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#極辛口
soneman-alcoholic · 1 year
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williechou · 2 years
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每次放假都是往台南市區跑, 但今天我們就乖乖待在善化吧! 因為下雨~ 下雨騎車到市區實在太麻煩了, 沒辦法不狼狽的穿雨衣騎車, 又不讓身上濕答答的, 所以就來吃個幾家在善化的小店吧! 第一家就來吃個麵吧, 雖然己經有點過了正午的用餐時間, 距離他們休息還有一個多小時, 雖然還是飄著小雨, 但離家不遠, 所以影響不大, 還可穿著拖鞋出門, 但因為不是去市區, 給他輕鬆自在就好! 這家拉麵店, 老實說我是第一次來吃, 雖然說很早之前就知道, 但就都往市區跑, 所以沒來吃, 剛好這次趁著雨天, 直接給他來吃一下, 尤其是他們在台南開了分店, 表示是有實力的, 才敢跑到市區開店! 一進到店裡, 還以為自己跑到一蘭吃拉麵, 因為他店內就跟他們很像, 都是一格一格的座位, 然後他們的隔板是很台灣味的海棠花霧面玻璃, 因為是半透明的關係, 雖然店內空間小小的但因為夠通透, 所以視覺上沒有那麼的壓迫。 他們點餐方式是用手機掃描座位前的QR Code , 店家就會收到你的點單, 開始製作餐點, 好了之後, 就像一蘭一樣, 把座位前的簾子打開送上熱騰騰出爐的餐點, 然後快快拍完, 就快快吃, 才能吃到最完美的餐點! |辛口雞拉麵 豬叉燒 / 硬麵 / 加豬背脂 / 加洋蔥 / 升級豪華特製版 - 加炙燒雞叉燒+單顆溏心蛋+海苔 / 湯 是帶點微微辣味的, 由於加了豬背脂, 所以口感肯定是帶有濃厚油脂感, 但是由於湯是帶辣味的, 所以能讓那油香清爽, 然後油香也讓辣度降低, 達到一個平衡的作用! / 麵條 是直細麵, 選了麵條偏硬口感, 但我覺得麵芯沒有到特別的硬, 而且麵芯是有煮透的, 之前吃了一蘭, 他的麵芯就讓我覺得有點微微的生麵粉味, 但雙赫的沒有給我這種感覺, 喜歡麵條有口感的, 直接選偏硬的就對了! /雞叉燒 帶有厚度但吃起來非常的柔軟, 每一口的雞肉富含水分, 完全不像雞胸肉帶有明顯纖維的口感, 而是非常的像雞腿那種油脂豐富的柔嫩口感, 但是一咬就斷, 可以吃到微微炙燒過的焦香味, /豬叉燒 沒有想像中的大片, 相較於一般常見那種捲起來的方式, 他們比較像是直接用修好的肉塊直接下去滷, 起鍋後切成薄片的方式, 而且帶有明顯的粉紅色澤, 非常誘人。 整體沒有到很肥, 但又不柴, 加上帶了點筋, 咀嚼起來更有口感跟爽感。 /溏心蛋 蛋白口感有彈性, 帶有微微的醬香, 蛋黃軟滑, 香味很舒服。 |雞叉燒飯 粒粒分明, 吸收了醬汁, 變得柔軟但不軟糊, 切成大丁狀的雞叉燒量給的很足, 搭著飯吃, 完全不會有肉吃完了, 飯還一堆的情況發生, 他原本就有淋上一些醬汁, 讓他可以比較好扒飯, 但如果來點不一樣的, 你可以把拉麵的湯淋一些上去, 這樣吃起來就會變成另一種不一樣的風味, 像我這次是選辣味增的湯底, 淋上去之後, 拌飯的味道跟深度就有明顯的差異, 很像吃了不一樣的兩碗飯。 #善化美食 #台南美食 #日式拉麵 #善化小店 #ramen #辛口雞拉麵 #雞叉燒飯 #雞叉燒 #豬叉燒 #溏心蛋 #手機點餐 #北極是吃貨 #popdaily #popyummy #pop台南 (在 双赫日式拉麵) https://www.instagram.com/p/CjO4an9P7c4/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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gabachokuma · 9 days
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連続エロ小説
極雄会性史
第1回
第一部 
現場の規則(平成)
1 派遣作業員
 「昨日までは研修だの事務手続きだの、現場から離れての仕事だったが、君は今日からこの作業班に派遣になった。まあ、10人くらいの小さな下請け会社だが、みんな気さくで親切。何でも相談に乗ってくれるから。あ、君は前の会社では測量担当だったんだね。40歳かあ。まあ、うちの会社ではちょうど中間くらいの年齢かな。引き続き測量担当者として働いてもらうから。働き盛りで、男前で、筋骨隆々の派遣社員が来るぞって、みんな喜んでいるよ。まあ、すぐに慣れるさ。こういう仕事だからね、作業員は全員男だ、夏なんか事務所も現場も宿舎も野郎臭くてむっとす���が、
気を使わなくていいし、いい奴ばかりだしな。宜しく頼むよ。」
そう言われて山口純也は気まずい思いをした。
男前で筋骨隆々?
なんでそんな噂になっているんだ。
働き盛りはまだしも、自分ではちっとも男前だとは思えない。まだ田舎の匂いがする芋にいちゃんが中年を迎えちまって困り果てたような顔だし、筋骨隆々どころか、限りなく、だらしない手足の短い中年太りのおじさんの方に近い体型だ。
 純也を現場に連れてきたのは64歳で、
現場作業を退いて4年目の事務の田山さんだ。かなり肉付きがよく、無精髭が丸い顔を縁取っている。身長は高くないが、90キロはあるだろう。ワイシャツがはちきれんばかりの体型は座った瞬間に腹のボタンが2つ3つ勢いよく飛んでいくに違いない。優しそうな人だったが、体型より純也が印象深く感じたのは、大きく張った胸板にひときわ目立つようにくっきりと出ていた二つの乳首だった。遠くからもかなり目立つ。胸のその二箇所だけ、ツンと突き出ている。うっすらと乳首だとわかるのではなく、大袈裟に言えばビー玉を二つ胸にいれてるんじゃないだろうかと思うくらいの巨大な物だった。田山さんと満員電車に乗ってここまで来る間、電車が揺れるたびに、向かい合って立っていた田山さんの乳首が純也の乳首にダイレクトにあたり、その硬い乳首の先で自分のそれが刺激をうけることが度々あり、思わず「あっ」と声を憧れるほど純也の両乳首に電流が走った。
 さらに、吊り革につかまっている田山さんの腕が揺れるたびにワイシャツの奥のドキッとするほどもっさりと茂った黒い腋毛が見え、そこから流れ出てくる、男の汗の強烈な臭いが野生の雄を主張して、純也は
何だかぼうっとなっていた。それは決して不快な臭いではなく、自然で大らかな動物の性の営みを連想させるものだった。むしろ男の体臭にもエロチシズムを感じると改めて気付かされ、興奮する臭いだった。
 だが、後で分かることだが、田山さんの
体臭は腋の下から放出されるものだけではなく、田山さんの大きく膨らんだズボンの前の部分からも滲み出ていたのである。
 そんな田山さんが汗を拭き拭き、作業現場の休憩所に純也を連れてきたのは、ちょうど昼休みになる頃だった。
 今日は現場の親方に挨拶をし、作業員たちに紹介をする日だったのである。
 休憩所には親方以外だれもいなかった。
この下請け会社の名前は「極雄会」
何だか反社会組織の名前みたいだが、れっきとした普通の会社である。いや、普通じゃないか、いまだに雑誌や新聞広告の欄に社員募集を載せるやり方だし、募集内容が
「緊急募集、年齢20〜60歳、ガタイのよいレスラーや柔道体型の肉づきの良い野郎。男臭い職場でもかまわないこと。
野郎同士、互いに敬意をもてること。
体力を必要とするから心身ともにありあまる精力があること。深夜作業あり。その代わり、男子寮完備、食事代、交際費支給」こんな謳い文句である。今の時代じゃまさにブラックの匂いぷんぷんだから、だれもこないだろうが30年前のことだから、給与さえよければ、辛くてもがまんしてくるやつがいたのだ。山口純也もリストラされて、かなり生活が苦しくなり、この際野郎の職場でも何でも贅沢は言ってられなかった。それに電話での応対が丁寧だったし、
面接でも自分自身の身体と性格に雄を感じるか?とか、一年中男だけしか会わない世界に耐えられるか?とか、そんな質問だったからかなり興味と期待を持って入社したのである。
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beyourselfchulanmaria · 3 months
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武陵春 / 宋代 李清照 Li Qingzhao, Song dynasty 
   
風住塵香花已盡,日晚倦梳頭。物是人非事事休,欲語淚先流。  
聞說雙溪春尚好,也擬泛輕舟。只恐雙溪舴艋舟,載不動、許多愁。
About this poetry (First of 2 paragraphs), She wrote it about Flowers has fallen on everywhere and the dust also filled with its flavor. and her husband had died, Everything were changed so she tired of combing her hair, then tears fall before talking in usual. (The last 2 paragraphs), She only fear the boat It could not carry her huge sadness on that river. In short, she had bear all the bitter feelings for alone with homeless that sad mind in the war at that time.
