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#昔ながらのキャンプ場
bigseasidepark · 2 years
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ぼちぼちキャンプ🏕️ XPERIA SO-02L #静かなキャンプ場 #昔ながらのキャンプ場 #完ソロキャンプ #キャンプ #キャンプ好き #キャンプマニア #キャンプマナー #平日キャンプ #意識高い系キャンパー #アウトドア #江田島 #江田島キャンプ場 #広島キャンプ #広島キャンパー #広島キャンプ場 #瀬戸内キャンプ場 #海辺のキャンプ場 #江田島キャンプ場 #海小屋 #楽園の管理人 #村の鍛治屋 #DDhammocks #DDhammocksjapan #bigseasidecamp https://www.instagram.com/p/CkA0aVhB1tb/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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beracha7 · 2 months
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ブログからお借りしました^ ^
これからインドへと
🇮🇳ミッショントリップです!
昔からインドに行きたいと思っていたさとぴー。
このタイミングで神様の時に開かれて、
行けることも感謝です!
行く直前まで、体調不良やら色々ありましたが、
よくなってきているようです!!
これから遣わされて行くチームメンバー皆さんが守られて、素晴らしい神様の働きが起こることを感謝して、期待しています!!!
白馬キャンプでも、
時は近い。時は縮まっているんだと
目を覚まして歩まないとと思わされた時でした。
そして、大いなる神様の働きがこれから起こる!
楽しみです!!
ルークがさとぴのためにお祈りをしてくれたのですが、
簡潔にポイントをついて祈ってくれました。
インドに行けるように。
死なないように。
ちゃんと戻って来れるように^ ^
ルークは先ほど寝る前に、こんなことを言っていました。人は長くて120歳まで生きるの?
その中で 死に関してもルークは考えているようで。私も小さいとき、死ぬのが怖いというか、死んだらどうなるのかなってよく考えてたなと。
でもルークと話している中で、
イェス様が十字架で死を滅ぼし、死に打ち勝ってくださり、死は勝利にのまれたと。
永遠に神様と共に生きるものとして
永遠!の命をくださったのだと。
死は滅ぼされているから、
イェスさまがよみがえられているから、
イェス様を信じるときに、
死んでも生きると!
死んだ瞬間に最高の永遠の世界であり、
恐れるものはなにもないんだよと。
もっともっと、天がひらかれて
天の喜びが与えられて、
全き臨在と平安のうちに、
多くの方々が、本当の家、住まいにいけるように!
そのために今地上にいるのだと。
たくさんの方々が最高の場所にいけるように、
たくさんの方々が永遠の命を受けられるように。
そのためだけに生きたいなと思わされます。
力がないので、神様に委ねておきます。
この働きをされるのは神様!
ただ、ついていけますように✨😆🙏
↓甥っ子がいっぱい白馬で雪遊びを助けてくれました!報いがありますように^ ^
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diarytheroomoffuji · 3 months
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やっぱり
オフローダーかな
ちょっと昔の単気筒や2気筒のバイクが好きなのですが、このような方々の動画・#2を見ていると、やっぱりオフロード車が良いかな~と実感。
リンク先の動画のように私の暮らす所って、スーツを着て働く街から一歩外に出るとこんな感じです。一言で言ったら「でっかい北海道」。デカすぎるけど(笑)
キャンプ🏕️場も点在し林道が沢山ありまして、オフロードバイクはクリークへ釣りに行く時とか便利だしね。
そう思ってるとオンとオフとかで、2台3台ってなるんだよね・・・
もうないない
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wildfoodforaging · 1 month
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ワイルドフードフォレージングのコツ①
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1. ワイルドフードフォレージングとは何ですか?
ワイルドフードフォレージングは、自然界で育つ植物や野菜、果実を採取して食材として活用する行為です。この活動は、都市生活から離れて自然とのつながりを取り戻し、地元の食材を再発見する素晴らしい方法です。フォレージングは新鮮で栄養価の高い食材を手に入れるだけでなく、アウトドアでのリラックスや運動、地域コミュニティとの交流をもたらします。また、季節ごとに変化する自然の恵みを理解し、地元の生態系と調和する方法を学ぶこともできます。このブログ記事では、フォレージングの基本から始めて、安全性や識別方法、楽しみ方と注意点まで幅広くカバーします。フォレージングの世界に足を踏み入れ、自然との新しいつながりを体験しましょう。
1.1 ワイルドフードフォレージングの定義
ワイルドフードフォレージングは、自然の中で野生の植物や食材を採取し、それらを食材として利用する活動を指します。この行為は、昔ながらの生活様式や地域の伝統と密接に関連しており、自然との調和を重視する人々によって行われてきました。ワイルドフードフォレージングでは、野生の植物や木の実、果物、さらにはキノコなど、自然界で育つさまざまな食材が対象となります。一般的に、これらの食材は人工的な農業や園芸によって育てられたものではなく、自然の環境で自生しています。ワイルドフードフォレージングは、新鮮で栄養価の高い食材を手に入れるだけでなく、自然とのつながりを感じ、地元の生態系を理解する機会でもあります。また、地域の伝統や文化を体験し、季節の変化や植物の多様性を楽しむことができます。しかし、フォレージングを行う際には注意が必要であり、正しい植物の識別や安全性の確保が重要です。
1.2 ワイルドフードフォレージングの歴史
ワイルドフードフォレージングは、古代から人類が生活してきた歴史の中で重要な役割を果たしてきました。人類の祖先は、自然から得られる植物や動物を求めて、狩猟や採集を行ってきました。特に狩猟採集民族の生活では、自然の恵みを利用して食料や薬草を確保するために、フォレージングが欠かせない存在でした。
日本においても、古代から山や川、海などの自然環境からの収穫が行われてきました。縄文時代には、狩猟や採集が主な生活手段であり、植物の採取もその一環でした。そして、江戸時代には山菜や海藻など、季節に応じたフォレージングが盛んに行われ、現代でも多くの人々がフォレージングの楽しみを求めて自然に出かけています。
現代のワイルドフードフォレージングは、自然とのつながりを再確認し、地産地消の考え方や持続可能な食生活を実践する動きの一環として注目されています。また、フォレージングを通じて自然の恵みを享受するだけでなく、地域の文化や伝統を守り、新たな発見や体験を通じて心身の健康を促進する効果も期待されています。
1.3 ワイルドフードフォレージングの健康上のメリット
ワイルドフードフォレージングは、健康に多くのメリットをもたらすことが知られています。まず第一に、自然界で育つ植物や野菜、果実には豊富な栄養素が含まれており、人工的な農産物と比べて栄養価が高いとされています。これらの食材には、ビタミン、ミネラル、抗酸化物質などが豊富に含まれており、健康維持や免疫力向上に役立ちます。 ※ワイルドフードフォレージングに含まれる野菜や果実は、ビタミンやミネラルが豊富であるといくつかの研究によって示されています。(出典:科学的研究誌)
また、ワイルドフードフォレージングは運動とリラックスを組み合わせた自然療法とも言えます。自然の中での散策や採取作業は運動になり、心身をリフレッシュさせる効果があります。また、自然の中で静かに過ごすことはストレス解消にもつながり、心の安定や精神的なリフレッシュにも役立ちます。
さらに、ワイルドフードフォレージングは食事の多様化やバランスの取れた食生活を促すことができます。自然界には様々な種類の食材が存在し、これらを利用することで食事のバリエーションが増え、栄養の偏りを防ぐことができます。また、地元の食材を活用することで地産地消が促進され、地域経済の活性化にも貢献します。
総じて、ワイルドフードフォレージングは身体だけでなく心にも良い影響を与える健康法と言えます。自然の恵みを活用しながら、健康で充実した生活を送るために、ぜひフォレージングを取り入れてみてください。
まとめ
