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#満月廬
yokohamamiuken · 1 year
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本日やってきたのは新宿の中華屋さん「絶品小龍包 満月廬(まんげつろ) 新宿離宮 新宿西口」さんです。 公式💁‍♀️ @mangetsuro_rikyuu このお店は、スープたっぷりな小籠包や四川風麻婆豆腐がとっても美味しいお店。 外見からして、ここだけ中国!! この外観は「千と千尋の神隠し」でモデルとなった台湾の九份をもとにデザインされたそうです。 店内は個室がたくさんあるので、ゆっくりとくつろげました。 今回利用した個室は土壁の素朴な造りで、妙に落ち着きます。 さて、今回予約していたのは前菜5種+全9品の「皇コース」(期間限定8000円→5000円!!) 【前菜5種】 ▼クラゲの甘酢生姜和え 食感シャッキシャキで、味付けもピリ辛なのが後からじんわりと響いてきて、これはお酒が欲しくなる味わい!! ▼よだれ鶏 辛ウマでジューシーな蒸し鶏と、シャッキシャキな大根、一緒に入ったネギも実に爽やかで、タレはラー油と香醋の秀逸な組み合わせ!! ▼やわらか牛タンの青山椒和え 八角がビシッ、水菜シャキシャキ、牛肉むっちむち。 レモンの酸味が爽やかで、トマトが良いアクセント。 ▼揚げピータンとクリスピーナッツの和え物 ピータンの独特な香りがないので、誰にでも食べやすいですねぇ。 唐辛子はカリサクで、辛くないので美味しく頂ける!! ▼合鴨肉の燻製 合鴨むっちむち、噛めば噛むほどあふれる肉の旨味!! 大葉の香りも爽やか。ネギでサッパリして後味がすごくいいです。 【自家製釜焼き 北京ダック】 薄餅(パオピン)がモッチモチ!! アヒルの皮もパリッジュワッと。 肉の旨味がしっかりだし、食べ応えもしっかりです。 もっちもちな薄餅、カリッジュワァな皮、シャクシャクなお野菜の相性は最高!! 【大海老の濃厚チリソース】 たっぷりのタレだけでも美味しいし、ネギもシャクシャク。 海老はとても大ぶりなもので、あたたかく、プリプリな食感が素晴らしく美味しいです。 【国産牛肉と彩り野菜のオイスターソース炒め】 牛肉がすごく柔らかい!! 野菜はシャクっと甘く、特にタケノコの食感が春の味だなぁと思います。 味付けも濃すぎず・薄すぎずで、優しいのに旨味しっかり。 【当店自慢の逸品を食べ比べ! 旨み溢れる自家製小籠包】 まずは黄色いカニさんから!! うーむ、カニの旨味がスープにしっかり詰まっているなぁ!! スープを飲むたびにお口の中にジワジワとくる、際限のない旨味!! 次に白の牛肉の小籠包へ。 こちらもカニに負けず劣らず、牛肉の旨味がガッツーン!とやってきます。 お肉の旨味がしっかりで、こんな美味しい小籠包は久々に食べましたよ〜。 【青山椒を使った痺れる麻婆豆腐】 土鍋でグツグツ言ってくるんですが、これは実にシビ辛ウマー!! 豆腐の優しさ、油のトロットロ、辛いのについつい食べてしまいます。 【季節野菜の干し貝柱メレンゲあんかけ】 菜の花シャキシャキで火の通りが良く、僅かに感じるホロ苦さがいい!! 貝柱がものすごくたっぷり。茶色いの全部貝柱だ!! この貝柱、噛めば噛むほど旨味が出る! これは高級店の味だ!! 【彩り野菜の黒炒飯】 このお店のお料理は全部間違いがありませんが、やはりチャーハンも間違いがありませんね。 中国の醤油のコッテリした甘さと、バシッと効いた黒胡椒の香り、豆豉の旨み。炒め加減はしっとりしていてフワフワ。 【自家製 杏仁豆腐】 トロットロ! ふるっふる! どっしりしているのに、サッパリした甘さ。 ◆◇◆後記◆◇◆ 全体を通して思ったこと、これはまさに高級店の味わいです。 みうけんは横浜生まれの中華料理好き、特に四川料理をこよなく愛する身。 今まで食べた中でも、この「絶品小龍包 満月廬 新宿離宮 新宿西口」さんの皇コースは間違いのないコスパの良さ!! お料理もすべて丁寧に作られていて技術を感じるし、使われている素材だってすごく良いです。 お試しを! 公式💁‍♀️ @mangetsuro_rikyuu ▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼ 絶品小龍包 満月廬 新宿離宮 新宿西口 050-5600-1146 東京都新宿区西新宿1-4-15 高松ビル 1~4F https://tabelog.com/tokyo/A1304/A130401/13237173/ ▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲ #絶品小龍包満月廬新宿離宮新宿西口 #満月廬新宿離宮 #満月廬 #絶品小龍包満月廬 #新宿中華 #新宿小籠包 #新宿飲茶 #東ぐる #Yahoo地域クリエイター #新宿中華 #新宿コスパグルメ #新宿グルメ #食べログ人気店 #相互フォロー #食べスタ #食べロガー #食べロガーみうけん #食べログ #みうけん (西新宿) https://www.instagram.com/p/CpwFv4CykzX/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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sanmingzhi90 · 1 year
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茅屋為秋風所破歌(杜甫)
秋も深まってきた8月のこと、怒り狂ったような強風が吹き荒れて わたしの家の三重重ねの茅葺屋根は吹き飛ばされてしまった。 飛ばされた茅は川の向こうの河原まで飛び散って 高いところでは林の梢、低い所では池に転がり落ちる始末。 南の村の悪ガキどもが、わたしをじいさんだからと馬鹿にして 残酷にもわたしが見ている目の前で盗みをはたらいていく。 堂々と茅を抱きかかえて竹藪のほうに逃げていった。 唇はヒリヒリ、口はカラカラになるほど怒鳴ったけども効き目がない。 帰ってきて、杖にもたれ掛かる。ため息が出てしまう。 しばらくすると風はやみ、雲が墨のように黒くなってきた。 秋の空はだんだんと夜の闇に包まれていく。 我が家の布団は長年使い古して鉄のように冷たく固い。 寝相が悪い子供が踏み抜いたので裏がビリビリになっている。 寝床のあたりは雨漏りがしていて乾いているところがない。 雨脚は麻糸のごとく、ひっきりなしに降っている。 戦災にあってからというものすっかり眠りが浅くなっており このずぶ濡れの長い夜をどうやって明かそうか。 もし、部屋が無数にある大きな家を手に入れられたなら その大きな屋根の下に世界中の凍えた人たちを住まわせて ともに笑顔で暮らしたいものである。 風や雨にも負けない、どっしりとした山のような家。 ああ、ある日突然目の前にそんな家が現れるのならば わたしの家ひとつなんか破れて凍え死んでしまっても満足なのに。
八月秋高風怒號 卷我屋上三重茅 茅飛渡江灑江郊 高者掛罥長林梢 下者飄轉沉塘坳 南村羣童欺我老無力 忍能對面為盜賊 公然抱茅入��去 脣焦口燥呼不得 歸來倚仗自歎息 俄頃風定雲墨色 秋天漠漠向昏黑 布衾多年冷似鐵 嬌兒惡臥踏裏裂 牀頭屋漏無乾處 雨腳如麻未斷絕 自經喪亂少睡眠 長夜沾濕何由徹 安得廣廈千萬間 大庇天下寒士俱歡顏 風雨不動安如山 嗚呼 何時眼前突兀見此屋 吾廬獨破受凍死亦足
「俺がじいさんだからって馬鹿にして!!」とブチ切れている杜甫さん、このとき50歳だそうです。
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【新潟県謡曲古跡めぐり中越編】5箇所目 番外編その2 2021/6/28
見玉不動尊 《 中魚沼郡津南町秋成 》 見玉不動尊(正宝院) 見玉山(みだまさん)正宝院(見玉不動尊)町内の見玉にある、天台宗のお寺です。その由来は、文治元年、壇の浦の合戦で平家が滅びた翌文治二年、平清盛の家臣宮本清左ェ門がお告げによって平家の守護神である不動明王を奉持して見玉村にいたって安置し、自ら初代住職となって正宝院が誕生しました。したがって本尊は不動明王で、像の裏に「清盛内知見」の文字があったと伝えられています。 文政五年、伽藍四棟及び平清盛願文を焼失しましたが、本尊・不動明王は火災より何をのがれました。その後不動堂も大正三年焼失、大正八年に現在の不動堂が再建されました。本尊・不動明王は眼病に特に霊験があり、昔から多くの眼病治癒の逸話が残っています 北方高所の中腹に登る石段七〇段の上に本堂である不動堂が建ち、石段下の参堂入口に本堂を護持する正宝院と高さ二メートル半の金剛力士の仁王門を構えています 本堂と参道は老杉巨木におおわれ、本堂へ登る石段に沿う岩石の間を流れ落ちる清水は各所に滝をつくり、境内は真夏でも暑さを感じない自然に恵まれた、郡内屈指の霊地と言われています。
真夏はクーラーが聞いている部屋のように涼しいため、涼みにくる人が絶えません。 また、地元では隠れたパワースポットとして知られています。
