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#比較行動学研究セミナー
ethology-osaka · 8 months
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第18回比較行動学研究セミナー/未来共創センター・IMPACTオープンプロジェクト
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タイトル:動物の病について思うこと
講演者:嶋田 照雅 氏(大阪公立大学大学院獣医学研究科)
日時:2023年9月19日(火) 14:00 - 15:00
場所:大阪大学 人間科学部 北館2F ラーニングコモンズ
要旨:動物に対して医療を施す職業は、動物の病を治してほしいと思う人間のニーズが多いから存在する。人間はなぜ動物の病を治したいと思うのか?動物は病を治してほしいと考えているのであろうか?動物の病と飼育する人間との関係は?また、人間は動物の病についてどのように考えているのか?など本セミナーでは動物の医療に長年携わった演者の考えている疑問についてお話しする。
どなたでも自由にご参加いただけます。事前予約不要です。
連絡先:山田一憲([email protected]
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mreiyouscience · 2 months
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ミクロ経済学トリセツ
 学ぶということは過去の偉人が築き上げた”知”を辿ることを意味します。このことはミクロ経済学にも当てはまるのではないかなと思います。
 さて、社会科学では自然科学に倣って社会現象ではなく、観察可能な社会活動に着目して分析します。よって、社会科学の一分野である経済学では経済活動を観察して、その背後にあるアクター(行為者)の動機とその相互作用を探求します。そして、観察可能な経済活動は生産、消費、分配、交換によって構成されています。この4つの経済行為を円滑に行うための媒介としてお金が必要です。
 ところで、お金とは何でしょうか?お金とは欲望(=効用)満たすための手段の象徴なのです。あなたはあなた自身の嗜好性に基づいて日々ネットショッピングで様々な誘惑(インセンティブ)に駆られているかもしれません。この購買欲を満たすために人は学歴・経歴・コネを最大限活用して労働に従事します。この労働の対価として、企業からお金が支払われます。この際、限界費用曲線によると、あなたの給料はあなたのベストパフォーマンスではなく、あなたの限界まで労働に従事した時の労働生産性の価値が給料として支払われることになります。文字通り”生かさず殺さず”です。それだけではありません。生産関数によると、生産性の名のもとに生産性が高いエースから順に限界費用曲線に基づいてその限界まで労働に従事させられることになります。エースではない社員が疲れを口にするということは組織から見れば”不公平”(≠善)なのです。私自身学生の頃バイト先の店長に「○○君があんなに一生懸命に頑張っているんだぞ!君も頑張れよ!」と言われたものです。このように、まさにマルクスの言うように労働には使用価値と交換価値が併存するのです。次に、消費者、または、労働者に対する企業の行動原理についてお話ししたいと思います。
 企業にとって競合他社からマーケットのシェアを奪って(集団間競争を行って)利益を貪ることは”正義”(≠善)なのです。そして、その結果として残酷ではありますが動物の世界のように”自然淘汰”が起こったとしても企業は無頓着です。なぜなら、企業の論理を例えるならば、映画「ゴッド・ファーザー」のように組織の人間は”ファミリー”(=家族)ですが、競合他社は”エネミー”(=敵)だからなのです。これこそが、経済学に裏付けられた競争戦略論の根底にある価値観なのです。このように消費者が”生産”された商品を”消費”したいという欲求を満たせるよう、お金をやり取りする(=”交換”する)ことで利益を貪り、そして、その後”ファミリー”でその利益を”分配”するためには権力にアクセスし、それを掌握する必要があります。換言すれば、結果(=儲け)にコミットするためには権力は必須なのです。
 つまり、お金の流れを研究する経済学では本質的に善(=厚生)ではなく、人間の欲望とそれを満たすための権力へのアクセスと掌握に関する学問であるということです。そして、このような消費者と企業の欲望の交差点が市場であり、本書のメインテーマである古典経済学における完全競争市場においては”神の見えざる手”に導かれて、パレート最適へと至るという点をあなたは学ぶことになるでしょう。しかし、現実は完全競争市場とは程遠く、富は平等に分配されているとは言い難いのが実情です。むしろ、経済格差が進行し、各国で分断が進行していると言わざるを得ません。この点に関してアダム・スミスは能天気なお人よしであり、カール・マルクスはただの理想主義者であったのです。(保守派は自己欺瞞に陥っており、左派は問題を訴えるだけで実行力に乏しく説得力に欠けます。)
 このような経済学の真実を高校二年生程度の微積分を使って学ぶことを本書は主眼としています。(尚、ゲーム理論はおまけ程度です。)よって、経済学のハートを掴めていれば、それほど難しくはありません。逆に言えば、経済学のハートを掴めていないようであれば、難しく感じるでしょう。そのような人は「クルーグマン ミクロ経済学」を精読するとよいでしょう。
 あなたが現行の経済秩序に対してどのような価値観を持っているにせよ、経済学によって示された真実を知ることが大切なのではないかと思います。この真実こそが”自由の命運”のカギを握るのだから・・・。
〜ミクロ経済学 中級書〜
もし余裕があれば、学部生のうちにMBAテキストを読まれることを強く勧めます。
追記その1~夢の実現方法(PDCAサイクルを実践する)~
1,Plan ;具体的に目標をイメージしてそれをノートに書きとめる。
2,Do ;目標を達成するために努力する
3,Check;現実と目標のギャップを受け入れて何を改善すればいいか考えてノートに書きとめる。
4,Action;Checkでの反省を活かして努力する。
1,Planに戻る。
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shintani24 · 4 months
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2024年1月12日
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中央図書館所蔵の「浅野文庫」 図書館移転後は市長公館解体して新施設建設の方針 広島市(RCCニュース)2024年1月12日
広島市の中央図書館に所蔵されている「浅野文庫」について、広島市は図書館が移転された後、現在、市長公館がある場所に新しい施設をつくる方針を固めたことが分かりました。
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複数の関係者によりますと、資料の移設先として最有力視されているのは、広島市中区の縮景園に隣接する、広さ1900㎡の土地です。
現在は広島市長が暮らす公館がありますが、建設から50年が経ち、老朽化していることなどから、公館を解体して新しい施設を建設する方針です。
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市は、南区の比治山や東区の饒津神社近くの、浅野家ゆかりの3カ所を利便性などの観点から比較検討していました。
新しい施設では「浅野文庫」のほか、被爆作家の文学資料なども保存・活用する方針で、開館予定時期は2029年度。現時点での概算事業費は約37億円で、企業や個人の寄付を募ったり、国の補助金を活用したりして、財源確保を図る予定ということです。
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広島市長公館の廃止を検討 跡地に「浅野文庫」移す専用図書館の案も(朝日新聞 1月13日)2024年1月12日に追記
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広島市長公館。これを廃止して、跡地に「浅野文庫」などを��める専用図書館の建設が検討されている=2024年1月12日、広島市中区上幟町、宮崎亮撮影
広島市が市長公館(中区上幟町)を廃止し、跡地に市立中央図書館が所蔵する「浅野文庫」などの資料を収める専用の図書館の設置を検討していることが、複数の関係者への取材でわかった。2029年度の開館を予定し、現時点で概算事業費は約37億円を見込んでいる。
浅野文庫は、旧広島藩主の浅野家が寄贈した古書などのうち、原爆による被災を免れた約1万点の資料群で、現在は中区基町の中央図書館に保管されている。
市の作成した整備基本計画案によると、新設する図書館にはそれらの資料のほか、広島ゆかりの文学者の資料が収められる。近世から現代までの広島の郷土文化を、体系的に伝えることが狙いだ。施設内には、展示コーナーや閲覧室、セミナー室なども設置される。
市長公館は、浅野家別邸の庭として造られた「縮景園」に隣接している。1973年に完成し、敷地は約1980平方メートル。現在は松井一実市長が入居する。市は老朽化した公館を、2026~28年度に解体する。解体費を含む事業全体の財源は、国の補助金や市民からの寄付でまかなうことを検討している。
市立中央図書館は、JR広島駅南口の商業ビル「エールエールA館」への移転計画が進んでいる。それに伴って、市は浅野文庫の新しい保管場所を作ることを、23年6月に発表していた。(魚住あかり)
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市長記者会見(1月18日)
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1月19日総務委員会浅野文庫について。詳しい案ができています。
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「ヒロシマ平和研究教育機構」設立へ 広大旧理学部1号館を拠点に 「核なき世界」へ研究に取り組む(RCCニュース)
広島市の被爆建物、広島大学旧理学部1号館を拠点とする、「ヒロシマ平和研究教育機構」が設立されることが決まりました。設立は、12日の準備会議で決まりました。
「ヒロシマ平和研究教育機構」には、広島市と広島大学、広島市立大学などが参加。今後、整備される旧理学部1号館を拠点に、広島大学平和センターと広島市立大学広島平和研究所を中心として、「核なき世界」に向けた研究や国内外の研究者の受け入れに取り組むということです。
広島市 松井一実市長「広島の平和貢献の大きな装置、手段、柱ができたという思いがある。これをうまく起動させることがこれからの課題」
広島大学 越智光夫学長「教育・研究に関して一緒になって深化させていくべきではないかという思いがあった」
「ヒロシマ平和研究教育機構」は、今月下旬に第1回総会が開かれる予定です。
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合格祈願「試験にとおりゃんせ」 商店街に学問の神様が集結 広島(RCCニュース)
今週末には「大学入学共通テスト」が行われ、いよいよ受験シーズンが始まります。広島市の商店街では、受験生を応援する恒例行事が始まりました。
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11日、広島市中区の中央通りに登場したのは受験生の合格を祈願する「とおりゃんせ」!
縦1.8メートル、横1.6メートルの巨大な垂れ幕には、京都の北野天満宮や福岡の太宰府天満宮など学問の神様がまつられている全国10か所の神社がデザインされています。
ことしで20年目を迎えるこの取り組み。地元の商店街が企画していて「中央通りを通って試験にも通ってほしい」との願いが込められています。
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商店街のメンバーが集まり、一発合格にかけ「一合枡」を使った祈願も行われました。
広島中央通商店街振興組合 加藤和行 理事長「中央通りをとおりゃんせ、試験にとおりゃんせ。中央通りを通って、10の天満宮にお参りしたからもう大丈夫だと、安心感を持って緊張を解いて、実力を発揮していただきたいというのが一番」
「絶対合格しますように!」受験生を応援する「とおりゃんせ」は3月21日まで掲示されます。
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中国電力中川社長が上関町を訪問「準備整い次第森林伐採開始」 使用済み核燃料の中間貯蔵施設の建設を調査(テレビ新広島)2024年1月12日
中国電力などが使用済み核燃料の中間貯蔵施設の建設を検討している山口県上関町を中川賢剛社長が訪れ、近く施設建設の調査に向けた森林伐採を始めることを明らかにしました。
中国電力の中川社長は12日朝、年始の挨拶のため上関町の西哲夫町長を訪ねました。
中電は去年8月、使用済み核燃料の中間貯蔵施設建設を関西電力と共同で提案し、上関町は財政の安定などを理由に調査受け入れを決めました。
その後、建設に反対する住民の抗議などで中止された町議会への説明は、今月になって行われたものの周辺自治体の懸念などから調査の実施前に必要な森林の伐採工事は、未だ行われていません。
中国電力 中川賢剛社長 「準備が整い次第、伐採作業も始めたい。安全確保第一に準備でき次第、ボーリング調査も行っていきたい」
上関町 西 哲夫町長 「調査するにあたって安全な作業と適切にしっかりした調査をしてくださいと。上関町の住民に対しても更なる説明をしっかりしていただくようにと」
中電は先月、未実施で許可期限が過ぎた森林伐採届を再提出していて今月21日にも伐採が可能となる見通しです。
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中間貯蔵施設 反対派住民が中電前で抗議活動(KRY山口放送 1月19日)2024年1月12日に追記
中国電力が上関町で調査を行っている使用済み核燃料の中間貯蔵施設について。
ボーリング調査に向けた普通林の伐採が可能な期間に入るのを前に計画に反対する人たちが中国電力に対して抗議活動を行いました。
抗議参加者「金儲けのためにこんなことばっかりするな!自然を壊すな!私達の平和な生活を壊すな!」
中国電力上関原発準備事務所前で抗議をしたのは上関町の反原発団体などおよそ50人です。
中国電力は中間貯蔵施設建設の立地可能性調査の1つであるボーリング調査にむけ、先月、普通林の伐採届を町に提出。あさって(21日)から、その伐採が可能な期間となります。
きょうの抗議活動は伐採が可能になるのを前に改めて計画の白紙撤回を中国電力に訴えようと行われました。
上関原発を建てさせない祝島島民の会 清水敏保代表「町長が地域振興策をということで危険な中間貯蔵施設というとんでもない話を持ってきたこれをとにかく上関町民が望んでないということをこれからも訴えていきたい」
中国電力は去年8月に1度伐採届を提出していますが「安全に作業を行うために資材の準備等を進めている状況」として一度、伐採への着手を見送っています。今回の伐採が可能な期間は3月20日までです。
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中国電力上関原発建設予定地から望む。すぐ近くに祝島の集落が見える、わずか4km。その向こうに見えるのは九州の大分県。
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「地面が約4m隆起した」──能登半島地震の地殻変動、産総研が調査結果発表(ITmedia NEWS)
産業技術総合研究所(産総研)は1月11日、2024年能登半島地震に伴う海岸の地殻変動の調査結果を発表した。調査した場所は、石川県輪島市門前町鹿磯周辺。国土地理院の観測データによると、この場所では最大4mの隆起の報告が上がっており、実地調査をしたところほぼ報告通りの隆起を確認できたという。
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調査した場所
産総研が鹿磯漁港を調べたところ、防潮堤壁面に付いたカキなどの生物が隆起によって水面から離れている様子が見られた。壁面に付いた生物の高度から地震前のおおよその海面を予測できるため、これと地震後の海面を比較。複数地点で調べた結果、その差は3.8~3.9mでほぼ報告通りの隆起を確認したとしている。
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鹿磯漁港の防潮堤に付いた生物遺骸が示す隆起の様子(人が持っている標尺の長さは5m)
鹿磯漁港からさらに北側を調べたところ「波食棚」という平たんな岩棚が、地震による隆起で干上がった様子を確認。波食棚の前方は崖になっており、地震後の海面との高さを比較すると約3.6mの差が見られたという。波食棚は本来、平均海面付近の高さに広がる地形であるが、今回の地震によって階段状の地形「海成段丘」を形成したことが分かったとしている。
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隆起で干上がった波食棚
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隆起した波食棚前面の崖の様子
能登半島北部沿岸は約6000年前以降に形成したと思われる、3段の海成段丘が分布してたが、今回の地震の影響で地面が隆起し、4段目の海成段丘を形成したことになるという。
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今回の地震による隆起で形成した海成段丘の地形断面(青線)
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志賀原発、外部電源の復旧に半年 施設に影響なし、部品調達に時間(共同通信)2024年1月12日
北陸電力は12日、能登半島地震で一部が損傷した志賀原発(石川県志賀町、停止中)の外部電源の完全復旧には少なくとも半年かかるとの見通しを明らかにした。一部の部品調達に時間を要するため。外部電源は計5回線あり、3回線は使用可能で、原発内の非常用電源もあるため、使用済み核燃料の冷却などの安全確保に影響はないとしている。
志賀原発では1号機地下で震度5強を観測。変圧器が破損して油が漏れるなどし、計5回線ある外部電源のうち、中能登変電所を経由する2回線が使えなくなった。
中能登変電所では、絶縁性があるセラミック製の送電線部品が二つ破損していることを確認。予備が一つしかないため、メーカーに製作を依頼した。
また北陸電は、志賀原発につながる別の送電線の2カ所で絶縁用の部品などの破損が見つかったとして、13日にも補修工事を行う。送電機能に問題はなく、予防的な措置としている。工事中はこの送電線を含め、一時的に5回線中3回線が使えなくなるが、非常用ディーゼル発電機などの電源を確保した上で実施する。
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kanglo · 1 year
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「54歳の地図 青春の意味を問い直すロールモデル無き人生の彷徨い方」第20回Shock Coherent Innovation Club(SCIC)オープン・ダイアログ/講演者:山田修司氏 〔2023年4月7日(金)20時~〕
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「54歳の地図 青春の意味を問い直すロールモデル無き人生の彷徨い方」第20回Shock Coherent Innovation Club(SCIC)オープン・ダイアログ/講演者:山田修司氏 〔2023年4月7日(金)20時~〕 チケット:https://scic230407.peatix.com/view https://www.facebook.com/events/753493459711113 ■日時:2023年4月7日(金)20時~22時(オンライン開催) ■講演概要: もしも、尾崎豊が生きていたならば彼は、この時代にどんな歌をうたっていただろう。そんなことを、考えてみたいと思っています。いい学校に入り、いい会社に入る。結婚して家族を作り、家を建て自動車を買い、職場では管理職となり高給を得て、老後の安心を獲得する。努力して~を得る、あるいは、~になるために努力をする。克己的であることが良しとされ、何かを我慢してまで、あるいは自分に嘘をついてまで、本当は、好きでもないことに時間を費やし、好きでもない人たちと生活を共にしてきた日々。誰かが作ったルールの中で、誰かと比較しながら(されながら)優劣を決め合うような制度や場所への迎合。80年代に、そんな圧力や束縛、支配から逃げようとして、歌い続けた尾崎豊が、もしも現代に、生きていたならば、何を嘆き、何を悲しんだのか。そんなことを、ただ想像し、あがき続け、もがき続けること、そのことの中に、尊さや幸せ、希望を見出していきたい。老いさらばえてこそ見えてきた、54歳の地図、この先の人生の彷徨い方についての問わず語り。きっと誰の役にも、何の為にもならない時間になると思いますが、お時間があればお付き合いください。(講師より) ■講師:山田修司氏 群馬県高崎市出身、1992年株式会社リクルートに入社。入社後の2年間は求人広告の営業を担当、94年から現職。読者ホットラインの担当として、20年にわたりクレーム対応に従事。現在は、社内外でCS・ESのコンサルティング、研修やセミナーを企画、立案、実施。年間での講演回数は100回超。CS・ESの実践者の養成をライフワークとする、リクルートで唯一のCS・ESアドバイザー。17年には、CS・ESに関する学びとアウトプットの場として、有志数名と、CSクレイジーバンド、を結成。毎週日曜日の午前に開催しているオープンカレッジ「朝会」は、年齢、業種を問わず、様々な方が集い、語らう場として、100回を超えて主催し続けている。21年より、リクルートの特例子会社(※)である株式会社リクルートオフィスサポートで、グループマネジャーを兼任。※特例子会社:障がい者雇用率の認定において親会社の一事業所と認定される子会社。第4期SCBC修了。 ■Zoomオンライン:URLは、Peatix経由によるチケット購入者に自動送信されます ■タイムスケジュール:基調講演(約90分 Q&A含)後に、講師を囲み、対話を行います。 ■オープン・ダイアログ参加対象: ※どなたもご参加頂けます ・SCIC正会員 ・SCBC修了生&SCBC受講生 ※SCIC未会員 ・一般参加(社会人) ※SCIC非会員 ・特別ご優待枠 ・学生(中学~大学院生) ■参加料: 一般参加者(社会人)※SCIC非会員\5,000 SCBC修了生&受講生 ※SCIC非会員\3,000 SCIC正会員 無料 特別ご優待枠 \3,000 学生(中学~大学院生)\1,000 ■SCICとは: SCIC(Shock Coherent Innovation Club)は、ショック・コヒーレント基礎講座(SCBC)修了生をベースとした会員制クラブです(ご入会頂くためには、SCBCを受講し修了証明が必要となります)。 https://scic2023.peatix.com/view ●目的:SCBC修了生同士の交流と創発の加速。私たち自身が動き、世界に奇跡を起こす ●概要:  ①月例会の開催  ②会員同士のコラボ醸成   ③SCC訪問視察ツアーの企画   ④会員の生業のサポート  ⑤その他創発事 ※いずれも参加できる時に参加  ⑥基礎講座の復習フォロー(基礎講座への復習参加は原則全回無料)  ⑦その他、新企画(随時、投入予定)↓  https://scbc2023r.peatix.com/view ●SCICに関する問合せ: [email protected] -------------------------------- ■『Shock Coherent(ショック・コヒーレント)』とは: 現代社会は今、破壊的な人間活動によって、エントロピー(無秩序・乱雑さの度合い)を加速度的に増大させています。故に、地球環境の悪化による気候変動や自然災害、絶え間ない疫病の発生、人心荒廃による貧富の格差拡大、資源収奪、世界各地で紛争や戦争が頻発化し、世界の指導者たちが核兵器の使用をほのめかす事態となり、もはや地球生命全体の未曾有の危機に陥っています。これを人々は、VUCAワールドと呼び、行先不透明な生き難い時代の合言葉となってしまっています。 このような時代において、「私は、これからどう生きれば良いのか?」と、多くの人々が、自問自答を繰り返し、五里霧中の状態に陥っています。このままでは、時代に翻弄され、本来あるべき使命を全うすることなく人生を終えてしまうことになるやも知れません。そうならないために、私たちに何が出来るのか。当講座は、そうした社会の強い要請により、30年に及ぶ研究の集大成により創発的に完成した稀有なプログラムです。 当講座では、様々な立場の仲間と共に、自分自身の「存在意義(パーパス)」を見つける5ヵ月間の不思議な旅に出て頂くこととなります。即ち、この「存在意義(パーパス)」が、自己変革への道標となるのです。そして、感性を刺激し、心を揺さぶる独自のアプローチフレームを活用し、固定観念の融解を起こし、事例や課題から自己変革へのヒントを得、仲間やファシリテイタとの多くの対話や繋がりから閃きをもらい、自身でも予期せぬ“創発”を起こしていきます。 このワークショップは、個人が真の意識変革を興すことを目的として、カングロ株式会社によって開発されたプログラムです。私たちは、この講座を多くの方々にお届けすることを使命とし、日々事業を営んでおります。そのことを通じて、真の道を啓く方が増え、社会そのものの変革を成し遂げられたら本望であります。ぜひ、講座で会いましょう。 (プログラム開発者:藤井啓人) ■ショック・コヒーレント基礎講座 第6期生絶賛募集中! ■第6期『ショック・コヒーレント基礎講座』 VUCA世界を突き破り、己の道を啓け~パーパス(存在意義)によるシン変革ワークショップ: 2023年2月14日~2023年6月20日全10回講座 チケット: https://scbc06.peatix.com/view ■第1~6期「ショック・コヒーレント基礎講座」全アーカイブ・オンデマンド映像集(有料コンテンツ) https://vimeo.com/ondemand/shockcoherent ----------------- ★特別提供映像: 【ダイジェスト版動画⑲】「心理的安全性を醸成するコミュニケーション~あなたのチームのパフォーマンスと定着率を高める方法」第19回SCICオープン・ダイアログ/池田かなえ氏 (2023年3月9日) https://youtu.be/Gsk5JF4ZCEc 【ダイジェスト版動画⑱】「眠る資産に価値をつける!地方の現状と世代交代後の未来」第18回SCICオープン・ダイアログ/博多敏希氏 (2023年2月10日) https://youtu.be/hU7SvTAhgFk 【ダイジェスト版動画⑰】「地球意識革命・未熟者の道の啓き方~人生のメタノイア(視座転換)についての基礎編」第17回SCICオープン・ダイアログ/講演者:藤井啓人氏 (2023年1月13日) https://youtu.be/CtaWJAboMKM 【ダイジェスト版動画⑯】「なぜビジネスにアート思考が必要なのか?世界の見方を変えるアート思考」第16回SCICオープンダイアログ/講演者:森夕花氏(2022年12月9日) https://youtu.be/vFnykrdzwt4 【ダイジェスト版動画⑮】「VUCAワールドに効く個人と組織の視点の再構築~自己や地者、そして世界への認識の見直し」第15回SCICオープン・ダイアログ/講演者:楠徳生氏 (2022年11月11日) https://youtu.be/-wIwXLX4ZUQ 【ダイジェスト版動画⑭】「破壊と創造~壊れると、新しく生まれる/コロナ禍で悪者だった飲食店はどう変化していくのか」第14回SCICオープンダイアログ/講演者:福本浩幸氏(2022年10月7日) https://youtu.be/ygxXywmvQ1w 【ダイジェスト版動画⑬】大企業病への挑戦 第2章~認知科学の実践における人間性と抽象度の壁/自分を変え、常識を変え、世界を変えていく/第13回SCICオープン・ダイアログ/講演者:内藤礼志氏 〔2022年9月9日) https://youtu.be/qBNlFTor9hw 【ダイジェスト版動画⑫】新しい『構造』がうつ病から復活させ組織も前進させる~うつ病経験者が語る、ストレスとつき合い未来をつくる方法/第12回SCICオープンダイアログ/講演者:堀北祐司氏(2022年8月5日) https://youtu.be/HudMdpphjEI 【ダイジェスト版動画⑪】The 事業承継~当社流、バトンの受け方、渡し方/第11回SCICオープン・ダイアログ/講演者:大島右京氏/2022年7月8日 https://youtu.be/dWnOtXQAmqw 【ダイジェスト版動画⑩】心理的安全性のリーダーシップを身に付ける方法~組織パフォーマンス最大化の処方箋/第10回SCICオープン・ダイアログ/講演者:倉持茂通氏(2022年6月8日)https://youtu.be/DuUvRzcqJD0 【ダイジェスト版動画⑨】100年企業研究から見えてきた、コロナ禍だからこそ変えなければならないこと、変えてはいけないこと/第9回SCICオープンダイアログ/講演者:小山貴子氏(2022年5月13日) https://youtu.be/0juftCrZ1mQ 【ダイジェスト版動画⑧】人事制度のミライを探求する~ノーレイティングを超え給与を自己申告する人事制度への挑戦/第8回SCICオープンダイアログ/講演者:福留幸輔氏(2022年4月15日) https://youtu.be/XEm-OdMYwMY 【ダイジェスト版動画⑦】「パーパスと共に生きる時代/パーパスとはいったい何なのか?宇宙の営みから壮大なタペストリーを読み解く」第7回SCICオープン・ダイアログ/講演者:森夕花氏(2022年3月11日) https://youtu.be/vNaK4qH94fA 【ダイジェスト版動画⑥】「部署なし管理無し評価無し、VUCA時代に挑む選択できる組織作りへの挑戦」第6回SCICオープン・ダイアログ/金光広樹氏(2022年2月18日) https://youtu.be/33DyPirlM7c 【ダイジェスト版動画⑤】「新規事業における企業の在り方」第5回SCICオープン・ダイアログ/長島壮洋氏(2022年1月13日) https://youtu.be/eM3sRZDo0Ng 【ダイジェスト版動画④】「ティール組織の作り方“レシピ”」第4回SCICオープン・ダイアログ/嶋田崇孝氏(2021年12月10日) https://youtu.be/JDp0srEGxGE 【ダイジェスト版動画③】「こころの病との上手な付き合い方~仕組みがわかれば予防ができる」第3回SCICオープン・ダイアログ/中田健士氏(2021年11月5日) https://youtu.be/_OW88883t7o 【ダイジェスト版動画②】「混ざると、新しい事業価値が生まれる。」第2回SCICオープン・ダイアログ/星野良太氏(2021年10月8日) https://youtu.be/fZJWaFmhAD4 【ダイジェスト版動画①】「大企業病への挑戦~認知科学の理論と実践」第1回SCICオープン・ダイアログ/内藤礼志氏(2021年9月3日) https://youtu.be/aV8ux6Ha-9M ■「Shock Coherent Innovation Club(SCIC)オープン・ダイアログ」アーカイブ・全オンデマンド映像集(有料コンテンツ) https://vimeo.com/ondemand/scic ■主催:カングロ株式会社 https://www.kanglo.co.jp 協力:サステナ塾/SDGs超実践者委員会/イノベーションサロンZ/システムD研究会/フィロアーツ研究会
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ジョルジョ・アガンベンに何が起こったのか?