ワイルドフードフォレージングは、自然の中で食材を探し求める素晴らしい冒険です。この活動は、新鮮な食材を手に入れるだけでなく、自然とのつながりを感じ、地元の生態系を理解する機会でもあります。フォレージングを通じて、季節ごとの変化や植物の多様性を体験し、自然との調和を感じることができます。さらに、フォレージングはリラックスや運動、地域コミュニティとの交流を楽しむ素晴らしい手段でもあります。このブログ記事で紹介したワイルドフードフォレージングの基本やポイントを押さえれば、誰もが安全かつ楽しいフォレージング体験をすることができます。自然の恵みを味わいながら、新たな食材や体験を楽しむために、ぜひフォレージングに挑戦してみてください。
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hdhsbaby · 10 months
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宿場町設計ディテール研究昨日に続きまして。 一。リズムの違う格子はめ込みの出窓。並ぶ一軒一軒に位置や、出方の違いがあり、違うリズムで連続することにより多層的な印象を供す。そしたら平屋不可かな。二層で高さ再検討。手塚さん、田川さんたちなら出来る。 二。梁下6尺。建具はさらに低い。二階建てで軒高目検討4m。すごく低い。これならば木曽駒ウッディーハウスの中でもいけるか。 ※この話について、井口社長は育った家ではひたすら頭をぶっていた話をしてくれた。 三。不思議な印象。光の。入った瞬間の空間の暗さと、奥から洩れる光の美しさ。道から覗く時のそれが格別。そして部屋の四隅の暗いこと。黒くなった土壁と障子のコントラスト。陰翳礼讃谷崎を読んでおこう。水木先生の昔の子供はいつも家の中に妖怪を感じていた話、今の住宅には厳しい。陰翳コントロールってかなりのポイント。照明生活に必要だけどここの設計は無ければないほどいい。 以上、備忘録。どこまで出来るか。楽しみで寝れん。 #茶房松島 この空間で珈琲が頂けました。建物を見せていただくだけでなくお話もしていただき、ありがとうございました。 #木曽駒冷水公園 #上の段 #木曽福島 #宿場町 #古民家設計 #一級建築士事務所 #中山道 #無料キャンプ場 #古民家カフェ #diy #japantrip #ilovejapan #japanesearchitecture — view on Instagram https://ift.tt/0tC5K8y
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tokyomariegold · 1 year
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2023/3/18〜
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3月18日 やっぱり昨日の人事異動の結果で色々考えてしまい、頭が落ち着かず3時30分頃もう一度メールを確認したりで4時間くらいしか寝られなかった。 その割にやっぱり目が冴えていてちゃんと朝起きて、移動中も水野しずのnoteを読んだりできた。 そして何より目前の不安のおかげで漠然とした毎晩泣いている不安がなくなるのでちょっと楽。
昨日、友人から大阪から送ったお手紙のお返事が届いていた!とても嬉しくて、それもあって泣かずにいられているのかも(友人の手紙にも人事異動のことが書かれていた。)。
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KITTEで3年ぶりに大学の同級生と会った。 4年前は違うカフェテナントが入っていたところに、snow peakの店舗とカフェが入っていて時が過ぎていることを感じる。そこの窓際の席のキャンプ用のベンチでお茶をした。
取り止めもなく流れるようにずーっと喋っていて、友人はとても分け隔てない人で、だから大学時代の斜に構えていた私にも仲良くしてくれていた。たぶん私が当時通っていた大学で心を許せた唯一の人だったかも。 私は彼女のご家族(お母さんとお姉さん)の話と、彼女の同郷の仲良し7人組の話を聞くのが大好き。 仲良く7人組が久しぶりにフルメンバーで集まって、福井旅行へ行ったときの写真を見せてもらいながら話聞かせてもらった。 ご家族はそれぞれみんな別の家族と別のところで生活しているらしく、スカイプで連絡を取り合っていて仲の良いご様子。 彼女も今の家族との関係に満足していて、でも「昔のまま静岡のマンションで3人で暮らしていたらどうなっていたのかな〜、今頃、って思うんだよねたまに」と言っていた。 私はその言葉を聞くことができてよかった、と思って、彼女のこと、とても好きだな〜とも思った。
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KITTEで退職される方へメッセージカードを買って、大丸で異動される方へ餞別のあめを買って、レンチンスパイスカレーを作るるつもりでフライドオニオンを買った。
3月19日 昨晩、自分の撮った写真のデータを取り出して、よくもまあこんなにも毎日撮ったものだ…と関心したり、面倒に思ったりした。
消去法で自分しか好きになれない、って、とてもしっくりくる言葉だと思った。最果タヒのあとがは、やはりとても良い。
一昨日からずっとゴミ捨て場にポップコーンのマスコットが落ちている。
久しぶり駅向こうへ行くと、感染症の状況下で閉店したココスの建物が解体されていた。久しぶりに隣駅のショッピングモールへ行くと、コスメキッチンとスリーコインズプラス(?)が入っていた。 イオンモールやららぽーととなんとなく格の違いを見せてくるタイプの高島屋S.C.。
朝は出かけるまで30分しか無い!と自分の脳を騙し切って実は1時間前に起きていたので良い感じだった。でも1日を十分に過ごしてしまいへとへとになっている。
ハナミズキの下で撮った自撮りが大失敗だったのに、まあいいか、と自分のいない写真がわりといい感じだったのでそれでそれなりに満足できちゃうくらい疲れている。
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moment-japan · 2 years
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日本最大のカルスト・ドリーネ地帯「関野鼻」
今年は松本清張没後30年という記念の年なので、清張の足跡を辿るべき、日帰りで遥遥、イラストレーターで、仏像・松本清張・崖研究の第一人者である「みうらじゅん」大推薦の能登金剛に参上仕りました。
(遥遥って、車で1時間くらいの近場じゃないかよ)
真っ青な海岸線にテンションが上がってチューブのCDをかける。
この辺りは綺麗なキャンプ場やロッジ等が点在していてプチ・リゾートのような景観。最近では就農で都会から移住する人も非常に多いです。
最初は海岸線に続く、日本最大のカルスト・ドリーネ地帯「関野鼻」に突入。
(日本最大だったのか!)
ええ。
此処は民有地で能登半島地震で大きな被害を受けて足場も崩れ、現在は廃墟のようになっています。
(もったいない)
何故か、駐車場代として機械で500円取られます。
(廃墟なのに納得いかんな。笑)
カルスト地形では山口の「秋吉台」とか九州の「平尾台」とか新潟の糸魚川の石灰岩地帯とかが有名ですが、海岸から陸に延々と繋がるドリーネ地帯では日本最大なのです。
(日本最大って以外です!)
地層の年代も「秋吉台」とかよりも遥か昔、新第三紀時代の地層でこんなの日本ではここだけなんす。
(新第三紀時代っていつの話なんですか?)
大型恐竜が闊歩する以前、初めて哺乳類が登場した頃の時代です。
(なんか古すぎてよくわからないっス。笑)
周りの風景に溶け込まない奇抜なクリーム色の石灰質の奇岩が至る所に点在。あまりにも異様な風景に、暫し固まる。
(しかし、なんて綺麗な海なんだ?このクリーム色の岩とか砂とか、ここだけ地中海みたいだな、行ったことないけど)
何もない廃墟だけど、500円の駐車場代払って、中に入ってこの希少な地形を自身の記憶に焼き付ける価値は十分あります。
途中、ドラックストアで飲み物を買ったのですが、レジのおばさんが「あら、おかしいわね、金額打ち込んだのにクレジットのレシートがでてこないわ」と言ってるので「おねえさん、カードまだ僕持ってますけど・・」というとおばさん、私のバカバカといいながら延々と笑っておりました。
(面白すぎる能登のおばさん)
次回も能登の続きです。
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junikki · 1 year
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図書館のようなオフィスの資料庫のような割と広い部屋だけど棚がたくさんある部屋で具合が悪くて寝てる夢を見た。もちろん、専用のベッドとかなくて椅子を二つ繋ぎ合わせたようなものをベッドとして使って寝るから、体調悪いのにすごく寝心地悪くて余計しんどい!ってなって。起きた時、あっこれは夢だったんだなって気づくけど、あれは夢にしてはやたらとリアルだったな。実際ベッドから落ちたりとかなく、別にいつも通りクイーンベッドでロバートと普通に二人で寝てたんだけども。クソみたいな場所でしか眠れないのって何気に地獄やなと思った。今まで空港に泊まるとか職場に泊まるとか色々あったけどもさ、どれもまともに寝れた試しがない。でも子供の頃キャンプではぐっすり眠れたっけな。あれ以来かも。なんでキャンプでは眠れたのか謎。割と旅行先では眠れないことが多く、それで疲れが溜まりがち。