【不動明王】 密教では如来が怒りの姿変じたのを教令輪真(きょうりょうりんしん)と呼び、毘廬遮那如来(びるしゃなにょらい)が大日如来(だいにちにょらい)として現れた、その教令輪真が不動明王と説かれています。 その威厳に満ちた姿から、すべての災いを屈服させるといわれ、さらに難行苦行に立ち向かう修行者を守ると信仰されています。
【仁王門】 寺院の門で左右の金剛座に仁王(金剛力士)像が配されているものは、建築様式にかかわらず仁王門といわれています。
【金剛力士(仁王)】 上半身は筋骨隆々とした裸体で、下半身に裳をつけて裾をたくしあげて、手には金剛杵(こんごうしょ)とよばれる仏具をもっている一対の像。 口を開いているものを阿形(あぎょう)、閉じているものを吽形(うんぎょう)と呼び、いずれも発声する時の口の形によります。 密教ではすべての法の始まりを「あ」として、世の中の一切のものを発生させるとし、終りを「うん」として、一切のものの帰着する徳があるといわれています。日本の「五十音」の始めと終りでもあります。 「あ」と発し「うん」とうける「相向守護」ともいわれています。 一般的には威厳のある顔や力強い体格に憧れ、健康を祈る信仰が強く、俗信でちぎった紙を口中で噛んでつばでまるめ、仁王の自分の身体の悪い部分や発達させたい部分に投げつけ、当たるとなおったり、強くなるといわれている。見玉不動尊の仁王にもいたるところに、ちぎった紙が貼り付いています。※現在、投げつけは行っておりません。 また、仁王は健脚を守ると考えられ、大小のわらじが奉納されてます。
【大火渡り護摩(防災招福祈願)】 毎年11月3日に境内で開催される行事です。裸足で火渡りをする山伏の気迫溢れる表情を間近でご覧いただくことができます。 火渡り護摩への一般参加も可能ですが、その際は実行委員の指示に従い、ご参加くださいますようお願いします。
観光時期 通年(期間:4月~12月 冬期:一部閉鎖) 料金 無料 定休日 無休
秋山郷の入口見玉にある天台宗のお寺です。その由来は、文治元年、壇ノ浦の合戦で平家が滅びた翌文治2年、平清盛の家臣宮本清左衛門がお告げによって平家の守護神である不動明王を捧持して見玉村にいたって安置し、自ら初代住職となって正宝院(しょうほういん)が誕生したとされています。 文政5年、伽藍四棟及び平清盛願文を焼失しましたが、本尊・不動明王は火災より難をのがれました。その後再び大正3年に焼失、大正8年に現在の不動堂���再建されました。本尊不動明王は眼病に特に霊験があり、昔から多くの眼病治癒の逸話が残っています。北方高所の中腹に登る石段70段の上に本堂である不動堂が建ち、石段下の参堂入口に本堂を護持する正宝院と高さ2メートル半の金剛力士の仁王門を構えています。本堂と参道は老杉巨木におおわれ、本堂へ登る石段に沿う岩石の間を流れ落ちる清水は各所に滝をつくり、境内は真夏でも暑さを感じない自然に恵まれた霊地と言われています。 なお、この寺の本山は比叡山延暦寺です。
駐車場から歩いて1分、お土産屋を横目に鳥居をくぐり見玉不動尊の聖域へ入ります。
鳥居をくぐった左手が正宝院。見玉不動尊のご利益について住職のありがたいお話を聞きながら御礼受付。正宝院の上には大黒殿がそびえ建ちます。
大黒殿の上にある六地蔵とボケ除け観音 大黒殿の上にあるお願い地蔵 お願い地蔵の写真です お願い地蔵の説明看板です 一般的には威厳のある顔や力強い体格に憧れ、健康を守る信仰が強く、俗信でちぎった紙を口中で噛んでつばでまるめ、仁王の自分の体の悪い部分や発達させたい部分に投げつけ、当たるとなおったり強くなると言われています。仁王は健脚を守ると考えられ、大小のわらじが奉納されています。
上半身は筋骨隆々とした裸体で、下半身に裳をつけて裾をたくしあげて、手には金剛杵(こんごうしょ)と呼ばれる仏具を持っている一対の像、金剛力士像。口が開いているものを阿形(あぎょう)、閉じているものを吽形と呼び、いずれも発声する時の口の形によります。
仁王門をくぐって本堂へ向う。急勾配な70段の石段。途中には「延命水」というご利益の高い水で喉を潤すことができます。
石段と平行して流れる7段の滝。その優雅な姿が癒しの空間を演出してくれます。仁王門の大杉3本は樹齢700年余りの古木で、400~500年前からの杉も幾本かあり、その大杉の間をぬって7つの滝(7段の滝)が冷たい浄水をおしげなく流して、夏も涼しくすこぶる美観です。
本堂脇には、眼病治癒をはじめ、多くの参拝者の願いが書かれた絵馬が並びます。
見玉不動尊の脇にはお土産屋さんもあり、津南町、秋山郷の特産品などここでしか買えない一品を手に入れることができます。
眼病治癒の逸話が残る見玉不動尊にはメグスリの木があります。メグスリの木を煎じたお茶もお土産として販売されており、しぶみの効いたおいしいお茶です。
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asianewspickup · 4 years
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[インタビュー]「強制動員の真相究明からしっかり行い、『被害者性』を回復せよ」
去年10月の最高裁判所の判決以後、日帝強占期の強制動員被害賠償問題が韓日対立の中心懸案として浮上した。問題解決のためにムン・ヒサン国会議長は、韓日企業と一般人の自発的基金で慰労金を与えるいわゆる「1+1+α」を打ち出して推進中だ。果たして強制動員問題とは何であり、どうすれば良いのだろうか。長らくこの問題に取り組んできた日帝強制動員・平和研究会のチョン・ヘギョン研究委員(59)に会って尋ねた。
 チョン研究委員は「まず政府が乗り出して『当時どんなことが起きたのか』の真相究明からきちんと行わなければならない。そして、中断された被害支援の受付も再開されなければならない」として「そのように責任ある姿勢で取り組んでこそ、日本も『無条件に知らない振りをすることはできない』と思うようになるだろう」と述べた。ムン議長の「1+1+α」に対しては「歴史問題を韓日関係の側面からだけ見て、外交政策の手段にしたもの。歴代政権が全てそのような取り繕い策で取り組んだからいまだに解決されずにいる」と否定的に評価した。
< ハンギョレ >
取れ高の高いインタビューです。読んだ感想はあくまでも個人的な意見で、素人の思うところを述べただけですが、素人が「?」と思う専門界の意見って、はたして読んだ韓国の人が理解できているのか?という疑問は残りますね。結局、専門家の言うとおりだろうと無批判に受け入れてれば、日本が悪いしか残らないでしょう。
―どのような方法で強制動員を行ったのか。
 「企業が募集する方式、官で斡旋する方式、徴用令による徴用、このように3種類の方法があった。初期には募集と官斡旋が多く行われた。ところが、ますます募集と官斡旋に反発する人々が増えた。夫が行ったが生活費を送金をしないから飢え死にするようになったとか、息子が死んだが誰も責任を負わなかったとか、そのような抗議が頻発した。動員をしに行くと人々が鎌や竹槍を持って警察と対立することも起きた。それで後には日本政府が徴用対象を拡大した後に徴用するようになった」
 専門家ってどこを調べたんだろう?って感じの認識ですが、募集や官斡旋って言わば「出稼ぎ労働者募集」ですよ。そこに応募して働きに出た旦那が稼ぎを仕送りしてこなくて、残された家族が困窮した。日本でもよくある話でしたが、それで竹槍もって暴動とかありえない。たいていは、動員を請け負った半島の業者が 手数料を受け取るために、適当なことを言って人数をかき集め、その不満を「日本が支払ってくれないからだ。日本が悪い」で逃げたのが原因でしょうね。そんなこと、素人でも予想がつく。
統治している地域でそのような暴動があれば、当然治安の維持に必要な措置はとられますよ。今ほど法の遵守がきちんとしていない時代のことゆえ、強引なこともあったかと思いますが、それをもって日本の統治時代が不法で暗黒な時代だったとはとうてい言えません。
戦局の悪化や時代の求めるものもあって、徴用にシフトしたのも単に半島だけの事情ではない。そのずっと前に日本内地の日本人の方が過酷な強制力で働いているし戦争で戦っていることをまったく無視した物言いと言わざるを得ない。この言い方では、日本が悪行を行うことに朝鮮人が正義の抗議を行ったことへの対策として強制的な動員を増やしたとしか読めないが、あきらかにミスリードである。
―強制動員は合法的なことだったのか。
 「国際労働機構(ILO)で『強制労働禁止協約』が1929年に作られた。日本は1932年に批准した。自ら批准した国際協約も破ったのである。当時連れて行かれた所は、炭鉱、軍需工場、工事現場、飛行場、港湾、製鉄所、造船所のような所だ。南洋群島と満洲には集団農場もあった。農作業を行い無水アルコールのような原料を軍に納品した。最も多く行った所は炭鉱だ」
 戦時中の国民総動員の非常時ということもあって、徴兵、徴用が行われたわけで、それは単純な意味の強制労働禁止とは相容れないだろう。徴兵、徴用ともに給料は支払われているので、奴隷制とも違う。
そもそも、それを言うなら、今、韓国で行われている徴兵制だって強制労働禁止協定違反ではないのか?休戦中とは言え、喫緊の戦争状態ではないのに特別な事情がない限り、全員兵役に就かせるのだから、戦時中の徴用よりも具体的な理由がないことになる。徴兵制を敷いている国はほかにもあるが?
