶と戸惑いの表情が深くなっていく演出と演技は見事だった。
芝居小屋の雰囲気もこの作品の上演にいかにもふさわしいものだった。まさに岩手で岩手の人たちによって演じられることによって、この『植物医師』はいっそう味わい深い作品となっていた。この地でのぶどう座の活動の歴史が染みついた稽古場で、この作品を見られて本当によかった。
終演後には稽古場内で打ち上げがあり、私も短い時間ではあったが、出演メンバーとぶどう座の旧メンバーの方々と座を囲んだ。『植物医師』は主宰の川村光夫演出でもかつて公演をおこなったが、それは27年前のことだと言う。今回の公演の演出を担当した菊池啓二さんに「今回の上演は川村さんの演出を蹈襲したものなのですか?」と聞くと「いや、前の上演はもうだいぶ昔の話で、私も見ていないし。まあ川村風にはやりました(笑)」と仰っていた。
今回のキャストには二十歳台の青年も二名参加していた。彼らは昨年から活動を始めた銀河ホール演劇部の部員だと言う。銀河ホール演劇部は、アートコーディネイターの小堀陽平氏の主導で昨年から活動を始めたサークルだ。小堀さんは「ぶどう座の表現は、この地域の人たちの身体と言葉、感覚に根ざしたものなので、銀河ホールで演劇部を作って活動をはじめましたが、外からやってきた僕たちが作る演劇が、ぶどう座を引き継ぐものにはなり得ないように思うのです。やはりぶどう座は土地の人が継承していくものだと考えています」というようなことを言っていたが、実際に公演を見るとそれが実感できる。
地域演劇祭の締めくくりでこの公演を見、そして短い時間ながらぶどう座の人たちと交流の時間を得ることがでいたのは私にとってはとても有意義なことだった。(9月2日17時開演@ぶどう座稽古場)
地域演劇祭と西和賀町文化創造館 銀河ホールの活動
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〔銀河ホール(後側)とUホール(手前側)〕
西和賀町文化創造館 銀河ホールのことを私が知ったのは二年ほど前のことだ。この劇場が、年に一度の地域演劇祭のみならず、地域に根ざした様々な演劇活動を積極的に行っていること、この地を本拠とする60年以上の伝統を持つぶどう座という劇団があること、劇場の活動の軸となっているのが東京出身で日芸OBのまだ若い青年であることなどを知ったことで好奇心をかき立てられ、いつか訪ねてみたいと思っていた劇場だった。演劇は都市のものという固定観念があった私にとって、東北の山間にある小さな劇場で多彩な演劇活動が行われていることが驚くべきことのように思えたのだ。
銀河ホールはJR北上線ほっとゆだ駅から歩いて数分のところにある。ほっとゆだ駅は北上駅から50分ほど。東京駅から北上駅までは東北新幹線で2時間半から3時間かかるので、東京からだと4時間ぐらいで銀河ホールに行くことができる。地図からの印象より案外近く感じられる。
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〔北上線ほっとゆだ駅。駅舎に公衆温泉が附属している〕
西和賀町文化創造館は、銀河ホールのある本館とUホールの別館からなっている。約三百席の銀河ホールの客席はゆったりとしていて、舞台までの距離も遠くない。暖かみのある落ち着いた木製の内装で、芝居を楽しむには理想的な空間だ。劇場の背景に広がるダム湖、錦秋湖の風景が美しい。錦秋湖の湖畔には、野外ステージもあった。
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〔銀河ホールの裏手にある野外湖畔ステージ。後ろは錦秋湖〕
人口5000人程度の自治体でこんな立派な公共劇場を持っているところはそんなにないのではないだろうか。西和賀町で演劇が特権的な文化活動になっているのは、この町で60年以上活動を続ける劇団ぶどう座の存在に負うところが大きい。ぶどう座は川村光夫という優れた演劇人のもと、地域演劇の担い手として充実した活動を行い、戦後日本演劇史に重要な足跡を残した。このぶどう座の活動実績があったからこそ、銀河ホールという公共劇場の建設が可能になったのだ。
