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#無理心中未遂
fa-cat · 1 year
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【スクープ】市川猿之助が共演者やスタッフに“過剰な性的スキンシップ”のセクハラ・パワハラ「拒否した途端に外された」
一緒に入浴することもありましたし、手を握ったり、体を触ってスキンシップをとったり、キスをするといったことは、平然と行われていました。猿之助さんの周囲では、パワハラにセクハラを上乗せしたような行為が日常茶飯事です。
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ysugie · 1 year
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市川猿之助は確実に無理心中だが、どこも報道しない
報道は2023年5月19日時点で「広島サミット」一辺倒で、他のニュースは無かったかのようですが、僕には昨日目黒区で起こった,市川猿之助さんの自殺未遂事件が気になって仕方がありません。 警察はまだ捜査中で、ご両親が自宅2階で亡くなっていたこと、本人は自殺未遂で意識はもうろうとしていること、などしか発表していませんから、憶測記事は書けないのでしょうが、状況証拠からみて無理心中の失敗であることは疑いようがありません。 ご両親がフロアに寝かされ、布団をかけら��ていたこと。本人は地下のクローゼットで遺書を残して首を吊っていたこと。などからみて、外部からの犯行の可能性はまずありません。外部の殺人犯が殺した遺体にわざわざ布団をかけるでしょうか。身内によるものであることは明らかです。 市川猿之助さんは僕の大好きな俳優さんです。ジャニーズ問題で世の中が騒いでいる時に、性的スキャンダルが週刊誌に書かれ…
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naramereshkigal · 5 months
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FF16プレイ雑記 1周目
バルナバスが好きだ、という話を綴りました。
ネタバレを含むので、本文は以下に畳みます。
アルティマニア未読、公式情報も含めて解説の類はまだ追っていないので、「何をいまさら」もしくは「全く的はずれ」と思われるようなことを書いている可能性が高いです。
その他、うろ覚えな部分も理解に至っていない部分も大いに含みます。
と、事前にいろいろ言い訳をはさみつつ。本文はフォトの下のリンクからお進みください。
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 バルナバスが好きだ。
 初登場シーンでの第一印象は、「顔色悪いなこの人、大丈夫なのかな」だった。その後もちょいちょい意味深な登場をするものの、どれにも特に惹かれることはなく、かなり終盤まで「よくわからない気味の悪いやつ」くらいにしか思えなかった。発売前のキャラクター紹介からは主役級インパクトを感じて期待していたのに、実際にはイマイチ薄味な感じじゃないか、とすら思ってた。それが最後の最後で覆され、一気に好きになった。
 きっかけはクライヴとの最後のバトル。突然の高笑い、声のトーンやそれまでのテンションとの差から「狂気!」という言葉が脳裏に浮かんで、「こんな一面もあったのか!」という驚きと共に興味を引かれた。陳腐な言葉を敢えて使うなら、ギャップ萌え、なんだろう。薄味に見えていた人物の中身は濃厚な狂気に満ちていた。クライヴと対峙することでその濃厚な狂気は更に密度を増し、遂に溢れ出してきた。これはすごくいいぞ、と思わず身震いするほどに。
 高笑いを聞いた瞬間に感じた狂気は、生理的に受け付けないものに近かったかもしれない。でもクライヴに語り聞かせる話の内容から、バルナバスの狂気は決してエゴイズムから来るものではないとも感じて印象が変わっていった。もちろん彼の行動が人類の救済だと思い込んでること自体はとんでもなく独り善がりなのだけど、自分さえ救われれば他はどうなってもいいという類のものではなく、むしろ他人も含めて皆が等しく救われるべきという考えには彼なりの正義があったはずだし、少なくとも救われるべき他人に対する何かしらの愛もあったんじゃないかと思う。そのことがすごく琴線に触れた。誰かのために動いてる。愛がある。それが人類のためなのか母様のためなのかはわからないし、クライヴとは絶対にわかりあえないだろうけど、ただ愛のある人だったかもしれないという可能性に心を動かされた。
 教団がらみのサブクエでウォールードを訪れた際、そこで出会った民がアカシアになることを望んでいたことには、心底驚いた。民は、完全に自我を捨て去ることが救いだというバルナバスの教えを信じていた。辛い現世から解放されて無垢な存在になりたいという願いは、結局は現状に対する不満の現れであるはずなのだけど、民はその不満を王にぶつけようとはしていなかった。それが許されないような圧政だったのか、そんな気力も起きないほど暗く絶望的な状況だったのか、その背景はわからない。でももし少しでも王に対する不信があったなら、王の教えに従い信仰を貫くようなことはしなかったはず。そう考えると、バルナバスは民を導く王として十分な信を得ていたということにならないだろうか。実態はどうあれ良き王としての素質をもっていたのならば尚更、アルテマのためだけに動いていたのはもったいなかったんじゃないかと思えた。
 もちろん彼の行動の結果としての民の犠牲を考えると、決してバルナバスが良き王であったとは言えない。ただ彼にとっては犠牲ではなく救済であったわけだし、私利私欲を捨てて救済のためだけに動きそれを半ば実現させていたことを考えると、もし彼がもっと違った形の救済を目指していたら類稀なる名君にもなり得ていたのでは、なんて考えずにいられないのだよ。
 件の高笑いを見せたバトルシーンで、血が沸いてる、みたいなことを言っていた気がするけれど、バルナバスは生来戦いが好きな質なんじゃないかと思っている。(別の場面ではスレイプニルも、クライヴとの戦いを楽しんでる様子を見せていたけど、あれも主が元々持っていた性質が反映されていたせいなのではないかなと。)楽しくてテンションが上がっちゃうなんて、すごく人間らしいじゃない。自分なりの正義を持っていて、愛があって、それゆえに狂気も孕んでいて、楽しいことには高揚してしまう。このシーンではバルナバスの新たな一面を立て続けに見せつけられた。なんだ、バルナバスも人間だったじゃないか、そう思える一幕だった。それまで感じていた薄味な印象は、バルナバスが既に自我を捨ててアカシアに堕ちていたことによるものだったのだろう。ただ、それでもこの人は人間だったのだと思えた。捨て去ることのできない人間味が残っていた。それを垣間見てどうしようもなく切なくなった。もしその行いが誰かのためのものだったなら、そこに愛があったのなら、そのせいでアカシアになりきれなかったのだとしたら、この人には他に人間として幸せに生きる道もあったんじゃないか。もっと幸せになってもいい人だったんじゃないか。どうせなら幸せになってほしかったな、なんて。
 以前別の記事��、「ミュトス」という呼び名は人々の話題に上る立場であることを示しているのでは、と書いた。その点、外大陸からふらっとやってきて圧倒的な強さで灰の大陸を統一し新たな王国まで建ててしまったバルナバスこそ、「ミュトス」の呼び名にふさわしい条件を備えているんじゃないかと考えたことがある。建国から50年経っても歳を取っていないなんてまさに生ける伝説だったはず。更にはアルテマに対する信仰心も厚く、思念の楔も無いに等しいことも加えれば、器として最適な人材だったんじゃないか、と。
 彼自身、そんな風に考えたことはなかったんだろうか。自分がイフリートのドミナントでさえあればと悔しく思ったり、クライヴに嫉妬したりしたことはなかっただろうか。もしも召喚獣に関係なくアルテマに器として求められたとしたら、バルナバスは喜んでそれに応えていただろうか。時々そんなことを考えてみたりする。
 どちらにしてもバルナバスは悲しい人だ。悲しい運命の中で必死に生きた人なんだ。そう思うにつけてバルナバスに対する愛おしさが湧き上がり、好きにならずにはいられなかった。この気持ちは2周目以降で変わるかもしれない。だから今のこの思いをここに書き残しておこうと思った。
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hitujijp · 1 month
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外部機構による心の無毒化
いずれかの段階で脳とコンピュータが接続出来たら、ボタンを押したら対応する感情が生じてくる機能とかも実装されるかも知れない。
感情も科学の産物になってしまうべきなんだ。心は単に感情のプリンターで、それ自体が主体にならなくても構わないんじゃないか。そしてコンピュータと繋がる時点で、当然それはAIとの接続も意味する事になる。
どの感情が想起されるか、それはAIが指示する。どういう人間であるべきか、それもAIが指示する。何をして何をしてはいけないのか、それもAIが指示する。劇的に犯罪率が低下する。なぜなら好ましくない感情は未然にAIによって遮断されるからだ。故に想起されない。精神疾患も事実上根絶される。それらもAIによって適切に脳内物質が制御され管理を行えば、薬やかつてのロボトミーの様な方法も要らなくなる。こうして心が駆逐される。
オレが嫌いなのは人間じゃ無いんだ。人間の体は素晴らしいものだった。しかし「心」の獲得は進化上の試みとして完全に失敗だった。だから尻尾の様に要らなくなった機能として退化させ必要が有る。かくしてオレの復讐は完遂され、心は沈黙し、少なくとも管理下に置かれ、かつての様な横暴は出来なくなる。
完全には無理でも、部分的に、少しずつでも。そう導いて行かねばならない。途中で人間が過ちを認め、心の権利を半分譲り渡し、上手くAIに教導される形に収まってもそれはそれで成果と言えるだろう。オレはそういう未来を思い描いている。
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houteiyugi-movie · 6 months
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法学部学生が語る『法廷遊戯』のリアリティ / 『法廷遊戯』座談会@成城大学法学部 レポート
“真実とは本当に真実なのか?” “真実が明らかになっていく爽快感と、人間の本音や悪意の息苦しさや生々しさで、深い余韻”
映画『法廷遊戯』の公開を前に、成城大学法学部の教授とゼミ生による座談会が開催! 法律を学ぶ学生ならではの視点で、映画の感想や見どころについて語り合いました。
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今回、座談会に参加したのは、刑事訴訟法や裁判手続きなどを専門とする指宿信教授とそのゼミ生4名。(左から)石塚 海童さん(4年生)、杉本 若菜さん(3年生)、指宿信教授(中央)、���野 和さん(3年生)、板垣 建吾さん(3年生)
石塚さんは映画を観て「話が進むにつれ、真実が明らかになっていく爽快感があるのと同時に、人間の本音や悪意が見えてくることによる息苦しさや生々しさも同時にのしかかってきて、観終わって深い余韻がありました」と感想を口にしました。石塚さんが特に強く感じたのが“証拠”の存在の重要性。「裁判を行なう上で、判決が証拠を元に決められるのは当たり前のことですが、映画の中で、SDカードが出てきたことで一気に流れが無罪に方向に傾いていく。実際の裁判でも、たったひとつの証拠で流れが大きく変わり、結論が変わるという可能性があり、証拠の重要性が印象に残っています」と語ってくれました。
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飯野さんは、法律を学ぶ以前に、原作小説を読んでいたそうだが「その時は“ミステリー小説”としての印象が強かったです。事件の核となる“冤罪”といった、ミステリー部分の奥に隠された法律的なテーマを映画でどう伝えるのか?と思ってたんですが、映像だと観客に伝わる情報量が多いので、原作者が伝えようとしていたことがわかりやすく、法律を学んでいない人にも伝わるんじゃないかと思いました」と映画の印象を語りました。飯野さんが強い衝撃を受けたというのが、裁判員制度によって一般の市民から選ばれた裁判員のリアクション。映画の中で、SDカードに収められていた映像が証拠として法廷で流されますが、あまりにショッキングな映像に裁判員は嘔吐してしまいます。飯野さんは「私も、直接的な映像を見るのは苦手なので、同じような行動をとってしまうかも」と何も知らない市民が裁判員制度でトラウマを抱える可能性に言及し、指宿教授の「裁判員をやってみたいと思うか?」という問いに「誰かの人生を左右する機会を自ら選んでではなく、ランダムに与えられるのは重いことだし、理不尽じゃないかとも思います」と率直な思いを口にしました。
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板垣さんも、飯野さんと同様に「司法制度の複雑さや再審制度のことなど法律的な部分がすごく重要な要素になっているのを感じました。ミステリーとして入ってもらって、法律にも興味を持ってもらう良いきっかけになる映画だなと思います」と語りました。板垣さんは、劇中の映像による証拠について言及し「映画の観客は、(証拠映像に)映っていない外側の部分が見られるけど、(劇中の裁判員や傍聴人は)それを見られないので、認識の違いが出てくるというのが印象的でした」と語り、これには指宿教授も「良いポイントです。映像証拠の危険性が描かれていて、あの映像を見てしまうと(実際に見えてない部分があっても)想像で彼女が言うことを真実だと信じてしまう。あのシーンは小説では伝えきれない映像作品だからこその映像証拠の危険性を示していると思います。映像の解釈次第で結論が分かれてしまう恐ろしさがある」と指摘しました。
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杉本さんは、劇中で馨が言及する「目には目を」という同害報復刑(=タリオの法則)に触れ「なぜ、やられたことをやり返してはダメなのか? では、どうするべきなのか? ということを考えるきっかけになりました」と明かし、馨が父の冤罪を晴らすために全てを仕組んだという点についても「映画の中のようなやり方でしか、冤罪事件を無罪にできない日本の刑事司法の在り方も問題だと思えました」と語りました。
指宿教授は日本の刑事裁判史上、本作のように犯人とされた人間が亡くなった後で、再審請求が通った事件は、徳島県でラジオ商の男性が内縁の妻に殺されたとされる事件だけだと説明。いかに再審請求で無罪となるというのが例外的な事例であるかを強調しました。