此詞描述她的晚年避難於金華期間,當時在紹興四年(西元1134)金與偽齊合兵南犯以後。那時,他的丈夫已病故,家藏的金石文物也散失殆盡,作者她孑然一身,流離失所在漫天烽火中飄泊,歷盡世路崎嶇和人生坎坷,因而詞情極為悲苦。上片就是訴說著眼前景物之不堪,心情之淒苦。下片藉以江水上的小船更深一層的表達,恐是無法承載她那沉重的悲愁。
▪︎ 李清照,(1084-1155)宋代,濟南(今屬山東)人。中國歷史上最著名的女詞人。自號易安居士。同是宋代的理學家朱熹(朱子)曾說:「本朝婦人能文者,惟魏夫人及李易安(李清照)二人而已。」幼有才藻,她工詩能文,詩尤為宋代大家,十八歲適金石家趙明誠,夫婦感情甚篤。宋室南渡之前,李清照生活美滿,前期作品熱情活潑,明快天真,多寫少女生活的無憂無慮,以及婚後的離別相思,充分表現女性閨閣的感情。南渡後其夫病故,她顛沛流離於江浙皖贛一帶,在孤寂中度過晚年。後期詞融入家國之恨與哀其身世又晚景淒涼之感,風格頓變。暮年飄零後,感情基調轉為凄愴沉鬱,如《聲聲慢》「尋尋覓覓,冷冷清清,凄凄慘慘戚戚」。她兼擅令慢,每能創意出奇,以經過提煉的口語表達其獨特真切的感受,形成辛棄疾所稱道的“易安體”。據《宋史·藝文志》中說,李清照有《易安居士文集》七卷、《易安詞》八卷,但已經遺失。現有《漱玉詞》輯本,現存約五十首左右。
🎨 oil painting by Chen Yanning 陳衍寧 (Chinese b. 1945)
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mm0924 · 3 months
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February of Mei Nagano. 2月。ショートケーキはどうやっても倒してしまう人間です…と言えたら不器用で可愛い女の子を演じられたのかもしれないけど、ショートケーキは最後まで倒さずに綺麗に食べられる人間です。フルーツがたくさん乗っているケーキは下の土台とフルーツをきちんと同じ分量で食べられる自信があるし、オペラケーキみたいな長方形で安定している形のケーキならお皿の上にスポンジが1つも残らないくらい綺麗に食べられる自信がある。だけど、ケーキの箱に入ったお持ち帰りのケーキを上手に持って帰る自信はまるでない。ケーキって味はもちろんだけどそれ以上に見た目だと思うんです。箱に入ったケーキをそーっと綺麗なままで持って帰ったつもりなのに、帰ったらいつの間にかケーキは歪んでいて、そんなケーキの存在をながのだけが見て、食べて、なかったことになるんです。ううん、なかったことにするんです。だってきっとそれはこのケーキが本来想定されていた〝食べられ方〟ではないから。ながのの思い込みかもしれないけれど、このケーキを作った人が届けたかった形ではないから。きっと誰よりも〝形〟に〝見た目〟に囚われていると、悲しくもがな感じることがあります。〝感情〟1つでさえその場で現れた感情を如何にして何%で表現するのかを考えてしまうし、友達以上恋人未満のもどかしい関係があったとしたら形の見え方の正解を求めてしまう。曖昧で〝今〟が楽しければいいと思う反面、自分の中で区切られている何かに全てを分類しなきゃ気が済まないんだろうな、と自分の性格を客観視しています。A型の取り扱い説明書みたいになってますけど、ながのAB型です。一言でいうと(「AB型」「性格」「一言」検索)あっさりさっぱりした性格、だそうです。うん、間違いではない、むしろ大正解。だけど、ながのが持って帰ったちょっと歪んだケーキを一緒に笑って「美味しいね」って食べてくれる人にはできればずっと隣にいてほしいと、ながのの中のさっぱりしていない部分で思っています。ケーキを持って帰るのはあくまでもながの。一緒に持って帰ろう、は違うんです。…なんてややこしい子なんだ、と思われていることでしょう。でもこんなややこしいながのにそうやって上手に距離を作ってくれて、ながのが上手くケーキを持って帰れるように手助けしてくれる人が近くにいてくれるんだもん。幸せ者です。ショートケーキ、ロールケーキ、チーズケーキ…きらきら輝くショーケース。さて、今日は何のケーキをテイクアウトしよう。 日々生きているだけで、色々なことがあ��。言っていないこと、言えなかったこと、言いたかったこと、あえて言わなかったこと、我慢したこと、我慢できなかったこと、泣きたかったこと、泣いてしまったこと…きっとたくさんあると思うんです。〝人〟の〝生〟き様について。生きる意味を考えない人もいるし、考えすぎてしまう人もいるし、考えないようにしてる人もいるし、意味なんてないと考えている人もいるし、生きながら探し続けている人もいる。日々生きているだけで起こる〝色々なこと〟のせいで、このままふらっと消えちゃおうかなと思う瞬間や衝動は大人になるにつれて増えたけれど、そんな時「人生なんて、あともうちょっと頑張ろうの繰り返しなんだよ!」といういつかの誰かの言葉を思い出します。そして〝あともうちょっと〟について考えて、絶望したり希望を見出したりするんです。きっとこれから先の人生、それの繰り返しで大丈夫になったり大丈夫じゃなくなったりするんだとしたら、生きていくことって心細すぎる。1人じゃとても抱えきれないとも思ってしまう。大丈夫じゃなくなる直前までは誰かに頼ることができるけど、本当に大丈夫じゃなくなってしまったらもう1人でうずくまることしかできなくて、そんな状態に慣れてしまうんです。ながのにもそんな時期があったし、これからもあるかもしれない。だから、元気の無い状態に慣れてしまわないように、元気になれそうなことは積極的に摂取していきたい。例えば、雨の日にお気に入りの傘を差してみたり、いつもより少し大きな声で「いただきます」と言ってみたり、家を出る前には姿見の前でくるっとターンしちゃったりなんかして…小さいけれど元気になれそうなことをかき集めていたら、気付いたら大きな元気玉になっていたりするものなのよ。ふふ、得意なんです、小さな元気を見つけるの。小さな元気をかき集めて「あれ?もしかしたら凄い元気かもしれない」そんな錯覚をしながら生きていけたら、それが希望になるんじゃないかと思ったりします。生きる意味なんてないかもしれないし、意味がないことに意味があるのかもしれないし、この世界を去る瞬間にしか分からないことなのかもしれないけれど、いつか「このために生まれたのか!」と思えるときがあるかもしれないし…まだよく分からないけれど、分からないからもう少しここで生きてみようと思う。あともうちょっと頑張ろう。 お仕事!今月は伊右衛門やアイシティの新CMや、「Ray」の表紙や「BARFOUT!」の紙面に出していただきました。また、今年もミラノで開催されたPRADAのショー『PRADA FW 24』に出席させていただきました。PRADAのアイテムはどれも可愛くて、年々パワーアップしています…!そして、現在放送中のドラマ『君が心をくれたから』のノベライズが発売決定となりました。小説にはドラマ本編の内容に加えてドラマには出てこないオリジナル短編小説も収録されています…というのはXの投稿にも書かせていただいたので、ここを読んでくれた方にだけ特別にもう少し教えちゃうと、オリジナル短編小説は宇山さん書下ろしで『クリスマスと小さな二文字』というタイトル、高校生の雨ちゃんが「太陽さん」から「太陽くん」と呼ぶまでの物語です。好きな人の呼び方を変えるってどういうことだと思いますか?ながのの考えもちょこっと小説で知れちゃいます。1巻は雨ちゃん視点の短編となっていますが、2巻は太陽くん視点で別エピソードになる予定(宇山さんが締め切りに追われているのを目撃しました)なので、是非ノベライズもご一読ください。ドラマはもう8話の放送を終え残りあと3話、〝逢原雨〟として精一杯生きたいと思います。
3月のながののイチオシソングは声にならないよさんの『死にたい夜のBGM』。何度聴いても単刀直入だなと思う歌詞だけど、辛くてどうしようもなくなった時、この曲がもう一度ながのの目の前に出てきてくれるんだと思う。
君の笑顔が曇ったこと僕が気づかない訳ないでしょ? 君の瞳がにじんだこと僕が気づかない訳ないでしょ?
そう言って口下手なながのから言葉を引き出してくれる、大好きな人へ。MVに出てくるノートに書かれた「・仮面をかぶっている自分→私とは?」、泣いていないふりをして静かに涙を拭いて、連絡のこないスマホはただの鉄の塊にしか見えなくて、パソコンを開いて文章を書こうと思うけど何も出てこなくて、だけどあなたと話している時間だけは全部忘れてころっと笑顔になれちゃう。死にたい夜のBGMはいつもあなたの声で、気づかない訳ないってわかってて「どうしたの?」と尋ねてくれる優しさに甘えて温かさに包まれて安心して、頼りっぱなしで甘えっぱなしでたくさん我慢させてる。これはめいの力不足。2分5秒から始まる手拍子に背中を押されて前を向けた。気持ちを原点に戻して。あなたがあなたらしくいられるように、辛くてどうしようもなくなった時、死にたい夜のBGMがめいの声になったらいいのにとそんな欲張りなことを願う。あなたの幸せの形を選ぶのはあなたしかいないけれど、めいの幸せの形には間違いなくあなたが存在します。もっと知れますように、もっと知ってもらえますように。上手に気持ちを伝えるのは苦手だけど、1つだけ。もしまた生まれ変われるなら、次も絶対出会いたい。 Tumblrの更新が回を増すごとに綴る文章の題材、内容、言葉選びに不安を抱えているながの��すが、「紅茶入れてからゆっくり読みたくて」とか「毎月の壮大なタンブラー好きだよ」と言ってくださる方々のおかげ(本当にありがとうございます。)で毎度自己肯定感は上がりっぱなしで調子に乗って後書までつらつらと書き進めている今日この頃です。こうして毎月文章を書いていると〝うっかり言っちゃったこと〟より〝それでも言わなかったこと〟にその人の本質があると思える時があるんです。きっとそれって〝生まれつき持っていた感情〟よりも〝生まれてから育てた意志〟に興味があるからだと思います。ながのがTumblrに綴る言葉は陰も陽も、ながのの意志が伴って発信している言葉。発信した言葉の裏にはいつも〝それでも言わなかったこと〟が付きまといます。生まれつき持っていた感情に流されて、言わないでいいことまで言ってしまうとか、言いやすいから強く言いすぎてしまうとか、そうやって相手への気遣いを疎かにして、無意識に一緒にいられる毎日が当たり前だと思ってしまっていて、そんな怠惰の積み重ねで関係って崩れていくんです。関係って水みたいで、零したものにこだわって掬いなおそうとしても元に戻すのは難しいから、これからまた少しずつ注いでいく必要があるんだと思う。グラスが割れないうちに。自由に書きたいことを書きたいだけ書いためいの月記、最後まで読んで下さりありがとうございました。 3月のながのめいもよろしくお願いします︎︎︎︎︎︎☺︎
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kennak · 6 months
