Tumgik
#神バナナ
nagaino · 11 months
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yoooko-o · 1 year
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19/12/2022
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sei5517 · 1 year
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#神社 #Shintoshrine #jinja #大黒天 #Daikokuten #飛行機 #airplane #airplanelovers #Avion #電線 #Electricalcable #Filélectrique #サクラ #Cherryblossom #Sakura #バナナ #Banana (目黒不動尊) https://www.instagram.com/p/Cm5B0kAS47X/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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yoga-onion · 1 year
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Legends and myths about trees
Forest spirits and natives (3)
Menehune - Legendary dwarves who live in the deep forests of Hawaii
Menehune are a mythological race of dwarf people in tradition who are said to live in the deep forests and hidden valleys of the Hawaiian Islands, hidden and far away from human settlements.
The Menehune are described as superb craftspeople. They built temples (heiau), fishponds, roads, canoes, and houses. Some of these structures that Hawaiian folklore attributed to the Menehune still exist. They are said to have lived in Hawaii before settlers arrived from Polynesia many centuries ago. Their favorite food is the maiʻa (banana), and they also like fish. Legend has it that the Menehune appear only during the night hours to build masterpieces. But if they fail to complete their work in the length of the night, they’ll leave it unoccupied. No one but their children and humans connected to them can see the Menehune.
While archaeologists have never found remains of a distinctively small race of ancient people in Hawaii, many think the Menehune legend may well have a basis in fact. In 2003, a species of dwarf human was discovered on the Indonesian island of Flores. Homo floresiensis was only about 1 meter in height and fully bipedal. The skull has human-like teeth with a receding forehead and no chin.
Fossils have been discovered from 38,000 to 18,000 years ago, though archeological evidence suggests it lived on Flores between at least 95,000 and 13,000 years ago. It used stone tools and fire, and hunted pygmy elephants, Komodo dragons, and the giant rats found on Flores. Its discoverers believe that h. floresiensis is a dwarf form of Homo erectus. It is not uncommon for dwarf forms of large mammals to evolve on islands. Modern humans arrived on Flores between 55,000 and 35,000 years ago, and presumably interacted with h. floresiensis (Refrence: “The Three Menehune of Ainahou (Maui)” by Charles Kauluwehi Maxwell Sr).
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木にまつわる伝説・神話
森の精霊たちと原住民 (3)
メネフネ 〜 ハワイの深い森に住む伝説の小人族
メネフネとは、ハワイに伝わる神話上の小人族で、ハワイ諸島の深い森や隠れた谷に住み、人里から遠く離れたところに住んでいると言われている。
メネフネ族は、優れた職人で、神殿 (ハワイ語:ヘイアウ)、養魚池 (メネフネ養魚池)、道路、カヌー、家などを建設した。ハワイの民間伝承では、メネフネのものとされるこれらの建造物は、今でもいくつか残っている。彼らは、何世紀も前にポリネシアから入植者たちがやってくる以前からハワイに住んでいたと言われている。好物はバナナ (ハワイ語: マイア) で、魚も好物である。伝説によると、メネフネたちは夜の間だけ現れ、傑作を作り上げると言われている。しかし、夜の長さの中で作品を完成させることができなければ、その作品は無人のまま放置される。彼らの子供と彼らにつながることが出来る人間以外には、メネフネを見ることはできない。
ハワイでは、考古学者が小人類の遺跡を発見したことはないが、メネフネ伝説には根拠があると考える人は多い。2003年、インドネシアのフローレス島で、小人の一種が発見された。ホモ・フロレシエンシスは、身長が1メートルほどしかなく、完全な二足歩行であった。頭蓋骨には人間のような歯があり、額は後退し、顎はない。
3万8000年前から1万8000年前の化石が発見されているが、考古学的な証拠から、少なくとも9万5000年前から1万3000年前まではフローレス島に住んでいたと考えられている。石器や火を使い、ボルネオ象やコモドドラゴン、フローレス島に生息する巨大ネズミを狩っていた。発見者たちは、ホモ・エレクトスの小人型であると信じている。大型哺乳類の矮小型が島で進化するのは珍しいことではない。現生人類は、5万5千年前から3万5千年前の間にフローレス島に到着し、ホモ・エレクトスと交流があったと推定される (参考文献: チャールズ・クルウェヒ・マックスウェル・シニア著「アイナホウ(マウイ島)の3人のメネフネ」より)。
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benimadonna · 2 months
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どうも昔からお腹がはりやすい。
大学生の頃までは食べたら出す、てな感じのうんち製造機みたいな体をしてたが、会社員になってから便秘がちになった。妹がよく浣腸していて便秘の苦しみがわからなかったからよく浣腸ネタでいじってたが、自分が浣腸のお世話になるとは思わなかった。知らぬ間にお腹も張るようになった。だんなさんに腹を触られて、カチカチでかわいそうだと言われては、よくマッサージしてくれた。そのマッサージも時計回りではなく逆方向だったと気づいたときには失神しかけたな…無知はこわい。
ともあれ今では筋金入りのハリ腹になってしまった。
いろいろ考えて沢山の商品や行動を実践し、回り道しながらも知識を蓄えて、今では小腸の消化吸収に原因があるやろうなというとこまで見解が出た。昔から胃腸が悪いし消化が遅い。でも小腸にクローズアップするまでに時間がかかった。コマーシャルでは大腸のイラストを使ってるものが多いし、ヨーグルトや牛乳はお腹にいいよ、と好きなタレントが言うもんだから意識を刷り込まれていた。
発酵も自分には合わないものがたくさんあるし、乳酸菌も実は自分の体質的に合わないものが多い。小麦をやめたいがなかなかパンがやめられない。特に出勤前、時間がないからパン焼いて食べる、早食いになる。ここをたとえば味噌汁とごはんにしてみるとか。とにかく小麦は私の体に害だ。我慢したら思い切り改善するのはわかっているから、あとは意思を強く持てばいいのだ。でも小麦が大好きすぎる。。とりあえず引き続き、低FODMAP食を意識して取り入れよう。
ちょいびっくりしたのは毎日たべてるりんごが高FODMAP食!バナナに切り替えよ��、、、
後は最近実践してるのは血圧を考えて、キャベツの千切りとブロッコリーを食べること。会社近くの八百屋でお得意様になりつつある。100円ショップで買った、キャベツ千切りピーラーで、ふわふわの千切りもきれいに切れるようになってきたから、いつトンカツ屋でアルバイトしてもいい状態だ。ケルセチン豊富なタマネギの皮茶も粉末を溶かし飲んでいる。
2024年の腸内細菌向上計画は果たしてどうなるやら。
そういえば昔肌の常在菌モニターをしたことがあったが私の肌は善玉菌が多すぎるらしい。
やはり肌でも腸でも、7対3対1の常在菌バランスは必要だな。
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chikuri · 7 months
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自認女子スポーツ選手 : 2024年のパリ五輪にはアメリカ女子選手団にヒゲモジャの自認女子がワンサカ参加し、金メダルを総なめする(最新情報は要確認) 自認難民 : その個人が難民と自覚しているから日本は認めろ(立憲、社民の主張)! 自認慰安婦、自認徴用工 : 一昨日、自認慰安婦が死亡したとの報道に接した、来世で慰安婦に戻らないと祈る。 足立区議白石氏は「LGBTだらけになったら足立区は滅びる」と2020年定例議会で発言した。 彼は大きな間違いを犯した、滅ぶのは足立区ではない、日本。 まだまだでてくる ; 自認困窮者 : 生活に困っているから生活保護を即座に認めろ! 自認障害者 : 見た目は正常だが深刻な障害を抱えていると自認している、すぐに障害年金を払え!(障害基礎年金は支払い開始年齢に届かなくても支払われる) 自認セクハラ被害者 : 相手がたとえ否定しようが私本人が自認しているから賠償金を支払え!(パワハラ、痴漢についても同様) 自認医師 : 国家試験など意味がない、医師として自認しているから患者から金取れる(看護師なども同じ) 自認伝道師 : 壺1000万円で幸福が買えれば安い買い物ですよ、奥さん。 自認あかちゃん : 通りすがりのハクい若年増に「僕は君のあかちゃん」おっぱい吸わせて。断るのはあかちゃん差別だ。 自認夫 : やはり通りすがり若年増に「僕は君の夫だ、夫婦愛をいますぐ確かめよう」 自認亡者 : お巡りさん、僕は死んでいると自認した、逮捕は無効です。 とっておき 自認猿 :君のバナナくれない、僕は猿なのだ。相手「君は自認猿だったのか、本物猿と勘違いしていた」
ソフト・オン・クライムとLGBTQ 補記の下 自認で決める危うさ - 蕃神義雄 部族民通信
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oka-akina · 9 months
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文学フリマ大阪
9/10文フリ大阪に行ってきました。出店はせず買い物だけ。出店は何度もしているんだけど一般参加って初めてだったので感じたことなどのメモです。 8月にコロナに感染してしばらく寝込んでいたので(まともに動けるまで結局3週間ちょっとかかった)、なんとなくリハビリのような旅行だった。とにかく体力が落ちていたので、あまりたくさんは動き回れず。前日に一泊し、文フリ当日は夜行列車(サンライズ瀬戸)で帰ってきた。すごくカラフルで楽しい時間だったので、旅行のいろいろはコピー本にでもまとめたいなー。
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(これは泊まったホテルの部屋。あんまりじょうずに撮れなかった。そもそも今回の旅行はあんまり写真撮らなかったかも)
文フリ大阪所感
・14時ごろ到着。人は多いけどそこまで混雑している感じではなかった。谷町線からOMMビルに上がって、なんとなくそれらしい人びとの後ろをついて行くと会場があった(ポスターとか看板はわかんなかった)。
・開催時間は11:00-17:00。14時からでも3時間あるのでゆっくり見て回れるだろうと思ったけどなかなかそうでもなかった。すごい当たり前なんだけど、本持って歩くと疲れるね…。
・見本誌コーナーに行ってみた。ふだん本置いて回収するだけなので新鮮。 出店者側のときは、表紙(表1)に見本誌票貼るのどーしてもイヤだったんだけど(見せたいものを隠しちゃうのが耐えられない)、見本誌を読む側からするとべつに気にならないな…と思った(隠れていても全体像はわかる、そりゃそう)。 そして思ったより見本誌の数は少ない印象。置いてない人も多いのかも。
・見本誌をいろいろ読んで、前書きとか後書きとかある同人誌やっぱいいな〜と思った。知らない人がこんなことを考えている、こういうわけでこの本を作ったという打ち明け話はやはり面白い。作品世界になかなか入っていけなくてもとりあえず後書きを読んでみて興味をひかれたり…というのはあった。 あとアンソロはどっかにコンセプトが書いてあると伝わりやすいかも。でもべつに書いてなくても読むときは読む。
・会場内に休憩スペースはなかったと思う(アンケート記入用の机椅子はあった)。 別フロアにカフェとかあるんだけど、疲れていたのでそこへ移動する気力がなく、疲れているのにずっとうろうろしてしまう…という意味わからんムーブをしてしまった(一般参加初心者すぎる)。
・同じフロアの屋外デッキ(川が見える)に出て、窓枠に座ってちょっと休憩した。同じような人けっこういた。
・14時だと完売している本も多かったけど、現地で完売するような本って通販や書店委託等なんらか別の入手手段がある気がする…のであんま焦んなくてもいい気がしている(コピー本とかは売り切っておしまいかもだけど)。
・書店で売っている本はわざわざ文フリでは買わないかな〜と思ってるけど(ここの書店で買いたいとかhontoのポイント使いたいとかもあって)、やっぱ買った本もあるな…。結局のところ気まぐれかもしれない。
・「書店で売っている本」が増えていたり、紙や印刷代の高騰だったりで、本一冊の値段は全体的に上がっている印象。何冊でも買う!何キロ買った!みたいな人も以前より少ないんじゃないかな(本をキロで表すのあんま好きじゃないけど)。
・アンソロや合同誌だとボリュームゾーンは1300円〜2000円くらい? 1000円ぴったりも多かったかな。 これはせっかくアンソロやるなら装丁のしっかりしたものをそれなりの厚みで作りたい、特別な一冊にしたいといった熱量かなーと思う。 コロナ禍初期、イベントの開催や参加が不安定だったので通販や独立系書店への委託に力を入れた人も多かったと思うけど、そういう流れからか、造りのしっかりした本が増えているように思う。通販するならあんまり小さい薄い本だと送料もったいないし、書店に置いたときに見劣りしない・埋もれないような本にしたいし…とか?