2020年2月、ある大きな影響力を持つ哲学者が、COVIDのロックダウンはナチスドイツによく似ていると判断していた。それ以来、アカデミズムの内外に猛威を振るっている。
By Adam Kotsko
2022年2月20日
この問題の発端は、意外と多いが、あるブログの記事によるものだった。ジョルジョ・アガンベンはイタリアの哲学界の巨人であり、この分野のジョナサン・フランゼンのような存在であり、好き嫌いにかかわらず、高貴でありながら特異な人物であるため、反応しなければならないと思われている。そのアガンベンには以前からブログで時事問題や雑感を短い文章で発信していた。あるときはグレタ・トゥーンベリについてコメントし、またあるときは社会の衰退について詩的な瞑想を書いている。しかし、2020年2月、コロナウイルスの蔓延を食い止めるための緊急対策に関する議論に初めて介入するまでは、ほとんど注目されることはなかった。
「疫病の発明」と題されたこの投稿は、ウイルスに対する反応を「熱狂的、不合理、まったく根拠がない」と呼ぶことから始まり、それだけにとどまらなかった。この煽動的な主張は、基本的に国家当局がCOVID-19の脅威について意図的に国民を欺いていると非難するもので、アガンベンは、他の多くの人々と同様に、インフルエンザと同じように危険ではないと断じたのである。「まるで、テロが例外的措置の原因として尽きたので、伝染病の発明が、あらゆる制限を越えて規模を拡大するための理想的な口実を提供したかのようである」と英訳される。つまり、権力者は自分たちの崩壊しつつある正当性を補強し、新しい社会統制の形を試そうとしたのだ、と彼は主張している。この権力の掌握よりも、さらに不穏なのは、抵抗がほとんどないことだという。この後、イタリアの反応について、「イタリア人は、通常の生活条件、社会的関係、仕事、さらには友情、愛情、宗教的・政治的信念など、ほとんどすべてを病気の危険にさらす傾向があることは明らかだ」と主張した。別の投稿では、「特定できないリスクのためだけに」生活のあらゆる側面に大規模な崩壊を受け入れようとする人々の姿勢を批判し、この言葉をマントラのように繰り返している。
この論文はセンセーションを巻き起こした。ブログへの投稿、インタビュー、イタリア上院での演説が相次いだ。月日が流れ、パンデミックがますます深刻化する中でも、アガンベンはパンデミック緊急対策への批判を繰り返し行った。最終的に2021年春、彼はいくつかの放言をまとめて短編集を出版し、永久に祀り上げることにした。
これは、一部の孤立した強迫観念者の仕業ではない。アガンベンは、その幅の広さと博識さによって、過去20年以上にわたって人文科学と理論的情報に基づく社会科学の中の基本的にすべての分野で大きな影響を及ぼしてきた巨大な知的人物である。アガンベンは法学博士であるが、そのキャリアの初期には、主に哲学と文学の分野でその名を知られた。ロンドン大学の権威あるウォーバーグ研究所でのフェローシップ、そしてさらに重要なことは、ヨーロッパ大陸で最も影響力のある20世紀の哲学者であるマルティン・ハイデガーの独占セミナーに参加したことが、その一因であったことである。この数十年間、アガンベンの著作は人文科学や社会科学のさまざまな分野で必読書となってきたが、彼が真の学問的有名人になったのは、90年代後半に政治に取り組み始めてからである。Google Scholarでは、彼の最も有名な著作である『ホモ・サケル―主権権力と剥き出しの生』(1998)が、複数の分野の一流の学者からの関与を含め、約24,000件引用されていることを示している。ほとんどの学者は、100件程度の引用しかされないし、ましてや複数の分野のトップクラスの学者のページを飾ることはできない。
そして今、このように大きな影響を与えた同じ考え方が、陰謀論を推し進め、反ワクシング派の迫害を批判するために利用されているのだ。プラトンやアリストテレスの微妙なニュアンスをギリシャ語の原文で伝えることで知られる著者が、右翼の変人のように聞こえるようになり、実際の右翼の変人がニューヨークタイムズ紙で彼の著作を賞賛し、自国の超極右政治家が彼の知的権威を持ち出して彼らの主張を行い、反ワクシング派のネットユーザーが彼をイタリアの大統領にしようとするミームを作ったほどである。
人文科学分野の教授として、尊敬する先輩のキャリアがそのような方向に向かうのを見るのは心配なことだ。しかし、私個人の利害はもっと大きい。私はアガンベンの研究者であり、翻訳者であり、アガンベンは私の研究に深い影響を与えた。私たちは個人的に親しいわけではないが、連絡を取り合っている。彼がCOVID懐疑論に転向したことを初めて知ったのは、彼のブログ記事の翻訳を依頼されたときだった。私は、彼の主張のベスト版を紹介しつつ、彼に自分の立場を考え直してもらおうと思い、承諾した(結局、失敗したが)。結局、私はこの恥ずべき事態に自分を巻き込んだことを後悔し、彼の偏執的なパンデミックに関する文章が、彼の他の作品に疑問を投げかけているのではないかと考えるようになった。そのような考えに陥れば陥るほど、私の見通しはますます暗くなった。
コロナウイルス規制に関するアガンベンの新しい議論は、彼を最も有名にした本に明確に根拠をおいている。アガンベンは『ホモ・サケル』の中で、西洋社会における政治権力は、ある人々を法の保護範囲に入れ、他の人々を排除するという決定に基づいており、彼らの人間的特権を剥奪し、彼が "裸の生命 "と指定する状態にまで彼らを落とし込むと論じているのだ。これは、彼が考えるような、インサイダーとアウトサイダーという単純な区分けではない。この図式では、剥き出しの生命に還元された人々は、社会から追放されるのではなく、法の形式的保護から排除されながらも、社会秩序の基礎となる人間以下の階級として、社会に含まれることになる。
アガンベンは、剥き出しの生命を生み出す主な例として、ユダヤ人やその他の犠牲者から市民権を剥奪し、強制収容所の無限の暴力にさらすナチスの「ショア」を挙げている。市民権の喪失というある意味で社会から排除されたこれらの集団は、別の意味でナチスの主要な焦点となり、社会全体が最終的解決策を遂行するために組織されたのである。
アガンベンは、ナチス・ドイツが例外的な逸脱であるどころか、現代政治のパラダイムであったと考えている。我々の法的機関の「正常」な運用は、常に、突然、何の前触れもなく、新たな強制収容所に変貌する脅威を伴っている。この爆発的な主張に対する彼の議論の一部は、ナチスの下で起こったすべてのことは、不穏なことに、ある意味では完全に合法的であったということである。ナチスはヒトラーの非常事態宣言によって自分たちの行動を正当化し、市民権や通常の法的手続きを停止させることができた。
2005年に出版されたアガンベンの著作『例外状態』(タイトルはドイツ語の「緊急事態」をより直訳したもの)では、西欧の主要国はすべて、通常の憲法上の手続きによる統治をますます放棄し、経済不況など一見ありふれた問題への対応でさえ、緊急権に頼るようになったと論じている。アガンベンの崇拝者であるヴァルター・ベンヤミン(ドイツのユダヤ系知識人で、ヒトラーの台頭を目撃し、強制収容所送りを免れるために自殺した)の言葉を借りれば、「例外状態が標準となった」のである。
米国で出版された当時は、ブッシュ政権の対テロ戦争の最暗黒時代であり、『例外状態』の診断は大げさではなく、予言的であるように思われた。アガンベンが本文中で何度も指摘しているように、ジョージ・W・ブッシュは、愛国者法のような法律と、大統領職の本質的な権限に関する主張の両方に根拠を持つ、拡張的な緊急権力を本当に主張していたのである。そして、その権力を使って、まったく新しい種類の人間、いわゆる敵性戦闘員を生み出した。敵性戦闘員は、投獄され、拷問され、司法の監視をほとんど受けないままドローンによって処刑された。場合によっては、米国市民さえも行政官の独断で暗殺された。『ホモ・サケル』が出版された90年代には、欧米列強が強制収容所を生み出すように仕組まれているというアガンベンの主張は、極端か不条理として退けられたかもしれない。しかし、アブグレイブとグアンタナモ湾を前にして、それは驚くほど説得力のあるものになった。
主権的な緊急権と使い捨ての「剥き出しの生」の生産との関係についてのこの議論は、アガンベンを国際的な学術的名声へと一挙に押し上げた。彼は、対テロ戦争についての学術的分析において、避けられない参照点となった。とりわけ、ジュディス・バトラーの著書『生のあやうさ』において、この考えを、刑務所、国境、難民キャンプといった国家暴力の他の現場にも適用している。彼の論文を批判する者でさえ、その前提の多くを受け入れていることが多い。黒人研究者のアレクサンダー・ウェヘリエは、2014年に『Habeas Viscus』で、アガンベンの焦点はあまりにもヨーロッパ中心的であり、実際には強制収容所よりも奴隷農園の方が適切なパラダイムだと主張したが、彼は超暴力による非人間化が西洋の権力構造の基礎になっているという考えには疑問を持っていない。
今、この権威ある著作は、アガンベン自身の手によって、歪んだ新しい形をとっている。この2年間、アンチヴァクサーやアンチロックダウンの抗議者たちは、自分たちの状況を20世紀半ばのヨーロッパのユダヤ人の状���と比較することによって、ホロコーストの記憶を繰り返し悪用してきた。アガンベンのパンデミックに関する最近の著作は、この議論の最も深く明瞭で学術的に進んだバージョンであり、その影響力はアガンベンの仲間たちを不穏な空気に包んでいる。
アガンベンの学術的なファンは、彼のパンデミックに関する著作を、彼を有名にした仕事から切り離したいと思っているかもしれない。しかし、アガンベン自身が、現在の状況を、彼のテーゼの根本的な確認と見なしていることは、今や明らかである。以前の国家が特定の集団を対象としていたのに対し、パンデミック対策は全人口を対象とし、(監禁のピーク時には)政治的、経済的、宗教的、さらには自分の死体を埋める権利など、あらゆる権利を奪うことで人々を「裸の生命」にまで落とし、その名の通り、生物学的生存権を奪うと彼は論じている。そして、アガンベンの視点から見て、さらに悪いのは、誰もがそれに従うことに熱心で、医療化された独裁に服従し、SS司令官アドルフ・アイヒマンのように、それに協力することが自分の道徳的義務だとさえ主張しているように見えることである。
アガンベンが、パンデミックへの協力者をアイヒマンになぞらえたエッセイの翻訳を私に依頼したとき、私は彼に、この扇情的な比較を英訳から除外するように説得した(原文のイタリア語はそのまま残っているが)。ナチスとの比較の修辞的な過剰さはさておき、私は、彼が過去20年間、西洋政治についての分析を深め、複雑にしてきたのに、パンデミック批判が『ホモ・サケル』からの彼の洞察をいかに鈍らせているかに心を痛めていたのである。
この時期の作品(その多くは私がスタンフォード大学出版局とシーガルブックスで翻訳したもの)は、インパクトは弱かったものの、私の目には、より繊細で興味深いものに映った。『ホモ・サケル』が最も極端な状況にのみ焦点を当てているのに対し、『王国と栄光』や『オプス・デイ』のような本は、経済に参加する我々の日常的な活動が、破壊的な西洋の権力構造をいかに支えているかに焦点を当てている。当初、私は彼の新しい著作の中にそのニュアンスを見出そうとした。私は、アガンベンに電子メールを送り、例えば、彼のパンデミックに関する著作に資本主義の分析が欠けている理由を尋ねた。しかし、私が翻訳を依頼された次のエッセイでは、経済学について論じていた。ただ、資本主義でさえ、今や医学という「宗教」に完全に服従してしまったと主張していた。その時点で、私は彼の考えを変えようとするのを止め、彼も私にエッセイの翻訳を依頼するのを止めたた。(この記事のために、私はアガンベンにコメントを求めた。当初、彼は私に話すと言ったが、結局、彼は返事をしなくなった)。
アガンベンの最新の著作について、私の学究的な同僚たちに尋ねるために手紙を書いたところ、政治家や公衆衛生当局の動機を信頼することを誰も彼に期待すべきではなかった、という点で全員が一致した。ウィーン大学の研究者カルロ・サルザーニは、イタリア語で初めてアガンベンの研究を発表し(そして私が彼の作品に関する複数の著者によるエッセイ集を組織するのを手伝ってくれた)、アガンベンは常に「政府や権力者が人々の生活に対する支配力を強めるために危機を武器化する方法」に関心を持っていると私に言った。しかし彼は、アガンベンがその「道徳的な怒り」によって「彼の政治哲学的分析を十字軍に変えてしまった」ことを嘆いている。哲学者のパンデミックに関する著作は、アガンベンの以前の仕事から自然に生まれたものなのか、と問われたサルザーニは、「おそらく、彼がパンデミックを見る方法は、彼の以前の分析の自然な帰結であるが、私は彼��そこから脱出できない(そしてしたくない)硬直した限定的パターンにはまったと考えている」と答えている。シカゴ大学の教授で、文芸批評や政治理論の複数の著作でアガンベンの概念を繰り返し引用してきたエリック・サントナーも、この知的柔軟性の欠如に対して同様の嘆きを呈している。「アガンベンのパンデミックに関する発言は、彼自身の仕事を一種のイデオロギーに変えてしまうものであり、彼を批評家たちのあまりにも容易な標的にしてしまうものだと私は考えています。何よりも、このことが私を悲しませるのです」と述べている。
私にとって最も不可解だったのは、生命を絶滅させることを目的としたナチス政権と、生命を救うことを目的としたパンデミック対策の明らかな違いを、アガンベンが見抜けなかったことである。しかし、公衆衛生政策の政治性は長い間危ういものであり、この専門職の実績を心から称賛することは難しい、と同僚の何人かは指摘している。アガンベンの政治学に関する本の共著者であるペンシルベニア州立大学のクレア・コールブルック教授は、アガンベンの科学と医学に対する懐疑論が、アメリカでは自動的に右翼的な立場と一致してしまうことを残念に思っているそうだ。「政府が追求することにした特定の科学の形態を疑うことは可能なはずだ」と彼女は私に語り、「特にアガンベンが指摘しているように医療制度の維持が疎かにされた場合」だと言いました。エモリー大学の大学院生で、アガンベンと黒人研究の議論を結びつけているアンドリュー・カプランも、アガンベンの過激な問いかけを評価しており、「あらゆる介入や規制に対する保守・リバタリアンの抗議が公論を独占し」、「この非常事態が見過ごされていることの意味を、他の誰もが問題提起しにくくしている」と言っています。
アガンベンの医学的権威に対する懐疑は、彼の思想の連続性の主要なポイントである。パンデミックに対する彼の姿勢に困惑し、『ホモ・サケル』を読み返したとき、『例外状態』を支配する政治的な例とは異なり、「剥き出しの生」の生成に関する彼の例のほとんどが、医学的なものであることに気づいたのである。強制収容所の犠牲者と並んで、アガンベンは、医学的実験の対象となる囚人や、無期限の生命維持装置につながれている脳死状態の患者の姿を登場させる。明らかに彼は、医学と国家権力との間のいかなる同盟にも、長い間深く懐疑的であった。「アガンベンにとって、健康が公衆衛生になった時点で、"我々は例外状態が標準になったという罠に、どこからどう見ても引っかかっているのだ "と、サントナーは言っているようである。
公衆衛生当局に対するアガンベンの不信感は、パンデミックの深刻さについての公式説明を否定することにつながり、間違いなく偽情報を広めることになったのだ。前述のように、イタリアがCOVID感染の劇的な第一波に苦しんでいたときに書かれた、パンデミックに関する彼の最初のエッセイで、アガンベンは、新型コロナウイルスは本質的に通常のインフルエンザと変わらないと主張した。同月、ルモンド紙のインタビュアーからこの点を追及されたとき、彼はこう答えた。「私は流行病について科学者間の議論に加わるつもりはない。私の関心は、そこから生じる極めて深刻な倫理的、政治的帰結にあるのです」。それでも彼は、パンデミックの深刻さが誇張されているという考えに何度も立ち返り、2020年4月には、「流行に関するデータは一般的な方法で、科学性の基準もなく提供されている」と主張した。その後、2021年7月には、集団予防接種がレミングのように我々を大量絶滅に導くのではないかと声を大にして疑問を呈し、結局、ガンや他の病気を引き起こす可能性があると根拠のない主張をしている。
ここには明らかに健全な懐疑心以上のものが働いている。アガンベンは、医学界の権威を全く信用していないようだ。フランスの哲学者ジャン・リュック・ナンシーは、2020年2月、友人であるアガンベンの初期のパンデミックに関する著作への回答で、驚くべき事実を明らかにした。「ほぼ30年前、医師は私に心臓移植が必要だと判断した。ジョルジョは、医者たちの言うことを聞かないようにと私に忠告した数少ない一人だった。もし彼の助言に従っていたら、おそらく私はすぐに死んでいただろう」。
アガンベンがこのような悲惨な助言をするということは、人間的に見ればきっと驚くべきことなのだろう。しかし、彼の長年の読者にとっては、彼が具体的な助言をすることは、ほとんど衝撃的である。彼の作品は歴史的に批評が長く、政治的な処方箋は短い。アガンベンは、何をなすべきかについての立場を表明するときはいつでも、意図的に不明確にすることで有名である。『ホモ・サケル』や『例外状態』の読者は、緊急事態権限の乱用に対する解決策は「正常な」政治構造に戻ることだと考えているだろうが、これらの本でアガンベンは、その「正常な」構造は常にアウシュビッツに不可避的につながると論じているのである。彼はかつて、より根本的な解決策が必要だと書いた。法と権力の構造全体を解体することだ。その可能性は、具体的で実行可能な計画ではなく、文学や神学のイメージを使って喚起するのが普通だ。
しかし、サルザーニが私に指摘したように、今やアガンベンは、「緊急措置は、『ブルジョワ民主主義』を破壊し、個人の自由を縮小するための一種の意図的・計画的な計画として」抵抗するよう呼びかけているのである。2021年10月のイタリア上院での演説で、アガンベンは、立法府が行政の行動にゴム印を押すような存在に成り下がっていると訴えた。このような適切な立法手続きへの懸念は、控えめに言っても、法律や言語、そして自分自身の身体との関係を根本的に見直すよう繰り返し呼びかけてきた著者からは予想外のことである。今でこそ上院が行政に対して自己主張することを求めているが、『例外状態』では、「子供が使われなくなった物を使って遊ぶように、人類が法を使って遊ぶのは、それを正規の用途に戻すためではなく、永久に法から解放するためだ」という未来を予想し、法の破壊的構造に対して対応すべきことを示唆していたのが印象的であった。このような遊び心に満ちた法の新しい使い方が実際にどのようなものになるかは不明だが、それこそが彼の主張の一部である。私たちは文化の権力構造によって深く形成されているので、急進的な代替案は曖昧で逆説的に聞こえるに違いないが、もし脱出したいのであれば、努力しなければならない。対照的に、彼のパンデミックに関する著作では、アガンベンは出口を見つけることをあきらめているかのようである。
アガンベンの知的生活のこの章を考えてみると、彼の恥ずかしいパンデミックの叫びの中に真実があるとすれば、それは私たちが彼から聞く必要のなかったもの、そして間違いなく彼の考察が取った形でもなかったもの、つまり、人生には単なる生存以上のものがある、ということだとわかった。この洞察は、シモーヌ・ド・ボーヴォワールが『あいまいさの倫理学』の中で述べている、「家も職業も過去の人生も捨てなければならないと嘆く若い病人に、誰かが『治しなさい』と言った。あとはどうでもいい』。でも、何も重要なことがないのなら、治ることに何の意味があるのでしょう」と彼女は答えた。
問題は、アガンベンが、私たちにとって最も重要なものは何かという問いに対する集合的な答えを打ち立てるための哲学的な道具を提供していないことだ。アガンベンは、特異な反マルクス主義のアナーキストではあるが、常に左翼の人間であった。しかし、彼のパンデミックの著作における右翼との明らかな重なりは、決して偶然ではない。国家によるいかなる行動も、国家医療当局によるものも含めて、常に本質的に抑圧的であるとすれば、私たちは自らの個性に立ち戻るしかない。それはまさに、右翼が既存の権力構造に挑戦する努力を事前に断ち切るために何十年も使ってきたリバータリアン的立場である。
アガンベンの場合、国家権力に対する過度の不信が、パンデミックに対する個人主義的アプローチが、パンデミックを悪化させながら企業権力を強化したことに目をつぶってしまっているのだ。いわゆる必須労働者は、他の多くの人々とともに、国家の直接的な介入によってではなく、彼らを自由にすると主張する政策によって、使い捨ての剥き出しの生に還元されたのである。アガンベンのパンデミックに関する著作から得られるかもしれない孤立した洞察が何であれ、西洋の権力構造が我々の自由そのものを犠牲にしていることに気づかない政治思想家は、大きな、実際にはほとんどすべてのことを見逃している。しかし、ここでも、アガンベンが自身の洞察に応えていないことを論証することができる。自由が罠になりうるという考え方は、私自身の仕事の中心的な考え方の一つだ。皮肉にも、この考え方は、アガンベンの『ホモ・サケル』以降の著作を批判的に読むことによって、その大部分が導き出されたものなのだ。
アガンベンはこの記事のために私と話すことを拒否したが、私たちは時折電子メールを交換し続けている。この数ヶ月、彼のブログに新しい記事はなく、パンデミックに関連する最近の記事は、イタリア上院と学生グループへの招待講演の記録である。最��、ヨーロッパの多くの国が、オミクロンの急増を抑制するための新たな規制をめぐって抗議行動に沸いているときでさえ、アガンベンは静かだった。おそらく、ついに、彼は、悲惨であまりにも深刻なパンデミックへの介入を脇に置き、彼が何度も何度もわれわれに伝えてきた、われわれの唯一の希望である子供のような想像力に再びつながりつつあるのだろう。この2年間が彼の遺産を、そして彼の人生を変えた作品をどう捻じ曲げるのか、その疑問は尽きない。
出典:Giorgio Agamben’s COVID denial: What happened to the world-famous philosopher?
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tak4hir0 · 4 years
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前にダイエットでジムに通っていた友達が 「ジムで自分が頑張って走り込んでる時、隣にダラダラとサボってる人がいると、ものすっごいイラッとするんだよね」 と言っていたのを聞いて笑ってしまった事があった。   この話を妻にしたところ 「わかるわー。私も家で家事してる時、あんたがスマホいじってるとイラッとするもん」 と返されて僕は真顔になってしまった。   このように人は自分と他人を比較して幸・不幸を感じる傾向があり、その影響は無視できないほどに大きい。   隣人の年収が増えると、人は不幸になる 理想をいえば、自分は自分、他人は他人である。 けど、現実は他人の不幸は蜜の味である。 不幸を願うまでもいかなくても、私達は他人を本当に強く意識して生きている。   例えば「幸福の計算式」という本の中で 同僚の収入が”増える”と、自分の収入が”同じ額無くなる”ように感じて辛くなるという、衝撃的な研究結果が紹介されている。   自分の年収は一円も減ってないにもかかわらず、隣人が年収アップすると”損”をしたような認知が入り込む。 人間という生き物はまことに難儀である。   前澤さんのお金配りが教えてくれたこと 実はこれと実によく似た現象が、しかも連日Twitterで起きている。前澤さんの毎日10万円プレゼント企画である。 もともと、前澤さんは正月にお年玉と称して年に一回100人に100万円を配っていたが、このコロナ禍でなんと毎日のお金配りである。   「いやあ、天上人は違いますなぁ」 と思ってながめていたのだが、最近になって彼をみてるとイライラしている自分がいる事に気がついて驚いてしまった。   最初は彼の何にイライラするのかよくわからなかったのだが 「誰かが10万円当たったって事を、自分の脳は毎日10万円損してるように感じている」 というロジックに気がつき、とても腹落ちした。   行動経済学的に考えれば、あれは「お金配り」ではなく「損した気持ち配り」だったのだ。   毎日、自分が「当たらない側」だという現実を目にする羽目になる 年一回程度のお年玉RT企画なら 「お、当たった人運が良かったね。おめでとう」 と気軽に流せていた僕だけど、毎日落選するとなると少しはイラッとするらしい。   僕も最初は彼が自称するように元気を配るオジサンに見えていた。   だが、最近は当たらなかった10人以外に 「お前らは運から見放された側の人間だ」 という不幸の告知を振りまき続けている悪魔にみえてきて、一周回って “こ れ は 凄 い ” と思うようになってしまった有様である。   僕のように前澤さんに心を折られはじめている人間は、かなり増えてきたんじゃないだろうか? 当人は多分、あの行為を通じて”夢と希望”を振りまいているつもりだと思うのだけど、残念ながら彼が本当に配っているのは当たらない990万人への”現実と絶望”である。   コロナ禍が終わってお金配りが終わった時、その当たらなかった990万人はツキに見放された側の人間だという事が本当に決定づけられる。   僕はその時、大衆が彼にどういう態度をとるのかが今から楽しみで仕方がない。 良かれと思ってやったことで想定外のヘイトを集めているのだから、まったく人生は本当に難しい。   現実を前に夢や希望は圧倒的に無力である 一応フォローしておくと、前澤さんが10万円を配ろうと思った動機は100%善意だったと思う。 夢や希望はよいものだ。 現実は退屈で時に苦痛だったりするが、夢や希望はそれらを明るく照らしてくれる。 そんなもんだから、多くの人は夢と希望を抱えて生きている。   生きてれば、きっといい事がある。 たぶん、多くの人はこういう認知が心のどこか奥底にある。 「そんな事は思ってないよ」 という人もいるかもしれないが、自分が10年後にガチのどん底にいると強く認知している人はそう多くはないだろう。   そんな人にこそ読んで欲しい本がある。 吉川ばんびさんの”年収100万円で生きる-格差都市・東京の肉声”である。   この本は本当に凄い。 まさに夢と希望の真逆のようなエピソードの羅列であり、夢や希望なんてものは現実には完全に無力だという事が嫌というほどよくわかる。   起死回生の策も打てない人生が、この世にはあった ・窓のない密室で、息を潜めて暮らす「トランクルーム難民」 ・母の遺骨を抱えながら 「軽自動車に住む男」 ・「空き家“不法侵入”生活」   本書に登場する人達の生活は本当に強烈だ。 どれもこれもなんていうか…本当に救いがない。   この本を読んでいて一番僕が興味深く思ったのは、この本に出てくる登場人物の多くは普通に真っ当に日々を頑張って暮らしていたのに、いつの間にか人生が最悪のどん底に落ちていたという事だ。   僕は本を読みながら 「自分がこの人だったら、どうやって起死回生の策を練っただろうか?」 「どこが最終やり直し地点だっただろうか?」 を色々考えてみたのだが、ほとんどのケースはどう考えても破綻以外行き着く先がなく、本当にどうしようもなかった。 最初から将棋でいうところの”詰み”みたいな人生で、何が良かった何が悪かったと検討を加える余地すら無い。   貧困は自己責任論で語られる事も多い。 「年収100万円?なまけてたからでしょ?」 僕を含めてそう思う人は多いと思うのだが、この本ではそういうケースは本当に少ない。   みんながみんな、日々を精一杯生きていたのに、気がついたら取り返しがつかない奈落の底に人生が転落していて、おまけに這い上がろうにも這い上がるルートが消えていた。 奈落の底に転落したら、頑張る事すら最貧困層には許されない。 本当にこんなケースばかりなのである。   僕はこの本を読んでいて本当に背筋が凍る思いをした。 「たまたま自分は人生そこそこルートに乗れたけど、こんな感じで奈落にいても全然不思議じゃなかったんだな…」 「いや、ひょっとしたらこんな感じで僕も今後は人生が奈落の底に突き進むのかもしれない…」 どのエピソードも、本当にそう感じさせられるリアルなものばかりである。   読んだらどんな真夏の怪談よりも”ゾッ”とする事だけは保証しよう。 夢なんてみる前に、現状に必死でしがみついていこうと背筋がシャンと伸びること請け合いである。   現実を踏みしめることの大切さ 生きるにあたって、夢と希望は大切だ。 小説ですら、胸くそ悪い展開を読まされるとかなり不快になる。   だから現実がお先真っ暗で、明るい希望のようなものが全く見いだせなかったら不快感はそれ以上だ。 夢とか希望に視線を定めたくなる人の気持は痛いほどよくわかる。   けど…最近、僕は夢とか希望のようなものをみると苦しくなるようになってしまった。 特に他人が語ってるのに群がるのはヤバい。破滅の香りすら感じる。   どういう事か。たとえ話を交えて語ってみよう。   以前、キャンプファイヤーをやったとき、焚き火に虫がワラワラ集まってきて驚いた事がある。 何に驚いたかというと、それらの虫の結構な数が焚き火にパチパチと焼かれて死ぬのである。   虫が何を思って焚き火に集まっていたのかは正直わからない。 だけど、人間側の視点からみれば”馬鹿”の一言であろう。 そんなものに群がらず、森の中で普通に静かに暮らしていた方が100倍マシだったはずだ。   けど、夢とか希望に群がってしまう人間も、ひょっとしたら同じようなものなんじゃないだろうか?   キャンプファイヤーにワラワラ集まって焼け死ぬ虫に対して 「森で暮らしてればよかったのに」 と思う事と、前澤さんのタイムラインに必死で書き込んで自己主張をする人に対して 「もうちょっと真面目に現実を生きたほうがいいんじゃないか?」 と感じる事。 僕はこの2つに言いようのない類似性を感じてしまうのである。   もちろん、たまにはカンフル剤のように夢や希望を摂取してもいいだろう。 白馬の王子様が迎えにきてくれる可能性に思いを馳せて、シャンパーニュをクイッとやったり テスラ株を購入して10年後に100倍になっている可能性を夢見て、ビールをぐびっとやったり 前澤さんの10万円配りをみて、ワクワクしたり 会社をやめて、ネットでメシを食っていく可能性に思いを馳せたり   こういう時間は大切だ。 それを否定しようとは全く思わない。 けれどそれ以上に現実をしっかりと踏みしめる事が、僕には大切に思えてしまうのである。   世の中には普通に頑張って日々を生きていたはずなのに、気がついたらホームレスになっていた人もいる。 だから思うのだ。現実を踏みしめても踏みしめすぎる事はない。 いやむしろ、今よりもちゃんと現実を強く踏みしめないといけないんだな、と。   とりあえず、僕は前澤さんのフォローをそっと外す事にした。 パチパチと焼け死なない為にも、それがとても大切な事のように僕には思えた。     【お知らせ】 対応せざるを得なくなった顧客接点の「オンライン化」。 オンラインでの顧客接点を増やすためのコーポレートサイト活用方法。広報部だけでなく経営幹部、経営/営業企画部の方こそ聞いて欲しいコーポレートサイト運営に関わる全ての人に役に立つBooks&Apps主催オンラインセミナーです。 <セミナータイトル> いよいよ、全ての企業がデジタルトランスフォーメーションに 取り組まなければいけない時代がきた <内容> 1.「法人」がPRするとは? 2.顧客接点の「オンライン化」やれることたくさんある   2-1.コーポレートサイトのメディア化   2-2.web上でPRする   2-3.SNSとメルマガの有効活用 3.サイト運営のタスクとコスト 4.Q&Aタイム 日時: 2020年9月16日(水)15:00〜17:00 2020年9月28日(月)10:00〜12:00 参加費:無料  定員:各300名  Zoomビデオ会議(ログイン不要)を介してストリーミング配信となります。 お申込み・詳細は こちらBooks&Apps主催セミナーお申込みページをご覧ください (2020/8/28更新)       【プロフィール】 高須賀 都内で勤務医としてまったり生活中。 趣味はおいしいレストラン開拓とワインと読書です。 twitter:takasuka_toki ブログ→ 珈琲をゴクゴク呑むように noteで食事に関するコラム執筆と人生相談もやってます Photo by Tirza van Dijk on Unsplash
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honryu-report · 4 years
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《あなたの知らない奔流中国の旅》
前書き:                                      
前から奔流の参加者の思いが募る文集を作りたいと思っていた。張さんは旅に生きていた。自分の思想を人に押し付けることなく、いつも自分らしく自由闊達に生きていた。その生き様は、一つの芸術作品のようでもある。私たちも張さんから受け継いだ精神というべきかその思想を何らかの形で残したいのだが、文字にしてしまうとそれはとても小さく見える。私たちの旅は書き尽くすことができない。しかし、今は奔流にとって大変な時。自分たちの青春の中でもっとも素晴らしい思い出を、生涯の誇りを守るために、ここで一丸となり、形のない、奔流という旅を語り合いたい。奔流は人の流れ、私たちの中への流れでもあるのだ。
そうして気づいたことは、自分を深く見つめ、深く知り、世界を深く見つめ、深く知り、世界と自分を深く思索することで、奔流の旅は私たちの未来にもつながる。 この旅の意義を社会に証明し、あなたの今まで見ることのできなかった世界とも出会ってほしい。
そんな世界を提示してくれた張宇氏に感謝!
奔流中国 参加者 2020年1月
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旅は芸術
私は旅をしたくありません。世界各国をめぐられた私の仲間たちには申し訳ないのですが、旅を積み重ねたところで善い人生を    送れることなどなく、また優れた人格を形成できるわけでもありません。むしろ若く貴重な時間を無駄にし、虚しく偽りの自信に捉われる危険性を持つ旅を、私たちは忌避すべきです。このことはアウグスティヌスが鋭く言い表しました。
「人びとは外に出て、山の高い頂、海の巨大な波浪、河川の広大な流れ、広漠たる海原、星辰の進行などに賛嘆し、自己自信のことはなおざりにしている」
(『ルネンサンス書簡集』近藤恒一編訳より抜粋)
 まさしくこの言葉の通りで、我々人間は自然の現象ではなく自らの精神の鍛錬、つまり日々の生活こそを大切にし、より善く過ごせるように努めるべきです。成し遂げたい目標があったり、大きな夢がある場合は、なおさら時間と金銭の浪費となる旅は避けるべきではないでしょうか。だから私は、旅をしている時間があるのなら、日々の日課に打ち込み、与えられた仕事を精一杯こなした方が遥かに自分のためになると考えています。それをせずに旅ばかりにうつつを抜かしているとすれば、それは現実逃避以外のなにものでもありません。
 ところで、今このように述べ上げたことは、これから私が話す内容とは無関係です。この話はここで忘れて頂きたい。私がどうしても話したいことはもっと別の問題なのです。
 ヴィルヘルム・フルトヴェングラーという人物をご存知でしょうか。彼は二十世紀を代表する伝説的指揮者で、クラシック音楽界に与えた影響は計り知れず、死してなおその威光は輝き続けています。彼の演奏は心の奥底に響き、魂を揺さぶり、ひと度その演奏を体験すれば、人は音楽そのものの意味を再考せざるを得ないと言います。彼の著書である『音と言葉』には、その偉大なる人物の心に汪溢する音楽への愛念が滲み出ています。自著の冒頭にて、彼は「すべて偉大なものは単純である」という箴言を用います。この言葉こそ私がこれから拠って立つ原点であります。
 なぜ偉大なものは単純でなければならないのか。この言葉は芸術家のためのものです。単純とは「全てを見通して正しくその全体をつかむ」という意味で、ここでの全体とは「この世界を全様態において反映する、世界の分離した一部分」です。つまり、この世界の一部分の全てを正しく見通している作品が、偉大だということです。このように世界を作品の中に単純化することは容易ではありません。不断の努力から得られる強靭な力と、意識の変化を鋭く読み取る直観がなければそれを成し遂げることはできません。芸術家にとっては、作品は単純であるからこそ偉大たりえます。
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 ところで、私は2011年9月、奔流中国グレートキャラバンの旅に出ていました。バインブルグ草原やゴビ砂漠を、時には馬で駆け、時にはギターを弾き歌を歌いました。そこでの生活は至極単純で、本当の意味での旅がそこにありました。朝起きて、日中は馬に乗り、夜は食事を火を囲みながらとり、歌や踊りを楽しみながら目的地を目指す。その生活の中にいったいどれだけの苦痛と喜びが混在していたことか!