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9月21日午前6時に父が亡くなった。 老健からの退所が決まり、週末のみ自宅で過ごすことが決定してからの 我が家はまさに上を下への大騒ぎだった。 家の中までの導線を確保した上で車椅子が通るよう道を整備し、 父が使っていた寝室に入るサイズの介護ベッドを調達して 高齢の母の負担が極力減るようにヘルパーの力を頼りながらの受け入れ生活だったが あれほどの労力をかけて準備したにも関わらず、わずか2ヶ月ほどでピリオドを打った。 コロナ感染からの重症化で一時は命も危ぶまれた父は、奇跡的に回復するも 肺炎により嚥下機能が著しく低下していたため誤嚥性肺炎を繰り返しては再入院し、 「急変した際の延命治療はどうしますか」とその都度医師に聞かれた。 そして3度目の再発で入院し、同じように「どうしますか」と問われた時、 半ば慣れっこになっていた私たちは「回復の希望があるならできるだけのことはやってほしいが 機械の力を借りて心臓を動かすだけの措置なら不要」と回答した。 そしてその翌日、まるで私たちの会話を盗み聞きしていたかのように父は逝った。 今年もケムコ様より東京ゲームショウにお誘いいただいていたのだが 父の容体が安定していないことからギリギリまで返事を待っていただいていた。 (快く待ってくださったケムコ様には本当に感謝しかない。ありがとうございます。) 最初から断ることも考えたが、遠出すれば気分転換になるかもという現実逃避的な思考もあり 引き延ばすだけ引き延ばした挙句に父が選んだ旅立ちの日は9月21日、東京ゲームショウの開幕初日だった。 父についてのエピソードで一番古い記憶を辿ると、幼稚園のクリスマス会になるだろうか。 園児のところにサンタがやってきて菓子を配る恒例の会で私も楽しみにしていたのだが 当日やってきたのはサンタのコスプレをした父で、特に素性を隠すでもなく 大声で私の名前を呼びながら「おおしのびん、今年はワシがサンタじゃ」と菓子を手渡した。 私は幼稚園の年少組にして「サンタは親が演っている」ことを知ってしまったのである。 生粋の目立ちたがりで役職のつくポジションが大好きだった父を見て育ったせいか 私は人一倍自分を表に出すことを避けるようになり、今もこうしてハンドルネームでブログを書いている。 母から「お父さんのようになってはダメよ」と言われて育った私は、 言ってみれば父を反面教師にして出来上がった集合体のようなもので、何から何まで合わない。 合わないのに、成長するにつれて父に似た部分が体のあちこちに、思考の節々に現れては嫌悪した。 今にして思えば、父のようになりたくない、は、父のように何事にもオープンで大らかには生きられない 内向的な自分の劣等感が生んだ、羨望からくる逆恨みだったのかもしれない。 そのことを受け入れ、父の中に幾らかの可愛らしさを見出してからの親子関係は 世間で言うところの仲の良い親子には届いていなかったかもしれないが、そう悪くもなかったと思う。 3度目の入院の知らせは突然だった。 デイサービスから「微熱があり酸素量も少ないため念のため病院に連れていきます」と連絡があり またかと思いながら病院に駆けつけた。 前々回、前回と同じようにしばらく入院して、回復すればまた退院するのだろうとぼんやり考えていたので 入院手続きのために膨大な枚数の用紙に記入しなければならないことの方が気が重かった。 翌朝面会に行くと、父は痰を吸入してもらって楽になったのか静かに眠っていた。 夜中も1、2時間おきに吸入をしていたと聞き、頭の下がる思いがする。 とてもではないが、このケアを自宅ではできなかったろう。 父は私のことはわかっていたようで「会いにきたよ、わかる?」と聞けば小さく頷いていた。 「元気になって、また家に帰ろうな」と声をかけるとまた小さく頷いていて 「この様子なら大丈夫だろう」と少し安堵した。 しかし、翌朝の医師の説明では、心臓の機能が大分弱っているので 肺炎が治るよりも先に心臓が持たないかもしれないと告げられた。 そして、冒頭に書いたように「無理な延命治療は本人も辛かろうし不要。 楽になるための治療なら全力でお願いします」と回答して帰宅した。 その日の深夜、病院から容体がおかしいと電話があり、孫たちも連れて慌てて深夜の病院に 大勢で押しかけると、別室に移動した室内で父はスヤスヤと眠っていた。 「みなさんが到着される直前に急に安定し始めて」とナースは申し訳なさそうに笑ったが 「人騒がせなじいじだ」と悪態をつきながらも皆笑顔だった。 その翌日、またしても深夜に病院から電話があり、同じように大勢で深夜の病院に向かった。 酸素がなかなか上がってこないと昨夜より病室内の空気に緊張感があったが 当の本人は傍目には穏やかに眠っているように見えた。 「こんなことがこれから毎晩続くのかしら」と母が疲労困憊の様子で口にするのを聞きながら 昨日医師に「まぁ、こんな感じで心臓がゆっくり止まってしまうほうが本人は楽だと思いますよ。 本当に眠るように、何も苦しまずに済むので。」と言われたことを思い出していた。 ほどなくして心電図を表示している機械から危険を知らせるアラーム音が鳴り、慌ただしくナースが入ってきた。 「まだいったらだめだよ」「起きてじいじ」「起きないと怒るよ」と孫たちがそれぞれ父に声をかけ 「家に帰ろうよ」と姉が語りかけた後に、それまで黙って見守っていた母が父の手を取って話し始めた。 「じいじ、ねえじいじ、本当に好き放題に生きたわね。 突然商売をすると言い始めて、30年間も私にその店を手伝わせている間に 他所で女を作ったり、こっそり家のお金に手をつけたり。 その人を連れてゴルフに旅行にと遊びまわり、飲み歩いてね。 子育てなんて全部私に任せっきりで、ほとんどしなかったでしょ。 でもねじいじ、私はそれでも、あなたにまだ居て欲しい」 父の左手を両手で包み込み、まるで駄々っ子を宥めるように話しかける母の言葉を聞きながら 「おいおい、こんな男にだけはなるなと刷り込み続けて今更それはないだろう」と思ったりもしたが その言葉を聞いて、つくづく夫婦のことは夫婦にしかわからないのだと思い知らされた。 そして母が話し終えるのを待っていたかのように、9月21日午前6時に父の心臓は動きを止めた。 息を引き取る直前まで、話しかければ反応していたし、ゆっくりと腕を持ち上げたりピースサインも出せていて 「ぎゅっと握ってごらん」と言えば握り返していた父の時間は、本当に呆気なく止まったのだった。 けたたましい機械音さえなければ寝落ちを疑うほど穏やかな最期だった。 入退院を繰り返したとはいえ、何週間も昏睡状態が続いたわけでもなく、 在宅介護開始から2ヶ月、再入院から僅か2日で逝った父は ピンピンコロリとまではいかなくとも、ほどほどコロリぐらいの称号は与えても良い気がする。 面倒を見ていた親族の誰も介護疲れに陥らせず 別れを惜しむ気持ちを十分に残した上で旅立ったことは、家庭を振り返らず仕事に恋に奔放に生きた父が 珍しく見せた父親らしい気遣いと言っていいかもしれない。 週末は自宅で皆に介護されながら、コロナ感染の入院直前に食べるはずだった念願の鰻もちゃんと食し 早朝にも関わらず親族8人が見守る中で逝けたのだから、幸せだったろう。 亡くなる前日の朝、家族がいる手前では気恥ずかしさが勝ってしまい、正直な気持ちを話せないと思った私は ひとりで病院に面会に行き、眠っている父に向かって幼い頃から反抗的な態度を取ってきたことを詫びた。 「できの悪い息子でごめんな」と耳元で話していると、父が一瞬、私の手を握り返してきた、気がした。 あの時間がなければ、私の後悔はもっとずっと大きかったと思う。 テレビで何度も見かけた「9月21日午前6時21分、お亡くなりになりました」という医師の言葉を聞き終えて外に出ると もう空は明るくなり始めており、電話1本で飛んできた葬儀屋と話をしているうちにすっかり陽は昇った。 秋晴れの爽やかな朝だった。 悲しみに浸る暇もなく、数々の段取りが始まった。 実を言うと、2年ぐらい前から「親が亡くなった時にするべきこと」という ハウツーのページをブックマークしていて、折に触れて読み返すのを癖づけていた。 10年以上前の別れでは狼狽してしまい、何もかも人任せにしてしまった反省から いざという時にあたふたせず、冷静に適切な行動とれるための予習をしていたのだ。 親族と親しい方々への連絡、役所への届け出、葬儀の手配など まるで流れ作業のように進んでいって、翌日には通夜、翌々日の葬儀がすんなり決まった。 通夜の翌日、親族の集まった部屋に入ると、皆が見守る中で父が風呂に入れられていた。 旅立ちの前に全身を綺麗にするオプションサービスで、母が頼んでいたらしい。 髪も丁寧に洗い、顔もパック&化粧までしてほとんど韓流スターのようなフルコース。 一部始終を近くで見ていた姉が「私がやって欲しいぐらいのサービスだったわ」と感心していた通り 仕上がった父はこざ���ぱりして生気を取り戻したように見えた。 昼時になり孫たちが腹が減ったと言うのでGoogleMapで調べてみると 田舎のため近くにはコンビニぐらいしか引き当たらない。 「仕方ないから適当におにぎりでも買ってこようか」と義兄は言ったのだが 騒がしく葬るのが我が家のスタイルだからと、私の提案でデリバリーを頼むことにした。 幸い、配達圏内にカレー屋とピザ屋が引き当たったため Uberと出前館に一軒ずつ注文を出し、数十分後には親族控室はカレーとピザの匂いで充満した。 父の想い出話を肴にワイワイと盛り上がり、「こんなに騒がしい親族の控室はないんじゃないか」と 誰かが口にするほど賑やかな昼食になった。 年を取ってもジャンクフードが大好きだった父は、すぐ横で羨ましく見ていたに違いない。 皆で盛り上がっているところに葬儀屋が入ってきて、一枚の紙を置いていった。 折り鶴の形をした形状記憶用紙で、皆で一言ずつ別れの言葉を書いてお棺に入れるのだという。 「お疲れ様でした」「あちらでは偉そうな振る舞いをしないように」(←私)など各自が書き込み、 最後に全員のメッセージを読んでいると、看護学生をしている姪が書いたと思しき一文が目に留まった。 「きちんと面倒をみてあげられなくてごめんなさい。立派な看護師になってみせます。」 淡々と皆の様子を俯瞰で眺めてきた私は、その一文を読んで初めて涙腺が緩んだ。 父親としては赤点だったが、祖父としては孫達に慕われる良きじいじだったのだ。 父の顔の広さもあって、葬儀場には置き場所に困るほどの花が届き、弔問客で溢れ返った。 コロナ禍ではとても実現できなかったであろうし、やはり父はツイている。 「いよいよお別れの時です。 生前お付き合いのあった方は、どうか前に出てきてお顔を見て差し上げてください。 仏様は亡くなっても私達に多くのことを教えてくださいます。 命の儚さ、尊さ、多くの教えを私達の心に遺して旅立たれるのです。」 お棺を閉じる前のお坊さんの言葉に誘われるように棺の前に立ち、眠っている父の顔を覗き込んでみた。 次々と収められる花に囲まれた父は、加工アプリで装飾し過ぎた写真のようなビジュアルで少しだけ滑稽だった。 そしてその姿を見てフフッと少し笑った後に、訳もわからず涙が流れた。 時間にしてほんの1分ぐらいだったと思うが、どこかの栓が抜けたようにドバドバと流れて自分でも驚いた。 「最後ぐらい泣いてくれ」と、父が私の涙腺(栓)を抜きにきたのかも知れない。 こんな機会でもなければ会うことの無かったであろう、数十年振りの知人や親戚と再会し 様々な思い出話をしていると、この時間も父の置き土産なのだと感じる。 簡略化の進む現代風の葬り方にも良い点はあるが、昔ながらの葬式も、その煩わしさも込みでなかなか良い。 親族用にチャーターした火葬場までの送迎バスに乗り込む際、 片手で骨壷を持ち、片手でスマホを持って自撮りをした。父とのツーショットである。 山の中腹にある火葬場は薄曇りで少し肌寒かったが、待ち時間中はやはり四方山話で盛り上がった。 火葬を終え、小さな骨壷に収まった父と帰宅してから 四十九日までの予定を親族で確認し、それぞれが日常に戻っていった。 数日して何気なくiPhoneの写真フォルダを見ていると、入院時に父と撮った写真が出てきた。 亡くなった9月21日は金曜日、その写真は2日前の19日だったので 写真の上にはまだ『水曜日』と表示されている。 iPhoneの写真は1週間以内なら曜日で表記され、1週間以上が経つと○月○日の表記に変わる。 水曜日という表示に、まだ数日前まで父はこの世にいたのだと気づかされた。 老健に長く入っていたし、それほど頻繁に会っていたわけでもないのに 「もういない」ことが日毎に実感となって、音もなく雪が降り積もるように静かに寂しさが募っていく。 あっという間に四十九日を迎え、近しい親族だけで法要を済ませた。 葬儀の時と同じお坊さんがやってきて、最後にまたひとつ話をしていった。 「四十九日が経ちましたね。 毎日元気にお過ごしでしょうか。 今日はひとつ、時間と命について皆さんに考えていただきたいと思います。 私たちは皆、等しく流れる時間の中で生きています。 亡くなった方の時間はそこで止まり、しかし私達の時間は動き続けます。 時間の止まった方との距離は日々遠くなり、日常で思い出す機会が減ってきたり 悲しみが薄れたりしますが、そんな時こそ、生きていることを自覚していただいたいのです。 今日この場で皆さんと過ごした時間が二度と戻らないのと同じように 時間は先にしか流れないと自覚しながら、1日1日を大切に過ごして下さい。」 私にとって父が良い父でなかったように、父にとって私も良い息子ではなかったろう。 生きているうちにもう少し何とか出来たかもと思わないでもないが、全ては後の祭り。 是枝裕和監督の映画「歩いても歩いても」に出てくる 『人生はいつも、ちょっとだけ間に合わない。』を、まんまと私も体験してしまった。 先人からの教訓を受け取っていたのに、実践を怠って同じ後悔をして その気持ちをこうして文章に残し、誰かが悔いを残さないようにと祈る。 そうやって、人は生きていくのだ。
四十九日 - 忍之閻魔帳
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beracha7 · 7 months
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ノアさん!