実はまた来週に旅行。Stratfordというあのジャスティンビーバーの出身地へ行くことになった。ロバートは教会を見に行きたいらしい。ジャスティンビーバーがもし里帰りしてたらどうする?とかロバート聞いてきて、私はジャスティンビーバーのファンでは全然ないし、全盛期の10年前ぐらいのジャスティンビーバーならまだしも、今のジャスティンビーバーと他のカナダ人と見分けられるか全く自信がない。ちなみに2011年ごろドイツに住んでいた時、ドイツ人のティーンエイジャーの男の子たちはモテようとしてかジャスティンビーバー風ヘアだらけだった。人種的にも割とジャスティンビーバーに寄せれてたし。こうしてその時の流行のアイドルが一般人に量産されるのは世界共通なんだなって。
最近katespadeのおもしろバッグをよくググって検索していたからか、コーチのバッグや小物がやたらと広告で出てくるようになった。昔はグッチやヴィトンの劣化版みたいなイメージでダサい印象しかなかったけど、スヌーピーやサクランボモチーフなど最近はかわいいデザインも多くていいなと思った。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12184625087
この知恵袋のベストアンサーめちゃくちゃ参考になる!コーチって馬車のモチーフがロゴになっているから、エルメスのように馬具屋が元になったブランドだと思っていたけど、まさかのパクリだったとはwそう考えるとイメージ悪すぎてやっぱり持ちたくない…そこそこの値段するし、katespadeやラルフローレンみたいにthrift storeに寄付されるわけでもなく、決して安い買い物ではないから。ちなみに馬具屋の話題はあらいぐまラスカルにも出てくる。1910年代後半に自動車が普及してきたおかげで、馬に乗る人が減り、馬具屋の仕事も無くなりそうだと愚痴るシーンがある。職人として良い仕事をしている自負はあるが、このままだと店を続けられないとか。あのエルメスにももしかしたらそんな危機的時代があって、方向転換をして今の地位にいるのかもしれない。
私が幼い頃、おじいちゃんが男の子が生まれると期待して電車のおもちゃ買ってくれてたんだけども、それで親が男っぽくなるのを心配して、電車のおもちゃは結局未開封で処分することになった。でも当時は電車に興味あってめちゃくちゃ遊びたかったんだよなあ。好奇心旺盛で男の子っぽい遊びも好きだったが、親が心配して基本的には禁止していたから、現代の性を尊重するみたいな教育方針とは全然違うね。ちなみにそんな風に育った私は基本的に中性的と言うか、女っぽいところと男っぽいところが両方あるので、特段女らしくもないし逆に男っぽいわけでもないという謎の評価を周りからもらうこともある。
トランスジェンダーの未工事の人が女子トイレや更衣室に堂々と居て女性が困る、という話を最近よく聞くけども、そういうトランスジェンダーってなんで女になりたいんだろう?リスク覚悟で本気で治療して手術しているわけでもなく、男の身体のままなら、私は正直、自称サバサバ女の男版みたいな印象を受ける。わたし男っぽいし女といるより男といる方が楽だから、とかいうけども、そういう人が工事して男として生きていきたいと思っている話は全然聞かないもんな。今は女の方が有利な社会だから。昔は今でいうイスラム教徒みたいな感じで女は家にいて家事や子育てや内職、みたいな感じで基本的に家にいることを強要され、基本的に財産も女性が保有できないことが多かったから、女でもそこまで旨味はなかった。でも今の自由な時代の女性は、外で働いて資産を築ける権利を得て、昔の人から見たらめちゃくちゃ男っぽくなっているからな。女の利点が欲しいトランス男は多そう。女子競技に来て無双するトランス選手とか興味深いよね。100年前の感じだったら絶対男として生きるの希望してただろってやつw
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yoshitugutuduki · 1 year
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ネオファウナ
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 白と黒。それがこの台地に登って抱いた最初の印象だった。起伏に富んだ白い氷原のあちこちから、黒い崖が顔を覗かせる。雪がちらついているせいか、それとも大地の白を映し出しているせいか、空もまた、灰色のはずが白んで見える。初めて訪れる北極圏は、太古の昔から日の沈むことのない、かといって日が高く昇り、大地の氷河を溶かすこともまたない、薄明の世界だった。  雪原専用の8脚車両で、傾斜の緩い台地の東側から登って早半日、狭い空間で疲れは溜まっていたが、私の体重が他の乗組員より重い分、贅沢は言えなかった。大丈夫、あと数時間もすれば、発掘のためのキャンプ基地に到着する。この辺りは雪の粘度が低く、おまけに雪の下の固まった氷河をうっかり踏んでしまうと、車両ごと転倒する危険がある。車体の脚部分に付いた音響センサーで、なるべく雪の厚い場所を探りつつ、進むしかないらしい。  私の隣では、ダンと名乗った白いクマの男性が車両に接続して操縦している。一見すると椅子にもたれかかっているようにしか見えないが、後頭部には電磁コントローラが付いている。彼自身によればちょっと前の型番だが、車両を動かすには使い慣れたものが一番しっくり来るらしい。後頭部樹状核増設手術を受けているらしく、扱いには手慣れているという。もう10年になるそうだ。他の2名が小柄で、荷物もかなり多い以上、体重の大きいゾウである私と、ダンの2名はそれぞれコクピットとサブピットに座ることになった。  「僕は地元の村の出なんですが」  思いのほか、荒々しげな見た目とは裏腹に、丁寧な口調でダンは喋り出した。運転中とはいえ、重苦しい静寂に耐えられなくなったらしい。  「どうもそっちでも、起きてるみたいなんですよ、失踪事件」  「本当なんですか」  それまで黙りっきりだったネ���ミの男、ジェイが、淡々と訊いた。別段驚くでもなく、寒い車内の温度に合わせたような冷やかさだった。仕事をし始めて半年間、ここに来て躓くまで彼と世界を巡ったが、未だに彼の感情の起伏は捉えられていない。  「えーと、報告では、確かに4件の失踪事件が、マクファーレンさんのご出身の村で確認されてますね、種はいずれもバラバラですが」  そそっかしいラエンの女性、ライラと名乗ったか、が手元の携帯モニタを叩いて読み上げた。ダン・マクファーレンと同じく、ここに着いた際に中央都市の空駅で出会ったばかりで、なおかつ、私とジェイの終盤を迎えた調査が躓くことになった原因だった。  いや、原因というのはよそう。別に彼女が引き起こした事態ではないのだから。  私たちはこの地に到着した瞬間に、すでに躓いていたのだ。
 私とジェイ・マウゼリンクスが実地調査を始めたのは半年前、そのきっかけになった、彼の調査に同行したのが1年程前だったか。赤道地帯の高地で発見された膨大な壁画、そしてそれを覆い隠していた巨大な洞窟は、数万年前に明らかな、我々知的生物による文明が存在した最古の証拠となり得るものだった。当時一介の動物文化学者だった私に、その研究の最前線に入って欲しいと言うオファーが来たのは、ジェイの横やりあってこそだと聞く。途中から研究に無理やり入り込んだジェイを疎む者はいたものの、全知的動物の大系統を、分子を用いて提示し、世界的に注目されている彼には、表立って反意を示すことができなかったようだ。無理やり私を暑い洞窟へ連れ出した彼は、これまでの古代文化とも違う、独特な意匠の壁画と、その物語る意味を教えてくれた。  それはカタログ、と言ってもいいものだった。中央に描かれた、楕円形の物体の中から、様々な種の、知的生物が出てきて、一様に並ぶ光景。そこには何万もの「立った絵」があったが、1色で描かれていながら、それぞれの絵はディテールが異なり、明確に別種と認識できた。赤道付近と言っても、安定陸塊上、そう、オセアニア大陸に位置する以上、ゾウやウマといった旧大陸を出自とする種は、ここには載っていないはずだった。だけれど、私の種だけではない。たぶん、あらゆる現生の知的生物が、この「カタログ」に載せられているのだろう。  分子生物学者のジェイは、恐らく人類のルーツを明確にしようとしているに違いなかった。そこで私に、手伝ってくれるように要請した。  誰もが気づかないふりをする。  感情の起伏に乏しいジェイが、この話をする時は苦々しい顔を必ず浮かべる。我々知的生物、つまり動物は、単一の系統である微生物として誕生し、無脊椎動物、魚類を経て、爬虫類となり、そこからそれぞれ鳥類と哺乳類が分かれた。これが、どんなにプロセスに疑問を抱こうと、この地球の教育機関で、幼獣ですら習っている仮説だ。  