・ただシェア型書店とか私設図書館とかやっている実感としては、装丁がんばらないとだめとも限らない気がしている。これは装丁のよさに関わらず中身のいいものは売れますよというわけではなくて、またきれいな本はかえって埋もれるみたいなのともちがって、「読まれる」(≠売れる)はいろんな気まぐれの重なりあいであってなんでっていうのはよくわかんない…ということ。
・ぜったい通販とかなさそうなコピー本を事前情報ゼロであれこれ手に取るの楽しかった。やっぱそういうの大事だしイベントの醍醐味だよな〜と思った。
・スペース前に人が滞留しちゃう問題。島と島のあいだの通路はかなり狭いところがあるので、場所によってはかなり気になる。通れないなーって場所は無言で諦めた感じ。この滞留は、最後尾こちらです的な列というよりは知り合いやサークルメンバーがワイワイしてる感じだったかな(わたしが行ったの午後だったので)。会話に夢中になって気づいていないのかも。わたしもぜったいやらかさないという自信はないので気をつけよ…と思った。
・1スペース長机半分(90cm)なので、人間が2人横に並んだらだいたいはみでると思う。
・だから出店してるとけっこうおたがいさまだなって思うんだけど、隣がすげー売れてて自分がそうでもないと一方的に損させられてる感みたいなのはあるかもね。知り合いがいたら隣接で申し込むのが精神衛生上いいのかも。
・ずっと同じことしゃべりつづける呼び込みはわたしも苦手。圧がすごくてその一帯がお客さんから避けられちゃうとかあるので近くの出店者はストレスだよね…。ほかのイベントで呼び込みうるさいって話あんまり聞かない気がするんだけど文フリ特有なんだろうか。
・「無料で試し読みしていただけまーす!」って繰り返し呼びかけている人いたけど、試し読みが有料のほうがめずらしくない…???
・以前わたしも、隣がバナナの叩き売りみたいな感じでずーーーっと呼び込みしつづけていたことがあって(しかもけっこう噛む)、これは耐えられんと思ってがんばって声かけてみたけどはっきりうるせえとは言えなかった(「もしかして寅さんとかお好きなんです?」としか言えず、「は?」って顔された)。
・呼び込みしまくって本が売れるわけではないと思うんだけど、まー不安なんだろうな。黙って座っているのがその人には耐え難くて、しゃべりつづけてないと怖いのかも。あるいはしゃべり続けることがこの人にとってのイベントの楽しみ方というか。
・まー次回うるせえなって思ったら「うるさいですよ笑」って言ってみるようにするね…。そちらとこちらの快不快が衝突するのはある程度しょうがないので、今度はそちらが「呼び込みしたいのに迷惑って言われた!」って愚痴りな〜。
・作品を眺めているときに声かけられるのは迷惑とは思わない。わたしが図太いだけかもだけど、へーって聞いて買わずに去るとか試し読みだけするとかぜんぜんある。 ただまあ要するにコミュニケーションの話なので、会話があんまり噛み合わないことはある。「●●●●(その同人誌のタイトル)にご興味ありますか?」って聞かれて「???(初見なのでわかりません…)」ってなったり。
・通りすがりの人みんなに渡しているペーパー的なのも、個人的にはちょっとうっとうしい。だいたい断ってしまう。わかんないけど、せっかくイベントに来たからには自分で探して見つけた、手に取ったっていう体験を欲している気がするので、手当たり次第に配られたものってちょっとちがうような気がしているというか。わがままかもだけど。またふだんの生活で「チラシ配り=不要、受け取らない」っていう反応が自分の中にできあがっちゃってるのもあるかも。
・でも疲れてくるとなんでも受け取ってしまう。大学の新歓みたいに次から次へ、付近の人から渡される。そしてせっかくだからと目を通し、気になって通販したものもあるので出会いのきっかけになることはあるっちゃあるな〜と思った。
・出店者&来場者アンケート。パンフレットに挟まってるんだけど、今回初めてちゃんと目を通した。「あなたの年齢と性別(性自認)」って項目にぎょっとした。 その他・答えたくないという欄があって、まあ男女二択よりはいいと思うけど、そもそも同人誌の売り買いの場で性別を尋ねる必要なくない…? それを集計して何に使うんだろう。べつに何も分析したりしない(できない)だろうし、意味ない項目は作らない方がいいと思う。
・で、直接言ったろうかと思ったんだけど(アンケート提出した人にはステッカープレゼントと書いてあったので誰かスタッフの人がいるんだろうと)、回収ボックスんとこ行ったら事務局の人(代表?)が疲れ切った感じで座っていて気づいてもらえなかった。
・ブース番号と「#文学フリマで買った本」とハッシュタグが書いてある紙が全ブースに共通で配られていたようで、机に貼っている人多かった。うろうろしているときにここはどこだかわかりやすかった。 けど、なんかこう統一フォーマットってあんま好きじゃないな〜とは思った。わたしがひねくれてるだけかもだけど統一したものを貼るくらいならみんなで迷子になるほうがよい…(といいつつすごい格好よく作ってあれば使いたくなるとは思うんだけど)。
・あとこの紙、ブース番号と出店者名のうしろにハッシュタグが書いてあるので、これだと「A-××のザネリさんが今日買った一冊はこれです」って感じに見えない…? あーーごめん、そうじゃないです、「買った本をSNSにアップするときはこのタグを推奨しています」って意味だとは、さすがにわかってます。このハッシュタグを使えって各ブースで訴えてるのがうっとうしいわと言いたかった。わたしがひねくれてるだけかもしんないけどそんならこのタグではつぶやかないでおこ〜とか思ってしまった。
・なんかいやなことばっか書いちゃうけどちゃんと楽しかった。以前アルファツイッタラーみたいな人が「文フリってブースも本もぜんぶ同じに見えちゃう」みたいなこと言ってたけど、ぜんぜんそんなことないな。 規模が大きくなってイベントの雰囲気が変わったという声はしばしば耳にするんだけど、いろんな本がそれぞれに存在している豊かさにやはり打たれる。まあわたしは参加歴がさほど長いわけではないからよくわかってないだけかもだけど。でもこんなにたくさんあるんだって途方もなさに圧倒されるし、うれしくなる。 そしてこんなにたくさんあるんだから自分が書く必要はない…みたいに思うことってわたしはあんまりなくて、これだけたくさんいろいろあるんだからわたしのも混ざっているのが自然だよなーって思う(すごい前向きみたいだけど)。
・ただまあ一度にたくさんの本を見る&うろうろして疲れるので、手に取った本をちょっとめくって読んでみようとしてもうまくチューニングを合わせられないとかはあるかも。手に取る気力もなくなっていく。なのでイベントじゃない場所で出会ったらもっと読みたくなったかもなーみたいなことは思う。そういうのも含めてめぐりあわせだとは思うんだけど。
・そして本を買うお金・読む時間には限りがあるので(もちろんいくら積読してもいいのは当然だけど、買われた本は読まれてほしい、やはり)、一回の出店者数・来場者数が増えていくことを素朴に喜び続けていいのかはちょっとわからない。収入が上がっていかないのに本の値段は上がっているので(傾向として)、「気になったらとりあえず買ってみる」という感じでもないし。そもそも文章の同人誌は漫画の同人誌より読むのに時間がかかるので、時間の奪い合いみたいなことも思う。 (なので作品を読んでもらえると、あなたのお金や時間をわたしの小説に使ってくれたのかと驚くし、本当にうれしく思う)
・ただなんていうの、自分含め以前から出店していた人がイベントの拡大にうーんとなっていると(うーんとなっている姿ばかり目立つと)、新たに始めたい人の邪魔をしちゃってないかなーと不安にはなる。早い者勝ち?っぽい感じになるのもなんかちがう気がするし。大規模���ベントへの参加を減らして(ペースを落として)、小さめのにちょこちょこ出店するとか…などちょっと考え中。
・本を買うとき、なんか照れちゃってぜんぜん名乗れなかった(ときどき気づいてくださる方もいた)。 せっかく来たんだからあいさつくらいしよう、本の感想も言いたいしがんばって名乗ろう!と途中ちょっとやってみたんだけど、慣れないことをするからかなんかへんなテンションになった。。。立ち話が苦手なタイプ。。。(2、3人であまり目をあわせず2時間くらいしゃべるとやっとリラックスできる)
・本買うだけでテンションが乱高下してるんだから、出店者は相当気疲れするように思う。なんかへんなこと言ったりやったりしていても、あー疲れてるんだろうな、いっぱいいっぱいなんだろうなっておたがいなんとなく察せたらいいね…。
・あと自分が出店しているときは、ちらっと遊びに来るだけ、無配もらいに来てくれるだけでもほんとにうれしいんだけど(顔見せに来てくれるのがうれしい)、買う側になるとけっこう遠慮しちゃうね。 とくにほかのイベントや通販ですでに本は買っていて…という方のところはじゃましちゃ悪いかなーと思って行けなかった。ささっとあいさつだけしに行けばよかったかな〜とかとても後悔している。
・本の感想。せっかくお会いしたんだから伝えたい…!と思ったんだけど、これよかったですくらいしか言えず。へとへとに疲れていたのもあるんだけど総じて会話がへたくそだったなー。
・で、終わった後ごはん食べたら急にめちゃめちゃ元気になった。元気になったことがうれしくて「花びんの水を替えたお花のようにシャキッとしました」って自分のことを花束にたとえてしまったり、どうした?って勢いでしゃべり散らかしてしまったり…それはそれでとても反省。
