Tumgik
#琵琶鴨
mvrider8 · 9 months
Text
鯖街道
その昔、若狭国小浜(福井県)と京都を結んだ物流ルートの総称。若狭国の海産物特に鯖を運んだことから別名鯖街道と呼ばれて幾つかのルートが存在する。中でも最もメジャーな若狭街道に位置する熊川宿は今でも伝統保存地区として往時の面影を残す。
Tumblr media Tumblr media Tumblr media
レトロな建物の宿場館
Tumblr media
陣屋跡
Tumblr media Tumblr media
陣屋の裏手の山には熊川城跡。歩いて登れるらしいが今日はパス🙅
Tumblr media
もう一つは鴨川源流域を通る雲ヶ畑街道。幾つもの峠を越える険しいルート
Tumblr media
現在の府道107号線と61号線を通る道は今も舗装路ながらかなりハード
Tumblr media Tumblr media
最後は琵琶湖西岸を走る西近江路。琵琶湖西岸には海水浴場ならぬ湖水浴場が点在する。
琵琶湖の景観が美しい和邇浜
Tumblr media Tumblr media
公共の大駐車のある近江舞子は9月上旬でも賑わいを見せる。
Tumblr media
海水と異なりあまりベタつかないのが良いね😊
Tumblr media Tumblr media
バーベキュー協力金500円でバーベキューも可。ジェットスキーも多い。
Tumblr media
5 notes · View notes
travelersrecord · 11 months
Text
〜 旅人の記録 〜
滋賀県長浜市
「道の駅・塩津海道あぢかまの里」
滋賀県長浜市の、国道8号線塩津バイパス沿いの古風な道の駅。
ちなみに「あぢかま」とは、琵琶湖で越冬する鴨の事だそうです。
道の駅の裏手には、江戸時代に実際に使われていた「琵琶湖の水運・丸子船」が展示(保管)されていました。
当時は、この木の船で琵琶湖を渡ってさまざまな物資を運んでいたんですね。
蕎麦も有名とのことで、確かに美味しい絶品の蕎麦を頂きました。
ひと休みには最高の、ゆったりした時間が流れる道の駅でした。
〜 旅人の記録 〜
#滋賀県 #長浜市 #西浅井町 #道の駅塩津海道あぢかまの里 #琵琶湖のほとり #琵琶湖最北端 #古風な道の駅 #丸子船 #歴史を感じる道の駅 #旅 #旅人の記録 #独り旅
.
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
2 notes · View notes
illaalli444 · 2 years
Text
『犬王』舞台巡り【山陽道編】
友魚の旅路/平家都落ちルートも巡りたいよね、という記録です。関西在住・北部九州出身なのでこの経路なんてもう数え切れんほど往復しているが視点を変えるだけでこんなにも新鮮な旅ができるってすごいなあと思う。
行った場所:腕塚(腕塚堂・腕塚神社)/草戸千軒町遺跡/厳島神社/花岡八幡宮/壇ノ浦古戦場・赤間神宮ほか
Tumblr media
腕塚(兵庫県神戸市・明石市)
腕を埋めて腕塚。一の谷の戦いに破れ西へと落ちゆく途中で非業の死をとげた平忠度の腕を埋めたと伝えられる"腕塚"は神戸市長田区駒ヶ林と明石市天文町の2箇所にある。え どゆことじゃ?と思ったけど知りたいこと全部書いてある論文ありました(大坪舞2008「祭祀される忠度の腕ー伝承を引き寄せる場をめぐってー」『論究日本文学』88)。こちらを参考にすると、そもそも忠度死地は『平家物語』でも史実でも絞り込めない。両地の忠度伝承は、駒ヶ林は17世紀後半(腕塚そのものは19世紀)、明石は17世紀初頭(腕塚は17世紀後半)までは遡れそう、とのこと。
駒ヶ林の腕塚は一の谷からちょっと東に位置。地下鉄海岸線駒ヶ林駅が最寄り。長田港に面する民家に囲まれて"腕塚堂"がある。細い路地に入っていくけど看板や標石があるので迷いはしないと思う。ガレージみたいなお堂。北西に忠度胴塚もある(こっちは看板少なくてわかりにくかった。伍魚福さんの隣)。
明石の腕塚は一の谷から西へ10kmほど離れる。山陽電鉄人丸前駅下りてすぐの"腕塚神社"。神社といってもお堂はごく小さい。木製の腕は地元の彫刻家の方が奉納されたもので、これで患部を撫でるとよくなるとか(境内においてあった「腕塚神社縁起」より)。東南に忠度塚と忠度公園もある。駅をはさんで北の丘陵にある人丸神社は柿本人麻呂を祀るが、境内に"盲杖桜"があり目の見えない人とのゆかりが深い。このへんからは明石海峡と行き交う船たちがよく見えます。
当たり前ですが京都とは全然景色が違っている。南が海、北が山。海を眺めていると友魚としてはこのへんまでは始めて来た場所であっても(見えなくても)"知ってる景色"なんだろうし逆に平家の人びとにとっては都を落ちて流浪の身になってしまったことを思い知らされる景色なんだろうなと思う。
どちらの腕塚も、いまも地元の人に愛されているのが伝わってくるたたずまい。腕塚が複数箇所にあるの、後世の人たちが"物語"を求めた結果だと思うのでそんな人間の営みが愛おしくなります。
Tumblr media
草戸千軒町遺跡(広島県福山市)
直接の舞台ではないのですが、湯浅監督がふくやま草戸千軒ミュージアム(広島県立博物館)の街並み復元模型に言及されていたので。博物館では中世の人々の生活に関連する出土品を沢山見られる。本編で町の人たちが持ってて印象的な曲物の容器もいっぱい並んでる。
草戸千軒町遺跡は当時の海岸線で芦田川の河口付近にあった中世の港町。友魚と谷一さんも寄ったかな?と思っていたのですが、拠点的な大都市というわけではないようなのと、どうやら14世紀後半は一時的に町が衰退していたようなので寄ってないかもしれません。友魚が魚をほぐしているシーンはまだ広島らしいので(オーコメより。広島を2年もまったり旅していたのはちょっと謎)、このあたりかなと思っていたのですが、お金持ちがの人がいるのは尾道とか鞆とかかな。
遺跡現地は博物館から西南約2kmに位置。調査後に掘削されあとかたもありませんが、法音寺橋に説明板が設置されている。橋を渡って芦田川の右岸には草戸稲荷神社と明王院(常福寺)がある。明王院は本堂が1321年、五重塔が1348年に建てられたものなので、友魚たちが見たかもしれない建物がそのまま残っていることになる。明王院入り口付近の石垣にはひょうたん形の石が組み込まれている箇所があり(現地に説明板あり)、犬王ポイント高いように思います。
Tumblr media
厳島神社(広島県廿日市市)
あれに見えるは厳島(ここでお社は映さないの超好き)。斎き島=神様をお祀りする島 として古くから信仰されてきた。1151年に安芸守となった平清盛は厳島神主家の佐伯氏と関係を深め、12世紀後半に海上の社を造営。その後何度か建て替えられているが、主要な建物の配置は基本的には変わっていないらしい。特に印象的な回廊は、現在のものは永禄~慶長年間(1558~1615)の再建。作中の回廊は、1241年に再建され、1537年に焼けたものにあたる。
干潮のタイミングで訪問したので、社殿が建ってるベースとの距離感がわかってよかった。友魚が落ちちゃっても自力で這い上がれそうな深さで安心(海の子なので心配には及ばないんだろうけど)。社殿が海に浮かんでいる姿が見られなかったのがかなり残念だけど、昼に干潮だと夜に満潮になる、という関係が理解できた。
大鳥居は改修中だったので足場が組んであり近くまで行けず。でも社殿の柱にもフジツボいっぱい付いてるのが確認できました。大鳥居も何回か建て替えられていて、現在のものは明治期の再建。1325年に2代目が倒壊してから1371年に3代目が建てられるまで空白期間があるので、友魚訪問時(1360年代後半くらい?)、実際には建ってなかったぽい。
しゃもじって琵琶みたいな形だな~と思いながらお土産見てたのですが、弁財天の琵琶っぽい工芸品としてつくられるようになったんですね。知らなかった。
Tumblr media
花岡八幡宮(山口県下松市)
境内に友魚が雨宿りしてた塔(閼伽井坊多宝塔)がある。多宝塔の建てられた時期、立て看板では「室町中期」となっているのですが、ガイドブックやウェブ上で「室町末期」説も見るのでど~いうこっちゃと思っていたのですが、建築様式からみて室町中~後期、解体修理で見つかった木片に永禄3年(1560)の墨書あり、ということのようです(下松市HPより)。また、お宮そのものも創建当初の鎮座地から1489年頃に現在地に動いているらしい。作中で描かれているのは実際よりも少し下った時期の姿になるのかなと思います。
多宝塔の実物は思っていたより小さい印象を受ける。というか、ここに友魚があの感じで座っているのを想像すると、まだだいぶこどもだな...?!と感じました。
旧山陽道に面した丘陵上に位置し、高いところにあるのでめちゃくちゃ石段を登る。現代人にとっては雨宿りにちょっと寄るレベルを越えてるので、参道入り口あたりでお寺の人が友魚に声をかけたのかもとか想像します。
Tumblr media
壇ノ浦古戦場・赤間神宮ほか(山口県下関市)
鴨の河原と同様、壇ノ浦も始まりの場所であり終わりの場所。
壇ノ浦古戦場跡は関門大橋の下関側のふもとに「みもすそ川公園」として整備されている。ちょうどこのあたりに友魚の暮らしていた集落があったのかなと想像できる景色。作中では霧に包まれて対岸は描かれていないけど、九州側の門司がかなり近くに見える。この土地も"境界"ですね。
赤間神宮は壇ノ浦古戦場跡から南西1kmに位置。壇ノ浦の戦いで入水した安徳天皇を祀る。江戸時代までは阿弥陀寺で、明治の神仏分離により天皇社赤間宮へ。1940年に赤間神宮に改称。1958年につくられた水天門は「波の下にも都がございます」の竜宮城を地上に造りだす意図でデザインされている。
耳なし芳一の舞台でもあり、境内の片隅に芳一堂あり。宝物館ではいろんな種類の琵琶も見られる。境内に平家蟹の標本も置いてる。
生きてる平家蟹は市立しものせき水族館海響館で見られる。海響館ができるまえの旧下関市立水族館は長府にあったのだけど、敷地内に"鯨館"という鯨形の建物があった。現在は中には入れないけど外観は見られます。小さい頃訪れたことがあって、でっかい鯨!のイメージだったけど今回再訪したら思っていたより小さいな...となりました。場所は関見台公園。下関は近代捕鯨発祥の地とされ、鯨とゆかりが深い。たまたまかもしれませんがモチーフの重なりが面白いです。
旅してこの文章を書くことで、山陽道、というか瀬戸内の海辺が友魚の旅路であり作中作(腕塚、鯨、竜中将)の舞台でもあるという重なりをはっきり認識できたのでよかった。この作品の重層的につくられているところが大好きです。
