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#激安自動猫トイレ
mtantenna · 1 year
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自動猫トイレ ペットセーフスクープフリー修理DIY 猫の飼い方 うちの自動猫トイレが故障したので、ダメ元で修理しようとしたら、結構簡単に直せました。ただめっちゃう〇こまみれになりましたけどね!これで高い自動猫トイレをまた買わなくて良かったです。ご参考までに^^ 自動猫トイレ ペットセーフスクープフリー修理DIY 猫の飼い方動画へ Automatic Cat Toilet Pet Safe Scoop Free Repair DIY How to Keep a Cat https://youtu.be/2SjTN25PwiQ Automatic Cat Litter Box Pet Safe Scoop Free Repair DIY Cat Ownership My automatic cat litter broke down, so when I tried to fix it, I was able to fix it quite easily. It's just a mess, but it's been a long time! I'm glad I didn't have to buy an expensive automatic cat litter again. For your reference ^^ #自動猫トイレ #猫 #DIY #修理 #ねこ #猫の飼い方 #ネコ #猫トイレ #子猫 #仔猫 #ぬこ #保護猫 #キジトラ #スコティッシュフォールド #おすすめ猫トイレ #おすすめ自動猫トイレ #激安自動猫トイレ #猫砂 #おすすめ #簡単DIY #猫トイレDIY #子猫 #仔猫 #ぬこ #kitty #catstagram #catstagram_japan #petstagram #instacat #meow 自動猫トイレ ペットセーフスクープフリー修理 PetSafe automatic cat litter 猫とトキではねこたちの為に動物資格の愛玩動物飼養管理士を取得しペットの猫の飼い方や育て方の動画や可愛い猫動画も提供していきたいと思います。温かい目で見守って下さい。猫パンチや猫風呂猫がじゃれる・可愛い喧嘩等、おもしろい楽しい映像、猫かわいい動画を撮影していきます。 たまに子猫も登場します^^子猫の癒し動画は最高ですよね❤その他にも資格30種類程所持しています。日本のユーチューブ・ユーチューバーチャンネル(Youtuber channel)のもちまる日記、mugumogu、スコスコぽこ太郎&うま次郎〜猫ちゃんねる〜、ねこかます nekokamasu、ポムさんとしまちゃん / ねこべや。、ニャンチューバーつくし 【関西弁でしゃべる猫】、Pastel Cat Worldさんがかわいいのでいつも参考に見させて頂いてます^^ https://www.instagram.com/p/CnthvolPlFY/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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kennak · 2 years
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長くなります。よかったら読んでください。 まず、私から提案したいと思います。 私の家に遊びに来ませんか。鹿児島県のとある田舎町で農業を営んでいます。新規就農してからまだ半年余りなので、アルバイトをしながら何とかやっている状態ですが。 独り者です。バツイチです。質問者の方が男性でしたら、何日か泊まっていただいても構いません。 柴犬と猫とヤギ、ニワトリがいます。 以下、陰鬱な内容を含みます。耐性の無い方は読まれない事をオススメします。 私もうつ病でした。 それも重度のうつ病でした。主治医には、最終的には脳に電極をつけて電気ショックを施すことを勧められたぐらいです。 入院治療も2度行いました。 最初の入院は、自殺未遂をしてから運ばれました。施錠された病室に隔離されました。常にモニターで監視されていて、トイレなどハナから丸見えです。 1週間の後、一般病棟に移りました。 職場には、主治医からうつ病の為3か月の休職が伝えられました。 2週間後くらいから、躁状態に入りました。 室内では腹筋、腕立てを繰り返し、外出許可をもらってはランニングに勤しみました。 自分自身が何故うつ病になってしまったのか自省し、退院してから復職する迄のやるべき事リストを作り上げました。 前向きな様子を見て、主治医も退院時期を前倒しにしました。 一月後、退院しました。 退院してから、先ずは主夫業に精を出しました。 過剰なまでの不安と心配を与えてしまった妻の為、早起きして犬と散歩に行き、朝ごはんを作り、掃除、洗濯を済ませ、夕ごはんの買い出しに行き、夕ごはんを作って妻の帰りを待ちました。 週に2回の通院は、あえて15キロの道のりを自転車で通いました。散歩にも出かけ、野の花や小鳥なんかをスケッチしたりもしました。 全てはうつ病を克服するためだけに、日々を過ごしました。認知療法、行動療法、薬物療法すべて行いました。 1か月後、再発しました。 休職期間も残り1か月ともなると、緊張と不安が絶え間なく襲ってきます。また寝れない日々が続きます。食欲もなくなり、何をするのも億劫です。 復職1週間前ともなるとある思いが心を支配します。 (死にたい…) とにかく私は死にたかったのです。 いわゆる、希死念慮です。 簡単に言うと自殺願望なのでしょうが、色んな自殺の方法を探りました。 結局は首を吊る事に落ち着きました。 妻の居ない日中に、何度も何度もタオルなどで首を吊りました。でも死に切れませんでした。 勇気を振り絞って復職しました。 3か月ほど働いたでしょうか。職場での日々は、私にとって正に地獄でした。常に緊張していました。頭が上手く回転しません。真っ直ぐ歩くことさえままならず、何故か柱や机の角にぶつかりました。トイレに用がなくても頻繁に入り、周りの好奇な目から逃げました。その度にトイレの窓から飛び降りたい気持ちになりました。自殺を試みた人間に対して、同僚は腫れ物に触るように対応します。 毎週末、今日こそはと思い、首つりを繰り返しました。しかし、最後まで出来ません。 私は思い込みの世界で生き、想像の世界で苦しんでいました。 自殺未遂をしてから、うつ病と告知されてから、いやもっとずっと前から私は、私自身の妄想に自縄自縛の状態でした。 あいつは仕事が出来ない。 あいつのせいでみんな迷惑している。 自殺未遂するぐらいなら仕事を辞めればいいのに。 それでも上司は私を励まします。 君なら出来る。死んだ気になってがんばりなさい。みんな君の事を心配しているんだ。恩返ししないとね。 妻も私を励ましてくれました。 折角、頑張って公務員になったのに、今辞めたらもったいないよ。家のローンはどうするの。その年から転職なんて出来ないよ。あなたの��好きな柴犬も手放して、動物も飼えないようなアパートに移る事になるよ。今が頑張りどきよ。 私はもう限界でした。いや、もうとっくに限界だったのでしょう。主治医からは兎に角強い睡眠剤と抗うつ剤を処方してもらいました。 起きていても何時もボーッとしていました。 漢字もどう書くのかよく分からなくなりました。 ひらがなさえ、「あ」と「お」の違いさえよく分からなくなり、度々授業中の計算ミスを子どもに指摘されました。 ある日、子どもに問いかけられました。 「先生、なんで死のうと思ったの?前の先生が、H先生はぼくたちのことが嫌いで死のうとしたって言ってたけど、本当?」 「そんなことないよ。死のうとなんかしてないよ。」 咄嗟に取り繕いました。 代行の先生が、断片的で恣意的な情報を子どもたちに伝えていたようでした。 再休職することになりました。 うつ病の原因は今だからよく分かります。 新しい学校に移動したものの、子どもたちと以前のような信頼関係を築けないことからの自己嫌悪。 同僚とも良好な関係を持てないことからの苛立ち、不安、不満。 それらから派生するように、仕事への自信喪失。 40過ぎても子どもを持てないことへの落胆。 35年住宅ローンの重圧。 自分の故郷が地震と津波で壊滅的な状況なのに、何も出来なかったことへの後悔。 妻とも友人とも、会話が噛み合わないことからの孤独感。 当時の私は客観的に見ても、八方塞がりでした。 でも多くの方たちも、多かれ少なかれ40も過ぎれば仕事や家庭で問題を抱えています。しかし、うつ病にはならないでしょう。だからこそ私は私自身に失望しました。失望感は再休職したことからさらに募り、積み重なった失望感は、絶望感へと集約されました。 再休職して、私はまさに生きるしかばねの様でした。 以前の休職期間のように、前向きにうつ病治療をすることも有りません。ただ、ただ死なないように生きているだけです。 誰かの歌詞にあったように、 私は小さく死にました。 当時の私は死にたいと云うよりも、「楽になりたかった」のです。 40も過ぎて再休職し、再び同僚や子どもたちに迷惑をかけ、上司の配慮や期待にも応えることが出来ず、その上、妻への罪悪感は筆舌に尽くし難いものがありました。 いつ自殺が成功しても大丈夫なように、定期的に遺書を書きました。妻への謝罪、同僚たちへの謝罪、両親兄姉への謝罪、毎日毎日こんな自分が生きていることが��し訳ありませんでした。 妻は週末になると、神社へとわたしを連れ出しました。近所の神社、箱根神社、鶴岡八幡宮、春日大社にも行きました。 2時間で2万円もするカウンセリングも受けました。 主治医から処方される薬は、5種類まで増えました。病院でのカウンセリング担当医は、大学を卒業したばかりのような若い女性です。彼女なりに真摯に私と向き合ってくれましたが、私は彼女から助けてもらえるとはとても思えませんでした。主治医で院長でもあった先生は、薬を処方するだけです。もしうつ病が治らず、教員を退職する事になったら精神障害者として生活保護を受けるしかないと言われました。 一向に良くならない私の状況に、妻は失望し、疲弊しました。あとで知った事ですが、リストカットなどの自傷行為をしていたようです。 毎晩、妻から叱責をされるようになりました。 このままだとどうなるか分かる?あなたがうつ病を治さないとどうなるか分かる?いい加減、治してよ!どれだけあなたが沢山の人たちに迷惑を掛けているのか分かる?だから早く治して! 時には包丁を持ち出され、一緒に死のうと懇願されました。 一度、人は道を踏み外すととことんまで堕ちるのだと思いました。しかも、底がありません。どこまでも堕ちるのです。 生き地獄でした。 翌年の4月、私は別の学校に移動し復職することになりました。 私は私を偽りました。うつ病は治っていません。しかし、治った事にしないと妻がもちません。 治ったと偽り、主治医にも復職を許されました。 復職して、3週間後の朝、自宅の梁に電気コードを括り付け、椅子を倒し首吊り自殺しました。 死んでいませんでした。 気づくと愛犬の柴犬が必死に私を舐めていました。 何も見えません。呼吸が止まっていたのでしょうか。私は必死に呼吸をしました。呼吸を繰り返し繰り返し行うと暗闇に光が差し込んできました。 何故かコードは解けていました。今際の際で、コードを解いていたようです。しかし自分が何をしたのか暫く理解できませんでした。失禁していることに気づきました。脱糞までしていました。眼球は出血し、白目部分は真っ赤に染まっていました。左半身が上手く動きませんでした。 その日、再入院することになりました。 主治医から、電気ショック治療を勧められました。一定の効果は期待できるが、全身に激しい電気ショックが流れるので多少の骨折や記憶の欠落などのリスクは覚悟してくれと言われました。妻の反対で行いませんでした。 もはや、自分が何をしたいのか、生きたいのか死にたいのか全く分かりません。ただただ矮小で卑屈で社会のゴミのような存在だと思いました。 生きている意味などあろうはずもありません。 でも私は生きていました。あの日以来首を吊るのも止めました。何も考えず何もせず、出されたものを食し排泄し、夜になれば睡眠剤でぐっすり寝て朝になれば看護師に起こされ、何もない1日が始まります。 2か月後退院しました。暫くして、教員を辞めました。無職になりました。新築の家も売りに出しました。妻には当然ですが、見放され東北の実家に帰ることになりました。実家にはまだ思春期の姪たちがいたので、兄がアパートを探してくれそこに1人で暮らす事になりました。 私は何も考えなくていいように、中古のゲーム機を買って一日中ゲームをしていました。たまにスーパーに食料を買いに行きますが、誰かに見られるのが恥ずかしくて、短時間で目につくものをそそくさと買ってアパートに戻ります。何も考えません。感情も有りません。風呂にも入りません。歯も磨きません。ある時、履けるパンツが無く、Tシャツを逆さにして履きました。チンチンが寒かったです。 以前の主治医から実家近くの病院を紹介され、紹介状も持たされていましたが、そこの病院に行く事は有りませんでした。もう精神科医も抗うつ剤も睡眠薬も私には必要ありませんでした。 なぜなら私は人の形をした、ただの醜いぬけがらでしたから。 時間も季節も、世間も仕事も、私には何の意味も有りません。物欲、金欲、食欲といった欲求もありません。ただ日々死なないように生き、金を食いつぶし、秋が来て、冬が来て、春が来ました。 定期的に父から電話がありました。その日は今までにない雰囲気で、もうアパートを引き払えと言ってきました。 実家で両親と兄家族と暮らす事になりました。 父は頻繁に私を外に連れ出しました。80も近い父の運転で、被災地の風景を見たり、故郷の野山を見たり、桜を見たりしました。 5月過ぎ、父が帯状疱疹になりました。 6月になると、胃腸に何らかの不調を訴えるようになりました。 7月、近隣の中核病院に入院することになりました。 最初は泌尿器系の病気が疑われ、手術を受けましたがあまり体調が改善されません。その後、ガンが疑われましたが、その部位が分からないと言われました。原発不明ガンと診断されましたが、本人には告知していませんでした。 父が体調を崩してから、病院の送り迎え、入院の準備や手続き、お医者さんの対応など、私が行いました。初めは嫌々でしたが、結局手が空いているのは私しかおりませんから、仕方なく対処していました。 原発不明のガンなので、具体的な治療方針が決まりません。何故か、一時退院が許されました。 退院してから、定期的に通院する事になりました。その日は泌尿器科の受診の日でした。泌尿器の主治医がお休みで代理の先生に診てもらいましたが、受診後父の様子が変で、帰り道に尋ねるとガンだと告知されたと言います。 何年ぶりでしょうか。私の中に忘れていた感情が芽生えました。 怒りです。 その日告知してきた先生は、あくまで泌尿器科の主治医の代理で、しかもガンの部位はおそらく消化器系だろうと言うことで告知する時期は消化器科の主治医と治療方針と共にこれから考えていきましょうという段取りになっていたのです。 父の落胆は見るからに明らかでした。父はタバコも吸いません。深酒もしません。健康番組が大好きで、健康に人一倍気を使っていました。 食事の世話も私が行っていましたが、食欲もめっきり無くなりました。歩くのも酷く疲れるようになりました。 私は消化器科の主治医とアポを取り、抗議の為病院に赴きました。何の相談もなく、科も違う代替先生が告知をしてしまった事に、平謝りでした。 それから私は、ガンについてできうる限り勉強しました。通院の際は、ノートを持ち込んで先生の所見を事細かくメモしました。 PET検査なるものでガンの所在が分かるかもしれないと聞き、検査機のある病院まで連れて行きました。 しかしながら、ガンの所在、及び部位は特定できませんでした。 8月になり、いつも以上に辛そうな父を見て再入院させる事にしました。病院に着くともう自力では歩くことが出来ず、車椅子に乗せて診察室まで連れて行きました。 父は気丈で弱音を吐くことを聞いた事がありません。 私が小学生の頃、車のドアで親指を挟み、骨が見えていても自分で運転し整形外科に行き、夕方には仕事をしていました。 私が中学生の時には、母が粉砕機で薬指を切り落としてしまいました。側にいた父は、すぐさま薬指を拾い、氷袋に入れて母を病院まで連れて行きました。指はくっつきませんでしたが。 そんな父が、自ら車椅子に乗っている姿に愕然としました。 主治医からは、胸水が溜まっているのでお辛いのでしょうと言われました。とりあえず、入院治療することになりました。 胸水を抜いてもらい、多少楽になったのか父に少しだけ笑顔が戻ってきました。後から来た母とも談笑していました。 数日後、父は永眠しました。 死因は、原発不明ガンとのことですが直接的な死因は、窒息死です。深夜になって吐いたものが気管に詰まり、自力では解消されず看護師が気づいた時には亡くなっていたのです。 解剖はしませんでした。 母の取り乱しようは筆舌に尽くし難く、身内一同呆然としました。 それでも、お通夜や葬儀は粛々と進められます。 葬儀が終わり、明日早朝に火葬を残すのみという晩の頃、私は葬儀会場で棺の中にいる父と2人きりになりました。 止め処無く涙が溢れてきました。あんなに泣く事はもはやないだろうと思います。 おそらく1時間ほど泣き続けたでしょうか。その間、私は心の中で同じ言葉を繰り返していました。 (ごめんなさい。ごめんなさい。) (もう大丈夫だから。) ほぼ平均寿命とは言え、父は80手前で亡くなるような人ではありません。ましてや、ヘビースモーカーで高血圧の祖父より早死にするような人ではないのです。 では何故、こうも早逝してしまったのか。 原因は、私です。 私の存在がストレスとなり、私のうつ病が治らないこともストレスとなり、40過ぎの息子が無職になって帰ってきて引きこもりになっている現実がこの上なく父に負担を掛けたのは間違いありません。帯状疱疹になったのも、胃腸に不調をきたしたのも、がんと診断されて1か月余りで亡くなったのも、私のせいです。身内は誰も口には出しませんが、みんなそう思っている事でしょう。 それなのに私は、父の棺の前で1時間ほど泣いて泣いて泣き疲れた後、気づいたのです。 うつ病が治ったと…。 皮肉なものです。父の病と死が、私のうつ病を寛解に導いたのです。 半年前まで、私は私の抜け殻でした。 何もせず、何も考えず、ただ無意味に時間とお金を浪費する肉の塊に過ぎませんでした。他人と会話する事は勿論のこと、身内ですら顔を見て話すことも出来ませんでした。 それが3か月前から止むを得ず、父の世話をするようになってお医者さんと交渉したり、看護師と話したり、父の様子を親戚に伝えたりするうちに何となく、うつ病は回復の兆しを見せ始め、最終的にに父の死によって寛解に至ったのです。 父は全く意図していなかったでしょうが、結果的に父の病と死が、私を深い深い谷底から救ってくれたのです。 結局のところ、私のうつ病を治したものは医者でも無く、カウンセリングでもなく、ましてや薬でもありません。タイミングときっかけ、そして行動です。 以下は私の経験則からの私見です。異論がある方もいらっしゃると思いますが、ご容赦ください。 うつ病は、薬で治る病気ではありません。 一般的な解釈としては、うつ病は過剰なストレスなどにより、セロトニン、ドーパミン、ノルアドレナリンといった神経伝達物質が上手く働かなくなり、シナプス間における電気信号が不調となる為、活動性が低下し、感情が失われていくとされています。 抗うつ剤などの薬は、上記の神経伝達物質を良好に分泌させる為のものですが、あくまで一時的なものです。言わば、身体が疲れた時のユンケルみたいなものです。ユンケルのような滋養強壮剤の効果は、有って小一時間ぐらいらしいです。医者に聞きました。寧ろ(俺はりぽDを飲んだから元気だ!)といった暗示の副作用の方が大きいといいます。抗うつ剤も同じです。気休め程度にしかなりません。しかも抗うつ剤を服用し続ける事は何の根本的な解決には��りません。また様々な種類があり、強いものを飲み続けると廃人になるようなものも有ります。ハイリスクローリターンです。 私が知っている精神科医で、うつ病を本気で治せると思っている人はおりません。彼らは、薬を処方し点数を稼ぎ、報酬を得ているに過ぎません。私が暫く通院していた病院は、正にそうでした。2年ほど通いましたが、沢山の精神病患者で寛解に至った方を私は知りません。私の主治医だった精神科医は、患者を1時間待たせ5分の問診で処方箋を書き、効率よく病院に富を蓄積させます。おそらくそれが出世の処方箋なのでしょう。 先日、NHKドラマで阪神淡路大地震を体験した精神科医の話がありました。患者の話を30分でも1時間でも真摯に聞く先生でした。私もそういう精神科医に出会ったら違っていたのでしょうが。 現実は違います。それでも精神科医に診てもらいたければ、開業医をお勧めします。少なくとも組織の中にいる精神科医はダメです。 カウンセリングもお金と時間がかかるばかりで、効果のほどは期待できないと思います。 中には、行動療法や認知療法で寛解する方もいらっしゃるとは思いますが、私は懐疑的です。 そもそもうつ病の根幹的な治療は何か? まず、うつ病に至ったストレスを無くすことです。私は公務員という立場や家のローン、世間体などから仕事を辞めるという選択肢を選ぶのか遅すぎました。 そして、死なないように生き、どこかのタイミングで行動を起こすことです。具体性に欠けますが、深い深い闇の中にいて、抗うつ剤や他人の空虚な言葉が一筋の光になる…なんて事は現実的ではありません。 最初はどんな行動でも構いません。ポイントは、うつ病を患ってからした事がない行動です。 よくうつ病を患った人に、「神様から休みなさいって言われているんだよ。」という方がいますが、うつ病患者は休んでいるわけではありません。深く傷つき、深い闇の中でいつ終わるとも分からない嵐が過ぎ去るのを息を殺し、感情を捨て、ただただ耐えているのです。 話が逸れました。 質問者の方は、生きている意味があるかと問いかけられていますね。 私の答えは、「ない」です。 そもそもが、生きているだけで意味がある人間なんてどれほどいるのでしょうか?人間は人間を特別視し過ぎです。過去には、人間ひとりの命は地球よりも重いと言った政治家が居ました。馬鹿げています。 この地球には、既知の部分だけでも175万種の生命体がいるそうです。未知を含めたら500万とも800万とも言われています。その多種多様な生き物が懸命に命を繋いでいます。その中で、何故人間の命だけが尊いと言えるのでしょうか。 周りを見渡せば、ニュースを見れば犬、猫より価値の無い生き方をしている人が沢山います。蜂や蟻よりも生産性の無い生き方をしている人間がありふれています。 人間の命、そのものには意味がないのです。 あるとすれば、意味ではなく「時間」だと思います。 そして時間があるからこそ、「行動」ができるのです。 重度のうつ病患者は、行動が出来ません。 行動が出来ないということは、時間が止まっているのです。 故に今のあなたが、生きている事の意味を問いかけるのははっきりいって無意味です。 それはあなた自身が本当は理解されているはずです。 けれども今あなたがその漆黒の闇を抜け出せるその日が来た時、あなたの(生)に価値が生まれます。あなたが自分の足で、自分の意思で前に進み始めた時、時間が再び動き出します。 生きている限り、意味はなくてもあなたには「時間」がある。時間があるという事は、あなたの人生は何度でもやり直せるのです。 更にあなたが価値ある、より良い行動をとることで、あなたの(人生)に意味が生まれると思うのです。 人の(生)に意味があるとすれば、価値ある行動を実践した時、初めて生まれると思うのです。 人の人生の評価は何で決まるのでしょうか? 財産、出世、肩書き…人それぞれでしょうが、私は行動だと思います。どれだけ価値ある行動を人生で出来たか、だと思うのです。 だからまずあなたがするべき事は、死なないように生きることです。そして、私のようにきっかけを待つか、自らきっかけを作り行動することです。 正直言って、私のようなきっかけを待つことはお勧めできません。 だからこそ、私のところに遊びに来ませんか? もしかしたら、何かのきっかけになるかも知れません。仮にならなくても、きっかけのきっかけぐらいにはなるかも知れません。 私は今、農業に従事しています。何故、東北から南九州に来て、農業をしているかの経緯は割愛しますが、私はうつ病が寛解してから2年ほどの、50手前のおじさんです。 うつ病が治り、取り敢えず3つの事を目標に掲げました。 ①飼っている柴犬を、日本一幸せな柴犬にする事。 ②最低限、父の年齢まで生きる事。 ③世界の真理を一つでも多く学ぶ事。 です。 農業では、無農薬、無化学肥料での、循環農法を実践しています。なるべく、F1の種に頼らず固定種の種から作付けして、この土地に合った野菜を育て、種取りをして、安全、安心な、究極的には硝酸態窒素を過剰に含まない、ガンにならない野菜作りを目指しています。 知らない土地に来てからの挑戦なので、苦労もありますがやり甲斐も有りますし、生き甲斐も感じています。 何よりも、何度となく死んでしまってもおかしくない我が身がこうしてお天道様の光を浴びて働けることが、嬉しくて嬉しくて仕方が有りません。 昔、ドイツの哲学者が言っていました。 (自らを否定して否定し尽くした時、あなたは超人となるだろう。) 私のうつ病期は、自己否定の繰り返しでした。 もちろん、私は超人には成れておりません。 ただ、周りの人達よりちょっとだけ物事の本質を理解出来るようになったかなと思います。 一昨日、東日本大震災から9年経ちました。 2万人以上の方が亡くなられました。 彼らにはもう時間が有りません。行動を起こすことも出来ません。 だからこそ我々生きている人間は、然るべき行動により、震災を語り継ぎ、亡くなった方たちを忘れずに生きねばなりません。 あなたは生きている。 あなたには時間がある。 あなたは行動を起こせる。 大丈夫。時は必ず訪れます。 最後にアメリカの詩人の言葉をご紹介します。 (寒さに震えた者ほど 太陽の暖かさを感じる 人生の悩みをくぐった者ほど 生命の尊さを知る これから私は幸福を求めない 私自身が幸福だ) 長文につき、乱筆、乱文ご容赦ください。
私はうつ病です。昔の事も思い出せず、感動せず、感情もわからず、物を覚えられず、体を動かすのもつらく、毎日ただひたすら苦しく、生きているだけでお金がかかるのに生きてる意味ってありますか? - Quora
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yotchan-blog · 1 month
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i-love-you-2021 · 1 year
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飲酒
 こと食品や飲料において、俺の舌は基本的に貴賤の違いを理解しない。一介の大学生である俺は金銭的余裕があるわけではないため、スーパーで買い物をする際にはとにかく安さを最優先に商品を選び取っているが、たまに機会があって普段よりもいいものを食べたりしても、まるでその値段に見合った美味しさを感じ取ることができない。俺にとってトップバリュー以外の食べ物は豚に真珠猫に小判であり、平たく言って馬鹿舌ということになる。
 そんな俺でも、ワインは高いほうがうまいということは理解できる。コンビニの片隅にある750ml四百五十円のワインは、アルコールの消毒液臭さが全く隠し切れないまま渋いだけのワインの香りが最悪にブレンドされており、最高に不味く何か食べるものがなければまともに飲めたものではない。それがワインというものの常識であると認識していた俺は、ある日気まぐれに立ち寄ったバーでローストビーフと共に飲んだ三千五百円のワインに感動を覚えた。舌から喉へとすんなりと入り、豊潤な香りと味で俺を酔わせ肉の旨味を引き立てる。俺は高いワインの虜になった、いや恋をした。
 恋をした男は足しげくその女のもとへ通うのが古来よりの習わしである。恋が成就するためには相手を理解し親しくなり数多の壁を乗り越えなければならない。ただ指をくわえて遠くから見ているだけの男ははっきり言って度胸がない腰抜けである。だから俺は高いワインを頻繁に飲んだ。店で飲み家で飲み野外で飲み、朝もワイン昼もワイン夜もワイン。ああ、最高だ。高いワインが俺を鬱屈した現実から連れ出して、ここじゃないどこかへ連れて言ってくれる。幸せな泥酔に沈み込み、そしてその沼に底はない。もっとワインを飲まなければならない。もっと飲めば、俺はもっと幸せになれる。ワインだ。ワインワインワインワイン。
 そうしていると、俺はいつの間にか自分が激しい吐き気を覚えているのに気が付き、トイレに向かってうなだれていた。ワインが原因で吐くまで酔ったのは初めてで、そしてここまでひどい酔い方をしたのも初めてだった。便器に吐き出された吐瀉物には当然ワインも含まれていて、何かしらの食物を赤く染めあげ肉片のように散らばっている。ああ、どうして俺はあんなに飲んでしまったのか。誰か一刻も早く俺を解放してくれ。そんな飲みすぎた人間なら誰もが考えるような平凡なことを考えた。当然ワインのことなど考えず、むしろあの赤くアルコールの香りがする液体など視界に入れたくもなかった。結局のところ、俺のワインに対する想いはその程度であった。恋なんてそんなものだ。
 少し波が過ぎたころに水を一杯飲んだ。それがいつもとは比べ物にならないほどうまくて、水を飲む水を飲む水を飲む。ああ、人生なんて、つまらない。
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myonbl · 4 years
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2020年3月30日(月)
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私の職場では、今日から新年度オリエンテーション開始、キャンパスは久しぶりに会う学生たちの姿で賑やかである。しかし、他大学ではこの種の行事を中止するところが多く、授業日程も2週間以上遅らせるところが多い。「三密(密閉・密集・密接)」防止のための対応が、あらゆる場面で求められる。今後の予定は流動的、あくまでも「生命第一」の観点を忘れてはならない。
今日は全員出勤の日。
洗濯2回。
今日は在学生のオリエンテーション、履修指導と時間割作成が行われる。私が担当する「インターンシップ」は時間割上は後期配当だが、「大学コンソーシアム大阪」のプログラムを利用するため、5月に登録、7月に実施という流れになる。在学生全員に、事前の説明会への参加を呼びかけるメール配信。
4月から図書館長に就任される T先生に、引き継ぎについてのメール送信。折り返し、15時に図書館まで来ていただくことに。
今日も電車通勤、安全のために空いた準急を利用。
研究室の前に図書館へ、先日、図書館スタッフとの間で話題になった「澪つくし料理帖」、手持ちの文庫本(10冊)を届ける。すると・・・
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なんと、スタッフから「御礼」をいただいた。3年間の図書館長、たいした仕事はしていないのに・・・恐縮&感謝!