―これらの労働条件はどのような状態だったか?
 「最も劣悪な場所は、炭鉱と土木・建築工事現場だ。元々日本の炭鉱は囚人労働から始まった。その結果、労務管理が荒かった。一般工場は相対的に勤労条件が良い方だった。しかしながら、勤労条件は職種や場所により千差万別だった。比較的良い条件で働いた人たちもいる。炭鉱も古い所は坑道が狭くて条件が劣悪だった。九州には特に軍艦島のような海底炭鉱もあり、作業が非常に大変だった。一方、サハリンは近代採炭施設も備わっているほど比較的良好だった。にも関わらず、彼らに労働者の権利は許されず義務だけ負ったという点は、すべて同じだった。どの資料にも『退社』という表現はない。『逃走』があるだけで、どこでも逃走者には苛酷だった」
炭鉱が囚人労働の場っていったいいつの時代のことを指して言っているのか(笑)佐渡島かよ。
関係してくるあの当時なら、炭鉱夫は専門技術職で、危険な分、知識と経験のある職人は高収入を得られた現場。エネルギー政策の柱でもあるわけだし、単に過酷なのが囚人労働の場からスタートしたから…というのは、専門家にしてはお粗末。もっともそういった社会学者でもないしイメージと先入観だけの話。過酷な現場がそれ相当の高収入である点もわざと?無視してる。金が欲しければ危険を承知で潜る炭鉱夫もいただろう。
それに徴用や出稼ぎの半島出身労働者をそんな危険な現場に放り込んだところでミスをしでかして死ぬぐらいならまだしも、周りを巻き込んだ災害に発展してしまう可能性があるわけで、経験のない奴はできる仕事も限られて低収入なのは当然だし、労働力を失うことを考えれば無理矢理働かせる意味がないわ。
―政府が1965年の韓日請求権協定で無償3億、有償2億ドルを受け取ってからも強制動員被害者には出し惜しみしたが。
 「1970年代に初めて補償したが、死亡者・行方不明者約8500人にだけ30万ウォン(1970年代初頭の相場で約23万円)ずつ与えた。廬武鉉(ノ・ムヒョン)政権の時に、再度この問題が大きくなると慰労金をまた支給したが、死亡者・行方不明者2000万ウォン(約180万円)、負傷者300万~2000万ウォン(約27万円~180万円)だった。生存者は医療支援金として年間80万ウォン(約7万円)を支払われる。合計7万2000人余りが約6000億ウォン(約550億円)を受け取った。
文政権は日本の支払った5億ドルの根拠たる日韓請求権協定も無視しようとしてますよ。最初は金を受け取ったことを国民に知らせず、インフラ整備などに使って近代化したのちに、しぶしぶ支払ったことで、日本からの金を認めたことになりますね。その額にしても550億円。
ところが排除された人々がいる。日帝が外国にだけ連れて行かれたのではない。国内動員もあった。例えば、忠清道の人が済州島の軍事施設の建設に動員された形式だ。延べ人数が650万人ほどになるのに全て除外された。被害申請も難しかった。それで『大して多くもないお金だからもらうのはやめよう』と諦める人が多かった。申請期間も2008年9月から2014年6月まで4回にわたって一時的に運営して終了した。申請者が急増して財政負担が大きくなるのを懸念し、消極行政をしたのである。強制動員名簿は今も発掘されている。被害者が追加確認されているが、今は申請することもできない」
韓国内の徴用に対しては韓国政府が責任を負うのは当然ですよね。そこに日本政府が入り込んでやれと言うならやったけれど、主権国家たる自負がゆるさなかったわけだし。その結果、まともな調査やフォローをしないまま、被害者が置き去りにされたとしてもそれは韓国政府と韓国民の間のこと。そのことをもって、日本が再度、謝罪と賠償をしろというのはおかしな話なわけですね。
―私たちはなぜ、そのようにならなかったのか。
 「私たちが『被害者性』を失ったからだ。被害者性には真相究明の意志がある。何が起きたのか、それを知ろうとする。それを知るようになれば、私たちの権利とは何であるのかも自然に分かるようになる。また、二度とこのような事が繰り返されてはならないという再発防止の意志を共有する。初めから私たちに被害者性がなかったのではないだろう。最初はセウォル号の遺族のような心境だったはずだ。1945年に解放されて強制動員の被害者たちが団体を作って請願もした。しかし、うまくいかずうやむやになった。政府からおとなしくしていろと何もできないようにされたのだ。乗り出せばアカ扱いされた。そのため被害者がどこかに行って訴える所もなくなった。『私たちの父がどこで亡くなったかご存じですか』と尋ねる所もなかったのだ。そのため在日同胞らがこの方たちを迎えて訴訟をするようになった。初めから何を経験したのか関心を持つ機会を逃し、すぐ訴訟してお金を受け取らなきゃならない、という段階に行ってしまったのである。これは政府がそのように作ったもの。初めから(政府は)『私たちの父はどこに行ったのか教えてください』と聞かれれば調査もして、また『あなたはこのような権利がある』と教えなければならなかった。そのようにして真相究明も行い、権利も取り返し、二度とこのような事が起きないようにしなければならないという所まで行くはずだったが、これが全てもつれてしまった」
真相究明は、被害者を置き去りにした韓国政府のあり方への責任問題なのに、日本が統治したことが悪いとしたのが、先の大法院の判決理由なので、そこをごっちゃにしたまま何の真相究明ができるか。そこまでいくなら、併合された経緯もきちんと見極めた上での話だが、論拠も検証もなく、一方的に不法だからとした思考停止状態で話を考えていけば、二度と起きないようになど夢のまた夢。目的はなんだ?と、改めて問いたい。
―今の雰囲気では、日本が資料提供に協力しない可能性が高いと見られるが。
 「強制動員関連の一次資料は、大部分が日本が作成した資料にならざるを得ない。それでも資料が日本にだけあるのではない。当時の日本には連合軍の捕虜がいたため、米国、英国にも資料がある。国際赤十字社があるスイスにもある。また、満洲に駐屯した関東軍は資料を焼却できずに土に埋めて逃げたが、それを先日、中国政府が発掘した。シベリア強制労役に連れて行かされた朝鮮人兵士1万人余りの資料はロシアにある。また、個人的にこれらの資料を収集して追跡した方々もいる。そのような資料から確保していって始めることができる」
すでに、アメリカ政府にある文書、資料を、大きな予算を投じて調査した結果が出ている。その結果、日本が拉致など不法な強制的行為によって労働力や慰安婦を集めて強制労働させた証拠はひとつも見つかっていない。そういった過去の検証などをあえて無視してきたから、また、自分たちでやろうという無駄な努力を求めているんだよ。もっとも、自分たちの願う結果が出るまで調査は終わらない…とか、どっかの野党のようなことをしていればスポンサーから食い扶持が降ってくるならどうぞご勝手に。
未だに新事実とか、新たな証拠が確認された!とか、韓国や半島寄りの日本マスコミから出てきているけれど、どれもこれも既知の情報を練り直しただけだったり、徴用して労働管理していたり慰安所を運営管理するための通達だったりしていて、そこに不法や強制労働を強いた証拠などないし、むしろ、先入観なく見れば、できるだけ労働者や労働条件、衛生管理などをきちんとするようにという意図の元で出された通達や、管理文書だったりして、そもそも不法に拉致してきたり、逆らえば殺されてたりするものをそんなきちんと管理している手間がいるか?という疑問のほうが大きくなるようなものばかり。
―ムン・ヒサン国会議長が「1+1+α」を打ち出した。韓国と日本企業、国民の自発的な寄付金で寄金を作り、慰労金を与える案だが。
 「その提案には重要な規定がある。基金からお金を受け取れば二度と権利の行使はできないのである。日本が6月に韓国政府が提案した『1+1』案は拒否して、ムン議長案は歓迎した背景の中心だと思う。
思いっきり本音がダダ漏れしてますが。基金からお金を受け取れば二度と権利を行使できない文国会議長案は被害者への礼儀がないですって(笑)。
被害者の権利を二度と行使できないのは被害者の意思とは違うから、賛同を得にくいって、そこを突っ込んだら「金の問題ではない。真の謝罪が必要だ」とオウムのごとく喚くんだろうけど、謝罪をしても「真の謝罪ではない」金を受け取っても「謝罪が足りない」、被害者をかさにきて横暴を押し通すことに批判しても「加害者が盗人猛々しい」と叫ぶ。こういう権利を残せ!ってことですね。