文献(本文中で言及したものを除く)
小川國治編 2001『長州と萩街道』街道の日本史43 吉川弘文館
県立広島大学宮島学センター2020「宮島 大鳥居のひみつ」
広島県歴史散歩編集委員会編2009『広島県の歴史散歩』山川出版社
ふくやま草戸千軒ミュージアム2020『瀬戸内の交流 まちのにぎわい 人のつながり』
峰岸隆2015『日本の回廊、西洋の回廊』鹿島出版会
山口県歴史散歩編集委員会編2006『山口県の歴史散歩』山川出版社
山口佳巳2008「仁治度厳島神社廻廊の復元的研究」『国立歴史民俗博物館研究報告』第148集
頼祺一編 2006『広島・福山と山陽道』街道の日本史41 吉川弘文館
6 notes · View notes
yukarikousaka · 2 years
Text
2022.06.18
 南禅寺のうらの細い路地、その脇を流れるさらに細い水路にすずなりの蛍がいて見事だった。都会生まれっ子らしく蛍を見せるための展示以外で蛍を見たのは初めてで、まだ完全に暗くはなっていなかったから明かりはそれほど見られなかったとはいえ、その量には目を見張るものがあった。琵琶湖疏水を出た清流に想いを馳せる。帰宅してから開いたブラタモリがちょうど鴨川にまつわる回で、京都でどれほど水が大事だったかを学んでいた。
 カタツムリやタゴガエル、ホタルなど水のゆたかな場所や清流にしか姿をあらわさない生物を見かけるのは京都もさらに外側、銀閣などの左京区の端や奥座敷である鞍馬・貴船、賀茂川あたり。同時に河原町や四条・三条などの人通りの多いところを流れる「鴨川」にはヌートリアやトンビ、カルガモやマガモ、さらにはオオバンなどという聞いたこともなかった生物に出会うようになった。大きくゆたかな水はたくさんの生き物を呼び寄せる。
 地名の貴船は「きぶね」なのに、貴船神社は「きふねじんじゃ」なのは何故だろうと思っていたが、思っていて調べなかったそのことについてちょうどブラタモリで取り上げてくれていた。貴船神社は水と水の神を祀っているから、濁らないようにという願いを込めて「きふねじんじゃ」と濁点を外して読むようになったらしい(所説あり)。先日は玄武と五行説の水と北のかかわりについて調べていて、色々発見があった。都に水は大事だね。
 鴨川べりは京都のなかでも何時間も座っていられる場所の一つで、鴨川をさらに上って賀茂川、鞍馬川、貴船川と名前を変えながら、ひんやりとした空気を纏いながらも不思議と人を惹きつける魅力を放っている。高瀬川沿いには美味しいお店も多く、京都にはいわれのある井戸も数ある。ホタルやタゴガエルやオオバンの住処を奪うことのないように、人間にも少しその魅力をおすそ分けください、という気持ちでこれからも京都に通いたい。
4 notes · View notes
kachoushi · 23 days
Text
虚子自選揮毫『虚子百句』を読む Ⅴ
花鳥誌2024年5月号より転載
Tumblr media
日本文学研究者
井上 泰至
8 さしくれし春雨傘を受取し
 『五百句』には「大正十三年」と注記され、初出は翌大正十四年八月の『ホトトギス』で、「近詠」とのみ題されている。『年代順虚子俳句全集』第三巻の大正十三年の項には、「四月(日不明。)小樽高商を卒へたる長男年尾を伴ひ京阪地方に遊ぶ。その時の句?」とあって、『虚子百句』では次の九番目に挙げられる「天日のうつりて暗し蝌蚪の水」の後に掲出されている。成立は前後していたか。
 しかし、『虚子百句』では、この句の方を先に挙げた。その理由は、単純に『五百句』の掲載順に拠ったとも考え得るが、加うるにこの句の前の七番の句が「雨の中に立春大吉の光あり」なので、「雨」の句で一組としたか。この後九番は「天日」で晴、十番は「思ひ川渡れば又も春の雨」と雨の句となる。単調さを避け、季節の進行に晴雨の交代を入れ込んだ編集の妙でもあったか。
 この句の問題は、「春雨や」と持ってこず、「春雨傘」と中七に造語としてわざわざ置いたのは何故かという点にある。ここから考えてみよう。
 「さしくれし」の「し」は、一般に「過去」の意味の助動詞「き」の連体形だと言われるが、室町時代末期から、現在もその動作が続いている「完了」の意味を持つようにもなってきていた(井上・堀切克洋『俳句がよくわかる文法講座』第2章)。有名な、
  糸瓜咲て痰のつまりし佛かな 正岡子規
 の「し」も、「つまってしまった(そして、現につまっている)」の意味でないとおかしい。ただ過去の動作が終わったとか、あるいは過去の動作の影響が終わってしまったということなら、子規は死んでしまっていることになるが、この句は自分の最期の姿を「佛」と客観視して詠んだのであって、「今まさにちょうど」という意味でなければならない。やはりよく知られる島崎藤村の「まだあげ初めし前髪の/ 林檎のもとに見えし時」という『若菜集』「初恋」の一節も、現前する女性のうなじを詠んでいるのだから、「し」は「あげたばかりの」という意味でなければならない。
 掲句も、上五の「さしくれし」を受けて「受取りし」と応じた、この呼吸が一句の眼目なのである。繰り返される「し」は、過去でなく完了の意味でなければならない。そこで中七の「春雨傘」の造語が使われることになったものだろう。
 そこに気づいてみると、おそらくは女性が手渡してくれた傘を阿吽の呼吸で、虚子か、あるいは虚子が見ていた人物が受け取った動きのある一場面に焦点を当てたことがわかる。
 「春雨」は本来京都独特の、鴨川の水面を観て雨を知るような細やかで繊細なそれであるから、この一瞬の「艶」なる場面をつなぐ重要な小道具の属性を知らせるのに、十二分の役割を果たしているのである。当然『喜寿艶』にはこの句は掲載されている。
 なお、京都の三業(料亭・待合茶屋・置屋)の女性の品を様々に詠むのは、虚子句の一傾向であるが、
  美人手を貸せばひかれて老涼し 昭和二七年
  夕立に傘傾けてはつ子来ぬ   昭和三〇年
 など京都の女性の「手」や「傘」を材にした同傾向の句を確認すると、虚子にとって「傘」と女の「手」のしなやかさや姿態は、発想の起点であったことが確認できる。
9 天日のうつりて暗し蝌蚪の水
 『五百句』には「大正十三年」とのみ注記。『年代順虚子俳句全集』には、前の句の解説で示したように、小樽高商を卒業した高濱年尾を伴い、関西を訪ねた四月の句か、としている。『ホトトギス』大正十三年六月号の「消息」欄で年尾は、滞在十八日、京都・大阪・神戸・堺・大和を回り、特に京都の嵯峨・御室・東山、さらに琵琶湖から比叡山・大原を回り、京都の風光の良さを特記している。
 掲句は、二つの解釈が一応想定できる。太陽が位置を傾け、それまで日が当たっていた場所が暗くなり、そんな中をお玉杓子が泳いでいる、というもの。
 今一つの解釈は、「沢山のお玉杓子が孵ると水一面が黒くなるほどで」「日の光が水に当っても暗いような感じがする」という『虚子百句』の高濱年尾のような受け取り方である。清崎敏郎も「玉藻研究座談会」で同様の解釈を披露している。
 大野林火もまた後者の意味に捉え、「くろずんた蝌蚪」と「水面の日輪」とが重なり、「不思議に重々しい空気を伝えてくる」と��ている(『虚子秀句鑑賞』)。
 こう考えてくると、一句の解釈の分岐点は「うつりて」が「移りて」なのか、はたまた「映りて」なのかというとこにあることが見えてくる。
 まず、この句が詠まれていた時、年尾が同伴していたということであれば、後者の解釈に軍配を挙げる客観的証言である可能性は頭に置���ておく必要があろう。
 さらに、「うつりて」を「移りて」と解釈してしまっては、太陽の移動を説明しただけのことになってしまい、何が何してどうなった式の句として、値打ちが下がる。やはり「映りて」と受け取って、太陽の姿と光は池に映ってはいるものと理解して初めて、句に情趣が生じる。
 そもそも「て」は、単純な接続ばかりでなく、「ではあるが」という逆接の含意を俳句では持たせることがままある(井上『俳句のマナー、俳句のスタイル』)。
  面白てやがて悲しき鵜ぶね哉 芭蕉
  糸瓜咲いて痰のつまりし佛かな 子規
  蝌蚪生れて未だ覚めざる彼岸かな 松本たかし
 この句も、「太陽の光とその姿は池に映ってはいるものの」と屈折した意味を読み取るべきであろう。
 深見けん二は、やはり「玉藻研究座談会」で、「天日」の語の選択について、「何かそこからずうつと広がって行く大きな宇宙なり世界といふものが感じられる」と発言し、敏郎とのやりとりの中で、「太陽」よりも「天日」の語を選ぶことで、客観的な状況が単純化され、それに伴って、個々の細かい現象より、もっと大きな世界を把握し表現することが可能になったと確認しあい、生前虚子は「単純化していくとそこに個性が出て来ますよ」と語っていたことを引用している。
 この句に虚子の「個性」を読み取るならば、「金亀虫擲つ闇の深さかな」「蜘蛛に生れ網をかけねばならぬかな」「大寒の埃の如く人死ぬる」のような闇の世界を見つめ、それすら客観視しようとする世界に通じると言えば言えようか。
 最晩年の「この池の生々流転蝌蚪の紐」(昭和三十一年)も、細部にこだわった客観写生から出発して、掲句のような「単純化」を経て、たどり着いた表現と境地と見ることも可能だろう。「天日」という世界観を含んだ語の実験が、晩年の自在を生んだと考えたい。
 なお、虚子の揮毫は『虚子百句』全体に、かすれた墨痕で、視力が弱くなった老年の筆を感じさせるが、掲句に限っては鮮やかな筆づかいとなっている。意図的なものなのかどうかは、本書全体から見直してみる必要があり、機会を改めたい。ただし「我心或時軽し芥子の花」など明らかに、居住まいとただした書きぶりも認められる句が少ないながらあることは、単純な墨継ぎの問題で収まるのか否か注意を要することは、心覚えに書きとどめておきたい。
『虚子百句』より虚子揮毫
9 天日のうつりて暗し蝌蚪の水
10 思ひ川渡れば又も花の雨
Tumblr media
国立国会図書館デジタルコレクションより
___________________________
井上 泰至(いのうえ・やすし)   1961年京都市生まれ 日本伝統俳句協会常務理事・防衛大学校教授。 専攻、江戸文学・近代俳句
著書に 『子規の内なる江戸』(角川学芸出版) 『近代俳句の誕生』 (日本伝統俳句協会) 『改訂雨月物語』 (角川ソフィア文庫) 『恋愛小説の誕生』 (笠間書院)など 多数
0 notes
silent19nights · 6 months
Text
2023.08.07〜09
京都旅行
前日はまったく眠れなくて、ほぼ寝てない状態で朝を迎える。今までにもよくあった、大事な予定があるときのアドレナリン効果?