西和賀町文化創造館(当時はゆだ文化創造館)は1993年に開催された〈第8回国民文化祭いわて’93 〉の会場として建設された。この国民文化祭を兼ねたかたちで〈第1回銀河ホール地域演劇祭〉が行われ、以後、地域文化祭は毎年秋に開催されている。当時、湯田町(2005年に沢内村と合併して西和賀町となる)の役場の職員で、この劇場運営の中核だった新田満氏に話をうかがったのだが、開館から2000年代半ばまでの銀河ホールの活動は目覚ましいものがある。毎年の地域演劇祭の開催のほか、町民を対象とした演劇学校、小中学校での音楽劇制作、行政的区画を超えた高齢者による演劇公演、そしてロシアとアメリカの演劇人を招聘し三週間にわたって行われた大規模な国際的演劇交流事業など、地方の小さな町の公共劇場としては驚異的な活動を展開していく。
しかしこの初期の黄金時代は、こうした活動に熱意をもって取り組んできたキーパーソンの退職とともに終焉を迎える。地域劇団として銀河ホールの活動に大きな影響を持っていたと思われるぶどう座も、主宰の川村光夫の高齢化とともに、活動力が低下していった。おそらく湯田町が沢内村との合併で西和賀町となり、役所内の組織にも大きな改編があった2005年以降、銀河ホールの活動は停滞期に入ったように思われる。
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〔銀河ホール内部〕
西和賀が演劇のまちとして再活性化しはじめるのは2011年以降のことだ。きっかけは2012年以降現在まで継続的に行われている《ギンガク》という学生演劇合宿事業だ。この事業の立ち上げで中心的な役割を果たしたのが、当時、日芸の大学院生だった小堀陽平さんだ。今回の滞在では小堀さんからも彼と西和賀町との関わり、銀河ホールの活動について話を聞いた。
彼は2014年以降、地域おこし協力隊の一員として西和賀町に移住し、《ギンガク》の活動のみならず、銀河ホールを核としたさまざまな演劇事業を企画・遂行していく。地域おこし協力隊の3年の任期が終了した2017年度以降、西和賀町は「銀河ホール アートコーディネーター」という職を小堀さんに用意し、彼は西和賀の嘱託職員として採用された。町の彼に対する信頼と期待の大きさがうかがわれる。
アートコーディネイターとして彼が担当する業務は文化事業全般に関わるものだが、演劇に関わる事業としては、地域演劇祭のほか、学生演劇の合宿《ギンガク》、小中学校での公演・ワークショップ、高校演劇アワード、地域中学への演劇指導、銀河ホール「演劇部」の活動、そして貸し館業務など多岐にわたってい���。今後やりたい事業としては、シニア演劇、温泉・観光と組み合わせたイベント、アーティスト・イン・レジデンスなどを挙げていた。
ほっとゆだ駅から銀河ホールにかけての道に「どこにもない演劇のまちをつくろう」と書かれたのぼりが立ち並んでいるが、町外からこの町にやってきた地域おこし協力隊の青年たちがもたらす刺激によって、西和賀は演劇のまちとして新たな一歩を踏み出そうとしている。
第26回銀河ホール地域演劇祭
2018年9月1日(土)- 9月2日(日)
会場:西和賀町文化創造館(銀河ホール・Uホール)/劇団ぶどう座稽古場
主催:銀河ホール地域演劇祭実行委員会
後援:西和賀町観光協会・西和賀町芸術文化協会・西和賀町教育委員会
総合舞台監督:内山勉
テクニカルスタッフ:アクト・ディヴァイス
宣伝美術:髙野由茉 小堀陽平
特別協力(記録撮影):森山紗莉
劇団あしぶえ/島根『セロ弾きのゴーシュ』
9月1日(土) 14:00~@銀河ホール
出演:松浦 優海、門脇 礼子、上田 郁子、有田 美由樹、伊達 生、有田 美由樹、門脇 礼子、原田 雅史、上田 郁子、川村 真美、牛尾 光希、岩田 和大
演出:園山 土筆
舞台/照明:稲田 道則、岡本 敦、門脇 礼子、長見 好高、原田 雅史
音響:福井 健吾 前村 晴奈
小道具:上田 郁子
衣装:有田 美由樹 川村 真美
制作:前村 晴奈
劇団田中直樹と仲間たち/西和賀『水仙月の四日』
9月1日(土) 15:30~  総入替え2回上演@Uホール
出演:田中 直樹、田中 宏樹
演出/美術:田中 直樹
照明:小堀 陽平(銀河ホール)