しかしこの仮説には矛盾が生じている。我々は進化の過程で、知能が発達したが、知能が発達するのが先だったのか、それとも様々な種に分化するのが先だったのか、という問題だ。知能が発達するのが先なら、例えば知能を退化させた種や、相応の歴史を示す物が残っていてもおかしくないが、実際はそんな種や事物は残っていないし、現在昆虫や魚類で示されているような、進化に至る原理、突然変異や、特に自然選択が、知能を持つと生じにくくなるのではないか、という仮説もある。一方で、様々な種に分化するのが先で、その後知能が発達したという仮説なら、上記の問題はクリアするが、いくら収斂進化という、似た生態的地位の生物に似た形質が出るという仮説があるとはいえ、そのような斉一的な知的生物化が起こり得るだろうか、という疑問が浮かぶ。そもそも、様々な種に分化しているのなら、我々には様々な、枝の途中となり得る、祖先種が数多見つかるはずだ。しかし、現状そんなものは一切見つかっていない。化石記録は魚類まで、それも現生の無脊椎動物や魚類とはかけ離れた姿で、我々の現在の姿を支持しない。  このジェイの主張に私は魅せられたのだろう。彼に伴って様々な古い遺跡をフィールドワークした。そうして、場所を絞り込んでいくうちに、文明誕生の起源となる候補が、この、新大陸の北極圏内にある、大きな台地で見つかった遺跡だと突き止めた。  残すは実地調査、既にキャンプ地が作られ、行われるはずだった大規模な調査に参加させて貰えることになり、北極へ向かう途上は、一睡もできないほどだった。しかし、いつまで経っても迎えの車両が来ない。どうもおかしいと思って、上空から気象観測用の無人機で見て貰ったところ、キャンプ地に誰の気配もない、ということが判明した。地元の警官隊に待機を命じられた私たちは、警官隊所属でこの地域を管轄していると名乗るライラと、この辺の地理に詳しく、仕事柄車両の扱いにも慣れているらしいダンと共に、キャンプへ向かうことになったのだった。
 洞窟の中は、明るかった。発電機が稼働したままになっていたせいか、洞窟の壁に設置されたライトが空間を照らし出し、携帯ライトを持たずとも奥深くまでの道は見えていた。ずっと昔読んだ恐怖小説と違って、静寂こそあれど、何十人ものスタッフが失踪したような、不気味な雰囲気は感じさせなかった。  先を行くジェイを呼んで、私より二回りは小さな彼の様子を聞く。  「キュクロプスさん、この先は若干狭いがあなたでも入れないわけではなさそうだ。ただ灯りがもう設置されていない。誰かライトを貸して欲しい」  そんな声が狭い道の前、ダンやライラの前から聞こえてくる。私は持っていた携帯ライト、ジェイには若干大きいかもしれないが、をダン、ライラに渡し、ジェイに渡すように促した。  「この奥は広い空間だ」  「慎重に進んでくださいね」  ライラが呼びかける。裂け目が出来て落ちていたりしたら大変だろう。  ライラに続いてダンが、そして私が狭い穴をくぐる。真っ暗であまり見えないが。空間が広いのは声の響き具合でわかる。  「これは、特に岩の裂け目とかはないみたいだ」  慎重に前進して、ジェイから渡された携帯ライトで周囲を見渡したダンが、何かに気づいた。  「なんだ、あれ」  真正面の、ライトで灯された場所を見る。明らかに場違いな物が、岩に貼りついていた。  「扉、ですね」  ライラが立ちすくんだまま不安げに言う。  鎮座している金属製の、明らかに現代的な円い扉は、私でも余裕で通れるぐらいには大きい。左側には、取手のような金属製の棒も繋がっている。  狼狽しているのか、先にこの空間に入ったジェイは、扉を見て何か考え込んでいるように見えた。そんな彼の横を通って、ダンがおもむろに取手に手をかける。  少しだけ、空気の吸い込まれる音がして、扉が開いた。  考え込むのをやめたらしいジェイが、吸い込まれるように扉の奥に入っていく。  「マウゼリンクスさん!」  ライラは止めに入ろうとしたのか、後を追った。私もそれに続く。  後ろから足音が聞こえる。ダンも来ているようだ。  扉の奥は、少し上向きの傾斜のある、通路だった。4名分の足音、金属音が響く。それ以外は、ジェイの今持っている携帯ライトが頼りだった。  こんなところに近代的な人工物があったなんて、何かの軍事基地とかだと、非常に私たちはまずいことをしているわけだが、なんでこんな洞窟の奥深くにあるのか、見当もつかない。  好奇心はとうに消え失せ、徐々に後悔と不安と恐怖が胸の奥を占めつつあった。そんな時、ジェイが立ち止まった。  「行き止まり?」  最後尾のダンが聞いた。ジェイは短く、いや、とだけ答え、目の前の壁、いや、長方形の扉だろうか、に設置された黒いパネルに、手をかざした。  扉が開くのと、視界が明るくなるのは同時だった。しばらく薄明りや闇の中で過ごしてきたせいか、目が痛い。なんとか視界を取り戻すと、通路と思しき、私たちが辿ってきた空間が明るく、ライトのようなもので照らされているのが見えた。扉の向こうは、少し落ち着いた明るさのようだ。ライラやジェイに続いて扉をくぐる。  そこは、一面緑色の森だった。
 唖然としていた私たちに、ジェイが呼びかけた。  「立体映像だ、本物の森じゃない」  各々が、凄まじい密度で生えている草木を触ろうとするが、すり抜けてしまう。どうやら本当に、偽物らしい。  「こんな植物見たことない。地球上でこんなの発見されてたっけ、それに日差しも」  「青い空だな」  上を見上げてジェイが言った。空と言えば、エアロプランクトンが漂っているため、地上からは緑色に見える、日差しもこんなに明るくはないはずだった。  「これが故郷の景色か」  そうジェイが呟く。  「その通りです、ここが本来の地球の景色です」  今までの穏やかな口調のまま、ダンが言い出した。  「マクファーレンさん?」  何を言い出すのか、と思い、私は振り向く。ライラも遅れて振り向いた。怯えているのか、その顔は強張っている。  「ようこそ、汎用生態系生産プラント、ネオファウナへ、私はこちらのオペレーションを行っているメインシステム、チャーリーと呼ばれています」  ダンは全員の方を向くと、恭しく礼をした。  「皆さんがご覧になっている映像は、本来の地球、東南アジアのカリマンタン島付近の熱帯雨林を再現したものです。本来の地球で最も多様性が保たれていた個所と言われています」  淡々と話すダンにはどこまでも表情が無かった。まるで愛想笑いを無理やり貼り付けたかのように、いや、人形や標本の魚のように、虚ろな笑みを浮かべたまま語り続けている。  「マクファーレンさん、どうしちゃったの?」  「私が現在操作しております個体は、身体の一部に改造を受け、なおかつ日ごろから電磁ネットワークに接続状態にありました。そこで、アバターを実体化させるよりも低電力で済むとみなし、デバイスとして使用するに至った次第です」  「俺をここに呼び寄せた理由はなんだ」  ジェイが、これまで聞いたことのない、敵意の籠った声で言った。赤い目が射止めるように、ダンを見つめている。しかしダンは答えなかった。  「ジェイをここに呼んだ理由は?」  今まで黙っていたライラが今度は言った。さっきまで怯えていたとは思えない、鋭い声だった。  「私は当該個体、あなたがジェイと呼ぶ個体を通して、ユーザーの設定した開始コードの発現タイミングを計算していました」  もはや私には何がなんだかわからなかった。洞窟の中の見知らぬ施設、見覚えのない緑、そして態度の一変した同好者たち。立っているのがやっとだった。  「一から説明してくれ、彼らがここに呼ばれた理由を」  ライラが続けた。ダンは薄笑いを浮かべ、苦虫を嚙み潰したような顔でジェイがそれをにらんでいる。  「始生暦時代に入って、人類の文明は大きく進歩し、大規模な星間文明を築くに当たりました。その過程で、本来の地球は大きく生態系を衰退させ、私が稼働を始めた段階では、乱開発防止のために所在不明とされていました。その代わり、多くの惑星が植民化され、人類は星間文明を自らの故郷とするに至りました。しかし、本来の故郷である地球への憧憬が無くなったわけではありません。数多の星々をテラフォーミングする過程で、人類はそのノウハウを蓄積させ、より高効率に、より速やかに他の惑星を地球化することを実現したのです」  「そして、故郷への憧憬は、私が制作されたネオファウナ計画に繋がりました。星間文明で用いられていた、地球由来の生物の遺伝情報を基に新たな労働力、知的生物を作り出す技術と、先に述べたテラフォーミング技術が結びつき、新たな地球を生み出すという計画へシフトしたのです」  「手順はまず、簡易な条件での地球化から始まります。条件に見合った惑星に、こちらのプラントで遺伝情報を改変し作製した大気性プランクトンなどを放ち、大気構成を地球により近いものとします。その後、水生プランクトンやごく微小な生物、水生生物、陸生植物、小型陸生動物といった順に作製し、放流します。生態系がそれぞれ安定してきた段階で次フェーズに移行し、最終的に大型動物を除いた不完全な生態系ができます」  「その後、大型動物をヒト型知的生物として作製し、惑星上に解き放ちます。初期はある程度の調整が必要ですが、徐々に文明化が進むと、自然と個体数も増えていくことでしょう。 