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早めのランチ、三男が日勤の時は私も弁当を詰めていただく。
時間割作成・登録作業を終えた IM嬢来室、私の出入りが激しいので、Youtube で桂枝雀の落語を「自習」していただく。
昼休みには、教養教育履修相談、ただし在学生のみなので開店休業。途中で sampe兄に留守番を頼み、大学生協理事会へ。何とか定足数を確保して、5月の総会についての準備を確認。
自室に戻ってIM嬢と一緒に枝雀鑑賞、「代書」「宿替え」「鷺とり」。
15時に図書館へ、T先生と簡単な引き継ぎ。
16時から第4回危機対策会議、今後の授業運営についてあれやこれや。結論としては・・・
・授業実施方法について 第 1 週の授業(4/6~10)は、授業形態(講義・演習・実験・実習等)を問わず、予定通り開講いただくようお願いいたします。なお、第 2 週目(4/13)以降、第 3 週終了時(4/24)ごろまでの約 2 回分の授業方法については、特に講義に関しては、対面、web 等の遠隔授業及びその他授業担当教員が最適と考える形式で実施いただくこととし、第 1 週の初回授業時にその内容を学生に説明等いただきますよう、お願いいたします。 また、演習・実験・実習等の授業科目についても、必要に応じ、対面に限らず課題研究等の適切な形式を採用いただくよう、お願いいたします。 ・授業回数等 授業回数等については、弾力的に取り扱って差し支えない旨、文部科学省から示されているところですが、あくまで 1 単位につき 45 時間の学修時間が確保されるよう、各授業担当教員において配慮いただきますよう、お願いいたします。 ・教材データ等の保管について 情報処理教育センターのもとで運用されている教材フォルダは、学内ネットワークからのアクセスにのみ対応しているため、対面以外の授業方法により学生が学外から授業を履修する場合、当該フォルダを活用することができません。 今後、教学センター及び情報処理教育センターで検討のうえ、公式メールアドレス(G メール)のドライブ等を活用し、教材データの保管等が可能となるよう対応いたします。 ・5 月以降の授業の実施について 本日の会議においては、当面、3 週程度分をめどに、授業計画立案及び学生への提示をお願いすることといたしました。 ただし、新型コロナウイルス感染症の拡大状況等に鑑み、状況が常に変化しうることから、適宜検討を行い、情報共有していくことといたします。 なお、現段階においては、前期授業期間中はこの状況が継続するとの仮定のもと、授業内容を検討いただきますようお願いいたします。
・機器、エレベータ等の使用について 授業教室におけるマイクの使用後に、エタノールのスプレー等をお使いいただけるよう、準備いたします。 また、エレベータ(EV)の使用については、3 号館 EV は換気対応が行われていることから通常通り、2 号館 EV についても、十分な空気量と開閉時の換気により通常通り使用いただけます。 なお、女子トイレに設置されているハンドドライヤーは、使用停止とさせていただきますので、あらかじめご了承いただきますようお願いいたします。 ・その他 在学生及び新入生、非常勤講師の先生方への授業等に関する連絡その他必要な情報を早期に周知してまいりますが、必要に応じて各学科の先生方にもご協力のお願いをさせていただくことがございますので、ご承知おきくださいますようお願いいたします。 また、今後の状況をふまえつつ、学生の家族等が感染症に罹患した場合や、教職員の罹患時など、想定しうる事態への対応を検討してまいりますので、よろしくお願いいたします。
自室に戻ると、IM嬢はすっかり枝雀の虜に。明日は自宅から枝雀のDVDを持参せねばなるまい。
少し遅くなったが、西大路七条・ライフで買い物して帰宅。
次男用に発注した apple  watch が届いており、すでに使用を開始していた。
程なく帰宅したツレアイとあり合わせで夕飯準備、晩酌しながら桂米朝を聴く。「仔猫」「京の茶漬け」「親子酒」。
三男は少し遅めの帰宅、明日も早いので早々に切り上げる。
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荷物が重かったので、往路は北千里から職場までバス利用、それがなければ12,000歩/日が達成出来たのだが。
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sorairono-neko · 5 years
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あのとき、きみにキスをした
「本当に大丈夫?」  ヴィクトルが心配した。 「大丈夫だよ」  勇利は明るく答えた。 「ヴィクトルは心配性だね」 「心配性にもなる。あんな勇利を見てきたんじゃ……」 「もうぼくは以前のぼくとはちがうの。何もこわくないし、立派にやり遂げられるよ」  勇利はきっぱりと言い、いたずらっぽく付け足した。 「お守りもあるし……」  そして右手の薬指にある指輪にくちづけした。ヴィクトルは溜息をついた。  グランプリシリーズ、ヴィクトルと勇利の試合は重なっていない。だからヴィクトルは、勇利の遠征に帯同できないことはない。しかし同じ試合には出なくても、日程は近い。付き添うのにヤコフは反対したし、勇利もよい顔をしなかった。 「ちゃんといい成績をとってくるから、ぼくを信じて。ね?」 「勇利のことは信じてるけど……」  ヴィクトルは行きたいのだ。しかし、そうすることで勇利が気に病むならやめたほうがよい。ヴィクトルのわがままということになるからだ。  勇利がわがままを言ってくれればいいのに。ヴィクトルは拗ねた。どうして勇利はすぐに「大丈夫」「心配しないで」「ヴィクトルは自分のことをして」と言うのかな。俺はおまえのコーチだろう? 「ヴィクトルだって、自分の試合のとき、ヤコフコーチがユリオやギオルギーのところにいても平気でしょ?」 「それとは話がちがうだろう」  ヴィクトルは口元に手を当てた。そこにヤコフが通りかかって、「またおまえらは揉めとるのか」とあきれたように言った。 「ヤコフ、俺、勇利の試合についていっていいよね?」 「だめだと言っとるだろうが」 「なんで? じゃあヤコフは俺の試合についてこないの?」 「わしは選手ではない」 「俺だって、勇利のコーチでいるときは選手じゃないよ」 「そういう屁理屈を言っとるうちは子どもだ。コーチなんて器じゃない」 「大丈夫です、ヤコフコーチ」  勇利が割って入った。 「ちゃんと言い聞かせますから。ヴィクトルには練習させます」 「ちょっと勇利」 「ふん。どっちがコーチだかわからんな」  ヤコフはリンクへ入っていき、「こらっ、ユーリ! 好き勝手にすべるな!」と叱りつけた。 「ヴィクトル」  勇利はヴィクトルの手を握り、真剣な顔をした。何を言うのだろう、と思ったけれど、彼は口をひらかなかった。そのかわり、瞳が雄弁だった。その目にヴィクトルはよわく、こうしてみつめられると勇利の言いなりになってしまうのだ。  しかし、このときは抵抗した。 「もうすこし考える」 「ヴィクトル」 「絶対に行くとは言ってない。勇利が出発までに満足な出来にならなかったらついていくよ。俺を安心させるためにがんばって。いいかい?」  勇利は溜息をついた。ヴィクトルのきっぱりとした口ぶりに、これ以上は無駄だとあきらめたらしい。彼はしぶしぶといった様子で譲歩した。 「わかった……。でも、ヴィクトルの『満足』ってどういう状況のことなの。何をやっても『それじゃだめだ』って言うんじゃないだろうね」 「はっきりとした基準を作れということ?」  ヴィクトルはにっこりした。 「そこは俺を信じてもらわないと。俺がきめる」 「そんなのずるいよ」 「そうだよ」  ヴィクトルは胸を張った。 「俺は勇利みたいに清純無垢じゃないんだ。悪い大人だよ。勇利、騙されないように気をつけて」 「人のことをからかって!」  勇利は手を振り上げてこぶしでヴィクトルの肩のあたりをぶった。ちっとも痛くない、仔猫がじゃれついてくるような感じだった。ヴィクトル���彼の手首をつかみ、笑い声を上げた。そこへ、ヤコフにさんざんがみがみ注意を受けたユーリがやってきて、ふたりのことをじろりとにらんだ。 「リンクでいちゃつくなら帰れ!」 「ユリオ、ひどいよ。ぼくは真剣にヴィクトルと今後の話を……」  ユーリは勇利に寄り添っているヴィクトルを指さした。 「だったらそれらしい距離感でやれ!」 「人を指さしちゃだめだよ」 「練習中いちゃいちゃばっかしてるやつが常識を語るな!」  その光景を見て、リンクメイトたちが、「またやってる……」とくすくす笑った。  しかしヴィクトルとて、そうして勇利とくっついて遊んでばかりいるわけではない。勇利の出場する試合まであまり時間がない。ヴィクトルは自分の練習よりも勇利を見ることを大事にし、技術に問題はないか、精神的に安定しているか、とそのことを確かめた。本当についていかなくて大丈夫だろうか? 「平気だよ。西郡が来てくれるし……」  確かに西郡は勇利にとって信頼できる相手だ。ヴィクトルだって信用している。しかし彼が、ヴィクトルの代わりをできるわけではない。 「それに、ひとりで試合に出るのって初めてじゃないんだ。チェレスティーノがついてないときもあったんだよ。国内大会はだいたいそうだったね。慣れてるよ」  だが、勇利は地方大会でも緊張していた。あれは長く試合から離れていたせいもあるだろうけれど、勇利の場合、そうではないからといって安心はできない。普通の選手でも突然調子を崩すことがあるのだ。勇利ならなおさらである。 「心配しないで」  勇利は熱心に言った。 「ひとりでもファイナルきめられるから」 「…………」 「そんな顔しないで」  勇利は笑ってヴィクトルの両頬をてのひらで包みこんだ。ふたりは同じベッドに入り、眠りにつくところだった。 「ただし、試合のあとは電話するよ。時差とか関係ないからね。ヴィクトルが寝てても叩き起こすから」  勇利はにっこり笑った。 「ヴィクトルの声を聞かせて。ぼくには指輪と、それがお守りになるんだ」 「ああ……」  ついていく、と言い張れば、勇利は怒り、それが負担になるかもしれない。こなくてよかったのに、そんなにぼくが信じられないの、といらいらさせるくらいなら、やはりついていかないほうがよいのか……。 「勇利……」 「どうしてヴィクトルのほうが不安そうにするの?」  勇利はくすくす笑った。 「愛の力でメダルを勝ち取ってみせるから……」  ヴィクトルは試合会場にいた。あれ、と思った。これは何の試合だっけ。俺の試合? どこの大会だったかな? それとも結局、勇利の試合に帯同したのだろうか。勇利は怒っているだろう。  ヴィクトルはきょろきょろとあたりを見まわした。騒々しく、いろいろな会話や注意が飛び交っている。報道陣も大勢見える。公式練習だ。  ヴィクトルはゆっくりと歩いた。リンクのそばにチェレスティーノの姿が見えた。彼の隣にはピチットがいる。挨拶しようと近づいた。するとピチットが気がつき、にっこり笑って手を振った。 「勇利! どこ行ってたの?」  勇利? ヴィクトルはきょとんとした。勇利がいるのか。ということはやはり彼の試合についてきてしまったのか。勇利、怒ってるだろうな、と思った。すると口が勝手にひらいた。 「うん、ちょっとお手洗い。この会場初めてだから、迷子になりそうだったよ」  え? ヴィクトルはびっくりした。いま誰が話したのだ、と混乱した。勇利の声だった。しかし、彼の姿はない。動いたのはヴィクトルのくちびるだった。勇利? 俺が勇利? 「わかる。僕も初めてなんだけど、それだけじゃなくちょっと複雑だよね?」  いったいどうなっているんだ? ヴィクトルは、自分をまっすぐに見て「勇利もあぶなかったのかー」と笑うピチットを凝視した。自分はいま勇利なのか? そういう風貌になっているのか? 声もしゃべり方も彼だった。話そうと思ったわけではないことが口から出た。変だ。 「騒いでないで支度しろ。もうすぐおまえたちの順番だぞ」  チェレスティーノがふたりに言った。ピチットとヴィクトルは──いや、勇利は、というべきか──「はーい」と声をそろえて言った。 「あっ、いたた」  急にピチットが声を上げて目を押さえた。 「どうしたの?」 「なんか急に目が……ゴミが入ったのかもしれない」 「こすっちゃだめだよ」 「鏡あるかな……」  そのとき、そばにいたどこかのチームスタッフらしい女性が、「持ってるわよ」とちいさな鏡を差し出した。「ありがとう」とピチットが受け取る。ピチットがまぶたを押さえて鏡をのぞきこんだ。 「あ、目のふちにまつげついてる……」 「すぐ取れそう?」 「うん」  ヴィクトルはピチットの後ろから鏡を見た。自分の意思ではなかった。誰かが勝手に身体を動かした感じだ。ヴィクトルは目をみひらいた。ピチットの背後から鏡を見ているのは、勇利だった。 「取れた。どうもありがとう。助かりました」 「どういたしまして」  女性はほほえんで去っていった。もう痛くない? と勇利が言った。 「うん、平気」  そうか。これは夢なんだな。ヴィクトルは合点した。夢ならよくあることだ。自分ではない人物になってしまうのも、妙な場面に出くわしてしまうのも。ヴィクトルはいま勇利になって、しかし勇利の身体をいっさい動かすことはできず、ただ存在しているのだ。勇利の視点での世界を眺めている。自分から話すことはできない。勇利の行動を見守るのみだ。  なるほど。そういうことか。そうと理解すると、ヴィクトルは愉快な気持ちになってきた。なかなかおもしろい夢だ。こういう夢なら大歓迎である。勇利の姿をたっぷりと堪能しよう。──いや、勇利の姿は見えないのだが。 「あっ、勇利!」  ピチットがヴィクトルのジャージの裾を引いた。彼は声をひそめて顔を寄せてくる。 「見て! ヴィクトルだよ……」 「あ……」  たちまち、ヴィクトルの胸が激しく打ち始めた。つまりは勇利がどきどきしているのだろう。リンクサイドに登場したのはまぎれもなくヴィクトル・ニキフォロフで、彼はかたわらのヤコフに笑顔で話しかけながら、優雅にジャージを脱いでいた。どうやら、この光景を見ているヴィクトルとは別に、きちんとヴィクトルも存在する夢らしい。 「やっぱりかっこいいね」 「う、うん……」  ヴィクトルは頬を押さえた。熱い。ヴィクトルかっこいい、綺麗、すてき、という感情が伝わってくる。ヴィクトルはくすぐったくなった。勇利、いつもこんな気持ちで俺を見てたのか……。 「練習するみたい。見てよう」 「う、う、うん……」 「勇利、大丈夫?」  ピチットがくすくす笑った。 「倒れそうだよ……」  勇利が胸に手を押し当て、溜息をついた。吐息の色を想像するなら、ばら色といったところだろう。ヴィクトルはこそばゆくて仕方なかった。勇利がヴィクトルのファンであることも、彼がヴィクトルを深く愛していることももうじゅうぶんすぎるほどに承知していたけれど、それにしてもこんなふうに体験するというのはまた新鮮な印象だった。「手に取るようにわかる」というが、それはこういう次第のことなのだ。勇利の気持ちが、すこしのまちがいもなく伝わってくるではないか。  ヴィクトル・ニキフォロフがすべり始めた。勇利はうっとりと彼の姿に見入った。勇利が、あの正確な踏み切り、ジャンプの高さ、視線の上げ方、指先の優雅なこと、といちいち感銘を受けているのとはうらはらに、ヴィクトルは、これはいったいいつの大会だろうと落ち着いて考えた。いや──夢だからそんなことは関係がないのか。それにしてもあんなおおざっぱなすべりをして。あの漕ぎ方! ちっともなめらかに見えない。すこしは勇利を見習えばいいのに。 「ほれ、とっとと行け」  チェレスティーノが教え子ふたりに声をかけた。ピチットが勇利を振り返った。 「行こうよ、勇利」 「…………」 「おーい、勇利」 「……あ、うん」 「大丈夫?」  ピチットがくすくす笑った。しかしリンクに出れば、勇利は熱心だった。氷の具合を確かめ、ジャンプをして足に伝わる感触をおぼえ、自分の調子を慎重に調べた。ヴィクトルは、そう、それでいい、とか、急ぎすぎだよ、とか、もっと身ぶりを大きく、とか、いろいろな助言をした。もっとも、勇利には届かない。彼は自分の感覚をヴィクトルが共有しているなんて、思いもしないのだ。 「よし、いいぞ。ふたりともそれを保持するんだ。とくに勇利。余計なことを考えるなよ。自分がいちばん上手いと思ってすべるくらいでいい」 「はい」 「ヴィクトルよりも?」  ピチットが笑いながら訊いた。 「そうだ」  チェレスティーノは澄ましてうなずいた。  その夜、勇利はホテルの部屋でぼんやりとテレビを眺めながら、昼間のことを思い返していた。 「ヴィクトル、かっこよかったなあ……」  勇利は練習のあとも常にヴィクトルをみつめ続けていたが、とうとう視線をつかまえられずじまいだった。もっとも、勇利自身はそうしようとは思っていなかっただろう。ただ慕っている相手に注目していただけだ。目が合ったら倒れてしまう、というくらい熱心な様子だった。  あのね、勇利。おまえはいずれ、その男とあんなことやこんなことをするようになるんだぞ……。 「あぁあ……」  しかし、目が合っただけでも勇利は卒倒する、と勝手にきめつけているヴィクトルになど気づかず、勇利は意外な言葉を口にした。 「あんなひとが、ずっとそばにいてくれたらなあ……」  勇利がヴィクトルに「コーチをしてもらいたい」と思い始めたのはいつのことなのだろう。ヴィクトルはそれを勇利に質問したことはなかった。勇利はヴィクトルと親密になる直前、グランプリファイナルでさんざんな成績だった。もう引退かというところだったのだ。追い詰められたから、あこがれのひとに助けてもらいたいと思ったのだろうか。それとも──、ずっとかたわらにヴィクトルの存在を望んでいたのか。ただのファンというだけではなく、もっと明確に。 「あれ?」  会場に入った勇利は、ジャージのポケットを探って顔をくもらせた。 「どうしたの?」  ピチットが振り返る。 「手袋がない」 「えっ、ホテル?」 「ううん、さっきはあったから……、どこかに落としたのかも。ぼくちょっと見てくる!」  勇利は急いで廊下を引き返した。ピチットが追いかけてきて、「荷物持ってってあげる!」とキャリーケースをひっぱった。勇利は来た道を戻った。 「あ」  廊下のすこしさきに、黒いものが落ちているのが見えた。勇利はほっとして駆け寄った。と──。 「わっ」 「あ、ごめんね」  ちょうど角を曲がってきた選手と、かるく突き当たってしまった。勇利はふらつき、急いで頭を下げた。 「いえ、こちらこそ。ごめんなさい、大丈夫ですか?」 「平気だよ。ほんとにごめんね」  よい匂いが漂った。勇利は顔を上げた。ヴィクトル・ニキフォロフが、ちらっと笑って手を振ったところだった。彼は足早に廊下を歩いていった。勇利はその場に立ち尽くし、ぼうっとしてヴィクトルの後ろ姿を見送った。  ヴィクトルは腹が立った。何をやってるんだ、俺は! 勇利にぶつかったなら、抱きしめて、ぶつけたところを撫でてやって、「大丈夫?」とほほえみかけて、キスしなくちゃだめだろう! あいつは頭がおかしいのか? ちっとも礼儀作法がなっていない! ヴィクトルはひとりで憤慨した。もちろん、そんなことはあのヴィクトルにはできないことだとわかっていた。しかし、それにしてもつめたいではないか。あんな態度はだめだ。もうすこし優しくできないのか。役立たずめ。 「……はあ」  勇利がちいさく息をついた。勇利、ごめんね。ヴィクトルの胸が痛んだ。 「かっこいいなあ……」  そうつぶやくので、ますます苦しくなった。抱きしめてあげたい。そのかっこいい男はいまおまえのものなんだよと言ってやりたい。 「ヴィクトルがすこしでもぼくを見てくれたらなあ……」  見てるよ。いつも。いつも見てる。目をそらしたりしないよ。ヴィクトルは一生懸命に訴えかけた。  ヴィクトルにつめたくされたせいでもないだろうが、公式練習で勇利は調子が悪かった。ヴィクトルには、彼の好不調はよくわかる。勇利、緊張してる、と心配した。昨日みたいなすべりができていない。 「勇利、自信を持って。大丈夫だよ。普通にやれば台乗りできる。かたくならないで。きみのスケーティングはちょっとやそっとじゃ追い抜けないんだ」  一生懸命に語りかけたが、勇利に届くはずもない。ヴィクトルはやきもきした。ああ、俺がいつもの俺だったら! いや──あの選手のヴィクトル・ニキフォロフだったら! 親切に声をかけて、ほほえみかけて、手さえ握って「落ち着いて」と言ってあげられるのに! 「勇利、大丈夫?」  ピチットが心配した。 「調子悪いね」 「う、うん……。ピチットくんは平気みたいだね」 「勇利、難しく考えるな。おまえに足りないのは自信だ。ほかの選手が上手く見えているかもしれんが、いまのおまえなら差はない」 「は、はい……」  そうだ。チェレスティーノの言うことをよく聞いて。彼はまちがったことは言わない。いいコーチだ。──俺には負けるけどね。 「勇利、楽しまなくちゃ! 勇利ならできる��!」 「うん……」  勇利はトレーニングルームへ向かい、溜息をついた。中へ入ろうとしたとき、すっとヴィクトル・ニキフォロフが出てきた。勇利は慌ててわきへ寄り、彼が通れるようにした。  ヴィクトルは音楽を聴きながらまっすぐ前を見ており、勇利のことはすこしも顧みなかった。勇利は立ち止まり、両手を握り合わせて、ぼうっとヴィクトルを目で追った。  ──おい! ちょっとは勇利を見たらどうなんだ!? こんなにかわいい子が視線を向けてるんだぞ! ヴィクトルはまた猛烈に腹を立てた。