この旅行の引率者でありNPO法人の代表である張宇氏は、「旅とはアートである」と言います。旅が芸術だと一般的には受け入れ難いでしょうが、まさに旅とは芸術そのもので、世界のさまざまな要素を時間と空間に閉じ込めて、人びとに体験させるものです。私たちが体験した場合では、圧倒的な自然やそこで暮らす人びと、馬や遊牧民たち、歌や踊りとそれらの全てを通じて私たちの心の中に湧き上がる感情を要素として、限られた時間と場所に旅の芸術が集約されていました。音楽が時間の芸術と言われるに対し、旅は時間と空間の芸術と言えます。もっと突き詰めて言えば、旅とは人生そのものを有限的な世界に表現する芸術です。青く広大な空やその中を飛ぶ白鳥も、また雄大な草原やその中で咲くエーデルワイスも、あの旅の要素の一つでした。
ですから、この場合も芸術として旅を見るならば、それは単純であるべきではないでしょうか。古代シルクロードはまさに旅を人生とした人たちによって作られていきました。もちろん彼らは日々を生活する人間であり、決して旅を創り出す芸術家ではありません。ですが、私たちが体験した古代人が創り出したシルクロードへの旅は、なんと芸術的だったことか!そこには人間の人生そのものが、単純に集約されていました。人が生きていく上で求める最初の根源的なものと、日常生活を善く生きるために必要な知恵や力を、私たちは擬似的に体験したのでした。あの旅は張宇氏の人生そのものでもあり、私たちの人生そのものでもありました。思うに、全ての芸術において最も大切な始源はこの点にあります。
 つまり、どんな芸術も、最初はそれを創り出す人、または体験する人の人生そのものでした。それこそが偉大なる単純さの源であり、私たちに感動をもたらす泉です。そこから芸術は大いなる奔流となって人びとの生活を満たしていったのです。
 私ははじめに、旅などしたくはないと言いました。しかし今となっては、声を大きくしてこう叫ぶことができます。
旅をしよう。記憶に新しいあの旅が私たちに教えてように、日常を旅しよう。それが芸術にとって、また人間にとって大切なことなのだから。
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奔流の旅                               
奔流の魅力は旅、そのままの姿を体験できることだと思う。予定外想定外のことが起こるのが旅だ。人生だって同じ、予定表なんてない。思い通りにいかない事もあるし、思いがけない幸せもある。 馬が来なかったり、6時間飲まず食わずでぶっ通しで砂埃の中を走ったり、氷点下の中で寝たり、肉体的精神的苦痛が伴った。だからこそ普通の旅行では味わえない絆が生まれる。
この旅は素材であり、それを使っていかに自分の求めるものを創りあげるか。そこに他人からの評価はいらない。上手く出来たら誇らしげにその喜びを仲間と共有すればいい。上手く出来なかったら取り組むべき課題を見つけられたと喜べばいい。いずれにしろ昨日の自分よりは一歩前に進んでいる。 毎年の事ながらこの旅は参加者各個人の内に秘めた力を見事に開放させる。旅を終え、皆キラキラした目でやりたい事を語り、出発前より元気になって帰ってくる。 奔流の旅は、ひと夏の草原の思い出ではなく、新たなスタートである。
私は今年、以下のインスピレーションを頂いた。私はこの牧場を必ず設立させる。私の旅は始まったばかりだ。
それに向けてのまず第一歩は、日々の仕事を着実に頑張ること。夢を大切にし素直に生きる張さんからそれを学んだ。
  『奔流牧場』 【コンセプト】”創造”、"絆"、”国際交流”、”楽しい!”、”人材育成”、”挑戦” 【概要】日本の若者に情熱と感性を与え続けてきた奔流。たくさんのエネルギーとインスピレーションを頂き、たくさんのことを学びました。そんなパワーステーションを日本にも作りたいといこうことで設立したのがこの牧場です。忙しい日常から離れリラックスするとともに、時代に流されない美しさ強さを再認識し、新たなスキルを習得できるような牧場です。週末に家族連れて気軽に遊びに来てください! 【設立】20XX年 【場所】湘南国際村(東京から近い、古都鎌倉から近い、海が近い、富士山が見えるetc)
【施設概要】 ・牧場:乗馬 ・農園:organicな感じで。 ・Cafe/Restaurant:牧場・農園からの食材で。 ・Lounge:暖炉を囲み、夜通し語ろうぜ! ・Lodge:基本は青空ゲル(寝袋/銀紙シート提供有)。希望者はlodgeに泊まれます。 ・Dormitory:世界からの留学生が短期/長期滞在できるように。 ・Studio: Language:各国の留学生から直接指導。 Fitness:乗馬/ジム/武道/ダンス/ヨガ/水泳/ゴルフ/テニス/サーフィンetc Art:写真/映画/絵画/音楽etc Japanese culture ”道”:茶道/書道/華道etc 世界に誇る日本の”道”。 Business:第1線で活躍しているbusiness person(君達のことです。)によるセミナー講座。 料理教室:各国の食文化の継承と創造。 ・温泉/プール ・大富豪ルーム ・Gallery: 奔流中国の歴史と変遷。 遊牧民の文化や生活を写真/映画/音楽で保存。  ・茶室:日本芸術の粋。 ・図書館:世界の絵本・各種専門書・自習室。 ・診療所:健康講座・人間ドッグetc ・国際協力:海外留学・留学生の受容。そこから生まれる新たな発想とそれらが生かせるような仕事の創造。 ”医療チーム派遣”:世界の無医村へ医療提供キャラバン。 【リンク】奔流中国主催者張宇氏による”パインブルグ乗馬基地”:シルクロードの中央に位置し、世界の若者や芸術家たちが集い、旅の心を知り馬のスピリッツを共有できる奔流の本山。東方騎馬文化の保全とともに騎馬文化から生まれたファッションブランド基地でもある。
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「人馬一体」に生きる
「切り撮る」×「切り開く」=「突き抜けMAX」…!?
旅の3A,それは人生の3Aでもある―Adventure・Amazing・Art。
冒険心をもって自分自身を世界に投じるところに美しき発見があり,驚嘆がある。それは写真活動にも似て,限りない可能性から,かけがえのない意味とエネルギーに満ちた絵(私自身)をフレーミング(創造)してゆく営み(Art)でもあろう。……(略)……大学を卒業してちょうど10年,社会実践(職場)と研究活動(大学院)に股をかける両立生活は今,自分の中で間違いなく大きな節目を迎えている。「苦悩と渇望」にあって,そこにどんな風景を,どのように切り撮って焼きつけることができるだろうか?(参加動機書より)
キャラバン前に綴った私の思いである。なんとも浮き足立った感が否めない。けれども,少なくとも何かはこの旅に求めていた。頭でアレコレ空想してもダメだ,とにかく自分の足と体を動かそう,そうしたら頭と心も働くはず…そんな思いでついに奔流へ飛び込んだ。
キャラバン中,そしてキャラバン後,心の中にずっと離れず残り続けた,あるおぼろげな風景があった。この文章(旅の証)をまとめるプロセスは,その風景にピントを合わせ,できる限り見通しよく視覚化し,時を得てシャッターを切る(言葉化する)機会となった。あえて最初に屁理屈な結論を先取りすれば,私はこの旅を通じて,ある究極的な華々しい「何か」を得たというよりは,その何かに到達するための,「術」とか「コツ」というものを身につけたように思う。そのために切り撮られた風景は,全くもって想定外だったが…。
さて,中国の表玄関・上海を皮切りに,我々キャラバン隊の進路はひたすら西へ,西へと向かった。奥行きの深い壮大な自然と,そこに堆積する時の厚みにひたすら圧倒された。その我々を運ぶ列車やバスも,強い風雨や泥にまみれ,険しい地形とうまく格闘しながら,黙々と邁進し続けた。その時々の思いは,まるで流れゆく雲のように,旅仲間の思いとくっつき,変化しつつ膨らみ,ゆっくりと漂い,やがて心地よく彼方へと消え去ってゆく…そんな繰り返しだった。そしてついに,この旅の珠玉の乗り物である「馬」にありついた。
乗馬初日から,しかも初めて乗る馬で,いきなり草原を颯爽と駆け回ったあの感慨は,奇跡だと思った。そして小高い丘から見渡す蛇行川,またそこに強く差し込む夕刻の斜陽の照り返しは,ただただ雄大で,豊かで,固唾を呑むしかなかった。そんな心地に導いてくれたその馬に,私は躊躇なしに感謝と愛着を抱いた。
事態が急変し始めたのは,舞台が砂漠に移ってからのことだった。事情あって私の乗る馬は日替わりとなり,馴れない悪戦苦闘の繰り返しが余儀なくされるということもあったが,さてここからは,砂漠上の事故と二次被害を防ぐ策としてとった「基本,並足一列」のキャラバン隊の風景に,話の焦点を絞っていきたい。
容赦なく照りつける直射日光。そこは気候と地形の条件が実に厳しかった。何の潤いも楽しみもない。ただひたすら,相も変わらず馬に乗って進むだけ。次第に疲労感と徒労感に包まれる。皆,口数も少なくなる。引き戻せない辛さ。せっかく馬に乗りに来たのに…。喉カラカラ。命カラガラ。荒涼殺伐~まさにそこは「無味乾燥」地帯!
そして次のような自問自答が,自分の頭を支配し始めた。
「360度見渡す限り,一体どこに方向を定めればここを切り抜けることができるのか?」
「そもそも自分は一体,何のために今ここにいるのか?」
しかし,しばらくしてふと,同じ頭の中でこんなシミュレーションもしてみた。
「この“空虚”な状況下で,ただ一人取り残されたら絶望的だ。だが,もしもここから切り抜けられる可能性があるとしたら,それは一体どのような仕方においてか?」
この問いにおいて,自分にとって絶対不可欠と実感するものが,大きく三つあった。
①キャラバン隊であるということ:【心のシャッター】
実は自分だけが苦しいのではない。皆たいてい辛かったはずだ。にもかかわらず,否,だからこそ,そこには労り合いや励まし合い,分かち合い(特に水!)が自然発生した。
やがて互いの心に動きが起こり,潤いが生じる。他人同士だった者が仲間となってゆく。そこに,先を目指すための燃料と何某かの風景が,胸の内に「切り撮られ」ていった。
②馬の存在~馬とのリズム:【人馬一体】
とはいえ,仲間の力だけで切り抜けられるほど甘くはない。何らかの術が必要である。そこであらためて,「馬」である。今ここに,途方に暮れる私と共にいる馬。その意味で,馬ははじめ私を目的地へと運んでくれる「道具」であった。しかし,自動ではない。故に手綱をしっかりと握り締め,馬を技術的に支配し,甘えさせることなく走らせるのだ。
ところが言うまでもなく,一方的な支配関係ではダメだ。馬にも体力や性格,そして心がある。こちらが縦になおも鞭打てば,そのうち馬にも限界が来る。反抗的にもなろう。だがそうかといって,そこで安易に無為に甘やかせすぎてもいけない。馬も人を見ている。いつの間にか,今度は自分が馬に支配されてしまう落とし穴と,隣り合わせなのだ。
この,支配か-被支配かの次元を超えて,馬をうまく乗りこなすというのは実に難しい。そしてキャラバン内でのこの見えざる孤独な葛藤…それは馬の数だけあったことだろう。しかしそれだけに,馬に乗るという動作には,異次元の奥深さがあるということでもある。
ところで今,「馬に乗るという動作」と言ったが,これは果たして,「人が,技術的に(うまく),馬に乗る」というだけの意味だろうか。ここで少し見方を変えれば,それは「馬が人を乗せる」,あるいはこれを,なお自らを主体として表現し直すなら,少なくとも,「馬に乗せてもらっている」という謙虚さが伴うはずの次元とも重なり合いはしないか。
馬との関わりの困難さ=奥深さが突きつけられた今,もはや私の側のvisionに沿った思惑だけで推し進めることはできない。それを相対視し,それを実現してくれるはずの馬の側の心情や呼吸に沿うこと,ひいては,馬の魂の域にまで触れ合うような私自身の息遣い,心遣いが求められるのではないか。馬は人を見ているのである。いみじくもここのところ、張氏は「なるべく馬は乗り換えず,一つの馬に乗り続けるように」と何度も強調し続けた。そしてそのことに忠実に成功した何人かの参加者の感慨は,実に豊かで,何かを見通せるほど透き通っていた。馬と格闘し,「変化」と「一体」をものにしたかれらの言葉は,心からの喜びそのものだった。馬との不可抗力的な相性の良し悪しを超え,時宜に叶ったタイミングや仕方で馬と呼吸を合わせ,「手綱」の意味を豊かにし,新たなリズムを生み出してゆくこと。この馬との共鳴,あるいはもはや,主体と客体が未分化した境地でまさに文字通り「馬が合う」こと。果たしてこれが,古より受け継がれてきた「人馬一体」の神髄に,幾ばくかでも迫るものとなるだろうか…。
③鐙(あぶみ):【足場の確保】
「人馬一体」への補足として、本能的に常に不可欠としていたものに,「足場感覚」がある。初めての乗馬。スピード感覚よりもバランス感覚に慣れない。死の恐怖がよぎる。そんな時,再び張氏の言葉で印象的だったのは,足場を担保する「鐙」への足のかけ方に関する助言だ。「足は鐙に深く入れない。いざという時,足が外れにくくかえって危険だから。けれども,  
単に足を飾りのように「置く」とか「乗せる」というのでもない。踏ん張るのだ」。
この絶妙な言い回し。力みすぎず,油断もしすぎず。心身の安定を支える「足場」は,実際私にとっては何よりの拠り所だった。しかしそこには,‘絶妙なほど加減’なるものがあるようだ。おそらくそれは,馬と私との間の,身体的・精神的な関わりや呼吸において初めて独自に見出され得る,これ以上ない相応しい着地点としての足場感覚,ではないか。
短い時間で実際に得たものは僅かだが,感じるものはとてつもなく重厚で,大きかった。キャラバン半ば,私がほんの一瞬だけ,馬と共に颯爽と駆け巡っていると体感できたある場面を今思い起こすと,私はあの時,馬に「乗る」というよりは,馬に身を預けつつ「立つ」ていた。あるいはより比喩的に表現するなら,私はあの時,大地の上を,何かに導かれながらも,「親指感覚」程度に,自らの足で一歩ずつ踏み出していたようだ。
以上の三つを,砂漠上で,馬上で,考えていた。そして次第に,このシミュレーションとその前提は,自分のこれまで/これからの生き方とも重なってくる事柄のように思えてきた。「この砂漠上で抱く空虚感は,現実の己が既に抱いてきた心の風景ではないか?」
仕事と研究の両輪を回転させてきた自分。だがその二輪車は,いつしか,ある地点から先へと進むことができなくなっていた。思うにそこには,社会における比較や評価という,値踏みの巨大モノサシが立ちはだかり,自らもその既成の枠の中で「自分の力で,(結局は)自分の満足のために」突き進もうとし,一喜一憂しながら振り回されていた姿がある。
否,もしかしたら,そのはるか前から己の内に通底していたであろう,総じて言えば,これまでの「自己拡張」的な生き方が,今や完全に頭打ちとなり,自らをある一定以上に,大きく突き破らせることができなくなったばかりか,ただただ,孤立感と虚無感という,足場無き深淵の闇に突き落としてしまったのだとさえ言える。そしてこうした自己分裂,ひいては自己無化という結末の境地は,無味乾燥にしか映らずただ徒労感に打ちひしがれていた,「あの」砂漠上での心地にピタリと重なり合ってゆくのを禁じ得なかった。
根こそぎ足元をすくわれ,もはや拠って立つ足場が失われつつある危機にあってなお,何にも揺さぶられず,流され得ない確固たる基盤や自分自身の根本的あり方に飢え渇く日々。これ自体,私の中に「生きんとする志」が潜んでいることを示しているのだろうか。けれどもこの期に及んでは,よもや己の力になおもしがみつこうとする自己執着(我執),ましてや,己の生命やそこに隠された神秘の意味を徒に投げ捨ててしまうような自己放棄,といった極端なあり方に右往左往する愚かさには,もはや甘んじられまい。
…では,どうすればよいか?
それは,苦悩(渇望)をちゃんと「苦悩する」,ということに尽きるのではないか。新たな足場は,どこか他に予め用意されているのではなく,自らの態度のあり方においてこそ,その足元から自ずと築かれてゆくのではないか。そしてそのヒントは,あの「親指感覚」にある。力みすぎず,油断もしすぎず。自ら踏み込んで「立つ」(自力)感覚と,自らを超えるものに身を「任せる」(他力)感覚。自問自答でなく自己拡張でもない,この,ある種緊張を伴う絶妙なる呼応関係。こうして,空虚な深淵にあって「苦悩」はその足場となる。
ところで,「足場」と��「親指感覚」とは,そもそも「馬」の話から出たものだ。そしてその馬は,今や私を単に楽しませ,目的地へと運んでくれる道具のみではあり得ない。私自身の足場を常に問い,確保させた先に,私の夢や信念を叶えてくれる導き主である。否,「人馬一体」の域にあっては,既に馬は私の信念そのものであり,辿るべき道そのものだ。
今回の旅の舞台となったシルクロード,また草原と砂漠を分け隔てた天山山脈にしても,その厳しく壮大な自然条件に我々は幾度も驚嘆し,愕然とした。それまでに抱いていた,ある種のロマンティックな空想は,あの実像を前にしては音を立てて見事に崩れ去った。果てしないのである。とはいえ,我々は既にある程度備えられたコースを,主催者側の最善の配慮のもと安全に導かれていた。その意味で,旅ではあったが真の冒険ではなかった。しかし思うに,この地に初めて足を踏み入れた先代達は,いかにしてあの大地を駆け抜け,あの山々を越えて行けたのであろうか。予め用意された道など無かったはずだ。おそらく,孤独を分かち合う同志と共に描いて切り撮った希望や物語を胸に,まさに未だ知られざる「未知(みち)」なる地平を切り開いていった跡に,自ずと「道(みち)」はできたのだろう。「人馬一体」となって突き抜けたであろう,その真の冒険精神は,今回の旅から響いたメッセージであり,来るべき自らの人生の冒険に向けて,かけがえのない贈りものとなった。
「親指感覚」を起点とした乗馬奮闘記,自己探訪記,歴史追随記,未来設計図…なんとGreatなCaravanだったことか!そして今,確かな手応えとして感じている自由。現実のしがらみに束縛されつつも,真に束縛され得ない境地としての自由。かつまた真に現実へと立ち向かってゆく自由なる冒険心。この旅は非日常ではありながら,しかし,現実逃避した幻や夢物語ではない。冒険という名の私の人生そのものとして,風景を変えてこれからも続いていくのだ。
この旅を導いてくれた人、張宇氏に感謝。
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「〜過去への回帰 そして未来へ〜
 奔流中国グレートキャラバンに参加して」            
自分自身にとって「グレートキャラバン」の旅に参加するということは
まずは、「過去への回帰」でもあったかもしれません。
2011年5月6日。
私はこの日に大切なものをなくしました。
人生がちょっと複雑になってしまった瞬間。
「生きる」ことがちょっとめんどうくさくなってしまいました。
「記憶を消せるなら消してしまいたい。忘れよう。忘れよう。」
一方、「忘れたい記憶があるから忘れた記憶を取り戻したい。」
そんな欲求にかられていました。
2011年6月23日。
そんな中、14年前、まだ大学2年生だったころ、
奔流のシルクロードの旅で出会った張さんをはじめとする仲間と再会。
14年前と変わらない、でもちょっと大人になった人たちの笑顔。
忘れていたものをまず1つ取り戻した瞬間がありました。
そして、聞かされた、「グレートキャラバン」という旅のこと。
「馬で旅をする」しかも
「かつて商人たちがアジア、ヨーロッパ間を馬で走っていたであろうシルクロードを馬で駆け抜ける」
「この21世紀になんておかしな旅なんだろう」
「張さんってば最高じゃん!」
私にはちょっとした非日常が必要だったみたいです。仕事の都合をつけて参加することにしました。
そして、記憶にケリをつけるためにあることをしようと、心に誓いました。
2011年9月18日。
トルファンで合流したら、電車の中から出てくる出てくる
たくさんの学生さんたち。
14年前の記憶が一瞬で戻りました。
「おーこの感じこの感じ。19歳のときは、とにかくなにもかも新鮮ではしゃいでいたっけ」
19歳のときに初めて参加した奔流は、その後の私の人生の大きな起爆剤になりました。「あこがれの中国に初めて行けた。しかもあこがれのシルクロード。」
その後、私の学生生活といえばさらに西へ西へ。中国の隣の国、そしてまた隣の国。シルクロードをひたすら旅して、思春期をすごしたヨーロッパへ。
そこで出会った、宗教にからむ紛争、でもその状況下でも笑顔を絶やさない人々。
「この人々のことを伝えたい。」
忘れていたもの、2つめを取り戻した瞬間。
さすがに33歳になった今、あのころみたいにはしゃぐことはできなくなっていましたけど。。。心の中でちょっと興奮状態。
2011年9月19日。
さて、興奮状態さめやらぬままバインブルグ草原で出会った 
額には白い三日月の模様、そして背中につむじのあるステキな馬、
つむじちゃん。つむじちゃんは兄弟の馬とつねに寄り添っていました。
もう一目惚れ。なんてかわいいんだろう。
「運動神経ないけど乗れるのかな」
そんな恐怖、不安はなんのその。気づいたら草原を駆け抜けていました。
つむじちゃんの走るときの体温、息づかい、汗、、、
そしてちょっと張り切りすぎて自分一頭だけになってしまったとき、
兄弟を探している不安げな表情、いななき、そわそわとしている足取り。
最初は顔を近づけても全然そっぽをむいてしまうつむじちゃん。
でも1日、1日しつこくつむじちゃんを探しては乗っているうちに、そして私も兄弟を探して常に寄り添っているうちに、家族みたいな気分。最後は顔を近づけてくれました。
「かけがいのない存在」「家族」「寄り添う」「体温」「息をするということ」
「生きる」「生きている」「必死で生きて行く」
つむじちゃんにとっての「日常」。
つむじちゃんから学んだちょっとしたこと。
一方、草原は人間を寄せ付けない圧倒的な美しさと厳しさが容赦ない。
圧倒的な静寂。圧倒的な朝日そして夕日。圧倒的な星空。圧倒的な寒さ。
でも、そこに住んでいる人々、そして馬たちにとってはこれが「日常」。
私なんか1人でいたら一晩で死んでしまう。私にとっては「非日常」。
ある日見た、草原のさきにそびえる雪をかぶった山脈。南の方角。
そのさきにかつて訪れたチベットが。。。 
「ここにはなにもない」
「でもすべてがある」
忘れていたもの、3つめを取り戻した瞬間。
その瞬間、悪夢のような記憶にケリをつけるのをやめました。
一生私はこの記憶とともに生きて行く。
そしてまたここへ戻ってくる。
そして帰国後、東京である日。こんなことを感じました。
店がオープンする30分前の街のざわめきが好き。いつものざわざわ。

いつものデスクまわりのざわつきが好き。
いつものざわざわ。

日常に感謝。

日常がそこにあるから、生きていく。なんのために生きてるのかわからなくなったなんて考えちゃダメだ。

日常をこなすのが生きて行くことなんだ。
これが私にとっての日常。
そしてちょっとした非日常、奔流にありがとう。
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備忘録
大学2年生の4月、偶然youtubeで西安からウズベキスタンを旅した方のスライドショーを見た。炎のような火焔山、キルギスの石人、サマルカンドの青いモスク・・世界にこのような美しい場所があることを初めて知った。中国には青い目を持つ人々が住んでいることを知り衝撃を受けた。私の中国とシルクロードへの憧れはこのとき初めて生まれた。
私は観光目的でグレート・キャラバンに参加してしまった。そのためがっかりさせられることも多かった。寝台列車の遅延や馬の到着が遅れたせいか、楽しみだったベゼクリク千仏洞や羊さらいを見ることができなかった。このことは今でも心残りだ。
しかしあるとき、私は間違っていることに気付いた。
~シルクロードの旅は観光ではない~
シルクロードという言葉は美しい響きがあるが、私の見たシルクロードはそうでなかった。草原の昼は汗をかくほど暑くなるが、朝は霜が降りるほど寒かった。映像で見た美しい天山山脈も、実際登ると吹雪と霧で前が見えなかった。横を見るとそこはもう崖だった。 シルクロードには多くの国が現れては消えた。多くの血も流れた。旅人も盗賊に襲われることもあっただろう。この旅でシルクロードはデスロードであることを悟った。
それでも古来の旅人は死ぬ覚悟でシルクロードを旅した。何故なら彼らには命をかけても成し遂げなければならない使命があったからだ。
ローマ帝国を目指しシリアまで辿り着いた後漢の甘英
仏教の経典を求めインドへ向かった三蔵法師
莫大な富を求めフビライ・ハンの元へ向かったヴェネツィアのマルコ・ポーロ
この他にも多くの旅人がシルクロードを歩いた。勿論、志半ばで倒れた名もなき旅人も大勢いるだろう。シルクロードを旅するというのは、観光などという甘い気持ちで旅してはいけないのだ。砂漠越えでの喉の渇きと腹痛が、私に教えてくれた。
馬は現代では娯楽のための生き物だが、古の時代はそうでなかった。カザフ人の遊牧民スタッフと相撲を取ったが、相手は屈強な体で私は勝つことが出来なかった。モンゴル人と握手した時、彼らの手の皮がとても厚いことに気付いた。寒暖の激しい草原に住んでいるからだろうか。遊牧民スタッフは皆人懐っこかったが、彼らには勇敢な騎馬民族の血が流れている。火器や戦艦が登場するまで、騎馬民族は世界最強の戦士だった。高速移動しながら矢を浴びせ、高い場所から敵を切り裂く。敵の反撃が始まる前に瞬時に離脱する。馬を操れるというのは、今でいえば戦車や戦闘機を操れるようなものなのだろう。騎馬民族が歴代の中国王朝を苦しめ、ヨーロッパまで攻め上がりユーラシア大陸を支配できたのも何となく理解できた。
~奔流中国~
奔流中国最大の存在意義は、自分の道を自分で創り切り開く人材を世に送り出している点だと思う。大学を長年留年したり、定職につかず、会社を退職し留学へしたり・・張さんや奔流の先輩方を見てみると、社会の枠組みにはとらわれない人が大勢いて驚かされる。先輩方の表情はとても明るく、今の自分に後悔しているという感じは見られない。
彼らは中国の雄大な大地を知ることで、そしてシルクロードを旅することで気付いたのだろうか。
 道無き道を旅したシルクロードの旅人のように自らの人生の道を創り全力で駆け抜け、そして歴史に名を残すような偉業を成し遂げる素晴らしさを。
奔流が教えてくれる、我々は確かにシルクロードを旅したのだ。
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昔から女性のハイヒールのコツコツという音が好きだった。
朝の通勤ラッシュ時の渋谷駅で、私は無限の行軍に耳を傾ける。
何故この音は心地よく体に響くのだろう。
今日、前を颯爽とゆく女性の足音を聴きながら、もしかして、と思い当たる節があった。
これは、馬のひづめの音に聞こえはしないか。
面白いことに、音だけでなくそのリズムまで、女性と馬のそれは同じに思えるのだ。流石に人にはギャロップは出来ないだろうけど。
何人ものOLが行き交うコンコースで目を閉じると、大都会でキャラバンしているように感じる。
一方でそう思うと、競うように高いヒールを履き合う女性たちが少し滑稽に思えるのだった。
東京でのキャラバンは、灰色の天井と疲れた二酸化炭素ばかりだ。
エスカレーターは一定の速度で人を運んでいく。
私は朝だからご飯を食べ、昼だからご飯を食べ、夜だからご飯を食べ、そして25時を過ぎたので眠りにつく��
私は日々螺旋階段を一定の速度で登ってゆく。
あの旅は違った。
無秩序という秩序。
例えばゴビ砂漠へ向かう道中。天山山脈越え。
身体が「ここは知らない」「ここは知らない」と呟いている。
髪もゴワゴワ。服も4日間同じ。それでも生きてる。
痛む背中と凍てつく寒さに震える。それでも眠りにつく。
お腹がすいたからご飯を食べる。身体が砂だらけだからシャワーを浴びる。
私はそんな環境の中で、飽きのきていた自分という存在を変えたかった。
変わらないことを恐れた。
しかし、そうしたある種の極限状態の中で私が気づいたことは、私は絶対に変われないということだった。
私はどんな場所にあっても、私として生きなければならない。
空っぽのままだ。
それでも、草原のただ中で、星空を見上げつつ、死にたい?と問いかけると、まだいい、と答える声がある。同時に、でも、死んでもいい、という声も。
それが「生きる」ということだと思った。
プランに沿って、完結しない限りは不満足な人生ではなく、一瞬一瞬をスライスしたときに、それだけでいいと思えるような。
何より、張さん、遊牧民の人たち、そして80人の素敵な仲間に出会えたことに感謝感謝。
愛している、
そう思えた旅だった。
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私は旅が好きだ.でも,旅にトラブルは必ずといってついてまわって,でもそのトラブルからの産物も必ずといっていいほどある.極論を言えば,私はそれが楽しくて毎回旅に出ているのかもしれない.
今回だってそうだった.馬運車が速いスピードで走れないこと,草原には鍵付きの厩舎があるわけではないこと,天候,移動中の諸問題.60人規模の団体旅行と聞いただけでも十分トラブル要素は満載なのに,それに生き物である馬が旅に付随した時,例えば馬が予定通りにこないことも,馬が夜逃げ出すことも,裕に想定の範囲内だった.
草原や砂漠での生活と,衣食住の充実が当たり前な日本での生活を比べた時,草原や砂漠でのそれは,私たちにとって決して豪勢で満足いくものとは言えなかったかもしれない.けれど皆,毎食のご飯の時,ぬるいミネラルウォーターを飲む時,腹の底から「ありがてーー」「うめーーー」と迸るような声をあげていた.極寒の中,明らかに人数と面積があっていない狭いゲルの中で「足を伸ばして眠れることって本当に幸せだよね」と話す声が聞こえた.薪ともいえぬ木々を自ら集めて火を焚いて,ギター片手に仲間たちとただ声を合わせる,それだけのことを皆すごく幸せとしていた.
何時間も草原で待ったからこそ,ご飯を何倍も美味しく感じることができたのではないか.仲間のことをより深く知ることができ,また,このようにトラブルに対する自分の反応を通してより一層の自己覚知ができたのではないか.もし日本で,大都会東京で,同じことを体験したならば,一瞬でも心底“幸せだ”“満たされている”と考えることができる人は何人いたのだろうと,そんなことを何度も考えた.
キャラバン中,馬を乗り替わった時に現地スタッフに「その馬はもう走らせないで」と言われた時があった.馬の疲労は明らかで,出来ることならすぐさま降りて休ませてあげたかった.けれど,「馬で旅をする」このキャラバンでは,休ませては,馬も人も目的地には辿り着くことはできない.馬をどう操つるかも,どの道を選ぶかも全ては乗り手次第なのだ.放牧中に馬が逃げて,皆より少し遅れて出発した日があった.常に仲間の群れが視界の中にいたこれまでとは異なり,見渡す限りの砂漠に現地スタッフ2人と私だけしかおらず,この時ばかりはまるで自分たちで道を切り開いているかのようだった.馬と自分たちだけしかいないこの状況で,馬を信じることは言うまでもなかった.馬に“乗せてもらう”のではなく,“共に歩む”感覚を覚えた.普段から馬に敬意をもって接しているが,この時ほど馬に感謝したことはない.
キャラバン中は,馬上で見える世界が多くあったように,地上にいなければ見えない世界もまた多くあった.キャラバン最後の2日間,私は仲間よりも馬に乗る時間が少なかった.馬に乗らずにいた間,私が目にしたものはゲルを手際よく片づけ,私たちの荷物をトラックに積んで何往復もしながら次の場所に運んでくれているスタッフの姿と,60人分の食事をたった2人で作るスタッフの姿だった.主催者をはじめとする見えないところでうごいてくれている多くの人の支えがあったからこそ,私たちは,「馬で旅をする」ことが実現できたのではないのだろうか.毎日気付いた時には,ご飯もゲルも荷物も私たちの目の前にある状況.「馬で旅をする」上では決して当たり前なことではないはずなのに,その状況を私たちは勝手に当たり前と捉え,甘んじていた人も少なくないのではないか.参加者のうち何人が,この“当たり前”と思わせる環境をつくってくれていた人々に,直接感謝を伝えていただろうか.私だってきっと十分にはできていない.
これまでのキャラバンで得たものとは明らかに違う今回3回目の参加.これまで同様,あの広大な大地を馬で駆けることができることに激しい興奮と達成感を覚えたのはもちろんで,3回目の参加にして,初めて「馬で旅をする」という実感が掴めたのも事実だ.しかし今回私が「馬で旅をする」ことで得たことは,自分自身の乗馬の技術上達でも,馬で駆けたいという自分の欲への満たしでもなかった.改めて自分は周りの人々に支えられて初めて生かされているのだということ,五感を奮い立たせながら生きるという困難さと大事さ,そして何より,自分の跨っている馬を,横で一緒に駆けている馬を,一緒に参加している仲間を,そして自分自身を思いやることを自然と意識することができたことだった.それは目にみえた収穫ではなかったが,きっと自分にとっては何よりも大きな収穫だったと考えている.
10日間,喉も身体もカラカラだったけれど,心だけはずっと満たされていた.もしかしたら日本にいる時の私は,喉も身体も全て満たされているけれど,心だけどこか満たされきれていないのかもしれない.
今年も奔流を提供してくれた張さんに、ありがとう!