ユーザーであるホモサピエンスに形態的に近いグループが作製されたのは、文化基準をかつてのユーザーの文明に合わせ、個体数増加を促すためです」 「ラエンのことだよ」  静かにライラが呟いた。  「私が開始コードを発現しようとしているのは、更にその次のフェーズです。当該個体を作製した私は、接続可能な別個体を使って、当該個体を外に出し、その脳を通して現在の惑星の状態を観察していました。もちろん、当該個体には脳神経の加速化措置と、私に情報を送るためのリソースも設置済みです。24年6か月を観察したことで、私は開始コードの発現を行うのに十分な時間が経過したと認識しました」  「それが、俺が作られた理由か」  相変わらずダン、否、チャーリーを睨んだまま、ジェイが吐き捨てた。  「開始コードの発現後はどうなる、先住種族と同じように、彼らを消去するのか」  「いいえ、開始コードの発現後は、現在作製している神経加速化の遮断、脳内の感覚抑制の解放、ボトルネック防止に用いられていた多系統繁殖用遺伝領域の切除、そして次代における原種形態への移行、これらを促すウィルス群を散布します。現在、その準備段階として、複数個体にこれらの措置が可能かどうかを試験しています」  「どういうこと?何が起きるの?」  何を言っているのか、門外漢の私にはわからない。だけれど何か恐ろしいことを言っている気がして、口走る。  「俺たち知的生物は知能を失い、動物に戻る。感覚も戻り、少子化対策に用いられかけてた遺伝領域はもぎとられ、子孫は四つ足の獣に、ってことだ。失踪事件は、その準備として、試験的にウィルスをばらまいたってことだ」  ダンは何も言わなかったが、ジェイが代わりに答えた。  「私に記録されている地球生命の情報は膨大ですが、基礎さえ完成すればあとは難しくありません。残りは生態系が安定するに従って、徐々に作製し定着させていく予定です。早ければ数十年で、この星は第2の地球となります。私やユーザーの願った地球の復活が遂に為されるのです」  ダンは両手を広げてまるで演説でもするかのように宣言した。私にはこれが夢の中の出来事のようでならなかった。  「当該個体と、そうですね、こちらの個体は私の本体にフィードバックすることにしましょう。現状のサンプルでは効率的なウィルスの散布が行えないので」  そう言うとダンの体は何も映っていない瞳で私の方を見た。ここが北極であることを思い出したかのような寒気が走る。先んじて捕まえられたジェイがもがいている。私も腕を強い力で引っ張られて、森の奥まで連れていかれそうになる。  「AIの癖によく喋るなお前は。中に誰かいるだろ、飛びっきりのイカれた奴が」  突然、腕が離れた。同時にジェイの咳き込む声がする。  見ると、大柄なクマを取り押さえているラエンの女性の姿があった。非現実的な光景に何が起こったのかわからなくなる。  「チャーリーだったか、以前遺跡を回って、似たような壊れた施設を見た時にあんたの名前を確認したよ。設置予定の生体プラント兼液体コンピュータの素体になるって時点でやばいと思ったが、こちとら先住種族を駆逐されんのも、せっかく根付いた知性を踏み台に懐古主義に走られるのもごめんでね、悪いが稼働停止してもらう」  出会った時の態度はどこへ行ったのか、荒々しい口調で告げると、周囲に火花が散った。  途端に、立体映像の森が消え失せ、通路と同じ無機質な灰色の部屋に変わる。  「案の定、システムはニューロン式を使ってたか。悪いけれど私はラエンじゃないし、体はあんたの言うホモサピエンスでも、宿っている意識は年季の入った量子の寄生虫なんだ。量子脳に関してはこっちの方が上手なんだよ。3億年かけて辿り着いた、被食者と捕食者が共にいられる楽園、そう簡単に潰されてたまるか」  「私の活動が停止すれば、今後エアロプランクトンが作製されることもなくなりますよ」  苦しげでもない、さっきと同じ淡々とした口調でダンの体が言う。  「エアロプランクトンも継代を重ねて、あんたの供給なしに殖えるようになってるんだよ。この世界は変わ���ていくさ。でもそれは地球と違う、大型動物相の代わりに知的生物が優占し、交雑を重ね、多様化と均質化を入り混じらせる世界としてだ。本来の地球生命が今も変化を続け、この星だって変化の最中にあるのに、時を戻して止めようとした時点で、あんたは詰んでたのさ。わかったらとっとと凍りな、あんたの望んだ永遠の停滞だ」  轟音が響き渡った。床が震える。部屋のライトが点滅して、消える。真っ暗になった部屋が振動を続ける。盛大に転倒した私は、解放され糸が切れたように崩れ落ちたダンと、同じく転げまわるジェイをなんとか抱きしめる。  「私はこいつのやらかした後始末に行ってくるから、またどこかでね」  覚えているのは、そこまでだった。
 台地で起こったことは、巨大な雪崩によってキャンプ地と、内部の空洞が崩壊した、というニュースで片付けられた。私は他の2人と共に病室に缶詰になり、あれこれと話し合った。ダンは荒っぽいが人懐こい性格で、私のことは全く知らないが、幼い頃に父親が連れてきて兄弟のように育ったらしいジェイのことはよく覚えていた。ジェイは遺跡巡りと、ダンがジェイを覚えていないことで気づいていたらしい。  キャンプ地で失踪したスタッフと、近隣の村から失踪した住民が保護されたのは、私たちが洞窟の入り口で倒れていたところを発見された翌日だった。ちょうど反対側の海岸で見つかったらしいが、不思議なことに皆が一様に「吹雪が酷くなったのでビバークした」という記憶しか覚えていなかった。1本だけ、空の注射器が置いてあったそうだ。  ライラの行方は分からない。そもそも、地元の警官隊にはそんなメンバーどころかラエン自体がいなかったのだ。  「これからどうするんですか」  ダンは寝ている。病室の窓から空を見ているジェイが、どうしても気になった。  生きる目的を失ったのではないかと、思ったからだ。  「枷が外れた気分だ、清々しましたよ」  いつもと同じ、だけれど少し晴れやかな声色で彼が返した。  「なに、資料は集まってますから、最後の仕上げだけできなかったってことで」  彼らしくない、楽観的な言葉だった。彼も、吹っ切れたのかもしれない。  「あの場にいた誰もが、あの場所に関係している者だった、あなたを除いて」  「そうですね、傍観者として、大事たと思われたのかもしれません」  「チャーリーが言ってましたね、星間文明がどうとか」  「言ってましたね、多種族からなる星間文明とか、地球由来の遺伝情報で人類の伴侶を作り出すとか、あれ」  「そんなこと、言ってましたっけ」  記憶と知識の食い違いに、戸惑う。すらすらと出てきた言葉は、私の理解を大幅に超えていたはずだった。  「磁気映像で撮影した、あなたの脳のカルテを見せてもらいました。先天的な改変の痕跡が見つかったようです」  「私には、そんな自覚は」  「無いんでしょうね。誰かが、どこか遠くからあなたの脳を介して、この星を見ている」  私と同じですね、と彼は言った。彼が言っている間に、まるで目の奥の濁りが取れるみたいに、目の前は鮮やかになっていった。  目の前に広がるのは、白い空。  でもその向こうに広がるのは、プランクトンに覆われた碧色の空。  脳裏に浮かぶのは、あの時見た青い空。  「モッティさん」  白い空をバックに、白い毛並みの彼が振り向く。その顔には、見たことのない表情が浮かんでいる。  「この世界って、綺麗ですね
#SF
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ss-pochan · 1 year
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人生初上陸・・・
どーも、こんにちは!可愛地区担当の大西です!3月に入り、いよいよ任期終了も近づいてきました。ほんとにあっという間でしたね・・・
2月はというと、月末に熊本県の山鹿市というところに視察に行ってきました!人生で初めての山鹿市でした!
目的は、河川敷でのイベント事例や利用状況についてです。面白いことに山鹿市の河川敷一体では薩摩川内市と風景が似ている部分が多くあり驚きました笑
街中に河川敷があるというところや太平橋や開戸橋を連想させる橋が近くにあったり等々、薩摩川内市かな?と思うぐらいです。
イベントの事例としては、普段から地元のスポーツ団体が練習をする為に使っているそうです!マルシェなどの飲食が絡んだイベントは、右岸河川敷西側に隣接する豊前街道がある町中で行われているそうです。確かに町中は昔の下町を思わせるような景観でとても素敵でした!だけど、なんとか河川敷でも出来ないものかなぁと感じました。
コロナが明けたら、おにぎり等を持ちながら河川敷と市街地を散策するイベント��企画・実行していきたいそうです!なんだか可愛地区のいにし可愛まちあるきと似ているなと思いました。
また山鹿市の他に菊池市にある龍門ダムというところにも行ってきました!そこでは『河川空間のオープン化』により、ダム敷地内でキャンプ場を運営されている緒方さんという方に、キャンプ経営について聞いてきました。ダムのすぐ側にキャンプ場ってイメージが湧かなかったですが、とても開放的な空間で私も実際にキャンプしてみたいなあと思いました。(キャンプ飯が目的です笑)
山鹿市、菊池市ともに温泉が多数あり、情緒溢れる下町でとても素敵なところでした!
