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#絵を描く手帳
blue-belta · 1 year
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#おやつ絵日記 と 好きな #カップアンドソーサー 。 おやつ絵日記を描いているのは、 #ターレンスジャパン の #絵を描く手帳 の正方形タイプです。 以前は正方形は描きにくいと思っていたのですが、今はとっても好き。 しかも分割するとまた違う楽しさが生まれるんですよね。 見返す時も小さな絵本のようでワクワクするんです。 ですので、 #fantist さんのレッスンはこのおやつ絵日記です。 もちろんキットにもこの手帳を付けました。 それから、カップを描いているのは、 #トラベラーズノート の #accordionfoldpaper 、 #ジャバラノート のパスポートサイズです。 ジャバラノート、好きなんですよね。 このノートは表裏で13面、他のノートに比べると早く描き終えることができるのだ、達成感がうれしい。 次はレギュラーサイズに何か描くつもり(もう買った(笑)) 絵日記って本当に楽しい♪ それから、絵日記とは関係ないのですが、 #月刊day さんの連載が3月号で終わりました。 2枚目の画像を見てね。 1年間、 #塗り絵 と #色鉛筆 の記事を書かせていただきました。 初めての連載で、毎回悩みながらも楽しい時間で、今は肩の荷を下ろしてホッとしている反面、ちょっと寂しさも感じています。 スタッフの皆さまには本当にお世話になりました。 ありがとうございました。 #art #coloredpencil #drawing #pensketch #watercolor #artcreation #travelersnotebook #ペンスケッチ #水彩 #グスタフスベリ #ベルサ #レッドアスター #1日1絵 #イラストグラム #今日何描いた #今日何描こう #絵を描く暮らし https://www.instagram.com/p/CohZHqMpAKt/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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hachikenyakaiwai · 5 months
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【かいわいの時】慶長十一年(1606)十二月十三日:秀頼、生国魂神社を再建(大阪市史編纂所)
家康は、豊臣家の財力を失わせるため、故太閤秀吉の菩提をとむらうためなどと称し、秀頼に対して、さかんに寺社の造営・修復を勧めた(略)当時、秀頼が造営・修復した寺社など方広寺大仏殿、誉田八幡宮、四天王寺、東寺金堂、石清水八幡宮、生国魂神社、勝尾寺、中山寺、叡福寺太子堂、観心寺金堂、常光寺庫裏、宇治橋、鞍馬寺など(柏原市「玉手山物語」)。※原文ママ
石山本願寺建立の際には、この生国魂神社を隣接地に遷座して建立したとも言われるが、だとするならば石山本願寺は生国魂神社の最初の鎮座地に存在したことになる。また、近年の研究によれば石山本願寺は豊臣期の大阪城の詰之丸に存在したとの説もあるが、これがもし事実ならば、生国魂神社の最初の鎮座地は豊臣期の詰之丸付近に相当する、現在の天守閣周辺ということになる。 戦国時代には、石山本願寺に隣接していたため石山合戦で焼失した。天正11年(1583年)、豊臣秀吉が、大坂城を築城する際に現在地に社地を寄進して社殿を造営し、天正13年(1585年)に遷座した。このときに造営された社殿は、「生国魂造」と呼ばれる、流造の屋根の正面の屋上に千鳥破風、唐破風さらにその上に千鳥破風と3重に破風を乗せるという独特の建築様式のものである(いくたま夏祭りみこし会)。
(写真)『摂津名所図会 巻之三』より「生玉神社 其二」(スミソニアン蔵)。
江戸時代には、豊臣秀頼により造営された社殿が慶長20年(1615年)の大坂夏の陣による兵火で焼失したが、江戸幕府により社殿は再興され、社領300石も安堵された。寛永-正保期(1624 - 1648年)の「摂津国高帳」によれば、その社領地は下難波村(現在の浪速区)にあった。また5代将軍徳川綱吉の生母である桂昌院は、黄金若干を当社に寄進したという。『摂津名所図会』では、当時の境内の様子や走馬神事の様子などが描かれている。幕末の『浪花百景』にも絵馬堂、弁天池が選ばれている。弘化2年(1845年)には、社殿の造替がなされた《略》1912年(明治45年)1月には「南の大火」により社殿を焼失し、1913年(大正2年)11月に再建された。しかし1945年(昭和20年)3月13日・14日の第1回大阪大空襲により再び焼失した。1948年(昭和23年)に神社本庁の別表神社に加列され、翌1949年(昭和24年)7月に本殿が再建されるも、1950年(昭和25年)9月のジェーン台風で倒壊してしまった。その後、1956年(昭和31年)4月に鉄筋コンクリート造で再建された(ウィキペディア)。
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mlyzvt-no2157 · 2 months
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蠍座のミロ♏🦂
もうすぐアフロディーテの誕生日なので、黄金魂のアフロさんを描こうかな~と思いながらペンタブでお絵描きしていると、いつの間にかミロさんになってました♏🦂 ミロさん、私の勝手なイメージですが、私服でもファッションとかにすっごく気を使ってそうな気がします。有名なハイブランドのスーツやカジュアルも難なく着こなし、街では誰もが振り返るってイメージがあります💖 一方で、カミュ先生とひょ君は、どんな場所でもシベリアンルックで、パリのシャンゼリゼ通りやオペラ座でもノースリーブシャツにレッグウォーマーっぽい気がします😁そして、ミロさんが、「おい、そんな格好でオペラ観劇行くつもりか?」なんて言っていて、自分の一帳羅をカミュ先生とひょ君に貸してあげてそうだな~って勝手に妄想してます😊