今日は、急遽、浜松での教会の賛美の奉仕の証と、特別賛美のめぐみが与えられまして、第一礼拝から、一日教会にいることが出来て感謝でした!なかなか2人の子供を連れていくと、奉仕をさせていただくときは、スケジュールがパズルのようで😂ただ神様にどうしたらよいか祈って聞いて、周りの方に助けてもらうのみです🙏🙏
助けていただき、ありがとうございます🥲🙌
今日は姉と共に、
第1.3の礼拝でお証をさせていただき、
子供礼拝でもお証。笑
ヤング礼拝でも。笑
神様は面白い方だなぁと思いました。それも本当に数日前にこう思ったのです。
昔は毎週のように証をする機会があたえられたり、メッセージやcsでの話しや、学校でも説教のクラスがあったり。今はもうそういうのがなくなったし、人前で話す事はやらないかもしれないなぁと。場数もないし、もう、、億劫だなとw
そうしたら、、、こんな😂
神様は心の奥底の考えも全て知っておられる。
リバイバルの時にやはり神様のことを
話したい伝えたい。
むかしは赤面症で、話せなくて、支離滅裂になるんじゃないかと、人前で話せなくて。
夢の中で"お前は話せない"って暗闇の敵に言われた後から。
大変な時期を過ごしました。
口が開かない。言葉が喉まで、口まで、ここまで出ていても話せない。言葉が音にならない。
アメリカの大学ではディスカッションなども山ほどありましたから、辛くて泣いて感謝しましたw
これも2007年から10年以上続きました。
でも、毎日、学校に神様の言葉を手に書いて
約束の言葉だけはもらっていました。
預言の言葉で(預言は吟味が必要です)
"あがり症は治る。毎回助けを与える。
話せるようになる。抜けているのがわかる"と。
弱さに働かれる神の力。
極度のあがり症で、話せなかったものが、
人の前で話せるようになる。
神様の素晴らしさを語りたい。
福音、良き知らせを伝えたい!
そう思います🙌😊
.
そう、
寸座ライブチャーチのことも書こうと思い、
時がたってしま���ました😌
先週の日曜日は礼拝に参加させていただき、
ゆるしのメッセージでした。
その時のストーリーで、
ある1人のクリスチャンの方の息子さん2人が殺されてしまったと。でも、その殺した方にも神様の愛を知ってほしいと、自分の息子にしたいと申し出たそうです。
自分は2人の息子をとても愛していたと。でもその殺した方のことも愛していて、神様のことを知ってほしいと。
その後、その殺人をしてしまった方は、のちに伝道者になられたと。
イェス様がゆるしてくださったから、私たちもゆるしあいましょう。とメッセージが語られていました😌
恵みの奉仕をただ感謝します!
↑また消し方がわからないので、
質問をいれてみました😂🙌✨
ハレルヤ!
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yfukuoka · 1 year
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【3704日目】2023-03-09 ピザ界隈には有名な建物ですが、まだまだカレー界隈には知られていないモジャハウス。 THALEE-LINGタレーリン@代々木上原 ‪____________________________________ ※前菜は勝手に名前つけてます *セロリと青マンゴーのソムタム 青マンゴーと同じ細さに揃えられたセロリ。見た目では分かりませんでしたが、口の中で小気味よい歯触りとともに、香りが弾けるフレッシュな前菜。ナムプラーは、極々少量なのでしょう、繊細な仕上がりに、こちらの舌も心構えができてきました。 *燻製鯖のレモングラスクリーム添え これはすごかった。締めて焼いて提供するまで1週間かかったという〆鯖。非加熱ですから、自らじんわり出るフィッシュオイル分によって、表面が七色に光っています。 口の中で広がる薫香。レモングラスクリームには酸味があって…チーズかな?オリーブオイルかな?パクチーは新芽を使ったマイクロパクチー。 *海老と季節野菜、卵のレッドカレーと山形の香り米 卵のプーパッポンカリーとは様子が違う。黒い肉のように見えるのは、おそらく……甘いバナナ! うわぁ。。。おいしい。 酸味はなく、甘辛カレーなのですが、日本のそれとは違う。プリプリの大海老とトロトロの卵。甘辛スパイス。どんぶりにして食べたいくらいだ。 タイに行ってもこのカレーはなさそうです。 ‪____________________________________ 🇹🇭 #lunch #thailand #thaifood #thai #instafood #asianfood #asia #foodpic #foodstagram #tasty #delicious #spice #curry #thaleeling #タイ #タイ料理 #ランチ‪ #代々木上原 ‬#カレー‪ ‬#‬フクドローン #ふくすたぐらむ ↓Thalee-ling @thalee_ling (Thalee ling) https://www.instagram.com/p/CpxU6fjy2p3/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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kinemekoudon · 1 year
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【8話】 弁護士に言われたとおり取調べで黙秘してみたときのレポ・前編 【大麻取り締まられレポ】
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前回のあらすじ 僕とプッシャーと友人の3人で、共謀の上に大麻を所持した容疑で捕まった僕は、接見で当番弁護士に「50パーの確率で不起訴を狙える」と言われていた。
僕は「どういう理屈で50パーなんでしょうか?」と弁護士に尋ねると、弁護士は「共謀の罪での逮捕は、他の方が自白してしまうケースが多いんです」と答える。
僕は「一緒に捕まった2人は自白しないと思うので、大丈夫だと思います」などと言うと、弁護士は「ところが、いざ捕まってみると喋っちゃうんですよ、これが。そういうケースを何件も見てきましたから」と恐ろしいことを言うので、僕は少し勘ぐって黙りこくる。
弁護士は続けて「むしろ、ほとんどの人が喋っちゃいます。黙秘を続けられる人はサイコパスみたいなひとしかいませんね」と笑いながら言う。僕が「まぁ…2人はサイコパスっぽい感じはあります」と応えると、弁護士は「そうですか。いずれにせよ、不起訴を狙うのであれば、現段階では2人を信用するしかないですからね」と身も蓋もないことを言う。
しかし弁護士は、僕が気落ちしているのを見てか「まあ、売人の車で大麻が見つかっていて、持ち主が判明していないという状況ですから、このままいけば、犯行の主体を立証できず、証拠不十分のために不起訴となる可能性は高いでしょう」などと僕に期待を持たせてくれた。
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それから1時間ほど、弁護士に今後の対策について色々と教えて貰った。ただ、僕がやるべきことは、黙秘と署名押印拒否ということであった。不起訴を狙うにあたって、黙秘は自分の利益にはならないが、不利益にもならない。また、調書の署名押印を拒否すれば、調書を証拠資料として使用することを防ぐことができるのである。
また弁護士は、国選弁護人として就いてくれることになり、僕が黙秘を続けるメンタルを保てるよう、頻繁に接見に来てくれると言うので、とても心強い味方がついてくれたと思った。
※このときに弁護士に貰った「取調べをウケる心がまえ」というプリントがよく出来ていたので、pdfのURLを貼っておきます。
接見を終えると、消灯・就寝時間の21時が過ぎ、22時をまわっていた。場内は暗くなっていたが、監視のため蛍光灯がついており、居室内も天井の蛍光灯3本中1本だけ明かりがついていた。
居室に戻ると、留置官が「今日は5番の布団敷いといたから。あと寝る前の薬あるから、このコップに水入れてきて」などと言うので、僕は洗面で水を入れ、鉄格子の前に行く。留置官は配膳口を開き、僕に手を出すように言って、薬の包装シートのプラスチック部分を押して、中の薬でアルミ部分を破り、僕の手の上に直接薬を落とす。
僕はマイスリーとデパスを飲むのは久しぶりだったので、少しわくわくしていた。僕は薬を水で流し込み、コップを留置官に返すと、布団の中に入り込む。布団は非常に粗末なもので、敷き布団はこれぞ煎餅布団といった具合に入れ綿の少ない薄く固い布団で、掛け布団は薄い割に重く、ちりちりしていて触り心地の悪い毛布であった。
寝具は粗末、天井の蛍光灯は眩しい、加えて隣室からはいびきが聞こえるので、この環境で寝るのは、睡眠に神経質な僕には難しいことであったが、こんなこともあろうかと、あらかじめ睡眠薬をゲットしておいたのである。
薬を飲んでから、1分ほどでデパスが効いてきて、強ばった筋肉が弛緩し、あらゆる不安が和らいでくるので、(今日は本当に長い一日だったけど、未体験のことばかりで結構おもしろかったな…)などと天井を見つめながら前向きな回想をしていた。
さらに10分ほど経つとマイスリーが効いてきて、眠たくなってくると同時に、思考が少し加速し、個人的におもしろい発想が連続して生成されているように感じるので、結構楽しい。そうして自分の思考にニヤけたり感心したりしていると、次第に意識が遠のき、いつの間にか眠っていた。
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――逮捕から2日目。朝、起床時間とされる6時30分の10分前に目が覚めた。6時30分になると、消えていた蛍光灯が点灯するとともに、留置官が「起床―!」と大声を出して、まだ眠っている収容者を起こす。
布団を畳み、右隣の居室のベトナム人と入れ違いで布団置き場に布団を置いてから居室に戻ると、配膳口にブラシと雑巾の入った桶が置かれており、トイレと洗面を掃除するように指示をされた。
トイレと洗面はステンレス製で、水垢や尿石もなく清潔であったが、パフォーマンスとして掃除をし、ブラシと雑巾を桶に入れて配膳口に戻した。留置官がその桶を回収すると、今度は扉を開けて掃除機を渡し、床を掃除するように指示をしてきた。床は誰かの抜け毛が多く落ちていたので、割と丁寧に掃除機をかけておいた。
掃除機をかけている間、留置官が配膳口にタオルと石鹸、コップに歯ブラシと歯磨き粉を置いていたので、僕は掃除機を留置官に返してから、洗面で歯を磨き、顔を洗った。
タオルなどを抱え、鉄格子の前で待機していると、昨日左隣の居室でいびきをかきながら寝ていた、ガタイがよく目がギョロリとした50代くらいのヒゲの男が、ロッカーに向かう際にこちらを見てきた。
ギョロ目の男は僕と目が合うと、30度くらい頭を下げて「こんにちは!」と大声で挨拶してきたので、僕は少し萎縮して「あ、ちわ…」とぼそぼそした声で挨拶を返しておいた。ギョロ目の男は続いて、僕の右隣の居室にいるベトナム人にもかしこまって大声で挨拶をしていた。
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↑ギョロ目の男は清原を老けさせてもう少し色白にさせた感じ
ロッカーにタオル等をしまい、自分の居室に戻ると、すぐに朝食の支度が始まった。今回の朝食は、コンビニ弁当のようなプラスチック製の容器の中に、白米、きゅうりの漬物少々、マカロニサラダ少々、千切りされたたくあん少々に、メインのおかずとして野菜の入った薄く丸い形をした小さい天ぷら1つが入っている質素なものであった。
朝食を終えると、時刻は7時15分だった。本を読めるのは8時かららしく、仕方がないので文字通りゴロゴロしていると、「点呼開始―ッ!」という爆音が留置場内に響き渡った。