もちろん、後で書かれている「被害者中心主義国家」において被害者はヒエラルキーの頂点であり、絶対的指導者ですから、彼らはことあるごとに日本を中傷し、非難し、政治を動かそうとするでしょう。それが国民の意思ですから。その地位を手に入れさえすれば、子孫まで安泰。そのために是が非でも被害者として、加害者から謝罪、つまり被害者認定を受け取れなければならないのです。金を受け取ったら権利を放棄したことになり、今後、同じことで被害者になることは許されないのだとしたら、やっぱり嫌なんでしょうねぇ。
しかしこの提案は、被害者社会に対する礼儀ではないと思える。この提案の意図は、差し押えられた日本企業の資産の現金化を防ぐということだ。歴史問題を外交政策の観点からのみ見ている。歴代政権がこのような取り繕い策で解決しようとしたため、いまだに解決することができないのだ。被害者中心主義と言いながらも、実際に訴訟した人々の意思も尋ねなかった。そのように恩恵を施すようにしながら韓日関係悪化を防ぐためにこれに同意せよということだが、そのような方式では解決されることにはなり得ないだろう」 
すごいね。被害者社会とか、被害者中心主義って初めて聞きました。韓国ではこういった概念が説明泣く通じるってことですね。それくらい、韓国内では被害者の立場が強く、一般社会の概念とは別個の正義や価値観があるってことです。まさに「我が正義は法を超越する」…です。
韓国では一般の国民は被害者社会を尊重し、被害者中心主義国家として被害者が満足するまでフォローしていくことを国是としている国だからこそ、加害者がいなければならない。反日は日本がある限り続くし、被害者中心主義国家である限り、日本は加害者でなければならないので、はい、解決は韓国がさせません(笑)
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xf-2 · 5 years
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ワシントンと東京と、いまの共通項は「韓国疲れ」のようだ。この表現はかつて米国の専門家が日本の「韓国には、もうほとほと」という心情を指して使っていた。だがその後、米国に伝染したようなのだ。ただし米側での韓国へのうんざり感はずっと微妙で屈折している。
 まずトランプ政権からは北朝鮮非核化への文在寅(ムン・ジェイン)政権の態度への不満が表明される。最も明確なのはマイク・ポンペオ国務長官の昨年11月の文政権への警告だった。「米国は韓国に北朝鮮の核兵器の完全破棄が進まないまま経済利益だけを与えないように告げている」と公式に言明したのだ。
 トランプ政権は文政権が北朝鮮との共通の鉄道やパイプラインの開通、さらには韓国企業の北への投資を語り始めたことに難色を示す。文大統領が北の核完全破棄という米国の最大目標を軽視して、北が求める軍事緩和、経済交流ばかりに傾くという不満だった。
しかしトランプ政権は北への対処には当面、韓国との連帯が不可欠だから、露骨な文政権批判は避けようとする。だが保守主義のトランプ政権と超リベラルの文政権と、世界観にまで及ぶ本音の違いは常にちらついてしまう。トランプ大統領も昨年9月、ツイッターで「韓国政府の宥和的な対話はうまくいくはずがない」と、つい本音の文非難をもらしてしまった。
 もっとも文大統領も米国に向かっては米韓同盟堅持など現状保持策を語ってみせる。韓国内や北朝鮮に向けてとは異なる態度である。このあたりは米韓同盟の否定に等しい言動をみせて、対米関係の危機を生んだ廬武鉉(ノ・ムヒョン)大統領の轍(てつ)を踏まないという計算だろう。
 米国側でトランプ政権の外となると、文政権批判は激し��。新米国安全保障センターの朝鮮問題専門家クリスティーン・リー氏は「文陣営には北朝鮮にとてつもなく楽観的な人が多く、核廃棄を重視しない点でトランプ政権とは重大な距離がある」と論評した。
AEI研究所の国際安全保障専門家マイケル・ルービン氏は文政権の教科書改訂策を取り上げて「北朝鮮の残虐や侵略の歴史を消す洗脳教育を目指す文政権とは米国は同盟を保つ意味を失う」と主張した。要するにいまの韓国は米国にとってなんともつきあいにくく疲れる相手なのである。
 いわゆる徴用工問題での日韓対立に対しても米国側は韓国への批判をにじませる。米日韓三国の協調の戦略的必要性から韓国をあからさまに糾弾はしないが、韓国での判決に対して「この判決は北朝鮮の核の脅威と中国の覇権拡大を抑えるための米日韓三国の協力を妨げることとなる」(ABCテレビ)という論評が多かった。
 ニューヨーク・タイムズの徴用工訴訟の判決を報じた記事も、末尾でスタンフォード大学東アジア研究所のダニエル・スナイダー氏の「韓国政府の判断に強い疑問を感じる」という総括を強調していた。同氏は日韓の歴史問題では韓国側を支持することの多い朝鮮研究学者である。
 さて米国のこんな現状は韓国への対処に悩むのは日本だけではないという気休めにはなるだろうか。(ワシントン駐在客員特派員)
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55kazuharu · 3 years
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新宿三丁目にある老舗中華料理店満月廬本店。 様々な飲食店を運営する会社の高繁フードサービス運営の店舗です。 お店のウリは全国胃No.3、東京No.1となったこともある小籠包。 4つ盛りで649円の小籠包は、熱々で、スープたっぷり。 レンゲに置いてスープを先にいただきます。 皮は少し厚めでモチモチ! 身にはしっかりと味がついていて旨みたっぷりで、そのままでもとても美味しいです。 何度かこちらのお店に来てるのですが、 小籠包とは別によく食べるのはあんかけ焼きそば。 表面をパリッと焼いた麺と旨みの濃いあんが最高です! 具は野菜や魚介がたっぷりと、とろっとしたあんが麺にたくさん絡みます。 熱々なので食べるのに苦戦しますがこれがまたいいんですよね。 他にも雲南風のよだれどり、エビチリやフカヒレあんかけチャーハンも美味しいです! #満月盧 #新宿三丁目 #新宿三丁目グルメ #新宿三丁目ランチ #中華料理 #あんかけ焼きそば #小籠包 #小籠包大好き #東京グルメ #東京グルメ巡り #美味しいお店を紹介しますよ #グルメ好きな人と繋がりたい #genic_food (満月廬) https://www.instagram.com/p/CWqYwgjPtNJ/?utm_medium=tumblr
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monqu1y · 3 years
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王様の自滅  自国を滅ぼす方法など
⦅操縦七術[韓非]から続く⦆
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〖国を滅ぼす王様の特徴〗 01_王様が宮殿や庭園の建築にうつつをぬかし、車や衣服珍品集めなどの道楽に凝って、国民から絞りあげては浪費する。   殷 ( いん ) の 紂 ( ちゅう ) 王が象牙の箸をつくらせた。   箕子 ( きし ) (紂王の叔父。狂ったふりをして身を守った)は恐怖を覚えた。  彼はこう思ったのだ。  象牙の箸となれば、汁のうつわも素焼きの土器ではすまなくなる。  きっと 犀 ( さい ) の 角 ( つの ) か玉でできた豪華なうつわを使うだろう。  玉のうつわに象牙の箸ということに���れば、豆や豆の葉という質素な料理ではすまなくなる。  きっと 旄牛 ( からうし ) ・象・ 豹 ( ひょう ) の胎児などの美味珍味とならざるをえない。  こうした美味珍味を食べるとなれば、着るもの住む家も普段着や 茅 ( かや ) 葺きではすまなくなる。  きっと 錦 ( にしき ) を重ね、広大な屋敷をつくるだろう。  こうして釣り合いを求めていけば、いつしか天下の富を根こそぎつぎ込んでも、まだ不足する。  ほんの小さな兆候候をも見逃さず、始まりを見て結末を察知するのが聖人だ。  箕子が象牙の箸を見て恐怖を覚えたのは、その段階で、天下全体ものを使っても不足する結果を見抜いたからだ。   殷 ( いん ) の 紂 ( ちゅう ) 王は、部屋の窓を閉ざして明かりを灯し、百二十日を一夜として「酒池肉林」の宴を続けたために、日がわからなくなってしまった。  