長くなったので買った本の話はまた別途。イベント以外の楽しかったもろもろ(観覧車乗ったりサンライズ瀬戸に乗ったり)はまたコピ本にでもします〜。
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kennak · 4 months
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12日 月曜日 祝日だったので家族と過ごす。 夜はポッドキャストの収録。 なんとなく喉に違和感があり収録中に咳払いが多い。マンガ「この世界の片隅に」を読んで寝る。 13日 火曜日 朝から10kmくらい走ってから仕事、喉に違和感が続く。 なんとなくだるいので熱を計ってみるが平熱。 午後に長丁場のミーティングがあり喉の違和感が増す。 調べ物をする必要もあるがなかなか集中できない。 もしもの事を考えポッドキャストの編集を早め済ませ、アニメ映画「この世界の片隅に」を見て寝る。 14日 水曜日 体調が悪いので走るのはお休み。 ちょっと遅めに仕事をはじめるも、ミーティング中に倦怠感がひどくなり全然集中できない。 検温しても平熱だけど悪寒がするので横になる。 このあたりで何かしらの感染症を疑いはじめ、隔離と消毒をはじめる。 仕事は無理っぽいのでその旨を各所に連絡し横になる。起きてみると悪寒は無くなっているが関節が痛む。検温すると38.5度。ゼリー飲料と水分を補給してとにかく寝る。 20時頃にカロリーメイトやゼリー飲料、いちご、バナナ、ヨーグルトを食べて寝る。病気になったらとにかく食べられるだけ食べて寝られるだけ寝るという考えを持っている。 22時半過ぎ、熱は37度台まで下がるが倦怠感があるのでそのまま就寝。戦争の夢を見てうなされる。 15日 木曜日 朝6時。熱は36.5度。目立った症状はないが倦怠感だけは残る。旅の疲れが一気に出たのかと思い、無理はせず休むことに。 11時頃、念の為と抗原検査キットで試験したところ陽性。説明書には15分の様子を見るようにとあったが、1分もしないうちに濃いラインが出たので驚く。 近所の内科医院に連絡して外来へ。抗ウイルス剤(ラゲブリオ)と咳と痰の薬を処方してもらう。 抗ウイルス剤は自己負担で9,000円かかるため、ほぼ症状がない自分には必要ないとも思ったが、体内のウイルス量が減れば家庭内感染のリスクも減るだろうと言う。 仮にこれ以上家に感染者が増えると余裕で9,000円以上の経済的ダメージがあるだろうと考えて、咳や痰を軽減する薬と一緒に処方してもらう。 16日 金曜日 だいぶ回復したので様子を見ながら仕事。 食事も普通に取れる。味覚や嗅覚にも特に異常はない。 17日 土曜日 隔離生活がつづく。 これも養生だと思ってダラダラと過ごす。 しかしあまりに精神的苦痛を感じるのでやむをえず厳重に感染対策をして少し散歩。春の陽気を感じる。 YAPCの日記をようやく書き終えて投稿する。明日は京都マラソンか。 18日 日曜日 午前中は日記のデザインを整えたり、少し仕事をしたり。 積読をパラパラとめくってみるがあまり気分がのらない。 家事もできずに引きこもっているとだんだんと引け目を感じる。 精神的に参ってくるのでやむをえず午後に散歩。 京都マラソンの後片付けを眺める。 19日 月曜日 今日1日を家で過ごせば、5類感染症移行後の「外出を控えることが推奨される期間」が終わる。 以前から楽しみにしていた子供の学校の行事の日だけど、室内の行事であることを考えても今回は参加を見合わせるしかない。とにかくこの行事に参加できないことだけが悲しい。 今回の感染はごくごく軽い症状だけで助かったが、振り返ってみると火曜日に10km走るのやめて早く寝ておけば、もしかして発症を抑え込めたのではないかとばかり考えてしまう。
COVID-19 日記 - んっき
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newpntls-island · 1 month
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https://music.apple.com/jp/album/lucky-girl-syndrome/1736730528?i=1736730661&l=en-US
Sunday,May5
起きてからベッドの中で一時間近くだらだらしていた。Over the Sun聴きながら準備。辛ラーメンが完食できなくなってきた。辛ラーメン、キムチ、豆腐、納豆ばかり食べていたここ数ヶ月の生活も終わりかもしれない。飽きてきた。ILLIT聴いてたら楽しくなった。最近は韓国アイドルがこのままならない生活の中でも確かに存在してくれてる事実に目の前が明るくなったりする、本当に不思議な気持ち。アイドルの捉え方として正しすぎるような気がする。電車の中でIUやRed Velvetを聴いて、ひとり平成初期韓国アイドルパラダイス。中学生の時の1D、ジャニーズ、西野カナ、BIGBANGが好きだった同じグループにいた女の子たちはみんなどこに行ってしまったんだろう?今何をしてるんだろう。あの子達と一緒に自習時間に好きなアーティストのロゴを下書きに油性ペンで書いてたあの日から、わたしはだいぶ一人で遠くまで来てしまったような気がする。真昼の各駅停車の埼京線は色んなことを思い出してしまう。全部地続きに繋がってきた、繋がっているなんて信じられない日がある。わたしは初めからここでこうやっていたようだ。またどこか遠くの街に逃げてしまったら同じことをこうやって無責任に考えるんだろう。今まで通りいられるとは思ってないけど、友達ではい続けたいよ、あなたは勝手にどこかに消えようとしてるんだろうけど、と言われた昨日のことを思い出す。職場で久しぶりのバイトの女の子に会って、何回も手を振り合っていた。喫煙者のお兄さんはデスクが目の前に移動になって、人の少ない日の職場ではずっと軽口を叩いている。歳の近いお姉さんともだいぶ砕けて話すようになった。ぼーっとしていたら仕事は終わった。ぼーっとしていたらいつの間にか最寄りだった。シャムキャッツの魔法の絨毯を聴いて、何もかもにぼーっとしてしまう。銭湯の前で煙草を吸ってスーパーに寄って、サラダを作って食べた。夜は長いのに会いたい人達に会うのは容易くない。会いたい人達の気持ちも自分の気持ちも分からない、本当に会いたいのかも分からない。今日はなんだかもう眠い。窓を開けていたら入ってくる風が気持ちいい。皿を洗ってお風呂に入らないと。バナナ切って蜂蜜ヨーグルトに混ぜた。
P.S. 💌
適当に聴いてたpodcastにSWIMMERのデザイナーの人が出てきてて、その後通販サイトを見た。天神のパルコのエスカレーターを上がったところにあるあのおもちゃみたいな店、吹奏楽部で同じパートだった可愛い物が好きな可愛い子が好きだったあの店。仲良い子と簡単にお揃いが手に入る場所だった。SWIMMERの珠暖簾が欲しくなった。珠暖簾ってこんなに膨大なインターネットの中でもなかなか見つからないね。心にガーリーを灯してたい、ずっと可愛い物に囲まれて暮らしていたい。わたしは背伸びしないでも大丈夫だよ、と言われる場所を求めてるんだと思う。
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alaephoenicis · 10 months
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「答えは愛」
「で、質問は何でしたっけ?」
Dr. アリーナ・レセニヒによるインタビュー
ゲスト:サンユ
オリジナル動画:https://youtu.be/ZJSXAyWoPw8
【和訳】 ALAE PHOENICIS by Telegram
サンユとは
Dr.アリーナ・レセニヒが「サンユ」を紹介:
サンユは私にとってとても特別な人。4年半前に出会ってから、私の人生はとてつもなく変化し、良い意味でひっくり返りました。それ以来彼女と共に歩んでいます。あらゆるレベルでの学びがあり、それまでの人生では想像も出来なかったことを実行できるようになりました。今やれていることは以前はとても出来ませんでした。私はとても怖がりな人間だったからです。特別な時代に、流れに逆らって泳ぎ、自分の顔を公に晒して啓蒙活動をし、多くの逆風を受けて…それでもって、結構楽しくしていられるなんて…誰も信じなかったでしょう。きっと叫びながら逃げ去っていました。
そして、考えたこともなかったような新たな人生の基準も得ました。
人との付き合い方や、自己表現の仕方はとても自由になり、彼女のおかげで濃い喜びを感じるようになったことで、人生が良きように代わりました。
本日、私のスピリチュアルな師であり、愛する友人であるサンユが来てくれてとても嬉しいです。
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アリーナ:こんにちは、チョコ・マウス(笑)
サンユ:こんにちは、愛すべき人(笑)
アリーナ:来てくれてありがとう。彼女には大方50回ぐらいお願いしたのよ、私の公開インタビューに来て「愛」と言うテーマについて語って欲しいって。だって、それがサンユ自身であり、サンユが人生で体現していることであり、彼女を構成するすべてを表現しているから。
彼女は常に断っていたのだけど、あるとき私は彼女が弱気になった瞬間を捉えたわけ。とっても嬉しいわ。でも、エンジェル、どうしてこんなに時間がかかったの?