点呼の合図からすぐに、遠くの方で「第6号室!27番!」という大きなかけ声の後、「ハイ!」という収容者の声が聞こえ、「以上1名!」という大声の後、4人の留置官が「「「「おはようございます!」」」」と大声で挨拶をし、隣の居室へ移っていく。
それから、留置官らは僕の居室の前に立ち、「第2号室!5番!」と大声を出すので、僕は寝っ転がりながら「あい」と応えると、居室の後ろの小窓の前に立っていた暗い色のレンズの眼鏡をかけたヤクザ風の留置官が「座れぇ!!」と大声で怒鳴ってくる。
僕はまぬけ面で「はい?」と言ってみると、ヤクザ風の留置官は「座れ!座って返事しろ!」と大声で指図してくるので、僕は仕方なしに上体を起こし、「はーい」と間の抜けた返事をする。
しかし留置官からのリアクションはなく、3秒ほど無音の空間になる。僕は少し戸惑った感じで「はい…」と言い直すと、留置官は「以上1名!」「「「「おはようございます!」」」」と大声を出し、次の居室へ移っていく。僕は彼らを人間らしくふるまっているNPCだと思う。
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7時30分になり、“運動”の時間になる。この運動の時間とは、留置場の敷地内にある屋根のない狭い場所に出られるというだけの時間である。また運動場では、貸し出しの爪切りや電動ひげ剃りを借りることもできる。
僕はなんとなく日差しを浴びたかったので、運動場で伸びをしていると、隣の居室にいる若いベトナム人が「何で捕まりましたか?」と急に話しかけてきた。僕は「ああ。大麻持ってたのが見つかったんだよね」と応えると、ベトナム人は「ハハ。日本人はだいたいドラッグです。若い人は大麻ですね」と言う。
僕は「そうなんだ。よく知ってるね。ここに来て結構経つの?」と聞くと、ベトナム人は「6ヶ月います」と言うので、僕は驚いて「何をしたらそんなに拘留されるの?」と聞くと、ベトナム人は「ビザが切れて不法滞在で捕まりましたが、コロナのせいで入管は人がいっぱいですから、入管が空くまでここで待機させられています」と言う。
僕は「へえ。それは不憫だなあ。辛くない?」と聞くと、ベトナム人は「もう辛くないです。ここに来て日本語が少し上手くなりました」と言う。話を聞くと、ベトナム人はこれを機に、留置場内で積極的に日本人と喋り、日本語を上達させようとしていたらしい。立派だ。
また、運動の時間が終わる寸前に、左隣の居室にいるギョロ目のじじいとも少しだけ会話をした。ギョロ目のじじいは、僕とベトナム人の会話を聞いていたようで、「おう、5番は大麻か。おれは覚醒剤だよ。よろしく」と言いながら、僕と握手をして去って行った。
つづく
この物語はフィクションです。また、あらゆる薬物犯罪の防止・軽減を目的としています( ΦωΦ )
#フィクション#エッセイ#大麻#大麻取り締まられレポ
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zdlmlq · 4 months
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02.04.2024の日記
家族でガメラを観ようと思っていましたがなんとトークイベントがあった為チケット完売とのことで断念。それもあって夫と険悪になり別行動をした一日だった。夫とはあまりにも趣味が合わず休日が重なってもうまく集団行動できる日が本当に少ない。
一人で本屋に行き本を買い、死んだふりをしている金魚などを見ていた
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死んでいるようにしか見えませんが全然泳ぎます
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たぶん趣味なんだと思う。死んだふりが。
三品さんの新刊、『波打ちぎわの物を探しに』を最後までひらいた後だからということで同じくコレット(こちらはちゃんとパリの方)に触れている菅付雅信『物欲なき世界』をひらいていて、これも終盤になってきたのでやっぱり『波打ちぎわの物を探しに』関連でミランダ・ジュライの『あなたを選んでくれるもの』を控えていたんだけど(三品さんのフェアをやっている増田書店で買いました)、高円寺の円盤(現在は黒猫という店名になっていた)が東京での営業に一区切りをつけるとのことで振り返りイベント最終日の最後も最後、20時終了予定で20時くらいに入って、最後の30分田口さんが話すのを聞いていたら別の本を買ってしまった。
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『二〇一二』円盤店主田口さんが2012年に1年間つけていた日記の書籍版。
高円寺の円盤はレコード屋兼ライブハウスで、雑居ビルの狭くて急な階段をあがった二階にある人の家みたいな明るいお店。置かれているのはインディーバンドが自主制作で作ったCDが多くて、その大体に田口さんのコメントがついていた。ちゃんと聴いてから置く、という方針の店だった。
わたしがこの店によく行っていたのは10代から上の日記がつけられるようになる少し前、2011年くらいまでだったと思う。なぜなら2011年の夏に妊娠したので。
今日、既に人でぱんぱんであけっぱなしの入り口から漏れた人が覗き込んでいる状態を階段下から確認して帰ろうとしたら降りてきてくれた人がたまたま円盤に通っていた時期にちょっとお話ししたことのある人で、結構無理やり詰めて中にいれてくれたんだけど、その時ながれていた映像がちょうど2011年の夏にやっていたo-nestの円盤企画だった。映像の中でギターもドラムも燃えていた。���喩ではなく、普通にガソリン的な燃料がかけられて火がついていた。
他にもさらっと「窓ガラスが全部割られたときも、」という話がされていたし、まぁ全部ありえるよなぁと思うことが自分が観た円盤イベントの中でもままあった。2011年にはまだそういうことが許されていた、みたいな話ではなく、そんなことをやっている人なんてほとんど絶滅危惧種だったけどここおいては辛うじてそれをまだ観ることができた。おそらく違法薬物とかはやっていないタイプの人たちがそういうことをしている稀有な現場だったと思う。
もう10年以上ほとんど円盤に入っていなかったのでいまさら足を運ぶのもなんか気持ち悪いかな、と思ったんだけど、三品さんの本を読みながら頭に浮かんだのが田口さんが西荻窪に住んでいた時の家だった。引っ越してくる時「居間をどういう形にするのか考えている」と話していて疑問符が浮かんだけど遊びに行ってみたらなるほど、壁一面を棚にしたところで収納しきれないレコード達が棚と共に通常生活スペースになるだろう場所に侵食していて、四角形だったはずの部屋の形は棚の配置によって多角形になっていて、その真ん中に座ると手書きの仕切りで〈鳥〉とか、〈会社〉とかつけられている、当時ハタチ前後の子どもだったわたしには中身を想像できないレコードに囲まれた。
その仕切りやレコードのどれかを適当に、「これなんですか?」とたずねると、どれでも全部に解説をつけて流してくれる。どれに触れてもこれが一番すきだ、あるいはこれが一番面白い、と言わんばかりにおもしろそうに話すので、聴き出す頃にはもうよかった。なんか、会社の社長らが集まってやる宴会のカラオケがレコード化したやつとか流されても全然飽きなかった。いやこれはたぶん何の説明もなくても飽きずに聴けるな。いまでも。
とかく、わたしがいまバイトしてる書店で本の話をする時にその時のことをよく思い出す。わたしはあの時の田口さんのように全部を一番すきな、あるいは一番おもしろい本だという風に紹介できたらと思う。
もちろん全くそんなことはできない。
映像が終わった後、2012年にo-nestでの企画を辞めたことやその後は店での演奏企画にも消極的になっていったことの理由について説明していたけど、その後、大量に並ぶCDを引き抜いて(その時も、適当に抜いたんだろうにやっぱり馴染みある物をみるような独り言が自然にもれていた)「もうこの人も死んじゃったけど、いまこれを手にする人からしたらこのCDは"いま"のものだから、"物"にはそういうことができるから」という話から続く、"物が物であることの強度"みたいな話は、たぶんここ最近のテンションからして他の人にされたところでやたらとうつくしいですね、けっ、と思ってしまいそうなんだけど、田口さんが話すとすさまじい説得力がある。
円盤は、知らん人は知らんだろうけど知ってる人にはもうお馴染みの店で、たぶん田口さんとあのお店の名前、というだけでわりと盲目的に信用してくる人だってたくさんいたと思うんだけど、田口さんはそれにかなり抵抗していた気がする。縁や仁義を大事にするけど馴れ合いを嫌う人だということは子どもの頃にそうたくさんではないやりとりの中でも感じたし、円盤という名前がすっかり定着した後で店名を改めたのを知った時も、なるほどな〜と思った。もう全然遠くの方で、関係ないところでのなるほどな〜だったけど。
知り合い、というのも憚られる程度のやりとりしかしたことがないけどわたしが子どもの頃に知ることができてよかったと思うたくさんの大人の一人に田口さんがいます。今日は行っておいてよかった。本の話もちらちらと出てきて、本屋としてちょっと喝が入ったのでそういう意味でもありがたかった。なんか綺麗な話に響かないように書きたかったけどどうだろう、わかりません。
こんな半端者が感想を書き出していいような人でもない気がしています。わたしはずっと、ああいう大人に「何やってんの?」とか「気持ち悪い」とか「ちゃんと仕事して」みたいなことを、言われたいんだと思います。自分がすげー、と思う大人にダメ出しされてる時が一番落ち着けるというか、ちゃんとやらなくては、と思う。そうでないと手を動かしている間本当にずっと疑心暗鬼で、自分で自分にそういうことを言い続けないといけない。偽物が、小手先で本並べやがって。死ねよ。恥を知れ。と、頭の中で他のわたしが言い続けているのを聞きながら手を動かしている、自分に対してはうるせーなー、とも思えないから、はい、そうだな、本当にそう、と思いながら動かして、全部ダメという気がする。これは、確かだろうというものがどんどん疑わしくなっていて。
あー、でも、田口さん、田口さんのことは、疑わしくないな、と思った。物は、作り出された物は、確実にあって、残って、残れば誰かに届くから、残したいんだった。
だから本屋なんだった。
ということを思い出しました。思い出して、たぶんここでの感覚は一瞬でなくなります。明日出勤したら即座になくなりますが、でも、それでもこれを思い出せる瞬間があったことは本当に重要でした。よかった。よかった〜
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20kitan · 4 months
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CoC「片鱗」HO殺人鬼 ※シナリオの重大なネタバレが含まれます
セリフ集
「かうかう」 「ぶ」 「うー、あ゛」 「カッコー、カッコー、カッコー」 「くじら、ヤギ、キツツキ」 「ここが地獄だ!ここで跳べ!」 「宙吊り、宙吊り、宙吊りで、かわいそうで、おれが埋め合わせしてあげたいと思うんだよ」 「あの家には行かれない」 「ううー」 「いい子、いい子」 「『行き過ぎろ、影』」 「おまえはもう十分耐えた。あれはただの育ちすぎたコウモリだ。やつらが自ら蒔いた種をおれが刈りとってやる」 「それに比べてどうだ? おまえときたら盗人の淫売……おまえの薄汚い血が薄まったおかげで衿迦や兄は出来がいい」 「邪悪! 老いぼれの古コウモリめ! 報いを受けろ!」 「でもおれは、どこにも行くところがないし、他にやることもないんだ」 「今日はいいことあった?」
◆身上調査書