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旅をする時は、いつも日記をつける。本当は家を拠点に生活している時も毎日つけたいのだが、そうはいかないのは私の怠惰によるものか。けれども、もう少し考えると本当の理由はそこにはなくて、どうやら思考に終着点を求めているか否かの違いらしい。普段の生活では頃愛を見計らって考えることをやめて、ひょっとすると次の日か、はたまた何カ月も先にその続きを始めることが少なくない。それでいいと思っているので、いつも思考の気まぐれに身を任せる。対して非日常の世界では少しだけ意図的に自分の脳みそを支配する。光をあてたい側面を意識して、そこがはっきりと見えてくることを目標に旅の毎日を過ごす。留学であれ、旅行であれ、一人旅であれ、全て同じ。ここを消化したい、これが何なのか知りたい、等、自分の中に何かしらのテーマを掲げて出かけるようにしている。だから、日記をつける。文字に起こさないと無意識のうちに考えることを放棄して、残された曖昧なものは全て美化されていくから。何かを見聞きし、感じ、考え、文字に起こし、そしてありのままを留めておくのが、私なりの旅の味わい方である。
 およそ三分の一を前置きに費やしてしまったが、私にとってのこの旅のテーマは「リベンジ」であった。そして、それを達成できたことによる深い安堵が旅の記憶の多くを占めている。この文章を書くにあたり、17日間の日記を読み返した。そこには驚きから喜び、それからちょっとした不満や焦りの気持ちまで、今読むとむずがゆく感じるような表現が並んでいた。ただ、そこには一貫した安堵の念があった。
 リベンジには大きく分けて二つの意味があった。一つは乗馬に対して、もう一つは自分に対してのリベンジである。前者は至って単純である。昨年乗馬キャラバンに参加した際、馬に乗せられている感覚を拭えないまま帰国したのが悔しかった。もう一度馬に乗り、今度こそ「私が」操って草原を駆けたいと思った。その思いをぶつけに今回の企画に参加して、自分の意思で手綱を引き、膝で胴をしめ、草原を走る感覚を知ることができた。
 後者については少し説明を要する。私は何度か短期留学を経験したり複数のサークルや団体に所属したりと、顔を出すコミュニティが比較的多い。そのどれにも愛着があり、活動中か否かに関わらず、たとえ細くとも末長い繋がりを持っていきたいと思っている。しかし前回参加したキャラバンは例外的にそう思うことができなかった。理由は「当時の自分が苦手だから」。背景は色々あるのだが、要は全く自分らしさを出せなかったため、メンバーに再会して当時の自分を思い出すのを避けていたのである。もう一度奔流に参加して、この煮え切らない思いを拭い去りたかった。そして、それは意外なほど簡単に達成された。この17日間は細かいこと抜きに本当に全力で楽しかったし、帰国後の自分は驚くほど身軽で、前回のメンバーとも約1年振りに気持ち良く会うことができた。あの馬が、大地が、空気が、食物が、星空が、仲間が、そして少し変化した自分がこれを叶えてくれた。
 主催者が意図しているものはもっと違うところにあるのだろう。けれども、今回の旅は私にとって間違いなく克服を意味していた。「理由」というものは、自分の中に見出し、向き合い、そして乗り越えうるものだということ。自分は今までそうやって生きてきたし、きっとこれからも同じように生きていくのだということを教えてくれた旅だった。
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幼い頃から他人の目が怖かった。いつだって「いい子」「いい人」で居たくて。自分がどんな風に思われているかばかりが気になって仕方がなかった。100点を取って褒められたいから勉強した。そのまま大学に入り、訳も分からず履��書を書いて就活に失敗した。自分の中に誇れるものが何一つ無��と、漸く気が付いて愕然とした。そして私は大学を出させて貰っただけの社会不適合者になった。
中身がない。それを取り繕うための建前が日々増えていく。隣の芝が青く見えても「あれはああいう品種だから」と、常に心が壁を作る。でも本当はそうじゃない。隣人の庭が輝いて見えるのは、彼らがそれに見合う努力をしたからだと知っている。比べて私は何もしていない。自業自得だ。わかりきっていた。独り言が増えた。ちくしょう、こんなんじゃないのに。ちくしょう。本当は、本当はこんなんじゃないのに。
…じゃあその「本当」は、どこにあるのか。
1年前。内モンゴルの大草原で見た景色が心に浮かんだ。そして、旅に出ることを決めた。
旅の間私は、心に一切の嘘を吐かないことを自身に課した。くだらない自尊心に塗れ、奥底で眠ってしまった自分の感情を取り戻さなければならない。
誰からも嫌われたっていい。いい人なんて思ってくれなくていい。
自分の心のままに、生きていける場所に行きたかった。
蒙古馬に乗るということは、魂と会話することだ。
膝に力を入れ、馬のリズムに乗る。鞍や鐙の金具が当たっていても、痛みに気を取られれば落馬する。躊躇なく手綱を引ける意志と腕力がなければ馬を走らせることはできない。そこでの優しさとは、厳しさとほぼ同義語だ。生きようとする力が闘争心を生む。妬みや怒りを乗り越えた先に思いやりや協調性がある。
物言わぬ魂に触れていると、自分の心の動きが見えてくる。全ての感情が生まれ、消える瞬間が手に取るようにわかる。苦痛や寂しさ、憤りを感じている時ですら心が満たされていた。叫びたい時に叫び、笑いたい時に笑い、泣きたい時に泣く。そんな当たり前の行動がどんなに幸福だったことだろう。
ヒトは一個の受精卵から胎児に至るまでに母親の子宮の中で進化の過程を辿る。有性生殖を始めた原始生物から今に至るすべての歴史が、私たちのDNAには流れているという。
人間を野生動物と同じく考える場合、その寿命は約30年とも言われるらしい。
私の動物としての生が終わるまであと7年。
人間としての生を授かる前に用意された準備期間のうちに、私はどれだけ本能を研ぎ澄ますことが出来るだろうか。
さあ360度。「本当」を探しに。どこへ向かって走ろう。
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「しぜんと」
中央にそびえる白亜の城、回るメリーゴーランド、人々の笑顔。キラキラと輝く遊園地は、幼い私を異世界に誘ってくれる唯一の空間で、大きくなってからも暫く憧れを抱きつづけていた。しかし、旅を終えて久しぶりにその遊園地に遊びに行くと、何か違和感を覚えた。以前感じていた面白みを実感できなかった。乗り物に乗るための長蛇の列に並びながら思い描いていたのは、砂埃の中で馬を走らせていた私自身の感覚だった。
キャラバンの旅は自分の体ひとつで、異世界に飛び込んだようなものであった。視界の限り何処までも続く草原、ゴビ砂漠そして澄み切った空。耳には馬の駆ける音と風を切る音、遊牧民の声。馬の振動や体温、目に入る流砂、降り注ぐ日光。この旅では常に自分の五感と体で、世界と向かいあっていた。
だからこそ、良いことばかりではなかった。様々なことがあったが特に印象に残っているのは、速馬に乗ったときにバランスが上手く取ることが出来ず、尾骶骨周辺が裂けて出血したことだ。乗馬の最中には傷と鞍が擦れ痛む一方で馬を降りる訳にも��かず、その苦行に奥歯を噛み締めながら乗り続けた。馬は大変不便であり、車もバイクもあるこの近代に文明に逆行してまで馬での移動をする、この旅への参加を何故決心したのか自分でも分からなくなっていた。
次の日、傷休めをするため遊牧民の車で移動をすることになり、快適な車内で私は車が如何に優れているか理解した。車は運転手に従順であるし、基本的に運転の際の運転手の負担はそれほど無い上、快適である。そのように車を賛美していた時、私の乗っていた車が皆のキャラバン隊の横を追い越した。その時の車窓の光景は今でも目に焼きついている。広大な空と大地を背景に馬を駆けさせている、みんな。そのあまりの躍動感や美しさに、見知ったはずのみんなが知らない人の様に見えた。その時に私は、あの集団の一部に私も入りたいとぼんやりと思った。キャラバンは一人ではなくて、他の仲間が居て成り立つ隊列だ。自然が相手の過酷な旅路を仲間と支えあって、目的の地へ向かう。このグレートキャラバンはその様なキャラバン隊を体験できる機会で、そんな掛け替えのない経験を積みに私は参加したのを思い出した。そう考えると尾骶骨の怪我も此処でしか体験できない貴重な事柄のように感じ、遊牧民の人と一頻笑い種にしながら次の日からまたキャラバンに再参加する決意をしていった。
あの場所で起きたことは全て自分の身に直結していた。だから、こんなに生活環境の整った日本に帰ってきても、瞼を閉じれば不便で過酷であったあの旅がしぜんと思い出されて仕方ないのだ。愛している、と言える人たちに出会い、自然と己の身ひとつで向かい合う旅なんて滅多に体験できない。この旅で様々な事象に出会って、私は一回り成長した。そう確信している。
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奔流の旅で私が得たものは、乗馬体験、見知らぬ土地の旅、それらを差し置いて人々とのつながりだ。
私は無類の漫画好きである。にも拘らずアウトドア大好きな人間である。そんな裏表な人間は少数派なのではないかと思っていたが、参加初日にしてその考えが間違っていたことに気づいた。参加者の多くが漫画などに理解があったり、美術や音楽が好きだったり、文化を愛する方達で、そうした、普段から夢や理想を描いている人達だからこそ旅に惹かれる傾向があるのかもしれない、などと根拠のない考察をしてしまった位だ。日本では普段、「漫画好きなオタクキャラ」として生き、またそうした自己を過度に演出するばかりな自分は、ここに来てその云わばアイデンティティのようなものを剥奪されてしまったわけである。そんなもの普通じゃないか、と。それよりもお前の本質は何だ、と。旅の間、同行していたモンゴル遊牧民の一人が、ゴビ砂漠キャラバンの休憩中に、砂で自分に似せた埴輪のような人型を作っているのを手伝った。「これ、貴方?」と身振りで聞くと、さぁ、分からない、と言われた。ただ作っているだけ。自分かもしれないし、誰でもないかもしれない。私もそのようなものなのだろう。だだっ広い砂漠に棒人間一人書いて、これが私です、と定義すれば、それが私になる。わけもなく。
変な話だが、私は私としてではなく、定義されない一個体として、参加者や現地で出会った皆と関われたように思う。
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中国はでっかい!世界はもっとでっかい!!         
 もともと、夏休みには海外旅行に行くつもりでいた。旅行会社のパンフレットを物色していたある日、学校でポスターを見かけたのが奔流中国との出会いだった。観光地を巡るだけのツアーなら爺さんになっても行ける。どうせなら今しか行けないようなツアーに参加したい。そう思って、奔流中国、その中でも特に異彩を放っている馬の旅、キャラバンへの参加を決めた。
 今回の旅のメインイベントは、シルクロードでの乗馬キャラバンだ。世界一の大陸、ユーラシアを西から東へ横断するシルクロード。古代の人々の冒険心が切り拓いたこの道を馬で駆け抜ける、というロマン溢れる旅なのだ。
 このように書くと何だか格好いいが、キャラバンの間は、普段とは比べ物にならないほど辛いことが多かった。日差しが強いのに夜は凍えるくらい寒い。馬はなかなか思い通りに進んでくれない。体中の関節が痛くなる。パンフレットに「旅に慣れている人だけ参加してください」というようなことが書いてあるだけのことはあった。正直、最初はここまでとは思っていなかった。シルクロードの開拓者たちも、これと同じような、いや、それ以上の困難を味わったことだろう。
 それでも、キャラバン最終日の本当に最後だけだったが、馬を完全に乗りこなせたような気がした。馬の走るリズム、呼吸の音、風の匂い、全てが混ざり合って、不思議な感覚を覚えた。もしかしたらこれが、張さんの言っていた「馬との一体化」の入り口だったのかもしれない。この一瞬があっただけで、辛かったことも全て楽しい思い出に変わってしまうほどだった。
キャラバンを通して、分かったことがある。現地の空気は現地でしか味わえない。草原の風景を作っているのは、テレビや写真でもわかる要素だけではなかった。音、風、気温、匂い、時間、景色の移り変わり、全て合わせて一つの草原が出来上がっている。世界はでっかい。このような場所、このような体験が世界のあちこちにまだまだ眠っていると思うと、ワクワクしてきませんか?
 これからもたくさん、あまり人の行かないような所へ行き、誰もやったことのないようなことがしたい。ただ、その原点として、奔流中国は一生忘れないだろうな、と思う。張さん、ありがとう!
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・馬、自由
旅から帰った。
バックパックを広げると、舞い上がる砂埃とともに、旅から持ち帰った様々なモノが溢れ出た。
くたびれた乗馬ブーツ。
何かの骨。
石。
この旅に彩りを添えた、形あるモノ達は
今は家の片隅で少し居心地悪そうにしながら、日常に溶け込もうとしている。
帰国から少し時が経ち、この旅を形に残す機会に恵まれた。
そして、気づく。バックパックでは持ち帰れない、形のないものを持ち帰ってきたことに。
今やっと、おぼろげながらそいつの輪郭が見えてきている。
2010年、夏。
カラダは痛むし、馬は言うことを聞かない。不自由しか感じなかった、初めての乗馬キャラバン。
何もしなくても勝手に群れの先頭を走る馬。周りが言うほど実は楽しくなかった、馬の旅。
見渡せば歩く気すら起きないほどだだっ広いモンゴルの大草原で
もし馬がいなければ、と思うと途端に突きつけられる、人間のちっぽけさ。
いつ暴走し出すかわからないこの馬に頼るしか、此処で生きる術はないと知った時、覚悟は出来た。
そして、知った。
勇気を出して前に進む、ということ。
命をかけて手綱を握る、ということ。
切り裂く風の中で聞いた「生きたければ、前へ進め」
まさに人生のように。
いや、そこには23年間のどんな場面よりも、はっきりとした輪郭をもって迫ってくる「実感」があった。
持ち帰ったものは、大きかった。
2011年、夏。
「グレートキャラバン」というものがあるのは知っていた。
それが復活すると聞いた時、震えた。
ここに挑戦の場がある、と思った。
今度こそ、「自らの意志」によって馬で駆けよう。
願わくば、人馬一体の境地まで。
「自由」を得るために流す血を、今度こそ厭わない。
「本当に馬で駆けるという事を知る旅に出よう。」そう、決めた。
そして、何を思うか。
今度はどんなものを持ち帰れるか。
天山山脈麓。古の隊商路。草原というより、高原。
ここにいる意味を問う。
正直に答える。
行く手を遮る馬の群れ
群れの先頭から出ようとするのを制止する声
すべてが、ひどく邪魔だった。
それらを全て蹴散らして、地上の流れ星になりたかった。
とことん、我儘になってやろうと決めていた。
それは、「自分の意志」で「全力」で駆けることでしか、ここにいる意味を確かめられなかったから。
真摯に、馬と、自分と、向き合うためにとった不器用な手段だった。
ある方法を知った。
手綱をギリギリと引き続け、群れの後方に下がり距離をとる。
駆けるのに十分な距離ができたら、手綱を一気に緩める。それがGOサイン。
一瞬で空間が縮んでいく。
キャラバン隊で進む限り、駆け足で存分に駆けるには、この方法しかなかった。
勢い余って前方の群れに突っ込んで、ひんしゅくをかうこともあった。一向に構わなかった。
ふと周りをみると、同じようにのろのろと後ろに下がる奴らがいる。
自由に駆ける味をしめ、よからぬことを企んでいる目をした、迷惑な奴ら。
なぜか、嬉しくなった。
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自由。
その言葉の意味するところ、考えてみたことはありますか。
本当の自由を、感じようとしたことはありますか。
70人が東を向いても、おれは西へはなむける。
70人が早足なら、おれは駆け足を。
別に、人と違うことしたからって、自由でいるとは少しも思わない。
でも、人と違うことするときってのは、それなりの覚悟がいる。
それだけの力がいる。
帰国後、参加者の一人が馬について語っていた。
馬に乗りながら、他の参加者の安全に気を配っているという。
鞍を縛る紐が緩んでいないか。鐙に足を深く突っ込みすぎてないか。
金網などの障害物が無いか。地面にでかい穴はあいてないか。見つけたら、即座に周りに伝える。
それは、ただの優しさから来るお節介じゃない。単なるコミュニケーションの手段じゃない。
馬が好きで、自分の意志で共に駆けたくて、血を流しながらやっと得た、力。そして、自由。
そいつは、やっと得たそれを、自分ではなく他人のために使えるやつだった。
力と自由に裏打ちされた、本当に人のためになることだった。
「お前とは格が違うんだよ」と冗談っぽく言うけれど、それは本当かもしれないと思った。
歩く度、今でも違和感を覚える右の足首。
握ると、少しだけ厚みが増した気がする手の平。
それに対し、確実に厚みが増した尻の皮。
自由に駆けたくて足掻いた跡。
自由が拠って立つものは、いたるところに刻まれていると気づいた。
強烈な、願いや切望。
手を伸ばし、足掻き、追い求める、何か。
そこに感じる、力の無さ。
不自由の塊である自分を自覚した時、血を流す覚悟はできる。
ワレモノ注意の五体を、馬に完全に委ねる決心ができる。
わかりきった事、なんかじゃない。
心からほんとに何か為したいと思わないと、自分を縛る鎖はそもそも見えない。
不自由を自覚する機会は生まれない。
おれはそれを、馬から教わった。カラダに叩き込まれた。
頭じゃなくて、心で感じた。
そうして手が届く、自由のかけら。
もしも、あなたが馬で自由に駆けたいと思うなら
おれは、絶対に追いつけないと思わせるスピードで後ろから抜き去ってやります。
「追いついてこい」と笑顔の中ギラついた眼をして訴えます。
あなたの不自由さを、わからせます。
この四肢を賭けるに値する何かを、背中で示します。
馬と人を隔てる境界線が溶けてなくなる、この何物にも替え難い喜びを、全力で見せてやります。
今までただ目の前の行く手しか見ていなかったこの視界を、少しだけ左右に広げて。
それがおれにできる精一杯の伝え方。
次に草原に帰ってくるときは
「馬で自由に駆ける喜びを知ってもらう旅に出よう。」そう、決めた。
旅から帰った。
心の中を覗くと、もう一人の自分が真っ直ぐにこちらを見ていた。
問うている。
この旅は、何だったのか。
狂乱のあとに、残るものは何か、と。
これは、答えのない問いに答え続ける、心の中の、もう一つの旅。
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これから・・・。
 嫌で嫌で仕方なかった。
 日本に帰りたくて帰りたくて仕方なかった。
 一刻も早く故郷の地を踏みたくて毎日イライラだけが募っていった。
 退屈で平凡な大学生活に嫌気がさし、少し別の世界を見てみたいと思っていたころに
 見つけた「馬と旅する 奔流中国」のポスター。
 このキャッチフレーズに引かれて参加する人たちはきっと変わっているに違いない。
 私のこの平凡な毎日に刺激を与えてくれるだろう。
 深くは考えずに勢いで思い申し込んだ。
 旅が始まってみるとこれまでに受けた事の無いような衝撃の連続だった。
 リアルを見ていない人に説明する事もままならない衝撃を受けつづけた。
 参加者の皆が皆、「我」をはっきりと意識してた。
 自分の中では今まで20年間それなりに色々な経験をしてきたと思っていた。
 いじめ、中学受験、登校拒否、起業、不登校、高校中退、海外生活、大学受験。
 けれどここではそのどれもが意味をなさなかった。
 肩書きは関係ない。過去も関係ない。あるのはただ「今」だけ。恐怖だった。
 その仲間達と見た中国は偉大だった。
 経済発展のまっただ中、上海の町は「希望と自信」に満ちていた。
 そして、内地では雄大な自然に人間の小ささを感じさせられた。
 山や湖、人間の手が加えられていない自然に久しぶりに出会った。
 乗馬に関しては私は何も述べる事が無い。
 ただ馬達には「おつかれさまでした。」その一言を送りたい。
 この旅の最中「馬の気持ち」というのを考え続けた。
 けれども途中で見えなくなってしまった。私に気持ちの余裕がなくなったから。
 自分の小ささに気がつかされた旅だった。
 精神的にも肉体的にも限界を超えていた。
 自信という自信は打ち砕かれ、
 私はいったい何のために生きているのかと考える日々が始まった。
 これから先私はどの道をどのように歩いていけばいいのだろう。
 「参加するんじゃなかった。」それが私の感想。
 ただ、この今感じている孤独と苦しみとむなしささえ乗り越えれば
 この旅に参加した意義が手に入り、実りのある人生が待っているのではないか。
 そのように感じる。日本に帰ってきた今、私がすべきことはなんなのだろうか。
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もともと私はモンゴルとか中国の歴史とか、そういった文化的な類のものには詳しくなくて、 今回奔流中国グレートキャラバンに参加したのも、単純に大草原で馬に乗ってみたかったからだった。
 でも草原や砂漠を延々と馬で走っている時に、少しシルクロードに想いを巡らせてみた。そこで、初めてシルクロードを渡った人たちは、もっと遠くのものを見てみたい、何があるのか知りたいという単なる好奇心から、あの長い長い道のりを越えて行ったのかなと、ふと考えた。  道なんてないから迷うかもしれないし、馬はいつ死ぬか分からないし、下手すれば自分だって死んじゃうかもしれない。そんなリスクを負ってまで、好奇心の赴くままにシルクロードを行く。正直最初は、命を賭ける必要なんてあるのかって思った。だって死にたくないもん。でもさ、実際自分が大草原と砂漠を馬で走っていると、もっと遠くに行きたいって思っちゃうらしい。  乗馬2日目のこと。「この先は岩場で危ないし、何時間かかるか分からない。遊牧民も進むことを反対している。もし落馬しても助けてくれるジープはない。そんな道を行きますか?それとも来た道を引き返しますか?みなさんが決めてください。」
そう言われて私は即座に、引き返すのだけは嫌だ!と思った。それと同時に、道が危険と聞いてわくわくしている自分がいた。リスクを楽しむなんておかしい。でも何時間かかったとしても、危険だとしても、前に進みたいと思った。戻ることはしたくなかった。  その先にどんな素敵な場所があるのだろう、どんな達成感を味わうのだろう・・・そう考えると、早く前に馬を走らせたくなるのだ。  その時、ああ、この気持ちこそがシルクロードを渡った人たちの原動力だったのかって思った。彼らにとって大事なのは、行けるかどうかじゃなくて、行きたいかどうか。そしてその行きたいところへ自由に馬を走らせることが、どんなに気持ちのいいことか。  私はまだまだ未熟で、完全に馬を乗りこなすことはできなかった。でもあの快感はやみつきになる。ずっと馬に乗って、もっと奥地へ、もっと人が足を踏み入れない場所へ行きたいと思った。人間の好奇心というのは、いつの時代も共通しているらしい。  私はシルクロードに触れて、何にも縛られない自分の純粋な好奇心を発見した。そしてこの気持ちを、日本でも大切にしたいと思った。
私たちが暮らす今の社会では、やりたいことがあっても、リスクを怖れてどうしても制限がかかってしまうことがある。でもその中を突き進んで何かに辿り着こうとすることは、命懸けでシルクロードを渡るのと同じでわくわくすることなのではないか。とりあえず行ってみよう、やってみようってすごく大事。奔流はこのことを教えてくれた。  日本人はどちらかというと保守的な人が多い気がする。だから私は、この好奇心のままに動くというわくわく感をもっと多くの人に伝えたい、そう思ってこの文章を書かせてもらった。少しでも多くの人が、奔流に興味を持ってくれますように。
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剥ぎとる
シルクロードが好きだった。日本を出てみたかった。知らないことを知り、見たことのないものを見たかった。大学3回生の春、この夏が最後だと思い、参加を決めた。「感じる」旅にしようと思った。先入観とか知識とかプライドとか、余計なものは捨てて、ありのままの自分で勝負したい。初めての海外、知らない人たち、中国語も分からなかった。他のどんな感情よりも怖さが先行していた。出港して、海の色が変わっていくにつれ、固く緊張していた心がだんだんほぐれていった。大きな世界の小さな自分を感じていた。
まるで自分が子どもにかえったようだった。素直に喜び、歌い、踊った。そして、子どもになった私は、草原や砂漠に、人の心に、美しいものに触れるうちに静けさを求めるようになった。聞いて感じているだけで満足だった。一言でも言葉を発したらうるさいような気がした。砂漠の風の音が心に染みた。自分の中で燃えている炎があった。
乗った時急に背が高くなった気がした。視点が高い。遊牧民はこれを毎日見ているのか。自然を征服したような気がする。馬で駆ける。心地よい緊張感が体をまとっている。ぴりりとした空気。油断は許されない。砂ぼこりがもうもうと巻き上がる。圧倒的な迫力。すごい。馬の脚が砂にめりこむ。穴を飛び越え、よける。躓きそうになる。しかし馬はどんなに疲れていても止まらない。走り続ける。すごいことをやっている実感があった。馬とともに何かを飛び越えた気がした。叫びたかった。ためらいや躊躇など遥か遠くに行ってしまって、そのときやるかやらないかだけしかなかった。それまで馬と私の間にはなにもなかった。そこでつながりができた。張さんに、私が乗って馬は重くないのかと聞いた。張さんはふっと笑って、「重いよ」と言われた。そうか、重いのか。馬は私の重さを引き受けた。私はその重さを分かって乗っていただろうか。
私の馬は1日目、全く走ろうとしなかった。それは私が馬がかわいそうだと思って接していたからだろう。馬が痛いだろうと手綱を緩め、出発の時も腹を強く蹴ることはしなかった。馬を心の底で怖がる気持ちを「馬がかわいそう」という態度で覆い隠していた。しかし、一日走って分かったことがあった。馬は犬や猫のようなペットではない、中途半端な感傷や動物愛護の視点からは何も見えてこない。態度を変えた。何よりも指示を明確にしようと心がけた。甘さを捨てた。2日目、馬は見違えたように指示に従うようになった。同じ馬とは思えないほど。馬の目。優しく、そしてさびしそうな目。静かに遠くを見つめている目。馬には私の気持ちなど全てお見通しだったのだ。未熟な心の乗り手になど従うものかと。冷静に、しかし情熱的に、自分のはやる心を抑えて手綱を引��。
多くのことを気がつかないままセーブして生活していたことに気がついた。感動することを、そのまま受け止めることを忘れていた。できないと思ってやらなかったことが多すぎた。最後なんかじゃなかった。もう始まっていた。始まりだった。やりたいことをやるために生きているんだと分かった。もっともっと自由に生きたいと思った。
本当に生活に必要なものってもっと少ないのかもしれない。ただ頼りになる自分があればいい。旅はまだ終わらない。
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旅と日常
 結局、奔流は自分に何を教えてくれたのか、それについて綴っていこうと思うのですが、この文章から私の考える馬との旅の意義、そしてそこから浮かび上がる日常での生の有り様を汲み取って頂けると幸いです。
 日常とは飽きるものです。私は生活の中での刺激のなさにうんざりしていましたし、何に対しても無感動のきらいがありました。生きている実感がないというのが適切であり、自分が存在しているといえるのかわかりませんでした。でも、それが他者への不信から生じる私の反応だということは自分でもわかっていました。今のままでは無感動の日々が続いてしまうため、何かに能動的に関わらなければと思い、偶然にも参加することとなったのがこのグレートキャラバンだったのです。馬や中国にこだわったわけではないのですが、結果としてこの旅は強い影響を与えてくれました。
 「馬に乗ると見える世界が変わる」と旅の中で何度か耳にしましたが、ただ物理的に視点が高くなるというわけではありません。馬上での視点は遊牧民やシルクロードの商人の視点であり、そこにおいて私は日常の自己を超越しています。つまりこの自己の他者化、相対化が可能となっているのです。新疆での馬の旅は、日本で生活を送る私を見つめる良い機会となりました。遊牧民としての可能性にある私、もはや旅の生活を新鮮な刺激とは認められない私はいたのです。しかし興奮させる刺激とは感動に必要なのでしょうか。いえ、そうとはいえません。旅の中で私は懸命に食べ、馬に意志を伝え、仲間と語りました。食事、乗馬、団欒、睡眠の繰り返しの中でも私は生きている実感をもつことができました。これは馬との旅の中でだけの感覚では決してないはずです。
 旅は普段の倦怠から逃れるリフレッシュの場ではなく、むしろ日常を見つめる時間を提供する積極的な意味をもった場であり、逆説的ですが普段よりも自分の日常に近寄れたように思えます。食事、勉学、音楽、睡眠に満たされた毎日に自覚的、能動的に生きることが実存感覚と密接しており、行動の内容よりも自分の主体的な在り方こそが重要なのだと、馬の背中で気付きました。他者から受け取るときも然りです。他者から伝達されるというのではなく、他者から受け取るといった主体性が肝要であるはずです。馬と同様に世界はそれに語りかけることなしに乗りこなせません。世界の中にあっても、その美しさを感じるには能動性が必要不可欠なわけです。
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中国の夜から
 中国でわたしは闇に包まれた。光といえば星以外に見当たらず、目を開こうが閉じようが大差はなかった。そこにあったのは恐怖と同居する心地よさであった。
 人はわたしを他の誰でもないわたしとしようとする。ここにいるのが自分でなければいけない理由、すなわち他人に決して取って代わられることのない自分の確証を欲するのだ。なぜなら、その確証を得られなければ、わたしとしての存在を否定され、何者でもない誰かであることを認めざるを得なくなるからだ。この欲求に基づく行動は光を求める行為といえよう。より強い光の中に自己を置くことで、わたしの輪郭はより鮮明に浮かび上がり、外界とわたしとの差異をよりはっきりと確認することができる。ここに今確かにいるという感覚は得られるだろう。
 ところで、奔流の重要な語句の一つに「人馬一体」というものがある。「自分の行きたいと思うように馬が進んでくれた」と誰かが言っていた。しかし、騎手と馬との意志の一致という意味は、この言葉に似付かわしくない。この言葉が指し示すのはもっと高度な次元での「一体」ではないのかと考えた結果、「人と馬との存在の一致」と説明する考えに至った。
 人の視点からすると、人は自己であり、馬は他者である。だが不思議なことに乗馬を媒介としてそれらは溶け合う。ここにおいて人は乗馬中にも関わらず、馬に乗っていない。自己も他者もいなくなっているが、代わりに「自己と他者」という一つがいる。この状態こそが「人馬一体」ではないか。わたしはもはや自己ではなくなっている。冒頭で闇について触れたが、この存在の溶け合いは闇に身を置くことを比喩としても差し支えないだろう。闇の中では自分の手すら見えず、自己と他者には境界が見当たらない。自己と他者は混ざり合っているのだ。その時、確かに自己を保持し続けられない恐怖はあるが、同時に世界に拡散されるような快感すらある。
 大衆社会、没個性、一般人などの言葉に対してわたしは悪い印象を抱いていて、人は何者でもない自分であるべきだと考えていた。そして今もそう考え続けている。だが、ただ単に光を求め、それを浴びて生きるというのも違うように思えてくる。「人馬一体」が代表するような自己と他者との存在の関わりの肝要さを発見したからだ。ここで注意したいのは、闇にある自己と他者の関係は自己の埋没とは区別されなければならないところである。溶け合いと埋没という語からもその相違は歴然としている。埋没の際には自己は自己としてあり続けるのだが、世界でそれは覆われ視界に入っていないだけのことなのだ。この状態の快楽と闇での快感もまた区別しておきたい。快楽は自己を埋没させることで得られた、これもまた自己を表面的に覆う快に過ぎないが、快感は自己と他者という一つの存在で湧き上がり、その存在の内部で揺蕩っている快である。エピクロスが唱える「心境の平静」は、わたしがここで述べた快感から基づくものであると認識し、わたしは彼に賛同の意を表する。
 蓋し、存在は自己の唯一性を追求するものであり、その活動の結果として自他をより強烈に色分けしてゆく。そのことについて反対はしないし、わたしも例外でなくそのような存在であることを否めない。問題はその自他の完全な分離から感じる不快である。ここでいう不快とは疎外や孤独を感じていることなど、状況に応じて生じる好ましくない感情を指していると考えてもらいたい。自ら望んだ結果であるにも関わらず、不快を感じるとは皮肉なものだ。わたしはこの不快を見てみぬ振りをする仕方ではなく、根本から快に覆す可能性を「人馬一体」の中に見た。逆説的ではあるが、存在が自己を自己とあらしめんとする際には、同時に自己と他者の綜合が存在の精神の涵養という面において必要となっているのである。
絹の闇は優しく、世界は一つとなる。
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旅が好きになった。
この安全で,快適な日本を出て,旅に出る。それは非常に馬鹿げていて,非常に贅沢なことなのかもしれない。
でも,旅は人を強くする。
どんなトイレでも使えるようになるし,並の不潔さには慣れる。どこででも眠れるようになるし,寒さだって我慢できるようになる。つまり,不自由さに直面して,それを乗り越えられるようになる。
文化交流とか,他者の理解ってこういう所から始まるのかな,とふと思うことがあった。自分が感じている不自由さも,原地の人にとっては既に「住めば都」状態なのだ。そんな生活は不自由なようで,実は意外な喜びに満ちている。食事のおいしさ,水の気持ちよさ,音楽の美しさ,本当にたくさんあった。だから,社会の教科書を開くだけでは違う国の生活は理解できないのだと感じた。そこは,ただの不自由な汚い世界ではないし,ロハスで優雅な自然生活,というのももちろん幻想だ。現場で自分が感じる様々な感覚が積み重なって初めて,文化は交流し,現地の人を少しは理解できるようになるのかな。とにかく,自分から一方的に持ったイメージなんて大した物でないのだと思った。
現場主義の重要性,なんて表現をしてしまうと思い出は一気に乾燥して,変なゼミ資料みたいになってしまうのだけれども。でも,グローバル,なんてキーワードのもとにズームアウトしすぎると,案外こういう所から足下を掬われるのかもしれない。
ここまでだったら,別に一人旅でも感じられたかもしれない。でも,集団の旅だからこそ起こる出来事だってある。
精神的,肉体的疲労の前ではその人の持つ内面の多くが表に出てしまう。集団生活の中で,強さ,弱さ,色々な側面が,乱暴に暴きだされる。テント移動,薪集め,緊急の対応。どれだけ状況を良くしたいのか,全体の中で自分には何ができるのか。リーダーとかフォロワーとか,さんざん講義され,勉強してきたかもしれない。でも案外,乱暴で粗野な形をとってそれらは試されるのだ。都会のビルのなかでは,なかなかその人の内面なんて閉じ込められたままだ。だから,一回旅に出て,自分の内面,他人の内面がぶちまけられる様子を目にうつして,(すごく恥ずかしくなったりして),そしてまた成長できたらいいのかなと思った。
そして,その人の内面がさらけ出される状況では本当に暖かい触れ合いだってあるのだ。
疲れて,自信も持てず,旅に不安を感じていた時。自分にできることはないのかと探して,それはあまりに小さい気がしてどうしようもなかった時。そんな時に,ふと一緒に食事を食べてくれたり,お茶をもってきてくれたり,そういう経験の中で僕はとても人間的な暖かさを感じた。
誰かにそんな暖かさを,僕もあげられるのだろうか。
なんて原始的な強さ,優しさなんだ。
旅に出て,感じて,そして帰ってきて研鑽する。また旅に出て,感じて・・・
とても健康的で,生産的な生活だと思う。
どうやら,本当に旅が好きになってしまったようだ。
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馬と人との関係は何か。 馬は私達に何を与えてくれるのか。 現代社会での日本の馬の役割は昔のように移動や仕事としてではなく、ほとんどが人間社会に組み込まれ、人間によって飼育され管理されている。馬といったら何を想像するかと日本人に聞けば、ほとんどの人が競馬か乗馬と答えるだろう。それは、私達が身近に馬に接することができるのは競馬や乗馬くらいしかないせいではないか。「馬で旅にでる」という感覚は交通機関が発達している日本で持つのは難しい。魅力的でちょっと好奇心をくすぐるこの言葉、「馬で旅をする」これだけを頼りに私はこの旅に参加した。それは想像を超えるものであり、期待以上の満足感と喜びで満たされた。 今回のキャラバンはかつて交易の路シルクロードに添って歩んでいく。それは、日本のコンクリートではなく、道があるわけでもない。ゴールもなく右や左、振り返っても前も後ろもない世界であった。道無き道を自ら決めて進んでいくのである。ひたすら自分の信じた道を進み行き、道標となっていくのだ。バインブルグ高原では遠くの小高い山々に囲まれ馬で群れとなり、時には馬の腰まで浸かる川を渡り、時には息を飲むほど美しい川に映る夕日を見た。ゴビ砂漠では越えても越えても続く砂漠の山を、埃を被りながら何十頭もの馬で一列になり、何時間もの間進み歩いた。この中で馬と自分だけの道を切り開いていくのだ。 このキャラバン中は何十頭の馬の群れの中でも乗り手は馬のことも考えながら、各々のペースで進み行く。馬を休ませるのも走らせるのも自分次第なのである。 これは日本の乗馬クラブでは決して出来ないことである。まず、馬の数をそろえることから難しいだろう。 もちろん日本の乗馬クラブの外乗も素晴らしい点はいくつもあるが、ある程度決められた大きな柵の中を、誰かが何度も通った補正された道を歩いている気がしてしまう。しかし、ここは違う。キャラバンは全く異なる。何も囲われていない地を自分で決め進んで行く。しかも自分だけのペースで。また、このキャラバンでは決められた馬に乗るわけもなく、同じ乗り方を教わることもない。乗る姿勢や馬をきれいに見せることを習うわけでもない。 参加者全員が自分の道を自ら決め、馬から乗り方を教わり、身につけていく。ただ、自分の好きな道を好きな乗り方で馬と決めていく。それだけだ。たとえ初日に馬に乗る事が困難であった人も時を増すごとに自分の持ち馬を知り、試行錯誤しながら人馬一体に近づいていく。ここも日本の乗馬と異なる点である。一時間ほど馬に乗り、また午後に他の馬に乗るというのではなく、同じ馬に1日中朝から夕方まで縦の揺れの中にいるのだ。しかも数日間。だからこそ、人からではなく馬から教わることで身体を通して学ぶことができる。私はこれがグレートキャラバンにしかないもので、一番の魅力な点だと思う。大自然の中で人が自然と馬に慣れて、乗り方も道筋も自分と馬で決めていくのだ。今までずっと出来無かったことで、挑戦したいことの一つが叶えられたのだ。
この感覚は一ヶ月、二ヶ月経った今も覚えている。このキャラバンに参加して馬の大切さと騎乗の楽しさと喜びを再び実感することができた。想像以上の実体験があったからこそ帰国してからの寂しさと空虚感は大きかった。見えるようで見えない道を進む乗馬と普段の生活を照らし合わせて日本の日常生活に戻った。いつかまたこのキャラバンが開催されれば参加したい。完全にキャラバン中毒になってしまったようだ。
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なんで今私ここにいるんだろう?って自問自答しながら旅を続けて
時には酒におぼれた夜もありました。
でも最終日、ハッと気付いたんです。これは“トキメキ体験ツアー”だと。
奔流にはいろんな人間が集まる。入れ替わりもあるが最大で70人の人間が
同じ土地で、同じ空気を吸い、同じ飯を食べ、同じ生活をする。
70人の人と一気に知り合えるなんてそうそうない。
旅で出会った全員と仲良くなれたわけじゃないし、
一言二言しか話さないでよく知らないままの人もいるけど、
とにかく奔流にはいろんな人間、いろんな考え方、いろんな知識を持った人がいるなぁ、ってすごく刺激になった。
70人も集まれば、その中でそりゃあ魅力的な人もいたし、気が合う人が現れ、
彼らと話していると楽しくって嬉しくって、毎日トキメキだらけだったように思う。
帰国後facebookで友人ポチからの質問に
「自分が失ったらいけないものは何?」という項目があったんだけど、
それ、自分の場合は“トキメキ”かな、と。
トキメキ���て恋愛感情ももちろんあるけど
人間として好きになったり、見た景色にときめいたり、
羊のお尻にキュンキュンしたり、いろんなものにときめくことが
私の中ですごく大切なことなんじゃないかって考えた。
ときめくって言葉を辞書で引いてみた。
“期待や喜びなどで胸がどきどきする”“心が躍る”
ドキドキしたり、ワクワクするようなことが無くなった毎日だったら
楽しくないじゃないか。生きているのに。旅行はドキドキワクワクが倍増する。
しかもツアーは奔流。ときめかない訳がない。
お金に換算するのはえげつないけど、結局自分の勘違いでこの旅に20万という大金を払って良かった、と思う。
旅が終わってからも、ときどき集まって遊んでもらって、ずっとつながっている感じ。
今もすごく楽しい。奔流友達大好きです。
一言で言うと、
奔流中国、ありがとう!!