恥を知らない男だ、と思った。あの高慢そうな態度をめちゃめちゃにしてやりたい。自分もすべれたらいいのに。そうしたら、あんな男よりすばらしい演技をして、悔しがらせることができるのに。  ──あ、俺だったな。くそ。だからなおさら腹が立つ。  ショートプログラムで、勇利は思った通り、実力を出し切ることができなかった。キスアンドクライにひとりで座った勇利を、会場の大きなディスプレイで見たヴィクトルは、彼がひどくさびしそうに思えて胸が痛んだ。勇利は出た得点にがっかりし、目を伏せてしまった。おむすびのぬいぐるみをぎゅっと抱きしめ、しょんぼりしている。ヴィクトルはいますぐに抱きしめたかった。大丈夫、フリーで挽回できるからね、と元気づけたかった。勇利はひとりぼっちだ。頼みのコーチは、ピチットの滑走のためそばにいられない。  勇利はふらふらしながら立ち上がり、裏側へ入って廊下へ出た。彼はまっすぐトイレへ向かうと、誰もいないことを確かめてから、涙をひとつぶ、ふたつぶ、絞り出した。  なぜ勇利をひとりで泣かせなければならないんだ……。  ヴィクトルは自分を激しく責めた。それでもコーチか、と思った。  勇利はすぐに廊下へ戻った。演技を終えたピチットに、「ごめん、見られなかった!」と謝った。 「ううん、いいよ。僕もちょっと失敗しちゃった! 尻もちついちゃってさー」 「そうなの? 残念……」 「まあなんとかなるよ。勝負は明日だよ」 「そっか」 「勇利もね。一緒にがんばろ」 「うん」  勇利はどうにかほほえんだ……。  しかし彼は、ホテルへ戻ると、暗い面持ちでベッドに横たわった。何もする気がしないのだ。  ヴィクトルは、俺に身体があったら一緒に寝てあげるのに、と思った。きみはすばらしいスケーターだ。俺がとりこになったんだ。そうじゃないわけがないだろう? きみのスケートを愛している。俺を魅了できるのは勇利しかいない。きみは俺の誇りなんだよ……。  たくさん言いたいことがあった。何ひとつ勇利には伝わらなかった。  翌日、フリースケーティングの六分間練習のとき、勇利は足に痛みを感じた。その感覚はヴィクトルにももちろん伝わり、ヴィクトルはどきっとした。激しい痛みではなかった。捻挫というほどでもないかもしれない。すべれない、というようなものではない。そういえば、ホテルを出るとき、急いでいて、足の甲をベッドにぶつけたのだ。そのせいだろう。  勇利は四回転トゥループを跳んでみた。痛かった。トゥをつくジャンプは痛い。勇利は迷った。四回転トゥループは二本跳ばなければならない。トゥループをやめてサルコウに変更すべきだろうか? でも──成功率が低いのに。  リンクから上がると、チェレスティーノにただちに相談しようとした。しかし勇利は思いとどまった。最初の滑走がピチットなのである。チェレスティーノはピチットについている。 「…………」  勇利は廊下のすみに柔軟運動用のマットを敷き、そこで痛む足を撫でた。どうしよう、どうしよう。やめたほうがよいだろうか? でもさっきは跳べた。跳べた……けど、綺麗ではなかった気がする。加点がもらえるかどうか。しかし、不安定な四回転サルコウに変更するよりはましではないか? そんなに痛くはない。──痛くない? 本当に? さっきより痛くなっている気がする。気のせいだろうか? 心配するから痛いと思ってしまうのだろうか? どうしよう。  ヴィクトルは見ていてはらはらした。どうにか──どうにかしてやれないものかと思い悩んだ。いま勇利は四回転サルコウもなめらかに跳んでいる。きみはちゃんと跳べるんだと教えてやりたかった。勇利、大丈夫だよ。きみは強い。きみは──きみは、俺の得点だって、越えてしまうような子なんだよ……。  そのとき、ヤコフと何か話しあいながら、勇利のすぐ前をヴィクトル・ニキフォロフが歩いていった。勇利ははっと顔を上げ、いつものようにヴィクトルの姿をみつめた。勇利がこころのうちでぽつりとつぶやいた。ああ、ヴィクトルがぼくに笑いかけさえしてくれたなら。ううん、そばにいるだけでいい。隣にいてくれるだけでいいんだ。かたわらについていてくれるだけで……。  ……勇利……。  ヴィクトルは、どうにかして勇利と話す方法はないものかと苦しんだ。勇利、俺はここにいる。いつだってきみを見ているよ。きみだけを見ている。きみしか、見えないんだ……。  不安をたくさん抱えたまま、勇利はフリースケーティングにのぞんだ。彼は、チェレスティーノの顔を見ても、足が痛いとは言わなかった。チェレスティーノがかるく勇利の肩を叩いた。勇利はうなずき、ひとりで氷へ出ていった……。  演技のあいだ、勇利はひとりで戦っていた。足の痛みに耐え、四回転トゥループを二回跳んだ。一度は転倒し、一度はオーバーターンした。セカンドジャンプをつけられなかった。それで不安が増したのか、ほかのジャンプも連鎖的に失敗した。足が気になるのか、得意のステップシークエンスでさえ、よどみなく、というふうにはいかなかった。だめだ、と思えば思うほど、演技がみだれてゆく。ヴィクトルは見ていることしかできなかった。  キスアンドクライで、勇利は深くうつむき、息をついていた。チェレスティーノが気遣った。 「足を痛めていたのか?」 「……すこし」 「勇利……」 「ごめんなさい……」 「気づいてやれなくて悪かった。おまえはすぐ我慢してしまう選手なのにな」  勇利の目から涙があふれた。悔しい、という感情がヴィクトルに押し寄せた。悔しい、悔しい、悔しい。なんであんなのしかできないんだ。足がちょっと痛いくらいでなんだ。悔しい。やり直したい。もう一度やりたい。なんでこんな……。  勇利は手の甲で目元をこすった。ヴィクトルは見ただろうか、と思った。あの不体裁な演技を。見る価値もないと思っただろうか。見ていて欲しかったし、知らないままでいてもらいたかった。ヴィクトル。彼さえそばにいてくれたら……。  ヴィクトルは耐えきれなくなってきた。どうしてこんなに自分は無力なのだろう。勇利のためならなんでもしてやりたいのに。彼のためならなんでもできると信じているのに。なぜ優しい言葉ひとつかけてやれない? なぜ抱き寄せて「よくがんばったね」と言ってあげられないのだ。  くそ……。  せめて──せめて、ここにいるヴィクトル・ニキフォロフが自分であったなら……!  そこでヴィクトルは気がついた。これは夢だ。ヴィクトルの夢なのだ。だからこんな不思議な現象が起こっている。勇利の内面にひそんでいる。勇利に対してできるのだから、自分自身にもできるのではないだろうか? 夢の中で説明のつかないことが起こるなんて当たり前の話ではないか。あれは何だったんだ──目ざめてからそんなふうに苦笑することなんていくらでもある。都合のいい夢だった──そう考えることも。つじつまが合わなくても、意味がわからなくても、夢ならできるはずではないのか? ましてや、自分の身体──自分が自分になるという当然の次第なんて──。 「ヴィーチャ、聞いとるのか!?」  突然ヤコフに耳元で怒鳴られ、ヴィクトルははっとして振り返った。 「ぼんやりしとらんでそろそろ支度しろ! 身体を動かせ! かたまってしまうぞ」 「……ヤコフ」  ヴィクトルはぼうぜんとしてつぶやいた。手を見る。勇利の手ではない。彼は廊下にいて、壁にぼんやりともたれていた。 「なんだ。忘れ物をしたなどと言うんじゃないだろうな」  ヤコフがじろりとヴィクトルをにらんだ。 「ヤコフ……、俺が見える?」 「……何を言っとるんだ?」 「俺は俺なのか?」 「ヴィクトル……」 「ねえ、俺の声が聞こえる?」 「ヴィクトル……おまえ、大丈夫か……?」 「オーケィ! ヤコフ、ちょっとごめん!」  ヴィクトルは駆け出した。走る感覚がきちんと足の裏から伝わってくる。自分で身体を動かしている。確かにいま、ヴィクトルは、勇利の中にいるあいまいな存在ではない、肉体を持つヴィクトル・ニキフォロフだった。  リンクサイドへ出ると、ちょうど勇利の得点が表示されたところだった。勇利はうなだれ、肩をふるわせた。泣いて、目元に手をやっている。チェレスティーノが何か話しかけていた。ヴィクトルはつかつかと歩いていった。迷いのない足取りでキスアンドクライへ近づく。観客がざわめいた。 「勇利!」  ヴィクトルは呼びかけた。勇利がぱっと顔を上げた。彼はまっかな目でヴィクトルを見た。頬には涙の痛々しいあとがあった。幼いおもてに、せつなさと悔しさがいっぱいにひろがっていた。 「ヴィクトル……」  勇利はつぶやいた。ヴィクトルはキスアンドクライへ踏みこみ、さっと腰をかがめた。両手で勇利のおとがいを包んで、そっと上向かせた。ヴィクトルは勇利のくちびるにくちづけした。勇利が息をのんだ。 「きみはうつくしい」  ヴィクトルは勇利の瞳をきまじめにのぞきこんでささやいた。 「きみだけが俺のこころをふるわせ、みたすんだ」  勇利がそっとヴィクトルの二の腕にふれた。彼は目をみひらき、ヴィクトルをみつめた。白くあどけない頬に、きよい涙がこぼれ落ちた。  ヴィクトルははっとまぶたをひらいた。腕の中で勇利が眠っていた。彼は、ヴィクトルの胸に額を寄せるようにしていた。頬がほんのりと赤い。ヴィクトルは勇利に腕でまくらをし、彼の手を握っていた。  カーテンの隙間から朝日が差しこんでいる。それは白い筋となって勇利の肩のあたりに落ち、真珠のようになめらかな素肌を輝かせていた。ヴィクトルは勇利の髪にくちづけした。 「ん……」 「おはよう」  勇利がまぶしそうに幾度か瞬いた。彼はぼんやりとヴィクトルをみつめ、夢見るような微笑を浮かべて「おはよう」と挨拶した。 「勇利、話があるんだ」 「なあに、起きてすぐに……困ったひと」  勇利がくすくす笑った。ヴィクトルは勇利の瞳を見てきっぱりと言った。 「やっぱり、きみの試合にはついていくよ」  勇利が目をみはった。彼は眉を寄せ、口をとがらせて何か抗議しようとし、そしてヴィクトルの目つきを見て話すのをやめた。何を言っても無駄なのだと、ヴィクトルはもうとりきめてしまったのだと、ヴィクトルをよく知る彼はわきまえたのだろう。 「ヴィクトル……、どうして? 急に……」 「耐えられない」 「何が?」 「全部だよ」  ヴィクトルは勇利を抱きしめた。勇利はちいさく息をつき、あきらめた��うにほほえんだ。 「ゆうべまでそんなこと言ってなかったのに……突然気が変わったの?」 「ひと晩かけて変わったんだ」 「寝ながら気を変えるなんておかしなひと」  勇利はまぶたを閉ざし、自然なやり方でヴィクトルにくちびるを押しつけた。 「ええ、わかりました。どうぞご自由に。仕方がありません。言い出したら聞かないひとですからね」 「きみほどじゃない」  ヴィクトルは、自分の方針はこうだと言い聞かせるようにささやいた。 「きみから絶対に離れないよ」  試合会場で勇利にぴったりと寄り添ったヴィクトルは、「大丈夫かい?」「精神的な問題はない?」「手袋はちゃんと持ってる?」「どこかに痛みはないだろうね?」と熱心に尋ねた。勇利があきれた顔をした。 「ヴィクトル、どうしてそんなに過保護なの?」 「いや、気になって……」 「大丈夫だよ。何も不安は抱えていないし、手袋も持ってる。痛いところもとくにない。万事上手くいってるよ」  勇利はヴィクトルをみつめてくすっと笑った。 「ヴィクトルがいてくれるからね」  彼は壁にもたれ、誰にも見えないように、ヴィクトルの手をそっと握った。ヴィクトルはかたく握り返した。 「ヴィクトル……、来てくれてありがとう」  勇利は低くささやいた。その吐息混じりの声に、ヴィクトルは幸福を感じた。 「ヴィクトル、ここに来てから、とくには何もしてないよね。公式練習で何かすごい助言をしたわけじゃないし、ぼくに事件が起こってそれを解決したりもしてないし……、コーチがいなければいけない事態になんてちっともなってない」 「そうだね」 「きっと報道陣や、ヴィクトルがぼくのコーチでいるのを嫌う人たちから見たら、ぼくは贅沢でわがままなんだと思う。必要でもないヴィクトルを無理に自分に尽くさせてるってみんな考える」 「言いたいやつには言わせておけ。俺はそんなやつらのためにスケートをやってるわけじゃない」 「うん……わかってる」  勇利は目をほそめてかすかにほほえんだ。 「……いてくれるだけでいいんだ」  ヴィクトルははっとした。 「ヴィクトルが隣にいるだけで……ぼくはぼくでいられるんだ」  ヴィクトルはさらにかたく勇利の手を握った。 「何も言わなくていい…���そこで見ていてくれるだけで」 「勇利……」 「それだけで……」  勇利はまぶたを閉じ、ヴィクトルの肩にもたれかかった。ふたりのいる廊下を、いろんな人が通り過ぎていった。ヴィクトルと勇利は寄り添い、手をつないだままじっとしていた。 「……あ」  勇利が目をひらいた。 「なんだい?」 「ヴィクトルがさっき心配したことが起こったことがあるよ」 「え?」 「ぼく、ずっと前……、気持ちがぐちゃぐちゃになって、足が痛くて、手袋を落として、ひどい演技をしたことがあるんだ」  ヴィクトルは驚いて勇利を見た。勇利は何か勘違いしたのか、「あ、手袋はすぐにみつけたんだよ」と安心させるように笑った。 「でもほかはだめで……、そう、ヴィクトルもいる試合だったよ」  ヴィクトルは息を止めた。 「ヴィクトルはぼくなんか見てなかっただろうけど……、でも、みっともなかったから、見られなくてよかったな。だけど、あのとき……、さびしくて、つらくて……、ヴィクトルの姿を目にした瞬間、ああ、このひとがそばにいてくれたらなあって思ったんだ」 「…………」 「何も言わなくていい。励ましてくれなくてもいい。そばに静かにいてくれるだけでいいんだけどなあって。そんなことあるわけないな、って思ったんだけど」  勇利はにっこり笑った。 「ねがいがかなったね。あのときのぼくに教えてあげたい」  ヴィクトルは何も言えなかった。彼は黙って勇利を引き寄せ、胸に抱きしめて頬ずりをした。 「ヴィクトル、どうしたの?」 「勇利、そのとき、キスクラで泣いただろう?」 「え……、どうして知ってるの……」 「あのね……」  ヴィクトルはみちたりた気持ちでささやいた。 「勇利は知らないだろうけど、俺は泣いているきみにキスをしたんだよ」
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kikikyhr · 4 years
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【小説】透明な犬
「犬を買ってきたんだ」
 帰宅した私に、夫は開口一番そう言った。
「犬?」
「うん。タエコも犬、好きだって言ってただろ」
 このマンションはペット禁止だよ。
 私はそう言いそうになったが、口をつぐんだ。部屋の中を見回す。天井の照明さえ点けられていない薄暗い部屋。夫のパソコンのディスプレイだけが、やけに眩しかった。部屋の中に、四つ足の獣の姿はどこにもない。
「その犬は、どこにいるの?」
 私がそう尋ねると、夫は、ははっ、と軽い笑い声を上げた。
「嫌だなぁ、タエコには見えないのか?」
 そう笑いながら言った彼の目線は、ディスプレイに向けられたまま、一度もこちらを見なかった。
 マイクロフト、とその犬は名付けられた。
 夫が子供の頃夢中で読んでいたのだという、シャーロック・ホームズの物語に出てくる、シャーロックの実兄の名前だ。
 犬が我が家に来てから、夫の生活は変わった。
 アラームをいくつかけても朝なかなか起きることができなかった彼は、毎朝5時に起きるようになった。そうして犬を連れて散歩に行く。散歩から帰って来ると、犬に水を与え、それから私たち夫婦の分の朝食を作る。
 犬に餌をやるのは、必ず私たちが食べ終わってからだった。
「犬っていうのは、群れで生活する生き物だ。群れの中には上下関係があって、犬は上下の戒律を厳しく守る。先に食事にありつくのは群れの中で上位の者。下位の者はその後だ。マイクロフトに僕たちよりも先に食事を与えてしまうと、彼はこの家の中で最も偉いのは自分なのだと思い込んでしまう。これは、マイクロフトのしつけのためにも必要なことなんだ」
 そう言いながら、夫は皿をドッグフードで満たした。
 家を出るのは、いつも私の方が先だ。朝食の後片付けをして、身支度を整えたら、私は勤務しているデザイン事務所へと向かう。その頃夫は、洗面所で髭を剃っている。今までは、まだ布団の中で不機嫌そうにうなっていた時間帯だが、犬が来てからは機嫌よく「行ってらっしゃい」と言ってくれる。
 夫の会社は、フレックスタイム制というのだろうか、出勤時間が個人の自由なのだ。遅くとも、午前11時にまでに出社していればいいのだという。始業が遅くなっても構わない分、終業も遅くなる。定時でも20時、残業すると日付けが変わってから帰宅することも珍しくなかった。
 だが、犬が来てからは夫は定時で帰宅するようになった。そうして、犬を連れてまた散歩に行く。夜の散歩から帰って来る頃に合わせて、私が作った夕飯を食べ、そしてまた、犬に餌をやる。
 その後は、夫は持って帰って来た仕事をこなす。もともと、自宅に仕事を持ち帰って来ることが多かったが、きっちり定時で帰って来るようになってからは、毎晩必ず自宅で仕事をするようになった。
 私は台所を片付け、風呂を洗って浴槽にお湯を張り、私が先に、それから夫が入浴し、自動洗濯機を回し、洗濯物を浴室に干して乾燥モードのスイッチを入れる。
 私の家事がひと段落する頃には、夫の仕事もおおかた片付いており、眠るまでの2時間、ふたり一緒に映画を観たり、ソファで各々読書をしたり、他愛のない話をしたりして過ごす。そして手を繋いでベッドに向かい、おやすみと言って電気を消す。
 そして次の朝が来ると、夫は私より一足先に目を覚まし、犬を散歩へと連れて行く。
 穏やかな日々。ささやかな幸福。緩やかに流れていくふたりの時間。
 犬が来るまで、私たち夫婦には、こんな風に共に過ごす時間はなかった。夫も私も、それぞれ激流のような仕事に流され、明日も机の上の書類を処理するために飯を食い、クライアントに円滑に商品を提案するために睡眠を必要としていた。
 どんなに仕事が上手くいっても、家に帰ると何もかもが空っぽで無性に腹立たしかった。案件をいくら片付けても、家に帰れば何ひとつ片付いていないシンクや、畳まれもせず散らかった洗濯物が待ち構えていた。真夜中を過ぎないと帰宅せず、翌日も午前10時過ぎまで眠っているだけの夫への恨みつらみが、埃のように部屋中に降り積もった。その埃を払う暇さえないほど消耗し、疲弊していた。
 だが、犬が来て、夫の生活が変わったことで、私の心境も変わりつつあった。今までは、夫に夕食を作ることがあんなに嫌で嫌で仕方なかった。スーパーで割引のシールが貼られて安売りされていた惣菜を、あたかも私が調理したかのように皿に盛りつけて出していたりしていた。でも今ではそんな過去が、自分でも嘘のように思える。
 ただひとつ、私たちの間には重要な問題が残されていた。
 私には、犬の姿が見えないのだ。
 姿が見えない。手で触れることも、鳴き声を聞くこともない。
 夫は犬のために、餌皿にドッグフードやら水やらを入れて置いておくが、それが目の前で減っていく様子も見たことがない。ただ、少しの間、目を離した隙に、皿が空になっていたり、量が減っていたりする。犬用のトイレは、夫が几帳面すぎるくらいマメにきれいにしているが、いつ見ても、そこに犬の糞尿がされた様子はない。臭いもしない。
 夫は散歩に犬を連れ出す時、首輪とリードを手に持って出て行くが、犬がそのリードを引っ張って先へ進んで行くところを見たことはない。道中、犬がした糞を入れるためのビニール袋とスコップも、いつも綺麗なままだ。
 夫は私に、「タエコには、マイクロフトが見えないのか? すぐそこにいるのに」なんて言うが、本当に夫には、その犬の姿が見えているのだろうか。
 おかしいのは私なのか、それとも夫なのか。
 ある晩、同僚との飲み会があった。
 職場でほぼ同時期に入社した私とその他女3人、「大きな仕事にけりが付いたから」だとか、「今週の上司なんかむかついたから」だとか、何か適当な理由をつけて毎月のように集まって飲む。その夜もいつもの居酒屋で卓を囲んだ。
「そういえばさ、うちの旦那、想像妊娠したんだよね」
 会話の弾みで思い出したかのように、サオリが唐突にそう言った。その一言に、私は面食らった。私を含め4人全員が既婚者だが、お互い、結婚生活についてはあまり深く突っ込んだ話はしてこなかった。全員、まだ子供がいないのもあって、夫婦間の話はなんとなくタブー視されていた。
 入社したのが同時期というだけであって、中途採用で入社した4人なので年齢はバラバラで、サオリは最年長だった。もう40歳近い。
「ほら、うちって、不妊治療に通ってるじゃない。もう5年くらいになるのかな。いろいろ方法は試してみてるんだけど、まだ子宝に恵まれなくてさ。そしたら旦那がさ、想像妊娠した訳よ。想像妊娠って、もちろん女がなるんだけど、ちょっと調べたら、やっぱり赤ちゃんを強く望んでいる人に出ることが多い症状なんだってね。男でそういう症状になったって症例があるのかはわかんないけど、やっぱ旦那は子供が欲しいんだろうなって思ってさ。いや、あんたが妊娠した気分になってどないすんねんって、そう思ったけどね? だって男は、産めない訳じゃない。まぁ、想像妊娠しても産める訳ないんだけどさ、そもそもね」
 私たち4人は全員がハイボールのジョッキを片手にほろ酔いだった。そのことが、この中の誰もが、胎内にもうひとつの生命を宿していない何よりの証明のような気がして、つまみで頼んだ焼かれたモツが、なかなか飲み込めないままいつまでも口の中にいた。
 私の夫は、なんだろう。あれは、なんていう症状なんだろう。犬の姿が見える。いないはずの、犬の姿が。イマジナリーフレンド? 