雪布操作:田中 真理子
協力:湯田ドライブイン
栗田桃子(文学座)ソロ朗読劇/東京『銀河鉄道の夜』
9月2日(日)14:00〜@銀河ホール
出演:栗田 桃子(文学座)
演出:西本 由香(文学座)
照明:賀澤 礼子(文学座)
映像・音響:西本 由香(文学座)
美術:米澤 純(Jun's Light Candles)
劇団ぶどう座/西和賀『植物医師』
出演:真嶋 実、池田 慣作、菊池 啓二、高橋 節子、高橋 守、三浦 勇太
演出:菊池 啓二
舞台美術:内山 勉、新井 真紀
音響/照明:真嶋 陽
小道具:髙野 由茉
●片山 幹生(かたやま・みきお)1967年生まれ。兵庫県神戸市出身、東京都練馬区在住。WLスタッフ。フランス語教員、中世フランス文学、フランス演劇研究者。古典戯曲を読む会@東京の世話人。
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herbiemikeadamski · 2 years
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. (^o^)/おはよー(^▽^)ゴザイマース(^_-)-☆. . . 12月21日(火) #仏滅(癸卯) 旧暦 11/18 月齢 16.8 年始から355日目(閏年では356日目)にあたり、年末まであと10日です。 . . 朝は希望に起き⤴️昼は努力に生き💪 夜を感謝に眠ろう😪💤夜が来ない 朝はありませんし、朝が来ない夜 はない💦睡眠は明日を迎える為の ☀️未来へのスタートです🏃‍♂💦 でお馴染みのRascalでございます😅. . この世に生を受け避けられない宿命 は死ですよね🤚始まりがあって終が あるセオリーなのだから仕方ないですよ💦 いつか終わりが来るので先急いでも しょうがないというか勿体無いデス。 . 美人薄命って云うが、それもやはり 宿命なんでしょうかね⤵️残念な話。 酷な話ですが、必要とされてる人程 に早く逝ってしまうんでしょうか❓ 憎まれっ子なんとやらってあるし⤵️ . お母様が同年代ですから身内の様に とても残念で居た堪れないですね💦 この師走の押し迫ってる中の大変に 心苦しいニュースでした⤵️これ昨日の 昼休みに知りました💦そんなのも . 知らずにジムのスタジオで跳んでたの かって知らぬが仏ってのも変な話。 いやいや、ゴメンナサイご冥福を🙏🙏 いつ生まれたかなんて記憶がないし 逝く時も意識が消えてなくなるから . 怖い事なんか無いんでしょうね😅💦 だからって命を粗末にして良い訳 ではありませんけど🤚いつかは🙌 そんな日が来るんですから急いでも ねぇ〜しかし、それも運命だったノカ? . 今日一日どなた様も💁‍♂お体ご自愛 なさって❤️お過ごし下さいませ🙋‍ モウ!頑張るしか✋はない! ガンバリマショウ\(^O^)/ ワーイ! ✨本日もご安全に参りましょう✌️ . . ■今日は何の日■. #昭和南海地震. 1946(昭和21)年12月21日(土)午前4時19分過ぎに潮岬南方沖78キロメートル、深さ24キロメートルを震源としたM8.0のプレート境界型巨大地震である。  「1946年南海地震」とも呼ばれ、単に「南海地震」といえばこの地震を指すことも多い。  発生当時は南海道地震と呼ばれていた。 .  地震に遭遇した著名人には、満州国から帰国した森繁久彌さんが就寝中に遭遇。  相撲の泉州山久義さんが新十両を決めた直後の四国巡業中に、漫画家のやなせたかしさんは高知新聞勤務中に遭遇。 .  被災は、高知県・徳島県・和歌山県を中心に死者・不明者1,330名(高知県679名、和歌山県269名、徳島県211名)、不明者113名。  家屋全壊11,591戸、半壊23,487戸、流失1,451戸、焼失2,598戸。  津波が静岡県から九州にいたる海岸に来襲し、高知県・三重県・徳島県の沿岸で4~6メートルに達した。 . 日本の地震規模でベストテン入りして10位の記録(1885年以降)。  一位には関東大震災-1923(大正12)年9月1日(土)、二位には東尾日本大震災-2011(平成23)年3月11日(金)がある。 . #仏滅(ブツメツ).  六曜における大凶日。  