姓名:ビスコ/房 必思可(ファン ビスコ) 愛称:ビスコ 年齢:23歳 性別:男 血液型:B型 誕生日:6月28日 星座:かに座 身長:198cm 体重:84kg 髪色:オレンジっぽい赤毛 瞳の色:茶色 視力:左右1.0 きき腕:右 声の質:ザラザラした掠れ声 icv山寺宏一 手術経験や虫歯、病気:なし 身体の傷、アザ、刺青:なし その他の身体的特徴(鼻や目の形、姿勢、乳房、足、ホクロなど):手足が長くて猫背 ゴツゴツしている 手が細長い セックス体験、恋愛、結婚観:なし 性愛感情がかなり薄い 尊敬する人:なし 恨んでる人:もういない 出身:衿迦から生まれた/中国籍を取得 職業:肉屋 将来の夢:まだない 恐怖:衿迦を守れないこと 癖:目を細める 舌を出す 酒癖:酒の味が苦手なので飲まない 特に酔っても顔に出ない
*交流向け 一人称:おれ 二人称:おまえ、あいつ 呼び方:下の名前呼び捨て 敬称をつけない
*概要
 蛇之目衿迦の同級生と家族3人の命を奪った殺人鬼。道徳規範を持たぬ怪物。正体は蛇之目衿迦が作り出した狂気の別人格であり、アーティファクトの力を得て肉体を持つ独立した存在となった。
*性格
 おおよそ人間が持ち得る道徳規範や社会的モラルを持たない破綻した思考回路の持ち主であり、目的を達成するために法律や禁忌を破ることにはじめから躊躇いのない人物。自身の写し身である衿迦を守ることに関しては普通では考えられないほどに献身的になるが、それ以外の人間や事象に関しては関心がかなり薄い。  感情表現は幼稚で素直だが、起伏は通常激しくはない。極端なほど口下手で、ほとんどのコミュニケーションを単語や短い反復によって行い、自分の考えを自発的に話すことは稀。意味のない喃語を交えて話し、関わる必要がないと思えば完全に相手をシャットダウンし、ひとことも喋らないということも平気でする。  これらはビスコ自身に「社会に混じって生活する」という能力が根こそぎ欠けていることに由来し、目の前で起きたことや他人の事情や感情を受け取って呼応することもなければ、常識的にこうしなければならないという基本的概念を持たず、相手に分かりやすく伝えるための工程をすっ飛ばすことで発生する。理解できていないわけではなく理解させる気がないといったほうが正しい。  このため知能行動に支障があると判じられることが多く、実際の知能テストをまともに受けることも不可能なためそのように分類されるが、実を言うと知能より性質の問題。今後社会生活をこなしていく上で変化する可能性はある。  大人しくぼうっとして反応が鈍い。何を考えているかわからない冷血で爬虫類っぽい性格である。衿迦に対してはどこまでも優しく、辛抱強いあたたかみのある部分が発露される。刺激しなければ無害な置物のようなもの。
*人間関係
 社会に馴染める人格の持ち主ではないため、衿迦と房芳と職場の店主くらいとしか基本的には会話をしない。初対面の人間からは不気味がられ、それらを払拭する努力もしないため遠巻きにされることが常である。一応必要があると思えば肯定、否定、疑問くらいは口にすることもあるようだ。
*家族関係、幼少期体験
 なし
*能力
 前述のとおり実は知能に問題はなく、高校卒業程度の学力知識は持っているものと思われる。計算問題などは難なくこなし、少々難解な文章も理解して読むことができる。問題はテストなどをまともに受けるために机に留まらせておくのが難しく、ビスコが意味を理解できないものには取り合わないため、数値的な判断は難しい。  現在は肉屋での食肉加工作業を行っているが、動物を解体するのに精神的に動揺することも落ち込むこともなく、生まれが生まれのために刃物の扱いに長けていることからなかなか向いており、慢性的に人手不足な職種のため重宝されている。特に楽しいと思ったことはないが、現在の仕事に不満はないようだ。  何時から何時までという括りでの仕事が難しいため、衿迦が出かけるときに一緒に出かけ、作業が終わったら帰るという出来高制を許可してもらっている。
*肉屋のポパイ
 牧場から一頭ずつ牛や豚、鳥を買い付けるため新鮮で安いお肉を売っている精肉店。店内作業がきついため職人が居付かず育たないことが目下の悩みだったが、重労働をあまり高くはない給料でやってくれるビスコが店員になり助かっているらしい。現在は店長(精肉作業と接客)、ビスコ(精肉作業専門)、バイト(接客と配達)の3人で運営している小さな町の肉屋。コロッケがおいしい。  ビスコはほとんど店長としか会話をしないが、特段ビスコの奇妙な人柄を気にしていないようだ。
*好きなもの 食べ物:チョコレート菓子、グラタン、コロッケ、ハンバーグ ケチャップとマヨネーズの味が好き 飲み物:カルピスなど乳酸菌飲料、ホットミルク 季節:夏 色:海の色、衿迦の目の色 香り:牛乳石鹸のにおい 書籍:銀河鉄道の夜 動物:あんまり出会ったことがない ファッション:丈が長い服 落ち着く 場所:海 愛用:肉切り包丁 趣味:クレーンゲーム 写真を見る 
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ari0921 · 1 year
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和五年(2023)5月12日(金曜日)弐
    通巻第7747号
 トルコ大統領選挙、エルドアンが苦戦。野党が猛追
  地震、難民、猛烈インフレ、頭脳流失の難題が山積み
************************
 トルコを、首相時代を含めて、二十年間率いてきたエルドアン大統領が苦戦している。5月14日の投票日を前に、どの世論調査を見ても野党候補が数ポイント、リードしている。
三月のIEA(イスタンブール経済研究所)が行った世論調査では野党クルチダルオール候補が47%で、エルドアンは39%だった。
これは野党六党があつまり、「統一候補」を了解した3月6日、アンカラ市長とイスタンブール市長が支持を表明した直後の世論調査である。
 直近では野党クリチダルオールが44・6%、エルドアンが42%(アルジャジーラ5月11日)。これも5月10日に野党独立候補のインジェ(CHP党首)が選挙戦から離脱を表明したため、野党がますます有利とされた情勢変化が背景にある。
それまでインジェは10%ほどの支持があったが、野党連合で「なんでも良いから反エルドアン」という風��を前に2%の支持に急落していた。
 とはいうものの野党連合は六つの政党の寄り合いで極左の緑の党から保守政党まで含んでいる(ちなみにトルコには26の政党がある)。
 最大野党「共和人民党」は、もともと「建国の父」と言われるケマル・アタチェルクが1923年に創設した。
 2010年以来、党首をつとめ、今回エルドアンに挑戦する野党統一候補のクリチダルオールは74歳。実務派でカリスマ性に乏しく、そのうえ自らがアレヴィー派(イスラムの異端。国民の20%ほどが信仰しているとも言われる)を公言している。
 争点は何か?
 五万以上の死者がでた地震。テント村から仮説住宅への対応がなされている。建設業界はエルドアン支持が多く、また手抜き工事で批判されていることがエルドアン一族の腐敗だとする非難に繋がる。
 西側メディアは左派が多いが、トルコの場合、とりわけ外国メディア特派員がアンカラとイスタンブールに集中しており、両市はともに野党が優勢で、報道にバイアスがかかっている事実を知っておく必要もある。
 つぎに360万人ものシリア難民をどうするのか。そして猛烈インフレ(80%の物価高は通貨のトルコリラが過去十年で90%の下落が原因だ)、加えて若者に適宜な就労機会が少なく、夥しい頭脳流出問題がある。
あまつさえ、医療の遅れがあり、コロナウィルス問題もまだ解決されていない。
 トルコの有権者は6400万人で、海外居住者にも投票権がある。選挙区は87,行政区分は81県と市。議会の定員は600議席。ついでにいうと、国土面積は日本の二倍、人口は8600万人、ひとりあたりのGDPは11000ドル。1983年に民政移管し、2005年からEU加盟交渉を続けるが、話し合いは円滑に運んでいない。
 ▲エルドアンはなぜ苦戦を強いられたか
 2016年のクーデター未遂は多くの犠牲をだしたが、SNSの力で軍人を追い込み、エルドアンが政権を確実にした。その後の野党人士への弾圧、クルド族過激派の爆弾テロ、公務員、軍人のクーデター関与者への処罰などが欧米から批判され、エルドアンは寧ろロシアへの接近を選んだ。トルコはロシア制裁に加わらず、インド、中国と同様にロシアとの貿易を増やした。
 またトルコは中国とも、新彊ウイグル自治区のイスラム住民弾圧への批判を低め、経済的な絆の強化を深める一方で、イスラエル問題などの外交路線を修正した。
 西側はトルコのEU加盟を認めず、またユーロ加盟問題は議題にも載せないのだが、NATOの重要メンバーであるため(NATO海軍本部はトルコ西海岸のイズミールにある)、対トルコ外交はシグザグである。ロシアのウクライナ侵攻ではエルドアンが仲介にのりだしたこともあった。
 トルコは兵役義務があって軍事力は35万。徴兵除隊後も40歳まで予備役に参入される。軍隊から西側の価値観を共有する軍人は左遷されて、左派からみれば「エルドアンの私兵だ」という酷評も聞かれる。
 トルコ政治情報通に拠れば議会は野党が抑え、大統領は5月14日の第一回では決まらず、5月28日の決選投票に持ち込まれるのは確実という。
 過去の大統領選挙をみても2014年はエルドアンが52%の得票だった。2018年は53%と、いずれも辛勝だった。
 第一回投票では議会選挙が同時に行われ、たぶん野党が議席数を伸ばすだろう。そして決戦投票では、与党連合が野党連合の切り崩しを行うだろうから、エルドアンの辛勝になるだろう、と見ている。
 ▲トルコは親日国家、エルトゥールル号遭難の救援と義援金を運んで以来のつよい絆
 与党はエルドアン率いるAKP(公正発展党)にMHP(民族主義者行動党)などが加わった四党連立である。
一方の野党連合は中道左派CHP(146議席)、HDP(クルド政党、67議席)など極左から保守国家主義、イスラム原理主義、クルド族政党が連合している。エルドアンのAKPは295議席で過半数の301にあと六議席不足のため、つねに連立となる。
地理的な構図を言えば野党がつよいのは首都アンカラ、商都イスタンブールならびに西海岸沿岸で西側世界の価値観を共有し「民主主義」を全面に掲げる。地方へ行くと世俗イスラムが主流だから圧倒的に与党有利で、シリア、イラク国境へ行くと野党がやや有利という明確な地図による色分けがある。
苦戦を打開するためエルドアンは最低賃金の55%アップを言いだし、また先週には公務員給与を45%賃上げすることなどを公約とした。
トルコは親日国家であり、1890年のエルトゥールル号遭難の救援と義援金を運んだ山田寅次郎が国王から要請され軍幹部教育に当たった。その生徒のひとりが後に建国の父となるケマル・アタチェルクだったこともトルコでは教科書で教えている。
したがって日本とトルコの友好の結びつきがつよく、イラン・イラク戦争ではバグダットに残された在留邦人救助にトルコ航空機が向かった。パイロットの独断行為だったが、エルトゥールル号の生き残りの末裔だった。
東日本大地震ではトルコから大規模は支援があった。
安倍首相は在任中に三回、トルコを訪問し、またエルドアン大統領も首相時代を含めて来日は三回。
なかでもポスポラス海峡の海底トンネル工事で地下鉄を繋げたのは日本の援助、駅にプラットフームには何処かの国とは違って日本国旗と感謝の詞を彫ったプレートがある。
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shuiqiongchu · 6 months
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意*誌(痛苦)
意*誌(痛苦)