 私は犬の姿が見えないことについて、夫に追及していなかった。犬の存在・不存在が問題なのではなく、夫が私と向き合って生活を営んでくれることが嬉しかった。私たちの生活が平穏に続いていくことが、私の最重要項目であった。
 子供を望むがゆえに、胎内に生命を宿していないにも関わらず、そう錯覚してしまう症状。
 家の中に犬がいると、透明な犬がいるはずだと、そう錯覚している夫は、一体何を望んでいるのだろう。彼は一体、何を渇望しているのだろう。
 その日の飲み会はどこかしんみりとした雰囲気で終わり、早々と切り上げることになった。別れ際、サオリは「なんだかごめんね、次はぱーっと、なんか楽しい話をして飲もう」と明るい声音で言った。その声が、努めて明るく振る舞っているようではなく、本当に、正真正銘に朗らかな色を帯びていたので、私は少し元気が出た。
 帰宅すると、夫は家にいた。いつもなら、犬の散歩に出掛けているはずの時間だが、ソファに腰掛けたまま、電��の入っていない、真っ暗なテレビを見つめていた。
「どうしたの」
 私はそう声をかけたが、夫は私に背を向けたまま、振り返りもしなかった。
「マイクロフトは、どうしたの」
 夫はただ黙っていた。黙ったまま、首を横に振った。
 それから、ずいぶん長い時間をかけて、夫は言葉をひり出した。
 とてもたくさん苦しんで、たった一言だけ言った。
「もう、仕事辞めたいんだ」
 窓が開いていた。細く開けられたその隙間からは、猫くらいだったらすり抜けて外へ出て行けそうな気がした。窓からは夜風が吹き込んできていて、カーテンの裾を揺らしていた。
 部屋の中はあの日と同じように薄暗くて、テーブルの上では夫のパソコンのディスプレイだけがいつまでも白く光っていた。
 そうして、犬はいなくなった。
 ***************************** 
 あれから、三ヶ月。
 私たちは今まで住んでいた部屋を引き払い、新しい家へと引っ越した。
 引っ越ししたことで、私の勤めるデザイン事務所は少しばかり遠くなり、仕事帰りに集まるのがなんとなく億劫になってしまって、女4人での飲み会は開かれなくなってしまった。
 ちょうど、4人の中で最も若かったカナコが妊娠したのもあって、サオリに遠慮をして、そしてサオリ自身も、私たちに遠慮をして、4人それぞれがお互いに距離を置く結果となった。私たちは自分が傷つかないために、そして、誰かを傷つけたりしないように、そうやって透明な膜の中へとこもる。
 私と夫は、変わらず穏やかな生活を送っている。
  夫は仕事を辞めた。今は友人の仕事を手伝いながら、新しい職を探している。
 仕事をしていなくても、夫は変わらず朝5時に起きる生活を続けている。犬の散歩にも出掛ける。
 今度の犬は、ワトソンと名付けられた。捨て犬の保護施設から夫の手によって引き取られてきたその犬は、右の後ろ足を少し引きずって歩くからだ。それでもワトソンは元気いっぱいで、ドッグフードを部屋中にまき散らすし、ときどき排尿を失敗する。トイレットペーパーを転がして遊ぶのを覚えてしまって、最近は手を焼いている。食事も、私たち夫婦が食べ始めるよりも先に早くくれと、催促するように鳴いて、ちょっとうるさい。
「飼い犬はワトソンだし、いっそのこと探偵事務所にでも就職すれば?」
「僕はホームズって柄じゃないよ」
 夫が笑う。笑って、私の顔を見る。私も、つられて笑う。
 犬が吠える。何か不服そうだった。
 ペット可の物件に引っ越してよかったな、と思う。
 明日は私も早起きして、ワトソンの散歩について行こうか。
 夫と手を繋いで、静かな川べりの道を、朝陽に照らされてどこまで行こうか。
 透明ではない毛並みを撫でてやりながら、そんなことを考えた。
 
 了
※いいねした人をイメージして小説を書く
 瀬野さん(@snhmar)
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mark311text · 5 years
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mark=311
私は宮城県名取市閖上(ゆりあげ)出身です。
今日は2011年から7年。2018年3月11日、午後2時46分から1分間の黙祷を終えたところです。
2011年3月11日
私は中学2年生で、卒業式の予行練習で午前授業だった。お昼過ぎには家に帰って、両親の部屋でテレビを見ていた。高校生だった兄も帰宅していて、家には私と兄と猫の太郎がいた。
こたつに入って横になっていると、突然、「ゴーーーー」というものすごい音がした。長かった。びっくりして固まっていると、次は激しい地震がおこった。体がゆさぶられるような揺れだった。太郎は驚いてこたつの中にとびこんだ。見ていたテレビが倒れ、画面が割れ、ここにいては危ないと思った私は、ベッドの上にあがり、上になにもない部屋のすみに避難した。クローゼットの扉は全開になり、中の荷物が全て床に落ちた。お母さんが使っていた、普段はうごかせないほど重いドレッサーも、揺れに合わせて生き物のようにズ、ズ、と前に動いていた。ガタガタと揺れる音や、ガシャーンと1階の台所からか食器の割れるような音が聞こえ、すごく怖かった。揺れはなかなか収まらず、もしかしてこのままずっと揺れているんじゃないかと怖くなり、耳をふさぎながら「あーあー!」と大きな声で叫んでやりすごした。
しばらくして揺れがおさまったので、自分の部屋に戻ろうとすると、ふた間続きになっている手前の兄の部屋は、タンスの引き出しや勉強机の上にあったものが全て落ち、足の踏み場がなくなっていた。地層みたいだった。物を踏みながら奥の自分の部屋に行くと、そこも同じように物の海になっていた。
兄に「とりあえずお父さんのところに行こう( お父さんは家の近くの公民館職員)。」と言われ、部活で使っていたエナメルバッグに持ち出せそうなものを入れ、ラックの上にひっかかっていた薄手の黒いジャンパーを着た。
もしかしたら役に立つかもしれないとお母さんドレッサーの引き出しに入っていた、カード会社や保険会社からの郵便物もカバンに入れた。無意識だったけど、もう家に戻ってこられないかもしれないと思ったのかもしれない。
兄が「避難所では猫の食べるようなものはもらえないと思う」と言うので太郎のご飯が入ったタッパーも鞄に入れた。太郎が怖がってこたつの中から出てこなかったので、兄に頼んで無理やり引っ張り出してもらった。このとき、兄は膝を悪くしていて、無理をすると膝の皿がずれてしまう状態だった。太郎を無理にだしたので膝が痛んだようで、少し休憩してから家をでた。その間も何回か揺れがきていて、家の壁には亀裂が入っていた。
外にでると、道路はでこぼこになっていて、マンホールからは水が溢れていた。家や電柱は傾いて、いつもの景色がゆがんでいるようだった。私たちと同じように、みんな近くの避難所へ移動しようとしている様子で、公民館に向かった。公民館のグラウンドでは小さい子たちが楽しそうに遊んでいた。状況がよくわかっておらず、興奮しているようだった。
公民館の中で誘導をしていたお父さんに会いに行くと、「津波がくるそうだ。公民館は津波の指定避難所ではないから( 公民館は二階建てで低い建物) 小学校か中学校に誘導するよう連絡がきたから、お前たちもそっちに早く避難しろ。」と言われた。
お父さんに話しかけるまで舞台の上で座っているときに、自分の膝から血が出ていたことに初めて気づいた。どこかにこすったようだったけど、不思議と痛くなかったことを覚えている。
お父さんから、津波がくると言われたけど、いつも津波がきても何センチかで結局大したことなかったので、今回もそんなもんだろうと思っていた。いつだったかのチリ地震の際もそうだったからだ。同じようなことを話している人もたくさんいた。私たちは2キロ先の小学校に向かった。
小学校に向かう途中、生協の前でNちゃんに会った。お兄ちゃんとはぐれたらしく、家に一回戻ると言っていた。私は津波が来るらしいから戻らないほうがいいと言ったが、大丈夫だからとNちゃんは戻ってしまった。
Nちゃんは津波にのまれて死んでしまった。
もっと強く引き止めていればよかった。
消防車が走って避難を呼びかけていた。
いつも何かあると鳴る、町のサイレンはこの日、鳴らなかった。
中学校の前で兄の膝が痛み出したので、予定を変更して中学校に避難することにした。中に入ると誰かが「3階か屋上へ!」と叫んでいた。兄と私は上へと向かった。外階段から中へ入られるドアをガンガン叩く音が聞こえ、見ると女の人が必死にドアを叩いていた。ドアの前に机が置いてあり、開かないようだった。でも、みんな自分の避難に必死で誰もどかそうとはしなかった。兄と机をどかし、ドアを開けた。「津波だ!」と、窓の外を見た。黒い水がじわじわと学校の駐車場に流れてくるのが見え、おじいちゃんが一人、まだ外にいるのを見つけた。「逃げて!」と叫んだけど、そのおじいちゃんが助かったかはわからない。
少し遠くを見ると。ず……、と、景色がそのままゆっくりゆっくりと動いた。町の中に船が見えた。船が家にぶつかり、家はぼろぼろになって崩れていった。あちこちに水の上なのに火が見えた。町全体が濃い灰色だった。兄と三階の教室から、水没したグラウンドを見た。水でいっぱいで、まるで映画を見ているようだった。夜になるにつれてどんどん暗くなり、懐中電灯を教室の真ん中あたりに置き、壁や周りにアルミホイルを貼って反射させて明かりを作った。持ってきたラジオからは、「絶対に水辺には近寄らないでください。被害の状況は­———」というような声が繰り返し聞こえていた。私は湿った教室の床に横になり、太郎を抱いていた。何も食べていないはずなのにお腹は空いていなかったし、眠気も全く来なかった。気づいたら朝になっていた。
朝になると水は引いていた。町を見たくて屋上にいった。それと、太郎がトイレをするかなと思って。屋上から見た景色に、町はもうなかった。グラウンドには車や船や瓦礫のようなものがぐちゃぐちゃになっていた。目の前にあった生協もなかった。今度は町が茶色だった。
あのときのトイレは今でも思い出すと吐きそうになる。人の用を足したものが積み重なり、ひどい臭いだった。吐きそうになりながら用をたした。学校には知ってる人がたくさんいて、Sちゃんに会った。Sちゃんは学校のジャージで、お腹から下は泥まみれだった。津波に少し飲まれたらしい。Sちゃんはお母さんとまだ合流できてない、小学校の方にいるかなあと言っていた。あとから知ったが、Sちゃんのお母さんは津波で死んでしまっていた。
お昼前ぐらいに兄が自宅の様子を見に行くと言って、少しして戻って来た。うちがあった場所には、うちの二階の屋根があっただけだったようだ。まだ実感がなく、そうなんだうちはもうないのか、と冷静に思った。
そのうちに大人の人たちが崩れてしまったお店から、食べ物や飲み物を持ち出してきた。避難した時に食料を持ち出すことのできた人たちから少しだけお裾分けをもらった。でも全員分はもちろんないので、たしか私はベビーチーズのようなものを一口分食べた。太郎にはお水を少しだけもらえたのでそれをあげた。
安全な内陸の避難所に全員移動することになったが、中学校の出入り口やバスが迎えに来てくれるおおきな道路にでるまでの道には、船や車や瓦礫などがたくさんあって、大勢の人が移動できるような状況���はなかった。なので自衛隊が道を作ってくれるまで待機するように言われた。
暗くなる前に作業は終わり、みんなでバスのところまで歩いた。海水のようなにおいと、ものが燃えたこげたにおいとガソリンのようなにおいがした。いたるところに車や船があって、きっと中には人がいたかもしれない。水は引いていたけど泥がすごくて、靴はすぐにぐしゃぐしゃになった。靴にビニールをかぶせていた人もいたけど、結局みんなどろどろになって歩いていた。
私と兄と太郎は、内陸の小学校の体育館に避難することになった。着くとすでに近隣の地域の人も避難していて、人がいっぱいいた。入り口でおにぎり一つと使い捨ておしぼりを一つずつ配られた。どこか寝る場所を確保しようとしたけど全然場所がなくて、体育館の中のゴミ回収のスペースの前が少し空いていたのでそこに落ち着いた。おにぎりを食べて、おしぼりで足を拭いた。毛布やシートも物資で配られたりしたようだったけどわたしたちがついた頃にはもうなかったので、余っている段ボールをもらって、段ボールを床に敷いて横になった。近くから避難してきた人たちは、自分の家から持ってきた毛布や服などであたたかそうで、わたしたちみたいな海から逃げてきた人たちとはギャップを感じた。目も怖かった。太郎も不安なのか、私のジャンパーの中から出てこようとしなかった。でもそのおかげで、すごく寒かったけど、お腹はあったかかった。中学の先生が状況把握のため点呼をとっていて、太郎をお腹に抱えた様子をちょっと笑われた。
夜、暗い中で何回か余震があって、そのたびに体育館の照明が大きく揺れて、ざわざわした夜だった。
朝になると支援物資が届いた。飲み物はコップがないともらえないと言われて、考えて、ひとり一個もらえるパンの中からサンドイッチ用のパンを選んで、その空き容器で飲み物をもらうことにした。兄はマヨネーズ入りのカロリーの高いロールパンを選んで、とにかく栄養を確保するように2人で食べた。トイレは、プールの水をバケツでくんで流せたので困らなかった。古着も物資で届いたので、パーカーなどの着られそうなものをもらった。わたしたちの隣にいた老夫婦が小さな犬を連れて避難していて、太郎は犬に懐かれていて面白かった。
兄と座っていると、名前を呼ばれた。お母さんとお姉ちゃんが走ってこちらに向かって来ていた。
生きててよかったと抱きしめられた。みんなで号泣した。
お母さんは仕事で内陸にいて、お姉ちゃんもバイトで海からは少し離れたコンビニにいて、津波が来る前に東部道路に避難して助かっていた。2 人は違う小学校で合流できていたようで、わたしたちの地域の人たちが避難している場所を探していてくれたようだった。お母さんが働いていた保育所の休憩室を間借りしていいといわれたらしく、そこに移動することにした。車できたからそれでいこうと外にでると、血の繋がっている方の父がいた( 私の両親は離婚していて、お母さんは再婚して、新しいお父さんがいます)。私は父のことを嫌っていたし、何年も会ってなかったけど、そのときはなぜだかとっても安心して、頭を撫でられて肩を抱かれると泣いてしまった。非常事態だったので、お母さんも連絡をとって食料や布団などをわけてもらったらしい。
車に乗り、保育所に向かう途中、太郎が安心しておしっこをもらした。避難所では粗相をしなかったので、太郎もがんばっていたのだなと思った。
保育所の休憩室は、5畳ないくらいのスペースで小上がりの畳になっていた。畳の上に段ボールを敷いて、布団を敷いて、家族で川の字になって眠った。やっぱり寒くてなかなか寝付けなかったけど、お母さんが抱きしめてくれたおかげで、よく眠れた。
次はお父さんと合流しようと、情報を求めて市役所に向かった。市役所の中に入ると、壁いっぱいに「◯◯に避難しています◯◯みたらここに連絡をください」といったような内容の紙がびっしりと貼られていた。その中には知っている名前も幾つかあって、ああ無事だったのだなと安心したこともあった。お父さんの名前を見つけたけど、けがをしている、というようなことが書いてあったので焦った。とりあえずお父さんがいるという避難所へ向かうと、お父さんは元気そうに出入り口近くの椅子に座っていた。安心したお母さんはへなへなになって笑った。あのときは情報が錯綜していたので、間違ってそう書かれてしまったらしい。すぐに同じ場所にお父さんも移動したかったけど、お父さんは公務員なので被災者の誘導等の仕事があったのですぐには保育所に一緒に戻れなかった。
保育所での生活は体育館にいるときよりずっと過ごしやすかった。狭かったけど、家族がみんないて、人の目を気にしなくていいのはすごく救われた。電気はまだ復旧していなかったけど、水道が使えて嬉しかった。ごはんも、お母さんの仕事仲間の人が炊き出してくれたりして、あたたかいものを食べられた。ずっとお風呂に入れてなかったので気持ち悪くなって一度、水で頭だけ洗ったけど、寒すぎて凍えた。被災してから一週間たたないくらいに、電気が復旧し始めて、近くの家に住んでいたお母さんの職場の人の好意でお風呂に入らせてもらった。久しぶりのお湯はあったかくてきもちよかった。
お店もすこしずつものを売られるようになって、学校もない私と兄と姉はそれぞれ生活に必要なものを行ける範囲で探し回った。持ち出せたお小遣いをもって、とにかくいろんなお店でなにか買えないか歩き回った。個数制限で、ひとり3個までしかものが買えなかったり、なにも残ってなかったり、3時間以上並んだりした。
あるとき、ひとりでお店の列に並んでいると、知らないおじいちゃんに話しかけられた。どこからきたのかなんでひとりなのか聞かれ、答えると「大変だったね」と自分が買ったバナナを分けてくれた。少し泣いてしまった。いろいろなところで食べ物などを買えてうれしかったけど、そのころは物資不足で窃盗や空き巣が多発していたので、ビクビクしながら保育所に帰る道を早歩きでいつも帰っていた。
銀行でお金をおろせるようになり、保育所も再開するので長くはいられないと、アパートを借りることになった。お父さんががんばって見つけてくれた。引越して、いろんな人の好意で家電や家具をもらって、なんとか避難所生活はひとまず終わった。
アパートで炊飯器をつかって炊いた、炊きたてごはんをたべたときはすごくすごくおいしくて、おかずは缶詰の鯖だったけど、何杯もおかわりをした。あのとき食べたごはん以上に美味しいと感じたものは今もない。
アパートで暮らし始めて少しして、携帯の電話番号を覚えていた友達に電話をかけてみた。その子は飼っていたペットたちは犠牲になってしまったけど無事だった。ただ、その子との電話で「Aちゃん残念だったね。」と言われた。Aちゃんは私のすごく仲良しの女の子で、どういうことなのか理解できなかった。
Aちゃんの妹の名前と避難先の書かれたメモを市役所でみていたので、Aちゃんもきっと無事だろうと思っていた。「新聞の犠牲者の欄に名前が載っていた」そう言われて、後の会話は覚えていない。電話の後に新聞を読み返して犠牲者の欄を探したら、Aちゃんの名前を見つけてしまった。新聞に名前が載っている,という証拠のようなものをつきつけられて、一気に怖くなり、悔しくて信じられなくてまた泣いてしまった。
兄もその欄に仲の良かった友達の名前を見つけてしまったようで、リビングのテーブルに突っ伏して、「なんでだよ」とつぶやきながらテーブルを叩いていた。
4月のある日の夜、また大きな地震が起こった。また津波が来るのではないかと家族全員で車に乗り、指定避難所に急いだ。幸い、なにもなかったが、その日の夜は怖くて車から降りられず、朝まで起きていた。
通っていた中学校から一度学生も職員も集まるよう連絡が来た。当日は市の文化会館に集合し、そこからバスで市内の小学校に移動した。久しぶりに同級生と再会して、今どこに住んでいるのか家族は無事だったのかたくさん喋った。そしてみんなが集まった前で先生が、犠牲になった同級生の名前を読み上げた。Aちゃんの名前も呼ばれた。先生の声は震えていて、最後は泣きながら私たちに向かって話していた。7人の友達が死んでしまった。学校全体では、14人の生徒が犠牲になった。
私はすごく後悔していることがある。遺体安置所に行かなかったことだ。市内のボーリング場が安置所になっていて、そこにAちゃんがいることもわかっていたが、怖気づいていけなかった。私とAちゃんともう一人とで三人で仲良くしていて、そのもうひとりの子は会いに行っていた。顔中があざだらけでむくんでいた、と言っていた。お化粧をしてあげたよと聞いた。私も会いに行けば良かった。
学校は市内の小学校の旧校舎を間借りして再開した。歩いて行ける距離ではなく、駅から毎日臨時のスクールバスが出ていたので、私はそこから毎日学校に通った。文房具や教材は支援物資が届いて、しばらくは制服もなかったので私服登校だった。何週間も字を書いてなかったので、文字が下手くそになっていた。遠くに避難して、転校してしまった子もいたけど毎日家族以外の人とも会えるのは嬉しかった。でも、間借りしていることは肩身が狭かった。間借り先の小学校の子とは話した記憶がない。支援物資や有名人がきた時は「ずるい」、「 そっちばっかり」と言われるようなこともあった。自分は生徒会役員だったため、お礼状や物資管理を手伝っていたけど、千羽鶴や「頑張って!」、「絆」などのメッセージを見るたびに複雑な気持ちになった。無理やり前向きになれと言われているようだった。
学校も落ち着いた頃、同級生の一人のお葬式に参加した。小学校の頃から係活動で仲良くなった子だった。その子はお母さんも亡くなって、その子のお父さんから良かったらきてほしいと連絡があった。とても天気のいい暑い日で、田舎の方の緑がたくさんあるところでお葬式が行われた。久しぶりに会ったKちゃんは小さな箱になっていた。焼かれて骨になって骨壷に入ったKちゃんは、軽くて白かった。お墓にお箸で骨を一つ入れさせてもらった。「ああ、Kちゃんはもういないんだ」と、「こんなに小さくなってるなんて」と、脱力した。
私は夢を見るようになっていた。夢の中で津波から逃げたり、友達と会ったりしていた。その中でも強烈だったのが二つ
ある。一つは、どこかのホテルに友達と泊まりに来ていて、ホテルのベッドで飛び跳ねて遊んでいた。途中までは私も遊んでいたけど、何か変だと感じて、だんだん飛び跳ねている音がうるさくなってきて、「ねえもうやめようよ」と声をかけた。するとその音は「ゴーーーー」という地鳴りの音に変わって、私は耳を塞いでしゃがみこみ、叫んだところで目が覚めた。自分の叫び声で起きた。
もう一つは、なぜか私は小学生で、小学校の帰り道をAちゃんと何人かの友達と歩いていた。夢の中では納得していたけど、不思議なことにみんなでAちゃんのお葬式に行こうとしていた。道の途中で、2本に分かれているけど少し行くとまた繋がる道があり、そこで私はAちゃんをびっくりさせようと「また後でね!」と違う方の道を走って待ち伏せしていた。でも、だんだん不安になって、泣きながらAちゃんを探した。立ち止まっているAちゃんを見つけて、「 行かないで!」と抱きついた、Aちゃんは静かに「なんで私のお葬式があるの?」と、聞いてきた。
そこで目が覚めた。しばらく体は動かず、寝ながら泣いていたようで、頬が涙でカピカピになっていた。
冬になって、12月11日の早朝、お母さんとお姉ちゃんの声で起きた。どうしたのかとリビングに行くと、2人が「お父さん!」と声をかけて、体を揺すっていた。後から聞いた話によると、朝、お姉ちゃんがバイトの支度をしているときに、お父さんから寝息が聞こえず、お母さんに「変じゃない?」と言って、2 人で起こそうとしたようだった。私も声をかけたが起きず、お母さんは「かなこ!( お姉ちゃんの名前) 救急車!」と叫んで、心臓マッサージを始めた。バキバキと骨の折れる音が聞こえた。お父さんの胸はベコベコにされていたが、起きない。私も交代でマッサージをして、救急車を待った。救急車が到着して運ばれる直前、そっとお父さんの足を触った、氷のように冷たくて硬かった。救急車を後ろからお母さんの車で追いかけ、病院についた。ドラマで見たような部屋に運ばれ、看護師に心臓マッサージをされていた。心電図はまっすぐで、「ピー」という音がなっていた。何分間かどれくらい経ったか、マッサージが止まり、瞳孔を見られていた。「すいません」と看護師の方が言い、「ご臨終です」と、初めて聞く言葉を耳にした。病室には「ピー」という音とが響いていた。
みんな��言で家に戻り、お母さんがリビングに座ったところで、「どうして!」と泣き叫んだ。お母さんがそんなに泣いているところを初めて見た。お父さんのことはまだショックでよくわかっていなかったけど、その姿がどうしようもなく悲しくて、お姉ちゃんと抱き合って泣いた。
中学校には、お母さんが色々な手続きで忙しそうだったので、自分で電話をした。担任の先生に繋がり、ほぼ文章になっていなかったけど泣きながら事情を説明した。先生はゆっくり聞いてくれて、学校のことは心配しなくていいよと言ってくれた。
お葬式までの間、斎場でお父さんと過ごした、ドライアイスで冷やされて、冷たかったけど、箱の中にはずっといて、怖くもなかったし、もしかしたら起きるんじゃないかなんて思ったりもした。まあ、当たり前にそんなことはなく、火葬の日がきた。
お父さんが焼かれる場所へ、親族一同で向かった。炉の中へ入れられるとき、もう体さえもなくなってしまうんだと、お父さんに会えなくなるんだと理解した私は一気に悲しくなり、「お父さん」とつぶやいた。涙が止まらなくなり、「行かないでよ」とつぶやいた。お母さんが私の背中をさすった。兄が私の頭に手を添えた。
お父さんは焼かれた。ちゃんとお骨を拾い、壺の中にお父さんは収まった。
お父さんは公民館職員で、そして糖尿病を患っていた。震災の日、公民館は建物が低いので、違う避難場所に誘導している途中で津波が来た。目の前で他の職員が流されるのを見たそうだ。公民館にいた人はギリギリ二階に登り助かったものの、船が建物にぶつかって半壊し、もう少しでみんな死んでしまうところだった。でも、避難途中で犠牲になった人の遺族からすれば、いたら助かったじゃないか! とひどく責められていたらしい。
避難場所でも、公務員はずるい優遇されていると同じ被災者なのに責められ、ストレスで体がおかしくなっていた。持病の糖尿病が悪化し、20キロ体重が増えていた。お母さんから後から聞いた話によると、毎晩のように公民館のグラウンドいっぱいに遺体が並び、こっちに来いと呼ばれる夢を見ていたそうだ。死因は無呼吸からの心肺停止だった。
お父さんは震災に殺された。
お父さんの死と、自分の受験のシーズンが重なり、私は少しおかしくなっていた。受験している場合なのかと悩んで、身が入らなくなっていた。トイレで隠れて手首を切るようなこともあった。今思えば、なにも考えたくなかったからそういうことをしてしまったのかもしれない。様子がおかしいと思われたのか、スクールカウンセラーの先生に、週1回、カウンセリングを受けることになった。行きたくなくてサボった日もあるけど、先生は怒らなかった。優しくいろんな話をしてくれた。友達にも支えられて、なんとかいつも通りに過ごせるようになった。
高校受験もおわり、合格発表の日、私は1人で受験した高校に結果を見に来ていた。無事番号を見つけてお母さんに連絡すると、すぐにメールで返事が帰ってきた。メールが2通届いて、確認してみると、もう1通はお父さんの携帯からだった。「合格おめでとう!」と、本当にお父さんからきたかと思って嬉しかった。すぐにお母さんがお父さんの携帯で送ってくれたのだろうと気づいたけどとっても嬉しかった。
高校では美術科に在籍していたため、常にコンペに向けて制作をしていた。一度だけ、Aちゃんを描いたことがあったけど、周りには誰ということはなにも言わずにただ描いた。それっきり震災関連で制作をすることはなかった。
高校生活の中で辛かった授業がある。保健体育の授業だ。心肺蘇生の心臓マッサージを学ぶ授業の時は、お父さんの感触を思い出して辛かった。避難について学ぶ授業では、ふざけた男子生徒が、避難のシミュレーションを発表するときに「津波だー!」とヘラヘラしながら津波のモノマネをしていて腹がたった。そういう授業があった日は、その日1日は震災のことなどで頭がいっぱいになり、帰ってからいつもお母さんやお姉ちゃんに慰めてもらった。
そして何度か震災復興のためのアートプロジェクトに参加した。被災者として何かしなければと義務感に駆られて、割と積極的に参加した。でも、いつも心の隅には、こんなことをしてなにになるのだと皮肉な自分もいた。震災の時のことを公演してくれ、文章にしてくれ、という依頼は全て断った。語ったりはしたくなかった。
高校の卒業制作展で、ゲストを迎えたパネルディスカッションを行った。ゲストは有名な大学の先生で、私は卒展の実行委員長としてトークをした。その中で、「地域復興」の話題を担当し、いろいろなことを話したけど、「私もゆくゆくは自分の地域をなにかしら盛り上げたい」と口にした後は「本当にそう思っているのか?」と、苦しい気持ちになった。立派なことを言わなければ、というプレッシャーがあった。
いつも3月11日は家で家族と過ごすようにしていたけど、2015年のその日は、震災以来初めて閖上にいた。
京都に引っ越す前にみんなに挨拶がしたいと思ったからだ。お花を持って友達と待ち合わせをして、久しぶりに来た日和山は、前はみんなで鬼ごっこをして遊んだ場所だったけど、今は慰霊の場所になっていて、上から街を見渡すと、何にもなかった。まっさらでたまに草が伸びている、そんな景色だった。
中学校に移動して、2時46分を待った。鳩の形の風船が配られて、メッセージを書いた。「行って来ます。」と。そして2時46分、みんなで風船を飛ばした。
でもその瞬間はひどいものだった。多くの人がスマホを構えて、風船を飛ばす瞬間を撮っていた。カメラの音がたくさん聞こえて悲しくなった。なんのためにやっていることなのか、気持ち悪かった。一緒に来ていた友達も怒っていた。イベントじゃないんだ、と叫びたかった。
京造に進学してからは、震災の話題に触れることは少なくなった。し、自分でも避けるようになった。
宮城出身です、というと大体「震災大変だったでしょ?」と言われた。「そうですね」と正直に言うと、気まずそうな申し訳なさそうな対応をされた。それが嫌で、出身は言いづらくなって、「震災大変だったでしょ?」と言われても、「大丈夫でしたよ」と言うようにした。一回生の授業である先生が、どんな内容で言ったのかは忘れてしまったけど、「津波はあっけなく人を殺すからね〜。」と、さらっと言ったことがあった。私はショックで涙がとまらなくなった。俯いて、寝てるふりをした。周りの子にはバレていたかもしれない。その日はずっと気分が上がらず、帰ってからお母さんに電話をした。当時一緒に住んでいたルームメイトに抱きしめてもらった。
二回生の時は、授業中に阪神淡路大震災の映像が流されて、震災の時の記憶がフラッシュバックしたこともあった。イヤホンをつけて目をつぶってやり過ごして、大階段を登ってすぐ横の芝生のベンチで家族に片っ端から電話をかけた。午前中でなかなか繋がらず、体育すわりをしながらずっと待っていた。お姉ちゃんとつながって、落ち着かせてもらって、その日は授業があったけど、一度家に帰った。夜は眠れなかった。
7年経った今でも、津波の映像や写真は見ることができない。彷彿とさせるようなものも苦手だ。3月はいつものように睡眠を取ることもできなくなる。11 日は家族と実家で過ごすようにしている。閖上の方向を向いて必ず黙祷をして、黙祷している時は、悲しい、悔しい、いろんな感情が混ざったように涙が出る。
私はずっと震災に潰されている。それが、とても嫌だ。
——
でも、このままでいるのはもっと嫌だ!