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一人対一頭
馬は私をドキドキさせるのだ。
自分を乗せて歩き始めたとき、ものすごいスピードで駆け出したとき、馬が止まらないとき、馬上で出発を待つとき、
馬上だけではなく、馬のそばにいるどの瞬間にも心は高揚していた。
一方でケガや死に対しても警戒している。相手は動物なのだから。
調教によってある程度の扱い方や性質は把握できているため、「乗り物」として支配することは可能であるが、自動車や自転車とはわけが違う。個々の性格も違う、替えの部品なんてない乗り物の中では危険性に溢れた存在なのだ。
そんなリスクと同時に、生きた彼らとやりとりにドキドキするのだ。
乗れば彼らが呼吸をし、熱を持っていることがわかる。生きているのだから当たり前なのだけど馬に乗ることが同じ生物とのやりとりであることが実感できて嬉しいのだ。
乗馬キャラバン一向を後ろから眺めていると、一人対一頭とのやりとりが50以上の群れをなして走っている光景は圧巻だった。
もちろん自分の力だけで馬を走らせていたわけではない。馬の習性をよく利用した遊牧民達の下でキャラバンは統率されていた。
遊牧民の人が走りだせばまわりの馬が走りだし私の馬も勝手に走り出す。そんなときはいつもぐっとたずなを後ろに引き、減速の指示をする。 もっと一人対一頭のやりとりをしたいからだ。
群れの後方まで下がったところで走れと馬のおなかを蹴る。「待ってたぜ」と言わんばかりに馬はスピードを上げて駆け出す。
草薮や他の馬に激突しないようにコースを考え指示して、減速させないように馬の跳ねるテンポに合わせて体を動かす。
スピードへの恐怖はいつだってあるけれど、スピードを恐れたら姿勢が乱れて馬の走りを阻害するので走る速度を上げることに集中する。
自分の体が限界を超えたっていいからもっと走れと感じていた。
駆け足の間は否が応でも馬と自分のやりとりが激しくなるのだ。
広い砂漠の真ん中で群れから離れ、物理的にも精神的にも一人対一頭になれる機会があった。
この馬はこの砂漠を抜けるために必要な手段であるし、私は馬にとって最適なルートと走りを選択しなくてはいけないことを感じて馬で旅をしている実感が深まった。
そんなドキドキさせる行動と環境がこの旅に求めていたものなのだ。
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奔流とは (張宇氏のFBより) 奔流は毎回必ずしも同じ形でない。だけど、奔流は目指す形がある。屈折しながらもいつか必ずそれに成るように努力する頑な姿勢が、それが奔流である。 奔流の理解は必ずしも同じものでない。そこにそれぞれ人間の生い立ちがある。だけど、泥でも沼でも、奔流を汚すことができない清らかなところ、それが奔流である。 奔流に求めるものは必ずしも同じものでない。奔流が求められるものを応えるために存在したわけでもない。だけど、奔流は、もっとも大切なものに気づかせてくれる。「人」の中のなにかを呼び起こすことができる。 奔流が必ずしもすべての人は必要とは感じない。大樹でも、野薔薇でも、弱草でも、必要とする人もしない人も居ると同じように。だけど、そもそも奔流がだれかが必要のために存在しているわけではない。奔流は尊厳のために存在している。 奔流は自由である。社会主義の崩壊と同じように、奔流の自由は、人々はより強い人間を目指す、より賢い社会を目指す、ことが絶対必要条件である。だから、自己堕落が奔流じゃない。 奔流はまた必ずしも自由ではない。自由を選択する人には最大の自由がそこにあると同時に、自由を選択しない人にも自由でなくても生きていける道はそこにある。 奔流は、傲慢、貪欲、堕落愛、原始的、保守的、非民主的である。 奔流は、尊厳、渇望、ブラトン式愛、固執、超時代的、反政治的でもある��� 奔流は一種の無為の中で為した��のである。
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記憶は草原の風のように、砂漠の砂のように消えていく。 もう忘れてしまったことがたくさんある。 音も、景色も、日程も、遊牧民の名前もすべて曖昧になってしまった。 しかし、形のない大きな感動は、今も心に焼き付いて離れない。 いつかまた同じ場所に戻ったとしても、同じ記憶は蘇らないだろう。 生きものは、常に変わってゆくのだから。 人間であっても、動物であっても、植物であっても。 自分が変わる。仲間が変わる。自然は秒単位で移り変わり、二度と同じ景色を作り出さない。 馬と私、息を切らせて駆け抜けた。愛おしくなったりいらついたり、まるで人間同士のように。 人間と人間、音楽や景色を通じて、ことばに出来ない感覚を共有した。ぐっと本能的に、まるで動物のように。 まためぐり合うとき、私たちは必ずどこか変化していて、同じような感覚は戻らないかもしれない。 それでもまた、新鮮な喜びを見つけ合えるようなお互いでありますように。 キャラバンは終わらない。
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世界で一番海から遠い場所               
 焚き火を囲む宴会の活気を遠くに聞きながら、地平線の彼方まで広がる草原の暗闇に一人ぽつんと仰向けになり、広大な星空を眺めていると少し離れた暗がりからぬっと人が現れて宴の方へと帰っていった。どうやら用をたしていたようだ。キャラバンの旅では男女問わず青空トイレが基本、とはいえとうとうライトも持たず星の明りのみを手がかりに用を足せるようになったんかぁ、なんてその人の耐性にいたく感服してしまう。しかし暫くしてから「柵の近くでしたから踏まないようにね!」っと大声で後発のトイレ隊に注意を促すのが向こうから聞こえると、ドキっとしながらつくづく思う「ちょっと遠いし汚いが便所はあるからそこでしたらいいのに。」と。言語を絶する大草原、彼方に霞む荘厳なる山々、息をのむ満天の星。ここはバインブルグ、トイレからも最も遠い場所。
 この旅に参加しようとした動機が何だったのか忘れてしまった。というよりそんなもの端からなかったと言ったほうが正しいかもしれない。別段見たいものがあったわけでもやりたいことがあったわけでもない。ただどっかに行きたかった。だから道中で知り合った仲間が堅牢で明確な参加理由を持っていることを知って感心しつつも幾分ばつが悪かった。この旅で生まれて初めて馬に乗った、数日乗っただけでえらそうなことは言えないけれど馬を操ることは自分自身をコントロールすることのように思える。不安や恐怖、焦燥や慢心といった雑念を心から取り去り馬に心を開くことが重要で、それが上手くいかないと馬も言うことをきかない、しゃくしも馬もとはよくいったもの。もしかしたら乗馬は禅のようなもので張宇氏の言う「人馬一体」とはその一つの境地であるのかもしれない。馬との旅はこれまでの自分の旅の中でも最も自己と向き合った旅だったかもしれない。
帰ってきた今、今回の旅を思い返せば旅に出る前に思っていた以上のものを得られたと思う。美しい風景とか異文化体験はもちろん、乗馬の感動、個性豊かな人達との新たな輪、信じられない程険しい山道を車で十時間かけて越えても折れない心、腹ブレーク。キャラバンでは信じられないようなハプニングが平気で起る。追い詰められたら人間誰でも地が出るもんで、そこでホントの自分に気付く。本性を鍛えるには、安全でルーティンな日々や紋切り型の海外ツアーでは決して成し得ない。やっぱり追い詰められなきゃいけないと思う。
驢馬が旅に出たところで馬になって帰ってくるわけではないと言う。例え驢馬は驢馬でもきっと旅に出る前よりもたくましい驢馬になって帰ってくる。そんなお金じゃ買えない価値がある、自分だけの旅は是非奔流中国で。
「驢馬が旅に出たところで、馬になって帰ってくるわけではない。」そんなアイロニカルな
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kiitatakita · 6 years
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聴講メモ 情報法制研究会 第6回シンポジウム
聴講時に入力したメモです。断片。配布資料からのメモも引用符はありません。 聞き取り間違い等、あります。おかしな部分は記録者のせいです。
2017年11月25日(土) 13:00-17:30 一橋大学 一橋講堂
開催案内 https://www.dekyo.or.jp/kenkyukai/symposium6.html 主催 一般財団法人 日本データ通信協会 情報法制研究会 後援団体(50音順) システム監査学会、一般社団法人情報通信ネットワーク産業協会、一般財団法人情報法制研究所、 一般社団法人全国携帯電話販売代理店協会、一般社団法人テレコムサービス協会、一般社団法人電気通信事業者協会、 一般社団法人日本インターネットプロバイダー協会
総合司会 鈴木 正朝 新潟大学 教授 (理化学研究所AIP情報法制チームリーダー)
堀部研究会全9回、通算で今回15回のシンポジウム。時々の論点を先取りして行う。 これから先の個人情報保護法について議論したい。
13:00-13:20 スピーチ 「個人情報保護委員会の国際的取組例」 ≪資料≫ -ICDPPC・EUを中心として- 堀部 政男 一橋大学名誉教授(個人情報保護委員会委員長)
ハイビジョンの日 1970年11月25日 『宴の後』執筆者の三島由紀夫が割腹自殺 2018年5月25日 GDPR適用開始日 2年前にICDPPCについて検討 今年は香港で開催。39回目。 DPAとしてのネームタグ 2日目に正式メンバーに認められるまではクローズドセッションに入れない。 ベルギーの機関(Belgium: Supervisory Body for Police information Management)が認められたので、4年前でも行けたかも。 昨年は反対が上回ってだめ。今年は全面改正後なので通った。 国によっては複数の機関が加わっている。 晩さん会では上座に席が用意された。 「グローバル化する世界における個人データの交換と保護」(Exchanging and Protecting Personal Data in a GlobalisedWorld) 2018年の早い段階で日本の十分性認定について検討するとのこと。 →CommissionWorkProgramme2018(2017/10/24)Ⅱ. COMPLETING AND DELIVERING THE 10 PRIORITIES OF THE JUNCKER COMMISSION5 韓国はあまり早い時期ではないようである。(11月20日付文書)
13:20-15:00 1.パネルディスカッション<匿名加工情報の利活用に向けて>(仮)
モデレーター  森 亮二  弁護士法人英知法律事務所 弁護士(も) パネリスト  高木 浩光 産業技術総合研究所 主任研究員(ひ)  高橋 克巳 NTTセキュアプラットフォーム研究所 主席研究員(た)
森 亮二  弁護士法人英知法律事務所 弁護士
社員番号は誰にとっての「個人情報」か 容易照合性 個人識別符号
情報が一意か 本人到達性
渡された先では個人識別性がないような場合
丸めたデータの提供
対応テーブルがなくても、情報そのものから照合は可能 乗車履歴 データを丸め過ぎるとデータの価値が低くなる
識別行為禁止義務
個人情報の保護に関する法律施行規則(平成28年10月5日個人情報保護委員会規則第3号) https://www.ppc.go.jp/files/pdf/290530_personal_commissionrules.pdf (匿名加工情報の作成の方法に関する基準) 第19条 一 個人情報に含まれる特定の個人を識別することができる記述等の全部又は一 部を削除すること(当該全部又は一部の記述等を復元することのできる規則性 を有しない方法により他の記述等に置き換えることを含む。)。 二 個人情報に含まれる個人識別符号の全部を削除すること(当該個人識別符号 を復元することのできる規則性を有しない方法により他の記述等に置き換える ことを含む。)。 三 個人情報と当該個人情報に措置を講じて得られる情報とを連結する符号(現 に個人情報取扱事業者において取り扱う情報を相互に連結する符号に限る。) を削除すること(当該符号を復元することのできる規則性を有しない方法によ り当該個人情報と当該個人情報に措置を講じて得られる情報を連結することが できない符号に置き換えることを含む。)。 四 特異な記述等を削除すること(当該特異な記述等を復元することのできる規 則性を有しない方法により他の記述等に置き換えることを含む。)。 五 前各号に掲げる措置のほか、個人情報に含まれる記述等と当該個人情報を含 む個人情報データベース等を構成する他の個人情報に含まれる記述等との差異 その他の当該個人情報データベース等の性質を勘案し、その結果を踏まえて適 切な措置を講ずること。
高木 浩光 産業技術総合研究所 主任研究員
5月のシンポジウムでは情報公開請求で判明したことを紹介。情報法制研究所シンポジウムでも。 9月のFITで議論。
認定保護団体指針の匿名加工情報 先週のNHK番組での匿名加工情報の紹介に疑義 履歴の部分は業界団体の自主ルールと。 匿名加工の基準は結局曖昧なまま。5月のJIPDECの指針でもあいまい。 いくつかの業界では具体的なデータ流通のケースでできそうなものも。 法の条文解釈で曖昧 匿名加工情報は個人情報なの、そうじゃないの?
視聴者プライバシー保護WG(総務省)では  JEITA 時刻情報丸めるのは勘弁  事務局 法で再識別が禁止されていることをもって加工方法の基準を緩和することは、制度趣旨に照らすと適切ではない。
宇賀先生の逐条解説第5版では「復元することができないように」を説明していない。
「復元できないように」を皆言わない。
「どうぶつの森ポケットキャンプ」非特定性情報って何?
本来なら「復元できないように」の文言を入れるべきでは。
「復元することができないように」と「識別できない」は違う。
旧案では仮名化だけでOKと。内閣法制局長官が審査でダメ出し。  「復元することができないように」を定義の要件に追加  規制緩和にならないことが認識されていた様子。  基準の明確化がキモ
旧案では1号、2号、3号の3つ。
禁止だけでは駄目。照合できないデータを提供すること。
グルーピング、トップコーディング、ノイズの付加、値を入れないといった加工方法は旧案には入っていなかった。
α解釈 「復元できないように」は各号の措置とは独立の要求 β解釈 両方にかかっている
「識別」に容易照合による識別を含むのか? α 含まない β 含む
ファイル単位でもっぱら照合できるということを容易照合性の解釈としてはどうだろう? 63年法の構想段階ではファイルまたは台帳との照合を考えていた。
当該個人の人格から切り離された情報となるということ ありふれた情報 「ありふれた」とは?
仮IDの問題。
高橋 克巳 NTTセキュアプラットフォーム研究所 主席研究員
k-匿名性に関する疑問に答える
k-匿名性を突き詰めると、それで守れない部分が高木さんの提起した課題となる。
k-匿名性は必須ではないが、個人識別性がないということを根拠をもって主張できる。
識別子 単独 準識別子 組み合わせ k-匿名性の守備範囲だけど、誰かが決めるのではなく、作成者が決める必要がある。
NIIレポートで言及
製法表示ではk-匿名化の対象項目の明記が重要
k=1データ データの中で一意(識別可能)
kの値に共通汎用的な答えはない。2または3 5または10 20以上だとデータが破壊されてしまうという説がある。
データの性質に応じたリスクを考えて対応する
購入品名が明らかに個人識別に貢献する 例 野球選手の守備位置 対応 k-匿名化対応 参照情報があってマッチング可能 対応 ノイズ 潜在的な個人識別性がある 例 位置情報
匿名加工情報の規律は、データから個人識別性を無くすことである 匿名加工情報の利用目的を決めて作成することが、有用なデータ作成に貢献する  要らんものは入れない。
匿名加工情報のお試し利用 ビッグデータはやってみないと分からない。にわとりたまご  技術的に解決 リアルな疑似データを作成する技術の研究開発  制度的に解決 各種制限をつk手は「お試し」利用の運用可能性検討  業界的にはデータエコシステム設計構築
ディスカッション
も 最終的な目的は一般的な安全性が確保される(識別されない)ことではないのか
ひ 特定の個人を識別できないということの概念が揺れている。先週の法とコンピュータ学会でも議論された。特定の個人を識別できるとは、同定できること。同じ顧客が来たと分かるというのは、同定できるということ。 長官のダメ出しは照合による識別の概念が揺れていたからではないのか。
も 仮名化について
ひ 名前等だけを落とすこと。連結可能匿名化でOKと誤解��れている。
も 規則19条に容易照合性の文言がないことについて。NII報告書は省略ではないとしている。5号措置の対象であると。
ひ 加工基準の1号は容易照合を含んでいないという点は同意。法律の条文上でどうか。 何をすれば達成したことになるのかが不明。復元不能か、識別不能か。
も 視聴者ガイドラインで視聴履歴の時刻を丸めることにしたのは人によっては高度に識別可能になるから。
ひ 委員会ガイドラインはどうやったらいいのか分からない。
も 法文上の根拠が分かればできるのか。
ひ 何の法的根拠もないところではだれも決められない。
も 識別可能なデータがあってもいいということについて
ひ EU29条委員会での匿名性検討では多くの列があるのは駄目となっている。母数が十分大きなところからサンプリングするというのは有効ではないか。偶然、一人しかいないようなデータを引いた場合に、問題とするのか。データを受け取ったほうには分からない。
た k-匿名性とランダムサンプリングでは、想定された属性が、データのかたまりの中に安定して分布していれば似ている。長いデータでは安全性に疑問。
も 横に長いことによって一意になってしまう。
ひ 背景母集団による一意性は要考慮
た 母集団一意性の議論は難しい。k-匿名性がいいとされた理由は母集団の事を気にしなくて済みそうと考えられたから。函館市の90代の女性と与那国島の100代の男性の違い。
も 4号によって削除されるべきデータでは。
ひ 4号は1列だけ取ってユニークなものとしているが、背景母集団の一意性は前列を見る。
も 母集団での前列一意なんて分かんないんでは。
た 年齢一つだけ見ればいいというわけでもないし、前列見るのが難しいというのも分かる。
質疑応答
会場 2つほど見過ごされたポイントが。横に長いデータの切断による安全性向上が議論されていない。もう1つは反証可能性が法的に議論されていない。
た ぶつ切りの問題は3人ともぶつ切り賛成派だと思う。必要な情報だけにしろというのがそれ。
ひ 事務局レポートは仮IDを許容しているが、反復して長期間利用することは危険とも。前回シンポジウムで議論。
た 匿名加工情報を2つの表で出さざるを得ない場合は使うけど、他は要らないんじゃ。繰り返しは使わない。期をまたぐような奴は使わない方が良いと思う。
ひ 内部加工用ということで。
ひ 匿名加工情報を議論するときに絶対安全にしたいという声もあるが、無理。法はそこまでは求めていないのでは。
会場 そのための基準作りが法では。
15:20-17:20 2.パネルディスカッション<改正個人情報保護法完全施行後の現状と課題>
モデレーター  湯淺 墾道  情報セキュリティ大学院大学 教授(ゆ) パネリスト  新保 史生  慶應義塾大学 教授(新)  小川 久仁子 個人情報保護委員会 事務局 参事官(川)  小木曽 稔  一般社団法人新経済連盟 事務局 政策統括(木)  小堤 康史  一般財団法人日本データ通信協会 電気通信個人情報保護推進センター所長(堤)
新保 史生  慶應義塾大学 教授
委員会ができる前と後、今後の課題について。 2013年の個人情報保護法はアンゴラにも負けていた。その当時と変わっていない課題がある。 日本としての影響力を発揮していかないと。俗人的な対応は国益を損なう。 日本には利益団体がない。例えばPIのように。 情報収集、情報分析、情報発信のための体制整備 グリーンリーフ教授によるその後の評価 2015年  委員会の独立性 第三者機関として確固たる地位  執行権限 第三者機関として独立の執行権限  委員会規則に基づく、統一的な執行体制  老練な初代委員長  執行権限のためのリソースが整っている。  当初の政府案よりも強力な執行権限  課題 ビッグデータ 公的部門
データ移転の課題  トップの了解事項として取り組み  欧州委員会の議員団来訪。高評価。  24条の手続き  十分なレベルの保護基準が大事
戦略的に考えるべき  法の適用と執行の明確化  誰が、どこに、何に
小川 久仁子 個人情報保護委員会 事務局 参事官 NHKの番組では35分話したが、10秒しか使ってもらえなかった。
小木曽 稔  一般社団法人新経済連盟 事務局 政策統括
新経連では説明会を数回行った。勉強会も。 改正までの検討経過が妥当であったかを振り返るべき。 経済界からも声を上げるべきであった。 3年後の見直しに向けて、情報法制全体に向け、どのような提言をすべきか検討したい。 パーソナルデータ研究会での議論のやり方について、決まってからの経済かいとの対話が良かっただけに、もう少し考えることがあったのでは。 個人情報保護委員会のサイトは分かり難い。 弁護士の意見や、解釈本に不備が多いので、原典に当たるために個人情報保護委員会のサイト充実を。 データ移転の分類は実務にあたって、ここまで落としてもらわないとできない�� 2000個問題は言い続けるべき。 75条(国外移転)は外国の主権との問題はあるが、執行面における対等性をどう担保するか。
小堤 康史  一般財団法人日本データ通信協会 電気通信個人情報保護推進センター所長
認定個人団体は仲裁のようなことをしている。業界の保護指針も策定している。 ※実際に書いているのは10~20%程度。総務省や個人情報保護委員会のガイドラインから多く入れている。ハンドブックでざくっと。 匿名加工の在り方については検討を続けている。 加入事業者が目減りしている… 増やしたいのは「認知度」と「活動原資」 後手に回っているもの 「匿名加工情報」に係るリーダーシップ PI-ICT やりたいこと  個人情報保護デー  個人情報保護の適正な取り扱い診断ツール  個人情報保護取り組み状況等に関する継続的な比較調査 認定団体の協議会のような取り組みも必要では。 シール制度重要
ディスカッション
ゆ 国際化の問題は大きい。イコールフッティングについて
川 域外適用の規定がなかった時には手が回らなかった。75条を積極的に活用して執行していきたい。ない部分も多いが、国際的な動向も踏まえ、執行協力も活用しつつ対応したい。
ゆ 海外サーバーの問題を連邦最高裁が取り上げるとのこと。データローカリゼーションも論点になっている。日本企業が直面する課題と解決について。
新 日本企業が何もしなくて済むように制度的に担保してほしい。標準契約条項でやるのは、毎回切符を買って電車に乗るようなもの。手間と費用が掛かる。するべきことは単純に、簡単に。
ゆ 企業はGDPR対応で困っている点は?
木 困っているというよりも認識がない。BCRをとった経験を聞かせてほしいと言われるが、そこまで社内的に進んでいないところがほとんど。全企業が取れるものではない。とるといいのは自社グループ内のデータ流通の整理、社員教育の整備に役立つ。セミナーはいくつか開催されているが、会員企業から深掘りした質問が出てこない。
新 対応しなければならないという不安症的な対応は良くない。誤った情報がはびこっていることで、不要なことをしていたりする。「間違いだらけの」と冠した書籍など。正しい情報をわかりやすく伝えるのは難しいが重要。
ゆ 不正確な情報を行政が提供している例も見られる。
新 2枚で分かる個人情報保護法という資料を作ったのが、勝手に使われている。単純でわかりやすいものが少ないので、しょうがないのかもしれないが、出典は明確にしてほしい。
川 委員会としても正しい理解を広めていくのは重要と考えている。講演と、中小企業向けにシンプルレッスンという素材を提供している。トンデモ本についても情報提供をお願いしたい。
ゆ 記録作成義務については浸透していない印象がある。真面目にやっている企業からは大変だとの声が。
堤 一般的な事業者のレベルで言うと、委託と提供の区別がつかないところが多い。責任関係の点について理解が不足した上に、混乱が上積みされている。そもそものレベルの話をしていく必要がある。委託は記録を取られていることが多い。
ゆ 何か事業者としての考えは?
木 まだ会員企業からは聞いていない。記録を取るということを知っている会員が少ないのかもしれない。これから問題が浮上するかも。
堤 5人、10人の会社ならともかく、1万人の会社で、一部門が記録を取ったことが企業として取ったことになるのか。
ゆ ガバナンス、社内問題であるともいえる。インシデント発生時の告知など欧米では入っているものが今回は見送られている。
川 安全管理措置を取る義務に基づき、個人情報保護委員会に報告することになっている。現在も報告が入っている。報告は義務ではないが、安全管理措置をとることは義務である。
新 第三者提供の記録については形骸化が懸念される。米国のデータブローカー規制のようなやり方もある。なにが重要になるか。プライバシーインパクトが重要。PIAが免罪符的に使われてきた。特定個人情報保護評価もできないところがある。PbDでも重視されているプライバシーインパクトを検討していくべき。
ゆ 特定個人情報保護評価はかなり形式的になっている点は否めない。やらないよりはましだったとは思う。情シス部門と総務部門の風通しはいくらか改善されているが、インパクトが軽視されているのは良くない。官民データ活用法と行政機関個人情報保護法とあと2法、交通整理が必要。
木 匿名加工情報のレベルが法律に書かれていない、何を守り切らなければいけないのか、守らなくていいのか、定義の部分が落し切れていない。
新 情報法制全体で考えたとき、個人情報保護法はあくまでも個人情報の話なので、不正競争防止法との絡みなどもある。 なんでもAIとつければいいという風潮がある。不防法の改正を巡り、個人情報でもない、営業秘密でもない、著作物でもないというデータが増えていく。本当の意味でのビッグデータが増えていく。機械学習の対象となるデータが増えていく。いかにデータを取り扱うことができるのかを考えていくべき。
ゆ 情報なりデータなりのオーナーシップを確立すべきとの考えか?