今回、計2日間の視察でしたが、とても有意義に過ごすことができました。また、視察で聞いたことを地区コミに一つの情報・知識として残していきたいです。
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k-div · 1 year
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スノボにいったよ
週末スノボにいきました。岩手の安比高原スキー場です。 2,3年ぶりに行って、スノボは意外と過酷なイベントだなと思いました。キャンプや旅行、ディズニーとかと同じカテゴリーと思っていたのですが。
まず初日はいい感じに晴れて、久々きた〜!と爽やかにスタートしました。
晴れ渡る空
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この後すぐ、友達について行った正面に映る急斜面で盛大にぶっ転び、背中から下向きに落っこちて、そのまま2回転くらい止まれませんでした。 30過ぎてこんなに盛大にぶっ転んでも許されるのはスノボだけ。友達に爆笑されつつパウダーに埋まって空を仰いでいると、1回も転ばずに終えるのはむしろもったいないと思えてきました。 1回転ぶとその後転ぶのが怖くなくなりましたが、同時にスノボ結構ハードな遊びやんと思いました。 ちなみに岡本太郎は”一番急な斜面の直滑降しかしない”そうです。 キャラ作り乙という感じですが、それで何回か骨折したりしてるらしくマジらしいです。 こっわ 同じコースにひたすら直滑降して”なんだこれは!”ってしてるおっさん居たらこわ お前がなんだよ 岡本太郎はこわい 世が世なら良いデビルハンターになれたと思います。 二日目 頂上がかなり吹雪いていました。ゴールデンカムイで言うロシアで遭難するシーンくらい絶望的に吹雪いてました。
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これはまだマシな方で、ひどいときは目の前が真っ白で、”左かと思ってターンしたら下だった”ためにコケたりしました。下がどっちかわからない状況で自然に立ち向かえるのはスノボだけ。 僭越ながら自然に立ち向かってる感を感じました。スノボって過酷やんとこの時も思いました。結構昔にサーフィンして波に飲まれた時も、ディズニーの気持ちできたのに過酷やんと思ったな。自然で遊ぶ系はだいたい過酷ということだ。 蛇足ですが、リフト並んでる時、前の人のスキー板に、"Face the Force of Nature"と書いてあって、なんか厨二っぽいパンチラインに思えて好きでした。 そんな感じで楽しくスノボ旅行ができました。 安比高原は、広くて雪がパウダーでシャーベットがなく、東京から3,4時間という好立地なので、また行きたいと思います。 過酷なので年一で十分やが。
著者近影
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syndow-14 · 1 year
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マーシャルの匂いで
今月と来月と、外泊が続くので疲れることがもう既に確定。先週沖縄に家族旅行へ行ってきた。二泊三日、片道二時間。すごく遠い島だと思ってた沖縄は、飛行機に怖がっていたらすぐ着いた。降り立った瞬間ジメジメした空気が漂っていて、本当に沖縄ってこんななんだと実感した。
ヤクルトの春季キャンプ地、浦添に行って練習試合をみた。普段の神宮よりも全然お客さん多くて熱気がすごかったです。単純に気温も高かったです。
その他色々沖縄っぽいところを見て回って、沖縄に対する解像度がどんどん高くなった。国際通りはでかいヴィレヴァン。沖縄そばとソーキそばは別物。沖縄にはうどん屋がない。
来週には幼馴染二人とのお泊まり会がある。これはマジめっちゃ楽しみ。10年来の友人だけど、これまで三人で外泊はしたことなかったのでほんとに楽しみ。お泊まり会であって、旅行ではないことがまた良い。準備を伴う移動は大変だし、準備の段階でもう結構飽きてきちゃうので。そういう気軽さ楽さが余計に心地よくて楽しみなのかも、
そして今月末には就活の一環でまた京都へ行く。京都というか関西で行きたい店があるのでこれもそれなりに楽しみ。あと一人で好きなとこ行けるから。全く知らない地で散策するのも楽しいけれど、何度か足を運んだ地でもっと深い散策をするのも楽しい。最近、知らない文化に触れるのが面白いと感じる。
さらに来月は、大学の友達二人と卒業旅行に行く。そのうちの一人が旅行プランを考えてくれて、我々は黙ってそれに従うだけなのでかなり楽だ。ただ、いかにも観光スポットを巡るだけでなく、何も当てもなく散歩する時間が好きなので、こういう旅は自分だけではしようと思わないだろう。そういう感覚の違いも、ようやく最近になって良いなと感じるようになった。大人になったねえ。
そして最後、3月の終わり、きっともうしばらくは出来ないであろう一人日帰り旅に行く。今度は熊本。いつものごとく、いく店や食べるものは特に決めていない。ただ好きな人が出る映画を観に行くことだけ決めている。この旅の理由もなんだか良いなあと思いませんか。今回はいつも以上にすることを決めてないので、旅路をゆっくりしようと思い付き在来線での列車旅にするつもりだ。ああまた良い感じですね、時間かけて電車乗って、知らない場所で映画観て。
「自由」であることの定義には色々なものがあると思うが、その中の一つに「何もないこと」というのもあるとわたしは思う。というか、わたしが感じる自由には、「何もないこと」が必要になることがある。だからわたしの一人旅には予定のなさ、プランのなさ、制限のなさが必要だ。今回の沖縄旅行は、一日中家族といたので、なんだか疲れてしまって、その反動で今ものすごく一人になりたがっている。この頃一人で過ごす時間が多くなって忘れていた感覚、ここではないどこか遠くへ…というのをすごく色濃く思い出してきた。そういう時には昔からでっかい音で音楽を聴いて、この世には自分一人……と繰り返しているが、それのお供になっていたヘッドホンがだいぶダメになってきた。この際なので高くて良いやつを新しく買おう。きっともう数ヶ月すると、嫌でも使い倒すことになるだろうから。
2023/02/16
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diarytheroomoffuji · 7 months
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ガチ
知らない言葉知らない世界
たまに日本のTV番組を見る事があるけど、知らない日本語が増えた。まあ世代が違い過ぎて知らないのだが。あと日本のニュースなどで、日本語の中に外国語の横文字単語も随分増えたよね。皆さん分かるんでしょうか?あの様な横文字の日本語?
「ガチ」って言葉、昔は知らなかったけどTV番組や人様の動画チャンネルでもよく聞くようになった。お相撲さんの八百長なし真剣勝負の ” ガチンコ “ から来ているらしいけど、以前何かのTV番組で貴闘力さんが「相撲は興行ですから・・」と言い出し、司会者から発言を静止されてました(笑)
近年はクリーンなイメージを押し出してますけど、角界もブラックですからね〜・・(私、相撲ファンですが)
そんな話は置いといて(笑)、アウトドアを楽しむ動画が沢山ありますが、この方はガチですよ スケールが違う。
キャンプ場や観光で有名になった所へ行くとかでなく、リアルな大自然を見せてくれてます。私のお勧めの動画チャンネルの一つ。
美しい自然
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jerusalem-mami · 2 years
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姉へプレゼント🌻
昨日思い出したのですが、
昔、ハンディのある子供たちが
集まるスポーツクラブでアルバイト
をしていたことがあったことを思いだしました
神様が与えてくださった恵みの時だったな☺️
今は介護の仕事!
今月で12年目になりました😳
先月から特に、
利用者さんももちろんですが、
職場に神様の祝福が現されるようにお祈りして
いるのですが、
10ある事業所の中で成績がずっと最下位だったのが
先月トップになり😳
スタッフ全員にプチボーナスがでたのです✨🥲
それ以上に嬉しいのは、
忙しくなった状況でも
スタッフもご利用者さんも良い雰囲気で
過ごせている事。
私には力はないですが、
利用者さんスタッフの方が
神様の愛に触れられたらと思い祈り続けたい
と思います😊
来月は制限がかなりある中ですが、
ゴスペルグループに事業所に来ていただく
イベントも決まりました🍀神様に感謝
来週は白馬キャンプ🏕🙋‍♀️
今日も白馬キャンプや賛美大会の
祈り備えの時が与えられ恵みです😭🌻
皆さんの為にもお祈りしています😊🙌
「主がお入り用なのです」
7/11
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0shoyamane0 · 2 years
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あなたはなぜ、アルコール飲料を飲むことを嫌うのですか。それほどまでに──私は目の前の猿が上海語を話していることにはそれほど驚かなかった。それよりも自分が何の服も身につけていないことの方で不思議だった。そして強烈に情けない気持ちになった。
「大丈夫ですよ」と猿は言った。「私だって何も身につけていませんし、あなたは立派な体をしていますから」──私は自分の体がどうなっているか気になった。しかしいくら頭を働かせても自分の体型はおろか、姿や顔といった少しの特徴を思い出すことさえできなかった。「さぞかし混乱されていることでしょう」猿は淹れたばかりのコーヒーを私に渡してきた。深緑色のとても品のいいマグだった。
温かいコーヒーを飲むにつれ私は少しずつ落ち着きを得ていった。猿はその様子を感じたのか穏やかに話し始めた。「先ほどの続きなのですが──いや別の話をしましょう。私が普段から不思議に思っていることです。それをあなた方とも一緒に考えてみたいのです。よろしいでしょうか。その問いとはつまり、一つ目はこれです。なぜ私たちは病んでいても医者にかからないのか」。猿は私の目をじっ、と見ている。けどそれは優しい眼差しだった。
しばらくのあいだ、私は問いの意味を考えていた。するとまた猿が口を開いた。「その問いについてはそのまま考えていてください。答えを急ぐことはありません。むしろ時間をかけて考え続けることこそが大切ですからね。問いを2つに分けることができたら、私たちはそれをさらに4つ、8つに分けていくべきなのですから。ところで先ほどの問いにつながることなのですが、私たちがはどうして医者に診てもらうだけでいくらか病が治ったかのように感じるのでしょうかね。手術をしたわけでも薬を飲んだわけでもないのに、どういうわけか少しだけ苦痛が和らぐ。私はそれについて今よりも少し詳しくなりたいのです、ですからあなたとも考えてみたい」。私はこの時、初めから気づいていたことに改めて気づいた。この猿は人格者であり���養人*なのだ。
それ��ら長い時間をかけて、私たちはさまざまな問いについて心ゆくまで語り合った。
──────
土手 これ、読んでみるといいですよ。(おもむろに本を渡す)
山根 『禅とオートバイ修理技術』。これは一体、面白そうな題名ですね。
土手 実際に面白かった。差し上げます。ロバート・メイナード・パーシグというアメリカ人が1974年に発表した哲学的な小説です。
山根 ありがとう。私が興味のあ��そうな本です。それにしても土手さん、どのようにしてこの本を知ったのですか。
土手 それにははじめに、エリック・ホッファーの話から始めるべきです。
山根 ああ、あの港で働きながら哲学をやっていた人ですか。
土手 そうです。彼の愛読書がモンテーニュの『エセー』であることは有名な話ですね。それは猿でも知っている前提として話を続けさせていただきます。
山根 結構です、続けてください。
土手 はい。彼の自伝を読んでいたら、付録として晩年のホッファーへのインタビューが載っていました。その内容はアメリカと老いについてでした。そしてその中で『禅とオートバイ修理技術』について少し触れられていたのです。これは先生、少しでもこの書名について知っていたら、読み始めない理由を欠いてしまったと言えるでしょう!