だから私は向き合うことにした。
制作をはじめると同時にひまわりの種を植えた。ひまわりは、お父さんの1番好きな花だったから。
だけど、ひまわりは咲かずに途中で枯れてしまった。
私にはもう少し、時間が必要なようだ。
もうすぐ、8年目の3月11日がくる。
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cvhafepenguin · 5 years
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ミコとマチ
 リビングで目が醒めた瞬間あわてて手元のスマホで時間を見た。5時31分、やばい、40分には家を出ないとバイトに遅刻する。渾身のスピードで歯を磨いて顔を洗い自室に駆け込みばたばたとスウェットを脱ぎ床に脱ぎっぱなしの縒れたデニムを穿きYシャツを全力で着て一張羅の苔色のカーディガンを羽織ってほとんど空っぽのリュックを背負う。化粧は諦めて大きめの風邪マスクでごまかすことにした。幸い原稿を作成してるうちに座椅子に座ったまま寝落ちしていたので髪は乱れていなかった。平日ならマチが起こしてくれるのに、今日は土曜日だから私の部屋の向かいの彼女の部屋で、マチは一週間分の疲れを取るべく昼までおねんねだ。私は「いってきます」とぼそっと呟いて全力でドアから飛び出しオレンジのチャリに跨がり立ち漕ぎで駆けた。早朝の澄んだ空気を抜ける冷たい風が私の全開のおでこに当たる。三月の霞がかった曖昧な風景を私は右、左、右、とぐっとペダルを踏んで追い越して行く。それにつれ眼がだんだんと冴えて来た。息を切らしぐんぐんと駅までの道を走りながら私は書きかけの原稿の続きのことを考え出していた。どきどきと小さな心臓が高鳴り血が巡り、私の身体に熱が漲ってくるのを感じる。まだ人がまばらな駅前のロータリーを抜け、高架を潜り、なんとか出勤時間ぎりぎりに店に着いた。ドアを開くとコーヒーの温かくて甘い香りがふわっと鼻を突く。これを嗅ぐと私の頭はたちまちだらしがなくてうだつの上がらないワナビー女から「「鯤」のウエイトレスモード」にかちっと切り替わる。「おはようございますっ」私は店に入るなり弾丸のように一直線にバックヤードに突っ込みエプロンを���る。「おー、毎度のことながら作家さんは朝に弱いねえ」店長の蓮さんが茶化す。「朝まだなんだろ?これ食っちまえ」蓮さんは厨房からカウンター越しに私にロールパンを投げ渡した。「いただきます」私は風邪マスクをぐいとずらし、拳大のそれを口に詰め込んだ。それから蓮さんに渡された水をぐっと飲み干す。「鯤」は駅前の喫茶店なので、平日は開店するなりモーニングをしにくるサラリーマンなんかがぞくぞくと来て大童なのだが、今日みたいな休日は最初の30分なんかはかなり暇だ。コーヒーにつけて出すゆで卵もいつもならあらかじめいくつか小皿に分けて置くのだけど、今日はカウンターのバスケットにまだこんもりと盛ってある。その光景はまるで平和の象徴のような安心感を私に与える。しばらく待っても客が1人も来ないので、私はトイレで簡単な化粧を済ませ、カウンターにかけて蓮さんが淹れてくれたアメリカンをゆっくりと飲んだ。「原稿はどんな感じ?」「うん、方向性はだいぶ定まってきたからあとはそれを形にしていくだけかな」「なるほど、ついに俺の息子がミコが手がけたゲームをやる日がくるんだなあ、あっ今のう��サイン貰っとこうかな、店に飾るわ」「蓮さんってば気が早すぎ」蓮さんはことあるごとに茶化すけど、芯のところでは私のことをそのつど気にかけてくれているのが私にはありありとわかった。嬉しいことだ。
 そうしていると、程なくして客がちらほらと入り出した。休日の朝は老人ばっかりだ。常連のみんなはお話し好きで、四方山話や身の上話を滔々と聞かせてくださる。いつものように私は給仕や食器洗いをこなしながらそれにふんふんと頷いた。でも頭の中は原稿の続きのことでいっぱいだった。先週、駆け出しライターの私に初めてクライアントからSNSのダイレクトメッセージで、ソシャゲのシナリオの執筆依頼が来たのだ。それは聞いたことないような小さな会社で、その依頼されたゲームも予算的にみてメインストリームに敵うポテンシャルがあるとはとうてい思えなかったが、なにせ執筆の依頼が来ることなんて初めてだったので、私は半端ない緊張ととめどなく沸いてくる意気込みでここ一週間ギンギンだった。原稿のことを考えると下腹のあたりがヒュンとする。これは誰もが知っているRPGのシナリオを手がけるという私の夢への第一歩だし、なにより、就職せずに創作活動に専心することにした私の決意が報われた心持ちだった。それはどう考えてもぜんぜん早計なのだけれど。とにかく、私は今とても浮かれていた。
 正午前あたりから客足が徐々に増しなかなか忙しなり、あっという間に15時になった。退勤まであと1時間だ。
「いらっしゃい。おっ荘くん」だしぬけに蓮さんの朗らかな声が厨房から客席に向け広がる。荘くんが来ると、蓮さんは私を茶化す意味でわざと私に呼びかけるような声音で叫ぶのだった。これもいつものことだ。
 私はお気に入りの窓際の2人がけのテーブルにギターケースをすとん立てかけて座る荘くんのところへ注文をとりにいった。心臓の音が高鳴るのが荘くんにばれている気がした。
「いらっしゃい、今日はスタジオ?いよいよ来週だね。」
「そうだな、あっ、チケット忘れんうちに今渡しとく」
荘くんにひょいと渡された黄色いチケットにでかでかと、
「jurar 初ワンマン!」と書いてあった。その楠んだチケットのデザインは全体的に少し古くさい気がした。
「ついにだね」
「うん、絶対に成功させるよ、やっとここまでこれたんだ。そろそろ俺たちもプロへの切符を勝ち取りたいな」
「うん、私応援してるから」荘くんの襟足から煙草とシャンプーの混じったえも言われぬ匂いがかすかに漂う。それは、ほんとうのほんとうに良い匂いだ。
「サンキュな、ミコちゃんも頑張ってるもんな、俺も負けてらんないよ。あっ、そうそう、そういえば…明後日柴さんにアクアマターのライブ来ないかって誘われたんだけど、ミコちゃんあのバンド好きだったよね、もし暇だったら一緒に来る?蕗川ビンテージだよ。柴さんももう一人くらいだったらチケット用意できるから連れて来ていいって」
「いいの?行きたい!」
「よっしゃ、じゃあまたラインするわ」
「まじか…」私は心中でひとりごちた。まさかのまさか、こんな地味な女が荘くんにデートに誘われたのだ。注文伝票をレジに持って行き蓮さんのほうをちらと見てみた。すると蓮さんははにかみながらしゅっと素早く腰のところでガッツポーズを出した。私は心中でもう一度、「ま、じ、か…」と丁寧にひとりごちてみた。
 荘くんはブレンドを急いで飲み干して会計をし、「じゃあ」と去って行った。そうこうしているうちにやがて退勤時間となり、出勤してきた蓮さんの奥さんに引き継ぎをして、私はタイムカードを切った。「お疲れさまです」挨拶をして表口から店を出ると、スプリングコートのポケットに両手を突っ込んで含み笑いしているマチが立っていた。目が合った私たちはそのまま見つめ合った。一瞬、時間が止まったようだった。ピィ、ピィ、とけたたましい鳥の声が、狭い路地裏にこだました。
「オハヨ」マチは宣誓のように右手をしゅっと突き出してそう言った。
 マチの手は真っ白で、春のひかりをぼんやりと帯びていた。ぼんやりとその手を見ていると、なんだか眠くなった。
「マチ、何してたの?」
「さんぽ」
「起きたばっかり?」
「寝すぎちった」
 私は自転車を押してマチととぼとぼと散歩した。外は朝は肌寒かったけれど、今は歩いていると少し汗ばむほどの気温まで上がっていた。電線と雑居ビルたちに乱雑に切り取られた街の高い空を、鳴き交わしつつひっきりなしに飛び交う春の鳥たち、私たちはゆっくりと歩きながらそんな風景を見るともなく見ていた。
 私たちはそれぞれあたたかい缶コーヒーを自販機で買い、駅から少し離れたところにあるたこ(多幸)公園へたどり着いた。私とマチは予定のない天気のいい日にはよくここで何となく過ごす。
「そういえばさ」
「ん?」
「さっき店に荘くんが来てね」
「なになに?」ブランコに座っているマチは両足をばたばたとせわしなく蹴っている。
「「明後日アクアマターのライブに誘われたんだけど一緒にこないか」って」
「デートか!」
「そういうこと」
「やったー!」マチはブランコからたんっと飛び降りて両腕を上にぐんと伸ばして叫んだ。
「いや、誘われたの私だし」
「わがことのようにうれしいっ」
「よーし今日はなべだー」マチは私に背を向けて起き上がった猫のように盛大なのびをした。
「なべ、若干季節外れじゃない?」
「めでたい日は鍋パって相場がきまってるのよっ。ミコの恋愛成就を祝って今日は私のおごりで鍋だー」
「マチってば気が早すぎ」
私たちはスーパーでたくさん鍋の具材と酒とつまみを買って、大きなレジ袋を2人で片側ずつ持って帰った。2人でわいわい作った鍋は多すぎて全然食べきれなかった。飲みまくって酔いつぶれた私たちはリビングでそのまま気を失い、翌朝私は風邪を引いていた。私がなにも纏わず床で寝ていたのに対して、マチが抜け目無く毛布を被ってソファーを独占していたのが恨めしかった。
 荘くんは待ち合わせの駅前のマクドナルドへ15分遅刻してきた。10分でも20分でもなく15分遅れるというのがなんだか荘くんらしいなと私は妙に感心した。「蕗川ビンテージ」は私の家の隣町の、駅のロータリーから伸びる商店街の丁度真ん中のあたりにある。私はこの街に来たことがなかったのでライブハウスまで荘くんが先導してくれた。風は強く、空は重く曇っている。商店街や幾本かの路線でごちゃごちゃしたこの街は、私とマチが住んでいるところに比べてなんだか窮屈な感じだった。前を歩くやや猫背の荘くんに付いて駅からしばらく歩くとやがて「蕗川ビンテージ」に辿り着いた。荘くんが「あそこ」と指を指してくれなかったら私はそれがそうだと気付かなかっただろう。「蕗川ビンテージ」はどう見てもただの寂れた雑居ビルだった。よく見ると、ぽっかりと空いたビルの地下へと続く入り口の前に「アクアマター」のワンマンの掲示があった。その入り口の前に、いかにもバンドマンといった出で立ちの5人の男女が談笑していた。若いのか、それとも私たちよりずっと歳上なのか、いまいち判然としない風貌の人たちだった。その5人はやって来た荘くんを認めると手を振り、荘くんはそれに応えて私をほったらかしてポケットに手を突っ込んだまま5人に駆け寄った。荘くんが1人の男の横腹を肘で小突く、するとその男は笑いながら荘くんにヘッドロックを決め、ほかの人たちもげらげらと盛り上がった。どうやら荘くんととても親しい人たちらしい。少し話すと荘くんは突っ立っている私のほうに戻って来た。それから私の手を引いて、地下への階段を降りて行く。荘くんが近い、かつてないほどに近い荘くんのうなじから、シャンプーと煙草が良い塩梅に混じった私の好きな匂いが漂ってくる。匂いはたしかに近いけれど、暗すぎて当の荘くんの姿がよく見えない。なにかがずれている気がした。私たちは、どこか歪な気がした。私たちが、というか私だけが明らかに場違いだった。「マチは今どうしているだろう、そろそろ帰ってる頃かな、晩ご飯は私がいないから今日は外食なんだろうな」好きな男に手を引かれているというのに私の頭に浮かんで来るのはマチのことだった。やれやれ。
 2人分のチケットを荘くんが受付の初老の男に手渡す、そして荘くんはまたその男としばらく談笑し始めた。「ちょっとお手洗い行ってくるね」と私はその間に用を足した。戻ってくると受付の前に荘くんを中心に人だかりが出来ていた。荘くんの周りにおそらく10人以上はいたが、その中の誰1人として私の知っている顔はなかったし、荘くんを含め、そこに誰1人として私のことを気にする人はいなかった。私はまるで透明人間にでもなったかのような心持ちだった。あそこで人の輪に囲まれ楽しそうに話しているあの人はいったい誰なんだろう。いつも「鯤」に来て親しく話してくれるあの人。私がいつか「アクアマター」が好きだとこぼしたことを覚えてくれていて、デートに誘ってくれたあの人。でも冷静に考えると当たり前のことだったのだ。界隈で突出した人気を誇る若手バンドのフロントマンの荘くんと、街の隅でこそこそと暮らしている私みたいな誰も知らない地味な女なんて、そもそもステージが違うのだ。私は知らないライブハウスの柔らかくて厚い防音材の壁にもたれながら、誰にも知られず夜空でひっそりと翳りゆく月のように、緩やかに卑屈になっていった。誰かここから連れ出してくれないかな、これがまさしく「壁の花」ってやつね。卑屈の次にやってくる自嘲。思えば幾度も覚えたことのある感覚だ。いままでに縁のあった男はみんな、折々こんな風に私のことをないがしろにした。
 ほどなくしてライブが始まった。ライブは、よかった。横にいた荘くんは頻繁に何処かへ消えた。たぶん、知り合いの誰かと話しに行っているのだろう。そう、ここでは私以外のみんなが知り合いなのだ。ライブの終盤、ストロボが瞬くクライマックスの轟音の中荘くんは強く私の手を握ってきた。私はそれを知らんぷりした。スモークの甘ったるい匂いがやけに鼻についた。ライブ自体は、本当によかった。
 外に出ると小雨が降っていた。荘くんはライブの終わりからずっと私の手を握ったままで、駅の方へ私を引いて歩いていく。私はなにも考えずにそれに従う。疲れて、頭がぼーっとしていた。商店街の出入り口のアーチの辺りで、荘くんは「じゃあいまからウチで飲もっか」と切り出した。私はまっぴらごめんだと思い「えーと今日はもう帰ろうかな、明日も朝早いし…」と丁重にお断りした。
「別にいいじゃん、ご近所さんなんだしバイトは朝、俺の部屋から出勤すれば」荘くんはしつこかった。
「いやーやっぱ何だか悪いしルームメイトもいるんで今日は家に帰ります。今日はほんとにありがとう」
 私は返答に窮して言い訳にならない言い訳を口走っていた。そのとき私ははっと息をのんだ。荘くんは怒っていた。彼の表情こそ変わらないが、私なんかにプライドを傷つけられたこの男が激怒しているのがわかった。
 それから突如荘くんは声を荒げ
「んだよ、俺とヤりたいんじゃなかったのか?」
 と今まで私が聞いたことのない荒荒しい声音で言い放った。そのとき私は頭が真っ白になった。私はこの人が何を言ってるのかわからなかった。信じられなかった。この人も自分が何を言っているのかきっとわからないに違いない。そうであってほしい、と私は願った。
 私はいつの間にか私の肘を強く掴んでいた彼の手をばっと振り切り、夢中で駅まで走った。後ろであの人がこっちに向かってなにか喚いている気がした。私はそれから逃げるために全力で走る。とつぜん視界がぐにゃあと歪んだ。音のない雨は、いつのまにか本降りになっていた。頬を伝って落ちる生温いものが春の雨なのかそれとも涙なのか、わからなかった。
 マチは私に何も訊ねなかった。あの夜ずぶ濡れで帰ったきた私の
様子を見て何となく察したのだろう。お風呂から上がってきた私に何も言わずに中華粥を作ってくれた。荘くんはあの日以来鯤に来ることはなくなった。蓮さんは
「まあ今回は縁がなかったってだけさ。月並みな言葉だが男なんて星の数ほどいるんだぜ」と慰めてくれた。
 でもそれを言うならば女だってそうだ。それこそ私は荘くんにとって星の数ほどいる「都合のいい女候補A」にすぎなかったんだ。私はまた卑屈になっていた。このことをマチに話すと「処置無しね」の表情をされた。マチの「処置なしね」の表情。白いつるつるの眉間に少し皺が走りいたましげに私の顎辺りに視線を落とすこの仕草が私は密かに好きだ。ソシャゲの依頼はなんとか納期に間に合ったが、私は次の賞に挑む気力が沸かなかった。スランプに陥ってしまったのだ。なんだかどうしても力が入らなくて、私は湯葉のようにふやけてしまっていた。このままなんの意思も目的も持たず、たゆたうクラゲのように何処かへ攫われてしまいたかった。あの失恋で、まるで私とこの世界とを繋いで私を立たせているピンと張った一本の糸が、ぷつりと切れてしまったようだ。私は休みの日のほとんどを寝て過ごすようになった。
 私が一ヶ月以上もそんな状態だったので、放任主義のマチもさすがに見かねたらしく、「ミコ、餃子をやろう」と私に切り出した。パジャマの私はソファでクッションを抱いて寝転びながら「うぇえい」と曖昧に返事した、ミコが「マチはかわいいなあ」と言って後ろから抱きつこうとしてきたが私はそれをひょいと躱し、勢い余ったマチはフローリングでおでこを打ち「ぎゃっ」と叫んだ。そのとき私に被さったミコの身体はとてもひんやりとしていた。
 餃子の買い出しから仕度まで殆どミコがやってくれた。私はソファに寝転んで夕方のニュースを見ながらミコが手際よく餃子を包んで行くのを背中で感じていた。辛い時は甘えられるだけ相手に甘えるのが私たちの生活の掟なのだ。私とマチは、いまままでずっとそうやってきた。
「いざ!」待ちくたびれて私がうつらうつらし出した時にマチは意気込んで餃子を焼き出した。しゅわあと蒸気が立つ音とともに、むわっとした空気がリビングに立ち込めた。私は薄目でせかせかと餃子を焼くマチの背中を見ていた。「このまま帰りたくないな」そんな素朴な気持ちが不意に、去来する。私たちには他にいるべき場所があって、いつまでもこの生活が続くわけないのはお互い、何処かで理解していた。けれど私たちはそれに気付かないフリをしている。
 マチの背中って小さいんだなあ。そんなことを考えると何だか目頭が熱くなってきたので、私は寝返りをうち、狸寝入りを決め込んだ。クッションに顔を埋めてきゅっと眼を瞑っていると、まるで幽霊になって、空中を漂いながらミコのことを見守っているような、ふわふわと暖かくて寂しい気持ちになった。
「ほらほら引きこもりさん、餃子が仕上がって来たわよ。テーブルにお皿とビール出しといて」
「あいさー」
テーブルの皿に綺麗に連なって円になっているマチの餃子はつやつやでぱつぱつだった。マチは餃子の達人だ。マチよりおいしい餃子を作る女を私は知らない。
「じゃあ、餃子にかんぱーい」
「かんぱーい」
最初の一皿を私たちはあっという間に平らげた。
「じゃあ第2波いきまーす」
「いえーい」
マチは餃子をじゃんじゃん焼いた。私がもう食べられないよと喘いでも取り合わず焼きまくった。マチは何かに取り憑かれたようにワインを呷りつつ、一心不乱に餃子を焼き続けた。「餃子の鬼や…」私がそう呟くとマチはこっちを振り向いてにいっ、と歯を出して笑った。
 餃子パーティも無事に終わり、私たちはソファで映画を見ながらワインをちびちびと飲んでいた。
「ミコ、この映画つまらないね」
 マチがずっと見たいと言っていたから私がバイト終わりに借りてきてあげた映画だった。
「たしかに、脚本は悪くないけど演出が単調だね」
 マチは冷蔵庫から新しい缶チューハイを持って来てぐびと勢い良く飲んだ。それから酒の勢いを借りたようにこう言った。
「ミコ、屋上に行こうか」
 私は缶ビール、マチは缶チューハイを片手に最上階の廊下のフェンスを跨いだ。マチは私の手を引いて真っ暗で何も見えない中、屋上へと続く鉄骨階段を上がっていく。あれだけ餃子を焼いたにも関わらずマチの手は冷たかった。たん、たん、と微妙にずれたふたつのゆっくり階段を踏む冷たい音が闇の中密やかに響く。酒気を帯びたマチのにおいがする。なんだか懐かしいにおいだ。毎日のように嗅いでいるはずなのに。私はマチをぎゅっと抱きしめたかった。
屋上は無風だった。しんとしていて、まるで世界が止まったみたいだった。私たちの住むマンションは台地のてっぺんに建っているので、屋上からは街が良く見渡せる。酒の缶を持った私たちは並んで囲いの柵に凭れて、街の灯をぼんやりと眺めていた。不意にささやかな音で聞き覚えのあるイントロが流れ出した。最初はか細い月明かりのような調子のその曲は、やがて雲の隙間から抜け出して鮮烈な満月となる。
「Tomo��row never knows」
 私はこの曲を聴いた時にいつもこんな印象を受ける。いつかマチはこの曲のことを夜の森の奥で誰にも知られずに燃える焚き火みたいと言っていた。思えば、性格がまるで違う私たちを繋ぐきっかけとなったのはこの曲だった。
 
 あれは私がまだ大学一年生のときの冬だった。私はサークルの先輩に合コンに来てくれと頼まれて不承不承承知した。相手は同じ大学の違うサークルの連中だった。明らかに人数合わせで参加した合コンだ、面白いはずもなく、私はうんざりした。いつ「じゃあ私はこの辺で…」と切り出そうかずっと迷っていたが、二次会のカラオケにも流れで行くことになってしまった。そしてそのカラオケに遅れてやって来たのがマチだった。先輩の説明によると、マチは男側の知り合いだそうだ、それで先輩とも面識があったので呼ぶ運びとなったのらしい。部屋に入って来たマチを見て私は「きれいな女の子だなー」とうっとりとした。マチは空いていた私の横にすとんと座った。思わず頬が緩むようないいにおいがした。スキニーを穿いた華奢な脚のラインが綺麗で、横に座っていると、私の若干むくんだそれと比べずにはいられなかった。マチは終止にこにこしていた。男たちは明らかにみんなこの場で一番綺麗なマチを狙っていた。私は半ばいやいや参加したとはいえ、やはりみじめな気持ちだった。下を向いて鬱々としていると私にマイクが回って来た。あまり歌は得意ではないのだが…と思いつつ私は渡されたマイクを掴み、ええいままよとミスチルの「Tomorrow never knows」を歌った。歌っている時にマチがじっとこっちを見ていたのを不審に感じたが私は気付かないふりをして歌いきった。合コンはつつがなく終わった。解散してターミナル駅のコンコースを歩く私たちの集団は1人ずつ空中分解していき、やがて私とこの初対面で良く知らないマチという女の子だけが残った。私たちは無言で微妙な距離を保ちながら並んでしばらく歩いた。
「私って合コンとか苦手なんだ~」やにはにマチが間延びした調子で呟いた。それからふわあと大きなあくびをした。私はその様子を見てなんて美しいひとなんだろうとうっとりした。合コンのさなか、表面上は取繕っていたが、明らかに退屈そうにしていたのも見て取れたので、私はマチに好感を抱き始めていた。
「なんか私同世代の男の子って苦手だな、何話したら良いかよくわからないし」
「私もああいう場は少し、苦手」
「ねえ、お腹空かない?」
「ちょっぴり」
「ラーメンでも食べにいこっか」
「うん、いいよ。この辺?」
「うん、北口からちょっと歩いたところにおいしいラーメン屋があるんだ。塩ラーメンなんだけど、大丈夫?」
「大丈夫、塩ラーメン好きだから」
「それではお嬢さま、エスコートいたします。」
 とマチは腰を落として片足を後ろに引く紳士の挨拶のポーズをした。
「で、では、よろしく」
 私もコートの腰のところを両手でつまんで膝を曲げ淑女の挨拶でぎこちなく応じる。
 私たちは改札の前で踵を返し、ラーメン屋へと向かった。
「ミスチル、好きなんだね」
「うん、親の影響なんだけど」
「私も好きなんだ。だから、君がさっき歌ってたとき嬉しかった。周りに音楽の趣味が合う人がいなくってさ、ミスチルとか今の若い人もうあんまり聴かないもんね」
「うん、カラオケとか行くとみんな今時の曲ばっかり歌うもんね。特に合コンなんかだと顕著」
「男も女もなんだかんだ言っても最終的に画一性を自分に強いたほうが楽なのだということなのかも知れんね。ところで君、名前は?」
「私はフジサワミコ。あなたは?」
「私も名前二文字なんだ。湊マチ」
「みなとまち」
「マチでいいよ」
「わかった、私のこともミコって呼んでよ」
「そうだ、ハタチになったら一緒に飲みにいこうよ。ライン交換しよ」
 
 それがきっかけで私たちはことあるごとに2人でつるむようになった。私がこっぴどく振られた時も、マチの就活が難航を極めていたときも、いつも酒なんかを飲みながら互いに慰め合った。ルームシェアをしようと言い出したのはマチのほうからだった。それは私が就職を諦め夢を追うことにするとマチに打ち明けた次の日だった。
「私はミコがどんなでもそばにいてあげるよ」
 マチはことあるごとにこんなことを言うのだった。
「どんなのでもって、もし私がアメーバみたいな真核生物でも?」
「アメーバでも好きだよ」
「私も、マチがアメーバでも好き」
 赤ら顔の私たちは屋上で「Tomorrow never knows」を歌った。
「はーてしなーいやみのむーこうへーおっおー てをのばそー」
呂律の回らない舌で私たちは叫びながら柵の向こうへ両手をぴんと伸ばした。伸ばした指の先に、滲んでぼやけた街の灯りたちが、きらきらと輝いていた。
 
 私はそのプロポーズを受けることにした。相手は麗さんという人で、マチの紹介で知り合った10歳上の高校の生物の教師だった。マチはあの失恋以来落胆している私を励ますために、荘くんとは真逆のタイプの男を紹介してくれたのだった。交際は、以前の私ではとても考えられないくらいにうまくいった。私は素敵な男をあてがってくれたマチに心の底から感謝した。彼はとても良く尽くしてくれたし、私も彼のことがとても好きだった。彼と付き合い出してから、彼の家に泊まって部屋に帰らないこともしばしばあった。そして私と対照的にマチはその頃からだんだんと不安定になっていった。なにかといらいらしてたまに私にあたるようになったのだ。私は何故そうなったかマチに聞くこともなかった、何となく察しがつくだけに余計聞く気がしなかった。喧嘩も私が帰らなくなった日のぶんだけ増えていった。