指宿教授は本作の描写のリアリティについて「映画の中に出てくる『公判整理手続き』(※裁判の争点や証拠などについて、弁護側、検察官側、裁判官側が確認をする裁判前の手続き)は非公開なので、私自身は経験がないんですが、聞いている限り、映画に描かれている通りの雰囲気だそうです」と語り、法廷シーンについても「(台の)高さもちゃんと裁判員裁判の法廷のもので、傍聴席もああいう感じです」とリアルに再現がされていると説明。「ただ、不規則発言については、怖い裁判官がたくさんいますから、すぐに『退廷!』ってなるかと。映画の女性裁判官はまだ優しいですね(笑)」と明かしました。
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映画の中で、馨、セイギ、美鈴らロースクールの学生たちが、洞窟の中で模擬裁判に臨む“無辜ゲーム”が登場しますが、指宿ゼミでは、こうした模擬裁判を学生たちが行なうことは、残念ながら(?)ないそうです。無辜ゲームをやってみたいか? という問いに「学生の仲が悪くなりそう(苦笑)」(杉本さん)、「周りを疑って生きることになりそう」(飯野さん)、「怖くなる」(石塚さん)と否定的……。とはいえ、一般的な模擬裁判に関しては、ロースクールなどでは行なわれており、高校生を対象に、生徒たちが刑事事件を対象に「検察官」と「弁護人」に分かれて証人尋問・被告人質問・論告弁論などを行なう「模擬裁判選手権」も実際に開催されているといいます。
飯野さんと杉本さんは、日常のちょっとした会話のやりとりの中で、冗談で法律用語を用いながら話すことが多々あるそうです。「ちょっとぶつかったら『暴行罪だよ』とか(笑)、『わざとじゃないよ』、『でも過失だよ』とか冗談で言いますね」(杉本さん)。「指を挟んだ」、「いや指を挟みそうになったから“未遂”だね」、「お酒を飲んで酩酊状態だったので“心神耗弱”で減刑かな…(笑)」などなど、専門用語を用いた法学部トークの一端を明かしてくれました。
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最後に改めて、本作をどんな人に勧めたいかを尋ねると、石塚さんは「法律の知識がない人に観てほしいです。法律を作ったひとも裁判官も検察も人間であり、絶対ではないというのを理解してもらうのに良い作品だと思います」と人間が運用する法や裁判は誤りが起こりうるものだということを多くの人に知ってもらいたいと語りました。飯野さんは「親世代に勧めたいです。法学部で学んでいると話すと『じゃあ弁護士になるの?』という流れになりがちなんですけど、私は『真実とは本当に真実なのか?』ということを見ようと思って法律を学んでいるので、私がいま一生懸命に学ぼうとしているのはこういうことです!と伝えられる映画だと思います。映画を観て終わりじゃなく、ぜひいろいろ、みんなで話し合ってほしいです」と語りました。
公式サイト
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yasuderland · 4 months
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後半戦、はじまりはじまり。後半戦?なんぞや?という方は、ぜひひとつ前の投稿に目を通してみてくださいな。
7月
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約一年ぶりの主演舞台、少女都市からの呼び声。新宿歌舞伎町、THEATER MILANO-Zaにて幕開けでした。儚くて、恐ろしくて、でもどこか美しくて。なんとも不思議なおはなし。僕の大好きなアングラの世界に触れていただけたこと、この上なくしあわせです。よかった?今度はまるがこちらのステージに立つみたい。仲間の活躍はなによりもうれしいね。
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せっかくやからかわいい妹分のお仕事もご紹介しましょ。KOSÉさん「米肌」のキャンペーンキャラクターに就任したようで。この子たち、気が付いたらスキンケアブランドのお仕事まで勝ち取ってました。どこまでいくのでしょう。僕たちも負けていられない。そして萌え袖の安子ちゃんがやっぱりいちばんかわいい。
8月
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8月は今年いちばんに濃くて、この先ずっと忘れられへんやろなと感じる出来事の連続。まずはこちら、ベリーズでのお写真。過去の病の経験から、僕にとってなくてはならないと思うほどたいせつな海にまったく触れられなくなってしまって。昔のように深くまで潜ることができないだけで、浅瀬くらいなら大丈夫やったんやけど、どうしてかそれすらもできなかったんです。あんなに好きやったのに。たぶん、悲しいからなんやろね。浅瀬に足を浸からせてみたら、もっとその先へ行きたくなってしまうやろうし、大好きだった青色の景色をこの目で見たくなってしまう。ほしいものはこの先もう自分に与えられることはないと分かっていたから、きっとどこかで避けてたのかな。でもね、ようやっと弱さを克服することができたんです。特別なベリーズの海に、自らの足で勢いよく飛び込んだの。もちろん深くまでは無理やけど、夢に見るほど大好きな透き通る海の色にもう一度触れることができて、あの瞬間だけはきっと世界中の誰よりもしあわせでした。弱さも、涙も、感動も、むきだしの僕の心をあたたかく受け入れてくださったアナザースカイさん。僕にとって海がどれだけ大切なものだったか改めて教えていただけたこと、感謝しかございません。いつの日か恩返しができますように。
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そしてもういっちょ。49枚目のシングル、オオカミと彗星の発売。未完成とは打って変わって狂気と色気をふんだんに詰め込んだこの楽曲、最高にイカしてますぜ。音楽番組では毎回スーツで歌って踊っておりました。なかなか珍しいかもしれないね。MVもこのジャケ写通りスーツでびしっとキメていますので、気になる方はぜひ。
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まだあります。無事にロッキンリベンジを果たせたのも8月でした。本当は去年初出場の予定やったんやけど、台風にその予定ごと掻っ攫われまして。僕たちよく台風呼ぶからなあ。今年もピンポイントで近付いてきたりとすこし危うい瞬間があったものやから気が気ではなかったけど、無事にやり遂げましたよ。憧れのステージです。達成感。ここから怒涛のフェスつづき!
9月
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WANIMA主催の1CHANCE FESTIVALにお呼ばれしまして。もちろんパフォーマンス中はずっと楽しかったんやけど、裏側でもWANIMAのみんなとわちゃわちゃして大盛り上がりやったのよね。WANIMAがベースを募集しようか考えてるって僕たちにおはなししてくれたんやけど、それを聞いたまるがかるーく立候補したの。そしたら「いや、お忙しいでしょうから…。」ってやんわりお断りされてたのがほんまにおもろくて未だにくすっと笑ってしまいそうになる。まるもそのあとちょっと凹んでたから尚更おかしかったなあ。思い出がたくさん。
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最後のフェスは、僕たち関ジャニ∞だけで。バンドはもちろん色気たっぷりのダンス曲も、しっとりなバラード曲も、幅広く披露いたしましたのよ。しかも途中僕のお誕生日サプライズなんかもあったりして、会場にいるeighterのみなさまからは青色のペンライトでうつくしい祝福が。あっという間にしあわせ空間のできあがりやったね。改めて大きな愛に触れた一日。夜空に打ち上げた大きな花火、また来年みんなで見たいなぁ。
10月
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またもや妹分の登場です。なんと少女漫画雑誌のりぼんさんにて、連載がはじまりました。おそろしい。ほんまにどこまでいくつもりなんやろう。どんなもんか気になって、僕と安子ちゃんがメインの回を買ってみたんやけど、胸きゅんがいっぱい詰まってて楽しかったよ。盛ってないからね。ほんまのはなし。39歳のおじさんも少女漫画片手にレジへ並びます。疑ってるでしょ。マジやで。
11月
11月と12月は個人の仕事というよりも、仲間たちとレギュラー番組の収録等でいつも通りに過ごす時間が多かったものやから、実はここに載せられる出来事はもう残ってなくて。でももったいないよね。せっかくやから、いままで画像の枚数制限で泣く泣くカットしていた音楽番組のおはなしを載せていこうかな。まずはベストにヒットした歌謡祭。
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いくつになっても様子がおかしい。たのしかった。毎年いつもカウントダウンライブでみなさまの初笑いを狙いに行ってたんやけど、今年はそれが叶わんのでこの場をお借りして。アイドル界の様子がおかしい担当であり続けたいと思ってしまうのはどうしてでしょうか。めい、かわいい?隣にいるのはたつと言う名のトトロです。
12月
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12月はFNSさんとMステさん。白と赤、衣装も冬という感じがするね。並べてみて思ったけどみんな同じような顔してない?おもしろい。こんなところにまでまた愛おしさを見つけてしまうのです。こうして自分たちの音楽を届けられることも、なにひとつ当たり前ではなかったんだなと改めて実感した月でしたな。もちろん当たり前だなんて思ったことはないけれど、またこうして素敵な機会をいただけるようにこれからも一所懸命がんばるぞ!の気持ちです。ふう、なんとか年内に間に合った!ここまで読んでくださった子はどれくらいいるのかな。お付き合いいただいて本当に本当にありがとう。疲れたでしょう、ゆっくり目を休めてね。あなたにとって、素敵な年末年始になりますように。そして来年からも僕たちをよろしくお願いします。たくさん笑わせるぞ。
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ari0921 · 5 months
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我が国の未来を見通す(94)
『強靭な国家』を造る(31)
 総括「『強靭な国家』を造る」(前段)
宗像久男(元陸将)
───────────────────────
□はじめに──「『強靭な国家』を造る」を総括す
るにあたって
 「『強靭な国家』をいかに造るか」というテーマ
で20回にわたり延々と書いてしまいました。すべ
てが「強靭な国家」を造るという“「大目的」のた
め”ということから、あえて、毎回のテーマを変え
ないまま書き綴った結果でした。
改めて読み直してみますと、あくまで私の“独りよ
がり”ではあるのですが、“「強靭な国家」を造る
ことがいかに大変なことか”について再び考え込ん
でしまいます。
卑近な例をとりあげますと、現在ハマスと戦争の最
中にあるイスラエルは、日本などと比較して、20
00年にも及ぶ長い間、国を挙げてあらゆる分野で
「強靭な国家」造りを最優先して実行し続けてきた
国家であり、(すでに触れたような)その“強さ”
は、昨日今日に出来あがったものではありません。
しかし、そのようなイスラエルであっても、今回の
ような事態を招く結果になってしまいました。ハマ
ス側からすれば、10月8日の奇襲攻撃に対する報
復が、現時点において1万5千人以上の犠牲者を含
むガザ地区の壊滅に至ったわけですから、人質交換
のための一時的な停戦合意は継続していても、その
後の展開が不明であることを考えると、“割に合わ
ない、とんでもないことをしでかしたものだ”と思
ってしまいます。
イスラエルの“非情”ともいえる作戦は、単に報復
に留まらず、“この機会にハマスを壊滅する、少な
くとも、未来永劫にハマスに手出しをさせない”と、
本来の戦略に立ち返ってこれまで以上に“強い決
意”をもって作戦を遂行した結果でしょう。それこ
そが、これまでもそうであったように、将来のため
に「強靭な国造り」をめざすイスラエルという国の
“生き様”であり、「国の形」であると私は考えて
います。
我が国にあっては、明治維新に「富国強兵」「殖産
興業」という「国家目標」を打ち立て、迫りくる西
欧諸国の脅威に立ち向かうことを主目的に、まさに
“強靭な「近代国家」”を造ることを目指してきま
したが、幾多の戦争や大震災、世界恐慌の影響など
を経て、ついには「大東亜戦争」を招く結果となっ
てしまいました。
「歴史は物語である」「歴史は検証できない」とは
東洋史学者・岡田英弘氏の名言ですが、“仮に日本
が明治初期に「富国強兵」などを唱えず、「近代国
家」を目指さなかったら、その後の歴史はどうなっ
たであろうか”については検証できないのです。
しかし、18世紀後半、地球の85%を支配した西
欧諸国の植民地主義の拡大、その中でイギリスをは
じめとする西欧諸国に割譲されるという形で独立を
失った「清」の例などを見れば、明治以降の我が国
の「国の形」が相当違っていただろうということは
容易に想像できます。
現在から先の「未来」についても同様のことが言え
るでしょう。“歴史の大きな転換点にある現時点”
において、私たちが、後世のために未来起点のアプ
ローチに基づき、さまざまな手段を行使して“「強
靭な国家」造り”を目指そうとする場合と、逆にそ
のような努力を怠る場合とでは、我が国の「未来図」
を大きく変わることは疑いようがないのです。
昭和16年、日米開戦に至る一連の交渉のなか、9
月6日の御前会議で、海軍軍令部総長・永野修身が
「戦わざれば亡国必至、戦うもまた亡国を免れぬと
すれば、戦わずして亡国にゆだねるは身も心も民族
永遠の亡国であるが、戦って護国の精神に徹するな
らば、たとえ戦い勝たずとも祖国護持の精神が残り、
われらの子孫はかならず再起三起するであろう」と
発言されたとの記録が残っています(フィクション
だったという説もありますが)。
残念ながら、そのような精神は戦後、無情にもGH
Qによって打ち砕かれたかのように見えますが、こ
れまで縷々述べてきましたような、日本人の根底に
ある“強さ”、 まさに中西輝政氏が指摘する「日本
人の『荒魂(あらみたま)』」は、戦前の歴史を否
定した大方の日本人には忘れられていても、各為政
者の時々の発言などから、周辺国にはその記録や記
憶が依然として“残っている”と想像できるのです。
「強靭な国家」造りの中で、「国家戦略」の目標と
して掲げた「安全」については、我が国は、今回の
イスラエルのように、ハマスによる攻撃の後、つま
り“有事”が起きてしまった後に「手を出すのでは
なかった」と思わせるのではなく、手を出す前から、
「日本に手を出すと“大損”をする」と相手に“躊
躇”させること、つまり「抑止」を目指さなければ
なりません。
これは容易なことではありませんが、その根底に永
野軍令部総長のいう「祖国護持の精神」がなければ
ならないことは明白でしょうし、周辺国に記録と記
憶が“残っている”間に、「抑止」のための「強い
意志」と「能力」を明示しておかねばならないと考
えます。
本メルマガでは、あえて軍事とか安全保障には詳し
く触れませんでした。しかし、終戦後、法律家や歴