「さて今日は何日だったかな」と、お側の者にたずねたが、誰一人としてわからない。  そこで、 箕子 ( きし ) のもとに使いを出して、たずねさせた。  箕子は家臣にこう言った。  「天下の 主 ( あるじ ) となりながら、国中誰も日がわからないという。  これでは天下は保てまい。国中誰もが知らないことを、わたし一人が知っていたとなれば、わが身があぶない」。  そして、自分も酔ってわからない、と使者に答えたという。  桓公が管仲に尋ねた。「富には限界があるのだろうか」。  「水の限界は水のなくなるところ、富の限界は人がそれに満足したところです。ところが、人間は満足することができず、富をむさぼって、ついには身を滅ぼしてしまいます。これが富の限界でしょうか」。   紹績昧 ( しょうせきまい ) は酒に酔って寝てしまい、皮の上着をなくした。   宋 ( そう ) 王が不思議に思って、彼に聞いた。  「酒に酔ったくらいで皮の上着までなくすものか」。  「 夏 ( か ) の 桀 ( けつ ) 王は酒で天下をなくしました。それゆえ 康誥 ( こうこう ) (書経の一篇)には『酒を 彛 ( い ) するなかれ』とあるのです。酒を彛するとは、酒を常にするという意味です。酒を常飲すれば、天子は天下を失い、庶民も自分の命を失うのです」。  昔、 弥子瑕 ( びしか ) という美少年が、 衛 ( えい ) の 霊 ( れい ) 公の寵愛を受けていた。  衛の法律では、許しなく王様の車に乗った者は、足切りの刑に処せられる。  ところが、弥子瑕は夜中に母が急病だという知らせを受け、君命といつわって王様の車を使った。  それを聞いた霊公は、罪を問うどころかほめるのだった。  「親孝行なことではないか。母を思うあまり、自分が足を切られるのさえ忘れるとは」。  また、ある日、霊公のお供をして果樹園に散歩に行ったとき、弥子瑕が桃を食べたところ、あまりにおいしいので、半分残して霊公に薦めた。  霊公は、「王様思いではないか。自分が食べるのを忘れてまで、わしに食べさせてくれるとは」。  だが、やがて弥子瑕の容色が衰えて、霊公の寵愛がうすれてきた。  すると、霊公は、弥子瑕が前にしたことに腹を立てて、「こいつは、嘘までついてわしの車を使ったことがある。またいつぞやは、わしに食いかけの桃を食わせおった」。 02_吉だ凶だと日柄を気にし、 鬼神 ( きしん ) をありがたがり、占いの結果を真に受けて、何かといえば、 祭祀 ( さいし ) をやりたがる。亀の甲に穴を開けて火であぶったり、 筮竹 ( ぜいちく ) を数えて占った結果に従って戦をした 燕 ( えん ) や 趙 ( ちょう ) は、負けることが多かった。 03_限りない欲張りで、利益とみれば見さかいなく飛びつく。   宋 ( そう ) の国に 監止子 ( かんしし ) という金持ちの商人がいた。  あるとき、他の商人と時価百金の 粗玉 ( あらたま ) を 競 ( せ ) りあったことがある。  監止子はまちがったふりをして粗玉を落とし、傷をつけた。  百金の弁償をして引き取り、きれいに傷を磨き落として売ったところ、千金あまりの大金を得た。  一般に、何かを行って失敗しても、何もやらなかったよりもましな場合がある。  監止子のように、タイミングよく責任を引き受けた場合がそれだ。 04_法に基づかず、無原則に刑罰を加える。空理空論に耳を傾け、現実に役立つかどうかを考えない。外見を飾り立てて、実用を無視する。 05_独善的で協調性がなく、 諫言 ( かんげん ) されればむきになる。国家全体のことを考えずに軽率に動き、しかも自信満々だ。  食客のなかに、不老長寿法を教えるという者がいたので、 燕 ( えん ) 王は家来のひとりに習わせたが、その家来がまだ習い終えないうちに、食客は死んでしまった。燕王は怒って家来を殺した。食客が自分を騙したのに気づかず、習い方が遅いといって死刑にしたのだ。道理に合わないことを信じて罪のない家来を殺すとは、また浅はかなことであった。  誰でも一番大切なのは自分の体のはずだ。その自分が死を免れないでいて、他人の燕王を不老長寿にすることなどできるはずがない。 06_王様がずぼらで、およそ反省ということをせず、どんなに国が乱れていても自信満々で、自国の経済力を考えずに、隣の敵国を組みしやすしとする。 07_国が弱小であるのに、尊大にふるまい、強国を警戒しない。国境を接している大国をバカにして、礼をもって対しようとしない。  昔、晋の公子 重耳 ( ちょうじ ) が亡命し、曹に立ち寄った。  曹の王様は服をはだけさせて重耳を見せ物にした。  そのとき 釐負羈 ( きふき ) と 叔瞻 ( しゅくせん ) が曹の王様に付き添っていた。  叔瞻は曹の王様に申した。私、晋の公子を観ましたところ、ただ者ではございません。王様はこれに無礼をなさいました。彼がもし時を得て国に帰り、挙兵すれば、恐らく曹の害となりましょう。王様はこれを殺してしまうのがよいでしょう、と。  しかし曹の王様は聴き入れなかった。  釐負羈は帰って浮かぬ顔をしている。  妻が問うた。あなたは外から帰ってきて浮かぬ顔をしておられるのは何故ですか、と。  釐負羈は言った。私はこう聞いている。良いことには 与 ( あずか ) らず、悪いことには連なる、と。今日我が君は晋の公子を招き、無礼をはたらいた。私はそのとき付き添っていたので浮かぬ顔をしているのだ、と。  妻は言った。私が晋の公子を観るに、大国の主のようです。その左右の従者は大国の宰相のようです。それが今、窮乏して曹に立ち寄り、曹はこれに無礼をはたらきました。これがもし国に帰ることになりますと、必ずや無礼を 誅 ( ちゅう ) しましょう。曹はその手始めとなりましょう。あなたはどうぞ今のうちに 誼 ( よしみ ) を通じておきなさいませ、と。  釐負羈は言った。よろしい、と。  黄金を壺に盛り、食べ物で蓋し、玉壁をその上にのせ、夜、使者を公子に遣いさせた。  公子重耳は使者に会い、再拝の礼で食べ物を受け取り、玉壁は辞退した。  公子は曹から楚に入り、楚から秦に入った。  秦に入って三年、秦の 穆公 ( ぼくこう ) は群臣を集め 謀 ( はかりごと ) をして言った。昔、晋の献公と私が仲良く交流していたことは諸侯のうちで知らぬ者はいない。献公は不幸にも群臣から離れて亡くなり、十年が経つ。その 世嗣 ( よつ ) ぎは出来が良くない。私は心配だ。このままでは晋の 宗廟 ( そうびょう ) は清く保たれず、 社稷 ( しゃしょく ) の供物が絶えはせぬかと。このような状態にもかかわらず晋の足元を固めてやらないのは、献公との交流してきた道に反する。私は重耳を助けて晋に入れようと思うが、どうであろうか、と。  群臣は皆言った。よろしゅうございます、と。  穆公はそこで挙兵した。  革鎧の戦車五百乗、騎兵二千、歩兵五万、重耳を助けて晋へ入れ、立てて晋君にした。  重耳は即位して三年後、挙兵して曹を 伐 ( う ) ちに向かった。  そこで重耳は使者を送って曹の君主に告げさせた。叔瞻を城壁から懸け下ろして出せ、私が殺して処刑してやる、と。  また使者を送って釐負羈に告げさせた。我が軍勢が城に迫っている。私はあなたが礼に 背 ( そむ ) かなかったことを知っている。あなたの住まいに目印をたてておかれよ。私は命令して軍勢がそこを攻めぬようにさせよう、と。  曹の人々はこれを聞き、親戚をかき集めて釐負羈の住まいへ逃げ込む者が七百余家にも及んだ。 08_王様が臆病で信念が貫けない。すなわち予測するだけで決断ができず、やらなければと思うだけで手が下せない。   呉 ( ご ) 王の 闔廬 ( こうりょ ) が、 楚 ( そ ) の都の 郢 ( えい ) を攻め、三戦三勝した。  呉王は 伍子胥 ( ごししょ ) に意見を求めた。  「このぐらいで引き揚げてよいだろう」。  「いけません。人を 溺死 ( できし ) させようとするとき、一飲みさせたところで、止めたのでは、溺死するわけがありません。手をゆるめず押さえつけ、このさい、徹底的に沈めてしまうべきです」。 09_都合が悪ければ理屈をつけて法をまげ、何かにつけ公事に私情をはさむ。その結果は 朝令暮改 ( ちょうれいぼかい ) 、次から次へと新しい法令が発せられる。   斉 ( せい ) が 魯 ( ろ ) を破ったとき、魯の宝である 讒 ( ざん ) という 鼎 ( かなえ ) を要求した。  