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#杉山神社
noritama0301 · 1 year
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LUMIX GH1とBCL-1580の組み合わせで撮影 
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pix4japan · 26 days
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Sacred Ancient Trees at Shinto Shrine
Location: Fujikawaguchiko, Yamanashi Pref., Japan Timestamp: 15:11・2024/03/20
Pentax K-1 II + DFA 28-105mm F3.5-5.6 + CP 28 mm ISO 6400 for 1/125 sec. at ƒ/8
Situated approximately 20 meters (65 ft) to the east of the Kawaguchi Asama-Jinja Shrine in Yamanashi Prefecture, Japan, stand two ancient trees known as the Futahashira-Sugi (両柱杉) cedars. Among the renowned seven cedar trees at the shrine, the cedar on the right reaches a towering height of approximately 47.5 meters (156 ft), making it the tallest.
The origin story of these two trees is fused with the belief that the roots of the right tree gradually grew and intertwined with those of the smaller tree on the left, symbolizing a physical and metaphorical union. This union has transformed them into revered entities, worshiped for their association with successful matchmaking, fertility, and safe childbirth. Their significance is further emphasized by the shimenawa rope, signifying their status as revered landmarks.
Check out the full write-up, a concise 1-minute read, which includes a glossary, Google Maps links, and links to source materials for further reading (https://www.pix4japan.com/blog/20240320-trees).
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kei-life · 2 years
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『久しぶりに、旅へ④(石川県金沢市方面の道中)』
福井県大野市『丸岡温泉 たけくらべ で』の朝。
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朝食前に車でひとっ走り。すぐ隣の石川県に向かって、再訪となる『山代温泉 古総湯』の一番風呂をいただいてきた。客は私一人ではあったが、当然ながら撮影禁止。ホームページの写真を拝借。静かに、最高のお湯をいただいた。
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程なく、山代温泉に泊まっているという実業家の紳士が入り、湯に浸かりながら旅や温泉の談義に花を咲かせた。こんな事も、旅の楽しみである。
丸岡温泉から山代温泉への道中に、これまた石川県の名湯『山中温泉』がある。
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今回、こちらのお湯を愉しむ時間は無かったのだが、温泉の歴史をじんわり感じられる町並みが好感触。ゆっくり町も歩きたいので、次回は泊まりたく思う。
もう一つ。温泉に向かう道中で見かけてどうしても気になり、立ち寄った神社『村社 菅原神社』。
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そそり立つ巨大な杉の大木に魅力を感じ参拝してきたのだけど…。大東亜戦争後、昭和22年、昭和天皇が北陸巡幸で立ち寄られた「天覧の大杉」らしい。樹齢2300年の巨木は、神聖な空気を纏い、周辺の空気も、なにか凛とさせるものを感じた。
さて、朝の数時間を満喫し、次の宿泊地へドライブ再開。まず、金沢市。兼六園でも金沢城でもなく、市内の『長町武家屋敷』周辺を散策。