もとは「虚亡」といい勝負なしという意味で、さらに「空亡」とも称されていたが、これを全てが虚しいと解釈して「物滅」と呼ぶようになり、仏の功徳もないという意味に転じて「佛(仏)」の字が当てられたものである。  仏滅は万事に凶であるとされる。  「何事も遠慮する日、病めば長引く、仏事はよろしい」ともいわれる。  また『物滅』として「物が一旦滅び、新たに物事が始まる」とされ、「大安」よりも物事を始めるには良い日との解釈もある。 . #納めの大師.  一年、最後の縁日が12月21日に開かれる納めの大師と云われて居ります。  これは、弘法大師の命日に由来して開かれる縁日でございます✋  弘法大師を御本尊としているお寺では、弘法大師の命日である3月21日に由来して毎月21日に縁日が開かれて居ります。  一年最後の験を担ぎ(ゲンカツギ)の意味で縁日で「おみくじ」をひくのも面白い試みだったようです。  縁日こそ「日本の文化」ですからねぇ~私は大事にしたいと思ってますよ🙏 . #回文の日. #バスケットボールの日. #クロスワードの日. #遠距離恋愛の日. #ゼクシオの日【#XXIOの日】(毎月21日). #マリルージュの日(毎月21日). #myDIYの日【お部屋カスタマイズの日】 (毎月21日). #木挽BLUEの日(毎月21日). . . ■今日のつぶやき■. #乗り掛かった船(ノリカカッタフネ) 【解説】 物事を始めたり関わったりした以上は、船が出航したら目的地に着くまで下船できないのと同じように、たとえ途中で事情が変わっても止める事はできないと云う事。 「乗り掛けた船」「乗り出した船」ともいう。 一旦、関わった以上は、途中で止める訳には行かないと云う事。 . . 1954(昭和29)年12月21(火) #片岡鶴太郎 (#かたおかつるたろう) 【お笑いタレント、俳優、画家、書家、ヨガ実践家、元プロボクサー】 〔東京都荒川区西日暮里〕 . . (三郷中央駅) https://www.instagram.com/p/CXuFgNVhlFqDWPsFq1u1Vb5356Rw77xRc1kogY0/?utm_medium=tumblr
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kachoushi · 3 years
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各地句会報
花鳥誌 令和3年10月号
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坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和3年7月1日 うづら三日の月 坊城俊樹選 特選句
ちらちらと風になびくや小判草 喜代子 月涼し越し人生を返り見る 同 堤防の舗装工事に夏深む 英子 大夕焼茜に染まる遊びの子 都 誰が化身蛍火となり闇を舞ふ 同 訳有りの香水今は琥珀色 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年7月3日 零の会 坊城俊樹選 特選句
吸殻はサルビアの雨に崩れて 和子 色悪の血まみれとなる夏芝居 要 柏手も汗も小言も楽屋口 荘吉 歌舞伎座の江戸むらさきの涼しさよ いづみ 通り抜けても青梅雨の銀座かな 要 辯松へ思ひありしか梅雨の蝶 三郎 歌舞伎座の裏店にある水羊羹 いづみ 木挽町の色を正して濃あぢさゐ 和子 風鈴や木挽町しか知らぬ風 順子 三つ編みをほどき蛍をとほくする 光子
岡田順子選 特選句
やうやくに楽屋貰ひて夏暖簾 佑天 高楼に埋もるる梅雨の小料理屋 小鳥 緑蔭にレノン形見の喫茶店 いづみ 三越の獅子にまたがる父の朱夏 俊樹 緞帳の街を治める朝曇 三郎 一センチほどの薔薇咲く木挽町 小鳥 垢抜けぬ頰で見にゆく夏芝居 光子 紅薔薇を傘もささずに買ふ男 きみよ 吸殻はサルビアの雨に崩れて 和子 夏深し妾の店の連子窓 光子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年7月7日 立待花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