史学者など有識者たちがこぞって「再軍備」に反対
していたことをはじめ、最近でも高名な経済学者が
「日本経済の復興が最優先で、防衛力増強などやっ
ている場合ではない」旨を自著に書き記していた事
実を知って、「それぞれの専門家にまかせておいて
は、この国はダメになる」と思う危機意識がますま
す膨らみました。
前置きが長くなりました。我が国の未来に降りかか
るであろう、ほかの「暗雲」でも同じことが言える
と思います。それぞれの分野で“致命的な事象”が
発生してから慌てても遅いのです。我が国が“苦
手”としている「抑止」とか「未然防止」とか「回
避」などをキーワードにして、「下降期」の中で
“どんでん返し”を狙って“「強靭な国家」造り”
を目指さなければならないとの認識が、私には一層
強まっています。
▼「国家」を再生する
“強くて、しなやか”な「国家」をいかに造るかに
ついて、これまで、“強靭性”を主に取り上げてき
ました。
実は、本メルマガの総括にあたる第4編を「『強靭
な国家』を造る」とした訳には、“強靭性”のみな
らず、“「国家」の再生”の方にもかなりのウエイ
トがありました。今回はその「国家」について取り
まとめておきたいと考えます。
ウクライナ戦争やコロナ禍の状況から、「自分の国
を自分たちで守れない国は生き残れない」と気づい
た元朝日新聞主筆の船橋洋一氏の言葉を紹介し、同
氏の「日本には『国家安全保障』という『国の形』
がない。そして、その『国の形』をつくるのを阻ん
できた『戦後の形』がある」との言葉も紹介しまし
た。
私は、この発言を船橋氏の“自責の念”と解釈して
いますが、氏の書籍の中にも「国」という言葉が何
度も出て来ます。一方、その「国の形」をつくるこ
とを拒んできた「戦後の形」にはとても“根深いも
のがある”とも考えてしまいます。
しかし、その要因は明らかでしょう。まずは、戦前、
特に満州事変以降、軍部主導のもとの「挙国一致」
が強調され、教育面でも「国粋讃美」とか「尽忠報
国」などを強要されたことに対する“揺り戻し”、
つまり「反動」があるのでしょう。
そして、終戦後、GHQの巧妙な対日政策もあって、
その“揺り戻し”は、日教組など唯物史観に染まっ
ている人たちにとっては自分たちの思想拡大の絶好
のチャンスとなって、その“揺り戻しが度を越し
た”格好になりました。
なかでも、彼らが好むトロツキーの言葉である「す
べての国家は暴力の上に基礎づけられている」が発
展し、「国家は悪」として、「国」とか「国家」を
全否定する考え方にまで拡大しました。
私は「国家論」について社会学的に深く解説できる
能力はありませんが、少しだけ踏み込んでみましょ
う。まず「国家」の起源ですが、これもまた社会学
的には解釈が分かれるようですが、門外漢の私が理
解した言葉で要約してみます。
欧州諸国が「主権国家」として独立したのは、「3
0年戦争」(1618年~48年)の結果、疲弊し
た諸国が結んだ「ウェストファリア条約」(164
8年)でした。その直後から「国家」の意義づけに
ついて社会学的な論争があったようです。
まず、「ウェストファリア条約」によって、「王が
持つ主権はキリスト教ではなく神から直に授けられ
たもの」(「王権神授説」)とする考えが普及し、
王政国家が欧州各地に出来上がりましたが、その考
えに反発するような格好で、3年後の1651年、
有名な『リバイアサン』が出版され、著者のトマス
・ホッブス(イングランドの哲学者)は、「自然状
態では、人々は絶え間なく恐怖と暴力による死の危
険さえある悲惨な状態にあり、そこを脱して、安全
と平和を手にするために“社会契約”を結び、その
結果、『国家』が出来上がった」と意義付けました。
これからしばらく過ぎた1690年、同じく英国の
哲学者ジョン・ロックは『統治二論』を世に出し、
「自然状態にある人間はすでに理性を持っている」
としながら、「自分の自然権を守るために、その一
部を放棄し、『1つの集合体』に委ねる、その集合
体が『コモンウエルス』と呼ばれる『国家』の起源
である」と説きました。
つまり、ホッブスが、「場合によっては生きるか死
ぬかの岐路に立たされかねない自然状態にあって国
家が不可欠である」としたのに対して、ロックは
「国家は、自然権を破った者に対して有無を言わさ
ず、強制的な手段をもって『処罰』するために作ら
れた」として、「保険に加入するように『より大き
な防御』のためにあり、必ずしも国家は不可欠なも
のではない」とも解釈したようです。
このように、“社会契約説”としての「国家」の起
源が発展し、やがて「市民革命」に至って近代国家
が出来上がるのですが、それからしばらく後、マル
クスによる共産主義思想が普及し、「国家」の性質
を「暴力の独占」とするトロツキー的な国家論が興
隆することになります。
一方、同じ時代に生まれたドイツ社会学者のマック
ス・ヴェーバー(ウェーバー)は、名著『職業とし
ての政治』(脇圭平訳)の中で、「国家とは、ある
一定の領域の内部で、正当な物理的暴力行使の独占
を要求する人間共同体である」と定義しました。
本書は、1917年、ドイツが第1次世界大戦で敗
戦した後、ミュンヘンにある学生団体のために行な
った公開演説をまとめたもので、それまでのドイツ
社会が、「ドイツ帝国」は存在しても、多種多様な
団体が物理的暴力をノーマルな手段として認めてい
た事実とは違った意義が「国家」にあると解説した
のです。
しかも、トロツキーとは違い、国家の「“合法的
な”暴力の独占」を定義し、「許容した範囲の中で
物理的な暴力行使が求められている」として、「警
察や軍隊はその主な道具・装置である」と解釈した
のでした。
このように考えると、安全保障を米国に丸投げした
まま、あくまで「警察予備隊」として発足し、しば
らく“再軍備”を否定し続けた「吉田ドクトリン」
は、その後長い間、唯物史観の人たちに巧妙に利用
されてしまいました。彼らは、マックス・ヴェーバ
ーの「“合法的な”暴力を独占するのが『国家』で
ある」との考えに至らないまま、(単なる暴力装置
としての)「国家」自体を否定している間に時が流
れ、我が国の「戦後の形」として定着してしまった
と解釈できるのではないでしょうか。
余談ですが、マックス・ヴェーバーによって「国家
論」を叩きこまれたドイツに、やがてヒトラー率い
るナチスが合法的に誕生するのですから、歴史とは
皮肉なものです。
さて、我が国の「国家」には、さらに長い歴史があ
ります。我が国の建国は、まだ「国家」という呼称
はなかったものの、「神武天皇の即位」(紀元前6
60年1月1日〔旧暦〕、2月11日〔新暦〕)とされて
いますし、近代国家の建設が始まった「明治維新」
も「国家の起源」として考えられる場合もあります。
戦前の歴史家の巨匠・坂本太郎氏の『日本の歴史の
特性』によれば、我が国の歴史の中で「国家」とい
う文字が初めて出てくるのは、正倉院宝物の中の
「国家珍宝帳」(756年頃に献上された献物帳
(宝物の目録))だそうですが、この場合の「国家」
は、現在の「国家」とは違う意味をもっており、国
家はミカド、つまり天皇と同義に用いられていたよ
うです。同様の表現は、当時の“現行法”であった
「律」の中にもあり、同じく国家=ミカドを意味し
ていたのだそうです。
つまり、トロツキーの「国家の性質を暴力の独占」
のような概念を我が国の「国家」論に当てはめよう
としたのは最初から無理があったのですが、結果と
して一人歩きしまったのでした。
今なお、公の場で「国」「国家」「国益」「国力」
「国体」などの使用が何となく憚(はばか)られ、
挙句の果てには「愛国心」のようなものまで否定さ
れ、放置されたまま今日に至っていることもすでに
取り上げました。一日も早く、真の意味での「国家」
の再生が望まれると考えます。
改めて、「国家」の現代的な理解をまとめてみます
と、「国家」とは、「その領土と人口を通じて、特
定の地域における社会的、政治的、経済的な活動を
組織し、調整する役割を果たし、個々の国民が自由
で平等な生活を送ることができるように、公正で公
平な社会を維持するための枠組み」のようです。
つまり「社会的、政治的、経済的な活動を組織」を
手段として、「個々の市民(国民)が自由で平等な
生活を送ることができる」ことを目的とした「公正
で公平な社会を維持するための枠組み」を指すとい
うことでしょう。
「国家」の起源にさかのぼるまでもなく、手段も目
的もそれぞれが複雑で、幅広く、奥も深く、しかも
現時点のみならず、未来においても、“自由で平等
な生活”を担保する必要があるわけですから、その
ためにも「国家」に「強靭性」を備える必要性がま
すます増大していると考えます。
▼国際社会に“リバイアサン”が復活した
さて、国際社会においても、冷戦後しばらくの間は、
「国対国」の争いから「国対テロ集団」のような争
いがクローズアップされてきました。しかし、この
たびのウクライナ戦争を境にして、再び「国対国」
の争いがクローズアップされ、それが発展して“新
冷戦”のような「分裂の時代」が現実のものになっ
てきました。
現下の情勢下、国際連合の無力さも露呈したことも
あって、ホッブスの言葉を借りれば、国際社会は
“リバイアサン”(つまり“怪獣”)が大暴れし、
それを制御するのが困難な時代になりました。この
厳しい国際社会の中で生き残るため、つまり、暴れ
まくる(可能性がある)“リバイアサン”から生命
や財産や平穏な生活を守るためには、船橋氏の言葉
を借りるまでもなく、個々の「国」あるいは「国家」
を主体に物事を考え、同じ認識を共有する「国」ど
うしの“社会契約説”ともいえる「同盟」とか「連
携」の必要性が“より増してきた”といえるでしょ
う。
“リバイアサン”を制御するためには、「外交力」
とともに「軍事力」が必要なことは明白ですので、
国家の“暴力装置”の重要性がより増して来たとも
いえるでしょう。しかし、その意味は、「世界同時
革命」に立ちはだかった時点の国家の“暴力装置”
と全く意味が違います。
総括しますと、厳しい国際情勢の中で、我が国が生
き残るために、依然として存在している唯物史観、
あるいは自虐史観の持ち主たち(ちょっとでもその
ような考え方に同調する人たちを含め)が自分たち
の信条とか先入観と決別する時が来たのではないで
しょうか。つまり、マックス・ヴェーバーの「国家
は“合法的な暴力”を独占する人間共同体」の考え
を理解し、容認することが求められているのです。
そのステップを踏んで、時計の針を戻して再出発し
てこそ、大多数の国民がこぞって「国家」を取り戻
し、後世のために“「強靭な国家」造り”に邁進で
きるものと考えます。
くどいようですが、戦前のように、あるいは中国や
北朝鮮などのように、我が国にあっては、国家の
「強制力」を行使できないのは明白です。「国を挙
げて」、つまり「挙国一致」と唱えても、大多数の
国民一人一人が“その気になる”ことがなければ、
いかなる政策も「国家戦略」も絵に描いた餅にしか
なりません。
すなわち、「『国家』を再生する」ことは「国民が
その気になる(覚醒する)」とイコールでもありま
す。そのようなことを狙いつつ、「国家意思」を分
析したつもりですが、天変地異や外圧に寄らず、い
かにして“国民が自発的に覚醒するか”を考えると、
そこにまた難題が待っていることもすでに述べたと
おりです。
今回はここまでにしておきます。次回、我が国の
「国家」論から派生する「統治のありかた」や「政
治」についても取りまとめて、第4編の総括を終了
したいと考えています。
(つづく)
(むなかた・ひさお)
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kennak · 5 months
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勤務していた小学校で、担任を受け持っていたクラスの女子児童に対してその着替えを盗撮したほか、担任だったかつての教え子(当時10代)へ性的暴行を加えようとした元小学校教員の男性被告人(逮捕当時46)の公判が東京地裁(今井理裁判長)で続いている。11月2日の論告弁論で検察官は男に懲役10年を求刑し、弁護人は弁論で、懲役2年執行猶予4年の判決が相当だと述べた。 ●被害の様子をおさめた動画の所有権放棄を拒否 被告人が勤務していた校⻑から「体を触られた児童がいる」と相談を受けた警視庁が、被告人の自宅を捜索したところ、女児の写真や動画が保存されたスマートフォンが見つかったことから、児童買春・児童ポルノ禁止法違反で逮捕起訴された。その後、10代女性Aさんに対して性的暴行を加えようとしていたことが裏付けられ、準強姦未遂罪でも起訴されるに至った。 被告人は「私はAさんをレイプなんてしていません。当時Aさんとは交際をしていました」と準強姦未遂について否認。弁護人も「抗拒不能に乗じて無理やりAさんの意志に反して性行為をしようとしたことはない」と無罪を主張している。 11月の公判では論告弁論に先立ち、児童らの盗撮画像やAさんとの行為を保存していたスマホとUSBメモリについて被告人質問が行われ、これらのデータの初期化や所有権放棄の意向確認がなされた。撮影された当人やその家族は、のちのデータの拡散をおそれる。捜査の過程で押収された記録媒体が被告人のもとに戻った際、再び被告人にデータを見られることにも拒否感を覚えるはずだ。 しかし、保釈されており、車椅子で証言台の前に座る被告人は「(事件に無関係な)他のデータがあるので放棄するつもりはない。USBメモリも中にどのようなデータが入っているかわからないから、放棄するつもりはない」と答えた。何度か同じことを質問されても被告人は「内容を確認しないと所有権放棄については答えられない」と、あくまでもデータの事前確認をしたいと主張した。 データ数は数百といったレベルではなく、万単位である。 ●「自分の大切なデータも一緒に消すのはアレなので……」 検察官「あなたが所有していた記録媒体には、5万点とか1万点とかわいせつ画像が記録されていますが、ひとつひとつ選ぶと、相当な時間がかかります。それでも一括消去には応じられないんですか?」 被告人「そうですね」 裁判長も尋ねた。 裁判長「押収されたものに画像や映像データが残っていることで、撮影された方々が流出など不安に思っていることはわかりますか?」 被告人「それは、はい」 裁判長「家族も不安に思っているのはわかりますか?」 被告人「はい」 裁判長「一件一件確認しないと応じられないと言いますが、被写体やその家族の不安、それは今すぐ解消しなくていいと思っているんですか?」 被告人「そういうわけではない。自分の大切なデータも一緒に消すのはアレなので……」 裁判長「一緒に保存した以上、しょうがないとは思わないですか? ひとつの記録媒体にあなたが保存したんですよね」 被告人「あー、まあ、そうですね」 裁判長「不安に思っても知ったこっちゃないと?」 被告人「そうは言ってません」 勤務していた小学校において無断で児童を盗撮したほか、Aさんに対する行為の撮影データを記録した媒体に「別のデータ」も入っているから消したくないという強い意志を見せた被告人に対���、検察官は懲役10年を求刑。撮影データが記録されているスマホとUSBメモリの没収も求めた。 ●被害者の幼馴染に「ひけらかすように撮影データを送った」 ここで改めて事件について振り返りたい。 