予定よりもひとつ早い電車に乗り、乗り換え駅で何本か電車を見送る。通勤ラッシュということもあり、人が多い。電車のなかで恋人と合流。二人して寝不足でとろとろの目で向かう。想像以上にスムーズに進み、新幹線乗り場ですこし時間を持て余す。おにぎりをひとつずつ買い、新幹線に乗車。おにぎりを食べ、話しているとすぐに静岡に突入。やっぱり大きい〜などと話しているうちに眠くなり、眠る。あたたかい手に包まれて幸せをひしひしと感じる。これからの3日間へのたのしみが溢れて、自然と笑みがこぼれ落ちていた。
あっという間に京都に到着し、荷物を預けに宿泊先へ。まだまだ京都に来た実感が湧かないね〜などと言いながら、中心部を移動。ホテルはなんとなくで選んだわりにはとても良い場所で一安心。荷物を置いて、昼食をとりにうどん屋さんへ。かき卵うどんが沁みる。食後は鴨川へ。念願の鴨川を目の当たりにし、京都へ来た実感が一気にわく。鴨川の河川敷を恋人と歩くのが長らくの夢であったから、ふとにやけてしまい恋人に不思議がられる。暗くなってからもまた来ようね、と約束する。その後、白川通りや花見小路通りへ。いかにも京都らしい街並みに感激し、手を繋いでいろいろなところを散策。人の多さに圧倒されつつも、脇道に逸れると一気に人が減り、落ち着くねと言いながら歩く。小腹が空き、散策のはじめのころに見つけた甘味処へ並ぶ。なんとなく良さそうだね、と決めた入ったところ、二階のお座敷の部屋に通され、想像以上に趣のある店内に二人で興奮する。ずっとここにいられるね、などと話しながらわらび餅を注文する。今度はお座敷のある旅館みたいなところで、宿泊先に重きを置いた旅行もしたいね、などと話す。再び鴨川沿いを歩き、能面を探しに五条通りへ向かう。到着するも能面工房は展示がされておらず、すこし残念であったが、しょうがないかと切り替え、京都駅方面へ向かう。途中で東本願寺を見つけ、参拝する。大きな本殿に圧倒され、すこし休憩する。古くに建てられた建築物内は風通しがよく、何時間でもいられそうなくらいの心地よさに感動する。そろそろ出ようかといったころに、何人もの僧侶見習いのような人たちの波にのまれ、驚く。キッザニア的なやつ?とつぶやくと、バチがあたるよと怒られる。その後、地下鉄に乗り、ホテルでチェックインを済ませてすこし休憩。きれいなお部屋でまた安心。ひとつのベッドに3つも枕が用意されていて、枕投げするか!と話す。お互いアレルギー持ちだから死んでしまうぞ、と笑う。そんなくだらない話をしながらソファに横に並んで座って、室内で二人きりになることがはじめてだね、と触れ合う。長旅の疲れと寝不足で今にも眠ってしまいそうになり、夕飯をとりに餃子屋さんへ向かう。餃子屋さんではカウンター席に通され、二人並んで餃子を食べる。恋人が注文した黒いチャーハンは見た目に反してシンプルな味わいであとを引く。餃子は想像通りおいしかった。恋人の眠気がピークに達し、少し不安になるも、さっと食事を済ませ、約束していた夜の鴨川へ向かう。鴨川に到着すると、川沿いの床料理の飲食店の提灯や照明に照らされ、まだ少し明るく、河川敷に座って辺りが暗くなるのを待つ。その頃も恋人はとっても眠そうで何度もうとうとと持たれかかってきて、かわいらしかった。今日はいつもみたいに帰りの時間を考える必要はないんだね、と旅行ならではの喜びを噛み締める。そうも話しているうちにすっかり暗くなり、雰囲気のある情景に。いつもみたいに恋人がわたしの腕をふにふにと触り、愛おしそうに見つめてくれて、横にいられる幸せを感じる。お話をしたり触れ合ったりと存分に鴨川の雰囲気に酔いしれ、ホテルへ戻る。あまりそのつもりはなかったがたくさん甘えてしまって、甘えなれていなくてよくわからなくなりつつも、眠い時だけではなくていつもこうやって甘えてほしい、眠いときだけ?と言われ、甘えるのも悪くないかも、と思う。同時にいつもそういうことを任せきりにしてしまうことに反省。その道中、コンビニでアイスを買い、帰って食べようねと約束する。んたしのシャンプーの香りが好きだとずっと言ってくれるので、シャワーはあとに入ろうか?と聞くと、その香りがいっぱいになったシャワールームに��りたい、と照れながら伝えてくれたのでその通りにする。メイクを全て落とした状態で対面するのは不安だったけれど、その姿も肯定してくれてうれしい気持ちでいっぱい。そういえば、香りは覚えているしもうわかるよ、と教えてくれた。香りっていちばん記憶に残るよね。わたしもわかるよ。二人ともお風呂から上がり、アイスを食べて歯を磨く。寝る支度を済ませて布団に入るか〜などと言いながら、準備をしていると枕をぶん投げられる。わしゃわしゃとすこし遊んでいると、同じベッドで寝る?と一つのベッドに入る。ホテルを予約した時点でもこういうことは少しだけ考えてはいたけれど、恥ずかしくて、寝相が悪いことにして別のベッドにしたことを思い出す。シングルに二人はきついかな〜と思いつつも、くっついているのでぎりぎりセーフ。好きな人といっしょに寝るのってこんなに幸せなんだと漫画みたいなことを思う。あまりの近さに照れてしまって枕に顔を埋めてしまう。でもいつも寝る時もけっこう顔を枕に押し付けているような気もする。これまで、外でしか二人きりになれなかった分、存分にくっつき合える場を楽しむ。恥ずかしくて仕方がなくなるも、こっち向いてよと何度も囁かれ、見つめ合う。どんな人であっても、身体に触れられることは今まで苦痛で苦手だったのに、ゆっくり少しずつ、安心できるように触れてくれることへの感謝を伝えられてよかったな、と思う。
気がつくと朝で、それでもまだ二人とも眠たくて夜の続き。ワンピースだけになり、いつも嫌だと避けてきた脚を触られる。ぶにぶにだから、とよけるもそれがいいのと言われ、ならばよいか、と許す。そんな自分が単純すぎておもしろい。
よい時間になり準備を済ませ、朝食をとりにパン屋さんへ。外は前日と打って変わって暑く、蝉の鳴き声が鳴り響き、京都の夏を見せつけられる。パン屋ではお互いが好きなクロワッサンとわたしはカレーパン、彼は好きな大葉のパンとナッツのパンを選び、珈琲とともに店内でいただく。朝から優雅な時間を過ごし、旅行気分を味わう。
2日目は彼の行きたいところメインで回ろう、と決め、嵐山方面へ。その道中の電車は外国人観光客で溢れかえっており、代表的な観光地であることを再認識する。到着後はトロッコの乗車券を購入。トロッコはこれまた外国の方だらけで日本人のほうが少数なのでは、というくらい。トロッコから見える景色は美しく、鹿がいるのも見えた。なかでもわたしはトロッコ保津峡駅の吊り橋がお気に入り。サスペンスドラマの撮影地にもなったと言っていたとおり、いかにも人が突き落とされそうな感じ。トロッコから下車し、竹林の道へ。竹って一日でものすごく伸びるから安易な気持ちで植えたらいけないんだよ、と教えてもらう。パセリも無限に繁殖するからだめらしい、よく知ってるね。竹林の道を抜け、渡月橋へ。恋人の念願の場所ということもあり、いかにもテンションが上がっている姿が見られて、こちらも嬉しくなる。お互いにインスタグラムのストーリーに投稿し、橋の下の川へおりる。彼は石を渡って中洲のようなところへ。その姿を動画に撮っているとこちらに気づいてにこにこ。かわいい。水切りをしたりふらふらしたりとなにやらたのしそうでよかった。その後は休憩がてら和菓子屋さんへ。わたしはみたらし団子、彼はわらび餅を注文し、店の奥にある椅子で食べる。良い雰囲気だね、と話す。嵐山を楽しんだあとは金閣へ。電車とバスを乗り継いで到着すると、いかにも大切にされていそうな雰囲気の鹿明寺に背筋が伸びる。拝観料と引き換えて渡されたチケットがお札のようになっていて、こういうのいいねと話す。金閣はほんとうにぴっかぴかでびっくり。特に写真で掲示されていた内部の最上階の壁や床が全て金箔で埋められた洗練された部屋が圧巻。足利義満の派手さに圧倒される。敷地内が一方通行に規制されており、人を避けて進まなくてよいことのストレスの少なさに二人して感じていた。進むと蝋燭や線香をお供えできる場所を見つけ、二人でストレス封じの線香を供える。効果があるといいな〜。金閣を見終えたあとは夕食のため��京都駅方面へ。京都駅はやっぱり人が多い。いろいろと迷った挙句、夕食は地下街のお好み焼き屋さんで済ませることに。チーズが存分にかけられたお好み焼きが想像以上に美味しかった。ボリュームのわりにはおなかによくたまり、大満足。ホテルへ戻るには少し早かったので、夜の千本鳥居に興味が湧き、伏見稲荷大社へ。勝手に人が全くいないことを想定していたけれど到着するとそれなりに同じような人たちがいて、みんな考えることは一緒か、となる。やはり夜はライトアップされていることからきれいで、感動する。マップを見ると、最後まで行くとすると稲荷山を登頂することになるようで、全く想像がつかなかったがとりあえず行けるところまでいってみるか、と意気込み、千本鳥居へ。途中で花火の音が聞こえ、そういえび今日は琵琶湖の花火があるんだったね、と思い出す。はじめの方は連なった鳥居が魅力的でどんどんと進んでいけたが、途中から険しい坂道となり、それなりのところで引き返す。疲れたけれど手を繋いで散歩できてとってもうれしかったなあ。電車で烏丸御池まで戻り、コンビニで飲み物とヨーグルトを買ってホテルへ戻る。昨日と同じように順番にシャワーを浴びて寝る支度をする。昨日は持参のパジャマを着たが、今日は備え付けのほうにしてみようか、とお互い前開きの浴衣のようなものを着る。あたりまえのように同じベッドに入る。昨日のこともありより積極的ですこし驚く。気がつくと服を身につけていない状態になる。何度も綺麗だと言ってくれて恥ずかしいけれどうれしい気持ち。