時間もやや早目であったため、人も少なく、気持ちよく散策。この日の行程、まだ先が長いので軽く散策したのみであったが、さすが加賀五百万石のお膝下。
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武家屋敷を初めとした整然とした街の創りは、威風堂々としていて、実に独特の空気感がある。有名な史跡も素晴らしいけど、生活を感じられる場所も、とても素晴らしいと再確認。こちらも出来れば、金沢市だけで1日過ごせるよう、予定を組んで再訪したい。
さらに石川県を足速に北上。
西側の海岸にある『なぎさドライブウェイ』を再訪。近年、砂浜が削られて狭くなっているという海岸は、確かに、以前来た時よりも幅が狭く感じられる。
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でも、爽快感は相変わらず。次々に訪れるドライバー皆んなが笑顔で、思い思いに波打ち際に車を停め、楽しげに過ごしている。幸せに満ちた海岸線。
願わくば、この姿を永く残して欲しい。自然の力のもとには難しい事は分かっているのだけど。
…今回はここまで。次回は『千里浜 なぎさドライブウェイ』〜輪島市までの素朴な道中など。
 
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webguide · 12 days
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halkeith · 1 year
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2023年5月上越旅行 ~文化編~ #HDR #iPhoneSE3 #旧師団長官舎 #春日山神社 #上杉謙信 #春日山城跡 #上越妙高駅 #駅弁 #にしんめし
 D51レールパークで見たガイドブックに見つけた旧師団長官舎、立ち寄れそうだったので急遽行くことに。1階は洋室、2階は和室。素敵な空間を堪能した。   グリンがくたくたになった春日山城跡散策。 上杉謙信の居城として知られる。スケールの大きさにびっくり。 過去我が町を、攻め落としただけのことはある。   夕飯にご当地駅弁「にしんめし」を購入。やっぱり駅弁うまい。宿は妙高のログハウスに。自分の寝床は屋根裏風ロフト。なかなかの非日常感だった。グリンも登ったり降りたりでたくさん遊んだ。
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cavywithme · 1 year
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ゴッさんにたくさんのお祝いメッセージをありがとう! 先日、狛ネズミがいる横浜の戸部杉山神社に行って、全鼠類の幸せと長寿を願掛けしてました🐭 想いよ届けー!✨ #戸部杉山神社 #モルモット #パワースポット #cavy #guineapig (戸部 杉山神社) https://www.instagram.com/p/ClL72Ily64J/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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amiens2014 · 1 year
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大神神社/奈良県桜井市【日本最古の神社】三輪山を神体山とする『古事記』や『日本書紀』に記されている神社
大神神社とは 大神神社(おおみわじんじゃ)は、奈良県桜井市三輪(ならけんさくらいしみわ)にある神社だ。 大和国一宮で、祭神は大物主大神 (おおものぬしのおおかみ) 『古事記』や『日本書紀』の神話に記されている、日本最古の神社だ。 ご祭神の大物主大神(おおものぬしのおおかみ)がお山に鎮ま���ために、古来本殿は設けずに拝殿の奥にある三ツ鳥居を通し三輪山を拝するという原初の神祀りの様を伝える我が国最古の神社です。 大神神社(おおみわじんじゃ)について | 大神神社(おおみわじんじゃ) から引用 大神神社 奈良県桜井市三輪1422 0744-42-6633 (more…)
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nari0716 · 2 years
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上杉神社 #山形 #米沢 #上杉神社 (Yonezawa, Yamagata) https://www.instagram.com/p/CjcuaWtJgSB/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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akkohamasaki · 2 years
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呼ばれないと行けない神社へ②
呼ばれないと行けない神社ツアー 2日目は玉置神社からスタートです!