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patsatshit · 6 months
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世の中は空前のサウナブームらしい。各種情報メディアを駆使して街の銭湯にたどり着いた全国の猛者たちが昼夜問わず約50 - 120 ℃の高温室内で肌を触れ合わせる姿を想像してゾッとしない訳がない。合言葉は「整いました」とのことで、僕はこれを珍奇サウナ偏愛者による「型に嵌ったフロー」と誤読して勝手に溜飲を下げている。チンコだけに、風呂だけに。これはなにもサウナ好きを揶揄しているのではない。むしろ彼らは街の銭湯の隆盛に大いに貢献している。そんなサウナブームを皮切りにして、いまでは銭湯での音楽ライブやDJイベント、更にレコードや書籍を販売する催事までもが行われて、みな一様にそれなりの賑わいをみせているようだ。この数年で銭湯を舞台にしたMVや楽曲がどれだけ製作されたことだろう。これについても、関わった人たちは広義の意味でのリノベーションに一役買っている。公共性の再編とでも形容しておこうか。因みにカセットテープレーベル”Ital.”を主催するケイタくんはサウナ好きではなく、古参にして無類の(ただの)風呂好きである。とある書籍の記述により誤解を招いている可能性があったので、一応。かくいう僕も幼少期に住んでいた家の並びに銭湯があったので週の半分くらいは利用していた。お尻に石鹸を塗りたくって誰が一番速く床を滑ることができるかを競い合う「尻軽レース」に挑戦したり、友人とタッグを組んで肩車をする、もしくは自力で壁をよじ登って女湯を覗くなどの愚行三昧で、いずれも店主にこっぴどく叱られた。16-18歳の頃にはいまも豊津駅の近くにある福助温泉で深夜の清掃アルバイトもさせてもらっていた。誰もいない時間帯の業務目的とは言え、禁断の女湯に足を踏み入れるのは、性欲みなぎる多感な時期の男子として、当たり前にドギマギした記憶がある。ロッカーの片隅に置き去りにされた下着を見つけたときは興奮を抑えきれなかった。いま思い返せば老婆が使用している類の肌色のそれであったが、当時の自分としては貧相な妄想に薪をくべるものであれば、なんでも良かったのだ。バイト終わりにはトイレにこもって自身の陰茎を握り締めた。そんな日の翌朝は決まって寝坊してしまい、定刻の登校に間に合わなかった。そういう小さな欲望の積み重ねが、人を大人にするのだ。僕はいまでも家族で福助温泉に通っている。番台では当時と変わらぬ寡黙な女将さんが節目がちに帳面を捲っている。いまも昔もこの人に向かって性器をさらしているかと思うと、未熟な僕は今更ながらに不思議な感慨に浸ってしまう。女将さん、俺はちゃんとやれただろうか?やるべきこと、果たすべきことを全うできましたか?女将さんは大人になった僕を認識している筈だが、なにも言わない。もともと極端に口数の少ない方だったので、僕の方からも敢えて話題を持ち出すこともない。30年前、父親と一緒に股間を露わにしていた僕がいつしか父親になり、今度は自分の息子たちと共に股間を露わにしている。女将さんはすべてを見て、知っている。心底かなわないと思う。数十年間ずっと変わらぬ姿勢でペンを握る女将さんの手許にある帳面、あそこに世界の秘密、いや、もっと言えば「世紀の発見」がしたためられているのではないかと勘繰らせるほどの圧倒的な寡黙。安易に適温を求めてはならない。静寂の裏側で、湯は激しく沸いている。
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もう一件、自分が子どもの頃から足繁く通い、お世話になっていた近所の銭湯、新泉温泉があったのだが、昨年惜しくも閉館してしまった。電気風呂の横に鯉が泳ぐ大きな水槽があって、息子たちも一番のお気に入りだったので、残念で仕方がない。隆盛と没落。この世の均衡が保たれたことなど、かつて一度もなかった筈だ。そもそもフロー(風呂)強者が言うほど簡単に物事が整う訳がない。新泉温泉の最終営業日、もちろん親子で最後の湯に浸かりに行った。しかしそんな日に限って長男がロッカーの鍵を紛失してしまい、浴室や脱衣場を血眼になって探し回るも見つからない。僕ら家族の異変に気がついた店主やその場にいたお客さんも誰が言い出すともなく、一緒になって鍵を探してくれた。床を這いずって探しているうちに銭湯の老朽を伴う歴史が手のひらを通じて伝わってくる。今日限りでもうこの場所には通うことができないことがわかっているので、自ずと込み上げてくるものがあった。鍵は古びた体重計の裏側から発見された。その瞬間、店主以外の全員が全裸のまま快哉を叫びハイタッチした。長男もほっと胸を撫で下ろしていた。これこそが裸の付き合いというものだ。帰り際、息子たちは自分たちで描いた新泉温泉の絵と手紙を店主に手渡した。僕は「実は子どもの頃から通っていたんです」と伝えると店主は「わかってたよ、自転車屋さんのとこの」と言ってくれた。適温を求めてはならない。いつだって現実は血反吐が出るほど残酷だ。それでも僕たちは新泉温泉の湯を忘れない。店主はその日の入浴料を受け取らなかった。