サンユ:…愛とは、永遠から来ているもの。言語とは、限られたツール。ということは、何かを言葉にする度に、私は「これは完全ではない、何かが違う」と感じる。それは「大海を風呂桶に流し入れる」ような感覚がする。そして…(口ごもって)
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サンユ:それに...言語は、「味」を伝えることが出来ない。もし、私が今、あなたの知らないインドの果物の味を教えたくて、「想像してみてね、噛み心地はデーツとバナナを合わせたような感じで、甘みはラズベリーとキウイとパイナップル、でもそれほどジューシーではない」って描写するとします。…どれぐらい時間が掛かる?
アリーナ:決して無理な話ね。
サンユ:もし、果物の味さえも伝えることが出来ないならば、「たったひとつの味」をどうやって伝えられる?
一方で、言語はガイドにもなる。あなたが「塀を作りたいのだけど、どうすればいい?」と尋ねてきたとすると、「石、次に粘土、石、粘土…これを積んでいけば?」って伝えて、何が起こるか見てみましょう、となる。ここで私がどう思うのかはどうでもいいの。あなたが私を信じようが信じまいが、どうでもいい。要は、あなたが「この体験」に心を開けるのかどうか。そして、単純にまる一日、石と粘土を交互に積み上げてみれば、出来上がったものと「塀」とに結びつきを見つけられるのかどうか、あなたが自分自身のために知ることができる。こうして、「言語」は道標にはなる。
そうやって、あなたは私が弱気になる瞬間を捉えたわけ。
アリーナ:なんて、素敵!
でも…「愛」とはあなたにとって何なの?「とても言葉には出来ない」っていっているのはわかったけれど、それでも言葉にしてみようとするならば、どのように描写する?どういう意味で言っている?
サンユ:私のいう「愛」とは、二人の人間がお互いに「愛している」といい、それと同時に「他の人は愛していない、もしくはより少なく愛情を感じている、もしくは別の種類の愛情である」ということを示唆するものではないわ。私が話そうとしている「愛」とは、そういうジャンルのものではなく…
アリーナ:でもそれが、殆どの人が「愛」だと思っていることでしょ?
サンユ:そう。その通り。
私の云う愛は、ある種の、深くて普遍的な真実で、それは私たちの心の器の底の方に眠っている。そして、一つ一つの心は、巨大なダイヤモンドの一側面であり、神聖さを映している。すべての側面(ファセット)は、その神聖さを自分なりに映し出し、その他のあらゆる心を同じように照らす。なぜなら、それらも「自分なりの神聖さ」を映し出しているから。
つまり、私の云う「深い愛」とは、ひとつには「創造物全体の中に在る意識はたったひとつ、唯一の愛流である」ということ。そして私たちはこの愛を源泉として湧き出ているということ。愛という根源が私たちを織りなしてる物質。それが、私たちをここに生み出した意図だということ。
創造物は全体でひとつをなしており、人は誰でも、その「唯一の光」から生まれ出た。
私たちの身体は個性という差異のある世界に生まれ、その物質的なレベルにおいては多様性という原理がある。しかし、その物質的レベルの背後には、非物質的なもの、スピリチュアルなものがある。そして、そこにはこの、たったひとつの流れしか無い。
そして、ふたつ目の秘密。これは誰でも、望みさえすれば自分の中に発見できる。それは、私たちが永遠の存在だということ。生み出されたこともなく、死ぬこともない。私たちはスピリチュアルな精神的存在で、人間的な体験というのを80年とか90年間ぐらいをこの身体の中味わう。そして、身体が亡くなっても、私たちは未だそこに在る。つまり、私たちは永遠なる意識体として、時間制限付きで人間としての経験をしている存在だということ。
アリーナ:OK。ご説明ありがとう。でもね…
それは私たちが日常体験していることではないわ。だって、私たちはお互いに別々の存在としての体験をしている。分離され、孤立し、殆どの他人のことはどうでも良くて…なぜ、そうなのかしら?
サンユ:私たちにはある種の社会的に導入された催眠、心理的条件付けが施されている。「私は私の身体であり、私のマインドが考えているものであり、自分の過去を合計したものである」、そのように教育されている。いわゆる「ボディ=マインド・アイデンティティ」と呼ばれるもの。それはとても精鋭な輪郭を持っていて、形があり、顔があり、名前がある。「ここに居る私以外は、その他の世界」だと思っている。それを私は「分離のアイデンティティ」と呼んでいる。
エゴとはEGO - edged God out - つまり、普遍的な宇宙意識は自意識から追い出されている。まるでメルヘンにあるように、偽の王様(EGO)が王座に座り、本物の王様が追放されている状態。
アインシュタインは、こうして私たちが互いに分離していると思い込んでいることを「意識の視覚的錯覚」と呼んだ。
アリーナ:そうね… では何故、EGOと同一視するのをやめて「愛の意識」の中で生きることが大事なのかしら?
サンユ:量子物理学、そして古き叡智によると、私たちは自らの精神を以て、その現実・人生・世界を創造しているとのこと。イエス・キリストは「汝の信じる通りのことが、汝に起こる」「汝が考えるものに、汝はなるだろう」といった。
量子力学は「あなたの思考が、あなたの現実を創る」とした。
一日に、6万の思考がマインドに入ってくる。天才と統合失調症の人には一日8万にまで至ることも。
つまりそれは、まるで宇宙飛行士のヘルメットをかぶっているような感じで、その中では6万の思考が軌道に乗ってヒューヒュー飛び回っているようなもの。私たちは自己解釈の世界にいる、(頭を指して)これはストーリーテラーなわけ。これは毎秒毎秒、ストーリーを創り出していて、私たちはシミュレーションのような世界の中にある。
ここで、例え話をすると、真夏の暑い中、アイスカフェの外席に100人ぐらい座っているとして、そこへ想像を絶する驚くほど美しい女性がやって来る。ミニスカから覗く長くてスリムな足。豊満な胸。とにかく華麗そのもの。彼女は前列にあるすべてのテーブルの間を通り抜ける。最初のマインドが思うことは「ワオ!なんて美しいのかしら!…毎日鍛えてるの?どうしよう、私はもう半年もちゃんとトレーニングしてないわ。いい加減にジムに行こうとずっと思ってたのに。ああ、でも毎月の費用を払えるかしら…でももうイヤ、お腹はダボついているし、足だって…明日絶対に申し込みに行こう」。次のマインドはこう思う:「なんて女。あんなのと付き合いがなくてよかったわ」。その次のマインド:「まあ…60年前は私もああやって人生を楽しんだわ。人生の春は本当に良かったわ。でも正直なところ、80歳になった今は、あんな虚栄心市場で誰かと張り合ったりしなくていいので私は楽だわ。あの娘はせいぜい楽しめばいい」。次のマインド:「なによ、売春婦みたい。この世は売春宿じゃないのよ。もうちょっと肌を隠せないのかしら。親にしつけられていないの?破廉恥な」…等等。
あ、一つ忘れていた。もう一つのマインドは「おお!あの娘とベッド・インしたいな。でもあんな外見の娘が僕になびいてくれるはずがない」というやつ。
そこで、懸賞付きの質問。このアイスカフェの客たちは「誰」を見ているのでしょう?
アリーナ:誰もが、自分のことしか見ていない。
サンユ:その通り。誰もが、この美しい女性をスクリーンに見立てて、自分の価値観、自分が癒せていない心の傷…または自己の存在価値に残された傷、自分の夢や願望、世界観、人間観を眺めている。
彼女はスクリーン。(頭を指して)これはスライド投影機で、スライドを差し込む割れ目がここにある。そしてこれまで自分が溜めてきたすべての条件付け・刻印・プログラミング・パターン・過去が、このスライドに入っている。このスライドを通して、自分自身をこの女性に見ている。…ということは、私たちはかつて、自分自身以外をこの世の中に見たことがない、ということ。誰もがこの女性の中に別人を見ているだけではなく、誰もがこのアイスカフェという同じ場所に居るのに、そこには100種の世界があって、ひとつは爆発せんばかりの楽しい気分になっているのに、1,5メートル先の席では爆発せんばかりの憤りを感じている。誰もが、自分だけの世界に生きている。
そうなると、トランプについて、コロナについて…何に関しても、誰かの意見に耳を傾けたところで、世界についてそんなに多くのことはわからない。実際には、「世界とはこういうものである」と主張している人物のことが、本を開くように見せられているだけ。
私がまだ、診療所を営んでいたころ、多くの愛すべき患者さんたちがやってきた。コロナの期間に関していうと、ある人は人類史上最大の残酷で邪悪な黙示録を目前にしており、ある人はパラダイス・黄金時代へ移行する直前のように感じていた。そしてその中間には更に、様々な色彩があった。そして、全員が同じ惑星に住んでいるのに、そこには75億種類もの世界が存在しているのは驚くべきこと。
エゴ意識には、いくつかの強迫観念がある。
その内のひとつは、分極化という意識。こいつは常に審判しないと気が済まない。審判のひとつは、世界を善と悪に区分化することで、当然、善側は私だ、となる。
アリーナ:違う違う。善側は私よ!私の方が善側よ!