魯はニセ物を持って行かせたが、見破られてしまった。  「ニセ物ではないか」。  「いや本物です」。  「それでは貴国の 楽正子春 ( がくせいししゅん ) ( 曾子 ( そうし ) の弟子)を連れて来てもらいたい。彼なら信用できる」。  魯王は楽正子春にうまくごまかしてくれるように頼んだ。  楽正子春は魯王に尋ねた。  「なぜ本物を持って行かせなかったのです」。  「本物は惜しいからさ」。  「わたしも自分の信用を惜しみます」。 10_もともと地の利に恵まれないうえに、城郭も欠陥だらけ、物資の蓄えはなく、生産力も低い。すなわち長期戦に耐える力がないのに、軽挙妄動して戦いをしかける。 11_視野が狭くてせっかちで、 些細 ( ささい ) なことで簡単に行動を起こし、すぐにカッとなって前後の見境がつかなくなる。 12_怒りっぽいうえに戦好きで、本務たる農政に力をいれず、何かといえば武力を発動する。  大臣を侮辱してプライドを傷つける。庶民に厳しい刑罰を加えて、過酷な使役に駆り立てる。これを当然のこととして繰り返せば、謀反を 企 ( たくら ) むものが、必ず現れる。 13_王様が大利を目前にして傍観するばかり、また禍いを予測していながら対策を立てようとしない。そして防衛ということにまったく無知でありながら、「仁義」によって自己の行為を飾り立てようとする。 14_雄弁だが「法」という筋が通っていない。聡明ではあるが、肝腎の「術」を心得ていない。能力そのものはあるのだが、「法」によって事を運ぼうとしない。 〖本心を隠す〗  王様が心の 裡 ( うち ) を見透かされると、 家来 《 けらい 》 たちに付け込まれる。   楚 ( そ ) の霊王が細い腰の美人を好むと、 楚 ( そ ) の都には絶食して痩せようとする者があとをたたなかった。   臥薪嘗胆 ( がしんしょうたん ) の故事で有名な越王 勾践 ( こうせん ) は、勇者を好んだ。越の決死隊は、呉の陣の前で一斉に自分の首を 刎 ( は ) ねた。呉軍の兵卒は、あっけにとられ、その隙に奇襲攻撃をかけられて総崩れとなった。   斉 ( せい ) の桓公は好色で嫉妬深かった。 豎刁 ( じゅちょう ) は、自ら去勢手術を受けて、後宮の 宦官 ( かんがん ) になり、信頼を得て大臣に任命された後、謀反を起こして桓公を部屋に閉じ込め飢え死にさせた。  桓公は食い道楽でもあった。料理人の 易牙 ( えきが ) は、自分の長男を蒸し焼きにして差し出した。易牙も、豎刁の謀反に参加した。   燕 ( えん ) の 子噲 ( しかい ) は人格者を好むと思われていた。大臣の 子之 ( しし ) は、国を譲られても受けないと公言して信頼を得、政治を任されて実権を奪った。伝説時代に、 堯 ( ぎょう ) という天子がいて、 許由 ( きょゆう ) という隠者に天下をゆずろうとしたが、許由は受けず、耳が穢れたといって耳を洗ったという。子噲は子之が辞退するのを確かめておいて、堯のまねをしたのに、子之の方が上手だった。  王様が好悪を見せなければ、家来は素を表わし���王様はだまされない。   堂谿 ( どうけい ) 公が、 韓 ( かん ) の 昭 ( しょう ) 侯に尋ねた。  「 価 ( あたい ) 千金の 玉杯 ( ぎょくはい ) があったとする。もし底がなかったとしたら、これに水を入れることができるでしょうか」。  「だめだ」。  「では素焼きの器があるとする。これには底があって漏らないとしたら、酒をつぐことができるでしょうか」。  「できる」。  そこで堂谿公は言うのだった。  「素焼きの器はとるにたらぬ粗末なものですが、漏りさえしなければ酒をつぐこともできます。価千金の玉杯はまことに貴重なものですが、底がなくて漏るとしたら、水さえ入れることができません。まして、これに飲み物を入れる者があるでしょうか。家来の言葉を他人に漏らす王様は、ちょうど底の抜けた玉杯のようなものです。いくら王様に知恵があっても術をつくすことができないのは、人に漏らしてしまうためです」。  それからというもの昭侯は、大きな計画を考えているときには、必ずひとりで寝た。  寝言を聞かれて、他人に計画が漏れることをおそれたのだ。  斉国の正室が亡くなったとき、大臣の 薛 ( せつ ) は、 威 ( い ) 王の意中の人を新しい正室に 推薦 ( すいせん ) しようと考えた。薛は、玉の耳飾り九組に特に美しい耳飾りを一つ加え十組にして王に献上した。翌日、薛は、特に美しい耳飾りをしている側室を確認して王に推薦した。 〖信ずる者は 騙 ( だま ) される〗  王様が妻を信じたら、腹黒い家来は王様の妻を利用して私欲をとげようとする。   優施 ( ゆうし ) という役者は、 晋 ( しん ) の 献 ( けん ) 公の愛妾 麗姫 ( りき ) に取り入り、世継ぎの 申生 ( しんせい ) を殺して、麗姫の子 奚斉 ( けいせい ) を擁立した。  王様が我が子を盲信すると、腹黒い家来は王様の子を利用して私欲をとげようとする。  趙の武霊王(在位 前325年~299年)は 胡服騎射 ( こふくきしゃ ) (騎馬民族の戦法)をいち早くとりいれ、趙を軍事的に発展させたが、寵愛した恵后のために後継問題の処理を誤った。太子に決まっていた長子 章 ( しょう ) を廃嫡して、恵后の子 何 ( か ) (恵文王)に王位を譲り、自分は 主父 ( しゅほ ) と称して院政をしいたが、恵后の死後、廃嫡した長子 章 ( しょう ) の処遇に迷い内乱を起こさせてしまった。主父も、 沙丘 ( さきゅう ) の別宮で三箇月包囲されて餓死した。そのときの包囲軍の指揮官は 李兌 ( りたい ) だった。  妻子でさえ裏切ることがあるのに、他人である家来を信じたら、 悲惨 ( ひさん ) な結果が待っているかもしれないことを知らなければならない。  王様の世継ぎが立てられたら、妻は、我が子の即位を待ち望むもの。  男は五十になっても色好みはやまないのに、女性は三十になれば容色は衰える。  衰えた容色で色好みの夫に仕えれば、疎まれ 貶 ( さげす ) まれるようになり、「これでは我が子は、あとを継げないのではないか」と、妻は疑う。我が子が王様の座につけば、何でも命令できるし、嫌なことも禁止できる。男女の楽しみは、夫の死後も以前にも増して楽しめる。大国を思いのままに動かしても、誰からも文句は出ない。  毒を盛ったり、闇打ちをしたりのお家騒動が尽きないのも、こういうところに原因がある。   桃佐春秋 ( とうさしゅんじゅう ) には、「まともな死に方をする王様は半数に満たない」と書かれている。   魏 ( ぎ ) 王が 楚 ( そ ) 王にひとりの美女を贈った。   楚 ( そ ) 王はこの美女がすっかり気に入った。   楚 ( そ ) 王の側室 鄭袖 ( ていしゅう ) は王がこの美女を可愛がるのを見て、王が可愛がる以上に自分も可愛がり、衣裳でも何でも彼女の欲しがるままに与えていた。  王はそれを見て言った。  「 鄭袖 《 ていしゅう 》 はわたしがあの女を可愛がるのを知って、わたし以上に可愛がってやっている。まるで親孝行な子が親をおもい、忠臣が王に仕えるようではないか」。  …「王様は自分が嫉妬していないと信じている。これでよし」と思った 鄭袖 《 ていしゅう 》 は美女に「王様は女性が手で口を覆う仕草が好きだから、王様に近づくときは手で口を覆うようにしなさい」と教えた。美女はその話を信じ、始めて王様とのお目見えする際にさっそくその仕草を実行する。事情を知らない王様がその理由を周囲に尋ねると、鄭袖が「あの女は王様の匂いを嫌って手で鼻を覆っているのです。」とウソを付いた。王様は、激怒し、美女の鼻を削ぐよう命じた。 〖人材活用〗   楚 ( そ ) が 陳 ( ちん ) を攻めたとき、 呉 ( ご ) は陳を助けた。   楚 ( そ ) ・ 呉 ( ご ) 両軍は三十里をおいて 対峙 ( たいじ ) した。  ある夜、十日も降り続いた雨がやみ、星が見えた。   楚 ( そ ) の 左史 ( さし ) の 倚相 ( いしょう ) は将軍の 子期 ( しき ) に言った。  「十日の雨のあいだに、呉軍は準備をととのえたはずです。きっと攻めてくるにちがいありません。備えた方がよろしいでしょう」。  そこで、 楚 ( そ ) 軍は、陣形をととのえたが、はたして、準備が終わるか終わらないうちに、呉軍がやって来た。  