引き続き、奈良→熊野参拝ツアーのブログ。 今回は2日目、玉置神社のご紹介です。     無事宿に着いたものの 土砂降りの雨と濁流は、避難勧告が出るレベル。 宿の方からは、 「明日玉置神社は行けないかも」と言われました。   実は天河大辨財天社同様、玉置神社も 呼ばれないと行けない神社と言われており またも 『呼ばれてない?』と脳裏に浮かびましたが(^^;;   いやいや朝になれば雨も��むと信じて 豪雨の中、十津川温泉を楽しみました♡   ここで飲んだ名物の『湧き水』で淹れた コーヒーがとても美味しかったです。   ◇   翌朝あやしい曇り空の中、宿を出発。 玉置神社へ向かいます。 昨日よりも(台風で)枝や葉が落ちた 細く曲がりくねった道を30分走ります。   途中、昨夜の雨風で崩れた崖があったり 折れた枝も多くありましたが なんとか無事に駐車場に到着!   ほっとした私達を迎えたのが、寒…
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tabi-niwa · 2 years
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春日山神社。 上杉謙信を祀る。明治時代の創建。 京都の建勲神社も明治時代だったけど、やっぱり徳川の時代が終わったのが戦国武将を神化してるのと関係あるのかね??🧐 #日本 #新潟 #上越 #春日山神社 #上杉謙信 #神社 #japan #shrine #uesugikenshin (春日山神社) https://www.instagram.com/p/CgG9o_CruwL/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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kadunobufukuya · 2 years
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春日山神社下から石段を登り境内へ。50overにはキツい道のり。 御祭神は上杉謙信。そう、難攻不落の山城、春日山城の下に1901年に建立。 春日山城は車で三の丸跡までしか行けず、歩いて登る体力が残っておらず断念した。 上杉謙信像が見つめる先は上越市、日本海が臨めます! #春日山神社 #春日山城址 #上杉謙信 #景虎 #新潟県上越市 #山城 #前島密 #毘沙門天 (春日山神社) https://www.instagram.com/p/Cdzv6ZoOcGr/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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meishipro · 2 years
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【星川杉山神社】 七夕の節句御朱印(7日まで) 仕事の前に参拝です。 汗だくで急坂登っていただく御朱印の尊さです🤗 #星川杉山神社 #星川杉山神社御朱印 #御朱印 #御朱印巡り #御朱印好きな人と繋がりたい #御朱印スタグラム #御朱印集め #御朱印めぐり #限定御朱印 #御朱印好き #御朱印男子 #御朱印部 #御朱印収集 #御朱印おじさん #御朱印拝受 #神奈川御朱印 #ご朱印 #ご朱印巡り #かわいい御朱印 #カラフル御朱印 #綺麗な御朱印 #goshuin #shrine Seasonal Goshuin at Hoshikawa Sugiyama Shrine, Kanagawa https://www.instagram.com/p/Cfq5JTvPoVy/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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nairegosyuincom · 2 years
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今回は、福岡県糟屋郡篠栗町の若杉山の麓に鎮座する#太祖宮 (下宮)に行ってきました。 上宮は若杉山の山頂にあるようです。(今回は、時間の都合上諦めました。) 4月と10月に、福岡県指定無形文化財にもなった、太祖神楽が奉納されるようです。 境内には、巨大な楠木が多く聳え立っています。 また、立派な土俵もありました。 大相撲九州場所の時期は相撲部屋になっていたみたいです。 とっても、綺麗で心が落ち着く空間でした。 御朱印帳の持ち運びに便利な、御朱印帳入れも好評発売中です!! 名入れ御朱印.com BASE店では、続々新商品発売してます。 是非、チェックしてくださいね!! naire_gosyuin.com_i #福岡 #Fukuoka #篠栗町 #太祖神社 #太祖神楽 #若杉山 #福岡県指定無形文化財 #楠 #大相撲 #九州場所 #パワースポット #御神馬 #御朱印 #御朱印帳 #御朱印集め #御朱印巡り #御朱印スタグラム #御朱印好きな人と繋がりたい #gosyuin #名入れ #名入れギフト #オリジナル #オリジナルグッズ #オーダーメイド #名入れ御朱印ドットコム #オリジナル御朱印帳 #名入れ御朱印帳 #フォローミー #いいね返し https://www.instagram.com/p/CedZ8jNPVlT/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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hachikenyakaiwai · 3 months