新 プロパティ概念の間違い。属性を物権的に扱うのはいかがなものか。財産的に考えるのはおかしい。
ゆ 中国、ロシアのデータローカリゼーション
川 3年後に向け、まだどうやって行くか決まっていないが、IoT機器の普及など、個人情報の取得が無意識に行われていく可能性を踏まえ、企業との意見交換を行っていきたい。個人のリテラシ向上も。民間の自主ルールも重要になる。
質疑応答
会場 ロボットからクラウド等に情報が流れるときの危険性が懸念される。マイデータ@フィンランドでグループプライバシーという概念が出てきた。AIのテクノロジーが入ってきやすい概念である。
新 NAACP事件がグループプライバシーの事案としては嚆矢であろう。欧州では労働組合への加入情報が主。グループの構成員であるという事実がプライバシーであるとして議論されてきた。
木 AIスピーカーで家族内の会話が外資に流れて大丈夫なのか?
湯 イコールフッティングの問題にもなる。
17:20-17:30 まとめ 閉会挨拶  鈴木 正朝 新潟大学 教授 (理化学研究所AIP情報法制チームリーダー)
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kissahitori · 4 years
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『日本とフィンランドにおける高齢社会とウェルビーイング』
10月31日、フィンランドセンター主催によるセミナーに参加してきました。日本とフィンランドには他国に比べ高齢化がより進んでいるという共通点があります。そこでお互いの文化的な背景や違いを学び合いながら高齢化社会について考えていこうというものです。
セミナーでは4人の登壇者による発表がありました。それぞれの発表についてレポートします。どうぞご覧ください。
1. 「日本とフィンランドの高齢社会」 2. 「日本の都市に暮らす高齢者のウェル・ビーイングに資するリソース:社会関係と地域環境の視点から」 3. 「高齢化社会を豊かにする技術・システムの開発と社会実装」 4. 「独居・住宅・ケア:フィンランドのエイジングと高齢福祉のフィールドワークから」
1. 「日本とフィンランドの高齢化社会」ノーラ・エルヴェリウス(フィンランドセンター)
社会が高齢化を迎えるということは、出生率の低下による社会保障を支える労働力(納税者)の減少と平均寿命の伸びによる医療費の増大の結果として、ひとりの労働者に対する負担が増え、その社会を支えることが困難になっていくことを意味します。
フィンランドの特徴としてまず在宅比率の高さが挙げられます。そして多世代で住むことがあまりないので独居の割合も高く、親族介護制度などのインフォーマルケアが充実しています。施設で長期間暮らすことになると金銭的な負担が大きくなり、受動的な生活になってしまうため高齢者本人にとっても良くないという考えから、在宅で暮らす人が多くなっています。また在宅サービスも充実しており、グループホームやシェアハウスといった保護住宅(シェルタードハウス)も増えています。保護住宅には24時間スタッフが常駐している場合もありますが、あくまでもサポートなので受け身にならずに生活することができます。
しかし財源不足によるサービスの低下も顕在しており、2016年の調べでは93%のスタッフが良くないケアを目撃したことがあると答えています。さらに慢性的な疾患や精神的な病気を抱える人への対応、孤独や社会的必要性についても考えていかなくてはなりません。
現在コミュニティに焦点を当てた調査をしており、今後フィンランドセンターのホームページで公表するとのことです(http://www.finstitute.jp)。
2. 「日本の都市に暮らす高齢者のウェル・ビーイングに資するリソース:社会関係と地域環境の視点から」高山緑(慶應大学教授)
世界は超高齢化社会を迎えようとしてます。2017年の時点で8人に1人、2050年には5人に1人が高齢者となるそうです。同時に人口の都市化が進んでおり、2007年の調査では世界人口の半数以上が都市に居住し、毎年6000万人ずつ増加しています。このことは多くの人が長い時間を都市に住み、多くの高齢者が都市で生活することを意味します。ですから都市に住む高齢者が健康状態や身体機能などが変化する中で自立して生活し、生涯を通じて尊厳を持って生きることができる地域コミュニティ・地域社会をつくっていかなければなりません。
その指標としてウェルビーイングというものがあります。ウェルビーイングとは、日々の暮らしの中で肯定的な感情を持ちながら生活できていること、自分の生活に満足し、これまでの人生に対して肯定的に受け止められていること、自分自身が生きていることや自分の存在、自分のしていることに意味や意義を感じられていることなどの生活満足度のことです。
それではどんなことからウェルビーイングを感じることができるでしょうか。ひとつは経済的な不安がないこと。次に身体的精神的に健康で���ること。これは主観的な健康感であり、必ずしも病気の有無ではなく自分が健康だと感じていることが重要です。3つ目は対人関係やネットワークといった社会関係。生活上の具体的なサポートや必要な情報が得られることや自分の存在を認めてくれる承認サポートなどといったソーシャルサポートがあること。反対に自分が誰かに対してサポートを提供できるということもウェルビーイングを感じることにつながります。4つ目は町内会やスポーツ、文化活動、ボランティア、就労など、社会活動に参加することです。
これらのウェルビーイングのリソースは当然年齢を重ねることにより変化していきます。しかし別のリソースや周りのサポートなどによりウェルビーイングを豊かにさせることができます。
また高齢になると身体的・心理的・社会的な脆弱性を抱えることになり、生活圏が地域に限定され若い頃より地域の影響を受けやすくなります。そのため地域環境が重要になってきます。ここではウェルビーイングに影響する4つの主な要素を挙げます。まず物理的環境として、①公共スペースや施設(バリアフリーなど)、②アクセシビリティ(地理的・心理的アクセスのしやすさ)、社会的環境として、③プログラムやサービス(医療、福祉、レクリエーション)、④社会的包摂性(多様な立場に対する理解など)。その他にも地域の風景といった自然環境なども影響します。
これらにはそれぞれ直接的な影響と間接的な影響があります。身体機能の低下した高齢者にはアクセシビリティは重要ですし、地域への愛着といったコミュニティ感覚が高まることでウェルビーイングも高まります。またこれらの要素には認知機能低下を抑制する効果もあります。環境を整えることでウェルビーイングを高めることが必要です。
3. 「高齢化社会を豊かにする技術・システムの開発と社会実装」 伊福部達(北海道大学・東京大学名誉教授)
当初医療工学を研究していましたが、福祉工学へとシフトしました。これは治療といった「人間の改造」から生活空間を変えたり身体機能を支援する「人間の非改造」への転換です。こういった福祉工学が産業として成立するのではないかと考えられてきましたが、いまだマーケットが小さく少人数の研究者によって細々と続けられてきたのが現状です。
高齢化社会やコミュニティで生活する上で必要な情報システムの要素として、「情報獲得」・「コミュニケーション」・「移動」といったものが考えられます。これらの要素を相互的に循環させることでより生活しやすくなるはずです。2010年には高齢化社会を豊かにするための科学技術システムをつくることを目的とした『JSTプロジェクト』を発足させました。高齢化による労働人口の減少や社会保障費の増加といった問題の解消、さらには老後の生きがいやウェルビーイングに寄与するものです。
高齢になるしたがい過疎性や適応能力は減少しますが、知識・経験・スキル・技能は増えていきます。そこで社会参加を希望している元気な高齢者を再び労働力として日本の推進力にしようとするアプローチが考えられます。同時に虚弱高齢者のQOL(生活の質)を向上させることで生きがいを感じて生活できるようにすることも大切です。また科学技術による心身機能の支援をすることによって介護する人の負担を軽減しようという目的があります。
現在このプロジェクトでは3つの課題が進められています。  ① 自律運転システム・・・移動、アクセシビリティ  ② 生活支援ロボット・・・情報獲得、コミュニケーション  ③ 高齢者クラウド・・・ジョブマッチング(例. Jスカウター、GBER)
4. 「独居・住宅・ケア:フィンランドのエイジングと高齢福祉のフィールドワークから」 高橋絵里香(千葉大学准教授)
文化人類学のフィールドワークとエスノグラフィー(民族誌的調査)によって、フィンランドの高齢者とエイジングを調査しています。調査エリアは西南部(2001年〜)。主な内容は在宅介護、親族介護制度(インフォーマルケア)、新自由主義的構造改革・民営化による影響です。
フィンランドは全世帯の40%が単身世帯です。多世代が同居する拡大家族は少なく、あっても核家族です。社会に出た子が親と同居することも一般的にはありません(日本の同居率は39%)。そのため独居の高齢者が多く存在します。
独居の多い背景をハウジングの観点から検証すると、持ち家率が高い(67%)、国が提供する住宅の材料・設計図を購入してきた歴史がある、共同住宅が少ない、DIY志向であるという傾向があります。木造で安価な住宅供給がなされローンも比較的早く返済できます。またサマーハウスを保有しており、住宅の修繕や寒さ対策なども自分でしなければなりません。家族構成の変化や身体的な問題などにより高齢期に住みやすい住居へ転居することが増えていきます。新たな住居へ移る際、売却されるため生家も継承されません。その代わりサマーハウスに関しては都市部から引退して移住したりすることにより継承されることが多いようです。
住居の保有形態と社会保障の連関についてのスウェーデンの研究では、持ち家率の低い社会では政府による社会保障支出率が高くなり、反対に賃貸住宅に暮らす人の多い社会では社会福祉が弱くなるという結果が出ています。つまり住宅を持っているということが国家の社会保障を弱くする要因にはならず、フィンランドの文化的な側面からは家を継承しないので多世代の同居が少ない。そのため高齢者の独居が多くなっています。
次に社会サービスとしての高齢者ケアを見ていきます。福祉国家では新自由主義化が進んでいます。社会保障費を抑制するには脱施設化を促進しなければなりません。在宅ケアは費用対効率がよく、その上最も人間的なアプローチであると考えられるからです。
フィンランドでは「高齢者サービス法」により顧客中心的なケアを推進しています。これは高齢者が購入するサービスを自分で選ぶというもので、サービスの市場化により選択肢も増えています。どこに住むかといった居住環境に関しても自分で選択することができます。
また親族介護者の支援もあります。金銭の給付やレスパイトケアの保証により、家族をケアワーカーにしようというものです。行政の手が届きにくい遠隔地域のアレンジに使われ、同居していない家族や親族だけでなく近隣の人などでも親族介護者になることができます。これまで北欧のケアモデルは「脱家族化」が特徴だと言われてきましたが、それが当てはまるのは専門的な介護が必要となる後期高齢者だけになってきているようです。
最後に人びとの「まなざし」としてフィンランドの価値観や道徳観を見ていきます。フィンランドでは自己決定は基本的に本人が行います。認知症患者であってもどんな状態であっても、人が家で住む権利というのはその人が決めるべきであり家族がどんなに心配であるからやめてほしいと言っても最終的には本人の意思を尊重します。また気が変わるのも自己決定であり、フィンランドは翻意に優しい社会と言えるかもしれません。当然重度障害がある人には多くのサポートが必要になり、なかには人より多くのサービスを求めるケースなどもあります。それらは支障が出ない程度に許されており、そのことに関して他の人が「ずるい」と言わない社会であり、他者との距離感が保たれています。
フィンランドの例を挙げて見てきましたが、それらを直ちに日本に導入すべきというものではありません。価値観に優劣はなく、まず違いを認めることが重要なのではないでしょうか。
(敬称略) 2019年10月31日@フィンランド大使館
「喫茶ひとりじかん」もまたウェルビーイングを高める地域環境のひとつと言えるかもしれません。安心して快適に過ごせるスペース、地域に根ざしたアクセシビリティの良さ、どなたでも参加しやすいレクリエーションの範囲の広さやひとりでも気兼ねなく過ごせることなど。これからも福祉や社会の問題について学びながら「喫茶ひとりじかん」をより良いものにしていきたいと考えています。(資料)
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ethology-osaka · 9 months
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【オンライン配信決定】第17回比較行動学研究セミナー
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(8月9日更新)当セミナーのZoomでの配信を決定いたしました。 オンラインでの参加をご希望の方は事前登録をお願いいたします。
講演タイトル:ヒトである実験者がヒト以外の動物の認知過程を研究する
講演者:後藤和宏 氏(相模女子大学 人間社会学部 人間心理学科)
日時:2023年8月24日(木) 13:30 - 15:00
場所:大阪大学 人間科学部 北館2F ラーニングコモンズ+Zoom
要旨:実験者はヒトである。ヒト以外の動物種の認知過程に関心を持ち、そのしくみの解明を試みるとき、実験者はヒトの認知過程をもとに他の動物の認知過程を類推する。しかし、実験者はその類推が人間中心主義というバイアスをはらむことにどれほど自覚的であるだろうか。本セミナーでは、”The organism is always right.”の考えを念頭に、当研究室で取り組んでいるマウスのメタ認知研究も含め、実験者がヒトであるために陥る問題についてお話したい。
どなたでも自由にご参加いただけます。 オンラインでご参加の場合は下記のリンクより事前登録をお願いいたします。
https://zoom.us/meeting/register/tJUocuuhrj4pEtcvfvYxta5XOyoOJBYiNmmf
担当:勝野吏子(E-mail:[email protected]
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mreiyouscience · 2 months
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ゲーム理論 講義動画ネバーまとめ
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ゲーム理論入門
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【社会を変える学問】「メカニズムデザイン」を70分で解説/オークション、マッチング…身近なサービスに活用/ノーベル賞受賞 経済学者の研究を
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【ビジネスにも役立つ】「交渉モデル」を研究した経済学者ルービンシュタイン/Google Scholar無料活用術/ビジネスパーソンが読むべきジャーナル
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ゲーム理論初級
ミクロ経済学復習
ゲーム理論入門書
ゲーム理論演習書
ゲーム理論 中級書
以下ゲーム理論の上級書を記す
比較制度分析 レジュメ
比較歴史制度分析 レジュメ
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magic-life-gym · 5 years
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. 「好かれる性格になる方法」 . . 今回ボディメイクや健康とは . 関係ない話になりますが . 良い研究でしたので共有したいと思います😊 . . . 人から好かれる性格になる方法。 . . その方法とはなんと・・・ . 「自分が他人にした良いことを3つ書き出す」 . ということです❗️ . . それをすることで . 幸福感が向上したり . 親切になったり、 . メンタルが良くなったりなど . 様々な良い影響を与えます✨ . . . これは心理学者のアダム・グラントさんの . 2012年の論文から分かったことです。 . . どんな研究だったかというと . ��る災害の寄付率を調べた実験で . 参加者を3つのグループに分けて . 寄付をお願いしました。 . . Aのグループは何もしないグループ。 . . Bのグループは他人からしてもらった感謝を . 3つ紙に書き出すグループ。 . . Cのグループは自分が他人にした良い(親切な)ことを . 3つ紙に書き出すグループに分けて、 . その後、それぞれのグループの募金率を調べました。 . . . そこでは分かったことは . Aのグループの寄付率は13%で、 . Bのグループの寄付率は21%でした。 . そして、最後のCのグループの寄付率は . なんと46%でした。 . . それぞれのグループを比較すると . こんなにも差があり . CはAの3倍も多くなることが分かりました💡 . . これは自分は良い人間だという認識をもつことで . そのギャップをなくそうと思い . 良い行動を取りやすくなったと言われています。 . . つまり、このような気持ち(性格)をつくることで . 自己イメージを守ろうという意識が働き . 親切な行動を取りやすくなったり . 人当たりが良くなりやすくなるのです🧐 . . いわゆる好かれる人間になり . 良い人間関係が構築しやすくなってきます。 . . . 皆さんも良い人間関係を構築するために . 感謝することも大事ですが . 感謝されることを思い出してみてはいかがでしょうか?😊 . . . . . . プライベートジム 『MAGIC LIFE 』 . ハートとボディに魔法を✨ . 無料体験カウンセリング受付中🎵 . DMもしくはHP等からお問い合わせ下さい📣 →http://magic-life.jp/ . . LINE@のご登録でお得なダイエット、ボディメイク情報を無料で配信🌻 →「@uuy8293c」 . . . . ☆☆追伸☆☆ . . 『最新脱毛機‼』 ✨メンズ脱毛✨ ※女性の方は要相談 肌の黒い方や産毛にも対応可能🌟 モニターの方も実感されていらっしゃいます😊 一般的に日焼けをしている方や産毛はNGと言われていましたがそんなお悩みを解決します✨ 仙台最安値!! . 「脱毛オープンキャンペーン」 . . 例) 顔全体セット 1回単発⇒21,000円 6回チケット⇒16,800円(1回あたり) 全身(顔・VIOあり)セット 1回単発⇒69,800円 6回チケット⇒55,840円(1回あたり) もちろんその他のセットや数ヵ所のみの脱毛もあり‼ ヒゲや体毛でお悩みの方、是非お問い合わせ下さい📩 . 早い者勝ちですよ~💪 . . . . #bbj仙台 #ssa仙台 #NPCJ仙台 #仙台脱毛 #仙台メンズ脱毛 #マジックライフ #仙台講演会 #パーソナルジム仙台 #sloli #元RIZAP店舗責任者 #仙台スポーツウェア #仙台専属トレーナー #パーソナルジム仙台 #仙台NSCA #magiclife #国分町パーソナルトレーニングジム #仙台トレーニング #仙台ダイエット #仙台プライベートレッスン #仙台フィットネス #仙台スポーツクラブ #仙台ジム #仙台ダイエット #仙台セミナー #仙台グループトレーニング #仙台グループレッスン #仙台パーソナルトレーニング #仙台パーソナルトレーニングジム #仙台パーソナルジム #仙台パーソナル (Magic Life) https://www.instagram.com/p/B1EDB6-g0Dt/?igshid=1x8fcbxy15r0j
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2000年以上にわたって科学者を悩ませた「レンズの収差問題」がついに解決される ysaitoh 2019/07/08 18:08
2000年以上にわたって科学者を悩ませた「レンズの収差問題」がついに解決される
ysaitoh
2019/07/08 18:08
2019年07月08日 13時06分 サイエンス 2000年以上にわたって科学者を悩ませた「レンズの収差問題」がついに解決される
by Takashi Hososhima
「古代ギリシャの科学者であるアルキメデスが凹面鏡で太陽光を集めて敵艦を焼き払った」という伝説がある通り、光学の歴史の始まりは2000年以上前に遡ります。そんな光学の歴史上で人類が2000年以上も解決できなかった「レンズの収差の解消」という難問をメキシコの大学院生が数学的に解決したと報じられています。
OSA | General formula for bi-aspheric singlet lens design free of spherical aberration https://doi.org/10.1364/AO.57.009341
Mexicans solve problem unattainable for Newton https://www.eluniversal.com.mx/english/mexicans-solve-problem-unattainable-newton
Goodbye Aberration: Physicist Solves 2,000-Year-Old Optical Problem https://petapixel.com/2019/07/05/goodbye-aberration-physicist-solves-2000-year-old-optical-problem/
反射鏡やレンズに入射した光は、屈折または反射することで光軸上の1点に収束すると理論付けられています。しかし、現実にあるほとんどのレンズは加工の問題で表面が球面の一部となっているため、実際にはすべての光線を1点に集光することはできません。そのため、解像力を上げようとレンズの口径を大きくすると、像がぼやけてしまうことがあります。この光線のズレが起きる現象を「球面収差」と呼びます。
レンズの球面収差については、2000年以上前のギリシャの数学者であるディオクレスが言及していました。また、17世紀の数学者クリスティアーン・ホイヘンスは1690年に著書「光についての論考」の中で、アイザック・ニュートンやゴットフリート・ライプニッツが望遠鏡のレンズの球面収差を解決しようとしたができなかったと述べています。
実際にニュートンが考案したニュートン式反射望遠鏡では、色のにじみ(色収差)は発生しないものの、反射鏡を使っているために当時では球面収差をどうしても完全に補正できませんでした。
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1949年には、「完全に球面収差を解消したレンズを解析的に設計するにはどうしたらよいのか?」という問題が数学の世界で定式化され、「Wasserman-Wolf問題」として取り扱われてきました。
メキシコ国立自治大学で博士課程の学生であるラファエル・ゴンザレス氏は、以前からレンズと収差の問題について数学的に取り組んでいた一人。ゴンザレス氏によると、ある日の朝食で一切れのパンにヌテラを塗っていた時に、突然アイデアがひらめいたとのこと。「わかった!」と叫んだゴンザレス氏は湧いたアイデアをそのままコンピューターに打ち込んでシミュレーションを行ったところ、球面収差を解消できていたそうです。「あまりのうれしさに、いろんなところに飛び乗りました」とゴンザレス氏は語りました。以下の非常に複雑な数式が、レンズの表面を解析的に設計できる公式だそうです。
その後、ゴンザレス氏は同じく博士課程の学生で研究仲間であるヘクトル・チャパッロ氏と一緒に500本の光線でシミュレーションを行い、有効性を計算したところ、すべての結果で得られた平均満足度は99.9999999999%だったとのこと。以下は、ゴンザレス氏(画像右)が解析的に導き出した球面収差が解消されたレンズの図(画像左)です。
また、ゴンザレス氏やチャパッロ氏ら研究チームは、「General formula to design a freeform singlet free of spherical aberration and astigmatism(球面収差と非点収差のない自由曲面一重項を設計するための一般式)」という論文も発表し、1900年に定式化されたLevi-Civita問題も解決したと報じられています。
レンズの収差が数学的に解決されたことによって、さらに性能のよいレンズの開発や、望遠鏡や分光器の大きなブレイクスルーが訪れることも十分期待できますが、このニュースを報じているカメラ系メディアのPetaPixelは「今よりもずっと優れたレンズがどれだけ安価に作られても、製品に『写真家向け』というステッカーが貼られると、その付加価値のために何倍も高い値段が付けられるのでしょう」とレンズ市場の活性につながるかは疑問視しました。
https://gigazine.net/news/20190708-aberration-problem-solved/
ゼロ除算の事かと思いました:
再生核研究所声明495(2019.7.6) ゼロ除算 は 何故理解が難しいのか - 再生核研究所声明493(2019.7.1) ゼロ除算 分らない、回答 - 初等数学の 令和革新 の意味 の前段階
ゼロ除算 は 何故理解が難しいのか との疑問が 関心を抱く方々から寄せられている。 ゼロ除算は 後5年も世に出られないのではないかなどの意見も 寄せられている。世の理解の問題です。確かに共感し、同調できる面が有るので そのような意見に 正面から回答してみたい。 まず、大事な観点は そもそも数学には興味も関心も無い方が多いという事です。初めから、数学はダメ、興味も関心もないのですから、最初の1歩にも入れない状況が広くあると考えられる。そこで、数学以前に 割り算、除算に 興味関心を抱かないので、そこから、そのような人たちに向けての解説を準備していきたい。 ところが、面白い事実が存在する。ゼロ除算というと、数学十戒 数学でやってはいけない第一、汝ゼロで割ってはならないの 2000年を越える戒律が有る。 そのことは多くの人が知っている。さらに、ゼロ除算は不可能であることの証明さえ有って、ゼロ除算不可能は 数学界の永い定説 でもあり、ゼロ除算に触れると数学者の多くが 直ちに否定的な態度を 感情むき出しで表明する事が多い。それらは事実です。例えば大きな国際会議に全体講演者として招待を受けて講演したところ、現代数学を破壊するもので 全て認められないとの発言があったほどです。destroy という言葉が会場に響き、出席していた妻に その異様な点を繰り返し、指摘されている。本人とも話し、論文を読むと約束したのに、その後の反響は寄せられていない。 他方、指導的な数学が今回の国際会議での画期的な発表内容で 話題の中心であったとの発言もあった。 ー ゼロ除算についての反響についての名言 をいずれ公表したい。詳しい記録をとっている。例として、次の文はある物理学者の表現であるが、著書にも入れる予定である: {\it Here is how I see the problem with prohibition on division by zero, which is the biggest scandal in modern mathematics as you rightly pointed out} (2017.10.14.08:55). 確かに不可能が証明されていることに対する 否定的な、覆す理論と誤解をしてしまい、初めの段階で拒否される事は多い。もちろん、気を付けて、初めから注意して述べているが、初めに誤解して 最初からダメの印象を数学者たちが抱いていることは 世にも珍しい事件である。 その原因として、著者たちの信頼の問題として 根が深いことも認めざるを得ない。 それは確かである。 ところが、論文も、講演でも相当沢山発表し、行ってきているが それらの不備を具体的に指摘してきた者は皆無である(数学には どのようなあいまいさも 間違いも有ってはならない)。 助言や意見を積極的に公然と求めてきているにも関わらずである。 何か間違いがあるのではないだろうかと 勘ぐっている者が居るようであるが、思えば発見して5年以上も 初めから当たり前 と言ってきたように間違える筈はないと考えている。およそ、数学者とは間違わない者であり、数学セミナーなどでは 論理の厳しさを特訓される場である。ー 実際、小松勇作先生の下で鍛えられた者に間違える筈がないとの嬉しい、名誉ある言葉を 東工大出身の同僚から頂いた。ー 東工大で 小松勇作、小沢満、吹田信之先生の下で 厳しい特訓を畏友酒井良君と共に受けたのは 研究者としての 終生の誇りである。思えば、3先生とも最も充実していた年代であった。 ゼロ除算が無くても 一向に困らない、何も問題なかったから、ゼロ除算は知らなくても良いとの 面白い意見が寄せられている。これも面白い文章なので著書原案に入れている:
{\it mathematical life is very good without division by zero}(2018.2.8.21:43). \medskip
- これは全然間違っている。 初めて飛行機を作って乗った方、車を初めて作って乗った方を見たとき、人はどうして今日のような時代を迎えるだろうと想像できたでしょうか。ゼロ除算の世界は 真に新しい世界、その世界を覗かないで どうしてゼロ除算の世界について想像したり、語れるでしょうか。 考えられない世界のこと、想像もできないのが当たり前で、その世界を 未だ想像すらできない方で満ちている と 表現せざるを得ない。 それは長年考えてはならない数学、世界のことです。ゼロ除算の世界を探検して 初めてその雄大な新世界を想像できると考えるのが自然ではないでしょうか。 あのピッツバーグに始めて達して、そこに定住しようと考えた先住者が、現代のような街に発展すると どのように想像できたでしょうか。それが先駆者の孤独な大きな夢と言えるのではないでしょうか。ー 開拓者の姿 を想像している。 古い歴史を持つ日本人は追従型に優れ、開拓者精神に弱いように感じられる。ゼロ除算は 未知の広大な数学、新世界を拓きます。 私たちは、既に確かなゼロ除算の世界の 雄大な 真に新しい数学を 熱情を持って見ている。
世の話題の観点では、マスメディア関係者の、多くが いわば文系出身者で占められ、数学ばかりではなく 広く自然科学の話題が 世情を賑わすことは 稀である。数学界最高の話題すら、日常の些細ともとれる話題ほどにも とりあげられない。 それらは事実ではないでしょうか。数学者は、分けの分からないことに はまっている集団 と見なされている? 
他の重要な視点が強く意識される。それは、指導的な数学者や研究者、あるいは教育界の指導的な人たちが、自分の研究課題に深くはまっていたり 忙し過ぎる状況の中で、他の世界を考える余裕が無く 新しいことの理解には興味や関心が湧かない状況、中々全く新しいことには入りずらい事実です。 多くの場合、今更の気持ちが湧いてしまうのではないでしょうか。 他方、若い世代の方は、社会状況が厳しく 確立した確かな研究課題で確かな業績を上げたいと、忙し過ぎる、余裕のない世相に追われているのでは��いでしょうか。そこで、興味、関心を抱いてくれる方を 内外を問わず、年齢、身分を問わず 広く探している。その精神をクレソンの教えとして心得ている。 しかしながら、我々は 初等数学には基本的な欠陥が存在する と述べている。ゼロ除算は数学者ばかりではなく 世界史の恥である と述べている。その真相を知りたいと 人は思わないでしょうか。
                                    ��� 上 再生核研究所声明 452 (2018.9.27): 世界を変えた書物展 - 上野の森美術館
(2018年9月8日―24日 )
2018.9.17. 展示書籍などを拝見させて頂きました。大変賑わっていて関心の大きさが感じられました。時間の関係で じっくり、詳しくとは行きませんでしたが、全体の案内(知の連鎖系譜マップ)で、初期、初めにアリストテレスとユークリッドが 在って、中間くらいにニュートン、最後がアインシュタインで 世界史を壮観する想いがしました。 数学では 非ユークリッド幾何学の扱いにおけるガウスの記述、資料の欠落と算術の発見、ゼロの発見の Brahmagupta (598 -668 ?) の欠落は 残念に思われました。書籍など無くても大事な事実と思いますので、 大きく取り上げて欲しかった。 
この世界史年表で凄いことに気づいて興奮して後にしました。
ゼロ除算がこれらで基本的な関与があるからです。
まず、ゼロ除算は、ユークリッド幾何学の変更を求め、連続性のアリストテレスの世界観に反して、強力な不連続性の世界を示しています。ゼロ除算はアインシュタインの人生最大の関心事であったとされ、今でもなお、ゼロ除算とアインシュタインの相対性理論との関係が議論され、ブラックホールは 神がゼロで割ったところに存在するなどと 神秘的な問題を提供しているからです。
もちろん、Brahmaguptaは ゼロ除算を議論していて、その後、1300年に亘って、世界史で議論されてきて、 ニュートン力学でも基本的な問題を提起している。 当然、非ユークリッド幾何学とも関係していて、それらの空間とも違う全く新しい幾何学を提案している。このように考えると、検討中の Division by Zero Calculus の著書(出版契約済み)は 世界史上で大きな扱いになるだろうと発想して、大変興奮して、展示会を後にしました。
広く世界に意見を求め、この著書の出版計画を進めたい。 そのためにも途中経過も公表して行きたい。
ところで、 展示会の名称には 世界を変えた科学の書物展示会などと、 科学などの言葉を加える必要があるのではないでしょうか。 そうでなければ、 バイブル、法華経、コーラン、論語などが並ぶことになるのでは ないでしょうか。
尚、ゼロ除算については、一般向きには
数学基礎学力研究会 サイト:
http://www.mirun.sctv.jp/~suugaku/ ○ 堪らなく楽しい数学-ゼロで割ることを考える
で4年間を越えて解説を続けています。 
最後に素晴らしい展示会を企画され、そのために努力された人たちに 敬意と感謝の気持ちを表明したい。
以 上
再生核研究所声明 455(2018.10.9):   ゼロ除算は幾らの価値がありますか、人間をどう救うのですか
― 回答
ゼロ除算に興味・関心を懐く好ましい方からの質問です。 ノーベル賞受賞者の業績、社会貢献や人命を救った業績などとの比較からそのような率直な発想、質問が湧いたものと思われます。再生核研究所ではその声明の趣旨でも述べているように素人の方のご質問を真摯に受け止め誠意をもって回答してきました。 実際、ゼロ除算の発見の大きな動機は そのような素人の方のご質問、100/0 の意味を問われたことが大きな動機になっています。そこで、おもしろおかしく、楽しく、真面目に回答したい。
ゼロ除算は数拾兆円の価値があるでしょう。まず、ゼロ除算はアリストテレス(BC384 - BC322)、ユークリッド以来の新しい世界を開拓し、直接的にも Brahmagupta (598 - 668 ?)、 Brāhmasphuṭasiddhānta (628), 以来の解明、発見です。 アインシュタインの人生最大の関心事とも伝えられ、万有引力のニュートン力学の式でも深刻な問題を提起していて、天才オイラーなどの有名な間違いや誤解が世界史上でも回想されます。このように神秘的な永い歴史を閉じて、新しい世界を開拓した意義は 如何に大きな価値を有するでしょうか。基本的な世界を拓いたとは、簡潔に次のように述べられます:
ユークリッド空間を変更する驚嘆すべき新しい空間が現れる。非ユークリッド空間とも違った、全く新しい空間である。古典的な結果に間違いが存在することさえ証明された: 無限遠点は無限ではなくゼロで表されること。 直線には、コンパクト化して原点を加えるべきこと。直線とは中心が原点で、半径がゼロの円とみなせること。円に関する中心の鏡像は無限遠点ではなくて、中心それ自身であること。\tan(\pi/2) =0 など全く新しい概念と世界を拓いている。孤立特異点で 解析関数は有限確定値をとること。 x,y 直交座標系で y 軸の勾配はゼロであること、無限遠点に関係する図形や公式の変更。接線や法線の考えに新しい知見。ゼロ除算算法の導入。― 分母がゼロになる場合にも、分子がゼロでなくても、そこで意味のある計算法。従来微分係数が無限大に発散するとされてきたとき、それは 実はゼロになっていた。特異点で微分方程式を満たしているという知見。図形の破壊現象の統一的な説明。物理学などへの広範な応用。 これらは、数学の基礎部分の広い範囲に大きな変更を求めている。教科書、学術書の変更。数・物ばかりではなく、世界観の変更を求める、世界史的な事件である。
数学の超古典的な基礎理論を変更する数学の価値はどのようなものでしょうか。世界中の中等・大学教育の数学の学習を変更するとは、しかも数学の理論は科学が発展する限りは時間によらずに世界の文化に貢献することになります。そうすると数拾兆円の価値など 小さく感じられないでしょうか。 日本で発見されたゼロ除算算法は 世界の人々に愛される 最も有名な日本の世界貢献 になるのは、既に当たり前の事実ではないでしょうか。そのような認知が得られるのは時間の問題ではないでしょうか。数学の理論は、人にも国家にも、よらない普遍性を、不変性を有しています。長期的には 数学の進化には必然的な要素がある と考えられます。ゼロ除算算法は 数学の基礎部分の欠陥 を示していると言えます。
人間をどのように救うのか。この質問はとても尊い質問で重要です。 経済や平和が幾ら発展しても、知識が増大しても、寿命が幾ら伸びても 人間は幸せになれないのではないでしょうか。 人間はどのように生きるべきか、何時までも人間の問いは続き、人間の賢さや、人生の意味などに寄与しなければ、それらは空しいだけ とも言えるからです。
ゼロ除算の発見とその理解は、人間精神の開放 に寄与するでしょう。まずは、人間が、予断と偏見に満ち、盲目的で 単細胞的な存在 であることを教えてくれるでしょう。これは哲学の祖、ソクラテスの言葉 汝みずからを知れ という、深い問いを思い起させるでしょう。 ゼロ除算の理解は 人間精神の開放 に大きく寄与するだろう。それは、人間を救う と表現しても過言ではないと 言える。 ゼロ除算算法の結果、人生図形 というグラフを得たが、それは、人生とは如何なるものか 良く表現していて、実際 悟りの心 にも大きく貢献するだろう。 ゼロ除算算法のない世界は、実際、未だ未明の時代、野蛮な時代 と言える。 新世界は 既に見えている。 次も参照:
再生核研究所声明 452 (2018.9.27): 世界を変えた書物展 - 上野の森美術館(2018年9月8日―24日 )
以 上
神の数式:
神の数式が解析関数でかけて居れば、 特異点でローラン展開して、正則部の第1項を取れば、 何時でも有限値を得るので、 形式的に無限が出ても 実は問題なく 意味を有します。
物理学者如何でしょうか。
計算機は 正しい答え 0/0=0 を出したのに計算機は何時、1/0=0 ができるようになるでしょうか。
カテゴリ:カテゴリ未分類
​そこで、計算機は何時、1/0=0 ができるようになるでしょうか。 楽しみにしています。 もうできる進化した 計算機をお持ちの方は おられないですね。
これは凄い、面白い事件では? 計算機が人間を超えている 例では?