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このように僕個人にとっても銭湯には様々な思い入れがあり、いまでも大好きな場所に変わりはないが、それは昨今のサウナブームとはまったく関係がないし、死んでも「整いました」とか言いたくない。そもそもが自分の性器を他者にさらすことも、他者によってさらされた性器を目の当たりにすることも得意ではない。むしろはっきりと苦手だ。世の男性の数だけ多種多様な性器が存在する。サイズ、形状、カラーバリエーション、味、ニオイ等々、どれをとってもふたつとして同じものがない。股の間にぶら下がっているという設置条件がこれまた滑稽で、あのルックスのあの人にあんな性器が、とか、あのガタイのあの人にあんな性器が……みたいな、得たくもない新規情報が視覚を通して脳内に流し込まれるので、煩わしいことこの上ない。挨拶を交わす程度だった近隣の人々とばったり銭湯で遭遇してしまったら、その日を境にして、顔を合わせるたびに性器が脳裏にチラついてしまう。実際に息子の同級生の父親数名と銭湯でチンコの鉢合わせしてしまったのだが、以降、なかなかパパたちのチンコの造形を払拭できなくなる。これはまさに不慮の追突事故、ごっチンコというやつだ。会社員時代、憧れの上司と出張先で入浴を共にする機会があったのだが、どちらかと言えば華奢に分類されるであろう上司の股間には目を覆いたくなるくらいに巨大なふたつのフグリがblah blah blah、いや垂れ下がっていたのだ。洗髪の際にバスチェアに腰掛けておられたが、信じられないことに巨大すぎるフグリはべちゃりと床に接地していた。以来、上司がどれほどの正論を振りかざそうが、客先でのプレゼン時に切れ味鋭くポインターを振り回そうが、どうしたってスラックスの内側で窒息しかけているであろう巨大なフグリを想起してしまう。程なく僕は退職した。とにかく性器というのにはそこにあるが故に素通りすることが難しく、極めて厄介なシロモノである。それが「ない」ことで逆に「有して」しまう諸問題と真摯に向き合ったOBATA LEOの最新作『目下茫洋』は、数多あるフェミニズム関連のテキストとは一線を画する。あまりにグロテスクでおぞましい、だからこそ美しいなどという常套句を粉砕する「弱さ」に貫かれた思考の遍歴。貫く我々♂ではなく、貫かれる♀の身体から滴る分泌液で書かれた紋様のようで、誌面に一定の形状で留められている訳ではない。読む者の素養に左右されるようにして、その形状は刻一刻と微細に変化するだろう。こちらは無数に排泄するが、あちらはたったひとつで対峙している。なにも戦地は彼の地だけではない。戦場は僕やあなたのすぐそばで、いまもネバっこく股を開けている。
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臍の下に埋め込まれた爆弾を抉りとるための努力を続け��がら、同時にあるのかわからない最終地点に向けて爆弾を運ぶ。本当は抉り取ることはできないとわかっていても、背骨を曲げて運び続けることが、すなわち生きることになっている。『目下茫洋』
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catonoire · 15 days
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琴平町立歴史民俗資料館
こんぴら歌舞伎を観るため香川県琴平町を訪れた折、琴平町立歴史民俗資料館へ足を運んだ。旧金毘羅大芝居(金丸座)の跡地にあり、琴平町やこんぴら歌舞伎の歴史資料を展示している。展示内容は正直なところ雑然とした印象ではあったが、このご時世、歴史資料をちゃんと屋内に保存・展示する姿勢があるだけでも、資料を長らく屋外に放置していたどこぞの自治体などよりよほど立派である……とも言えるかもしれない。こんぴら歌舞伎関連の文物など、ここにしかない資料もたくさんあるはずなので、散逸しないようどうか頑張ってもらいたいと思う。
四国の道はこんぴらさんに通ず。土佐・伊予街道、阿波街道、高松街道、丸亀街道、多度津街道が図示されたパネルは、下のボタンを押すと当該の街道が光るようになっている。
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こんぴらさんへの道に立てられた丁石が奥に展示されている。手前にこんぴら歌舞伎の出演者の名を書いた札や寄せ書き。
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金毘羅行人と呼ばれる天狗の道者。キャプションによれば施米を集めてまわる宗教者とのこと。背中に天狗のお面を背負っている。広重の浮世絵にも描かれているとは知らなかった(下の浮世絵のいちばん左端の人物)。
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昔の道具類など。
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全体的に、こんぴら歌舞伎関連の資料が多い。過去の公演ごとの寄せ書きや着到板が無造作に(ほんとうに無造作に!)並べられている。
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連獅子の絵提灯、勧進帳の絵提灯、中村富十郎の名入りの提灯。
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旧金毘羅大芝居の客席の天井に張られていた花丸絵板。
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役者が空中で演技をするのを宙乗りというが、そのための舞台装置「かけすじ」の仕組み。この展示を見ただけではあまりピンとこなかったが、あとで実際にこんぴら歌舞伎で宙乗りを観て(仕組みがあまりにもおもしろいので役者さんより黒衣さんに目が向いてしまった)、この写真を見直して、ようやくなんとなく少しわかったような気もしないでもない。ともかく図解されているのは良いことである。