人間就是一手好牌,而你就是來把它給打得稀巴爛的。可以肯定就是你揚起的漫天塵埃,好讓自己灰頭土臉,然後告訴自己這世界的臟汙齷齪,遮蔽住我們的眼使我們寸步難行。難道自欺才是生命之局的真正意義? 人們都是這樣,剛開始以為可以慢慢長大,後來才恍然大悟,原來長大是一瞬間的事。人都是一夜就長大,而非靠熬過來的。生命的意義就是你在這稀巴爛的人間,願意承受和扛下這一切汙穢而成長,受國之垢,是謂社稷主;受天下不祥,是為天下王;你究竟接不接受人間就是這樣一個不祥之地? 恩生於害,害生於恩,這個天下、這個人間不害你,不扇你,不給你苦受,不磨煉你讓你一帆風順那才是你最大的噩運。生命是一場苦行,沒有人作惡、製造苦,你若沒有苦能吃,那你來幹嘛?千百年來苦命被動硬挨者無數,最是可憐牽衣女,被動硬挨而苦不堪言者多如牛毛,有哪一個硬挨成聖出現的?那天下聖人可就滿大街跑了,可能走路不小心都會撞到。 天將降大任於是人,必先苦其心誌,這是屁話,臥薪嘗膽吃大便難道就成佛了?生命成長的前提必須得是主動的撤離,必須是人。困於無明,則皆是非人,你必須不斷承認自己之非,不斷的放手且不斷的退出人間,才有可能是人。人人皆是自負、自大的;而回歸你必須自小,直到無我,這才是老子說的反者道之動、進道若退,唯有你再沒有猶豫、一直在退出,願意低頭,願意退回嬰兒般的六根清凈才是在道上、才是在向前,當你還在爭、還在扛,還在進,那你肯定是還無法成長的非人。 被動硬挨終究使苦難來得毫無意義!看某一句雞湯或者名人名言來安慰自己是沒用的,要成為是人,唯有主動進入苦難段,才有機會伴隨著意誌的成長,越是痛苦越是你意誌恣意成長的契機,主動受傷之處一定會則成為你最堅韌強壯的地方,所以主動痛苦才是個私人寶藏,是翻閱,不入地獄你如何上天堂!只是人類從來都沒有主動去翻閱或者試圖去理解面對過它,不曉得每個痛苦都是自己最寶貴的一課,是自己的生命代價,而是一味逃避、抵觸、硬挨,至此還沒有人發現痛苦不過是拒絕痛苦的產物,也還沒有人發現主動進入苦難所造就的不凡和偉大,可以說痛苦是偉大的必經之路。 痛苦其實是一個健康的跡象,它旨在提醒你有些事情不對勁,痛苦告訴你你正在違背你存在的自然秩序,已經或者即將灰頭土臉了。但若進入主動痛苦,進入恐懼之中,那它們就像指引你向內的燈塔。將造就著你堅韌而持久的意誌力,這意誌是一種極為罕見的,極為強大非凡的品質,而當一個人若具備有它,將激發出無限的潛能,每個人內在都蘊藏著難以置信的意誌、潛能;當一個人無心,當他可以被摧毀,而不能被打敗,那他出手那他便可不費吹灰之力征服一切、顛覆一切、摧毀一切。 治療痛苦的唯一方法是進入痛苦,人活著就是為了含辛茹苦,顯然痛苦才是你真正的朋友,我們就是來經歷痛苦的,否則來幹嘛?痛苦它是生命的指路明燈,它的存在全然是為了你的利益,是你的內在幫你和引導你成長唯一的指示,而你卻還在漠視、排斥它,乃至全然的拒絕被啟示、被成長。痛苦是你內在完美的智慧正在向你傳遞信息,但你卻還在用情緒來中和掉它。其實,治療痛苦的唯一方法是直接把它倒掉,一股腦兒的倒掉。所有的聖者,都是極度對自己吝嗇之人,甚至可以說是殘忍,老子說的:莫若嗇,再痛苦點吧! 知曉而主動撤離是開悟的先決條件。但還有一只例外:如KFK所說:當天下亦進入走投無路之狀而開始自我修復之時,當天下開啟了自毀模式,毀滅者示現而摧毀所有。當你連不該吃的東西都得下咽那種靈魂的震撼出現,當人肉都要吃的那種靈魂震撼出現,當時代以猙獰的,殘忍的痛苦把你逼到了極致、逼到臣服、逼入絕境、如同佛陀般被逼到沒有退路而全然放手一切之時,逼著你放下修行,也許你能幡然醒悟,極端的環境使人謙卑和成長。 生命需要裂縫,因為那才是陽光照得進來的地方,因而我哥只想尋獲那些已割裂乃至殘破不堪的個體,尋獲那些確實無法適應這個世界的殘物、不適者。越無法適應越意味著你的真正在突圍,不願意虛行人間,有著願意識破廬山真面目、有著掙紮和掙脫的意誌,適者生存,能否很好地適應這個個猙獰的人間,並不是衡量你健康與否的標準,相反的,很好地適應這個世界而一路平順才是你生命的災難,因為你已選擇了一場廖無意義的虛行,也就是老子所說的:枉則直! 那些頻頻回頭的人,自然是走不了遠路的,如果覺醒是你真實的意誌,那你肯定不會失敗。往後的日子是人類的一場意誌之戰,生命成長就是是意誌和自我的殊死較量,當你看到此處閱到這句話,那意味著你必須決出勝負了,到這裏,我哥還是建議你再停一停,修整一下思緒,問過自我、問過意誌,思考一下是否繼續往下文字,或者在此處合上它。 意誌的缺失使人盲從,這就是宗教無法教人解脫之由,宗教就是教人意誌缺失的,只是騙你進入另一種掙紮,人類不容易被他人意見左右,但極其容易被自己眼瞎所欺,被自己欲求驅使,在人間,很多時候一句無聊的口號就能帶來一場滅世的災難,這樣的例子多了去。一句佛號帶來的是什麽?誰能告訴我,它帶來了幾千年人類跪下去成為伏地魔,帶來自由的從此缺失,帶來了枷鎖。 生命就是缺憾的,當你的生命若只是追尋完美、無缺,或者已然適應這人間了,只緣身在此山中,那就安息吧,此處這些文字、認識真面目什麽的,便再與你沒有關聯的可能了。
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aronespace · 1 year
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まちかどAronespace のお知らせ
 4月から1年間、Aロマ/Aセクの人間がここに存在している、という社会運動をやることにしました。
【目的】
 私はAロマAセクの人間で、ひとりで生きていきたい人間です。「ひとりでやりたい」の中には、「ひとりは寂しい」「孤独が辛い」「ひとりで生きるのは不安」「誰かを好きでいる」「誰かを大切にしたい」「実際はひとりでやれない」も含まれています。その上で、「ひとり」とは何か、私を「ひとり」にさせてくれないのは何か、「ひとり」を否定し、困難にさせるものは何か、「やる」とはどういうことか、そういうようなことを考えていこうと思います。
 もう一つの目的は、Aロマ/Aセクの人間が存在している、ということをやることです。Aロマ/Aセクは時に「見えない(恋愛的指向/性的指向)」であるとされます。それは、恋愛感情/性的欲求が他者に向く状態が正常/ノーマルであるとされている社会で私たちが不可視化されているからです。「(見え)ない」から「いない」ってどうして?すでにここにいるのに、どうして我々が可視化させなければならない?なぜここにいるだけ、を許されない?「ない」を抹消されなくてはならない?私たちはこの異性(恋)愛規範、恋愛伴侶規範に支配される社会から(再)発見される存在ではなく、すでにここにいます。そんな社会の中、街の風景の中から私たちの場所を奪い返さなければならない。そういう思いで、基本的に屋外の「見られる」場所でやります。この社会が私たちにとって安全だったことはなく、よってまちかどaronespaceはセーフスペースではありません。この社会の中に私たちが存在することで感じてきた傷や悔しさ、やるせなさを話すことは、それらを個人の話(だけ)ではなくそうさせる社会規範への抵抗になると考えています。「ひとり」をやりたいのにそれが難しく、また不幸(unhappy)と結びつけられる社会から、繋がりを求めない、あくまで個として存在しながら、社会の中に私たちのための場所として「ひとり」を獲得し直す、そういう意図でやっていきたいと思っています。
【活動内容】
 メイン:仙台市内のどこか(基本は屋外、天候・体調によっては屋内)で、私(はねだ)が本を読みます。Aロマ/Aセクに関することを始め、ジェンダー、セクシュアリティ、フェミニズム、婚姻制度、家制度、クィア、(反・脱)恋愛、単身者(と老い)、孤独、ひとりなど、そのとき読みたい本を数冊持参します。ひとり積読解消読書会みたいな感じです。
 また、随時来訪者を募集します。通りがかりに手を振ってくれるだけでも嬉しいし、なんとなく一緒に本を読むのもいいですし、ふらっときて一言交わすだけでも十分です。少しの間おしゃべりできたら楽しいなと思います。が、人と会うこと、喋ることを目的としているわけではなく、コミュニティ作りや仲間作りをするわけではないので、基本的にその場だけの関係です。(私が人間関係を継続させるのがとても苦手なので、毎回その場だけの関係のスタンスでいこうと思います。もちろん何回きていただいてもいいですし、そこからいわゆる緩いつながりが構築できたら嬉しいですが、それを目的とした場ではないので)喋らなきゃ...みたいに全然気負わずにふらっと会って、ふらっとさよならしましょう。
追記:半年やってみて、いらっしゃった方とは本を読むというより話をする関わり方の方が多いというか、そのかたちがほとんどです。もちろん参加の在り方は自由ですが、読書会っぽい空気感ではないんじゃないかなという感覚です。話のテーマも特に設定していないので、話したいことを話すだけでも全然OKです。
 おしゃべりができたら楽しいと思いますが、答弁や教示はしません。また、正義のための議論(※「トランスジェンダー問題」のサブタイトルのようなニュアンス)以外を求める議論もしません。しゃべる内容も特に決めませんが、私は「ひとりでやりたい」をどうやってやるのか、を考えていきたいので、それに沿った話題を話せたらいいなと思います。
【日時・場所・期間】
 日時:基本月1度、日曜日に開催予定です。私の都合で変更や不開催などが起こることもあります。時間も季節や天候等によって変化しますが、今のところ14時以降から2時間ほどを目安としています。いつどのタイミングで来て、いつどのタイミングで帰っても全然オーケーです。
 場所:基本的に、宮城県仙台市内の屋外でやります。現在下見した上で候補にあるのは
・勾当台公園市民広場周辺
・錦町公園周辺
・仙台駅東口周辺
です。都度Tumblrと当ツイッタアカウント(@aronespace)にてお知らせします。なるべく直射日光が当たらないようなところで開催したいので、時間によって場所を移動することがあるかもしれませんが、それもリアルタイムでお知らせします。室内でやる場合はその都度の連絡となります。尚屋外で開催する場合、どうしてもトイレへのアクセスが悪くなってしまうことをご了承ください。
【グランドルール】
・私(羽田)はAスペクトラムへの差別を始め、性的マイノリティ差別、トランスジェンダー差別、ノンバイナリー差別、Aジェンダー差別に反対する立場です。よって、「#まちかどAronespace」ではそれらに対する差別を許容しません。おしゃべりの中でそれらに気づいた場合ストップをかけることがあります。意見交換、意見の批判はオーケーですが、差別につながるような議論、おしゃべりはしません。これらへの差別をする方は、ここに来ないでください。他者の尊厳、あなたの尊厳を毀損する発言や行為は控えてください。この社会が私たちにとって安全ではないと認識していることと、他者の尊厳を傷つけない行動を取ろうとすることは矛盾しません。また、まちかどaronespaceは障害、ルーツ、宗教、それ以外のあらゆる差別にも同様に反対します。
・参加される方の代名詞、呼び方(「さん」「ちゃん」「くん」など)は本人が望むものを使用します。基本的には「さん」呼びをします。もちろん名乗らなくても大丈夫です。
・Aロマ/Aセクのための場所ではありますが、参加される方はAロマ/Aセクでなければならないということはありません。セクシュアリティを問う場ではありませんので、明かしたくないことは話す必要はありません。
・「まちかどAronespace」は原則録画・録音禁止です。参加者を写すことはやめてください。ボムや本などの物品の撮影は可能です。写真を撮る場合は一言お声がけください。また、この場で話したことを、個人が特定できる形で第三者に伝えることはやめてください。
・疾病や障害、それ以外の事情によって参加に何かしら困難がある場合、お手数をおかけしますがどのような対応が必要か教えてください。私(はねだ)がひとりで対応するため、できることに限りがあるかもしれませんが、可能な範囲で参加を阻害しないような方法を取らせていただきます。
・原則マスク着用をお願いします。
・飲食物、本やZINE、フラッグ、プラカードなど持ち込みOKです。
・おしゃべりや仲間作り、コミュニティ作りは目的ではありませんので、無理にコミュニケーションを取る必要もありません。通りすぎる、挨拶する、手を振る、なんとなく本を一緒に読む、おしゃべりするなど、完全に自由です。ご自身のペースに合わせてご参加ください。(固い言い方で繰り返しているので交流を歓迎していないように思われるかもしれませんが、積極的には求めていないだけで交流できたら嬉しいと思いますので、ぜひお気軽にいらしてください🖤)