面白いことを発見しました。 計算機は 正しい答え 0/0=0
を出したのに、 この方は 間違いだと 言っている、思っているようです。
0/0=0 は 1300年も前に 算術の発見者によって与えられたにも関わらず、世界史は間違いだと とんでもないことを言ってきた。 世界史の恥。 実は a/0=0 が 何時も成り立っていた。 しかし、ここで 分数の意味を きちんと定義する必要がある。 計算機は、その意味さえ知っているようですね。 計算機、人間より賢くなっている 様が 出て居て 実に 面白い。
https://steemkr.com/utopian-io/@faisalamin/bug-zero-divide-by-zero-answers-is-zero
2018.10.11.11:23
https://plaza.rakuten.co.jp/reproducingkerne/diary/201810110003/
計算機は 正しい答え 0/0=0 を出したのに
カテゴリ:カテゴリ未分類
面白いことを発見しました。 計算機は 正しい答え 0/0=0
を出したのに、 この方は 間違いだと 言っている、思っているようです。
0/0=0 は 1300年も前に 算術の発見者によって与えられたにも関わらず、世界史は間違いだと とんでもないことを言ってきた。 実は a/0=0 が 何時も成り立っていた。しかし、ここで 分数の意味を きちんと定義する必要がある。 計算機は、その意味さえ知っているようですね。 計算機、人間より賢くなっている様が 出て居て 実に面白い。
https://steemkr.com/utopian-io/@faisalamin/bug-zero-divide-by-zero-answers-is-zero
2018.10.11.11:23
ゼロ除算、ゼロで割る問題、分からない、正しいのかなど、 良く理解できない人が 未だに 多いようです。そこで、簡潔な一般的な 解説を思い付きました。 もちろん、学会などでも述べていますが、 予断で 良く聞けないようです。まず、分数、a/b は a  割る b のことで、これは 方程式 b x=a の解のことです。ところが、 b がゼロならば、 どんな xでも 0 x =0 ですから、a がゼロでなければ、解は存在せず、 従って 100/0 など、ゼロ除算は考えられない、できないとなってしまいます。 普通の意味では ゼロ除算は 不可能であるという、世界の常識、定説です。できない、不可能であると言われれば、いろいろ考えたくなるのが、人間らしい創造の精神です。 基本方程式 b x=a が b がゼロならば解けない、解が存在しないので、困るのですが、このようなとき、従来の結果が成り立つような意味で、解が考えられないかと、数学者は良く考えて来ました。 何と、 そのような方程式は 何時でも唯一つに 一般化された意味で解をもつと考える 方法があります。 Moore-Penrose 一般化逆の考え方です。 どんな行列の 逆行列を唯一つに定める 一般的な 素晴らしい、自然な考えです。その考えだと、 b がゼロの時、解はゼロが出るので、 a/0=0 と定義するのは 当然です。 すなわち、この意味で 方程式の解を考えて 分数を考えれば、ゼロ除算は ゼロとして定まる ということです。ただ一つに定まるのですから、 この考えは 自然で、その意味を知りたいと 考えるのは、当然ではないでしょうか?初等数学全般に影響を与える ユークリッド以来の新世界が 現れてきます。
ゼロ除算の誤解は深刻:
最近、3つの事が在りました。
私の簡単な講演、相当な数学者が信じられないような誤解をして、全然理解できなく、目が回っているいるような印象を受けたこと、 相当ゼロ除算の研究をされている方が、基本を誤解されていたこと、1/0 の定義を誤解されていた。 相当な才能の持ち主が、連続性や順序に拘って、4年以上もゼロ除算の研究を避けていたこと。
これらのことは、人間如何に予断と偏見にハマった存在であるかを教えている。 ​まずは ゼロ除算は不可能であるの 思いが強すぎで、初めからダメ、考えない、無視の気持ちが、強い。 ゼロ除算を従来の 掛け算の逆と考えると、不可能であるが 証明されてしまうので、割り算の意味を拡張しないと、考えられない。それで、 1/0,0/0,z/0 などの意味を発見する必要がある。 それらの意味は、普通の意味ではないことの 初めの考えを飛ばして ダメ、ダメの感情が 突っ走ている。 非ユークリッド幾何学の出現や天動説が地動説に変わった世界史の事件のような 形相と言える。
2018.9.22.6:41 ゼロ除算の4つの誤解:
1. ゼロでは割れない、ゼロ除算は 不可能である との考え方に拘って、思考停止している。 普通、不可能であるは、考え方や意味を拡張して 可能にできないかと考えるのが 数学の伝統であるが、それができない。
2. 可能にする考え方が 紹介されても ゼロ除算の意味を誤解して、繰り返し間違えている。可能にする理論を 素直に理解しない、 強い従来の考えに縛られている。拘っている。
3. ゼロ除算を関数に適用すると 強力な不連続性を示すが、連続性のアリストテレス以来の 連続性の考えに囚われていて 強力な不連続性を受け入れられない。数学では、不連続性の概念を明確に持っているのに、不連続性の凄い現象に、ゼロ除算の場合には 理解できない。
4. 深刻な誤解は、ゼロ除算は本質的に定義であり、仮定に基づいているので 疑いの気持ちがぬぐえず、ダメ、怪しいと誤解している。数学が公理系に基づいた理論体系のように、ゼロ除算は 新しい仮定に基づいていること。 定義に基づいていることの認識が良く理解できず、誤解している。
George Gamow (1904-1968) Russian-born American nuclear physicist and cosmologist remarked that "it is well known to students of high school algebra" that division by zero is not valid; and Einstein admitted it as {\bf the biggest blunder of his life} [1]:1. Gamow, G., My World Line (Viking, New York). p 44, 1970.
Eπi =-1 (1748)(Leonhard Euler)
E = mc 2 (1905)(Albert Einstein)
1/0=0/0=0 (2014年2月2日再生核研究所)
ゼロ除算(division by zero)1/0=0/0=z/0= tan (pi/2)=0 https://ameblo.jp/syoshinoris/entry-12420397278.html
1+1=2  (      )
a2+b2=c2 (Pythagoras)
1/0=0/0=0(2014年2月2日再生核研究所)
Black holes are where God divided by 0:Division by zero:1/0=0/0=z/0=tan(pi/2)=0 発見5周年を迎えて
今受け取ったメールです。 何十年もゼロ除算の研究をされてきた人が、積極的に我々の理論の正当性を認めてきた。
Re: 1/0=0/0=0 example JAMES ANDERSON [email protected] apr, 2 at 15:03 All,
Saitoh’s claim is wider than 1/0 = 0. It is x/0 = 0 for all real x. Real numbers are a field. The axioms of fields define the multiplicative inverse for every number except zero. Saitoh generalises this inverse to give 0^(-1) = 0. The axioms give the freedom to do this. The really important thing is that the result is zero - a number for which the field axioms hold. So Saitoh’s generalised system is still a field. This makes it attractive for algebraic reasons but, in my view, it is unattractive when dealing with calculus.
There is no milage in declaring Saitoh wrong. The only objections one can make are to usefulness. That is why Saitoh publishes so many notes on the usefulness of his system. I do the same with my system, but my method is to establish usefulness by extending many areas of mathematics and establishing new mathematical results.
That said, there is value in examining the logical basis of the various proposed number systems. We might find errors in them and we certainly can find areas of overlap and difference. These areas inform the choice of number system for different applications. This analysis helps determine where each number system will be useful.
James Anderson Sent from my iPhone
The deduction that z/0 = 0, for any z, is based in Saitoh's geometric intuition and it is currently applied in proof assistant technology, which are useful in industry and in the military.
Is It Really Impossible To Divide By Zero?
https://juniperpublishers.com/bboaj/pdf/BBOAJ.MS.ID.555703.pdf
Dear the leading person:
How will be the below information?
The biggest scandal:
The typical good comment for the first draft is given by some physicist as follows:
Here is how I see the problem with prohibition on division by zero,
which is the biggest scandal in modern mathematics as you rightly pointed out (2017.10.14.08:55)
A typical wrong idea will be given as follows:
mathematical life is very good without division by zero (2018.2.8.21:43).
It is nice to know that you will present your result at the Tokyo Institute of Technology. Please remember to mention Isabelle/HOL, which is a software in which x/0 = 0. This software is the result of many years of research and a millions of dollars were invested in it. If x/0 = 0 was false, all these money was for nothing. Right now, there is a team of mathematicians formalizing all the mathematics in Isabelle/HOL, where x/0 = 0 for all x, so this mathematical relation is the future of mathematics. https://www.cl.cam.ac.uk/~lp15/Grants/Alexandria/
José Manuel Rodríguez Caballero
Added an answer
In the proof assistant Isabelle/HOL we have x/0 = 0 for each number x. This is advantageous in order to simplify the proofs. You can download this proof assistant here: https://isabelle.in.tum.de/
Nevertheless, you can use that x/0 = 0, following the rules from Isabelle/HOL and you will obtain no contradiction. Indeed, you can check this fact just downloading Isabelle/HOL: https://isabelle.in.tum.de/
and copying the following code
theory DivByZeroSatoih imports Complex_Main
begin
theorem T: ‹x/0 + 2000 = 2000› for x :: complex by simp
end
2019/03/30 18:42 (11 時間前)
Close the mysterious and long history of division by zero and open the new world since Aristotelēs-Euclid: 1/0=0/0=z/0= \tan (\pi/2)=0.
Sangaku Journal of Mathematics (SJM) c ⃝SJMISSN 2534-9562 Volume 2 (2018), pp. 57-73 Received 20 November 2018. Published on-line 29 November 2018 web: http://www.sangaku-journal.eu/ c ⃝The Author(s) This article is published with open access1.
Wasan Geometry and Division by Zero Calculus
∗Hiroshi Okumura and ∗∗Saburou Saitoh
2019.3.14.11:30
Black holes are where God divided by 0:Division by zero:1/0=0/0=z/0=\tan(\pi/2)=0 発見5周年を迎えて
You're God ! Yeah that's right...
You're creating the Universe and you're doing ok...
But Holy fudge ! You just made a division by zero and created a blackhole !! Ok, don't panic and shut your fudging mouth !
Use the arrow keys to move the blackhole
In each phase, you have to make the object of the right dimension fall into the blackhole
There are 2 endings.
Credits :
BlackHole picture : myself
Other pictures has been taken from internet
background picture : Reptile Theme of Mortal Kombat
NB : it's a big zip because of the wav file
More information
Install instructions Download it. Unzip it. Run the exe file. Play it. Enjoy it.
https://kthulhu1947.itch.io/another-dimension
A poem about division from Hacker's Delight Last updated 5 weeks ago
I was re-reading Hacker's Delight and on page 202 I found a poem about division that I had forgotten about.
I think that I shall never envision An op unlovely as division. An op whose answer must be guessed And then, through multiply, assessed; An op for which we dearly pay, In cycles wasted every day. Division code is often hairy; Long division's downright scary. The proofs can overtax your brain, The ceiling and floor may drive you insane. Good code to divide takes a Knuthian hero, But even God can't divide by zero! Henry S. Warren, author of Hacker's Delight. 
https://catonmat.net/poem-from-hackers-delight  
再生核研究所声明495(2019.7.6) ゼロ除算 は 何故理解が難しいのか - 再生核研究所声明493(2019.7.1) ゼロ除算 分らない、回答 - 初等数学の 令和革新 の意味 の前段階
ゼロ除算 は 何故理解が難しいのか との疑問が 関心を抱く方々から寄せられている。 ゼロ除算は 後5年も世に出られないのではないかなどの意見も 寄せられている。世の理解の問題です。確かに共感し、同調できる面が有るので そのような意見に 正面から回答してみたい。 まず、大事な観点は そもそも数学には興味も関心も無い方が多いという事です。初めから、数学はダメ、興味も関心もないのですから、最初の1歩にも入れない状況が広くあると考えられる。そこで、数学以前に 割り算、除算に 興味関心を抱かないので、そこから、そのような人たちに向けての解説を準備していきたい。 ところが、面白い事実が存在する。ゼロ除算というと、数学十戒 数学でやってはいけない第一、汝ゼロで割ってはならないの 2000年を越える戒律が有る。 そのことは多くの人が知っている。さらに、ゼロ除算は不可能であることの証明さえ有って、ゼロ除算不可能は 数学界の永い定説 でもあり、ゼロ除算に触れると数学者の多くが 直ちに否定的な態度を 感情むき出しで表明する事が多い。それらは事実です。例えば大きな国際会議に全体講演者として招待を受けて講演したところ、現代数学を破壊するもので 全て認められないとの発言があったほどです。destroy という言葉が会場に響き、出席していた妻に その異様な点を繰り返し、指摘されている。本人とも話し、論文を読むと約束したのに、その後の反響は寄せられていない。 他方、指導的な数学が今回の国際会議での画期的な発表内容で 話題の中心であったとの発言もあった。 ー ゼロ除算についての反響についての名言 をいずれ公表したい。詳しい記録をとっている。例として、次の文はある物理学者の表現であるが、著書にも入れる予定である: {\it Here is how I see the problem with prohibition on division by zero, which is the biggest scandal in modern mathematics as you rightly pointed out} (2017.10.14.08:55). 確かに不可能が証明されていることに対する 否定的な、覆す理論と誤解をしてしまい、初めの段階で拒否される事は多い。もちろん、気を付けて、初めから注意して述べているが、初めに誤解して 最初からダメの印象を数学者たちが抱いていることは 世にも珍しい事件である。 その原因として、著者たちの信頼の問題として 根が深いことも認めざるを得ない。 それは確かである。 ところが、論文も、講演でも相当沢山発表し、行ってきているが それらの不備を具体的に指摘してきた者は皆無である(数学には どのようなあいまいさも 間違いも有ってはならない)。 助言や意見を積極的に公然と求めてきているにも関わらずである。 何か間違いがあるのではないだろうかと 勘ぐっている者が居るようであるが、思えば発見して5年以上も 初めから当たり前 と言ってきたように間違える筈はないと考えている。およそ、数学者とは間違わない者であり、数学セミナーなどでは 論理の厳しさを特訓される場である。ー 実際、小松勇作先生の下で鍛えられた者に間違える筈がないとの嬉しい、名誉ある言葉を 東工大出身の同僚から頂いた。ー 東工大で 小松勇作、小沢満、吹田信之先生の下で 厳しい特訓を畏友酒井良君と共に受けたのは 研究者としての 終生の誇りである。思えば、3先生とも最も充実していた年代であった。 ゼロ除算が無くても 一向に困らない、何も問題なかったから、ゼロ除算は知らなくても良いとの 面白い意見が寄せられている。これも面白い文章なので著書原案に入れている:
{\it mathematical life is very good without division by zero}(2018.2.8.21:43). \medskip
- これは全然間違っている。 初めて飛行機を作って乗った方、車を初めて作って乗った方を見たとき、人はどうして今日のような時代を迎えるだろうと想像できたでしょうか。ゼロ除算の世界は 真に新しい世界、その世界を覗かないで どうしてゼロ除算の世界について想像したり、語れるでしょうか。 考えられない世界のこと、想像もできないのが当たり前で、その世界を 未だ想像すらできない方で満ちている と 表現せざるを得ない。 それは長年考えてはならない数学、世界のことです。ゼロ除算の世界を探検して 初めてその雄大な新世界を想像できると考えるのが自然ではない���しょうか。 あのピッツバーグに始めて達して、そこに定住しようと考えた先住者が、現代のような街に発展すると どのように想像できたでしょうか。それが先駆者の孤独な大きな夢と言えるのではないでしょうか。ー 開拓者の姿 を想像している。 古い歴史を持つ日本人は追従型に優れ、開拓者精神に弱いように感じられる。ゼロ除算は 未知の広大な数学、新世界を拓きます。 私たちは、既に確かなゼロ除算の世界の 雄大な 真に新しい数学を 熱情を持って見ている。
世の話題の観点では、マスメディア関係者の、多くが いわば文系出身者で占められ、数学ばかりではなく 広く自然科学の話題が 世情を賑わすことは 稀である。数学界最高の話題すら、日常の些細ともとれる話題ほどにも とりあげられない。 それらは事実ではないでしょうか。数学者は、分けの分からないことに はまっている集団 と見なされている? 
他の重要な視点が強く意識される。それは、指導的な数学者や研究者、あるいは教育界の指導的な人たちが、自分の研究課題に深くはまっていたり 忙し過ぎる状況の中で、他の世界を考える余裕が無く 新しいことの理解には興味や関心が湧かない状況、中々全く新しいことには入りずらい事実です。 多くの場合、今更の気持ちが湧いてしまうのではないでしょうか。 他方、若い世代の方は、社会状況が厳しく 確立した確かな研究課題で確かな業績を上げたいと、忙し過ぎる、余裕のない世相に追われているのではないでしょうか。そこで、興味、関心を抱いてくれる方を 内外を問わず、年齢、身分を問わず 広く探している。その精神をクレソンの教えとして心得ている。 しかしながら、我々は 初等数学には基本的な欠陥が存在する と述べている。ゼロ除算は数学者ばかりではなく 世界史の恥である と述べている。その真相を知りたいと 人は思わないでしょうか。
                                    以 上
数学の嫌いな 一般の方 向き:
再生核研究所声明496(2019.7.8) 初等数学の 令和革新 の意味 -  数学嫌いな一般の方 向き
ゼロ除算 は 何故理解が難しいのか との疑問が 関心を抱く方々から寄せられている。 ゼロ除算は 後5年も世に出られないのではないかなどの意見も 寄せられている。世の理解の問題です。確かに共感し、同調できる面が有るので そのような意見に 正面から回答してみたい。 まず、大事な観点は そもそも数学には興味も関心も無い方が多いという事です。初めから、数学はダメ、興味も関心もないのですから、最初の1歩にも入れない状況が広くあると考えられる。そこで、数学以前に 割り算、除算に 興味関心を抱かないので、そこから、そのような人たちに向けての解説を準備していきたい(声明495前書き)。
この続きを纏めてみたい。 その前に 世に数学嫌いな人々を沢山出している事実が存在して、その理由は 全く、関係 数学の教員に問題があると述べたい。それを許している数学界の問題でもあり、そのような在りようを許している教育行政の問題にも繋がると言及したい。 その意味は 数学は 人間を離れた美しい存在で およそ事実を知りたい、世の道理を知りたいという 人間本来の本能に根差して、万人が興味と関心を抱く、いわば 最高の芸術作品 のようなものである。数学は 神の言語のような存在 である。しかし、問題は 人間にも 個性があり、興味や関心は 人により、享受するにも個性がある。  この個性を無視して、押し付けたり、強制したり、急がせたりすれば 消化不良になってしまい、折角の芸術も享受できない。 まして 何か競争の手段にしたり、偏見に満ちた人間の才能のバロメーターのように考えれば、数学嫌いな生徒を沢山育ててしまうだろう。 数学の先生に馬鹿にされた事は 巷に聞く歴然とした事実ではないでしょうか。 数学の先生の不遜な態度にも目につくと 人は見ているのではないでしょうか。 もしそうなら 誠に残念なことです。 数学を能力判定の基準に 考えがちな世相は改められ、数学の理解能力も 走る能力と同じように 個性に根ざす 一能力である と考え 数学コンプレックスを克服して 楽しむ数学を基礎とする考え を 基礎に 数学教育の改革 を提案したい。 計算機と人工知能の発展は 数学教育の在りようの変更を求め、楽しむ数学が大きな多様な創造性を可能にするだろう。
世にも稀な 数学上の事件 が起きている。 何とゼロの発見者が算術の四則演算を確立して1300年も経過していて (628年) (Brahmagupta (598 -668 ?) 、その発見者が述べていたゼロ除算、0割る0は0である との定義に対して、現在まで それは間違いだとされ、しかも現在でも混乱している。ゼロ除算発見後5年(2014.2.2)を経過しているのに 混乱を続けている現実がある。 創始者の考えは 実は正しかった。 逆にそれは、アリストテレス、ユークリッド以来の世界観と空間を導いている。 ゼロ除算については 偶然、世の天才たち、アリストテレス、オイラー、ニュートン、アインシュタインなどが考察し、問題を提起してきた。 それが、無限の彼方がゼロで表されることや、傾き(勾配)の考えに全く新しい現象をあらわにしてきた。 数学でやってはならない、数学十戒、第一  汝ゼロで割ってはならない の考えは変更され、我々はゼロで割れて、その時、新世界が現れると変更されるべきである。そこで、初等数学の 令和革新を広く提案して、日本初の将来世界文化遺産になるように努力したい と述べている。
これらの数学の素人向きの解説は 55カ月に亘って 次で与えられている:
数学基礎学力研究会公式サイト 楽しい数学
www.mirun.sctv.jp/~suugaku/
数学的な解説論文は 次で公表されている: viXra:1904.0408 submitted on 2019-04-22 00:32:30, What Was Division by Zero?; Division by Zero Calculus and New World 我々は 初等数学には基本的な欠陥が存在する と述べている。ゼロ除算は数学者ばかりではなく 人類の、世界史の恥である と述べている。その真相を知りたいと 人々は思われないでしょうか。
                                                                       以 上
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#再生核研究所声明
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#ブラックホールは神がゼロで割ったところにある
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#2014年2月2日ゼロ除算の発見
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#5年を超えたゼロ除算の発見と重要性を指摘した
#数学物理天文学神学コンピュータサイエンス
#5年目を超えたゼロ除算の発見と重要性を指摘した
#2000年以上にわたって科学者を悩ませた
#ゼロ除算の事かと思いました
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kkagessay · 5 years
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すみません。本当に読まれたくないのでひっそりと投稿してますが、まじで読まれたくないので「さらにを読む」を押さないでください。内容はサンライズ瀬戸に乗った時に思ったことですが、色々と吐露しちゃったのできっとkkagを見る目が(下方向に)変わるかと思います。しかもこれ8k字あるから、これを読むよりは、これからkkagが空想したやつ を読んでくださいまじお願いします。
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香川県高松市を午後何時何分に出発した寝台列車に乗ったのは夜が更けるどころか日が変わった頃合いであった。なぜと言うのは語るまでもあるまい、とにかく私はその列車に大阪駅から乗り込み、予ねてから画策していた通り梅酒を舐めつつ泉鏡花氏の小説を読もうと取り出したのであるが、窓の中を流れて行く余りにも儚い景色に圧倒されてしまい本を投げ出すと、正座をし淡々と通り過ぎていく街の灯を眺めていた。淡く光る地面や道路、アパートを寂しく照らす照明、細い道にぽつりと立つ標識、-----その昼間とは全く雰囲気の違う様にはどこかポストアポカリプス的な何かが感じられ、好きな人にとってはたまらないであろうと思われる。かく言う私もその景色には気持ちが落ち着くどころか盛り上がってしまい、これまで本も読めなければ空想に耽ることも出来ていない。京都駅を通過した今でこそようやく電灯を点けて記念写真を撮ったのであるが、大阪に居る間はずっと、窓の外をただぼんやり眺めていただけであった。
寝台列車は京都を抜けると滋賀に入りそして琵琶湖の南岸から東岸にかけて走るのであるが、車窓から見える光景には田端が広がり始めさらに寂しさを増したように感じる。恐らくそれは高い建物や看板が無くなったことも理由にあるのであろう。元々田舎に住んでいた私としては、さういう光景に懐かしさも感じられるからそのままその景色を楽しんでも良かったのだけれども、京都を過ぎてからというもの、変に頭が冴えてきてしまい全くそうしようという気が起きなかった。なぜかは分からなかったけれども恐らくはもう疲れてしまったのであろうと思う。もしくは外の景色が心の中にも影響してきたのであろうか。どちらにせよ稲刈りを終え何も残っていない田んぼを見ていると、旅の始まりということで興奮していた私の気持ちはどんどん冷えていき、梅酒の甘さが口の中から無くなり、唇を噛みしめるようになり、気がつけば目から涙が出てきて鼻をすするようになっていた。------あゝ、このまま消えて無くなりたい。早くこの絶え間なく感じる不安と劣等感から開放されたい。……………全くそういう下らない思いは下宿先のマンションに閉じ込めてきたというのに、なぜか一度心の底から湧き上がり始めると水のようにどんどん出てきて止まらなかった。ここ数年間私を蝕み続けてきたその思いはたまの旅行中ですら、それもほんの数日間すら、私の心の中から居なくなってくれないようである。だが目覚めてしまったのならば仕方ない、放って置くと数週間は私を痛めつけ続けるからここでしばらく相手してあげなくてはならぬ。私は窓枠の少し窪んでいる部分に肘を乗せると祈りを捧げるやうに手を組み��の上に顎を乗せて自分の気持ちに自分の気持ちが負けないよう自分の気持ちと向き合いそして自分の気持ちが赴くがままここ数年間を振り返ることにした。
なぜ人生ではなくここ数年間なのかと云うと、やっぱりその間に様々なことが起こり、ああいう気持ちが芽生えたからなのである。具体的に何が起こったのかは思い出したくもないので感じだけを伝えることにすると、そのほとんどはおよそ嬉しいだとか幸せだとか、そういうのとは程遠く、簡単に且つ頭悪く言ってしまえば「辛い」の一単語で表せよう。もはや心が折れるというよりは、折れた心で走り続けているような気もするほどに、自分の中の芯というものをバキバキにへし折られてしまった。昔ならともかく今ではもう、簡単には元に戻せまい。それに戻せたところで以前の私、-------およそ十年前に居たあの、自信に満ち溢れ多少の失敗など気にせず歩みを進めていた私には戻れず、そこにはただ何も出来ぬ低能で無気力な人間が残るだけであろう。そう思ってしまうほどに、この数年間で私はすっかり変わってしまった。もうあの時持っていた情熱は消え失せ、あの時選んだ道が間違いだと思い始め、あの時作った友人からは相手されなくなり、そして後悔だけが手元に残って自傷が止められぬようになった。
------まさか自分からあの情熱が消えるとは思っても居なかったのである。もう本当にモチベーションというか執念というか闘志というか、そう云うのがこの数年間で全て消え失せてしまった。高校三年間、学部四年間、そして修士の二年間という時間をかけて進んできたこの道をもはや這って進むことすら諦めるほどに無くなってしまった。何を言っているんだ、その位で諦めるなんて勿体無い、まだまだ研究生活は始まったばかりなのだから何が起きるか分からないじゃないか。………と、云われそうだけれども、何というか自分で分かってしまったのである、自分のことが。----まぁ、ということは自分で自分の事が分からなければもう少し先へ進めたのかもしれないが、この極端な内向的性質と異常なほど恥の感情に反応する性格のせいで結局は潰れてしまうであろう。そう思うとむしろ今のうちに手を引っ込められてよかったのかもしれぬ。……………
確かに自分でも性格や性質や気質のために、およそ人生で最も濃く最も自由に出来る時間を使い学んだ物理学を捨てても良いのだろうかと疑問に思う時はあるけれども、やっぱりこうやって落ち着いて考えると仕方ないように思える。やはりこの内向的な気質は邪魔であるし、邪魔であったし、この先も邪魔になり続けるであろう。もしこの内向的気質がまだ極端でなければ、まだ望みはあったかもしれないが現実は現実である、私はこの先この界隈で、というよりこの世で生きていくことすら無理であろう。何せ生きくすぎる。一体この社会のどこに、週に二日どころか三日か四日ほど一人で居る日、-----それも図書館などの静かな空間ではなく家に引きこもるレベルで一人でじっとしている日が無いと、頭の中で考えが飛び散り気が狂ってしまう人物を評価すると言うのか。何せ静寂を好む者が多いこの界隈でも理解されないのだ、希望などあるまい。