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第三回こんぴら歌舞伎のときの舞踊劇「屋敷娘」。筋書(パンフレット)に讃岐うどんの広告があるのがいかにもという感じでよい。
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第一回こんぴら歌舞伎での演目のひとつ、「再桜遇清水(さいかいざくらみそめのきよみず)」の看板絵。清弦と桜姫の物語。中村吉右衛門、澤村宗十郎、澤村藤十郎という、垂涎の座組。
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十七代目中村勘三郎の描いた「三茄子」。
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芝居小屋の構造を写真で紹介。
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金丸座の看板。
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金丸座では富くじが売り出された。富札を売り、当選者に当選金を払い、経費を差し引いた残りが胴元の収入となった由。
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wr16 · 1 year
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23-4-3
「自分は何をやりたいのだろう」と問いかけてみる。
具体的な答えが直ぐには何も浮かばなかったことにとても戸惑った。「健康になりたい」という願いにしても、それそのものが目的ではない。「詩を書き続けたい」ということは、そうであれたら幸せだと思う、一方で、それだけが目的と化したのであれば、そうして書かれたものに、私は価値を見いだせるのだろうか? それでは、今までどうして詩を書いていたのだろう、そして、どうしてそれをまとめ、詩集をつくり、販売する、等という営みをするのだろう? 「表現者になって有名になりたい? 」あわよくばという欲は無いわけではない、けれど、どうせ実現しないだろうと諦めはついている。
「ゆるがないしあわせが ただ ほしいのです」とくるりの歌詞を引いてみると、しっくりとくるような気がする。
その、揺るがない幸せのなかには、お互いの意思によって一緒にいることを選んだ人と家族になること、一緒に支えあって暮らすこと、詩を書き続けること、美しいものに触れること、この社会においてささやかであったとしても確かな生活から生み出された一個人達の切実な表現に触れること、微力であったとしてもその営みの一員であるという自覚をもつこと、その営みをどうすれば支える・援助することができるのか考えること、実際に行動すること、様々な過去や葛藤、憎しみに近いような感情があったとしても何かあったときには肉親を援助する事、などが含まれていて、そのどれが欠けたとしても、それは私にとっての幸せではないのだろう。
先日、就労移行のスタッフの口から出た「今、無理をすれば働けるかもしれないが、そうしていない、そうできないのは、○さんらしい働き方、生活の仕方をしたいという意志が強いからだと思います」 という、その時にはしっくりと来なかった言葉が、こうして自らの望み、願望を書き出して行った時に少し腑におちたように感じる。
なんにしても、生きていく為の生業は必要であって、それでいて生きるために稼ぐことで私の持つ力をすべて使いきってしまうとすればそれは私にとっては生きているとは言えない生活であって。
諸々の金銭的な事や、自らの弱さ、いたらなさを見つめるとき、肩の上に乗っている荷の重さにひしゃげてしまうような感想にいたるが、それは果たして大きすぎる望み、なのだろうか。
この、インターネット上に公開されてある、この日記帳と名づけただけの投稿に、こうして生活のこと、家族のこと、働くこと、病気のこと、諸々を書き連ねてしまうのは、それら全てが創作、詩を書くということと密接に関わっている事であるからだ。書かなくて良いことを書いていてしまうのかも知れないという自覚はある。いつまでモラトリアムを続けているのかと糾弾する声がする。
「無かったことにされたくない」と思っていて、自分なりに書くことをはじめた。それがいつしか、詩と呼ばれるものに近づいて、自らそう呼ぶことになっていった。詩集なのか小説なのかわからなかった冊子を作って、ようやく「詩集です」と差し出すことができるような詩集を作ることができた。尊敬していた絵描きのかたに依頼して表紙を描いて貰った。
the novembersのソングライターでボーカルである小林祐介がベストアルバムのタイミングでそれまで��自らの作品を振り返って書いた文章がとても印象に残っている。その時の切実な叫びが、哲学が、強迫観念が、痛みが、怒りが、欲望が、そのままの形として曲として残っていること、それを書いた主体もそれを受けとるリスナーもその時を追体験できること、そして、「小林祐介」というひとりの個人の考え方、生との向き合いかた、「あなた」との向き合いかた、社会との向き合いかたの変化(成長と言って良いのかも知れない)が、累積していくこと。
藤原基央に、小林祐介に、志磨遼平に、ジョン・レノンに、カートコバーンに、ロックスターに、どうしようもなく憧れながら、僕はそうはなれないだろう事を知っている。けれど、少なくとも僕自身のために、あるいは僕のことを知って、少なからず愛している人のために、こうして残しておく詩が、何かの意味を持つだろう希望に、魔法のような希望を、手放すことはまだできない。
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kennak · 2 years