サンユ:あら…(笑)言っておくけど、あなたは邪道に走っているわ。私たちのどちらか一人が善側なのだとすれば、それはどちら?
アリーナ:そう、それは私よ。善側は私。
サンユ:アハハハハ!じゃあ、こうしましょう。「私たち」は善側ね?OK?(アリーナ:OKよ!どっちにせよね(笑))
それで、「善良」だと謳ってきた者たちが残してきた血痕を辿れば…善良なキリスト教徒たち、善良な回教徒たち、善良な資本主義者たち、善良な植民地主義者たち、善良な共産主義者たち、善良な国家社会主義者たち… これらを振り返ると、私たちは本当に「善側」に属したいのかわからなくなってくる。そして意図的ではなかったことは確かであろうと、どうやら地獄への道というのは「善良」という名の石畳で張り巡らされている。
人類の歴史は、人類の歴史を何一つ教えてくれていない。今のところはね。でも、それはこれから変わるかも知れない。(アリーナ:今がチャンスよ)そうね(笑)。私たちには、自分自身と世界を別の形で眺めることが出来る。その別の形とは、創造物を全体として捉えることと、すべての小さなパーツは大きな全体を反映している。ラテン語の pars pro toto (一部が全体を代表)。小宇宙は即ち大宇宙である。イエスの述べていた、天界は即ち地上界、鏡の法則、アナロジーの法則。露の玉がどれだけ小さかろうが、それは創造物全体を反映している。どういうことかというと、私がこの世で目にするもののすべてを、私は自分の中に見出すことが出来るし、私が自分の中に見出すすべてを、私はこの世に見出すことが出来る。
そして…私は何に対して戦おうとしているのだろう。
そこで、あなたの「EGOから離れて「愛の意識」への移行がなぜ大事なのか」という質問だけど、アインシュタインの言葉を借りると「原因がつくられたレベルでは、その問題を解決することが出来ない」ということ。
アリーナ:つまり、憎しみは憎しみをもって解決できないし、怒りは怒りをもって解決できない、ということね?
サンユ:そういうこと。だって、不安・憎しみ・憤りといったものは、分離のアイデンティティから起こったものであり、この問題解決には、上位の階層へ移行しなければならない。それが「一体感」という意識。ワンネス、統合、愛。
そして…病んでいるマインド(意識)は、分離のアイデンティティという幻想の中にあり…つまりワンネスを破り飛び越えてしまっていて、断片化された世界を創造してしまう。
マインドが健全ならば、それは愛の意識の中にあり、愛に満ちた世界を創造することになる。
アリーナ:ここで、ちょっとプライベートな質問をするわね。あなたは心理セラピストであり、27年間いくつかの診療所を営んできたけれど、あの巨大な「C危機」がやってきたとき、あなたはあなた自身や何よりスタッフに、今後どのような規制が及ぶのかを懸念して、診療所を閉鎖する決断を下して、それまでほぼ500㎡の敷地にある大きな家に住んでいたのに、今後何をどうするのかわからないまま、ほとんどすべてのものを手放したわけだけど…
サンユ:でも知ってる?以前、私はいつも鍵を探しまくっていたでしょう?でも今は、この惑星で私の車の鍵はひとつしか無いのよ。なんという気楽さ!(笑)
アリーナ:それがまたあなたらしいわね。生活基盤のすべてを失ったのに、鍵が減ったって喜ぶなんて。でも、あんな形で自分の生活基盤を手放すよう強要されて、あなたにとってそれはどういうことだった?
サンユ:強要された?(アリーナ:ええ)
ねえ、ちょっとしたゲームをしない?(アリーナ:いいわよ)
私は思春期の娘で、あなたは私の母親ね。
あなたは娘に、自分の人差し指で自分の鼻を触らせたいの。
娘の私はそれを最高に馬鹿馬鹿しいと思っていて…だって子供が思春期になると親ってなんだか変になるのよね。私はそれが嫌で。母親のあなたは云うことを聞かせようと頑張って欲しいの。
アリーナ:わかったわ。
サンユ、人差し指で鼻を触ってご覧なさい、いい子だから。
…サンユ?…ほら、鼻を触ってよ。ねえ、触ってったら。今すぐに!
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指図を受けて、うつむくサンユ
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しつこく言われて、目をそらすサンユ
サンユ:OK。ちょっと待って。
では、云う通りにしなければ、どうなるの?
アリーナ:4週間テレビ禁止。3ヶ月間外出禁止。次の誕生会は3回なし。それとxボックスも3ヶ月間禁止。
サンユ:ちょっと待って…(上の条件を復唱すると、アリーナが肯定)。
ふーん…(しばらくうつむいて考えてから)
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ゆっくりと鼻を触るサンユ
サンユ:エンジェル、(満足そうに微笑むアリーナ)今、決断して行動したのは誰?
アリーナ:あなたね。
サンユ:(頷いて)正解。どこで強要されたのかしら。私がやった。自分の決断。
そしてあなたの質問は、それがCの時期にどのように反映されたのか、ということよね…(しばらく考えて)そうね、アジェン��2030を取り上げましょう。ワーストケース(最悪の場合)は、信じがたい虐殺があり、生存者は皆バイオロボットに変身。
私はそれ同類のものを自分の中に見いだせるのだろうか?
長く探す必要はない。私も人生の最初の3分の1はお肉を食べていた。たった3センチの口内で味わう喜び。如何なる呵責も感じずに、敢えて…いえ、何も考えてさえいなかった。この3センチの喜びのために、誰かが動物を一生「収容所」で虐待し、苦しませることを容認していた。
ここで誰かが、「サンユ、だって人間とは違って、動物なんだから」って云うかも知れない。それは理解できる。けれど、動物の痛覚は人間と変わらないことも今は知っている。動物も人間と同じように愛情を感じること、そして自分以上に子供に愛情を掛けることも知っている。私にとってその点で、人間と動物の区別がない。やっぱり「感性を持つ存在」。その意味で、それを主義として自分の中に見出すのなら、何に対して私は戦闘をおこなうのだろう。それでも、だからといって私はそのアジェンダに自分を差し出すつもりはない。全くない。どちらかといえば、私はその主義を自分の中に再発見しようと決断し、自分の中で統合しても、今後はマニフェストしなくて良いということになる。これは他のテーマにも繋がってくる。
「お前はクリスマスも大晦日も、家族と過ごしてはいけない」と言われれば「はあ、そうですか。ご説明ありがとう。でも私のつもりは全然違って、当然クリスマスを家族と過ごすために会いに行きます」と言うでしょう。
そう。当時、私はマスク解除証明を発行していたことで、警察との対峙があった。そして、自分の中のどこに“警察”を見いだせるのか、自問した。すぐに明らかになったのは、彼らは「自分たちの世界」、つまり「階層構造と秩序で成り立っている法と規律と義務と権利の世界」を愛しているということ。そして、彼らは自分たちのやり方で、自分たちのツールを自分たちの世界のために駆使する。私は自分のやり方で、自分の世界を、彼らとは違う手段で確保しようとするわけで、そこには当然差異がある。それでも、自分の世界を確保しようとする主義主張を彼らは映し出していた。そこで私は争う必要がない。
私に言えるのは、「ご訪問ありがとう。当然、私は証明書を発行し続けますが、この問題をどう解決しましょうか」ということ。「私は罰金を払わねばならない?なるほど。私がそれを受け入れたいのか、よくかわからないので、様子を見ましょう。私の子供はマスクを着用すべきということですが、何故なのかご説明いただけますか?あなたの見解は興味深いですが、私にとってはそれは全くもって真実ではないし、重要でもありません。私の子供がマスクを着用せずにいられるよう、何でもやります。父兄イニシアチブを設け、動画を構成し、なぜマスク義務に反対なのか説明します。その他の組織に働きかけ、法律家に相談します。これらのすべてに効果がなければ、私は子供を学校には行かせません。そして、あなた方がホームスクーリングをさせたくないのであれば、私たちは国を去ります」。
「あなた方は、私にワクチン接種を受けさせたいのですか?なぜ?絶対にイヤですね。どうしましょうか?私は刑務所行きですか?OK。この転生では私はまだ刑務所に入ったことがないです。では、外からの条件に縛られないで自由に生きるための訓練を喜んでさせてもらいます。それは何時からスタートしますか?」
これらはひと言で言い換えると、「no war(戦争反対)」。
私は繋がり(connected)続けていたい(訳注:高次の自分と)。この、何事もジャッジしないという繋がり(connection)。ドイツ語のUrteil (音:ウルタイル/意味:審判・ジャッジ) という言葉は良く出来ている。Urーというのは原初・オリジナルなものを指し、Teilというのは「部分、分けた一部」と言う意味。原初の段階ではひとつだったものが、意識によって分割されているからジャッジが起きる。
そうして、審判・ジャッジするいかなるものにも、私はエネルギー的に連結しようと思わない。それは私を弱らせるので。
つまり、私は自分自身のエネルギーの中に留まり、そこと繋がり続けます。それは当然「民事不服従」ということになる。だって、私の世界で不正が正義として扱われるのなら、民事不服従とは「愛の行動」だということになり、服従こそが犯罪。私が愛に満ちた抵抗の道を選ぶのは当たり前じゃない?でも、そこには憎しみも分断もなく、戦争も起こらない。
アリーナ:わかったわ。そこにあるのは唯一、愛だけ、ということね。でも、それならばこの世の邪悪はどうなるの?