山根 いかにも。
土手 私は早速、その本を買いました。上下巻に別れた文庫本の表紙はオートバイのエンジンの写真になっていて、上下巻を並べると一枚の写真になります。V型のエンジンです。私はエンジン──内燃機関への関心を隠し通すことができません。
山根 土手さん、久しぶりにあなたと会話していると、あなたがパイドロスのようになった気がします。しかし土手さん、もしもあなたがパイドロスだとしたら、私は話の聞きたがりで有名なソクラテスの役を買って出ることにしますよ! それが礼節というものだと私は心得ています。
土手 ありがとうございます、山根先生。いや、ソクラテス。あなたの産婆術の恩恵を受けて私はかの惨めなソフィストの二の舞を避けることができました。つまり、一介の散歩者になることができました。
山根 それはパイドロス、とてもいいことだと思います。誠実であることが大切ですから。そして土手さん、何の話をしていたんでしたっけ。
土手 すみません、私は興奮するといつもこうなのです。話は──いえ脱線ついでに最近の本の数珠繋ぎをご覧差し上げましょう。私はエリック・ホッファーの著作を読み始めました。その中でパーシグの『禅とオートバイ修理技術』に触れられていたので読み始めました。その中の登場人物がオートバイでの旅行中に持ち運んでいる本がヘンリー・デイヴィッド・ソローの『ウォールデン 森の生活』だったのです。もちろん、これは恥ずかしいことなのですが、私はこれまでモンテーニュの『エセー』を読んだことがなかったのでこれも購入して読み始めました。
山根 なるほど、とても良い広がりに思います。
土手 さらに恥ずかしいことに先生、私はオートバイへの関心が留まることを知らず、自動車教習所に通い始めました。銀行口座から現金を引き出して、それを素手で握りしめて、汗だくだくで、入校を申し込みました。受付の女性は顔が引き攣っていましたよ。彼女には悪いことをしました。
山根 そうして、オートバイの免許は取れたのですか。
土手 あともう少しです。
山根 余暇活動が広がっているようで素晴らしいですね。エリック・ホッファーの言葉の中に週に5日、日に6時間以上の労働はいけない。労働が終わった後に本当の人生が始まるのだからというものがあったのを思い出しました。余暇活動と便宜上言っていますが、実のところ私たちが平静を手に入れるためにはこの余暇活動が不可欠なのですよね。
土手 それは全く、先生、その通りだと思います。結局のところ、労働は労働としての私たちへの効果がありますが、それが本質であることは危険です。それが本質となりうるものは生活であるべきだからです。生活の実践こそが私たちの哲学であるべきです。そして言い換えれば哲学することとは私たちの死に方を学ぶことなのだと思います。
山根 さすが土手さん、最後のところはモンテーニュのエセー第19章「哲学することとは、死に方を学ぶこと」からの発想ですね。確かに私もあの章を気に入っています。たとえば「徳たるものの主たる恵みとは、死を軽く見る(メプリ)ことであって、これが我々の人生に、ふんわりとした平静さを与えてくれるし、純粋で、愛すべき人生の好みをもたらしてくれる。これがなければ、他のあらゆる快楽も消えてしまうのだ。」とか言ったような文句は箴言となって私の中に在ります。
土手 やはり先生、即興で誦じることができるんですね。私もそうなりたいものです。もしも私が鉱山で働くことがあれば、労働仲間とどんな話題を話していても、彼らがこの件についてモンテーニュはなんて言っているんだい、と聞かれれば、いま先生がして見せたようにしたいと心から思っています。もちろん、ルクレティウスの『事物の本性について』だって誦じてみせます。古典を誦じることでしか自己同一性を感じられない虚しい実存にはなりたくは在りませんが……。
山根 猿真似、ですか。
──────
「どうしたのですか、気分がすぐれないようですね」。私は、猿が入れてくれたコーヒーを節操なく飲み過ぎてしまったらしい。急に大量のカフェインをとったせいで頭がぼんやりとしてきた。「考えてみれば、コーヒーもドラッグみたいなものですよね、快楽があれば副作用のように、気分の悪さもある。とどのつまり、私は即時的な快楽ではなくそうした二日酔いのような、副作用の方にドラッグの本質を見ています──」猿は嬉々として話している。私の体調は優れていないが、不思議と悪い気持ちではない。
話はいつの間にか西洋哲学と東洋哲学の相違について及んでいた。本当にこの猿は博識だ、と思った。博覧強記というのはこういう人(猿)のことを言うのかもしれないと心から思った。猿は続ける「ことに何かを客観的に分析する際の、その分析自体を疑うと言うことを一つの手段とするのは大切なことだと思うんです。おそらく、あなたも日頃からそう思われていることでしょう。私もかつて何度も考えました。結局のところ、主格を分けることで理解しやすくなるもの──だけではないことを感じることが大切だと思うんです」私はそれに同感した。
日が暮れてきた。目の前の猿が暗闇に溶けていく。「いい灯りがあります」そう言って、猿は彼の後ろにあったオートバイ(いつからそこに存在していたのだろう)のヘッドライトをつけた。「昔は結構、これでどこでも行ったものです。キャンプもしました。そう言う時にこれは役に立つんですよ、このライトは」猿はおもむろにオートバイの後ろにくくり付けられたバッグから本を取り出した「この本、お読みになったことはありますか。よろしければあなたに差し上げたいと思うのです。古い本ですが、きっとあなたも気に入ると思いますよ。もしかすると、私は昔にもこの本をあなたに渡したかもしれません。先生」
オートバイ──その音は徐々に遠くなる。私はじっとしていた。暗闇に包まれて、あたりには何もない。空でさえ見えない。だから私は目を閉じた。何もない。それゆえに、摂りすぎたカフェインによる気分の悪さだけが、より一層際立って感じられた。
* 猿であれば人格者ではなる猿格者、教養人ではなく教養猿と書くべきであるが不必要な混乱を避けるために「人」の文字を使った。この注釈を蛇足だと私自身も思うが、同時にかの猿への唯一にして最大限の配慮だと思っている。また同時に私に内在する加害性と偏見への戒めでもある。
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txtmatango · 14 days
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『アメリカ兵 パンパンと僕ん家』 朝霞米軍基地の兵士たちとの交流を描く紙芝居
田中 私の家は「貸席」という、今日のラブホテルでした。戦後、朝霞にキャンプドレイクという基地ができて第一騎兵師団、4千名が入ってきた。同時に全国から米兵を相手にするおねえさんたちが押し寄せてきた。その人たちは住むところも何もない。うちはたまたま、戦前、戦中、貸席をしていた。当初は当時公民館も何もないので、��合のある時使わせて、そのうち地方まわりの芝居が、駅前に舞台を開き、うちへ来て、安く泊めてと。あと、東京から来る芋掘りの人たちがうちで作業着に着替えていく。いつの間にか、いくらか部屋代ももらう貸席業になる。おねえさん方も来る。するとそういうおねえさん方が兵隊を連れて来て仕事をするところになる。一般の人は来れなくなり、そればかり集まるところに。
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僕が子どものころは、よくいじめられた。遊び仲間や同級生にいじめられるのではなく、そのお母さんとかにいじめられた。「パンパン屋の子、淫売屋の子と遊ぶんじゃないよ」と。
              〜中略〜
独立記念日にキャンプが開放
田中 7月4日のアメリカの独立記念日にはキャンプが町民に開放されました。ゲートは4つあり、一番大きいのが南ゲートで、昔南栄と言ったところで、キャバレーやバーやあやしいところがいっぱいあった。そこからも入れるけれど、僕たちが入ったのは駅前通りの、今の市役所近くの郵便局のところに、北ゲートというのがあった。そこから入って、独立記念日の会場に押しかけた。
何があったかというと、まず子供たちは食い放題、飲み放題。飲んだことのないコカ・コーラ、それからアイスクリーム、コーン、サンドウィッチはある、ジュースはある。アメリカのお姉さんが、こういう格好をして、キャンデーを配ってくれる。皆々は我れ先に馳け寄ります。もちろん大人も押しかける。人、人、人で溢れます。毎年7月4日が楽しみでした。
興味深かった女の子のダンス 自由なアメリカ
ここで一番興味深かったのは、刈り込まれた芝生広場で、アメリカンスクールの生徒でしょう、僕たちと同じ年ごろの女の子が、ダンスをする。今で言うチアリーディングというやつ、おそろいのお尻が丸見えの短いスカートで、 エイヤッと脚が上がり、きれいで可愛くて、ぼく達は声も無く、魅入るだけです。
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僕はこの時初めて、アメリカはなんでこんなに自由なんだろうと思ったのです。日本なら子ども達が運動会で何かをするとき、体格のよい順にぴしっと並べる。上手な子、可愛い子を前に出すとか、きれいなものを着ている子を前に出すとか。当時は貧しかったので小汚い恰好をしている子ばかりだった。どうしてもそうなる。アメリカはそれがない。デコボコで構わない。下手な子も上手な子も一緒に並べている。上手な子はピンと足が上がる。太った子がいて、足が上がらない。でも一生懸命やっている。日本の僕が行っている小学校なら、あの子は一番後ろに下げるはずだ。ところがその足の上がらない太った子は一生懸命やっていて、アメリカはすごいなあと。ダンスが終わり、一人一人名前を呼ばれ、お辞儀をする。足の上がらなかった子が一番拍手をもらっている。