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「悪の教典」のハスミンが何だ、レクター博士がなんぼのもんじゃいとばかりに 世界を震撼させた怖い怖いママがいたことを皆さんはご存知だろうか。 キャスリーン・ターナーがその輝かしい経歴を自らの手で粉砕した 伝説のカルトコメディの「シリアル・ママ」がついにBlu-ray&DVD化。 これまでVHSでしか発売されていなかったので、Blu-rayはもちろんDVD化も今回が初となる。 良妻賢母を絵に描いたようなベヴァリー(キャスリン)は ルールを破ったら怖いお仕置きをするシリアル・ママだったという設定。 ゴミの分別から、(当時はまだビデオしかなかったため)ビデオレンタルを 巻き戻さずに返しただけでもママのお仕置きは炸裂する。 しかも、車で轢くわ、串刺しにするわ、撲殺するわのやりたい放題。 小鳥をこよなく愛するママは、鶏肉を食したやつすらターゲットにしてしまうのである。 やがてママは逮捕され裁判にかけられるわけだが ここでも証言台に立つ人間を次々と攻撃を加え、やがて・・・というお話。 1994年の作品なので20年(2022年の現在はそろそろ30年)が経過するわけだが、 当時私達の周りでは大変な話題になった。 「まだ見てない奴はとにかく一回『シリアル・ママ』を観ろ」が合言葉ですらあった。 ブラックジョークにも程があると、過激過ぎる演出からDVD化が見送られたのだろうと 思っていたのだが、まさかのBlu-ray&DVDで大復活である。
2022年8月4週発売の新作、INI「Password」、「十二国記」30周年記念ガイドブックなど - 忍之閻魔帳
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moderndays · 5 months
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特別展「やまと絵-受け継がれる王朝の美-」
平成館 特別展示室 2023年10月11日(水) ~ 2023年12月3日(日)
やまと絵とは やまと絵は、中国に由来する唐絵や漢画といった外来美術の理念や技法との交渉を繰り返しながら、独自の発展を遂げてきました。四季の移ろい、月ごとの行事、花鳥・山水やさまざまな物語など、あらゆるテーマが描かれてきました
10~11月と忙しく、閉幕間際に気がつき、慌てて来館。 久しぶりに単眼鏡を使い込んだ。 屏風や掛け軸の細かい人物の動きや着物、描かれた草花を単眼鏡で観察。顔の表情がはっきり見えると、目が合ったようでハッとする。なんだかどこかで会ったような…。 単眼鏡ユーザーもよく見かけたが、双眼鏡持参の方が多いのもうなづける。やまと絵は繊細なのだ。 来館者も多く、列を成してじっくり観ている。美術の教科書で観たような作品や、人気の鳥獣戯画(私が観たときは丁巻だから一般的にはなじみがないかも)・百鬼夜行があったので、注目度が高かったのかもしれない。 美術館は展示順に列に並んで鑑賞するものではなく、好きなところから観ていいというのが、もう少し浸透するといいなと、いつも思う。。
展覧会グッズの鳥獣戯画ぬいぐるみが人気で品切れが起きたと聞き、鑑賞後の楽しみもあった。残念、猫のぬいぐるみは珍しいけど、私の推しキャラは鼻をつまんで川にダイブする兎なのだ。 百鬼夜行の琵琶の妖怪が可愛くて、ブックカバーを購入。読書半ばの文庫本が進められたらいいなと思いつつ。これからは百鬼夜行関連の展示も注目したい。
しっかり観たいなと図録を検討したが、電話帳並みの重さにオンライン購入を考え直し。。。
初めて国立博物館裏手へ。 池と茶室(九条館)。
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正面玄関の真裏にあるバルコニー
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内部の照明はもちろん、作り付けの時計が素敵
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こちらも実は初めて、ランチは併設のレストラン「ホテルオークラ ゆりの木」にて。
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2023/12/2 鑑賞
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chisasarasa · 5 months
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230913
朝、少し早起きできた。 絵をかく。 色えんぴつが楽しい。 絵の具よりもダイレクトに、絵を描いている感じがする。 ひさしぶりに使ったけれど、しっくりと馴染む画材で、さらさらと紙の上を撫でるたび、幼いわたしが呼び起こされる。 あの頃わたし、図書館で借りた色えんぴつの使い方の本を開きながら洋ナシを描いていた。水色の色えんぴつで、影を塗ると急に立体感がうまれて、感動した。夢中だった。 仕事。 げんきー?と尋ねられる。よく、尋ねてくれる。 わたしは、よく、上の空になっているらしい。 ここにいるけれど、意識はここになくて、ここにあるものをみていない、みたいなときがあるけれど、そうか、そういうとき、上の空の人になっているのか。 ファミレスでご飯を食べて、帰る。 ファミレスでの時間はいい時間ではなかった。 いい時間を過ごそうと思うとき、それはなかなかいい時間にはならなくて、わたしが期待しているいい時間って、何だろう。
夜、電気を消さずにねむってしまっていた。
- 230914
昨日、今日は残業だろうな、と思っていた。 わかっていたから、疲弊はしていない。