0 notes
muchakucha01 · 7 months
Text
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
 【十一月のご挨拶】
 立冬を迎えてまだ暑さ残る今年��  夏が好きな私ですが、気温が高いのに  日照時間が短くなっている感じには慣れません。  でも街中でも木々の葉は  少しずつグラデーションしていました。  季のうつりはひそやかですが確実に目に見えて。
 先月は台湾ツアーを行ない、  久しぶりの大人数の企画旅行を終わらせました。  自ら組み立て下見を重ねて作り上げていく茶旅は、  飛機、ホテルを決めて目的地に向かうのみ、の  通常の旅のスタイルと違い、  迎えてくださるサイドとの密な連携が必要となります。  いわば、旅の内容としてはじめにうたっている事は  全て成し遂げなければいけません。  テーマを遂行するのに関わってくださる方々。
 少しだけ裏方をご紹介します。
 例を挙げると、お見送り出迎えの方。  関空の見送りスタッフ、台北の出迎えスタッフ。  ツアーバスの運転手、ガイドさん。  ツアー中お世話になりますから、  その数日は旅の命運を乗せているのと同様。  本当に頼りとします。
 今回は、音楽会、茶畑見学、お茶会を  3本柱としていました。  音楽会では古琴、琵琶、二胡の演奏をじっくりと。  四名の奏者、司会者、運営の責任者達。  撮影担当者。総勢八名。  はじめて迎える大人数という事で、  椅子なども方々からたくさん用意していただいたようです。
 素晴らしい演奏を間近に聴いた終演後、  とても美味しい小菓子と台湾茶が出ました。  お茶は六亀の野放白茶。まだ暑さ残る日にぴったり。  家鴨の塩卵を棗餡で包み、サクサクのパイ生地のお菓子。  台北市内のお菓子屋さんの品かと思っていましたが、  台北から車で一時間かかる坪林にある  小さな食堂のオーナーに依頼し手製で焼かれたもの。  焼きたてを私達に食べさせるため  前日に取りに行かれたというのです。
 二日目は、包種茶の源流地、南港へ。  茶農家の余さん一族が五名。  解説をしてくださった台北に住む茶人、頼さんも  雨の中車を駆って駆けつけてくださいました。
 秋の新茶をはじめ数種類の  試飲をさせていただき、お茶を買い、  雨と霧に煙る茶畑を見学しました。
 三日目は、お茶会。  台北小慢さん、生徒さん方十一名と  ギャラリーオーナーAnnieの  尽力で作られた美しい茶席が六つ。  台湾、日本の交流茶會となり、  和やかで愛に満ちた空間となりました。
 食事に伺ったレストランでは  貸し切りで対応してくださったお店もあり、  わたし達のために特別の食材を手配して、  食べきれないほどのお料理を用意してくださった事も。  最後はみんなで記念写真を撮り、  LINE交換して別れました。
 最後に、本お茶会の衣装を担当した  伊藤尚美さん、鍛治田友起子さん、  旅行事務局二名。旅行アシスタントさん。  三十名の参加者の旅を作るのに、  ざっと三十五名以上の方々で支えてくださいました。
 茶旅ははじまりからフィナーレまでが  盛大なお茶会とも言えます。  ご参加いただいた方々はまた、  素晴らしい演者となってくださいました。
 楽しい思い出をまた次に  繋げますように。  二〇二三年 立冬  中国茶会 無茶空茶  黄 安希 拝
0 notes
niwanoki · 8 months
Text
2023/09/17
一日だけ京都にいた。京都国立近代美術館の展示を見たいと思ったからだった、あまり深いことは考えずに、なんとなくでも興味が湧いたら、それを単なる錯覚だとか抑えずに、とりあえず軽い気持ちで見に行ってみようというモードにあり、それを実行したかった。職場にコロナに感染した人がいて、自分のデスクに近い人だし備品を共用してた人だったので、最近の体調不良からして自分はグレーだと思われるし、今までにあまりない感じの深刻な頭痛がきていつもの薬が効かないということでいよいよこれは、と暗い気分になって仕事を早退した日の夜、22時くらいの夜行バスで向かった。どうもお腹の調子が悪い。でもバスに乗ったら平時の感覚が戻ってきた、たっぷりある移動中に山本精一の本を読もうと思って、財布とかと一緒にリュックに入れた。途中の鮎沢SAは涼しくていい匂いがした、自分の知っている少し昔の夏休みの匂いに近く、下界とは違ってさわやかだった。人の気配がなく、私にはまだ逃げ場があると思える、曇っていて星は見えないけど、この場所は多分自分の味方であり続けてくれるはずだ。途中で酔わない程度に本を読む、やっぱりこの人は頭がおかしい。お腹の調子が悪いしこんな寝不足じゃ、小学生の頃なら吐いていただろう、あんまり眠れないまま5時半に京都駅前に着き、時間的にまだ真っ暗だったら嫌だなと思っていたが思いの外明るくなっていて安心した。国道1号を北へすすみ、日がのぼる頃の鴨川を見たいということでどんどん歩いていった、くるりの「ロックンロール」を聴きながら歩くと歩くスピードと合ってて、人も全然いないし人の匂いも全然なく、空気はすずしく、なんとなく自由って感じがあり気分が良かった。高瀬川を渡り、左にカーブするコンクリートの橋を渡る、急に開けて広い川が見える、東側の山の稜線が朝靄と朝日でぼんやり霞んでいる、いいなあと思う、だんだんお腹が空いてきたけどそのままお寺とか神社に行くのがいいかもと、近くにあった豊国神社を参拝した。そのまま川の東側の小道を北へ進むと良さそうな和菓子屋さんがあったけど朝早すぎてやっていない。五条まで来て、川縁に降りてたもとを歩いていった。白鷺とかゴイサギとかカモとかカラスとかがいる、朝の方が川の水もきれいに見えて断然良い。とにかく朝が早すぎて落ち着けるところがそんなになく、疲れない程度に歩くしかなかった。8時半くらいまでぶらぶらして、期待外れだった朝ご飯のお粥をお腹に押し込み、地下鉄に乗って蹴上まで行き、今度こそ「インクライン」を見るんだと思っていたのに、結局やっぱり「インクライン」がどこにあるかわからず、以前来たのと同じルートで南禅寺に行き、水道橋と、本堂の龍の天井画を見た。もうこの辺りで気温が上がってしぶとい暑さに疲れ始めていた。やっぱり同じルートでそのまま平安神宮の方に琵琶湖疎水の脇を歩いて、美術館についたが微妙に開館まで時間があったので、その辺を一周してから入館。朝早いのに若者が結構きていて京都ヤングの文化程度の高さを感じた。眠すぎて時々急に電池が切れたように意識がブラックアウトする。工芸品が所々ケースなどに入れず直に展示されているので万が一そっち側に倒れ込んじゃったりしたら非常に危ない。何度か前や後ろに倒れそうになりながら、そのため監視員にうっすらマークされながら一個一個見たんだけど、やっぱり時代が新しくなるにつれてつまんないというか、何をこいつらはしたかったんだろう、みたいな気持ちが湧いてきて飽きてしまった。60年代までは工芸品とオブジェの境界に迷うような姿勢が見えて、それが作品に直結してる感じがして良かったけれど。最後の部屋まで来てやっと意識が安定してきたので、また最初の方の部屋に戻って展示のストーリーを確認しながら見た、まあ話は分かったがなんかやっぱりつまらないので、単純にいいと思った展示物だけを見て終了し、コレクション展の階に行くと、やっぱりいい絵があったので、安心した。山崎隆の屏風絵《神仙》、《歴史》、村山知義のリノカット、伊藤久三郎の《人々》。これらを見られただけでも収穫だということにする。広くて明るくて客もあんまりいない、すいすいと自分のペースで回って、気分がいい。正常な空腹を感じたので、ああ自分は元気になったんだと安心し、東山からまた地下鉄で二条城前まで行き、頑張って微妙に体力を消耗する暑さの中を歩いていったのに、ちょっと一人で入るのに勇気が必要なカフェでは、狭い待合スペースにイケイケの若者、いや、文化に明るそうな高踏そうな?若者たちが鮨詰め状態なのが見え、すぐに心が閉じてしまって踵を返した、東西の太い道路を横切って、写真のギャラリーに行って、展示を見て、川崎祐という人の写真集を買った、東京で今個展開催中らしい(知らんかった)。最後にまた鴨川を見たかったけれど東海道新幹線の遅延の報を知り、しょうがないのでもう駅に向かう。やたら店内の暗いコンビニで適当に買ったアイスを食べながら日陰を歩く、どこもめちゃくちゃ混んでいて全ての人を黙らせたい衝動が起こったがナチュラルな関西弁は聞いていてそこまで気分が悪くない。京都駅で家にお土産を買って、結局定刻通りに運行しているらしい「ひかり」に乗る、名古屋まで30分くらい、忙しなさすぎてあんまり感傷?に浸ることもなく、でも夕方の車窓はやっぱり美しく、斜め後ろの座席の家族連れがうるさいな~ってことすら流せるくらい順調、定刻通り名古屋について颯爽と下車したら名古屋はまた死ぬほど人がいて、面食らった。