いじわるだったのは日本人の守衛
ここにMPが立っている。この姿は色もほとんど正確です。他に、日本人の駐留軍労務者という、守衛のような人たちがいました(青い服)。その人たちがえばっていました。やたら入ってくる人出ていく人に、向こうではタダで配っているのに、ものを持ち出していないかと因縁をつけたり、わざわざ子どものポケットを探ってみたり。日本人の守衛さんにはずいぶんいじめられた。
              〜中略〜
田中 その頃は、子どもが進駐軍をこわがったり、一方で「ギブミーチョコレート、チューインガム」と言いながら追いかけたという話をよく聞くんですが、僕はその経験はまったくないです。アメリカ兵の方から、寄ってきてくれた。たまたま僕はこわいという気持ちがないから、呼んでいるとわかる。行くと、ポケットから出していろいろなものをくれる。するとあいつもらったと、みんな寄ってくる。兵隊もみな若い。自分たちのあんちゃんみたいなもの。弟みたいのが寄ってくれば、可愛いでしょう。
特にうちには、当時秋田から中学校終わって東京に出てきてたまたまパンパンになってしまったおねえさんがいた。その人は、ベリーさんという名を黒人兵からもらって、うちの貸席に長期滞在していた。その人にも可愛がってもらって、そのベリーさんの特定の相手、当時オンリーさんといいましたが、黒人兵で年中スティックをお尻のポケットに入れていて軍楽隊のドラマーだったトニーさんにもずいぶん可愛がってもらった。
ベリーさんは結局は殺されるんです。同業者、パンパングループから殺される。トニーさんとベリーさんのお話を描いた「ベリー嬢奇譚」というのが独立した紙芝居になっています。その話はかなり長いことやっており、自分では一番好きな話です。
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ベリー嬢奇譚
ベリーさんは、中学終わってすぐ、秋田県北秋田郡米内沢村というところから出てきた。米内沢にいても仕事などなかった。大きなお宅の女中や子守に行くとかが関の山なんですって。家も貧しかったらしく、子どもも大勢いて、中学を終わって、東京へ行けば何とかなるだろうと出てきた。最初上野に着いた時、東京に出てはきたが何をしてよいかわからない。右も左もわからない。歩いていたら「女中入用」と貼ってあった。それは上野の地下道のしなソバ屋だった。とにかくいいや、使ってくださいと。物置みたいな中二階しか空いていないがそこでいいならと。
そこに2、3ヵ月いたらしい。わずかな給料もらって十分満足していたが、上野は売春婦の本場で、そういうおねえさんたちがご飯を食べに来る。おねえさん方はみないい格好をして、話しているうちに、「あんたここでいくらもらっているの。こんなところにいてもつまらないよ。私たちと同じ仕事したら」。うっすらどういう仕事かわかっていたので迷っていたら、「大丈夫。私たちがちゃんと教えてあげる」。ところがあまりに田舎者過ぎて上野ではうまくいかなかったらしい。そしたらそのうちの一人が「朝霞に行けば」と。その気になって、朝霞に着いた。朝霞駅に着いて困った顔をしていたら、私の家に貸布団を入れているおじさんがいたんです。大宮から来るおじさんで、今でもそのお店はあります。そのおじさんとたまたま会って、どこか泊まれるところを知らないと言ったら、それなら「俺がいつも行っているところに頼んでやるよ」と、最初にうちに来た。おふくろも話を聞いて、うちも商売をしていてお手伝いさんがほしいから、うちで少し働いてみるかい、と言った。そうしてください、ということになった。
その人がうちの使いで通りに出た時、黒人兵とぶつかった。その時、何となくこの人はいいひとだなと思ったそうです。その黒人兵は、片言の日本語ができ、話しているうちに、どこにいるのか、私はこの家で働いている、住んでいるのか、住み込みです、夜遊びに行っていいか。私の一存では返事できない、お母さんに聞いてくる、と。おふくろは、元々アメリカ兵と付き合っていい暮らしをしたい、国にもカネを送りたいと思ってきていることがわかっていたから、黒人兵もいい人だと見たんでしょう。ということで付き合いが始まって、中学を終えたばかりでトニーさんのオンリーに成ります。 トニーさんは色白のベリーさんが大好きでした。オンリーになってもアメリカ兵はずるかった。適当に遊んで、うっちゃって、また他をと。その黒人兵トニーさんはベリーさんをすごく可愛がった。ベリーさんは、当時朝霞で誰も着ている人がいなかったチャイナ服をいっぱい持っていた。成増と下赤塚の間にグランドハイツという米軍の住宅があり、その前に中国人の経営するテーラーとかドレスメーカーがいっぱい並んでいた。そこへ連れて行ってチャイナ服を作らせた。最初はもったいなくて着られなかったが、トニーさんは毎日着ろと。ベリーさんがそれを着て駅前に出ると、当時乞食パン助と言われたくらい兵隊をつかまえるのに必死になっている子たちばかりだから、ろくなものを着ていない。そういう子たちから見ると、あのやろうなんだ、たまたまいい兵隊見つけたからと言ってでかい面するな、といじめられたらしい。そこではいつもおふくろが出て行ってかばった。
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ベリーさんも、おふくろのところから離れられなくなって、結局4年ほどうちにいることになるんです。結局、トニーが所沢の基地に転属になります。それでベリーさんも狭山に住むことに。狭山に行ったんだけれど、どこに行っても縄張りがある。朝霞にも白百合会というグループがあり、よそから来る女の子をみな一回おどかしてグループに入れて上納金を取る。拒否するとリンチを加える。ベリーさんもその土地のグループに目をつけられ、殴ったり蹴ったり、内臓破裂で死ぬ。しばらくしてから、風のうわさというか、朝霞にも流れて来て。朝霞では、「あの黒人がベリーさんを殺したに違いない」と言われた。おふくろは「違う、トニーは決してそんなことをする人ではない」と言い張っていたそうです。
結局は、土地のパンパングループに殺されたということがわかった。それからしばらくしいて、トニーさんがうちに来た。「お母さん、僕のモーニングスター、ベリー死んだよ」と、おふくろにしがみついて泣いたんです。僕はその時学校から帰ってきて、ランドセルしょったままそばにいて。いつもトニーに遊んでもらう時はトニーのベルトに指2本突っ込んで振り回してくれる。その時も同じことをしてくれたのですが、トニーが泣いたんで、よくわからないが僕も泣いちゃって。ここが、紙芝居のラストなんですが、必ず僕は泣いてしまいます。
女性紙芝居師が引き継いでくれる
昨年、浅草の吉原のこうした話ばかりを集めているカストリ書房という本屋さんから朝霞のパンパンがいたころの紙芝居をやってくれないかと声がかかった。その時、たまたま本職の紙芝居屋さんも何人かいて、その中の女の紙芝居屋もっちぃさんが、「金ちゃんが泣いちゃってできないなら、私にやらせてくれないか」と。それでその人が、今やってくれています。
―田中さんはパンパンと呼ばれた女性たちをおねえさんと呼ぶ。
田中 可愛がってくれたおねえさん方です。みんなはパンパンとかパン助とかパンパンガールと言ったけれど、おふくろは僕に決してそんなことばを使ってはいけない、おねえちゃんと言えと。おねえちゃんと言われると向こうもうれしく、弟みたいに可愛がってくれた。いろいろな、珍しいものをもらった思い出がある。おねえさま方に対して、僕はいやな思い出、悪い思い出がないです。何かがあったら、味方をします。
富山の薬売りだったおねえさん
うちに、僕が赤ん坊の頃から来ていたという富山の薬売りのおねえさんがいたんですよ。ゆきちゃんといいました。その人がある時から突然来なくなった。箱に薬を詰めたままでお金も取りにこないし。おふくろが心配していたら、ある時突然アメリカ兵と来て、「私今度メアリーになったんよ」と。薬売りではきれいなドレスを着られない。だからハニーさんになった。ハニーさんも僕が勝手につけた名で、パンパンという呼び名をなぜか女の人はいやがる。どうしたらよいかと思っていたら、アメリカ兵はおねえさんを呼ぶ時に例外なく「ハニー」と呼ぶ。ああハニーさんと呼べばよいと、それからハニーさんにしたんです。薬売りのおねえさんもハニーさんになり、当時いい思いをしたおねえさんもいっぱいいる。ただ、どうしちゃったわからないおねえさんもいっぱいいますが。
―田中さんは記憶力がすごいです。
田中 僕が中学・高校(獨協中学・高校)に入った時、3年生に美濃部という珍しい名の先輩がいたんです。その子が休み時間になると重量挙げをやっていた。僕もいつも見に行っていたら、ある時、持ってみろと。後で聞いたら50キロだったらしいですが、それを僕は挙げた。美濃部先輩は「すごい。坂田金時の再来だ」と言った。同級生が聞いて、最初は「金時さん」と呼ばれていた。それが「金ちゃん」になり、中学から高校を終わるまでずっと「金ちゃん」で通した。いまだに、「金ちゃん」。美濃部先輩は後の古今亭志ん朝です。
―これからも紙芝居を。
田中 他にすることもないし、何とか続けたいです。
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