サンユ:(大きく頷いて)…うーんと。
同様のイメージとして… 「電流」をとってみましょう。ラジオに電流を流すと音が出る。電球に流すと明かりが灯るし、ヒーターを通すと暖を取れる。
このイメージをもって、「愛」という流れを想像すると、権力志向の人の頭に差し込まれたスライドのフィルターを通った結果、その愛は「暴君」という姿で映し出されるかも知れない。
別のフィルター、お金に執着する人のスライドの場合、愛の流れがやって来ると、その先の結果は窃盗犯かもしれない。
3つめのフィルター、3つめのマインドセットであるスライド。それは宗教的…もしくは政治的思想。愛の流れがその意識フィルターを通ると、果には狂信的なテロリストが表現されるのかも知れない。
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愛流は、どんなマインドセットによって濾過されるかで、最終的表現の形が異なるだけ
どんなスライドがフィルターになっているかによって、結果は歪み、果には倒錯的なものにまで至る。
だから、いわゆる「邪悪な人物」というのも、自分がやりたいようにやる権利がある…もしくは、それをするのが正しいことになるのかも知れない。…例えば自爆テロ…そうして他人を死の巻き添えにするとか。その者のマインドセットからは、それは正しい行動ということになっているか、もしくは「自分にはその行��を起こす権利がある」とみなされている。
改めていうと、私は彼らを正当化しているのではなくて、心というのはジャッジに興味がなく、ひたすら「理解したいだけ」なのです。
2000年前のベストセラー(訳注:聖書のこと)には「隣人を自分のように愛せよ」とあったけど、私には「隣人を自分自身として愛せよ」と聞こえてくるし、その声から更に「敵を愛せよ」とも聞こえてきた。
そして、ここであなたに質問するけれど、私は「隣人(訳注:原語では「最も近くにいる人)」そして「最も遠くにいる人」を愛すべきだという。では、この最も近距離の人と、最も遠距離の人、これら両者の間のどの辺りに切れ目があるのか?
どういうことかというと、ファウチだとか、ゲイツだとか、ドイツ健康相のラウターバッハだとか、シュワブだとかなんだとか…みんながこの中に含まれている。
「主よ、彼らをお赦しください。彼らは自分が何をしているのか知らないのです」。
では、彼らは何故、知らないのでしょうか?
彼らは、自分たちが何者かを、知らないのです。
自分が永遠の意識体であり、しばしの間、短い体験をするために肉体に宿っているだけなのだ、ということを知らなければ、その無知から苦悩が生み出される。それは、無常のものにしがみつくことであり、死に絶えてゆく儚さへの恐怖がそこにあり、自身をそれと同一視していると、その他の創造物と自分とは分離しているという世界観にあり、そのために利己的考えに陥って、その他の世界と自分との繋がりは絶たれてしまっている。
この世の犯罪のすべては、加害者が被害者と自分を同一視しないことから起こる。
だからこそ、私たちは自分の意識に働きかけ、エゴという意識によって生み出される分離分断を手放し、ワンネスの意識に至ることに価値を置くことになる。
アリーナ:うん…それで、この世の行く先についてのあなたの予見は?終末の世がやってくるのか、それとも新世界の誕生へ向かうのか。
サンユ:…蛹にとっての「この世の終わり」というのは、この世にとっては「蝶の誕生」を迎えること。
私たちは今、本当に自分たちがどのようなプロセスの中の、どの地点にいるのか、わかっているのだろうか。
私にはわからない。
ただ、愛というのは「目的地点」にとらわれてはいない。
想像してみて。今日が月曜日だとして、木曜日にはこの世のすべての核爆弾が投下されるとする。どの島だろうが、逃げ場はない。そこで、あなたの玄関のベルがなり、開けてみると誰もいないので、ドアを締めようとした時、足元の玄関マットには赤ちゃんが寝かされていた。木曜日には世界が崩壊すると知っているあなたは、足元の赤ちゃんを有機ゴミに出すだろうか?それとも、抱き上げて栄養を与え、おむつを換えて愛撫し、木曜日に原爆が落とされたら、自分の身体で赤ん坊を覆い、守ろうとするのだろうか。
それはつまり、愛は「結果とは無関係」だということであり、結果は自ずと現れてくる、それだけのこと。
アリーナ:そう、そういうことなのよね。ありがとう。私は皆さんに、身体的健康について自分の知識をシェアしたいとは思っていますが、その他にすこしでも、感情面、そしてスピリチュアルな側面についても自分が学んだことを、皆さんんにシェア出来ればと思って。
〈2022年秋に開催されたワークショップ・セミナーの紹介〉
サンユ:私たちの核となるものは、永遠に神聖であり続ける、これは全く持って素晴らしいこと。どういうことかというと、私たちの奥深くにある自然は太陽であり、人生において何が起ころうと、この太陽は決して破壊されることはない。この核心は永遠に神聖なまま。
スクリーンに上映されているのはホラー映画だったり、アクション映画だったり、家族ドラマだったり。しかし、上映が終われば、スクリーンは真っ白に戻り、なんの破損もなく、焼き跡もついていない。全く変化はなく、壊されることはない。私たちの内なる太陽(光)とはそういうもの。
人生を歩む中には、転生という観念、つまり別の人生の存在と共鳴することがある。人生は今回一度きりと考える人たちは、スラグのようなものに撒かれている。つまり幻想が玉ねぎのような層になっていて、そうした「概念(コンセプト)」に覆われている。それは分離の意識という誤った知覚であり、傷心、被害者意識にまみれている。
私たちが取り組むべきことは、この覆われた殻を取り外していくこと。
これはミケランジェロの説明に通じるものがある。
「こんな、雑な大理石の塊から、君はどうやってこの世のものとは思えないほど美しい、あのダビデのような姿を掘り出すことが出来るのか」という問に、彼はこう答えた「ダビデは既に大理石の塊の中に居るんだ。私はそれを覆っている余分な部分を取り除いているだけ」。
私たちはみんな、まさにそれをやっている。私たちは、真実ではないものはすべて、幻想として見抜くようになり、時と共に内なる光は自ずとして輝き出してくる。
こうした概念を自覚していくワークは大事。
私たちはあまりにも多くのことを、信じ込んできた。
そしてもしかすると、信じてきたすべてのことが、真実ではなかったのかも。
それで、人類は自分が考えていることを信じてきたために、苦悩してきた。繰り返して言います:もし、私たちがこれまで考えてきたこと、これが嘘であったのなら、これを信じていれば私たちは苦悩することになる。
しかし、素晴らしことに、宇宙は私たちの内部にナビシステム、いわゆる「感情ガイドシステム」を設置してくれた。私の感情は、私にとっての方磁石のようなもので、毎秒の如く私の日常、そして私の人生に寄り添ってくれている。
そして、アインシュタインはこうも言った:「私は神の思考が知りたい。それ以外は二の次だ」。
では、神の思考とは?実際には神は思考をしておらず、存在そのものなだけだけど、イメージとして、神という存在が思考するならば、。それは愛という思考。
もし、私たちが宇宙に漂う愛の思考と一致して振動しているならば常に、私たちは感謝、感激、献身、結束、幸福を感じるはず。
しかし、もし私たちが宇宙の思考と一致して振動していないのならば。即、憤り、悲しみ、失望、傷心…いわゆるネガティブな感情に襲われることになる。
そして、そのようなネガティブな感情が降りてきたときこそ、高次の自分はあなたに向かってサインを送っている:「君は今、君の真実とは共鳴しない振動の仕方をしているよ、戻りなさい」。
私たちはこれを学ぶべき。〈部分的にワークショップの内容紹介〉
アリーナ:締めくくりに、何か私たちに向けて言っておきたいことはあるかしら?
サンユ:アインシュタインの引用だけど、「人は、最初から実現不可能に思えるかどうかで、その思想の良し悪しを見極めることができる。それゆえ私は、希望するすべての人たちとともに、愛の思想、愛に満ちた世界をあえて夢見るのである」
そして、ヴィクトル・ユゴーの引用:その時が訪れたアイデアほど大きな力を持つものはない。そして今、約1万3500の戦争と36億人の死者を経て、ついに愛の時が来た。
安全を守るために自由を放棄すれば、自由も安全も失いかねない。
そして、安全とは港に停泊する船でもある。しかし、船はそのために造られたのではない。
そして今、変化の風が吹くとき、私たちは何を望むのだろうか?
防護壁を作りたいのだろうか?それとも風車を作るのか?
防護壁とは、抵抗すること、コントロールすること、しがみつくことを意味し、風車は手放すことを意味する。
そして時には、自分らしくいられるようにするため、私たちは自分らしさを手放さなければならないこともある。
そして、ケーテ・コルヴィッツ(ドイツの女流版画・彫刻家)はかつてこのように言った:私たちの才能は、使命である。(ドイツ語で才能は「ガーべ」、使命は「アウフガーべ」)
そして、私たちのガーべが誕生時に託されるものならば、今私たちはどうすべきなのか。闇について嘆きたいのか、それとも明かりを灯したいのか、そして、私たちのガーべを昼の光に晒し、大いなる全体に捧げ、私たちが己の道を行くことで愛の意識へと到達することを望んでくれる人たちのために、どんな明かりを灯すのか。
なぜなら、きっと今こそ人類史上最も重要な革命の時代が訪れているのだから。政治革命ではない。経済革命でも、社会革命でもない。
起ころうとしているのは、自己の意識変容。分離のアイデンティティから、愛の愛テンティティへと移行しようとしている。
マハトマ。「偉大なる呼吸」と言う意味。
マハトマはこう言った:「あなたがこの世に見たいと願う変化、あなたがその変化になりなさい」。
彼は、何故そのように言ったのでしょう。
それは、私たちはひとつであり、分離した存在ではないから。
そこにあるのは大きなひとつの意識という大海。
私たちは人間という意識領域の中に、互いに繋がり合いながら集団として存在している。
あなたが成し遂げる如何なること、どんな針穴をあなたがくぐり抜けようと、それは何処かの誰かに何かをもたらし、この誰かも、自分なりの針の穴をくぐり抜けている。
そして、何処かの誰かが自分のためにくウォンタム・リープを成し遂げたとして、それはあなたに跳ね返ってきて、もしかするとあなたは自分にとっての新しいレベルへとジャンプすることになるのかも。
一人は万人のために、万人は一人のために。
そして…危機というものが来るのは大抵、ある種の生き方がもう耐え難くなった時。
そして、問いかけるべきことは「すべての社会には、それ相応の革命が起こる」ということ。そして今、私たちは愛の革命を望むに値しないだろうか?