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【かいわいの時】天正十六年(1588)二月十六日:出雲大社の巫女、大坂天満宮で神歌・小歌踊りを演じる(大阪市史編纂所「今日は何の日」)。
京博本の「阿国歌舞伎図屏風」は、昭和三十年代に、山本発次郎コレクションとして、しばしば観照する機会を得た。出光本と違って、芝居小屋の内部描写を主題に、役者と観客の交歓を描く。その人物描写(姿・形・配置) や小屋の外の松の姿形に長谷川派の筆を感じたが、拙著『桃山の風俗画』(平凡社、昭和四十二年十月刊)ではなお町絵師出身の逸名の風俗画名手の筆と逃げた。華やかな阿国歌舞伎の図としては、すべてに出光本より適切な表現を見せると言えよう。とくに登場人物が出光本より有機的な関連をもち、見物と舞台が一つに融け合うさまは秀れている。その後、やはり長谷川派の筆だと考え、近稿の「宗宅研究」ではいずれ筆者を特定したいと書いた。もとより、長谷川派でもっとも風俗画に熱意をもつ等学を意識していたのである。
これより、判定の過程を省略して、もっぱら私が等秀や等学と考える風俗画 (歴史画も含める)について述べたい。 まず宗宅の風俗画に触れると、さきの秀吉の醍醐花見図屏風以外では、同じく秀吉が宮中で貴族たちや南蛮人と 一緒に能楽を見る「観能図屏風」(八曲一隻、紙本著色、神戸市立博物館蔵)が同筆と思われる。宗宅は秀吉関係の風俗図だけを描いたのかもしれない。等秀となると、出光本の「阿国歌舞伎図」一点で、ほかには見出せない。地味な等秀は、派手な風俗画には不適と自認していたのであろう。
つぎもすぐ風俗画とは言い難い変った屏風絵だが、「誰が袖美人図屏風」(六曲一双、金地著色、根津美術館蔵)(挿図七八) を取り上げたい。左隻はいわゆる誰が袖屏風に美人図を組み合わせたもので、中央に派手な小袖を着た兵庫髷ふっくらした女性と三味線を左手に持つ禿姿の童女が静かに対峙し、その右方と背後に衣桁・屏風・衣桁を配す《略》ここでさきの等学唯一の署名をもつ帝鑑図を想起したい。それは正面向きの古風な宮殿を奥へ重ねたものだったが、これは最新流行の誰が袖図と扇面散図屏風による知的な構成である。人の女性の姿態や配置は京博本阿国歌舞伎図屏風にも現われているもの。さらに右隻の桜や杉の描法や構図は、前出の「太閤花見図屏風」や等学の妙蓮寺の松・桜・杉図絵などに類似する。以上からこの「誰が袖美人図屏風」が等学筆であるのは納得されると思う。その制作年代は慶長十年ごろの京博本の「阿国歌舞伎図屏風」より後で、サントリー本の「東山・吉野遊楽図屏風」より前であろう。一応、慶長十年代とみておく。コメント欄に写真。
以上、主として等学の風俗画について、彼の金障壁画より得た画風の特徴を基礎に、もっぱら直観による大胆な想定をなしてきた。ここに至ると、理論的にも妥当な等学を京博本「阿国歌舞伎図屏風」の筆者と判定することに、これ以上躊躇する必要もなかろう(山根有三)。「長谷川等秀・等学研究」『国華 第1228号』1998より、抜粋して編集。
(写真)「阿国歌舞伎図屏風」1605頃(京都国立博物館蔵)より 舞台上を見ると、刀を肩にかけたかぶき者、柱のそばに坐す茶屋のかか、頬かむりをした道化役の猿若がおり、これは阿国歌舞伎の代表的演目である「茶屋遊び」が演じられていることを示す。出雲の阿国が北野社の能舞台を代用して「歌舞伎踊り」を始めたのは慶長8年(1603)、本図はその舞台を描いたもので、制作もそれからさほど降らぬ頃と考えられる。囃座も三味線などなく、笛、小鼓、大鼓、太鼓ばかりで、いかにも初期的様相を示す。図中に印象的に配された松の表現が、たとえば妙蓮寺障壁画中のそれと通有する性格を有しており、長谷川派による風俗画の一例とする有力な説がある(e国宝=画像も)。
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yamada50 · 1 year
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白兎(しろうさぎ)に鎮座する葉山神社 狛兎と俵のようなしめ縄で薬師如来を祀る葉山神社です 山嶽信仰の葉山として栄えたので鳥居の先は社殿ではなく山嶽に通じる登山道の模様、鬱蒼とした杉並木も素敵でしたが春には枝垂れ桜が花咲かすそうです #葉山神社 ⛩┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈⛩ 葉山神社(はやまじんじゃ) 鎮座地:山形県長井市白兎字蔵京2269 主祭神:保食神、大日靈貴命、彌都波能賣神、天鈿女命 ⛩┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈⛩ #神社 #神社巡り #神社好きな人と繋がりたい #recotrip #狛犬#神社仏閣 #パワースポット #長井市 #山形県 #神社巡拝家 (葉山神社) https://www.instagram.com/p/CmEsDyDP-ck/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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ari0921 · 3 months
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和六年(2024)2月5日(月曜日)
   通巻第8118号
 孫子を読まずして政治を語る勿れ。派閥解体、政治資金浄化????