 ある日3日間麗さんの家に泊まってから帰ると、私の部屋のものが全部廊下に放り出されていた。
「なにこれ」私はこっちを振り向きもしないリビングでソファにかけてテレビを見ているマチに問いかけた。
「もう出て行くのかと思って部屋を片付けといてあげたよ」
「ばかじゃないの?ほんとガキだね」
 なんてみっともないんだ。私にいつまでもこだわって、ばかばかしい。
 ずかずかと歩いてリビングに入ると不意にマチが振り向いてこっちをきっと睨みつけたので私は立ち竦んでしまった。
「ミコ、ミコの夢は、努力は何だったの?なんで…そんなに簡単に諦めるの?」
 マチの声は掠れていた
「前にも言ったけど私には才能がないんだしもう筆を折ったんだよ」
「なんでも手に入れることのできるマチには私のことはわからないよ。知ったような口を聞かないで」
 私はいつしか心の何処かで自分の夢と、マチから解放されたいと思い始めていた。
「そういえば言ってなかったんだけど私あの人にプロポーズされたんだ」
マチはまたテレビの方を向いて石像のように固まって何も言わなかった。
「おめでとうとか、ないの?」
マチは依然としてだんまりだった。
 そのとき、私の頭のなかでぐわん、という音がした。誰かに後���部を殴られたような衝撃だった。それから涙が、とめどなく溢れてきた。私は泣きながら廊下に放り出された荷物を出来る限りまとめた。それから麗さんに電話をしてワゴンを出してもらい部屋の私の家具や持ち物を全て、3往復して麗さんの家に運んだ。それっきり、あの部屋には二度と戻らなかった。それはあまりにもあっけない幕切れだった。麗さんは「人のつながりなんて、そんなもんさ」とやけに達観した口ぶりで私を慰めてくれた。3ヶ月後に披露宴の招待をマチにラインしてみたが既読すら付かなかった。
 
 「もう、終わりにしよう」
 別れを切り出したのは英治のほうからだった。英治はセックスが終わってしばらくして呟くようにそう言った。実のところ私は、英治のほうからそう言ってくれるのをずっと待っていた。いかにも安ラブホテルの調度品といった感じのチープなガラスのテーブルの上の、パフェ皿の底に残って溶けたソフトクリームがピンクの照明を反射しててらてら光るのを、私は裸でシーツも被らずに茫然と眺めている。英治がシャワーを浴びる音が聞こえる。英治が上がったら私もシャワーしなくちゃ。…どうしてこうなっちゃったんだろう…どうして。やにわにテーブルに起きっぱなしのスマホが震え出した。ガラスの上でがちゃがちゃ騒ぎ立てるそれに私はいらっとして。ぱっと手に取った。その画面には「麗さん」と表示があった。
「来月の裕太の体育祭どうする」
 メッセージの内容はこれだけだった。私はスマホの画面を暗転させて枕元にぽんと投げ捨てベッドに潜り込んだ。麗さんと英太にはもう一年以上会っていなかった。毎日仕事漬けで夫と子供を捨てて出て行き、愛人と日中に安ラブホにしけこんでいる私のような女が今更どの面下げて元伴侶と息子に会いに行けばいいんだ。いやだ、このままなにもしていたくない。この地の底のような穴ぐらで、誰にも干渉されずにずっと踞っていたい。
「ミコ、ミコ、ミーティングに遅れちゃうよ。起きて」
そうだ、私は次の作品の企画ミーティングに行かなければならない。何せビッグタイトルのナンバリングだ。集中しなければ。
ミーティングはかなり難航したもののなんとかまとまった。私も英治も、いつものようにメンバーに振る舞った。私たちの関係に気付いている人は、どうやら1人もいないようだった。帰りがけに私と英治は小さな居酒屋に寄った。ここは私たちが関係を持ちだしたころ英治が教えてくれた店だ。
「今度のプロジェクト、うまく行くといいな」英治は燗を呷って少し上機嫌になっていた。昼間のラブホテルでの言葉を取繕うためなのかもしれない。
「なんたってミコには実績があるもんな。大丈夫、ミコならこの先一人でもうまくやっていけるさ」
「聞きたくない…」
「え?」
「「聞きたくない、そんな言葉」」
 私は思わずそんなことを口走りそうになったが、かろうじてそれを飲み込んだ。
「英治はどうなの」
「どうって?」
「この前も辞めたがってたじゃん。この仕事、自分に向いてると思う?」
 そうだ、私が英治の仕事や家庭の愚痴を聞いてあげるようになったのがこの関係の始まりだった。
「うーん…向いていようが向いてまいが、俺にはやるしかないな。やっぱり何度も言ってるけど、自分の夢のために邁進してきたミコと俺はスタンスが違うよね、それに俺…」
「俺?」促しても英治は先を言うのを躊躇うので私はいらいらした。握りしめた水割りを私はぐいっと飲んだ。
「俺…2人目ができたんだ…」
「ふうん、おめでとう、ね」
「そうなんだ、だから、この関係もそろそろ潮時なのかなって。」
 私はカウンターに万札を叩き付けて店をあとにした。なにも英治に腹が立った訳ではない。私は全てがいやになってしまったのだ。夢も、仕事も、家族も。
「違う…私は…私は…」
 私は無意識にそう呟きながら明後日の方向へ駆け出していた。後ろで英治が私を呼びかけながら付いてきていたが私はその声がしなくなるまで走り続けた。走って走って、私は知らないバーに駆け込んだ。それからジャックダニエルのロックを注文した。なにも考えたくなかった。ぼうとそれをちびちびなめていると、やにはにスマホがポケットのなかで震えた。英治がなにか取繕うためのメッセージを送ってきたのかと思い私はうんざりしながら画面を見た。しかしそこに表示されていた名前は「英治」ではなく「マチ」だった。
私は反射的にスマホをカウンターに伏せて置いた。そしてウイスキーを飲み干しておそるおそる画面をタップして内容を確認すると。
「久しぶり、突然ですみません。今度会えませんか。」とあった。
私は胸がざわざわした、けれどもう何も考えないことにした。すぐにマチに「いいですよ」と返信した。
 待ち合わせは2人が分かりやすい場所が良いとのことで「鯤」にした。私は待ち合わせの時間より少し早くに鯤に来た。
「いらっしゃい。おお、ミコ」
 蓮さんは最近白髪が増えたものの相変わらず元気だった。私は鯤には昔のなじみで今でもたまに来るのだ。
「ごぶさたじゃないか。仕事忙しいのか。なんか、顔が疲れてるぞ」
「うん、ちょっと最近いろいろあって、でも大丈夫だよ、ありがとう」
 蓮さんはいつでもぶれずに蓮さんなので話していると私は安心する。蓮さんって私にとってオアシスのような人だ。
「今日ね、マチと会うんだ。ここで待ち合わせしてるの」
「マジで!すごいな、何年振りだ?」
「10年振り…」
「そうか、あれから10年も経つのか…なんかあっというまだな」
「うん、いろいろあったね」
本当にいろいろあった。でも、私とマチの時間はあの時のまま止まっている。私が部屋を飛び出したあの日のまま…マチはいったいどうしていたのだろう。
 私は緊張してテーブルにかけて俯いていた、しばらくしてドアに取り付けたベルがからん、と鳴った。顔を上げると、入り口にスプリングコートを着たマチが立っていた。そのシルエットは背後から射す春の陽射しに象られていた。
「おおお、マチちゃん!久しぶりー!」
「マスター、お久しぶりです。」
「相変わらずべっぴんさんだね。ここに2人がいるとなんだかあの頃に戻ったようだな。ゆっくりしていってな」
「マスターも相変わらずみたいで。ありがとうございます」
マチははにかんだように微笑みながら、私の向かいに掛けた。私は気恥ずかしかった。何を話したらいいのか全くわからない。マチもそうなのだろう。ずっとそわそわして後ろを振り向いたりしていた。私はマチが少しだけふくよかになっていることに気が付いた。
しばらくしてマチが話し始めた。
「最近いろいろあって考えたの…私どうしてもあのときのこと謝っておきたくて…寂しくてミコを傷つけることしかできなかった。ミコがいないとだめなのは自分のほうなのに、そして、そう思えば思うほど心細かった。こんな風にミコを呼び出して謝るのも独りよがりだけど。どうしてもそれだけは伝えたくて、ほんとにごめんね、ミコ」
そう言ったマチの眼から涙がひとすじ流れ落ちた。
 そうか、みんな寂しかったんだ。私とマチだけじゃない。麗も、英治も、それから荘くんだって。ミコの涙を見て私のなかで何かがはらりと落ちていった。それはたぶん、いつの間にか私の心に巣食っていた「あきらめ」のようなものだった。
「いいんだよ、マチ、もういい」
「あ、あり、ありがとう、ミコ、うわーん」
 マチはぐしょぐしょに泣いてバッグから出したハンカチで顔を抑えていた。ほかの客もびっくりして、カウンターに掛けているおばあちゃんも「あれあれ」と茶化してきた。私もつられて泣きそうになったがこらえてマチの手をとって店の外へ出た。
 私は泣き止んできたマチの手を引いてしばらく歩いた。
「見てマチ、ここのスーパーでよく買い物したよね」
「あっこの公園覚えてる?よくブランコ漕ぎながら酒飲んだよね」
 マチは鼻をすすりながら「うん、うん」と相槌をうつ。
春の気持ちのいい暖かい風が、懐かしい気持ちを呼び起こす。マチの手は、あの頃と同じで冷たい。
 私はマチの手を引きながらマチとの部屋を後にしてからのことを吶吶と話した。結婚して間もなく、昔穫ったグランプリの作品を目にしたディレクターに大手ゲーム会社のシナリオライターとして抜擢されたこと…麗さんとの子供が産まれたこと…仕事が多忙なのが原因で離婚したこと…仕事が忙しすぎて疲れていること…同僚の不倫相手との関係が終わったこと…
 マチは私のところどころくすりと笑いながらただ聞いてくれていた。
「ぜんぶミコだね」
「え?」
「恋愛でポカするのも、仕事や夢に疲れて参っちゃうのもぜんぶあの頃と同じミコだ。ミコは私が知らない間もミコをやってたんだね」
「たしかに、全部わたしだ。わたしらしい…わたし」
 そしてマチもずっとマチだ。あの頃と同じ、強い肯定も否定もせずただ私に寄り添ってくれる。そんなマチを見ていると今日の朝までずっと私を苛んでいた罪の意識や漠然とした憎悪が緩やかに解れていった。
「ねえマチ」
「ん?」
「屋上に行かない?」
私たちの住んでいたマンションはまるでタイムスリップしたかのようにあの頃と同じで、どこも全く変わっていなかった。
 いけないことと知りつつ、私はマチの手を引きそうっと忍び足で、屋上への階段を昇る。
 私たちは昔のように並んで囲い柵によりかかり街を見渡した。
「どこもかしこもなーんにも変わっていないね」
「そだね、あ、でも私は少し変わったかも」
「どんなところが?」
「私、結婚するんだ。式は挙げないことにしたんだけど。それでね、今お腹に赤ちゃんがいるの」
「え?」
私は不意をつかれて唖然とした。
「何ヶ月?」
「3ヶ月」
「えーっと…夫さんはどんな人?」
「優しい人だよ、今の職場で知り合ったの」
「おめでとう、マチ」
「ありがとう、ミコ」
私たちは手を繋いだまま顔を見合ってくしゃっと笑った。
「これ、覚えてる?」
 私はスマホのプレーヤーを開いて再生をタップした。
「うわ、懐かしい、私今でも聴いてるよ」
「私も聴いてる」
 あの夜この屋上でマチと一緒に歌った…そしてマチと私を繋ぐきっかけになったこの曲。
「Tomorrow never knows」
 私たちはあの頃を思い出しながら小さな声で一緒に歌った。これまでと、これからの全てが、発酵するパン生地みたいに私のなかでふわり広がって行った。
 心のまま僕は行くのさ、誰も知ることのない明日へ
 そうだ、私とマチは私とマチのままで、あの頃のような万能感はなくともしっかりと歩いて行くんだ。癒えない傷を抱えながら。あらゆる柵に絶えながら。
 私たちの目の前には、霞がかってぼやけたなんでもない街が広がっていた。
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mtantenna · 1 year
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Automatic cat litter repair DIY 自動猫トイレ修理 It is a postscript of repair DIY of automatic cat toilet (scoop free ultra). The resin parts that move the comb were scraped off, so I made a video to repair it. I hope it will be helpful. Necessary epoxy resin adhesive and Aron Alpha and tools etc. This scoop-free ultra automatic cat litter box is quite cheap, so I DIYed it and am using it now. Automatic cat litter repair DIY 自動猫トイレ修理 https://youtu.be/Sj4ESrLYqdU 自動猫トイレ(スクープフリーウルトラ)の修理DIYの追記です。クシを動かす樹脂の部品が削れてしまって、それを修復する為に動画にしました。参考になればと思います。必要なエポキシ樹脂の接着剤とアロンアルファや工具類などです。 このスクープフリーウルトラの自動猫トイレはかなり安いのでこれをDIYして現在使用してます。 #猫トイレ #DIY #猫 #cattoilet #cat #子猫 #kitten #自動猫トイレ #修理 #家電修理 #家電 #猫グッズ #激安猫トイレ #ふわもこ部 #ねこ部 #ペコねこ部 #ねこもふ団 #ねこら部 #ねこばか #ねこすたぐらむ #ねこ好き #ねこバカ #ねこさん #ネコ部 #instacat #meow #pet #catstagram #ilovemycat #petstagram https://www.instagram.com/p/CpeEwKJvckT/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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kusodream · 3 years
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2021年9月の夢
- 2021年9月30日 木曜日 4:17 夢 カエルという名前は「めしべをたべる」みたいな言葉が縮まってカエルになったらしい。 そらまめみたいなとかげを触る。 部族の人が円になって踊っている。 父がそれらを研究しているらしい。
白いツルツルした竪穴に入る。中は90度に曲がっている。女子に追われている。同級生と中へ入る。 安全なところを探す。例えば畦道の納屋など。体を隠すためにはまずそこが体の入る大きさかどうか見なければ……とエロ本隠し選手権で得た知識が役立っている。 誰かを祝うために土手でクラッカーを鳴らす。ほとんどが鳴らない。最後の二つだけが鳴り、細いテープが放物線を描いて高く飛ぶのが見える。 水川かたまりがいる。 良くも悪くもない夢。
- 2021年9月29日 水曜日 6:50 夢 先生助けてクラス、通常せんたすというものがある。
船に乗ると台風なのか大荒れ。今にも沈みそう。 怖い。降りる。船着場の屋台。煮魚を見ていたら買うと思われて店員の高校生みたいな子に手配される。
電ガマに黄色いビーフンみたいな麺がヒタヒタに入っている。引き上げてボウルにうつす。 ハライチ。岩井にめちゃ髭。話しながら顔を近づけていって頬をくっつけるギャグみたいなやつがある。 よつばとっぽいキャラクターを紙粘土で作ったもの。腕が折れる。 10人くらい女性がいる。一人一つアイシャドウを割り当てられており、ペアになりたい女性とアイコンタクトで組む。春っぽい色の女性と組む。爪に海の絵を描く。
中国のスーパーにいる。 母がねじねじの赤い棒と青い棒を買い、当たりが出て10本追加で渡される。折れた部分は店員さんが口に入れてたりしてすごい雑でこっちらしいと思う。 日本でいうところのイオンなのか。男性用の紐パン屋やタトゥー屋もある。写真を撮る。
- 2021年9月28日 火曜日 6:33 夢 実家。正月の雰囲気。食卓の窓側の席におじいちゃんがいる。モスグリーンのセーターの下に赤い襟付シャツを着ていて、すごくしっかりした顔をしている。ハグして元気か聞くと、施設で過ごすのは気が休まらないみたいなことを言う。そうかあ。少し現実とのギャップの違和感があるが、環境が変わったから刺激が良いのかな?と思う。餅を焼く雰囲気がある。しばらく手をつないでいるが、やがておじいちゃんは席を立つ。
布団シーツの中に青緑色に光るタマムシみたいなゴキブリがおり、スプレーを噴射する。浮き上がりながら逃げていくがやがて死ぬ。マクドナルドの紙袋の中にも一匹いる。ノズルが入る隙間だけ開けて、あとはガムテで密閉しようかなと思い、そうする。
飛行機に乗りすぎて飛行機に乗るのは足を洗うためだという人。べつに飛行機は足が洗いやすいというわけでもないのにと思う。だがコックピット側のトイレは段差がそうなっているらしい。 パソコン室。ノートにしていた野帳が先生?のノートに挟まれている。2冊。キミドリ色の野鳥もある。ゴミ箱。けんごが来る。
- 2021年9月27日 月曜日 8:40 夢 文鳥を二羽飼っていて、一羽が死ぬ。ポトリと横になる感じ。 銀行のようなところ。朝礼。人たくさん、バタバタしている。前の列の丸椅子にゴミが置いてあり、黒い液体が滴っている。拭くものを探す。三枚の資料の上に座っている人。Tさんに絵を描いたふせんを渡す。このガヤガヤの中で画板で原稿やってる人がいる。 Tさんと外に出る。パスタ屋、洋食? ケーキ屋などどれに行きたいか話す。 目的の場所に歩いて五分ほどで着く。雨上がりっぽい雰囲気のオフィス街、アーケードの入り口。以前に焼き菓子を売っていると思った店の雰囲気が変わっていた。入ると女子高生みたいな数人がいる。店内がコの字型に進行方向を決められていて、カウンター内は多めに店員がいる。すごく小粒のパステルカラーのチョコレート菓子みたいなものがガラスケース内にある。ツヤツヤの落雁のようでもある。そう高いものではなく、1つ80円くらいか? それを別途平たい専用のギフト箱を購入して、詰めて送るという趣旨。食べることがメインではないかわいさ重視のものもある。出る。
- 2021年9月26日 日曜日 6:07 夢 パトレイバーみたいな3人の女が登場する漫画?アニメ?を見ている。女の描き方がすごく良い、テンプレート的じゃなくて。 親戚の子供が家に寄っていく。机から落ちた時に背中を擦りむいていて、インフルエンザにかかるおそれがあるので病院で軟膏を塗ってもらっていた。 私の母に連れられて戻ってきて、声がでかい、とにかく元気。 知らない人の部屋。スキップフロアで漫画がたくさん置いてある。人がいなければ読める。 持ってるものを見せろと言ってくる。薬袋に文庫の漫画を入れていたが、裸体のシーンがあったことを思い出して子供には見せなくないなという感じがある。 Dさん。忘れ物を回収に行く。引き取り表みたいなレシートがあり、見る��期限切れ。 ごみごみした店内。
- 2021年9月25日 土曜日 7:13 夢 高橋一生の横顔のイラスト、角膜が異常にデカく描かれている。吸血鬼に関するフィクション。
- 2021年9月24日 金曜日 6:47 夢 部屋の中。前の住人が置きっぱなしの細いデスク。2、3台。入子構造。ピーナッツが洗い場にある。 社会人向けの勉強本。を書棚に平積みしているHさん。ポケモンの有名な人。香山哲さん作画。氷ステージの話。 バラバラになったトカゲやワニのおもちゃが転がっている。とりいさん。アカウントを見つけた気がするが気のせい。
- 2021年9月23日 木曜日 7:16 夢 スラムダンクの人。オレンジ色のタートルネックを着て向かいに座っている。高校の入学式だがどこの高校かわかっていない。千葉なんとか高校。 私の友人の同人誌を勝手に回し読みしている。そんな読み方をするものではないと憤慨し取り上げる。ボブヘアの女性が去ろうとし、黄色い本を置いていくように言うと、それは彼女が自費で購入したものだと分かる。置いていきましょうかと聞かれ、私にそうする権利はない、また読んであげてください(?)と言う。
- 2021年9月22日 水曜日 7:56 夢 実家。唐揚げがあり、妹がつまみ食いしている。私も食べる。 手羽元と大きい四角い唐揚げがある。 軟骨のところをくれるなら四角い唐揚げを譲ると持ちかけられ、妹は本当に優しいなと思う。 祖父が出かけていく。
- 2021年9月20日 月曜日 8:04 夢 Mが経費でフィリップスの体温計などを購入しており、引っ掛かりを感じる。私物では。 Mの家族が二人、病気で亡くなったと連絡が入る。
ショッピングセンターの吹き抜け空間から大急ぎで地階へ降り、走って遠ざかる。外は暗く、人通りがない。追われているというか、鉢合わせしないように急いでいる。道を進むと門扉があり、女性二人がタクシーを拾おうとしている。私はマフラーがひっかかる。 間に合えば乗せてもらえたのに。
- 2021年9月18日 土曜日 8:38 夢 学校。自動車。 モンゴルナイフさん。記事のオチ。障子の枠に動画をはめ込んでいるが、無料版のロゴがちらほらある。 明日、共産主義について作品の概要���絡めた発表をしなければならない。 オッドタクシーのヤノに関する情報。
- 2021年9月17日 金曜日 8:06 夢 ご近所のH家の整骨院。 紙コップの中に値札。 高いところから降りる。 妹、降りると見せかけてお茶を飲んだりおにぎりを食べたりしている。笑いが起こる。 おもちゃ屋。記憶を思い出す感じとワールド生成が同じ。
- 2021年9月16日 木曜日 8:58 夢 実家の自室(という設定)を片付けている。 左のひきだしを開けると記憶にないパンやミスドやクロワッサンがたくさん出てくる。砂糖が層になって固まっている。恐ろしい、と同時にまだ食えるかなとも思う。あまりに原型を保っているので。 服も出てくる。今の雰囲気のものが多い。 アンパンマンの形のキャラメル色の飴が3つあり、1つ食べる。味はなし。 外箱を捨てた動物型の石鹸。 運動するためにゴムバンドを貸してもらう。以前に譲ったもの。 別の人とその話をするが、イヤな感じが出ないように気を使う。
- 2021年9月15日 水曜日 7:43 夢 どこかで働いている。薄暗いバーのようなところで中華飯を食べてから帰宅する。私含め3名。
- 2021年9月14日 火曜日 8:25 夢 釣りに行く 車の中にものを残さないようにと連れに言う ロッドを伸ばし組み立てるのだがやり方がよく分からない 隣に鈴木もぐらがいて聞こうとする 水に浸かる 数人は早く引き上げても良いとのことで決を採るが、Iさん(会社の人)のグループだった。
- 2021年9月13日 月曜日 8:19 夢 高所に横一列で座っている。 いつも昼食にパンを食べる人 という人が隣に座っている。見た目はシルバニアファミリーのよう。 すごくギリギリで落っこちそうなくらい。 その人はぐるぐるの渦巻パン。 自分はクロワッサンのフレンチトーストのようなもの、そして袋に入ったコオロギ? カナブンのようなもの 虫は食べられるが、暗いから大丈夫だっただけで明るいところで食べるのは怖い。 ドラゴンボールのUFOキャッチャーの表示を読む。
- 2021年9月12日 日曜日 7:15 夢 ビーフシチューの試食の鍋が置いてある。 感染予防を気にしている かをりさんがいる 手帳の線を定規で引いている点を誉める 霜降り明星がいる すごく面白いものを見る シンプルでかわいい蓋つきの茶器でお茶を飲むことにする 山崎に話しかけられる 6人掛けテーブルの座れるところに座る グミの実(とされているもの)を食べる 中央に細長い種が入っているのを警戒して食べているが、ナスのような種だった。それよりも外皮が硬くて口に障るらしい。 小さなグレープフルーツのような実がありえないくらいたわわに実っており不吉。
- 2021年9月10日 金曜日 6:48 夢 潰れたATM機器がおいてある施設の中に入る。診療所の一角だったらしい。
- 2021年9月9日 木曜日 6:54 夢 換気扇からでかいコザクラインコが入ってこようとしている。
- 2021年9月8日 水曜日 7:00 夢 幽霊の出る部屋。 妹が賃貸している。ベッドで眠っており、寝付けない日にパタパタ手を叩いていると、壁から合いの手が聞こえたとのこと。 収納がとにかくでかい。入り組んでいる。祖母の古い家みたい。 さっきとドアのサイズが違うんじゃないかと指摘され、アッと思うが、閉じると合ってるので視覚的にそう見えただけだった。 チーズケーキでも焼こうかなとする。 眠る。妹が手に腕を絡めてくる。怖いのだろう。 何度もあり、中にはピアノ、グランドピアノじゃなくてもっとちゃちな小さいピアノが収納されている。