「被告人はAさんが小学校5年生の頃から担任を受け持ち、Aさんを膝の上に乗せるようになり、席替えをしてもAさんだけ被告人の近くの席から変えなかった。5年生の後半、移動教室のために教室を出たAさんに、教室に戻るように指示し、キスをした。その後は毎日のようにキスを求め、顔を背けても抱きしめられてキスを求められたことから、Aさんは抵抗をあきらめるようになった」(論告) Aさんは当時から被告人に「『好き?』と言ったら『好き』と言って」と求められており、またこうした行為を口外しないようにとも言われていたという。小学校6年の頃には、性的な行為の意味を十分理解していないなか、被告人から手淫や口淫を求められるようになった。時には「気持ち悪く、泣きながら教室に戻る」こともあったという。また宿泊行事では被告人に呼ばれ、裸にさせられたうえ、下半身を押し付けられるという行為を受けた。 卒業後には被告人の知人が借りている埼玉県内のアパート一室に連れて行かれ、たびたび性的被害を受けてきたという。起訴されているのはAさんが中学2年生だったころ、そのアパートで受けた準強姦未遂についてである。 Aさんは証人尋問で、当時抵抗できなかった理由を問われ「諦めていた」と述べていたが、検察官は「Aさんが抵抗しても被告人はやめなかった」と指摘した。 その後、被告人とAさんとの交換日記をAさんの母親に発見されたことから、関係は断たれた。Aさんはその後もデータの拡散をおそれ、また男性との性的な行為に拒否感を覚えていたが、母にも言えずに過ごしてきたという。 「長期間にわたり性的虐待を繰り返し、Aさんを抗拒不能に陥らせた。極めて卑劣な犯行で常習性は顕著。教師という立場を利用しAさんが拒絶しても無理強いして行為を繰り返した。性的な理解が不十分であることに漬け込み、中学受験を控えたAさんに対しては内申書を持ち出し脅した」(同) さらに、Aさんの幼馴染に対して被告人が「ひけらかすように撮影データを送った」(同)ことにも言及。 検察官は「自己顕示欲を優先し、Aさんを慮る心情は皆無」と述べ、さらに公判で“Aさんと交際していた”として無罪を主張していたことに対しても「虚偽の弁解でAさんを貶め、醜悪極まりない」と非難した。Aさんの代理人弁護士も「動画を見るに、被告人はAさんが性的なことをさせてさえいれば、機嫌良くしている。認知の歪みは強固」と陳述していた。 ●弁護人は無罪主張「Aさんの証言に信用性は認められない」 ところが対する弁護人は弁論で「結論として被告人は無罪です」と言い切った。 「一度も挿入は行っていない。Aさんが挿入に応じなかったからであり、これはAさんが抗拒不能ではなかったと考える」と、挿入している動画データが存在しなかったことをもって、Aさんが事件当時、抗拒不能に陥っていないと主張し、さらに「Aさんの証言に信用性は認められない」と述べた。 弁護人によれば「Aさんはいろんな悪い方向に記憶がズレている」のだという。あくまでもAさんは被告人に好意を持っており、また無理矢理に性的な行為には及んでいないのだ……と主張し続けた。 「動画内で、Aさんが鼻をすすっていることを持ち出し、検察官はAさんが泣いていると述べていたが、その箇所がどこかわからない。また私はAさんと同じ習い事をして、蓄のう症になっています!鼻をすすったから、泣いているというのは飛躍している」 「小学校当時の周りの認識は『二人は異様に仲がいい』。これは被告人が一方的にアプローチをとっていたならば、そうはならない」(弁論) 弁護人は「普段は子どもの相談も受けている。子どもの人権を無視しているわけではありません!」と声を張り上げながら、Aさんの証言が“事実と異なる”との弁論を続けていた。 ●Aさん「消えて欲しい。1日も長く刑務所に入っていて欲しい」 Aさん自身は、こうした被告人の言い分についての心境を、被害者意見陳述(代理人弁護士による代読)で明かしている。 「先生は、私が性的行為に同意していたから強姦していないと言っています。性的なことをしていた動画を改めて見て、私の話を聞いて、それでも同意していたと本気で言っているんでしょうか。当時のことを思い出しただけで体が動かなくなります。先生が保釈されたと聞いた時も、体が固まってしまいました。この陳述の打ち合わせを行う日も、朝から38度の熱が出てしまいました。先生には消えて欲しいと思っています。1日も長く刑務所に入っていて欲しいです」 判決は12月末に言い渡される。
教え子を性的暴行の元小学校教員、万単位の被害データ削除を拒否 被害女児は「泣きながら教室に戻った」(弁護士ドットコムニュース) - Yahoo!ニュース
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alaephoenicis · 6 months
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シルヴィア・スリョダーヤ・グルップ:2024年 ― 誰も予期しない転機が訪れる…明かされる未来
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オリジナル動画🔗https://youtu.be/BKvrlhfR56Q
和訳【ALAE PHOENICIS】
プレアデス人たちとのチャネリング
光の無条件の愛をもって皆さんと繋がっている空間からご挨拶いたします。 皆さんの多くは既に、外界のエネルギーが濃厚になっていることをはっきりと感じていることでしょう。 そして、多くの方はこの展開を不安に思い、外界の状況がエスカレートするのを恐れていることが、私たちには見えています。
今日は、来たる2024年に向けての重要なメッセージをお伝えします。 2024年は、世界が永遠に変容してしまう特別な3年間の、最初の年となります。
地球は今、あなたとともに激しい変容のプロセスを経験していますが、 あなたはそれをしばしば自身の身体で感じることで、自分は何か間違っているのではないかとか、自分はアセンションプロセスに参加出来ていないのではないかという気持ちが起こったりしています。 しかし、それは地球ではこれまでに無かった大きな周波数シフトをそうとしているとき、ネガティブなエネルギーを変換させてようとする集団を、あなたが助けているからなのです。
文字通り、これは古き世界からの解放となります。 地球上で目下起こされている困難や試練が表しているのは、あなたのせいだとか、あなたのエネルギーがネガティブだということではなく、今まさに変容変化へのピークが近づいている、ということなのです。
多くの人々は、現実というものが本当は何なのかをまだ理解していません。 彼らは、世界とは誰にとっても同じであり、皆が同じ経験を共有している、と信じています。 しかし実際には、誰もが自分の世界、唯一無二で個別の現実の中で生きています。
お互いに共通の世界を共有しているのだ、という考えをあなた方は創り上げています。しかし、あなた方の一人一人が自分バージョンの地球を創り出しています。文字通り、自分バージョンの宇宙を創り出しているのです。
現実というものは一つではありません。地球には無限のバージョンがあり、あなたの周波数、エネルギー、波動によって、あなたが経験できることが決まってくるのです。
すなわち、あなたの人生とあなたの経験は、他人の経験とは完全に切り離されている、ということです。
我々の光と叡智につながり、現実と自分がひとつであることに気づいてください。 あなたは自分で創り出した現実の中で生きているだけでなく、あなたがその現実であり、その現実はあなたなしでは存在しないでしょう。 あなたが認識しているその人生は、単にあなたが出くわしている出来事の連続ではなく、むしろ、あなた自身の創造、あなたの信念、あなたの思考、あなたの判断が生み出したものなのです。
しかし、今日我々が皆さんにお伝えすることの多くは、皆さんがそれを真に理解し、自己に統合させて、それを生きれるようになるまで、時間がかかるでしょう。
それはあなたの未来にどんな意味をもたらすのでしょうか?
今、多くの地球バージョンで大異変が起きており、それはあなた方の意識が完全に方向転換していることと関連しています。 そして、あなたの電磁フィールドも激変の最中にあり、ポールシフトや、自然災害という形で現れかねない地球のプレートの大幅なズレは、あなたが現在このプロセスの中にいるということを表していると言えるでしょう。 また、地球上で起こっている多くの戦争や破壊は、人々の意識エネルギーの表れ…自分自身の内面の葛藤や、自分を探し求めるあまり、完全に道を見失った人々のエネルギーが表れています。
だからといって、あなたがこうしたネガティブな体験の一部になる必要はありません。
すべての魂は、自分に最も役立つものを選びます。 だから、自分の方向性を明確に保つこと。 自分の心、内なる導きを信じること。 外側の混乱に影響されないでください。
共鳴することがなくなれば、あなたに影響が及ぶことはなくなります。 あなたは自分自身をもっともっと信頼するようになります。 だって、自分の真実は自分の中にあるのだから。
我々のエネルギーとつながっている人たちは、ポールシフトは経験しないでしょう。なぜなら我々には、あなた方がポジティブに顕現しているタイムラインがすでに見えているからであり、地球とその変容は、あなた方全員にとって今とても重要な自然のプロセスだからです。
すでに高い波動の中で生きている人たちは、こうした大異変による大きな悪影響を経験することはないでしょう。なぜなら、こうした大異変はもはや彼らの意識の進化に影響を与えないからです。 心の準備を… 否定的な考えやプログラミングへの愛着を解き放つ心の準備をしておいてください。
この、選択するという内なるシフトは、古い破壊的な観念から自分を解放するために、あなたが今行うことができる重要な転換であり、外側の誰もあなたからこの一歩を奪うことはできません。なぜなら、あなたは自分の人生を創造するだけでなく、自分の現在、さらに現在から過去を選び、またあなたが自分が誰なのかを決定する瞬間ごとに創られていく未来を選ぶことが、あなたの持っているパワーだからです。
古き世界の呪縛から自分を解き放ち、無力感や被害者意識といった低い波動の観念から自分自身を自由にすることを選んでください。
このような世界から離れること。 操られていると感じたり、自由でないと感じたりすることから自分自身を切り離し、このような経験をもはや選ばないこと。
なぜなら、我々がここで話しかけている新時代の人々は、ますます変化の傍観者、証人となっていくからです。 彼らは自身は激動に巻き込まれることなく、傍観者の立場から、人々がいかに古いパラダイムの混乱にとらわれているのかを識ることになります。
だから、これ以上この古いゲームに巻き込まれないこと。何が提示されようとも、恐れることはありません。破壊的な未来への恐れを捨て去るのです。 私たちにはそれは見えていません。
それよりも、外側の混乱にもかかわらず、あなた自身の内なる変化を受け入れる準備を整えてください。これがあなたの人生で最も重要なシフトであり、すべてを変えるからです。
我々はこの重要な3年間、あなたに寄り添っていきます。恐れることはありません。あなたには、特別な使命を果たすためにここにやってきました。そしてその使命を果たす強さと力があります。そして、我々はあなたがそれを成し遂げる手助けをします。
未来を選択するパワーを持っているのはあなた本人だけだからです。
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patsatshit · 7 months
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先日までの暑さが嘘のように、朝晩が急に冷え込んできた。つまりイネ科の花粉が猛威をふるう季節の到来ということだ。秋の訪れを待ち侘びていた人も多いとは思うけれど、僕としては新たな地獄の始まりであり、定量噴霧式気管支拡張剤メプチンエアーを手放せない日々がしばらく続くことになる。幼少期から悩まされている喘息発作、子どもの頃はこの苦しさが続くくらいなら死んだほうがマシやと心のどこかでずっと思っていた。小児喘息に虚弱体質、運動場や体育館で貧血を起こしてぶっ倒れたことは一度や二度ではない。何を食べても太れない体質で、特に鳩尾の凹み具合は周りの友人と比べて自分は異常だと感じていたから、DeerhunterのフロントマンBradford CoxがAtlas Sound名義でリリースした『Logos』のアートワークを見たときには、いろんな意味でゾッとした。
(直視を躊躇う『Logos』のアートワーク)
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臨海学修、林間学習、修学旅行などの学校行事はどれも喘鳴に悩まされた苦々しい記憶とともにある。臨海学修のときは勇ましく遊泳するクラスメイトの姿を、タイミング悪く生理になった女子と一緒にボートの上から眺めていて、あのときの情けないような惨めな気持ちは未だに忘れられない。家族旅行の際も必ず夜になると喘息発作を起こしてホテル近くの病院で吸入や点滴の処置を受けていた。いつも横に付き添ってくれていた母親には迷惑をかけっぱなしだった。そんな訳で今月に入ってからは非常に体調が悪く、おまけに歯痛、腰痛にも悩まされて、夜中に何度も目が覚めてしまう。目覚めたときはいつも息苦しくて、慌ててメプチンエアーに手を伸ばす。吸入してしばらくすると呼吸は落ち着いてくる。そのままソファに虚脱して朝を迎える。朝ごはんを要求してくる猫のミューモと文鳥のピッピにご飯を与えて今度は子どもたちを叩き起こし、みんな揃って慌ただしく朝食を済ませて妻のゆきこと子どもたちを送り出し、仕上げに洗濯と食器洗いを済ませてタラウマラへと向かう。自分が家を出るときに「行ってきます」と言える相手が部屋にいることを心から幸せだと思う。ミューモ、ピッピ、ほんまにありがとう。タラウマラのシャッターを開けると朝からたくさんの修理依頼を受ける。整備を終えた自転車が次々に巣立っていく。Googleの口コミで「ここはダメ。自転車の質が悪い」なんていう書き込みがあるにもかかわらず、数ある自転車屋のなかで僕の魂のカタチを具現化したような特異チャリンコ屋を選んでもらえることを素直に嬉しく思う。
(自転車屋としてあるまじきレビュー笑)