アリーナ:私はそれにイエスと答えるわ。そして、その道へ向かおうとする誰もを、喜ばしく思う。
サンユ:そして、その道へ向かおうとしない誰かをも、喜ばしく思っていいのよ。彼らが己の道を往き、自分の魂が求める全てを得ていけるよう、願いましょう。
アリーナ:その通りね。私のエンジェル、一千回、感謝を述べさせて。
サンユ:ありがとう。百回分の感謝をお返しするわ。
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nagaino · 1 year
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tokyomariegold · 4 months
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2023/10/28
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10月28日 昨晩、案の定たくさん掃除をしてしまいへとへとの状態であのちゃんと神聖かまってちゃんのフロントメモリーをみた。へとへとすぎると流し見した映像って何も覚えていないのに、昨晩フロントメモリーはよく覚えている。とてもよかった。
久しぶりに9時過ぎまで寝てしまい、疲れているんだな、と思いながら出かけた。 日中は薄着で心地よい。何もしたくない電車移動のお供に、何周もやりすぎて導入で内容を思い出してしまうTOEICの読解問題集を持って出た。 なんも知ってためにならない情報のクイズが時間潰しにちょうど良い。
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待ち合わせまでギャラリー巡りをした。 まず明日会う友人へのプレゼント用にtealでチョコレートを購入。以前、早い時間に行った時より並んでいる品数がだいぶ少なかった。深緑の紙袋がかわいい。
そこから待ち合わせのSHUTLまで歩きながら行きたいスポットで道草をする。 日本橋の丸善で最果タヒの“恋で君が死なない理由”とTOEICの新しい読解問題を買っておもての道のマリーゴールドを眺めた。 場所柄か実用品コーナーがほとんどを占める本屋さんだった。
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次に行きたかったアートギャラリーへ向かう途中、斎藤陽道さんの写真展を見つけ寄ってみる。 京橋を行き交う人たちを静かに見れる良いギャラリーと良い展示だった。 行きたかったギャラリーは、調文明さんのキュレーション展。調さん、何きっかけで知った方だっけ?きりとりめでるさんからだと、インスタグラム写真論かしら。 70年代の写真やメディア、都市などから、その時代が、個人が個として活動するようになった時代である考察をしているようでした。 運営の方がananの雑誌を紹介してくれて「当時は洋服は仕立てるのがまだ主流で、モデルさんの着用している服の情報といえば、その生地がメーターいくらか、なんですよ!」と一緒にページをめくりながら教えてくれた。 当時のランタンフェスティバル(?)のフライヤーや、調さんがメルカリで集めた雑誌を眺めていると、もう1人の運営の若い外国の女の子(他の運営の方とはほぼ英語で会話していた)に「私、あなたの写真展行きました、セルフィ!」と話しかけてもらう。(英語と日本語で話してくれた。) とても嬉しかった。 私も彼女に話しかけてもらって、ギャラリーに彼女が来てくれたのを思い出した。確かタピオカを飲みながら、じっくり写真集を観てくれた方。 「ありがとうございます。サンキュー」と言った。
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そのまま休館中の資生堂ギャラリーを確かめて、築地方面から待ち合わせ場所へ。 中銀カプセルタワーから撤去したカプセルを二つ置いたギャラリー。 友人と合流してカプセルに入ったり、最果タヒの詩の展示を観た。そのまま歩きながら、最近のやってみたいこと、やったことのないことの話をして銀座を歩いた。 友人は最近、職場の人にサッカー観戦に連れて行ってもらったらしい。応援する側には厳しい集団ルールがあったらしく、逸脱すると怒られそうな雰囲気だったとのこと。 途中にあったメゾンエルメスで珊瑚やお花の展示を鑑賞。1日で小さな展示をたくさんみられて充実感。
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日比谷まで歩くと野外シネマのイベントが開催されていた。ベンチに座って写真集を見てもらう。友人とは以前グループ展を一緒にしたことがあったけれど、彼女は写真を観ることが好きな方。今日も私の写真集を観て「やっぱり写真を観るの好きだな〜」と言っていた。それと「やっぱりサッカー観戦よりこうゆうの(写真を撮ったり、何か作ったり)したい」とも言っていた。言わせてしまったのかもだけれど、私は嬉しかった。
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ギャラリーで見つけた公募に応募してみようかな、と持ち駒を消さないようにしている感じ、就活みたい。
やっぱり仕事のことに頭が持っていかれつつ、でも今日見た作品や最果タヒの詩や、応募する作品のことや、フィルムとデジタルの撮り方の違いのことなど、お仕事のことにベールをかけるように重ねられて、落ち着きつつも、頭はいっぱいで帰ってきた。 明日に満月を控えた月が大きかった。
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辛くて仕方なかった8月に、川上さんのエッセイに“どうしようもないとき、3ヶ月後のことを思ってみる”とあって、11月を思っていたことがあった。 その時は、そんなもう秋も深まった年末ならば、何か変わっているかもしれない、と期待しながら落ち込んでいた。 11月を目前に、8月の日記を更新しながら、何も変わっていなくて辛さが麻痺している現状がある気がしている。
昨日作って、まあ美味しかったバナナとココアパウダーのムースを今日も作った(こういう時って美味しさが再現されることはない)。
写真を通して、人と関わりたい気持ちを思い出せた日だった。
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heavenlydays09 · 2 years
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京都の祇園祭🏮
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京都で居心地良いカフェを見つけて、煙草が吸えるから彼がそのカフェを気に入り2時間も居座ってしまった。屋台も回りたくて祇園祭来たのに、先に居酒屋で焼き鳥を食べてしまう。そんなこんなでやっとメインの祇園祭に来たけど、お腹いっぱい&人が溢れすぎて、冷凍パインと冷凍 バナナだけ食べて帰った。久しぶりのこのお祭りの感覚、懐かしいような感じがしてワクワクした〜。
淀川の花火大会も楽しみ。神戸も琵琶湖も花火大会ないのに、大阪があるとは、、!
同棲を始めてからも、彼への好きな気持ちが増えるばかりで、嫌なところが全く見えなくて逆に戸惑う。同棲したら喧嘩しても仕方ないと覚悟してたのに。毎日大好きで、彼が仕事に行ってしまう時は寂しくて後何時間帰って来ないんだろうと考えてしまうし、平日も彼との時間が欲しくて仕方ない。最近は私の残業が増えてきたから、彼との時間減って悲しい。でも残りの夏は楽しみな予定がいっぱいで、私の誕生日に、お盆の金沢旅行、彼と私の母が会うという彼にとっての緊張なイベントと、花火大会に1年記念日。仕事のストレスでやられそうな日々だけど、頑張れそう、頑張る!
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singosblog · 6 months
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【浅井健一🎸の音楽性について♪】
浅井健一は、1980sのストレイ・キャッツに多大な影響を受けており、ブランキージェットシティ初期の、浅井健一の、ヘアスタイルのトレードマークでもあった、ブロンドリーゼントヘアはストレイ・キャッツのボーカルの髪型を真似したものと思われる。しかし、本人がどう考えているのか、知らないが、顔の彫りの深さから、ストレイ・キャッツより、ボブ・ディランの方に、似ているのである。勿論、個人的な考察に過ぎないのだが。1990年代後期より、リーゼントヘアから、西海岸の海辺にいる、若者サーファーのような、長髪にゆるいまき髪ヘアスタイルに変更されており、それは、今の時代 ( 2023年12月 )まで、継続されていることから、本人に、定着したヘアスタイルと考えても、無論、間違いではない。他には、多機の洋楽を中心に音楽を聴いて、影響を受けており、主なバンドは、カーペンターズ、パートリッジファミリー、ショッキングブルー、ジョン・レノン、井上陽水などから影響を受けたと、公言している。本は、JDサリンジャー著『ライ麦畑でつかまえて』、村上春樹著『羊をめぐる冒険』、ジャック・ケルアック著『路上』である。曲のタイトルが、歌詞にも出てくる、「メリールウ」という主人公の名前を使った曲も楽曲している。映画に関しては、浅井健一の曲自身のタイトルでもある、『小さな恋のメロディー』、『イージーライダー』などが上げられる。他にも、観ていたり、読んだりしてはいるが、公に公言しているのは上記のものだ。音楽性は、ブランキージェットシティ以外、静かめな曲を収録した『SHERBETS』や『JUDE』などがある。ほかは、忘れてしまった。あ、あと、歌手のUAと組んだバンド『AJICO』。浅井健一の書く、詩の歌詞は、社会の片隅で暮らすアウトサイダーたちや、野生動物、『神様』が頻繁に登場する。そこが、私の惚れ込んだ理由の一つでもある。そして、『幸せの鐘が鳴り響くとき、ただ悲しいふりをする』という、曲には、『動物愛護団体』まで、詩に盛り込まれている。アウトサイダーたちで、言えば、売春婦、麻薬常用者、浮浪者、インディアン、精神病者、ヒッピーだ。そして、あと、忘れてはならないのは、『無垢な少年』だ。『綺麗な首飾り』という曲には、『子供の見る夢は、純粋で残酷』というフレーズもある。そして、『狼たちが、綺麗な足音を響かせ、森を駆け抜ける』という歌詞も好きだ。『don't kiss my tail』という歌詞には、『ヒッピーに憧れて、旅立ったくせに、多分、彼らの最終系は自殺だなんて言うし』という、とんでもなく、切なく、カッコいい歌詞を書いている。『ひまわり』という、曲では、歌詞の始まりが、『目の前に舞い降りた、小鳥の仕草を、見つめていたのは、倒れたヒマワリ』という、専業作家、顔負けの『擬人法』を盛り込んでいる。そして、『パイナップルサンド』という、曲には、『バナナを一つもぎ取った、お前のその動作、神様が、気にすると思うのかい?』、『明るく生きることが、すべてだから』という、非常に、楽観的な気持ちに���れる歌詞も書いている。そして、『寝る前に、ブルーのジェット機に乗る夢を見たいって願う、神様お願い僕に見させて、ブルーのジェット機に乗る夢を』という、無垢な少年の、切実な思いを歌詞にしていると同時に、人間には、日々の、『祈り🛐』が必要なことを、それとなく、歌詞の中で、サラッと匂わせている。浅井健一が、イエス・キリストに選ばれた理由は、以上の功績により、【仏様】、【イエス・キリスト】より、適任と認められ、選ばれるべくして選ばれたのであるから、他の者は、浅井健一を妬んではいけない。きちんと、今までの、功績があって、選ばれているのであるから。少なくとも、浅井健一がテレビや動画、LIVE会場で歌ったことにより、救われた人類は大勢いるのだから。逆に、歯向かう考えを持っている者は、神の道と反れて進んでしまっていると考えていい。最近の浅井健一の活動状況は、ラジオ番組に出演したり、画家としても、活動をはじめ、個展を開いたり、画集を出版したりしている。勿論、音楽活動も続けながら。そして、忘れてはならないのが、『Sexy Stornes』というブランド名の、ブランド服を立ち上げ、代表取締役社長をつとめている。自身のインスタグラムを通じて、販売活動にも積極的にいそしんでいる。そして、少し前の、浅井健一のYou Tubeラジオによると、趣味でサーフィンをやっているとのことも公言している。そして、今年、もうじき、LIVE活動で、地方をまわるという、ネットニュースの記事を読んだ。つまり、浅井健一は、今日も、妹の林檎🍎と違って、頑張っているのである。以上が、浅井健一の音楽性、ないしは、活動状況の報告とする。
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azusahigablog · 6 months
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Mommy’s life part 2
めちゃくちゃ久々のブログ更新。
てか、一年ぶり。
年に一回更新w
バタバタしすぎて、
ブログの存在すら忘れてたっていう。
あっという間にクリスマスと年末だー。
今年は3月に無事ロンドンの大学院(心理学専攻)を卒業して、(やっとー!!!!!!!!)