手の窪に水の匂へる蛍かな 世詩明 梅雨ごもりポストは音を待つてをり 清女 魚の店は蝿取りリボンぶら下がる 誠 雲の峰海へと続く行者道 同 潮浴びの乾きし肌に白き塩 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年7月10日 花鳥さゞれ会 坊城俊樹選 特選句
栄枯知る一乗谷の大夏木 かづを 老鴬に耳遊ばせてゐる故山 同 山日和老鴬機嫌よく啼けり 同 夏潮の香を浴び渡る神の島 同 海に向く茶房の窓や夏の潮 匠 縁側は親のぬくもり端居せる 同 夏潮の三国河口に女佇つ 和子 棟梁で寡黙な男哥川の忌 同 泰山木花の大いさその白さ 天空 夏潮に護られるごと句碑三基 同 丸ごとのこれぞ西瓜と云ふ西瓜 雪 夏潮を佐渡へ蝦夷へと旅せし日 清女 なんとなく撫でてあげたい西瓜かな 笑 美しき娘を残し夏の月 千代子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年7月10日 札幌花鳥会 坊城俊樹選 特選句
とび降りる水待つ滝の流れかな 独舟 ドア開けて人を待つかに水中花 清 客一人静かさにある水中花 同 手も足も尻も出てゐる夏蒲団 晶子 口癖も日焼けもまさに親子なり 同 蜘蛛の囲に雨粒光り蜘蛛は留守 寛子 一滴のブランデーなりし夜の秋 岬月 鳶職の足場を雲の峰に組む 同 ボート漕ぐピアスとピアス光り合ふ 雅春
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年7月10日 ますかた句会 栗林圭魚選 特選句
月見草闇押し退ける力あり 秋尚 枕辺に老舗の名刺うなぎの日 多美女 リハビリを終へギヤマンの氷菓子 同 月見草夕靄濃ゆき無人駅 ゆう子 空蟬や古寺の砌に横たはり 幸風 けさの雨白く飛沫きぬ原爆忌 ゆう子 母の言ふ忘られぬ空原爆忌 多美女 女坂木々の重なり寺涼し 瑞枝
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年7月12日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
料亭の盛り塩に梅雨しとどなる 清女 剥落の蔵の上なる雲の峰 上嶋昭子 時鳥行幸の山鳴き交はす みす枝 一枚の朴の落葉にある孤独 ただし 気に入らぬ日射しひまはり北を向く 時江 梅雨豪雨猛獣の群れ襲ふごと みす枝 木蔭には木蔭の色の額の花 信子 朝曇世の盛衰の見えかくれ 時江 喉飴をがりがり噛んで梅雨籠 清女 アマリリス弱気の兄を背に庇ひ 上嶋昭子 鬱憤を噴き出す如くソーダ水 みす枝 夏雲の一つ一つに獣住む 世詩明 青簾一枚外は日本海 ただし
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年7月12日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
海に果つ誘導灯や月見草 美智子 博物館枡に咲かせる古代蓮 悦子 雷鳴に引き摺られ行く雨の音 佐代子 短夜や寝返り毎に白みをり 宇太郎 幽妙な香となる風蘭の夜風 悦子 雷��去り砂丘稜線みづみづし 都 沙羅散るや禅語の数と思ふ程 益恵
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年7月12日 なかみち句会 栗林圭魚選 特選句
虹立ちてひと刷り濃かり空の碧 秋尚 捨て切れぬ夢まだありぬ雲の峰 同 神職の袴は浅葱雲の峰 美貴 たこ焼きのたこはみ出して雲の峰 有有 入道雲目指して彼方定期船 史空 片脚を天城嶺に置き朝の虹 怜 横寝する父の跣足や縒れる爪 聰 雲の峰青空少しづつ食みて 三無
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年7月13日 萩花鳥句会
遠き日や開聞岳の夾竹桃 祐子 砂山の一つ残りて晩夏かな 美恵子 子窓開け直ぐ二度寝入る風晩夏 健雄 山津波救命急ぐ汗汗汗 陽子 月涼し今日も安堵の日でありき ゆかり 広島の空の青さよ夾竹桃 克弘