iPhoneがつまらない。 これまで、iPhoneの画面にしばられたように、いつだって、みていたのに。 ぱた、とやんだ。 『センス・オブ・ワンダー』を読んだ影響かもしれない。 iPhoneの画面に映る画は映えるようにされ、刺激がつよい、ということが妙にしっくりと体感として、腑に落ちたからかもしれない。 どのSNSも得たい情報だけ得ると、もう退屈だった。 その代わり、絵を描いたり、詩を書いたり、本を読んだりすることがずいぶんと魅力的で、そうして、時間をとばしている。
夜、足が重くてだるくて、動くために少しねていた。 それから、歯を磨いて、シャワーを浴びて、髪が乾くのを布団の上で待っていたら、ねていた。 また、電気消せなかった。
-
230915
朝、何度目かのアラームで目覚める。 ベランダの窓はあいているし、向かいの家には響いているだろうな、と思う。ごめんなさい、起きられないんです。 あまり時間はないけれど、冷蔵庫の梨が食べたくて、包丁とまな板。 シャクリ、と齧るとあまい。あまりにもおいしい水で、旨、と言いながら食べた。 アルバイト。 この、ひとり暮らしの日記をまとめたくて、読み返す。 今年の2月、切実だった。この暮らしに対して。 雨。 こんなに雨が降ってくるなんて、知らなかった。 ロングスカート、靴下にサンダル、雨には向いていない格好で、びしょ濡れになりながら本屋へいく。 目に、手に、ときめく本たちがぎゅっとつまっていた。 いつか、ここに置いてもらえるような本を作ろう、と思った。頑張ろう。 雨で重たいスカートをしたがえて、展示をみにいく。 しずかな絵だった。 白を白とするには白じゃない、をおかなきゃいけないんだ。
明日は一歩も外に出ない。
-
230916
朝、夢を見ていた。 赤と青で、これは灰色の中のあめ玉だ、と思っていた。
ばあちゃんにもらった外郎の箱をつかって、メモ帳をつくる。 思い付きでやってみた工夫がうまくいかなかった。紙も薄い。難しい。 けれど、紙がかたちになっていくのは楽しい。 こう、試作を繰り返すうちにわかってくること、たくさんありそう。たくさんつくろう。
夜、料理をしたい気持ちがうまれたけれど、スーパーへいくのがめんどうで、家にあるものでフルグラをつくる。 はちみつを少し入れたり、いつもクランベリーなのをレーズンにしてみたり。 色が秋みたいだった。 まだ食パンが残っているから、明日の朝には食べない。
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ou-dan · 7 months
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呪いを量産している。
紙版『せんせいとぼくと世界の涯』は来週手元に来る予定で、そこから検品・梱包・納品するので通販開始は再来週ぐらいかなと思います。
同人誌作るのが久しぶりなのとページ数が多いので「何回見直しても修正箇所を見つける」を延々繰り返してしまったし、入稿した後もまだなんか見落としてる気がしてるしゲシュタルト崩壊を何度も起こしているので根本的に何かミスってんじゃないか? って不安があって実物が来るのが怖い。
通販開始までには気を取り直して修正版をwebに反映させる作業を終わらせたいです。なんか絵も描き下ろしたいしね。
あと、停滞していたインスタを再稼働させました。
これは『私の身体を探して』の世界観しばりでやっていた「顔だけ描く」ペン画練習帳だったのですが、顔だけだと続かんなーと思ったので、創作メモ的な感じで色々上げていくことにしました。今のところ過去に描いた絵とか落書きとか設定とかの再掲ですがそのうち新しく描いたものも載せていきます。
それにしてもインスタもスパム多いね! Tumblrもたいがいだけど。これはある程度人のいるサービスだともうどうしようもないんだろうな。
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blue-belta · 10 months
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#おやつ絵日記 です。
下描きをしていたものにペンを入れ色を付けました。
ですので、4月のおやつです。
簡単に下描きをしておけば、スキャンを待つ時間でも描けるから。
#成城石井 の #スコーンミックス 。
おいしいんですよね。
この暑さでは、バターが溶けるので作れないけど、4月はいい感じで作れました。
それから、 #飯能 に行ったときいただいた #天覧山珈琲 とクッキー。
#トーベヤンソンあけぼの子どもの森公園 を思い出しながら。
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crydayz · 1 year
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230208 #2
増田を読んであまりの負け犬の多さに気分悪くなるなどした。
絵を描く行為ってコミュニケーションに役立てないなら「コスパ悪すぎる異常行動」だから、社会性高めの「まとも思考」のまま描こうとしても99%描けない。
社会性と常識をある程度棄てないと。
それ棄てずに描けるやつはすっげー暇か、そもそも最初から社会性がない。
絵で食べていくのも軌道乗るまで無理ゲーだし、普通に働きつつ空いた時間で絵を描くのも無理ゲー。
暇じゃないやつが絵を描き続けるには「社会性を棄てて狂う」か「普通に売れる絵描きになる」以外選択肢がない。
親に護られている学生時代は暇なわけだ。だからそのシーズンに絵を描いて巧くなり、学生の時点で仕事もらっちゃえばそのままシームレスに絵を描いて食べていく事があるいはできる。
社会人生活始まっちゃったら、仕事の合間に「SNSに投げて���尊感情満たせるレベルの絵」を描く余裕なんてまず得られない。
そこでAIイラストでござるよ、みたいな話はしない。 めちゃくちゃ嫌われっから、AI使うと。
アスリート気質な絵描き達に。
アスリートじゃないっす・・カジュアルっす・・ って事ならいいけれど。
これ、どういう気分にさせたいエントリー?