しかし、 楚 ( そ ) 軍に備えがあるのを見ると、戦わずして引き返した。  左史は言った。  「呉軍は往復で六十里歩かなければなりません。帰れば疲れて将軍は休む、兵士は食事をするはずです。一方わが方は三十里ですみます。すぐ攻めれば勝てましょう」。   楚 ( そ ) 軍は呉軍を追いかけ、これを破った。  孟嘗君率いる斉・魏・韓の連合軍が函谷関に攻めてきたとき、秦の昭襄王は大臣に「三国の兵が秦に深く攻め込んでいる。河東郡の数県を与えて和睦しようと思うが、どうか」と尋ねた。  大臣は、「河東郡の数県を与えるのは、大きな損失です。王子様とご相談なさってはいかがでしょうか?」と答えた。  王様から相談された王子は、「和睦してもしなくても、後悔は避けられません。…和睦したら、『三国はもともと引き上げようとしていたのに、むざむざ三城もただでやってしまった』と、後悔するでしょう。…和睦しなかったら、 韓 《 かん 》 に集結した三国軍に大損害を与えられ、『しまった、三城をやらなかったばかりに、こんなことになってしまった』と、後悔するでしょう。」と答えた。  昭襄王は、「後悔するのなら、三つの城を失って後悔する方が、国が危険な状態になって後悔するより余程マシだ。」と考え、和睦を決めた。   管仲 ( かんちゅう ) と 鮑叔 ( ほうしゅく ) が相談をした。  「このご乱行では 斉 ( せい ) の 御代 ( みよ ) も変わるにちがいない。斉の公子のなかで、将来性のあるのは 糾 ( きゅう ) さまか、 小白 ( しょうはく ) さまだ。この二人にわれわれは一人ずつ仕え、先に出世した者が他を引き立てることにしよう」。  こうして管仲は糾に、鮑叔は小白に仕えた。  はたして斉は混乱状態におちいり、王様が殺された。  そしてまず小白が亡命先から帰国して王様の座についた。  管仲は糾とともに 魯 ( ろ ) に逃れていたが、魯の人につかまって小白に引き渡されたが、鮑叔の口添えによって宰相になることができた。 〖王様への意見の出しかた〗  [説得]は、相手の心を正確に見ぬき、自分の意見をそこに合わせることが必要。知識や弁舌だけでは不十分。  名声の高さを求める相手に、利を得る術を説けば、下劣で卑しい奴と思われ、遠ざけられる。利を求める相手に、名声の高まる術を説けば、気配りできず現実に疎い者と思われる。  名声を大切にしているように見せかけながら、内心では利を求めている相手に、名声の高まる術を説けば、得心した様子を見せられながら、実際には疎んじられるだろう。逆に利を得る術を説けば、得心させても、用いられることはない。 01_王様が自分の利益を満たそうとしているときには、国法を述べてそれを強制する。それでも欲望を捨て切れないときは、欲望に理屈をつけてやる。実行に移せない道義には、とやかく言わないでおく。 02_理想が高すぎて非現実的なときは、理想の欠点をあげ、実行しない。それは難しいでしょうなどと、ケチをつけてはならない。 03_知識・見識に自信もってる相手には、同類の別の事例を挙げて下地を準備しておき、相手が自ら選ぶように仕向けて、そしらぬ顔をする。 04_他国と友好関係を保つように説得するには、立派な名目を上げてやり、それとなく自分の利益にもなることを示す。 05_国の害になることを分からせるには、道義に反しているとはっきり言い、自分の損にもなると分からせる。 06_直接相手を誉めるよりは、相手と同じ事をしているものをほめ、他の事で王様の計画と同じものがあれば、そのことを議論で取り上げた方が効果がある。 07_王様と同じ失敗をした者は、たいした過失ではないと言って弁護しておく。相手がよい計画だと思っているのに、悪いところをあげつらって追いつめてはいけない。 08_長い月日を経て、王様の信任も厚くなり、立ち入った策を奏上しても疑われず、王様と言い争っても罰せられなくなったならば、堂々と利害を判断して述べ、自分の意見を実現化して事の是非をずばりと述べることを身上とする。こうして王様と対等の関係を保てるようになれば、これこそが献策の最上のものとなる。 〖 和氏 《 かし 》 の 璧 ( へき ) 〗  昔、 楚 ( そ ) の国に 和氏 ( かし ) という男がいた。  あるとき、彼は 楚 ( そ ) 山の山中で 粗玉 ( あらたま ) を見つけ、これを 厲 ( れい ) 王に献上した。  厲王は宝石師に鑑定させた。  「これは、ただの石でございます」。と宝石師は言った。  厲王は和氏をペテン師として足切りの刑を命じ、左足を切らせた。  厲王が死に、 武 ( ぶ ) 王が即位した。  すると、和氏はまた同じ粗玉を献上した。  武王は宝石師に鑑定させた。  「石でございます」。と宝石師が言った。  武王は和氏をペテン師として足切りの刑を命じ、右足を切らせた。  武王が死に、 文 ( ぶん ) 王が即位した。  今度は和氏は粗玉を抱き、 楚 ( そ ) 山のふもとで泣き続けるのだった。  三日三晩がたった。  涙は枯れはてて、眼に流れるものは血であった。  文王はそのことを聞くと、和氏のもとに人をやってわけを尋ねさせた。  「世の中に足切りの刑にあった者も多いが、どうしておまえは、そんなに悲しげに泣くのか」。  「わたくしは足を切られたことが悲しいのではありません。宝石が石ころだと言われ、正直者がペテン師だと言われた。それがわたくしは悲しいのです」。  文王は、宝石師にその粗玉を磨かせてみた。  はたしてそれは宝石であった。  その宝石は、彼の名をとって、「 和氏 ( かし ) の 璧 ( へき ) 」と呼ばれた。  宝石というものは、王様が喉から手が出るほど欲しがるものだ。  そして 和氏 ( かし ) が献上した 粗玉 ( あらたま ) が、もし宝石でなかったとしても、王様が何の損をするわけでもない。  それにもかかわらず、和氏は両足を切られてから、はじめてその粗玉が宝石であると認められたのだ。  王様が欲しがる宝石でさえ認められるのは、これほど困難なのだ。  ところが[法・術]となると、王様は「和氏の 璧 ( へき ) 」のようにこれを欲しがってはいない。  王様たちは、それほど熱心に家来や国民のかげの悪事を抑えようとはしていないのだ。  [法・術]を主張する者が、王様に殺されずにいるのは、彼がまだ[法・術]という粗玉を献上していないからにすぎない。  王様が「術」を使ったとしたら、大臣が政治を専断することも、側近が王様の威を借りることもなくなるだろう。  「法」が国に行きわたれば、流民の 類 ( たぐい ) は姿を消し、すべての国民は農耕に追いやられ、事あるときには戦場で生命の危険をおかすことになるだろう。  つまり[法・術]は、家来と国民にとっては、 禍 ( わざわい ) となるものだ。  したがって、王様が、大臣の反対と国民の非難を押しきって、[法・術]に耳を傾けようとするのでなければ、たとえ命を進言したとしても、[法・術]が王様に取り上げられる見込みはない。 〖使いこなせない者とは〗  もし人が衣服を着ることもなく、食事をとることもないのに、餓え凍えることがなく、また死もこわくないとすれば全て満ち足りており、お上に仕える気はとんとならないであろう。すると、王様によって支配されることを嫌う気持ちになる。そのような人物は、臣下として使いこなすことはできない。 〖小さな信用を重ねる〗   呉起 ( ごき ) は外出先で知人に出会い、食事に招いた。  知人は承知して、「のちほど伺うから、それまでお待ちいただきたい」。  「では、あなたがおいでになるまで、お待ちいたしましょう」、呉起はそう答えた。  その知人は日暮れになっても来なかった。呉起は食べずに待った。  そして、翌朝、知人を呼びにやり、彼が来てから食事した。  越王 勾践 ( こうせん ) が呉王 夫差 ( ふさ ) を攻め、 降伏 ( こうふく ) させた。  呉王夫差が謝罪して 赦 ( ゆる ) しを願った。  越の大臣たちは、越王勾践に、「天命が[越]を与えようとしたとき[呉]が受け取らなかったから、今、天命は[呉]を[越]に与えようとしているのです。天意に 背 ( そむ ) いてはなりません。」と言った。  呉の大臣は、越の大臣に手紙を送った。「すばしっこい兎が狩りつくされてしまうと、猟犬は煮て食べられる。敵国が滅びると、軍師は殺される。呉を赦して残せば、貴方はまだまだ仕事ができる。」  越の大臣は、これを読んで大きくため息をつきながら、「呉が滅べば私は用無しになるのか…」とつぶやいた。