  吉田松陰の代表作は、じつは孫子の研究書(『孫子評註』)だった
*************************
 自民党の派閥解消を聞いて、日本の政治家は政治の本質を理解していないことに唖然となった。派閥はまつりごとのダイナミズムを形成する。パワーの源泉である。それを自ら解体するのだから、政治は星雲状態となる。となると欣喜雀躍するのは中国である。国内政治にあっては、その「代理人」たちである。
 孫子が言っているではないか。「謀を伐ち、交を伐つ」(=敵の戦略を見抜き、敵戦力を内訌させ、可能なら敵の一部を取り込め、それが戦争の上策である)。そうすれば、闘わずして勝てる、と。
 高杉晋作も久坂玄瑞も、松下村塾で吉田松陰の孫子の講議を受けた。松陰亡き後の門下生だった乃木希典は、師の残した『孫子評註』の私家版を自費出版し、脚注もつけて明治天皇に内奏したほど、心酔していた。世にいう松陰の代表作はその辞世とともに有名な『講孟余話』と『留魂録』だが、現代人はすっぽりと『孫子評註』を忘れた。これは江戸時代の孫子研究の集大成である(『吉田松陰全集』第五巻に収録)。
松陰は山鹿素行を師と仰ぐ兵法家から出発している。毛利長州藩の軍事顧問だったのである。
 
もとより江戸の学問は官学が朱子学とは言え、新井白石も山鹿素行も荻生徂徠も山崎闇斎も、幕末の佐久間象山も西郷隆盛も孫子は読んだ。しかし江戸時代の二百数十年、太平の眠りにあったため、武士には、読んでもその合理的で非情な戦法に馴染めなかった。
その謀(はかりごと)優先という戦闘方式は、日本人の美意識とあまりに乖離が大きく、多くの日本人は楠正成の忠誠、赤穂浪士らの忠義に感動しても、孫子を座右の書とはしなかった。
明治以後、西洋の学問として地政学が日本に這入り込み、クラウゼウィッツは森鴎外が翻訳した。戦後をふくめてマキャベリ、マハンが愛読され、しかし誤読された。吉田松陰の兵法書はいつしか古書店からも消えた。
しかし戦前の指導者にとっては必読文献だった。
 
 吉田松陰が基本テキストとしたのは魏の曹操が編纂した『魏武註孫子』で、考証学の大家といわれた清の孫星衍編集の平津館叢書版を用いた。そのうえで兵学の師、山鹿素行の『孫子諺義』を参考にしている。
もともと孫子は木簡、竹簡に書かれて、原文は散逸し、多くの逸文があるが、魏の曹操がまとめたものが現代までテキストとなってきた。
 ▼孫子だって倫理を説いているのだが。。。
 孫子はモラルを軽視、無視した謀略の指南書かと言えば、そうではない。『天』と『道』を説き、『地』『将』『法』を説く。
 孫子には道徳倫理と権謀術策との絶妙な力学関係で成り立っているのである。
 戦争にあたり天候、とくに陰陽、寒暖差、時期が重要とするのが『天』である。『地』は遠交近攻の基本、地形の剣呑、道は平坦か崖道か、広いか狭いかという地理的条件の考察である。戦場の選択、相手の軍事拠点の位置、その地勢的な特徴などである。
『将』はいうまでもなく将軍の器量、資質、素養、リーダーシップである。『法』とは軍の編成と将官の職能、そして管理、管轄、運営のノウハウである。『道』はモラル、倫理のことだが、孫子は具体的に「道」を論じなかった。
日本の兵学者は、この「道」に重点を置いた。このポイントが孫子と日本の兵学書との顕著な相違点である。
 「兵は詭道なり」と孫子は書いた。
従来の通説は卑怯でも構わないから奇襲、欺し、脅し、攪乱、陽動作戦などで敵を欺き、欺して闘う(不正な)行為だと強調されてきた。ところが、江戸の知性と言われた荻生徂徠は「敵の理解を超える奇抜さ、法則には則らない千変万化の戦い方だ」と解釈した。
 吉田松陰は正しき道にこだわり、倫理を重んじたために最終的には武士として正しい遣り方をなすべきとしてはいるが、それでいて「敵に勝って強を増す」とうい孫子の遣り方を兵法の奥義と評価しているのである。
 つまり「兵隊の食糧、敵の兵器を奪い、そのうえで敵戦力の兵士を用いれば敵の総合力を減殺させるばかりか、疲弊させ、味方は強さを増せる」。ゆえに最高の戦闘方法だとし、これなら持久戦にも耐えうる、とした。