改札近くのトイレも駅ビルのトイレもどこも全然空いてなくて、夕ご飯を買いたかった売店も観光客らしい人たちで大混雑していて、たかが名古屋のくせにと軽くイラついた。やっとのことで名古屋屈指の古い地下街の、そのまた地下(地下駐車場の)のお手洗いで用を足し、普通にバスにも間に合った、隣席は発車時刻ギリギリで乗り込んだ黒人の若いお兄さんだった。一瞬、バスジャックされたりしたらやだなとほんの一瞬思ってしまった(彼は終始、携帯などには一度も触れることなく、黒いリュックを抱えて多分寝ていた)。窓がでかいバスで、サッサカ暮れていく空と、高速の防音壁と、一瞬だけ帰ってきた名古屋の街とをゆったりした気分で眺めた、高速に乗る、というのはどこか、挑むみたいな気持ちになる。これからのとてつもない長い距離と時間に、後ろに去っていく風景に、空の色に、それがすごい好きだった。とてつもなく長い距離、というのが私にとっては重要なのです。とてつもない距離とそれが抱えている時間に次第に倦んでいく感覚さえ自分にとっては。こんなにも離れていたということ。これから離れていくということ、小さくなっていくことの寂しさと安心。夕方の名古屋高速はいい。伊勢湾岸道に入り、羅針盤のアルバムを聴きながらうとうとしていると、早々に「足柄から大井松田まで渋滞25キロ通過60分」の表示を見かけた。終電には間に合うかなと思って途中のSAで悠長にソフトクリーム(静岡茶味)を食べてたら、どんどん渋滞が伸びて40キロとかになっていた。横浜から首都高の入り口までも渋滞が始まってるということで地獄が待ってるらしかった。終電に間に合わなかったら交通費をいっぱいにケチった旅行が丸潰れになる~とか焦り始めていると、いざとなったらなんと父が東京駅まで出動してくれるという連絡が。ありがて〜けどそれもまた問題だよと思う。こんな年齢になった娘などもうどこで痛い目にあっていようがのたれ死んでようが放っておけばいいのにと思う。バスの運転手���んは非常に優秀な人と見えて、比較的空いている道ではちゃんとそれなりのスピードで走っていく。特に工事で端っこの車線が慢性的に通行止めの道でも、ガンガン右車線で飛ばしていき、どんどん後ろへ車が抜かされていくのが面白かった。この快調なスピードの上にいないとわからない音楽ってあるよね、ということで、くるりやスピッツやフジファブリックや奥田民生を聴いた。絶対そうなのだ。おなじみの足柄SAにたどり着くと、またものすごい数の車が集まっていて駐車場はごった返していて交通整理をする警備員さんが怒号ともつかない叫びで駐車できずあぶれた車、というかドライバーをさばいていた。御殿場を過ぎて雨が降ってきたけど、いつの間にか雲が切れて止んでいて、夜空はすごく澄んでいて星がいくつも見えた。こういう経験も、夏休みとか冬休み特有のものだった。渋滞でノロノロ進む車内でまた例の本を開く。人や動物に簡単にすぐ殺意を抱いたりしていて忙しそうで笑える。そもそも自分はこういう文体ににハマるたちだし、かなり真理らしいことを言ってたり考え方の極端さには共感すらしてしまうが、憤りとかマイナス?の力が増大した時の思考の飛躍と行動・言動が怖すぎて(ときどき時代錯誤感もあるし)、この人が父親でなくて本当によかった。歌声がいい、歌詞もいい、ギターもすっごいカッコいい、しかし。で、そんなこんなで終電に間に合うか、間に合わないか本当に微妙な時間になってきていたが、運転手さんの的確でメリハリある優秀な運転のおかげで遅れは1時間弱だった。心身ともにきついこともめちゃ多い仕事とは思うがやっぱり運転がうまい人はかっこいい。あと夜行バスは疲れている時はもちろん基本的には交通手段の選択肢から外すべきだ。どうせ眠れないから。ふらっとどこかへ消えたいと思った時、忙しない旅程を組むと感動する余裕も大して持てず帰ってきたときに何も変わっていない自分にただ、ただただ絶望する。0時前の混んでいる中央線快速、火でもつけたい気持ちに駆られつつ、急に疲労が襲ってきてまた意識がガンガン途切れて忘れたはずの吐き気も出てきて、薄めた地獄みたいだった。
0 notes
generousfanphilosopher · 11 months
Text
37種常用味汁配方,用得上就收藏!10
 冰花酸梅酱 8 瓶,白醋 1 瓶,玫瑰露酒 1 瓶,白糖约 500 克,味精 20 克。
將以上調料共置於凈鍋熬制呈蜂蜜狀后去掉酸梅渣,倒入容器中即成。 如果感覺稠度不濃,可適當加糖稀調製。
此酸梅醬為廣東風味,可作為燒鵝仔,烤乳鴿,烤鴨,油淋鴨,琵琶鴨等燒烤的味碟。
36、川式香辣味汁日本藤素 日本騰素 必利勁 威而鋼 日本藤素真假 日本藤素官網 藤素藥局 日本藤素價格 持久液 JAPANTENGSU 萬力可 春藥
海椒末 100 克,芝麻 20 克,精鹽 25 克,味精 15 克,紅油 50 克等拌和均勻后加適量涼開水兌成。
此味水辣椒粉較多,呈辣椒醬狀,常用於拌製涼菜的滷味製品或者辣椒味碟。
37、涼菜各種油碟
(1)花椒油碟:用花椒油、生抽、精鹽、白糖、味精調拌而成。
(2)紅油味碟:用紅油、白糖、精鹽、味精調拌而成。
(3)蒜泥油碟:用大蒜泥、沙拉油、小麻油調拌而成。
(4)薑汁油碟:用生薑絲(末)、紅醋、沙拉油、小必利吉 印度必利勁 持久液 一炮到天亮 印度神油 美國Rhino犀牛7 美國黑金 德國黑螞蟻生精片  日本淑女剋星精華素 西班牙金蒼蠅催情水  陰莖增大膠囊 日本藤素男性速效保健品 日本騰素評價  日本藤素哪裡買 日本藤素心得 味麻油調拌而成。
(5)麻辣油碟:用花椒油、紅油調拌而成。
(6)芥末油碟:芥末加胡蘿蔔茸、紅椒末、洋蔥末,淋七成熱油而成。
(7)五香油碟:八角、桂皮、草果、小茴,陳皮等碾碎后,淋七成熱油而成。
(8)咖喱油碟:用咖喱油、紅油、洋蔥末調拌均勻即成。 此薑茸呈用咖喱味汁可直接淋入熟制的動物性原料涼菜,如咖喱。
0 notes
timtimku · 1 year
Text
New Journey
2023.2.26
自日本回來已經一個禮拜了,去旅行的時間真的過得很快,眨下眼10日的關西之行就此過去。自疫情以來,3年沒有到過外地,沒有離開過香港,自早陣子收拾行李以來再到起程,沒有規劃太多,再踏入機場的一剎那,感覺既陌生,但是又好熟悉,熟悉的店舖、熟悉的位置。2月10日凌晨時份去追機場巴士、清晨6點多就入到機場,四周人流少了,店舖也關了一些,在機場逛逛,感覺好像沒有隔了3年這麼久,那個啟程的感覺好像又回來了。
說回這趟久違了的旅程,有很多的第一次。原來自己一個人去過這麼多次旅行,也依然會有驚險的事發生。真是沒有一次旅行是平平無奇,可能這是自己一個去旅行的獨特之處吧。
這個久違了的旅程,最大的新嘗試,我相信會是自駕吧。人在異地,一個人自駕遊,說難不難,但也不容易。準備了兩個月,在香港駕了幾次車,考了車牌有10年之久沒有觸摸過軚盤,就是靠著心口一個勇字,出發前說想achieve一點甚麼。就這樣,有驚無險地,有幸,平安歸來了。
說回租車自駕的旅程,某日清晨由大阪坐JR出發,9:30已到達和歌山駅。由和歌山Orix取車,出車後以為autolock是門鎖壞了,開到了市內某個停車場然後又折返。買了初心者貼,解決門鎖問題後最後終於出車,兜了兜後上了高速,借不到ETC,入收費亭也是全新適應。日本的GPS真不算太準,兜錯路來回折返當遊車河吧。
由和歌山駕到田邊已經4小時車程。沿途由日照到入黑,臨尾路段也是只有自己與那部黑色的Honda Fit。原來訂了那間「霧の郷」是在山上,還要是九曲十三彎的崎嶇山路,漆黑一片的山路,只有車頭燈照亮之處能看見,幾經小心、慢駛之下終於上到山。雖然天氣很凍,駕駛路途很累,但入到住宿處是一片溫暖的氣氛,那個笑容滿面的男職員、終日拿著結他,用很簡單的英文寒暄了一回,他的那句:You are veli good!真的好笑又窩心,雖然拖著累垮的身軀,但一邊品嘗他們準備好的精緻美食,加上那個結他男的熱情笑容、以及跟那對老夫婦的閒聊,都令人覺得窩心。
但最令人感動的,是名符其實的「霧の郷」的山丘。那朝於清晨時分起床,6點多從房間的門口走出去,在一片白霧中,那個山丘霧景,相信足以難忘一輩子。當日很大霧,吃早餐的時候,外面的雨點已經滴滴答答,原先想著由田邊駕車到熊野的大門坂處,車程約3小時,150多公里的距離,但於這個下雨天又大霧的天氣,心想基於安全與時間考量,一定要放棄這段路了,然後就步行至住宿附近的「熊野古道段」入口。愈往山上走,回頭一望,那個景觀真是不得之了,一望無際的山丘、黃色的田野、綠色的樹、加上煙霧彌漫的氣氛,簡直靚到懷疑眼前的一切是否真實。
不過,自己一個人旅行已經這麼多次,原來都仍然會遇到不少驚險位。在山上因駕車走錯路,駕進了一條又窄又長的單程路,沒有辦法之下再轉上了一條短斜坡,那種窄的程度是僅僅夠部車駛過。一直前進,然後一直在找合適的位置U turn,可是條路真在是太窄太斜了,完全不能夠調頭。在停車又下車察看的情況下,最後決定繼續駕上去,看看夠不夠空間調頭。在幾乎有一個前輪掉下山坡、又有一個後輪剷上了石壆之下,幾經破折,終於駕上了一個比較闊的位置。在還未冷靜下來之際,一停下來望出窗外,突然看見兩隻猫在草叢上同時望住我,相信牠們在好奇:這傢伙在幹甚麼?擾攘些甚麼?剛才在下面那麼吵!