トランブルーのクロワッサン5つ。3000円くらい。 とんこつラーメン屋の近くに来たということはパン屋が近いということだと言い合う。 この場で食べない選択をした人達用に、小皿にコロッケを乗せて卵を割り、何か副菜を添えたものを持ってきた のりべーがいる。人と連絡を全く取り合っていないそうで、空っぽのタブレット端末を見せてくれる。ゲームのアプリが一つ入っている。ピッコロ・前衛隊員・みたいな画面が出る。 ご飯を食べている。唐揚げが盛られた皿がある。 目の前にKがおり、何か意地を張って唐揚げには手をつけないという態度を取っている。 店員さんなのか若い中国人みたいな女性がさらに追加の唐揚げを持ってきて置く。Kも取って食べ、今日は途中でお菓子を食べなくても済みそうだという旨のことを言った。
学校の風景。半ズボンの女子制服。
- 2021年9月7日 火曜日 6:46 夢 Tさんの事務所?にいる。昼寝をすると言っている。 父に何か映画を見た話をする。一本しか観れていないことに気づく。 寒い屋外。犬猫が柵の中で遊んでいる。細い路地。 母がいる。母を追いかける。指一本で手を繋いでいると、生後間もない弟がしぎ死んだことを思い出すのでやめろと言う。 狭い店舗。CD屋。オザケンみたいなアーティストがライブか何かをしている様子。隣の雑貨屋。砂場とかで型抜きするためのカタ。
- 2021年9月6日 月曜日 6:46 夢
- 2021年9月5日 日曜日 6:56 夢 インド、乗合バス。屋根から滑り落ちそうになる。順に座っていく。親しい人がおらず、ほとんど喋ってない人と話す。改名していた。静ではなく静香(しずかお)。 ローションをこぼす。 顎下まで水がきている部屋。 順平の友達。 文法の暗記。授業。
- 2021年9月4日 土曜日 7:09 夢
- 2021年9月4日 土曜日 7:09 昨日の夢
- 2021年9月2日 木曜日 6:53 夢 ビーチを歩いている。コの字型に曲がったビーチで、道案内をしてもらうのだが分かりにくい。BBQをする。風が強く難儀する。
- 2021年9月1日 水曜日 7:33 夢 ウリマトスさんの誕生日らしい 古家二つを購入して若者で大騒ぎしながら住んでいる
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manganjiiji · 3 years
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あいもかわらずよく寝ていますねえ。今日も寝ていましたねえ。寝るだけの人生に打って変わってしまった。あんなに眠れない眠れないと大騒ぎしていたのはなんだったのか、いや、それは大騒ぎそのものだったのであって、今は逆に寝ても寝ても眠れるという小さな騒ぎである。動かないと体力はつかないのですよ、お分かり?と問いかけるも、でも、……と口答えをする前にもう寝ている。眠いという感覚や、眠りに抗う感覚、そういった物も何もなしに、知らないうちに寝ている。一日がコインランドリーの洗濯機の中でゆっくりまわっている感覚。今が何時で何を食べていつトイレに行って、それがいつでも何でもよくて、ゆわんゆわんと不時着を繰り返しながら時計のはりが動いていることでやっと時間の経過を知る。朝8時頃起きて、食パンを食べ、朝9時頃から夜6時半まで寝ていた。おかしいな。バタークッキーをまた食べる。今日は10枚。また牛乳を500ml飲む。不思議だ。色んな人が苦しんだり悲しんだりいなくなったり忘れられたりしていくなかで、私はただ寝て、何度も夢を見て、夢の中だけを生きている。黒猫に見えるくらい白い部分の少ない黒白猫、名前は「いろ」で、家族(生家の家族)がその子を邪険にするなか、私だけがかわいがり、私に懐いていて、「いろ」は私には優しく人間の言葉を返してくれた。とても甘ったれだけど猫だからやはりいい子だな、と私は思っていた。夢の中もままならないことがとても多かった。でも私と「いろ」の信頼関係はそのなかでも本当に確かなものだった。これが今日見た夢の中で一番頭に残っている。毎日毎日、夢に血縁の者が出てくる。かれらに出会うとほんとうに疲れてしまうので得意ではない、とくに夢という場所ではむき出しの姿で過去と対峙させられる。過去にもいろいろあるが、最初期の過去、昔の昔、私の知る日本という国のもっとも古い記憶や印象そのままに、まるで別世界が展開し、善い人も悪い人も出てくる。祖母がとうとう私を忘れてしまった。それはそうだろうと思う。コロナ禍でずっと会うのを控えていた。叔母のこともほとんど忘れていた。こういうことが起こるとは勿論知っているし、思っていたほどのショックもなかったが、私を育ててくれた祖母の中から私は消え、私を育ててくれた祖父は10年以上前に他界し、ようやく私も、恩を返す相手がいなくなったなと思った。もともと返せる恩があったのかはわからないが、目上の誰に対��ても責務や債務を負わなくてよくなったのだと思った。祖父に対しては恨み節がある。私のことをもう少し見守っていてほしかったと。祖母に対しては感謝がある。何もかも終わったあとで、私の話を聞いてくれて嬉しかった。生家で何が起こっていたのか、察していた祖父は死に、私から聞いていた祖母は忘れてくれた。ここから先、ほんとうに一人。
【追記】
私にはつらいことというのが今ほとんど何も無い。太っていることが嫌だなあ、と思う程度。痩せたら服を着るのが楽しくなるし、また夜職で稼げるんじゃないかという期待があるからで、別に自分が太っていること自体にそこまでの落胆を感じているわけではない。でもやはり、好きな人達には見えよくいたいので、その人たちの目を、痩せて美しいことで楽しませられないのは残念だなあとは思う。でもそれだけ。私は太っているより痩せている自分の見た目の方が好きだけれど、そうじゃない人もいるかもしれない。ようは自分が鏡で自分を見た時に丁度いいくらいの体型でいた方がテンションが上がるので、他人もそうだろうというくらいの雑な展望でしかない。他人の体型に関してはとくに何も思わない。それより中身に対しての方が1200倍くらい思うところがある。また中身と外見で直結している部分もあるし、それについても思うところがある、ので、純粋に体型についてというのは、美しければなんでもいいと思う。太っていようと痩せていようと美しい人や美しいことは沢山ある。心が美しければ、畢竟、見た目も美しくなるのだから、私が今自分が太っていることに不満を感じているのは、単に鏡で見ていて楽しくないからだと思う(自分の中身についてはもう満足しているので)。いや、でも、好きな人達を目でも楽しませたい、やはり自分は太っているより痩せている方が見目よく思われるので、というのも本心だ。私は美しく太れる方の骨格や体型ではない。
話が突然横道に逸れすぎたが、そう、あまりつらいことがない。日々の中でちょっとした悲しい出来事などはありはするけれども、体や心全部を押し流していくような、激動の中にはもういない。とっくにいない。そういった辛さの中にいた頃ははるか昔で、それもかなり長い時間だったように思うが、もう殆ど全然平気である。服薬のおかげだとは思うが、非常に安定した心性を獲得し、日々を過ごしている。ただし、今の状態になるまでは、やはり何十年か、かかっている。本当の危機、みたいなものも何度もあったと思う。しかし、今ではそれらのほとんどを忘れてしまった。辛うじて思い出せる断片も、手触りや体感が、もうかなり遠くのほうにある。心の底で地べたに伏す、ちいさな子供はいなくなって久しい。さまざまのことを割り切る癖もついた。自分だけは忘れてやるものかと思っていたことも幾つかあったような気がするが、結局忘れてしまったと思う。忘れてしまったら自分が可哀想だと当時は思っていたのだと思うが、可哀想な自分自体を思い出せないという薄情な大人になり申した。忘れたら危険だと思ったのかもしれない、転んで怪我をした時の痛みを忘れたら、誰かが転んだ時に手を差し伸べられないのではないかという危惧。しかし、それは杞憂だった。転んだ時の痛みを忘れても、私はきちんとその子を転ばせた何者かに怒り、早急に手当を行える「しぐさ」を、きちんと記憶している。痛みの記憶自体は、忘れても大丈夫なんだ。ただ、その時自分は何をして欲しかったのか、どうしたらよかったのか、それを忘れなければ、痛みを思い出せなくなっても大丈夫だった。
今の私は痛みを忘れられたから気楽なのだと思う。痛みを得たこと自体を忘れずにいようと思うのは、同じように痛みに呻く人の手を取って引き上げようと随時思うからで、そう思わない人は、痛みも、痛かったという事実も、どんどん忘れてほしいと思う。忘れることが可能かは置いておいて。さまざなことがあった。様々なことに突っ込んでいったし、様々なことを巻き起こしたと思う、自分の人生上に。書くためならできるだけのことを何でもやろうと思ったし、生き延びるためなら、他人が知ったらどう思うかというようなことも平気でしてきた。それについての罪悪感は本当にない。自分が生きることが一番重要である。そういう様々なことをしているうちに、過去はきちんと過去になった。あまりにもしつこく追いかけてきていた過去たち。今は何もかもが手遅れになり、過去を悔いても意味が無いほどに時間が経った。何もかも過去になった。自分の人生全部さえ、そのうち過去になる。打てる手はほとんど打ってしまって、手応えがあったことも無かったこともあった。人生の終わりが見えてきて、終盤、やっと過去から距離を置くような心地になれた。今現在苦しんでいるだれか、追いかけてくる過去にいまだに心が壊され続けているひと、そういう人は多いと思うが、目の前。目の前の物事に没頭すること、過去にいたぶられながらもそこから目を逸らして目の前のことに集中する時間を一秒でも長くすること。その一秒を積み重ねれば、やっと痛みそのものは遠くなる、かもしれず、しかしその頃にはなにもかも手遅れかもしれず、ただままならない、と思いあらたな不幸を手に入れる可能性もあるが、そうなる前に痛みと相打ちくらいで、幸せになってもらいたい。全世界の人に。
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ma2moma2mo · 4 years
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土曜日の朝、友だちから「知人が捨て猫の飼い主を探している」というLINEが届いた。三宿の住宅地の民家の室外機の下で泣いていたらしい。見つけた人が病院に連れていってくれたところ、おそらく生まれてまだ3〜4日。目も開いていない赤ちゃんだった。
いつか猫を迎えたいと常々思っていたので、もし縁があったらいいなと思って軽い気持ちでその人にメッセージを送ってみた。今は、見つけたときにちょうど居合わせた方が保護してくれているということだった。いろいろお話を伺っていると、色々な都合でちょうど日曜にミルクボランティアを探さないといけないということだったので、急遽ではあったけれど、預からせてもらうことになった。
日曜の朝、子猫を迎えにいった。実際のその子は、事前に送ってもらった写真で見て想像していた以上に小さかった。片手に軽々納まるサイズ。ぷるぷると震えながら、キュウキュウと小さな声で泣く。あまりにも小さすぎて、かわいいというより、ちゃんと生かせるか不安と心配のほうが大きかった。でも、ちっちゃい手でしっかりと体を支えていた。ミルクのやり方やトイレの方法など、ひと通りのレクチャーを受けて、140gの小さな子猫はAmazonの段ボールに入ってうちにやってきた。「おーい猫ちゃん」と呼ぶのもなんだから、猫を飼ったらつけようと思っていた「天」という名前を仮につけることにした。
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うちにきて、2時間半くらいして天ちゃんはもそもそと起きてきた。しばらくするとキュウキュウと泣き始めたので「よっしゃ〜」と思って張り切ってキャットミルクを溶かした。4gの小さな注射器で哺乳瓶にミルクを入れ、小さな体を抱きかかえ、口もとへ持っていく。イヤイヤして口を開けてくれない。なかなか上手に飲ませることができず、Tシャツはびちゃびちゃになった。それでもほんの少し体に入れることができたのか、しばらくしたらすやすやとおなかの上で寝始めた。その寝息すら耳を澄ませても聞こえないくらいで、いつ止まっちゃうか気が気じゃなくて、ちゃんと体が動いているかいちいち確認した。
17:50。今日何回目かのミルクの時間。これまで飲む量が本当に少なかったので、強引に押し込むような形で口に哺乳瓶の乳首を突っ込んだ。初めて目に見える減り方でごくごくと飲んでくれて、めちゃくちゃうれしかった。飲んでる最中にゴロゴロ言い始めて、ゴロゴロ言いながら寝てしまった。よかった。でも、このまま目を覚まさなかったらどうしようと思った。起きてても、寝てても、ずっと不安だ。
だいたい2〜3時間おきのペースでミルクをあげ、お尻をちょんちょんと刺激して排泄を促した。トイレも上手にできないので、ティッシュがちゃんと黄色く湿るとめちゃくちゃうれしかった。勢いのいいおしっこがTシャツにかかると、ガッツポーズをするくらい。ただ、ここ数日ウンチが出ていないらしく、トイレひとつにしても不安は消えなかった��
心配した友だちが「天ちゃんの様子はどう?」と連絡をくれた。「今のところミルクもトイレもたぶん大丈夫。生きてるし、よく寝てる。たぶん天ちゃんはすごいフリーダム」と送った。「まつも似てるんじゃない?」って返事がきた。そうかな、そうかもしれないな、と思った。
子猫を預かっていると知った友だちが、何人か急遽会いにきてくれた。みんな声を揃えて「かわいい〜」と言った。わたしは決まって「かわいいけど、緊張と不安で複雑な気持ちだよ」って答えた。25時くらいにその日最後のミルクをあげて寝かしつけ、電気を消してわたしもベッドに入った。朝、ちゃんと天ちゃんも目を覚ましてくれるだろうか、と思ったら、全然寝付けなかった。天ちゃんはとてもいい子で、翌朝の5:30までぐっすりと寝てくれた。
翌日はだんだんと起きる間隔が短くなって、1時間半〜2時間くらいでミルクを欲するようになった。その度にミルクを入れた哺乳瓶を強引に口に突っ込んであげた。昨日よりも、上手に飲めてるような気がした。しばらく抱っこしてると寝てしまうのに、Amazonの段ボールに移すと目を覚ます。だからなるべく触れてるようにした。天ちゃんは、わたしの二の腕がお気に入りみたいだった。
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ミルクを飲んでぽんぽこになるおなかもめちゃくちゃかわいかった。でもそのおなかにはまだちょこんとへその緒がくっついたままで、このままちゃんと成長させられるかと考えたら、胃が痛かった。ひさしぶりにストレス性の蕁麻疹が出た。
そのままこの子を引き取ることもできたので、保護主さんには気持ちを正直に伝えた。「一晩見てみて、とてもかわいいと思う反面、緊張と不安というかプレッシャーが拭えないというのが正直な感情です。このまま引き取りたいとも思いますし、でもしっかりとした覚悟を持って子猫と向き合ってくださる方に預けたほうがいいかもしれないという思いもあります」。そうこうしているうちに、正式な引き取り手が現れた。猫を5匹飼っていて、一軒家に住んでいて、1フロアを猫専用にしているという、ベテランのご家庭だった。突然の展開に、安心感とさびしさとでめちゃくちゃ複雑な感覚になった。「やっぱりわたしが育てます!」って言えなかった。一人きりで育てあげる覚悟を持ちきれなかった自分が情けなくて悲しかった。
夕方、早速車で迎えにきてくれるというので、受け渡しの準備をした。待ち合わせの場所まで歩いて15分くらいはかかるから、その間は寝てくれているようにミルクの時間を逆算した。バッチリのタイミングで寝てくれたのに、出かける直前になったらまた起きてきた。30分前にミルク飲んだばっかりなのに、キュウキュウ泣いてわたしの指をチュパチュパし始めるもんだから、せっかく片した哺乳瓶を取り出して、最後のミルクをあげた。さっきしっかり飲んだはずなのに、びっくりするくらいよく飲んだ。「わたしと離れるのがさみしいのか?」なんて、勝手な解釈をしてみたりした。
17:30。新しい飼い主さんへ、天ちゃんを引き渡した。「よろしくお願いします」と手を離した瞬間に、涙が溢れた。天ちゃんは、段ボールの中でまだすやすや寝てた。保護主さんが寝てる天ちゃんを見て「なんだか昨日よりでかくなってますね」と言った。ちゃんと成長してる。安心した。そのあと保護主さんから丁寧な連絡ももらった。「すべてが初めてだったのによく挙手してくれました。乳飲み子は犬猫を飼ってる人でも経験がないことです」と書いてあった。生まれてすぐこの保護主さんに拾われたこと、幸せそうなご家庭にもらわれていくこと、天ちゃんはラッキーキャットだなと思った。
涙が止まらないので、すこし遠回りをして帰ることにした。途中神社に寄った。「天ちゃんが新しいおうちで幸せになりますように」ってお願いした。神社で自分以外のことについてお願いするのは初めてだった。
天ちゃんがいなくなった部屋に帰ってきたら、また涙が止まらなくなった。おしっこのシミがついたTシャツも、ミルクの匂いが微かに残る部屋も、たった2日間とはいえ、天ちゃんがここにいた証拠があちこちにある。Amazonの段ボールが置いてあった場所はまた元通り何もなくなって、見る度さみしくて、でもあったかいような気もして、飼うことはできなかったけど、貴重な経験をさせてもらったなと思った。天ちゃんサンキュー。いつかちゃんと、今度はずっと、猫を飼えたらいいな。
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kachoushi · 4 years
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櫂未知子「寄稿」連載 Ⅲ
花鳥誌2020年2月号より転載
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「群青」共同代表
櫂 未知子
カゲキ
 私は北海道で生まれ育ったが、父は神田育ちの根っからの東京人だった。東京大空襲で焼け出されたため、北海道余市の親類を頼ってはるばる疎開したのである。戦後、東京に一人で戻り、進学したが、学費を自分で稼ぐという無理をしたため体を壊した。さらにいえば父の父、つまり私の祖父が山っ気を出した結果の負債を返済しながらの進学だった。そして、残念ながら北海道にまた行く破目になった。  今にして思えば、過激な人だった。それは物言いがきついとか、行動が奇矯だとかいうことではなく、「わが家にはわが家のあり方がある」とわれわれ三姉妹に徹底したことにある。  道内にしてはかなり保守的な町だったところで、こういった方針を貫くのには勇気が要る。というより、子どもが苦労するのだ。
・業者が学校に斡旋した道具類は安っぽいから、うちの子どもには使わせない。
↓かくして、絵の具類や書道の道具等は全て父が見極めて手に入れたものになった。これはとてもありがたいことのように見えるが、実はそうではない。子ども同士は大人以上に「個性」を嫌う。当然、人とは違ったものを使っている子は苛めの標的になる。私は小学生時代、生きた心地がしなかった。その小学校時代の仕上げは、卒業式だった。当時、田舎の学校では卒業式になぜか中学校の制服を着るのが一般的だったが、父にいわせると「くだらん」。だから、明るい色のワンピースを着て式に臨んだ。ただ、その時は生きた心地がした。もう、学校を去る時だったから。
・つるんで行動するような子は僕の子ではない。
↓これもまた、頭の痛いことだった。女子にありがちな「一緒にトイレに行く」など言語道断だったから、一人で行動するしかなかった。といっても、学校で父が監視していたわけではなかったから、多少つるんでも叱られることはなかっただろうと、今ならわかるのだけれど。
・うちの子と放課後に遊びたいのなら、前日に予約してください。
↓こんなルールも、田舎にはまずないものだった。同級生同���が下校の際に「ね、この後遊びに行ってもいい?」「うん、いいよ」と話すのは今でもよくあることだろう。ところが父は、「無計画に遊ぶなどとんでもない」という考えの持ち主で、「どうぞ予約を」だった。これは、当時の私の放課後の過ごし方にも関係していて、まず家に帰ったら、算数の文章題を二問、そして漢字の二字の音訓・熟語と書き順をマスターして父に見せなければならなかった。実家は商売をしていて、いつでも親が家にいた。だから、とてもじゃないが、逃れることはかなわなかったのである。
 下校時に何となく約束して、その同級生がその後すぐに来た時に父が追い返したのを見たことがある。「お父さん、本当に実行するんだ」と震え上がった。以来、一度もルールを破ったことはなかった。  こう書き進めると、相当厳格でどうしようもない父親のように思えるが、実際にはそうではなかった。ただ、教育方針がユニークだっただけである。毎日毎日いろいろなことで叱られ続けたが、ああ、愛されているなということは日々実感できた。父はいわゆる人たらしで、娘全員が「ああ、愛されている」と思えるような接し方をしてくれた。それは、犬や猫、そして植物も同様だった。わが猫を一年間預かって貰った時に帰郷してみたら、あれほど人嫌いだった猫がうっとりと寄り添っているではないか。あれにはショックを受けた。特に男性を嫌っている猫だった。風呂ぎらいだったその猫が、さらにうっとりと父と入浴していた(注:猫は基本的に風呂ぎらいである)。さらにさらに全てのものに無関心だった母が放置した植物も、父の手にかかればみごとに息を吹き返した。「不可能を可能にする男」とわれわれは言っていたものである。
白梅や父に未完の日暮あり 未知子
 ただ、その父は還暦で世を去った。三姉妹みな、泣き崩れて、「私たち、これからどうやって生きて行ったらいいのだろう」と嘆き合った。当時、全員それぞれ伴侶がいたのに、である。大顰蹙だった。  愛された記憶のある者は幸いである。絶対的に愛された記憶のない人は、どこか自信がなく、それでいて尖っている場合が多いように見える。私は「愛されているに違いない」と勝手に思うことで、たとえば俳壇におけるバッシングにも耐えることができた。過激なオヤジ、ありがとう。
___________________________
櫂未知子(かい・みちこ) 1960年北海道余市生まれ。 青山学院大学卒、及び同大学院修了。 「群青」共同代表。 『貴族』にて中新田俳句大賞、 『季語の底力』にて俳人協会評論新人賞、 『カムイ』にて俳人協会賞及び小野市詩歌文学賞をそれぞれ受賞。
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getsuryoukai · 5 years
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2019.11.2~4奥秩父 金峰山~雲取山
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Lまっさん、kumiko(記)
紅葉シーズンの美しいシーズン! 憧れの金峰山~雲取山縦走へ行ってきました。
来年アイガーへ行こうと計画を立てている私に、訓練山行としてまっさんが声をかけてくれたのは10月上旬。
それから楽しいフリークライミングにばかり時間を費やし、ロクなトレーニングもせずに当日! 色々無謀で、かなり脚を引っ張ることになるであろう…と容易に想像出来る中、始発に揺られて韮崎駅へ。
DAY1
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3連休初日。
バス席の場所取りのため、一本早い電車でまっさんが並んでくれていたおかげで、長蛇の列を横目に無事先頭にて合流。 彼のザックを持ってみると、上手に軽量化しており軽い!私のも同じく軽量化したはずが、何故か重い。初端からやらかした感満載です。
みずがき山荘に到着すると、たくさんの登山者が。いつも平日にしか行かないので、とても新鮮。 まっさんにテント類と鍋を押しつけ、私は定番大量の野菜を担ぎ、ヨロヨロ歩き出す。
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道の途中には、ボルダーがゴロゴロ。登れそうだな~と横目で見ると、みずがきトポを持っているクライマーがおり、やっぱり登れるんだ!と嬉しくなる。
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こんな天気の良い日にここにいるのに、クライミングしないなんてと二人で笑う。
まっさんの奥秩父愛は終始炸裂していて、楽しい話をたくさん聞かせてくれる。
歴史に興味の無い私でも、聞きながら歩くか否かでは全然違う。 美しい撮影場所、美味しい水が有るところ、最高の休憩ポイントなどなど、とにかく知識量が半端無い!もはや、奥秩父一番の専任ガイドだ。
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富士見平小屋で、まっさん顔なじみの主人から楽しい開拓話を聞いた。天才というのはここまで凄いのか。クライミングは手じゃない脚だという言葉にとてつもない重みが宿る。
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美しい小屋の中には美しい写真がたくさん飾られていた。