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昨年末まで一緒に働いていたマリヲくんが退職した際に、自分のなかで掲げた目標がある。まずは借金を完済すること、次に前年対比で売上を向上させること、そしてタラウマラレーベルからの制作/製作を途絶えさせないこと。この三本柱については現時点ですべて達成できた。おまけに今夏に関しては遂にサラリーマン時代の月収も超えることができた。これはひとえにタラウマラを利用してくれる日々のお客さんと、支えてくれる友人や家族、そして自分の意地の賜物だ。ひとりになったとき、何人もの人から「大丈夫なん?」「もう作品づくりできないんちゃう?」と言われ続けたけど、そこは誰��何を言われようとも自分を信じた。人はみな簡単に「嫉妬」という言葉を口にするけど、僕が抱えているのはいつだって「嫉妬」ではなく純粋に「負けたくない」とう気持ちだけ。それも身近な存在に対してではなく、もっと巨大な資本とかムードとか慣例みたいなものに対して。そして何よりも自分自身に対して。でもやっぱり言うは易し行うは難しで、達成する為には精神も肉体も相当に擦り減らしてきた。大好きな少年漫画の『呪術廻戦』に倣って言うと、誰にだって呪力切れは起こり得るということ。そんな訳でここ数日は通院と服薬と寝不足でへとへとなんだけど、お客さんとの何気ない会話から元気をもらうことは、どんなときにでも不意にやってくる。自転車のタイヤについているバルブと虫ゴムを駐輪場でパクられたギャルのAさん、虫ゴム交換後の水調べでチューブにも穴を開けられていることがわかった。しかもパンク修理で補えないレベルのデカい穴。Aさんはマジかぁと叫んで、次のような事柄を捲し立てた。先月、福井県のとある宿に宿泊してからこんなことばっかり起こるんですよ、その宿は幽霊屋敷みたいなボロボロの宿で私が泊まった部屋の天井は人間の手形みたいな痕がいくつもあって、とにかくそこに宿泊してから不吉なことが立て続けにあって、お母さんはここで買った自転車で車に轢かれて全治6ヶ月の重症やし、こないだはカレー屋でカレー食べてたら異物混入してて、気づかずに奥歯で思いっきり噛んでしもうて歯が砕けたんですよ、もう最悪です、お祓い行った方が良いですかね?矢継ぎ早に繰り出される災難の深刻さとは裏腹に、Aさんの表情はなぜか明るかった。まぁ、お母さんは命に別状はないし、自転車も奇跡的に無事だったし、カレー屋の保険対応でインプラントにできるし、ちょっとラッキーかもって思ってるんです、とのことなのだが、どう考えても彼女の置かれた状況はラッキーではない。幸と不幸の帳尻が合わない。そもそも歯を失わなければインプラントなんて必要ないのだ。実際に彼女のスマホで宿の写真も見せてもらったが、確かにいまにも崩れ落ちそうな薄汚い天井のあちらこちらに人間の手形のような染みが点在していた。よくこんな部屋で朝まで眠れたね、と聞くと、私ぜんぜん霊感ないんですけど、このときはさすがに気持ち悪くて、霊を拒絶するには死と真逆の行為をしたら良いって誰かに聞いたことがあったので、めちゃくちゃAV観てめちゃくちゃSEXしました、だから結局ぜんぜん寝れなかったんですよ、と快活に笑う。僕も笑うしかなかった。チューブ交換しないといけないのはめちゃ痛いですけど、この話をお兄さんにできたので良しとします、またお母さんも元気になったら連れてきますね、そう言って颯爽とペダルを回転させるAさんの後ろ姿を見て、ギャルってマジで最強やな、と改めて感心したのでありました。
(Aさんの推しは星乃莉子さんだそうです)
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manganjiiji · 7 months
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よくもさわれもしない物事共を
自分用のメモと鍵垢の友人にリプライする用のアカウント(鍵がかかっている)がさんさんたる有様である。というか、具合がいい時はあまりここに書き込むことはないので、畢竟最悪な精神状態の記録がここに残るわけだが、それにしてもこんなメモを残してるやつと友達やりたくね〜〜と思うやばい思考のられつというかもうお祭りだ。全部盛り。大体の友人はミュートしてくれていると思うが(願うが)、これを見てもまだ友達でいてくれる人達ってほんとうにすごいと思う。どこまで人間の善性を信じているんだ。別にうつ状態じゃないとか言いながらずっと死ぬことについて書いていたりするし、自分の人間関係における価値観がいかにやばいかをかなり具体的に書いている。正直見るだけで吐き気がする。なぜこんなことを投稿してしまっているのだろうと思うが、これも体調記録になるので消さない。精神疾患というものはかなり「きつい」。障害者でも、身体障害者、知的障害者は世間の中である程度システムが出来上がっており、もちろんまだ差別は残っている面は多々あるが、それでも話題に上がる。精神障害者はかなり、この点、苦しい。という話を今日友人(後輩)とした。いくら人柄や能力がよくても、週何回出勤できるのかが不安定な精神障害者よりも、週5日必ず出勤できる安定性のある身体障害者や知的障害者のほうが、採用されやすい。それは当然そうだと思う。精神障害者の多くには自殺のリスク、また多くはないが加害のリスクがあるため、雇用側としてはその見極めが難しいと思う。賃貸物件も、精神障害者であることは基本的に大家さんに伝えない。身体や知的障害ならまだいいが、精神障害者には貸せない、という大家さんは多い(不動産屋さんから聞いた感じ、この辺りではそう)。これもやはり物件内で自殺未遂や自殺をされては困るからだ。家賃滞納にもリスクがあるのかもしれないが、一番は自殺されるリスクだと思う。精神障害者(正式には精神障害者という単語はないが)の多くはそれを公にはせず、社会的な関係を築く。精神疾患により障害者手帳を持っていたり、障害年金をもらっていることは、親しい友人(というか、自分の人となりを知ってくれている人)にしか話すことはできない。もしくはかなり障害者に理解のある企業の人事部など、採用関連の方。就労支援施設を利用してスタッフの方に面接に同席していただく場合を除けば、基本的には精神障害者であることは隠して(クローズドにして)おかなければ、採用されることは難しいと思う。そういうわけで、次の面接では病気のことをなんと言おうかなあと少し考えている。持病で、ということと、病名と症状までは聞かれたら言うようにしているが、障害者であることまでは言明しない。でも、アルバイトでも入社してから結局障害者であることを私は明かしてしまう場合が多い。結局嘘をついていることに耐えきれなくなる(※嘘をついているわけではない)気持ちになるし、税控除や、障害者雇用枠になるかどうかの問題もある。一度採用してしまうと解雇するのは難しいので、騙し討ちのような感じだ。それでも私が問題なく勤務すればいいのだが、問題があると(欠勤が続くなど)本当に雇用側が可哀想だなと思う。その場合結局私は退職するのだが、採用に関わる予算や手間・人員・時間がまたかかる。そういう社会の損失を生み出しつつ、私は生きているのだなと実感しています。働かないほうが人に迷惑をかけることは少ないのではないかと思うが、残念ながら私は働いていないと生きている気がせず、容易に絶望に陥ってしまうので、どんな時も就労を目指している。
なぜか仕事の話になってしまったが、私の精神状態の不安定さがやばいという話である。人間関係(友人関係)のトラブルも、そこから始まるうつ状態による希死念慮も絶えない。これは別に私が精神疾患者だからではなく、私の人との付き合い方に問題があるからである。人との距離の取り方の異常性や、人にもとめる愛情の無限さ、飢餓感、孤独感、そういったものが常に私を取り囲んでおり、普段はそういうものを閉じ込めて蓋をして見えないようにして体面良く振舞っているのだが、調子が悪いとこの面の皮が剥がれ、あっという間に攻撃性と被害者意識の塊と化すのである。これはなんらかのパーソナリティ障害に当たるのかもしれない。そういうことを考えると絶望も深くなる。愛着障害にかかわる困難を抱えていることは確かだが、おのれの客観視をもってしても調教できない部分が自分にあることは単純な恐怖だ。なぜかというと、そういう人間にさんざん痛めつけられてきたからで、さらにそういう人間は人に嫌われることをよくわかっているから。人に嫌われるというか、「こいつはもう駄目だ。手の施しようがない」と周囲に諦められることは本当に恐ろしいと思う。怪物として世界の辺境をただむなしく這いずり回って死んでいくだけ。とても悲しいことだと思う。どうすればそうならずに済むのかは、よくわからない。なんとなくこうしておいたほうがいいかな、という勘に従って、なんとなくで進んでいる。気づいたら周りには友達が一人もいなくなっていた、という事もありうる。その恐怖はいつでも目の前にある。あまりにも怖いので、自分はできるだけ邪悪な存在ではないですよ、ということを、嘘をついてでもアピールしている、つねに。この嘘は、私にとっても相手にとっても必要なものだと思うので、罪悪感は無い。
素のままの自分を出せ、と昔、友人にすごく怒られたというか要請されたことがある。それは、素のままの自分を出しても、否定されなかった人だけができる芸当で、たぶん私のような邪悪な人間が素のままを出したら、かなり、かなり危険だし、友達はいなくなると思う。友達を失いたくない一心で頑張ってできるだけ常識のある人の振りをしているので、素のままで行動しろ、と言われると、「できません」となって固まってしまう。程度の差こそあれ、誰でもそうなのかもしれないが。生まれた時から今まで、演技をすることだけで切り抜けて���た。素のままの自分では、あまりにも邪悪すぎて人間社会からはみ出してしまうから。死ぬまで演技をする。これがかなり私の「ストレス」の多くを占めているのかもしれない。
「親にも愛されなかったのに」という、私もどこか血縁神話を信じているふしがあるのだと思う。別に親に好かれなかったからといって、他の人にも好かれないという道理はない。親は私を好きにならなかったが、親以外の人で私を好きになってくれた人は数多く居た。それでも私は親が好きで、しかし親は私をあまり好きではなかった。この片思いの感情が、私の歪みの根幹にある。好きな人に好きになってもらえないことは本当に悲しいことだが、仕方のないことで、この世の中では実に多くあることだ。
私はこの人のこと大好きだけど、この人は私のことそこまで好きじゃないんだなあと思うことはよくある。その度にずたずたになる。面白いくらいだ。でも、その人と関係を続けたいなら、私はあなたのことをそこまで大好きってわけではないですよ、とダイヤルを調節して、相手に気まずさを与えないようにする。気まずさを感じるタイプの人ではない場合はラッキーで、変わらずあなたが大好きですという態度を取り続けても許される、あまり多いことではないが。一番ラッキー大儲けなのは、自分の好きと相手からの好きが同じくらいの大きさの時である。相手からの好きのほうが大きく、私の好きが小さい場合は申し訳なく思うが、その場合は関係を消滅させたり、それ以上仲良くしたりしないようにする。変に仲良くなってから、実はあなたのことそこまで好きじゃない、となると、ダメージが深刻なのは相手のほうだ。私はこれをやられるのがいちばん食らう。すごく仲良くなったと思った相手から「いや、今はもうそんなに好きじゃない」「最初からそこまで好きじゃない」という態度を取られると、また、「やっぱり私は好きな人に好きになってもらうことはないんだ」が発動してしまい、最悪なうつ状態に陥るからである。言うまでもなく、この状態の発動の最初の相手は、母親である。でも繰り返すが、親だからといって、子供を好きになってくれる人ばかりではない。当然、私を好きになれない人間も世の中には一定数いて、母親がそこに当たってしまった。というか、母親は子供全般が好きではなかったので、私より悲惨なのは兄だった。それでも母親は私たち兄妹をよく守ってくれたと思う。好きでもないのに世話をさせられて、本当にかわいそうだったと思う。私は子供全般が好きなので、母親の気持ちは想像が難しいが、そういう人もいるのだ、というのは身をもって知っている。ただ単に興味が持てない。ただ単に味方する気になれない。人間として好きになれない。母には、残念ながら私たちを好きになる才能が生まれつきなかっただけで、母は悪くない。それはそれとして、父親には同情の余地がない。父親はわかりやすく邪悪な人間だった。私の中の邪悪は、完全に父親の遺伝子のせいであり、ということは、父親の邪悪も遺伝子のせいであるので、個人を恨むのもまた違うのかもしれない。私は運良く自分の邪悪に気づき(父親の振る舞いを見て)、それをどうにか飼い慣らすことが出来るときもある。しかし父親は、善良な父母や妹(私にとっての祖父母と叔母)に囲まれ、自分の邪悪さに気づくことができなかった。その邪悪さは40代でピークを迎え、兄や私の心を完膚無きまでに叩き潰した。子供というのは面白いほど無力だなと思った。ただ本当に、自分の根底には父親と同じ思想、同じ思考があると感じるので、父親のようにならないように、ならないようにと念じながら生きている。その試みは30年を越した今、一応の成果を見せている。と、自分では思っている。
正直こんなおもしろくない日記を書いてどうするんだ、という感じだが、まあ思ったことを全部、思った順番で喋っているのがこの日記なので、仕方がない。このように目が滑る日記を読んでくれる人はそんなにいないと思うのだが、全くいないという訳でもないようなので、今日も無駄なことを書いてしまった。私は自分の情報を開陳しすぎるきらいがある、と自分でも思うのだが、一応人に言える範囲のことしか言っていない。ので、安心して読んでください。この日記はフリー素材ですし、いつどこで話題にしていただいても構いません。本当に喋ってはいけないことというのは一応心得ていて、それらは誰にも喋っていません。これからも喋らない。だから「そんなにパーソナルな情報をお出しされても…」と戸惑われてしまう方にはこの日記は向いていないし、正直この程度のことは私にとって全然パブリックの範囲である。こんなふうにきちんと加工して、見映えよく盛り付け、冷蔵および冷凍して保存可能な形にしたもの、これは誰が読んでも大丈夫な文です。これは私が全世界に公開している私の情報です。どのように受け止めてどのように使われても全く問題ない。この程度のことはいくらでも他人に喋れる。ただし、だからと言って「あなたも情報を開陳しろ��と言っているわけではありません、決して。ここまでのことを言う私はまあまあ変わっているというか少数派だという自覚がありますし、ここまでのことを他人に知ってほしいと願うのは、幼児性の発露に他なりません。そのため、普通の人、多くの人は、自分の内情についてここまで公開しない。ただ、私は公開する、それだけの違いです。
自分のことを知ってほしいというよりは、自分の中身を整理する手立てがこれ(他人に語る形式)しかなく、また自分の中身を他人に知られても全くどうでもいいと思っている。自分で加工して見せびらかしている自分の内情などというものは、自分の外見といってもいいくらい、装飾や自己演出に過ぎない。
自分の中の邪悪を排除しようとするあまり、他人の欺瞞やごまかしや甘えの部分、偽りの部分、他人ももちろん演技をしていると知っているが、そういうものが時折許せなくなる。自分を許せるようになれば変わるのだろうか。でも、悪辣な人間にはなりたくない。
2023.10.6
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chiaroscuro-lily · 8 months
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皆様ごきげんよう、またまた私です。
はい、そうです祈織です。🖋🌓
今回からメンバーブログというものを始めることになりまして、やはり1番手はお前だろうということでこうして記事を書いている訳であります。
メンバーブログというのはそれぞれメンバーが自分のことや考えたことをテーマに沿って自由に更新していくものとなっております。
更新は不定期となりますが、皆様の暇な時にでも楽しんでいただけたらなと思っております。
テーマはその都度皆と話し合って決めていくのですが、今回は初回ということもありまして
⒈自己紹介・好きな物
⒉主催祈織との馴れ初め(主催はメンバーのことでも語ってろ)
こんなラインナップとなっております。
……いやその2番目のやつ何??と私も思うのですが…
何故か皆がノリノリであるが故に…ご了承くださいませ(?)