停好部車之後,兩隻貓都好奇地向我走近,其中一隻比較怕生,好奇又不給人摸,另一隻夾雜啡色、黑色與白色毛的貓貓向我走近,很快就跟我打成一片,又撒嬌又喵人。在我回到駕駛座平靜一下剛才的驚慌之際,這隻貓突然間從我打開的車門中跳進來,又上又落於車廂內跳著玩。最後這隻貓走到副駕的腳下位置,捲縮著身軀睡著了。我看著這一幕奇妙的景象,牠睡得好甜,像是在告訴我一切都會沒事的,不用擔心,這裡很安全,你看我睡得多香。看著看著,休息了差不多一小時,貓貓仍在���,我是多麼的想載牠回來啊。即使如何不忍,也忍痛將猫猫弄醒抱起,放牠出車外了。然後牠慢慢走回木屋,跟怕生貓貓在一起了。此時,我再次發動車輛引擎,原先的焦味已經散去,開車離去之際,再次望出窗外,那兩隻猫猫捲縮著身軀,躺在木屋前,同時又望向我,我又再一次望向牠們,作最後道別了。縱即如何不捨都要開車離去,繼續向前,繼續我的路,這不是人生嗎?我與猫猫相處的時間雖然短暫,原先在想這樣一搞又浪費了一個下午,困在山頭甚麼地方也去不到,不過又錯有錯著,又碰巧轉上了這條路,碰巧遇上了猫猫。有緣於這一輩子中溫暖了彼此,相處了一個多小時的時光。然後,在該說再見的時侯說再見,這就是人生吧。
都說,一個人旅行,能學習的東西實在太多了。
雖然將車輛駕回和歌山還車之際,要報警處理保險事宜,花上了整夜,後來尾班車到京都已沒有了,坐JR回大阪差不多兩小時,到抵已晚上12點多,臨時在大阪訂了晚酒店,轉的士到埗後已1點多。在酒店吃便利商店買回來的「大砲」杯面,還真是勞累的一天啊。
第二次的驚險,是有天坐纜車上了比叡山,一出站望向琵琶湖的景色很美。沿山路行一片白雪,行了一會兒已差不多要回去纜車點了。回程時不知為何又走錯路,走進了一條山路。整地都是雪又斜又崎嶇,愈向前走就愈覺得不像原路,怎樣走都還有兩三公里,天色已開始晚了,在雪山上開始跑起來,路很崎嶇,很怕錯腳掉落山下。然後,在很狼狽之際,一抬頭望,簡直被眼前的景色震懾。此時5點多將近日落,日落映照著一片雪地,眼前是一望無際280度的山峰景色,漸變色的天空,腳下的一片白雪,在樹枝的映襯下,此情此景實在夠難忘一輩子。那時有個女子坐在兩張長椅的其中一張,看著日落。我也不敢發出太多聲響,坐在另一張長椅上看著日落。此時已深知尾班纜車是趕不到了,可能改坐巴士吧。之後起身回去之際,去到巴士站前:大雪停駛。心知不妙了,此情此景又再一次重現,同樣是日本、又是大雪紛飛、又是過了尾班車、又是巴士停駛。怎麼辦呢?那時回想剛才擦肩而過的那位光頭男子,應該是僧人吧,在後悔為甚麼當時不開口問路?又責備自己為甚麼不跟在日落景象的那位女子身後離開?有時只是一念之間,後果真的差天共地。當時氣溫真在太凍,想著走山路來折返大路,但天色已經很黑了,我只有電話在手,沒有街燈、沒有電筒,腳上還只有一對波鞋。向山中走了走更覺不妙,終是便回頭折返到巴士站。
原先準備又在雪山上過夜,有水機,有廁所,有個電話亭可躲避,應不至於會���屎吧。跟唯一在京都的朋友報告後,便決定報警。又再一次報警,在雞同鴨講之下說了長途半小時,可幸遇上很可愛的女警,很有耐性跟笑容,那句重複又重複的Wakanimazen,輕輕又簡短的問侯:夠夜服嗎?有水嗎?有東西吃嗎?已很能夠溫暖我的心。終於聽到他們會找車來接我,心頭大石輕了不小,終於不用又在冰天雪地上過夜了。接下來就是等待。此時雙手和雙耳已凍得沒知覺,天色很黑了,四周很空曠,抬頭望天上有很多很多星星,很清晰的,遠眺望向山下,燈火闌珊,寂靜的京都很美。但很快地,有個男人開車上到來接我了,他駕的是比叡山延曆寺的車輛,應該可能是寺廟的人員受警方所託吧。然後又跟個朋友於堅田這地碰了面,吃了個拉麵,很令人啼笑不得的經歷啊。
這個久違了3年,歷時10日的旅程,其實也很滿足,沒有甚麼好遺憾了。雖然當中有可惜,那4次與Lia、Sakura、Aye(那首First Love真的這麼巧嗎),那夜的賣醉,吹頭時真的連頭也托不起來,還有最後跟Luna的「經歷」,雖然也未盡如人意。不過,經歷就是經歷了。這次的關西之行,體驗了熊野古道的山林靈氣、達成自駕的achievement又安全還車,於京都又很意外地碰到了落大雪的兩日兩夜,還沒計劃地上了雪山。於大阪的中之島美術館跟店員的一席話,相隔了4年再回來此地。意外地又能夠再次到東福寺站的章魚燒店,說了會Come back。又一次到京都藝術中心的cafe,又一次到三味洪庵看著那條河吃飯,又一次前往東福寺發呆,又一次在京都踏單車,又再於鴨川旁踏單車漫步。在單車上慢走並於京都小巷跟在掃地的女店員對望點頭微笑。在京都河原町酒店旁的花店,能夠跟店員四目對望,雖然大家仍然戴著口罩,但在metro與JR碰過的很多個日本女子,那些眼神,都讓人深深的記在腦海。
不知道,那一夜被拒絕的原因是甚麼呢?她在說的日文到底是在說甚麼呢?我很想知道,很想於不用拔出翻譯機的情況下,聽得懂。
轉眼間10年了,是時侯要踏出那一步了。
0 notes
chiefbelieverllama · 1 year
Text
中餐禮儀 座位應該怎麼排2
入席時如果有主人或招待人員,那麼座位應聽候主人或招待人員指派,不要過於禮讓。 如未定座位,應由尊長坐上座,自己揀適當的座位坐下,不必過於謙恭。
當你快要坐下時,切記要用手把椅子拉后一些才坐下,如果用腳把椅子推開,這樣就表現出你是一個很粗魯的人,因此,你還是動手自已把椅子拉開才坐下。 小姐們若有男友同行時則不必自己動手拉椅子了,因為這是男友的責任。
入席時,要坐得端正,雙褪靠攏,兩足平放在地上,不
東京藥局 壯陽藥 春藥 媚藥 男性壯陽 陰莖增大 女性高潮 持久液 增大丸威而鋼 必利勁 樂威壯 犀利士 必利吉 韓國奇力片  Cenforce 日本藤素 英國威馬 泰國馬力丸 德國必邦 美國黑金 威格拉 雙效犀利士
宜將大腿交疊。 雙手不可放在鄰座的椅背,或把手擱在桌上。
任何一個民族都有自己富有特點的飲食禮俗,發達的程度也各不相同。 中國人的飲食禮儀是比較發達的,也是比較完備的,而且有從上到下一以貫通的特點。 《禮記·禮運》說:“夫禮之初,始諸飲食”。 在中國,根據文獻記載可以得知,至遲在周代時,飲食禮儀已形成為一套相當完善的制度。 這些食禮在以後的社會實踐中不斷得到完善,在古代社會發揮過 重要作用,對現代社會依然產生著影響,成為文明時代的重要行為規範。
有主有賓的宴飲,是一種社會活動。 為使這種社會活動有秩序有條
KELLETT FILMS 奇力片 小禎代言奇力片  cialis   Climax Spray  倍耐力 Vimax增大丸 goodman增大丸 泰坦凝膠 美國威樂 德國紅魔 奧地利XXL 印度神油 日本丸榮 2h2d 日本丸榮金尊版 奧地利XXL陰莖增大膏
理的進行,達到預定的目的,必須有一定的禮儀規範來指導和約束。 每個民族在長期的實踐中都有自己的一套規範化的飲食禮儀,作為每個社會成員的行為準則。
維吾爾族待客,請客人坐在上席,擺上饢、糕點、冰糖,夏日還要加上水果,給客人先斟上茶水或奶茶。 吃抓飯前,要提一壺水為客人淨手。 共盤抓飯,不能將已抓起的飯粒再放回盤中。 飯畢,待主人收拾好食具后,客人才可離席。 蒙古族認為馬奶酒是聖潔的飲料,用它款待貴客。 宴客時很講究儀節,吃手抓羊肉,要將羊琵琶骨帶肉配四條長肋獻給客人。 招待客人隆重的是全羊宴,將全羊各部位一起入鍋煮熟,開宴時將羊肉塊盛入大盤,尾巴朝外。 主人請客人切羊薦骨,或由長者動刀,賓主同餐。
作為漢族傳統的古代宴飲禮儀,一般的程式是,主人折柬相邀,到期迎客於門外; 客至,至致問候,延入客廳小坐,敬以茶點; 導客入席,以左為上,是為首席。 席中座次,以左為首座,相對者為二座,首座之下為三座,二座之下為四座。 客人坐定,由主人敬酒讓菜,客人以禮相謝。 宴畢,導客入客廳小坐,上茶,直至
DDC粉  日本千島片 瀰漫之夜 熾熱催情水 西班牙性愛素 蒼蠅水 迷昏藥 迷姦藥 香港GHB 聽話水 Mrs vimax 卡宴催情液 昏迷粉 Kiss Glod 女神之戀 威而柔 lovergra 情慾提升液 藝伎激情膏
辭別。 席間斟酒上菜,也有一定的規程。 現代的標準規程是:斟酒由賓客右側進行,先主賓,後主人; 先女賓,後男賓。 酒斟八分,不得過滿。 上菜先冷後熱,熱菜應從主賓對面席位的左側上; 上單份菜或配菜席點和小吃先賓後主; 上全雞、金鴨、全魚等整形菜,不能把頭尾朝向正主位。
中華飲食文化可是相當的完整,從菜系到餐桌禮儀都有一套完整的體系與說法。 所以不要認為吃飯時位子是可以隨便坐的哦~
0 notes
《夜鷹的單戀》線上看小鴨| 免費影音(TW2023台灣字幕)
《夜鷹的單戀》高畫質免費線上看,夜鷹的單戀線上看完整版,夜鷹的單戀線上看小鴨,提供繁體中文字幕。
(電影)免費線上看【夜鷹的單戀】 :
➤https://t.co/YsVmirEEnQ
台灣 No.1 高清正版線上看 | 460p - 720p - 1080p - BRRip - DvdRip - 4KUHD
電影信息:夜鷹的單戀
導演: 安川有果
演員: 松井玲奈、中島步、藤井美菜、織田梨沙
類型: 劇情
上映日期:2023/01/06
片長: 1 時 40 分
本作改編自島本理生的同名小說,“那些人們平常連正眼都不瞧就使其略過的事物,是你將它們撿起,打亮,信任它們的價值,再展現給大家看”
本作改編自島本理生的同名小說,由曾經獲得日本專業電影獎年度新導演的安川有果執導。女主角松井玲奈原本就是島本理生的書迷,她在讀完原作之後,就強烈期盼自己總有一天能飾演愛子。男主角則是近期演出《想像與偶然》的人氣男星中島步。