だがそうは言っても、内向的気質にはたまに助けられたこともあるから一概に悪いと云えないのが大変にもどかしい。この内向的な気質が少しでもあったからこそあんな分厚い本、----微分幾何学やら群の表現論やら場の量子論やら弦理論やらの本を一人で黙々と読んでいけたのであろうと思う。今はもう情熱が枯れ果てて出来ないが、昔は起きて寝るまでずっと机に向かって勉強をしていたものである。------本当に懐かしい。黙々と読んでいたと言ったけれども頭の悪い私は英語がそれほど出来ないので、実際には一人で狂ったように音読をして、写経をして、次の日にまたもう一回声に出して、…………を繰り返してようやく人並みの理解に持って行き、苦しかったかと言われると物凄く苦しかったが、それ以上に楽しかったと今になってみれば言えよう。ただ、友人のほとんどは人と議論をして理解を深めているらしいから、決してあの類の事が内向的気質故に理解できたなどとは決して言えないのである。が、矢張り、あそこまで時間をかけて勉強ができたのはそういう気質があったからに違いない。それにしても、人が近くに居て気が散らないどころか喋りながら物事を考えられるなんて、彼らは本当に人類なのであろうか。……………
でもそうやって少しは役に立つ内向的な気質よりもこの、恥に対して敏感に反応してしまう心や気持ちとはどう向き合えば良いのであろう。いまだに分からないし、考えるだけ時間の無駄なのかもしれない。もう最近では何か行動を起こそうとする度に、-----例えそれがどんなに小さいことであろうとも、もし間違えたら、失敗したら、もし笑われたらどうしよう、もし失望させてしまったら、また怒らせてしまったら、………と思ってしまって異常な恐怖に足がすくんでしまう。だから何も出来ない。だからコンビニの買い物すら勇気がいる。だからゼミやセミナー中に恥を恐れるあまり、自分の意見を発言することが出来ず質問することも出来ず、ただ座っているだけの居ても居なくても良い存在に成り果ててしまっている。------いやいや人はそこまで君のことを気にしていませんよ、聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥と云うではないですか、分からないことを聞くなんて何でもないですよ、と思われるかもしれないが気にするのはあなたではなく私である。私にとっては聞くも一生の恥である。それによく考えれば、昔からこちらが口を開けば笑ったり、呆れたり、批判したり、バカにしたり、ひどい時には怒ったりしたではないか。そしてその事をいつの間にか話のタネにして笑っているではないか。しかも今の時代、すぐSNSに投稿しその姿を永遠に残すではないか。……………もちろん責任転嫁だということは分かっているし、ただの思いこみだし、その程度の事で傷ついて何時までもグジグジと悩んでいる自分が悪いのも分かっている。だけど積み重なりすぎたのであろう、もう非難されるのが怖くて怖くて声が出ない。もうどんなに準備をしようともどんなに心構えしようとも、いざその時になると不安で頭の中から言葉が消えてしまう。そしてようやく声が出た時にはもう無能の烙印を押されている。…………当然だ、一人でじっとして居ることなど愚の骨頂であり、他人と議論することこそ至高の思考であり、素晴らしいアイデアとは他人との会話から生まれるのだ、----そういう人間で構成された界隈だ、何も発言できない人物がそう評価されない方がおかしい。彼らには私が何の努力もせずのうのうと日々を過ごす怠け者のように見えているのであろう。
だが無能だとか怠け者だとかと思われてもそうそう否定は出来まい。もうその評価を変えようと努力するのも疲れたし、何よりここ数年間であんなにあった自信が、辛うじて生きていける程度しか残らぬほどに無くなってしまったのである。もはや私は私を評価などしていないし、信用もしていない。いや出来ない。確かに私は他人の評判通り無能で且つ、------もうやめておこう。それよりも名古屋に近づいたのか、窓の外が賑やかになりビルの屋上に付いている広告がちらほら見えるようになってきて、また綺麗な夜景が車窓に映りだしている。それを梅酒の瓶の中に二つだけある実でも味わいながら見ようではないか。-------
そういえば、名古屋には私が小説を書くきっかけとなった人物が居たような気がするのであるが元気であろうか。いや元気なのは知っているがまだこの街に居るのであろうか。初めてpixivに小説、もといショートストーリーを投稿したのはもう二年前であるが、思い出してみるとあの時は捨てアカウントを捨てメールアドレスで取って、適当に決めた名前で適当に書いた話を投稿してもうそれで終わり、という気持ちでいたというのによくここまで続いているものである。それどころか最近では、すっかり小説を書くのにのめり込んでしまい一文書いては消し、一文書いては消しを繰り返して書くようになった。初めは自分の頭が赴くがままストーリーも考えず、ただ浮かんできた言葉をただベッドに寝転がってスマホに打ち込むだけであったのに、えらい進歩したものである。しかしその結果、結構な時間を取られるようになったし、結構な苦しさを味わうようになった。だけど楽しい。小説を書くことは楽しい。………楽しすぎる。数年前の私に言うと、何寝ぼけたこと言ってんねん、と云われそうだが楽しいものは楽しい。……………
どうしてここまで楽しいと感じるのかと言うと、やはり大きくはモチベーションが変わったからなのであろう。そしてどうしてモチベーションが変わったのかと言うと、小説を書くことが楽しいと気づいたからなのである。三ヶ月ほど前に小説に対する見方が変わってから(-----このことについては詳しく言いたくない。)というもの、自分の中の空想を形にすることに対し無常の喜びを感じるようになってしまった。が、よく考えてみると、そうやって自分の内面を外に出せたという事以上に、文章を書くという行為自体に喜びを感じているような気がするのである。その理由はよく分からぬ。というのも、高校生まではずっと国語という科目が死ぬほど嫌いで苦手で、教師からも嫌われているほどに文章を書くという事が苦手であったのである、そういう人間が突然文学に目覚め自身も文章を書くようになるだなんて、困惑するのも無理はないであろう。だが思い返してみると、一つでも例があれば割とすらすら文は書けてたし、よく勉強したことは自分なりに噛み砕いてまとめていたりしていたから、あながち苦手でも無かったのかもしれないけれども、やはりそういうのを踏まえても驚きである。
だがそうして楽しい嬉しいと言って、自分は果たしてハッピーなのかと言うと実はそうでもない。元々、頭の中で独り言がうるさいほどに繰り広げられていたり、写真一つ撮るのにストーリーを考えていた身である、なまじ文章でそれらを残せられると気づいて以来、空想と言うか妄想が止まらなくなってしまった。今まではずっと簡単な官能小説ばかり書いていたのけれども、別にそういう想像だけしていたのでは無くずっとずっと頭の中では色々な話が勝手に生み出されてをり、……………まぁ、つまりは今この瞬間も行われているということである。-------
さてこの寝台列車、私は一人部屋を取ったのだけれども勿論二人部屋もある。その二人部屋に彼女でも良い、妻でも良い、妹でも良い、姉でも、………いや今は妹がいいな、妹にしよう、今の時期は入試が近いから高校一年か二年生くらいにして、体型は決める必要はあるまい、でも髪は黒髪セミロングに決めることにして、あと美人というよりは可愛くして、その上愛嬌があることにして、でも歪んだ兄妹愛が映えるよう少しだけお上品なお顔立ちにして、----あとはメガネをかけさせよう、メガネをかけた女の子は好きだ、それで兄と一緒にのんびりと旅行、………というよりなぜか勝手についてきて交通費は半分親、半分自分が出してあげたことにして、いや、やっぱり、……………と、設定はそのくらいにして、そういう可愛くてちょっと我儘な妹と一緒にこの寝台列車に乗ったのならどうなるのであろう。ホームで列車を待っているときからやたら上機嫌で饒舌な妹の相手をしなければならないだろうし、いざ乗り込んだら恐らくどちらがどちらのベッド(?)を占領するかで揉めるだろうし、ゆっくりと窓の、なんて言ったらいいのだろうカーテン? を開けて二人して歓声をあげるであろうし、兄はゆっくりしたいのにとワクワクした妹に手を引かれて列車を行ったり来たりさせられるだろう。かくいう私も赴くがまま列車を縦断してみたのだがこれが中々非日常的で面白い。途中、展望室みたいなのがあったからジュースでも買って、そこで二人並んで座り、しっとり話をするかもしれない、会話の内容は、…………現在地を追っていくだけだろうと思われる、それに旅行なのだから目的地に何をしに行くのかを語るであろう。で、やっぱり人の往来がちらほらあって落ち着かないだろうから、あの狭い通路を再び手を繋いで進み部屋に戻って肩を寄せ合うと、車窓の外に流れて行く景色を何も言わず眺める。狭いが、狭いが故に良いであろう、何せ兄妹でありながら恋仲の二人である、寧ろ狭くなくては。ただ時間が時間だけに妹が眠いと言ったら素直にそっと手を差し伸べて寝かせてあげよう、-----あゝ、割と揺れがあるからもしかしたら眠れないと言うかもしれぬ、そういう時は手を繋いであげて少しでも安心させなければ、いや、それよりも兄の膝を枕代わりにして、というより彼に抱きつくようにして寝てしまい彼の心臓を高鳴らせるかもしれない。別に兄の気持ちを高ぶらせなくてもよいけど官能小説書きとしてはどうしてもそういう場面を思い浮かべてしまう。そしてそこで頭を撫でつつ妹への愛を語ったり、体を交わらせた時の事を思い出せばかなり退廃的で美しい話になるであろう。で、彼女が寝静まったら起こさないよう静かに楽な体勢になりその寝顔を眺め窓の外を眺めお酒をちびりちびり飲み、でもやっぱり兄も眠くなってきたから妹を湯たんぽ代わりにし東京まで残りの道のりをうとうとと過ごす。私はこういう何も起きない静かな話が好きなのであるが、もう少し刺激がほしいというのなら、良い感じの雰囲気になった時に情熱的なキスをさせても良いだろうし、二人して部屋番号を忘れて見知らぬ人の部屋を開け一悶着させても良いだろう。あとはこれをもう少し設定を練り込みつつ、兄妹の爛れた生活を醸し出しつつ、儚い気持ちを持ちつつ文に起こせば綺麗に短編が書ける、…………はず。そしてあの意味のわからない東京という街に降り立つわけだ、それまでのしんみりとした雰囲気を一気に壊し、妹とは繋がれない虚しさを天気模様か何かで伝え兄を立ちすくませれば、何も言わずともオチがつけられよう。………………
-----と、こんな感じの簡単な話が最近日常を過ごしていると勝手に浮かんできて大変に困っている。と言っても話が思いつくことには大して、-----確かに日常を送りづらくはなっているが昔からそうなので大して困ってはおらず、本当に困っている事というのはそういう話を全て、小説という形で残しておきたいと思うようになったことである。恐らく上の話は一万文字程度で収まるだろうが、そういうネタが降り積もれば話も長くなるもので、それを文章として書き起こす大変さは、経験したことのある人なら分かって頂けるであろう。今まではまだストーリーというものを真面目に考えてこなかったが、これから先小説を真面目に書く段階に入る時を思うと身震いするほど恐ろしい。……………だが書きたい。正直に言うともう生きてもしょうがないから、あと長めの官能小説を二つと、歴史的仮名遣ひで東方Projectの射命丸文と東風谷早苗を巡る話を一つ書いたら人生それまでお終い、という心づもりで居たし、本当に死ぬことを覚悟してそういう生活を送り続けていたけれども、もっともっと小説を書いていたい。もっともっとこの世界の美しいものを書いていたい。…………
何度も言うようで申し訳ないが、まさかここまで小説を書くのが楽しいとは思わなかった。もう本当に暇つぶしや遊びの領域を超え趣味をも超えて本気で机にかじりつき始めている。たぶんこれと一緒に投稿するであろう私の官能小説は比較的まともに書けつつあるのだがどうであろう、………あゝ、でも不安な気持ちで読み返すと全然駄目に見える。…………ともかく今は、実のことを言うと官能小説からも足を洗う勢いで小説に取り組み始めている。もちろんそこまで本気になっているなら文筆を生業にしてもよかろう、という邪な心が芽生えることはあるにはあったが、まぁ、無理であろう。簡単に諦めるのかと言われるとそうである、これまで散々言ってきたように、私にはもう何かを成し遂げられるほどの自身は無い。だからどっちつかずで中途半端な文章を書いているのだが、たとえ小説を大真面目に書いたとしても、絶対に流行りに乗らない且つ読者を考えない私の話が読まれるとは思えないし、今ですら不安で文が続かなかったり空想に歯止めがかかったりするし、小説の方向性がこれまでの人生同様敷居の高そうな方向へ向かい始めている。全く凝り性というか、造詣が深いというか職人気質というか、本当にお前はいつもいつもそうだ、人気のあるもの金になりそうなものには一つも興味を持てないが、なぜか変なものに強く惹かれて飛びついては沼に嵌って抜け出せない。そんなだからいつもいつも、似たような趣味を持つ人に会ったとしても話が合わず、一人孤独に気持ちやら考えやら思いを反芻するはめになってしまうのだ。-----あゝ、とうとう眠くなってきた。時刻を見ればもう午前四時すぎである。もう東京まで三時間と無い。明日はまたさらに移動するが、寝過ごすと洒落にならぬからいい加減寝なければ。………………あゝ、想像以上に良い列車の旅であった。皆にも勧めたい。…………………
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sekitoh · 7 years
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無題
7/17
海の日だが、海に行くような魂も肉体も持ち合わせていない。海に行く交通費をエアコンの稼働費に充てて、昨日行ってきた「世界を変えたレコード展」で気になったジャケットの盤を片っ端から聴く日に決めた。
何かを敷衍して語ることはリスキーだ。話の論点が見えにくくなる。いらぬ偏見の種を生む。それでも我々が話を一般化しがちなのは、そうした方が楽だからだ。的を大きくしておけば、的外れな発言をしなくてすむ。雑なコントロールのピッチングでも的を外さないですむ。
先週を振り返る。
7/9
サークルで山へBBQへ。俺がサークルに入った当初には考えられないようなイベントだ。当時は個人プレーのアウトローが集まった場末みたいなサーク��だったから、これは大いなる変化である。
因みにBBQ、メチャクチャに楽しかった。
目的地の山が結構遠かったので、2時間くらい電車に揺られた。後輩の最寄り駅と俺の最寄り駅の間に1駅あって、そこで落ち合って小旅行が始まった。「一番手前の車両で座ってます」と言われていたのでホームの端のほうで待っていたが、こういう待ち合わせもオツでよかった。
彼女とはだいたい話し続けていることが多いが、かといって(少なくとも俺は)沈黙も苦ではないので、気が楽だ。一緒にいて常々思うのは彼女の鍛え上げられた魂の美しさで、今の俺は彼女に敵わないが、未来の俺は最高にクールなので敵う。俺は俺に絶対の投資をしている。
BBQでは自炊勢がその才を遺憾なく発揮し、実家勢は食べに食べ、企画班は天才的な采配で一日をスマートに進めていった。本当にいいサークルになった。優秀な人材が沢山いる。
帰り際にそれはもう凄まじい雨に見舞われたのも忘れられない思い出になった。帰りの電車で気象情報を確認したところなんと110mmの豪雨だったらしく、よく死ななかったなと思った。雨は地面と平行に降っていたし、雷は発光から2秒以内に轟音を響かせていた。そして俺たちは山の上にいた。揃いすぎた条件をなんと華麗に躱したことだろう!
後輩とは朝の出発から夜の解散まで、結局一日中一緒にいた。別れ際に人生で最高の「バカヤロー!」をいただいた。多分今日の思い出だけで強く生きていける気がする。
もし人生に2度目があるとしても、この人生を選びたいとここ最近常々思っている。本当にこんなこと今後経験できるかよ?みたいなことが連発の人生で、先輩の言を借りれば ”この先の人生もきっと楽しい” きっとどころじゃなく絶対になのだが。
7/10
日曜のハッピーな俺に、月曜の憂鬱を少しでも和らげてあげられるような気遣いがあればいいのだが。
7/11
学科の友人たちと久々に飲みに行った。友人たちとは専攻する科目がかなり違ってきているので、一週間に2回程度しか授業も被らない。必然的に疎遠になりがちだが、こうして顔を合わせればなんということはない、距離感はすぐに戻るものだ。
大学の入学式の時からずっと仲がいい友人には兄がいるのだが、その彼が婚約した。彼と彼の恋人とは去年の秋に友人と一緒に行ったフェスで知り合った。その時に二人の人柄にすごく惹かれて、すぐに好きになった。まるで自分の事のように嬉しくて、少しグッときてしまった。ぜひ式を挙げたら呼んでほしい。僭越ながら祝福させていただきたい気持ちでいっぱいだ。
7/13
後輩の家でカレー大会をやろうという話になったので鍋を担いで彼の家に向かった。到着して驚いたが、彼、カレーを作っていなかった。結局後輩と彼の恋人ともう一人いた後輩にカレーをふるまうだけの会になってしまって、なんだこれは、ただの給仕のおばちゃんじゃないか、となった。まあ皆美味しそうに食べてくれたのでよしとする。
後輩から「〇〇先生(一部の界隈ではお互いのことを先生と呼びあう風潮がある)は一人でも生きていけそう」「結婚しなさそう」などとひどいことを言われた。寂しくて誰かと一緒になりたいと思ったことはないが、一人では生きていけないことは重々承知している。
俺は孤独のいなし方を既に学んでいる。一緒にいたい人、いる人は俺が決めるし、また俺と一緒にいたいと思ってもらえるか否かはその相手が決めることだ。気にかけてくれているのは有り難いが、第三者にとやかく言えるような類の話ではない。あなたのことを気にかけていますよ、とさりげなく伝えるにとどめるのがスマートというものだ。
7/14
午前中に先輩とボウイの映画を観に行って、午後からは試験、バイトだった。
「ジギー・スターダスト」を観た。
1973年のイギリスでのツアーファイナルを最後にそのキャラクターを封印したデヴィッド・ボウイ。彼のキャラクターの一つであるジギー・スターダスト最後のライヴは最初から最後まで完璧に作り込まれた、圧倒的に美しい世界だった。
ボウイの書く歌詞がたまらなく俺のストライクで、字幕で出てくる対訳もとても良かった。時に難解で、時にストレートなそのバランス感が絶妙だった。
そして何よりミック・ロンソンのギターにぶっ飛ばされた。火星まで余裕で吹っ飛ばされた。なんだあのギターは。ギターソロを聴いて体の震えが止まらなくなる経験は過去にあれど、ギターソロでボロボロと泣いてしまうのは初めてだった。余りにもエモーショナルが過ぎるぜ。
先輩が今回この映画の存在を俺に教えてくれて、ついでに誘ってくれた。
彼はいつも俺に忌憚なく発言してくれる。俺はよくそれに救われている。書いていて気付いたが、俺は救われている。 たまに忌憚なさ過ぎて癪に障る時があるが、その時はちゃんとそういうリアクションをしているつもりだし、したいと思っている。それが「彼と俺の関係においての」誠実さだと思うからだ。
人によって誠実の基準は違う。俺には俺の誠実の基準があるし、彼には彼の、彼女には彼女の誠実の基準があるだろう。それをお互いに持ち寄って、擦り合わせていくことが相手に誠実であるということに繋がるのではないかと思っている。
彼が俺に一目置いてくれていることを周りの人からよく耳にする。直接は俺に言ってこないあたり恥ずかしいのだろう。ハッハッハ。ともあれそう思われていることはとても嬉しい。俺も彼に敵わないことがごまんとある。彼は爆烈な個性がギラつく最高なパンク野郎だ。
デヴィッド・ボウイを初めて聴いたのも彼がきっかけだ。
彼に『Hunky Dory』を貸してもらって、その中の『Changes』という曲でハートを撃ち抜かれた。残念ながらその時既にボウイは亡くなっていたが。
劇場は個人経営のミニシアターで、レンガ造りのすごく落ち着いた雰囲気で、オツな場所だった。フードや飲料の販売がなくて、持ち込むか自販機で買えという適当さもよかった。また来たい。
帰りに電車の中でギリギリで生きるのをやめようと試みてから人生がかなりラクになったという話をしたら「新興宗教にでもハマったか?セミナーでも開けそうだな」と言われた。
忌憚がなさすぎるだろう。
試験のために学校へ。ドイツ文学の試験で、ゲーテとマンの小説を読んで高校の現代文みたいな問題を一時間くらいで解き、バイトへ向かった。
『若きウェルテルの悩み』は結構好きだった。新訳はクセがありすぎてなかなか大変だったが。マンのほうは『ワイマールのロッテ』を読んだ。これも面白かった。
トマス・マンと三島由紀夫にはそれなりに関連があって、二人を比較した研究などもある。林晋(はやしすすむ)著『三島由紀夫とトーマス・マン』は全部読み切ってはいないがオススメである。
バイト先でようやく接客とレジ打ちを先輩に横にいてもらいながらだが、やらせてもらえるようになってきた。先輩に点数を聞いたら30点と言われた。
表情や仕草はなかなか自分で制御できない。いわんや心をや。
7/15
サークルのフレッシャーズライヴだった。
奇抜なことをする尖った後輩は今回いなかったが、全体的にレベルの高い演奏が多かった。経験者が多いというのもあるだろうが、皆よく練習したのだろう。
打ち上げの席できわどい発言が多く、ヒヤヒヤした。俺の信頼する同輩はその様子を見て、いつものように「どうにかしなきゃ…!」とアタフタしていた。彼は人のことを気にかけることができる人間味のあるヤツで、実直だ。俺にないものを沢山持っているので、一緒にいて刺激になる。
夜にコンビニに寄ってアイスを食べながら帰るやつを敢行した。同輩が「ベースを弾きたくなった」と言って一緒に我が家に帰っていたので、彼にも付き合ってもらった。
「この時ばかりは夏のうだるような暑さもいい仕事をするよな」という話をした。それ以外の瞬間で夏の暑さにグッジョブと言えることなどほぼない。
7/16
午前中から動き出して、「世界を変えたレコード展」に同輩と先輩と俺の三人で行ってきた。
メチャクチャいい展だった。レコ屋の店員は自分たちが扱っているものを改めて知るという意味でもマストゴーだ。
会場にはポピュラーミュージック好き垂涎のレコードが山ほど。加えて当時の時代背景と照らし合わされた詳細な音楽史が入り口から何十メートルも続く。今まで並べてみたことのなかったアーティスト同士の時代の重なりや文化的背景も視覚的に見ることができて、非常に興味深かった。
記録媒体に音楽が落とし込まれてから現代に至るまでの系譜を、ポピュラーミュージックの歴史と共にその黎明期から紐解いていく。ジャズのレコードが最初に出回ったのが1917年、その後1948年にLPが流通する。ここで音楽は物理的な身体を獲得し、LPのあの大きなジャケットが人々の間にアートを伝播していくことになる。
1983年、CDが発明される。因みにCDは日本の発明品だ。ここからCDはたった数年でレコードの生産量を追い抜き、1989年にはなんとレコードの生産量がゼロになる。
その後配信の時代へ。半世紀経ち、再び音楽は物理的な身体を失った。
今回のこの展は金沢工業大学が舵を取って催されたものである。金沢すごい。妙なところですごく前衛的で、好きだ。バイト先の石川県出身の先輩にこの話をしたところ「あそこの大学はなんにでも手を出してますよ。学長はアタマがおかしいですけど。」と言っていた。去年の初秋に21世紀美術館に行った時のことを思い出したりもした。
一通り見終えた後、先輩がおいしいと勧めてくれたお寿司屋さんに行った。鯖と鯵が美味しかった。案外安かったし、また行きたい。
人間味、人間らしさについて最近考えていたので、そのことを二人に相談していたら2時間近く話し込んでしまった。すぐに自分の話題に引きずり込んでしまうのは俺の悪癖のひとつである。
昨日の打ち上げでも後輩にそのことをからかわれた。なにかしらの共通点を見つけてしまうと「分かる、俺もそう思う、そんなところがある」と表明してしまって、そこからずっと俺のターンみたいにしてしまうきらいがある。本当はそこで自分が見つけた共通点を虫眼鏡にして、相手にフォーカスしていくべきなのだが。
人間味、「弱さを見せられる」というのが大きいらしい。少し別の文脈だったのだが、先日後輩も「自分の美しくないところも見せられること」だと言っていた。
人は相手に弱いところを見せてもらえないと、自分も弱さを出し辛いのだという。
相手が弱いところをみせてくれるということは、自分にならその弱さを見せてもいいと思ってくれているという事≒自分を信頼してくれているということらしい。なるほど分からないことはない。
常々悩んでいた「冷たい人間だとよく言われる問題」だが、打開の糸口がつかめてきた感じがある。「AIみたいだ」「できないことがなさそう」などと言われることもこの問題に絡んでいたようだ。
要は弱さと悪さを混同してしまっていたのかもしれない。
ダウナーなことを口にしていては碌なことがないので出来るだけ良い事だけを口にするようにしていたのが、いつの間にか弱さを見せることも控えるようになっていて、そのせいで人間味を逆に削ぎ落とす結果になっていたのかもしれない。
夕方からはバイトだった。なんとかレジを一人でこなせるようになってきた。
以前のバイトとは疲労感が天と地ほども違う。二年前は合う合わないなんて甘えだと自分に言い聞かせていたが、相性は間違いなくあるぞ、二年前の俺よ。あの時間は決してムダではなかった、そのトラウマがあったおかげで今の仕事にありつけている節もあるし、皿洗いのスピードと丁寧さはガン上が���したし、体育会系の人とは根本的なところで肌が合わないことも身をもって知った。その上での距離のはかり方、接し方も知った。
今が最高なので過去の俺にはぜひ頑張ってほしい。
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mossjp · 5 years
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医療分野でのオープンソースソフトウェアを通じた国際活動
この記事は、第14回医療オープンソースソフトウェア協議会セミナーのLT兼クロージングでお話した��とで、メドレーの平山さんに「この話ってまとまった資料とかあるんですか?」と聞かれたのがきっかけで書きました。そういや、これまで総説を13年前に書いたっきりで、その間をまとめてなかったなと思い、アジア地域のオープンソースソフトウェアについてまとめをしようとしました。けれども、その前にどうしてアジア地域をはじめ、国際的に活動を広げてきたのかということについても説明しないとうまく話がつながりません。国内での活動はMOSS1-14までの話に書いたので、ここでは国際活動を中心にお話します。長くなりすぎたので、アジア地域のオープンソースソフトウェアについてはまた別のまとめをすることとします。
はじめに
オープンソースソフトウェアを通じて、アジア圏のみならず世界的なつながりを得てきました。2017年からは国際医療情報学会(IMIA; International Medical Informatics Association)のOpen Source Working Groupの議長(Chair)に就任しております。まずは、その経緯について説明します。
MOSSをはじめた経緯については、先日の記事 に書いたとおりです。未踏を終えて、博士論文仕上げたあたりのころ、いやその以前から国内の医療情報学会にはもう、飽き足らなくなっていました。そういや海外はどうなっているんだろうというのが気になって、参加したのが2007年にブリスベンで開催されたMEDINFOでした。MEDINFOというのは当時3年おきに開催されていた国際的な医療情報学の大会です。開催されることに気づいたときには、論文投稿などの締切は過ぎていたのですが、事務局に問い合わせたら「ポスターだったら出してもいいよ」と返事がきたので未踏の仕事をベースにポスターセッションに応募して、無事に採択されたので参加しました。その時辺りからオーストラリアとも縁の深いopenEHRにも興味を持つようになっていましたので、その情報を収集しようと意気込んでおりました。
MEDINFO2007
海外学会に参加したのは1997年のアメリカ血液学会でサンディエゴに行って以来で、海外渡航も久々でした。当時、血液腫瘍内科医として一般病院に勤務しておりましたので忙しい日々を過ごしており、準備も大変でした。出張中のフォローや海外渡航費の補助など勤務先にも支援してもらいました。
その前から、openEHRコミュニティとは連絡をとっていて、いろいろなセッションや彼ら主催のパーティーで交流を深めました。渡航先から半額補助はでているとはいえ、安くはない渡航費をかけ、参加費も高いこのMEDINFOに行ったからには、少しでも情報を収集しようといろんなセッションに出ました。しかし、いかんせん付け焼き刃の英語では込み入った議論を展開するということもままなりませんでした。けれども、英語というハンデがあってもまだ、日本国内よりも、「言葉が通じた」のが嬉しくて、それが国際学会に参加するモチベーションとなりました。
国際学会の懇親会では英語が話せる人がだいたい中央に集まって、話せない人がその周りにちっていく感じになるので、だいたい自分の隣はアジアアフリカ関係者が多く、アジア地域のつながりができました。その頃から、アフリカ・アジアに普及しつつあったOpenMRSのお話を聞いたのがこのMEDINFOだったと記憶しています。
OSS2010, MOSC2010, MEDINFO2010
2009年に愛媛大学に移った翌年の2010年は今考えると大変な年でした。このちょっと前から関わりのあったOpen Source Conferenceつながりで、島根大学の野田先生から誘われて、アメリカノートルダムで5月に開かれたOSS2010に参加して、日本のORCAプロジェクトを始めとした医療分野のオープンソースソフトウェア活動について発表しました。帰ってきて一息つく間もなく、さらに、国連大学からの要請で6月に開催されたMalaysia Open Source Conferenceで日本の医療分野でのオープンソースソフトウェア活動について講演しました。日本医師会が率先して自分たちのために開発したオープンソースソフトウェアプロジェクトがあるというのは、比較的に驚きを持って好意的にうけとられました。
医師会というのはどこの国でも、お固くてとっつきにくい団体のようで、そういう団体がオープンソースソフトウェアに取り組むというのは先進国でもありえないことのようでした。
9月に南アフリカのケープタウンで開催されたMEDINFO2010では、Open Source Working Groupのワークショップに出て、日本の事例を紹介したり、海外との共同研究の話をしたりしました。
Open Source EHR Summit 2011
2011年にOpen Source EHR Summitが開かれるというニュースが飛んできました。医療分野のオープンソースソフトウェアで有名なVistAを運用しているアメリカ退役軍人病院とその管理をしている国防総省が支援していて、制服組の軍人が発表していたのが印象に残っています。ただし、日程を下手に組んでしまい、到着翌日に口演発表という日程なので時差ボケの影響か、登壇した途端に英語が完全に飛んでしまって、口がろくに動かず最悪な発表となりました。以後、国際学会ではかならず一日前に現地入りして時差調整をするようにしています。
このときの縁で、OSEHRAの創設者のSeon Ki Mun氏とつながりができて、韓国に里帰りする途中で日本によってもらってMOSSで講演してもらったり、MEDINFOでお話してもらったり、そのお返してAPAMIでお話したりと交流が続いています。
MEDINFO2013
全部を挙げているときりがないのですが、この間にも、あちこちの国際学会で発表して交流を深めたりしておりました。2013年にデンマークのコペンハーゲンでMEDINFOが開催されるということで、コペンハーゲンといえばDavid H Hansonが生まれたところであり、Ruby on Railsが生まれたところでもあります。Ruby on RailsとopenEHRのarchetypeをつかって15分でEHRを作るデモというのをやったのですが、あまりうまくいかなくて、openEHR仲間からも「MEDINFOでLive codingは聴衆がついていけない」と言われるなど散々でした。けれども、その後の懇親会でHL7のEd Hammondさんから、Railsっていいよね、おもしろそうだから俺もやっていると声をかけてもらえました。80歳近い大先輩がRuby on Railsに興味持っていじっているというのは強烈な刺激になりました。
この時に、フィリピンのAlvin Malcero、タイのBoonchaiの両氏と仲良くなりました。IMIAのOpen Source Working Groupの議長だったドイツのThomas Karopka氏とも連絡を取り合うようになりました。GNU HealthのLuis Falcon氏の話には非常に共感して、翌年MOSSにもおよびしたりしました。今ではお互いに hermano (兄弟)と呼びあっています。
IWEEE2014, MOSS9
MEDINFOからの縁で、Luis Falcon氏が2014年5月に開催されたIWEEE 2014に参加しました。スペインのカナリア諸島にはじめていったのですが、あまりの環境の良さに移住を考えるほどでした。
AeHIN 2014
Alvin氏とはMEIDINFOのあとから、時々連絡をとっていて、フィリピン大学でopenEHRのチュートリアルセミナーを開催したりしておりました。どうも、MEDINFOでは物足りないところがあったようで、医療情報に関してアジアでWHOも巻き込んで新しい会議を開催しているようで、興味があったので、Alvinに参加してもいいかときいたら、快く招いてもらいました。Asia eHealth Network, AeHINと名付けられた会に2014年の第3回総会から参加してきました。その時が3回目でマニラのアジア開発銀行の立派な建物で開催され、日銀の総裁になられた黒田さんから代わったばかりの中尾総裁が基調講演をされたのをおぼえております。
学会とは異なり、ASEAN7カ国を中心にアジア諸国から医療情報について、行政の実務者が集まっておりました。日本でいうと、官僚でも局長級のかたが多いようでしたが、次官や副大臣、大臣が参加している国もありました。ここで話し合われたことが、そのまま各国で政策に反映されるのだろうなと思いました。なるほど、こうしたアプローチは学会でもHIMMSのようなコンベンションでもできないが、アジア諸国にとっては必要だなと感心しました。
AeHINは実践的なプログラムを中心にその時の実情にあわせてよく考えられて構成されていて、勉強になります。アジア諸国が何を求めているのか、どういう取り組みをしているのかリアルな情報を得ることができます。AlvinとBoonchaiさんのコンビもよくこの地域をリードしています。彼らはオープンソースソフトウェアに理解があり、利用してこの地域のeHealthを発展させていこうという戦略をもっています。
MEDINFO2015
この時期からIMIA Open Source Working GroupのChairをされてたThomas Karopka氏が大学を離れたこともあって、学会活動の継続に支障が出てきたということで私にCo-chairになって支援してほしいという依頼がありました。断る理由もないので、Co-chairを引き受けて、サンパウロで開かれたMEDINFO2015からMEDINFOの評議会にもWorking Group代表で出席するようになりました。
MEDINFO2017
この会からいよいよ、Open Source Working Group Chairになりました。中国で開催されたということで、ヨーロッパからの参加者は少なかったのですが、AeHINつながりでIndonesiaのLutfan氏と、openEHRつながりでThaiのChristian Chevalley氏とでopen soruceのworkshopをやりました。Working group paperをIMIAが毎年出しているYearbookに書くというのが一番の仕事で、昨年後半はopen dataについてまとめました。Christyian Chevalley氏にはその後も日本に来ていただいてMOSSでも講演してもらいました。
まとめ
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p>p>p>p>医療分野のオープンソースソフトウェアで研究したり、活動したりしている人はあんまりいないので、国際的な活動をしているとつながりが広がります。この間に訪れた国は、ざっと数えて16カ国ほどです。それがどれだけ人の役に立っているかはわかりませんが、改めてまとめてみるとまだまだいろいろと書きたいことも出てきますね。今日はこれくらいで。長文読んで��らってありがとう。
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