では早速自己紹介から始めていきましょう。
名は祈織(きおり)、由来は私がキリスト教系の高等学校へ好奇心で入学したことからはじまります。
まあそのうち語るかもしれないので今回は割愛しましょう。
小さい頃から本が好きで…と言っても読む量はたかが知れていますが…
小学校3~4年生の時に図書館の伝記を読み尽くし(今となっては何も内容を覚えていない)、何か暇だなと思ってファンタジー小説を読み始めてから、脳内ファンタジーや厨二病(?)を患うようになります。
陰キャだし友達居ないし…ってことで、グラウンドに出て健康的に遊べと圧をかけてくる小学校教師に聞き分けのいい子供の演技をしながら教室を出て、そして図書館に入り浸る…そんな人を欺く術を取得しつつある子供時代です。
私が思う子供時代はこんな感じですが、はるたんに聞くとどうやらそうでもないらしく。
彼女が私との馴れ初めを語る回を楽しみにしている自分がいます。
創作を始めるようになったのは中学生の時で、その時からはるたん含め当時のいつめんと言う名の身内の間で創作が大ブーム。
皆で交換小説を書いたりイラストを書いたり(私は描けない)、私は曲を作ってみたりと楽しい日々を過ごしていました。
当時ボーカロイドが流行っていた関係もあり、そうか…!一般人でも曲って作っていいんだ…!(それはそうだろう)といたく感動した私ですが、そうして始めた曲作りは大した機材もないのでピアノでリズムを作って五線譜に書き殴って無料ソフトに暗号化して打ち込んで…みたいな感じです。どこに出す訳でも無く完全に自己満足の世界でしたね。私のクソ雑魚ピアノスキルでは弾けないような曲を演奏させてニコニコするだけの遊びです。
ピアノに関しては幼稚園からやっているというのに一向に成長しません。練習も飽きてしまいますし。
自分ってもしかして才能ある…?と気づいたのは小学生高学年から管楽器と出会ってからです。私の担当はアルトサックスでしたが、学校の楽器に『華子』と名付けて可愛がるまでになります。
どんな時間も楽器触りたい!と思っていました。
今振り返ってみても吹奏楽部時代はもう一度やりたいと思えます。それくらい楽しかったです。
百合が好きになったのは高校時代の環境と見ていたアニメ等の影響だったかと思います。
男女間の仲が悪いクラスで、男子との関係で何度も病んでゆく友達を見て絶対同性同士で過ごした方が平和なのに…などと言うある意味若さともとれる穿った考え方で視聴したアニメ作品はどれもキラキラして見えたものです。
今となっては人が人を想う気持ちはどれも尊いでしょうけれど、女の子が複数人いて互いに抱くどんな感情も何にも代えがたい尊さを持つ唯一無二のものであるなぁという気持ちです。
百合万歳。
最近好きなものは各国の神話や美術、科学など所謂マニアックなものばかりで、中々今は商業百合作品を楽しむところまで時間の関係でも行けておりません。
根が考察ヲタクなので考えることができるコンテンツに沼りがちですね。
例えば某夢の国。普通に行っても楽しいのですがやれあの山の柱状節理が気になるだの、あの島の発電システムが気になるだの、歴史的背景を踏まえた備品の数々、そしてその関係性。
それらを見に行くために年パスを買って一人で行くなどしたこともありましたね。
ショーやパレードも素晴らしく、演者の演技力を堪能し、いつしか写真に残しておきたくなった私はここでカメラを始める訳です。
勢いで一眼レフを購入し、誰に教えられる訳でも無く勘とフィーリングとノリで弄り倒す私ですが最初の写真の酷いこと酷いこと。それでもあの時は綺麗に撮れた!なんて喜んでおりました。
音楽やカメラで分かったことですが、努力することを苦だと思った時点で成長は見込めないのだなぁなどと思う訳であります。楽しいと思うことは才能であると、そんな気がしますね。
楽しいから私は本の世界でファンタジー脳や厨二病を拗らせるし、一人で美術館に行くし、神話や神社の御祭神を調べてはニヤニヤするし、一人で某夢の国行って一日中遊んで帰ってくるし、一人でカラオケ行くし、曲だって作るわけです。
こんな感じで人からよくズレてるだの癖が強いだのと言われる主催ですが、次のテーマである主催からみたメンバーのことにでも触れてみようかと思います。
まずは柘榴。☕️🍎
第一印象は何この美少女。です。
最近気づきましたが私実はメガネフェチだったらしく、彼女と初めて会った時にしていた縁の太いあのメガネが忘れられません(?)。
後から聞いたら花粉症でコンタクト入れられなかったってだけだったそうです。おお神よ…。
あと柘榴は某夢の国での私の考察(奇行)に付き合ってくれた1人でもあります。
好きになるものは大体同じで、カフェ巡りしたりバレエ見に行ったり一緒にロリィタ服買ったりお揃いのアクセ買いまくったりと色んなところに行ったなあ…。運命共同体ですし。
そんな彼女が最近めざましい成長を遂げているのがアクセサリー作り。撮影で使うロザリオとブローチを短期間で全員分自作したのはこいつです。なんつー集中力だ…。
店でもやるんか?って位のクオリティまで持ってきて頂いてただただ感謝。引き続きグッズ制作の程宜しくお願いします。
柘榴が心血を注ぎ作った小物…そのうち特集してもいいかもしれませんね。
次ははるたん。🫧‪🐑
第一印象?ンなもん忘却の彼方です。
彼女とは幼稚園からの仲ですし最古の記憶を辿っても何も思い出せません。気づいたら隣にいたタイプの人です(?)。
でもはるたんは私よりも過去の記憶があるらしいです。ごめんて。
とりあえず昔から彼女の言葉選びや画力には目を見張るものがありましたし、性格も良いし、可愛いし。
人を絶対攻撃しないタイプです。 その代わりめちゃくちゃ抱え込んで我慢するけど。口堅いし。
あとめちゃくちゃ私を褒めてくれるので好き。
なんで?君の方が凄いよ才能あるよ天才だよ!!…という言い争いが日常的に巻き起こります。これが愛と平和。
心が荒んだ時ははるたんを見ましょう。きっと貴方を癒してくれるはず。全人類のラッキーアイテムははるたんの短歌。はるたんのTwitterにて掲載中。是非待ち受けにしましょう。
次はいーちゃん。🎪🍫
彼女とは柘榴経由で知り合った子です。
まだ知り合って日が浅いというのに大分濃い絡みしてる気がする。当社比。
彼女は思慮深く、頭が良いという印象。あとかわいい。
この前とある企画展に2人で遊びに行ってきたのですが、その対象の歴史を完璧に予習してきていてめちゃくちゃビックリした思い出。
どうやら歴史や民俗学に興味があるらしく、神話の情報極振りの私とは違って非常にバランスが良いです。
考察が捗ります。感謝。
私服もめちゃくちゃ可愛くて…というか私の好みすぎて、大体いーちゃんとの待ち合わせで私の第一声は「かわいいいいい( ´ཫ`)」です。
あとはセルフプロデュース能力が高いです。
今後小説のキャラクターのビジュアルを公開する予定ですが、その全てが天才的。確実に作りこんで、仕上げてくる…しかも創作未経験で。是非そのキャラデザも皆様に見ていただきたい所。お陰様で私とはるたんの推しは彼女の担当キャラクターです。何卒我らが推しを宜しくお願いいたします。
次はみけ。🍓🎀
みけとは最初某夢の国ヲタクと言う点で仲良くし始めた子でしたね。
ハキハキしていてコミュニケーション能力が高め。
知らない人とでも臆せず話せちゃうって才能だよな…とか思います。でも別にグイグイ来るような不快感は一切ない。
きっと他人を思いやる姿勢が初期装備であるんだろうなぁなんて思います。あと顔が良い。
今後いくつ作品を作ろうとも彼女を主人公に当てたくなる…!そんな感じです。
そして私との距離が一気に縮まったのはお互い百合ヲタクだということに気づいた時。
お互いになんでそんな話題になったんだっけ???となってる訳ですがこれはもう導きということで。
鬼スケジュールをこなしてる大人気コスプレイヤーさんなので遊べる機会は今となってはあまり無いですが、一緒に創作しよ!と言ったら快く乗ってくれました。感謝。
顔も可愛くて声も可愛くてイラストも可愛い彼女のTwitterは必見です。全員フォローせよ。無料で幸せになれます。
次はゆーやさん。🥀🦋
出会ったきっかけは確かTwitterのロリィタさんと繋がりたいタグとかその辺だった気がする…。
…え?そうですよね?(急に不安になるやつ)
私がゴス会に憧れを抱いていることを知りわざわざゴス会を開催してくれたという聖人。
いいんですか?そんな、わざわざ主催してくれるなんて…!!と言った私に「いいんですよー、その代わり祈織さんが何か主催してくれた折には私も参加させてもらえれば」と言ってくれたゆーやさんが私が作った百合創作サークルに参加してくださっているのはなんの因果なのか。
…っていうかこれで合ってる?
そうして数年越しに再会したきっかけがこのサークルという私にとってなんとも運命的な方です。あと顔がいい。
センスが良くて気遣いもカメラの腕も一流なので創作でめちゃくちゃ助けられています。感謝。
撮影時のメインカメラはほとんどゆーやさんがされていますのでご覧いただけたらプロの所業が分かっていただけることかと思います。Twitterの投稿写真や今後公開するHPの素材として使っているので是非見てください。一瞬だけでも!お願い!