白皙的左臉長了一大片深色胎記,女大生前田愛子(松井玲奈 飾)曾在小學上課時被同學發現「前田的臉上有琵琶湖!」,因而對自我開始產生懷疑,從此帶著痛苦和恐懼的心情埋首課業,對於玩樂與戀愛一概沒興趣。
這段關於「臉」的故事被寫成報導文學的書籍之後,前田成為話題人物。她在書籍封面拍攝現場邂逅了電影導演飛坂逢太(中島步 飾)。在價值觀偏頗的社會中,飛坂對想連同自己胎記也一起肯定的前田一見鍾情,決心為她拍攝一部電影,雖然屢屢遭到拒絕,但他並不氣餒。觀賞 飛坂的電影作品之後,前田終於對飛坂的態度有了轉變,漸漸卸下心防。
當傷痕累累卻努力活著、認真面對每一天的前田,邂逅了願意直視人們刻意忽略的事物,並好好珍惜的飛坂,兩人的戀情逐漸升溫;然而隨著電影拍攝來到尾聲,飾演電影女主角的女星竟是飛坂的前女友……
雖然現在網路上有許多強大的字幕網站,提供大量電影、動畫、美劇、日劇與韓劇等免費中文字幕讓大家下載,但有時候還可能發生到找不到的情形,這時就能透過這款 mobitv.asia 線上翻譯字幕工具,把國外字幕一鍵翻成繁體中文,完全免費且支援超多語言。
您可以免費在線觀看《夜鷹的單戀》電影,而無需註冊,但是在這裡您還可以觀看質量更高的舊電影。 您觀看的所有內容都將在線上顯示; 如果您有娛樂動作電影的訣竅,可以在這裡觀看。 如果您正在尋找適合您或您的孩子的動畫電影,也可以在這裡找到他們。
以上就是 mobitv.asia 免費看《夜鷹的單戀》方法。
《夜鷹的單戀》線上看小鴨 台灣,用mobitv.asia輕鬆看正版
《夜鷹的單戀》(The Nighthawk's First Love)將於台灣時間6月25正式上架,較為特別是這部電影將獨家mobitv.asia 平台上線,至於該如何線上免費看《夜鷹的單戀》?這篇來教大家一個最快速看正版方法。
至於《夜鷹的單戀》電影版會不會有中文字幕?目前看了一下 mobitv.asia 所有影片都會包含中文字幕,所以不用擔心會缺少繁體中文配音。
想要在第一時間免費看《夜鷹的單戀》電影,建議先準備好爆米花和飲料,畢竟這次電影片長會長達1小時13分鐘。
台灣除了能透過 mobitv.asia 觀賞《夜鷹的單戀》以外,也可以選擇 Catchplay 或有線電視,如台灣大寬頻、凱擘大寬頻、TBC、大新店 / 屏南數位有線電視、台灣數位光訊科技集團、 Home+中嘉同樣都可以直接訂閱觀賞,不過這次會教大家用 mobitv.asia 免費看夜鷹的單戀方法。
用電腦和電視上也可以觀賞 《夜鷹的單戀》
在 iPhone 和 Android 操作完成後,就可以直接透過電腦登入 mobitv.asia 官網,同樣是可以直接透過電腦大螢幕觀賞《夜鷹的單戀》電影。
如果要在電視上觀看《夜鷹的單戀》電影,只能透過 iPhone / Android 投影、鏡像、AirPlay 或 Chromecast 方式。
關鍵字Google:
夜鷹的單戀線上看 夜鷹的單戀線上看完整版 夜鷹的單戀線上看小鴨 夜鷹的單戀線上看完整版小鴨 夜鷹的單戀線上看小鴨 台灣 夜鷹的單戀台灣 夜鷹的單戀台灣上映 夜鷹的單戀台灣小鴨 夜鷹的單戀台灣下載 夜鷹的單戀小鴨 2023
0 notes
kanibibouroku · 1 year
Text
2022年春に京都行ったこと
2022年4月1日~3日に聖地巡礼?で京都に一人旅行に行った。別に目的は明確じゃないけど。仕事辞めた無職期間に行ったので傷心旅行かもしれない
半年以上前のことなので覚えてる限りだけど書き残したい
次の仕事は決まっていて、4月4日から仕事始めだった。3月いっぱいは有給消化してたけど漠然と京都行きたいなとは思っていた。まあ行動に移せない類の人間なのでダラダラしてた
4月1日の朝方4時ごろにやっぱり行きたいなとなり新幹線とホテルのパック予約した。計6万程。あほか?でも売ってる方も悪くない?
で、10時か11時頃の新幹線に乗って京都駅に14時ごろ到着。荷物が邪魔だったのでまずはホテルに直行した。駅前すぐのところにあって助かった。
Tumblr media
身軽になったものの、中学の修学旅行以来の京都。土地勘もないし何も決めてなかったからグーグルマップで最寄りの観光地を探した。歩ける範囲に三十三間堂と清水寺があったからそこを目指すことにした。
Tumblr media Tumblr media
途中で渡った橋が鴨川だった。桜が満開の時期に行ったから本当にいつどこでも桜と京都の町並みが綺麗だった。
Tumblr media Tumblr media Tumblr media
グーグルマップの案内で迷わず三十三間堂についた。館内は撮影禁止なので外観の写真しかないけど、千体の等身大の仏像が並ぶ様は圧巻だった。30分くらいかけてじっくり仏像を眺めながら廊下を歩いた。
修学旅行で行った記憶が無かったので恐らく初めて行ったのかな。流石にあの圧を受けたら忘れないと思う。中学生の頃の自分なんて仏像に欠片も興味が無かったから本当に忘れてるのかもしれないけど。
2021年位からよく頭痛に悩まされていたので土産物屋で頭痛守を買った。三十三間堂を建立した後白河法皇が頭痛も悩まされていたらしい。効果は実感できていない。
Tumblr media
三十三間堂を出て清水寺に向った。五条坂前に大谷本廟という寺があったから由来も知らないのにフラフラ入った。丁度閉館の17時になり入れなかった。
Tumblr media
寺の前の池の名前がすごく風流だった気がするけど忘れてしまった。公式サイトにも載ってない。
Tumblr media
脱線したけど途中五条坂にあるすみっコぐらし堂ですみっコぐらし好きの友人にお土産を買ったりして清水寺についた。ついた頃には日も傾きかけていた
Tumblr media
100円で胎内巡りに一人で入った。暗闇を壁にある数珠を象ったスロープを頼りに進まされた。くねくねしていて壁に盛大に足をぶつけた。終わりかけに暗闇に梵字が浮かび上がっていたが、だからなんだよと少し思った。
私が入ったときは閑古鳥だったが、私が出ると同時に団体客が胎内巡りに入って行った。
Tumblr media
流石に中学の修学旅行で清水の舞台に来たことは覚えていた。
Tumblr media Tumblr media Tumblr media
更に奥に行って清水の舞台も一望出来るところから見れた日の入りが綺麗だった。人がいっぱい居たけどみんな夕日に夢中だった。
Tumblr media
坂を下りて清水の舞台を下から見上げた。ライトアップされていた。
日も落ちると冷え込んできて、寒さに負けてお菓子と抹茶を飲んだ。800円した。
Tumblr media Tumblr media
ライトアップされた桜が水面に映る姿が清水寺で一番綺麗だった。
Tumblr media Tumblr media
1人で夜の京都に居ても仕方ないのでさっさと帰ることにした。なんだかんだ歩いたのでバスで帰ることにしたが、バス亭が鬼のように混んでいて30分くらい立って待たされた。寒かった。
観光地の飲食店におひとり様する勇気もないのでホテル下のコンビニで適当に買って部屋で食べた。持ってきたアイパッドでアニメ平家物語の最終回を見た。
Tumblr media Tumblr media Tumblr media
二日目朝は京都駅から電車に乗って琵琶湖疏水へ行った。
Tumblr media Tumblr media Tumblr media
水路閣が見たかったのだが南禅寺境内にあることは知らなかった。煌びやかなお坊さん達がグルグル回って読経していた。
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
琵琶湖疎水から川沿いに歩くと平安神宮に着いた。
0 notes
smile25tama · 2 years
Photo
Tumblr media
大津は西武があるから来るって程度だったから、ゆっくりと湖岸を歩いたことは無かったな。 滋賀で育って40年。 初めてくらいに大津の浜辺を歩いてみた。 気持ちがいいもんじゃ。 遠くに琵琶湖大橋も見えるんかぁって、ほんっと狭い世界で生きてるって実感。 ところで、大津の鴨は人を見ても逃げないんだね‎( ꒪⌓꒪) (Otsu, Shiga) https://www.instagram.com/p/CiElMIRrb2A/?igshid=NGJjMDIxMWI=
0 notes
john14101126 · 2 years
Photo
Tumblr media
上週六日到高雄萬豪酒店放鬆吃美食! #高雄 #萬豪酒店 #萬豪酒店marks鐵板燒 #萬豪酒店鐵板燒餐廳 #萬豪酒店港式飲茶 #萬豪酒店中餐廳 #美食 #午餐 #晚餐 #早餐 #紅棗核桃甜湯 #香蕉巧克力鐵板可麗餅 #茄子料理 #紅麴燉飯 #鐵板炒飯 #鐵板雙拼 #鐵板鮑魚 #鐵板干貝 #萊姆酒 #洋蔥湯 #腐皮炸蝦捲 #烏梅黑木耳 #鮑魚珍珠雞 #蒸排骨 #琵琶鴨 #叉燒雙拼 #花枝燒賣 #brackfast #lunch #dinner(在 高雄萬豪酒店 Kaohsiung Marriott Hotel) https://www.instagram.com/p/CgRzCvyBkSp/?igshid=NGJjMDIxMWI=
0 notes
kachoushi · 2 years
Text
各地句会報
花鳥誌 令和4年7月号
Tumblr media
坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
………………………………………………………………
令和4年4月2日 零の会 坊城俊樹選 特選句