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ウィフォト写真集 京都桜百景① - 水野克比古
写真家水野克比古が撮影した美しい春の京都を紹介するとともに、現在地から写真に納められたスポットへのルート検索など、電子書籍ならではの機能を加えた「すぐ行きたくなる」「いまから行ける」京都写真ガイド第二弾です。 収録スポット※50音順:あだしの念仏寺、嵐山千鳥ヶ淵、嵐山・渡月橋、雨宝院、大原の里(大原川)、上賀茂神社、賀茂川堤、北野天満宮、北山杉(宗蓮寺)、京都府立植物園、京福電車、建勲神社、護王神社、五智山蓮華寺、嵯峨野、佐々里峠、佐野桜畑、三千院、静原(山桜)、下鴨神社、しょうざん、常寂光寺、常照寺、正伝寺、上品蓮台寺、白峯神宮、水火天満宮、清凉寺、芹生、千本ゑんま堂、千本釈迦堂、高雄、長徳寺、半木の道、西山ドライブウェイ、二尊院、仁和寺、平野神社、広河原、広沢池、法金剛院、法輪寺、本法寺、妙円寺(松ヶ崎大黒天)、妙蓮寺、八瀬、立本寺、廬山寺 http://dlvr.it/R1Kfx0
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everydayoneramen · 7 years
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満月廬 淡路町バル(千代田区、神田須田町) 汁なし担々麺
新宿三丁目に本店のある満月廬がバル形式で神田に進出した店。と言っても雰囲気は居酒屋に近い。驚きの速度で提供される汁なし担々麺は、見た目や麺の食感から挽き肉の乗った辛めの焼そばという印象。パッと座ってパッと食べたい時に良いかもしれない。ランチタイムは半チャーハンつき。満月廬本来のウリは小籠包や餃子なので、こちらも是非味わいたいところ。
参考リンク: https://tabelog.com/tokyo/A1310/A131002/13210027/
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yokohamamiuken · 1 year
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本日やってきたのは新宿の中華屋さん「絶品小龍包 満月廬(まんげつろ) 新宿離宮 新宿西口」さんです。 公式💁‍♀️ @mangetsuro_rikyuu このお店は、スープたっぷりな小籠包や四川風麻婆豆腐がとっても美味しいお店。 外見からして、ここだけ中国!! この外観は「千と千尋の神隠し」でモデルとなった台湾の九份をもとにデザインされたそうです。 店内は個室がたくさんあるので、ゆっくりとくつろげました。 今回利用した個室は土壁の素朴な造りで、妙に落ち着きます。 さて、今回予約していたのは前菜5種+全9品の「皇コース」(期間限定8000円→5000円!!) 【前菜5種】 ▼クラゲの甘酢生姜和え 食感シャッキシャキで、味付けもピリ辛なのが後からじんわりと響いてきて、これはお酒が欲しくなる味わい!! ▼よだれ鶏 辛ウマでジューシーな蒸し鶏と、シャッキシャキな大根、一緒に入ったネギも実に爽やかで、タレはラー油と香醋の秀逸な組み合わせ!! ▼やわらか牛タンの青山椒和え 八角がビシッ、水菜シャキシャキ、牛肉むっちむち。 レモンの酸味が爽やかで、トマトが良いアクセント。 ▼揚げピータンとクリスピーナッツの和え物 ピータンの独特な香りがないので、誰にでも食べやすいですねぇ。 唐辛子はカリサクで、辛くないので美味しく頂ける!! ▼合鴨肉の燻製 合鴨むっちむち、噛めば噛むほどあふれる肉の旨味!! 大葉の香りも爽やか。ネギでサッパリして後味がすごくいいです。 【自家製釜焼き 北京ダック】 薄餅(パオピン)がモッチモチ!! アヒルの皮もパリッジュワッと。 肉の旨味がしっかりだし、食べ応えもしっかりです。 もっちもちな薄餅、カリッジュワァな皮、シャクシャクなお野菜の相性は最高!! 【大海老の濃厚チリソース】 たっぷりのタレだけでも美味しいし、ネギもシャクシャク。 海老はとても大ぶりなもので、あたたかく、プリプリな食感が素晴らしく美味しいです。 【国産牛肉と彩り野菜のオイスターソース炒め】 牛肉がすごく柔らかい!! 野菜はシャクっと甘く、特にタケノコの食感が春の味だなぁと思います。 味付けも濃すぎず・薄すぎずで、優しいのに旨味しっかり。 【当店自慢の逸品を食べ比べ! 旨み溢れる自家製小籠包】 まずは黄色いカニさんから!! うーむ、カニの旨味がスープにしっかり詰まっているなぁ!! スープを飲むたびにお口の中にジワジワとくる、際限のない旨味!! 次に白の牛肉の小籠包へ。 こちらもカニに負けず劣らず、牛肉の旨味がガッツーン!とやってきます。 お肉の旨味がしっかりで、こんな美味しい小籠包は久々に食べましたよ〜。 【青山椒を使った痺れる麻婆豆腐】 土鍋でグツグツ言ってくるんですが、これは実にシビ辛ウマー!! 豆腐の優しさ、油のトロットロ、辛いのについつい食べてしまいます。 【季節野菜の干し貝柱メレンゲあんかけ】 菜の花シャキシャキで火の通りが良く、僅かに感じるホロ苦さがいい!! 貝柱がものすごくたっぷり。茶色いの全部貝柱だ!! この貝柱、噛めば噛むほど旨味が出る! これは高級店の味だ!! 【彩り野菜の黒炒飯】 このお店のお料理は全部間違いがありませんが、やはりチャーハンも間違いがありませんね。 中国の醤油のコッテリした甘さと、バシッと効いた黒胡椒の香り、豆豉の旨み。炒め加減はしっとりしていてフワフワ。 【自家製 杏仁豆腐】 トロットロ! ふるっふる! どっしりしているのに、サッパリした甘さ。 ◆◇◆後記◆◇◆ 全体を通して思ったこと、これはまさに高級店の味わいです。 みうけんは横浜生まれの中華料理好き、特に四川料理をこよなく愛する身。 今まで食べた中でも、この「絶品小龍包 満月廬 新宿離宮 新宿西口」さんの皇コースは間違いのないコスパの良さ!! お料理もすべて丁寧に作られていて技術を感じるし、使われている素材だってすごく良いです。 お試しを! 公式💁‍♀️ @mangetsuro_rikyuu ▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼ 絶品小龍包 満月廬 新宿離宮 新宿西口 050-5600-1146 東京都新宿区西新宿1-4-15 高松ビル 1~4F https://tabelog.com/tokyo/A1304/A130401/13237173/ ▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲ #絶品小龍包満月廬新宿離宮新宿西口 #満月廬新宿離宮 #満月廬 #絶品小龍包満月廬 #新宿中華 #新宿小籠包 #新宿飲茶 #東ぐる #Yahoo地域クリエイター #新宿中華 #新宿コスパグルメ #新宿グルメ #食べログ人気店 #相互フォロー #食べスタ #食べロガー #食べロガーみうけん #食べログ #みうけん (西新宿) https://www.instagram.com/p/CpwFdmGyQlU/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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kirigaya-jun · 7 years
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原宿から新宿三丁目に仕事で移動。その後のランチ。「満月廬」にて、日替わりランチ。 春雨と挽肉のカレー炒めにプラス一品選べるので、麻婆豆腐に。 デザートがついて、結構なボリューム。 春雨の辛さと麻婆豆腐の辛さがダブル攻撃。 最後のデザートが辛さを和らいでくれました! (満月廬)
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moebious71 · 7 years
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早いですが、お昼は塩ラーメンと半チャーハンです。いつもの店に来てます。 (満月廬)
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