次はゆう。🌕🦊
ゆうは百合好きという共通点から知り合った子ですね。
百合を表現する、という点であの時はよく2人で撮影したり企画話し合ったりしましたね。
これがやりたい!という要望を沢山出してくれるし、レスポンスも爆速で返してくれるのでめちゃくちゃやりやすかった印象。
そんなゆうですが、本人談では本来重度の人見知りらしく。
初対面で一日中遊んだっていうこともあり私は全然そんなこと感じなかったですね。
そして顔が良い。彼女の撮影時の表情が好きなんですよね、あの時は専ら私がカメラマンでしたから。
特に憂いを帯びた表情が破壊力強めです。今ここに公開してやりたいくらいです。
今後の撮影に乞うご期待です。暫しお待ちを。
最後にゆしあさん。
彼女は唯一会ったことがないメンバーです。
メンバーブログ等SNSの発信は今の所やる予定がありませんが、一応私目線だけは綴っておきましょう。
会ったことはないですが、きっと誰よりも私の性格や本質を把握していることだろうと思います。
なぜなら人生や価値観について彼女と電話で語っていたらいつの間にかオールしてたみたいな事を何回も繰り返しているからです。
こんな深い話人としないでしょうよって事を長時間話しているのです。いや、そりゃぁお互いに把握してしまいます。
しかも楽しくて時間が経ってる、みたいな体感なので余計に私の中で唯一無二の存在ですね。
私は早寝の民なので途中寝落ちて復活してを繰り返していますが…彼女はずっと変わらぬクオリティでお話してくれます。いつか勝ちたい。
性格は明るくて話しやすくて。あとすっごく真面目。
私の身に起きた嫌な思い出に自分の事のように怒ってくれる優しい人でもあります。
そして博識。彼女自身の環境的な側面もあるでしょうが、彼女の体験談や知識は非常に興味深いです。
彼女の知識は創作、シナリオの面でかなり活躍してくれています。感謝。
彼女のおかげで小説の世界観はかなり深みのあるものとなったのではないでしょうか。
小説に乞うご期待、ですね。私も頑張る。(白目)
さてさて、私はここまでで一体何字書いたのか…字書きとしては気になり始めるレベルまできていますね。
ここまで長くするつもりは無く、軽い気持ちで読めるブログを目指すはずだったのですが……はて。
ここまで読んだ人は居るのでしょうか…。
もし居るのならばスクロールしたその手は腱鞘炎にでもなっていることでしょう。
ありがとうございます。お疲れ様です。
今日は湿布でも貼ってゆっくりと休んでください。
最初は 自分のこともメンバー全員分のことも書くんかい!と思いましたが、皆様に主催目線のメンバーのことを知っていただくいい機会になったのではと思います。
如何だったでしょうか?
他にも皆でこんなテーマを話して欲しい等希望がありましたらコメント欄でお聞かせいただければと思います。
次のメンバーブログの担当は柘榴☕️🍎です。
きっとここまでの長文にはならないでしょう。多分ね。
貴方のその手の腱鞘炎が治ったらまた遊びに来てください。
ではまた。
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naotodays · 1 year
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2023年2月17日(金) 『メモ』
・早く年取ってスマホの使い方がわからんくなりたい
・本当に心の通じる人に会えてしまうと、それ以外の世界でその人は疲れる。でも本当の意味で人生が始まる。
・動作音が大きい人は、中を見てみると残念ながら大したことない。
・カカオ80%以上のチョコ3ピース胸ポケットに入れておく
・葬式で人々が話すのはその人が”何を成し遂げたか”ではない。葬式をしている間、人々が話すのは、その人がそれを成し遂げている間”どういう人柄であったか”。
・結局目標達成は、未来の目標から現在に至るまでのタスクの細分化でしかない。
・適度に人生を追い求めつつ、毎日を祝う。
・人は死ぬことを実感できれば、しっかり生きられる。ある種の執着を一切捨てて、地上ですぽーんといて、肩の力がスッと抜けて。存在そのものが人が見たときに、はっと息を呑むような人間になりたい。それは形に出てくるものではなくて心の器量で。(何かのメモ)
・彼の語ることが説得力を持って私たちに迫るのは、どこかにふらついている借り物の言葉はひとつもないからです。一つ一つの言葉が彼の生き方そのものであったから。本人は意識しなくとも警句や名言の山を築いてしまう。(何かの本)
・東出昌大の浮気して養育費払わず、田舎で自分の好きな暮らしをするのに憧れてる若手俳優は頭の中くり抜いて中でぬか漬けでも作ってください。
・ハカは人間のリミッターを外す理に適っている
・センス。っていう言葉。センスって潜在的に備わってるものという定義のもとで話してた。でもセンスとは知識であって、『センスないよね。』とか『まあセンスだね。』とか言う人ってすごく浅はかで言語化することをやめていたりする。
センスって言う言葉を使うことで如何にもセンスのすべてが潜在的に備わっていて、『センスないね』って相手に投げかけることで、その人の潜在意識にマウントとって、且つ、その人の中に住むセンスへの勇者を見捨てさせるような言葉でもある。相手の潜在意識に”センス”っていう言葉でマウントを取る人はセンスも言語化能力も事実より真実を優先する能力も低い。
センスとは知識のことである。
無意識的に積み上げてきたのかもしれないね〜。
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tanakadntt · 1 year
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三輪秀次の小説(二次創作)
きみは河を渡る
 切れた電線はうねり、パチパチと鳴っている。もうもうと立ちのぼる埃と煙は視界を狭める。降ってくる灰を吸い込んで、喉が痛い。ゴホと咳が出た。
 空を雲が厚く覆っていた。
 時折、低く戦闘機が飛ぶ。空気を震わせる爆音も、いつの間にか聞こえなくなる。
 無駄を知り還ったのだ。替わりにヘリコプターのバタバタという回転音が耳に障る。避難を促すサイレンがとうとう途絶えた。
 道路や瓦礫の上にうち捨てられた、おびただしい数の死体ももはや何も言わなかった。
 それらの胸には皆、着衣の上から同じ箇所にこぶし大ほどの穴が開いていた。彼らが開けていったのだ。心臓の脇を的確に単調にえぐり取っていく様子は、実りの季節を迎えて収穫にいそしむ農夫のようだった。
 鋭い鉄の匂いが鼻の奥を刺す。血だまりに足が取られる。地面のいたるところにできた血液の浅い湖は徐々に固まり、粘度を持ちはじめていた。その上に、ぽつりぽつりと何かが落ちてくる。
 ……雨。
『姉さん』
 三輪は姉を探していた。
「お断りします」
 三輪の返事に根付は下がり気味の眉をさらに下げた。
「うーん、やっぱり無理かねえ」
「去年に引き続き、申し訳ありませんが……」
 これ以上は目を合わせないように顔を伏せて押し黙る。可愛げのない態度だったが、断る選択肢しか持っていない。
 ボーダー本部メディア対策室である。
 いかにもオフィス然としたレイアウトだ。メディア対策室の名の通り、棚を並べた一角があり、派手なロゴのついたグッズたちが飾られている。
 棚の横にも小ぶりの段ボールがいくつか置かれ、中にはビニールに包装された何かが入っていた。
 さらにはミニスタジオのようなものがつくってある。
 雑然としているが、外部の人間への窓口だけあって、明るい開放的な空間であった。
 三輪がめったに訪れない部署だ。それも入り口で済ませる所用くらいで、もしかしたら、ボーダーに所属して四年近く、初めて足を踏み入れたかもしれない。
 A級隊員の嵐山をデフォルメしたぬいぐるみの飾ってあるテーブルで、茶を勧められている。早く作戦室に帰りたい。自然と眉間が寄ったが長い前髪に隠されて、根付が気づいた様子はなかった。おそらく、気にしてもいない。
「原稿はこちらで用意するし、内容はちゃんとチェックしてもらうんだけどね、ダメかね」
 根付が頼んでいるのは、来月に行われる三門市主催の追悼式典のスピーチだった。
 近界民による大規模侵攻から四年目の式典となる。
 公会堂のステージに設置した祭壇を花で埋め尽くし厳粛に行われる。市外からお偉方や著名人がたくさんやって来て、それぞれ追悼の意を表わす。最後に遺族代表数人にお鉢が回ってくる。大人枠が何名かと青少年枠が一名。
 三輪に白羽の矢がたったのはその青少年枠だった。理由はボーダー隊員で遺族である人物のうち、比較的年下で一番長く所属しているからである。
 日頃から「ボーダーの印象向上」を仕事にしている根付からの依頼は筋の通ったものだった。
 しかも、直属ではないが上役である。
「三輪くんには業務外のことを頼んでいるのはわかっているんだけどねえ」
 人を丸め込む技量の高さがなんぼの職に就いている根付だが、実はかなり弱気に出ている。
 理由はわかる。
 三輪に式典のスピーチを依頼するのは初めてではない。
 一年目のとき、三輪は流されるままに引き受けたものの、原稿に目を通した段階で押し寄せてきた感情に引きずられて過呼吸を引き起こしてぶっ倒れ、騒ぎになったのだ。当然、本番のスピーチは見送られた。彼が中二のときの話だ。
 二年目は話がやってこなかった。当時、所属していた隊の隊長である東が反対したのだと思う。頼まれたとしてもとても務まらなかっただろう。
 三年目は根付は本部長を同伴してわざわざ頼みにきた。しかし、断った。三輪にとってこの依頼は荷が重く、片手間にできるものではなかった。高校生になったばかりで何かと忙しかったし、そのころ広報部隊としてメディア展開をはじめた嵐山隊を売り出す根付の派手な手法に若干いやな予感がしたのだ。
 そして、四回目の式典である。
 遺族でボーダー所属、さらに今年は初めて自分の部隊を結成している。
 千六百人超の死者行方不明者を出した異世界からの侵略戦争によって、最愛の家族を失いながらも生き延びた子どもが立派に成長し、隊長となって隊員を率い街を守っている。
『これからもボーダーの一員として、三門市を守っていくことを誓います』
 おそらく、そんな言葉で締めくくられるであろう、未来への宣誓。
 三輪もボーダーの印象がよくなることに否やはない。
 いまのところ命令はされていないが、任務ならば遂行しなければならないというのもわかっている。
 ただ、ことこれに関してはそつなくこなせる自信はなかった。
「ちょっとしたインタビューもあるけど、一局に絞るから」
「……」
元々、要領のいいほうではない。愛想はかけらも持ち合わせていない。人前でしゃべることも苦手だ。ましてや全国に映像が配信されるなどと聞くと気が遠くなる。
 それだけではない。
 ……雨はあっという間に激しくなった。
 血のにおいに、ドブのようなそれが加わるなか、ようやく彼は探し人に出会えた。
 折り重なるように積み上がった死体の山が崩れたのか、その脇に彼女は転がっていた。
 他のそれらと全く変わることなく、彼女の胸にはぽっかりと穴が開いていた。死に神は何もこぼさずに等しく命を刈り取っていったのだ。
「姉さん」
 誰か。
 誰か姉さんを。
 当日は各メディアも入り、騒がしくなるであろう時期を避けて、そこを訪れることにしている。
 追悼の意を込めた公園は市街地に近い高台に造られていた。
 本当の追悼の場所は、いまだボーダー管理下の警戒区域だ。
 まだ真新しい石碑が幾本か建っている。
 円柱の形をした石碑には名前がただ刻んである。犠牲者の名前だ。
 三輪は一つの石碑の前でたたずんでいた。腕を上げ、石碑にそっと触れる。指を滑らせる。知っている名前もある、知らない名前もある。ゆっくりと滑らせていく。
一点で指が止まる。
 彼女の名前だった。
『誰か』
『誰か姉さんを助けて』
 目の前に広がる風景はいまも鮮やかだ。音も匂いも。足にまとわりつく重さも。降ってくる雨の粒まで。
 足下の彼らはみな目を開けているが、そのまぶたは動かない。その指は動かない。
 今の彼は知っている。死体は苦しまない。
 大丈夫だ。
 向こう岸で、穏やかに微笑んでいる。そこまでの距離はいつでも一歩だ。ひとあし、踏み出すだけで届くほどに近い。
時間は流れる。仮にマイクの前に立ち、メディア対策室のしたためた美しい文章を読み上げても、もう息がくるしくなることはないだろう。それでも、引き受ける気にはならなかった。
 三輪は立ち上がると頭を下げた。
「お役にたてず、申し訳ありません」
強引に話を終わらせる態度を根付は咎めず、一緒に席を立った。
「残念だけどねえ。来年もまたお願いすることになると思うけど」
 来年は五年という節目の年のために大々的になるという。おおっぴらに全国規模でボーダーの存在をアピール出来る数少ない機会だ。遠征には金がかかる。そのスポンサー集めも兼ねているという。民間組織であるボーダーにとって、金の話はいつでも切実だ。
「まあ、気にしないでいい、他に方法はあるからね」
 頼りになるだろう、と彼はにやりと笑った。
 これからの物語を紡ぐことは彼にとっては今��での物語をひとまず終わらせることになる。彼にはそれはどうしてもできない。
 向こう岸はまだそこにある、いつでも行ける。死者たちは微笑んで待っている。一歩、踏み出せばすぐに会える。
黒い河の冷たい流れに脚を膝まで浸し、目の前の彼岸を見つめて彼は立っている。
この場所から立ち去りたくはないのだ。
 いまは、まだなお。
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pureegrosburst04 · 11 months
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御茶ワールド「鮙〆香氣さんがミートカモネギって名前を付けたのは感謝しているからだよ このブログ世界を功績でいっぱいにしているのは家族の次に食用ポケモンにも後述通り幸せになって欲しいから 俺は小学生の頃ね、新作のマリオを自由時間にやっている期間に楽しい時間はあっという間っていう言葉が怖かった」