 江戸幕府を倒した戊辰戦争では、まさにそういう展開だった。
 「孫子曰く。凡そ兵を用いるの法は、国を全うするを上と為し、国を破るは之れに次ぐ。軍を全うするを上と為し、軍を破るは之れに次ぐ。旅を全うすると上と為し、旅を破るは之れに次ぐ。卒を全うするを上と為し、卒を破るは之に次ぐ。伍を全うするを上と為し、伍を破るは之れに次ぐ」
 つまり謀を以て敵を破るのが上策、軍自作戦での価値は中策、直接の軍事戦闘は下策だと言っている。
 ▼台湾統一を上策、中策、下策のシミュレーションで考えてみる
 孫子の末裔たちの国を支配する中国共産党の台湾統一戦略を、上策、中策、下策で推測してみよう。
 上策とは武力行使をしないで、台湾を降伏させることであり、なにしろTSMCをそのまま飲みこむのだと豪語しているのだから、威圧、心理的圧力を用いる。
 議会は親中派の国民党が多数派となって議長は統一論を説く韓国瑜となった。
宣伝と情報戦で、その手段がSNSに溢れるフェイク情報、また台湾のメディアを駆使した情報操作である。この作戦で台湾には中国共産党の代理人がごろごろ、中国の情報工作員が掃いて捨てるほどうようよしている。軍の中にも中国のスパイが這入り込んで機密を北京へ流している。
軍事占領されるくらいなら降伏しようという政治家はいないが、話し合いによる「平和統一」がよいとする意見が台湾の世論で目立つ。危険な兆候だろう。平和的統一の次に何が起きたか? 南モンゴル、ウイグル、チベットの悲劇をみよ。
 中策は武力的威嚇から局地的な武力行使である。
台湾政治を揺さぶり、気がつけば統一派が多いという状態を固定化し、軍を進めても抵抗が少なく、意外と容易に台湾をのみ込める作戦で、その示威行動が台湾海峡への軍艦覇権や海上封鎖の演習、領空の偵察活動などで台湾人の心理を麻痺させること。また台湾産農作物を輸入禁止したりする経済戦争も手段として駆使している。すでに金門では廈門と橋をかけるプロジェクトが本格化して居る。
 下策が実際の戦争であり、この場合、アメリカのハイテク武器供与が拡大するるだろうし、国際世論は中国批判。つまりロシアの孤立化のような状況となり、また台湾軍は練度が高く、一方で人民解放軍は士気が低いから、中国は苦戦し、長期戦となる。
 中国へのサプライチェーンは、台湾も同様だが、寸断され、また兵站が脆弱であり、じつは長期戦となると、中国軍に勝ち目はない。だからこそ習近平は強がりばかりを放言し、実際には何もしない。軍に進撃を命じたら、司令官が「クーデターのチャンス」とばかり牙をむくかも知れないという不安がある。
下策であること、多大な犠牲を懼れずに戦争に打って出ると孫子を学んだはずの指導者が決断するだろうか?
 ▼孫子がもっとも重要視したのはスパイの活用だった
  『孫子』は以下に陣形、地勢、用兵、戦闘方法などをこまかく述べ、最終章が「用間(スパイ編)」である。敵を知らず己を知らざれば百戦すべて危うし」と孫子は言った。スパイには五種あるとして孫子は言う。
『故に間を用うるに五有り。因間有り。内間有り。反間有り。死間有り。生間有り。五間倶に起こりて、其の道を知ること莫し、是を神紀と謂う。人君の宝なり』
 「因間」は敵の民間人を使う。「内間」は敵の官吏。「反間」は二重スパイ。「死間」は本物に見せかけた偽情報で敵を欺し、そのためには死をいとわない「生間」は敵地に潜伏し、その国民になりすまし「草」となって大事な情報をもたらす。
 いまの日本の政財官界に中国のスパイがうようよ居る。直截に中国礼賛する手合いは減ったが、間接的に中国の利益に繋がる言動を展開する財界人、言論人、とくに大手メディアの『中国代理人』は逐一、名前をあげる必要もないだろう。
 アメリカは孔子学院を閉鎖し『千人計画』に拘わってきたアメリカ人と中国の工作員を割り出した。さらに技術を盗む産業スパイの取り締まりを強化した。スパイ防止法がない「普通の国」でもない日本には何も為す術がない。
 (十年前の拙著『悪の孫子学』<ビジネス社>です ↓)
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