まあ、要するにやっぱちゃらっと「狂いましょうよ」と。 狂わず仕事と両立させて趣味絵描けるやつは、レア中のレアですよ、と。 自己管理むっちゃできる秀才君ですよ、と。
むっちゃだらしないダメ人間でも仕事しながら自分が納得できる絵描きたいなら「狂喜」一択。描いてるだけで脳汁吹き出す「ヘンなスイッチ」を見つけなきゃダメ。
僕? いや、まだ見つけられてないや、描く事で気持ちよくなれるスイッチは。 溜まったストレス帳消しにする「お花畑スイッチ」は手に入ったけど。
それを使うと「満遍なく数日なんもできなくなる」から、人間スコア下がっちゃってあんま意味ない。
要するにアルコールや薬品使わず「酩酊できる」程度の能力だから。 何回発動しても内臓に害が無いって点は素晴らしいけどね。 外側に与える印象は酔っ払いと一緒だから、信頼度は減ってしまう。
だからみんな、描いてるだけで脳汁吹き出すヘンなスイッチ、ぜったい見つけようぜ。
僕が酩酊状態をアルコールなしで再現できるようになったのは一生分酒飲んで酔っ払って「酩酊時の心理と脳波をシラフで完全再現できるようになった」から。
だから描くだけで脳汁吹き出すようにするには「絵を描く事ですっごく嬉しくなる体験」を一生分すりゃあいい。
どんなだよ、そりゃ。
うむ。どういう時に「描いてて良かった」と思えるか。それを分析してその報酬をむっちゃ大量に摂取してみると良いんじゃないかな。
大事なのは「描かずに報酬がもらえてしまうルートを見つけない」こと。
それを見つけてしまったら絵はそこにたどり着くための「過程」でしかなくなってしまう。
逆説的に言うと「描かないと大事なものや快楽が全部奪われる脅迫的状況」を作ればよい。
描かないと飯抜き、ネットやっちゃいけない、音楽聴いちゃいけない、つもり貯金1000円しないといけない・・etc
描けば「なけなしの快楽」が手に入る。描かなきゃ人並み以下の生活。
そういう縛りを与える事くらいでしか「快楽と絵を紐づける事」はきっとできない。
他人の絵の良さガンガン吸収して血肉にできるくらいの技量と成長速度身につけるまでは。
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jaguarmen99 · 11 months
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434: 名無し:15/05/12(火) 22:11:10 ID:Ny1三年ほど前の話。趣味で絵を(オタ臭いやつ)描いてネットに公開してるんだけど、「ブログで公開してる自作小説のイメージイラストを描いてほしい」ってメールが届いた。メールにURLも書いてないしどこの中学生だよと思ったけど取りあえずメールアドレスでググってみたらそれらしいブログが出てきた。無視もよくないから一応読んでみたらバイオレンスありの探偵物みたいな小説で意外と骨太な感じ。「ありゃ?おもしろいやん」って思って読み進めてたけど、主人公が自分を襲った刺客と同じ香水を街中で見つけるあたりで「?」ってなって手元の鬼平と見比べてみたら暗剣白梅香の回の固有名詞と一部の表現を変えて現代風にしてるみたいだった。さてはクソオタは池波正太郎なんて知らんと思ってなめてんな、ってちょっとムカついたからさいとう・たかを模写の鬼平イラスト送ってやろうかと思ったけど、相手は子供かも知れないしかわいそうって思い直した。語尾に匂わせる程度にしようって、返信のメールを送った。「お誘いのメール読みました犯科帳。お返事ください」未だに返事はないです。
続・妄想的日常
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sryem · 9 months
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2023年7月18日
・最近は忙しいんだけど、波を乗りこなすサーファーみたいで楽しめている。大学の課題も2つのアルバイトも大変なんだけど、そこに加えて家族・友人・知人と積極的に関わる時間も作っていて、いい忙しさではあるけどあんまり寝る時間が取れなかったりする。本末転倒か?でも絶対後者があるおかげで長く走れてるって思う。結局私は忙しくしていないとだめな人間なのだ。高校のときからずっとそう思ってる。コロナ期間になにもやることがないタイミングが一番苦痛だったし、きっとニートとかできないんだろうなと思う。スケジュール手帳の真っ黒な波、ぶいぶい乗りこなすぜ。
 余談だけど、文章を書くことはどんな状況下でもプライオリティ1位に躍り出得るくらい私にとって重要な行為になっている。睡眠時間なんてドブ川に捨ててもいいって思えるときもある。いつだって今しか書けない文章があって、将来読み返す時それが面白くて仕方ない。あ、ZINE用の写真もちょくちょく撮ってるよ。
・最近はなんか短編をいろいろ読みたいなと思って、村上春樹の短編集をいくつか買った。私は村上春樹がたびたび描く「タフ」という概念が気に入っている。タフ。タフでいたい。