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そして、9月からアート心理士になる為の、訓練コースに通い始めました。
イギリスで心理士/サイコロジストになるのって非常に長く険しい道のりで、(国家資格と同等の位置付け。←知らなかった、てか知ってたら挑戦しなかったであろう。)
心理学の学位をとった後、卒後後最低3年、臨床訓練と心理学的研究が含まれた修士または博士号の訓練コースに入る。(←いまここ、一年目ね。)
これがまた精神的に非常にきつい。
大学院で学位を取るのは、課題の山をこなすのがガチで大変だったけど、訓練コースは、もっと実技的で、訓練生である私達も毎週カウンセリングに通い、自分の過去やトラウマと向かい合い、過去を受け入れ自分の中で浄化していかなければいけない。
これがまた精神的に非常にきつい。(しつこいw)
毎回、涙あり、吐き気あり、感情の整理が大変。
でも、確かに、自分の過去やトラウマとしっかり向き合って、自分の中で浄化することができなければ、自分以外の人の心の痛みや辛い経験を癒していく事は不可能だもんね。
それにしても、メンタル的にキツくて、円形脱毛症になってる今日この頃w 助けて。
↓髪が多いから見た目わからないのが唯一の救い。どうしたら早く治る?!
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でもほんと日々痛みと共に学んで成長してる感満載。
また次回から、学んだ事に関して少しずつシェアしていけたらいーなと思ってるよ。
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おかげさまで、息子も日々成長。
2歳になりましたー!イヤイヤ気真っ只中。
でも、バナナかミニカーあげたら治るから
全然可愛いもんです。(猿かw)
訓練と子育ての両立はまじ大変だけど、子供がいても、独身の頃以上に、自分のやりたい事や学びた事を学ぶことができる環境には感謝しないといけないなと、思ってる今日この頃。
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保育園も週3回だけ通い始めたよー!全く物怖じも人見知りもしないから、初日から我が物顔で馴染んでたw
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manganjiiji · 7 months
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かくかくじかじか
おなかがすいて眠れない、または、興奮さめやらず眠れない。今日はとても楽しかった。といっても朝はかなり筋肉痛でからだが痛く、Twitterでお子の様子も心配で(病院行けたのか?)、気圧がぐんぐん下がり死体のようになっていた。湯船に熱い湯をはり、どうにかカラータイルをやりまくって、風呂を出て気合いで化粧して着替えて家を出た。家を出る時にはちょうど雨が止んでいた!
待ち合わせ場所で「ずーん…」という感じで立っていると、蝶子さんが駆けつけてきてくれた。私のテンションがしぬほど低いので、かなり心配させてしまった。そのあと、電車の逆方向に乗ったらしい赤森さんがわりとすぐに来て、腹ごしらえをしてから公園(動物園)へ行った。なんとなくプライヴァシーを意識してぼかしているが、吉祥寺です。雨のなか動物を見たり、東屋でChillったり、寿司を食べたり、ヤマネコがかわいかったり、3人でぼさーっとしたかんじでだらだら会話してすごく楽しかった。この3人、ふしぎな居心地の良さがあると思う、というか、言語がらんらんと横滑りしていくのだが、それがおもしろい。なんか変なことを言ってもゆるされるし(3人ともボケなのだが、かろうじて控えめに蝶子さんが突っ込んでくれたりする)。2人は美術への造詣も深いので、私にはよくわからないことでも何かふんふんと深く感じるところがあるんだろうなと思ったりする。今気づいたけど3人とも字書きだった。あと2人ともかなりおしゃれである。「いい女」オーラがすごい。私はひとり芋女で恥ずかしかった(GUのワンピースだし…髪は乾かしただけだし…)。でもまあ外見とか全然会ったらどうでもよくなった!楽しかった。フライングタイガーを見ている時私の中で盛り上がりが最高潮だった。帰路に着いてから、実は赤森さんの体調がそんなによくなかったらしいと聞き、ご本人に「(反応が悪くて)感じ悪かったですよね」と言われたが、全くそんなことは思わず、いつもどおりキレッキレのボケをかましていたし、反応にこの世界になれていない小さき人のような可憐さが相変わらずあり、よかった。蝶子さんはいつもどおりちゃきちゃきしたりぼけぼけだったりした。ぼんやりした3人組として力を抜いて会えた。ちるった。動物園では、あとカモシカとフェネックが良いと思った。
帰宅してから、私の大好きな燐一の神が更新されたのを読んで、我慢できなくなり、とうとう短編というか書きたいところだけ書いてしまった。神が「フリー素材です!」とおっしゃっていたのでその設定をお借りして書きたい、とツイートしたら、すでに「ありがとうございます」と言われてしまい、やば、やばい…書こう、今…!となり、1時くらいに書き終わってTwitterに上げた。深夜なので当然神は既にTLにいらっしゃらなくて、誰も反応しないだろうけどどきどき…としていたら、韓国の方が翻訳して読んでくださって、RTして感想まで言ってくださった!翻訳して日本語で…!嬉しすぎたので韓国語の翻訳を使い、英語も使いながら簡単だがリプライで謝意を伝えた。とてもとても嬉しいことをさらに言っていただけて、う、ど、同人…たのしい…!となった!小説だから海外の方と全然今まで交流がなかったけど、韓国の方はかなり翻訳にかけて読んでくださる文化があるみたいで、すごい…!!となった!!私もハングルの小説、翻訳にかけて読んでみよう!!と意気込んだ。(あんすたではハングルの小説をかなり日本の方も読んでいる!私も今度から読む。)
ということで、今日は1秒も勉強しなかった。やや余裕のある進行をしているとはいえ、大丈夫かよ…となった。大丈夫じゃない気がする。でも小説のようなものを久しぶりに書けて嬉しい。やっと自分に戻ってこれた感じがする。文字を組み合わせて文にすること、本当に好きだ。
体調記録やうつ状態のときのツイートをしていた鍵垢を本格的に自分用にしようと思って、一次創作用のほとんどツイートしていなかったアカウントを鍵垢にして、友人たちにはそちらに移行してもらった。といって、とくに鍵垢で何を言っているでもなく、���当に古い付き合いの友人の鍵垢(身の回りの事を言う用のやつ)と繋がっているだけである。今後はできる限り日常ツイートも全部公開アカウントでして、鍵垢はリプライに特化しようと思う。体調記録は自分一人のアカウントで引き続きつけていく。Twitterだと意識が朦朧としていても打てるし、日付と時刻をかってに記録してくれるし、検索も容易なので、やはり記録用に使ってしまう。すまん、日本ツイッター社。それか、いっそ闘病アカウントとして公開にしてしまおうかな?とも思う、アカウントの文字列を適当に変えて。しかし、それにしては過去のツイートがオタクの本垢運用時のそれなので(刀剣乱舞時代)、なにか変なことになっても困るか。やめよう。鍵垢にして封印しておくに限る。基本的には公開の本垢ひとつで完結するようにしたい。一次創作も今のところアカウントを分けなくていいかなと思う。日常ツイートも、公開アカウントで書ける範囲のことのみすればいいと思う。Twitterに書けないことは引き続き紙のノートに書くなり、メモ帳に打つなりして、アウトプットだけしていくことにする。
あまりにもおなかがすいて眠れないのでバナナを食べ、朝のミルクティーを温め直して飲んだ。明日は診察の日なので本当に眠れないと困るが、4:20になってしまった。
2023.11.10
燐一小説のリンクを貼っておきます(ログイン限定)。
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