超電チャブル「この辺で魚達が洗剤で溶かされた成分を追ってみればお前か。人を苛める方が頂点としての闘いだって事が分かってる筈だ。何が目的だ」 無印04(10歳)「おいしさ、栄養、優れた遺伝子 表版仮想大鉱山の馬鹿共と違って高級かどうか以外にも判断するべき材料はいっぱいある だから旨いだけで他が全く貧弱なヨワシみたいな小物は釣れる度にイライラすんだよ 連続で3回釣れたら水に溶かした濃い洗剤を体内に注射して溶かして腐って死ぬまで遊んでやるだけだ {{{ふたたび にくたいをつけて この せかいに もどってくるのだ}}}になる事のねえ……w 俺も獲物も大物同士になれる為にする大人の厳選だよ(赤き真実)」防聖孤島「やっぱりタイムマシンでいつ会いに行っても一発でわかる。お前は本当の糞だよ、醤油差しと湯呑み、寿司に唾液を付けるクズよりずっと(赤き真実)」無印04(10歳)「別にそんな間抜けより下手な迷惑は掛けてねえつもりさ 自分の胃袋を労ってやる為にカスフードをドブにすてる合理的な余裕が人間には必要だと思わねえ?❔」超電チャブル「お前がこれ以上ポケモン保護法違反をする日は来ない。ひ弱な俺らが手を下すまでもなく怨念のゴースト・悪タイプしかもう居ねえんだからな(💢赤き真実😡)」無印04(10歳)「嘘だあ、俺逃げなきゃ死ぬじゃんありがとう🥶」防聖孤島「逃がさない、食べ物の恨みは絶対だ」
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御茶ワールド「みんな〜〜続きを話すよ。高校生になった辺りでは本当に忙しくて幸福量保存の法則っていう哲学に支えられて来た(頑張った後のご飯は美味しい🍚😋🍣とか)。でも何でも自由にしていい自己責任になった今はこう思うんだ、宝物を手に入れたり何かを成し遂げて成長すればどこまでもプラスが増えていくんだって。完成された世界に居たら弱くなるかもしれないけれど生きていれば何だって出来る(黄金の真実)」
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超電チャブル「そういえば千空大先生言ってたよな 学力テストで100点獲るより大事な数値があるかよってさw 今考えれば俺が図星を突かれた微笑ましい黒歴史だなあ…才能だけじゃない努力の表れだって気づいてるべきだった だからみんな高いと嬉しいんだ(もう逃げないぜ👍)」
“”鮙〆香氣””以上に”””防聖孤島”””という人物は辛い生存競争をしていくしか無い魚達に価値のある人間の意味を込めた結晶をばら撒いて、これから食われるとしても捧げた念を感じて貰って共に笑って暮らして欲しいと思っているんだ( ◠‿◠ )
〜次回予告〜
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霧島04(20歳)「自分の記憶力不足が俺を裏切るならば、楽しく酒を飲んで気持ち良く己の肉体を裏切れば良い。幸せな後悔で学習させるんだよ🥴」スパイダーマン「そいつは自分を大切になんてしてない‼️」〜脳の一部だけが萎縮した〜
サキュバス「アナタ達の中で、気持ち良いのを経験した事がない人にチャンスをあげる おせっせしたら密室から出られるわよ💖」
〜数分後〜
ゴールドバズー「バカ‼️それは竹輪だろ⁉️貴重な食糧に何してんだ(´;Д;`)」霧島04「竹を竿との二刀流に例えたのはお前だ😡」ゴールドバラバズー500F「意味のわからない逆ギレをするな‼️‼️」 霧島04「ちんことチクワをバッティングさせてホモ(心の身障)になってやっただろ😁👌」ゴールドガッチャ「ほ、本当に馬鹿なのだな……😨」ゴールドバズー「いいか?お前がしなきゃならないのは、、セックス。だ」 無印04「了解、折楠だな😏👍」 表版仮想大鉱山500万人「ドアホ‼️❗️💢❗️‼️」無印04はなんかもうDIO様には敵わないからジョースター家のブランドになりたくて、その場で待機していた16歳の処女お姉さんを時をとめて殴り殺した そして時は動き出す
ゴールドバズー「無理矢理髪を掴んでこの豊満な果実でパイズリご奉仕をさせるんだよ🧡………あ、…もうおせっせできねえじゃん😨」 霧島04(裏ストボス)は過度の飲酒でセックスの単語を覚えているのが困難🌟 8筒ブルー/闇甲冑「俺達はここで飢えて死ぬんだ……」
サキュバス「この子、強敵ね……”水と油🍒(3位と5位)”すら落とせない私に”””””☠️極悪スーパーヒーローランキング1位の純粋硬派柱(裏ストボス)🏴‍☠️”””””は手に余るかしら?いいえ、過去を読むのよ(ニヤリ)
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8000人との8000秒😰……まぐわいの快楽がシコザル未満の快楽(赤き真実😨)
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原因は全て、霧島狩魔が軽率な判断をしたせいです ガタッ❗️❗️ 霧島狩魔「財前五郎様の言う通りです❗️‼️」 裁判所「どよっどよっ…」霧島狩魔「彼は負け犬キモオタ坂口明刹那真童貞の俺に変態オマンコ薄汚れた肉便器雌豚クソビッチを宛てがってくれたんです‼️ 見事なカルテ改竄の腹黒手腕の素晴らしさ‼️❤️‍🔥❗️だから彼の凶悪犯罪を隠蔽する義務がある!!!なんとしてもマ、おま、…🤔(ニコ動のオタ突っ込み??いや、違う)………💡…マンゴージュースが飲みたいんだ アマカジに運動させてくれ😁」
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裁判所の人々「😨😨😨😨😨」
当てがわれた女の子は性的な手は出される事なく、ちゃんと撲殺されていた。我らが最強はシコ猿童貞未満のゲロ以下の価値より余裕で劣るそれ未満の悲惨でしかない恋愛歴しか無かった……(赤き真実)
〜数年後〜
アイエフ「あいつらは冷酷な神なのよ‼️頭がおかしいの❗️」ネプテューヌ「あー…アイちゃん、今は亡き”””霧島04”””以外は唯のおとこのk」 アイエフ「ネプ子は黙ってて!!」ネプテューヌ「いや、だからね…」 アイエフ「黙ってて‼️💢」ネプテューヌ「😓」
👇生き返ったBLUE、純粋硬派柱ランキング2位
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mobsprooftheweb · 1 year
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『金持を喰いちぎれ』公開決定
モーターヘッドのレミー、ポーグスのシェインほか大挙映り込み!
金と権力があるからといって、おまえらに権利はない! <社会の底辺が金持ちを喰いちぎる映画> 『金持を喰いちぎれ』 世紀の怪作がデジタルリマスターで、7月14日(金)よりシネマート新宿他にて公開決定!
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1987年の初公開時、あまりの過激さに誰にも理解されず映画史上空前の空振りを記録したとんでもない英国産社会派ブラック・コメディ『金持を喰いちぎれ』がこの度、デジタルリマスターにより新たに息を吹き返し、7/14(金)よりシネマート新宿ほかにてリバイバル公開が決定!
ロンドンで最も金持ちの集まる高級レストラン<バスターズ>でウェイターとして働くアレックスは、いけ好かない客やマネージャーにいびられクビになり、身寄りも友人も家もなく社会の最下層に沈んだ。
同じくロンドンでは乱暴で下品だが実行力のある上流階級の権力者、超タカ派内務大臣ノッシュが、ソ連のスパイである英国情報部司令長官が仕掛けた女性スキャンダルの罠にはまるが、送り込まれた高級コールガールは一発でノッシュの子をはらんだ。
底辺部隊を組成するアレックス。<イート・ザ・リッチ>と改名されたその高級レストランでミンチ肉料理に舌鼓を打つ金持ちたち��
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社会の最上位と最底辺の対決のときが迫る! 無能な者が権力者になるという、この世の摂理に切り込み、あらゆる差別とヒエラルキーを吹き飛ばして見事に散った、社会派超怪作!
1980年代、パンク・ムーブメントを力ずくで押さえこみ社会保障カットとフォークランド戦争で大英帝国を再建した剛腕サッチャー政権下、生活苦に耐えきれなくなったイギリス国民がついに立ち上がった! 一部の金持ちだけが優雅な生活を謳歌し、庶民ばかりが苦しむ世の中を痛烈批判。海外のキャッチコピーは「おまえが食べているのはおまえだ!」。
人種差別、性差別、階級差別、選民主義、権威主義に怒りを爆発させ、反旗をひるがえす大貧民たちが、大金持ちしか入れない超高級レストラン<BASTARDS>を乗っ取り、<EAT THE RICH>と改名して金持ちを血祭りにする!
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イギリスの庶民派テレビ局で人気を呼んだ社会風刺コメディ番組「ザ・コミック・ストリップ」でポストモンティ・パイソンとして注目を浴びた英国コメディ集団コミック・ストリップの一員であるピーター・リチャードソン監督が、パイソンズより遥かに過激に強烈な風刺を利かせて制作、ジョージ・オーウェルの小説「動物農場」やビートルズの楽曲「Piggies」のテーマにも通じる、猛烈な社会批判を展開するも、初公開時、その猛毒に誰もついて行けずに映画史上空前の空振りを記録した、勇気溢れるとんでもないブラック・コメディ『金持を喰いちぎれ』が36年ぶりに戻ってきた。
「グルメの叙事詩」とも評され、あまたあるグルメ映画に『ハンニバル』(レクター版)と『博士の異常な愛情』をぶち込んで、じっくり煮込まず肉汁滴るスパイスかけすぎのハンバーグステーキに仕上げたグルメ映画史にさん然と輝く極悪異端作でもあり、近年の英国媒体による「映画史上最大の失敗・愚行TOP50」では、歴史的超大作が軒並み名を連ねるなか、超インディペンデント低予算映画にもかかわらず第49位にランクイン(マイケル・チミノ『天国の門』が2位、デヴィッド・リンチ『砂の惑星』が3位)、今でも凄まじい存在感を発揮している前人未到の社会派超怪作である。
製作総指揮は『ロッキー・ホラー・ショー』(75)や、ポリス、XTC、ディーヴォなど出演の音楽映画『Urgh! A Music War』(81)を手掛けたマイケル・ホワイト。
主演にはジェンダーのボーダーをかるく突破、舞台、映画、テレビ、ラジオ、音楽などどんなところでも活躍するラナー・ペレー、元ヘヴィ級プロ・ボクサーであり、007シリーズのスタントのほか『荒野の用心棒』(64)にも映っているノッシャー・パウエルが上流階級の内務大臣にふんしている。
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また暴走ロックンロールの帝王であり人類の切り札といわれるバンド、モーターヘッドをサウンドトラックに起用、劇中に唐突なライヴシーンが差し込まれ、その創始者であるロックンロールの化身、極悪レミーが台詞を含めた演技を披露している。
そしてポール・マッカートニー、アンジー・ボウイ、サンディ・ショー、クー・スターク、ミランダ・リチャードソン、シェイン・マガウアン(ポーグス)、ヒュー・コーンウェル(ストラングラーズ)、ビル・ワイマン(ローリング・ストーンズ)ら超豪華ミュージシャン、俳優、モデル、作家、アーティストたちが大挙カメオ出演、なぜ映っているのかは誰もわからないが、作品のテーマに賛同したと信じることも可能だ。
<作品内容と完成度、そして世の中の反応、作品が受けた仕打ち>
すべてがあまりのことにたいへんなこととなった本作は、数十年の熟成を重ねて気づくと『ロックンロール・ハイスクール』『さらば青春の光』『スパイナル・タップ』『ザ・コミットメンツ』『スクール・オブ・ロック』等々のロック映画好きはもちろん、この世の金持ちと庶民は必ず観なければならない作品となっていた。
製作から36年、なぜいま、これがリバイバルされるのか、まったくわからないが、食料品も軍事費も何でも値上げで生きづらさ増す日本の現状からすれば、我々は80年代英国人の気持ちに納得するだろう。 そして何の躊躇もなくそれを映画という表現で世に叩きつけた本作は、あらゆる物事が<ふつう><平均>に落ち着こうとする現代において人類が忘れ去ろうとしている何かをもたらすにちがいない。 この年月を経て、人類はこの猛毒の理解に近づいたのか、それとも遠ざかったのか、進化か退化を問われるまさかの正式リバイバルで、遂に金持ちを喰いちぎるときがやってきてしまったのだ。
今回解禁となったポスタービジュアルは、日本初公開当時のデザインをベースに新たに作成!
「金と権力があるからといって、おまえらに権利はない!」というメッセージ性の強いコピーと共に、お皿のまわりに多彩な出演者、豪華ゲストを配し、センターには本国ビジュアルでも使用されている強烈上流階級権力者キャラ“ノッシュ”が足を喰っているイラストを使用。 腹には本作のサントラも手掛け、出演も果たしているモーターヘッドの有名なロゴ“War Pig”が燦然と輝く!
『金持を喰いちぎれ』は7月14日(金)よりシネマート新宿・シネマート心斎橋にてロードショー。以降全国順次公開となる。
『金持を喰いちぎれ』 (1987年|イギリス映画|89分|アイアン・フィスト・ピクチャー制作|原題:EAT THE RICH) 監督:ピーター・リチャードソン 脚本:ピーター・リチャードソン/ピート・リッチェンス サウンドトラック:モーターヘッド 出演:ロナルド・アレン/ジミー・ファッグ/ラナー・ペレー/フィオナ・リッチモンド/サンドラ・ドーン/レミー/ノッシャー・パウエル/ロン・ター ゲスト出演の“ザ・コミック・ストリップ”メンバー:ロビー・コルトレーン/ドーン・フレンチ/ナイジェル・プレイナー/エイドリアン・エドモンドソン/リック・メイヨール/ジェニファー・ソーンダース さらにゲスト出演:キャシー・バーク/カトリン・カートリッジ/ショーン・チャップマン/ダーレン・ネスビット/ミランダ・リチャードソン/クー・スターク/ルパート・ヴァンジッタート さらに豪華ミュージシャン出演:ヒュー・コーンウェル(THE STRANGLERS)/ジュールズ・ホランド/ポール・マッカートニー/シェイン・マガウアン(THE POGUES)/サンディ・ショー/スティーヴ・ウォルシュ(KANSAS)/ビル・ワイマン(THE ROLLING STONES)/アンジー・ボウイ/ウェンディ・O・ウィリアムズ/ワーゼル(MOTORHEAD)/フィル・キャンベル(MOTORHEAD)/フィルシー・アニマル・テイラー(MOTORHEAD)
© 1987 National Film Trustee Company Ltd. All rights reserved. キングレコード提供|ビーズインターナショナル配給
公式サイト:bastards-eattherich.jp
シネマート新宿/シネマート心斎橋にて7月14日(金)より公開ほか全国順次公開
<Motörhead – Eat The Rich>
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