花の舞ふ五叉路に迷ふ女かな きみよ 蛇穴を出て街中に紛れたる 梓渕 大江戸も春や二の橋三の橋 荘吉 ハワイアンたらたら流れ逝く春ぞ いづみ 大銀杏とは崩れつつ芽吹くもの 光子 散る花も散らざる花も手に遠く 和子 春の地上へとエスカレーターエスカレーター 炳子 六本木ヒルズの方へ茎立ちぬ いづみ 小津映画ほどの間合や春の昼 美紀 春爛漫東洋英和女学院 梓渕
岡田順子選 特選句
女学館へとまやかしの蜃気楼 俊樹 道路鏡に真昼の空や鳥交る 炳子 花衣抱かれて泣く真昼かな 光子 花盛り帝都の地下を逝く列車 久 骨董を異人売りをり春市場 季凜 花衣とて親鸞のわらぢ履き 千種 散る花も散らざる花も手に遠く 和子 開山堂椿は白に額は朱に 季凜 老酒の壺の箆跡風光る 和子 手のひらが日を受くやうに飛花落花 小鳥
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年4月7日 うづら三日の月花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
春光やコロコロコロと猫たはむ 喜代子 制服も夢も大きな一年生 由季子 ぶらんこや少し揺らぎて誰を待つ 同 遠い国桜咲くよな和みあれ さとみ 春灯や逝きし人宛文を書く 都 九頭竜に影を流して春の雲 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年4月7日 花鳥さざれ会 坊城俊樹選 特選句
鳥曇東尋坊に句碑幾つ 匠 日本海敦賀も能登も鳥曇 同 お精舎は花の宇宙となりにけり 笑 花見舟鳩も雀も乗りたかや 希 白猫も潜めし花の堤かな 天 空
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年4月8日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
花の昼一本の棒の如く臥す 悦子 野遊やゴム動力機風に乗せ 宇太郎 落花また落花画布まだ白きまま 栄子 少女らに余る日溜り菫濃く 都 戻りにも居るふらここの独りぼち 栄子 風光る雲に届けと竹蜻蛉 宇太郎 しやぼん玉橋の上から彼の世まで 栄子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年4月9日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
陽子墓碑追慕にしばし桜舞ふ 文英 鶯の息継ぎ長きとしあつ忌 百合子 たえまなく組んでほぐれて花筏 ゆう子 ふらここや立ち去る子等に揺れ残る 多美女 ふらここの空へ空へと蹴る愁ひ 百合子 チューリップ南部鉄器の壺の中 節子 ぶらんこや引つ越す友と風をきり 三無 天からの風に舞ふ花としあつ忌 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年4月11日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
鄙里の相聞歌碑や青き踏む 時 江 干鰈の骨透きとほる越の町 ただし 思案橋ゴルフボールは朧にて 三四郎 仏生会寺の柱に凭れけり 世詩明 花吹雪手に掬ひても停まらず 同 うららかや猫と話すは妻のこゑ 三四郎 家刀自の納戸色てふ花衣 昭上嶋子 花吹雪しの字への字と風に乗る みす枝
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年4月11日 なかみち句会 栗林圭魚選 特選句
遠足の列に割り込む仔犬かな 史空 縋るものあれば絡みて豆の花 三無 豆の花叱られるのはいつも姉 美貴 遠足や新任教師もみくちやに 三無 遠足の思ひ出母の味噌にぎり 貴薫 遠足やほんのり甘き玉子焼 美貴 春風に心放たれ一歩かな せつこ 遠足の列笛の音に伸び縮み 三無 豆の花剪定の音惜し気なく 有有 遠足の信号待ちの列乱れ ます江
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年4月12日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
椿咲く日々つがひ鳥顔うづめ みえこ 高架下電車の音も東風に乗り 紀子 病床の闇を香らせ沈丁花 令子 満開の花や背景埋め尽くす 裕子 暮遅し残業の無き日の余裕 紀子 完璧に弾けぬピアノや花の雨 登美子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年4月12日 萩花鳥句会
乱鶯や競ふ息吹に山びこに 祐子 啓蟄や地下で避難す命あり 健雄 霧かかる山なみのぞむ花見バス 恒雄 病む体不安ばかりや春の闇 ゆかり 先々のことは預けて花見かな 陽子 初蝶を追ふ子の網に花ひらり 美恵子
………………………………………………………………
令和4年4月16日 伊藤柏翠記念館句会 坊城俊樹選 特選句
初蝶と云ふ前触れも告げぬ使者 雪 猩々と云ふ程もなき花の色 同 落ちさうで落ちかねてゐる白椿 同 花筏墨絵のごとく流れゆく 和子 森羅万象春の息吹の謳歌あり 同 花影やひとりで修す愛子の忌 眞喜栄 寺町へ路地幾曲がり鐘朧 英美子 百千鳥今極楽と鳴き交す 玲子 入院の衣裳としたる花衣 千代子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年4月17日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
桜蘂降る城攻めの骸積み 斉 メタセコイア芽吹きの森に小さくゐる 要 供養する人に緋牡丹浄土なる ます江 蒲公英をたどりたどりて母の塔 久 鬨上げて城山囲む芽吹きかな 兎生 たんぽぽに膨らむ丘や母子像 斉 桜蘂まみれの犬とすれ違ふ 久 山吹に肩抱かれて石仏 三無 新しき柔道着の児葱坊主 亜栄子 梵鐘は鳴らず蜜蜂ぶんぶんと 慶月 稲毛三郎春風抱きて丘に立つ 佑天 陽炎や乳白の塔膨らみぬ 久
栗林圭魚選 特選句
春林の足音ふつとたしかめり 幸子 そぞろ来て鶯を聞きノラを撫で 炳子 蒲公英をたどりたどりて母の塔 久 紅牡丹美しき重さを競ひたる 三無 切口を曝し菩提樹芽立ち初む 眞理子 城山の谷間隠れの遅桜 兎生
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年4月20日 福井花鳥会 坊城俊樹選 特選句
花馬酔木少年指で句をつくる 令子 洗ひ髪束ねるまでにまだ遠く 清女 花衣杉田久女に想ひ馳せ 同 越前の土の臭ひも筍の里 笑子 暮六つや花雪洞に灯も入りて 希子 ふらここに心残りの揺れてをり 雪 落椿踏むには淋し過ぎる白 同 涅槃図の嘆き洩れ来る荒格子 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年4月21日 鯖江花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
花仰ぎ空の蒼さを仰ぎけり 雪 初蝶と呼ばれ初蝶らしく飛ぶ 同 万葉の古歌の如くに散るさくら 同 目借時弁財天も琵琶重し 一涓 糸遊や虚子に中子師汀子師か 同 天金の蔵書ひもどく朧月 同 菜の花や浄土と思ふ茜雲 ただし 父の歳三倍生きて日脚伸ぶ 同 競ふごと囁くごとく木の芽吹く みす枝 若緑むくりむくりと故山かな 同 子を抱きてくるりくるりと花吹雪 洋子 鈍重か威厳か蟇動く 昭上嶋子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年4月24日 月例会 坊城俊樹選 特選句
姫女菀いつもどこかが欠けゐたる 和子 竜天に登る気配や神の池 幸風 蒲公英の絮の宇宙を壊しけり 和子 蠅生まる日をぎらぎらに絡ませて 光子 行春やゆつくりゆがむ田安門 千種 青き眼の鯉にまぶたや春の水 和子 招魂祭終へてふつくら大鳥居 三郎 亀の鳴く朝はほあんと白き月 炳子
岡田順子選 特選句
ものの影泛ぶ水面や春暮るる 三郎 著莪の雨ふり向けば立つ憲兵碑 和子 蝶生る斎庭に黒き翅濡れて 光子 金鳳花神宿るかに咲き満ちて はるか 春の鴨ひなたの石の色をして 光子 ラジオより小さき時報や囀れる 炳子 九段坂小さき登攀草芳し ゆう子 蓮巻葉かそけき光恃みとし はるか 二の丸は淡き襲の若葉かな 千種 石燈の幾柱立てば母の日に 慶月
栗林圭魚選 特選句
蓮巻葉かそけき光恃みとし はるか 春の鴨ひなたの石の色をして 光子 春陰や誰か在する橋懸 眞理子 水底の黙を脱ぎつつ蓮巻葉 順子 この坂は静謐な風ライラック 同 惜春の人へ神池水の音 政江 尚残花ありけり杜の静けさに 同
………………………………………………………………
令和4年4月 九州花鳥会 坊城俊樹選 特選句
長閑けしや纜ひと日軋みをり 志津子 永劫の城は動かず飛花落花 朝子 着て立ちてしつけ糸抜く花衣 佐和 大切なこと話せずに花あけび 光子 古代魚の飄々として春深し 久恵 海越えて来るやも知れぬ柳絮かな 愛 密漁区抜けだす船に雲の峰 佐和 演歌��手の草履飛んだり花􄼪 美穂 青柳のたそがれの道夫を追ふ 朝子 亀鳴けりここが潮時じやんけんぽん ひとみ 三打目の筍傷に香を放つ 久恵 姿見に春の日射しのもうひとつ 桂 心空にして飛べさうな春の空 睦古賀子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
0 notes