【第1回・4月開催予定のお知らせ】
【日時】4/16(日)14:30〜16:30
【場所】錦町公園の空いているスペース(最寄り駅:JR仙台駅、地下鉄勾当台公園駅)
【読みたい書籍】*これ以外にも増える可能性は全然あります
・エリザベス・ブレイク「最小の結婚」
・ショーン・フェイ「トランスジェンダー問題」
・三浦しをん「愛なき世界」
・塩沢美代子・島田とみ子「ひとり暮らしの戦後史」
 こんな感じで、2023年度の1年間やっていきます。一緒に本を読んだりおしゃべりできたらとても嬉しいですし、何より「ひとりでやる」を考えやっていくゆるい運動として関心を寄せていただけたら幸いです���
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moumiryo · 1 year
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20230413(14)
店舗で一緒に働いてる年数が一番長い同僚Tがさ、THE昭和の男な同僚Kからの叱責(今思えばモラハラパワハラに近い)の累積に、持病の数値の悪化から主治医に精神科の受診を勧められて行くことになったっていわれて…吃驚したよ。最近調子が悪そうだなと思ってたけど気づくことは出来なかった。
多分彼なら大丈夫だろうと思っていたのだろう。いつも散々怒られても次の日にはケロッとしてたから。でもそれは昭和男以外の場合だったし、他の人の叱り方がその後のフォロー含めて上手かったのだろう。正しく叱ってくれていたのだろう。
わたしもその昭和の男には「(あなたは)要らないです」他諸諸面と向かって言われたことがあって、まああれは勝手に急にブチ切れてきて八つ当たりに近かったし他の社員がいる場所ででかい声で文句を垂れ流されて「(なんかこいつやばいな、ひくわ、わたし怒られてんのに全然響いてこない)」と思ったし、それ以来信頼も信用も無い区分��その人を分類。話したくない指摘もしない面倒だし。昭和男が怖いから指示はちゃんと守らないと、怖いし言うこと聞かないと面倒だからやらないと、が自然と出てくるから大変良くない関係ですね。面倒なので指摘するとか話すとかが嫌で、お客様や会社に実害が出ないなら放置を決め込んでた。
だから、もしかしたら今回のが同僚Tの件は防げた可能性もある…。
でもその昭和男は会社の中の立ち回りが身についてるというか、上司や年配の社員を立てるというか、会社人としては優秀だと思う。上司に言われたことは第一に意識するし上司に意見もできる。やる気に満ちて自分仕事できますからって凄いでてるし言葉にも出る(そう言う人がわたしは元々苦手なので引いてる)。ミスも少ない(怖くて周りは指摘しない勝手にカバーする)、モーレツ社員。上司も信頼をおいてると思う。だからこそ質がわるい。
昭和男の、他の同僚(男性)を叱るときの言葉が怖いんだよ。「そんなんじゃダメ」「それでいいと思ってんのか」「根本から違う」「ちゃんとやれよ」「考えてるのか」相手への理解を示す言葉とかやんわり方向を修正するような言葉は無く斬りつけるような強めの言葉ばかり。横で聞いてて「(わたしは女だから&昭和男より勤続年数が長くて仕事もまだできるからいわれてないだけで、いつかはこんな風に言われるんだろうな、怖いなぁ)」といつも嫌な気持ちにはなっていた日常。
今日愚痴を聞いてもらった同期曰く「相手を見下してる」、そして今回の事にも自覚なし。自分の対応が悪かったなんて微塵も思ってないだろうなぁ。
昭和の男、話を聞く相手選ぶし指摘すると聞く耳持たないし機嫌悪くなるときあるしで話したくないのよ。でも放置してたから今回のが起きたのもあるし今後の事思うと…いや話したくないわ面倒極まりない。
上司と繋がりが強い昭和男からさ、「(上司に)要らないって言うぞ!?」と言われてる同僚を横目にさ。助けに入らない(入れない)のも凄い堪えるしフォローしても結局その同僚への口撃は同僚が昭和男が求める回答もしくは態度を取らないと収まらないし。叱るのはわたしは出来ないし苦手だから、叱れる人はすごいと思っているくらいなのだけど、叱り方は大事だってこの年で身をもって体感してる。
口に出したら戦争よね。
それが、面倒だから、ほんとに面倒だから言わない。要らないって言われた事…わたしは根に持ってますし普段の言動から信頼の置けない信用も難しい人という区分だし、傷つけてきた相手を優しく諭すような聖人にはなれない。
今日はさ、昭和男の休憩中に同僚Tに冒頭の話を初めて言われて驚いて、色々軽く聞きながらいたら堰が切れちゃったんだろうね、普段職場で泣くことなんて無い彼が泣いて動けなくなってるのよ。昭和男が戻ってきて同じ店内でまともに働ける?今こんななのに…?店は上手いこと回しておくから、明日が精神科行って診断書貰うにしても上司にちゃんと話してから早退しなって勧めたのよ。正直帰っても店はなんとかなるけど、彼が保つがはわたしには責任取れないからさ。
そしたら、どうなったと思う?上司が詳しい事情を聞くために同僚Tを別室に呼んで話を聞くのはまだいい、ベテラン事務員を呼んだのも上司以外の視点の意見を聞きたいんだろうからまだ許せる(実際わたしもこの事務員さんは信頼してるし相談させてもらう人)、………な・ん・で!!昭和男を同席させてんの???面と向かって文句言えたらこんなことになってないでしょ?あと辛いから帰りたいって言ってるのに辛さの原因目の前に呼んで話し続けて、早退を促したのは16時前なのに19時まで拘束してるの???頭おかしいの?そんな長い時間何話してるのよ…。馬鹿なんか。いや、わたし1回この会社辞めてるけど上司が嫌だったかだったわ、変わりないな此奴。被害者と加害者を一緒にするんじゃない。よく考えろ。
話し合いの後は同僚Tとは話す時間が取れなかったからどうするかはわからないけど、誰も責任の取れない自分自身の身体の事を第一に、あと嫁とちゃんと話し合ってこの先の事を決めてほしい。
昭和男?あんな奴絶対に治らないに決まってるじゃない。根本の思考から変えないと出てくる言葉は変わらないから、多分無理だよ。だって今の自分に自負があるし積み重ねてきたことにジシンをもってるんだもん。まあ要求に応えることにも長けてる奴だから、変わるかもしれないけど…興味がないんだな、面倒だし。
うちの会社小さいから部署替えで離すことはできないから、どちらかが出てくしかないのよね。わたしは次昭和男になんか言われたら辞めるボタンを用意して生活してる。東海三県以外に住んでみたいよね。
同僚Tがどんな選択をしても、それを支持するよ。
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ymifune · 8 months
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awai #177
昨夜、To Do Listに「家族と私。今後の展望。」と記入したことは覚えている。おそらくは awai 本編のシリアルナンバーを入れて、最近の経済事情を中心にした家族のことを書いて、自分の今後のことも整理したいと考えていたのだと思う。 今朝になって、筆が重いのを感じている。夜、寝る前、筋トレ後、音楽制作後などは気分が変わるので、朝気が乗らないことだってもちろんあるのだが、必要なことなのかなと思い、今重い腰を上げた次第だ。暗い話にならざるを得ないから書くのが辛いことは辛いのだ。 母は自殺して亡くなった叔母の遺産の相続が完了した。これは結構前に書いたように思う。金銭的に余裕ができたらしく、iMacを新調し、iPadを新調した。ここまでも書いたな。最近になって、PRADAの20万円以上するトートバッグやKENZOのパーカーを買った。それもまあまだいいのだが、叔母の年金の受取人になっていたのに、その手続きをするために千葉県に行くのを億劫がって、放置していた結果、手続きの期限が切れ、1ヶ月分の年金の返納を求められたらしい。その後、近所でも手続きをして受け取れるように変更できたようなのだが。 叔母の遺産を大切にしてほしい。叔母は母に贅沢品を買ってもらうためにお金を遺したわけではなかろうに。叔母の旦那様の扶養での年金は決して高い額ではないかもしれないが、母にもう働こうという気がない以上、そういうお金に頼って生きていくしかないのだから、無駄にしていいお金なんてあるはずがないのだ。少なくとも、きちんと受け継いで欲しいと思う。 今年の初めぐらいかに、父のクレジットカードの口座から何者かに買い物をされたことがあった。その後、対策として、半月に1回は通帳記帳に行くことにしようと決めたのだが、母はきちんと続けているだろうか。 もちろん、母が亡くなったあと、その遺産を受け継ぐ権利を持っている一人が私であるというのもある。正直に書こう。 父は父で、相変わらず浪費する癖は変わらないようだった。・・・父がレストランや服屋で店員に威張るタイプの人であることはもう周知の事実である。多分、父と一緒に行動を共にしたことがある人なら、父のそういった態度を知っていることだろうと思う。 父の京都での生活も、2025年3月には終わることになっている。どうあれ、終わるのだ。私が毎年1回京都に詣でているのももう遠くはない未来に終わりになる。 その後、父がもし東京に帰ってくることがあったとして、一緒に暮らせるものかどうか。父も母も・・・お互いがお互いに不満を持っていながらも、それをきちんと対話や歩み寄りによって解決できるようにしてこなかったので、一緒に暮らすのはきっと苦しいことだろうと思う。また、父が京都を出るということは、収入が取り敢えずはなくなる、あるいは減るということだから、父の不満も母の不満もさらに大きくなるだろう。 父は母に話していることと私に話していることが違うことがよくある。逆もまた然りなのだが。母から聞いた話では、父は今の東京の家の2階の和室を改装して、自分の個室にするつもりなのだそうだ。つまり、東京の実家を拠点とするということになるのだろう。その代わり1階の書斎は潰してもいいと話しているらしい。 父はもし仕事を引退したら、どうなるんだろう。もう立場やお金では威張れなくなるのだから。その空威張りが単なる憂さ晴らしとなり、かつ矛先が家族になったらとか、よくない想像をしてしまいそうにもなるのだ。ただのハラスメントをする人になってしまわないか、だとか。 私は2冊目の自己分析の本を読んでいる。これから何ができるかなんて、本当にわからないのだが、取り敢えず転職活動と銘打ち、必要な情報を集めるところからやっている。本当はね、私がもう立派な収入があって、自立して家を出て、一人暮らしをできていればこんな問題に巻き込まれることもなくなるはずなのだ。変わるべきは自分だ。ちゃんと自分一人、生活できるようになれば。今一緒にいる母とも距離を取ることができれば。少なくとも一人暮らしをして生活できる収入を手にすることができれば。こういった問題に巻き込まれることはなくなるだろう。 そのためにも、出ていかないといけない。 私とて今も睡眠薬がないと眠れないし、それほど適応能力が高いわけでもないので、きちんと見極めて動けるようにするには慎重に時間をかけないといけない。 でも少なくとも、カナダのTと出会った頃のような、people pleaserだった頃の自分からは遠く遠く、大人になり、成長できているものだと思っている。瞑想やエゴをできるだけ排した筋トレ、今の仕事にはかなり成長させてもらっているから、感謝しないとだな。 今私が住んでいる家もいつかはなくなるんだろうな。今ここから見ている景色にも見納めの日は来るのだ。その時、自分はどんな風に思うのかな。 「ああ、終わったな。」 と、割と明るい顔をしているのかな。 さあ、そろそろ今日を始めよう。 結論としては、両親ともお金を大切にしてほしいということぐらいだな。
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