・ある友人が「内定もらった!」というようなツイートをしていて、リプライでお祝いの気持ちを述べた。そしたらしばらくしてその子から、「だいぶ前のことなんだけど、〇〇(私)が私の性格について話してくれた時の言葉のおかげで就活頑張れた!実際に面接で話したこともあって、冗談抜きであの言葉がなかったらやり抜けなかったと思う 本当にありがとう!! 」とDMが来ていた。
 それとは全く別の文脈で、たまたま他の友人(とても綺麗な絵を描く人)が「〇〇(私)に『こうしたらかわいいかな?の感性が鋭い』って言われたのがめちゃ嬉しくてたまに取り出して眺めてしまう」とツイートしていた。
 この2つの出来事のタイミングが重なって、なんか、うわ~~~~ってなった。保護してた野鳥を放した後日、家族らしき鳥を連れて遠くの空を飛んでいる姿を見たときのような気持ち。私があえて友人たちにしてあげられることはほとんどない(むしろそれが友人であるということだと思う)けど、言葉、つまり私の思いそのものを友人たちがまっすぐに受け取ってくれて、大事に持っていてくれて、それが彼女たちを支えていたんだって思うと本当にじんわりと嬉しいし救われる。覚えていてもらえること。去年からずっと私の人生におけるある種の要点。事あるごとにこれに収束していくのを感じる。
・九州でのライブ翌日に九州在住の兄と会う予定を立てている。先日海の日に彼が大阪に遊びに来ていたので会ってきた。「その日は夜しか会えないんだけど宿取ってるの?」って言われたから、「取ってない。でも一緒に飲んでて終電逃したら漫喫でも入るから気にしないで!」って言ったら「宿取りなよ、宿代出そうか?」って言われて、かなり驚いた。彼はその昔意地悪することとかわいがることの境目がないタイプの兄だったのでそれはそれは泣かされたから、妹を普通にかわいがるとかできるんだ~…って大人になってから会うたびに思う。まあ私って素直でかわいい妹だしな。昔からそうだったはずですけど?もしくは夜の街の漫喫にいようとしている妹が心配なのかもしれない。まあ8歳も離れてたらいつまでもガキに見えるだろうしね。
 兄がふたりとも社会人なんだけど、どちらもここ数年サシで会うと必ずご飯をごちそうしてくれるのが嬉しくもありぎこちなくもある。生まれてから今まで共通の親の扶養に入っているという意味で対等な存在だったし、私達に関して言えば精神的にも上下がない関係性を形成している感じがするけど、ふたりは社会人で私はまだ学生というこの数年間だけ金銭的な差が生まれる影響で奢ってくれてて、”先輩”って感じがして面白い。兄妹の関係性で遠慮するとかも変なので、この数年だけは甘えることにしてる。
 そういえば九州で会う兄が「会う日、友達連れてくるかも」って言ってて、会わせてもらえるんだ~って嬉しかった。仕事関係でできた友達を妹に会わせるって結構珍しいじゃないですか?友達女の子らしいし、もしかしたら…って思うけど、あんまりそこは関係なくただただ嬉しい。初めましての人と会うの好きだし。お兄ちゃんの友達ってどんな人なんだろ!友達から見たお兄ちゃんってどんな人なんだろ。
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sasuray · 1 year
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105円の頃に居座ってる。クレカも本棚もロキソニンも無かった頃。早起きしてミスドに通ってポンデ黒糖とコーヒーを頼んで机にクロッキー帳を開いてのんきに絵を描いていた。よく左端に「ミスドでくつろいでいる+3」と小さくハイテックの0.5mmで書いていた。字は突っぱねていて多分私が高校生だったからだろう。数少ない友達も「か」の一画の最後が鎌みたいに突っぱねていた。ただなんとなく見ていた。そういうところを黙って見て何も言えない子供だった。そう思いながら、何も変わらないな。と浮いているちゅうぶらりんな気持ちだった。なんとかしたいなんとかしてくれ。少し息が苦しい気持ちを耐えて夏は日差しにやられたり、冬は手がかじかんだり秋はのっぺりと並木道の落ち葉に馴染むようにしんしんと黙ったり春は静かなようで空気が賑やかに感じで、ああ言えばこう言う。ふらりふらりとさすらいツタヤのワゴンセールの邦画DVDを漁る。薬局に薬を棚卸しをして銀行と花屋の並ぶ道を車で走る最中、車に強盗が入ってくる。脅されて男はとりあえず普通に運転をする。強盗三人組は口喧嘩をしている。その一部になりドライブをする。最後は満更でも無い感じで終わる。エンドロールでおしゃれな曲がかかる、花束がよく出てくる映画。105円の頃はラベルと花の印象がある。そんな私は花言葉に疎い。花は好きだけど。どうしてだか。
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shimanomoyou · 2 years
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この間のトークイベントの時に
お手伝いに一緒にきてた素敵なイラストレーターさんが
トークイベントを見ながら
メモ帳に書いてた落書き
めっちゃ可愛かった◎
こういうところを写真じゃなくて
絵で描くっていうのが
また素敵やわ〜
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