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令和3年7月14日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
八日目のバナナ甘美をまとひたる 登美子 テーブルにぽつんとバナナ夜を明かす あけみ 歳月に吾と琥珀色増す梅酒 みえこ 半夏生物忌みの日と畏みぬ 同 開け放す御堂鶯老を鳴く 令子 疫病を祓ふ茅の輪をくぐりけり 同 行く人も来る人も居てかき氷 裕子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年7月16日 伊藤柏翠俳句記念館 坊城俊樹選 特選句
雨蛙いつ迄其処にゐるつもり 雪 百年に滅びし栄華夏の草 同 修羅場秘め密かに待てる蟻地獄 みす枝 伝達はちよつと一ト言蟻の列 同 稲光どつと天地を翻へす 玲子 形代を流せる指の皺深し ただし 一山のみどり明りの中を来し かづを 雲の峰見上げて君を待ちをりし 高畑和子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年7月18日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
蟬の穴覗きて闇の深からず 三無 草いきれ甘く重たき風となる 和子 アイスキャンディー食ふ子とそれを見てゐる子 千種 しつかりと姉の手握り雲の峰 斉 炎帝や年尾の句碑の揺るぎなく 亜栄子 絵日傘をたた��閼伽桶汲む女 芙佐子 少年へ機関車聳ゆ日の盛 千種 組む足で裾さばきをりサンドレス 和子
栗林圭魚選 特選句
草影の一枚はがれ夏の蝶 和子 炎天へかひな開けり母の塔 千種 背に誰か並ぶ気配や夏の果 和子 両手拡げ風となる子や夏野原 三無 菩提樹といふ仏性が蟬集め 同 這ひ上り仏足石に迷ふ蟻 芙佐子 少年へ機関車聳ゆ日の盛 千種
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年7月21日 福井花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
雲の峰仰ぐ男の子の目の青さ 和子 ナース行く七夕竹にすれすれに 昭子 半夏生ほどの化粧や母在さば 同 父の日や兄に残りし父の顔 令子 福井空襲夏休待つ前日だつた 同 洗ひ髪彼の世此の世の人を恋ひ 雪 猫であることを忘れて猫昼寝 同 青葉木菟明智軍記を蔵す寺 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年7月21日 鯖江花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
夕べ啼きをりし蛙は殿様か 雪 母に別れ蚊帳に別れし昭和かな 上嶋昭子 思案中らしき男の白扇子 同 水中花の水替ふ君の留守の部屋 同 蛍篭明りに本を読みし日も 洋子 仏壇にもつとも古りし水うちは 同 曇天にほのかな明り合歓の花 紀代美 御住職までもあやめり水鉄砲 一涓 青天を背にし三人ラムネ飲む ただし 炎天下裸婦像ことに裾からげ 世詩明 山を割る男瀧の水の白きかな 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
九州花鳥会 坊城俊樹選 特選句
釘の錆風鈴を吊る指先に 睦子 行水の音たばしらせ若き父 同 炎昼や人みな影としか見えず 同 白刃のごとく立ちたり滝行者 伸子 風鈴の吊しままなる売家かな 久美子 人形の動かぬ瞳水中花 ひとみ 行けど行けど夏鶯の浦の径 由紀子 花海桐煌めいてゐる忘れ潮 さえこ 夏の夜のあやかし君とゐるスナック ひとみ 七夕や園児は時を駆けてをり 勝利 落蟬の足動きつつ曳かれ行く 志津子 噴水のあざとき色を噴き上げぬ 伸子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
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