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8年前雪のある時期に歩いた道も、クライミングにハマった今改めて見るとたくさんの岩が目に入る。登ったら楽しそうなスラブもたくさん!ボルトが打っていないことが不思議なくらいだ。
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「ここが千代の吹き上げですよ」とまっさんが物語と共に教えてくれた。クライミングルートの終了点があるなんて知らなかった。美しい稜線を進んでいく。
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既にまっさんのペースにバテ気味になりつつ、金峰山小屋にもお友達がいるということでそちらへも寄ってみる。談笑タイムに耳を傾けながら休憩。美味しいモノを頂いた。どうやら国師ヶ岳より先は台風の影響でかなり荒れている模様。こちらも美しい小屋で思わず泊まりたくなる。優しいお人柄がかいま見れて、もっとここにいたくなった。
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ごったがえす金峰山頂から、本日のお宿、大弛峠を目指す。 私は金峰山はこれで3回目。まっさんはなんと10回以上! さて楽しい下りと思ったら、登りがあることをすっかり忘れていた。以前歩いたのは夏。気温は違っても、奥秩父のまったり加減と苔の美しさは変わらない。初日ということで?まっさんは出来る限りゆっくりゆっくり歩いてくれた。
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風が抜ける大弛峠。車はたくさん、テントもたくさん。
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この日は初日なのでkumikoのド定番、野菜たっぷり鮭のチャンチャン焼き。のはずが、前日準備していたら味噌を買い忘れる。
で、ハーブ塩を持ってきたが味が薄い。しかも、いつも「くみちゃんの食当は量が多すぎる」と言われるので今回は反省を交えて量を減らしたら、なんとまっさんは大食漢であった。何でいつも一緒に山行ってるのに気づかなかったんだろう。まっさんごめん。しかし一応大量の野菜を満足気に食べてくれた。
冷たい風の抜ける大弛峠。そんなこんなで美しい夕焼けと星空を堪能した後、寒さに震えながらテントに入り、19時過ぎには消灯。お互い朝まで一度も起きなかった。
DAY2
3時頃起床。
風が強かったためか、テントはカラカラに乾いていた。起きて寝袋を終おうと思ったら、股関節が痛すぎて身体が動かせず超スローペースで片付ける。
実はまっさんには内緒にしていたが、数日前クライミング課題で股関節を痛めたまま今回やって来た。 UTMBに脚の小指を骨折したまま出場した魅力的な女性のことを何故か出発前に思い出し、私は股関節くらいで騒ぐなんて何だと決行した。どうしてもこの時期にこの縦走を歩きたかったからだ。珍しくストックとサポートタイツ、トレランでたまに使う鍼灸シールまで常備した。
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またしても量の少ないフリーズドライを食べる。今日は長丁場。飲料水1.5L、たどり着かなかった時のためにプラス1Lを炊事用としてお互い担ぐ。やはり水は重い!まっさんにテントやら鍋やら押しつけているのに、何故かやはり私の方が重い。
今日は元々、夜間行動覚悟で「将監峠」まで行くことを目標にしていたが、台風による登山道の状況が分からないこと、夜の寒さを考えてやはり笠取小屋まで歩くことにする。
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国師ヶ岳までは私が先頭。歩き始めなのでゆっくりゆっくり高度を上げる。
途中で「北奥千丈、行きますか?一応奥秩父最高点です。俺は何回も行ってるのでここで待ってます」と言ってくれたので、ザックをデポして真っ暗な中、山頂を目指す。
しかし、たった往復10分なのに一人は怖い。幽霊に、熊、動物と嫌なことを考える。
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歌を歌いながら進み、真っ暗な中山頂の証拠写真を撮り急いでまっさんの元に戻った。
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国師ヶ岳山頂に到着。
まっさんが国師の名前の由来を教えてくれた。恵林寺の名前が出てきてちょっと親近感が沸く。月稜の山行が中止になった時、皆で観光に行った定番の観光名所だ。
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朝焼けに染まる中、富士山に見守られながら進む。
あまりの美しさに、思わずため息が出る。
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ここからは倒木が多いということで、まっさんが先頭。
長い足でヒョイヒョイ倒木を交わし、進んでいく。私は短い足でヨロヨロ乗り越えその度に遅れて彼を追いかける。
一瞬迷いそうになるが、直ぐに復帰する。倒木が多い割には、意外と登山者とすれ違い驚く。
美しい朝焼けの木漏れ日だなぁ…とノホホン歩いていると、このペースではたどり着かないとまっさんがペースを��げる。どんどん遠くなる後ろ姿を必死で追いかける。
まっさんは2~3時間に1度しか休憩を取らない。激しく息が切れて立ち止まりそうになるが、ここで止まってたまるかと食らいつく。
ふと、月稜加藤さんや平岡さんの後ろ姿がちらつく。モンブラントレーニング、そして他の山行でも本当にお世話になった。
まっさんは東梓で待っていてくれた。タイム差は10分だったそうで、まぁ許してやろうという雰囲気だった。
その後もまっさんとkumikoの差は開き続けたまま、ゼイゼイ言いながら追いかけた。 股関節の痛くない角度がやっと分かってきたが、たまにバランス失敗して悶絶する。 離れているので、私の叫び声が彼に聞こえないことが唯一の救いだ。
私があまりに息を切らしていたのか、すれ違った登山者に「頑張ってください!」と声をかけられた。いや、そんな中でも美しい富士山や紅葉とか、笹藪とか、一応めっちゃ見てるんやで。
美しい景色が見える度、まだまだ行ける、ガンバ!と自分を励ます。
昨年登った鶏冠尾根が美しく見える。見える山、尾根の見える角度が変わる度、まっさんは毎回丁寧に説明してくれた。
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どうにか甲武信ヶ岳の山頂にたどり着いた。「山頂よりもこっちの景色の方が好きなんです」というので着いていくと…
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確かに美しい景色が!本当に良く知っているなぁと関心する。
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甲武信小屋の主人ともお友達とのことで、小屋に寄ると美味しいネパール茶と、またしても楽しい話を聞くことが出来た。
後から来た女性がテント泊装備だったので話してみると、なんと同じ笠取小屋を目的地にしていると教えてくれた。テント泊できちんと軽量化しており、しかも健脚。私ののろのろペースをとっとと追い抜き爆走していった。 あれくらいにならなければ。
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甲武信を振り返る。
「これから核心が2つ待ってますよ。あれが雁坂峠、水晶を超えて、更に笠取山です」と尾根を説明してくれる。遙か彼方が私には見えない…まだまだ先は長い!昨年来た木賊山を通過すると、サイの河原がお出迎え。 甲武信がガンバと言ってくれたかは定かではないが、気合いを入れ直す。
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美しい笹の広がる破風山避難小屋から���激登り。
ここでも置いて行かれるが立ち止まらずに頑張る。「コースタイムより少し早いですよ」の一言に、ちょっと嬉しくなる。小屋でまったりしていた時間を差し引いても早いのは以外だった。
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2~3分休憩して雁坂峠を目指す。これが私は一番辛かった。もはや脚がヘロヘロ。股関節をかばっていたため片方の膝が痛くなってきた。雁坂峠で止まったまっさんを見たときが一番嬉しかったかもしれない。
 またしても10分ほど待たせたが、ここまでも立ち止まらずに歩けた自分を褒めたい。相変わらず息が切れるのを整えつつ、ここで10分大休止。
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  休憩の度にゼイゼイと座りこみ、回復に時間がかかる。しかし休むとその後一定期間は足取り軽くまた歩けてしまうのが不思議だ。陸上部時代のタイムトライアルトレーニングを思い出す。
しかし、景色は本当に美しい。歩いてきた尾根が遠くまで見渡せる。思えば遠くへ来たもんだ。 
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時間が読めたということで、先頭は私に変わった。
ノロノロ歩くとあっという間に水晶山に辿り着いた。
まっさんが戦国時代にここでのろしを上げていたと知っており、残っていないかと探すが見つからない。 時間も無いので諦めると言い、古礼山を目指す。巻き道もあるのに…と思ったが、ここからの展望は本当に素晴らしいと教えてくれた。
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行ってみると本当に美しかった!「ここを抜かしてしまう人も多いんですよ。本当にもったいないです。ここでテント張りたいくらいですよ」しばし二人で景色に見とれ、もう少しと仕方なく重い腰を上げた。
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雁峠でまったりした後、
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古くなり使用禁止となっている無人の雁峠山荘をチラ見して(前に来たときはシュラフが干してあったらしい)、笠取小屋のテント場へ。
「綺麗な木道の道だね」とまっさんに伝えると「ここは水道局が道を管理しているんですよ。ハイカーも来やすい場所です」と教えてくれた。
分水嶺の標識もあり、大切に使われていることが伺えた。
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笠取小屋のテント場は大盛況で、人間達の他にも鹿10頭以上おり、夕食パーティーしているくらいの混雑ぶりだった。
担ぎ上げたウィンナーと野菜でスープを作るが、またしても量が足りず、味の薄いモノが出来上がった。小屋でカップラーメンを黙って買ってきたまっさんを見て本当に申し訳なくなる。次は、量はどれくらいあれば足りるのか、多いのか少ないのかもっと相談しよう。そして、次は調味料も忘れないように常備!
19時前にシュラフに入るも、食当の失敗が私の中で尾を引き、考えても仕方のないことを色々考えてしまう。明日も3時起きだ。
DAY3
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朝3時。
股関節の状態は相変わらず痛いが、昨日よりは少しだけ機敏に寝具を片付ける。
またしても少ない朝食を取り、足らないので、担いできた行動食の食パンを提供した。 周りのテント群の明かりがつき始めた頃、昨日と同じく真っ暗な中出発。
この日はゆっくり歩こうということで、田中が先頭。水1Lと野菜が無いおかげで、昨日よりは身体が軽い。初っ端から登りの笠取山を目指す。
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頂上付近は意外と岩稜帯で、驚く。
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唐松尾山までは以外と風が抜けて寒い。シャクナゲの木がたくさん群生しており、良い時期に来たらどんなに美しいだろうと想像する。
ここからは稜線の景色と朝焼けを見ながら進む。
この縦走中、殆どの場所で富士山が私達に微笑んでくれていた。夜間行動をしていたら、この美しい景色は見られなかったと思うと、結果的に良かったのだと私は思う。
将監峠へ行く途中の笹の分岐で、まっさんからこの付近は武田信玄の金塊発掘の場所だったと話を聞く。 連日彼はそのような場所や道をいくつも教えてくれていたが、その度、昔の人はここまで来ていたのか…と思いを巡らせる。
「今、登山道はスポーツとして使われていますけど、昔は人々の生活の道だったんですよ。それを考えながら歩くのが俺は好きなんです」
黒部の話や、昔の人々の食料事情など色々聞くうちに、いつも何気なく歩いている登山道から人々の息づかいが聞こえてくるようで、不思議な感覚になる。
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まるでスキーが出来そうな将監峠へ続く下り道を降りると、綺麗なトイレのある小屋に着いた。
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ここも水道局が管理しているそうで、とにかく美しい。 「まだ疲れてないんで行きましょう」と休憩も早々に歩き出す。ここからはアップダウンの少ない長いトラバース。
「この道も、昔の水道局の人々が作ったんですよ。今も管理してます。重い荷物も運びやすいようにわざと平行に作ってあるんです」とまっさん。
それを聞いてから歩くと、苔の生えた石垣に妙な愛着を感じてしまう。岩には美しい苔の群生していて、時間の経過を感じさせる。その場でずっと人々の営みを見てきたのか… 連休最終日だからか、ここまで誰にも会わなかった。
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そろそろ飽きてきた頃、ハゲ岩の標識が目に入る。スルーしようとすると「ここで休憩しましょう!」と言われノコノコ着いていく。そこにはもの凄い絶景が待っていた!!
歩いてきた稜線が見える。金峰山も見える。ここを知らずにスルーしようとしていたなんて、なんてアホだったんだろう。ここで、雲取山から来たという人々に会う。本日初めての人間達だ。
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大休止の後、飛龍権現へ。「飛龍山山頂へ行きますか?俺はここで待ってますけど」行きたい気持ちはあるが、元々今回、飛龍山は行動予定に入っていない。今度改めて来ようと思い、先へ進む。
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ここからはずっと笹の生い茂った登山道をトラバースしていく。
夏は綺麗に刈り込まれていた気がしたが、秋はやたらと元気に伸びていて以外と歩きづらい。気を抜くと脚を踏み外し笹藪へ転落しそうになる。
途中で間違えて道をロストし、後方のまっさんが気づいてくれた。稜線通しで歩かなければならないのに、踏み跡にまんまと騙され情けなくなる。
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だんだん近くなる雲取山に、まだかまだかと期待が高まる。
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延々歩いて、やっと三条ダルミ!
金峰山方面と雲取では、全く気温が違う。ここに来て、始めてお互いに夏用の日よけ防止を出した。 「あとはもう雲取山だ~!」と最後に登り切ると、見慣れた雲取山の山頂に出た!
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私が来る時はいつも曇っている雲取山は、今回珍しく雲が少なく、大菩薩などの山々がしっかり見えた。
まっさんは今回の道を全て歩いており、雲取はもう何十回も来ているそうだが、繋げて歩けたことはやはり嬉しかったようで、二人でしばし感傷に浸る。
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さてここで、下山場所をどうするか話し合う。計画書は奥多摩駅までと提出していたが、朝は、鴨沢下山にしようかと話ししていたからだ。
お互いにまだ脚は行ける。石尾根は何度も歩いている。3泊4日ではなく、2泊3日だから歩く意味がある。まだ時間に余裕があるのだから、奥多摩駅まで歩こうと意見は一致した。
見慣れた道を歩く安心感に浸りながら、まっさんから雲取山の名前の由来や、森林の話を聞きつつゆっくり下っていく。
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 七ツ石山の山頂から、七ツ石小屋の主人と奥様へまっさんが電話を入れる。
私が先日七ツ石小屋へ寄った際、縦走の計画を伝えたからだ。明るい奥様の笑顔と猫のデン五郎に会えないのは寂しいけれど、目的を果たすべく、先を急ぐ。
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私の奥多摩デビューは、トレランで来た石尾根だった。
それから何度か来ているが、相変わらずの走りやすそうな道は変わらない。15時前になると段々と寒くなってきた。
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鷹ノ巣山避難小屋には一人泊まっているようだ。
お互いの行動食が底を着いてきた。厳しいクライミングでは皆酷い食糧事情だよねと話す。頭の中で食料の算段をする。
ここからは夜間歩行もあるため、ヘッドランプを早めに装着して進んでいく。
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暗くなるとペースが落ちることを考え、私はスピードを上げた。荷物は重いし脚も痛いが、トレランしていた頃の血が騒ぎ小走りに駆け下りる。「転ばないでくださいよ!」とまっさんが追いかけてくれる。
暗くなってきた頃に、登ってくる登山者とすれ違う。随分遅くに上がってきたなと思う。そろそろヘッドランプの明かりがないと厳しくなってきた頃、足元が見えずに躓くようになり、仕方なくスピードを緩めた。
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六ッ石山近くでキラキラと稜線が光ったので、人がいるのかと思ったら、なんと街の明かりが美しく瞬いていた。
真っ暗な中、お互い無言で歩く。まっさんの持ってきたラジオの音に癒される。 限界の脚と空腹を引きずりながらゆっくり下っていくが、真っ暗になり道が良く分からなくなってきた。何度も歩いているはずなのに、核心を持って進めない。
まっさんが現在地を的確に捉え、後ろから指示を出してくれる。何とも情けない気持ちのまま進んでいく。 不老線の明かりがチラチラと見えて、転びそうな土道を越えまだかまだかと思っているとやっと見慣れた神社と道路へ出た。
前はここに大きな百合が咲いていたなと思っていると、ここでまたしても少し道をロストする。情けなし。
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登山道と道路を交互に歩き、当初の計画通りの時間に奥多摩駅へ到着した。
ずっと歩いてみたかった金峰山~雲取山縦走。
この紅葉の美しい時期に最適な気温の中、素晴らしい仲間と歩くことが出来て本当に楽しかった。
久々の縦走は、当然のように体力不足の実感と、様々な登山技術の不足を改めて実感する山行になった。いつもは気にとめていなかった失敗もたくさんした。しかし、アイガートレーニングも、私の山もまだまだ始まったばかり。長くやっていると、だんだん形になってくると信じて、また一から作っていこうと思う。
まっさん、最高の3日間をありがとう!
コースタイム 一日目 みずがき山荘9:59~富士見平小屋10;42~鷹見岩分岐11:36~金峰山小屋13:45~金峰山14:27~16:30頃大弛峠(テント泊)約6時間半 二日目 大弛峠4:17~北奥千丈ヶ岳17:01~国師ヶ岳17:15~甲武信ヶ岳9:35~破風山11:54~雁坂峠13:21~水晶山14:00~古礼山14:23~雁峠15:35~笠取小屋16:00頃(テント泊)約12時間半 三日目 笠取小屋4:26~笠取山5:09~唐松尾山6:02~将監峠7:48~ハゲ岩9:52~三条ダルミ12:30~雲取山13:16~七ッ石山14:38~鷹巣山避難小屋15:56~六ッ石分岐付近17:22~道路合流地点17:05~奥多摩駅19:43  約13時間半
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spunking-dummy · 5 years
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#チャタロウニッキあしあと 2016年10月18日 ② 画像1 ボク チャタロウだよ。 今日は、源ちゃん、シドカーでお出掛けしたり、病院もチックンも、みーんな 初めてだから、疲れたね。 でも、病院で検査して貰って、健康そのもので、良かったねー✨ それが、何よりもボクが、願ってた事だよ。 源ちゃん ボクは出来なかったけれど、たーくさん ながーい月日、シドさんの所で暮らすんだよ。 それには健康が一番、大切だからね。 源ちゃん ボクの分も宜しくね。 画像2 あんだ💦あんだよ💦 こご どごだー。 自己紹介どごでねーだ💦 でも一応、ゲンです💧 ちっこチビっちまっただ…。 さっきの狭っこいの見た途端 ちゃー子さん 姿ば隠したのは、ここさ連れて来られっからかー💧 源ちゃんの今日のメニューは、 血液検査、エイズ検査、白血病検査、検便、レボリューション、6種混合ワクチン接種です。 源ちゃんは、予想通り推定年齢は3歳過ぎだそうです。 まだ歯石が奥歯に付き始めた所で、歯は綺麗でした。 検便の結果は、良好で虫も居ませんでした! 白血病、猫エイズも、結果は大丈夫でした! ノミ・ダニも付いてませんでした。 体重は、なんと! ドーンとワイドな 6.7kg!! 猫の中でも、骨格が太くて大きいのだそうです。 健康優良児です💧 シドさんの所は、大きい子が集まりますね~って、言われてしまった。 エリザベスは、激しく抵抗して付けさせません。 なので、ネットに入れて検査しました。 去勢手術は、ワクチンの追加接種が3週間後にあるそうなので、それと合わせて手術になります。 手術の前日21時以降は食べてはダメです。 朝あずけて、夕方のお迎えでいいそうですが、術後3日間は外出禁止! 源ちゃん、帰りの車中はチャタロウが最初に車の移動で使っていた小さなゲージに入れて移動してあげました。 横になってましたが、チャタロウの時もそうでしたが、ゲージは床が滑るし、チャタロウより軽いので、ツツツーとカーブで動いてしまうのが難点。 ペットショップに出向いて、源ちゃん用のトイレと、ちゃー子さんの新しい✨ネックレス✨を買って来ました。 源ちゃんは、自宅に帰ってきたら、ソファの下に潜って出てこないです💧 お外に出してあげようとしたら、激しく抵抗してソファに戻りました。 よくノラがやって来るのは、『最後を看取って貰いに訪ねて来る』なんて云うので、源ちゃんの健康面がとっても心配でした。 チャタ君は、保護する前から、病���を沢山、抱えていたのは、見受けられていましたが、源ちゃんは見た目は健康そのもの!だったので、もし…重篤な病を持っていたら、どうしようかと心配でしたが一安心です。 でも、���分は昼間は、サラリーマンにゃんこ的に朝~晩は、お外に出勤☀👔して貰おうと思っています。 今日も、ちゃー子さんに、グイグイ迫って、遂にはシャー💢されてましたので… ちゃー子さんのストレスが心配。 ※源ちゃん うちの子に迎えた時点で6.7kgもあったんだね💦 今回の胆管炎と腸炎で体重が5.8kgまで落ちています。 3日で猫が1kgも体重が減るなんて、どれだけ大病だったのか改めて実感しました。 #たまたま犬に生まれた家族 ま犬に生まれた家族 #肥満細胞 #パラディア #闘病 #保護犬 #殺処分 #野良犬 #フィラリア #笑顔 #犬 #わん #ワンコ #余命宣告 #dog #愛犬 #散歩 #甲斐犬 #断脚 #3本足のワンコ #3本足の犬 #3本足 #闘病 https://www.instagram.com/p/B3uoDoZBJUN/?igshid=e6ymem5mgzb3
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